百人一首詠込都々逸研究

菊池 真一

 百人一首を踏まえた都々逸、百人一首を詠み込んだ都々逸には、次のものがある。

一、『新板百人一首吉原どゝいつ』(弘化五年)
二、『新撰どゝ逸大成前編』(万延二年)
三、『小倉百人都々逸』(元治元年)
四、『都々逸恋の美南本』(幕末刊)
五、『百人小ぐらどゞ一』(幕末刊)
六、『美国振小倉都々逸』(明治三年)
七、『小倉山都々逸百首』(明治十六年)
八、『小倉都々逸百首』(明治十七年)
九、『百々一小倉百人誌』(明治十九年)
十、『開哥小倉どゞ一』(明治十年前後か)
十一、『都々逸の栞』(明治三十四年)

 以下、詳細に見てゆく。


一、『新板百人一首吉原どゝいつ』(菊池真一所蔵)

 蓬左文庫にも同本を所蔵する。しかし、菊池本が九丁仕立てであるのに対し、蓬左文庫本は六丁までである。
 弘化五年(嘉永元年。1848)序。一筆菴可候の門人である禿筆菴可一の著。挿絵は景斎英寿。柱には「百人とゝいつ」とある。
 上田市立図書館花月文庫には『新版百人一首よしはら都登逸』がある。柱に「百とゝ一ノ二へん」とあることから、続編であることが知られる。本文九丁。一筆庵門人禿筆庵可一序。本文末尾に「禿筆庵可一酔作/吉泉子英寿画」とある。
 以下菊池本の翻刻。〔 〕内は角書。清濁はそのまま。振り仮名は特別なものを除き省略。
〔新板〕百人一首吉原どゝいつ」(表紙)
往古(むかし)は朗詠集を唄ふ此節(このじぶん)は意気とか滑稽とか云て風流雄の漂行(ひやうし)にも唄たる?しされど珍文漢にして即時(てばや)に人情は解せず美婦(たぼ)の魂(こゝろ)を動(うごかす)に疎し僕平常(つね)の放蕩(とうらく)此(こゝ)に顕れいやたかき百人一首の御哥(みうた)をまがひて都登逸ぶしニ賦す最心あまりて言葉たらざるをいかにせむ夫がうえ沈酔(なまえい)の折から麁略(やりつけ)の出方体(でほうだい)にて五音(ろれつ)の廻らざるは酒好(さけのみ)の常なれば咎(とがむ)る事なかるべし今昔(いまむかし)詩(からうた)を唄て倭哥を哥ぬ事かは」(序オ)かの李延年が謡演(ふざけ)し如(ことく)一度うたふ時は盃を傾(かたむけ)再唄ふ時は娼婦(おいらん)の心を迷しむ三度うたふ時は杜選顕て三弦(さみせん)の銚子ニ外れ其可笑にたえがたかるべし是も唐人の寝語(ねこと)にして解するによしなからむアヽ侭よといつて書肆藤英堂にあたえたり
弘化五申のとし
         一筆菴可候翁門人
           禿筆菴可一題」(序ウ)
あきの野のくさふみわけてよしはらがよひしぼりゆかたもつゆにぬれ
はるすぎてなつにきかえのしろじのゆかたあせをほすのもすゞみだい」(二オ)
見せもはやひけ四ツすきまでおちやひいた女郎ながながしよをひとりねる
おくざしきおばもみぢになく鹿よりもあきはこぬかとかなしさに」(二ウ)
かさゝぎのわたしひとりかまいよのかよひ四六見せではよもふける
吉はらにゆくもかえるもなさけのみちよしるもしらぬもみなおきやく」(三オ)
はなのいろはうつりやすさよ身はいたづらにぬしのきせうをながめても
わだのはら八丁土手へとこぎゆく猪牙も人につげなとしのぶこい」(三ウ)
仕合はお部屋さまよとそのみなの川こいぞつもりてふちとなり
ちはやぶる神にねがいの日もたつた川さむさいとわず水くゞる」(四オ)
君がため。ふゆの野みちもいとわずかよふ。わしがどてらにゆきかふる
たちわかれ。いやいやもどるそのふり見かけ。まてといわれてかへりくる」(四ウ)
わすらるゝ。身おばおもはずほれたもえんよ。わしが命もおしくない
山川に風のかけたるそのうたよりも。ぬしとそひねのしがらみに」(五オ)
女房には。しのぶもぢずりソリヤたれゆへに。みだれそめにし心から
よしはらにいつゞけ酒のそのもどりかごゆめのかよひじひとめよけ」(五ウ)
やりてしうに。いけん内せうでわしやせかれつゝ。身をばつくすもあいたさに
ぬしとわれ。せかれながらもあふさかやまよ。人にしられないやうにくるがよい」(六オ)
小ぐら山。みねのもみぢのいろふかくなり。いまは一度ですまされぬ
初会から。ほれた男にまためぐりあいいつみたまゝやらこひしさに」(六ウ)
さびしさは。ぬしにわかれてこゝろもほそくわか身ひとりでものおもひ
こゝろあても。ちがふはかりか気のないかほで。ほれたわたしをまよはせる」(七オ)
山里の。すまいするともわしはいとふまい。人目しのびしふたり中
あさぼらけ。なさけありあけつきせぬえんよ。中もよしのゝ雪ふかく」(七ウ)
ありあけのつれなくわかれた又そのあとで。くぜつながらもうきなみだ
久かたの。ひさしぶりじやにこのはるの日の。よそで花見る心なし」(八オ)
なつのよは。まだよいながらツイあけやすく。ぬしとはなしがありあけに
しらつゆにかぜのふきしくアノ秋の野よつらきわかれと引とむる」(八ウ)
なにわかた。みぢかばおりにふじくらぞうり。あわでこのよはすごされぬ
このたびは。どふしてあおふと気もとりあえず。ひとりまにまにうきくろう」(九オ)
あさぢふの。あさきおもひかしのびしなかは。ほれたあまりのこひしさに
恋すてふうき名をはやくいゝ立られて人はしらじとおもひしが
○百人一首のこりの哥追々出板仕候相かはらず御求御らんの程願上候以上板元
禿筆菴作
景斎英寿画」(九ウ)
※本書の成立は、弘化五年(嘉永元年。1848)である。著者禿筆菴可一の生没年は不明だが、今から162年前のものであり、著作権は消滅していると考えるのが常識的判断である。



二、『新撰どゝ逸大成前編』(関西大学図書館蔵本)
 『新撰どゝ逸大成前編』は、万延二年(文久元年。1861)序。この中に、百人一首詠込都々逸が載せられている。編者歌沢能六斎(萩原乙彦)は、文政九年(1826)生れ、明治十九年(1886)没で、著作権は消滅している。
 以下、関西大学図書館蔵本(和装/911.655/U4/2-1)により翻刻する。
うしと見し夜もけふ日になつて見ればこひしい事はかり
見捨られゝばわしや墨染の袖とかくこをきめてゐる
たつた一言人づてならでいふて置たいことがある
鳥のそら音ははかりもせうがぬしの空寝ははかられぬ
恋に朽なん名はをしけれど今さらいぢでもきれられぬ
忘まいぞや引すへまでもかたいちかひのいれぼくろ
一人寝るよの其あくる間は」(十六<ママ>ウ)いかに久しきものおもひ
露の命を長くもがなとおもふもおまへがあればこそ
なまじあひ見てなほ物思ひしらぬむかしにしてほしい
人しれずおもひ染しがまうとやかうと浮名かたつては猶やめぬ
今くるといつてわたしをよもやにかけてもはや有あけとりが鳴く
風に吹るゝしら露よりも人のこゝろはちり安い
しのぶ恋ぢもつい色に出てものや思ふと人がとふ」(十八オ)
身をなげ出してもそはねばならぬ人にいはれた事もある
君が為なりヤわしや野に出てわか菜つむともいとやせぬ
人目ありヤこそ飛立むねをじつとこらへてしらぬ顔
左様しからばしかつべらしく他人ぶりよすりヤ猶かあい
をよばぬこととは思ツちヤゐれどやつはりみれんで神だのみ
賤のをだ巻又くりかへしどうぞむかしにしてほしい
足曳の山鳥の尾のながながし夜をどうしてひとりで寝つかりよう」(十八ウ)
なんの玉のを絶なばたへろあはで苦ろうをするにヤまし」(十九ウ)
あし曳の山鳥の尾のながながし夜をひとりかり寝の仇まくら」(二十九オ)
やくやもしへの身もこがれつゝぬしをまつ尾のうらざ敷
沖の石かやわたしの袖はかはくひまさへなくなみだ
きりぎりすなくや霜夜の」(三十九ウ)さみしいとこをどうして今ころかへされふ
芦のかりねの一トよさなりとあふてはなしかして見たい
竹のはしらを何いとをふぞ山のおくにも鹿はすむ
岩にせかるゝあの滝川のわれてもすへに又ひとつ
雲井はるかに帆の影みへてをきつしら波たつかもめ
ちきり捨てもなほあをあをとつゆをいのちの草の花
めぐりあひて見しや夫(それ)ともわからぬうちにぬしははづして雲がくれ」(四十オ)
衛士のたく火とわたしの胸はひるはきへても夜はもゆる
ぬしの心と門田のいなばいつしか秋風ふいてゐる
下戸のお鍋に外山の霞たゝずとやつぱりのむがよい
かぢをたへたるわしや捨小舟ゆくへもしらずにこがれゐる
をのゝ篠原しのぶとすれどわれを忘れちヤ口ばしる
忘らるゝ身はしかたもないが」(四十ウ)それじや誓のかみよごし
しのぶもじ摺そりヤ誰ゆへみだれてすゞしいあらひ髪
雲のかよひぢ風ふきとぢよをとめのすがたがおがみたい(四十一オ)
紅葉ふみわけあのなく鹿も秋といふ字がかなしいか
かさゝぎの渡すはしさへふつつりたへてこぬのはあきたかちらすのか」(四十一ウ)
須磨ぬ心に夜を明し潟かよふ千とりの声ばかり」(四十三オ)
宇治の川ぎり夜は明はなれせゞのあじろがみへわたる
天のはし立いくのゝ道の遠いたびちをふみのつて
わたしやおまへに気かありま山今さらいなとは言しやせぬ
末の松山なみこすとてもかはりやせぬぞへわがこゝろ
難波潟みしかき芦のふしの間なりとどうしてあはすに過されふ」(四十五ウ)
岸による波小舟にゆられ夢のかよひちさんや堀
神代もきかないおまへのうはきわたしや小はらかたつ田川
立別てはいなはの山のまつと聞てはまたかへる
みなの川ではわしやなけれども恋ぞつもりてふちとなる
赤い前たれみことな茶つみよいうち山たと人はいふ」(四十六オ)
※関西大学図書館蔵本は、著作権の切れたものであれば、自由に翻刻してよいとのことである。



三、『小倉百人都々逸』(菊池真一所蔵。写本)

 元治元年(1864)書写。見返しに「花王元酔人写」とあるが、元の本が版本なのかどうか、不明である。
 以下、菊池本の翻刻。原本に振り仮名なし。
小倉百人都々逸」(表紙)
元治甲子葉月吉旦
花王元酔人写」(見返し)
天智天皇
秋の田のかりはくれふともたよりはきかずわたしやなみたのつゆにぬれ
持統天皇
春過きてなつのなかはにはや秋風かうはきするのもほとかある
人丸
あしひきの山ほとつもりしおもひのたけをこめるすゝりのうみのみつ」(一オ)
山部赤人
ふじのたかねにふるしらゆきもたこのあさひにつゑとける
猿丸太夫
もみちふみわけつまこふしかはよすから恋じになきあかす
中納言家持
かさゝぎのわたすはしさへふつつりたへてこぬのはあきたかじらすのか」(一ウ)
安倍仲麿
いてし月かもれんじのあかりさへてきこゆるとふきぬた
喜撰法師
ほとほときよう日はよをうち山とおもひきりうみくさのいを
小野小町
花のいろかのうつるをみてもあんじらるゝはぬしのむね
蝉丸
ゆくもかへるもたゝひとすちにおもひわすれぬこへのみち
参議篁
かねもからすも人にはつけよぬしのむねにはしれぬよふ
僧正遍照
しはしととゝめてほろりとなみたぬしはこれきりきはせまい」(二オ)
河原左大臣
みたれしわたしをきみならなくにたれかまとめる人かある
光孝天皇
きみかためならゆきふみわけてのべのわかなもつみにでる
中納言行平
あふてはなしてまたたちわかれ人めしのんてかへりこん
在原業平朝臣
千はやふ神よもきかないおまへのうはきわたしや小はらかたつた川
藤原敏行朝臣
きしによるなみこくやねふねはゆめのかよひちさんやぼり
伊勢
あわてこのよをすくしてよぐはなんのくろふをするものか」(二ウ)
元良親王
たとへこのうへみをつくしてもあわにやこゝろかやすまらぬ
素性法師
いまこんといつてわたしをよもやにかけてもはやありあけとりのこへ
文屋康秀
秋のくさきのしほれてゐてもやかてめをたすはるをみな
大江千里
月のゆふべをれんじにもたせわかみひとつのものおもひ
菅家
かみのまにまにべに筆とつてもみちのにしきのちらしかき
三条右大臣
しのふこへじをそふやすやすと人にしられてなるものか」(三オ)
貞信公
みねのもみち葉こゝろかあらはいろもさめずにちらさずに
中納言兼輔
わきてなかるゝなみたをそてにとめてとまらぬいつみ川
源宗于朝臣
ふゆそさびしさます見せさきへ人めしのんてそつとくる
凡河内躬恒
霜のしらきく目うつりがして心まよはすまかきさき
壬生忠峯
つれなくわかれたあかつきよりもまつはものうきよいのそら
坂上是則
白と見るまてふるしらゆきにきよふもゐつくも?小なべたて」(三ウ)
春道列樹
恋のしからみせきとめられてくかいのなかれにきをもみち
紀友則
風のふかぬにしつこゝろなく花のちるのかきにかゝる
藤原興風
ぬしをまつのももふ一二ねんはやくむかしにしてみたい
紀貫之
今はにかいをせかれてゐても花そむかしの香かのこる
清原深養父
またよいとおもふまもなくもふ明のかねはなすことさへなつのよる
文屋康秀
じつとまことをつらぬきとめてつゆほとにこらぬしよふねたま」(四オ)
右近
わすらるゝ身はしかたもないかすてるおまへのみかくろふ
参議等
小野のしのはらしのふとすれといつしかうきなも人のくち
平兼盛
しのふこへじもつゑいろにでゝものやおもふと人のきく
壬生忠見
人しれずおもひそめたるわたしか恋はとふもかたるもむねひとつ
清原元輔
すへのまつ山なみこすとてもかわりせぬぞへわかこゝろ
権中納言敦忠
なまじあひみてなほものおもひしらむかしにしてほしゐ」(四ウ)
中納言朝忠
あふ事のたへてないならなにこのよふにおもひこかれはしまいもの
曽根好忠
ゆくゑもしれないわたしかこひはいとめのきれたるとんびたこ
恵慶
八重むくらしけしけきたのもあきられてわたしやさびしいねやのうち
謙徳公
おやのゆるさぬみのいたつらにわたしやもとめてくろふする
源重之
いわうつなみよりてあらいぬしもくたけりややさしいねやのうち
大中臣能宣朝臣
沖のかゝり火ひるまはきへてよるはもえつゝしらをなみ」(五オ)
藤原義孝
君かためならくさばのすへのつゆほといのちはおしみやせぬ
藤原実方朝臣
わたしやいぶきのきうてはないかもゆるおもひに身をこかす
藤原道信朝臣
あけりやくるゝとさてしりなからかねやからすかうらめしい
右大将道綱母
ひとりぬるよのそのあくるまはにくいとりさへまちかねる
儀同三司母
かわらぬしるしはゆくすへまてもかたいちかいのいれぼくろ
大納言公任
滝のおとほとせけんゑひゞけとふせうきなはなかれもの」(五ウ)
和泉式部
ひとめなりともこのよのうちにあわざこのまゝこかれじに
紫式部
夜半の月かやこふしのそとにみゑてちらりとくもかくれ
大弐三位
わたしやおまへにきかありまやまいまさらいなとはいわしやせぬ
赤染衛門
ぬしをまつよはたゞまぢまぢとふけてかたむくまとの月
小式部内侍
わたるはしたて中ふつつりとたつてけふ日はふみもみつ
伊勢大輔
いろもかもなきひとへのさくらわたしや八ゑにもさきはせぬ」(六オ)
清少納言
にはとりたのんてそらなきさせてじんすけもゑてしまいたい
左京太夫道雅
おもふ心をひとつてならてたつたひとことはなしたい
中納言定頼
川竹のせゞのあじろをはるおいらんにぬしはうはきてひつかゝる
相模
恋にくちなんなはおしけれといまさらいじにもきれはせぬ
大僧正行尊
夜着やまくらもあわれとおもへたつたひとりてよきのばん
周防内侍
わたしやゆめともあきらめよふかそれぢやうき名のかいかない」(六ウ)
三条院
よその雲めにぢやまされるほとなほもこひしいよいの月
能因法師
つゑしたことにもことはのあらしかほにももみちをちらすのか
良選法師
さびしまきれにふみからたして見てはまいたりひろつたり
大納言経信
あしのまろやとおまへのこゝろいつしかあきかせふいてゐる
祐子内親王家紀伊
まくらひきよせかけじやそてのぬれてうれしいとこのうち
前中納言匡房
にほんつゝみのかこみのなかに花を見にくるかこのこゑ」(七オ)
源俊頼朝臣
としはとつてもたいぢのあたまはけてひかれといのりやせぬ
藤原基俊
ちきりすてゝもなほあをあをとつゆのいのちのくさのいろ
前関白大政大臣
おきつしら浪かせふくときはふねちやあふないかこにしな
崇徳院
いわにせかれてわかるゝみつもすへはなかれてまたひとつ
源兼昌
あわぢしまかよふちとりのなくこゑよりもぬしのこうたかみゝにつく
左京大夫顕輔
雲のたいまをもれでる月にぬしとみかわすかほとかを」(七ウ)
待賢門院堀川
くろかみのみたれてくよくよおもはふよりもいつてしまいと人いふ
後徳大寺左大臣
月をめよふたいしんぞにつかいよそてこゑするほとゝきす
道因法師
玉のよふなるなみたをこぼしほめるからしのかきかけん
皇太后宮太夫俊成
竹のはしらをなにいとはふそ山のおくにもしかそすむ
藤原清輔朝臣
つれなかりけるちよろうをかへはきやくはひとりてよもすから
西行法師
なげゝとおまへはこぬてはないかわしはあんじてかこちかほ」(八オ)
俊恵法師
ぬしのじやけんをものうくきいたそれさいこゑしいきのふけふ
寂蓮法師
あふひらのつゆものこさすみなくいつくしあきのゆふめしよくすゝむ
皇嘉門院別当
まことあかせとたゞうたくられあしのかりねのひとよつま
式子内親王
なんのたまのをたいなはたへねあわてくろふをするにやます
殷富門院大輔
ぬれにぞぬれたるしくれのみすもいろはかわらぬとふさくら
後京極摂政前大政大臣
きりきりすなくやしもよのびようふのうちにころもかたしき君をまつ」(八ウ)
二条院讃岐
人のしらない恋ゆへみてはかわくまもなきおきのいし
鎌倉右大臣
あまのおふねのろかいもたへてかひにまかせたこのからた
参議雅経
秋のよかせのたゞしんしんとふけてなみしきとふきぬた
前大僧正慈円
見すてられてはわしやすみそめのそてとかくこはきめてゐる
入道前大政大臣
にはのあらしにふるゆきならてつもるわたしかものおもひ
権中納言定家
やつとしゆびしてこのゆふなきにぬしをまつをのうらざしき」(九オ)
※本書の成立は、元治元年(1864)である。今から146年前のものであり、著作権は消滅していると考えるのが常識的判断である。



四、『都々逸恋の美南本』(関西大学図書館所蔵。図書番号H/911.91/D4/1)

 菊池所蔵本には抜けがある。同じ本が、東洋大学図書館・早稲田大学図書館・蓬左文庫・青森県立図書館・大阪大学忍頂寺文庫・国学院高藤田小林文庫などにある。タイトルは「どどいついろのみなもと」と読む。吾妻雄兎子序。同人の著作と判断できる。発行年は不明だが、幕末刊かと思われる。吾妻雄兎子は梅亭金鵞であり、文政四年(1821)生れ、没年は明治二十六年(1893)である。
 この中に「百人一首小倉都々一」があるので、翻刻紹介する。以下、関西大学図書館蔵本による。清濁はそのまま。振り仮名は特別なものを除き省略。
百人一首小倉都々一
天智天皇
○小田のかり庵(ほ)にふくとまよりも荒いお前のすて言葉
持統天皇
○夏は来にけりみな白妙の浴衣きて出る茶屋女
柿本人丸
○足びきの山鳥の尾のながながしよをどうして一人で寝付りやう
山部赤人
○田子の浦ふね漕でゝ見なよふじのたかねの雪げしき
猿丸太夫
○紅葉ふみわけあの鳴鹿もあきといふ字がかなしいか」(七ウ)
中納言行平
○かさゝぎの渡す橋さへふつゝり絶てこぬのはあきたかぢらすのか
安倍仲麻呂
○ぬしの天窓(あたま)をふりさけ見ればみかさの月よりなほ光る
喜撰法師
○赤い前たれ見事な茶摘よい宇治山だと人はいふ
小野小町
○花の色香のうつるを見てもあんじらるゝよ人ごゝろ
蝉丸
○往(ゆく)もかへるも桜をかざし知るもしらぬも酒きげん」(八オ)
参議篁
○堀をめあてに漕出しゆくと人にや告なよこの小船
僧正遍昭
○雲のかよひぢ風吹とぢよ乙女のすがたがおがみたい
陽成院
○みなの川ではわしやないけれど恋ぞつもりてふちとなる
河原左大臣
○しのぶもちずり夫りや誰ゆゑにみだれて涼しいあらひ髪
光孝天皇
○君がためならわしや野に出て若菜つむともいとやせぬ」(八ウ)
中納言行平
○たちわかれてもいなばの山のまつと聞てはまたかへる
在原業平
○神代も聞ないお前のうはきわたしや小ばらが龍田川
藤原敏行朝臣
○岸による波小船にゆられ夢のかよひぢ三谷堀
伊世
○なにはがた短かき芦のふしの間なりとどうして逢ずに過さりやう
元良親王
○身をつくしても逢ねばならぬ人にいはれた事もある」(九オ)
素性法師
○今こんと言て私しをよもやにかけてもはや有明鶏がなく
三条右大臣
今宵しのんで逢坂山を人に知られてなるものか
文屋康秀
○秋の草木のしぼむを見ても涙こぼすか泣上戸
大江千里
○銭はなくなる女郎にやふられ我身一ツにあきれがほ
菅家
○酒のさかなはまづとりあへずあきのもみぢのにしきうめ」(九ウ)
貞信公
○みねのもみぢにあかるい路を小ぐら山とはたがいふた
中納言兼輔
○飲どもつきないこの品川(いづゝかは)こひし鴨なべやきざかな
源宗于朝臣
○冬の薄衣(うすぎ)のさむいにつけて人のくさめもみゝにつく
凡河内躬恒
○どれにしやうか格子の先で霜のしら菊めがうつる
壬生忠岑
○朝のわかれがないものならばなんのきらはふ明の月」(十オ)
坂上是則
○有明の月と見るまでよしのさとにけさはしら雪ふり積る
春道列樹
○利上利上にしがらみかけてながれもあへない質ばかり
紀友則
○光りのどけききんくわん天窓(あたま)風もひかぬに鼻が出る
藤原興風
○うたえうたえの声たかさごに枝もさかえる松づくし
紀貫之
○花の姿はふり捨たれどとこかむかしの香がのこる」(十ウ)
清原深養父
○まだ宵と思ふ間もなく明のそら雲のいづこに月やどる
文屋康秀
○風に吹るゝ白露よりも人の心はちりやすい
右近
○忘らるゝ身はしかたもないがそれじや誓ひの神よごし
参議等
○小のゝ篠原しのぶとすれどわれを忘れちやくちばしる
平兼盛
○忍ぶこひぢもつい色にでゝものや思ふと人がとふ」(十一オ)
壬生忠見
○人しれず思ひ染しがまうとやかうとうき名がたつてはなほやめぬ
清原元輔
○末の松山波こすとてもかはりやせぬぞへ我が心
権中納言敦忠
○よたか切みせむかしは物を思はぬ報ひのこのよこね
中納言朝忠
○なまじあひ見て猶もの思ひ知らぬむかしにしてほしい
謙徳公
○色よ酒よの身のいたづらにあはれなすがたも心がら」(十一ウ)
曽根好忠
○かぢを絶たる私しや捨小舟ゆくへもしらずにこがれゐる
恵慶法師
○すけんぞめきの人さえ見えず秋はさみしい格子さき
源重之
○酔たまぎれに投(ほゝ)つた茶わんくだけて今さらもの思ひ
大中臣能宜朝臣
○衛士のたく火と私しのむねはひるはきえてもよはもゆる
藤原義孝
○露の命をながくもがなと思ふもお前があればこそ」(十二オ)
藤原実方朝臣
○えやはいふきの三年もぐささしも名物よくもゆる
藤原道信朝臣
○あけりや暮るとさて知りながらかねやからすがうらめしい
右大将道綱母
○一人寝る夜のそのあくる間はいかに久しいもの思ひ
儀同三司母
○忘れまひぞや行すへまでもかたひちかひのいれぼくろ
大納言公任
○夜着やどてらも久しくなればいまにながれが来るだらう
和泉式部
○とても此世の思ひでならは」(十二ウ)じんきよとしよくしやうがして見たい
紫式部
○めぐり逢て見しや夫ともわからぬうちにぬしははづして雲がくれ
大弐三位
○わたしやお前に気がありま山今さらいなとは言しやせぬ
赤染衛門
○まてど来ぬ夜はかたぶくまでの月のからすや明のかね
小式部内侍
○あまのはしだていくのゝ道の遠い旅路をふみのつて
伊勢大輔
○ならの桜は色香もよいが八重といふ字が気にくはぬ」(十三オ)
清少納言
○とりのそら音ははかりもせうがぬしの空寝ははかられぬ
左京大夫道雅
○たつた一言人伝ならでいふて置たい事がある
中納言定頼
○宇治の川ぎり夜はあけはなれせゞの網代が見えわたる
大僧正行尊
○夜着やふとんも哀れと思へわたしや一人で床のばん
相模
○恋にくちなん名は惜けれど今さら意地でもきれられぬ
周防内侍
○夢でなりともあはしておくれゆめじやうき名は立はせぬ
三条院
○私しやすゝきの野にすむうさぎ」(十三ウ)恋しなつかし夜半の月
能因法師
○ついした事にも言葉のあらし顔にもみぢをちらすのか
良暹法師
○銭のないときや何時(いつ)でもおなしわたしや毎日あきのゆふ
大納言経信
○ぬしの心と門田の稲葉いつしか秋風ふいてゐる」(十四オ)
祐子内親王家紀伊
○枕ひきよせかけしや袖のぬれて嬉しい床のうみ
前中納言匡房
○下戸のお酒と外山のかすみたゝずとやつはりのむがよい
源俊頼朝臣
○なんの天窓(あたま)とはつせのあらしはげひかれとは祈りやせぬ
藤原基俊
○ちぎり捨ても猶あをあをと露をいのちの艸の色
法性寺入道前関白大政大臣
○雲井はるかに帆の影見えておきつしらなみたつかもめ」(十四ウ)
崇徳院
○岩にせかるゝあの滝川のわれても末にはまた一ツ
源兼昌
○いくよいくよになく声聞ばちどりと思へと気が悪い
左京大夫顕輔
○雲のたえ間をもれ出る月にさえて聞ゆるかみぎぬた
待賢門院堀川
○まくら外してしまだの髪をみだしたあげくは気がおもひ
後徳大寺左大臣
○ぬしを帰してれんじを見れば小田の有明なほのこる」(十五オ)
道因法師
○憂きにたえぬかこのゆき風にはつ花なみだてひくくるま
皇太后宮太夫俊成
○竹のはしらを何厭ふぞ山のおくにもしかはすむ
俊慶法師
○つれなかりける女郎をかへば閨のしごとはひまなもの
西行法師
○かぼちや顔してなみだをこぼし月やはものをも能できた」(十五ウ)
寂蓮法師
○つゆものこさず皆くひ尽し秋の夕めしよくすゝむ
皇嘉門院別当
○芦のかりねの人とよさなりとあふてはなしがして見たい
式子内親王
○なんの玉の緒たえなば絶ねあはで苦労をするにやまし
殷富門院大輔
○ぬしに見せばや濡にぞぬれし雨のよあけの花のつや
後京極摂政大政大臣
○きりぎりす啼や霜夜の淋しいどてをどうして今ごろかへさりやう」(十六オ)
二条院讃岐
○沖のいしかや私しの袖はかはくひまさへなくなみだ
鎌倉右大臣
○あまの小船のろかいを推(おし)てすまや明石のわび住ひ
参議雅経
○山の秋風夜はしんしんとふけて身にしむ遠ぎぬた
前大僧正慈恵
○見すてられゝば私しや墨ぞめの袖とかくごはきめて居る
入道前大政大臣
○やくやもしほの身もこがれつゝぬしをまつ尾のうらざしき」(十六ウ)
藤原清輔朝臣
○うしと見し夜も今日びに成てみれば恋しいことばかり
入道前太政大臣
○庭のあらしにふる雪ならでつもる私しのもの思ひ
従二位家隆
○ならの小川の夕吹風に夏もすゞしくとぶほたる
後鳥羽院
○あぢきなき世とあきらめながらたれしもお金はほしいもの
順徳院
○もゝしきや古き布子をかさねぎしても冬の夜風は身に余る」(十七オ)
※関西大学図書館蔵書は、著作権の切れたものについては、翻刻許可を願い出なくても、自由に翻刻してよいとのことである。本書は、吾妻雄兎子こと梅亭金鵞の著作であり、同人の没年は明治二十六年(1893)であるから、著作権は消滅している。



五、『百人小ぐらどゞ一』(名古屋市蓬左文庫蔵本。請求番号尾19-115)

 二巻二冊。作者・発行年ともに不明であるが、幕末刊行と推測される。
 以下、蓬左文庫蔵本の翻刻。本資料の翻刻については、名古屋市蓬左文庫の許可を得た。許可書番号21教蓬第24号。
百人小ぐらどゞ一」(表紙)
しんぱんどゞいつ」(見返し)
秋の田の厂は呉共たよりは聞ずわたしや泪の露に濡(天じてんわう)
春過て夏の最中(なかば)にはや秋かぜが浮気するのも種が有(じとうてんわう)
足曳の山程積(つもり)し思ひのたけを染める硯の海の水(かきのもとのひとまる)」(一オ)
冨士の高根にふるしらゆきも田子の朝日につひとける(やまべのあかひと)
紅葉踏分妻乞鹿へ夜すがら恋路に啼あかす(さるまるだいふ)」(一ウ)
鵲ぎの渡す橋さへふつり絶て来ぬのは秋たかじらすのか(ちうなごんやかもち)
出し月かも連子のあかりさへて聞ゆる遠碪(きぬた)(あべのなかまろ)
ほとほと今日はよを宇治山と思ひ切髪草の庵(きせんほつし)」(二オ)
花のいろ香のうつるを見てもあんじらるゝは主の胸(をのゝこまち)
行も帰るもたゞ一筋に思ひ忘れぬ恋の路(せみまる)」(二ウ)
鐘も烏も人にはつげよぬしの耳には知れぬやう(さんぎたかむら)
しばしと止(とど)めてほろりと泪主は是ぎり来はせまひ(そうじやうへんじやう)」(三オ)
乱れし私を君ならなくに誰か纒める人がある(かはらのだいじん)
君が為なら雪踏分て野べの若菜も摘に出る(くわうかうてんわう)
逢て噺して又立わかれ人めしのでかへりこん(ちうなごんゆきひら)」(三ウ)
千はや破(ふる)神代も聞かないお前のうはきわたしや小腹が立田川(ありはらのなりひらあそん)
きしによる浪こぐ屋根ぶねは夢のかよひぢさんやぼり(ふじはらのしげゆきあそん)」(四オ)
あはでこのよを過して能(よく)ば何のくらうをするものか(いせ)
譬(たとへ)此上身を尽くしてもあはにや心がやすまらぬ(もとよしのみこ)
今こんと言て私をよもやに懸て最早有明鳥の声(そせいほつし)」(四ウ)
秋の草木のしほれてゐても頓て目を出す春をみな(ぶんやのやすひで)
月の夕べを連子にもたれ我身ひとつの物思ひ(おほへのちさと)
神のまにまに紅筆とつて紅葉の錦の散しがき(かんけ)」(五オ)
しのぶ恋路をさう安々とひとにしられて成物か(さんじやうのうだいじん)
峯の紅葉ば心があらば色もそめずに散さずに(ていしんこう)」(五ウ)
わきて流るゝ泪の袖に留て止らぬ泉がは(ちうなごんかねすけ)
冬ぞ淋しさ増(ます)見せ先へ人目忍でそつとくる(みなもとのむねゆきあそん)
霜の白菊目移がして心迷すまがき先(おふちかふちのみつね)」(六オ)
つれなく別れた暁よりもまてばものうき宵の空(壬生たゞみね)
月と見るまでふるしら雪に今日もゐつゞけ小なべ立(さかのうへのこれのり)」(六ウ)
恋の篝(しがらみ)関止られて苦界のながれに気を紅葉(はるみちのつらき)
風も吹かぬに静心なく花の散のが気が知れぬ(きのとものり)
主を待のも最(もう)一二年早く昔にしてほしい(をきかぜ)」(七オ)
今は二階をせかれてゐても花ぞむかしの香が残こる(きのつらゆき)
まだ宵と思ふ間もなく最(もう)明のかねはなすことさへ夏の夜(きよはらのふかやぶ)」(七ウ)
じつと誠を貫き止めて露ほど濁らぬしやうねたま(ふんやのあさやす)
わすらるゝ身はしかたもないが捨るおまへの身がくらう(うこん)」(八オ)
小野の篠原忍とすれどいつしか浮名も人の口(さんぎひとし)
忍ぶ恋路をつい色に出て物や思ふとひとが聞(たいらのかねもり)
人知ず思ひ染たるわたしが恋は問も語るも胸ひとつ(みぶのたゞみね)」(八ウ)
末衛(すへ)の松山浪越とてもかわりやせぬぞへわがこゝろ(きよはらのもとすけ)
なまじ逢見てなほ物思ひ知ぬむかしにしてほしい(ごんちうなごんあつたゞ)」(九オ)
あふことの絶てないなら何此やうに思ひこがれはしまい物(ちうなこんあさたゞ)
行へも知ない私が恋はひとめのきれたるとんび凧(そねのよしたゞ)
八重葎(もぐら)茂く来たのももう秋られて私や淋い閨の中(うち)(ゑけうほつし)」(九ウ)
親も免さぬ身のいたづらにわたしやもとめてくらうする(けんとくこう)
岩うつ浪より手荒(てあらい)主もくだけりややさしいねやの中(うち)(みなもとのしけゆき)」(十オ)
沖のかゝりび昼間は消へて夜はもしつゝしら魚網(おふなかとみよしのぶあそん)
君が為なら草葉の末の露ほど命はおしみやせぬ(ふじはらのよしたか)
私や伊吹の灸ではないがもゆる思ひに身を焦す(ふじはらのさねかたあそん)」(十ウ)
〔百人〕小倉どゞ一」(表紙)
しんはんどゞいつ
本所亀沢町
馬場本伊」(見返し)
明りやくるゝとさて知りながら鐘やからすがうらめしい(ふじはらのみちのぶあそん)

一人ぬる夜のそのあくるまは憎いとりさへまちかねる(うだいしやうみちつなのはゝ)」(十一オ)

替らぬしるしは行末迄も堅(かたひ)ちかひの入ぼくろ(きどふさんしのはゝ)
滝の音ほど世間へ闇(ひゞ)けどうせ浮名は流もの(だいなごんきんとう)
一目成とも此世の中(うち)に逢ざ此侭焦れ死(いづみしきぶ)」(十一ウ)
夜はの月かや格子のそとに見えてちらりと雲隠(むらさきしきぶ)
わたしやお前に気が有馬山今更いなとは言しやせぬ(だいにさんみ)」(十二オ)
主をまつ夜は只まじまじとふけてかたむく窓の月(あかぞめゑもん)
渡(わたす)はしだて中ふつゝりと絶て今日びは文もみず(こしきぶないし)
いろも香もなき一重の桜わたしや八重には咲はせぬ(いせのおゝすけ)」(十二ウ)
鶏(とり)をたのんで空啼(そらなき)よさせてじんすけかへしてしまひたい(せいしやうなごん)
思ふ心を人づてならでたつたひと言はなしたい(さきやうだゆうみちまさ)」(十三オ)
川竹の瀬々に網代をはるおいらんにぬしはうはきでひつかゝる(ちうなごんさだより)
恋に朽なん名はおしけれど今更意地でも切はせぬ(さがみ)
夜着や枕も哀と思へたつた一人りで床の番(だいそうじやうきやうそん)」(十三ウ)
わたしや夢ともあきらめやうが夫じや浮名の甲斐がない(すほうのないし)
よその雲めに邪間されるほどなほも恋しい夜半の月(さんじやうのいん)」(十四オ)
ついした事にも言葉のあらしかほにもみぢを散すのか(のういんほつし)
淋し紛れにふみがら出して見ては巻たり広げたり(りやうぜんほつし)
芦のまろやとおまへのこゝろいつしかあきかぜ吹てゐる(だいなごんつねのぶ)」(十四ウ)
枕引よせかけしや袖のぬれて嬉しい床の海(ゆうしないしんわうけきい)
日本堤の霞の中にさくら見に来るかごのこゑ(さきのちうなごんまさふさ)」(十五オ)
年はとつても大事の頭はげて光れといのりやせぬ(みなもとのとしよりあそん)
契り捨ても猶青々と露を命の草の色(ふじはらのもととし)
興津しら波風吹時は舟じやあぶないかごにしな(ほうしやうじのにうだうきたのくわんぱくだいじやうたいじん)」(十五ウ)
岩にせかれて別るゝ水も末はながれて又ひとつ(崇とくいん)
淡路しまかよふ千鳥の啼こゑよりもぬしの小うたが耳につく(みなもとのかねまさ)」(十六オ)
雲の絶まをもれでる月にふみと見かはす顔とかほ(さきやうたゆうあきすけ)
黒髪の乱れてくよくよ思(をもは)ふよりも言て仕舞(しまへ)と人が言(たいけんもんいんほりかは)
月を名代(みやうだい)新造につかひ余所でこゑするほとゝぎす(ごとくだいじさだいじん)」(十六ウ)
玉のやうなる泪をこぼし誉めるからしのかきかげん(道ゐんほうし)
竹の柱を何いとはふぞ山の奥にも鹿はすむ(くはうだいこうぐうのたゆふしゆんせい)」(十七オ)
つれなかりける女郎をかへばきやくはひとりで夜もすがら(ふじはらのきよすけあつそん)
歎けとてお前は来ぬではないがわたしやあんじてかこちがほ(さいぎやうほつし)
主のじやけんをものうくきいた夫さへこひしいきのふけふ(しゆんゑほつし)」(十七ウ)
大平(おほびら)のつゆものこらずみな喰尽し秋のゆふめしよくすゝむ(じやくれんほつし)
真言(まこと)あかせと只うたぐられ芦のかり寝の一夜づま(くわうかもんいんのべつとう)」(十八オ)
何の玉の緒絶(たへ)なば絶ね逢で苦労をするにやまし(しよくしないしんわう)
濡にぞぬれたる時雨の袖も色(いろは)替らぬ唐更紗(しんぶもんいんのたゆふ)
きりぎりすなくや霜夜の屏風のうちにふけて淋しき只一人(ごきやうごくせつしやうさきのだいじやうだいじん)」(十八ウ)
人の知らない恋ゆへ袖はかわく間もなき沖のいし(にぜうのいんさぬき)
あまの小舟も艫かひもたえてかぜにまかせた此からだ(かまくらのうだいじん)」(十九オ)
秋の夜かぜの只々(たゞ)しんしんとふけてさみしきかみぎぬた(さんぎまさつね)
見捨られればわしや墨ぞめの袖と覚悟は極ている(せんだいそうじやうぢゑん)
庭の嵐に降雪ならでつもる私がもの思ひ(にうどうさきのたいじやうだいじん)」(十九ウ)
やつす首尾してこのゆふなぎにぬしを松尾のうらざしき(ごんちうなごんさだいへ)
湊(みなと)と川ではわしやないけれど恋ぞつもりてふちとなる(やうぜいゐん)」(二十オ)
夏のしるしにみそぎはよいがじつきあとから秋が来る(しやうさんみかりう)
あぢきない世に身を息さいとおもふはおまへがあればこそ(ごとばのいん)
草の軒端に世はしのぶとも二人中よくくらしたい(じゆんとくいん)」(二十ウ)
※本書の翻刻については、名古屋市蓬左文庫の許可を得た。許可書番号21教蓬第24号。本書は作者・発行年ともに不明であるが、幕末刊行と推測される。今から一四二年以上前のものであり、著作権は消滅していると考えるのが常識的判断である。



六、『美国振小倉都々逸』(国立国会図書館蔵。請求番号158/118)

 明治三年序。作者不明。柱は「○み国ぶり」とある。挿絵は二代歌川国輝(一曜斎国輝)のもの。同じものが関西大学図書館にもある。図書番号は(和装/911.655/I4/1)。
 以下国会図書館蔵本の翻刻。〔 〕内は角書。清濁はそのまま。振り仮名は特別なものを除き省略。
〔続変態百人一首/第八十冊〕美国振小倉都々逸」(題簽)

美国振小倉都々逸 全」(題簽)
美国振のはし書
今。世によこ文字の。広くおこなわれ。人々も。言の葉も。漢語となりける。さるを此文つゞりぬる大人は。いにしへのみやびをわざと好て。はやくよりいとまめやかに。つとめまなひて。其すぢのふみをも。広くよみあきらめて。哥もよくよみ。ふみもことによくかきて。」(一オ)かの。かいなての。世の人にはこよなく。なむ有けるを。いぬる日美国ぶり。ちやう。いふこの文をはし書してよと。ゆわるゝまゝに。ひらき見しに常の言の葉にたがへて。世の人の心に思える事を種として。花に啼鶯ほふとばかり口こもり。おとめの情緒。水に住む蛙の名さへかゑると?へ。きぬきぬをかなしむ」(一ウ)さまなど。のこりのふ三筋の糸のてにおはに。鬼おもひしぐおのこゞも。とりどり?手やう?なんか。げに。おのこ。おんなこ。の中をさへ和らぐ国の大和歌小倉百首に準しは。是なん沓もあたらしければ。冠の用をなすとかや。かぼゆるまゝに。まづ喜びがてらかくなむ
明治三庚午七月  逸ゝの屋」(二オ)
和歌三神
応好曜斎画
人丸大明神
泣てあかしに夜もほのほのとあけてかなしき憂わかれ
玉津嶋大明神
かげて」(二ウ)たよりをたゞきいの国はれてあふせはたまつしま
住吉大明神
更てこつそりよせ来る男浪きしの姫まつ幾夜ぬれ」(三オ)
百人一章道化小倉都々一
天智天皇
小田のかり穂にふくとまよりもあらいおまへの捨言葉
持統天皇
夏は来にけり皆白妙の」(三ウ)
ゆかた来て出る茶屋娘
柿本人麿
足びきの山鳥の尾のながながし世をどふして壱人で寝られやう
山部赤人
田子の浦船こぎ出てみなよふじの高根の雪げしき」(四オ)
もみぢふみわけ啼鹿よりもあきといふ字がわしやかなし 猿丸太夫
かさゝぎの渡す橋さへ中絶果て来ぬのはあきたかじらすのか 中納言家持
ぬしのあたまをふりさけ見ればみかさの月より尚ひかる 安倍仲麿
赤い前だれ見事な茶摘よい宇治山だと人はいふ 喜撰法師」(四ウ)
花のいろ香のうつるを見てもあんしらるゝよ人ごゝろ 小野小町
往も帰るもさくらをかざししるもしらぬも酒きげん 蝉丸
堀を目あてに漕出しゆくと人にや告なよこの小船 参議篁
雲のかよひ路風吹とぢよ乙女のすがたがおがみたい 僧正遍昭」(五オ)
陽成院
みなの河ではわしやないけれど恋ぞつもりてふちとなる
河原左大臣
しのぶもちずり夫りや誰ゆゑにみだれて涼しいあらひ髪」(五ウ)
光孝天皇
君がためならわしや野に出て若菜つむともいとやせぬ
中納言行平
立別れてもいなばの山のまつと聞てはまたかへる」(六オ)
神代も聞ないおまえのうはきわたしや小はらが龍田川 在原業平
岸によるなみ小ぶねにゆられゆめのかよひぢ三谷ぼり 藤原敏行朝臣
なにはがたみじかき芦のふしの間也とどうして逢ずに過きりやう 伊勢
身をつくしても逢ねばならぬ人にいわれた事もある 元良親王」(六ウ)
今こんと言て私しをよもやにかけてもはや有明鶏がなく 素性法師
こよひしのんで逢坂やまを人に知られてなるものか 三条右大臣
秋の草木のしほむを見てもなみだこぼすか泣上戸 文屋康秀
錢はなくなる女郎にやふられ我身ひとつにあきれがほ 大江千里」(七オ)
菅家
酒のさかなはまづとりあへずあきのもみぢのにしきうめ
貞信公
峯のもみぢにあかるい路を小倉山とはたがいふた
中納言兼輔」(七ウ)
飲どもつきないこの泉川こひし鴨なべやき肴
源宗行朝臣
冬の薄衣のさむいにつけて人のくさめもみゝにつく」(八オ)
どれにしやうか格子のさきで霜のしらぎく目がうつる 凡河内躬恒
朝のわかれがないものならばなんのきらはふ明の月 壬生忠岑
有明の月と見るまでよしのゝ里にけさはしら雪ふり積る 坂上是則
利上利上にしがらみかけてなかれもあへない質ばかり 春道列樹」(八ウ)
光りのどけききんくわん天窓(あたま)風もひかぬに鼻が出る 紀友則
うたえうたえの声たかさごに枝もさかえる松づくし 藤原興風
花の姿はふり捨たれどどこかむかしの香がのこる 紀貫之
まだ宵と思ふ間もなくもう明の空雲のいづこに月やどる 清原深養父」(九オ)
文屋朝康
風に吹るゝ白露よりも人の心はちりやすい
右近
忘らるゝ身はしかたもないがそれじや誓ひの神よごし」(九ウ)
参議篁
小のゝ篠原しのぶとすれどわかれを忘れちやくちばしる
平兼盛
忍ぶこひぢもつい色にでゝ物やおもふと人がいふ」(十オ)
人知れず思ひ染しかもう何(と)や角(かふ)とうき名がたつてはなほやめぬ 壬生忠見
末のまつ山なみこすとてもかはりやせぬぞへ我が心 清原元輔
よたか切みせむかしはものをおもわぬむくひのこのよこね 権中納言敦忠
なまじあひ見て猶ものおもひ知らぬむかしにしてほしい 中納言朝忠」(十ウ)
いろよ酒よの身のいたづらにあはれなすがたもこゝろがら 謙徳公
かぢを絶たる私しやすて小舟ゆくへもしらずにこがれゐる 曽根好忠
すけんそめきの人さえ見えず秋はさみしい格子さき 恵慶法師
酔たまぎれに投(ほを)ツた茶わんくだけていまさらものおもひ 源重之」(十一オ)
大中臣能宜朝臣
衛士のたく人と私しのむねはひるはきえてもよはもゆる
藤原義孝
露のいのちをながくもがなとおもふもおまへがあればこそ」(十一ウ)
藤原実方朝臣
えやはいふきの三年もぐささしも名物よくもゆる
藤原道信朝臣
あけりや暮るとさて知りながらかねやからすがうらめしい」(十二オ)
ひとり寝る夜のそのあくる間はいかにひさしいものおもひ 右大将道綱母
別れまひぞや行すゑまでもかたひちかひのいれぼくろ 儀同三司母
夜着やどてらも久しくなればいまにながれが来るだらう 大納言公任
とてもこのよのおもひでならばじんきよと食しやうがして見たい 和泉式部」(十二ウ)
めぐりあひて見しやそれともわからぬうちに主ははづして雲隠れ 紫式部
わたしやおまへに気がありまやまいまさらいなとは言しやせぬ 大弐三位
まてど来ぬ夜はかたぶくまでの月のからすや明のかね 赤染衛門
あまのはしだていくのゝみちの遠いたびぢをふみのつて 小式部内侍」(十三オ)
伊勢大輔
ならのさくらは色香もよいが八重といふ字が気にくはぬ
清少納言
とりのそらねははかりもせうがぬしのそら寝ははかられぬ」(十三ウ)
左京大夫道雅
たツたひとこと人伝ならでいふておきたい事か有
中納言定頼
宇治の川ぎり夜はあけはなれせゞの網代が見えわたる」(十四オ)
夜着やふとんもあはれとおもへわたしやひとりで床のばん 大僧正行尊
恋にくちなん名はをしけれど今さら意地でもきれられぬ 相模
夢でなりともあはしておくれゆめじやうき名はたちはせぬ 周防内侍
わたしやすゝきの野にすむうさぎこひしなつかし夜半の月 三条院」(十四ウ)
ついした事にも言葉をあらしかほにもみぢをちらすのか 能因法師
銭のないときやいつでもおなじわたしやまいにちあきのゆふ 良暹法師
ぬしのこゝろと門田のいなばいつしかあき風ふいてゐる 大納言経信
まくらひきよせかけしやそでのぬれてうれしいとこのうみ 祐子内親王家紀伊」(十五オ)
下戸のお酒と外山のかすみたゝずとやつぱりのむがよい 前中納言匡房
源俊頼朝臣
なんのあたまとはつせのあらしはげひかれとは祈りやせぬ
藤原基俊」(十五ウ)
ちきり捨ても猶あをあをと露をいのちの艸のいろ
法性寺入道前関白太政大臣
雲井はるかに帆の影見へておきつしらなみたつかもめ」(十六オ)
いわにせかるゝあのたきがはのあれたもすゑにはまたひとつ 崇徳院
いくよいくよになく声きけばちとりとおもへど気がわるい 源兼昌
雲のたえ間をもれ出るつきにさえてきこゆるかみぎぬた 左京大夫顕輔
まくらはづしてしまだのかみをみだしたあげくは気がおもひ 待賢門院堀川」(十六ウ)
ぬしを帰してれんじを見れば小田のありあけなほのこる 後徳大守左大臣
憂きにたえぬかこのゆきかぜにはつ花なみだてひくくるま 道因法師
竹のはしらをなにいとはふぞやまのおくにもしかはすむ 皇太后宮太夫俊成
つれなかりける女郎をかえばねやのしごとはひまなもの 俊恵法師」(十七オ)
西行法師
かぼちや顔してなみだをこぼし月やはものをもよくできた
寂蓮法師
つゆものこさず」(十七ウ)皆くひつくし秋のゆふめしよくすゝむ
皇嘉門院別当
あしのかりねの一とよなりとあふてはなしかして見たい」(十八オ)
式子内親王
なんのたまの緒たへなば」(十八ウ)たえねあはでくらうをするにやまし
殷富門院大輔
ぬしに見せばやぬれにぞぬれしあめのよあけのはなのいろ」(十九オ)
きりぎりすなくや霜よの淋しいどてをどふしていまごろかへさりやう 後京極摂政太政大臣
沖のいしかやわたしのそではかはくひまさへなくなみだ 二条院讃岐
あまの小船のろかいをおしてすまや明石のわひずまひ 鎌倉右大臣
山のあきかぜ夜はしんしんとふけて身にしむ遠ぎぬた 参議雅経」(十九ウ)
見すてられゝばわしや墨ぞめのそでとかくごはきめて居る 前大僧正慈恵
やくやもしほの身もこがれつゝぬしをまつ尾のうらざしき 入道前太政大臣
うしと見し夜も今日びになつてみれば恋しいことばかり 藤原清輔朝臣
庭のあらしにふる雪ならでつもるわたしのものおもひ 入道前太政大臣」(二十オ)
従三位家隆
ならの小川のゆふふくかぜに夏もすゞしくとぶほたる
後鳥羽院
あぢきなき世とあきらめながら」(二十ウ)たれしもお金はほしいもの
順徳院
もゝしきやふるき布子をかさねぎしても冬の夜かぜは身にあまる」(二十一オ)
情深草もゝ夜のおもひ積り積りし雪の道
かたいばかりが女ぢやないぞ小野の小町のすゑを見な
曜斎老人筆」(二十一ウ)
※国会図書館蔵書は、著作権の切れたものについては、翻刻許可を願い出なくても、自由に翻刻してよいとのことである。本書は、作者不明であり、明治三年(1870)の出版である。今から百四十年前のものであり、著作権は消滅していると考えるのが常識的判断である。



七、『小倉山都々逸百首』(国立国会図書館蔵。請求番号特60/435)

 明治十六年発行。活版本。春雨亭三眠(窪田重平)著。知新堂発売。
 以下翻刻。〔 〕内は角書。清濁はそのまま。振り仮名は特別なものを除き省略。
〔春雨亭/三眠著〕小倉山都々逸百首/知新堂出版」(表紙)
小倉山轟々逸百首序
物の名も所ろによりてかはりけり難波のよしこの東まの都都一名はかはりてもしらざるものなくうたはざる所ろもなしそもそもうたは雅俗ともに長短あれど長歌はしばらくおいて短歌の第一等は三十一文字にして位ゐ最とも高ければ芋喰つて屁こく雲の下人には其意嗅ぎつけがたく百敷は股引と思ひ誤まり足引は趁跛と合点するものなきにあらず夫より何等下るか五文字減(ひ)くうして八雲立何時(いつも)廃るることな」(序一オ)く或ひは尻とり頭まづけさわり文句もした紐のいと解易きは都々一なりそこで其流行と解り易すきとよりおもひついたりとて一日(あるひ)三眠子此の小冊を携さひ来りて如何(どうだ)といふ予概略通読(ざあーつ)と見るに作(でき)の巧(よ)し拙(あし)はマヅ棚へあげおき矢鱈闇雲冒頭(しやつぷ)ばかりを取り冠(か)ぶせたる小倉都々一の類にあらず名もかはり品もかはれど本歌の意を誤やまらざるを旨(む)ねとしたれば贔屓口よりいふときは俗より雅に入る捷径(ちかみち)卑(ひき)きより高きに登ぼる楷梯といふもチト仰山なれど棚の達摩さんを」(序一ウ)チヨイとおろす児女(こむすめ)が踏台とでもなるならばそれから次第(だんだん)進歩(のびあがり)不知文字の権助も小倉の山の峰の月さやかに悟も開くべしと口唐(くちから)出鱈目こじつくるは猶(やつぱり)書肆(ふみや)と同じ狐の穴賢々々
明けく治る御代くめど尽せぬ癸の未の年独酌もあきのなかば楓下にしるす
十八軒主人」(序二オ)
一夕話ニ云遍昭在俗の時良峰宗貞といふ世にすくれたる美男にしてある年正月五条わたりにて雨のふり出けれは暫し雨やとりせんとて荒たる家の軒にたゝすみ奥の方を見るに人の影見へねは門の内に入てみれは軒に梅の咲たるに鶯も鳴居たり破れたみすの内にうるはしき女の見ゆるか
よもきをいて荒たる宿を鶯の人くと鳴や誰とかまたん
とひとり言に吟したれは宗貞これをきゝ心うかれて
来たれとも」(序ニウ)いいし馴?は鶯の君につけよとをしくてそ鳴
と声うるはしう吟し返せは彼の女驚けるけしきにてはつかしきさま見へたる事よと物をもいはす内に入たる云々
女の哥の心を都々一
鶯の誰を待とて荒たる宿の梅に人??鳴やらん
宗貞の哥の心を都々逸
来ては居たれといひ出しかねりや粋な鶯す音すれる」(序三オ)
自序
此頃童べが傍らにて百人一首を読るを聞が中にフト心に浮みけるまゝ一首の歌の心と詞を取て試みに都々逸とはなしぬそれより思ひ起し一ツ一ツものしけるも秀句の長くして意の狭きあり意の広くて一句に眼目を持せしあり一ツも疎かならぬ歌を疎かなる智恵もて約めしものゆへ心詞の調へるは雨夜の星の稀にもなけれど藪鶯の片言も聞所あり初蛙の声調ぬも流石に哀れなりと御覧(みそなは)さんことを希ふ  著者百拝」(序三ウ)
小倉山都々逸百首
春雨亭三眠著
天智天皇
苫のすきもる夜露にぬれて秋の田守をする苦労
持統天皇
夏が来たやら香ぐ山あたりしろい着物がほしてある
柿本人麿
ながながしい夜をまつかひもなく」(一オ)このまゝ独り寝することか
山辺赤人
田子の浦から富士がね見ればかさねかさねにつもるゆき
猿丸太夫
もみぢふみわけ妻恋ふ鹿の声もかなしき秋のくれ
中納言家持
橋におく霜しろきを見れば」(一ウ)よるのふけたをしるわいな
安倍仲麿
古郷隔てゝ他国のそらにおなじみかさの月を見る
喜撰法師
わしが住居(すまゐ)は都のたつみうき世遁るゝうぢの山
小野小町
思案なかばへ降る春雨に」(二オ)いつかうつろふ花の色
蝉丸
しるもしらぬもあふ坂なればゆくもかへるもこゝろせき
参議篁
島々をかけて波路を漕ぎ出だせしと蜑の釣舟おとづれよ
僧正遍昭
雲の通ひ路天(そら)ふく風に」(二ウ)とちで乙女をとゞめたい
陽成院
我恋は筑波の峯より流るゝ水よつもりつもりて淵となる
河原左大臣
われも誰ゆゑそちあるゆゑにみだれそめしぞしのぶずり
光孝天皇
君のためなら雪降る野辺に」(三オ)わかなつむのもいとやせぬ
中納言行平
起(たつ)てわかれりやいなばのやまのまつと聞ても帰りたい
在原業平朝臣
神代にきかない龍田の川でからくれなひにてくゝるみつ
藤原敏行朝臣
住の江のきしの波ほどこゝろをよせて」(三ウ)夢さへ人めをよけて見る
伊勢
難波潟みじかい蘆かやそのふしのまもあはで此世を過すのか
元良親王
わびていつまで難波の浦よ身を尽してもあふこゝろ
素性法師
今に来るかとこの長き夜を」(四オ)月ともともまちあかす
文屋康秀
なさけなく秋の草木を吹山風をそれであらしといふかいな
大江千里
月を見るさへかなしいものよ我身ばかりの秋じやない
菅家
ぬさのかわりにもみぢのにしき」(四ウ)こゝろばかりの手向山
三条右大臣
名にしあふみの逢坂山のかつらしるべにくればよい
貞信公
こゝろあるなら小くらのもみぢまたのみゆきを此まゝに
中納言兼輔
いづみ河しらでかやうに恋しきものか」(五オ)せめてひとめもみかの原
源宗干朝臣
冬の山里淋しさまさる草も人めもないゆへに
凡河内躬恒
こゝろあてにおればをらるゝ白菊なれどいろをまどはす初の霜
壬生忠岑
つれなく別れしうき暁きを」(五ウ)有明月までしらぬ顔
坂上是則
有明の月の影かと見るあけがたによしのゝ里にはつもる雪
春道列樹
山河に風がかけたかそりやしがらみよちらしたもみぢをまたとめる
紀友則
天(そら)会のどけきこの春の日に」(六オ)なにをめあてにちるさくら
藤原興風
高砂の松もむかしの友ではなかろ老いてなじみもない我身
紀貫之
古郷の人のこゝろはわしやしらねども花はむかしの香に匂ふ
清原深養父
夏の夜は宵と思ひし間もなく明けて」(六ウ)月はいづこに雲のやど
文屋朝康
しら露に風のふきしく秋の野見ればつなぎとめない玉ぞちる
右近
すてられし身をば思わすちかひし人の罰(ばち)のあたるをあんじられ
参議等
をのゝしの原しのぶとすれど」(七オ)あまり恋しさたへられぬ
平兼盛
なにを思ふと人とふまでにしのぶ恋路がいろに出る
壬生忠見
人しれず思ひ初にしわたしの恋がいつか世間に浮名たつ
清原元輔
末の松山かはらじものと」(七ウ)誓ひし言葉に波もこす
中納言敦忠
逢みての後のおもひにくらべて見ればあわぬむかしはさほどにも
中納言朝忠
たへて逢ひたいこゝろがなくば人も我身も恨むまじ
謙徳公
いとし恋しといふ人もなく」(八オ)このまゝこがれてしぬるのか
曾根好忠
由良の迫門(せと)わたるかじさへもふをれはてゝ行衛もしらない我恋路
恵慶法師
茂る艸葉の淋しきやどに人は見へねど秋は来る
源重之
風にさそわれ岩うつなみの」(八ウ)ちゞにくだくるわが思ひ
大中臣能宣朝臣
衛士のたく火とわたしの胸はひるは消へつゝよるはもえ
藤原義孝
命ちにかへても逢たひおもひあへば千代までそふ心
藤原実方朝臣
明けてそれともいふきのもぐさ」(九オ)もゆる思ひをしらぬ人
藤原道信朝臣
あけりやくるゝと承知で居ても朝のわかれがうらめしい
右大将道綱母
明ける門さへまたるゝものをひとり寝る夜のそのながさ
儀同三司母
忘れじとちかひし心のかわらぬうちに」(九ウ)しぬるかくごで居るわいな
大納言公任
水煮はなれし古滝なれど音は絶ても名をながす
和泉式部
こがれてしぬなら今一度はあふてあの世の思ひ出に
紫式部
もしやそれかと見わかぬうちに」(十オ)雲かくれする夜半の月
大弐三位
猪名の篠原そよふく風のおとづれないほどわすられぬ
赤染衛門
とけて寝られずまつ夜はふけてかたふく月をばひとり見る
小式部内侍
大江山かけて幾野の道遠ければ」(十ウ)あまのはしだてふみも見ぬ
伊勢大輔
いにしへの奈良の都にさく八重桜けふ九重までにほひます
清少納言
もろこしの関はこえても我逢坂はとりのそらねじやゆるしやせぬ
左京大夫道雅
思ひたへしと人伝ならで」(十一オ)つげる手術(てだて)のないものか
権中納言定頼
明けかたに宇治の川霧まだらにはれて瀬々のあじろ木人目だつ
相模
うらみの袖さへかわかぬうちにくちはつる名も恋ゆえぞ
大僧正行尊
ともにあわれと深山のさくら」(十一ウ)人はしるまい花ばかり
周防内侍
春のみじか夜見し手枕の甲斐なき夢にもうきなたつ
三条院
のぞみなきよになからへし躯(み)も恋しい今宵の月の顔
能因法師
嵐ふくたびきをもみぢ葉よ」(十二オ)うき名たつたにちるにしき
良暹法師
やどばかりかとあちこち見ればいづこも淋しい秋のくれ
大納言経信
ゆふくれに門の稲葉をそよ音づれて蘆やに吹入る秋のかぜ
祐子内親王家紀伊
あだなことばを聞くその果ては」(十二ウ)うらみなきすることもあろ
権中納言匡房
山の尾上にさかりのさくら外から霞のたゝぬやう
源俊頼朝臣
なびくやうにと初瀬へいのりあまりはげしき山おろし
藤原基俊
露の恵みを命にかけて」(十三オ)まちし今年の秋もすぐ
法性寺入道前関白太政大臣
はてもなき海の面にたつ白浪が雲井とひとつに見ゆるそへ
崇徳院
岩にせかれてわかるゝ水も末はひとつになるものを
源兼昌
かよふ千鳥の声きくさへも」(十三ウ)寝ざめの淋しき須磨の関
左京大夫顕輔
秋風になかをたゝれしその雲間よりもるゝ今宵のさへた月
待賢門院堀河
ながゝれとむすびし黒髪みだれて今朝はいとゞ思ひのますかゞみ
後徳大寺左大臣
時鳥たしか鳴たとあたりを見れば」(十四オ)有明月のみめにかゝる
道因法師
おもひわびても恋死にもせずこぼれやすさよわが涙だ
皇太后宮大夫俊成
まゝならぬ世をばのがるゝこの山奥にまたもかなしき鹿の声
藤原清輔朝臣
うしと思ひし世をながらへて」(十四ウ)今は昔がなつかしさ
俊恵法師
閨のすきまをうらみるまでに物思ひする夜のながさ
西行法師
うるむ涙だをかこつけかほにわれからかなしい月を見る
寂蓮法師
むらさめにぬるゝ槙の葉まだひぬものを」(十五オ)秋にあわれをそゆる霧
皇嘉門院別当
浪花江の蘆の刈根にひとよの契りわすれまいぞへ身をつくし
式子内親王
しのぶこゝろのよわらぬうちにたゆる命はたへよかし
殷富門院大輔
ぬれぬれし蜑の袖だにかはらぬものを」(十五ウ)ぬしに見せたい血の涙
後京極摂政前太政大臣
秋の夜さむにまるねをすればしのび音に鳴きりぎりす
二条院讃岐
人こそしるまいわたしの袖はかはくまもなき沖の石
鎌倉右大臣
世の中の風もなぎさにこぐ蜑舟の」(十六オ)綱をひくのゝおもしろさ
参議雅経
みよしのゝ山の秋風ふるさと寒くふけて哀れにきく擣衣(きぬた)
前大僧正慈円
世の人のいのりのためとてわがたつ杣にすみの衣に身をやつす
入道前太政大臣
花さそふ庭のあらしの雪にはあらで」(十六ウ)ふり行く我身につもるとし
権中納言定家
人をまつほの浦ゆふなぎに藻塩やく火の身をこがす
従二位家隆
夕くれに楢の小河に涼風たてど夏のしるしかみそぎする
後鳥羽院
人をおしくもまだうらめしく」(十七オ)あだに浮世や身をおもふ
順徳院
古き軒端に世をしのぶにもあまるむかしが恋しさよ
明治十六年九月十一日御届
同   年九月三十日出版(定価金十銭)
著述兼出版人 長野県平民
       窪田重平
       松本南深志町三百六番地
発売元    知新堂
大売捌書肆  慶林堂 青雲堂
       水琴堂 精華堂
       一〇飯田
※国会図書館蔵書は、著作権の切れたものについては、翻刻許可を願い出なくても、自由に翻刻してよいとのことである。本書は、画像が国会図書館の「近代デジタルライブラリー」に掲載されており、「この図書は著作権法第67条による文化庁長官裁定を受けて公開しています。」とされている。これに基づいて翻刻することに問題はない。本書の著者・春雨亭三眠(窪田重平)の生没年は不明である。しかし本書は明治十六年(1883)の出版であり、今から百二十七年前のものであって、著作権は消滅していると考えるのが常識的判断である。



八、『小倉都々逸百首』(国立国会図書館蔵。請求番号特60/15)

 明治十七年発行。唐沢久蔵編。誠信閣発行。
 以下翻刻。〔 〕内は角書。清濁はそのまま。振り仮名は特別なものを除き省略。
〔小倉〕都々逸百首 全/唐沢久蔵偏」(題簽)
〔小倉〕都々逸百首/一真斎国忠ゑかく/原野春艸しるす/誠信閣寿梓」(見返し)

酒のさかなもやきかえしはかうはしく哥の??もかたすみのかたきを和らけ都々逸の丸きたとんにいけかえ一入御客の調子をとるは」(序一オ)
(絵)」(序一ウ)
(絵)」(序二オ)
不?やきかえしの煎おろしと李もうまからしむるのおもひつきなるへし
?時明治十七年の一月
原野春艸誌」(序二ウ)
田地田黄(でんぢてんわう)
小田のかり庵にふたまよりも荒いおまへの捨三葉
地頭点多(ぢとうてんおほ)
夏は来にけりみな白妙の浴衣着て出る茶屋女」(一オ)
山木高村(さんぎたかむら)
堀をめあてにこき出しゆくと人にや告なよこの小舟
宗匠返上(そうしようへんせう)
雲のかよひ路風ふきとぢよ乙女のすがたがおがみたい」(一ウ)
養生員(ようじやういん)
みなの河ではわしやないけれど恋ぞつもりてふちとなる
瓦定異人(かはらのさだいじん)
しのぶもちずりそりやたれゆゑにみだれすゞしい洗髪」(二オ)
香々点黄(こうこうてんわう)
君かためならわしや野に出て若菜つむともいとやせぬ
紐薬鑵雪平(ちうやかんゆきひら)
たちわかれてもいなばの山のまつと聞てはまたかへる」(二ウ)
借腹形平阿損(かりはらなりひらあそん)
神代もきかないおまへのうはさわたしや小ばらが龍田川
不二原年雪朝存(ふじはらとしゆきあそん)
きしによるなみ小船にゆられ夢のかよひ路三谷塚」(三オ)
異瀬(いせ)
なにはがた短かき芦のふしの間なりととうして逢ずに過さりやう
元吉辛抱(もとよししんぼう)
身をつくしても逢ねばならぬ人にいはれたこともある」(三ウ)
蘇生方志(そせいほうし)
今こんとみて私しをよしやにうけてもはや有明鶏が啼
分家安出(ぶんややすいで)
秋の草木のしぼむをみても涙こぼすか泣上戸」(四オ)
覚智悟(おほへのちさと)
銭はなくなる女郎にやふられわが身ひとつにあきれがほ
勧化(かんけ)
酒のさかなはまつとりあへず秋のもみちのにしきうめ」(四ウ)
三丈●大尽(さんじやううたいじん)
今宵しので逢坂山を人に知られてなるものか
電信光(でんしんこう)
みねのもみぢにあかるい路を小倉山とはたがいふた」(五オ)
中薬鑵金助(ちうやかんかねすけ)
飲どもつきないこの泉川こひし鴨なべやきざかな
水元峰雪何尊(みなもとみねゆきあそん)
冬のうすぎのさむいにつけて人のくさめも耳につく」(五ウ)
凡小家身常(およそこうちのみつね)
どれにしやうか格子の先で霜のしら菊めよりつる
見不只見祢(みずたゞみね)
朝のわかれのないものならはなんのきらはふあけの月」(六オ)
車下上是乗(しやかのうへこれのり)
有明の月と見るまでよしのゝさとにけさはしら雪ふりつもる
遠道津羅木(とうみちのつらき)
利上々々にしがらみかけた事なかれもあへない質ばかり」(六ウ)
気毒成(きのどくなり)
光りのとけききんかんあたま風もひかれぬはなが出る
不二払沖風(ふじはらのおきかせ)
うたえうたえの声たかさごにえだもさかへる松づくし」(七オ)
木面雪(きのつらゆき)
花のすがたはふり捨たれどどこかむかしの香かのこる
樹倚原深籔(きよはらのふかやぶ)
また宵とおもふ間もなくあけの寅雲のいづこに月やどる」(七ウ)
文野麻安(ふんやあさやす)
風にふかるゝ白露よりも人のこゝろは(以下空白)
●金(うこん)
わすらるりゝ身はかみもないがそれちやちかひし神よごし」(八オ)
算気人四(さんきひとし)
小野のしのはらしのぶとすれどわれをわすれちや口ばしる
平金侍(たいらのかねもち)
しのぶこひぢもつひいろに出てものやおもふと人がとふ」(八ウ)
三部畳(みぶのたゞみ)
人しれずおもひそめしがまうとやからとうき名がたつてはなをやめぬ
気弱蘭元少(きよはらのもとすくな)
末の松山なみこすとてもかはりやせぬぞへわかこゝろ」(九オ)
十能椎熱唯(じうのうこんあつ)
よたかきりみせむかしは物をおもはぬむくひのこのよこね
中名残朝只(ちうなごりあさたゝ)
なましあひみて猶物おもひ知らぬ昔にしてほしい」(九ウ)
倹約功(けんやこう)
色よ酒よの身のいたづらにあはれなすがたもこゝろがら
麁寝飯唯(そねのめしたゞ)
かぢをたえたる私しやすて小舟ゆくへも知らずにこかれゐる」(十オ)
異形帽子(いぎやうほうし)
すけんぞめきの人さへ見へず秋はさひしい格子さき
皆元繁雪(みなもとのしげゆき)
よふたまぎれにほうつた茶わんくたけて今さる物おもひ」(十ウ)
大中●吉伸何尊(おふなかときよしのぶあそん)
衛士のたく火とわたしのむねはひるはきえても夜はもゆ
冨士原葭高(ふじはらよしたか)
露の命をながくもがなとおもふもおまへがあればこそ」(十一オ)
霧原小根方朝散(きりはらさねかたあそん)
えやはいふきの三年もぐささしも名物よくもゆる
不時腹道延者損(ふじはらみちのべはそん)
あけりや暮るとさて知りなからかねやからすかうらめしい」(十一ウ)
右大小満綱端々(うだいしやうみちつなはし)
ひとりぬるよのそのあたるまはいかひさしいものおもひ
樹動三枝鳩(きどうさんしのはと)
忘れまいぞや行末までもかたいちかひの入れぼくろ」(十二オ)
大羅漢金遠(たらかんきんとう)
夜着やどてらも久しくなればいまにながれが来るだらう
泉引府(いづみしきぶ)
とても此世のおもふでならばじんきたとしよくしやうがしてみたい」(十二ウ)
村崎鋪船(むらさきしきぶね)
めぐりあひてみしやそれともわからぬうちにぬしははづして雲がくれ
台二三味(だいにのさんみ)
わたしはおまへにきがありまやま今さらいなとはいはしやせぬ」(十三オ)
高染衣紋(たかそめゑもん)
まてど来ぬ夜はかたぶくまでの月のからすやあけのかね
粉挽分無師(こしきぶないし)
あまのはしだていくのゝ道の遠いたびぢをふみのつて」(十三ウ)
伊瀬苧助(いせをすけ)
ならのさくらはいろかもよいが八重といふ字がきにくはぬ
清書直師(せいしよなおし)
とりのそら音ははかりもせうがぬしの空寝ははかられぬ」(十四オ)
酒大分満正(さけのだいぶみちまさ)
たつたひとことひとづてならでいふておきたい事がある
紺中直沙汰依(こんちうなおしさたより)
宇治の川ぎり夜はあけはなれせゞのあじろがみへわたる」(十四ウ)
紗髪(さがみ)
夜着やふとんもあはれとおもへわたしやひとりでとこのばん
酒大増長今日損(さけのだいそふちようけふそん)
こひにくちなん名はをしけれど今さらいぢでもきれられぬ」(十五オ)
仕様無詩(しやうのないし)
夢でなりともあはしておくれゆめちやうき名はたちはせぬ
三丈剣(さんじうのけん)
わたしやすゝきの野にすむうさぎこひしなつかし夜半の月」(十五ウ)
能飲宝詩(のういんほうし)
ついした事にもことばのあらしかほにもみちをちらすのか
料銭欲志(りようせんほし)
銭のなきときやいつでもおなじわたしやいつでも秋のゆふ」(十六オ)
大無金常飲(だいなごんつねのむ)
ぬしのこゝろ門田のいなばいつしか秋風ふいてゐる
有志内心坊家帰依(ゆうしなひしんほうかきい)
まくらひきよせかけしやそでのぬれてうれしいとこのうみ」(十六ウ)
皆元年寄我損(みなもととしよりあそん)
下戸のおさけととやまのかすみたらずとやつぱりのむがよい
扶持腹本足(ふちはらもとうし)
なんのあたまとはつせのあらしはげひかれとはいのりやせぬ」(十七オ)
紺中●金笹糸(こんちううこんさゝふさ)
ちぎりすてゝもなをあをあをと露を命の草の色
強椀情白持大入小定大抱身(こうわん●●はく●だいにうしようしようだいだきのしん)
雲井はるかにほのかげみへておきつしらなみたつかもの」(十七ウ)
酒徳飲(しゆとくいん)
岩にせかるゝあのたき川のわれても末にはまた一つ
弥陀元金正(みだもとかねまさ)
いくよいくよになくこゑきけばちどりとおもへどきがわるい」(十八オ)
月代大分倦助(さかいきたぶあきすけ)
くものたえまをもれ出る月にさえてきこゆるかみきぬた
帯剣門前森川(たいけんもんぜんもりかは)
まくらはづしてしまだのかみをみだしたあげくはきがおもひ」(十八ウ)
五徳大事火大心(ごとくだいじかたいじん)
ぬしをかへしてれんじをみれば小田のありあけ猶のこる
導引棒子(どういんほうし)
うきにたえぬかゆきかぜにはつ花なみだでひくくるま」(十九オ)
広太孝行大分真清(こうだいここうだひぶしんせん)
竹のはしらを何いとはふぞ山のおくにもしかはすむ
渕原清好朝見(ふちはらのきよすきあそん)
つれなかりける女郎をかへばねやのことばはひまなもの」(十九ウ)
春画発誌(しゆんゑほつし)
かぼちやかほしてなみだをこぼし月やはものをもよくできた
在京発詩(ざいきやうほつし)
つゆものこさずみなくひつくしあきのゆふめしよくすゝむ」(二十オ)
若連帽子(しやくれんほうし)
芦のかりねのひとよきなりとあふてはなしがしてみたい
広化一円脱刀(こうかいちゑんだつたう)
なんのたまのをたえなばたえねあはでくろうをするにやまし」(二十ウ)
食仕内貧乏(しよくしないひんほう)
ぬしにみせばやぬれにぞぬれしあめのよあけの花のつや
陰婦門前大風(いんふもんせんたいふう)
きりきりすなくや霜夜のさびしいどてをどうして今ころかへさりやう」(二十一オ)
五経極説正懸大丈代金(ごきようごくせつしようかけの)
沖のいしかやかたしのそではかはくひまさへなくなみだ
二丁能毛抜(にちよういくけぬき)
あまのをふねのろかいをゝしてすまやあかしのわびずまひ」(二十一ウ)
小枕有人珍(こまくらうだいちん)
山のあきかぜよいしんしんとふけてみにしむ遠きぬた
箒木萌付(ほうきまきつけ)
見すてられゝばわしやすみぞめのそでとかくごのきめてゐる」(二十二オ)
鷺大増長地面(さきのだいそうちよふぢめん)
やくやもしほのみもこかれつゝぬしをまつをのうらざしき
入湯先大奥代賃(にうとうさきのだいけふだいちん)
うしとみし夜もけふびになつてみればこひしいことばかり」(二十二ウ)
紺中無紺里家(ごんちゆうなこんさといへ)
庭のあらしにふる雪ならでつもるわたしのものおもひ
小三味不流(しやうさみがりう)
ならの小川のゆふふくかぜになつもすゞしくとぶほたる」(二十三オ)
琴葉珍(ことはちん)
あぢきなきよをあきらめながらたれしも御かねはほしいもの
潤沢員(たくいん)
もゝしきやふるきぬのこをかさねぎしてもふゆのよ風はみにあまる」(二十三ウ)
明治十七年二月十八日御届
同    四月出版
定価十八銭
編輯人  東京府平民 唐沢久蔵
           本所区松倉町二丁目三十九番地
出版人  同     近藤清太郎
           同区石原町廿三番地
発行書肆       松木平吉
           辻岡文助
           山中市兵衛
           山口福松
           小林喜右衛門」(二十四オ)
           山口藤兵衛
           大倉孫兵衛
           山中喜太郎
           高崎修助
           榊原友吉
           大川新吉
           濱嶌精三郎
           自由閣
           勧文堂
       横浜  池田幸吉
       同   尾崎冨五郎」(二十四ウ)
※国会図書館蔵書は、著作権の切れたものについては、翻刻許可を願い出なくても、自由に翻刻してよいとのことである。本書は、唐沢久蔵の著書であり、明治十七年(1884)の出版である。唐沢久蔵の生没年は不明であるが、今から百二十六年前のものであり、著作権は消滅していると考えるのが常識的判断である。



九、『百々一小倉百人誌』(国立国会図書館蔵。請求番号特64/27)

 明治十九年発行。小林豊吉編・刊。
 以下翻刻。清濁はそのまま。振り仮名は特別なものを除き省略。
九月二十九日
山岡鉄舟君題字
百々一
小 倉
百人誌
仮名垣魯文翁序」(扉)
百々逸百人一首戯序
秋の田の豊年祭祀に刈穂の庵の友を集め魯酒を汲て心楽み夏来にけらし白妙の浴衣の儘の納涼(すゞみ)の莚麦酒の酔の加減に乗じて月に嘯くはな唄は古今の下情都鄙となく貴賤変らぬ唱歌の徳和歌も唄なり百々」(序一)逸も歌仲間なる鶯蛙山鳥の尾のながながしき浄るり節を短く縮め程を合せる調子の高低(あげさげ)穿ち文句の撰取(ゑりどり)みどり花はくれない客の心も浮かす芸妓(げいしや)の三鳥伝授チンチンテン者が朱引の糸猫皮(いとかわ)にかけたる出版物一口序せよと商弘所の宿碌が需(もとめ)に応」(序二)じ酌人一種の半玉代りヘイ今版はとあどけなく演(のぶ)る
明治十九年八月下浣 新富川岸の南窓に一寸一筆かながきの主個(あるじ)
妙々道人漫戯
小倉野や彩る草に虫の声」(序三)
天智天皇(浅草なかだ貞二)
秋田そぶりが苅穂に出て袖も濡つゝ芽もうるむ」(一)
持統天皇(蛎三月簑団子)
春過て夏も何時(いつ)しか早秋風と山わ白妙冬木だち」(二)
柿本人麿(山下高橋松林)
浮気や山鳥巣をかへられて独りかも寝の夜の長さ」(三)
山辺赤人(武の所沢田丸)
田子の浦富士の高嶺に少々雪か残浮名の虎の雨」(四)
猿丸太夫(能登尾湾亭石峯)
心ろおく山気もまた紅葉たしかぬしには恋の秋」(五)
中納言家持(閑居庵好静)
人目かざして渡せる橋会たつや浮名の霜ばしら」(六)
安倍仲麿(文廼家たより)
互ひに斯(かふ)なりや胸うちあけて晴て三笠の月を待」(七)
喜撰法師(伊勢泗水の南枝)
私(わ)しが住居(すまゐ)わみやこの辰巳世をば宇治茶で楽隠居」(八)
小野小町(銚子梅廼家薫)
ながめせしまに移にけりな色にや気強ひ七小町」(九)
蝉丸(武蔵所沢物外)
行もかへるもまた逢坂にこはひ人眼の関がある」(十)
三儀篁(都家四喜男)
和田の原から八十島かけて出て出雲の願ほどき」(十一)
僧正遍照(磐井妙々堂酔人)
雲のかよひ路さらりと晴て見かはす乙女の月の顔」(十二)
陽成院(横はま月萃)
恋ぞつもりて近江の湖水ふかい互の実とじつ」(十三)
河原左大臣(尾張町浪花屋)
乱れそめにし心のあやもとひてたがひの胸とむね」(十四)
光孝天皇(新橋忘八)
春の野に出りや遠山かすみ若菜摘手に積る雪」(十五)
中納言行平(蛎三月簑団子)
逢ばわかれが稲葉の山で名残おしげにのぞく月」(十六)
在原業平朝臣(銚子梅廼家薫)
一寸小意気な業平朝臣龍田錦のからもやふ」(十七)
藤原敏行朝臣(浪花連集君)
住の江の夢に松さへ心のまよひとけて岸辺に寄する浪」(十八)
伊勢(上毛尾島翠素一)
難波潟芦の節間も逢なへ中をと思や身に降袖の雨」(十九)
元良親王(石巻玲呵子)
骨を粉にして身をつくしても噛わけないとは情ない」(二十)
素性法師(芝無茶九茶)
今来(こん)といひしばかりで此なが月夜嘘を一声ほとゝぎす」(廿一)
文屋康秀(新宿勢州楼松島)
実になるはなしもむべ山風に人の口からあらしふく」(廿二)
大江千里(新宿勢州楼小雛)
千々に物こそかなしひ夜半も朝は笑顔で別たい」(廿三)
管家(伊勢町豊春故史)
顔に紅葉のにしきをちらし神に手むけの若女夫(わかめうと)」(廿四)
三条右大臣(新橋井桁)
たまに逢坂山ほどうらみ人にしらせずなく苦ろう」(廿五)
貞信公(石巻玲呵子)
日の御旗たかくかゝげて今ひと度の御幸待なん国の民」(廿六)
中納言兼輔(芝ひだかつ)
わきて流るゝなみだのひまに一寸御顔も三かの原」(廿七)
源宗于朝臣(抱亭美男子)
こゝろとゞめよ人眼も草もかれて操の松ひとり」(廿八)
凡河内躬恒(所沢一沢)
君にやはつ霜おきまどわされ私しや白菊気が迷ふ」(廿九)
壬生忠峰(北多摩中藤喜堂)
咄し残しもまだ有明のつれなき別れもすへのため」(三十)
坂上是則(石巻玲呵子)
有明の月と見るまで曇らす胸を晴てこゝろの芳野山」(卅一)
春道列樹(北多摩中藤喜堂)
縁のしからみついとけかねて流す浮名に気を紅葉」(卅二)
紀友則(伊勢町豊春故史)
久方の光豊けき我九重の玉の座しき歌あわせ」(卅三)
藤原興風(賤岡軒辰巳)
誰をかもしる高砂うたひ松に納る妻さだめ」(卅四)
紀貫之(千住秀鵞)
昔し全盛に咲せし花は枯て床しき香に迷ふ」(卅五)
清原深養父(高崎清水珍文鑑)
雲にかり寝の短か夜明て未恋のこした夏の月」(卅六)
文屋朝康(北多摩中藤喜堂)
秋の野面と身はすてられて恨みなみだの玉ぞちる」(卅七)
右近(所沢玉廼家二葉)
忘らるゝ身をば思はで誓ひし人の袖に移香忘れぬ」(卅八)
参議等(弁里野喜撰)
小野のしの原忍んで来(きた)が抔か人目が恋の関」(卅九)
平兼盛(十軒店蝸篆艸舎)
袖にかくした笑顔を主は物や思ふと覗こむ」(四十)
壬生忠見(千住出児助)
人しれず思ひ初にし二人が中は浮名立ずに末長く」(四十一)
清原元輔(武の所沢小三)
契りかはせし片身の袖ははれて妹背を結ぶまで」(四十二)
中納言敦忠(所沢玉廼家二葉)
逢見ての後の心にひきくらふれば逢ぬ昔に増思ひ」(四十三)
中納言朝忠(神田一間寝)
絶て逢なきや人をも身をも恨みまいもの口惜き」(四十四)
謙徳公(下手の横好)
哀とも人は云(いをふ)が身のいたづらで消に消れぬ新聞紙」(四十五)
曽根好忠(抱亭美男子)
ぬしと手に手を行衛もしらぬ恋の道行からはだし」(四十六)
恵慶法師(十軒店蝸篆艸舎)
苦労しげれるむくらの折戸宿はさびしきむしの声」(四十七)
源重之(北多摩中藤喜堂)
初恋にこわき嬉き亦はづかしく胸は岩打波のよふ」(四十八)
大中臣能宣朝臣(高崎清水珍文鑑)
胸に焚火もまつ夜はもへてあへば消つゝものおもひ」(四十九)
藤原義孝(伊勢町豊春故史)
君がためなら命でさへもすてるわたしの身の覚悟」(五十)
藤原実方朝臣(北多摩中藤喜堂)
人が兎や角水さしもぐさ燃るおもひの胸のうち」(五十一)
藤原道信朝臣(松廼家清)
咄しのこした短ひ夜半はなほも恨めし朝ぼらけ」(五十二)
右大将道綱母(武の所沢田丸)
嘆つゝひとり寝夜は猶ますおもひ今は泪の種となる」(五十三)
議同三司母(石巻馬骨亭銕面皮)
忘れまいぞへいくすへまではかたくむすんだ纈帯(いわたおび)」(五十四)
大納言公任(武の柿廼舎葉二)
名こそ流の川竹なれど孝と貞とにしづむふち」(五十五)
和泉式部(十軒店蝸篆艸舎)
あらさらん恋に思案も最(もふ)月落て明の烏のなき別れ」(五十六)
紫式部(浪華連集君)
巡り逢たる雲井の君に思ふ恨みもむねのうち」(五十七)
大弐三位(蛎三月蓑団子)
伊奈の笹原そよ吹風になほも心にますおもひ」(五十八)
赤染衛門(武の柿廼舎葉二)
若(もし)へ寝なましもふ小夜更て傾ぶく月をば見しやんせ」(五十九)
小式部内侍(北多摩中藤喜堂)
逢にゆく野の道遠ければ憂(うし)や人目が大江山」(六十)
伊勢大輔(上毛尾島丸岩)
花のみやこはけふ九重にかほるらん麝の君が園」(六十一)
清少納言(武の柿廼舎葉二)
百夜こめても世にあふ坂の関はゆるさぬ身の操」(六十二)
左京太夫道雅(北多摩中藤喜堂)
今はたゞ義理にからまれ世間を兼て思絶なん君が事」(六十三)
権中納言定頼(武の柿廼舎葉二)
閨の苦絶の川霧はれてかへる縄手の朝ぼらけ」(六十四)
相模(武の柿廼舎葉二)
恋に朽ん名は惜けれど義理と誠はたてとほす」(六十五)
前大僧正行尊(高崎清水珍文鑑)
供に哀れは身をおく山にかくれ咲いたるおく桜」(六十六)
周防内侍(堀留梅柳庵清香)
隠す甲斐ないふたりのうき名名こそ流て龍田川」(六十七)
三条院(陽気堂酔人)
恋しかるべきあの夜半の月連子迄来て知ぬ振」(六十八)
能因法師(蛎三月簑団子)
浮名龍田のそのみなもとは人の口から吹あらし」(六十九)
良選法師(高崎清水文珍鑑)
我身ばかりの淋き宿とみれば何処(いづく)も秋のそら」(七十)
大納言経信(北多摩中藤喜堂)
門に●(たゝ)ずみ音づるけれど秋の風かよ出て来ない」(七十一)
祐子内親王家紀伊(煉化のくれ竹)
誰もおもひを懸しや袖のぬれてうれしき仇男浪」(七十二)
前中納言匡房(堀留梅柳庵清香)
誉も高砂尾上のさくら邪摩は外山のたゞかすみ」(七十三)
源俊頼朝臣(石巻玲呵子)
烈(はげし)かれとは祈ぬものをあれさにくいよ花吹雪」(七十四)
藤原基俊(十軒店蝸篆艸舎)
露を命とぬしまつむしも草葉がくれに啼明す」(七十五)
法性寺入道前関白太政大臣(十軒店蝸篆艸舎)
久方の春を祝しておさまる御代は隔(へだつ)雲井に鶴の声」(七十六)
崇徳院(武蔵所沢物外)
岩にせかれてちる滝川も末のあふ瀬に深なる」(七十七)
源兼昌(越後小町奈斉同道)
人目の関守通し甲斐も鳴て淡路の島千どり」(七十八)
左京太夫顕輔(武蔵新戒の常楽)
忍恋路は隠せどいろにもれて出けり夜半の月」(七十九)
待賢門院堀川(武の柿廼舎葉二)
鬢にみだれし其黒髪のほつれごゝろをほどく櫛」(八十)
後徳大寺左大臣(新橋忠腹)
影も見せずに声あり明のそらにうらみの残る月」(八十一)
道因法師(北多摩中藤喜堂)
なまじ命のあるゆへわたしや思わびてはうき涙」(八十二)
皇大后宮太夫俊成(都家尾枝鳥)
鹿と浮世の媒酌(なこど)をたてゝむすぶ妹背の山の奥」(八十三)
藤原清輔朝臣(武の柿廼舎葉二)
憂(うし)と見し夜の短かい夢は長き縁糸(ゑにし)のむすび口」(八十四)
俊恵法師(高崎清水珍文鑑)
案事すごして待夜は長く閨のひまさへ憂思ひ」(八十五)
西行法師(十軒店蝸篆艸舎)
物をおもわす御前の口へすへて遣(やり)たいからす灸」(八十六)
寂連法師(十軒店蝸篆艸舎)
舌を槙の葉鋭ひ手くだころし文句は口功者」(八十七)
皇加門院別当(横はま無かく)
一夜難波へかり寝の蘆も身をば筑紫へわたる恋」(八十八)
式子内親王(信陽魁華園瓢痴)
玉の緒の絶て絶ねば後の世迄もひとつはすはの痩世帯」(八十九)
殷冨門殷大輔(抱亭美男子)
花の姿の濡にぞぬれし色はかわらじ杜若」(九十)
後京極摂政前太政大臣(上毛尾島の一窓)
衣かくして身はさむしろに聞や霜夜のきりぎりす」(九十一)
二条院讃岐(上毛尾島の一窓)
人はしらぬか我片袖はかわく間もなき沖の石」(九十二)
鎌倉右大臣(高崎清水珍文鑑)
あじきなき世に結つ切つ蜑の小舟の縁のつな」(九十三)
参議雅経(高崎清水珍文鑑)
さつと秋風故郷さむくうつや遠音の小夜きぬた」(九十四)
前大僧正慈円(千住秀鵞)
私しやぬしゆへうき世の民をぬけて墨染着衣(きるころも)」(九十五)
入道前太政大臣(高崎清水珍文鑑)
花にあらしの散雪よりも我身ふり行く鬢の霜」(九十六)
権中納言定家(銚子梅廼家薫)
来ぬ人を焦(こがれ)松保の愚痴夕凪に焼や藻塩のうす煙り」(九十七)
正三位家隆(堀留梅柳庵清香)
泣て恨んでもの夕くれの涙だ小川にぬらす袖」(九十八)
後鳥羽院(石巻玲呵子)
あじきなくねもしのびし今宵恨(うらめし)いよも口の内」(九十九)
順徳院(信陽魁華園瓢痴)
百敷や古き軒端のたのしみとては蔦の錦に苔の雨」(百)
御届明治十九年九月一日
仝九月出版  定価金廿銭
編輯兼出版人 日本橋区蛎殻町三丁目十一番地
       小林豊吉
発売店    東京中橋和泉町五番地
       商弘所
京橋区木挽町九丁目青山刷
代価郵便切手代用区外は別に逓送郵税四銭添御振込候へば即送」(奥付)
※国会図書館蔵書は、著作権の切れたものについては、翻刻許可を願い出なくても、自由に翻刻してよいとのことである。本書は、小林豊吉の著書であり、明治十九年(1886)の出版である。小林豊吉の生没年は不明であるが、今から百二十四年前のものであり、著作権は消滅していると考えるのが常識的判断である。



十、『開哥小倉どゞ一』(関西大学図書館所蔵。図書番号は911.655/Y2/1)

 作者不明。発行年不明。明治十年前後か。見返しに「よしとら画作」とある。これは歌川芳虎である。芳虎の生没年は不明。序文に「詩哥山人述」とあるが、この人物についても不明である。
 菊池も『開哥小倉どゞ一』を所有しているが、菊池本は八丁表までである。
 以下、関西大学本の翻刻。清濁はそのまま。振り仮名は特別なものを除き省略。
開哥小倉どゞ一」(表紙)
替歌小ぐらどゞ一
よしとら画作
山藤はん」(見返し)
都々一の意(こゝろ)たるや詩哥に負(おと)らすといへどもその言葉賤しきゆへ同席ならずこゝにあらはせし都度逸は百人一首の中より抜出(よりいだ)して外題(なまい)も其侭小ぐらとゞ一と号(なづ)け酒興のたはむれに供(ぐ)す
皐月なかば   詩哥山人述」(一オ)
足曳の山鳥の尾のながながし夜を壱人り仮寝の仇枕(柿本人麿)(じつにやるせがないよ)」(一ウ)
紅葉ふみ分あのなく鹿も秋といふ字がかなしいか(猿丸太夫)(しゞうくろうはたへないものだよ)」(二オ)
かさゝぎのはしたない身も渡りをつけてどうぞ今宵は首尾したい(中納言家持)(どうかしゆびよく心のねがひをかなへたいものだ)」(二ウ)
赤い前だれ美事(みごと)な茶つみよい宇治山と人はいふ(喜撰法師)」(三オ)
堀をめあてに漕出し行と人にやつげなよ此小ぶね(参議篁)」(三ウ)
雲の通ひ路風吹とぢよ乙女のすがたが御拝(おがみ)たい(僧正遍照)(なんでも??したい一文なしじやいけなひよ)」(四オ)
御名野川(みなのがは)ではわしやなけれども恋ぞつもりて渕となる(陽成院)(あんまりはまりこんでこまつたからあとへも先へもゆかなくなつたのさ)」(四ウ)
しのぶもじづりそりや誰ゆへに乱れて冷(すゞ)しいあらひ髪(河原左大臣)(さつぱりして心もちがいゝよ)」(五オ)
立別れては稲葉の山のまつと聞てはまたかへる(中納言行平)(ぢれつたくつてたまらないよ)」(五ウ)
神代もきかないお前の浮気わたしや小ばらが竜田川(在原業平)(つまみぐひもいゝかげんにしておゝきよぼろを出すといけないからさ)」(六オ)
難波潟短かき芦のふしの間なりとだうして逢ずに過されふ(伊勢)(ねてもさめてもわすれられないのさ)」(六ウ)
今宵忍んであふ坂山を人にしられてなるものか(三条右大臣)(しづかにおしよしれると大へんだからきをおつけなはいよ)」(七オ)
峯のもみぢに明るひ道を小倉山とは誰がいふた(貞信公)(気がしれないよ)」(七ウ)
おのゝ篠原しのぶとすれど我をわすれて口ばしる(参議等)(かくすことはあらはれやすいものだからうつかりものもいへないよ)」(八オ)
末の松山なみ越とてもかはりやせぬぞへわがこゝろ(清原元輔)」(八ウ)
かぢをたへたるわしや捨小舟行衛も知れずにこがれゐる(曽根好忠)(やるせがないよ)」(九オ)
衛士のたく火と私しの胸は昼は消ても夜はもゆる(大中臣能宜)(心のほむらがきへかねているよ)」(九ウ)
めぐりあひて見しや夫共別らぬうちにぬしは外して雲がくれ(紫式部)(気をもませてはいやだよ)」(十オ)
わたしやおまへに気があり間山今さらいなとは言しやせぬ(大弐三位)(???こんだからはなれる心はないよ)」(十ウ)
天のはし立ゆくのゝ道の遠い旅路を文の伝(つて)(小式部内侍)」(十一オ)
宇治の川ぎり夜は明はなれせゞのあじろが見へ渡る(権中納言宜頼)」(十一ウ)
ぬしの心と門田の稲葉いつしか秋風吹て来る(大納言恒信)(しよつちうあんしんができないよ)」(十二オ)
雲井はるかに帆の影みへて沖津白波たつかもめ(法性寺入道前関白大政大臣)(どきやうをすへておいでよ)」(十二ウ)
竹のはしらを何いとおふぞ山の奥にも鹿はすむ(皇太后宮太夫俊成)(くよくよ思ひなさんな思ひすごしはせぬものよ)」(十三オ)
岩にせかるゝあの滝川のわれても末は又ひとつ(崇徳院)」(十三ウ)
芦のかりねの一トよさなりと逢てはなしがして見たい(皇嘉門院別当)(おかほはかりでもいゝから見せておくれ)」(十四オ)
きりきりすなくやしも夜のさみしい所をどうして今頃帰されふ(後京極摂政前大政大臣)」(十四ウ)
沖の石かや私しの袖はかはくひまさへなくなみだ(二条院讃岐)(すこしはさつしておくれよ)」(十五オ)
焼やもしほの身もこがれつゝぬしをまつをのからざしき(権中納言定家)」(十五ウ)

※関西大学図書館蔵書は、著作権の切れたものについては、翻刻許可を願い出なくても、自由に翻刻してよいとのことである。本書は、著者・発行年ともに不明であるが、タイトルに「開哥」とあり、口絵に蒸気船があることから、明治十年前後の出版と考えられる。今から百三十年ほど前のものであり、著作権は消滅していると考えるのが常識的判断である。



十一、『都々逸の栞』(菊池真一所蔵)

 明治三十四年(1901)博文館発行。鶯亭金升(長井惣太郎)著。金升は慶応4年(1868)生れ、昭和29年(1954)没。著作権は消滅している。
 この中に「百人一首五字冠リ」「百人一首上句取り」「百人一首詠込み」があるので、以下引用する。清濁はそのまま。振り仮名は特別なものを除き省略。パソコンで出ない字は「●」とした。
▲百人一首五字冠リ
春の夜の夢は只さへ短いものをまして嬉しき首尾のゆめ(宝山人)」(139頁)
今はたゞ耳に残りし声をば便それが夜ごとのゆめのたね(旭亭鶴升)
忍ぶれどあまる嬉(うれし)なさつい顔に出て包み兼たる文の首尾(同)
人はいざ何と言はうが二人のなかは漆と膠ではなれない(同)
大江山ほどに苦労もお前の為めと帰すこゝろを鬼にする(十々家一九)
来ぬ人をあはぬむかしと思ふて寝れば又も未練が責る胸(梅の家薫)
白露にぬれてうれしや怖さも忘れこひの闇夜をひとり行(隠谷子)
奥山に椎をひろふも何つらからう一粒よりした主となら(嘉遡坊)」(140頁)
明ぬればつらいおもひが身を責立て一時に涙のつゝみ切(●々子)
花の色は然程(さほど)わたしは慕はぬけれど松のみさほが頼母敷(たのもしい)(秀公子)
在明の月と未練の二つがのこる帰した一つのからだから(雲助)
もろともにいつがいつ迄止ても見度(みたい)主とながめる庭の花(旭亭鶴升)
夜もすがら待ど主にも瞼もあはぬつらや思案に眼が冴て(同)
ほとゝぎす又も今宵は待ぼけさせてペテン掛たと啼辛さ(●々子)」(141頁)
人はいざ何と言(いは)うと斯なりや共に稼ぐ覚悟ですてる外飾(みえ)(椎亭重升)
ほとゝぎす宵のうちから待ぼけさせて入ぬ鴉に弄(なぶ)らせる(同)
千早振神にちかふてぬしより外は許るさぬ操の門(かど)まもる(花亭月升)
もろともに今はわかれて苦労をするも末を楽む気も一つ(旭亭鶴升)
淡路島かよふ心の届かぬものか絶ずこがれてなく千どり(十々家一九)
逢ことは最早出来ぬとあきらめ居れど忘れ兼たる主の情(塘亭渡升)」(142頁)
明ぬればかへす積で居れどもいつか未練が止さす別れ際(瓢金太)
もろともに命すてよとしたのも今は恥るむかしの無分別(雪の家梅香)
春すぎて夏も来たのに彼(あ)の遅桜なにが未練でちらぬのか(雨窓遊人)
逢ふことのいつそ無れば忘るゝひまも有に偶さか見(みせ)る顔(同)
忘らるゝ身とも思はで只一筋に尽すまこともいのちがけ(嘉多丸)
逢見ての後の心に比べて見(みれ)ばむかし恋しいあきの蝶(波亭動升)」(143頁)
来ぬ人を更て待夜に窓うつあらし淋しがらせる遠ぎぬた(同)
逢ふ事の今は小川の果敢(はか)なく絶て増すはなみだの雨の水(旭亭鶴升)
高砂のうたひうれしく祝ふた今宵末はふたりも尉(じやう)とうば(同)
八重むぐらしげる宿にも二人で住ば外に望みはない妾(わた)し(同)
有明の閨のともし火そと掻立て別れ惜しさに見る寝がほ(同)
こゝろにも有ぬ事とはつひ知乍ら無理な願ひもこひの欲(同)
花さそふ憎い嵐のよし吹とても首尾はちらさぬ閨のうち(同)
明ぬれば別るゝものとは初手から知(しれ)ど矢張怨めし鶏(とり)と鐘(峯助)
心にもあらでふと出る廓の訛り叱りはせぬかと顔を見る(同)
なげゝとて結びやしまいと出雲の神を怨む気になる別際(同)」(144頁)
春すぎて夏はくれども別れた後は秋に変らぬものおもひ(さんた楼知空)
忍ぶれど意見せずには置れぬ浮気晴て世帯を持ちながら(早亭常升)
契り置し言の葉草も根のみとなりて暫(しばし)恋路もふゆがるゝ(宇女廼家)
逢見てのあとで思へば今さら左程心おくよな人ぢやない(雲助)
秋の田の案山子にされても世間へ晴て主を守つて暮(くらす)なら(其鵺)
花さそふ粋(すゐ)な夜風に窓をばあけて二人たのしむ閨のうち(梅の家薫)」(145頁)
忘らるゝ義理ぢやないのに不実な主は鼬の道とは情ない(秀公子)
立ちわかれいつも涙に明した夜さへ晴りや嬉しい日の光(同)
ほとゝぎすまてど来ぬ夜の冷い閨は声もからした血の涙(●々子)
花のいろはうすくなるとも変(かはら)ぬ誓ひあかい心でつくす実(同)
来ぬ人をもしやもしやに待身の辛さ一夜苦労にやせもする(時雨庵傘升)
来ぬ人を来よとむりにも願ふた神に愚痴を言やら恨やら(同)」(146頁)
今はたゞ外に便りはない身の私始終見すてずすゑながく(多久庵)
春すぎてたゝむ羽織のたもとに残る二人で詠めた花の塵(嘉遯坊)
逢ことの数が重なりや身の詰(つまり)とは知つゝ首尾する恋の欲(同)」(147頁)

題 百人一首上句取り
左 胸も煮立つ今日このごろはわきてながるゝ涙川(失名)
右 くるゝものとは身に知乍ら首尾を待身にや遅い夕(翠升)
 判 左わきて流れて煮立はよくよく胸のもゆる恋ならん、右猶うらめしき朝を知らずに夕べを待つも愚痴なり、涙川浅からざるにはあらねど右の待つ身の情深ければ勝とす左 二人かたみに袖をばしぼる思はぬ濡衣着せられて(扇升)
右 苦労つもりし身も久かたの逢瀬うれしく気も勇む(失名)」(276頁)
 判 右久かたとばかり雲井にのぼる高き調にもあらず、左のかたみに袖をしぼる末の松山の高さには劣れり
左 添(そは)はむかしは惜からざりし命も延よとねがふ今日(弁洲)
右 つらや逢瀬が短き蘆のふしの間さへもない夜ごろ(失名)
 判 右逢はで此世をと言ひし歌にはあらぬ逢夜の怨みにふしの間と臥しと通はせたれで左は命の延び延びとしたる調高ければ勝とす
左 行くもかへるもまた逢坂のおほい人目の関越えて(某)
右 逢ひに生野の道遠けれど苦労にならぬがこひの情(某)
 判 右下の句治定せず、左一通り出来たり勝
左 添て世帯を今日はるの野に主とうれしくつむ若菜(某)
右 主のこゝろは移にけりな日がな一日(ひとひ)をいたづらに(某)」(277頁)
 判 左春野の若菜奇麗なれど右の小町桜の色こそよけれ
左 思ひこがれて稲葉の山のまつとこゝろは極ながら(失名)
右 逢て夏の夜まだ宵ながらつもるはなしに明のかね(斧升)
 判 左思ひこがれて居と云ふかゝりなれば稲葉のいにては調はず下の句は巧みに言はれたり、右難は夏の夜になれば勝とす
左 あすの別れをつひ夜もすがら逢て居乍らする苦労(訥升)
右 誰にしのぶの草さへ取てふるき軒端の新世帯(失名)
 判 右ふるき軒端に新らしき世帯は眼に附たり、左夜もすがらの結び際立ずして一首の姿右にまされり
」(278頁)

百人一首詠込み(狂雅会ニテ)」(278頁)
絶て久しくあはねばむねは癪といふ虫巣をつくる(影升)
みだれ初めにしこゝろの元は一夜々露に濡てから(騎月)
いかに久しき来ぬ夜のうきに一人うつうつ物思ひ(●升)
帰すつらさは只有明の月より知らないむねのうち(宜升)
むすぶ髪さへみだれて今朝はむかふ鏡に恥かしい(亦升)
絶ておかほを三笠の山に今宵うれしやいでしつき(●升)
うしと見し世も今さらこひし主が実意を知そめて(君升)
来ぬと知りつゝながながし夜をしびれ忘れた肱枕(宜升)
おつるなみだの淵ともなるか絶て顔さへみなの川(碧升)
わすれかねては逢ふ瀬を力人のいのちの惜い今日(亦升)
ものやおもふと問れるまでに忘れ切(きれ)ない主のこと(砂升)
楫を絶たるわしやすて小舟行方も知ずにこがれ居(園升)」(279頁)
恋ぞつもりてやつるゝ姿うつすかゞみに増す苦労(香葉子)
つらいつとめに身を尽しても主のためにはなる積(花愛子)
のこるはなしもまだ有明の月にみじか夜うらみ泣(初春亭)
逢はで此世をすごすとならば鶏(とり)や鐘には気が置ぬ(北城庵)
ものや思ふと問はるゝ様ないろに出るまで苦労する(塘亭)
わざと夜をこめ人目の関をとりの空音にして越る(美好)
ふかく契つた言葉がかたみ末のまつやま末までも(砂升)
焦るゝ人には浪花のあしのふしの間程もわかれ兼(桜升)
我が身一つの秋ではないと思へど悲しい来ぬ夜は(月亭)
独寝る夜はあかつきまでがいつより久(ひさし)い心地する(満升)
暮りや逢れる身と知ながらそゞろ恨めし朝ぼらけ(山人)
待つ夜門田に音信(おとづ)るものはさびしがらせの秋の風(君升)」(280頁)
濡れもこそすれなみだの雨に逢ぬ幾夜の袖たもと(月升)
先へはなしがいつ筑波根の夜ごと夢にもみなの川(君升)
知るも知らぬも当坐のうちとぬしを便りの水仕業(静升)
行くもかへるもただ逢坂の関を人目ぞゆるさない(望亭)
やくや藻汐のこがるゝ先も今宵有るかと来ぬ人を(半雅通)
さしも知らじと思ふて居たに知て苦労をさしも草(十塘舎)
なみだ斗りか出て待つ夜半のつゆに濡れつゝ言怨み(宝山人)」(281頁)



※なお、跡見学園女子大学図書館・東洋大学図書館に以下のものがあるが、未見である。

跡見学園女子大学図書館
都々一ぶし小倉百人(六/1854/一四八〇九九)(六/1854/五七一五二)
新版百人一首よしはら都登逸(六/1848/五七一三二)(六/1848/一二〇八一四)
百人小倉どゞ一(六/1867/七六一九九)
美国振小倉都々逸(六/1870/五七一二八)
小倉都々逸百首(六/1884/五七一四八)
百人一首小倉都々一(六/1889/五七一四六)

東洋大学図書館
百人一首小倉都々逸(911.9:H)
美国振小倉都々逸(911.9:AN)
よしこのぶし(よしこの百人一首)(911.9:D)