『みちの奥の町工場物語』
      齋藤豪盛 著

  平成28(2016)年6月10日
      近世初期文芸研究会 発行
       A5判・142頁・非売品
 
 目  次

一、目黒不動尊 …………………………………    5
二、山形に転校 …………………………………    7
三、東洋酒造と酒との出会い …………………    9
四、川崎電気に入社 ……………………………   11
五、結婚、そして独立 …………………………   13
六、日立多賀工場と西宮さんとの出会い ……   15
七、父の死と銀行 …………………………………  19
八、ハイメカと叶内さん …………………………  24
九、ケンタッキーに行く …………………………  26
十、グレイさんとの出会い ………………………  29
十一、 ご迷惑を掛けて済みません ……………  31
十二、 激動の昭和48年 ………………………  33
十三、 ドルショック ……………………………  35
十四、 契約更新 …………………………………  37
十五、 北工業団地の開発 ………………………  39
十六、 オーストラリアGE ……………………  42
十七、 『可笑記』と先祖 ………………………  45       
十八、 上日枝神社 ………………………………  47         
十九、 塗装と組立工場建設 ……………………  49
二十、 中学校のバレーのコーチになる ………  51
二十一、社員旅行 …………………………………  54
二十二、西宮さんと再会 …………………………  56
二十三、能率機械 …………………………………  59
二十四、ジャパックス ……………………………  62
二十五、MCLの誘致 ……………………………  65
二十六、昭和から平成へ …………………………  67
二十七、自動車電話機 ……………………………  69       
二十八、輸出から撤退 ……………………………  71
二十九、塚田さんと通電 …………………………  75
三十、 最初の携帯電話 …………………………  77
三十一、木村先生と天目 …………………………  79        
三十二、神水会 ……………………………………  82            
三十三、振り返ってみて …………………………  84        
三十四、長井の将来と企業誘致 …………………  86
三十五、誘致への具体的提案 ……………………  88
三十六、人生余話 …………………………………  90
  1、アメリカに情報交換の場があった ……  90
  2、キャパシタ ………………………………  92
  3、ボブさん …………………………………  94
  4、ラスベガス ………………………………  96
  5、ハリケーン ………………………………  98
  6、七人の侍 ………………………………… 100
  7、免許皆伝 ………………………………… 102
  8、殿様拝領の釣竿 ………………………… 104      
三十七、終章 ……………………………………… 107           
  [逃げない]
  [媚びない]
  [恐れない]

  附 録 ………………………………………… 109
  一、『世臣伝』 ………………………………… 109
  二、『相生集』 ………………………………… 117
  三、『梅花軒随筆』 …………………………… 120
  四、斎藤家墓所 ………………………………… 121        
  五、「齋藤筑後守記念碑」 ……………………… 126    
  六、斎藤家略年譜 ……………………………… 129
  七、斎藤豪盛氏との出会い … 深沢秋男 … 138
  八、斎藤家系図 …………………………………  巻末   
 
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口 上

 暗黒の戦中から戦後の混乱期に、我々の年代は、食糧難の時代に生き抜き育てる為に
やりくりして時代を乗り切った逞しい母親達の後ろ姿を見て育った。
 亦、男達も、やりきれない敗戦の中に農業は開拓、開墾に汗を流し、工業は軍事工場
から転換して、蠢くように、遅々と平和産業に切替えていった。昭和四〇年代になると、
戦艦大和を造った技術が大型タンカーになり、電子技術がテレビ、トランジスタラジオ
になっていった。しかし、大正、昭和の初めの日本製品は外国では粗悪品として定着し
ており、売り込みは大変だったらしい。私か初めてアメリカに行って知ったのは、戦後、
カタログを持参してアメリカ全土を回ったセールスマンである。都会では相手にされず、
田舎の奥まで入り込み逆に評価が都会に至るようになって初めてメイド・イン・ジャパ
ンが信頼され売れるようになったそうである。我々、地方にあっても同じ苦労をした。
 今回、筆を取ったのは、置賜地方の昭和の時代の工業の変遷を書き残しておきたいか
らであった。時代の証人として、私の体験を通じての範囲しか網羅出来ないが少しでも
時代の背景を含めてご理解頂ければ幸いです。改めて感じるのは、地方迄、工業が行き
渡ったのは 一、ファクシミリの発明、二、宅配便の発達、三、高速自動車道の整備と
思っています。起稿に当たり、古い手帳を引っ張り出し記憶の断片を繋ぎ合わせて何と
か纏める事が出来ました。只、私には本を出す方法が分からないので、先祖、親盛の作
品をご研究して下さっている昭和女子大学文学部名誉教授の深沢秋男先生にお願いしま
した。先生には快くお引受け頂き発刊に至りました。
 齢、八十歳になり若い時お世話になった先輩諸氏はほとんど幽界に在し、ここに改め
まして心よりお礼を申し上げ、併せまして深くご冥福をお祈りする次第であります。
 最後に、ご尽力頂いた深沢先生と出版関係の皆様に衷心よりお礼申し上げます。                      敬白                          
                
                       斎 藤  輝 利
                         諱  豪 盛