『浅井了意全集』仏書編 1 

        浅井了意全集刊行会 編

         平成20年(2008年)9月25日 岩田書院発行

               B5判 710頁、18800円+税


浅井了意全集刊行会 編

責任編集委員:江本裕・岡雅彦・花田富二夫・深沢秋男・冨士昭雄・
  和田恭幸・渡辺守邦・後小路薫

編集委員:石川透・入口敦志・小川武彦・沙加戸弘・土屋順子・中
  島次郎・長谷川泰志・安原真琴・柳沢昌紀・湯浅佳子

本巻責任編集・解題担当:和田恭幸



目 次

刊行のことば ………………………………………………………   1

凡  例 ……………………………………………………………   2

収録書目細目 ………………………………………………………   3


勧信義談鈔 ……………………………………………………………  23

仏説善悪因果経直解 …………………………………………………  85

阿弥陀経鼓吹 ………………………………………………………… 345


解  題 ……………………………………………………………… 685

補  遺 ……………………………………………………………… 691
……………………………………………………………………………

刊行にあたって

 浅井了意は、真宗の寺浪人として苦難精進して、博覧強記の唱導家ともなっ
た僧侶・作家である。その苦節時代に、彼は、時代が今何を求めているかを肌
で感じ取った作家でもある。即ち彼は、草創期の徳川政権が時代や知識人に何
を求め、一方で庶民が何を欲しているか、つまり近世前期の文化状況の中で何
が求められているかを、鋭敏に感得してそれを作品に形象した作家なのである。
ここで幕政に参与した林羅山以下の知識人たちの啓蒙活動について述べる余裕
はないが、了意は民間にありながら時代の要請を感知して、これの庶民レベル
での啓蒙・普及を試み、次には当代庶民が要求している物に応える内容に転換
して、精力的に量産していった。
 了意は数々の文芸作品を著したが、その素材が多く中国・朝鮮伝来の教訓的
また伝奇的な書籍に依拠していることは周知の事実で、彼はまた数多くの仏教
経典の通俗解説書を著し、そこでも内外の仏典・漢籍からおびただしい比喩・
逸話などを紹介している。だが、その詳細はほとんど未開拓で、近世前期の文
芸作品や思想書を考究するに際しての「宝の山」と推断されるのである。
時あたかも研究の学際化が叫ばれ、国文学の世界でも視野の拡大が望まれてい
る。浅井了意という作家は、庶民レベルで国境の壁を突き抜けた最初の人であ
った。ここにその人の全集を公刊する運びとなったことをいささか誇り、その
成果を世に披露する次第である。

 平成19年5月     浅井了意全集刊行会編



『浅井了意全集』全巻の構成

〔仮名草子編〕 翻刻 全11巻 A5判

既刊
第1巻 堪忍記/孝行物語/浮世物語/浮世ばなし  *第1回配本
2007年8月刊、A5判・498頁・上製本・函入、15000円(税別)
了意の初期作品4編を収録。解説を付す  

…………………………………………………………………………………
続刊
第2巻 三綱行実図/大倭二十四孝         
第3巻 可笑記評判 
第4巻 因果物語/戒殺放生物語/鬼利至端破却論伝/天草四郎/法華利益物
    語 
第5巻 狗張子/伽婢子/ようきひ物語 
第6巻 本朝女鑑/賞花吟/新語園 
第7巻 江戸名所記/京雀/出来斎京土産/東海道名所記 
第8巻 かなめ石/むさしあぶみ/かづらき物語/三井寺物語/狂歌咄/安
    倍晴明物語他 
第9巻 将軍記/本朝武家根元 
第10巻 北条九代記/鎌倉九代記 
第11巻 伊勢物語抒海/源氏雲隠抄/勧信念仏集/父母恩重経和談抄 


〔仏書編〕  影印 全7冊 B5判  

既刊
第1巻  勧信義談鈔/善悪因果経直解/阿弥陀経鼓吹  *第2回配本
2008年9月刊、B5判・710頁・上製本・函入、18800円(税別)
了意の仏書、3編を収録。解説を付す  

………………………………………………………………………………………
続刊
第2巻 無量寿経鼓吹 
第3巻 観無量寿経鼓吹 
第4巻 盂蘭盆経疏新記直講/大原談義句解 
第5巻 聖徳太子伝暦備考 
第6巻 往生拾因直談/仏説十王経直談 
第7巻 法林樵談/三国因縁浄土勧化往生伝/願々鈔註解/法語鼓吹/愚迷発
    心集直談他 

〔資料編〕 全1冊 A5判 


 
推薦のことば
 了意全集刊行に寄せて──────中野 三敏 
 平成と年号が改まってこの方、社会全般に於ける対江戸観に大きな変化が見
られるように思うのは、決して私一人の感慨とは言えないのではなかろうか。
明治に始まる近代社会にとって、江戸は根本的に否定の対象であり続けた。そ
うでなければ当面の近代化の達成は果せなかったからである。戦後の民主化は
対江戸観にも若干の変化を齎して、江戸の中に近代の萌芽を探し求め、それの
みを評価する方向を良しとした。戦後の半世紀、その間、此の国の近代は或る
種異様な成長を続け、その為の片寄りや歪みも、当然大きくなり続けた。平成
に入る頃、漸く事の重大さに気づき始めた社会は、その克服を急務とするよう
になり、性急な人々の間では、"近代の終焉"の言表が常識化し、ポスト・モダン
が揚言され るようにもなった。しかし、そこ迄性急ではない穏和な知識人の
間には、片寄りや歪みの是正には、否定し続けてきた江戸の再評価こそが極め
て有効な手段ではないかという認識が生じ始めた。その為には近代主義的な江
戸理解ではなく、江戸の総体を江戸に即して理解し評価することの必要性に漸
く気づき始めたと言えよう。即ち本当の意味の江戸学の必要性が、初めて社会
レベルで認知されだしたと理解し得る。私自身、極めて狭い体験領域ではある
が、この様な情況はまさしく初めて経験する所であるのは間違いない。私は、
これこそが、近代の成熟が始まった、その何よりの証しであると感じる。
 文芸の領域は何よりもその中心に在ると信ずる。何故なら、それは江戸人の
 心を直截に汲み取る為の、最も有効な道筋を直指するものなのだから。
 「浅井了意全集」の刊行は、その意味で文字通り極めて時宜を得た企てとな
ろう。了意という存在を中心とした仮名草子のジャンルは、それこそ江戸人が
江戸人としての心性に基づいて、その凡てを表現しようと志した俗文芸の初発
であり、こゝには敢えて言えば、以後三世紀にわたる江戸の凡てがあるといっ
ても、決して過言ではあるまい。それは或る意味、渾沌でもあり雑然でもあり、
近代的な文学観なるものからすれば、必然的に未発達・未成熟と切り捨てられ
ねばならぬ命運のもとに存在し続けた分野であった。なればこそ、今、その所
謂近代を相対化し、その未熟さをあらためて問い直す時に、何よりも有効な視
点を提供してくれる存在であること、言うを俟たぬ。仮名草子研究は、今こそ
是非とも深めねばならぬ必然性を十二分に備えた分野である。そしてその為の
至近・至大の存在が浅井了意であることは、江戸文芸の研究者凡て、恐らく否
定し得ない事実でもあろう。
 こゝにその専家を結集した企てが実現しようとしている。今最も必要な、江
戸に即した江戸文芸研究が着実に出発しようとしているのである。これを学界
の慶事と言わずして何と言うべきであろうか。刮目してその成果を俟ちたい。

 文学史に修正を迫る──────長谷川 強 
 「洛陽本性寺の了意大徳は。きはめて博識強記にして特に文思の才に富り。
生平の著述はなはだ多し」とは、林義端が『狗張子』序にいうところ。かつて
了意二人説なるものがあったが、それはとても一人の著作と思えぬほどに多岐
多方面にわたる事を示す。彼の博識は和漢から仏典にわたり、学三国に及ぶと
は当時の意識からすれば正に世界に通達する事であり、しかも新しい時代が求
める新知見に基くものであった。それを豊かな文思の才をもって多くの著述に
結晶させた了意こそ一大啓蒙家と称してよいであろう。われわれは従来了意を
仮名草子の作者としてのみ考察の対象として来たが、彼の著述が悉皆提示され
る今、改めて啓蒙家としての彼の全貌を見渡した上で、仮名草子作者としての
評価をも再検討すべきであろう。
 仮名草子の代表作者は了意、浮世草子の代表作者は西鶴、これは文学史の常
識であるが、このように 別箇に考察されて来た両者の生涯を突きあわせて見る
と、『堪忍記』は万治二 年、『浮世物語』は寛文五、六年、了意の享年を仮に
八十歳とすると万治二年は四十七歳、 寛文六年は五十四歳、対する西鶴は万
治二年十九歳、寛文六年は二十五歳、同時期の人であった事に気付くのである。
西鶴は既に俳諧の道に入り、寛文五年頃には点者にもなり、野心に燃えていた
時である。後年の『好色一代男』と『浮世物語』、「甚忍記」計画と『堪忍記』、
『本朝二十不孝』と『大倭二十四孝』とあげて行くと、新しい知見に満ちた了
意の 作から青年時に受けた衝撃は相当大きかったのではなかろうか。了意は
西鶴にとって正に現代の文学であったのである。こういう目で了意と西鶴を見
直してみる必要があろう。
 了意は中国書を紹介しまた移して新しい時代の倫理道徳の指針の書とし、新
しい小説を著した。新しく開かれた街道を舞台に新しい紀行文学を生み、中世
の憂世にかわる浮世に活動する新しい人物を創造して社会批判を行なう。それ
らは幕末までロングセラーとなり、改題して行なわれ、着想が踏襲された。ま
た彼は努力して父の時に失った一寺の住職の地位を回復したが、著作の収入が
助けになった事があろうか。有名人となっては他の著作の作者として名を貸し
たり、序文を与えたりしている。出版史の上からも注目してよいであろう。彼
の活動を全著作によってうかがう機会を提供しようとする今回の企画は、多く
の問題を提起し、従来の近世文学観に修正を迫るものとなるであろう。

 日本怪異文学の祖──────高田 衛 
京極夏彦の怪異小説は、人間という〈異界〉を捉えて、結構奥行きの深いもの
が多い。たとえば〈巷説百物語〉系で言えば、あれらの中で物蔭にひそむよう
に存在し、突如浮上して鈴を鳴らす御行の又市という端役がいるが、私はかつ
て京極氏を捉えて、「あれは京 極版祐天上人だろう」と指摘したところ、彼
はパーティの暗闇の中で、にっこり笑って、問いには答えず一礼して去ってい
った。御行の又市とは、江戸時代、都市貧民の間で悩める人々の心を癒した遊
行民的な下級宗教者のひとりである。
 こんな話を書くのは、そんな京極氏の、やや難解で、読めば読むほどその謎
ときの知的ゲーム(これは読者の背筋を涼しくさせる効果もある)が娯しめる
小説世界が、わたしの既視感(デジャビュ)を刺激することがあり、ある時は
っと気付いたのが、浅井了意、その『伽婢子』との不思議な共通性であった。
 『伽婢子』は周知のように全六十八話からなる怪異小説集である。著名な
「牡丹灯籠」が示すように、その多くは 中国小説の翻案である。ただし、「牡
丹灯籠」はその原典『剪 燈新話』から採ったというより、朝鮮で刊行された
『剪燈新話句解』、もしくは その和刻 本を巧妙に媒介体として作成されてい
た。応仁の乱によって滅びた京都の武門の姫君の悲劇伝承が受け皿となってお
り、いうならば十七世紀の東アジアの知と想による、哀愁ただよう知的怪談と
なっている。
 当時の日本は、儒学合理主義が怪談・怪異を否定し、仏教の舌耕僧との対立
が至る所でみられた時代であった。神・仏・儒から精霊信仰(アニミズム)まで
広がる宗教的・哲学的・民衆信仰的な矛盾も自覚され、一種知的混沌への運動
が、了意の怪異小説を産んだとも言える。
 了意の文章は、比較的平易だし、かつ雅文や和歌を背景にした心情的なみや
びやかさをも備えたものであるが、おそらくわたしは了意怪談の背景となった
混沌と、京極夏彦の世界との対応を直感した瞬間があったにちがいない。
 京極氏を持ち出したのは一例としてである。日本の怪異小説史において、元
祖に相当する巨人は浅井了意である。こんな事は今更言うまでもないことであ
って、了意の多数の著作を見るとき、了意は近世小説そのものの親であると言
ってもよいだろう。
 宗教(浄土真宗)上の舌耕者であることと、それを筆を執って著作、冊子の
読物の形に仕上げる、日本整版本(木版印刷)の整備の時期との、幸運なタイ
ミングの一致という問題はもちろんあるだろう。
 しかし、今回の全集のありがたさは、今までは入手、観察の困難であった、
了意の仏書の類、ことに『浄土三部経鼓吹』を代表とする「鼓吹」物、「直解」
物らが 全部揃えられることである。
 これらには了意怪談の秘密が秘められているのみならず、日本近世怪談の根
本的問題がこれによって明らかになるであろう。
 待望久しき企画の実現を心からよろこぶ者である。江戸文化・文芸研究者の
みならず、現代ミステリイ愛好者の御購入をもおすすめしたいと思う。
 

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