『笈の小文の研究 評釈と資料』

大安 隆・小林 孔
松本節子・馬岡裕子  著
2019年2月4日、和泉書院発行
A5判、352頁、定価13000円+税

目  次

けじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大安 隆
『笈の小文』学説批判――研究史として―― ・・・ 小林 孔

評 釈 篇

凡 例 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・   8
〔風羅坊記〕 ・・・・・・・・・・・・・・・  11
〔送別・旅立〕 ・・・・・・・・・・・・・・  19
〔紀行始筆〕 ・・・・・・・・・・・・・・・  27
〔鳴海夜泊〕 ・・・・・・・・・・・・・・・  34
〔保美道中〕 ・・・・・・・・・・・・・・・  43
〔伊良古訪問〕 ・・・・・・・・・・・・・・  51
〔尾張遊吟〕 ・・・・・・・・・・・・・・・  63
〔旧里越年〕 ・・・・・・・・・・・・・・・  78
〔伊賀春日〕 ・・・・・・・・・・・・・・・  87
〔伊勢参宮〕 ・・・・・・・・・・・・・・・ 100
〔同行門出〕 ・・・・・・・・・・・・・・・ 116
〔大和路行脚〕 ・・・・・・・・・・・・・・ 123
〔吉野山感懐〕 ・・・・・・・・・・・・・・ 139
〔巡礼廻国〕 ・・・・・・・・・・・・・・・ 154
〔旅 十 徳〕 ・・・・・・・・・・・・・・ 161
〔初夏南都〕 ・・・・・・・・・・・・・・・ 169
〔須磨早暁〕 ・・・・・・・・・・・・・・・ 188
〔須磨眺望〕 ・・・・・・・・・・・・・・・ 194
〔須磨浦幻影〕 ・・・・・・・・・・・・・・ 204
『笈の小文』 序 ・・・・・・・・・・・・・ 212

   資 料 篇

旅程と旅中句(その異同) 一覧 付 工程図・須磨明石地図
         ・・・・・・・・・・・・・ 227
『笈の小文』の諸本 ・・・・・・・・・・・・ 249
付載資料1 『更科紀行』影印・対校 ・・・・ 260
  付載資料2 附録部の対校 ・・・・・・・ 268
『笈の小文』(伊賀市蔵)影印と翻刻 ・・・・ 271
『笈の小文』四本対校表 ・・・・・・・・・・ 293
   ✽     ✽
参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 319
あとがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 331
索引〔芭蕉句・・・333 書簡・・・335 
書名・人名・地名・・左開き〕
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■著者紹介
大安 隆(だいやす たかし)昭和3(1928)年生まれ。
 関西大学文学部卒業。
 元大阪市立夕陽丘中学校長。
 『芭蕉 大和路』平成6(1994)年 和泉書院
 「『野ざらし紀行』の探究」1~27(共著)俳誌「早春」(早春社)
  平成8(1996)年9月~平成10(1998)年11月 他

小林 孔(こばやし とおる) 昭和38(1963)年生まれ。
 立命館大学大学院博士課程単位取得満期退学。
 大阪城南女子短期大学教授。
 『捨女句集』(共著)平成28(2016)年 和泉書院
 『続猿蓑五歌仙評釈』(共著)平成29(2017)年 ひつじ書房
 「『奥の細道』の展開一曾良本墨訂前後一一」「文学」9巻2号
  平成10(1998)年4月 他

松本節子(まつもと せつこ)昭和16(1941)年生まれ。
 龍谷大学大学院博士課程単位取得満期退学。
 元摂南大学教授。
 『江戸時代上方の地域と文学』(共著)平成4(1992)年 同朋舎出版
 『日本近世文学研究の新領域』(共著)平成10(1998)年 思文閣出版
 「蕪村・几董『桃李』の成立」「国文学論叢」第13輯 昭和42(1967)年
  12月 他

馬岡裕子(うまおか ひろこ)昭和30(1955)年生まれ。
 同志社女子大学家政学部卒業。佛教大学文学部史学科博物館学芸員課程修了。
 元芭蕉翁記念館学芸員。
 第65回芭蕉祭特別展図録『旅の詩人 松尾芭蕉』平成23(2011)年 他

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「『笈の小文』学説批判――研究史として―― 
                         小林 孔
(前略)

 本書の出発点は、乙州編集説に組せず、未定稿説を採らず、後の諸本の項で述べる
ように、乙州版本『笈の小文』を、その手もとに残された芭蕉の草稿を丁寧に書写し
た作品と認定するところにある。沖森本『更科紀行』を正確に版本にまで書承し、伝
えた実績に注目したからである。研究史の中でのやや曖昧な立ち位置を承知しながら、
まとまった作品として読みはじめてもよいのではないかと考えるに至った。言い換え
れば、乙州の清書から十分信頼できる本文と構成を窺知しうると判断したのである。
 では、『笈の小文』の執筆の動機はどこにあったのか。実は、『野ざらし紀行』か
ら『奥の細道』に至るすべての紀行文に、いまだ同様に明快な回答が出されているわ
けではない。あえて申せば、『笈の小文』の執筆の動機は、おそらく元禄四年の近畿
漂泊をきりあげる、その間近の時点において、さかのぼりうる最も身近な旅の素材を
求めて、一篇の紀行文にまとめあげる機会にめぐりあったというところであろう。自
らすすんで紀行を書いたというよりは求められてのことであろうか。その人物が商用
での旅が多い乙州であれば、空想は大きな迂回をせずに収めることができるが、想像
や推理はこのままにして、そこに元禄三年三月に歿した杜国への鎮魂のモチーフを加
えるのが、人と人との接点で生まれる文学誕生の道筋のようにも思えてくる。」
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