北村薫著『小萩のかんざし いとま申して 3』
2018年4月5日、文藝春秋発行
46判、462頁、定価2200円+税

目次
第三巻の序 ・・・・・・・・・・・   6
第一章 ・・・・・・・・・・・・・  10
第二章 ・・・・・・・・・・・・・  52
第三章 ・・・・・・・・・・・・・  89
第四章 ・・・・・・・・・・・・・ 124
第五章 ・・・・・・・・・・・・・ 161
第六章 ・・・・・・・・・・・・・ 199
第七章 ・・・・・・・・・・・・・ 235
第八章 ・・・・・・・・・・・・・ 278
第九章 ・・・・・・・・・・・・・ 321
第十章 ・・・・・・・・・・・・・ 366
第十一章 ・・・・・・・・・・・・ 408
結び 春来る神 ・・・・・・・・・ 456
付記 ・・・・・・・・・・・・・・ 460
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第三巻の序    【引用にあたり、振り仮名は省略した】

 わたしの父は明治四十二年三月二十九日、神奈川県横浜市保土ヶ谷の宮本家に生まれた。
名は演彦――こう書いて《のぶひこ》と読む。
 父は沖縄の祭について研究していた。その関係の方にうかがうと、父を、
 ――エンゲンさん。
と呼んでいた、という。間違えたら失礼だから、と音読みにしたわけだ。難読名のひとつか
も知れない。
 老境に入り、家での日々を送るようになったある午後、父はわたしに、半分に折った原稿
用紙を手渡した。そこには、こう書かれていた。
―――――――――――――――――――――――――
辞 世
   「いとま申して、さらば」と皈り行く
         冬の日の、竹田奴かな
―――――――――――――――――――――――――

自注に、竹田奴とはこの場合《一人遣いの人形》を指す――としてあった。父の頭にあった
のは、文楽の舞台に端役として登場し、捕り方や三枚目となり、目立つことなく舞台を去っ
て行く人形だった。観客の記憶には、残らない。父は、一生を振り返り、自分をそれになぞ
らえた。
 逝った後に、膨大な量の日記が残された。存在は知っていたが、存命中に読むようなこと
はしなかった。当然のことである。亡くなってから父に会うように、開いた。そして、
――自分がいなくなれば、これらのものも消えてしまう。それでいいのか。
 と強く感じた。それは《辞世》を手渡してくれた父を、二度逝かせることのように思えた
のだ。
 わたしは、意味の取りにくい文字の列を読み解きつつ、父の生きた時代を自分の中に構築
し始めた。有名無名の多くの人々が、その世界の中で生き始めた。それが、こうして三冊に
まとまった。
 他人の父親の日記など、普通は読んで面白いものではない。しかし多くの、さまざまな分
野で《主役》をつとめた人々と、父とのかかわりを記すことにより、これは普遍的な、ひと
つの時代を描く絵巻になり得たと思う。
  【中略】
 本巻では、昭和八年大学院に進んだ父とその周囲を描く。父の日記を縦糸に、師である折
口信夫、そして折口と不思議な関係にあった横山重、さらにその横山の活動を支えた太田武
夫らの姿を、困難な時代の中に織り込む。
 第二次世界大戦の幕が切って落とされる頃、父は折口先生の本や同級生の言葉によって心
に刻んで来たはるか南方の島、沖縄へと向かうことになる。
 完結編となる三冊目の題を『小萩のかんざし いとま申して3』とした。小萩とは、歌舞
伎の登場人物。意味の取りにくい題だろう。しかし時の流れの中で、自分にはどうしようも
ないことを抱え生きて行く、人間という存在を語る言葉である。読み終えた時にはご了解い
ただけると思う。
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付  記

 多くの資料によったが、折口先生に関しては特に父の後輩、池田彌三郎、戸板康二両氏の
文章に大いに助けられた。なお、池田氏に関しては自著でも《彌三郎》と《弥三郎》、二つ
の表記が混在していた。本書中では、引用文は原著の通り、地の文では《彌三郎》とした。
同一ページ内で表記不統一の箇所も生じたが、この原則を守ったためである。
 出典に関しては、出来る限り文中に記すよう努めた。しかし、
 『書物捜索』横山重(角川書店)
 『横山重自傅(集録)』編・原秋津(私家版 製作・岩波ブックセンター)
 に関しては、頻出するため重ねて記すのを略した箇所もある。横山重に関する記述は、ほ
ぼこれらによった。
 同じく基本的資料としたのは、
『折口信夫全集』(中央公論社)
『わが幻の歌びとたち 折口信夫とその周辺』池田弥三郎(角川選書)
『三田の折口信夫』池田弥三郎編(慶応義塾大学国文学研究会)
『折口信夫の晩年』岡野弘彦(中央公論社)
『宮本演彦ノート』伊藤高雄編(折口博士記念古代研究所紀要)
『昭和二万日の全記録』(講談社)
 である。
 【以下略】