平家物語(龍谷大学本)巻第一

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書 13)に拠りました。

文責:荒山慶一・菊池真一



(表紙)
P01003
(目録)
一巻 
一 祇園精舎
二 殿上暗打  しかるを忠盛ヨリ
三 鱸  太政大臣は一人にヨリ
四 禿の沙汰  かくて清盛公ヨリ
五 吾身之栄花  吾身の栄花を極るヨリ
六 二代后  されども鳥羽院ヨリ
七 額打論  一天の君崩御ヨリ
P01004
八 清水炎上  御門かくれさせヨリ
九 殿下乗合  仁安三年ヨリ
十 厳嶋詣  嘉応三年ヨリ 但此奥二ノ巻ニアリ
十一 師子谷之謀反 徳大寺花山院ヨリ
十二 鵜河合戦  然るによつて師光ヨリ [* 相当文無し ]
十三 願立  御裁断おそかりければヨリ
十四 御輿振  さるほどにヨリ
十五 内裏炎上  蔵人左少弁兼光ヨリ
P01005
P83
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)
『祇園精舎(ぎをんしやうじや)』S0101
祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。
娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)のことはり(ことわり)【理】を
あらはす。おご【奢】れる人(ひと)も久(ひさ)しからず。只(ただ)春(はる)の
夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。たけき者(もの)も遂(つひ)(つゐ)にはほろびぬ、
偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。遠(とほ)(とを)く異朝(いてう)をとぶ
らへば、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周伊【*朱■】(しうい)、唐(たう)の
禄山(ろくさん)、是等(これら)は皆(みな)旧主(きうしゆ)先皇(せんくわう)の政(まつりごと)にもしたがはず、
P01006
楽(たのし)みをきはめ、諫(いさめ)をもおもひいれ【思ひ入れ】ず、天下(てんが)の
みだれむ事(こと)をさとらずして、民間(みんかん)の愁(うれふ)る
所(ところ)をしらざ(ッ)しかば、久(ひさ)しからずして、亡(ばう)じ
にし者(もの)どもなり。近(ちか)く本朝(ほんてう)をうかがふに、承平(しようへい)(せうへい)の
将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(ぎしん)、平治(へいぢ)の信頼(しんらい)、
おご【奢】れる心(こころ)もたけき事(こと)も、皆(みな)とりどりにこそ
ありしかども、まぢかくは、六波羅(ろくはら)[B の]入道(にふだう)(にうだう)前太政
大臣(さきのだいじやうだいじん)平(たひらの)(たいらの)朝臣(あそん)清盛公(きよもりこう)と申(まうし)し人(ひと)のありさま、
P01007
伝承(つたへうけたまは)るこそ心(こころ)も詞(ことば)も及(およ)(をよ)ばれね。P84其(その)先祖(せんぞ)を尋(たづ)
ぬれば、桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいご)の皇子(わうじ)、一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)葛原
親王(かづらはらのしんわう)九代(くだい)の後胤(こういん)(こうゐん)、讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が孫(まご)、刑部卿(ぎやうぶきやう)忠盛(ただもりの)
朝臣(あそん)の嫡男(ちやくなん)なり。彼(かの)親王(しんわう)の御子(みこ)高視【*高見】(たかみ)の王(わう)、無官(むくわん)
無位(むゐ)にしてうせ給(たまひ)ぬ。其(その)御子(みこ)高望(たかもち)の王(わう)の時(とき)、始(はじめ)て
平(たひら)(たいら)の姓(しやう)を給(たまはつ)て、上総介(かづさのすけ)になり給(たまひ)しより、忽(たちまち)に王
氏(わうし)を出(いで)て人臣(じんしん)につらなる。其(その)子(こ)鎮守府将軍(ちんじゆふのしやうぐん)
義茂【*良望】(よしもち)、後(のち)には国香(くにか)とあらたむ。国香(くにか)より正盛(まさもり)に
P01008
いたるまで、六代(ろくだい)は諸国(しよこく)の受領(じゆりやう)たりしかども、
二 殿上(てんじやう)の仙籍(せんせき)(せんセキ)をばいまだゆるされず。 『殿上(てんじやうの)闇討(やみうち)』S0102 しかるを
忠盛(ただもり)備前守(びぜんのかみ)たりし時(とき)、鳥羽院(とばのゐん)(とばのいん)の御願(ごぐわん)得長寿
院(とくぢやうじゆゐん)(とくぢやうじゆいん)を造進(ざうしん)して、三十三間(さんじふさんげん)の御堂(みだう)をたて、一千一体(いつせんいつたい)の
御仏(おんほとけ)をすへ(すゑ)【据ゑ】奉(たてまつ)る。供養(くやう)は天承(てんしよう)(てんせう)元年(ぐわんねん)三月(さんぐわつ)十三日(じふさんにち)なり。
勧賞(けんじやう)には闕国(けつこく)を給(たま)ふべき由(よし)仰下(おほせくだ)されける。
境節(をりふし)(おりふし)但馬国(たじまのくに)のあきたりけるを給(たび)にけり。上
皇(しやうくわう)御感(ぎよかん)のあまりに内(うち)の昇殿(しようでん)(せうでん)をゆるさる。忠盛(ただもり)
P01009
三十六(さんじふろく)にて始(はじめ)て昇殿(しようでん)(せうでん)す。雲(くも)の上人(うへびと)是(これ)を猜(そね)み、同(おなじ)き
年(とし)の十二月(じふにぐわつ)廿三日(にじふさんにち)、五節豊明(ごせつとよのあかり)の節会(せちゑ)の夜(よ)、忠盛(ただもり)を
闇打(やみうち)にせむとぞ擬(ぎ)せられける。忠盛(ただもり)是(これ)を伝聞(つたへきき)て、
「われ右筆(いうひつ)(ゆうひつ)の身(み)にあらず、武勇(ぶよう)の家(いへ)にむま【生】れて、
今(いま)不慮(ふりよ)の恥(はぢ)P85にあはむ事(こと)、家(いへ)の為(ため)身(み)の為(ため)心(こころ)う
かるべし。せむずる(せんずる)所(ところ)、身(み)を全(まつたう)(ま(ツ)たふ)して君(きみ)に仕(つかふ)と
いふ本文(ほんもん)あり」とて、兼(かね)て用意(ようい)をいたす。参
内(さんだい)のはじめより、大(おほき)なる鞘巻(さやまき)を用意(ようい)して、
P01010
束帯(そくたい)のしたにしどけなげにさし、火(ひ)の
ほのぐらき方(かた)にむか(ッ)て、やはら此(この)刀(かたな)をぬき
出(いだ)し、鬢(びん)にひきあてられけるが氷(こほり)な(ン)どの様(やう)に
ぞみえ【見え】ける。諸人(しよにん)目(め)をすましけり。其上(そのうへ)忠盛(ただもり)の
郎等(らうどう)、もとは一門(いちもん)たりし木工助(むくのすけ)平貞光(たひらのさだみつ)(たいらのさだみつ)が孫(まご)、
しん【進】の三郎大夫(さぶらうだいふ)(さぶらふだゆう)家房(いへふさ)【*季房(すゑふさ) 】が子(こ)、左兵衛尉(さひやうゑのじよう)(さひやうゑのぜう)家貞(いへさだ)といふ
者(もの)ありけり。薄青(うすあを)のかり【狩】衣(ぎぬ)のしたに萠黄威(もよぎをどし)(もよぎおどし)の
腹巻(はらまき)をき、弦袋(つるぶくろ)つけたる太刀(たち)脇(わき)ばさむ(ばさん)で、
P01011
殿上(てんじやう)の小庭(こには)に畏(かしこまつ)てぞ候(さうらひ)(さふらひ)ける。貫首(くわんじゆ)以下(いげ)あやしみを
なし、「うつほ柱(ばしら)よりうち、鈴(すず)の綱(つな)のへんに、布
衣(ほうい)の者(もの)の候(さうらふ)はなに者(もの)ぞ。狼籍【*狼藉】(らうぜき)なり。罷出(まかりいで)よ」と六位(ろくゐ)を
も(ッ)てい【言】はせければ、家貞(いへさだ)申(まうし)けるは、「相伝(さうでん)の主(しゆう)(しう)、備
前守殿(びぜんのかみのとの)、今夜(こよひ)闇打(やみうち)にせられ給(たまふ)べき由(よし)承(うけたまはり)候(さうらふ)
あひだ、其(その)ならむ様(やう)をみ【見】むとて、かくて候(さうらふ)(さふらふ)。えこそ
罷出(まかりいづ)まじけれ」とて、畏(かしこまつ)て候(さうらひ)ければ、是等(これら)を
よしなしとやおもは【思は】れけむ、其(その)夜(よ)の闇打(やみうち)なかりけり。
P01012
忠盛(ただもり)御前(ごぜん)のめしにま【舞】はれければ、人々(ひとびと)拍子(ひやうし)を
かへて、「伊勢平氏(いせへいじ)はすがめなりけり」とぞはや
されける。此(この)人々(ひとびと)はかけまくもかたじけなく、柏
原天皇(かしはばらのてんわう)の御末(おんすゑ)とは申(まうし)ながら、中比(なかごろ)は都(みやこ)のすま
ゐ(すまひ)もうとうとしく、地下(ぢげ)にのみ振舞(ふるまひ)(ふるまい)な(ッ)て、いせ【伊勢】の
国(くに)に住国(ぢゆうこく)(ぢうこく)ふか【深】かりしかば、其(その)国(くに)のうつはものに
事(こと)よせて、伊勢平氏(いせへいじ)とぞP86 申(まうし)ける。其上(そのうへ)忠盛(ただもり)
目(め)のすがまれたりければ、か様(やう)にははやされ
P01013
けり。いかにすべき様(やう)もなくして、御遊(ぎよいう)(ぎよゆふ)もいまだ
をはらざるに、偸(ひそか)に罷出(まかりいで)らるるとて、よこ【横】だへ
さされたりける刀(かたな)をば、紫震殿【*紫宸殿】(ししんでん)の御後(ごご)にして、
かたえ(かたへ)の殿上人(てんじやうびと)のみ【見】られける所(ところ)に、主殿司(とのもづかさ)を
めしてあづけをき(おき)てぞ出(いで)られける。家貞(いへさだ)待(まち)
うけたてま(ッ)て、「さていかが候(さうらひ)(さふらひ)つる」と申(まうし)ければ、
かくともいはまほしう思(おも)はれけれども、いひ
つるものならば、殿上(てんじやう)まで【迄】もやがてきりのぼらむ
P01014
ずる者(もの)にてある間(あひだ)(あいだ)、別(べち)の事(こと)なし」とぞ答(こたへ)
られける。五節(ごせち)には、「白薄様(しろうすやう)、こぜむじ(こぜんじ)の紙(かみ)、巻
上(まきあげ)の筆(ふで)、鞆絵(ともゑ)かいたる筆(ふで)の軸(ぢく)」なむど、さまざま
面白(おもしろき)事(こと)をのみこそうた【歌】ひまはるるに、中比(なかごろ)
太宰権帥(ださいのごんのそつ)季仲卿(すゑなかのきやう)といふ人(ひと)ありけり。あまりに
色(いろ)の黒(くろ)かりければ、みる【見る】人(ひと)黒帥(こくそつ)とぞ申(まうし)(もうし)ける。
其(その)人(ひと)いまだ蔵人頭(くらんどのとう)なりし時(とき)、五節(ごせち)にまはれ
ければ、それも拍子(ひやうし)をかへて、「あなくろぐろ、くろき
P01015
頭(とう)かな。いかなる人(ひと)のうるしぬりけむ」とぞはや
されける。又(また)花山院(くわさんのゐんの)前太政大臣(さきのだいじやうだいじん)忠雅(ただまさ)公(こう)、いまだ
十歳(じつさい)と申(まうし)し時(とき)、父(ちち)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)忠宗卿(ただむねのきやう)にをく(おく)【遅】れ
たてま(ッ)て、みなし子(ご)にておはしけるを、故中御
門(こなかのみかどの)藤中納言(とうぢゆうなごん)(とうぢうなごん)家成卿(いへなりのきやう)、いまだ播磨守(はりまのかみ)たりし時(とき)、
聟(むこ)にとりて声花(はなやか)にもてなされければ、それも
五節(ごせち)に、「播磨(はりま)よねはとくさ【木賊】か、むくの葉(は)か、人(ひと)の
きらをみがくは」とぞはやされける。P87「上古(しやうこ)には
P01016
か様(やう)にありしかども事(こと)いでこず、末代(まつだい)
いかがあらむずらむ。おぼつかなし」とぞ人(ひと)申(まうし)
ける。案(あん)のごとく、五節(ごせち)はてにしかば、殿上人(てんじやうびと)
一同(いちどう)に申(まう)されけるは、「夫(それ)雄剣(ゆうけん)を帯(たい)して公宴(こうえん)に列(れつ)し、
兵杖【*兵仗】(ひやうぢやう)を給(たまはり)て宮中(きゆうちゆう)(きうちう)を出入(しゆつにふ)(しゆつにう)するは、みな格式(かくしき)の
礼(れい)をまもる。綸命(りんめい)よしある先規(せんぎ)なり。然(しかる)を
忠盛(ただもりの)朝臣(あそん)、或(あるい)は相伝(さうでん)の郎従(らうじゆう)(らうじう)と号(かう)して、布衣(ほうい)の
兵(つはもの)を殿上(てんじやう)の小庭(こには)にめしをき(おき)、或(あるい)は腰(こし)の刀(かたな)を
P01017
横(よこだ)へさいて、節会(せちゑ)の座(ざ)につらなる。両条(りやうでう)希
代(きたい)いまだきかざる狼籍【*狼藉】(らうぜき)なり。事(こと)既(すで)に重
畳(ちようでふ)(てうでう)せり、罪科(ざいくわ)尤(もつとも)のがれがたし。早(はや)く御札(みふだ)を
けづ(ッ)て、闕官(けつくわん)停任(ちやうにん)ぜらるべき」由(よし)、をのをの(おのおの)
訴(うつた)へ申(まう)されければ、上皇(しやうくわう)大(おほき)に驚(おどろき)(をどろき)おぼしめし、
忠盛(ただもり)をめして御尋(おんたづね)あり。陳(ちん)[B 「陣」に「陳」と傍書]じ申(まうし)けるは、「まづ
郎従(らうじゆう)(らうじう)小庭(こには)に祗候(しこう)の由(よし)、全(まつた)く覚悟(かくご)仕(つかまつら)ず。但(ただし)近日(きんじつ)
人々(ひとびと)あひたくまるる子細(しさい)ある歟(か)の間(あひだ)(あいだ)、年来(としごろ)の
P01018
家人(けにん)事(こと)をつたへきく歟(か)によ(ッ)て、其(その)恥(はぢ)を
たすけむが為(ため)に、忠盛(ただもり)にしら【知ら】れずして
偸(ひそか)に参候(さんこう)(さんかう)の条(でう)、力(ちから)及(およ)(をよ)ばざる次第(しだい)也(なり)。若(もし)猶(なほ)(なを)其(その)咎(とが)
あるべくは、彼(かの)身(み)をめし進(しん)ずべき歟(か)。次(つぎ)に刀(かたな)の
事(こと)、主殿司(とのもづかさ)にあづけをき(おき)をは(ン)ぬ(をはんぬ)。是(これ)をめし出(いだ)
され、刀(かたな)の実否(じつぷ)について咎(とが)の左右(さう)あるべき
か」と申(まうす)。しかるべしとて、其(その)刀(かたな)を召(めし)出(いだ)して叡
覧(えいらん)(ゑいらん)あれば、うへは鞘巻(さやまき)の黒(くろ)くぬりたりけるが、
P01019
なか【中】は木刀(きがたな)に銀薄(ぎんぱく)をぞおしたりける。「当座(たうざ)の
恥辱(ちじよく)をのがれむが為(ため)に、刀(かたな)を帯(たい)する由(よし)あ
らはすといへども後P88日(ごにち)の訴詔【*訴訟】(そしよう)(そせう)を存知(ぞんぢ)(ぞんじ)して、
木刀(きがたな)を帯(たい)しける用意(ようい)のほどこそ神妙(しんべう)なれ。
弓箭(きゆうせん)(きうせん)に携(たづさは)らむ者(もの)のはかりことは、尤(もつとも)かうこそ
あらまほしけれ。兼(かねては)又(また)郎従(らうじゆう)(らうじう)小庭(こには)に祇候(しこう)(しかう)の条(でう)、
且(かつ)は武士(ぶし)の郎等(らうどう)の習(ならひ)なり。忠盛(ただもり)が咎(とが)にあらず」とて、
還(かへつ)て叡感(えいかん)(ゑいかん)にあづか(ッ)しうへは、敢(あへ)て罪科(ざいくわ)の沙汰(さた)も
P01020
なかりけり。 『鱸(すずき)』S0103 其(その)子(こ)ども、諸衛(しよゑ)の佐(すけ)になる。昇殿(しようでん)(せうでん)
せしに、殿上(てんじやう)のまじはりを人(ひと)きらふに及(およ)(をよ)ばず。
其比(そのころ)忠盛(ただもり)、備前国(びぜんのくに)より都(みやこ)へのぼりたりけるに、
鳥羽院(とばのゐん)「明石浦(あかしのうら)はいかに」と、尋(たづね)ありければ、
あり明(あけ)の月(つき)も明石(あかし)の浦風(うらかぜ)に
浪(なみ)ばかりこそよるとみえ【見え】しか W001
と申(まうし)たりければ、御感(ぎよかん)ありけり。此(この)歌(うた)は金葉集(きんえふしふ)(きんえうしう)
にぞ入(いれ)られける。忠盛(ただもり)又(また)仙洞(せんとう)に最愛(さいあい)の女房(にようばう)を
P01021
も【持】(ッ)てかよはれけるが、ある時(とき)其(その)女房(にようばう)のつぼねに、
妻(つま)に月(つき)出(いだ)したる扇(あふぎ)を忘(わすれ)て出(いで)られたりければ、
かたえ(かたへ)の女房(にようばう)たち、「是(これ)はいづくよりの月影(つきかげ)ぞや。出(いで)どころ
おぼつかなし」とわらひあはれければ、彼(かの)女房(にようばう)、
雲井(くもゐ)よりただもりきたる月(つき)なれば
おぼろけにてはい【言】はじとぞおもふ【思ふ】  W002 P89
とよみたりければ、いとどあさからずぞ思(おも)はれ
ける。薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)の母(はは)是(これ)なり。にるを友(とも)とかやの
P01022
風情(ふぜい)に、忠盛(ただもり)もすいたりければ、彼(かの)女房(にようばう)もゆう(いう)【優】
なりけり。かくて忠盛(ただもり)刑部卿(ぎやうぶのきやう)にな(ッ)て、仁平(にんぺい)三年(さんねん)
正月(しやうぐわつ)十五日(じふごにち)、歳(とし)五十八(ごじふはち)にてう【失】せにき。清盛(きよもり)嫡男(ちやくなん)
たるによ(ッ)て、其(その)跡(あと)をつぐ。保元(ほうげん)元年(ぐわんねん)(ぐはんねん)七月(しちぐわつ)に宇治(うぢ)の
左府(さふ)代(よ)をみだり給(たまひ)し時(とき)、安芸守(あきのかみ)とて御方(みかた)に
て勲功(くんこう)ありしかば、播磨守(はりまのかみ)にうつ(ッ)て、同(おなじき)三年(さんねん)太
宰大弐(ださいのだいに)になる。次(つぎ)に平治(へいぢ)元年(ぐわんねん)十二月(じふにぐわつ)、信頼卿(のぶよりのきやう)が
謀叛(むほん)の時(とき)、御方(みかた)にて[B 「に」の下に「な」と傍書]賊徒(ぞくと)をうちたいら(たひら)【平】げ、勲功(くんこう)
P01023
一(ひとつ)にあらず、恩賞(おんしやう)是(これ)おもかるべしとて、次(つぎ)の年(とし)正
三位(じやうざんみ)に叙(じよ)せられ、うちつづき宰相(さいしやう)、衛府督(ゑふのかみ)、検非
違使別当(けんびゐしのべつたう)(けんびいしのべつたう)、中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)、大納言(だいなごん)に経(へ)あが(ッ)て、剰(あまつさ)へ烝相【丞相】(しようじやう)(せうじやう)の
位(くらゐ)にいたる。左右(さう)を経(へ)ずして内大臣(ないだいじん)より太
政大臣(だいじやうだいじん)従一位(じゆいちゐ)にあがる。大将(だいしやう)にあらねども、兵杖【*兵仗】(ひやうぢやう)を
給(たまはつ)て随身(ずいじん)をめし具(ぐ)す。牛車(ぎつしや)輦車(れんじや)の宣
旨(せんじ)を蒙(かうぶつ)て、のりながら宮中(きゆうちゆう)(きうちう)を出入(しゆつにふ)(しゆつにう)す。偏(ひとへ)に
三 執政(しつせい)の臣(しん)のごとし。「太政大臣(だいじやうだいじん)は一人(いちじん)に師範(しはん)として、
P01024
四海(しかい)に儀(ぎ)けい【刑】せり。国(くに)ををさめ道(みち)を論(ろん)じ、陰
陽(いんやう)(ゐんやう)をやはらげおさむ(をさむ)【治む】。其(その)人(ひと)にあらずは則(すなはち)かけ
よ」といへり。されば即闕(そくけつ)の官(くわん)とも名付(なづけ)たり。其(その)人(ひと)
ならではけがすべき官(くわん)(くはん)ならねども、一天(いつてん)四海(しかい)を
掌(たなごころ)の内(うち)ににぎられしうへ[M 「うへ」をミセケチ、「か」と傍書]は、子細(しさい)に及(およ)(をよ)ばず。平家(へいけ)
か様(やう)に繁昌(はんじやう)せられけるも、熊野権現(くまののごんげん)の御
利生(ごりしやう)とぞきこえし。其(その)故(ゆゑ)(ゆへ)は、P90古(いにし)へ清盛公(きよもりこう)(きよもりかう)いまだ
安芸守(あきのかみ)たりし時(とき)、伊勢(いせ)の海(うみ)より船(ふね)にて熊野(くまの)へ
P01025
まい(まゐ)【参】られけるに、おほきなる鱸(すずき)の船(ふね)に踊入(をどりいり)(おどりいり)
たりけるを、先達(せんだち)申(まうし)けるは、「是(これ)は権現(ごんげん)の御利生(ごりしやう)也(なり)。
いそぎまい(まゐ)【参】るべし」と申(まうし)ければ、清盛(きよもり)のたまひけるは、
「昔(むかし)、周(しう)の武王(ぶわう)の船(ふね)にこそ白魚(はくぎよ)は躍入(をどりいり)(おどりいり)たりけるなれ。
是(これ)吉事(きちじ)なり」とて、さばかり十戒(じつかい)をたもち、精
進潔斎(しやうじんけつさい)の道(みち)なれども、調味(てうみ)して家子侍共(いへのこさぶらひども)に
くはせられけり。其(その)故(ゆゑ)(ゆへ)にや、吉事(きちじ)のみうちつづ
いて、太政大臣(だいじやうだいじん)まで【迄】きはめ給(たま)へり。子孫(しそん)の官途(くわんど)(くはんど)も竜(りよう)(れう)の
P01026
雲(くも)に昇(のぼ)るよりは猶(なほ)(なを)すみやかなり。九代(くだい)の先蹤(せんじよう)(せんじやう)を
四 こえ給(たま)ふこそ目出(めでた)けれ。 『禿髪(かぶろ)』S0104 かくて清盛(きよもり)公(こう)、仁安(にんあん)三年(さんねん)
十一月(じふいちぐわつ)十一日(じふいちにち)、年(とし)五十一(ごじふいち)にてやまひにをかされ、存
命(ぞんめい)の為(ため)に忽(たちまち)に出家入道(しゆつけにふだう)(しゆつけにうだう)す。法名(ほふみやう)(ほうめい)は浄海(じやうかい)とこそ
名(な)のられけれ。其(その)しるしにや、宿病(しゆくびやう)たちどころに
いへ(いえ)て、天命(てんめい)を全(まつたう)す。人(ひと)のしたがひつく事(こと)、
吹(ふく)風(かぜ)の草木(さうもく)をなびかすが如(ごと)し。世(よ)のあまねく
仰(あふ)げる事(こと)、ふる雨(あめ)の国土(こくど)をうるほすに同(おな)じ。
P01027
六波羅殿(ろくはらどの)の御一家(ごいつか)の君達(きんだち)といひて(ン)しかば、花
族(くわそく)も栄耀(えいゆう)(ゑいゆう)も面(おもて)をむかへ肩(かた)をならぶる人(ひと)なし。
されば入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)のこじうと、平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)の
のたまひけるは、「此(この)P91一門(いちもん)にあらざらむ人(ひと)は皆(みな)人
非人(にんぴにん)なるべし」とぞのたまひける。かかりしかば、いかなる
人(ひと)も相構(あひかまへ)て其(その)ゆかりにむすぼほれむとぞ
しける。衣文(えもん)(ゑもん)のかきやう、鳥帽子(えぼし)(ゑぼし)のためやうより
はじめて、何事(なにごと)も六波羅様(ろくはらやう)といひて(ン)げれば、
P01028
一天四海(いつてんしかい)の人(ひと)皆(みな)是(これ)をまなぶ。又(また)いかなる賢王(けんわう)賢
主(けんじゆ)の御政(おんまつりごと)も、摂政(せつしやう)関白(くわんばく)(くはんばく)の御成敗(ごせいばい)も、世(よ)にあま
されたるいたづら者(もの)な(ン)どの、人(ひと)のきかぬ所(ところ)にて、
なにとなうそしり傾(かたぶ)け申(まうす)事(こと)はつねの習(ならひ)なれ
ども、此(この)禅門(ぜんもん)世(よ)ざかりのほどは、聊(いささか)いるかせにも
申(まうす)者(もの)なし。其(その)故(ゆゑ)(ゆへ)は、入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)のはかりことに、
十四五六(じふしごろく)の童部(わらはべ)を三百人(さんびやくにん)揃(そろへ)て、髪(かみ)を禿(かぶろ)に
きりまはし、あかき直垂(ひたたれ)をきせて、めし
P01029
つかはれけるが、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)にみちみちて往反(わうへん)し
けり。をのづから(おのづから)平家(へいけ)の事(こと)あしざまに申(まうす)
者(もの)あれば、一人(いちにん)きき出(いだ)さぬほどこそありけれ、
余党(よたう)に触廻(ふれまは)して其(その)家(いへ)に乱入(らんにふ)(らんにう)し、資財(しざい)雑
具(ざふぐ)(ざうぐ)を追捕(ついほ)し、其(その)奴(やつご)を搦(からめ)と(ッ)て、六波羅(ろくはら)へゐて
まい(まゐ)【参】る。されば目(め)にみ、心(こころ)にしる【知る】といへども、詞(ことば)にあ
らはれて申(まうす)者(もの)なし。六波羅殿(ろくはらどの)の禿(かぶろ)といひて(ン)
しかば、道(みち)をすぐる馬(むま)・車(くるま)もよぎてぞとほりける。
P01030
禁門(きんもん)を出入(しゆつにふ)(しゆつにう)すといへども姓名(せいめい)を尋(たづね)らるるに
及(およ)(をよ)ばず京師(けいし)(ケイシ)の長吏(ちやうり)是(これ)が為(ため)に目(め)を側(そばむ)(ソバム)とみえ【見え】
たり。P92『吾身(わがみの)栄花(えいぐわ)』S0105 吾身(わがみ)の栄花(えいぐわ)(ゑいぐわ)を極(きはむ)るのみならず、一門(いちもん)共(とも)に
繁昌(はんじやう)して、嫡子(ちやくし)重盛(しげもり)、内大臣(ないだいじん)の左大将(さだいしやう)、次男(じなん)
宗盛(むねもり)、中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)の右大将(うだいしやう)、三男(さんなん)具盛【*知盛】(とももり)、三位中将(さんみのちゆうじやう)(さんみのちうじやう)、嫡孫(ちやくそん)
維盛(これもり)、四位少将(しゐのせうしやう)、惣(そう)じて一門(いちもん)の公卿(くぎやう)十六人(じふろくにん)、殿上人(てんじやうびと)
卅(さんじふ)余人(よにん)、諸国(しよこく)の受領(じゆりやう)(じゆれう)、衛府(ゑふ)、諸司(しよし)、都合(つがふ)(つがう)六十(ろくじふ)余人(よにん)
なり。世(よ)には又(また)人(ひと)なくぞみえ【見え】られける。昔(むかし)奈良
P01031
御門(ならのみかど)の御時(おんとき)、神亀(じんき)五年(ごねん)、朝家(てうか)に中衛(ちゆうゑ)(ちうゑ)の大将(だいしやう)を
はじめをか(おか)【置か】れ、大同(だいどう)四年(しねん)に中衛(ちゆうゑ)(ちうゑ)を近衛(こんゑ)と改(あらため)
られしより以降(このかた)、兄弟(けいてい)左右(さう)に相並(あひならぶ)事(こと)纔(わづか)に
三四箇度(さんしかど)なり。文徳天皇(もんどくてんわう)の御時(おんとき)は、左(ひだり)に良房(よしふさ)、右
大臣(うだいじん)の左大将(さだいしやう)、右(みぎ)に良相(よしすけ)、大納言(だいなごん)の右大将(うだいしやう)、是(これ)は閑院(かんゐん)の
左大臣(さだいじん)冬嗣(ふゆつぎ)の御子(おんこ)なり。朱雀院(しゆしやくゐん)の御宇(ぎよう)には、左(ひだり)に
実頼(さねより)小野宮殿(をののみやどの)、右(みぎ)に師資(もろすけ)九条殿(くでうどの)、貞仁【*貞信】(ていじん)公(こう)の
御子(おんこ)なり。後冷泉院(ごれんぜいのゐん)の御時(おんとき)は、左(ひだり)に教通(のりみち)大二条殿(おほにでうどの)、
P01032
右(みぎ)に頼宗(よりむね)堀河殿(ほりかはどの)、御堂(みだう)の関白(くわんばく)(くはんばく)の御子(おんこ)なり。二条院(にでうのゐんの)
御宇(ぎよう)には、左(ひだり)に基房(もとふさ)松殿(まつどの)、右(みぎ)に兼実(かねざね)月輪殿(つきのわどの)、
法性寺殿(ほふしやうじどの)(ほうしやうじどの)の御子(おんこ)なり。是(これ)皆(みな)摂禄(せつろく)の臣(しん)の御子息(ごしそく)、
凡人(ぼんにん)にとりては其(その)例(れい)なし。殿上(てんじやう)の交(まじはり)をだに
きらはれし人(ひと)の子孫(しそん)にて、禁色雑袍(きんじきざつぱう)をゆり、
綾羅錦繍(りようらきんしう)(れうらきんしう)を身(み)にまとひ、大臣(だいじん)の大将(だいしやう)にな(ッ)て
兄弟(けいてい)左右(さう)に相並(あひならぶ)事(こと)、末代(まつだい)とはいひながら不思
議(ふしぎ)なりし事(こと)どもなり。P93其(その)外(ほか)御娘(おんむすめ)八人(はちにん)おはしき。
P01033
皆(みな)とりどりに、幸(さいはひ)給(たま)へり。一人(いちにん)は桜町(さくらまち)の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)重教【*成範】
卿(しげのりのきやう)の北(きた)の方(かた)にておはすべかりしが、八歳(はつさい)の時(とき)約
束(やくそく)斗(ばかり)にて、平治(へいぢ)(へいじ)のみだれ以後(いご)引(ひき)ちがへられ、
花山院(くわさんのゐん)の左大臣殿(さだいじんどの)の御台盤所(みたいはんどころ)にならせ給(たまひ)て、
君達(きんだち)あまたましましけり。抑(そもそも)此(この)重教【*成範】卿(しげのりのきやう)を桜
町(さくらまち)の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)と申(まうし)ける事(こと)は、すぐれて心(こころ)数奇(すき)給(たま)へる
人(ひと)にて、つねは吉野山(よしのやま)をこひ、町(まち)に桜(さくら)をうへ(うゑ)ならべ、
其(その)内(うち)に屋(や)をたててすみ給(たまひ)しかば、来(く)る年(とし)の春(はる)毎(ごと)に
P01034
みる【見る】人(ひと)桜町(さくらまち)とぞ申(まうし)ける。桜(さくら)はさいて七箇日(しちかにち)に
ちるを、余波(なごり)を惜(をし)(おし)み、あまてる【天照】御神(おんがみ)に祈(いの)り
申(まう)されければ、三七(さんしち)日(にち)まで【迄】余波(なごり)ありけり。君(きみ)も
賢王(けんわう)にてましませば、神(かみ)も神徳(しんとく)を耀(かかや)かし、花(はな)も
心(こころ)ありければ、廿日(はつか)の齢(よはひ)をたもちけり。一人(いちにん)は后(きさき)に
たたせ給(たま)ふ。王子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)ありて皇太子(くわうたいし)にたち、
位(くらゐ)につかせ給(たまひ)しかば、院号(ゐんがう)かうぶらせ給(たまひ)て建
礼門院(けんれいもんゐん)とぞ申(まうし)ける。入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)の御娘(おんむすめ)なるうへ、
P01035
天下(てんが)の国母(こくも)にてましましければ、とかう申(まうす)に
及(およ)(をよ)ばず。一人(いちにん)は六条(ろくでう)の摂政殿(せつしやうどの)の北政所(きたのまんどころ)にならせ
給(たま)ふ。高倉院(たかくらのゐん)御在位(ございゐ)の時(とき)、御母代(おんぱはしろ)(おんハハシロ)とて准三后(じゆんさんごう)の
宣旨(せんじ)をかうぶり、白河殿(しらかはどの)とておもき人(ひと)にて
ましましけり。一人(いちにん)は普賢寺殿(ふげんじどの)の北政所(きたのまんどころ)にならせ
給(たま)ふ。一人(いちにん)は冷泉大納言(れんぜいのだいなごん)隆房卿(たかふさのきやう)の北方(きたのかた)、一人(いちにん)は七条
修理大夫(しつでうのしゆりのだいぶ)信隆卿(のぶたかのきやう)に相具(あひぐ)し給(たま)へり。又(また)安芸国(あきのくに)
厳島(いつくしま)の内侍(ないし)が腹(はら)に一人(いちにん)おはせしは、後白河法皇(ごしらかはのほふわう)(ごしらかはのほうわう)へ
P01036
まい(まゐ)【参】らせ給(たまひ)て、女御(にようご)のやうでましましける。
其(その)外(ほか)九条院(くでうのゐん)の雑仕(ざふし)(ざうし)P94常葉(ときは)が腹(はら)に一人(いちにん)、是(これ)は花山院
殿(くわさんのゐんどの)に上臈女房(じやうらうにようばう)にて、廊(らう)の御方(おんかた)とぞ申(まうし)ける。
日本秋津島(につぽんあきつしま)は纔(わづか)に六十六箇国(ろくじふろくかこく)、平家知行(へいけちぎやう)の
国(くに)卅(さんじふ)余箇国(よかこく)、既(すで)に半国(はんごく)にこえたり。其(その)外(ほか)庄園(しやうゑん)(しやうえん)
田畠(でんばく)いくらといふ数(かず)を知(しら)ず。綺羅(きら)充満(じゆうまん)(じうまん)して、
堂上(たうしやう)花(はな)の如(ごと)し。軒騎(けんき)群集(くんじゆ)して、門前(もんぜん)市(いち)を
なす。楊州(やうしう)の金(こがね)、荊州(けいしう)の珠(たま)、呉郡(ごきん)の綾(あや)、蜀江(しよくかう)(しよくこう)の
P01037
錦(にしき)、七珍万宝(しつちんまんぼう)一(ひとつ)として闕(かけ)たる事(こと)なし。歌堂
舞閣(かたうぶかく)の基(もとゐ)(もとひ)、魚竜爵馬(ぎよりようしやくば)(ぎよれうしやくば)の翫(もてあそび)もの、恐(おそら)くは帝闕(ていけつ)も
六 仙洞(せんとう)も是(これ)にはすぎじとぞみえ【見え】し。[* 『祇王(ぎわう)』S0106は、底本に無し。 ] 『二代后(にだいのきさき)』S0107 昔(むかし)より今(いま)に
至(いた)るまで【迄】、源平(げんぺい)両氏(りやうし)朝家(てうか)に召(めし)つかはれて、王
化(わうくわ)(わうクワ)にしたがはず、をのづから(おのづから)朝権(てうけん)をかろむずる(かろんずる)
者(もの)には、互(たがひ)にいましめをくはへしかば、代(よ)のみだれも
なかりしに、保元(ほうげん)に為義(ためよし)きられ、平治(へいぢ)(へいじ)に義朝(よしとも)
誅(ちゆう)(ちう)せられて後(のち)は、すゑずゑの源氏(げんじ)ども或(あるい)(あるひ)は流(なが)され、
P01038
或(あるい)(あるひ)はうしなはれ、今(いま)は平家(へいけ)の一類(いちるい)のみ繁昌(はんじやう)して、
頭(かしら)をさし出(いだ)す者(もの)なし。いかならむ末(すゑ)の代(よ)まで【迄】も
何事(なにごと)かあらむとぞみえ【見え】し。されども、鳥羽院(とばのゐん)
御晏駕(ごあんか)の後(のち)は、兵革(へいがく)(へいカク)うちつづき、死罪(しざい)・流刑(るけい)・
闕官(けつくわん)・停任(ちやうにん)つねにおこなはP108れて、海内(かいだい)(かいタイ)もしづか
ならず、世間(せけん)もいまだ落居(らくきよ)せず。就中(なかんづく)に永暦(えいりやく)(ゑいりやく)
応保(おうほう)の比(ころ)よりして、院(ゐん)の近習者(きんじゆしや)をば内(うち)より
御(おん)いましめあり、内(うち)の近習者(きんじゆしや)をば院(ゐん)よりいま
P01039
しめらるる間(あひだ)(あいだ)、上下(じやうげ)おそれをののいてやすい
心(こころ)もなし。ただ深淵(しんゑん)(しんえん)にのぞむ(のぞん)で薄氷(はくひやう)をふむに
同(おな)じ。主上(しゆしやう)上皇(しやうくわう)(しやうくはう)、父子(ふし)の御(おん)あひだには、何事(なにごと)の
御(おん)へだてかあるべきなれども、思(おもひ)のほかの事(こと)
どもありけり。是(これ)も世(よ)澆季(げうき)に及(およん)(をよん)で、人(ひと)梟
悪(けうあく)をさきとする故(ゆゑ)(ゆへ)也(なり)。主上(しゆしやう)、院(ゐん)の仰(おほせ)をつねに
申(まうし)かへさせおはしましけるなかにも、人(ひと)耳目(じぼく)を
驚(おどろ)(をどろ)かし、世(よ)も(ッ)て大(おほひ)にかたぶけ申(まうす)事(こと)ありけり。
P01040
故近衛院(ここんゑのゐん)の后(きさき)、太皇太后宮(たいくわうたいこうくう)(たいくはうたいこうくう)と申(まうし)しは、大炊御門(おほいのみかど)の
右大臣(うだいじん)公能公(きんよしこう)の御娘(おんむすめ)也(なり)。先帝(せんてい)にをく(おく)【遅】れたて
まつらせ給(たまひ)て後(のち)は、九重(ここのへ)(ここのえ)の外(ほか)、近衛河原(こんゑかはら)の
御所(ごしよ)にぞうつりすませ給(たまひ)ける。さきのきさ
いの宮(みや)にて、幽(かすか)なる御(おん)ありさまにてわたらせ
給(たまひ)しかば、永暦(えいりやく)(ゑいりやく)のころほひは、御年(おんとし)廿二三(にじふにさん)に
もやならせ給(たまひ)けむ、御(おん)さかりもすこしすぎ【過】
させおはしますほどなり。しケれども【*しかれども】、天下(てんが)
P01041
第一(だいいち)の美人(びじん)のきこえましましければ、主上(しゆしやう)
色(いろ)にのみそ【染】める御心(おんこころ)にて、偸(ひそか)に行力使【*高力士】(かうりよくし)(カウリヨクシ)に
詔(ぜう)じて、外宮(ぐわいきゆう)(ぐわいきう)にひき求(もと)めしむるに及(およん)(をよん)で、
此(この)大宮(おほみや)へ御艶書(ごえんしよ)あり。大宮(おほみや)敢(あへ)てきこしめしも
いれ【入れ】ず。さればひたすらはや【早】ほにあらはれて、
后(きさき)御入内(ごじゆだい)あるべき由(よし)、右大臣家(うだいじんげ)に宣旨(せんじ)を下(くだ)さる。
此(この)事(こと)天下(てんが)にをいて(おいて)ことなる勝事(せうし)なれば、公卿
僉議(くぎやうせんぎ)あり。をのをの(おのおの)意見(いけん)をいふ。「先(まづ)P109異朝(いてう)の先蹤(せんじよう)(せんぜう)を
P01042
とぶらふに、震旦(しんだん)の則天皇后(そくてんくわうこう)は唐(たう)の太宗(たいそう)の
きさき、高宗皇帝(かうそうくわうてい)(かうそうくはうてい)の継母(けいぼ)なり。太宗(たいそう)崩御(ほうぎよ)の
後(のち)、高宗(かうそう)の后(きさき)にたち給(たま)へる事(こと)あり。是(これ)は異
朝(いてう)の先規(せんぎ)たるうへ、別段(べちだん)の事(こと)なり。しかれども
吾(わが)朝(てう)には、神武天皇(じんむてんわう)より以降(このかた)人皇(にんわう)七十(しちじふ)余代(よだい)に
及(およぶ)(をよぶ)まで、いまだ二代(にだい)の后(きさき)にたたせ給(たま)へる例(れい)を
きかず」と、諸卿(しよきやう)一同(いちどう)に申(まう)されけり。上皇(しやうくわう)も
しかるべからざる由(よし)、こしらへ申(まう)させ給(たま)へば、主上(しゆしやう)
P01043
仰(おほせ)なりけるは、「天子(てんし)に父母(ぶも)なし。吾(われ)十善(じふぜん)(ぢうぜん)の戒功(かいこう)に
よ(ッ)て、万乗(ばんじよう)(ばんぜう)の宝位(ほうゐ)をたもつ。是(これ)ほどの事(こと)、などか
叡慮(えいりよ)(ゑいりよ)にまかせ【任せ】ざるべき」とて、やがて御入内(ごじゆだい)の
日(ひ)、宣下(せんげ)せられけるうへは、力(ちから)及(およ)(をよ)ばせ給(たま)はず。大宮(おほみや)
かくときこしめされけるより、御涙(おんなみだ)にしづ
ませおはします。先帝(せんてい)にをく(おく)【遅】れまい(まゐ)【参】らせにし
久寿(きうじゆ)の秋(あき)のはじめ、同(おな)じ野(の)の露(つゆ)ともきえ、
家(いへ)をもいで世(よ)をものがれたりせば、かかるうき
P01044
耳(みみ)をばきかざらましとぞ、御歎(おんなげき)ありける。父(ちち)の
おとどこしらへ申(まう)させ給(たまひ)けるは、「「世(よ)にしたがは
ざるをも(ッ)て狂人(きやうじん)とす」とみえ【見え】たり。既(すで)に詔命(ぜうめい)を
下(くだ)さる。子細(しさい)を申(まうす)にところ【所】なし。ただすみやかに
まい(まゐ)【参】らせ給(たまふ)べきなり。もし王子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)ありて、
君(きみ)も国母(こくも)といはれ、愚老(ぐらう)も外祖(ぐわいそ)とあふがる
べき瑞相(ずいさう)にてもや候(さうらふ)らむ。是(これ)偏(ひとへ)に愚老(ぐらう)を
たすけさせおはします御孝行(ごかうかう)の御(おん)いたり
P01045
なるべし」と申(まう)させ給(たま)へども、御返事(おんぺんじ)もなかりけり。
大宮(おほみや)其比(そのころ)なにとなき御P110手習(おんてならひ)の次(ついで)(つゐで)に、
うきふしにしづみもやらでかは竹(たけ)の
世(よ)にためしなき名(な)をやながさむ W004
世(よ)にはいかにしてもれけるやらむ、哀(あはれ)にやさ
しきためしにぞ、人々(ひとびと)申(まうし)あへりける。既(すで)に御
入内(ごじゆだい)の日(ひ)になりしかば、父(ちち)のおとど、供奉(ぐぶ)のかん
だちめ、出車(しゆつしや)の儀式(ぎしき)な(ン)ど心(こころ)ことにだしたて【出立】まい(まゐ)【参】らせ
P01046
給(たまひ)けり。大宮(おほみや)ものうき御(おん)いでたちなれば、と
みにもたてまつらず。はるかに夜(よ)もふけ、さ夜(よ)もなかばにな(ッ)て後(のち)、御車(おんくるま)にたすけ
のせられ給(たまひ)けり。御入内(ごじゆだい)の後(のち)は麗景殿(れいけいでん)にぞ
ましましける。ひたすらあさまつりごとをすすめ
申(まう)させ給(たま)ふ御(おん)ありさまなり。彼(かの)紫震殿【*紫宸殿】(ししんでん)の
皇居(くわうきよ)には、賢聖(げんじやう)の障子(しやうじ)をたてられたり。伊尹(いいん)・
鄭伍倫【*第伍倫】(ていごりん)・虞世南(ぐせいなん)、太公望(たいこうばう)・角里先生(ろくりせんせい)・李勣(りせき)・
P01047
司馬(しば)、手(て)なが足(あし)なが・馬形(むまがた)の障子(しやうじ)、鬼(おに)の間(ま)、季将軍(りしやうくん)が
すがたをさながらうつせる障子(しやうじ)也(なり)。尾張守(をはりのかみ)小野
道風(をののみちかぜ)が、七廻賢聖(しつくわいげんじやう)の障子(しやうじ)とかけるもことはり(ことわり)【理】とぞ
みえ【見え】し。彼(かの)清凉殿(せいりやうでん)の画図(ぐわと)(ぐはと)の御障子(みしやうじ)には、昔(むかし)
金岡(かなをか)がかきたりし遠山(ゑんざん)のあり明(あけ)の月(つき)もありと
かや。故院(こゐん)のいまだ幼主(えうしゆ)(ようしゆ)ましましけるそのかみ、な
にとなき御手(おんて)まさぐりの次(ついで)(つゐで)に、かきくもら
かさせ給(たまひ)しが、ありしながらにすこしもたがはぬを
P01048
御(ご)らむ(らん)【覧】じて、先帝(せんてい)の昔(むかし)もや御恋(おんこひ)しくおぼし
めされけん、P111
おもひ【思ひ】きやうき身(み)ながらにめぐりきて
おなじ雲井(くもゐ)の月(つき)をみ【見】むとは W005
其(その)間(あひだ)(あいだ)の御(おん)なからへ、いひしらず哀(あはれ)にやさし
かりし御事(おんこと)也(なり)。『額打論(がくうちろん)』S0108 さるほどに、永万(えいまん)(ゑいまん)元年(ぐわんねん)(ぐはんねん)の春(はる)の
比(ころ)より、主上(しゆしやう)御不予(ごふよ)の御事(おんこと)ときこえさせ
給(たまひ)しかば、夏(なつ)のはじめになりしかば、事(こと)のほかに
P01049
おもらせ給(たま)ふ。是(これ)によ(ッ)て、大蔵大輔(おほくらのたいふ)(ほくらのたゆふ)伊吉兼盛(いきのかねもり)が
娘(むすめ)の腹(はら)に、今上(きんじやう)一宮(いちのみや)の二歳(にさい)にならせ給(たま)ふがましましけるを、
太子(たいし)にたてまい(まゐ)【参】らせ給(たま)ふべしときこえし程(ほど)に、
同(おなじき)六月(ろくぐわつ)廿五日(にじふごにち)、俄(にはか)に親王(しんわう)の宣旨(せんじ)くだされて、や
がて其(その)夜(よ)受禅(じゆぜん)ありしかば、天下(てんが)なにとなうあはて(あわて)
たるさまなり。其(その)時(とき)の有職(いうしよく)(ゆうしよく)の人々(ひとびと)申(まうし)あはれ
けるは、本朝(ほんてう)に童体(とうてい)の例(れい)を尋(たづぬ)れば、清和天皇(せいわてんわう)
九歳(くさい)にして文徳天皇(もんどくてんわう)の御禅(ごぜん)をうけさせ給(たま)ふ。
P01050
是(これ)は彼(かの)周旦(しうたん)の成王(せいわう)にかはり、南面(なんめん)にして一日(いちじつ)
万機(ばんき)の政(まつりごと)ををさめ給(たまひ)しに准(なぞら)へて、外祖(ぐわいそ)(ぐはいそ)忠仁公(ちゆうじんこう)(ちうじんこう)
幼主(えうしゆ)(ようしゆ)を扶持(ふち)し給(たま)へり。是(これ)ぞ摂政(せつしやう)のはじめなる。
鳥羽院(とばのゐん)五歳(ごさい)、近衛院(こんゑのゐん)三歳(さんざい)にて践祚(せんそ)あり。かれを
こそいつしかなりと申(まうし)しに、是(これ)は二歳(にさい)にならせ
給(たま)ふ。先例(せんれい)なし。物(もの)さは(さわ)【騒】がしともおろかなり。P112さるほどに、
同(おなじき)七月(しちぐわつ)廿七日(にじふしちにち)、上皇(しやうくわう)つゐに(つひに)【遂に】崩御(ほうぎよ)なりぬ。御歳(おんとし)廿
三(にじふさん)、つぼめる花(はな)のちれるがごとし。玉(たま)の簾(すだれ)、錦(にしき)の
P01051
帳(ちやう)のうち、皆(みな)御涙(おんなみだ)にむせばせ給(たま)ふ。やがて其(その)
夜(よ)、香隆寺(かうりゆうじ)(かうりうじ)のうしとら、蓮台野(れんだいの)の奥(おく)、船岡山(ふなをかやま)に
おさめ(をさめ)【納め】奉(たてまつ)る。御葬送(ごさうそう)の時(とき)、延暦(えんりやく)・興福(こうぶく)両寺(りやうじ)の
大衆(だいしゆ)、額(がく)うち論(ろん)と云(いふ)事(こと)しいだして、互(たがひ)に狼籍【*狼藉】(らうぜき)に
七 及(およ)(をよ)ぶ。一天(いつてん)の君(きみ)崩御(ほうぎよ)な(ッ)て後(のち)、御墓所(みはかどころ)へわたし
奉(たてまつ)る時(とき)の作法(さほう)は、南北(なんぼく)二京(にけい)の大衆(だいしゆ)悉(ことごと)く供奉(ぐぶ)して、
御墓所(みはかどころ)のめぐりにわが寺々(てらでら)の額(がく)をうつ事(こと)あり。
まづ聖武天皇(しやうむてんわう)の御願(ごぐわん)、あらそふべき寺(てら)なければ、
P01052
東大寺(とうだいじ)の額(がく)をうつ。次(つぎ)に淡海公(たんかいこう)の御願(ごぐわん)とて、
興福寺(こうぶくじ)の額(がく)をうつ。北京(ほつきやう)には、興福寺(こうぶくじ)にむかへて
延暦寺(えんりやくじ)の額(がく)をうつ。次(つぎ)に天武天皇(てんむてんわう)の御願(ごぐわん)、
教大【*教待】和尚(けうだいくわしやう)・智証大師(ちしようだいし)の草創(さうさう)とて、園城寺(をんじやうじ)の額(がく)を
うつ。しかるを、山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)いかがおもひ【思ひ】けむ、先例(せんれい)を
背(そむき)て、東大寺(とうだいじ)の次(つぎ)、興福寺(こうぶくじ)のうへに、延暦寺(えんりやくじ)の
額(がく)をうつあひだ、南都(なんと)の大衆(だいしゆ)、とやせまし、
かうやせましと僉議(せんぎ)する所(ところ)に、興福寺(こうぶくじ)の
P01053
西金堂衆(さいこんだうじゆ)、観音房(くわんおんばう)(くはんをんばう)・勢至房(せいしばう)とてきこえたる
大悪僧(だいあくそう)二人(ににん)ありけり。観音房(くわんおんばう)(くはんをんばう)は黒糸威(くろいとをどし)(くろいとおどし)の腹巻(はらまき)に、
しら柄(え)の長刀(なぎなた)くきみじかにとり、勢至房(せいしばう)は萠
黄威(もえぎをどし)(もえぎおどし)の腹巻(はらまき)に、黒漆(こくしつ)の大太刀(おほだち)も(ッ)て、二人(ににん)つ(ッ)と
走出(はしりいで)、延暦寺(えんりやくじ)の額(がく)をき【切】(ッ)ておとし、散々(さんざん)に打(うち)わり、
「うれしや水(みづ)、なるは滝(たき)の水(みづ)、日(ひ)はて【照】るともたえずと
うたへ」とはやしつつ、南都(なんと)の衆徒(しゆと)のなかへぞ
入(いり)にける。P113『清水寺(きよみづでら)炎上(えんしやう)』S0109 山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)、狼籍【*狼藉】(らうぜき)をいたさば手(て)むかへ
P01054
すべき所(ところ)に、ふかうねらう(ねらふ)方(かた)もやありけむ、
ひと詞(ことば)もいださず。御門(みかど)かくれさせ給(たまひ)ては、心(こころ)
なき草木(さうもく)までも愁(うれい)たる色(いろ)にてこそある
べきに、此(この)騒動(さうどう)のあさましさに、高(たかき)も賎(いやしき)も、
肝(きも)魂(たましひ)(たましゐ)をうしな(ッ)て、四方(しはう)へ皆(みな)退散(たいさん)す。同(おなじき)廿九日(にじふくにち)の
午剋(むまのこく)斗(ばかり)、山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)緩(おびたたし)う下洛(げらく)すときこえ
しかば、武士(ぶし)検非違使(けんびゐし)(けんびいし)、西坂下(にしざかもと)に、馳向(はせむかつ)て防(ふせき)
けれども、事(こと)ともせず、をし(おし)やぶ(ッ)て乱入(らんにふ)(らんにう)す。
P01055
何者(なにもの)の申出(まうしいだ)したりけるやらむ、「一院(いちゐん)山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)に
仰(おほせ)て、平家(へいけ)を追討(ついたう)せらるべし」ときこえし
ほどに、軍兵(ぐんびやう)内裏(だいり)に参(さん)じて、四方(しはう)の陣頭(ぢんどう)を
警固(けいご)す。平氏(へいじ)の一類(いちるい)、皆(みな)六波羅(ろくはら)へ馳集(はせあつま)る。
一院(いちゐん)もいそぎ六波羅(ろくはら)へ御幸(ごかう)なる。清盛公(きよもりこう)其比(そのころ)
いまだ大納言(だいなごん)にておはしけるが、大(おほき)に恐(おそ)れさ
は(さわ)【騒】がれけり。小松殿(こまつどの)「なにによ(ッ)てか只今(ただいま)さる事(こと)
あるべき」としづめられけれども、上下(じやうげ)ののしりさは(さわ)【騒】ぐ事(こと)
P01056
緩(おびたた)し。山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)、六波羅(ろくはら)へはよせずして、すぞ
ろなる清水寺(せいすいじ)におしよせて、仏閣(ぶつかく)僧坊(そうばう)一宇(いちう)も
のこさず焼(やき)はらふ。是(これ)はさんぬる御葬送(ごさうそう)の
夜(よ)の会稽(くわいけい)の恥(はぢ)を雪(きよ)めむが為(ため)とぞきこえし。
清水寺(せいすいじ)は興福寺(こうぶくじ)の末寺(まつじ)なるによ(ッ)てなり。清
水寺(せいすいじ)やけたりける朝(あした)、「や(ッ)、観音(くわんおん)(くはんをん)火坑(くわけう)変成
池(へんじやうち)はいかに」と札(ふだ)を書(かき)て、大門(だいもん)の前(まへ)にたてたり
ければ、P114次日(つぎのひ)又(また)、「歴劫(りやくこふ)(りやくこう)不思議(ふしぎ)力(ちから)及(およ)(をよ)ばず」と、かへしの
P01057
札(ふだ)をぞう(ッ)たりける。衆徒(しゆと)かへりのぼりにければ、
一院(いちゐん)六波羅(ろくはら)より還御(くわんぎよ)なる。重盛卿(しげもりのきやう)斗(ばかり)ぞ御(おん)
ともにはまい(まゐ)【参】られける。父(ちち)の卿(きやう)はまい(まゐ)【参】られず。猶(なほ)(なを)
用心(ようじん)の為(ため)かとぞきこえし。重盛(しげもりの)卿(きやう)御送(おんおくり)(おんをくり)より
かへられたりければ、父(ちち)の大納言(だいなごん)のたまひけるは、「
一院(いちゐん)の御幸(ごかう)こそ大(おほき)に恐(おそ)れおぼゆれ。かけても
思食(おぼしめし)より仰(おほせ)らるる旨(むね)のあればこそ、かうはきこゆ
らめ。それにもうちとけ給(たまふ)まじ」とのたまへば、
P01058
重盛卿(しげもりのきやう)申(まう)されける、「此(この)事(こと)ゆめゆめ御(おん)けしき
にも、御詞(おんことば)にも出(いだ)させ給(たまふ)べからず。人(ひと)に心(こころ)づけ
がほに、中々(なかなか)あしき御事(おんこと)也(なり)。それにつけても、
叡慮(えいりよ)(ゑいりよ)に背(そむき)給(たま)はで、人(ひと)の為(ため)に御情(おんなさけ)をほど
こさせましまさば、神明(しんめい)三宝(さんぼう)加護(かご)あるべし。さらむに
と(ッ)ては、御身(おんみ)の恐(おそ)れ候(さうらふ)まじ」とてたたれければ、
「重盛卿(しげもりのきやう)はゆゆしく大様(おほやう)なるものかな」とぞ、父(ちち)の
卿(きやう)ものたまひける。一院(いちゐん)還御(くわんぎよ)(くはんぎよ)の後(のち)、御前(ごぜん)にうと
P01059
からぬ近習者達(きんじゆしやたち)あまた候(さうら)はれけるに、「さても
ふし議(ぎ)の事(こと)を申出(まうしいだ)したるものかな。露(つゆ)も思食(おぼしめし)
よらぬものを」と仰(おほせ)ければ、院中(ゐんぢゆう)(ゐんぢう)のきりものに
西光法師(さいくわうほふし)(さいくわうほうし)といふ者(もの)あり。境節(をりふし)(おりふし)御前(ごぜん)ちかう候(さうらひ)
けるが、「天(てん)に口(くち)なし、にん(人)をも(ッ)ていはせよと申(まうす)。
平家(へいけ)以外(もつてのほか)に過分(くわぶん)に候(さうらふ)あひだ、天(てん)の御(おん)ぱからひ
にや」とぞ申(まうし)ける。人々(ひとびと)「此(この)事(こと)よしなし。壁(かべ)に耳(みみ)あり。
おそろしおそろし」とぞ、P115申(まうし)あはれける。『東宮立(とうぐうだち)』S0110 さるほどに、其(その)年(とし)は
P01060
諒闇(りやうあん)なりければ、御禊(ごけい)大嘗会(だいじやうゑ)もおこなはれず。
同(おなじき)十二月(じふにぐわつ)廿四日(にじふしにち)、建春門院(けんしゆんもんゐん)、其比(そのころ)はいまだ東宮(とうぐう)【*東(ひがし)】の御
方(おかた)と申(まうし)ける、御腹(おんぱら)に一院(いちゐん)の宮(みや)のましましけるが、
親王(しんわう)の宣旨(せんじ)下(くだ)され給(たま)ふ。あくれば改元(かいげん)あ(ッ)て仁安(にんあん)と
号(かう)す。同年(どうねん)の十月(じふぐわつ)八日(やうかのひ)、去年(きよねん)親王(しんわう)の宣旨(せんじ)蒙(かうぶ)らせ
給(たまひ)し皇子(わうじ)、東三条(とうさんでう)にて春宮(とうぐう)にたたせ給(たま)ふ。春
宮(とうぐう)は御伯父(おんをぢ)(おんおぢ)六歳(ろくさい)、主上(しゆしやう)は御甥(おんをひ)(おんおい)三歳(さんざい)、詔目(ぜうもく)にあひ
かなはず。但(ただし)寛和(くわんわ)二年(にねん)に一条院(いちでうのゐん)七歳(しちさい)にて御即位(ごそくゐ)、
P01061
三条院(さんでうのゐん)十一(じふいつ)歳(さい)にて春宮(とうぐう)にたたせ給(たま)ふ。先例(せんれい)
なきにあらず。主上(しゆしやう)は二歳(にさい)にて御禅(おんゆづり)をうけさせ
給(たま)ひ、纔(わづか)に五歳(ごさい)と、申(まうし)二月(にぐわつ)十九日(じふくにち)、東宮(とうぐう)践祚(せんそ)
ありしかば、位(くらゐ)をすべらせ給(たまひ)て、新院(しんゐん)とぞ
申(まうし)ける。いまだ御元服(ごげんぶく)もなくして、太上天皇(だいじやうてんわう)の
尊号(そんがう)あり。漢家(かんか)本朝(ほんてう)是(これ)やはじめならむ。仁
九 安(にんあん)三年(さんねん)三月(さんぐわつ)廿日(はつかのひ)、新帝(しんてい)大極殿(だいこくでん)にして御即
位(ごそくゐ)あり。此(この)君(きみ)の位(くらゐ)につかせ給(たまひ)ぬるは、いよいよ平家(へいけ)の
P01062
栄花(えいぐわ)(ゑいぐわ)とぞみえ【見え】し。御母儀(おぼぎ)建春門院(けんしゆんもんゐん)と申(まうす)は、
平家(へいけ)の一門(いちもん)にてましますうへ、とりわき入道相
国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)の北方(きたのかた)、二位殿(にゐどの)の御妹(おんいもうと)(おんいもふと)也(なり)。平大納言(へいだいなごん)P116時忠卿(ときただのきやう)と申(まうす)も
女院(にようゐん)の御(おん)せうと【兄】なれば、内(うち)の御外戚(ごぐわいせき)なり。内外(ないげ)に
つけたる執権(しつけん)の臣(しん)とぞみえ【見え】し。叙位(じよゐ)除目(ぢもく)(じもく)と申(まうす)も
偏(ひとへ)に此(この)時忠卿(ときただのきやう)のままなり。楊貴妃(やうきひ)が幸(さいはひ)(さいわひ)し時(とき)、楊
国忠(やうこくちゆう)(やうこくちう)がさかへ(さかえ)【栄】しが如(ごと)し。世(よ)のおぼえ、時(とき)のきら、めでた
かりき。入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)天下(てんが)の大小事(だいせうじ)をのたまひあはせ
P01063
られければ、時(とき)の人(ひと)平関白(へいくわんばく)とぞ申(まうし)ける。『殿下(てんがの)乗合(のりあひ)』S0111 さるほどに、
嘉応(かおう)元年(ぐわんねん)七月(しちぐわつ)十六日(じふろくにち)、一院(いちゐん)御出家(ごしゆつけ)あり。御出
家(ごしゆつけ)の後(のち)も万機(ばんき)の政(まつりごと)をきこしめされしあひだ、
院(ゐん)内(うち)わく方(かた)なし。院中(ゐんぢゆう)(ゐんぢう)にちかくめしつかはるる
公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、上下(じやうげ)の北面(ほくめん)にいたるまで【迄】、官位(くわんゐ)(くはんゐ)捧
禄【俸禄】(ほうろく)皆(みな)身(み)にあまる斗(ばかり)なり。されども人(ひと)の心(こころ)のな
らひなれば、猶(なほ)(なを)あきだらで、「あ(ッ)ぱれ、其(その)人(ひと)のほろび
たらば其(その)国(くに)はあきなむ。其(その)人(ひと)うせたらば其(その)官(くわん)にはなりなむ」
P01064
な(ン)ど、うとからぬどちはよりあひよりあひささやき
あへり。法皇(ほふわう)(ほうわう)も内々(ないない)仰(おほせ)なりけるは、「昔(むかし)より代々(だいだい)の朝
敵(てうてき)をたいら(たひら)【平】ぐる者(もの)おほしといへども、いまだ加様(かやう)の
事(こと)なし。貞盛(さだもり)・秀里【*秀郷】(ひでさと)が将門(まさかど)をうち、頼義(よりよし)が貞
任(さだたふ)(さだたう)・宗任(むねたふ)(むねたう)をほろぼし、義家(よしいへ)が武平【*武衡】(たけひら)・家平【*家衡】(いへひら)をせめ
たりしも、勧賞(けんじやう)おP117こなはれし事(こと)、受領(じゆりやう)には
すぎざりき。清盛(きよもり)がかく心(こころ)のままにふるまう(ふるまふ)
こそしかるべからね。是(これ)も世(よ)末(すゑ)にな(ッ)て王法(わうぼふ)(わうぼう)のつき
P01065
ぬる故(ゆゑ)(ゆへ)なり」と仰(おほせ)なりけれども、つゐで(ついで)なければ御(おん)
いましめなし。平家(へいけ)も又(また)別(べつ)して、朝家(てうか)を恨(うらみ)奉(たてまつ)る
事(こと)もなかりしほどに、世(よ)のみだれそめける根本(こんぼん)は、
去(いん)じ嘉応(かおう)二年(にねん)十月(じふぐわつ)十六日(じふろくにち)、小松殿(こまつどの)の次男(じなん)新三位(しんざんみの)
中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)資盛卿(すけもりのきやう)、其(その)時(とき)はいまだ越前守(ゑちぜんのかみ)とて十三(じふさん)に
なられけるが、雪(ゆき)ははだれにふ(ッ)たりけり、枯野(かれの)の
けしき誠(まこと)に面白(おもしろ)かりければ、わかき侍(さぶらひ)ども卅(さんじつ)騎(き)
斗(ばかり)めし具(ぐ)して、蓮台野(れんだいの)や紫野(むらさきの)、右近馬場(うこんのばば)に
P01066
うち出(いで)て、鷹(たか)どもあまたすへ(すゑ)【据ゑ】させ、鶉(うづら)雲雀(ひばり)を
お(ッ)たて【追つ立て】お(ッ)たて【追つ立て】、終日(ひねもすに)かり暮(くら)し、薄暮(はくぼ)に及(および)(をよび)て六
波羅(ろくはら)へこそ帰(かへ)られけれ。其時(そのとき)の御摂禄(ごせつろく)は松殿(まつどの)
にてましましけるが、中御門(なかのみかど)東洞院(ひがしのとうゐん)の御所(ごしよ)より
御参内(ごさんだい)ありけり。郁芳門(いうはうもん)(ゆうはうもん)より入御(じゆぎよ)あるべきにて、
東洞院(ひがしのとうゐん)を南(みなみ)へ、大炊御門(おほいのみかど)を西(にし)へ御出(ぎよしゆつ)なる。資盛
朝臣(すけもりのあそん)、大炊御門猪熊(おほいみかどのゐのくま)にて、殿下(てんが)の御出(ぎよしゆつ)にはな
づき【鼻突】にまい(まゐ)【参】りあふ。御(お)ともの人々(ひとびと)「なに者(もの)ぞ、狼籍【*狼藉】(らうぜき)なり。
P01067
御出(ぎよしゆつ)のなるに、のりものよりおり候(さうら)へおり候(さうら)へ」といら(ッ)て
けれども、余(あま)りにほこりいさみ、世(よ)を世(よ)ともせざり
けり【*ける】うへ、めし具(ぐ)したる侍(さぶらひ)ども、皆(みな)廿(にじふ)より内(うち)の
わか者(もの)どもなり。礼儀(れいぎ)骨法(こつぽふ)弁(わきま)へたる者(もの)一人(いちにん)も
なし。殿下(てんが)の御出(ぎよしゆつ)ともいはず、一切(いつせつ)下馬(げば)の礼儀(れいぎ)
にも及(およ)(をよ)ばず、かけやぶ(ッ)てとほらむとする間(あひだ)、
くらさは闇(くら)し、つやつや入道(にふだう)(にうだう)の孫(まご)ともしらず、又(また)
少々(せうせう)はP118知(しり)たれどもそらしらずして、資盛朝臣(すけもりのあそん)を
P01068
はじめとして、侍(さぶらひ)ども皆(みな)馬(むま)よりと【取】(ッ)て引(ひき)おとし、
頗(すこぶ)る恥辱(ちじよく)に及(および)(をよび)けり。資盛朝臣(すけもりのあそん)はうはう(はふはふ)六波羅(ろくはら)へ
おはして、おほぢの相国禅門(しやうこくぜんもん)に此(この)由(よし)う(ッ)た【訴】へ申(まう)され
ければ、入道(にふだう)(にうだう)大(おほき)にいか(ッ)て、「たとひ殿下(てんが)なりとも、浄海(じやうかい)が
あたりをばはばかり給(たまふ)べきに、おさなき(をさなき)【幼き】者(もの)に左右(さう)
なく恥辱(ちじよく)をあたへられけるこそ遺恨(ゐこん)(いこん)の次第(しだい)
なれ。かかる事(こと)よりして、人(ひと)にはあざむかるるぞ。
此(この)事(こと)おもひ【思ひ】しらせたてまつらでは、えこそあるまじ
P01069
けれ。殿下(てんが)を恨(うらみ)奉(たてまつ)らばや」とのたまへば、重盛卿(しげもりのきやう)
申(まう)されけるは、「是(これ)はすこしもくる【苦】しう候(さうらふ)まじ。頼政(よりまさ)・
光基(みつもと)な(ン)ど申(まうす)源氏(げんじ)どもにあざむかれて候(さうら)はんは、
誠(まこと)に一門(いちもん)の恥辱(ちじよく)でも候(さうらふ)べし。重盛(しげもり)が子(こ)どもとて
候(さうら)はんずる者(もの)の、殿(との)の御出(ぎよしゆつ)にまい(まゐ)【参】り逢(あう)(あふ)て、
のりものよりおり候(さうら)はぬこそ尾籠(びろう)に候(さうら)へ」とて、其(その)時(とき)
事(こと)にあふ(あう)たる侍(さぶらひ)どもめしよせ、「自今以後(じごんいご)も、汝等(なんぢら)
能々(よくよく)心(こころ)うべし。あやま(ッ)て殿下(てんが)へ無礼(ぶれい)の由(よし)を
P01070
申(まう)さばやとこそおもへ【思へ】」とて帰(かへ)られけり。其後(そののち)
入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)、小松殿(こまつどの)には仰(おほせ)られもあはせず、片田舎(かたゐなか)
の侍(さぶらひ)どもの、こはらかにて入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)の仰(おほせ)より外(ほか)は、
又(また)おそろしき事(こと)なしと思(おも)ふ者(もの)ども、難波(なんば)・瀬尾(せのを)(せのお)を
はじめとして、都合(つがふ)(つがう)六十(ろくじふ)余人(よにん)召(めし)よせ、「来(きたる)廿
一日(にじふいちにち)、主上(しゆしやう)御元服(ごげんぶく)のさだめの為(ため)に、殿下(てんが)御出(ぎよしゆつ)
あるべかむなり。いづくにても待(まち)うけ奉(たてまつ)り、前
駆(せんぐ)御随身(みずいじん)どもがもとどP119りき(ッ)て、資盛(すけもり)が恥(はぢ)
P01071
すすげ」とぞのたまひける。殿下(てんが)是(これ)を夢(ゆめ)にも
しろしめさず、主上(しゆしやう)明年(みやうねん)(めうねん)御元服(ごげんぶく)、御加冠(ごかくわん)
拝官(はいくわん)の御(おん)さだめの為(ため)に、御直盧(ごちよくろ)に暫(しばら)く
御座(ござ)あるべきにて、常(つね)の御出(ぎよしゆつ)よりもひき
つくろはせ給(たま)ひ、今度(こんど)は待賢門(たいけんもん)より入御(じゆぎよ)
あるべきにて、中御門(なかのみかど)を西(にし)へ御出(ぎよしゆつ)なる。猪熊堀
河(ゐのくまほりかは)のへんに、六波羅(ろくはら)の兵(つはもの)ども、ひた【直】甲(かぶと)三百余
騎(さんびやくよき)待(まち)うけ奉(たてまつ)り、殿下(てんが)をなかにとり籠(こめ)まい(まゐ)【参】らせて、
P01072
前後(ぜんご)より一度(いちど)に、時(とき)をど(ッ)とぞつくりける。前駆(せんぐ)
御随身(みずいじん)どもがけふをはれとしやうぞひ(しやうぞい)【装束い】たるを、
あそこに追(おひ)(をひ)かけここに追(おつ)(をつ)つめ、馬(むま)よりと(ッ)て
引(ひき)おとし、さむざむ(さんざん)【散々】に陵礫(りようりやく)(れうりやく)して、一々(いちいち)にもと
どりをきる。随身(ずいじん)十人(じふにん)がうち、右(みぎ)の府生(ふしやう)武基(たけもと)が
もとどりもきられにけり。其(その)中(なか)に、藤蔵人
大夫(とうくらんどのたいふ)(とうくらんどのたゆう)隆教(たかのり)がもとどりをきるとて、「是(これ)は汝(なんぢ)が
もとどりと思(おも)ふべからず。主(しゆう)(しう)のもとどりと思(おも)ふべし」と
P01073
いひふくめてき(ッ)て(ン)げり。其後(そののち)は、御車(おんくるま)の内(うち)へも
弓(ゆみ)のはずつ【突】きいれ【入れ】な(ン)どして、簾(すだれ)かなぐりおとし、
御牛(おうし)の鞦(しりがい)・胸懸(むながい)きりはなち、かく散々(さんざん)にし
ちらして、悦(よろこび)の時(とき)をつくり、六波羅(ろくはら)へこそま
い(まゐ)【参】りけれ。入道(にふだう)(にうだう)「神妙(しんべう)なり」とぞのたまひける。御
車(おんくるま)ぞひには、因幡(いなば)のさい【先】使(つかひ)、鳥羽(とば)の国久丸(くにひさまる)と云(いふ)
おのこ(をのこ)【男】、下臈(げらう)なれどもなさけある者(もの)にて、泣々(なくなく)
御車(おんくるま)つか【仕】ま(ッ)て、中御門(なかのみかど)の御所(ごしよ)へ還御(くわんぎよ)なし奉(たてまつ)る。
P01074
束帯(そくたい)の御袖(おんそで)にて御涙(おんなみだ)ををさへ(おさへ)つつ、還御(くわんぎよ)の
儀式(ぎしき)あさましさ、申(まうす)も中々(なかなか)おろかなり。
大織冠(たいしよくくわん)(たいしよくくはん)・淡海公(たんかいこう)の御事(おんこと)はあげて申(まうす)に及(およば)(をよば)P120ず、
忠仁公(ちゆうじんこう)(ちうじんこう)・昭宣公(しやうぜんこう)より以降(このかた)、摂政(せつしやう)関白(くわんばく)(くはんばく)のかかる
御目(おんめ)にあはせ給(たま)ふ事(こと)、いまだ承及(うけたまはりおよば)(うけたまはりをよば)ず。是(これ)こそ
平家(へいけ)の悪行(あくぎやう)のはじめなれ。小松殿(こまつどの)こそ大(おほき)に
さは(さわ)【騒】がれけれ。ゆきむかひたる侍(さぶらひ)ども皆(みな)勘
当(かんだう)せらる。「たとひ入道(にふだう)(にうだう)いかなるふし議(ぎ)を下地(げぢ)し
P01075
給(たま)ふとも、など重盛(しげもり)に夢(ゆめ)をばみせ【見せ】ざりけるぞ。
凡(およそ)(をよそ)は資盛(すけもり)奇怪(きくわい)なり。栴檀(せんだん)は二葉(ふたば)よりかうばしと
こそみえ【見え】たれ。既(すで)に十二三(じふにさん)にならむずる者(もの)が、今(いま)は
礼儀(れいぎ)を存知(ぞんぢ)(ぞんち)してこそふるまう(ふるまふ)べきに、か様(やう)に
尾籠(びろう)を現(げん)じて、入道(にふだう)(にうだう)の悪名(あくみやう)をたつ。不孝(ふかう)の
いたり、汝(なんぢ)独(ひと)りにあり」とて、暫(しばら)くいせ【伊勢】の国(くに)に
を(ッ)(おつ)【追つ】くださる。されば此(この)大将(だいしやう)をば、君(きみ)も臣(しん)も御感(ぎよかん)
ありけるとぞきこえし。『鹿谷(ししのたに)』S0112 是(これ)によ(ッ)て、主上(しゆしやう)御
P01076
元服(ごげんぶく)の御(おん)さだめ、其(その)日(ひ)はのびさせ給(たまひ)ぬ。同(おなじき)
廿五日(にじふごにち)、院(ゐん)の殿上(てんじやう)にてぞ御元服(ごげんぶく)のさだめは
ありける。摂政殿(せつしやうどの)さてもわたらせ給(たまふ)べきな
らねば、同(おなじき)十一月(じふいちぐわつ)九日(ここのかのひ)、兼宣旨(けんせんじ)をかうぶり、十四日(じふしにち)太
政大臣(だいじやうだいじん)にあがらせ給(たま)ふ。やがて同(おなじき)十七日(じふしちにち)、慶申(よろこびまうし)
ありしかども、世中(よのなか)にがにがしうぞみえ【見え】し。さるほどに
ことしも暮(くれ)ぬ。あくれば嘉応(かおう)三年(さんねん)正月(しやうぐわつ)五日(いつかのひ)、
主上(しゆしやう)御元服(ごげんぶく)あッて、P121同(おなじき)十三日(じふさんにち)、朝覲(てうきん)の行幸(ぎやうがう)ありけり。
P01077
法皇(ほふわう)(ほうわう)・女院(にようゐん)待(まち)うけまい(まゐ)【参】らせ給(たまひ)て、叙爵(うひかうぶり)(うゐかうぶり)の
御粧(おんよそほひ)もいか斗(ばかり)らうたくおぼしめされけむ。
入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)の御娘(おんむすめ)、女御(にようご)にまい(まゐ)【参】らせ給(たま)ひけり。御年(おんとし)
十五歳(じふごさい)、法皇(ほふわう)(ほうわう)御猶子(ごゆうし)の儀(ぎ)なり。其比(そのころ)、妙音院(めうおんゐん)(めうをんゐん)殿(どの)の
太政(だいじやう)のおほいどの、内大臣(ないだいじん)の左大将(さだいしやう)にてましまし
けるが、大将(だいしやう)を辞(じ)し申(まう)させ給(たま)ふ事(こと)ありけり。
時(とき)に徳大寺(とくだいじ)の大納言(だいなごん)実定卿(しつていのきやう)、其(その)仁(にん)にあたり
給(たま)ふ由(よし)きこゆ。又(また)花山院(くわさんのゐん)の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)兼雅卿(かねまさのきやう)も
P01078
所望(しよまう)あり。其(その)外(ほか)、故中御門(こなかのみかど)の藤(とうの)大納言(だいなごん)家成卿(かせいのきやう)の
三男(さんなん)、新大納言(しんだいなごん)成親卿(なりちかのきやう)もひらに申(まう)されけり。院(ゐん)の
御気色(ごきしよく)よかりければ、さまざまの祈(いのり)をぞはじめ
られける。八幡(やはた)に百人(ひやくにん)の僧(そう)をこめて、信読(しんどく)の大
般若(だいはんにや)を七日(しちにち)よませられける最中(さいちゆう)(さいちう)に、甲良(かうら)(かはら)の大明
神(だいみやうじん)(だいめうじん)の御(おん)まへなる橘(たちばな)の木(き)に、男山(をとこやま)(おとこやま)の方(かた)より山鳩(やまばと)三(みつ)
飛来(とびきたつ)て、くひあひてぞ死(しに)にける。鳩(はと)は八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の
第一(だいいち)の仕者(ししや)なり。宮寺(みやてら)にかかるふしぎなしとて、時(とき)の
P01079
検校(けんげう)、匡清法印(きやうせいほふいん)(きやうせいほうゐん)奏聞(そうもん)す。神祇官(じんぎくわん)にして御占(みうら)
あり。天下(てんが)のさは(さわ)【騒】ぎとうらなひ申(まうす)。但(ただし)、君(きみ)のつつしみに
非(あら)ず、臣下(しんか)のつつしみとぞ申(まうし)ける。新大納言(しんだいなごん)
是(これ)におそれをもいたさず、昼(ひる)は人目(ひとめ)のしげ
ければ、夜(よ)なよな歩行(ほかう)にて、中御門烏丸(なかのみかどからすまる)の宿
所(しゆくしよ)より賀茂(かも)の上(かみ)の社(やしろ)へ、なな夜(よ)つづけてまい(まゐ)【参】られ
けり。なな【七】夜(よ)に満(まん)ずる夜(よ)、宿所(しゆくしよ)に下向(げかう)して、
くる【苦】しさにうちふし、ち(ッ)とまどろみ給(たま)へる夢(ゆめ)に、
P01080
賀茂(かも)の上(かみ)の社(やしろ)へまい(まゐ)【参】りたるとおぼしくて、P122御宝殿(ごほうでん)の
御戸(みと)おしひらき、ゆゆしくけだかげなる御声(みこゑ)にて、
さくら花(ばな)かもの河風(かはかぜ)うらむなよ
ちるをばえこそとどめざりけれ W006
新大納言(しんだいなごん)猶(なほ)(なを)おそろれ【*おそれ】をもいたさず、かも【賀茂】の上(かみ)の
社(やしろ)に、ある聖(ひじり)をこめて、御宝殿(ごほうでん)の御(おん)うしろなる
杉(すぎ)の洞(ほら)に壇(だん)をたてて、拏吉尼(だぎに)の法(ほふ)(ほう)を百日(ひやくにち)
おこなはせられけるほどに、彼(かの)大椙(おほすぎ)に雷(いかづち)おち
P01081
かかり、雷火(らいくわ)緩(おびたたし)うもえあが(ッ)て、宮中(きゆうちゆう)(きうちう)既(すで)にあや
うく(あやふく)みえけるを、宮人(みやびと)どもおほく走(はしり)あつま(ッ)て、
是(これ)をうちけつ。さて彼(かの)外法(げほう)おこなひける
聖(ひじり)を追出(ついしゆつ)せむとしければ、「われ当社(たうしや)に百
日(ひやくにち)参籠(さんろう)の大願(だいぐわん)あり。けふは七十五日(しちじふごにち)になる。ま(ッ)たく
いづまじ」とてはたらかず。此(この)由(よし)を社家(しやけ)より
内裏(だいり)へ奏聞(そうもん)しければ、「只(ただ)法(ほふ)(ほう)にまかせて追出(ついしゆつ)
せよ」と宣旨(せんじ)を下(くだ)さる。其(その)時(とき)神人(じんにん)しら杖(つゑ)(つえ)をも(ッ)て、
P01082
彼(かの)聖(ひじり)がうなじをしらげ、一条(いちでう)の大路(おほち)より南(みなみ)へ
おひ【追ひ】だして(ン)げり。神(かみ)非礼(ひれい)を享(うけ)給(たま)はずと
申(まうす)に、此(この)大納言(だいなごん)非分(ひぶん)の大将(だいしやう)を祈(いのり)申(まう)されければ
にや、かかるふしぎ【不思議】もいできにけり。其比(そのころ)の
叙位(じよゐ)除目(ぢもく)と申(まうす)は、院(ゐん)内(うち)の御(おん)ぱからひにも
非(あら)ず、摂政(せつしやう)関白(くわんばく)(くはんばく)の御成敗(ごせいばい)にも及(およ)(をよ)ばず。只(ただ)一向(いつかう)
平家(へいけ)のままにてありしかば、徳大寺(とくだいじ)・花山院(くわさんのゐん)(くはさんのゐん)もなり
給(たま)はず。入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)の嫡男(ちやくなん)小松殿(こまつどの)、大納言(だいなごん)の右大将(うだいしやう)にて
P01083
おはしけるが、左(さ)にうつりて、次男(じなん)宗盛(むねもり)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)に
ておはせしが、数輩(すはい)の上臈(じやうらう)を超越(てうをつ)(てうおつ)して、右(みぎ)に
くははられP123けるこそ、申(まうす)斗(はかり)もなかりしか。中(なか)にも徳大
寺殿(とくだいじどの)は一(いち)の大納言(だいなごん)にて、花族(くわそく)(くはソク)栄耀(えいゆう)(ゑいゆう)、才学(さいかく)雄長(ゆうちやう)、
家嫡(けちやく)(ケちやく)にてましましけるが、超(こえ)られ給(たまひ)けるこそ遺
恨(ゐこん)(いこん)なれ。「さだめて御出家(ごしゆつけ)な(ン)どやあらむずらむ」と、
人々(ひとびと)内々(ないない)は申(まうし)あへりしかども、暫(しばらく)世(よ)のならむ
様(やう)をもみ【見】むとて、大納言(だいなごん)を辞(じ)し申(まうし)て、籠居(ろうきよ)とぞ
P01084
きこえし。新大納言(しんだいなごん)成親卿(なりちかのきやう)のたまひけるは、
十一 「徳大寺(とくだいじ)・花山院(くわさんのゐん)(くはさんのゐん)に超(こえ)られたらむはいかがせむ。平家(へいけ)の
次男(じなん)に超(こえ)らるるこそやすからね。是(これ)も万[B ツ](よろづ)おもふ【思ふ】
さまなるがいたす所(ところ)なり。いかにもして平家(へいけ)を
ほろぼし、本望(ほんまう)をとげむ」とのたまひけるこそ
おそろしけれ。父(ちち)の卿(きやう)は中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)まで【迄】こそいた
られしか、其(その)末子(ばつし)にて位(くらゐ)正二位(じやうにゐ)、官(くわん)大納言(だいなごん)に
あがり、大国(だいこく)あまた給(たま)は(ッ)て、子息(しそく)所従(しよじゆう)(しよじう)朝恩(てうおん)(てうをん)に
P01085
ほこれり。何(なに)の不足(ふそく)にかかる心(こころ)つかれけむ。是(これ)偏(ひとへ)に
天魔(てんま)の所為(しよゐ)とぞみえ【見え】し。平治(へいぢ)には越後中将(ゑちごのちゆうじやう)(ゑちごのちうじやう)とて、
信頼卿(のぶよりのきやう)に同心(どうしん)のあひだ、既(すで)に誅(ちゆう)(ちう)せらるべかり
しを、小松殿(こまつどの)やうやうに申(まうし)て頸(くび)をつぎ給(たま)へり。
しかるに其(その)恩(おん)(をん)をわすれ【忘れ】て、外人(ぐわいじん)もなき所(ところ)に
兵具(ひやうぐ)をととのへ、軍兵(ぐんびやう)をかたらひをき(おき)、其(その)営(いとな)みの
外(ほか)は他事(たじ)なし。東山(ひがしやま)のふもと【麓】鹿(しし)の谷(たに)と云(いふ)所(ところ)は、
うしろは三井寺(みゐでら)につづいてゆゆしき城郭(じやうくわく)にてぞ
P01086
ありける。俊寛僧都(しゆんくわんそうづ)(しゆんくはんそうづ)の山庄(さんざう)あり。かれにつねは
よりあひよりあひ、平家(へいけ)ほろP124ぼさむずるはかりことをぞ
廻(めぐ)らしける。或時(あるとき)法皇(ほふわう)(ほうわう)も御幸(ごかう)なる。故少納言入道(こせうなごんにふだう)(こせうなごんにうだう)
信西(しんせい)が子息(しそく)、浄憲法印(じやうけんほふいん)(じやうけんほうゐん)御供(おんとも)仕(つかまつ)る。其(その)夜(よ)の酒宴(しゆえん)に、
此(この)由(よし)を浄憲法印(じやうけんほふいん)(じやうけんほうゐん)に仰(おほせ)あはせられければ、「あなあ
さまし。人(ひと)あまた承(うけたまはり)候(さうらひ)ぬ。只今(ただいま)もれきこえて、
天下(てんが)の大事(だいじ)に及(および)(をよび)候(さうらひ)なむず」と、大(おほき)にさは(さわ)【騒】ぎ申(まうし)
ければ、新大納言(しんだいなごん)けしきかはりて、さ(ッ)とたたれけるが、
P01087
御前(ごぜん)に候(さうらひ)ける瓶子(へいじ)をかり【狩】衣(ぎぬ)の袖(そで)にかけて引(ひき)
たう(たふ)【倒ふ】されたりけるを、法皇(ほふわう)(ほうわう)「あれはいかに」と仰(おほせ)
ければ、大納言(だいなごん)立(たち)かへり【帰り】て、「平氏(へいじ)たはれ候(さうらひ)ぬ」とぞ
申(まう)されける。法皇(ほふわう)(ほうわう)ゑつぼにいらせおはして、「者(もの)ども
まい(まゐ)【参】(ッ)て猿楽(さるがく)つかまつれ」と仰(おほせ)ければ、平判官(へいはんぐわん)(へいはんぐはん)康
頼(やすより)まい(まゐ)【参】りて、「ああ、あまりに平氏(へいじ)のおほう候(さうらふ)に、
もて酔(ゑひ)(えひ)て候(さうらふ)」と申(まうす)。俊寛僧都(しゆんくわんそうづ)「さてそれをば
いかが仕(つかまつ)らむずる」と申(まう)されければ、西光法師(さいくわうほふし)(さいくわうほうし)「頸(くび)を
P01088
とるにはしかず」とて、瓶子(へいじ)のくびをと(ッ)てぞ
入(いり)にける。浄憲法印(じやうけんほふいん)(じやうけんほうゐん)あまりのあさましさに、
つやつや物(もの)を申(まう)されず。返々(かへすがへす)もおそろしかりし
事(こと)どもなり。与力(よりき)の輩(ともがら)誰々(たれたれ)ぞ。近江中将(あふみのちゆうじやう)(あふみのちうじやう)入道(にふだう)(にうだう)
蓮浄(れんじやう)俗名(ぞくみやう)成正(なりまさ)、法勝寺執行(ほつしようじのしゆぎやう)(ほつせうじのしゆぎやう)俊寛僧都(しゆんくわんそうづ)、
山城守(やましろのかみ)基兼(もとかぬ)、式部大輔(しきぶのたいふ)雅綱(まさつな)、平判官(へいはんぐわん)康頼(やすより)、
宗判官(むねはんぐわん)信房(のぶふさ)、新平判官(しんぺいはんぐわん)資行(すけゆき)、摂津国(つのくにの)源氏(げんじ)
多田蔵人(ただのくらんど)行綱(ゆきつな)を始(はじめ)として、北面(ほくめん)の輩(ともがら)おほく
P01089
与力(よりき)したりけり。P125『俊寛(しゆんくわんの)(しゆんかんの)沙汰(さた)鵜川軍(うかはいくさ)』S0113 此(この)法勝寺(ほつしようじ)(ほつせうじ)の執行(しゆぎやう)と申(まうす)は、
京極(きやうごく)の源(げん)大納言(だいなごん)雅俊(がしゆん)の卿(きやう)の孫(まご)、木寺(こでら)の法印(ほふいん)(ほうゐん)
寛雅(くわんが)(くはんが)には子(こ)なりけり。祖父(そぶ)大納言(だいなごん)させる弓箭(きゆうせん)(きうせん)を
とる家(いへ)にはあらねども、余(あまり)に腹(はら)あしき人(ひと)にて、三
条坊門京極(さんでうばうもんきやうごく)の宿所(しゆくしよ)のまへをば、人(ひと)をもやすく
とほさず、つねは中門(ちゆうもん)(ちうもん)にたたずみ、歯(は)をくひしばり、
いか(ッ)てぞおはしける。かかる人(ひと)の孫(まご)なればにや、
此(この)俊寛(しゆんくわん)も僧(そう)なれども、心(こころ)もたけく、おご【奢】れる
P01090
人(ひと)にて、よしなき謀叛(むほん)にもくみしけるにこそ。
新大納言(しんだいなごん)成親卿(なりちかのきやう)は、多田蔵人(ただのくらんど)行綱(ゆきつな)をよ【呼】うで、
「御(ご)へんをば一方(いつぱう)(いつぽう)の大将(たいしやう)に憑(たのむ)なり。此(この)事(こと)[B し]おほせ
つるものならば、国(くに)をも庄(しやう)をも所望(しよまう)によるべし。
まづ弓袋(ゆぶくろ)の料(れう)に」とて、白布(しろぬの)五十(ごじつ)端(たん)送(おく)(をく)られけり。
安元(あんげん)三年(さんねん)三月(さんぐわつ)五日(いつかのひ)、妙音院殿(めうおんゐんどの)(めうをんゐんどの)、太政(だいじやう)大臣(だいじん)に
転(てん)じ給(たま)へるかはりに、大納言(だいなごん)定房卿(さだふさのきやう)をこえて、
小松殿(こまつどの)、内大臣(ないだいじん)になり給(たま)ふ。大臣(だいじん)の大将(だいしやう)めでたかりき。
P01091
やがて大饗(たいきやう)おこなはる。尊者(そんじや)には、大炊御門右大臣(おほいのみかどのうだいじん)
経宗公(つねむねこう)とぞきこえし。一(いち)のかみ【上】こそ先達(せんだち)なれども、
父(ちち)宇治(うぢ)の悪左府(あくさふ)の御例(ごれい)其(その)憚(はばかり)あり。北面(ほくめん)は上古(しやうこ)には
なかりけり。白河院(しらかはのゐん)の御時(おんとき)はじめをか(おか)【置か】れてより
以降(このかた)、衛府(ゑふ)どP126もあまた候(さうらひ)けり。為俊(ためとし)・重盛(しげもり)【*盛重(もりしげ)】
童(わらは)より千手丸(せんじゆまる)・今犬丸(いまいぬまる)とて、是等(これら)は左右(さう)なききり
ものにてぞありける。鳥羽院(とばのゐん)の御時(おんとき)も、季教(すゑのり)・季頼(すゑより)
父子(ふし)ともに朝家(てうか)にめしつかはれ、伝奏(てんそう)するおり(をり)も
P01092
ありな(ン)どきこえしかども、皆(みな)身(み)のほどをばふる
まうてこそありしに、此(この)御時(おんとき)の北面(ほくめん)の輩(ともがら)は、
以外(もつてのほか)に過分(くわぶん)にて、公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)をも者(もの)とも
せず、礼儀(れいぎ)礼節(れいせつ)もなし。下北面(げほくめん)より上北面(じやうほくめん)に
あがり、上北面(じやうほくめん)より殿上(てんじやう)のまじはりをゆるさるる
者(もの)もあり。かくのみおこなはるるあひだ、おご【奢】れる
心(こころ)どもも出(いで)きて、よしなき謀叛(むほん)にもくみ
しけるにこそ。中(なか)にも故少納言(こせうなごん)信西(しんせい)がもとに
P01093
めしつかひける師光(もろみつ)・成景(なりかげ)と云(いふ)者(もの)あり。師光(もろみつ)は
阿波国(あはのくに)の在庁、(ざいちやう)、成景(なりかげ)は京(きやう)の者(もの)、熟根(じゆつこん)いやしき
下臈(げらう)なり。健児童(こんでいわらは)もし【若】は格勤者(かくごしや)な(ン)どにて
召(めし)つかはれけるが、さかざかしかりしによ(ッ)て、師光(もろみつ)は
左衛門尉(さゑもんのじよう)(さゑもんのぜう)、成景(なりかげ)は右衛門尉(うゑもんのじよう)(うゑもんのぜう)とて、二人(ににん)一度(いちど)に
靭負尉(ゆぎへのじよう)(ゆぎえのぜう)になりぬ。信西(しんせい)が事(こと)にあひし時(とき)、二人(ににん)
ともに出家(しゆつけ)して、左衛門入道(さゑもんにふだう)(さゑもんにうだう)西光(さいくわう)・右衛門入道(うゑもんにふだう)(うゑもんにうだう)
西敬(さいけい)とて、是(これ)は出家(しゆつけ)の後(のち)も院(ゐん)の御倉(みくら)あづかり
P01094
にてぞありける。彼(かの)西光(さいくわう)が子(こ)に師高(もろたか)と云(いふ)者(もの)
あり。是(これ)もきり者(もの)にて、検非違使(けんびゐし)(けんびいし)五位尉(ごゐのじよう)(ごゐのぜう)に
経(へ)あが(ッ)て、安元(あんげん)元年(ぐわんねん)(ぐはんねん)十二月(じふにぐわつ)(じふにンぐわつ)二十九日(にじふくにち)、追儺(ついな)(つゐな)の除目(ぢもく)に
加賀守(かがのかみ)にぞなされける。国務(こくむ)ををこなふ(おこなふ)間(あひだ)(あいだ)、非
法(ひほふ)(ひほう)非例(ひれい)を張行(ちやうぎやう)し、神社(じんじや)仏寺(ぶつじ)、権門(けんもん)勢家(せいか)の
庄領(しやうりやう)を没倒(もつたう)し、散々(さんざん)の事(こと)どもにてぞありける。縦(たとひ)せうこう【召公】があとをへだつと云(いふ)とも、穏便(をんびん)の
政(まつりごと)おこP127なふべかりしが、心(こころ)のままにふるまひしほどに、
P01095
同(おなじき)二年(にねん)夏(なつ)の比(ころ)、国司(こくし)師高(もろたか)が弟(おとと)、近藤判官(こんどうのはんぐわん)師経(もろつね)、
加賀(かが)の目代(もくだい)に補(ふ)せらる。目代(もくだい)下着(げちやく)の始(はじめ)、国府(こくふ)の
へんに鵜河(うかは)と云(いふ)山寺(やまでら)あり。寺僧(じそう)どもが境節(をりふし)(おりふし)
湯(ゆ)をわかひ(わかい)てあびけるを、乱入(らんにふ)(らんにう)しておいあげ、
わが身(み)あび、雑人(ざふにん)(ざうにん)どもおろし、馬(むま)あらはせな(ン)ど
しけり。寺僧(じそう)いかりをなして、「昔(むかし)より、此(この)所(ところ)は
国方(くにがた)の者(もの)入部(にふぶ)(にうぶ)する事(こと)なし。すみやかに
先例(せんれい)にまかせ【任】て、入部(にふぶ)(にうぶ)の押妨(あふはう)をとどめよ」とぞ
P01096
申(まうし)ける。「先々(さきざき)の目代(もくだい)は不覚(ふかく)でこそいやしまれ
たれ。当目代(たうもくだい)は、其(その)儀(ぎ)あるまじ。只(ただ)法(ほふ)(ほう)に任(まかせ)よ」と
云(いふ)ほどこそありけれ、寺僧(じそう)どもは国(くに)がたの者(もの)を
追出(ついしゆつ)(つゐしゆつ)せむとす、国(くに)がた【方】の者(もの)どもは次(ついで)(つゐで)をも(ッ)て乱入(らんにふ)(らんにう)
せむとす、うちあひはりあひしけるほどに、
目代(もくだい)師経(もろつね)が秘蔵(ひさう)しける馬(むま)の足(あし)をぞうちおり(をり)ける。
其後(そののち)は互(たがひ)に弓箭(きゆうせん)(きうせん)兵杖【*兵仗】(ひやうぢやう)を帯(たい)して、射(い)(ゐ)あひ
きりあひ数剋(すこく)たたかふ。目代(もくだい)かなはじとや思(おもひ)けん、
P01097
夜(よ)に入(いり)て引退(ひきしりぞ)く。其後(そののち)当国(たうごく)の在庁(ざいちやう)ども催(もよほ)し
あつめ、其(その)勢(せい)一千余騎(いつせんよき)、鵜河(うかは)におしよせて、坊舎(ばうじや)
一宇(いちう)ものこさず焼(やき)はらふ。鵜河(うかは)と云(いふ)は白山(しらやま)の
末寺(まつじ)なり。此(この)事(こと)う(ッ)たへんとてすすむ老僧(らうそう)
誰々(たれたれ)ぞ。智釈(ちしやく)・学明(がくめい)・宝台坊(ほうだいばう)、正智(しやうち)・学音(がくおん)(がくをん)・土佐
阿闍梨(とさのあじやり)ぞすすみける。白山(しらやま)三社(さんじや)八院(はちゐん)の大衆(だいしゆ)悉(ことごと)く
起(おこ)りあひ、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)二千余(にせんよ)人(にん)、七月(しちぐわつ)九日(ここのかのひ)の
暮方(くれがた)に、目代(もくだい)師経(もろつね)が館(たち)ちかう〔こ〕そおしよせたれ。
P01098
けふは日(ひ)暮(くれ)ぬ、あすのいくさとさだめて、其(その)日(ひ)は
よせでゆらへたり。露(つゆ)ふきむすぶ秋風(あきかぜ)は、
ゐ(い)P128むけの袖(そで)を翻(ひるがへ)し、雲井(くもゐ)をてらすいな
づまは、甲(かぶと)の星(ほし)をかかやかす。目代(もくだい)かなはじとや
思(おもひ)けむ、夜(よ)にげにして京(きやう)へのぼる。あくる
卯剋(うのこく)におしよせて、時(とき)をど(ッ)とつくる。城(しろ)の
うちには音(おと)もせず。人(ひと)をいれ【入れ】てみせ【見せ】ければ、
「皆(みな)落(おち)て候(さうらふ)」と申(まうす)。大衆(だいしゆ)力(ちから)及(およ)(をよ)ばで引退(ひきしりぞ)く。さらば
P01099
山門(さんもん)へう(ッ)たへんとて、白山中宮(しらやまちゆうぐう)(しらやまちうぐう)の神輿(しんよ)を
賁(かざ)り奉(たてまつ)り、比叡山(ひえいさん)へふりあげ奉(たてまつ)る。同(おなじき)八月(はちぐわつ)十
二日(じふににち)の午剋(むまのこく)斗(ばかり)、白山(しらやま)の神輿(しんよ)既(すで)に比叡山(ひえいさん)東
坂本(ひがしざかもと)につかせ給(たま)ふと云(いふ)ほどこそありけれ、北国(ほつこく)の
方(かた)より雷(いかづち)緩(おびたたし)う鳴(なつ)て、都(みやこ)をさしてなりのぼる。
白雪(はくせつ)くだりて地(ち)をうづみ、山上(さんじやう)洛中(らくちゆう)(らくちう)おしなべて、
常葉(ときは)の山(やま)の梢(こずゑ)まで皆(みな)白妙(しろたへ)(しろたえ)に成(なり)にけり。『願立(ぐわんだて)』S0114 神
輿(しんよ)をば客人(まらうと)(まらふと)の宮(みや)へいれ【入れ】たてまつる。客人(まらうと)(まらふと)と申(まうす)は
P01100
白山妙利権現(しらやまめうりごんげん)にておはします。申(まう)せば父子(ふし)の
御中(おんなか)なり。先(まづ)沙汰(さた)の成否(じやうふ)はしらず、生前(しやうぜん)の
御悦(おんよろこび)、只(ただ)此(この)事(こと)にあり。浦島(うらしま)が子(こ)の七世(しつせ)の孫(まご)に
あへりしにもすぎ、胎内(たいない)の者(もの)の霊山(りやうぜん)の父(ちち)を
み【見】しにもこえたり。三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)踵(くびす)を継(つ)ぎ、七社(しちしや)の
神人(じんにん)袖(そで)をつらぬ。時々剋々(じじこくこく)の法施(ほつせ)P129祈念(きねん)、
言語道断(ごんごだうだん)の事(こと)どもなり。山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)、国司(こくし)
加賀守(かがのかみ)師高(もろたか)を流罪(るざい)に処(しよ)せられ、目代(もくだい)近藤(こんどうの)
P01101
判官(はんぐわん)(はんぐはん)師経(もろつね)を禁獄(きんごく)せらるべき由(よし)奏聞(そうもん)す。御
十二 裁断(ごさいだん)おそかりければ、さも然(しか)るべき公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)は、
「あはれとく御裁許(ごさいきよ)あるべきものを。昔(むかし)より
山門(さんもん)の訴詔【*訴訟】(そしよう)(そせう)は他(た)に異(こと)なり。大蔵卿(おほくらのきやう)為房(ためふさ)・太宰
権帥(ださいのごんのそつ)季仲(すゑなか)は、さしも朝家(てうか)の重臣(てうしん)なりしかども、
山門(さんもん)の訴詔【*訴訟】(そしよう)(そせう)によ(ッ)て流罪(るざい)せられにき。况(いはん)や
師高(もろたか)な(ン)どは事(こと)の数(かず)にやはあるべきに、子細(しさい)にや及(およぶ)(をよぶ)べき」
と申(まうし)あはれけれども、「大臣(たいしん)は禄(ろく)を重(おもん)じて諫(いさ)めず、
P01102
小臣(せうしん)は罪(つみ)に恐(おそ)れて申(まう)さず」と云(いふ)事(こと)なれば、をのをの(おのおの)
口(くち)をとぢ給(たま)へり。「賀茂河(かもがは)の水(みづ)、双六(すごろく)の賽(さい)、山
法師(やまぼふし)(やまぼうし)、是(これ)ぞわが心(こころ)にかなはぬもの」と、白河院(しらかはのゐん)も仰(おほせ)
なりけり。鳥羽院(とばのゐんの)御時(おんとき)、越前(ゑちぜん)の平泉寺(へいせんじ)を
山門(さんもん)へつけられけるには、当山(たうざん)を帰依(きえ)(きゑ)あさ
からざるによ(ッ)て、「非(ひ)をも(ッ)て理(り)とす」とこそ宣下(せんげ)
せられて、院宣(ゐんぜん)をば下(くだ)されけり。江帥(がうぞつ)匡房
卿(きやうばうのきやう)の申(まう)されし様(やう)に、「神輿(しんよ)を陣頭(ぢんどう)へふり
P01103
奉(たてまつり)てう(ッ)たへ申(まう)さむには、君(きみ)いかが御(おん)ぱからひ
候(さうらふ)べき」と申(まう)されければ、「げにも山門(さんもん)の訴詔【*訴訟】(そしよう)(そせう)は
もだしがたし」とぞ仰(おほせ)ける。去(いん)じ嘉保(かほう)二年(にねん)
三月(さんぐわつ)二日(ふつかのひ)、美濃守(みののかみ)源義綱朝臣(みなもとのよしつなのあそん)、当国(たうごく)新立(しんりふ)(しんりう)の
庄(しやう)をたを(たふ)【倒】すあひだ、山(やま)の久住者(くぢゆうしや)(くぢうしや)円応(ゑんおう)(えんおう)を殺
害(せつがい)す。是(これ)によ(ッ)て日吉(ひよしの)の社司(しやじ)、延暦寺(えんりやくじの)の寺官(じくわん)、都
合(つがふ)(つがう)卅(さんじふ)余(よ)P130人(にん)、申文(まうしぶみ)をささげて陣頭(ぢんどう)へ参(さん)じけるを、
後二条関白殿(ごにでうのくわんばくどの)、大和源氏(やまとげんじ)中務権少輔(なかづかさのごんのせう)頼春(よりはる)に
P01104
仰(おほせ)てふせ【防】かせらる。頼春(よりはる)が郎等(らうどう)(らうだう)箭(や)をはなつ。
やにはにゐころ(いころ)【射殺】さるる者(もの)八人(はちにん)、疵(きず)を蒙(かうぶ)る者(もの)十(じふ)余
人(よにん)、社司(しやし)諸司(しよし)四方(しはう)へちりぬ。山門(さんもん)の上綱等(じやうかうら)、子細(しさい)を
奏聞(そうもん)の為(ため)に下洛(げらく)すときこえしかば、武士(ぶし)検
非違使(けんびゐし)(けんびいし)、西坂本(にしざかもと)に馳向(はせむかつ)て、皆(みな)お(ッ)かへす。山門(さんもん)には
御裁断(ごさいだん)遅々(ちち)のあひだ、七社(しちしや)の神輿(しんよ)を根本
中堂(こんぼんちゆうだう)(こんぼんちうだう)にふりあげ奉(たてまつ)り、其(その)御前(おんまへ)にて信読(しんどく)の
大般若(だいはんにや)を七日(しちにち)よ【読】うで、関白殿(くわんばくどの)を呪咀(しゆそ)し奉(たてまつ)る。結願(けちぐわん)の
P01105
導師(だうし)には仲胤法印(ちゆういんほふいん)(ちうゐんほうゐん)、其比(そのころ)はいまだ仲胤供奉(ちゆういんぐぶ)(ちうゐんぐぶ)と
申(まうし)しが、高座(かうざ)にのぼりかねうちならし、表白(へうひやく)の
詞(ことば)にいはく、「我等(われら)なたねの二葉(ふたば)よりおほしたて
給(たま)ふ神(かみ)だち、後[B 二]条(ごにでう)の関白殿(くわんばくどの)に鏑箭(かぶらや)一(ひとつ)はなち
あて給(たま)へ。大八王子権現(だいはちわうじごんげん)」と、た〔か〕らかにぞ祈誓(きせい)し
たりける。やがて其(その)夜(よ)ふしぎ【不思議】の事(こと)あり。八王子(はちわうじ)の
御殿(ごてん)より鏑箭(かぶらや)の声(こゑ)いでて、王城(わうじやう)をさして、な【鳴】(ッ)て
行(ゆく)とぞ、人(ひと)の夢(ゆめ)にはみたりける。其(その)朝(あした)、関白殿(くわんばくどの)の
P01106
御所(ごしよ)の御格子(みかうし)をあけけるに、只今(ただいま)山(やま)よりと(ッ)て
きたるやうに、露(つゆ)にぬれたる樒(しきみ)一枝(ひとえだ)、た(ッ)たり
けるこそおそろしけれ。やがて山王(さんわう)の御(おん)とがめとて、
後二条(ごにでう)の関白殿(くわんばくどの)、おもき御病(おんやまふ)をうけさせ給(たまひ)し
かば、母(はは)うへ、大殿(おほとの)の北(きた)の政所(まんどころ)、大(おほき)になげかせ給(たまひ)つつ、
御(おん)さまをやつし、いやしき下臈(げらう)のまねをして、
日吉社(ひよしのやしろ)に御参籠(ごさんろう)あ(ッ)て、七日七夜(なぬかななよ)P131が間(あひだ)(あいだ)祈(いのり)
申(まう)させ給(たまひ)けり。あらはれての御祈(おんいのり)には、百番(ひやくばん)の
P01107
芝田楽(しばでんがく)、百番(ひやくばん)のひとつもの、競馬(けいば)・流鏑馬(やぶさめ)・相撲(すまふ)
をのをの(おのおの)百番(ひやくばん)、百座(ひやくざ)の仁王講(にんわうかう)、百座(ひやくざ)の薬師講(やくしかう)、
一■手半(いつちやくしゆはん)の薬師(やくし)百体(ひやくたい)、等身(とうじん)の薬師(やくし)一体(いつたい)、並(ならび)に
釈迦(しやか)阿弥陀(あみだ)の像(ざう)、をのをの(おのおの)造立供養(ざうりふくやう)(ざうりうくやう)せられけり。
又(また)御心中(ごしんぢゆう)(ごしんぢう)に三(みつ)の御立願(ごりふぐわん)(ごりうぐわん)あり。御心(おんこころ)のうちの事(こと)
なれば、人(ひと)いかでかしり【知り】奉(たてまつ)るべき。それにふしぎ【不思議】
なりし事(こと)は、七日(なぬか)に満(まん)ずる夜(よ)、八王子(はちわうじ)の御社(おんやしろ)に
いくらもありけるまいりうど(まゐりうど)【参人】共(ども)のなかに、陸奥(みちのく)より
P01108
はるばるとのぼりたりける童神子(わらはみこ)、夜半(やはん)斗(ばかり)
にはかにたえ入(いり)にけり。はるかにかき出(いだ)して
祈(いのり)ければ、程(ほど)なくいきいでて、やがて立(た)(ッ)てまひ
かな【奏】づ。人(ひと)奇特(きどく)のおもひ【思】をなして是(これ)をみる【見る】。
半時(はんじ)斗(ばかり)舞(まう)(まふ)て後(のち)、山王(さんわう)おりさせ給(たまひ)て、やうやう
御詫宣(ごたくせん)こそおそろしけれ。「衆生等(しゆじやうら)慥(たしか)に
うけ給(たま)はれ。大殿(おほとの)の北(きた)の政所(まんどころ)、けふ七日(なぬか)わが
御前(おんまへ)に籠(こも)らせ給(たまひ)たり。御立願(ごりふぐわん)(ごりうぐわん)三(みつ)あり。一(ひとつ)には、
P01109
今度(こんど)殿下(てんが)の寿命(じゆみやう)をたすけてたべ。さも候(さぶら)
はば、したどの【下殿】に候(さぶらふ)もろもろのかたは人(うど)にまじ
は(ッ)て、一千日(いつせんにち)が間(あひだ)(あいだ)朝夕(あさゆふ)みやづかひ申(まう)さむとなり。
大殿(おほとの)の北(きた)の政所(まんどころ)にて、世(よ)を世(よ)ともおぼしめ
さですごさせ給(たま)ふ御心(おんこころ)に、子(こ)を思(おも)ふ道(みち)に
まよひぬれば、いぶせき事(こと)もわすられて、
あさましげなるかたはうどにまじは(ッ)て、一千日(いつせんにち)が間(あひだ)(あいだ)、
朝夕(あさゆふ)みやづかひ申(まう)さむと仰(おほせ)らるるこそ、誠(まこと)に哀(あはれ)に
P01110
おぼしめせ。二(ふたつ)には、大宮(おほみや)の橋(はし)づめより八王子(はちわうじ)の
御社(おんやしろ)まで【迄】、廻廊(くわいらう)つく(ッ)てまい(まゐ)【参】らせP132むとなり。三千(さんぜん)
人(にん)の大衆(だいしゆ)、ふ【降】るにもて【照】るにも、社参(しやさん)の時(とき)いた
はしうおぼゆるに、廻廊(くわいらう)つくられたらば、いかに
めでたからむ。三(みつ)には、今度(こんど)の殿下(てんが)の寿命(じゆみやう)をた
すけさせ給(たま)はば、八王子(はちわうじ)の御社(おんやしろ)にて、法花問
答講(ほつけもんだふかう)(ほつけもんだうかう)毎日(まいにち)退転(たいてん)なくおこなはすべしとなり。いづれも
おろかならねども、かみ二(ふたつ)はさなくともありなむ。
P01111
毎日(まいにち)法花問答講(ほつけもんだふかう)(ほつけもんだうかう)は、誠(まこと)にあらまほしうこそおぼし
めせ。但(ただし)、今度(こんど)の訴詔【*訴訟】(そしよう)(そせう)は無下(むげ)にやすかりぬべき
事(こと)にてありつるを、御裁許(ごさいきよ)なくして、神人(じんにん)
宮仕(みやじ)射(い)(ゐ)ころされ、疵(きず)を蒙(かうぶ)り、泣々(なくなく)まい(まゐ)【参】(ッ)て訴(うつた)へ
申(まうす)事(こと)の余(あまり)に心(こころ)うくて、いかならむ世(よ)まで【迄】も
忘(わす)るべしともおぼえず。其上(そのうへ)かれ等(ら)があたる所(ところ)の
箭(や)は、しかしながら和光垂跡(わくわうすいしやく)の御膚(おんはだへ)にた【立】(ッ)たる
なり。まことそらごとは是(これ)をみよ【見よ】」とて、肩(かた)ぬいだるを
P01112
みれ【見れ】ば、左(ひだり)の脇(わき)のした、大(おほき)なるかはらけの口(くち)斗(ばかり)
うげのいてぞみえ【見え】たりける。「是(これ)が余(あまり)に心(こころ)うければ、
いかに申(まうす)とも始終(しじゆう)(しぢう)の事(こと)はかなふまじ。法花
問答講(ほつけもんだふかう)(ほつけもんだうかう)一定(いちぢやう)あるべくは、三(み)とせが命(いのち)をのべて
たてまつらむ。それを不足(ふそく)におぼしめさば力(ちから)及(およ)(をよ)
ばず」とて、山王(さんわう)あがらせ給(たまひ)けり。母(はは)うへは御立願(ごりふぐわん)(ごりうぐわん)の
事(こと)人(ひと)にもかたらせ給(たま)はねば、誰(たれ)もらしつらむと、
すこしもうたがう(うたがふ)方(かた)もましまさず。御心(おんこころ)の
P01113
内(うち)の事共(ことども)をありのままに御詫宣(ごたくせん)ありければ、
心肝(しんかん)にそうて、ことにた(ッ)とくおぼしめし、
泣々(なくなく)申(まう)させ給(たまひ)けるは、「縦(たとひ)ひと日(ひ)かた時(とき)にてさぶ
らふとも、ありがたうこそさぶらふべきに、ましてP133
三(み)とせが命(いのち)をのべて給(たまは)らむ事(こと)、しかるべう
さぶらふ」とて、泣々(なくなく)御下向(おんげかう)あり。いそぎ都(みやこ)へ
い【入】らせ給(たまひ)て、殿下(てんが)の御領(ごりやう)紀伊国(きのくに)に田中庄(たなかのしやう)と
云(いふ)所(ところ)を、八王子(はちわうじ)の御社(おんやしろ)へ寄進(きしん)ぜらる。それより
P01114
して法花問答講(ほつけもんだふかう)(ほつけもんだうかう)、今(いま)の世(よ)にいたるまで【迄】、毎日(まいにち)
退転(たいてん)なしとぞ承(うけたまは)る。かかりしほどに、後二条関
白殿(ごにでうのくわんばくどの)御病(おんやまふ)かろませ給(たまひ)て、もとの如(ごと)くにならせ給(たま)ふ。
上下(じやうげ)悦(よろこび)あはれしほどに、みとせのすぐるは
夢(ゆめ)なれや、永長(えいちやう)(ゑいちやう)二年(にねん)になりにけり。六月(ろくぐわつ)廿一日(にじふいちにち)、
又(また)後二条関白殿(ごにでうのくわんばくどの)、御(おん)ぐし【髪】のきはにあしき御
瘡(おんかさ)いでさせ給(たまひ)て、うちふ【臥】させ給(たま)ひしが、同(おなじき)
廿七日(にじふしちにち)、御年(おんとし)卅八(さんじふはち)にて遂(つひ)(つゐ)にかくれさせ給(たまひ)ぬ。
P01115
御心(おんこころ)のたけさ、理(り)のつよさ、さしもゆゆしき人
人(ひとびと)【*人(ひと)】にてましましけれども、まめやかに事(こと)のきう(きふ)【急】に
なりしかば、御命(おんいのち)を惜(をし)(おし)ませ給(たまひ)ける也(なり)。誠(まこと)に惜(をし)(おし)
かるべし。四十(しじふ)にだにもみたせ給(たま)はで、大殿(おほとの)に
先立(さきだち)まい(まゐ)【参】らせ給(たま)ふこそ悲(かな)しけれ。必(かならず)しも父(ちち)を
先立(さきだつ)べしと云(いふ)事(こと)はなけれども、生死(しやうじ)のをきて(おきて)に
したがふならひ、万徳円満(まんどくゑんまん)の世尊(せそん)、十地究
竟(じふぢくきやう)(ぢうぢくきやう)の大士(だいじ)たちも、力(ちから)及(およ)(をよ)び給(たま)はぬ事(こと)ども也(なり)。
P01116
慈悲具足(じひぐそく)の山王(さんわう)、利物(りもつ)の方便(はうべん)にてましませば、
十三 御(おん)とがめなかるべしとも覚(おぼえ)ず。P134『御輿振(みこしぶり)』S0115 さるほどに、山
門(さんもん)の大衆(だいしゆ)、国司(こくし)加賀守(かがのかみ)師高(もろたか)を流罪(るざい)に処(しよ)
せられ、目代(もくだい)近藤(こんどうの)判官(はんぐわん)師経(もろつね)を禁獄(きんごく)せらる
べき由(よし)、奏聞(そうもん)度々(どど)に及(およぶ)(をよぶ)といへども、御裁許(ごさいきよ)
なかりければ、日吉(ひよし)の祭礼(さいれい)をうちとどめて、安
元(あんげん)三年(さんねん)四月(しぐわつ)十三日(じふさんにち)辰(たつ)の一点(いつてん)に、十禅師(じふぜんじ)(じうぜんじ)・客人(まらうと)(まらふと)・
八王子(はちわうじ)三社(さんじや)の神輿(しんよ)賁(かざ)り奉(たてまつ)て、陣頭(ぢんどう)へ
P01117
ふり奉(たてまつ)る。さがり松(まつ)・きれ堤(づつみ)・賀茂(かも)の河原(かはら)、糾(ただす)・
梅(むめ)ただ・柳原(やなぎはら)・東福院(とうぶくゐん)【*東北院(とうぼくゐん) 】のへん【辺】に、しら大衆(だいしゆ)・神人(じんにん)・
宮仕(みやじ)・専当(せんだう)みちみちて、いくらと云(いふ)数(かず)をしらず。
神輿(しんよ)は一条(いちでう)を西(にし)へいらせ給(たま)ふ。御神宝(ごじんぼう)天(てん)に
かかや【輝】いて、日月(じつげつ)地(ち)に落(おち)給(たま)ふかとおどろかる。
是(これ)によ(ッ)て、源平(げんぺい)両家(りやうか)の大将軍(たいしやうぐん)、四方(しはう)の陣頭(ぢんどう)を
かためて、大衆(だいしゆ)ふせ【拒】くべき由(よし)仰下(おほせくだ)さる。平家(へいけ)には、
小松(こまつ)の内大臣(ないだいじん)の左大将(さだいしやう)重盛公(しげもりこう)、其(その)勢(せい)三千余騎(さんぜんよき)
P01118
にて大宮面(おほみやおもて)の陽明(やうめい)・待賢(たいけん)・郁芳(いうはう)(ゆうはう)三(みつ)の門(もん)を
かため給(たま)ふ。弟(おとと)宗盛(むねもり)・具盛【*知盛】(とももり)・重衡(しげひら)、伯父(をぢ)(おぢ)頼盛(よりもり)・教
盛(のりもり)・経盛(つねもり)な(ン)どは、にし南(みなみ)の陣(ぢん)をかためられけり。源氏(げんじ)には、
大内守護(たいだいしゆご)の源三位(げんざんみ)頼政卿(よりまさのきやう)、渡辺(わたなべ)のはぶく【省】・さ
づく【授】をむねとして、其(その)勢(せい)纔(わづか)に三百余騎(さんびやくよき)、北(きた)の
門(もん)、縫殿(ぬいどの)の陣(ぢん)をかため給(たま)ふ。所(ところ)はひろし勢(せい)は少(すくな)し、
まばらにこそみえ【見え】たりけれ。大衆(だいしゆ)無勢(ぶせい)たるに
よ(ッ)て、北(きた)の門(もん)、縫殿(ぬいどの)の陣(ぢん)より神輿(しんよ)を入(いれ)奉(たてまつ)らんとす。
P01119
頼政P135卿(よりまさのきやう)さる人(ひと)にて、馬(むま)よりおり、甲(かぶと)をぬいで、
神輿(しんよ)を拝(はい)し奉(たてまつ)る。兵(つはもの)ども皆(みな)かくのごとし。
衆徒(しゆと)の中(なか)へ使者(ししや)をたてて、申(まうし)送(おく)(をく)る旨(むね)あり。
其(その)使(つかひ)は渡辺(わたなべ)の長七(ちやうじつ)唱(となふ)と云(いふ)者(もの)なり。唱(となふ)、其(その)日(ひ)は
きちん【麹麈】の直垂(ひたたれ)に、小桜(こざくら)を黄(き)にかへ【返】いたる
鎧(よろひ)(よろい)きて、赤銅(しやくどう)づくりの太刀(たち)をはき、白羽(しらは)の矢(や)
おひ、しげどう【滋籐】の弓(ゆみ)脇(わき)にはさみ、甲(かぶと)をばぬぎ、
たかひも【高紐】にかけ、神輿(しんよ)の御前(みまへ)に畏(かしこまつ)て申(まうし)けるは、
P01120
「衆徒(しゆと)の御中(おんなか)へ源三位殿(げんざんみどの)の申(まう)せと候(ざうらふ)。今度(こんど)
山門(さんもん)の御訴詔【*御訴訟】(ごそしよう)(ごそせう)、理運(りうん)の条(でう)勿論(もちろん)に候(さうらふ)。御成敗(ごせいばい)
遅々(ちち)こそ、よそにても遺恨(ゐこん)(いこん)に覚(おぼえ)候(さうら)へ。さては神
輿(しんよ)入(いれ)奉(たてまつ)らむ事(こと)、子細(しさい)に及(および)(をよび)候(さうら)はず。但(ただし)頼政(よりまさ)無勢(ぶせい)候(ざうらふ)。
其上(そのうへ)あけて入(いれ)奉(たてまつ)る陣(ぢん)よりいらせ給(たまひ)て候(さうら)はば、
山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)は目(め)だりがほしけりな(ン)ど、京童部(きやうわらべ)
が申(まうし)候(さうら)はむ事(こと)、後日(ごにち)の難(なん)にや候(さうら)はんずらむ。
神輿(しんよ)を[B 入(いれ)]奉(たてまつ)らば、宣旨(せんじ)を背(そむ)くに似(に)たり。
P01121
又(また)ふせ【防】き奉(たてまつ)らば、年来(としごろ)医王山王(いわうさんわう)に首(かうべ)をかた
ぶけ奉(たてまつ)て候(さうらふ)身(み)が、けふより後(のち)弓箭(きゆうせん)(きうせん)の道(みち)に
わかれ候(さうらひ)なむず。かれといひ是(これ)といひ、かたがた
難治(なんぢ)の様(やう)に候(さうらふ)。東(ひがし)の陣(ぢん)は小松殿(こまつどの)大勢(おほぜい)でかため
られて候(さうらふ)。其(その)陣(ぢん)よりいらせ給(たまふ)べうや候(さうらふ)らむ」と
いひ送(おく)(をく)りたりければ、唱(となふ)がかく申(まうす)にふせかれて、
神人(じんにん)宮仕(みやじ)しばらくゆらへたり。若大衆(わかだいしゆ)どもは、
「何条(なんでう)其(その)儀(ぎ)あるべき。ただ此(この)門(もん)より神輿(しんよ)を入(いれ)
P01122
奉(たてまつ)れ」と云(いふ)族(やから)おほかりけれども、老僧(らうそう)のなかに
三塔(さんたふ)(さんたう)一(いち)の僉議者(せんぎしや)ときこえし摂津(せつつの)竪者(りつしや)
豪運(がううん)、進(すす)み出(いで)て申(まうし)けるは、「尤(もつと)もさい【言】はれたり。
神輿(しんよ)をさきだP136てまい(まゐ)【参】らせて訴詔【*訴訟】(そしよう)(そせう)を致(いた)さば、大
勢(おほぜい)の中(なか)をうち破(やぶつ)てこそ後代(こうたい)のきこえもあらん
ずれ。就中(なかんづく)に此(この)頼政卿(よりまさのきやう)は、六孫王(ろくそんわう)より以降(このかた)、源
氏(げんじ)嫡々(ちやくちやく)の正棟(しやうとう)、弓箭(きゆうせん)(きうせん)をと(ッ)ていまだ其(その)不覚(ふかく)を
きかず。凡(およそ)(をよそ)武芸(ぶげい)にもかぎらず、歌道(かだう)にもすぐれ
P01123
たり。近衛院(こんゑのゐん)御在位(ございゐ)の時(とき)、当座(たうざ)の御会(ごくわい)あり
しに、「深山花(しんざんのはな)」と云(いふ)題(だい)を出(いだ)されたりけるを、人々(ひとびと)
よみわづらひたりしに、此(この)頼政卿(よりまさのきやう)、
深山木(みやまぎ)のそのこずゑともみえ【見え】ざりし
さくらは花(はな)にあらはれにけり W007
と云(いふ)名歌(めいか)仕(つかまつ)て御感(ぎよかん)にあづかるほどのやさ
男(をとこ)(おとこ)に、時(とき)に臨(のぞん)で、いかがなさけなう恥辱(ちじよく)をば
あたふべき。此(この)神輿(しんよ)かきかへし奉(たてまつれ)や」と
P01124
僉議(せんぎ)しければ、数千人(すせんにん)の大衆(だいしゆ)先陣(せんぢん)より後
陣(ごぢん)まで、皆(みな)尤々(もつとももつとも)とぞ同(どう)じける。さて神輿(しんよ)を
先立(さきだて)まい(まゐ)【参】らせて、東(ひがし)の陣頭(ぢんどう)、待賢門(たいけんもん)より入(いれ)奉(たてまつ)
らむとしければ、狼籍【*狼藉】(らうぜき)忽(たちまち)に出来(いでき)て、武士(ぶし)ども
散々(さんざん)に射(い)(ゐ)奉(たてまつ)る。十禅師(じふぜんじ)(ぢうぜんじ)の御輿(みこし)にも箭(や)ども
あまた射(い)(ゐ)たてたり。神人(じんにん)宮仕(みやじ)射(い)(ゐ)ころされ、衆徒(しゆと)
おほく疵(きず)を蒙(かうぶ)る。おめき(をめき)さけぶ声(こゑ)梵天(ぼんでん)まで【迄】も
きこえ、堅牢地神(けんらうぢじん)も驚(おどろく)(をどろく)らむとぞおぼえける。
P01125
大衆(だいしゆ)神輿(しんよ)をば陣頭(ぢんどう)にふりすて奉(たてまつ)り、泣々(なくなく)
本山(ほんざん)へかへりのぼる。P137『内裏炎上(だいりえんしやう)』S0116 蔵人左少弁(くらんどのさせうべん)兼光(かねみつ)に仰(おほせ)て、
殿上(てんじやう)にて俄(にはか)に公卿僉議(くぎやうせんぎ)あり。保安(ほうあん)四年(しねん)七
月(しちぐわつ)に神輿(しんよ)入洛(じゆらく)の時(とき)は、座主(ざす)に仰(おほせ)て赤山(せきさん)の
社(やしろ)へ入(いれ)奉(たてまつ)る。又(また)保延(ほうえん)四年(しねん)四月(しぐわつ)に神輿(しんよ)入洛(じゆらく)の時(とき)は、
祇園別当(ぎをんのべつたう)に仰(おほせ)て祇園社(ぎをんのやしろ)へ入(いれ)奉(たてまつ)る。今度(こんど)は
保延(ほうえん)の例(れい)たるべしとて、祇園(ぎをん)の別当(べつたう)権大僧都(ごんのだいそうづ)
澄兼【*澄憲】(ちようけん)(てうけん)に仰(おほせ)て、秉燭(へいしよく)に及(およん)(をよん)で祇園(ぎをん)の社(やしろ)へ入(いれ)奉(たてまつ)る。
P01126
神輿(しんよ)にたつ所(ところ)の箭(や)をば、神人(じんにん)して是(これ)を
ぬかせらる。山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)、日吉(ひよし)の神輿(しんよ)を陣頭(ぢんどう)へ
ふり奉(たてまつ)る事(こと)、永久(えいきう)(ゑいきう)より以降(このかた)、治承(ぢしよう)(ぢせう)まで【迄】は六箇
度(ろくかど)なり。毎度(まいど)に武士(ぶし)を召(めし)てこそふせ【防】かるれ
ども、神輿(しんよ)射(い)(ゐ)奉(たてまつ)る事(こと)是(これ)始(はじめ)とぞ承(うけたまは)る。「霊
神(れいしん)怒(いかり)をなせば、災害(さいがい)岐(ちまた)にみ【満】つといへり。おそろし
おそろし」とぞ人々(ひとびと)申(まうし)あはれける。同(おなじき)十四日(じふしにち)夜
半(やはん)斗(ばかり)、山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)又(また)下洛(げらく)すときこえしかば、
P01127
夜中(やちゆう)(やちう)に主上(しゆしやう)要輿(えうよ)(ようよ)にめして、院御所(ゐんのごしよ)法住寺
殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)へ行幸(ぎやうがう)なる。中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)は御車(おんくるま)にたてまつて
行啓(ぎやうげい)あり。小松(こまつ)のおとど、直衣(なほし)(なをし)に箭(や)おう【負う】て
供奉(ぐぶ)せらる。嫡子(ちやくし)権亮少将(ごんのすけぜうしやう)維盛(これもり)、束帯(そくたい)に
ひらやなぐひおうてまい(まゐ)【参】られけり。関白殿(くわんばくどの)を
始(はじめ)奉(たてまつ)て、太政大臣(だいじやうだいじん)以下(いげ)の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、我(われ)も我(われ)もと
は【馳】せまい(まゐ)【参】る。凡(およそ)(をよそ)京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)の貴賎(きせん)、禁中(きんちゆう)(きんちう)の上下(じやうげ)、
さは(さわ)【騒】ぎののしる事(こと)緩(おびたた)し。山門(さんもん)には、神輿(しんよ)に
P01128
箭(や)たち、神人(じんにん)(じむにん)宮仕(みやじ)射(い)(ゐ)ころされ、衆徒(しゆと)おほく
疵(きず)をかうぶりしかP138ば、大宮(おほみや)二宮(にのみや)以下(いげ)、講堂(かうだう)中堂(ちゆうだう)(ちうだう)
すべて諸堂(しよだう)一宇(いちう)ものこさず焼払(やきはらつ)て、山野(さんや)に
まじはるべき由(よし)、三千(さんぜん)一同(いちどう)に僉議(せんぎ)しけり。是(これ)に
よ(ッ)て大衆(だいしゆ)の申(まうす)所(ところ)、御(おん)ぱからひあるべしとき
こえしかば、山門(さんもん)の上綱等(じやうかうら)、子細(しさい)を衆徒(しゆと)にふれん
とて登山(とうざん)しけるを、大衆(だいしゆ)おこ(ッ)て西坂本(にしざかもと)より
皆(みな)お(ッ)かへす。平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)、其(その)時(とき)はいまだ左衛
P01129
門督(さゑもんのかみ)にておはしけるが、上卿(しやうけい)にたつ。大講堂(だいかうだう)の
庭(には)に三塔(さんたふ)(さんたう)会合(くわいがふ)(くわいがう)して、上卿(しやうけい)をと(ッ)てひ(ッ)ぱらむと
す。「しや冠(かぶり)うちおとせ。其(その)身(み)を搦(からめ)て湖(みづうみ)に
しづめよ」な(ン)どぞ僉議(せんぎ)しける。既(すで)にかうとみえ【見え】
られけるに、時忠卿(ときただのきやう)「暫(しばらく)しづまられ候(さうら)へ。衆徒(しゆと)の
御中(おんなか)へ申(まうす)べき事(こと)あり」とて、懐(ふところ)より小硯(こすずり)たた
うがみをとり出(いだ)し、一筆(ひとふで)かいて大衆(だいしゆ)の中(なか)へ
つかはす。是(これ)を披(ひらい)てみれば、「衆徒(しゆと)の濫悪(らんあく)を
P01130
致(いた)すは魔縁(まえん)の所行(しよぎやう)なり。明王(めうわう)の制止(せいし)を加(くはふ)るは
善政(ぜんぜい)の加護(かご)也(なり)」とこそかかれたれ。是(これ)をみて
ひ(ッ)ぱるに及(およ)(をよ)ばず。大衆(だいしゆ)皆(みな)尤々(もつとももつとも)と同(どう)じて、谷々(たにだに)へ
おり、坊(ばう)々へぞ入(いり)にける。一紙(いつし)一句(いつく)をも(ッ)て三塔(さんたふ)(さんたう)三
千(さんぜん)の憤(いきどほり)(いきどをり)をやすめ、公私(こうし)の恥(はぢ)をのがれ給(たま)へる
時忠卿(ときただのきやう)こそゆゆしけれ。人々(ひとびと)も、山門(さんもん)の衆徒(しゆと)は
発向(はつかう)のかまびすしき斗(ばかり)かとおもひ【思ひ】たれば、
ことはり(ことわり)【理】も存知(ぞんぢ)したりけりとぞ、感(かん)ぜられける。
P01131
同(おなじき)廿日(はつかのひ)、花山院権中納言(くわさんのゐんのごんちゆうなごん)(くわさんのゐんのごんちうなごん)忠親卿(ただちかのきやう)を上卿(しやうけい)にて、
国司(こくし)加賀守(かがのかみ)師高(もろたか)遂(つひ)(つゐ)に闕官(けつくわん)P139ぜられて、尾張(をはり)(おはり)の
井戸田(ゐどた)へながされけり。目代(もくだい)近藤(こんどうの)判官(はんぐわん)(はんぐはん)師経(もろつね)
禁獄(きんごく)せらる。又(また)去(さんぬ)る十三日(じふさんにち)、神輿(しんよ)射(い)(ゐ)奉(たてまつり)し武士(ぶし)
六人(ろくにん)獄定(ごくぢやう)ぜらる。左衛門尉(さゑもんのじよう)(さゑもんのぜう)藤原正純(ふぢはらのまさずみ)、右衛門尉(うゑもんのじよう)(うゑもんのぜう)
正季(まさすゑ)、左衛門尉(さゑもんのじよう)(さゑもんのぜう)大江家兼(おほえのいへかね)、右衛門尉(うゑもんのじよう)(うゑもんのぜう)同(おなじく)家国(いへくに)、
左兵衛尉(さひやうゑのじよう)(さひやうゑのぜう)清原康家(きよはらのやすいへ)、右兵衛尉(うひやうゑのじよう)(うひやうゑのぜう)同(おなじく)康友(やすとも)、
是等(これら)は皆(みな)小松殿(こまつどの)の侍(さぶらひ)(さぶらい)なり。同(おなじき)四月(しぐわつ)廿八日(にじふはちにち)亥剋(ゐのこく)斗(ばかり)、
P01132
樋口富少路【*樋口富小路】(ひぐちとみのこうぢ)より火(ひ)出来(いでき)て、辰巳(たつみ)の風はげ
しう吹(ふき)ければ、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)おほく焼(やけ)にけり。大(おほき)なる
車輪(しやりん)の如(ごと)くなるほむらが、三町(さんぢやう)五町(ごちやう)へだてて
戌亥(いぬゐ)のかたへすぢかへに、とびこえとびこえやけ
ゆけば、おそろしな(ン)どもおろかなり。或(あるい)は具平
親王(ぐへいしんわう)の千種殿(ちくさどの)、或(あるい)は北野(きたの)の天神(てんじん)の紅梅殿(こうばいどの)、
橘逸成(きついつせい)のはひ松殿(まつどの)、鬼殿(おにどの)・高松殿(たかまつどの)・鴨居
殿(かもゐどの)・東三条(とうさんでう)、冬嗣(ふゆつぎ)のおとどの閑院殿(かんゐんどの)、昭宣公(せうぜんこう)の
P01133
堀川殿(ほりかはどの)、是(これ)を始(はじめ)て、昔(むかし)今(いま)の名所(めいしよ)卅(さんじふ)余箇所(よかしよ)、
公卿(くぎやう)の家(いへ)だにも十六(じふろく)箇所(かしよ)まで【迄】焼(やけ)にけり。
其(その)外(ほか)、殿上人(てんじやうびと)諸大夫(しよだいぶ)の家々(いへいへ)はしるすに及(およ)(をよ)ばず。
はては大内(おほうち)にふきつけて、朱雀門(しゆしやくもん)より
始(はじめ)て、応田門【*応天門】(おうでんもん)・会昌門(くわいしやうもん)、大極殿(だいこくでん)・豊楽院(ぶらくゐん)、諸
司(しよし)八省(はつしやう)(はつせう)・朝所(あいだんどころ)、一時(いちじ)が内(うち)に灰燼(くわいじん)の地(ち)とぞ
なりにける。家々(いへいへ)の日記(につき)、代々(だいだい)の文書(もんじよ)、七珍
万宝(しつちんまんぼう)さながら麈灰(ぢんくわい)となりぬ。其(その)間(あひだ)(あいだ)の費(つゐ)へ(つひえ)
P01134
いか斗(ばかり)ぞ。人(ひと)のやけしぬる事(こと)数百人(すひやくにん)、牛馬(ぎうば)の
たぐひは数(かず)を知(しら)ず。是(これ)ただ事(こと)に非(あら)ず、山王(さんわう)の
御(おん)とがめとて、比叡山(ひえいさん)(ひゑいさん)より大(おほき)なる猿(さる)どもが
二三千(にさんぜん)おりくだり、手々(てんで)に松火(まつび)をともひ(ともい)て京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)
をやく[M き→く]とぞ、人(ひと)の夢(ゆめ)にはみえ【見え】たりける。P140大極
殿(だいこくでん)は清和天皇(せいわてんわう)の御宇(ぎよう)、貞観(ぢやうぐわん)十八年(じふはちねん)に始(はじめ)て
やけたりければ、同(おなじき)十九(じふく)年(ねん)正月(しやうぐわつ)三日(みつかのひ)、陽成院(やうぜいのゐん)の
御即位(ごそくゐ)は豊楽院(ぶらくゐん)にてぞありける。元慶(ぐわんきやう)(ぐはんきやう)元年(ぐわんねん)(ぐはんねん)
P01135
四月(しぐわつ)九日(ここのかのひ)、事始(ことはじめ)あ(ッ)て、同(おなじき)二年(にねん)十月(じふぐわつ)八日(やうかのひ)にぞつくり
出(いだ)されたりける。後冷泉院(ごれんぜいのゐん)の御宇(ぎよう)、天喜(てんき)五年(ごねん)二
月(にぐわつ)廿六日(にじふろくにち)、又(また)やけにけり。治暦(ぢりやく)四年(しねん)八月(はちぐわつ)十四日(じふしにち)、事
始(ことはじめ)ありしかども、造(つく)り出(いだ)されずして、後冷泉院(ごれんぜいのゐん)崩
御(ほうぎよ)なりぬ。後三条(ごさんでう)の院(ゐん)の御宇(ぎよう)、延久(えんきう)四年(しねん)四月(しぐわつ)
十五日(じふごにち)作(つく)り出(いだ)して、文人(ぶんじん)詩(し)を奉(たてまつ)り、伶人(れいじん)楽(がく)を
奏(そう)して遷幸(せんかう)なし奉(たてまつ)る。今(いま)は世(よ)末(すゑ)にな(ッ)て、
国(くに)の力(ちから)も衰(おとろ)へたれば、其後(そののち)は遂(つひ)(つゐ)につく
P01136
られず。

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一 P141


平家物語(龍谷大学本)巻第二

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書 13)に拠りました。

文責:荒山慶一・菊池真一



(表紙)
(目録)無し

P02141
P141
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第二(だいに)
『座主流(ざすながし)』S0201治承(ぢしよう)(ぢせう)元年(ぐわんねん)五月(ごぐわつ)五日(いつかのひ)、天台座主(てんだいざす)明雲大僧
正(めいうんだいそうじやう)、公請(くじやう)を停止(ちやうじ)せらるるうへ、蔵人(くらんど)を御使(おつかひ)
にて、如意輪(によいりん)の御本尊(ごほんぞん)をめしかへひ(めしかへい)【召返】て、御持
僧(ごぢそう)を改易(かいえき)(かいゑき)せらる。則(すなはち)使庁(しちやう)の使(つかひ)をつけ
て、今度(こんど)神輿(しんよ)内裏(だいり)へ振(ふり)たてまつる衆
徒(しゆと)の張本(ちやうぼん)をめされけり。加賀国(かがのくに)に座主(ざす)
の御房領【*御坊領】(ごばうりやう)あり。国司(こくし)師高(もろたか)是(これ)を停廃(ちやうはい)の間(あひだ)(あいだ)、
P02142
その宿意(しゆくい)によ(ッ)て大衆(だいしゆ)をかたらひ、訴詔【*訴訟】(そしよう)(そせう)
をいたさる。すでに朝家(てうか)の御大事(おんだいじ)に及(およぶ)(をよぶ)よし、
西光法師(さいくわうほふし)(さいくわうほうし)父子(ふし)が讒奏(ざんそう)によ(ッ)て、法皇(ほふわう)(ほうわう)大(おほき)
に逆鱗(げきりん)ありけり。ことに重科(ぢゆうくわ)(ぢうくわ)におこなはる
べしときこゆ。明雲(めいうん)は法皇(ほふわう)(ほうわう)の御気色(ごきしよく)あ
しかりければ、印鑰(いんやく)(ゐんやく)をかへしたてまつ【奉】
て、座主(ざす)を辞(じ)し申(まう)さる。同(おなじき)十一日(じふいちにち)、鳥羽院(とばのゐん)
の第七(だいしち)の宮(みや)、覚快(かくくわい)法親王(ほふしんわう)(ほうしんわう)天台座主(てんだいざす)に
P02143
ならせ給(たま)ふ。是(これ)は青連院(しやうれんゐん)(せうれんゐん)の大僧正(だいそうじやう)、行玄(ぎやうげん)の
御弟子(おんでし)也(なり)。同(おなじき)十一日(じふいちにち)、前座主(せんざす)所職(しよしよく)をとどめらる
るうへ、検非違使(けんびゐし)(けんびいし)二人(ににん)をつけて、井(ゐ)にふた【蓋】
をし、火(ひ)に水(みづ)をかけ、水火(すいくわ)のせめにをよぶ(およぶ)【及ぶ】。
これP142によ(ッ)て、大衆(だいしゆ)猶(なほ)参洛(さんらく)すべき由(よし)聞(きこ)えし
かば、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)又(また)さはぎ(さわぎ)【騒ぎ】あへり。同(おなじき)十八日(じふはちにち)、太政大臣(だいじやうだいじん)
以下(いげ)の公卿(くぎやう)十三人(じふさんにん)参内(さんだい)して、陣(ぢん)の座(ざ)につき
て、前(さき)の座主(ざす)罪科(ざいくわ)の事(こと)儀定(ぎぢやう)あり。八条
P02144
中納言(はつでうのちゆうなごん)(はつでうのちうなごん)長方卿(ながかたのきやう)、其(その)時(とき)はいまだ左大絅【*左大弁】宰相(さだいべんさいしやう)に
て、末座(ばつざ)に候(さうらひ)けるが、申(まう)されけるは、「法家(ほつけ)の
勘状(かんじやう)にまかせて、死罪(しざい)一等(いつとう)を減(げん)じて遠流(をんる)せ
らるべしと見(み)えてて候(さうら)へども、前座主(さきのざす)明雲
大僧正(めいうんだいそうじやう)は顕密(けんみつ)兼学(けんがく)して、浄行持律(じやうぎやうぢりつ)(ぢやうぎやうぢりつ)の
うへ、大乗妙経(だいじようめうきやう)(だいぜうめうきやう)を公家(くげ)にさづけ奉(たてまつ)り、菩
薩浄戒(ぼさつじやうかい)を法皇(ほふわう)(ほうわう)にたもたせ奉(たてまつ)る。御経(おんきやう)の
師(し)、御戒(ごかい)の師(し)、重科(ぢゆうくわ)(ぢうくわ)におこなはれん事(こと)、冥(みやう)
P02145
の照覧(せうらん)はかりがたし。還俗遠流(げんぞくをんる)をなだめ
らるべきか」と、はばかる所(ところ)もなう申(まう)され
ければ、当座(たうざ)の公卿(くぎやう)みな長方(ながかた)の義(ぎ)に同(どう)ず
と申(まうし)あはれけれども、法皇(ほふわう)(ほうわう)の御(おん)いきどをり(いきどほり)【憤】
ふかかり【深かり】しかば、猶(なほ)(なを)遠流(をんる)に定(さだめ)らる。太政入道(だいじやうにふだう)(だいじやうにうだう)
も此(この)事(こと)申(まう)さむとて、院参(ゐんざん)せられけれ共(ども)、
法皇(ほふわう)(ほうわう)御風(おんかぜ)のけ【気】とて御前(ごぜん)へもめされ給(たま)は
ねば、ほいなげにて退出(たいしゆつ)せらる。僧(そう)を罪(つみ)
P02146
するならひ【習】とて、度縁(どえん)(とゑん)をめしかへし、還俗(げんぞく)
せさせ奉(たてまつ)り、大納言大輔(だいなごんのたいふ)(だいなごんのたゆふ)藤井松枝(ふぢゐのまつえだ)(ふぢゐのまつゑだ)と俗
名(ぞくみやう)をぞつけられける。此(この)明雲(めいうん)と申(まうす)は、村
上天皇(むらかみてんわう)第七(だいしち)の皇子(わうじ)、具平親王(ぐへいしんわう)より六
代(ろくだい)の御末(おんすゑ)、久我大納言(こがのだいなごん)顕通卿(あきみちのきやう)の御子(おんこ)也(なり)。誠(まこと)
に無双(ぶさう)の硯徳【*碩徳】(せきとく)、天下(てんが)第一(だいいち)の高僧(かうそう)にておは
しければ、君(きみ)も臣(しん)もた(ッ)とみ、〔天〕王寺(〔てん〕わうじ)・六勝寺(ろくしようじ)(ろくせうじ)
の別当(べつたう)をもかけ給(たま)へり。されども陰陽頭(おんやうのかみ)(をんやうのかみ)
P02147
安陪【*安倍】P143泰親(あべのやすちか)が申(まうし)けるは、「さばかりの智者(ちしや)の明雲(めいうん)
と名(な)のり給(たまふ)こそ心(こころ)えね。うへに日月(じつげつ)の光(ひかり)
をならべて、下(した)に雲(くも)あり」とぞ難(なん)じける。仁安(にんあん)
元年(ぐわんねん)二月(にぐわつ)(に(ン)ぐわつ)廿日(はつかのひ)、天台座主(てんだいざす)にならせ給(たまふ)。同(おなじき)三
月(さんぐわつ)十五日(じふごにち)、御拝堂(ごはいたう)あり。中堂(ちゆうだう)(ちうだう)の宝蔵(ほうざう)をひら
かれけるに、種々(しゆじゆ)の重宝共(ちようほうども)(てうほうども)の中(なか)に、方(はう)一尺(いつしやく)
の箱(はこ)あり。しろい【白い】布(ぬの)にてつつまれたり。一
生不犯(いつしやうふぼん)の座主(ざす)、彼(かの)箱(はこ)をあけて見(み)給(たまふ)に、
P02148
黄紙(わうし)にかけるふみ一巻(いつくわん)(いちくはん)あり。伝教大師(でんげうだいし)
未来(みらい)の座主(ざす)の名字(みやうじ)を兼(かね)てしるしをか(おか)【置か】れ
たり。我(わが)名(な)のある所(ところ)までみて、それより
奥(おく)をば、見(み)ず、もとのごとくにまき返(かへ)し
てをか(おか)【置か】るるならひ【習】也(なり)。されば此(この)僧正(そうじやう)もさ
こそおはしけめ。かかるた(ッ)とき人(ひと)なれども、
前世(ぜんぜ)の宿業(しゆくごふ)(しゆくごう)をばまぬかれ給(たま)はず。あはれ【哀】
なりし事共(ことども)也(なり)。同(おなじき)廿一日(にじふいちにち)、配所(はいしよ)伊豆国(いづのくに)と定(さだめ)
P02149
らる。人々(ひとびと)様々(さまざま)に申(まうし)あはれけれども、西光法
師(さいくわうほふし)(さいくわうほうし)父子(ふし)が讒奏(ざんそう)によ(ッ)て、かやうにおこなは
れけり。やがてけふ都(みやこ)の内(うち)を追出(おひいだ)さる
べしとて、追立(おつたて)(をつたて)の官人(くわんにん)白河(しらかは)の御房【*御坊】(ごばう)にむか
ひ、をひ(おひ)【追ひ】奉(たてまつ)る。僧正(そうじやう)なくなく【泣く泣く】御坊(ごばう)を出(いで)て、粟
田口(あはたぐち)のほとり、一切経(いつさいきやう)の別所(べつしよ)へいらせ給(たま)ふ。山門(さんもん)
には、せんずる所(ところ)、我等(われら)が敵(かたき)は西光(さいくわう)(さいくはう)父子(ふし)に過(すぎ)た
る者(もの)なしとて、彼等(かれら)親子(おやこ)が名字(みやうじ)をかい【書い】て、
P02150
根本中堂(こんぼんちゆうだう)(こんぼんちうだう)におはします十二(じふに)神将(じんじやう)の内(うち)、金毘
羅大将(こんびらだいじやう)の左(ひだり)の御足(おんあし)の下(した)にふませ奉(たてまつ)り、「十
二(じふに)神将(じんじやう)・七千夜叉(しちせんやしや)、時刻(じこく)をめぐらさず西光(さいくわう)父
子(ふし)が命(いのち)をめしとり給(たま)へや」と、おめき(をめき)【喚き】P144さけん【叫ん】
で呪咀(しゆそ)しけるこそ聞(きく)もおそろしけれ【恐ろしけれ】。同(おなじき)
廿三日(にじふさんにち)、一切経(いつさいきやう)の別所(べつしよ)より配所(はいしよ)へおもむき給(たまひ)
けり。さばかんの法務(ほふむ)(ほうむ)の大僧正(だいそうじやう)ほどの人(ひと)を、
追立(おつたて)(をつたて)の鬱使(うつし)がさき【先】にけたて【蹴立て】させ、今日(けふ)を
P02151
かぎりに都(みやこ)を出(いで)て、関(せき)の東(ひがし)(ひ(ン)がし)へおもむかれけ
ん心(こころ)のうち、をし(おし)はかられてあはれ【哀】也(なり)。大津(おほつ)
の打出(うちで)の浜(はま)にも成(なり)しかば、文殊楼(もんじゆろう)の軒端(のきば)
のしろじろとしてみえ【見え】けるを、ふた【二】目(め)とも見(み)
給(たま)はず、袖(そで)をかほにをし(おし)あてて、涙(なみだ)にむせび
給(たまひ)けり。山門(さんもん)には、宿老(しゆくらう)碩徳(せきとく)おほしといへども、
澄憲法印(ちようけんほふいん)(てうけんほうゐん)、其(その)時(とき)はいまだ僧都(そうづ)にておはしけ
るが、余(あまり)に名残(なごり)をおしみ(をしみ)【惜み】奉(たてまつ)り、粟津(あはづ)まで
P02152
送(おく)(をく)りまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、さても有(ある)べきならねば、それ
よりいとま申(まうし)てかへられけるに、僧正(そうじやう)心(こころ)ざしの
切(せつ)なる事(こと)を感(かん)じて、年来(としごろ)御心中(ごしんぢゆう)(ごしんぢう)に秘(ひ)せら
れたりし一心(いつしん)三観(さんぐわん)の血脈相承(けつみやくさうじよう)(けつみやくさうぜう)をさづ
けらる。此(この)法(ほふ)(ほう)は釈尊(しやくそん)の附属(ふぞく)、波羅奈国(はらないこく)の馬鳴
比丘(めみやうびく)(めめうびく)、南天竺(なんてんぢく)の竜樹菩薩(りゆうじゆぼさつ)(りうじゆぼさつ)より次第(しだい)に相伝(さうでん)
しきたれる、けふのなさけにさづけらる。
さすが我(わが)朝(てう)は粟散辺地(そくさんへんぢ)の境(さかい)、濁世末代(じよくせまつだい)
P02153
といひながら、、澄憲(ちようけん)(てうけん)これを附属(ふぞく)して、法衣(ほふえ)(ほうゑ)
の袂(たもと)をしぼりつつ、都(みやこ)へ帰(かへり)のぼられける心(こころ)
のうちこそた(ッ)とけれ。山門(さんもん)には大衆(だいしゆ)おこ(ッ)
て僉議(せんぎ)す。「義真和尚(ぎしんくわしやう)よりこのかた、天台座
主(てんだいざす)はじま(ッ)て五十五代(ごじふごだい)に至(いた)るまで、いまだるざ
い【流罪】の例(れい)をきかず。倩(つらつら)事(こと)の心(こころ)をあむずる(あんずる)【案ずる】に、
延暦(えんりやく)の比(ころ)ほひ、皇帝(くわうてい)は帝都(ていと)をたて、大
師(だいし)は当山(たうざん)によぢのぼ(ッ)て四明(しめい)の教法(けうぼふ)(けうぼう)を此(この)P145
P02154
所(ところ)にひろめ給(たまひ)しよりこのかた、五障(ごしやう)の女人(によにん)跡(あと)
たえて、三千(さんぜん)の浄侶(じやうりよ)居(きよ)をしめたり。嶺(みね)には
一乗読誦(いちじようどくじゆ)(いちぜうどくじゆ)年(とし)ふりて、麓(ふもと)には七社(しちしや)の霊験(れいげん)日(ひ)
新(あらた)なり。彼(かの)月氏(ぐわつし)(ぐはつし)の霊山(りやうぜん)は王城(わうじやう)の東北(とうぼく)、大聖(だいしやう)の
幽崛(ゆうくつ)也(なり)。此(この)日域(じちいき)の叡岳(えいがく)も帝都(ていと)の鬼門(きもん)に
峙(そばたち)て、護国(ごこく)の霊地(れいち)也(なり)。代々(だいだい)の賢王(けんわう)智臣(ちしん)、此(この)
所(ところ)に壇場(だんぢやう)をしむ。末代(まつだい)ならむがらに、いかんが当山(たうざん)
に瑕(きず)をばつくべき。心(こころ)うし」とて、おめき(をめき)【喚き】さけぶ【叫ぶ】
P02155
といふ程(ほど)こそありけれ、満山(まんざん)の大衆(だいしゆ)みな東坂
本(ひがしざかもと)(ひ(ン)がしざかもと)へおり下(くだ)る。『一行阿闍梨(いちぎやうあじやり)之(の)沙汰(さた)』S0202「抑(そもそも)我等(われら)粟津(あはづ)にゆきむかひて、
貫首(くわんじゆ)をうばひとどめ奉(たてまつ)るべし。但(ただし)追立(おつたて)(をつたて)の
鬱使(うつし)・令送使(りやうそうし)あんなれば、事故(ことゆゑ)なくとりえ【取得】
たてまつらん事(こと)ありがたし。山王大師(さんわうだいし)の御
力(おんちから)の外(ほか)はたのむかた【方】なし。誠(まこと)に別(べち)の子細(しさい)
なくとりえ【取得】奉(たてまつ)るべくは、爰(ここ)にてまづ瑞相(ずいさう)
を見(み)せしめ給(たま)へ」と、老僧(らうそう)ども肝胆(かんたん)をくだ
P02156
いて祈念(きねん)しけり。ここに無動寺法師(むどうじぼふし)(むどうじぼうし)乗円
律師(じようゑんりつし)(ぜうえんりつし)がわらは【童】、鶴丸(つるまる)とて、生年(しやうねん)十八歳(じふはつさい)になるが、
身心(しんじん)をくるしめ【苦しめ】五体(ごたい)に汗(あせ)をながひ(ながい)【流い】て、俄(にはか)に
くるひ出(いで)たり。「われに十禅師権現(じふぜんじごんげん)のりゐ
させ給(たま)へり。末代(まつだい)といふ共(とも)、いかでか我山(わがやま)の
貫首(くわんじゆ)をば、他国(たこく)へはうつさるべき。生々世々(しやうじやうせせ)にP146
心(こころ)うし。さらむにと(ッ)ては、われ此(この)ふもとに跡(あと)を
とどめても何(なに)かはせむ」とて、左右(さう)の袖(そで)をか
P02157
ほにをし(おし)あてて、涙(なみだ)をはらはらとながす。大衆(だいしゆ)こ
れをあやしみて、「誠(まこと)に十禅師権現(じふぜんじごんげん)の御
詫宣(ごたくせん)にてましまさば、我等(われら)しるしをまいらせ(まゐらせ)【参らせ】む。
すこしもたがへ【違へ】ずもとのぬしに返(かへ)したべ」
とて、老僧(らうそう)ども四五百人(しごひやくにん)、手々(てんで)(て(ン)で)にも(ッ)たる数珠
共(じゆずども)を、十禅師(じふぜんじ)の大床(おほゆか)のうへへぞなげ【投げ】あげた
る。此(この)物(もの)ぐるひはしり【走り】まは(ッ)てひろひあつめ、
すこしもたがへ【違へ】ず一々(いちいち)にもとのぬしにぞ
P02158
くばりける。大衆(だいしゆ)神明(しんめい)の霊験(れいげん)あらたなる
事(こと)のた(ッ)とさに、みなたな心(ごころ)を合(あはせ)て随喜(ずいき)
の涙(なみだ)をぞもよほしける。「其(その)儀(ぎ)ならば、ゆきむ
か(ッ)てうばひとどめ奉(たてまつ)れ」といふ程(ほど)こそありけれ、
雲霞(うんか)の如(ごと)くに発向(はつかう)す。或(あるい)(あるひ)は志賀(しが)辛崎(からさき)の
はま路(ぢ)【浜路】にあゆみつづける大衆(だいしゆ)もあり、或(あるい)(あるひ)は
山田(やまだ)矢(や)ばせの湖上(こしやう)に舟(ふね)をしいだす衆徒(しゆと)
もあり。是(これ)を見(み)て、さしもきびしげなりつる
P02159
追立(おつたて)(をつたて)の鬱使(うつし)・令送使(りやうそうし)、四方(しはう)へ皆(みな)逃(にげ)さりぬ。大
衆(だいしゆ)国分寺(こくぶんじ)へ参(まゐ)り向(むかふ)。前座主(さきのざす)大(おほき)におどろひ(おどろい)
て、「勅勘(ちよくかん)の者(もの)は月日(つきひ)の光(ひかり)にだにもあたら
ずとこそ申(まう)せ。何(なんぞ)况(いはん)や、いそぎ都(みやこ)の内(うち)を追
出(おひいだ)(をひいだ)さるべしと、院宣(ゐんぜん)・宣旨(せんじ)の成(なり)たるに、しばしも
やすらふべからず。衆徒(しゆと)とうとう【疾う疾う】帰(かへ)りのぼり給(たま)
へ」とて、はしぢかうゐ出(いで)ての給(たま)ひけるは、「三台
槐門(さんたいくわいもん)(さんだいくわいもん)の家(いへ)を出(いで)て、四明幽渓(しめいいうけい)(しめいゆうけい)の窓(まど)に入(いり)しより
P02160
このかた、ひろく円宗(ゑんしゆう)(えんしう)の教法(けうぼふ)(けうぼう)を学(がく)して、顕
密(けんみつ)両宗(りやうしう)をまなびき。ただ吾山(わがやま)のP147興隆(こうりゆう)(こうりう)を
のみ思(おも)へり。又(また)国家(こくか)を祈(いのり)奉(たてまつ)る事(こと)おろそか
ならず。衆徒(しゆと)をはぐくむ志(こころざし)もふかかり【深かり】き。
両所山王(りやうしよさんわう)(りやうじよさんわう)さだめて照覧(せうらん)し給(たま)ふらん。身(み)に
あやまつことなし。無実(むじつ)の罪(つみ)によ(ッ)て遠流(をんる)
の重科(ぢゆうくわ)(ぢうくわ)をかうぶれば、世(よ)をも人(ひと)をも神(かみ)をも
仏(ほとけ)をも恨(うら)み奉(たてまつ)る事(こと)なし。これまでとぶらひ
P02161
来(きた)り給(たま)ふ衆徒(しゆと)の芳志(はうし)こそ報(ほう)じ申(まうし)がたけ
れ」とて、香染(かうぞめ)の御衣(おんころも)の袖(そで)しぼりもあへ給(たま)は
ねば、大衆(だいしゆ)もみな涙(なみだ)をぞながしける。御
輿(おんこし)さしよせて、「とうとうめさるべう候(さうらふ)」と申(まうし)
ければ、「昔(むかし)こそ三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)の貫首(くわんじゆ)たり
しか、いまはかかる流人(るにん)の身(み)と成(な)(ッ)て、いかむが(いかんが)や(ン)
ごとなき修学者(しゆがくしや)、智恵(ちゑ)ふかき大衆(だいしゆ)たち
には、かきささげられてのぼるべき。縦(たとひ)のぼるべ
P02162
きなり共(とも)、わらむづ(わらんづ)な(ン)ど(など)いふ物(もの)しばりはき、
おなじ様(やう)にあゆみつづひ(つづい)てこそのぼらめ」と
てのり給(たま)はず。ここに西塔(さいたう)の住侶(ぢゆうりよ)(ぢうりよ)、戒浄房(かいじやうばう)
の阿闍梨(あじやり)祐慶(いうけい)(ゆうけい)といふ悪僧(あくそう)あり。たけ七
尺(しちしやく)ばかり有(あり)けるが、黒革威(くろかはをどし)(くろかはおどし)の鎧(よろひ)(よろい)の大荒目(おほあらめ)に
かね【鉄】まぜたるを、草摺長(くさずりなが)にきなして、甲(かぶと)
をばぬぎ、法師原(ほふしばら)(ほうしばら)にもたせつつ、白柄(しらえ)の大
長刀(おほなぎなた)杖(つゑ)(つえ)につき、「あけ【開け】られ候(さうら)へ」とて、大衆(だいしゆ)の
P02163
中(なか)ををし(おし)分(わけ)をし(おし)分(わけ)、前座主(せんざす)のおはしける所(ところ)へ
つ(ッ)と参(まゐ)り、大(だい)の眼(まなこ)をいからかし、し(ン)ばしにらまへ
奉(たてまつ)り、「その御心(おんこころ)でこそかかる御目(おんめ)にもあ
はせ給(たま)へ。とうとうめさるべう候(さうらふ)」と申(まうし)けれ
ば、おそろしさ【恐ろしさ】にいそぎのり給(たまふ)。大衆(だいしゆ)とり【取】得(え)
奉(たてまつ)るうれしさに、いやしき法師原(ほふしばら)(ほうしばら)にはあら
で、や(ン)ごとなき修学者(しゆがくしや)P148どもかきささげ奉(たてまつ)
り、おめき(をめき)【喚き】さけ(ン)(さけん)【叫ん】でのぼりけるに、人(ひと)はかはれ
P02164
ども祐慶(いうけい)(ゆうけい)はかはらず、さき輿(ごし)かいて、長刀(なぎなた)の柄(え)
もこし【輿】の轅(ながえ)もくだけよととる【執る】ままに、さしも
さがしき東坂(ひがしざか)(ひ(ン)がしざか)、平地(へいぢ)を行(ゆく)が如(ごと)く也(なり)。大講堂(だいかうだう)の
庭(には)にこし【輿】かきすへ(すゑ)【据ゑ】て、僉議(せんぎ)しけるは、「抑(そもそも)我等(われら)
粟つ(あはづ)【粟津】に行向(ゆきむかつ)て、貫首(くわんじゆ)をばうばひとどめ
奉(たてまつ)りぬ。既(すで)に勅勘(ちよくかん)を蒙(かうぶり)て流罪(るざい)せられ
給(たま)ふ人(ひと)を、とりとどめ奉(たてまつり)て貫首(くわんじゆ)に用ひ(もちゐ)
申(まう)さむ事(こと)、いかが有(ある)べからむ」と僉議(せんぎ)す。戒浄房(かいじやうばう)
P02165
の阿闍梨(あじやり)、又(また)先(さき)の如(ごと)くにすすみ出(いで)て僉議(せんぎ)し
けるは、「夫(それ)当山(たうざん)は日本無双(につぽんぶさう)の霊地(れいち)、鎮護国
家(ちんごこくか)の道場(だうぢやう)、山王(さんわう)の御威光(ごいくわう)(ごいくはう)盛(さかん)にして、仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)王
法(わうぼふ)(わうぼう)牛角(ごかく)也(なり)。されば衆徒(しゆと)の意趣(いしゆ)に至(いた)るま
でならびなく、いやしき法師原(ほふしばら)(ほうしばら)までも世(よ)も(ッ)
てかろしめず。况(いはん)や智恵(ちゑ)高貴(かうき)にして三千(さんぜん)の
貫首(くわんじゆ)たり。いま【今】は徳行(とくぎやう)をもう(おもう)して一山(いつさん)の和尚(わじやう)
たり。罪(つみ)なくしてつみをかうぶる、是(これ)山上(さんじやう)洛中(らくちゆう)(らくちう)
P02166
のいきどをり(いきどほり)、興福(こうぶく)・園城(をんじやう)の朝【*嘲(あざけり)】にあらずや。此(この)
時(とき)顕密(けんみつ)のあるじを失(うしな)(ッ)て、数輩(すはい)の学侶(がくりよ)、蛍雪(けいせつ)
のつとめおこたらむ事(こと)心(こころ)うかるべし。詮(せん)ずる
所(ところ)、祐慶(いうけい)(ゆうけい)張本(ちやうぼん)に処(しよ)せられて、禁獄(きんごく)流罪(るざい)も
せられ、かうべを刎(はね)られん事(こと)、今生(こんじやう)の面目(めんぼく)、
冥途(めいど)の思出(おもひで)なるべし」とて、双眼(さうがん)より涙(なみだ)をは
らはらとながす。大衆(だいしゆ)尤々(もつとももつとも)とぞ同(どう)じける。
それよりしてこそ、祐慶(いうけい)(ゆうけい)はいか目房(めばう)とはいは
P02167
れけれ。其(その)弟子(でし)に恵慶【*慧恵】法師(ゑけいほふし)をば、時(とき)の人(ひと)こい
かめ房(ばう)とぞ申(まうし)ける。P149大衆(だいしゆ)、前座主(せんざす)をば東塔(とうだふ)(とうだう)
の南谷(みなみだに)妙光坊(めうくわうばう)(めうくはうばう)へ入(いれ)奉(たてまつ)る。時(とき)の横災(わうざい)をば権化(ごんげ)
の人(ひと)ものがれ給(たま)はざるやらん。昔(むかし)大唐(だいたう)の一行
阿闍梨(いちぎやうあじやり)は、玄宗皇帝(げんそうくわうてい)(げんそうくはうてい)の御持僧【護持僧】(ごぢそう)にておはし
けるが、玄宗(げんそう)の后(きさき)楊貴妃(やうきひ)に名(な)を立(たち)給(たま)へり。昔(むかし)
もいまも、大国(だいこく)も小国(せうこく)も、人(ひと)の口(くち)のさがなさは、
跡(あと)かたなき事(こと)なりしか共(ども)、其(その)疑(うたがひ)によ(ッ)て果羅
P02168
国(くわらこく)(くはらこく)へながされ給(たまふ)。件(くだん)の国(くに)へは三(みつ)の道(みち)あり。林池
道(りんちだう)とて御幸(ごかう)みち【道】、幽地道(いうちだう)(ゆうちだう)とて雑人(ざふにん)(ざうにん)のかよふ
道(みち)、暗穴道(あんけつだう)とて重科(ぢゆうくわ)(ぢうくわ)の者(もの)をつかはす道(みち)也(なり)。
されば彼(かの)一行阿闍梨(いちぎやうあじやり)は大犯(だいぼん)の人(ひと)なれば
とて、暗穴道(あんけつだう)へぞつかはしける。七日七夜(なぬかななよ)が間(あひだ)(あいだ)、
月日(つきひ)の光(ひかり)を見(み)ずして行(ゆく)道(みち)也(なり)。冥々(みやうみやう)とし
て人(ひと)もなく、行歩(かうほ)に前途(せんど)まよひ、深々(しんしん)として
山(やま)ふかし。只(ただ)澗谷(かんこく)に鳥(とり)の一声(ひとこゑ)ばかりにて、苔(こけ)の
P02169
ぬれ衣(ぎぬ)ほしあへず。無実(むじつ)の罪(つみ)によ(ッ)て遠流(をんる)
の重科(ぢゆうくわ)(ぢうくわ)をかうぶる事(こと)を、天道(てんたう)(てんだう)あはれみ給(たまひ)
て、九曜(くえう)(くよう)のかたちを現(げん)じつつ、一行阿闍梨(いちぎやうあじやり)
をまもり給(たまふ)。時(とき)に一行(いちぎやう)右(みぎ)の指(ゆび)をくひき(ッ)て、
左(ひだり)の袂(たもと)に九曜(くえう)(くよう)のかたちを写(うつさ)れけり。和漢(わかん)両
朝(りやうてう)に真言(しんごん)の本尊(ほんぞん)たる九曜(くえう)(くよう)の曼陀羅(まんだら)是(これ)也(なり)。
『西光(さいくわうが)被斬(きられ)』S0203 大衆(だいしゆ)、前座主(せんざす)を取(とり)とどむる由(よし)、法皇(ほふわう)(はうわう)きこし
めし【聞し召し】て、いとどやすからずぞ覚(おぼ)しP150めされける。
P02170
西光法師(さいくわうほふし)(さいくはうほうし)申(まうし)けるは、「山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)みだりがはし
きう(ッ)たへ(うつたへ)【訴へ】仕(つかまつる)事(こと)、今(いま)にはじめずと申(まうし)ながら、今度(こんど)は
以外(もつてのほか)(も(ツ)てのほか)に覚(おぼえ)候(さうらふ)。是(これ)ほどの狼籍【*狼藉】(らうぜき)いまだ承(うけたまは)り及(および)(をよび)候(さうら)
はず。よくよく御(おん)いましめ候(さうら)へ」とぞ申(まうし)ける。身(み)の
只今(ただいま)亡(ほろ)びんずるをもかへりみず、山王大
師(さんわうだいし)の神慮(しんりよ)にもはばからず、かやうに申(まうし)て宸
襟(しんきん)をなやまし奉(たてまつ)る。讒臣(ざんしん)は国(くに)をみだるとい
へり。実(まこと)なる哉(かな)。叢蘭(さうらん)茂(しげ)からむとすれども、秋
P02171
風(あきのかぜ)是(これ)をやぶり、王者(わうしや)明(あきら)かならむとすれば、讒
臣(ざんしん)これをくらう【暗う】す共(とも)、かやうの事(こと)をや申(まうす)べき。
此(この)事(こと)、新大納言(しんだいなごん)成親卿(なりちかのきやう)已下(いげ)近習(きんじゆ)の人々(ひとびと)に
仰合(おほせあはせ)られて、山(やま)せめらるべしと聞(きこ)えしかば、
山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)、「さのみ王地(わうぢ)にはらまれて、詔命(ぜうめい)を
そむくべきにあらず」とて、内々(ないない)院宣(ゐんぜん)にした
がひ奉(たてまつ)る衆徒(しゆと)も有(あり)な(ン)ど(など)聞(きこ)えしかば、前座主(せんざす)
明雲大僧正(めいうんだいそうじやう)は妙光房(めうくわうばう)(めうくはうばう)におはしけるが、大衆(だいしゆ)
P02172
二心(ふたごころ)ありときいて、「つゐに(つひに)【遂に】いかなるめにかあはん
ずらむ」と、心(こころ)ぼそ気(げ)にぞの給(たま)ひける。され共(ども)
流罪(るざい)の沙汰(さた)はなかりけり。新大納言(しんだいなごん)成親卿(なりちかのきやう)は、
山門(さんもん)の騒動(さうどう)によ(ッ)て、私(わたくし)の宿意(しゆくい)をばしばらく
をさへ(おさへ)られけり。そも内義(ないぎ)支度(したく)はさまざま
なりしかども、義勢(ぎせい)ばかりでは此(この)謀反(むほん)かなふ
べうもみえ【見え】ざりしかば、さしもたのまれたり
ける多田蔵人(ただのくらんど)行綱(ゆきつな)、此(この)事(こと)無益(むやく)也(なり)と思(おもふ)心(こころ)
P02173
つきにけり。弓袋(ゆぶくろ)の料(れう)にをくら(おくら)【送ら】れたりける
布共(ぬのども)をば、直垂(ひたたれ)かたびらにP151裁(たち)ぬはせて、家子(いへのこ)
郎等(らうどう)どもにさせ【*きせ】つつ、めうちしばだたいてゐた
りけるが、倩(つらつら)平家(へいけ)の繁昌(はんじやう)する有(あり)さまを
みる【見る】に、当時(たうじ)たやすくかたぶけがたし。由(よし)な
き事(こと)にくみして(ン)げり。もし此(この)事(こと)もれぬる
ものならば、行綱(ゆきつな)まづ失(うしな)はれなんず。他人(たにん)の
口(くち)よりもれぬ先(さき)にかへり【返り】忠(ちゆう)(ちう)して、命(いのち)いか【生か】うど
P02174
思(おもふ)心(こころ)ぞつきにける。同(おなじき)五月(ごぐわつ)廿九日(にじふくにち)のさ夜(よ)ふけ
がたに、多田蔵人(ただのくらんど)行綱(ゆきつな)、入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)の西八条(にしはつでう)の亭(てい)
に参(まゐり)(まいり)て、「行綱(ゆきつな)こそ申(まうす)べき事(こと)候(さうらふ)間(あひだ)(あいだ)、まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうら)へ」と
いはせければ、入道(にふだう)(にうだう)「つねにもまいら(まゐら)【参ら】ぬものが
参(さん)じたるは何事(なにごと)(なにこと)ぞ。あれきけ」とて、主馬
判官(しゆめのはんぐわん)盛国(もりくに)を出(いだ)されたり。「人伝(ひとづて)には申(まうす)まじ
き事(こと)なり」といふ間(あひだ)(あいだ)、さらばとて、入道(にふだう)(にうだう)みづから
中門(ちゆうもん)(ちうもん)の廊(らう)へ出(いで)られたり。「夜(よ)ははるかに
P02175
ふけぬらむと(*この1字不要)。只今(ただいま)いかに、何事(なにごと)ぞや」とのた
まへば、「ひるは人(ひと)めのしげう候(さうらふ)間(あひだ)(あいだ)、夜(よ)にまぎれ
てまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。此程(このほど)院中(ゐんぢゆう)(ゐんぢう)の人々(ひとびと)の兵具(ひやうぐ)をと
とのへ、軍兵(ぐんびやう)をめされ候(さうらふ)をば、何(なに)とかきこし
めさ【聞し召さ】れ候(さうらふ)」。「夫(それ)は山(やま)攻(せめ)らるべしとこそきけ」
と、いと事(こと)もなげにぞの給(たま)ひける。行綱(ゆきつな)ちかう【近う】
より、小声(こごゑ)にな(ッ)て申(まうし)けるは、「其(その)儀(ぎ)では候(さうら)はず。
一向(いつかう)御一家(ごいつか)の御(おん)うへとこそ承(うけたまはり)候(さうら)へ」。「さて夫(それ)をば
P02176
法皇(ほふわう)(ほうわう)もしろしめさ【知ろし召さ】れたるか」。「子細(しさい)にや及(およ)び候(さうらふ)。
成親卿(なりちかのきやう)の軍兵(ぐんびやう)めされ候(さうらふ)も、院宣(ゐんぜん)とてこそ
めさ【召さ】れ候(さうら)へ。俊寛(しゆんくわん)がとふるまう【振舞】て、康頼(やすより)がかう
申(まうし)て、西光(さいくわう)(さいくはう)がと申(まうし)て」な(ン)ど(など)いふ事共(ことども)、始(はじめ)より
ありのままにはさし過(すぎ)P152ていひちらし、「いとま
申(まうし)て」とて出(いで)にけり。入道(にふだう)(にうだう)大(おほき)におどろき、大
声(おほごゑ)をも(ッ)て侍(さぶらひ)どもよびののしり給(たま)ふ。聞(きく)
もおびたたし。行綱(ゆきつな)なまじひなる事(こと)申出(まうしいだ)
P02177
して、証人(しようにん)(せうにん)にやひかれんずらむとおそろし
さ【恐ろしさ】に、大野(おほの)に火(ひ)をはな(ッ)たる心地(ここち)して、人(ひと)も
おは【追は】ぬにとり袴(ばかま)して、いそぎ門外(もんぐわい)へぞ逃出(にげいで)け
る。入道(にふだう)(にうだう)、先(まづ)貞能(さだよし)をめして、「当家(たうけ)かたぶけうす
る謀反(むほん)の輩(ともがら)、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)にみちみちたん也(なり)。一門(いちもん)の
人々(ひとびと)にもふれ申(まう)せ。侍共(さぶらひども)もよほせ」との給(たま)
へば、馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】【*まは(ッ)】てもよほす。右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)、三位
中将(さんみのちゆうじやう)(さんみのちうじやう)知盛(とももり)、頭(とうの)中将(ちゆうじやう)重衡(しげひら)、左馬頭(さまのかみ)行盛(ゆきもり)以下(いげ)の人々(ひとびと)、
P02178
甲胃(かつちう)をよろひ、弓箭(きゆうせん)(きうせん)を帯(たい)し馳集(はせあつま)る。其(その)ほか
軍兵(ぐんびやう)雲霞(うんか)のごとくに馳(はせ)つどふ。其(その)夜(よ)のうちに
西八条(にしはつでう)には、兵共(つはものども)六七千騎(ろくしちせんぎ)もあるらむとこそみえ【見え】
たりけれ。あくれば六月(ろくぐわつ)一日(ついたち)也(なり)。まだくらかり【暗かり】
けるに、入道(にふだう)(にうだう)、検非違使(けんびゐし)(けんびいし)安陪資成(あべのすけなり)をめして、「き(ッ)
と院(ゐん)の御所(ごしよ)へ参(まゐ)れ。信成【*信業】(のぶなり)をまねひ(まねい)【招】て申(まう)さう
ずるやうはよな、「近習(きんじゆ)の人々(ひとびと)、此(この)一門(いちもん)をほろぼし
て天下(てんが)をみだらんとする企(くはたて)あり。一々(いちいち)に召(めし)と(ッ)て
P02179
たづね沙汰(さた)仕(つかまつ)るべし。それをば君(きみ)もしろしめ
さ【知ろし召さ】るまじう候(さうらふ)」と申(まう)せ」とこその給(たま)ひけれ。資
成(すけなり)いそぎ御所(ごしよ)へはせ参(まゐ)り、大膳大夫(だいぜんのだいぶ)信成【*信業】(のぶなり)
よびいだいて此(この)由(よし)申(まうす)に、色(いろ)を失(うしな)ふ。御前(ごぜん)へ
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て此(この)由(よし)奏問(そうもん)しければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)「あは、これら
が内々(ないない)はかりし事(こと)のもれにけるよ」と覚(おぼ)しめ
すにあさまし。さるにても、「こは何事(なにごと)ぞ」とP153
ばかり仰(おほせ)られて、分明(ふんみやう)の御返事(おんペんじ)もなかりけり。
P02180
資成(すけなり)いそぎ馳帰(はせかへつ)て、入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)に此(この)由(よし)申(まう)せば、
「さればこそ。行綱(ゆきつな)はまことをいひけり。この事(こと)
行綱(ゆきつな)しらせずは、浄海(じやうかい)安穏(あんをん)に有(ある)べしや」とて、
飛騨守(ひだのかみ)景家(かげいへ)・筑後守(ちくごのかみ)貞能(さだよし)に仰(おほせ)て、謀反(むほん)の
輩(ともがら)からめとるべき由(よし)下知(げぢ)せらる。仍(よつて)二百余(にひやくよ)き、
三百余騎(さんびやくよき)、あそこここにをし(おし)よせをし(おし)よせからめとる。
太政入道(だいじやうにふだう)(だいじやうにうだう)まづ雑色(ざつしき)をも(ッ)て、中御門(なかのみかど)烏丸(からすまる)の
新大納言(しんだいなごん)成親卿(なりちかのきやう)の許(もと)へ、「申合(まうしあはす)べき事(こと)あり。
P02181
き(ッ)と立(たち)より給(たま)へ」との給(たま)ひつかはされたり
ければ、大納言(だいなごん)我(わが)身(み)の上(うへ)とは露(つゆ)しらず、
「あはれ、是(これ)は法皇(ほふわう)(ほうわう)の山(やま)攻(せめ)らるべき事(こと)
御結構(ごけつこう)あるを、申(まうし)とどめられんずるにこそ。
御(おん)いきどをり(いきどほり)【憤】ふかげ也(なり)。いかにもかなふまじ
きものを」とて、ないきよげ【萎清気】なる布衣(ほうい)たを
やかにきなし、あざやかなる車(くるま)にのり、侍(さぶらひ)三
四人(さんしにん)めしぐし【召具し】て、雑色(ざつしき)牛飼(うしかひ)に至(いた)るまで、つね
P02182
よりも引(ひき)つくろはれたり。そも最後(さいご)とは後(のち)に
こそおもひ【思ひ】しられけれ。西八条(にしはつでう)ちかうな(ッ)てみ給(たま)
へば、、四五町(しごちやう)に軍兵(ぐんびやう)みちみちたり。「あなおび
たたし。何事(なにごと)(なきごと)やらん」と、むねうちさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】、車(くるま)
よりおり、門(もん)の内(うち)にさし入(い)(ッ)て見(み)給(たま)へば、内(うち)にも
兵(つはもの)どもひま【隙】はざまもなうぞみちみちたる。中
門(ちゆうもん)(ちうもん)の口(くち)におそろしげ【恐ろし気】なる武士共(ぶしども)あまた待(まち)う
けて、大納言(だいなごん)の左右(さう)の手(て)をと(ッ)てひ(ッ)(ひつ)【引つ】ぱり、「いま
P02183
しむべう候(さうらふ)やらむ」と申(まうす)。入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)簾中(れんちゆう)(れんちう)より
見P154出(みいだ)して、「有(ある)べうもなし」との給(たま)へば、武士共(ぶしども)十
四五人(じふしごにん)、前後左右(ぜんごさう)に立(たち)かこみ、縁(えん)(ゑん)の上(うへ)にひ
きのぼせて、ひとま〔なる〕所(ところ)にをし(おし)こめて(ン)げり。
大納言(だいなごん)夢(ゆめ)の心(ここ)ちして、つやつやものも覚(おぼ)え
給(たま)はず。供(とも)なりつる侍共(さぶらひども)をし(おし)へだてられて、
ちりぢりに成(なり)ぬ。雑色(ざつしき)・牛飼(うしかひ)色(いろ)をうしなひ、牛(うし)・
車(くるま)をすてて逃(にげ)さりぬ。さる程(ほど)に、近江中将(あふみのちゆうじやう)(あふみのちうじやう)入道(にふだう)(にうだう)
P02184
蓮浄(れんじやう)、法勝寺執行(ほつしようじのしゆぎやう)(ほつせうじのしゆぎやう)俊寛僧都(しゆんくわんそうづ)(しゆんくはんそうづ)、山城守(やましろのかみ)基兼(もとかぬ)、
式部大輔(しきぶのたいふ)(しきぶのたゆふ)正綱(まさつな)、平(へい)判官(はんぐわん)康頼(やすより)、宗(むね)判官(はんぐわん)信房(のぶふさ)、新
平(しんぺい)判官(はんぐわん)資行(すけゆき)もとらはれて出来(いでき)たり。西光
法師(さいくわうほつし)(さいくはうほつし)此(この)事(こと)きいて、我(わが)身(み)のうへとや思(おもひ)けむ、鞭(むち)
をあげ、院(ゐん)の御所(ごしよ)法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)へ馳参(はせまゐ)る。平家(へいけ)の
侍共(さぶらひども)道(みち)にて馳(はせ)むかひ、「西八条(にしはつでう)へめさるるぞ。き(ッ)と
まいれ」といひければ、「奏(そう)すべき事(こと)があ(ッ)て法
住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)へ参(まゐ)る。やがてこそ参(まゐ)らめ」といひけれ
P02185
共(ども)、「に(ッ)くひ(につくい)入道(にふだう)(にうだう)かな、何事(なにごと)をか奏(そう)すべき。さな
いはせそ」とて、馬(むま)よりと(ッ)て引(ひき)おとし、ちう【宙】に
くく(ッ)【括つ】て西八条(にしはつでう)へさげて参(まゐ)る。日(ひ)のはじめより根
元(こんげん)与力(よりき)の者(もの)なりければ、殊(こと)につよういましめて、
坪(つぼ)の内(うち)にぞひ(ッ)すへ(ひつすゑ)【引据】たる。入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)大床(おほゆか)にた(ッ)て、
「入道(にふだう)(にうだう)かたぶけうどするやつがなれるすがたよ。
しやつここへ引(ひき)よせよ」とて、縁(えん)(ゑん)のきはに引(ひき)
よせさせ、物(もの)はき【履】ながらしや(ッ)つらをむずむず
P02186
とぞふまれける。「もとよりをのれら(おのれら)【己等】がや
うなる下臈(げらう)のはてを、君(きみ)のめしつかはせ給(たま)ひ
て、なさるまじき官職(くわんしよく)をなしたび、父子(ふし)共(とも)
に過分(くわぶん)のふるまひP155するとみしにあはせて、
あやまたぬ天台座主(てんだいざす)流罪(るざい)に申(まうし)おこな
ひ、天下(てんが)の大事(だいじ)引(ひき)出(いだ)いて、剰(あまつさへ)(あま(ツ)さへ)此(この)一門(いちもん)亡(ほろ)ぼすべ
き謀反(むほん)にくみして(ン)げるやつ也(なり)。有(あり)のままに
申(まう)せ」とこその給(たま)ひけれ。西光(さいくわう)(さいくはう)もとより
P02187
すぐれたる大剛(だいかう)の者(もの)なりければ、ち(ッ)とも色(いろ)も
変(へん)ぜす、わろびれたるけひき(けいき)【景色】もなし。居(ゐ)なを
り(なほり)【直り】あざわら(ッ)(わらつ)【笑つ】て申(まうし)けるは、「さもさうず。入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)こ
そ過分(くわぶん)の事(こと)をばの給(たま)へ。他人(たにん)の前(まへ)はしら【知ら】ず、
西光(さいくわう)(さいくはう)がきかん所(ところ)にさやうの事(こと)をば、えこその
給(たま)ふまじけれ。院中(ゐんぢゆう)(ゐんぢう)に[M 召(めし)]つかはるる身(み)なれば、
執事(しつし)の別当(べつたう)成親卿(なりちかのきやう)の院宣(ゐんぜん)とて催(もよほ)(もよお)されし
事(こと)に、くみせずとは申(まうす)べき様(やう)なし。それはくみし
P02188
たり。但(ただし)、耳(みみ)にとまる事(こと)をもの給(たま)ふものかな。
御辺(ごへん)は故刑部卿(こぎやうぶきやう)忠盛(ただもり)の子(こ)でおはせしかども、
十四五(じふしご)までは出仕(しゆつし)もし給(たま)はず。故中御門(こなかのみかどの)藤
中納言(とうぢゆうなごん)(とうぢうなごん)家成卿(かせいのきやう)の辺(へん)に立入(たちいり)給(たまひ)しをば、京(きやう)わ
らはべは高平太(たかへいだ)とこそいひしか。保延(ほうえん)の比(ころ)、大
将軍(たいしやうぐん)承(うけたまは)り、海賊(かいぞく)の張本(ちやうぼん)卅(さんじふ)余人(よにん)からめ進(しん)ぜら
れし賞(しやう)に、四品(しほん)して四位(しゐ)の兵衛佐(ひやうゑのすけ)と申(まう)し
しをだに、過分(くわぶん)とこそ時(とき)の人々(ひとびと)は申(まうし)あはれ
P02189
しか。殿上(てんじやう)のまじはりをだにきらはれし人(ひと)
の子(こ)で、太政大臣(だいじやうだいじん)まで成(なり)あが(ッ)たるや過分(くわぶん)なる
らん。侍品(さぶらひほん)の者(もの)の受領(じゆりやう)検非違使(けんびゐし)(けんびいし)になる
事(こと)、先例(せんれい)傍例(ほうれい)なきにあらず。なじかは過分(くわぶん)
なるべき」と、はばかる所(ところ)もなう申(まうし)ければ、入道(にふだう)(にうだう)
あまりにいか(ッ)て物(もの)もの給(たま)はず。しばしあ(ッ)て「しや
つが頸(くび)左右(さう)なうきるな。よくよくいましめよ」と
ぞの給(たま)ひけP156る。松浦太郎重俊(まつらのたらうしげとし)承(うけたまはつ)て、足手(あして)を
P02190
はさみ、さまざまにいためとふ。もとよりあらが
ひ申(まう)さぬうへ、糾問(きうもん)はきびしかりけり、残(のこり)なう
こそ申(まうし)けれ。白状(はくじやう)四五枚(しごまい)に記(き)せられ、やがて、「しや
つが口(くち)をさけ」とて口(くち)をさかれ、五条西朱雀(ごでうにしのしゆしやか)に
してきられにけり。嫡子(ちやくし)前加賀守(さきのかがのかみ)師高(もろたか)、尾
張(をはり)(おはり)の井戸田(ゐどた)へながされたりけるを、同(おなじ)国(くに)の
住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)小胡麻郡司(をぐまのぐんじ)維季(これすゑ)に仰(おほせ)てうたれぬ。次男(じなん)
近藤(こんどう)判官(はんぐわん)師経(もろつね)禁獄(きんごく)せられたりけるを、
P02191
獄(ごく)より引(ひき)出(いだ)され、六条河原(ろくでうがはら)にて誅(ちゆう)(ちう)せらる。その
弟(おとと)左衛門尉(さゑもんのじよう)(さゑもんのぜう)師平(もろひら)、郎等(らうどう)三人(さんにん)、同(おなじ)く首(くび)をはね
られけり。是等(これら)はいふかひなき物(もの)の秀(ひいで)て、い
ろう(いろふ)【綺ふ】まじき事(こと)にいろひ【綺ひ】、あやまたぬ天台座
主(てんだいざす)流罪(るざい)に申(まうし)おこなひ、果報(くわほう)やつきにけむ、
山王大師(さんわうだいし)の神罰(しんばつ)冥罰(みやうばつ)をたちどころに
かうぶ(ッ)て、かかる目(め)にあへりけり。『小教訓(こげうくん)』S0204 新大納言(しんだいなごん)、ひとま
なる所(ところ)にをし(おし)こめられ、あせ水(みづ)になりつつ、
P02192
「あはれ、これは日来(ひごろ)のあらまし事(ごと)のもれきこ
えけるにこそ。誰(たれ)もらしつらむ。定(さだめ)て北面(ほくめん)の
者共(ものども)が中(なか)にこそ有(ある)らむ」な(ン)ど(など)、思(おも)はじ事(こと)なう案(あん)
じつづけておはしけるに、うしろのかたより
足(あし)をと(おと)【音】のたからかにしければ、すは只今(ただいま)わ
が命(いのち)をうしなはんとて、P157もののふ【武士】共(ども)が参(まゐ)るに
こそとまち給(たま)ふに、入道(にふだう)(にうだう)みづからいたじき【板敷】
たからか【高らか】にふみならし、大納言(だいなごん)のおはしけるうし
P02193
ろの障子(しやうじ)をさ(ッ)とあけられたり。素絹(そけん)の衣(ころも)の
みじからかなるに、白(しろ)き大口(おほくち)ふみくくみ、ひじりづ
かの刀(かたな)をし(おし)くつろげてさすままに、以外(もつてのほか)(も(ツ)てのほか)いか
れるけしきにて、大納言(だいなごん)をしばしにらまへ、「抑(そもそも)
御辺(ごへん)は平治(へいぢ)にもすでに誅(ちゆう)(ちう)せらるべかりしを、内
府(だいふ)が身(み)にかへて申(まうし)なだめ、頸(くび)をつぎたてま(ッ)【奉】し
はいかに。何(なに)の遺恨(ゐこん)(いこん)をも(ッ)て、此(この)一門(いちもん)ほろぼすべき
由(よし)御結構(ごけつこう)は候(さうらひ)けるやらん。恩(おん)をしるを人(ひと)とは
P02194
いふぞ。恩(おん)をしらぬをちく【畜】生(しやう)とこそいへ。然
共(しかれども)当家(たうけ)の運命(うんめい)(うむめい)つきぬによ(ッ)て、むかへ奉(たて)ま(ッ)た
り。日来(ひごろ)の御結構(ごけつこう)の次第(しだい)、直(ぢき)に承(うけたまは)らむ」とぞ
の給(たま)ひける。大納言(だいなごん)「ま(ッ)たくさる事(こと)候(さうら)はず。人(ひと)
の讒言(ざんげん)にてぞ候(さうらふ)らん。よくよく御尋(おんたづね)候(さうら)へ」と申(まう)
されければ、入道(にふだう)(にうだう)いはせもはてず、「人(ひと)やあ
る、人(ひと)やある」とめされければ、貞能(さだよし)参(まゐ)りたり。「西
光(さいくわう)(さいくはう)めが白状(はくじやう)まいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」と仰(おほせ)られければ、も(ッ)てま
P02195
いり(まゐり)【参り】たり。これをと(ッ)て二三返(にさんべん)をし(おし)返(かへし)をし(おし)返(かへし)よみ
きかせ、「あなにくや。此(この)うへ【上】をば何(なに)と陳(ちん)ずべき」
とて、大納言(だいなごん)のかほにさ(ッ)となげ【投げ】かけ、障子(しやうじ)をちや
うどたててぞ出(いで)られける。入道(にふだう)(にうだう)、猶(なほ)腹(はら)をすへ(すゑ)【据ゑ】
かねて、「経遠(つねとほ)(つねとを)・兼康(かねやす)」とめせば、瀬尾太郎(せのをのたらう)(せのおのたらう)・難波
二郎【*次郎】(なんばのじらう)、まいり(まゐり)【参り】たり。「あの男(をとこ)(おとこ)と(ッ)て庭(には)へ引(ひき)おとせ」
との給(たま)へば、これらはさう【左右】なうもしたてま
つらず、畏(かしこまつ)て、「小松殿(こまつどの)の御気色(ごきしよく)いかが候(さうら)はんずP158ら
P02196
ん」と申(まうし)ければ、入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)大(おほき)にいか(ッ)て、「よしよし、を
のれら(おのれら)【己等】は内府(だいふ)が命(めい)をばをもう(おもう)【重う】して、入道(にふだう)(にうだう)が仰(おほせ)
をばかろう【軽う】しけるごさんなれ。其上(そのうへ)は力(ちから)及(およ)はず」
との給(たま)へば、此(この)事(こと)あしかりなんとやおもひ【思ひ】けん、
二人(ににん)のもの共(ども)立(たち)あがり、大納言(だいなごん)を庭(には)へ引(ひき)お
とし奉(たてまつ)る。其(その)時(とき)入道(にふだう)(にうだう)心(ここ)ちよげにて、「と(ッ)てふせ
ておめか(をめか)【喚か】せよ」とぞの給(たま)ひける。二人(ににん)の者共(ものども)、
大納言(だいなごん)の左右(さう)の耳(みみ)に口(くち)をあてて、「いかさまに
P02197
も御声(おんこゑ)のいづべう候(さうらふ)」とささやいてひきふせ
奉(たてまつ)れば、二(ふた)こゑ【声】三声(みこゑ)ぞおめか(をめか)【喚か】れける。其(その)体(てい)冥
途(めいど)にて、娑婆世界(しやばせかい)の罪人(ざいにん)を、或(あるい)(あるひ)は業(ごふ)(ごう)のはか
りにかけ、或(あるい)(あるひ)は浄頗梨(じやうはり)のかがみにひきむ
けて、罪(つみ)の軽重(きやうぢゆう)(きやうぢう)に任(まかせ)つつ、阿防羅刹(あはうらせつ)が呵嘖(かしやく)
すらんも、これには過(すぎ)じとぞみえ【見え】し。蕭樊(せうはん)とら
はれとらはれて、韓彭(かんぽう)にらきすされたり。兆錯(てうそ)戮(りく)
をうけて、周儀【*周魏】(しうぎ)つみせらる。たとへば、蕭何(せうが)・樊
P02198
噌(はんくわい)・韓信(かんしん)・彭越(はうゑつ)(ほうゑつ)、是等(これら)は高祖(かうそ)の忠臣(ちうしん)なりしか共(ども)、
小人(せうじん)の讒(ざん)によ(ッ)て過敗(くわはい)の恥(はぢ)をうく共(とも)、かやうの
事(こと)をや申(まうす)べき。新大納言(しんだいなごん)は我(わが)身(み)のかくなるに
つけても、子息(しそく)丹波少将(たんばのせうしやう)成経(なりつね)以下(いげ)、おさな
き(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)、いかなるめ【目】にかあふらむと、おもひ【思ひ】やる
にもおぼつかなく、さばかりあつき六月(ろくぐわつ)に、
装束(しやうぞく)だにもくつろげず、あつさ【暑さ】もたへ【堪へ】がた
ければ、むね【胸】せきあぐる心(ここ)ちして、あせも
P02199
涙(なみだ)もあらそひてぞながれ【流れ】ける。「さり共(とも)小松殿(こまつどの)は
思食(おぼしめし)はなたじ物(もの)を」との給(たま)へども、誰(たれ)して申(まうす)
べし共(とも)覚(おぼ)え給(たま)はず。P159小松(こまつ)のおとどは、其(その)後(のち)遥(はるか)
に程(ほど)へて、嫡子(ちやくし)権亮少将(ごんのすけせうしやう)車(くるま)のしりにのせつ
つ、衛府(ゑふ)四五人(しごにん)、随身(ずいじん)二三人(にさんにん)召(めし)具(ぐ)して、兵(つはもの)一人(いちにん)
もめしぐせ【召具せ】られず、殊(こと)に大様(おほやう)げでおはした
り。入道(にふだう)(にうだう)をはじめ奉(たてまつ)て、人々(ひとびと)皆(みな)おもは【思は】ずげに
ぞ見(み)給(たま)ひける。車(くるま)よりおり給(たまふ)所(ところ)に、貞能(さだよし)
P02200
つ(ッ)と参(まゐ)(ッ)て、「などこれ程(ほど)の御大事(おんだいじ)に、軍兵共(ぐんびやうども)
をばめしぐせ【召具せ】られ候(さうら)はぬぞ」と申(まう)せば、「大事(だいじ)とは
天下(てんが)の大事(だいじ)をこそいへ。かやうの私(わたくし)ごとを大事(だいじ)
と云(いふ)様(やう)やある」との給(たま)へば、兵杖(ひやうぢやう)を帯(たい)し
たる者共(ものども)も、皆(みな)そぞろいてぞみえ【見え】ける。「そも
大納言(だいなごん)をばいづくにをか(おか)【置か】れたるやらん」とて、
ここかしこの障子(しやうじ)引(ひき)あけ引(ひき)あけ見(み)給(たま)へば、
ある障子(しやうじ)のうへに、蜘手(くもで)ゆふ(ゆう)【結う】たる所(ところ)あり。ここ
P02201
やらむとてあけられたれば、大納言(だいなごん)おはし
けり。涙(なみだ)にむせびうつぶして、めも見(み)あはせ給(たま)
はず。「いかにや」との給(たま)へば、其(その)時(とき)みつけ奉(たてまつ)
り、うれしげに思(おも)はれたるけしき、地獄(ぢごく)に
て罪人(ざいにん)どもが地蔵菩薩(ぢざうぼさつ)を見(み)奉(たてまつる)らむも、
かくやとおぼえてあはれ【哀】也(なり)。「何事(なにごと)にて候(さうらふ)や
らん、かかるめにあひ候(さうらふ)。さてわたらせ給(たま)へば、
さり共(とも)とこそたのみまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へ。平治(へいぢ)にも
P02202
既(すでに)誅(ちゆう)(ちう)せらるべきで候(さうらひ)しが、御恩(ごおん)をも(ッ)て頸(くび)をつ
がれまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、正二位(じやうにゐ)の大納言(だいなごん)にあが(ッ)て、歳(とし)す
でに四十(しじふ)にあまり候(さうらふ)。御恩(ごおん)こそ生々世々(しやうじやうせせ)にも報(ほう)
じつくしがたう候(さうら)へ。今度(こんど)も同(おなじく)はかひなき
命(いのち)をたすけさせおP160はしませ。命(いのち)だにいき【生き】て候(さうら)
はば、出家入道(しゆつけにふだう)(しゆつけにうだう)して高野(かうや)粉川【*粉河】(こかは)に閉籠(とぢこも)り、一
向(ひたすら)後世菩提(ごせぼだい)のつとめをいとなみ候(さうら)はむ」と申(まう)
されければ、「さは候(さうらふ)共(とも)、よも御命(おんいのち)失(うしな)ひ奉(たてまつ)る
P02203
まではよも候(さうら)はじ。縦(たとひ)さは候(さうらふ)とも、重盛(しげもり)かうで
候(さうら)へば、御命(おんいのち)にもかはり奉(たてまつ)るべし」とて出(いで)られけ
り。父(ちち)の禅門(ぜんもん)の御(おん)まへにおはして、「あの成親卿(なりちかのきやう)
うしなはれん事(こと)、よくよく御(おん)ぱからひ候(さうらふ)べし。先
祖(せんぞ)修理大夫(しゆりのだいぶ)顕季(あきすゑ)、白川院【*白河院】(しらかはのゐん)にめしつかはれて
よりこのかた、家(いへ)に其(その)例(れい)なき正二位(じやうにゐ)の大
納言(だいなごん)にあが(ッ)て、当時(たうじ)君(きみ)無双(ぶさう)の御(おん)いとおしみ(いとほしみ)な
り。やがて首(くび)をはねられん事(こと)、いかが候(さうらふ)べからむ。
P02204
都(みやこ)の外(ほか)へ出(いだ)されたらむに事(こと)たり候(さうらひ)なん。北野
天神(きたののてんじん)は時平(しへい)のおとどの讒奏(ざんそう)にてうき名(な)を
西海(さいかい)の浪(なみ)にながし、西宮(にしのみや)の大臣(おとど)は多田(ただ)の満仲(まんぢゆう)(まんぢう)
が讒言(ざんげん)にて恨(うらみ)を山陽(せんやう)(せんよう)の雲(くも)によす。これ皆(みな)
延喜(えんぎ)の聖代(せいたい)、安和(あんわ)の御門(みかど)の御(おん)ひが事(こと)とぞ申(まうし)
つたへたる。上古(しやうこ)猶(なほ)(なを)かくのごとし、况(いはん)や末代(まつだい)に
をいて(おいて)をや。賢王(けんわう)猶(なほ)(なを)御(おん)あやまりあり、况(いはん)や
凡人(ぼんにん)にをいて(おいて)をや。既(すで)に召(めし)をか(おか)【置か】れぬるうへは、
P02205
いそぎうしなはれずとも、なんのくるしみか候(さうらふ)べき。
「刑(けい)の疑(うたが)はしきをばかろんぜよ。功(こう)のうたがはし
きをばをもんぜよ(おもんぜよ)【重んぜよ】」とこそみえ【見え】て候(さうら)へ。事(こと)あた
らしく候(さうら)へども、重盛(しげもり)彼(かの)大納言(だいなごん)が妹(いもうと)に相(あひ)ぐし
て候(さうらふ)。維盛(これもり)又(また)聟(むこ)なり。かやうにしたしく成(な)(ッ)て
候(さうら)へば申(まうす)とや、おぼしめさ【思召さ】れ候(さうらふ)らん。其(その)儀(ぎ)では候(さうら)
はず。世(よ)のため、君(きみ)のため、家(いへ)のための事(こと)を
も(ッ)て申(まうし)候(さうらふ)。一(ひと)P161とせ、故少納言(こせうなごんの)入道(にふだう)(にうだう)信西(しんせい)が執権(しつけん)
P02206
の時(とき)に相(あひ)あた(ッ)て、我(わが)朝(てう)には嵯峨皇帝(さがのくわうてい)の御時(おんとき)、
右兵衛督(うひやうゑのかみ)藤原仲成(ふぢはらのなかなり)を誅(ちゆう)(ちう)せられてよりこ
のかた、保元(ほうげん)までは君(きみ)廿五代(にじふごだい)の間(あひだ)(あいだ)おこなはれ
ざりし死罪(しざい)をはじめてとりおこなひ、宇治(うぢ)の
悪左府(あくさふ)の死骸(しがい)をほりおこいて実験【*実検】(じつけん)せら
れし事(こと)な(ン)ど(など)は、あまりなる御政(おんまつりごと)とこそ覚(おぼ)え
候(さうらひ)しか。さればいにしへの人々(ひとびと)も、「死罪(しざい)をおこ
なへば海内(かいだい)に謀反(むほん)の輩(ともがら)たえず」とこそ申
P02207
伝(まうしつたへ)て候(さうら)へ。此(この)詞(ことば)について、中(なか)二年(にねん)あ(ッ)て、平治(へいぢ)に
又(また)信西(しんせい)がうづまれたりしをほり出(いだ)し、首(くび)を
刎(はね)て大路(おほち)をわたされ候(さうらひ)にき。保元(ほうげん)に申行(まうしおこな)ひし
事(こと)、いくほどもなく身(み)の上(うへ)にむかはりにきと思(おも)
へば、おそろしう【恐ろしう】こそ候(さうらひ)しか。是(これ)はさせる朝敵(てうてき)に
もあらず。かたがたおそれ【恐れ】有(ある)べし。御栄花(ごえいぐわ)残(のこ)る所(ところ)
なければ、覚(おぼ)しめす事(こと)有(ある)まじければ、子々
孫々(ししそんぞん)までも繁昌(はんじやう)こそあらまほしう候(さうら)へ。父祖(ふそ)の
P02208
善悪(ぜんあく)は必(かならず)子孫(しそん)に及(およ)(をよ)ぶとみえ【見え】て候(さうらふ)。積善(しやくぜん)の家(いへ)に
余慶(よけい)あり、積悪(しやくあく)の門(かど)に余殃(よわう)とどまるとこそ
承(うけたま)はれ。いかさまにも今夜(こよひ)首(くび)を刎(はね)られん事(こと)、然(しかる)
べうも候(さうら)はず」と申(まう)されければ、入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)げに
もとや思(おも)はれけむ、死罪(しざい)は思(おも)ひとどまり給(たま)ひぬ。
其(その)後(のち)おとど中門(ちゆうもん)(ちうもん)に出(いで)て、侍共(さぶらひども)にの給(たま)ひけるは、
「仰(おほせ)なればとて、大納言(だいなごん)左右(さう)なう失(うしな)ふ事(こと)有(ある)べか
らず。入道(にふだう)(にうだう)腹(はら)のたちのままに、物(もの)さはがしき(さわがしき)【騒がしき】事(こと)
P02209
し給(たま)ひては、後(のち)に必(かならず)くやみ給(たま)ふべし。僻事(ひがこと)
してわれうらむな」との給(たま)へば、兵共(つはものども)皆(みな)舌(した)をP162ふ(ッ)
ておそれ【恐れ】をののく。「さても経遠(つねとほ)(つねとを)・兼康(かねやす)がけさ
大納言(だいなごん)に情(なさけ)なうあたりける事(こと)、返々(かへすがへす)も奇怪(きくわい)(き(ツ)くわい)
也(なり)。重盛(しげもり)がかへり聞(きか)ん所(ところ)をば、などかははばからざる
べき。かた田舎(いなか)のもの共(ども)はかかるぞよ」との給(たま)へ
ば、難波(なんば)も瀬尾(せのを)(せのお)もともにおそれ【恐れ】入(いり)たりけり。
おとどはかやうにの給(たま)ひて、小松殿(こまつどの)へぞ帰(かへ)られける。
P02210
さる程(ほど)に、大納言(だいなごん)の供(とも)なりつる侍共(さぶらひども)、中御門(なかのみかど)烏丸(からすまる)
の宿所(しゆくしよ)へはしり【走り】帰(かへり)て、此(この)由(よし)申(まう)せば、北方(きたのかた)以下(いげ)の
女房達(にようばうたち)、声(こゑ)もおしま(をしま)【惜ま】ずなき【泣き】さけぶ【叫ぶ】。「既(すでに)武士(ぶし)
のむかひ候(さうらふ)。少将殿(せうしやうどの)を始(はじめ)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、君達(きんだち)も皆(みな)
とらせ【*れ】させ給(たま)ふべしとこそ聞(きこ)え候(さうら)へ。急(いそ)ぎいづ
方(かた)へもしのばせ給(たま)へ」と申(まうし)ければ、「今(いま)はこれほ
どの身(み)に成(な)(ッ)て、残(のこ)りとどまるとても、安穏(あんをん)に
て何(なに)にかはせむ。只(ただ)同(おな)じ一夜(ひとよ)の露(つゆ)ともきえん事(こと)
P02211
こそ本意(ほんい)なれ。さてもけさはかぎりとしら【知ら】ざ
りけるかなしさよ」とて、ふしまろびてぞなか【泣か】
れける。既(すでに)武士共(ぶしども)のちかづく由(よし)聞(きこ)えしかば、
かくて又(また)はぢ【恥】がましく、うたてきめ【目】をみむも
さすがなればとて、十(とを)に成(なり)給(たま)ふ女子(によし)、八歳(はつさい)の
男子(なんし)、車(くるま)に取(とり)のせ、いづくをさすともなく
やり【遣り】出(いだ)す。さても有(ある)べきならねば、大宮(おほみや)をの
ぼりに、北山(きたやま)の辺(へん)雲林院(うんりんゐん)へぞおはしける。
P02212
其(その)辺(へん)なる僧坊(そうばう)におろしをき(おき)奉(たてまつ)り、をくり(おくり)【送り】の
もの共(ども)も、身々(みみ)のすてがたさにいとま申(まうし)て帰(かへり)
けり。今(いま)はいとけなきおさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)ばかり残(のこ)
りゐて、み【*又(また)】事(こと)とふ人(ひと)もなくしておはしけん
北方(きたのかた)の心(こころ)のうち、をし(おし)はかP163られて哀(あはれ)也(なり)。暮行(くれゆく)
かげを見(み)給(たま)ふにつけては、大納言(だいなごん)の露(つゆ)の
命(いのち)、此(この)夕(ゆふべ)をかぎりなりと思(おも)ひやるにも、きえ
ぬべし。女房(にようばう)侍(さぶらひ)おほかりけれ共(ども)、物(もの)をだにとり
P02213
したためず、門(かど)をだにもをし(おし)【押し】も立(たて)ず。馬(むま)ど
もは厩(むまや)になみ【並み】たちたれども、草(くさ)かふもの一人(いちにん)
もなし。夜(よ)明(あく)れば、馬(むま)・車(くるま)門(かど)にたちなみ、賓客(ひんかく)
座(ざ)につらな(ッ)て、あそびたはぶれ、まひおどり(まひをどり)【舞踊り】、
世(よ)を世(よ)とも思(おもひ)給(たま)はず、近(ちか)きあたりの人(ひと)は
物(もの)をだにたかく【高く】いはず、おぢをそれ(おそれ)【恐れ】てこそ
昨日(きのふ)までも有(あり)しに、夜(よ)の間(ま)にかはるありさま、
盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)(ことはり)は目(めの)前(まへ)にこそ顕(あらは)れけれ。楽(たのしみ)
P02214
つきて悲(かなしみ)来(きた)るとかかれたる江相公(がうしやうこう)の筆(ふで)の
あと、今(いま)こそ思(おもひ)しられけれ。『少将(せうしやう)乞請(こひうけ)』S0205丹波少将(たんばのせうしよう)成経(なりつね)は、
其(その)夜(よ)しも院御所(ゐんのごしよ)法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)にうへ臥(ぶし)して、
いまだ出(いで)られざりけるに、大納言(だいなごん)の侍共(さぶらひども)、い
そぎ御所(ごしよ)へはせ参(まゐ)(ッ)て、少将殿(せうしやうどの)よび出(いだ)し
奉(たてまつ)り、此(この)由(よし)申(まうす)に、「などや宰相(さいしやう)のもとより、今(いま)
までしらせざるらむ」との給(たま)ひもはてねば、
宰相殿(さいしやうどの)よりとて使(つかひ)あり。此(この)宰相(さいしやう)と申(まうす)は、
P02215
入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)の弟(おとと)也(なり)。宿所(しゆくしよ)は六波羅(ろくはら)の惣門(そうもん)の内(うち)
なれば、門脇(かどわき)の宰相(さいしやう)とぞ申(まうし)ける。丹波(たんば)の
少将(せうしやう)にはしうと【舅】也(なり)。「何事(なにごと)P164にて候(さうらふ)やらん、入道
相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)のき(ッ)と西八条(にしはつでう)へ具(ぐ)し奉(たてまつ)れと候(さうらふ)」といは
せられたりければ、少将(せうしやう)此(この)事(こと)心得(こころえ)て、近習(きんじゆ)
の女房達(にようばうたち)よび出(いだ)し奉(たてまつ)り、「よべ何(なに)となう世(よ)
の物(もの)さはがしう(さわがしう)【騒がしう】候(さうらひ)しを、例(れい)の山法師(やまぼふし)(やまぼうし)の下(くだ)るか
な(ン)ど(など)、よそに思(おも)ひて候(さうら)へば、はや成経(なりつね)が身(み)の
P02216
うへにて候(さうらひ)けり。大納言(だいなごん)よさりきらるべう候(さうらふ)
なれば、成経(なりつね)も同座(どうざ)にてこそ候(さうら)はむずらめ。
いま一度(ひとたび)御前(ごぜん)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、君(きみ)をも見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】た
う候(さうら)へ共(ども)、既(すで)にかかる身(み)に罷(まかり)成(な)(ッ)て候(さうら)へば、憚存(はばかりぞんじ)候(さうらふ)」
とぞ申(まう)されける。女房達(にようばうたち)御前(ごぜん)ヘまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、此(この)由(よし)
奏(そう)せられければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)大(おほき)におどろかせ給(たま)ひ
て、「さればこそ。けさの入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)が使(つかひ)にはや
御心得(おんこころえ)あり。あは、これらが内々(ないない)はかりしことの
P02217
もれけるよ」と覚(おぼ)しめすにあさまし。「さるに
てもこれへ」と御気色(ごきしよく)有(あり)ければ、参(まゐ)られたり。
法皇(ほふわう)(ほうわう)も御涙(おんなみだ)をながさせ給(たま)ひて、仰下(おほせくだ)さるる
旨(むね)もなし。少将(せうしやう)も涙(なみだ)に咽(むせん)で、申(まうし)あぐる旨(むね)もな
し。良(やや)ありて、さても有(ある)べきならねば、少将(せうしやう)袖(そで)
をかほにあてて、泣々(なくなく)罷出(まかりいで)られけり。法皇(ほふわう)(ほうわう)はうし
ろを遥(はるか)に御覧(ごらん)じをくら(おくら)【送ら】せ給(たま)ひて、「末代(まつだい)こそ
心(こころ)うけれ。これかぎりで又(また)御覧(ごらん)ぜぬ事(こと)もや
P02218
あらむずらん」とて、御涙(おんなみだ)をながさせ給(たま)ふぞ
かたじけなき。院中(ゐんぢゆう)(ゐんぢう)の人々(ひとびと)、少将(せうしやう)の袖(そで)をひかへ、
袂(たもと)にすが(ッ)て名残(なごり)をおしみ(をしみ)【惜み】、涙(なみだ)をながさぬは
なかりけり。しうとの宰相(さいしやう)のもとへ出(いで)られたれ
ば、北方(きたのかた)はちかう産(さん)すべき人(ひと)にておはしけP165るが、今
朝(けさ)より此(この)歎(なげき)をうちそへては、既(すでに)命(いのち)もたえ【絶え】入(いる)
心(ここ)ちぞせられける。少将(せうしやう)御所(ごしよ)を罷(まかり)いづるより、
ながるる涙(なみだ)つきせぬに、北方(きたのかた)のありさまをみ【見】た
P02219
まひては、いとどせんかたなげにぞみえ【見え】られ
ける。少将(せうしやう)のめのとに、六条(ろくでう)といふ女房(にようばう)あり。
「御(おん)ち【乳】に参(まゐ)りはじめさぶらひて、君(きみ)をち【血】のなか
よりいだきあげまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、月日(つきひ)のかさなる
にしたがひて、我(わが)身(み)の年(とし)のゆく事(こと)をば歎(なげか)
ずして、君(きみ)のおとなしうならせ給(たま)ふ事(こと)をのみ
うれしう思(おも)ひ奉(たてまつ)り、あからさまとはおもへ【思へ】共(ども)、既(すでに)
廿一(にじふいち)年(ねん)ははなれ【離れ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】ず。院(ゐん)内(うち)へまいら(まゐら)【参ら】せ
P02220
給(たま)ひて、をそう(おそう)【遅う】出(いで)させ給(たまふ)だにも、おぼつかな
う思(おも)ひまいらする(まゐらする)【参らする】に、いかなる御目(おんめ)にかあはせ給(たま)
はむずらむ」となく【泣く】。少将(せうしやう)「いたうな歎(なげ)ひ(なげい)そ。宰相(さいしやう)
さておはすれば、命(いのち)ばかりはさり共(とも)こいうけ(こひうけ)【乞請】
給(たま)はむずらむ」となぐさめ給(たま)へ共(ども)、人(ひと)め【目】もしらず
なきもだへ(もだえ)【悶え】けり。西八条(にしはつでう)より使(つかひ)しきなみに
有(あり)ければ、宰相(さいしやう)「ゆきむかふ(むかう)てこそ、ともかう
もならめ」とて出給(いでたま)へば、少将(せうしやう)も宰相(さいしやう)の車(くるま)の
P02221
しりにのりてぞ出(いで)られける。保元(ほうげん)平治(へいぢ)より
このかた、平家(へいけ)の人々(ひとびと)たのしみさかへ(さかえ)【栄】のみあ(ッ)
て、愁歎(うれへなげき)はなかりしに、此(この)宰相(さいしやう)ばかりこそ、よし
なき聟(むこ)故(ゆゑ)にかかる歎(なげ)きをばせられけれ。
西八条(にしはつでう)ちかうな(ッ)て車(くるま)をとどめ、まづ案内(あんない)を
申入(まうしいれ)られければ、太政入道(だいじやうにふだう)(だいじやうにうだう)「丹波少将(たんばのせうしやう)をば、此(この)
内(うち)へはいれ【入れ】らるべからず」との給(たま)ふ間(あひだ)(あいだ)、其(その)辺(へん)ちか
き侍(さぶらひ)の家(いへ)におろしをき(おき)つつ、宰相(さいしやう)P166ばかりぞ門(かど)の
P02222
内(うち)へは入(いり)給(たま)ふ。少将(せうしやう)をば、いつしか兵共(つはものども)打(うち)かこんで、
守護(しゆご)し奉(たてまつ)る。たのまれたりつる宰相殿(さいしやうどの)には
はなれ【離れ】給(たま)ひぬ。少将(せうしやう)の心(こころ)のうち、さこそは
便(たより)なかりけめ。宰相(さいしやう)中門(ちゆうもん)(ちうもん)に居(ゐ)給(たま)ひたれば、
入道(にふだう)(にうだう)対面(たいめん)もし給(たま)はず、源(げん)大夫(だいふ)(だゆふ)判官(はんぐわん)(はんぐはん)季貞(すゑさだ)を
も(ッ)て申入(まうしいれ)られけるは、「由(よし)なきものにしたしう
成(な)(ッ)て、返々(かへすがへす)くやしう候(さうら)へ共(ども)、かひも候(さうら)はず。相具(あひぐ)し
させて候(さうらふ)ものが、此(この)ほどなやむ事(こと)の候(さうらふ)なるが、
P02223
けさより此(この)歎(なげき)をうちそへては、既(すでに)命(いのち)もたえ
なんず。何(なに)かはくるしう【苦しう】候(さうらふ)べき。少将(せうしやう)をばしばらく
教盛(のりもり)にあづけさせおはしませ。教盛(のりもり)かうで候(さうら)へ
ば、なじかはひが事(こと)せさせ候(さうらふ)べき」と申(まう)されければ、
季貞(すゑさだ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て此(この)由(よし)申(まう)す。「あはれ、例(れい)の宰相(さいしやう)が、物(もの)に
心(こころ)えぬ」とて、とみに返事(へんじ)もし給(たま)はず。ややあり
て、入道(にふだう)(にうだう)の給(たま)ひけるは、「新大納言(しんだいなごん)成親(なりちか)、この一
門(いちもん)をほろぼして、天下(てんが)を乱(みだ)らむとする企(くはたて)あり。此(この)
P02224
少将(せうしやう)は既(すでに)彼(かの)大納言(だいなごん)が嫡子(ちやくし)也(なり)。うとふもあれしたし〔う〕も
あれ、えこそ申宥(まうしなだ)むまじけれ。若(もし)此(この)謀反(むほん)とげ
ましかば、御辺(ごへん)とてもおだしうやおはすべきと
申(まう)せ」とこその給(たま)ひけれ。季貞(すゑさだ)かへりまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、此(この)
由(よし)宰相(さいしやう)に申(まうし)ければ、誠(まことに)ほいな【本意無】げで、重(かさね)て申(まう)
されけるは、「保元(ほうげん)平治(へいぢ)よりこのかた、度々(どど)の合
戦(かつせん)にも、御命(おんいのち)にかはりまいらせ(まゐらせ)【参らせ】むとこそ存(ぞんじ)候(さうら)へ。
此(この)後(のち)もあらき風(かぜ)をばまづふせき【防き】参(まゐ)らせ候(さうら)
P02225
はんずるに、たとひ教盛(のりもり)こそ年老(としおい)て候(さうらふ)とも、
わかき子共(こども)あまた候(さうら)へば、一方(いつぱう)の御固(おんかため)にP167はなどか
なら【成ら】で候(さうらふ)べき。それに成経(なりつね)しばらくあづからうど
申(まう)すを御(おん)ゆるされなきは、教盛(のりもり)を一向(いつかう)二心(ふたごころ)
ある者(もの)とおぼしめす【思召す】にこそ。是(これ)ほどうしろめた
う思(おも)はれまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ては、世(よ)にあ(ッ)ても何(なに)にかはし
候(さうらふ)べき。今(いま)はただ身(み)のいとまをたまは(ッ)て、出家入道(しゆつけにふだう)(しゆつけにうだう)
し、かた山里(やまざと)にこもり居(ゐ)て、一(ひと)すぢに後世菩
P02226
提(ごせぼだい)のつとめをいとなみ候(さうら)はん。由(よし)なき浮世(うきよ)の
まじはり也(なり)。世(よ)にあればこそ望(のぞみ)もあれ、望(のぞみ)のか
なはねばこそ恨(うらみ)もあれ。しかじ、うき世(よ)をいとひ、実(まこと)
の道(みち)に入(いり)なんには」とぞの給(たま)ひける。季貞(すゑさだ)ま
い(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「宰相殿(さいしやうどの)ははや覚(おぼ)しめしき(ッ)て候(さうらふ)。ともかう
もよき様(やう)に御(おん)ぱからひ候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、其(その)時(とき)入
道(にふだう)大(おほき)におどろいて、「さればとて出家入道(しゆつけにふだう)(しゆつけにうだう)まで
はあまりにけしからず。其(その)儀(ぎ)ならば、少将(せうしやう)をばし
P02227
ばらく御辺(ごへん)に預(あづけ)奉(たてまつ)ると云(いふ)べし」とこその給(たま)ひ
けれ。季貞(すゑさだ)帰(かへり)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、宰相(さいしやう)に此(この)由(よし)申(まう)せば、「あ
はれ、人(ひと)の子(こ)をばもつまじかりける物かな。我(わが)子(こ)
の縁(えん)にむすぼほれざらむには、是(これ)ほど心(こころ)を
ばくだかじ物(もの)を」とて出(いで)られけり。少将(せうしやう)待(まち)うけ奉(たてまつり)て、
「さていかが候(さうらひ)つる」と申(まう)されければ、「入道(にふだう)(にうだう)あまりに
腹(はら)をたてて、教盛(のりもり)にはつゐに(つひに)【遂に】対面(たいめん)もし給(たま)はず。
かなふまじき由(よし)頻(しきり)にの給(たま)ひけれ共(ども)、出家入道(しゆつけにふだう)(しゆつけにうだう)
P02228
まで申(まうし)たればにやらん、しばらく宿所(しゆくしよ)にをき(おき)奉(たてまつ)
れとの給(たま)ひつれども、始終(しじゆう)(しじう)よかるべしともおぼえ
ず」。少将(せうしやう)「さ候(さうら)へばこそ、成経(なりつね)は御恩(ごおん)(ごをん)をも(ッ)てP168しばし
の命(いのち)ものび候(さうら)はんずるにこそ。夫(それ)につき候(さうらひ)ては、
大納言(だいなごん)が事(こと)をばいかがきこしめさ【聞し召さ】れ候(さうらふ)」。「それまでは
思(おも)ひもよらず」との給(たま)へば、其(その)時(とき)涙(なみだ)をはらはらとな
がい【流い】て、「誠(まこと)に御恩(ごおん)をも(ッ)てしばしの命(いのち)いき【生き】候(さうら)はんずる
事(こと)は、然(しかる)べう候(さうら)へ共(ども)、命(いのち)のおしう(をしう)【惜う】候(さうらふ)も、父(ちち)を今(いま)一度(ひとたび)
P02229
見(み)ばやと思(おも)ふ為(ため)也(なり)。大納言(だいなごん)がきられ候(さうら)はんにお
いては、成経(なりつね)とてもかひなき命(いのち)をいきて何(なに)
にかはし候(さうらふ)べき。ただ一所(いつしよ)でいかにもなるやうに
申(まうし)てたばせ給(たま)ふべうや候(さうらふ)らん」と申(まう)されけれ
ば、宰相(さいしやう)よにも心(こころ)くるしげ【苦し気】にて、「いさとよ。御辺(ごへん)の
事(こと)をこそとかう申(まうし)つれ。それまではおもひ【思ひ】もよら
ね共(ども)、大納言殿(だいなごんどの)の御事(おんこと)をば、今朝(けさ)〔内(うち)〕のおとどやうやう
に申(まう)されければ、それもしばしは心安(こころやす)いやうに
P02230
こそ承(うけたま)はれ」との給(たま)へば、少将(せうしやう)泣々(なくなく)手(て)を合(あはせ)てぞ
悦(よろこ)ばれける。子(こ)ならざらむ者(もの)は、誰(たれ)か只今(ただいま)我(わが)身(み)の
うへをさしをひ(おい)【置い】て、是(これ)ほどまでは悦(よろこぶ)べき。誠(まこと)の契(ちぎり)
はおやこ【親子】の中(なか)にぞありける。子(こ)をば人(ひと)のもつ
べかりける物(もの)かなとぞ、やがて思(おも)ひかへさ【返さ】れける。
さて今朝(けさ)のごとくに同車(どうしや)して帰(かへ)られけり。宿
所(しゆくしよ)には女房達(にようばうたち)、しん【死ん】だる人(ひと)のいきかへりたる
心(ここ)ちして、さしつどひて皆(みな)悦泣共(よろこびなきども)せられけり。P169
P02231
『教訓状(けうくんじやう)』S0206太政入道(だいじやうのにふだう)(だいじやうのにうだう)は、かやうに人々(ひとびと)あまたいましめをい(おい)て
も、猶(なほ)(なほ)心(こころ)ゆかずや思(おも)はれけん、既(すでに)赤地(あかぢ)の錦(にしき)
の直垂(ひたたれ)に、黒糸威(くろいとをどし)(くろいとおどし)の腹巻(はらまき)の白(しろ)がな物(もの)う(ッ)たる
むな板(いた)せめて、先年(せんねん)安芸守(あきのかみ)たりし時(とき)、神拝(じんばい)の
次(ついで)(つゐで)に、霊夢(れいむ)を蒙(かうぶり)て、厳島(いつくしま)の大明神(だいみやうじん)よりうつつ【現】に
給(たま)はられたりし銀(しろかね)のひる【蛭】巻(まき)したる小長刀(こなぎなた)、常(つね)の
枕(まくら)をはなたず立(たて)られたりしを脇(わき)にはさみ、中
門(ちゆうもん)(ちうもん)の廊(らう)へぞ出(いで)られける。そのきそく【気色】おほかた
P02232
ゆかしう【*ゆゆしう】ぞみえ【見え】し。貞能(さだよし)をめす。筑後守貞能(ちくごのかみさだよし)、木
蘭地(むくらんぢ)の直垂(ひたたれ)にひおどし(をどし)の鎧(よろひ)きて、御前(おんまへ)に畏(かしこま)(ッ)て
候(さうらふ)。ややあ(ッ)て入道(にふだう)(にうだう)の給(たま)ひけるは、「貞能(さだよし)、此(この)事(こと)いかが
おもふ【思ふ】。保元(ほうげん)に平(へい)〔右〕馬助(むまのすけ)をはじめとして、一門(いちもん)半(なかば)過(すぎ)の【*て】
新院(しんゐん)のみかたへまいり(まゐり)【参り】にき。一宮(いちのみや)の御事(おんこと)は、故刑
部卿殿(こぎやうぶきやうのとの)の養君(やうくん)にてましまいしかば、かたがた見(み)
はなちまいらせ(まゐらせ)【参らせ】がたか(ッ)し〔か〕ども、故院(こゐん)の御遺誡(ごゆいかい)に
任(まかせ)て、みかたにてさきをかけたりき。是(これ)一(ひとつ)の奉
P02233
公(はうこう)なり。次(つぎに)平治(へいぢ)元年(ぐわんねん)十二月(じふにぐわつ)、信頼(のぶより)・義朝(よしとも)が院(ゐん)内(うち)を
とり奉(たてまつ)て、大内(おほうち)にたてごも(ッ)て、天下(てんが)くらやみと
成(な)(ッ)たりしに、入道(にふだう)(にうだう)身(み)を捨(すて)て凶徒(けうど)を追落(おひおと)し、
経宗(つねむね)・惟方(これかた)をめし警(いましめ)しに至(いた)るまで、既(すで)に君(きみ)
の御為(おんため)に命(いのち)をうしなはんとする事(こと)、度々(どど)にをよ
ぶ(およぶ)【及ぶ】。縦(たとひ)人(ひと)なんと申(まうす)共(とも)、七代(しちだい)までは此(この)一門(いちもん)をば争(いかで)か
捨(すて)させ給(たま)ふべき。それに、成親(なりちか)P170と云(いふ)無用(むよう)の
いたづら者(もの)、西光(さいくわう)(さいくはう)と云(いふ)下賎(げせん)の不当人(ふたうじん)めが申(まうす)
P02234
事(こと)につかせ給(たまひ)て、此(この)一門(いちもん)亡(ほろぼ)すべき由(よし)、法皇(ほふわう)(ほうわう)の御
結構(ごけつこう)こそ遺恨(ゐこん)(いこん)の次第(しだい)なれ。此(この)後(のち)も讒奏(ざんそう)す
る者(もの)あらば、当家(たうけ)追討(ついたう)の院宣(ゐんぜん)下(くだ)されつとお
ぼゆるぞ。朝敵(てうてき)と成(な)(ッ)てはいかにくゆ共(とも)益(えき)(ゑき)有(ある)まじ。
世(よ)をしづめん程(ほど)、法皇(ほふわう)(ほうわう)を鳥羽(とば)の北殿(きたどの)へうつし
奉(たてまつ)るか、然(しから)ずは、是(これ)へまれ御幸(ごかう)をなしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】むと
思(おも)ふはいかに。其(その)儀(ぎ)ならば、北面(ほくめん)の輩(ともがら)、矢(や)をも一(ひとつ)い【射】
んずらん。侍共(さぶらひども)に其(その)用意(ようい)せよと触(ふる)べし。大方(おほかた)
P02235
は入道(にふだう)(にうだう)、院(ゐん)がたの奉公(ほうこう)おもひ【思ひ】き(ッ)たり。馬(むま)にくらをか(おか)【置か】
せよ。きせなが【着背長】取出(とりいだ)せ」とぞの給(たま)ひける。主馬
判官(しゆめのはんぐわん)(しゆめのはんぐはん)盛国(もりくに)、いそぎ小松殿(こまつどの)へ馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「世(よ)は既(すでに)かう
候(ざうらふ)」と申(まうし)ければ、おとど聞(きき)もあへず、「あははや、成親
卿(なりちかのきやう)が首(くび)を刎(はね)られたるな」との給(たま)へば、「さは候(さうら)はね
共(ども)、入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)きせながめさ【召さ】れ候(さうらふ)。侍共(さぶらひども)皆(みな)う(ッ)た(ッ)(うつたつ)【打つ立つ】て、ただ
今(いま)法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)へよせんと出(いで)たち候(さうらふ)。法皇(ほふわう)(ほうわう)をば
鳥羽殿(とばどの)へをし(おし)こめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】うど候(さうらふ)が、内々(ないない)は鎮西(ちんぜい)
P02236
の方(かた)へながしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】うど議(ぎ)せられ候(さうらふ)」と申(まうし)ければ、
おとど争(いかで)かさる事(こと)有(ある)べきと思(おも)へ共(ども)、今朝(けさ)の禅門(ぜんもん)
のきそく【気色】、さる物(もの)ぐるはしき事(こと)も有(ある)らんとて、
車(くるま)をとばして西八条(にしはつでう)へぞおはしたる。門前(もんぜん)にて車(くるま)
よりおり、門(もん)の内(うち)へさし入(いり)て見(み)給(たま)(みたま)へば、入道(にふだう)(にうだう)腹巻(はらまき)
をき給(たま)ふ上(うへ)は、一門(いちもん)の卿相雲客(けいしやううんかく)数十人(すじふにん)(すじうにん)、各(おのおの)
色々(いろいろ)の直垂(ひたたれ)に思(おも)ひ思(おも)ひの鎧(よろひ)きて、中門(ちゆうもん)(ちうもん)の廊(らう)に
二行(にぎやう)P171に着座(ちやくざ)せられたり。其(その)外(ほか)諸国(しよこく)の受領(じゆりやう)・
P02237
衛府(ゑふ)・諸司(しよし)な(ン)ど(など)は、縁(えん)にゐこぼれ、庭(には)にもひしと
なみゐたり。旗(はた)ざほ(ざを)共(ども)ひきそばめひきそばめ、馬(むま)の腹帯(はるび)
をかため、甲(かぶと)の緒(を)(お)をしめ、只今(ただいま)皆(みな)う(ッ)たた(うつたた)【打つ立た】むずる
けしきどもなるに、小松殿(こまつどの)烏帽子(えぼし)(ゑぼし)直衣(なほし)(なをし)に、
大文(だいもん)の指貫(さしぬき)そばと(ッ)て、ざやめき入給(いりたま)へば、事外(ことのほか)
にぞ見(み)えられける。入道(にふだう)(にうだう)ふしめにな(ッ)て、あはれ、れ
いの内府(だいふ)が世(よ)をへうする様(やう)にふるまふ、大(おほい)に諫(いさめ)ば
やとこそ思(おも)はれけめども、さすが子(こ)ながらも、内(うち)に
P02238
は五戒(ごかい)をたも(ッ)て慈悲(じひ)を先(さき)とし、外(ほか)には五常(ごじやう)をみ
ださず、礼義(れいぎ)をただしうし給(たま)ふ人(ひと)なれば、あのすが
たに腹巻(はらまき)をきて向(むか)はん事(こと)、おもばゆう【面映う】はづかし
うや思(おも)はれ[B け]ん、障子(しやうじ)をすこし引(ひき)たてて、素絹(そけん)の
衣(ころも)を腹巻(はらまき)の上(うへ)にあはてぎ(あわてぎ)【慌着】にき【着】給(たま)ひける
が、むないたの金物(かなもの)のすこしはづれてみえ【見え】け
るを、かくさ【隠さ】うど、頻(しきり)に衣(ころも)のむねを引(ひき)ちがへ引(ひき)ちがへ
ぞし給(たま)ひける。おとどは舎弟(しやてい)宗盛卿(むねもりのきやう)の座上(ざしやう)に
P02239
つき給(たま)ふ。入道(にふだう)(にうだう)もの給(たま)ひ出(いだ)す旨(むね)もなし。おとども
申(まうし)出(いだ)さるる事(こと)もなし。良(やや)あ(ッ)て入道(にふだう)(にうだう)の給(たま)ひけるは、
「成親卿(なりちかのきやう)が謀反(むほん)は事(こと)の数(かず)にもあらず。一向(いつかう)法皇(ほふわう)(ほうわう)の
御結構(ごけつこう)にて有(あり)けるぞや。世(よ)をしづめん程(ほど)、法皇(ほふわう)(ほうわう)
を鳥羽(とば)の北殿(きたどの)へうつし奉(たてまつ)るか、然(しから)ずは是(これ)へまれ
御幸(ごかう)をなしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】んと思(おも)ふはいかに」との給(たま)へば、
おとど聞(きき)もあへずはらはらとぞなかれける。入道(にふだう)(にうだう)「い
かにいかに」とあきれ給(たま)ふ。おとど涙(なみだ)をおさへて申(まう)
P02240
されけるは、「此(この)仰(おほせ)承(うけたまはり)候(さうらふ)に、P172御運(ごうん)ははや末(すゑ)に成(なり)ぬと
覚(おぼえ)候(さうらふ)。人(ひと)の運命(うんめい)の傾(かたぶ)かんとては、必(かならず)悪事(あくじ)を思(おも)ひ
立(たち)候(さうらふ)也(なり)。又(また)御(おん)ありさま、更(さら)にうつつ共(とも)覚(おぼ)え候(さうら)はず。さ
すが我(わが)朝(てう)は辺地粟散(へんぢそくさん)の境(さかひ)と申(まうし)ながら、天照
大神(てんせうだいじん)の御子孫(ごしそん)、国(くに)のあるじとして、天児屋根尊(あまのこやねのみこと)
の御末(おんすゑ)、朝(てう)の政(まつりごと)をつかさどり給(たま)ひしより以来(このかた)、太
政大臣(だいじやうだいじん)の官(くわん)(くはん)に至(いた)る人(ひと)の甲冑(かつちう)をよろふ事(こと)、礼
義(れいぎ)を背(そむく)にあらずや。就中(なかんづく)御出家(ごしゆつけ)の御身(おんみ)也(なり)。
P02241
夫(それ)三世(さんぜ)の諸仏(しよぶつ)、解脱幢相(げだつどうさう)の法衣(ほふえ)(ほうえ)をぬぎ捨(すて)
て、忽(たちまち)に甲冑(かつちう)をよろひ、弓箭(きゆうせん)(きうせん)を帯(たい)しまし
まさん事(こと)、内(うち)には既(すでに)破戒無慙(はかいむざん)の罪(つみ)をまねく
のみならずや、外(ほか)には又(また)仁義礼智信(じんぎれいちしん)の法(ほふ)(ほう)に
もそむき候(さうらひ)なんず。かたがた恐(おそれ)ある申事(まうしごと)にて
候(さうら)へ共(ども)、心(こころ)の底(そこ)に旨趣(ししゆ)(し(イ)しゆ)を残(のこ)すべきにあらず。まづ
世(よ)に四恩(しおん)候(さうらふ)。天地(てんち)の恩(おん)、国王(こくわう)の恩(おん)、父母(ぶも)の恩(おん)、衆
生(しゆじやう)の恩(おん)是(これ)也(なり)。其(その)中(なか)に尤(もつとも)おもき【重き】は朝恩(てうおん)也(なり)。普天(ふてん)
P02242
の下(した)、王地(わうぢ)にあらずといふ事(こと)なし。されば彼(かの)潁川(えいせん)(ゑいせん)の
水(みづ)に耳(みみ)をあらひ、首陽山(しゆやうざん)に薇(わらび)をお(ッ)(をつ)【折つ】し賢人(けんじん)も、勅
命(ちよくめい)そむきがたき礼義(れいぎ)をば存知(ぞんぢ)すとこそ
承(うけたま)はれ。何(なんぞ)况哉(いはんや)先祖(せんぞ)にもいまだきか【聞か】ざ(ッ)し太政
大臣(だいじやうだいじん)をきはめさせ給(たま)ふ。いはゆる重盛(しげもり)が無才
愚闇(むさいぐあん)の身(み)をも(ッ)て、蓮府槐門(れんぷくわいもん)の位(くらゐ)に至(いた)る。しかの
みならず、国郡(こくぐん)半(なかば)過(すぎ)て一門(いちもん)の所領(しよりやう)となり、田園(でんゑん)(でんえん)
悉(ことごとく)一家(いつか)の進止(しんじ)たり。是(これ)希代(きたい)の朝恩(てうおん)にあら
P02243
ずや。今(いま)これらの莫大(ばくたい)の御恩(ごおん)(ごをん)を忘(わすれ)て、みだ
りがはしく法皇(ほふわう)(ほうわう)を傾(かたぶ)け奉(たてまつ)らせ給(たま)はん事(こと)、天
照大神(てんせうだいじん)・正八幡宮(しやうはちまんぐう)の神慮(しんりよ)にも背(そむき)候(さうらひ)なんず。日
本(につぽん)は是(これ)神国(しんこく)也(なり)。神(かみ)は非礼(ひれい)を享(うけ)給(たま)はず。P173然(しかれ)ば
君(きみ)のおぼしめし【思召し】立(たつ)ところ【所】、道理(だうり)なかばなきに
あらず。中(なか)にも此(この)一門(いちもん)は、朝敵(てうてき)を平(たひら)(たいら)げて四海(しかい)
の逆浪(げきらう)をしづむる事(こと)は無双(ぶさう)の忠(ちゆう)(ちう)なれば【*ども】、その
賞(しやう)に誇(ほこ)る事(こと)は傍若無人(ばうじやくぶじん)共(とも)申(まうし)つべし。聖徳太
P02244
子(しやうとくたいし)十七(じふしち)ケ条(かでう)の御憲法(ごけんぼう)に、「人(ひと)皆(みな)心(こころ)あり。心(こころ)各(おのおの)執(しゆ)あり。
彼(かれ)を是(ぜ)し我(われ)を非(ひ)し、我(われ)を是(ぜ)し彼(かれ)を非(ひ)す、是非(ぜひ)
の理(り)誰(たれ)かよく定(さだ)むべき。相共(あひとも)に賢愚(けんぐ)なり。環(たまき)
の如(ごと)くして端(はし)なし。ここをも(ッ)て設(たとひ)人(ひと)いかる【怒る】と云(いふ)共(とも)、
かへ(ッ)て我(わが)とがをおそれよ【恐れよ】」とこそみえ【見え】て
候(さうら)へ。しかれ共(ども)、御運(ごうん)つきぬによ(ッ)て、謀反(むほん)既(すでに)
あらはれぬ。其上(そのうへ)仰合(おほせあはせ)らるる成親卿(なりちかのきやう)め
しをか(おか)【置か】れぬる上(うへ)は、設(たとひ)君(きみ)いかなるふしぎ
P02245
をおぼしめし【思召し】たたせ給(たま)ふとも、なんのおそれ【恐れ】
か候(さうらふ)べき。所当(しよたう)の罪科(ざいくわ)おこなはれん上(うへ)は、退(しりぞ)
いて事(こと)の由(よし)を陳(ちん)じ申(まう)させ給(たま)ひて、君(きみ)
の御(おん)ためには弥(いよいよ)奉公(ほうこう)の忠勤(ちゆうきん)(ちうきん)をつくし、民(たみ)
のためにはますます撫育(ぶいく)の哀憐(あいれん)をいた
させ給(たま)はば、神明(しんめい)の加護(かご)にあづかり、仏陀(ぶつだ)
の冥慮(みやうりよ)にそむくべからず。神明仏陀(じんめいぶつだ)感応(かんおう)
あらば、君(きみ)もおぼしめしなをす(なほす)事(こと)、などか候(さうら)は
P02246
ざるべき。君(きみ)と臣(しん)とならぶるに親疎(しんそ)わく【分く】か
たなし。道理(だうり)と僻事(ひがこと)をならべんに、争(いかで)か道理(だうり)
[M か道]につかざるべき」。P174『烽火(ほうくわ)之(の)沙汰(さた)』S0207 「是(これ)は君(きみ)の御(おん)ことはり(ことわり)【理】にて
候(さうら)へば、かなはざらむまでも、院御所(ゐんのごしよ)法住寺
殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)を守護(しゆご)しまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)べし。其(その)故(ゆゑ)(ゆへ)は、重盛(しげもり)
叙爵(じよしやく)より今(いま)大臣(だいじん)の大将(だいしやう)にいたるまで、しかし
ながら君(きみ)の御恩(ごおん)(ごをん)ならずと云(いふ)事(こと)なし。其(その)恩(おん)(をん)の
重(おも)き事(こと)をおもへ【思へ】ば、千顆万顆(せんくわばんくわ)の玉(たま)にも
P02247
こえ、其(その)恩(おん)(をん)のふかき事(こと)を案(あん)ずれは、一入再
入(いちじふさいじふ)(いちじうさいじう)の紅(くれなゐ)にも過(すぎ)たらん。しかれば、院中(ゐんぢゆう)(ゐんぢう)にまい
り(まゐり)【参り】こもり候(さうらふ)べし。其(その)儀(ぎ)にて候(さうら)はば、重盛(しげもり)が身(み)
にかはり、命(いのち)にかはらんと契(ちぎり)たる侍共(さぶらひども)少々(せうせう)候(さうらふ)
らん。これらをめしぐし【召具し】て、院御所(ゐんのごしよ)法住寺
殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)を守護(しゆご)しまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はば、さすが以外(もつてのほか)(も(ツ)てのほか)の
御大事(おんだいじ)でこそ候(さうら)はんずらめ。悲(かなしき)哉(かな)、君(きみ)の御(おん)た
めに奉公(ほうこう)の忠(ちゆう)(ちう)をいたさんとすれば、迷
P02248
慮【*迷盧】(めいろ)八万(はちまん)の頂(いただき)より猶(なほ)(なを)たかき父(ちち)の恩(おん)(をん)、忽(たちまち)に
わすれんとす。痛(いたましき)哉(かな)、不孝(ふかう)の罪(つみ)をのがれん
とおもへ【思へ】ば、君(きみ)の御(おん)ために既(すでに)不忠(ふちゆう)(ふちう)の逆臣(ぎやくしん)
となりぬべし。進退(しんだい)惟(これ)きはまれり、是
非(ぜひ)いかにも弁(わきまへ)がたし。申(まうし)うくるところ〔の〕詮(せん)は、
ただ重盛(しげもり)が頸(くび)をめされ候(さうら)へ。院中(ゐんぢゆう)(ゐんぢう)をも守
護(しゆご)しまいらす(まゐらす)【参らす】べからず、院参(ゐんざん)の御供(おんとも)をも仕(つかまつ)る
べからず。かの蕭何(せうが)は大功(たいこう)かたへにこえたるに
P02249
よ(ッ)て、官(くわん)(くはん)大相国(たいしやうこく)に至(いた)り、剣(けん)を帯(たい)し沓(くつ)をは
きながら殿上(てんじやう)にのぼる事(こと)をゆるされし
か共(ども)、叡慮(えいりよ)(ゑいりよ)にそむく事(こと)あれば、高祖(かうそ)おもう【重う】
警(いましめ)てふかう【深う】罪(つみ)せられにき。かやうの先蹤(せんじよう)(せんぜう)を
おP175もふにも、富貴(ふうき)といひ栄花(えいぐわ)といひ、朝恩(てうおん)(てうをん)と
いひ重職(ちようじよく)(てうじよく)といひ、旁(かたがた)きはめさせ給(たま)ひぬ
れば、御運(ごうん)のつきむこともかたかるべきに
あらず。富貴(ふうき)の家(いへ)には禄位(ろくゐ)重畳(ちようでふ)(てうでう)せり、ふた
P02250
たび実(み)なる木(き)は其(その)根(ね)必(かならず)いたむとみえ【見え】
て候(さうらふ)。心(こころ)ぼそうこそおぼえ候(さうら)へ。いつまでか
命(いのち)いきて、みだれむ世(よ)をも見(み)候(さうらふ)べき。只(ただ)末
代(まつだい)に生(しやう)をうけて、かかるうき目(め)にあひ候(さうらふ)重
盛(しげもり)が果報(くわほう)の程(ほど)こそつたなう候(さうら)へ。ただ今(いま)侍(さぶらひ)
一人(いちにん)に仰付(おほせつけ)て、御坪(おつぼ)のうちに引出(ひきいだ)されて、
重盛(しげもり)が首(かうべ)のはねられん事(こと)は、安(やす)いほどの
事(こと)で〔こそ〕候(さうら)へ。是(これ)をおのおの聞(きき)給(たま)へ」とて、直衣(なほし)(なをし)
P02251
の袖(そで)もしぼるばかりに涙(なみだ)をながしかきくどかれ
ければ、一門(いちもん)の人々(ひとびと)、心(こころ)あるも心(こころ)なきも、みな
鎧(よろひ)の袖(そで)をぞぬらされける。太政入道(だいじやうにふだう)(だいじやうにうだう)も、た
のみき(ッ)たる内府(だいふ)はかやうにの給(たま)ふ、力(ちから)も
なげにて、「いやいや、これまでは思(おもひ)もよりさ
うず。悪党共(あくたうども)が申(まうす)事(こと)につかせ給(たま)ひて、ひが
事(こと)な(ン)どやいでこむずらんと思(おも)ふばかりで
こそ候(さうら)へ」との給(たま)へば、「縦(たとひ)いかなるひが事(こと)出(いで)
P02252
き候(さうらふ)とも、君(きみ)をば何(なに)とかしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ふべ
き」とて、ついた(ッ)て中門(ちゆうもん)(ちうもん)に出(いで)て、侍共(さぶらひども)に仰(おほせ)ら
れけるは、「只今(ただいま)重盛(しげもり)が申(まうし)つる事共(ことども)をば、
汝等(なんぢら)承(うけたま)はらずや。今朝(けさ)よりこれに候(さうら)うて、かや
うの事共(ことども)申(まうし)しづめむと存(ぞん)じつれ共(ども)、あ
まりにひたさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】にみえ【見え】つる間(あひだ)(あいだ)、帰(かへ)りたり
つるなり。院参(ゐんざん)の御供(おんとも)にをいて(おいて)は、重盛(しげもり)が
頸(くび)のめさ【召さ】れむを見(み)て仕(つかまつ)れ。さらば人(ひと)まい
P02253
れ(まゐれ)【参れ】」とて、小松殿(こまつどの)へぞ帰(かへ)られける。P176主馬判官(しゆめのはんぐわん)(しゆめのはんぐはん)
盛国(もりくに)をめして、「重盛(しげもり)こそ天下(てんが)の大事(だいじ)を別(べつ)
して聞出(ききいだ)したれ。「我(われ)を我(われ)とおもは【思は】ん者
共(ものども)は、皆(みな)物(ものの)ぐ【具】して馳(はせ)まいれ(まゐれ)【参れ】」と披露(ひろう)せよ」
との給(たま)へば、此(この)由(よし)ひろう【披露】す。おぼろけにては
さはが(さわが)【騒が】せ給(たま)はぬ人(ひと)の、かかる披露(ひろう)のあるは
別(べち)の子細(しさい)のあるにこそとて、皆(みな)物具(もののぐ)して
我(われ)も我(われ)もと馳(はせ)まいる(まゐる)【参る】。淀(よど)・はづかし【羽束師】・宇治(うぢ)・岡(をか)の屋(や)、
P02254
日野(ひの)・勧条寺【*勧修寺】(くわんじゆじ)・醍醐(だいご)・小黒栖(おぐるす)、梅津(むめず)・桂(かつら)・大原(おほはら)・しづ
原(はら)、せれう【芹生】の里(さと)と、あぶれゐたる兵共(つはものども)、或(あるい)(あるひ)は
よろい(よろひ)【鎧】きていまだ甲(かぶと)をきぬもあり、或(あるい)は
矢(や)おうていまだ弓(ゆみ)をもたぬもあり。片
鐙(かたあぶみ)ふむやふまずにて、あはて(あわて)【慌て】さはい(さわい)【騒い】で馳(はせ)
まいる(まゐる)【参る】。小松殿(こまつどの)にさはぐ(さわぐ)【騒ぐ】事(こと)ありと聞(きこ)えしかば、
西八条(にしはつでう)に数千騎(すせんぎ)ありける兵共(つはものども)、入道(にふだう)(にうだう)に
かうとも申(まうし)も入(いれ)ず、ざざめきつれて、皆(みな)小
P02255
松殿(こまつどの)へぞ馳(はせ)たりける。すこしも弓箭(きうせん)にたづ
さはる程(ほど)の者(もの)、一人(いちにん)も残(のこ)らず。其(その)時(とき)入道(にふだう)(にうだう)大(おほき)
に驚(おどろ)(をどろ)き、貞能(さだよし)をめして、「内府(だいふ)は何(なに)とおもひ【思ひ】て、
これらをばよび【呼び】とるやらん。是(これ)でいひつる様(やう)
に、入道(にふだう)(にうだう)が許(もと)へ射手(いて)(ゐて)な(ン)ど(など)やむかへんずらん」と
の給(たま)へば、貞能(さだよし)涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、「人(ひと)も
人(ひと)にこそよらせ給(たま)ひ候(さうら)へ。争(いかで)かさる御事(おんこと)候(さうらふ)べき。
申(まう)させ給(たま)ひつる事共(ことども)も、みな御後悔(ごこうくわい)ぞ候(さうらふ)
P02256
らん」と申(まうし)ければ、入道(にふだう)(にうだう)内府(だいふ)に中(なか)たがふ(たがう)【違う】て
はあしかりなんとやおもは【思は】れけむ、法皇(ほふわう)(ほうわう)むかへ
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】んずる事(こと)もはや思(おもひ)とどまり、腹
巻(はらまき)ぬぎをき(おき)、素絹(そけん)の衣(ころも)にけさ【袈裟】うちかけ
て、いと心(こころ)にもおこらぬ念珠(ねんじゆ)してこそおはし
けれ。P177小松殿(こまつどの)には、盛国(もりくに)承(うけたまは)(ッ)て着到(ちやくたう)つけけ
り。馳参(はせさんじ)たる勢(せい)ども、一万余騎(いちまんよき)とぞしる
いたる。着到披見(ちやくたうひけん)の後(のち)、おとど中門(ちゆうもん)(ちうもん)に出(いで)て、
P02257
侍共(さぶらひども)にの給(たま)ひけるは、「日来(ひごろ)の契約(けいやく)をたが
へ【違へ】ず、まいり(まゐり)【参り】たるこそ神妙(しんべう)なれ。異国(いこく)に
さるためしあり。周(しゆうの)幽王(いうわう)(ゆうわう)、褒■女+以(ほうじ)と云(いふ)最愛(さいあい)の
后(きさき)をもち給(たま)へり。天下(てんが)第一(だいいち)の美人(びじん)也(なり)。
されども幽王(いうわう)(ゆうわう)の心(こころ)にかなはざりける事(こと)は、
褒■女+以(ほうじ)咲(ゑみ)をふくまずとて、すべて此(この)后(きさき)わら
う(わらふ)【笑ふ】事(こと)をし給(たま)はず。異国(いこく)の習(ならひ)には、天下(てんが)に
兵革(へいがく)おこる時(とき)、所(しよ)々に火(ひ)をあげ、大鼓(たいこ)をう(ッ)て
P02258
兵(つはもの)をめすはかり事(こと)あり。是(これ)を烽火(ほうくわ)と名(な)づ
けたり。或(ある)時(とき)天下(てんが)に兵乱(ひやうらん)おこ(ッ)て、烽火(ほうくわ)をあ
げたりければ、后(きさき)これを見(み)給(たま)ひて、「あな
ふしぎ、火(ひ)もあれ程(ほど)おほかりけるな」と
て、其(その)時(とき)初(はじめ)てわらひ【笑ひ】給(たま)へり。この后(きさき)一(ひと)たび
ゑめば百(もも)の媚(こび)ありけり。幽王(いうわう)(ゆうわう)うれしき事(こと)に
して、其(その)事(こと)となうつねに烽火(ほうくわ)をあげ給(たま)ふ。
諸(しよ)こう【侯】来(きた)るにあた(寇)なし。あたなければ則(すなはち)
P02259
さん【去ん】ぬ。かやうにする事(こと)度々(たびたび)に及(およ)(をよ)べば、まいる(まゐる)【参る】
ものもなかりけり。或(ある)時(とき)隣国(りんごく)より凶賊(けうぞく)
おこ(ッ)て、幽王(いうわう)(ゆうわう)の都(みやこ)をせめけるに、烽火(ほうくわ)を
あぐれども、例(れい)の后(きさき)の火(ひ)になら(ッ)て兵(つはもの)もま
いら(まゐら)【参ら】ず。其(その)時(とき)都(みやこ)かたむいて、幽王(いうわう)(ゆうわう)終(つひ)(つゐ)にほろ
びにき。さてこの后(きさき)は野干(やかん)とな(ッ)てはし
り【走り】うせけるぞおそろしき【恐ろしき】。か様(やう)の事(こと)がある
時(とき)は、自今(じごん)以後(いご)もこれよりめさむには、かく
P02260
のごとくまいる(まゐる)【参る】べし。重盛(しげもり)不思議(ふしぎ)の事(こと)を聞
出(ききいだ)してめし【召し】つるなり。されども其(その)事(こと)聞(きき)なを
し(なほし)つ。僻事(ひがこと)にてありけり。とうP178とう帰(かへ)れ」とて
皆(みな)帰(かへ)されけり。実(まこと)にはさせる事(こと)をも聞出(ききいだ)
されざりけれども、父(ちち)をいさめ申(まう)され
つる詞(ことば)にしたがひ、我(わが)身(み)に勢(せい)のつくかつか
ぬかの程(ほど)をもしり、又(また)父子(ふし)戦(たたかひ)をせんとには
あらねども、かうして入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)の謀反(むほん)[M 「服反」とあり「服」に「謀」と傍書]の心(こころ)を
P02261
もや、やはらげ給(たま)ふとの策(はかりこと)也(なり)。君(きみ)君(きみ)たらず
と云(いふ)とも、臣(しん)も(ッ)て臣(しん)たらず(ン)ば有(ある)べからず。
父(ちち)父(ちち)たらずと云(いふ)共(とも)、子(こ)も(ッ)て子(こ)たらず(ン)ば有(ある)
べからず。君(きみ)のためには忠(ちゆう)(ちう)あ(ッ)て、父(ちち)のため
には孝(かう)あり。文宣王(ぶんせんわう)のの給(たま)ひけるにた
がは【違は】ず。君(きみ)も此(この)よしきこしめし【聞し召し】て、「今(いま)にはじめ
ぬ事(こと)なれ共(ども)、内府(だいふ)が心(こころ)のうちこそはづか
しけれ。怨(あた)をば恩(おん)(をん)をも(ッ)て報(ほう)ぜられたり」
P02262
とぞ仰(おほせ)ける。「果報(くわほう)こそめでたうて、大臣(だいじん)の
大将(だいしやう)に至(いた)らめ、容儀体(ようぎたい)はい人(ひと)に勝(すぐ)れ、才智(さいち)
才覚(さいかく)さへ世(よ)にこえたるべしやは」とぞ、時(とき)の
人々(ひとびと)感(かん)じあはれける。「国(くに)に諫(いさめ)る臣(しん)あれば
其(その)国(くに)必(かならず)やすく、家(いへ)に諫(いさめ)る子(こ)あれば其(その)家(いへ)
必(かならず)ただし」といへり。上古(しやうこ)にも末代(まつだい)にもありが
たかりし大臣(おとど)也(なり)。『大納言(だいなごん)流罪(るざい)』S0208同(おなじき)六月(ろくぐわつ)二日(ふつかのひ)、新大納言(しんだいなごん)成
親卿(なりちかのきやう)をば公卿(くぎやう)の座(ざ)へ出(いだ)し奉(たてまつ)り、御物(おんもの)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】
P02263
たP179りけれども、むねせきふさが(ッ)て御(お)はしを
だにもたてられず。御車(おんくるま)をよせて、とう
とうと申(まう)せば、心(こころ)ならずのり給(たま)ふ。軍兵(ぐんびやう)ども
前後左右(ぜんごさう)にうちかこみたり。我(わが)方(かた)の者(もの)
は一人(いちにん)もなし。「今(いま)一度(いちど)小松殿(こまつどの)にみえ【見え】奉(たてまつ)らばや」
との給(たま)へ共(ども)、それもかなはず。「縦(たとひ)重科(ぢゆうくわ)(ぢうくわ)を
蒙(かうぶつ)て遠国(をんごく)へゆく者(もの)も、人(ひと)一人(いちにん)身(み)にそへぬ
者(もの)やある」と、車(くるま)のうちにてかきくどかれ
P02264
ければ、守護(しゆご)の武士共(ぶしども)も皆(みな)鎧(よろひ)の袖(そで)を
ぞぬらしける。西(にし)の朱雀(しゆしやか)を南(みなみ)へゆけば、
大内山(おほうちやま)も今(いま)はよそにぞ見(み)給(たまひ)ける。とし比(ごろ)
見(み)奉(たてまつ)りし雑色(ざつしき)牛飼(うしかひ)に至(いた)るまで、涙(なみだ)をな
がし袖(そで)をしぼらぬはなかりけり。まして都(みやこ)に
残(のこ)りとどまり給(たま)ふ北方(きたのかた)、おさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)の
心(こころ)のうち、おしはかられて哀(あはれ)也(なり)。鳥羽
殿(とばどの)をすぎ給(たま)ふにも、此(この)御所(ごしよ)へ御幸(ごかう)なり
P02265
しには、一度(いちど)も御供(おんとも)にははづれざりし物(もの)
をとて[B 「とそ」とあり「そ」に「て」と傍書]、わが山庄(さんざう)すはま【州浜】殿(どの)とて有(あり)し
をも、よそにみてこそとおら(とほら)れけれ。南(みなみ)の
門(もん)に出(いで)て、舟(ふね)をそし(おそし)【遅し】とぞいそがせける。「こは
いづちへやらむ。おなじううしなはるべくは、
都(みやこ)ちかき此(この)辺(へん)にてもあれかし」との給(たま)ひける
ぞせめての事(こと)なる。ちかうそひたる武士(ぶし)を
「た【誰】そ」ととひ給(たま)へば、「難波次郎(なんばのじらう)経遠(つねとほ)(つねとを)」と申(まうす)。
P02266
「若(もし)此(この)辺(へん)に我(わが)方(かた)さまのものやある。舟(ふね)に
のらぬ先(さき)にいひをく(おく)【置く】べき事(こと)あり。尋(たづね)
てまいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」との給(たま)ひければ、其(その)辺(へん)
をはしり【走り】まは(ッ)て尋(たづね)けれ共(ども)、我(われ)こそ大納
言殿(だいなごんどの)の方(かた)と云(いふ)者(もの)一人(いちにん)もなし。「我(われ)世(よ)なり
し時(とき)は、P180したがひついたりし者共(ものども)、一二千
人(いちにせんにん)もありつらん。いまはよそにてだにも、
此(この)有(あり)さまを見(み)をくる(おくる)【送る】者(もの)のなかりけるか
P02267
なしさよ」とてなか【泣か】れければ、たけきもののふ
共(ども)もみな袖(そで)をぞぬらしける。身(み)にそふもの
とては、ただつきせぬ涙(なみだ)ばかり也(なり)。熊野(くまの)ま
うで、天王寺詣(てんわうじまうで)な(ン)ど(など)には、ふたつがはらの、
三棟(みつむね)につく(ッ)たる舟(ふね)にのり、次(つぎ)の舟(ふね)二三
十艘(にさんじつそう)漕(こぎ)つづけてこそありしに、今(いま)はけ
しかるかきすゑ屋形舟(やかたぶね)に大幕(おほまく)ひかせ、見(み)
もなれぬ兵共(つはものども)にぐせ【具せ】られて、けふをかぎ
P02268
りに都(みやこ)を出(いで)て、浪路(なみぢ)はるかにおもむかれ
けむ心(こころ)のうち、おしはかられて哀(あはれ)也(なり)。其(その)
日(ひ)は摂津国(つのくに)大(だい)もつ【物】の浦(うら)に着(つき)給(たま)ふ。新大
納言(しんだいなごん)、既(すでに)死罪(しざい)に行(おこな)はるべかりし人(ひと)の、流罪(るざい)に
宥(なだめ)られけることは、小松殿(こまつどの)のやうやうに申(まう)さ
れけるによ(ッ)て也(なり)。此(この)人(ひと)いまだ中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)にて
おはしける時(とき)、美濃国(みののくに)を知行(ちぎやう)し給(たま)ひしに、
嘉応(かおう)元年(ぐわんねん)の冬(ふゆ)、目代(もくだい)右衛門尉(うゑもんのじよう)(うゑもんのぜう)正友(まさとも)が
P02269
もとへ、山門(さんもん)の領(りやう)、平野庄(ひらののしやう)の神人(じんにん)が葛(くず)を売(うり)
てきたりけるに、目代(もくだい)酒(さけ)に飲酔(のみゑひ)(のみえひ)て、くず
に墨(すみ)をぞ付(つけ)たりける。神人(じんにん)悪口(あつこう)に及(およ)(をよ)
ぶ間(あひだ)(あいだ)、さないは【言は】せそとてさんざん【散々】にれうり
やく(りようりやく)【■轢、陵礫】す。さる程(ほど)に神人共(じんにんども)数百人(すひやくにん)、目代(もくだい)が
許(もと)へ乱入(らんにふ)(らんにう)す。目代(もくだい)法(ほふ)(ほう)にまかせて防(ふせき)けれ
ば、神人等(じんにんら)十余人(じふよにん)(じうよにん)うちころされ、是(これ)に
よ(ッ)て同(おなじき)年(とし)の十一月(じふいちぐわつ)三日(みつかのひ)、山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)飫(おびたた)しう
P02270
蜂起(ほうき)して、国司(こくし)成親卿(なりちかのきやう)を流罪(るざい)に処(しよ)せられ、
目代(もくだい)右衛門尉(うゑもんのじよう)(うゑもんのぜう)正友(まさとも)を禁獄(きんごく)せらるべき由(よし)P181
奏聞(そうもん)す。既(すでに)成親卿(なりちかのきやう)備中国(びつちゆうのくに)(びつちうのくに)へながさるべき
にて、西(にし)の七条(しつでう)までいだされたりしを、君(きみ)
いかがおぼしめさ【思召さ】れけん、中(なか)五日(いつか)あ(ッ)てめしかへ
さ【返さ】る。山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)飫(おびたた)しう呪咀(しゆそ)すと聞(きこ)え
しか共(ども)、同(おなじき)二年(にねん)正月(しやうぐわつ)五日(いつかのひ)、右衛門督(うゑもんのかみ)を兼(けん)し
て、検非違使(けんびゐし)(けんびいし)の別当(べつたう)になり給(たま)ふ。其(その)時(とき)
P02271
姿方【*資賢】(すけかた)・兼雅卿(かねまさのきやう)こえられ給(たま)へり。資方【*資賢】卿(すけかたのきやう)はふ
るい人(ひと)、おとなにておはしき。兼雅卿(かねまさのきやう)は栄花(えいぐわ)
の人(ひと)也(なり)。家嫡(けちやく)にてこえられ給(たま)ひけるこそ
遺恨(いこん)なれ。是(これ)は三条殿(さんでうどの)造進(ざうしん)の賞(しやう)也(なり)。
同(おなじき)三年(さんねん)四月(しぐわつ)十三日(じふさんにち)、正(じやう)二位(にゐ)に叙(じよ)せらる。その
時(とき)は中御門(なかのみかど)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)宗家卿(むねいへのきやう)こえられ給(たま)へ
り。安元(あんげん)元年(ぐわんねん)十月(じふぐわつ)廿七日(にじふしちにち)、前中納言(さきのちうなごん)より
権大納言(ごんだいなごん)にあがり給(たま)ふ。人(ひと)あざけ(ッ)て、「山門(さんもん)の
P02272
大衆(だいしゆ)には、のろはるべかりける物(もの)を」とぞ
申(まうし)ける。されども今(いま)はそのゆへ(ゆゑ)にや、かかる
うき目(め)にあひ給(たま)へり。凡(およそ)(をよそ)は神明(しんめい)の罰(ばつ)も
人(ひと)の呪咀(しゆそ)も、とき【疾き】もあり遅(おそき)もあり、不同(ふどう)
なる事共(ことども)也(なり)。同(おなじき)三日(みつかのひ)、大(だい)もつ【物】の浦(うら)へ京(きやう)より
御使(おつかひ)ありとてひしめきけり。新大納言(しんだいなごん)
「是(これ)にり【*にて】失(うしな)へとにや」と聞(きき)給(たま)へば、さはなく
して、備前(びぜん)の児島(こじま)へながすべしとの御使(おんつかひ)
P02273
なり。小松殿(こまつどの)より御(おん)ふみ【文】あり。「いかにもして、み
やこちかき片山里(かたやまざと)にをき(おき)奉(たてまつ)らばやと、
さしも申(まうし)つれどもかなはぬ事(こと)こそ、世(よ)にある
かひも候(さうら)はね。さりながらも、御命(おんいのち)ばかりは申(まうし)
うけて候(さうらふ)」とて、難波(なんば)がもとへも「かまへてよく
よく宮仕(みやづか)へ御心(おんこころ)にたがう(たがふ)【違ふ】な」と仰(おほせ)られつかはし、
旅(たび)のよそほい(よそほひ)【粧】こまごまと沙汰(さた)しをP182くら(おくら)【送ら】れ
たり。新大納言(しんだいなごん)はさしも忝(かたじけな)うおぼしめさ【思召さ】れ
P02274
ける君(きみ)にもはなれまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、つかのまもさ
りがたうおもは【思は】れける北方(きたのかた)おさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)
にも別(わかれ)はてて、「こはいづちへとて行(ゆく)やらん。
二度(ふたたび)こきやう【故郷】に帰(かへり)て、さひし(さいし)【妻子】を相(あひ)みん事(こと)も
有(あり)がたし。一(ひと)とせ山門(さんもん)の訴詔【*訴訟】(そしよう)(そせう)によ(ッ)てなが
されしを、君(きみ)おしま(をしま)【惜ま】せ給(たま)ひて、西(にし)の七条(しつでう)よ
りめし帰(かへ)されぬ。これはされば君(きみ)の御
警(おんいましめ)にもあらず。こはいかにしつる事(こと)ぞや」と、天(てん)
P02275
にあふぎ地(ち)にふして、泣(なき)かなしめ共(ども)かひぞな
き。明(あけ)ぬれば既(すでに)舟(ふね)おしいだいて下(くだ)り給(たま)ふ
に、みちすがらもただ涙(なみだ)に咽(むせん)で、ながらふべ
しとはおぼえねど、さすが露(つゆ)の命(いのち)はきえ
やらず、跡(あと)のしら波(なみ)へだつれば、都(みやこ)は次第(しだい)に
遠(とほ)(とを)ざかり、日数(ひかず)やうやう重(かさな)れば、遠国(をんごく)は既(すでに)近
付(ちかづき)けり。備前(びぜん)の児島(こじま)に漕(こぎ)よせて、民(たみ)の家(いへ)
のあさましげなる柴(しば)の庵(いほり)にをき(おき)奉(たてまつ)る。
P02276
島(しま)のならひ【習】、うしろは山(やま)、前(まへ)はうみ、磯(いそ)の松風(まつかぜ)
浪(なみ)の音(おと)(をと)、いづれも哀(あはれ)はつきせず。『阿古屋(あこや)之(の)松(まつ)』S0209 大納言(だいなごん)
一人(いちにん)にもかぎらず、警(いましめ)を蒙(かうぶ)る輩(ともがら)おほかり
けり。近江中将(あふみのちゆうじやう)(あふみのちうじやう)入道(にふだう)蓮浄(れんじやう)P183佐渡国(さどのくに)、山城守(やましろのかみ)
基兼(もとかぬ)伯耆国(はうきのくに)、式部大輔(しきぶのたいふ)(しきぶのたゆう)正綱(まさつな)播磨国(はりまのくに)、宗(むね)判
官(はんぐわん)信房(のぶふさ)阿波国(あはのくに)、新平判官(しんぺいはんぐわん)資行(すけゆき)は美作
国(みまさかのくに)とぞ聞(きこ)えし。其(その)比(ころ)入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)、福原(ふくはら)の別
業(べつげふ)(べつげう)におはしけるが、同(おなじき)廿日(はつかのひ)、摂津左衛門(せつつのさゑもん)盛
P02277
澄(もりずみ)を使者(ししや)で、門脇(かどわき)の宰相(さいしやう)の許(もと)へ、「存(ぞんず)る旨(むね)あり。
丹波少将(たんばのせうしやう)いそぎ是(これ)へたべ」との給(たま)ひつかはさ
れたりければ、宰相(さいしやう)「さらば、只(ただ)ありし時(とき)
ともかくもなりたりせばいかがせむ。今更(いまさら)
物(もの)をおもは【思は】せんこそかなしけれ」とて、福原(ふくはら)
へ下(くだ)り給(たま)ふべき由(よし)の給(たま)へば、少将(せうしやう)なくなく【泣く泣く】
出立(いでたち)給(たま)ひけり。女房達(にようばうたち)は、「かなはぬ物(もの)ゆへ(ゆゑ)、
なを(なほ)【猶】もただ宰相(さいしやう)の申(まう)されよかし」とぞ
P02278
歎(なげか)れける。宰相(さいしやう)「存(ぞんず)る程(ほど)の事(こと)は申(まうし)つ。世(よ)を
捨(すつ)るより外(ほか)は、今(いま)は何事(なにごと)をか申(まうす)べき。され共(ども)、
縦(たとひ)いづくの浦(うら)におはす共(とも)、我(わが)命(いのち)のあらむ
かぎりはとぶらひ奉(たてまつ)るべし」とぞの給(たま)ひけ
る。少将(せうしやう)は今年(ことし)三(みつ)になり給(たま)ふおさなき(をさなき)【幼き】人(ひと)
を持(もち)給(たま)へり。日(ひ)ごろはわかき人(ひと)にて、君達(きんだち)な(ン)
ど(など)の事(こと)も、さしもこまやかにもおはせざりし
か共(ども)、今(いま)はの時(とき)になりしかば、さすが心(こころ)にやかか
P02279
られけん、「此(この)おさなき(をさなき)【幼き】者(もの)を今(いま)一度(ひとたび)見(み)ばや」と
こその給(たま)ひけれ。めのと【乳母】いだいてまいり(まゐり)【参り】
たり。少将(せうしやう)ひざのうへにをき(おき)、かみかきなで、
涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、「あはれ、汝(なんぢ)七歳(しちさい)になら
ば男(をとこ)(おとこ)になして、君(きみ)へまいらせ(まゐらせ)【参らせ】んとこそおもひ【思ひ】
つれ。され共(ども)、今(いま)は云(いふ)かひなし。若(もし)命(いのち)いきてお
ひたちたらば、法師(ほふし)(ほうし)P184になり、我(わが)後(のち)の世(よ)と
ぶらへよ」との給(たま)へば、いまだいとけなき心(こころ)に
P02280
何事(なにごと)をか聞(きき)わき給(たま)ふべきなれ共(ども)、うちう
なづき給(たま)へば、少将(せうしやう)をはじめ奉(たてまつ)て、母(はは)へ【*母上(ははうへ)】め
のとの女房(にようばう)、其(その)座(そのざ)になみゐたる人々(ひとびと)、心(こころ)あ
るも心(こころ)なきも、皆(みな)袖(そで)をぞぬらしける。福
原(ふくはら)の御使(おつかひ)、やがて今夜(こよひ)鳥羽(とば)まで出(いで)させ
給(たま)ふべきよし申(まうし)ければ、「幾程(いくほど)ものびざら
む物(もの)ゆへ(ゆゑ)に、こよひばかりは都(みやこ)のうちにて
あかさばや」との給(たま)へ共(ども)、頻(しきり)に申(まう)せば、其(その)夜(よ)
P02281
鳥羽(とば)へ出(いで)られける。宰相(さいしやう)あまりにうらめし
さに、今度(こんど)はのりも具(ぐ)し給(たま)はず。おなじき
廿二日(にじふににち)、福原(ふくはら)へ下(くだ)りつき給(たま)ひたりければ、
太政入道(だいじやうにふだう)(だいじやうにうだう)、瀬尾太郎(せのをのたらう)(せのおのたらう)兼康(かねやす)に仰(おほせ)て、備中国(びつちゆうのくに)(びつちうのくに)
へぞ下(くだ)されける。兼康(かねやす)は宰相(さいしやう)のかへり聞(きき)
給(たま)はん所(ところ)をおそれ【恐れ】て、道(みち)すがらもやうやう
にいたはりなぐさめ奉(たてまつ)る。され共(ども)少将(せうしやう)なぐ
さみ給(たま)ふ事(こと)もなし。よるひる【夜昼】ただ仏(ほとけ)の御
P02282
名(みな)をのみ唱(となへ)て、父(ちち)の事(こと)をぞ歎(なげか)れける。新
大納言(しんだいなごん)は備前(びぜん)の児島(こじま)におはしけるを、あづ
かりの武士(ぶし)難波次郎(なんばのじらう)経遠(つねとほ)(つねとを)「これは猶(なほ)(なを)舟津(ふなつ)
近(ちか)うてあしかりなん」とて地(ち)へわたし奉(たてまつ)り、備
前(びぜん)・備中(びつちゆう)(びつちう)両国(りやうごく)の堺(さかひ)、にはせ【庭瀬】て【*の】郷(がう)有木(ありき)の別
所(べつしよ)と云(いふ)山寺(やまでら)にをき(おき)奉(たてまつ)る。備中(びつちゆう)(びつちう)の瀬尾(せのを)(せのお)
と備前(びぜん)の有木(ありき)の別所(べつしよ)の間(あひだ)(あいだ)は、纔(わづか)五十町(ごじつちやう)
にたらぬ所(ところ)なれば、丹波少将(たんばのせうしやう)、そなたの
P02283
風(かぜ)もさすがなつかしうやおもは【思は】れけむ。或(ある)時(とき)
兼康(かねやす)をめして、「是(これ)より大納言殿(だいなごんどの)の御渡(おわたり)あ
む(あん)なる備前(びぜん)のP185有木(ありき)の別所(べつしよ)へは、いか程(ほど)の
道(みち)ぞ」ととひ給(たま)へば、すぐにしらせ奉(たてまつ)てはあし
かりなんとやおもひ【思ひ】けむ、「かたみち十二三日(じふにさんにち)
で候(さうらふ)」と申(まうす)。其(その)時(とき)少将(せうしやう)涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、
「日本(につぽん)は昔(むかし)三十三(さんじふさん)ケ国(かこく)にてありけるを、中
比(なかごろ)六十六(ろくじふろく)ケ国(かこく)に分(わけ)られたんなり。さ云(いふ)備前(びぜん)・
P02284
備中(びつちゆう)(びつちう)・備後(びんご)も、もとは一国(いつこく)にてありける也(なり)。又(また)
あづまに聞(きこ)ゆる出羽(では)・陸奥(みちのく)両国(りやうごく)も、昔(むかし)は六十
六(ろくじふろく)郡(ぐん)が一国(いつこく)にてありけるを、其(その)時(とき)十三郡(じふさんぐん)【*十二郡(じふにぐん)】を
さきわか(ッ)て、出羽国(ではのくに)とはたてられたり。
されば実方中将(さねかたのちゆうじやう)(さねかたのちうじやう)、奥州(あうしう)(あふしう)へながされたり
ける時(とき)、此(この)国(くに)の名所(めいしよ)にあこやの松(まつ)と云(いふ)
所(ところ)を見(み)ばやとて、国(くに)のうちを尋(たづね)ありき
けるが、尋(たづね)かねて帰(かへ)りける道(みち)に、老翁(らうおう)の
P02285
一人(いちにん)逢(あひ)たりければ、「やや、御辺(ごへん)はふるい人(ひと)
とこそ見(み)奉(たてまつ)れ。当国(たうごく)の名所(めいしよ)にあこやの
松(まつ)と云(いふ)所(ところ)やしりたる」ととふに、「ま(ッ)たく
当国(たうごく)のうちには候(さうら)はず。出羽国(ではのくに)にや候(さうらふ)らん」。
「さては御辺(ごへん)しらざりけり。世(よ)はすゑに
な(ッ)て、名所(めいしよ)をもはやよびうしなひたるに
こそ」とて、むなしく過(すぎ)んとしければ、老
翁(らうおう)、中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の袖(そで)をひかへて、「あはれ君(きみ)は みちの
P02286
くのあこ屋(や)の松(まつ)に木(こ)がくれていづべき
月(つき)のいでもやらぬか W008 といふ歌(うた)の心(こころ)を
も(ッ)て、当国(たうごく)の名所(めいしよ)あこ屋(や)の松(まつ)とは仰(おほせ)
られ候(さうらふ)か、それは両国(りやうごく)が一国(いつこく)なりし時(とき)
読(よみ)侍(はべ)る歌(うた)也(なり)。十二郡(じふにぐん)をさきわか(ッ)て後(のち)は、
出羽国(ではのくに)にや候(さうらふ)らん」と申(まうし)ければ、さらば
とて、実方中将(さねかたのちゆうじやう)(さねかたのちうじやう)も出羽国(ではのくに)にこえてこそ、
あこ屋(や)の松(まつ)をばP186見(み)たりけれ。筑紫(つくし)
P02287
の太宰府(ださいふ)より都(みやこ)へ■魚+宣(はらか)の使(つかひ)ののぼるこそ、
かた路(ぢ)十五日(じふごにち)とはさだめたれ。既(すでに)十二三日(じふにさんにち)と
云(いふ)は、これより殆(ほとんど)鎮西(ちんぜい)へ下向(げかう)ごさむなれ(ごさんなれ)。
遠(とほ)(とを)しと云(いふ)とも、備前(びぜん)・備中(びつちゆう)(びつちう)の間(あひだ)(あいだ)、両(りやう)三日(さんにち)には
よも過(すぎ)じ。近(ちか)きをとをう(とほう)【遠う】申(まうす)は、大納言殿(だいなごんどの)の
御渡(おわたり)あんなる所(ところ)を、成経(なりつね)にしらせじとて
こそ申(まうす)らめ」とて、其(その)後(のち)は恋(こひ)しけれ共(ども)とひ
給(たま)はず。『大納言(だいなごんの)死去(しきよ)』S0210 さる程(ほど)に、法勝寺(ほつしようじ)(ほつせうじ)の執行(しゆぎやう)俊寛僧
P02288
都(しゆんくわんそうづ)(しゆんくはんそうづ)、平(へい)判官(はんぐわん)(はんぐはん)康頼(やすより)、この少将(せうしやう)相(あひ)(あい)ぐして、三人(さんにん)薩摩
潟(さつまがた)鬼界(きかい)が島(しま)へぞながされける。彼(かの)島(しま)は、都(みやこ)
を出(いで)てはるばると浪路(なみぢ)をしのいで行(ゆく)所(ところ)也(なり)。
おぼろけにては舟(ふね)もかよはず。島(しま)にも人(ひと)ま
れなり。をのづから(おのづから)人(ひと)はあれども、此(この)土(ど)の人(ひと)
にも似(に)ず。色(いろ)黒(くろ)うして牛(うし)の如(ごと)し。身(み)には頻(しきり)
に毛(け)おひつつ、云(いふ)詞(ことば)も聞(きき)しらず。男(をとこ)(おとこ)は鳥帽
子(えぼし)(ゑぼし)もせず、女(をうな)は髪(かみ)もさげざりけり。衣裳(いしやう)な
P02289
ければ人(ひと)にも似(に)ず。食(しよく)する物(もの)もなければ、
只(ただ)殺生(せつしやう)をのみ先(さき)とす。しづが山田(やまだ)を返(かへ)さ
ねば、米穀(べいこく)のるいもなく、園(その)の桑(くは)をとらざ
れば、絹帛(けんぱく)のたぐひもなかりけり。島(しま)のな
かにはたかき山(やま)あり。鎮(とこしなへ)に火(ひ)もゆ。硫黄(いわう)と
云(いふ)物(もの)みちみてり。かるがゆへに(かるがゆゑに)硫P187黄(いわう)が島(しま)
とも名付(なづけ)たり。いかづちつねになりあが
り、なりくだり、麓(ふもと)には雨(あめ)山せし【*しげし】。一日(いちにち)片時(へんし)、人(ひと)
P02290
の命(いのち)たえ【堪え】てあるべき様(やう)もなし。さる程(ほど)に、新
大納言(しんだいなごん)はすこしくつろぐ事(こと)もやと思(おも)はれ
けるに、子息(しそく)丹波少将(たんばのせうしやう)成経(なりつね)も、はや鬼界(きかい)が
島(しま)へながされ給(たま)ひぬときいて、今(いま)はさのみ
つれなく何事(なにごと)をか期(ご)すべきとて、出家(しゆつけ)の
志(こころざし)の候(さうらふ)よし、便(たより)に付(つけ)て小松殿(こまつどの)へ申(まう)されけれ
ば、此(この)由(よし)法皇(ほふわう)(ほうわう)へ伺(うかがひ)申(まうし)て御免(ごめん)ありけり。やが
て出家(しゆつけ)し給(たま)ひぬ。栄花(えいぐわ)の袂(たもと)を引(ひき)かへて、
P02291
うき世(よ)をよそのすみぞめの袖(そで)にぞや
つれ給(たま)ふ。大納言(だいなごん)の北方(きたのかた)は、都(みやこ)の北山(きたやま)雲
林院(うんりんゐん)の辺(へん)にしのびてぞおはしける。さらぬ
だに住(すみ)なれぬ所(ところ)は物(もの)うきに、いとどしのば
れければ、過行(すぎゆく)月日(つきひ)もあかしかね、くらしわ
づらふさまなりけり。女房(にようばう)侍(さぶらひ)おほかり
けれども、或(あるいは)(あるひは)世(よ)をおそれ【恐れ】、或(あるいは)(あるひは)人(ひと)目(め)をつつむ
ほどに、とひとぶらふ者(もの)一人(いちにん)もなし。され共(ども)
P02292
その中(なか)に、源(げん)左衛門尉(ざゑもんのじよう)(ざゑもんのぜう)信俊(のぶとし)と云(いふ)侍(さぶらひ)一人(いちにん)、情(なさけ)
ことにふかかり【深かり】ければ、つねはとぶらひた
てまつる。或(ある)時(とき)北方(きたのかた)、信俊(のぶとし)をめして、「まことや、
これには備前(びぜん)のこじまにと聞(きこ)えしが、此(この)程(ほど)き
けば有木(ありき)の別所(べつしよ)とかやにおはす也(なり)。いかにも
して今(いま)一度(いちど)、はかなき筆(ふで)の跡(あと)をも奉(たてまつ)り、
御(おん)をとづれ(おとづれ)をもきかばや」とこその給(たま)ひけ
れ。信俊(のぶとし)涙(なみだ)をおさへ申(まうし)けるは、「幼少(えうせう)(ようせう)より御
P02293
憐(おんあはれみ)を蒙(かうぶつ)て、かた時(とき)もはなれまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はず。
御下(おんくだ)りの時(とき)も、P188何共(なにとも)して御供(おんとも)仕(つかまつら)うと申(まうし)候(さうらひ)しか
共(ども)、六波羅(ろくはら)よりゆるされねば力(ちから)及(および)(をよび)候(さうら)はず。め
され候(さうらひ)[*「候」は「か」とも読める ]し御声(おんこゑ)も耳(みみ)にとどまり、諫(いさめ)られま
いらせ(まゐらせ)【参らせ】し御詞(おんことば)も肝(きも)に銘(めい)じて、かた時(とき)も忘(わすれ)
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はず。縦(たとひ)此(この)身(み)はいかなる目(め)にもあ
ひ候(さうら)へ、とうとう御(おん)ふみ【文】給(たま)は(ッ)てまいり(まゐり)【参り】候(さうら)はん」とぞ申(まうし)
ける。北方(きたのかた)なのめならず悦(よろこび)て、やがてかい【書い】てぞ
P02294
たうだりける。おさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)も面々(めんめん)に御(おん)
ふみ【文】あり。信俊(のぶとし)これを給(たま)は(ッ)て、はるばると
備前国(びぜんのくに)有木(ありき)の別所(べつしよ)へ尋下(たづねくだ)る。あづかりの
武士(ぶし)難波次郎(なんばのじらう)経遠(つねとほ)(つねとを)に案内(あんない)をいひけれ
ば、心(こころ)ざしの程(ほど)を感(かん)じて、やがて見参(げんざん)に
いれ【入れ】たりけり。大納言(だいなごん)入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)は、只今(ただいま)も都(みやこ)
の事(こと)をの給(たま)ひだし【出し】、歎(なげ)きしづんでおはし
ける処(ところ)に、「京(きやう)より信俊(のぶとし)がまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)」と申入(まうしいれ)
P02295
たりければ、「ゆめかや」とて、ききもあへず
おきなをり(なほり)、「是(これ)へ是(これ)へ」とめされければ、
信俊(のぶとし)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て見(み)奉(たてまつ)るに、まづ御(おん)すまひの
心(こころ)うさもさる事(こと)にて、墨染(すみぞめ)の御袂(おんたもと)を見(み)
奉(たてまつ)るにぞ、信俊(のぶとし)目(め)もくれ心(こころ)もきえて覚(おぼ)ゆ
る。北方(きたのかた)の仰(おほせ)かうむ(ッ)【蒙つ】し次第(しだい)、こまごまと申(まうし)て、
文(ふみ)とりいだいて奉(たてまつ)る。是(これ)をあけて見(み)給(たま)へ
ば、水(みづ)ぐきの跡(あと)は涙(なみだ)にかきくれて、そこはか
P02296
とはみえ【見え】ねども、「おさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)のあまりに
恋(こひ)かなしみ給(たま)ふありさま、我(わが)身(み)もつきせ
ぬもの思(おもひ)にたへ【堪へ】しのぶべうもなし」な(ン)ど(など)
かかれたれば、日来(ひごろ)の恋(こひ)しさは事(こと)の数(かず)
ならずとぞかなしみ給(たま)ふ。P189かくて四五日(しごにち)過(すぎ)
ければ、信俊(のぶとし)「これに候(さうらひ)て、最後(さいご)の御有様(おんありさま)
見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん」と申(まうし)ければ、あづかりの
武士(ぶし)難波次郎(なんばのじらう)経遠(つねとほ)(つねとを)、かなう(かなふ)まじき由(よし)頻(しきり)に
P02297
申(まう)せば、力(ちから)及(およ)(をよ)ばで、「さらば上(のぼ)れ」とこその給(たま)ひ
けれ。「我(われ)は近(ちか)ううしなはれんずらむ。此(この)世(よ)に
なき者(もの)ときかば、相構(あひかまへ)て我(わが)後世(ごせ)とぶら
へ」とぞの給(たま)ひける。御返事(おんぺんじ)かいてたうだ
りければ、信俊(のぶとし)これを給(たまは)(ッ)て、「又(また)こそ参(まゐ)り
候(さうら)はめ」とて、いとま申(まうし)て出(いで)ければ、「汝(なんぢ)がまた
こ【来】んたびを待(まち)つくべしともおぼえぬぞ。
あまりにしたはしくおぼゆるに、しばししばし」との
P02298
給(たま)ひて、たびたびよびぞかへさ【返さ】れける。さて
もあるべきならねば、信俊(のぶとし)涙(なみだ)をおさへつつ、都(みやこ)
へ帰(かへり)上(のぼ)りけり。北方(きたのかた)に御(おん)ふみ【文】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たり
ければ、是(これ)をあけて御覧(ごらん)ずるに、はや出家(しゆつけ)
し給(たま)ひたるとおぼしくて、御(おん)ぐし【髪】の一(ひと)ふさ、
ふみのおくにありけるを、ふた目(め)とも見(み)
給(たま)はず。かたみこそ中々(なかなか)今(いま)はあだなれ
とて、ふしまろびてぞなか【泣か】れける。おさなき(をさなき)【幼き】
P02299
人々(ひとびと)も、声々(こゑごゑ)になきかなしみ給(たま)ひけり。さる
ほどに、大納言(だいなごん)入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)をば、同(おなじき)八月(はちぐわつ)十九日(じふくにち)、備
前(びぜん)・備中(びつちゆう)(びつちう)両国(りやうごく)の堺(さかひ)、にはせ(庭瀬)の郷(がう)吉備(きび)の中
山(なかやま)と云(いふ)所(ところ)にて、つゐに(つひに)【遂に】うしなひ奉(たてまつ)る。其(その)さ
ひご(さいご)【最後】の有(あり)さま、やうやうに聞(きこ)えけり。酒(さけ)に毒(どく)
を入(いれ)てすすめたりければ、かなはざりけ
れば、岸(きし)の二丈(にぢやう)ばかりありける下(した)にひしを
うへ(うゑ)【植ゑ】て、うへよりつきおとし奉(たてまつ)れば、ひしにつらP190
P02300
ぬか(ッ)てうせ給(たま)ひぬ。無下(むげ)にうたてき事共(ことども)
也(なり)。ためしすくなうぞおぼえける。大納言(だいなごん)北
方(きたのかた)は、此(この)世(よ)になき人(ひと)と聞(きき)たまひて、「いかに
もして今(いま)一度(いちど)、かはらぬすがたを見(み)もし、み
え【見え】んとてこそ、けふまでさまをもかへざり
つれ。今(いま)は何(なに)にかはせん」とて、菩提院(ぼだいゐん)と云(いふ)
寺(てら)におはし、さまをかへ、かたのごとく仏事(ぶつじ)
をいとなみ、後世(ごせ)をぞとぶらひ給(たま)ひける。
P02301
此(この)北方(きたのかた)と申(まうす)は、山城守(やましろのかみ)敦方(あつかた)の娘(むすめ)なり。勝(すぐれ)た
る美人(びじん)にて、後白河法皇(ごしらかはのほふわう)(ごしらかはのほうわう)の御最愛(ごさいあい)なら
びなき御(おん)おもひ【思】人(びと)にておはしけるを、成
親卿(なりちかのきやう)ありがたき寵愛(ちようあい)(てうあい)の人(ひと)にて、給(たま)はられ
たりけるとぞ聞(きこ)えし。おさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)も
花(はな)を手折(たをり)(たおり)、閼伽(あか)の水(みづ)を結む(むすん)で、父(ちち)の後
世(ごせ)をとぶらひ給(たま)ふぞ哀(あはれ)なる。さる程(ほど)に時(とき)
うつり事(こと)さ(ッ)て、世(よ)のかはりゆくありさまは、
P02302
ただ天人(てんにん)の五衰(ごすい)にことならず。『徳大寺(とくだいじ)之(の)沙汰(さた)』S0211  ここに徳大寺(とくだいじ)
の大納言(だいなごん)実定卿(しつていのきやう)は、平家(へいけ)の次男(じなん)宗盛卿(むねもりのきやう)に
大将(だいしやう)をこえられて、しばらく寵居(ろうきよ)し給(たま)へり。
出家(しゆつけ)せんとの給(たま)へば、諸大夫(しよだいぶ)侍共(さぶらひども)、いかがせん
と歎(なげき)あへり。其(その)中(なか)に藤(とう)蔵人(くらんど)重兼(しげかね)と云(いふ)
諸大夫(しよだいぶ)あり。諸事(しよじ)に心(こころ)えたる人(ひと)にて、ある月(つき)
の夜(よ)、実定卿(しつていのきやう)南面(なんめん)の御格子(みかうし)あげさせ、只(ただ)ひ
とり月(つき)に嘯(うそぶひ)ておはしける処(ところ)に、なぐP191さめ
P02303
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】んとやおもひ【思ひ】けん、藤蔵人(とうくらんど)まいり(まゐり)【参り】
たり。「たそ」。「重兼(しげかね)候(ざうらふ)」。「いかに何事(なにごと)(なにこと)ぞ」との給(たま)へ
ば、「今夜(こよひ)は殊(こと)に月(つき)さえて、よろづ心(こころ)のすみ候(さうらふ)
ままにまい(ッ)て候(さうらふ)」とぞ申(まうし)ける。大納言(だいなごん)「神妙(しんべう)に
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】たり。余(よ)に何(なに)とやらん心(こころ)ぼそうて徒然(とぜん)
なるに」とぞ仰(おほせ)られける。其(その)後(のち)何(なに)となひ(ない)【無い】
事共(ことども)申(まうし)てなぐさめ奉(たてまつ)る。大納言(だいなごん)の給(たま)ひけ
るは、「倩(つらつら)此(この)世(よ)の中(なか)のありさまをみる【見る】に、平家(へいけ)
P02304
の世(よ)はいよいよさかんなり。入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)の嫡子(ちやくし)次
男(じなん)、左右(さう)の大将(だいしやう)にてあり。やがて三男(さんなん)知盛(とももり)、嫡孫(ちやくそん)
維盛(これもり)も有(ある)ぞかし。かれも是(これ)も次第(しだい)にならば、他
家(たけ)の人々(ひとびと)、大将(だいしやう)をいつあたりつぐべし共(とも)覚(おぼ)え
ず。さればつゐ(つひ)の事(こと)也(なり)。出家(しゆつけ)せん」とぞの給(たま)ひ
ける。重兼(しげかね)涙(なみだ)をはらはらとながひ(ながい)【流い】て申(まうし)けるは、
「君(きみ)の御出家(ごしゆつけ)候(さうらひ)なば、御内(みうち)の上下(じやうげ)皆(みな)まどひ者(もの)
になりなんず。重兼(しげかね)めづらしい事(こと)をこそ案(あん)
P02305
じ出(いだ)して候(さうら)へ。喩(たとへ)ば安芸(あき)の厳島(いつくしま)をば、平家(へいけ)なの
めならずあがめ敬(うやまは)れ候(さうらふ)に、何(なに)かはくるしう【苦しう】候(さうらふ)べき、
彼(かの)社(やしろ)へ御(おん)まいり(まゐり)【参り】あ(ッ)て、御祈誓(ごきせい)候(さうら)へかし。七日(なぬか)斗(ばか)り
御参籠(ごさんろう)候(さうら)はば、彼(かの)社(やしろ)には内侍(ないし)とて、ゆう(いう)【優】なる舞
姫共(まひびめども)おほく候(さうらふ)。めづらしう思(おも)ひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、も
てなしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はんずらむ。何事(なにごと)の御祈誓(ごきせい)
に御参籠(ごさんろう)候(さうらふ)やらんと申(まうし)候(さうら)はば、ありのままに
仰(おほせ)候(さうら)へ。さて御(おん)のぼりの時(とき)、御名残(おんなごり)おしみ(をしみ)【惜み】
P02306
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はんずらむ。むねとの内侍共(ないしども)をめ
し具(ぐ)して、都(みやこ)まで御(おん)のぼり候(さうら)へ。都(みやこ)へのぼり候(さうらひ)
なば、西八条(にしはつでう)へぞ参(まゐり)(まいり)候(さうら)はんずらん。徳大P192寺殿(とくだいじどの)
は何事(なにごと)の御祈誓(ごきせい)に厳島(いつくしま)へはまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)
ひたりけるやらんと尋(たづね)られ候(さうら)はば、内侍(ないし)ども
ありのままにぞ申(まうし)候(さうら)はむずらん。入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)は
ことに物(もの)めでし給(たま)ふ人(ひと)にて、わが崇(あがめ)給(たま)ふ
御神(おんがみ)(おんかみ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、祈(いのり)申(まう)されけるこそうれしけれ
P02307
とて、よきやうなるはからひもあんぬと
覚(おぼ)え候(さうらふ)」と申(まうし)ければ、徳大寺殿(とくだいじどの)「これこそ思(おも)ひ
もよらざりつれ。ありがたき策(はかりこと)かな。やがて
まいら(まゐら)【参ら】む」とて、俄(にはか)に精進(しやうじん)はじめつつ、厳島(いつくしま)へぞ
参(まゐ)られける。誠(まこと)に彼(かの)社(やしろ)には内侍(ないし)とてゆう(いう)【優】なる
女(をんな)(おんな)どもおほかりけり。七日(なぬか)参籠(さんろう)せられける
に、よるひる【夜昼】つきそひ奉(たてまつ)り、もてなす事(こと)
かぎりなし。七日(なぬか)七夜(ななよ)の間(あひだ)(あいだ)に、舞楽(ぶがく)も三度(さんど)
P02308
までありけり。琵琶(びわ)琴(こと)ひき、神楽(かぐら)うたひ【歌ひ】
な(ン)ど(など)遊(あそび)ければ、実定卿(しつていのきやう)も面白(おもしろき)事(こと)に覚(おぼ)しめ
し、神明(しんめい)法楽(ほふらく)(ほうらく)のために、いまやう【今様】朗詠(らうえい)(らうゑい)うたい(うたひ)【歌ひ】、
風俗催馬楽(ふうぞくさいばら)な(ン)ど(など)、ありがたき郢曲(えいきよく)どもあ
りけり。内侍共(ないしども)「当社(たうしや)へは平家(へいけ)の公達(きんだち)こそ
御(おん)まいり(まゐり)【参り】さぶらふに、この御(おん)まいり(まゐり)【参り】こそめづ
らしうさぶらへ。何事(なにごと)の御祈誓(ごきせい)に御参籠(ごさんろう)
さぶらふやらん」と申(まうし)ければ、「大将(だいしやう)を人(ひと)に
P02309
こえられたる間(あひだ)(あいだ)、その祈(いのり)のため也(なり)」とぞおほ
せられける。さて七日(なぬか)参籠(さんろう)おは(ッ)(をはつ)て、大明神(だいみやうじん)に
暇(いとま)申(まうし)て都(みやこ)へのぼらせ給(たま)ふに、名残(なごり)をを
しみ奉(たてまつ)り、むねとのわかき内侍(ないし)十余人(じふよにん)(じうよにん)、
舟(ふね)をしたてて一日路(ひとひぢ)をくり(おくり)【送り】奉(たてまつ)る。いとま申(まうし)
けれ共(ども)、さりとてはあまりに名(な)ごりのおし
き(をしき)【惜き】に、今(いま)一日路(ひとひぢ)、P193今(いま)二日路(ふつかぢ)と仰(おほせ)られて、みやこ
までこそ具(ぐ)せられけれ。徳大寺殿(とくだいじどの)の亭(てい)へ
P02310
いれ【入れ】させ給(たま)ひて、やうやうにもてなし、さま
ざまの御引出物共(おんひきでものども)たうでかへさ【返さ】れけり。内
侍共(ないしども)「これまでのぼる程(ほど)では、我等(われら)がしう(しゆう)【主】の
太政入道殿(だいじやうにふだうどの)(だいじやうにうだうどの)へ、いかでまいら(まゐら)【参ら】で有(ある)べき」とて、西
八条(にしはつでう)へぞ参(さん)じたる。入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)いそぎ出(いで)あひ給(たま)
ひて、「いかに内侍共(ないしども)は何事(なにごと)の列参(れつさん)ぞ」。「徳大
寺殿(とくだいじどの)の御(おん)まいり(まゐり)【参り】さぶらふ(さぶらう)て、七日(なぬか)こもらせ
給(たま)ひて御(おん)のぼりさぶらふを、一日路(ひとひぢ)をくり(おくり)【送り】
P02311
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】てさぶらへば、さりとてはあまりに
名(な)ごりのおしき(をしき)【惜き】に、今(いま)一日路(ひとひぢ)二日路(ふつかぢ)と仰(おほせ)ら
れて、是(これ)までめしぐせ【召具せ】られてさぶらふ」。「徳
大寺(とくだいじ)は何事(なにごと)の祈誓(きせい)に厳島(いつくしま)まではまいら(まゐら)【参ら】
れたりけるやらん」との給(たま)へば、「大将(だいしやう)の御祈(おんいのり)
のためとこそ仰(おほせ)られさぶらひしか」。其(その)時(とき)
入道(にふだう)(にうだう)うちうなづいて、「あないとをし(いとほし)。王城(わうじやう)にさ
しもた(ッ)とき霊仏(れいぶつ)霊社(れいしや)のいくらもまします
P02312
をさしをい(おい)て、我(わが)崇(あがめ)奉(たてまつ)る御神(おんがみ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、祈(いのり)申(まう)
されけるこそ有(あり)がたけれ。是(これ)ほど心(こころ)ざし切(せつ)
ならむ上(うへ)は」とて、嫡子(ちやくし)小松殿内大臣(こまつどのないだいじん)の左
大将(さだいしやう)にてましましけるを辞(じ)せさせ奉(たてまつ)り、次
男(じなん)宗盛(むねもり)大納言(だいなごん)の右大将(うだいしやう)にておはしけるを
こえさせて、徳大寺(とくだいじ)を左大将(さだいしやう)にぞなされ
ける。あはれ、めでたかりけるはかりことかな。新
大納言(しんだいなごん)も、かやうに賢(かしこ)きはからひをばし給(たま)はで、
P02313
よしなき謀反(むほん)おこいて、我(わが)身(み)も亡(ほろび)、子息(しそく)所
従(しよじゆう)(しよじう)[*「従」は「徒」とも読める]に至(いた)るまで、かかるうき目(め)をみせ【見せ】給(たま)ふこ
そうたてけれ。P194『山門滅亡(さんもんめつばう)堂衆合戦(だうしゆかつせん)』S0212 さる程(ほど)に、法皇(ほふわう)(ほうわう)は三井寺(みゐでら)の
公顕僧正(こうけんそうじやう)を御師範(ごしはん)として、真言(しんごん)の秘法(ひほふ)(ひほう)
を伝受(でんじゆ)せさせましましけるが、大日経(だいにちきやう)・金剛
頂経(こんがうちやうきやう)・蘇悉地経(そしつぢきやう)、此(この)三部(さんぶ)の秘法(ひほふ)(ひほう)をうけさせ
給(たま)ひて、九月(くぐわつ)四日(しにち)三井寺(みゐでら)にて御潅頂(ごくわんぢやう)(ごくはんぢやう)ある
べしとぞ聞(きこ)えける。山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)憤(いきどほり)(いきどをり)申(まうし)、「むかし
P02314
より御潅頂(ごくわんぢやう)(ごくはんぢやう)御受戒(ごじゆかい)、みな当山(たうざん)にしてとげ
させまします事(こと)先規(せんぎ)也(なり)。就中(なかんづく)に山王(さんわう)の
化導(けだう)は受戒(じゆかい)潅頂(くわんぢやう)(くはんぢやう)のためなり。しかるを今(いま)
三井寺(みゐでら)にてとげ〔させましまさば、寺(てら)を一向(いつかう)焼払(やきはら)ふべし」とぞ〕申(まうし)ける。「是(これ)無益(むやく)なり」と
て、御加行(ごかぎやう)を結願(けつぐわん)して、おぼしめし【思召し】とどまら
せ給(たま)ひぬ。さりながらも猶(なほ)(なを)御本意(ごほんい)な
ればとて、三井寺(みゐでら)の公顕僧正(こうけんそうじやう)をめし具(ぐ)し
て、天王寺(てんわうじ)へ御幸(ごかう)な(ッ)て、五智光院(ごちくわうゐん)(ごちくはうゐん)をたて、
P02315
亀井(かめゐ)の水(みづ)を五瓶(ごへい)の智水(ちすい)として、仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)最
初(さいしよ)の霊地(れいち)にてぞ、伝法(でんぼふ)(でんぼう)潅頂(くわんぢやう)(くはんぢやう)はとげさせまし
ましける。山門(さんもん)の騒動(さうどう)をしづめられんが
ために、三井寺(みゐでら)にて御潅頂(ごくわんぢやう)(ごくはんぢやう)はなかりしか共(ども)、
山上(さんじやう)には、堂衆(だうじゆ)学生(がくしやう)不快(ふくわい)の事(こと)いできて、
かつせん(合戦)度々(どど)に及(およぶ)(をよぶ)。毎度(まいど)に学侶(がくりよ)(かくりよ)うちおと
されて、山門(さんもん)の滅亡(めつばう)、朝家(てうか)の御大事(おんだいじ)とぞ見(み)
えし。堂衆(だうじゆ)と申(まうす)は、学生(がくしやう)の所従(しよじゆう)(しよじう)也(なり)ける童
P02316
部(わらはべ)が法師(ほふし)(ほうし)にな(ッ)たるや、若(もし)は中間法師原(ちゆうげんほふしばら)(ちうげんほうしばら)にて
ありけるが、金剛寿院(こんがうじゆゐん)の座P195主(ざす)覚尋権僧正(がくしんごんのそうじやう)
治山(ぢさん)の時(とき)より、三塔(さんたふ)(さんたう)に結番(けつばん)して、夏衆(げしゆ)と
号(かう)して、仏(ほとけ)に花(はな)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】し者共(ものども)也(なり)。近年(きんねん)
行人(ぎやうにん)とて、大衆(だいしゆ)をも事(こと)共(とも)せざりしが、かく
度々(どど)の戦(たたかひ)にうちかちぬ。堂衆等(だうじゆら)師主(ししゆ)の命(めい)
をそむいて合戦(かつせん)を企(くはたて)、すみやかに誅罰(ちゆうばつ)(ちうばつ)せ
らるべきよし、大衆(だいしゆ)公家(くげ)に奏聞(そうもん)し、武家(ぶけ)に
P02317
触(ふれ)う(ッ)たう(うつたふ)【訴ふ】。これによ(ッ)て太政入道(だいじやうにふだう)(だいじやうにうだう)院宣(ゐんぜん)を承(うけたまは)り、
紀伊国(きいのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)湯浅権守(ゆあさのごんのかみ)宗重(むねしげ)以下(いげ)、畿
内(きない)の兵(つはもの)二千余騎(にせんよき)、大衆(だいしゆ)にさしそへて堂衆(だうじゆ)
を攻(せめ)らる。堂衆(だうじゆ)日(ひ)ごろは東陽坊(とうやうばう)にありし
が、近江国(あふみのくに)三ケ(さんが)の庄(しやう)に下向(げかう)して、数多(すた)の勢(せい)を
率(そつ)し、又(また)登山(とうざん)して、さう井坂(ゐざか)に城(じやう)をして
たてごもり【*たてごもる】。同(おなじき)九月(くぐわつ)廿日(はつかのひ)辰(たつ)の一点(いつてん)に、大衆(だいしゆ)三
千人(さんぜんにん)、官軍(くわんぐん)(くはんぐん)二千余騎(にせんよき)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)五千余(ごせんよ)
P02318
人(にん)、さう井坂(ゐざか)におしよせたり。今度(こんど)はさり共(とも)
とおもひ【思ひ】けるに、大衆(だいしゆ)は官軍(くわんぐん)(くはんぐん)をさきだて
むとし、官軍(くわんぐん)(くはんぐん)は又(また)大衆(だいしゆ)をさきだてんと
あらそふ程(ほど)に、心々(こころごころ)にてはかばかしうもたたか
はず。城(じやう)の内(うち)より石弓(いしゆみ)はづしかけたりけ
れば、大衆(だいしゆ)官軍(くわんぐん)(くはんぐん)かずをつくいてうたれに
けり。堂衆(だうじゆ)に語(かた)らふ悪党(あくたう)と云(いふ)は、諸国(しよこく)の
窃盜(せつたう)・強盜(がうだう)・山賊(さんぞく)・海賊等(かいぞくとう)也(なり)。欲心熾盛(よくしんしじやう)に
P02319
して、死生不知(ししやうふち)の奴原(やつばら)なれば、我(われ)一人(いちにん)と
思(おもひ)き(ッ)てたたかふ程(ほど)に、今度(こんど)も又(また)学生(がくしやう)いく
さにまけにけり。P196『山門滅亡(さんもんめつばう)』S0213其(その)後(のち)は山門(さんもん)いよいよ荒(あれ)は
てて、十二禅衆(じふにぜんじゆ)のほかは、止住(しぢゆう)(しぢう)の僧侶(そうりよ)もまれ
也(なり)。谷々(たにだに)の講演(こうえん)(かうゑん)磨滅(まめつ)して、堂々(だうだう)の行法(ぎやうぼふ)(ぎやうぼう)も
退転(たいてん)す。修学(しゆがく)の窓(まど)を閉(とぢ)、坐禅(ざぜん)の床(ゆか)をむ
なしうせり。四教(しけう)五時(ごじ)の春(はる)の花(はな)もにほはず、
三諦即是(さんだいそくぜ)の秋(あき)の月(つき)もくもれり。三百余
P02320
歳(さんびやくよさい)の法燈(ほふとう)(ほうとう)を挑(かかぐ)る人(ひと)もなく、六時不断(ろくじふだん)の
香(かう)の煙(けぶり)もたえやしぬらん。堂舎(たうじや)高(たか)くそ
びへ(そびえ)【聳え】て、三重(さんぢゆう)(さんぢう)の構(かまへ)を青漢(せいかん)の内(うち)に挿(さしはさ)み、棟
梁(とうりやう)遥(はるか)に秀(ひいで)て、四面(しめん)の椽(たるき)を白霧(はくむ)の間(あひだ)(あいだ)に
かけたりき。され共(ども)、今(いま)は供仏(くぶつ)を嶺(みね)の
嵐(あらし)にまかせ、金容(きんよう)を紅瀝(こうれき)にうるほす。夜(よる)
の月(つき)灯(ともしび)をかかげて、簷(のき)のひまよりもり、
暁(あかつき)の露(つゆ)珠(たま)を垂(たれ)て、蓮座(れんざ)の粧(よそほひ)をそふ
P02321
とかや。夫(それ)末代(まつだい)の俗(ぞく)に至(いたつ)ては、三国(さんごく)の仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)
も次第(しだい)に衰微(すいび)せり。遠(とほ)(とを)く天竺(てんぢく)に仏跡(ぶつせき)をと
ぶらへば、昔(むかし)仏(ほとけ)の法(のり)を説給(ときたま)ひし竹林精
舎(ちくりんしやうじや)・給孤独園(ぎつこどくゑん)(ぎつこどくえん)も、此比(このごろ)は狐狼(こらう)野干(やかん)の栖(すみか)と
な(ッ)て、礎(いしずゑ)のみや残(のこる)らん。白鷺池(はくろち)には水(みづ)たえて、
草(くさ)のみふかくしげれり。退梵(たいぼん)下乗(げじよう)(げぜう)の卒
都婆(そとば)も苔(こけ)のみむして傾(かたぶき)ぬ。震旦(しんだん)にも天台山(てんだいさん)・
五台山(ごだいさん)・白馬寺(はくばじ)・玉泉寺(ぎよくせんじ)も、今(いま)は住侶(ぢゆうりよ)(ぢうりよ)なきさ
P02322
まに荒(あれ)はてて、大小乗(だいせうじよう)(だいせうぜう)の法門(ほふもん)(ほうもん)も箱(はこ)の底(そこ)に
や朽(くち)ぬらん。我(わが)朝(てう)にも、南都(なんと)の七大寺(しちだいじ)荒(あれ)はて
て、八宗(はつしゆう)(はつしう)九宗(くしゆう)(くしう)も跡(あと)たえ、愛宕護(あたご)・高雄(たかを)(たかお)も、
昔(むかし)は堂塔(だうたふ)(だうたう)軒(のき)をならべたりしか共(ども)、一夜(ひとよ)の
うちに荒(あれ)にしかば、天狗(てんぐ)の棲(すみか)となりはてぬ。
さればにP197や、さしもや(ン)ごとなかりつる天台(てんだい)の
仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)も、治承(ぢしよう)(ぢせう)の今(いま)に及(およん)(をよん)で、亡(ほろび)はてぬるにや。
心(こころ)ある人(ひと)嘆(なげき)かなしまずと云(いふ)事(こと)なし。離山(りさん)し
P02323
ける僧(そう)の坊(ばう)の柱(はしら)に、歌(うた)をぞ一首(いつしゆ)書(かい)たりける。
いのりこし我(わが)たつ杣(そま)の引(ひき)かへて
人(ひと)なきみねとなりやはてなむ W009
是(これ)は、伝教大師(でんげうだいし)当山(たうざん)草創(さうさう)の昔(むかし)、阿耨多
羅三藐三菩提[*「藐」は底本は「(草冠に狼)」](あのくたらさんみやくさんぼだい)の仏(ほとけ)たちにいのり申(まう)
されける事(こと)をおもひ【思ひ】出(いで)て、読(よみ)たりける
にや。いとやさしうぞ聞(きこ)えし。八日(やうか)は薬師(やくし)の
日(ひ)なれども、南無(なむ)と唱(となふ)るこゑ【声】もせず、卯月(うづき)は
P02324
垂跡(すいしやく)の月(つき)なれ共(ども)、幣帛(へいはく)を捧(ささぐ)る人(ひと)もなし。
あけの玉墻(たまがき)かみさびて、しめなはのみや残(のこる)
らん。『善光寺(ぜんくわうじ)炎上(えんしやう)』S0214其(その)比(ころ)善光寺(ぜんくわうじ)(ぜんくはうじ)炎上(えんしやう)の由(よし)其(その)聞(きこえ)あり。彼(かの)
如来(によらい)と申(まうす)は、昔(むかし)中天竺(ちゆうてんぢく)(ちうてんぢく)舎衛国(しやゑこく)に五種(ごしゆ)の
悪病(あくびやう)おこ(ッ)て人庶(にんそう)おほく亡(ほろび)しに、月蓋長
者(ぐわつかいちやうじや)が致請(ちじやう)によ(ッ)て、竜宮城(りゆうぐうじやう)(りうぐうじやう)より閻浮檀金(えんぶだごん)
をえて、釈尊(しやくそん)、目蓮長者(もくれんちやうじや)、心(こころ)をひとつ
にして鋳(ゐ)あらはし給(たま)へる一(いつ)ちやく手半(しゆはん)の弥
P02325
陀(みだ)の三尊(さんぞん)、閻浮提(えんぶだい)第一(だいいち)の霊像(れいざう)也(なり)。仏滅度(ぶつめつど)
の後(のち)、天竺(てんぢく)にとどまらせ給(たまふ)事(こと)五百余歳(ごひやくよさい)、仏
法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)東漸(とうぜん)の理(ことわり)(ことはり)にて、百済国(はくさいこく)にうつらせ給(たま)ひ
て、一千歳(いつせんざい)の後(のち)、百済(はくさい)の御門(みかど)P198斉明王【*聖明王】(せいめいわう)、吾(わが)朝(てう)の御
門(みかど)欽明天皇(きんめいてんわう)の御宇(ぎよう)に及(および)(をよび)て、彼(かの)国(くに)より此(この)国(くに)へ
うつらせ給(たま)ひて、摂津国(せつつのくに)難波(なには)の浦(うら)にして
星霜(せいざう)ををくら(おくら)【送ら】せ給(たま)ひけり。つねは金色(こんじき)の
光(ひかり)をはなたせましましければ、これによ(ッ)て年
P02326
号(ねんがう)を金光(こんくわう)(こんくはう)と号(かう)す。同(おなじき)三年(さんねん)三月(さんぐわつ)上旬(じやうじゆん)に、信濃
国(しなののくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)おうみ【麻績】の本太善光(ほんだよしみつ)と云(いふ)者(もの)、都(みやこ)へ
のぼりたりけるが、彼(かの)如来(によらい)に逢(あひ)奉(たてまつ)りたり
けるに、やがていざなひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、ひるは善光(よしみつ)、
如来(によらい)ををい(おひ)【負ひ】奉(たてまつ)り、夜(よる)は善光(よしみつ)、如来(によらい)におはれ
たてま(ッ)て、信濃国(しなののくに)へ下(くだ)り、みのち【水内】の郡(こほり)に
安置(あんぢ)したてま(ッ)しよりこのかた、星霜(せいざう)既(すで)に
五百(ごひやく)八十(はちじふ)余歳(よさい)、炎上(えんしやう)の例(れい)はこれはじめとぞ
P02327
承(うけたまは)る。「王法(わうぼふ)(わうぼう)つきんとては仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)まづ亡(ばう)ず」といへ
り。さればにや、「さしもや(ン)ごとなかりつる霊寺
霊山(れいじれいさん)のおほくほろびうせぬるは、平家(へいけ)
の末(すゑ)になりぬる先表(ぜんべう)やらん」とぞ申(まうし)
ける。『康頼(やすより)祝言(のつと)』S0215さるほどに、鬼界(きかい)が島(しま)の流人共(るにんども)、つゆの
命(いのち)草葉(くさば)のすゑにかか(ッ)て、おしむ(をしむ)【惜む】べきとには
あらねども、丹波少将(たんばのせうしやう)のしうと平宰相(へいざいしやう)の
領(りやう)、肥前国(ひぜんのくに)鹿瀬庄(かせのしやう)より、衣食(いしよく)を常(つね)にをく
P02328
ら(おくら)【送ら】れければ、それにてぞ俊寛僧都(しゆんくわんそうづ)(しゆんくはんそうづ)も康
瀬【*康頼】(やすより)も、命(いのち)をいきて過(すご)しける。P199康瀬【*康頼】(やすより)はながさ
れける時(とき)、周防(すはうの)室(むろ)づみ【積】にて出家(しゆつけ)して(ン)を
れは【*げれば】、法名(ほふみやう)(ほうみやう)は性照(しやうせう)とこそついたりけれ。
出家(しゆつけ)はもとよりの望(のぞみ)なりければ、
つゐに(つひに)【遂に】かくそむきはてける世間(よのなか)を
とく捨(すて)ざりしことぞくやしき W010
丹波少将(たんばのせうしやう)・康頼入道(やすよりにふだう)(やすよりにうだう)は、もとより〔熊野信(くまのしん)じの人々(ひとびと)なれば、「いかにもして此(この)島(しま)のうちに〕熊野(くまの)
P02329
の三所権現(さんじよごんげん)を勧請(くわんじやう)(くはんじやう)し奉(たてまつ)て、帰洛(きらく)の事(こと)をい
のり申(まう)さばや」と云(いふ)に、俊寛僧都(しゆんくわんそうづ)(しゆんくはんそうづ)は天姓【*天性】(てんぜい)不信(ふしん)
第一(だいいち)の人(ひと)にて、是(これ)をもちい(もちゐ)【用】ず。二人(ににん)はおなじ
心(こころ)に、もし熊野(くまの)に似(に)たる所(ところ)やあると、島(しま)のう
ちを尋(たづね)まいる【*まはる】に、或(あるは)林塘(りんたう)の妙(たへ)なるあり、紅
錦繍(こうきんしう)の粧(よそほひ)しなじなに。或(あるは)雲嶺(うんれい)のあやしきあ
り、碧羅綾(へきられう)の色(いろ)一(ひとつ)にあらず。山(やま)のけしき、木(き)
のこだちに至(いた)るまで、外(ほか)よりもなを(なほ)【猶】勝(すぐれ)たり。
P02330
南(みなみ)を望(のぞ)めば、海(かい)漫々(まんまん)として、雲(くも)の波(なみ)煙(けぶり)の浪(なみ)
ふかく、北(きた)をかへりみれば、又(また)山岳(さんがく)の峨々(がが)たる
より、百尺(はくせき)の滝水(りゆうすい)(りうすい)漲落(みなぎりおち)たり。滝(たき)の音(おと)(をと)ことに
すさまじく、松風(まつかぜ)神(かみ)さびたるすまひ、飛滝(ひりゆう)(ひりう)
権現(ごんげん)のおはします那智(なち)のお山(やま)にさに【似】たり
けり。さてこそやがてそこをば、那智(なち)のお山(やま)と
は名(な)づけけれ。此(この)峯(みね)は本宮(ほんぐう)、かれは新宮(しんぐう)、是(これ)
はそむぢやう(そんぢやう)其(その)王子(わうじ)、彼(かの)王子(わうじ)な(ン)ど(など)、王子(わうじ)々々(わうじ)の
P02331
名(な)を申(まうし)て、康頼入道(やすよりにふだう)(やすよりにうだう)先達(せんだち)にて、丹波少将(たんばのせうしやう)相(あひ)
ぐしつつ、日(ひ)ごとに熊野(くまの)まうでのまねをし
て、帰洛(きらく)の事(こと)をぞ祈(いのり)ける。「南無権現(なむごんげん)
金剛童子(こんがうどうじ)、ねがはくは憐(あはれ)みをたれさせ
おはしまして、古郷(こきやう)へかへし入(いれ)させ給(たま)へ。妻子(さいし)
どもP200をば今(いま)一度(いちど)みせ【見せ】給(たま)へ」とぞ祈(いのり)ける。
日数(ひかず)つもりてたちかふ【裁替】べき浄衣(じやうえ)(じやうゑ)もな
ければ、麻(あさ)の衣(ころも)を身(み)にまとひ、沢辺(さはべ)の
P02332
水(みづ)をこりにかいては、岩田河(いはだがは)のきよきな
がれと思(おも)ひやり、高(たか)き所(ところ)にのぼ(ッ)ては、発心
門(ほつしんもん)とぞ観(くわん)(くはん)じける。まいる(まゐる)【参る】たびごとには、康
頼入道(やすよりにふだう)(やすよりにうだう)の(ッ)と【祝言】を申(まうす)に、御幣紙(おんぺいし)もなかれ【*なけれ】ば、
花(はな)を手折(たをり)(たおり)てささげつつ、
維(ゐ)(い)あたれる歳次(さいし)、治承(ぢしよう)(ぢせう)元年(ぐわんねん)丁酉(ひのとのとり)、月(つき)のな
らび十月(とつき)二月(ふたつき)、日(ひ)の数(かず)三百五十(さんびやくごじふ)(さんびやくごじう)余ケ日(よかにち)、吉
日(きちじつ)良辰(りやうしん)を択(えらん)で、かけまくも忝(かたじけな)く、日本(につぽん)第
P02333
一(だいいち)大領験(だいりやうげん)、熊野(ゆや)三所権現(さんじよごんげん)、飛滝(ひりゆう)(ひりう)大薩■(だいさつた)
の教(けう)りやう【令】、宇豆(うづ)の広前(ひろまへ)にして、信心(しんじん)の
大施主(だいせしゆ)、羽林(うりん)藤原成経(ふぢはらのなりつね)、並(ならび)に沙弥性照(しやみしやうせう)、一心(いつしん)
清浄(しやうじやう)の誠(まこと)を致(いた)し、三業(さんごふ)(さんごう)相応(さうおう)の志(こころざし)を抽(ぬきんで)て、
謹(つつしん)でも(ッ)て敬(うやまつて)白(まうす)(まふす)。夫(それ)証城大菩薩(しようじやうだいぼさつ)(せうじやうだいぼさつ)は、済度苦
海(さいどくかい)の教主(けうしゆ)、三身(さんじん)円満(ゑんまん)(えんまん)の覚王(かくわう)也(なり)。或(あるいは)(あるひは)東方浄
瑠璃医王(とうばうじやうるりいわう)の主(しゆ)、衆病悉除(しゆびやうしつじよ)の如来(によらい)也(なり)。或(あるいは)(あるひは)
南方補堕落能化(なんばうふだらくのうけ)(なんばうふだらくのふけ)の主(しゆ)、入重玄門(にふぢゆうげんもん)(にうぢうげんもん)の大士(だいじ)。
P02334
若王子(にやくわうじ)は娑婆世界(しやばせかい)の本主(ほんじゆ)、施無畏者(せむいしや)
の大士(だいじ)、頂上(ちやうじやう)の仏面(ぶつめん)を現(げん)じて、衆生(しゆじやう)の所願(しよぐわん)(しよぐはん)
をみて給(たま)へり。是(これ)によ(ッ)て、かみ【上】一人(いちにん)よりしも【下】万
民(ばんみん)に至(いた)るまで、或(あるいは)(あるひは)現世安穏(げんぜあんをん)のため、或(あるいは)(あるひは)後生(ごしやう)ぜ
んしよ【善処】のために、朝(あした)には浄水(じやうすい)を結(むすん)でぼん
なう【煩悩】のあか【垢】をすすぎ、夕(ゆふべ)には深山(しんざん)に向(むかつ)てほう
がう【宝号】を唱(となふ)るに、感応(かんおう)おこたる事(こと)なし。峨々(がが)たる
嶺(みね)のたかきをば、神徳(しんとく)のたかきに喩(たと)へ、嶮々(けんけん)たる
P02335
谷(たに)のふかきをば、弘誓(ぐぜい)のふかきに准(なぞら)へて、雲(くも)
を分(わけ)てのぼり、露(つゆ)をしのいで下(くだ)る。爰(ここ)に利
益(りやく)の地(ち)をP201たのまずむ(ずん)ば、いかんが歩(あゆみ)を嶮
難(けんなん)の路(みち)にはこばん。権現(ごんげん)の徳(とく)をあふがずんば、
何(なんぞ)かならずしも幽遠(いうをん)(ゆうをん)の境(さかひ)にましまさむ。仍(よつて)証
城大権現(しようじやうだいごんげん)(せうじやうだいごんげん)、飛滝(ひりゆう)(ひりう)大薩■(だいさつた)、青蓮慈悲(しやうれんじひ)(せうれんじひ)の眸(まなじり)
を相(あひ)ならべ、さをしか【小牡鹿】の御耳(おんみみ)をふりたてて、我等(われら)が
無二(むに)の丹誠(たんぜい)を知見(ちけん)して、一々(いちいち)の懇志(こんし)を納受(なふじゆ)(なうじゆ)
P02336
し給(たま)へ。然(しかれ)ば則(すなはち)、むすぶ【結】・はや【早】玉(たま)の両所権現(りやうじよごんげん)、
おのおの機(き)に随(したがつ)て、有縁(うえん)の衆生(しゆじやう)をみちびき、
無縁(むえん)の群類(ぐんるい)をすくはむがために、七宝荘
厳(しつぼうしやうごん)のすみかをすてて、八万四千(はちまんしせん)の光(ひかり)を和(やはら)
げ、六道三有(ろくだうさんう)の塵(ちり)に同(どう)じ給(たま)へり。故(かるがゆへゆゑ)に定
業(ぢやうごふ)(ぢやうごう)亦能転(やくのうてん)、求長寿得長寿(ぐぢやうじゆとくぢやうじゆ)の礼拝(らいはい)、袖(そで)
をつらね、幣帛礼奠(へいはくれいてん)を捧(ささぐ)る事(こと)ひま
なし。忍辱(にんにく)の衣(ころも)を重(かさね)、覚道(かくだう)の花(はな)を捧(ささげ)て、
P02337
神殿(じんでん)の床(ゆか)を動(どう)じ、信心(しんじん)の水(みづ)をすまして、
利生(りしやう)の池(いけ)を湛(たたへ)たり。神明(しんめい)納受(なふじゆ)(なうじゆ)し給(たま)はば、所
願(しよぐわん)(しよぐはん)なんぞ成就(じやうじゆ)せざらむ。仰願(あふぎねがはく)は、十二所権
現(じふにしよごんげん)(じうにしよごんげん)、利生(りしやう)の翅(つばさ)を並(ならべ)て、遥(はるか)に苦海(くかい)の空(そら)にかけ
り、左遷(させん)の愁(うれへ)をやすめて、帰洛(きらく)の本懐(ほんぐわい)を
とげしめ給(たま)へ。再拝(さいはい)。とぞ、康頼(やすより)の(ッ)と【祝詞】をば
申(まうし)ける。『卒都婆流(そとばながし)』S0216丹波少将(たんばのせうしやう)・康頼入道(やすよりにふだう)(やすよりにうだう)、つねは三所
権現(さんじよごんげん)の御前(おんまへ)にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、通夜(つや)するおり(をり)【折】も
P02338
あP202りけり。或(ある)時(とき)二人(ににん)通夜(つや)して、夜(よ)もすがら
いまやう【今様】をぞうたひ【歌ひ】ける。暁(あかつき)がたに、康
頼入道(やすよりにふだう)(やすよりにうだう)ち(ッ)とまどろみたる夢(ゆめ)に、おきより
白(しろ)い帆(ほ)かけたる小船(こぶね)を一艘(いつさう)(いつそう)こぎよせて、
舟(ふね)のうちより紅(くれなゐ)の袴(はかま)きたる女房達(にようばうたち)
二三十人(にさんじふにん)あがり、皷(つづみ)をうち、こゑ【声】を調(ととのへ)て、よろ
づの仏(ほとけ)の願(ぐわん)(ぐはん)よりも千手(せんじゆ)の誓(ちかひ)ぞたのも
しき枯(かれ)たる草木【くさき】も忽(たちまち)に花(はな)さき実(み)なる
P02339
とこそきけ K013 Iと、三(さん)べんうたひ【歌ひ】すまして、
かきけつやうにぞうせにける。夢(ゆめ)さめ
て後(のち)、奇異(きい)の思(おもひ)をなし、康頼入道(やすよりにふだう)(やすよりにうだう)
申(まうし)けるは、「是(これ)は竜神(りゆうじん)(りうじん)の化現(けげん)とおぼえたり。
三所権現(さんじよごんげん)のうちに、西(にし)の御前(ごぜん)(ご(ン)ぜん)と申(まうす)は、本地(ほんぢ)
千手観音(せんじゆくわんおん)(せんじゆくはんをん)にておはします。竜神(りゆうじん)(りうじん)は則(すなはち)千
手(せんじゆ)の廿八(にじふはち)部衆(ぶしゆ)の其(その)一(ひとつ)なれば、も(ッ)て御納
受(ごなふじゆ)(ごなふじゆ)こそたのもしけれ」。又(また)或(ある)夜(よ)二人(ににん)通夜(つや)して、
P02340
おなじうまどろみたりける夢(ゆめ)に、おき
より吹(ふき)くる風(かぜ)の、二人(ににん)が袂(たもと)に木(こ)の葉(は)を
ふたつふきかけたりけるを、何(なに)となう
と(ッ)【取つ】て見(み)ければ、御熊野(みくまの)の南木(なぎ)の葉(は)に
てぞ有(あり)ける。彼(かの)二(ふたつ)の南木(なぎ)の葉(は)に、一首(いつしゆ)の
歌(うた)を虫(むし)ぐひにこそしたりけれ。
千(ち)はやぶる神(かみ)にいのりのしげければ
などか都(みやこ)へ帰(かへ)らざるべき W011
P02341
康頼入道(やすよりにふだう)(やすよりにうだう)、古郷(こきやう)の恋(こひ)しきままに、せめてのは
かりことに、千本(せんぼん)の卒都婆(そとば)を作(つく)り、■字(あじ)の
梵字(ぼじ)・年号(ねんがう)・月日(つきひ)、仮名(けみやう)実名(じうみやう)、二首(にしゆ)の歌(うた)
をぞかいたりけり【*ける】。P203
さつまがたおきのこじまに我(われ)ありと
おやにはつげよやへ【八重】のしほかぜ W012
おもひ【思ひ】やれしばしとおもふ【思ふ】旅(たび)だにも
なを(なほ)【猶】ふるさとはこひしきものを W013
P02342
是(これ)に【*を】浦(うら)にも(ッ)て出(いで)て、「南無帰命頂礼(なむきみやうちやうらい)、梵
天帝尺(ぼんでんたいしやく)、四大天王(しだいてんわう)、けんらふ(けんらう)【堅牢】地神(ぢじん)、鎮守諸
大明神(ちんじゆしよだいみやうじん)、殊(こと)には熊野権現(くまのごんげん)、厳島大明神(いつくしまだいみやうじん)、
せめては一本(いつぽん)成(なり)共(とも)都(みやこ)へ伝(つたへ)てたべ」とて、奥
津(おきつ)しら波(なみ)のよせてはかへるたびごとに、卒
都婆(そとば)を海(うみ)にぞ浮(うか)べける。卒都婆(そとば)を作(つく)り
出(いだ)すに随(したがつ)て、海(うみ)に入(いれ)ければ、日数(ひかず)つもれば
卒都婆(そとば)のかずもつもり、そのおもふ【思ふ】心(こころ)や便(たより)
P02343
の風(かぜ)ともなりたりけむ、又(また)神明仏陀(しんめいぶつだ)も
やをくら(おくら)【送ら】せ給(たま)ひけむ、千本(せんぼん)の卒都婆(そとば)のな
かに一本(いつぽん)、安芸国(あきのくに)厳島(いつくしま)の大明神(だいみやうじん)の御(おん)まへの
渚(なぎさ)にうちあげたり。康頼(やすより)がゆかりありけ
る僧(そう)、しかるべき便(たより)もあらば、いかにもして
彼(かの)島(しま)へわた(ッ)て、其(その)行衛(ゆくへ)【行方】をきかむとて、西
国修行(さいこくしゆぎやう)に出(いで)たりけるが、先(まづ)厳島(いつくしま)へぞま
いり(まゐり)【参り】ける。爰(ここ)に宮人(みやびと)とおぼしくて、狩(かり)ぎぬ
P02344
装束(しやうぞく)なる俗(ぞく)一人(いちにん)出(いで)きたり。此(この)僧(そう)何(なに)となき
物語(ものがたり)しけるに、「夫(それ)、和光同塵(わくわうどうぢん)(わくはうどうぢん)の利生(りしやう)さまざま
なりと申(まう)せども、いかなりける因縁(いんえん)(ゐんえん)をも(ッ)て、
此(この)御神(おんがみ)は海漫(かいまん)の鱗(うろくづ)に縁(えん)をむすばせ給(たま)
ふらん」ととひ奉(たてまつ)る。宮人(みやびと)答(こたへ)けるは、「是(これ)は
よな、娑竭羅竜王(しやかつらりゆうわう)(しやかつらりうわう)の第三(だいさん)の姫宮(ひめみや)、胎蔵
界(たいざうかい)の垂跡(すいしやく)也(なり)」。此(この)島(しま)に御影向(ごやうがう)ありし初(はじめ)より、
済度利生(さいどりしやう)の今(いま)に至(いた)るまで、甚深(じんじん)〔の〕奇特(きどく)
P02345
の事共(ことども)をぞかたりける。さればにや、八社(はつしや)の
御殿(ごてん)甍(いらか)をならべ、社(やしろ)はわだづみのほとりな
れば、塩(しほ)のみちP204ひに月(つき)こそ【*ぞ】すむ。しほみ
ちくれば、大鳥居(おほどりゐ)あけ【朱】の玉墻(たまがき)瑠璃(るり)の
如(ごと)し。塩(しほ)引(ひき)ぬれば、夏(なつ)の夜(よ)なれど、御(おん)まへの
しら州(す)に霜(しも)ぞをく(おく)【置く】。いよいよた(ッ)とく【尊く】覚(おぼ)えて、法
施(ほつせ)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て居(ゐ)たりけるに、やうやう日(ひ)く
れ、月(つき)さし出(いで)て、塩(しほ)のみちけるが、そこはか
P02346
となき藻(も)くづ共(ども)のゆられよりけるなか
に、卒都婆(そとば)のかたのみえ【見え】けるを、何(なに)となうと(ッ)て
見(み)ければ、奥(おき)のこじまに我(われ)ありと、かきなが
せることのは也(なり)。文字(もじ)をばゑり入(いれ)きざみ
付(つけ)たりければ、浪(なみ)にもあらは【洗は】れず、あざ
あざとしてぞみえ【見え】たりける。「あなふしぎ」
とて、これを取(とり)て笈(おひ)のかた【肩】にさし、都(みやこ)へ
のぼり、康頼(やすより)が老母(らうぼ)の尼公(にこう)妻子共(さいしども)が、一条(いちでう)
P02347
の北(きた)、紫野(むらさきの)と云(いふ)所(ところ)に忍(しのび)つつすみける
に、見(み)せたりければ、「さらば、此(この)卒都婆(そとば)が
もろこしのかたへもゆられゆかで、なにしにこれ
までつたひ来(き)て、今更(いまさら)物(もの)をおもは【思は】すらん」
とぞかなしみける。遥(はるか)の叡聞(えいぶん)(ゑいぶん)に及(および)(をよび)て、法
皇(ほふわう)(ほうわう)これを御覧(ごらん)じて、「あなむざんや。され
ばいままで此(この)者共(ものども)は、命(いのち)のいきてあるに
こそ」とて、御涙(おんなみだ)をながさせ給(たま)ふぞ忝(かたじけな)き。小
P02348
松(こまつ)のおとどのもとへをくら(おくら)【送ら】せ給(たま)ひたり
ければ、是(これ)を父(ちち)の入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)にみせ【見せ】奉(たてまつ)り
給(たま)ふ。柿本(かきのもとの)人丸(ひとまろ)は島(しま)がくれゆく船(ふね)を思(おも)ひ、
山辺(やまのべ)の赤人(あかひと)はあしべのたづをながめ給(たま)ふ。
住吉(すみよし)の明神(みやうじん)はかたそぎの思(おもひ)をなし、三輪(みわ)
の明神(みやうじん)は杉(すぎ)たてる門(かど)をさす。昔(むかし)素盞
烏尊(そさのをのみこと)、三十一字(さんじふいちじ)のやまとうたをはじめを
き(おき)給(たま)ひしよりこのかた、もろもろの神明仏
P02349
陀(しんめいぶつだ)も、彼(かの)詠吟(えいぎん)(ゑいぎん)P205をも(ッ)て百千万端[M 「百千万騎端」とあり「騎」をミセケチ](ひやくせんばんたん)の思(おも)ひ
をのべ給(たま)ふ。入道(にふだう)(にうだう)も石木(いはき)ならねば、さすが
哀(あはれ)げにぞの給(たま)ひける。『蘇武(そぶ)』S0217入道相国(にふだうしやうこく)(にうだうしやうこく)のあは
れみたまふうへは、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)の上下(じやうげ)、老(おい)たる
もわかきも、鬼界(きかい)がの(*この1字不要)島(しま)の流人(るにん)の歌(うた)と
て、口(くち)ずさまぬはなかりけり。さても千本(せんぼん)
まで作(つく)りたりける卒都婆(そとば)なれば、〔さ〕こそ
はちいさう(ちひさう)【小さう】もありけめ、薩摩潟(さつまがた)よりはる
P02350
ばると都(みやこ)までつたはりけるこそふしぎ
なれ。あまりにおもふ【思ふ】事(こと)はかくしるし【徴】ある
にや。いにしへ漢王(かんわう)胡国(ここく)を攻(せめ)られけるに、はじ
めは李少卿(りせうけい)を大将軍(たいしやうぐん)にて、三十万騎(さんじふまんぎ)(さんじうまんぎ)むけら
れたりけるが、漢王(かんわう)のいくさよはく(よわく)【弱く】、胡国(ここく)の
たたかひこはくして、官軍(くわんぐん)(くはんぐん)みなうちほろ
ぼさる。剰(あまつさへ)(あま(ツ)さへ)大将軍(たいしやうぐん)李少卿(りせうけい)、胡王(こわう)のためにい
けどらる。次(つぎ)に蘇武(そぶ)を大将軍(たいしやうぐん)にて、五十
P02351
万騎(ごじふまんぎ)(ごじうまんぎ)をむけらる。猶(なほ)(なを)漢(かん)のいくさよはく(よわく)【弱く】、
えびすのたたかひこはくして、官軍(くわんぐん)(くはんぐん)皆(みな)
亡(ほろび)にけり。兵(つはもの)六十余人(ろくじふよにん)【*六千余人(ろくせんよにん)】いけどらる。其(その)中(なか)に、
大将軍(たいしやうぐん)蘇武(そぶ)をはじめとして、宗(むね)との兵(つはもの)六
百三十(ろつぴやくさんじふ)(ろつひやくさんじう)余人(よにん)すぐり出(いだ)して、一々(いちいち)にかた足(あし)をき(ッ)
てお(ッ)ぱな【追放】つ。則(すなはち)死(し)する者(もの)もあり、ほどへて死(し)
ぬる者(もの)もあり。其(その)なかにされP206共(ども)蘇武(そぶ)はし
なざりけり。かた足(あし)なき身(み)とな(ッ)て、山(やま)に
P02352
のぼ(ッ)ては木(こ)の実(み)をひろひ、春(はる)は沢(さは)の根
芹(ねぜり)を摘(つみ)、秋(あき)は田(た)づらのおち穂(ぼ)ひろひな(ン)
ど(など)してぞ、露(つゆ)の命(いのち)を過(すご)しける。田(た)にいく
らもありける鴈(かり)ども、蘇武(そぶ)に見(み)なれて
おそれ【恐れ】ざりければ、これはみな我(わが)古郷(ふるさと)へか
よふものぞかしとなつかしさに、おもふ【思ふ】事(こと)
を一筆(ひとふで)かいて、「相(あひ)かまへて是(これ)漢王(かんわう)に奉(たてまつ)
れ」と云(いひ)ふくめ、鴈(かり)の翅(つばさ)にむすび付(つけ)てぞ
P02353
はなちける。かひがひしくもたのむの鴈(かり)、秋(あき)
は必(かならず)こし地(ぢ)【越路】より都(みやこ)へ来(きた)るものなれば、漢(かんの)
昭帝(せうてい)上林苑(しやうりんえん)に御遊(ぎよいう)(ぎよゆふ)ありしに、夕(ゆふ)ざれの
空(そら)薄(うす)ぐもり、何(なに)となう物哀(ものあはれ)なりけるおり
ふし(をりふし)【折節】、一行(ひとつら)の鴈(かり)とびわたる。その中(なか)に鴈一(かりひとつ)と
びさが(ッ)て、をの(おの)【己】が翅(つばさ)を結付(むすびつけ)たる玉童【*玉章】(たまづさ)をく
ひき(ッ)てぞおとしける。官人(くわんにん)(くはんにん)是(これ)をと(ッ)て、御門(みかど)に
奉(たてまつ)る。披(ひらい)て叡覧(えいらん)(ゑいらん)あれば、「昔(むかし)は巌崛(がんくつ)の洞(ほら)
P02354
にこめられて、三春(さんしゆん)の愁歎(しうたん)ををくり(おくり)【送り】、今(いま)は曠
田(くわうでん)の畝(うね)に捨(すて)られて、胡敵(こてき)の一足(いつそく)となれり。設(たとひ)
かばねは胡(こ)の地(ち)にさらすと云(いふ)共(とも)、魂(たましひ)(たましゐ)は二(ふた)たび君
辺(くんべん)につかへん」とぞかいたりける。それより
してぞ、ふみをば鴈書(がんしよ)ともいひ、鴈札(がんさつ)
とも名付(なづけ)たり。「あなむざんや、蘇武(そぶ)がほ
まれの跡(あと)なりけり。いまだ胡国(ここく)にあるに
こそ」とて、今度(こんど)は李広(りくわう)(りくはう)と云(いふ)将軍(しやうぐん)に仰(おほせ)て、
P02355
百万騎(ひやくまんぎ)をさしつかはす。今度(こんど)は漢(かん)の戦(たたかひ)こはく
して、胡国(ここく)のいくさ破(やぶれ)にけり。御方(みかた)たたかひかち
ぬと聞(きこ)えしかば、P207蘇武(そぶ)は曠野(くわうや)のなかよりはい(はひ)【這ひ】出(いで)
て、「是(これ)こそいにしへの蘇武(そぶ)よ」とぞなのる【名乗る】。十
九年(じふくねん)(じうくねん)の星霜(せいざう)を送(おくり)(をくり)て、かた足(あし)はきられな
がら、輿(こし)にかかれて古郷(こきやう)へぞ帰(かへ)りける。蘇武(そぶ)
は十六(じふろく)(じうろく)の歳(とし)、胡国(ここく)へむけられけるに、御
門(みかど)より給(たまは)りたりける旗(はた)を、何(なに)としてかかく
P02356
したりけん、身(み)をはなたずも(ッ)たりけり。
今(いま)取出(とりいだ)して御門(みかど)のげむざん(げんざん)【見参】にいれ【入れ】たりけ
れば、きみも臣(しん)も感嘆(かんたん)なのめならず。君(きみ)
のため大功(たいこう)ならびなかりしかば、大国(だいこく)あま
た給(たま)はり、其上(そのうへ)天俗国(てんしよくこく)と云(いふ)司(つかさ)を下(くだ)され
けるとぞ聞(きこ)えし。李少卿(りせうけい)は胡国(ここく)にとどま(ッ)て終(つひ)
に帰(かへ)らず。いかにもして、漢朝(かんてう)へ帰(かへ)らむとのみ
なげけども、胡王(こわう)ゆるさねばかなはず。漢王(かんわう)
P02357
これをしり給(たま)はず。君(きみ)のため不忠(ふちゆう)(ふちう)のもの
なりとて、はかなくなれる二親(にしん)が死骸(しかばね)を
ほりおこい【起い】てうた【打た】せらる。其(その)外(ほか)六親(りくしん)をみ
なつみせらる。李少卿(りせうけい)是(これ)を伝(つたへ)きいて、恨(うらみ)
ふかう【深う】ぞなりにける。さりながらも猶(なほ)(なを)古
郷(ふるさと)を恋(こひ)つつ、君(きみ)に不忠(ふちゆう)(ふちう)なき様(やう)を一巻(いつくわん)(いちくはん)の
書(しよ)に作(つくり)てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりければ、「さては不便(ふびん)
の事(こと)ごさんなれ」とて、父母(ふぼ)がかばねを堀【*掘】(ほり)いだい
P02358
てうたせられたる事(こと)をぞ、くやしみ給(たま)ひけ
る。漢家(かんか)の蘇武(そぶ)は書(しよ)を鴈(かり)の翅(つばさ)に付(つけ)て旧
里(きうり)へ送(おく)り、本朝(ほんてう)の康頼(やすより)は浪(なみ)のたよりに
歌(うた)を故郷(こきやう)に伝(つた)ふ。かれは一筆(ひとふで)のすさみ、〔これは二首(にしゆ)の歌(うた)、かれは上代(じやうだい)、これは末P208代(まつだい)、胡国(ここく)〕
鬼界(きかい)が島(しま)、さかひをへだて、世々(よよ)はかはれ
ども、風情(ふぜい)はおなじふぜい、ありがたかりし
事(こと)ども也(なり)。

P02359
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第二(だいに)


平家物語(龍谷大学本)巻三

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。


P03363
(表紙)
P03367
(目録)
  三
一 免シ状(ゆるしじやう)
二 御産(ごさん)の巻(まき) 御産(ごさん)平安(ペいあん)にある ヨリ
三 大塔建立(だいたふこんりふ)(だいたうこんりう) 仁和寺(にんわじの)御室(おむろ)は東寺(とうじ)修造(しゆざう)  ヨリ
四 頼豪(らいがう) 白河院(しらかはのゐん)御在位(ございゐ)の御時(おんとき) ヨリ
五 少将(せうしやう)[B ノ]都帰(みやこがへり) 明(あく)れば治承(ぢしよう)(ぢせう)三年(さんねん) ヨリ
六 有王(ありわう)[B ノ]嶋下(しまくだり) 去程(さるほど)に、鬼界(きかい)が島(しま)へ ヨリ
七 医師問答(いしもんだふ)(いしもんだう) 同(おなじき)五月(ごぐわつ)十二日(じふににち)午剋(むまのこく) ヨリ
八 無紋(むもん) 天性(てんぜい)このおとどは ヨリ
P03369
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第三(だいさん)P209
赦文(ゆるしぶみ)S0301
治承(ぢしよう)(ぢせう)二年(にねん)正月(しやうぐわつ)一日(ひとひのひ)、院(ゐんの)御所(ごしよ)には拝礼(はいれい)をこ
なは(おこなは)【行なは】れて、四日(よつかのひ)朝覲(てうきん)の行幸(ぎやうがう)有(あり)ける【*けり】。例(れい)に
かはりたる事(こと)はなけれ共(ども)、去年(こぞ)の夏(なつ)新
大納言(しんだいなごん)成親卿(なりちかのきやう)以下(いげ)、近習(きんじゆ)の人々(ひとびと)多(おほ)くうし
なは【失は】れし事(こと)、法皇(ほふわう)(ほうわう)御憤(おんいきどほり)(おんいきどをり)いまだやまず、世(よ)の
政(まつりごと)も物(もの)うくおぼしめさ【思召さ】れて、御心(おんこころ)よからぬ
ことにてぞあり【有り】ける。太政(だいじやう)入道(にふだう)も、多田蔵人(ただのくらんど)行
P03370
綱(ゆきつな)が告(つげ)しらせて後(のち)は、君(きみ)をも御(おん)うしろめたき
事(こと)に思(おも)ひ奉(たてまつり)て、うへには事(こと)なき様(やう)なれ
共(ども)、下(した)には用心(ようじん)して、にがわらひ【笑ひ】てのみぞあり【有り】
ける。同(おなじき)正月(しやうぐわつ)七日(なぬかのひ)、彗星(せいせい)(セイセイ)東方(とうばう)にいづ。蚩尤
気(しゆうき)とも申(まうす)。又(また)赤気(せきき)共(とも)申(まうす)。十八日(じふはちにち)光(ひかり)をます。去
程(さるほど)に、入道(にふだう)相国(しやうこく)の御(おん)むすめ建礼門院(けんれいもんゐん)、其(その)比(ころ)は未(いまだ)
中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)と聞(きこ)えさせ給(たまひ)しが、御悩(ごなう)とて、雲(くも)のうへ
天(あめ)が下(した)の歎(なげ)きにてぞあり【有り】ける。諸寺(しよじ)に御読経(みどくきやう)
P03371
始(はじ)まり、諸社(しよしや)へ官P210幣(くわんべい)(くはんべい)を立(たて)らる。医家(いけ)薬(くすり)を
つくし、陰陽術(おんやうじゆつ)(をんやうじゆつ)をきはめ、大法(だいほふ)(だいほう)秘法(ひほふ)(ひほう)一(ひとつ)として
残(のこ)る処(ところ)なう修(しゆ)せられけり。され共(ども)、御悩(ごなう)ただ
にも渡(わた)らせ給(たま)はず、御懐姙(ごくわいにん)とぞ聞(きこ)えし。主上(しゆしやう)
は今年(ことし)十八(じふはち)、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)は廿二(にじふに)にならせ給(たま)ふ。しかれ共(ども)、
いまだ皇子(わうじ)も姫宮(ひめみや)も出(いで)きさせ給(たま)はず。もし
皇子(わうじ)にてわたらせ給(たま)はばいかに目出(めでた)からんと
て、平家(へいけ)の人々(ひとびと)はただ今(いま)皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)のある
P03372
様(やう)に、いさみ悦(よろこ)びあはれけり。他家(たけ)の人々(ひとびと)も、「平
氏(へいじ)の繁昌(はんじやう)おり(をり)【折】をえたり。皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)疑(うたがひ)なし」
とぞ申(まうし)あはれける。御懐姙(ごくわいにん)さだまらせ給(たまひ)しかば、
有験(うげん)の高僧(かうそう)貴僧(きそう)に仰(おほ)せて、大法(だいほふ)(だいぼう)秘法(ひほふ)(ひほう)を
修(しゆ)し、星宿仏菩薩(しやうしゆくぶつぼさつ)につげて、皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)と
祈誓(きせい)せらる。六月(ろくぐわつ)一日(ひとひのひ)、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)御着帯(ごちやくたい)あり【有り】けり。
仁和寺(にんわじ)の御室(おむろ)守覚(しゆうかく)法親王(ほふしんわう)(ほうしんわう)、御参内(ごさんだい)あ(ッ)て、
孔雀経(くじやくきやう)の法(ほふ)(ほう)をも(ッ)て御加持(おんかぢ)あり【有り】。天台座主(てんだいざす)
P03373
覚快(かくくわい)法親王(ほふしんわう)(ほうしんわう)、おなじうまいら(まゐら)【参ら】せ給(たまひ)て、変成男子(へんじやうなんし)の
法(ほふ)(ほう)を修(しゆ)せらる。かかりし程(ほど)に、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)は月(つき)のかさなるに
随(したがひ)て、御身(おんみ)をくるしう【苦しう】せさせ給(たま)ふ。一(ひと)たびゑめば
百(もも)の媚(こび)あり【有り】けむ漢(かん)の李夫人(りふじん)の、承陽殿【*昭陽殿】(せうやうでん)の
病(やまふ)のゆか【床】もかくやとおぼえ、唐(たう)の楊貴姫(やうきひ)、李花(りか)
一枝(いつし)春(はる)の雨(あめ)ををび(おび)【帯び】、芙蓉(ふよう)の風(かぜ)にしほれ(しをれ)【萎れ】、女
郎花(をみなへし)の露(つゆ)おもげなるよりも、猶(なほ)(なを)いたはしき
御(おん)さまなり。かかる御悩(ごなう)の折節(をりふし)(おりふし)にあはせて、こはき
P03374
御物気共(おんもののけども)、取(とり)いり奉(たてまつ)る。よりまし明王(みやうわう)の縛(ばく)に
かけて、霊(れい)あらはれたり。殊(こと)には讃岐院(さぬきのゐん)の御霊(ごれい)、
宇治悪左府(うぢあくさふ)の憶念(おくねん)、新(しん)大納言(だいなごん)成親卿(なりちかのきやう)の死
霊(しりやう)、西光(さいくわう)法師(ほふし)(ほうし)が悪霊(あくりやう)、P211鬼界(きかい)の島(しま)の流人共(るにんども)が
生霊(しやうりやう)な(ン)ど(など)ぞ申(まうし)ける。是(これ)によ(ッ)て、太政(だいじやう)入道(にふだう)生霊(しやうりやう)
も死霊(しりやう)もなだめらるべしとして、其(その)比(ころ)やがて讃
岐院(さぬきのゐん)御追号(ごついがう)あ(ッ)て、崇徳天皇(しゆとくてんわう)と号(かう)す。宇治悪左
府(うぢのあくさふ)、贈官(ぞうくわん)贈位(ぞうゐ)をこなは(おこなは)【行なは】れて、太政(だいじやう)大臣(だいじん)正(じやう)一位(いちゐ)を
P03375
をくら(おくら)【送ら】る。勅使(ちよくし)は少内記(せうないき)維基(これもと)とて【*とぞ】聞(きこ)えし。件(くだん)の
墓所(むしよ)は大和国(やまとのくに)そうのかん【添上】の郡(こほり)、川上(かはかみ)の村(むら)、般若野(はんにやの)
の五三昧(ごさんまい)也(なり)。保元(ほうげん)の秋(あき)ほり【掘り】をこし(おこし)【起こし】て捨(すて)られ
し後(のち)は、死骸(しがい)路(みち)の辺(ほとり)の土(つち)とな(ッ)て、年々(ねんねん)にただ
春(はる)の草(くさ)のみ茂(しげ)れり。今(いま)勅使(ちよくし)尋来(たづねきたり)て宣命(せんみやう)
を読(よみ)けるに、亡魂(ばうこん)いかにうれしとおぼしけむ。
怨霊(をんりやう)は昔(むかし)も[B かく]おそろしき【恐ろしき】こと也(なり)。されば早良(さはらの)(サラノ)
廃太子(はいたいし)をば崇道天皇(しゆだうてんわう)と号(かう)し、井上(ゐがみ)の内
P03376
親王(ないしんわう)をば皇后(くわうこう)の職位(しきゐ)にふくす。是(これ)みな怨
霊(をんりやう)を寛【*宥(なだ)】められしはかりこと也(なり)。冷泉院(れいぜんのゐん)の御物(おんもの)
ぐるはしうましまし、花山(くわさん)の法皇(ほふわう)(ほうわう)の十禅(じふぜん)万
乗(ばんじよう)(ばんじやう)の帝位(ていゐ)をすべらせ給(たまひ)しは、基方民部卿(もとかたのみんぶきやう)が
霊(れい)とかや。三条院(さんでうのゐん)の御目(おんめ)も御覧(ごらん)ぜざりしは、
観算供奉(くわんざんぐぶ)が霊(れい)也(なり)。門脇宰相(かどわきのさいしやう)か様(やう)【斯様】の事共(ことども)
伝(つた)へきいて、小松殿(こまつどの)に申(まう)されけるは、「中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)御
産(ごさん)の御祈(おんいのり)さまざまに候(さうらふ)也(なり)。なにと申(まうし)候(さうらふ)共(とも)、非常(ひじやう)の
P03377
赦(しや)に過(すぎ)たる事(こと)あるべしともおぼえ候(さうら)はず。
中(なか)にも、鬼界(きかい)の島(しま)の流人共(るにんども)めしかへさ【召返さ】れた
らむほどの功徳善根(くどくぜんこん)、争(いかで)か候(さうらふ)べき」と申(まう)されけれ
ば、小松殿(こまつどの)父(ちち)の禅門(ぜんもん)の御(おん)まへにおはして、「あの
丹波少将(たんばのせうしやう)が事(こと)を、宰相(さいしやう)のあながちに歎(なげき)申(まうし)
候(さうらふ)が不便(ふびん)候(ざうらふ)。中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)御悩(ごなう)の御(おん)こと、承(うけたまはり)P212及(およぶ)(をよぶ)ごとくんば、
殊更(ことさら)成親卿(なりちかのきやう)が死霊(しりやう)な(ン)ど(など)聞(きこ)え候(さうらふ)。大納言(だいなごん)が死
霊(しりやう)な(ン)ど(など)聞(きこ)え候(さうらふ)。大納言(だいなごん)が死霊(しりやう)をなだめむと
P03378
おぼしめさ【思召さ】んにつけても、生(いき)て候(さうらふ)少将(せうしやう)をこそ
めしかへさ【召返さ】れ候(さうら)はめ。人(ひと)のおもひ【思ひ】をやめさせ給(たま)
はば、おぼしめす【思召す】事(こと)もかなひ【叶ひ】、人(ひと)の願(ねが)ひをかな
へ【適へ】させ給(たま)はば、御願(ごぐわん)もすなはち成就(じやうじゆ)して、中
宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)やがて皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)あ(ッ)て、家門(かもん)の栄花(えいぐわ)(ゑいぐわ)
弥(いよいよ)さかむ(さかん)【盛】に候(さうらふ)べし」な(ン)ど(など)申(まう)されければ、入道(にふだう)相国(しやうこく)、
日比(ひごろ)にもに【似】ず事(こと)の外(ほか)にやはらひ(やはらい)【和らい】で、「さてさて、俊
寛(しゆんくわん)(しゆんくはん)と康頼法師(やすよりぼふし)(やすよりばうし)が事(こと)はいかに」。「それもおなじう
P03379
めし【召し】こそかへさ【返さ】れ候(さうら)はめ。若(もし)一人(いちにん)も留(とど)められんは、
中々(なかなか)罪業(ざいごふ)(ざいごう)たるべう候(さうらふ)」と申(まう)されければ、「康頼(やすより)法
師(ぼふし)(ぼうし)が事(こと)はさる事(こと)なれ共(ども)、俊寛(しゆんくわん)は随分(ずいぶん)入道(にふだう)が
口入(こうじゆ)をも(ッ)て人(ひと)とな(ッ)たる物(もの)ぞかし。それに所(ところ)しも
こそ多(おほ)けれ、わが山荘(さんざう)鹿(しし)の谷(たに)に城郭(じやうくわく)(じやうくはく)をかま
へて、事(こと)にふれて奇恠(きくわい)のふるまひ共(ども)が有(あり)けん
なれば、俊寛(しゆんくわん)をば思(おも)ひもよらず」と〔ぞ〕の給(たまひ)ける。
小松殿(こまつどの)かへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て、叔父(をぢ)の宰相殿(さいしやうどの)よび奉(たてまつ)り、「少将(せうしやう)は
P03380
すでに赦免(しやめん)候(さうら)はんずる[M れ→る]ぞ。御心(おんこころ)やすう思食(おぼしめ)され
候(さうら)へ」との〔た〕まへば、宰相(さいしやう)手(て)をあはせてぞ悦(よろこば)れける。
「下(くだ)りし時(とき)も、などか申(まうし)うけ【請け】ざらむとおもひ【思ひ】たり
げにて、教盛(のりもり)を見(み)候(さうらふ)度(たび)ごとには涙(なみだ)をながし候(さうらひ)
しが不便(ふびん)候(ざうらふ)」と申(まう)されければ、小松殿(こまつどの)「まこと【誠】に
さこそおぼしめさ【思召さ】れ候(さうらふ)らめ。子(こ)は誰(たれ)とてもかなし
ければ、能々(よくよく)申(まうし)候(さうら)はん」とて入(いり)給(たまひ)ぬ。P213去程(さるほど)に、鬼界(きかい)が
島(しま)の流人共(るにんども)めしかへさ【召返さ】るべき事(こと)さだめられ
P03381
て、入道(にふだう)相国(しやうこく)ゆるしぶみ【赦文】下(くだ)されけり。御使(おんつかひ)(おつかひ)すでに
都(みやこ)をたつ。宰相(さいしやう)あまりのうれしさに、御使(おんつかひ)(おつかひ)に私(わたくし)
の吏【*使(つかひ)】をそへてぞ下(くだ)されける。よるを昼(ひる)にして
いそぎ下(くだつ)たりしか共(ども)、心(こころ)にまかせぬ海路(かいろ)なれば、
浪風(なみかぜ)をしのいで行(ゆく)程(ほど)に、都(みやこ)をば七月(しちぐわつ)下旬(じゆん)に
出(いで)たれ共(ども)、長月(ながつき)廿日(はつか)比(ごろ)にぞ、鬼界(きかい)の島(しま)には着(つき)に
ける。足摺(あしずり)S0302 御使(おんつかひ)(おつかひ)は丹左衛門尉(たんざゑもんのじよう)(たんざゑもんのぜう)基康(もとやす)といふ者(もの)也(なり)。船(ふね)より
あが(ッ)て、「是(これ)に都(みやこ)よりながされ給(たまひ)し丹波少将殿(たんばのせうしやうどの)、
P03382
法勝寺(ほつしようじ)(ほつしやうじ)執行(しゆぎやう)御房(ごばう)、平判官(へいはんぐわん)入道殿(にふだうどの)やおはする」
と、声々(こゑごゑ)にぞ尋(たづね)ける。二人(ににん)の人々(ひとびと)は、例(れい)の熊野(くまの)
まうでしてなかりけり。俊寛(しゆんくわん)僧都(そうづ)一人(いちにん)のこ(ッ)【残つ】
たりけるが、是(これ)をきき、「あまりに思(おも)へば夢(ゆめ)やらん。
又(また)天魔波旬(てんまはじゆん)の我(わが)心(こころ)をたぶらかさむとていふ
やらむ。うつつ共(とも)覚(おぼ)えぬ物(もの)かな」とて、あはて(あわて)【慌て】ふた
めき、はしる【走る】ともなく、たをるる(たふるる)【倒るる】共(とも)なく、いそぎ
御使(おんつかひ)のまへに走(はし)りむかひ、「何事(なにごと)ぞ。是(これ)こそ京(きやう)
P03383
よりながされたる俊寛(しゆんくわん)よ」と名乗(なの)り給(たま)へば、
雑色(ざふしき)(ざうしき)が頸(くび)にかけ【懸け】させたる小袋(こぶくろ)【*文袋(ふぶくろ)】より、入道(にふだう)相国(しやうこく)の
ゆるしぶみ【赦文】取(とり)出(いだ)いて奉(たてまつ)る。ひらいてみれ【見れ】ば、「重科(ぢゆうくわ)(ぢうくわ)は
遠P214流(をんる)にめんず【免ず】。はやく帰洛(きらく)の思(おも)ひをなすべし。
中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)御産(ごさん)の御祈(おんいのり)によ(ッ)て、非常(ひじやう)の赦(しや)をこなは(おこなは)【行なは】
る。然(しかる)間(あひだ)(あいだ)鬼界(きかい)の島(しま)の流人(るにん)、少将成経(せうしやうなりつね)、康頼(やすより)
法師(ぼふし)(ぼうし)赦免(しやめん)」とばかり書(かか)〔れ〕て、俊寛(しゆんくわん)と云(いふ)文字(もじ)はなし。
らいし【礼紙】にぞあるらむとて、礼紙(らいし)をみる【見る】にもみえ【見え】ず。
P03384
奥(おく)よりはし【端】へよみ、端(はし)より奥(おく)へ読(よみ)けれ共(ども)、二人(ににん)
とばかりかか【書か】れて、三人(さんにん)とはかかれず。さる程(ほど)に、少
将(せうしやう)や判官(はんぐわん)入道(にふだう)も出(いで)きたり。少将(せうしやう)のと(ッ)【取つ】てよむ
にも、康頼(やすより)入道(にふだう)が読(よみ)[B ける]にも、二人(ににん)とばかり書(かか)れて
三人(さんにん)とはかかれざりけり。夢(ゆめ)にこそかかる事(こと)は
あれ、夢(ゆめ)かと思(おも)ひなさんとすればうつつ也(なり)。うつつ
かと思(おも)へば又(また)夢(ゆめ)の如(ごと)し。其(その)うへ二人(ににん)の人々(ひとびと)
のもとへは、都(みやこ)よりことづけ【言付】ぶみ共(ども)いくらもあり【有り】
P03385
けれ共(ども)、俊寛(しゆんくわん)僧都(そうづ)のもとへは、事(こと)とふ文(ふみ)一(ひとつ)も
なし。「抑(そもそも)われら三人(さんにん)は罪(つみ)もおなじ罪(つみ)、配所(はいしよ)も
一所(ひとつところ)也(なり)。いかなれば赦免(しやめん)の時(とき)、二人(ににん)はめしかへさ【召返さ】れて、
一人(いちにん)ここに残(のこ)るべき。平家(へいけ)の思(おも)ひわすれかや、
執筆(しゆひつ)のあやまりか。こはいかにしつる事(こと)共(ども)
ぞや」と、天(てん)にあふぎ地(ち)に臥(ふし)て、泣(なき)かなしめ共(ども)かひ
ぞなき。少将(せうしやう)の袂(たもと)にすが(ッ)て、「俊寛(しゆんくわん)がかく成(なる)と
いふも、御(ご)へんの父(ちち)、故(こ)大納言殿(だいなごんどの)のよしなき
P03386
謀反(むほん)ゆへ(ゆゑ)也(なり)。さればされば、よその事(こと)とおぼすべからず。
ゆるされなければ、都(みやこ)までこそかなは【叶は】ずと云(いふ)共(とも)、此(この)
船(ふね)にのせ【乗せ】て、九国(くこく)の地(ち)へつけ給(たま)へ。をのをの(おのおの)【各々】の
是(これ)におはしつる程(ほど)P215こそ、春(はる)はつばくらめ、秋(あき)は
田(た)のむ【面】の鴈(かり)の音(おと)(をと)づるる様(やう)に、をのづから(おのづから)古郷(こきやう)の
事(こと)をも伝(つた)へきい【聞い】つれ。今(いま)より後(のち)、何(なに)としてかは
聞(きく)べき」とて、もだえ【悶え】こがれ給(たま)ひけり。少将(せうしやう)「まこ
と【誠】にさこそはおぼしめさ【思召さ】れ候(さうらふ)らめ。我等(われら)がめし
P03387
かへさ【返さ】るるうれしさは、さる事(こと)なれ共(ども)、御(おん)あり様(さま)
を見(み)をき(おき)奉(たてまつ)るに、行(ゆく)べき空(そら)も覚(おぼ)えず。うち
のせ【乗せ】たてま(ッ)【奉つ】ても上(のぼ)りたう候(さうらふ)が、都(みやこ)の御使(おんつかひ)もかなふ【叶ふ】
まじき由(よし)申(まうす)うへ、ゆるされもないに、三人(さんにん)ながら島(しま)
を出(いで)たりな(ン)ど(など)聞(きこ)えば、中々(なかなか)あしう候(さうらひ)なん。成経(なりつね)
まづ罷(まか)りのぼ(ッ)て、人々(ひとびと)にも申(まうし)あはせ、入道(にふだう)相国(しやうこく)
の気色(きしよく)をもうかがふ(うかがう)【伺う】て、むかへに人(ひと)を奉(たてまつ)らむ。其(その)
間(あひだ)(あいだ)は、此(この)日比(ひごろ)おはしつる様(やう)におもひ【思ひ】なして待(まち)給(たま)へ。
P03388
何(なに)と〔しても〕命(いのち)は大切(たいせつ)の事(こと)なれば、今(この)度(たび)こそもれ【漏れ】させ
給(たま)ふ共(とも)、つゐに(つひに)【遂に】はなどか赦免(しやめん)なうて候(さうらふ)べき」となぐさめ
たまへ共(ども)、人目(ひとめ)もしらず泣(なき)もだえ【悶え】けり。既(すで)に船(ふね)
出(いだ)すべしとてひしめきあへば、僧都(そうづ)の(ッ)【乗つ】てはおりつ、
おり【降り】てはの(ッ)【乗つ】つ、あらまし事(ごと)をぞし給(たま)ひける。少将(せうしやう)
の形見(かたみ)にはよるの衾(ふすま)[B 「哀」とあり「衾」と傍書]、康頼(やすより)入道(にふだう)が形見(かたみ)には
一部(いちぶ)の法花経(ほけきやう)をぞとどめける。ともづなとい【解い】て
おし出(いだ)せば、僧都(そうづ)綱(つな)に取(とり)つき、腰(こし)になり、脇(わき)になり、
P03389
たけの立(たつ)まではひか【引か】れて出(いで)、たけも及(およ)(をよ)ば
ず成(なり)ければ、船(ふね)に取(とり)つき、「さていかにをのをの(おのおの)【各々】、俊
寛(しゆんくわん)をば遂(つひ)(つゐ)に捨(すて)はて給(たま)ふか。是(これ)程(ほど)とこそおもは
ざりつれ。日比(ひごろ)の情(なさけ)も今(いま)は何(なに)ならず。ただ
理(り)をまげてのせ【乗せ】給(たま)へ。せめては九P216国(くこく)の地(ち)まで」
とくどかれけれ共(ども)、都(みやこ)の御使(おんつかひ)「いかにもかなひ【叶ひ】候(さうらふ)ま
じ」とて、取(とり)つき給(たま)へる手(て)を引(ひき)のけて、船(ふね)をば
つゐに(つひに)【遂に】漕出(こぎいだ)す。僧都(そうづ)せん方(かた)なさに、渚(なぎさ)にあがり
P03390
たふれ【倒れ】ふし、おさなき(をさなき)【幼き】者(もの)のめのとや母(はは)な(ン)ど(など)を
したふやうに、足(あし)ずりをして、「是(これ)のせ【乗せ】てゆけ、
ぐし【具し】てゆけ」と、おめき(をめき)【喚き】さけべ【叫べ】共(ども)、漕行(こぎゆく)船(ふね)の
習(ならひ)にて、跡(あと)はしら【白】浪(なみ)ばかり也(なり)。いまだ遠(とほ)(とを)からぬ
ふね【船】なれ共(ども)、涙(なみだ)に暮(くれ)てみえ【見え】ざりければ、僧都(そうづ)
たかき【高き】所(ところ)に走(はしり)あがり[B 「あ」に「り」と傍書]、澳(おき)の方(かた)をぞまねきける。
彼(かの)松浦(まつら)さよ【佐用】姫(ひめ)がもろこし船(ぶね)をしたひつつ、ひれ【領布】
ふりけむも、是(これ)には過(すぎ)じとぞみえ【見え】し。船(ふね)も漕(こぎ)かくれ、
P03391
日(ひ)もくるれ共(ども)、あやしの[B 臥(ふし)]どへも帰(かへ)らず。浪(なみ)に足(あし)
うちあらはせて、露(つゆ)にしほれ(しをれ)【萎れ】て、其(その)夜(よ)はそこ
にぞあかされける。さり共(とも)少将(せうしやう)はなさけ【情】ふかき
人(ひと)なれば、よき様(やう)に申(まうす)事(こと)もあらんずらむと
憑(たのみ)をかけ、その瀬(せ)に身(み)をもなげざりける
心(こころ)の程(ほど)こそはかなけれ。昔(むかし)壮里【*早離】(さうり)(サウリ)・息里【*速離】(そくり)(ソクり)が海
岳山(かいがくせん)へはなたれけむかなしみも、いまこそ思(おも)ひ
しられけれ。御産(ごさん)S0303去程(さるほど)に、此(この)人々(ひとびと)は鬼界(きかい)の島(しま)を出(いで)て、
P03392
平宰相(へいざいしやう)の領(りやう)、肥前国(ひぜんのくに)鹿瀬庄(かせのしやう)に着(つき)給(たま)ふ。宰P217
相(さいしやう)、京(きやう)より人(ひと)を下(くだ)して、「年(とし)の内(うち)は浪風(なみかぜ)はげ
しう、道(みち)の間(あひだ)(あいだ)もおぼつかなう候(さうらふ)に、それにて能々(よくよく)
身(み)いたは(ッ)て、春(はる)には(ッ)て上(のぼ)りたまへ」とあり【有り】ければ、
少将(せうしやう)鹿瀬庄(かせのしやう)にて、年(とし)を暮(くら)す。さる程(ほど)に、同(おなじき)
年(とし)の十一月(じふいちぐわつ)十二日(じふににち)[B ノ]寅[B ノ]剋(とらのこく)より、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)御産(ごさん)の
気(け)ましますとて、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)六波羅(ろくはら)ひしめき
あへり[B 「あへす」とあり「す」に「り」と傍書]。御産所(ごさんじよ)は六波羅(ろくはら)池殿(いけどの)にてあり【有り】けるに、
P03393
法皇(ほふわう)(ほうわう)も御幸(ごかう)なる。関白殿(くわんばくどの)(くはんばくどの)を始(はじ)め奉(たてまつり)て、太政
大臣(だいじやうだいじん)以下(いげ)の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、すべて世(よ)に人(ひと)とかぞへられ、
官(くわん)加階(かかい)にのぞみをかけ、所帯(しよたい)・所職(しよしよく)を帯(たい)する
程(ほど)の人(ひと)の、一人(いちにん)ももるる【洩るる】はなかりけり。先例(せんれい)、女御(にょうご)
后(きさき)御産(ごさん)の時(とき)にのぞんで、大赦(だいしや)をこなは(おこなは)【行なは】るる
事(こと)あり【有り】。大治(だいぢ)二年(にねん)九月(くぐわつ)十一日(じふいちにち)、待賢門院(たいけんもんゐん)御
産(ごさん)[B 「重産」とあり「重」に「御」と傍書]の時(とき)、大赦(だいしや)あり【有り】き。其(その)例(れい)とて、今度(こんど)も重科(ぢゆうくわ)(ぢうくわ)
の輩(ともがら)おほくゆるされける中(なか)に、俊寛(しゆんくわん)僧都(そうづ)
P03394
二[*上に貼り紙] 一人(いちにん)、赦免(しやめん)なかりけるこそうたてけれ。御産(ごさん)平
安(ペいあん)にあるならば、八幡(やはた)・平野(ひらの)・大原野(おほはらの)などへ行
啓(ぎやうげい)なるべしと、御立願(ごりふぐわん)(ごりうぐわん)あり【有り】けり。仙源【*全玄】(せんげん)法印(ほふいん)(ほうゐん)是(これ)を
敬白(けいひやく)す。神社(じんじや)は太神宮(だいじんぐう)を始(はじ)め奉(たてまつり)て廿(にじふ)余ケ所(よかしよ)、
仏寺(ぶつじ)は東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうぶくじ)以下(いげ)十六ケ所(じふろくかしよ)に御誦
経(みじゆぎやう)あり【有り】。御誦経(みじゆぎやう)の御使(おんつかひ)(おつかひ)は、宮(みや)の侍(さぶらひ)の中(なか)に
有官(うくわん)(うくはん)の輩(ともがら)是(これ)をつとむ。ひやうもん【平文】の狩衣(かりぎぬ)に
帯剣(たいけん)したる者共(ものども)が、色々(いろいろ)の御誦経(みじゆぎやう)もつ【物】、御剣(ぎよけん)
P03395
御衣(ぎよい)を持(もち)つづいて、東(ひがし)の台(たい)より南庭(なんてい)をわた(ッ)て、
西(にし)の中門(ちゆうもん)(ちうもん)にいづ。目出(めで)たか(ッ)し[B 「か」と「し」の間に「り」と傍書]見物(けんぶつ)也(なり)。P218小松(こまつ)の
おとどは、例(れい)の善悪(ぜんあく)にさはが(さわが)【騒が】ぬ人(ひと)にておはしければ、
其(その)後(のち)遥(はるか)に程(ほど)へて、嫡子(ちやくし)権亮少将(ごんのすけぜうしやう)以下(いげ)公達(きんだち)
の車共(くるまども)みなやり【遣り】つづけさせ、色々(いろいろ)の絹(きぬ)四十(しじふ)
領(りやう)、銀剣(ぎんけん)七(ななつ)、広(ひろ)ぶたにをか(おか)【置か】せ、御馬(おんむま)十二疋(じふにひき)ひか【牽か】せて
まいり(まゐり)【参り】給(たま)ふ。寛弘(くわんこう)に上東門院(しやうとうもんゐん)御産(ごさん)の時(とき)、御堂
殿(みだうどの)御馬(おんむま)をまいらせ(まゐらせ)【参らせ】られし其(その)例(れい)とぞ聞(きこ)えし。この
P03396
おとどは、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)の御(おん)せうと【兄】にておはしけるうへ、
父子(ふし)の御契(おんちぎり)なれば、御馬(おんむま)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ふもことはり(ことわり)【理】也(なり)。
五条(ごでうの)大納言(だいなごん)国綱【*邦綱】卿(くにつなのきやう)、御馬(おんむま)二疋(にひき)進(まゐら)(まいら)せらる。「心(こころ)
ざしのいたりか、徳(とく)のあまりか」とぞ人(ひと)申(まうし)ける。
なを(なほ)【猶】伊勢(いせ)より始(はじめ)て、安芸(あき)の厳島(いつくしま)にいたる
まで、七十(しちじふ)余ケ所(よかしよ)へ神馬(じんめ)を、立(たて)らる。大内(おほうち)にも、
竜【*寮】(れう)(りやう)の御馬(おんむま)に四手(しで)つけて、数十疋(すじつぴき)ひ(ッ)(ひつ)【引つ】たて【立て】たり。
仁和寺(にんわじ)の御室(おむろ)は孔雀経(くじやくきやう)の法(ほふ)(ほう)、天台座主(てんだいざす)覚快(かくくわい)
P03397
法親王(ほふしんわう)(ほうしんわう)は七仏薬師(しちぶつやくし)の法(ほふ)(ほう)、寺(てら)の長吏(ちやうり)円慶【*円恵】(ゑんけい)法親
王(ほふしんわう)(ほうしんわう)は金剛童子(こんがうどうじ)の法(ほふ)(ほう)、其(その)外(ほか)五大虚空蔵(ごだいこくうざう)・六観音(ろくくわんおん)(ろくくはんおん)、
一字金輪(いちじきんりん)・五壇法(ごだんのほふ)(ごだんのほう)、六字加輪(ろくじかりん)・八字文殊(はちじもんじゆ)、普賢延
命(ふげんえんめい)にいたるまで、残(のこ)る処(ところ)なう修(しゆ)せられけり。護摩(ごま)の
煙(けぶり)御所中(ごしよぢゆう)(ごしよぢう)にみち、鈴(れい)の音(おと)(をと)雲(くも)をひびかし、修法(しゆほふ)(しゆほう)
の声(こゑ)身(み)の毛(け)よだ(ッ)て、いかなる御物(おんもの)の気(け)なり共(とも)、
面(おもて)をむかふべしともみえ【見え】ざりけり。猶(なほ)(なを)仏所(ぶつしよ)の
法印(ほふいん)(ほうゐん)に仰(おほせ)て、御身(ごじん)等身(とうじん)の七仏薬師(しちぶつやくし)、並(ならび)に
P03398
五大尊(ごだいそん)の像(ざう)をつくり始(はじ)めらる。かかりしか共(ども)、
中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)はひまなくしきらせ給(たま)ふばかりにて、御
産(ごさん)もとみに成(なり)やらず。入道(にふだう)相国(しやうこく)・二位殿(にゐどの)、胸(むね)に
手(て)ををい(おい)【置い】て、「こはいかにせん、いかにせむ」とP219ぞあ
きれ給(たま)ふ。人(ひと)の物(もの)申(まうし)けれ共(ども)、ただ「ともかうも能(よき)様(やう)に、
よきやうに」とぞの給(たまひ)ける。「さり共(とも)いくさの陣(ぢん)
ならば、是(これ)程(ほど)浄海(じやうかい)は臆(おく)せじ物(もの)を」とぞ、後(のち)には
仰(おほせ)られける。御験者(おんげんじや)は、房覚(ばうかく)・性運【*昌雲】(しやううん)両僧正(りやうそうじやう)、春堯【*俊堯】(しゆんげう)
P03399
法印(ほふいん)(ほうゐん)、豪禅(がうぜん)・実専【*実全】(じつぜん)両僧都(りやうそうづ)、をのをの(おのおの)【各々】僧加【*僧伽】(そうが)の
句共(くども)あげ、本山(ほんざん)の三実【*三宝】(さんぼう)、年来(ねんらい)所持(しよぢ)の本
尊達(ほんぞんたち)、〔責(せめ)〕ふせ【伏せ】〔責(せめ)〕ふせ【伏せ】もま【揉ま】れ
けり。誠(まこと)にさこそはと覚(おぼえ)て
た(ッ)とかりける中(なか)に、法皇(ほふわう)(ほうわう)は折(をり)(おり)しも、新熊野(いまぐまの)へ
御幸(ごかう)なるべきにて、御精進(ごしやうじん)の次(つい)(つゐ)でなりける
間(あひだ)、錦帳(きんちやう)ちかく御座(ござ)あ(ッ)て、千手経(せんじゆきやう)をうち
あげ【上げ】うちあげ【上げ】あそばされけるにこそ、今(いま)一(ひと)きは事(こと)
かは(ッ)【変つ】て、さしも踊(をど)りくるふ御(おん)よりまし共(ども)が
P03400
縛(ばく)も、しばらくうちしづめ【鎮め】けれ。法皇(ほふわう)(ほうわう)仰(おほせ)なり
けるは、「いかなる物気(もののけ)なり共(とも)、この老法師(おいぼふし)(おいぼうし)がかくて
候(さうら)はんには、争(いかで)かちかづき【近付き】奉(たてまつ)るべき。就中(なかんづく)にいま
あらはるる処(ところ)の怨霊共(をんりやうども)は、みなわが朝恩(てうおん)に
よ(ッ)て人(ひと)とな(ッ)し物共(ものども)ぞかし。たとひ報謝(ほうしや)の心(こころ)を
こそ存(ぞん)ぜず共(とも)、豈(あに)障碍[*底本 石ヘン無し](しやうげ)をなすべきや。速(すみやか)にまかり
退(しりぞ)き候(さうら)へ」とて「女人(によにん)生産(しやうさん)しがたからむ時(とき)にのぞんで、
邪魔遮生(じやましやしやう)し、苦(く)忍(しのび)がたからむにも、心(こころ)をいた
P03401
して大悲呪(だいひしゆ)を称誦(せうじゆ)せば、鬼神(きじん)退散(たいさん)して、
安楽(あんらく)に生(しやう)ぜん」とあそばいて、皆(みな)水精(ずいしやう)の御
数珠(おんじゆず)おしもませ給(たま)へば、御産(ごさん)平安(ぺいあん)のみならず、
皇子(わうじ)にてこそましましけれ。頭(とうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡(しげひら)、其(その)
時(とき)はいまだ中宮亮(ちゆうぐうのすけ)(ちうぐうのすけ)にておはしけるが、御簾(ぎよれん)の
内(うち)よりつ(ッ)とP220出(いで)て、「御産(ごさん)平安(ぺいあん)、皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)候(さうらふ)ぞ」と、
たからかに申(まう)されければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)を始(はじめ)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、
関白殿(くわんばくどの)(くはんばくどの)以下(いげ)の大臣(だいじん)、公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、をのをの(おのおの)【各々】の
P03402
助修(じよじゆ)、数輩(すはい)の御験者(ごげんじや)、陰陽頭(おんやうのかみ)(をんやうのかみ)・典薬頭(てんやくのかみ)、すべて
堂上(たうしやう)堂下(たうか)一同(いちどう)にあ(ッ)と悦(よろこび)あへる声(こゑ)、門外(もんぐわい)(もんぐはい)まで
どよみて、しばし【暫し】はしづまり【静まり】やらざりけり。入道(にふだう)
相国(しやうこく)あまりのうれしさに、声(こゑ)をあげてぞ
なか【泣か】れける。悦(よろこび)なき【泣】とは是(これ)をいふべきにや。
小松殿(こまつどの)、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)の御方(おかた)にまいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ひて、金
銭(きんせん)九十九文(くじふくもん)、皇子(わうじ)の御枕(おんまくら)にをき(おき)、「天(てん)をも(ッ)て
父(ちち)とし、地(ち)をも(ッ)て母(はは)とさだめ給(たま)へ。御命(おんいのち)は方
P03403
士(はうじ)東方朔(とうばうさく)が齢(よはひ)をたもち、御心(おんこころ)には天照大神(てんせうだいじん)
入(いり)かはらせ給(たま)へ」とて、桑(くは)の弓(ゆみ)・蓬(よもぎ)の矢(や)にて、天地(てんち)
四方(しはう)を射(い)(ゐ)させらる。 公卿揃(くぎやうぞろへ)S0304 御乳(おんち)には、前(さきの)右大将(うだいしやう)宗
盛卿(むねもりのきやう)の北方(きたのかた)と定(さだめ)られたりしが、去(さんぬる)七月(しちぐわつ)(しつぐわつ)に
難産(なんざん)をしてうせ給(たまひ)しかば、御(おん)めのと平(へい)大納
言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)の北方(きたのかた)、御乳(おんち)にまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ひけり。後(のち)には
帥(そつ)の典侍(すけ)とぞ申(まうし)ける。法皇(ほふわう)(ほうわう)やがて還御(くわんぎよ)(くはんぎよ)、御
車(おんくるま)を門前(もんぜん)に立(たて)られたり。入道(にふだう)相国(しやうこく)うれしさの
P03404
あまりに、砂金(しやきん)一千両(いつせんりやう)、富士(ふじ)の綿(わた)二千両(にせんりやう)、
法皇(ほふわう)(ほうわう)へ進上(しんじやう)ぜらる。しかるべからずとぞ人々(ひとびと)内々(ないない)
ささやきあはれける。P221今度(こんど)の御産(ごさん)に勝事(しようし)(しやうし)
あまたあり【有り】。まづ法皇(ほふわう)(ほうわう)の御験者(ごげんじや)。次(つぎ)に后(きさき)御産(ごさん)の
時(とき)、御殿(ごてん)の棟(むね)より甑(こしき)をまろばかす事(こと)あり【有り】。皇
子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)には南(みなみ)へおとし、皇女(くわうじよ)(くはうじよ)誕生(たんじやう)には北(きた)へ
おとすを、是(これ)は北(きた)へおとしたりければ、「こはいかに」と
さはが(さわが)【騒が】れて、取(とり)あげ落(おと)しなをし(なほし)【直し】たりけれ
P03405
共(ども)、あしき御事(おんこと)に人々(ひとびと)申(まうし)あへり。おかしかり(をかしかり)しは
入道(にふだう)相国(しやうこく)のあきれざま、目出(めで)たかりしは小松(こまつ)の
おとどのふるまひ。ほい【本意】なかりしは右大将(うだいしやう)宗盛
卿(むねもりのきやう)の最愛(さいあい)の北方(きたのかた)にをくれ(おくれ)【遅れ】奉(たてまつり)て、大納言(だいなごん)大
将(だいしやう)両職(りやうしよく)を辞(じ)して籠居(ろうきよ)せられたりし事(こと)。兄
弟(きやうだい)共(とも)に出仕(しゆつし)あらば、いかに[B め【目】]出(で)たからむ。次(つぎ)には、七
人(しちにん)の陰陽師(おんやうじ)(をんやうじ)のめさ【召さ】れて、千度(せんど)の御祓(おはらひ)仕(つかまつ)
るに、其(その)中(なか)に掃部頭(かもんのかみ)時晴(ときはる)といふ老者(らうしや)あり【有り】。
P03406
所従(しよじゆう)(しよじう)な(ン)ど(など)も乏少(ぼくせう)なりけり。余(あまり)に人(ひと)まいり(まゐり)【参り】つどひ【集ひ】て、
たかんなをこみ、稲麻竹葦(たうまちくい)のごとし。「役人(やくにん)ぞ。
あけ【明け】られよ」とて、おし分(わけ)てまいる(まゐる)【参る】程(ほど)に、右(みぎ)の沓(くつ)
をふみ【踏み】ぬか【抜か】れぬ。そこにてち(ッ)と立(たち)やすらふが、冠(かぶり)を
さへつきおとされぬ。さばかりの砌(みぎり)に、束帯(そくたい)ただしき
老者(らうしや)が、もとどりはなへ[*この一字不要](ッ)(はなつ)てねり出(いで)たりければ、
わかき公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)こらへずして、一同(いちどう)には(ッ)とわ
らひ【笑ひ】あへり。陰陽師(おんやうじ)(をんやうじ)な(ン)ど(など)いふは、反陪(へんばい)とて足(あし)をも
P03407
あだにふまずとこそ承(うけたまは)れ。それにかかる不
思議(ふしぎ)の有(あり)ける、其(その)時(とき)はなにとも覚(おぼ)えざりしか共(ども)、
後(のち)にこそ思(おも)ひあはする事共(ことども)も多(おほ)かりけれ。
御産(ごさん)によ(ッ)て六波羅(ろくはら)へまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ふ人々(ひとびと)、関白(くわんばく)(くはんばく)
松殿(まつどの)、太政大臣(だいじやうだいじん)妙音院(めうおんゐん)(めうをんゐん)、左大臣(さだいじん)大炊御門(おほいみかど)、P222右大臣(うだいじん)
月輪殿(つきのわどの)、内大臣(ないだいじん)小松殿(こまつどの)、左大将(さだいしやう)実定(さねさだ)、源(みなもとの)大納言(だいなごん)定
房(さだふさ)、三条(さんでうの)大納言(だいなごん)実房(さねふさ)、五条(ごでうの)大納言(だいなごん)国綱【*邦綱】(くにつな)、藤(とう)大納言(だいなごん)
実国(さねくに)、按察使(あぜつし)資方【*資賢】(すけかた)、中御門(なかのみかどの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)宗家(むねいへ)、花山院(くわさんのゐんの)
P03408
中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)兼雅(かねまさ)、源(げん)中納言(ぢゆうなごん)(ちうなごん)雅頼(がらい)、権中納言(ごんぢゆうなごん)実綱(さねつな)、藤(とう)中
納言(ぢゆうなごん)資長(すけなが)、池(いけの)中納言(ちゆうなごん)頼盛(よりもり)、左衛門督(さゑもんのかみ)時忠(ときただ)、別当(べつたう)忠
親(ただちか)、左(さ)の宰相(さいしやうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)実家(さねいへ)、右(みぎ)の宰相(さいしやうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)実宗(さねむね)。新宰
相(しんさいしやうの)(しんざいしやうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)通親(みちちか)、平(へい)宰相(ざいしやう)教盛(のりもり)、六角(ろくかくの)宰相(さいしやう)家通(いへみち)、堀河宰相(ほりかはのさいしやう)
頼定(よりさだ)、左大弁宰相(さだいべんのさいしやう)長方(ながかた)、右大弁(うだいべんの)三位(さんみ)俊経(としつね)、左兵衛督(さひやうゑのかみ)
重教【*成範】(しげのり)、右兵衛督(うひやうゑのかみ)光能(みつよし)、皇太后宮(くわうだいこうくうの)(くはうだいこうくうの)大夫(だいぶ)朝方(ともかた)、左京大夫(さきやうのだいぶ)長教【*脩範】(ながのり)、
太宰相[*この一字不要]大弐(ださいのだいに)親宣【*親信】(ちかのぶ)、新三位(しんざんみ)実清(さねきよ)、已〔上〕(いじやう)三十三人(さんじふさんにん)、右大弁(うだいべん)の
外(ほか)は直衣(ちよくい)也(なり)。不参(ふさん)の人々(ひとびと)、花山院(くわさんのゐんの)前(さきの)太政大臣(だいじやうだいじん)忠雅公(ただまさこう)、
P03409
大宮(おほみやの)大納言(だいなごん)隆季卿(たかすゑのきやう)以下(いげ)十(じふ)余人(よにん)、後日(ごにち)に布衣(ほうい)着(ちやく)
して、入道(にふだう)相国(しやうこく)の西八条(にしはつでうの)亭(てい)へむかはれけるとぞ聞(きこ)え
し。 大塔建立(だいたふこんりふ)(だいたうこんりう)S0305 御修法(みしほ)の結願(けちぐわん)(けちぐはん)に勧賞共(けんじやうども)をこなは(おこなは)【行なは】る。仁和寺(にんわじの)
御室(おむろ)は東寺(とうじ)修造(しゆざう)せらるべし、並(ならび)に後七日(ごしちにち)の御
修法(みしほ)、大眼【*大元】(たいげん)の法(ほふ)(ほう)の[*この一字不要]、潅頂(くわんぢやう)(くはんぢやう)興行(こうぎやう)せらるべき由(よし)仰下(おほせくだ)
さる。御弟子(おんでし)覚誓【*覚成】(かくせい)(かくセイ)僧都(そうづ)、法印(ほふいん)(ほうゐん)に挙(きよ)[B 「■(挙の手→圭)」とあり「挙」と傍書]せらる。座主
宮(ざすのみや)は、二品(にほん)並(ならび)に牛車(ぎつしや)(ギツしや)の宣旨(せんじ)を申(まう)させ給(たま)ふ。仁和寺(にんわじの)
御室(おむろ)ささへ【支へ】申(まう)させ給(たま)ふによ(ッ)て、法眼(ほふげん)(ほうげん)円良(ゑんりやう)(えんりやう)、法印(ほふいん)(ほうゐん)
P03410
になさる。其(その)外(ほか)の勧賞共(けんじやうども)毛挙(もうきよ)にP223いとま[B 「いとふ」とあり「ふ」に「ま」と傍書]あらずとぞ
きこえ【聞え】し。中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)は日数(ひかず)へ【経】にければ、六波羅(ろくはら)
より内裏(だいり)へまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ひけり。此(この)御(おん)むすめ后(きさき)に
たた【立た】せ給(たまひ)しかば、入道(にふだう)相国(しやうこく)夫婦(ふうふ)共(とも)に、「あはれ、い
かにもして皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)あれかし。位(くらゐ)につけ奉(たてまつ)り、
外祖父(ぐわいそぶ)、外祖母(ぐわいそぼ)とあふがれん」とぞねがはれける。
わがあがめ奉(たてまつ)る安芸(あき)の厳島(いつくしま)に申(まう)さんとて、
月(つき)まうでを始(はじめ)て、祈(いの)り申(まう)されければ、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)
P03411
やがて御懐姙(ごくわいにん)(ごくはいにん)あ(ッ)て、思(おも)ひのごとく皇子(わうじ)にてまし
ましけるこそ目出(めで)たけれ。抑(そもそも)平家(へいけ)の安芸(あき)
の厳島(いつくしま)を信(しん)じ始(はじめ)られける事(こと)はいかにといふに、鳥
羽院(とばのゐん)の御宇(ぎよう)に、清盛公(きよもりこう)いまだ安芸守(あきのかみ)たりし
時(とき)、安芸国(あきのくに)をも(ッ)て、高野(かうや)の大塔(だいたふ)(だいとう)を修理(しゆり)せよ
とて、渡辺(わたなべ)の遠藤(ゑんどう)六郎(ろくらう)頼方(よりかた)を雑掌(ざつしやう)に付(つけ)られ、
六年(ろくねん)に修理(しゆり)をは(ン)【終ん】ぬ。修理(しゆり)をは(ッ)て後(のち)、清盛(きよもり)高野(かうや)へ
のぼり、大塔(だいたふ)(だいとう)をがみ【拝み】、奥院(おくのゐん)へ[B ま]いら(まゐら)【参ら】れたりければ、いづく
P03412
より来(きた)る共(とも)なき老僧(らうそう)の、眉(まゆ)には霜(しも)をたれ、額(ひたい)に
浪(なみ)をたたみ、かせ杖(づゑ)(づえ)のふたまたなるにすが(ッ)てい
でき【出来】給(たま)へり。良(やや)久(ひさ)しう御物語(おんものがたり)せさせ給(たま)ふ。「昔(むかし)
よりいまにいたるまで、此(この)山(やま)は密宗(みつしゆう)(みつしう)をひかへて
退転(たいてん)なし。天下(てんが)に又(また)も候(さうら)はず。大塔(だいたふ)(だいとう)すでに修理(しゆり)
をはり候(さうらひ)たり。さては安芸(あき)の厳島(いつくしま)、越前(ゑちぜん)の気比(けい)の
宮(みや)は、両界(りやうがい)の垂跡(すいしやく)で候(さうらふ)が、気比(けい)の宮(みや)はさかへ(さかえ)【栄へ】たれ共(ども)、
厳島(いつくしま)はなきが如(ごとく)て【*に】荒(あれ)はて【果て】て候(さうらふ)。此(この)次[B て](ついで)(つゐで)に奏聞(そうもん)して
P03413
修理(しゆり)せさせ給(たま)へ。さだにも候(さうら)はば、官(くわん)(くはん)加階(かかい)は肩(かた)をなら
ぶる人(ひと)もあるまじきぞ」とて立(たた)P224れけり。此(この)老僧(らうそう)の
居(ゐ)給(たま)へる所(ところ)に異香(いきやう)すなはち薫(くん)じたり。人(ひと)を
付(つけ)てみせ【見せ】給(たま)へば、三町(さんぢやう)ばかりはみえ【見え】給(たまひ)て、其(その)後(のち)はかき
けつ【消つ】やうに失(うせ)給(たまひ)ぬ。ただ人(びと)にあらず、大師(だいし)にてま
しましけりと、弥(いよいよ)た(ッ)とくおぼしめし【思召し】、娑婆世界(しやばせかい)の
思出(おもひで)にとて、高野(かうや)の金堂(こんだう)に曼陀羅(まんだら)をかか【書か】れける
が、西曼陀羅(さいまんだら)をば常明(じやうみやう)法印(ほふいん)(ほうゐん)といふ絵師(ゑし)に書(かか)せ
P03414
らる。東曼陀羅(とうまんだら)をば清盛(きよもり)かかむとて、自筆(じひつ)に
書(かか)〔れ〕けるが、何(なに)とかおもは【思は】れけん、八葉(はちえふ)(はちえう)の中尊(ちゆうぞん)(ちうぞん)を
宝冠(ほうくわん)(ほうくはん)をばわが首(かうべ)の血(ち)をいだい【出い】てかかれけるとぞ
聞(きこ)えし。さて都(みやこ)へのぼり、院参(ゐんざん)して此(この)由(よし)奏聞(そうもん)
せられければ、君(きみ)もなのめならず御感(ぎよかん)あ(ッ)て、猶(なほ)(なを)
任(にん)をのべ【延べ】られ、厳島(いつくしま)を修理(しゆり)せらる。鳥居(とりゐ)を立(たて)
かへ、社々(やしろやしろ)を作(つく)りかへ、百八十(ひやくはちじつ)間(けん)の廻廊(くわいらう)をぞ造(つく)
られける。修理(しゆり)をは(ッ)て、清盛(きよもり)厳島(いつくしま)へまいり(まゐり)【参り】、通夜(つや)
P03415
せられたりける夢(ゆめ)に、御宝殿(ごほうでん)の内(うち)より鬟(びんづら)ゆふ(ゆう)【結う】
たる天童(てんどう)の出(いで)て、「これは大明神(だいみやうじん)の御使(おんつかひ)也(なり)。汝(なんぢ)この
剣(けん)をも(ッ)て一天四海(いつてんしかい)をしづめ、朝家(てうか)の御(おん)まぼりたる
べし」とて、銀(ぎん)のひるまき【蛭巻】したる小長刀(こなぎなた)を給(たま)はると
いふ夢(ゆめ)をみて、覚(さめ)て後(のち)見(み)給(たま)へば、うつつに枕(まくら)がみ【上】に
ぞた(ッ)【立つ】たりける。大明神(だいみやうじん)御詫宣(ごたくせん)あ(ッ)て、「汝(なんぢ)しれ【知れ】りや、
忘(わす)れりや、ある聖(ひじり)をも(ッ)ていはせし事(こと)は。但(ただし)悪
行(あくぎやう)あらば、子孫(しそん)まではかなふ【叶ふ】まじきぞ」とて、大明神(だいみやうじん)
P03416
あがらせ給(たまひ)ぬ。目出(めで)たかりし御事(おんこと)也(なり)。P225頼豪(らいがう)S0306白河院(しらかはのゐん)御
在位(ございゐ)の御時(おんとき)、京極大殿(きやうごくのおほとの)の御(おん)むすめ后(きさき)にたたせ給(たまひ)
て、兼子【*賢子】(けんし)の中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)とて、御最愛(ごさいあい)(ごさいあひ)有(あり)けり。主上(しゆしやう)此(この)御
腹(おんぱら)に皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)あらまほしうおぼしめし【思召し】、其(その)比(ころ)
有験(うげん)の僧(そう)と聞(きこ)えし三井寺(みゐでら)の頼豪阿闍梨(らいがうあじやり)
をめして、「汝(なんぢ)此(この)后(きさき)の腹(はら)に、皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)祈(いのり)申(まう)せ。
御願(ごぐわん)成就(じやうじゆ)せば、勧賞(けんじやう)はこふ【乞ふ】によるべし」とぞ仰(おほせ)ける。
「やすう候(さうらふ)」とて三井寺(みゐでら)にかへり、百日(ひやくにち)肝胆(かんたん)を摧(くだい)て
P03417
祈(いのり)申(まうし)ければ、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)やがて百日(ひやくにち)のうちに御懐姙(ごくわいにん)
あ(ッ)て、承保(しようほう)(せうほう)元年(ぐわんねん)十二月(じふにぐわつ)(じふに(ン)ぐわつ)十六日(じふろくにち)、御産(ごさん)平安(ぺいあん)、皇
子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)有(あり)けり。君(きみ)なのめならず御感(ぎよかん)あ(ッ)て、
三井寺(みゐでら)の頼豪阿闍梨(らいがうあじやり)をめして、「汝(なんぢ)が所望(しよまう)の事(こと)は
いかに」と仰下(おほせくだ)されければ、三井寺(みゐでら)に戒壇(かいだん)建立(こんりふ)(こんりう)の事(こと)
を奏(そう)す。主上(しゆしやう)「これこそ存(ぞん)の外(ほか)の所望(しよまう)なれ。一階
僧正(いつかいそうじやう)な(ン)ど(など)をも申(まうす)べきかとこそおぼしめし【思召し】つれ。凡(およそ)(をよそ)は
皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)あ(ッ)て、祚(そ)をつが【継が】しめん事(こと)も、海内(かいだい)
P03418
無為(ぶい)を思(おも)ふため也(なり)。今(いま)汝(なんぢ)が所望(しよまう)達(たつ)せば、山門(さんもん)
いきどほ(ッ)【憤つ】て世上(せじやう)しづかなるべからず。両門(りやうもん)合戦(かつせん)して、
天台(てんだい)の仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)ほろびなんず」とて、御(おん)ゆるされもな
かりけり。頼豪(らいがう)口(くち)おしい(をしい)【惜しい】事(こと)也(なり)とて、三井寺(みゐでら)に
かへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て、ひ【干】死(じに)にせんとす。主上(しゆしやう)大(おほき)におどろかせ給(たまひ)て、
江帥(がうぞつ)(ごうぞつ)匡房卿(きやうばうのきやう)、其(その)比(ころ)は未(いまだ)美作守(みまさかのかみ)と聞(きこ)えしを召(めし)て、
「汝(なんぢ)は頼豪(らいがう)と師P226壇(しだん)の契(ちぎり)あんなり。ゆい【行い】てこしらへ
て見(み)よ」と仰(おほせ)ければ、美作守(みまさかのかみ)綸言(りんげん)を蒙(かうぶり)て頼豪(らいがう)が
P03419
宿坊(しゆくばう)に行(ゆき)むかひ、勅定(ちよくぢやう)の趣(おもむき)を仰含(おほせふく)めんとする[B に]、
以外(もつてのほか)(も(ツ)てのほか)にふすぼ(ッ)たる持仏堂(ぢぶつだう)にたてごもり、おそろ
しげ【恐ろし気】なるこゑ【声】して、「天子(てんし)には戯(たはぶれ)の詞(ことば)なし、
綸言(りんげん)汗(あせ)の如(ごと)しとこそ承(うけたまは)れ。是(これ)程(ほど)の所望(しよまう)かな
は【叶は】ざらむにをいて(おいて)〔は〕、わが祈(いの)りだし【出し】たる皇子(わうじ)なれば、
取(とり)奉(たてまつり)て魔道(まだう)へこそゆかんずらめ」とて、遂(つひ)(つゐ)に
対面(たいめん)もせざりけり。美作守(みまさかのかみ)帰(かへ)りまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、此(この)由(よし)を
奏聞(そうもん)す。頼豪(らいがう)はやがてひ【干】死(じに)に死(しに)にけり。君(きみ)いかが
P03420
せんずると、叡慮(えいりよ)(ゑいりよ)をおどろからせ【*させ】おはします。皇子(わうじ)
やがて御悩(ごなう)つかせ給(たまひ)て、さまざまの御祈共(おんいのりども)有(あり)しか
共(ども)、かなう(かなふ)【叶ふ】べしともみえ【見え】させ給(たま)はず。白髪(はくはつ)なりける
老僧(らうそう)の、錫杖(しやくぢやう)も(ッ)【持つ】て皇子(わうじ)の御枕(おんまくら)にたたずみ、人々(ひとびと)
の夢(ゆめ)にもみえ【見え】、まぼろしにも立(たち)けり。おそろし【恐ろし】な(ン)
ど(など)もおろかなり。去程(さるほど)に、承暦(しようりやく)(せうりやく)元年(ぐわんねん)(ぐはんねん)八月(はちぐわつ)六日(むゆかのひ)、
皇子(わうじ)御年(おんとし)四歳(しさい)にて遂(つひ)(つゐ)にかくれさせ給(たまひ)ぬ。敦文(あつふん)
の親王(しんわう)是(これ)なり。主上(しゆしやう)なのめならず御歎(おんなげき)あり【有り】けり。山
P03421
門(さんもん)に又(また)西京(さいきやう)の座主(ざす)、良信【*良真】(りやうしん)大僧[B 都]【*大僧正】(だいそうじやう)、其(その)比(ころ)は円融房(ゑんゆうばう)
の僧都(そうづ)とて、有験(うげん)の僧(そう)と聞(きこ)えしを、内裏(だいり)へめして、
「こはいかがせんずる」と仰(おほせ)ければ、「いつも我(わが)山(やま)の力(ちから)にて
こそか様(やう)【斯様】の御願(ごぐわん)は成就(じやうじゆ)する事(こと)候(ざうら)へ。九条(くでうの)右丞
相(うしようじやう)(うせうじやう)、慈恵大僧正(じゑだいそうじやう)に契(ちぎり)申(まう)させ給(たまひ)しによ(ッ)てこそ、冷
泉院(れんぜいのゐん)の皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)は候(さうらひ)しか。やすい程(ほど)の御事(おんこと)
候(ざうらふ)」とて、比叡山(ひえいさん)(ひゑいさん)にかへりのぼP227り、山王大師(さんわうだいし)に百日(ひやくにち)肝
胆(かんたん)を摧(くだい)(くだひ)て祈(いのり)申(まうし)ければ、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)やがて百日(ひやくにち)の
P03422
内(うち)に御懐姙(ごくわいにん)あ(ッ)て、承暦(しようりやく)(せうりやく)三年(さんねん)七月(しちぐわつ)九日(ここのかのひ)、御産(ごさん)平
安(ぺいあん)、皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)有(あり)けり。堀河天皇(ほりかはのてんわう)是(これ)也(なり)。怨霊(をんりやう)は
昔(むかし)もおそろしき【恐ろしき】事(こと)也(なり)。今度(こんど)さしも目出(めで)たき
御産(ごさん)に、大赦(だいしや)はをこなは(おこなは)【行なは】れたりといへ共(ども)、俊寛(しゆんくわん)
僧都(そうづ)一人(いちにん)、赦免(しやめん)なかりけるこそうたてけれ。同(おなじき)十
二月(じふにぐわつ)八日(やうかのひ)、皇子(わうじ)東宮(とうぐう)にたたせ給(たま)ふ[B 「給ぬ」とあり「ぬ」に「ふ」と傍書]。傅(ふ)には、小松内
大臣(こまつのないだいじん)、大夫(だいぶ)には池(いけ)の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)頼盛卿(よりもりのきやう)とぞ聞(きこ)えし。 少将(せうしやう)都帰(みやこがへり)S0307 
明(あく)れば治承(ぢしよう)(ぢせう)三年(さんねん)正月(しやうぐわつ)下旬(げじゆん)に、丹羽少将(たんばのせうしやう)成
P03423
経(なりつね)、肥前国(ひぜんのくに)鹿瀬庄(かせのしやう)をた(ッ)【発つ】て、都(みやこ)へといそがれけれ
共(ども)、余寒(よかん)猶(なほ)(なを)はげしく、海上(かいしやう)もいたく荒(あれ)ければ、
浦(うら)づたひ島(しま)づたひして、きさらぎ十日比(とをかごろ)にぞ
備前[B ノ](びぜんの)児島(こじま)(コじま)に着(つき)給(たま)ふ。それより父(ちち)大納言殿(だいなごんどの)
のすみ【住み】給(たまひ)ける所(ところ)を尋(たづね)いり【入り】てみ給(たま)ふに、竹(たけ)の
柱(はしら)、ふりたる障子(しやうじ)なんど(など)にかき【書き】をか(おか)【置か】れたる筆(ふで)のす
さみをみ給(たまひ)て、「人(ひと)の形見(かたみ)には手跡(しゆせき)に過(すぎ)たる
物(もの)ぞなき。書(かき)をき(おき)給(たま)はずは、いかでかこれをみる【見る】
P03424
べき」とて、康頼(やすより)入道(にふだう)(にうだう)と二人(ににん)、よう【読う】ではなき【泣き】、ない
てはよむ。「安元(あんげん)三年(さんねん)七月(しちぐわつ)廿日(はつかのひ)出家(しゆつけ)、同(おなじき)廿
六日(にじふろくにち)信俊(のぶとし)下向(げかう)」と書(かか)れたり。さてこそ源(げん)P228左衛
門尉(ざゑもんのじよう)(ざゑもんのぜう)信俊(のぶとし)がまいり(まゐり)【参り】たりけるも知(しら)れけれ。そばなる
壁(かべ)には、「三尊(さんぞん)来迎(らいかう)有便(たよりあり)(タヨリアリ)。九品(くほん)往生(わうじやう)無疑(うたがひなし)」とも書(かか)
れたり。此(この)形見(かたみ)を見(み)給(たまひ)てこそ、さすが欣求浄土(ごんぐじやうど)
ののぞみもおはしけりと、限(かぎ)りなき歎(なげき)の中(なか)
にも、いささかたのもしげ【頼もし気】にはの給(たまひ)けれ。其(その)墓(はか)
P03425
を尋(たづね)て見(み)給(たま)へば、松(まつ)の一(ひと)むらある中(なか)に、かひ
がひしう壇(だん)をついたる事(こと)もなし。土(つち)のすこし
たかき所(ところ)に少将(せうしやう)袖(そで)かきあはせ、いき【生き】たる人(ひと)に
物(もの)を申(まうす)やうに、泣々(なくなく)申(まう)されけるは、「遠(とほ)(とを)き御(おん)まもり【守り】と
ならせおはしまして候(さうらふ)事(こと)をば、島(しま)にてかすか【幽】に
伝(つた)へ承(うけたまは)りしか共(ども)、心(こころ)にまかせぬうき身(み)
なれば、いそぎまいる(まゐる)【参る】事(こと)も候(さうら)はず。成経(なりつね)彼(かの)島(しま)へ
ながされて、露(つゆ)の命(いのち)消(きえ)やらずして、二(ふた)とせ【年】を
P03426
をく(ッ)(おくつ)【送つ】てめしかへさるるうれしさは、さる事(こと)にて
候(さうら)へ共(ども)、この世(よ)にわたらせ給(たま)ふをも見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】
て候(さうらは)ばこそ、命(いのち)のながき【長き】かひもあらめ。是(これ)まで
はいそがれつれ共(ども)、いまより後(のち)はいそぐべし共(とも)
おぼえず」と、かきくどゐ(くどい)てぞなか【泣か】れける。誠(まこと)に存
生(ぞんじやう)の時(とき)ならば、大納言(だいなごん)入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)こそ、いかに共(とも)の給(たま)ふ
べきに、生(しやう)をへ[B た]て(へだて)たる習(なら)ひ程(ほど)うらめしかり【恨めしかり】
ける物(もの)はなし。苔(こけ)の下(した)には誰(たれ)かこたふべき。
P03427
ただ嵐(あらし)にさはぐ(さわぐ)【騒ぐ】松(まつ)の響(ひびき)ばかりなり。其(その)夜(よ)は
夜(よ)もすがら、康頼(やすより)入道(にふだう)(にうだう)と二人(ににん)、墓(はか)のまはりを
行道(ぎやうだう)して念仏(ねんぶつ)申(まうし)、明(あけ)ぬればあたらしう壇(だん)
つき、くぎぬき〔せ〕させ、まへに仮屋(かりや)つくり、七日(しちにち)七P229夜(しちや)
念仏(ねんぶつ)申(まうし)経(きやう)書(かき)て、結願(けちぐわん)には大(おほき)なる卒兜婆(そとば)
をたて、「過去聖霊(くわこしやうりやう)、出離生死(しゆつりしやうじ)、証大菩提(しようだいぼだい)(しやうだいぼだい)」とかいて、
年号(ねんがう)月日(つきひ)の下(した)には、「孝子(かうし)成経(なりつね)」と書(かか)れたれば、
しづ山(やま)がつの心(こころ)なきも、子(こ)に過(すぎ)たる宝(たから)なしとて、
P03428
泪(なみだ)をながし袖(そで)をしぼらぬはなかりけり。年(とし)去(さり)(さリ)
年(とし)来(きた)れ共(ども)、忘(わすれ)がたきは撫育(ぶいく)の昔(むかし)の恩(おん)(をん)、夢(ゆめ)の
如(ごと)く幻(まぼろし)のごとし。尽(つき)がたきは恋慕(れんぼ)のいまの涙(なみだ)也(なり)。
三世(さんぜ)十方(じつぱう)(じつばう)の仏陀(ぶつだ)の聖衆(しやうじゆ)もあはれみ給(たま)ひ、
亡魂(ばうこん)尊霊(そんれい)もいかにうれしとおぼしけむ。「いま
しばらく念仏(ねんぶつ)の功(こう)をもつむ【積む】べう候(さうら)へ共(ども)、都(みやこ)に
待(まつ)人共(ひとども)も心(こころ)もとなう候(さうらふ)らん。又(また)こそまいり(まゐり)【参り】候(さうら)はめ」とて、
亡者(まうじや)にいとま申(まうし)つつ、泣々(なくなく)そこをぞ立(たた)れける。
P03429
草(くさ)の陰(かげ)にても余波(なごり)おしう(をしう)【惜しう】やおもは【思は】れけむ。
三月(さんぐわつ)十八日(じふはちにち)【*十六日(じふろくにち)】、少将(せうしやう)鳥羽(とば)へあかう【明かう】ぞ付(つき)給(たま)ふ。故(こ)
大納言(だいなごん)の山荘(さんざう)、すはま【州浜】殿(どの)とて鳥羽(とば)にあり【有り】。住(すみ)
あらして年(とし)へ【経】にければ、築地(ついぢ)はあれどもおほい(おほひ)【覆ひ】
もなく、門(もん)はあれ共(ども)扉(とびら)もなし。庭(には)に立入(たちいり)見(み)
給(たま)へば、人跡(じんせき)たえて苔(こけ)ふかし。池(いけ)の辺(ほとり)を見(み)ま
はせば、秋山(あきやま)の春風(はるかぜ)に白波(しらなみ)しきりにおり【織り】かけて、
紫鴛(しゑん)(しえん)白鴎(はくおう)(はくわう)逍遥(せうよう)す。興(けう)ぜし人(ひと)の恋(こひ)しさに、尽(つき)せぬ
P03430
物(もの)は涙(なみだ)也(なり)。家(いへ)はあれ共(ども)、らんもむ(らんもん)【羅文】破(やぶれ)て、蔀(しとみ)やり戸(ど)も
たえてなし。「爰(ここ)には大納言(だいなごん)のとこそおはせしか、
此(この)妻戸(つまど)をばかうこそ出入(いでいり)給(たまひ)しか。あの木(き)をば、
みづからこそうへ(うゑ)【植ゑ】給(たまひ)しか」な(ン)ど(など)いひて、ことの葉(は)に[M 「の」を非とし「に」と傍書]
つけて、ちち【父】の事(こと)を恋(こひ)しげにこその給(たま)ひけれ。
弥生(やよひ)なかの六日(むゆか)なれば、花(はな)はいまだ名残(なごり)あり【有り】。
楊梅(やうばい)桃李(たうり)P230の梢(こずゑ)こそ、折(をり)(おり)しりがほに色々(いろいろ)なれ。
昔(むかし)のあるじはなけれ共(ども)、春(はる)を忘(わす)れぬ花(はな)なれや。
P03431
少将(せうしやう)花(はな)のもとに立(たち)よ(ッ)て[B 「もて」とあり「も」に「よ」と傍書]、桃李(たうり)不言(ものいはず)春(はる)幾暮(いくばくくれぬる)
煙霞(えんか)(ゑんか)無跡(あとなし)昔(むかし)誰栖(たれかすんじ)[B 右下「シ」あり] K017 ふる里(さと)の花(はな)の物(もの)いふ
世(よ)なりせばいかにむかし【昔】のことをとはまし W014 この
古(ふる)き詩歌(しいか)(し(イ)か)を口(くち)ずさみ給(たま)へば、康頼(やすより)入道(にふだう)(にうだう)も
折節(をりふし)(おりふし)あはれ【哀】に覚(おぼ)えて、墨染(すみぞめ)の袖(そで)をぞぬらし
ける。暮(くる)る程(ほど)とは待(また)れけれ共(ども)、あまりに名残(なごり)
おしく(をしく)【惜しく】て、夜(よ)ふくるまでこそおはしけれ。深行(ふけゆく)
ままには、荒(あれ)たる宿(やど)のならひ【習】とて、ふるき軒(のき)
P03432
の板間(いたま)より、もる月影(つきかげ)ぞくまもなき。鶏籠(けいろう)
の山(やま)明(あけ)なんとすれ共(ども)、家路(いへぢ)はさらにいそがれず。
さてもあるべきならねば、むかへに乗物共(のりものども)つかはし
て待(まつ)らんも心(こころ)なしとて、泣々(なくなく)すはま殿(どの)を出(いで)つつ、
都(みやこ)へかへり入(いり)けむ心(こころ)の内共(うちども)、さこそはあはれ【哀】にも
うれしう【嬉しう】も有(あり)けめ。康頼(やすより)入道(にふだう)(にうだう)がむかへにも乗
物(のりもの)あり【有り】けれ共(ども)、それにはのら【乗ら】で、「いまさら名残(なごり)の惜(をし)(おし)き
に」とて、少将(せうしやう)の車(くるま)の尻(しり)にの(ッ)【乗つ】て、七条河原(しつでうかはら)
P03433
まではゆく【行く】。其(それ)より行別(ゆきわかれ)けるに、猶(なほ)(なを)行(ゆき)もやらざり
けり。花(はな)の下(もと)の半日(はんじつ)の客(かく)、月(つきの)前(まへ)の一夜(いちや)の友(とも)、
旅人(りよじん)が一村雨(ひとむらさめ)の過行(すぎゆく)に、一樹(いちじゆ)の陰(かげ)に立(たち)よ(ッ)て、
わかるる余波(なごり)もおしき(をしき)【惜しき】ぞかし。况(いはん)や是(これ)はうかりし
島(しま)のすまひ、船(ふね)のうち、浪(なみ)のうへ、一業所感(いちごふしよかん)(いちごうしよかん)の身(み)
なれば、先世(ぜんぜ)の芳縁(はうえん)も浅(あさ)からずや思(おも)ひしられけん。P231
少将(せうしやう)は舅(しうと)平宰相(へいざいしやう)の宿所(しゆくしよ)へ立入(たちいり)給(たま)ふ。少将(せうしやう)の
母(はは)うへは霊山(りやうぜん)におはしけるが、昨日(きのふ)より宰相(さいしやう)の
P03434
宿所(しゆくしよ)におはして待(また)れけり。少将(せうしやう)の立入(たちいり)給(たま)ふ
姿(すがた)を一目(ひとめ)みて、「命(いのち)あれば」とばかりぞの給(たまひ)ける。引(ひき)
かづいてぞ臥(ふし)給(たま)ふ。宰相(さいしやう)の内(うち)の〔女〕房(にようばう)、侍共(さぶらひども)さし
つどい(つどひ)【集ひ】て、みな悦(よろこび)なき【泣】共(ども)しけり。まして少将(せうしやう)の
北方(きたのかた)、めのとの六条(ろくでう)が心(こころ)のうち、さこそはうれしかりけめ。
六条(ろくでう)は尽(つき)せぬ物(もの)おもひ【思ひ】に、黒(くろ)かりし髪(かみ)もみなし
ろく【白く】なり、北方(きたのかた)さしも花(はな)やかにうつくしうおは
せしか共(ども)、いつしかやせ【痩】おとろへて、其(その)人(ひと)共(とも)みえ【見え】給(たま)はず。
P03435
ながされ給(たまひ)し時(とき)、三歳(さんざい)にて別(わかれ)しおさなき(をさなき)【幼き】人(ひと)、おと
なしうな(ッ)て、髪(かみ)ゆふ【結ふ】程(ほど)也(なり)。又(また)其(その)御(おん)そばに、三(みつ)ばかり
なるおさなき(をさなき)【幼き】人(ひと)のおはしけるを、少将(せうしやう)「あれはいか
に」との給(たま)へば、六条(ろくでう)「是(これ)こそ」とばかり申(まうし)て、袖(そで)をか
ほ【顔】におしあてて涙(なみだ)をながしけるにこそ、さては
下(くだ)りし時(とき)、心苦(こころぐる)しげなる有(あり)さまを見(み)をき(おき)【置き】
しが、事(こと)ゆへ(ゆゑ)なくそ立(だち)【育ち】けるよと、思(おも)ひ出(いで)ても
かなしかりけり。少将(せうしやう)はもとのごとく院(ゐん)にめしつか
P03436
はれて、宰相(さいしやうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)にあがり給(たま)ふ。康瀬【*康頼】(やすより)入道(にふだう)(にうだう)は、
東山(ひがしやま)(ひ(ン)がしやま)双林寺(さうりんじ)にわが山荘(さんざう)のあり【有り】ければ、それに落(おち)
つゐ(つい)【着い】て、先(まづ)おもひつづけけり。
ふる里(さと)の軒(のき)のいたま【板間】に苔(こけ)むして
おもひ【思ひ】しほどはもら【漏ら】ぬ月(つき)かな W015
やがてそこに籠居(ろうきよ)して、うかりし昔(むかし)を思(おも)ひ
つづけ、宝物集(ほうぶつしふ)(ほうぶつしう)といふ物語(ものがたり)を書(かき)けるP232とぞ聞(きこ)
えし。有王(ありわう)S0308去程(さるほど)に、鬼界(きかい)が島(しま)へ三人(さんにん)ながさ【流さ】れたりし
P03437
流人(るにん)、二人(ににん)はめしかへさ【召返さ】れて都(みやこ)へのぼりぬ。俊寛(しゆんくわん)(しゆんくはん)
僧都(そうづ)一人(いちにん)、うかりし島(しま)の島守(しまもり)に成(なり)にけるこそ
うたてけれ。僧都(そうづ)のおさなう(をさなう)【幼う】より不便(ふびん)にして、
めしつかはれける童(わらは)あり【有り】。名(な)をば有王(ありわう)とぞ申(まうし)ける。
鬼界(きかい)が島(しま)の流人(るにん)、今日(けふ)すでに都(みやこ)へ入(いる)と聞(きこ)えし
かば、鳥羽(とば)まで行(ゆき)むかふ(むかう)て見(み)けれ共(ども)、わがしう(しゆう)【主】は
みえ【見え】給(たま)はず。いかにと問(とへ)ば、「それはなを(なほ)【猶】つみ【罪】ふかしとて、
島(しま)にのこされ給(たまひ)ぬ」ときいて、心(こころ)うしな(ン)ど(など)もおろ
P03438
か也(なり)。常(つね)は六波羅辺(ろくはらへん)にたたずみありい【歩い】て聞(きき)けれ
共(ども)、赦免(しやめん)あるべし共(とも)聞(きき)いださ【出さ】ず。僧都(そうづ)の御(おん)むす
めのしのび【忍び】ておはしける所(ところ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「このせ【瀬】にも
もれ【漏れ】させ給(たまひ)て、御(おん)のぼりも候(さうら)はず。いかにもして
彼(かの)島(しま)へわた(ッ)て、御(おん)行(ゆく)え(ゆくへ)【行方】を尋(たずね)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】むと
こそ思(おも)ひな(ッ)て候(さうら)へ。御(おん)ふみ【文】給(たま)はらん」と申(まうし)ければ、
泣々(なくなく)かいてたう【給う】だりけり。いとまをこふ【乞ふ】共(とも)、よも
ゆるさじとて、父(ちち)にも母(はは)にもしらせず、もろこし
P03439
船(ぶね)のともづなは、卯月(うづき)さ月(つき)【皐月】にとく【解く】なれば、夏衣(なつごろも)
たつ【裁つ】を遅(おそ)(をそ)くや思(おもひ)けむ、やよひの末(すゑ)に都(みやこ)を
出(いで)て、多(おほ)くP233の浪路(なみじ)を凌(しの)ぎ過(す)ぎ、薩摩潟(さつまがた)
へぞ下(くだ)りける。薩摩(さつま)より彼(かの)島(しま)へわたる船津(ふなつ)
にて、人(ひと)あやしみ、きたる物(もの)をはぎ【剥ぎ】とりな(ン)ど(など)し
けれ共(ども)、すこしも後悔(こうくわい)せず。姫御前(ひめごぜん)の御文(おんふみ)
ばかりぞ人(ひと)に見(み)せじとて、もとゆひ【元結】の中(なか)に隠(かく)
したりける。さて商人船(あきんどぶね)にの(ッ)【乗つ】て、件(くだん)の島(しま)へ
P03440
わた(ッ)てみる【見る】に、都(みやこ)にてかすか【幽】につたへ聞(きき)しは
事(こと)のかずにもあらず。田(た)もなし、畠(はた)もなし。村(むら)も
なし、里(さと)もなし。をのづから(おのづから)人(ひと)はあれ共(ども)、いふ
詞(ことば)も聞(きき)しらず。もしか様(やう)【斯様】の者共(ものども)の中(なか)に、わが
しう(しゆう)【主】の行(ゆく)え(ゆくへ)【行方】やしり【知り】たるものやあらんと、「物(もの)まう
さう」どいへば、「何事(なにごと)」とこたふ。「是(これ)に都(みやこ)よりながされ
給(たまひ)し、法勝寺(ほつしようじの)(ほつしやうじの)執行(しゆぎやう)御房(ごばう)と申(まうす)人(ひと)の御(おん)行(ゆく)え(ゆくへ)【行方】や
しり【知り】たる」と問(とふ)に、法勝寺(ほつしようじ)共(とも)、執行(しゆぎやう)共(とも)し(ッ)【知つ】たらばこそ
P03441
返事(へんじ)もせめ。頸(くび)をふ(ッ)て知(しら)ずといふ。其(その)中(なか)に
ある者(もの)が心得(こころえ)て、「いさとよ、さ様(やう)の人(ひと)は三人(さんにん)是(これ)に
有(あり)しが、二人(ににん)はめしかへさ【召返さ】れて都(みやこ)へのぼりぬ。いま
一人(いちにん)はのこされて、あそこ爰(ここ)にまどひありけ【歩け】
共(ども)、行(ゆく)え(ゆくへ)【行方】もしらず」とぞいひける。山(やま)のかたのおぼ
つかなさに、はるかに分入(わけいり)、峯(みね)によぢ[B 登(のぼり)]、谷(たに)に下(くだ)れ共(ども)、
白雲(はくうん)跡(あと)を埋(うづん)で、ゆき来(き)の道(みち)もさだかならず。
青嵐(せいらん)夢(ゆめ)を破(やぶつ)て、その面影(おもかげ)もみえ【見え】ざりけり。
P03442
山(やま)にては遂(つひ)(つゐ)に尋(たづね)もあはず。海(うみ)の辺(ほとり)について
尋(たづぬ)るに、沙頭(さとう)に印(いん)(ゐん)を刻(きざ)む鴎(かもめ)、澳(おき)のしら【白】州(す)に
すだく浜千鳥(はまちどり)の外(ほか)は、跡(あと)とふ物(もの)もなかりけり。
ある朝(あした)、いその方(かた)よりかげろふな(ン)ど(など)のやうに
やせおとろへたる者(もの)よろぼひP234出(いで)きたり。もとは
法師(ほふし)(ほうし)にて有(あり)けると覚(おぼ)えて、髪(かみ)は空(そら)さまへ
おひ【生ひ】あがり[B 「おひたり」とあり「た」に「あか」と傍書]、よろづの藻(も)くづとりつゐ(つい)【付い】て、をどろ(おどろ)
をいただいたるが如(ごと)し。つぎ目(め)あらはれて皮(かは)
P03443
ゆたひ、身(み)にき【着】たる物(もの)は絹(きぬ)布(ぬの)のわき【別】も見(み)え
ず。片手(かたて)にはあらめをひろい(ひろひ)【拾ひ】もち、片手(かたて)には
網(あみ)うど【人】に魚(うを)(うほ)をもらふてもち、歩(あゆ)むやうにはし
けれ共(ども)、はかもゆかず、よろよろとして出(いで)きたり。
「都(みやこ)にて多(おほ)くの乞丐人(こつがいにん)(コツカイにん)み【見】しか共(ども)、かかる者(もの)をば
いまだみず。「諸阿修羅等居在大海辺(しよあしゆらとうこざいだいかいへん)」とて、修
羅(しゆら)の三悪四趣(さんあくししゆ)は深山大海(しんざんだいかい)のほとりにありと、
仏(ほとけ)の解(とき)をき(おき)給(たま)ひたれば、しらず、われ餓鬼道(がきだう)に
P03444
尋来(たづねきた)るか」と思(おも)ふ程(ほど)に、かれも是(これ)も次第(しだい)にあゆみ
ちかづく【近付く】。もしか様(やう)【斯様】のものも、しう(しゆう)【主】の御(おん)ゆくえ(ゆくへ)【行方】
知(しり)たる事(こと)やあらんと、「物(もの)まうさう」どいへば、「何(なに)ごと」
とこたふ。是(これ)は都(みやこ)よりながされ給(たまひ)し、法勝寺(ほつしようじの)(ほつしやうじの)
執行(しゆぎやう)御房(ごばう)と申(まうす)人(ひと)の、御(おん)行(ゆく)え(ゆくへ)【行方】や知(しり)たる」と問(とふ)に、
童(わらは)は見忘(みわすれ)たれ共(ども)、僧都(そうづ)は何(なに)とてか忘(わする)べきなれば、
「是(これ)こそそよ」といひもあへず、手(て)にもて【持て】る物(もの)を
なげ捨(すて)て、すなごの上(うへ)にたふれ【倒れ】ふす。さてこそ
P03445
わがしう(しゆう)【主】の行(ゆく)え(ゆくへ)【行方】もしり【知り】て(ン)げれ。やがてきえ入(いり)
給(たま)ふを、ひざの上(うへ)にかきふせ【掻き伏せ】[*かきのせ【掻き乗せ】]奉(たてまつ)り、「有王(ありわう)がまい(ッ)(まゐつ)【参つ】
て候(さうらふ)。多(おほ)くの浪(なみ)ぢをしのいで、是(これ)まで尋(たづね)ま
いり(まゐり)【参り】たるかひもなく、いかにやがてうき目(め)をば
見(み)せさせ給(たま)ふぞ」と泣々(なくなく)申(まうし)ければ、ややあ(ッ)て、す
こし人(ひと)心地(ごこち)出(いで)き、たすけおこされて、「誠(まこと)に汝(なんぢ)が
是(これ)まで尋来(たづねき)たる心(こころ)ざしの程(ほど)こそ神妙(しんべう)
なれ。P235明(あけ)ても暮(くれ)ても、都(みやこ)の事(こと)のみ思(おも)ひ居(ゐ)
P03446
たれば、恋(こひ)しき者共(ものども)が面(おも)かげ【影】は、夢(ゆめ)にみる【見る】おり(をり)【折】
もあり【有り】、まぼろしにたつ時(とき)もあり【有り】。身(み)もいたく
つかれ【疲れ】よは(ッ)(よわつ)【弱つ】て後(のち)は、夢(ゆめ)もうつつもおもひ【思ひ】わかず。
されば汝(なんぢ)が来(き)たれるも、ただ夢(ゆめ)とのみこそおぼ
ゆれ。もし此(この)事(こと)の夢(ゆめ)ならば、さめての後(のち)は
いかがせん」。有王(ありわう)「うつつにて候(さうらふ)也(なり)。此(この)御(おん)ありさまにて、
今(いま)まで御命(おんいのち)ののび【延び】させ給(たま)ひて[B 「給ふて」とあり「ふ」に「ひ」と傍書]候(さうらふ)こそ、不思
議(ふしぎ)に覚(おぼ)え候(さうら)へ」と申(まう)せば、「さればこそ。去年(こぞ)(コぞ)少
P03447
将(せうしやう)や判官(はんぐわん)(はんぐはん)入道(にふだう)(にうだう)に捨(すて)られて後(のち)のたよりなさ、
心(こころ)の内(うち)をばただおしはかるべし。そのせ【瀬】に身(み)
をもなげむとせしを、よしなき少将(せうしやう)の「今(いま)一度(いちど)
都(みやこ)の音(おと)(をと)づれをもまて【待て】かし」な(ン)ど(など)、なぐさめをき(おき)【置き】し
を、をろか(おろか)【愚】にもし【若し】やとたのみ【頼み】つつ、ながらへんとはせし
か共(ども)、此(この)島(しま)には人(ひと)のくい(くひ)【食ひ】物(もの)たえてなき所(ところ)なれば、
身(み)に力(ちから)のあり【有り】し程(ほど)は、山(やま)にのぼ(ッ)て湯黄(いわう)と云(いふ)物(もの)
をほり、九国(くこく)よりかよふ商人(あきびと)にあひ、くい(くひ)【食】物(もの)に
P03448
かへな(ン)ど(など)せしか共(ども)、日(ひ)にそへてよはり(よわり)【弱り】ゆけば、いまは
その態(わざ)もせず。かやうに日(ひ)ののどかなる時(とき)は、磯(いそ)に
出(いで)て網人(あみうど)に釣人(つりうど)に、手(て)をすりひざをかがめて、
魚(うを)(うほ)をもらい(もらひ)、塩干(しほひ)のときは貝(かい)をひろひ【拾ひ】、あらめを
とり、磯(いそ)の苔(こけ)に露(つゆ)の命(いのち)をかけてこそ、けふ【今日】ま
でもながらへたれ。さらでは浮世(うきよ)を渡(わた)るよすが
をば、いかにしつらんとか思(おも)ふらむ。爰(ここ)にて何
事(なにごと)もいはばやとはおもへ【思へ】共(ども)、いざわが家(いへ)へ」とのたまへば、
P03449
この御(おん)ありさまにても家(いへ)をもち給(たま)へるふしぎ
さ【不思議さ】P236よと思(おもひ)て行(ゆく)程(ほど)に、松(まつ)の一(ひと)むらある中(なか)に
より【寄】竹(たけ)を柱(はしら)にして、葦(あし)をゆひ、けたはり【桁梁】[B 「た」の下に「うつ」と傍書]に
わたし、上(うへ)にもした【下】にも、松(まつ)の葉(は)をひしと
取(とり)かけたり。雨風(あめかぜ)たまるべうもなし。昔(むかし)は、
法勝寺(ほつしようじ)(ほつしやうじ)の寺務職(じむしよく)にて、八十(はちじふ)余ケ所(よかしよ)の庄
務(しやうむ)をつかさどられしかば、棟門(むねかど)平門(ひらかど)の内(うち)に、四五
百人(しごひやくにん)の所従(しよじゆう)(しよじう)眷属(けんぞく)に囲饒(ゐねう)せられてこそおは
P03450
せしか。ま【目】のあたりかかるうきめを見(み)給(たま)ひける
こそふしぎ【不思議】なれ。業(ごふ)(ごう)にさまざまあり【有り】。順現(じゆんげん)・順生(じゆんしやう)・
順後業(じゆんごごふ)(じゆんごごう)といへり。僧都(そうづ)一期(いちご)の間(あひだ)(あいだ)、身(み)にもちゐる
処(ところ)、大伽藍(だいがらん)の寺物(じもつ)仏物(ぶつもつ)にあらずと云(いふ)事(こと)なし。
さればかの信施無慙(しんぜむざん)の罪(つみ)によ(ッ)て、今生(こんじやう)に感(かん)ぜら
れけりとぞみえ【見え】たりける。僧都(そうづ)死去(しきよ)S0309僧都(そうづ)うつつ【現】にてあり【有り】とお
もひ【思ひ】定(さだめ)て、「抑(そもそも)去年(こぞ)少将(せうしやう)や判官(はんぐわん)(はんぐはん)入道(にふだう)(にうだう)がむかへ
にも、是等(これら)がふみ【文】といふ事(こと)もなし。いま汝(なんぢ)がたよりに
P03451
も音(おと)(をと)づれのなきは、かう共(とも)いはざりけるか」。有王(ありわう)
なみだ【涙】にむせびうつぶして、しばしはものも申(まう)さず。
ややあり【有り】ておきあがり、泪(なみだ)をおさへて申(まうし)けるは、「君(きみ)
の西八条(にしはつでう)へ出(いで)させ給(たまひ)しかば、やがて追捕(ついほ)の[* 「の」は右寄りに「ノ」 ]官人(くわんにん)
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、御内(みうち)の人々(ひとびと)搦取(からめと)り、御謀反(ごむほん)の次第(しだい)を尋(たづね)
て、うしなひ【失ひ】P237はて候(さうらひ)ぬ。北方(きたのかた)はおさなき(をさなき)【幼き】人(ひと)を隠(かく)し
かねまいら(まゐら)【参ら】させ給(たまひ)て、鞍馬(くらま)の奥(おく)にしのば【忍ば】せ給(たまひ)て候(さうらひ)
しに、此(この)童(わらは)ばかりこそ時々(ときどき)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て宮仕(みやづかへ)つかまつり
P03452
候(さうらひ)しか。いづれも御歎(おんなげき)のをろか(おろか)【愚】なる事(こと)は候(さうら)はざ(ッ)し
か共(ども)、おさなき(をさなき)【幼き】人(ひと)はあまりに恋(こひ)まいら(まゐら)【参ら】させ給(たまひ)て、
まいり(まゐり)【参り】候(さうらふ)たび毎(ごと)に、「有王(ありわう)よ、鬼界(きかい)の島(しま)とかやへ
われぐし【具し】てまいれ(まゐれ)【参れ】」とむつからせ給(たまひ)候(さうらひ)しが、過(すぎ)候(さうらひ)し
二月(きさらぎ)に、もがさと申(まうす)事(こと)に失(うせ)させ給(たまひ)候(さうらひ)ぬ。北方(きたのかた)は
其(その)御歎(おんなげき)と申(まうし)、是(これ)の御事(おんこと)と申(まうし)、一(ひと)かたならぬ御
思(おんおもひ)にしづませ給(たま)ひ、日(ひ)にそへてよはら(よわら)【弱ら】せ給(たまひ)候(さうらひ)しが、
同(おなじき)三月(さんぐわつ)二日(ふつかのひ)、つゐに(つひに)【遂に】はかなくならせ給(たまひ)ぬ。いま姫御
P03453
前(ひめごぜん)ばかり、奈良(なら)の姑御前(をばごぜん)(をばご(ン)ぜん)の御(おん)もとに御(おん)わたり候(さうらふ)。
是(これ)に御(おん)ふみ【文】給(たまはり)てまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)」とて、取(とり)いだいて奉(たてまつ)る。
あけて見(み)給(たま)へば、有王(ありわう)が申(まうす)にたがは【違は】ず書(かか)れたり。
奥(おく)には、「などや、三人(さんにん)ながされたる人(ひと)の、二人(ににん)はめし
かへさ【返さ】れてさぶらふ【候ふ】に、いままで御(おん)のぼりさぶらはぬ
ぞ。あはれ、高(たかき)もいやしきも、女(をんな)の身(み)ばかり心(こころ)う
かりける物(もの)はなし。おのこご(をのこご)【男子】の身(み)にてさぶらはば、わたらせ
給(たま)ふ島(しま)へも、などかまいら(まゐら)【参ら】でさぶらふべき。このあり【有】
P03454
王(わう)御供(おとも)にて、いそぎのぼらせ給(たま)へ」とぞ書(かか)れたる。
「是(これ)みよ【見よ】有王(ありわう)、この子(こ)が文(ふみ)の書(かき)やうのはかなさよ。
をのれ(おのれ)【己】を供(とも)にて、いそぎのぼれと書(かき)たる事(こと)こそ
うらめしけれ【恨めしけれ】。心(こころ)にまかせたる俊寛(しゆんくわん)(しゆんくはん)が身(み)ならば、
何(なに)とてか三(み)とせ【年】の春秋(はるあき)をば送(おく)(をく)るべき。今年(ことし)は
十二(じふに)になるとこそ思(おも)ふに、是P238(これ)程(ほど)はかなくては、人(ひと)
にもみえ【見え】、宮仕(みやづかへ)をもして、身(み)をもたす【助】くべきか」
とて泣(なか)れけるにぞ、人(ひと)の親(おや)の心(こころ)は闇(やみ)にあらね[B 「あら程」とあり「程」に「ね」と傍書]共(ども)、
P03455
子(こ)をおもふ【思ふ】道(みち)にまよふ程(ほど)もしら【知ら】れける。「此(この)島(しま)へ
ながされて後(のち)は、暦(こよみ)もなければ、月日(つきひ)のかはり行(ゆく)
をもしらず。ただをのづから(おのづから)【自】花(はな)のちり【散り】葉(は)の落(おつ)
るを見(み)て春秋(はるあき)をわきまへ、蝉(せみ)の馨(こゑ)麦秋(ばくしう)
を送(おく)(をく)れば夏(なつ)とおもひ、雪(ゆき)のつもるを冬(ふゆ)としる。
白月(びやくげつ)黒月(こくげつ)のかはり行(ゆく)をみて、卅日(さんじふにち)をわきまへ、
指(ゆび)をお(ッ)(をつ)【折つ】てかぞふれば、今年(ことし)は六(むつ)になるとおもひ【思ひ】
つるおさなき(をさなき)【幼き】者(もの)も、はや先立(さきだち)けるごさんなれは[*この一字不要]。
P03456
西八条(にしはつでう)へ出(いで)し時(とき)、この子(こ)が、「我(われ)もゆかう」どしたひ【慕ひ】
しを、やがて帰(かへ)らふずる(うずる)ぞとこしらへをき(おき)【置き】しが、
いまの様(やう)におぼゆるぞや。其(それ)を限(かぎ)りと思(おも)は
ましかば、いましばしもなどか見(み)ざらん。親(おや)となり、
子(こ)となり、夫婦(ふうふ)の縁(えん)をむすぶも、みな此(この)世(よ)ひと
つにかぎらぬ契(ちぎり)ぞかし。などさらば、それらがさ様(やう)に
先立(さきだち)けるを、いままで夢(ゆめ)まぼろしにもしら【知ら】ざり
けるぞ。人目(ひとめ)も恥(はぢ)ず、いかにもして命(いのち)いか【生か】うど思(おも)(ッ)
P03457
しも、これらをいま一度(いちど)見(み)ばやと思(おも)ふためなり。
姫(ひめ)が事(こと)こそ心苦(こころぐる)しけれ共(ども)、それもいき【生き】身(み)なれば、
歎(なげ)きながらもすごさ【過さ】むずらん。さのみながらへて、
をのれ(おのれ)【己】にうきめを見(み)せんも、我(わが)身(み)ながらつれな
かるべし」とて、をのづから(おのづから)の食事(しよくじ)をもとどめ、偏(ひとへ)に
弥陀(みだ)の名号(みやうがう)をとなへて、臨終(りんじゆう)(りんじう)正念(しやうねん)をぞ[B 「をも」とあり「も」に「そ」と傍書]祈(いの)られ
ける。有王(ありわう)わた(ッ)て廿三日(にじふさんにち)と云(いふ)に、其(その)庵(いほ)りのうち
にて遂(つひ)(つゐ)にをはり給(たまひ)P239ぬ。年(とし)卅七(さんじふしち)とぞ聞(きこ)えし。有王(ありわう)
P03458
むなしき姿(すがた)に取(とり)つき、天(てん)に仰(あふぎ)地(ち)に伏(ふし)て、
泣(なき)かなしめ共(ども)かひぞなき。心(こころ)の行(ゆく)程(ほど)泣(なき)あき【飽き】て、
「やがて後世(ごせ)の御供(おんとも)仕(つかまつる)べう候(さうら)へ共(ども)、此(この)世(よ)には姫
御前(ひめごぜん)ばかりこそ御渡(おんわたり)候(さうら)へ、後世(ごせ)訪(とぶら)ひまいらす(まゐらす)【参らす】
べき人(ひと)も候(さうら)はず。しばしながらへて後世(ごせ)と
ぶらひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はん」とて、ふしどをあらため【改め】ず、
庵(いほり)をきり【切り】かけ、松(まつ)のかれ枝(えだ)、蘆(あし)のかれは【枯葉】を
取(とり)おほひ【覆ひ】、藻(も)しほのけぶりとなし奉(たてまつ)り、
P03459
荼■[田+比]事(だびごと)をへ【終へ】にければ、白骨(はくこつ)をひろひ【拾ひ】、
頸(くび)にかけ、又(また)商人船(あきんどぶね)のたよりに九国(くこく)の地(ち)へぞ
着(つき)にける。僧都(そうづ)の御(おん)むすめのおはしける所(ところ)に
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、有(あり)し様(やう)、始(はじめ)よりこまごまと申(まうす)。「中々(なかなか)
御文(おんふみ)を御覧(ごらん)じてこそ、いとど御(おん)思(おも)ひはまさら
せ給(たまひ)て候(さうらひ)しか。硯(すずり)も紙(かみ)も候(さうら)はねば、御返事(おんぺんじ)
にも及(およ)(をよ)ばず。おぼしめさ【思召さ】れ候(さうらひ)し御心(おんこころ)の内(うち)、
さながらむなしうてやみ候(さうらひ)にき。今(いま)は生々世々(しやうじやうせせ)
P03460
を送(おく)(をく)り、他生曠劫(たしやうくわうごふ)(たしやうくわうごう)をへだつ共(とも)、いかでか
御声(おんこゑ)をもきき、御姿(おんすがた)をも見(み)まいら(まゐら)【参ら】させ給(たま)
ふべき」と申(まうし)ければ、ふしまろび、こゑも惜(をしま)(おしま)ず
なか【泣か】れけり。やがて十二(じふに)の年(とし)尼(あま)になり、奈良(なら)
の法華寺(ほつけじ)に勤(つとめ)すまして、父母(ぶも)の後世(ごせ)を
訪(とぶら)ひ給(たま)ふぞ哀(あはれ)なる。有王(ありわう)は俊寛(しゆんくわん)(しゆんくはん)僧都(そうづ)の
遺骨(ゆいこつ)を頸(くび)にかけ、高野(かうや)へのぼり、奥院(おくのゐん)に
納(をさ)(おさ)めつつ、蓮花谷(れんげだに)にて法師(ほふし)(ほうし)になり、諸国(しよこく)七
P03461
道(しちだう)修行(しゆぎやう)して、しう(しゆう)【主】の後世(ごせ)をぞとぶらひける。か様(やう)【斯様】に
人(ひと)の思歎(おもひなげ)きのつもりぬる平家(へいけ)の末(すゑ)こそ
おそろしけP240れ【恐ろしけれ】。飆(つぢかぜ)S0310同(おなじき)五月(ごぐわつ)十二日(じふににち)午剋(むまのこく)ばかり、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)
には辻風(つぢかぜ)おびたたしう吹(ふい)て、人屋(じんをく)(じんおく)おほく
顛到(てんだう)す。風(かぜ)は中御門(なかのみかど)京極(きやうごく)よりをこ(ッ)(おこつ)て、末
申(ひつじさる)の方(かた)へ吹(ふい)て行(ゆく)に、棟門(むねかど)平門(ひらかど)を吹(ふき)ぬきて、
四五町(しごちやう)十町(じつちやう)吹(ふき)もてゆき、けた【桁】・なげし【長押】・柱(はしら)な(ン)ど(など)は
虚空(こくう)に散在(さんざい)す。桧皮(ひはだ)(ひわだ)ふき板(いた)【葺板】の〔た〕ぐひ、冬(ふゆ)の
P03462
木葉(このは)の風(かぜ)にみだるるが如(ごと)し。おびたた
しうなり【鳴り】どよむ事(こと)、彼(かの)地獄(ぢごく)〔の〕業風(ごふふう)(ごうふう)なり共(とも)、
これには過(すぎ)じとぞみえ【見え】し。ただ舎屋(しやをく)の破損(はそん)ずる
のみならず、命(いのち)を失(うし)なふ人(ひと)も多(おほ)し。牛(うし)馬(むま)の
たぐひ数(かず)を尽(つく)して打(うち)ころさる。是(これ)ただ事(こと)に
あらず、御占(みうら)(ミうら)あるべしとて、神祇官(じんぎくわん)にして御占(みうら)あり【有り】。
「いま百日(ひやくにち)のうちに、禄(ろく)ををもんずる(おもんずる)【重んずる】大臣(おとど)の慎(つつし)み[* 「み」は右寄りに「ミ」 ]、
別(べつ)しては天下(てんが)の大事(だいじ)、並(ならび)に仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)王法(わうぼふ)(わうばう)共(とも)に
P03463
傾(かたぶき)て、兵革(へいがく)相続(さうぞく)すべし」とぞ、神祇官(じんぎくわん)(じんぎくはん)陰陽
寮(おんやうれう)(をんやうりやう)共(とも)にうらなひ申(まうし)ける。P241医師問答(いしもんだふ)(いしもんだう)S0311小松(こまつ)のおとど、か様(やう)【斯様】の
事共(ことども)を聞(きき)給(たまひ)て、よろづ御心(おんこころ)ぼそうやおもは【思は】
れけむ、其(その)比(ころ)熊野参詣(くまのさんけい)の事(こと)有(あり)けり。本
官【*本宮(ほんぐう)】証誠殿(しようじやうでん)(しやうじやうでん)の御(おん)まへにて、夜(よ)もすがら敬白(けいひやく)せら
れけるは、「親父(しんぶ)入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の体(てい)をみる【見る】に、悪逆
無道(あくぎやくぶたう)にして、ややもすれば君(きみ)をなやまし奉(たてまつ)る。
重盛(しげもり)長子(ちやうし)として、頻(しきり)に諫(いさめ)をいたすといへども、
P03464
身(み)不肖(ふせう)の間(あひだ)(あいだ)、かれも(ッ)て服膺(ふくよう)せず。そのふるま
ひ【振舞】をみる【見る】に、一期(いちご)の栄花(えいぐわ)(ゑいぐわ)猶(なほ)(なを)あやうし(あやふし)。枝葉(しえふ)(しよう)
連続(れんぞく)して、親(しん)を顕(あらは)し名(な)を揚(あ)げむ事(こと)かたし。
此(この)時(とき)に当(あたつ)て、重盛(しげもり)いやしうも思(おも)へり。なまじい(なまじひ)に
列(れつ)して世(よ)に浮沈(ふちん)せむ事(こと)、敢(あへ)て良臣(りやうしん)孝子(かうし)の
法(ほふ)(ほう)にあらず。しかじ、名(な)を逃(のが)れ身(み)を退(しりぞき)て、今生(こんじやう)の
名望(めいまう)を抛(なげうつ)て、来世(らいせ)の菩提(ぼだい)を求(もと)めむには。但(ただし)凡
夫(ぼんぶ)薄地(はくぢ)、是非(ぜひ)にまどへるが故(ゆゑ)(ゆへ)に、猶(なほ)(なを)心(こころ)ざしを
P03465
恣(ほしいまま)(ほしゐまま)にせず。南無権現(なむごんげん)金剛童子(こんがうどうじ)、願(ねがは)くは子孫(しそん)繁
栄(はんえい)(はんゑい)たえ【絶え】ずして、仕(つかへ)て朝廷(てうてい)にまじはるべくは、入道(にふだう)(にうだう)
の悪心(あくしん)を和(やはら)げて、天下(てんが)の安全(あんせん)を得(え)しめ給(たま)へ。栄
耀(えいえう)(ゑいよう)又(また)一期(いちご)を限(かぎ)(ッ)て、後混(こうこん)の恥(はぢ)におよぶべく(ン)ば、重盛(しげもり)が
運命(うんめい)をつづめて、来世(らいせ)の苦輪(くりん)を助(たす)け給(たま)へ。両
ケ(りやうか)の求願(ぐぐわん)(ぐぐはん)、ひとへに冥助(みやうじよ)を仰(あふ)ぐ」と肝胆(かんたん)を
摧(くだい)(くだひ)て祈念(きねん)せられけるに、燈籠(とうろう)の火(ひ)のやうなる
物(もの)の、おとどの御身(おんみ)より出(いで)て、ば(ッ)と消(きゆ)るが如(ごと)くして失(うせ)に
P03466
けり。人(ひと)あまたみ奉(たてまつ)りけれ共(ども)、恐(おそ)(をそ)れて是(これ)を申(まう)さず。P242又(また)
下向(げかう)の時(とき)、岩田川(いはだがは)を渡(わた)られけるに、嫡子(ちやくし)権亮少将(ごんのすけぜうしやう)
維盛(これもり)以下(いげ)の公達(きんだち)、浄衣(じやうえ)(じやうゑ)のした【下】に薄色(うすいろ)のきぬを着(き)
て、夏(なつ)の事(こと)なれば、なにとなう河(かは)の水(みづ)に戯(たはぶれ)給(たま)ふ
程(ほど)に、浄衣(じやうえ)(じやうゑ)のぬれ、きぬ【衣】にうつ(ッ)【移つ】たるが、偏(ひとへ)に色(いろ)の
ごとくにみえ【見え】ければ、筑後守(ちくごのかみ)貞能(さだよし)これを見(み)とがめて、
「何(なに)と候(さうらふ)やらむ、あの御浄衣(おんじやうえ)(おんじやうゑ)のよにいまはしき【忌はしき】やうに
見(み)えさせおはしまし候(さうらふ)。めしかへらるべうや候(さうらふ)らん」と
P03467
申(まうし)ければ、おとど、「わが所願(しよぐわん)既(すで)に成就(じやうじゆ)しにけり。
其(その)浄衣(じやうえ)(じやうゑ)敢(あへ)てあらたむべからず」とて、別(べつ)して
岩田川(いはだがは)より、熊野(くまの)へ悦(よろこび)の奉幣(ほうへい)をぞ立(たて)
られける。人(ひと)あやしと思(おも)ひけれ共(ども)、其(その)心(こころ)をえず。
しかるに此(この)公達(きんだち)、程(ほど)なくまことの色(いろ)をき【着】給(たまひ)ける
こそふしぎ【不思議】なれ。下向(げかう)の[B 後(のち)]、いくばくの日数(ひかず)を
経(へ)ずして、病付(やまひつき)給(たま)ふ。権現(ごんげん)すでに御納受(ごなふじゆ)(ごなうじゆ)
あるにこそとて、療治(れうぢ)(りやうぢ)もし給(たま)はず、祈祷(きたう)をも
P03468
いたされず。其(その)比(ころ)宋朝(そうてう)よりすぐれたる名
医(めいい)わた(ッ)て、本朝(ほんてう)にやすらふことあり【有り】。境節(をりふし)(おりふし)入
道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、福原(ふくはら)の別業(べつげふ)(べつげう)におはしけるが、越中守(ゑつちゆうのかみ)(ゑつちうのかみ)盛
俊(もりとし)を使者(ししや)で、小松殿(こまつどの)へ仰(おほせ)られけるは、「所労(しよらう)弥(いよいよ)
大事(だいじ)なる由(よし)其(その)聞(きこ)えあり【有り】。兼(かねては)又(また)宋朝(そうてう)より勝(すぐれ)たる
名医(めいい)わたれり。折節(をりふし)(おりふし)悦(よろこび)とす。是(これ)をめし【召し】請(しやう)
じて医療(いれう)(いりやう)をくわへ(くはへ)【加へ】しめ給(たま)へ[B 「給ふ」とあり「ふ」に「へ」と傍書]」と、の給(たま)ひつかは
されたりければ、小松殿(こまつどの)たすけおこされ、盛俊(もりとし)を
P03469
御前(おんまへ)へめして、「まづ「医療(いれう)(いりやう)の事(こと)、畏(かしこまつ)て承(うけたまはり)候(さうらひ)ぬ」
と申(まうす)べし。但(ただし)汝(なんぢ)も承(うけたまは)れ。延喜御門(えんぎのみかど)はさばか(ン)
の賢王(けんわう)にてましましけれ共(ども)、異国(いこく)の相人(さうにん)P243を
都(みやこ)のうちへ入(いれ)させ給(たまひ)たりけるをば、末代(まつだい)ま
でも賢王(けんわう)の御誤(おんあやまり)、本朝(ほんてう)の恥(はぢ)とこそみえ【見え】けれ。
况(いはん)や重盛(しげもり)ほどの凡人(ぼんにん)が、異国(いこく)の医師(いし)を
王城(わうじやう)へいれ【入れ】む事(こと)、国(くに)の辱(はぢ)にあらずや。漢高
祖(かんのかうそ)は三尺(さんじやく)の剣(けん)を提(ひつさげ)て天下(てんが)を治(をさめ)(おさめ)しかども、
P03470
淮南(わいなん)の黥布(げいふ)を討(うち)し時(とき)、流矢(ながれや)にあた(ッ)て疵(きず)
を蒙(かうぶ)る。后(きさき)呂太后(りよたいこう)、良医(りやうい)をむかへて見(み)せし
むるに、医(くすし)のいはく、「此(この)疵(きず)治(ぢ)しつべし。但(ただし)五
十(ごじつ)斤(こん)の金(こがね)をあたへば治(ぢ)せん」といふ。高祖(かうそ)の
給(たま)はく、「われまもり【守り】のつよ【強】か(ッ)し程(ほど)は、多(おほ)くの
たたかひにあひて疵(きず)を蒙(かうぶ)りしか共(ども)、そのいた
みなし。運(うん)すでに尽(つき)ぬ。命(めい)はすなはち天(てん)に
あり【有り】。縦(たとひ)偏鵲(へんじやく)といふ共(とも)、なんのゑき(えき)【益】かあらむ。しからば
P03471
又(また)かねを惜(をし)(おし)むににたり」とて、五十(ごじつ)こむ(こん)【斤】の金(こがね)
を医師(いし)にあたへながら、つゐに(つひに)【遂に】治(ぢ)せざりき。
先言(せんげん)耳(みみ)にあり【有り】、いまも(ッ)て甘心(かんじん)す。重盛(しげもり)い
やしくも九卿(きうけい)に列(れつ)して三台(さんたい)にのぼる。其(その)運命(うんめい)
をはかるに、も(ッ)て天心(てんしん)にあり【有り】。なんぞ天心(てんしん)を察(さつせ)
ずして、をろか(おろか)【愚】に医療(いれう)(いりやう)をいたはしうせむや。
所労(しよらう)もし定業(ぢやうごふ)(ぢやうごう)たらば、れう【療】治(ぢ)をくわう(くはふ)【加ふ】もゑき(えき)【益】
なからむか。又(また)非業(ひごふ)(ひごう)たらば、療治(れうぢ)(りやうぢ)をくわへ(くはへ)【加へ】ずとも
P03472
たすかる事(こと)をうべし。彼(かの)耆婆(ぎば)が医術(いじゆつ)及(およ)(をよ)
ばずして、大覚世尊(だいかくせそん)、滅度(めつど)を抜提河(ばつだいが)の
辺(ほとり)に唱(とな)ふ。是(これ)則(すなはち)、定業(ぢやうごふ)(ぢやうごう)の病(やまひ)いやさ【癒さ】ざる事(こと)を
しめさ【示さ】むが為(ため)也(なり)。定業(ぢやうごふ)(ぢやうごう)猶(なほ)(なを)医療(いれう)(いりやう)にかかはる【拘はる】べう
候(さうらは)ば、豈(あに)尺尊【*釈尊】(しやくそん)入滅(にふめつ)(にうめつ)あらむや。定業(ぢやうごふ)(ぢやうごう)又(また)治(ぢ)するに
堪(たへ)ざる旨(むね)あきらけし。治(ぢ)するは仏体(ぶつたい)也(なり)、療(れう)(りやう)ずるは
耆婆(ぎば)也(なり)。しかれば重盛(しげもり)が身(み)仏体(ぶつたい)にあらず、名P244医(めいい)
又(また)耆婆(ぎば)に及(およぶ)(をよぶ)べからず。たとひ四部(しぶ)の書(しよ)をかが
P03473
みて、百療(はくれう)(はくりやう)に長(ちやう)ずといふ共(とも)、いかでか有待(うだい)
の穢身(えしん)を救療(くれう)(くりやう)せん。たとひ五経(ごきやう)の説(せつ)
を詳(つまびらか)にして、衆病(しゆびやう)[B 「衆療」とあり「療」に「病」と傍書]をいやすと云(いふ)共(とも)、豈(あに)先
世(ぜんぜ)の業病(ごふびやう)(ごうびやう)を治(ぢ)せむや。もしかの医術(いじゆつ)に
よ(ッ)て存命(ぞんめい)せば、本朝(ほんてう)の医道(いだう)なきに似(に)たり。
医術(いじゆつ)効験(かうげん)なくむ(なくん)ば、面謁(めんゑつ)所詮(しよせん)なし。就中(なかんづく)
本朝(ほんてう)鼎臣(ていしん)の外相(げさう)をも(ッ)て、異朝(いてう)富有(ふゆう)の来
客(らいかく)にまみえ【見え】む事(こと)、且(かつ)(かつ(ウ))は国(くに)の恥(はぢ)、且(かつ)(かつ(ウ))は道(みち)の陵遅(れうち)
P03474
なり。たとひ重盛(しげもり)命(いのち)は亡(ばう)ずといふ共(とも)、いかでか
国(くに)の恥(はぢ)をおもふ【思ふ】心(こころ)の存(ぞん)ぜざらむ。此(この)由(よし)を申(まう)
せ」とこその給(たま)ひけれ。盛俊(もりとし)福原(ふくはら)に帰(かへ)りま
い(ッ)(まゐつ)【参つ】て、此(この)由(よし)を泣々(なくなく)申(まうし)ければ、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)「是(これ)程(ほど)
国(くに)の恥(はぢ)をおもふ【思ふ】大臣(だいじん)、上古(しやうこ)にもいまだきか
ず。〔ま〕して末代(まつだい)にあるべし共(とも)覚(おぼ)えず。日本(につぽん)に
相応(さうおう)せぬ大臣(だいじん)なれば、いかさまにも今度(こんど)うせ【失せ】
なんず」とて、なくなく【泣く泣く】急(いそ)ぎ都(みやこ)へ上(のぼ)られけり。
P03475
同(おなじき)七月(しちぐわつ)廿八日(にじふはちにち)、小松殿(こまつどの)出家(しゆつけ)し給(たまひ)ぬ。法名(ほふみやう)(ほうみやう)は
浄蓮(じやうれん)とこそつ【付】き給(たま)へ。やがて八月(はちぐわつ)一日(ひとひのひ)、臨終(りんじゆう)(りんじう)
正念(しやうねん)に住(ぢゆう)(ぢう)して遂(つひ)(つゐ)に失(うせ)給(たまひ)ぬ。御年(おんとし)四十
三(しじふさん)、世(よ)はさかりとみえ【見え】つるに、哀(あはれ)なりし事共(ことども)
也(なり)。「入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)のさしもよこ紙(がみ)をや【破】られつるも、
この人(ひと)のなをし(なほし)【直し】なだめられつればこそ、世(よ)も
おだ【隠】しかりつれ。此(この)後(のち)天下(てんが)にいかなる事(こと)か
出(いで)こ【来】むずらむ」とて、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)の上下(じやうげ)歎(なげ)きあへり。
P03476
前(さきの)右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)のかた様(さま)の人(ひと)P245は、「世(よ)は只今(ただいま)
大将殿(だいしやうどの)へまいり(まゐり)【参り】なんず」とぞ悦(よろこび)ける。人(ひと)の親(おや)の
子(こ)をおもふ【思ふ】ならひはをろか(おろか)【愚】なるが、先立(さきだつ)だにも
かなしきぞかし。いはむや是(これ)は当家(たうけ)の棟
梁(とうりやう)、当世(たうせい)の賢人(けんじん)にておはしければ、恩愛(おんあい)(をんあい)の別(わかれ)、
家(いへ)の衰微(すいび)、悲(かなしみ)ても猶(なほ)(なを)余(あまり)あり【有り】。されば世(よ)には
良臣(りやうしん)をうしなへ【失へ】る事(こと)を歎(なげ)き、家(いへ)には武略(ぶりやく)
のすた【廃】れぬることをかなしむ。凡(およそ)(をよそ)はこのおとど文章(ぶんしやう)
P03477
うるはしうして、心(こころ)に忠(ちゆう)(ちう)を存(ぞん)じ、才芸(さいげい)
すぐれて、詞(ことば)に徳(とく)を兼(かね)給(たま)へり。無文(むもん)S0312天性(てんぜい)この
おとどは不思議(ふしぎ)の人(ひと)にて、未来(みらい)の事(こと)をも
かね【予】てさとり給(たまひ)けるにや。去(さんぬる)四月(しぐわつ)(し(ン)ぐわつ)七日(しちにち)の[B 下に小文字で「夜」]
夢(ゆめ)に、み給(たまひ)けるこそふしぎ【不思議】なれ。たとへば、いづ
く共(とも)しらぬ浜路(はまぢ)を遥々(はるばる)とあゆみ行(ゆき)給(たま)ふ
程(ほど)に、道(みち)の傍(かたはら)に大(おほき)なる鳥居(とりゐ)のあり【有り】けるを、
「あれはいかなる鳥居(とりゐ)やらむ」と、問給(とひたま)へば、「春日
P03478
大明神(かすがだいみやうじん)の御鳥(おんとり)ゐ也(なり)」と申(まうす)。人(ひと)多(おほ)く群集(くんじゆ)
したり。其(その)中(なか)に法師(ほふし)(ほうし)の頸(くび)を一(ひとつ)さしあげ【上げ】
たり。「さてあのくびはいかに」と問給(とひたま)へば、「是(これ)は
平家(へいけ)太政入道殿(だいじやうのにふだうどの)(だいじやうのにうだうどの)の御頸(おんくび)を、悪行(あくぎやう)超過(てうくわ)
し給(たま)へるによ(ッ)て、当社(たうしや)大明神(だいみやうじん)のめし【召し】
とらせ給(たまひ)て候(さうらふ)」と申(まうす)と覚(おぼ)えて、夢(ゆめ)うちさめ、
当家(たうけ)は保元(ほうげん)平治(へいぢ)よP246りこのかた、度々(どど)の朝敵(てうてき)
をたひらげて、勧賞(けんじやう)身(み)にあまり、かたじけ
P03479
なく一天(いつてん)の君(きみ)の御外戚(ごぐわいせき)として、一族(いちぞく)の昇
進(しようじん)(せうじん)六十(ろくじふ)余人(よにん)。廿(にじふ)余年(よねん)のこのかたは、たのしみ
さかへ(さかえ)【栄え】、申(まうす)はかりもなかりつるに、入道(にふだう)(にうだう)の悪行(あくぎやう)超
過(てうくわ)せる[M 「せさる」とあり「さ」をミセケチ]によ(ッ)て、一門(いちもん)の運命(うんめい)すでにつ【尽】きんずるに
こそと、こし方(かた)行(ゆく)すゑの事共(ことども)、おぼしめし【思召し】つづけて、
御涙(おんなみだ)にむせばせ給(たま)ふ。折節(をりふし)(おりふし)妻戸(つまど)をほとほとと
打(うち)たたく。「た【誰】そ。あれき【聞】け」との給(たま)へば、「灘尾【*瀬尾】(せのをの)(セノおの)太郎(たらう)兼
康(かねやす)がまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)」と申(まうす)。「いかに、何事(なにごと)ぞ」との給(たま)へば、「只(ただ)
P03480
いま不思議(ふしぎ)の事(こと)候(さうらひ)て、夜(よ)の明(あけ)候(さうら)はんがを
そう(おそう)【遅う】覚(おぼえ)候(さうらふ)間(あひだ)(あいだ)、申(まう)さむが為(ため)にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。御(おん)まへの
人(ひと)をの【除】けられ候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、おとど人(ひと)を遥(はるか)にのけて
御対面(ごたいめん)あり【有り】。さて兼康(かねやす)見(み)たりける夢(ゆめ)のやうを、
始(はじめ)より終(をはり)(おはり)までくはしう語(かた)り申(まうし)けるが、おとどの
御覧(ごらん)じたりける御夢(おんゆめ)にすこしもたがは【違は】ず。
さてこそ、瀬尾(せのをの)(せのおの)太郎(たらう)兼康(かねやす)をば、「神(しん)にも通(つう)じ
たる物(もの)にてあり【有り】けり」と、おとども感(かん)じ給(たま)ひけれ。
P03481
其(その)朝(あした)嫡子(ちやくし)権亮少将(ごんのすけぜうしやう)維盛(これもり)、院(ゐんの)御所(ごしよ)へまいら(まゐら)【参ら】む
とて出(いで)させ給(たまひ)たりけるを、おとど【大臣】よび奉(たてまつり)て、「人(ひと)の
親(おや)の身(み)としてか様(やう)【斯様】の事(こと)を申(まう)せば、きはめて
おこがましけれ(をこがましけれ)共(ども)、御辺(ごへん)は人(ひと)の子共(こども)の中(なか)には
勝(すぐれ)てみえ【見え】給(たま)ふ也(なり)。但(ただし)此(この)世(よ)の中(なか)の有様(ありさま)、いかがあらむ
ずらむと、心(こころ)ぼそうこそ覚(おぼゆ)れ。貞能(さだよし)はないか。少
将(せうしやう)に酒(さけ)すすめよ」とのP247給(たま)へば、貞能(さだよし)御酌(おんしやく)にまいり(まゐり)【参り】
たり。「この盃(さかづき)をば、先(まづ)少将(せうしやう)にこそとら【取ら】せたけれども、
P03482
親(おや)より先(さき)にはよもの【飲】み給(たま)はじなれば、重盛(しげもり)まづ
取(とり)あげて、少将(せうしやう)にささむ」とて、三度(さんど)う【受】けて、少
将(せうしやう)にぞさされける。少将(せうしやう)又(また)三度(さんど)うけ給(たま)ふ時(とき)、「いか
に貞能(さだよし)、引出物(ひきでもの)せよ」との給(たま)へば、畏(かしこまり)て承(うけたまは)り、錦(にしき)の
袋(ふくろ)にいれ【入れ】たる御太刀(おんたち)を取出(とりいだ)す。「あはれ、是(これ)は家(いへ)に
伝(つた)はれる小烏(こがらす)といふ太刀(たち)やらむ」な(ン)ど(など)、よにうれし
げに思(おも)ひて見(み)給(たま)ふ処(ところ)に、さはなくして、大臣
葬(だいじんさう)の時(とき)もちゐる無文(むもん)の太刀(たち)にてぞ有(あり)ける。
P03483
其(その)時(とき)少将(せうしやう)けしき【気色】は(ッ)とかは(ッ)て、よにいまはしげ【忌はし気】に
見(み)給(たまひ)ければ、おとど涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、「いかに
少将(せうしやう)、それは貞能(さだよし)がとが【咎】にもあらず。其(その)故(ゆゑ)(ゆへ)は如何(いか)にと
いふに、此(この)太刀(たち)は大臣葬(だいじんさう)のときもちゐる無文(むもん)の
太刀(たち)也(なり)。入道(にふだう)(にうだう)いかにもおはせむ時(とき)、重盛(しげもり)がは【佩】いて
供(とも)せむとて持(もち)たりつれ共(ども)、いまは重盛(しげもり)、入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)に
先立(さきだち)奉(たてまつ)らむずれば、御辺(ごへん)に奉(たてまつ)るなり」とぞの給(たま)
ひける。少将(せうしやう)是(これ)を聞(きき)給(たまひ)て、とかうの返事(へんじ)にも
P03484
及(およ)(をよ)ばず。涙(なみだ)にむせびうつぶして、其(その)日(ひ)は出仕(しゆつし)も
し給(たま)はず、引(ひき)かづきてぞふし給(たま)ふ。其(その)後(のち)おとど熊野(くまの)へ
まいり(まゐり)【参り】、下向(げかう)して病(やまひ)つき、幾程(いくほど)もなく遂(つひ)(つゐ)に失(うせ)給(たま)
ひけるにこそ、げにもと思(おも)ひしられけれ。P248燈炉(とうろう)之(の)沙汰(さた)S0313すべて
此(この)大臣(おとど)は、滅罪生善(めつざいしやうぜん)の御心(おんこころ)ざしふかう【深う】おはし
ければ、当来(たうらい)の浮沈(ふちん)をなげいて、東山(ひがしやま)(ひ(ン)がしやま)の麓(ふもと)
に、六八弘誓(ろくはつぐせい)の願(ぐわん)になぞらへて、四十八(しじふはつ)間(けん)の精舎(しやうじや)を
たて、一間(いつけん)にひとつづつ、四十八(しじふはつ)間(けん)に四十八(しじふはち)の燈籠(とうろう)を
P03485
かけ【懸け】られたりければ、九品(くほん)の台(うてな)、目(ま)の前(まへ)にかかやき、
光耀(くわうえう)鸞鏡(らんけい)をみがいて、浄土(じやうど)の砌(みぎり)にのぞめるが
ごとし。毎月(まいげつ)十四五(じふしご)を点(てん)じて、当家(たうけ)他家(たけ)の
人々(ひとびと)の御方(おんかた)より、みめ【眉目】ようわか【若】うさかむ(さかん)【壮】なる女房
達(にようばうたち)を多(おほ)く請(しやう)じ集(あつ)め、一間(いつけん)に六人(ろくにん)づつ、四十八(じふはつ)間(けん)に
二百八十八人(にひやくはちじふはちにん)、時衆(じしゆ)にさだめ、彼(かの)両日(りやうにち)が間(あひだ)(あいだ)は一心(いつしん)
称名(せうめうの)声(こゑ)絶(たえ)ず。誠(まこと)に来迎(らいかう)引摂(いんぜふ)(ゐんぜう)の願(ぐわん)もこの所(ところ)
に影向(やうがう)をたれ、摂取不捨(せつしゆふしや)の光(ひかり)も此(この)大臣(おとど)を照(てら)し
P03486
給(たま)ふらむとぞみえ【見え】し。十五日(じふごにち)の日中(につちゆう)(につちう)を結願(けちぐわん)として
大念仏(だいねんぶつ)あり【有り】しに、大臣(おとど)みづから彼(かの)行道(ぎやうだう)の中(なか)に
まじは(ッ)て、西方(さいはう)にむかひ、「南無安養教主弥陀善逝(なむあんやうけうしゆみだぜんぜい)、
三界(さんがい)六道(ろくだう)の衆生(しゆじやう)を普(あまね)く済度(さいど)し給(たま)へ」と、廻向
発願(ゑかうほつぐわん)せられければ、みる【見る】人(ひと)慈悲(じひ)をおこし、きく物(もの)
感涙(かんるい)をもよほしけり。かかりしかば、此(この)大臣(おとど)をば燈
籠大臣(とうろうのだいじん)とぞ人(ひと)申(まうし)ける。P249金渡(かねわたし)S0314又(また)おとど、「我(わが)朝(てう)にはいかなる
大善根(だいぜんごん)をしをい(おい)【置い】たり共(とも)、子孫(しそん)あひついでとぶらはう
P03487
事(こと)ありがたし。他国(たこく)にいかなる善根(ぜんごん)をもして、
後世(のちのよ)を訪(とぶら)はればや」とて、安元(あんげん)の此(ころ)ほひ、鎮西(ちんぜい)より
妙典(めうでん)といふ船頭(せんどう)をめし【召し】のぼせ、人(ひと)を遥(はるか)にの【除】けて
御対面(ごたいめん)あり【有り】。金(こがね)を三千(さんぜん)五百両(ごひやくりやう)めしよせて、「汝(なんぢ)は
大正直(だいしやうぢき)の者(もの)であんなれば、五百両(ごひやくりやう)をば汝(なんぢ)にたぶ。三千
両(さんぜんりやう)を宋朝(そうてう)へ渡(わた)し、育王山(いわうさん)へまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、千両(せんりやう)を
僧(そう)にひき、二千両(にせんりやう)をば御門(みかど)へまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、田代(たしろ)を育
王山(いわうさん)へ申(まうし)よせて、我(わが)後世(ごせ)とぶらはせよ」とぞの給(たまひ)ける。
P03488
妙典(めうでん)是(これ)を給(たま)は(ッ)て、万里(ばんり)の煙浪(えんらう)(ゑんらう)を凌(しの)ぎつつ、大
宋国(たいそうこく)へぞ渡(わた)りける。育王山(いわうさん)の方丈(はうぢやう)(はうじやう)仏照禅師(ぶつせうぜんじ)
徳光(とくくわう)にあひ奉(たてまつ)り、此(この)由(よし)申(まうし)たりければ、随喜(ずいき)感嘆(かんたん)
して、千両(せんりやう)を僧(そう)にひき、二千両(にせんりやう)をば御門(みかど)へま
いらせ(まゐらせ)【参らせ】、おとどの申(まう)されける旨(むね)を具(つぶさ)に奏聞(そうもん)せられ
たりければ、御門(みかど)大(おほき)に感(かん)じおぼしめし【思召し】て、五百町(ごひやくちやう)
の田代(たしろ)を育王山(いわうさん)へぞよ【寄】せられける。されば日本(につぽん)
の大臣(だいじん)平(たひらの)朝臣(あそん)(あ(ツ)そん)重盛公(しげもりこう)の後生善処(ごしやうぜんしよ)と祈(いの)る
P03489
事(こと)、いまに絶(たえ)ずとぞ承(うけたまは)る。P250法印問答(ほふいんもんだふ)S0315入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、小松殿(こまつどの)に
をくれ(おくれ)【遅れ】給(たまひ)て、よろづ心(こころ)ぼそうや思(おも)はれけむ、福
原(ふくはら)へ馳下(はせくだ)り、閉門(へいもん)してこそおはしけれ。同(おなじき)十一
月(じふいちぐわつ)七日(なぬか)の夜(よ)戌剋(いぬのこく)ばかり、大地(だいぢ)おびたたしう動(うごい)(うごひ)て
やや久(ひさ)し。陰陽頭(おんやうのかみ)(をんやうのかみ)安倍泰親(あべのやすちか)、いそぎ内裏(だいり)へ
馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「今度(こんど)の地震(ぢしん)、占文(せんもん)のさす所(ところ)、其(その)慎(つつし)み
かろから【軽から】ず。当道(たうだう)三経(さんきやう)の中(なか)に、根器経(こんききやう)の説(せつ)を
見(み)候(さうらふ)に、「年(とし)をえ【得】ては年(とし)を出(いで)ず、月(つき)をえては月(つき)を
P03490
出(いで)ず、日(ひ)をえては日(ひ)を出(いで)ず」とみえ【見え】て候(さうらふ)。以外(もつてのほか)(も(ツ)てのほか)に火
急(くわきふ)(くわきう)候(ざうらふ)」とて、はらはらとぞ泣(なき)ける。伝奏(てんそう)の人(ひと)も色(いろ)
をうしなひ【失ひ】、君(きみ)も叡慮(えいりよ)(ゑいりよ)をおどろかさせおはします。
わかき公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)は、「けしからぬ泰親(やすちか)が今(いま)の
泣(なき)やうや。何事(なにごと)のある【有る】べき」とて、わらひ【笑ひ】あはれけり。
され共(ども)、此(この)泰親(やすちか)は晴明(せいめい)五代(ごだい)の苗裔(べうえい)をうけて、
天文(てんもん)は淵源(ゑんげん)をきはめ、推条(すいでう)掌(たなごころ)をさすが如(ごと)し。
一事(いちじ)もたがは【違は】ざりければ、さ【指】すの神子(みこ)とぞ申(まうし)ける。
P03491
いかづち【雷】の落(おち)かかりたりしか共(ども)、雷火(らいくわ)の為(ため)に
狩衣(かりぎぬ)の袖(そで)は焼(やけ)ながら、其(その)身(み)はつつがもなかりけり。
上代(じやうだい)にも末代(まつだい)にも、有(あり)がたかりし泰親(やすちか)也(なり)。
同(おなじき)十四日(じふしにち)、相国禅門(しやうこくぜんもん)、此(この)日(ひ)ごろ福原(ふくはら)におはしける
が、何(なに)とかおもひ【思ひ】なられたりけむ、数千騎(すせんぎ)の軍兵(ぐんびやう)
をたなびいて、都(みやこ)へ入(いり)給(たま)ふ由(よし)聞(きこ)えしかば、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)
何(なに)と聞(きき)P251わきたる事(こと)はなけれ共(ども)、上下(じやうげ)恐(おそ)れおのの
く(をののく)。何(なに)ものの申出(まうしいだ)したりけるやらん、「入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、
P03492
朝家(てうか)を恨(うら)み奉(たてまつ)るべし」と披露(ひろう)をなす。関白
殿(くわんばくどの)[B も]内々(ないない)きこしめさ【聞し召さ】るる旨(むね)や有(あり)けむ、急(いそ)ぎ御参
内(ごさんだい)あ(ッ)て、「今度(こんど)相国禅門(しやうこくぜんもん)入洛(じゆらく)の事(こと)は、ひとへに基
房(もとふさ)亡(ほろぼ)すべき結構(けつこう)にて候(さうらふ)也(なり)。いかなる目(め)に逢(あふ)べきにて
候(さうらふ)やらむ」と奏(そう)せさせ給(たま)へば、主上(しゆしやう)大(おほき)におどろかせ給(たまひ)て、
「そこにいかなる目(め)にもあはむは、ひとへにただわがあふ
にてこそあらむずらめ」とて、御涙(おんなみだ)をながさせ給(たま)ふぞ
忝(かたじけな)き。誠(まこと)に天下(てんが)の御政(おんまつりごと)は、主上(しゆしやう)摂録(せつろく)の御(おん)ぱからひ
P03493
にてこそあるに、こはいかにしつる事共(ことども)ぞや。天照大
神(てんせうだいじん)・春日(かすがの)大明神(だいみやうじん)の神慮(しんりよ)の程(ほど)も計(はかり)がたし。
同(おなじき)十五日(じふごにち)、入道(にふだう)相国(しやうこく)朝家(てうか)を恨(うら)み奉(たてまつ)るべき事(こと)
必定(ひつぢやう)と聞(きこ)えしかば、法皇(ほふわう)(ほうわう)大(おほき)におどろかせ給(たまひ)て、故少
納言(こせうなごん)入道(にふだう)(にうだう)信西(しんせい)の子息(しそく)、静憲法印(じやうけんほふいん)(じやうけんほうゐん)を御使(おんつかひ)にて、
入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)のもとへつかはす。「近年(きんねん)、朝廷(てうてい)しづかなら
ずして、人(ひと)の心(こころ)もとと【整】のほらず。世間(せけん)も落居(らつきよ)せぬ
さまに成行(なりゆく)事(こと)、惣別(そうべつ)につけて歎(なげ)きおぼし
P03494
めせ【思召せ】共(ども)、さてそこにあれば、万事(ばんじ)はたのみ【頼み】おぼし
めし【思召し】てこそあるに、天下(てんが)をしづむるまでこそなか
らめ、嗷々(がうがう)なる体(てい)にて、あま(ッ)さへ朝家(てうか)を恨(うら)むべし
な(ン)ど(など)きこしめす【聞し召す】は、何事(なにごと)ぞ」と仰(おほせ)つかはさる。静憲
法印(じやうけんほふいん)(じやうけんほうゐん)、御使(おんつかひ)に西八条(にしはつでう)の亭(てい)へむかふ。朝(あさ)より夕(ゆふべ)に及(およ)(をよ)ぶ
まで待(また)れけれ共(ども)、無音(ぶいん)(ぶゐん)也(なり)ければ、さればこそと無益(むやく)
に覚(おぼ)えて、源(げん)大夫判官(たいふはんぐわん)季貞(すゑさだ)をも(ッ)P252て、勅定(ちよくぢやう)の
趣(おもむ)きいひ入(いれ)させ、「いとま申(まうし)て」とて出(いで)られければ、其(その)
P03495
時(とき)入道(にふだう)(にうだう)「法印(ほふいん)(ほうゐん)よべ」とて出(いで)られたり。喚(よび)かへい【返い】て、「やや法印(ほふいん)(ほうゐん)
御房(ごばう)(ご(ン)ばう)、浄海(じやうかい)が申(まうす)処(ところ)は僻事(ひがこと)か。まづ内府(だいふ)が身(み)ま
かり候(さうらひ)ぬる事(こと)、当家(たうけ)の運命(うんめい)をはかるにも、入道(にふだう)(にうだう)
随分(ずいぶん)悲涙(ひるい)をおさへてこそ罷過(まかりすぎ)候(さうら)へ。御辺(ごへん)の心(こころ)にも
推察(すいさつ)し給(たま)へ。保元(ほうげん)以後(いご)は、乱逆(らんげき)打(うち)つづいて、君(きみ)や
すい御心(おんこころ)もわたらせ給(たま)はざりしに、入道(にふだう)(にうだう)はただ
大方(おほかた)を取(とり)をこなふ(おこなふ)ばかりでこそ候(さうら)へ、内府(だいふ)こそ
手(て)をおろし、身(み)を摧(くだい)(くだひ)て、度々(どど)の逆鱗(げきりん)をばやす【休】め
P03496
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうら)へ。其(その)外(ほか)臨時(りんじ)の御大事(おんだいじ)、朝夕(あさふゆ)の政
務(せいむ)、内府(だいふ)程(ほど)の功臣(こうしん)有(あり)がたうこそ候(さうらふ)らめ。爰(ここ)をも(ッ)て
古(いにしへ)をおもふ【思ふ】に、唐(たう)の太宗(たいそう)は魏徴(ぎてう)にをくれ(おくれ)【遅れ】て、かなしみ
のあまりに、「昔(むかし)の殷宗(いんそう)(ゐんそう)は夢(ゆめ)のうちに良弼(りやうひつ)をえ、
今(いま)の朕(ちん)はさめ〔て〕の後(のち)賢臣(けんしん)を失(うしな)ふ」といふ碑(ひ)の文(もん)を
みづから書(かき)て、廟(べう)に立(たて)てだにこそかなしみ給(たま)ひ
けるなれ。我(わが)朝(てう)にも、ま近(ぢか)く見(み)候(さうらひ)し事(こと)ぞかし。
顕頼民部卿(あきよりのみんぶきやう)が逝去(せいきよ)したりしをば、故院(こゐん)殊(こと)に
P03497
御歎(おんなげき)あ(ッ)て、八幡行幸(やはたのぎやうがう)延引(えんいん)し、御遊(ぎよいう)(ぎよゆう)なかりき。
惣(すべ)て臣下(しんか)の卒(そつ)するをば、代々(だいだい)〔の〕御門(みかど)みな御歎(おんなげき)
ある事(こと)〔で〕こそ候(さうら)へ。さればこそ、親(おや)よりもなつかしう、子(こ)
よりもむつまじきは、君(きみ)と臣(しん)との中(なか)とは申(まうす)事(こと)にて
候(さうらふ)らめ。され共(ども)、内府(だいふ)が中陰(ちゆういん)(ちうゐん)に八幡(やはた)の御幸(ごかう)あ(ッ)て御
遊(ぎよいう)(ぎよゆう)あり【有り】き。御歎(おんなげき)の色(いろ)、一事(いちじ)も是(これ)をみず。たとひ
入道(にふだう)(にうだう)がかなしみを御(おん)あはれみなく共(とも)、などか内府(だいふ)が
忠(ちゆう)(ちう)をおぼしめし【思召し】忘(わす)れさせ給(たま)ふべき。P253たとひ内府(だいふ)が
P03498
忠(ちゆう)(ちう)をおぼしめし【思召し】忘(わす)れさせ給(たま)ふ共(とも)、[B 争(いかで)か]入道(にふだう)(にうだう)が歎(なげき)を御(おん)
あはれみなからむ。父子(ふし)共(とも)叡慮(えいりよ)(ゑいりよ)に背(そむき)候(さうらひ)ぬる事(こと)、
今(いま)にをいて(おいて)面目(めんぼく)を失(うしな)ふ、是(これ)一(ひとつ)。次(つぎ)に、越前国(ゑちぜんのくに)をば
子々孫々(ししそんぞん)まで御変改(ごへんがい)あるまじき由(よし)、御約束(おんやくそく)あ(ッ)て
給(たま)は(ッ)て候(さうらひ)しを、内府(だいふ)にをくれ(おくれ)【遅れ】て後(のち)、やがてめされ
候(さうらふ)事(こと)は、なむ(なん)【何】の過怠(くわたい)にて候(さうらふ)やらむ、是(これ)一(ひとつ)。次(つぎ)に、中
納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)闕(けつ)の候(さうらひ)し時(とき)、二位(にゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の所望(しよまう)候(さうらひ)しを、入
道(にふだう)(にうだう)随分(ずいぶん)執(と)り申(まうし)しか共(ども)、遂(つひ)(つゐ)に御承引(ごしよういん)(ごせうゐん)なくして、
P03499
関白(くわんばく)の息(そく)をなさるる事(こと)はいかに。たとひ入道(にふだう)(にうだう)非拠(ひきよ)
を申(まうし)をこなふ(おこなふ)共(とも)、一度(いちど)はなどかきこしめし【聞し召し】入(いれ)ざる
べき。申(まうし)候(さうら)は〔ん〕や、家嫡(けちやく)といひ、位階(ゐかい)といひ、理運(りうん)
左右(さう)に及(およ)(をよ)ばぬ事(こと)を引(ひき)ちがへさせ給(たま)ふは、ほい【本意】なき
御(おん)ぱからひとこそ存(ぞんじ)候(さうら)へ、是(これ)一(ひとつ)。次(つぎ)に、新(しん)大納言(だいなごん)成
親卿(なりちかのきやう)以下(いげ)、鹿谷(ししのたに)によりあひて、謀反(むほん)の企(くはたて)候(さうらひ)
し事(こと)、ま(ッ)たく私(わたくし)の計略(けいりやく)にあらず。併(しかしながら)君(きみ)御許
容(ごきよよう)あるによ(ッ)て也(なり)。いまめかしき申事(まうしごと)にて候(さうら)へ共(ども)、
P03500
七代(しちだい)までは此(この)一門(いちもん)をば、いかでか捨(すて)させ給(たま)ふべき。
それに入道(にふだう)(にうだう)七旬(しつしゆん)に及(および)(をよび)て、余命(よめい)いくばくならぬ一
期(いちご)の内(うち)にだにも、ややもすれば、亡(ほろぼ)すべき由(よし)御(おん)ぱからひ
あり【有り】。申(まうし)候(さうら)はんや、子孫(しそん)あひついで朝家(てうか)にめし
つかはれん事(こと)有(あり)がたし。凡(およそ)(をよそ)老(おい)て子(こ)を失(うしなふ)は、枯
木(こぼく)の枝(えだ)なきにことならず。今(いま)は程(ほど)なき浮世(うきよ)に、心(こころ)を
費(つひや)(つゐや)しても何(なに)かはせんなれば、いかでも有(あり)なんとこそ
思(おも)ひな(ッ)て候(さうら)へ」とて、且(かつ)(かつ(ウ))は腹立(ふくりふ)(ふくりう)し、且(かつ)(かつ(ウ))は落涙(らくるい)し給(たま)へば、
P03501
法印(ほふいん)(ほうゐん)おそろしう【恐ろしう】も又(また)哀(あはれ)にもP254覚(おぼ)えて、汗水(あせみづ)に
なり給(たまひ)ぬ。此(この)時(とき)はいかなる人(ひと)も、一言(いちげん)(いちゲン)の返事(へんじ)に
及(および)(をよび)がたき事(こと)ぞかし。其上(そのうへ)我(わが)身(み)も近習(きんじゆ)の仁(じん)
也(なり)、鹿谷(ししのたに)によ【寄】りあひたりし事(こと)は、まさしう見(み)き
か【聞か】れしかば、其(その)人数(にんじゆ)とて、只今(ただいま)もめし【召し】や籠(こめ)られん
ずらんと思(おも)ふに、竜(りよう)(れう)の鬚(ひげ)をなで、虎(とら)の尾(を)(お)を
ふむ心地(ここち)はせられけれ共(ども)、法印(ほふいん)(ほうゐん)もさるおそろしい【恐ろしい】
人(ひと)で、ち(ッ)ともさはが(さわが)【騒が】ず。申(まう)されけるは、「誠(まこと)に度々(どど)の御
P03502
奉公(ごほうこう)浅(あさ)からず。一旦(いつたん)恨(うら)み申(まう)させまします旨(むね)、其(その)謂(いはれ)
候(さうらふ)。但(ただし)、官位(くわんゐ)といひ俸禄(ほうろく)といひ、御身(おんみ)にと(ッ)ては悉(ことごと)く
満足(まんぞく)す。しかれば功(こう)の莫大(ばくだい)なるを、君(きみ)御感(ぎよかん)あるでこそ
候(さうら)へ。しかるを近臣(きんしん)事(こと)をみだり、君(きみ)御許容(ごきよよう)あ
り【有り】といふ事(こと)は、謀臣(ぼうしん)の凶害(けうがい)にてぞ候(さうらふ)らん。耳(みみ)を
信(しん)じて目(め)を疑(うたが)ふは、俗(しよく)の常(つね)のへい【弊】也(なり)。少人(せうじん)の
浮言(ふげん)を重(おも)うして、朝恩(てうおん)(てうをん)の他(た)にことなるに、君(きみ)を
背(そむ)きまいら(まゐら)【参ら】させ給(たま)はん事(こと)、冥顕(みやうけん)につけて其(その)恐(おそれ)
P03503
すくなからず候(さうらふ)。凡(およそ)(をよそ)は[*この一字不要]天心(てんしん)は蒼々(さうさう)としてはかりがたし。
叡慮(えいりよ)(ゑいりよ)さだめて其(その)儀(ぎ)でぞ候(さうらふ)らん。下(しも)として上(かみ)にさかふる【逆】
事(こと)、豈(あに)人臣(じんしん)の礼(れい)たらんや。能々(よくよく)御思惟(ごしゆい)候(さうらふ)べし。
詮(せん)ずるところ【所】、此(この)趣(おもむき)をこそ披露(ひろう)仕(つかまつり)候(さうら)はめ」とて出(いで)
られければ、いくらもなみ居(ゐ)たる人々(ひとびと)、「あなおそろし【恐ろし】。入
道(にふだう)(にうだう)のあれ程(ほど)いかり給(たま)へるに、ち(ッ)とも恐(おそ)れず、返
事(へんじ)うちしてたた【立た】るる事(こと)よ」とて、法印(ほふいん)(ほうゐん)をほ
めぬ人(ひと)こそなかりけれ。P255大臣(だいじん)流罪(るざい)S0316法印(ほふいん)(ほうゐん)御所(ごしよ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、此(この)由(よし)奏
P03504
聞(そうもん)しければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)も道理至極(だうりしごく)して、仰下(おほせくだ)
さるる方(かた)もなし。同(おなじき)十六日(じふろくにち)、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)此(この)日比(ひごろ)
思立(おもひたち)給(たま)へる事(こと)なれば、関白殿(くわんばくどの)を始(はじ)め奉(たてまつり)て、
太政大臣(だいじやうだいじん)已下(いげ)の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、四十三人(しじふさんにん)が官職(くわんしよく)
をとどめて、追籠(おつこめ)(をつこめ)らる。関白殿(くわんばくどの)をば大宰帥(ださいのそつ)にうつして、
鎮西(ちんぜい)へながし奉(たてまつ)る。「かからむ世(よ)には、とてもかくても
あり【有り】なん」とて、鳥羽(とば)の辺(へん)ふる【古】川(かは)といふ所(ところ)にて御出家(ごしゆつけ)
あり【有り】。御年(おんとし)卅五(さんじふご)。「礼儀(れいぎ)よくしろしめし【知ろし召し】、くもり
P03505
なき鏡(かがみ)にてわたらせ給(たまひ)つる物(もの)を」とて、世(よ)の惜(をし)(おし)み
奉(たてまつ)る事(こと)なのめならず。遠流(をんる)の人(ひと)の道(みち)にて出家(しゆつけ)し
つるをば、約束(やくそく)の国(くに)へはつかはさぬ事(こと)である間(あひだ)(あいだ)、始(はじめ)は
日向国(ひうがのくに)へと定(さだめ)られたりしか共(ども)、御出家(ごしゆつけ)の間(あひだ)(あいだ)、備前(びぜんの)
国府(こふ)の辺(へん)、井(ゐ)ばさまといふ所(ところ)に留(とど)め奉(たてまつ)る。大臣(だいじん)流
罪(るざい)の例(れい)は、左大臣(さだいじん)曾我(そが)のあかえ【赤兄】、右大臣(うだいじん)豊成(とよなり)、左〔大〕臣(さだいじん)
魚名(うをな)(うほな)、右大臣(うだいじん)菅原(すがはら)、左大臣(さだいじん)高明公(かうめいこう)、内大臣(ないだいじん)藤原伊
周公(ふぢはらのいしうこう)に至(いた)るまで、既(すで)に六人(ろくにん)。され共(ども)摂政(せつしやう)関白(くわんばく)流罪(るざい)の
P03506
例(れい)は是(これ)始(はじ)めとぞ承(うけたまは)る。故中殿御子(こなかどののおんこ)二位(にゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)基
通(もとみち)は、入道(にふだう)(にうだう)の聟(むこ)にておはしければ、大臣(だいじん)関白(くわんばく)になし
奉(たてまつ)る。去(さんぬる)円融院(ゑんゆうのゐん)の御宇(ぎよう)、天禄(てんろく)三年(さんねん)十一月(じふいちぐわつ)P256一日(ひとひのひ)、一条
摂政(いちでうのせつしやう)謙徳公(けんとくこう)うせ【失せ】給(たまひ)しかば、御弟(おんおとと)堀川【*堀河】(ほりかはの)関白(くわんばく)仲義【*忠義】公(ちゆうぎこう)(ちうぎこう)、
其(その)時(とき)は未(いまだ)従(じゆ)二位(にゐ)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)にてましましけり。其(その)御弟(おんおとと)
ほご【法興】院(ゐん)[M 「ほご」を線で消し「法興」と傍書]の大入道殿(おほにふだうどの)(おほにうだうどの)、其(その)比(ころ)は大納言(だいなごん)の右大将(うだいしやう)にてお
はしける間(あひだ)(あいだ)、仲義【*忠義】公(ちゆうぎこう)(ちうぎこう)は御弟(おんおとと)に越(こえ)られ給(たま)ひしか共(ども)、今(いま)又(また)
越(こへ)かへし奉(たてまつ)り、内大臣(ないだいじん)正〔二〕位(じやうにゐ)にあが(ッ)て、内覧(らん)〔の〕宣旨(せんじ)蒙(かうぶら)せ
P03507
給(たま)ひたりしをこそ、人(ひと)耳目(じぼく)をおどろかしたる
御昇進(ごしようじん)(ごせうじん)とは申(まうし)しに、是(これ)はそれには猶(なほ)(なを)超過(てうくわ)せり。非
参儀(ひさんぎ)二位(にゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)より大中納言(だいちゆうなごん)(だいちうなごん)を経(へ)ずして、
大臣(だいじん)関白(くわんばく)になり給(たま)ふ事(こと)、いまだ承(うけたまは)り及(およ)(をよ)ばず。普
賢寺殿(ふげんじどの)の御事(おんこと)也(なり)。上卿(しやうけい)の宰相(さいしやう)・大外記(だいげき)・大夫史(だいぶのし)
にいたるまで、みなあきれたるさまにぞみえ【見え】たりける。
太政大臣(だいじやうだいじん)師長(もろなが)は、つかさをとどめて、あづまの方(かた)へなが
され給(たま)ふ。去(さんぬる)保元(ほうげん)に父(ちち)悪左(あくさの)おほい殿(どの)の縁座(えんざ)によ(ッ)て、
P03508
兄弟(けいてい)四人(しにん)流罪(るざい)せられ給(たまひ)しが、御兄(おんあに)右大将(うだいしやう)兼長(かねなが)、
御弟(おんおとと)左(さ)の中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)隆長(たかなが)、範長禅師(はんちやうぜんじ)三人(さんにん)は帰路【*帰洛】(きらく)を
待(また)ず、配所(はいしよ)にてうせ【失せ】給(たまひ)ぬ。是(これ)は土佐(とさ)の畑(はた)にて九(ここの)かへり
の春秋(はるあき)を送(おく)(をく)りむかへ、長寛(ちやうぐわん)二年(にねん)八月(はちぐわつ)にめし
かへさ【返さ】れて、本位(ほんゐ)に復(ぶく)し、次(つぎ)の年(とし)正二位(じやうにゐ)して、仁安(にんあん)
元年(ぐわんねん)十月(じふぐわつ)に前(さきの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)より権大納言(ごんだいなごん)にあがり給(たま)ふ。
折節(をりふし)(おりふし)大納言(だいなごん)あ【空】かざりければ、員(かず)の外(ほか)にて【*にぞ】くわわら(くははら)【加はら】れける。
大納言(だいなごん)六人(ろくにん)になること是(これ)始(はじめ)也(なり)。又(また)前(さきの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)より
P03509
〔権(ごん)〕大納言(だいなごん)になる事(こと)も、後山階大臣(ごやましなのだいじん)躬守【*三守】公(みもりこう)、宇治大納
言(うぢのだいなごん)隆国卿(たかくにのきよう)の外(ほか)は未(いまだ)承(うけたまは)り及(およ)(をよ)ばず。管絃(くわんげん)の道(みち)に達(たつ)し[B 「遠し」とあり「遠」に「達」と傍書]、P257
才芸(さいげい)勝(すぐ)れてましましければ、次第(しだい)の昇進(しようじん)(せうじん)とど
こほらず、太政大臣(だいじやうだいじん)まできはめさせ給(たまひ)て、又(また)いかなる罪(つみ)
の報(むくひ)にや、かさ【重】ねてながされ給(たま)ふらん。保元(ほうげん)の昔(むかし)は
南海(なんかい)土佐(とさ)へうつされ、治承(ぢしよう)(ぢせう)の今(いま)は東関(とうくわん)尾張国(をはりのくに)(おはりのくに)と
かや。もとよりつみ【罪】なくして配所(はいしよ)の月(つき)をみむと
いふ事(こと)は、心(こころ)あるきはの人(ひと)の願(ねが)ふ事(こと)なれば、おとど【大臣】
P03510
あへて事(こと)共(とも)し給(たま)はず。彼(かの)唐太子賓客(たうのたいしのひんかく)白楽
天(はくらくてん)、潯陽江(しんやうのえ)の辺(ほとり)にやすらひ給(たまひ)けむ其(その)古(いにしへ)を思遣(おもひや)り、
鳴海潟(なるみがた)、塩路(しほぢ)遥(はるか)に遠見(ゑんけん)して、常(つね)は朗月(らうげつ)を望(のぞ)
み、浦風(うらかぜ)に嘯(うそぶ)き、琵琶(びは)(びわ)を弾(だん)じ、和歌(わか)を詠(ゑい)じて、な
をさり(なほさり)【等閑】がてらに月日(つきひ)を送(おくら)(をくら)せ給(たま)ひけり。ある時(とき)、当
国(たうごく)第三(だいさん)の宮(みや)熱田明神(あつたのみやうじん)に参詣(さんけい)あり【有り】。その夜(よ)
神明(しんめい)法楽(ほふらく)(ほうらく)のために、琵琶(びわ)引(ひき)、朗詠(らうえい)(らうゑい)し給(たま)ふに、
所(ところ)もとより無智(むち)の境(さかい)なれば、情(なさけ)をしれ【知れ】るものなし。
P03511
邑老(ゆうらう)・村女(そんぢよ)・漁人(ぎよじん)・野叟(やそう)、首(かうべ)をうなだれ、耳(みみ)を峙(そばだつ)と
いへ共(ども)、更(さら)に清濁(せいだく)をわかち、呂律(りよりつ)をしる事(こと)なし。され
共(ども)、胡巴【*瓠巴】(こは)琴(きん)を弾(だん)ぜしかば、魚鱗(ぎよりん)躍(をど)りほどばしる。虞
公(ぐこう)歌(うた)を発(はつ)せしかば、梁麈(りやうちん)うごきうごく。物(もの)の
妙(めう)を究(きはむ)る時(とき)には、自然(しぜん)に感(かん)を催(もよほ)す物(もの)なれば、
諸人(しよにん)身(み)の毛(け)よだ(ッ)て、満座(まんざ)奇異(きい)の思(おもひ)をなす。やうやう
深更(しんかう)に及(およん)(をよん)で、ふがうでう【風香調】の内(うち)には、花(はな)芬馥(ふんぷく)の気(き)を
含(ふく)み、流泉(りうせん)の曲(きよく)の間(あひだ)(あいだ)には、月(つき)清明(せいめい)の光(ひかり)をあらそふ。
P03512
「願(ねがは)くは今生(こんじやう)世俗文字(せぞくもんじ)の業(ごふ)(ごう)、狂言綺語(きやうげんきぎよの)誤(あやまり)をも(ッ)て」
といふ朗詠(らうえい)(らうゑい)をして、秘曲(ひきよく)を引(ひき)給(たま)へば、神明(しんめい)感応(かんおう)に
堪(た)へずして、宝殿(ほうでん)大(おほき)に震動(しんどう)す。「平家(へいけ)の悪行(あくぎやう)
なかりせば、今(いま)此(この)瑞相(ずいさう)をいかでか拝(をが)(おが)むべき」P258とて、おとど
感涙(かんるい)をぞながされける。按察大納言(あぜちのだいなごん)資方【*資賢】卿(すけかたのきやう)、子
息(しそく)右近衛少将(うこんゑのせうしやう)兼(けん)讃岐守(さぬきのかみ)源資時(みなもとのすけとき)、両(ふた)[B つ]の官(くわん)を
留(とど)めらる。参議(さんぎ)皇太后宮(くわうだいこうくうの)(くはうだいこうくうの)大夫(だいぶ)兼(けん)右兵衛督(うひやうゑのかみ)藤
原光能(ふぢはらのみつよし)、大蔵卿(おほくらのきやう)右京大夫(うきやうのだいぶ)兼(けん)伊予守(いよのかみ)高階康経【*泰経】(たかしなのやすつね)、
P03513
蔵人左少弁(くらんどのさせうべん)兼(けん)中宮(ちゆうぐうの)(ちうぐうの)権大進(ごんのだいしん)藤原基親(ふぢはらのもとちか)、三官(さんくわん)共(とも)に〔留(とどめ)らる〕。「按
察大納言(あぜちのだいなごん)資方【*資賢】卿(すけかたのきやう)、子息(しそく)右近衛少将(うこんゑのせうしやう)、雅方【*雅賢】(まさかた)、是(これ)三人(さんにん)をば
やがて都(みやこ)の内(うち)を追出(おひいだ)(おいいだ)さるべし」とて、上卿(しやうけい)藤(とう)大納言(だいなごん)実
国(さねくに)、博士判官(はかせのはんぐわん)中原範貞(なかはらののりさだ)に仰(おほせ)て、やがて其(その)日(ひ)都(みやこ)の
うちを追出(おひいだ)さる。大納言(だいなごん)の給(たまひ)けるは、「三界(さんがい)広(ひろ)しといへ共(ども)、
五尺(ごしやく)の身(み)をき(おき)【置き】所(どころ)なし。一生(いつしやう)程(ほど)なしといへ共(ども)、一日(いちにち)暮(くら)
しがたし」とて、夜中(やちゆう)(やちう)に九重(ここのへ)(ここのえ)の内(うち)をまぎれ出(いで)て、
八重(やへ)(やえ)たつ雲(くも)の外(ほか)へぞおもむ【赴】かれける。彼(かの)大江山(おほえやま)や、
P03514
いく【生】野(の)の道(みち)にかかりつつ、丹波国(たんばのくに)村雲(むらくも)と云(いふ)所(ところ)
にぞ、しばしはやすらひ給(たまひ)ける。其(それ)より遂(つひ)(つゐ)には尋
出(たづねいだ)されて、信濃国(しなののくに)とぞ聞(きこ)えし。行隆(ゆきたか)之(の)沙汰(さた)S0317前(さきの)関白(くわんばく)松殿(まつどの)の
侍(さぶらひ)に江(がう)(ごう)大夫(たいふの)(だいふの)判官(はんぐわん)遠成(とほなり)(とをなり)といふものあり【有り】。是(これ)も平
家(へいけ)心(こころ)よからざりければ、既(すで)に六波羅(ろくはら)より押寄(おしよせ)(をしよせ)て
搦取(からめと)らるべしと聞(きこ)えし間(あひだ)(あいだ)、子息(しそく)江(がう)(ごう)左衛門尉(さゑもんのじよう)(さゑもんのぜう)家P259
成(いへなり)打具(うちぐ)して、いづち共(とも)なく落行(おちゆき)けるが、稲荷山(いなりやま)に
うちあがり、馬(むま)より下(おり)て、親子(おやこ)いひ合(あは)せけるは、「東
P03515
国(とうごく)の方(かた)へ落(おち)くだり、伊豆国(いづのくに)の流罪人(るざいにん)、前兵衛佐(さきのひやうゑのすけ)頼
朝(よりとも)をたのま【頼ま】ばやとは思(おも)へ共(ども)、それも当時(たうじ)は勅勘(ちよくかん)の人(ひと)で、
身(み)ひとつだにもかなひ【叶ひ】がたうおはす也(なり)。日本国(につぽんごく)に、平
家(へいけ)の庄園(しやうゑん)ならぬ所(ところ)やある。とてものがれざらむ物(もの)ゆへ(ゆゑ)
に、年来(ねんらい)住(すみ)なれたる所(ところ)を人(ひと)にみせ【見せ】むも恥(はぢ)がまし
かるべし。ただ是(これ)よりかへ(ッ)て、六波羅(ろくはら)よりめし【召し】使(つかひ)あらば、
腹(はら)かき切(きり)て死(し)なんにはしかじ」とて、川原坂(かはらざか)の宿所(しゆくしよ)へ
とて取(と)(ッ)て返(かへ)す。あん【案】のごとく、六波羅(ろくはら)より源(げん)大夫(だいふの)(だゆうの)判官(はんぐわん)季定【*季貞】(すゑさだ)、
P03516
摂津判官(つのはんぐわん)盛澄(もりずみ)、ひた甲(かぶと)三百余騎(さんびやくよき)、河原坂(かはらざか)の宿所(しゆくしよ)
へ押寄(おしよせ)(をしよせ)て、時(とき)をど(ッ)とぞつくりける。江(がう)(ごう)大夫(たいふの)判官(はんぐわん)えん【縁】に
立出(たちいで)て、「是(これ)御覧(ごらん)ぜよ、をのをの(おのおの)【各々】。六波羅(ろくはら)ではこの
様(やう)申(まう)させ給(たま)へ」とて、館(たち)に火(ひ)かけ、父子(ふし)共(とも)に腹(はら)かききり【切り】、
ほのほ【炎】の中(なか)にて焼死(やけしに)ぬ。抑(そもそも)か様(やう)【斯様】に上下(じやうげ)多(おほ)く
亡損(ほろびそん)ずる事(こと)をいかにといふに、当時(そのかみ)関白(くわんばく)にならせ
給(たま)へる二位(にゐの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)と、前(さき)の殿(との)の御子(おんこ)三位(さんみの)中将
殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)と、中納言(ちゆうなごん)御相論(ごさうろん)の故(ゆゑ)(ゆへ)と申(まう)す。さらば関白殿(くわんばくどの)
P03517
御一所(ごいつしよ)こそ、いかなる御目(おんめ)にもあはせ給(たま)はめ、四十(しじふ)
余人(よにん)まで、人々(ひとびと)の事(こと)にあふべしやは。去年(こぞ)讃
岐院(さぬきのゐん)の御追号(ごついがう)、宇治(うぢ)の悪左府(あくさふ)の贈官(ぞうくわん)有(あり)しか共(ども)、
世間(せけん)はなを(なほ)【猶】しづか【静か】ならず。凡(およそ)(をよそ)是(これ)にも限(かぎ)るまじかむ(ん)なり。
「入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の心(こころ)に天魔(てんま)入(いり)かは(ッ)て、腹(はら)をすへ(すゑ)【据ゑ】かね給(たま)へり」
と聞(きこ)えしかば、「又(また)天下(てんが)いかなる事(こと)か出(いで)こ【来】むずP260らむ」と
て、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)上下(じやうげ)おそれ【恐れ】おののく(をののく)。其(その)比(ころ)前左少弁(さきのさせうべん)
行高【*行隆】(ゆきたか)と聞(きこ)えしは、故中山(こなかやまの)中納言(ちゆうなごん)顕時卿(あきときのきやう)の長
P03518
男(ちやうなん)也(なり)。二条院(にでうのゐん)の御世(おんよ)には、弁官(べんくわん)にくはは(ッ)てゆゆし
かりしか共(ども)、此(この)十余年(じふよねん)は官(くわん)を留(とど)められて、夏
冬(なつふゆ)の衣(ころも)がへにも及(およ)(をよ)ばず、朝暮(てうぼ)の■(さん)も心(こころ)にま
かせず。有(ある)かなきかの体(てい)にておはしけるを、太政入
道(だいじやうにふだう)(だいじやうにうだう)「申(まうす)(もうす)べき事(こと)あり【有り】。き(ッ)と立(たち)より給(たま)へ」との給(たまひ)つかはし
たりければ、行高【*行隆】(ゆきたか)「此(この)十余年(じふよねん)は何事(なにごと)にもまじはら
ざりつる物(もの)を。人(ひと)の讒言(ざんげん)したる旨(むね)あるにこそ」とて、
大(おほき)におそれ【恐れ】さはが(さわが)【騒が】れけり。北方(きたのかた)公達(きんだち)も「いかなる目(め)にか
P03519
あはんずらむ」と泣(なき)かなしみ給(たま)ふに、西八条(にしはつでう)より
使(つかひ)しきなみに有(あり)ければ、力(ちから)及(およ)(をよ)ばで、人(ひと)に車(くるま)か【借】(ッ)て
西八条(にしはつでう)へ出(いで)られたり。思(おも)ふにはに【似】ず、入道(にふだう)(にうだう)やがて
出(いで)むかふ(むかう)て対面(たいめん)あり【有り】。「御辺(ごへん)の父(ちち)の卿(きやう)は、大小事(だいせうじ)
申(まうし)あはせし人(ひと)なれば、をろか(おろか)【愚】に思(おも)ひ奉(たてまつ)らず[B 「奉らん」とあり「ん」に「す」と傍書]。年来(としごろ)
籠居(ろうきよ)の事(こと)も、いとをしう(いとほしう)おもひ【思ひ】たてま(ッ)しか共(ども)、
法皇(ほふわう)(ほうわう)御政務(ごせいむ)のうへは力(ちから)及(およ)(をよ)ばず。今(いま)は出仕(しゆつし)し給(たま)へ。
官途(くわんど)の事(こと)も申(まうし)沙汰(さた)仕(つかまつ)るべし。さらばとう帰(かへ)られ
P03520
よ」とて、入(いり)給(たまひ)ぬ。帰(かへ)られたれば、宿所(しゆくしよ)には女房達(にようばうたち)、
しん【死ん】だる人(ひと)の生(いき)かへりたる心地(ここち)して、さしつどひ【集ひ】て
みな悦泣(よろこびなき)共(ども)せられけり。太政(だいじやう)入道(にふだう)、源(げん)大夫(だいふの)(たいふの)判官(はんぐわん)季
貞(すゑさだ)をも(ッ)て、知行(ちぎやう)し給(たまふ)べき庄園状共(しやうゑんじやうども)あまた遣(つか)はす。
まづさこそあるらめとて、百疋(ひやつぴき)(ひやつひき)百両(ひやくりやう)に米(こめ)をつむ(つん)
でぞ送(おくら)(をくら)れける。出仕(しゆつし)の料(れう)にP261とて、雑色(ざふしき)(ざうしき)・牛飼(うしかひ)・牛(うし)・車(くるま)
まで沙汰(さた)しつかはさる。行高【*行隆】(ゆきたか)手(て)の舞(まひ)足(あし)の踏(ふむ)と
ころ【所】も覚(おぼ)えず。「是(これ)はされば夢(ゆめ)かや、夢(ゆめ)か」とぞ驚(おどろ)(をどろ)かれ
P03521
ける。同(おなじき)十七日(じふしちにち)、五位(ごゐ)の侍中(じちゆう)(じちう)に補(ふ)せられて、左少弁(させうべん)
になり帰(かへ)り給(たま)ふ。今年(ことし)五十一(ごじふいち)、今更(いまさら)わかやぎ給(たま)ひ
けり。ただ片時(へんし)の栄花(えいぐわ)(ゑいぐわ)とぞみえ【見え】し。 法皇(ほふわう)被流(ながされ)S0318同(おなじき)廿日(はつかのひ)、院(ゐんの)
御所(ごしよ)法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)には、軍兵(ぐんびやう)四面(しめん)を打(うち)かこむ。「平治(へいぢ)に
信頼(のぶより)が三条殿(さんでうどの)をしたりし様(やう)に、火(ひ)をかけて人(ひと)をば
みな焼殺(やきころ)さるべし」と聞(きこ)えし間(あひだ)(あいだ)、上下(じやうげ)の女房(にようばう)
めのわらは、物(もの)をだにうちかすか(かづか)ず、あはて(あわて)【慌て】騒(さわい)(さはひ)で走(はし)り
いづ。法皇(ほふわう)(ほうわう)も大(おほき)におどろかせおはします。前(さきの)〔右〕大将(うだいしやう)
P03522
宗盛卿(むねもりのきやう)御車(おんくるま)をよせて、「とうとうめさ【召さ】るべう候(さうらふ)」と奏(そう)
せられければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)「こはされば何事(なにごと)(なにこと)ぞや。御(おん)かと【*とが】ある
べし共(とも)おぼしめさ【思召さ】ず。成親(なりちか)・俊寛(しゆんくわん)が様(やう)に、遠(とほ)(とを)き
国(くに)遥(はる)かの島(しま)へもうつ【移】しやら〔ん〕ずるにこそ。主上(しゆしやう)さて
渡(わたら)せ給(たま)へば、政務(せいむ)に口入(こうじゆ)する計(ばかり)也(なり)。それもさるべから
ずは、自今(じごん)以後(いご)さらでこそあらめ」と仰(おほせ)ければ、宗盛
卿(むねもりのきやう)「其(その)儀(ぎ)では候(さうら)はず。世(よ)をしづめん程(ほど)、鳥羽殿(とばどの)へ
御幸(ごかう)なしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】んと、父(ちち)[B 「火」とあり「父」と傍書]の入道(にふだう)(にうだう)申(まうし)候(さうらふ)」。「さらば
P03523
宗盛(むねもり)やがP262て御供(おんとも)にまいれ(まゐれ)【参れ】」と仰(おほせ)けれ共(ども)、父(ちち)[B 「火」とあり「父」と傍書]の禅
門(ぜんもん)の気色(きしよく)に恐(おそ)れをなしてまいら(まゐら)【参ら】れず。「あはれ、
是(これ)につけても兄(あに)の内府(だいふ)には事(こと)の外(ほか)におと
りたりける物(もの)哉(かな)。一年(ひととせ)もかかる御(おん)め【目】にあふべ
かりしを、内府(だいふ)が身(み)にかへて制(せい)しとどめて
こそ、今日(けふ)までも心安(こころやす)かりつれ。いさむる者(もの)もなし
とて、かやうにするにこそ。行末(ゆくすゑ)とてもたのもから【頼もしから】ず」
とて、御涙(おんなみだ)をながさせ給(たま)ふぞ忝(かたじけ)なき。さて御車(おんくるま)に
P03524
めさ【召さ】れけり。公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、一人(いちにん)も供奉(ぐぶ)せられず。
ただ北面(ほくめん)の下臈(げらう)、さては金行(こんぎやう)(コンぎやう)といふ御力者(おんりきしや)ば
かりぞまいり(まゐり)【参り】ける。御車(おんくるま)の尻(しり)には、あまぜ【尼前】一人(いちにん)ま
いら(まゐら)【参ら】れたり。この尼(あま)ぜ【尼前】と申(まう)せば【*申(まうす)は】、やがて法皇(ほふわう)(ほうわう)の御乳(おんち)
の人(ひと)、紀伊[B ノ]二位(きのにゐ)の事(こと)也(なり)。七条(しつでう)を西(にし)へ、朱雀(しゆしやく)を
南(みなみ)(み(ン)なみ)へ御幸(ごかう)なる。あやしのしづのを【賎男】賎女(しづのめ)にいたるまで、
「あはや法皇(ほふわう)(ほうわう)のながさ【流さ】れさせましますぞや」とて、
泪(なみだ)をながし、袖(そで)をしぼらぬはなかりけり。「去(さんぬる)七日(なぬか)の
P03525
夜(よ)の大地震(だいぢしん)も、かかるべかりける先表(ぜんべう)にて、十六(じふろく)
洛叉(らくしや)の底(そこ)までもこたへ、乾牢地神(けんらうぢじん)の驚(おどろ)きさは
ぎ(さわぎ)【騒ぎ】給(たま)ひけんも理(ことわり)(ことはリ)かな」とぞ、人(ひと)申(まうし)ける。さて鳥
羽殿(とばどの)へ入(いら)させ給(たまひ)たるに、大膳大夫(だいぜんのだいぶ)信成【*信業】(のぶなり)が、何(なに)として
まぎ【紛】れまいり(まゐり)【参り】たりけるやらむ、御前(ごぜん)ちかう候(さうらひ)けるを
めして、「いかさまにも今夜(こよひ)うし【失】なはれなんずとおぼし
めす【思召す】ぞ。御行水(おんぎやうずい)をめさばやとおぼしめす【思召す】はいかが
せんずる」と仰(おほせ)ければ、さらぬだに信成【*信業】(のぶなり)、けさより肝(きも)
P03526
たましい(たましひ)【魂】も身(み)にそはず、あきれたるP263さまにて
有(あり)けるが、此(この)仰(おほせ)承(うけたまは)る忝(かたじけ)なさに、狩衣(かりぎぬ)に玉(たま)だすき
あげ、小柴墻(こしばがき)壊(こぼち)(こぼチ)、大床(おほゆか)のつか柱(ばしら)わりなどして、
水(みづ)く【汲】み入(いれ)、かたのごとく御湯(おんゆ)(おゆ)しだい【出い】てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たり。
又(また)静憲法印(じやうけんほふいん)(じやうけんほうゐん)、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の西八条(にしはつでう)の亭(てい)に
ゆいて、「法皇(ほふわう)(ほうわう)の鳥羽殿(とばどの)へ御幸(ごかう)な(ッ)て候(さうらふ)なるに、御前(ごぜん)に
人(ひと)一人(いちにん)も候(さうら)はぬ由(よし)承(うけたまは)るが、余(あまり)にあさましう覚(おぼ)え
候(さうらふ)。何(なに)かは苦(くる)しう候(さうらふ)べき。静憲(じやうけん)ばかりは御(おん)ゆる
P03527
され候(さうら)へかし。まいり(まゐり)【参り】候(さうら)はん」と申(まう)されければ、「とうとう。
御房(ごばう)は事(こと)あやまつまじき人(ひと)なれば」とてゆるされ
けり。法印(ほふいん)(ほうゐん)鳥羽殿(とばどの)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、門前(もんぜん)にて車(くるま)より
おり、門(もん)の内(うち)へさし入(いり)給(たま)へば、折(をり)(おり)しも法皇(ほふわう)(ほうわう)、御
経(おんきやう)をうちあげうちあげあそ【遊】ばされける。御声(おんこゑ)もことに
すごう〔ぞ〕聞(きこ)えさせ給(たまひ)ける。法印(ほふいん)(ほうゐん)のつ(ッ)とまいら(まゐら)【参ら】れた
れば、あそばされける御経(おんきやう)に御涙(おんなみだ)のはらはらとかからせ
給(たま)ふを見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、法印(ほふいん)(ほうゐん)あまりのかなしさに、
P03528
旧苔(きうたい)の袖(そで)をかほにおしあてて、泣々(なくなく)御前(ごぜん)へ
ぞまいら(まゐら)【参ら】れける。御前(ごぜん)にはあまぜ【尼前】ばかり候(さうら)はれけり。
「いかにや法印(ほふいん)(ほうゐん)御房(ごばう)(ご(ン)ばう)、君(きみ)は昨日(きのふ)のあした【旦】、法住
寺(ほふぢゆうじ)(ほうぢうじ)にて供御(ぐご)きこしめさ【聞し召さ】れて後(のち)は、よべも今朝(けさ)も
きこしめし【聞し召し】も入(いれ)ず。長(ながき)夜(よ)すがら御寝(ぎよしん)もならず。
御命(おんいのち)も既(すで)にあやうく(あやふく)こそ見(み)えさせおはしませ」と
の給(たま)へば、法印(ほふいん)(ほうゐん)涙(なみだ)をおさへて申(まう)されけるは、「何
事(なにごと)も限(かぎ)りある事(こと)で候(さうら)へば、平家(へいけ)たのしみ
P03529
さかへ(さかえ)【栄え】て廿(にじふ)余年(よねん)、され共(ども)悪行(あくぎやう)法(ほふ)(ほう)P264に過(すぎ)て、既(すで)に
亡(ほろ)び候(さうらひ)なんず。天照大神(てんせうだいじん)・正八幡宮(しやうはちまんぐう)いかでか捨(すて)
まいら(まゐら)【参ら】させ給(たまふ)べき。中(なか)にも君(きみ)の御憑(おんたの)みある
日吉山王(ひよしさんわう)七社(しちしや)、一乗(いちじよう)(いちぜう)守護(しゆご)の御(おん)ちかひあらたま【改ま】
らずは、彼(かの)法華(ほつけ)八軸(はちぢく)に立(たち)かけてこそ、君(きみ)をばま
もり【守り】まいら(まゐら)【参ら】させ給(たま)ふらめ。しかれば政務(せいむ)は君(きみ)の御
代(おんよ)となり、凶徒(けうど)は水(みづ)の泡(あは)とき【消】えうせ候(さうらふ)べし」な(ン)ど(など)申(まう)
されければ、此(この)詞(ことば)にすこしなぐ【慰】さませおはします。
P03530
主上(しゆしやう)は関白(くわんばく)のながされ給(たま)ひ、臣下(しんか)の多(おほ)く
亡(ほろび)ぬる事(こと)をこそ御歎(おんなげき)あり【有り】けるに、剰(あまつさへ)(あま(ツ)さへ)法皇(ほふわう)(ほうわう)
鳥羽殿(とばどの)におし[M 「おつし」とあり「つ」をミセケチ]籠(こめ)られさせ給(たま)ふときこし
めさ【聞し召さ】れて後(のち)は、つやつや供御(ぐご)もきこしめさ【聞し召さ】れず。
御悩(ごなう)とて常(つね)はよるのおとどにのみぞいら【入ら】せ給(たまひ)
ける。法皇(ほふわう)(ほうわう)鳥羽殿(とばどの)に押籠(おしこめ)(をしこめ)られさせ給(たまひ)て後(のち)は、
内裏(だいり)には臨時(りんじ)の御神事(ごじんじ)とて、主上(しゆしやう)夜(よ)ごとに
清凉殿(せいりやうでん)の石灰壇(いしばいのだん)にて、伊勢大神宮(いせのだいじんぐう)をぞ
P03531
御拝(ごはい)あり【有り】ける。是(これ)はただ一向(いつかう)法皇(ほふわう)(ほうわう)の御祈(おんいのり)也(なり)。二条
院(にでうのゐん)は賢王(けんわう)にて渡(わたら)せ給(たまひ)しか共(ども)、天子(てんし)に父母(ぶも)なし
とて、常(つね)は法皇(ほふわう)(ほうわう)の仰(おほせ)をも申(まうし)かへさ【返さ】せましまし
ける故(ゆゑ)(ゆへ)にや、継体(けいてい)の君(きみ)にてもましまさず。されば
御譲(おんゆづり)をうけさせ給(たま)ひたりし六条院(ろくでうのゐん)も、安
元(あんげん)二年(にねん)七月(しちぐわつ)十四日(じふしにち)、御年(おんとし)十三(じふさん)にて崩御(ほうぎよ)なりぬ。
あさましかりし御事(おんこと)也(なり)。P265城南之離宮(せいなんのりきゆう)(せいなんのりきう)S0319「百行(はつかう)(ハクカウ)の中には孝行(かうかう)を
も(ッ)て先(さき)とす。明王(めいわう)は孝(かう)をも(ッ)て天下(てんが)を治(をさむ)(おさむ)」といへり。
P03532
されば唐堯(たうげう)は老衰(おいおとろ)へたる父(ちち)をた(ッ)とび、虞舜(ぐしゆん)
はかたくななる母(はは)をうやまふとみえたり。彼(かの)賢
王(けんわう)聖主(せいしゆ)の先規(せんぎ)を追(お)はせましましけむ叡慮(えいりよ)(ゑいりよ)
の程(ほど)こそ日出(めでた)けれ。其(その)比(ころ)、内裏(だいり)よりひそかに
鳥羽殿(とばどの)へ御書(ごしよ)あり【有り】。「かからむ世(よ)には、雲井(くもゐ)に
跡(あと)をとどめても何(なに)かはし候(さうらふ)べき。寛平(くわんぺい)の昔(むかし)をも
とぶらひ、花山(くわさん)の古(いにしへ)をも尋(たづね)て、家(いへ)を出(いで)、世(よ)をの
がれ、山林流浪(さんりんるらう)の行者(ぎやうじや)共(とも)なりぬべうこそ候(さうら)へ」と
P03533
あそばされたりければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)の御返事(おんぺんじ)には、「さな
おぼしめさ【思召さ】れ候(さうらひ)そ。さて渡(わた)らせ給(たま)ふこそ、ひとつの
たのみ【頼み】にても候(さうら)へ。跡(あと)なくおぼしめし【思召し】ならせ
給(たま)ひなん後(のち)は、なんのたのみか候(さうらふ)べき。ただ愚老(ぐらう)
が共【*とも】かうもなら【成ら】むやうをきこしめし【聞し召し】はて【果て】させ
給(たま)ふべし」とあそばされたりければ、主上(しゆしやう)此(この)御返
事(おんぺんじ)を竜顔(りようがん)(れうがん)におしあてて、いとど御涙(おんなみだ)にしづませ
給(たま)ふ。君(きみ)は舟(ふね)、臣(しん)は水(みづ)、水(みづ)よく船(ふね)をうかべ、水(みづ)又(また)
P03534
船(ふね)をくつがへす。臣(しん)よく君(きみ)をたもち、臣(しん)又(また)君(きみ)
を覆(くつがへ)す。保元(ほうげん)平治(へいぢ)の比(ころ)は、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)君(きみ)を
たもち奉(たてまつ)るといへ共(ども)、安元(あんげん)治承(ぢしよう)(ぢせう)のいまは又(また)
君(きみ)をなみしたてまつる。史書(ししよ)の文(もん)にたがは【違は】P266ず。
大宮大相国(おほみやのたいしやうこく)、三条(さんでうの)内大臣(ないだいじん)、葉室(はむろの)大納言(だいなごん)、中山(なかやまの)
中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)も失(うせ)られぬ。今(いま)はふるき人(ひと)とては成頼(なりより)・
親範(ちかのり)ばかり也(なり)。この人々(ひとびと)も、「かからむ世(よ)には、朝(てう)につ
かへ身(み)をたて、大中納言(だいちゆうなごん)(だいちうなごん)を経(へ)ても何(なに)かはせん」とて、
P03535
いまださかむ(さかん)【盛】な(ッ)し人々(ひとびと)の、家(いへ)を出(いで)、よ【世】をのがれ、
民部卿(みんぶきやう)入道(にふだう)(にうだう)親範(ちかのり)は大原(おはら)の霜(しも)にともなひ、
宰相(さいしやう)入道(にふだう)(にうだう)成頼(なりより)は高野(かうや)の霧(きり)にまじはり、一向(いつかう)
後世(ごせ)菩提(ぼだい)のいとなみの外(ほか)は他事(たじ)なしとぞ
聞(きこ)えし。昔(むかし)も商山(しやうざん)(せうざん)の雲(くも)にかくれ、潁川(えいせん)(ゑいせん)の月(つき)に
心(こころ)をすます人(ひと)もあり【有り】ければ、これ豈(あに)博覧清
潔(はくらんせいけつ)にして世(よ)を遁(のがれ)たるにあらずや。中(なか)にも
高野(かうや)におはしける宰相(さいしやう)入道(にふだう)(にうだう)成頼(なりより)、か様(やう)【斯様】の事(こと)
P03536
共(ども)を伝(つた)へきいて、「あはれ、心(こころ)ど【利】うも世(よ)をばのがれ
たる物(もの)かな。かくて聞(きく)も同(おなじ)事(こと)なれ共(ども)、まのあたり
立(たち)まじは(ッ)て見(み)ましかば、いかにも心(こころ)うからむ。保
元(ほうげん)平治(へいぢ)(へいじ)のみだれをこそ浅(あさ)ましと思(おもひ)しに、世(よ)
すゑ【末】になればかかる事(こと)もあり【有り】けり。此(この)後(のち)猶(なほ)(なを)
いか斗(ばかり)の事(こと)か出(いで)こ【来】んずらむ。雲(くも)をわけても
のぼり、山(やま)を隔(へだて)ても入(いり)なばや」とぞの給(たまひ)ける。げに
心(こころ)あらむ程(ほど)の人(ひと)の、跡(あと)をとどむべき世(よ)共(とも)みえ【見え】ず。
P03537
同(おなじき)廿三日(にじふさんにち)、天台座主(てんだいざす)覚快(かくくわい)法親王(ほふしんわう)(ほうしんわう)、頻(しきり)に御辞退(ごじたい)
あるによ(ッ)て、前座主(さきのざす)明雲(めいうん)大僧正(そうじやう)還着(くわんぢやく)(くわんちやく)せらる。
入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)はかくさむざむ(さんざん)【散々】にし散(ちら)されたれ共(ども)、
御女(おんむすめ)中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)P267にてまします、関白殿(くわんばくどの)と申(まうす)も
聟(むこ)也(なり)。よろづ心(こころ)やす【安】うや思(おも)はれけむ、「政務(せいむ)は
ただ一向(いつかう)主上(しゆしやう)の御(おん)ぱからひたるべし」とて、福
原(ふくはら)へ下(くだ)られけり。前(さきの)右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)、いそぎ参内(さんだい)
して此(この)由(よし)奏聞(そうもん)せられければ、主上(しゆしやう)は「法皇(ほふわう)(ほうわう)のゆ
P03538
づりましましたる世(よ)ならばこそ。ただとうとう執柄(しつぺい)に
いひ【言ひ】あはせて、宗盛(むねもり)ともかうもはか【計】らへ」とて、
きこしめし【聞し召し】も入(いれ)ざりけり。法皇(ほふわう)(ほうわう)は城南(せいなん)の離
宮(りきゆう)(りきう)にして、冬(ふゆ)もなかばすごさ【過さ】せ給(たま)へば、野山(やさん)の
嵐(あらし)の音(おと)(をと)のみはげしく【烈しく】て、寒庭(かんてい)の月(つき)のひかり【光り】ぞ
さやけき。庭(には)には雪(ゆき)のみ降(ふり)つもれ共(ども)、跡(あと)ふみつ
くる人(ひと)もなく、池(いけ)にはつららと【閉】ぢかさねて、む【群】れ
ゐし鳥(とり)もみえ【見え】ざりけり。おほ【大】寺(でら)のかねの声(こゑ)、遺
P03539
愛寺(いあいじ)のきき【聞き】を驚(おどろ)かし、西山(にしやま)の雪(ゆき)の色(いろ)、香
炉峯(かうろほう)の望(のぞみ)をもよをす(もよほす)。よる【夜】霜(しも)に寒(さむ)き砧(きぬた)の
ひびき、かすか【幽】に御枕(おんまくら)につたひ、暁(あかつき)氷(こほり)をきしる
車(くるま)のあと、遥(はるか)に門前(もんぜん)によこ【横】だはれり。巷(ちまた)を
過(すぐ)る行人征馬(かうじんせいば)のいそ【忙】がはしげなる気色(けしき)、浮
世(うきよ)を渡(わた)る有様(ありさま)もおぼしめし【思召し】しら【知ら】れて哀(あはれ)也(なり)。
「宮門(きゆうもん)(きうもん)をまもる【守る】蛮夷(ばんい)のよるひる警衛(けいゑい)をつと
むるも、先(さき)の世(よ)のいかなる契(ちぎり)にて今(いま)縁(えん)をむすぶ
P03540
らむ」と仰(おほせ)の有(あり)けるぞ忝(かたじけ)なき。凡(およそ)(をよそ)物(もの)にふれ事(こと)に
したが(ッ)て、御心(おんこころ)をいたましめずといふ事(こと)なし。
さるままにはかの折々(をりをり)(おりおり)の御遊覧(ごいうらん)(ごゆうらん)、ところどころ【所々】の御
参詣(ごさんけい)、御賀(おんが)のめでたかりし事共(ことども)、おぼしP268め
しつづけて、懐旧(くわいきう)の御泪(なみだ)をさへ(おさへ)【抑へ】がたし。年(とし)
さり年(とし)来(きたつ)て、治承(ぢしよう)(ぢせう)も四年(しねん)に也【*成】(なり)にけり。

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第三(だいさん)P269
P03541

平家物語(龍谷大学本)巻第四

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。

P04001
(表紙)
P04003 P269
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第四(だいし)
厳島御幸(いつくしまごかう)S0401 治承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)正月(しやうぐわつ)一日(ひとひのひ)、鳥羽殿(とばどの)には相国(しやうこく)もゆるさず、
法皇(ほふわう)(ほうわう)もおそれ【恐れ】させ在(まし)ましければ、元日(ぐわんにち)元三(ぐわんざん)の
間(あひだ)(あいだ)、参入(さんにふ)(さんにう)する人(ひと)もなし。され共(ども)故少納言(こせうなごん)入道(にふだう)(にうだう)信西(しんせい)
の子息(しそく)、桜町(さくらまち)の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)重教【*成範】卿(しげのりのきやう)、其(その)弟(おとと)左京大夫(さきやうのだいぶ)長教【*脩範】(ながのり)
ばかりぞゆるさ【許さ】れてまいら(まゐら)【参ら】れける。同(おなじき)正月(しやうぐわつ)廿日(はつかのひ)、東宮(とうぐう)
御袴着(おんはかまぎ)ならびに御(おん)まな【真魚】はじめとて、めでたき事共(ことども)
あり【有り】しかども、法皇(ほふわう)(ほうわう)は鳥羽殿(とばどの)にて御耳(おんみみ)のよそにぞ
P04004
きこしめす【聞し召す】。二月(にぐわつ)廿一日(にじふいちにち)、主上(しゆしやう)ことなる御(おん)つつがもわた
らせ給(たま)はぬを、をし(おし)【押し】おろし【下し】たてまつり【奉り】、春宮(とうぐう)践祚(せんそ)
あり【有り】。これは入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)よろづおもふ【思ふ】さまなるが致(いた)す
ところ【所】なり。時(とき)よくなりぬとてひしめきあへり。内
侍所(ないしどころ)・神璽(しんじ)・宝剣(ほうけん)わたしたてまつる【奉る】。上達部(かんだちめ)陣(ぢん)
にあつま(ッ)て、ふるき事共(ことども)先例(せんれい)にまか【任】せておこな
ひしに、弁内侍(べんのないし)御剣(ぎよけん)と(ッ)てあゆ【歩】みいづ。清凉殿(せいりやうでん)の西(にし)
おもてにて、泰道【*泰通】(やすみち)の中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)う【受】けとる。備中(びつちゆう)(びつちう)の内侍(ないし)P270しる
P04005
しの御箱(みはこ)とりいづ。隆房(たかふさ)の少将(せうしやう)うけとる。内侍所(ないしどころ)し
るしの御箱(みはこ)、こよひばかりや手(て)をもかけんとおもひ【思ひ】あ
へりけん内侍(ないし)の心(こころ)のうち共(ども)、さこそはとおぼえてあ
はれ【哀】おほ【多】かりけるなかに、しるしの御箱(みはこ)をば少納言(せうなごん)
の内侍(ないし)とりいづべかりしを、こよひこれに手(て)をも
かけては、ながくあたらしき内侍(ないし)にはなるまじきよし、
人(ひと)の申(まうし)けるをきいて、其(その)期(ご)に辞(じ)し申(まうし)てとりい【出】で
ざりけり。年(とし)すでにたけたり、二(ふた)たび【二度】さかりを期(ご)すべ
P04006
きにもあらずとて、人々(ひとびと)にく【憎】みあへりしに、備中(びつちゆう)(びつちう)の内
侍(ないし)とて生年(しやうねん)十六歳(じふろくさい)、いまだいとけなき身(み)ながら、其(その)期(ご)に
わざとのぞみ申(まうし)てとりいでける、やさしかりしためし
なり。つたはれる御物共(おんものども)、しなじなつかさづかさうけと(ッ)て、新
帝(しんてい)の皇居(くわうきよ)五条内裏(ごでうだいり)へわたしたてまつる【奉る】。閑院殿(かんゐんどの)
には、火(ひ)の影(かげ)もかすか【幽】に、鶏人(けいじん)の声(こゑ)もとどまり、滝口(たきぐち)の
文爵(もんじやく)もたえ【絶え】にければ、ふるき人々(ひとびと)心(こころ)ぼそくおぼえて、
めでたきいわい(いはひ)【祝】のなかに涙(なみだ)をながし、心(こころ)をいたましむ。
P04007
左大臣(さだいじん)陣(ぢん)にい【出】でて、御位(おんくらゐ)ゆづりの事(こと)ども仰(おほ)せしを
きいて、心(こころ)ある人々(ひとびと)は涙(なみだ)をながし袖(そで)をうるほす。われと
御位(おんくらゐ)を儲(まうけ)の君(きみ)にゆづりたてまつり【奉り】、麻姑射(はこや)の
山(やま)のうちも閑(しづか)にな(ン)ど(など)おぼしめす【思召す】さきざきだにも、
哀(あはれ)はおほき習(ならひ)ぞかし。况(いはん)やこれは、御心(おんこころ)ならず
おしをろさ(おろさ)【下さ】れさせ給(たま)ひけんあはれ【哀】さ、申(まうす)もなかなか
おろか也(なり)。P271新帝(しんてい)今年(ことし)三歳(さんざい)、あはれ、いつしかなる
譲位(じやうゐ)かなと、時(とき)の人々(ひとびと)申(まうし)あはれけり。平(へい)大納言(だいなごん)時忠
P04008
卿(ときただのきやう)は、内(うち)の御(おん)めのと【乳母】帥(そつ)のすけの夫(おつと)たるによ(ッ)て、
「今度(こんど)の譲位(じやうゐ)いつしかなりと、誰(たれ)かかたむけ申(まうす)べ
き。異国(いこく)には、周成王(しうのせいわう)三歳(さんざい)、晋穆帝(しんのぼくてい)二歳(にさい)、我(わが)朝(てう)には、
近衛院(こんゑのゐん)三歳(さんざい)、六条院(ろくでうのゐん)二歳(にさい)、これみな襁褓(きやうほう)のなかに
つつ【包】まれて、衣帯(いたい)をただ【正】しうせざ(ッ)しか共(ども)、或(あるい)(あるひ)は摂
政(せつしやう)おふ(おう)【負う】て位(くらゐ)につけ、或(あるい)(あるひ)は母后(ぼこう)いだいて朝(てう)にのぞむと
見(み)えたり。後漢(ごかん)の高上【*孝殤】皇帝(かうしやうくわうてい)は、むま【生】れて百日(ひやくにち)
といふに践祚(せんそ)あり【有り】。天子(てんし)位(くらゐ)をふむ先蹤(せんじよう)(せんぜう)、和漢(わかん)かく
P04009
のごとし」と申(まう)されければ、其(その)時(とき)の有識【*有職】(いうしよく)(ゆうしよく)の人々(ひとびと)、「あなを
そろし(おそろし)【恐ろし】、物(もの)な申(まう)されそ。さればそれはよき例(れい)どもかや」と
ぞつぶやきあはれける。春宮(とうぐう)位(くらゐ)につかせ給(たま)ひしかば、
入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)夫婦(ふうふ)ともに外祖父(ぐわいそぶ)外祖母(ぐわいそぼ)とて、准三
后(じゆんさんごう)の宣旨(せんじ)をかうぶり、年元(ねんぐわん)年爵(ねんじやく)を給(たま)は(ッ)て、上日(じやうにち)
のものをめしつかふ。絵(ゑ)かき花(はな)つけたる侍(さぶらひ)共(ども)いで
入(いり)て、ひとへに院宮(ゐんぐう)のごとくにてぞ有(あり)ける。出家入道(しゆつけにふだう)(しゆつけにうだう)
の後(のち)も栄雄(えいえう)(ゑいゆう)はつきせずとぞみえ【見え】し。出家(しゆつけ)の人(ひと)の
P04010
准三后(じゆんさんごう)の宣旨(せんじ)を蒙(かうぶ)る事(こと)は、保護院【*法興院】(ほごゐん)のおほ【大】入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)
兼家公(かねいへこう)の御例(ごれい)也(なり)。同(おなじき)三月(さんぐわつ)上旬(じやうじゆん)に、上皇(しやうくわう)安芸国(あきのくに)厳島(いつくしま)へ
御幸(ごかう)なるべしときこえけり。帝王(ていわう)位(くらゐ)をすべらせ給(たま)ひ
て、諸社(しよしや)の御幸(ごかう)のはじめには、八幡(やはた)・賀茂(かも)・春日(かすが)な(ン)ど(など)へ
こそならせ給(たま)ふに、安芸国(あきのくに)までの御幸(ごかう)はいかにと、
人(ひと)不審(ふしん)をなす。或(ある)人(ひと)の申(まうし)けるは、P272「白河院(しらかはのゐん)は熊野(くまの)へ
御幸(ごかう)、後白河(ごしらかは)は日吉社(ひよしのやしろ)へ御幸(ごかう)なる。既(すで)に知(しん)ぬ、叡慮(えいりよ)(ゑいりよ)に
あり【有り】といふ事(こと)を。御心中(ごしんぢゆう)(ごしんぢう)にふかき御立願(ごりふぐわん)(ごりうぐわん)あり【有り】。其上(そのうへ)此(この)
P04011
厳島(いつくしま)をば平家(へいけ)なのめならずあがめうやまひ給(たま)ふ
あいだ(あひだ)【間】、うへには平家(へいけ)に御同心(ごどうしん)、したには法皇(ほふわう)(ほうわう)のいつと
なう鳥羽殿(とばどの)にをし(おし)【押し】こめられてわたらせ給(たま)ふ、入道(にふだう)(にうだう)
相国(しやうこく)の謀反(むほん)の心(こころ)をもやわらげ(やはらげ)給(たま)へとの御祈念(ごきねん)の
ため」とぞきこえし。山門大衆(さんもんだいしゆ)いきどおり(いきどほり)申(まうす)。「石清
水(いはしみづ)・賀茂(かも)・春日(かすが)へならずは、我(わが)山(やま)の山王(さんわう)へこそ御幸(ごかう)は
なるべけれ。安芸国(あきのくに)への御幸(ごかう)はいつの習(ならひ)ぞや。其(その)儀(ぎ)
ならば、神輿(しんよ)をふりくだし奉(たてまつり)て、御幸(ごかう)をとどめたてまつ
P04012
れ」と僉議(せんぎ)しければ、これによ(ッ)てしばらく御延引(ごえんいん)(ごえんゐん)あり【有り】
けり。太政入道(だいじやうにふだう)(だいじやうにうだう)やうやうになだめ給(たま)へば、山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)しづ
まりぬ。同(おなじき)十八日(じふはちにち)、厳島御幸(いつくしまごかう)の御門出(おんかどいで)とて、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)
の西八条(にしはつでう)の亭(てい)へいら【入ら】せ給(たま)ふ。其(その)日(ひ)の暮方(くれがた)に、前(さきの)右大
将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)をめして、「明日(みやうにち)御幸(ごかう)の次(ついで)(つゐで)に鳥羽殿(とばどの)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、
法皇(ほふわう)(ほうわう)の見参(げんざん)に入(いら)ばやとおぼしめす【思召す】はいかに。相国禅門(しやうこくぜんもん)に
しら【知ら】せずしてはあしかりなんや」と仰(おほせ)ければ、宗盛卿(むねもりのきやう)
涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、「何条(なんでう)事(こと)か候(さうらふ)べき」と申(まう)されければ、
P04013
「さらば宗盛(むねもり)、其(その)様(やう)をやがて今夜(こよひ)鳥羽殿(とばどの)へ申(まう)せかし」
とぞ仰(おほせ)ける。前(さきの)右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)、いそぎ鳥羽殿(とばどの)へ
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、此(この)よし奏聞(そうもん)せられければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)はあまりに
おぼしめす【思召す】御事(おんこと)にて、「夢(ゆめ)やらん」とぞ仰(おほせ)ける。P273同(おなじき)十
九日(じふくにち)、大宮(おほみやの)大納言(だいなごん)高季【*隆季】卿(たかすゑのきやう)、いまだ夜(よ)ふかう【深う】まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、
御幸(ごかう)もよほされけり。此(この)日(ひ)ごろきこえさせ給(たま)ひつる
厳島(いつくしま)の御幸(ごかう)、西八条(にしはつでう)よりすでにとげさせをはします(おはします)。
やよひもなか半(ば)すぎぬれど、霞(かすみ)にくもる在明(ありあけ)の月(つき)は
P04014
猶(なほ)(なを)おぼろ也(なり)。こしぢ【越路】をさしてかへる鴈(かり)の、雲井(くもゐ)に
おとづれ行(ゆく)も、おりふし(をりふし)【折節】あはれ【哀】にきこしめす。いまだ
夜(よ)のうちに鳥羽殿(とばどの)へ御幸(ごかう)なる。門前(もんぜん)にて御車(おんくるま)
よりおりさせ給(たま)ひ、門(もん)のうちへさしいらせ給(たま)ふに、人(ひと)
まれにして木(こ)ぐらく、物(もの)さびしげなる御(おん)すまひ、
まづあはれ【哀】にぞおぼしめす【思召す】。春(はる)すでにくれなんとす、
夏木立(なつこだち)にも成(なり)にけり。梢(こずゑ)の花色(はないろ)をとろえ(おとろへ)て、宮(みや)
の鴬(うぐひす)声(こゑ)老(おい)たり。去年(こぞ)の正月(しやうぐわつ)六日(むゆかのひ)、朝覲(てうきん)のために
P04015
法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)へ行幸(ぎやうがう)あり【有り】しには、楽屋(がくや)に乱声(らんじやう)を奏(そう)し、
諸卿(しよきやう)列(れつ)に立(た)(ッ)て、諸衛(しよゑ)陣(ぢん)をひき、院司(ゐんじ)の公卿(くぎやう)まいり(まゐり)【参り】
むか(ッ)て、幔門(まんもん)をひらき、掃部寮(かもんれう)(かもんりやう)縁道(えんだう)(ゑんだう)をしき、ただ【正】し
かりし儀式(ぎしき)一事(いちじ)もなし。けふはただ夢(ゆめ)とのみぞお
ぼしめす【思召す】。重教【*成範】(しげのり)の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)、御気色(ごきしよく)申(まう)されたりければ、
法皇(ほふわう)(ほうわう)寝殿(しんでん)の橋(はし)がくしの間(ま)へ御幸(ごかう)な(ッ)て、待(まち)まいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】
させ給(たま)ひけり。上皇(しやうくわう)は今年(ことし)御年(おんとし)廿(はたち)、あけがたの月(つき)の
光(ひかり)にはへ(はえ)【映え】させ給(たま)ひて、玉体(ぎよくたい)もいとどうつくしうぞみえ【見え】させ
P04016
をはしまし(おはしまし)ける。御母儀(おぼぎ)建春門院(けんしゆんもんゐん)にいたくに【似】まいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】
させ給(たまひ)たりければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)まづ故女院(こにようゐん)の御事(おんこと)おぼし
めし【思召し】いでて、御涙(おんなみだ)せきあへさせ給(たま)はず。両院(りやうゐん)の御座(ござ)ちかく【近く】
しつらはれたP274り。御問答(ごもんだふ)(ごもんだう)は人(ひと)う【受】け給(たま)はるに及(およ)(をよ)ばず。御前(ごぜん)には
尼(あま)ぜ【尼前】ばかりぞ候(さふら)はれける。やや久(ひさ)しう御物語(おんものがたり)せさせ給(たま)ふ。
はるかに日(ひ)たけて御暇(おんいとま)申(まう)させ給(たま)ひ、鳥羽(とば)の草津(くさづ)より
御舟(おんふね)にめされけり。上皇(しやうくわう)は法皇(ほふわう)(ほうわう)の離宮(りきゆう)(りきう)、故亭(こていの)幽
閑(いうかん)(ゆうかん)寂寞(せきばく)の御(おん)すまひ、御心(おんこころ)ぐる
しく御(ご)らむ(らん)じをかせ
P04017
給(たま)へば、法皇(ほふわう)(ほうわう)は又(また)上皇(しやうくわう)の旅泊(りよはく)の行宮(かうきゆう)(かうきう)の浪(なみ)の上(うへ)、舟(ふね)の
中(うち)の御(おん)ありさま、おぼつかなくぞおぼしめす【思召す】。まこと【誠】
に宗廟(そうべう)・八(や)わた(やはた)【八幡】・賀茂(かも)な(ン)ど(など)をさしをい(おい)て、はるばると
安芸国(あきのくに)までの御幸(ごかう)をば、神明(しんめい)もなどか御納受(ごなふじゆ)(ごなうじゆ)なかる
べき。御願(ごぐわん)成就(じやうじゆ)うたがひなしとぞみえ【見え】たりける。還御(くわんぎよ)S0402同(おなじき)
廿六日(にじふろくにち)、厳島(いつくしま)へ御参着(ごさんちやく)、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の最愛(さいあい)の内侍(ないし)が
宿所(しゆくしよ)、御所(ごしよ)になる。なか二(に)にち【二日】をん(おん)【御】逗留(とうりう)あ(ッ)て、経会
舞楽(きやうゑぶがく)おこなはれけり。導師(だうし)には三井寺(みゐでら)の公兼【*公顕】僧正(こうけんそうじやう)
P04018
とぞきこえし。高座(かうざ)にのぼり、鐘(かね)うちならし、表白(へうはく)
の詞(ことば)にいはく、「九(ここの)え(ここのへ)【九重】の宮(みや)こ【都】をいでて、八(や)え(やへ)【八重】の塩路(しほぢ)を
わき【分き】も(ッ)てまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ふ御心(おんこころ)ざしのかたじけなさ」と、
たからかに申(まう)されたりければ、君(きみ)も臣(しん)も感涙(かんるい)をもよ
ほ【催】されけり。大宮(おほみや)・客人(まらうと)(まろうと)をはじめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、社々(やしろやしろ)所々(ところどころ)へ
みな御幸(ごかう)なる。大宮(おほみや)より五町(ごちやう)ばかり、P275山(やま)をまは(ッ)て、滝(たき)の宮(みや)へ
まいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ふ。公兼【*公顕】僧正(こうけんそうじやう)一首(いつしゆ)の歌(うた)よ【詠】うで、拝殿(はいでん)の
柱(はしら)に書(かき)つけられたり。
P04019
雲井(くもゐ)よりおちくる滝(たき)のしらいと【白糸】に
ちぎ【契】りをむすぶことぞうれしき W016
神主(かんぬし)佐伯(さいき)の景広【*景弘】(かげひろ)、加階(かかい)従上(じゆうじやう)(じうじやう)の五位(ごゐ)、国司(こくし)藤原(ふぢはらの)
有綱(ありつな)【*菅原(すがはらの)在経(ありつね)】、しな【品】あげられて加階(かかい)、従下(じゆうげ)(じうげ)の四品(しほん)、院[* 「流」と有るのを高野本により訂正](ゐん)の殿上(てんじやう)ゆる
さる。座主(ざす)尊永(そんゑい)、法印(ほふいん)(ほうゐん)になさる。神慮(しんりよ)もうごき、太政(だいじやう)
入道(にふだう)(にうだう)の心(こころ)もはたらきぬらんとぞみえ【見え】し。同(おなじき)廿九日(にじふくにち)、
上皇(しやうくわう)御舟(みふね)かざ(ッ)て還御(くわんぎよ)なる。風(かぜ)はげしかりければ、御
舟(みふね)こぎもどし、厳島(いつくしま)のうち、あり【蟻】の浦(うら)にとどまらせ
P04020
給(たま)ふ。上皇(しやうくわう)「大明神(だいみやうじん)の御名残(おんなごり)を【惜】しみに、歌(うた)つかまつ
れ」と仰(おほせ)ければ、隆房(たかふさ)の少将(せうしやう)
たちかへるなごりもありの浦(うら)なれば
神(かみ)もめぐみをかくるしら浪(なみ) W017
夜半(やはん)ばかりより浪(なみ)もしづかに、風(かぜ)もしづまりければ、
御舟(みふね)こぎいだし、其(その)日(ひ)は備後国(びんごのくに)しき名(な)【敷名】の泊(とまり)に
つかせ給(たま)ふ。このところ【所】はさんぬる応保(おうほう)のころおひ(ころほひ)、一
院(いちゐん)御幸(ごかう)の時(とき)、国司(こくし)藤原(ふぢはら)の為成(ためなり)がつく(ッ)たる御所(ごしよ)の
P04021
あり【有り】けるを、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、御(おん)まう【設】けにしつらはれたりしか共(ども)、
上皇(しやうくわう)それへはあがらせ給(たま)はず。「けふは卯月(うづき)一日(ひとひ)、衣(ころも)がへと
いふ事(こと)のあるぞかし」とて、おのおの宮(みや)こ【都】の方(かた)をおもひ【思ひ】
やりあそび給(たま)ふに、岸(きし)に色(いろ)ふかき藤(ふぢ)の松(まつ)にさ【咲】き
かかりけるを、上皇(しやうくわう)叡覧(えいらん)(ゑいらん)あ(ッ)て、隆季(たかすゑ)の大P276納言(だいなごん)を
めして、「あの花(はな)おり(をり)【折り】につかはせ」と仰(おほせ)ければ、左史生(さししやう)中原
康定(なかはらのやすさだ)がはし舟(ふね)にの(ッ)【乗つ】て、御前(ごぜん)をこ【漕】ぎとほりけるをめし
て、おり(をり)【折り】につかはす。藤(ふぢ)の花(はな)を[B た]おり(たをり)【手折り】、松(まつ)の枝(えだ)につけながら
P04022
も(ッ)てまいり(まゐり)【参り】たり。「心(こころ)ばせあり【有り】」な(ン)ど(など)仰(おほせ)られて、御感(ぎよかん)あり【有り】
けり。「此(この)花(はな)にて歌(うた)あるべし」と仰(おほせ)ければ、隆季(たかすゑ)[B ノ]大納言(だいなごん)
千(ち)とせへん君(きみ)がよはひに藤浪(ふじなみ)の
松(まつ)の枝(えだ)にもかかりぬるかな W018
其(その)後(のち)御前(ごぜん)に人々(ひとびと)あまた候(さうら)(さふら)はせ給(たま)ひて、御(おん)たはぶれご
とのあり【有り】しに、上皇(しやうくわう)しろき【白き】きぬ【衣】きたる内侍(ないし)が、国綱【*邦綱】卿(くにつなのきやう)
に心(こころ)をかけたるな」とて、わらは【笑は】せをはしまし(おはしまし)ければ、
大納言(だいなごん)大(おほき)にあらがい(あらがひ)申(まう)さるるところ【所】に、ふみ【文】も(ッ)【持つ】たる便
P04023
女(びんぢよ)がまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「五条(ごでうの)大納言(だいなごん)どのへ」とて、さしあげたり。
「さればこそ」とて満座(まんざ)興(きよう)(けふ)ある事(こと)に申(まうし)あはれけり。大
納言(だいなごん)これをと(ッ)てみ【見】給(たま)へば、
しらなみの衣(ころも)の袖(そで)をしぼりつつ
君(きみ)ゆへ(ゆゑ)【故】にこそ立(たち)もまはれね W019
上皇(しやうくわう)「やさしうこそおぼしめせ【思召せ】。この返事(へんじ)はあるべき
ぞ」とて、やがて御硯(おんすずり)をくださせ給(たま)ふ。大納言(だいなごん)返事(へんじ)
には、
P04024
おもひ【思ひ】やれ君(きみ)が面(おも)かげたつ浪(なみ)の
よせくるたびにぬるるたもとを W020
それより備前国(びぜんのくに)小島(こじま)の泊(とまり)につかせ給(たま)ふ。五日(いつかのひ)、天(てん)晴(はれ)
風(かぜ)しづかに、海上(かいしやう)ものどけかりければ、御所(ごしよ)の御舟(みふね)を
はじめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】P277て、人々(ひとびと)の舟(ふね)どもみないだし【出し】つつ、雲(くも)
の波(なみ)煙(けぶり)の浪(なみ)をわけ【分け】すぎさせ給(たま)ひて、其(その)日(ひ)の酉
剋(とりのこく)に、播摩国【*播磨国】(はりまのくに)やまとの浦(うら)につかせ給(たま)ふ。それより御
輿(みこし)にめして福原(ふくはら)へいら【入ら】せおはします。六日(むゆかのひ)は供奉(ぐぶ)の
P04025
人々(ひとびと)、いま一日(いちにち)も宮(みや)こ【都】へとく【疾く】といそがれけれ共(ども)、新院(しんゐん)
御逗留(おんとうりう)あ(ッ)て、福原(ふくはら)のところどころ【所々】歴覧(れきらん)あり【有り】けり。池(いけ)
の中納言(ちゆうなごん)頼盛卿(よりもりのきやう)の山庄(さんざう)、あら田(た)まで御(ご)らんぜらる。七日(しちにち)(なぬかのひ)、
福原(ふくはら)をいでさせ給(たま)ふに、隆季(たかすゑ)の大納言(だいなごん)勅定(ちよくぢやう)をうけ
給(たま)は(ッ)て、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の家(いへ)の賞(しやう)をこなは(おこなは)【行なは】る。入道(にふだう)(にうだう)の養子(やうじ)
丹波守(たんばのかみ)清門【*清邦】(きよくに)、正下(じやうげ)の五位(ごゐ)、同(おなじう)入道(にふだう)の孫(まご)越前少将(ゑちぜんのせうしやう)
資盛(すけもり)、四位(しゐ)の従上(じゆうじやう)(じうじやう)とぞきこえし。其(その)日(ひ)てら井(ゐ)【寺井】[* 「てう井」と有るのを高野本により訂正]につ
かせ給(たま)ふ。八日(やうかのひ)都(みやこ)へいらせ給(たま)ふに、御(おん)むかへの公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、
P04026
鳥羽(とば)の草津(くさづ)へぞまいら(まゐら)【参ら】れける。還御(くわんぎよ)の時(とき)は鳥羽
殿(とばどの)へは御幸(ごかう)もならず、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の西八条(にしはつでう)の亭(てい)へいらせ
給(たま)ふ。同(おなじき)四月(しぐわつ)廿二日(にじふににち)、新帝(しんてい)の御即位(ごそくゐ)あり【有り】。大極殿(だいこくでん)にて
あるべかりしか共(ども)、一(ひと)とせ炎上(えんしやう)の後(のち)は、いまだつく【造】りもいださ
れず。太政官(だいじやうぐわん)の庁(ちやう)にておこなはるべしとさだ【定】めら
れたりけるを、其(その)時(とき)の九条殿(くでうどの)申(まう)させ給(たまひ)けるは、「太
政官(だいじやうぐわん)の庁(ちやう)は凡人(ぼんにんの)家(いへ)にとらば公文所(くもんじよ)てい【体】のとこ
ろ【所】也(なり)。大極殿(だいこくでん)なからん上者(うへは)、紫震殿【*紫宸殿】(ししんでん)にてこそ御即位(ごそくゐ)は
P04027
あるべけれ」と申(まう)させ給(たま)ひければ、紫震殿【*紫宸殿】(ししんでん)にてぞ御
即位(ごそくゐ)はあり【有り】ける。「去(いん)じ康保(かうほう)四年(しねん)十一月(じふいちぐわつ)一日(ひとひのひ)、冷
泉院(れいぜいのゐん)の御即位(ごそくゐ)紫震殿【*紫宸殿】(ししんでん)にてあり【有り】しは、主上(しゆしやう)御
邪気(ごじやけ)によP278(ッ)て、大極殿(だいこくでん)へ行幸(ぎやうがう)かなは【叶は】ざりし故(ゆゑ)(ゆへ)也(なり)。其(その)例(れい)
いかがあるべからん。ただ後三条(ごさんでう)の院(ゐん)の延久(えんきうの)佳例(かれい)に
まかせ、太政官(だいじやうぐわん)の庁(ちやう)にておこなはるべき物(もの)を」と、人々(ひとびと)
申(まうし)あはれけれ共(ども)、九条殿(くでうどの)の御(おん)ぱからひのうへは、左右(さう)に
及(およ)(をよ)ばず。中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)弘徽殿(こうきでん)より仁寿殿(にんじゆでん)へうつらせ給(たま)ひ
P04028
て、たかみくら【高御座】へまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ひける御(おん)ありさまめ
でたかりけり。平家(へいけ)の人々(ひとびと)みな出仕(しゆつし)せられける
なかに、小松殿(こまつどの)の公達(きんだち)はこぞ【去年】おとど【大臣】うせ給(たま)ひし
あひだ、いろ【倚廬】にて籠居(ろうきよ)せられたり。源氏揃(げんじぞろへ)S0403蔵人衛門権佐(くらんどのゑもんのごんのすけ)
定長(さだなが)、今度(こんど)の御即位(ごそくゐ)に違乱(いらん)なくめでたき様(やう)を
厚紙(こうし)(かうし)十枚(じふまい)ばかりにこまごまとしるいて、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の
北方(きたのかた)八条(はつでう)の二位殿(にゐどの)へまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりければ、ゑみ【笑】をふ
くんでぞよろこ【喜】ばれける。かやうに花(はな)やかにめでたき
P04029
事共(ことども)あり【有り】しかども、世間(せけん)は猶(なほ)しづかならず。其(その)比(ころ)一
院(いちゐん)第二(だいに)の皇子(わうじ)茂仁【*以仁】(もちひと)の王(わう)と申(まうし)しは、御母(おんぱは)加賀(かがの)大
納言(だいなごん)季成卿(すゑなりのきやう)の御娘(おんむすめ)也(なり)。三条高倉(さんでうたかくら)にましましけ
れば、高倉(たかくら)の宮(みや)とぞ申(まうし)ける。去(いん)じ永万(えいまん)(ゑいまん)元年(ぐわんねん)
十二月(じふにぐわつ)十六日(じふろくにち)、御年(おんとし)十五(じふご)にて、忍(しのび)つつ近衛河原(このゑかはら)の大
宮(おほみや)の御所(ごしよ)にて御元服(ごげんぶく)あり【有り】けり。御手P279跡(おんしゆせき)うつくしう
あそばし、御才学(おんさいかく)すぐれて在(まし)ましければ、位(くらゐ)にもつか
せ給(たま)ふべきに、故建春門院(こけんしゆんもんゐん)の御(おん)そねみにて、おしこ【籠】め
P04030
られさせ給(たま)ひつつ、花(はな)のもとの春(はる)の遊(あそび)には、紫毫(しがう)
をふる(ッ)て手(て)づから御作(ごさく)をかき、月(つき)の前(まへ)の秋(あき)の宴(えん)
には、玉笛(ぎよくてき)をふいて身(み)づから雅音(がいん)をあやつり給(たま)ふ。
かくしてあかしくらし給(たま)ふほどに、治承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)には、御
年(おんとし)卅(さんじふ)にぞならせ在(まし)ましける。其(その)比(ころ)近衛河原(このゑかはら)に候(さうらひ)ける
源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)頼政(よりまさ)、或(ある)夜(よ)ひそかに此(この)宮(みや)の御所(ごしよ)にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、
申(まうし)ける事(こと)こそおそろしけれ【恐ろしけれ】。「君(きみ)は天照大神(てんせうだいじん)四十八(しじふはつ)世(せ)
の御末(おんすゑ)、神武天皇(じんむてんわう)より七十八(しちじふはち)代(だい)にあたらせ給(たま)ふ。
P04031
太子(たいし)にもたち、位(くらゐ)にもつ【即】かせ給(たま)ふべきに、卅(さんじふ)まで宮(みや)
にてわたらせ給(たま)ふ御事(おんこと)をば、心(こころ)うしとはおぼしめさ【思召さ】
ずや。当世(たうせい)のてい【体】を見(み)候(さうらふ)に、うへにはしたがい(したがひ)【従ひ】たるやう
なれども、内々(ないない)は平家(へいけ)をそねまぬ物(もの)や候(さうらふ)。御謀反(ごむほん)おこ
させ給(たま)ひて、平家(へいけ)をほろぼし、法皇(ほふわう)(ほうわう)のいつとなく
鳥羽殿(とばどの)におしこめられてわたらせ給(たま)ふ御心(おんこころ)をも、やす【休】
めまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、君(きみ)も位(くらゐ)につかせ給(たま)ふべし。これ御孝行(ごかうかう)
のいたりにてこそ候(さうら)はんずれ。もしおぼしめし【思召し】たたせ
P04032
給(たま)ひて、令旨(りやうじ)(れうじ)をくださせ給(たま)ふ物(もの)ならば、悦(よろこび)をなして
まいら(まゐら)【参ら】むずる源氏(げんじ)どもこそおほう候(さうら)へ」とて、申(まうし)つづ
く。「まづ京都(きやうと)には、出羽前司(ではのせんじ)光信(みつのぶ)が子共(こども)、伊賀守(いがのかみ)
光基(みつもと)、出羽判官(ではのはんぐわん)光長(みつなが)、出羽蔵人(ではのくらんど)光重(みつしげ)、出羽冠者(ではのくわんじや)
光能(みつよし)、熊野(くまの)には、故(こ)六条判官(ろくでうのはんぐわん)為義(ためよし)が末子(ばつし)十郎(じふらう)P280義盛(よしもり)
とてかくれ【隠れ】て候(さうらふ)。摂津国(つのくに)には多田蔵人(ただのくらんど)行綱(ゆきつな)こそ候(さうら)へ共(ども)、
新(しん)大納言(だいなごん)成親卿(なりちかのきやう)の謀反(むほん)の時(とき)、同心(どうしん)しながらかゑり
忠(ちう)(かへりちゆう)【返忠】したる不当人(ふたうにん)で候(さうら)へば、申(まうす)に及(およ)(をよ)ばず。さりながら、其(その)弟(おとと)
P04033
多田(ただの)二郎(じらう)朝実【*知実】(ともざね)、手島(てしま)の冠者(くわんじや)高頼(たかより)、太田太郎頼基(おほだのたらうよりもと)、
河内国(かはちのくに)には、武蔵権守(むさしのごんのかみ)入道(にふだう)(にうだう)義基(よしもと)、子息(しそく)石河(いしかはの)判官代(はんぐわんだい)
義兼(よしかね)、大和国(やまとのくに)には、宇野(うのの)七郎(しちらう)親治(ちかはる)が子共(こども)、[B 太郎(たらう)]有治(ありはる)・二郎(じらう)
清治(きよはる)、三郎(さぶらう)成治(なりはる)・四郎(しらう)義治(よしはる)・近江国(あふみのくに)には、山本(やまもと)・柏木(かしはぎ)・錦
古里(にしごり)、美乃【*美濃】(みの)尾張(をはり)(おはり)には、山田次郎重広【*重弘】(やまだのじらうしげひろ)、河辺(かはべの)太郎(たらう)重直(しげなほ)(しげなを)、
泉(いずみの)太郎(たらう)重光【*重満】(しげみつ)、浦野[B ノ](うらのの)四郎(しらう)重遠(しげとほ)(しげとを)、安食次郎重頼(あじきのじらうしげより)、其(その)子[B ノ](この)
太郎(たらう)重資(しげすけ)、木太[B ノ](きだの)三郎(さぶらう)重長(しげなが)、開田[B ノ](かいでんの)判官代(はんぐわんだい)重国(しげくに)、矢島
先生(やしまのせんじやう)重高(しげたか)、其(その)子[B ノ](この)太郎(たらう)重行(しげゆき)、甲斐国(かひのくに)(かいのくに)には、逸見冠者(へんみのくわんじや)
P04034
義清(よしきよ)、其(その)子(この)太郎(たらう)清光(きよみつ)、武田(たけたの)太郎(たらう)信義(のぶよし)、加賀見[B ノ](かがみの)二郎(じらう)
遠光(とほみつ)(とをみつ)・同(おなじく)小次郎長清(こじらうながきよ)、一条[B ノ](いちでうの)次郎(じらう)忠頼(ただより)、板垣(いたがきの)三郎(さぶらう)
兼信(かねのぶ)、逸見[B ノ]兵衛(へんみのひやうゑ)有義(ありよし)、武田(たけたの)五郎(ごらう)信光(のぶみつ)、安田(やすだの)三郎(さぶらう)
義定(よしさだ)、信乃【*信濃】(しなの)の国(くに)には、大内(おほうちの)太郎(たらう)維義【*惟義】(これよし)、岡田冠者(をかだのくわんじや)親義(ちかよし)、
平賀冠者(ひらかのくわんじや)盛義(もりよし)、其(その)子[B ノ](この)四郎(しらう)義信(よしのぶ)、帯刀[B ノ](たてはきの)(たてわきの)先生(せんじやう)義方【*義賢】(よしかた)が
次男(じなん)木曾冠者(きそのくわんじや)義仲(よしなか)、伊豆国(いづのくに)には、流人(るにん)前右兵衛佐(さきのうひやうゑのすけ)
頼朝(よりとも)、常陸国(ひたちのくに)には、信太(しだの)三郎(さぶらう)先生(せんじやう)義教【*義憲】(よしのり)、佐竹[B ノ]冠者(さたけのくわんじや)
正義【*昌義】(まさよし)、其(その)子(この)太郎(たらう)忠義(ただよし)、同(おなじく)三郎(さぶらう)義宗(よしむね)、四郎(しらう)高義(たかよし)、五郎(ごらう)
P04035
義季(よしすゑ)、陸奥国(みちのくに)には、故左馬頭(こさまのかみ)義朝(よしとも)が末子(ばつし)九郎(くらう)冠者(くわんじや)
義経(よしつね)、これみな六孫王(ろくそんわう)の苗裔(べうえい)(べうゑい)、多田(ただの)新発(しんぼち)(しんぼ(ツ)ち)満仲(まんぢゆう)(まんぢう)が
後胤(こういん)(こうゐん)なり。朝敵(てうてき)をもたいら(たひら)【平】げ、宿望(しゆくまう)をとげし事(こと)は、
源平(げんぺい)いづれ勝劣(せうれつ)なかりしか共(ども)、今(いま)は雲泥(うんでい)まじはり
をへだてて、主従(しゆうじゆう)(しうじう)の礼(れい)にも猶(なほ)(なを)おとれり。国(くに)には国司(こくし)に
しP281たがひ、庄(しやう)には領所【*預所】(あづかりどころ)につかはれ、公事(くじ)雑事(ざふじ)(ざうじ)にかりたて
られて、やすひ(やすい)【安い】おもひ【思ひ】も候(さうら)はず。いかばかりか心(こころ)うく候(さうらふ)らん。
君(きみ)もしおぼしめし【思召し】たたせ給(たまひ)て、令旨(りやうじ)(れうじ)をたう【給う】づる物(もの)ならば、
P04036
夜(よ)を日(ひ)についで馳(はせ)のぼり、平家(へいけ)をほろぼさん事(こと)、
時日(じじつ)をめぐらすべからず。入道(にふだう)(にうだう)も年(とし)こそよ(ッ)て候(さうらへ)ども、
子共(こども)ひきぐし【具し】てまいり(まゐり)【参り】候(さうらふ)べし」とぞ申(まうし)たる。宮(みや)はこ
の事(こと)いかがあるべからんとて、しばし【暫】は御承引(ごしよういん)(ごせうゐん)もなかり
けるが、阿古丸(あこまる)大納言(だいなごん)宗通卿(むねみちのきやう)の孫(まご)、備後前司(びんごのせんじ)季通(すゑみち)が
子(こ)、少納言(せうなごん)維長【*伊長】(これなが)と申(まう)し候(さうらふ)〔は〕勝(すぐれ)たる相人(さうにん)也(なり)ければ、時(とき)の
人(ひと)相少納言(さうせうなごん)とぞ申(まうし)ける。其(その)人(ひと)がこの宮(みや)をみ【見】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、
「位(くらゐ)に即(つか)せ給(たまふ)べき相(さう)在(まし)ます。天下(てんが)の事(こと)思召(おぼしめし)はな【放】たせ
P04037
給(たま)ふべからず」と申(まうし)けるうへ、源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)もか様(やう)【斯様】に申(まう)され
ければ、「[B さては]しか【然】るべき天照大神(てんせうだいじん)の御告(おんつげ)やらん」とて、ひし
ひしとおぼしめし【思召し】たた【立た】せ給(たま)ひけり。熊野(くまの)に候(さうらふ)十郎(じふらう)
義盛(よしもり)をめ【召】して、蔵人(くらんど)になさる。行家(ゆきいへ)と改名(かいみやう)して、
令旨(りやうじ)(れうじ)の御使(おんつかひ)に東国(とうごく)へぞ下(くだり)ける。同(おなじき)四月(しぐわつ)(し(ン)ぐわつ)廿八日(にじふはちにち)、宮(みや)こ【都】
をた(ッ)て、近江国(あふみのくに)よりはじめて、美乃【*美濃】(みの)尾張(をはり)(おはり)の源氏共(げんじども)に
次第(しだい)にふれてゆく程(ほど)に、五月(ごぐわつ)十日(とをかのひ)、伊豆(いづ)の北条(ほうでう)にくだり
つき、流人(るにん)前兵衛佐殿(さきのひやうゑのすけどの)に令旨(りやうじ)(れうじ)たてまつり【奉り】、信太[B ノ](しだの)三郎(さぶらう)
P04038
先生(せんじやう)義教【*義憲】(よしのり)は兄(あに)なればとら【取ら】せんとて、常陸国(ひたちのくに)信太[B ノ](しだの)浮
島(うきしま)へくだる。木曾冠者(きそのくわんじや)義仲(よしなか)は甥(をひ)(をい)なればた【賜】ばんとて、
山道(せんだう)へぞおP282もむきける。其(その)比(ころ)の熊野(くまの)の別当(べつたう)湛増(たんぞう)は、
平家(へいけ)に心(こころ)ざしふか〔か〕り【深かり】けるが、なに【何】としてかもれ【洩れ】きい【聞い】
たりけん、「新宮(しんぐうの)十郎(じふらう)義盛(よしもり)こそ高倉宮(たかくらのみや)の令旨(りやうじ)(れうじ)給(たま)
は(ッ)て、美乃【*美濃】(みの)尾張(をはり)(おはり)の源氏(げんじ)どもふれもよほし、既(すで)に謀反(むほん)を
をこす(おこす)【起こす】なれ。那智(なち)新宮(しんぐう)の物共(ものども)は、さだめて源氏(げんじ)の
方(かた)うど【方人】をぞせんずらん。湛増(たんぞう)は平家(へいけ)の御恩(ごおん)(ごをん)を雨【*天】(あめ)
P04039
やま【山】とかうむ(ッ)【蒙つ】たれば、いかでか背(そむき)たてまつる【奉る】べき。那知【*那智】(なち)
新宮(しんぐう)の物共(ものども)に矢(や)一(ひとつ)い【射】かけて、平家(へいけ)へ子細(しさい)を申(まう)さん」とて、
ひた甲(かぶと)一千(いつせん)人(にん)、新宮(しんぐう)の湊(みなと)へ発向(はつかう)す。新宮(しんぐう)には鳥井(とりゐ)
の法眼(ほふげん)(ほうげん)・高坊(たかばう)の法眼(ほふげん)(ほうげん)、侍(さぶらひ)には宇(う)ゐ【宇井】・すずき【鈴木】・水屋(みづや)・かめ
のこう(かめのかふ)【亀の甲】、那知【*那智】(なち)には執行(しゆぎやう)法眼(ほふげん)(ほうげん)以下(いげ)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)二千
余(にせんよ)人(にん)なり。時(とき)つくり、矢合(やあはせ)して、源氏(げんじ)の方(かた)にはとこそ
い【射】れ、平家(へいけ)の方(かた)にはかうこそい【射】れとて、矢(や)さけび【叫び】の
声(こゑ)の退転(たいてん)もなく、かぶら【鏑】のなり【鳴り】やむひまもなく、三日(みつか)が
P04040
ほどこそたたかふ(たたかう)【戦う】たれ。熊野別当(くまのべつたう)湛増(たんぞう)、家子(いへのこ)
郎等(らうどう)おほくうた【討た】せ、我(わが)身(み)手(て)おひ、からき命(いのち)をい
き【生き】つつ、本宮(ほんぐう)へこそにげのぼりけれ。鼬(いたち)之(の)沙汰(さた)S0404さるほどに、法
皇(ほふわう)(ほうわう)は、「とをき(とほき)【遠き】国(くに)へもながされ、はるかの島(しま)へもうつ
されんP283ずるにや」と仰(おほ)せけれども、城南(せいなん)の離宮(りきゆう)(りきう)にし
て、ことしは二年(ふたとせ)にならせ給(たま)ふ。同(おなじき)五月(ごぐわつ)十二日(じふににち)午剋(むまのこく)計(ばかり)、
御所中(ごしよぢゆう)(ごしよぢう)にはゐたち(いたち)【鼬】おびたたしうはしり【走り】さはぐ(さわぐ)【騒ぐ】。法
皇(ほふわう)(ほうわう)大(おほき)に驚(おどろ)(をどろ)きおぼしめし【思召し】、御占形(おんうらかた)をあそばいて、近江
P04041
守(あふみのかみ)仲兼(なかかぬ)、其(その)比(ころ)はいまだ鶴蔵人(つるくらんど)とめされけるをめし
て、「この占形(うらかた)も(ッ)【持つ】て、泰親(やすちか)がもとへゆけ。き(ッ)と勘(かん)がへさせて、
勘状(かんじやう)をと(ッ)てまいれ(まゐれ)【参れ】」とぞ仰(おほせ)ける。仲兼(なかかぬ)これを給(たま)は(ッ)て、陰
陽頭(おんやうのかみ)(をんやうのかみ)安陪【*安倍】泰親(あべのやすちか)がもとへ行(ゆく)。おりふし(をりふし)【折節】宿所(しゆくしよ)にはなかり
けり。「白河(しらかは)なるところ【所】へ」といひければ、それへたづねゆき、
泰親(やすちか)にあふ(あう)て勅定(ちよくぢやう)のおもむき仰(おほ)すれば、やがて勘状(かんじやう)
をまいらせ(まゐらせ)【参らせ】けり。仲兼(なかかぬ)鳥羽殿(とばどの)にかへりまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、門(もん)より
まいら(まゐら)【参ら】うどすれば、守護(しゆご)の武士共(ぶしども)ゆるさず。案内(あんない)はし(ッ)【知つ】た
P04042
り、築地(ついぢ)(つゐぢ)をこへ(こえ)、大床(おほゆか)のしたをはう【這う】て、きり【切】板(いた)より
泰親(やすちか)が勘状(かんじやう)をこそまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たれ。法皇(ほふわう)(ほうわう)これをあけて
御(ご)らんずれば、「いま三日(みつか)がうち御悦(おんよろこび)、ならびに御(おん)なげき」
とぞ申(まうし)たる。法皇(ほふわう)(ほうわう)「御(おん)よろこびはしかるべし。これほど
の御身(おんみ)にな(ッ)て、又(また)いかなる御難(なげき)のあらんずるやらん」
とぞ仰(おほせ)ける。さるほどに、前(さきの)右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)、法皇(ほふわう)(ほうわう)の
御事(おんこと)をたりふし申(まう)されければ、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)[Bやうやう]おもひ【思ひ】な
お(ッ)(なほつ)【直つ】て、同(おなじき)十三日(じふさんにち)鳥羽殿(とばどの)をいだしたてまつり【奉り】、八条
P04043
烏丸(はつでうからすまる)の美福門院(びふくもんゐんの)御所(ごしよ)へ御幸(ごかう)なしたてまつる【奉る】。
いま三日(みつか)がうちの御悦(おんよろこび)とは、泰P284親(やすちか)これをぞ申(まうし)ける。
かかりけるところ【所】に、熊野別当(くまののべつたう)湛増(たんぞう)飛脚(ひきやく)をも(ッ)て、高
倉宮(たかくらのみや)の御謀反(ごむほん)のよし宮(みや)こ【都】へ申(まうし)たりければ、前(さきの)右大
将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)大(おほき)にさはい(さわい)【騒い】で、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)おりふし(をりふし)【折節】福原(ふくはら)に
おはしけるに、此(この)よし申(まう)されたりければ、ききもあへず、
やがて宮(みや)こ【都】へはせ【馳せ】のぼり、「是非(ぜひ)に及(およぶ)(をよぶ)べからず。高倉
宮(たかくらのみや)からめと(ッ)て、土佐(とさ)の畑(はた)へながせ」とこその給(たま)ひけれ。
P04044
上卿(しやうけい)は三条(さんでうの)大納言(だいなごん)実房(さねふさ)、識事(しきじ)は頭弁(とうのべん)光雅(みつまさ)とぞ
きこえし。源(げん)大夫(だいふの)判官(はんぐわん)兼綱(かねつな)、出羽判官(ではのはんぐわん)光長(みつなが)うけ
給(たま)は(ッ)て、宮(みや)の御所(ごしよ)へぞむか【向】ひける。この源(げん)大夫判官(だいふはんぐわん)
と申(まうす)は、三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)の次男(じなん)也(なり)。しかるをこの人数(にんじゆ)にいれ【入れ】
られけるは、高倉(たかくら)の宮(みや)の御謀反(ごむほん)を三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)すすめ
申(まうし)たりと、平家(へいけ)いまだしら【知ら】ざりけるによ(ッ)て也(なり)。信連(のぶつら)S0405宮(みや)は
さ月(つき)十五(じふご)夜(や)の雲間(くもま)の月(つき)をながめさせ給(たま)ひ、なん
のゆくゑ(ゆくへ)【行方】もおぼしめし【思召し】よらざりけるに、源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)
P04045
の使者(ししや)とて、ふみ【文】も(ッ)【持つ】ていそがしげでいでき【出来】たり。宮(みや)の
御(おん)めのと【乳母】子(ご)、六条(ろくでう)のすけ【亮】の大夫(たいふ)宗信(むねのぶ)、これをと(ッ)て御
前(ごぜん)へまいり(まゐり)【参り】、ひら【開】いP285てみる【見る】に、「君(きみ)の御謀反(ごむほん)すでにあら
はれさせ給(たま)ひて、土左【*土佐】(とさ)の畑(はた)へな[B か]し(ながし)まいらす(まゐらす)【参らす】べしとて、
官人共(くわんにんども)御(おん)むかへにまいり(まゐり)【参り】候(さうらふ)。いそぎ御所(ごしよ)をいでさせ
給(たまひ)て、三井寺(みゐでら)へいら【入ら】せをはしませ(おはしませ)。入道(にふだう)(にうだう)もやがてまいり(まゐり)【参り】
候(さうらふ)べし」とぞかい【書い】たりける。「こはいかがせん」とて、さはが(さわが)【騒が】せおは
しますところ【所】に、宮(みや)の侍(さぶらひ)長兵衛(ちやうひやうゑの)尉(じよう)(ぜう)信連(のぶつら)といふ物(もの)
P04046
あり【有り】。「ただ別(べち)の様(やう)候(さうらふ)まじ。女房装束(にようばうしやうぞく)にてい【出】でさせ
給(たま)へ」と申(まうし)ければ、「しかるべし」とて、御(おん)ぐし【髪】をみだ【乱】し、かさね
たるぎよ【御】衣(い)に一(いち)めがさ【市女笠】をぞめさ【召さ】れける。六条(ろくでう)[B ノ]助(すけ)
の大夫(たいふ)宗信(むねのぶ)、唐笠(からかさ)も(ッ)【持つ】て御(おん)ともつかまつる。鶴丸(つるまる)と
いふ童(わらは)、袋(ふくろ)に物(もの)いれ【入れ】ていただ【戴】いたり。青侍(せいし)の女(ぢよ)(じよ)を
むかへてゆくやうにいでたた【出立た】せ給(たま)ひて、高倉(たかくら)を北(きた)
ゑ(へ)お【落】ちさせ給(たま)ふに、溝(みぞ)のあり【有り】けるを、いと物(もの)がる【軽】うこえ
させ給(たま)へば、みちゆき人(びと)がたちとどま(ッ)て、「はしたなの
P04047
女房(にようばう)の溝(みぞ)のこえ【越え】やうや」とて、あやしげにみ【見】まい
らせ(まゐらせ)【参らせ】ければ、いとどあしばや【足速】にすぎさせ給(たま)ふ。長兵衛(ちやうひやうゑの)
尉(じよう)信連(のぶつら)は、御所(ごしよ)の留守(るす)にぞおかれたる。女房達(にようばうたち)の
少々(せうせう)おはしけるを、かしこここへたちしのば【忍ば】せて、見(み)ぐる
しき物(もの)あらばとりした【取認】ためんとてみる【見る】程(ほど)に、宮(みや)のさし
も御秘蔵(ごひさう)あり【有り】ける小枝(こえだ)ときこえし御笛(おんふえ)を、只今(ただいま)
しもつねの御所(ごしよ)の御枕(おんまくら)にとりわす【忘】れさせ給(たまひ)たり
けるぞ、立(たち)かへ(ッ)(かへつ)【帰つ】てもとら【取ら】まほしうおぼしめす【思召す】、信連(のぶつら)
P04048
これをみ【見】つけて、「あなあさまし。君(きみ)のさしも御秘
蔵(ごひさう)ある御笛(おんふえ)を」と申(まうし)P286て、五町(ごちやう)がうちにお(ッ)【追つ】ついてまいらせ(まゐらせ)【参らせ】
たり。宮(みや)なのめならず御感(ぎよかん)あ(ッ)て、「われしな【死な】ば、此(この)笛(ふえ)をば
御棺(みくわん)にいれよ【入れよ】」とぞ仰(おほせ)ける。「やがて御(おん)ともに候(さうら)へ」と仰(おほせ)け
れば、信連(のぶつら)申(まうし)けるは、「只今(ただいま)御所(ごしよ)へ官人共(くわんにんども)が御(おん)むか【迎】へに
まいり(まゐり)【参り】候(さうらふ)なるに、御前(ごぜん)に人(ひと)一人(いちにん)も候(さうら)はざらんが、無下(むげ)に
うたてしう覚(おぼえ)候(さうらふ)。信連(のぶつら)が此(この)御所(ごしよ)に候(さうらふ)とは、上下(かみしも)みなし
ら【知ら】れたる事(こと)にて候(さうらふ)に、今夜(こんや)候(さうら)はざらんは、それも其(その)夜(よ)は
P04049
にげ【逃げ】たりけりな(ン)ど(など)いはれん事(こと)、弓矢(ゆみや)とる身(み)は、かり
にも名(な)こそおしう(をしう)【惜しう】候(さうら)へ。官人共(くわんにんども)しばらくあいしらい(あひしらひ)て、
打破(うちやぶり)て、やがてまいり(まゐり)【参り】候(さうら)はん」とて、はしり【走り】かへる。長兵衛(ちやうひやうゑ)が
其(その)日(ひの)装束(しやうぞく)には、うすあを【薄青】の狩衣(かりぎぬ)のしたに、萠黄
威(もえぎをどし)(もえぎおどし)の腹巻(はらまき)をきて、衛府(ゑふ)の太刀(たち)をぞはいたりける。
三条面(さんでうおもて)の惣門(そうもん)をも、高倉面(たかくらおもて)の小門(こもん)をも、ともにひ
ら【開】いて待(まち)かけたり。源(げん)大夫(だいふの)判官(はんぐわん)兼綱(かねつな)、出羽判官(ではのはんぐわん)光長(みつなが)、
都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)三百余騎(さんびやくよき)、十五日(じふごにち)の夜(よ)の子(ね)の剋(こく)に、宮(みや)
P04050
の御所(ごしよ)へぞ押寄(おしよせ)(をしよせ)たる。源(げん)大夫(だいふの)判官(はんぐわん)は、存(ぞん)ずる旨(むね)
あり【有り】とおぼえて、はるかの門前(もんぜん)にひかへたり。出羽判
官(ではのはんぐわん)光長(みつなが)は、馬(むま)に乗(のり)ながら門(もん)のうちに打入(うちい)り、庭(には)
にひかへて大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて申(まうし)けるは、「御謀反(ごむほん)のき【聞】こえ候(さうらふ)
によ(ッ)て、官人共(くわんにんども)別当宣(べつたうせん)を承[* 「年」と有るのを高野本により訂正](うけたま)はり、御(おん)むかへにまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。
いそぎ御出(おんいで)候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、長兵衛(ちやうひやうゑの)尉(じよう)(ぜう)大床(おほゆか)に立(ッ)て、
「これは当時(たうじ)は御所(ごしよ)でも候(さうら)はず。御物(おんもの)まうでで候(さうらふ)ぞ。何P287事(なにごと)
ぞ、事(こと)の子細(しさい)を申(まう)されよ」といひければ、「何条(なんでう)、此(この)御所(ごしよ)
P04051
ならではいづくへかわたらせ給(たまふ)べかんなる。さないは【言は】せそ。
下部共(しもべども)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、さが【探】したてまつれ【奉れ】」とぞ申(まうし)ける。長兵衛(ちやうひやうゑの)
尉(じよう)これをきいて、「物(もの)もおぼえぬ官人共(くわんにんども)が申(まうし)様(やう)かな。
馬(むま)に乗(のり)ながら門(もん)のうちへまいる(まゐる)【参る】だにも奇怪(きくわい)(き(ツ)くわい)なるに、
下部共(しもべども)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】てさがしまいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】とは、いかで申(まうす)ぞ。左兵
衛尉(さひやうゑのじよう)(さひやうゑのぜう)長谷部信連(はせべののぶつら)が候(さうらふ)ぞ。ちかう【近う】よ(ッ)てあやまち
すな」とぞ申(まうし)ける。庁(ちやう)の下部(しもべ)のなかに、金武(かねたけ)といふ大(だい)
ぢから【力】のかう【剛】の物(もの)、長兵衛(ちやうひやうゑ)に目(め)をかけて、大床(おほゆか)のうゑ(うへ)ゑ(へ)
P04052
と【飛】びのぼる。これをみて、どうれいども十四五人(じふしごにん)ぞ
つづ【続】いたる。長兵衛(ちやうひやうゑ)は狩衣(かりぎぬ)の帯紐(おびひも)ひ(ッ)(ひつ)【引つ】き(ッ)てす【捨】つる
ままに、衛府(ゑふ)の太刀(たち)なれ共(ども)、身(み)をば心(こころ)えてつく【造】らせ
たるをぬき【抜き】あはせて、さんざん【散々】にこそき【斬】(ッ)たりけれ。
かたきは大太刀(おほだち)・大長刀(おほなぎなた)でふるまへ共(ども)、信連(のぶつら)が衛府(ゑふ)
の太刀(たち)に切(きり)たてられて、嵐(あらし)に木(こ)の葉(は)のちるやうに、
庭(には)へさ(ッ)とぞおりたりける。さ月(つき)十五(じふご)夜(や)の雲間(くもま)の月(つき)
のあら【現】はれいでて、あかかり【明かかり】けるに、かたきは無案内(ぶあんない)なり、
P04053
信連(のぶつら)は案内者(あんないしや)也(なり)。あそこの面道(めんだう)にお(ッ)【追つ】かけては、はた
とき【斬】り。ここのつまりにお(ッ)【追つ】つめては、ちやうどきる。「いかに
宜旨(せんじ)の御使(おんつかひ)(おつかひ)をばかうはするぞ」といひければ、「宜旨(せんじ)
とはなんぞ」とて、太刀(たち)ゆがめばおどり(をどり)【躍り】のき、おしなをし(なほし)【直し】、
ふみ【踏み】なをし(なほし)【直し】、たちどころによき物共(ものども)十四五人(じふしごにん)こそ
き【斬】りふせたれ。太刀(たち)のさP288き三寸(さんずん)ばかりうちを(ッ)【折つ】て、腹(はら)を
きらんと腰(こし)をさぐれば、さやまき【鞘巻】おちてなかりけり。
ちから【力】およばず、大手(おほで)をひろげて、高倉面(たかくらおもて)の小門(こもん)より
P04054
はしり【走り】いでんとするところ【所】に、大長刀(おほなぎなた)も(ッ)【持つ】たる
男(をとこ)(おとこ)一人(いちにん)よ【寄】りあひたり。信連(のぶつら)長刀(なぎなた)にのら【乗ら】んととん
でかかるが、のりそん【損】じてもも【股】をぬいざま(ぬひざま)【縫様】につら【貫】
ぬかれて、心(こころ)はたけ【猛】くおもへ【思へ】ども、大勢(おほぜい)のなかに
とりこ【籠】められて、いけどり【生捕】にこそせられけれ。其(その)後(のち)
御所(ごしよ)をさがせども、宮(みや)わたらせ給(たま)はず。信連(のぶつら)ばかり
からめて、六波羅(ろくはら)へい(ゐ)【率】てまいる(まゐる)【参る】。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)は簾中(れんちゆう)(れんちう)にゐ
給(たま)へり。前(さきの)右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)大床(おほゆか)にた(ッ)て、信連(のぶつら)を大庭(おほには)に
P04055
ひ(ッ)(ひつ)【引つ】すへ(すゑ)【据ゑ】させ、「まこと【誠】にわ男(をとこ)(おとこ)は、「宣旨(せんじ)とはなむ(なん)【何】ぞ」とて
き【斬】(ッ)たりけるか。おほくの庁(ちやう)の下部(しもべ)を刃傷殺害(にんじやうせつがい)
したん也(なり)。せむずる(せんずる)ところ【所】、糾問(きうもん)してよくよく事(こと)
の子細(しさい)をたずねとひ、其(その)後(のち)河原(かはら)にひきいだいて、
かうべ【首】をはね候(さうら)へ」とぞの給(たま)ひける。信連(のぶつら)すこしも
さはが(さわが)【騒が】ず、あざわら(ッ)(わらつ)【笑つ】て申(まうし)けるは、「このほどよなよな【夜な夜な】
あの御所(ごしよ)を、物(もの)がうかがい(うかがひ)【伺ひ】候(さうらふ)時(とき)に、なに事(ごと)のあるべきと
存(ぞんじ)て、用心(ようじん)も仕(つかまつり)候(さうら)はぬところ【所】に、よろ【鎧】うたる物共(ものども)がうち
P04056
入(いり)て候(さうらふ)を、「なに物(もの)ぞ」ととひ候(さうら)へば、「宜旨(せんじ)の御使(おんつかひ)」となの
り【名乗り】候(さうらふ)。山賊(さんぞく)・海賊(かいぞく)・強盜(がうたう)な(ン)ど(など)申(まうす)やつ原(ばら)は、或(あるい)(あるひ)は「公達(きんだち)
のいら【入ら】せ給(たま)ふぞ」或(あるい)(あるひ)は「宜旨(せんじ)の御使(おんつかひ)」な(ン)ど(など)なのり【名乗り】候(さうらふ)と、
かねがねうけ給(たまは)(ッ)て候(さうら)へば、「宜旨(せんじ)とはなんぞ」とて、き(ッ)た候(ざうらふ)。
凡(およそ)(をよそ)者(は)物(もの)の具(ぐ)をもおもふ【思ふ】さまにつかまつ【仕】り、P289かね【鉄】よき
太刀(たち)をもも(ッ)【持つ】て候(さうらは)ば、官人共(くわんにんども)をよも一人(いちにん)も安穏(あんをん)ではかへ
し【返し】候(さうら)はじ。又(また)宮(みや)の御在所(ございしよ)は、いづくにかわたらせ給(たま)ふら
む、しり【知り】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はず。たとひしり【知り】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうらふ)とも、
P04057
さぶらひほん【侍品】の物(もの)の、申(まう)さじとおもひ【思ひ】き(ッ)てん事(こと)、
糾問(きうもん)におよ(ン)【及ん】で申(まうす)べしや」とて、其(その)後(のち)は物(もの)も申(まう)
さず。いくらもなみ【並】ゐたりける平家(へいけ)のさぶらい共(ども)、
「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)かう【剛】の物(もの)かな。あ(ッ)たらおのこ(をのこ)【男】をきられんずらん
むざん【無慚】さよ」と申(まうし)あへり。其(その)なかにある人(ひと)の申(まうし)けるは、
「あれは先年(せんねん)ところ【所】にあり【有り】し時(とき)も、大番衆(おほばんじゆ)がとど【留】め
かねたりし強盜(がうだう)六人(ろくにん)、只(ただ)一人(いちにん)お(ッ)か【押懸】か(ッ)て、四人(しにん)き【斬】りふせ、
二人(ににん)いけどりにして、其(その)時(とき)なされたる左兵衛尉(さひやうゑのじよう)(さひやうゑのぜう)ぞかし。
P04058
これをこそ一人(いちにん)当千(たうぜん)のつは物(もの)ともいふべけれ」
とて、口々(くちぐち)におしみ(をしみ)【惜しみ】あへりければ、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)いかがおも
は【思は】れけん、伯耆(はうき)のひ野(の)【日野】へぞながされける。源氏(げんじ)の
世(よ)にな(ッ)て、東国(とうごく)へくだり、梶原平三景時(かぢはらへいざうかげとき)について、
事(こと)の根元(こんげん)一々(いちいち)次第(しだい)に申(まうし)ければ、鎌倉殿、(かまくらどの)、神妙(しんべう)也(なり)
と感(かん)じおぼしめし【思召し】て、能登国(のとのくに)に御恩(ごおん)(ごをん)かうぶり
けるとぞきこえし。競(きほふ)(きをほ)S0406 P290宮(みや)は高倉(たかくら)を北(きた)へ、近衛(こんゑ)を東(ひがし)へ、
賀茂河(かもがは)をわたらせ給(たまひ)て、如意山(によいやま)へいらせおはし
P04059
ます。昔(むかし)清見原(きよみばら)の天皇(てんわう)のいまだ東宮(とうぐう)の御時(おんとき)、
賊徒(ぞくと)におそ【襲】はれさせ給(たま)ひて、吉野山(よしのやま)へいらせ給(たま)ひ
けるにこそ、をとめ【少女】のすがたをばからせ給(たま)ひける
なれ。いま此(この)君(きみ)の御(おん)ありさまも、それにはたがは【違は】せ
給(たま)はず。しらぬ山路(さんろ)を夜(よ)もすがらわけ【分け】いら【入ら】せ給(たま)ふ
に、いつならは【習】しの御事(おんこと)なれば、御(おん)あし【足】よりいづる血(ち)は、
いさごをそめて紅(くれなゐ)の如(ごと)し。夏草(なつくさ)のしげみがなかの
露(つゆ)けさも、さこそはところせ【所狭】うおぼしめされけめ。
P04060
かくして暁方(あかつきがた)に三井寺(みゐでら)へいら【入ら】せおはします。「かひ
なき命(いのち)のおしさ(をしさ)【惜しさ】よ、衆徒(しゆと)をたのん【頼ん】で入御(じゆぎよ)あり【有り】」と
仰(おほせ)ければ、大衆(だいしゆ)畏悦(かしこまりよろこび)て、法輪院(ほふりんゐん)(ほうりんゐん)に御所(ごしよ)をしつらい(しつらひ)、
それにいれ【入れ】たてま(ッ)て、供御(ぐご)したててまいらせ(まゐらせ)【参らせ】けり。
あくれば十六日(じふろくにち)、高倉(たかくら)の宮(みや)の御謀叛(ごむほん)おこさせ給(たまひ)
て、うせ【失せ】させ給(たまひ)ぬと申(まうす)ほどこそあり【有り】けれ、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)の
騒動(さうどう)なのめならず。法皇(ほふわう)(ほうわう)これをきこしめて、
「鳥羽殿(とばどの)を御(おん)いで【出】あるは御悦(おんよろこび)なり。ならびに御歎(おんなげき)と
P04061
泰親(やすちか)が勘状(かんじやう)をまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たるは、これを申(まうし)けり」とぞ仰(おほせ)ける。
抑(そもそも)源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)、年(とし)ごろ日比(ひごろ)もあればこそあり【有り】けめ、こ
とし【今年】いかなる心(こころ)にて謀叛(むほん)をばおこし【起し】けるぞといふに、
平家(へいけ)の次男(じなん)前[B ノ](さきの)右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)、すまじき事(こと)をし
給(たま)へり。されば、人(ひと)の世(よ)にあればとて、すぞろにすま
じき事(こと)をもし、いふP291まじき事(こと)をもいふは、よくよく
思慮(しりよ)あるべき物(もの)也(なり)。たとへば、源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)の嫡子(ちやくし)仲綱(なかつな)
のもとに、九重(ここのへ)(ここのえ)にきこえたる名馬(めいば)あり【有り】。鹿毛(かげ)なる
P04062
馬(むま)のならびなき逸物(いちもつ)、のり【乗り】はしり【走り】、心(こころ)むき、又(また)
あるべしとも覚(おぼ)えず。名(な)をば木(こ)のした【下】とぞいはれ
ける。前(さきの)右大将(うだいしやう)これをつたへきき、仲綱(なかつな)のもとへ使者(ししや)
たて、「きこえ候(さうらふ)名馬(めいば)をみ【見】候(さうらは)ばや」との給(たま)ひつかはされ
たりければ、伊豆守(いづのかみ)の返事(へんじ)には、「さる馬(むま)はも(ッ)【持つ】て候(さうらひ)つれ
ども、此(この)ほどあまりにのり損(そん)じて候(さうらひ)つるあひだ、
しばらくいたは【労】らせ候(さうら)はんとて、田舎(ゐなか)(いなか)へつかはして候(さうらふ)」。
「さらんには、ちから【力】なし」とて、其(その)後(のち)沙汰(さた)もなかりしを、
P04063
おほくなみなみ【並み】い(ゐ)たりける平家(へいけ)の侍共(さぶらひども)、「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)、其(その)馬(むま)は
おととひ(をととひ)【一昨日】までは候(さうらひ)し物(もの)を。昨日(きのふ)も候(さうらひ)し、けさも庭(には)のり
し候(さうらひ)つる」な(ン)ど(など)申(まうし)ければ、「さてはおしむ(をしむ)【惜しむ】ごさんなれ。にく
し。こへ【乞へ】」とて、侍(さぶらひ)しては【馳】せさせ、ふみ【文】な(ン)ど(など)しても、一日(いちにち)が
うちに五六度(ごろくど)七八度(しちはちど)な(ン)ど(など)こは【乞は】れければ、三位(さんみ)入道(にふだう)
これをきき、伊豆守(いづのかみ)よびよせ、「たとひこがね【黄金】をま
ろめたる馬(むま)なり共(とも)、それほどに人(ひと)のこわ(こは)【乞は】う物をおし
む(をしむ)【惜しむ】べき様(やう)やある。すみ【速】やかにその馬(むま)六波羅(ろくはら)へ
P04064
つかはせ」とこその給(たま)ひけれ。伊豆守(いづのかみ)力(ちから)およばで、
一首(いつしゆ)の歌(うた)をかき【書き】そへて六波羅(ろくはら)へつかはす。
恋(こひ)しくはき【来】てもみよ【見よ】かし身(み)にそ【添】へる
かげをばいかがはな【放】ちやるべき W021 P292
宗盛卿(むねもりのきやう)歌(うた)の返事(へんじ)をばし給(たま)はで、「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)馬(むま)や。馬(むま)は
まこと【誠】によい馬(むま)でありけり。されどもあまりに主(ぬし)
がおしみ(をしみ)【惜しみ】つるがにくきに、やがて主(ぬし)が名(な)のりをかな
やき【鉄焼】にせよ」とて、仲綱(なかつな)といふかなやきをして、
P04065
むまや【廐】にたて【立て】られけり。客人(まらうと)(まろうと)来(きたり)て、「きこえ候(さうらふ)
名馬(めいば)をみ候(さうらは)ばや」と申(まうし)ければ、「その仲綱(なかつな)めに鞍(くら)お
いてひき【引き】だせ、仲綱(なかつな)めのれ、仲綱(なかつな)めうて【打て】、はれ」な(ン)ど(など)
の給(たま)ひければ、伊豆守(いづのかみ)これをつた【伝】へきき、「身(み)に
か【代】へておもふ【思ふ】馬(むま)なれども、権威(けんゐ)につゐ(つい)【付い】てとら【取ら】るる
だにもあるに、馬(むま)ゆへ(ゆゑ)【故】仲綱(なかつな)が天下(てんが)のわらはれぐ
さ【笑はれ草】とならんずるこそやす【安】からね」とて、大(おほき)にいきど
をら(いきどほら)【憤ら】れければ、三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)これをきき、伊豆守(いづのかみ)にむ
P04066
か(ッ)て、「何事(なにごと)のあるべきとおもひ【思ひ】あなづ(ッ)て、平家(へいけ)の
人(ひと)共(ども)が、さやうのしれ【痴】事(ごと)をいふにこそあんなれ。其(その)儀(ぎ)
ならば、いのち【命】いき【生き】てもなにかせん。便宜(びんぎ)をうかがふ(うかがう)【窺う】
てこそあらめ」とて、わたくしにはおもひ【思ひ】もたたず、宮(みや)を
すす【勧】め申(まうし)たりけるとぞ、後(のち)にはきこえし。これにつ
けても、天下(てんが)の人(ひと)、小松(こまつ)のおとどの御事(おんこと)をぞしのび【忍び】
申(まうし)ける。或(ある)時(とき)、小松殿(こまつどの)参内(さんだい)の次(ついで)(つゐで)に、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)の御方(おかた)へま
いら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ひたりけるに、八尺(はつしやく)ばかりあり【有り】けるくちなはが、
P04067
おとどのさしぬきの左(ひだり)のりん【輪】をはひ【這ひ】まはりけるを、
重盛(しげもり)さはが(さわが)【騒が】ば、女房達(にようばうたち)もさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)もおどろか
せ給(たまひ)なんずとおぼしめし【思召し】、左(ひだり)の手(て)でくP293ちなはの
を【尾】をさへ(おさへ)、右(みぎ)の手(て)でかしらをとり、直衣(なほし)(なをし)の袖(そで)のう
ちにひきい【引入】れ、ち(ッ)ともさはが(さわが)【騒が】ず、つゐ(つい)立(た)(ッ)て、「六位(ろくゐ)や候(さうらふ)六位(ろくゐ)や候(さうらふ)」
とめされければ、伊豆守(いづのかみ)、其(その)比(ころ)はいまだ衛府蔵人(ゑふのくらんど)
でをはし(おはし)けるが、「仲綱(なかつな)」となの(ッ)【名乗つ】てまいら(まゐら)【参ら】れたりけるに、
此(この)くちなはをた【賜】ぶ。給(たまはつ)て弓場殿(ゆばどの)をへ【経】て、殿上(てんじやう)の
P04068
小庭(こには)にいでつつ、御倉(みくら)の小舎人(こどねり)をめして、「これ
給(たま)はれ」といはれければ、大(おほき)にかしら【頭】をふ(ッ)てにげさ
りぬ。ちから【力】をよば(およば)【及ば】で、わが郎等(らうどう)競(きほふ)(きをほ)の滝口(たきぐち)をめ
して、これをた【賜】ぶ。給(たま)は(ッ)てすてて(ン)げり。そのあした
小松殿(こまつどの)よい馬(むま)に鞍(くら)おいて、伊豆守(いづのかみ)のもとへつかはす
とて、「さても昨日(きのふ)のふるまい(ふるまひ)こそ、ゆう(いう)【優】に候(さうらひ)しか。是(これ)は
のり【乗り】一(いち)の馬(むま)で候(さうらふ)。夜陰(やいん)(やゐん)に及(およん)(をよん)で、陣外(ぢんぐわい)より傾城(けいせい)の
もとへかよ【通】はれん時(とき)、もち【用】ゐらるべし」とてつかはさる。
P04069
伊豆守(いづのかみ)、大臣(おとど)の御返事(おんペんじ)なれば、「御馬(おんむま)かしこま(ッ)て
給(たま)はり候(さうらひ)ぬ。昨日(きのふ)のふるまい(ふるまひ)は、還城楽(げんじやうらく)にこそに【似】て候(さうらひ)
しか」とぞ申(まう)されける。いかなれば、小松(こまつ)おとどはかう
こそゆゆしうおはせしに、宗盛卿(むねもりのきやう)はさこそなからめ、
あま(ッ)さへ(あまつさへ)【剰へ】人(ひと)のおしむ(をしむ)【惜しむ】馬(むま)こひ【乞ひ】と(ッ)て、天下(てんが)の大事(だいじ)に
及(および)(をよび)ぬるこそうたてけれ。同(おなじき)十六日(じふろくにち)の夜(よ)に入(い)(ッ)て、源(げん)
三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)頼政(よりまさ)、嫡子(ちやくし)伊豆守(いづのかみ)仲綱(なかつな)、次男(じなん)源(げん)大夫
判官(だいふのはんぐわん)兼綱(かねつな)、六条[B ノ]蔵人(ろくでうのくらんど)仲家(なかいへ)、其(その)子(こ)蔵人(くらんど)太郎(たらう)
P04070
仲光(なかみつ)以下(いげ)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)三百余騎(さんびやくよき)館(たち)に火(ひ)かけ
や【焼】きあげて、三井寺(みゐでら)へこそまいら(まゐら)【参ら】れけれ。P294三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)
の侍(さぶらひ)に、源三(げんざう)滝口(たきぐちの)競(きほふ)(きをほ)といふ物(もの)あり【有り】。は【馳】せおくれ
てとど【留】ま(ッ)たりけるを、前(さきの)右大将(うだいしやう)、競(きほふ)(きをほ)をめして、「いかに
なんぢは三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)のともをばせでとどま(ッ)たるぞ」
との給(たまひ)ければ、競(きほふ)(きをほ)畏(かしこまり)て申(まうし)ける、「自然(しぜん)の事(こと)候(さうら)はば、
ま(ッ)さきかけて命(いのち)をたてまつら【奉ら】んとこそ、日来(ひごろ)は
存(ぞんじ)て、候(さうらひ)つれども、何(なに)とおもは【思は】れ候(さうらひ)けるやらん、かうとも
P04071
おほ【仰】せられ候(さうら)はず」。「抑(そもそも)朝敵(てうてき)頼政(よりまさ)法師(ぼふし)(ぼうし)に同心(どうしん)せ
むとやおもふ【思ふ】。又(また)これにも兼参(けんざん)の物(もの)ぞかし。先途(せんど)
後栄(こうえい)(こうゑい)を存(ぞん)じて、当家(たうけ)に奉公(ほうこう)いたさんとや
おもふ【思ふ】。あり【有り】のままに申(まう)せ」とこその給(たま)ひければ、競(きほふ)(きをほ)
涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、「相伝(さうでん)のよしみはさる事(こと)に
て候(さうら)へども、いかが朝敵(てうてき)となれる人(ひと)に同心(どうしん)をばし候(さうらふ)べき。
殿中(てんちゆう)(てんちう)に奉公(ほうこう)仕(つかまつら)うずる候(ざうらふ)」と申(まうし)ければ、「さらば奉公(ほうこう)
せよ。頼政(よりまさ)法師(ぼふし)(ぼうし)がしけん恩(おん)(をん)には、ち(ッ)ともおとるまじき
P04072
ぞ」とて、入(いり)給(たま)ひぬ。さぶらひには、「競(きほふ)(きをほ)はあるか」。「候(さうらふ)」。「競(きほふ)はある
か」。「候(さうらふ)」とて、あしたより夕(ゆふべ)に及(およぶ)(をよぶ)まで祗候(しこう)(しかう)す。やうやう
日(ひ)もくれければ、大将(だいしやう)い【出】でられたり。競(きほふ)かしこま(ッ)て
申(まうし)けるは、「三位(さんみ)入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)三井寺(みゐでら)にときこえ【聞え】候(さうらふ)。さだめて
打手(うつて)む【向】けられ候(さうら)はんずらん。心(こころ)にくうも候(さうら)はず。三井
寺(みゐでら)(みいでら)法師(ぼふし)(ぼうし)、さては渡辺(わたなべ)のした【親】しいやつ原(ばら)こそ候(さうらふ)ら
め[* 「候うめ」と有るのを他本により訂正]。ゑりうち(えりうち)【択打】な(ン)ど(など)もし候(さうらふ)べきに、の(ッ)【乗つ】て事(こと)にあふべき
馬(むま)の候(さうらひ)つる〔を〕、した【親】しいやつめにぬす【盜】まれて候(さうらふ)。御馬(おんむま)
P04073
一疋(いつぴき)くだしあづか【預】るべうや候(さうらふ)らん」と申(まうし)ければ、P295大将(だいしやう)
「も(ッ)ともさるべし」とて、白葦毛(しらあしげ)なる馬(むま)の煖廷(なんれう)とて
秘蔵(ひさう)せられたりけるに、よい鞍(くら)おいてぞた【賜】う
だりける。競(きほふ)やかた【館】にかへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て、「はや【早】日(ひ)のくれよ
かし。此(この)馬(むま)に打乗(うちのり)て三井寺(みゐでら)へはせまいり(まゐり)【参り】、三位(さんみ)
入道(にふだう)(にうだう)殿(どの)のま(ッ)さき【真先】かけて打死(うちじに)せん」とぞ申(まうし)ける。
日(ひ)もやうやうくれければ、妻子共(さいしども)かしこここへたち
しのば【忍ば】せて、三井寺(みゐでら)へ出立(いでたち)ける心(こころ)のうちこそむざん【無慚】
P04074
なれ。ひやうもんの狩衣(かりぎぬ)の菊(きく)とぢ【綴】おほ【大】きら
かにしたるに、重代(ぢゆうだい)(ぢうだい)のきせなが、ひおどし(ひをどし)【緋縅】のよろひ
に星(ほし)じろ【白】の甲(かぶと)の緒(を)(お)をしめ、いか物(もの)づくりの大
太刀(おほだち)はき、廿四(にじふし)さ【差】いたる大(おほ)なかぐろ【中黒】の矢(や)おひ、滝
口(たきぐち)の骨法(こつぽふ)(こつぽう)わすれ【忘れ】じとや、鷹(たか)の羽(は)にてはい
だりける的矢(まとや)一手(ひとて)ぞさしそへたる。しげどう【滋籐】
の弓(ゆみ)も(ッ)【持つ】て、煖廷(なんれう)にうちのり、のりかへ一騎(いつき)う
ちぐし【具し】、とねり男(をとこ)(おとこ)にもたて【楯】わき【脇】ばさませ、屋形(やかた)に
P04075
火(ひ)かけや【焼】きあげて、三井寺(みゐでら)へこそ馳(はせ)たりけれ。
六波羅(ろくはら)には、競(きほふ)(きをほ)が宿所(しゆくしよ)より火(ひ)い【出】できたりとて、ひ
しめきけり。大将(だいしやう)いそぎい【出】でて、「競(きほふ)はあるか」とたづね
給(たま)ふに、「候(さうら)はず」と申(まう)す。「すわ、きやつを手(て)のべ【延べ】にして、
たばかられぬるは。お(ッ)か【追掛】けてうて」との給(たま)へども、競(きほふ)は
もとよりすぐれたるつよ弓(ゆみ)せい【精】兵(びやう)、矢(や)つぎばやの
手(て)きき、大(だい)ぢから【力】の甲(かう)の物(もの)、「廿四(にじふし)さいたる矢(や)でまづ
廿四人(にじふしにん)は射(い)(ゐ)ころされなんず。おと【音】なせそ」とて、むかふ
P04076
物(もの)こそなかりけれ。P296三井寺(みゐでら)にはおりふし(をりふし)【折節】競(きほふ)が沙汰(さた)
あり【有り】けり。渡辺党(わたなべたう)「競(きほふ)(きをほ)をばめしぐす【召具す】べう候(さうらひ)つる
物(もの)を。六波羅(ろくはら)にのこり【残り】とどま(ッ)て、いかなるうき目(め)
にかあひ候(さうらふ)らん」と申(まうし)ければ、三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)心(こころ)をし(ッ)て、「よも
その物(もの)、無台(むたい)にとらへから【搦】められはせじ。入道(にふだう)に心(こころ)ざし
ふかい物(もの)也(なり)。いまみよ【見よ】、只今(ただいま)まいら(まゐら)【参ら】(ン)ずるぞ」との給(たま)ひ
もはてねば、競(きほふ)つ(ッ)といできたり。「さればこそ」とぞの
給(たま)ひける。競(きほふ)かしこま(ッ)て申(まうし)けるは、「伊豆守殿(いづのかみどの)の木(こ)の
P04077
した【下】がかはりに、六波羅(ろくはら)の煖廷(なんれう)こそと(ッ)てまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て
候(さうら)へ。まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はん」とて、伊豆守(いづのかみ)にたてまつる【奉る】。伊
豆守(いづのかみ)なのめならず悦(よろこび)て、やがて尾髪(をかみ)(おかみ)をきり、かな
やき【鉄焼】して、次(つぎ)の夜(よ)六波羅(ろくはら)へつかはし、夜半(やはん)ばかり
門(もん)のうちへぞおひい【追入】れたる。馬(むま)やにい(ッ)【入つ】て馬(むま)どもに
く【食】ひあひければ、とねり【舎人】おどろきあひ、「煖廷(なんれう)がまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)」
と申(まう)す。大将(だいしやう)いそぎい【出】でて見(み)給(たま)へば、「昔(むかし)は煖廷(なんれう)、今(いま)は平(たひら)(たいら)
の宗盛(むねもり)入道(にふだう)(にうだう)」といふかなやき【鉄焼】をぞしたりける。大将(だいしやう)「や
P04078
すからぬ競(きほふ)めを、手(て)のび【延び】にしてたばかられぬる事(こと)
こそ遺恨(ゐこん)(いこん)なれ。今度(こんど)三井寺(みゐでら)へよ【寄】せたらんには、いか
にもしてまづ競(きほふ)めをいけどりにせよ。のこぎり【鋸】で
頸(くび)きらん」とて、おどり(をどり)【躍り】あがりおどり(をどり)【躍り】あがりいか【怒】られけれども、南
丁(なんちやう)が尾(を)かみ【髪】もおい(おひ)【生ひ】ず、かなやき【鉄焼】も又(また)うせざりけり。P297
山門(さんもんへの)牒状(てふじやう)(てうじやう)S0704 三井寺(みゐでら)には貝鐘(かいかね)な【鳴】らいて、大衆(だいしゆ)僉議(せんぎ)す。「近日(きんじつ)世上(せじやう)の
体(てい)を案(あん)ずるに、仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)の衰微(すいび)、王法(わうぼふ)(わうぼう)の牢籠(らうろう)、まさに
此(この)時(とき)にあたれり。今度(こんど)清盛(きよもり)入道(にふだう)(にうだう)が暴悪(ぼうあく)をいまし
P04079
めず(ン)ば、何日(いづれのひ)をか期(ご)すべき。宮(みや)ここに入御(じゆぎよ)の御事(おんこと)、
正八幡宮(しやうはちまんぐう)の衛護(ゑご)、新羅大明神(しんらだいみやうじん)の冥助(みやうじよ)にあらずや。
天衆地類(てんじゆぢるい)も影向(やうがう)をたれ、仏力神力(ぶつりきじんりき)も降伏(がうぶく)
をくはへまします事(こと)などかなかるべき。抑(そもそも)北嶺(ほくれい)は
円宗(ゑんしゆう)(ゑんしう)一味(いちみ)の学地(がくぢ)、南都(なんと)は夏臈得度(げらうとくど)の戒定(かいぢやう)也(なり)。
牒奏(てふそう)(てうそう)のところ【所】に、などかくみ【与】せざるべき」と、一味(いちみ)同心(どうしん)に
僉議(せんぎ)して、山(やま)へも奈良(なら)へも牒状(てふじやう)(てうじやう)をこそおくり
けれ。山門(さんもん)への状云(じやうにいはく)、園城寺(をんじやうじ)牒(てふ)(てう)す、延暦寺(えんりやくじ)の衙(が)殊(こと)に
P04080
合力(かふりよく)(かうりよく)をいたして、当寺(たうじ)の破滅(はめつ)を助(たすけ)られんとお
もふ【思ふ】状(じやう)右(みぎ)入道(にふだう)(にうだう)浄海(じやうかい)、ほしいままに王法(わうぼふ)(わうぼう)をうしなひ【失ひ】、
仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)をほろぼさんとす。愁歎(しうたん)無極(きはまりなき)ところ【所】に、去(さんぬ)る
十五日(じふごにち)の夜(よ)、一院(いちゐん)第二(だいに)の王子(わうじ)、ひそかに入寺(にふじ)(にうじ)せし
め給(たま)ふ。爰(ここに)院宣(ゐんぜん)と号(かう)していだし【出し】たてまつる【奉る】べき
よし、せめ【責】あり【有り】といへ共(ども)、出(いだ)したてまつる【奉る】にあたはず。
仍(よつ)て官軍(くわんぐん)をはな【放】ちつかはすべきむね、聞(きこ)へ(きこえ)あり【有り】。当
寺(たうじ)の破滅(はめつ)、まさに此(この)時(とき)にあたれり。諸衆(しよしゆう)(しよしう)何(なん)ぞ愁歎(しうたん)
P04081
せざらんや。就中(なかんづく)に延暦(えんりやく)・園P298城(をんじやう)両寺(りやうじ)は、門跡(もんぜき)
二(ふたつ)に相分(あひわか)るといへども、学(がく)するところ【所】は是(これ)円頓(ゑんどん)一
味(いちみ)の教門(けうもん)におなじ。たとへば鳥(とり)の左右(さいう)(さゆう)の翅(つばさ)の如(ごと)し。
又(また)車(くるま)の二(ふたつ)の輪(わ)に似(に)たり。一方(いつぱう)闕(か)けんにおいては、
いかでかそのなげき【歎】なからんや。者(てへれば)ことに合力(かふりよく)(かうりよく)いた
して、当寺(たうじ)の破滅(はめつ)を助(たすけ)られば、早(はや)く年来(ねんらい)の
遺恨(ゐこん)(いこん)を忘(わすれ)て、住山(ぢゆうさん)(ぢうさん)の昔(むかし)に復(ふく)せん。衆徒(しゆと)の僉議(せんぎ)
かくの如(ごと)し。仍(よつて)牒奏(てふそう)(てうそう)件(くだん)の如(ごと)し。治承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)五月(ごぐわつ)十八日(じふはちにち)
P04082
大衆等(だいしゆら)とぞか【書】いたりける。南都牒状(なんとてふじやう)(なんとてうじやう)S0408 山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)此(この)状(じやう)を披
見(ひけん)して、「こはいかに、当山(たうざん)の末寺(まつじ)であり【有り】ながら、鳥(とり)の左
右(さいう)(さゆう)の翅(つばさ)の如(ごと)し、又(また)車(くるま)の二(ふたつ)の輪(わ)に似(に)たりと、おさ【抑】へて
書(かく)でう【条】奇怪(きくわい)也(なり)」とて、返牒(へんでふ)(へんでう)ををくら(おくら)【送ら】ず。其上(そのうへ)入道(にふだう)(にうだう)
相国(しやうこく)、天台座主(てんだいざす)明雲大僧正(めいうんだいそうじやう)に衆徒(しゆと)をしずめらる
べきよしの給(たま)ひければ、座主(ざす)いそぎ登山(とうざん)して
大衆(だいしゆ)をしづめ給(たま)ふ。かかりし間(あひだ)(あいだ)、宮(みや)の御方(おんかた)へは不定(ふぢやう)の
よしをぞ申(まうし)ける。又(また)入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、近江米(あふみごめ)二万石(にまんごく)、北国(ほつこく)の
P04083
おりのべぎぬ【織延絹】三千疋(さんぜんびき)、往来(わうらい)によ【寄】せらる。これを
たにだに【谷々】峯々(みねみね)にひかれけるに、俄(にはか)P299の事(こと)ではあり【有り】、
一人(いちにん)してあまたをとる大衆(だいしゆ)もあり【有り】、又(また)手(て)をむな
しうして一(ひとつ)もとらぬ衆徒(しゆと)もあり【有り】。なに物(もの)のしわ
ざにや有(あり)けん、落書(らくしよ)をぞしたりける。
山法師(やまぼふし)(やまぼうし)おりのべ衣(ごろも)うすくして
恥(はぢ)をばえこそかくさ【隠さ】ざりけれ W022
又(また)きぬにもあたらぬ大衆(だいしゆ)のよみたりけるやらん、
P04084
おりのべを一(ひと)きれもえぬわれら【我等】さへ
うすはぢ【薄恥】をかくかずに入(いる)かな W023
又(また)南都(なんと)への状(じやう)に云(いはく)、園城寺(をんじやうじ)牒(てふ)(てう)す、興福寺[B ノ](こうぶくじの)衙(が)殊(こと)
に合力(かふりよく)(かうりよく)をいたして、当寺(たうじ)の破滅(はめつ)を助(たすけ)られんと
乞(こふ)(こう)状(じやう)右(みぎ)仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)の殊勝(しゆせう)なる事(こと)は、王法(わうぼふ)(わうぼう)をまぼらんが
ため、王法(わうぼふ)(わうぼう)又(また)長久(ちやうきう)なる事(こと)は、すなはち仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)による。
爰(ここ)に入道(にふだう)(にうだう)前太政大臣(さきのだいじやうだいじん)平(たひらの)朝臣(あそん)(あ(ツ)そん)清盛公(きよもりこう)、法名(ほふみやう)(ほうみやう)浄海(じやうかい)、
ほしいままに国威(こくゐ)をひそかにし、朝政(てうせい)をみだり、内(うち)に
P04085
つけ外(ほか)につけ、恨(うらみ)をなし歎(なげき)をなす間(あひだ)(あいだ)、今月(こんげつ)
十五日[B ノ](じふごにちの)夜(よ)、一院(いちゐん)第二(だいに)の王子(わうじ)、不慮(ふりよ)の難(なん)をのが
れんがために、にはかに入寺(にふじ)(にうじ)せしめ給(たま)ふ。ここに院
宣(ゐんぜん)と号(かう)して出(いだ)したてまつる【奉る】べきむね、せめあり【有り】
といへども、衆徒(しゆと)一向(いつかう)これををしみ奉(たてまつ)る。仍(よつて)彼(かの)禅門(ぜんもん)、
武士(ぶし)を当寺(たうじ)にいれ【入れ】んとす。仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)と云(いひ)王法(わうぼふ)(わうぼう)〔と〕云(いひ)、一
時(いちじ)にまさに破滅(はめつ)せんとす。昔(むかし)唐(たう)の恵正【*会昌】天子(ゑしやうてんし)、
軍兵(ぐんびやう)をも(ッ)て仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)をほろぼさしめし時(とき)、清凉山(せいりやうざん)
P04086
の衆(しゆ)、合戦(かつせん)をいたしてこP300れをふせ【防】く。王権(わうけん)猶(なほ)(なを)
かくの如(ごと)し。何(なんぞ)况(いはん)や謀叛(むほん)八逆(はちぎやく)の輩(ともがら)においてをや。
就中(なかんづく)に南京(なんきやう)は例(れい)なくて罪(つみ)なき長者(ちやうじや)を配
流(はいる)せらる。今度(こんど)にあらずは、何日(いづれのひ)か会稽(くわいけい)をとげん。
ねがはくは、衆徒(しゆと)、内(うち)には仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)の破滅(はめつ)をたすけ、外(ほか)には
悪逆(あくぎやく)の伴類(はんるい)を退(しりぞ)けば、同心(どうしん)のいたり本懐(ほんぐわい)に足(たん)
ぬべし。衆徒(しゆと)の僉議(せんぎ)かくの如(ごと)し。仍(よつて)牒奏(てふそう)(てうそう)如件(くだんのごとし)。治
承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)五月(ごぐわつ)十八日(じふはちにち)大衆等(だいしゆら)とぞか【書】いたりける。南都(なんと)
P04087
の大衆(だいしゆ)、此(この)状(じやう)を披見(ひけん)して、やがて返牒(へんでふ)(へんじやう)ををくる(おくる)【送る】。
其(その)返牒(へんでふ)(へんじやう)に云(いはく)、興福寺(こうぶくじ)牒(てふ)(てう)す、園城寺(をんじやうじ)の衙(が)来牒(らいてふ)(らいてう)
一紙(いつし)に載(のせ)られたり。右(みぎ)入道(にふだう)(にうだう)浄海(じやうかい)が為(ため)に、貴寺(きじ)の
仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)をほろぼさんとするよしの事(こと)。牒(てふ)(てう)す、玉泉(ぎよくせん)
玉花(ぎよくくわ)、両家(りやうか)の宗義(しゆうぎ)(しうぎ)を立(たつ)といへども、金章金句(きんしやうきんく)お
なじく一代(いちだい)教文(けうもん)より出(いで)たり。南京北京(なんきやうほくきやう)ともにも(ッ)て
如来(によらい)の弟子(でし)たり。自寺他寺(じじたじ)互(たがひ)に調達(てうだつ)が魔
障(ましやう)を伏(ふく)すべし。抑(そもそも)清盛(きよもり)入道(にふだう)(にうだう)は平氏(へいじ)の糟糠(さうかう)、武
P04088
家(ぶけ)の塵芥(ちんがい)なり。祖父(そぶ)正盛(まさもり)蔵人(くらんど)五位(ごゐ)の家(いへ)に仕(つか)へ
て、諸国受領(しよこくじゆりやう)の鞭(むち)をとる。大蔵卿(おほくらのきやう)為房(ためふさ)賀州(かしう)刺
史(しし)のいにしへ、検非所(けんびしよ)に補(ふ)し、修理大夫(しゆりのだいぶ)顕季(あきすゑ)
播磨[B ノ]大守(はりまのたいしゆ)た(ッ)し昔(むかし)、厩[B ノ](むまやの)別当職(べつたうしよく)に任(にん)ず。P301しかるを
親父(しんぶ)忠盛(ただもり)昇殿(しようでん)(せうでん)をゆるされし時(とき)、都鄙(とひ)の老少(らうせう)
みな蓬戸(ほうこの)瑕瑾(かきん)ををしみ、内外(ないげ)の栄幸(えいかう)(ゑいかう)をのをの(おのおの)【各々】
馬台(ばたい)の辰門(しんもん)に啼(な)く。忠盛(ただもり)青雲(せいうん)の翅(つばさ)を刷(かいつくろう)と
いへども、世(よ)の民(たみ)なを(なほ)【猶】白屋(はくをく)の種(たね)をかろんず。名(な)をを
P04089
しむ青侍(せいし)、其(その)家(いへ)にのぞむ事(こと)なし。しかるを去(さんぬ)る
平治(へいぢ)元年(ぐわんねん)十二月(じふにぐわつ)、太上天皇(だいじやうてんわう)一戦(いつせん)の功(こう)を感(かん)じて、不
次(ふし)の賞(しやう)を授(さづけ)給(たま)ひしよりこのかた、たかく相国(しやうこく)に
のぼり、兼(かね)て兵杖【*兵仗】(ひやうぢやう)を給(たま)はる。男子(なんし)或(あるい)(あるひ)は台階(たいかい)をかた
じけなうし、或(あるい)(あるひ)は羽林(うりん)につらなる。女子(によし)或(ある)は中官
職(ちゆうぐうしき)(ちうぐうしき)にそなはり、或(ある)は准后(じゆんごう)の宣(せん)を蒙(かうぶ)る。群弟庶子(くんていそし)
みな棘路(きよくろ)にあゆみ、其(その)孫(まご)彼(かの)甥(をひ)(おい)ことごとく【悉く】竹符(ちくふ)をさく。
しかのみならず、九州(きうしう)を統領(とうりやう)し、百司(はくし)を進退(しんだい)
P04090
して、奴婢(ぬび)みな僕従(ぼくじゆう)となす。一毛(いちもう)心(こころ)にたがへ【違へ】ば、王
侯(わうこう)といへどもこれをとらへ、片言(へんげん)耳(みみ)にさかふれば、
公卿(くぎやう)といへ共(ども)これをからむ。これによ(ッ)て或(あるい)(あるひ)は一旦(いつたん)
の身命(しんみやう)をのべんがため、或(あるい)(あるひ)は片時(へんし)の凌蹂(りようじう)(れうじう)をのが
れんとおも(ッ)て万乗(ばんじよう)(ばんぜう)の聖主(せいしゆ)猶(なほ)(なを)緬転(めんてん)の媚(こび)をなし、
重代(ぢゆうだい)(ぢうだい)の家君(かくん)かへ(ッ)て(かへつて)【却つて】膝行(しつかう)の礼(れい)をいたす。代々(だいだい)相
伝(さうでん)の家領(けりやう)(けれう)を奪(うば)ふといへども、しやうさい【上宰】もおそれ【恐れ】
て舌(した)をまき、みやみや【宮々】相承(さうじよう)(さうぜう)の庄園(しやうゑん)をとるといへ共(ども)、
P04091
権威(けんゐ)にはばか(ッ)て物(もの)いふ事(こと)なし。勝(かつ)にのるあまり、
去年(こぞ)の冬(ふゆ)十一月(じふいちぐわつ)、太上皇(たいしやうくわう)のすみかを追補(ついふ)し、博陸
公(はくりくこう)の身(み)ををし(おし)【推し】なが【流】す。反逆(ほんぎやく)の甚(はなはだ)しい事(こと)、誠(まこと)に古今(ここん)
に絶(たへ)たり。其(その)時(とき)我等(われら)、すべからく賊衆(ぞくしゆ)にゆき向(むかふ)て
其(その)罪(つみ)を問(とふ)べしといへ共(ども)、或(あるい)(あるひ)は神慮(しんりよ)P302にあひはばかり、
或(あるい)は綸言(りんげん)と称(せう)するによ(ッ)て、鬱陶(うつたう)をおさへ光陰(くわういん)(くわうゐん)を
送(おく)(をく)るあひだ、かさねて軍兵(ぐんびやう)ををこし(おこし)【起こし】て、一院(いちゐん)第二(だいに)
の親王宮(しんわうぐう)をうちかこむところ【所】に、八幡(はちまん)三所(さんじよ)・春日(かすが)
P04092
の大明神(だいみやうじん)、ひそかに影向(やうがう)をたれ、仙蹕(せんひつ)をささげ
たてまつり【奉り】、貴寺(きじ)におくりつけて、新羅(しんら)のとぼ
そ【扉】にあづけたてまつる【奉る】。王法(わうぼふ)(わうぼう)つく【尽く】[* 「つき」と有るのを他本により訂正]べからざるむねあ
きらけし。随(したが)(ッ)て又(また)貴寺(きじ)身命(しんみやう)をすてて守護(しゆご)し
奉(たてまつ)る条(でう)、含識(がんじき)のたぐひ、誰(たれ)か随喜(ずいき)せざらん。我等(われら)
遠拭【*遠域】(ゑんゐき)にあ(ッ)て、そのなさけを感(かん)ずるところ【所】に、清盛(きよもり)
入道(にふだう)(にうだう)尚(なほ)(なを)胸気(きようき)(けうき)ををこし(おこし)【起こし】て、貴寺(きじ)に入(い)らんとするよし、
ほのかに承(うけたまはり)及(およぶ)(をよぶ)をも(ッ)て、兼(かね)て用意(ようい)をいたす。十八日(じふはちにち)
P04093
辰(たつの)一点(いつてん)に大衆(だいしゆ)ををこし(おこし)【起こし】、諸寺(しよじ)に牒奏(てふそう)(てうそう)し、末寺(まつじ)
に下知(げぢ)し、軍士(ぐんし)をゑ(え)【得】て後(のち)、案内(あんない)を達(たつ)せんとする
ところ【所】に、青鳥(せいてう)飛来(とびきたり)てはうかん【芳翰】をな【投】げたり。数日(すじつ)
の鬱念(うつねん)一時(いつし)に解散(げさん)す。彼(か)の唐家(たうか)清凉(せいりやう)一山(いつさん)の
■蒭(ひつしゆ)(ひ(ツ)しゆ)、猶(なほ)ぶそう【武宗】の官兵(くわんびやう)を帰(か)へす。况(いはん)や和国(わこく)南
北(なんぼく)両門(りやうもん)の衆徒(しゆと)、なんぞ謀臣(ぼうしん)の邪類(じやるい)をはらはざら
むや。よくりやうゑん【梁園】左右(さう)の陣(ぢん)をかためて、
よろしく我等(われら)が近発(きんぽつ)のつげを待(まつ)べし。状(じやう)を察(さつ)し
P04094
て疑貽(ぎたい)をなす事(こと)なかれ。も(ッ)て牒(てふ)(てう)す。治承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)
五月(ごぐわつ)廿一日(にじふいちにち)大衆等(だいしゆら)とぞかい【書い】たりける。P303永(ながの)僉議(せんぎ)S0409 三井寺(みゐでら)には又(また)
大衆(だいしゆ)おこ(ッ)て僉議(せんぎ)す。「山門(さんもん)は心(こころ)がはりしつ。南都(なんと)はい
まだまいら(まゐら)【参ら】ず。此(この)事(こと)の【延】びてはあしかりなん。いざや六
波羅(ろくはら)におしよせて、夜打(ようち)にせん。其(その)儀(ぎ)ならば、老少(らうせう)
二手(ふたて)にわか(ッ)て老僧(らうそう)どもは如意(によい)が峯(みね)より搦手(からめで)に
むかふべし。足(あし)がる【軽】共(ども)四五百人(しごひやくにん)さきだて【先立て】、白河(しらかは)の在
家(ざいけ)に火(ひ)をかけてや【焼】きあげば、在京人(ざいきやうにん)六波羅(ろくはら)の武士(ぶし)、
P04095
「あはや事(こと)いできたり」とて、はせむか【馳向】はんずらん。其(その)時(とき)
岩坂(いはさか)・桜本(さくらもと)にひ(ッ)(ひつ)【引つ】かけひ(ッ)(ひつ)【引つ】かけ、し(ン)ばし(しばし)ささへ【支へ】てたた【戦】かはん
まに、大手(おほて)は伊豆守(いづのかみ)を大将軍(たいしやうぐん)にて、悪僧共(あくそうども)六波
羅(ろくはら)におしよせ、風(かぜ)うへ【上】に火(ひ)かけ、一(ひと)もみ【揉】もうでせ
め【攻め】んに、などか太政入道(だいじやうにふだう)(だいじやうにうだう)やきいだ【焼出】いてうた【討た】ざるべき」とぞ
僉議(せんぎ)しける。其(その)なかに、平家(へいけ)のいの【祈】りしける一如房(いちによばう)の
阿闍梨(あじやり)真海(しんかい)、弟子(でし)同宿(どうじゆく)数十人(すじふにん)ひきぐし【具し】、僉議(せんぎ)の庭(には)
にすす【進】みいでて申(まうし)けるは、「かう申(まう)せば平家(へいけ)のかたうど【方人】と
P04096
やおぼしめさ【思召さ】れ候(さうらふ)らん。たとひさも候(さうら)へ、いかが衆徒(しゆと)の儀(ぎ)
をもやぶり、我(わが)寺(てら)の名(な)をもおしま(をしま)【惜しま】で候(さうらふ)べき。昔(むかし)は源
平(げんぺい)左右(さう)にあら【争】そひて、朝家(てうか)の御(おん)まぼりたりしか
ども、ちかごろは源氏(げんじ)の運(うん)かたぶき、平家(へいけ)世(よ)をと(ッ)て
廿(にじふ)余(よ)年(ねん)、天下(てんが)になびかぬ草木(くさき)も候(さうら)はず。内々(ないない)のたち【館】
のありさまも、小勢(こぜい)にてはたやすうせめ【攻め】おとしがたP304し。
さればよくよく外(ほか)にはかり事(こと)をめぐらして、勢(せい)をもよほし、
後日(ごにち)によ【寄】せさせ給(たま)ふべうや候(さうらふ)らん」と、程(ほど)をのば【延ば】さんが
P04097
ために、ながながとぞ僉議(せんぎ)したる。ここに乗円房(じようゑんばう)(ぜうゑんばう)の
阿闍梨(あじやり)慶秀(けいしう)といふ老僧(らうそう)あり【有り】。衣(ころも)のしたに腹巻(はらまき)
をき【着】、大(おほき)なるうちがたな【打刀】まへだれ【前垂】にさし、ほうし(ほふし)がし
ら【法師頭】つつむ(つつん)で、白柄(しらゑ)の大長刀(なぎなた)杖(つゑ)(つえ)につき、僉議(せんぎ)の庭(には)にすす
みいでて申(まうし)けるは、「証拠(しようこ)を外(ほか)にひく【引く】べからず。我等(われら)
の本願(ほんぐわん)天武天皇(てんむてんわう)は、いまだ東宮(とうぐう)の御時(おんとき)、大友(おほとも)の皇子(わうじ)
にはばからせ給(たま)ひて、よし【吉】野(の)のおくをい【出】でさせ給(たま)ひ、
大和国(やまとのくに)宇多郡(うだのこほり)をすぎさせ給(たま)ひけるには、其(その)勢(せい)
P04098
はつかに十七(じふしち)騎(き)、されども伊賀(いが)伊勢(いせ)にうちこへ(こえ)【越え】、
美乃【*美濃】(みの)尾張(をはり)(おはり)の勢(せい)をも(ッ)て、大友(おほとも)の皇子(わうじ)をほろぼして、
つゐに(つひに)【遂に】位(くらゐ)につかせ給(たま)ひき。「窮鳥(きうてう)懐(ふところ)に入(いる)。人輪【*人倫】(じんりん)これ
をあはれむ」といふ本文(ほんもん)あり【有り】。自余(じよ)はしら【知ら】ず、慶秀(けいしう)
が門徒(もんと)においては、今夜(こよひ)六波羅(ろくはら)におしよせて、打死(うちじに)
せよや」とぞ僉議(せんぎ)しける。円満院(ゑんまんゐんの)大輔(たいふ)(たゆう)源覚(げんかく)、すすみ
いでて申(まうし)けるは、「僉議(せんぎ)はし【端】おほし。夜(よ)のふくるに、いそげや
すすめ」とぞ申(まうし)ける。大衆揃(だいしゆぞろへ)S0410 搦手(からめで)にむかふ老僧(らうそう)ども、大将軍(たいしやうぐん)
P04099
には、源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)頼政(よりまさ)、乗円房[B ノ](じようゑんばうの)(ぜうゑんばうの)阿闍梨(あじやり)慶秀(けいしう)、P305律
成房[B ノ]阿闍梨(りつじやうばうのあじやり)日胤(にちゐん)、帥(そつの)法印(ほふいん)(ほうゐん)禅智(ぜんち)、禅智(ぜんち)が弟子(でし)義
宝(ぎほう)・禅永(ぜんやう)(ぜんえう)をはじめとして、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)一千(いつせん)人(にん)、手々(てんで)(て(ン)で)に
たい松(まつ)も(ッ)【持つ】て如意(によい)が峯(みね)へぞむかひける。大手(おほて)の
大将軍(たいしやうぐん)には嫡子(ちやくし)伊豆守(いづのかみ)仲綱(なかつな)、次男(じなん)源(げん)大夫(だいふの)判官(はんぐわん)兼綱(かねつな)、
六条蔵人(ろくでうのくらんど)仲家(なかいへ)、其(その)子(こ)蔵人(くらんど)太郎(たらう)仲光(なかみつ)、大衆(だいしゆ)には円満
院(ゑんまんゐん)の大輔(たいふ)(たゆう)源覚(げんかく)、成喜院(じやうきゐん)の荒土佐(あらどさ)、律成房[B ノ]伊賀公(りつじやうばうのいがこう)、
法輪院(ほふりんゐん)(ほうりんゐん)の鬼佐渡(おにさど)、これらはちから【力】のつよさ、うち【打】
P04100
物(もの)も(ッ)【持つ】ては鬼(おに)にも神(かみ)にもあは【会は】ふ(う)どいふ、一人当千(いちにんたうぜん)(いちにんとうぜん)の
つは物(もの)也(なり)。平等院(びやうどうゐん)には因幡(いなばの)堅者(りつしや)荒大夫(あらだいふ)、角[B ノ](すみの)六郎房(ろくらうばう)、
島(しま)の阿闍梨(あじやり)、つつ【筒】井(ゐ)法師(ぼふし)(ぼうし)に卿[B ノ]阿闍梨(きやうのあじやり)、悪少
納言(あくせうなごん)、北[B ノ]院(きたのゐん)には金光院(こんくわうゐん)の六天狗(ろくてんぐ)、式部(しきぶ)・大輔(たいふ)(たゆう)・能登(のと)・
加賀(かが)・佐渡(さど)・備後等(びんごとう)也(なり)。松井(まつゐ)の肥後(ひご)(ひ(ン)ご)、証南院(しやうなんゐん)の筑後(ちくご)、
賀屋[B ノ]筑前(がやのちくぜん)、大矢(おほや)の俊長(しゆんちやう)、五智院(ごちゐん)の但馬(たじま)、乗円房[B ノ](じようゑんばうの)(ぜうゑんばうの)
阿闍梨(あじやり)慶秀(けいしう)が房人(ばうにん)六十人(ろくじふにん)の内(うち)、加賀光乗(かがくわうぜう)、刑部
春秀(ぎやうぶしゆんしう)、法師原(ほふしばら)(ほうしばら)には一来(いちらい)法師(ほふし)(ほうし)にし【如】かざりけり。堂衆(たうじゆ)
P04101
にはつつ【筒】井(ゐ)の浄妙明秀(じやうめうめいしう)、小蔵[B ノ]尊月(をぐらのそんぐわつ)、尊永(そんゑい)・慈慶(じけい)・
楽住(らくぢゆう)(らくぢう)、かなこぶしの玄永(げんやう)(げんゑう)、武士(ぶし)には渡辺[B ノ]省(わたなべのはぶく)、播磨[B ノ]
次郎授(はりまのじらうさづく)、薩摩[B ノ]兵衛(さつまのひやうゑ)、長七唱(ちやうじつとなふ)、競[B ノ](きほふの)(きをほの)滝口(たきぐち)、与[B ノ](あたふの)右馬允(むまのじよう)(むまのぜう)、
続源太(つづくのげんた)、清(きよし)・勧(すすむ)を先(さき)として、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)一千五百(いつせんごひやく)
余人(よにん)、三井寺(みゐでら)をこそう(ッ)たち(うつたち)【打つ立ち】けれ。宮(みや)いら【入ら】せ給(たま)ひて
後(のち)は、大関小関(おほぜきこぜき)ほ【堀】りき(ッ)て、堀(ほり)ほり【掘り】さかも【逆茂】木(ぎ)ひい【引い】た
れば、堀(ほり)に橋(はし)わたし、さかも木(ぎ)ひきの【引除】くるな(ン)ど(など)しける
程(ほど)に、時剋(じこく)おしうつ(ッ)【移つ】て、関地(せきぢ)のには鳥(とり)【鶏】な【鳴】きあへり。
P04102
伊豆守(いづのかみ)の給(たま)ひけるは、「ここで鳥(とり)な【鳴】いては、六波羅(ろくはら)は
白P306昼(はくちう)にこそよ【寄】せんずれ。いかがせん」との給(たま)へば、円
満院(ゑんまんゐんの)大輔(たいふ)(たゆう)源覚(げんかく)、又(また)さき【先】のごとくすす【進】みいでて
僉議(せんぎ)しけるは、「昔(むかし)秦(しん)の昭王(せうわう)のとき、孟嘗君(まうしやうくん)めし
いましめ【召禁】られたりしに、きさきの御(おん)たすけによ(ッ)て、
兵物(つはもの)三千人(さんぜんにん)をひきぐし【具し】て、にげ【逃げ】まぬかれけるに、
凾谷関(かんこくのせき)にいたれり。鶏(にはとり)な【鳴】かぬかぎりは関(せき)の戸(と)を
ひらく事(こと)なし。孟嘗君(まうしやうくん)が三千(さんぜん)の客(かく)のなかに、てん
P04103
かつといふ兵物(つはもの)あり【有り】。鶏(にはとり)のなくまねをありがたく
しければ、鶏鳴(けいめい)ともいはれけり。彼(かの)鶏鳴(けいめい)たかき【高き】
ところ【所】にはしり【走り】あがり、にはとりのなく【鳴く】まねをし
たりければ、関路(せきぢ)のにはとりきき【聞き】つたへてみなな【鳴】きぬ。
其(その)時(とき)関(せき)もり【守】鳥(とり)のそらねにばか【化】されて、関(せき)の戸(と)
あけ【開け】てぞとをし(とほし)【通し】ける。これもかたきのはかり事(こと)にや
な【鳴】かすらん。ただよ【寄】せよ」とぞ申(まうし)ける。かかりし程(ほど)に五月(さつき)
のみじか夜(よ)、ほのぼのとこそあけ【明け】にけれ。伊豆守(いづのかみ)の給(たま)
P04104
ひけるは、「夜(よ)うち【討】にこそさりともとおもひ【思ひ】つれ
ども、ひるいくさ【昼軍】にはかなふ【叶ふ】まじ。あれよび【呼び】かへせや」
とて、搦手(からめで)、如意(によい)が峯(みね)よりよびかへす【返す】。大手(おほて)は松坂(まつざか)
よりと(ッ)てかへす【返す】。若大衆(わかだいしゆ)ども「これは一如房(いちによばう)阿闍梨(あじやり)
がなが僉議(せんぎ)にこそ夜(よ)はあけ【明け】たれ。おしよせて其(その)坊(ばう)
きれ【斬れ】」とて、坊(ばう)をさんざん【散々】にきる。ふせく【防く】ところ【所】の弟子(でし)、
同宿(どうじゆく)数十人(すじふにん)うたれぬ。一如坊阿(いちによばう)闍梨(あじやり)、はうはう(はふはふ)【這ふ這ふ】六波
羅(ろくはら)にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、老眼(らうがん)より涙(なみだ)をながい【流い】て此(この)由(よし)う(ッ)たへ(うつたへ)【訴へ】
P04105
申(まうし)けれ共(ども)、六波羅(ろくはら)には軍兵(ぐんびやう)数万騎(すまんぎ)馳(はせ)あつま(ッ)て、
さはぐ(さわぐ)【騒ぐ】事(こと)もなかりけり。P307同(おなじき)廿三日(にじふさんにち)の暁(あかつき)、宮(みや)は「この寺(てら)
ばかりではかなう(かなふ)【適ふ】まじ。山門(さんもん)は心(こころ)がは【変】りしつ。南都(なんと)は
いまだまいら(まゐら)【参ら】ず。後日(ごにち)にな(ッ)てはあ【悪】しかりなん」とて、三
井寺(みゐでら)をいでさせ給(たま)ひて、南都(なんと)へいら【入ら】せおはし
ます。此(この)宮(みや)は蝉(せみ)をれ【折れ】・小枝(こえだ)ときこえし漢竹(かんちく)の
笛(ふえ)(ふゑ)をふたつもた【持た】せ給(たま)へり。かのせみおれ(せみをれ)と申(まうす)は、昔(むかし)
鳥羽院(とばのゐん)の御時(おんとき)、こがねを千両(せんりやう)宋朝(そうてう)の御門(みかど)へおく
P04106
らせ給(たまひ)たりければ、返報(へんぽう)とおぼしくて、いき【生き】たる
蝉(せみ)のごとくにふし【節】のついたる笛竹(ふえたけ)(ふゑたけ)をひとよ【一節】お
くらせ給(たま)ふ。「いかがこれ程(ほど)の重宝(ちようほう)(てうほう)をさう【左右】なうはゑ【彫】ら
すべき」とて、三井寺(みゐでら)の大進僧正(だいしんそうじやう)覚宗(かくしゆう)(かくしう)に仰(おほせ)て、壇上(だんじやう)に
た(ッ)て、七日(しちにち)加持(かぢ)してゑらせ給(たま)へる御笛(おんふえ)(おんふゑ)也(なり)。或(ある)時(とき)、高松(たかまつ)
の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)実平【*実衡】卿(さねひらのきやう)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、この御笛(おんふえ)(おんふゑ)をふ【吹】かれけるが、よの
つねの笛(ふえ)(ふゑ)のやうにおもひ【思ひ】はすれ(わすれ)【忘れ】て、ひざ【膝】よりしも【下】
におかれたりければ、笛(ふえ)(ふゑ)やとが【咎】めけん、其(その)時(とき)蝉(せみ)をれ【折れ】に
P04107
けり。さてこそ蝉(せみ)をれ【折れ】とはつけられたれ。笛(ふえ)(ふゑ)のおん【御】
器量(きりやう)たるによ(ッ)て、此(この)宮(みや)御相伝(ごさうでん)あり【有り】けり。されども、
いま【今】をかぎりとやおぼしめさ【思召さ】れけん、金堂(こんだう)の弥勒(みろく)に
まいら(まゐら)【参ら】させおはします。竜花(りゆうげ)(りうげ)の暁(あかつき)、値遇(ちぐ)の御(おん)ためかと
おぼえて、あはれ【哀】な(ッ)し事共(ことども)也(なり)。老僧(らうそう)どもにはみないとま【暇】た【賜】う
で、とど【留】めさせおはします。しかるべき若大衆(わかだいしゆ)悪僧(あくそう)どもは
まいり(まゐり)【参り】けり。源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)の一類(いちるい)ひきぐし【具し】て、其(その)勢(せい)
一千人(いつせんにん)とぞきこえし。乗円房[B ノ](じようゑんばうの)(ぜうゑんばうの)阿闍梨(あじやり)慶秀(けいしう)、鳩(はと)の
P04108
杖(つゑ)(つえ)にすが(ッ)て宮(みや)の御(おん)まへにまいり(まゐり)【参り】、老眼(らうがん)より涙(なみだ)をP308
はらはらとながい【流い】て申(まうし)けるは、「いづくまでも御(おん)とも仕(つかまつる)
べう候(さうら)へども、齢(よはひ)すでに八旬(はつしゆん)にたけて、行歩(ぎやうぶ)にかな
い(かなひ)【叶ひ】がたう候(さうらふ)。弟子(でし)で候(さうらふ)刑部房(ぎやうぶばう)俊秀(しゆんしう)をまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)。是(これ)は
一(ひと)とせ平治(へいぢ)の合戦(かつせん)の時(とき)、故左馬頭(こさまのかみ)義朝(よしとも)が手(て)に候(さうら)ひ
て、六条河原(ろくでうかはら)で打死(うちじに)仕(つかまつり)候(さうらひ)し相模国(さがみのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、山内(やまのうち)須藤(すどう)[* 「源藤」と有るのを高野本により訂正]
刑部(ぎやうぶの)丞(じよう)(ぜう)俊通(としみち)が子(こ)で候(さうらふ)。いささかゆかり候(さうらふ)あひだ、跡(あと)ふと
ころ【懐】でおうし(おほし)【生し】[* 「おこし」と有るのを高野本により訂正]たてて、心(こころ)のそこまでよくよくし(ッ)【知つ】て候(さうらふ)。いづ
P04109
くまでもめしぐせ【召具せ】られ候(さうらふ)べし」とて、涙(なみだ)ををさへ(おさへ)てとど
まりぬ。宮(みや)もあはれ【哀】におぼしめし、「いつのよしみ【好】に
かうは申(まうす)らん」とて、御涙(おんなみだ)せきあへさせ給(たま)はず。橋合戦(はしがつせん)S0411 宮(みや)は
宇治(うぢ)と寺(てら)とのあひだにて、六度(ろくど)までをん(おん)【御】落馬(らくば)
あり【有り】けり。これはさんぬる夜(よ)、御寝(ぎよしん)のならざりしゆへ(ゆゑ)【故】
なりとて、宇治橋(うぢはし)三間(さんげん)ひきはづ【外】し、平等院(びやうどうゐん)にいれ【入れ】たて
ま(ッ)て、しばらく御休息(ごきうそく)あり【有り】けり。六波羅(ろくはら)には、「すはや、
宮(みや)こそ南都(なんと)へおち【落ち】させ給(たま)ふなれ。お(ッ)【追つ】かけてうち【討ち】たて
P04110
まつれ」とて、大将軍(たいしやうぐん)には、左兵衛督(さひやうゑのかみ)知盛(とももり)、頭(とうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡(しげひら)、
左馬頭(さまのかみ)行盛(ゆきもり)、薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)、さぶらひ【侍】大将(だいしやう)には、上総
守(かづさのかみ)忠清(ただきよ)、其(その)子(こ)上総(かづさの)太郎(たらう)判官(はんぐわん)忠綱(ただつな)、飛騨守(ひだのかみ)景家(かげいへ)、
其(その)子(こ)飛騨(ひだの)太郎(たらう)判官(はんぐわん)景高(かげたか)、高橋判官(たかはしのはんぐわん)長P309綱(ながつな)、河内判
官(かはちのはんぐわん)秀国(ひでくに)、武蔵(むさしの)三郎左衛門(さぶらうざゑもん)有国(ありくに)、越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうひやうゑの)尉(じよう)(ぜう)
盛継(もりつぎ)、上総五郎兵衛(かづさのごらうびやうゑ)忠光(ただみつ)、悪七兵衛(あくしちびやうゑ)景清(かげきよ)を先(さき)と
して、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)二万八千余騎(にまんぱつせんよき)、木幡山(こはたやま)うちこえ【越え】
て、宇治橋(うぢはし)のつめにぞおしよ【寄】せたる。かたき平等院(びやうどうゐん)
P04111
にとみ【見】てんげれば、時(とき)をつくる事(こと)三ケ度(さんがど)、宮(みや)の御方(おんかた)にも
時(とき)の声(こゑ)をぞあは【合】せたる。先陣(せんぢん)が、「橋(はし)をひい【引い】たぞ、あや
まちすな。橋(はし)をひいたぞ、あやまちすな」と、どよみ
けれ共(ども)、後陣(ごぢん)はこれをきき【聞き】つけず、われ【我】さき【先】にと
すす【進】むほどに、先陣(せんぢん)二百余騎(にひやくよき)おしをとさ(おとさ)【落さ】れ、水(みづ)に
おぼ【溺】れてながれけり。橋(はし)の両方(りやうばう)のつめにう(ッ)た(ッ)(うつたつ)【打つ立つ】て矢
合(やあはせ)す。宮(みや)の御方(おんかた)には、大矢(おほや)の俊長(しゆんちやう)、五智院(ごちゐん)の但馬(たじま)、
渡辺(わたなべ)の省(はぶく)・授(さづく)・続(つづく)の源太(げんた)がゐ(い)【射】ける矢(や)ぞ、鎧(よろひ)もかけず、
P04112
楯(たて)もたまらずとほり【通り】ける。源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)は、長絹(ちやうけん)のよ
ろひ直垂(びたたれ)にしながはおどし(しながはをどし)【科革縅】の鎧(よろひ)也(なり)。其(その)日(ひ)を最後(さいご)
とやおもは【思は】れけん、わざと甲(かぶと)はき【着】給(たま)はず。嫡子(ちやくし)伊豆守(いづのかみ)
仲綱(なかつな)は、赤地(あかぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、黒糸威(くろいとをどし)(くろいとおどし)の鎧(よろひ)也(なり)。弓(ゆみ)を
つようひか【引か】んとて、これも甲(かぶと)はき【着】ざりけり。ここに
五智院(ごちゐん)の但馬(たじま)、大長刀(おほなぎなた)のさや【鞘】をはづい【外い】て、只(ただ)一人(いちにん)
橋(はし)の上(うへ)にぞすす【進】んだる。平家(へいけ)の方(かた)にはこれをみて、
「あれゐ(い)【射】とれや物共(ものども)」とて、究竟(くつきやう)の弓(ゆみ)の上手(じやうず)どもが
P04113
矢(や)さき【先】をそろへて、さしつめ【差し詰め】ひきつめ【引き詰め】さんざん【散々】に
ゐ(い)【射】る。但馬(たじま)すこしもさはが(さわが)【騒が】ず、あが【上】る矢(や)をばつゐ(つい)く
ぐ【潛】り、さが【下】る矢(や)をばおどり(をどり)【躍り】こへ(こえ)【越え】、むか(ッ)てくるをば長刀(なぎなた)で
き【斬】(ッ)ておとす。かたき【敵】もみかたも見物(けんぶつ)P310す。それよりして
こそ、矢(や)き【斬】りの但馬(たじま)とはいはれけれ。堂衆(だうじゆ)のなかに、
つつ【筒】井(ゐ)の浄妙明秀(じやうめうめいしう)は、かち(ン)(かち)【褐】の直垂(ひたたれ)に黒皮威(くろかはをどし)(くろかはおどし)の鎧(よろひ)
きて、五枚甲(ごまいかぶと)の緒(を)(お)をしめ、黒漆(こくしつ)〔の〕太刀(たち)をはき、廿四(にじふし)さ【差】い
たるくろ【黒】ぼろ〔の〕矢(や)おひ【負ひ】、ぬりこめどう【塗籠籐】の弓(ゆみ)に、このむ白
P04114
柄(しらえ)の大長刀(おほなぎなた)とりそへて、橋(はし)のうへにぞすす【進】んだる。
大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて名(な)のりけるは、「日(ひ)ごろはをと(おと)【音】にも
ききつらん、いまは目(め)にもみ【見】給(たま)へ。三井寺(みゐでら)にはそのかくれ【隠れ】
なし。堂衆(だうじゆ)のなかにつつ【筒】井(ゐ)の浄妙明秀(じやうめうめいしう)といふ一人(いちにん)
当千(たうぜん)の兵物(つはもの)ぞや。われとおもわん人々(ひとびと)はよ【寄】りあへや。げ(ン)
ざん(げんざん)【見参】せん」とて、廿四(にじふし)さいたる矢(や)をさしつめ【差し詰め】ひきつめ【引き詰め】
さんざん【散々】にゐ(い)【射】る。やには【矢庭】に十二(じふに)人(にん)ゐころ(いころ)【射殺】して、十一人に
手(て)おほ【負】せたれば、ゑびら【箙】に一(ひとつ)ぞのこ(ッ)たる。弓(ゆみ)をばからと
P04115
なげ【投げ】すて、ゑびら【箙】もとい【解い】てすてて(ン)げり。つらぬ【貫】き
ぬ【脱】いではだし【跣】になり、橋(はし)のゆきげた【行桁】をさらさら
さらとはしり【走り】わたる。人(ひと)はおそれ【恐れ】てわた【渡】らねども、
浄妙房(じやうめうばう)が心地(ここち)には、一条(いちでう)二条(にでう)の大路(おほち)とこそふるま【振舞】う
たれ。長刀(なぎなた)でむか【向】ふかたき五人(ごにん)な【薙】ぎふせ、六人(ろくにん)に
あたるかたき【敵】にあふ(あう)【逢う】て、長刀(なぎなた)なか【中】よりうちを(ッ)【折つ】てす【捨】てて(ン)
げり。その後(のち)太刀(たち)をぬい【抜い】てたたかふ【戦ふ】に、かたきは大勢(おほぜい)なり、
くもで【蜘蛛手】・かくなは(かくなわ)【角縄】・十文字(じふもんじ)、と(ン)ばうかへり【蜻蛉返】・水車(みづくるま)、八方(はつばう)すか
P04116
さずき【斬】(ッ)たりけり。やにはに八人(はちにん)きりふせ、九人(くにん)に
あたるかたきが甲(かぶと)の鉢(はち)にあまりにつよ【強】う打(うち)あてて、
めぬき【目貫】のもとよりちやうどP311をれ【折れ】、く(ッ)とぬけ【抜け】て、河(かは)へ
ざ(ン)ぶと入(いり)にけり。たのむ【頼む】ところ【所】は腰刀(こしがたな)、ひとへに死(し)
なんとぞくるい(くるひ)【狂ひ】ける。ここに乗円房(じようゑんばう)(ぜうゑんばう)の阿闍梨(あじやり)慶秀(けいしう)
がめしつかい(つかひ)【使ひ】ける。一来(いちらい)法師(ほふし)(ほうし)といふ大(だい)ぢからのはやわざ【早業】
あり【有り】けり。つづいてうしろ【後】にたたかふ【戦ふ】が、ゆきげた【桁】はせ
ば【狭】し、そば【側】とほるべきやうはなし。浄妙房(じやうめうばう)が甲(かぶと)の手(て)さ
P04117
き【先】に手(て)ををい(おい)【置い】て、「あ【悪】しう候(さうらふ)、浄妙房(じやうめうばう)」とて、肩(かた)をづんど
おどり(をどり)【躍り】こへ(こえ)【越え】てぞたたかい(たたかひ)【戦ひ】ける。一来(いちらい)法師(ほふし)(ほうし)打死(うちじに)してん
げり。浄妙房(じやうめうばう)はうはう(はふはふ)【這ふ這ふ】かへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て、平等院(びやうどうゐん)の門(もん)のまへなる
芝[B ノ](しばの)うへに、物(ものの)ぐ【具】ぬぎすて、鎧(よろひ)にた(ッ)【立つ】たる矢(や)め【目】をかぞへ
たりければ六十三(ろくじふさん)、うらかく矢(や)五所(いつところ)、されども大事(だいじ)
の手(て)ならねば、ところどころ【所々】に灸治(きうぢ)して、かしら【頭】からげ、浄衣(じやうえ)(じやうゑ)
き【着】て、弓(ゆみ)うちきり【切り】杖(つゑ)(つえ)につき、ひらあしだ【平足駄】はき、阿弥陀
仏(あみだぶつ)申(まうし)て、奈良(なら)の方(かた)へぞまかりける。浄妙房(じやうめうばう)がわたるを
P04118
手本(てほん)にして、三井寺(みゐでら)の大衆(だいしゆ)・渡辺党(わたなべたう)、はしり【走り】つづ
きはしり【走り】つづき、われもわれもとゆきげたをこそ
わたりけれ。或(あるい)(あるひ)は分(ぶん)どり【捕】してかへる物(もの)もあり【有り】、或(あるい)(あるひ)はいた
手(で)【痛手】おうて腹(はら)かききり【切り】、河(かは)へ飛入(とびいる)物(もの)もあり【有り】。橋(はし)のうへ
のいくさ、火(ひ)い【出】づる程(ほど)ぞたたかい(たたかひ)【戦ひ】ける。これをみて平
家(へいけ)の方(かた)の侍大将(さぶらひだいしやう)上総守(かづさのかみ)忠清(ただきよ)、大将軍(たいしやうぐん)の御(おん)まへに
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「あれ御(ご)らん候(さうら)へ。橋(はし)のうへのいくさ手(て)いたう候(さうらふ)。
いまは河(かは)をわた【渡】すべきで候(さうらふ)が、おりふし(をりふし)【折節】五月雨(さみだれ)のころで、
P04119
水(みづ)まさ(ッ)て候(さうらふ)。わたP312さば馬(むま)人(ひと)おほくうせ【失せ】候(さうらひ)なんず。淀(よど)・
いもあらい(いもあらひ)【一口】へやむか【向】ひ候(さうらふ)べき。河内路(かはちぢ)へやまは【廻】り候(さうらふ)べき」
と申(まうす)ところ【所】に、下野国[B ノ](しもつけのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)足利[B ノ]又太郎忠綱(あしかがのまたたらうただつな)、すす【進】み
いでて申(まうし)けるは、「淀(よど)・いもあらい(いもあらひ)【一口】・河内路(かはちぢ)をば、天竺(てんぢく)、震旦(しんだん)の
武士(ぶし)をめしてむ【向】けられ候(さうら)はんずるか。それも我等(われら)こそ
むか【向】ひ候(さうら)はんずれ。目(め)にかけたるかたき【敵】をうた【討た】ず
して、南都(なんと)へいれ【入れ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらひ)なば、吉野(よしの)・とつかは【十津川】の勢(せい)
ども馳集(はせあつまり)て、いよいよ御大事(おんだいじ)でこそ候(さうら)はんずらめ。
P04120
武蔵(むさし)と上野(かうづけ)のさかゐ(さかひ)【境】[B に]とね【利根】河(がは)と申(まうし)候(さうらふ)大河(だいがの)候(さうらふ)。
秩父(ちちぶ)・足利(あしかが)なか【仲】をたがひ【違ひ】、つねは合戦(かつせん)をし候(さうらひ)しに、
大手(おほて)は長井(ながゐ)〔の〕わたり、搦手(からめで)は故我杉(こがすぎ)のわたりより
よせ候(さうらひ)しに、上野国(かうづけのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)新田[B ノ](につたの)入道(にふだう)(にうだう)、足利(あしかが)にか
たらはれて、杉(すぎ)の渡(わたし)よりよ【寄】せんとてまう【設】けたる
舟共(ふねども)を、秩父(ちちぶ)が方(かた)よりみなわ【破】られて申(まうし)候(さうらひ)しは、「ただ
いま【今】ここをわたさずは、ながき弓矢(ゆみや)の疵(きず)なるべし。
水(みづ)におぼれてしな【死な】ばしね。いざわたさん」とて、馬筏(むまいかだ)
P04121
をつく(ッ)てわたせ【渡せ】ばこそわたしけめ。坂東武者(ばんどうむしや)の
習(ならひ)として、かたきを目(め)にかけ、河(かは)をへだつるい
くさに、淵瀬(ふちせ)きらふ様(やう)やある。此(この)河(かは)のふかさ【深さ】はやさ【早さ】、
とね【利根】河(がは)にいくほどのおとりまさりはよもあらじ。つづ
けや殿原(とのばら)」とて、ま(ッ)さき【真先】にこそ打入(うちい)れたれ。つづく
人共(ひとども)、大胡(おほご)・大室(おほむろ)・深須(ふかず)・山上(やまがみ)、那波[B ノ]太郎(なばのたらう)、佐貫[B ノ]広綱(さぬきのひろつな)
四郎(しらう)大夫(だいふ)、小野寺[B ノ]禅師太郎(をのでらのぜんじたらう)、辺屋(へや)こ【子】の四郎(しらう)、郎等(らうどう)には、
宇夫方次郎(うぶかたのじらう)、切生(きりふ)の六郎(ろくらう)、田中(たなか)の宗太(むねだ)をはじめと
P04122
しP313て、三百余騎(さんびやくよき)ぞつづきける。足利(あしかが)大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげ
て、「つよき馬(むま)をばうは【上】手(て)にたて【立て】よ、よはき(よわき)【弱き】馬(むま)をばした【下】
手(で)になせ。馬(むま)の足(あし)のおよば【及ば】うほどは、手綱(たづな)をくれて
あゆ【歩】ませよ。はづまばかいく【繰】(ッ)ておよ【泳】がせよ。さが【下】らう
物(もの)をば、弓(ゆみ)のはず【筈】にとりつ【付】かせよ。手(て)をとりく【組】み、
肩(かた)をならべてわたすべし。鞍(くら)つぼ【壷】によくのり【乗り】
さだま(ッ)【定まつ】て、あぶみ【鐙】をつようふめ。馬(むま)のかしらしづ【沈】
まばひきあげよ。いたうひい【引い】てひ(ッ)(ひつ)【引つ】かづ【被】くな。水(みづ)しと
P04123
まば、さんづ【三頭】のうへにのり【乗り】かかれ。馬(むま)にはよはう(よわう)【弱う】、水(みづ)には
つよ【強】うあたるべし。河(かは)なか【中】で弓(ゆみ)ひくな。かたきゐ(い)【射】る
ともあひびき【相引】すな。つねにしころ【錣】をかたぶ【傾】けよ。
いたうかたむけ【傾け】[* 「かたむい」と有るのを高野本により訂正]て手(て)へんいさすな。かねにわた
い【渡い】ておしをとさ(おとさ)【落さ】るな。水(みづ)にしなうてわたせ【渡せ】やわ
たせ【渡せ】」とおき【掟】てて、三百余騎(さんびやくよき)、一騎(いつき)もながさず、むかへ
の岸(きし)へざ(ッ)とわたす。宮(みやの)御最期(ごさいご)S0412 足利(あしかが)は朽葉(くちば)の綾(あや)の直垂(ひたたれ)に、赤
皮威(あかがはをどし)(あかがはおどし)の鎧(よろひ)きて、たか【高】角(づの)う(ッ)たる甲(かぶと)のを【緒】しめ、こが
P04124
ねづくりの太刀(たち)をはき、きりう(きりふ)【切斑】の矢(や)おひ、しげどう【滋籐】(の)
弓(ゆみ)も(ッ)【持つ】て、連銭葦毛(れんぜんあしげ)なる馬(むま)に、柏木(かしはぎ)に耳(みみ)づく【木菟】
う(ッ)たる黄覆輪(きぶくりん)の鞍(くら)おひ(おい)【置い】てぞの(ッ)【乗つ】たりける。
あぶみふ(ン)P314ばりたち【立ち】あがり、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)あげてなの【名乗】り
けるは、「とをく(とほく)【遠く】は音(おと)にもきき、ちかく【近く】は目(め)にもみ【見】給(たま)へ。
昔(むかし)朝敵(てうてき)将門(まさかど)をほろぼし、勧賞(けんじやう)かうぶ(ッ)し俵藤
太秀里【*秀郷】(たはらとうだひでさと)に十代(じふだい)、足利[B ノ](あしかがの)太郎(たらう)俊綱(としつな)が子(こ)、又太郎(またたらう)忠綱(ただつな)、
生年(しやうねん)十七(じふしち)歳(さい)、か様(やう)【斯様】に無官(むくわん)無位(むゐ)なる物(もの)の、宮(みや)にむか
P04125
い(むかひ)【向ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、弓(ゆみ)をひき矢(や)を放(はなつ)事(こと)、天(てん)のおそ
れ【恐れ】すくなからず候(さうら)へ共(ども)、弓(ゆみ)も矢(や)も冥(みやう)が【加】のほども、
平家(へいけ)の御身(おんみ)のうへにこそ候(さうらふ)らめ。三位(さんみ)入道[B 殿](にふだうどの)(にうだうどの)の御(おん)
かたに、われとおも【思】はん人々(ひとびと)はよ【寄】りあへや、げ(ン)ざん(げんざん)【見参】せん」
とて、平等院(びやうどうゐん)の門(かど)のうちへ、せめ【攻め】入(いり)せめ【攻め】入(いり)たたかい(たたかひ)【戦ひ】けり。
これをみて、大将軍(たいしやうぐん)左兵衛督(さひやうゑのかみ)知盛(とももり)、「わたせ【渡せ】やわ
たせ【渡せ】」と下知(けぢ)せられければ、二万八千余騎(にまんばつせんよき)、みなう
ちいれ【打ち入れ】てわたしけり。馬(むま)や人(ひと)にせかれて、さばかり
P04126
早(はや)き宇治河(うぢがは)の水(みづ)は、かみ【上】にぞたた【湛】へたる。おのづから
もはづるる水(みづ)には、なにもたまらずながれ【流れ】けり。雑人(ざふにん)(ざうにん)
どもは馬(むま)のした【下】手(で)にとりつき【取り付き】とりつき【取り付き】わた【渡】りければ、
ひざ【膝】よりかみ【上】をばぬらさぬ物(もの)もおほかりけり。いかが【如何】
したりけん、伊賀(いが)・伊勢(いせ)両国(りやうごく)の官兵(くわんべい)、馬(むま)いかだ【筏】おし
やぶ【破】られ、水(みづ)におぼれて六百(ろつぴやく)余騎(よき)ぞながれける。
萌黄(もえぎ)・火威(ひをどし)(ひおどし)・赤威(あかをどし)(あかおどし)、いろいろの鎧(よろひ)のうきぬしづ【沈】みぬ
ゆられけるは、神(かみ)なび山(やま)の紅葉(もみぢ)ばの、嶺(みね)の嵐(あらし)にさそ
P04127
はれて、竜田河(たつたがは)の秋(あき)の暮(くれ)、いせき(ゐせき)にかか(ッ)てながれ【流れ】も
やらぬにことならず。其(その)中(なか)にひをどし【緋縅】の鎧(よろひ)きたる
武者(むしや)が三人(さんにん)、あじろにながれ【流れ】かか(ッ)P315てゆられけるを、伊
豆守(いづのかみ)み【見】給(たま)ひて、
伊勢武者(いせむしや)はみなひをどしのよろひきて
宇治(うぢ)の網代(あじろ)にかかりぬるかな W024
これは三人(さんにん)ながら伊勢国(いせのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)也(なり)。黒田[B ノ](くろだの)後平(ごへい)四郎(しらう)、
日野[B ノ](ひのの)十郎(じふらう)、乙部[B ノ](をとべの)弥七(やしち)といふ物(もの)なり。其(その)なかに日野(ひの)
P04128
の十郎(じふらう)はふる物(もの)にてあり【有り】ければ、弓(ゆみ)のはず【弭】を岩(いは)のは
ざまにねぢたて【立て】てかきあがり、二人(ににん)の物共(ものども)をもひき【引き】
あげて、たす【助】けたりけるとぞきこえし。おほぜい【大勢】
みなわた【渡】して、平等院(びやうどうゐん)の門(もん)のうちへいれかゑ(いれかへ)【入れ換へ】いれかゑ(いれかへ)【入れ換へ】たた
かい(たたかひ)【戦ひ】けり。此(この)まぎれに、宮(みや)をば南都(なんと)へさきだて【先立て】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】、
源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)の一類(いちるい)のこ(ッ)て、ふせき【防き】矢(や)ゐ(い)【射】給(たま)ふ。三位(さんみ)
入道(にふだう)(にうだう)七十(しちじふ)にあま(ッ)ていくさして、弓手(ゆんで)のひざ【膝】口(ぐち)をゐ(い)【射】
させ、いたで【痛手】なれば、心(こころ)しづかに自害(じがい)せんとて、平等院(びやうどうゐん)
P04129
の門(もん)の内(うち)へひき退(しりぞき)て、かたき【敵】おそい(おそひ)【襲ひ】かかりければ、
次男(じなん)源(げん)大夫(だいふの)判官(はんぐわん)兼綱(かねつな)、紺地(こんぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、唐綾
威(からあやをどし)(からあやおどし)の鎧(よろひ)きて、白葦毛(しらあしげ)なる馬(むま)にのり、父(ちち)をのばさん
と、かへし【返し】あはせかへし【返し】あはせふせき【防き】たたかふ【戦ふ】。上総(かづさの)太郎(たらう)判官(はんぐわん)が
ゐ(い)【射】ける矢(や)に、兼綱(かねつな)うち【内】甲(かぶと)をゐ(い)【射】させてひるむとこ
ろ【所】に、上総守(かづさのかみ)が童(わらは)次郎丸(じらうまる)といふしたたか物(もの)、おしならべ
ひ(ッ)(ひつ)【引つ】く(ン)【組ん】で、どうどお【落】つ。源(げん)大夫(だいふの)判官(はんぐわん)はうち甲(かぶと)もいた手(で)【痛手】
なれ共(ども)、きこゆる【聞ゆる】大(だい)ぢからなりければ、童(わらは)をと(ッ)ておさへ
P04130
て頸(くび)をかき、P316たちあが【立上】らんとするところ【所】に、平家(へいけ)の
兵物(つはもの)ども十四五(じふしご)騎(き)、ひしひしとおちかさな(ッ)【落重なつ】て、つゐに(つひに)【遂に】
兼綱(かねつな)をばう【討】(ッ)て(ン)げり。伊豆守(いづのかみ)仲綱(なかつな)もいた手(で)【痛手】あまた
おひ、平等院(びやうどうゐん)の釣殿(つりどの)にて自害(じがい)す。その頸(くび)をば、しも【下】
河辺(かはべ)の藤(とう)三郎(さぶらう)清親(きよちか)と(ッ)【取つ】て、大床(おほゆか)のしたへぞなげ入(いれ)
ける。六条蔵人(ろくでうのくらんど)仲家(なかいへ)、其(その)子(こ)蔵人(くらんどの)太郎(たらう)仲光(なかみつ)も、さんざん【散々】
にたたかひ、分(ぶん)どり【捕】あまたして、遂(つひ)(つゐ)に打死(うちじに)して(ン)げり。
この仲家(なかいへ)と申(まうす)は、帯刀[B ノ](たてはきの)(たてわきの)先生(せんじやう)義方【*義賢】(よしかた)が嫡子(ちやくし)也(なり)。みなし
P04131
子(ご)にてあり【有り】しを、三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)養子(やうじ)にして不便(ふびん)にし
給(たま)ひしが、日来(ひごろ)の契(ちぎり)を変(へん)ぜず、一所(いつしよ)にて死(し)にに
けるこそむざんなれ。三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)は、渡辺長七唱(わたなべちやうじつとなふ)〔を〕
めして、「わが頸(くび)うて」との給(たま)ひければ、主(しゆ)のいけくび【生首】
うたん事(こと)のかなし(ッ)さに、涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、
「仕(つかまつ)ともおぼえ候(さうら)はず。御自害(ごじがい)候(さうら)はば、其(その)後(のち)こそ給(たま)はり
候(さうら)はめ」と申(まうし)ければ、「まこと【誠】にも」とて、西(にし)にむかひ、高
声(かうしやう)に十念(じふねん)となへ、最後(さいご)の詞(ことば)ぞあはれ【哀】なる。
P04132
埋木(むもれぎ)の花(はな)さく事(こと)もなかりしに
身(み)のなるはて【果】ぞかなしかりける W025
これを最後(さいご)の詞(ことば)にて、太刀(たち)のさきを腹(はら)につき
たて、うつぶ【俯】さまにつらぬ【貫】か(ッ)てぞうせ【失せ】られける。
其(その)時(とき)に歌(うた)よむべうはなかりしかども、わか【若】うより
あながちにす【好】いたる道(みち)なれば、最後(さいご)の時(とき)もわすれ
給(たま)はず。その頸(くび)をば唱(となふ)取(ッ)て、なくなく【泣く泣く】石(いし)にくくり【括り】
あはせ、かたきのなかをまぎれいでて、宇治河(うぢがは)の
P04133
ふかきところ【所】にしP317づめけり。競(きほふ)(きをほ)の滝口(たきぐち)をば、平家(へいけ)の
侍共(さぶらひども)、いかにもしていけどり【生捕】にせんとうかがひ【伺ひ】けれ
ども、競(きほふ)(きをほ)もさきに心(こころ)えて、さんざん【散々】にたたかひ、大事(だいじ)
の手(て)おひ、腹(はら)かきき(ッ)【切つ】てぞ死(しに)にける。円満院[B ノ](ゑんまんゐんの)大輔(たいふ)(たゆう)
源覚(げんかく)、いまは宮(みや)もはるかにのびさせ給(たまひ)ぬらんとや
おもひけん、大太刀(おほだち)大長刀(おほなぎなた)左右(さいう)(さゆう)にも(ッ)【持つ】て、敵(かたき)のなか
うちやぶり、宇治河(うぢがは)へとんでいり。物(もの)の具(ぐ)一(ひとつ)も
すてず、水(みづ)の底(そこ)をくぐ(ッ)て、むかへの岸(きし)にわたり
P04134
つき、たかきところ【所】にのぼりあがり、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)を
あげて、「いかに平家(へいけ)の君達(きんだち)、これまでは御大事(おんだいじ)か
よう」とて、三井寺(みゐでら)へこそかゑり(かへり)【帰り】けれ。飛騨守(ひだのかみ)景家(かげいへ)
はふる【古】兵物(つはもの)にてあり【有り】ければ、このまぎれに、宮(みや)は南都(なんと)へ
やさきだたせ給(たま)ふらんとて、いくさをばせず、其(その)勢(せい)
五百余騎(ごひやくよき)、鞭(むち)あぶみをあはせてお(ッ)【追つ】かけたてまつる【奉る】。
案(あん)のごとく、宮(みや)は卅騎(さんじつき)ばかりで落(おち)させ給(たま)ひけるを、
光明山(くわうみやうざん)の鳥居(とりゐ)のまへにてお(ッ)【追つ】つきたてまつり【奉り】、
P04135
雨(あめ)のふる様(やう)にゐ(い)【射】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】ければ、いづれが矢(や)とはおぼえ
ねど、宮(みや)の左(ひだり)の御(おん)そば腹(はら)に矢(や)一(ひと)すぢたちければ、
御馬(おんむま)より落(おち)させ給(たまひ)て、御頸(おんくび)とられさせ給(たま)ひけり。
これをみて御共(おんとも)に候(さうらひ)ける鬼佐渡(おにさど)・荒土左(あらどさ)・あら【荒】
大夫(だいぶ)、理智城房(りちじやうばう)の伊賀公(いがこう)、刑部俊秀(ぎやうぶしゆんしう)・金光院(こんくわうゐん)(こんくわゐん)の
六天狗(ろくてんぐ)、いつのために命(いのち)をばおしむ(をしむ)【惜しむ】べきとて、お
めき(をめき)【喚き】さけん【叫ん】で打死(うちじに)す。P318その中(なか)に宮(みや)の御(おん)めのと【乳母】子(ご)、
六条[B ノ]大夫(ろくでうのたいふ)宗信(むねのぶ)、かたき【敵】はつづく、馬(むま)はよはし(よわし)【弱し】、に井(ゐ)の【野】
P04136
の池(いけ)へ飛(とん)でいり、うき【浮】草(くさ)かほ【顔】にとりおほひ【覆ひ】、ふる
ゐ(ふるひ)【震ひ】ゐ【居】たれば、かたきはまへ【前】をうちす【過】ぎぬ。しばしあ(ッ)て
兵物共(つはものども)の四五百騎(しごひやくき)、ざざめいてうちかへ【帰】りける中(なか)に、
浄衣(じやうえ)(じやうゑ)き【着】たる死人(しにん)の頸(くび)もないを、しとみ【蔀】のもとにかいて
い【出】できたりけるを、たれ【誰】やらんとみ【見】たてまつれ【奉れ】ば、宮(みや)
にてぞ在(まし)ましける。「われしな【死な】ば、この笛(ふえ)(ふゑ)をば御棺(みくわん)に
いれよ【入れよ】」と仰(おほせ)ける、小枝(こえだ)ときこえし御笛(おんふえ)も、いまだ御
腰(おんこし)にささ【挿さ】れたり。はしり【走り】いでてとり【取り】もつき【付き】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】
P04137
ばやとおもへ【思へ】ども、おそろしけれ【恐ろしけれ】ばそれもかなは【叶は】ず、かた
きみな【皆】かへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て後(のち)、池(いけ)よりあがり、ぬ【濡】れたる物(もの)ども
しぼりき【着】て、なくなく【泣く泣く】京(きやう)へのぼりたれば、にく【憎】まぬ
物(もの)こそなかりけれ。さる程(ほど)に、南都(なんと)の大衆(だいしゆ)ひた甲(かぶと)
七千余人(しちせんよにん)、宮(みや)の御(おん)むかへにまいる(まゐる)【参る】。先陣(せんぢん)は粉津(こづ)に
すすみ、後陣(ごぢん)はいまだ興福寺(こうぶくじ)の南大門(なんだいもん)にゆらへ
たり。宮(みや)ははや光明山(くわうみやうざん)の鳥居(とりゐ)のまへにてうた【討た】れさせ
給(たまひ)ぬときこえしかば、大衆(だいしゆ)みな力(ちから)及(およ)(をよ)ばず、涙(なみだ)ををさへ(おさへ)て
P04138
とどまりぬ。いま五十町(ごじつちやう)ばかりまち【待ち】つけ給(たま)はで、うた【討た】れ
させ給(たまひ)けん宮(みや)の御運(ごうん)のほどこそうたてけれ。P319若宮出家(わかみやしゆつけ)S0413 平家(へいけ)
の人々(ひとびと)は、宮(みや)並(ならび)に三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)の一族(いちぞく)、三井[B 寺](みゐでら)の衆徒(しゆと)、都合(つがふ)(つがう)
五百余(ごひやくよ)人(にん)が頸(くび)、太刀(たち)長刀(なぎなた)のさきにつらぬ【貫】き、た
かく【高く】さしあげ、夕(ゆふべ)に及(および)(をよび)て六波羅(ろくはら)へかゑり(かへり)【帰り】いる。兵物(つはもの)
どもいさみののしる事(こと)、おそろし【恐ろし】な(ン)ど(など)もおろか也(なり)。
其(その)なかに源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)の頸(くび)は、長七唱(ちやうじつとなふ)がと(ッ)【取つ】て宇治河(うぢがは)
のふかきところ【所】にしづ【沈】めて(ン)げれば、それは見(み)えざり
P04139
けり。子共(こども)の頸(くび)はあそこここよりみな尋(たづね)いださ【出さ】れ
たり。[B 中(なか)に]宮(みや)の御頸(おんくび)は、年来(としごろ)まいり(まゐり)【参り】よる人(ひと)もなければ、
見(み)しりまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たる人(ひと)もなし。先年(せんねん)典薬頭(てんやくのかみ)定成(さだなり)
こそ、御療治(ごりやうぢ)のためにめさ【召さ】れたりしかば、それぞ見(み)
しり【知り】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たるらんとて、めさ【召さ】れけれ共(ども)、現所労(げんじよらう)
とてまいら(まゐら)【参ら】ず。宮(みや)のつねにめさ【召さ】れける女房(にようばう)とて、
六波羅(ろくはら)へたづ【尋】ねいだされたり。さしもあさ【浅】からず
おぼしめさ【思召さ】れて、御子(おんこ)をうみまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、最愛(さいあい)あり【有り】
P04140
しかば、いかでか見(み)そん【損】じたてまつる【奉る】べき。只(ただ)一目(ひとめ)見(み)
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、袖(そで)をかほにお【押】しあてて、涙(なみだ)をながされ
けるにこそ、宮(みや)の御頸(おんくび)とはしり【知り】て(ン)げれ。此(この)宮(みや)は
はうばうに御子(おんこ)の宮(みや)たちあまたわた【渡】らせ給(たま)ひけり。
八条女院(はつでうのにようゐん)に、伊与【*伊予】守(いよのかみ)盛教(もりのり)がむすめ、三位(さんみの)局(つぼね)とて候(さうら)
はれける女房(にようばう)の腹(はら)に、七歳(しちさい)の若宮(わかみや)、五歳(ごさい)のP320姫宮(ひめみや)
在(まし)ましけり。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこくの)おとと【弟】、池(いけ)の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)頼盛卿(よりもりのきやう)を
も(ッ)て、八条[B ノ]女院(はつでうのにようゐん)へ申(まう)されけるは、「高倉(たかくら)の宮(みや)の御子(おんこ)の
P04141
宮達(みやたち)のあまたわたらせ給(たまひ)候(さうらふ)なる、姫宮(ひめみや)の御事(おんこと)は申(まうす)
に及(およ)(をよ)ばず、若宮(わかみや)をばとうとういだし【出し】まいら(まゐら)【参ら】させ給(たま)へ」と
申(まう)されたりければ、女院(にようゐん)御返事(おんぺんじ)には、「かかるきこえの
あり【有り】し暁(あかつき)、御(お)ちの人(ひと)な(ン)ど(など)が心(こころ)おさなう(をさなう)【幼う】ぐし【具し】たてま(ッ)て
うせ【失せ】にけるにや、ま(ッ)たく此(この)御所(ごしよ)にはわたらせ給(たま)
はず」と仰(おほせ)ければ、頼盛卿(よりもりのきやう)力(ちから)及(およ)(をよ)ばでこのよしを入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)
に申(まう)されけり。「何条(なんでう)其(その)御所(ごしよ)ならでは、いづく【何処】へかわた
らせ給(たまふ)べかんなる。其(その)儀(ぎ)ならば武士(ぶし)どもまい(ッ)(まゐつ)【参つ】てさがし
P04142
奉(たてまつ)れ」とぞの給(たま)ひける。この中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)は、女院(にようゐん)の御(おん)めのと
子(ご)宰相殿(さいしやうどの)と申(まうす)女房(にようばう)にあひぐし【具し】て、つねにまいり(まゐり)【参り】
かよ【通】はれければ、日来(ひごろ)はなつかしうこそおぼしめされ
けるに、此(この)宮(みや)の御事(おんこと)申(まう)しにまいら(まゐら)【参ら】れたれば、いまは
あらぬ人(ひと)の様(やう)にうと【疎】ましう〔ぞ〕おぼしめさ【思召さ】れける。
若宮(わかみや)、女院(にようゐん)に申(まう)させ給(たま)ひけるは、「これほどの御大事(おんだいじ)
に及(および)(をよび)候(さうらふ)うへ【上】は、つゐに(つひに)【遂に】のが【逃】れ候(さうらふ)まじ。とうとういださ【出さ】せ
をはしませ(おはしませ)」と申(まう)させ給(たまひ)ければ、女院(にようゐん)御涙(おんなみだ)をはらはらと
P04143
ながさ【流さ】せ給(たま)ひて、「人(ひと)の七(ななつ)八(やつ)は、何事(なにごと)をもいまだお
もひ【思ひ】わか【分か】ぬ程(ほど)ぞかし。それにわれゆへ(ゆゑ)【故】大事(だいじ)の
いできた【出来】る事(こと)を、かた【片】はらいたくおもひ【思ひ】て、かやうに
の給(たま)ふいとおしさ(いとほしさ)よ。よしなかりける人(ひと)を此(この)六七年(ろくしちねん)
手(て)な【馴】らして、かかるうき目(め)をみる【見る】よ」とて、御涙(おんなみだ)せ
きあへさせ給(たま)はず。P321頼盛卿(よりもりのきやう)、宮(みや)いだし【出し】まいら(まゐら)【参ら】させ
給(たま)ふべきよし、かさ【重】ねて申(まう)されければ、女院(にようゐん)ちから【力】
およばせ給(たま)はで、つゐに(つひに)【遂に】宮(みや)をいだし【出し】まいら(まゐら)【参ら】させ給(たま)
P04144
ひけり。御母(おんぱは)三位(さんみ)の局(つぼね)、今(いま)をかぎりの別(わかれ)なれば、さ
こそは御名残(おんなごり)おしう(をしう)【惜しう】おもは【思は】れけめ。なくなく【泣く泣く】御衣(おんきぬ)
きせ【着せ】奉(たてまつ)り、御(おん)ぐし【髪】かきな【撫】で、いだし【出し】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ふも、
ただ夢(ゆめ)とのみぞおもは【思は】れける。女院(にようゐん)をはじ【始】めまいらせ(まゐらせ)【参らせ】
て、局(つぼね)の女房(にようばう)、め【女】の童(わらは)にいたるまで、涙(なみだ)をながし
袖(そで)をしぼらぬはなかりけり。頼盛卿(よりもりのきやう)宮(みや)う【受】けとり
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】、御車(おんくるま)にのせ【乗せ】奉(たてまつ)て、六波羅(ろくはら)へわたし奉(たてまつ)る。
前(さきの)右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)、此(この)宮(みや)をみ【見】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、父(ちち)の相国
P04145
禅門(しやうこくぜんもん)の御(おん)まへにおはして、「なにと候(さうらふ)やらん、此(この)宮(みや)を
見(み)たてまつる【奉る】があま【余】りにいとをしう(いとほしう)おもひ【思ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)。
り【理】をまげて此(この)宮(みや)の御命(おんいのち)をば宗盛(むねもり)にた【賜】び候(さうら)へ」と
申(まう)されければ、入道(にふだう)(にうだう)「さらばとうとう出家(しゆつけ)をせさせ
奉(たてまつ)れ」とぞの給(たま)ひける。宗盛卿(むねもりのきやう)此(この)よしを八条[B ノ]女院(はつでうのにようゐん)
に申(まう)されければ、女院(にようゐん)「なにのやう【様】もあるべからず。只(ただ)
とうとう」とて、法師(ほふし)(ほうし)になし奉(たてまつ)り、尺子(しやくし)にさだ【定】まら
せ給(たま)ひて、仁和寺(にんわじ)の御室(おむろ)の御弟子(おんでし)になしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】
P04146
給(たま)ひけり。後(のち)には東寺(とうじ)の一(いち)の長者(ちやうじや)、安井(やすゐ)の宮(みや)の
僧正(そうじやう)道尊(だうそん)と申(まうし)しは、此(この)宮(みや)の御事(おんこと)也(なり)。P322通乗之沙汰(とうじようのさた)(とうぜうのさた)S0414 又(また)奈良(なら)
にも一所(いつしよ)在(まし)ましけり。御(おん)めのと讃岐守(さぬきのかみ)重秀(しげひで)が
御出家(ごしゆつけ)せさせ奉(たてまつ)り、ぐ【具】しまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て北国(ほつこく)へ落(おち)く
だり[B たり]しを、木曾義仲(きそよしなか)上洛(しやうらく)の時(とき)、主(しゆ)にしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん
とてぐ【具】し奉(たてまつり)て宮(みや)こ【都】へのぼり、御元服(ごげんぶく)せさせま
いらせ(まゐらせ)【参らせ】たりしかば、木曾(きそ)が宮(みや)とも申(まうし)けり。又(また)還俗(げんぞく)の
宮(みや)とも申(まうし)けり。後(のち)には嵯峨(さが)のへん野依(のより)にわた
P04147
らせ給(たまひ)しかば、野依(のより)の宮(みや)とも申(まうし)けり。昔(むかし)通乗(とうじよう)(とうぜう)と
いふ相人(さうにん)あり【有り】。宇治殿(うぢどの)・二条殿(にでうどの)をば、「君(きみ)三代(さんだい)の関
白(くわんぱく)、ともに御年(おんとし)八十(はちじふ)と申(まうし)たりしもたがは【違は】ず。帥(そつ)のうち
のおとどをば、「流罪(るざい)の相(さう)まします」と申(まうし)たりしも
たがは【違は】ず。聖徳太子(しやうとくたいし)の崇峻天皇(すじゆんてんわう)を「横死(わうし)の相(さう)
在(まし)ます」と申(まう)させ給(たま)ひたりしが、馬子(むまこ)の大臣(だいじん)にころ
され給(たま)ひにき。さもしか【然】るべき人々(ひとびと)は、かならず【必ず】相人(さうにん)と
しもにあらねども、かうこそめでたかりしか、これは
P04148
相少納言(さうせうなごん)が不覚(ふかく)にはあらずや。中比(なかごろ)兼明親王(げんめいしんわう)・具平
親王(ぐへいしんわう)と申(まうし)しは、前(さきの)中書王(ちゆうしよわう)(ちうしよわう)・後中書王(ごちゆうしよわう)(ごちうしよわう)とて、ともに
賢王(けんわう)聖主(せいしゆ)の王子(わうじ)にてわたらせ給(たまひ)しかども、位(くらゐ)にも
つ【即】かせ給(たま)はず。されどもいつかは謀叛(むほん)ををこさ(おこさ)【起こさ】せ給(たま)ひし。
又(また)後三条院(ごさんでうのゐん)の第三(だいさん)の王子(わうじ)、資仁【*輔仁】(すけひと)の親王(しんわう)も御才学(おんさいかく)
すぐれてましましければ白河院(しらかはのゐん)いまだ東宮(とうぐう)にて
ましまいし時(とき)、「御位(おんくらゐ)の後(のち)P323は、この宮(みや)を位(くらゐ)にはつ【即】けま
いら(まゐら)【参ら】させ給(たま)へ」と、後三条[B ノ]院(ごさんでうのゐん)御遺詔(ごゆいぜう)あり【有り】しか共(ども)、白河院(しらかはのゐん)
P04149
いかがおぼしめさ【思召さ】れけん、つゐに(つひに)【遂に】位(くらゐ)にもつけまいら(まゐら)【参ら】させ
給(たま)はず。せめての御事(おんこと)には、資仁【*輔仁】[B ノ]親王(すけひとのしんわう)の御子(おんこ)に源氏(げんじ)
の姓(しやう)をさづ【授】けまいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】させ給(たま)ひて、無位(むゐ)より一度(いちど)に三
位(さんみ)に叙(じよ)して、やがて中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)になしまいら(まゐら)【参ら】させ給(たま)ひけ
り。一世(いつせ)の源氏(げんじ)、無位(むゐ)より三位(さんみ)する事(こと)、嵯峨(さが)の皇
帝(くわうてい)の御子(みこ)、陽院(やうゐん)の大納言(だいなごん)定卿(さだむのきやう)の外(ほか)は、これはじめ
とぞうけ給(たま)はる。花園[B ノ]左大臣(はなぞののさだいじん)有仁公(ありひとこう)の[B 御]事(おんこと)也(なり)。高倉(たかくら)
の宮(みや)御謀叛(ごむほん)の間(あひだ)(あいだ)、調伏(てうふく)の法(ほふ)(ほう)うけ給(たま)は(ッ)て修(しゆ)せられける
P04150
高僧達(かうそうたち)に、勧賞(けんじやう)をこなは(おこなは)る。前(さきの)右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)の子息(しそく)
侍従(じじゆう)清宗(きよむね)、三位(さんみ)して三位[B ノ](さんみの)侍従(じじゆう)とぞ申(まうし)ける。今年(ことし)
纔(わづか)に十二歳(じふにさい)。父(ちち)の卿(きやう)もこのよはひ【齢】では兵衛佐(ひやうゑのすけ)にて
こそをはせしか。忽(たちまち)に上達(かんだち)め【部】にあがり給(たま)ふ事(こと)、一(いち)の
人(ひと)の公達(きんだち)の外(ほか)はいまだ承(うけたまはり)及(およ)(をよ)ばず。源[B ノ](みなもとの)茂仁【*以仁】(もちひと)・頼政(よりまさ)法師(ぼふし)(ぼうし)
父子(ふし)追討(ついたう)の賞(しやう)とぞ除書(ききがき)にはあり【有り】ける。源[B ノ](みなもとの)茂仁【*以仁】(もちひと)とは
高倉宮(たかくらのみや)を申(まうし)けり。まさしゐ(まさしい)太政【*太上】(だいじやう)法皇(ほふわう)(ほうわう)の王子(わうじ)を
うち【討ち】たてまつる【奉る】だにあるに、凡人(ぼんにん)にさへなしたてま
P04151
つるぞあさましき。P324■[*空+鳥](ぬえ)S0415 抑(そもそも)源(みなもとの)三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)と申(まうす)は、摂津守(せつつのかみ)
頼光(らいくわう)に五代(ごだい)、三川【*三河】守(みかはのかみ)頼綱(よりつな)が孫(まご)、兵庫頭(ひやうごのかみ)仲政【*仲正】(なかまさ)が子(こ)也(なり)。
保元(ほうげん)の合戦(かつせん)の時(とき)、御方(みかた)にて先(さき)をかけたりしかども、
させる賞(しやう)にもあづか【与】らず。又(また)平治(へいぢ)の逆乱(げきらん)にも、親類(しんるい)
をす【捨】てて参(さん)じたりしか共(ども)、恩賞(おんしやう)(をんじやう)これおろそか也(なり)
き。大内守護(おおうちしゆご)にて年(とし)ひさ【久】しうあり【有り】しか共(ども)、昇殿(しようでん)(せうでん)
をばゆるされず。年(とし)たけよはひ【齢】傾(かたぶき)て後(のち)、述懐(しゆつくわい)の
和歌(わか)一首(いつしゆ)よ【詠】うでこそ、昇殿(しようでん)(せうでん)をばゆるされけれ。
P04152
人(ひと)しれず大内山(おほうちやま)のやまもり【山守】は
木(こ)がく【隠】れてのみ月(つき)をみる【見る】かな W026
この歌(うた)によ(ッ)て昇殿(しようでん)(せうでん)ゆるされ、正下[B ノ](じやうげの)四位(しゐ)にてしば
らくあり【有り】しが、三位(さんみ)を心(こころ)にかけつつ、
のぼるべきたよりなき身(み)は木(こ)のもとに
しゐをひろひ【拾ひ】て世(よ)をわたるかな W027
さてこそ三位(さんみ)はしたりけれ。やがて出家(しゆつけ)して、源(げん)
三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)とて、今年(ことし)は七十五(しちじふご)にぞなられける。此(この)
P04153
人(ひと)一期(いちご)の高名(かうみよう)とおぼえし事(こと)は、近衛院(こんゑのゐん)御在
位(ございゐ)の時(とき)、仁平(にんぺい)のころほひ、主上(しゆしやう)よなよな【夜な夜な】おびへ(おびえ)【怯え】た
まぎらせ給(たま)ふ事(こと)あり【有り】けり。有験(うげん)の高僧(かうそう)貴僧(きそう)
に仰(おほせ)て、大法(だいほふ)(だいほう)秘法(ひほふ)(ひほう)を修(しゆ)せられけれども、其(その)
しるしなし。御悩(ごなう)は丑(うし)の剋(こく)ばかりであり【有り】けるに、東
三P325条(とうさんでう)の森(もり)の方(かた)より、黒雲(こくうん)一村(ひとむら)立来(たちき)て御殿(ごてん)
の上(うへ)におほへ【覆へ】ば、かならず【必ず】おびへ(おびえ)【怯え】させ給(たま)ひけり。これに
よ(ッ)て公卿僉義(くぎやうせんぎ)あり【有り】。去(さんぬ)る寛治(くわんぢ)の比(ころ)ほひ、堀河天
P04154
皇(ほりかはてんわう)御在位(ございゐ)の時(とき)、しかのごとく主上(しゆしやう)よなよな【夜な夜な】おびへ(おびえ)【怯え】
させ給(たま)ふ事(こと)あり【有り】けり。其(その)時(とき)の将軍(しやうぐん)義家(ぎかの)朝臣(あそん)(あ(ツ)そん)、
南殿(なんでん)の大床(おおゆか)に候(さうら)はれけるが、御悩(ごなう)の剋限(こくげん)に及(およん)(をよん)で、
鳴絃(めいげん)する事(こと)三度(さんど)の後(のち)、高声(かうしやう)に「前陸奥守(さきのむつのかみ)源
義家(みなもとのよしいへ)」と名(な)の(ッ)【乗つ】たりければ、人々(ひとびと)皆(みな)身(み)の毛(け)よだ(ッ)て、
御悩(ごなう)おこたらせ給(たま)ひけり。しか【然】ればすなはち先例(せんれい)
にまか【任】せて、武士(ぶし)に仰(おほ)せて警固(けいご)あるべしとて、
源平(げんぺい)両家(りやうか)の兵物共(つはものども)のなかを撰(えらま)せられけるに、
P04155
頼政(よりまさ)をゑらび(えらび)【選び】いだされたりけるとぞきこえし。
其(その)時(とき)はいまだ兵庫頭(ひやうごのかみ)とぞ申(まうし)ける。頼政(よりまさ)申(まうし)けるは、
「昔(むかし)より朝家(てうか)に武士(ぶし)をおかるる事(こと)は、逆反(ぎやくほん)の物(もの)を
しりぞけ違勅(いちよく)の物(もの)をほろぼさんが為(ため)也(なり)。目(め)にも
みえ【見え】ぬ変化(へんげ)の物(もの)つかまつれと仰下(おほせくだ)さるる事(こと)、い
まだ承(うけたまはり)及(およ)(をよ)ばず」と申(まうし)ながら、勅定(ちよくぢやう)なればめし【召】に応(おう)
じて参内(さんだい)す。頼政(よりまさ)はたのみ【頼み】き(ッ)たる郎等(らうどう)遠江国[B ノ](とほたふみのくにの)(とをとをみのくにの)住
人(ぢゆうにん)(ぢうにん)井[B ノ]早太(ゐのはやた)に、ほろのかざぎり【風切】はいだる矢(や)おは【負は】せて、
P04156
ただ一人(いちにん)ぞぐし【具し】たりける。我(わが)身(み)はふたへ【二重】の狩衣(かりぎぬ)に、
山鳥(やまどり)の尾(を)(お)をも(ッ)てはいだるとがり矢(や)二(ふた)すじ【筋】、しげ
どう【滋籐】の弓(ゆみ)にとりそへて、南殿(なんでん)の大床(おほゆか)に祗候(しこう)〔す〕。
頼政(よりまさ)矢(や)をふたつたばさ【手挟】みける事(こと)は、雅頼卿(まさよりのきやう)其(その)時(とき)は
いまだ左少弁(させうべん)にておはしけるが、「変化(へんげ)の物(もの)つかま
つらんずるP326仁(じん)は頼政(よりまさ)ぞ候(さうらふ)」とゑらび(えらび)【選び】申(まう)されたる
あひだ、一[B ノ](いちの)矢(や)に変化(へんげ)の物(もの)をゐそんずる(いそんずる)【射損ずる】物(もの)ならば、
二[B ノ](にの)矢(や)には雅頼(がらい)の弁(べん)のしや頸(くび)の骨(ほね)をゐ(い)【射】んと
P04157
なり。日(ひ)ごろ人(ひと)の申(まうす)にたがは【違は】ず、御悩(ごなう)の剋限(こくげん)に
及(およん)(をよん)で、東三条(とうさんでう)の森(もり)の方(かた)より、黒雲(こくうん)一村(ひとむら)立来(たちき)
て、御殿(ごてん)の上(うへ)にたなびいたり。頼政(よりまさ)き(ッ)とみあ【見上】げ
たれば、雲(くも)のなかにあやしき物(もの)の姿(すがた)あり【有り】。これを
ゐそんずる(いそんずる)【射損ずる】物(もの)ならば、世(よ)にあるべしとはおもは【思は】ざり
けり。さりながらも矢(や)と(ッ)【取つ】てつが【番】ひ、南無(なむ)八幡大菩
薩(はちまんだいぼさつ)と、心(こころ)のうちに祈念(きねん)して、よ(ッ)ぴ【引】いてひやう
どゐる。手(て)ごたへしてはたとあたる。「ゑ(え)【得】たりをう(おう)」と
P04158
矢(や)さけび【叫び】をこそしたりけれ。井(ゐ)の早田【*早太】(はやた)つ(ッ)とより、
お【落】つるところ【所】をと(ッ)【取つ】ておさへて、つづけさまに九(ここの)かた
な【刀】ぞさ【刺】いたりける。其(その)時(とき)上下(じやうげ)手々(てんで)(て(ン)で)に火(ひ)をとも【点】
いて、これを御(ご)らんじみ【見】給(たま)ふに、かしらは猿(さる)、むく
ろは狸(たぬき)、尾(を)(お)はくちなは、手足(てあし)は虎(とら)の姿(すがた)なり。なく声(こゑ)
■ [*空+鳥](ぬえ)にぞに【似】たりける。おそろし【恐ろし】な(ン)ど(など)もをろか(おろか)【愚】也(なり)。
主上(しゆしやう)御感(ぎよかん)のあまりに、師子王(ししわう)といふ御剣(ぎよけん)をくだ【下】
されけり。宇治(うぢ)の左大臣殿(さだいじんどの)是(これ)を給(たま)はりつい【継い】で、
P04159
頼政(よりまさ)にたばんとて、御前(おんまえ)〔の〕きざはし【階】をなから【半】ばかり
おり【降り】させ給(たま)へるところ【所】に、比(ころ)は卯月(うづき)十日(とをか)あまりの
事(こと)なれば、雲井(くもゐ)に郭公(くわつこう)二声(ふたこゑ)三(み)こゑ音(おと)(をと)づれ
てぞとほり【通り】ける。其(その)時(とき)左大臣殿(さだいじんどの)
ほととぎぎす名(な)をも雲井(くもゐ)にあ【上】ぐるかなP327
とおほ【仰】せられかけたりければ、頼政(よりまさ)右(みぎ)の膝(ひざ)をつき、
左(ひだり)の袖(そで)をひろげ、月(つき)をすこしそばめ【側目】にかけつつ、
弓(ゆみ)はり月(づき)のゐる(いる)にまかせて W028
P04160
と仕(つかまつ)り、御剣(ぎよけん)を給(たまは)(ッ)てまかりい【出】づ。「弓矢(ゆみや)をと(ッ)てな
ら【双】びなきのみならず、歌道(かだう)もすぐれたりけり」とぞ、
君(きみ)も臣(しん)も御感(ぎよかん)あり【有り】ける。さてかの変化(へんげ)の物(もの)
をば、うつほ舟(ぶね)にいれ【入れ】てながさ【流さ】れけるとぞきこ
えし。去(さんぬ)る応保(おうほう)のころほひ、二条院(にでうのゐん)御在位(ございゐ)の
時(とき)、■[*空+鳥](ぬえ)といふ化鳥(けてう)禁中(きんちゆう)(きんちう)にな【鳴】いて、しばしば震襟【*宸襟】(しんきん)を
なやます事(こと)あり【有り】き。先例(せんれい)をも(ッ)て頼政(よりまさ)をめさ【召さ】れ
けり。ころはさ月(つき)【皐月】廿日(はつか)あまりの、まだよひ【宵】の事(こと)
P04161
なるに、■[*空+鳥](ぬえ)ただ一声(ひとこゑ)おとづれて、二声(ふたこゑ)ともな【鳴】かざり
けり。目(め)さす共(とも)しら【知ら】ぬやみではあり【有り】、すがた【姿】かた
ちもみえ【見え】ざれば、矢(や)つぼ【壷】をいづくともさだめがたし。
頼政(よりまさ)はかりこと【策】に、まづおほかぶら【大鏑】をと(ッ)てつが【番】ひ、■[*空+鳥](ぬえ)
の声(こゑ)しつる内裏(だいり)のうへへぞいあ【射上】げたる。■[*空+鳥](ぬえ)かぶら
のをと(おと)【音】におどろいて、虚空(こくう)にしばしひらめい【*ひひめい】たり。
二(に)の矢(や)に小鏑(こかぶら)と(ッ)てつがひ、ひ(イ)ふつとゐき(ッ)(いきつ)【射切つ】て、■[*空+鳥](ぬえ)
とかぶらとなら【並】べて前(まえ)にぞおと【落】したる。禁中(きんちゆう)(きんちう)ざざ
P04162
めきあひ、御感(ぎよかん)なのめならず。御衣(ぎよい)をかづ【被】けさせ
給(たま)ひけるに、其(その)時(とき)は大炊御門(おほいのみかど)の右大臣(うだいじん)公能公(きんよしこう)
これを給(たま)はりつゐで(ついで)、頼政(よりまさ)にかづけ給(たま)ふとて、「昔(むかし)の
養由(やうゆう)は雲(くも)の外(ほか)の鴈(かり)をい【射】き。今(いま)の頼政(よりまさ)はP328雨(あめ)のう
ちに■[*空+鳥](ぬえ)をゐ(い)【射】たり」とぞ感(かん)ぜられける。
五月(さつき)やみ名(な)をあらはせるこよひ【今宵】かな
と仰(おほせ)られかけたりければ、頼政(よりまさ)
たそかれ時(どき)もす【過】ぎぬとおもふ【思ふ】に W029
P04163
と仕(つかまつ)り、御衣(ぎよい)を肩(かた)にかけて退出(たいしゆつ)す。其(その)後(のち)伊豆国(いづのくに)
給(たま)はり、子息(しそく)仲綱(なかつな)受領(じゆりやう)になし、我(わが)身(み)三位(さんみ)して、
丹波(たんば)の五ケ[B ノ]庄(ごかのしやう)、若狭(わかさ)のとう宮河(みやがは)知行(ちぎやう)して、さて
おはすべかりし人(ひと)の、よしなき謀叛(むほん)おこいて、宮(みや)
をもうしなひ【失ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】、我(わが)身(み)もほろびぬるこそ
うたてけれ。三井寺(みゐでら)炎上(えんしよう)S0416 日(ひ)ごろは山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)こそ、みだ【猥】りがはし
きう(ッ)たへ(うつたへ)【訴へ】つか【仕】まるに、今度(こんど)は穏便(をんびん)を存(ぞん)じて
をと(おと)【音】もせず。「南都(なんと)・三井寺(みゐでら)、或(あるい)(あるひ)は宮(みや)うけ【請け】とり奉(たてまつ)り、
P04164
或(あるい)(あるひ)は宮(みや)の御(おん)むか【迎】へにまいる(まゐる)【参る】、これも(ッ)て朝敵(てうてき)なり。
されば三井寺(みゐでら)をも南都(なんと)をもせめ【攻め】らるべし」とて、
同(おなじき)五月(ごぐわつ)廿七日(にじふしちにち)、大将軍(たいしやうぐん)には入道(にふだう)(にうだう)〔の〕四男(しなん)頭(とうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡(しげひら)、
副将軍(ふくしやうぐん)には薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)一万余騎(いちまんよき)
で、園城寺(をんじやうじ)へ発向(はつかう)す。寺(てら)にも堀(ほり)ほり、かいだP329て【掻楯】か
き、さかも【逆茂】木(ぎ)ひい【引い】てまち【待ち】かけたり。卯剋(うのこく)に矢合(やあはせ)
して、一日(いちにち)たたかひくら【暮】す。ふせく【防く】ところ【所】大衆(だいしゆ)以下(いげ)
の法師原(ほつしばら)、三百余人(さんびやくよにん)までうた【討た】れにけり。夜(よ)い
P04165
くさ【軍】にな(ッ)て、くらさ【暗さ】はくらし、官軍(くわんぐん)寺(てら)にせめ入(いり)て、
火(ひ)をはなつ。や【焼】くるところ【所】、本覚院(ほんがくゐん)、成喜院【*常喜院】(じやうきゐん)・真如院(しんによゐん)・
花園院(くわをんゐん)、普賢堂(ふげんだう)・大宝院(だいほうゐん)・清滝院(りやうりうゐん)、教大【*教待】和尚[B ノ](けうだいくわしやうの)
本坊(ほんばう)ならびに本尊等(ほんぞんとう)、八間(はちけん)四面(しめん)の大講堂(だいかうだう)、鐘楼(しゆろう)・
経蔵(きやうざう)・潅頂堂(くわんぢやうだう)、護法善神(ごほうぜんじん)の社壇(しやだん)、新熊野(いまぐまの)の
御宝殿(ごほうでん)、惣(すべ)て堂舎(たうじや)塔廟(たふべう)(たうべう)六百三十七宇(ろつぴやくさんじふしちう)、大津(おほつ)
の在家(ざいけ)一千八百五十三宇(いつせんはつぴやくごじふさんう)、智証(ちしやう)のわた【渡】し給(たま)へる
一切経(いつさいきやう)七千余巻(しちせんよくわん)、仏像(ぶつざう)二千余体(にせんよたい)、忽(たちまち)に煙(けぶり)と
P04166
なるこそかなしけれ。諸天五妙(しよてんごめう)のたのしみも此(この)
時(とき)ながくつき【尽き】、竜神(りゆうじん)(りうじん)三熱(さんねつ)のくるしみ【苦】もいよいよ
さかん【盛】なるらんとぞみえ【見え】し。それ三井寺(みゐでら)は、近江(あふみ)
の義大領(ぎだいりよう)が私(わたくし)の寺(てら)たりしを、天武天皇(てんむてんわう)によ【寄】せ
奉(たてまつり)て、御願(ごぐわん)となす。本仏(ほんぶつ)もかの御門(みかど)の御本尊(ごほんぞん)、
しかるを生身弥勒(しやうじんみろく)ときこえ給(たま)ひし教大【*教待】和尚(けうだいくわしやう)百六
十(ひやくろくじふ)年(ねん)おこなふ(おこなう)て、大師(だいし)に附属(ふぞく)し給(たま)へり。都士
多天上摩尼宝殿(としたてんじやうまにほうでん)よりあまくだり、はるかに竜
P04167
花下生(りゆうげげしやう)(りうげげしやう)の暁(あかつき)をまた【待た】せ給(たま)ふとこそきき【聞き】つるに、
こはいかにしつる事共(ことども)ぞや。大師(だいし)このところ【所】を
伝法(でんぼふ)(でんぽう)潅頂(くわんぢやう)の霊跡(れいせき)として、ゐけすい【井花水】の三(みつ)をむ
すび給(たまひ)しゆへ(ゆゑ)【故】にこそ、三井寺(みゐでら)とは名(な)づけたれ。
かかるめでたき聖跡(せいぜき)なれ共(ども)、今(いま)はなに【何】ならず。顕
密(けんみつ)須臾(しゆゆ)にほろびて、伽藍(がらん)さらに跡(あと)もなし。三密(さんみつ)
道場(だうぢやう)もなけP330れば、鈴(れい)の声(こゑ)もきこえず。一夏(いちげ)の花(はな)
もなければ、阿伽(あか)のをと(おと)【音】もせざりけり。宿老(しゆくらう)[* 「宿老」虫食い、高野本により補う]磧
P04168
徳(せきとく)の名師(めいし)は行学(ぎやうがく)におこたり、受法(じゆほふ)(じゆほう)相承(さうじよう)(さうぜう)の[* 「承の」虫食い、高野本により補う]弟子(でし)は
又(また)経教(きやうげう)にわかれんだり。寺(てら)の長吏(ちやうり)円慶【*円恵】(ゑんけい)法
親王(ほふしんわう)(ほうしんわう)、天王寺(てんわうじの)別当(べつたう)をとどめらる。其(その)外(ほか)僧綱(そうがう)十
三人(じふさんにん)闕官(けつくわん)ぜられて、みな検非違使(けんびゐし)(けんびいし)にあづけらる。
悪僧(あくそう)はつつ【筒】井(ゐ)の浄妙明秀(じやうめうめいしう)にいたるまで三十(さんじふ)
余人(よにん)ながされけり。「かかる天下(てんが)のみだれ、国土(こくど)
のさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】、ただ事(こと)ともおぼえず。平家(へいけ)の世(よ)の
末(すゑ)になりぬる先表(ぜんべう)やらん」とぞ、人(ひと)申(まうし)ける。
P04169
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第四(だいし)


平家物語(龍谷大学本)巻第五

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。

P05171
(表紙)
P05173 P331
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第五(だいご)
都遷(みやこうつり)S0501治承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)六月(ろくぐわつ)三日(みつかのひ)、福原(ふくはら)へ行幸(ぎやうがう)有(ある)
べしとて、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)ひしめきあへり。此(この)日(ひ)
ごろ都(みやこ)うつりあるべしときこえしかども、
忽(たちまち)に今明(こんみやう)の程(ほど)とは思(おもは)ざりつるに、こは
いかにとて上下(じやうげ)さはぎ(さわぎ)【騒ぎ】あへり。あま(ッ)(あまつ)【剰】さへ三
日(みつかのひ)とさだめられたりしが、いま一日(ひとひ)ひきあげ
て、二日(ふつかのひ)になりにけり。二日(ふつかのひ)の卯剋(うのこく)に、すでに
P05174
行幸(ぎやうがう)の御輿(みこし)をよせたりければ、主上(しゆしやう)は
今年(ことし)三歳(さんざい)、いまだいと【幼】けなう在(まし)ましけれ
ば、なに心(ごころ)もなうめさ【召さ】れけり。主上(しゆしやう)おさな
う(をさなう)【幼う】わたらせ給(たまふ)時(とき)の御同輿(ごとうよ)には、母后(ぼこう)こそ
まいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ふに、是(これ)は其(その)儀(ぎ)なし。御(おん)めのと【乳母】、平(へい)
大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)の北(きた)の方(かた)帥(そつ)のすけ【典侍】殿(どの)ぞ、ひ
とつ御輿(おんこし)にはまいら(まゐら)【参ら】れける。中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)・一院(いちゐん)上
皇(しやうくわう)御幸(ごかう)なる。摂政殿(せつしやうどの)をはじめたてま(ッ)て、太
P05175
政大臣(だいじやうだいじん)以下(いげ)の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、我(われ)も我(われ)もと供奉(ぐぶ)せらる。
三日(みつかのひ)福原(ふくはら)へいら【入ら】せ給(たま)ふ。池(いけ)の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)頼盛卿(よりもりのきやう)
の宿所(しゆくしよ)、皇居(くわうきよ)になる。同(おなじき)四日(よつかのひ)、頼盛(よりもり)家(いへ)の賞(しやう)
とて正二位(じようにゐ)しP332給(たま)ふ。九条殿(くでうどの)の御子(おんこ)、右大将(うだいしやう)
能通【*良通】卿(よしみちのきやう)、こえられ給(たま)ひけり。摂禄(せつろく)の臣(しん)の御子
息(ごしそく)、凡人(ぼんにん)の次男(じなん)に加階(かかい)こえられ給(たま)ふ事(こと)、是(これ)
はじめとぞきこえし。さる程(ほど)に、法皇(ほふわう)(ほうわう)を入道(にふだう)(にうだう)
相国(しやうこく)やうやう思(おも)ひなを(ッ)(なほつ)【直つ】て、鳥羽殿(とばどの)をいだし【出し】
P05176
たてまつり、都(みやこ)へいれ【入れ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】られたりしが、高
倉宮(たかくらのみや)御謀反(ごむほん)によ(ッ)て、又(また)大(おほき)にいきどをり(いきどほり)【憤り】、福原(ふくはら)
へ御幸(ごかう)なしたてまつり【奉り】、四面(しめん)にはた【端】板(いた)して、
口(くち)ひとつあけたるうちに、三間(さんげん)の板屋(いたや)をつく(ッ)
ておしこ【押込】めまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、守護(しゆご)の武士(ぶし)には、原田(はらだ)
の大夫(だいふ)種直(たねなほ)(たねなを)ぞ候(さうらひ)ける。たやすう人(ひと)のまいり(まゐり)【参り】
かよふ事(こと)もなければ、童部(わらはべ)は籠(ろう)の御所(ごしよ)
とぞ申(まうし)ける。きく【聞く】もいまいま【忌々】しうおそろし
P05177
かり【恐ろしかり】し事共(ことども)也(なり)。法皇(ほふわう)(ほうわう)「今(いま)は世(よ)の政(まつりごと)きこしめさ【聞し召さ】
ばやとは、露(つゆ)もおぼしめし【思召し】よらず。ただ山々(やまやま)
寺々(てらでら)修行(しゆぎやう)して、御心(おんこころ)のままになぐさまばや」
とぞおほせける。凡(およそ)(をよそ)平家(へいけ)の悪行(あくぎやう)においては
きはまりぬ。「去(さんぬ)る安元(あんげん)よりこのかた、おほく
の卿相(けいしやう)雲客(うんかく)、或(あるい)(あるひ)はながし、或(あるい)はうしなひ【失ひ】、
関白(くわんばく)ながし奉(たてまつ)り、わが聟(むこ)を関白(くわんばく)になし、
法王(ほうわう)を城南(せいなん)の離宮(りきゆう)(りきう)にうつし奉(たてまつ)り、第二(だいに)
P05178
の皇子(わうじ)高倉(たかくら)の宮(みや)をうちたてまつり【奉り】、いま
のこる【残る】ところ【所】都(みやこ)うつりなれば、か様(やう)【斯様】にし給(たま)ふ
にや」とぞ人(ひと)申(まうし)ける。みやこうつりは是(これ)先蹤(せんじよう)(せんぜう)
なきにあらず。神武天皇(じんむてんわう)と申(まうす)は地神(ぢじん)五代(ごだい)の
帝(みかど)、彦波激武■■草不葺合尊(ひこなぎさたけうがやふきあはせずのみこと)の第四(だいし)
の王子(わうじ)、御母(おんぱは)は玉(たま)より【依】姫(ひめ)、海人(かいじん)のむすめなり。
神(かみ)の代(よ)P333十二(じふに)代(だい)の跡(あと)をうけ、人代百王(にんだいはくわう)の帝祖(ていそ)
なり。辛酉歳(かのとのとりのとし)、日向国(ひうがのくに)宮崎(みやざき)の郡(こほり)にして皇王(くわうわう)の
P05179
宝祚(ほうそ)をつぎ、五十九(ごじふく)年(ねん)とい(ッ)し己未歳(つちのとのひつじのとし)十月(じふぐわつ)に
東征(とうせい)して、豊葦原中津国(とよあしはらなかつくに)にとどまり、この
ごろ大和国(やまとのくに)となづけたるうねび【畝傍】の山(やま)を点(てん)じて
帝都(ていと)をたて、柏原(かしはら)の地(ち)をきりはら(ッ)て宮室(きゆうしつ)(きうしつ)を
つくり給(たま)へり。これをかし原(はら)の宮(みや)となづけたり。
それよりこのかた、代々(だいだい)の帝王(ていわう)、都(みやこ)を他国(たこく)他所(たしよ)
へうつさるる事(こと)卅(さんじふ)度(ど)にあまり、四十(しじふ)度(ど)にをよ
べ(およべ)【及べ】り。神武天皇(じんむてんわう)より景行天皇(けいかうてんわう)まで十二(じふに)
P05180
代(だい)は、大和国(やまとのくに)こほりごほり【郡々】にみやこをたて、他国(たこく)へは
つゐに(つひに)【遂に】うつされず。しかるを、成務天皇(せいむてんわう)元年(ぐわんねん)に
近江国(あふみのくに)にうつ(ッ)て、志賀(しが)の郡(こほり)に都(みやこ)をたつ。仲哀
天皇(ちゆうあいてんわう)(ちうあいてんわう)二年(にねん)に長門国(ながとのくに)にうつ(ッ)て、豊良【*豊浦】郡(とよらのこほり)に都(みやこ)を
たつ。其(その)国(くに)の彼(かの)みやこにて、御門(みかど)かくれさせ給(たまひ)し
かば、きさき神宮【*神功】皇后(じんぐうくわうこう)御世(おんよ)をうけとらせ給(たま)ひ、
女体(によてい)として、鬼界(きかい)・高麗(かうらい)・荊旦【*契丹】(けいたん)までせめ【攻め】したがへ
させ給(たま)ひけり。異国(いこく)のいくさをしづめさせ給(たま)
P05181
ひて後(のち)、筑前国(ちくぜんのくに)三笠[B ノ]郡(みかさのこほり)にして皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)、
其(その)所(ところ)をばうみの宮(みや)とぞ申(まうし)たる。かけまくも
かたじけな【忝】くやわた【八幡】の御事(おんこと)これ也(なり)。位(くらゐ)につかせ
給(たま)ひては、応神天皇(おうじんてんわう)とぞ申(まうす)。其(その)後(のち)、神宮【*神功】皇
后(じんぐうくわうこう)は大和国(やまとのくに)にうつ(ッ)て、岩根稚桜(いはねわかざくら)のみや【宮】にをはし
ます(おはします)。応神天皇(おうじんてんわう)は同国(どうこく)軽島(かるしま)明(あかり)の宮(みや)にすませ
給(たま)ふ。仁徳天皇(にんどくてんわう)元年(ぐわんねん)に津国(つのくに)難波(なには)にうつ(ッ)て、
高津(たかつ)の宮(みや)にをはします(おはします)。履中天皇(りちゆうてんわう)(りちうてんわう)二年(にねん)に
P05182
大和国(やまとのくに)にうつ(ッ)て、とうち(とをち)【十市】の郡(こほり)にみやこをたつ。
反正天皇(はんせいてんわう)元年(ぐわんねん)に河内P334国(かはちのくに)にうつ(ッ)て、柴垣(しばがき)の宮(みや)
にすませ給(たま)ふ。允恭天皇(いんげうてんわう)(ゐんげうてんわう)四十二年(しじふにねん)に又(また)大和国(やまとのくに)
にうつ(ッ)て、飛鳥(とぶとり)のあすかの宮(みや)におはします。雄
略天皇(ゆうりやくてんわう)廿一年(にじふいちねん)に同国(どうこく)泊瀬(はつせ)あさくら【朝倉】に宮(みや)ゐ【居】
し給(たま)ふ。継体天皇(けいたいてんわう)五年(ごねん)に山城国(やましろのくに)つづき【綴喜】
にうつ(ッ)て十二年(じふにねん)、其(その)後(のち)乙訓(をとぐん)に宮(みや)ゐ【居】し給(たま)ふ。
宣化天皇(せんくわてんわう)元年(ぐわんねん)に又(また)大和国(やまとのくに)にかへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て、桧隈(ひのくま)
P05183
の入[B ル]野(いるの)の宮(みや)にをはします(おはします)。孝徳天皇(かうとくてんわう)大化(たいくわ)元年(ぐわんねん)
に摂津国(せつつのくに)長良【*長柄】(ながら)にうつ(ッ)て、豊崎(とよざき)の宮(みや)にすま
せ給(たま)ふ。斉明天皇(せいめいてんわう)二年(にねん)、又(また)大和国(やまとのくに)にかへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て、岡
本(をかもと)の宮(みや)におはします。天智天皇(てんちてんわう)六年(ろくねん)に近江
国(あふみのくに)にうつ(ッ)て、大津宮(おほつのみや)にすませ給(たま)ふ。天武天皇(てんむてんわう)
元年(ぐわんねん)に猶(なほ)(なを)大和国(やまとのくに)にかへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て、岡本(おかもと)の南(みなみ)の宮(みや)に
すませ給(たま)ふ。これを清見原(きよみばら)の御門(みかど)と申(まうし)き。持
統(ぢどう)・文武(もんむ)二代(にだい)の聖朝(せいてう)は、同国(どうこく)藤原(ふぢはら)の宮(みや)におは
P05184
します。元明天皇(げんめいてんわう)より光仁天皇(くわうにんてんわう)まで七代(しちだい)は、
奈良(なら)の都(みやこ)にすませ給(たま)ふ。しかるを桓武天皇(くわんむてんわう)
延暦(えんりやく)三年(さんねん)十月(じふぐわつ)二日(ふつかのひ)、奈良(なら)の京(きやう)春日(かすが)の里(さと)よ
り山城国(やましろのくに)長岡(ながをか)にうつ(ッ)て、十年(じふねん)とい(ッ)し正月(しやうぐわつ)に、
大納言(だいなごん)藤原小黒丸(ふぢはらのをぐるまる)、参議(さんぎ)左大弁(さだいべん)紀(き)のこさみ【古佐美】、
大僧都(だいそうづ)玄慶【*賢■王+景】等(げんけいら)をつかはして、当国(たうごく)賀殿【*葛野】郡(かどののこほり)宇
多(うだ)の村(むら)をみせ【見せ】らるるに、両人(りやうにん)共(とも)に奏(そう)して云(いはく)、「此(この)
地(ち)の体(てい)を見(み)るに、左青竜(さしやうりう)、右白虎(うはくこ)、前朱雀(ぜんしゆじやく)、後
P05185
玄武(ごげんむ)、四神(しじん)相応(さうおう)の地(ち)也(なり)。尤(もつとも)帝都(ていと)をさだむるに
たれり」と申(まうす)。仍(よつて)乙城都(をたぎのこほり)(おたぎのこほり)にをはします(おはします)賀茂
大明神(かものだいみやうじん)に告(つげ)申(まう)させ給(たま)ひて、延暦(えんりやく)十三年(じふさんねん)
十一月(じふいちぐわつ)廿一日(にじふいちにち)、長岡(ながをか)の京(きやう)より此(この)京(きやう)へうつされP335て
後(のち)、帝王(ていわう)卅二代(さんじふにだい)、星霜(せいざう)は三百八十(さんびやくはちじふ)余歳(よさい)の
春秋(しゆんしう)ををくり(おくり)【送り】むかふ。「昔(むかし)より代々(よよ)の帝王(ていわう)、国々(くにぐに)
ところどころ【所々】におほくの都(みやこ)をたてられしかども、
かくのごとくの勝地(せうち)はなし」とて、桓武天皇(くわんむてんわう)こと
P05186
に執(しつ)しおぼしめし【思召し】、大臣公卿(だいじんくぎやう)諸道(しよだう)の才人等(さいじんら)
に仰(おほせ)あはせ、長久(ちやうきう)なるべき様(やう)とて、土(つち)にて
八尺(はつしやく)の人形(にんぎやう)をつくり、くろがね【鉄】の鎧甲(よろひかぶと)をき【着】せ、
おなじうくろがねの弓矢(ゆみや)をもたせて、東山(ひがしやまの)(ひ(ン)がしやまの)
嶺(みね)に、西(にし)むきにたて[* 「たたて」と有るのを高野本により訂正]てうづま【埋ま】れけり。「末代(まつだい)に
此(この)都(みやこ)を他国(たこく)へうつす事(こと)あらば、守護神(しゆごじん)と
なるべし」とぞ、御約束(おんやくそく)あり【有り】ける。されば天下(てんが)に
事(こと)いでこ【出来】んとては、この塚(つか)必(かなら)ず鳴動(めいどう)す。将軍(しやうぐん)
P05187
が塚(つか)とて今(いま)にあり【有り】。桓武天皇(くわんむてんわう)と申(まうす)は、平家(へいけ)
の農祖【*曩祖】(のうそ)にておはします。なかにも此(この)京(きやう)をば
平安城(へいあんじやう)と名(な)づけて、たひらかにやすきみやこと
かけり。尤(もつとも)平家(へいけ)のあがむべきみやこなり。先
祖(せんぞ)の御門(みかど)のさしも執(しつ)しおぼしめさ【思召さ】れたる
都(みやこ)を、させるゆへ(ゆゑ)【故】なく、他国(たこく)他所(たしよ)へうつさるるこそ
あさましけれ。嵯峨(さが)の皇帝(くわうてい)の御時(おんとき)、平城(へいぜい)の
先帝(せんてい)、内侍[B ノ](ないしの)かみのすすめ【勧】によ(ッ)て、世(よ)をみだり
P05188
給(たま)ひし時(とき)、すでにこの京(きやう)を他国(たこく)へうつさんと
せさせ給(たま)ひしを、大臣公卿(だいじんくぎやう)、諸国(しよこく)の人民(じんみん)そむ
き申(まうし)しかば、うつされずしてやみにき。一天(いつてん)
の君(きみ)、万乗(ばんじよう)(ばんぜう)のあるじ【主】だにもうつ【遷】しえ【得】給(たま)はぬ
都(みやこ)を、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、人臣(じんしん)の身(み)としてうつされける
ぞおそろしき【恐ろしき】。旧都(きうと)はあはれめでたかりつる
都(みやこ)ぞかし。王城守護(わうじやうしゆご)の鎮守(ちんじゆ)は四方(よも)に光(ひかり)を
やはらP336げ、霊験殊勝(れいげんしゆせう)の寺々(てらでら)は、上下(じやうげ)に甍(いらか)
P05189
をならべ賜【*給】(たま)ひ、百姓万民(ひやくしやうばんみん)わづらひなく、五畿(ごき)七道(しちだう)
もたよりあり【有り】。されども、今(いま)は辻々(つぢつぢ)をみな堀(ほり)
き(ッ)て、車(くるま)な(ン)ど(など)のたやすうゆき【行き】かふ事(こと)もなし。
たまさかにゆく人(ひと)もこ【小】車(ぐるま)にのり、路(みち)をへ【経】て
こそとをり(とほり)【通り】けれ。軒(のき)をあらそひし人(ひと)のすまひ、
日をへ【経】つつあれゆく。家々(いへいへ)は賀茂河(かもがは)・桂河(かつらがは)に
こぼちいれ【入れ】、筏(いかだ)にくみうかべ、資財(しざい)雑具(ざふぐ)(ざうぐ)舟(ふね)に
つみ、福原(ふくはら)へとはこび下(くだ)す。ただなりに花(はな)
P05190
の都(みやこ)ゐ中(なか)になるこそかなしけれ。なに物(もの)の
しわざ[B に]やあり【有り】けん、ふるき都(みやこ)の内裏(だいり)の柱(はしら)に、
二首(にしゆ)の歌(うた)をぞかい【書い】たりける。
ももとせを四(よ)かへり【返り】までにすぎき【過来】にし
乙城(をたぎ)(おたぎ)の里(さと)のあ【荒】れやはてなむ W030
さ【咲】きいづる花(はな)の都(みやこ)をふりすてて
かぜ【風】ふく原(はら)のすゑ【末】ぞあやうき(あやふき)【危ふき】 W031
同(おなじき)六月(ろくぐわつ)九日(ここのかのひ)、新都(しんと)の事(こと)はじめあるべしとて、
P05191
上卿(しやうけい)〔には〕徳大寺左大将(とくだいじのさだいしやう)実定(しつてい)の卿(きやう)、土御門(つちみかど)の
宰相(さいしやうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)通信【*通親】(とうしん)の卿(きやう)、奉行(ぶぎやう)の弁(べん)には蔵
人左少弁(くらんどさせうべん)行高【*行隆】(ゆきたか)、官人共(くわんにんども)めしぐし【召具し】て、和田(わだ)の
松原(まつばら)の西(にし)の野(の)を点(てん)じて、九城(きうじやう)の地(ち)をわ【割】ら
れけるに、一条(いちでう)よりしも【下】五条(ごでう)までは其(その)所(ところ)あ(ッ)
て、五条(ごでう)よりしもはなかりけり。行事官(ぎやうじくわん)
かへりまい(ッ)(まゐつ)【参つ】てこのよしを奏聞(そうもん)す。さらば播
磨(はりま)のいなみ【印南】野(の)か、なを(なほ)【猶】摂津国(せつつのくに)の児屋野(こやの)か
P05192
な(ン)ど(など)いふ公卿僉議(くぎやうせんぎ)あり【有り】しかども、事(こと)ゆくべし
ともみえ【見え】ざりけり。P337旧都(きうと)をばすでにうかれ
ぬ、新都(しんと)はいまだ事(こと)ゆかず。あり【有り】としある人(ひと)
は、身(み)をうき【浮】雲(ぐも)のおもひ【思ひ】をなす。もと〔こ〕の
ところ【所】にすむ物(もの)は、地(ち)をうしな(ッ)【失つ】てうれへ、いま
うつる人々(ひとびと)は土木(とぼく)のわづらひをなげき
あへり。すべてただ夢(ゆめ)のやうなりし事(こと)
どもなり。土御門(つちみかどの)宰相(さいしやうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)通信【*通親】卿(とうしんのきやう)申(まう)され
P05193
けるは、異国(いこく)には、三条(さんでう)の広路(くわうぢ)をひらい【開い】て
十二(じふに)の洞門(とうもん)をたつと見(み)えたり。况[B ヤ](いはんや)五条(ごでう)まで
あらん都(みやこ)に、などか内裏(だいり)をたてざるべき。かつがつ
さと【里】内裏(だいり)つくるべきよし議定(ぎぢやう)あ(ッ)て、五条
大納言(ごでうのだいなごん)国綱【*邦綱】卿(くにつなのきやう)、臨時(りんじ)に周防国(すはうのくに)を給(たまは)(ッ)て、造進(ざうしん)
せられるべきよし、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)はからひ申(まう)されけり。
この国綱【*邦綱】卿(くにつなのきやう)は大福長者(だいふくちやうじや)にてをはすれ(おはすれ)ば、
つくりいだされん事(こと)、左右(さう)に及(およ)(をよ)ばねども、[* 末尾に「いかが」と書き消している]
P05194
いかが国(くに)の費(つゐ)へ(つひえ)、民(たみ)のわづらひ【煩】なかるべき。まこと【誠】に
さしあた(ッ)たる大事(だいじ)、大嘗会(だいじやうゑ)な(ン)ど(など)のおこなは
るべきをさし【差し】をい(おい)【置い】て、かかる世(よ)のみだれに遷
都(せんと)造内裏(ざうだいり)、すこしも相応(さうおう)(さうわう)せず。「いにしへの
かしこき御代(みよ)には、すなはち内裏(だいり)に茨(かや)を
ふき、軒(のき)をだにもととのへず。煙(けぶり)のとも【乏】しき
を見(み)給(たま)ふ時(とき)は、かぎりある御(み)つぎ【貢】物(もの)をも
ゆる【免】されき。これすなはち民(たみ)をめぐ【恵】み、国(くに)
P05195
をたすけ給(たま)ふによ(ッ)てなり。楚(そ)帝花【*章華】(しやうくわ)の
台(たい)をたてて、黎民(れいみん)あら【索】げ、秦(しん)阿房(あはう)の殿(てん)を
をこし(おこし)【起こし】て、天下(てんが)みだるといへり。茅茨(ばうじ)きらず、
采椽(さいてん)けづらず、周車(しうしや)かざらず、衣服(いふく)あや【文】なかり
ける世(よ)もあり【有り】けん物(もの)を。されば唐(たう)の大宗(たいそう)は、
離宮山【*驪山宮】(りさんきゆう)(りさんきう)をつく(ッ)て、民(たみ)の費(つひえ)(ついへ)をやP338はばからせ給(たまひ)
けん、遂(つひ)(つゐ)に臨幸(りんかう)なくして、瓦(かはら)に松(まつ)をひ(おひ)【生ひ】、墻(かき)に
蔦(つた)しげ(ッ)て止(やみ)にけるには相違(さうい)かな」とぞ人(ひと)
P05196
申(まうし)ける。月見(つきみ)S0502六月(ろくぐわつ)九日(ここのかのひ)、新都(しんと)の事(こと)はじめ、八月(はちぐわつ)十日(とをか)
上棟(じやうとう)、十一月(じふいちぐわつ)十三日(じふさんにち)遷幸(せんかう)とさだめらる。ふるき
都(みやこ)はあ【荒】れゆけば、いまの都(みやこ)は繁昌(はんじやう)す。あ
さましかりける夏(なつ)もすぎ、秋(あき)にも已(すで)になりに
けり。やうやう秋(あき)もなかばになりゆけば、福原(ふくはら)
の新都(しんと)に在(まし)ます人々(ひとびと)、名所(めいしよ)の月(つき)をみんとて、
或(あるい)(あるひ)は源氏(げんじ)の大将(だいしやう)の昔(むかし)の跡(あと)をしのび【忍び】つつ須
間【*須磨】(すま)より明石(あかし)の浦(うら)づたひ、淡路(あはぢ)のせとをおし
P05197
わたり、絵島(ゑしま)が磯(いそ)の月(つき)をみる【見る】。或(あるい)(あるひ)はしらら【白良】・吹
上(ふきあげ)・和歌(わか)の浦(うら)、住吉(すみよし)・難波(なには)・高沙【*高砂】(たかさご)・尾上(をのへ)(おのへ)の月(つき)
のあけぼのをながめてかへる人(ひと)もあり【有り】。旧都(きうと)に
のこる人々(ひとびと)は、伏見(ふしみ)・広沢(ひろさは)の月(つき)を見(み)る。其(その)
なかにも徳大寺(とくだいじ)の左大将(さだいしやう)実定(しつてい)の卿(きやう)は、ふるき
都(みやこ)の月(つき)を恋(こひ)て、八月(はちぐわつ)十日(とをか)あまりに、福原(ふくはら)
よりぞのぼ【上】り給(たま)ふ。何事(なにごと)も皆(みな)かはりはてて、ま
れにのこる家(いへ)は、門前(もんぜん)草(くさ)ふかくして
P05198
庭上(ていしやう)露(つゆ)しげし。蓬(よもぎ)が杣(そま)、浅茅(あさぢ)が原(はら)、鳥(とり)のふし
ど【臥所】と荒(あれ)はてて、虫(むし)の声々(こゑごゑ)うらみ【恨み】つつ、黄菊紫
蘭(くわうきくしらん)の野辺(のべ)とぞなりにける。故郷(こきやう)の名残(なごり)と
ては、近衛P339河原(このゑかはら)の大宮(おほみや)ばかりぞ在(まし)ましける。
大将(だいしやう)その御所(ごしよ)にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、まづ随身(ずいじん)に惣門(そうもん)(さうもん)をたた
かせらるるに、うちより女(をんな)の声(こゑ)して、「た【誰】そや、
蓬生(よもぎふ)の露(つゆ)うちはらう人(ひと)もなき所(ところ)に」と
とがむれば、「福原(ふくはら)より大将殿(だいしやうどの)の御(おん)まいり(まゐり)【参り】候(さうらふ)」と
P05199
申(まうす)。「惣門(そうもん)(さうもん)はじやう【錠】のさされてさぶらうぞ。東面(ひがしおもて)(ひ(ン)がしおもて)
の小門(こもん)よりいら【入ら】せ給(たま)へ」と申(まうし)ければ、大将(だいしやう)さらば
とて、東(ひがし)(ひ(ン)がし)の門(もん)よりまいら(まゐら)【参ら】れけり。大宮(おほみや)は御(おん)
つれづれに、昔(むかし)をやおぼ【思】しめしい【出】でさせ給(たま)
ひけん。南面(みなみおもて)(み(ン)なみおもて)の御格子(みかうし)あげさせて、御琵琶(おんびは)(おんびわ)
あそばさ【遊ばさ】れけるところに、大将(だいしやう)まいら(まゐら)【参ら】れたり
ければ、「いかに、夢(ゆめ)かやうつつ【現】か、これへこれへ」とぞ
仰(おほせ)ける。源氏(げんじ)の宇治(うぢ)の巻(まき)には、うばそくの宮(みや)
P05200
の御(おん)むすめ、秋(あき)の名残(なごり)ををしみ、琵琶(びは)(びわ)をしら【調】
めて夜(よ)もすがら心(こころ)をすまし給(たま)ひしに、在明(ありあけ)の
月(つき)のい【出】でけるを、猶(なほ)(なを)たえ(たへ)【堪へ】ずやおぼしけん、撥(ばち)
にてまねき給(たま)ひけんも、いまこそおもひ【思ひ】しら
れけれ。待(まつ)よひ【宵】の小侍従(こじじゆう)といふ女房(にようぼう)も、此(この)
御所(ごしよ)にぞ候(さうらひ)ける。この女房(にようぼう)を待(まつ)よひと申(まうし)
ける事(こと)は、或(ある)時(とき)御所(ごしよ)にて「まつよひ、かへ【帰】る
あした、いづれかあはれ【哀】はまされる」と御尋(おんたづね)あり【有り】ければ、
P05201
待(まつ)よひのふ【更】けゆく鐘(かね)の声(こゑ)きけば
かへるあしたの鳥(とり)はものかは W032
とよ【詠】みたりけるによ(ッ)てこそ待(まつ)よひとは
めさ【召さ】れけれ。大将(だいしやう)かの女房(にようばう)よび【呼び】いだし、昔(むかし)
いまの物語(ものがたり)して、さ夜(よ)もやうやうふけ行(ゆけ)ば、ふ
るきみやこのあ【荒】れゆくを、P340いま【今】様(やう)にこそ
うたはれけれ。ふるき都(みやこ)をき【来】て見(み)ればあ
さぢ【浅茅】が原(はら)とぞあ【荒】れにける月(つき)の光(ひかり)はくま
P05202
なくて秋風(あきかぜ)のみぞ身(み)にはしむ K037 Iと、三反(さんべん)う
たひ【歌ひ】すまされければ、大宮(おほみや)をはじめまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】て、御所(ごしよ)ぢう(ぢゆう)【中】の女房達(にようばうたち)、みな袖(そで)をぞぬ【濡】らさ
れける。さる程(ほど)に夜(よ)もあけ【明け】ければ、大将(だいしやう)い
とま申(まうし)て、福原(ふくはら)へこそかへ【帰】られけれ。御(おん)ともに
候(さうらふ)蔵人(くらんど)をめして、「侍従(じじゆう)があまりなごりおしげ(をしげ)【惜し気】に
おもひ【思ひ】たるに、なんぢかへ(ッ)(かへつ)【帰つ】てなにともいひ【言ひ】て
こよ」と仰(おほせ)ければ、蔵人(くらんど)はしり【走り】かへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て、「「畏(かしこま)り
P05203
申(まう)せ」と候(さうらふ)」とて、
物(もの)かはと君(きみ)がいひけん鳥(とり)のねの
けさ【今朝】しもなどかかな【悲】しかるらむ W033
女房(にようばう)涙(なみだ)ををさへ(おさへ)て、
また【待た】ばこそふけゆくかねも物(もの)ならめ
あかぬわかれの鳥(とり)の音(ね)ぞうき W034
蔵人(くらんど)かへりまい(ッ)(まゐつ)【参つ】てこのよし申(まうし)たりければ、
「さればこそなんぢをばつかはし【遣し】つれ」とて、大
P05204
将(だいしやう)おほきに感(かん)ぜられけり。それよりしてこ
そ物(もの)かはの蔵人(くらんど)とはいはれけれ。P341 物怪(もつけ)之(の)沙汰(さた)S0503 福原(ふくはら)へ都(みやこ)を
うつされて後(のち)、平家(へいけ)の人々(ひとびと)夢(ゆめ)見(み)もあ【悪】しう、
つねは心(こころ)さはぎ(さわぎ)【騒ぎ】のみして、変化(へんげ)の物(もの)ども
おほかりけり。或(ある)夜(よ)入道(にふだう)(にうだう)のふ【臥】し給(たま)へる
ところ【所】に、ひと間(ま)にはばかる程(ほど)の物(もの)の面(おもて)いでき
て、のぞきたてまつる【奉る】。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)ち(ッ)とも
さはが(さわが)【騒が】ず、ちやうどにら【睨】まへてをはし(おはし)【在し】ければ、
P05205
ただぎ【消】えにきえうせぬ。岡(をか)の御所(ごしよ)と申(まう)すは
あたらしうつく【造】られたれば、しかるべき大木(たいぼく)も
なかりけるに、或(ある)夜(よ)おほ木(ぎ)のたふるる【倒るる】音(おと)(をと)し
て、人(ひと)ならば二卅人(にさんじふにん)が声(こゑ)して、ど(ッ)とわらふ【笑ふ】こと
あり【有り】けり。これはいかさまにも天狗(てんぐ)の所為(しよい)と
いふ沙汰(さた)にて、ひきめ【蟇目】の当番(たうばん)となづ【名付】けて、
よる百人(ひやくにん)ひる五十人(ごじふにん)の番衆(ばんしゆ)をそろ
へて、ひきめをゐ(い)【射】させらるるに、天狗(てんぐ)
P05206
のある方(かた)へむ【向】いてゐ(い)【射】たる時(とき)は音(おと)(をと)もせず。
ない方(かた)へむいてゐ(い)【射】たる時(とき)は、は(ッ)とわらひ【笑ひ】
な(ン)ど(など)しけり。又(また)あるあした【朝】、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)帳
台(ちやうだい)よりいでて、つま【妻】戸(ど)ををし(おし)【押し】ひらき、坪(つぼ)
のうちを見(み)給(たま)へば、死人(しにん)のしやれかう
べ【骸骨】どもが、いくらといふかず【数】もしらず庭(には)に
みちみちて、うへ【上】になりした【下】になり、ころ
びあひころびのき、はし【端】なるはなか【中】へ
P05207
まろびいり中(なか)なるははし【端】へいづ。おびたた【夥】
しうがらめきあひければ、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)「人(ひと)や
ある、人(ひと)やある」とめさ【召さ】れけれども、おりふし(をりふし)【折節】
人(ひと)もまいら(まゐら)【参ら】ず。かくしておP342ほくのどく
ろ【髑髏】どもがひと【一】つにかたまりあひ、つぼ【坪】の
うちにはばかる程(ほど)にな(ッ)て、たかさは十四五(じふしご)
丈(ぢやう)もあるらんとおぼゆる山(やま)のごとくになりに
けり。かのひとつの大(おほ)がしら【頭】に、いき【生き】たる人(ひと)の
P05208
まなこの様(やう)に大(だい)のまなこどもが千万(せんまん)いできて、
入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)をちやうどにら【睨】まへて、まだた【瞬】き
もせず。入道(にふだう)(にうだう)すこしもさはが(さわが)【騒が】ず、はたとにらまへ
てしばらくたた【立た】れたり。かの大(おほ)がしらあまりに
つよくにらまれたてまつり霜露(しもつゆ)な(ン)ど(など)の
日にあた(ッ)てき【消】ゆるやうに、跡(あと)かたもなくなり
にけり。其(その)外(ほか)に、一(いち)の厩(むまや)にたててとねり【舎人】
あまたつけられ、あさゆふ【朝夕】ひまなくな【撫】で
P05209
か【飼】はれける馬(むま)の尾(を)(お)に、一夜(いちや)のうちにねずみ【鼠】
巣(す)をくひ、子(こ)をぞう【産】んだりける。「これただ
事(こと)にあらず」とて、七人(しちにん)の陰陽師(おんやうじ)(をんやうじ)にうらな【占】は
せられければ、「おもき【重き】御(おん)つつしみ」とぞ申(まうし)ける。
この御馬(おんむま)は、相模国(さがみのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)大庭(おほばの)三郎(さぶらう)景親(かげちか)
が、東(とう)八ケ国一(はつかこくいち)の馬(むま)とて、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)にまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】たり。くろき馬(むま)の額(ひたひ)(ひたい)しろ【白】かりけり。名(な)を
ば望月(もちづき)とぞつけられたる。陰陽頭(おんやうのかみ)(をんやうのかみ)安陪【*安倍】(あべ)
P05210
の泰親(やすちか)給(たま)はりけり。昔(むかし)天智天皇(てんちてんわう)の御時(おんとき)、竜【*寮】(れう)(りやう)
の御馬(おんむま)の尾(を)(お)に鼠(ねずみ)す【巣】をくひ、子(こ)をう【産】んだり
けるには、異国(いこく)の凶賊(けうぞく)蜂起(ほうき)したりけるとぞ、
日本記(につぽんぎ)(に(ツ)ぽんぎ)にはみえ【見え】たる。又(また)、源(げん)中納言(ぢゆうなごん)(ぢうなごん)雅頼卿(がらいのきやう)の
もとに候(さうらひ)ける青侍(せいし)がみ【見】たりける夢も、おそ
ろしかり【恐ろしかり】けり。たとへば、大内(おほうち)の神祇官(じんぎくわん)と
おぼしきところ【所】に、束帯(そくたい)ただしき上臈(じやうらふ)(じやうらう)たち
あP343またおはして、儀定【*議定】(ぎぢやう)の様(やう)なる事(こと)のあり【有り】しに、
P05211
末座(ばつざ)なる人(ひと)の、平家(へいけ)のかたうどするとおぼしき
を、その中(なか)よりお(ッ)たて【追つ立て】らる。かの青侍(せいし)夢(ゆめ)の心(こころ)に、
「あれはいかなる上臈(じやうらふ)(じやうらう)にて在(まし)ますやらん」と、
或(ある)老翁(らうおう)(らうをう)にと【問】ひたてまつれ【奉れ】ば、「厳島(いつくしま)の大明
神(だいみやうじん)」とこたへ給(たま)ふ。其(その)後(のち)座上(ざしやう)にけだかげなる
宿老(しゆくらう)の在(まし)ましけるが、「この日来(ひごろ)平家(へいけ)のあづ
か【預】りたりつる節斗(せつと)をば、今(いま)者(は)伊豆国(いづのくに)の流人(るにん)
頼朝(よりとも)にた【賜】ばうずる也(なり)」と仰(おほせ)られければ、其(その)御(おん)そ
P05212
ばに猶(なほ)(なを)宿老(しゆくらう)の在(まし)ましけるが、「其(その)後(のち)者(は)わが
孫(まご)にもた【賜】び候(さうら)へ」と仰(おほせ)らるるといふ夢(ゆめ)をみて、
是(これ)を次第(しだい)にとひたてまつる【奉る】。「節斗(せつと)を頼朝(よりとも)にたばう
とおほせられつるは八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、其(その)後(のち)
わが孫(まご)にもたび候(さうら)へと仰(おほせ)られつるは春日(かすがの)大明
神(だいみやうじん)、かう申(まうす)老翁(らうおう)(らうをう)は武内(たけうち)の大明神(だいみやうじん)」と仰(おほせ)らるる
といふ夢(ゆめ)を見(み)て、これを人(ひと)にかたる程(ほど)に、入
道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)もれ【漏れ】きいて、源(げん)大夫判官(だいふはんぐわん)季貞[* 「秀貞」と有るのを高野本により訂正](すゑさだ)をも(ッ)て
P05213
雅頼卿(がらいのきやう)のもとへ、「夢(ゆめ)み【見】の青侍(せいし)、いそ【急】ぎこれへたべ」
と、の給(たま)ひつかはされたりければ、かの夢(ゆめ)見(み)
たる青侍(せいし)やがて逐電(ちくてん)してんげり。雅頼卿(がらいのきやう)い
そぎ入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)のもとへゆき【行き】むか(ッ)て、「ま(ッ)たくさる
こと候(さうら)はず」と陳(ちん)じ申(まう)されければ、其(その)後(のち)沙汰(さた)も
なかりけり。平家(へいけ)日(ひ)ごろは朝家(てうか)の御(おん)かため
にて、天下(てんが)を守護(しゆご)せしかども、今(いま)者(は)勅命(ちよくめい)に
そむけば、節斗(せつと)をもめしかへさ【召返さ】るるにや、心(こころ)ぼそう
P05214
ぞきこえし。なかにも高野(かうや)におはしける宰相[* 「宇相」と有るのを高野本により訂正](さいしやう)
入道(にふだう)(にうだう)成頼(なりより)、か様(やう)【斯様】の事(こと)どもをつたへきいて、P344「すは平
家(へいけ)の代(よ)はやうやう末(すゑ)になりぬるは。いつくしま
の大明神(だいみやうじん)の平家(へいけ)の方(かた)うど【方人】をし給(たま)ひける
といふは、そのいはれあり【有り】。ただしそれは沙羯羅
竜王(しやかつらりゆうわう)(しやかつらりうわう)の第三(だいさん)の姫宮(ひめみや)なれば、女神(によしん)とこそうけ給(たま)
はれ。八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の、せつと【節斗】を頼朝(よりとも)にた【賜】ばうど
仰(おほせ)られけるはことはり(ことわり)【理】也(なり)。春日(かすがの)大明神(だいみやうじん)の、其(その)後(のち)
P05215
はわが孫(まご)にもたび候(さうら)へと仰(おほせ)られけるこそ心(こころ)えね。
それも平家(へいけ)ほろび、源氏(げんじ)の世(よ)つきなん後(のち)、大織
冠(たいしよくくくわん)の御末(おんすゑ)、執柄家(しつぺいけ)の君達(きんだち)の天下(てんが)の将軍(しやうぐん)に
なり給(たま)ふべきか」な(ン)ど(など)ぞの給(たま)ひける。又(また)或(ある)僧(そう)の
おりふし(をりふし)【折節】来(き)たりけるが申(まうし)けるは、「夫(それ)神明(しんめい)は和
光垂跡(わくわうすいしやく)の方便(はうべん)まちまちに在(まし)ませば、或(ある)時(とき)は俗
体(ぞくたい)とも現(げん)じ、或(ある)時(とき)は女神(によしん)ともなり給(たま)ふ。誠(まこと)
に厳島(いつくしま)の大明神(だいみやうじん)は、女神(によしん)とは申(まうし)ながら、三明(さんみやう)
P05216
六通(ろくつう)の霊神(れいしん)にて在(まし)ませば、俗体(ぞくたい)に現(げん)じ給(たま)はんも
かたかるべきにあらず」とぞ申(まうし)ける。うき世(よ)をいとひ
実(まこと)の道(みち)に入(いり)ぬれば、ひとへに後世(ごせ)菩提(ぼだい)の
外(ほか)は世(よ)のいとなみあるまじき事(こと)なれども、善
政(ぜんせい)をきい【聞い】てはかん【感】じ、愁(うれひ)(うれい)をきいてはなげ【歎】く、
これみな人間(にんげん)の習(ならひ)なり。早馬(はやむま)S0504 同(おなじき)九月(くぐわつ)二日(ふつかのひ)、相模国(さがみのくに)
の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)大庭(おほばの)三郎(さぶらう)景親(かげちか)、福原(ふくはら)へ早馬(はやむま)をも(ッ)て
申(まうし)けるP345は、「去(さんぬる)八月(はちぐわつ)十七日(じふしちにち)、伊豆国(いづのくにの)流人(るにん)前右兵
P05217
衛佐(さきのうひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)、しうと【舅】北条(ほうでうの)四郎(しらう)時政(ときまさ)をつかはして、
伊豆(いづ)の目代(もくだい)、和泉判官(いづみのはんぐわん)兼高【*兼隆】(かねたか)をやまき【山木】の館(たち)
で夜(よ)うち【討】にうち候(さうらひ)ぬ。其(その)後(のち)土肥(とひ)(とい)・土屋(つちや)・岡崎(をかざき)
をはじめとして三百余騎(さんびやくよき)、石橋山(いしばしやま)に立籠(たてごもつ)
て候(さうらふ)ところ【所】に、景親(かげちか)御方(みかた)に心(こころ)ざしを存(ぞん)ずる
ものども一千余騎(いつせんよき)を引率(いんぞつ)(ゐんぞつ)して、おしよ【押寄】せせめ
候(さうらふ)程(ほど)に、兵衛佐(ひやうゑのすけ)七八騎(しちはつき)にうちなされ、おほ童(わらは)にたた
かい(たたかひ)【戦ひ】な(ッ)て、土肥(とひ)(とい)の椙山(すぎやま)へにげこもり【逃籠り】候(さうらひ)ぬ。其(その)後(のち)
P05218
畠山(はたけやま)五百余騎(ごひやくよき)で御方(みかた)をつかまつり、三浦大介
義明(みうらのおほすけよしあき)が子共(こども)、三百余騎(さんびやくよき)で源氏方(げんじがた)をして、湯井【*由井】(ゆゐ)・
小坪(こつぼ)の浦(うら)でたたかふ【戦ふ】に、畠山(はたけやま)いくさまけて武
蔵国(むさしのくに)へひきしりぞく。その後(のち)畠山(はたけやま)が一族(いちぞく)、河
越(かはごへ)・稲毛(いなげ)・小山田(こやまだ)・江戸(ゑど)・笠井【*葛西】(かさい)(かさゐ)、其(その)外(ほか)七党(ななたう)の兵(つはもの)
ども三千余騎(さんぜんよき)をあひぐし【具し】て、三浦(みうら)衣笠(きぬがさ)の
城(じやう)にをし(おし)【押し】よせてせめ【攻め】たたかふ。大介義明(おおすけよしあき)うた
れ候(さうらひ)ぬ。子共(こども)は、くり【久里】浜(はま)の浦(うら)より船(ふね)にのり、
P05219
安房(あは)・上総(かづさ)へわたり候(さうらひ)ぬ」とこそ申(まうし)たれ。平
家(へいけ)の人々(ひとびと)都(みやこ)うつりもはやけふ(きよう)【興】さめぬ。わかき
公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)は、「あはれ、とく【疾く】事(こと)のいでこよ【出来よ】かし。
打手(うつて)にむか【向】はう」な(ン)ど(など)いふぞはかなき。畠山(はたけやま)の庄
司重能(しやうじしげよし)、小山田(こやまだ)の別当(べつたう)有重(ありしげ)、宇都宮左衛門(うつのみやのさゑもん)
朝綱(ともつな)、大番役(おほばんやく)にて、おりふし(をりふし)【折節】在京(ざいきやう)したりけり。畠
山(はたけやま)申(まうし)けるは、「僻事(ひがごと)にてぞ候(さうらふ)らん。した【親】しうな(ッ)て
候(さうらふ)なれば、北条(ほうでう)はしり【知り】候(さうら)はず、自余(じよ)の輩(ともがら)は、
P05220
よも朝敵(てうてき)が方人(かたうど)をば仕(つかまつり)候(さうら)はじ。いまきこしP346めし【聞召】
なをさ(なほさ)んずる物(もの)を」と申(まうし)ければ、げにもとい
ふ人(ひと)もあり【有り】。「いやいや只今(ただいま)天下(てんが)の大事(だいじ)に
及(および)なんず」とささやく物(もの)どもおほ【多】かりけり。
入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、いから【怒ら】れける様(やう)なのめならず。「頼朝(よりとも)
をばすでに死罪(しざい)におこなはるべかりしを、
故池殿(こいけどの)のあながちなげきの給(たま)ひし間(あひだ)、
流罪(るざい)に申(まうし)なだめたり。しかるに其(その)恩(おん)(をん)忘(わすれ)て、
P05221
当家(たうけ)にむか(ッ)て弓(ゆみ)をひくにこそあんなれ。神明
三宝(しんめいさんぼう)もいかでかゆるさせ給(たま)ふべき。只今(ただいま)(た(ン)だいま)天(てん)のせ
め【責】かうむら【蒙ら】んずる頼朝(よりとも)なり」とぞの給(たま)ひける。
朝敵揃(てうてきぞろへ)S0505 夫(それ)我(わが)朝(てう)に朝敵(てうてき)のはじめを尋(たづぬ)れば、やまといは
れ【日本磐余】みこと[* 「ひこと」と有るのを他本により訂正]の御宇(ぎよう)四年(しねん)、紀州(きしう)なぐさ【名草】の郡(こほり)高雄
村(たかをのむら)(たかおのむら)に一(ひとつ)の蜘蛛(ちちゆう)(ちちう)あり【有り】。身(み)みじかく、足手(あして)ながくて、
ちから【力】人(ひと)にすぐれたり。人民(にんみん)をおほく損害(そんがい)
せしかば、官軍(くわんぐん)発向(はつかう)して、宣旨(せんじ)をよみかけ、
P05222
葛(かづら)の網(あみ)をむす【結】んで、つゐに(つひに)【遂に】これをおほひ【覆ひ】ころ
す。それよりこのかた、野心(やしん)をさしはさんで朝
威(てうゐ)をほろぼ【滅】さんとする輩(ともがら)、大石[B ノ]山丸(おほいしのやままる)、大山王子(おほやまのわうじ)、
守屋(もりや)の大臣(だいじん)、山田[B ノ]石河(やまだのいしかは)、曾我[B ノ](そがの)いるか【入鹿】、大友(おほとも)のま
とり【真鳥】、文屋[B ノ]宮田(ふんやのみやだ)、[B 橘]逸成(きついつせい)、ひかみ【氷上】の河次(かはつぎ)、伊与(いよ)の親
王(しんわう)、太宰少弐(だざいのせうに)藤原広嗣(ふぢはらのひろつぎ)、ゑみ【恵美】の押勝(おしかつ)(をしかつ)、佐(さ)あら【早良】の
太子(たいし)、井上(ゐがみ)の広公(くわうこう)、藤原P347仲成(ふぢはらのなかなり)、平将門(たひらのまさかど)(たいらのまさかど)、藤原
純友(ふぢはらのすみとも)、安陪【*安部】(あべの)貞任(さだたふ)(さだとう)・宗任(むねたふ)(むねとう)、対馬守(つしまのかみ)源義親(みなもとのよしちか)、悪
P05223
左府(あくさふ)・悪衛門督(あくゑもんのかみ)にいたるまで、すべて廿(にじふ)余人(よにん)、
されども一人(いちにん)として素懐(そくわい)をとぐる物(もの)なし。かばね
を山野(さんや)にさらし、かうべを獄門(ごくもん)にかけられる。此(この)世(よ)に
こそ王位(わうゐ)も無下(むげ)にかる【軽】けれ、昔(むかし)は宣旨(せんじ)をむ
か(ッ)【向つ】てよみければ、枯(かれ)たる草木(さうもく)も花(はな)さき実(み)な
り、とぶ鳥(とり)もしたがひ【従ひ】けり。中比(なかごろ)の事(こと)ぞかし。延喜
御門(えんぎのみかど)神泉苑(しんぜんえん)に行幸(ぎやうがう)あ(ッ)て、池(いけ)のみぎはに
鷺(さぎ)のゐたりけるを、六位(ろくゐ)をめして、「あの鷺(さぎ)と(ッ)
P05224
てまいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」と仰(おほせ)ければ、争(いかで)かとら【取ら】んとおもひ【思ひ】
けれども、綸言(りんげん)なればあゆみむかふ。鷺(さぎ)はねづ
くろひ[* 「はねつくひ」と有るのを高野本により訂正]【羽繕ひ】してたた【立た】んとす。「宣旨(せんじ)ぞ」と仰(おほ)すれば、ひ
ら【平】んで飛(とび)さらず。これをと(ッ)【取つ】てまいり(まゐり)【参り】たり。「なんぢが
宣旨(せんじ)にしたが(ッ)てまいり(まゐり)【参り】たるこそ神妙(しんべう)なれ。や
がて五位(ごゐ)になせ」とて、鷺(さぎ)を五位(ごゐ)にぞなされ
ける。「今日(けふ)より後(のち)は鷺(さぎ)のなかの王(わう)たるべし」といふ
札(ふだ)をあそばひ(あそばい)【遊ばい】て、頸(くび)にかけてはなたせ給(たまふ)。ま(ッ)たく
P05225
鷺(さぎ)の御(おん)れう【料】にはあらず、只(ただ)王威(わうゐ)の程(ほど)をしろしめさ【知ろし召さ】ん
がためなり。感陽宮【*咸陽宮】(かんやうきゆう)(かんやうきう)S0406 又(また)先蹤(せんじよう)(せんぜう)を異国(いこく)に尋(たづぬる)に、燕(えん)(ゑん)の太子
丹(たいしたん)といふも、秦始皇(しんのしくわう)にとらはれて、いましP348めを
かうぶる事(こと)十二年(じふにねん)、太子丹(たいしたん)涙(なみだ)をながひ(ながい)【流い】て申(まうし)
けるは、「われ本国(ほんごく)に老母(らうぼ)あり。いとまを給(たま)は(ッ)て
かれをみん」と[B 申(まう)せば、]始皇帝(しくわうてい)あざわら(ッ)(わらつ)【笑つ】て、「なんぢに
いとまをた【賜】ばん事(こと)は、馬(むま)に角(つの)おひ【生ひ】、烏(からす)の
頭(かしら)の白(しろ)くならん時(とき)を待(まつ)べし」。燕丹(えんたん)(ゑんたん)天(てん)に
P05226
あふぎ地(ち)に臥(ふし)て、「願(ねがはく)は、馬(むま)に角(つの)をひ(おひ)【生ひ】、烏(からす)の頭(かしら)
しろく【白く】なしたべ。故郷(こきやう)にかへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て今(いま)一度(いちど)母(はは)をみん」
とぞ祈(いのり)ける。かの妙音菩薩(めうおんぼさつ)(めうをんぼさつ)は霊山浄
土(りやうぜんじやうど)に詣(けい)して、不孝(ふかう)の輩(ともがら)をいましめ、孔子(こうし)・
顔囘(がんくわい)はしな【支那】震旦(しんだん)に出(いで)て忠孝(ちゆうかう)(ちうかう)の道(みち)を
はじめ給(たま)ふ。冥顕(みやうけん)の三宝(さんぼう)孝行(かうかう)〔の〕心(こころ)ざしを
あはれみ給(たま)ふ事(こと)なれば、馬(むま)に角(つの)をひ(おひ)【生ひ】て宮
中(きゆうちゆう)(きうちう)に来(きた)り、烏(からす)の頭(かしら)白(しろ)くな(ッ)て庭前(ていぜん)の木(き)に
P05227
す【栖】めりけり。始皇帝(しくわうてい)、烏頭(うとう)馬角[* 「馬の角」と有るのを他本により訂正](ばかく)の
変(へん)におどろき、綸言(りんげん)かへらざる事(こと)を信(しん)じ
て、太子丹(たんしたん)をなだめつつ、本国(ほんごく)へこそかへさ【返さ】れ
けれ。始皇(しくわう)なを(なほ)【猶】くや【悔】しみて、秦(しん)の国(くに)と燕(えん)(ゑん)
の国(くに)のさか井(ひ)【境】に楚国(そこく)といふ国(くに)あり【有り】。大(おほき)なる河(かは)な
がれたり。かの河(かは)にわたせ【渡せ】る橋(はし)をば楚国(そこく)の橋(はし)
といへり。始皇(しくわう)官軍(くわんぐん)をつかはして、燕丹(えんたん)(ゑんたん)がわたる
時(とき)、河(かは)なかの橋(はし)をふまばお【落】つる様(やう)にしたためて、
P05228
燕丹(えんたん)(ゑんたん)をわたらせけるに、なじかはおちい【陥】らざるべ
き。河(かは)なかへおち入(いり)ぬ。されどもち(ッ)とも水(みづ)にもお
ぼれず、平地(へいぢ)を行(ゆく)ごとくして、むかへの岸(きし)へ付(つき)に
けり。こはいかにとおもひ【思ひ】てうしろをかへり見(み)け
れば、亀(かめ)どもがいくらといふかずもしらず、水(みづ)の上(うえ)に
うかれ【浮かれ】来(き)て、こう(かふ)【甲】をならべてあゆ【歩】ませたりける。
これも孝行(かうかう)のこころざしを冥顕(みやうけん)P349あはれみ給(たま)ふに
よ(ッ)てなり。太子丹(たいしたん)うらみ【恨み】をふくむ(ふくん)で又(また)始皇帝(しくわうてい)
P05229
にしたがはず。始皇(しくわう)官軍(くわんぐん)をつかはして燕丹(えんたん)(ゑんたん)を
うた【討た】んとし給(たま)ふに、燕丹(えんたん)(ゑんたん)おそれ【恐れ】をののき、荊訶【*荊軻】(けいか)
といふ兵(つはもの)をかたらふ(かたらう)て大臣(だいじん)になす。荊訶【*荊軻】(けいか)又(また)田
光先生(てんくわうせんじやう)といふ兵(つはもの)をかたらふ。かの先生(せんじやう)申(まうし)けるは、
「君(きみ)はこの身(み)がわか【若】うさかん【壮】な(ッ)し事(こと)をしろし
めさ【知ろし召さ】れてたのみ【頼み】仰(おほせ)らるるか。騏■(きりん)は千里(せんり)を飛(とべ)
ども、老(おい)ぬれば奴馬(どば)にもおとれり。いまはいか
にもかなひ【適ひ】候(さうらふ)まじ。兵(つはもの)をこそかたらふ(かたらう)てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】
P05230
め」とて、かへ【帰】らむとするところ【所】に、荊訶【*荊軻】(けいか)「この事(こと)
あなかしこ、人(ひと)にひろふ(ひろう)【披露】すな」といふ。先生(せんじやう)申(まうし)けるは、
「人(ひと)にうたが【疑】はれぬるにす【過】ぎたる恥(はぢ)こそなけれ。
此(この)事(こと)もれ【漏れ】ぬる物(もの)ならば、われうたがはれなんず」
とて、門前(もんぜん)なる李(すもも)の木(き)にかしらをつ【突】きあて、
うちくだいてぞ死(しに)にける。又(また)范予期【*樊於期】(はんよき)といふ
兵(つはもの)あり【有り】。これは、秦(しん)の国(くに)のものなり。始皇(しんわう)のためにおや【父】・
おぢ(をぢ)【伯叔】・兄弟(けいてい)をほろぼされて、燕(えん)(ゑん)の国(くに)ににげ【逃げ】こもれ
P05231
り。秦皇(しんくわう)四海(しかい)に宣旨(せんじ)をくだ【下】いて、「范予期【*樊於期】(はんよき)が
かうべは【刎】ねてまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たらん物(もの)には、五百斤(ごひやくきん)
の金(こがね)をあたへん」とひろふ(ひろう)【披露】せらる。荊訶【*荊軻】(けいか)これを
きき、范予期【*樊於期】(はんよき)がもとにゆひ(ゆい)【行い】て、「われきく【聞く】。なんぢがかう
べ五百斤(ごひやくきん)の金(こがね)にほう【報】ぜらる。なんぢが首(くび)われに
か【貸】せ。取(とり)て始皇帝(しくわうてい)にたてまつらん。よろこ(ン)で叡覧(えいらん)(ゑいらん)
へ【経】られん時(とき)、つるぎ【剣】をぬき、胸(むね)をささんにやす【安】
かりP350なん」といひければ、范予期【*樊於期】(はんよき)おどり(をどり)【躍り】あがり、
P05232
大(おほ)いき【息】ついて申(まうし)けるは、「われおや・おぢ(をぢ)・兄
弟(けいてい)を始皇(しくわう)のためにほろぼされて、よるひる是(これ)
をおもふ【思ふ】に、骨髄(こつずい)にとを(ッ)(とほつ)【徹つ】て忍(しのび)がたし。げにも始
皇帝(しくわうてい)をほろぼすべくは、首(くび)をあたへんこ
と、塵(ちり)あくたよりもなを(なほ)【猶】やすし」とて、手(て)づから
首(くび)を切(きり)てぞ死(しに)にける。又(また)秦巫陽【*秦舞陽】(しんぶやう)といふ
兵(つはもの)あり【有り】。これも秦(しん)の国(くに)の物(もの)なり。十三(じふさん)の歳(とし)
かたきをう(ッ)て、燕(えん)(ゑん)の国(くに)ににげこもれり。ならび
P05233
なき兵(つはもの)なり。かれが嗔(いかつ)てむかふ時(とき)は、大(だい)の男(をとこ)(おとこ)も
絶入(せつじゆ)す。又(また)笑(わらひ)てむかふ時(とき)は、みどり子(こ)もいだ【抱】かれ
けり。これを秦(しん)の都(みやこ)の案内者(あんないしや)にかた【語】らうて、
ぐし【具し】てゆく程(ほど)に、ある片山(かたやま)のほとりに宿(しゆく)したり
ける夜(よ)、其(その)辺(ほとり)ちかき里(さと)に管絃(くわんげん)をするを
きい【聞い】て、調子(てうし)をも(ッ)て本意(ほんい)の事(こと)をうらな【占】ふに、
かたきの方(かた)は水(みづ)なり、我(わが)方(かた)は火(ひ)なり。さる程(ほど)
に天(てん)もあけ【明け】ぬ。白虹(はつかう)日(ひ)をつらぬいてとほら【通ら】ず。
P05234
「我等(われら)が本意(ほんい)とげん事(こと)ありがたし」とぞ申(まうし)ける。さり
ながら帰(かへる)べきにもあらねば、始皇(しくわう)の都(みやこ)咸陽宮(かんやうきゆう)(かんやうきう)に
いたりぬ。燕(えん)(ゑん)の指図(さしづ)ならびに范予期【*樊於期】(はんよき)が首(くび)も(ッ)【持つ】て
まいり(まゐり)【参り】たるよし奏(そう)しければ、臣下(しんか)をも(ッ)てう
けとらんとし給(たま)ふ。「ま(ッ)たく人(ひと)してはまいらせ(まゐらせ)【参らせ】じ。直(ぢき)
にたてまつら【奉ら】ん」と奏(そう)する間(あひだ)(あいだ)、さらばとて、節
会(せちゑ)の儀(ぎ)をととのへて、燕(えん)(ゑん)の使(つかひ)をめされけり。
咸陽宮(かんやうきゆう)(かんやうきう)はみやこのめぐり一万八千三百
P05235
八十(いちまんぱつせんさんびやくはちじふ)(いちまんばつせんさんびやくはちじふ)里(り)につもれり。内裏(だいり)をば地(ち)より三里(さんり)
たかく築(つき)あげて、其(その)P351上(うへ)にたてたり。長生
殿(ちやうせいでん)・不老門(ふらうもん)あり【有り】、金(こがね)をも(ッ)て日(ひ)をつくり、銀(しろかね)を
も(ッ)て月(つき)をつくれり。真珠(しんじゆ)のいさご、瑠璃(るり)の砂(いさご)、
金(きん)の砂(いさご)をし【敷】きみてり。四方(しはう)にはたかさ四十
丈(しじふぢやう)の鉄(くろがね)の築地(ついぢ)(つゐぢ)をつき、殿(てん)の上(うへ)にも同(おなじく)鉄(くろがね)
の網(あみ)をぞ張(はり)たりける。これは冥途(めいど)の使(つかひ)を
いれ【入れ】じとなり。秋(あき)の田(た)のも【面】の鴈(かり)、春(はる)はこしぢ【越路】へ
P05236
帰(かへる)も、飛行自在(ひぎやうじざい)のさはり【障】あれば、築地(ついぢ)(つゐぢ)には鴈門(がんもん)
となづけて、鉄(くろがね)の門(もん)をあけてぞとをし(とほし)【通し】ける。
そのなかにも阿房殿(あはうてん)とて、始皇(しくわう)のつねは行
幸(ぎやうがう)な(ッ)て、政道(せいたう)おこなはせ給(たま)ふ殿(てん)あり【有り】。たかさは
卅六(さんじふろく)丈(ぢやう)東西(とうざい)へ九町(くちやう)、南北(なんぼく)へ五町(ごちやう)、大床(おほゆか)のしたは
五丈(ごぢやう)のはたぼこをたてたるが、猶(なほ)(なを)及(およ)(をよ)ばぬ程(ほど)也(なり)。
上(かみ)は瑠璃(るり)の瓦(かはら)(カワラ)をも(ッ)てふき、したは金銀(きんぎん)に
てみがけり。荊訶【*荊軻】(けいか)は燕(えん)(ゑん)の指図(さしづ)をもち、秦巫
P05237
陽【*秦舞陽】(しんぶやう)は范予期【*樊於期】(はんよき)が首(くび)をも(ッ)【持つ】て、珠(たま)のきざ【階】橋(はし)を
のぼりあがる。あまりに内裏(だいり)のおびたたし
きを見(み)て秦巫陽【*秦舞陽】(しんぶやう)わなわなとふるひければ、
臣下(しんか)あやしみて、「巫陽【*舞陽】(ぶやう)謀反(むほん)の心(こころ)あり【有り】。刑人(けいじん)を
ば君(きみ)のかたはら【側】にをか(おか)【置か】ず、君子(くんし)は刑人(けいじん)にちかづ
か【近付か】ず、刑人(けいじん)にちかづく【近付く】はすなはち死(し)をかろんずる
道(みち)なり」といへり。荊訶【*荊軻】(けいか)たち【立ち】帰(かへ)(ッ)て、「巫陽【*舞陽】(ぶやう)ま(ッ)たく
謀反(むほん)の心(こころ)なし。ただ田舎(ゐなか)(いなか)のいや【卑】しきにのみ
P05238
なら(ッ)【習つ】て、皇居(くわうきよ)にな【馴】れざるが故(ゆゑ)(ゆへ)に心(こころ)迷惑(めいわく)す」と
申(まうし)ければ、臣下(しんか)みなしづまりぬ。仍(よつて)王(わう)に
ちかづき【近付き】たてまつる【奉る】。燕(えん)(ゑん)の指図(さしづ)ならびに范
予期【*樊於期】(はんよき)が首(くび)げ(ン)ざん(げんざん)【見参】にいるる【入るる】ところ【所】に、指図(さしづ)の入(い)(ッ)
たる櫃(ひつ)のそこ【底】に、氷(こほり)の様(やう)なるつるぎの
見(み)えければ、始皇帝(しくわうてい)P352これをみて、やがてに
げ【逃げ】んとし給(たま)ふ。荊訶【*荊軻】(けいか)王(わう)の御袖(おんそで)をむずとひか【控】へ
て、つるぎをむね【胸】にさしあてたり。いまはかう
P05239
とぞ見(み)えたりける。数万(すまん)の兵(つはもの)庭上(ていしやう)に袖(そで)
をつら【連】ぬといへども、すく【救】はんとするに力(ちから)なし。
ただ君(きみ)逆臣(げきしん)にをか【犯】され給(たま)はん事(こと)をのみか
なしみあへり。始皇(しくわう)の給(たまは)く、「われに暫時(しばらく)の
いとまをえ【得】させよ。わが最愛(さいあい)の后(きさき)の琴(こと)の音(ね)
を今(いま)一度(いちど)きかん」との給(たま)へば、荊訶【*荊軻】(けいか)しばしをか【犯】したて
まつらず。始皇(しくわう)は三千人(さんぜんにん)のきさきをもち給(たま)へ
り。其(その)なかに花陽夫人(くわやうぶにん)とて、すぐれたる琴(こと)の
P05240
上手(じやうず)おはしけり。凡(およそ)(をよそ)この后(きさき)の琴(こと)のね【音】をきい【聞い】ては、
武(たけ)きもののふ【武士】のいかれ【怒れ】るもやはらぎ、飛鳥(とぶとり)もおち、草
木(くさき)もゆる【揺】ぐ程(ほど)なり。况哉(いはんや)いまをかぎりの叡聞(えいぶん)(ゑいぶん)に
そな【供】へんと、なくなく【泣く泣く】ひき給(たま)ひけん、さこそはおもし
ろかりけめ。荊訶【*荊軻】(けいか)も頭(かうべ)をうなだれ、耳(みみ)をそばだて、
殆(ほとんど)謀臣(ぼうしん)のおもひ【思ひ】もたゆ【弛】みにけり。后(きさき)はじめて
さらに一曲(いつきよく)を奏(そう)す。「七尺(しつせきの)屏風(へいふう)はたかく【高く】とも、おど
ら(をどら)【躍ら】ばなどかこへ(こえ)【越え】ざらん。一条(いちでう)の羅■(らこく)はつよくとも、
P05241
ひか【引か】ばなどかはたえ【絶え】ざらん」とぞひ【弾】き給(たま)ふ。荊訶【*荊軻】(けいか)は
これをききし【聞知】らず、始皇(しくわう)はきき知(しり)て、御袖(おんそで)をひ(ッ)(ひつ)【引つ】き【引切】り、
七尺(しつせき)の屏風(へいふう)を飛(とび)こえて、あかがね【銅】の柱(はしら)のかげにに
げかく【逃隠】れさせ給(たま)ひぬ。荊訶【*荊軻】(けいか)いか【怒】(ッ)て、つるぎ【剣】をなげ【投げ】か
けたてまつる。おりふし(をりふし)【折節】御前(ごぜん)に番(ばん)の医師(いし)の候(さうらひ)
けるが、薬(くすり)の袋(ふくろ)を荊訶【*荊軻】(けいか)がつるぎになげ【投げ】あはせたり。
つるぎ薬(くすり)の袋(ふくろ)をかけ【掛け】られながら、口(くち)六尺(ろくしやく)の銅(あかがね)の
柱(はしら)をなから【半】まP353でこそき(ッ)【切つ】たりけれ。荊訶【*荊軻】(けいか)又(また)剣(つるぎ)ももたね
P05242
ばつづ【続】いてもなげず。王(わう)たちかへ【立返】(ッ)てわがつるぎ【剣】を
めしよせて、荊訶【*荊軻】(けいか)を八[B ツ](やつ)ざき【裂】にこそし給(たま)ひけれ。
秦巫陽【*秦舞陽】(しんぶよう)もうた【討た】れにけり。官軍(くわんぐん)をつか【遣】はして、
燕丹(えんたん)(ゑんたん)をほろぼさる。蒼天(さうてん)ゆるし給(たま)はねば、
白虹(はつこう)日(ひ)をつらぬいてとほら【通ら】ず。秦(しん)の始皇(しくわう)は
のがれて、燕丹(えんたん)(ゑんたん)つゐに(つひに)【遂に】ほろびにき。「されば今(いま)の
頼朝(よりとも)もさこそはあらんずらめ」と、色代(しきだい)する人々(ひとびと)も
あり【有り】けるとかや。文学【*文覚】(もんがくの)荒行(あらぎやう)S0507 抑(そもそも)かの頼朝(よりとも)とは、去(さんぬ)る平治(へいぢ)元
P05243
年(ぐわんねん)十二月(じふにぐわつ)、ちち【父】左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)が謀反(むほん)によ(ッ)て、年(とし)十
四歳(じふしさい)と申(まうし)(まうせ)し永暦(えいりやく)元年(ぐわんねん)三月(さんぐわつ)廿日(はつかのひ)、伊豆国(いづのくに)蛭島(ひるがしま)
へながされて、廿(にじふ)余年(よねん)の春秋(はるあき)ををくり(おくり)【送り】むかふ。年(とし)
ごろもあればこそあり【有り】けめ、ことしいかなる心(こころ)にて
謀反(むはん)をばおこさ【起さ】れけるぞといふに、高雄(たかを)(たかお)の文
覚上人(もんがくしやうにん)の申(まうし)すす【勧】められたりけるとかや。彼(かの)文覚(もんがく)
と申(まうす)は、もとは渡辺(わたなべ)の遠藤(ゑんどう)佐近将監(さこんのしやうげん)茂遠(もちとほ)(もちとを)が
子(こ)、遠藤武者(ゑんどうむしや)盛遠(もりとほ)(もりとを)とて、上西門院(しやうさいもんゐん)の衆(しゆ)也(なり)。十九(じふく)の
P05244
歳(とし)道心(だうしん)をこし(おこし)【起こし】出家(しゆつけ)して、修行(しゆぎやう)にいで【出で】んとし
けるが、「修行(しゆぎやう)といふはいか程(ほど)の大事(だいじ)やらん、ため【試】い
て見(み)ん」とて、六月(ろくぐわつ)の日(ひ)の草(くさ)もゆる【揺】がずて【照】(ッ)たるに、
片山(かたやま)のやぶ【薮】のなかにはいり、あをのけ(あふのけ)【仰ふのけ】にふし、あぶ
ぞ、蚊(か)ぞ、P354蜂蟻(はちあり)な(ン)ど(など)いふ毒虫(どくちゆう)(どくちう)どもが身(み)にひしと
とり【取り】つゐ(つい)【付い】て、さしくひ【刺食】な(ン)ど(など)しけれども、ち(ッ)とも身(み)
をもはたらかさず。七日(しちにち)まではお【起】きあがらず、八
日(やうか)といふにおきあが(ッ)て、「修行(しゆぎやう)といふはこれ程(ほど)
P05245
の大事(だいじ)か」と人(ひと)にとへば、「それ程(ほど)ならんには、いかで
か命(いのち)もいく【生く】べき」といふあひだ、「さてはあんべい【安平】ご
さんなれ」とて、修行(しゆぎやう)にぞいで【出で】にける。熊野(くまの)
へまいり(まゐり)【参り】、那智(なち)ごも【籠】りせんとしけるが、行(ぎやう)の心(こころ)み
に、きこゆる【聞ゆる】滝(たき)にしばらくうた【打た】れてみんとて、
滝(たき)もと【下】へぞまいり(まゐり)【参り】ける。比(ころ)は十二月(じふにぐわつ)(じふに(ン)ぐわつ)十日(とをか)あま
りの事(こと)なれば、雪(ゆき)ふ【降】りつもりつららゐ【凍】て、
谷(たに)の小河(をがは)も音(おと)(をと)もせず、嶺(みね)の嵐(あらし)ふ【吹】きこほ【凍】り、
P05246
滝(たき)のしら【白】糸(いと)垂氷(たるひ)となり、みな白妙(しろたへ)にをし(おし)【押し】なべ
て、よもの梢(こずゑ)も見(み)えわかず。しかるに、文覚(もんがく)滝(たき)
つぼにお【下】りひたり、頸(くび)きはつか(ッ)て、慈救(じく)の呪(しゆ)を
み【満】て(ン)げるが、二三日(にさんにち)こそあり【有り】けれ、四五日(しごにち)にもなり
ければ、こら【耐】へずして文覚(もんがく)う【浮】きあがりにけり。
数千丈(すうせんぢやう)みな【漲】ぎりおつる滝(たき)なれば、なじかはたまる
べき。ざ(ッ)とをし(おし)【押し】おと【落】されて、かたな【刀】のは【刃】のごとくに、
さしもきび【厳】しき岩(いは)かどのなかを、う【浮】きぬしづみぬ
P05247
五六町(ごろくちやう)こそながれ【流れ】たれ。時(とき)にうつくしげなる
童子(どうじ)一人(いちにん)来(きた)(ッ)て、文覚(もんがく)が左右(さう)の手(て)をと(ッ)てひ
きあ【引上】げ給(たま)ふ。人(ひと)奇特(きどく)のおもひ【思ひ】をなし、火(ひ)をた【焚】
きあぶりな(ン)ど(など)しければ、定業(ぢやうごふ)(ぢやうごう)ならぬ命(いのち)では
あり【有り】、ほどなくいきいで【生出】にけり。文覚(もんがく)すこし人心
地(ひとごこち)いでき【出来】て、P355大(だい)のまなこを見(み)いか【怒】らかし、「われこの
滝(たき)に三七日(さんしちにち)うたれて、慈救(じく)の三洛叉(さんらくしや)をみて【満て】う
どおもふ【思ふ】大願(だいぐわん)あり【有り】。けふはわずかに五日(ごにち)になる。
P05248
七日(しちにち)だにもす【過】ぎざるに、なに【何】物(もの)かここへはと(ッ)【取つ】てき
たるぞ」といひければ、みる【見る】人(ひと)身(み)のけ【毛】よだ(ッ)ても
のいはず。又(また)滝(たき)つぼにかへ【帰】りた(ッ)てうた【打た】れけり。第
二日(だいににち)といふに、八人(はちにん)の童子(どうじ)来(きた)(ッ)て、ひき【引き】あげんとし
給(たま)へども、さんざん【散々】につか【掴】みあふ(あう)【合う】てあがらず。三日(さんにち)といふに、
文覚(もんがく)つゐに(つひに)【遂に】はかな【果敢】くなりにけり。滝(たき)つぼをけ
が【汚】さじとや、みずらゆう【結う】たる天童(てんどう)二人(ににん)、滝(たき)のうへ
よりお【下】りくだり、文覚(もんがく)が頂上(ちやうじやう)より手足(てあし)のつま
P05249
さき【爪先】・たなうらにいたるまで、よにあた【暖】たかにかう
ばし【香】き御手(おんて)をも(ッ)て、なで【撫】くだし給(たま)ふとおぼえ
ければ、夢(ゆめ)の心地(ここち)していき【生き】いでぬ。「抑(そもそも)いかなる
人(ひと)にてましませば、かうはあはれみ給(たま)ふらん」とと【問】ひ
たてまつる【奉る】。「われは是(これ)大聖不動明王(だいしやうふどうみやうわう)の御使(おんつかひ)
に、こんがら【矜迦羅】・せいたか【制■迦】といふ二童子(にどうじ)なり。「文覚(もんがく)無上(むじやう)
の願(ぐわん)ををこし(おこし)【起こし】て、勇猛(ゆうみやう)の行(ぎやう)をくはた【企】つ。ゆい【行い】て
ちから【力】をあはすべし」と明王(みやうわう)の勅(ちよく)によ(ッ)て来(きた)れ
P05250
る也(なり)」とこたへ給(たま)ふ。文覚(もんがく)声(こゑ)をいか【怒】らかして、「さて
明王(みやうわう)はいづくに在(まし)ますぞ」。「都率天(とそつてん)に」とこたへ
て、雲居(くもゐ)はるかにあがり給(たま)ひぬ。たな心(ごころ)をあはせ
てこれを拝(はい)したてまつる【奉る】。「されば、わが行(ぎやう)をば大
聖不動明王(だいしやうふどうみやうわう)までもしろしめさ【知ろし召さ】れたるにこそ」
とたのもしう【頼もしう】おぼえて、猶(なほ)(なを)滝(たき)つぼにかP356へり
た(ッ)てうた【打た】れけり。まこと【誠】にめでたき瑞相(ずいさう)ども
あり【有り】ければ、吹(ふき)くる風(かぜ)も身(み)にしまず、落(おち)くる
P05251
水(みづ)も湯(ゆ)のごとし。かくて三七日(さんしちにち)の大願(だいぐわん)つゐに(つひに)【遂に】
と【遂】げにければ、那智(なち)に千日(せんにち)こもり、大峯(おほみね)三
度(さんど)、葛城(かづらぎ)二度(にど)、高野(かうや)・粉河(こかは)・金峯山(きんぶうぜん)(きんぶ(ウ)ぜん)、白山(しらやま)・立
山(たてやま)・富士(ふじ)の嵩(たけ)、信乃【*信濃】(しなのの)戸隠(とがくし)、出羽(ではの)羽黒(はぐろ)、すべて日
本国(につぽんごく)のこる【残る】所(ところ)なくおこなひまは【廻】(ッ)て、さすが
尚(なほ)(なを)ふる里(さと)や恋(こひ)しかりけん、宮(みや)こ【都】へのぼりたりけれ
ば、凡(およそ)(をよそ)とぶ鳥(とり)も祈(いのり)おと【落】す程(ほど)のやいば【刃】の検者【*験者】(げんじや)と
ぞきこえし。勧進張(くわんじんちやう)S0508 後(のち)には高雄(たかを)(たかお)といふ山(やま)の奥(おく)におこ
P05252
なひすま【澄】してぞゐたりける。かのたかを【高雄】に神護
寺(じんごじ)といふ山寺(やまでら)あり【有り】。昔(むかし)称徳天王(せうどくてんわう)の御時(おんとき)、和気(わけ)
の清丸(きよまろ)がたてたりし伽藍(がらん)也(なり)。久(ひさ)しく修造(しゆざう)な
かりしかば、春(はる)は霞(かすみ)にたちこめられ、秋(あき)は霧(きり)
にまじはり、扉(とびら)は風(かぜ)にたふれ【倒れ】て落葉(らくえふ)の
した【下】にく【朽】ち、薨(いらか)は雨露(うろ)にをかされて、仏壇(ぶつだん)さ
らにあらはなり。住持(ぢゆうぢ)(ぢうじ)の僧(そう)もなければ、まれに
さし【差】入(いる)物(もの)とては、月日(つきひ)の光(ひかり)ばかりなり。文覚(もんがく)
P05253
これをいかにもして修造(しゆざう)せんといふ大願(だいぐわん)を
おこし、勧進帳(くわんじんちやう)をささげて、十方(じつぱう)(じつばう)檀那(だんな)を
すす【勧】めありき【歩き】ける程(ほど)に、或(ある)時(とき)院(ゐんの)御所(ごしよ)法住
寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)へぞまいり(まゐり)【参り】たりける。御奉加(ごほうが)あP357るべき由(よし)
奏聞(そうもん)しけれども、御遊(ぎよいう)(ぎよゆう)のおりふし(をりふし)【折節】できこしめし【聞し召し】
も入(いれ)られず、文覚(もんがく)は天性(てんぜい)不敵(ふてき)第一(だいいち)のあらひじり【荒聖】
なり、御前(ごぜん)の骨(こつ)ない様(やう)をばしら【知ら】ず、ただ申入(まうしいれ)
ぬぞと心(こころ)えて、是非(ぜひ)なく御坪(おつぼ)のうちへやぶりい【破入】り、
P05254
大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて申(まうし)けるは、「大慈(だいじ)大悲(だいひ)の君(きみ)
にてをはします(おはします)。などかきこしめし【聞し召し】入(いれ)ざるべき」とて、
勧進帳(くわんじんちやう)をひきひろげ、たからか【高らか】にこそよう【読う】だり
けれ。沙弥文覚(しやみもんがく)敬(うやまつて)(うやま(ツ)て)白(まう)す。殊(こと)に貴賎道俗(きせんだうぞく)助成(じよじやう)
を蒙(かうぶり)て、高雄山(たかをやま)(たかおやま)の霊地(れいち)に、一院(いちゐん)を建立(こんりふ)(こんりう)
し、二世(にせ)安楽(あんらく)の大利(だいり)を勤行(ごんぎやう)せんと乞(こふ)勧進[B ノ](くわんじんの)
状(じやう)(でう)。夫(それ)以(おもんみれ)ば、真如(しんによ)広大(くわうだい)なり。生仏(しやうぶつ)の仮名(けみやう)をたつと
いへども、法性(ほつしやう)随妄(ずいまう)の雲(くも)あつく覆(おほつ)て、十二(じふに)因
P05255
縁(いんえん)(ゐんゑん)の峯(みね)にたなびいしよりこのかた【以来】、本有心
蓮(ほんうしんれん)の月(つき)の光(ひかり)かすか【幽】にして、いまだ三毒(さんどく)四慢(しまん)
の大虚(たいきよ)にあらはれず。悲(かなしい)哉(かなや)、仏日(ぶつにち)早(はや)く没(もつ)して、
生死流転(しやうじるてん)の衢(ちまた)冥々(みやうみやう)たり。只(ただ)色(いろ)に耽(ふけ)り、酒(さけ)に
ふける、誰(たれ)か狂象重淵(きやうざうてうゑん)の迷(まどひ)を謝(しや)せん。いたづらに
人(ひと)を謗(はう)じ法(ほふ)(ほう)を謗(はう)ず、あに閻羅獄卒(えんらごくそつ)の責(せめ)を
まぬかれんや。爰(ここ)に文覚(もんがく)たまたま俗塵(ぞくぢん)をう
ちはら【払】(ッ)て法衣(ほふえ)(ほうゑ)をかざるといへども、悪行(あくぎやう)猶(なほ)(なを)心(こころ)に
P05256
たくましうして日夜(にちや)に造(つく)り、善苗(せんべう)又(また)耳(みみ)に逆(さか)(ッ)
て朝暮(てうぼ)にすたる。痛(いたましき)哉(かな)、再度(さいど)三途(さんづ)の火■(くわけう)に
かへ(ッ)(かへつ)【返つ】て、ながく四生(ししやう)苦輪(くりん)にめぐらん事(こと)を。此(この)故(ゆゑ)(ゆへ)に無
二(むに)の顕章(けんしやう)千万軸(せんまんぢく)、軸々(ぢくぢく)に仏種(ぶつしゆ)の因(いん)(ゐん)をあかす。
随縁至誠(ずいえんしじやう)の法(ほふ)(ほう)一(ひと)[B ツ]として菩提(ぼだい)の彼岸(ひがん)に
いたらずP358といふ事(こと)なし。かるがゆへに(かるがゆゑに)、文覚(もんがく)無常(むじやう)
の観門(くわんもん)に涙(なみだ)をおとし、上下(じやうげ)の親俗(しんぞく)をすすめて
上品蓮台(じやうぼんれんだい)にあゆ【歩】みをはこび、等妙覚王(とうめうかくわう)
P05257
の霊場(れいぢやう)をたてんと也(なり)。抑(そもそも)高雄(たかを)(たかお)は、山(やま)うづたかく
して鷲峯山(じゆぶせん)(じゆぶ(ウ)せん)の梢(こずゑ)を、表(へう)し、谷(たに)閑(しづか)にして
商山洞(しやうざんとう)の苔(こけ)をし【敷】けり。巌泉(がんぜん)咽(むせん)で布(ぬの)を
ひき、嶺猿(れいゑん)叫(さけん)で枝(えだ)にあそぶ。人里(ひとざと)とをう(とほう)【遠う】し
て囂塵(けうちん)なし。咫尺(しせき)好(ことな)うして信心(しんじん)のみあり【有り】。
地形(ぢぎやう)すぐれたり、尤(もつと)も仏天(ぶつてん)をあがむべし。奉
加(ほうが)すこしきなり、誰(たれ)か助成(じよじやう)せざらん。風(ほのかに)聞(きく)、聚沙
為(じゆしやゐ)仏塔(ぶつたふ)(ぶつたう)功徳(くどく)、忽(たちまち)に仏因(ぶついん)(ぶつゐん)を感(かん)ず。况哉(いはんや)一紙半
P05258
銭(いつしはんせん)の宝財(ほうざい)においてをや。願(ねがはく)は建立(こんりふ)(こんりう)成就(じやうじゆ)し
て、金闕(きんけつ)鳳暦(ほうれき)御願(ごぐわん)円満(ゑんまん)、乃至(ないし)都鄙遠近(とひゑんきん)
隣民親疎(りんみんしんそ)、■舜(げうしゆん)無為(むゐ)の化(くわ)をうたひ【歌ひ】、椿葉(ちんえふ)(ちんよう)
再会(さいくわい)の咲(ゑみ)をひらかん。殊(こと)には、聖霊(しやうりやう)幽儀(いうぎ)(ゆうぎ)先
後(ぜんご)大小(だいせう)、すみやかに一仏(いちぶつ)真門(しんもん)の台(うてな)にい〔た〕り、必(かならず)
三身(さんじん)万徳(まんどく)の月(つき)をもてあそ【翫】ばん。仍(よつて)勧進修
行(くわんじんしゆぎやう)の趣(おもむき)、蓋(けだし)以(もつて)(も(ツ)て)如斯(かくのごとし)治承(ぢしよう)(ぢせう)三年(さんねん)三月(さんぐわつの)日(ひ) 文覚(もんがく)
とこそよみ【読み】あげたれ。文学【*文覚】(もんがく)被流(ながされ)S0509 おりふし(をりふし)【折節】、御前(ごぜん)には太政大
P05259
臣(だいじやうだいじん)妙音院(めうおんゐん)(めうをんゐん)、琵琶(びは)(びわ)かきら【鳴】らし朗詠(らうえい)(らうゑい)めでたうせさ
せ給(たま)P359ふ。按察大納言(あぜちのだいなごん)資方【*資賢】卿(すけかたのきやう)拍子(ひやうし)と(ッ)て、風
俗(ふうぞく)催馬楽(さいばら)うたはれけり。右馬頭(うまのかみ)資時(すけとき)・四位(しゐの)侍
従(じじゆう)(じじう)盛定(もりさだ)和琴(わごん)かきなら【掻鳴】し、いま【今】様(やう)とりどりにうたひ【歌ひ】、
玉(たま)の簾(すだれ)、錦(にしき)の帳(ちやう)ざざめきあひ、まこと【誠】に面白(おもしろ)かり
ければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)もつけ【附】歌(うた)せさせおはします。それ
に文覚(もんがく)が大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)いでき【出来】て、調子(てうし)もたがい(たがひ)【違ひ】、拍
子(ひやうし)もみなみだ【乱】れにけり。「なに【何】物(もの)ぞ。そくびつ【突】け」と
P05260
仰下(おほせくだ)さるる程(ほど)こそあり【有り】けれ、はやりをの若者共(わかものども)、
われもわれもとすす【進】みけるなかに、資行判官(すけゆきはんぐわん)といふ
ものはしり【走り】いでて、「何条事(なんでうこと)申(まうす)ぞ。まか【罷】りいでよ」
といひければ、「高雄(たかを)(たかお)の神護寺(じんごじ)に庄(しやう)一所(いつしよ)よ【寄】せ
られざらん程(ほど)は、ま(ッ)たく文覚(もんがく)い【出】づまじ」とてはた
らかず。よ(ッ)てそくびをつ【突】かうどしければ、勧進
帳(くわんじんちやう)をとりなをし(なほし)【直し】、資行判官(すけゆきはんぐわん)が烏帽子(えぼし)(ゑぼし)をは
たとう(ッ)【打つ】てうちおとし、こぶし【拳】をにぎ(ッ)てしやむね【胸】
P05261
をつゐ(つい)【突い】て、のけ【仰】につきたをす(たふす)【倒す】。資行判官(すけゆきはんぐわん)もとど
り【髻】はな【放】(ッ)て、おめおめと大床(おほゆか)のうへへにげ【逃げ】のぼる。
其(その)後(のち)文覚(もんがく)ふところ【懐】より馬(むま)の尾(を)(お)でつか【柄】ま【巻】
いたる刀(かたな)の、こほり【氷】のやうなるをぬき【抜き】いだひ(いだい)【出い】
て、よ【寄】りこん物(もの)をつ【突】かうどこそまち【待ち】かけたれ。
左(ひだり)の手(て)には勧進帳(くわんじんちやう)、右(みぎ)の手(て)には刀(かたな)をぬい
てはしり【走り】まはるあいだ(あひだ)【間】、おもひ【思ひ】まうけぬに
はか【俄】事(ごと)ではあり【有り】、左右(さう)の手(て)に刀(かたな)をも(ッ)【持つ】たる
P05262
様(やう)にぞ見(み)えたりける。公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)も、「こはいか
にこはいかに」とさはが(さわが)【騒が】れければ、御遊(ぎよいう)(ぎよゆう)もはや荒(あれ)にけり。
院中(ゐんぢゆう)(ゐんぢう)のさうどう【騒動】なのめならず。信乃【*信濃】国(しなののくに)の住
人(ぢゆうにん)(ぢうにん)安藤武者右宗(あんどうむしやみぎむね)、其(その)比(ころ)当職(たうしよく)のP360武者所(むしやどころ)で
有(あり)けるが、「何事(なにごと)ぞ」とて、太刀(たち)をぬいてはし
り【走り】いでたり。文覚(もんがく)よろ【喜】こ(ン)でかかる所(ところ)を、き【斬】(ッ)ては
あし【悪】かりなんとやおもひ【思ひ】けん、太刀(たち)のみね【峯】をと
りなをし(なほし)【直し】、文覚(もんがく)がかたな【刀】も(ッ)【持つ】たるかいな(かひな)【腕】をした
P05263
たかにうつ。うた【打た】れてち(ッ)とひるむところ【所】に、太刀(たち)をす
てて、「え【得】たりをう(おう)」とてくむ(くん)【組ん】だりけり。く【組】まれな
がら文覚(もんがく)、安藤武者(あんどうむしや)が右(みぎ)のかいな(かひな)【腕】をつ【突】く。つかれ
ながらし【締】めたりけり。互(たがい)におとらぬ大(だい)ぢからな
りければ、うへ【上】になりした【下】になり、ころ【転】びあ
ふところ【所】に、かしこ【賢】がほに上下(じやうげ)よ(ッ)て、文覚(もんがく)がはた
らくところ【所】のぢやうをがう【拷】して(ン)げり。されども
これを事(こと)ともせず、いよいよ悪口放言(あつこうほうげん)す。門外(もんぐわい)
P05264
へひき【引き】いだひ(いだい)【出い】て、庁(ちやう)の下部(しもべ)にひ(ッ)ぱら【引つ張ら】れて、立(たち)な
がら御所(ごしよ)の方(かた)をにらまへ、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、
「奉加(ほうが)をこそし給(たま)はざらめ、これ程(ほど)文覚(もんがく)にから【辛】い
目(め)を見(み)せ給(たま)ひつれば、おもひ【思ひ】しらせ[* 「しり」と有るのを高野本により訂正]申(まう)さんずる
物(もの)を。三界(さんがい)は皆(みな)火宅(くわたく)なり。王宮(わうぐう)といふとも、其(その)
難(なん)をのがるべからず。十善(じふぜん)の帝位(ていゐ)にほこ【誇】(ッ)たうとも、
黄泉(くわうせん)の旅(たび)にいでなん後(のち)者(は)、牛頭(ごづ)・馬頭(めづ)のせ
め【責】をばまぬ【免】かれ給(たま)はじ物(もの)を」と、おどり(をどり)【躍り】あがり
P05265
おどり(をどり)【躍り】あがりぞ申(まうし)ける。「此(この)法師(ほふし)(ほうし)奇怪(きくわい)(き(ツ)くわい)なり」とて、
やがて獄定(ごくぢやう)せられけり。資行判官(すけゆきはんぐわん)は、烏帽
子(えぼし)(ゑぼし)打(うち)おとされて恥(はぢ)がましさに、しばし【暫し】は出仕(しゆつし)もせず。
安藤武者(あんどうむしや)、文覚(もんがく)く【組】んだる勧賞(けんじやう)に、当座(たうざ)に一廊(いちらふ)(いちらう)
をへ【経】ずして、右馬允(うまのじよう)(うまのぜう)にぞなされける。さる程(ほど)に、
其(その)比(ころ)美福門院(びふくもんゐん)かくれ【隠れ】させ給(たま)ひて、大P361赦(だいしや)あり【有り】し
かば、文覚(もんがく)程(ほど)なくゆるされけり。しばらくはどこ【何処】
にもおこ【行】なふべかりしが、さはなくして、又(また)勧
P05266
進帳(くわんじんちやう)をささげてすす【勧】めけるが、さらばただもなくして、
「あつぱれ、この世[B ノ]中(よのなか)は只今(ただいま)みだ【乱】れ、君(きみ)も臣(しん)も
皆(みな)ほろ【滅】びうせんずる物(もの)を」な(ン)ど(など)、おそろしき【恐ろしき】こ
とをのみ申(まうし)ありくあいだ(あひだ)【間】、「この法師(ほふし)(ほうし)都(みやこ)に
をい(おい)【置い】てかなう(かなふ)【叶ふ】まじ。遠流(をんる)せよ」とて、伊豆国(いづのくに)
へぞながされける。源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)(にうだう)の嫡子(ちやくし)仲綱(なかつな)の、
其(その)比(ころ)伊豆守(いづのかみ)にておはしければ、その沙汰(さた)とし
て、東海道(とうかいだう)より船(ふね)にてくだ【下】すべしとて、伊勢
P05267
国(いせのくに)へゐ【率】てまかりけるに、法便(はうべん)(ほうべん)両(りやう)三人(さんにん)ぞつ【付】けられ
たる。これらが申(まうし)けるは、「庁(ちやう)の下部(しもべ)のならひ【習】、
かやうの事(こと)につゐ(つい)【突い】てこそ、をのづから(おのづから)依怙(ゑこ)
も候(さうら)へ。いかに聖(ひじり)の御房(ごばう)(ご(ン)ばう)、これ程(ほど)の事(こと)に逢(あふ)て
遠国(をんごく)へながされ給(たま)ふに、しりうと【知人】はもち給(たま)はぬか。
土産(とさん)粮料(らうれう)ごときの物(もの)をもこひ【乞ひ】給(たま)へかし」といひ
ければ、文覚(もんがく)は「さ様(やう)の要事(ようじ)いふべきとくゐ(とくい)【得意】
ももたず。東山(ひがしやま)(ひ(ン)がしやま)の辺(ほとり)にぞとくゐ(とくい)【得意】はある。いで
P05268
さらばふみ【文】をやらう」どいひければ、け【怪】しかる紙(かみ)
をたづねてえ【得】させたり。「かやうの紙(かみ)で物(もの)かく【書く】や
うなし」とて、なげかへす【返す】。さらばとて、厚紙(こうし)をたづ
ねてえさせたり。文覚(もんがく)わら(ッ)(わらつ)【笑つ】て、「法師(ほふし)(ほうし)は物(もの)をえ
かか【書か】ぬぞ。さらばおれらかけ【書け】」とて、かか【書か】するやう、「文覚(もんがく)
こそ高雄(たかを)(たかお)の神護寺(じんごじ)造立(ざうりふ)(ざうりう)供養(くやう)のこころざ
しあ(ッ)て、すす【勧】め候(さうらひ)つる程(ほど)に、かかる君(きみ)の代(よ)にしも
逢(あふ)て、所願(しよぐわん)をこそ成就(じやうじゆ)せP362ざらめ、禁獄(きんごく)せられて、
P05269
あま(ッ)さへ(あまつさへ)【剰へ】伊豆国(いづのくに)へ流罪(るざい)せらる。遠路(ゑんろ)の間(あひだ)(あいだ)で候(さうらふ)。
土産(とさん)粮料(らうれう)(ろうれう)ごときの物(もの)も大切(たいせつ)に候(さうらふ)。此(この)使(つかひ)にた【賜】
ぶべしとかけ」といひければ、いふままにかいて、「さて
たれどの【誰殿】へとかき【書き】候(さうら)はうぞ」。「清水(きよみず)の観音房(くわんおんばう)(くわんをんばう)へ
とかけ」。「これは庁(ちやう)の下部(しもべ)をあざむ【欺】くにこそ」と
申(まう)せば、「さりとては、文覚(もんがく)は観音(くわんおん)(くわんをん)をこそふか【深】う
たのみ【頼み】たてま【奉】つたれ。さらでは誰(たれ)に〔か〕は用事(ようじ)をば
いふべき」とぞ申(まうし)ける。伊勢国(いせのくに)阿野【*阿濃】(あの)の津(つ)より船(ふね)
P05270
にの【乗】(ッ)てくだりけるが、遠江(とほたふみ)(とをとをみ)の天竜難(てんりゆうな)だにて、
俄(にはか)に大風(おほかぜ)ふき、大(おほ)なみ【浪】た(ッ)て、すでに此(この)船(ふね)をうち
かへさ【返さ】んとす。水手【*水主】(すいしゆ)梶取(かんどり)ども、いかにもしてたす【助】から
むとしけれども、波風(なみかぜ)いよいよあれ【荒】ければ、或(あるい)(あるひ)は
観音(くわんおん)(くわんをん)の名号(みやうごう)をとなへ、或(あるい)(あるひ)は最後(さいご)の十念(じふねん)
にをよぶ(およぶ)【及ぶ】。されども文覚(もんがく)これを事(こと)ともせず、た
かいびき【高鼾】かいてふ【臥】したりけるが、なに【何】とかおもひ【思ひ】
けん、いま【今】はかうとおぼえける時、か(ッ)ぱとおき、舟(ふね)の
P05271
へ【舳】にた(ッ)て奥(おき)の方(かた)をにらまへ、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、
「竜王(りゆうわう)(りうわう)やある、竜王(りゆうわう)やある」とぞよう【呼う】だりける。
「いかにこれほどの大願(だいぐわん)おこい【起い】たる聖(ひじり)がの(ッ)【乗つ】たる
船(ふね)をば、あやま【過】たうどはするぞ。ただいま天(てん)
の責(せめ)かうむら【蒙ら】んずる竜神(りゆうじん)(りうじん)どもかな」とぞ申(まうし)ける。
そのゆへ(ゆゑ)【故】にや、浪風(なみかぜ)ほどなくしづま(ッ)【鎮まつ】て、伊豆
国(いづのくに)へつき【着き】にけり。文覚(もんがく)京(きやう)をい【出】でける日(ひ)より、
祈誓(きせい)する事(こと)あり【有り】。「われ都(みやこ)にかへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て、高雄(たかを)(たかお)の
P05272
神護寺(じんごじ)造立(ざうりふ)(ざうりう)供養(くやう)すべくは、死(し)ぬべからず。其(その)
願(ぐわん)むなしかるべくは、道(みち)にP363て死(し)ぬべし」とて、京(きやう)
より伊豆(いづ)へつきけるまで、折節(をりふし)(おりふし)順風(じゆんぷう)なかり
ければ、浦(うら)づたひ島(しま)づたひして、卅一日(さんじふいちにち)が間(あひだ)は
一向(いつかう)断食(だんじき)にてぞあり【有り】ける。されども気力(きりよく)
すこしもおと【劣】らず、おこな【行】ひうちしてゐたり。
まこと【誠】にただ人(びと)ともおぼえぬ事(こと)どもおほ【多】かり
けり。福原院宣(ふくはらゐんぜん)S0510 近藤(こんどう)四郎(しらう)国高(くにたか)といふものにあづ【預】けられて、
P05273
伊豆国(いづのくに)奈古屋(なごや)がおくにぞすみ【住み】ける。さる
程(ほど)に、兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)へつねはまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、昔(むかし)今(いま)の物(もの)
がたりども申(まうし)てなぐさむ程(ほど)に、或(ある)時(とき)文覚(もんがく)申(まうし)
けるは、「平家(へいけ)には小松(こまつ)のおほいどの【大臣殿】こそ、
心(こころ)もがう【剛】に、はかり事(こと)もすぐれておはせし
か、平家(へいけ)の運命(うんめい)が末(すゑ)になるやらん、こぞ【去年】の八
月(はちぐわつ)薨(こう)ぜられぬ。いまは源平(げんぺい)のなかに、わど
の程(ほど)将軍(しやうぐん)の相(さう)も(ッ)【持つ】たる人(ひと)はなし。はやはや
P05274
謀反(むほん)おこして、日本国(につぽんこく)したがへ給(たま)へ」。兵衛佐(ひやうゑのすけ)
「おもひ【思ひ】もよらぬ事(こと)の給(たま)ふ聖(ひじりの)御房(ごばう)(ご(ン)ばう)かな。われ
は故池(こいけ)の尼御前(あまごぜん)にかい(かひ)なき命(いのち)をたす【助】けら
れたてま(ッ)て候(さうら)へば、その後世(ごせ)をとぶら【弔】はんために、
毎日(まいにち)に法花経(ほけきやう)一部(いちぶ)転読(てんどく)する外(ほか)は他事(たじ)
なし」とこその給(たま)ひけれ。文覚(もんがく)かさねて申(まうし)ける
は、「天(てん)のあたふるをとら【取ら】ざれば、かへ(ッ)て(かへつて)【却つて】P364其(その)とが【咎】を
うく。時(とき)いた(ッ)ておこなはざれば、かへ(ッ)て(かへつて)【却つて】其(その)殃(わざわひ)(わざはひ)をうく
P05275
といふ本文(ほんもん)あり【有り】。かう申(まう)せば、御辺(ごへん)の心(こころ)をみん
とて申(まうす)な(ン)ど(など)おもひ【思ひ】給(たまふ)か。御辺(ごへん)に心(こころ)ざしふかい【深い】色(いろ)
を見(み)給(たま)へかし」とて、ふところ【懐】よりしろい【白い】ぬの【布】につつ
む(つつん)だる髑■(どくろ)をひとつとりい【出】だす。兵衛佐(ひやうゑのすけ)「あ
れはいかに」との給(たま)へば、「これこそわどのの父(ちち)、故
左馬頭殿(こさまのかみどの)のかうべ【頭】よ。平治(へいぢ)の後(のち)、獄舎(ごくしや)のまへ
なる苔(こけ)のしたにうづ【埋】もれて、後世(ごせ)とぶらふ
人(ひと)もなかりしを、文覚(もんがく)存(ぞん)ずる旨(むね)あ(ッ)て、獄(ごく)
P05276
もり【守】にこふ(こう)【乞う】て、この十余年(じふよねん)頸(くび)にかけ、山々(やまやま)寺々(てらでら)
おがみ(をがみ)【拝み】まはり、とぶら【弔】ひたてまつれ【奉れ】ば、いまは一
劫(いちごう)もたすかり給(たまひ)ぬらん。されば、文覚(もんがく)は故守殿(こかうのとの)
の御(おん)ためにも奉公(ほうこう)のものでこそ候(さうら)へ」と申(まうし)けれ
ば、兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)、一定(いちぢやう)とはおぼえねども、父(ちち)のかうべ
ときく【聞く】なつかしさに、まづ涙(なみだ)をぞながされける。
其(その)後(のち)はうちとけて物(もの)がたりし給(たま)ふ。「抑(そもそも)頼朝(よりとも)
勅勘(ちよくかん)をゆ【許】りずしては、争(いかで)か謀反(むほん)をばおこ
P05277
すべき」との給(たま)へば、「それやす【安】い事(こと)、やがてのぼ【上】(ッ)
て申(まうし)ゆるいてたてまつら【奉ら】ん」。「さもさうず、御房(ごばう)
も勅勘(ちよくかん)の身(み)で人(ひと)を申(まうし)ゆるさうどの給(たま)ふ
あてがい(あてがひ)やうこそ、おほ【大】きにまことしからね」。「わが
身(み)の勅勘(ちよくかん)をゆりうど申(まう)さばこそひがこと【僻言】
ならめ。わどのの事(こと)申(まう)さうは、なにかくるしかる【苦しかる】べ
き。いまの都(みやこ)福原(ふくはら)の新都(しんと)へのぼ【上】らうに、三日(みつか)に
す【過】ぐまじ。院宣(ゐんぜん)うかがは【伺は】うに一日(いちにち)(いチにチ)がとうりう【逗留】ぞ
P05278
あらんずる。都合(つがふ)(つがう)七日(しちにち)(なぬか)八日(やうか)にはす【過】ぐべからず」P365とて、
つきい【出】でぬ。奈古屋(なごや)にかへ(ッ)(かへつ)【帰つ】て、弟子共(でしども)には、伊豆(いづ)の
御山(おやま)に人(ひと)にしのん【忍ん】で七日(しちにち)参籠(さんろう)の心(こころ)ざしあり【有り】
とて、いでにけり。げにも三日(みつか)といふに、福原(ふくはら)の新
都(しんと)へのぼりつつ前右兵衛督(さきのうひやうゑのかみ)光能卿(みつよしのきやう)のもとに、い
ささかゆかりあり【有り】ければ、それにゆい【行い】て、「伊豆国(いづのくにの)
流人(るにん)、前(さきの)兵衛佐(ひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)こそ勅勘(ちよくかん)をゆるさ【許さ】れて
院宣(ゐんぜん)をだにも給(たま)はらば、八ケ国(はつかこく)の家人(けにん)ども催(もよほ)
P05279
しあつめて、平家(へいけ)をほろぼし、天下(てんが)をしづ
め【鎮め】んと申(まうし)候(さうら)へ」。兵衛督(ひやうゑのかみ)「いさとよ、わが身(み)も当時(たうじ)は
三官(さんくわん)ともにとどめられて、心(こころ)ぐるしいおりふし(をりふし)【折節】
なり。法皇(ほふわう)(ほうわう)もおしこめられてわたらせ給(たま)へば、
いかがあらんずらん。さりながらもうかがう【伺う】てこそみ
め」とて、此(この)由(よし)ひそかに奏(そう)せられければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)や
がて院宣(ゐんぜん)をこそくだ【下】されけれ。聖(ひじり)これをく
びにかけ、又(また)三日(みつか)といふに、伊豆国(いづのくに)へくだ【下】りつく。
P05280
兵衛佐(ひやうゑのすけ)「あつぱれ、この聖(ひじり)御房(ごばう)(ご(ン)ばう)は、なまじゐ(なまじひ)によし
なき事(こと)申(まうし)いだして、頼朝(よりとも)又(また)いかなるう【憂】き目(め)
にかあはんずらん」と、おも【思】はじ事(こと)なうあん【案】じつづ【続】
けておはしけるところ【所】に、八日(やうか)といふ午剋(むまのこく)ば
かりくだ【下】りついて、「すは院宣(ゐんぜん)よ」とてたてまつる【奉る】。
兵衛佐(ひやうゑのすけ)、院宣(ゐんぜん)ときくかたじ【忝】けなさに、手水(てうづ)うがひ
をし、あたらしき烏帽子(えぼし)(ゑぼし)・浄衣(じやうえ)(じやうゑ)きて、院宣(ゐんぜん)を
三度(さんど)拝(はい)してひらかれたり。項年(しきりのとし)(シキリノトシ)より以来(このかた)、平
P05281
氏(へいじ)王皇(わうくわう)蔑如(べつじよ)して、政道(せいたう)にはばかる事(こと)なし。仏
法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)を破滅(はめつ)して、朝威(てうゐ)をほろぼさんとす。夫(それ)
我(わが)朝(てう)は神国(しんこく)也(なり)。宗■(そうべう)あひならんで、神徳(しんとく)是(これ)P366
あらたなり。故(かるがゆゑに)(かるがゆへに)朝廷(てうてい)開基(かいき)の後(のち)、数千余歳(すせんよさい)
のあひだ、帝猷(ていいう)(ていゆう)をかたぶけ、国家(こくか)をあやぶめ
むとする物(もの)、みなも(ッ)て敗北(はいほく)せずといふ事(こと)
なし。然(しかれば)則(すなはち)且(かつ)(かつ(ウ))は神道(しんたう)の冥助(めいじよ)にまかせ、且(かつ)(かつ(ウ))は
勅宣(ちよくせん)の旨趣(しいしゆ)(し(イ)しゆ)をまも(ッ)【守つ】て、はやく平氏(へいじ)の
P05282
一類(いちるい)を誅(ちゆう)(ちう)して、朝家(てうか)の怨敵(をんてき)をしりぞけよ。譜
代(ふだい)弓箭(きゆうせん)(きうせん)の兵略(へいりやく)を継(つぎ)、累祖(るいそ)奉公(ほうこう)の忠勤(ちゆうきん)(ちうきん)
を抽(ぬきん)で、身(み)をたて、家(いへ)をおこすべし。ていれば【者】、
院宣(ゐんぜん)かくのごとし。仍(よつて)執達(しつたつ)如件(くだんのごとし)。治承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)
七月(しちぐわつ)十四日(じふしにち)前右兵衛督(さきのうひやうゑのかみ)光能(みつよし)が奉(うけたまは)り謹上(きんじやう)
前右兵衛佐殿(さきのうひやうゑのすけどの)へとぞかか【書か】れたる。此(この)院宣(ゐんぜん)をば
錦(にしき)の袋(ふくろ)にいれ【入れ】て、石橋〔山〕(いしばしやま)の合戦(かつせん)の時(とき)も、兵衛
佐殿(ひやうゑのすけどの)頸(くび)にかけられたりけるとかや。富士川(ふじがは)S0511 さる程(ほど)に、福原(ふくはら)
P05283
には、勢(せい)のつかぬ先(さき)にいそぎ打手(うつて)をくだすべし
と、公卿僉議(くぎやうせんぎ)あ(ッ)て、大将軍(たいしやうぐん)には小松権亮少将(こまつのごんのすけぜうしやう)
維盛(これもり)、副将軍(ふくしやうぐん)には薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)
三万余騎(さんまんよき)、九月(くぐわつ)十八日(じふはちにち)に都(みやこ)をた(ッ)て、十九日(じふくにち)には
旧都(きうと)につき、やがて廿日(はつかのひ)、東国(とうごく)へこそう(ッ)たた(うつたた)【討つ立た】れ
けれ。大将軍(たいしやうぐん)権亮少将(ごんのすけぜうしやう)維盛(これもり)は、生年(しやうねん)廿三(にじふさん)、容
儀(ようぎ)体拝(たいはい)絵(ゑ)にかP367くとも筆(ふで)も及(および)(をよび)がたし。重代(ぢゆうだい)(ぢうたい)の
鎧(よろひ)唐皮(からかは)といふきせなが【着背長】をば、唐櫃(からびつ)にいれ【入れ】てかか【舁か】
P05284
せらる。路打(みちうち)には、赤地(あかぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、萠黄
威(もえぎにほひ)のよろひ【鎧】きて、連銭葦毛(れんぜんあしげ)なる馬(むま)に、黄
■輪(きぶくりん)(きぷくりん)の鞍(くら)おいてのり給(たま)へり。副将軍(ふくしやうぐん)薩
摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)は、紺地(こんぢ)の錦(にしき)のひたたれに、ひお
どし(ひをどし)の鎧(よろひ)きて、黒(くろ)き馬(むま)のふと【太】うたくましゐ(たくましい)【逞しい】に、
い(ッ)かけ【沃懸】地(ぢ)の鞍(くら)をい(おい)【置い】てのり給(たま)へり。馬(むま)・鞍(くら)・鎧(よろひ)・甲(かぶと)・弓
矢(ゆみや)・太刀(たち)・刀(かたな)にいたるまで、て【照】りかかや【輝】く程(ほど)にい
でたた【出立た】れたりしかば、めでたかりし見物(けんぶつ)也(なり)。
P05285
薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)は、年来(としごろ)ある宮腹(みやばら)の女房(にようばう)の
もとへかよ【通】はれけるが、或(ある)時(とき)おはしたりけるに、其(その)
女房(にようばう)のもとへ、や(ン)ごとなき女房(にようばう)まらうと【客人】きた(ッ)
て、やや久(ひさ)しう物語(ものがたり)し給(たま)ふ。さよ【小夜】もはるかに
ふ【更】けゆくまでに、まらうとかへり給(たま)はず。忠教【*忠度】(ただのり)
軒[* 「斬」と有るのを高野本により訂正](のき)ばにしばしやすらひて、扇(あふぎ)をあらくつかは【使は】れけ
れば、宮腹(みらばら)の女房(にようばう)、「野(の)もせ【狭】にすだく虫(むし)の音(ね)
よ」と、ゆふ(いう)【優】にやさしう口(くち)ずさみ給(たま)へば、薩摩守(さつまのかみ)や
P05286
がて扇(あふぎ)をつかひやみてかへ【帰】られけり。其(その)後(のち)又(また)おはし
たりけるに、宮腹(みやばら)の女房(にようばう)「さても一日(ひとひ)、なに【何】とて扇(あふぎ)
をばつか【使】ひやみしぞや」とと【問】はれければ、「いさ、か
しがましな(ン)ど(など)きこえ【聞え】候(さうらひ)しかば、さてこそつか【使】ひ
やみ候(さうらひ)しか」とぞの給(たま)ひける。かの女房(にようばう)のもとよ
り忠教【*忠度】(ただのり)のもとへ、小袖(こそで)を一(ひと)かさねつか【遣】はすとて、
ち【千】里(さと)のなごり【名残】のかなし(ツ)さに、一首(いつしゆ)の歌(うた)をぞ送(おく)られける。P368
あづま路(ぢ)の草葉(くさば)をわけん袖(そで)よりも
P05287
たえ【堪え】ぬたもとの露(つゆ)ぞこぼるる W035
薩摩守(さつまのかみ)返事(へんじ)には
わかれ路(ぢ)をなにかなげかんこえて行(ゆく)
関(せき)もむかしの跡(あと)とおもへ【思へ】ば W036
「関(せき)も昔(むかし)の跡(あと)」とよめる事(こと)は、平(たひらの)(たいらの)将軍(しやうぐん)貞
盛(さだもり)、将門(まさかど)追討(ついたう)のために、東国(とうごく)へ下向(げかう)せし事(こと)を
おもひ【思ひ】いでてよ【詠】みたりけるにや、いとやさしう
ぞきこえし。昔(むかし)は朝敵(てうてき)をたいらげ(たひらげ)【平げ】に外土(ぐわいと)へ
P05288
むかふ将軍(しやうぐん)は、まづ参内(さんだい)して切刀(せつたう)を給(たま)はる。
震儀【*宸儀】(しんぎ)南殿(なんでん)に出御(しゆつぎよ)し、近衛(こんゑ)階下(かいか)に陣(ぢん)をひ
き、内弁(ないべん)外弁(げべん)の公卿(くぎやう)参列(さんれつ)して、誅儀【*中儀】(ちゆうぎ)(ちうぎ)の節
会(せちゑ)おこなは【行なは】る。大将軍(たいしやうぐん)副将軍(ふくしやうぐん)、おのおの礼儀(れいぎ)
をただしうしてこれを給(たま)はる。承平(しようへい)(せうへい)天慶(てんぎやう)
の蹤跡(しようせき)(ぜうせき)も、年(とし)久(ひさ)しうな(ッ)て准(なぞら)へがたしとて、今
度(こんど)は讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が前対馬守(さきのつしまのかみ)源義親(みなもとのよしちか)追
討(ついたう)のために出雲国(いづものくに)へ下向(げかう)せし例(れい)とて、鈴(すず)ばか
P05289
り給(たま)は(ッ)て、皮(かは)(カワ)の袋(ふくろ)にいれ【入れ】て、雑色(ざつしき)が頸(くび)にかけ
させてぞくだ【下】られける。いにしへ、朝敵(てうてき)をほろ
ぼさんとて都(みやこ)をいづる将軍(しやうぐん)は、三(みつ)の存
知(ぞんぢ)(ぞんじ)あり【有り】。切刀(せつたう)を給(たま)はる日(ひ)家(いへ)をわすれ、家(いへ)を
いづるとて妻子(さいし)をわすれ、戦場(せんぢやう)にして
敵(てき)にたたかふ【戦ふ】時(とき)、身(み)をわする。されば、今(いま)の平
氏(へいじ)の大将(だいしやう)維盛(これもり)・忠教【*忠度】(ただのり)も、定(さだめ)てかやうの事(こと)を
ば存知(ぞんぢ)(ぞんじ)せられたりけん。あはれなりし事共(ことども)也(なり)。
P05290
同(おなじき)廿二日(にじふににち)新院(しんゐん)又(また)安芸国(あきのくに)厳島(いつくしま)へ御幸(ごかう)
なる。去(さんぬ)る三月(さんぐわつ)にも御幸(ごかう)あり【有り】き。そのゆP369へ(ゆゑ)
にや、なか一両月(いちりやうげつ)世(よ)もめでたくおさま(ッ)(をさまつ)【治まつ】て、民(たみ)
のわづらひもなかりしが、高倉宮(たかくらのみや)の御謀反(ごむほん)
によ(ッ)て、又(また)天下(てんが)みだれて、世上(せじやう)もしづかならず。
これによ(ッ)て、且(かつ)(かつ(ウ))は天下(てんが)静謐(せいひつ)のため、且(かつ)(かつ(ウ))は聖代(せいたい)
不予(ふよ)の御祈念(ごきねん)のためとぞきこえし。今
度(こんど)は福原(ふくはら)よりの御幸(ごかう)なれば、斗薮(とそう)の
P05291
わづらひもなかりけり。手(て)づからみづから
御願文(ごぐわんもん)をあそばひ(あそばい)【遊ばい】て、清書(せいしよ)をば摂政
殿(せつしやうどの)せさせをはします(おはします)。
蓋(けだし)聞[B ク](きく)。法性(ほつしやうの)雲(くも)閑(しづか)也(なり)、十四(じふし)十五(じふご)の月(つき)高(たかく)晴[B レ](はれ)、権
化(ごんげの)智(ち)深(ふか)し、一陰(いちいん)(いちゐん)一陽(いちやう)の風(かぜ)旁(かたはらに)扇(あふ)ぐ。夫(それ)厳
島(いつくしま)の社(やしろ)は称名(せうみやう)あまねくきこゆる【聞ゆる】には【場】、効
験無双(こうげんぶそう)の砌(みぎり)也(なり)。遥(はるかの)嶺(みね)の社壇(しやだん)をめぐる、おのづ
から大慈(だいじ)の高(たか)く峙(そばだ)てるを彰(あらは)し、巨海(こかい)の
P05292
詞宇【*祠宇】(しう)にをよぶ(およぶ)【及ぶ】、空(くう)に弘誓(ぐぜい)の深広(しんくはう)なるこ
とを表(へう)す。夫(それ)以(おもんみれば)、初(はじめ)庸昧(ようまい)の身(み)をも(ッ)て、忝(かたじけなく)皇
王(くわうわう)の位(くらゐ)を践(ふ)む。今(いま)賢猷(けんいう)(けんゆう)を霊境(れいきやう)の群(ぐん)に翫(もてあそん)
で、閑坊(かんばう)〔を〕射山(やさん)の居(きよ)にたのしむ。しかるに、ひそかに
一心(いつしん)の精誠(せいぜい)を抽(ぬきん)で、孤島(こたう)の幽祠(ゆうし)に詣(まうで)、瑞
籬(ずいり)の下(もと)(モト)に明恩(めいおん)(めいをん)を仰(あふ)ぎ、懇念(こんねん)を凝(ぎ)して
汗(あせ)をながし、宝宮(ほうきゆう)(ほうきう)のうちに霊託(れいたく)を垂(たる)。その
つげの心(こころ)に銘(めい)ずるあり【有り】。就中(なかんづく)にことに怖
P05293
畏(ふゐ)(ふい)謹慎(きんしん)の期(ご)をさすに、もはら季夏初秋(きかしよしう)
の候(こう)にあたる。病痾(へいあ)忽(たちまち)に侵(をか)し、猶(なほ)(なを)医術(いじゆつ)の験(げん)
を施(ほどこ)す事(こと)なし。平計(へいけい)頻(しきり)に転(てん)ず、弥(いよいよ)神感(しんかん)の
空(むな)しからざることを知(しん)ぬ。祈祷(きたう)を求(もとむ)といへ
ども、霧露(むろ)散(さん)じがたし。しかじ、心符(しんぶ)のこころざし
を抽(ぬきん)でて、かさねて斗薮(とそう)の行(ぎやう)をくはたてん
とおもふ【思ふ】。漠々(ばくばく)たP370る寒嵐(かんらん)の底(もと)、旅泊(りよはく)に臥(ふし)て
夢(ゆめ)をやぶり、せいせい[* 「さいさい」と有るのを高野本により訂正]【凄々】たる微陽(びやう)のまへ、遠
P05294
路(えんろ)に臨(のぞん)で眼(まなこ)をきはむ。遂(つひ)(つゐ)に枌楡(ふんゆ)の砌(みぎり)について、
敬(うやま)(ッ)て、清浄(しやうじやう)の席(せき)を展(のべ)、書写(しよしや)したてまつる
色紙墨字(しきしぼくじ)の妙法蓮花経【*妙法蓮華経】(めうほふれんげきやう)(めうほうれんげきやう)一部(いちぶ)、開結(かいけつ)二経(にきやう)、
阿弥陀(あみだ)・般若心等(はんにやしんとう)の経(きやう)各(おのおの)一巻(いつくわん)。手(てづ)から自(みづ)から
書写(しよしや)したてまつる【奉る】金泥(こんでい)の提婆品(だいばほん)一巻(いつくわん)。
時(とき)に[* 「時々」と有るのを高野本により訂正]蒼松(さうしやう)蒼栢(さうはく)の陰(かげ)、共(とも)に善理(ぜんり)の種(たね)をそへ、
潮去潮来(てうきよてうらいの)響(ひびき)、空(そら)に梵唄(ぼんばい)の声(こゑ)に和(くわ)す。弟子(ていし)
北闕(ほつけつ)の雲(くも)を辞(じ)して八実【*八日】(はつじつ)、凉燠(りやうあう)のおほく
P05295
廻(めぐ)る事(こと)なしといへども、西海(さいかい)の浪(なみ)を凌事(しのぐこと)二(ふた)
たび【二度】、深(ふか)く機縁(きえん)のあさからざる事(こと)を知(しん)ぬ。朝(あした)
に祈(いの)る客(かく)一(いつ)にあらず、夕(ゆふべ)に賽(かへりまうし)(カヘリ申)【賽申】するもの且千(ちぢばかり)(チヂバカリ)
也(なり)。但(ただ)し、尊貴(そんき)の帰仰(ききやう)おほしといへども、院宮(ゐんみや)
の往詣(わうけい)いまだきかず。禅定(ぜんぢやう)法皇(ほふわう)(ほうわう)初(はじめ)て其(その)
儀(ぎ)をのこい【残い】給(たま)ふ。彼(かの)嵩高山(すうかうざん)の月(つき)の前(まへ)には
漢武(かんぶ)いまだ和光(わくわう)のかげ弁(べん)ぜず。蓬莱洞(ほうらいどう)の
雲(くも)の底(そこ)にも、天仙(てんせん)むなしく垂跡(すいしやく)の塵(ちり)を
P05296
へだつ。仰願(あふぎねがは)くは大明神(だいみやうじん)、伏(ふして)乞(こふ)らくは〔一〕乗経(いちぜうきやう)、新(あらた)
に丹祈(たんき)をてらして唯一(ゆいいつ)の玄応(げんおう)を垂(たれ)給(たま)へ。治承(ぢしよう)(ぢせう)
四年(しねん)九月(くぐわつ)廿八日(にじふはちにち)太上天皇(だいじやうてんわう)(たいじやうてんわう)とぞあそばさ【遊ばさ】れ
たる。さる程(ほど)に、此(この)人々(ひとびと)は九重(ここのへ)(ここのえ)の都(みやこ)をた(ッ)て、
千里(せんり)の東海(とうかい)におもむき給(たま)ふ。たいら(たひら)【平】かにかへ【帰】り
のぼらむ事(こと)もまこと【誠】にあやうき(あやふき)【危ふき】有(あり)さまども
にて、或(あるい)(あるひ)は野原(のばら)の露(つゆ)にやどをかり、或(あるい)(あるひ)はたかね
の苔(こけ)に旅(たび)ねをし、山(やま)をこえ河(かは)をかさね、日(ひ)かず【数】
P05297
ふれば、P371十月(じふぐわつ)十六日(じふろくにち)には、するが【駿河】の国(くに)清見(きよみ)が
関(せき)にぞつ【着】き給(たま)ふ。都(みやこ)をば三万余騎(さんまんよき)でい【出】で
しかど、路次(ろし)の兵(つはもの)めしぐし【召具し】て、七万余騎(しちまんよき)とぞ
きこえし。先陣(せんぢん)はかん【蒲】原(ばら)・富士河(ふじがは)にすすみ、後
陣(ごぢん)はいまだ手越(てごし)・宇津[B ノ]屋(うつのや)にささへたり。大将軍(たいしやうぐん)
権亮少将(ごんのすけぜうしやう)維盛(これもり)、侍大将(さぶらひだいしやう)上総守(かづさのかみ)忠清(ただきよ)をめして、
「ただ維盛(これもり)が存知(ぞんぢ)には、足柄(あしがら)をうちこえて坂東(ばんどう)
にていくさをせん」とはやられけるを、上総守(かづさのかみ)
P05298
申(まうし)けるは、「福原(ふくはら)をたたせ給(たまひ)し時(とき)、入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)の御
定(ごぢやう)には、いくさをば忠清(ただきよ)にまかせさせ給(たま)へと仰(おほせ)
候(さうらひ)しぞかし。八ケ国(はつかこく)の兵共(つはものども)みな兵衛佐(ひやうゑのすけ)にしたが
ひ【従ひ】ついて候(さうらふ)なれば、なん【何】十万騎(じふまんぎ)か候(さうらふ)らん。御方(みかた)の
御勢(おんせい)は七万余騎(しちまんよき)とは申(まう)せども、国々(くにぐに)のかり【駆】
武者共(むしやども)なり。馬(むま)も人(ひと)もせめふせて候(さうらふ)。伊豆(いづ)・駿
河(するが)の勢(せい)のまいる(まゐる)【参る】べきだにもいまだみえ【見え】候(さうら)はず。
ただ富士河(ふじがは)をまへにあてて、みかたの御勢(おんせい)を
P05299
また【待た】せ給(たま)ふべうや候(さうらふ)らん」と申(まうし)ければ、力(ちから)及(およ)(をよ)ばで
ゆらへたり。さる程(ほど)に、兵衛佐(ひやうゑのすけ)は足柄(あしがら)の山(やま)を
打(うち)こえて、駿河国(するがのくに)きせ河(がは)【黄瀬河】にこそつき給(たま)へ。甲
斐(かひ)(かい)・信濃(しなの)の源氏(げんじ)ども馳来(はせき)てひとつになる。浮
島(うきしま)が原(はら)にて勢(せい)ぞろへあり【有り】。廿万騎(にじふまんぎ)とぞしる
いたる。常陸源氏(ひたちげんじ)佐竹(さたけの)太郎(たらう)が雑色(ざつしき)、主(しゆう)(しう)の使(つかひ)に
ふみ【文】も(ッ)【持つ】て京(きやう)へのぼるを、平家(へいけ)の先陣(せんぢん)上総
守(かづさのかみ)忠清(ただきよ)これをとどめて、も(ッ)【持つ】たる文(ふみ)をばひ【奪】とり、
P05300
あけて見(み)れば、女房(にようばう)のもとへの文(ふみ)なり。くるし
かる【苦しかる】まじとて、とらせて(ン)げり。「抑(そもそも)兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)P372の
勢(せい)、いかほどあるぞ」ととへば、「凡(およそ)(をよそ)八日(やうか)九日(ここのか)の道(みち)に
はたとつづいて、野(の)も山(やま)も海(うみ)も河(かは)も武者(むしや)で候(さうらふ)。
下臈(げらふ)(げらう)は四五百千(しごひやくせん)までこそ物(もの)のかずをば
知(しり)て候(さうら)へども、それよりうへはしら【知ら】ぬ候(ざうらふ)。おほ【多】い
やらう、すくな【少】いやらうをばしり【知り】候(さうら)はず。昨日(きのふ)
きせ河(がは)【黄瀬河】で人(ひと)の申(まうし)候(さうらひ)つるは、源氏(げんじ)の御勢(おんせい)廿万
P05301
騎(にじふまんぎ)とこそ申(まうし)候(さうらひ)つれ」。上総守(かづさのかみ)これをきい【聞い】て、「あ
はれ、大将軍(だいしやうぐん)の御心(おんこころ)ののび【延び】させ給(たまひ)たる程(ほど)
口(くち)おしい(をしい)【惜しい】事(こと)候(さうら)はず。いま一日(いちにち)も先(さき)に打手(うつて)を
くださせ給(たまひ)たらば、足柄(あしがら)の山(やま)打(うち)こへて、八
ケ国(はつかこく)へ御出(おんいで)候(さうらは)ば、畠山(はたけやま)が一族(いちぞく)、大庭兄弟(おほばきやうだい)などか
まいら(まゐら)【参ら】で候(さうらふ)べき。これらだにもまいり(まゐり)【参り】なば、
坂東(ばんどう)にはなびかぬ草木(くさき)も候(さうらふ)まじ」と、後
悔(こうくわい)すれどもかい(かひ)ぞなき。又(また)大将軍(たいしやうぐん)権亮少
P05302
将(ごんのすけぜうしやう)維盛(これもり)、東国(とうごく)の案内者(あんないしや)とて、長井(ながゐ)の斎
藤(さいとう)別当(べつたう)実盛(さねもり)をめして、「やや実盛(さねもり)、なんぢ程(ほど)の
つよ弓(ゆみ)勢兵(せいびやう)、八〔ケ〕国(はつかこく)にいか程(ほど)あるぞ」とと【問】ひ給(たま)へ
ば、斎藤別当(さいとうべつたう)あざわら(ッ)(わらつ)【笑つ】て申(まうし)けるは、「さ候(さうら)へば、君(きみ)は
実盛(さねもり)を大矢(おほや)とおぼしめし【思召し】候(さうらふ)歟(か)。わづかに十三(じふさん)
束(ぞく)こそ仕(つかまつり)候(さうら)へ。実盛程(さねもりほど)ゐ(い)【射】候(さうらふ)物(もの)は、八ケ国(はつかこく)にいくらも
候(さうらふ)。大矢(おほや)と申(まうす)ぢやう【定】の物(もの)の、十五(じふご)束(そく)におと(ッ)て
ひく【引く】は候(さうら)はず。弓(ゆみ)のつよさもしたたかなる物(もの)五
P05303
六人(ごろくにん)しては【張】り候(さうらふ)。かかるせい【精】兵(びやう)どもがゐ(い)【射】候(さうら)へ者(ば)、
鎧(よろひ)の二三両(にさんりやう)をもかさねて、たやすうゐとをし(いとほし)【射通し】
候(さうらふ)也(なり)。大名(だいみやう)一人(いちにん)と申(まうす)は、せい【勢】のすくないぢやう【定】、五
百騎(ごひやくき)におとるは候(さうら)はず。馬(むま)にの(ッ)【乗つ】つればお【落】つ
る道(みち)をしらず、悪所(あくしよ)をは【馳】すれどP373も馬(むま)をた
をさ(たふさ)【倒さ】ず。いくさは又(また)おや【親】もうたれよ、子(こ)もうた
れよ、死(し)ぬればのりこへ【乗越へ】のりこへ【乗越へ】たたかふ【戦ふ】候(ざうらふ)。西国(さいこく)の
いくさと申(まうす)は、おや【親】うた【討た】れぬれば孝養(けうやう)し、
P05304
いみ【忌】あけてよせ、子(こ)うたれぬれば、そのおもひ【思ひ】な
げき【歎き】によ【寄】せ候(さうら)はず。兵粮米(ひやうらうまい)つきぬれば、田(た)つ
くり、かり【刈り】おさめ(をさめ)【収め】てよせ、夏(なつ)はあつし【暑し】といひ、冬(ふゆ)は
さむしときら【嫌】ひ候(さうらふ)。東国(とうごく)にはすべて其(その)儀(ぎ)候(さうら)
はず。甲斐(かひ)(かい)・信乃【*信濃】(しなの)の源氏(げんじ)ども、案内(あんない)はし(ッ)【知つ】て候(さうらふ)。
富士(ふじ)のこし【腰】より搦手(からめで)にやまは【廻】り候(さうらふ)らん。かう
申(まう)せば君(きみ)をおく【臆】せさせまいらせ(まゐらせ)【参らせ】んとて申(まうす)には
候(さうら)はず。いくさはせい【勢】にはよらず、はかり事(こと)に
P05305
よるとこそ申(まうし)つたへて候(さうら)へ。実盛(さねもり)今度(こんど)の
いくさに、命(いのち)いき【生き】てふたたびみやこ【都】へまいる(まゐる)【参る】べし
とも覚(おぼえ)候(さうら)はず」と申(まうし)ければ、平家(へいけ)の兵共(つはものども)こ
れきい【聞い】て、みなふるい(ふるひ)【震ひ】わななきあへり。さる程(ほど)に、
十月(じふぐわつ)廿三日(にじふさんにち)にもなりぬ。あすは源平[* 「源氏」と有るのを高野本により訂正](げんぺい)富士河(ふじがは)
にて矢合(やあはせ)とさだめたりけるに、夜(よ)に入(いり)て、平家(へいけ)
の方(かた)より源氏(げんじ)の陣(ぢん)を見(み)わたせ【渡せ】ば、伊豆(いづ)・駿河(するが)〔の〕
人民(にんみん)・百姓(ひやくしやう)等がいくさにおそれ【恐れ】て、或(あるい)(あるひ)は野(の)にいり、
P05306
山(やま)にかくれ、或(あるい)(あるひ)は船(ふね)にとりの(ッ)【乗つ】て海河(うみかは)にうかび、いと
なみの火(ひ)のみえ【見え】けるを、平家(へいけ)の兵(つはもの)ども、「あなお
びたたしの源氏(げんじ)の陣(ぢん)のとを(とほ)【遠】火(び)のおほさ
よ。げにもまこと【誠】に野(の)も山(やま)も海(うみ)も河(かは)もみな
かたきであり【有り】けり。いかがせん」とぞあはて(あわて)【慌て】ける。其(その)
夜(よ)の夜半(やはん)ばかり、富士(ふじ)の沼(ぬま)にいくらもむ
れ【群れ】ゐたりける水鳥(みづとり)どもが、なに【何】にかおどろ【驚】き
たりけん、ただP374一(いち)ど【度】にば(ッ)と立(たち)ける羽音(はおと)(はをと)の、
P05307
大風(おほかぜ)いかづち【雷】な(ン)ど(など)の様(やう)にきこえければ、平家(へいけ)の
兵共(つはものども)、「すはや源氏(げんじ)の大(おほ)ぜい【勢】のよ【寄】するは。斎藤
別当(さいとうべつたう)が申(まうし)つる様(やう)に、定(さだめ)て搦手(からめで)もまはるらん。
とりこ【取込】められてはかなう(かなふ)【叶ふ】まじ。ここをばひい【引い】て尾
張河(をはりがは)(おはりがは)州俣(すのまた)をふせけ【防け】や」とて、とる物(もの)もとりあへず、
我(われ)さきにとぞ落(おち)ゆきける。あまりにあはて(あわて)
さはい(さわい)【騒い】で、弓(ゆみ)とる物(もの)は矢(や)をしら【知ら】ず、矢(や)とるもの
は弓(ゆみ)をしらず、人(ひと)の馬(むま)にはわれのり【乗り】、わが馬(むま)を
P05308
ば人(ひと)にのら【乗ら】る。或(あるい)(あるひ)はつないだる馬(むま)にの(ッ)【乗つ】てくゐ(くひ)【杭】を
めぐる事(こと)かぎりなし。ちかき【近き】宿々(しゆくじゆく)よりむか【迎】へ
と(ッ)てあそびける遊君(いうくん)(ゆうくん)遊女(いうぢよ)(ゆうぢよ)ども、或(あるい)(あるひ)はかしら【頭】け【蹴】
わられ、腰(こし)ふみ【踏み】おら(をら)【折ら】れて、おめき(をめき)【喚き】さけぶ【叫ぶ】物(もの)おほかり
けり。あくる廿四日(にじふしにち)卯刻(うのこく)に、源氏(げんじ)大勢(おほぜい)廿万騎(にじふまんぎ)、
ふじ河(がは)にをし(おし)【押し】よせて、天(てん)もひびき、大地(だいぢ)もゆるぐ
程(ほど)に、時(とき)をぞ三ケ度(さんがど)(さんかど)つくりける。五節(ごせつ)之(の)沙汰(さた)S0512平家(へいけ)の方(かた)
には音(おと)(をと)もせず、人(ひと)をつかはして見(み)せければ、「皆(みな)お【落】ち
P05309
て候(さうらふ)」と申(まうす)。或(あるい)(あるひ)は敵(てき)のわすれたる鎧(よろひ)と(ッ)てまいり(まゐり)【参り】
たる物(もの)もあり【有り】、或(あるい)(あるひ)はかたきのすて【捨て】たる大幕(おほまく)
と(ッ)てまいり(まゐり)【参り】たるものもあり【有り】。「敵(てき)の陣(ぢん)には蝿(はい)だにも
か【翔】けり候(さうら)はず」と申(まうす)。P375兵衛佐(ひやうゑのすけ)、馬(むま)よりおり、甲(かぶと)を
ぬぎ、手水(てうづ)うがい(うがひ)をして、王城(わうじやう)の方(かた)をふしをが【伏拝】み、
「これはま(ッ)たく頼朝(よりとも)がわたくしの高名(かうみやう)にあらず。
八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の御(おん)ぱからひなり」とぞの給(たま)ひける。
やがてう(ッ)とり【打取】所(どころ)なればとて、駿河国(するがのくに)をば
P05310
一条次郎忠頼(いちでうのじらうただより)、遠江(とほたふみ)(とをたうみ)をば安田(やすだの)三郎(さぶらう)義定(よしさだ)に
あづけらる。平家(へいけ)をばつづゐ(つづい)【続い】てもせ【攻】むべけ
れども、うしろ【後ろ】もさすがおぼつかなしとて、浮島(うきしま)
が原(はら)よりひきしり【引退】ぞき、相模国(さがみのくに)へぞかへら【帰ら】れける。
海道宿々(かいだうしゆくじゆく)の遊君(いうくん)(ゆうくん)遊女(いうぢよ)(ゆうぢよ)ども「あないまいまし【忌々し】。打
手(うつて)の大将軍(たいしやうぐん)の矢(や)ひと【一】つだにもゐ(い)【射】ずして、にげ【逃げ】
のぼり給(たま)ふうたてしさよ。いくさには見(み)にげ【逃げ】
といふ事(こと)をだに、心(こころ)うき事(こと)にこそするに、是(これ)は
P05311
きき【聞き】にげし給(たま)ひたり」とわらひ【笑ひ】あへり。落書(らくしよ)
どもおほかりけり。都(みやこ)の大将軍(たいしやうぐん)をば宗盛(むねもり)と
いひ、討手(うつて)の大将(たいしやう)をば権亮(ごんのすけ)といふ間(あひだ)(あいだ)、平家(へいけ)
をひらやによみ【読み】なして、
ひらやなるむねもりいかにさはぐ(さわぐ)【騒ぐ】らむ
はしら【柱】とたのむ【頼む】すけををとし(おとし)て W037
富士河(ふじがは)のせぜ【瀬々】の岩(いは)こす水(みづ)よりも
はやくもおつる伊勢平氏(いせへいじ)かな W038
P05312
上総守(かづさのかみ)が富士河(ふじがは)に鎧(よろひ)をすて【捨て】たりけるをよめり。
富士河(ふじがは)によろひはすてつ墨染(すみぞめ)の
ころもただき【着】よ後(のち)の世(よ)のため W039
ただきよはにげの馬(むま)にぞのり【乗り】にける
上総(かづさ)しりがいかけてかひなし W040 P376
同(おなじき)十一月(じふいちぐわつ)八日(やうかのひ)、大将軍(たいしやうぐん)権亮少将(ごんのすけぜうしやう)維盛(これもり)、福原(ふくはら)
の新都(しんと)へのぼりつく。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)大(おほき)にいか(ッ)て、
「大将軍(たいしやうぐん)権亮少将(ごんのすけぜうしやう)維盛(これもり)をば、鬼界(きかい)が島(しま)へ
P05313
ながすべし。侍大将(さぶらひだいしやう)上総守(かづさのかみ)忠清(ただきよ)をば、死罪(しざい)
におこなへ」とぞの給(たま)ひける。同(おなじき)九日(ここのかのひ)、平家(へいけ)
の侍(さぶらひ)ども老少(らうせう)参会(さんくわい)して、忠清(ただきよ)が死罪(しざい)
の事(こと)いかがあらんと評定(ひやうぢやう)す。なかに主馬判官(しゆめのはんぐわん)
盛国[* 「重国」と有るのを他本により訂正](もりくに)すすみいでて申(まうし)けるは、「忠清(ただきよ)は昔(むかし)
よりふかく【不覚】人(じん)とはうけ給(たまはり)及(および)(をよび)候(さうら)はず。あれが十八(じふはち)
の歳(とし)と覚(おぼえ)候(さうらふ)。鳥羽殿(とばどの)の宝蔵(ほうざう)に五畿
内(ごきない)一(いち)の悪党(あくたう)二人(ににん)、にげ籠(こもり)て候(さうらひ)しを、よ【寄】(ッ)て
P05314
からめうど申(まうす)物(もの)も候(さうら)はざりしに、この忠清(ただきよ)、白
昼(はくちう)唯(ただ)一人(いちにん)、築地(ついぢ)をこへ(こえ)【越え】はね入(いり)て、一人(いちにん)をば
うち【討ち】とり、一人(いちにん)をばいけど【生捕】(ッ)て、後代(こうたい)に名(な)を
あげたりし物(もの)にて候(さうらふ)。今度(こんど)の不覚(ふかく)はただ
ことともおぼえ候(さうら)はず。これにつけてもよくよく
兵乱(ひやうらん)の御(おん)つつしみ候(さうらふ)べし」とぞ申(まうし)ける。同(おなじき)
十日(とをか)、大将軍(たいしやうぐん)権亮少将(ごんのすけぜうしやう)維盛(これもり)、右近衛(うこんゑの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)に
なり給(たま)ふ。打手(うつて)の大将(たいしやう)ときこえしかども、さ
P05315
せるしいだし【出し】たる事(こと)もおはせず、「これは何事(なにごと)
の勧賞(けんじやう)ぞや」と、人々(ひとびと)ささやきあへり。昔(むかし)将門(まさかど)
追討(ついたう)のために、平(たひらの)(たいらの)将軍(しやうぐん)貞盛(さだもり)、田原藤太(たはらとうだ)秀
里【*秀郷】(ひでさと)うけ給(たまはつ)て、坂東(ばんどう)へ発向(はつかう)したりしかども、
将門(まさかど)たやすうほろ【亡】びがたかりしかば、重(かさね)て
打手(うつて)をくだすべしと公卿僉議(くぎやうせんぎ)あ(ッ)て、宇治(うぢ)
の民部卿(みんぶきやう)忠文(ただふん)、清原(きよはらの)重藤【*滋藤】(しげふぢ)、軍監(ぐんけん)といふ官(くわん)
を給(たま)は(ッ)てくP377だられけり。駿河国(するがのくに)清見(きよみ)が関(せき)に
P05316
宿(しゆく)したりける夜(よ)、かの重藤【*滋藤】(しげふぢ)漫々(まんまん)たる海上(かいしやう)
を遠見(ゑんけん)して、「漁舟(ぎよしうの)火(ひの)影(かげ)寒(さむうして)(さむふして)焼浪(なみをやき)、駅路(えきろの)(ゑきろの)鈴(すずの)
声(こゑ)夜(よる)過山(やまをすぐ)」といふから歌(うた)をたからか【高らか】に口(くち)ずさみ
給(たま)へば、忠文(ただふん)いふ(いう)【優】におぼえて感涙(かんるい)をぞながさ【流さ】
れける。さる程(ほど)に将門(まさかど)をば、貞盛(さだもり)・秀里【*秀郷】(ひでさと)つゐに(つひに)【遂に】
打(うち)と(ッ)て(ン)げり。其(その)かうべ【頭】をもたせてのぼる程(ほど)に、
清見(きよみ)が関(せき)にてゆき【行】あふ(あう)たり。其(それ)より先後(ぜんご)
の大将軍(たいしやうぐん)うちつれて上洛(しやうらく)す。貞盛(さだもり)・秀里【*秀郷】(ひでさと)に
P05317
勧賞(けんじやう)おこなはれける時(とき)、忠文(ただふん)・重藤【*滋藤】(しげふぢ)にも勧
賞(けんじやう)あるべきかと公卿僉議(くぎやうせんぎ)あり【有り】。九条[B ノ](くでうの)右丞相(うしようじやう)(うせうじやう)
師資【*師輔】公(もろすけこう)の申(まう)させ給(たま)ひけるは、「坂東(ばんどう)へ打手(うつて)は
むかふ(むかう)たりといへども、将門(まさかど)たやすうほろ【亡】びがた
きところ【所】に、この人(ひと)共(ども)仰(おほせ)をかうむ(ッ)【蒙つ】て関(せき)の東(ひがし)(ひ(ン)がし)へ
おもむく時(とき)、朝敵(てうてき)すでにほろびたり。されば
などか勧賞(けんじやう)なかるべき」と申(まう)させ給(たま)へども、其(その)
時(とき)の執柄(しつぺい)小野宮殿(おののみやどの)、「「うたが【疑】はしきをばなすこと
P05318
なかれ」と礼記(らいき)の文(もん)に候(さうら)へば」とて、つゐに(つひに)【遂に】なさせ
給(たま)はず。忠文(ただふん)これを口惜[B キ](くちをしき)(くちおしき)事(こと)にして「小野宮
殿(をののみやどの)の御末(おんすゑ)をばやつ子(ご)【奴】に見(み)なさん。九条殿(くでうどの)の
御末(おんすゑ)にはいづれの世(よ)までも守護神(しゆごじん)とならん」
とちか【誓】ひつつひじに【干死】にこそし給(たま)ひけれ。されば
九条殿(くでうどの)の御末(おんすゑ)はめでたうさかへ(さかえ)【栄え】させ給(たま)へども、
小野宮殿(をののみやどの)の御末(おんすゑ)にはしかるべき人(ひと)もまし
まさず、いまはたえ【絶え】はて給(たま)ひけるにこそ。さる
P05319
程(ほど)に、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の四男(しなん)頭(とうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡(しげひら)、左近衛(さこんゑの)
中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)になり給(たま)ふ。同(おなじき)十一月(じふいちぐわつ)P378十三日(じふさんにち)、福原(ふくはら)には
内裏(だいり)つく【造】りいだして、主上(しゆしやう)御遷幸(ごせんかう)あり【有り】。
大嘗会(だいじやうゑ)あるべかりしかども、大嘗会(だいじやうゑ)は
十月(じふぐわつ)のすゑ、東河(とうか)に御(み)ゆきして御禊(ごけい)
あり【有り】。大内(おほうち)の北(きた)の野(の)に斎場所[* 「税庁所(ぜいちやうしよ)」と有るのを訂正](さいぢやうしよ)をつく(ッ)て、神
服神具(じんぶくじんぐ)をととのふ。大極殿(だいこくでん)のまへ、竜尾道(りようびだう)(れうびだう)の
壇下(だんか)(だんカ)に廻竜殿【*廻立殿】(くわいりふてん)(くわいりうてん)をたてて、御湯(みゆ)をめす。同(おなじき)壇(だん)の
P05320
ならびに太政宮(だいじやうぐう)をつく(ッ)て、神膳(しんぜん)をそなふ。震
宴【*宸宴】(しんえん)あり【有り】、御遊(ぎよいう)(ぎよゆう)あり【有り】、大極殿(だいこくでん)にて大礼(たいれい)あり【有り】、清
暑堂(せいしよだう)にて御神楽(みかぐら)あり【有り】、豊楽院(ぶらくゐん)にて宴
会(えんくわい)あり【有り】。しかるを、この福原(ふくはら)の新都(しんと)には大
極殿(だいこくでん)もなければ、大礼(たいれい)おこなふべきところ【所】も
なし。清暑堂(せいしよだう)もなければ、御神楽(みかぐら)奏(そう)すべき
様(やう)もなし。豊楽院(ぶらくゐん)もなければ、宴会(えんくわい)[B も]おこ
なはれず。今年(ことし)はただ新嘗会(しんじやうゑ)・五節(ごせつ)
P05321
ばかりあるべきよし公卿僉議(くぎやうせんぎ)あ(ッ)て、なを(なほ)【猶】新
嘗(しんじやう)のまつりをば、旧都(きうと)の神祇官(じんぎくわん)にして
とげられけり。五節(ごせつ)はこれ清御原(きよみばら)のそのかみ、
吉野(よしの)の宮(みや)にして、月(つき)しろく【白く】嵐(あらし)はげしか
りし夜(よ)、御心(おんこころ)をすましつつ、琴(こと)をひき給(たま)ひ
しに、神女(しんぢよ)あまくだり、五(いつ)たび袖(そで)をひるがへす。
これぞ五節(ごせつ)のはじめなる。都帰(みやこがへり)S0513 今度(こんど)の都遷(みやこうつり)を
ば、君(きみ)も臣(しん)も御(おん)なげきあり【有り】。山(やま)・奈良(なら)をはじめ
P05322
て、諸寺諸社(しよじしよしや)にP379いたるまで、しか【然】るべからざる由(よし)
一同(いちどう)にう(ッ)たへ(うつたへ)【訴へ】申(まうす)あひだ、さしもよこ紙(がみ)をや【破】らるる
太政入道(だいじやうにふだう)(だいじやうにうだう)も、「さらば都(みやこ)がへりあるべし」とて、京
中(きやうぢゆう)(きやうぢう)ひしめきあへり。同(おなじき)十二月(じふにぐわつ)二日(ふつかのひ)、にはかに
都(みやこ)がへりあり【有り】けり。新都(しんと)は北(きた)は山(やま)にそ【添】ひて
たかく、南(みなみ)は海(うみ)ちかくしてくだれり。浪(なみ)の
音(おと)(をと)つねはかまびすしく、塩風(しほかぜ)はげしき所(ところ)也(なり)。
されば、新院(しんゐん)いつとなく御悩(ごなう)のみしげ【滋】かりけれ
P05323
ば、いそぎ福原(ふくはら)をいでさせ給(たま)ふ。摂政殿(せつしやうどの)をはじ
めたてま(ッ)て、太政大臣(だいじやうだいじん)以下(いげ)の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、われ
もわれもと供奉(ぐぶ)せらる。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)をはじめとし
て、平家(へいけの)一門(いちもん)の[B 公卿(くぎやう)]殿上人(てんじやうびと)、われさきにとぞの
ぼられける。誰(たれ)か心(こころ)う【憂】かりつる新都(しんと)に片時(かたとき)(かたトキ)も
のこるべき。去(さんぬる)六月(ろくぐわつ)より屋(や)共(ども)こぼちよせ、
資材(しざい)雑具(ざふぐ)(ざうぐ)はこ【運】びくだし、形(かた)のごとくとり
たて【取り立て】たりつるに、又(また)物(もの)ぐるはしう都(みやこ)がへり
P05324
あり【有り】ければ、なんの沙汰(さた)にも及(およ)(をよ)ばず、うちすて【捨て】打(うち)
すてのぼられけり。おのおのすみかもなくして、
やわた【八幡】・賀茂(かも)・嵯峨(さが)・うづまさ【太秦】・西山(にしやま)・東山(ひがしやま)(ひ(ン)がしやま)のかた
ほとりにつゐ(つい)【着い】て、御堂(みだう)の廻廊(くわいらう)、社(やしろ)の拝殿(はいでん)
な(ン)ど(など)にたちやど【立宿】(ッ)てぞ、しかる【然かる】べき人々(ひとびと)も在(まし)
ましける。今度(こんど)の都(みやこ)うつ【遷】りの本意(ほんい)をい
かにといふに、旧都(きうと)は南都(なんと)・北嶺(ほくれい)ちかくして、
いささかの事(こと)にも春日(かすが)の神木(しんぼく)、日吉(ひよし)の
P05325
神輿(しんよ)な(ン)ど(など)いひて、みだりがはし。福原(ふくはら)は山(やま)へだた
り【隔たり】江(え)かさな(ッ)て、程(ほど)もさすがとをけれ(とほけれ)【遠けれ】ば、さ様(やう)の
ことたやすからじとP380て、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)のはからひ
いだされたりけるとかや。同(おなじき)十二月(じふにぐわつ)廿三日(にじふさんにち)、近
江源氏(あふみげんじ)のそむきしをせめ【攻め】むとて、大将軍(たいしやうぐん)
には左兵衛督(さひやうゑのかみ)知盛(とももり)、薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)、都合(つがふ)(つがう)
其(その)勢(せい)二万余騎(にまんよき)で近江国(あふみのくに)へ発向(はつかう)して、山
本(やまもと)・柏木(かしはぎ)・錦古里(にしごり)な(ン)ど(など)いふあぶれ源氏共(げんじども)、
P05326
一々(いちいち)にみなせめ【攻め】おとし、やがて美乃【*美濃】(みの)・尾張(をはり)(おはり)へ
こえ【越え】給(たま)ふ。奈良(なら)炎上(えんしやう)S0514 都(みやこ)には又(また)「高倉宮(たかくらのみや)園城寺(をんじやうじ)へ入御(じゆぎよの)
時(とき)、南都(なんと)の大衆(だいしゆ)同心(どうしん)して、あま(ッ)さへ(あまつさへ)【剰へ】御(おん)むかへ
にまいる(まゐる)【参る】条(でう)、これも(ッ)て朝敵(てうてき)なり。されば南
都(なんと)をも三井寺(みゐでら)をもせめ【攻め】らるべし」といふ
程(ほど)こそあり【有り】けれ、奈良(なら)の大衆(だいしゆ)おびたた
しく蜂起(ほうき)す。摂政殿(せつしやうどの)より「存知(ぞんぢ)の旨(むね)あらば、
いくたびも奏聞(そうもん)にこそ及(およ)(をよ)ばめ」と仰下(おほせくだ)され
P05327
けれども、一切(いつせつ)もちゐ【用ゐ】たてまつら【奉ら】ず。右官(うくわん)の
別当(べつたう)忠成(ただなり)を御使(おんつかひ)にくだされたりければ、
「しやのり【乗】物(もの)よりと(ッ)てひきおと【引落】せ。もとどり【髻】きれ」
と騒動(さうどう)する間(あひだ)(あいだ)、忠成(ただなり)色(いろ)をうしな(ッ)【失つ】てにげ【逃げ】
のぼる。つぎに右衛門佐(うゑもんのすけ)親雅(ちかまさ)をくだ【下】さる。是(これ)
をも「もとどりきれ」と大衆(だいしゆ)ひしめきければ、と
る【取る】ものもとりあへずにげのぼる。其(その)時(とき)は勧学
院(くわんがくゐん)の雑色(ざつしき)二人(ににん)がP381もとどりきら【切ら】れにけり。又(また)南
P05328
都(なんと)には大(おほき)なる球丁(ぎつちやう)の玉(たま)をつく(ッ)て、これは平
相国(へいしやうこく)のかうべ【頭】となづけて、「うて【打て】、ふめ【踏め】」な(ン)ど(など)ぞ申(まうし)
ける。「詞(ことば)のもらし【漏らし】やすきは、わざはひ(わざわひ)【災】をまねく
媒(なかだち)なり。詞(ことば)のつつし【慎】まざるは、やぶ【敗】れをとる【取る】
道(みち)なり」といへり。この入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)と申(まう)すは、
かけまくもかたじけなく当今(たうぎん)の外祖(ぐわいそ)にて
おはします。それをかやうに申(まうし)ける南都(なんと)の大衆(だいしゆ)、
凡(およそ)(をよそ)は天魔(てんま)の所為(しよゐ)とぞ見(み)えたりける。入道(にふだう)(にうだう)相
P05329
国(しやうこく)かやうの事(こと)どもつた【伝】へきき給(たま)ひて、いかでかよし
とおもは【思は】るべき。かつがつ南都(なんと)の狼籍【*狼藉】(らうぜき)をしづめん
とて、備中国(びつちゆうのくにの)(びつちうのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)瀬尾(せのをの)(せのおの)太郎(たらう)兼康(かねやす)、大和国(やまとのくに)の
検非所(けんびしよ)に補(ふ)せらる。兼康(かねやす)五百余騎(ごひやくよき)で南都(なんと)へ
発向(はつかう)す。「相構(あひかまへ)て、衆徒(しゆと)は狼籍【*狼藉】(らうぜき)をいたすとも、汝
等(なんぢら)はいたすべからず。物(もの)の具(ぐ)なせそ。弓箭(きゆうせん)(きうせん)な帯(たい)
しそ」とてむけられたりけるに、大衆(だいしゆ)かかる
内儀(ないぎ)をばしらず、兼康(かねやす)がよせい【余勢】六十(ろくじふ)余人(よにん)から
P05330
めと(ッ)て、一々(いちいち)にみな頸(くび)をき(ッ)て、猿沢(さるさは)の池(いけ)の
はたにぞかけなら【懸並】べたる。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)大(おほき)にいか(ッ)て、
「さらば南都(なんと)をせめ【攻め】よや」とて、大将軍(たいしやうぐん)には
頭(とうの)中将(ちゆうじやう)(ちうぢやう)重衡(しげひら)、副将軍(ふくしやうぐん)には中宮亮(ちゆうぐうのすけ)(ちうぐうのすけ)通
盛(みちもり)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)四万余騎(しまんよき)で、南都(なんと)へ発向(はつかう)
す。大衆(だいしゆ)も老少(らうせう)きらはず、七千(しちせん)余人(よにん)、甲(かぶと)の緒(を)(お)
をしめ、奈良坂(ならざか)・般若寺(はんにやじ)二ケ所(にかしよ)、路(みち)をほり【掘り】
き(ッ)て、堀(ほり)ほり、かいだて【掻楯】かき、さかもぎ【逆茂木】ひいて待(まち)
P05331
かけたり。平家(へいけ)は四万余騎(しまんよき)を二手(ふたて)にわか(ッ)
て、奈良坂(ならざか)・般若寺(はんにやじ)二ケ所(にかしよ)の城郭(じやうくわく)に
おしよせて、時(とき)をど(ッ)とつくる。大衆(だいしゆ)はみなかちP382
立(だち)うち【打】物(もの)也(なり)。官軍(くわんぐん)は馬(むま)にてか【駆】けまはしかけ
まはし、あそこここにお(ッ)かけ【追つ掛け】お(ッ)かけ【追つ掛け】、さしつめ【差し詰め】ひきつ
め【引き詰め】さんざん【散々】にゐ(い)【射】ければ、ふせく【防く】ところ【所】の大衆(だいしゆ)、かず
をつくゐ(つくい)【尽くい】てうた【討た】れにけり。卯剋(うのこく)に矢合(やあはせ)して、
一日(いちにち)たたかう(たたかふ)【戦ふ】ひくらす。夜(よ)に入(いり)て奈良坂(ならざか)・般若寺(はんにやじ)
P05332
二ケ所(にかしよ)の城郭(じやうくわく)ともにやぶれぬ。お【落】ちゆく衆徒(しゆと)
のなかに、坂四郎永覚(さかのしらうやうかく)といふ悪僧(あくそう)あり【有り】。打物(うちもの)
も(ッ)【持つ】ても、弓矢(ゆみや)をと(ッ)ても、力(ちから)のつよさも、七大寺(しちだいじ)・
十五大寺(じふごだいじ)にすぐれたり。もえぎ威(をどし)(おどし)の腹巻(はらまき)
のうへに、黒糸威(くろいとをどし)(くろいとおどし)の鎧(よろひ)をかさねてぞき【着】たりける。
帽子甲(ぼうしかぶと)に五枚甲(ごまいかぶと)の緒(を)(お)をしめて、左右(さう)の
手(て)には、茅(ち)の葉(は)のやうにそ【反】(ッ)たる白柄(しらえ)の大長
刀(おほなぎなた)、黒漆(こくしつ)の大太刀(おほだち)もつままに、同宿(どうじゆく)十余人(じふよにん)、前
P05333
後(ぜんご)にた(ッ)て、てがい【碾磑】の門(もん)よりう(ッ)【打つ】ていでたり。これぞ
しばら【暫】くささへたる。おほくの官兵(くわんべい)、馬(むま)の足(あし)な【薙】が
れてうた【討た】れにけり。されども官軍(くわんぐん)は大勢(おほぜい)
にて、いれかへ【入れ替へ】いれかへ【入れ替へ】せめければ、永覚(やうかく)が前後(ぜんご)左右(さゆう)
にふせく【防く】所(ところ)の同宿(どうじゆく)みなうたれぬ。永覚(やうかく)
ただひとりたけ【猛】けれど、うしろ【後】あらはになり
ければ、南(みなみ)をさいておちぞゆく。夜(よ)いくさに
な(ッ)て、くらさ【暗さ】はくらし、大将軍(たいしやうぐん)頭(とうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)、般若寺(はんにやじ)
P05334
の門(もん)の前(まへ)にう(ッ)た【打立】(ッ)て、「火(ひ)をいだせ」との給(たま)ふほど
こそあり【有り】けれ、平家(へいけ)のせい【勢】のなかに、播摩国(はりまのくにの)
住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)福井庄(ふくゐのしやうの)下司(げし)、二郎(じらう)大夫(たいふ)友方(ともかた)といふもの、
たて【楯】をわ【破】りたい松(まつ)にして、在家(ざいけ)に火(ひ)をぞ
かけたりける。十二月(じふにぐわつ)廿八日(にじふはちにち)の夜(よ)なりけ
れば、風(かぜ)ははげ【烈】しし、ほP383もと【火元】はひとつなりけれ共(ども)、
ふ【吹】きまよふ風(かぜ)に、おほくの伽藍(がらん)に吹(ふき)かけ
たり。恥(はぢ)をもおもひ【思ひ】、名(な)をもおしむ(をしむ)【惜しむ】程(ほど)のものは、
P05335
奈良坂(ならざか)にてうちじに【討死】し、般若寺(はんにやじ)にして
うた【討た】れにけり。行歩(ぎやうぶ)にかなへ【叶へ】る物(もの)は、吉野(よしの)十
津河(とつかは)の〔方(かた)へ〕落(おち)ゆく。あゆみもえぬ老僧(らうそう)や、
尋常(よのつね)なる修学者(しゆがくしや)児共(ちごども)、おんな(をんな)童部(わらんべ)は、
大仏殿(だいぶつでん)・やましな【山階】寺(でら)のうちへ、われさきにとぞ
にげ【逃げ】ゆきける。大仏殿(だいぶつでん)の二階(にかい)の上(うへ)には千
余人(せんよにん)のぼりあがり、かたき【敵】のつづ【続】くをのぼせじ
と、橋(はし)をばひい【引い】て(ン)げり。猛火(みやうくわ)はまさしうおし
P05336
かけ【押し掛け】たり。おめき(をめき)【喚き】さけぶ【叫ぶ】声(こゑ)、焦熱(せうねつ)・大焦熱(だいせうねつ)・無
間阿毘(むけんあび)のほのを(ほのほ)【炎】の底(そこ)の罪人(ざいにん)も、これにはすぎじ
とぞみえ【見え】し。興福寺(こうぶくじ)は淡海公(たんかいこう)の御願(ごぐわん)、藤氏(とうじ)
累代(るいだい)の寺(てら)也(なり)。東金堂(とうこんだう)におはします仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)
最初(さいしよ)の釈迦(しやか)の像(ざう)、西金堂(さいこんだう)にをはします(おはします)自然
涌出(じねんゆじゆつ)の勧世音(くわんぜおん)(くわんぜをん)、瑠璃(るり)をならべし四面(しめん)の廊(らう)、
朱丹(しゆたん)をまじへし二階(にかい)の楼(ろう)、九輪(くりん)そらにかかや【輝】き
し二基(にき)の塔(たふ)(たう)、たちまちに煙(けぶり)となるこそかなし
P05337
けれ。東大寺(とうだいじ)は、常在不滅(じやうざいふめつ)、実報寂光(じつぽうじやくくわう)の
生身(しやうじん)の御仏(おんほとけ)とおぼしめし【思召し】なぞらへて、聖武皇
帝(しやうむくわうてい)、手(て)づからみづからみが【磨】きたて給(たま)ひし金銅(こんどう)
十六(じふろく)丈(じやう)の廬遮那仏(るしやなぶつ)、烏瑟(うしつ)たかくあらはれて
半天(なかぞら)の雲(くも)にかくれ、白毫(びやくがう)新(あらた)におがま(をがま)れ給(たま)ひし
満月(まんげつ)の尊容(そんよう)も、御(み)くし【髪】はや【焼】けおちて大地(だいぢ)
にあり【有り】、御身(おんみ)はわきあひ【鎔合】て山(やま)の如(ごと)し。八万四千(はちまんしせん)
の相好(さうがう)は、秋(あき)の月(つき)はやく五重(ごぢゆう)(ごじう)の雲(くも)におぼ
P05338
れ、四十一地(しじふいちぢ)の瓔珞(やうらく)は、夜(よる)の星(ほし)むなP384しく十
悪(じふあく)の風(かぜ)にただよふ。煙(けぶり)は中天(ちゆうてん)(ちうてん)にみちみち、ほの
を(ほのほ)【炎】は虚空(こくう)にひまもなし。まのあたりに見(み)たてまつ
る【奉る】物(もの)、さらにまなこ【眼】をあてず。はるかにつたへきく
人(ひと)は、肝(きも)たましゐ(たましひ)【魂】をうしなへ【失へ】り。法相(ほつさう)・三輪(さんろん)の法
門(ほふもん)(ほうもん)聖教(しやうげう)、すべて一巻(いつくわん)のこらず。我(わが)朝(てう)はいふに及(およば)(をよば)ず、
天竺震旦(てんぢくしんだん)にも是(これ)程(ほど)の法滅(ほふめつ)(ほうめつ)あるべしともおぼえず。
うでん【優填】大王(だいわう)の紫磨金(しまごん)をみがき、毘須羯磨(びすかつま)が
P05339
赤栴檀(しやくせんだん)をきざ【刻】んじも、わづかに等身(とうじん)の御仏(おんほとけ)也(なり)。
况哉(いはんや)これは南閻浮提(なんゑんぶだい)のうちには唯一(ゆいいつ)無双(ぶさう)
の御仏(おんほとけ)、ながく朽損(きうそん)の期(ご)あるべしともおぼえざりし
に、いま毒縁(どくえん)の塵(ちり)にまじは(ッ)て、ひさしくかなしみ
をのこし給(たま)へり。梵尺四王(ぼんじやくしわう)、竜神(りゆうじん)(りうじん)八部(はちぶ)、冥官
冥衆(みやうくわんみやうしゆ)も驚(おどろ)(をどろ)きさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】給(たま)ふらんとぞみえ【見え】し。法相
擁護(ほつさうおうご)の春日(かすが)の大明神(だいみやうじん)、いかなる事(こと)をかおぼし
けん。されば春日野(かすがの)の露(つゆ)も色(いろ)かはり、三笠
P05340
山(みかさやま)の嵐(あらし)の音(おと)(をと)うらむる【恨むる】さまにぞきこえける。
ほのを(ほのほ)【炎】のなかにてや【焼】けしぬる人(ひと)数(かず)をしる【記】い
たりければ、大仏殿(だいぶつでん)の二階(にかい)の上(うへ)には一千七
百余人(いつせんしちひやくよにん)、山階寺(やましなでら)には八百(はつぴやく)余人(よにん)、或(ある)御堂(みだう)には
五百余人(ごひやくよにん)、或(ある)御堂(みだう)には三百(さんびやく)余人(よにん)、つぶさに
しるいたりければ、三千五百(さんぜんごひやく)(さんぜんごびやく)余人(よにん)なり。戦
場(せんぢやう)にしてうたるる大衆(だいしゆ)千余(せんよ)人(にん)、少々(せうせう)は
般若寺(はんにやじ)の門(もん)の前(まへ)にきりかけ、少々(せうせう)はもたせて
P05341
都(みやこ)へのぼり給(たま)ふ。廿九日(にじふくにち)、頭(とうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)、南都(なんと)ほろ
ぼして北京(ほくきやう)へ帰(かへ)りいら【入ら】る。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)ばかり
ぞ、いきどほり【憤】は【晴】れてよろこばれける。中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)・一
院(いちゐん)・上皇(しやうくわう)・摂政殿(せつしやうどの)以下(いげ)の人々(ひとびと)は、P385「悪僧(あくそう)をこそ
ほろ【亡】ぼすとも、伽藍(がらん)を破滅(はめつ)すべしや」とぞ御
歎(おんなげき)あり【有り】ける。衆徒(しゆと)の頸共(くびども)、もとは大路(おほち)をわたし
て獄門(ごくもん)の木(き)に懸(かけ)らるべしときこえしかども、
東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうぶくじ)のほろびぬるあさまし
P05342
さに、沙汰(さた)にも及(およば)(をよば)ず。あそこここの溝(みぞ)や堀(ほり)にぞす
て【捨て】をき(おき)ける。聖武皇帝(しやうむくわうてい)震筆【*宸筆】(しんぴつ)の御記文(おんきもん)に
は、「我(わが)寺(てら)興福(こうぶく)せば、天下(てんが)も興福(こうぶく)し、吾(わが)寺(てら)衰
微(すいび)せば、天下(てんが)も衰微(すいび)すべし」とあそばさ【遊ばさ】れたり。され
ば天下(てんが)の衰微(すいび)せん事(こと)も疑(うたがひ)なしとぞ見(み)えたり
ける。あさましかりつる年(とし)もくれ、治承(ぢしよう)(ぢせう)も五年(ごねん)に成(なり)にけり。
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第五(だいご)P386


平家物語(龍谷大学本)巻第六

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。

P06345
(表紙)
P06347 P386
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第六(だいろく)
新院(しんゐん)(しんいん)崩御(ほうぎよ)S0601治承(ぢしよう)(ぢせう)五年(ごねん)正月(しやうぐわつ)一日(ひとひのひ)、内裏(だいり)には、東国(とうごく)の兵革(へいがく)、
南都(なんと)の火災(くわさい)によ(ッ)て朝拝(てうはい)とどめ【留め】られ、主上(しゆしやう)
出御(しゆつぎよ)もなし。物(もの)の音(ね)もふきならさず、舞楽(ぶがく)
も、奏(そう)せず、吉野(よしの)のくず【国栖】もまいら(まゐら)【参ら】ず、藤氏(とうじ)の
公卿(くぎやう)一人(いちにん)も参(さん)ぜられず。氏寺(うぢてら)焼失(ぜうしつ)によ(ッ)てなり。
二日(ふつかのひ)、殿上(てんじやう)の宴酔(ゑんすい)もなし。男女(なんによ)うちひそめて、
禁中(きんちゆう)(きんちう)いまいましう【忌々しう】ぞ見(み)えける。仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)王法(わうぼふ)(わうぼう)ともに
P06348
つきぬる事(こと)ぞあさましき。一院(いちゐん)仰(おほせ)なりけるは、
「われ十善(じふぜん)の余薫(よくん)によ(ッ)て万乗(ばんじよう)(ばんぜう)の宝位(ほうゐ)を
たもつ。四代(しだい)の帝王(ていわう)をおもへ【思へ】ば子(こ)なり、孫(まご)なり。
いかなれば万機(ばんき)の政務(せいむ)をとど【留】められて、年月(としつき)を
をくる(おくる)【送る】らん」とぞ御歎(おんなげき)あり【有り】ける。同(おなじき)五日(いつかのひ)、南都(なんと)の
僧綱等(そうがうら)闕官(けつくわん)ぜられ、公請(くじやう)を停止(ちやうじ)し、所職(しよしよく)を
没収(もつしゆ)せらる。衆徒(しゆと)は老(おい)たるもわかきも、或(あるい)(あるひ)は
ゐ(い)【射】ころさ【殺さ】れきり【斬り】ころさ【殺さ】れ、或(あるい)(あるひ)は煙(けぶり)の内(うち)をいで
P06349
ず、炎(ほのほ)にむせ【咽】んでおほくほろ【亡】びにしかば、わづ
かにのこる【残る】輩(ともがら)は山林(さんりん)にまじはり、跡(あと)P387をとど
むるもの一人(いちにん)もなし。興福寺(こうぶくじの)別当(べつたう)花林院(けりんゐんの)
僧正(そうじやう)永円(やうゑん)【*永縁(やうえん)】は、仏像(ぶつざう)経巻(きやうぐわん)のけぶり【煙】とのぼりけるを
見(み)て、あなあさましとむね【胸】うちさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】、心(こころ)をくだ
かれけるより病(やまひ)ついて、いくほどもなくつゐに(つひに)【遂に】うせ
給(たまひ)ぬ。この僧正(そうじやう)はゆふ(いう)【優】になさけ【情】ふかき人(ひと)なり。或(ある)時(とき)
郭公(ほととぎす)のなくをきひ(きい)【聞い】て、
P06350
きく【聞く】たびにめづらしければほととぎす
いつもはつ音(ね)の心(ここ)ち【心地】こそすれ W041
といふ歌(うた)をようで、初音(はつね)の僧正(そうじやう)とぞいはれ
給(たまひ)ける。ただし、かた【型】のやうにても御斎会(ごさいゑ)は
あるべきにて、僧名(そうみやう)の沙汰(さた)有(あり)しに、南都(なんと)の
僧綱(そうがう)は闕官(けつくわん)ぜられぬ。北京(ほつきやう)の僧綱(そうがう)をも(ッ)【持つ】ておこ
なはるべき歟(か)と、公卿僉議(くぎやうせんぎ)あり【有り】。さればとて、南都(なんと)
をも捨(すて)はてさせ給(たま)ふべきならねば、三論宗(さんろんじゆう)(さんろんじう)の
P06351
学生(がくしやう)成法【*成宝】(じやうほう)已講(いかう)が、勧修寺(くわんじゆじ)に忍(しのび)つつかくれゐ
たりけるを、めし【召し】いだされて、御斎会(ごさいゑ)かたの
ごとくおこなはる。上皇(しやうくわう)は、おとどし(をとどし)法王(ほふわう)(ほうわう)の鳥羽殿(とばどの)
におしこめられさせ給(たまひ)し御事(おんこと)、去年(こぞ)高倉(たかくら)の
宮(みや)のうたれさせ給(たま)ひし御有様(おんありさま)、宮(みや)こ【都】うつ【遷】りとて
あさましかりし天下(てんが)のみだれ、かやうの事(こと)
ども御心(おんこころ)ぐるしうおぼしめさ【思し召さ】れけるより、御
悩(ごなう)つかせ給(たま)ひて、つねはわづら【煩】はしうきこえ
P06352
させ給(たまひ)しが、東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうぶくじ)のほろびぬるよし
きこしめされて、御悩(ごなう)いよいよおもら【重ら】せ給(たま)ふ。法王(ほふわう)(ほうわう)
なのめならず御歎(おんなげき)あり【有り】し程(ほど)に、同(おなじき)P388正月(しやうぐわつ)十四日(じふしにち)、
六波羅(ろくはら)池殿(いけどの)にて、上皇(しやうくわう)遂(つひ)(つゐ)に崩御(ほうぎよ)なりぬ。御宇(ぎよう)
十二年(じふにねん)、徳政(とくせい)千万端(せんまんたん)詩書(ししよ)仁義(じんぎ)の廃(すたれ)たる道(みち)
ををこし(おこし)【起こし】、理世安楽(りせいあんらく)の絶(たえ)たる跡継(あとをつぎ)給(たま)ふ。三明(さんみやう)六
通(ろくつう)の羅漢(らかん)もまぬかれ給(たま)はず、現術変化(げんじゆつへんげ)の
権者(ごんじや)ものがれぬ道(みち)なれば、有為(うゐ)無常(むじやう)のならひ【習】
P06353
なれども、ことはり(ことわり)【理】過(すぎ)てぞおぼえける。やがて
其(その)夜(よ)東山(ひがしやま)(ひ(ン)がしやま)の麓(ふもと)、清閑寺(せいがんじ)へうつしたてまつり【奉り】、
ゆふべ【夕】のけぶり【煙】とたぐへ、春(はる)の霞(かすみ)とのぼらせ給(たま)ひ
ぬ。澄憲(ちようけん)(てうけん)法印(ほふいん)(ほうゐん)、御葬送(ごさうそう)にまいり(まゐり)【参り】あはんと、いそぎ
山(やま)よりくだられけるが、はやむな【空】しきけぶりと
ならせ給(たま)ふを見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、
つねに見(み)し君(きみ)が御幸(みゆき)を今日(けふ)とへば
かへ【帰】らぬ旅ときくぞかなしき W042
P06354
又(また)ある女房(にようばう)、君(きみ)かくれさせ給(たま)ひぬと承(うけたま)は(ッ)て、かう
ぞおもひ【思ひ】つづけける。
雲(くも)の上(うへ)に行末(ゆくすゑ)とをく(とほく)【遠く】みし月(つき)の
光(ひかり)きえぬときくぞかなしき W043
御年(おんとし)廿一(にじふいち)、内(うち)には十戒(じつかい)をたもち、外(ほか)には五常(ごじやう)を
みだらず、礼儀(れいぎ)をただしうせさせ給(たま)ひけり。
末代(まつだい)の賢王(けんわう)にて在(まし)ましければ、世(よ)のおしみ(をしみ)【惜しみ】
たてまつる【奉る】事(こと)、月日(つきひ)の光(ひかり)をうしなへ【失へ】るが
P06355
ごとし。かやうに人(ひと)のねがひもかなは【叶は】ず、民(たみ)の果
報(くわほう)もつたなき人間(にんげん)のさかひこそかなしけれ。P389
紅葉(こうえふ)(こうやう)S0602ゆふ(いう)【優】にやさしう人(ひと)のおもひつき【思ひ付き】まいらする(まゐらする)【参らする】
かたも、おそらくは延喜(えんぎ)・天暦(てんりやく)の御門(みかど)と申(まうす)共(とも)、
争(いかで)か是(これ)にまさるべきとぞ人(ひと)申(まうし)ける。大(おほ)かたは
賢王(けんわう)の名(な)をあげ、仁徳(にんとく)の孝(かう)をほどこさせ在(まし)
ます事(こと)も、君(きみ)御成人(ごせいじん)の後(のち)、清濁(せいだく)をわかたせ
給(たま)ひてのうへの事(こと)にてこそあるに、此(この)君(きみ)は
P06356
無下(むげ)に幼主(えうしゆ)(ようしゆ)の時(とき)より性(せい)を柔和(にうわ)にうけさせ
給(たま)へり。去(さんぬ)る承安(しようあん)(せうあん)の比(ころ)おひ(ころほひ)、御在位(ございゐ)のはじめ
つかた、御年(おんとし)十歳(じつさい)ばかりにもならせ給(たま)ひけん、
あまりに紅葉(こうえふ)(こうえう)をあひせ(あいせ)【愛せ】させ給(たま)ひて、北(きた)の陣(ぢん)に
小山(こやま)をつ【築】かせ、はじ・かへでの色(いろ)うつくしうもみぢ
たるをうへ(うゑ)【植ゑ】させて、紅葉(もみぢ)の山(やま)となづけて、終日(ひねもす)に
叡覧(えいらん)(ゑいらん)あるに、なを(なほ)【猶】あきだらはせ給(たま)はず。しかる
をある夜(よ)、野分(のわき)はしたなう[* 「はけしたなう」と有るのを高野本により訂正]ふひ(ふい)【吹い】て、紅葉(こうえふ)(こうえう)
P06357
みな吹(ふき)ちらし、落葉(らくえふ)(らくえう)頗(すこぶ)る狼籍【*狼藉】(らうぜき)なり。殿守(とのもり)
のとものみやづ子(こ)朝(あさ)ぎよめすとて、是(これ)をことごと
く【悉く】はきすて【掃き捨て】て(ン)げり。のこれる枝(えだ)、ちれる木
葉(このは)をかきあつめて、風(かぜ)すさまじかりける朝(あさ)
なれば、縫殿(ぬいどの)の陣(ぢん)にて、酒(さけ)あたためてた【食】べける
薪(たきぎ)にこそしてんげれ。奉行(ぶぎやう)の蔵人(くらんど)、行幸(ぎやうがう)より
先(さき)にといそぎゆひ(ゆい)て見(み)るに、跡(あと)かたなし。いかにと
と【問】へばしかじかといふ。蔵人(くらんど)大(おほき)におどろき、「あな
P06358
あさまし。君(きみ)のさしも執(しゆ)しおぼしめさ【思し召さ】れつる
紅葉(こうえふ)(こうえう)を、か様(やう)【斯様】にしけるあさましさよ。しら【知ら】ず、なんP390
ぢ等(ら)只今(ただいま)禁獄(きんごく)流罪(るざい)にも及(およ)(をよ)び、わが身(み)もいか
なる逆鱗(げきりん)にかあづか【関】らんずらん」となげくところ【所】
に、主上(しゆしやう)いとどしくよるのおとどを出(いで)させ給(たま)ひも
あへず、かしこへ行幸(ぎやうがう)な(ッ)て紅葉(もみぢ)を叡覧(えいらん)(ゑいらん)なる
に、なかりければ、「いかに」と御(おん)たづね【尋ね】有(ある)に、蔵人(くらんど)奏(そう)
すべき方(かた)はなし。あり【有り】のままに奏聞(そうもん)す。天気(てんき)
P06359
ことに御心(おんこころ)よげにうちゑ【笑】ませ給(たまひ)て、「「林間(りんかんに)煖
酒(さけをあたためて)焼紅葉(こうえふをたく)」といふ詩(し)の心(こころ)をば、それらにはた【誰】が
おしへ(をしへ)【教へ】けるぞや。やさしうも仕(つかまつり)ける物(もの)かな」とて、
かへ(ッ)て(かへつて)【却つて】御感(ぎよかん)に預(あづかり)しうへは、あへて勅勘(ちよくかん)なかり
けり。又(また)安元(あんげん)の比(ころ)おひ(ころほひ)、御方違(おんかたたがひ)の行幸(ぎやうがう)有(あり)しに、
さらでだに鶏人(けいじん)暁(あかつき)唱[* 「鳴」と有るのを高野本により訂正](となふ)こゑ【声】、明王(めいわう)の眠(ねぶり)ををどろ
かす(おどろかす)程(ほど)にもなりしかば、いつも御(おん)ねざめがちにて、
つやつや御寝(ぎよしん)もならざりけり。况(いはん)やさゆる霜
P06360
夜(しもよ)のはげしきに、延喜(えんぎ)の聖代(せいたい)、国土(こくど)の民(たみ)ども
いかにさむ【寒】かるらんとて、夜(よ)るのおとどにして御
衣(ぎよい)をぬがせ給(たまひ)ける事(こと)な(ン)ど(など)までも、おぼしめし【思し召し】
出(いだ)して、わが帝徳[* 「旁徳」と有るのを高野本により訂正](ていとく)のいたらぬ事(こと)をぞ御歎(おんなげき)有(あり)ける。
やや深更(しんかう)に及(およん)(をよん)で、程(ほど)とをく(とほく)【遠く】人(ひと)のさけぶ【叫ぶ】声(こゑ)し
けり。供奉(ぐぶ)の人々(ひとびと)はきき【聞き】つけられざりけれども、
主上(しゆしやう)きこしめし【聞し召し】て、「今(いま)さけぶ【叫ぶ】ものは何(なに)ものぞ。
き(ッ)と見(み)てまいれ(まゐれ)【参れ】」と仰(おほせ)ければ、うへぶし【上臥】したる
P06361
殿上人(てんじやうびと)、上日(じやうにち)のものに仰(おほ)す。はしり【走り】ち(ッ)【散つ】て尋(たづ)
ぬれば、ある辻(つじ)にあやしのめのわらは【女童】の、なが
もちのふた【蓋】さ【提】げてなく【泣く】にてぞありける。「いかに」P391
ととへば、「しう(しゆう)【主】の女房(にようばう)の、院(ゐん)の御所(ごしよ)にさぶら【候】はせ給(たま)ふ
が、此(この)程(ほど)やうやうにしてした【仕立】てられたる御装束(おんしやうぞく)、
も(ッ)【持つ】てまいる(まゐる)【参る】程(ほど)に、只今(ただいま)男(をとこ)(おとこ)の二三人(にさんにん)まう【詣】で
きて、うばひ【奪ひ】と(ッ)てまか【罷】りぬるぞや。今(いま)は御装
束(おんしやうぞく)があらばこそ、御所(ごしよ)にもさぶらはせ給(たま)はめ。
P06362
又(また)はかばかしうたちやど【立宿】らせ給(たま)ふべきした【親】し
い御方(おんかた)もましまさず。此(この)事(こと)おもひ【思ひ】つづくるに
なく【泣く】なり」とぞ申(まうし)ける。さてかのめのわらは【女童】をぐし【具し】
てまいり(まゐり)【参り】、このよし奏聞(そうもん)しければ、主上(しゆしやう)きこ
しめし【聞し召し】て、「あなむざん【無慚】。いかなるもののしわざ【仕業】にてか
あるらん。■(げう)の代(よ)の民(たみ)は、■(げう)の心(こころ)のすなを(すなほ)なるを
も(ッ)て心(こころ)とするがゆへ(ゆゑ)【故】に、みなすなを(すなほ)なり。今(いま)の代(よ)
の民(たみ)は、朕(ちん)が心(こころ)をも(ッ)て心(こころ)とするが故(ゆゑ)(ゆへ)に、かだましき
P06363
もの朝(てう)にあ(ッ)て罪(つみ)ををかす。是(これ)わが恥(はぢ)にあらずや」
とぞ仰(おほせ)ける。「さてとら【取ら】れつらんきぬは何(なに)いろ【色】ぞ」と
御(おん)たづね【尋ね】あれば、しかじかのいろと奏(そう)す。建礼門院(けんれいもんゐん)
のいまだ中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)にて在(まし)ましける時(とき)なり。其(その)御
方(おんかた)へ、「さ様(やう)のいろ【色】したる御衣(ぎよい)や候(さうらふ)」と仰(おほせ)ければ、
さきのよりはるか【遥】にうつくしきがまいり(まゐり)【参り】たり
けるを、くだんのめのわらは【女童】にぞたまは【給は】せける。「い
まだ夜(よ)ふかし。又(また)さるめ【目】にもやあふ」とて、上日(じやうにち)の
P06364
ものをつ【付】けて、しう(しゆう)【主】の女房(にようばう)のつぼね【局】までを
くら(おくら)【送ら】せましましけるぞかた【忝】じけなき。されば、
あやしのしづのお(しづのを)【賎男】しづのめ【賎女】にいたるまで、ただ
此(この)君(きみ)千秋万歳(せんしうばんぜい)の宝算(ほうさん)をぞ祈(いのり)たてまつる【奉る】。P392
葵前(あふひのまへ)S0603なかにもあはれ【哀】なりし御事(おんこと)は、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)の御方(おんかた)に候(さうら)はせ
給(たま)ふ女房(にようばう)のめしつかひ【召使】ける上童(しやうとう)、おもは【思は】ざる外(ほか)、
竜顔(りようがん)(れうがん)に咫尺(しせき)する事(こと)有(あり)けり。ただよのつねの
あからさまにてもなくして、主上(しゆしやう)つねはめさ【召さ】れ
P06365
けり。まめやかに御心(おんこころ)ざしふかかり【深かり】ければ、しう(しゆう)【主】の
女房(にようばう)もめしつかは【召し使は】ず、かへ(ッ)て(かへつて)【却つて】主(しゆう)の如(ごと)くにぞいつき
もてなしける。そのかみ、謡詠(えうえい)(やうゑい)にいへる事(こと)あり【有り】。
「女(をんな)をう【産】んでもひいさん【悲酸】する事(こと)なかれ。男(をとこ)(おとこ)をうん
でも喜歓(きくわん)する事(こと)なかれ。男(をとこ)(おとこ)は功(こう)にだも報(ほう)ぜ
られず。女(をんな)は妃(ひ)たり」とて、后(きさき)にたつといへり。「この
人(ひと)、女御(にようご)后(きさき)とももてなされ、国母仙院(こくぼせんゐん)ともあふ
が【仰が】れなんず。めでたかりけるさひわゐ(さいはひ)【幸】かな」とて、
P06366
其(その)名(な)をば葵(あふひ)のまへ【前】といひければ、内々(ないない)葵[B女]御(あふひにようご)な(ン)
ど(など)ぞささやきける。主上(しゆしやう)是(これ)をきこしめし【聞し召し】て、
其(その)後(のち)はめさ【召さ】れざりけり。御心(おんこころ)ざしのつき【尽き】ぬるには
あらず。ただ世(よ)のそしり【謗】をはば【憚】からせ給(たま)ふに
よ(ッ)てなり。されば御(おん)ながめ【眺】がちにて、よる【夜】のおとどに
のみぞいら【入ら】せ給(たま)ふ。其(その)時(とき)の関白(くわんばく)松殿(まつどの)、「御心(おんこころ)ぐるし
き事(こと)にこそあむ(あん)[* 「あれ」と有るのを高野本により訂正]なれ。申(まうし)なぐさめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん」とて、
いそぎ御参内(ごさんだい)あ(ッ)て、「さ様(やう)に叡虜(えいりよ)(ゑいりよ)にかからせ
P06367
ましまさん事(こと)、何条(なんでふ)(なんでう)事(こと)か候(さうらふ)べき。件(くだん)の女房(にようばう)
とくとくめさ【召さ】るべしと覚(おぼえ)候(さうらふ)。しなたづ【尋】ねらるるに
及(およ)(をよ)ばず。基房(もとふさ)やがて猶P393子(ゆうし)に仕(つかまつり)候(さうら)はん」と奏(そう)せさせ
給(たま)へば、主上(しゆしやう)「いさとよ。そこに申(まうす)事(こと)はさる事(こと)なれ
ども、位(くらゐ)を退(しりぞい)て後(のち)はままさるためし【例】もあんなり。ま
さしう在位(ざいゐ)の時(とき)、さ様(やう)の事(こと)は後代(こうたい)のそしり
なるべし」とて、きこしめ【聞召】しもいれ【入れ】ざりけり。関白
殿(くわんばくどの)ちから【力】をよば(およば)【及ば】せ給(たま)はず、御涙(おんなみだ)をおさへて御退出(ごたいしゆつ)
P06368
あり【有り】。其(その)後(のち)主上(しゆしやう)、緑(みどり)の薄様(うすやう)のことに匂(にほひ)ふかかり【深かり】
けるに、古(ふる)きことなれ共(ども)おぼしめし【思し召し】い【出】でて、あそば
さ【遊ばさ】れけり。
しのぶれ【忍ぶれ】どいろに出(で)にけりわが恋(こひ)は
ものやおもふ【思ふ】と人(ひと)のとふまで W044
此(この)御手習(おんてならひ)を、冷泉少将(れんぜいのせうしやう)隆房(たかふさ)給(たま)はりつゐ(つい)【継い】で、
件(くだん)の葵(あふひ)の前(まへ)に給(たま)はせたれば、かほ【顔】うちあかめ、
「例(れい)ならぬ心(ここ)ち【心地】出(いで)きたり」とて、里(さと)へ帰(かへ)り、うちふ【臥】す
P06369
事(こと)五六日(ごろくにち)して、ついにはかなく【果敢く】なりにけり。「君(きみ)が
一日(いちにち)の恩(おん)(をん)のために、妾(せう)が百年(ももとせ)の身(み)をあやまつ」
ともかやうの事(こと)をや申(まうす)べき。昔(むかし)唐(たう)の太宗(たいそう)、
貞仁機【*鄭仁基】(ていじんき)が娘(むすめ)を元観殿(げんくわんでん)にいれんとし給(たまひ)しを、
魏徴(ぎてう)「かのむすめ已(すでに)陸士(りくし)が約(やく)せり」といさめ申(まうし)
しかば、殿(てん)にいるる【入るる】事(こと)をやめられけるには、すこ【少】し
もたがは【違は】せ給(たま)はぬ御心(おんこころ)ばせなり。小督(こがう)S0604主上(しゆしやう)恋慕(れんぼ)の
御(おん)おもひ【思ひ】にしづませをはします(おはします)。申(まうし)なぐさめ
P06370
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】んとて、P394中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)の御方(おんかた)(おかた)より小督殿(こがうのとの)と申(まうす)
女房(にようばう)をまいらせ(まゐらせ)【参らせ】らる。此(この)女房(にようばう)は桜町(さくらまちの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)成
範[B 「重教」に「成範」と傍書]卿(しげのりのきやう)の御(おん)むすめ、宮中(きゆうちゆう)(きうちう)一(いち)の美人(びじん)、琴(こと)の上手(じやうず)にて
をはし(おはし)ける。冷泉大納言(れんぜいのだいなごん)隆房卿(たかふさのきやう)、いまだ少将(せうしやう)なり
し時(とき)、見(み)そめたりし女房(にようばう)なり。少将(せうしやう)はじめは歌(うた)
をよみ、文(ふみ)をつくし【尽くし】、恋(こひ)かなしみ給(たま)へ共(ども)、なびく
気色(けしき)もなかりしが、さすがなさけ【情】によはる(よわる)【弱る】心(こころ)にや、
遂(つひ)(つゐ)にはなびき給(たま)ひけり。され共(ども)今(いま)は君(きみ)にめさ【召さ】れ
P06371
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、せんかたもなくかなし(ツ)さ【悲しさ】に、あかぬ別(わかれ)の
涙(なみだ)には、袖(そで)しほたれてほ【乾】しあへず。少将(せうしやう)よそながらも
小督殿(こがうのとの)見(み)たてまつる【奉る】事(こと)もやと、つねは参内(さんだい)せ
られけり。をはし(おはし)ける局(つぼね)のへん、御簾(みす)のあたりを、あ
なたこなたへ[B 行(ゆき)]とをり(とほり)【通り】、たたずみありき【歩き】給(たま)へども、小
督殿(こがうのとの)「われ君(きみ)にめさ【召さ】れんうへは、少将(せうしやう)いかにいふ共(とも)、詞(ことば)
をもかはし、文(ふみ)を見(み)るべきにもあらず」とて、つ
てのなさけ【情】をだにもかけられず。少将(せうしやう)もしやと
P06372
一首(いつしゆ)の歌(うた)をよ【詠】うで、小督殿(こがうのとの)のをはし(おはし)ける御簾(みす)の
内(うち)へなげい【投入】れたる。
おもひ【思ひ】かねこころは空(そら)にみちのくの
ちか【千賀】のしほがま【塩釜】ちかき【近き】かひなし W045
小督殿(こがうのとの)やがて返事(へんじ)もせばやとおもは【思は】れけめども、
君(きみ)の御(おん)ため、御(おん)うしろ【後】めたうやおもは【思は】れけん、手(て)に
だにと(ッ)ても見(み)給(たま)はず。上童(うへわらは)にとらせて、坪(つぼ)[B の]うち
へぞなげいだ【投出】す。少将(せうしやう)なさけ【情】なう恨(うらめ)しけれ共(ども)、人(ひと)も
P06373
こそ見(み)れと空(そら)おそろしう【恐ろしう】おもは【思は】れければ、いそぎ
是(これ)と(ッ)【取つ】てふところ【懐】に入(いれ)てぞ出(いで)られける。なを(なほ)【猶】たちかへ(ッ)【立ち返つ】P395て、
たまづさ【玉章】を今(いま)は手(て)にだにとら【取ら】じとや
さこそ心(こころ)におもひ【思ひ】す【捨】つとも W046
今(いま)は此(この)世(よ)にてあひみ【見】ん事(こと)もかたければ、いき【生き】て
ものをおもは【思は】んより、しな【死な】んとのみぞねがは【願は】れける。
入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)これをきき、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)と申(まうす)も御(おん)むすめなり、
冷泉少将(れんぜいのせうしやう)聟(むこ)なり。小督殿(こがうのとの)にふたりの聟(むこ)を
P06374
とられて、「いやいや、小督(こがう)があらんかぎりは世中(よのなか)よかる
まじ。めしいだ【召出】してうしなは【失は】ん」とぞの給(たま)ひける。
小督殿(こがうのとの)もれ【漏れ】きひ(きい)【聞い】て、「我(わが)身(み)の事(こと)はいかでもあり【有り】
なん。君(きみ)の御(おん)ため御心(おんこころ)ぐるし」とて、ある暮(くれ)がたに
内裏(だいり)を出(いで)て、行(ゆく)ゑ(ゆくへ)【行方】もしらずうせ給(たま)ひぬ。主上(しゆしやう)
御歎(おんなげき)なのめならず。ひる【昼】はよる【夜】のおとどにいら【入ら】せ給(たま)ひ
て、御涙(おんなみだ)にのみむせび、夜(よ)るは南殿(なんでん)に出御(しゆつぎよ)な(ッ)て、
月(つき)の光(ひかり)を御覧(ごらん)じてぞなぐさませ給(たま)ひける。
P06375
入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)是(これ)をきき、「君(きみ)は小督(こがう)ゆへ(ゆゑ)【故】におぼしめし【思し召し】
しづ【沈】ませ給(たま)ひたんなり。さらんに[* 「さらんには」と有るのを高野本により訂正]と(ッ)【取つ】ては」とて、御(おん)
かひしやく(かいしやく)【介錯】の女房達(にようばうたち)をもまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ず、参内(さんだい)
し給(たま)ふ臣下(しんか)をもそねみ給(たま)へば、入道(にふだう)(にうだう)の権威(けんゐ)に
はばか(ッ)て、かよふ人(ひと)もなし。禁中(きんちゆう)(きんちう)いまいましう【忌々しう】ぞ見(み)え
ける。かくて八月(はちぐわつ)十日(とをか)あまりになりにけり。さしも
くま【隈】なき空(そら)なれど、主上(しゆしやう)は御涙(おんなみだ)にくもりつつ、
月(つき)の光(ひかり)もおぼろにぞ御覧(ごらん)ぜられける。やや
P06376
深更(しんかう)に及(およん)(をよん)で、「人(ひと)やP396ある、人(ひと)やある」とめさ【召さ】れけれ共(ども)、
御(おん)いらへ【答へ】申(まうす)ものもなし。弾正(だんじやうの)少弼(せうひつ)仲国(なかくに)、其(その)夜(よ)
しもまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、はるかにとをう(とほう)【遠う】候(さうらふ)が、「仲国(なかくに)」と御(おん)いらへ【答へ】
申(まうし)たれば、「ちかう【近う】まいれ(まゐれ)【参れ】。仰下(おほせくだ)さるべき事(こと)あり【有り】」。
何事(なにごと)やらんとて、御前(ごぜん)ちかう参(さん)じたれば、「なんぢ
もし小督(こがう)が行(ゆく)ゑ(ゆくへ)【行方】やしり【知り】たる」。仲国(なかくに)「いかで
かしり【知り】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)べき。ゆめゆめしり【知り】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】ず候(さうらふ)」。
「まことやらん、小督(こがう)は嵯峨(さが)のへんに、かた折戸(をりど)(おりど)
P06377
とかやしたる内(うち)にあり【有り】と申(まうす)もののあるぞとよ。
あるじ【主】が名(な)をばしら【知ら】ずとも、尋(たづね)てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】なん
や」と仰(おほせ)ければ、「あるじ【主】が名(な)をしり【知り】候(さうら)はでは、争(いかで)か
尋(たづね)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)べき」と申(まう)せば、「まこと【誠】にも」とて、竜顔(りようがん)(れうがん)
より御涙(おんなみだ)をながさせ給(たま)ふ。仲国(なかくに)つくづくと物(もの)を
あん【案】ずるに、まことや、小督殿(こがうのとの)は琴(こと)ひ【弾】き給(たま)ひし
ぞかし。此(この)月(つき)のあかさに、君(きみ)の御事(おんこと)おもひいで【思ひ出で】
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、琴(こと)ひき給(たま)はぬ事(こと)はよもあらじ。
P06378
御所(ごしよ)にてひ【弾】き給(たまひ)しには、仲国(なかくに)笛(ふえ)の役(やく)にめさ【召さ】れし
かば、其(その)琴(こと)の音(ね)はいづくなりとも[B きき【聞き】]し【知】らんずるものを。
又(また)嵯峨(さが)の在家(ざいけ)いく程(ほど)かあるべき。うちまは【廻】(ッ)てたづ
ね【尋ね】んに、などか聞出(ききいだ)さざるべきとおもひ【思ひ】ければ、「さ候(さうら)はば、
あるじが名(な)はしら【知ら】ず共(とも)、若(もし)やとたづね【尋ね】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て
見(み)候(さうら)はん。ただし尋(たづね)あひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうらふ)共(とも)、御書(ごしよ)を給(たま)
はらで申(まう)さむには、うは【上】の空(そら)にやおぼしめさ【思し召さ】れ候(さうら)はん
ずらむ。御書(ごしよ)を給(たま)は(ッ)てむかひ【向かひ】候(さうら)はん」と申(まうし)ければ、
P06379
「まこと【誠】にも」とて、御書(ごしよ)をあそばひ(あそばい)【遊ばい】てた【賜】うだりP397
けり。「竜【*寮】(れう)の御馬(おんむま)にの(ッ)【乗つ】てゆけ」とぞ仰(おほせ)ける。仲国(なかくに)
竜【*寮】(れう)の御馬(おんむま)給(たま)は(ッ)て、名月(めいげつ)にむち【鞭】をあげ、そことも
しらずあこがれ行(ゆく)。をしか【牡鹿】なく此(この)山里(やまざと)と詠(えい)(ゑい)じ
けん、嵯峨(さが)のあたりの秋(あき)の比(ころ)、さこそはあはれ【哀】にも
おぼえけめ。片折戸(かたをりど)(かたおりど)したる屋(や)を見(み)つけては、「此(この)内(うち)
にやおはすらん」と、ひかへ【控へ】ひかへ【控へ】きき【聞き】けれ共(ども)、琴(こと)ひく所(ところ)
もなかりけり。御堂(みだう)な(ン)ど(など)へまいり(まゐり)【参り】給(たま)へることもやと、
P06380
釈迦堂(しやかだう)をはじめて、堂々(だうだう)見(み)まはれ共(ども)小督殿(こがうのとの)に
似(に)たる女房(にようばう)だに見(み)え給(たま)はず。「むな【空】しう帰(かへ)りまいり(まゐり)【参り】
たらんは、中々(なかなか)まいら(まゐら)【参ら】ざらんよりあ【悪】しかるべし。是(これ)
よりもいづち【何方】へもまよ【迷】ひゆかばや」とおもへ【思へ】ども、
いづくか王地(わうぢ)ならぬ、身(み)をかくす【隠す】べき宿(やど)もなし。
いかがせんとおもひ【思ひ】わづらう(わづらふ)。「まことや、法輪(ほふりん)(ほうりん)は程(ほど)ちか
けれ【近けれ】ば、月(つき)の光(ひかり)にさそ【誘】はれて、まいり(まゐり)【参り】給(たま)へること
もや」と、そなたにむかひ【向ひ】てぞあゆませける。亀
P06381
山(かめやま)のあたりちかく、松(まつ)の一(ひと)むらある方(かた)に、かすか【幽】に
琴(こと)ぞきこえ【聞こえ】ける。峯(みね)の嵐(あらし)か、松風(まつかぜ)か、たづ【尋】ぬる
人(ひと)のことの音(ね)か、おぼつかなくはおも【思】へども、駒(こま)をはや
めて行(ゆく)程(ほど)に、片折戸(かたをりど)(かたおりど)したる内(うち)に、琴(こと)をぞひ【弾】き
すまされたる。ひか【控】へて是(これ)をききければ、すこ【少】し〔も〕ま
がふ【紛ふ】べうもなき小督殿(こがうのとの)の爪音(つまおと)なり。楽(がく)はなん【何】
ぞとききければ、夫(おつと)をおもふ(おもう)【思う】てこふとよむ想夫恋(さうふれん)と
いふ楽(がく)なり。さればこそ、君(きみ)の御事(おんこと)おP398もひ【思ひ】出(いで)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、
P06382
楽(がく)こそおほけれ、此(この)楽(がく)をひき給(たまひ)けるやさし(ッ)
さよ。ありがたふ(ありがたう)おぼえて、腰(こし)よりやうでう【横笛】ぬき
出(いだ)し、ち(ッ)とならひ(ならい)【鳴らい】て、門(かど)をほとほととたたけば、やがて
ひ【弾】きやみ給(たま)ひぬ。高声(かうしやう)に、「是(これ)は内裏(だいり)より仲国(なかくに)が
御使(おんつかひ)にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。あけ【開け】させ給(たま)へ」とて、たたけ共(ども)たたけ共(ども)とが
むる人(ひと)もなかりけり。ややあ(ッ)て、内(うち)より人(ひと)の出(いづ)る
音(おと)(をと)のしければ、うれしう【嬉しう】おもひ【思ひ】て待(まつ)ところ【所】に、じやう【錠】
をはづし、門(かど)をほそめ【細目】にあけ、いたひけ(いたいけ)【幼気】したる
P06383
小女房(こにようばう)、かほ【顔】ばかりさしいだひ(いだい)【出い】て、「門(かど)たがへ【違へ】てぞ
さぶらう(さぶらふ)【候ふ】らん。是(これ)には内裏(だいり)より御使(おんつかひ)な(ン)ど(など)給(たま)はる
べき所(ところ)にてもさぶら【候】はず」と申(まう)せば、中々(なかなか)返事(へんじ)
して、門(かど)た【閉】てられ、じやう【錠】さされてはあ【悪】しかりなん
とおもひ【思ひ】て、おしあけ【押し開け】てぞ入(いり)にける。妻戸(つまど)のきはの
ゑん(えん)【縁】にゐて、「いかに、かやうの所(ところ)には御(おん)わたり【渡り】候(さうらふ)やらん。
君(きみ)は御(ご)ゆへ(ゆゑ)【故】におぼしめし【思し召し】しづませ給(たま)ひて、御
命(おんいのち)もすでにあやう(あやふ)【危ふ】にこそ見(み)えさせをはしまし(おはしまし)
P06384
候(さうら)へ。ただうは【上】の空(そら)に申(まうす)とやおぼしめさ【思し召さ】れ候(さうら)はん。
御書(ごしよ)を給(たま)は(ッ)てまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)」とて、御書(ごしよ)とりいだひ(とりいだい)【取り出だい】
てたてまつる【奉る】。ありつる女房(にようばう)とりついで、小督殿(こがうのとの)に
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たり。あけて見(み)給(たま)へば、まことに君(きみ)の御
書(ごしよ)なりけり。やがて〔御(おん)〕返事(ぺんじ)かき、ひきむす【引結】び、女
房(にやうばう)の装束(しやうぞく)一(ひと)かさ【重】ねそへて出(いだ)されたり。仲国(なかくに)、女房(にようばう)
の装束(しやうぞく)をば肩(かた)にうちかけ、申(まうし)けるは、「余(よ)の御使(おんつかひ)
で候(さうら)はば、御返事(おんぺんじ)のうへは、とP399かう申(まうす)には候(さうら)はねども、
P06385
日(ひ)ごろ内裏(だいり)にて御琴(おんこと)あそば(ッ)【遊ばつ】し時(とき)、仲国(なかくに)笛(ふえ)の
役(やく)にめされ候(さうらひ)し奉公(ほうこう)をば、いかでか御(おん)わす【忘】れ候(さうらふ)べき。
ぢき【直】の御返事(おんぺんじ)を承(うけたま)はらで帰(かへり)まいら(まゐら)【参ら】ん事(こと)こそ、よに
口(くち)おしう(をしう)【惜しう】候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、小督殿(こがうのとの)げにもとやおも
は【思は】れけん、身(み)づから返事(へんじ)し給(たま)ひけり。「それにも
きか【聞か】せ給(たま)ひつらん、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)のあまりにおそろし
き【恐ろしき】事(こと)をのみ申(まうす)とききしかば、あさましさに、内
裏(だいり)をばにげ【逃げ】出(いで)て、此(この)程(ほど)はかかるすまひ【住】なれば、琴(こと)
P06386
な(ン)ど(など)ひ【弾】く事(こと)もなかりつれ共(ども)、さてもあるべきなら
ねば、あすより大原(おおはら)のおく【奥】におもひ【思ひ】たつ【立つ】事(こと)のさぶ
らへば、あるじの女房(にようばう)の、こよひばかりの名残(なごり)を
おしう(をしう)【惜しう】で、「今(いま)は夜(よ)もふけぬ。たちき【立聞】く人(ひと)もあらじ」
な(ン)ど(など)すす【勧】むれば、さぞなむかし【昔】の名残(なごり)もさすが
ゆかしくて、手(て)なれし琴(こと)をひ【弾】く程(ほど)に、やすうも
きき【聞き】出(いだ)されけりな」とて、涙(なみだ)もせきあへ給(たま)はねば、
仲国(なかくに)も袖(そで)をぞぬら【濡】しける。ややあ(ッ)て、仲国(なかくに)涙(なみだ)
P06387
をおさ【抑】へて申(まうし)けるは、「あすより大原(おほはら)のおくにおぼ
しめし【思し召し】立(たつ)事(こと)と候(さうらふ)は、御(おん)さまな(ン)ど(など)をか【変】へさせ給(たま)ふべき
にこそ。ゆめゆめあるべうも候(さうら)はず。さて君(きみ)の御歎(おんなげき)
をば、何(なに)とかしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ふべき。是(これ)ばし出(いだ)しまいら
す(まゐらす)【参らす】な」とて、ともにめしぐし【召具し】たるめぶ【馬部】、きつじやう【吉上】な(ン)ど(など)
とどめ【留め】をき(おき)、其(その)屋(や)を守護(しゆご)せさせ、竜【*寮】(れう)の御馬(おんむま)に
うちの(ッ)【打ち乗つ】て、内裏(だいり)へかへ【帰】りまいり(まゐり)【参り】たれば、ほのぼのとあけ【明け】
にけり。「今(いま)は入御(じゆぎよ)もなりぬらん、誰(たれ)して申入(まうしいる)
P06388
べき」とP400て、竜【*寮】(れう)の御馬(おんむま)つながせ、ありつる女房(にようばう)の装
束(しやうぞく)をばはね【跳】馬(むま)の障子(しやうじ)になげ【投げ】かけ、南殿(なんでん)の方(かた)へ
まいれ(まゐれ)【参れ】ば、主上(しゆしやう)はいまだ夜部(よべ)の御座(ござ)にぞ在(まし)まし
ける。「南(みなみ)(み(ン)なみ)に翔(かけり)北(きた)に嚮(むかふ)、寒雲(かんうん)を秋(あき)の鴈(かり)に付(つけ)
難(がた)し。東(ひがし)(ひ(ン)がし)に〔出(いで)〕西(にし)に流(ながる)、只(ただ)瞻望(せんばう)を暁(あかつき)の月(つき)に
寄(よ)す」と、うちなが【詠】めさせ給(たま)ふ所(ところ)に、仲国(なかくに)つ(ッ)とまいり(まゐり)【参り】
たり。小督殿(こがうのとの)の御返事(おんぺんじ)をぞまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たる。君(きみ)なのめ
ならず御感(ぎよかん)な(ッ)て、「なんぢ【汝】やがてよ【夜】さり具(ぐ)して
P06389
まいれ(まゐれ)【参れ】」と仰(おほせ)ければ、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)のかへり【返り】きき給(たま)はん
ところ【所】はおそろしけれ【恐ろしけれ】共(ども)、これ又(また)倫言(りんげん)なれば、雑色(ざつしき)・
牛(うし)・車(くるま)きよげに沙汰(さた)して、さが【嵯峨】へ行(ゆき)むかひ【向ひ】、
まいる(まゐる)【参る】まじきよしやうやう【様々】にの給(たま)へども、さまざま
にこしらへて、車(くるま)にとりのせ【乗せ】たてまつり【奉り】、内
裏(だいり)へまいり(まゐり)【参り】たりければ、幽(かすか)なる所(ところ)にしのば【忍ば】せて、
よなよな【夜な夜な】めさ【召さ】れける程(ほど)に、姫宮(ひめみや)一所(いつしよ)出来(いでき)させ給(たま)ひ
けり。此(この)姫宮(ひめみや)と申(まうす)は、坊門(ばうもん)の女院(にようゐん)の御事(おんこと)なり。
P06390
入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、何(なに)としてかもれ【漏れ】きひ(きい)【聞い】たりけん、「小督(こがう)が
うせ【失せ】たりといふ事(こと)、あとかたなき空事(そらごと)なり
けり」とて、小督殿(こがうのとの)をとら【捕】へつつ、尼(あま)になしてぞ
はな【放】つ〔たる〕。小督殿(こがうのとの)出家(しゆつけ)はもとよりの望(のぞみ)なりけれ共(ども)、
心(こころ)ならず尼(あま)になされて、年(とし)廿三(にじふさん)、こ【濃】き墨染(すみぞめ)にやつ
れはてて、嵯峨(さが)のへん【辺】にぞすま【住ま】れける。うたて
かりし事共(ことども)なり。か様(やう)の事共(ことども)に御悩(ごなう)はつかせ
給(たま)ひて、遂(つひ)(つゐ)に御(おん)かくれあり【有り】けるとぞきこえし。法皇(ほふわう)(ほうわう)は
P06391
うちつづき御歎(おんなげき)のみぞしげ【滋】かりける。去(さんぬ)る永万(えいまん)(ゑいまん)には、
第一(だいいち)の御子(みこ)二P401条院(にでうのゐん)崩御(ほうぎよ)なりぬ。安元(あんげん)二年(にねん)の
七月(しちぐわつ)には、御孫(おんむまご)六条院(ろくでうのゐん)かくれさせ給(たま)ひぬ。天(てん)にすま【住ま】ば
比翼(ひよく)の鳥(とり)、地(ち)にすまば連理(れんり)の枝(えだ)とならんと、漢河(あまのがは)
の星(ほし)をさして、御契(ちぎり)あさから【浅から】ざりし建春門院(けんしゆんもんゐん)、秋(あき)
の霧(きり)にをか【侵】されて、朝(あした)の露(つゆ)ときえさせ給(たまひ)ぬ。年
月(としつき)はかさ【重】なれ共(ども)、昨日(きのふ)今日(けふ)の御別(おんわかれ)のやうにおぼし
めし【思し召し】て、御涙(おんなみだ)もいまだつき【尽き】せぬに、治承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)五月(ごぐわつ)
P06392
には第二(だいに)の皇子(わうじ)高倉宮(たかくらのみや)うた【討た】れさせ給(たま)ひぬ。
現世(げんぜ)後生(ごしやう)たのみ【頼み】おぼしめさ【思し召さ】れつる新院(しんゐん)さへ
さきだた【先立た】せ給(たま)ひぬれば、とにかくにかこつかたなき
御涙(おんなみだ)のみぞすす【進】みける。「悲(かなしみ)の至(いたつ)て悲(かな)しきは、
老(おい)て後(のち)子(こ)にをくれ(おくれ)【後れ】たるよりも悲(かな)しきはなし。
恨(うらみ)の至(いたつ)て恨(うらめ)しきは、若(わかう)して親(おや)に先立(さきだつ)よりも
うらめしき【恨めしき】はなし」と、彼(かの)朝綱(ともつな)の相公(しやうこう)の子息(しそく)
澄明(すみあきら)にをくれ(おくれ)【遅れ】て書(かき)たりけん筆(ふで)のあと、今(いま)こそ
P06393
おぼしめし【思し召し】知(し)られけれ。さるままには、彼(かの)一乗妙
典(いちじようめうでん)(いちぜうめうでん)の御読誦(ごどくじゆ)もおこたらせ給(たま)はず、三密(さんみつ)行法(ぎやうぼふ)(ぎやうぼう)
の御薫修(ごくんじゆ)もつもらせ給(たまひ)けり。天下(てんが)諒闇(りやうあん)になり
しかば、大宮人(おほみやびと)もおしなべて、花(はな)のたもとややつ【窶】れけん。
廻文(めぐらしぶみ)S0605入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)かやうにいたくなさけ【情】なうふるま【振舞】ひを
か(おか)【置か】れし事(こと)を、さすがおそろし【恐ろし】P402とやおもは【思は】れけん、法
皇(ほふわう)(ほうわう)なぐさめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】んとて、安芸(あき)の厳島(いつくしま)の内侍(ないし)
が腹(はら)の御(おん)むすめ、生年(しやうねん)十八(じふはち)になり給(たま)ふが、ゆう(いう)【優】に
P06394
花(はな)やかにをはし(おはし)けるを、法皇(ほふわう)(ほうわう)へまいらせ(まゐらせ)【参らせ】らる。上臈(じやうらふ)(じやうらう)
女房達(にようぼうたち)あまたゑらば(えらば)【選ば】れてまいら(まゐら)【参ら】れけり。公卿(くぎやう)殿
上人(てんじやうびと)おほく供奉(ぐぶ)して、ひとへに女御(にようご)まいり(まゐり)【参り】の如(ごと)く
にてぞ有(あり)ける。上皇(しやうくわう)かくれ【隠れ】させ給(たまひ)て後(のち)、わづかに二
七日(にしちにち)だにも過(すぎ)ざるに、しか【然】るべからずとぞ、人々(ひとびと)内々(ないない)は
ささやきあはれける。さる程(ほど)に、其(その)比(ころ)信濃国(しなののくに)に、木曾(きその)
冠者(くわんじや)義仲(よしなか)といふ源氏(げんじ)あり【有り】ときこえけり。故(こ)六
条判官(ろくでうのはんぐわん)為義(ためよし)が次男(じなん)、帯刀(たてわき)の先生(せんじやう)義方【*義賢】(よしかた)が
P06395
子(こ)なり。父(ちち)義方【*義賢】(よしかた)は久寿(きうじゆ)二年(にねん)八月(はちぐわつ)十六日(じふろくにち)、鎌倉(かまくら)〔の〕悪
源太義平(あくげんだよしひら)が為(ため)に誅(ちゆう)(ちう)せらる。其(その)時(とき)義仲(よしなか)二歳(にさい)
なりしを、母(はは)なくなく【泣く泣く】かかへて信乃【*信濃】(しなの)へこえ、木曾(きその)
中三(ちゆうざう)(ちうざう)兼遠(かねとほ)(かねとを)がもとにゆき、「是(これ)いかにもしてそだて【育て】て、
人(ひと)になして見(み)せ給(たま)へ」といひければ、兼遠(かねとほ)(かねとを)うけと【受取】(ッ)て、
かひがひしう廿(にじふ)余年(よねん)養育(やういく)す。やうやう長大(ちやうだい)する
ままに、ちから【力】も世(よ)にすぐれてつよく、心(こころ)もならび
なく甲(かう)なりけり。「ありがたきつよ弓(ゆみ)、勢兵(せいびやう)、馬(むま)の
P06396
上(うへ)、かちだち【徒立】、すべて上古(しやうこ)の田村(たむら)・利仁(としひと)・与五【*余五】将軍(よごしやうぐん)、
知頼【*致頼】(ちらい)・保昌(ほうしやう)・先祖(せんぞ)頼光(らいくわう)、義家(よしいへの)朝臣(あそん)(あ(ツ)そん)といふとも、
争(いかで)か是(これ)にはまさるべき」とぞ、人(ひと)申(まうし)ける。或(ある)時(とき)めの
との兼遠(かねとほ)(かねとを)をめし【召し】ての給(たま)ひけるは、「兵衛佐(ひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)
既(すで)に謀叛(むほん)をおこし、P403東(とう)八ケ国(はつかこく)をうちしたが【従】へて、
東海道(とうかいだう)よりのぼり、平家(へいけ)をおひおと【追落】さんとす
なり。義仲(よしなか)も東山(とうさん)・北陸(ほくろく)両道(りやうだう)をしたがへて、今(いま)一日(いちにち)
も先(さき)に平家(へいけ)をせめおと【攻落】し、たとへば、日本国(にほんごく)ふ
P06397
たり【二人】の将軍(しやうぐん)といは【言は】ればや」とほのめかしければ、
中三(ちゆうざう)(ちうざう)兼遠(かねとほ)(かねとを)大(おほき)にかしこまり悦(よろこび)て、「其(それ)にこそ君(きみ)をば
今(いま)まで養育(やういく)し奉(たてまつ)れ。かう仰(おほせ)らるるこそ、誠(まこと)に八
幡殿(はちまんどの)の御末(おんすゑ)ともおぼえさせ給(たま)へ」とて、やがて
謀叛(むほん)をくはた【企】てけり。兼遠(かねとほ)(かねとを)にぐせ【具せ】られて、つねは
都(みやこ)へのぼり、平家(へいけ)の人々(ひとびと)の振舞(ふるまひ)(ふるまい)、ありさまをも
見(み)うかがひ【窺ひ】けり。十三(じふさん)で元服(げんぶく)しけるも、八幡(はちまん)へ
まいり(まゐり)【参り】八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の御(おん)まへにて、「わが四代(しだい)の祖父(そぶ)
P06398
義家(よしいへの)朝臣(あそん)(あ(ツ)そん)は、此(この)御神(おんがみ)の御子(おんこ)とな(ッ)て、名(な)をば八幡
太郎(はちまんたらう)と号(かう)しき。かつ(ウ)は其(その)跡(あと)ををう(おふ)【追ふ】べし」とて、
八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の御宝前(ごほうぜん)にてもとどり【髻】とりあげ、
木曾次郎(きそのじらう)義仲(よしなか)とこそつゐ(つい)【付い】たりけれ。兼遠(かねとほ)(かねとを)「まづ
めぐら【廻】し文(ぶみ)候(さうらふ)べし」とて、信濃国(しなののくに)には、、ねの【根】井の
小野太(こやた)、海野(うんの)の行親(ゆきちか)をかたらう(かたらふ)【語らふ】に、そむく事(こと)なし。
是(これ)をはじめて、信乃【*信濃】(しなの)一国(いつこく)の兵(つは)もの共(ども)、なびかぬ草木(くさき)
もなかりけり。上野国(かうづけのくに)に故帯刀先生(こたてわきのせんじやう)義方【*義賢】(よしかた)がよしみ
P06399
にて、田子(たご)の郡(こほり)の兵(つはもの)共(ども)、皆(みな)したがひ【従ひ】つきにけり。
平家(へいけ)末(すゑ)になる折(をり)(おり)を得(え)て、源氏(げんじ)の年来(としごろ)の素
懐(そくわい)をとげんとす。P404飛脚(ひきやく)到来(たうらい)S0606木曾(きそ)といふ所(ところ)は、信乃【*信濃】(しなの)にと(ッ)ても
南(みなみ)のはし、美乃【*美濃】(みの)ざかひなりければ、都(みやこ)も無下(むげ)に
程(ほど)ちかし。平家(へいけ)の人々(ひとびと)もれ【漏れ】きひ(きい)【聞い】て、「東国(とうごく)のそむ
く【叛く】だにあるに、こはいかに」とぞさはが(さわが)【騒が】れける。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)
仰(おほせ)られけるは、「其(その)もの心(こころ)にくからず。おもへば信乃【*信濃】(しなの)一国(いつこく)
の兵共(つはものども)こそしたがひつくといふ共(とも)、越後国(ゑちごのくに)には
P06400
与五【*余五】将軍(よごしやうぐん)の末葉(ばつえふ)(ばつえう)、城(じやうの)太郎(たらう)助長(すけなが)、同(おなじく)四郎助茂(しらうすけしげ)、
これらは兄弟(きやうだい)ともに多勢(たぜい)のもの共(ども)なり。仰(おほせ)
くだしたらんずるに、やすう打(うつ)てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】んず」
との給(たまひ)ければ、「いかがあらんずらむ」と、内々(ないない)はささや
くものもおほかりけり。二月(にぐわつ)一日(ひとひのひ)、越後国(ゑちごのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)
城(じやうの)太郎(たらう)助長(すけなが)、越後守(ゑちごのかみ)〔に〕任(にん)ず。是(これ)は木曾(きそ)追討(ついたう)せら
れんずるはかり事(こと)とぞきこえし。同(おなじき)七日(なぬかのひ)、大臣(だいじん)
以下(いげ)、家々(いへいへ)にて尊勝(そんじよう)(そんぜう)陀羅尼(だらに)、不動明王(ふどうみやうわう)かき【書】
P06401
供養(くやう)ぜらる。是(これ)は又(また)兵乱(ひやうらん)つつしみのためなり。
同(おなじき)九日(ここのかのひ)、河内国(かはちのくに)石河郡(いしかはのこほり)に居住(きよぢゆう)(きよぢう)したりける武蔵
権守(むさしのごんのかみ)入道(にふだう)(にうだう)義基(よしもと)、子息(しそく)石河判官代(いしかはのはんぐわんだい)義兼(よしかぬ)、平家(へいけ)
をそむひ(そむい)て兵衛佐(ひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)に心(こころ)をかよはかし【通はかし】、已(すでに)
東国(とうごく)へ落行(おちゆく)べきよしきこえ【聞こえ】しかば、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)
やがて打手(うつて)をさしつか【差遣】はす。打手(うつて)の大将(たいしやう)には、源(げん)太
夫(だいふの)(だいうの)判官(はんぐわん)季定(すゑさだ)、摂津判官(せつつのはんぐわん)盛澄(もりずみ)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)
三千余騎(さんぜんよき)で発向(はつかう)す。城内(じやうのうち)には武蔵権守(むさしのごんのかみ)入道(にふだう)(にうだう)
P06402
義基(よしもと)、P405子息(しそく)判官代(はんぐわんだい)義兼(よしかぬ)を先(さき)として、其(その)勢(せい)百
騎(ひやくき)ばかりには過(すぎ)ざりけり。時(とき)つくり矢合(やあはせ)して、
いれかへ【入れ替へ】いれかへ【入れ替へ】数剋(すこく)たたかふ【戦ふ】。城内(じやうない)の兵共(つはものども)、手(て)のきは【際】
たたかひ打死(うちじに)するものおほ【多】かりけり。武蔵権守(むさしのごんのかみ)
入道(にふだう)(にうだう)義基(よしもと)打死(うちじに)す。子息(しそく)石河判官代(いしかはのはんぐわんだい)義兼(よしかぬ)は
いた手(て)負(おう)て生(いけ)ど【捕】りにせらる。同(おなじき)十一日(じふいちにち)、義基(よしもと)法師(ぼふし)(ぼうし)
が頸(くび)都(みやこ)へ入(いつ)て、大路(おほち)をわたさ【渡さ】る。諒闇(りやうあん)に賊衆(ぞくしゆ)をわた
さ【渡さ】るる事(こと)は、堀川天皇(ほりかはてんわう)崩御(ほうぎよ)の時(とき)、前対馬守(さきのつしまのかみ)源
P06403
義親(みなもとのよしちか)が首(くび)をわたされし例(れい)とぞきこえし。
同(おなじき)十二日(じふににち)、鎮西(ちんぜい)より飛脚(ひきやく)到来(たうらい)、宇佐大宮司(うさのだいぐうじ)
公通(きんみち)が申(まうし)けるは、「九州(きうしう)のもの共(ども)、緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)をはじ
めとして、臼杵(うすき)・戸次(へつぎ)・松浦党(まつらたう)にいたるまで、一向(いつかう)平
家(へいけ)をそむひ(そむい)て源氏(げんじ)に同心(どうしん)」のよし申(まうし)たりければ、
「東国(とうごく)北国(ほつこく)のそむくだにあるに、こはいかに」とて、
手(て)をう(ッ)てあさみあへり。同(おなじき)十六日(じふろくにち)、伊与【*伊予】国(いよのくに)より
飛脚(ひきやく)到来(たうらい)す。去年(こぞの)冬比(ふゆのころ)より、河野(かうのの)四郎(しらう)道清【*通清】(みちきよ)
P06404
をはじめとして、四国(しこく)の物共(ものども)みな平家(へいけ)を
そむひ(そむい)て、源氏(げんじ)に同心(どうしん)のあひだ、備後国(びんごのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、
ぬか【額】の入道(にふだう)(にうだう)西寂(さいじやく)、平家(へいけ)に心(こころ)ざしふかかり【深かり】ければ、伊与【*伊予】(いよ)
の国(くに)へおしわたり、道前(だうぜん)・道後(だうご)のさかひ、高直(たかなほの)(たかなふの)城(しろ)
にて、河野(かうのの)四郎(しらう)道請【*通清】(みちきよ)をうち候(さうらひ)ぬ。子息(しそく)河野(かうのの)四郎(しらう)
道信【*通信】(みちのぶ)は、父(ちち)がうた【討た】れける時(とき)、安芸国(あきのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)奴田次郎(ぬたのじらう)
は母方(ははかた)の伯父(をぢ)なりければ、其(それ)へこえ【越え】て有(あり)あはず。河
野(かうのの)道信【*通信】(みちのぶ)ちちをうた【討た】せて、「やす【安】からぬものなり。いかに
P06405
しても西P406寂(さいじやく)を打(うち)とらん」とぞうかがひ【伺ひ】ける。額(ぬかの)(ヌカノ)入
道(にふだう)(にうだう)西寂(さいじやく)、河野(かうのの)四郎(しらう)道清【*通清】(みちきよ)をう【討】(ッ)て後(のち)、四国(しこく)の狼籍【*狼藉】(らうぜき)
をしづめ、今年(ことし)正月(しやうぐわつ)十五日(じふごにち)に備後(びんご)のとも【鞆】へおし
わたり、遊君(いうくん)(ゆうくん)遊女(いうぢよ)(ゆうぢよ)共(ども)めし【召し】あつ【集】めて、あそ【遊】びたはぶ【戯】れ
さかもり【酒盛】けるが、先後(ぜんご)もしらず酔(ゑひ)(えい)ふ【臥】したる処(ところ)に、
河野(かうのの)四郎(しらう)おもひ【思ひ】き(ッ)【切つ】たるもの共(ども)百余人(ひやくよにん)あひ語(かたらひ)
て、ば(ッ)とおしよ【押寄】す。西寂(さいじやく)が方(かた)にも三百(さんびやく)余人(よにん)あり【有り】
ける物共(ものども)、にはかの事(こと)なれば、おもひ【思ひ】もまう【設】けず
P06406
あはて(あわて)【慌て】ふためきけるを、た(ッ)【立つ】てあふ【合ふ】ものをばゐ(い)【射】ふせ【伏せ】、
きり【斬り】ふせ【伏せ】、まづ西寂(さいじやく)を生(いけ)どりにして、伊与【*伊予】国(いよのくに)へ
おしわた【押渡】り、父(ちち)がうた【討た】れたる高直(たかなほの)(たかなふの)城(しろ)へさ【提】げもて
ゆき、のこぎり【鋸】で頸(くび)をき(ッ)【斬つ】たりともきこえけり。
又(また)は(ッ)つけ【磔】にしたりともきこえけり。入道(にふだう)(にうだう)死去(しきよ)S0607其(その)後(のち)四国(しこく)の
兵共(つはものども)、みな河野(かうのの)四郎(しらう)にしたがひつく。熊野別当(くまののべつたう)
湛増(たんぞう)も、平家(へいけ)重恩(ぢゆうおん)(ぢうをん)の身(み)なりしが、其(それ)もそむひ(そむい)
て、源氏(げんじ)に同心(どうしん)のよし聞(きこ)えけり。凡(およそ)(をよそ)東国(とうごく)北国(ほつこく)
P06407
ことごとく【悉く】そむきぬ。南海(なんかい)西海(さいかい)かくの如(ごと)し。夷
狄(いてき)の蜂起(ほうき)耳(みみ)を驚(おどろか)(をどろか)し、逆乱(げきらん)の先表(ぜんべう)頻(しきり)に奏(そう)
す。四夷(しい)忽(たちまち)に起(おこ)れり。世(よ)は只今(ただいま)うせなんずとて、必(かならず)
平家(へいけ)の一門(いちもん)ならね共(ども)、心(こころ)ある人々(ひとびと)のなげき【歎き】かなし
ま【悲しま】ぬはなかりけり。P407同(おなじき)廿三日(にじふさんにち)、公卿僉議(くぎやうせんぎ)あり【有り】。前(さきの)右
大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)申(まう)されけるは、坂東(ばんどう)へ打手(うつて)はむかう【向う】
たりといへ共(ども)、させるしいだし【出し】たる事(こと)も候(さうら)はず。
今度(こんど)宗盛(むねもり)、大将軍(たいしやうぐん)を承(うけたま)は(ッ)て向(むかふ)べきよし申(まう)
P06408
されければ、諸卿(しよきやう)色代(しきだい)して、「ゆゆしう候(さうらひ)なん」と
申(まう)されけり。\公卿(くぎやう-)殿上人(てんじやうびと)も武官(ぶくわん)〔に〕備(そな)はり、
弓箭(きゆうせん)(きうせん)に携(たづさは)らん人々(ひとびと)は、宗盛卿(むねもりのきやう)を大将軍(たいしやうぐん)にて、
東国(とうごく)北国(ほつこく)の凶徒等(きようどら)(けうどら)追討(ついたう)すべきよし仰下(おほせくだ)さる。
同(おなじき)廿七日(にじふしちにち)、前(さきの)右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)、源氏(げんじ)追討(ついたう)の為(ため)に、、東国(とうごく)へ
既(すで)に門出(かどいで)ときこえしが、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)違例(いれい)の御心(おんここ)ち
とてとどまり給(たま)ひぬ。明(あく)る廿八日(にじふはちにち)より、重病(ぢゆうびやう)(ぢうびやう)をう【受】け
給(たま)へりとて、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)・六波羅(ろくはら)「すは、しつる事(こと)を」とぞ
P06409
ささやきける。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、やまひ【病ひ】つき給(たま)ひし日(ひ)より
して、水(みづ)をだにのど【咽喉】へも入(いれ)給(たま)はず。身(み)の内(うち)のあつき【熱き】
事(こと)火(ひ)をたくが如(ごと)し。ふ【臥】し給(たま)へる所(ところ)四五間(しごけん)が内(うち)へ
入(いる)ものは、あつ【熱】さたへ【堪へ】がたし。ただの給(たま)ふ事(こと)とては、
「あたあた」とばかりなり。すこしもただ事(こと)とは
見(み)えざりけり。比叡山(ひえいさん)(ひゑいさん)より千手井(せんじゆゐ)の水(みづ)をくみ
くだし、石(いし)の船(ふね)にたた【湛】へて、それにおり【下り】てひへ(ひえ)【冷え】給(たま)へば、
水(みづ)おびたたしく【夥しく】わ【沸】きあが(ッ)て、程(ほど)なく湯(ゆ)にぞなりに
P06410
ける。もしやたす【助】かり給(たま)ふと、筧(かけひ)の水(みづ)をまかせ
たれば、石(いし)やくろがね【鉄】な(ン)ど(など)のや【焼】けたるやうに、水ほど
ばし(ッ)【迸ばしつ】てよりつ【寄付】かず。をのづから(おのづから)あたる水(みづ)はほむらと
な(ッ)てもえ【燃え】ければ、くろけぶり殿中(てんちゆう)(てんちう)にみちみちて、
炎(ほのほ)うづまひ(うづまい)てあがり【上がり】けり。是(これ)や昔(むかし)法P408蔵(ほふざう)(ほうざう)僧都(そうづ)と
い(ッ)し人(ひと)、閻王(ゑんわう)の請(しやう)におもむひ(おもむい)【赴むい】て、母(はは)の生前(しやうぜん)を尋(たずね)し
に、閻王(ゑんわう)あはれみ給(たま)ひて、獄卒(ごくそつ)をあひそ【添】へて焦熱
地獄(せうねつぢごく)へつかはさる。くろがねの門(もん)の内(うち)へさし入(いれ)ば、流星(りうせい)
P06411
な(ン)ど(など)の如(ごと)くに、ほのを(ほのほ)【炎】空(そら)へたち【立ち】あがり、多百由旬(たひやくゆじゆん)
に及(および)(をよび)けんも、今(いま)こそおもひ【思ひ】しら【知ら】れけれ。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)
の北(きた)の方(かた)、二位殿(にゐどの)の夢(ゆめ)に見(み)給(たまひ)ける事(こと)こそ
おそろしけれ【恐ろしけれ】。猛火(みやうくわ)のおびたたしくも【燃】えたる車(くるま)
を、門(かど)の内(うち)へやり入(いれ)たり。前後(ぜんご)に立(たち)たるものは、
或(あるい)(あるひ)は馬(むま)の面(おもて)のやうなるものもあり【有り】、或(あるい)(あるひ)は牛(うし)の面(おもて)の
やうなるものもあり【有り】。車(くるま)のまへには、無(む)といふ文字(もんじ)
ばかり見(み)えたる鉄(くろがね)の札(ふだ)をぞ立(たて)たりける。二位殿(にゐどの)
P06412
夢(ゆめ)の心(こころ)に、「あれはいづくよりぞ」と御(おん)たづね【尋ね】あれば、
「閻魔(ゑんま)の庁(ちやう)より、平家(へいけ)太政(だいじやうの)入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)の御迎(おんむかひ)に
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)」と申(まうす)。「さて其(その)札(ふだ)は何(なに)といふ札(ふだ)ぞ」とと【問】はせ
給(たま)へば、「南閻浮提金銅(なんゑんぶだいこんどう)十六(じふろく)丈(じやう)の盧遮那仏(るしやなぶつ)、焼(やき)ほ
ろぼし給(たま)へる罪(つみ)によ(ッ)て、無間(むけん)の底(そこ)に堕(だし)給(たま)ふべき
よし、閻魔(ゑんま)の庁(ちやう)に御(おん)さだ【定】め候(さうらふ)が、無間(むけん)の無(む)をかか【書か】れ
て、間(けん)の字(じ)をばいまだかかれぬなり」とぞ申(まうし)ける。二位
殿(にゐどの)うちおどろき、あせ【汗】水(みづ)になり、是(これ)を人々(ひとびと)に
P06413
かたり給(たま)へば、きく【聞く】人(ひと)みな身(み)の毛(け)よだちけり。
霊仏(れいぶつ)霊社(れいしや)に金銀七宝(こんごんしつぽう)をなげ、馬鞍(むまくら)・鎧甲(よろひかぶと)・弓
矢(ゆみや)・太刀(たち)、刀(かたな)にいたるまで、とりいで【取出】はこび出(いだ)しいの
ら【祈ら】れけれ共(ども)、其(その)しるしもなかりけり。男女(なんによ)の君達(きんだち)
あと枕(まくら)にさしつどひ【集ひ】て、いかにせんとP409なげき【歎き】かなしみ
給(たま)へども、かなう(かなふ)【叶ふ】べしとも見(み)えざりけり。同(おなじき)閏[* 「潤」と有るのを高野本により訂正](うるふ)
二月(にぐわつ)(に(ン)ぐわつ)二日(ふつかのひ)、二位殿(にゐどの)あつ【熱】うたへ【堪へ】がたけれ共(ども)、御枕(おんまくら)の上(うへ)によ【寄】(ッ)て、
泣々(なくなく)の給(たま)ひけるは、「御(おん)ありさま見(み)たてまつる【奉る】に、日(ひ)に
P06414
そへてたのみ【頼み】ずくなうこそ見(み)えさせ給(たま)へ。此(この)世(よ)に
おぼしめし【思し召し】をく(おく)【置く】事(こと)あらば、すこ【少】しもののおぼ【覚】え
させ給(たま)ふ時(とき)、仰(おほせ)をけ(おけ)【置け】」とぞの給(たま)ひける。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、
さしも日来(ひごろ)はゆゆし気(げ)におはせしかども、まこと【誠】に
くるし【苦し】気(げ)にて、いき【息】の下(した)にの給(たま)ひけるは、「われ保
元(ほうげん)・平治(へいぢ)より此(この)かた、度々(どど)の朝敵(てうてき)をたいらげ(たひらげ)【平げ】、勧賞(けんじやう)
身(み)にあまり、かたじ【忝】けなくも帝祖(ていそ)太政大臣(だいじやうだいじん)に
いたり、栄花(えいぐわ)(ゑいぐわ)子孫(しそん)に及(およ)(をよ)ぶ。今生(こんじやう)の望(のぞみ)一事(いちじ)もの
P06415
こる【残る】処(ところ)なし。ただしおもひ【思ひ】をく(おく)【置く】事(こと)とては、伊豆
国(いづのくに)の流人(るにん)、前兵衛佐(さきのひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)が頸(くび)を見(み)ざりつる
こそやすから【安から】ね。われいか【如何】にもなりなん後(のち)は、堂
塔(だうたふ)(だうとう)をもたて、孝養(けうやう)をもすべからず。やがて打手(うつて)を
つかはし、頼朝(よりとも)が首(くび)をはねて、わがはか【墓】のまへにかく【懸く】
べし。それぞ孝養(けうやう)にてあらんずる」との給(たま)ひける
こそ罪(つみ)ふかけれ。同(おなじき)四日(よつかのひ)、やまひ【病ひ】にせめられ、せめて
の事(こと)に板(いた)に水(みづ)をゐ(い)【沃】て、それにふしまろび【伏し転び】給(たま)へ共(ども)、
P06416
たす【助】かる心地(ここち)もし給(たま)はず、悶絶■地(もんぜつびやくち)して、遂(つひ)(つゐ)に
あつち死(じ)にぞし給(たまひ)ける。馬車(むまくるま)のはせちがう(はせちがふ)【馳せ違ふ】音(おと)(をと)、
天(てん)もひびき大地(だいぢ)もゆるぐ程(ほど)なり。一天(いつてん)の君(きみ)、
万乗(ばんじよう)(ばんぜう)のあるじの、いかなる御事(おんこと)在(まし)ます共(とも)、是(これ)には
過(すぎ)じとぞ見(み)えし。今年(ことし)は六十四(ろくじふし)にぞP410なり給(たま)ふ。老(おい)
じに【死】といふべきにはあらねども、宿運(しゆくうん)忽(たちまち)につき給(たま)へば、
大法(だいほふ)(だいほう)秘法(ひほふ)(ひほう)の効験(かうげん)もなく、神明(しんめい)三宝(さんぼう)の威光(ゐくわう)も
きえ、諸天(しよてん)も、擁護(おうご)し給(たま)はず。况(いはん)や凡慮(ぼんりよ)に
P06417
おひ(おい)【於い】てをや。命(いのち)にかはり身(み)にかはらんと忠(ちゆう)(ちう)を存(ぞん)
ぜし数万(すまん)の軍旅(ぐんりよ)は、堂上(たうしやう)堂下(たうか)に次居(なみゐ)た
れ共(ども)、是(これ)は目(め)にも見(み)えず、力(ちから)にもかかはらぬ無
常(むじやう)の殺鬼(せつき)をば、暫時(ざんじ)もたたかひ【戦ひ】かへさ【返さ】ず。又(また)かへ【帰】り
こぬ四手(で)の山(やま)、みつ【三】瀬川(せがは)、黄泉(くわうせん)中有(ちゆうう)(ちうう)の旅(たび)の空(そら)に、
ただ一所(いつしよ)こそおもむき給(たま)ひけめ。日(ひ)ごろ作(つく)りを
か(おか)【置か】れし罪業(ざいごふ)(ざいごう)ばかりや獄卒(ごくそつ)とな(ッ)てむか【迎】へに来(きた)り
けん、あはれ【哀】なりし事共(ことども)なり。さてもあるべき
P06418
ならねば、同(おなじき)七日(なぬかのひ)、をたぎ【愛宕】にて煙(けぶり)になしたてまつり【奉り】、
骨(こつ)をば円実(ゑんじつ)法眼(ほふげん)(ほうげん)頸(くび)にかけ、摂津国(せつつのくに)へくだり、
経(きやう)の島(しま)にぞおさめ(をさめ)【納め】ける。さしも日本(につぽん)一州(いつしう)に名(な)を
あげ、威(ゐ)をふる(ッ)し人(ひと)なれ共(ども)、身(み)はひとときの煙(けぶり)と
な(ッ)て都(みやこ)の空(そら)に立(たち)のぼり、かばね【屍】はしばしやすら
ひて、浜(はま)の砂(まさご)にたはぶれつつ、むなしき土(つち)とぞなり
給(たま)ふ。築島(つきしま)S0608やがて葬送(さうそう)の夜(よ)、ふしぎ【不思議】の事(こと)あまたあり【有り】。
玉(たま)をみがき金銀(きんぎん)をちりばめて作(つく)られたりし
P06419
西八条殿(にしはつでうどの)、其(その)夜(よ)にはかにや【焼】けぬ。人(ひと)の家(いへ)のや【焼】くるは、
つね【常】のならひ【習】なP411れども、あさましかりし事(こと)ども
なり。何(なに)もののしわざにや有(あり)けん、放火(はうくわ)とぞ聞(きこ)えし。
又(また)其(その)夜(よ)六波羅(ろくはら)の南(みなみ)にあた(ッ)て、人(ひと)ならば二三十人(にさんじふにん)が声(こゑ)
して、「うれしや水(みづ)、な【鳴】るは滝(たき)の水(みづ)」といふ拍子(ひやうし)を出(いだ)し
てまひ【舞ひ】おどり(をどり)【踊り】、ど(ッ)とわらう(わらふ)【笑ふ】声(こゑ)しけり。去(さんぬ)る正月(しやうぐわつ)に
は上皇(しやうくわう)かくれ【隠れ】させ給(たま)ひて、天下(てんが)諒闇(りようあん)になりぬ。わづ
かに中(なか)一両月(いちりやうげつ)をへだてて、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)薨(こう)ぜられ
P06420
ぬ。あやしのしづのお(しづのを)【賎男】、しづのめ【賎女】にいたるまでも、いかが
うれ【愁】へざるべき。是(これ)はいかさまにも天狗(てんぐ)の所為(しよゐ)と
いふさた【沙汰】にて、平家(へいけ)の侍(さぶらひ)のなかに、はやりをの若(わか)
もの共(ども)百余人(ひやくよにん)、わらう(わらふ)【笑ふ】声(こゑ)についてたづ【尋】ねゆいて
見(み)れば、院(ゐん)の御所(ごしよ)法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)に、この二三年(にさんねん)院(ゐん)も
わたらせ給(たま)はず、御所(ごしよ)あづかり備前前司(びぜんのせんじ)基宗(もとむね)と
いふものあり【有り】、彼(かの)基宗(もとむね)があひ知(しり)たる物共(ものども)二三十人(にさんじふにん)、
夜(よ)にまぎれて来(きた)り集(あつま)り、酒(さけ)をの【飲】みけるが、はじめは
P06421
かかる折(をり)(おり)ふしにをと(おと)【音】なせそとての【飲】む程(ほど)に、次第(しだい)
にのみ酔(ゑひ)(えひ)て、か様(やう)【斯様】に舞(まひ)おどり(をどり)【踊り】けるなり。ば(ッ)とをし(おし)【押し】
よ【寄】せて、酒(さけ)に酔(ゑひ)(えひ)ども、一人(いちにん)ももらさ【漏らさ】ず卅人(さんじふにん)ばかり
からめて、六波羅(ろくはら)へい(ゐ)【率】てまいり(まゐり)【参り】、前(さきの)右大将(うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)の
をわし(おはし)たる坪(つぼ)の内(うち)にぞひ(ッ)【引つ】すへ(すゑ)【据ゑ】たる。事(こと)の子細(しさい)を
よくよく尋(たづね)きき給(たま)ひて、「げにもそれほどに酔(ゑひ)(えひ)
たらんものをば、きる【斬る】べきにもあらず」とて、みな
ゆる【赦】されけり。人(ひと)のうせ【失せ】ぬるあとには、あやしの
P06422
ものも朝夕(てうせき)にかね【鐘】うちならし、例時(れいじ)懺法(せんぼふ)(せんぼう)よむ
事(こと)はつね【常】のならひ【習】なれ共(ども)、此(この)禅門(ぜんもん)薨(こう)ぜられぬる
後(のち)は、供仏施僧(くぶつせそう)のいとなみP412といふ事(こと)もなし。朝夕(てうせき)は
ただいくさ【軍】合戦(かつせん)のはかり事(こと)より外(ほか)は他事(たじ)なし。
凡(およそ)(をよそ)はさい後(ご)【最後】の所労(しよらう)のありさまこそうたてけれ共(ども)、
まこと【誠】にはただ【凡】人(びと)ともおぼえぬ事共(ことども)おほかりけり。
日吉社(ひよしのやしろ)へまいり(まゐり)【参り】給(たまひ)しにも、当家(たうけ)他家(たけ)の公卿(くぎやう)おほ
く供奉(ぐぶ)して、「摂禄(せつろく)の臣(しん)の春日御参宮(かすがのごさんぐう)、宇治(うぢ)
P06423
いり【入り】な(ン)ど(など)いふとも、是(これ)には争(いかで)かまさるべき」とぞ
人(ひと)申(まうし)ける。又(また)何事(なにごと)よりも、福原(ふくはら)の経(きやう)の島(しま)つ
ゐ(つい)【築い】て、今(いま)の世(よ)にいたるまで、上下往来(じやうげわうらい)の船(ふね)のわづ
らひ【煩】なきこそ目出(めでた)けれ。彼(かの)島(しま)は去(さんぬ)る応保(おうほう)元年(ぐわんねん)二
月(にぐわつ)(に(ン)ぐわつ)上旬(じやうじゆん)に築(つき)はじ【始】められたりけるが、同(おなじ)年(とし)の八月(はちぐわつ)に、
にはかに大風(おほかぜ)吹(ふき)大(おほ)なみ【浪】たち、みなゆりうし【淘失】なひて
き。又(また)同(おなじき)三年(さんねん)三月(さんぐわつ)下旬(げじゆん)に、阿波(あはの)民部(みんぶ)重能(しげよし)を奉
行(ぶぎやう)にてつ【築】かせられけるが、人柱(ひとばしら)たて【立て】らるべしな(ン)ど(など)、公卿(くぎやう)
P06424
御僉議(ごせんぎ)有(あり)しか共(ども)、それは罪業(ざいごふ)(ざいごう)なりとて、石(いし)の面(おもて)に
一切経(いつさいきやう)をかひ(かい)【書い】てつ【築】かれたりけるゆへ(ゆゑ)【故】にこそ、経(きやう)の島(しま)
とは名(な)づけたれ。慈心房(じしんばう)S0609ふるひ(ふるい)【古い】人(ひと)の申(まう)されけるは、清盛公(きよもりこう)は
悪人(あくにん)とこそおもへ【思へ】共(ども)、まことは慈恵僧正(じゑそうじやう)の再誕(さいたん)也(なり)。
其(その)故(ゆゑ)(ゆへ)は、摂津国(せつつのくに)清澄寺(せいちようじ)(せいてうじ)といふ山寺(やまでら)あり【有り】。彼(かの)寺(てら)の住
僧(ぢゆうそう)(ぢうそう)慈心房尊恵(じしんばうそんゑ)とP413申(まうし)けるは、本(もと)は叡山(えいさん)(ゑいざん)の学侶(がくりよ)
多年(たねん)法花(ほつけ)の持者(ぢしや)也(なり)。しかるに、道心(だうしん)ををこし(おこし)【起こし】離
山(りさん)して、此(この)寺(てら)に年月(としつき)ををくり(おくり)【送り】ければ、みな人(ひと)
P06425
是(これ)を帰依(きえ)(きゑ)しけり。去(さんぬ)る承安(しようあん)(せうあん)二年(にねん)十二月(じふにぐわつ)(じふに(ン)ぐわつ)廿二日(にじふににち)
の夜(よ)、脇息(けうそく)によりかかり、法花経(ほけきやう)よみ【読み】たてまつり【奉り】
けるに、丑剋(うしのこく)ばかり、夢(ゆめ)ともなくうつつ【現】共(とも)なく、年(とし)
五十(ごじふ)斗(ばかり)なる男(をとこ)(おとこ)の、浄衣(じやうえ)(じやうゑ)に立烏帽子(たてえぼし)(たてゑぼし)きて、わら(ン)づ【草鞋】
はばき【脛巾】したるが、立文(たてぶみ)をも(ッ)【持つ】て来(きた)れり。尊恵(そんゑ)「あれ
はいづくよりの人(ひと)ぞ」とと【問】ひければ、「閻魔王宮(ゑんまわうぐう)より
の御使(おんつかひ)なり。宣旨(せんじ)候(さうらふ)」とて、立文(たてぶみ)を尊恵(そんゑ)にわたす。
尊恵(そんゑ)是(これ)をひらひ(ひらい)【披い】てみれ【見れ】ば、■[*口+屈]請(くつしやう)、閻浮提(ゑんぶだい)大
P06426
日本国(だいにつぽんごく)摂津国(せつつのくに)清澄寺(せいちようじ)(せいてうじ)の慈心房尊恵(じしんばうそんゑ)、来(きたる)
廿六日(にじふろくにち)閻魔(ゑんま)羅城(らじやう)大極殿(だいこくでん)にして、十万人(じふまんにん)の持
経者(ぢきやうじや)をも(ッ)て、十万部(じふまんぶ)の法花経(ほけきやう)を転読(てんどく)せらる
べきなり。仍(よつて)参勤(さんぎん)せらるべし。閻王宣(ゑんわうせん)によ(ッ)て、
■[*口+屈]請(くつしやう)如件(くだんのごとし)。[* この下に一、二字分の空白有り]  承安(しようあん)(せうあん)二年(にねん)十二月(じふにぐわつ)(じふに(ン)ぐわつ)廿二日(にじふににち)閻魔(ゑんま)の
庁(ちやう)とぞかか【書か】れたる。尊恵(そんゑ)いなみ申(まうす)べき事(こと)なら
ねば、左右(さう)なう領状(りやうじやう)の請文(うけぶみ)をかひ(かい)【書い】てたてまつる【奉る】と
おぼえてさ【覚】めにけり。ひとへに死去(しきよ)のおもひ【思ひ】を
P06427
なして、院主(ゐんじゆ)の光影房(くわうやうばう)に此(この)事(こと)をかたる。皆(みな)人(ひと)
奇特(きどく)のおもひ【思ひ】をなす。尊恵(そんゑ)くち【口】には弥陀(みだ)の
名号(みやうがう)をとなへ、心(こころ)には引摂(いんぜふ)(ゐんぜう)の悲願(ひぐわん)を念(ねん)ず。やうやう
廿五日(にじふごにち)の夜陰(やいん)(やゐん)に及(およん)(をよん)で、常住(じやうぢゆう)(じやうぢう)の仏前(ぶつぜん)にいたり、例(れい)の
ごとく脇息(けうそく)によりかか(ッ)【寄り掛つ】て念仏(ねんぶつ)読経(どくきやう)す。子剋(ねのこく)に
及(およん)(をよん)で眠(ねぶり)切(せつ)なるがP414故(ゆゑ)(ゆへ)に、住房(ぢゆうばう)(ぢうばう)にかへ(ッ)【帰つ】てうちふ【臥】す。丑
剋(うしのこく)ばかりに、又(また)先(さき)のごとくに浄衣(じやうえ)(じやうゑ)装束(しやうぞく)なる男(をとこ)(おとこ)
二人(ににん)来(きたつ)て、「はやはやまいら(まゐら)【参ら】るべし」とすす【勧】むるあひだ、
P06428
閻王宣(ゑんわうせん)を辞(じ)せんとすれば甚(はなはだ)其(その)恐(おそれ)あり【有り】、参詣(さんけい)
せんとすれば更(さら)に衣鉢(ゑはち)なし。此(この)おもひ【思ひ】をなす
時(とき)、法衣(ほふえ)(ほうい)自然(しぜん)に身(み)にまと(ッ)て肩(かた)にかかり、天(てん)より
金(こがね)の鉢[B 「体」に「鉢」と傍書](はち)くだる。二人(ににん)の童子(どうじ)、二人(ににん)の従僧(じゆうぞう)(じうぞう)、十人(じふにん)の下
僧(げそう)、七宝(しつぽう)の大車(だいしや)、寺坊(じばう)の前(まへ)に現(げん)ずる。尊恵(そんゑ)なのめ
ならず悦(よろこび)て、即時(そくじ)に車(くるま)にのる。従僧等(じゆうぞうら)(じうぞうら)西北(さいほく)の方(かた)に
むか(ッ)て空(そら)をかけ(ッ)て、程(ほど)なく閻魔王宮(ゑんまわうぐう)にいたり
ぬ。王宮(わうぐう)の体(てい)を見(み)るに、外郭(ぐわいくわく)渺々(べうべう)として、
P06429
其(その)内(うち)曠々(くわうくわう)たり。其(その)内(うち)に七宝(しつぽう)所成(しよじやう)の大極殿(だいこくでん)
あり【有り】。高広金色(かうくわうきんじき)にして、凡夫(ぼんぶ)のほむるところ【所】に
あらず。其(その)日(ひ)の法会(ほふゑ)(ほうゑ)をは【終】(ッ)て後(のち)、請僧(しやうそう)みなかへ【帰】る
時(とき)、尊恵(そんゑ)南方(なんばう)の中門(ちゆうもん)(ちうもん)に立(た)(ッ)て、はるかに大極殿(だいこくでん)
を見(み)わたせば、冥官(みやうくわん)[B 冥]衆(みやうしゆ)みな閻魔法王(ゑんまほふわう)(ゑんまほうわう)の御前(ごぜん)に
かしこまる。尊恵(そんゑ)「ありがたき参詣(さんけい)なり。此(この)次(ついで)に
後生(ごしやう)の事(こと)尋(たづね)申(まう)さん」とて、大極殿(だいこくでん)へまいる(まゐる)【参る】。其(その)間(あひだ)(あいだ)
に二人(ににん)の童子(どうじ)蓋(かい)をさし、二人(ににん)の従僧(じゆうぞう)(じゆぞう)箱(はこ)をもち、
P06430
十人(じふにん)の下僧(げそう)列(れつ)をひいて、やうやうあゆみちかづく時(とき)、
閻魔法王(ゑんまほふわう)(ゑんまほうわう)、冥官(みやうくわん)冥衆(みやうしゆ)みなことごとく【悉く】おり【降り】むかふ【向ふ】。
多聞(たもん)・持国(ぢこく)二人(ににん)〔の〕童子(どうじ)に現(げん)じ、薬王菩薩(やくわうぼさつ)・勇施
菩薩(ゆぜぼさつ)二人(ににん)の従僧(じゆうぞう)(じうぞう)に変(へん)ず。十羅刹女(じふらせつによ)十人(じふにん)の下僧(げそう)
に現(げん)じて、随逐(ずいちく)給仕(きふじ)(きうじ)し給(たま)へり。閻王(ゑんわう)問(とふ)ての給(たま)はく、
「余僧(よそう)みな帰(かへ)りさん【去ん】ぬ。御房(ごぼう)来(きたる)事(こと)P415いかん」。「御生(ごしやう)
の在所(ざいしよ)承(うけたま)はらん為(ため)なり」。「[B 但(ただし)]往生(わうじやう)不往生(ふわうじやう)は、人(ひと)の信不
信(しんぷしん)にあり【有り】」と云々(うんぬん)(うんうん)。閻王(ゑんわう)又(また)冥官(みやうくわん)に勅(ちよくし)ての給(たま)はく、
P06431
「此(この)御房(ごばう)の作善(さぜん)のふばこ【文箱】、南方(なんばう)の宝蔵(ほうざう)にあり【有り】。
とり出(いだ)して一生(いつしやう)の行(ぎやう)、化他(けた)の碑文(ひもん)見(み)せ奉(たてま)つれ」。
冥官(みやうくわん)承(うけたま)は(ッ)て、南方(なんばう)の宝蔵(ほうざう)にゆいて、一(ひとつ)の文箱(ふばこ)を
と(ッ)【取つ】てまいり(まゐり)【参り】たり。良(やや)蓋(ふた)をひらいて是(これ)をことごとく
よみ【読み】きかす。尊恵(そんゑ)悲歎啼泣(ひたんていきう)して、「ただ願(ねがは)くは我(われ)を
哀愍(あいみん)して出離生死(しゆつりしやうじ)の方法(はうぼふ)(はうぼう)をおしへ(をしへ)【教へ】、証大菩提(しようだいぼだい)(しやうだいぼだい)
の直道(ぢきだう)をしめし給(たま)へ」。其(その)時(とき)閻王(ゑんわう)哀愍教化(あいみんけうけ)して、
種々(しゆじゆ)の偈(げ)を誦(じゆ)ず。冥官(みやうくわん)筆(ふで)を染(そめ)て一々(いちいち)に是(これ)をかく。
P06432
妻子王位財眷属(さいしわうゐざいけんぞく) 死去無一来相親(しこむいちらいさうしん)
常随業鬼繋縛我(じやうずいごふきけいばくが)(じやうずいごうきけばくが) 受苦叫喚無辺際(じゆくけうくわんむへんざい) K052
閻王(ゑんわう)此(この)偈(げ)を誦(じゆ)じをは(ッ)て、すなはち彼(かの)文(もん)を尊恵(そんゑ)
に属(ぞく)す。尊恵(そんゑ)なのめならず悦(よろこび)て、「日本(につぽん)の平大相国(へいたいしやうこく)
と申(まうす)人(ひと)、摂津国(せつつのくに)和多(わだ)の御崎(みさき)を点(てん)じて、四面(しめん)十(じふ)余
町(よちやう)に屋(や)を作(つく)り、けふの十万僧会(じふまんそうゑ)のごとく、持経者(ぢきやうじや)
をおほく■[*口+屈]請(くつしやう)じて、坊(ばう)ごとに一面(いちめん)に座(ざ)につき
説法(せつぽふ)(せつぽう)読経(どくきやう)丁寧(ていねい)に勤行(ごんぎやう)をいたされ候(さうらふ)」と申(まうし)
P06433
ければ、閻王(ゑんわう)随喜感嘆(ずいきかんたん)して、「件(くだん)の入道(にふだう)(にうだう)はただ
人(びと)にあらず。慈恵僧正(じゑそうじやう)の化身(けしん)なり。天台(てんだい)の仏
法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)護持(ごぢ)のために日本(につぽん)に再誕(さいたん)す。かるがゆへに(かるがゆゑに)、われ
毎日(まいにち)に三度(さんど)彼(かの)人(ひと)を礼(らい)する文(もん)あり【有り】。すなはちこの
文(ふみ)をも(ッ)【持つ】て彼(かの)人(ひと)にたてまつる【奉る】べし」とて、P416
敬礼慈恵大僧正(きやうらいじゑだいそうじやう) 天台仏法擁護者(てんだいぶつぽふをうごしや)(てんだいぶつぽうおうごしや)
示現最初将軍身(じげんさいしよしやうぐんじん) 悪業衆生同利益(あくごふしゆうじやうどうりやく)(あくごうしゆじやうどうりやく) K053
尊恵(そんゑ)是(これ)を給(たま)は(ッ)て、大極殿(だいこくでん)の南方(なんばう)の中門(ちゆうもん)(ちうもん)をいづる
P06434
時(とき)、官士等(くわんじら)十人(じふにん)門外(もんぐわい)に立(た)(ッ)て車(くるま)にのせ【乗せ】、前後(ぜんご)に
したがふ。又(また)空(そら)をかけ(ッ)て帰来(かへりきた)る。夢(ゆめ)の心(ここ)ち【心地】していき【生き】
出(いで)にけり。尊恵(そんゑ)是(これ)をも(ッ)【持つ】て西八条(にしはつでう)へまいり(まゐり)【参り】、入道(にふだう)(にうだう)相
国(しやうこく)にまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりければ、なのめならず悦(よろこび)てやうやう【様々】
にもてなし、さまざまの引出物共(ひきでものども)た【賜】うで、その勧賞(けんじやう)
に律師(りつし)になされけるとぞきこえ【聞え】し。さてこそ
清盛公(きよもりこう)をば慈恵僧正(じゑそうじやう)の再誕(さいたん)なりと、人(ひと)し(ッ)【知つ】て(ン)げれ。
祇園女御(ぎをんにようご)S0610又(また)ある人(ひと)の申(まうし)けるは、清盛(きよもり)者(は)忠盛(ただもり)が子(こ)にはあらず、
P06435
まこと【誠】には白河院(しらかはのゐん)の皇子(わうじ)なり。其(その)故(ゆゑ)(ゆへ)は、[B 去(さんぬ)る]永久(えいきう)(ゑいきう)の
比(ころ)ほひ、祇園女御(ぎをんにようご)と聞(きこ)えしさいはひ【幸】人(びと)をはし(おはし)【在し】
ける。件(くだん)の女房(にようばう)のすまひ所(どころ)【住所】は、東山(ひがしやま)(ひ(ン)がしやま)のふもと【麓】、祇
園(ぎをん)のほとりにてぞあり【有り】ける。白河院(しらかはのゐん)つねは御幸(ごかう)なり
けり。ある時(とき)殿上人(てんじやうびと)一両人(いちりやうにん)、北面(ほくめん)少々(せうせう)めしぐし【召具し】て、
しのび【忍び】の御幸(ごかう)有(あり)しに、比(ころ)はさ月(つき)【五月】廿日(はつか)あまりの
まだよひ【宵】の事(こと)なれば、目(め)ざすともしらぬP417やみ【闇】で
はあり【有り】、五月雨(さみだれ)さへかきくらし、まこと【誠】にいぶせかり
P06436
けるに、件(くだん)の女房(にようばう)の宿所(しゆくしよ)ちかく御堂(みだう)あり【有り】。御堂(みだう)
のかたはら【傍】にひかり【光】物(もの)いでき【出来】たり。かしらはしろ
かね【銀】のはり【針】をみが【磨】きたてたるやうにきらめき、
左右(さう)の手(て)とおぼしきをさしあげ【差し上げ】たるが、片手(かたて)には
つち【槌】のやうなるものをもち、片手(かたて)にはひか【光】る
物(もの)をぞも(ッ)【持つ】たりける。君(きみ)も臣(しん)も「あなおそろし【恐ろし】。
是(これ)はまことの鬼(おに)とおぼ【覚】ゆる。手(て)にもて【持て】る物(もの)はきこ
ゆる【聞ゆる】うちで【打出】のこづち【小槌】なるべし。いかがせん」とさはが(さわが)【騒が】せ
P06437
をはします(おはします)ところ【所】に、忠盛(ただもり)其(その)比(ころ)はいまだ北面(ほくめん)の下
臈(げらふ)(げらう)で供奉(ぐぶ)したりけるをめし【召し】て、「此(この)中(うち)にはなんぢ【汝】
ぞあるらん。あの物(もの)ゐ(い)【射】もとどめ【留め】、きり【斬り】もとどめ【留め】なんや」
と仰(おほせ)ければ、忠盛(ただもり)かしこ【畏】まり承(うけたま)は(ッ)て行(ゆき)むかう(むかふ)【向ふ】。
内々(ないない)おもひ【思ひ】けるは、「此(この)もの、さしもたけ【猛】き物(もの)とは
見(み)ず。きつね【狐】たぬき【狸】な(ン)ど(など)にてぞ有(ある)らん。是(これ)を
ゐ(い)【射】もころし【殺し】、きり【斬り】もころし【殺し】たらんは、無下(むげ)に念(ねん)
なかるべし。いけどりにせん」とおも【思】(ッ)てあゆ【歩】みよる。
P06438
とばかりあ(ッ)てはさ(ッ)とひかり【光り】、とばかりあ(ッ)てはさ(ッ)とひかり、
二三度(にさんど)しけるを、忠盛(ただもり)はしり【走り】よ(ッ)て、むずとく【組】む。
く【組】まれて、「こはいかに」とさはぐ(さわぐ)【騒ぐ】。変化(へんげ)の物(もの)にてはなかり
けり。はや人(ひと)にてぞ有(あり)ける。其(その)時(とき)上下(じやうげ)手々(てんで)(て(ン)で)に火を
ともひ(ともい)【点い】て、是(これ)を御(ご)らん【覧】じ見(み)給(たまふ)に、六十(ろくじふ)ばかりの法
師(ほふし)(ほうし)なり。たとへば、御堂(みだう)の承仕(じようじ)(ぜうじ)法師(ぼふし)(ぼうし)であり【有り】けるが、御(み)
あかし【燈】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】んとて、手瓶(てがめ)といふ物(もの)に油(あぶら)を入(いれ)て
もち、片手(かたて)にはかP418はらけ【土器】に火(ひ)を入(いれ)てぞも(ッ)【持つ】たりける。
P06439
雨(あめ)はゐ(い)【沃】にい【沃】てふる。ぬ【濡】れじとて、かしら【頭】にはこむぎ【小麦】の
わら【藁】を笠(かさ)のやうにひき【引き】むすふ(むすう)【結う】でかづひ(かづい)【被い】たり。
かはらけの火(ひ)にこむぎのわらかかや【輝】いて、銀(ぎん)の
針(はり)のやうには見(み)えけるなり。事(こと)の体(てい)一々(いちいち)に
あら【露】はれぬ。「これをゐ(い)【射】もころし【殺し】、きり【斬り】もころし【殺し】
たらんは、いかに念(ねん)なからん。忠盛(ただもり)がふるまひ【振舞】やうにこそ
思慮(しりよ)ふかけれ。弓矢(ゆみや)とる身(み)はやさしかりけり」
とて、その勧賞(けんじやう)にさしも御最愛(ごさいあい)と聞(きこ)えし
P06440
祇園女御(ぎをんにようご)を、忠盛(ただもり)にこそた【賜】うだりけれ。さてかの
女房(にようばう)、院(ゐん)の御子(みこ)をはら【妊】みたてまつり【奉り】しかば、「う【産】めらん
子(こ)、女子(によし)ならば朕(ちん)が子(こ)にせん、男子(なんし)ならば忠盛(ただもり)が
子(こ)にして弓矢(ゆみや)とる身(み)にしたてよ」と仰(おほせ)けるに、
すなはち男(をとこ)(おとこ)をうめり。此(この)事(こと)奏聞(そうもん)せんとうかが
ひ【窺ひ】けれ共(ども)、しかるべき便宜(びんぎ)もなかりけるに、ある時(とき)
白河院(しらかはのゐん)、熊野(くまの)へ御幸(ごかう)なりけるが、紀伊国(きのくに)いとが【糸鹿】坂(ざか)
といふ所(ところ)に御輿(おんこし)かきす【据】ゑさせ、しばらく御休息(ごきうそく)
P06441
有(あり)けり。やぶ【薮】にぬか子(ご)のいくらも有(あり)けるを、忠盛(ただもり)
袖(そで)にもりいれ【入れ】て、御前(ごぜん)へまいり(まゐり)【参り】、
いもが子(こ)ははふ【這ふ】程(ほど)にこそなりにけれ
と申(まうし)たりければ、院(ゐん)やがて御心得(おんこころえ)あ(ッ)て、
ただもりとりてやしな【養】ひにせよ W047
とぞつ【付】けさせましましける。それよりしてこそ
我(わが)子(こ)とはもてなしけれ。此(この)若君(わかぎみ)P419あまりに夜(よ)
なき【泣】をし給(たま)ひければ、院(ゐん)きこしめさ【聞し召さ】れて、一首(いつしゆ)の
P06442
御詠(ぎよえい)(ぎよゑい)をあそばし【遊ばし】てくだされけり。
よなきすとただもりたてよ末(すゑ)の代(よ)に
きよ【清】くさか【盛】ふることもこそあれ W048
さてこそ、清盛[* 「請盛」と有るのを高野本により訂正](きよもり)とはなの【名乗】られけれ。十二(じふに)の歳(とし)兵衛
佐(ひやうゑのすけ)になる。十八(じふはち)の年(とし)四品(しほん)して四位(しゐ)の兵衛佐(ひやうゑのすけ)と
申(まうし)しを、子細(しさい)存知(ぞんぢ)せぬ人(ひと)は、「花族(くわそく)の人(ひと)こそかふ(かう)は」と
申(まう)せば、鳥羽院(とばのゐん)しろしめさ【知ろし召さ】れて、「清盛[* 「請盛」と有るのを高野本により訂正](きよもり)が花族(くわそく)は、
人(ひと)におとらじ」とぞ仰(おほせ)ける。昔(むかし)も天智天皇(てんちてんわう)はら
P06443
み給(たま)へる女御(にようご)を大織冠(たいしよくくわん)にたまふとて、「此(この)女御(にようご)のう【産】め
らん子(こ)、女子(によし)ならば朕(ちん)が子(こ)にせん、男子(なんし)ならば臣(しん)が子(こ)
にせよ」と仰(おほせ)けるに、すなはち男(をとこ)(おとこ)をうみ給(たま)へり。
多武峯(たふのみね)の本願(ほんぐわん)定恵(ぢやうゑ)和尚(くわしやう)(くはしやう)是(これ)なり。上代(じやうだい)にも
かかるためしあり【有り】ければ、末代(まつだい)にも平大相国(へいたいしやうこく)、ま
こと【誠】に白河院(しらかはのゐん)の御子(みこ)にてをはし(おはし)ければにや、さば
かりの天下(てんが)の大事(だいじ)、都(みやこ)うつりな(ン)ど(など)いふたやすから
ぬことどもおもひたた【思ひ立た】れけるにこそ。同(おなじき)閏[* 「潤」と有るのを他本により訂正](うるふ)二月(にぐわつ)(に(ン)ぐわつ)廿日(はつかのひ)、
P06444
五条大納言(ごでうのだいなごん)国綱【*邦綱】卿(くにつなのきやう)うせ【失せ】給(たま)ひぬ。平大相国(へいたいしやうこく)とさし
も契(ちぎり)ふかう【深う】、心(こころ)ざしあさ【浅】からざりし人(ひと)なり。せめて
の契(ちぎり)のふかさ【深さ】にや、同日(どうにち)に病(やまひ)つゐ(つい)【付い】て、同(おなじ)月(つき)にぞ
うせ【失せ】られける。此(この)大納言(だいなごん)と申(まうす)は、兼資【*兼輔】(かねすけ)の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)より
八代(はちだい)の末葉(ばつえふ)(ばつえう)、前右馬助(さきのうまのすけ)守国【*盛国】(もりくに)が子(こ)なり。P420蔵人(くらんど)にだに
なら【成ら】ず、進士(しんじ)雑色(ざつしき)とて候(さうら)はれしが、近衛院(こんゑのゐん)御在位(ございゐ)
の時(とき)、仁平(にんぺい)の比(ころ)ほひ、内裏(だいり)に俄(にはかに)焼亡(ぜうまう)出(いで)きたり。主
上(しゆしやう)南殿(なんでん)に出御(しゆつぎよ)有(あり)しか共(ども)、近衛司(こんゑづかさ)一人(いちにん)も参(さん)ぜられ
P06445
ず。あきれてたた【立た】せをはしまし(おはしまし)たるところ【所】に、此(この)国綱【*邦綱】(くにつな)
要輿(えうよ)(ようよ)をかか【舁か】せてまいり(まゐり)【参り】、「か様(やう)【斯様】の時(とき)は、かかる御輿(みこし)に
こそめさ【召さ】れ候(さうら)へ」と奏(そう)しければ、主上(しゆしやう)是(これ)にめし【召し】て
出御(しゆつぎよ)あり【有り】。「何(なに)ものぞ」と御尋(おんたづね)あり【有り】ければ、「進士(しんじ)の雑色(ざつしき)
藤原国綱【*邦綱】(ふぢはらのくにつな)」となのり【名乗り】申(まうす)。「かかるさかざかしき物(もの)こそ
あれ、めしつかは【召し使は】るべし」と、其(その)時(とき)の殿下(てんが)、法性寺殿(ほつしやうじどの)
へ仰合(おほせあはせ)られければ、御領(ごりやう)あまたた【賜】びな(ン)ど(など)して、めし
つかは【召し使は】れける程(ほど)に、おなじ御門(みかど)の御代(みよ)にやわた(やはた)【八幡】へ行
P06446
幸(ぎやうがう)あり【有り】しに、人丁(にんちやう)が酒(さけ)に酔(ゑひ)(えひ)て水(みづ)にたふれ【倒れ】入(いり)、装束(しやうぞく)
をぬらし、御神楽(みかぐら)に遅々(ちち)したりけるに、此(この)国綱【*邦綱】(くにつな)
「神妙(しんべう)にこそ候(さうら)はね共(ども)、人丁(にんちやう)が装束(しやうぞく)はもたせて候(さうらふ)」
とて、一(いち)ぐ【具】とりいだ【取出】されたりければ、是(これ)をきて御
神楽(みかぐら)ととの【調】へ奏(そう)しけり。程(ほど)こそすこ【少】しおしうつ【推移】り
たりけれども、歌(うた)の声(こゑ)もすみのぼり【澄み上り】、舞(まひ)の袖(そで)、
拍子(ひやうし)にあふ(あう)【合う】ておもしろかりけり。物(もの)の身(み)に
しみて面白(おもしろき)事(こと)は、神(かみ)も人(ひと)もおなじ心(こころ)なり。
P06447
むかし天(あま)の岩戸(いはと)をおしひら【押開】かれけん
神代(かみよ)のことわざまでも、今(いま)こそおぼしめし【思し召し】
しら【知ら】れけれ。やがてこの国綱【*邦綱】(くにつな)の先祖(せんぞ)に、山陰(やまかげの)
中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)といふ人(ひと)をはし(おはし)き。其(その)子(こ)に助務【*如無】僧都(じよむそうづ)
とて、智恵才学(ちゑさいかく)身(み)にあまり、浄行持律(じやうぎやうぢりつ)の
僧(そう)をはし(おはし)【在し】けり。昌泰(しやうたい)の比(ころ)ほひ、寛平(くわんぺいの)法P421皇(ほふわう)(ほうわう)
大井河(おほゐがは)へ御幸(ごかう)あり【有り】しに、勧修寺(くわんじゆじ)の内
大臣(ないだいじん)高藤公(たかふじこう)の御子(おんこ)、泉(いづみ)の大将(だいしやう)貞国(さだくに)、小蔵
P06448
山【*小倉山】(をぐらやま)の嵐(あらし)に烏帽子(えぼし)(ゑぼし)を河(かは)へ吹入(ふきいれ)られ、袖(そで)にて
もとどり【髻】をおさへ、せんかたなうてた(ッ)【立つ】たりける
に、此(この)助務【*如無】僧都(じよむそうづ)、三衣箱(さんゑばこ)の中(なか)より烏帽子(えぼし)(ゑぼし)
ひとつとり【取り】出(いだ)されたりけるとかや。かの僧都(そうづ)は、
父(ちち)山陰(やまかげの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)、太宰大弐(ださいのたいに)にな(ッ)て鎮西(ちんぜい)へくだ【下】ら
れける時(とき)、二歳(にさい)なりしを、継母(けいぼ)にくんで、あから
さまにいだ【抱】くやうにして海(うみ)におとし入(いれ)、ころ
さ【殺さ】んとしけるを、しに【死に】にけるまことの母(はは)、存生(ぞんじやう)の
P06449
時(とき)、かつら【桂】のうがひ【鵜飼】が鵜(う)の餌(ゑ)にせんとて、亀(かめ)をと(ッ)【取つ】て
ころさ【殺さ】んとしけるを、き【着】給(たま)へる小袖(こそで)をぬぎ、
亀(かめ)にか【換】へ、はな【放】されたりしが、其(その)恩(おん)(をん)を報(ほう)ぜん
と、此(この)きみ【君】おとし入(いれ)ける水(みづ)のうへにう【浮】かれ
来(き)て、甲(かふ)(かう)にのせ【乗せ】てぞたす【助】けたりける。それは
上代(じやうだい)の事(こと)なればいかがあり【有り】けん、末代(まつだい)に国綱【*邦綱】卿(くにつなのきやう)の
高名(かうみやう)ありがたかりし事共(ことども)也(なり)。法性寺殿(ほつしやうじどの)の
御世(みよ)に中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)になる。法性寺殿(ほつしやうじどの)かくれさせ給(たまひ)て
P06450
後(のち)、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)存(ぞん)ずる旨(むね)あり【有り】とて、此(この)人(ひと)にかたら
ひ【語らひ】より給(たま)へり。大福長者(だいふくちやうじや)にておはしければ、
何(なに)にてもかならず【必ず】毎日(まいにち)に一種(いつしゆ)をば、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)
のもとへをくら(おくら)【送ら】れけり。「現世(げんぜ)のとくひ(とくい)【得意】、この人(ひと)に
過(すぐ)べからず」とて、子息(しそく)一人(いちにん)養子(やうじ)にして、清国(きよくに)と
なのら【名乗ら】せ、又(また)入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の四男(しなん)頭(とうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡(しげひら)は、
かの大納言(だいなごん)の聟(むこ)になる[* 「なり」と有るのを他本により訂正]。治承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)の五節(ごせつ)は
福原(ふくはら)にておこなはれけるに、殿上人(てんじやうびと)、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)の御方(おんかた)へ
P06451
推参(すいさん)あ(ッ)【有つ】P422しが、或(ある)雲客(うんかく)の「竹(たけ)湘浦(しやうほ)に斑(まだら)なり」と
いふ朗詠(らうえい)(らうゑい)をせられたりければ、此(この)大納言(だいなごん)立聞(たちぎき)
して、「あなあさまし、是(これ)は禁忌(きんき)とこそ承(うけたま)はれ。
かかる事(こと)きく【聞く】ともきかじ」とて、ぬきあし【抜足】
してにげ【逃げ】出(いで)(いだ)られぬ。たとへば、此(この)朗詠(らうえい)(らうゑい)の心(こころ)は、昔(むかし)■(げう)
の御門(みかど)に二人(ににん)の姫宮(ひめみや)ましましき。姉(あね)をば娥黄(がくわう)と
いひ、妹(いもうと)をば女英(じよゑい)といふ。ともに舜(しゆん)の御門(みかど)の后(きさき)
なり。舜(しゆん)の御門(みかど)かくれ給(たま)ひて、彼(かの)蒼梧(さうご)の
P06452
野(の)べへをくり(おくり)【送り】たてまつり【奉り】、煙(けぶり)となし奉(たてまつ)る
時(とき)、二人(ににん)のきさき【后】名残(なごり)をおしみ(をしみ)【惜しみ】奉(たてまつ)り、湘浦(しやうほ)
といふ所(ところ)までしたひ【慕ひ】つつなき【泣き】かなしみ給(たま)ひ
しに、その涙(なみだ)岸(きし)の竹(たけ)にかか(ッ)【掛つ】て、まだら【斑】にぞ
そ【染】みたりける。其(その)後(のち)もつねは彼(かの)所(ところ)にをはし(おはし)【在し】て、
瑟(こと)をひいてなぐさ【慰】み給(たま)へり。今(いま)かの所(ところ)を見(み)る
なれば、岸(きし)の竹(たけ)は斑(まだら)にてたて【立て】り。琴(こと)を調(しら)べし
跡(あと)には雲(くも)たなびいて、物(もの)あはれ【哀】なる心(こころ)を、橘相
P06453
公(きつしやうこう)の賦(ふ)に作(つく)れるなり。此(この)大納言(だいなごん)は、させる文才(もんざい)
詩歌(しいか)(し(イ)か)うるはしうはをはせ(おはせ)ざりしか共(ども)、かかるさかざか
しき人(ひと)にて、かやうの事(こと)までも聞(きき)とがめられ
けるにこそ。此(この)人(ひと)大納言(だいなごん)まではおもひ【思ひ】もよらざり
しを、母(はは)うへ賀茂大明神(かものだいみやうじん)に歩(あゆみ)をはこび、「ねが
は【願は】くは我(わが)子(こ)の国綱【*邦綱】(くにつな)一日(いちにち)でもさぶら【候】へ、蔵人頭(くらんどのとう)へ【経】
させ給(たま)へ」と、百日(ひやくにち)肝胆(かんたん)をくだいて祈(いのり)申(まう)され
けるが、ある夜(よ)の夢(ゆめ)に、びりやう【檳榔】の車(くるま)を
P06454
ゐて来(き)て、我(わが)家(いへ)の車(くるま)よせ【寄】にたつ【立つ】といふ夢(ゆめ)を
見(み)て、是(これ)人(ひと)にかたり給(たま)へば、「それは公卿(くぎやう)の北方(きたのかた)に
ならせ給(たま)ふべきにこそ」とあはせたりければ、「我(わが)年(とし)
すでに闌(たけ)たり。今更(いまさら)さ様(やう)のP423ふるまひ【振舞】あるべし
共(とも)おぼえず」との給(たま)ひけるが、御子(おんこ)の国綱【*邦綱】(くにつな)、蔵
人頭(くらんどのとう)は事(こと)もよろし、正(じやう)二位(にゐ)大納言(だいなごん)にあがり
給(たま)ふこそ目出(めでた)けれ。同(おなじき)廿二日(にじふににち)、法皇(ほふわう)(ほうわう)は院(ゐん)の御所(ごしよ)法
住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)へ御幸(ごかう)なる。かの御所(ごしよ)は去(さんぬ)る応保(おうほう)三年(さんねん)
P06455
四月(しぐわつ)十五日(じふごにち)につくり出(いだ)されて、新比叡(いまびえ)(いまびゑ)・新熊
野(いまぐまの)な(ン)ど(など)もまぢかう勧請(くわんじやう)し奉(たてまつ)り、山水(せんずい)
木立(こだち)にいたるまでおぼしめす【思し召す】さまなりしが、此(この)
二三年(にさんねん)は平家(へいけ)の悪行(あくぎやう)によ(ッ)て御幸(ごかう)もならず。御
所(ごしよ)の破壊(はゑ)したるを修理(しゆり)して、御幸(ごかう)なし奉(たてまつる)べ
きよし、前右大将(さきのうだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)奏(そう)せられたりければ、
「なん【何】のやう【様】もあるべからず。ただとうとう」とて
御幸(ごかう)なる。まづ故建春門院(こけんしゆんもんゐん)の御方(おんかた)を御(ご)らん【覧】
P06456
ずれば、岸(きし)の松(まつ)、汀(みぎは)の柳(やなぎ)、年(とし)へ【経】にけりとおぼえ
て、木(こ)だか【高】くなれるにつけても、太腋(たいゑき)の芙蓉(ふよう)、
未央(びやう)(びえう)の柳(やなぎ)、これにむかふ【向ふ】にいかん【如何】がなんだ【涙】すす【進】ま
ざらん。彼(かの)南内西宮(なんだいせいくう)のむかしの跡(あと)、今(いま)こそ
おぼしめし【思し召し】しられけれ。三月(さんぐわつ)一日(ひとひのひ)、南都(なんと)の僧
綱等(そうがうら)本官(ほんぐわん)に覆(ふく)して、末寺庄園(まつじしやうゑん)もとの
如(ごと)く知行(ちぎやう)すべきよし仰下(おほせくだ)さる。同(おなじき)三日(みつかのひ)、大
仏殿(だいぶつでん)作(つく)りはじめらる。事始(ことはじめ)の奉行(ぶぎやう)には、
P06457
蔵人(くらんど)左少弁(させうべん)行隆(ゆきたか)とぞきこえし。此(この)行隆(ゆきたか)、
先年(せんねん)やわた(やはた)【八幡】へまいり(まゐり)【参り】、通夜(つや)せられたりける
夢(ゆめ)に、御宝殿(ごほうでん)の内(うち)よりびん【鬢】づらゆうたる
天童(てんどう)のい【出】でて、「是(これ)は大菩薩(だいぼさつ)(だいばさつ)の使(つかひ)なり。大仏
殿(だいぶつでん)奉行(ぶぎやう)の時(とき)は、是(これ)をもつべし」とて、笏(しやく)を給(たま)
はるといふ夢(ゆめ)を見(み)て、さめて後(のち)見(み)P424給(たま)へば、
うつつ【現】にあり【有り】けり。「あなふしぎ【不思議】、当時(たうじ)何事(なにごと)
あ(ッ)てか大仏殿(だいぶつでん)奉行(ぶぎやう)にまいる(まゐる)【参る】べき」とて、懐
P06458
中(くわいちゆう)(くわいちう)して宿所(しゆくしよ)へ帰(かへ)り、ふかう【深う】おさめ(をさめ)【収め】てをか(おか)【置か】れ
たりけるが、平家(へいけ)の悪行(あくぎやう)によ(ッ)て南都炎上(なんとえんしやう)
の間(あひだ)(あいだ)、此(この)行隆(ゆきたか)、弁(べん)のなかにゑらば(えらば)【選ば】れて、事始(ことはじめ)
の奉行(ぶぎやう)にまいら(まゐら)【参ら】れける宿縁(しゆくえん)の程(ほど)こそ目
出(めでた)けれ。同(おなじき)三月(さんぐわつ)十日(とをかのひ)、美乃【*美濃】国(みののくに)の目代(もくだい)、都(みやこ)へ早馬(はやむま)
をも(ッ)て申(まうし)けるは、東国(とうごくの)源氏共(げんじども)すでに尾張国(をはりのくに)(おはりのくに)
までせめのぼ【攻上】り、道(みち)をふさぎ、人(ひと)をとをさ(とほさ)【通さ】ぬ
よし申(まうし)たりければ、やがて打手(うつて)をさし
P06459
つかはす。大将軍(たいしやうぐん)には、左兵衛督(さひやうゑのかみ)知盛(とももり)、左中将(さちゆうじやう)(さちうじやう)
清経(きよつね)、小松少将(こまつのせうしやう)有盛(ありもり)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)三万余騎(さんまんよき)で
発向(はつかう)す。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)うせ【失せ】給(たまひ)て後(のち)、わづかに五旬(ごしゆん)を
だにも過(すぎ)ざるに、さこそみだれたる世(よ)といひな
がら、あさましかりし事(こと)どもなり。源氏(げんじ)の方(かた)
には、大将軍(たいしやうぐん)十郎(じふらうの)蔵人(くらんど)行家(ゆきいへ)、兵衛佐(ひやうゑのすけ)のおとと【弟】卿
公(きやうのきみ)義円(ぎゑん)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)六千余騎(ろくせんよき)、〔尾〕張川(をはりがは)(おはりがは)をなかに
へだてて、源平(げんぺい)両方(りやうばう)に陣(ぢん)をとる。同(おなじき)十六日(じふろくにち)の
P06460
夜半(やはん)ばかり、源氏(げんじ)の勢(せい)六千余騎(ろくせんよき)川(かは)をわたい【渡い】て、
平家(へいけ)三万余騎(さんまんよき)が中(なか)へおめひ(をめい)【喚い】てかけ入(いり)、明(あく)れば
十七日(じふしちにち)、寅(とら)の剋(こく)より矢合(やあはせ)して、夜(よ)の明(あくる)までたた
かう(たたかふ)【戦ふ】に、平家(へいけ)のかた【方】にはち(ッ)ともさはが(さわが)【騒が】ず。「敵(てき)は川(かは)
をわたひ(わたい)【渡い】たれば、馬(むま)もののぐ【物具】もみなぬ【濡】れたるぞ。
それをしるし【標】でうてや」とて、大勢(おほぜい)のなかにとり【取り】
こめ【籠め】て、「あま【余】すな、もらす【漏らす】な」とてせめ【攻め】給(たま)へば、源氏(げんじ)
の勢(せい)のこり【残り】ずくなに打(うち)なされ、P425大将軍(たいしやうぐん)行家(ゆきいへ)、
P06461
からき【辛き】命(いのち)いき【生き】て、川(かは)よりひ(ン)がし【東】へひきしりぞ【退】く。
卿公(きやうのきみ)義円(ぎゑん)はふか【深】入(いり)してうた【討た】れにけり。平家(へいけ)やがて
川(かは)をわたひ(わたい)【渡い】て、源氏(げんじ)を追物射[*「追物射」は「出物財」とも読める](おいものい)(おいものゐ)にゐ(い)【射】てゆく。源氏(げんじ)
あそこここでかへし【返し】あはせかへし【返し】合(あは)せふせき【防き】
けれ共(ども)、敵(てき)は大勢(おほぜい)、みかたは無勢(ぶせい)なり。かなふ【適ふ】べし
とも見(み)えざりけり。「水駅(すいゑき)をうしろにする
事(こと)なかれとこそいふに、今度(こんど)の源氏(げんじ)のはかり
こと【策】おろかなり」とぞ人(ひと)申(まうし)ける。さる程(ほど)に、大将
P06462
軍(たいしやうぐん)十郎(じふらうの)蔵人(くらんど)行家(ゆきいへ)、参河【*三河】国(みかはのくに)にうちこえ【越え】て、やは
ぎ【矢作】川(がは)の橋(はし)をひき【引き】、かひだて(かいだて)【掻楯】かひ(かい)て待(まち)かけたり。
平家(へいけ)やがて押寄(おしよせ)(をしよせ)せめ【攻め】給(たま)へば、こら【耐】へずして、そこ
をも又(また)せめ【攻め】おと【落】されぬ。平家(へいけ)やがてつづ【続】いてせめ
給(たま)はば、参川【*三河】(みかは)・遠江(とほたふみ)(とをとうみ)の勢(せい)は随(したがひ)つ【付】くべかりしに、大将
軍(たいしやうぐん)左兵衛督(さひやうゑのかみ)知盛(とももり)いたはり【労はり】あ(ッ)て、参河【*三河】国(みかはのくに)より帰(かへ)り
のぼら【上ら】る。今度(こんど)もわづかに一陣(いちぢん)を破(やぶ)るといへ共(ども)、
残党(ざんたう)(ざんとう)をせめ【攻め】ねば、しいだし【出し】たる事(こと)なきが如(ごと)し。
P06463
平家(へいけ)は、去々年(きよきよねん)小松(こまつ)のおとど【大臣】薨(こう)ぜられぬ。今年(ことし)
又(また)入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)うせ給(たま)ひぬ。運命(うんめい)の末(すゑ)になる事(こと)
あらはなりしかば、年来(としごろ)恩顧(おんこ)(をんこ)の輩(ともがら)の外(ほか)は、随(したが)
ひ〔つ〕く物(もの)なかりけり。東国(とうごく)には草(くさ)も木(き)もみな
源氏(げんじ)にぞなび【靡】きける。P426嗄声(しはがれごゑ)S0611さる程(ほど)に、越後国(ゑちごのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、
城(じやうの)太郎(たらう)助長(すけなが)、越後守(ゑちごのかみ)に任(にん)ずる朝恩(てうおん)(てうをん)のかたじけ
なさに、木曾(きそ)追討(ついたう)のために、都合(つがふ)(つがう)三万余騎(さんまんよき)、同(おなじき)
六月(ろくぐわつ)十五日(じふごにち)門出(かどいで)(かどで)して、あくる十六日(じふろくにち)の卯剋(うのこく)に
P06464
すでにう(ッ)たた【打つ立た】んとしけるに、夜半(やはん)ばかり、俄(にはか)に
大風(おほかぜ)吹(ふき)、大雨(おほあめ)くだり、雷(いかづち)おびたたしう【夥しう】な(ッ)て、天(てん)霽(はれ)
て後(のち)、雲井(くもゐ)に大(おほき)なる声(こゑ)のしはが【嗄】れたるをも(ッ)て、
「南閻浮提(なんゑんぶだい)金銅(こんどう)十六(じふろく)丈(じやう)の盧遮那仏(るしやなぶつ)、やき【焼き】ほろ
ぼし【亡ぼし】たてまつる【奉る】平家(へいけ)のかたうど【方人】する物(もの)ここに
あり【有り】。めしと【召捕】れや」と、三声(みこゑ)さけん【叫ん】でぞとをり(とほり)【通り】
ける。城太郎(じやうのたらう)をはじめとして、是(これ)をきく物(もの)
みな身(み)の毛(け)よだちけり。郎等(らうどう)ども「是(これ)程(ほど)おそ
P06465
ろしひ(おそろしい)【恐ろしい】天(てん)の告(つげ)の候(さうらふ)に、ただ理(り)をまげてとど
まら【留まら】せ給(たま)へ」と申(まうし)けれ共(ども)、「弓矢(ゆみや)とる物(もの)の、それに
よるべき様(やう)なし」とて、あくる十六日(じふろくにち)卯剋(うのこく)に城(しろ)
をいでて、わづかに十(じふ)余町(よちやう)ぞゆい【行い】たりける。黒雲(くろくも)
一(ひと)むら【群】立来(たちき)て、助長(すけなが)がうへ【上】におほふ【覆ふ】とこそ見(み)え
けれ、俄(にはか)に身(み)すく【竦】み心(こころ)ほれて落馬(らくば)して(ン)げり。
輿(こし)にかきのせ【乗せ】、館(たち)へ帰(かへ)り、うちふす事(こと)三時(みとき)ばかり
して遂(つひ)(つい)に死(しに)にけり。飛脚(ひきやく)をも(ッ)て此(この)由(よし)都(みやこ)へ
P06466
申(まうし)たりければ、平家(へいけ)の人々(ひとびと)大(おほき)にさ[B は]が(さわが)【騒が】れけり。
同(おなじき)七月(しちぐわつ)十四日(じふしにち)、改元(かいげん)あ(ッ)て養和(やうわ)と号(かう)す。其(その)日(ひ)筑
後守(ちくごのかみ)貞能(さだよし)、筑前(ちくぜん)・〔肥〕後(ひご)両P427国(りやうごく)を給(たま)は(ッ)て、鎮西(ちんぜい)の謀
叛(むほん)たひらげに西国(さいこく)へ発向(はつかう)す。其(その)日(ひ)又(また)非常(ひじやう)〔の〕大
赦(だいしや)おこなはれて、去(さんぬ)る治承(ぢしよう)(ぢせう)三年(さんねん)にながされ給(たま)
ひし人々(ひとびと)みなめしかへ【召返】さる。松殿(まつどの)入道(にふだう)(にうだう)殿下(てんが)、
備前国(びぜんのくに)より御上洛(ごしやうらく)、太政大臣(だいじやうだいじん)妙音院(めうおんゐん)(めうをんゐん)、尾張
国(をはりのくに)(おはりのくに)よりのぼらせ給(たまふ)。按察(あぜつの)大納言(だいなごん)資方【*資賢】卿(すけかたのきやう)、信乃【*信濃】国(しなののくに)
P06467
より帰洛(きらく)とぞ聞(きこ)えし。同(おなじき)廿八日(にじふはちにち)、妙音院殿(めうおんゐんどの)(めうをんゐんどの)御
院参(ごゐんざん)。去(さんぬ)る長寛[* 「長観」と有るのを高野本により訂正](ちやうぐわん)の帰洛(きらく)には、御前(ごぜん)の簀子(すのこ)に
して、賀王恩(がわうおん)・還城楽(げんじやうらく)をひ【弾】かせ給(たまひ)しに、養和(やうわ)
の今(いま)の帰京(ききやう)には、仙洞(せんとう)にして秋風楽(しうふうらく)をぞ
あそばし【遊ばし】ける。いづれもいづれも風情(ふぜい)おり(をり)【折】をおぼし
めし【思し召し】よらせ給(たまひ)けん、御心(おんこころ)の程(ほど)こそめでたけれ。
按察(あぜつの)大納言(だいなごん)資方【*資賢】卿(すけかたのきやう)も其(その)日(ひ)院参(ゐんざん)せらる。法
皇(ほふわう)(ほうわう)「いかにや、夢(ゆめ)の様(やう)にこそおぼしめせ【思し召せ】。なら【習】はぬ
P06468
ひな【鄙】のすまひ【住ひ】して、詠曲(えいきよく)(ゑいきよく)な(ン)ど(など)も今(いま)はあとかた【跡形】
あらじとおぼしめせ【思し召せ】共(ども)、今様(いまやう)一(ひとつ)あらばや」と
仰(おほせ)ければ、大納言(だいなごん)拍子(ひやうし)と(ッ)【取つ】て、「信乃【*信濃】(しなの)にあんなる木
曾路河(きそぢがは)」といふ今様(いまやう)を、是(これ)は見(み)給(たま)ひたりし
あひだ【間】、「信乃【*信濃】(しなの)に有(あり)し木曾路河(きそぢがは)」とうた【歌】はれ
けるぞ、時(とき)にと(ッ)【取つ】ての高名(かうめい)なる。横田河原合戦(よこたがはらのかつせん)S0612八月(はちぐわつ)七日(なぬかのひ)、官(くわん)の
庁(ちやう)にて大仁王会(だいにんわうゑ)おこなはる。これは将門(まさかど)追討(ついたう)の
例(れい)とぞ聞(きこ)えし。P428九月(くぐわつ)一日(ひとひのひ)、純友(すみとも)追討(ついたう)の例(れい)とて、
P06469
くろがねの鎧甲(よろひかぶと)を伊勢大神宮(いせだいじんぐう)へまいらせ(まゐらせ)【参らせ】らる。
勅使(ちよくし)は祭主神祇(さいしゆじんぎ)の権大副(ごんのたいふ)大中臣定高【*定隆】(おほなかとみのさだたか)、都(みやこ)を
た(ッ)て近江国(あふみのくに)甲賀(かうが)の駅(ゑき)よりやまひ【病ひ】つき、
伊勢(いせ)の離宮(りきゆう)(りきう)にして死(しに)にけり。謀叛(むほん)の輩(ともがら)調
伏(てうぶく)の為(ため)に、五壇法(ごだんのほふ)(ごだんのほう)承(うけたま)は(ッ)ておこなはれける降三世(がうざんぜ)
の大阿闍梨(だいあじやり)、大行事(だいぎやうじ)の彼岸所(ひがんじよ)にしてね【寝】
死(じに)にし(ン)【死ん】ぬ。神明(しんめい)も三宝(さんぽう)も御納受(ごなふじゆ)(ごなうじゆ)なしといふ
事(こと)いちじるし。又(また)大元(たいげんの)法(ほふ)(ほう)承(うけたま)は(ッ)て修(しゆ)せられける
P06470
安祥寺(あんじやうじ)の実玄阿闍梨(じつげんあじやり)が御巻数(ごくわんじゆ)を進(まゐらせ)(まいらせ)たり
けるを、披見(ひけん)せられければ、平氏(へいじ)調伏(てうぶく)のよし
注進(ちうしん)したりけるぞおそろしき【恐ろしき】。「こはいかに」と
仰(おほせ)ければ、「朝敵(てうてき)調伏(てうぶく)せよと仰下(おほせくだ)さる。当世(たうせい)の
体(てい)を見(み)候(さうらふ)に、平家(へいけ)も(ッ)ぱ【専】ら朝敵(てうてき)と見(み)え給(たま)へり。
仍(よつて)是(これ)を調伏(てうぶく)す。何(なに)のとがや候(さうらふ)べき」とぞ申(まうし)ける。
「此(この)法師(ほふし)(ほうし)奇怪(きくわい)(き(ツ)くわい)也(なり)。死罪(しざい)か流罪(るざい)か」と有(あり)しが、
大小事(たいせうじ)の怱劇(そうげき)にうちまぎれて、其(その)後(のち)沙汰(さた)
P06471
もなかりけり。源氏(げんじ)の代(よ)とな(ッ)て後(のち)、鎌倉殿(かまくらどの)「神
妙(しんべう)なり」と感(かん)じおぼしめし【思し召し】て、その勧賞(けんじやう)に大
僧正(だいそうじやう)になされけるとぞ聞(きこ)えし。同(おなじき)十二月(じふにぐわつ)(じふに(ン)ぐわつ)廿四日(にじふしにち)、
中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)院号(ゐんがう)かうぶ【蒙】らせ給(たま)ひて、建礼門院(けいれいもんゐん)とぞ
申(まうし)ける。いまだ幼主(えうしゆ)(ようしゆ)の御時(おんとき)、母后(ぼこう)の院号(ゐんがう)是(これ)は
じめとぞ承(うけたま)はる。さる程(ほど)に、養和(ようわ)も二年(にねん)になり
にけり。二月(にぐわつ)(に(ン)ぐわつ)廿一日(にじふいちにち)、太白(たいはく)昴星(ばうせい)ををかす。天文要
録(てんもんえうろく)(てんもんようろく)に云(いはく)、「太白(たいはく)昴星(ばうせい)を侵(をか)(おか)せば、四夷(しい)おP429こる」といへり。
P06472
又(また)「将軍(しやうぐん)勅命(ちよくめい)を蒙(かうぶり)て、国(くに)のさかひ【境】をい【出】づ」共(とも)みえ【見え】
たり。三月(さんぐわつ)十日(とをかのひ)、除目(ぢもく)おこなはれて、平家(へいけ)の人々(ひとびと)
大略(たいりやく)官(くわん)加階(かかい)し給(たま)ふ。四月(しぐわつ)(し(ン)ぐわつ)十日(とをかのひ)、前権少僧都(さきのごんせうそうづ)顕
真(けんしん)、日吉社(ひよしのやしろ)にして如法(によほふ)(によほう)に法花経(ほけきやう)一万部(いちまんぶ)転
読(てんどく)する事(こと)有(あり)けり。御結縁(ごけちえん)の為(ため)に法皇(ほふわう)(ほうわう)も
御幸(ごかう)なる。何(なに)ものの申出(まうしいだ)したりけるやらん、一
院(いちゐん)山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)に仰(おほせ)て、平家(へいけ)を追討(ついたう)せらるべ
しときこえ【聞え】し程(ほど)に、軍兵(ぐんびやう)内裏(だいり)へ参(まゐり)(まいり)て四方(しはう)
P06473
の陣頭(ぢんどう)を警固(けいご)す。平氏(へいじ)の一類(いちるい)みな六波羅(ろくはら)へ
馳集(はせあつま)る。本三位(ほんざんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡卿(しげひらのきやう)、法皇(ほふわう)(ほうわう)の御(おん)むかへに、
其(その)勢(せい)三千余騎(さんぜんよき)で、日吉(ひよし)の社(やしろ)へ参向(さんがう)す。山門(さんもん)に又(また)
聞(きこ)えけるは、平家(へいけ)山(やま)せめ【攻め】んとて、数百騎(すひやくき)の勢(せい)を
卒(そつ)して登山(とうざん)すと聞(きこ)えしかば、大衆(だいしゆ)みな東坂
本(ひがしざかもと)(ひ(ン)がしざかもと)におり下(くだ)(ッ)て、「こはいかに」と僉議(せんぎ)す。山上(さんじやう)洛中(らくちゆう)(らくちう)の
騒動(さうどう)(さうだう)なのめならず。供奉(ぐぶ)の公卿殿上人(くぎやうてんじやうびと)色(いろ)をう
しなひ【失ひ】、北面(ほくめん)のもの【者】のなかにはあまりにあはて(あわて)【慌て】
P06474
さはひ(さわい)で、黄水(わうずい)つく物(もの)おほ【多】かりけり。本三位(ほんざんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)
重衡卿(しげひらのきやう)、穴太(あなふ)の辺(へん)にて法皇(ほふわう)(ほうわう)むか【迎】へとり【取り】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】
て、還御(くわんぎよ)なし奉(たてまつ)る[* 「奉り」と有るのを他本により訂正]。「かくのみあらんには、御物(おんもの)まう
で【詣】な(ン)ど(など)も、今(いま)は御心(おんこころ)にまか【委】すまじき事(こと)やらん」と
ぞ仰(おほせ)ける。まこと【誠】には、山門大衆(さんもんだいしゆ)平家(へいけ)を追討(ついたう)
せんといふ事(こと)もなし。平家(へいけ)山(やま)せめ【攻め】んといふ
事(こと)もなし。是(これ)跡形(あとかた)なき事共(ことども)なり。「天魔(てんま)
のよくあ【荒】れたるにこそ」とぞ[* 「とて」と有るのを高野本により訂正]人(ひと)申(まうし)ける。同(おなじき)四月(しぐわつ)
P06475
廿日(はつかのひ)、臨時(りんじ)に廿二(にじふに)社(しや)に官幣(くわんべい)P430あり【有り】。是(これ)は飢饉(ききん)疾
疫(しつやく)によ(ッ)てなり。五月(ごぐわつ)廿四日(にじふしにち)、改元(かいげん)あ(ッ)て寿永(じゆえい)(じゆゑい)と号(かう)す。
其(その)日(ひ)又(また)越後国(ゑちごのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)城(じやう)の四郎(しらう)助茂(すけしげ)、越後守(ゑちごのかみ)に
任(にん)ず。兄(あに)助長(すけなが)逝去(せいきよ)の間(あひだ)(あいだ)、不吉(ふきつ)なりとて頻(しきり)に辞(じ)
し申(まうし)けれ共(ども)、勅命(ちよくめい)なればちから【力】不及(およばず)(をよばず)。助茂(すけしげ)を
長茂(ながしげ)と改名(かいみやう)す。同(おなじき)九月(くぐわつ)二日(ふつかのひ)、城(じやうの)四郎(しらう)長茂(ながしげ)、木曾(きそ)
追討(ついたう)の為(ため)に、越後(ゑちご)・出羽(では)、相津(あひづ)四郡(しぐん)の兵共(つはものども)を引
卒(いんぞつ)(ゐんぞつ)して、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)四万余騎(しまんよき)、木曾(きそ)追討(ついたう)の為(ため)に
P06476
信乃【*信濃】国(しなののくに)へ発向(はつかう)す。同(おなじき)九日(ここのかのひ)、当国(たうごく)横田河原(よこたがはら)に陣[* 「陳」と有るのを他本により訂正](ぢん)を
とる。木曾(きそ)は依田城(よだのじやう)に有(あり)けるが、是(これ)をきひ(きい)【聞い】て依
田城(よだのじやう)をい【出】でて、三千余騎(さんぜんよき)で馳向(はせむかふ)。信乃【*信濃】源氏(しなのげんじ)、井上(ゐのうへの)
九郎(くらう)光盛(みつもり)がはかり事(こと)【謀】〔に〕、にはかに赤旗(あかはた)を七(なな)ながれ【流】
つく【作】り、三千余騎(さんぜんよき)を七手(ななて)にわかち、あそこの
峯(みね)、ここの洞(ほら)より、あかはた【赤旗】ども手々(てんで)(て(ン)で)にさし
あげ【差し上げ】てよ【寄】せければ、城(じやう)の四郎(しらう)是(これ)を見(み)て、「あはや、
此(この)国(くに)にも平家(へいけ)のかたうど【方人】する人(ひと)あり【有り】けりと、
P06477
ちから【力】つ【付】きぬ」とて、いさ【勇】みののしるところ【所】に、次第(しだい)〔に〕
ちかう【近う】なりければ、あひ図(づ)【合図】をさだ【定】めて、七手(ななて)が
ひとつになり、一度(いちど)に時(とき)をど(ッ)とぞ作(つくり)ける。用意(ようい)
したる白旗(しらはた)ざ(ッ)とさしあげ【差し上げ】たり。越後(ゑちご)の勢共(せいども)
是(これ)を見(み)て、「敵(てき)なん【何】十万騎(じふまんぎ)有(ある)らん。いかがせん」と
いろ【色】をうしなひ【失ひ】、あはて(あわて)【慌て】ふためき、或(あるい)(ある)は川(かは)に
お(ッ)【追つ】ぱめられ、或(あるい)(あるひ)は悪所(あくしよ)におと【落】されて、たすかるものは
すP431くなう【少なう】、うた【討た】るるものぞおほ【多】かりける。城(じやうの)四郎(しらう)
P06478
がたのみ【頼み】き(ッ)たる越後(ゑちご)の山(やま)の太郎(たらう)、相津(あひづ)(あいづ)の乗丹
房(じようたんばう)(ぜうたんばう)な(ン)ど(など)いふきこゆる【聞ゆる】兵共(つはものども)、そこにてみなうた【討た】れぬ。
我(わが)身(み)手(て)おひ、から【辛】き命(いのち)いきつつ、川(かは)につたうて
越後国(ゑちごのくに)へ引(ひき)しりぞ【退】く。同(おなじき)十六日(じふろくにち)、都(みやこ)には平家(へいけ)是(これ)を
ば事(こと)共(とも)し給(たま)はず、前(さきの)右大将[* 「左大将」と有るのを高野本により訂正](うだいしやう)宗盛卿(むねもりのきやう)、大納言(だいなごん)に還
着(くわんぢやく)(くわんちやく)して、十月(じふぐわつ)三日(みつかのひ)内大臣(ないだいじん)になり給(たま)ふ。同(おなじき)七日(なぬかのひ)悦
申(よろこびまうし)あり【有り】。当家(たうけ)の公卿(くぎやう)十二人(じふににん)扈従(こしよう)(こせう)せらる。蔵人
頭(くらんどのとう)以下(いげ)の殿上人(てんじやうびと)十六人(じふろくにん)前駆(せんぐ)す。東国(とうごく)北国(ほつこく)の
P06479
源氏共(げんじども)蜂(はち)のごとくに起(おこり)(をこり)あひ、ただいま都(みやこ)へせめ【攻め】
のぼら【上ら】んとするに、か様(やう)【斯様】に浪(なみ)のたつ【立つ】やらん、風(かぜ)の
吹(ふく)やらんもしら【知ら】ぬ体(てい)にて、花(はな)やかなりし事共(ことども)、
中々(なかなか)いふかひなうぞ見(み)えたりける。さる程(ほど)に、
寿永(じゆえい)(じゆゑい)二年(にねん)になりけり。節会(せちゑ)以下(いげ)常(つね)のごとし。
内弁(ないべん)をば平家(へいけ)の内大臣(ないだいじん)宗盛公(むねもりこう)つとめらる。正月(しやうぐわつ)
六日(むゆかのひ)、主上(しゆしやう)朝覲(てうきん)の為(ため)に、院(ゑんの)御所(ごしよ)法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)へ行
幸(ぎやうがう)なる。鳥羽院(とばのゐん)六歳(ろくさい)にて、朝覲(てうきん)行幸(ぎやうがう)、其(その)例(れい)とぞ
P06480
きこえし。二月(にぐわつ)廿二日(にじふににち)、宗盛公(むねもりこう)従(じゆ)一位(いちゐ)し給(たま)ふ。やがて
其(その)日(ひ)内大臣(ないだいじん)をば上表(じやうへう)せらる。兵乱(ひやうらん)つつしみ【慎み】の
ゆへ(ゆゑ)【故】とぞきこえし。南都(なんと)北嶺(ほくれい)の大衆(だいしゆ)、熊野(くまの)金
峯山(きんぶうぜん)(きんぶ(ウ)ぜん)の僧徒(そうと)、伊勢大神宮(いせだいじんぐう)の祭主(さいしゆ)神官(じんぐわん)に
いたるまで、一向(いつかう)平家(へいけ)をそむひ(そむい)て、源氏(げんじ)に心(こころ)を
かよはし【通はし】ける。四方(しはう)に宣旨(せんじ)をなしくだし、諸P432国(しよこく)に
院宣(ゐんぜん)をつかはせども、院宣(ゐんぜん)宣旨[* 「の旨」と有るのを高野本により訂正](せんじ)もみな平家(へいけ)
の下知(げぢ)とのみ心得(こころえ)て、したがひ【従ひ】つくものなかりけり。
P06481
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第六(だいろく)


平家物語(龍谷大学本)巻第七

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。


P07001
(表紙)
P07003 P2061
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第七(だいしち)
清水冠者(しみづのくわんじや)S0701寿永(じゆえい)(じゆゑい)二年(にねん)三月(さんぐわつ)上旬(じやうじゆん)に、兵衛佐(ひやうゑのすけ)と木曾(きその)冠者(くわんじや)義仲(よしなか)
不快(ふくわい)の事(こと)ありけり[* 「ける」と有るのを高野本により訂正]。兵衛佐(ひやうゑのすけ)木曾(きそ)追討(ついたう)のために、
其(その)勢(せい)十万余騎(じふまんよき)で信濃国(しなののくに)へ発向(はつかう)す。木曾(きそ)は
依田(よだ)の城(じやう)にありけるが、是(これ)をきいて依田(よだ)の城(じやう)を
出(いで)て、信濃(しなの)と越後(ゑちご)の境(さかひ)、熊坂山(くまさかやま)に陣(ぢん)をとる。兵衛
佐(ひやうゑのすけ)は同(おなじ)き国(くに)善光寺(ぜんくわうじ)に着(つき)給(たま)ふ。木曾(きそ)乳母
子(めのとご)の今井(いまゐの)四郎(しらう)兼平(かねひら)を使者(ししや)で、兵衛佐(ひやうゑのすけ)の許(もと)へ
P07004
つかはす。「いかなる子細(しさい)のあれば、義仲(よしなか)うた【討た】んとはの
給(たま)ふなるぞ。御辺(ごへん)は東八ケ国(とうはつかこく)をうちしたがへて、東海
道(とうかいだう)より攻(せめ)のぼり、平家(へいけ)を追(おひ)おとさ【落さ】んとし給(たま)ふなり[* 「なる」と有るのを高野本により訂正]。
義仲(よしなか)も東山(とうせん)・北陸(ほくろく)両道(りやうだう)をしたがへて、今(いま)一日(いちにち)もさき
に、平家(へいけ)を攻(せめ)おとさ【落さ】んとする事(こと)でこそあれ。なんの
ゆへ(ゆゑ)【故】に御辺(ごへん)と義仲(よしなか)と中(なか)をたがふ(たがう)【違う】て、平家(へいけ)にわら
は【笑は】れんとは思(おも)ふべき。但(ただし)十郎(じふらう)蔵人殿(くらんどどの)こそ御辺(ごへん)
をうらむる【恨むる】事(こと)ありとて、義仲(よしなか)が許(もと)へおはし
P07005
たるを、義仲(よしなか)さへすげなうもてなし申(まう)さん事(こと)、い
かんぞや候(さうら)へば、うちP2062つれ申(まうし)たり。ま(ッ)たく義仲(よしなか)にをい
て(おいて)は、御辺(ごへん)に意趣(いしゆ)おもひ【思ひ】奉(たてまつ)らず」といひつかはす。兵衛
佐(ひやうゑのすけ)の返事(へんじ)には、「今(いま)こそさ様(やう)にはの給(たま)へども、慥(たしか)に頼朝(よりとも)
討(うつ)べきよし、謀反(むほん)のくはたて【企て】ありと申(まうす)者(もの)あり。それ
にはよるべからず」とて、土肥(とひ)(とい)・梶原(かぢはら)をさきとして、
既(すで)に討手(うつて)をさしむけらるる由(よし)聞(きこ)えしかば、木
曾(きそ)真実(しんじつ)意趣(いしゆ)なきよしをあらはさんがために、
P07006
嫡子(ちやくし)清水(しみづ)の冠者(くわんじや)義重(よししげ)とて、生年(しやうねん)十一(じふいつ)歳(さい)になる
小冠者(こくわんじや)に、海野(うんの)・望月(もちづき)・諏方【*諏訪】(すは)・藤沢(ふぢさは)な(ン)ど(など)いふ、聞(きこ)ゆる
兵共(つはものども)をつけて、兵衛佐(ひやうゑのすけ)の許(もと)へつかはす。兵衛佐(ひやうゑのすけ)「此(この)上(うへ)は
まこと【誠】に[* 「ままとて」と有るのを高野本により訂正]意趣(いしゆ)なかりけり。頼朝(よりとも)いまだ成人(せいじん)の子(こ)を
もたず。よしよし、さらば子(こ)にし申(まう)さん」とて、清水冠
者(しみづのくわんじや)を相具(あひぐ)して、鎌倉(かまくら)へこそ帰(かへ)られけれ。北国下向(ほつこくげかう)S0702 さる程(ほど)に、
木曾(きそ)、東山(とうせん)・北陸(ほくろく)両道(りやうだう)をしたがへて、五万余騎(ごまんよき)の勢(せい)に
て、既(すで)に京(きやう)へせめ【攻め】のぼるよし聞(きこ)えしかば、平家(へいけ)はこぞ【去年】
P07007
よりして、「明年(みやうねん)は馬(むま)の草(くさ)がひ【草飼】について、いくさ【軍】あるべし」
と披露(ひろう)せられたりければ、山陰(さんおん)(さんをん)・山陽(せんやう)・南海(なんかい)・西海(さいかい)
の兵共(つはものども)、雲霞(うんか)のごとくに馳(はせ)まいる(まゐる)【参る】。東山道(とうせんだう)は近江(あふみ)・美
濃(みの)・飛騨(ひだ)の兵共(つはものども)はまいり(まゐり)【参り】P2063たれ共(ども)、東海道(とうかいだう)は遠江(とほたふみ)(とをたうみ)より
東(ひがし)はまいら(まゐら)【参ら】ず、西(にし)は皆(みな)まいり(まゐり)【参り】たり。北陸道(ほくろくだう)は若狭(わかさ)より
北(きた)の兵共(つはものども)一人(いちにん)もまいら(まゐら)【参ら】ず。まづ木曾(きその)冠者(くわんじや)義仲(よしなか)
を追討(ついたう)(つゐたう)して、其(その)後(のち)兵衛佐(ひやうゑのすけ)を討(うた)んとて、北陸道(ほくろくだう)
へ討手(うつて)をつかはす。大将軍(たいしやうぐん)には小松(こまつの)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛(これもり)・
P07008
越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)通盛(みちもり)・但馬守(たじまのかみ)経正(つねまさ)・薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)・三河守(みかはのかみ)
知教【*知度】(とものり)・淡路守(あはぢのかみ)清房(きよふさ)、侍大将(さぶらひだいしやう)には越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)盛俊(もりとし)・上
総(かづさの)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はんぐわん)忠綱(ただつな)・飛騨(ひだの)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はんぐわん)景高(かげたか)・高橋(たかはしの)
判官(はんぐわん)長綱(ながつな)・河内(かはちの)判官(はんぐわん)秀国(ひでくに)・武蔵(むさしの)三郎左衛門(さぶらうざゑもん)有
国(ありくに)・越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)盛嗣(もりつぎ)・上総(かづさの)五郎兵衛(ごらうびやうゑ)忠光(ただみつ)・悪(あく)
七兵衛(しつびやうゑ)景清(かげきよ)を先(さき)として、以上(いじやう)大将軍(たいしやうぐん)六人(ろくにん)、しかる
べき侍(さぶらひ)三百四十(さんびやくしじふ)余人(よにん)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)十万余騎(じふまんよき)、寿永(じゆえい)(じゆゑい)
二年(にねん)四月(しぐわつ)十七日(じふしちにち)辰(たつの)一点(いつてん)に[* 「に」虫食い、高野本により補う]都(みやこ)を立(たち)て、北国(ほつこく)へこそおも
P07009
むき【赴き】けれ。かた道(みち)を給(たま)は(ッ)て(ン)げれば、逢坂(あふさか)の関(せき)より
はじめて、路子(ろし)にも(ッ)てあふ権門(けんもん)勢家(せいか)の正税(しやうぜい)、官
物(くわんもつ)をもおそれ【恐れ】ず、一々(いちいち)にみなうばひとり、志賀(しが)・辛崎(からさき)・
三[B ツ]河尻[* 「九」と有るのを高野本により訂正](みつかはじり)・真野(まの)・高島(たかしま)・塩津(しほつ)・貝津(かひづ)(かいづ)の道(みち)のほとりを
次第(しだい)に追補【*追捕】(ついふく)してとおり(とほり)【通り】ければ、人民(にんみん)こらへずして、
山野(さんや)にみな逃散(でうさん)す。竹生島詣(ちくぶしままふで)S0703P2064大将軍(たいしやうぐん)維盛(これもり)・通盛(みちもり)はすすみ
給(たま)へ共(ども)、副将軍(ふくしやうぐん)経正(つねまさ)・知教【*知度】(とものり)・清房(きよふさ)な(ン)ど(など)は、いまだ近江
国(あふみのくに)塩津(しほつ)・貝津(かひづ)(かいづ)にひかへたり[* 「り」虫食い、高野本により補う]。其(その)なかにも、経正(つねまさ)は詩歌(しいか)
P07010
管絃(くわんげん)(くわ(ン)げん)に長(ちやう)じ給(たま)へる人(ひと)なれば[* 「れは」虫食い、高野本により補う]、かかるみだれのなかに
も心(こころ)をすまし、湖(みづうみ)のはた【端】に打出(うちいで)て、遥(はるか)に奥(おき)なる
島(しま)をみわたし、供(とも)に具(ぐ)せられたる藤兵衛(とうびやうゑ)有教(ありのり)を
めして、「あれをばいづくといふぞ」ととは【問は】れければ、
「あれこそ聞(きこ)え候(さうらふ)竹生島(ちくぶしま)にて候(さうら)へ」と申(まうす)。「げにさる事(こと)
あり。いざやまいら(まゐら)【参ら】ん」とて、藤兵衛(とうびやうゑ)有教(ありのり)、安衛門(あんゑもん)守
教(もりのり)以下(いげ)、侍(さぶらひ)五六人(ごろくにん)めし具(ぐ)して、小船(こぶね)にのり、竹生島(ちくぶしま)へ
ぞわたられける。比(ころ)は卯月(うづき)中(なか)の八日(やうか)の事(こと)なれば、
P07011
緑(みどり)にみゆる梢(こずゑ)には春(はる)のなさけをのこすかとおぼえ、澗
谷(かんこく)の鴬舌(あうぜつ)(わうぜつ)声(こゑ)老(おい)(おひ)て、初音(はつね)ゆかしき郭公(ほととぎす)、おりしり
がほ(をりしりがほ)【折知顔】につげわたる。まことにおもしろかりければ、いそ
ぎ船(ふね)よりおり、岸(きし)にあが(ッ)て、此(この)島(しま)の景気(けいき)を見(み)給(たま)
ふに、心(こころ)も詞(ことば)もをよば(およば)【及ば】れず。彼(かの)秦皇(しんくわう)、漢武(かんぶ)(かんぷ)、或(あるいは)(あるひは)
童男(どうなん)丱女(くわぢよ)をつかはし、或(あるいは)(あるひは)方士(はうじ)をして不死(ふし)の薬(くすり)
を尋(たづね)給(たま)ひしに、「蓬莱(ほうらい)をみずは、いなや帰(かへ)らじ」と
い(ッ)て、徒(いたづら)に船(ふね)のうちにて老(おい)、天水(てんすい)茫々(ばうばう)として
P07012
求(もとむる)事(こと)をえざりけん蓬莱洞(ほうらいどう)の有様(ありさま)も、かくや
ありけんとぞみえ【見え】し。或(ある)経(きやう)の中(なか)に、「閻浮提(えんぶだい)の
うちに湖(みづうみ)あり、其(その)なかに金輪際(こんりんざい)よりおひ出(いで)たる
水精輪(すいしやうりん)の山(やま)あり。天女(てんによ)すむ所(ところ)」といへり。則(すなはち)此(この)島(しま)の
事(こと)也(なり)。経正(つねまさ)明神(みやうじん)の御(おん)まへについゐ給(たま)ひつつ、「夫(それ)
大弁功徳天(だいべんくどくてん)は往古(わうご)の如来(によらい)、法身(ほつしん)の大P2065士(だいじ)也(なり)。弁才(べんざい)妙
音[M 「妙童」とあり「童」をミセケチ「音」と傍書](めうおん)(めうをん)二天(にてん)の名(な)は各別(かくべつ)なりといへ共(ども)、本地(ほんぢ)一体(いつたい)に
して衆生(しゆじやう)を済度(さいど)し給(たま)ふ。一度(いちど)参詣(さんけい)の輩(ともがら)は、
P07013
所願(しよぐわん)成就(じやうじゆ)円満(ゑんまん)すと承(うけたま)はる。たのもしう【頼もしう】こそ候(さうら)へ」とて、
しばらく法施(ほつせ)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ふに、やうやう日(ひ)暮(くれ)、ゐ【居】待(まち)の
月(つき)さし出(いで)て、海上(かいしやう)も照(てり)わたり、社壇(しやだん)も弥(いよいよ)かかや【輝】き
て、まこと【誠】におもしろかりければ、常住(じやうぢゆう)(じやうぢう)の僧共(そうども)「き
こゆる御事(おんこと)也(なり)」とて、御琵琶(おんびは)(おんびわ)をまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりければ、
経正(つねまさ)是(これ)をひき給(たま)ふに、上玄(しやうげん)石上(せきしやう)の秘曲(ひきよく)には、
宮(みや)のうちもすみわたり、明神(みやうじん)感応(かんおう)にたへ【堪へ】ずして、
経正(つねまさ)の袖(そで)のうへに白竜(びやくりゆう)(びやくりう)現(げん)じてみえ【見え】給(たま)へり。
P07014
忝(かたじけな)くうれしさのあまりに、なくなく【泣く泣く】かうぞ思(おも)ひつづけ給(たま)ふ。
千(ち)はやふる神(かみ)にいのりのかなへ【適へ】ばや
しるくも色(いろ)のあらはれにける W049
されば怨敵(をんでき)を目前(めのまへ)にたひらげ、凶徒(きようど)(けうど)を只今(ただいま)せめ【攻め】
おとさ【落さ】ん事(こと)の、疑(うたがひ)なしと悦(よろこん)で、又(また)船(ふね)にとりの(ッ)【乗つ】て、
竹生島(ちくぶしま)をぞ出(いで)られける。火打合戦(ひうちがつせん)S0704木曾義仲(きそよしなか)身(み)がらは
信濃(しなの)にありながら、越前国(ゑちぜんのくに)火打(ひうち)が城(じやう)をぞかまへ
ける。彼(かの)城郭(じやうくわく)(じやうくはく)にこもる勢(せい)、平泉寺(へいせんじの)長吏(ちやうり)斎明(さいめい)
P07015
威儀師(ゐぎし)・稲津(いなづの)新介(しんすけ)・斎藤太(さいとうだ)・林(はやしの)六郎(ろくらう)光P2066明(みつあきら)・富樫(とがし)
入道(にふだう)(にうだう)仏誓(ぶつせい)・土田(つちだ)・武部(たけべ)・宮崎(みやざき)・石黒(いしぐろ)・入善(にふぜん)(にうぜん)・佐美(さみ)を初(はじめ)
として、六千余騎(ろくせんよき)こそこもりけれ。もとより究竟(くつきやう)
の城郭(じやうくわく)也(なり)。盤石(ばんじやく)峙[* 「岐」と有るのを高野本により訂正](そばだ)ちめぐ(ッ)て四方(しはう)に峯(みね)をつらねた
り。山(やま)をうしろにし、山(やま)をまへにあつ。城郭(じやうくわく)の前(まへ)には
能美河(のうみがは)・新道河(しんだうがは)とて流(ながれ)たり。二(ふたつ)の河(かは)の落(おち)あひに
おほ【大】木(ぎ)をき(ッ)てさかもぎ【逆茂木】にひき【引き】、しがらみををび
たたしう(おびたたしう)【夥しう】かきあげたれば、東西(とうざい)の山(やま)の根(ね)に水(みづ)
P07016
さしこうで、水海(みづうみ)にむかへるが如(ごと)し。影(かげ)南山(なんざん)を浸(ひた)して
青(あをく)して晃漾[* 「日光漾」と有るのを高野本により訂正](くわうやう)たり。浪(なみ)西日(せいじつ)をしづめて紅(くれなゐ)にして隠
淪(いんりん)(ゐんりん)たり。彼(かの)無熱池(むねつち)の底(そこ)には金銀(こんごん)〔の砂(いさご)〕をしき、昆明池[* 「混明池」と有るのを他本により訂正](こんめいち)の
渚(なぎさ)にはとくせい【徳政】の船(ふね)を浮(うか)べたり。此(この)火打(ひうち)が城(じやう)のつき【築】
池(いけ)には、堤(つつみ)をつき、水(みづ)をにごして、人(ひと)の心(こころ)をたぶら
かす。船(ふね)なくして輙(たやす)うわたすべき様(やう)なかりければ、
平家(へいけ)の大勢(おほぜい)むかへの山(やま)に宿(しゆく)して、徒(いたづら)に日数(ひかず)をを
くる(おくる)【送る】。城(じやう)の内(うち)にありける平泉寺(へいせんじ)の長吏(ちやうり)斎明(さいめい)威
P07017
儀師(ゐぎし)、平家(へいけ)に志(こころざし)ふかかり【深かり】ければ、山(やま)の根(ね)をまは(ッ)て、消
息(せうそく)をかき【書き】、ひき目(め)のなかに入(いれ)て、忍(しのび)やかに平家(へいけ)の
陣(ぢん)へぞ射(い)(ゐ)入(いれ)たる。「彼(かの)水(みづ)うみは往古(わうご)の淵(ふち)にあらず。
一旦(いつたん)山河(やまがは)をせきあげて候(さうらふ)。夜(よ)に入(いり)足(あし)がろ【足軽】共(ども)を
つかはして、しがらみをきりおとさ【落さ】せ給(たま)へ。水(みづ)は程(ほど)な
くおつべし。馬(むま)の足(あし)きき【利き】よい所(ところ)で候(さうら)へば、いそぎわ
たさせ給(たま)へ。うしろ矢(や)は射(い)(ゐ)てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん。是(これ)は平泉
寺(へいせんじ)の長吏(ちやうり)斎明(さいめい)威儀師(ゐぎし)が申状(まうしじやう)(まうしでう)」とぞかひ(かい)【書い】たりける。
P07018
大将軍(たいしやうぐん)大(おほき)に悦(よろこび)、やがP2067て足(あし)がる【足軽】共(ども)をつかはして柵(しがらみ)をきり
おとす【落す】。飫(おびたたし)うみえ【見え】つれ共(ども)、げにも山川(やまがは)なれば水(みづ)は程(ほど)
なく落(おち)にけり。平家(へいけ)の大勢(おほぜい)、しばしの遅々(ちち)にも
及(およ)(をよ)ばず、ざ(ッ)とわたす。城(じやう)の内(うち)の兵共(つはものども)、し(ン)ばし(しばし)ささへてふ
せき【防き】けれ共(ども)、敵(てき)は大勢(おほぜい)也(なり)、み方(かた)は無勢(ぶせい)也(なり)ければ、
かなう(かなふ)【叶ふ】べしともみえ【見え】ざりけり。平泉寺(へいせんじの)長吏(ちやうり)斎
明(さいめい)威儀師(ゐぎし)、平家(へいけ)について忠(ちゆう)(ちう)をいたす。稲津(いなづの)新介(しんすけ)・
斎藤太(さいとうだ)・林(はやしの)六郎(ろくらう)光明(みつあきら)・富樫(とがし)入道(にふだう)(にうだう)仏誓(ぶつせい)、ここをば落(おち)
P07019
て、猶(なほ)(なを)平家(へいけ)をそむき、加賀国(かがのくに)へ引退(ひきしりぞ)き、白山(しらやま)・河内(かはち)
にひ(ッ)【引つ】こもる。平家(へいけ)やがて加賀(かが)に打越(うちこえ)て、林(はやし)・富樫(とがし)が
城郭(じやうくわく)二ケ所(にかしよ)焼(やき)はらふ。なに面(おもて)をむかふ【向ふ】べしとも見(み)え
ざりけり。ちかき【近き】宿々(しゆくじゆく)より飛脚(ひきやく)をたてて、此(この)由(よし)都(みやこ)へ
申(まうし)たりければ、大臣殿(おほいとの)以下(いげ)残(のこ)りとどまり給(たま)ふ一門(いちもん)
の人々(ひとびと)いさみ悦(よろこぶ)事(こと)なのめならず。同(おなじき)五月(ごぐわつ)八日(やうか)、加賀
国(かがのくに)しの原(はら)【篠原】にて勢(せい)ぞろへあり。軍兵(ぐんびやう)十万余騎(じふまんよき)
を二手(ふたて)にわか(ッ)て、大手(おほて)搦手(からめで)へむかはれけり。大手(おほて)の大
P07020
将軍(たいしやうぐん)は小松(こまつの)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛(これもり)・越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)通盛(みちもり)、侍大
将(さぶらひだいしやう)には越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)盛俊(もりとし)をはじめとして、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)
七万余騎(しちまんよき)、加賀(かが)と越中(ゑつちゆう)(ゑつちう)の境(さかひ)なる砥浪山(となみやま)へぞむ
かはれける。搦手(からめで)の大将軍(たいしやうぐん)は薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)・参河
守(みかはのかみ)知教【*知度】(とものり)、侍大将(さぶらひだいしやう)には武蔵(むさしの)三郎左衛門(さぶらうざゑもん)を先(さき)として、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)三万余騎(さんまんよき)、能登(のと)越中(ゑつちゆう)(ゑつちう)の境(さかひ)なるしほ【志保】
の山(やま)へぞかかられける。木曾(きそ)は越後(ゑちご)の国府(こふ)にあり
けるが、是(これ)をきいて五万余騎(ごまんよき)で馳向(はせむか)ふ。わがいくさ【軍】の
P07021
吉例(きちれい)なればとて七手(ななて)に作(つく)る。まづ伯父(をぢ)(おぢ)の十P2068郎(じふらう)蔵人(くらんど)
行家(ゆきいへ)、一万騎(いちまんぎ)でしほの手(て)へぞ向(むかひ)ける。仁科(にしな)・高梨(たかなし)・
山田(やまだの)次郎(じらう)、七千余騎(しちせんよき)で北黒坂(きたぐろさか)へ搦手(からめで)にさしつか
はす。樋口(ひぐちの)次郎(じらう)兼光(かねみつ)・落合(おちあひの)五郎(ごらう)兼行(かねゆき)、七千余騎(しちせんよき)で南
黒坂(みなみぐろさか)へつかはしけり。一万余騎(いちまんよき)をば砥浪山(となみやま)の口(くち)、黒
坂(くろさか)のすそ、松長(まつなが)の柳原(やなぎはら)、ぐみの木林(きばやし)(き(ン)ばやし)にひきかくす【隠す】。
今井(いまゐの)四郎(しらう)兼平(かねひら)六千余騎(ろくせんよき)で鷲(わし)の瀬(せ)を打(うち)わたし、
ひの宮林(みやばやし)【日埜宮林】に陣(ぢん)をとる。木曾(きそ)我(わが)身(み)は一万余騎(いちまんよき)でお
P07022
やべ【小矢部】のわたりをして、砥浪山(となみやま)の[B 北(きた)の]はづれはにう(はにふ)【羽丹生】に陣(ぢん)
をぞと(ッ)たりける。願書(ぐわんじよ)S0705 木曾(きそ)の給(たま)ひけるは、「平家(へいけ)は定(さだめ)て
大勢(おほぜい)なれば、砥浪山(となみやま)打越(うちこ)え、ひろみへ出(いで)て、かけあひ
のいくさ【軍】にてぞあらんずらん。但(ただし)かけあひのいくさ【軍】は
勢(せい)の多少(たせう)による事(こと)也(なり)。大勢(おほぜい)かさにかけてはあし
かりなん。まづ旗(はた)さしを先(さき)だてて白旗(しらはた)をさし
あげたらば、平家(へいけ)是(これ)を見(み)て、「あはや源氏(げんじ)の先
陣(せんぢん)はむかふ(むかう)【向う】たるは。定(さだめ)て大勢(おほぜい)にてぞあるらむ。左右(さう)
P07023
なう広(ひろ)みへうち出(いで)て、敵(てき)は案内者(あんないしや)、我等(われら)は無案内(ぶあんない)也(なり)、
とりこめられては叶(かなふ)まじ。此(この)山(やま)は四方(しはう)巌石(がんぜき)であんなれば、
搦手(からめで)よもまはらじ。しばしおりゐて馬(むま)休(やすめ)ん」とて、山
中(さんちゆう)(さんちう)にぞおりゐんずらん。其(その)時(とき)義仲(よしなか)しばしあひしらふ
やP2069うにもてなして、日をまち【待ち】くらし、平家(へいけ)の大勢(おほぜい)
をくりから【倶利伽羅】が谷(たに)へ追(おひ)おとさ【落さ】うど思(おも)ふなり」とて、まづ
白旗(しらはた)三十(さんじふ)ながれ先(さき)だてて、黒坂(くろさか)のうへにぞう(ッ)
たて【打つ立て】たる。案(あん)のごとく、平家(へいけ)是(これ)をみて、「あはや、源氏(げんじ)
P07024
の先陣(せんぢん)はむかふ(むかう)【向う】たるは。定(さだめ)て大勢(おほぜい)なるらん。左右(さう)なう広(ひろ)
みへ打出(うちいで)なば、敵(てき)は案内者(あんないしや)、我等(われら)は無案内(ぶあんない)也(なり)、とりこめられ
てはあしかりなん。此(この)山(やま)は四方(しはう)巌石(がんぜき)であん也(なり)。搦手(からめで)よも
まはらじ。馬(むま)の草(くさ)がい(くさがひ)【草飼】水便(すいびん)共(とも)によげなり。しばしおり
ゐて馬(むま)やすめん」とて、砥浪山(となみやま)の山中(やまなか)、猿(さる)の馬場(ばば)と
いふ所(ところ)にぞ[M 「て」とあり消して「そ」と傍書]おりゐたる。木曾(きそ)は羽丹生(はにふ)に陣(ぢん)と(ッ)て、四
方(しはう)をき(ッ)とみまはせば、夏山(なつやま)の嶺(みね)のみどりの木(こ)の間(ま)
より、あけ【朱】の玉墻(たまがき)ほの見(み)えて、かたそぎ【片削】作(づく)りの社(やしろ)あり。
P07025
前(まへ)に鳥居(とりゐ)ぞた(ッ)たりける。木曾殿(きそどの)国(くに)の案内者(あんないしや)をめし
て、「あれはいづれの宮(みや)と申(まうす)ぞ。いかなる神(かみ)を崇(あがめ)奉(たてまつ)るぞ」。
「八幡(やはた)でましまし候(さうらふ)。やがて此(この)所(ところ)は八幡(やはた)の御領(ごりやう)で候(さうらふ)」と申(まうす)。
木曾(きそ)大(おほき)に悦(よろこび)て、手書(てかき)に具(ぐ)せられたる大夫房(たいふばう)覚明(かくめい)
をめして、「義仲(よしなか)こそ幸(さいはひ)に新(いま)やはた【八幡】の御宝殿(ごほうでん)に近付(ちかづき)
奉(たてまつり)て、合戦(かつせん)をとげんとすれ。いかさまにも今度(こんど)の
いくさ【軍】には相違(さうい)なく勝(かち)ぬとおぼゆるぞ。さらんにと(ッ)て
は、且(かつ)(かつ(ウ))は後代(こうたい)のため、且(かつ)(かつ(ウ))は当時(たうじ)の祈祷(きたう)にも、願書(ぐわんじよ)を一筆(ひとふで)
P07026
かいてまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ばやと思(おも)ふはいかに」。覚明(かくめい)「尤(もつと)もしかるべう候(さうらふ)」
とて、馬(むま)よりおりてかかんとす。覚明(かくめい)が体(てい)たらく、かち【褐】の
直垂(ひたたれ)に黒革威(くろかはをどし)(くろかはおどし)の鎧(よろひ)きて、黒漆(こくしつ)の太刀(たち)をはき、
廿四(にじふし)さいたるくP2070ろぼろの矢(や)おい(おひ)、ぬりごめ藤(どう)の弓(ゆみ)、脇(わき)に
はさみ、甲(かぶと)をばぬぎ、たかひもにかけ、えびらより小
硯(こすずり)たたう【畳】紙(がみ)とり出(いだ)し、木曾殿(きそどの)の御前(おんまへ)に畏(かしこまつ)て願書(ぐわんじよ)
をかく。あ(ッ)ぱれ文武(ぶんぷ)二道(じだう)の達者(たつしや)かなとぞみえ【見え】たり
ける。此(この)覚明(かくめい)はもと儒家[* 「出家」と有るのを他本により訂正](じゆけ)の者(もの)也(なり)。蔵人(くらんど)道広(みちひろ)とて、勧学院(くわんがくゐん)
P07027
にありけるが、出家(しゆつけ)して最乗房(さいじようばう)(さいぜうばう)信救(しんぎう)とぞ名(な)のり
ける。つねは南都(なんと)へも通(かよ)ひけり。高倉宮(たかくらのみや)の園城
寺(をんじやうじ)にいら【入ら】せ給(たま)ひし時(とき)、牒状(てふじやう)(てうでう)を山(やま)・奈良(なら)へつかはしたり
けるに、南都(なんと)の大衆(だいしゆ)返牒(へんでふ)(へんでう)をば此(この)信救(しんぎう)にぞかかせたり
ける。「清盛(きよもり)は平氏(へいじ)の糟糠(さうかう)、武家(ぶけ)の塵芥(ちんがい)」とかい
たりしを、太政(だいじやう)入道(にふだう)(にうだう)大(おほき)にいか(ッ)て、「其(その)信救法師(しんぎうほつし)めが、
浄海(じやうかい)を平氏(へいじ)のぬかかす、武家(ぶけ)のちりあくたと
かくべき様(やう)はいかに。其(その)法師(ほつし)めからめと(ッ)て死罪(しざい)
P07028
におこなへ」との給(たま)ふ間(あひだ)(あいだ)、南都(なんと)をば逃(にげ)て、北国(ほつこく)へ落下(おちくだり)、
木曾殿(きそどの)の手書(てかき)して、大夫房(たいふばう)覚明(かくめい)とぞ名(な)のり
ける。其(その)願書(ぐわんじよ)に云(いはく)、帰命頂礼(きみやうちやうらい)、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)は
日域(じちいき)朝廷(てうてい)の本主(ほんじゆ)、累世明君(るいせいめいくん)の曩祖(なうそ)(のうそ)也(なり)。宝祚(ほうそ)
を守(まも)らんがため、蒼生(さうせい)を利(り)せんがために、三身(さんじん)の金容(きんよう)
をあらはし、三所(さんじよ)の権扉(けんぴ)をおしひらき給(たま)へり。爰(ここ)に
頃[B ノ](しきんの)年(とし)よりこのかた、平相国(へいしやうこく)といふ者(もの)あり。四海(しかい)を
管領(くわんりやう)して万民(ばんみん)を悩乱(なうらん)せしむ。是(これ)既(すでに)仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)の
P07029
怨(あた)、王法(わうぼふ)(わうぼう)の敵(てき)也(なり)。義仲(よしなか)いやしくも弓馬(きゆうば)(きうば)の家(いへ)に生(むまれ)
て、纔(わづか)に箕裘(ききう)の塵(ちり)をつぐ【継ぐ】。彼(かの)暴悪(ぼうあく)を案(あん)ずる
に、思慮(しりよ)を顧(かへりみる)(カエリミル)にあたはP2071ず。運(うん)天道(てんたう)にまかせて、身(み)
を国家(こつか)になぐ。試(こころみ)に義兵(ぎへい)をおこして、凶器(きようき)(けうき)を退(しりぞけ)ん
とす。しかるを闘戦(たうせん)両家(りやうけ)の陣(ぢん)をあはすといへ共(ども)、
士卒(しそつ)いまだ一致(いつち)の勇(いさみ)をえざる間(あひだ)(あいだ)、区(まちまち)の心(こころ)おそ
れ【恐れ】たる処(ところ)に、今(いま)一陣(いちぢん)旗(はた)をあぐる戦場(せんぢやう)にして、忽(たちまち)
に三所(さんじよ)和光(わくわう)の社壇(しやだん)を拝(はい)す。機感(きかん)の純熟(じゆんじゆく)明(あきら)
P07030
かなり。凶徒(きようど)(けうど)誅戮(ちゆうりく)(ちうりく)疑(うたがひ)なし。歓喜(くわんぎ)涙(なんだ)こぼれて、渇仰[* 「湯仰」と有るのを高野本により訂正](かつがう)
肝(きも)にそむ。就中(なかんづく)、曾祖父(ぞうそぶ)前(さきの)陸奥守(むつのかみ)義家(ぎかの)朝臣(あそん)(あ(ツ)そん)、
身(み)を宗廟(そうべう)の氏族(しぞく)に帰附(きふ)して、名(な)を八幡太郎(はちまんたらう)
と号(かう)せしよりこのかた、門葉(もんえふ)(もんよう)たる者(もの)帰敬(ききやう)せず
といふ事(こと)なし。義仲(よしなか)其(その)後胤(こういん)(こうゐん)として首(かうべ)を傾(かたぶけ)
て年(とし)久(ひさ)し。今(いま)此(この)大功(たいこう)を発(おこ)す事(こと)、たとへば嬰
児(えいじ)(ゑいじ)の貝(かい)をも(ッ)て巨海(きよかい)を量(はか)り、蟷螂(たうらう)の斧(をの)をい
からかして隆車(りゆうしや)(りうしや)に向(むかふ)が如(ごと)し。然(しか)れども国(くに)のため、
P07031
君(きみ)のためにしてこれを発(おこ)(をこ)す。家(いへ)のため、身(み)のために
してこれををこさ(おこさ)【起こさ】ず。心(こころ)ざしの至(いたり)、神感(しんかん)そらに
あり。憑(たのもしき)哉(かな)、悦(よろこばしき)哉(かな)。伏(ふして)願(ねがは)くは、冥顕(みやうけん)威(ゐ)をくはへ、霊神(れいしん)
力(ちから)をあはせて、勝(かつ)事(こと)を一時(いつし)に決(けつ)し、怨(あた)を四方(しはう)に
退(しりぞけ)給(たま)へ。然(しかれば)則(すなはち)、丹祈(たんき)冥慮(みやうりよ)にかなひ【叶ひ】、見鑒(けんかん)加護(かご)
をなすべく(ン)ば、先(まづ)一(ひとつ)の瑞相(ずいざう)を見(み)せしめ給(たま)へ。寿
永(じゆえい)(じゆゑい)二年(にねん)五月(ごぐわつ)十一日(じふいちにち)源(みなもとの)義仲(よしなか)敬(うやまつて)白(まうす)とかいて、我(わが)身(み)を
はじめて十三人(じふさんにん)が、うは矢(や)【上矢】をぬき、願書(ぐわんじよ)にとり
P07032
具(ぐ)して、大菩薩(だいぼさつ)の御宝殿(ごほうでん)にこそおさめ(をさめ)【納め】けれ[* 「ける」と有るのを他本により訂正]。たの
もしき【頼もしき】かな、大菩薩(だいぼさつ)真実(しんじつ)の志(こころざし)ふたつなきをや
遥(はるか)に照覧(せうらん)し給(たま)ひけん。雲(くも)のなかより山鳩(やまばと)三(みつ)
飛来(とびきたつ)て、源氏(げんじ)の白旗(しらはた)の上(うへ)にP2072翩翻(へんばん)す。昔(むかし)神
宮【*神功】皇后(じんぐうくわうこう)新羅(しんら)を攻(せめ)させ給(たま)ひしに、御方(みかた)のたた
かひ【戦ひ】よはく(よわく)【弱く】、異国(いこく)のいくさ【軍】こはくして、既(すで)に
かうとみえ【見え】し時(とき)、皇后(くわうごう)天(てん)に御祈誓(ごきせい)ありしかば、
霊鳩(れいきう)三(みつ)飛来(とびきたつ)て楯(たて)の面(おも)にあらはれて、異国(いこく)の
P07033
いくさ【軍】破(やぶれ)にけり。又(また)此(この)人々(ひとびと)の先祖(せんぞ)、頼義(らいぎの)朝臣(あそん)(あつそん)、貞
任(さだたふ)(さだたう)・宗任(むねたふ)(むねたう)を攻(せめ)給(たま)ひしにも、御方(みかた)のたたかひ【戦ひ】よはく(よわく)【弱く】し
て、凶徒(きようど)(けうど)のいくさ【軍】こはかりしかば、頼義(らいぎの)朝臣(あそん)(あつそん)敵(てき)の
陣(ぢん)にむか(ッ)て、「是(これ)はま(ッ)たく私(わたくし)の火(ひ)にはあらず、神火(しんくわ)
なり」とて、火(ひ)を放(はな)つ。風(かぜ)忽(たちまち)に異賊(いぞく)の方(かた)へ吹(ふき)おほ
ひ【覆ひ】、貞任(さだたふ)(さだたう)が館(たち)栗屋河(くりやがは)の城(じやう)焼(やけ)ぬ。其(その)後(のち)いくさ【軍】
破(やぶれ)て、貞任(さだたふ)(さだたう)・宗任(むねたふ)(むねたう)ほろびにき。木曾殿(きそどの)か様(やう)【斯様】の先
蹤(せんじよう)(せんぜう)を忘(わす)れ給(たま)はず、馬(むま)よりおり、甲(かぶと)をぬぎ、手水(てうづ)(てうず)う
P07034
がひをして、いま霊鳩(れいきう)を拝(はい)し給(たま)ひけん心(こころ)のうち
こそたのもしけれ。倶利迦羅【*倶梨迦羅】落(くりからおとし)(くりからをとし)S0706さる程(ほど)に、源平(げんぺい)両方(りやうばう)陣(ぢん)をあはす。
陣(ぢん)のあはひわづかに三町(さんぢやう)ばかりによせ【寄せ】あはせたり。源
氏(げんじ)もすすまず、平家(へいけ)もすすまず。勢兵(せいびやう)十五騎(じふごき)、楯(たて)
の面(おも)にすすませて、十五騎(じふごき)がうは矢(や)【上矢】の鏑(かぶら)を平家(へいけ)の
陣(ぢん)へぞ射(い)(ゐ)入(いれ)たる。平家(へいけ)又(また)はかり事(こと)【謀】共(とも)しらず、P2073十五騎(じふごき)
を出(いだ)いて、十五(じふご)の鏑(かぶら)を射(い)(ゐ)かへす【返す】。源氏(げんじ)卅騎(さんじつき)を出(いだ)いて
射(い)(ゐ)さすれば、平家(へいけ)卅騎(さんじつき)を出(いだ)いて卅(さんじふ)の鏑(かぶら)を射(い)かへす【返す】。
P07035
五十騎(ごじつき)を出(いだ)せば五十騎(ごじつき)を出(いだ)しあはせ、百騎(ひやくき)を出(いだ)せば
百騎(ひやくき)を出(いだ)しあはせ、両方(りやうばう)百騎(ひやくき)づつ陣(ぢん)の面(おもて)にすすん
だり。互(たがひ)に勝負(しようぶ)(せうぶ)をせんとはやりけれども、源氏(げんじ)
の方(かた)よりせい【制】して勝負(しようぶ)(せうぶ)をせさせず。源氏(げんじ)は加様(かやう)
にして日(ひ)をくらし、平家(へいけ)の大勢(おほぜい)をくりから【倶利伽羅】が谷(たに)へ
追(おひ)おとさ【落さ】うどたばかりけるを、すこしもさとら
ずして、ともにあひしらひ日(ひ)をくらす【暮す】こそはかな
けれ。次第(しだい)にくらう【暗う】なりければ、北南(きたみなみ)よりまは(ッ)つ
P07036
る搦手(からめで)の勢(せい)一万余騎(いちまんよき)、くりから【倶利伽羅】の堂(だう)の辺(へん)に
まはりあひ、えびらのほうだて打(うち)たたき、時(とき)を
ど(ッ)とぞつくりける。平家(へいけ)うしろをかへり見(み)
ければ、白旗(しらはた)雲(くも)のごとくさしあげ【差し上げ】たり[* 「たる」と有るのを高野本により訂正]。「此(この)山(やま)は
四方(しはう)巌石(がんぜき)であんなれば、搦手(からめで)よもまはらじと
思(おも)ひつるに、こはいかに」とてさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】あへり。さる程(ほど)
に、木曾殿(きそどの)大手(おほて)より時(とき)の声(こゑ)をぞ合(あは)せ給(たま)ふ。松
長(まつなが)の柳原(やなぎはら)、ぐみの木林(きばやし)(き(ン)ばやし)に一万余[* 「合」と有るのを高野本により訂正]騎(いちまんよき)ひかへたり[M 「たる」とあり「る」をミセケチ「り」と傍書]
P07037
ける勢(せい)も、今井(いまゐの)四郎(しらう)が六千余(ろくせんよ)〔騎(き)〕でひの宮林(みやばやし)【日埜宮林】
にありけるも、同(おなじ)く時(とき)をぞつくりける。前後(ぜんご)
四万騎(しまんき)がおめく(をめく)【喚く】声(こゑ)、山(やま)も河(かは)もただ一度(いちど)にくづるる
とこそ聞(きこ)えけれ。案(あん)のごとく、平家(へいけ)、次第(しだい)にくらう
はなる、前後(ぜんご)より敵(てき)はせめ【攻め】来(く)る、「きたなしや、かへせ
かへせ」といふやからおほかり【多かり】けれ共(ども)、大勢(おほぜい)の傾(かたぶき)た
ちぬるは、左右(さう)なうと(ッ)てかへす【返す】事(こと)かたければ、倶梨
迦羅(くりから)が谷(たに)へわれ先(さき)P2074にとぞおとし【落し】ける。ま(ッ)さきに
P07038
すすんだる者(もの)が見(み)えねば、「此(この)谷(たに)の底(そこ)に道(みち)のあるに
こそ」とて、親(おや)おとせ【落せ】ば子(こ)もおとし【落し】、兄(あに)おとせ【落せ】ば弟(おとと)
もつづく。主(しゆう)おとせ【落せ】ば家子(いへのこ)郎等(らうどう)おとし【落し】けり。馬(むま)
には人(ひと)、人(ひと)には馬(むま)、落(おち)かさなり落(おち)かさなり、さばかり深(ふか)き谷(たに)一[B ツ](ひとつ)
を平家(へいけ)の勢(せい)七万余騎(しちまんよき)でぞうめたりける。巌
泉(がんせん)血(ち)をながし、死骸(しがい)岳(をか)をなせり。さればその谷(たにの)ほ
とりには、矢(や)の穴(あな)刀(かたな)の疵(きず)残(のこり)て今(いま)にありとぞ承(うけたま)はる。
平家(へいけ)の方(かた)にはむねとたのま【頼ま】れたりける上総(かづさの)大
P07039
夫(たいふの)判官(はんぐわん)忠綱(ただつな)・飛弾(ひだの)大夫(たいふの)判官(はんぐわん)景高(かげたか)・河内(かはちの)判官(はんぐわん)
秀国(ひでくに)も此(この)谷(たに)にうづもれてうせにけり。備中国(びつちゆうのくにの)(びつちうのくにの)
住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)瀬尾(せのをの)太郎(たらう)兼康(かねやす)といふ聞(きこ)ゆる大力(だいりき)も、そこ
にて加賀国(かがのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)蔵光(くらみつの)次郎(じらう)成澄(なりずみ)が手(て)にかか(ッ)て、
いけどり【生捕】にせらる。越前国(ゑちぜんのくに)火打(ひうち)が城(じやう)にてかへり
忠(ちゆう)(ちう)したりける平泉寺(へいせんじ)の長吏(ちやうり)斎明(さいめい)威儀師(ゐぎし)(いぎし)も
とらはれぬ。木曾殿(きそどの)、「あまりにくきに、其(その)法師(ほふし)(ほうし)をば
まづきれ」とてきられにけり。平氏(へいじの)大将(たいしやう)維盛(これもり)・通
P07040
盛(みちもり)、けう【稀有】の命(いのち)生(いき)て加賀国(かがのくに)へ引退(ひきしりぞ)く。七万余騎(しちまんよき)
がなかよりわづかに二千余騎(にせんよき)ぞのがれたりける。明(あく)る
十二日(じふににち)、奥(おく)の秀衡(ひでひら)がもとより木曾殿(きそどの)へ竜蹄(りようてい)(れうてい)二疋(にひき)奉(たてまつ)
る。やがて是(これ)に鏡鞍(かがみくら)をい(おい)【置い】て、白山(はくさん)の社(やしろ)へ神馬(じんめ)にたて
られけり。木曾殿(きそどの)の給(たま)ひけるは、「今(いま)は思(おも)ふ事(こと)なし。
ただし十郎(じふらう)蔵人殿(くらんどどの)の志保(しほ)のいくさ【軍】こそおぼつかな
けれ。いざゆひ(ゆい)【行い】てみん」とて、四万余騎(しまんよき)〔が中(なか)より〕馬(むま)や人(ひと)をすぐ(ッ)て、
二万余騎(にまんよき)で馳向(はせむか)ふ。ひびの湊(みなと)をP2075わたさんとするに、
P07041
折節(をりふし)(おりふし)塩(しほ)みちて、ふかさ【深さ】あささをしら【知ら】ざりければ、鞍(くら)をき
馬(むま)(くらおきむま)【鞍置き馬】十疋(じつぴき)ばかりおひ入(いれ)たり。鞍爪(くらづめ)ひた【浸】る程(ほど)に、相違(さうい)なく
むかひ【向ひ】の岸(きし)へ着(つき)にけり。「浅(あさ)かりけるぞや、わたせ【渡せ】や」
とて、二万余騎(にまんよき)の大勢(おほぜい)皆(みな)打入(うちいり)てわたしけり。案(あん)
のごとく十郎(じふらう)蔵人(くらんど)行家(ゆきいへ)、さんざん【散々】にかけなされ、ひき
退(しりぞ)いて馬(むま)の息(いき)休(やすむ)る処(ところ)に、木曾殿(きそどの)「さればこそ」
とて、荒手(あらて)二万余騎(にまんよき)入(いれ)かへて、平家(へいけ)三万余騎(さんまんよき)が中(なか)へ
おめい(をめい)【喚い】てかけ入(いり)、もみにもうで火(ひ)出(いづ)る程(ほど)にぞ攻(せめ)たりける。
P07042
平家(へいけ)の兵共(つはものども)しばしささへて防(ふせ)きけれ共(ども)、こらへずし
てそこをも遂(つひ)(つゐ)に攻(せめ)おとさ【落さ】る。平家(へいけ)の方(かた)には、大将軍(たいしやうぐん)
三河守(みかはのかみ)知教【*知度】(とものり)うたれ給(たま)ひぬ。是(これ)は入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の末子(ばつし)也(なり)。
侍共(さぶらひども)おほく【多く】ほろびにけり。木曾殿(きそどの)は志保(しほ)の山(やま)打(うち)
こえて、能登(のと)の小田中(をだなか)、新王(しんわう)の塚(つか)の前(まへ)に陣(ぢん)をとる。
篠原合戦(しのはらがつせん)S0707 そこにて諸社(しよしや)へ神領(じんりやう)をよせられけり。白山(はくさん)へは
横江(よこえ)・宮丸(みやまる)、すがう(すがふ)【菅生】の社(やしろ)へはのみ【能美】の庄(しやう)、多田(ただ)の八幡(はちまん)へは
てうや(てふや)【蝶屋】の庄(しやう)、気比(けひ)(けい)の社(やしろ)へははん原(ばら)【飯原】の庄(しやう)を寄進(きしん)す。
P07043
平泉寺(へいせんじ)へは藤島(ふぢしま)七郷(しちがう)をよせられけり。一(ひと)とせ石
橋(いしばし)の合戦(かつせん)の時(とき)、兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)射(い)(ゐ)たてま(ッ)し者共(ものども)都(みやこ)へ
にげのぼ(ッ)て、平家(へいけ)P2076の方(かた)にぞ候(さうらひ)ける。むねとの者(もの)
には俣野(またのの)五郎(ごらう)景久(かげひさ)・長井(ながゐの)斎藤(さいとう)別当(べつたう)実守【*実盛】(さねもり)・
伊藤【*伊東】(いとうの)九郎(くらう)助氏【*祐氏】(すけうぢ)・浮巣(うきすの)三郎(さぶらう)重親(しげちか)・ましも【真下】の四郎(しらう)
重直(しげなほ)(しげなを)、是等(これら)はしばらくいくさ【軍】のあらんまでやすまん
とて、日(ひ)ごとによりあひよりあひ、巡酒(じゆんしゆ)をしてぞなぐさ
みける。まづ実守【*実盛】(さねもり)が許(もと)によりあひたりける時(とき)、
P07044
斎藤(さいとう)別当(べつたう)申(まうし)けるは、「倩(つらつら)此(この)世中(よのなか)の有様(ありさま)を見(み)るに、
源氏(げんじ)の御方(みかた)はつよく、平家(へいけ)の御方(みかた)はまけ【負】色(いろ)に
みえ【見え】させ給(たま)ひたり。いざをのをの(おのおの)【各々】木曾殿(きそどの)へまいら(まゐら)【参ら】
ふ(う)」ど申(まうし)ければ、みな「さ(ン)なう」と同(どう)じけり。次(つぎの)日(ひ)又(また)浮
巣(うきすの)三郎(さぶらう)がもとによりあひたりける時(とき)、斎藤(さいとう)別
当(べつたう)「さても昨日(きのふ)申(まうし)し事(こと)はいかに、をのをの(おのおの)【各々】[* 「ほのほの」と有るのを高野本により訂正]」。そのなかに
俣野(またのの)五郎(ごらう)すすみ出(いで)て申(まうし)けるは、「我等(われら)はさすが東国(とうごく)
では皆(みな)、人(ひと)にしられて名(な)ある者(もの)でこそあれ、吉(きち)に
P07045
ついてあなたへまいり(まゐり)【参り】、こなたへまいら(まゐら)【参ら】ふ(う)事(こと)も見(み)ぐる
しかるべし。人(ひと)をばしり【知り】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】ず、景久(かげひさ)にをいて(おいて)
は平家(へいけ)の御方(みかた)にていかにもならう」ど申(まうし)ければ、斎藤(さいとう)
別当(べつたう)あざわら(ッ)【笑つ】て、「まこと【誠】には、をのをの(おのおの)【各々】の御心(おんこころ)どもを
かなびき奉(たてまつ)らんとてこそ申(まうし)たれ。そのうへ実守【*実盛】(さねもり)
は今(この)度(たび)のいくさ【軍】に討死(うちじに)せうど思(おも)ひき(ッ)て候(さうらふ)ぞ。二度(ふたたび)
都(みやこ)へまいる(まゐる)【参る】まじきよし人々(ひとびと)にも申(まうし)をい(おい)【置い】たり。大
臣殿(おほいとの)へも此(この)やうを申(まうし)あげて候(さうらふ)ぞ」といひければ、みな
P07046
人(ひと)此(この)儀(ぎ)にぞ同(どう)じける。さればその約束(やくそく)をたがへ【違へ】じとや、
当座(たうざ)にありし者共(ものども)、一人(いちにん)も残(のこ)らず北国(ほつこく)にて皆(みな)死(しに)
にけるこそむざんなれ。P2077さる程に、平家(へいけ)は人馬(じんば)の
いきをやすめて、加賀国(かがのくに)しの原(はら)【篠原】に陣(ぢん)をとる。同(おなじき)
五月(ごぐわつ)廿一日(にじふいちにち)の辰(たつ)の一点(いつてん)に、木曾(きそ)しの原(はら)【篠原】にをし(おし)【押し】よせ【寄せ】
て時(とき)をど(ッ)とつくる。平家(へいけ)の方(かた)には畠山(はたけやまの)庄司(しやうじ)重
能(しげよし)・小山田(をやまだ)の別当(べつたう)有重(ありしげ)、去(さんぬ)る治承(ぢしよう)(ぢせう)より今(いま)まで
めし【召し】こめられたりしを、「汝等(なんぢら)はふるひ(ふるい)【古い】者共(ものども)也(なり)。いくさ【軍】
P07047
の様(やう)をもをきてよ(おきてよ)【掟てよ】」とて、北国(ほつこく)へむけられたり。是
等(これら)兄弟(きやうだい)三百余騎(さんびやくよき)で陣(ぢん)のおもてにすすんだり。
源氏(げんじ)の方(かた)より今井(いまゐの)四郎(しらう)兼平(かねひら)三百余騎(さんびやくよき)でう
ちむかふ【向ふ】。畠山(はたけやま)、今井(いまゐの)四郎(しらう)、はじめは互(たがひ)に五騎(ごき)十騎(じつき)
づつ出(いだ)しあはせて勝負(しようぶ)(せうぶ)をせさせ、後(のち)には両方(りやうばう)乱(みだれ)
あふ(あう)【逢う】てぞたたかひ【戦ひ】ける。五月(ごぐわつ)廿一日(にじふいちにち)の午(むま)の剋(こく)、草(くさ)もゆ
るがず照(てら)す日(ひ)に、我(われ)おとらじとたたかへば、遍身(へんしん)よ
り汗(あせ)出(いで)て水(みづ)をながすに異(こと)ならず。今井(いまゐ)が方(かた)にも
P07048
兵(つはもの)おほく【多く】ほろびにけり。畠山(はたけやまの)家子(いへのこ)郎等(らうどう)残(のこり)ずく
なに討(うち)なされ、力(ちから)およばでひき退(しりぞ)く。次(つぎに)平家(へいけ)の
方(かた)より高橋(たかはしの)判官(はんぐわん)長綱(ながつな)、五百余騎(ごひやくよき)ですすんだり。
木曾殿(きそどの)の方(かた)より樋口(ひぐちの)次郎(じらう)兼光(かねみつ)・おちあひの
五郎(ごらう)兼行(かねゆき)、三百余騎(さんびやくよき)で馳向(はせむか)ふ。し(ン)ばし(しばし)ささへてたた
かひ【戦ひ】けるが、高橋(たかはし)が勢(せい)は国々(くにぐに)のかり【駆】武者(むしや)なれば、一騎(いつき)
もおち【落ち】あはず、われ先(さき)にとこそ落行(おちゆき)けれ。高橋(たかはし)
心(こころ)はたけくおもへ【思へ】ども、うしろあばらになりければ、
P07049
力(ちから)及(およ)(をよ)ばで引退(ひきしりぞ)く。ただ一騎(いつき)落(おち)て行(ゆく)ところ【所】に、越中国(ゑつちゆうのくに)(ゑつちうのくに)
の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)入善(にふぜん)(にうぜん)の小太郎(こたらう)行重(ゆきしげ)、よい敵(かたき)と目(め)をかけ、鞭(むち)
あぶみをあはせて馳来(はせきた)り、おしならべてむずとく
む。高P2078橋(たかはし)、入善(にふぜん)(にうぜん)をつかうで、鞍(くら)の前輪(まへわ)におしつけ、
「わ君(ぎみ)はなにものぞ、名(な)のれきかう」どいひければ、
「越中国(ゑつちゆうのくに)(ゑつちうのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、[B 入]善(にふぜんの)(にうぜんの)小太郎(こたらう)行重(ゆきしげ)、生年(しやうねん)十八歳(じふはつさい)」と
なのる【名乗る】。「あなむざん、去年(こぞ)をくれ(おくれ)【遅れ】し長綱(ながつな)が子(こ)も、
ことしはあらば十八歳(じふはつさい)ぞかし。わ君(ぎみ)ねぢき(ッ)て
P07050
すつべけれ共(ども)、たすけん」とてゆるしけり。わが身(み)も
馬(むま)よりおり、「しばらくみ方(かた)の勢(せい)またん」とてやすみ
ゐたり。入善(にふぜん)(にうぜん)「われをばたすけたれ共(ども)、あ(ッ)ぱれ敵(かたき)
や、いかにもしてうたばや」と思(おも)ひ居(ゐ)たる処(ところ)に、高
橋(たかはし)うちとけて物語(ものがたり)しけり。入善(にふぜん)(にうぜん)勝[B レ](すぐれ)たるはやわ
ざのおのこ(をのこ)【男】で、刀(かたな)をぬき、とんでかかり、高橋(たかはし)がうち
かぶとを二刀(ふたかたな)さす。さる程(ほど)に、入善(にふぜん)(にうぜん)が郎等(らうどう)三騎(さんぎ)、をく
れ(おくれ)【遅れ】ばせ【馳】に来(きたつ)ておち【落ち】あふ(あう)たり。高橋(たかはし)心(こころ)はたけく
P07051
おもへ【思へ】ども、運(うん)やつきにけん、敵(かたき)はあまたあり、いた手(で)【痛手】
はおう【負う】つ、そこにて遂(つひ)(つゐ)にうたれにけり。又(また)平家(へいけ)
のかたより武蔵(むさしの)三郎左衛門(さぶらうざゑもん)有国(ありくに)、三百(さんびやく)騎(き)ばかりで
おめい(をめい)【喚い】て[B かく]。源氏(げんじ)の方(かた)より仁科(にしな)・高梨(たかなし)・山田(やまだの)次郎(じらう)、五
百余騎(ごひやくよき)で馳(はせ)むかふ【向ふ】。し(ン)ばし(しばし)ささへてたたかひ【戦ひ】けるが、有
国(ありくに)が方(かた)の勢(せい)おほく【多く】うたれぬ。有国(ありくに)ふか入(いり)してたた
かふ【戦ふ】程(ほど)に、矢(や)だね皆(みな)い【射】つくして、馬(むま)をもいさせ、かち
だちになり、うち物(もの)ぬいてたたかひ【戦ひ】けるが、敵(かたき)あまた
P07052
うちとり、矢(や)七(なな)つ八(やつ)いたてられて、立(たち)じににこそ死(しに)に
けれ。大将軍(たいしやうぐん)か様(やう)【斯様】に成(なり)しかば、其(その)勢(せい)皆(みな)おち【落ち】行(ゆき)ぬ。P2079
真盛【*実盛】(さねもり)S0708 又(また)武蔵国(むさしのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)長井(ながゐの)斎藤(さいとう)別当(べつたう)実守【*実盛】(さねもり)、みかたは
皆(みな)おち【落ち】ゆけ共(ども)、ただ一騎(いつき)かへしあはせ返(かへ)しあはせ防(ふせき)
たたかふ【戦ふ】。存(ぞん)ずるむねありければ、赤地(あかぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、
もよぎおどし(をどし)の鎧(よろひ)きて、くはがたう(ッ)たる甲(かぶと)の緒(を)(お)を
しめ、金作(こがねづく)りの太刀(たち)をはき、きりう(きりふ)【切斑】の矢(や)おひ【負ひ】、滋藤(しげどう)
の弓(ゆみ)も(ッ)て、連銭葦毛(れんぜんあしげ)なる馬(むま)にきぶくりん【黄覆輪】の
P07053
鞍(くら)おひ(おい)【置い】てぞの(ッ)【乗つ】たりける。木曾殿(きそどの)の方(かた)より手塚(てづか)の
太郎(たらう)光盛(みつもり)、よい敵(かたき)と目(め)をかけ、「あなやさし、いかなる人(ひと)
にて在(ましま)せば、み方(かた)の御勢(おんせい)は皆(みな)落(おち)候(さうらふ)に、ただ一騎(いつき)の
こらせ給(たま)ひたるこそゆう(いう)【優】なれ。なのら【名乗ら】せ給(たま)へ」と詞(ことば)
をかけけれ[* 「られ」と有るのを高野本により訂正]ば、「かういふわどのはた【誰】そ」。「信濃国(しなののくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)
手塚(てづかの)太郎(たらう)金刺(かねざしの)光盛(みつもり)」とこそなの(ッ)【名乗つ】たれ。「さてはた
がひによい敵(かたき)ぞ。但(ただし)わどのをさぐるにはあらず、存(ぞん)ず
るむねがあれば名(な)のるまじいぞ。よれくまう手塚(てづか)」と
P07054
ておしならぶるところ【所】に、手塚(てづか)が郎等(らうどう)をくれ(おくれ)【遅れ】馳(ばせ)にはせ
来(きたつ)て、主(しゆう)(しう)をうたせじとなかにへだたり、斎藤(さいとう)別当(べつたう)
にむずとくむ。「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)、をのれ(おのれ)【己】は日本(につぽん)一(いち)の剛(かう)の者(もの)に
ぐんでうずな、うれ」とて、と(ッ)て引(ひき)よせ、鞍(くら)のまへわに
おしつけ、頸(くび)かきき(ッ)て捨(すて)て(ン)げり。手塚(てづかの)太郎(たらう)、郎等(らうどう)が
うたるるをみて、弓手(ゆんで)にP2080まはり[* 「まいり」と有るのを高野本により訂正]あひ、鎧(よろひ)の草摺(くさずり)ひき
あげて二刀(ふたかたな)さし、よはる(よわる)【弱る】処(ところ)にくんでおつ。斎藤(さいとう)別当(べつたう)
心(こころ)はたけくおもへ【思へ】ども、いくさ【軍】にはしつかれぬ、其上(そのうへ)老
P07055
武者(らうむしや)ではあり、手塚(てづか)が下(した)になりにけり。又(また)手塚(てづか)が郎等(らうどう)
をくれ(おくれ)【遅れ】馳(ばせ)にいできたるに頸(くび)とらせ、木曾殿(きそどの)の御(おん)まへ
に馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「光盛(みつもり)こそ奇異(きい)のくせ者(もの)【曲者】くんでう(ッ)て候(さうら)へ。
侍(さぶらひ)かとみ候(さうら)へば錦(にしき)の直垂(ひたたれ)をきて候(さうらふ)。大将軍(たいしやうぐん)かとみ
候(さうら)へばつづく勢(せい)も候(さうら)はず。名(な)のれ名(な)のれとせめ候(さうらひ)(さふらひ)つれ共(ども)、つ
ゐに(つひに)【遂に】なのり【名乗り】候(さうら)はず。声(こゑ)は坂東声(ばんどうごゑ)で候(さうらひ)つる」と申(まう)
せば、木曾殿(きそどの)「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)、是(これ)は斎藤(さいとう)別当(べつたう)であるごさんめれ。
それならば義仲(よしなか)が上野(かうづけ)へこえたりし時(とき)、おさな
P07056
目(め)(をさなめ)【幼目】に見(み)しかば、しらがのかすを【糟尾】なりしぞ。いまは定(さだめ)て
白髪(はくはつ)にこそなりぬらんに、びんぴげのくろいこそあ
やしけれ。樋口(ひぐちの)次郎(じらう)はな【馴】れあそ(ン)で見(み)〔し(ッ)〕たるらん。樋口(ひぐち)
めせ」とてめされけり[B 「けれ」とあり「れ」に「り」と傍書]。樋口(ひぐちの)次郎(じらう)ただ一目(ひとめ)みて、「あなむざん
や、斎藤(さいとう)別当(べつたう)で候(さうらひ)けり」。木曾殿(きそどの)「それならば今(いま)は七十(しちじふ)
にもあまり、白髪(はくはつ)にこそなりぬらんに、びんぴげのくろ
いはいかに」との給(たま)へば、樋口(ひぐちの)次郎(じらう)涙をはらはらとながい【流い】て、
「さ候(さうら)へばそのやうを申(まうし)あげうど仕(つかまつり)候(さうらふ)が、あまり哀(あはれ)で
P07057
不覚(ふかく)の涙(なんだ)のこぼれ候(さうらふ)ぞや。弓矢(ゆみや)とりはいささかの所(ところ)
でも思(おも)ひでの詞(ことば)をば、かねてつがゐ(つがひ)をく(おく)【置く】べきで候(さうらひ)
ける物(もの)かな。斎藤(さいとう)別当(べつたう)、兼光(かねみつ)にあふ(あう)【逢う】て、つねは物語(ものがたり)に
仕(つかまつり)候(さうらひ)し。「六十(ろくじふ)にあま(ッ)ていくさ【軍】の陣(ぢん)へむかはん時(とき)は、びんぴ
げをくろうP2081染(そめ)てわかやがうどおもふなり。そのゆへ(ゆゑ)【故】は、
わか殿原(とのばら)にあらそひてさきをかけんもおとなげなし、
又(また)老武者(らうむしや)とて人(ひと)のあなどらんも口惜(くちをし)(くちおし)かるべし」と申(まうし)
候(さうらひ)しが、まこと【誠】に染(そめ)て候(さうらひ)けるぞや。あらは【洗は】せて御(ご)らん候(さうら)へ」
P07058
と申(まうし)ければ、「さもあるらん」とて、あらはせて見(み)給(たま)へば、
白髪(はくはつ)にこそ成(なり)にけれ。錦(にしき)の直垂(ひたたれ)をきたりける
事(こと)は、斎藤(さいとう)別当(べつたう)、最後(さいご)のいとま申(まうし)に大臣殿(おほいとの)へ
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まうし)けるは、「実守【*実盛】(さねもり)が身(み)ひとつの事(こと)では候(さうら)
はね共(ども)、一年(ひととせ)東国(とうごく)へむかひ【向ひ】候(さうらひ)し時(とき)、水鳥(みづとり)の羽音(はおと)
におどろいて、矢(や)ひとつだにもいずして、駿河(するが)の
かん原(ばら)【蒲原】よりにげのぼ(ッ)て候(さうらひ)し事(こと)、老後(らうご)の恥辱(ちじよく)ただ
此(この)事(こと)候(ざうらふ)。今度(こんど)北国(ほつこく)へむかひ【向ひ】ては、討死(うちじに)仕(つかまつり)候(さうらふ)べし。
P07059
さらんにと(ッ)ては、実守【*実盛】(さねもり)もと越前国(ゑちぜんのくに)の者(もの)で候(さうらひ)しか共(ども)、近
年(きんねん)御領(ごりやう)につゐ(つい)【付い】て武蔵(むさし)の長井(ながゐ)に居住(きよぢゆう)(きよぢう)せしめ候(さうらひ)き。
事(こと)の喩(たとへ)候(さうらふ)ぞかし。古郷(こきやう)へは錦(にしき)をきて帰(かへ)れといふ
事(こと)の候(さうらふ)。錦(にしき)の直垂(ひたたれ)御(おん)ゆるし候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、大臣
殿(おほいとの)「やさしう申(まうし)たる物(もの)かな」とて、錦(にしき)の直垂(ひたたれ)を御免(ごめん)
ありけるとぞきこえし。昔(むかし)の朱買臣(しゆばいしん)は錦(にしき)の袂(たもと)
を会稽山(くわいけいざん)に翻(ひるがへ)し、今(いま)の斎藤(さいとう)別当(べつたう)は其(その)名(な)を北国(ほつこく)
の巷(ちまた)にあぐとかや。朽(くち)もせぬむなしき名(な)のみとど
P07060
め【留め】をき(おき)て、かばねは越路(こしぢ)の末(すゑ)の塵(ちり)となるこそかな
しけれ。去(さんぬる)四月(しぐわつ)十七日(じふしちにち)、十万余騎(じふまんよき)にて都(みやこ)を立(たち)し
事(こと)がらは、なに面(おもて)をむかふ【向ふ】べしともみえざりしに、
今(いま)五月(ごぐわつ)下旬(げじゆん)に帰(かへ)りのぼるには、其(その)勢(せい)わづかに二万
余騎(にまんよき)、「流(ながれ)をつくP2082してすなどる時(とき)は、おほく【多く】のうを【魚】を
う【得】といへども、明年(みやうねん)に魚(うを)(うほ)なし。林(はやし)をやいてか【狩】る時(とき)
は、おほく【多く】のけだもの【獣】をう【得】といへども、明年(みやうねん)に獣(けだもの)なし。
後(のち)を存(ぞん)じて少々(せうせう)はのこさるべかりける物(もの)を」と申(まうす)
P07061
人々(ひとびと)もありけるとかや。還亡(げんばう)S0709これをはじめておやは子(こ)にお
くれ、婦(ふ)は夫(おつと)にわかれ、凡(およそ)(をよそ)遠国(をんごく)近国(きんごく)もさこそあり
けめ、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)には家々(いへいへ)に門戸(もんこ)を閉(とぢ)て、声々(こゑごゑ)に念仏(ねんぶつ)
申(まうし)おめき(をめき)【喚き】さけぶ【叫ぶ】事(こと)おびたたし【夥し】。六月(ろくぐわつ)一日(ひとひのひ)、蔵人(くらんど)
右衛門権佐(うゑもんごんのすけ)定長(さだなが)、神祇(じんぎの)権少副(ごんのせう)大中臣(おほなかとみの)親俊(ちかとし)を殿
上(てんじやう)の下口(しもぐち)へめして、兵革(へいがく)しづまらば、大神宮(だいじんぐう)へ行
幸(ぎやうがう)なるべきよし仰下(おほせくだ)さる。大神宮(だいじんぐう)は高間原(たかまがはら)よ
り天(あま)くだらせ給(たま)ひしを、崇神天皇(すじんてんわう)の御宇(ぎよう)廿五
P07062
年(にじふごねん)三月(さんぐわつ)に、大和国(やまとのくに)笠縫(かさぬひ)の里(さと)より伊勢国(いせのくに)わたら
ゐ【度会】の郡(こほり)五十鈴(いすず)の河上(かはかみ)、したつ【下津】石根(いはね)に大宮柱(おほみやばしら)を
ふとしき【太敷】たて、祝(いはひ)そめたてま(ッ)てよりこのかた、日本(につぽん)
六十(ろくじふ)余州(よしう)、三千(さんぜん)七百(しちひやく)五十(ごじふ)余社(よしや)の、大小(だいせう)の神祇(じんぎ)冥道(みやうだう)の
なかには無双(ぶそう)也(なり)。されども代々(よよ)の御門(みかど)臨幸(りんかう)はなかりし
に、奈良御門(ならのみかど)の御時(おんとき)、左大臣(さだいじん)不比等(ふひとう)の孫(まご)、参議(さんぎ)式
部卿(しきぶきやう)宇合(うがふ)(うがう)の子(こ)、右近衛(うこんゑ)権少将(ごんのせうしやう)兼(けん)太宰少弐(ださいのせうに)藤
原広嗣(ふじはらのひろつぎ)といふ人(ひと)ありけり。天平(てんびやう)十五年(じふごねん)十月(じふぐわつ)、肥前国(ひぜんのくに)
P07063
松浦P2083郡(まつらのこほり)にして、数万(すまん)の凶賊(きようぞく)(けうぞく)をかたら(ッ)て国家(こくか)を
既(すで)にあやぶめんとす。これによ(ッ)て大野(おほの)のあづま人(うど)を
大将軍(たいしやうぐん)にて、広嗣(ひろつぎ)追討(ついたう)せられし時(とき)、はじめて大神宮(だいじんぐう)
へ行幸(ぎやうがう)なりけるとかや。其(その)例(れい)とぞ聞(きこ)えし。彼(かの)広嗣(ひろつぎ)は
肥前(ひぜん)の松浦(まつら)より都(みやこ)へ一日(いちにち)におりのぼる馬(むま)をもち
たりけり。追討(ついたう)せられし時(とき)も、みかたの凶賊(きようぞく)(けうぞく)おち【落ち】ゆき、
皆(みな)亡[M 「定」とあるを消し「亡」と傍書](ほろび)て後(のち)、件(くだん)の馬(むま)にうちの(ッ)【乗つ】て、海中(かいちゆう)(かいちう)へ馳入(はせいり)けると
ぞ聞(きこ)えし。その亡霊(ばうれい)あ【荒】れて、おそろしき【恐ろしき】事共(ことども)おほ
P07064
かり【多かり】けるなかに、天平(てんびやう)十六年(じふろくねん)六月(ろくぐわつ)十八日(じふはちにち)、筑前国(ちくぜんのくに)見(み)かさ【見笠】
の郡(こほり)太宰府(ださいふの)観世音寺(くわんぜおんじ)(くわんぜをんじ)、供養(くやう)ぜられける導師(だうし)
には、玄房僧正(げんばうそうじやう)とぞ聞(きこ)えし。高座(かうざ)にのぼり、敬白(けいひやく)の
鐘(かね)うちならす時(とき)、俄(にはか)に空(そら)かきくもり、雷(いかづ)ちおびたた
しう【夥しう】鳴(なつ)て、玄房(げんばう)の上(うへ)におち【落ち】かかり、その首[B 「道」とあり肩に「首」と傍書](くび)をと(ッ)て
雲(くも)のなかへぞ入(いり)にける。〔広嗣(ひろつぎ)〕調伏(てうぶく)したりけるゆへ(ゆゑ)【故】とぞ
聞(きこ)えし。彼(かの)僧正(そうじやう)は、吉備大臣(きびのだいじん)入唐(につたう)の時(とき)あい(あひ)ともな(ッ)て、
法相宗(ほつさうじゆう)(ほつさうしう)わたしたりし人(ひと)也(なり)。唐人(たうじん)が玄房(げんばう)といふ名(な)を
P07065
わら(ッ)【笑つ】て、「玄房(げんばう)とはかへ(ッ)【還つ】てほろぶといふ音(こゑ)あり。いかさまにも
帰朝(きてう)の後(のち)事(こと)にあふべき人(ひと)也(なり)」と相(さう)したりけるとかや。同(おなじき)
天平(てんびやう)十九年(じふくねん)六月(ろくぐわつ)十八日(じふはちにち)、しやれかうべに玄房(げんばう)といふ銘(めい)を
かいて、興福寺(こうぶくじ)の庭(には)におとし【落し】、虚空(こくう)に人(ひと)ならば千人(せんにん)ば
かりが声(こゑ)で、ど(ッ)とわらふ【笑ふ】事(こと)ありけり。興福寺(こうぶくじ)は法相
宗(ほつさうじゆう)(ほつさうしう)の寺(てら)たるによ(ッ)て也(なり)。彼(かの)僧正(そうじやう)の弟子共(でしども)是(これ)をと(ッ)て
つか【塚】をつき、其(その)首(くび)をおさめ(をさめ)【納め】て頭P2084墓(づはか)と名付(なづけ)て今(いま)に
あり。是(これ)則(すなはち)広嗣(ひろつぎ)が霊(れい)の致(いた)すところ【所】也(なり)。是(これ)によ(ッ)て
P07066
彼(かの)亡霊(ばうれい)を崇(あがめ)られて、今(いま)松浦(まつら)の鏡(かがみ)の宮(みや)と号(かう)す。嵯
峨(さがの)皇帝(くわうてい)(くはうてい)の御時(おんとき)は、平城(へいぜい)の先帝(せんてい)、内侍(ないし)のかみのすすめに
よ(ッ)て世(よ)をみだり給(たま)ひし時(とき)、その御祈(おんいのり)のために、御門(みかど)
第三(だいさん)の皇女(くわうぢよ)(くはうぢよ)ゆうち(いうち)【有智】内親王(ないしんわう)を賀茂(かも)の斎院(さいゐん)に奉(たてまい)らせ(たてまゐらせ)【立て参らせ】
給(たま)ひけり。是(これ)斎院(さいゐん)のはじめ也(なり)。朱雀院(しゆしやくゐん)の御宇(ぎよう)には、将
門(まさかど)・純友(すみとも)が兵乱(ひやうらん)によ(ッ)て、八幡(やはた)の臨時(りんじ)の祭(まつり)をはじめ
らる。今度(こんど)も加様(かやう)の例(れい)をも(ッ)てさまざまの御祈共(おんいのりども)はじ
められけり。木曾山門牒状(きそさんもんてふじやう)(きそさんもんてうじやう)S0710 木曾(きそ)、越前(ゑちぜん)の国府(こふ)について、家子(いへのこ)郎等(らうどう)
P07067
めしあつめて評定(ひやうぢやう)す。「抑(そもそも)義仲(よしなか)近江国(あふみのくに)をへてこそ都(みやこ)へ
はいらむずるに、例(れい)の山僧(さんぞう)どもは防(ふせく)事(こと)もやあらんずらん。
か【駆】け破(やぶつ)てとをら(とほら)【通ら】ん事(こと)はやすけれども、平家(へいけ)こそ当
時(たうじ)は仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)共(とも)いは[B 「いか」とあり「ハ」と傍書]ず、寺(てら)をほろぼし、僧(そう)をうしなひ【失ひ】、
悪行(あくぎやう)をばいたせ、それを守護(しゆご)のために上洛(しやうらく)せんも
のが、平家(へいけ)とひとつなればとて、山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)にむか(ッ)て
いくさ【軍】せん事(こと)、すこしもたがは【違は】ぬ二(に)の舞(まひ)なるべし。是(これ)こ
そさすがやす【安】大事(だいじ)よ。いかがせん」との給(たま)へば、手書(てかき)に
P07068
ぐせ【具せ】P2085られたる大夫房(たいふばう)覚明(かくめい)申(まうし)けるは、「山門(さんもん)の衆徒(しゆと)は三千
人(さんぜんにん)候(さうらふ)。必(かなら)ず一味(いちみ)同心(どうしん)なる事(こと)は候(さうら)はず、皆(みな)思々(おもひおもひ)心々(こころごころ)に候(さうらふ)也(なり)。
或(あるい)(あるひ)は源氏(げんじ)につかんといふ衆徒(しゆと)も候(さうらふ)らん、或(あるい)(あるひ)は又(また)平家(へいけ)に
同心(どうしん)せんといふ大衆(だいしゆ)も候(さうらふ)らん。牒状(てふじやう)(てうでう)をつかはして御(ご)らん候(さうら)へ。
事(こと)のやう【様】返牒(へんでふ)(へんでう)にみえ【見え】候(さうら)はんずらん」と申(まうし)ければ、「此(この)儀(ぎ)
尤(もつと)もしかるべし。さらばかけ【書け】」とて、覚明(かくめい)に牒状(てふじやう)(てうでう)かかせ
て、山門(さんもん)へをくる(おくる)【送る】。其(その)状(じやう)(でう)に云(いはく)、義仲(よしなか)倩(つらつら)平家(へいけ)の悪逆(あくぎやく)
を見(み)るに、保元(ほうげん)平治(へいぢ)よりこのかた、ながく人臣(じんしん)の礼(れい)を
P07069
うしなう(うしなふ)。雖然(しかりといへども)、貴賎(きせん)手(て)をつかね、緇素(しそ)足(あし)をいただ
く。恣(ほしいまま)に帝位(ていゐ)を進退(しんだい)し、あく【飽く】まで国郡(こくぐん)をりよ
領(りやう)【虜領】ず。道理(だうり)非理(ひり)を論(ろん)ぜず、権門(けんもん)勢家(せいか)を追補【*追捕】(ついふく)
し、有財(うざい)無財(むざい)をいはず、卿相(けいしやう)侍臣(ししん)を損亡(そんばう)す。其(その)資
財(しざい)を奪取(うばひとつ)て悉(ことごとく)郎従(らうじゆう)(らうじう)にあたへ、彼(かの)庄園(しやうゑん)を没取(もつしゆ)
して、みだりがはしく子孫(しそん)にはぶく。就中(なかんづく)に去(さんぬる)治承(ぢしよう)(ぢせう)
三年(さんねん)十一月(じふいちぐわつ)、法皇(ほふわう)(ほうわう)を城南(せいなん)の離宮(りきゆう)(りきう)に移(うつ)し[* 「福し」と有るのを高野本により訂正]奉(たてまつ)り[* 「奉る」と有るのを他本により訂正]、
博陸(はくりく)を海城(かいせい)の絶域(ぜついき)に流(なが)し奉(たてまつ)る。衆庶(しゆそ)物(もの)いはず、
P07070
道路(だうろ)目(め)をも(ッ)てす。しかのみならず、同(おなじき)四年(しねん)五月(ごぐわつ)、二(に)の
宮(みや)の朱閣(しゆかく)をかこみ奉(たてまつ)り、九重(ここのへ)(ここのえ)の垢塵(くぢん)をおどろかさ
しむ。爰(ここ)に帝子(ていし)非分(ひぶん)の害(がい)をのがれむがために、
ひそかに園城寺(をんじやうじ)へ入御(じゆぎよ)の時(とき)、義仲(よしなか)先日(さきのひ)に令旨(りやうじ)(れうじ)
を給(たまは)るによ(ッ)て、鞭(むち)をあげんとほ(ッ)する処(ところ)に、怨敵(をんでき)
巷(ちまた)にみちて予参(よさん)道(みち)をうしなふ。近境(きんけい)の源氏(げんじ)
猶(なほ)(なを)参候(さんこう)せず、况(いはん)や遠境(ゑんきやう)においてをや。しかる
を園城(をんじやう)者(は)分限(ぶんげん)なきによ(ッ)て南都(なんと)へをもむか(おもむか)【赴むか】しP2086
P07071
め給(たま)ふ間(あひだ)(あいだ)、宇治橋(うぢはし)にて合戦(かつせん)す。大将(たいしやう)三位(さんみ)入道(にふだう)(にうだう)頼政(よりまさ)父子(ふし)、命(いのち)
をかろんじ、義(ぎ)をおもんじて、一戦(いつせん)の功(こう)をはげますと
いへ共(ども)、多勢(たせい)のせめ【攻め】をまぬかれず、形骸(けいがい)を古岸(こがん)の苔(こけ)に
さらし、性命(せいめい)を長河(ちやうか)の浪(なみ)にながす。令旨(りやうじ)(れうじ)の趣(おもむき)肝(きも)に
銘(めい)じ、同類(どうるい)のかなしみ魂(たましひ)(たましゐ)をけつ。是(これ)によ(ッ)て東国(とうごく)
北国(ほつこく)の源氏等(げんじら)をのをの(おのおの)【各々】参洛(さんらく)を企(くはた)て、平家(へいけ)をほろ
ぼさんとほ(ッ)す。義仲(よしなか)去(いん)じ年(とし)の秋(あき)、宿意(しゆくい)を達(たつ)
せんがために、旗(はた)をあげ剣(けん)をと(ッ)て信州(しんしう)を出(いで)し日(ひ)、
P07072
越後国(ゑちごのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)城(じやうの)四郎(しらう)長茂[* 「助茂」と有るのを他本により訂正](ながしげ)、数万(すまん)の軍兵(ぐんびやう)を率(そつ)して
発向(はつかう)せしむる間(あひだ)(あいだ)、当国(たうごく)横田河〔原〕(よこたがはら)にして合戦(かつせん)す。義
仲(よしなか)わづかに三千余騎(さんぜんよき)をも(ッ)て、彼(かの)兵(つはもの)を破(やぶ)りおは(ン)(をはん)ぬ。
風聞(ふうぶん)ひろきに及(およん)(をよん)で、平氏(へいじ)の大将(たいしやう)十万(じふまん)の軍士(ぐんし)を
率(そつ)して北陸(ほくろく)に発向(はつかう)す。越州(ゑつしう)・賀州(かしう)・砥浪(となみ)・黒坂(くろさか)・塩
坂(しほさか)・篠原(しのはら)以下(いげ)の城郭(じやうくわく)にして数ケ度(すかど)合戦(かつせん)(か(ツ)せん)す。策(はかりこと)
を惟幕(いばく)の内(うち)にめぐらして、勝(かつ)事(こと)を咫尺(しせき)のもと
にえたり。しかるをうてば必(かなら)ず伏(ふく)し、せむれば必(かなら)ず
P07073
くだる。秋(あき)の風(かぜ)の芭蕉(ばせう)(ばせを)を破(やぶる)に異(こと)ならず、冬(ふゆ)の霜(しも)
の群(くん)ゆう(くんいう)をか【枯】らすに同(おな)じ。是(これ)ひとへに神明(しんめい)仏陀(ぶつだ)
のたすけ也(なり)。更(さら)に義仲(よしなか)が武略(ぶりやく)にあらず。平氏(へいじ)敗北(はいほく)
のうへは参洛(さんらく)を企(くはたつ)る者(もの)也(なり)。今(いま)叡岳(えいがく)(ゑいがく)の麓[* 「林鹿」と有るのを高野本により訂正](ふもと)を過(すぎ)て
洛陽(らくやう)の衢(ちまた)に入(いる)べし。此(この)時(とき)にあた(ッ)てひそかに疑貽(ぎたい)
あり。抑(そもそも)天台衆徒(てんだいしゆと)平家(へいけ)に同心(どうしん)歟(か)、源氏(げんじ)に与力(よりき)歟(か)。若(もし)
彼(かの)悪徒(あくと)をたすけらるべくは、衆徒(しゆと)にむか(ッ)て合戦(かつせん)
すべし。若(もし)合戦(かつせん)をいたさば叡岳(えいがく)(ゑいがく)の滅亡(めつばう)踵(くびす)をめぐ
P07074
らすべからず。悲(かなしき)哉(かな)、平氏(へいじ)P2087震襟【*宸襟】(しんきん)を悩(なやま)し、仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)をほろぼ
す間(あひだ)(あいだ)、悪逆(あくぎやく)をしづめんがために義兵(ぎへい)を発(おこ)(をこ)す処(ところ)に、忽(たちまち)
に三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)に向(むかつ)て不慮(ふりよ)の合戦(かつせん)を致(いたさ)ん事(こと)を。
痛(いたましき)哉(かな)、医王(いわう)山〔王〕(さんわう)に憚(はばかり)奉(たてまつ)て、行程(かうてい)に遅留(ちりう)せしめば、
朝廷(てうてい)緩怠(くわんたい)の臣(しん)として武略(ぶりやく)瑕瑾(かきん)のそしりをのこ
さん事(こと)を。みだりがはしく進退(しんだい)に迷(まよふ)て案内(あんない)を啓(けい)す
る所(ところ)也(なり)。乞願(こひねがはく)(こいねがはく)は三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)、神(かみ)のため、仏(ほとけ)のため、国(くに)の
ため、君(きみ)のために、源氏(げんじ)に同心(どうしん)して凶徒(きようど)(けうど)を誅(ちゆう)(ちう)し、鴻
P07075
化(こうくわ)に浴(よく)せん。懇丹(こんたん)の至(いたり)に堪(たへ)(たえ)ず。義仲(よしなか)恐惶(きようくわう)謹言(きんげん)。寿
永(じゆえい)(じゆゑい)二年(にねん)六月(ろくぐわつ)十日(とをかのひ)源(みなもとの)義仲(よしなか)進上(しんじやう)恵光坊(ゑくわうばう)(ゑくはうばう)律師(りつしの)御房(ごばう)とぞ
かい【書い】たりける。返牒(へんでふ)(へんでう)S0711 案(あん)のごとく、山門(さんもん)の大衆(だいしゆ)此(この)状(じやう)(でう)を披見(ひけん)して、
僉議(せんぎ)まちまち也(なり)。或(あるい)(あるひ)は源氏(げんじ)につかんといふ衆徒(しゆと)もあり、或(あるい)(あるひ)
は又(また)平家(へいけ)に同心(どうしん)せんといふ大衆(だいしゆ)もあり。おもひおもひ【思ひ思ひ】異
儀(いぎ)まちまち也(なり)。老僧共(らうそうども)の僉議(せんぎ)しけるは、「詮(せんず)る所(ところ)、我等(われら)
も(ッ)ぱら金輪聖主(きんりんせいしゆ)天長地久(てんちやうちきう)と祈(いのり)奉(たてまつ)る。平家(へいけ)は
当代(とうだい)の御外戚(ごぐわいせき)、山門(さんもん)にをいて(おいて)帰敬(ききやう)をいたさる。され
P07076
ば今(いま)P2088に至(いた)るまで彼(かの)繁昌(はんじやう)を祈誓(きせい)す。しかりといへども、
悪行(あくぎやう)法(ほふ)(ほう)に過(すぎ)て万人(ばんにん)是(これ)をそむく。討手(うつて)を国々(くにぐに)へ
つかはすといへども、かへ(ッ)て【却つて】異賊(いぞく)のためにおとさ【落さ】れぬ。源
氏(げんじ)は近年(きんねん)よりこのかた、度々(どど)のいくさ【軍】に討勝(うちかつ)て運
命(うんめい)ひらけんとす。なんぞ当山(たうざん)ひとり宿運(しゆくうん)つき
ぬる平家(へいけ)に同心(どうしん)して、運命(うんめい)ひらくる源氏(げんじ)をそ
むかんや。すべからく平家(へいけ)値遇(ちぐ)の儀(ぎ)を翻(ひるがへ)して、
源氏(げんじ)合力(かふりよく)(かうりよく)の心(こころ)に住(ぢゆう)(ぢう)すべき」よし、一味(いちみ)同心(どうしん)に僉議(せんぎ)し
P07077
て、返牒(へんでふ)(へんでう)ををくる(おくる)【送る】。木曾殿(きそどの)又(また)家子(いへのこ)郎等(らうどう)めしあつめて、
覚明(かくめい)に此(この)返牒(へんでふ)(へんでう)をひらかせらる。六月(ろくぐわつ)十日(とをか)の牒状(てふじやう)(てうでう)、同(おなじき)
十六日(じふろくにち)到来(たうらい)、披閲(ひえつ)(ひゑつ)のところ【所】数日(すじつ)の鬱念(うつねん)一時(いつし)に解
散(げさん)す。凡(およそ)(をよそ)平家(へいけ)の悪逆(あくぎやく)累年(るいねん)に及(およん)(をよん)で、朝廷(てうてい)の騒動(さうどう)
やむ時(とき)なし。事(こと)人口(じんこう)にあり、異失(いしつ)するにあたはず。夫(それ)叡
岳(えいがく)(ゑいがく)にいた(ッ)ては、帝都(ていと)東北(とうぼく)の仁祠(じんし)として、国家(こくか)静謐(せいひつ)
の精祈(せいき)をいたす。しかるを一天(いつてん)久(ひさ)しく彼(かの)夭逆(えうげき)(ようげき)に
をかされて、四海(しかい)鎮(とこしなへ)に其(その)安全(あんせん)をえず。顕密(けんみつ)の法
P07078
輪(ほふりん)(ほうりん)なきが如(ごと)く、擁護(おうご)の神感(しんかん)しばしばすたる。爰(ここに)貴下(くいか)適(たまたま)累
代(るいたい)武備(ぶび)の家(いへ)に生(むまれ)て、幸(さいはひ)に当時(たうじ)政善(せいぜん)の仁(じん)たり。予(あらかじめ)奇
謀(きぼう)をめぐらして忽(たちまち)に義兵(ぎへい)をおこす。万死(ばんし)の命(めい)を
忘(わすれ)て一戦(いつせん)の功(こう)をたつ。其(その)勢(せい)いまだ両年(りやうねん)をすぎざる
に其(その)名(な)既(すで)に四海(しかい)にながる。我(わが)山(やま)の衆徒(しゆと)、かつがつ以(もつて)(も(ツ)て)承悦(しようえつ)(せうゑつ)
す。国家(こつか)のため、累家(るいか)のため、武功(ぶこう)を感(かん)じ、武略(ぶりやく)を感(かん)ず。
かくの如(ごと)くならば則(すなはち)山上(さんじやう)の精祈(せいき)むなしからざる事(こと)
を悦(よろこ)び、海内(かいだい)の恵護(ゑご)おこたりなき事(こと)をしん【知ん】ぬ。
P07079
自寺他寺(じじたじ)、常住(じやうぢゆう)(じやうぢう)の仏P2089法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)、本社(ほんじや)末社(まつしや)、祭奠(さいてん)の神明(しんめい)、定(さだめ)
て教法(けうぼふ)(けうぼう)の二(ふた)たび【二度】さかへ(さかえ)【栄え】ん事(こと)を悦(よろこ)び、崇敬(そうきやう)のふるき
に服(ぶく)せん事(こと)を随喜(ずいき)し給(たま)ふらん。衆徒等(しゆとら)が心中(しんぢゆう)(しんぢう)、只(ただ)賢察(けんさつ)
をた【垂】れよ。然(しかれば)則(すなはち)、冥(みやう)には十二(じふに)神将(じんじやう)、忝(かたじけな)く医王(いわう)善逝(ぜんぜい)の
使者(ししや)として凶賊(きようぞく)(けうぞく)追討(ついたう)の勇士(ようし)にあひくははり【加はり】、顕(けん)
には三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)しばらく修学(しゆがく)讃仰(さんぎやう)(さんげう)の勤節(きんせつ)を止(やめ)て、
悪侶(あくりよ)治罰(ぢばつ)の官軍(くわんぐん)をたすけしめん。止観(しくわん)十乗(じふじよう)(じふぜう)の梵
風(ぼんぷう)は奸侶(かんりよ)を和朝(わてう)の外(ほか)に払(はら)ひ、瑜伽(ゆが)三蜜【三密】(さんみつ)の法雨(ほふう)(ほうう)は
P07080
時俗(しぞく)を■年(げうねん)の昔(むかし)にかへさ【返さ】ん。衆儀(しゆぎ)かくの如(ごと)し。倩(つらつら)これ
を察(さつせ)よ。寿永(じゆえい)(じゆゑい)二年(にねん)七月(しちぐわつ)二日(ふつかのひ)大衆等(だいしゆら)(たいしゆら)とぞかいたりける。
平家(へいけ)山門(さんもんへの)連署(れんじよ)S0712平家(へいけ)はこれをしらずして、「興福(こうぶく)園城(をんじやう)両寺(りやうじ)は鬱
憤(うつぷん)をふくめる折節(をりふし)(おりふし)なれば、かたらふ共(とも)よもなびかじ。当家(たうけ)
はいまだ山門(さんもん)のためにあたをむすばず、山門(さんもん)又(また)当家(たうけ)
のために不忠(ふちゆう)(ふちう)を存(ぞん)ぜず。山王大師(さんわうだいし)に祈誓(きせい)して、
三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)をかたらはばや」とて、一門(いちもん)の公卿(くぎやう)十人(じふにん)、同
心(どうしん)連署(れんじよ)の願書(ぐわんじよ)(ぐはんじよ)をかいて山門(さんもん)へをくる(おくる)【送る】。其(その)状(じやう)(でう)に云(いはく)、
P07081
敬(うやまつて)白(まうす)、延暦寺(えんりやくじ)をも(ッ)て氏寺(うぢてら)に准(じゆん)じ、日吉(ひよし)の社(やしろ)をも(ッ)て
氏社(うじやしろ)として、一向(いつかう)天P2090台(てんだい)の仏法(ぶつぽふ)(ぶつぱう)を仰(あふぐ)べき事(こと)。右(みぎ)当家(たうけ)
一族(いちぞく)の輩(ともがら)、殊(こと)に祈誓(きせい)する事(こと)あり。旨趣(しいしゆ)(し(イ)しゆ)如何者(いかんとなれば)、叡
山(えいさん)(ゑいさん)は是(これ)桓武天皇(くわんむてんわう)(くはんむてんわう)の御宇(ぎよう)、伝教大師(でんげうだいし)入唐(につたう)帰朝(きてう)の
後(のち)、天台(てんだい)の仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)を此(この)所(ところ)にひろめ、遮那(しやな)の大戒(だいかい)を其(その)
内(うち)に伝(つたへ)てよりこのかた、専(もつぱら)仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)繁昌(はんじやう)の霊崛(れいくつ)と
して、鎮護(ちんご)国家(こつか)の道場(だうぢやう)にそなふ。方(まさ)に今(いま)、伊豆国(いづのくに)
の流人(るにん)源(みなもとの)頼朝(よりとも)、其(その)咎(とが)を悔(くい)ず、かへ(ッ)て【却つて】朝憲(てうけん)を嘲(あざけ)る。
P07082
しかのみならず奸謀(かんぼう)にくみして同心(どうしん)をいたす源氏
等(げんぢら)、義仲(よしなか)行家(ゆきいへ)以下(いげ)党(たう)を結(むすび)て数(かず)あり。隣境(りんきやう)遠境(ゑんきやう)
数国(すこく)を掠領(りやうりやう)して、土宜(とぎ)土貢(とこう)万物(ばんもつ)を押領(あふりやう)(おうりやう)す。
これによ(ッ)て或(あるい)(あるひ)は累代(るいたい)勲功(くんこう)の跡(あと)をおひ、或(あるい)(あるひ)は当時(たうじ)弓
馬(きゆうば)(きうば)の芸(げい)にまかせて、速(すみやか)に賊徒(ぞくと)を追討(ついたう)(つゐたう)し、凶党(きようたう)(けうたう)
を降伏(がうぶく)すべきよし、いやしくも勅命(ちよくめい)をふくんで、頻(しきり)
に征罰(せいばつ)を企(くはた)つ。爰(ここ)に魚鱗(ぎよりん)鶴翼(くわくよく)の陣(ぢん)、官軍(くわんぐん)利(り)
をえず、聖謀(せいぼう)てん戟(げき)【*電戟】[* 「てん戦」と有るのを高野本により訂正]の威(ゐ)、逆類(ぎやくるい)勝(かつ)に乗(のる)に似(に)たり。若(もし)
P07083
神明(しんめい)仏陀(ぶつだ)の加備(かび)にあらずは、争(いかで)か反逆(ほんぎやく)の凶乱(きようらん)(けうらん)をしづ
めん耳(のみ)。何(なんぞ)况(いはん)や、忝(かたじけな)く臣等(しんら)が曩祖(なうそ)(のうそ)をおもへ【思へ】ば、本願(ほんぐわん)(ほんぐはん)の
余裔(よえい)(よゑい)とい(ッ)つべし。弥(いよいよ)崇重(そうちよう)(そうてう)すべし、弥(いよいよ)恭敬(くぎやう)すべ
し。自今(じごん)以後(いご)山門(さんもん)に悦(よろこび)あらば一門(いちもん)の悦(よろこび)とし、社家(しやけ)に
憤(いきどほり)(いきどをり)あらば一家(いつか)の憤(いきどほり)(いきどをり)とせん、をのをの(おのおの)【各々】子孫(しそん)に伝(つたへ)て
ながく失堕(しつだ)せじ。藤氏(とうじ)は春日社(かすがのやしろ)興福寺(こうぶくじ)をも(ッ)て
氏社(うぢやしろ)氏寺(うぢてら)として、久(ひさ)しく法相(ほつさう)大乗(だいじよう)(だいぜう)の宗(しゆう)(しう)を帰(き)す。
平氏(へいじ)は日吉社(ひよしのやしろ)延暦寺(えんりやくじ)をも(ッ)て氏社(うぢやしろ)氏寺(うぢてら)として、
P07084
まのあたり円実(ゑんじつ)頓悟(とんご)の教(けう)に値遇(ちぐ)せん。かれはむかしのP2091
ゆい跡(せき)【遺跡】[* 「ゆく跡」と有るのを他本により訂正]也(なり)、家(いへ)のため、栄幸(えいかう)(ゑいかう)をおもふ。これは今(いま)の精祈(せいき)也(なり)、
君(きみ)のため、追罰(ついばつ)(つゐばつ)をこふ【乞ふ】。仰(あふぎ)願(ねがはく)は、山王(さんわう)七社(しちしや)王子(わうじ)眷属(けんぞく)、
東西(とうざい)満山(まんざん)護法(ごほふ)(ごほう)聖衆(しやうじゆ)、十二(じふに)上願(じやうぐわん)日光(につくわう)月光(ぐわつくわう)、医王(いわう)善
逝(ぜんぜい)、無二(むに)の丹誠(たんぜい)を照(てら)して唯一(ゆいいつ)の玄応(けんおう)を垂(たれ)給(たま)へ。然(しかれば)則(すなはち)
逆臣(げきしん)の賊(ぞく)、手(て)を君門(くんもん)につかね、暴逆(ほうぎやく)残害(さんがい)の輩(ともがら)、首(くび)を
京土(けいと)に伝(つたへ)ん。仍(よつて)当家(たうけ)の公卿等(くぎやうら)、異口(いく)同〔音〕(どうおん)(どうをん)に雷(らい)をなし
て祈誓(きせい)如件(くだんのごとし)。従(じゆ)三位(さんみ)(さんゐ)行(ぎやう)兼(けん)越前守(ゑちぜんのかみ)平(たひらの)朝臣(あそん)(あつそん)通盛(みちもり)従(じゆ)
P07085
三位(さんみ)行(ぎやう)兼(けん)右近衛(うこんゑの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)平(たひらの)朝臣(あそん)資盛(すけもり)正(じやう)三位(ざんみ)(ざんゐ)行(ぎやう)左近衛(さこんゑの)
権(ごんの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)兼(けん)伊与【*伊予】守(いよのかみ)平(たひらの)朝臣(あそん)維盛(これもり)正(じやう)三位(ざんみ)行(ぎやう)左近衛(さこんゑの)中
将(ちゆうじやう)兼(けん)幡摩【*播磨】守(はりまのかみ)平(たひらの)朝臣(あそん)重衡(しげひら)正(じやう)三位(ざんみ)行(ぎよう)右衛門督(うゑもんのかみ)兼(けん)
近江(あふみ)遠江守(とほたふみのかみ)(とをたうみのかみ)平(たひらの)朝臣(あそん)清宗(きよむね)参議(さんぎ)正(じやう)三位(ざんみ)皇大后宮(くわうだいこうくう)
大夫(だいぶ)兼(けん)修理大夫(しゆりのだいぶ)加賀(かが)越中守(ゑつちゆうのかみ)(ゑつちうのかみ)平(たひらの)朝臣(あそん)経盛(つねもり)従(じゆ)二位(にゐ)
行(ぎやう)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)兼(けん)左兵衛督(さひやうゑのかみ)征夷(せいゐ)大将軍(たいしやうぐん)平(たひらの)朝臣(あそん)知盛(とももり)従(じゆ)
二位(にゐ)行(ぎやう)権(ごん)中納言(ぢゆうなごん)兼(けん)肥前守(ひぜんのかみ)平(たひらの)朝臣(あそん)教盛(のりもり)正(じやう)二位(にゐ)行(ぎやう)
権(ごん)大納言(だいなごん)兼(けん)出羽(では)陸奥(みちのく)按察使(あぜつし)平(たひらの)朝臣(あそん)頼盛(よりもり)従(じゆ)一位(いちゐ)平(たひらの)
P07086
朝臣(あそん)宗盛(むねもり)寿永(じゆえい)(じゆゑい)二年(にねん)七月(しちぐわつ)五日(いつかのひ)敬(うやまつて)白(まうす)P2092とぞかかれたる。貫首(くわんじゆ)
是(これ)を憐(あはれ)み給(たま)ひて、左右(さう)なうも披露(ひろう)せられず、十禅師(じふぜんじ)
の御殿(ごてん)にこめて、三日(さんにち)加持(かぢ)して、其(その)後(のち)衆徒(しゆと)に披露(ひろう)
せらる。はじめはありともみえ【見え】ざりし一首(いつしゆ)の歌(うた)、願書(ぐわんじよ)
のうは【上】巻(まき)にできたり。
たいらか(たひらか)【平か】に花(はな)さくやど【宿】も年(とし)ふれば
西(にし)へかたぶく月(つき)とこそなれ W050
山王大師(さんわうだいし)あはれみをたれ給(たま)ひ、三千(さんぜん)の衆徒(しゆと)力(ちから)を合(あは)せ
P07087
よと也(なり)。されども年(とし)ごろ日(ひ)ごろ[* 「日ごろ日」と有るのを高野本により訂正]のふるまひ、神慮(しんりよ)にもた
がい(たがひ)【違ひ】、人望(じんばう)にもそむきにければ、いのれ共(ども)かなは【叶は】ず、かたらへ共(ども)
なびかざりけり。大衆(だいしゆ)まこと【誠】に事(こと)の体(てい)をば憐(あはれ)みけれ
共(ども)、「既(すで)に源氏(げんじ)に同心(どうしん)の返牒(へんでふ)(へんでう)ををくる(おくる)【送る】。今(いま)又(また)かろがろ敷(しく)
其(その)儀(ぎ)をあらたむるにあたはず」とて、是(これ)を許容(きよよう)する
衆徒(しゆと)もなし。主上都落(しゆしやうのみやこおち)S0713同(おなじき)七月(しちぐわつ)十四日(じふしにち)、肥後守(ひごのかみ)(ひ(ン)ごのかみ)貞能(さだよし)、鎮西(ちんぜい)の謀
反(むほん)たいらげ(たひらげ)【平げ】て、菊池(きくち)・原田(はらだ)・松浦党(まつらたう)以下(いげ)三千余騎(さんぜんよき)を
めし具(ぐ)して上洛(しやうらく)す。鎮西(ちんぜい)は纔(わづか)にたいらげ(たひらげ)【平げ】ども、東国(とうごく)北
P07088
国(ほつこく)のいくさ【軍】いかにもしづまらず。P2093同(おなじき)廿二日(にじふににち)の夜半(やはん)ばかり、六波
羅(ろくはら)の辺(へん)おびたたしう【夥しう】騒動(さうどう)す。馬(むま)に鞍(くら)をき(おき)【置き】腹帯(はるび)し
め、物共(ものども)東西南北(とうざいなんぼく)へはこびかくす。ただ今(いま)敵(かたき)のうち入(いる)さま
也(なり)。あけて後(のち)聞(きこ)えしは、美濃源氏(みのげんじ)佐渡(さどの)衛門尉(ゑもんのじよう)(ゑもんのぜう)重貞(しげさだ)
といふ者(もの)あり、一(ひと)とせ保元(ほうげん)の合戦(かつせん)の時(とき)、鎮西(ちんぜい)の八郎(はちらう)為朝(ためとも)
がかた【方】のいくさ【軍】にまけて、おちうとにな(ッ)たりしを、からめていだし
たりし勧賞(けんじやう)に、もとは兵衛尉(ひやうゑのじよう)(ひやうゑのぜう)たりしが右衛門尉(うゑもんのじよう)(うゑもんのぜう)になりぬ。
是(これ)によ(ッ)て一門(いちもん)にはあた【仇】まれて平家(へいけ)にへつらひ
P07089
けるが、其(その)夜(よ)の夜半(やはん)ばかり、六波羅(ろくはら)に馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まうし)けるは、
「木曾(きそ)既(すで)に北国(ほつこく)より五万(ごまん)余騎(よき)でせめ【攻め】のぼり、比叡山(ひえいさん)(ひゑいさん)東
坂本(ひがしざかもと)(ひ(ン)がしざかもと)にみちみちて候(さうらふ)。郎等(らうどう)に楯(たて)の六郎(ろくらう)親忠(ちかただ)、手書(てかき)に
大夫房(たいふばう)覚明(かくめい)、六千余騎(ろくせんよき)で天台山(てんだいさん)にきをひ(きほひ)【競ひ】のぼり、三
千(さんぜん)の衆徒(しゆと)皆(みな)同心(どうしん)して只今(ただいま)都(みやこ)へ攻入(せめいる)」よし申(まうし)たりける
故(ゆゑ)(ゆへ)也(なり)。平家(へいけ)の人々(ひとびと)大(おほき)にさはい(さわい)【騒い】で、方々(はうばう)へ討手(うつて)をむけら
れけり。大将軍(たいしやうぐん)には、新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)知盛卿(とももりのきやう)、本三位(ほんざんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重
衡卿(しげひらのきやう)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)三千余騎(さんぜんよき)、都(みやこ)を立(たつ)てまづ山階(やましな)に
P07090
宿(しゆく)せらる。越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)通盛(みちもり)、能登守(のとのかみ)教経(のりつね)、二千余騎(にせんよき)で
宇治橋(うぢはし)をかためらる。左馬頭(さまのかみ)行盛(ゆきもり)、薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)、一
千余騎(いつせんよき)で淀路(よどぢ)を守護(しゆご)せられけり。源氏(げんじ)の方(かた)には
十郎(じふらう)蔵人(くらんど)行家(ゆきいへ)、数千騎(すせんぎ)で宇治橋(うぢはし)より入(いる)とも聞(きこ)え
けり。陸奥(みちのくの)新判官(しんはんぐわん)義康(よしやす)が〔子(こ)〕、矢田(やたの)(やだの)判官代(はんぐわんだい)義清(よしきよ)、大江
山(おほえやま)をへて上洛(しやうらく)すとも申(まうし)あへり。摂津国(せつつのくに)河内(かはち)の源氏等(げんじら)、
雲霞(うんか)の如(ごと)くに同(おなじく)都(みやこ)へみだれ入(いる)よし聞(きこ)えしかば、平
家(へいけ)の人々(ひとびと)「此(この)上(うへ)はただ一所(いつしよ)でいかにもなり給(たま)P2094へ」とて、方々(はうばう)
P07091
へむけられたる討手共(うつてども)、都(みやこ)へ皆(みな)よびかへさ【返さ】れけり。帝都(ていと)
名利地(みやうりのち)、鶏(にはとり)鳴(ない)て安(やす)き事(こと)なし。おさまれ(をさまれ)【納まれ】る世(よ)だにもかくの
如(ごと)し。况(いはん)や乱(みだれ)たる世(よ)にをいて(おいて)をや。吉野山(よしのやま)の奥(おく)のおくへも入(いり)
なばやとはおぼしけれ共(ども)、諸国(しよこく)七道(しちだう)悉(ことごとく)そむきぬ。いづれの浦(うら)
かおだしかるべき。三界(さんがい)無安(むあん)猶如(ゆによ)火宅(くわたく)(くはたく)とて、如来(によらい)の金言(きんげん)
一乗(いちじよう)(いちぜう)の妙文(めうもん)なれば、なじかはすこしもたがふ【違ふ】べき。同(おなじき)七月(しちぐわつ)廿四
日(にじふしにち)のさ夜(よ)ふけがたに、前(さきの)内大臣(ないだいじん)宗盛公(むねもりこう)、建礼門院(けんれいもんゐん)のわ
たらせ給(たま)ふ六波羅殿(ろくはらどの)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まう)されけるは、「此(この)世(よ)の中(なか)
P07092
のあり様(さま)、さりともと存(ぞんじ)候(さうらひ)つるに、いまはかうにこそ候(さうらふ)めれ。ただ
都(みやこ)のうちでいかにもならんと、人々(ひとびと)は申(まうし)あはれ候(さうら)へども、まのあ
たりうき目(め)を見(み)せまいらせ(まゐらせ)【参らせ】んも口惜(くちをしく)(くちおしく)候(さうら)へば、院(ゐん)をも内(うち)を
もとり奉(たつまつり)て、西国(さいこく)の方(かた)へ御幸(ごかう)行幸(ぎやうがう)をもなしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て
みばやとこそ思(おも)ひな(ッ)て候(さうら)へ」と申(まう)されければ、女院(にようゐん)「今(いま)はただ
ともかうも、そこのはからひにてあらんずらめ」とて、御衣(ぎよい)の御
袂(おんたもと)にあまる御涙(おんなみだ)せきあへさせ給(たま)はず。大臣殿(おほいとの)も直衣(なほし)(なをし)の
袖(そで)しぼる斗(ばかり)にみえ【見え】られけり。其(その)夜(よ)法皇(ほふわう)(ほうわう)をば
P07093
内々(ないない)平家(へいけ)のとり奉(たてまつり)て、都(みやこ)の外(ほか)へ落行(おちゆく)べしといふ
事(こと)をきこしめさ【聞し召さ】れてやありけん、按察大納言(あぜちのだいなごん)
資方【*資賢】卿(すけかたのきやう)の子息(しそく)、右馬頭(むまのかみ)資時(すけとき)斗(ばかり)御供(おんとも)(おとも)にて、ひそかに
御所[* 「御前」と有るのを高野本により訂正](ごしよ)を出(いで)させ給(たま)ひ、鞍馬(くらま)へ御幸(ごかう)なる。人(ひと)是(これ)をしら
ざりけり。平家(へいけ)の侍(さぶらひ)橘(きち)P2095内左衛門(ないざゑもんの)尉(じよう)(ぜう)季康(すゑやす)といふ者(もの)
あり。さかざか【賢々】しきおのこ(をのこ)【男】にて、院(ゐん)にもめしつかはれけり。其(その)
夜(よ)しも法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)に御(お)とのゐして候(さうらひ)けるに、つねの御
所(ごしよ)のかた、よにさはがしう(さわがしう)【騒がしう】ざざめきあひて、女房達(にようばうたち)
P07094
しのびね【忍び音】になきな(ン)ど(など)し給(たま)へば、何事(なにごと)やらんと聞(きく)程(ほど)に、「法
皇(ほふわう)(ほうわう)の俄(にはか)にみえ【見え】させ給(たま)はぬは。いづ方(かた)へ御幸(ごかう)やらん」と
いふ声(こゑ)にききなしつ。「あなあさまし」とて、やがて六波羅(ろくはら)
へ馳(はせ)まいり(まゐり)【参り】、大臣殿(おほいとの)に此(この)由(よし)申(まうし)ければ、「いで、ひが事(こと)でぞ
あるらん」との給(たま)ひながら、ききもあへず、いそぎ法住寺
殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)へ馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)へば、げにみえ【見え】させ給(たま)はず。
御前(ごぜん)に候(さふら)はせ給(たま)ふ女房[* 「如房」と有るのを高野本により訂正]達(にようばうたち)、二位殿(にゐどの)丹後殿(たんごどの)以下(いげ)一人(いちにん)も
はたらき給(たま)はず。「いかにやいかに」と申(まう)されけれ共(ども)、「われこそ
P07095
御(おん)ゆくゑ(ゆくへ)【行方】しりまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たれ」と申(まう)さるる人(ひと)一人(いちにん)もおはせ
ず、皆(みな)あきれたるやう也(なり)けり。さる程(ほど)に、法皇(ほふわう)(ほうわう)都(みやこ)の
内(うち)にもわたらせ給(たま)はずと申(まうす)程(ほど)こそありけれ、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)
の騒動(さうどう)なのめならず。况(いはん)や平家(へいけ)の人々(ひとびと)のあはて(あわて)【慌て】さは
が(さわが)【騒が】れけるありさま、家々(いへいへ)に敵(かたき)の打入(うちいり)たり共(とも)、かぎりあれば、
是(これ)には過(すぎ)じとぞ見(み)えし。日(ひ)ごろは平家(へいけ)院(ゐん)をも内(うち)
をもとりまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、西国(さいこく)の方(かた)へ御幸(ごかう)行幸(ぎやうがう)をもなし
奉(たてまつ)らんと支度(したく)せられたりしに、かく打(うち)すてさせ給(たま)ひ
P07096
ぬれば、たのむ【頼む】木(こ)のもとに雨(あめ)のたまらぬ心地(ここち)ぞせられける。
「さりとては行幸(ぎやうがう)ばかりなり共(とも)なしまいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」とて、卯剋(うのこく)
ばかりに既(すで)に行幸(ぎやうがう)P2096の御(み)こし【御輿】よせたりければ、主上(しゆしやう)は
今年(ことし)六歳(ろくさい)、いまだいとけなうましませば、なに心(ごころ)もなうめ
されけり。国母(こくぼ)建礼門院(けんれいもんゐん)御同輿(ごどうよ)にまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ふ。内侍
所(ないしどころ)、神璽(しんし)、宝剣(ほうけん)わたし奉(たてまつ)る。「印鑰(いんやく)(ゐんやく)、時札(ときのふだ)、玄上(けんじやう)、鈴(すず)か【鈴鹿】な(ン)ど(など)
もとりぐせよ【具せよ】」と平大納言(へいだいなごん)下知(げぢ)せられけれ共(ども)、あまりにあ
はて(あわて)【慌て】さはい(さわい)【騒い】でとりおとす【落す】物(もの)ぞおほかり【多かり】ける。日(ひ)の御座(ござの)御
P07097
剣(ぎよけん)な(ン)ど(など)もとりわすれさせ給(たま)ひけり。やがて此(この)時忠卿(ときただのきやう)、内蔵
頭(くらのかみ)信基(のぶもと)、讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)時実(ときざね)三人(さんにん)ばかりぞ、衣冠(いくわん)にて供奉(ぐぶ)
せられける。近衛(こんゑ)づかさ、御綱(みつな)のすけ、甲冑(かつちう)をよろい(よろひ)【鎧ひ】弓
箭(きゆうせん)(きうせん)を帯(たい)して供奉(ぐぶ)せらる。七条(しつでう)を西(にし)へ、朱雀(しゆしやか)を南(みなみ)(み(ン)なみ)へ
行幸(ぎやうがう)なる。明(あく)れば七月(しちぐわつ)廿五日(にじふごにち)也(なり)。漢天(かんてん)既(すで)にひらきて、雲(くも)
東嶺(とうれい)にたなびき、あけがたの月(つき)しろく【白く】さえて、鶏
鳴(けいめい)又(また)いそがはし。夢(ゆめ)にだにかかる事(こと)はみず。一(ひと)とせ都(みやこ)
うつりとて俄(にはか)にあはたたしかり(あわたたしかり)しは、かかるべかり
P07098
ける先表(ぜんべう)共(とも)今(いま)こそおもひ【思ひ】しられけれ。摂政殿(せつしやうどの)も行幸(ぎやうがう)
に供奉(ぐぶ)して御出(ぎよしゆつ)なりけるが、七条大宮(しつでうおほみや)にてびんづら
ゆひたる童子(どうじ)の御車(おんくるま)の前(まへ)をつ(ッ)と走(はし)りとおる(とほる)【通る】を
御覧(ごらん)ずれば、彼(かの)童子(どうじ)の左[M 「老」とありミセケチ「左」と傍書](ひだり)の袂(たもと)に、春(はる)の日(ひ)といふ文字(もんじ)ぞ
あらはれたる。春(はる)の日(ひ)とかいてはかすがとよめば、法相(ほつさう)擁
護(おうご)の春日大明神(かすがだいみやうじん)、大織冠(たいしよくくわん)(たいしよくはん)の御末(おんすゑ)をまもら【守ら】せ給(たま)ひけり
と、たのもしう【頼もしう】おぼしめす【思し召す】ところ【所】に、P2097件(くだん)の童子(どうじ)の
声(こゑ)とおぼしくて、
P07099
いかにせん藤(ふぢ)のすゑ葉(ば)のかれゆくを
ただ春(はる)の日(ひ)にまかせてやみん W051
御供(おんとも)に候(さうらふ)進藤(しんどう)左衛門尉(さゑもんのじよう)(さゑもんのぜう)高直(たかなほ)(たかなふ)ちかうめして、「倩(つらつら)事(こと)
のていを案(あん)ずるに、行幸(ぎやうがう)はなれ共(ども)御幸(ごかう)もならず。
ゆく末(すゑ)たのもから【頼もしから】ずおぼしめす【思し召す】はいかに」と仰(おほせ)ければ、
御牛飼(おんうしかひ)に目(め)を見(み)あはせたり。やがて心得(こころえ)て御車(おんくるま)を
やりかへし、大宮(おほみや)をのぼりに、とぶが如(ごと)くにつかまつる。
北山(きたやま)の辺(へん)知足院(ちそくゐん)へいら【入ら】せ給(たま)ふ。維盛都落(これもりのみやこおち)S0714平家(へいけ)の侍(さぶらひ)越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)
P07100
次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)、是(これ)を承(うけたま)は(ッ)ておひとどめ【留め】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】んと頻(しきり)
にすすみけるが、人々(ひとびと)にせい【制】せられてとどまりけり。小
松(こまつの)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛(これもり)は、日(ひ)ごろよりおぼしめし【思し召し】まうけられ
たりけれ共(ども)、さしあた(ッ)てはかなしかりけり。北(きた)の方(かた)と申(まうす)
は、故中御門(こなかのみかど)新大納言(しんだいなごん)成親卿(なりちかのきやう)の御(おん)むすめ也(なり)。桃顔(たうがん)
露(つゆ)にほころび、紅粉(こうふん)眼(まなこ)に媚(こび)をなし、柳髪(りうはつ)風(かぜ)にみだ
るるよそほひ、又(また)人(ひと)あるべしとも見(み)え給(たま)はず。六代御前(ろくだいごぜん)
とて、生年(しやうねん)十(とを)になり給(たま)ふ若公(わかぎみ)、その妹(いもと)八歳(はつさい)の姫君(ひめぎみ)おはし
P07101
けり。此(この)人々(ひとびと)皆(みな)をくれ(おくれ)【遅れ】じとしたひ【慕ひ】給(たま)へば、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の
給(たま)ひP2098けるは、「日(ひ)ごろ申(まうし)し様(やう)に、われは一門(いちもん)に具(ぐ)して西国(さいこく)
の方(かた)へ落行(おちゆく)也(なり)。いづくまでも具(ぐ)し奉(たてまつ)るべけれ共(ども)、道(みち)にも
敵(かたき)待(まつ)なれば、心(こころ)やすう[B 「う」に「く」と傍書]とおら(とほら)【通ら】ん事(こと)も有(あり)がたし。たとい(たとひ)われ
うたれたりと聞(きき)給(たま)ふ共(とも)、さまな(ン)ど(など)かへ給(たま)ふ事(こと)はゆめゆめ
あるべからず。そのゆへ(ゆゑ)【故】は、いかならん人(ひと)にも見(み)えて、身(み)
をもたすけ、おさなき(をさなき)【幼き】者共(ものども)をもはぐくみ給(たま)ふべし。
情(なさけ)をかくる人(ひと)もなど〔か〕なかるべき」と、やうやうになぐさめ
P07102
給(たま)へ共(ども)、北方(きたのかた)とかうの返事(へんじ)もし給(たま)はず、ひきかづきてぞ
ふし給(たま)ふ。すでにたたんとし給(たま)へば、袖(そで)にすが(ッ)て、「都(みやこ)には
父(ちち)もなし、母(はは)もなし。捨(すて)られまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て後(のち)、又(また)誰(たれ)にかはみゆ
べきに、いかならん人(ひと)にも見(み)えよな(ン)ど(など)承(うけたま)はるこそうらめし
けれ【恨めしけれ】。前世(ぜんぜ)の契(ちぎり)ありければ、人(ひと)こそ憐(あはれ)み給(たま)ふ共(とも)、又(また)人(ひと)ごとに
しもや情(なさけ)をかくべき。いづくまでもともなひ奉(たてまつ)り、
同(おな)じ野原(のばら)の露(つゆ)ともきえ、ひとつ底(そこ)のみくづとも
ならんとこそ契(ちぎり)しに、さればさ夜(よ)のね覚(ざめ)のむつごと
P07103
は、皆(みな)偽(いつはり)になりにけり。せめては身(み)ひとつならばいかが
せん、すてられ奉(たてまつ)る身(み)のうさをおもひ【思ひ】し(ッ)【知つ】てもとどまり
なん、おさなき(をさなき)【幼き】者共(ものども)をば、誰(たれ)にみゆづり、いかにせよとか
おぼしめす。うらめしう【恨めしう】もとどめ【留め】給(たま)ふ物哉(ものかな)」と、且(かつ)(かつ(ウ))はうら
み【恨み】且(かつ)(かつ(ウ))はしたひ給(たま)へば、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の給(たま)ひけるは、「誠(まこと)に人(ひと)は
十三(じふさん)、われは十五(じふご)より見(み)そめ奉(たてまつ)り、火(ひ)のなか水(みづ)の底(そこ)へも
ともにいり、ともにしづみ、限(かぎり)ある別路(わかれぢ)までも、をくれ(おくれ)【遅れ】
先(さき)だたじP2099とこそ申(まうし)しか共(ども)、かく心(こころ)うきありさまにて
P07104
いくさ【軍】の陣(ぢん)へおもむけば、具足(ぐそく)し奉(たてまつ)り、ゆくゑ(ゆくへ)【行方】もしらぬ
旅(たび)の空(そら)にてうき目(め)をみせ【見せ】奉(たてまつ)らんもうたてかるべし。
其上(そのうへ)今度(こんど)は用意(ようい)も候(さうら)はず。いづくの浦(うら)にも心(こころ)やすう
落(おち)ついたらば、それよりしてこそむかへに人(ひと)をもたて
まつら【奉ら】め」とて、おもひ【思ひ】き(ッ)てぞたたれける。中門(ちゆうもん)(ちうもん)の廊(らう)に
出(いで)て、鎧(よろひ)と(ッ)てき【着】、馬(むま)ひきよせさせ、既(すで)にのらんとし給(たま)へば、
若公(わかぎみ)姫君(ひめぎみ)はしりいでて、父(ちち)の鎧(よろひ)の袖(そで)、草摺(くさずり)に取(とり)つ
き、「是(これ)はさればいづちへとて、わたらせ給(たま)ふぞ。我(われ)もま
P07105
いら(まゐら)【参ら】ん、われもゆかん」とめんめん【面々】にしたひなき給(たま)ふにぞ、うき世(よ)
のきづなとおぼえて、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)いとどせんかたなげには
見(み)えられける。さる程(ほど)に、御弟(おんおとと)新三位(しんざんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)資盛卿(すけもりのきやう)・
左中将(さちゆうじやう)(さちうじやう)清経(きよつね)・同(おなじく)少将(せうしやう)有盛(ありもり)・丹後(たんごの)侍従(じじゆう)(じじう)忠房(ただふさ)・備中
守(びつちゆうのかみ)(びつちうのかみ)師盛(もろもり)兄弟(きやうだい)五騎(ごき)、乗(のり)ながら門(もん)のうちへ打入(うちい)り、庭(には)に
ひかへて、「行幸(ぎやうがう)は遥(はるか)にのびさせ給(たま)ひぬらん。いかにや今(いま)
まで」と声々(こゑごゑ)に申(まう)されければ、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)馬(むま)にうちの(ッ)【乗つ】て
いで給(たま)ふが、猶(なほ)(なを)ひ(ッ)【引つ】かへし、■(えん)のきはへうちよせて、弓(ゆみ)の
P07106
はずで御簾(みす)をざ(ッ)とかきあげ、「是(これ)御覧(ごらん)ぜよ、おのおの。
おさなき(をさなき)【幼き】者共(ものども)があまりにしたひ候(さうらふ)を、とかうこしらへを
か(おか)【置か】んと仕(つかまつ)る程(ほど)に、存(ぞん)の外(ほか)の遅参(ちさん)」との給(たま)ひもあへず
なか【泣か】れければ、庭(には)にひかへ給(たま)へる人々(ひとびと)皆(みな)鎧(よろひ)の袖(そで)をぞ
ぬらされける。ここに斎藤五(さいとうご)、斎藤六(さいとうろく)とて、兄(あに)は十九(じふく)、
弟(おとと)は十七(じふしち)になる侍(さぶらひ)あり。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)のP2100御馬(おんむま)の左右(さう)の
みづつきにとりつき【取り付き】、いづくまでも御供(おんとも)仕(つかまつ)るべき
由(よし)申(まう)せば、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の給(たま)ひけるは、「をのれら(おのれら)【己等】が父(ちち)
P07107
斎藤(さいとう)別当(べつたう)北国(ほつこく)へくだ(ッ)し時(とき)、汝等(なんぢら)が頻(しきり)に供(とも)せうどいひ
しか共(ども)、「存(ぞんず)るむねがあるぞ」とて、汝等(なんぢら)をとどめ【留め】をき(おき)、
北国(ほつこく)へくだ(ッ)て遂(つひ)(つい)に討死(うちじに)したりけるは、かかるべかり
ける事(こと)を、ふるい【古い】者(もの)でかねて【予て】知(しり)たりけるにこそ。
あの六代(ろくだい)をとどめ【留め】て行(ゆく)に、心(こころ)やすうふち【扶持】すべき者(もの)
のなきぞ。ただ理(り)をまげてとどまれ」との給(たま)へば、力(ちから)
をよば(およば)【及ば】ず、涙(なみだ)ををさへ(おさへ)てとどまりぬ。北方(きたのかた)は、「とし
ごろ日比(ひごろ)是(これ)程(ほど)情(なさけ)なかりける人(ひと)とこそ兼(かね)てもおも
P07108
は【思は】ざりしか」とて、ふしまろびてぞなかれける。若公(わかぎみ)姫君(ひめぎみ)女
房[* 「如房」と有るのを高野本により訂正]達(にようばうたち)は、御簾(みす)の外(ほか)までまろび出(いで)て、人(ひと)の聞(きく)をもはばか
らず、声(こゑ)をはかりにぞおめき(をめき)【喚き】さけび【叫び】給(たま)ひける。此(この)
声々(こゑごゑ)耳(みみ)の底(そこ)にとどま(ッ)【留まつ】て、西海(さいかい)のたつ浪(なみ)のうへ、吹(ふく)風(かぜ)
の音(おと)(をと)までも聞(きく)様(やう)にこそおもは【思は】れけめ。平家(へいけ)都(みやこ)を落
行(おちゆく)に、六波羅(ろくはら)・池殿(いけどの)・小松殿(こまつどの)、八条(はつでう)・西八条(にしはつでう)以下(いげ)、一門(いちもん)の卿
相(けいしやう)雲客(うんかく)の家々(いへいへ)廿(にじふ)余ケ所(よかしよ)、付々(つぎつぎ)の輩(ともがら)の宿所(しゆくしよ)々々(しゆくしよ)、
京(きやう)白河(しらかは)に四五万間(しごまんげん)の在家(ざいけ)、一度(いちど)に火(ひ)をかけて皆(みな)焼
P07109
払(やきはら)ふ。聖主臨幸(せいしゆりんかう)S0715 P2101或(あるい)(あるひ)は聖主臨幸(せいしゆりんかう)の地(ち)也(なり)、鳳闕(ほうけつ)むなしく礎(いしずゑ)をのこ
し、鸞輿(らんよ)ただ跡(あと)をとどむ。或(あるいは)(あるひは)后妃(こうひ)遊宴(いうえん)(ゆうゑん)の砌(みぎり)也(なり)、椒
房[* 「桝房」と有るのを高野本により訂正](せうはう)の嵐声(らんせい)かなしみ、腋庭(えきてい)(ゑきてい)の露(つゆ)色(いろ)愁(うれ)ふ。荘香(さうきやう)翠
帳(すいちやう)のもとゐ、戈林(くわりん)(くはりん)釣渚[* 「釣法」と有るのを他本により訂正](てうしよ)の館(たち)、槐棘(くわいきよく)の座(ざ)、燕鸞(えんらん)(ゑんらん)の
すみか、多日(たじつ)の経営(けいえい)(けいゑい)をむなしうして、片時(へんし)の灰燼(くわいしん)
となりはてぬ。况(いはん)や郎従[* 「郎徒」と有るのを高野本により訂正](らうじゆう)(らうじう)の蓬■(ほうひつ)にをいて(おいて)をや。况(いはん)
や雑人(ざふにん)(ざうにん)の屋舎(をくしや)(おくしや)にをいて(おいて)をや。余炎(よえん)の及(およぶ)(をよぶ)ところ【所】、在々
所々(ざいざいしよしよ)数十町(すじつちやう)(す(ウ)じつちやう)也(なり)。強呉(きやうご)忽(たちまち)にほろびて、姑蘇台(こそたい)の露(つゆ)
P07110
荊棘(けいきよく)にうつり、暴秦(ぼうしん)すでに衰(おとろへ)て、咸陽宮(かんやうきゆう)(かんやうきう)の煙(けぶり)へい
けいをかくし【隠し】けんも、かくやとおぼえて哀(あはれ)也(なり)。日(ひ)
ごろは函谷(かんごく)二■(じかう)のさが【嶮】しきをかた【固】うせしか共(ども)、北狄(ほくてき)の
ために是(これ)を破(やぶ)られ、今(いま)は洪河(こうか)■渭(けいゐ)のふかきをたのん【頼ん】
じか共(ども)、東夷(とうい)のために是(これ)をとられたり。豈(あに)図(はかり)きや、
忽(たちまち)に礼儀(れいぎ)の郷(きやう)を責(せめ)いだされて、泣々(なくなく)無智(むち)の境(さかひ)に
身(み)をよせんと。昨日(きのふ)は雲(くも)の上(うへ)に雨(あめ)をくだす神竜(しんりよう)(しんれう)
たりき。今日(けふ)は、肆(いちぐら)の辺(へん)に水(みづ)をうしなう(うしなふ)枯魚(こぎよ)の
P07111
如(ごと)し。禍福(くわふく)道(みち)を同(おなじ)うし、盛衰(せいすい)[* 下に「と」が有るのを高野本により省く]掌(たなごころ)をかへす【返す】、いま目(め)の
前(まへ)にあり。誰(たれ)か是(これ)をかなしまざらん。保元(ほうげん)のむかしは春(はる)の
花(はな)と栄(さかえ)(さかへ)しか共(ども)、寿永(じゆえい)(じゆゑい)の今(いま)は秋(あき)の紅葉(もみぢ)と落(おち)はてぬ。去(さんぬる)治
承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)七月(しちぐわつ)、大番(おほばん)のために上洛(しやうらく)したりける畠山(はたけやまの)庄司(しやうじ)
重能(しげよし)・小山田(をやまだの)別当(べつたう)有重(ありしげ)・宇津宮左衛門(うつのみやのさゑもん)朝綱(ともつな)、寿永(じゆえい)(じゆゑい)
までめしこめられたりしが、其(その)時(とき)既(すで)にきら【斬ら】るべかり
しを、新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)知盛卿(とももりのきやう)申(まう)されけるは、「御運(ごうん)だにつきさ
せ給(たま)ひなば、P2102これら百人(ひやくにん)千人(せんにん)が頸(くび)をきらせ給(たま)ひたり共(とも)、
P07112
世(よ)をとらせ給(たま)はん事(こと)難(かた)かるべし。古郷(こきやう)には妻子(さいし)所従等(しよじゆうら)(しよじうら)
いかに歎(なげき)かなしみ候(さうらふ)らん。若(もし)不思議(ふしぎ)に運命(うんめい)ひらけて、
又(また)都(みやこ)へたちかへらせ給(たま)はん時(とき)は、ありがたき御情(おんなさけ)でこそ
候(さうら)はんずれ。ただ理(り)をまげて本国(ほんごく)へ返(かへ)し遣(つかは)さるべう
や候(さうらふ)らん」と申(まう)されければ、大臣殿(おほいとの)「此(この)儀(ぎ)尤(もつとも)しかるべし」とて、
いとまをたぶ。これらかうべを地(ち)につけ、涙(なみだ)をながい【流い】て
申(まうし)けるは、「去(さんぬる)治承(ぢしよう)(ぢせう)より今(いま)まで、かひなき命(いのち)をた
すけられまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうら)へば、いづくまでも御供(おんとも)に候(さうらひ)て、
P07113
行幸(ぎやうがう)の御(おん)ゆくゑ(ゆくへ)【行方】をみまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん」と頻(しきり)に申(まうし)けれ共(ども)、大臣
殿(おほいとの)「汝等(なんぢら)が魂(たましひ)(たましゐ)は皆(みな)東国(とうごく)にこそあるらんに、ぬけがら斗(ばかり)
西国(さいこく)へめしぐす【召具す】べき様(やう)なし。いそぎ下(くだ)れ」と仰(おほせ)られ
ければ、力(ちから)なく涙(なみだ)ををさへ(おさへ)て下(くだ)りけり。これらも廿(にじふ)
余年(よねん)のしう(しゆう)【主】なれば、別(わかれ)の涙(なみだ)おさへがたし。忠教【*忠度】都落(ただのりのみやこおち)S0716薩摩守(さつまのかみ)
忠教【*忠度】(ただのり)は、いづくよりやかへ【帰】られたりけん、侍(さぶらひ)(さぶらい)五騎(ごき)、童(わらは)
一人(いちにん)、わが身(み)共(とも)に七騎(しちき)取(とつ)て返(かへ)し、五条(ごでうの)三位(さんみ)俊成卿(しゆんぜいのきやう)の
宿所(しゆくしよ)におはしてみ【見】給(たま)へば、門戸(もんこ)をとぢて開(ひら)かず。「忠教【*忠度】(ただのり)」
P07114
と名(な)のり給(たま)へば、「おちうと【落人】帰(かへ)りき[B た]り」とて、その内(うち)さP2103はぎ(さわぎ)【騒ぎ】あ
へり。薩摩守(さつまのかみ)馬(むま)よりおり、みづからたからかにの給(たま)ひ
けるは、「別(べち)の子細(しさい)候(さうら)はず。三位殿(さんみどの)に申(まうす)べき事(こと)あ(ッ)て、忠教【*忠度】(ただのり)
がかへりまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。門(もん)をひらかれず共(とも)、此(この)きはまで立(たち)よらせ
給(たま)へ」との給(たま)へば、俊成卿(しゆんぜいのきやう)「さる事(こと)あるらん。其(その)人(ひと)ならば
くるしかる【苦しかる】まじ。いれ【入れ】申(まう)せ」とて、門(かど)をあけて対面(たいめん)あり。
事(こと)の体(てい)何(なに)となう哀(あはれ)也(なり)。薩摩守(さつまのかみ)の給(たま)ひけるは、
「年来(としごろ)申(まうし)承(うけたま)は(ッ)て後(のち)、をろか(おろか)【愚】ならぬ御事(おんこと)におもひ
P07115
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へども、この二三年(にさんねん)は、京都(きやうと)のさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】、国々(くにぐに)の
みだれ、併(しかしながら)当家(たうけ)の身(み)の上(うへ)の事(こと)に候(さうらふ)間(あひだ)(あいだ)、そらく【粗略】を存(ぞん)
ぜずといへ共(ども)、つねにまいり(まゐり)【参り】よる事(こと)も候(さうら)はず。君(きみ)既(すで)に
都(みやこ)を出(いで)させ給(たま)ひぬ。一門(いちもん)の運命(うんめい)はやつき候(さうらひ)ぬ。撰
集(せんじふ)(せんじう)のあるべき由(よし)承(うけたまはり)候(さうらひ)しかば、生涯(しやうがい)の面目(めんぼく)に、一首(いつしゆ)
なり共(とも)御恩(ごおん)(ごをん)をかうぶらうど存(ぞん)じて候(さうらひ)しに、やがて
世(よ)のみだれいできて、其(その)沙汰(さた)なく候(さうらふ)条(でう)、ただ一身(いつしん)の
歎(なげき)と存(ぞんじ)候(さうらふ)。世(よ)しづまり候(さうらひ)なば、勅撰(ちよくせん)の御沙汰(ごさた)候(さうら)はんずらん。
P07116
是(これ)に候(さうらふ)巻物(まきもの)のうちに、さりぬべきもの候(さうら)はば、一首(いつしゆ)なり共(とも)
御恩(ごおん)(ごをん)を蒙(かうぶり)て、草(くさ)の陰(かげ)にてもうれしと存(ぞんじ)候(さうら)はば、遠(とほ)(とを)き
御(おん)まもり【守り】でこそ候(さうら)はんずれ」とて、日(ひ)ごろ読(よみ)をか(おか)【置か】れたる
歌共(うたども)のなかに、秀歌(しうか)とおぼしきを百余首(ひやくよしゆ)書(かき)あつ
められたる巻物(まきもの)を、今(いま)はとてう(ッ)たた【打つ立た】れける時(とき)、是(これ)をと(ッ)て
もたれたりしが、鎧(よろひ)のひきあはせより取(とり)いでて[B 「取いて」とあり「いて」間に「た」を傍書補入、高野本により訂正]、俊成卿(しゆんぜいのきやう)に
奉(たてまつ)る。三位(さんみ)是(これ)をあけてみて、「かかるわすれがたみを
給(たまは)りをき(おき)候(さうらひ)ぬる上(うへ)は、ゆめゆめそP2104らくを存(ぞん)ずまじ
P07117
う候(さうらふ)。御疑(おんうたがひ)あるべからず。さても只今(ただいま)の御(おん)わたり【渡】こそ、情(なさけ)も
すぐれてふかう【深う】、哀(あはれ)も殊(こと)におもひ【思ひ】しられて、感涙(かんるい)おさへ
がたう候(さうら)へ」との給(たま)へば、薩摩守(さつまのかみ)悦(よろこび)て、「今(いま)は西海(さいかい)の浪(なみ)
の底(そこ)にしづまば沈(しづ)め、山野(さんや)にかばねをさらさばさらせ、
浮世(うきよ)におもひ【思ひ】をく(おく)【置く】事(こと)候(さうら)はず。さらばいとま申(まうし)て」とて、
馬(むま)にうちのり甲(かぶと)の緒(を)(お)をしめ、西(にし)をさいてぞあゆま【歩ま】
せ給(たま)ふ。三位(さんみ)うしろを遥(はるか)にみをく(ッ)(おくつ)【送つ】てたたれたれば、
忠教【*忠度】(ただのり)の声(こゑ)とおぼしくて、「前途(せんど)程(ほど)遠(とほ)(とを)し、思(おもひ)を鴈
P07118
山(がんさん)の夕(ゆふべ)の雲(くも)に馳(はす)」と、たからかに口(くち)ずさみ給(たま)へば、俊成卿(しゆんぜいのきやう)
いとど名残(なごり)おしう(をしう)【惜しう】おぼえて、涙(なみだ)ををさへ(おさへ)てぞ入(いり)給(たま)ふ。
其(その)後(のち)世(よ)しづま(ッ)て、千載集(せんざいしふ)(せんざいしう)を撰(せん)ぜられけるに、忠
教【*忠度】(ただのり)の有(あり)しあり様(さま)、いひをき(おき)しことの葉(は)、今更(いまさら)おもひ【思ひ】
出(いで)て哀(あはれ)也(なり)ければ、彼(かの)巻物(まきもの)のうちにさりぬべき歌(うた)
いくらもありけれ共(ども)、勅勘(ちよくかん)の人(ひと)なれば、名字(みやうじ)をば
あらはされず、故郷花(こきやうのはな)といふ題(だい)にてよまれたりける
歌(うた)一首(いつしゆ)ぞ、読人(よみひと)しらずと入(いれ)られける。
P07119
さざなみや志賀(しが)の都(みやこ)はあれにしを
むかしながらの山(やま)ざくらかな W052
其(その)身(み)朝敵(てうてき)となりにし上(うへ)は、子細(しさい)にをよば(およば)【及ば】ずと
いひながら、うらめしかり【恨めしかり】し事共(ことども)也(なり)。P2105経正都落(つねまさのみやこおち)S0717修理大夫(しゆりのだいぶ)経盛(つねもり)
の子息(しそく)、皇后宮(くわうごうぐう)の亮(すけ)経正(つねまさ)、幼少(えうせう)(ようせう)にては仁和寺(にんわじ)の
御室(おむろ)の御所(ごしよ)に、童形(とうぎやう)にて候(さうら)はれしかば、かかる怱劇(そうげき)の
中(なか)にも其(その)御名残(おんなごり)き(ッ)とおもひ【思ひ】出(いで)て、侍(さぶらひ)五六騎(ごろくき)めし具(ぐ)
して、仁和寺殿(にんわじどの)へ馳(はせ)まいり(まゐり)【参り】、門前(もんぜん)にて馬(むま)よりおり、申入(まうしいれ)
P07120
られけるは、「一門(いちもん)運(うん)尽(つき)てけふ既(すで)に帝都(ていと)を罷出(まかりいで)候(さうらふ)。う
き世(よ)におもひ【思ひ】のこす事(こと)とては、ただ君(きみ)の御名残(おんなごり)ばかり
也(なり)。八歳(はつさい)の時(とき)まいり(まゐり)【参り】はじめ候(さうらひ)て、十三(じふさん)で元服(げんぶく)仕(つかまつり)候(さうらふ)までは、
あひいたはる事(こと)の候(さうら)はん[* 「ぬ」と有るのを他本により訂正]外(ほか)は、あからさまにも御前(おんまへ)
を立(たち)さる事(こと)も候(さうら)はざりしに、けふより後(のち)、西海(さいかい)
千里(せんり)の浪(なみ)におもむい【赴むい】て、又(また)いづれの日(ひ)いづれの時(とき)
帰(かへ)りまいる(まゐる)【参る】べしともおぼえぬこそ、口惜(くちをし)(くちおし)く候(さうら)へ。今(いま)一度(いちど)
御前(おんまへ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、君(きみ)をもみまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たう候(さうら)へ共(ども)、既(すで)に甲冑(かつちう)
P07121
をよろい(よろひ)【鎧ひ】、弓箭(きゆうせん)(きうせん)を帯(たい)し、あらぬさまなるよそおひ(よそほひ)【粧】に
罷成(まかりなり)て候(さうら)へば、憚(はばかり)存(ぞんじ)候(さうらふ)」とぞ申(まう)されける。御室(おむろ)哀(あはれ)におぼし
めし【思し召し】、「ただ其(その)すがたを改(あらた)めずしてまいれ(まゐれ)【参れ】」とこそ仰(おほせ)けれ。
経正(つねまさ)、其(その)日(ひ)は紫地(むらさきぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、萌黄(もえぎ)の匂(にほひ)の鎧(よろひ)
きて、長覆輪(ながぶくりん)の太刀(たち)をはき、きりう(きりふ)【切斑】の矢(や)おひ【負ひ】、滋
藤(しげどう)の弓(ゆみ)わきにはさみ、甲(かぶと)をばぬぎたかひもにかけ、
御前(おまへ)の御坪(おつぼ)に畏(かしこま)る。御室(おむろ)やがて御出(おんいで)あ(ッ)て、御簾(みす)たかく
あげさせ、「是(これ)へこれへ」とめP2106されければ、大床(おほゆか)へこそま
P07122
いら(まゐら)【参ら】れけれ。供(とも)に具(ぐ)せられたる藤兵衛(とうびやうゑ)有教(ありのり)をめす。
赤地(あかぢ)の錦(にしき)の袋(ふくろ)に入(いれ)たる御琵琶(おんびは)(おんびわ)も(ッ)てまいり(まゐり)【参り】たり。経正(つねまさ)
是(これ)をとりついで、御前(おんまへ)にさしをき(おき)、申(まう)されけるは、「先年(せんねん)
下(くだ)しあづか(ッ)て候(さうらひ)し青山(せいざん)もたせてまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。あまりに
名残(なごり)はおしう(をしう)【惜しう】候(さうら)へ共(ども)、さしもの名物(めいぶつ)を田舎(でんじや)の塵(ちり)にな
さん事(こと)、口惜(くちをし)(くちおし)う候(さうらふ)。若(もし)不思儀(ふしぎ)に運命(うんめい)ひらけて、又(また)都(みやこ)
へ立帰(たちかへ)る事(こと)候(さうら)はば、其(その)時(とき)こそ猶(なほ)(なを)下(くだ)しあづかり候(さうら)はめ」と
泣々(なくなく)申(まう)されければ、御室(おむろ)哀(あはれ)におぼしめし【思し召し】、一首(いつしゆ)の御
P07123
詠(ぎよえい)(ぎよゑい)をあそばひ(あそばい)【遊ばい】てくだされけり。
あかずしてわかるる君(きみ)が名残(なごり)をば
のちのかたみにつつみてぞをく(おく)【置く】 W053
経正(つねまさ)御硯(おんすずり)くだされて、
くれ竹(たけ)のかけひの水(みづ)はかはれども
なを(なほ)【猶】すみあかぬみやの中(うち)かな W054
さていとま申(まうし)て出(いで)られけるに、数輩(すはい)の童形(とうぎやう)・出世
者(しゆつせしや)・坊官(ばうくわん)・侍(さぶらひ)僧(そう)に至(いた)るまで、経正(つねまさ)の袂(たもと)にすがり、袖(そで)を
P07124
ひかへて、名残(なごり)ををしみ涙(なみだ)をながさぬはなかりけり。其(その)中(なか)
にも、経正(つねまさ)の幼少(えうせう)(ようせう)の時(とき)、小師(こじ)でおはせし大納言(だいなごんの)法印(ほふいん)(ほうゐん)
行慶(ぎやうけい)と申(まうしし)(まうせし)は、葉室大納言(はむろのだいなごん)光頼卿(くわうらいのきやう)の御子(おんこ)也(なり)。あま
りに名残(なごり)をおしみ(をしみ)【惜しみ】て、桂河(かつらがは)のはたまでうちをくり(おくり)【送り】、
さてもあるべきならねば、其(それ)よりいとまこう【乞う】て泣々(なくなく)
わかれ給(たま)ふに、法印(ほふいん)(ほうゐん)かうぞおもひ【思ひ】つづけ給(たま)ふ。P2107
あはれ【哀】なり老木(おいき)わか木(ぎ)の山(やま)ざくら
をくれ(おくれ)【遅れ】さきだち【先立ち】花(はな)はのこらじ W055
P07125
経正(つねまさ)の返事(へんじ)には、
旅(たび)ごろも夜(よ)な夜(よ)な袖(そで)をかたしきて
おもへ【思へ】ばわれはとをく(とほく)【遠く】ゆきなん W056
さてま【巻】いてもたせられたる赤旗(あかはた)ざ(ッ)とさしあげ【差し上げ】
たり。あそこここにひかへて待(まち)奉(たてまつ)る侍共(さぶらひども)、あはやとて
馳(はせ)あつまり、その勢(せい)百騎(ひやくき)ばかり、鞭(むち)をあげ駒(こま)をはや
めて、程(ほど)なく行幸(ぎやうがう)にお(ッ)つき奉(たてまつ)る。青山之(せいざんの)沙汰(さた)S0718此(この)経正(つねまさ)十七(じふしち)の年(とし)、
宇佐(うさ)の勅使(ちよくし)を承(うけたま)は(ッ)てくだられけるに、其(その)時(とき)青山(せいざん)
P07126
を給(たま)は(ッ)て、宇佐(うさ)へまいり(まゐり)【参り】、御殿(ごてん)にむかひ【向ひ】奉(たてまつ)り秘曲(ひきよく)を
ひき給(たま)ひしかば、いつ聞(きき)なれたる事(こと)はなけれ共(ども)、
ともの宮人(みやびと)をしなべて(おしなべて)、緑衣(りよくい)の袖(そで)をぞしぼりける。
聞(きき)しらぬやつごまでも村雨(むらさめ)とはまがはじな。目出(めでた)
かりし事共(ことども)也(なり)。彼(かの)青山(せいざん)と申(まうす)御琵琶(おんびは)(おんびわ)は、昔(むかし)仁明天
皇(にんみやうてんわうの)御宇(ぎよう)、嘉祥(かしやう)三年(さんねん)の春(はる)、掃部頭(かもんのかみ)貞敏(ていびん)渡唐(とたう)
の時(とき)、大唐(たいたう)の琵琶(びは)(びわ)の博士(はかせ)廉妾夫(れんせうぶ)にあひ、三曲(さんきよく)を
伝(つたへ)て帰朝(きてう)せしに、玄象(けんじやう)・師子丸(ししまる)・青山(せいざん)、三面(さんめん)の琵琶(びは)(びわ)
P07127
を相伝(さうでん)してわたり【渡り】けるが、竜神(りゆうじん)(りうじん)やおしみ(をしみ)【惜しみ】給(たま)ひけん、
浪風(なみかぜ)あらP2108く立(たち)ければ、師子丸(ししまる)をば海底(かいてい)にしづ
め、いま二面(にめん)の琵琶(びは)(びわ)をわたして、吾(わが)朝(てう)の御門(みかど)の御(おん)たから
とす。村上(むらかみ)の聖代(せいたい)応和(おうわ)のころおひ(ころほひ)、三五夜中(さんごやちゆう)(さんごやちう)新月(しんげつ)
白(しろ)くさえ、凉風(りやうふう)颯々(さつさつ)たりし夜(よ)なか半(ば)に、御門(みかど)清
凉殿(せいりやうでん)にして玄象(けんじやう)をぞあそばさ【遊ばさ】れける時(とき)に、影(かげ)の
如(ごと)くなるもの御前(おんまへ)に参(さん)じて、ゆう(いう)【優】にけだかき声(こゑ)に
てしやうが【唱歌】をめでたう仕(つかまつ)る。御門(みかど)御琵琶(おんびは)(おんびわ)をさしを
P07128
か(おか)【置か】せ給(たま)ひて、「抑(そもそも)汝(なんぢ)はいかなる者(もの)ぞ。いづくより来(きた)れる
ぞ」と御尋(おんたづね)あれば、「是(これ)は昔(むかし)貞敏(ていびん)に三曲(さんきよく)をつたへ候(さうらひ)
し大唐(たいたう)の琵琶(びは)(びわ)のはかせ廉妾夫(れんせうぶ)と申(まうす)者(もの)で候(さうらふ)が、
三曲(さんきよく)のうち秘曲(ひきよく)を一曲(いつきよく)のこせるによ(ッ)て、魔道(まだう)へ
沈淪(ちんりん)仕(つかまつり)て候(さうらふ)。今(いま)御琵琶(おんびは)(おんびわ)の御撥音(おんばちおと)(おんばちをと)たへ【妙】にきこえ侍(はべ)る
間(あひだ)(あいだ)、参入(さんにふ)(さんにう)仕(つかまつる)ところ【所】也(なり)。ねがは【願は】くは此(この)曲(きよく)を君(きみ)にさづけ奉(たてまつ)
り、仏果(ぶつくわ)菩提(ぼだい)を証(しよう)(せう)ずべき」由(よし)申(まうし)て、御前(おんまへ)に立(たて)られ
たる青山(せいざん)をとり、てんじゆ【転手】をねぢて秘曲(ひきよく)を君(きみ)に
P07129
さづけ奉(たてまつ)る。三曲(さんきよく)のうちに上玄(しやうげん)石上(せきしやう)是(これ)也(なり)。其(その)後(のち)は
君(きみ)も臣(しん)もおそれ【恐れ】させ給(たま)ひて、此(この)御琵琶(おんびは)(おんびわ)をあそばし【遊ばし】
ひく事(こと)もせさせ給(たま)はず。御室(おむろ)へまいらせ(まゐらせ)【参らせ】られたりけ
るを、経正(つねまさ)の幼少(えうせう)(ようせう)の時、御最愛(ごさいあい)の童形(とうぎやう)たるによ(ッ)て
下(くだ)しあづかりたりけるとかや。こう(かふ)【甲】は紫藤(しとう)のこう(かふ)【甲】、
夏山(なつやま)の峯(みね)のみどりの木(こ)の間(ま)より、有明(ありあけ)の月(つき)の
出(いづ)るを撥面(ばちめん)にかかれたりけるゆへ(ゆゑ)【故】にこそ、青山(せいざん)
とは付(つけ)られたれ。玄象(けんじやう)にもあひおとらぬ希代(きたい)の
P07130
名物(めいぶつ)なりけり。P2109 一門都落(いちもんのみやこおち)S0719 池(いけ)の大納言(だいなごん)頼盛卿(よりもりのきやう)も池殿(いけどの)に火(ひ)を
かけて出(いで)られけるが、鳥羽(とば)の南(みなみ)の門(もん)にひかへつつ、「わ
すれたる事(こと)あり」とて、赤(あか)じるし切捨(きりすて)て、其(その)勢(せい)
三百余騎(さんびやくよき)、都(みやこ)へと(ッ)てかへさ【返さ】れけり。平家(へいけ)の侍(さぶらひ)越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次
郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)、大臣殿(おほいとの)の御(おん)まへに馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「あれ御覧(ごらん)
候(さうら)へ。池殿(いけどの)の御(おん)とどまり候(さうらふ)に、おほう【多う】の侍共(さぶらひども)のつきま
いらせ(まゐらせ)【参らせ】て罷(まかり)とどまるが奇怪(きくわい)(き(ツ)くわい)におぼえ候(さうらふ)。大納言殿(だいなごんどの)
まではおそれ【恐れ】も候(さうらふ)。侍(さぶらひ)共(ども)に矢(や)一(ひとつ)いかけ候(さうら)はん」と申(まうし)けれ
P07131
ば、「年来(ねんらい)の重恩(ちようおん)(てうをん)を忘(わすれ)て、今(いま)此(この)ありさまを見(み)は
てぬ不当人(ふたうじん)をば、さなく共(とも)ありなん」との給(たま)へば、力(ちから)を
よば(およば)【及ば】でとどまりけり。「さて小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)はいかに」
との給(たま)へば、「いまだ御一所(いつしよ)もみえ【見え】させ給(たま)ひ候(さうら)はず」と申(まう)
す。其(その)時(とき)新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、「都(みやこ)を
出(いで)ていまだ一日(いちにち)だにも過(すぎ)ざるに、いつしか人(ひと)の
心(こころ)どものかはりゆくうたてさよ。まして行(ゆく)すゑ
とてもさこそはあらんずらめとおもひ【思ひ】しかば、都(みやこ)の
P07132
うちでいかにもならむと申(まうし)つる物(もの)を」とて、大臣殿(おほいとの)
の御(おん)かたをうらめしげ【恨めし気】にこそ見(み)給(たま)ひけれ。抑(そもそも)池
殿(いけどの)のとどまり給(たま)ふ事(こと)をいかにといふに、兵衛佐(ひやうゑのすけ)つね【常】
は頼盛(よりもり)に情(なさけ)をかけて、「御(おん)かたをばま(ッ)たくをろか(おろか)【愚】に
おもひ【思ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はず。ただ故池殿(こいけどの)のわたP2110らせ給(たま)ふとこそ
存(ぞんじ)候(さうら)へ。八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)も御照罰(ごせうばつ)候(さうら)へ」な(ン)ど(など)、度々(どど)誓状(せいじやう)(せいでう)を
も(ッ)て申(まう)されける上(うへ)、平家(へいけ)追討(ついたう)(つゐたう)のために討手(うつて)の
使(つかひ)ののぼる度(たび)ごとに、「相構(あひかまへ)て池殿(いけどの)の侍共(さぶらひども)にむか(ッ)て
P07133
弓(ゆみ)ひくな」な(ン)ど(など)情(なさけ)をかくれば、「一門(いちもん)の平家(へいけ)は運(うん)つき、
既(すで)に都(みやこ)を落(おち)ぬ。今(いま)は兵衛佐(ひやうゑのすけ)にたすけられんずる
にこそ」とのたまひて、都(みやこ)へかへられけるとぞ聞(きこ)えし。
八条(はつでうの)女院(にようゐん)の仁和寺(にんわじ)の常葉(ときは)どのにわたらせ給(たま)ふに
まいり(まゐり)【参り】こもられけり。女院(にようゐん)の御(おん)めのとご、宰相殿(さいしやうどの)と
申(まうす)女房(にようばう)にあひ具(ぐ)し給(たま)へるによ(ッ)てなり。「自然(しぜん)の
事(こと)候(さふらは)者(ば)、頼盛(よりもり)かまへてたすけさせ給(たま)へ」と申(まう)され
けれ共(ども)、女院(にようゐん)「今(いま)は世(よ)の世(よ)にてもあらばこそ」とて、た
P07134
のもし【頼もし】気(げ)もなうぞ仰(おほせ)ける。凡(およそ)(をよそ)は兵衛佐(ひやうゑのすけ)ばかりこそ
芳心(はうじん)は存(ぞん)ぜらるるとも、自余(じよ)の源氏共(げんじども)はいかがあらん
ずらん。なまじい(なまじひ)に一門(いちもん)にははなれ給(たま)ひぬ、波(なみ)にも磯(いそ)にも
つかぬ心地(ここち)ぞせられける。さる程(ほど)に、小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)
は、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛卿(これもりのきやう)をはじめ奉(たてまつ)て、兄弟(きやうだい)六人(ろくにん)、其(その)
勢(せい)千騎(せんぎ)ばかりにて、淀(よど)のむつ田河原(だがはら)【六田河原】にて行幸(ぎやうがう)(きやうがう)
にお(ッ)つき奉(たてまつ)る。大臣殿(おほいとの)待(まち)うけ奉(たてまつ)り、うれし気(げ)にて、
「いかにや今(いま)まで」との給(たま)へば、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)「おさなき(をさなき)【幼き】もの
P07135
共(ども)があまりにしたひ候(さうらふ)[* 「候」虫食い、高野本により補う]を、とかうこしらへをか(おか)【置か】んと遅
参(ちさん)仕(つかまつり)候(さうらひ)ぬ」と申(まう)されければ、大臣殿(おほいとの)「などや心(こころ)づよう
六代(ろくだい)どのをば具(ぐ)し奉(たてまつ)り給(たま)はぬぞ」と仰(おほせ)られけれ
ば、維盛卿(これもりのきやう)「行(ゆく)すゑとてもたのもしう【頼もしう】も候(さうら)はず」とて、
と【問】ふにつらさの涙(なみだ)P2111をながされけるこそかなしけれ。
落行(おちゆく)平家(へいけ)は誰々(たれたれ)ぞ。前(さきの)内大臣(ないだいじん)宗盛公(むねもりこう)・平(へい)大納言(だいなごん)時
忠(ときただ)・平(へい)中納言(ぢゆうなごん)(ぢうなごん)教盛(のりもり)・新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)知盛(とももり)・修理大夫(しゆりのだいぶ)経盛(つねもり)・
右衛門督(うゑもんのかみ)清宗(きよむね)・本三位(ほんざんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡(しげひら)・小松(こまつの)三位(さんみの)中
P07136
将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛(これもり)・新三位(しんざんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)資盛(すけもり)・越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)通盛(みちもり)、殿上人(てんじやうびと)
には内蔵頭(くらのかみ)信基(のぶもと)・讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)時実(ときざね)・左中将(さちゆうじやう)(さちうじやう)清経(きよつね)・小
松(こまつの)少将(せうしやう)有盛(ありもり)・丹後(たんごの)侍従(じじゆう)(じじう)忠房(ただふさ)・皇后宮亮(くわうごうぐうのすけ)(くはうごうぐうのすけ)経正(つねまさ)・左
馬頭(さまのかみ)行盛(ゆきもり)・薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)・能登守(のとのかみ)教経(のりつね)・武蔵守(むさしのかみ)知
明【*知章】(ともあきら)・備中守(びつちゆうのかみ)(びつちうのかみ)師盛(もろもり)・淡路守(あはぢのかみ)清房(きよふさ)・尾張守(をはりのかみ)(おはりのかみ)清定(きよさだ)・若狭
守(わかさのかみ)経俊(つねとし)・蔵人大夫(くらんどのたいふ)成盛【*業盛】(なりもり)・大夫(たいふ)敦盛[* 「淳盛」と有るのを他本により訂正](あつもり)、僧(そう)には二位(にゐの)僧都(そうづ)
専親【*全真】(せんしん)・法勝寺(ほつしようじの)(ほつせうじの)執行(しゆぎやう)能円(のうゑん)・中納言(ちゆうなごんの)(ちうなごんの)律師(りつし)仲快[B 「仲」に「忠」と傍書](ちゆうくわい)(ちうくわい)、経誦坊(きやうじゆばうの)
阿闍梨(あじやり)祐円(いうゑん)(ゆうゑん)、侍(さぶらひ)には受領(じゆりやう)・検非違使(けんびゐし)(けんびいし)・衛府(ゑふ)・諸司(しよし)百六十人(ひやくろくじふにん)、
P07137
都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)七千余騎(しちせんよき)、是(これ)は東国(とうごく)北国(ほつこく)度々(どど)のいくさ【軍】に、
此(この)二三ケ年(にさんがねん)が間(あひだ)(あいだ)討(うち)もらさ【漏らさ】れて、纔(わづか)に残(のこ)るところ【所】也(なり)。山
崎(やまざき)関戸(せきど)の院(ゐん)に玉(たま)の御輿(みこし)をかきすへ(すゑ)【据ゑ】て、男山(をとこやま)をふし
拝(をが)(おが)み、平大納言(へいだいなごん)時忠卿(ときただのきやう)「南無(なむ)帰命(きみやう)頂礼(ちやうらい)(てうらい)八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、
君(きみ)をはじめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、我等(われら)都(みやこ)へ帰(かへ)し入(いれ)させ給(たま)へ」と、祈(いの)
られけるこそかなしけれ。おのおのうしろをかへりみ
給(たま)へば、かすめる空(そら)の心地(ここち)して、煙(けぶり)のみこころぼそく
立(たち)のぼる。平(へい)中納言(ぢゆうなごん)(ぢうなごん)教盛卿(のりもりのきやう)
P07138
はかなしなぬしは雲井(くもゐ)にわかるれば
跡(あと)はけぶりとたちのぼるかな W057
修理大夫(しゆりのだいぶ)経盛(つねもり)P2112
ふるさとをやけ野(の)の原(はら)にかへりみて
すゑもけぶりのなみぢをぞ行(ゆく) W058
まこと【誠】に古郷(こきやう)をば一片(いつぺん)の煙塵(えんぢん)と隔(へだて)つつ、前途(せんど)万
里(ばんり)の雲路(くもぢ)におもむか【赴か】れけん人々(ひとびと)の心(こころ)のうち、おし
はかられて哀(あはれ)也(なり)。肥後守(ひごのかみ)貞能(さだよし)は、河尻(かはじり)に源氏(げんじ)まつ
P07139
ときいて、けちらさむとて[* 「むと」虫食い、高野本により補う]五百余騎(ごひやくよき)で発向(はつかう)したり
けるが、僻事(ひがこと)なれば帰(かへ)りのぼる程(ほど)に、うどの【宇度野】の辺(へん)にて
行幸(ぎやうがう)にまいり(まゐり)【参り】あふ。貞能(さだよし)馬(むま)よりとびおり、弓(ゆみ)わきに
はさみ、大臣殿(おほいとの)の御前(おんまへ)に畏(かしこまつ)て申(まうし)けるは、「是(これ)は抑(そもそも)いづ
ちへとておち【落ち】させ給(たまひ)候(さうらふ)やらん。西国(さいこく)へくだらせ給(たま)ひた
らば、おち人(うと)とてあそこここにてうちちらされ、うき
名(な)をながさせ給(たま)はん事(こと)こそ口惜(くちをしう)(くちおしう)候(さうら)へ。ただ都(みやこ)のうちで
こそいかにもならせ給(たま)はめ」と申(まうし)ければ、大臣殿(おほいとの)「貞能(さだよし)
P07140
はしら【知ら】ぬか。木曾(きそ)既(すで)に北国(ほつこく)より五万余騎(ごまんよき)で攻(せめ)のぼり、
比叡山(ひえいさん)(ひゑいさん)東坂本(ひがしざかもと)(ひ(ン)がしざかもと)にみちみちたむ(たん)なり。此(この)夜半(やはん)ばかり、
法皇(ほふわう)(ほうわう)もわたらせ給(たま)はず[* 「ぬ」と有るのを高野本により訂正]。おのおのが身(み)ばかりならば
いかがせん、女院(にようゐん)二位殿(にゐどの)に、まのあたりうき目(め)をみせ【見せ】
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】んも心(こころ)ぐるしければ、行幸(ぎやうがう)をもなしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、
人々(ひとびと)をもひき具(ぐ)し奉(たてまつり)て、一(ひと)まどもやとおもふぞ
かし」と仰(おほせ)られければ、「さ候(さうら)はば、貞能(さだよし)はいとま給(たま)は(ッ)て、都(みやこ)で
いかにもなり候(さうら)はん」とて、めし具(ぐ)したる五百余騎(ごひやくよき)の
P07141
勢(せい)をば、小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)につけ奉(たてまつ)り、手勢(てぜい)卅(さんじつ)騎(き)ば
かりで都(みやこ)へひ(ッ)【引つ】かへす【返す】。P2113京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)にのこりとどまる平家(へいけ)
の余党(よたう)をうたんとて、貞能(さだよし)が帰(かへ)り入(いる)よし聞(きこ)えしかば、
池(いけの)大納言(だいなごん)「頼盛(よりもり)がうへでぞあるらん」とて、大(おほき)におそれ【恐れ】さ
はが(さわが)【騒が】れけり。貞能(さだよし)は西八条(にしはつでう)のやけ跡(あと)に大幕(おほまく)ひかせ、
一夜(いちや)宿(しゆく)したりけれ共(ども)、帰(かへ)り入(いり)給(たま)ふ平家(へいけ)の君達(きんだち)
一所(いつしよ)もおはせねば、さすが心(こころ)ぼそうや思(おも)ひけん、源
氏(げんじ)の馬(むま)のひづめにかけじとて、小松殿(こまつどの)の御(おん)はか【墓】ほら
P07142
せ、御骨(ごこつ)にむかひ【向ひ】奉(たてまつ)て泣々(なくなく)申(まうし)けるは、「あなあさまし、
御一門(ごいちもん)の御(ご)らん候(さうら)へ。「生(しやう)ある物(もの)は必(かなら)ず滅(めつ)す。楽(たのしみ)尽(つき)て
悲(かなしみ)来(きた)る」といにしへより書(かき)をき(おき)たる事(こと)にて候(さうら)へ共(ども)、
まのあたりかかるう【憂】き事(こと)候(さうら)はず。君(きみ)はかやうの事(こと)
をまづさとらせ給(たま)ひて、兼(かね)て仏神(ぶつじん)三宝(さんぼう)に御祈
誓(ごきせい)あ(ッ)て、御世(おんよ)をはや【早】うさせましましけるにこそ。ありがたう
こそおぼえ候(さうら)へ。其(その)時(とき)貞能(さだよし)も最後(さいご)の御供(おんとも)仕(つかまつ)るべ
う候(さうらひ)ける物(もの)を、かひなき命(いのち)をいきて、今(いま)はかかる
P07143
うき目(め)にあひ候(さうらふ)。死期(しご)の時(とき)は必(かなら)ず一仏土(いちぶつど)へむかへさせ給(たま)
へ」と、泣々(なくなく)遥(はるか)にかきくどき、骨(こつ)をば高野(かうや)へ送(おく)(をく)り、あ
たりの土(つち)を賀茂河(かもがは)にながさせ、世(よ)の有様(ありさま)たのもから【頼もしから】
ずやおもひ【思ひ】けん、しう(しゆう)【主】とうしろあはせに東国(とうごく)へこそおち【落ち】行(ゆき)
けれ。宇都宮(うつのみや)をば貞能(さだよし)申(まうし)あづか(ッ)て、情(なさけ)ありければ、そのよし
みにや、貞能(さだよし)又(また)宇都宮(うつのみや)をたのん【頼ん】で下(くだ)りければ、芳心(はうじん)しけ
るとぞ聞(きこ)えし。P2114福原落(ふくはらおち)S0720平家(へいけ)は小松(こまつの)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛卿(これもりのきやう)の外(ほか)は、大
臣殿(おほいとの)以下(いげ)妻子(さいし)を具(ぐ)せられけれ共(ども)、つぎざまの人
P07144
共(ひとども)はさのみひきしろふに及(およ)(をよ)ばねば、後会(こうくわい)其(その)期(ご)をし
らず、皆(みな)うち捨(すて)てぞ落行(おちゆき)ける。人(ひと)はいづれの日(ひ)、
いづれの時(とき)、必(かなら)ず立帰(たちかへ)るべしと、其(その)期(ご)を定(さだめ)をく(おく)【置く】
だにも久(ひさ)しきぞかし。况(いはん)や是(これ)はけふを最後(さいご)、只今(ただいま)
かぎりの別(わかれ)なれば、ゆくもとどまるも、たがゐ(たがひ)に袖(そで)を
ぞぬらしける。相伝(さうでん)譜代(ふだい)のよしみ、年(とし)ごろ日(ひ)ごろ、
重恩(ぢゆうおん)(ぢうをん)争(いかで)かわするべきなれば、老(おい)たるもわかきも
うしろのみかへりみて、さきへはすすみもやらざり
P07145
けり。或(あるいは)(あるひは)磯(いそ)べの浪枕(なみまくら)、やえ(やへ)【八重】の塩路(しほぢ)に日(ひ)をくらし、或(あるいは)(あるひは)
遠(とほ)(とを)きをわけ、けはしきをしのぎつつ、駒(こま)に鞭(むち)うつ
人(ひと)もあり、舟(ふね)に棹(さを)(さほ)さす者(もの)もあり、思(おも)ひ思(おも)ひ心々(こころごころ)におち【落ち】
行(ゆき)けり。福原(ふくはら)の旧都(きうと)について、大臣殿(おほいとの)、しかるべ
き侍共(さぶらひども)、老少(らうせう)数百人(すひやくにん)めして仰(おほせ)られけるは、「積善(しやくぜん)
の余慶(よけい)家(いへ)につき【尽き】、積悪(しやくあく)の余殃(よわう)身(み)に及(およ)(をよ)ぶゆへ(ゆゑ)【故】に、
神明(しんめい)にもはなたれ奉(たてまつ)り、君(きみ)にも捨(すて)られまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、帝
都(ていと)をいで旅泊(りよはく)にただよふ上(うへ)は、なんのたのみ【頼み】かあるべき
P07146
なれ共(ども)、一樹(いちじゆ)の陰(かげ)にやどるも先世(ぜんぜ)(せんぜ)の契(ちぎり)あさからず。
同(おな)じ流(ながれ)をむすぶも、P2115多生(たしやう)の縁(えん)猶(なほ)(なを)ふかし。いかに况(いはん)や、
汝等(なんぢら)は一旦(いつたん)したがひつく門客(もんかく)にあらず、累祖(るいそ)相
伝(さうでん)の家人(けにん)也(なり)。或(あるいは)(あるひは)近親(きんしん)のよしみ他(た)に異(こと)なるもあり、
或(あるいは)(あるひは)重代(ぢゆうだい)(ぢうだい)芳恩(はうおん)(はうをん)是(これ)ふかきもあり、家門(かもん)繁昌(はんじやう)の古(いにしへ)
は恩波(おんぱ)(をんぱ)によ(ッ)て私(わたくし)をかへりみき。今(いま)なんぞ芳恩(はうおん)(はうをん)
をむくひざらんや。且(かつ)(かつ(ウ))は十善帝王(じふぜんていわう)、三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)を
帯(たい)してわたらせ給(たま)へば、いかならん野(の)の末(すゑ)、山(やま)の奥(おく)ま
P07147
でも、行幸(ぎやうがう)の御供(おんとも)仕(つかまつ)らんとは思(おも)はずや」と仰(おほせ)られけれ
ば、老少(らうせう)みな涙(なみだ)をながい【流い】て申(まうし)けるは、「あやしの鳥(とり)け
だ物(もの)も、恩(おん)(をん)を報(ほう)じ、徳(とく)をむく【報】ふ心(こころ)は候(さうらふ)なり。申(まうし)候(さうら)はむ
や、人倫(じんりん)の身(み)として、いかがそのことはり(ことわり)【理】を存知(ぞんぢ)仕(つかまつり)候(さうら)
はでは候(さうらふ)べき。廿(にじふ)余年(よねん)の間(あひだ)(あいだ)妻子(さいし)をはぐくみ所従(しよじゆう)(しよじう)を
かへりみる事(こと)、しかしながら君(きみ)の御恩(ごおん)(ごをん)ならずと
いふ事(こと)なし。就中(なかんづく)に、弓箭(きゆうせん)(きうせん)馬上(ばしやう)に携(たづさは)るなら
ひ【習】、ふた心(ごころ)あるをも(ッ)て恥(はぢ)とす。然者(しかれば)則(すなはち)日本(につぽん)の外(ほか)、新
P07148
羅(しんら)・百済(はくさい)・高麗(かうらい)・荊旦(けいたん)、雲(くも)のはて、海(うみ)のはてまでも、行
幸(ぎやうがう)の御供(おんとも)仕(つかまつ)て、いかにもなり候(さうら)はん」と、異口(いく)同音(どうおん)(どうをん)に申(まうし)
ければ、人々(ひとびと)皆(みな)たのもし【頼もし】気(げ)にぞみえ【見え】られける。福原(ふくはら)
の旧里(きうり)に一夜(いちや)をこそあかされけれ。折節(をりふし)(おりふし)秋(あき)の始(はじめ)
の月(つき)は、しもの弓(ゆみ)はりなり。深更(しんかう)空夜(くうや)閑(しづか)にし
て、旅(たび)ねの床(とこ)の草枕(くさまくら)、露(つゆ)も涙(なみだ)もあらそひて、ただ物(もの)
のみぞかなしき。いつ帰(かへ)るべし共(とも)おぼえねば、故(こ)入道(にふだう)(にうだう)
相国(しやうこく)の作(つく)りをき(おき)給(たま)ひし所々(しよしよ)を見(み)給(たま)ふに、春(はる)は
P07149
花(はな)みの岡(をか)(おか)の御所(ごしよ)、秋(あき)は月見(つきみ)の浜(はま)の御所(ごしよ)、泉殿(いづみどの)・松
陰殿(まつかげどの)・馬場殿(ばばどの)、P2116二階(にかい)の桟敷殿(さんじきどの)、雪見(ゆきみ)の御所(ごしよ)、萱(かや)
の御所(ごしよ)、人々(ひとびと)の館共(たちども)、五条(ごでうの)大納言(だいなごん)国綱【*邦綱】卿(くにつなのきやう)の承(うけたま)は(ッ)て
造進(ざうしん)せられし里内裏(さとだいり)、鴦(をし)の瓦(かはら)、玉(たま)の石(いし)だたみ、いづ
れもいづれも三(み)とせが程(ほど)に荒(あれ)はてて、旧苔(きうたい)道(みち)をふさぎ、
秋(あき)の草(くさ)門(かど)をとづ。瓦(かはら)に松(まつ)おひ、墻(かき)に蔦(つた)しげれり。
台(うてな)傾(かたぶき)て苔(こけ)むせり、松風(まつかぜ)ばかりや通(かよふ)らん。簾(すだれ)たえ
て閨(ねや)あらはなり、月影(つきかげ)のみぞさし入(いり)ける。あけぬれば、
P07150
福原(ふくはら)の内裏(だいり)に火(ひ)をかけて、主上(しゆしやう)をはじめ奉(たてまつり)て、人々(ひとびと)
みな御舟(おんふね)にめす。都(みやこ)を立(たち)し程(ほど)こそなけれ共(ども)、是(これ)も
名残(なごり)はおしかり(をしかり)【惜しかり】けり。海人(あま)のたく藻(も)の夕煙(ゆふけぶり)、尾上(をのへ)(おのへ)
の鹿(しか)の暁(あかつき)のこゑ【声】、渚々(なぎさなぎさ)によする浪(なみ)の音(おと)(をと)、袖(そで)に宿(やど)
かる月(つき)の影(かげ)、千草(ちくさ)にすだく蟋蟀(しつそつ)のきりぎりす、す
べて目(め)に見(み)え耳(みみ)にふるる事(こと)、一(ひとつ)として哀(あはれ)をも
よほし、心(こころ)をいたましめずといふ事(こと)なし。昨日(きのふ)は
東関(とうくわん)の麓(ふもと)にくつばみをならべて十万余騎(じふまんよき)、今
P07151
日(けふ)は西海(さいかい)の浪(なみ)に纜(ともづな)をといて七千余(しちせん)余人(よにん)、雲海(うんかい)沈々(ちんちん)
として、青天(せいでん)既(すで)にくれなんとす。孤島(こたう)に夕霧(せきむ)
隔(へだ)て、月(つき)海上(かいしやう)にうかべり。極浦(きよくほ)の浪(なみ)をわけ、塩(しほ)
にひかれて行(ゆく)舟(ふね)は、半天(なかぞら)の雲(くも)にさかのぼる。日(ひ)かず
ふれば、都(みやこ)は既(すで)に山川(さんせん)程(ほど)を隔(へだて)て、雲居(くもゐ)のよそにぞ
なりにける。はるばるき【来】ぬとおもふにも、ただつきせ
ぬ物(もの)は涙(なみだ)也(なり)。浪(なみ)の上(うへ)に白(しろ)き鳥(とり)のむれゐるをみ【見】
給(たま)ひては、かれならん、在原(ありはら)のなにがしの、すみ田川(だがは)【隅田川】
P07152
にてこととひけん、名(な)もむつまじき都鳥(みやこどり)にや
と哀(あはれ)也(なり)。寿永(じゆえい)二年(にねん)七月(しちぐわつ)廿五日(にじふごにち)P2117に平家(へいけ)都(みやこ)を
落(おち)はてぬ。
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第七(だいしち)


平家物語(龍谷大学本)巻第八

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。



P07155
(表紙)
P07157 P2118
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第八(だいはち)
山門御幸(さんもんごかう)S0801寿永(じゆえい)(じゆゑい)二年(にねん)七月(しちぐわつ)廿四日(にじふしにち)夜半(やはん)ばかり、法皇(ほふわう)(ほうわう)は按察(あぜちの)
大納言(だいなごん)資方【*資賢】卿(すけかたのきやう)の子息(しそく)、右馬頭(むまのかみ)資時(すけとき)ばかり御
供(おんとも)(おとも)にて、ひそかに御所(ごしよ)を出(いで)させ給(たま)ひ、鞍馬(くらま)へ御幸(ごかう)
なる。鞍馬(くらま)寺僧(じそう)ども「是(これ)は猶(なほ)(なを)都(みやこ)ちかくてあしう
候(さうらひ)なむ」と申(まうす)あひだ、篠(ささ)の峯(みね)・薬王坂(やくわうざか)な(ン)ど(など)申(まうす)
さが【嶮】しき嶮難(けんなん)を凌(しの)がせ給(たま)ひて、横河(よかは)の解脱
谷(げだつだに)寂場坊(じやくぢやうばう)、御所(ごしよ)になる。大衆(だいしゆ)おこ(ッ)て、「東塔(とうだふ)(とうだう)へ
P07158
こそ御幸(ごかう)あるべけれ」と申(まうし)ければ、東塔(とうだふ)の南谷(みなみだに)
円融坊(えんゆうばう)御所(ごしよ)になる。かかりければ、衆徒(しゆと)も武士(ぶし)も、
円融房【*円融坊】(えんゆうばう)を守護(しゆご)し奉(たてまつ)る。法皇(ほふわう)(ほうわう)は仙洞(せんとう)をいでて天台山(てんだいさん)に、
主上(しゆしやう)は鳳闕(ほうけつ)をさ(ッ)て西海(さいかい)へ、摂政殿(せつしやうどの)は吉野(よしの)の奥(おく)と
かや。女院(にようゐん)・宮々(みやみや)は八幡(やはた)・賀茂(かも)・嵯峨(さが)・うづまさ【太秦】・西
山(にしやま)・東山(ひがしやま)(ひ(ン)がしやま)のかたほとりにつゐ(つい)【付い】て、にげ【逃げ】かくれさせ給(たま)へり。
平家(へいけ)はおち【落ち】ぬれど、源氏(げんじ)はいまだ入(いり)かはらず。既(すで)に
此(この)京(きやう)はぬしなき里(さと)にぞなりにける。開闢(かいひやく)よりこの
P07159
かた、かかる事(こと)あるべしともおぼえP2119ず。聖徳太子(しやうとくたいし)の
未来記(みらいき)にも、けふのことこそゆかしけれ。法皇(ほふわう)(ほうわう)
天台山(てんだいさん)にわたらせ給(たま)ふときこえさせ給(たま)ひしかば、馳(はせ)ま
いら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ふ人々(ひとびと)、其(その)比(ころ)の入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)とは前(さきの)関白(くわんばく)松殿(まつどの)、
当殿(たうとの)とは近衛(こんゑどの)、太政(だいじやう)大臣(だいじん)・左右大臣(さうのだいじん)・内大臣(ないだいじん)・大納
言(だいなごん)・中納言(ちゆうなごん)・宰相(さいしやう)・三位(さんみ)(さんゐ)・四位(しゐ)・五位(ごゐ)の殿上人(てんじやうびと)、すべて
世(よ)に人(ひと)とかぞへられ、官(くわん)加階(かかい)に望(のぞみ)をかけ、所帯(しよたい)・所職(しよしよく)を
帯(たい)する程(ほど)の人(ひと)、一人(いちにん)ももるるはなかりけり。円融坊(ゑんゆうばう)には、
P07160
あまりに人(ひと)まいり(まゐり)【参り】つどひ【集ひ】て、堂上(たうしやう)・堂下(たうか)・門外(もんぐわい)・
門内(もんない)、ひまはざまもなうぞみちみちたる。山門(さんもんの)繁昌(はんじやう)・
門跡(もんぜき)の面目(めんぼく)とこそ見(み)えたりけれ。同(おなじき)廿八日(にじふはちにち)に、法皇(ほふわう)(ほうわう)
宮(みや)こ【都】へ還御(くわんぎよ)なる。木曾(きそ)五万[B 「五百」とあり「百」に「万歟」と傍書]余騎(ごまんよき)にて守護(しゆご)し奉(たてまつ)る。
近江源氏(あふみげんじ)山本(やまもと)の冠者(くわんじや)(くはんじや)義高(よしたか)、白旗(しらはた)さひ(さい)て先陣(せんぢん)に
候(さうらふ)。この廿(にじふ)余年(よねん)見(み)えざりつる白旗(しらはた)の、けふはじめて
宮(みや)こ【都】へいる、めづらしかりし事(こと)どもなり。さる程(ほど)に
十郎(じふらう)蔵人(くらんど)行家(ゆきいへ)、宇治橋(うぢはし)をわた(ッ)て都(みやこ)へいる。陸奥(みちのくの)
P07161
新判官(しんはんぐわん)義康(よしやす)が子(こ)、矢田(やたの)判官代(はんぐわんだい)義清(よしきよ)、大江山(おほえやま)を
へて上洛(しやうらく)す。摂津国(つのくに)・河内(かはち)の源氏(げんじ)ども、雲霞(うんか)の
ごとくにおなじく宮(みや)こ【都】へみだ【乱】れいる。凡(およそ)(をよそ)京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)には
源氏(げんじ)の勢(せい)みちみちたり。勘解由小路(かでのこうぢの)中納言(ちゆうなごん)経房
卿(つねふさのきやう)・検非違使(けんびゐしの)(けんびいしの)別当(べつたう)左衛門督(さゑもんのかみ)実家(さねいへ)、院(ゐん)の殿上(てんじやう)の
簀子(すのこ)に候(さうらひ)て、義仲(よしなか)・行家(ゆきいへ)をめす。木曾(きそ)は赤地(あかぢ)の
錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、唐綾威(からあやをどし)(からあやおどし)の鎧(よろひ)きて、いか物(もの)づくりの
太刀(たち)をはき、きりふ【切斑】の矢(や)をひ(おひ)【負ひ】、しげ藤(どう)の弓(ゆみ)脇(わき)にはさみ、
P07162
甲(かぶと)をばぬぎたかひもP2120にかけて候(さうらふ)。十郎(じふらう)蔵人(くらんど)は、紺地(こんぢ)
の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、火(ひ)おどし(をどし)の鎧(よろひ)きて、こがねづくりの
太刀(たち)をはき、大(おほ)なか黒(ぐろ)の矢(や)をひ(おひ)【負ひ】、ぬりごめどう【塗籠籐】の弓(ゆみ)
脇(わき)にはさみ、是(これ)も甲(かぶと)をばぬぎたかひもにかけ、ひざま
づゐ(ひざまづい)て候(さうらひ)けり。前(さきの)内大臣(ないだいじん)宗盛公(むねもりこう)以下(いげ)、平家(へいけ)の一族(いちぞく)
追討(ついたう)すべきよし仰下(おほせくだ)さる。両人(りやうにん)庭上(ていしやう)に畏(かしこま)(ッ)て承(うけたまは)る。
をのをの(おのおの)【各々】宿所(しゆくしよ)のなきよしを申(まう)す。木曾(きそ)は大膳(だいぜんの)大
夫(だいぶ)成忠(なりただ)が宿所(しゆくしよ)、六条(ろくでう)西洞院(にしのとうゐん)を給(たま)はる。十郎(じふらう)蔵人(くらんど)は
P07163
法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)の南殿(みなみどの)と申(まうす)、萓(かや)の御所(ごしよ)をぞ給(たまは)りける。
法皇(ほふわう)(ほうわう)は主上(しゆしやう)外戚(ぐわいせき)の平家(へいけ)にとらはれさせ[* 「さて」と有るのを高野本により訂正]給(たまひ)て、
西海(さいかい)の浪(なみ)の上(うへ)にただよはせ給(たま)ふことを、御歎(おんなげ)き
あ(ッ)て、主上(しゆしやう)并(ならび)に三種(さんじゆの)神器(しんぎ)宮(みや)こ【都】へ返(かへ)し入(いれ)奉(たてまつ)る
べきよし、西国(さいこく)へ院宣(ゐんぜん)を下(くだ)されたりけれ共(ども)、
平家(へいけ)もちゐたてまつら【奉ら】ず。高倉院(たかくらのゐん)の皇子(わうじ)は、
主上(しゆしやう)の外(ほか)三所(さんじよ)ましましき。二宮(にのみや)をば儲君(まうけのきみ)にしたて
まつら【奉ら】んとて、平家(へいけ)いざなひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、西国(さいこく)へ
P07164
落(おち)給(たまひ)ぬ。三(さん)四(し)は宮(みや)こ【都】にましましけり。同(おなじき)八月(はちぐわつ)五日(いつかのひ)、
法皇(ほふわう)(ほうわう)この宮(みや)たちをむかへ【向へ】よせ【寄せ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ひて、まづ
三(さん)の宮(みや)の五歳(ごさい)にならせ給(たま)ふを、「是(これ)へ是(これ)へ」と仰(おほせ)ければ、
法皇(ほふわう)(ほうわう)を見(み)まいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】させ給(たま)ひて、大(おほき)にむつからせ給(たま)ふ〔あひだ〕、
「とうとう【疾う疾う】」とて出(いだ)しまいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】させ給(たまひ)ぬ。其(その)後(のち)四(し)の宮(みや)の
四歳(しさい)にならせ給(たま)ふを、「是(これ)へ」と仰(おほせ)ければ、すこしも
はばからせ給(たま)はず、やがて法皇(ほふわう)(ほうわう)の御(おん)ひざの
うへにまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ひて、よにもなつかしげにてぞ
P07165
ましましP2121ける。法皇(ほふわう)(ほうわう)御涙(おんなみだ)をはらはらとながさせ
給(たま)ひて、「げにもすぞろならむものは、かやうの老法師(おいぼふし)(おいぼうし)
を見(み)て、なにとてかなつか【懐】しげには思(おも)ふべき。是(これ)ぞ
我(わが)まことの孫(まご)にてましましける。故院[* 「故女院」と有るのを他本により訂正](こゐん)のおさな(をさな)
をひ(おひ)【少生】にすこしもたがは【違は】せ給(たま)はぬものかな。かかるわすれ
がたみ【忘れ形見】を今(いま)まで見(み)ざりけることよ」とて、御涙(おんなみだ)
せきあへさせ給(たま)はず。浄土寺(じやうどじ)の二位殿(にゐどの)、其(その)時(とき)は
いまだ丹後殿(たんごどの)とて、御前(ごぜん)に候(さうら)はせ給(たま)ふが、
P07166
「さて御(おん)ゆづりは、此(この)宮(みや)にてこそわたらせおはしまし
さぶらはめ」と申(まう)させ給(たま)へば、法皇(ほふわう)(ほうわう)「子細(しさい)にや」とぞ
仰(おほせ)ける。内々(ないない)御占(みうら)ありしにも、「四(し)の宮(みや)位(くらゐ)につかせ
給(たま)ひては、百王(はくわう)まで日本国(につぽんごく)の御(おん)ぬしたるべし」とぞ
かん【勘】がへ申(まうし)ける。御母儀(おぼぎ)は七条(しつでうの)修理(しゆりの)大夫(だいぶ)信隆
卿(のぶたかのきやう)の御娘(おんむすめ)なり。建礼門院(けんれいもんゐん)のいまだ中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)にて
ましましける時(とき)、その御方(おんかた)(おかた)に宮(みや)づかひ給(たま)ひしを、
主上(しゆしやう)つねはめされける程(ほど)に、うちつづき宮(みや)あまた
P07167
いできさせ給(たま)へり。信隆卿(のぶたかのきやう)御娘(おんむすめ)あまたおはし
ければ、いかにもして女御(にようご)后(きさき)にもなしたてまつら【奉ら】
ばやとねがは【願は】れけるに、人(ひと)のしろい鶏(にはとり)を千(せん)かう【飼う】つれば、
其(その)家(いへ)に必(かならず)后(きさき)いできたるといふ事(こと)ありとて、
鶏(にはとり)の白(しろ)いを千(せん)そろへ【揃へ】てかは【飼は】れたりける故(ゆゑ)(ゆへ)にや、此(この)
御娘(おんむすめ)皇子(わうじ)あまたうみまいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)へり。信隆卿(のぶたかのきやう)
内々(ないない)うれしう思(おも)はれけれども、平家(へいけ)にもはば
かり、中宮(ちゆうぐう)(ちうぐう)にもおそれ【恐れ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、もてなし奉(たてまつ)る
P07168
事(こと)もおはせざりしを、入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の北(きた)の方(かた)、
八条(はつでう)の二位殿(にゐどの)「くP2122るしかる【苦しかる】まじ。われそだてまい
らせ(まゐらせ)【参らせ】て、まうけの君(きみ)にしたてまつら【奉ら】ん」とて、御(おん)めのと
どもあまたつけて、そだてまいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ひけり。中(なか)
にも四(し)の宮(みや)は、二位殿(にゐどの)のせうと、法勝寺(ほつしようじの)(ほつしやうじの)執行(しゆぎやう)能円(のうゑん)
法印(ほふいん)(ほうゐん)のやしなひ君(ぎみ)にてぞ在(まし)ましける。法印(ほふいん)(ほうゐん)
平家(へいけ)に具(ぐ)せられて、西国(さいこく)へ落(おち)し時(とき)、あまりにあはて(あわて)【慌て】
さはひ(さわい)で、北方(きたのかた)をも宮(みや)をも京都(きやうと)にすて【捨】をき(おき)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、
P07169
下(くだ)られたりしが、西国(さいこく)よりいそぎ人(ひと)をのぼせて、
「女房(にようばう)・宮(みや)具(ぐ)しまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、とくとく【疾く疾く】くだり給(たまふ)べし」と
申(まう)されたりければ、北方(きたのかた)なのめならず悦(よろこび)、宮(みや)いざ
なひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、西(にしの)七条(しつでう)なる所(ところ)まで出(いで)られたりしを、
女房(にようばう)のせうと紀伊守(きのかみ)教光【*範光】(のりみつ)、「是(これ)は物(もの)のつゐ(つい)【付い】て
くるひ給(たま)ふか。此(この)宮(みや)の御運(ごうん)は只今(ただいま)ひらけさせ給(たま)はん
ずる物(もの)を」とて、とりとどめ【留め】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりける次(つぎ)の
日(ひ)ぞ、法皇(ほふわう)(ほうわう)より御(おん)むかへ【向へ】の車(くるま)はまいり(まゐり)【参り】たりける。
P07170
何事(なにごと)もしかる【然る】べき事(こと)と申(まうし)ながら、四(し)の宮(みや)の御(おん)
ためには、紀伊守(きのかみ)教光【*範光】(のりみつ)奉公(ほうこう)の人(ひと)とぞ見(み)えたり
ける。されども四(し)の宮(みや)位(くらゐ)につかせ給(たま)ひて後(のち)、その
なさけをもおぼしめし【思し召し】いでさせ給(たま)はず、朝恩(てうおん)(てうをん)も
なくして歳月(としつき)を送(おく)りけるが、せめての思(おも)ひの
あまりにや、二首(にしゆ)の歌(うた)をようで、禁中(きんちゆう)(きんちう)に
落書(らくしよ)をぞしたりける。
一声(ひとこゑ)はおもひ【思ひ】出(で)てなけほととぎす
P07171
おいそ【老蘇】の森(もり)の夜半(よは)のむかしを W059
籠(かご)のうちもなを(なほ)【猶】うらやまし山(やま)がらの
身(み)のほどかくすゆふがほのやど W060 P2123
主上(しゆしやう)是(これ)を叡覧(えいらん)(ゑいらん)あ(ッ)て、「あなむざんや、さればいまだ
世(よ)にながらへ【永らへ】てあり【有り】けるな。けふまで是(これ)をおぼし
めし【思し召し】よらざりけるこそをろか(おろか)【愚】なれ」とて、朝恩(てうおん)(てうをん)
かうぶり、正(じよう)三位[* 「二位」と有るのを高野本により訂正](ざんみ)に叙(じよ)せられけるとぞきこえし。
名虎(なとら)S0802同(おなじき)八月(はちぐわつ)十日(とをかのひ)、院(ゐん)の殿上(てんじやう)にて除目(ぢもく)おこなはる。木曾(きそ)は
P07172
左馬頭(さまのかみ)にな(ッ)て、越後国(ゑちごのくに)を給(たま)はる。其上(そのうへ)朝日(あさひ)の
将軍(しやうぐん)といふ院宣(ゐんぜん)を下(くだ)されけり。十郎(じふらう)蔵人(くらんど)は
備後守(びんごのかみ)になる。木曾(きそ)は越後(ゑちご)きらへば、伊与【*伊予】(いよ)を
たぶ。十郎(じふらう)蔵人(くらんど)備後(びんご)をきらへば、備前(びぜん)をたぶ。
其(その)外(ほか)源氏(げんじ)十余人(じふよにん)、受領(じゆりやう)・検非違使(けんびゐし)(けんびいし)・靭負尉(ゆぎへのじよう)(ゆぎえのぜう)・兵衛
尉(ひやうゑのじよう)(ひやうゑのぜう)になされけり。同(おなじき)十六日(じふろくにち)、平家(へいけ)の一門(いちもん)百六十
余人(ひやくろくじふよにん)が官職(くわんしよく)をとどめ【留め】て、殿上(てんじやう)のみふだをけづらる。
其(その)中(なか)に平(へい)大納言(だいなごん)時忠(ときただの)〔卿(きやう)〕・内蔵頭(くらのかみ)信基(のぶもと)・讃岐(さぬきの)
P07173
中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)時実(ときざね)、これ三人(さんにん)はけづられず。それは
主上(しゆしやう)并(ならび)に三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)、都(みやこ)へ帰(かへ)しいれ【入れ】奉(たてまつ)るべき
よし、彼(かの)時忠(ときただ)の卿(きやう)のもとへ、度々(たびたび)院宣(ゐんぜん)を下(くだ)され
けるによ(ッ)て也(なり)。同(おなじき)八月(はちぐわつ)十七日(じふしちにち)、平家(へいけ)は筑前国(ちくぜんのくに)
三(み)かさ【三笠】の郡(こほり)太宰府(ださいふ)にこそ着(つき)給(たま)へ。菊池(きくちの)二郎[* 「三郎」と有るのを高野本により訂正](じらう)
高直(たかなほ)(たかなを)は都(みやこ)より平家(へいけ)の御供(おんとも)に候(さうらひ)けるが、「大津山(おほつやま)の
関(せき)あけてまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん」とて、肥P2124後国(ひごのくに)にうちこえて、
をのれ(おのれ)【己】が城(じやう)にひ(ッ)【引つ】こもり、めせ【召せ】どもめせ【召せ】どもまいら(まゐら)【参ら】ず。当時(たうじ)は
P07174
岩戸(いはど)の諸境(せうきやう)(しよきやう)大蔵(おほくらの)種直(たねなほ)(たねなふ)ばかりぞ候(さうらひ)ける。九国(きうこく)二
島(じたう)の兵(つはもの)どもやがてまいる(まゐる)【参る】べきよし領状(りやうじやう)(りやうでう)をば申(まうし)ながら、
いまだまいら(まゐら)【参ら】ず。平家(へいけ)安楽寺(あんらくじ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、歌(うた)よみ
連歌(れんが)して宮(みや)づかひ【仕ひ】給(たま)ひしに、本三位(ほんざんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)
重衡卿(しげひらのきやう)、
すみなれしふるき宮(みや)こ【都】の恋(こひ)しさは
神(かみ)もむかしにおもひ【思ひ】しる【知る】らむ W061
人々(ひとびと)是(これ)をきいてみな涙(なみだ)をながされけり。同(おなじき)廿日(はつかのひ)
P07175
法皇(ほふわう)(ほうわう)の宣命(せんみやう)にて、四宮(しのみや)閑院殿(かんゐんどの)にて位(くらゐ)につかせ
給(たま)ふ。摂政(せつしやう)はもとの摂政(せつしやう)近衛殿(こんゑどの)かはらせ給(たま)はず。頭(とう)
や蔵人(くらんど)なしをき(おき)て、人々(ひとびと)退出(たいしゆつ)せられけり。三宮(さんのみや)の
御(おん)めのとなきかなしみ、後悔(こうくわい)すれども甲斐(かひ)(かい)ぞ
なき。「天(てん)に二(ふたつ)の日なし、国(くに)にふたりの王(わう)なし」と申(まう)
せども、平家(へいけ)の悪行(あくぎやう)によ(ッ)てこそ、京(きやう)・田舎(ゐなか)(いなか)にふたりの
王(わう)は在(まし)ましけれ。昔(むかし)文徳天皇[* 「天王」と有るのを高野本により訂正](もんどくてんわう)は、天安(てんあん)二年(にねん)
八月(はちぐわつ)廿三日(にじふさんにち)にかくれさせ給(たま)ひぬ。御子(おんこ)の宮達(みやたち)あまた
P07176
位(くらゐ)に望(のぞみ)をかけて在(まし)ますは、内々(ないない)御祈(おんいのり)どもあり【有り】けり。一(いち)の
御子(みこ)惟高【*惟喬】親王(これたかのしんわう)をば小原(こばら)の王子(わうじ)とも申(まうし)き。王者(わうしや)
の財領(ざいりやう)を御心(おんこころ)にかけ、四海(しかい)の安危(あんき)は掌(たなごころ)の中(うち)に
照(てら)し、百王(はくわう)の理乱(りらん)は心(こころ)のうちにかけ給(たま)へり。されば
賢聖(けんせい)の名(な)をもとらせましましぬべき君(きみ)なりと
見(み)え給(たま)へり。二宮(にのみや)惟仁親王(これひとのしんわう)は、其(その)比(ころ)の執柄(しつぺい)忠仁
公(ちゆうじんこう)(ちうじんこう)の御娘(おんむすめ)、染殿(そめどの)のP2125后(きさき)の御腹(おんぱら)也(なり)。一門(いちもん)公卿(くぎやう)列(れつ)して
もてなし奉(たてまつ)り給(たま)ひしかば、是(これ)も又(また)さしをき(おき)がたき
P07177
御事(おんこと)也(なり)。かれは守文継体(しゆぶんけいてい)の器量(きりやう)あり、是(これ)は
万機輔佐(ばんきふさ)の心操(しんさう)あり。かれもこれもいたはし
くて、いづれも[* 「は」と有るのを高野本により訂正]おぼしめし【思し召し】わづらはれき。一宮(いちのみや)惟高【*惟喬】
親王(これたかのしんわう)の御祈(おんいのり)は、柿下(かきのもと)の紀[* 「木」と有るのを他本により訂正](き)僧正(そうじやう)信済(しんぜい)とて、東寺(とうじ)の
一(いち)の長者(ちやうじや)、弘法大師(こうぼふだいし)(こうぼうだいし)の御弟子(おんでし)也(なり)。二宮(にのみや)惟仁(これひと)の
親王(しんわう)の御祈(おんいのり)は、外祖(ぐわいそ)忠仁公(ちゆうじんこう)(ちうじんこう)の御持僧(ごじそう)比叡山(ひえいさん)(ひゑいさん)の
恵良【*恵亮】(ゑりやう)和尚(くわしやう)ぞうけ給(たま)はら【承ら】れける。「互(たがひ)におとらぬ高
僧達(かうそうたち)也(なり)。とみに事(こと)ゆきがたうやあらんずらん」と、
P07178
人々(ひとびと)ささやきあへり。御門(みかど)かくれさせ給(たま)ひしかば、
公卿僉議(くぎやうせんぎ)あり。「抑(そもそも)臣等(しんら)がおもむぱかり(おもんぱかり)をも(ッ)てゑらび(えらび)【選び】て
位(くらゐ)につけ奉(たてまつ)らん事(こと)、用捨(ようしや)私(わたくし)あるにに【似】たり。万人(ばんにん)
脣(くちびる)をかへすべし。しら【知ら】ず、競馬(けいば)相撲(すまふ)(すまう)の節(せち)をと
げて、其(その)運(うん)をしり【知り】、雌雄(しゆう)によ(ッ)て宝祚(ほうそ)をさづ
けたてまつる【奉る】べし」と儀定(ぎぢやう)畢(をはん)(おはん)ぬ。同(おなじき)年(とし)の九月(くぐわつ)
二日(ふつかのひ)、二人(ににん)の宮達(みやたち)右近馬場(うこんのばば)へ行(ぎやう)げい【行啓】あり。ここに
王公(わうこう)卿相(けいしやう)、花(はな)の袂(たもと)をよそほひ、玉(たま)のくつばみを
P07179
ならべ、雲(くも)のごとくにかさなり、星(ほし)のごとくにつら
なり給(たま)ひしかば、此(この)事(こと)希代(きたい)の勝事(しようし)(せうし)、天下(てんが)の
荘(さかんなる)観(みもの)、日来(ひごろ)心(こころ)をよせ奉(たてまつり)し月卿(げつけい)雲客(うんかく)両方(りやうばう)に引(ひき)
わか(ッ)て、手(て)をにぎり心(こころ)をくだき給(たま)へり。御祈(おんいのり)の
高僧達(かうそうたち)、いづれかそらく【粗略】あらむや。信済(しんぜい)は東寺(とうじ)に
壇(だん)をたて、恵良【*恵亮】(ゑりやう)は大内(おほうち)の真言院(しんごんゐん)に壇(だん)をたてて
おこなはれけるに、恵良【*恵亮】(ゑりやう)(ゑリヤウ)和尚(くわしやう)うせたりといふ
披露(ひろう)をなす。信済僧正(しんぜいそうじやう)たゆP2126む心(こころ)もやあり【有り】けん。
P07180
恵良【*恵亮】(ゑりやう)はうせたりといふ披露(ひろう)をなし、肝胆(かんたん)を
くだひ(くだい)て祈(いの)られけり。既(すで)に十番(じふばん)競馬(けいば)はじまる。
はじめ四番(しばん)、一(いちの)宮(みや)惟高【*惟喬】親王(これたかのしんわう)かたせ給(たま)ふ。後(のち)
六番(ろくばん)は二宮(にのみや)惟仁親王(これひとのしんわう)かたせ給(たま)ふ。やがて相撲(すまふ)(すまう)の
節(せち)あるべしとて、惟高【*惟喬】(これたか)の御方(おんかた)よりは名虎(なとら)の右兵
衛督(うひやうゑのかみ)とて、六十人(ろくじふにん)がちから【力】あら【顕】はしたるゆゆしき
人(ひと)をぞいだされたる。惟仁親王家(これひとのしんわうげ)よりは能雄(よしを)の少将(せうしやう)
とて、せいちい【小】さうたえ(たへ)【妙】にして、片手(かたて)にあふべしとも
P07181
見(み)えぬ人(ひと)、御夢想(ごむさう)の御告(おんつげ)ありとて申(まうし)うけてぞ
いでられたる。名虎(なとら)・能雄(よしを)よりあふ(あう)【逢う】て、ひしひしとつま
どりしての【退】きにけり。しばしあ(ッ)て名虎(なとら)能雄(よしを)の
少将(せうしやう)をと(ッ)てささげて、二丈(にぢやう)ばかりぞなげたりける。ただ
なを(ッ)(なほつ)【直つ】てたをれ(たふれ)【倒れ】ず。能雄(よしを)又(また)つとより、ゑい声(ごゑ)(えいごゑ)をあ
げて、名虎(なとら)をと(ッ)てふせむとす。名虎(なとら)もともに声(こゑ)
いだして、能雄(よしを)をと(ッ)てふせむとす。いづれおと
れりとも見(み)えず。されども、名虎(なとら)だい【大】の男(をのこ)(おのこ)、かさに
P07182
まはる。能雄(よしを)はあぶなう見(み)えければ、二宮(にのみや)惟仁家(これひとけ)の
御母儀(おぼぎ)染殿(そめどの)の后(きさき)より、御使(おんつかひ)(おつかひ)櫛(くし)のは【歯】のごとく
はしり【走り】かさな(ッ)て、「御方(みかた)すでにまけ色(いろ)にみゆ。いかが
せむ」と仰(おほせ)ければ、恵良【*恵亮】(ゑりやう)和尚(くわしやう)大威徳(だいゐとく)の法(ほふ)(ほう)を修(しゆ)せ
られけるが、「こは心(こころ)うき事(こと)にこそ」とて独古【*独鈷】(とつこ)をも(ッ)て
なづき【脳】をつきくだき、乳和(にうわ)して護摩(ごま)にたき、
黒煙(くろけぶり)をたててひともみもまれたりければ、能雄(よしを)す
まう(すまふ)にかちにけり。親王(しんわう)位(くらゐ)につかせ給(たま)ふ。清和(せいわ)の
P07183
御門(みかど)是(これ)也(なり)。後(のち)には水尾(みづのをの)[* 「水穂(みづのほ)」と有るのを他本により訂正]天皇(てんわう)とぞ申(まうし)ける。
それよりP2127してこそ山門(さんもん)には、いささかの事(こと)にも、
恵良【*恵亮】(ゑりやう)脳(なづき)をくだきしかば、二帝(じてい)位(くらゐ)につき給(たま)ひ、
尊意[M 「尊伊」とあり「伊」をミセケチ「意」と傍書](そんい)智剣(ちけん)を振(ふり)しかば、菅丞(かんせう)納受(なふじゆ)(なうじゆ)し給(たま)ふ
とも伝(つた)へたれ。是(これ)のみや法力(ほふりき)(ほうりき)にてもあり【有り】けむ。其(その)外(ほか)
はみな天照大神(てんせうだいじん)の御(おん)ぱからひとぞ承(うけたま)はる。平家(へいけ)は
西国(さいこく)にて是(これ)をつたへきき、「やすからぬ。三(さん)の宮(みや)をも
四(し)の宮(みや)をもとりまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、落(おち)くだるべかりし
P07184
物(もの)を」と後悔(こうくわい)せられければ、平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)、「さらむ
には、木曾(きそ)が主(しゆう)(しゆ)にしたてま(ッ)【奉つ】たる高倉宮(たかくらのみやの)御子(みこ)を、御(おん)めのと
讃岐守(さぬきのかみ)重秀(しげひで)が御出家(ごしゆつけ)せさせ奉(たてまつ)り、具(ぐ)し
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て北国(ほつこく)へ落(おち)くだりしこそ、位(くらゐ)にはつかせ
給(たま)はんずらめ」との給(たま)へば、又(また)或(ある)人々(ひとびと)の申(まう)されけるは、
「それは、出家(しゆつけ)の宮(みや)をばいかが位(くらゐ)にはつけたてまつる【奉る】
べき」。時忠(ときただ)「さもさうず。還俗(げんぞく)の国王(こくわう)のためし【例】、
異国(いこく)にも先蹤(せんじよう)(せんぜう)あるらむ。我(わが)朝(てう)には、まづ天武天皇(てんむてんわう)
P07185
いまだ東宮(とうぐう)の御時(おんとき)、大伴(おほとも)の皇子(わうじ)にはばからせ
給(たま)ひて、鬢髪(びんぱつ)をそり、芳野(よしの)の奥(おく)にしのば【忍ば】せ
給(たま)ひたりしかども、大伴(おほとも)の皇子(わうじ)をほろぼして、
つゐに(つひに)【遂に】は位(くらゐ)につかせ給(たま)ひき。孝謙天皇(かうげんてんわう)も、大
菩提心(だいぼだいしん)をおこし、御(おん)かざりをおろさせ給(たま)ひ、御名(みな)をば
法幾尓(ほうきに)と申(まうし)しかども、ふたたび位(くらゐ)につゐ(つい)【即い】て
称徳(しようどく)(せうどく)天皇(てんわう)と申(まうし)しぞかし。まして木曾(きそ)が主(しゆう)(しゆ)に
したてまつり【奉り】たる還俗(げんぞく)の宮(みや)、子細(しさい)あるまじ」とぞ
P07186
の給(たま)ひける。同(おなじき)九月(くぐわつ)二日(ふつかのひ)、法皇(ほふわう)(ほうわう)より伊勢(いせ)へ公卿(くぎやう)の
勅使(ちよくし)をたてらる。勅使(ちよくし)は参議(さんぎ)長教(ながのり)とぞP2128聞(きこ)えし。
太政天皇(だいじやうてんわう)の、伊勢(いせ)へ公卿(くぎやう)の勅使(ちよくし)をたてらるる
事(こと)は、朱雀(しゆしやく)・白河(しらかは)・鳥羽(とば)三代(さんだい)の蹤跡(しようせき)(せうせき)ありと
いへども、是(これ)みな御出家(ごしゆつけ)以前(いぜん)なり。御出家(ごしゆつけ)以後(いご)の
例(れい)は是(これ)はじめとぞ承(うけたまは)る。緒環(をだまき)S0803 さる程(ほど)に、筑紫(つくし)には
内裏(だいり)つくるべきよし沙汰(さた)ありしかども、いまだ宮(みや)
こ【都】も定(さだ)められず。主上(しゆしやう)は岩戸(いはど)の諸境(せうきやう)(しよきやう)大蔵(おほくら)の種直(たねなほ)(たねなふ)が
P07187
宿所(しゆくしよ)にわたらせ給(たま)ふ。人々(ひとびと)の家々(いへいへ)は野中(のなか)田(た)なか【田中】
なりければ、あさ【麻】の衣(ころも)はうたねども、とをち【十市】の里(さと)とも
い(ッ)つべし。内裏(だいり)は山(やま)のなかなれば、かの木(き)の丸殿(まるどの)も
かくやとおぼえて、中々(なかなか)ゆう(いう)【優】なる方(かた)もあり【有り】けり。
まづ宇佐宮(うさのみや)へ行幸(ぎやうがう)なる。大郡司(だいぐんじ)公道(きんみち)が宿所(しゆくしよ)
皇居(くわうきよ)になる。社頭(しやとう)は月卿(げつけい)雲客(うんかく)の居所(きよしよ)になる。庭
上(ていしやう)には四国(しこく)鎮西(ちんぜい)の兵(つはもの)ども、甲冑(かつちう)弓箭(きゆうせん)(きうせん)を帯(たい)して
雲霞(うんか)のごとくになみゐたり。ふりにしあけ【朱】の
P07188
玉垣(たまがき)、ふたたびかざるとぞ見(み)えし。七日(しちにち)参籠(さんろう)の
あけがたに、大臣殿(おほいとの)の御(おん)ために夢想(むさう)の告(つげ)ぞあり
ける。御宝殿(ごほうでん)の御戸(みと)をし(おし)【押し】ひらきゆゆしく
けだかげなる御(み)こゑ【声】にて、
世(よ)のなかのうさには神(かみ)もなきものを
なにいのるらん心(こころ)づくしに W062 P2129
大臣殿(おほいとの)うちおどろき、むねうちさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】、
さりともとおもふ心(こころ)もむし【虫】のね【音】も
P07189
よはり(よわり)【弱り】はてぬる秋(あき)の暮(くれ)かな W063
といふふる歌(うた)【古歌】をぞ心(こころ)ぼそげに口(くち)ずさみ給(たまひ)ける。
さる程(ほど)に九月(くぐわつ)も十日(とをか)あまりになりにけり。荻(をぎ)(おぎ)の葉(は)
むけの夕嵐(ゆふあらし)(ゆうあらし)、ひとりまろねの床(とこ)のうへ、かたしく
袖(そで)もしほれ(しをれ)【萎れ】つつ、ふけゆく秋(あき)のあはれ【哀】さは、いづくも
とはいひながら、旅(たび)の空(そら)こそ忍(しのび)がたけれ。九月(くぐわつ)十三(じふさん)
夜(や)は名(な)をえたる月(つき)なれども、其(その)夜(よ)は宮(みや)こ【都】を思(おも)ひ
いづる涙(なみだ)に、我(われ)からくも【曇】りてさやかならず。九重(ここのへ)(ここのえ)の
P07190
雲(くも)のうへ、久方(ひさかた)の月(つき)におもひ【思ひ】をのべしたぐひも、
今(いま)の様(やう)におぼえて、薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)
月(つき)を見(み)しこぞのこよひの友(とも)のみや
宮(みや)こ【都】にわれをおもひ【思ひ】いづらむ W064
修理(しゆりの)大夫(だいぶ)経盛(つねもり)
恋(こひ)しとよこぞのこよひの夜(よ)もすがら
ちぎりし人(ひと)のおもひ【思ひ】出(で)られて W065
皇后宮亮(くわうごうぐうのすけ)経正(つねまさ)
P07191
わけてこし野辺(のべ)の露(つゆ)ともきえずして
おもは【思は】ぬ里(さと)の月(つき)を見(み)るかな W066
豊後国(ぶんごのくに)は刑部卿(ぎやうぶきやう)三位(ざんみ)(ざんゐ)頼資卿(よりすけのきやう)の国(くに)なりけり。
子息(しそく)[B 頼]経(よりつねの)朝臣(あそん)(あつそん)を代官(だいくわん)にをか(おか)【置か】れたり。京(きやう)より頼経(よりつね)の
もとへ、平家(へいけ)は神明(しんめい)にもはなたれたてまつり【奉り】、君(きみ)
にも捨(すて)られまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、帝都(ていと)をいで、浪(なみ)の上(うへ)に
ただよふおち人(うと)となれり。しかる【然る】を、鎮P2130西(ちんぜい)の者共(ものども)が
うけ【受け】と(ッ)【取つ】て、もてなすなるこそ奇怪(きくわい)(き(ツ)くわい)なれ、当国(たうごく)に
P07192
おいてはしたがふ【従ふ】べからず。一味(いちみ)同心(どうしん)して追出(ついしゆつ)すべき
よし、の給(たま)ひつかはさ【遣さ】れたりければ、頼経(よりつねの)朝臣(あそん)(あつそん)是(これ)を
当国(たうごく)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)維義(これよし)に下知(げぢ)す。彼(かの)維義(これよし)は
おそろしき【恐ろしき】ものの末(すゑ)なりけり。たとへば、豊後国(ぶんごのくに)の
片山里(かたやまざと)に昔(むかし)をんな【女】あり【有り】けり。或(ある)人(ひと)のひとりむ
すめ、夫(おつと)もなかりけるがもとへ、母(はは)にもしら【知ら】せず、男(をとこ)(おとこ)
よなよな【夜な夜な】かよふ程(ほど)に、とし月(つき)もかさなる程(ほど)に、身(み)も
ただならずなりぬ。母(はは)是(これ)をあやしむ(あやしん)で、「汝(なんぢ)がもとへ
P07193
かよふ者(もの)は何者(なにもの)ぞ」ととへば、「く【来】るをば見(み)れども、帰(かへ)るをば
しら【知ら】ず」とぞいひける。「さらば男(をとこ)(おとこ)の帰(かへ)らむとき、しる
しを付(つけ)て、ゆかむ方(かた)をつなひ(つない)で見(み)よ」とをしへ
ければ、むすめ母(はは)のをしへにしたが(ッ)て、朝帰(あさがへり)する
男(をとこ)(おとこ)の、水色(みづいろ)の狩衣(かりぎぬ)をきたりけるに、狩衣(かりぎぬ)の頸(くび)かみに
針(はり)をさし、しづ【賎】のをだまき【緒環】といふものを付(つけ)て、
へ【経】てゆくかたをつなひ(つない)でゆけば、豊後国(ぶんごのくに)に
と(ッ)ても日向(ひうが)ざかひ、うばだけといふ嵩(だけ)のすそ、
P07194
大(おほき)なる岩屋(いはや)のうちへぞつなぎいれ【入れ】たる。をんな
岩屋(いはや)のくちにたたずんできけば、おほき【大き】なるこゑ【声】
してによびけり。「わらはこそ是(これ)まで尋(たづね)まいり(まゐり)【参り】
たれ。見参(げんざん)せむ」といひければ、「我(われ)は是(これ)人(ひと)のすがたには
あらず。汝(なんぢ)すがたを見(み)ては肝(きも)たましゐ(たましひ)【魂】も身(み)に
そふまじきなり。とうとう【疾う疾う】帰(かへ)れ。汝(なんぢ)がはらめる子(こ)は男
子(なんし)なるべし。弓矢(ゆみや)打物(うちもの)と(ッ)て九州(きうしう)二島(じたう)にならぶ
者(もの)もP2131あるまじきぞ」と〔ぞ〕いひける。女(をんな)(をうな)重(かさね)て申(まうし)けるは、
P07195
「たとひいかなるすがたにてもあれ、此(この)日来(ひごろ)のよしみ
何(なに)とてかわするべき。互(たがひ)にすがたをも見(み)もし見(み)えむ」と
いはれて、さらばとて、岩屋(いはや)の内(うち)より、臥(ふし)だけは
五六尺(ごろくしやく)、跡枕(あとまくら)べは十四[B 五](じふしご)丈(ぢやう)もあるらむとおぼゆる
大蛇(だいじや)にて、動揺(どうよう)してこそはひ【這ひ】出(いで)たれ。狩衣(かりぎぬ)の
くびかみにさすとおもひ【思ひ】つる針(はり)は、すなはち大
蛇(だいじや)のの(ウ)ぶゑ(のどぶえ)にこそ[B さ]いたりけれ。女(をんな)(をうな)是(これ)を見(み)て肝(きも)
たましゐ(たましひ)【魂】も身(み)にそはず、ひき具(ぐ)したりける所従(しよじゆう)(しよじう)
P07196
十(じふ)余人(よにん)たふれ【倒れ】ふためき、おめき(をめき)【喚き】さけむ(さけん)【叫ん】でにげさ
りぬ。女(をんな)(をうな)帰(かへり)て程(ほど)なく産(さん)をしたれば、男子(なんし)にてぞ
あり【有り】ける。母方(ははかた)の祖父(おほぢ)太大夫(だいたいふ)(だいたゆう)そだてて見(み)むとて
そだてたれば、いまだ十歳(じつさい)にもみたざるに、せいおほ
き【大き】にかほながく、たけ【丈】たかかり【高かり】けり。七歳(しちさい)にて元服(げんぶく)
せさせ、母方(ははかた)の祖父(おほぢ)を太大夫(だいたいふ)(だいたゆう)といふ間(あひだ)(あいだ)、是(これ)をば大太(だいた)と
こそつけたりけれ。夏(なつ)も冬(ふゆ)も手足(てあし)におほき【大き】
なるあかがりひまなくわれければ、あかがり大太(だいた)と
P07197
ぞいはれける。件(くだん)の大蛇(だいじや)は日向国(ひうがのくに)にあがめられ給(たま)へる
高知尾(たかちを)(たかちお)の明神(みやうじん)の神体(しんたい)也(なり)。此(この)緒方(をかた)(おかた)の三郎(さぶらう)はあ
かがり大太(だいた)には五代(ごだい)の孫(そん)なり。かかるおそろしき【恐ろしき】
ものの末(すゑ)なりければ、国司(こくし)の仰(おほせ)を院宣(ゐんぜん)と号(かう)して、
九州(きうしう)二島(じたう)にめぐらしぶみをしければ、しかる【然る】べき
兵(つはもの)ども維義(これよし)に随(したが)ひつく。P2132 太宰府落(ださいふおち)S0804 平家(へいけ)いまは宮(みや)こ【都】をさだめ、
内裏(だいり)つくるべきよし沙汰(さた)ありしに、維義(これよし)が謀叛(むほん)
と聞(きこ)えしかば、いかにとさはが(さわが)【騒が】れけり。平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)
P07198
申(まう)されけるは、「彼(かの)維義(これよし)は小松殿(こまつどの)の御家人(ごけにん)也(なり)。
小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)一所(いつしよ)むかは【向は】せ給(たま)ひて、こしらへて
御(ご)らんぜらるべうや候(さうらふ)らん」と申(まう)されければ、「まこと【誠】にも」
とて、小松(こまつ)の新(しん)三位(ざんみの)(ざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)資盛卿(すけもりのきやう)、五百余騎(ごひやくよき)で
豊後国(ぶんごのくに)にうちこえて、やうやうにこしらへ給(たま)へども、
維義(これよし)したがひたてまつら【奉ら】ず。あま(ッ)さへ(あまつさへ)【剰へ】「君達(きんだち)をも
只今(ただいま)ここでとりこめまいらす(まゐらす)【参らす】べう候(さうら)へども、「大事(だいじ)の
なかに小事(せうじ)なし」とてとりこめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ず候(さうらふ)。なに
P07199
程(ほど)の事(こと)かわたらせ給(たま)ふべき。とうとう太宰府(ださいふ)へ
帰(かへ)らせ給(たま)ひて、ただ御一所(ごいつしよ)でいかにもならせ給(たま)へ」とて、
追帰(おひかへ)(をひかへ)し奉(たてまつ)る。維義(これよし)が次男(じなん)野尻(のじり)の二郎(じらう)維村(これむら)
を使者(ししや)で、太宰府(ださいふ)へ申(まうし)けるは、「平家(へいけ)は重恩(ぢゆうおん)(ぢうをん)の
君(きみ)にてましませば、甲(かぶと)をぬぎ弓(ゆみ)をはづゐ(はづい)てま
いる(まゐる)【参る】べう候(さうら)へども、一院(いちゐん)の御定【*御諚】(ごぢやう)に速(すみやか)に追出(ついしゆつ)し
まいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】と候(さうらふ)。いそぎ出(いで)させ給(たま)ふべうや候(さうらふ)らん」と
申(まうし)をく(ッ)(おくつ)【送つ】たりければ、平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)、ひをぐくり【緋緒括】の
P07200
直垂(ひたたれ)に糸(いと)くず【糸葛】の袴(はかま)立烏帽子(たてえぼし)(たてゑぼし)で、維村(これむら)にいで
むか(ッ)【向つ】ての給(たま)ひけるは、「それ我(わが)君(きみ)は天孫(てんそん)四十九(ししじふく)世(せ)の
正統(しやうとう)、仁王(にんわう)八十一(はちじふいち)代(だい)の御門(みかど)なり。天照大神(てんせうだいじん)・正八幡
宮(しやうはちまんぐう)も我(わが)君(きみ)をこそまもり【守り】P2133まいら(まゐら)【参ら】させ給(たま)ふらめ。
就中(なかんづく)に、故(こ)太政(だいじやう)大臣(だいじん)入道殿(にふだうどの)(にうどうどの)は、保元(ほうげん)・平治(へいぢ)両度(りやうど)の
逆乱(げきらん)をしづめ、其上(そのうへ)鎮西(ちんぜい)の者(もの)どもをばうち様(さま)に
こそめされしか。東国(とうごく)・北国(ほつこく)の凶徒等(きようどら)(けうどら)が頼朝(よりとも)・義仲
等(よしなから)にかたらはされて、しおほせたらば国(くに)をあづけう、
P07201
庄(しやう)をたばんといふをまこととおもひ【思ひ】て、其(その)鼻(はな)豊
後(ぶんご)が下知(げぢ)にしたがはむ事(こと)しかる【然る】べからず」とぞの給(たま)ひ
ける。豊後(ぶんご)の国司(こくし)刑部卿(ぎやうぶきやう)三位(ざんみ)(ざんゐ)頼資卿(よりすけのきやう)はきはめて
鼻(はな)の大(おほき)におはしければ、かうはの給(たま)ひけり。維村(これむら)帰(かへり)て
父(ちち)に此(この)よしいひければ、「こはいかに、昔(むかし)はむかし今(いま)は今(いま)、
其(その)義(ぎ)ならば速(すみや)かに追出(ついしゆつ)したてまつれ【奉れ】」とて、勢(せい)そろ
ふるな(ン)ど(など)聞(きこ)えしかば、平家(へいけ)の侍(さぶらひ)源(げん)大夫(だいふの)(たゆふの)判官(はんぐわん)季定(すゑさだ)・
摂津(せつつの)判官(はんぐわん)守澄(もりずみ)「向後(きやうこう)傍輩(はうばい)のため奇怪(きくわい)(き(ツ)くわい)に候(さうらふ)。
P07202
めし【召し】とり候(さうら)はん」とて、其(その)勢(せい)三千余騎(さんぜんよき)で筑後国(ちくごのくに)
高野本庄(たかののほんじやう)に発向(はつかう)して、一日(いちにち)一夜(いちや)せめ【攻め】たたかふ【戦ふ】。
されども維義(これよし)が勢(せい)雲霞(うんか)のごとくにかさなりければ、
ちからをよば(およば)【及ば】で引(ひき)しりぞく。平家(へいけ)は緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)
維義(これよし)が三万余騎(さんまんよき)の勢(せい)にて既(すで)によすと聞(きこ)えしかば、
とる物(もの)もとりあへず太宰府(ださいふ)をこそ落(おち)給(たま)へ。
さしもたのもしかり【頼もしかり】つる天満天神(てんまんてんじん)のしめ【注連】のほとりを、
心(こころ)ぼそくもたちはなれ、駕輿丁(かよちやう)もなければ、そう
P07203
花(か)【葱花】・宝輦(ほうれん)はただ名(な)のみききて、主上(しゆしやう)要輿(えうよ)(ようよ)にめさ
れけり。国母(こくも)をはじめ奉(たてまつり)て、やごとなき女房達(にようばうたち)、
袴(はかま)のそばをとり、大臣殿(おほいとの)以下(いげ)の卿相(けいしやう)・雲客(うんかく)、指貫(さしぬき)の
そばをはさみ、水(みづ)き【水城】の戸(と)を出(いで)て、P2134かちはだしにて我(われ)
さきに前(さき)にと箱崎(はこざき)の津(つ)へこそ落(おち)給(たま)へ。おりふし(をりふし)【折節】くだる
雨(あめ)車軸(しやぢく)のごとし。吹(ふく)風(かぜ)砂(いさご)をあぐとかや。おつる涙(なみだ)、
ふる雨(あめ)、わきていづれも見(み)えざりけり。住吉(すみよし)・筥崎(はこざき)・
香椎[* 「香推(かすい)」と有るのを他本により訂正](かしい)・宗像(むなかた)ふしをがみ【拝み】、ただ主上(しゆしやう)旧都(きうと)の還幸(くわんかう)と
P07204
のみぞ祈(いの)られける。たるみ山(やま)・鶉浜(うづらばま)な(ン)ど(など)いふ峨々(がが)
たる嶮難(けんなん)をしのぎ、渺々(びやうびやう)たる平沙(へいさ)へぞおもむき【赴き】
給(たま)ふ。いつならはしの御事(おんこと)なれば、御足(おんあし)よりいづる
血(ち)は沙(いさご)をそめ、紅(くれなゐ)の袴(はかま)は色(いろ)をまし、白袴(しろばかま)はすそ
紅(ぐれなゐ)にぞなりにける。彼(かの)玄弉(げんじやう)三蔵(さんざう)の流砂(りうさ)・葱嶺(そうれい)を
凌(しの)がれけんくるしみ【苦】も、是(これ)にはいかでかまさるべき。
されどもそれは求法(ぐほふ)(ぐほう)のためなれば、自他(じた)の利益(りやく)も
あり【有り】けむ、是(これ)は怨敵(をんでき)のゆへ(ゆゑ)【故】なれば、後世(ごせ)のくるしみ【苦】
P07205
かつおもふこそかなしけれ。新羅(しんら)・百済(はくさい)・高麗(かうらい)・
荊旦(けいたん)、雲(くも)のはて海(うみ)のはてまでも落(おち)ゆかばやとは
おぼしけれども、浪風(なみかぜ)むかふ(むかう)【向う】てかなは【叶は】ねば、兵
藤次(ひやうどうじ)秀遠(ひでとほ)(ひでとを)に具(ぐ)せられて、山賀(やまが)の城(じやう)にこもり給(たま)ふ。山
賀(やまが)へも敵(かたき)よすと聞(きこ)えしかば、小舟(こぶね)どもにめし【召し】て、
夜(よ)もすがら豊前国(ぶぜんのくに)柳(やなぎ)が浦(うら)へぞわたり給(たま)ふ。ここに
内裏(だいり)つくるべきよし汰汰(さた)ありしかども、分限(ぶんげん)なかり
ければつくられず、又(また)長門(ながと)より源氏(げんじ)よすと聞(きこ)え
P07206
しかば、海士(あま)のを【小】舟(ぶね)にとりのりて、海(うみ)にぞうかび
給(たま)ひける。小松殿(こまつどの)の三男(さんなん)左(ひだん)の中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)清経(きよつね)は、
もとより何事(なにごと)もおもひいれ【思ひ入れ】たる人(ひと)なれば、「宮(みや)こ
をば源氏(げんじ)がためにせめ【攻め】おとさ【落さ】れ、鎮西(ちんぜい)をば維義(これよし)が
ために追出(ついしゆつ)さる。網(あみ)にかかP2135れる魚(うを)(うほ)のごとし。いづくへ
ゆか【行か】ばのがる【逃る】べきかは。ながらへ【永らへ】はつべき身(み)にも
あらず」とて、月(つき)の夜(よ)心(こころ)をす【澄】まし、舟(ふね)の屋形(やかた)に
立出(たちい)でて、やうでう【横笛】ねとり【音取】朗詠(らうえい)(らうゑい)してあそば【遊ば】れ
P07207
けるが、閑(しづ)かに経(きやう)よみ念仏(ねんぶつ)して、海(うみ)にぞしづみ
給(たま)ひける。男女(なんによ)なきかなしめども甲斐(かひ)ぞなき。
長門国(ながとのくに)は新(しん)中納言(ぢゆうなごん)(ぢうなごん)知盛卿(とももりのきやう)の国(くに)なりけり。目代(もくだい)は
紀伊(きの)刑部(ぎやうぶの)大夫(たいふ)(たゆふ)道資(みちすけ)といふものなり。平家(へいけ)の
小舟(こぶね)どもにのり給(たま)へる由(よし)承(うけたまは)(ッ)て、大舟(たいせん)百(ひやく)余艘(よさう)(よそう)
点(てん)じて奉(たてまつ)る。平家(へいけ)これに乗(のり)うつり四国(しこく)の
地(ち)へぞわたられける。重能(しげよし)が沙汰(さた)として、四国(しこく)の
内(うち)をもよほして、讃岐(さぬき)の八島(やしま)にかたのやうなる
P07208
いた屋(や)【板屋】の内裏(だいり)や御所(ごしよ)をぞつくらせける。其(その)程(ほど)は
あやしの民屋(みんをく)を皇居(くわうきよ)とするに及(およ)(をよ)ばねば、舟(ふね)を
御所(ごしよ)とぞ定(さだ)めける。大臣殿(おほいとの)以下(いげ)の卿相(けいしやう)・雲客(うんかく)(うむかく)、
海士(あま)の篷屋(とまや)に日(ひ)ををくり(おくり)【送り】、しづ【賎】がふしど【臥処】に夜(よ)を
かさね、竜頭(りようどう)(れうどう)鷁首(げきしゆ)を海中(かいちゆう)(かいちう)にうかべ、浪(なみ)のうへの
行宮(かうきゆう)(かうきう)はしづかなる時(とき)なし。月(つき)をひたせる潮(うしほ)の
ふかき愁(うれひ)(うれい)にしづみ、霜(しも)をおほへ【覆へ】る蘆(あし)の葉(は)の
もろき命(いのち)をあやぶむ。州崎(すざき)にさはぐ(さわぐ)【騒ぐ】千鳥(ちどり)
P07209
の声(こゑ)は、暁(あかつき)恨(うらみ)をまし、そはゐ(そはひ)にかかる梶(かぢ)の音(おと)(をと)、夜
半(よは)に心(こころ)をいたましむ。遠松(えんせう)に白鷺(はくろ)のむれゐる
を見(み)ては、源氏(げんじ)の旗(はた)をあぐるかとうたがひ、野
鴈(やがん)の遼海(れうかい)になくを聞(きき)ては、兵(つはもの)どもの夜(よ)もす
がら舟(ふね)をこぐかとおどろかる。清嵐(せいらん)はだえ(はだへ)【肌】をを
かし、翠黛(すいたい)紅顔(こうがん)の色(いろ)やうやうおとろへ、蒼
波(さうは)眼(まなこ)穿(うがち)て、外都(ぐわいと)望郷(ばうきやう)のP2136涙(なんだ)をさへ(おさへ)がたし。翠
帳(すいちやう)紅閨(こうけい)にかはれるは、土生(はにふ)の小屋(こや)のあしすだれ【蘆簾】、
P07210
薫炉(くんろ)の煙(けぶり)にことなるは、蘆火(あしび)たく屋(や)のいやし
きにつけても、女房達(にようばうたち)つきせぬ物(もの)おもひ【思ひ】に
紅(くれなゐ)の涙(なみだ)せきあへねば、翠(みどり)の黛(まゆずみ)みだれつつ、其(その)人(ひと)
とも見(み)え給(たま)はず。征夷将軍(せいいしやうぐんの)院宣(ゐんぜん)S0805 さる程(ほど)に鎌倉(かまくら)の前(さきの)右兵衛
佐(うひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)、ゐながら征夷将軍(せいいしやうぐん)の院宣[* 「宣旨」と有るのを高野本により訂正](ゐんぜん)を蒙(かうぶ)る。
御使(おんつかひ)(おつかひ)は左史生[* 「左吏生」と有るのを他本により訂正](さししやう)中原泰定(なかはらのやすさだ)とぞ聞(きこ)えし。十月(じふぐわつ)
十四日(じふしにち)関東(くわんとう)へ下着(げちやく)。兵衛佐(ひやうゑのすけ)の給(たまひ)けるは、「頼朝(よりとも)年
来(としごろ)勅勘(ちよくかん)を蒙(かうぶり)たりし〔か〕ども、今(いま)武勇(ぶゆう)の名誉(めいよ)
P07211
長(ちやう)ぜるによ(ッ)て、ゐながら征夷将軍(せいいしやうぐん)の院宣[* 「宣旨」と有るのを高野本により訂正](ゐんぜん)を
蒙(かうぶ)る。いかんが私(わたくし)でうけ【受け】とり【取り】奉(たてまつ)るべき。若宮(わかみや)の
社(やしろ)にて給(たま)はらん」とて、若宮(わかみや)へまいり(まゐり)【参り】むかは【向は】れけり。
八幡(はちまん)は鶴(つる)が岡(をか)にたたせ給(たま)へり。地形(ちけい)石清水(いはしみづ)にた
がは【違は】ず。廻廊(くわいらう)あり、楼門(ろうもん)あり、つくり道(みち)十(じふ)余町(よちやう)
見(み)くだしたり。「抑(そもそも)院宣(ゐんぜん)をばたれ【誰】してかうけ【受け】とり【取り】
奉(たてまつ)るべき」と評定(ひやうぢやう)あり。「三浦介(みうらのすけ)義澄(よしずみ)してうけ【受け】
とり【取り】奉(たてまつ)るべし。其(その)故(ゆゑ)(ゆへ)は、八ケ国(はつかこく)(はちかこく)に聞(きこ)えたりし弓
P07212
矢(ゆみや)とり、三浦(みうらの)平太郎(へいたらう)為嗣(ためつぎ)が末葉(ばつえふ)(ばつよう)也(なり)。其上(そのうへ)父(ちち)
大介(おほすけ)は、君(きみ)の御(おん)ために命(いのち)をすてたる兵(つはもの)なれば、彼(かの)
義明(よしあき)が黄泉(くわうせん)の迷暗(めいあん)(めいあむ)をてらさむがため」とぞ聞(きこ)え
し。P2137院宣(ゐんぜん)の御使(おんつかひ)(おつかひ)泰定(やすさだ)は、家子(いへのこ)二人(ににん)、郎等(らうどう)十
人(じふにん)具(ぐ)したり。院宣(ゐんぜん)をばふぶくろ【文袋】にいれ【入れ】て、雑色(ざつしき)が
頸(くび)にぞかけさせたりける。三浦介(みうらのすけ)義澄(よしずみ)も家子(いへのこ)
二人(ににん)、郎等(らうどう)十人(じふにん)具(ぐ)したり。二人(ににん)の家子(いへのこ)は、和田(わだの)三郎(さぶらう)
宗実(むねざね)・比木【*比企】(ひき)の藤四郎(とうしらう)能員(よしかず)なり。十人(じふにん)の郎等(らうどう)を
P07213
ば大名(だいみやう)十人(じふにん)して、俄(にはか)に一人(いちにん)づつしたて【仕立て】けり。三浦(みうら)の
介(すけ)が其(その)日(ひ)の装束(しやうぞく)には、かち【褐】の直垂(ひたたれ)に、黒糸威(くろいとをどし)(くろいとおどし)の
鎧(よろひ)きて、いか物(もの)づくりの大太刀(おほだち)はき、廿四(にじふし)さいたる
大中黒(おほなかぐろ)の矢(や)をひ(おひ)【負ひ】、しげどうの弓(ゆみ)脇(わき)にはさみ、
甲(かぶと)をぬぎ高(たか)ひもにかけ、腰(こし)をかがめて院宣(ゐんぜん)を
うけ【受け】とる【取る】。泰定(やすさだ)「院宣(ゐんぜん)うけ【受け】とり【取り】奉(たてまつ)る人(ひと)はいか
なる人(ひと)ぞ、名(な)のれや」といひければ、三浦介(みうらのすけ)とは
名(な)のらで、本名(ほんみやう)を三浦(みうら)の荒次郎(あらじらう)義澄(よしずみ)とこそ
P07214
なの(ッ)【名乗つ】たれ。院宣(ゐんぜん)をば、らん箱(ばこ)【乱箱】にいれ【入れ】られたり。兵衛
佐(ひやうゑのすけ)に奉(たてまつ)る。ややあ(ッ)て、らんばこ【乱箱】をば返(かへ)されけり。お
もかりければ、泰定(やすさだ)是(これ)をあけて見(み)るに、沙金(しやきん)百
両(ひやくりやう)いれ【入れ】られたり。若宮(わかみや)の拝殿(はいでん)にして、泰定(やすさだ)に
酒(しゆ)をすすめらる。斎院次官(さいゐんのしくわん)親義(ちかよし)陪膳(はいぜん)す。五
位(ごゐ)一人(いちにん)役送(やくそう)[* 「亦送」と有るのを他本により訂正]をつとむ。馬(むま)三疋(さんびき)ひかる。一疋(いつぴき)に鞍(くら)
をい(おい)【置い】たり。大宮(おほみや)のさぶらひた(ッ)し工藤(くどう)一臈(いちらふ)(いちらう)資経【*祐経】(すけつね)是(これ)を
ひく。ふるき萱屋(かやや)をしつらうて、いれ【入れ】られたり。
P07215
あつ綿(わた)【厚綿】のきぬ二両(にりやう)、小袖(こそで)十重(とかさね)、長持(ながもち)にいれ【入れ】て
まうけたり。紺藍摺(こんあいずり)白布(しろぬの)千端(せんだん)をつめり。盃
飯(はいはん)ゆたかにして美麗(びれい)なり。次(つぎの)日(ひ)兵衛佐[* 「兵衛介」と有るのを他本により訂正](ひやうゑのすけ)の
館(たち)へむかふ【向ふ】。内外(うちと)に侍(さぶらひ)あり、ともに十六(じふろく)間(けん)なり。外
侍(とさぶらひ)には家子(いへのこ)P2138郎等(らうどう)肩(かた)をならべ、膝(ひざ)を組(くみ)てなみ
ゐたり。内侍(うちさぶらひ)には一門(いちもんの)源氏(げんじ)上座(しやうざ)して、末座(ばつざ)に
大名(だいみやう)小名(せうみやう)なみゐたり。源氏(げんじ)の座上(ざしやう)に泰定(やすさだ)をすへ(すゑ)【据ゑ】らる。
良(やや)あ(ッ)て寝殿(しんでん)へ向(むか)ふ。ひろ廂(びさし)に紫縁(むらさきべり)の畳(たたみ)を
P07216
しひ(しい)て、泰定(やすさだ)をすへ(すゑ)【据ゑ】らる。うへには高麗縁(かうらいべり)の畳(たたみ)
をしき、御簾(みす)たかくあげさせ、兵衛佐(ひやうゑのすけ)どの
出(いで)られたり。布衣(ほうい)に立烏帽子(たてえぼし)也(なり)。■(かほ)大(おほき)に、せいひ
き【低】かりけり。容■(ようばう)悠美(いうび)(ゆうび)にして、言語(げんぎよ)分明(ふんみやう)也(なり)。
「平家(へいけ)頼朝(よりとも)が威勢(ゐせい)におそれ【恐れ】て宮(みや)こをおち【落ち】、その
跡(あと)に木曾(きそ)の冠者(くわんじや)、十郎(じふらう)蔵人(くらんど)うちいりて、わが
高名(かうみやう)がほに官(くわん)加階(かかい)をおもふ様(やう)になり、おもふ
さまに国(くに)をきらひ申(まうす)条(でう)、奇怪(きくわい)(き(ツ)くわい)也(なり)。奥(おく)の秀衡(ひでひら)が
P07217
陸奥守(むつのかみ)になり、佐竹(さたけの)四郎(しらう)高義(たかよし)が常陸介(ひたちのすけ)に
な(ッ)て候(さうらふ)とて、頼朝(よりとも)が命(めい)にしたがはず。いそぎ追
討(ついたう)すべきよしの院宣(ゐんぜん)を給(たま)はるべう候(さうらふ)」。左史
生[* 「左吏生」と有るのを他本により訂正](さししやう)申(まうし)けるは、「今度(こんど)泰定(やすさだ)も名符(みやうぶ)まいらす(まゐらす)【参らす】べう
候(さうらふ)が、御使(おんつかひ)で候(さうら)へば、先(まづ)罷上(まかりのぼり)て、やがてしたためて
まいらす(まゐらす)【参らす】べう候(さうらふ)。おとと【弟】で候(さうらふ)史(し)の大夫(たいふ)(たゆふ)重能(しげよし)も其(その)義(ぎ)
を申(まうし)候(さうらふ)」。兵衛佐(ひやうゑのすけ)わら(ッ)【笑つ】て、「当時(たうじ)頼朝(よりとも)が身(み)として、
各(おのおの)の名符(みやうぶ)おもひ【思ひ】もよらず。さりながら、げにも申(まう)
P07218
されば、さこそ存(ぞん)ぜめ」とぞの給(たま)ひける。軈(やがて)今日(こんにち)
上洛(しやうらく)すべきよし申(まうし)ければ、けふばかりは、逗留(とうりう)
あるべしとてとどめ【留め】らる。次(つぎの)日(ひ)兵衛佐(ひやうゑのすけ)の館(たち)へむかふ【向ふ】。
萌黄(もえぎ)の糸威(いとをどし)(いとおどし)の腹巻(はらまき)一両(いちりやう)、しろう【白う】つく(ッ)たる太刀(たち)
一振(ひとふり)、しげどうの弓(ゆみ)、野矢(のや)そへてたぶ。馬(むま)十三(じふさん)疋(びき)
ひかる。三疋(さんびき)に鞍(くら)をひ(おい)【置い】たり。P2139家子(いへのこ)郎等(らうどう)十二人(じふににん)に、直
垂(ひたたれ)・小袖(こそで)・大口(おほくち)・馬鞍(むまくら)にをよび(および)【及び】、荷懸駄(にかけだ)卅(さんじつ)疋(ぴき)あり【有り】けり。
鎌倉出[* 「銀倉出」と有るのを高野本により訂正](かまくらいで)の宿(しゆく)より鏡(かがみ)の宿(しゆく)にいたるまで、宿々(しゆくじゆく)に
P07219
十石(じつこく)づつの米(よね)ををか(おか)【置か】る。たくさんなるによ(ッ)て、施行(せぎやう)
にひきけるとぞ聞(きこ)えし。猫間(ねこま)S0806 泰定(やすさだ)都(みやこ)へのぼり院
参(ゐんざん)して、御坪(おつぼ)の内(うち)にして、関東(くわんとう)のやうつぶさに
奏聞(そうもん)しければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)も御感(ぎよかん)あり【有り】けり。公卿(くぎやう)
殿上人(てんじやうびと)も皆(みな)ゑつぼにいり給(たま)へり。兵衛佐(ひやうゑのすけ)はかう
こそゆゆしくおはしけるに、木曾(きそ)の左馬頭(さまのかみ)、都(みやこ)の
守護(しゆご)してあり【有り】けるが、たちゐの振舞(ふるまひ)の無骨(ぶこつ)
さ、物(もの)いふ詞(ことば)つづきのかたくななることかぎりなし。
P07220
ことはり(ことわり)【理】かな、二歳(にさい)より信濃(しなのの)国(くに)木曾(きそ)といふ山里(やまざと)に、
三十(さんじふ)まですみなれたりしかば、争(いかで)かしる【知る】べき。或(ある)
時(とき)猫間(ねこまの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)光高卿(みつたかのきやう)といふ人(ひと)、木曾(きそ)にの給(たま)ひ
あはすべきことあ(ッ)ておはしたりけり。郎等(らうどう)ども
「猫間殿(ねこまどの)の見参(げんざん)にいり申(まうす)べき事(こと)ありとて、
いらせ給(たま)ひて候(さうらふ)」と申(まうし)ければ、木曾(きそ)大(おほき)にわら(ッ)【笑つ】て、
「猫(ねこ)は人(ひと)にげんざうするか」。「是(これ)は猫間(ねこま)の中納言殿(ちゆうなごんどの)(ちうなごんどの)と
申(まうす)公卿(くぎやう)でわたらせ給(たま)ふ。御宿所(ごしゆくしよ)の名(な)とおぼえ
P07221
え[*この一字不要]候(さうらふ)」と申(まうし)ければ、木P2140曾(きそ)「さらば」とて対面(たいめん)す。猶(なほ)(なを)も
猫間殿(ねこまどの)とはえいはで、「猫殿(ねこどの)のまれまれ【稀々】おはゐ(おはい)たるに、
物(もの)よそへ」とぞの給(たま)ひける。中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)是(これ)をきいて、
「ただいまあるべうもなし」との給(たま)へば、「いかが、けどき【食時】に
おはゐ(おはい)たるに、さてはあるべき」。何(なに)もあたらしき
物(もの)を無塩(ぶゑん)といふと心(こころ)えて、「ここにぶゑん【無塩】のひらたけ【平茸】
あり、とうとう【疾う疾う】」といそがす。祢(ね)のゐ〔の〕小野太(こやた)陪膳(はいぜん)す。
田舎(ゐなか)(いなか)合子(がふし)(がうし)のきはめて大(おほき)に、くぼかりけるに、飯(はん)うづ
P07222
だかくよそゐ(よそひ)、御菜(ごさい)三種(さんじゆ)して、ひらたけのしる【汁】で
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たり。木曾(きそ)がまへにもおなじ体(てい)にてすへ(すゑ)【据ゑ】
たりけり。木曾(きそ)箸(はし)と(ッ)て食(しよく)す。猫間殿(ねこまどの)は、合子(がふし)(がうし)の
いぶせさにめさざりければ、「それは義仲(よしなか)が精進(しやうじん)
合子(がふし)(がうし)ぞ」。中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)めさでもさすがあしかるべければ、
箸(はし)と(ッ)てめすよししけり。木曾(きそ)是(これ)を見(み)て、
「猫殿(ねこどの)は小食(せうじき)におはしけるや。きこゆる【聞ゆる】猫(ねこ)おろし
し給(たま)ひたり。かい給(たま)へ」とぞせめたりける。中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)
P07223
かやうの事(こと)に興(きよう)(けう)さめて、のたまひあはすべきこと
も一言(いちごん)もいださず、軈(やがて)いそぎ帰(かへ)られけり。木曾(きそ)は、
官(くわん)加階(かかい)したるものの、直垂(ひたたれ)で出仕(しゆつし)せん事(こと)ある
べうもなかりけりとて、はじめて布衣(ほうい)とり、装
束(しやうぞく)烏帽子(えぼし)ぎはより指貫(さしぬき)のすそまで、まこと【誠】に
かたくななり。されども車(くるま)にこがみ[* 「たかみ」と有るのを高野本により訂正]のんぬ。鎧(よろひ)と(ッ)てき、
矢(や)かきをひ(おひ)【負ひ】、弓(ゆみ)も(ッ)て、馬(むま)にの(ッ)たるにはに【似】もにずわろ
かりけり[* 「ける」と有るのを高野本により訂正]。牛車(うしくるま)は八島(やしま)の大臣殿(おほいとの)の牛車(うしくるま)也(なり)。
P07224
牛飼(うしかひ)もそなP2141りけり。世(よ)にしたがふ習(なら)ひなれば、
とらはれてつかは【使は】れけれ共(ども)、あまりの目(め)ざまし
さに、すゑ【据ゑ】かう【飼う】たる牛(うし)の逸物(いちもつ)なるが、門(かど)いづる
時(とき)、ひとずはへ(ひとずはゑ)あてたらうに、なじかはよかるべき、
飛(とん)でいづるに、木曾(きそ)、車(くるま)のうちにてのけにたふ
れ【倒れ】ぬ。蝶(てふ)(てう)のはねをひろげたるやうに、左右(さう)の袖(そで)をひ
ろげて、おきんおきんとすれども、なじかはおきらるべき。
木曾(きそ)牛飼(うしかひ)とはえいはで、「やれ子牛(こうし)こでい、やれ
P07225
こうしこでい」といひければ、車(くるま)をやれといふと心(こころ)えて、
五六町(ごろくちやう)こそあがかせたれ。今井(いまゐ)の四郎(しらう)兼平(かねひら)、
鞭(むち)あぶみをあはせて、お(ッ)【追つ】つゐ(つい)【付い】て、「いかに御車(おんくるま)をばかうは
つかまつるぞ」としかり【叱り】ければ、「御牛(おうし)の鼻(はな)がこはう候(さうらふ)」と
ぞのべたりける。牛飼(うしかひ)なかなをり(なかなほり)【仲直り】せんとや思(おもひ)けん、
「それに候(さうらふ)手(て)がたにとりつかせ給(たま)へ」と申(まうし)ければ、木曾(きそ)
手(て)がたにむずととりつゐ(つい)【付い】て、「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)支度(したく)や、是(これ)は
牛(うし)こでいがはからひか、殿(との)のやう【様】か」とぞとふ(とう)【問う】たりける。
P07226
さて院(ゐんの)御所(ごしよ)にまいり(まゐり)【参り】つゐ(つい)【付い】て、車(くるま)かけはづさせ、
うしろよりをり(おり)【降り】むとしければ、京(きやうの)者(もの)の雑色(ざつしき)に
つかは【使は】れけるが、「車(くるま)には、めされ候(さうらふ)時(とき)こそうしろより
めされ候(さうら)へ。をり(おり)【降り】させ給(たま)ふには、まへよりこそをり(おり)【降り】させ
給(たま)へ」と申(まうし)けれども、「いかで車(くるま)であらむがらに、す
どをり(すどほり)【素通り】をばすべき」とて、つゐに(つひに)【遂に】うしろよりをり(おり)【降り】て(ン)
げり。其(その)外(ほか)おかしき(をかしき)こと共(ども)おほかり【多かり】けれども、おそれ【恐れ】て是(これ)を
申(まう)さず。P2142 水島合戦(みづしまがつせん)S0807 平家(へいけ)は讃岐(さぬき)の八島(やしま)にありながら、山陽道(せんやうだう)
P07227
八ケ国(はつかこく)(はちかこく)、南海(なんかい)〔道(だう)〕六ケ国(ろくかこく)、都合(つがふ)(つがう)十四(じふし)箇国(かこく)をぞうちとり
ける。木曾(きその)(きそ)左馬頭(さまのかみ)是(これ)をきき、やすからぬ事(こと)なり
とて、やがてうつて【討手】をさしつかはす【遣す】。うつて【討手】の大将(たいしやう)には
矢田(やたの)(やだの)判官代(はんぐわんだい)義清(よしきよ)、侍大将(さぶらひだいしやう)には信濃国(しなののくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)
海野(うんの)の弥平(やへい)四郎(しらう)行広(ゆきひろ)、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)七千(しちせん)余騎(よき)、
山陽道(せんやうだう)へ馳下(はせくだ)り、備中国(びつちゆうのくに)(びつちうのくに)水島(みづしま)がとに舟(ふね)をうかべて、
八島(やしま)へ既(すで)によせむとす。同(おなじき)閏(うるふ)十月(じふぐわつ)一日(ひとひのひ)、水島(みづしま)が
とに小船(せうせん)一艘(いつさう)(いつそう)いできたり。あま舟(ぶね)釣舟(つりぶね)かと見(み)る
P07228
ほどに、さはなくして、平家方(へいけがた)より朝(てう)の使舟(つかひぶね)なりけり。
是(これ)を見(み)て源氏(げんじ)の舟(ふね)五百(ごひやく)余艘(よさう)(よそう)ほし【干し】あげたるを、お
めき(をめき)【喚き】さけむ(さけん)【叫ん】でおろしけり。平家(へいけ)は千(せん)余艘(よさう)(よそう)で
おしよせたり。平家(へいけ)の方(かた)の大手(おほて)の大将軍(たいしやうぐん)には新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)
知盛卿(とももりのきやう)、搦手(からめで)の大将軍(たいしやうぐん)には能登守(のとのかみ)教経(のりつね)なり。能登
殿(のとどの)のたまひけるは、「いかに者共(ものども)、いくさ【軍】をばゆるに仕(つかまつ)るぞ。
北国(ほつこく)のやつばらにいけどら【生捕ら】れむをば、心(こころ)うしとは
おもは【思は】ずや。御方(みかた)の舟(ふね)をばくめ【組め】や」とて、千(せん)余艘(よさう)(よそう)がとも
P07229
綱(づな)・へづなをくみあはせ、中(なか)にむやゐ(むやひ)【舫】をいれ【入れ】、あゆみ【歩み】
の板(いた)をひきならべひきならべわたひ(わたい)【渡い】たれば、舟(ふね)のうへはへいへい【平々】
たり。源平[* 「源氏」と有るのを他本により訂正](げんぺい)両方(りやうばう)時(とき)つくり、矢合(やあはせ)して、互(たがひ)に舟(ふね)ども
おしあはせてせめ【攻め】たたかふ【戦ふ】。遠(とほ)(とを)きをば弓(ゆみ)でゐ(い)【射】、近(ちか)きP2143をば、
太刀(たち)できり、熊手(くまで)にかけてとるもあり、とらるるも
あり、引組(ひつくん)で海(うみ)にいるもあり、さしちがへて死(し)ぬるも
あり。思(おも)ひ思(おも)ひ心々(こころごころ)に勝負(しようぶ)(せうぶ)をす。源氏(げんじ)の方(かた)の侍大将(さぶらひだいしやう)
海野(うんの)(うむの)の弥平(やへい)四郎(しらう)うた【討た】れにけり。是(これ)を見(み)て大将軍(たいしやうぐん)
P07230
矢田(やた)の判官代(はんぐわんだい)義清[* 「義澄」と有るのを高野本により訂正](よしきよ)主従(しゆうじゆう)(しうじう)七人(しちにん)小舟(せうせん)に乗(のり)て、
真前(まつさき)(ま(ツ)さき)にすす(ン)で戦(たたか)ふ程(ほど)に、いかがしたりけむ、船(ふね)ふみ
しづめて皆(みな)死(し)にぬ。平家(へいけ)は鞍(くら)をき馬(むま)(くらおきむま)を舟(ふね)のうちに
たてられたりければ、舟(ふね)さしよせ、馬(むま)どもひきおろし、
うちのりうちのりおめい(をめい)【喚い】てかけければ、源氏(げんじ)の勢(せい)、大将軍(たいしやうぐん)
はうた【討た】れぬ、われさきにとぞ落行(おちゆき)ける。平家(へいけ)は
水島(みづしま)のいくさ【軍】に勝(かち)てこそ、会稽(くわいけい)の恥(はぢ)をば雪(きよ)め
けれ。瀬尾【*妹尾】最期(せのをさいご)S0808 木曾(きそ)の左馬頭(さまのかみ)是(これ)をきき、やすからぬ事(こと)也(なり)
P07231
とて、一万騎(いちまんぎ)で山陽道(せんやうだう)へ馳下(はせくだ)る。平家(へいけ)の侍(さぶらひ)
備中国(びつちゆうのくに)(びつちうのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)妹尾(せのをの)太郎(たらう)兼康(かねやす)は、北国(ほつこく)の戦(たたか)ひに、加賀国(かがのくにの)
住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)倉光(くらみつ)の次郎(じらう)成澄(なりずみ)が手(て)にかか(ッ)て、いけどり【生捕り】にせられ
たりしを、成澄(なりずみ)が舎弟(しやてい)倉光(くらみつ)の三郎(さぶらう)成氏(なりうじ)にあづけ
られたり。きこゆる【聞ゆる】甲(かう)の者(もの)、大(だい)ぢから也(なり)ければ、木曾殿(きそどの)
「あ(ッ)たらおのこ(をのこ)をうしなふ【失なふ】べきか」とて、きら【斬ら】ず。人(ひと)
あひ心(こころ)ざまゆう(いう)【優】に情(なさけ)あり【有り】ければ、倉P2144光(くらみつ)もねんごろに
もてなしけり。蘇子荊【*蘇子卿】(そしけい)が胡国(ここく)にとらはれ、李少卿(りせうけい)が
P07232
漢朝(かんてう)へ帰(かへ)らざりしが如(ごと)し。とをく(とほく)【遠く】異国(いこく)に付(つけ)る事(こと)
は、昔(むかし)の人(ひと)のかなしめりし処(ところ)也(なり)といへり。韋(をしかはの)(おしかはの)環【*■】(たまき)・鴨【*毳】(かも)
の膜【*幕】(ばく)も(ッ)て風雨(ふうう)をふせき【防き】、腥【*羶】(なまぐさき)肉(しし)・駱【*酪】(らく)のつくり水(みづ)も(ッ)て
飢渇(きかつ)にあつ。夜(よ)るはいぬる事(こと)なく、昼(ひる)は終日(ひねもす)に
つかへ、木(き)をきり草(くさ)をからずといふばかりに随(したが)ひつつ、
いかにもして敵(かたき)をうかがひ【伺ひ】打(うつ)て、いま一度(いちど)旧
主(きうしゆ)を見(み)たて奉(たてまつ)らんと思(おも)ひける兼康(かねやす)が心(こころ)の程(ほど)こそ
おそろしけれ【恐ろしけれ】。或(ある)時(とき)妹尾(せのをの)太郎(たらう)、倉光(くらみつ)の三郎(さぶらう)に
P07233
あふ(あう)【逢う】て、いひけるは、「去(さんぬる)五月(ごぐわつ)より、甲斐(かひ)(かい)なき命(いのち)を
たすけられまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうら)へば、誰(たれ)をたれとかおもひ【思ひ】
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)べき。自今(じごん)以後(いご)御(おん)いくさ【軍】候(さうらは)ば、真前(まつさき)(ま(ツ)さき)かけ【駆け】
て木曾殿(きそどの)に命(いのち)をまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はん。兼康(かねやす)が知行(ちぎやう)
仕(つかまつり)候(さうらひ)し備中(びつちゆう)(びつちう)の妹尾(せのを)は、馬(むま)の草飼(くさがひ)よい所(ところ)で候(さうらふ)。御
辺(ごへん)申(まうし)て給(たま)はらせ候(さうら)へ」といひければ、倉光(くらみつ)此(この)様(やう)を
申(まう)す。木曾殿(きそどの)「神妙(しんべう)の事(こと)申(まうす)ごさんなれ。さらば汝(なんぢ)
妹尾(せのを)を案内者(あんないしや)にして、先(まづ)くだれ。誠(まこと)に御馬(おんむま)の草(くさ)
P07234
なんど(など)をもかまへさせよ」との給(たま)へば、倉光(くらみつの)三郎(さぶらう)かし
こまり悦(よろこび)て、其(その)勢(せい)卅騎(さんじつき)ばかり、妹尾(せのをの)太郎(たらう)をさきと
して、備中(びつちゆう)(びつちう)へぞ下(くだり)ける。妹尾(せのを)が嫡子(ちやくし)小太郎(こたらう)宗康(むねやす)は、
平家(へいけ)の御方(みかた)に候(さうらひ)けるが、父(ちち)が木曾殿(きそどの)よりゆるされ
て下(くだ)るときこえしかば、年来(としごろ)の郎等(らうどう)どももよほし
あつめ、其(その)勢(せい)五十騎(ごじつき)ばかりでむかへ【向へ】にのぼる程(ほど)に、
播磨[* 「幡磨」と有るのを高野本により訂正](はりま)の国府(こふ)でゆきあふ(あう)【逢う】て、つれて下(くだ)る。P2145備前国(びぜんのくに)
みつ石(いし)の宿(しゆく)にとどま(ッ)【留まつ】たりければ、妹尾(せのを)がしたしき
P07235
者共(ものども)、酒(さけ)をもたせて出(いで)きたり。其(その)夜(よ)もすがら悦(よろこび)
のさかもりしけるに、あづかりの武士(ぶし)倉光(くらみつ)の三郎(さぶらう)、
所従(しよじゆう)(しよぢう)ともに卅(さんじふ)余人(よにん)、しゐ(しひ)【強ひ】ふせ【臥せ】ておこしもたてず、
一々(いちいち)に皆(みな)さしころし【殺し】て(ン)げり。備前国(びぜんのくに)は十郎(じふらう)蔵人(くらんど)
の国(くに)なり。其(その)代官(だいくわん)の国府(こふ)にあり【有り】けるをも、をし(おし)【押し】よせ【寄せ】て
う(ッ)て(ン)げり。「兼康(かねやす)こそいとま給(たまは)(ッ)て罷下(まかりくだ)れ、平家(へいけ)に
心(こころ)ざし思(おも)ひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】む人々(ひとびと)は、兼康(かねやす)を先(さき)として、
木曾殿(きそどの)の下(くだり)給(たま)ふに、矢(や)ひとつゐ(い)【射】かけ奉(たてまつ)れ」と
P07236
披露(ひろう)しければ、備前(びぜん)・備中(びつちゆう)(びつちう)・備後(びんご)三箇国(さんかこく)の
兵(つはもの)ども、馬(むま)・物具(もののぐ)しかる【然る】べき所従(しよじゆう)(しよじう)をば、平家(へいけ)の御方(おんかた)へ
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、やすみける老者共(らうしやども)、或(あるい)(ある)は柿(かき)の直垂(ひたたれ)に
つめひも【詰紐】し、或(あるい)(ある)は布(ぬの)の小袖(こそで)にあづまおり(あづまをり)【東折】し、
くさり腹巻(ばらまき)つづりきて、山(やま)うつぼ・たかゑびら(たかえびら)【竹箙】に
矢(や)ども少々(せうせう)さし、かきをひ(おひ)【負ひ】かきをひ(おひ)【負ひ】妹尾(せのを)が許(もと)へ馳集(はせあつま)る。
都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)二千余人(にせんよにん)、妹尾(せのをの)太郎(たらう)を先(さき)として、備
前国(びぜんのくに)福(ふく)りうじ(ふくりゆうじ)【福隆寺】縄手(なはて)、ささ【篠】のせまり【迫り】を城郭(じやうくわく)に
P07237
かまへ、口(くち)二丈(にぢやう)ふかさ【深さ】二丈(にぢやう)に堀(ほり)をほり、逆(さか)もぎ引(ひき)、
高矢倉(たかやぐら)かき、矢(や)さきをそろへて、いまやいまやと待(まち)
かけたり。備前国(びぜんのくに)に十郎(じふらう)蔵人(くらんど)のをか(おか)【置か】れたりし代
官(だいくわん)、妹尾(せのを)にうた【討た】れて、其(その)下人共(げにんども)がにげて京(きやう)へ上(のぼ)る
程(ほど)に、播磨(はりま)と備前(びぜん)のさかひふなさか【舟坂】といふ所(ところ)にて、
木曾殿(きそどの)にまいり(まゐり)【参り】あふ。此(この)由(よし)申(まうし)ければ、「やすか
らぬ。き(ッ)て捨(すつ)べかりつる物(もの)を」と後悔(こうくわい)せられけれP2146ば、
今井(いまゐ)の四郎(しらう)申(まうし)けるは、「さ候(さうら)へばこそ、きやつがつら
P07238
だましゐ(つらだましひ)【面魂】ただものとは見(み)候(さうら)はず。ちたび【千度】きらうど
申(まうし)候(さうらひ)つる物(もの)を、助(たす)けさせ給(たまひ)て」と申(まうす)。「思(おも)ふに
何程(なにほど)の事(こと)かあるべき。追懸(おつかけ)(をつかけ)てうて【討て】」とぞの給(たま)ひ
ける。今井(いまゐの)四郎(しらう)「まづ下(くだ)(ッ)て見(み)候(さうら)はん」とて、三千
余騎(さんぜんよき)で馳下(はせくだ)る。ふくりう寺(じ)(ふくりゆうじ)【福隆寺】縄手(なはて)は、はたばり【端張】弓
杖(ゆんづゑ)(ゆんづえ)一(ひと)たけばかりにて、とをさ(とほさ)【遠さ】は西国(さいこく)一里(いちり)也(なり)。左右(さう)は
深田(ふかた)にて、馬(むま)の足(あし)もをよば(およば)【及ば】ねば、三千余騎(さんぜんよき)が心(こころ)は
さきにすすめども、馬(むま)次第(しだい)にぞあゆま【歩ま】せける。押(おし)(をし)
P07239
よせてみければ、妹尾(せのをの)太郎(たらう)矢倉(やぐら)に立出(たちいで)て、大音
声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「去(さんぬる)五月(ごぐわつ)より今(いま)まで、甲斐(かひ)(かい)なき
命(いのち)を助(たすけ)られまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうらふ)をのをの(おのおの)【各々】〔の〕御芳志(ごはうし)には、是(これ)を
こそ用意(ようい)仕(つかまつり)て候(さうら)へ」とて、究竟(くつきやう)(く(ツ)きやう)のつよ弓(ゆみ)勢兵(せいびやう)
数百人(すひやくにん)すぐりあつめ、矢前(やさき)をそろへてさし
つめ【差し詰め】ひきつめ【引き詰め】さんざんにゐる(いる)【射る】。おもてを向(むく)べき様(やう)も
なし。今井(いまゐの)四郎(しらう)をはじめとして、楯(たて)・祢[B ノ]井(ねのゐ)・
宮崎(みやざきの)三郎(さぶらう)・諏方【*諏訪】(すは)・藤沢(ふぢさは)な(ン)ど(など)いふはやりをの
P07240
兵(つはもの)ども、甲(かぶと)のしころをかたぶけて、射(い)(ゐ)ころさ【殺さ】るる
人(ひと)馬(むま)をとりいれ【入れ】ひきいれ【入れ】、堀(ほり)をうめ、おめき(をめき)【喚き】さ
けむ(さけん)【叫ん】でせめ【攻め】たたかふ【戦ふ】。或(あるい)(ある)は左右(さう)の深田(ふかた)に打(うち)いれ【入れ】て、
馬(むま)のくさわき【草脇】・むながいづくし・ふと腹(はら)な(ン)ど(など)にたつ
所(ところ)を事(こと)ともせず、むら【群】めかいてよせ【寄せ】、或(あるい)(ある)は谷(たに)ふけ
をも嫌(きら)はず、懸(かけ)いり懸(かけ)いり一日(いちにち)戦暮(たたかひくら)しけり。夜(よ)に
いりて妹尾(せのを)が催(もよほ)しあつめたるかり【駆】武者共(むしやども)、皆(みな)
せめ【攻め】おとさ【落さ】れて、たすかる者(もの)はすくなう、うたるる
P07241
者(もの)ぞおほかり【多かり】ける。妹尾(せのをの)P2147太郎(たらう)篠(ささ)のせまり【迫り】の城
郭(じやうくわく)を破(やぶ)られて、引退(ひきしりぞ)き、備中国(びつちゆうのくに)(びつちうのくに)板倉川(いたくらがは)の
はた【端】に、かいだて【垣楯】かいて待懸(まちかけ)たり。今井(いまゐの)四郎(しらう)軈(やがて)をし(おし)【押し】
よせ【寄せ】責(せめ)ければ、山(やま)うつぼ・たかゑびら(たかえびら)【竹箙】に矢種(やだね)のある
程(ほど)こそふせき【防き】けれ、みな射(い)(ゐ)つくして(ン)げれば、
われさきにとぞ落行(おちゆき)ける。妹尾(せのをの)太郎(たらう)ただ主従(しゆうじゆう)(しうじう)
三騎(さんぎ)(さんき)にうちなされ、板倉川(いたくらがは)のはたにつゐ(つい)【着い】て、
みどろ山(やま)のかたへ落行(おちゆく)程(ほど)に、北国(ほつこく)で妹尾(せのを)いけ
P07242
どり【生捕り】にしたりし倉光[B ノ](くらみつの)次郎(じらう)成澄(なりずみ)、おとと【弟】はうた【討た】れ
ぬ、「やすからぬ事(こと)なり。妹尾(せのを)においては又(また)いけどり【生捕り】に
仕(つかまつり)候(さうら)はん」とて、群(ぐん)にぬけてをう(おう)【追う】てゆく。あはひ【間】一町(いつちやう)
ばかりに追付(おひつき)(をひつき)て、「いかに妹尾殿(せのをどの)、まさなう〔も〕敵(かたき)に
うしろをば見(み)する物(もの)かな。返(かへ)せやかへせ」といはれて、
板倉川(いたくらがは)を西(にし)へわたす河中(かはなか)に、ひかへて待懸(まちかけ)たり。
倉光(くらみつ)馳来(はせきたつ)て、おしならべむずと組(くん)で、どうどおつ。
互(たがひ)(たがい)におとらぬ大力(だいぢから)なれば、うへになり、したになり、ころび
P07243
あふ程(ほど)に、川岸(かはぎし)に淵(ふち)のあり【有り】けるにころびいりて、
倉光(くらみつ)は無水練(ぶすいれん)なり、妹尾(せのを)はすぐれたる水練(すいれん)なり
ければ、水(みづ)の底(そこ)で倉光(くらみつ)をと(ッ)てをさへ(おさへ)、鎧(よろひ)の草摺(くさずり)
ひきあげ、つか【柄】もこぶし【拳】もとをれ(とほれ)【通れ】とをれ(とほれ)【通れ】と三刀(みがたな)さいて
頸(くび)をとる。我(わが)馬(むま)は乗損(のりそん)じたれば、敵(かたき)倉光(くらみつ)が馬(むま)に
乗(のり)て落行(おちゆく)程(ほど)に、妹尾(せのを)が嫡子(ちやくし)小太郎(こたらう)宗康(むねやす)、馬(むま)には
のらず、歩行(かち)にて郎等(らうどう)とつれ【連れ】て落行(おちゆく)程(ほど)に、い
まだ廿二三(にじふにさん)の男(をのこ)(おのこ)なれども、あまりにふと(ッ)て一町(いつちやう)とも
P07244
えはしら【走ら】ず、物具(もののぐ)ぬぎすててあゆめ【歩め】どもかなは【叶は】ざり
けり。父(ちち)は是(これ)をうち捨(すて)て、十(じふ)余町(よちやう)こそ逃(にげ)のび
たれ。P2148郎等(らうどう)にあふ(あう)【逢う】ていひけるは、「兼康(かねやす)は千万(せんまん)の敵(かたき)に
むか(ッ)【向つ】て軍(いくさ)するは、四方(よも)はれ【晴れ】ておぼゆるが、今度(こんど)は
小太郎(こたらう)をすててゆけばにや、一向(いつかう)前(まへ)がくらうて
見(み)えぬぞ。たとひ兼康(かねやす)命(いのち)いきて、ふたたび平家(へいけ)の御方(おんかた)へ
まいり(まゐり)【参り】たりとも、どうれい【同隷】ども「兼康(かねやす)いまは六十(ろくじふ)にあ
まりたる者(もの)の、いく程(ほど)の命(いのち)をおしう(をしう)【惜しう】で、ただひとり
P07245
ある子(こ)を捨(すて)ておち【落ち】けるやらん」といはれん事(こと)こそ
はづかしけれ」。郎等(らうどう)申(まうし)けるは、「さ候(さうら)へばこそ、御一
所(ごいつしよ)でいかにもならせ給(たま)へと申(まうし)つるはここ候(ざうらふ)。かへさ【返さ】せ
給(たま)へ」といひければ、「さらば」とて取(と)(ッ)てかへす【返す】。小太郎(こたらう)は足(あし)か(ン)ばかり
はれ【腫れ】てふせ【臥せ】り。「なむぢ(なんぢ)がえお(ッ)【追つ】つかねば、一所(いつしよ)で打死(うちじに)せうどて
帰(かへり)たるは、いかに」といへば、小太郎(こたらう)涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、
「此(この)身(み)こそ無器量(ぶきりやう)の者(もの)で候(さうら)へば、自害(じがい)をも仕(つかまつり)候(さうらふ)べきに、
我(われ)ゆへ(ゆゑ)【故】に御命(おんいのち)をうしなひ【失ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】む事(こと)、五逆
P07246
罪(ごぎやくざい)にや候(さうら)はんずらん。ただとうとう【疾う疾う】のびさせ給(たま)へ」と申(まう)
せども、「思(おも)ひき(ッ)たるうへは」とて、やすむ処(ところ)に、今井(いまゐ)の
四郎(しらう)ま(ッ)さきかけて、其(その)勢(せい)五十騎(ごじつき)ばかりおめい(をめい)【喚い】て
追(おつ)(をつ)かけたり。妹尾(せのをの)太郎(たらう)矢(や)七[B ツ](ななつ)八[B ツ](やつ)射(い)(ゐ)のこしたるを、さし
つめ【差し詰め】ひきつめ【引き詰め】さんざん【散々】に射(い)(ゐ)る。死生(ししやう)はしら【知ら】ず、やにはに
敵(かたき)五六騎(ごろくき)射(い)(ゐ)おとす【落す】。其(その)後(のち)打物(うちもの)ぬいて、先(まづ)小
太郎(こたらう)が頸(くび)打(うち)おとし【落し】、敵(かたき)の中(なか)へわ(ッ)ていり、さんざん【散々】に戦(たたか)ひ、
敵(かたき)あまたうちと(ッ)て、つゐに(つひに)【遂に】打死(うちじに)して(ン)げり。郎等(らうどう)
P07247
も主(しゆう)(しう)にち(ッ)ともおとらず戦(たたか)ひけるが、大事(だいじ)の手(て)
あまたをひ(おひ)【負ひ】、たたP2149かひつかれて自害(じがい)〔せんと〕しけるが、いけどり【生捕り】に
こそせられけれ。中(なか)一日(いちにち)あ(ッ)てしに【死に】にけり。是等(これら)主
従(しゆうじゆう)(しうじう)三人(さんにん)が頸(くび)をば、備中国(びつちゆうのくに)(びつちうのくに)鷺(さぎ)が森(もり)にぞかけたりける。
木曾殿(きそどの)是(これ)を見(み)給(たま)ひて、「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)剛(かう)の者(もの)かな。是(これ)をこそ
一人当千(いちにんたうぜん)の兵(つはもの)ともいふべけれ。あ(ッ)たら者(もの)どもを助(たすけ)て
見(み)で」とぞのたまひける。室山(むろやま)S0809 さる程(ほど)に、木曾殿(きそどの)は
備中国(びつちゆうのくに)(びつちうのくに)万寿(まんじゆ)の庄(しやう)にて勢(せい)ぞろへして、八島(やしま)へ
P07248
既(すで)によせむとす。其(その)間(あひだ)(あいだ)の都(みやこ)の留守(るす)にをか(おか)【置か】れたる
樋口(ひぐちの)次郎(じらう)兼光(かねみつ)、使者(ししや)をたてて、「十郎(じふらう)蔵人殿(くらんどどの)
こそ殿(との)のましまさぬ間(ま)に、院(ゐん)のきり人(うと)【切り人】して、やうやうに
讒奏(ざんそう)せられ候(さうらふ)なれ。西国(さいこく)の軍(いくさ)をば暫(しばらく)さしをか(おか)【置か】せ
給(たま)ひて、いそぎのぼらせ給(たま)へ」と申(まうし)ければ、木曾(きそ)「さらば」
とて、夜(よ)を日(ひ)につゐ(つい)【継い】で馳上(はせのぼ)る。十郎(じふらう)蔵人(くらんど)あしかり
なんとやおもひ【思ひ】けむ、木曾(きそ)にちがはむと丹波路(たんばぢ)に
さしかか(ッ)て、播磨[* 「幡磨」と有るのを高野本により訂正]国(はりまのくに)へ下(くだ)る。木曾(きそ)は摂津国(つのくに)をへて、
P07249
宮(みや)こ【都】へいる。平家(へいけ)は又(また)木曾(きそ)うたんとて、大将軍(たいしやうぐん)には
新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)知盛卿(とももりのきやう)・本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡(しげひら)、侍大将(さぶらひだいしやう)には、
越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)・上総(かづさの)五郎兵衛(ごらうびやうゑ)忠光(ただみつ)・悪(あく)七
兵衛(しつびやうゑ)景清(かげきよ)・都合(つがふ)(つがう)其(その)P2150勢(せい)二万(にまん)余人(よにん)、千余艘(せんよさう)の舟(ふね)に
乗(のり)、播磨(はりま)の地(ち)へおしわたりて、室山(むろやま)に陣(ぢん)をとる。
十郎(じふらう)蔵人(くらんど)、平家(へいけ)と軍(いくさ)して木曾(きそ)と中(なか)なをり(なかなほり)【仲直り】せん
とやおもひ【思ひ】けむ、其(その)勢(せい)五百余騎(ごひやくよき)で室山(むろやま)へこそ
をし(おし)【押し】よせ【寄せ】たれ。平家(へいけ)は陣(ぢん)を五[B ツ](いつつ)にはる。一陣(いちぢん)越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)
P07250
次郎兵衛(じらうびやうゑ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)二千余騎(にせんよき)、二陣(にぢん)伊賀(いがの)平(へい)内左衛門(ないざゑもん)(ないざへもん)
家長(いへなが)二千余騎(にせんよき)、三陣(さんぢん)上総(かづさの)五郎兵衛(ごらうびやうゑ)・悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)
三千余騎(さんぜんよき)、四陣(しぢん)本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡(しげひら)三千余騎(さんぜんよき)、
五陣(ごぢん)新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)知盛卿(とももりのきやう)一万余騎(いちまんよき)でかためらる。十
郎(じふらう)蔵人(くらんど)行家(ゆきいへ)五百余騎(ごひやくよき)でおめい(をめい)【喚い】てかく。一陣(いちぢん)越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)
次郎兵衛(じらうびやうゑ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)、しばらくあひしらう(しらふ)様(やう)にもて
なひ(もてない)て、中(なか)をさ(ッ)とあけてとをす(とほす)。二陣(にぢん)伊賀(いがの)(いが)平(へい)内
左衛門(ないざゑもん)家長(いへなが)、おなじうあけてとをし(とほし)けり。三陣(さんぢん)上総(かづさの)
P07251
五郎兵衛(ごらうびやうゑ)・悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)、ともにあけてとをし(とほし)けり。四陣(しぢん)
本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡卿(しげひらのきやう)、是(これ)もあけていれ【入れ】られけり。
一陣(いちぢん)より五陣(ごぢん)まで兼(かね)て約束(やくそく)したりければ、敵(かたき)
を中(なか)にとりこめて、一度(いちど)に時(とき)をど(ッ)とぞつくりける。
十郎(じふらう)蔵人(くらんど)今(いま)は遁(のが)るべき方(かた)もなかりければ、たば
かられぬとおもひ【思ひ】て、おもて【面】もふらず、命(いのち)もおし
ま(をしま)【惜しま】ず、ここを最後(さいご)とせめ【攻め】たたかふ【戦ふ】。平家(へいけ)の侍(さぶらひ)ども、
「源氏(げんじ)の大将(たいしやう)にくめや」とて、我(われ)さきにとすすめども、さ
P07252
すが十郎(じふらう)蔵人(くらんど)にをし(おし)【押し】ならべてくむ武者(むしや)一騎(いつき)も
なかりけり。新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)のむねとたのま【頼ま】れたりける
紀(きの)七左衛門(しちざゑもん)・紀(きの)八衛門(はちゑもん)・紀(きの)九郎(くらう)な(ン)ど(など)いふ兵(つはもの)ども、そこにて
皆(みな)十郎(じふらう)蔵人(くらんど)にうちとられぬ。かくして十郎(じふらう)蔵人(くらんど)、
五百余騎(ごひやくよき)が纔(わづか)に卅騎(さんじつき)ばかりにうちなされ、
四方(しはう)はP2151みな敵(かたき)なり、御方(みかた)は無勢(ぶせい)なり、いかにして
のがる【逃る】べしとは覚(おぼ)えねど、おもひ【思ひ】き(ッ)て雲霞(うんか)の如(ごとく)
なる敵(かたき)のなかをわ(ッ)てとをる(とほる)【通る】。されども我(わが)身(み)は手(て)を
P07253
をは(おは)ず、家子(いへのこ)郎等(らうどう)廿(にじふ)余騎(よき)大略(たいりやく)手負(ておひ)(てをひ)て、播磨
国(はりまのくに)高砂(たかさご)より舟(ふね)に乗(のり)、をし(おし)【押し】いだひ(いだい)【出い】て和泉国(いづみのくに)にぞ
付(つき)にける。それより河内(かはち)へうちこえて、長野
城(ながののじやう)にひ(ッ)【引つ】こもる。平家(へいけ)は室山(むろやま)・水島(みづしま)二ケ度(にかど)のいく
さ【軍】に勝(かち)てこそ、弥(いよいよ)勢(せい)はつきにけれ。皷判官(つづみはうぐわん)S0810 凡(およそ)(をよそ)京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)には
源氏(げんじ)みちみちて、在々所々(ざいざいしよしよ)にいりどりおほし【多し】。賀茂(かも)・
八幡(やはた)の御領(ごりやう)ともいはず、青田(あをた)を苅(かり)てま草(ぐさ)にす。
人(ひと)の倉(くら)をうちあけて物(もの)をとり、持(もち)てとをる(とほる)【通る】物(もの)
P07254
をうばひとり、衣裳(いしやう)をはぎとる。「平家(へいけ)の都(みやこ)に
おはせし時(とき)は、六波羅殿(ろくはらどの)とて、ただおほかたおそろし
かり【恐ろしかり】しばかり也(なり)。衣裳(いしやう)をはぐまではなかりし
物(もの)を、平家(へいけ)に源氏(げんじ)かへおとりしたり」とぞ人(ひと)申(まうし)
ける。木曾[B ノ](きその)左馬頭(さまのかみ)のもとへ、法皇(ほふわう)(ほうわう)より御使(おんつかひ)(おつかひ)あり。
狼籍【*狼藉】(らうぜき)しづめよと仰下(おほせくだ)さる。御使(おんつかひ)は壱岐守(いきのかみ)朝親【*知親】(ともちか)が
子(こ)に、壱岐判官(いきのはんぐわん)朝泰【*知康】(ともやす)といふ者(もの)也(なり)。天下(てんが)にすぐれ
たる皷(つづみ)の上手(じやうず)であり【有り】ければ、時(とき)の人(ひと)皷判官(つづみはんぐわん)とぞ
P07255
申(まうし)ける。木曾(きそ)対面(たいめん)して、先(まづ)御返事(おんぺんじ)を申(まう)さで、
「抑(そもそも)P2152わどのを皷判官(つづみはんぐわん)といふは、よろづの人(ひと)にうた【打た】れ
たうか、はられたうか」とぞとふ(とう)【問う】たりける。朝泰【*知康】(ともやす)返事(へんじ)
にをよば(およば)【及ば】ず、院(ゐんの)御所(ごしよ)に帰(かへ)りまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「義仲(よしなか)おこ(をこ)の者(もの)で
候(さうらふ)。只今(ただいま)(た(ン)だいま)朝敵(てうてき)になり候(さうらひ)なんず。いそぎ追討(ついたう)(つゐたう)せさせ給(たま)
へ」と申(まうし)ければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)さらばしかる【然る】べき武士(ぶし)には仰(おほ)
せで、山(やま)の座主(ざす)・寺(てら)の長吏(ちやうり)に仰(おほせ)られて、山(やま)・三井寺(みゐでら)
の悪僧(あくそう)どもをめされけり。公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)のめされける
P07256
勢(せい)と申(まうす)は、むかへつぶて【向へ礫】・いんぢ【印地】、いふかひなき辻冠者
原(つじくわんじやばら)・乞食(こつじき)法師(ほふし)(ほうし)どもなりけり。木曾(きその)(きそ)左馬頭(さまのかみ)、院(ゐん)の御
気色(ごきしよく)あしうなると聞(きこ)えしかば、はじめは木曾(きそ)にした
がふ(したがう)たりける五畿内(ごきない)の兵(つはもの)ども、皆(みな)そむゐ(そむい)て院方(ゐんがた)へ
まいる(まゐる)【参る】。信濃源氏(しなのげんじ)村上(むらかみ)の三郎(さぶらう)判官代(はんぐわんだい)、是(これ)も
木曾(きそ)をそむゐ(そむい)て法皇(ほふわう)(ほうわう)へまいり(まゐり)【参り】けり。今井(いまゐの)四郎(しらう)申(まうし)
けるは、「是(これ)こそ以外(もてのほか)の御大事(おんだいじ)で候(さうら)へ。さればとて十善帝王(じふぜんていわう)に
むかい(むかひ)【向ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、争(いかで)か御合戦(ごかつせん)候(さうらふ)べき。甲(かぶと)をぬぎ弓(ゆみ)を
P07257
はづゐ(はづい)て、降人(かうにん)にまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)へ」と申(まう)せば、木曾(きそ)大(おほき)に
いか(ッ)て、「われ信濃(しなの)を出(いで)し時(とき)、をみ【麻績】・あひだ【会田】のいくさ【軍】より
はじめて、北国(ほつこく)には、砥浪山(となみやま)・黒坂(くろさか)・塩坂(しほさか)・篠原(しのはら)、西国(さいこく)には
福隆寺[* 「福立寺」と有るのを他本により訂正](ふくりゆうじ)(ふくりうじ)縄手(なはて)・ささ【篠】のせまり【迫り】・板倉(いたくら)が城(じやう)を責(せめ)しか
ども、いまだ敵(かたき)にうしろを見(み)せず、たとひたとひ十善
帝王(じふぜんていわう)にてましますとも、甲(かぶと)をぬぎ、弓(ゆみ)をはづいて
降人(かうにん)にはえこそまいる(まゐる)【参る】まじけれ。たとへば都(みやこ)の守護(しゆご)
してあらんものが、馬(むま)一疋(いつぴき)づつかう【飼う】てのら【乗ら】ざるべきか。い
P07258
くらもある田(た)どもからせて、P2153ま草(くさ)にせんを、あながちに
法皇(ほふわう)(ほうわう)のとがめ給(たま)ふべき様(やう)やある。兵粮米(ひやうらうまい)もな
ければ、冠者原共(くわんじやばらども)(くわじやばらども)がかたほとりにつゐ(つい)【付い】て、時々(ときどき)いりどり
せんは何(なに)かあながちひが事(こと)【僻事】ならむ。大臣家(だいじんげ)や宮々(みやみや)の
御所(ごしよ)へもまいら(まゐら)【参ら】ばこそ僻事(ひがこと)ならめ。是(これ)は皷判官(つづみはんぐわん)が
凶害(きようがい)(けうがい)とおぼゆるぞ。其(その)皷(つづみ)め打破(うちやぶ)(ッ)て捨(すて)よ。今度(こんど)は
義仲(よしなか)が最後(さいご)の軍(いくさ)にてあらむずるぞ。頼朝(よりとも)が帰(かへり)
きかむ処(ところ)もあり、軍(いくさ)ようせよ。者(もの)ども」とてう(ッ)【打つ】たち【立ち】
P07259
けり。北国(ほつこく)の勢(せい)ども皆(みな)落下(おちくだ)(ッ)て、纔(わづか)に六七千騎(ろくしちせんぎ)ぞ
あり【有り】ける。我(わが)軍(いくさ)の吉例(きちれい)なればとて、七手(ななて)につくる。先(まづ)今
井(いまゐの)四郎(しらう)兼平(かねひら)二千騎(にせんぎ)で、新熊野(いまぐまの)のかたへ搦手(からめで)に
さしつかはす【遣す】。のこり六手(むて)は、をのをの(おのおの)【各々】がゐたらむ条里
小路(でうりこうぢ)より川原(かはら)へいでて、七条河原(しつでうかはら)にてひとつになれ
と、あひづ【合図】をさだめて出立(いでたち)けり。軍(いくさ)は十一月(じふいちぐわつ)十九日(じふくにち)の
朝(あさ)なり。院(ゐんの)御所(ごしよ)法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)にも、軍兵(ぐんびやう)二万(にまん)余人(よにん)ま
いり(まゐり)【参り】こもり【籠り】たるよし聞(きこ)えけり。御方(みかた)のかさじるし【笠印】には、
P07260
松(まつ)の葉(は)をぞ付(つけ)たりたる。木曾(きそ)法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)の西門(にしのもん)に
をし(おし)【押し】よせ【寄せ】て見(み)れば、皷判官(つづみはんぐわん)朝泰【*知康】(ともやす)軍(いくさ)の行事(ぎやうじ)
うけ給(たまは)(ッ)【承つ】て、赤地(あかぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、鎧(よろひ)はわざとき【着】ざりけり。
甲(かぶと)斗(ばかり)ぞきたりける。甲(かぶと)には四天(してん)をかいて、をし(おし)【押し】たり
けり。御所(ごしよ)の西(にし)の築墻(ついがき)の上(うへ)にのぼ(ッ)て立(たち)たりけるが、
片手(かたて)にはほこ【矛】をもち、片手(かたて)には金剛鈴(こんがうれい)をも(ッ)て、金剛
鈴(こんがうれい)を打振(うちふり)打振(うちふり)、時々(ときどき)は舞(まふ)おり(をり)【折】もあり【有り】けり。若(わか)き公卿(くぎやう)
殿上人(てんじやうびと)「風情(ふぜい)なし。朝泰【*知康】(ともやす)には天狗(てんぐ)ついたり」とぞわら
P07261
は【笑は】れける。大音P2154声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「むかしは宣旨(せんじ)をむ
か(ッ)【向つ】てよみければ、枯(かれ)たる草木(そうもく)も花(はな)さきみ【実】なり、
悪鬼(あつき)悪神(あくじん)も随(したが)ひけり。末代(まつだい)ならむがらに、いかんが
十善帝王(じふぜんていわう)にむかひ【向ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て弓(ゆみ)をばひくべき。
汝等(なんぢら)がはなたん矢(や)は、返(かへ)(ッ)て身(み)にあたるべし、ぬかむ
太刀(たち)は身(み)をきるべし」な(ン)ど(など)とののしりければ、木曾(きそ)
「さないはせそ」とて、時(とき)をど(ッ)とつくる。さる程(ほど)に、搦手(からめで)
にさしつかはし【遣し】たる樋口(ひぐちの)次郎(じらう)兼光(かねみつ)、新熊野(いまぐまの)の
P07262
方(かた)より時(とき)のこゑ【声】をぞあはせたる。鏑(かぶら)のなかに火(ひ)を入(いれ)て、
法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)の御所(ごしよ)に射(い)(ゐ)たて【立て】たりければ、おりふし(をりふし)【折節】
風(かぜ)ははげしし、猛火(みやうくわ)天(てん)にもえあが(ッ)【上がつ】て、ほのを(ほのほ)【炎】は虚空(こくう)に
ひまもなし。いくさ【軍】の行事(ぎやうじ)朝泰【*知康】(ともやす)は、人(ひと)よりさきに
落(おち)にけり。行事(ぎやうじ)がおつるうへは、二万(にまん)余人(よにん)の官軍(くわんぐん)
ども、我(われ)さきにとぞ落(おち)ゆきける。あまりにあはて(あわて)【慌て】さは
い(さわい)【騒い】で、弓(ゆみ)とる者(もの)は矢(や)をしら【知ら】ず、矢(や)とる者(もの)は弓(ゆみ)をしら【知ら】ず、
或(あるい)(ある)は長刀(なぎなた)さかさまについて、我(わが)足(あし)つきつらぬく
P07263
者(もの)もあり、或(あるい)(ある)は弓(ゆみ)のはず物(もの)にかけて、えはづさで捨(すて)
てにぐる者(もの)もあり。七条(しつでう)がすゑは摂津国(つのくに)源氏(げんじ)の
かためたりけるが、七条(しつでう)を西(にし)へおち【落ち】て行(ゆく)。かねて【予て】軍(いくさ)
いぜん【以前】より、「落人(おちうと)のあらむずるをば、用意(ようい)してうち
ころせ」と、御所(ごしよ)より披露(ひろう)せられたりければ、在路(ざいぢ)の者共(ものども)、
やねいに楯(たて)をつき、おそへの石(いし)をとりあつめて、待懸(まちかけ)
たるところ【所】に、摂津国(つのくに)源氏(げんじ)のおち【落ち】けるを、「あはや落人(おちうと)
よ」とて、石(いし)をP2155ひろい(ひろひ)【拾ひ】かけ、さんざん【散々】に打(うち)ければ、「これは院(ゐん)
P07264
がたぞ、あやまち仕(つかまつ)るな」といへども、「さないはせそ。
院宣(ゐんぜん)であるに、ただ打(うち)ころせ打(うち)ころせ」とて打(うつ)間(あひだ)(あいだ)、或(あるい)(ある)は
馬(むま)をすてて、はうはう(はふはふ)【這ふ這ふ】にぐる者(もの)もあり、或(あるい)(ある)はうちこ
ろさ【殺さ】るるもあり【有り】けり。八条(はつでう)がすゑは山僧(さんぞう)かためたり
けるが、恥(はぢ)あるものはうち死(じに)し、つれなきものは
おち【落ち】ぞゆく。主水[* 「主氷」と有るのを高野本により訂正]正(もんどのかみ)親〔成〕(ちかなり)薄青(うすあを)の狩衣(かりぎぬ)のしたに、
萌黄(もえぎ)の腹巻(はらまき)をきて、白葦毛(しらあしげ)なる馬(むま)にのり、河
原(かはら)をのぼりに落(おち)てゆく。今井(いまゐの)四郎(しらう)兼平(かねひら)を(ッ)(おつ)【追つ】かけ
P07265
て、しや頸(くび)の骨(ほね)を射(い)(ゐ)てゐ(い)【射】おとす。清大外記(せいだいげき)頼成(よりなり)が
子(こ)なりけり。「明経道[* 「明行道」と有るのを他本により訂正](みやうぎやうだう)の博士(はかせ)、甲冑(かつちう)をよろふ
事(こと)しかる【然る】べからず」とぞ人(ひと)申(まうし)ける。木曾(きそ)を背(そむい)て
院方(ゐんがた)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】たる信濃源氏(しなのげんじ)、村上(むらかみの)三郎(さぶらう)判官代(はんぐわんだい)も
うた【討た】れけり。是(これ)をはじめて院方(ゐんがた)には、近江(あふみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)
為清(ためきよ)・越前守(ゑちぜんのかみ)信行(のぶゆき)も射(い)(ゐ)ころされて頸(くび)とられぬ。
伯耆守(はうきのかみ)光長(みつなが)・子息(しそく)判官(はんぐわん)光経(みつつね)、父子(ふし)共(とも)にうた【討た】
れぬ。按察(あぜつの)大納言(だいなごん)資方【*資賢】卿(すけかたのきやう)の孫(まご)播磨[* 「幡磨」と有るのを高野本により訂正](はりまの)少将(せうしやう)
P07266
雅方【*雅賢】(まさかた)も、鎧(よろひ)に立烏帽子(たてえぼし)で軍(いくさ)の陣(ぢん)へいでられ
たりけるが、樋口(ひぐちの)次郎(じらう)に生(いけ)どりにせられ給(たま)ひぬ。
天台座主(てんだいざす)明雲(めいうん)大僧正(だいそうじやう)、寺(てら)の長吏(ちやうり)円慶(ゑんけい)法親王(ほふしんわう)(ほうしんわう)も、
御所(ごしよ)にまいり(まゐり)【参り】こもらせ給(たま)ひたりけるが、黒煙(くろけぶり)既(すで)に
をし(おし)かけければ、御馬(おんむま)にめし【召し】て、いそぎ川原(かはら)へ
いでさせ給(たま)ふ。武士(ぶし)どもさんざん【散々】に射(い)(ゐ)たてまつる。
明雲(めいうん)大僧正(だいそうじやう)、円慶(ゑんけい)法親王(ほふしんわう)(ほうしんわう)も、御馬(おんむま)よりゐ(い)【射】おとさ【落さ】れて、
御頸(おんくび)とられさせ給(たま)ひP2156けり。豊後(ぶんごの)国司(こくし)刑部卿(ぎやうぶきやうの)
P07267
三位(さんみ)頼資卿(よりすけのきやう)も、御所(ごしよ)にまいり(まゐり)【参り】こもられたりけるが、
火(ひ)は既(すで)にをし(おし)【押し】かけたり、いそぎ川原(かはら)へ逃出(にげいで)給(たまふ)。
武士(ぶし)の下部共(しもべども)に衣裳(いしやう)皆(みな)はぎとられ、ま(ッ)ぱだかで
たたれたり。十一月(じふいちぐわつ)十九日(じふくにち)のあしたなれば、河原(かはら)の
風(かぜ)さこそすさまじかりけめ。三位(さんみ)〔の〕こじうとに越
前(ゑちぜんの)法眼(ほふげん)(ほうげん)性意(しやうい)といふ僧(そう)あり。其(その)中間(ちゆうげん)(ちうげん)法師(ぼふし)(ぼうし)軍(いくさ)
見(み)んとて河原(かはら)へいでたりけるが、三位(さんみ)のはだかで
たたれたるに見(み)あふ(あう)【逢う】て、「あなあさまし」とてはしり【走り】より、
P07268
此(この)法師(ほふし)(ほうし)は白(しろき)小袖(こそで)二[B ツ](ふたつ)に衣(ころも)きたりけるが、さらば小袖(こそで)を
もぬいできせたてまつれ【奉れ】かし、さはなくて、衣(ころも)をひ(ン)
ぬいでなげかけたり。短(みじか)き衣(ころも)うつほにほうかぶ(ッ)て、
帯(おび)もせず。うしろさこそ見(み)ぐるしかりけめ。白衣(びやくえ)
なる法師(ほふし)(ほうし)どもに具(ぐ)しておはしけるが、さらばいそぎ
もあゆみ【歩み】給(たま)はで、あそこ爰(ここ)に立(たち)とどまり、「あれは
たが家(いへ)ぞ、是(これ)は何者(なにもの)が宿所(しゆくしよ)ぞ、ここはいづくぞ」と、
道(みち)すがらとはれければ、見(み)る人(ひと)みな手(て)をたたゐ(たたい)て
P07269
わらひ【笑ひ】あへり。法皇(ほふわう)(ほうわう)は御輿(おんこし)にめし【召し】て他所(たしよ)へ御幸(ごかう)
なる。武士(ぶし)どもさむざむ(さんざん)【散々】に射(い)(ゐ)たてまつる【奉る】。豊後(ぶんごの)少将(せうしやう)
宗長(むねなが)、木蘭地(もくらんぢ)の直垂(ひたたれ)に折烏帽子(をりえぼし)(おりえぼし)で供奉(ぐぶ)せら
れたりけるが、「是(これ)は法皇(ほふわう)(ほうわう)の御幸(ごかう)ぞ。あやまちつか
まつるな」との給(たま)へば、兵(つはもの)ども皆(みな)馬(むま)よりをり(おり)【降り】てかしこ
まる。「何者(なにもの)ぞ」と御尋(おんたづね)あり【有り】ければ、「信濃国(しなののくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)
矢島(やしま)の四郎(しらう)行綱(ゆきつな)」となのり【名乗り】申(まうす)。P2157軈(やがて)御輿(おんこし)に手(て)かけま
いらせ(まゐらせ)【参らせ】、五条内裏(ごでうのだいり)にをし(おし)【押し】こめたてま(ッ)【奉つ】て、きびしう
P07270
守護(しゆご)し奉(たてまつ)る。主上(しゆしやう)は池(いけ)に船(ふね)をうかべてめされ
けり。武士(ぶし)どもしきりに矢(や)をまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ければ、七条(しつでうの)
侍従(じじゆう)(じじう)信清(のぶきよ)・紀伊守(きのかみ)教光【*範光】(のりみつ)御舟(おんふね)に候(さうら)はれけるが、「是(これ)は
うちのわたらせ給(たま)ふぞ、あやまち仕(つかまつ)るな」との
たまへば、兵(つはもの)ども皆(みな)馬(むま)よりをり(おり)【降り】てかしこまる。閑院
殿(かんゐんどの)へ行幸(ぎやうがう)なし奉(たてまつ)る。行幸(ぎやうがう)の儀式(ぎしき)のあさまし
さ、申(まうす)も中々(なかなか)をろか(おろか)【愚】なり。法住寺合戦(ほふぢゆうじかつせん)S0811 院方(ゐんがた)に候(さうらひ)ける近江守(あふみのかみ)
仲兼(なかかぬ)、其(その)勢(せい)五十騎(ごじつき)ばかりで、法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)の西(にし)の門(もん)
P07271
をかためてふせく【防く】処(ところ)に、近江源氏(あふみげんじ)山本(やまもとの)冠者(くわんじや)義
高(よしたか)馳来(はせき)たり、「いかにをのをの(おのおの)【各々】は、誰(たれ)をかばはんとて軍(いくさ)を
ばし給(たま)ふぞ。御幸(ごかう)も行幸(ぎやうがう)も他所(たしよ)へなりぬとこそ
承(うけたま)はれ」と申(まう)せば、「さらば」とて、敵(かたき)の大勢(おほぜい)の中(なか)へおめ
い(をめい)【喚い】てかけいり、さむざむ(さんざん)【散々】に、戦(たた)かひ、かけやぶ(ッ)てぞとをり(とほり)【通り】ける。
主従(しゆうじゆう)(しうじう)八騎(はちき)にうちなさる。八騎(はちき)がうちに、河内(かはち)のくさ
か【日下】党(たう)、加賀房(かがばう)といふ法師武者[M 「武士」とあり「士」をミセケチ「者」と傍書](ほふしむしや)(ほうしむしや)あり【有り】けり。白葦毛(しらあしげ)
なる馬(むま)の、きはめて口(くち)こはきにぞの(ッ)【乗つ】たりける。「此(この)馬(むま)が
P07272
あまりひあひ(ひあい)【悲愛】で、乗(のり)たまるべしともおぼえ候(さうら)P2158はず」と
申(まうし)ければ、蔵人(くらんど)、「いでさらばわが馬(むま)に乗(のり)かへよ」とて、
栗毛(くりげ)なる馬(むま)のしたお(したを)【下尾】しろい【白い】に乗(のり)かへて、祢のゐ【根井】の
小野太(こやた)が二百騎(にひやくき)ばかりでささへたる川原坂(かはらざか)の
勢(せい)の中(なか)へ、おめい(をめい)【喚い】て懸(かけ)いり、そこにて八騎(はちき)が五騎(ごき)は
うた【討た】れぬ。ただ主従(しゆうじゆう)(しうじう)三騎(さんぎ)(さんき)にぞなりにける。加賀房(かがばう)は
わが馬(むま)のひあい【悲愛】なりとて、主(しゆう)(しゆ)の馬(むま)に乗(のり)かへたれども、
そこにてつゐに(つひに)【遂に】うた【討た】れにけり。源(みなもとの)蔵人(くらんど)の家(いへ)の子(こ)に、
P07273
信濃(しなのの)次郎(じらう)蔵人(くらんど)仲頼(なかより)といふ者(もの)あり。敵(かたき)にをし(おし)【押し】へだ
て【隔て】られて、蔵人(くらんど)のゆくゑ(ゆくへ)【行方】をしら【知ら】ず、栗毛(くりげ)なる馬(むま)の
したお(したを)【下尾】しろい【白い】がはしり【走り】いで【出で】たるを見(み)て、下人(げにん)を
よび【呼び】、「ここなる馬(むま)は源(みなもとの)蔵人(くらんど)の馬(むま)とこそみれ【見れ】。はや
うた【討た】れけるにこそ。死(し)なば一所(いつしよ)で死(し)なんとこそ契(ちぎり)しに、
所々(しよしよ)でうた【討た】れむことこそかなしけれ。どの勢(せい)の中(なか)へ
かいる【入る】と見(み)つる」。「川原坂(かはらざか)の勢(せい)のなかへこそ懸(かけ)いらせ
給(たま)ひ候(さうらひ)つるなれ。やがてあの勢(せい)の中(なか)より御馬(おんむま)も
P07274
出(いで)きて候(さうらふ)」と申(まうし)ければ、「さらば汝(なんぢ)はとうとう是(これ)より
帰(かへ)れ」とて、最後(さいご)のありさま故郷(こきやう)へいひつかはし【遣し】、
只(ただ)一騎(いつき)敵(かたき)のなかへ懸(かけ)いり、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)あげて名(な)
のり【名乗り】けるは、「敦実[* 「敦躬」と有るのを他本により訂正]親王(あつみのしんわう)より九代(くだい)の後胤(こういん)(こうゐん)、信濃
守(しなののかみ)仲重(なかしげ)が次男(じなん)、信濃(しなのの)次郎(じらう)蔵人(くらんど)仲頼(なかより)、生年(しやうねん)
廿七(にじふしち)歳(さい)。我(われ)とおもは【思は】む人々(ひとびと)はよりあへや、見参(げんざん)せん」
とて、竪様(たてさま)・横様(よこさま)・くも手(で)【蜘蛛手】・十文字(じふもんじ)に懸(かけ)わり懸(かけ)
まはり戦(たたか)ひけるが、敵(かたき)あまた打(うち)と(ッ)て、つゐに(つひに)【遂に】
P07275
うち死(じに)して(ン)げり。蔵人(くらんど)是(これ)をば夢(ゆめ)にもしら【知ら】ず、
兄[B ノ](あにの)河P2159内守(かはちのかみ)・郎等(らうどう)一騎(いつき)打(うち)具(ぐ)して、主従(しゆうじゆう)(しうじう)三騎(さんぎ)、
南(みなみ)をさして落行(おちゆく)程(ほど)に、摂政殿(せつしやうどの)の都(みやこ)をば軍(いくさ)に
おそれ【恐れ】て、宇治(うぢ)へ御出(ぎよしゆつ)なりけるに、木幡山(こはたやま)にて
追付(おひつき)(をひつき)たてまつる【奉る】。木曾(きそ)が余党(よたう)かとおぼしめし【思し召し】、
御車(おんくるま)をとどめ【留め】て「何者(なにもの)ぞ」と御尋(おんたづね)あれば、「仲兼(なかかぬ)、
仲信(なかのぶ)」となのり申(まうす)。「こはいかに、北国(ほつこく)凶徒(きようど)(けうど)かなとおぼし
めし【思し召し】たれば、神妙(しんべう)にまいり(まゐり)【参り】たり。ちかう候(さうらひ)て
P07276
守護(しゆご)つかまつれ」と仰(おほせ)ければ、畏(かしこまり)て承(うけたまは)り、宇治(うぢ)の
ふけ【富家】殿(どの)までをくり(おくり)【送り】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、軈(やがて)此(この)人(ひと)どもは、
河内(かはち)へぞ落(おち)ゆきける。あくる廿日(はつかのひ)、木曾(きその)(きそ)左馬頭(さまのかみ)
六条川原(ろくでうかはら)にう(ッ)【打つ】た(ッ)【立つ】て、昨日(きのふ)きるところ【所】の頸(くび)ども、
かけならべてしるひ(しるい)【記い】たりければ、六百卅(ろつぴやくさんじふ)余人(よにん)也(なり)。
其(その)中(なか)に明雲(めいうん)大僧正(だいそうじやう)・寺(てら)の長吏(ちやうり)円慶(ゑんけい)法親王(ほふしんわう)(ほうしんわう)の
御頸(おんくび)もかからせ給(たま)ひたり。是(これ)を見(み)る人(ひと)涙(なみだ)を
ながさずといふことなし。木曾(きそ)其(その)勢(せい)七千余
P07277
騎(しちせんよき)、馬(むま)の鼻(はな)を東(ひがし)(ひ(ン)がし)へむけ、天(てん)も響(ひび)き大地(だいぢ)もゆるぐ
程(ほど)に、時(とき)をぞ三ケ度(さんがど)つくりける。京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)又(また)さはぎ(さわぎ)【騒ぎ】
あへり。但(ただし)是(これ)は悦(よろこび)の時(とき)とぞ聞(きこ)えし。故(こ)少納言(せうなごん)
入道(にふだう)(にうだう)信西(しんせい)の子息(しそく)宰相(さいしやう)長教(ながのり)、法皇(ほふわう)(ほうわう)のわたらせ給(たまふ)
五条(ごでう)の内裏(だいり)にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「是(これ)は君(きみ)に奏(そう)すべき事(こと)が
あるぞ。あけてとをせ(とほせ)【通せ】」とのたまへども、武士共(ぶしども)ゆるし
たてまつら【奉ら】ず。力(ちから)をよば(およば)【及ば】である小屋(せうをく)(せうヲク)に立(たち)いり、
俄(にはか)に髪(かみ)そりおろし法師(ほふし)(ほうし)になり、墨染(すみぞめ)の衣(ころも)袴(はかま)
P07278
きて、「此(この)上(うへ)は何(なに)かくるしかる【苦しかる】べき、いれよ【入れよ】」との給(たま)へば、
其(その)時(とき)ゆるし奉(たてまつ)る。御前(ごぜん)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、今度(こんど)うた【討た】れ
給(たま)へるむねとの人々(ひとびと)の事(こと)どもつぶさP2160に奏聞(そうもん)し
ければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)御涙(おんなみだ)をはらはらとながさせ給(たま)ひて、「明
雲(めいうん)は非業(ひごふ)(ひごう)の死(し)にすべきものとはおぼしめさ【思し召さ】ざりつ
る物(もの)を。今度(こんど)はただわがいかにもなるべかりける御
命(おんいのち)にかはり【変り】けるにこそ」とて、御涙(おんなみだ)せきあへさせ給(たま)はず。
木曾(きそ)、家子(いへのこ)郎等(らうどう)召(めし)あつめて評定(ひやうぢやう)す。「抑(そもそも)義仲(よしなか)、
P07279
一天(いつてん)の君(きみ)にむかひ【向ひ】奉(たてまつり)て軍(いくさ)には勝(かち)ぬ。主上(しゆしやう)にや
ならまし、法皇(ほふわう)(ほうわう)にやならまし。主上(しゆしやう)にならうど
おもへ【思へ】ども、童(わらは)にならむもしかる【然る】べからず。法皇(ほふわう)(ほうわう)になら
うど思(おも)へ共(ども)、法師(ほふし)(ほうし)にならむもをかしかるべし。よしよし
さらば関白(くわんばく)にならう」ど申(まう)せば、手(て)かきに具(ぐ)せられたる
大夫房(たいふばう)覚明(かくめい)申(まうし)けるは、「関白(くわんばく)は大織冠(たいしよくくわん)(たいしよくわん)の御末(おんすゑ)、藤
原氏(ふじはらうじ)こそ[* 「こと」と有るのを高野本により訂正]ならせ給(たま)へ。殿(との)は源氏(げんじ)でわたらせ給(たま)ふに、
それこそ叶(かな)ひ候(さうらふ)まじけれ」。「其上(そのうへ)は力(ちから)をよば(およば)【及ば】ず」とて、
P07280
院(ゐん)の御厩(みむまや)の別当(べつたう)にをし(おし)【押し】な(ッ)て、丹波国(たんばのくに)をぞ知行(ちぎやう)
しける。院(ゐん)の御出家(ごしゆつけ)あれば法皇(ほふわう)(ほうわう)と申(まうし)、主上(しゆしやう)のいまだ
御元服(ごげんぶく)もなき程(ほど)は、御童形(ごとうぎやう)にてわたらせ給(たま)ふを
しらざりけるこそうたてけれ。前(さきの)関白(くわんばく)松殿(まつどの)の姫君(ひめぎみ)
とりたてま(ッ)【奉つ】て、軈(やがて)松殿(まつどの)の聟(むこ)にをし(おし)【押し】なる。同(おなじき)十一月(じふいちぐわつ)
廿三日(にじふさんにち)、三条(さんでうの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)朝方卿(ともかたのきやう)をはじめとして、卿相(けいしやう)雲
客(うんかく)四十九人(しじふくにん)が官職(くわんしよく)をとどめ【留め】てお(ッ)【追つ】こめ【籠め】奉(たてまつ)る。平家(へいけ)の
時(とき)は四十三人(しじふさんにん)をこそとどめ【留め】たりしに、是(これ)は四十九人(しじふくにん)なれば、
P07281
平家(へいけ)の悪行(あくぎやう)には超過(てうくわ)せり。P2161さる程(ほど)に、木曾(きそ)が狼籍【*狼藉】(らうぜき)
しづめむとて、鎌倉(かまくら)の前(さきの)兵衛佐(ひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)、舎弟(しやてい)蒲(がま)の
冠者(くわんじや)範頼(のりより)・九郎(くらう)冠者(くわんじや)義経(よしつね)をさしのぼせられけるが、
既(すで)に法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)焼(やき)はらひ、院(ゐん)うちとり奉(たてまつり)て天下(てんが)
くらやみ【暗闇】にな(ッ)たるよし聞(きこ)えしかば、左右(さう)なうのぼ(ッ)て
軍(いくさ)すべき様(やう)もなし。是(これ)より関東(くわんとう)へ子細(しさい)を申(まう)
さむとて、尾張国(をはりのくに)(おはりのくに)熱田(あつたの)大郡司(だいぐんじ)が許(もと)におはしけるに、
此(この)事(こと)う(ッ)たへ(うつたへ)【訴へ】んとて、北面(ほくめん)に候(さうらひ)ける宮内(くない)判官(はんぐわん)公朝(きんとも)・
P07282
藤(とう)内左衛門(ないざゑもん)時成(ときなり)、尾張国(をはりのくに)(おはりのくに)に馳下(はせくだ)り、此(この)由(よし)一々(いちいち)次第(しだい)に
う(ッ)たへ(うつたへ)【訴へ】ければ、九郎(くらう)御曹司(おんざうし)「是(これ)は宮内(くない)判官(はんぐわん)の関東(くわんとう)へ
下(くだ)らるべきにて候(さうらふ)ぞ。子細(しさい)しらぬ使(つかひ)はかへしとは
るるとき不審(ふしん)の残(のこ)るに」との給(たま)へば、公朝(きんとも)鎌倉(かまくら)へ馳
下(はせくだ)る。軍(いくさ)におそれ【恐れ】て下人(げにん)ども皆(みな)落(おち)うせたれば、
嫡子(ちやくし)の宮内(くない)どころ【所】公茂(きんもち)が十五(じふご)になるをぞ具(ぐ)したり
ける。関東(くわんとう)にまひ(ッ)(まゐつ)【参つ】て此(この)よし申(まうし)ければ、兵衛佐(ひやうゑのすけ)大(おほき)に
おどろき、「まづ皷判官(つづみはんぐわん)知泰【*知康】(ともやす)が不思議(ふしぎ)〔の〕事(こと)申(まうし)いだして、
P07283
御所(ごしよ)をもやかせ[* 「やかて」と有るのを他本により訂正]、高〔僧〕(かうそう)貴僧(きそう)をもほろぼしたてま(ッ)【奉つ】たる
こそ奇怪(きくわい)(き(ツ)くわい)なれ。知泰【*知康】(ともやす)においては既(すで)に違勅(いちよく)の者(もの)
なり。めし【召し】つかは[* 「つかさ」と有るのを高野本により訂正]【使は】せ給(たま)はば、かさねて御大事(おんだいじ)いでき候(さうらひ)
なむず」と、宮(みや)こ【都】へ早馬(はやむま)をも(ッ)て申(まう)されければ、皷
判官(つづみはんぐわん)陳(ちん)ぜんとて、夜(よ)を日(ひ)についで、馳下(はせくだ)る。兵衛佐(ひやうゑのすけ)
「しやつにめ【目】な見(み)せそ、あひしらゐ(あひしらひ)なせそ」との給(たま)へども、
日(ひ)ごとに兵衛佐(ひやうゑのすけ)の館(たち)へむかふ【向ふ】。終(つひ)に面目(めんぼく)なくして、
宮(みや)こ【都】へ帰(かへ)りのぼりけり。後(のち)には稲荷(いなり)の辺(へん)なる所(しよ)に、
P07284
命(いのち)ばかりいき【生き】てすごしけるとぞ聞(きこ)えし。P2162木曾[B ノ](きその)左
馬頭(さまのかみ)、平家(へいけ)の方(かた)へ使者(ししや)を奉(たてまつり)て、「宮(みや)こ【都】へ御(おん)のぼり候(さうら)へ。
ひとつにな(ッ)て東国(とうごく)せめ【攻め】む」と申(まうし)たれば、大臣殿(おほいとの)は
よろこばれけれども、平(へい)大納言(だいなごん)・新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)「さこそ世(よ)
すゑにて候(さうらふ)とも、義仲(よしなか)にかたらはれて宮(みや)こ【都】へ帰(かへ)り
いらせ給(たま)はむこと、しかる【然る】べうも候(さうら)はず。十善帝王(じふぜんていわう)三種[B ノ](さんじゆの)神
器(しんぎ)を帯(たい)してわたらせ給(たま)へば、「甲(かぶと)をぬぎ、弓(ゆみ)を
はづいて降人(かうにん)に是(これ)へまいれ(まゐれ)【参れ】」とは仰(おほせ)候(さうらふ)べし」と申(まう)
P07285
されければ、此(この)様(やう)を御返事(おんぺんじ)ありしかども、木曾(きそ)も
ちゐ奉(たてまつ)らず。松殿(まつどの)入道殿(にふだうどのの)(にうだうどのの)許(もと)へ木曾(きそ)をめし【召し】て
「清盛公(きよもりこう)はさばかりの悪行人(あくぎやうにん)たりしかども、希代(きたい)の
大善根(だいぜんごん)をせしかば、世(よ)をもをだしう(おだしう)廿(にじふ)余年(よねん)
たも(ッ)たりしなり。悪行(あくぎやう)ばかりで世(よ)をたもつ
事(こと)はなき物(もの)を。させるゆへ(ゆゑ)【故】なくとどめ【留め】たる人々(ひとびと)
の官(くわん)ども、皆(みな)ゆるすべき」よし仰(おほせ)られければ、
ひたすらのあらゑびす(あらえびす)のやうなれども、した
P07286
がひ奉(たてまつり)て、解官(げくわん)したる人々(ひとびと)の官(くわん)どもゆるし
たてまつる【奉る】。松殿(まつどの)の御子(おんこ)師家(もろいへ)のとのの、
其(その)時(とき)はいまだ中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)にてましましける
を、木曾(きそ)がはからひに、大臣(だいじん)摂政(せつしやう)になし奉(たてまつ)る。
おりふし(をりふし)【折節】大臣(だいじん)あかざりければ、徳大寺(とくだいじ)左大将(さだいしやう)
実定公(しつていこう)の、其(その)比(ころ)内大臣(ないだいじん)でおはしけるをかり【借り】
たてま(ッ)【奉つ】て、内大臣(ないだいじん)になし奉(たてまつ)る。いつしか人(ひと)の
口(くち)なれば、新摂政殿(しんせつしやうどの)をばかるの大臣(だいじん)とぞ申(まうし)
P07287
ける。同(おなじき)十二月(じふにぐわつ)十日(とをかのひ)、法皇(ほふわう)(ほうわう)は五条内裏(ごでうだいり)をいで
させ給(たま)ひて、大膳(だいぜんの)大夫(だいぶ)成忠(なりただ)が宿所(しゆくしよ)六P2163条(ろくでう)西洞院(にしのとうゐん)へ
御幸(ごかう)なる。同(おなじき)十三日(じふさんにち)歳末(さいまつ)の御修法(みしほ)あり【有り】
けり。其(その)次(ついで)に叙位(じよゐ)除目(ぢもく)おこなはれて、木曾(きそ)が
はからひに、人々(ひとびと)の官(くわん)どもおもふさまに
なしをき(おき)けり。平家(へいけ)は西国(さいこく)に、兵衛佐(ひやうゑのすけ)は
東国(とうごく)に、木曾(きそ)は宮(みや)こ【都】にはり【張り】おこなふ。前漢(ぜんかん)・
後漢(ごかん)の間(あひだ)(あいだ)、王(わう)まう【王莽】が世(よ)をうちと(ッ)て、十八(じふはち)年(ねん)おさめ(をさめ)【納め】
P07288
たりしがごとし。四方(しはう)の関々(せきぜき)皆(みな)とぢたれば、
おほやけの御調物(みつぎもの)をもたてまつら【奉ら】ず。私(わたくし)の
年貢(ねんぐ)ものぼらねば、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)の上下(じやうげ)の諸人(しよにん)、ただ
少水(せうすい)の魚(うを)(うほ)にことならず。あぶな【危】ながら年(とし)
暮(くれ)て、寿永(じゆえい)(じゆゑい)も三(み)とせになりにけり。
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第八(だいはち)


平家物語(龍谷大学本)巻第九

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。

P09291
(表紙)
P09293 P2164
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第九(だいく)
生(いけ)ずきの沙汰(さた)S0901寿永(じゆえい)(じゆゑい)三年(さんねん)正月(しやうぐわつ)一日(ひとひのひ)、院(ゐん)の御所(ごしよ)は大膳(だいぜんの)大夫(だいぶ)
成忠(なりただ)が宿所(しゆくしよ)、六条(ろくでう)西洞院(にしのとうゐん)なれば、御所(ごしよ)のてい
しかる【然る】べからずとて、礼儀(れいぎ)お[B こ]なはるべきにあらね
ば、拝礼(はいれい)もなし。院(ゐん)の拝礼(はいれい)なかりければ、内裏(だいり)の
小朝拝(こでうはい)もおこなはれず。平家(へいけ)は讃岐国(さぬきのくに)八島(やしま)
の磯(いそ)におくりむかへ【向へ】て、元日(ぐわんにち)元三(ぐわんざん)の儀式(ぎしき)事(こと)よろ
しからず。主上(しゆしやう)わたらせ給(たま)へども、節会(せちゑ)もおこ
P09294
なはれず、四方拝(しはうばい)もなし。■魚(はらか)も奏(そう)せず。吉野(よしの)
のくず【国栖】もまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ず。「世(よ)みだれたりしかども、都(みやこ)
にてはさすがかくはなかりし物(もの)を」とぞ、おのおの
のたまひあはれける。青陽(せいやう)の春(はる)も来(きた)り、
浦(うら)吹(ふく)風(かぜ)もやはらかに、日影(ひかげ)も長閑(のどか)になり
ゆけど、ただ平家(へいけ)の人々(ひとびと)は、いつも氷(こほり)に
とぢこめられたる心地(ここち)して、寒苦鳥(かんくてう)にことなら
ず。東岸(とうがん)西岸(せいがん)の柳(やなぎ)遅速(ちそく)をまじへ、南枝(なんし)北枝(ほくしの)
P09295
梅(むめ)開落(かいらく)已(すで)に異(こと)にして、花(はな)の朝(あした)月(つき)の夜(よ)、詩歌(しいか)・
管絃(くわんげん)・鞠(まり)・小弓(こゆみ)・扇合(あふぎあはせ)・絵合(ゑあはせ)・草(くさ)づくし【尽】・虫(むし)づくし【尽】、
さまざまP2165興(きよう)(けう)ありし事(こと)ども、おもひ【思ひ】いでかたり
つづけて、永日(えいじつ)(ゑいじつ)をくらしかね給(たま)ふぞ哀(あはれ)なる。同(おなじき)
正月(しやうぐわつ)十一日(じふいちにち)、木曾[B ノ](きその)左馬頭(さまのかみ)義仲(よしなか)院参(ゐんざん)して、平家(へいけ)
追討(ついたう)(つゐたう)のために西国(さいこく)へ発向(はつかう)すべきよし奏聞(そうもん)す。
同(おなじき)十三日(じふさんにち)、すでに門(かど)いでときこえ【聞え】し程(ほど)に、東国(とうごく)より前(さきの)
兵衛佐(ひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)、木曾(きそ)が狼籍【*狼藉】(らうぜき)しづめんとて、数万騎(すまんぎ)の
P09296
軍兵(ぐんびやう)をさしのぼせられけるが、すでに美濃国(みののくに)・伊
勢国(いせのくに)につくと聞(きこ)えしかば、木曾(きそ)大(おほき)におどろき、宇治(うじ)・
勢田(せた)の橋(はし)をひいて、軍兵共(ぐんびやうども)をわかちつかはす【遣す】。折(をり)
ふしせい【勢】もなかりけり。勢田(せた)の橋(はし)へは大手(おほて)なればとて、
今井[B ノ](いまゐの)四郎(しらう)兼平(かねひら)八百(はつぴやく)余騎(よき)でさしつかはす【遣す】。宇治
橋(うぢはし)へは、仁科(にしな)・たかなし【高梨】・山田[B ノ](やまだの)次郎(じらう)・五百余騎(ごひやくよき)でつかはす【遣す】。
いもあらい(いもあらひ)【一口】へは伯父(をぢ)(おぢ)の志太[B ノ](しだの)三郎(さぶらう)先生(せんじやう)義教(よしのり)三百(さんびやく)
余騎(よき)でむかひ【向ひ】けり。東国(とうごく)よりせめ【攻め】のぼる大手(おほて)の
P09297
大将軍(たいしやうぐん)は、蒲[B ノ](がまの)御曹司(おんざうし)範頼(のりより)、搦手(からめで)の大将軍(たいしやうぐん)は
九郎(くらう)御曹司(おんざうし)義経(よしつね)、むねとの大名(だいみやう)卅(さんじふ)余人(よにん)、都合(つがふ)(つがう)其(その)
勢(せい)六万余騎(ろくまんよき)とぞ聞(きこ)えし。其(その)比(ころ)鎌倉殿(かまくらどの)にいけ
ずき【生食】・する墨(すみ)【摺墨】といふ名馬(めいば)あり。いけずき【生食】をば梶
原(かぢはら)源太(げんだ)景季(かげすゑ)しきりに望(のぞ)み申(まうし)けれども、鎌倉
殿(かまくらどの)「自然(しぜん)の事(こと)のあらん時(とき)、物(もの)の具(ぐ)して頼朝(よりとも)がのる
べき馬(むま)なり。する墨(すみ)【摺墨】もおとらぬ名馬(めいば)ぞ」とて梶原(かぢはら)
にはする墨(すみ)【摺墨】をこそたうだりけれ。P2166佐々木(ささき)四郎(しらう)
P09298
高綱(たかつな)がいとま申(まうし)にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】たりけるに、鎌倉殿(かまくらどの)いかがおぼ
しめさ【思し召さ】れけん、「所望(しよまう)の物(もの)はいくらもあれども、存知(ぞんぢ)
せよ」とて、いけずき【生食】を佐々木(ささき)にたぶ。佐々木(ささき)畏(かしこまり)て
申(まうし)けるは、「高綱(たかつな)、この御馬(おんむま)(おむま)で宇治河(うぢがは)のま(ッ)さき
わたし候(さうらふ)べし。宇治河(うぢがは)で死(しに)て候(さうらふ)ときこしめし【聞し召し】候(さうら)はば、
人(ひと)にさきをせられて(ン)げりとおぼしめし【思し召し】候(さうら)へ。いまだ
いきて候(さうらふ)ときこしめさ【聞し召さ】れ候(さうら)はば、定(さだめ)て先陣(せんぢん)はしつ
らん物(もの)をとおぼしめされ候(さうら)へ」とて、御(おん)まへをまかり
P09299
たつ。参会(さんくわい)したる大名(だいみやう)小名(せうみやう)みな「荒凉(くわうりやう)の申様(まうしやう)かな」
とささやきあへり。おのおの鎌倉(かまくら)をた(ッ)て、足柄(あしがら)をへて
行(ゆく)もあり、箱根(はこね)にかかる人(ひと)もあり、思(おも)ひ思(おも)ひに
のぼるほど【程】に、駿河国(するがのくに)浮島(うきしま)が原(はら)にて、梶原(かぢはら)源太(げんだ)景季(かげすゑ)
たかき所(ところ)にうちあがり、し(ン)ばし(しばし)ひかへておほく【多く】の馬共(むまども)
を見(み)ければ、おもひおもひ【思ひ思ひ】の鞍(くら)をい(おい)【置い】て、色々(いろいろ)の鞦(しりがい)かけ、
或(あるい)(ある)はのり口(くち)【乗口】にひかせ、或(あるい)(ある)はもろ口(くち)【諸口】にひかせ、いく【幾】千万(せんばん)と
いふかずをしら【知ら】ず。引(ひき)とほし引(ひき)とほししける中(なか)にも、
P09300
景季(かげすゑ)〔が〕給(たまは)(ッ)たるする墨(すみ)【摺墨】にまさる馬(むま)こそなかりけれ
と、うれしうおもひ【思ひ】てみる【見る】ところ【所】に、いけずき【生食】と
おぼしき馬(むま)こそいできたれ。黄覆輪(きぶくりん)(き(ン)ぶくりん)の鞍(くら)を
い(おい)て、小総(こぶさ)の鞦(しりがい)かけ、しらあは(しらあわ)【白泡】かませ、とねり【舎人】あまた
つゐ(つい)【付い】たりけれども、なを(なほ)【猶】ひきもためず、おどら(をどら)【躍ら】せて
出(いで)きたり。梶原(かぢはら)源太(げんだ)うちよ(ッ)て、「それはたが御馬(おんむま)ぞ」。
「佐々木殿(ささきどの)の御馬(おんむま)候(ざうらふ)」。其(その)時(とき)梶原(かぢはら)「やすからぬ物(もの)P2167也(なり)。都(みやこ)へ
のぼ(ッ)て、木曾殿(きそどの)の御内(みうち)に四天王(してんわう)ときこゆる【聞ゆる】今井(いまゐ)・
P09301
樋口(ひぐち)・楯(たて)・祢[B ノ]井(ねのゐ)にくんで死(し)ぬるか、しからずは西国(さいこく)へ
むかう【向う】て、一人当千(いちにんたうぜん)ときこゆる【聞ゆる】平家(へいけ)の侍(さぶらひ)どもと
いくさ【軍】して死(し)なんとこそおもひ【思ひ】つれ共(ども)、此(この)御(ご)き
そく【気色】ではそれもせんなし。ここで佐々木(ささき)にひ(ッ)【引つ】くみさし
ちがへ、よい侍(さぶらひ)二人(ににん)死(しん)で、兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)に損(そん)とらせたて
まつら【奉ら】ん」とつぶやいてこそまち【待ち】かけたれ。佐々木(ささき)四郎(しらう)は
何心(なにごころ)もなくあゆませて出(いで)きたり。梶原(かぢはら)、おしならべて
やくむ【組む】、むかふさま(むかうさま)【向う様】にやあて【当て】おとす【落す】と思(おも)ひけるが、まづ
P09302
詞(ことば)をかけけり。「[B いかに]佐々木殿(ささきどの)、いけずき【生食】給(たま)はらせ給(たまひ)て
さうな」といひければ、佐々木(ささき)、「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)、此(この)仁(じん)も内々(ないない)所
望(しよまう)するとききし物(もの)を」と、[B き(ッ)と]おもひ【思ひ】いだし【出し】て、「さ候(さうら)へば
こそ。此(この)御大事(おんだいじ)にのぼりさうが、定(さだめ)て宇治(うぢ)・勢田(せた)
の橋(はし)をばひいて候(さうらふ)らん、乗(のつ)て河(かは)わたすべき馬(むま)はなし、
いけずき【生食】を申(まう)さばやとはおもへ【思へ】ども、梶原殿(かぢはらどの)の申(まう)
されけるにも、御(おん)ゆるされないとうけ給(たまは)る【承る】間(あひだ)(あいだ)、まして
高綱(たかつな)が申(まうす)ともよも給(たま)はらじとおもひ【思ひ】つつ、後日(ごにち)には
P09303
いかなる御勘当(ごかんだう)もあらばあれと存(ぞんじ)て、暁(あかつき)たたん
とての夜(よ)、とねり【舎人】に心(こころ)をあはせて、さしも御秘蔵(ごひさう)
候(さうらふ)いけずき【生食】をぬすみすまいてのぼりさうはいかに」
といひければ、梶原(かぢはら)この詞(ことば)に腹(はら)がゐて、「ね(ッ)たい、さらば
景季(かげすゑ)もぬすむべかりける物(もの)を」とて、ど(ッ)とわら(ッ)【笑つ】て
のき【退き】にけり。P2168宇治川先陣(うぢがはのせんぢん)S0902佐々木(ささき)四郎(しらう)が給(たま)は(ッ)たる御馬(おんむま)は、黒[* 「墨」と有るのを高野本により訂正]栗毛(くろくりげ)
なる馬(むま)の、きはめてふとう【太う】たくましゐ(たくましい)【逞しい】が、馬(むま)をも人(ひと)
をもあたりをはら(ッ)てくひければ、いけずき【生食】とつけ
P09304
られたり。八寸(はつすん)の馬(むま)とぞきこえ【聞え】し。梶原(かぢはら)が給(たま)は(ッ)たる
する墨(すみ)【摺墨】も、きはめてふとう【太う】たくましき【逞しき】が、まこと【誠】に
黒(くろ)かりければ、する墨(すみ)【摺墨】とつけられたり。いづれもお
とらぬ名馬(めいば)也(なり)。尾張国(をはりのくに)(おはりのくに)より大手(おほて)・搦手(からめで)二手(ふたて)にわか(ッ)て
せめ【攻め】のぼる。大手(おほて)の大将軍(たいしやうぐん)、蒲[B ノ](がまの)御曹司(おんざうし)範頼(のりより)、あい(あひ)
ともなふ人々(ひとびと)、武田[B ノ](たけたの)太郎(たらう)・鏡美[B ノ](かがみの)次郎(じらう)・一条[B ノ](いちでうの)次郎(じらう)・板垣(いたがき)の
三郎(さぶらう)・稲毛[B ノ](いなげの)三郎(さぶらう)・楾谷[B ノ](はんがへの)四郎(しらう)・熊谷[B ノ](くまがへの)次郎(じらう)・猪俣[B ノ](いのまたの)小平六(こへいろく)
を先(さき)として、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)三万五千(さんまんごせん)余騎(よき)、近江国(あふみのくに)野
P09305
路(のぢ)・篠原(しのはら)にぞつきにける。搦手[B ノ](からめでの)大将軍(たいしやうぐん)は九郎(くらう)御曹
司(おんざうし)義経(よしつね)、おなじくともなふ人々(ひとびと)、安田[B ノ](やすだの)三郎(さぶらう)・大内[B ノ](おほうちの)太郎(たらう)・
畠山[B ノ](はたけやまの)庄司(しやうじ)次郎(じらう)・梶原(かぢはら)源太(げんだ)・佐々木(ささき)四郎(しらう)・糟屋[B ノ](かすやの)藤太(とうだ)・
渋谷(しぶやの)右馬允(むまのじよう)(むまのぜう)・平山[B ノ](ひらやまの)武者(むしや)どころをはじめとして、都
合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)二万五千(にまんごせん)余騎(よき)、伊賀国(いがのくに)をへて宇治橋(うぢはし)
のつめにぞをし(おし)【押し】よせ【寄せ】たる。宇治(うぢ)も勢田(せた)も橋(はし)を
ひき、水(みづ)のそこには乱(らん)ぐゐ(らんぐい)【乱杭】う(ッ)て、大綱(おほづな)はり、さかも木(ぎ)【逆茂木】
つないでながしかけたり。P2169比(ころ)はむ月(つき)【睦月】廿日(はつか)あまりの
P09306
事(こと)なれば、比良(ひら)のたかね、志賀(しが)の山(やま)、むかしながらの
雪(ゆき)もきえ、谷々(たにだに)の氷(こほり)うちとけて、水(みづ)は折(をり)ふしま
さりたり。白浪(しらなみ)おびたたしう【夥しう】みなぎりおち【落ち】、瀬[* 「灘」と有るのを他本により訂正](せ)
まくら【枕】おほき【大き】に滝(たき)な(ッ)【鳴つ】て、さかまく水(みづ)もはやかり
けり。夜(よ)はすでにほのぼのとあけゆけど、河霧(かはぎり)
ふかく立(たち)こめて、馬(むま)の毛(け)も鎧(よろひ)の毛(け)もさだかならず。
ここに大将軍(たいしやうぐん)九郎(くらう)御曹司(おんざうし)、河(かは)のはたにすすみ出(いで)、水(みづ)の
おもてをみわたして、人々(ひとびと)の心(こころ)をみんとやおもは【思は】れ
P09307
けん、「いかがせん、淀(よど)・いもあらゐ(いもあらひ)【一口】へやまはるべき、水(みづ)のおち
足(あし)【落足】をやまつべき」との給(たま)へば、畠山(はたけやま)、其(その)比(ころ)はいまだ生年(しやうねん)
廿一(にじふいち)になりけるが、すすみいでて申(まうし)けるは、「鎌倉(かまくら)にてよく
よく此(この)河(かは)の御沙汰(ごさた)は、候(さうらひ)しぞかし。しろしめさ【知ろし召さ】ぬ海河(うみかは)
の、俄(にはか)にできても候(さうら)はばこそ。此(この)河(かは)は近江(あふみ)の水海(みづうみ)の末(すゑ)
なれば、まつともまつとも水(みづ)ひまじ。橋(はし)をば又(また)誰(たれ)かわたいて
まいらす(まゐらす)【参らす】べき。治承(ぢしよう)(ぢせう)の合戦(かつせん)に、足利(あしかがの)又太郎(またたらう)忠綱(ただつな)は、
鬼神(おにかみ)でわたしけるか、重忠(しげただ)瀬(せ)ぶみ仕(つかまつ)らん」とて、丹[B ノ](たんの)党(たう)
P09308
をむねとして、五百余騎(ごひやくよき)ひしひしとくつばみをなら
ぶるところ【所】に、平等院(びやうどうゐん)の丑寅(うしとら)、橘(たちばな)の小島(こじま)が崎(さき)より
武者(むしや)二騎(にき)ひ(ッ)かけ【引つ駆け】ひ(ッ)かけ【引つ駆け】いできたり。一騎(いつき)は梶原(かぢはら)源太(げんだ)景季(かげすゑ)、
一騎(いつき)は佐々木(ささき)四郎(しらう)高綱(たかつな)也(なり)。人目(ひとめ)には何(なに)ともみえ【見え】ざりけ
れども、内々(ないない)は先(さき)に心(こころ)をかけたりければ、梶原(かぢはら)は
佐々木(ささき)に一段(いつたん)ばかりぞすすんだる。佐々木(ささき)四郎(しらう)「此(この)河(かは)は
西国(さいこく)一(いち)の大河(たいが)ぞや。腹帯(はるび)ののびてみえ【見え】さうぞ。しめ
給(たま)へ」といP2170はれて、梶原(かぢはら)さもあるらんとや思(おも)ひけん、左右(さう)
P09309
のあぶみを〔ふみ〕すかし、手綱(たづな)を馬(むま)のゆがみにすて【捨て】、腹帯(はるび)
をといてぞしめたりける。そのまに佐々木(ささき)はつとはせ【馳せ】
ぬい【抜い】て、河(かは)へざ(ッ)とぞうちいれ【入れ】たる。梶原(かぢはら)たばかられ
ぬとやおもひ【思ひ】けん、やがてつづゐ(つづい)【続い】てうちいれ【入れ】たり。「い
かに佐々木殿(ささきどの)、高名(かうみやう)せうどて不覚(ふかく)し給(たま)ふな。水(みづ)の
底(そこ)には大綱(おほづな)あるらん」といひければ、佐々木(ささき)太刀(たち)をぬき、
馬(むま)の足(あし)にかかりける大綱(おほづな)どもをばふつふつとうちきりうちきり、
いけずき【生食】といふ世一(よいち)の馬(むま)にはの(ッ)【乗つ】たりけり、宇治河(うぢがは)
P09310
はやしといへども、一文字(いちもんじ)にざ(ッ)とわたいてむかへ【向へ】の岸(きし)に
うちあがる【上がる】。梶原(かぢはら)がの(ッ)【乗つ】たりけるする墨(すみ)【摺墨】は、河(かは)なかより
のため【篦撓】がたにおしなされて、はるかのしもよりうち
あげたり。佐々木(ささき)あぶみふ(ン)ばりたちあがり【上がり】、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)
をあげて名(な)のりけるは、「宇多[B ノ]天皇(うだのてんわう)より九代(くだい)の後
胤(こういん)(こうゐん)、佐々木(ささき)三郎(さぶらう)秀義(ひでよし)が四男(しなん)、佐々木(ささき)四郎(しらう)高綱(たかつな)、宇
治河(うぢがは)の先陣(せんぢん)ぞや。われとおもは【思は】ん人々(ひとびと)は高綱(たかつな)にくめ
や」とて、おめい(をめい)【喚い】てかく。畠山(はたけやま)五百余騎(ごひやくよき)でやがてわたす。
P09311
むかへ【向へ】の岸(きし)より山田(やまだの)次郎(じらう)がはなつ矢(や)に、畠山(はたけやま)馬(むま)の
額(ひたひ)(ひたい)をのぶか【篦深】にゐ(い)【射】させて、よはれ(よわれ)【弱れ】ば、河中(かはなか)より弓杖(ゆんづゑ)(ゆんづえ)を
つゐ(つい)【突い】ておりた(ッ)たり。岩浪(いはなみ)甲(かぶと)の手(て)さきへざ(ッ)とおし
あげけれども、事(こと)ともせず、水(みづ)のそこをくぐ(ッ)て、
むかへ【向へ】の岸(きし)へぞつきにける。あがら【上がら】んとすれば、うしろ
に物(もの)こそむずとひかへたれ。「た【誰】そ」ととへば、「重親(しげちか)」と
こたふ。「いかに大串(おほくし)P2171か」。「さ(ン)候(ざうらふ)」。大串(おほくし)次郎(じらう)は畠山(はたけやま)には烏帽子
子(えぼしご)(ゑぼしご)にてぞあり【有り】ける。「あまりに水(みづ)がはやうて、馬(うま)はおし
P09312
ながされ候(さうらひ)ぬ。力(ちから)およば【及ば】で、つきまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうらふ)」といひけ
れば、「いつもわ【我】殿原(とのばら)は、重忠(しげただ)が様(やう)なるものにこそた
すけ【助け】られんずれ」といふままに、大串(おほくし)をひ(ッ)【引つ】さげて、
岸(きし)のうへへぞなげ【投げ】あげたる。なげあげられ、ただなを(ッ)(なほつ)【直つ】
て、「武蔵国(むさしのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、大串[B ノ](おほくしの)次郎(じらう)重親(しげちか)、宇治河(うぢがは)〔かちたち〕の先陣(せんぢん)
ぞや」とぞ名(な)の(ッ)【乗つ】たる。敵(かたき)も御方(みかた)もこれをきい【聞い】て、一度(いちど)に
ど(ッ)とぞわらひ【笑ひ】ける。其(その)後(のち)畠山(はたけやま)のりかへにの(ッ)【乗つ】てうちあがる【上がる】。
魚綾(ぎよりよう)(ぎよれう)の直垂(ひたたれ)に火(ひ)おどし(をどし)の鎧(よろひ)きて、連銭葦毛(れんぜんあしげ)なる
P09313
馬(むま)に黄覆輪(きぶくりん)(き(ン)ぶくりん)の鞍(くら)をい(おい)ての(ッ)【乗つ】たる敵(かたき)の、ま(ッ)さきに
すすんだるを、「ここ[B に]かくる【駆くる】はいかなる人(ひと)ぞ。なのれ【名乗れ】や」と
いひければ、「木曾殿(きそどの)の家(いへ)の子(こ)に、長瀬(ながせの)判官代(はんぐわんだい)重
綱(しげつな)」となのる【名乗る】。畠山(はたけやま)「けふのいくさ神(がみ)【軍神】いははん」とて、をし(おし)【押し】
ならべてむずとと(ッ)て引(ひき)おとし【落し】、頸(くび)ねぢき(ッ)て、本田[B ノ](ほんだの)次
郎(じらう)が鞍(くら)のと(ッ)つけにこそつけさせけれ。これをはじめて、
木曾殿(きそどの)の方(かた)より宇治橋(うぢはし)かためたるせい【勢】ども、し(ン)ばし(しばし)
ささへてふせき【防き】けれ共(ども)、東国(とうごく)の大勢(おほぜい)みなわたい【渡い】て
P09314
せめ【攻め】ければ、散々(さんざん)にかけなされ、木幡山(こはたやま)・伏見(ふしみ)をさ
い【指い】てぞ落行(おちゆき)ける。勢田(せた)をば稲毛[B ノ](いなげの)三郎(さぶらう)重成(しげなり)がはからひ
にて、田上(たながみ)供御(くご)の瀬(せ)をこそわたしけれ。P2172河原合戦(かはらがつせん)S0903いくさ【軍】やぶ
れにければ、鎌倉殿(かまくらどの)へ飛脚(ひきやく)をも(ッ)て、合戦(かつせん)の次第(しだい)を
しるし申(まう)されけるに、鎌倉殿(かまくらどの)まづ御使(おんつかひ)に、「佐々木(ささき)はいかに」
と御尋(おんたづね)あり【有り】ければ、「宇治河(うぢがは)のま(ッ)さき候(ざうらふ)」と申(まう)す。
日記(につき)をひらいて御(ご)らんずれば、「宇治河(うぢがは)の先陣(せんぢん)、佐々木(ささき)
四郎(しらう)高綱(たかつな)、二陣(にぢん)梶原(かぢはら)源太(げんだ)景季(かげすゑ)」とこそかか【書か】れたれ。宇治(うぢ)・
P09315
勢田(せた)やぶれぬと聞(きこ)えしかば、木曾(きその)左馬頭(さまのかみ)、最後(さいご)のいとま
申(まう)さんとて、院(ゐん)の御所(ごしよ)六条殿(ろくでうどの)へはせ【馳せ】まいる(まゐる)【参る】。御所(ごしよ)には
法皇(ほふわう)(ほうわう)をはじめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、「世(よ)は只今(ただいま)うせなん
ず。いかがせん」とて、手(て)をにぎり、たてぬ願(ぐわん)もましまさず。
木曾(きそ)門前(もんぜん)までまいり(まゐり)【参り】たれども、東国(とうごく)の勢(せい)すでに
河原(かはら)までせめ【攻め】入(いり)たるよし聞(きこ)えしかば、さいて奏(そう)する旨(むね)も
なくてと(ッ)てかへす【返す】。六条高倉(ろくでうたかくら)なるところ【所】に、はじめて見(み)そめ
たる女房(にようばう)のおはしければ、それへうちいり最後(さいご)の名(な)
P09316
ごりおしま(をしま)【惜しま】んとて、とみにいで【出で】もやらざりけり。いま
まいり(いままゐり)【今参】したりける越後[B ノ](ゑちごの)中太(ちゆうだ)(ちうだ)家光(いへみつ)といふものあり。
「いかにかうはうちとけてわたらせ給(たま)ひ候(さうらふ)ぞ。御敵(おんてき)すでに
河原(かはら)までせめ【攻め】入(いり)て候(さうらふ)に、犬死(いぬじ)にせさせ給(たまひ)なんず」と申(まうし)
けれども、なを(なほ)【猶】出(いで)もやらざりければ、「さ候(さうらは)ばまづさきだち【先立ち】
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、四手(しで)の山(やま)でこそ待(まち)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はめ」P2173とて、腹(はら)かき
き(ッ)てぞ死(しに)にける。木曾殿(きそどの)「われをすすむる自害(じがい)に
こそ」とて、やがてう(ッ)【打つ】たち【立ち】けり。上野国(かうづけのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)那波[B ノ](なはの)太
P09317
郎(たらう)広純(ひろずみ)を先(さき)として、其(その)勢(せい)百騎(ひやくき)ばかりにはすぎざり
けり。六条河原(ろくでうかはら)にうちいでてみれ【見れ】ば、東国(とうごく)のせい【勢】とお
ぼしくて、まづ卅騎(さんじつき)ばかり出(いで)きたり。そのなかに武者(むしや)二
騎(にき)すすんだり。一騎(いつき)は塩屋[B ノ](しほのやの)五郎(ごらう)維広(これひろ)、一騎(いつき)は勅使河原(てしがはら)
の五三郎(ごさぶらう)有直(ありなほ)(ありなを)なり。塩屋(しほのや)が申(まうし)けるは、「後陣(ごぢん)の勢(せい)をや
待(まつ)べき」。勅使河原(てしがはら)が申(まうし)けるは、「一陣(いちぢん)やぶれぬれば
残党(ざんたう)ま(ッ)たからず。ただかけよ」とておめい(をめい)【喚い】てかく。木曾(きそ)
はけふをかぎりとたたかへば、東国(とうごく)のせいはわれう(ッ)【討つ】
P09318
とらんとぞすすみける。大将軍(たいしやうぐん)九郎(くらう)義経(よしつね)、軍兵共(ぐんびやうども)に
いくさ【軍】をばせさせ、院(ゐんの)御所(ごしよ)のおぼつかなきに、守護(しゆご)し
奉(たてまつ)らんとて、まづ我(わが)身(み)ともにひた【直】甲(かぶと)五六騎(ごろくき)、六条殿(ろくでうどの)
へはせ【馳せ】まいる(まゐる)【参る】。御所(ごしよ)には大膳(だいぜんの)大夫(だいぶ)成忠(なりただ)、御所(ごしよ)の東(ひがし)(ひんがし)のつい垣(がき)【築垣】
のうへにのぼ(ッ)て、わななくわななくみまはせば、しら旗(はた)ざ(ッ)とさし
あげ【差し上げ】、武士(ぶし)ども五六騎(ごろくき)のけかぶとにたたかい(たたかひ)【戦ひ】な(ッ)て、ゐむ
け(いむけ)【射向】の袖(そで)ふきなびかせ、くろ煙(けぶり)けたて【蹴立て】てはせ【馳せ】まいる(まゐる)【参る】。成忠(なりただ)
「又(また)木曾(きそ)がまいり(まゐり)【参り】候(さうらふ)。あなあさまし」と申(まうし)ければ、今度(こんど)ぞ
P09319
世(よ)のうせはてとて、君(きみ)も臣(しん)もさはが(さわが)【騒が】せ給(たま)ふ。成忠(なりただ)かさ
ねて申(まうし)けるは、「只今(ただいま)はせ【馳せ】まいる(まゐる)【参る】武士(ぶし)どもは、かさじるし【笠印】
のかは(ッ)て候(さうらふ)。今日(けふ)都(みやこ)へ入(いる)東国(とうごく)のせい【勢】と覚(おぼえ)候(さうらふ)」と、申(まうし)も
はてねば、九郎(くらう)義経(よしつね)門前(もんぜん)へ馳(はせ)P2174まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、馬(むま)よりおり、
門(もん)をたたかせ、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「東国(とうごく)より前(さきの)兵衛
佐(ひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)が舎弟(しやてい)、九郎(くらう)義経(よしつね)こそまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうら)へ。あけさせ給(たま)へ」と
申(まうし)ければ、成忠(なりただ)あまりのうれしさに、つゐ垣(がき)(ついがき)【築垣】よりいそぎ
おどり(をどり)【躍り】おるるとて、腰(こし)をつき損(そん)じたりけれども、
P09320
いたさはうれしさにまぎれておぼえず、はうはう(はふはふ)【這ふ這ふ】まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て
此(この)由(よし)奏聞(そうもん)しければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)大(おほき)に御感(ぎよかん)あ(ッ)て、やがて門(もん)
をひらかせて入(いれ)られけり。九郎(くらう)義経(よしつね)其(その)日(ひ)の装束(しやうぞく)には、
赤地(あかぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、紫(むらさき)すそごの鎧(よろひ)きて、くわがた【鍬形】
う(ッ)たる甲(かぶと)の緒(を)(お)しめ、こがねづくり【黄金作】の太刀(たち)をはき、
きりう(きりふ)【切斑】の矢(や)おひ【負ひ】、しげ藤(どう)の弓(ゆみ)のとりうち【鳥打】を、紙(かみ)
をひろさ一寸(いつすん)ばかりにき(ッ)て、左(ひだり)まきにぞまいたり
ける。今日(けふ)の大将軍(たいしやうぐん)のしるしとぞみえ【見え】し。法皇(ほふわう)(ほうわう)は中
P09321
門(ちゆうもん)(ちうもん)のれんじ【櫺子】より叡覧(えいらん)(ゑいらん)あ(ッ)て、「ゆゆしげなるもの共(ども)哉(かな)。
みな名(な)のらせよ」と仰(おほせ)ければ、まづ大将軍(たいしやうぐん)九郎(くらう)義
経(よしつね)、次(つぎ)に安田(やすだの)三郎(さぶらう)義定(よしさだ)、畠山(はたけやまの)庄司(しやうじ)次郎(じらう)重忠(しげただ)、梶原(かぢはら)源
太(げんだ)景季(かげすゑ)、佐々木(ささき)四郎(しらう)高綱(たかつな)、渋谷(しぶやの)馬允(むまのじよう)(むまのぜう)重資(しげすけ)とこそ名(な)の(ッ)【乗つ】
たれ。義経(よしつね)ぐし【具し】て、武士(ぶし)は六人(ろくにん)、鎧(よろひ)はいろいろなりけれども、
つらだましゐ(つらだましひ)【面魂】事(こと)がらいづれもおとらず。大膳(だいぜんの)大夫(だいぶ)成忠(なりただ)
仰(おほせ)を承(うけたまはつ)て、九郎(くらう)義経(よしつね)を大床(おほゆか)のきはへめし【召し】て、合戦[B ノ](かつせんの)
次第(しだい)をくはしく御尋(おんたづね)あれば、義経(よしつね)かしこま(ッ)て申(まうし)けるは、
P09322
「義仲(よしなか)が謀叛(むほん)の事(こと)、頼朝(よりとも)大(おほき)におどろき、範頼(のりより)・義経(よしつね)
をはじめとして、むねとの兵物(つはもの)卅(さんじふ)余人(よにん)、其(その)勢(せい)六万余
騎(ろくまんよき)をまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)。範頼(のりより)は勢田(せた)よりまはり候(さうらふ)が、いP2175まだ
まいり(まゐり)【参り】候(さうら)はず。義経(よしつね)は宇治(うぢ)の手(て)をせめ【攻め】おとい【落い】て、まづ此(この)
御所(ごしよ)守護(しゆご)のためにはせ【馳せ】参(さん)じて候(さうらふ)。義仲(よしなか)は河原(かはら)を
のぼりにおち【落ち】候(さうらひ)つるを、兵物共(つはものども)におはせ候(さうらひ)つれば、今(いま)は
定(さだめ)てう(ッ)とり候(さうらひ)ぬらん」と、いと事(こと)もなげにぞ申(まうし)たる。
法皇(ほふわう)(ほうわう)大(おほき)に御感(ぎよかん)あ(ッ)て、「神妙也(しんべうなり)。義仲(よしなか)が余党(よたう)な(ン)ど(など)
P09323
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、狼籍【*狼藉】(らうぜき)もぞ仕(つかまつ)る。なんぢら此(この)御所(ごしよ)よくよく守
護(しゆご)せよ」と仰(おほせ)ければ、義経(よしつね)かしこまりうけ給(たま)は(ッ)【承つ】て、四方(しはう)の
門(もん)をかためてまつほど【程】に、兵物共(つはものども)馳集(はせあつま)(ッ)て、程(ほど)なく一万
騎(いちまんぎ)ばかりになりにけり。木曾(きそ)はもしの事(こと)あらば、法皇(ほふわう)(ほうわう)
をとりまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て西国(さいこく)へ落(おち)くだり、平家(へいけ)とひとつに
ならんとて、力者(りきしや)廿人(にじふにん)そろへても(ッ)たりけれども、御所(ごしよ)には
九郎(くらう)義経(よしつね)はせ【馳せ】まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て守護(しゆご)したてまつる【奉る】由(よし)聞(きこ)えし
かば、さらばとて、数万騎(すまんぎ)の大勢(おほぜい)のなかへおめい(をめい)【喚い】てかけいる。
P09324
すでにうた【討た】れんとする事(こと)度々(どど)に及(およぶ)(をよぶ)といへども、
かけやぶり【駆け破り】かけやぶり【駆け破り】とほりけり。木曾(きそ)涙(なみだ)をながい【流い】て、「かかる
べしとだ〔に〕知(し)りたりせば、今井(いまゐ)を勢田(せた)へはやらざら
まし。幼少(えうせう)(ようせう)竹馬(ちくば)の昔(むかし)より、死(し)なば一所(いつしよ)で死(し)なんと
こそ契(ちぎり)しに、ところどころ【所々】でうた【討た】れん事(こと)こそかなし
けれ。今井(いまゐ)がゆくゑ(ゆくへ)【行方】をきかばや」とて、河原(かはら)のぼりに
かくる【駆くる】ほど【程】に、六条河原(ろくでうかはら)と三条河原(さんでうかはら)の間(あひだ)に、敵(かたき)お
そ(ッ)てかかればと(ッ)てかへしと(ッ)てかへし、わづかなる小勢(せうせい)にて、
P09325
雲霞(うんか)の如(ごとく)なる敵(かたき)の大勢(おほぜい)を、五六度(ごろくど)までぞお(ッ)【追つ】かへす【返す】。
鴨河(かもがは)ざ(ッ)とうちわたし、粟田口(あはたぐち)・松坂(まつざか)にもかかP2176りけり。
去年(こぞ)信濃(しなの)を出(いで)しには五万余騎(ごまんよき)と聞(きこ)えしに、
けふ四(し)の宮河原(みやがはら)をすぐるには、主従(しゆじゆう)(しゆじう)七騎(しちき)になりに
けり。まして中有(ちゆうう)(ちうう)の旅(たび)の空(そら)、おもひ【思ひ】やられて哀(あはれ)也(なり)。
木曾最期(きそのさいご)S0904 木曾殿(きそどの)は信濃(しなの)より、ともゑ【巴】・山吹(やまぶき)とて、二人(ににん)の便女(びんぢよ)を
具(ぐ)せられたり。山吹(やまぶき)はいたはり【労】あ(ッ)て、都(みやこ)にとどまりぬ。
中(なか)にもともゑ【巴】はいろしろく【白く】髪(かみ)ながく、容顔(ようがん)まこと【誠】に
P09326
すぐれたり。ありがたきつよ弓(ゆみ)、せい兵(びやう)【精兵】、馬(むま)のうへ、かち
だち、うち物(もの)も(ッ)ては鬼(おに)にも神(かみ)にもあはふ(う)どいふ一人
当千(いちにんたうぜん)の兵(つはもの)也(なり)。究竟(くつきやう)(く(ツ)きやう)のあら馬(むま)のり、悪所(あくしよ)おとし【落し】、
いくさ【軍】といへば、さねよき鎧(よろひ)きせ、おほ太刀(だち)・つよ弓(ゆみ)も
たせて、まづ一方(いつぱう)の大将(たいしやう)にはむけられけり。度々(どど)の
高名(かうみやう)、肩(かた)をならぶるものなし。されば今(この)度(たび)も、おほく【多く】
のものどもおち【落ち】ゆきうた【討た】れける中(なか)に、七騎(しちき)が内(うち)まで
ともゑ【巴】はうた【討た】れざりけり。木曾(きそ)は長坂(ながさか)をへて丹波
P09327
路(たんばぢ)へおもむくとも聞(きこ)えけり。又(また)竜花(りうげ)ごへ(りゆうげごえ)【竜花越】にかか(ッ)て北国(ほつこく)へ
ともきこえ【聞え】けり。かかりしかども、今井(いまゐ)が行(ゆく)ゑ(ゆくへ)【行方】をきか
ばやとて、勢田(せた)の方(かた)へおち【落ち】ゆくほど【程】に、今井(いまゐの)四郎(しらう)兼平(かねひら)
も、八百余騎(はつぴやくよき)で勢田(せた)をかためたりけるが、P2177わづかに
五十騎(ごじつき)ばかりにうちなされ、旗(はた)をばまかせて、主(しゆう)(しゆ)のおぼつ
かなきに、宮(みや)こ【都】へと(ッ)てかへす【返す】ほど【程】に、大津(おほつ)のうちで【打出】の浜(はま)にて、
木曾殿(きそどの)にゆきあひたてまつる。互(たがひ)になか一町(いつちやう)ばかり
よりそれとみし(ッ)【見知つ】て、主従(しゆじゆう)(しゆじう)駒(こま)をはやめてよりあふ(あう)たり。
P09328
木曾殿(きそどの)今井(いまゐ)が手(て)をと(ッ)ての給(たま)ひけるは、「義仲(よしなか)六条
河原(ろくでうかはら)でいかにもなるべかりつれども、なんぢがゆくえ(ゆくへ)【行方】の
恋(こひ)しさに、おほく【多く】の敵(かたき)の中(なか)をかけわ(ッ)て、是(これ)までは
のがれ【逃れ】たる也(なり)」。今井(いまゐの)四郎(しらう)、「御(ご)ぢやう【諚】まこと【誠】に忝(かたじけ)なう候(さうらふ)。
兼平(かねひら)も勢田(せた)で打死(うちじに)つかまつるべう候(さうらひ)つれども、御(おん)行(ゆく)
え(ゆくへ)【行方】のおぼつかなさに、これまでまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)」とぞ申(まうし)ける。
木曾殿(きそどの)「契(ちぎり)はいまだくちせざりけり。義仲(よしなか)がせい【勢】は
敵(かたき)にをし(おし)【押し】へだてられ、山林(さんりん)にはせ【馳せ】ち(ッ)て、此(この)辺(へん)にもある
P09329
らんぞ。汝(なんぢ)がまかせてもた〔せた〕る旗(はた)あげさせよ」との給(たま)へば、
今井(いまゐ)が旗(はた)をさしあげ【差し上げ】たり。京(きやう)よりおつる勢(せい)とも
なく、勢田(せた)よりおつるものともなく、今井(いまゐ)が旗(はた)を見(み)
つけて三百(さんびやく)余騎(よき)ぞはせ集(あつま)る。木曾(きそ)大(おほき)に悦(よろこび)て、「此(この)勢(せい)あら
ばなどか最後(さいご)のいくさ【軍】せざるべき。ここにしぐらうで
見(み)ゆるはたが手(て)やらん」。「甲斐(かひ)(かい)の一条(いちでうの)次郎殿(じらうどの)とこそ
承(うけたまはり)候(さうら)へ」。「せい【勢】はいくらほどあるやらん」。「六千余騎(ろくせんよき)とこそ
聞(きこ)え候(さうら)へ」。「さてはよい敵(かたき)ごさんなれ。おなじう死(し)なば、
P09330
よからう敵(かたき)にかけ【駆け】あふ(あう)【合う】て、大勢(おほぜい)の中(なか)でこそ打死(うちじに)
をもせめ」とて、ま(ッ)さきにこそすすみけれ。P2178木曾(きその)左馬
頭(さまのかみ)、其(その)日(ひ)の装束(しやうぞく)には、赤地(あかぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、唐綾(からあや)お
どし(をどし)の鎧(よろひ)きて、くわがたう(ッ)たる甲(かぶと)の緒(を)(お)しめ、いか物(もの)
づくりのおほ太刀(だち)はき、石(いし)うちの矢(や)の、其(その)日(ひ)のいくさ【軍】
にい【射】て少々(せうせう)のこ(ッ)たるを、かしらだか【頭高】におい(おひ)【負ひ】なし、しげ
どう【滋籐】の弓(ゆみ)も(ッ)て、きこゆる【聞ゆる】木曾(きそ)の鬼葦毛(おにあしげ)といふ馬(むま)
の、きはめてふとう【太う】たくましゐ(たくましい)【逞しい】に、黄覆輪(きぶくりん)(き(ン)ぶくりん)の鞍(くら)を
P09331
い(おい)【置い】てぞの(ッ)【乗つ】たりける。あぶみふ(ン)ばりたちあがり【上がり】、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)
をあげて名(な)のりけるは、「昔(むかし)はききけん物(もの)を、木曾(きそ)の
冠者(くわんじや)、今(いま)はみる【見る】らん、左馬頭(さまのかみ)[B 兼(けん)]伊与【*伊予】守(いよのかみ)、朝日(あさひ)の将軍(しやうぐん)源(みなもとの)
義仲(よしなか)ぞや。甲斐[B ノ](かひの)(かいの)一条(いちでうの)次郎(じらう)とこそきけ。たがい(たがひ)に
よい敵(かたき)ぞ。義仲(よしなか)う(ッ)て兵衛佐(ひやうゑのすけ)に見(み)せよや」とて、おめい(をめい)【喚い】て
かく。一条(いちでうの)二郎【*次郎】(じらう)、「只今(ただいま)なのる【名乗る】は大将軍(たいしやうぐん)ぞ。あますなもの
共(ども)、もらす【漏らす】な若党(わかたう)、うてや」とて、大(おほ)ぜいの中(なか)にとり【取り】こめ【籠め】て、
我(われ)う(ッ)とらんとぞすすみける。木曾(きそ)三百(さんびやく)余騎(よき)、六千余
P09332
騎(ろくせんよき)が中(なか)をたてさま・よこさま・蜘手(くもで)・十文字(じふもんじ)にかけ【駆け】わ(ッ)【破つ】て、
うしろへつ(ッ)といでたれば、五十騎(ごじつき)ばかりになりにけり。
そこをやぶ(ッ)【破つ】てゆくほど【程】に、土肥[B ノ](とひの)(といの)次郎(じらう)実平(さねひら)二千(にせん)余
騎(よき)でささへたり。其(それ)をもやぶ(ッ)【破つ】て行(ゆく)ほど【程】に、あそこでは
四五百騎(しごひやくき)、ここでは二三百(にさんびやく)騎(き)、百四五十騎(ひやくしごじつき)、百騎(ひやくき)ばかりが
中(なか)をかけわりかけわりゆくほど【程】に、主従(しゆじゆう)(しゆじう)五騎(ごき)にぞなりにける。
五騎(ごき)が内(うち)までともゑ【巴】はうた【討た】れざりけり。木曾殿(きそどの)「おの
れ【己】はとうとう【疾う疾う】、おんな(をんな)【女】なれば、いづちへもゆけ。我(われ)は打死(うちじに)
P09333
せんと思(おも)ふなり。もし人手(ひとで)にP2179かからば自害(じがい)をせん
ずれば、木曾殿(きそどの)の最後(さいご)のいくさ【軍】に、女(をんな)をぐせ【具せ】られ
たりけりな(ン)ど(など)いはれん事(こと)もしかる【然る】べからず」との給(たま)ひ
けれ共(ども)、猶(なほ)(なを)おち【落ち】もゆかざりけるが、あまりにいはれ
奉(たてまつり)て、「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)、よからうかたきがな。最後(さいご)のいくさ【軍】
してみせ【見せ】奉(たてまつ)らん」とて、ひかへたるところ【所】に、武蔵国(むさしのくに)に、
聞(きこ)えたる大(だい)ぢから、をん田(だ)の(おんだの)【御田の】八郎(はちらう)師重(もろしげ)、卅騎(さんじつき)ばかりで
出(いで)きたり。ともゑ【巴】そのなかへかけ入(いり)、をん田(だ)の(おんだの)【御田の】八郎(はちらう)に
P09334
おしならべ、むずとと(ッ)てひきおとし【落し】、わがの(ッ)【乗つ】たる鞍(くら)の
まへわ【前輪】にをし(おし)【押し】つけて、ち(ッ)ともはたらかさ【働かさ】ず、頸(くび)ねぢ
き(ッ)てすてて(ン)げり。其(その)後(のち)物具(もののぐ)ぬぎすて、東国(とうごく)の方(かた)へ
落(おち)ぞゆく。手塚(てづかの)太郎(たらう)打死(うちじに)す。手塚(てづか)の別当(べつたう)落(おち)に
けり。今井[B ノ](いまゐの)四郎(しらう)、木曾殿(きそどの)、只(ただ)主従(しゆじゆう)(しゆじう)二騎(にき)にな(ッ)ての給(たま)ひ
けるは、「日来(ごろ)はなにともおぼえぬ鎧(よろひ)が、けふはおもう【重う】
な(ッ)たるぞや」。今井(いまゐの)四郎(しらう)申(まうし)けるは、「御身(おんみ)も未(いまだ)つかれ【疲れ】
させ給(たま)はず、御馬(おんむま)(おむま)もよはり(よわり)【弱り】候(さうら)はず。なにによ(ッ)てか一両(いちりやう)の
P09335
御(おん)きせなが【着背長】をおもうはおぼしめし【思し召し】候(さうらふ)べき。それは御
方(みかた)に御(おん)せいが候(さうら)はねば、おく病(びやう)【臆病】でこそさはおぼしめし【思し召し】候(さうら)へ。
兼平(かねひら)一人(いちにん)候(さうらふ)とも、余(よ)の武者(むしや)千騎(せんぎ)とおぼしめせ【思し召せ】。矢(や)
七(ななつ)八(やつ)候(さうら)へば、しばらくふせき【防き】矢(や)仕(つかまつ)らん。あれに見(み)え候(さうらふ)、粟津(あはづ)
の松原(まつばら)と申(まうす)。あの松(まつ)の中(なか)で御自害(おんじがい)候(さうら)へ」とて、う(ッ)て
行(ゆく)程(ほど)に、又(また)あら【新】手(て)の武者(むしや)五十騎(ごじつき)ばかり出(いで)きたり。「君(きみ)は
あの松原(まつばら)へいら【入ら】せ給(たま)へ。兼平(かねひら)は此(この)敵(かたき)ふせき【防き】候(さうら)はん」と
申(まうし)ければ、木曾殿(きそどの)の給(たま)P2180ひけるは、「義仲(よしなか)宮(みや)こ【都】にて
P09336
いかにもなるべかりつるが、これまでのがれ【逃れ】くるは、汝(なんぢ)と
一所(いつしよ)で死(し)なんとおもふ【思ふ】ため也(なり)。ところどころ【所々】でうた【討た】れんよりも、
ひとところ【一所】でこそ打死(うちじに)をもせめ」とて、馬(むま)の鼻(はな)をなら
べてかけ【駆け】んとし給(たま)へば、今井(いまゐの)四郎(しらう)馬(むま)よりとびおり、主(しゆう)(しゆ)
の馬(むま)の口(くち)にとりつゐ(つい)【付い】て申(まうし)けるは、「弓矢(ゆみや)とりは年来(としごろ)
日来(ひごろ)いかなる高名(かうみやう)候(さうら)へども、最後(さいご)の時(とき)不覚(ふかく)しつれば
ながき疵(きず)にて候(さうらふ)也(なり)。御身(おんみ)はつかれ【疲れ】させ給(たまひ)て候(さうらふ)。つづくせい【勢】は
候(さうら)はず。敵(かたき)にをし(おし)【押し】へだてられ、いふかひなき人(ひと)〔の〕郎等(らうどう)に
P09337
くみおとさ【落さ】れさせ給(たまひ)て、うた【討た】れさせ給(たまひ)なば、「さばかり日本
国(につぽんごく)にきこえ【聞え】させ給(たま)ひつる木曾殿(きそどの)をば、それがしが
郎等(らうどう)のうちたてま(ッ)【奉つ】たる」な(ン)ど(など)申(まう)さん事(こと)こそ口惜(くちをし)(くちおし)う
候(さうら)へ。ただあの松原(まつばら)へいらせ給(たま)へ」と申(まうし)ければ、木曾(きそ)
さらばとて、粟津(あはづ)の松原(まつばら)へぞかけ給(たま)ふ。今井(いまゐの)四郎(しらう)
只(ただ)一騎(いつき)、五十騎(ごじつき)ばかりが中(なか)へかけ入(いり)、あぶみふ(ン)ばりたちあ
がり【上がり】、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)あげてなのり【名乗り】けるは、「日来(ひごろ)は音(おと)(をと)にも
ききつらん、今(いま)は目(め)にも見(み)給(たま)へ、木曾殿(きそどの)の御(おん)めのと子(ご)、今井(いまゐの)
P09338
四郎(しらう)兼平(かねひら)、生年(しやうねん)卅三(さんじふさん)にまかりなる。さるものありとは
鎌倉殿(かまくらどの)までもしろしめさ【知ろし召さ】れたるらんぞ。兼平(かねひら)う(ッ)て
見参(げんざん)にいれよ【入れよ】」とて、ゐ(い)【射】のこしたる八すぢの矢(や)を、
さしつめ【差し詰め】引(ひき)つめさんざん【散々】にゐる(いる)【射る】。死生(ししやう)はしら【知ら】ず、やに
わ(やには)【矢庭】にかたき八騎(はちき)ゐ(い)【射】おとす【落す】。其(その)後(のち)打物(うちもの)ぬいてあれ
にはせ【馳せ】あひ、これに馳(はせ)あひ、きP2181(ッ)てまはるに、面(おもて)をあはする
ものぞなき。分(ぶん)どりあまたしたりけり。只(ただ)「ゐ(い)【射】とれ
や」とて、中(なか)にとりこめ、雨(あめ)のふる様(やう)にゐ(い)【射】けれども、鎧(よろひ)
P09339
よければうらかかず、あき間(ま)をゐ(い)【射】ねば手(て)もおはず。
木曾殿(きそどの)は只(ただ)一騎(いつき)、粟津(あはづ)の松原(まつばら)へかけ給(たま)ふが、正
月(しやうぐわつ)廿一日(にじふいちにち)入(いり)あひばかりの事(こと)なるに、うす氷(ごほり)はは(ッ)たり
けり、ふか田(た)【深田】ありともしら【知ら】ずして、馬(むま)をざ(ッ)とうち入(いれ)
たれば、馬(むま)のかしらも見(み)えざりけり。あおれ(あふれ)【煽れ】どもあおれ(あふれ)【煽れ】ども、
うてどもうてどもはたらか【働か】ず。今井(いまゐ)が行(ゆく)え(ゆくへ)【行方】のおぼつか
なさに、ふりあふぎ給(たま)へるうち甲(かぶと)を、三浦(みうら)[B ノ]の石田(いしだの)次郎(じらう)
為久(ためひさ)、お(ッ)【追つ】かか(ッ)てよ(ッ)ぴゐ(よつぴい)てひやうふつとゐる(いる)【射る】。いた手(で)【痛手】な
P09340
れば、ま(ッ)かうを馬(むま)のかしらにあててうつぶし給(たま)へる
処(ところ)に、石田(いしだ)が郎等(らうどう)二人(ににん)落(おち)あふ(あう)て、つゐに(つひに)【遂に】木曾殿(きそどの)の
頸(くび)をばと(ッ)て(ン)げり。太刀(たち)のさきにつらぬき、たかく
さしあげ【差し上げ】、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「この日来(ひごろ)日本国(につぽんごく)に
聞(きこ)えさせ給(たまひ)つる木曾殿(きそどの)を、三浦[B ノ](みうらの)石田[B ノ](いしだの)次郎(じらう)為久(ためひさ)が
うち奉(たてまつり)たるぞや」となのり【名乗り】ければ、今井(いまゐの)四郎(しらう)いくさ【軍】し
けるが、是(これ)をきき、「いまはたれをかばはんとてかいくさ【軍】をば
すべき。是(これ)を見(み)給(たま)へ、東国(とうごく)の殿原(とのばら)、日本(につぽん)一(いち)の甲(かう)【*剛】の者(もの)の
P09341
自害(じがい)する手本(てほん)」とて、太刀(たち)のさきを口(くち)に含(ふく)み、馬(むま)
よりさかさまにとび落(おち)、つらぬ【貫ぬ】か(ッ)てぞうせにける。さて
こそ粟津(あはづ)のいくさ【軍】はなかりけれ。P2182樋口(ひぐちの)被討罰(きられ)S0905今井(いまゐ)が兄(あに)、樋口(ひぐちの)
次郎(じらう)兼光(かねみつ)は、十郎(じふらう)蔵人(くらんど)うたんとて、河内国(かはちのくに)長野(ながの)の
城(じやう)へこえたりけるが、そこにてはうちもらし【洩らし】ぬ。紀伊
国(きのくに)名草(なぐさ)にありと聞(きこ)えしかば、やがてつづゐ(つづい)【続い】てこえたり
けるが、都(みやこ)にいくさ【軍】ありときい【聞い】て馳(はせ)のぼる。淀(よど)の大渡(おほわたり)
の橋(はし)で、今井(いまゐ)が下人(げにん)ゆきあふ(あう)たり。「あな心(こころ)う【憂】、是(これ)は
P09342
いづちへとてわたらせ給(たま)ひ候(さうらふ)ぞ。君(きみ)うた【討た】れさせ給(たま)ひぬ。
今井殿(いまゐどの)は自害(じがい)」と申(まうし)ければ、樋口[B ノ](ひぐちの)次郎(じらう)涙(なみだ)をはらはらと
ながいて、「是(これ)を聞(きき)給(たま)へ殿原(とのばら)、君(きみ)に御心(おんこころ)ざしおもひ【思ひ】ま
いらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)はん人々(ひとびと)は、これよりいづちへもおち【落ち】行(ゆき)、出家(しゆつけ)入道(にふだう)(にうだう)
して乞食(こつじき)頭陀(づだ)の行(ぎやう)をもたて【立て】、後世(ごせ)をとぶらひま
いらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)へ。兼光(かねみつ)は宮(みや)こ【都】へのぼり打死(うちじに)して、冥途(めいど)にても
君(きみ)の見参(げんざん)に入(いり)、今井(いまゐの)四郎(しらう)をいま一度(いちど)みんと思(おも)ふぞ」と
いひければ、五百余騎(ごひやくよき)のせい、あそこにひかへここにひ
P09343
かへ落行(おちゆく)ほど【程】に、鳥羽(とば)の南(みなみ)の門(もん)をいでけるには、其(その)
勢(せい)わづかに廿(にじふ)余騎(よき)にぞなりにける。樋口(ひぐちの)次郎(じらう)けふす
でに宮(みや)こ【都】へ入(いる)と聞(きこ)えしかば、党(たう)も豪家(かうけ)も七条(しつでう)・朱
雀(しゆしやか)・四塚(よつづか)さまへ馳向(はせむかふ)。樋口(ひぐち)が手に茅野[B ノ](ちのの)太郎(たらう)と云(いふ)もの
あり。四塚(よつづか)にいくらも馳(はせ)むかふ(むかう)【向う】たる敵(かたき)の中(なか)へかけ入(いり)、
大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「此(この)御中(おんうち)に、甲斐(かひ)(かい)の一条(いちでうの)次郎殿(じらうどの)の
御手(おんて)の人(ひと)や在(まし)ます」ととひければ、「あながち一条[B ノ](いちでうの)二郎【*次郎】殿(じらうどの)
の手(て)でいくさ【軍】P2183をばするか。誰(たれ)にもあへかし」とて、ど(ッ)とわらふ【笑ふ】。
P09344
わらは【笑は】れてなのり【名乗り】けるは、「かう申(まうす)は信濃国(しなののくに)諏方【*諏訪】(すはの)
上宮(かみのみや)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、茅野[B ノ](ちのの)大夫(たいふ)(たゆふ)光家(みついへ)が子(こ)に、茅野(ちのの)太郎(たらう)光広(みつひろ)、
必(かならず)一条[B ノ](いちでうの)次郎殿(じらうどの)の御手(おんて)をたづぬるにはあらず。おとと【弟】の
茅野[B ノ](ちのの)七郎(しちらう)それにあり。光広(みつひろ)が子共(こども)二人(ににん)、信濃国(しなののくに)に候(さうらふ)が、
「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)わが父(ちち)はようてや死(し)にたるらん、あしうてや死(し)に
たるらん」となげかん処(ところ)に、おととの七郎(しちらう)がまへで打死(うちじに)して、
子共(こども)にたしかにきかせんと思(おもふ)ため也(なり)。敵(かたき)をばきらふ
まじ」とて、あれに馳(はせ)あひ是(これ)にはせあひ、敵(かたき)三騎(さんぎ)(さんき)ゐ(い)【射】おとし【落し】、
P09345
四人(しにん)にあたる敵(かたき)にをし(おし)【押し】ならべ、ひ(ッ)【引つ】く(ン)【組ん】でどうどおち【落ち】、さし
ちがへてぞ死(しに)にける。樋口(ひぐちの)次郎(じらう)は児玉(こだま)にむすぼほれたり
ければ、児玉(こだま)の人共(ひとども)寄合(よりあひ)て、「弓矢(ゆみや)とるならひ、我(われ)も人(ひと)も
ひろい【広い】中(なか)へ入(い)らんとするは、自然(しぜん)の事(こと)のあらん時(とき)、ひと
まどのいきをもやすめ、しばしの命(いのち)をもつが【継が】んとお
もふ【思ふ】ため也(なり)。されば樋口(ひぐちの)次郎(じらう)が我等(われら)にむすぼほれけんも、
さこそはおもひ【思ひ】けめ。今度(こんど)の我等(われら)が勲功(くんこう)には、樋口(ひぐち)が
命(いのち)を申(まうし)うけん」とて、使者(ししや)をたてて、「日来(ひごろ)は木曾
P09346
殿(きそどの)の御内(みうち)に今井(いまゐ)・樋口(ひぐち)とて聞(きこ)え給(たま)ひしかども、
今(いま)は木曾殿(きそどの)うた【討た】れさせ給(たま)ひぬ。なにかくるしかる【苦しかる】
べき。我等(われら)が中(なか)へ降人(かうにん)になり給(たま)へ。勲功(くんこう)の賞(しやう)に申(まうし)
かへて、命(いのち)ばかりたすけ【助け】奉(たてまつ)らん。出家(しゆつけ)入道(にふだう)(にうだう)をもして、
後世(ごせ)をとぶらひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)へ」といひければ、樋口(ひぐちの)次郎(じらう)、
きこゆP2184るつはものなれども、運(うん)やつきにけん、児玉党(こだまたう)
のなかへ降人(かうにん)にこそなりにけれ。是(これ)を九郎(くらう)御曹司(おんざうし)
に申(まうす)。院(ゐんの)御所(ごしよ)へ奏聞(そうもん)してなだめ【宥め】られたりしを、
P09347
かたはらの公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)、つぼね【局】の女房達(にようばうたち)、「木曾(きそ)が
法住寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)へよせて時(とき)をつくり、君(きみ)をもなやまし
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】、火(ひ)をかけておほく【多く】の人々(ひとびと)をほろぼしう
しなひ【失ひ】しには、あそこにもここにも、今井(いまゐ)・樋口(ひぐち)といふ
こゑ【声】のみこそありしか。是(これ)らをなだめ【宥め】られんはくち
おしかる(をしかる)【惜しかる】べし」と、面々(めんめん)に申(まう)されければ、又(また)死罪(しざい)にさだめ
らる。同(おなじき)廿二日(にじふににち)、新摂政殿(しんせつしやうどの)とどめ【留め】られ給(たま)ひて、本(もと)の摂政(せつしやう)
還着(げんぢやく)し給(たま)ふ。纔(わづか)に六十日(ろくじふにち)のうちに替(かへ)られ給(たま)へば、
P09348
いまだ見(み)はてぬ夢(ゆめ)のごとし。昔(むかし)粟田(あはた)の関白(くわんばく)は、
悦申(よろこびまうし)の後(のち)只(ただ)七ケ日(しちかにち)だにこそおはせしか、これは六十
日(ろくじふにち)とはいへども、その内(うち)に節会(せちゑ)も除目(ぢもく)もおこなはれ
しかば、思出(おもひで)なきにもあらず。同(おなじき)廿四日(にじふしにち)、木曾(きその)左馬頭(さまのかみ)并(ならびに)
余党(よたう)五人(ごにん)が頸(くび)、大路(おほち)をわたさる。樋口(ひぐちの)次郎(じらう)は降人(かうにん)
なりしが、頻(しきり)に頸(くび)のとも【伴】せんと申(まうし)ければ、藍摺(あいずり)の水
干(すいかん)、立烏帽子(たてえぼし)(たてゑぼし)でわたされけり。同(おなじき)廿五日(にじふごにち)、樋口(ひぐちの)次郎(じらう)遂(つひ)(つゐ)に
切(きら)[B れ]ぬ。範頼(のりより)・義経(よしつね)やうやうに申(まう)されけれども、「今井(いまゐ)・
P09349
樋口(ひぐち)・楯(たて)・祢[B ノ]井(ねのゐ)とて、木曾(きそ)が四天王(してんわう)のそのひとつ也(なり)。是(これ)ら
をなだめ【宥め】られんは、養虎(やうこ)の愁(うれへ)あるべし」とて、殊(こと)に沙汰(さた)
あ(ッ)て誅(ちゆうせ)(ちうせ)られけるとぞきこえ【聞え】し。つて【伝】にきく【聞く】、虎狼(こらう)
の国(くに)衰(をとろ)(おとろ)へて、諸侯(しよこう)蜂(はち)のごとく起(おこり)(をこり)し時(とき)、沛公(はいこう)先(さき)に咸
陽宮(かんやうきゆう)(かんやうきう)に入(いる)とP2185いへども、項羽(こうう)が後(のち)に来(きた)らん事(こと)を恐(おそれ)て、
妻(つま)は美人(びじん)をもおかさ(をかさ)ず、金銀(きんぎん)珠玉(しゆぎよく)をも掠(かす)めず、徒(いたづら)に
凾谷(かんこく)の関(せき)を守(まも)(ッ)て、漸々(やうやう)にかたきをほろぼして、天下(てんが)(てんか)を
治(ぢ)する事(こと)を得(え)たりき。されば木曾[B ノ](きその)左馬頭(さまのかみ)、まづ
P09350
都(みやこ)へ入(い)ると云(いふ)とも、頼朝(よりとも)朝臣(あそん)(あつそん)の命(めい)にしたがはましかば、彼(か)の
沛公(はいこう)がはかり事(こと)にはおとらざらまし。平家(へいけ)はこぞの
冬(ふゆ)の比(ころ)より、讃岐国(さぬきのくに)八島(やしま)の磯(いそ)をいでて、摂津国(せつつのくに)難
波潟(なにはがた)へをし(おし)【押し】わたり、福原(ふくはら)の旧都(きうと)に居住(きよぢゆう)(きよぢう)して、西(にし)は
一[B ノ]谷(いちのたに)を城郭(じやうくわく)に構(かま)へ、東(ひがし)(ひんがし)は生田[B ノ](いくたの)森(もり)を大手(おほて)の木戸口(きどぐち)と
ぞさだめける。其(その)内(うち)福原(ふくはら)・兵庫(ひやうご)・板屋(いたや)ど【板宿】・須磨(すま)にこもる
勢(せい)、これは山陽道(せんやうだう)八ケ国(はつかこく)(はちかこく)、南海道(なんかいだう)六ケ国(ろくかこく)、都合(つがふ)(つがう)十四(じふし)ケ国(かこく)
をうちしたがへてめさるるところ【所】の軍兵(ぐんびやう)也(なり)。十万余
P09351
騎(じふまんよき)とぞ聞(きこ)えし。一谷(いちのたに)は北(きた)は山(やま)、南(みなみ)は海(うみ)、口(くち)はせばくて奥(おく)ひ
ろし。岸(きし)たかくして屏風(びやうぶ)をたてたるにことならず。
北(きた)の山(やま)ぎはより南(みなみ)の海(うみ)のとをあさ(とほあさ)【遠浅】まで、大石(たいせき)をかさね
あげ、おほ木(ぎ)をき(ッ)てさかも木(ぎ)【逆茂木】にひき、ふかきところ【所】
には大船(たいせん)どもをそばだてて、かいだて【垣楯】にかき、城(じやう)の面(おもて)の
高矢倉(たかやぐら)には、一人当千(いちにんたうぜん)ときこゆる【聞ゆる】四国(しこく)鎮西(ちんぜい)の兵共(つはものども)、甲
冑(かつちう)弓箭(きゆうせん)(きうせん)を帯(たい)して、雲霞(うんか)の如(ごと)くになみ居(ゐ)たり。
矢倉(やぐら)のしたには、鞍置馬(くらおきむま)(くらをきむま)共(ども)十重(とへ)廿重(はたへ)にひ(ッ)【引つ】たてたり。
P09352
つねに大皷(たいこ)をう(ッ)て乱声(らんじやう)をす。一張(いつちやう)の弓(ゆみ)のいきおひ(いきほひ)
は半月(はんげつ)胸(むね)のまへにかかり、三尺(さんじやく)の剣(けん)の光(ひかり)は秋(あき)の霜(しも)
腰(こし)の間(あひだ)(あいだ)に横(よこ)だへたり。たかきところ【所】には赤旗(あかはた)おほく【多く】
うちたてたれば、春風(はるかぜ)にふかれP2186て天(てん)に翻(ひるがへ)るは、火
炎(くわえん)のもえあがる【上がる】にことならず。六ケ度軍(ろくかどのいくさ)S0906平家(へいけ)福原(ふくはら)へわたり給(たまひ)
て後(のち)は、四国(しこく)の兵(つはもの)したがい(したがひ)【従ひ】奉(たてまつ)らず。中(なか)にも阿波(あは)讃岐(さぬき)
の在庁(ざいちやう)ども、平家(へいけ)をそむいて源氏(げんじ)につかんとし
けるが、「抑(そもそも)我等(われら)は、昨日(きのふ)今日(けふ)まで平家(へいけ)にしたがうたる
P09353
ものの、今(いま)はじめて源氏(げんじ)の方(かた)へまいり(まゐり)【参り】たりとも、よも
もちゐられじ。いざや平家(へいけ)に矢(や)ひとつゐ(い)【射】かけて、
それを面(おもて)にしてまいら(まゐら)【参ら】ん」とて、門脇(かどわきの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)、子息(しそく)越
前(ゑちぜんの)三位(さんみ)(さんゐ)、能登守(のとのかみ)、父子(ふし)三人(さんにん)、備前国(びぜんのくに)下津井(しもつゐ)(シモつゐ)に在(まし)ます
と聞(きこ)えしかば、討(うち)たてまつら【奉ら】んとて、兵船(ひやうせん)十余艘(じふよさう)で
よせたりけり。能登守(のとのかみ)是(これ)をきき「にくゐ(にくい)やつ原(ばら)かな。
昨日(きのふ)今日(けふ)まで我等(われら)が馬(むま)の草(くさ)き(ッ)たる奴原(やつばら)が、すでに
契(ちぎり)を変(へん)ずるにこそあんなれ。其(その)義(ぎ)ならば一人(いちにん)も
P09354
もらさ【漏らさ】ずうてや」とて、小舟(こぶね)どもにとりの(ッ)【乗つ】て、「あます
な、もらす【漏らす】な」とてせめ【攻め】給(たま)へば、四国(しこく)の兵物共(つはものども)、人目(ひとめ)ばかりに
矢(や)一(ひとつ)射(い)(ゐ)て、のか【退か】んとこそ思(おも)ひけるに、手(て)いたうせめ【攻め】られ
たてま(ッ)【奉つ】て、かなは【叶は】じとやおもひ【思ひ】けん、とをまけ(とほまけ)【遠負】にして
引退(ひきしりぞ)き、宮(みや)こ【都】の方(かた)へにげのぼるが、淡路国(あはぢのくに)ふく良(ら)【福良】
の泊(とまり)につきにけり。其(その)国(くに)に源氏(げんじ)二人(ににん)あり。故(こ)六条(ろくでうの)判
官(はんぐわん)為義(ためよし)が末子(すゑのこ)、P2187賀茂(かもの)冠者(くわんじや)義嗣(よしつぎ)・淡路(あはぢの)冠者(くわんじや)義久(よしひさ)
と聞(きこ)えしを、四国(しこく)の兵共(つはものども)、大将(たいしやう)にたのん【頼ん】で、城郭(じやうくわく)を構(かまへ)て
P09355
待(まつ)ところ【所】に、能登殿(のとどの)やがてをし(おし)【押し】よせ【寄せ】責(せめ)給(たま)へば、一日(いちにち)
たたかひ【戦ひ】、賀茂(かもの)冠者(くわんじや)打死(うちじに)す。淡路(あはぢの)冠者(くわんじや)はいた手(で)【痛手】負(おう)(をふ)て
自害(じがい)して(ン)げり。能登殿(のとどの)防矢(ふせきや)ゐ(い)【射】ける兵(つは)ものども、
百卅余人(ひやくさんじふよにん)が頸(くび)切(き)(ッ)て、討手(うちて)の交名(けうみやう)しるい【記い】て、福原(ふくはら)へ
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】らる。門脇(かどわきの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)、其(それ)より福原(ふくはら)へのぼり給(たま)ふ。
子息達(しそくたち)は、伊与【*伊予】[B ノ](いよの)河野(かはのの)四郎(しらう)がめせ【召せ】どもまいら(まゐら)【参ら】ぬをせ
め【攻め】んとて、四国(しこく)へぞ渡(わた)られける。先(まづ)兄(あに)の越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)通
盛卿(みちもりのきやう)、[B 阿]波国(あはのくに)花園(はなぞの)の城(じやう)につき給(たまふ)。能登守(のとのかみ)讃岐(さぬき)の八島(やしま)へ
P09356
渡(わた)り給(たま)ふと聞(きこ)えしかば、河野(かはのの)四郎(しらう)道信【*通信】(たうしん)、安芸国(あきのくにの)
住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)沼田(ぬたの)次郎(じらう)は母方(ははかた)の伯父(をぢ)(おぢ)なりければ、ひとつに
ならんとて、安芸国(あきのくに)へをし(おし)【押し】わたる。能登守(のとのかみ)是(これ)を
きき、やがて讃岐(さぬきの)八島(やしま)をいでておはれけるが、すでに
備後国(びんごのくに)蓑島(みのしま)にかか(ッ)て、次(つぎの)日(ひ)、沼田[B ノ]城(ぬたのじやう)へよせ給(たま)ふ。沼田(ぬたの)
次郎(じらう)・河野(かはのの)四郎(しらう)ひとつにな(ッ)てふせき【防き】たたかふ【戦ふ】。能登
殿(のとどの)やがて押寄(おしよせ)(をしよせ)責(せめ)給(たま)へば、一日(いちにち)一夜(いちや)ふせき【防き】たたかひ【戦ひ】、
沼田(ぬたの)次郎(じらう)かなは【叶は】じとや思(おも)ひけん、甲(かぶと)をぬいで降人(かうにん)に
P09357
まいる(まゐる)【参る】。河野(かはのの)四郎(しらう)は猶(なほ)したがひ【従ひ】奉(たてまつ)らず。其(その)勢(せい)五
百余騎(ごひやくよき)あり【有り】けるが、わづかに五十騎(ごじつき)ばかりにうち
なされ、城(じやう)をいでて行(ゆく)ほど【程】に、能登殿(のとどの)の侍(さぶらひ)平八兵
衛(へいはちびやうゑ)為員(ためかず)、二百騎(にひやくき)ばかりが中(なか)にとりこめられて、主従(しゆじゆう)(しゆうじう)
七騎(しちき)にうちなされ、たすけ船(ぶね)【助け船】にのらんとほそ道(みち)に
かか(ッ)て、みぎはの方(かた)へおち【落ち】ゆく程(ほど)に、平八兵[B 衛](へいはちびやうゑ)が子息(しそく)讃
岐(さぬきの)七郎(しちらう)義範(よしのり)、究竟(くつきやう)(く(ツ)きやう)の弓(ゆみ)P2188の上手(じやうず)ではあり、お(ッ)【追つ】かか(ッ)て、
七騎(しちき)をやにわ(やには)【矢庭】に五騎(ごき)ゐ(い)【射】おとす【落す】。河野(かはのの)四郎(しらう)、ただ主従(しゆじゆう)(しゆうじう)
P09358
二騎(にき)になりにけり。河野(かはの)が身(み)にかへて思(おも)ひける郎
等(らうどう)を、讃岐(さぬきの)七郎(しちらう)をし(おし)【押し】ならべてく(ン)【組ん】でおち【落ち】、と(ッ)ておさへて
頸(くび)をかかんとする処(ところ)に、河野(かはのの)四郎(しらう)と(ッ)てかへし、郎等(らうどう)が
うへなる讃岐(さぬきの)七郎(しちらう)が頸(くび)かき切(きつ)て、ふか田(た)【深田】へなげいれ【入れ】、大音
声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「河野(かはのの)四郎(しらう)越智[B ノ](をちの)道信【*通信】(みちのぶ)、生年(しやうねん)廿一(にじふいち)、かうこそ
いくさ【戦】をばすれ。われとおもはん人々(ひとびと)はとどめよ【留めよ】や」とて、
郎等(らうどう)をかたにひ(ッ)【引つ】かけ、そこをつ(ッ)とのがれ【逃れ】て小舟(こぶね)に
のり、伊与【*伊予】国(いよのくに)へぞわたりける。能登殿(のとどの)、河野(かはの)をも
P09359
うちもらさ【漏らさ】れたれども、沼田(ぬたの)次郎(じらう)が降人(かうにん)たるをめし【召し】
ぐし【具し】て、福原(ふくはら)へぞまいら(まゐら)【参ら】れける。又(また)淡路国(あはぢのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)安摩(あまの)
六郎(ろくらう)忠景(ただかげ)、平家(へいけ)をそむいて源氏(げんじ)に心(こころ)をかよはし【通はし】ける
が、大船(おほぶね)二艘(にさう)に兵粮米(ひやうらうまい)・物具(もののぐ)つう【積う】で、宮(みや)こ【都】の方(かた)へのぼる
程(ほど)に、能登殿(のとどの)福原(ふくはら)にて是(これ)をきき、小舟(こぶね)十艘(じつさう)ばかり
おしうかべ【浮べ】ておは【追は】れけり。安摩(あま)の六郎(ろくらう)、西宮(にしのみや)の奥(おき)にて、
かへしあはせふせき【防き】たたかふ【戦ふ】。手(て)いたうせめ【攻め】られたて
ま(ッ)【奉つ】て、かなは【叶は】じとや思(おも)ひけん、引退(ひきしりぞき)て和泉国(いづみのくに)吹井[B ノ](ふけゐの)
P09360
浦(うら)につきにけり。紀伊国(きのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)園辺(そのべの)(ソノヘノ)兵衛(ひやうゑ)忠康(ただやす)、是(これ)
も平家(へいけ)をそむいて源氏(げんじ)につかんとしけるが、あまの
六郎(ろくらう)が能登殿(のとどの)に責(せめ)られたてま(ッ)【奉つ】て、吹井(ふけゐ)にありと
聞(きこ)えしかば、其(その)勢(せい)百騎(ひやくき)ばかりで馳来(はせき)てひとつになる。
能登殿(のとどの)やがてつづゐ(つづい)【続い】て責(せめ)給(たま)へば、一日(いちにち)一夜(いちや)ふせP2189きたた
かい(たたかひ)【戦ひ】、あまの六郎(ろくらう)・そのべの兵衛(ひやうゑ)、かなは【叶は】じとや思(おも)ひけん、家
子(いへのこ)郎等(らうどう)に防矢(ふせきや)ゐ(い)【射】させ、身(み)がらはにげて京(きやう)へのぼる。
能登殿(のとどの)、防矢(ふせきや)ゐ(い)【射】ける兵物共(つはものども)二百(にひやく)余人(よにん)が頸(くび)きりかけて、
P09361
福原(ふくはら)へこそまいら(まゐら)【参ら】れけれ。又(また)伊与【*伊予】国(いよのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)河野(かはのの)四
郎(しらう)道信【*通信】(みちのぶ)、豊後国(ぶんごのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)臼杵(うすきの)二郎(じらう)維高(これたか)・緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)維
義(これよし)同心(どうしん)して、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)二千(にせん)余人(よにん)、備前国(びぜんのくに)へをし(おし)【押し】
渡(わた)り、いまぎ【今木】の城(じやう)にぞ籠(こもり)ける。能登守(のとのかみ)是(これ)をきき、
福原(ふくはら)より三千余騎(さんぜんよき)で馳(はせ)くだり、いまぎ【今木】の城(じやう)をせめ【攻め】
給(たま)ふ。能登殿(のとどの)「奴原(きやつばら)はこはい御敵(おんかたき)で候(さうらふ)。かさねて勢(せい)を
給(たま)はらん」と申(まう)されければ、福原(ふくはら)より数万騎(すまんぎ)の大勢(おほぜい)
をむけらるるよしきこえ【聞え】し程(ほど)に、城(じやう)のうちの兵物共(つはものども)、
P09362
手(て)のきはたたかひ、分捕(ぶんどり)高名(かうみやう)しきはめて、「平家(へいけ)は
大勢(おほぜい)でまします也(なり)。我等(われら)は無勢(ぶせい)也(なり)。いかにもかなふ【叶ふ】
まじ。ここをばおち【落ち】てしばらくいき【息】をつが【継】ん」とて、臼杵(うすきの)
次郎(じらう)・緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)舟(ふね)にとりのり、鎮西(ちんぜい)へおしわたる。河
野(かはの)は伊与【*伊予】(いよ)へぞ渡(わた)りける。能登殿(のとどの)「いまはう[B つ]べき敵(かたき)な
し」とて、福原(ふくはら)へこそまいら(まゐら)【参ら】れけれ。大臣殿(おほいとの)をはじめ
たてま(ッ)【奉つ】て、平家(へいけ)一門(いちもん)の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)より【寄り】あひ給(たま)ひて、
能登殿(のとどの)の毎度(まいど)の高名(かうみやう)をぞ一同(いちどう)に感(かん)じあはれける。P2190
P09363
三草勢揃(みくさせいぞろへ)S0907正月(しやうぐわつ)廿九日(にじふくにち)、範頼(のりより)・義経(よしつね)院参(ゐんざん)して、平家(へいけ)追討(ついたう)
のために西国(さいこく)へ発向(はつかう)すべきよし奏聞(そうもん)しけるに、
「本朝(ほんてう)には神代(かみよ)よりつたはれる三(みつ)の御宝(おんたから)あり。内侍所(ないしどころ)・
神璽(しんし)・宝剣(ほうけん)これ也(なり)。相構(あひかまへ)(あいかまへ)て事(こと)ゆへ(ゆゑ)【故】なくかへし【返し】い
れ【入れ】たてまつれ【奉れ】」と仰下(おほせくだ)さる。両人(りやうにん)かしこまりうけ給(たま)
は(ッ)【承つ】てまかり出(いで)ぬ。同(おなじき)二月(にぐわつ)四日(よつかのひ)、福原(ふくはら)には、故(こ)入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の
忌日(きにち)とて、仏事(ぶつじ)形(かた)の如(ごと)くおこなはる。あさゆふのいく
さ【軍】だちに、過(すぎ)ゆく月日(つきひ)はしら【知ら】ねども、こぞ【去年】はことしに
P09364
めぐりきて、うかり【憂かり】し春(はる)にも成(なり)にけり。世(よ)の世(よ)にて
あらましかば、いかなる起立(きりふ)(きりう)塔婆(たふば)(たうば)のくはたて【企て】、供仏(くぶつ)施僧(せそう)の
いとなみもあるべかりしか共(ども)、ただ男女(なんによ)の君達(きんだち)さしつどひて、
なく【泣く】より外(ほか)の事(こと)ぞなき。其(その)次(つい)でに叙位(じよゐ)除目(ぢもく)おこな
はれて、僧(そう)も俗(ぞく)もみなつかさ【司】なされけり。門脇(かどわきの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)、正(じやう)二位(にゐ)大
納言(だいなごん)に成(なり)給(たま)ふべきよし、大臣殿(おほいとの)より仰(おほせ)られければ、教盛卿(のりもりのきやう)、
けふまでもあればあるかのわが身(み)かは
夢(ゆめ)のうちにも夢(ゆめ)をみる【見る】かな W067
P09365
と御返事(おんぺんじ)申(まう)させ給(たま)ひて、遂(つひ)に大納言(だいなごん)にもなり給(たま)
はず。大外記(だいげき)中原(なかはらの)師直(もろなほ)(もろなを)が子(こ)、周防介(すはうのすけ)師純(もろずみ)、大外記(だいげき)になる。
兵部少輔(ひやうぶのせう)正明(まさあきら)、五位(ごゐの)蔵人(くらんど)になされて蔵人(くらんどの)少輔(せう)とぞP2191
いはれける。昔(むかし)将門(まさかど)が東(とう)八ケ国(はつかこく)をうちしたがへて、下
総国(しもつふさのくに)相馬郡(さうまのこほり)に都(みやこ)をたて、我(わが)身(み)を平親王(へいしんわう)と称(せう)して、
百官(ひやくくわん)をなしたりしには、暦博士(れきはかせ)ぞなかりける。是(これ)はそれ
にはにる【似る】べからず。旧都(きうと)をこそ落(おち)給(たま)ふといへども、主上(しゆしやう)
三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)を帯(たい)して、万乗(ばんじよう)(ばんぜう)の位(くらゐ)にそなはり給(たま)へり。
P09366
叙位(じよゐ)除目(ぢもく)おこなはれんも僻事(ひがこと)にはあらず。平氏(へいじ)す
でに福原(ふくはら)までせめ【攻め】のぼ(ッ)て、都(みやこ)へかへり入(いる)べきよしき
こえ【聞え】しかば、故郷(こきやう)にのこりとどまる人々(ひとびと)いさみよろ
こぶ事(こと)なのめならず。二位(にゐの)僧都(そうづ)専親【*全真】(せんしん)は、梶井宮(かぢゐのみや)の
年来(としごろ)の御同宿(ごどうじゆく)なりければ、風(かぜ)のたよりには申(まう)
されけり。宮(みや)よりも又(また)つねは御(おん)音(をと)づれ(おとづれ)あり【有り】けり。「旅(たび)
の空(そら)のありさまおぼしめし【思し召し】やるこそ心(こころ)ぐるし
けれ。都(みやこ)もいまだしづまらず」な(ン)ど(など)あそばひ(あそばい)【遊ばい】て、お
P09367
くには一首(いつしゆ)の歌(うた)ぞあり【有り】ける。
人(ひと)しれずそなたをしのぶ【忍ぶ】こころをば
かたぶく月(つき)にたぐへてぞやる W068
僧都(そうづ)これをかほにをし(おし)【押し】あてて、かなしみの[* 「の」は右寄りに記]泪(なみだ)せきあ
え(あへ)ず。さるほど【程】に、小松(こまつ)の三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛卿(これもりのきやう)は年(とし)へだた
り日(ひ)かさなるに随(したが)ひて、ふるさとにとどめ【留め】をき(おき)給(たまひ)し
北方(きたのかた)、おさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)の事(こと)をのみなげきかなしみ給(たま)ひ
けり。商人(あきうど)のたよりに、をのづから(おのづから)文(ふみ)な(ン)ど(など)のかよふにも、
P09368
北方(きたのかた)の宮(みや)こ【都】の御(おん)ありさま、心(こころ)ぐるしうきき給(たま)ふに、
さらばむかへ【向へ】と(ッ)て一(ひと)ところ【一所】でいかにもならばやとは思(おも)へ
ども、わが身(み)こそあらめ、人(ひと)のためいたはしくてな(ン)ど(など)お
ぼしめP2192し、しのび【忍び】てあかしくらし給(たま)ふにこそ、せめて
の心(こころ)ざしのふかさ【深さ】の程(ほど)もあらはれけれ。さる程(ほど)に、
源氏(げんじ)は四日(よつかのひ)よすべかりしが、故(こ)入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の忌日(きにち)とき
い【聞い】て、仏事(ぶつじ)をとげさせんがためによせず。五日(いつかのひ)は西(にし)ふさ
がり、六日(むゆか)は道忌日(だうきにち)、七日(なぬかのひ)の卯剋(うのこく)に、一谷(いちのたに)の東西(とうざい)の木
P09369
戸口(きどぐち)にて源平(げんぺい)矢合(やあはせ)とこそさだめけれ。さりながら
も、四日(よつかのひ)は吉日(きちにち)なればとて、大手(おほて)搦手(からめで)の大将軍(たいしやうぐん)、軍兵(ぐんびやう)
二手(ふたて)にわか(ッ)て都(みやこ)をたつ。大手(おほて)の大将軍(たいしやうぐん)は蒲(がまの)御曹司(おんざうし)
範頼(のりより)、相伴(あひともなふ)人々(ひとびと)、武田(たけたの)太郎(たらう)信義(のぶよし)・鏡美(かがみの)次郎(じらう)遠光(とほみつ)(とをみつ)・同(おなじく)
小次郎(こじらう)長清(ながきよ)・山名(やまなの)次郎(じらう)教義(のりよし)・同(おなじく)三郎(さぶらう)義行(よしゆき)、侍大将(さぶらひだいしやう)には
梶原(かぢはら)平三(へいざう)景時(かげとき)・嫡子(ちやくしの)源太(げんだ)景季(かげすゑ)・次男(じなん)平次(へいじ)景高(かげたか)・同(おなじく)三郎(さぶらう)
景家(かげいへ)・稲毛(いなげの)三郎(さぶらう)重成(しげなり)・楾谷(はんがへの)四郎(しらう)重朝(しげとも)、同(おなじく)五郎(ごらう)行重(ゆきしげ)・小
山(をやまの)(おやまの)小四郎(こしらう)朝政(ともまさ)・同(おなじく)中沼(なかぬまの)五郎(ごらう)宗政(むねまさ)・結城(ゆふきの)七郎(しちらう)朝光(ともみつ)・佐
P09370
貫(さぬきの)四郎(しらう)大夫(だいふ)広綱(ひろつな)・小野寺[B ノ](をのでらの)(おのでらの)禅師(ぜんじ)太郎(たらう)道綱(みちつな)・曾我(そがの)太郎(たらう)
資信(すけのぶ)・中村(なかむら)太郎(たらう)時経(ときつね)・江戸(えどの)(ゑどの)四郎(しらう)重春(しげはる)・玉[B ノ]井[B ノ](たまのゐの)四郎(しらう)資景(すけかげ)・
大河津(おほかはづの)太郎(たらう)広行(ひろゆき)・庄(しやうの)三郎(さぶらう)忠家(ただいへ)・同(おなじく)四郎(しらう)高家(たかいへ)・勝大[B ノ](せうだいの)(セウだいの)
八郎(はちらう)行平(ゆきひら)・久下(くげの)二郎(じらう)重光(しげみつ)・河原(かはら)太郎(たらう)高直(たかなほ)(たかなを)・同(おなじく)次郎(じらう)盛
直(もりなほ)(もりなを)・藤田(ふぢたの)三郎(さぶらう)大夫(だいふ)行泰(ゆきやす)を先(さき)として、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)五
万余騎(ごまんよき)、四日(よつかのひ)の辰(たつ)の一点(いつてん)に都(みやこ)をた(ッ)て、其(その)日(ひの)申酉[B ノ](さるとりの)剋(こく)に
摂津国(つのくに)■陽野(こやの)に陣(ぢん)をとる。搦手(からめで)の大将軍(たいしやうぐん)は九
郎(くらう)御曹司(おんざうし)義経(よしつね)、同(おなじ)く伴(ともな)ふ人々(ひとびと)、安田(やすだの)三郎(さぶらう)義貞(よしさだ)・太
P09371
内【*大内】(おほうちの)太郎(たらう)維義(これよし)・村上(むらかみの)判官代(はんぐわんだい)康国(やすくに)・田代(たしろの)冠者(くわんじや)信綱(のぶつな)、侍
大将(さぶらひだいしやう)には土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)実平(さねひら)・子息[B ノ](しそくの)P2193弥太郎(やたらう)遠平(とほひら)(とをひら)・三浦介(みうらのすけ)
義澄(よしずみ)・子息[B ノ](しそくの)平六(へいろく)義村(よしむら)・畠山(はたけやまの)庄司(しやうじ)次郎(じらう)重忠(しげただ)・同(おなじく)長野(ながのの)
三郎(さぶらう)重清(しげきよ)・三浦(みうらの)佐原(さはらの)十郎(じふらう)義連(よしつら)・和田(わだの)小太郎(こたらう)義盛(よしもり)・
同(おなじく)次郎(じらう)義茂(よしもち)・同(おなじく)三郎(さぶらう)宗実[* 「実平」と有るのを高野本により訂正](むねざね)・佐々木(ささき)四郎(しらう)高綱(たかつな)・同(おなじく)五
郎(ごらう)義清(よしきよ)・熊谷(くまがへの)次郎(じらう)直実(なほざね)(なをざね)・子息(しそくの)小次郎(こじらう)直家(なほいへ)(なをいへ)・平山(ひらやまの)武者
所(むしやどころ)季重(すゑしげ)・天野(あまのの)次郎(じらう)直経(なほつね)(なをつね)・小河(をがはの)次郎(じらう)資能(すけよし)・原(はらの)三郎(さぶらう)清
益(きよます)・金子(かねこの)十郎(じふらう)家忠(いへただ)・同(おなじく)与一(よいち)親範(ちかのり)・渡柳(わたりやなぎの)弥五郎(やごらう)清忠(きよただ)・
P09372
別府(べつぷの)小太郎(こたらう)清重(きよしげ)・多々羅(たたらの)五郎(ごらう)義春(よしはる)・其(その)子(こ)の太郎(たらう)
光義(みつよし)・片岡(かたをかの)五郎(ごらう)経春(つねはる)・源八(げんぱち)広綱(ひろつな)・伊勢(いせの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)・
奥州[B ノ](あうしうの)佐藤(さとう)三郎(さぶらう)嗣信(つぎのぶ)・同(おなじく)四郎(しらう)忠信(ただのぶ)・江田[B ノ](えだの)源三(げんざう)・熊井(くまゐ)
太郎(たらう)・武蔵房(むさしばう)弁慶(べんけい)を先(さき)として、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)一万
余騎(いちまんよき)、同(おなじ)日(ひ)の同(おなじ)時(とき)に都(みやこ)をた(ッ)て丹波路(たんばぢ)にかかり、二日
路(ふつかぢ)を一日(ひとひ)にう(ッ)【打つ】て、播磨(はりま)と丹波(たんば)のさかひなる三草(みくさ)の
山(やま)の東(ひがし)(ひんがし)の山口(やまぐち)に、小野原(をのばら)にこそつきにけれ。三草合戦(みくさがつせん)S0908 平家(へいけ)の
方(かた)には大将軍(たいしやうぐん)小松(こまつの)新三位(しんざんみの)(しんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)資盛(すけもり)・同(おなじく)少将(せうしやう)有盛(ありもり)・
P09373
丹後(たんごの)侍従(じじゆう)(じじう)忠房(ただふさ)・備中守(びつちゆうのかみ)(びつちうのかみ)師盛(もろもり)、侍大将(さぶらひだいしやう)には、平内兵衛(へいないびやうゑ)
清家(きよいへ)・海老(えみの)次郎(じらう)盛方(もりかた)を初(はじめ)として、都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)三千
余騎(さんぜんよき)、小野原(をのばら)より三里(さんり)へだてて、三草(みくさ)の山(やま)の西(にし)の
山口(やまぐち)に陣(ぢん)をとる。其(その)夜(よ)の戌(いぬ)の剋(こく)ばかり、九郎(くらう)御曹司(おんざうし)、
土肥(とひの)次郎(じらう)をめし【召し】て、「平家(へいけ)は是(これ)より三里(さんり)へP2194だてて、三草(みくさ)
の山(やま)の西(にし)の山口(やまぐち)に大勢(おほぜい)でひかへたんなるは。今夜(こよひ)夜討(ようち)に
よすべきか、あすのいくさ【軍】か」との給(たま)へば、田代(たしろの)冠者(くわんじや)すす
みいでて申(まうし)けるは、「あすのいくさ【軍】とのべ【延べ】られなば、
P09374
平家(へいけ)勢(せい)つき候(さうらひ)なんず。平家(へいけ)は三千余騎(さんぜんよき)、御方(みかた)
の御(おん)勢(せい)は一万余騎(いちまんよき)、はるかの理(り)に候(さうらふ)。夜(よ)うちよかん
ぬと覚(おぼえ)候(さうらふ)」と申(まうし)ければ、土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)「いしう申(まう)させ
給(たま)ふ田代殿(たしろどの)かな。さらばやがてよせさせ給(たま)へ」とてう(ッ)【打つ】
たち【立ち】けり。つはもの共(ども)「くらさはくらし、いかがせんずる」と
口々(くちぐち)に申(まうし)ければ、九郎(くらう)御曹司(おんざうし)「例(れい)の大(おほ)だい松(まつ)はいかに」。土
肥(とひの)(といの)次郎(じらう)「さる事(こと)候(さうらふ)」とて、小野原(をのばら)の在家(ざいけ)に火(ひ)をぞ
かけたりける。是(これ)をはじめて、野(の)にも山(やま)にも、草(くさ)にも
P09375
木(き)にも、火(ひ)をつけたれば、ひるにはち(ッ)ともおとらずして、
三里(さんり)の山(やま)を越行(こえゆき)けり。此(この)田代(たしろ)冠者(くわんじや)と申(まう)すは、
伊豆国(いづのくに)のさきの国司(こくし)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)為綱(ためつな)の末葉(ばつえふ)(ばつえう)也(なり)。母(はは)は
狩野介(かののすけ)茂光(もちみつ)がむすめをおもふ(おもう)【思う】てまうけたりし
を、母方(ははかた)の祖父(そぶ)にあづけて、弓矢(ゆみや)とりにはしたて【仕立て】た
り。俗姓(ぞくしやう)を尋(たづ)ぬれば、後三条院(ごさんでうのゐんの)第三(だいさんの)王子(わうじ)、資仁
親王(すけひとのしんわう)より五代(ごだい)の孫(そん)也(なり)。俗姓(ぞくしやう)もよきうへ、弓矢(ゆみや)と(ッ)ても
よかりけり。平家(へいけ)の方(かた)には其(その)夜(よ)夜(よ)うちによせ【寄せ】ん
P09376
ずるをばしら【知ら】ずして、「いくさ【軍】はさだめてあすのいく
さ【軍】でぞあらんずらん。いくさ【軍】にもねぶたい【眠たい】は大事(だいじ)
のことぞ。ようね【寝】ていくさ【軍】せよ」とて、先陣(せんぢん)はをのづ
から(おのづから)用心(ようじん)するもあり【有り】けれども、後陣(ごぢん)のものP2195共(ども)、或(あるい)(ある)は
甲(かぶと)を枕(まくら)にし、或(あるい)(ある)は鎧(よろひ)の袖(そで)・ゑびら(えびら)【箙】などを枕(まくら)にして、
先後(ぜんご)もしら【知ら】ずぞふしたりける。夜半(やはん)ばかり、源
氏(げんじ)一万騎(いちまんぎ)おしよせて、時(とき)をど(ッ)とつくる。平家(へいけ)の方(かた)
にはあまりにあはて(あわて)【慌て】さはい(さわい)【騒い】で、弓(ゆみ)とるものは矢(や)を
P09377
しら【知ら】ず、矢(や)とるものは弓(ゆみ)をしら【知ら】ず、馬(むま)にあてられ
じと、なか【中】をあけてぞとほしける。源氏(げんじ)はおち【落ち】行(ゆく)
かたきをあそこにお(ッ)【追つ】かけ、ここにお(ッ)【追つ】つめせめ【攻め】ければ、
平氏(へいじ)の軍兵(ぐんびやう)やにわ(やには)【矢庭】に五百余騎(ごひやくよき)うた【討た】れぬ。手(て)
おふものどもおほかり【多かり】けり。大将軍(たいしやうぐん)小松(こまつ)の新三
位(しんざんみの)(しんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)・同(おなじく)少将(せうしやう)・丹後(たんごの)侍従(じじゆう)(じじう)、面目(めんぼく)なうやおもは【思は】れ
けん、播磨国(はりまのくに)高砂(たかさご)より船(ふね)にの(ッ)【乗つ】て、讃岐[B ノ](さぬきの)八島(やしま)へ渡(わたり)
給(たま)ひぬ。備中守(びつちゆうのかみ)(びつちうのかみ)は平内兵衛(へいないびやうゑ)・海老(えみの)次郎(じらう)をめし【召し】ぐし【具し】て、
P09378
一谷(いちのたに)へぞまいら(まゐら)【参ら】れける。老馬(らうば)S0909大臣殿(おほいとの)は安芸(あきの)右馬助(むまのすけ)能
行(よしゆき)を使者(ししや)で、平家(へいけ)の君達(きんだち)のかたがたへ、「九郎(くらう)義経(よしつね)
こそ三草(みくさ)の手(て)を責(せめ)おとひ(おとい)【落い】て、すでにみだれ入(いり)候(さうらふ)
なれ。山(やま)の手(て)は大事(だいじ)に候(さうらふ)。おのおのむかは【向は】れ候(さうら)へ」との給(たま)ひ
ければ、みな辞(じ)し申(まう)されけり。能登殿(のとどの)のもとへ
「たびたびの事(こと)で候(さうら)へども、御(ご)へんむかは【向は】れ候(さうらひ)なんや」と
の給(たま)ひつかはさ【遣さ】れたりけP2196れば、能登殿(のとどの)の返事(へんじ)には、
「いくさ【軍】をばわが身(み)ひとつの大事(だいじ)ぞとおもふ(おもう)【思う】てこそ
P09379
よう候(さうら)へ。かり【猟】すなどり【漁】な(ン)ど(など)のやうに、足(あし)だちのよか
らう方(かた)へはむかは【向は】ん、あしからう方(かた)へはむかは【向は】じな(ン)ど(など)候(さうら)
はんには、いくさ【軍】に勝(かつ)事(こと)よも候(さうら)はじ。いくたびでも候(さうら)へ、こは
からう方(かた)へは教経(のりつね)うけ給(たま)は(ッ)【承つ】てむかひ【向ひ】候(さうら)はん。一方(いつぱう)ばかりは
うちやぶり候(さうらふ)べし。御心(おんこころ)やすうおぼしめさ【思し召さ】れ候(さうら)へ」と、
たのもしげ【頼もし気】にぞ申(まう)されける。大臣殿(おほいとの)なのめならず
悦(よろこび)て、越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)盛俊(もりとし)を先(さき)として、能登殿(のとどの)に一万
余騎(いちまんよき)をぞつけられける。兄(あに)の越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)(さんゐ)道盛【*通盛】卿(みちもりのきやう)あ
P09380
ひぐして山(やま)の手(て)をぞかため給(たま)ふ。山(やま)の手(て)と申(まうす)は
鵯越(ひよどりごえ)(ひよどりごゑ)のふもと【麓】なり。通盛卿(みちもりのきやう)は能登殿(のとどの)のかり屋(や)【仮屋】に北(きた)の
方(かた)むかへ【向へ】たてま(ッ)【奉つ】て、最後(さいご)のなごりおしま(をしま)【惜しま】れけり。能
登殿(のとどの)大(おほき)にいか(ッ)て、「此(この)手(て)はこはひ(こはい)方(かた)とて教経(のりつね)をむけ
られて候(さうらふ)也(なり)。誠(まこと)にこはう候(さうらふ)べし。只今(ただいま)もうへの山(やま)より
源氏(げんじ)ざ(ッ)とおとし【落し】候(さうらひ)なば、とる物(もの)もとりあへ候(さうら)はじ。たとひ
弓(ゆみ)をも(ッ)たりとも、矢(や)をはげずはかなひ【叶ひ】がたし。
たとひ矢(や)をはげたりとも、ひか【引か】ずはなを(なほ)【猶】あしかるべし。
P09381
ましてさ様(やう)にうちとけさせ給(たまひ)ては、なんの用(よう)にか
たたせ給(たま)ふべき」といさめられて、げにもとや思(おも)はれ
けん、いそぎ物(もの)の具(ぐ)して、人(ひと)をばかへし給(たま)ひけり。
五日(いつかのひ)の暮(くれ)がたに、源氏(げんじ)■陽野(こやの)をた(ッ)て、やうやう生
田[B ノ](いくたの)森(もり)に責(せめ)ちかづく【近付く】。雀(すずめ)の松原(まつばら)・御影(みかげ)の松(まつ)・■陽野(こやの)
の方(かた)をみわたせ【渡せ】ば、源氏(げんじ)手々(てんで)(て(ン)で)に陣(ぢん)をと(ッ)て、とを火(び)(とほび)【遠火】P2197を
たく。ふけゆくままにながむれば、晴(はれ)たる空(そら)の星(ほし)
の如(ごと)し。平家(へいけ)もとを火(び)(とほび)【遠火】たけやとて、生田森(いくたのもり)にも
P09382
かたのごとくぞたいたりける。明行(あけゆく)ままに見(み)わた
せ【渡せ】ば、山(やま)のはいづる【出づる】月(つき)の如(ごと)し。これやむかし沢辺(さはべ)の
蛍(ほたる)と詠(えい)(ゑい)じ給(たま)ひけんも、今(いま)こそ思(おも)ひしられけれ。
源氏(げんじ)はあそこに陣(ぢん)と(ッ)て馬(むま)やすめ、ここに陣(ぢん)と(ッ)て馬(むま)
かひ【飼ひ】などしけるほど【程】にいそがず。平家(へいけ)の方(かた)には今(いま)
やよする【寄する】いまやよする【寄する】と、やすい心(こころ)もなかりけり。
六日(むゆか)の明(あけ)ぼのに、九郎(くらう)御曹司(おんざうし)、一万余騎(いちまんよき)を二手(ふたて)に
わか(ッ)て、まづ土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)実平(さねひら)をば七千余騎(しちせんよき)で一(いち)の谷(たに)
P09383
の西(にし)の手(て)へさしつかはす【遣す】。わが身(み)は三千余騎(さんぜんよき)で一谷(いちのたに)の
うしろ、鵯越(ひよどりごえ)(ひよどりごゑ)ををとさ(おとさ)【落さ】むと、丹波路(たんばぢ)より搦手(からめで)にこそ
まはられけれ。兵物共(つはものども)「これはきこゆる【聞ゆる】悪所(あくしよ)であ(ン)なり。
敵(かたき)にあふ(あう)てこそ死(し)にたけれ、悪所(あくしよ)におち【落ち】ては
死(しに)たからず。あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)この山(やま)の案内者(あんないしや)やあるらん」と、めん
めんに申(まうし)ければ、武蔵国(むさしのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)平山(ひらやまの)武者所(むしやどころ)すすみ出(いで)
て申(まうし)けるは、「季重(すゑしげ)こそ案内(あんない)は知(しり)て候(さうら)へ」。御曹司(おんざうし)「わ
どのは東国(とうごく)そだちのものの、けふはじめてみる【見る】西国(さいこく)
P09384
の山(やま)の案内者(あんないしや)(あ(ン)ないしや)、大(おほき)にまことしからず」との給(たま)へば、平
山(ひらやま)かさねて申(まうし)けるは、「御(ご)ぢやう【諚】ともおぼえ候(さうら)はぬもの
かな。吉野(よしの)・泊瀬(はつせ)の花(はな)をば歌人(かじん)がしり、敵(かたき)のこも(ッ)
たる城(じやう)のうしろの案内(あんない)(あ(ン)ない)をば、かう【剛】のものがしる候(ざうらふ)」と
申(まうし)ければ、是(これ)又(また)傍若無人(ばうじやくぶじん)にぞ聞(きこ)えける。P2198又(また)武蔵
国(むさしのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)別府[B ノ](べつぷの)小太郎(こたらう)とて、生年(しやうねん)十八歳(じふはつさい)になる小冠〔者〕(こくわんじや)
すすみ出(いで)て申(まうし)けるは、「父(ちち)で候(さうらひ)し義重(よししげ)法師(ぼふし)(ぼうし)がおし
へ(をしへ)【教へ】候(さうらひ)しは、「敵(かたき)にもおそはれよ、山越(やまごえ)の狩(かり)をもせよ、深
P09385
山(しんざん)にまよひたらん時(とき)は、老馬(らうば)に手綱(たづな)をうちかけて、
さきにお(ッ)【追つ】たててゆけ。かならず【必ず】道(みち)へいづる【出づる】ぞ」とこ
そおしへ(をしへ)【教へ】候(さうらひ)しか」。御曹司(おんざうし)「やさしうも申(まうし)たる物(もの)かな。
「雪(ゆき)は野原(のばら)をうづめども、老(おい)たる馬(むま)ぞ道(みち)はしる【知る】」と云(いふ)
ためし【例】あり」とて、白葦毛(しらあしげ)なる老馬(らうば)にかがみ鞍(ぐら)を
き(おき)、しろぐつは(しろぐつわ)【白轡】はげ、手綱(たづな)むす(ン)でうちかけ、さきに
お(ッ)【追つ】たてて、いまだしらぬ深山(みやま)へこそいり給(たま)へ。比(ころ)はきさ
らぎはじめの事(こと)なれば、嶺(みね)の雪(ゆき)むらぎえて、
P09386
花(はな)かとみゆる所(ところ)もあり。谷(たに)の鴬(うぐひす)をとづれ(おとづれ)て、
霞(かすみ)にまよふところ【所】もあり。のぼれば白雲(はくうん)皓々(かうかう)
として聳(そび)へ(そびえ)、くだれば青山(せいざん)峨々(がが)として岸(きし)高(たか)し。
松(まつ)の雪(ゆき)だにきえやらで、苔(こけ)のほそ道(みち)かすか【幽】なり。
嵐(あらし)にたぐふおりおり(をりをり)【折々】は、梅花(ばいくわ)とも又(また)うたが〔は〕る。東
西(とうざい)に鞭(むち)をあげ、駒(こま)をはやめて行(ゆく)程(ほど)に、山路(やまぢ)に日(ひ)
くれぬれば、みなおりゐて陣(ぢん)をとる。武蔵房(むさしばう)弁
慶(べんけい)老翁(らうおう)を一人(いちにん)ぐし【具し】てまいり(まゐり)【参り】たり。御曹司(おんざうし)「あれは
P09387
なにものぞ」ととはれければ、「此(この)山(やま)の猟師(れうし)で候(さうらふ)」と申(まう)
す。「さては案内(あんない)し(ッ)【知つ】たるらん、ありのままに申(まう)せ」とこそ
の給(たま)ひけれ。「争(いかで)か存知(ぞんぢ)(ぞんじ)仕(つかまつ)らで候(さうらふ)べき」。「是(これ)より平家(へいけ)
の城郭(じやうくわく)一谷(いちのたに)へおとさ【落さ】んと思(おも)ふはいかに」。「ゆめゆめかなひ【叶ひ】
候(さうらふ)まじ。卅(さんじふ)丈(ぢやう)の谷(たに)、十五(じふご)丈(ぢやう)の岩(いは)さきな(ン)ど(など)申とこP2199ろは、
人(ひと)のかよふべき様(やう)候(さうら)はず。まして御馬(おんむま)な(ン)ど(など)は思(おも)ひも
より候(さうら)はず」。「さてさ様(やう)の所(ところ)は鹿(しか)はかよふ【通ふ】か」。「鹿(しか)はかよひ
候(さうらふ)。世間(せけん)だにもあたたかになり候(さうら)へば、草(くさ)のふかい【深い】にふ
P09388
さ【伏さ】うどて、播磨(はりま)の鹿(しか)は丹波(たんば)へ[B こえ]、世間(せけん)だにさむう
なり候(さうら)へば、雪(ゆき)のあさきにはま【食ま】うどて、丹波(たんば)の鹿(しか)は播
磨(はりま)のゐなみ野(の)(いなみの)【印南野】へかよひ候(さうらふ)」と申(まうす)。御曹司(おんざうし)「さては
馬場(ばば)ごさむなれ(ごさんなれ)。鹿(しか)のかよはう所(ところ)を馬(むま)のかよは
ぬ様(やう)やある。やがてなんぢ案内者(あんないしや)(あ(ン)ないしや)仕(つかま)つれ」とぞの給(たまひ)
ける。此(この)身(み)は年(とし)老(おい)てかなう(かなふ)【叶ふ】まじゐ(まじい)よしを申(まう)す。
「汝(なんぢ)が子(こ)はないか」。「候(さうらふ)」とて、熊王(くまわう)といふ童(わらは)の、生年(しやうねん)十八歳(じふはつさい)に
なるをたてまつる【奉る】。やがてもとどりとりあげ、父(ちち)をば
P09389
鷲尾(わしのをの)(わしのおの)庄司(しやうじ)武久(たけひさ)といふ間(あひだ)(あいだ)、是(これ)をば鷲尾[B ノ](わしのをの)(わしのおの)三郎(さぶらう)義
久(よしひさ)と名(な)のらせ、さきうち【先打】せさせて案内者(あんないしや)(あ(ン)ないしや)にこそ
具(ぐ)せられけれ。平家(へいけ)追討(ついたう)の後(のち)、鎌倉殿(かまくらどの)に中(なか)
たがう【違う】て、奥州(あうしう)でうた【討た】れ給(たま)ひし時(とき)、鷲尾(わしのをの)(わしのおの)三郎(さぶらう)義
久(よしひさ)とて、一所(いつしよ)で死(し)にける兵物(つはもの)也(なり)。一二之懸(いちにのかけ)S0910六日(むゆか)の夜半(やはん)ばかり
までは、熊谷(くまがへ)・平山(ひらやま)搦手(からめで)にぞ候(さうらひ)ける。熊谷(くまがへの)次郎[* 「三郎」と有るのを他本により訂正](じらう)、子息(しそく)
の小次郎(こじらう)をよう【呼う】でいひけるは、「此(この)手(て)は、悪所(あくしよ)をおと
さ【落さ】んずる時(とき)に、誰(たれ)さきといふ事(こと)P2200もあるまじ。
P09390
いざうれ、是(これ)より土肥(とひ)(とい)がうけ給(たまはつ)【承つ】てむかう【向う】たる播磨
路(はりまぢ)へむかう【向う】て、一(いち)の谷(たに)のま(ッ)さきかけう」どいひければ、
小次郎(こじらう)「しかる【然る】べう候(さうらふ)。直家(なほいへ)(なをいへ)もかうこそ申(まうし)たう候(さうらひ)つ
れ。さらばやがてよせさせ[M 「よせさせさせ」とあり下二字「させ」をミセケチ]給(たま)へ」と申(まう)す。熊谷(くまがへ)「ま
ことや平山(ひらやま)も此(この)手(て)にあるぞかし。うちこみ【打込】のいくさ【軍】
このまぬ物(もの)也(なり)。平山(ひらやま)がやう見(み)てまいれ(まゐれ)【参れ】」とて、下人(げにん)を
つかはす【遣す】。案(あん)のごとく平山(ひらやま)は熊谷(くまがへ)よりさきに出立(いでたち)
て、「人(ひと)をばしら【知ら】ず、季重(すゑしげ)にをいて(おいて)はひとひき【一引】もひく
P09391
まじゐ(まじい)物(もの)を、ひくまじゐ(まじい)物(もの)を」とひとり言[* 「事」と有るのを他本により訂正](ごと)をぞ
し居(ゐ)たりける。下人(げにん)が馬(むま)をかう(かふ)【飼ふ】とて、「に(ッ)くい馬(むま)の
ながぐらゐ(ながぐらひ)【長食】かな」とて、うちければ、「かうなせそ、其(その)馬(むま)の
名(な)ごりもこよひ【今宵】ばかりぞ」とて、う(ッ)【打つ】たち【立ち】けり。下人(げにん)
はしり【走り】かへ(ッ)【帰つ】て、いそぎ此(この)よし告(つげ)たりければ、「されば
こそ」とて、やがて是(これ)もうち出(いで)けり。熊谷(くまがへ)はかち【褐】のひ
たたれ【直垂】に、あか皮(がは)おどし(をどし)の鎧(よろひ)きて、紅(くれなゐ)のほろをかけ、
ごんだ栗毛(くりげ)といふきこゆる【聞ゆる】名馬(めいば)にぞの(ッ)【乗つ】たりける。
P09392
小次郎(こじらう)はおもだかを一(ひと)しほ【入】す(ッ)たる直垂(ひたたれ)に、ふし
なはめ【節縄目】の鎧(よろひ)きて、西楼(せいろう)といふ白月毛(しらつきげ)なる馬(むま)にの(ッ)【乗つ】
たりけり。旗(はた)さし【差】はきぢん【麹塵】の直垂(ひたたれ)に、小桜(こざくら)を黄(き)に
かへい【返い】たる鎧(よろひ)きて、黄河原毛(きがはらげ)なる馬(むま)にぞの(ッ)【乗つ】たり
ける。おとさ【落さ】んずる谷(たに)をば弓手(ゆんで)にみなし、馬手(めて)へ
あゆま【歩ま】せゆく程(ほど)に、としごろ人(ひと)もかよはぬ田井(たゐ)の
畑(はた)といふふる道(みち)【古道】をへて、一(いち)の谷(たに)の浪(なみ)うちぎはへぞ
出(いで)たりける。一谷(いちのたに)ちかく塩屋(しほや)といふ所(ところ)に、いまP2201だ夜(よ)
P09393
ふかかり【深かり】ければ、土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)実平(さねひら)、七千余騎(しちせんよき)でひ
かへたり。熊谷(くまがへ)は浪(なみ)うちきはより、夜(よ)にまぎれて、
そこをつ(ッ)とうちとほり、一谷(いちのたに)の西(にし)の木戸口(きどぐち)にぞ
おしよせたる。その時(とき)はいまだ敵(かたき)の方(かた)にもしづまり
かへ(ッ)【返つ】てをと(おと)【音】もせず。御方(みかた)一騎(いつき)もつづかず。熊谷(くまがへの)次郎(じらう)
子息(しそくの)小次郎(こじらう)をよう【呼う】でいひけるは、「我(われ)も我(われ)もと、先(さき)に
心(こころ)をかけたる人々(ひとびと)はおほかる【多かる】らん。心(こころ)せばう直実(なほざね)(なをざね)
ばかりとは思(おも)ふべからず。すでによせたれども、いまだ
P09394
夜(よ)のあくるを相待(あひまち)(あいまち)て、此(この)辺(へん)にもひかへたるらん、
いざなのら【名乗ら】う」どて、かいだてのきはにあゆま【歩ま】せよ
り、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「武蔵国(むさしのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、熊谷(くまがへの)次郎(じらう)
直実(なほざね)(なをざね)、子息[B ノ](しそくの)小次郎(こじらう)直家(なほいへ)(なをいへ)、一谷(いちのたに)先陣(せんぢん)ぞや」とぞ名(な)の(ッ)【乗つ】
たる。平家(へいけ)の方(かた)には「よし、音(おと)なせそ。敵(かたき)に馬(むま)の足(あし)を
つからかさ【疲らかさ】せよ。矢(や)だねをゐ(い)【射】つくさせよ」とて、あひし
らふものもなかりけり。さる程(ほど)に、又(また)うしろに武者(むしや)
こそ一騎(いつき)つづいたれ。「たそ」ととへば「季重(すゑしげ)」とこたふ。
P09395
「とふはたそ」。「直実(なほざね)(なをざね)ぞかし」。「いかに熊谷殿(くまがへどの)はいつより
ぞ」。「直実(なほざね)(なをざね)は宵[* 夜居「(よゐ)」と有るのを他本により訂正](よひ)よりよ」とぞこたへける。「季重(すゑしげ)も
やがてつづゐ(つづい)【続い】てよすべかりつるを、成田(なりだ)五郎(ごらう)にたばから
れて、今(いま)まで遅々(ちち)したる也(なり)。成田(なりだ)が「死(し)なば一所(いつしよ)で死(し)
なう」どちぎるあひだ、「さらば」とて、うちつれよする【寄する】間(あひだ)、
「いたう、平山殿(ひらやまどの)、さきがけ【先駆】ばやりなし給(たま)ひそ。先(さき)を
かくるといふは、御方(みかた)の勢(せい)をうしろにおいてかけP2202
たればこそ、高名(かうみやう)不覚(ふかく)も人(ひと)にしら【知ら】るれ。只(ただ)一騎(いつき)
P09396
大勢(おほぜい)の中(なか)にかけい(ッ)て、うた【討た】れたらんは、なんの詮(せん)
かあらんずるぞ」とせいする【制する】あひだ、げにもと思(おも)ひ、
小坂(こざか)のあるをさきにうちのぼせ、馬(むま)のかしらを
くだりさまにひ(ッ)【引つ】たてて、御方(みかた)の勢(せい)をまつところ【所】に、
成田(なりだ)もつづゐ(つづい)【続い】て出(いで)きたり。うちならべていくさ【軍】の様(やう)
をもいひあはせんずるかとおもひ【思ひ】たれば、さはなくて、
季重(すゑしげ)をばすげなげにうちみて、やがてつ(ッ)とはせ【馳せ】
ぬいてとほる間(あひだ)、「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)、此(この)ものはたばか(ッ)て、先(さき)がけうど
P09397
しけるよ」とおもひ【思ひ】、五六段(ごろくたん)ばかりさきだ(ッ)たるを、あ
れが馬(むま)はわが馬(むま)よりはよはげ(よわげ)【弱気】なるものをと目(め)を
かけ、一(ひと)もみもうでお(ッ)【追つ】ついて、「まさなうも季重(すゑしげ)ほ
どの物(もの)をばたばかり給(たま)ふ物(もの)かな」といひかけ、うちす
ててよせつれば、はるかにさがりぬらん。よもうしろ
かげ[B を]も見(み)たらじ」とぞいひける。熊谷(くまがへ)・平山(ひらやま)、かれ
これ五騎(ごき)でひかへたり。さる程(ほど)に、しののめやうやう
あけ行(ゆけ)ば、熊谷(くまがへ)は先(さき)になの(ッ)【名乗つ】たれ共(ども)、平山(ひらやま)がきくに
P09398
なのら【名乗ら】んとやおもひ【思ひ】けん、又(また)かいだて【垣楯】のきはにあゆま【歩ま】
せより、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「以前(いぜん)になの(ッ)【名乗つ】つる武蔵国(むさしのくに)〔の〕
住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、熊谷(くまがへの)次郎(じらう)直実(なほざね)(なをざね)、子息(しそくの)小次郎(こじらう)直家(なほいへ)(なをいへ)、一(いち)の谷(たに)の先
陣(せんぢん)ぞや、われとおもは【思は】ん平家(へいけ)のさぶらひどもは直
実(なほざね)(なをざね)におち【落ち】あへ【合へ】や、おち【落ち】あへ【合へ】」とぞののし(ッ)たる。是(これ)を
きい【聞い】て、「いざや、夜(よ)もすがらなのる【名乗る】熊谷(くまがへ)おや子(こ)ひ(ッ)【引つ】さ
げてこん」とて、すすP2203む平家(へいけ)の侍(さぶらひ)たれたれぞ、越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次
郎兵衛(じらうびやうゑ)盛嗣(もりつぎ)・上総(かづさの)五郎兵衛(ごらうびやうゑ)忠光(ただみつ)・悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)景清(かげきよ)・〔後〕藤
P09399
内(ごとうない)定経(さだつね)、これをはじめてむねとの兵(つは)もの廿(にじふ)余騎(よき)、
木戸(きど)をひらいてかけ出(いで)たり。ここに平山(ひらやま)、しげ目(め)
ゆひ【滋目結】の直垂(ひたたれ)にひ【緋】おどし(をどし)の鎧(よろひ)きて、二(ふたつ)びきりやう【引両】
のほろをかけ、目糟毛(めかすげ)といふきこゆる【聞ゆる】名馬(めいば)にぞの(ッ)【乗つ】
たりける。旗(はた)さしは黒(くろ)かは威(をどし)(おどし)の鎧(よろひ)に、甲(かぶと)ゐくび【猪頸】に
きないて、さび月毛(つきげ)なる馬(むま)にぞの(ッ)【乗つ】たりける。「保元(ほうげん)・
平治(へいぢ)両度(りやうど)の合戦(かつせん)に先(さき)がけたりし武蔵国(むさしのくにの)住
人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、平山(ひらやまの)武者所(むしやどころ)季重(すゑしげ)」となの(ッ)【名乗つ】て、旗(はた)さしと二騎(にき)馬(むま)
P09400
のはなをならべておめい(をめい)【喚い】てかく。熊谷(くまがへ)かくれば平山(ひらやま)
つづき、平山(ひらやま)かくれば熊谷(くまがへ)つづく。たがひにわれをと
ら(おとら)【劣ら】じ[* 「をとらしし」と有るのを高野本により訂正]といれかへ【入れ換へ】いれかへ【入れ換へ】、もみにもうで、火(ひ)いづる【出づる】程(ほど)ぞ
責(せめ)たりける。平家(へいけ)の侍共(さぶらひども)手(て)いたうかけられ
て、かなは【叶は】じとやおもひけん、城(じやう)のうちへざ(ッ)とひき、敵(かたき)
をとざま【外様】にないてぞふせき【防き】ける。熊谷(くまがへ)は馬(むま)のふと
腹(はら)ゐ(い)【射】させて、はぬれば足(あし)をこい【越い】ており立(たち)たり。子息(しそく)
の小次郎(こじらう)直家(なほいへ)(なをいへ)も、「生年(しやうねん)十六歳(じふろくさい)」となの(ッ)【名乗つ】て、かいだての
P09401
きはに馬(むま)の鼻(はな)をつかする程(ほど)に、責寄(せめよせ)てたたかい(たたかひ)【戦ひ】ける
が、弓手(ゆんで)のかいな(かひな)【腕】をゐ(い)【射】させて馬(むま)よりとびおり、父(ちち)と
なら(ン)でた(ッ)たりけり。「いかに小次郎(こじらう)、手(て)おふ(おう)たか」。「さ(ン)候(ざうらふ)」。「つね
に鎧(よろひ)づきせよ、うらかかすな。しころをかたぶけよ、う
ちかぶとゐ(い)【射】さすな」とぞおしへ(をしへ)【教へ】ける。熊谷(くまがへ)は鎧(よろひ)にた(ッ)た
る矢共(やども)かなぐりすてて、城(じやう)のうちをにらまへ、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)
をあげて、P2204「こぞの冬(ふゆ)の比(ころ)鎌倉(かまくら)をいでしより、命(いのち)を
ば兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)にたてまつり【奉り】、かばねをば一谷(いちのたに)でさら
P09402
さんとおもひ【思ひ】き(ッ)たる直実(なほざね)(なをざね)ぞや。「室山(むろやま)・水島(みづしま)二ケ
度[B ノ](にかどの)合戦(かつせん)に高名(かうみやう)したり」となのる【名乗る】越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)
はないか、上総(かづさの)五郎兵衛(ごらうびやうゑ)、悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)はないか、能登殿(のとどの)は
ましまさぬか。高名(かうみやう)も敵(かたき)によ(ッ)てこそすれ。人(ひと)ごと
にあふ(あう)【逢う】てはえせじものを。直実(なほざね)(なをざね)におち【落ち】あへ【合へ】やお
ち【落ち】あへ【合へ】」とののし(ッ)たり。是(これ)をきい【聞い】て、越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)、
このむ装束(しやうぞく)なれば、こむらご【紺村濃】の直垂(ひたたれ)にあか【赤】皮
おどし(をどし)の鎧(よろひ)きて、白葦毛(しらあしげ)なる馬(むま)にのり、熊谷(くまがへ)に
P09403
目(め)をかけてあゆま【歩ま】せよる。熊谷(くまがへ)おや子(こ)は、中(なか)を
わられじと立(たち)ならんで、太刀(たち)をひたひにあて、うし
ろへはひとひき【一引】もひかず、いよいよまへへぞすすみける。
越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)かなは【叶は】じとやおもひ【思ひ】けん、と(ッ)てかへす【返す】。熊
谷(くまがへ)是(これ)をみて、「いかに、あれは越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)とこそ見(み)
れ。敵(かたき)にはどこをきらはふぞ。直実(なほざね)(なをざね)におしならべて
くめやくめ」といひけれども、「さもさうず」とてひ(ッ)【引つ】かへす【返す】。
悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)是(これ)をみて、「きたない殿原(とのばら)のふるまい(ふるまひ)やう
P09404
かな」とて、すでにくまむとかけ出(いで)けるを、鎧(よろひ)の袖(そで)を
ひかへて「君(きみ)の御大事(おんだいじ)これにかぎるまじ。あるべうも
なし」とせいせ【制せ】られてくまざりけり。其(その)後(のち)熊谷(くまがへ)は
のりかへにの(ッ)【乗つ】ておめい(をめい)【喚い】てかく。平山(ひらやま)も熊谷(くまがへ)親子(おやこ)が
たたかふ【戦ふ】まぎれに、馬(むま)のいきやすめて、是(これ)も又(また)つづ
いたり。平家(へいけ)の方(かた)には馬(むま)にの(ッ)【乗つ】たる武者(むしや)はすくなし、
矢倉(やぐら)のうへの兵P2205共(つはものども)、矢(や)さきをそろへて、雨(あめ)のふる様(やう)に
ゐ(い)【射】けれども、敵(かたき)はすくなし、みかた【御方】はおほし、勢(せい)に
P09405
まぎれて矢(や)にもあたらず、「ただおしならべてくめや
くめ」と下知(げぢ)しけれ共(ども)、平家(へいけ)の馬(むま)はのる事(こと)はしげ
く、かう(かふ)【飼ふ】事(こと)はまれなり、船(ふね)にはひさしう【久しう】たて【立て】たり、
よりき(ッ)たる様(やう)なりけり。熊谷(くまがへ)・平山(ひらやま)が馬(むま)は、かい(かひ)【飼ひ】にかう【飼う】
たる大(だい)の馬共(むまども)なり、ひとあてあてば、みなけたおさ(たふさ)【倒さ】れ
ぬべき間(あひだ)、おしならべてくむ武者(むしや)一騎(いつき)もなかり
けり。平山(ひらやま)は身(み)にかへて思(おもひ)ける旗(はた)さしをゐ(い)【射】させて、
敵(かたき)の中(なか)へわ(ッ)ていり、やがて其(その)敵(かたき)をと(ッ)てぞ出(いで)たり
P09406
ける。熊谷(くまがへ)も分捕(ぶんどり)あまたしたりけり。熊谷(くまがへ)さき
によせたれど、木戸(きど)をひらかねばかけいらず、
平山(ひらやま)後(のち)によせたれど、木戸(きど)をあけたればかけ
入(いり)ぬ。さてこそ熊谷(くまがへ)・平山(ひらやま)が一二(いちに)のかけをばあらそひ
けれ。二度之懸(にどのかけ)S0911さるほど【程】に、成田(なりだ)五郎(ごらう)も出(いで)きたり。土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)
ま(ッ)さきかけ、其(その)勢(せい)七千余騎(しちせんよき)、色々(いろいろ)の旗(はた)さしあ
げ【差し上げ】、おめき(をめき)【喚き】さけ(ン)【叫ん】で責(せめ)たたかふ【戦ふ】。大手(おほて)生田(いくた)の森(もり)にも
源氏(げんじ)五万余騎(ごまんよき)でかためたりけるが、其(その)勢(せい)の中(なか)に
P09407
武蔵国(むさしのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、河原(かはら)太郎(たらう)・河原(かはら)次郎(じらう)といふものあり。
河原(かはら)太郎(たらう)弟(おとと)の次郎(じらう)をよう【呼う】でいひけるは、「大名(だいみやう)は
われと手(て)をおろさP2206ね共(ども)、家人(けにん)の高名(かうみやう)をも(ッ)て名
誉(めいよ)す。われら【我等】はみづから手(て)をおろさずはかなひ【叶ひ】がたし。
敵(かたき)をまへにをき(おき)【置き】ながら、矢(や)ひとつだにもゐ(い)【射】ずして、
まちゐたるがあまりに心(こころ)もとなう覚(おぼ)ゆるに、高直(たかなほ)(たかなふ)は
まづ城(じやう)のうちへまぎれ入(いり)て、ひと矢(や)ゐ(い)【射】んと思(おも)ふ也(なり)。
されば千万(せんまん)が一(ひとつ)もいき【生き】てかへらん事(こと)ありがたし。
P09408
わ殿(どの)はのこりとどま(ッ)【留まつ】て、後(のち)の証人(しようにん)(しやうにん)にたて」といひ
ければ、河原(かはら)次郎(じらう)泪(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、「口惜(くちをし)(くちおし)い
事(こと)をものたまふ物(もの)かな。ただ兄弟(きやうだい)二人(ににん)あるものが、
兄(あに)をうたせておととが一人(いちにん)のこりとどま(ッ)【留まつ】たらば、いく
程(ほど)の栄花(えいぐわ)(ゑいぐわ)をかたもつ【保つ】べき。所々(ところどころ)でうた【討た】れんより
も、ひとところ【一所】でこそいかにもならめ」とて、下人(げにん)ども
よびよせ、最後(さいご)のありさま妻子(さいし)のもとへいひつか
はし【遣し】、馬(むま)にものらずげげをはき、弓杖(ゆんづゑ)(ゆんづえ)をつゐ(つい)【突い】て、生
P09409
田森(いくたのもり)のさかも木(ぎ)【逆茂木】をのぼりこえ、城(じやう)のうちへぞ入(いり)
たりける。星(ほし)あかりに鎧(よろひ)の毛(け)もさだかならず。河
原(かはら)太郎(たらう)大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「武蔵国(むさしのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、河原(かはら)太郎(たらう)
私〔市〕[B ノ](きさいちの)高直(たかなほ)(たかなふ)、同(おなじく)次郎(じらう)盛直(もりなほ)(もりなふ)、源氏(げんじ)の大手(おほて)生田森(いくたのもり)の先陣(せんぢん)
ぞや」とぞなの(ッ)【名乗つ】たる。平家(へいけ)の方(かた)には是(これ)をきい【聞い】て、
「東国(とうごく)の武士(ぶし)ほどおそろしかり【恐ろしかり】けるものはなし。是(これ)
程(ほど)の大勢(おほぜい)の中(なか)へただ二人(ににん)い(ッ)たらば、何程(なにほど)の事(こと)をか
しいだすべき。よしよししばしあひせよ(あいせよ)【愛せよ】」とて、うたん
P09410
といふものなかりけり。是等(これら)おととい【兄弟】究竟(くつきやう)(く(ツ)きやう)の弓(ゆみ)の
上手(じやうず)なれば、さしつめひきつめさんざん【散々】にゐる(いる)【射る】間(あひだ)、「にく
し、うてや」といふ程(ほど)こそあり【有り】けれ、西P2207国(さいこく)に聞(きこ)え
たるつよ弓(ゆみ)せい兵(びやう)【精兵】、備中国(びつちゆうのくにの)(びつちうのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、真名辺[B ノ](まなべの)四郎(しらう)・
真名辺(まなべの)五郎(ごらう)とておととい【兄弟】あり。四郎(しらう)は一[B ノ]谷(いちのたに)にをか(おか)【置か】
れたり。五郎(ごらう)は生田森(いくたのもり)にあり【有り】けるが、是(これ)をみて
よ(ッ)ぴいてひやうふつとゐる(いる)【射る】。河原(かはら)太郎(たらう)が鎧(よろひ)のむ
ないたうしろ【後】へつ(ッ)とゐ(い)【射】ぬかれて、弓杖(ゆんづゑ)(ゆんづえ)にすがり、
P09411
すくむところ【所】を、弟(おとと)の次郎(じらう)はしり【走り】よ(ッ)て是(これ)をかた
にひ(ッ)【引つ】かけ、さかも木(ぎ)【逆茂木】をのぼりこえんとしけるが、
真名辺(まなべ)が二(に)の矢(や)に鎧(よろひ)の草摺(くさずり)のはづれをゐ(い)【射】させ
て、おなじ枕(まくら)にふしにけり。真名辺(まなべ)が下人(げにん)落(おち)あふ(あう)【逢う】て、
河原(かはら)兄弟(きやうだい)が頸(くび)をとる。是(これ)を新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)の見参(げんざん)
に入(いれ)たりければ、「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)剛(かう)の者(もの)かな。是(これ)をこそ
一人当千(いちにんたうぜん)の兵(つはもの)ともいふべけれ。あ(ッ)たら者(もの)どもを
たすけ【助け】てみで」とぞの給(たま)ひける。其(その)時(とき)下人共(げにんども)、
P09412
「河原殿(かはらどの)おととい【兄弟】、只今(ただいま)城(じやう)のうちへま(ッ)さきかけて
うた【討た】れ給(たま)ひぬるぞや」とよばはり【呼ばはり】ければ、梶原(かぢはら)
是(これ)をきき、「私(し)の党(たう)の殿原(とのばら)の不覚(ふかく)でこそ、河原(かはら)
兄弟(きやうだい)をばうたせたれ。今(いま)はとき【時】よく成(なり)ぬ。よせ
よや」とて、時(とき)をど(ッ)とつくる。やがてつづいて五万余
騎(ごまんよき)一度(いちど)に時(とき)をぞつくりける。足(あし)がるどもにさかも
木(ぎ)【逆茂木】取(とり)のけさせ、梶原(かぢはら)五百余騎(ごひやくよき)おめい(をめい)【喚い】てかく。次男(じなん)
平次(へいじ)景高(かげたか)、余(あまり)にさきをかけんとすすみければ、父(ちち)
P09413
の平三(へいざう)使者(ししや)をたてて、「後陣(ごぢん)の勢(せい)のつづかざらん
に、さきかけたらん者(もの)は、勧賞(けんじやう)あるまじき由(よし)、大将
軍(たいしやうぐん)のおほせぞ」といひければ、平次(へいじ)しばしP2208ひかへて
「もののふのとりつたへたるあづさ弓(ゆみ)
ひいては人(ひと)のかへるものかは W069
と申(まう)させ給(たま)へ」とて、おめい(をめい)【喚い】てかく。「平次(へいじ)うたすな、
つづけやもの共(ども)、景高(かげたか)うたすな、つづけや者共(ものども)」とて、
父(ちち)の平三(へいざう)、兄(あに)の源太(げんだ)、同(おなじく)三郎(さぶらう)つづいたり。梶原(かぢはら)五百余
P09414
騎(ごひやくよき)、大勢(おほぜい)のなかへかけいり、さんざん【散々】にたたかひ【戦ひ】、わづ
かに五十騎(ごじつき)ばかりにうちなされ、ざ(ッ)とひい【退い】てぞ出(いで)たり
ける。いかがしたりけん、其(その)なかに景季(かげすゑ)は見(み)えざり
けり。「いかに源太(げんだ)は、郎等共(らうどうども)」ととひければ、「ふか
入(いり)してうたれさせ給(たまひ)て候(さうらふ)ごさ(ン)めれ」と申(まうす)。梶原(かぢはら)平
三(へいざう)これをきき、「世(よ)にあらむと思(おも)ふも子共(こども)がため、源
太(げんだ)うたせて命(いのち)いきても何(なに)かせん、かへせや」とて
と(ッ)てかへす。梶原(かぢはら)大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげてなのり【名乗り】けるは、
P09415
「昔(むかし)八幡殿(はちまんどの)、後(ご)三年(さんねん)の御(おん)たたかい(たたかひ)【戦ひ】に、出羽国(ではのくに)千福(せんぶく)
金沢(かなざは)の城(じやう)を攻(せめ)させ給(たま)ひける時(とき)、生年(しやうねん)十六歳(じふろくさい)で
ま(ッ)さきかけ、弓手(ゆんで)の眼(まなこ)を甲(かぶと)の鉢付(はちつけ)の板(いた)にゐ(い)【射】
つけられながら、当(たう)の矢(や)をゐ(い)【射】て其(その)敵(かたき)をゐ(い)【射】おとし【落し】、
後代[* 「後氏」と有るのを高野本により訂正](こうたい)に名(な)をあげたりし鎌倉(かまくらの)権五郎(ごんごらう)景正(かげまさ)が
末葉(ばつえふ)(ばつえう)、梶原(かぢはら)平三(へいざう)景時(かげとき)、一人当千(いちにんたうぜん)の兵(つはもの)ぞや。我(われ)とおも
は【思は】ん人々(ひとびと)は、景時(かげとき)う(ッ)て見参(げんざん)にいれよ【入れよ】や」とて、おめい(をめい)【喚い】て
かく。新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)「梶原(かぢはら)は東国(とうごく)にきこえ【聞え】たる兵(つはもの)ぞ。あ
P09416
ますな、もらす【漏らす】な、うてや」とて、大勢(おほぜい)のなかに
とりこめて責(せめ)給(たま)へば、梶原(かぢはら)まづわが身(み)のうへをば
しら【知ら】ずして、「源太(げんだ)はP2209いづくにあるやらん」とて、数万
騎(すまんぎ)の大勢(おほぜい)のなかを、たてさま・よこさま・蛛手(くもで)・十
文字(じふもんじ)にかけわりかけまはりたづぬるほど【程】に、
源太(げんだ)はのけ甲(かぶと)にたたかい(たたかひ)【戦ひ】な(ッ)て、馬(むま)をもゐ(い)【射】させ、かち
立(だち)になり、二丈(にぢやう)ばかり有(あり)ける岸(きし)をうしろにあて【当て】、
敵(かたき)五人(ごにん)が中(なか)に取籠(とりこめ)られ、郎等(らうどう)二人(ににん)左右(さう)に立(たて)て、
P09417
面(おもて)もふらず、命(いのち)もおしま(をしま)【惜しま】ず、ここを最後(さいご)とふせき【防き】
たたかふ【戦ふ】。梶原(かぢはら)これを見(み)つけて、「いまだうた【討た】れざ
りけり」と、いそぎ馬(むま)よりとんでおり、「景時(かげとき)ここに
あり。いかに源太(げんだ)、しぬる【死ぬる】とも敵(かたき)にうしろをみ
すな」とて、親子(おやこ)して五人(ごにん)のかたきを三人(さんにん)う(ッ)とり、
二人(ににん)に手(て)おほせ、「弓矢(ゆみや)とりはかくる【駆くる】もひくも折(をり)に
こそよれ、いざうれ、源太(げんだ)」とて、かい具(ぐ)してこそ
出(いで)きたれ。梶原(かぢはら)が二度(にど)のかけとは是(これ)也(なり)。坂落(さかおとし)S0912是(これ)を初(はじめ)て、
P09418
秩父(ちちぶ)・足利(あしかが)・三浦(みうら)・鎌倉(かまくら)、党(たう)には猪俣(ゐのまた)・児玉(こだま)・野
井与(のゐよ)・横山(よこやま)・にし【西】党(たう)・都筑党(つづきたう)・私[B ノ](しの)党(たう)の兵共(つはものども)、惣(そう)
じて源平(げんぺい)乱(みだれ)あひ、入(いれ)かへ入(いれ)かへ、名(な)のりかへ名(な)のりかへおめ
き(をめき)【喚き】さけぶ【叫ぶ】声(こゑ)、山(やま)をひびかし、馬(むま)の馳(はせ)ちがふ音(おと)は
いかづちの如(ごと)し。ゐ(い)【射】ちがふる矢(や)は雨(あめ)のふるにこと
ならず。手負(ておひ)(てをひ)をば肩(かた)にかけ、うしろへひきしり
ぞくもあP2210り。うすで【薄手】おふ(おう)【負う】てたたかふ【戦ふ】もあり。いた
手(で)【痛手】負(おう)(をふ)て討死(うちじに)するものもあり。或(あるい)(ある)はおしならべて
P09419
くんでおち【落ち】、さしちがへ[* 「ち」は「あ」と有るのを高野本により訂正]て死(し)ぬるもあり、或(あるい)(ある)はと(ッ)て
おさへて頸(くび)をかくもあり、かかるるもあり、いづれひ
まありとも見(み)えざりけり。かかりしか共(ども)、源氏(げんじ)大
手(おほて)ばかりではかなふ【叶ふ】べしとも見(み)えざりしに、九郎(くらう)
御曹司(おんざうし)搦手(からめで)にまは(ッ)て七日(なぬか)の明(あけ)ぼのに、一谷(いちのたに)の
うしろ鵯越(ひよどりごえ)(ひよどりごゑ)にうちあがり【上がり】、すでにおとさ【落さ】んとし
給(たま)ふに、其(その)勢(せい)にや驚(おどろい)(をどろい)たりけん、大鹿(おほじか)二(ふたつ)妻鹿(めじか)一(ひとつ)、
平家(へいけ)の城郭(じやうくわく)一谷(いちのたに)へぞ落(おち)たりける。城(じやう)のうちの
P09420
兵(つはもの)ども是(これ)をみて、「里(さと)ちかから【近から】ん鹿(しか)だにも、我等(われら)
におそれ【恐れ】ては山(やま)ふかうこそ入(いる)べきに、是(これ)程(ほど)の
大勢(おほぜい)のなかへ、鹿(しか)のおちやう【落ち様】こそあやしけれ。
いかさまにもうへの山(やま)より源氏(げんじ)おとす【落す】にこそ」とさ
はぐ(さわぐ)【騒ぐ】ところ【所】に、伊予[* 「伊豆」と有るのを他本により訂正]国(いよのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、武知(たけち)の武者所(むしやどころ)清教(きよのり)、
すすみ出(いで)て、「なんでまれ、敵(かたき)の方(かた)より出(いで)きたらん物(もの)
をのがすべき様(やう)なし」とて、大鹿(おほじか)二[B ツ](ふたつ)いとどめ【留め】て、妻鹿(めじか)
をばゐ(い)【射】でぞとをし(とほし)ける。越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)「せんない殿原(とのばら)
P09421
の鹿(しか)のゐやう(いやう)【射様】かな。只今(ただいま)の矢(や)一(ひとつ)では敵(かたき)十人(じふにん)はふせ
か【防か】んずるものを。罪(つみ)つくりに、矢(や)だうなに」とぞせい
し【制し】ける。御曹司(おんざうし)城郭(じやうくわく)遥(はるか)に見(み)わたいておはしけるが、
「馬共(むまども)おとい【落い】てみん」とて、鞍(くら)をき馬(むま)(くらおきむま)【鞍置馬】をおい(おひ)【追ひ】おとす【落す】。或(あるい)(ある)は
足(あし)をうちお(ッ)(をつ)【折つ】て、ころんでおつ、或(あるい)(ある)はさうゐ【相違】なく落(おち)て
行(ゆく)もあり。鞍(くら)をき馬(むま)(くらおきむま)【鞍置馬】三疋(さんびき)、越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)が屋形(やかた)の
うへに落(おち)つゐ(つい)【着い】て、身(み)ぶるい(みぶるひ)してP2211ぞ立(たち)たりける。御
曹司(おんざうし)是(これ)をみて「馬共(むまども)はぬしぬしが心得(こころえ)ておとさ【落さ】うに
P09422
はそんずまじゐ(まじい)ぞ。くはおとせ【落せ】、義経(よしつね)を手本(てほん)に
せよ」とて、まづ卅騎(さんじつき)ばかり、ま(ッ)さきかけておとさ【落さ】れ
けり。大勢(おほぜい)みなつづゐ(つづい)【続い】ておとす【落す】。後陣(ごぢん)におとす【落す】人々(ひとびと)
のあぶみのはなは、先陣(せんぢん)の鎧甲(よろひかぶと)にあたるほどなり。
小石(こいし)まじりのすなごなれば、ながれおとし【流落】に二町(にちやう)
ばかりざ(ッ)とおとい【落い】て、壇(だん)なるところ【所】にひかへたり。そ
れよりしもをみくだせば、大盤石(だいばんじやく)の苔(こけ)むしたるが、
つるべおとし【落し】に十四五(じふしご)丈(ぢやう)ぞくだ(ッ)たる。兵共(つはものども)ここぞ
P09423
最後(さいご)と申(まうし)てあきれてひかへたるところ【所】に、佐原(さはらの)
十郎(じふらう)義連(よしつら)すすみ出(いで)て申(まうし)けるは、「三浦(みうら)の方(かた)で我等(われら)は
鳥(とり)ひとつたて【立て】ても、朝(あさ)ゆふかやうの所(ところ)をこそはせあ
りけ【歩け】。三浦(みうら)の方(かた)の馬場(ばば)や」とて、ま(ッ)さきかけて
おとし【落し】ければ、兵共(つはものども)みなつづゐ(つづい)【続い】ておとす【落す】。ゑいゑい声(ごゑ)(えいえいごゑ)
をしのび【忍び】にして、馬(むま)にちからをつけておとす【落す】。余(あま)りの
いぶせさに、目(め)をふさいでぞおとし【落し】ける。大方(おほかた)人(ひと)
のしわざとは見(み)えず。ただ鬼神(きじん)の所(しよ)ゐとぞみえ【見え】
P09424
たりける。おとし【落し】もはてねば、時(とき)をど(ッ)とつくる。三千
余騎(さんぜんよき)が声(こゑ)なれど、山(やま)[B びこ]こたへて十万余騎(じふまんよき)とぞ聞(きこ)え
ける。村上(むらかみ)の判官代(はんぐわんだい)康国(やすくに)が手(て)より火(ひ)を出(いだ)し、平家(へいけ)
の屋形(やかた)、かり屋(や)【仮屋】をみな焼払(やきはら)ふ。おりふし(をりふし)【折節】風(かぜ)ははげ
しし、くろ煙(けぶり)おしかくれば、平氏(へいじ)の軍兵共(ぐんびやうども)余(あまり)にあ
はて(あわて)【慌て】さはい(さわい)【騒い】で、若(もし)やたすかると前(まへ)の海(うみ)へぞおほく【多く】
馳(はせ)いりける。汀(みぎは)にはまうけ船(ぶね)【設け船】いくらもあり【有り】けれ
ども、わP2212れさきにのらうど、舟(ふね)一艘(いつさう)には物具(もののぐ)したる
P09425
者共(ものども)が四五百人(しごひやくにん)、千人(せんにん)ばかりこみ【込み】のら【乗ら】うに、なじかは
よかるべき。汀(みぎは)よりわづかに三町(さんぢやう)(さんちやう)ばかりおしいだひ(いだい)【出い】
て、目(め)のまへに大船(おほぶね)三艘(さんざう)(さんぞう)しづみにけり。其(その)後(のち)は
「よき人(ひと)をばのす共(とも)、雑人共(ざふにんども)(ざうにんども)をばのすべからず」とて、
太刀(たち)長刀(なぎなた)でなが【薙が】せけり。かくする事(こと)とはしり【知り】ながら、
のせ【乗せ】じとする船(ふね)にとりつき【取り付き】、つかみつき、或(あるい)(ある)はうで【腕】
うちきられ、或(あるい)(ある)はひぢ【肘】うちおとさ【落さ】れて、一谷(いちのたに)の汀(みぎは)に
あけ【朱】にな(ッ)てぞなみ【並み】ふし【臥し】たる。能登守(のとのかみ)教経(のりつね)は、
P09426
度々(どど)のいくさに一度(いちど)もふかく【不覚】せぬ人(ひと)の、今度(こんど)は
いかがおもは【思は】れけん、うす黒(ぐろ)といふ馬(むま)にのり、西(にし)を
さい【指い】てぞ落(おち)給(たま)ふ。播磨国(はりまのくに)明石浦(あかしのうら)より船(ふね)に乗(のつ)て、
讃岐(さぬき)の八島(やしま)へわたり給(たま)ひぬ。越中(ゑつちゆうの)前司(せんじ)最期(さいご)S0913大手(おほて)にも浜(はま)の手(て)にも、
武蔵(むさし)・相模(さがみ)の兵共(つはものども)、命(いのち)もおしま(をしま)【惜しま】ずせめ【攻め】たたかふ【戦ふ】。新
中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)は東(ひがし)(ひんがし)にむか(ッ)【向つ】てたたかい(たたかひ)【戦ひ】給(たま)ふところ【所】に、山(やま)の
そはよりよせける児玉党(こだまたう)使者(ししや)をたてま(ッ)【奉つ】て、「君(きみ)
は武蔵(むさしの)国司(こくし)でましまし候(さうらひ)し間(あひだ)、是(これ)は児玉(こだま)の者共(ものども)が
P09427
申(まうし)候(さうらふ)。御(おん)うしろをば御(ご)らん候(さうら)はぬやらん」と申(まうす)。新
中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)以下(いげ)の人々(ひとびと)、うしろをかへP2213りみ給(たま)へば、くろ
煙(けぶり)おしかけたり。「あはや、西(にし)の手(て)はやぶれにけるは」と
いふ程(ほど)こそ久(ひさ)しけれ、とる物(もの)もとりあへず我(われ)
さきにとぞ落行(おちゆき)ける。越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)盛俊(もりとし)は、山(やま)の
手(て)の侍大将(さぶらひだいしやう)にて有(あり)けるが、今(いま)はおつ【落つ】ともかなは【叶は】じとや
思(おも)ひけん、ひかへて敵(かたき)を待(まつ)ところ【所】に、猪俣(ゐのまたの)小平六(こへいろく)
則綱(のりつな)、よい敵(かたき)と目(め)をかけ、鞭(むち)あぶみをあはせて馳(はせ)
P09428
来(きた)り、おしならべむずとくう【組う】でどうどおつ。猪俣(ゐのまた)は
八ケ国(はつかこく)(はちかこく)にきこえ【聞え】たるしたたか者(もの)也(なり)。か【鹿】の角(つの)の一二[B ノ](いちにの)くさ
かりをばたやすうひ(ッ)【引つ】さき【裂き】けるとぞ聞(きこ)えし。越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)
前司(せんじ)は二三十人(にさんじふにん)が力(ちから)わざをするよし人(ひと)めには見(み)え
けれ共(ども)、内々(ないない)は六七十人(ろくしちじふにん)してあげおろす船(ふね)を、只(ただ)一
人(いちにん)しておしあげおしおろす程(ほど)の大力(だいぢから)也(なり)。されば
猪俣(ゐのまた)をと(ッ)ておさへてはたらかさ【働かさ】ず。猪俣(ゐのまた)したに
ふし【臥し】ながら、刀(かたな)をぬかうどすれども、ゆび【指】はだか(ッ)て
P09429
刀(かたな)のつかにぎる【握る】にも及(およ)(をよ)ばず。物(もの)をいはうどすれ共(ども)、
あまりにつよう【強う】おさへられてこゑ【声】も出(いで)ず。すでに
頸(くび)をかかれんとしけるが、ちから【力】はおと(ッ)たれ共(ども)、心(こころ)は
かう【剛】なりければ、猪俣(ゐのまた)すこしもさはが(さわが)【騒が】ず、しばらく
いきをやすめ、さらぬてい【体】にもてなして申(まうし)けるは、
「抑(そもそも)なの(ッ)【名乗つ】つるをばきき給(たま)ひて〔か〕。敵(かたき)をうつといふは、
われもなの(ッ)【名乗つ】てきかせ、敵(かたき)にもなのらせて頸(くび)をと(ッ)
たればこそ大功(たいこう)なれ。名(な)もしらぬ頸(くび)と(ッ)ては、何(なに)にか
P09430
し給(たま)ふべき」といはれて、げにもとや思(おも)ひけん、「是(これ)は
もと平家(へいけ)の一門(いちもん)たりしが、身(み)不P2214肖(ふせう)なるによ(ッ)て
当時(たうじ)は侍(さぶらひ)にな(ッ)たる越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)盛俊(もりとし)といふ者(もの)也(なり)。
わ君(ぎみ)はなにものぞ、なのれ【名乗れ】、きかう」どいひければ、
「武蔵国(むさしのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、猪俣(ゐのまたの)小平六(こへいろく)則綱(のりつな)」となのる。「倩(つらつら)此(この)世
間(よのなか)のありさまをみる【見る】に、源氏(げんじ)の御方(おんかた)はつよく、平
家(へいけ)の御方(おんかた)はまけいろ【負色】にみえ【見え】させ給(たま)ひたり。今(いま)は
主(しゆう)の世(よ)にましまさばこそ、敵(かたき)のくびと(ッ)てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】
P09431
て、勲功(くんこう)勧賞(けんじやう)にもあづかり給(たま)はめ。理(り)をまげて
則綱(のりつな)たすけ【助け】給(たま)へ。御(ご)へんの一門(いちもん)なん十人(じふにん)もおはせよ、
則綱(のりつな)が勲功(くんこう)の賞(しやう)に申(まうし)かへてたすけ【助け】奉(たてまつ)らん」といひ
ければ、越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)大(おほき)にいか(ッ)て、「盛俊(もりとし)身(み)こそ不肖(ふせう)な
れ共(ども)、さすが平家(へいけ)の一門(いちもん)也(なり)。源氏(げんじ)たのま【頼ま】うどは思(おも)はず。
源氏(げんじ)又(また)盛俊(もりとし)にたのま【頼ま】れうどもよもおもは【思は】じ。に(ッ)く
い君(きみ)が(まうしやう)哉(かな)」とて、やがて頸(くび)をかかんとしければ、
猪俣(ゐのまた)「まさなや、降人(かうにん)の頸(くび)かくやうや候(さうらふ)」。越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)
P09432
「さらばたすけ【助け】む」とてひきおこす。まへは畠(はた)のやうに
ひあが(ッ)【上がつ】て、きはめてかたかりけるが、うしろは水田(みづた)の
ごみふかかり【深かり】けるくろ【畔】のうへに、二人(ににん)の者共(ものども)腰(こし)う
ちかけていきづきゐたり。しばしあ(ッ)て、黒革威(くろかはをどし)(くろかはおどし)の
鎧(よろひ)きて月毛(つきげ)なる馬(むま)にの(ッ)【乗つ】たる武者(むしや)一騎(いつき)はせ来(きた)る。
越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)あやしげにみければ、「あれは則綱(のりつな)が
したしう【親しう】候(さうらふ)人見(ひとみの)四郎(しらう)と申(まうす)者(もの)で候(さうらふ)。則綱(のりつな)が候(さうらふ)をみて
まうでくると覚(おぼえ)候(さうらふ)。くるしう【苦しう】候(さうらふ)まじ」といひながら、
P09433
あれがちかづいたらん時(とき)に、越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)にくんだらば、
さり共(とも)おち【落ち】あはんずらんと思(おも)ひてP2215待(まつ)ところ【所】に、一段(いつたん)
ばかり近(ちか)づいたり。越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)初(はじ)めはふたりを一目(ひとめ)づつ
見(み)けるが、次第(しだい)にちかうなりければ、馳来(はせく)る敵(かたき)を
はたとまも(ッ)【守つ】て、猪俣(ゐのまた)をみぬひまに、ちから足(あし)を
ふんでつゐ(つい)立(たち)あがり【上がり】、ゑい(えい)といひてもろ手(て)をも(ッ)て、
越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)が鎧(よろひ)のむないた【胸板】をばぐ(ッ)とつゐ(つい)【突い】て、うしろ
の水田(みづた)へのけにつき【突き】たをす(たふす)【倒す】。おき【起き】あがら【上がら】んとする
P09434
所(ところ)に、猪俣(ゐのまた)うへにむずとのりかかり、やがて越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前
司(せんじ)が腰(こし)の刀(かたな)をぬき、鎧(よろひ)の草摺(くさずり)ひきあげて、つかも
こぶしもとおれ(とほれ)【通れ】とおれ(とほれ)【通れ】と三刀(みがたな)(みかたな)さいて頸(くび)をとる。さる程(ほど)に
人見[B ノ](ひとみの)四郎(しらう)おち【落ち】あふ(あう)【合う】たり。か様(やう)【斯様】の時(とき)は論(ろん)ずる事(こと)も
ありとおもひ【思ひ】、太刀(たち)のさきにつらぬき、たかくさしあ
げ【差し上げ】、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「此(この)日来(ひごろ)鬼神(おにかみ)と聞(きこ)えつる
平家(へいけ)の侍(さぶらひ)越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)前司(せんじ)盛俊(もりとし)をば、猪俣[B ノ](ゐのまたの)小平六(こへいろく)則
綱(のりつな)がう(ッ)たるぞや」となの(ッ)【名乗つ】て、其(その)日(ひ)の高名(かうみやう)の一(いち)の筆(ふで)
P09435
にぞ付(つき)〔に〕ける。忠教【*忠度】最期(ただのりのさいご)S0914薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)は、一谷(いちのたに)の西手(にしのて)の大将
軍(たいしやうぐん)にておはしけるが、紺地[B ノ](こんぢの)錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に黒糸(くろいと)お
どし(をどし)の鎧(よろひ)きて、黒(くろき)馬(むま)のふとう【太う】たくましきに、ゐか
け地(ぢ)(いかけぢ)【沃懸地】の鞍(くら)をい(おい)【置い】て乗(のり)給(たま)へり。其(その)勢(せい)百騎(ひやくき)ばかりが中(なか)に
うちかこまれていとさはが(さわが)【騒が】ず、ひかへひかへ落(おち)給(たま)ふを、
猪P2216俣党(ゐのまたたう)に岡辺(をかべの)六野太(ろくやた)忠純(ただずみ)、大将軍(たいしやうぐん)とめ【目】をかけ、
鞭(むち)あぶみをあはせて追(おつ)(をつ)つき奉(たてまつ)り、「抑(そもそも)いかなる人(ひと)で
在(まし)まし候(さうらふ)ぞ、名(な)のらせ給(たま)へ」と申(まうし)ければ、「是(これ)はみ[B か]た【御方】ぞ」とて
P09436
ふりあふぎ給(たま)へるうちかぶとより見(み)いれ【入れ】たれば、
かねぐろ也(なり)。あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)みかた【御方】にはかねつけたる人(ひと)はない
物(もの)を、平家(へいけ)の君達(きんだち)でおはするにこそと思(おも)ひ、おし
ならべてむずとくむ。是(これ)をみて百騎(ひやくき)ばかりある兵共(つはものども)、
国々(くにぐに)のかり武者(むしや)なれば、一騎(いつき)も落(おち)あはず、われさきに
とぞ落行(おちゆき)ける。薩摩[* 「薩磨」と有るのを高野本により訂正]守(さつまのかみ)「に(ッ)くいやつかな。みかた【御方】
ぞといはばいはせよかし」とて、熊野(くまの)そだち大(だい)ぢからの
はやわざにておはしければ、やがて刀(かたな)をぬき、六野太(ろくやた)を
P09437
馬(むま)の上(うへ)で二刀(ふたかたな)、おち【落ち】つく所(ところ)で一刀(ひとかたな)、三刀(みがたな)(みかたな)までぞつか【突か】
れたる。二刀(ふたかたな)は鎧(よろひ)のうへ【上】なればとをら(とほら)【通ら】ず、一刀(ひとかたな)はうち甲(かぶと)
へつき入(いれ)られたれ共(ども)、うす手(で)【薄手】なればしな【死な】ざりけるを
と(ッ)ておさへて、頸(くび)をかかんとし給(たま)ふところ【所】に、六野太(ろくやた)
が童(わらは)をくれ(おくれ)【遅れ】ばせに馳来(はせきた)(ッ)て、打刀(うちがたな)をぬき、薩摩守(さつまのかみ)の
右(みぎ)のかいな(かひな)【腕】を、ひぢのもとよりふつときり【斬り】おとす【落す】。
今(いま)はかうとやおもは【思は】れけん、「しばしのけ【退け】、十念(じふねん)となへん」
とて、六野太(ろくやた)をつかうで弓(ゆん)だけばかりなげ【投げ】のけられ
P09438
たり。其(その)後(のち)西(にし)にむかひ【向ひ】、高声(かうしやう)に十念(じふねん)となへ、「光明(くわうみやう)
遍照(へんぜう)十方(じつぱう)(じつばう)世界(せかい)、念仏衆生摂取不捨(ねんぶつしゆじやうせつしゆふしや)」との給(たまひ)もはてねば、
六野太(ろくやた)うしろよりよ(ッ)て薩摩守(さつまのかみ)の頸(くび)をうつ。よい大将軍(たいしやうぐん)
う(ッ)たりと思(おも)ひけれ共(ども)、名(な)をば誰(たれ)ともしら【知ら】ざりけるに、
ゑびら(えびら)【箙】にむすびP2217つけられたるふみをといて見(み)れば、
「旅宿花(りよしゆくのはな)」と云(いふ)題(だい)にて、一首(いつしゆ)の歌(うた)をぞよまれたる。
行(ゆき)くれて木(こ)の下(した)かげをやどとせば
花(はな)やこよひのあるじならまし W070
P09439
忠教【*忠度】(ただのり)とかかれたりけるにこそ、薩摩守(さつまのかみ)とはしり【知り】て(ン)
げれ。太刀(たち)のさきにつらぬき、たかく【高く】さしあげ【差し上げ】、大
音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「此(この)日来(ひごろ)平家(へいけ)の御方(おんかた)にきこえ【聞え】させ
給(たま)ひつる薩摩守殿(さつまのかみどの)をば、岡辺(をかべの)六野太(ろくやた)忠純(ただずみ)がうちたて
ま(ッ)【奉つ】たるぞや」と名(な)のりければ、敵(かたき)もみかた【御方】も是(これ)をき
い【聞い】て、「あないとおし(いとほし)、武芸(ぶげい)にも謌道【*歌道】(かだう)にも達者(たつしや)にて
おはしつる人(ひと)を、あ(ッ)たら大将軍(たいしやうぐん)を」とて、涙(なみだ)をながし
袖(そで)をぬらさぬはなかりけり。重衡生捕(しげひらいけどり)S0915本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡卿(しげひらのきやう)は、
P09440
生田森(いくたのもり)の副将軍(ふくしやうぐん)にておはしけるが、其(その)勢(せい)みな落(おち)
うせて、只(ただ)主従(しゆうじゆう)(しゆうじう)二騎(にき)になり給(たま)ふ。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)其(その)日(ひ)の装束(しやうぞく)
には、かち【褐】にしろう【著う】黄(き)なる糸(いと)をも(ッ)て、むら【群】千鳥(ちどり)ぬう
たる直垂(ひたたれ)に、紫(むらさき)すそご【裾濃】の鎧(よろひ)きて、童子鹿毛(どうじかげ)と
いふきこゆる【聞ゆる】名馬(めいば)にのり給(たま)へり。めのと子(ご)の後藤
兵衛(ごとうびやうゑ)盛長(もりなが)は、しげ目(め)ゆい(しげめゆひ)【滋目結】の直垂(ひたたれ)に、ひ【緋】おどし(をどし)の鎧(よろひ)
きて、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の秘蔵(ひさう)せられたりける夜目(よめ)なし
月毛(つきげ)にのせ【乗せ】られP2218たり。梶原(かぢはら)源太(げんだ)景季(かげすゑ)・庄(しやうの)四郎(しらう)高
P09441
家(たかいへ)、大将軍(たいしやうぐん)と目(め)をかけ、鞭(むち)あぶみをあはせてお(ッ)【追つ】
かけたてまつる【奉る】。汀(みぎは)にはたすけ舟(ぶね)【助け舟】いくらもあり【有り】け
れども、うしろより敵(かたき)はお(ッ)【追つ】かけたり、のがる【逃る】べきひ
まもなかりければ、湊河(みなとがは)・かるも河(がは)をもうちわたり、
蓮(はす)の池(いけ)をば馬手(めて)にみて、駒(こま)の林(はやし)を弓手(ゆんで)になし、
板屋(いたや)ど【板宿】・須磨(すま)をもうちすぎて、西(にし)をさいてぞ落(おち)
たまふ。究竟(くつきやう)(く(ツ)きやう)の名馬(めいば)にはのり給(たま)へり、もみふせたる
馬共(むまども)お(ッ)【追つ】つくべしともおぼえず、ただのびにのび
P09442
ければ、梶原(かぢはら)源太(げんだ)景季(かげすゑ)、あぶみふ(ン)ばり立(たち)あがり【上がり】、
もしやと遠矢(とほや)(とをや)によ(ッ)ぴいてゐ(い)【射】たりけるに、三位(さんみの)中
将(ちゆうじやう)(ちうじやう)馬(むま)のさうづ【三頭】[B を]のぶか【篦深】にゐ(い)【射】させて、よはる(よわる)【弱る】ところ【所】に、後
藤兵衛(ごとうびやうゑ)盛長(もりなが)、わが馬(むま)めされなんずとや思(おも)ひけん、鞭(むち)を
あげてぞ落行(おちゆき)ける。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)是(これ)をみて、「いかに盛長(もりなが)、
年来(としごろ)日(ひ)ごろさはちぎらざりしものを。我(われ)を捨(すて)て
いづくへゆくぞ」との給(たま)へ共(ども)、空(そら)きかずして、鎧(よろひ)に
つけたるあかじるし【赤印】かなぐりすて【捨て】、ただにげ【逃げ】にこそ
P09443
逃(にげ)たりけれ。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)敵(かたき)は近(ちか)づく、馬(むま)はよはし(よわし)【弱し】、海(うみ)へ
うちいれ【入れ】給(たま)ひたりけれ共(ども)、そこしも[* 「すこしも」と有るのを高野本により訂正]とをあさ(とほあさ)【遠浅】にて
しづむべきやうもなかりければ、馬(むま)よりおり、鎧(よろひ)のうは
帯(おび)【上帯】きり、たかひもはづし、物具(もののぐ)ぬぎすて、腹(はら)を
きらんとし給(たま)ふところ【所】に、梶原(かぢはら)よりさきに庄(しやうの)四郎(しらう)
高家(たかいへ)、鞭(むち)あぶみをあはせて馳来(はせきた)り、いそぎ馬(むま)より
飛(とび)おり、「まさなう候(さうらふ)、いづくまでも御共(おんとも)仕(つかまつ)らん」とて、我(わが)
馬(むま)にかきのせ【乗せ】たてまつり【奉り】、鞍(くら)のP2219まへわ【前輪】にしめつけ、
P09444
わが身(み)はのりかへに乗(ッ)てぞかへりける。後藤兵
衛(ごとうびやうゑ)はいき【息】ながき【長き】究竟(くつきやう)(く(ツ)きやう)の馬(むま)にはの(ッ)【乗つ】たりけり、そこをば
なく逃(にげ)のびて、後(のち)には熊野(くまの)法師(ぼふし)(ぼうし)、尾中[B ノ](をなかの)(おなかの)法橋(ほつけう)(ほつきやう)をた
のん【頼ん】でゐたりけるが、法橋(ほつけう)(ほつきやう)死(しし)て後(のち)、後家(ごけ)の尼公(にこう)訴
訟(そしよう)(そせう)のために京(きやう)へのぼりたりけるに、盛長(もりなが)とも【供】して
のぼ(ッ)たりければ、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)のめのと子(ご)にて、上下(じやうげ)にはお
ほく【多く】見(み)しら【知ら】れたり。「あなむざん【無慚】の盛長(もりなが)や、さしも不
便(ふびん)にし給(たま)ひしに、一所(いつしよ)でいかにもならずして、思(おも)ひも
P09445
かけぬ尼公(にこう)の共(とも)したるにくさよ」とて、つまはじき
をしければ、盛長(もりなが)もさすがはづかしげにて、扇(あふぎ)を
かほにかざしけるとぞ聞(きこ)えし。敦盛最期(あつもりのさいご)S0916いくさ【軍】やぶれに
ければ、熊谷(くまがへの)次郎(じらう)直実(なほざね)(なをざね)、「平家[B ノ](へいけの)君達(きんだち)たすけ船(ぶね)【助け船】に
のらんと、汀(みぎは)の方(かた)へぞおち【落ち】給(たまふ)らん。あはれ、よからう
大将軍(たいしやうぐん)にくまばや」とて、磯(いそ)の方(かた)へあゆま【歩ま】するとこ
ろ【所】に、ねりぬき【練貫】に鶴(つる)ぬう【縫う】たる直垂(ひたたれ)に、萌黄(もえぎ)の
匂(にほひ)の鎧(よろひ)きて、くはがた【鍬形】う(ッ)たる甲(かぶと)の緒(を)(お)しめ、こがねづ
P09446
くりの太刀(たち)をはき、きりう(きりふ)【切斑】の矢(や)おひ【負ひ】、しげ藤(どう)の弓(ゆみ)
も(ッ)て、連銭葺毛(れんぜんあしげ)なる馬(むま)に黄覆輪(きぶくりん)(き(ン)ぶくりん)の鞍(くら)をい(おい)て
の(ッ)【乗つ】たる武者(むしや)一騎(いつき)、沖(おき)なるP2220舟(ふね)にめ【目】をかけて、海(うみ)へざ(ッ)と
うちいれ【入れ】、五六段(ごろくたん)ばかりおよがせたるを、熊谷(くまがへ)「あれは
大将軍(たいしやうぐん)とこそ見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へ。まさなうも敵(かたき)にうし
ろをみせ【見せ】させ給(たま)ふものかな。かへさ【返さ】せ給(たま)へ」と扇(あふぎ)をあげ
てまねきければ、招(まね)かれてと(ッ)てかへす【返す】。汀(みぎは)にうちあが
ら【上がら】むとするところ【所】に、おしならべてむずとくん【組ん】で
P09447
どうどおち【落ち】、と(ッ)ておさへて頸(くび)をかかんと甲(かぶと)をおし
あふのけて見(み)ければ、年(とし)十六七(じふろくしち)ばかりなるが、うす
げしやう【薄化粧】してかねぐろ也(なり)。我(わが)子(こ)の小次郎(こじらう)がよはひ
程(ほど)にて容顔(ようがん)まこと【誠】に美麗(びれい)也(なり)ければ、いづくに刀(かたな)を
立(たつ)べしともおぼえず。「抑(そもそも)いかなる人(ひと)にてましまし
候(さうらふ)ぞ。なのら【名乗ら】せ給(たま)へ、たすけ【助け】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん」と申(まう)せば、「汝(なんぢ)は
た【誰】そ」ととひ給(たま)ふ。「物(もの)そのもので候(さうら)はね共(ども)、武蔵国(むさしのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、
熊谷(くまがへの)次郎(じらう)直実(なほざね)(なをざね)」と名(な)のり申(まうす)。「さては、なんぢにあふ(あう)【逢う】ては
P09448
なのる【名乗る】まじゐ(まじい)ぞ、なんぢがためにはよい敵(かたき)ぞ。名(な)のら
ずとも頸(くび)をと(ッ)て人(ひと)にとへ。みし【見知】らふずる(うずる)ぞ」とぞ
の給(たま)ひける。熊谷(くまがへ)「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)大将軍(たいしやうぐん)や、此(この)人(ひと)一人(いちにん)うち
たてま(ッ)【奉つ】たり共(とも)、まく【負く】べきいくさ【軍】に勝(かつ)べき様(やう)もなし。
又(また)うちたてまつら【奉ら】ず共(とも)、勝(かつ)べきいくさ【軍】にまくること
よもあらじ。小次郎(こじらう)がうす手(で)【薄手】負(おひ)(をひ)たるをだに、直実(なほざね)(なをざね)
は心(こころ)ぐるしうこそおもふ【思ふ】に、此(この)殿(との)の父(ちち)、うた【討た】れぬとき
い【聞い】て、いかばかりかなげき給(たま)はんずらん、あはれ、たすけ【助け】たて
P09449
まつら【奉ら】ばや」と思(おも)ひて、うしろ【後】をき(ッ)とみければ、土肥(とひ)(とい)・
梶原(かぢはら)五十騎(ごじつき)ばかりでつづいたり。熊谷(くまがへ)涙(なみだ)をおP2221さへて
申(まうし)けるは、「たすけ【助け】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】んとは存(ぞんじ)候(さうら)へ共(ども)、御方(みかた)の軍
兵(ぐんびやう)雲霞(うんか)の如(ごと)く候(さうらふ)。よものがれ【逃れ】させ給(たま)はじ。人手(ひとで)に
かけまいらせ(まゐらせ)【参らせ】んより、同(おなじ)くは直実(なほざね)(なをざね)が手(て)にかけまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】て、後(のち)の御孝養(おんけうやう)をこそ仕(つかまつり)候(さうら)はめ」と申(まうし)ければ、「ただ
とくとく【疾く疾く】頸(くび)をとれ」とぞの給(たま)ひける。熊谷(くまがへ)あまりに
いとおしく(いとほしく)て、いづくに刀(かたな)をたつべしともおぼえず、
P09450
め【目】もくれ心(こころ)もきえ[* 「くれ」と有るのを高野本により訂正]はてて、前後(ぜんご)不覚(ふかく)におぼえけれ
ども、さてしもあるべき事(こと)ならねば、泣々(なくなく)頸(くび)をぞ
かいて(ン)げる。「あはれ、弓矢(ゆみや)とる身(み)ほど口惜(くちをし)(くちおし)かりける
ものはなし。武芸(ぶげい)の家(いへ)に生(むま)れずは、何(なに)とてかかる
うき目(め)をばみる【見る】べき。なさけなうもうちたてまつる【奉る】
物(もの)かな」とかきくどき、袖(そで)をかほにおしあててさめざめ
とぞ泣(なき)ゐたる。良(やや)久(ひさし)うあ(ッ)て、さてもあるべきならねば、
よろい(よろひ)【鎧】直垂(びたたれ)をと(ッ)て、頸(くび)をつつまんとしけるに、錦(にしき)の
P09451
袋(ふくろ)にいれ【入れ】たる笛(ふえ)をぞ腰(こし)にさされたる。「あないとお
し(いとほし)、この暁(あかつき)城(じやう)のうちにて管絃(くわんげん)し給(たま)ひつるは、この人々(ひとびと)
にておはしけり。当時(たうじ)みかた【御方】に東国(とうごく)の勢(せい)なん万騎(まんぎ)か
あるらめども、いくさ【軍】の陣(ぢん)へ笛(ふえ)もつ人(ひと)はよもあらじ。
上臈(じやうらふ)(じやうらう)は猶(なほ)(なを)もやさしかりけり」とて、九郎(くらう)御曹司[B ノ](おんざうしの)見
参(げんざん)に入(いれ)たりければ、是(これ)をみる【見る】人(ひと)涙(なみだ)をながさずと
いふ事(こと)なし。後(のち)にきけば、修理(しゆりの)大夫(だいぶ)(だゆう)経盛(つねもり)の子息(しそく)
に大夫(たいふ)(たゆふ)篤盛【*敦盛】(あつもり)とて、生年(しやうねん)十七(じふしち)にぞなられける。それ
P09452
よりしてこそ熊谷(くまがへ)が発心(ほつしん)のおもひ【思ひ】はすすみけれ。
件(くだん)の笛(ふえ)はおほぢ【祖父】忠盛(ただもり)笛(ふえ)の上手(じやうず)にて、鳥羽院(とばのゐん)より
給(たま)はP2222られたりけるとぞ聞(きこ)えし。経盛(つねもり)相伝(さうでん)せられたり
しを、篤盛【*敦盛】(あつもり)器量(きりやう)たるによ(ッ)て、もたれたりけると
かや。名(な)をばさ枝(えだ)【小枝】とぞ申(まうし)ける。狂言(きやうげん)綺語(きぎよ)のことはり(ことわり)【理】
といひながら、遂(つひ)(つゐ)に讃仏乗(さんぶつじよう)(さんぶつぜう)の因(いん)(ゐん)となるこそ哀(あはれ)なれ。
知章最期(ともあきらのさいご)S0917門脇(かどわきの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)教盛卿(のりもりのきやう)の末子(ばつし)蔵人(くらんどの)大夫(たいふ)成盛【*業盛】(なりもり)は、常
陸国(ひたちのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)土屋(つちやの)五郎(ごらう)重行(しげゆき)にくんでうた【討た】れ給(たま)ひぬ。
P09453
修理(しゆりの)大夫(だいぶ)経盛(つねもり)の嫡子(ちやくし)、皇后宮亮(くわうごうぐうのすけ)経正(つねまさ)は、たすけ
船(ぶね)【助け船】にのらんと汀(みぎは)の方(かた)へ落(おち)給(たま)ひけるが、河越(かはごえの)(かはごゑの)小
太郎(こたらう)重房(しげふさ)が手(て)に取籠(とりこめ)られてうた【討た】れ給(たま)ひぬ。
其(その)弟(おとと)若狭守(わかさのかみ)経俊(つねとし)・淡路守(あはぢのかみ)清房(きよふさ)・尾張守(をはりのかみ)(おはりのかみ)清定(きよさだ)、
三騎(さんぎ)つれて敵(かたき)のなかへかけ入(いり)、さんざんにたたかひ【戦ひ】、分捕(ぶんどり)
あまたして、一所(いつしよ)で討死(うちじに)して(ン)げり。新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)知盛
卿(とももりのきやう)は、生田森(いくたのもりの)大将軍(たいしやうぐん)にておはしけるが、其(その)勢(せい)み
な落(おち)うせて、今(いま)は御子(おんこ)武蔵守(むさしのかみ)知明【*知章】(ともあきら)、侍(さぶらひ)に監物(けんもつ)太郎(たらう)
P09454
頼方(よりかた)、ただ主従(しゆうじゆう)(しゆうじう)三騎(さんぎ)にな(ッ)て、たすけ船(ぶね)【助け船】にのらんと
汀(みぎは)の方(かた)へ落(おち)給(たま)ふ。ここに児玉党(こだまたう)とおぼしくて、
うちわ(うちは)【団扇】の旗(はた)さい【挿い】たる者共(ものども)十騎(じつき)ばかり、おめい(をめい)【喚い】て
お(ッ)【追つ】かけ奉(たてまつ)る。監物(けんもつ)太郎(たらう)は究竟(くつきやう)(く(ツ)きやう)の弓(ゆみ)の上手(じやうず)ではあり、
ま(ッ)さきにすすんだる旗(はた)さし【差】がしや頸(くび)のほねをひやう
ふつとゐ(い)【射】て、馬(むま)よりさかP2223さまにゐ(い)【射】おとす【落す】。そのなかの
大将(たいしやう)とおぼしきもの、新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)にくみ奉(たてまつ)らんと
馳(はせ)ならべけるを、御子(おんこ)武蔵守(むさしのかみ)知明【*知章】(ともあきら)中(なか)にへだたり、
P09455
おしならべてむずとくんでどうどおち【落ち】、と(ッ)ておさへ
て頸(くび)をかき、たち【立ち】あがら【上ら】んとし給(たま)ふところ【所】に、敵(かたき)が童(わらは)
おちあふ(あう)【逢う】て、武蔵守(むさしのかみ)の頸(くび)をうつ。監物(けんもつ)太郎(たらう)おち【落ち】
かさな(ッ)【重なつ】て、武蔵守(むさしのかみ)うち【討】たてま(ッ)【奉つ】たる敵(かたき)が童(わらは)をもう(ッ)て(ン)
げり。其(その)後(のち)矢(や)だねのある程(ほど)ゐ(い)【射】つくし【尽し】て、うち【打ち】物(もの)ぬ
いてたたかひ【戦ひ】けるが、敵(かたき)あまたうちとり、弓手(ゆんで)のひ
ざのくちをゐ(い)【射】させて、たち【立ち】もあがら【上ら】ず、ゐ【居】ながら討死(うちじに)
して(ン)げり。このまぎれに新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)は、究竟(くつきやう)(く(ツ)きやう)の名馬(めいば)
P09456
には乗(のり)給(たま)へり。海(うみ)のおもて廿(にじふ)余町(よちやう)およがせて、大臣殿(おほいとの)
の御船(おんふね)につき給(たま)ひぬ。御舟(おんふね)には人(ひと)おほく【多く】こみ
の(ッ)【乗つ】て、馬(むま)たつべき様(やう)もなかりければ、汀(みぎは)へお(ッ)【追つ】かへす【返す】。
阿波(あはの)民部(みんぶ)重能(しげよし)「御馬(おんむま)敵(かたき)のものになり候(さうらひ)なんず。ゐ(い)【射】
ころし【殺し】候(さうら)はん」とて、かた手矢(てや)はげて出(いで)けるを、新中納
言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)「何(なに)の物(もの)にもならばなれ。わが命(いのち)をたすけ【助け】たらん
物(もの)を。あるべうもなし」との給(たま)へば、ちから【力】及(およ)(をよ)ばでゐ(い)【射】ざり
けり。この馬(むま)ぬしの別(わかれ)をしたひつつ、しばしは船(ふね)を
P09457
もはなれ【離れ】やらず、沖(おき)の方(かた)へおよぎけるが、次第(しだい)に
遠(とほ)くなりければ、むなしき汀(みぎは)におよぎかへる。足(あし)
たつ程(ほど)にもなりしかば、猶(なほ)(なを)船(ふね)の方(かた)をかへりみて、二
三度(にさんど)までこそいななきけれ。其(その)後(のち)くが【陸】にあが(ッ)【上がつ】てや
すみけるを、河越(かはごえの)(かはごへの)小太郎(こたらう)重房(しげふさ)と(ッ)て、院(ゐん)へまいらせ(まゐらせ)【参らせ】
たりければ、やがて院(ゐん)の御P2224厩(みむまや)にたてられけり。も(ッ)とも【最も】
院(ゐん)の御秘蔵(ごひさう)の御馬(おんむま)にて、一(いち)の御厩(みむまや)にたてられたりし
を、宗盛公(むねもりこう)内大臣(ないだいじん)にな(ッ)て悦申(よろこびまうし)の時(とき)給(たま)はられたり
P09458
けるとぞ聞(きこ)えし。新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)にあづけられたり
しを、中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)あまりに此(この)馬(むま)を秘蔵(ひさう)して、馬(むま)の
祈(いのり)のためにとて、毎月(まいぐわつ)つゐたち(ついたち)【朔日】ごとに、泰山府
君(たいざんぶくん)をぞまつられける。其(その)故(ゆゑ)にや、馬(むま)の命(いのち)ものび、
ぬしのいのちもたすけ【助け】けるこそめでたけれ。此(この)馬(むま)は
信乃【*信濃】国(しなののくに)井[B ノ]上(ゐのうへ)だち【立】にてあり【有り】ければ、井上黒(ゐのうへぐろ)とぞ
申(まうし)ける。後(のち)には河越(かはごえ)(かはごへ)がと(ッ)てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりければ、
河越黒(かはごえぐろ)(かはごへぐろ)とも申(まうし)けり。新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)、大臣殿(おほいとの)の御(おん)まへに
P09459
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まう)されけるは、「武蔵守(むさしのかみ)におくれ候(さうらひ)ぬ。監物(けんもつ)
太郎(たらう)うたせ候(さうらひ)ぬ。今(いま)は心(こころ)ぼそうこそまかりな(ッ)て候(さうら)へ。
いかなる子(こ)はあ(ッ)て、親(おや)をたすけ【助け】んと敵(かたき)にくむ【組む】をみ【見】
ながら、いかなるおや【親】なれば、子(こ)のうたるるをたすけ【助け】ず
して、かやうにのがれ【逃れ】まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)らんと、人(ひと)のうへ【上】で候(さうら)はば
いかばかりもどかしう存(ぞんじ)候(さうらふ)べきに、よう命(いのち)はおしゐ(をしい)【惜しい】物(もの)で
候(さうらひ)けると今(いま)こそ思(おも)ひしら【知ら】れて候(さうら)へ。人々(ひとびと)の思(おも)はれん心(こころ)
のうち共(ども)こそはづかしう候(さうら)へ」とて、袖(そで)をかほにおし【押し】
P09460
あててさめざめと泣(なき)給(たま)へば、大臣殿(おほいとの)是(これ)をきき給(たま)ひて、
「武蔵守(むさしのかみ)の父(ちち)の命(いのち)にかはられけるこそありがた
けれ。手(て)もきき【利き】心(こころ)もかう【剛】に、よき大将軍(たいしやうぐん)にてお
はしつる人(ひと)を。清宗(きよむね)と同年(どうねん)にて、ことしは十六(じふろく)な」とて、
御子(おんこ)衛門督(ゑもんのかみ)のおはしける方(かた)P2225を御(ご)らんじて涙(なみだ)ぐみ
給(たま)へば、いくらもなみゐたりける平家(へいけ)の侍共(さぶらひども)、心(こころ)あるも
心(こころ)なきも、皆(みな)鎧(よろひ)の袖(そで)をぞぬらしける。落足(おちあし)S0918小松殿(こまつどの)の
末子(ばつし)、備中守(びつちゆうのかみ)(びつちうのかみ)師盛(もろもり)は、主従(しゆうじゆう)(しゆうじう)七人(しちにん)小舟(せうせん)にの(ッ)【乗つ】ておち【落ち】給(たま)ふ
P09461
所(ところ)に、新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)の侍(さぶらひ)清衛門(せいゑもん)公長(きんなが)といふ者(もの)馳来(はせきた)(ッ)て、
「あれは備中守殿(びつちゆうのかみどの)(びつちうのかみどの)の御舟(おんふね)とこそみ【見】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へ。まい
り(まゐり)【参り】候(さうら)はん」と申(まうし)ければ、船(ふね)を汀(みぎは)にさしよせたり。大(だい)の
男(をのこ)(おのこ)の鎧(よろひ)きながら、馬(むま)より舟(ふね)へがはと飛(とび)のらうに、
なじかはよかるべき。舟(ふね)はちゐさし(ちひさし)【小さし】、くるりとふみ
かへして(ン)げり。備中守(びつちゆうのかみ)(びつちうのかみ)うきぬしづみぬし給(たま)ひける
を、畠山(はたけやま)が郎等(らうどう)本田(ほんだの)次郎(じらう)、十四五(じふしご)騎(き)で馳来(はせきた)り、熊
手(くまで)にかけてひきあげ奉(たてまつ)り、遂(つひ)(つゐ)に頸(くび)をぞかいて[*この三字不要]
P09462
かいて(ン)げる。生年(しやうねん)十四(じふし)歳(さい)とぞ聞(きこ)えし。越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)(さんゐ)
通盛卿(みちもりのきやう)は山手(やまのて)の大将軍(たいしやうぐん)にておはしけるが、其(その)日(ひ)の
装束(しやうぞく)には、あか地(ぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、唐綾(からあや)おどし(をどし)の鎧(よろひ)
きて、黄河原毛(きがはらげ)なる馬(むま)に白覆輪(しろぶくりん)の鞍(くら)をい(おい)て
乗(のり)給(たま)へり。うち甲(かぶと)をゐ(い)【射】させて、敵(かたき)におしへだてられ、
おとと【弟】能登殿(のとどの)にははなた【離た】れ給(たま)ひぬ、しづか【静か】ならん所(ところ)
にて自害(じがい)せんとて、東(ひがし)(ひんがし)にむか(ッ)【向つ】て落(おち)給(たま)ふ程(ほど)に、近江P2226
国(あふみのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)佐々木(ささきの)木村(きむらの)三郎(さぶらう)成綱(なりつな)、武蔵国(むさしのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)玉井(たまのゐの)
P09463
四郎(しらう)資景(すけかげ)、かれこれ七騎(しちき)が中(なか)にとりこめられて、
遂(つひ)にうた【討た】れ給(たま)ひぬ。其(その)ときまでは侍(さぶらひ)一人(いちにん)
つき奉(たてまつり)たりけれ共(ども)、それも最後(さいご)の時(とき)はおち【落ち】あはず。
凡(をよ)そ(およそ)東西(とうざい)の木戸口(きどぐち)、時(とき)をうつす程(ほど)也(なり)ければ、源平(げんぺい)
かずをつくゐ(つくい)【尽くい】てうた【討た】れにけり。矢倉(やぐら)のまへ、逆(さか)も木(ぎ)【逆茂木】
のしたには、人馬(じんば)のししむら【肉】山(やま)のごとし。一谷(いちのたに)の小篠
原(をざさはら)、緑(みどり)のいろをひきかへ【替へ】て、うす紅(ぐれなゐ)にぞ成(なり)にける。
一谷(いちのたに)・生田森(いくたのもり)、山(やま)のそは、海(うみ)の汀(みぎは)にてゐ(い)【射】られきら【斬ら】れて
P09464
死(し)ぬるはしら【知ら】ず、源氏(げんじ)の方(かた)にきりかけ【懸け】らるる頸共(くびども)
二千(にせん)余人(よにん)也(なり)。今度(こんど)うた【討た】れ給(たま)へるむねとの人々(ひとびと)には、
越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)通盛(みちもり)・弟(おとと)蔵人(くらんどの)大夫(たいふ)成盛【*業盛】(なりもり)・薩摩守(さつまのかみ)忠教【*忠度】(ただのり)・武
蔵守(むさしのかみ)知明【*知章】(ともあきら)・備中守(びつちゆうのかみ)(びつちうのかみ)師盛(もろもり)・尾張守(をはりのかみ)(おはりのかみ)清定(きよさだ)・淡路守(あはぢのかみ)清房(きよふさ)・
修理(しゆりの)大夫(だいぶ)経盛(つねもりの)嫡子(ちやくし)皇后宮亮(くわうごうぐうのすけ)経正(つねまさ)・弟(おとと)若狭守
[M 守][* 「守守」とあり後の一字「守」をミセケチ](わかさのかみ)経俊(つねとし)・其(その)弟(おとと)大夫(たいふ)篤盛【*敦盛】(あつもり)、以上(いじやう)十人(じふにん)とぞ聞(きこ)えし。いくさ【軍】
やぶれにければ、主上(しゆしやう)をはじめたてま(ッ)【奉つ】て、人々(ひとびと)みな御
船(おふね)にめし【召し】て出(いで)給(たま)ふ心(こころ)のうちこそ悲(かな)しけれ。塩(しほ)に
P09465
ひかれ、風(かぜ)に随(したがひ)て、紀伊路(きのぢ)へおもむく船(ふね)もあり。
葦屋(あしや)の沖(おき)に漕(こぎ)いでて、浪(なみ)にゆらるる船(ふね)もあり。或(あるい)(ある)は
須磨(すま)より明石(あかし)の浦(うら)づたひ、泊(とまり)さだめぬ梶枕(かぢまくら)、
かたしく袖(そで)もしほれ(しをれ)【萎れ】つつ、朧(おぼろ)にかすむ春(はる)の月(つき)、
心(こころ)をくだかぬ人(ひと)ぞなき。或(あるい)(ある)は淡路(あはぢ)のせとを漕(こぎ)とをり(とほり)【通り】、
絵島(ゑしま)が磯(いそ)にただよへば、波路(なみぢ)かすか【幽】P2227に鳴(なき)わたり、友(とも)
まよ[B は]せるさ夜千鳥(よちどり)、是(これ)もわが身(み)のたぐひかな。行(ゆく)
さき未(いまだ)いづくとも思(おも)ひ定(さだ)めぬかとおぼしくて、
P09466
一谷(いちのたに)の奥(おき)にやすらふ舟(ふね)もあり。か様(やう)【斯様】に風(かぜ)にまかせ、
浪(なみ)に随(したがひ)て、浦々(うらうら)島々(しまじま)にただよへば、互(たがひ)(たがい)に死生(ししやう)もしり【知り】
がたし。国(くに)をしたがふる事(こと)も十四(じふし)ケ国(かこく)、勢(せい)のつく
ことも十万余騎(じふまんよき)、都(みやこ)へちかづく【近付く】事(こと)も纔(わづか)に一日(いちにち)の道(みち)
なれば、今度(こんど)はさり共(とも)とたのもしう【頼もしう】思(おも)はれけるに、
一谷(いちのたに)をも責(せめ)おとさ【落さ】れて、人々(ひとびと)みな心(こころ)ぼそうぞなられける。

* 小宰相身投(こざいしやうみなげ)S0919 は、龍谷大学本には無し。


平家物語(龍谷大学本)巻第十

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。


P10001
(表紙)
P10003 P2237
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第十(だいじふ)
首渡(くびわたし)S1001寿永(じゆえい)(じゆゑい)三年(さんねん)二月(にぐわつ)(にんぐわつ)七日(なぬかのひ)、摂津国(つのくに)一(いち)の谷(たに)にてうた【討た】
れし平氏(へいじ)の頸(くび)ども、十二日(じふににち)に宮(みや)こ【都】へいる【入る】。平
家(へいけ)にむすぼほれたる人々(ひとびと)は、我(わが)方(かた)ざまにいかな
るうき目(め)をかみ【見】んずらんと、なげきあひかなし
みあへ【合へ】り。なかにも大覚寺(だいかくじ)にかくれゐ給(たま)へる
小松(こまつの)三位(さんみの)(さんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛卿(これもりのきやう)の北(きた)の方(かた)、ことさら
おぼつかなく思(おも)はれける。「今度(こんど)一谷(いちのたに)にて一門(いちもん)の
P10004
人々(ひとびと)のこりすくなううた【討た】れ給(たま)ひ、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)と
いふ公卿(くぎやう)一人(いちにん)、いけどりにせられてのぼるなり」と
きき給(たま)ひ、「この人(ひと)はなれ【離れ】じ物(もの)を」とて、ひきか
づきてぞふし給(たま)ふ。或(ある)女房(にようばう)のいできて申(まうし)けるは、
「三位(さんみの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)と申(まうす)は、これの御事(おんこと)にてはさぶら
はず。本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)の御事(おんこと)なり」と申(まうし)ければ、
「さては頸(くび)どものなか【中】にこそあるらめ」とて、なを(なほ)【猶】心(こころ)
やすうもおもひ【思ひ】給(たま)はず。同(おなじき)十三日(じふさんにち)、大夫(たいふの)判官(はんぐわん)
P10005
仲頼(なかより)、六条河原(ろくでうかはら)にいでむか(ッ)【向つ】て、頸(くび)どもうけ【受け】とる【取る】。
東洞院(ひがしのとうゐん)(ひ(ン)がしのとうゐん)の大路(おほち)P2238を北(きた)へわたして獄門(ごくもん)の木(き)に
かけらるべきよし、蒲(がまの)冠者(くわんじや)範頼(のりより)・九郎(くらう)冠者(くわんじや)
義経(よしつね)奏聞(そうもん)す。法皇(ほふわう)(ほうわう)、此(この)条(でう)いかがあるべからんと
おぼしめし【思し召し】わづらひて、太政(だいじやう)大臣(だいじん)・左右(さう)の大臣(だいじん)・
内大臣(ないだいじん)・堀河(ほりかはの)大納言(だいなごん)忠親卿(ただちかのきやう)に仰(おほせ)あはせらる。五人(ごにん)
の公卿(くぎやう)申(まう)されけるは、「昔(むかし)より卿相(けいしやう)の位(くらゐ)にのぼる
物(もの)の頸(くび)、大路(おほち)をわたさるる事(こと)先例(せんれい)なし。
P10006
就中(なかんづく)此(この)輩(ともがら)は、先帝(せんてい)の御時(おんとき)、戚里(せきり)の臣(しん)として
久(ひさ)しく朝家(てうか)につかうまつる。範頼(のりより)・義経(よしつね)が申状(まうしじやう)(まうしでう)、
あながち御許容(ごきよよう)あるべからず」と、おのおの一同(いちどう)に
申(まう)されければ、渡(わた)さるまじきにてあり【有り】けるを、
範頼(のりより)・義経(よしつね)かさねて奏聞(そうもん)しけるは、「保元(ほうげん)の
昔(むかし)をおもへ【思へ】ば、祖父(そぶ)為義(ためよし)があた、平治(へいぢ)(へいじ)のいにしへ
を案(あん)ずれば、ちち義朝(よしとも)がかたき也(なり)。君(きみ)の御(おん)いき
どをり(いきどほり)【憤り】をやすめたてまつり【奉り】、父祖(ふそ)の恥(はぢ)をきよ
P10007
めんがために、命(いのち)をすてて朝敵(てうてき)をほろぼす。
今度(こんど)平氏(へいじ)の頸(くび)ども大路(おほち)をわたされずは、
自今(じごん)以後(いご)なんのいさみあ(ッ)てか凶賊(きようぞく)(けうぞく)をしりぞ
けんや」と、両人(りやうにん)頻(しきり)にう(ッ)たへ(うつたへ)【訴へ】申(まうす)あひだ、法皇(ほふわう)(ほうわう)ちか
らおよば【及ば】せ給(たま)はで、つゐに(つひに)【遂に】わたされけり。みる【見る】人(ひと)
いくらといふかずをしらず。帝闕(ていけつ)に袖(そで)をつらねし
いにしへは、おぢをそるる(おそるる)【恐るる】輩(ともがら)おほかり【多かり】き。巷(ちまた)(チマタ)に
かうべをわたさるる今(いま)は、あはれみかなしまずと
P10008
いふ事(こと)なし。小松(こまつ)の三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛卿(これもりのきやう)の若君(わかぎみ)、
六代御前(ろくだいごぜん)につきたてま(ッ)【奉つ】たる斎藤五(さいとうご)、斎藤六(さいとうろく)、
あまりのおぼつかなさに、さまをやつしてみ
ければ、頸(くび)どもは見(み)しりたP2239てま(ッ)たれども、三位(さんみの)
中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)の御頸(おんくび)は見(み)え給(たま)はず。されどもあまりに
かなしくて、つつむにたへ【堪へ】ぬ涙(なみだ)のみしげかり
ければ、よその人目(ひとめ)もおそろしさ【恐ろしさ】に、いそぎ大覚寺(だいかくじ)
へぞまひり(まゐり)【参り】ける。北方(きたのかた)「さて、いかにやいかに」ととひ
P10009
給(たま)へば、「小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)には、備中(びつちゆうの)(びつちうの)守殿(かみどの)の御頸(おんくび)ばか
りこそみえ【見え】させ給(たま)ひ候(さうらひ)つれ。其(その)外(ほか)はそんぢやう
その頸(くび)、その御頸(おんくび)」と申(まうし)ければ、「いづれも人(ひと)のうへ
ともおぼえず」とて、涙(なみだ)にむせび給(たま)ひけり。ややあ(ッ)て、
斎藤五(さいとうご)涙(なみだ)ををさへ(おさへ)て申(まうし)けるは、「この一両年(いちりやうねん)
はかくれゐ候(さうらひ)て、人(ひと)にもいたくみしられ候(さうら)はず。いま
しばらくも見(み)まいらす(まゐらす)【参らす】べう候(さうらひ)つれども、よにくはしう
案内(あんない)しり【知り】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たる物(もの)の申(まうし)候(さうらひ)つるは、「小松殿(こまつどの)の
P10010
君達(きんだち)は、今度(こんど)の合戦(かつせん)には、播磨(はりま)と丹波(たんば)のさかゐ(さかひ)【境】
で候(さうらふ)なるみくさ【三草】の山(やま)をかためさせ給(たまひ)て候(さうらひ)けるが、
九郎(くらう)義経(よしつね)にやぶられて、新三位(しんざんみの)(しんざんゐの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)・小松(こまつの)
少将殿(せうしやうどの)・丹後(たんごの)侍従殿(じじゆうどの)(じじうどの)は播磨(はりま)の高砂(たかさご)より御舟(おふね)
にめし【召し】て、讃岐(さぬき)の八島(やしま)へわたらせ給(たまひ)て候(さうらふ)也(なり)。何(なに)と
してはなれ【離れ】させ給(たまひ)て候(さうらひ)けるやらん、御兄弟(ごきやうだい)の御(おん)
なかには、備中(びつちゆうの)(びつちうの)守殿(かみどの)ばかり一谷(いちのたに)にてうた【討た】れさせ
給(たまひ)て候(さうらふ)」と申(まうす)ものにこそあひ【逢ひ】て候(さうらひ)つれ。「さて小松(こまつの)
P10011
三位(さんみの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)の御事(おんこと)はいかに」ととひ候(さうらひ)つれば、「それ
はいくさ【軍】以前(いぜん)より大事(だいじ)の御(おん)いたはりとて、八島(やしま)
に御渡(おんわたり)候(さうらふ)あひだ、このたびはむかは【向は】せ給(たまひ)候(さうら)はず」と、
こまごまとこそ申(まうし)候(さうらひ)つれ」と申(まうし)ければ、「それもわ
れら【我等】が事(こと)をあまりにおもひ【思ひ】なげP2240き給(たま)ふが、病(やまひ)
となりたるにこそ。風(かぜ)のふく日(ひ)は、けふもや舟(ふね)に
のり給(たまふ)らんと肝(きも)をけし、いくさ【軍】といふ時(とき)は、ただ
いまもやうた【討た】れ給(たまふ)らんと心(こころ)をつくす。ましてさや
P10012
うのいたはりなんど(など)をも、たれか心(こころ)やすうもあ
つかひたてまつる【奉る】べき。くはしうきかばや」との給(たま)へば、
若君(わかぎみ)・姫君(ひめぎみ)、「など、なんの御(おん)いたはりとはとは【問は】ざり
けるぞ」とのたまひけるこそ哀(あはれ)なれ。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)
もかよふ心(こころ)なれば、「宮(みや)こ【都】にいかにおぼつかなく
おもふ【思ふ】らん。頸(くび)どものなか【中】にはなくとも、水(みづ)におぼ
れてもしに、矢(や)にあた(ッ)てもうせぬらん。この世(よ)に
ある物(もの)とはよもおもは【思は】じ。露(つゆ)の命(いのち)のいまだなが
P10013
らへ【永らへ】たるとしら【知ら】せたてまつらばや」とて、侍(さぶらひ)一人(いちにん)
したて【仕立て】て宮(みや)こ【都】へのぼせられけり。三(みつ)の文(ふみ)をぞ
かかれける。まづ北方(きたのかた)への御(おん)ふみ【文】には、「宮(みや)こ【都】にはかた
きみちみちて、御身(おんみ)ひとつのおきどころだにあ
らじに、おさなき(をさなき)【幼き】物(もの)どもひきぐし【具し】て、いかにか
なしう【悲しう】おぼすらん。これへむかへ【向へ】たてま(ッ)【奉つ】て、ひと
ところ【一所】でいかにもならばやとはおもへ【思へ】ども、我(わが)身(み)
こそあらめ、御(おん)ため心(こころ)ぐるしくて」な(ン)ど(など)こまごまと
P10014
かきつづけ、おくに一首(いつしゆ)の歌(うた)ぞあり【有り】ける。
いづくともしらぬ逢(あふ)せのもしほ草(ぐさ)
かきをく(おく)【置く】跡(あと)をかたみとも見(み)よ W073
おさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)の御(おん)もとへは、「つれづれをばいかにして
かなぐさ【慰】み給(たまふ)らん。いP2241そぎむかへ【向へ】とらんずるぞ」
と、こと葉(ば)もかはらずかいてのぼせられけり。この
御(おん)ふみ【文】どもを給(たま)は(ッ)て、つかひ【使ひ】宮(みや)こ【都】へのぼり、北方(きたのかた)に
御文(おんふみ)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりければ、今(いま)さら又(また)なげきかな
P10015
しみ給(たま)ひけり。つかひ【使ひ】四五日(しごにち)候(さうらひ)て、いとま申(まうす)。北方(きたのかた)
なくなく御返事(おんぺんじ)かき給(たま)ふ。若公(わかぎみ)姫君(ひめぎみ)筆(ふで)をそめ【染め】
て、「さてちち【父】御(ご)ぜんの御返事(おんぺんじ)はなにと申(まうす)べきや
らん」ととひ給(たま)へば、「ただともかうも、わ御(ご)ぜんたち
のおもは【思は】んやうに申(まうす)べし」とこその給(たま)ひけれ。
「などやいままでむかへ【向へ】させ給(たま)はぬぞ。あまりに恋(こひ)
しく思(おも)ひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)。とくとくむかへ【向へ】させ給(たま)へ」
と、おなじこと葉(ば)にぞかかれたる。この御(おん)ふみ【文】
P10016
どもを給(たま)は(ッ)て、つかひ【使ひ】八島(やしま)にかへりまいる(まゐる)【参る】。三位(さんみの)中
将(ちゆうじやう)(ちうじやう)、まづおさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)の御文(おんふみ)を御(ご)らんじてこそ、いよいよ
せんかたなげにはみえ【見え】られけれ。「抑(そもそも)これより穢土(ゑど)
を厭(いとふ)にいさみなし。閻浮愛執(えんぶあいしふ)(ゑんぶあいしう)の綱(つな)つよければ、浄土(じやうど)
をねがふも物(もの)うし。ただこれよりやまづたひ【山伝ひ】
に宮(みや)こ【都】へのぼ(ッ)て、恋(こひ)しきものどもをいま一度(いちど)
みもし、見(み)えての後(のち)、自害(じがい)をせんにはしかじ」とぞ、
なくなくかたり給(たま)ひける。内裏女房(だいりにようばう)S1002 P2242同(おなじき)十四日(じふしにち)、いけどり【生捕り】本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)
P10017
中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡卿(しげひらのきやう)、六条(ろくでう)を東(ひがし)(ひ(ン)がし)へわたされけり。小(こ)八葉(はちえふ)(はちよう)
の車(くるま)に先後(ぜんご)の簾(すだれ)をあげ、左右(さう)の物見(ものみ)をひらく。
土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)実平(さねひら)、木蘭地(むくらんぢ)の直垂(ひたたれ)に小具足(こぐそく)ばかり
して、随兵(ずいびやう)卅余騎(さんじふよき)、車(くるま)の先後(ぜんご)にうちかこ(ン)で守
護(しゆご)したてまつる。京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)の貴賎(きせん)これをみて、「あないと
をし(いとほし)、いかなる罪(つみ)のむくひぞや。いくらもまします
君達(きんだち)のなかに、かくなり給(たま)ふ事(こと)よ。入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)にも
二位殿(にゐどの)にも、おぼえの御子(おんこ)にてましまひ(ましまい)しかば、
P10018
御一家(ごいつか)の人々(ひとびと)もおもき【重き】事(こと)におもひ【思ひ】たてまつ
り【奉り】給(たま)ひしぞかし。院(ゐん)へも内(うち)へもまひり(まゐり)【参り】給(たま)ひし時(とき)
は、老(おい)たるも若(わかき)も、ところ【所】ををき(おき)、もてなしたて
まつり【奉り】給(たま)ひし物(もの)を。これは南都(なんと)をほろぼし
給(たま)へる伽藍(がらん)の罰(ばち)にこそ」と申(まうし)あへ【合へ】り。河原(かはら)まで
わたされて、かへ(ッ)【帰つ】て、故(こ)中御門(なかのみかど)藤(とうの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)家成卿(かせいのきやう)の
八条堀川(はつでうほりかは)の御(み)だう【堂】にすゑたてま(ッ)【奉つ】て、土肥(とひの)(といの)二郎【*次郎】(じらう)
守護(しゆご)したてまつる【奉る】。院(ゐんの)御所(ごしよ)より御使(おんつかひ)に蔵人(くらんどの)
P10019
左衛門(さゑもんの)権佐(ごんのすけ)定長(さだなが)、八条堀河(はつでうほりかは)へむかは【向は】れけり。赤衣(せきい)
にて剣笏(けんしやく)をぞ帯(たい)したりける。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)は紺
村滋(こむらご)の直垂(ひたたれ)に、立烏帽子(たてえぼし)(たてゑぼし)ひきたてておはし
ます。日(ひ)ごろは何(なに)ともおもは【思は】れざりし定長(さだなが)を、
いまは冥途(めいど)にて罪人共(ざいにんども)が冥官(みやうくわん)に逢(あ)へる心地(ここち)
ぞせられける。仰下(おほせくだ)されけるは、「八島(やしま)へかへりたくは、
一門(いちもん)のなかへいひ【言ひ】おく(ッ)【送つ】て、三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)を宮(みや)こ【都】へ
返(かへ)しいれ【入れ】たてまつれ【奉れ】。しからば八島(やしま)へかへさ【返さ】るべしと
P10020
の御気色(ごきしよく)で候(さうらふ)」と申(まうす)。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)申(まう)されけるは、「重
衡(しげひら)千P2243人(せんにん)万人(まんにん)が命(いのち)にも、三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)をかへ
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】んとは、内府(だいふ)以下(いげ)一門(いちもん)の物共(ものども)、一人(いちにん)もよも
申(まうし)候(さうら)はじ。もし女性(によしやう)にて候(さうら)へば、母儀(ぼぎ)の二品(にほん)なんど(など)
やさも申(まうし)候(さうら)はんずらん。さは候(さうら)へども、居(ゐ)ながら院
宣(ゐんぜん)をかへしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん事(こと)、其(その)おそれ【恐れ】も候(さうら)へば、申(まうし)
おく(ッ)【送つ】てこそみ候(さうら)はめ」とぞ申(まう)されける。御使(おんつかひ)は
平三左衛門(へいざうざゑもん)重国(しげくに)、御坪(おつぼ)の召次(めしつぎ)花方(はなかた)とぞき
P10021
こえ【聞え】し。私(わたくし)のふみはゆるさ【許さ】れねば、人々(ひとびと)のもとへも
詞(ことば)にて事(こと)づけ給(たま)ふ。北方(きたのかた)大納言佐殿(だいなごんのすけどの)へも御詞(おんことば)にて
申(まう)されけり。「旅(たび)のそらにても、人(ひと)はわれになぐさみ、
我(われ)は人(ひと)になぐさみたてまつり【奉り】しに、ひき別(わかれ)て後(のち)、
いかにかなしう【悲しう】おぼすらん。「契(ちぎり)はくちせぬ物(もの)」と申(まう)
せば、後(のち)の世(よ)にはかならず【必ず】むまれ【生れ】逢(あひ)たてまつらん」と、
なくなく【泣く泣く】ことづけ給(たま)へば、重国(しげくに)も涙(なみだ)ををさへ(おさへ)てたち
にけり。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の年(とし)ごろめし【召し】つかは【使は】れける侍(さぶらひ)に、
P10022
木工(もくの)右馬允(むまのじよう)(むまのぜう)知時(ともとき)といふものあり。八条[B ノ](はつでうの)女院(にようゐん)に候(さうらひ)
けるが、土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)がもとにゆきむか(ッ)【向つ】て、「これは中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)
に先年(せんねん)めし【召し】つかは【使は】れ候(さうらひ)しそれがし【某】と申(まうす)物(もの)にて
候(さうらふ)が、西国(さいこく)へも御共(おんとも)仕(つかまつる)べきよし存(ぞんじ)候(さうらひ)しかども、八条[B ノ](はつでうの)
女院(にようゐん)に兼参(けんざん)の物(もの)にて候(さうらふ)あひだ、ちからおよば【及ば】でま
かりとどま(ッ)て候(さうらふ)が、けふ大路(おほち)でみまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へば、目(め)もあて
られず、いとをしう(いとほしう)おもひたてまつり【奉り】候(さうらふ)。しかる【然る】
べう候者(さうらはば)、御(おん)ゆるされ【許され】を蒙(かうぶり)て、ちかづき【近付き】まひり(まゐり)【参り】候(さうらひ)て、
P10023
今(いま)一度(いちど)見参(げんざん)にいり、昔(むかし)がたりをも申(まうし)て、なぐ
さめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ばやと存(ぞんじ)候(さうらふ)。させるP2244弓矢(ゆみや)とる身(み)で
候(さうら)はねば、いくさ【軍】合戦(かつせん)の御供(おんとも)を仕(つかまつり)たる事(こと)も候(さうら)はず、
ただあさゆふ祗候(しこう)せしばかりで候(さうらひ)き。さり
ながら、猶(なほ)(なを)おぼつかなうおぼしめし【思し召し】候者(さうらはば)、腰(こし)の
刀(かたな)をめし【召し】おかれて、まげて御(おん)ゆるされ【許され】を蒙(かうぶり)候(さうらは)ばや」
と申(まう)せば、土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)なさけあるおのこ(をのこ)【男】にて、「御一
身(ごいつしん)ばかりは何事(なにごと)か候(さうらふ)べき。さりながらも」とて、腰(こし)
P10024
の刀(かたな)をこひ【乞ひ】と(ッ)ていれ【入れ】て(ン)げり。右馬允(むまのじよう)(むまのぜう)なのめならず
悦(よろこび)て、いそぎまい(ッ)(まゐつ)【参つ】てみたてまつれ【奉れ】ば、誠(まこと)に思(おも)ひいれ【入れ】
給(たま)へるとおぼしくて、御(おん)すがたもいたくしほれ(しをれ)【萎れ】
かへ(ッ)【返つ】てゐたまへる御(おん)ありさまをみたてまつる【奉る】に、知時(ともとき)
涙(なみだ)もさらにおさへがたし。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)もこれを
御(ご)らんじて、夢(ゆめ)に夢(ゆめ)みる【見る】心地(ここち)して、とかうの事(こと)も
のたまはず。ただなく【泣く】より外(ほか)の事(こと)ぞなき。やや
久(ひさ)しうあ(ッ)て、昔(むかし)いまの物語(ものがたり)どもし給(たま)ひて後(のち)、
P10025
「さてもなんぢして物(もの)いひ【言ひ】し人(ひと)は、いまだ内裏(だいり)
にとやきく」。「さこそうけ給(たまはり)候(さうら)へ」。「西国(さいこく)へくだりし
時(とき)、ふみをもやらず、いひおく事(こと)だになかりし
を、世々(よよ)の契(ちぎり)はみないつはりにてあり【有り】けりとお
もふ【思ふ】らんこそはづかしけれ。ふみ【文】をやらばやと
思(おもふ)は。たづね【尋ね】てゆきてんや」との給(たま)へば、「御(おん)ふみ【文】を給(たま)は(ッ)て
まいり(まゐり)【参り】候(さうら)はん」と申(まうす)。中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)なのめならず悦(よろこび)て、や
がてかい【書い】てぞたう【賜う】だりける。守護(しゆご)の武士(ぶし)ども
P10026
「いかなる御(おん)ふみ【文】にて候(さうらふ)やらん。いだしまいらせ(まゐらせ)【参らせ】じ」と
申(まうす)。中将(ちゆうじやう)「みせよ【見せよ】」との給(たま)へば、みせ【見せ】て(ン)げり。「くるしう【苦しう】
候(さうらふ)まじ」とてとらせけり。知P2245時(ともとき)も(ッ)て内裏(だいり)へま
いり(まゐり)【参り】たりけれども、ひるは人(ひと)めのしげければ、その
へんちかき小屋(せうをく)(せうおく)に立入(たちいり)て日(ひ)をくらし、局(つぼね)の
下口(しもぐち)へんにたたず(ン)できけば、この人(ひと)のこゑ【声】と
おぼしくて、「いくらもある人(ひと)のなかに、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)
しもいけどり【生捕り】にせられて、大路(おほち)をわたさるる
P10027
事(こと)よ。人(ひと)はみな奈良(なら)をやきたる罪(つみ)のむくひ
といひあへ【合へ】り。中将(ちゆうじやう)もさぞいひし。「わが心(こころ)におこ(ッ)て
はやかねども、悪党(あくたう)おほかり【多かり】しかば、手々(てんで)(て(ン)で)に火(ひ)を
はな(ッ)て、おほく【多く】の堂塔(だうたふ)(だうたう)をやきはらふ。末[M 「未」とありミセケチ「末(スエ)」と傍書](すゑ)の露(つゆ)本(もと)の
しづくとなるなれば、われ一人(いちにん)が罪(つみ)にこそならんずら
め」といひしが、げにさとおぼゆる」とかきくどき、さ
めざめとぞなか【泣か】れける。右馬允(むまのじよう)(むまのぜう)「これにもおもは【思は】れ
けるものを」といとをしう(いとほしう)おぼえて、「物(もの)申(ものまう)さう」どいへば、
P10028
「いづくより」ととひ給(たま)ふ。「三位(さんみの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)より御文(おんふみ)の候(さうらふ)」と
申(まう)せば、年(とし)ごろははぢてみえ【見え】給(たま)はぬ女房(にようばう)の、せめ
ての思(おも)ひのあまりにや、「いづらやいづら」とてはしり【走り】
いで【出で】て、手(て)づからふみをと(ッ)てみ【見】給(たま)へば、西国(さいこく)よりとら
れてありしありさま、けふあすともしらぬ身(み)
のゆくゑ(ゆくへ)【行方】な(ン)ど(など)こまごまとかきつづけ、おくには一
首(いつしゆ)の歌(うた)ぞあり【有り】ける。
涙河(なみだがは)うき名(な)をながす身(み)なりとも
P10029
いま一(ひと)たびの逢(あふ)せともがな W074
女房(にようばう)これをみ【見】給(たま)ひて、とかうの事(こと)もの給(たま)はず、
ふみをふところ【懐】にひき入(いれ)て、ただなくより外(ほか)の
事(こと)ぞなき。やや久(ひさ)しうあ(ッ)て、さてもあるべき
ならねば、御(おん)かP2246へり事(ごと)あり。心(こころ)ぐるしういぶせくて、
二(ふた)とせををくり(おくり)【送り】つる心(こころ)のうちをかき給(たま)ひて、
君(きみ)ゆへ(ゆゑ)【故】にわれもうき名(な)をながすとも
そこ【底】のみくづ【水屑】とともになりなん W075
P10030
知時(ともとき)も(ッ)てまいり(まゐり)【参り】たり。守護(しゆご)の武士(ぶし)ども、又(また)「見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】
候(さうら)はん」と申(まう)せば、みせ【見せ】て(ン)げり。「くるしう【苦しう】候(さうらふ)まじ」とて
たてまつる【奉る】。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)これをみて、いよいよ
思(おも)ひやまさり給(たま)ひけん、土肥(とひの)(といの)二郎【*次郎】(じらう)にの給(たま)ひ
けるは、「年来(としごろ)あひぐし【具し】たりし女房(にようばう)に、今(いま)一度(いちど)
対〔面〕(たいめん)して、申(まうし)たき事(こと)のあるはいかがすべき」との給(たま)
へば、実平(さねひら)なさけあるおのこ(をのこ)【男】にて、「まこと【誠】に女房(にようばう)な(ン)
ど(など)の御事(おんこと)にてわたらせ給(たまひ)候(さうら)はんは、なじかはくるしう【苦しう】
P10031
候(さうらふ)べき」とてゆるしたてまつる【奉る】。中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)なのめならず
悦(よろこび)て、人(ひと)に車(くるま)か(ッ)【借つ】てむかへ【向へ】につかはし【遣し】たりければ、
女房(にようばう)とりもあへずこれにの(ッ)【乗つ】てぞおはしたる。ゑん(えん)【縁】
に車(くるま)をやりよせて、かくと申(まう)せば、中将(ちゆうじやう)車(くるま)よせ
にいで【出で】むかひ【向ひ】給(たま)ひ、「武士(ぶし)どものみ【見】たてまつる【奉る】に、おり
させ給(たまふ)べからず」とて、車(くるま)の簾(すだれ)をうちかづき、手(て)に
手(て)をとりくみ、かほにかほをおしあてて、しばしは
物(もの)もの給(たま)はず、ただなくより外(ほか)の事(こと)ぞなき。
P10032
やや久(ひさ)しうあ(ッ)て中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の給(たま)ひけるは、「西国(さいこく)へくだ
りし時(とき)、今(いま)一度(いちど)みまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たう候(さうらひ)しかども、おほ
かたの世(よ)のさはがしさ(さわがしさ)【騒がしさ】に、申(まうす)べきたよりもなく
てまかりくだり候(さうらひ)ぬ。其(その)後(のち)はいかにもして御(おん)ふみ【文】
をもまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、P2247御(おん)かへり事(ごと)をもうけ給(たま)はり【承り】たう
候(さうらひ)しかども、心(こころ)にまかせぬ旅(たび)のならひ【習ひ】、あけくれ
のいくさ【軍】にひまなくて、むなしくとし月(つき)をおく
り【送り】候(さうらひ)き。いま又(また)人(ひと)しれぬありさまをみ候(さうらふ)は、ふた
P10033
たびあひみたてまつる【奉る】べきで候(さうらひ)けり」とて、袖(そで)を
かほにおしあてて、うつぶしにぞなられける。たがひの
心(こころ)のうち、おしはかられてあはれ【哀】也(なり)。かくてさ夜(よ)も
なか半(ば)になりければ、「この比(ごろ)は大路(おほち)の狼籍【*狼藉】(らうぜき)に候(さうらふ)に、
とうとう【疾う疾う】」とてかへしたてまつる【奉る】。車(くるま)やりいだせば、
中将(ちゆうじやう)別(わかれ)の涙(なみだ)ををさへ(おさへ)て、なくなく【泣く泣く】袖(そで)をひかへつつ、
逢(あふ)ことも露(つゆ)の命(いのち)ももろともに
こよひばかりやかぎりなるらん W076
P10034
女房(にようばう)なみだををさへ(おさへ)つつ、
かぎりとてたちわかるれば露(つゆ)の身(み)の
君(きみ)よりさきにきえぬべきかな W077
さて女房(にようばう)は内裏(だいり)へまいり(まゐり)【参り】給(たま)ひぬ。其(その)後(のち)は守護(しゆご)
の武士(ぶし)どもゆるさねば、ちからおよば【及ば】ず、時々(ときどき)御文(おんふみ)
ばかりぞかよひける。この女房(にようばう)と申(まう)すは、民部
卿(みんぶきやうの)入道(にふだう)(にうだう)親範(ちかのり)のむすめ也(なり)。みめかたち世(よ)にすぐ
れ、なさけふかき人(ひと)也(なり)。されば中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)、南都(なんと)へ
P10035
わたされてきられ給(たまひ)ぬときこえ【聞え】しかば、や
がてさまをかへ、こき墨染[* 「黒染」と有るのを高野本により訂正](すみぞめ)にやつれはて、彼(かの)後世
菩提(ごせぼだい)をとぶらはれけるこそ哀(あはれ)なれ。P2248八島院宣(やしまゐんぜん)S1003さるほど【程】に、
平三左衛門(へいざうざゑもん)重国(しげくに)、御坪(おつぼ)のめしつぎ花方(はなかた)、八島(やしま)に
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て院宣(ゐんぜん)をたてまつる【奉る】。おほいとの以下(いげ)一門(いちもん)の
月卿(げつけい)雲客(うんかく)よりあひ給(たま)ひて、院宣(ゐんぜん)をひらかれ
けり。一人(いちじん)聖体(せいてい)、北闕(ほつけつ)の宮禁(きゆうきん)(きうきん)をいで【出で】て、諸州(しよしう)に幸(かう)じ、
三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)、南海(なんかい)・四国(しこく)にうづもれて数年(すねん)をふ【経】、
P10036
尤(もつと)も朝家(てうか)のなげき、亡国(ばうこく)の基(もとゐ)(もとい)也(なり)。抑(そもそも)彼(かの)重衡
卿(しげひらのきやう)は、東大寺(とうだいじ)焼失(ぜうしつ)の逆臣(げきしん)也(なり)。すべからく頼朝(よりともの)
朝臣(あそん)(あつそん)申請(まうしうく)る旨(むね)にまかせて、死罪(しざい)におこなはるべし
といへども、独(ひと)り親族(しんぞく)にわかれて、已(すで)にいけどり【生捕り】と
なる。籠鳥(ろうてう)雲(くも)を恋(こふ)るおもひ【思ひ】、遥(はるか)に千里(せんり)の南
海(なんかい)にうかび、帰雁(きがん)友(とも)を失(うしな)ふ心(こころ)、さだめて九重(きうちよう)(きうてう)の
中途(ちゆうと)(ちうと)に通(とう)ぜんか。しかれば則(すなはち)三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)を
かへし入(いれ)たてまつら【奉ら】んにおひて(おいて)は、彼(かの)卿(きやう)を寛宥(くわんいう)(くわんゆう)
P10037
せらるべき也(なり)。者(てへれば)院宣(ゐんぜん)かくのごとし。仍(よつて)執達(しつたつ)如
件(くだんのごとし)。寿永(じゆえい)(じゆゑい)三年(さんねん)二月(にぐわつ)(にんぐわつ)十四日(じふしにち)大膳(だいぜんの)大夫(だいぶ)成忠(なりただ)が
うけ給(たま)はり【承り】進上(しんじやう)平(へい)大納言殿(だいなごんどの)へとぞかかれたる。P2249
請文(うけぶみ)S1004大臣殿(おほいとの)・平(へい)大納言(だいなごん)のもとへは院宣(ゐんぜん)のおもむき【趣】を
申(まうし)給(たま)ふ。二位殿(にゐどの)へは御(おん)ふみ【文】こまごまとかいてまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】られたり。「いま一度(いちど)御(ご)らんぜんとおぼしめし【思し召し】
候(さうら)はば、内侍所(ないしどころ)の御事(おんこと)を大臣殿(おほいとの)によくよく申(まう)
させをはしませ(おはしませ)。さ候(さうら)はでは、この世(よ)にてげんざんに入(いる)
P10038
べしとも覚(おぼえ)候(さうら)はず」な(ン)ど(など)ぞかかれたる。二位殿(にゐどの)は
これをみ【見】給(たま)ひて、とかうの事(こと)もの給(たま)はず、ふみを
ふところ【懐】にひき【引き】いれ【入れ】て、うつぶしにぞなられける。
まこと【誠】に心(こころ)のうち、さこそはをはし(おはし)けめとおし
はから【推し量ら】れて哀(あはれ)なり。さる程(ほど)に、平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)
をはじめとして、平家(へいけ)一門(いちもん)の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)より
あひ給(たま)ひて、御請文(おんうけぶみ)(おんうけふみ)のおもむき【趣】僉議(せんぎ)せらる。
二位殿(にゐどの)は中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)のふみをかほにおしあてて、人々(ひとびと)の
P10039
なみゐたまへるうしろの障子(しやうじ)をひきあけて、
大臣殿(おほいとの)の御(おん)まへにたをれ(たふれ)【倒れ】ふし、なくなく【泣く泣く】の給(たま)ひける
は、「あの中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)が京(きやう)よりいひをこし(おこし)【遣こし】たる事(こと)のむ
ざんさよ。げにも心(こころ)のうちにいかばかりの事(こと)を
思(おも)ひゐたるらん。ただわれにおもひ【思ひ】ゆるして、
内侍所(ないしどころ)を宮(みや)こ【都】へかへしいれ【入れ】たてまつれ【奉れ】」との給(たま)へば、
大臣殿(おほいとの)「誠(まこと)に宗盛(むねもり)もさこそは存(ぞんじ)候(さうら)へども、さすが
世(よ)のきこへ(きこえ)【聞え】もいふかい(かひ)なう候(さうらふ)。且(かつ)(かつ(ウ))は頼朝(よりとも)がおもは【思は】ん
P10040
事(こと)もはづかしう候(さうら)へば、左右(さう)なう内侍所(ないしどころ)をかへ
し入(いれ)たてまつる【奉る】事(こと)はかなひ【叶ひ】P2250候(さうらふ)まじ。其(その)うへ、帝王(ていわう)
の世(よ)をたもた【保た】せ給(たま)ふ御事(おんこと)は、ひとへに内侍所(ないしどころ)の
御(おん)ゆへ(ゆゑ)【故】也(なり)。子(こ)のかなしいも様(やう)にこそより候(さうら)へ。且(かつ)(かつ(ウ))は
中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)一人(いちにん)に、余(よ)の子(こ)ども、したしゐ(したしい)【親しい】人々(ひとびと)をば、さて
おぼしめし【思し召し】かへ【替へ】させ給(たまふ)べき歟(か)」と申(まう)されければ、
二位殿(にゐどの)かさねてのたまひけるは、「故(こ)入道(にふだう)(にうだう)にお
くれて後(のち)は、かた時(とき)も命(いのち)いきてあるべしともお
P10041
もは【思は】ざりしかども、主上(しゆしやう)かやうにいつとなく
旅(たび)だたせ給(たま)ひたる御事(おんこと)の御心(おんこころ)ぐるしさ、又(また)君(きみ)を
も御代(みよ)にあらせまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ばやな(ン)ど(など)おもふ【思ふ】ゆへ(ゆゑ)【故】に
こそ、いままでもながらへ【永らへ】てありつれ。中将(ちゆうじやう)一(いち)の
谷(たに)で生(いけ)どりにせられぬとききし後(のち)は、肝(きも)
たましゐ(たましひ)【魂】も身(み)にそはず。いかにしてこの世(よ)にて
いま一度(いちど)あひみる【見る】べきとおもへども、夢(ゆめ)にだに
みえ【見え】ねば、いとどむねせきて、ゆみづ【湯水】ものどへ
P10042
入(いれ)られず。いまこのふみをみて後(のち)は、いよいよ思(おも)ひ
やりたる方(かた)もなし。中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)世(よ)になき物(もの)ときかば、
われも同(おなじ)みちにおもむか【赴か】んと思(おも)ふ也(なり)。ふたたび
物(もの)をおもは【思は】ぬさきに、ただわれをうしなひ【失ひ】
給(たま)へ」とて、おめき(をめき)【喚き】さけび【叫び】給(たま)へば、まこと【誠】にさこそは
おもひ【思ひ】給(たま)ふらめと哀(あはれ)におぼえて、人々(ひとびと)涙(なみだ)をながし
つつ、みなふしめ【伏目】にぞなられける。新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)
知盛(とももり)の意見(いけん)に申(まう)されけるは、「三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)を
P10043
都(みやこ)へかへし入(いれ)たてま(ッ)【奉つ】たりとも、重衡(しげひら)をかへし
給(たま)はらん事(こと)ありがたし。ただはばかりなくその様(やう)
を御請文(おんうけぶみ)に申(まう)さるべうや候(さうらふ)らん」と申(まう)されけれ
ば、大臣殿(おほいとの)「此(この)儀(ぎ)尤(もつと)もしかる【然る】べし」とP2251て、御請文(おんうけぶみ)申(まう)
されけり。二位殿(にゐどの)はなくなく【泣く泣く】中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の御(おん)かへり事(ごと)
かき給(たま)ひけるが、涙(なみだ)にくれて筆(ふで)のたてどもお
ぼえねども、心(こころ)ざしをしるべにて、御文(おんふみ)こまごまと
かいて、重国(しげくに)にたび【賜び】にけり。北方(きたのかた)大納言佐殿(だいなごんのすけどの)は、
P10044
ただなくより外(ほか)の事(こと)なくて、つやつや御(おん)かへり
事(ごと)もしたまはず。誠(まこと)に御心(おんこころ)のうちさこそは思(おも)ひ
給(たま)ふらめと、おしはから【推し量ら】れて哀(あはれ)也(なり)。重国(しげくに)も狩衣(かりぎぬ)の
袖(そで)をしぼりつつ、なくなく【泣く泣く】御(おん)まへをまかりたつ。平(へい)
大納言(だいなごん)時忠(ときただ)は、御坪(おつぼ)のめし次(つぎ)花方(はなかた)をめし【召し】て、
「なんぢは花方(はなかた)歟(か)」。「さん候(ざうらふ)」。「法皇(ほふわう)(ほうわう)の御使(おんつかひ)におほく【多く】
の浪路(なみぢ)をしのいでこれまでまひり(まゐり)【参り】たるに、
一期(いちご)が間(あひだ)(あいだ)のおもひでひとつあるべし」とて、花
P10045
方(はなかた)がつら【頬】に「浪方(なみかた)」といふやいじるし【焼印】お(を)ぞせ
られける。宮(みや)こ【都】へのぼりたりければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)これを
御(ご)らんじて、「よしよしちからおよば【及ば】ず。浪方(なみかた)ともめせ【召せ】
かし」とて、わらは【笑は】せおはします。今月(こんぐわつ)(こんぐわち)十四日(じふしにち)の院
宣(ゐんぜん)、同(おなじき)廿八日(にじふはちにち)讃岐国(さぬきのくに)八島(やしま)の磯(いそ)に致来(たうらい)。謹(つつしんで)以(もつて)(も(ツ)て)承(うけたまは)
るところ如件(くだんのごとし)。
ただしこれにつゐ(つい)【付い】てかれを案(あん)ずるに、通盛卿(みちもりのきやう)
以下(いげ)当家(たうけ)数輩(すはい)、摂州(せつしう)一谷(いちのたに)にして既(すで)に誅(ちゆう)(ちう)せられ
P10046
おは(ン)(をはん)ぬ。何(なん)ぞ重衡(しげひら)一人(いちにん)の寛宥(くわんいう)(くわんゆう)を悦(よろこぶ)べきや。
夫(それ)我(わが)君(きみ)は、故(こ)高倉院(たかくらのゐん)の御譲(おんゆづり)をうけさせ給(たま)ひ
て、御在位(ございゐ)すでに四ケ年(しかねん)、政(まつりご)と堯舜(げうしゆん)の古風(こふう)
をとぶらふところ【所】に、東夷(とうい)北狄(ほくてき)党(たう)をむすび、
群(くん)をなして入洛(じゆらく)のあひだ、且(かつ)(かつ(ウ))は幼P2252帝(えうてい)(ようてい)母后(ぼこう)
の御(おん)なげき尤(もつと)もふかく、且(かつ)(かつ(ウ))は外戚(ぐわいせき)近臣(きんしん)のい
きどをり(いきどほり)【憤り】あさからざるによ(ッ)て、しばらく九
国(くこく)に幸(かう)ず。還幸(くわんかう)なからんにおいては、三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)
P10047
いかでか玉体(ぎよくたい)をはなちたてまつる【奉る】べきや。それ臣(しん)は
君(きみ)をも(ッ)てこころとし、君(きみ)は臣(しん)をも(ッ)て体(たい)とす。君(きみ)
やすければすなはち臣(しん)やすく、臣(しん)やすけれ
ばすなはち国(くに)やすし。君(きみ)かみにうれふれば
臣(しん)しもにたのしまず。心中(しんぢゆう)(しんぢう)に愁(うれへ)あれば
体外(ていぐわい)によろこびなし。曩祖(なうそ)平将軍(へいしやうぐん)貞
盛(さだもり)、相馬(さうまの)小次郎(こじらう)将門(まさかど)を追討(ついたう)せしよりこの
かた、東八ケ国(とうはつかこく)をしづめて子々孫々(ししそんぞん)につたへ、
P10048
朝敵(てうてき)の謀臣(ぼうしん)を誅罰(ちゆうばつ)(ちうばつ)して、代々世々(だいだいせせ)にいたる
まで朝家(てうか)の聖運(せいうん)をまもり【守り】たてまつる【奉る】。しかれ
ば則(すなはち)亡父(ばうぶ)故(こ)太政(だいじやう)大臣(だいじん)、保元(ほうげん)・平治(へいぢ)両度(りやうど)の
合戦(かつせん)の時(とき)、勅命(ちよくめい)ををもう(おもう)【重う】して、私(わたくし)の命(めい)をか
ろう【軽う】す。ひとへに君(きみ)の為(ため)にして、身(み)のために
せず。就中(なかんづく)彼(かの)頼朝(よりとも)は、去(さんぬる)平治(へいぢ)(へいじ)元年(ぐわんねん)十二月(じふにぐわつ)、父(ちち)
左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)が謀反(むほん)によ(ッ)て、頻(しきり)に誅罰(ちゆうばつ)(ちうばつ)せ
らるべきよし仰下(おほせくだ)さるといへども、故(こ)入道(にふだう)(にうだう)
P10049
相国(しやうこく)慈悲(じひ)のあまり申(まうし)なだめ【宥め】られしとこ
ろ【所】也(なり)。しかる【然る】に昔(むかし)の洪恩(こうおん)(こうをん)をわすれ、芳意(はうい)を
存(ぞん)ぜず、たちまちに狼羸(らうるい)の身(み)をも(ッ)て猥(みだり)に
蜂起(ほうき)の乱(らん)をなす。至愚[* 「時儀」と有るのを他本により訂正](しぐ)のはなはだしき
事(こと)申(まうし)てあまりあり。早(はや)く神明[* 「神幣」と有るのを他本により訂正](しんめい)の天罰(てんばつ)
をまねき、ひそかに敗跡[* 「拝跡」と有るのを他本により訂正](はいせき)の損滅(そんめつ)を期(ご)する者(もの)
歟(か)。夫(それ)日月(じつげつ)は一物(いちもつ)の為(ため)にそのあきらかなること
をくらうせず。明王(めいわう)は一人(いちにん)がためにその法(ほふ)(ほう)を
P10050
まげず。一悪(いちあく)をも(ッ)て其(その)善(ぜん)ををすてず、P2253小瑕(せうか)を
も(ッ)て其(その)功(こう)をおおふ(おほふ)【覆ふ】事(こと)なかれ。且(かつ)(かつ(ウ))は当家(たうけ)数代(すだい)
の奉公(ほうこう)、且(かつ)(かつ(ウ))は亡父(ばうぶ)数度(すど)の忠節(ちゆうせつ)(ちうせつ)、思食忘(おぼしめしわすれ)ずは
君(きみ)かたじけなく四国(しこく)の御幸(ごかう)あるべき歟(か)。時(とき)に
臣等(しんら)院宣(ゐんぜん)をうけ給(たま)はり、ふたたび旧都(きうと)にかへ(ッ)【帰つ】て
会稽(くわいけい)の恥(はぢ)をすすがん。若(もし)然(しか)らずは、鬼界(きかい)・高
麗(かうらい)・天竺(てんぢく)・震旦(しんだん)にいたるべし。悲(かなしき)哉(かな)、人王(にんわう)
八十一(はちじふいち)代(だい)の御宇(ぎよう)にあた(ッ)て、我(わが)朝(てう)神代(じんだい)の霊宝(れいほう)、
P10051
つゐに(つひに)【遂に】むなしく異国(いこく)のたからとなさん歟(か)。よ
ろしくこれらのおもむき【趣】をも(ッ)て、しかる【然る】べき様(やう)に
洩(もらし)奏聞(そうもん)せしめ給(たま)へ。宗盛(むねもり)誠恐(せいきやう)頓首(とんじゆ)謹言(きんげん)寿
永(じゆえい)(じゆゑい)三年(さんねん)二月(にぐわつ)(にんぐわつ)廿八日(にじふはちにち)従(じゆ)一位(いちゐ)平(たひらの)朝臣(あそん)(あつそん)宗盛(むねもり)が請
文(うけぶみ)とこそかかれたれ。戒文(かいもん)S1005三位(さんみの)(さんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)これをきい【聞い】て、
「さこそはあらんずれ。いかに一門(いちもん)の人々(ひとびと)わるく
おもひけん」と後悔(こうくわい)すれどもかひぞなき。げ
にも重衡卿(しげひらのきやう)一人(いちにん)ををしみて、さしもの我(わが)朝(てう)
P10052
の重宝(ちようほう)(てうほう)三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)をかへし【返し】いれ【入れ】たてまつる【奉る】
べしともおぼえねば、この御請文(おんうけぶみ)(おんうけふみ)のおもむき【趣】は、
兼(かね)てよりおもひ【思ひ】まうけ【設け】られたりしかども、いまだ
左右(さう)をP2254申(まう)されざりつる程(ほど)は、なにとなう
いぶせくおもは【思は】れけるに、請文(うけぶみ)すでに到来(たうらい)して、
関東(くわんとう)〔へ〕下向(げかう)せらるべきにさだまりしかば、なん
のたのみ【頼み】もよはり(よわり)【弱り】はてて、よろづ心(こころ)ぼそう、宮(みや)
こ【都】の名残(なごり)も今更(いまさら)おしう(をしう)【惜しう】〔ぞ〕おもは【思は】れける。三位(さんみの)中
P10053
将(ちゆうじやう)(ちうじやう)、土肥(とひの)(といの)二郎【*次郎】(じらう)をめし【召し】て、「出家(しゆつけ)をせばやと思(おも)ふは
いかがあるべき」との給(たま)へば、実平(さねひら)このよしを九郎(くらう)
御曹司(おんざうし)に申(まう)す。院(ゐんの)御所(ごしよ)へ奏聞(そうもん)せられたりけ
れば、「頼朝(よりとも)に見(み)せて後(のち)こそ、ともかうもはからは
め。只今(ただいま)は争(いかで)かゆるすべき」と仰(おほせ)ければ、此(この)よし
を申(まう)す。「さらば年(とし)ごろ契(ちぎり)たりし聖(ひじり)に、今(いま)一
度(いちど)対面(たいめん)して、後生(ごしやう)の事(こと)を申(まうし)談(だん)ぜばやとお
もふ【思ふ】はいかがすべき」との給(たま)へば、「聖(ひじり)をば誰(たれ)と申(まうし)候(さうらふ)や
P10054
らん」。「黒谷(くろだに)の法然房(ほふねんばう)(ほうねんばう)と申(まうす)人(ひと)なり」。「さてはくるし
う【苦しう】候(さうらふ)まじ」とて、ゆるしたてまつる【奉る】。中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)なの
めならず悦(よろこび)て、聖(ひじり)を請(しやう)じたてま(ッ)【奉つ】て、なくなく【泣く泣く】
申(まう)されけるは、「今(この)度(たび)いきながらとらはれて候(さうらひ)けるは、
ふたたび上人(しやうにん)の見参(げんざん)にまかり入(い)るべきで候(さうらひ)
けり。さても重衡(しげひら)が後生(ごしやう)、いかがし候(さうらふ)べき。身(み)
の身(み)にて候(さうらひ)し程(ほど)は、出仕(しゆつし)にまぎれ、政務(せいむ)にほだ
され、■慢【*驕慢】(けうまん)の心(こころ)のみふかくして、かつて当来(たうらい)の昇
P10055
沈(しようちん)(せうちん)をかへりみず。況(いはん)や運(うん)(うむ)つき、世(よ)みだれてより
このかたは、ここにたたかひ【戦ひ】、かしこにあらそひ、人(ひと)
をほろぼし、身(み)をたすからんとおもふ【思ふ】悪心(あくしん)のみ
遮(さへぎり)て、善心(ぜんしん)はかつて発(おこ)(をこ)らず。就中(なかんづく)に南都(なんと)炎
上(えんしやう)の事(こと)、王命(わうめい)といひ、武命(ぶめい)といひ、君(きみ)につ
かへ、世(よ)にしたがふP2255はう(ほふ)【法】のがれ【逃れ】がたくして、衆徒(しゆと)
の悪行(あくぎやう)をしづめんがためにまかりむか(ッ)【向つ】て候(さうらひ)し
程(ほど)に、不慮(ふりよ)に伽藍(がらん)の滅亡(めつぼう)に及(および)(をよび)候(さうらひ)し事(こと)、力(ちから)及(およ)ばぬ
P10056
次第(しだい)にて候(さうら)へども、時(とき)の大将軍(たいしやうぐん)にて候(さうらひ)し上(うへ)は、
せめ一人(いちにん)に帰(き)すとかや申(まうし)候(さうらふ)なれば、重衡(しげひら)一人(いちにん)が
罪業(ざいごふ)(ざいごう)にこそなり候(さうらひ)ぬらめと覚(おぼ)え候(さうらふ)。かつうはか
様(やう)【斯様】に人(ひと)しれずかれこれ恥(はぢ)をさらし候(さうらふ)も、し
かしながらそのむくひとのみこそおもひ【思ひ】しられ
て候(さうら)へ。いまはかしらをそり、戒(かい)をたもち【保ち】なんとし
て、ひとへに仏道(ぶつだう)修行(しゆぎやう)したう候(さうら)へども、かかる
身(み)にまかりな(ッ)て候(さうら)へば、心(こころ)に心(こころ)をもまかせ候(さうら)はず、
P10057
けふあすともしらぬ身(み)のゆくゑ(ゆくへ)【行方】にて候(さうら)へば、いか
なる行(ぎやう)を修(じゆ)して、一業(いちごふ)(いちごう)たすかるべしともおぼ
えぬこそくちをしう候(さうら)へ。倩(つらつ)ら一生(いつしやう)の化行[* 「犯行」と有るのを高野本により訂正](けぎやう)
をおもふ【思ふ】に、罪業(ざいごふ)(ざいごう)は須弥(しゆみ)よりもたかく、善業(ぜんごふ)(ぜんごう)は
微塵(みぢん)ばかりも蓄(たくは)へなし。かくてむなしく命(いのち)
おはり(をはり)なば、火穴湯(くわけつたう)の苦果(くくわ)、あへて疑(うたがひ)(うたがい)なし。ね
がはくは、上人(しやうにん)慈悲(じひ)ををこし(おこし)【起こし】あはれみを垂(たれ)て、かかる
悪人(あくにん)のたすかりぬべき方法(はうぼふ)(はうぼう)候者(さうらはば)、しめし【示し】
P10058
給(たま)へ」。其(その)時(とき)上人(しやうにん)涙(なみだ)に咽(むせん)で、しばしは物(もの)ものたまはず。
良(やや)久(ひさ)しうあ(ッ)て、「誠(まこと)に受難(うけがた)き人身(にんじん)を受(うけ)ながら、
むなしう三途(さんづ)にかへり給(たま)はん事(こと)、かなしんで
も猶(なほ)(なを)あまりあり。しかる【然る】をいま穢土(ゑど)をいとひ、
浄土(じやうど)をねがは【願は】んに、悪心(あくしん)をすてて善心(ぜんしん)を発(おこ)(をこ)
しまさん事(こと)、三世(さんぜ)の諸仏(しよぶつ)もさだめて随喜(ずいき)
し給(たま)ふべし。それについて、出離(しゆつり)のみち【道】まちまち
なりといへども、末法(まつぽふ)(まつぽう)濁乱(じよくらん)の機(き)には、称名(しようみやう)(せうみやう)をもP2256(ッ)て
P10059
すぐれたりとす。心(こころ)ざしを九品(くほん)にわかち、行(ぎやう)を
六字(ろくじ)につづめて、いかなる愚智(ぐち)闇鈍(あんどん)の物(もの)も唱(とな)
ふるに便(たよ)りあり。罪(つみ)ふかければとて、卑下(ひげ)し
給(たま)ふべからず、十悪(じふあく)(じうあく)五逆(ごぎやく)廻心(ゑしん)すれば往生(わうじやう)をとぐ。
功徳(くどく)すくなければとて望(のぞみ)をたつ【絶つ】べからず、一念(いちねん)
十念(じふねん)(じうねん)の心(こころ)を致(いた)せば来迎(らいかう)す。「専称(せんしよう)(せんせう)名号(みやうがう)至(し)西方(さいはう)」
と尺(しやく)して、専(もつぱ)ら名号(みやうがう)を称(しよう)(せう)すれば、西方(さいはう)にいたる。
「念々(ねんねん)称名(しようみやう)(せうみやう)常懺悔(じやうさんげ)」とのべて、念々(ねんねん)に弥陀(みだ)を
P10060
唱(とな)ふれば、懺悔(さんげ)する也(なり)とおしへ(をしへ)【教へ】たり。「利剣(りけん)即
是(そくぜ)弥陀号(みだがう)」をたのめ【頼め】ば、魔閻(まえん)ちかづか【近付か】ず。「一声(いつしやう)称
念(しようねん)(せうねん)罪(ざい)皆除(かいじよ)」と念(ねん)ずれば、罪(つみ)みなのぞけりと見(み)え
たり。浄土宗(じやうどしゆう)(じやうどしう)の至極(しごく)、おのおの略(りやく)を存(ぞん)じて、大
略(たいりやく)これを肝心(かんじん)とす。ただし往生(わうじやう)の得否(とくふ)は信心(しんじん)
の有無(うむ)によるべし。ただふかく信(しん)じてゆめゆめ
疑(うたがひ)をなし給(たま)ふべからず。若(もし)このおしへ(をしへ)【教へ】をふかく信(しん)
じて、行住(ぎやうぢゆう)(ぎやうぢう)坐臥(ざぐわ)時処(じしよ)諸縁(しよえん)をきらはず、三業(さんごふ)(さんごう)
P10061
四威儀(しゐぎ)において、心念(しんねん)口称(くしよう)(くせう)をわすれ給(たま)はずは、畢
命(ひつみやう)を期(ご)として、この苦域(くいき)の界(かい)をいで【出で】て、彼(かの)不退(ふたい)
の土(ど)に往生(わうじやう)し給(たま)はん事(こと)、何(なん)の疑(うたがひ)かあらんや」と教
化(けうげ)し給(たま)ひければ、中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)なのめならず悦(よろこび)て、「この
つゐで(ついで)に戒(かい)をたもた【保た】ばやと存(ぞんじ)候(さうらふ)は、出家(しゆつけ)仕(つかまつ)り候(さうら)
はではかなひ【叶ひ】候(さうらふ)まじや」と申(まう)されければ、「出家(しゆつけ)せぬ
人(ひと)も、戒(かい)をたもつ【保つ】事(こと)は世(よ)のつねのならひ【習ひ】也(なり)」とて、
額(ひたひ)(ひたい)にかうぞり【髪剃】をあてて、そるまねをして、十戒(じつかい)
P10062
をさづけられければ、中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)随喜(ずいき)の涙(なみだ)をながひ(ながい)【流い】て、
これをうけたもち【保ち】給(たま)ふ。上人(しやうにん)もよろづ物(もの)あはれ【哀】に
おぼえP2257て、かきくらす【暮す】心地(ここち)して、なくなく【泣く泣く】戒(かい)をぞ
とか【説か】れける。御布施(おんふせ)とおぼしくて、年(とし)ごろつねに
おはしてあそば【遊ば】れけるさぶらひ【侍】のもとにあづけ
をか(おか)【置か】れたりける御硯(おんすずり)を、知時(ともとき)してめし【召し】よせて、上人(しやうにん)
にたてまつり【奉り】、「これをば人(ひと)にたび【賜び】候(さうら)はで、つねに御
目(おんめ)のかかり候(さうら)はんところ【所】におかれ候(さうらひ)て、それがしが
P10063
物(もの)ぞかしと御(ご)らん【覧】ぜられ候(さうら)はんたびごとに、おぼし
めし【思し召し】なずらへて、御念仏(おんねんぶつ)候(さうらふ)べし。御(おん)ひまには、経(きやう)をも
一巻(いつくわん)御廻向(ごゑかう)候者(さうらはば)、しかる【然る】べう候(さうらふ)べし」な(ン)ど(など)、なくなく【泣く泣く】申(まう)
されければ、上人(しやうにん)とかうの返事(へんじ)にも及(およ)(をよ)ばず、これ
をと(ッ)てふところ【懐】にいれ【入れ】、墨染[* 「黒染」と有るのを高野本により訂正](すみぞめ)の袖(そで)をしぼり
つつ、なくなく【泣く泣く】かへり給(たま)ひけり。この硯(すずり)は、親父(しんぶ)入道(にふだう)(にうだう)
相国(しやうこく)砂金(しやきん)をおほく【多く】宋朝(そうてう)の御門(みかど)へたてまつり【奉り】
給(たま)ひたりければ、返報(へんぱう)(へんぽう)とおぼしくて、日本(につぽん)和田(わだ)の
P10064
平(へい)大相国(たいしやうこく)のもとへとて、おくら【送ら】れたりけるとかや。
名(な)をば松蔭(まつかげ)とぞ申(まうし)ける。海道下(かいだうくだり)S1006 さる程(ほど)に、本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)
をば、鎌倉(かまくら)の前(さきの)兵衛佐(ひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)、しきりに申(まう)され
ければ、「さらばくださるべし」とて、土肥(とひの)(といの)二郎【*次郎】(じらう)実平(さねひら)
が手(て)より、まづ九郎(くらう)御曹司(おんざうし)の宿所(しゆくしよ)へわたし
たてまつる【奉る】。同(おなじき)三月(さんぐわつ)十日(とをかのひ)、梶原(かぢはら)平三(へいざう)景時(かげとき)にぐせ【具せ】
られて、鎌倉(かまくら)へこそP2258くだられけれ。西国(さいこく)よりいけ
どり【生捕り】にせられて、宮(みや)こ【都】へかへるだに口(くち)おしき(をしき)【惜しき】に、
P10065
いつしか又(また)関(せき)の東(ひがし)(ひ(ン)がし)へおもむか【赴か】れけん心(こころ)のうち、をし
はから(おしはから)【推し量ら】れて哀(あはれ)也(なり)。四宮河原(しのみやがはら)になりぬれば、ここは
むかし、延喜(えんぎ)第四(だいし)の王子(わうじ)蝉丸(せみまる)の関(せき)の嵐(あらし)に心(こころ)を
すまし【澄まし】、琵琶(びは)(びわ)をひき給(たま)ひしに、伯雅【*博雅】(はくが)の三位(さんみ)(さんゐ)と
云(いひ)し人(ひと)、風(かぜ)のふく日(ひ)もふかぬ日(ひ)も、雨(あめ)のふる夜(よ)も
ふらぬ夜も、三(み)とせがあひだ、あゆみ【歩み】をはこび、た
ち【立ち】きき【聞き】て、彼(か)の三曲(さんきよく)をつたへけんわら屋(や)のとこ【床】
のいにしへも、おもひ【思ひ】やられてあはれ【哀】也(なり)。合坂山【*逢坂山】(あふさかやま)を
P10066
うちこえて、勢田(せた)の唐橋(からはし)駒(こま)もとどろにふみな
らし、ひばりあがれ【上がれ】る野路(のぢ)のさと、志賀(しが)の浦
浪(うらなみ)春(はる)かけて、霞(かすみ)にくもる鏡山(かがみやま)、比良(ひら)の高根(たかね)を
北(きた)にして、伊吹(いぶき)の嵩(だけ)も近(ちか)づきぬ。心(こころ)をとむ【留む】とし
なけれども、あれて中々(なかなか)やさしきは、不破(ふは)の
関屋(せきや)の板(いた)びさし、いかに鳴海(なるみ)の塩(しほ)ひがた【干瀉】、涙(なみだ)に
袖(そで)はしほれ(しをれ)【萎れ】つつ、彼(かの)在原(ありはら)のなにがしの、唐衣(からごろも)
きつつなれにしとながめけん、参川【*三河】(みかは)の国(くに)八
P10067
橋(やつはし)にもなりぬれば、蛛手(くもで)に物(もの)をと哀(あはれ)也(なり)。浜名(はまな)の橋(はし)
をわたり給(たま)へば、松(まつ)の梢(こずゑ)に風(かぜ)さえ【冴え】て、入江(いりえ)にさはぐ(さわぐ)【騒ぐ】
浪(なみ)の音(おと)(をと)、さらでも旅(たび)は物(もの)うきに、心(こころ)をつくす夕(ゆふ)
まぐれ、池田(いけだ)の宿(しゆく)にもつき給(たま)ひぬ。彼(かの)宿(しゆく)の長者(ちやうじや)
ゆや【熊野】がむすめ、侍従(じじゆう)(じじう)がもとに其(その)夜(よ)は宿(しゆく)せられけり。
侍従(じじゆう)(じじう)、三位(さんみの)(さんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)を見(み)たてま(ッ)【奉つ】て、「昔(むかし)はつてにだに
おもひ【思ひ】よらざりしに、けふはかかるところ【所】にいら【入ら】せ
給(たま)ふふしぎさ【不思議さ】よ」とて、一首(いつしゆ)の歌(うた)をたてまつる【奉る】。P2259
P10068
旅(たび)のそらはにふ【埴生】のこやのいぶせさに
ふるさといかにこひしかるらん W078
三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)返事(へんじ)には、
故郷(ふるさと)も恋(こひ)しくもなしたびの空(そら)
宮(みや)こ【都】もつゐ(つひ)のすみかならねば W079
中将(ちゆうじやう)「やさしうもつかま(ッ)たる物(もの)かな。この歌(うた)のぬ
しはいかなる物(もの)やらん」と御尋(おんたづね)あり【有り】ければ、景時(かげとき)畏(かしこま)(ッ)て
申(まうし)けるは、「君(きみ)はいまだしろしめさ【知ろし召さ】れ候(さうら)はずや。あ
P10069
れこそ八島(やしま)の大臣殿(おほいとの)、当国(たうごく)のかみでわたらせ
給(たま)ひし時(とき)、めされまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、御最愛(ごさいあい)にて候(さうらひ)しが、
老母(らうぼ)をこれにとどめ【留め】をき(おき)、しきりにいとまを申(まう)
せども、給(たま)はらざりければ、比(ころ)はやよひのはじめ
なりけるに、
いかにせん宮(みや)こ【都】の春(はる)もおしけれ(をしけれ)【惜しけれ】ど
なれし吾妻(あづま)の花(はな)やちるらん W080
と仕(つかまつり)て、いとまを給(たまは)(ッ)てくだりて候(さうらひ)し、海道一(かいだういち)の
P10070
名人(めいじん)にて候(さうら)へ」とぞ申(まうし)ける。宮(みや)こ【都】をいで【出で】て日(ひ)数(かず)ふ
れば、やよひもなか半(ば)すぎ、春(はる)もすでにくれなん
とす。遠山(ゑんざん)の花(はな)は残(のこん)の雪(ゆき)かとみえ【見え】て、浦々(うらうら)
島々(しまじま)かすみわたり、こし方(かた)行末(ゆくすゑ)の事(こと)どもお
もひつづけ給(たま)ふに、「さればこれはいかなる宿業(しゆくごふ)(しゆくごう)の
うたてさぞ」との給(たま)ひて、ただつきせぬ物(もの)は涙(なみだ)
なり。御子(おんこ)の一人(いちにん)もおはせぬ事(こと)を、母(はは)の二位殿(にゐどの)
もなげき、北方(きたのかた)大納言佐殿(だいなごんのすけどの)もほいなきこと
P10071
にして、よろづの神(かみ)ほとけにいのり申(まう)され
けれども、そのしるしなし。「かしこうぞなかり
ける。子(こ)だにあらましかば、いかにP2260心(こころ)ぐるしからん」
との給(たま)ひけるこそせめての事(こと)なれ。さや【小夜】の中山(なかやま)
にかかり給(たま)ふにも、又(また)こゆべしともおぼえねば、
いとどあはれ【哀】のかずそひて、たもとぞいたくぬれ
まさる。宇都(うつ)の山辺(やまべ)の蔦(つた)の道(みち)、心(こころ)ぼそくも
うちこえて、手(て)ごし【手越】をすぎてゆけば、北(きた)にとを
P10072
ざか(ッ)(とほざかつ)【遠ざかつ】て、雪(ゆき)しろき【白き】山(やま)あり。とへば甲斐(かひ)(かい)のしら根(ね)【白根】
といふ。其(その)時(とき)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)おつる涙(なみだ)ををさへ(おさへ)て、かう
ぞおもひ【思ひ】つづけ給(たま)ふ。
おしから(をしから)【惜しから】ぬ命(いのち)なれどもけふまでぞ
つれなきかひのしらね【白根】をもみつ W081
清見(きよみ)が関(せき)うちすぎて、富士(ふじ)のすそ野(の)になり
ぬれば、北(きた)には青山(せいざん)峨々(がが)として、松(まつ)吹(ふく)風(かぜ)索々(さくさく)
たり。南(みなみ)には蒼海(さうかい)漫々(まんまん)として、岸(きし)うつ浪(なみ)も茫々(ばうばう)
P10073
たり。「恋(こひ)せばやせぬべし、恋(こひ)せずもあり【有り】けり」と、
明神(みやうじん)のうたひ【歌ひ】はじめ給(たま)ひける足柄(あしがら)の山(やま)をも
うちこえて、こゆるぎ[* 「こゆる木」と有るのを高野本により訂正]【小余綾】の森(もり)、まりこ河(がは)【鞠子河】、小磯(こいそ)、大井
そ【*大磯】(おほいそ)の浦々(うらうら)、やつまと【八的】、とがみ【砥上】が原(はら)、御輿(みこし)が崎(さき)をもう
ちすぎて、いそがぬ旅(たび)とおもへ【思へ】ども、日数(ひかず)やうやう
かさなれば、鎌倉(かまくら)へこそいり給(たま)へ。千手前(せんじゆのまへ)S1007兵衛佐(ひやうゑのすけ)いそ
ぎ見参(げんざん)して、申(まう)されけるは、「抑(そもそも)君(きみ)の御(おん)いき
どをり(いきどほり)【憤り】をやすめたてP2261まつり、父(ちち)の恥(はぢ)をきよめん
P10074
とおもひ【思ひ】たちしうへは、平家(へいけ)をほろぼさんの
案(あん)のうちに候(さうら)へども、まさしくげんざん【見参】にいる
べしとは存(ぞん)ぜず候(さうらひ)き。このぢやう【定】では、八島(やしま)の
大臣殿(おほいとの)の見参(げんざん)にも入(いり)ぬと覚(おぼえ)候(さうらふ)。抑(そもそも)南都(なんと)を
ほろぼさせ給(たま)ひける事(こと)は、故(こ)太政(だいじやう)入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)の
仰(おほせ)にて候(さうらひ)しか、又(また)時(とき)にと(ッ)ての御(おん)ぱからひにて候(さうらひ)
けるか。も(ッ)ての外(ほか)の罪業(ざいごふ)(ざいごう)にてこそ候(さうらふ)なれ」と
申(まう)されければ、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうぢやう)の給(たま)ひけるは、「まづ
P10075
南都(なんと)炎上(えんしやう)の事(こと)、故(こ)入道(にふだう)(にうだう)の成敗(せいばい)にもあらず、
重衡(しげひら)が愚意(ぐい)の発起(ほつき)にもあらず。衆徒(しゆと)の悪
行(あくぎやう)をしづめんが為(ため)にまかりむか(ッ)【向つ】て候(さうらひ)し程(ほど)に、
不慮(ふりよ)に伽藍(がらん)滅亡(めつばう)に及(および)(をよび)候(さうらひ)し事(こと)、力(ちから)及(およ)(をよ)ばぬ
次第(しだい)也(なり)。昔(むかし)は源平(げんぺい)左右(さう)にあらそひて、朝家(てうか)
の御(おん)まもり【守り】たりしかども、近比(ちかごろ)源氏(げんじ)の運(うん)かた
ぶきたりし事(こと)は、事(こと)あたらしう初(はじ)めて
申(まうす)べきにあらず。当家(たうけ)は保元(ほうげん)・平治(へいぢ)よりこの
P10076
かた、度々(どど)の朝敵(てうてき)をたいらげ(たひらげ)【平げ】、勧賞(けんじやう)身(み)にあまり、
かたじけなく一天(いつてん)の君(きみ)の御外戚(ごぐわいせき)として、一族(いちぞく)
の昇進(しようじん)(せうじん)六十(ろくじふ)余人(よにん)、廿余年(にじふよねん)のこのかたは、たのしみ
さかへ(さかえ)【栄え】申(まうす)はかりなし。今(いま)又(また)運(うん)つきぬれば、重衡(しげひら)
とらはれてこれまでくだり候(さうらひ)ぬ。それについて、
帝王(ていわう)の御(おん)かたきをう(ッ)たるものは、七代(しちだい)まで
朝恩(てうおん)(てうをん)うせ【失せ】ずと申(まうす)事(こと)は、きはめたるひが
事(こと)にて候(さうらひ)けり。まのあたり故(こ)入道(にふだう)(にうだう)は、君(きみ)の
P10077
御(おん)ためにすでに命(いのち)をうしなは【失は】んとする事(こと)度々(どど)
に及(およ)(をよ)ぶ。されども纔(わづか)に其(その)身(み)一代(いちだい)のさいはひ
にて、子孫(しそん)かやうにまかりなるべしや。されば、
運(うん)つきて宮(みや)こ【都】を出(いで)P2262し後(のち)は、かばねを山野(さんや)に
さらし、名(な)を西海(さいかい)の浪(なみ)にながすべしとこそ存(ぞん)
ぜしか。これまでくだるべしとは、かけてもおも
は【思は】ざりき。ただ先世(ぜんぜ)の宿業(しゆくごふ)(しゆくごう)こそ口惜(くちをしく)(くちおしく)候(さうら)へ。
ただし「陰道【*殷湯】(いんとう)(ゐんとう)はかたい【夏台】にとらはれ、文王(ぶんわう)はゆうり[* 「ゆうい」と有るのを他本により訂正]【■里】に
P10078
とらはる」といふ文(もん)あり。上古(しやうこ)(しようこ)猶(なほ)(なを)かくのごとし。况(いはん)や
末代(まつだい)においてをや。弓矢(ゆみや)をとるならひ【習ひ】、敵(かたき)の
手(て)にかか(ッ)て命(いのち)をうしなふ事(こと)、ま(ッ)たく恥(はぢ)にて
恥(はぢ)ならず、ただ芳恩(はうおん)(はうをん)には、とくとくかうべをはね
らるべし」とて、其(その)後(のち)は物(もの)もの給(たま)はず。景時(かげとき)こ
れをうけ給(たま)は(ッ)【承つ】て、「あ(ッ)ぱれ(あつぱれ)大将軍(たいしやうぐん)や」とて涙(なみだ)
をながす。其(その)座(ざ)になみ居(ゐ)たる人々(ひとびと)みな袖(そで)をぞ
ぬらしける。兵衛佐(ひやうゑのすけ)も、「平家(へいけ)を別(べつ)して私(わたくし)の
P10079
かたきとおもひ【思ひ】たてまつる【奉る】事(こと)、ゆめゆめ候(さうら)はず。
ただ帝王(ていわう)の仰(おほせ)こそおもう【重う】候(さうら)へ」とぞの給(たま)ひける。
「南都(なんと)をほろぼしたる伽藍(がらん)のかたきなれば、大
衆(だいしゆ)さだめて申(まうす)旨(むね)あらんずらん」とて、伊豆国(いづのくにの)
住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、狩野介(かののすけ)宗茂(むねもち)にあづけらる。そのてい、冥途(めいど)
にて娑婆世界(しやばせかい)の罪人(ざいにん)を、なぬか【七日】なぬか【七日】に十王(じふわう)の
手(て)にわたさるらんも、かくやとおぼえてあはれ【哀】也(なり)。
されども狩野介(かののすけ)、なさけある物(もの)にて、いたくきび
P10080
しうもあたりたてまつら【奉ら】ず。やうやう【様々】にいたはり、
ゆどの【湯殿】しつらひな(ン)ど(など)して、御(おん)(お)ゆ【湯】ひか【引か】せたてまつる【奉る】。
みち〔す〕がらのあせ【汗】いぶせかりつれば、身(み)をきよめて
うしなは【失は】んずるにこそと思(おも)はれけるに、よはひ
廿(はたち)ばかりなる女房(にようばう)の、色(いろ)しろう【白う】きよげ【清気】にて、ま
こと【誠】にゆう(いう)【優】にP2263うつくしきが、めゆい【目結】のかたびら【帷子】に
そめつけ【染付】のゆまき【湯巻】して、ゆどののと【戸】をおし【押し】あ
けてまいり(まゐり)【参り】たり。又(また)しばしあ(ッ)て、十四五(じふしご)ばかりなる
P10081
めのわらは【女童】の、こむらご【紺村濃】のかたびらきて、かみ【髪】はあ
こめだけ【袙丈】なるが、はんざうたらい(はんざふたらひ)【半挿盥】にくし【櫛】いれ【入れ】て、
も(ッ)てまひり(まゐり)【参り】たり。この女房(にようばう)かいしやく【介錯】して、やや
久(ひさ)しうあみ【浴み】、かみ【髪】あらい(あらひ)な(ン)ど(など)してあがり【上がり】給(たま)ひ
ぬ。さてかの女房(にようばう)いとま申(まうし)てかへりけるが、「おとこ(をとこ)【男】
な(ン)ど(など)はこちなう【骨無う】もぞおぼしめす【思し召す】。中々(なかなか)おんな(をんな)【女】は
くるしから【苦しから】じとて、まいらせ(まゐらせ)【参らせ】られてさぶらふ。
「なに事(ごと)(こと)でもおぼしめさ【思し召さ】ん御事(おんこと)をばうけ給(たま)は(ッ)【承つ】て
P10082
申(まう)せ」とこそ兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)は仰(おほせ)られ候(さうらひ)つれ」。中将(ちゆうじやう)「いま
は是(これ)程(ほど)の身(み)にな(ッ)て、何事(なにごと)をか申(まう)すべき。ただお
もふ【思ふ】事(こと)とては出家(しゆつけ)ぞしたき」との給(たま)ひければ、かへ
りまい(ッ)(まゐつ)【参つ】てこのよしを申(まう)す。兵衛佐(ひやうゑのすけ)「それ思(おも)ひも
よらず。頼朝(よりとも)が私(わたくし)のかたきならばこそ。朝敵(てうてき)と
してあづかりたてま(ッ)【奉つ】たる人(ひと)なり。ゆめゆめあるべ
うもなし」とぞの給(たま)ひける。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)守護(しゆご)の
武士(ぶし)にの給(たま)ひけるは、「さても只今(ただいま)の女房(にようばう)は、ゆう(いう)【優】
P10083
なりつるものかな。名(な)をば何(なに)といふやらん」ととは【問は】れけ
れば、「あれは手(て)ごし【手越】の長者(ちやうじや)がむすめで候(さうらふ)を、み
め【眉目】かたち心(こころ)ざま、ゆう(いう)【優】にわりなきもので候(さうらふ)とて、
この二三(にさん)ねんめし【召し】つかは【使は】れ候(さうらふ)が、名(な)をば千手(せんじゆ)の前(まへ)と
申(まうし)候(さうらふ)」とぞ申(まうし)ける。その夕(ゆふべ)(ゆうべ)雨(あめ)すこしふ(ッ)て、よろづ
物(もの)さびしかりけるに、件(くだん)の女房(にようばう)、琵琶(びは)(びわ)・琴(こと)もP2264たせ
てまいり(まゐり)【参り】たり。狩野介(かののすけ)酒(しゆ)をすすめたてまつる【奉る】。
我(わが)身(み)も家子(いへのこ)郎等(らうどう)十余人(じふよにん)ひき具(ぐ)してまいり(まゐり)【参り】、
P10084
御(おん)まへちかう候(さうらひ)けり。千手(せんじゆ)の前(まへ)酌(しやく)をとる。三位(さんみの)
中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)すこしうけて、いと興(きよう)(けふ)なげにてをはし(おはし)ける
を、狩野介(かののすけ)申(まうし)けるは、「かつきこしめさ【聞し召さ】れてもや
候(さうらふ)らん。鎌倉殿(かまくらどの)の「相構(あひかまへ)てよくよくなぐさめまいら
せよ(まゐらせよ)【参らせよ】。懈怠(けだい)にて頼朝(よりとも)うらむ【恨む】な」と仰(おほせ)(あふせ)られ候(さうらふ)。宗茂(むねもち)
はもと伊豆国(いづのくに)のものにて候(さうらふ)あひだ、鎌倉(かまくら)では旅(たび)に
候(さうら)へども、心(こころ)の及(および)(をよび)候(さうら)はんほどは、奉公(ほうこう)仕(つかまつり)候(さうらふ)べし。何事(なにごと)でも
申(まうし)てすすめまいら(まゐら)【参ら】させ給(たま)へ」と申(まうし)ければ、千手(せんじゆ)
P10085
酌(しやく)をさしおいて、「羅綺(らき)の重衣(ちようい)(てうい)たる、情(なさけ)ない事(こと)
を奇婦(きふ)に妬(ねたむ)」といふ朗詠(らうえい)(らうゑい)を一両反(いちりやうへん)したりければ、
三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)の給(たま)ひけるは、「この朗詠(らうえい)(らうゑい)せん人(ひと)をば、北
野(きたの)の天神(てんじん)一日(いちにち)に三度(さんど)かけ(ッ)てまぼらんとちか
はせ給(たま)ふ也(なり)。されども重衡(しげひら)は、此(この)生(しやう)ではすてられ
給(たま)ひぬ。助音(じよいん)(じよゐん)してもなにかせん。罪障(ざいしやう)かろみ
ぬべき事(こと)ならばしたがふべし」との給(たま)ひければ、
千手前(せんじゆのまへ)やがて、「十悪(じふあく)といへども引摂(いんぜふ)(いんぜう)す」といふ朗詠(らうえい)(らうゑい)
P10086
をして、「極楽(ごくらく)ねがは【願は】ん人(ひと)はみな、弥陀(みだ)の名号(みやうがう)とな
ふべし」といふ今様(いまやう)を四五反(しごへん)うたひ【歌ひ】すまし【澄まし】たり
ければ、其(その)時(とき)坏(さかづき)をかたぶけらる。千手前(せんじゆのまへ)給(たま)は(ッ)て狩野
介(かののすけ)にさす。宗茂(むねもち)がのむ時(とき)に、琴(こと)をぞひきすま
し【澄まし】たる。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の給(たま)ひけるは、「この楽(がく)をば普通(ふつう)
には五常楽(ごしやうらく)といへども、重衡(しげひら)がためには後生楽(ごしやうらく)と
こそ観(くわん)ずべけれ。やがて往生(わうじやう)の急(きう)をひか【弾か】ん」と
たはぶれ【戯れ】て、琵琶(びは)(びわ)をとり、てんP2265じゆ【転手】をねぢて、
P10087
皇■(わうじやう)〔の〕急(きう)をぞひかれける。夜(よ)やうやうふけて、よろ
づ心(こころ)のすむ【澄む】ままに、「あら、おもは【思は】ずや、あづまにもこ
れほどゆう(いう)【優】なる人(ひと)のあり【有り】けるよ。何事(なにごと)にても今(いま)
ひと【一】声(こゑ)」との給(たま)ひければ、千手前(せんじゆのまへ)又(また)「一樹(いちじゆ)のかげ
にやどりあひ、おなじながれをむすぶも、みなこれ
先世(ぜんぜ)の契(ちぎり)」といふ白拍子(しらびやうし)を、まこと【誠】におもしろく
かぞへすまし【澄まし】たりければ、中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)も「燈(ともしび)闇(くらう)(くらふ)しては、
数行(すかう)虞氏(ぐし)の涙(なんだ)」といふ郎詠(らうえい)(らうゑい)をぞせられける。た
P10088
とへばこの郎詠(らうえい)(らうゑい)の心(こころ)は、昔(むかし)もろこしに、漢(かんの)高祖(かうそ)と
楚(その)項羽(かうう)と位(くらゐ)をあらそひて、合戦(かつせん)する事(こと)七十
二度(しちじふにど)、たたかい(たたかひ)【戦ひ】ごとに項羽(かうう)かちにけり。されどもつゐ
に(つひに)【遂に】は項羽(かうう)たたかい(たたかひ)【戦ひ】まけてほろびける時(とき)、すい【騅】といふ
馬(むま)の、一日(いちにち)に千里(せんり)をとぶに乗(のつ)て、虞氏(ぐし)といふ后(きさき)とと
もににげさらんとしけるに、馬(むま)いかがおもひ【思ひ】けん、
足(あし)をととのへてはたらか【働か】ず。項羽(かうう)涙(なみだ)をながい【流い】て、「わが
威勢(ゐせい)(いせい)すでにすたれたり。いまはのがる【逃る】べきかた
P10089
なし。敵(かたき)のおそふは事(こと)のかずならず、この后(きさき)に別(わかれ)
なん事(こと)のかなしさよ」とて、夜(よ)もすがらなげきかな
しみ給(たま)ひけり。燈(ともしび)くらうなりければ、心(こころ)ぼそうて
虞氏(ぐし)涙(なみだ)をながす。夜(よ)ふくるままに軍兵(ぐんびやう)四面(しめん)に時(とき)
をつくる。この心(こころ)を橘相公(きつしやうこう)の賦(ふ)につくれるを、三位(さんみの)
中将(ちゆうじやう)思(おも)ひいでられたりしにや、いとやさしうぞ
きこえ【聞え】ける。さる程(ほど)に夜(よ)もあけければ、武士(ぶし)ども
いとま申(まうし)てまかりいづ。千手前(せんじゆのまへ)もかへりP2266にけり。其(その)朝(あした)
P10090
兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)、境節(をりふし)(おりふし)持仏堂(ぢぶつだう)に法花経(ほけきやう)よう【読う】でをは
し(おはし)けるところ【所】へ、千手前(せんじゆのまへ)まいり(まゐり)【参り】たり。佐殿(すけどの)うち
ゑみ給(たま)ひて、千手(せんじゆ)に「中人(なかうど)は面白(おもしろ)うしたる物(もの)を」と
の給(たま)へば、斎院(さいゐんの)次官(しくわん)親義(ちかよし)、おりふし(をりふし)【折節】御前(ごぜん)に物(もの)かい
て候(さうらひ)けるが、「何事(なにごと)で候(さうらひ)けるやらん」と申(まうす)。「あの平家(へいけ)
の人々(ひとびと)は、弓箭(きゆうせん)(きうせん)の外(ほか)は他事(たじ)なしとこそ日(ひ)ごろは
おもひ【思ひ】たれば、この三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の琵琶(びは)(びわ)のばちをと(ばちおと)【撥音】、
口(くち)ずさみ、夜(よ)もすがらたちきい【聞い】て候(さうらふ)に、ゆう(いう)【優】にわり
P10091
なき人(ひと)にてをはし(おはし)けり」。親義(ちかよし)申(まうし)けるは、「たれも
夜部(よべ)うけ給(たま)はる【承る】べう候(さうらひ)しが、おりふし(をりふし)【折節】いたはる事(こと)
候(さうらひ)て、うけ給(たま)はら【承ら】ず候(さうらふ)。此(この)後(のち)は常(つね)にたちきき候(さうらふ)べし。
平家(へいけ)はもとより代々(だいだい)の歌人(かじん)才人[* 「材人」と有るのを高野本により訂正]達(さいじんたち)で候(さうらふ)也(なり)。
先年(せんねん)此(この)人々(ひとびと)を花(はな)にたとへ候(さうらひ)しに、この三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)
をば牡丹(ぼたん)の花(はな)にたとへて候(さうらひ)しぞかし」と申(まう)されければ、
「誠(まこと)にゆう(いう)【優】なる人(ひと)にてあり【有り】けり」とて、琵琶(びは)(びわ)の撥音(ばちおと)(ばちをと)、
朗詠(らうえい)(らうゑい)のやう、後(のち)までも、有難(ありがた)き事(こと)にぞの給(たま)ひける。
P10092
千手前(せんじゆのまへ)はなかなかに物思(ものおも)ひのたねとやなりにけん。
されば中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)南都(なんと)へわたされて、きられ給(たま)ひぬと
きこえ【聞え】しかば、やがてさまをかへ、こき墨染(すみぞめ)にやつれ
はて、信濃国(しなののくに)善光寺(ぜんくわうじ)におこなひすまし【澄まし】て、彼(かの)後
世菩提(ごせぼだい)をとぶらひ、わが身(み)も往生(わうじやう)の素懐(そくわい)をとげ
けるとぞきこえ【聞え】し。P2267横笛(よこぶえ)S1008さる程(ほど)に、小松(こまつ)の三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛
卿(これもりのきやう)は、身(み)がらは八島(やしま)にありながら、心(こころ)は都(みやこ)へかよはれけり。
ふるさとにとどめ【留め】おき給(たま)ひし北方(きたのかた)おさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)
P10093
の面影(おもかげ)のみ、身(み)に立(たち)そひて、わするるひまもなかり
ければ、「あるにかひなき我(わが)身(み)かな」とて、元暦(げんりやく)元年(ぐわんねん)
三月(さんぐわつ)十五日(じふごにち)の暁[* 「あか月」と有るのを高野本により訂正](あかつき)、しのび【忍び】つつ八島(やしま)のたち【館】をまぎれ
出(いで)て、与三兵衛(よさうびやうゑ)重景(しげかげ)・石童丸(いしだうまる)といふわらは【童】、舟(ふね)に心(こころ)
えたればとて武里(たけさと)と申(まうす)とねり【舎人】、これら三人(さんにん)をめし【召し】
ぐし【具し】て、阿波国(あはのくに)結城(ゆふき)の浦(うら)より小舟(こぶね)にのり、鳴戸
浦(なるとのうら)をこぎとほり、紀伊路(きのぢ)へおもむき【赴き】給(たま)ひけり。和
歌(わか)・吹上(ふきあげ)・衣通姫(そとほりびめ)(そとをりびめ)の神(かみ)とあらはれ給(たま)へる玉津島(たまつしま)の
P10094
明神(みやうじん)、日前(にちぜん)・国懸(こくけん)の御前(ごぜん)をすぎて、紀伊(き)の湊(みなと)にこそ
つき給(たま)へ。「これより山(やま)づたひ【山伝ひ】に宮(みや)こ【都】へのぼ(ッ)て、恋(こひ)しき
人々(ひとびと)をいま一度(ひとたび)み【見】もしみえ【見え】ばやとはおもへ【思へ】ども、本
三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)のいけどり【生捕り】にせられて、大路(おほち)をわたされ、
京(きやう)・鎌倉(かまくら)、恥(はぢ)をさらすだに口(くち)おしき(をしき)【惜しき】に、この身(み)
さへとらはれて、父(ちち)のかばねに血(ち)をあやさん事(こと)も
心(こころ)うし」とて、千(ち)たび心(こころ)はすすめども、心(こころ)に心(こころ)をから
かひて、高野(かうや)の御山(おやま)にまいら(まゐら)【参ら】れけり。高野(かうや)にとし【年】
P10095
ごろしり【知り】給(たま)へる聖(ひじり)あり。三条(さんでう)の斎藤(さいとう)左衛門(さゑもん)
大夫(だいふ)茂頼(もちより)が子(こ)に、斎藤(さいとう)滝口(たきぐち)時頼(ときより)といひしもの也(なり)。
もとは小松殿(こまつどの)の侍(さぶらひ)也(なり)。十三(じふさん)のとし本所(ほんじよ)へまいり(まゐり)【参り】
たP2268りけるが、建礼門院(けんれいもんゐん)の雑仕(ざふし)(ざうし)横笛(よこぶえ)といふおんな(をんな)【女】
あり、滝口(たきぐち)これを最愛(さいあい)す。ちちこれをつたへきい【聞い】て、
「世(よ)にあらんもののむこ子(こ)【聟子】になして、出仕(しゆつし)なんど(など)をも心(こころ)
やすうせさせんとすれば、世(よ)になき物(もの)を思(おも)ひそめ
て」と、あながちにいさめければ、滝口(たきぐち)申(まうし)けるは、「西王母(せいわうぼ)と
P10096
きこえ【聞え】し人(ひと)、昔(むかし)はあ(ッ)て今(いま)はなし。東方朔(とうばうさく)と
い(ッ)しものも、名(な)をのみききて目(め)にはみず。老少(らうせう)不定(ふぢやう)
の世(よ)のなかは、石火(せきくわ)の光(ひかり)にことならず。たとひ人(ひと)長
命(ちやうめい)といへども、七十(しちじふ)八十(はちじふ)をば過(すぎ)ず。そのうちに
身(み)のさかん【盛】なる事(こと)はわづかに廿余年(にじふよねん)也(なり)。夢(ゆめ)まぼ
ろしの世(よ)のなかに、みにくきものをかた【片】時(とき)もみて
なにかせん。おもは【思は】しき物(もの)をみんとすれば、父(ちち)の命(めい)
をそむくに似(に)たり。これ善知識(ぜんぢしき)也(なり)。しかじ、うき世(よ)
P10097
をいとひ、まこと【誠】の道(みち)に入(いり)なん」とて、十九(じふく)の年(とし)もとど
りき(ッ)て、嵯峨(さが)の往生院(わうじやうゐん)におこなひすまし【澄まし】て
ぞゐたりける。横笛(よこぶえ)これをつたへきい【聞い】て、「われを
こそすて【捨て】め、さまをさへかへけん事(こと)のうらめし
さ【恨めしさ】よ。たとひ世(よ)をばそむくとも、などかかくとしら【知ら】
せざらん。人(ひと)こそ心(こころ)つよくとも、尋(たづね)てうらみ【恨み】ん」とお
もひ【思ひ】つつ、あるくれがた【暮方】に宮(みや)こ【都】をいで【出で】て、嵯峨(さが)の方(かた)へ
ぞあくがれゆく。ころはきさらぎ十日(とをか)あまりの
P10098
事(こと)なれば、梅津(むめづ)の里(さと)の春風(はるかぜ)に、よそのにほひもな
つかしく、大井河(おほゐがは)の月影(つきかげ)も、霞(かすみ)にこめておぼろ
也(なり)。一(ひと)かたならぬあはれさも、たれゆへ(ゆゑ)【故】とこそおもひ【思ひ】
けめ。往生院(わうじやうゐん)とはきき【聞き】たれども、さだかにいP2269づれの
房(ばう)ともしら【知ら】ざれば、ここにやすらひかしこにたた
ずみ、たづね【尋ね】かぬるぞむざん【無慙】なる。すみ【住み】あらしたる
僧坊(そうばう)に、念誦(ねんじゆ)の声(こゑ)しけり。滝口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)が声(こゑ)ときき
なして、「わらはこそこれまで尋(たづね)まひり(まゐり)【参り】たれ。さまの
P10099
かはりてをはす(おはす)らんをも、今(いま)一度(いちど)みたてまつら【奉ら】
ばや」と、具(ぐ)したりける女(をんな)をも(ッ)ていはせければ、滝口(たきぐち)
入道(にふだう)(にうだう)むね【胸】うちさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】、障子(しやうじ)のひまよりのぞひ(のぞい)【覗ひ】てみ
れ【見れ】ば、まこと【誠】にたづね【尋ね】かねたるけしきいたはしう
おぼえて、いかなる道心者(だうしんじや)も心(こころ)よはく(よわく)【弱く】なりぬべし。やがて
人(ひと)をいだし【出し】て、「ま(ッ)たくこれにさる人(ひと)なし。門(かど)たがへ【違へ】
てぞあるらん」とて、つゐに(つひに)【遂に】あはでぞかへし【返し】ける。横笛(よこぶえ)
なさけなううらめしけれ【恨めしけれ】ども、ちからなう涙(なみだ)を
P10100
おさへてかへりけり。滝口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)、同宿(どうじゆく)の僧(そう)にあふ(あう)【逢う】て
申(まうし)けるは、「これもよにしづかにて、念仏(ねんぶつ)の障碍(しやうげ)は
候(さうら)はねども、あかで別(わかれ)し女(をんな)に此(この)すまひ【住ひ】をみえ【見え】て候(さうら)へば、
たとひ一度(ひとたび)は心(こころ)つよくとも、又(また)もしたふ事(こと)あら
ば、心(こころ)もはたらき【働き】候(さうらひ)ぬべし。いとま申(まうし)て」とて、
嵯峨(さが)をば出(いで)て、高野(かうや)へのぼり、清浄心院(しやうじやうしんゐん)にぞ
ゐたりける。横笛(よこぶえ)もさまをかへたるよしきこえ【聞え】
しかば、滝口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)一首(いつしゆ)のうたをおくり【送り】けり。
P10101
そる【剃る】まではうらみ【恨み】しかどもあづさ弓(ゆみ)
まこと【誠】の道(みち)に入(いる)ぞうれしき W082
横笛(よこぶえ)がかへり事(ごと)には、
そる【剃る】とてもなにかうらみ【恨み】んあづさ弓(ゆみ)
ひきとどむべき心(こころ)ならねば W083 P2270
よこぶゑ【横笛】はそのおもひ【思ひ】のつもりにや、奈良(なら)の法花
寺(ほつけじ)にあり【有り】けるが、いく程(ほど)もなくて、つゐに(つひに)【遂に】はかなく【果敢く】な
りにけり。滝口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)、か様(やう)【斯様】の事(こと)をつたへきき、いよいよ
P10102
ふかくおこなひすまし【澄まし】てゐたりければ、父(ちち)も不
孝(ふけう)をゆるしけり。したしき物(もの)どもみなもち
ゐて、高野(かうや)の聖(ひじり)とぞ申(まうし)ける。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)これに尋(たづね)
あひてみ【見】給(たま)へば、都(みやこ)に候(さうらひ)し時(とき)は、布衣(ほうい)(ほい)に立烏帽子(たてえぼし)(たてゑぼし)、
衣文(えもん)(ゑもん)をつくろひ、鬢(びん)をなで、花(はな)やかなりしおの
こ(をのこ)【男】也(なり)。出家(しゆつけ)の後(のち)はけふはじめてみ【見】給(たま)ふに、いまだ
卅(さんじふ)にもならぬが、老僧姿(らうそうすがた)にやせ衰(をとろ)(おとろ)へ、こき墨染(すみぞめ)
におなじ袈裟(けさ)、おもひいれ【思ひ入れ】たる道心者(だうしんじや)、浦山(うらやま)
P10103
しくやおもは【思は】れけん。晉(しん)の七賢(しちけん)、漢(かん)の四皓(しかう)がすみ
けん商山(しやうざん)・竹林(ちくりん)のありさまも、これにはすぎじ
とぞ見(み)えし。高野巻(かうやのまき)S1009滝口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)、三位(さんみの)(さんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)をみ【見】たてま(ッ)【奉つ】て、
「こはうつつともおぼえ候(さうら)はぬ物(もの)かな。八島(やしま)よりこれ
までは、なにとしてのがれ【逃れ】させ給(たまひ)て候(さうらふ)やらん」と
申(まうし)ければ、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)の給(たま)ひけるは、「さればこそ。
人(ひと)なみなみに宮(みや)こ【都】をいで【出で】て、西国(さいこく)へおち【落ち】くだり
たりしかども、ふるさとにとどめ【留め】をき(おき)しおさ
P10104
なき(をさなき)【幼き】物共(ものども)の恋(こひ)しさ、いつ忘(わす)るP2271べしともおぼえ
ねば、その物(もの)おもふ【思ふ】けしきのいは【言は】ぬにしるく
やみえ【見え】けん、おほい殿(との)も二位殿(にゐどの)も、「この人(ひと)は池(いけ)の
大納言(だいなごん)のやうにふた心(ごころ)あり」な(ン)ど(など)とて思(おも)ひへだ
て給(たまひ)しかば、あるにかひなき我(わが)身(み)かなと、いとど
心(こころ)もとどまら【留まら】で、あくがれいで【出で】て、これまではのが
れ【逃れ】たる也(なり)。いかにもして山(やま)づたひ【山伝ひ】に都(みやこ)へのぼ(ッ)て、
恋(こひ)しき物(もの)どもを今(いま)一度(ひとたび)見(み)もしみえ【見え】ばやとは
P10105
おもへ【思へ】ども、本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の事(こと)口惜(くちをし)(くちおし)ければ、それ
もかなは【叶は】ず。おなじくはこれにて出家(しゆつけ)して、火(ひ)
のなか水(みづ)の底(そこ)へもいらばやとおもふ【思ふ】也(なり)。ただし
熊野(くまの)へまいら(まゐら)【参ら】んとおもふ【思ふ】宿願(しゆくぐわん)あり」との給(たま)へば、
「夢(ゆめ)まぼろしの世(よ)の中(なか)は、とてもかくても候(さうらひ)
なん。ながき世(よ)のやみこそ心(こころ)うかるべう候(さうら)へ」
とぞ申(まうし)ける。やがて滝口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)先達(せんだち)にて、堂々(だうだう)
巡礼(じゆんれい)して、奥(おく)の院(ゐん)へまいり(まゐり)【参り】給(たま)ふ。高野山(かうやさん)は
P10106
帝城(ていせい)を避(さつ)て二百里(じはくり)、京里(きやうり)をはなれて無人声(むにんじやう)、
清嵐【*青嵐】(せいらん)梢(こずゑ)をならして、夕日(せきじつ)の影(かげ)しづかなり。八葉(はちえふ)(はちよう)
の嶺(みね)、八(やつ)の谷(たに)、まこと【誠】に心(こころ)もすみ【澄み】ぬべし。花(はな)の
色(いろ)は林霧(りんむ)のそこにほころび、鈴(れい)のをと(おと)【音】は尾上(をのへ)
の雲(くも)にひびけり。瓦(かはら)に松(まつ)おひ、墻(かき)に苔(こけ)むして、
星霜(せいざう)久(ひさ)しくおぼえたり。抑(そもそも)延喜(えんぎ)の御門(みかど)の
御時(おんとき)、御夢想(ごむさう)の御告(おんつげ)あ(ッ)て、ひわだ(ひはだ)【桧皮】色(いろ)の御衣(おんころも)を
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】られしに、勅使(ちよくし)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)資隆[* 「資澄」と有るのを他本により訂正]卿(すけたかのきやう)、般若寺(はんにやじ)
P10107
の僧正(そうじやう)観賢(くわんげん)をあひぐして、此(この)御山(おやま)にまいり(まゐり)【参り】、
御廟(ごべう)(ごびやう)の扉(とびら)をひらいて、御衣(ぎよい)をきせたてまつら【奉ら】んP2272と
しけるに、霧(きり)あつくへだた(ッ)て、大師(だいし)をがま【拝ま】れさせ
給(たま)はず。ここに観賢(くわんげん)ふかく愁涙(しうるい)して、「われ悲母(ひも)
の胎内(たいない)を出(いで)て、師匠(ししやう)の室(しつ)に入(いり)しよりこの
かた、いまだ禁戒(きんかい)を犯(ぼん)ぜず。さればなどかおがみ(をがみ)【拝み】
たてまつら【奉ら】ざらん」とて、五体(ごたい)を地(ち)に投(な)げ、発露(ほつろ)啼
泣(ていきう)し給(たま)ひしかば、やうやう霧(きり)はれて、月(つき)の出(いづ)るが
P10108
如(ごと)くして、大師(だいし)をがま【拝ま】れ給(たま)ひけり。時(とき)に観賢(くわんげん)
随喜(ずいき)の涙(なみだ)をながひ(ながい)【流い】て、御衣(おんころも)をきせたてまつる【奉る】。御(おん)ぐし【髪】
のながくおひさせ給(たま)ひたりしかば、そり【剃り】たて
まつる【奉る】こそ目出(めで)たけれ。勅使(ちよくし)と僧正(そうじやう)とはおがみ(をがみ)【拝み】た
てまつり【奉り】給(たま)へども、僧正(そうじやう)の弟子(でし)石山(いしやま)の内供(ないく)淳祐(じゆんいう)(じゆんゆう)、
其(その)時(とき)はいまだ童形(とうぎやう)にて供奉(ぐぶ)せられたりけるが、
大師(だいし)ををがみ【拝み】たてまつら【奉ら】ずしてなげきしづんで
をはし(おはし)けるが、僧正(そうじやう)手(て)をと(ッ)て、大師(だいし)の御(おん)ひざに
P10109
おしあてられたりければ、其(その)手(て)一期(いちご)があひだ
かうばしかり【香ばしかり】けるとかや。そのうつり香(が)は、石山(いしやま)の
聖教(しやうげう)にうつ(ッ)【移つ】て、いまにありとぞうけ給(たま)はる【承る】。大師(だいし)、
御門(みかど)の御返事(おんぺんじ)に申(まう)させ給(たま)ひけるは、「われ昔(むかし)
薩■(さつた)にあひて、まのあたりことごとく【悉く】印明(いんみやう)(ゐんみやう)をつ
たふ。無比(むび)の誓願(せいぐわん)ををこし(おこし)【起こし】て、辺地(へんぢ)の異域(いゐき)(いいき)に侍(は)(ン)
べり。昼夜(ちうや)に万民(ばんみん)をあはれんで、普賢(ふげん)の悲願(ひぐわん)に
住(ぢゆう)(ぢう)す。肉身(にくしん)に三昧(さんまい)を証(しよう)(せう)じて、慈氏(じし)の下生(げしやう)をまつ」
P10110
とぞ申(まう)させ給(たま)ひける。彼(かの)摩訶迦葉(まかかせふ)(まかかせう)の■足(けいそく)
の洞(ほら)に籠(こもり)て、しづ【翅都】の春風(はるかぜ)を期(ご)し給(たま)ふらんも、
かくやとぞおぼえける。御入定(ごにふぢやう)(ごにうぢやう)は承和(しようわ)(せうわ)二年(にねん)三
月(さんぐわつ)廿一日(にじふいちにち)、寅(とら)の一点(いつてん)の事(こと)なれば、すぎにし方(かた)も
三百(さんびやく)余歳(よさい)、行末(ゆくすゑ)P2273も猶(なほ)(なを)五十六億七千万歳(ごじふろくおくしちせんまんざい)の後(のち)、
慈尊(じそん)出世(しゆつせ)三会(さんゑ)の暁(あかつき)をまたせ給(たまふ)らんこそ久(ひさ)
しけれ。維盛出家(これもりのしゆつけ)S1010 「維盛(これもり)が身(み)のいつとなく、雪山(せつせん)の鳥(とり)のなく【鳴く】
らんやうに、けふよあすよとおもふ物(もの)を」とて、涙(なみだ)ぐみ
P10111
給[* 「賜」と有るのを高野本により訂正](たま)ふぞ哀(あはれ)なる。塩風(しほかぜ)にくろみ、つきせぬ物思(ものおも)ひ
にやせおとろへて、その人(ひと)とはみえ【見え】給(たま)はねども、
猶(なほ)(なを)よ【世】の人(ひと)にはすぐれ給(たま)へり。其(その)夜(よ)は滝口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)
が庵室(あんじつ)にかへ(ッ)【帰つ】て、よもすがら昔(むかし)今(いま)の物(もの)がたりをぞ
し給(たま)ひける。聖(ひじり)が行儀(ぎやうぎ)をみ【見】給(たま)へば、至極(しごく)甚深(じんじん)(ぢんじん)
の床(ゆか)の上(うへ)には、真理(しんり)の玉(たま)をみがくらんとみえ【見え】て、
後夜(ごや)晨朝(じんでう)の鐘(かね)の声(こゑ)には、生死(しやうじ)の眠(ねぶり)をさま
すらんとも覚(おぼえ)たり。のがれ【逃れ】ぬべくはかくても
P10112
あらまほしうや思(おも)はれけん。あけぬれば東
禅院(とうぜんゐん)の智覚上人(ちかくしやうにん)と申(まうし)ける聖(ひじり)を請(しやう)じたて
ま(ッ)【奉つ】て、出家(しゆつけ)せんとし給(たま)ひけるが、与三兵衛(よさうびやうゑ)・石
童丸(いしどうまる)をめし【召し】ての給(たま)ひけるは、「維盛(これもり)こそ人(ひと)し
れぬおもひ【思ひ】を身(み)にそへ【添へ】ながら、みち【道】せばう【狭う】のがれ【逃れ】
がたき身(み)なれば、むなしうなるとも、このごろは
世(よ)にある人(ひと)こそおほけれ【多けれ】、なんぢらはいかなるあり
さまをしても、などかすぎ【過ぎ】ざるべき。われいかにも
P10113
ならんやうを見(み)はてて、いそぎ宮(みや)こ【都】へのぼり、
おのおのが身(み)をもたすけ【助け】、かつうは妻子(さいし)をも
はP2274ぐくみ、かつうは又(また)維盛(これもり)が後生(ごしよう)をもとぶらへ
かし」との給(たま)へば、二人(ににん)の物(もの)どもさめざめとないて、し
ばしは御返事(おんぺんじ)にも及(およ)(をよ)ばず。ややあ(ッ)て、与三兵衛(よさうびやうゑ)涙(なみだ)
ををさへ(おさへ)て申(まうし)けるは、「重景(しげかげ)が父(ちち)、与三左衛門(よさうざゑもん)(よさうざへもん)景康(かげやす)
は、平治(へいぢ)の逆乱(げきらん)の時(とき)、故殿(ことの)の御共(おんとも)に候(さうらひ)けるが、二条堀
河(にでうほりかは)のへんにて、鎌田兵衛(かまだびやうゑ)にくん【組ん】で、悪源太(あくげんだ)に
P10114
うた【討た】れ候(さうらひ)ぬ。重景(しげかげ)もなじかはおとり候(さうらふ)べき。其(その)時(とき)は
二歳(にさい)にまかりなり候(さうらひ)ければ、すこしもおぼえ
候(さうら)はず。母(はは)には七歳(しちさい)でおくれ候(さうらひ)ぬ。あはれ【哀】をかくべき
したしい【親しい】物(もの)一人(いちにん)も候(さうら)はざりしかども、故(こ)大臣殿(おほいとの)、
「あれはわが命(いのち)にかはりたりし物(もの)の子(こ)なれば」とて、
御(おん)まへにてそだて【育て】られまいらせ(まゐらせ)【参らせ】、生年(しやうねん)九(ここのつ)と申(まうし)
し時(とき)、君(きみ)の御元服(ごげんぶく)候(さうらひ)し夜(よ)、かしらをとり【取り】あげ【上げ】
られまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、かたじけなく、「盛(もり)の字(じ)は家(いへの)
P10115
字(じ)なれば五代(ごだい)につく。重(しげ)の字(じ)を松王(まつわう)に」と仰(おほせ)
候(さうらひ)て、重景(しげかげ)とはつけられまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうらふ)也(なり)。父(ちち)のよう
で死(しに)候(さうらひ)けるも、我(わが)身(み)の冥加(みやうが)と覚(おぼえ)候(さうらふ)。随分(ずいぶん)同齢(どうれい)
どもにも芳心(はうじん)せられてこそまかりすぎ候(さうらひ)しか。
されば御臨終(りんじゆう)(ごりんじう)の御時(おんとき)も、此(この)世(よ)の事(こと)をばおぼし
めし【思し召し】すて【捨て】て、一事(ひとこと)も仰(おほせ)候(さうら)はざりしかども、重
景(しげかげ)御(おん)まへちかう【近う】めされて、「あなむざんや。なんぢは
重盛(しげもり)を父(ちち)がかたみとおもひ【思ひ】、重盛(しげもり)は汝(なんぢ)を景康(かげやす)が
P10116
形見(かたみ)とおもひ【思ひ】てこそすごしつれ。今度(こんど)の除目(ぢもく)(じもく)
に靭負尉(ゆぎへのじよう)(ゆぎえのぜう)になして、おのれ【己】が父(ちち)景康(かげやす)をよびし
様(やう)にめさばやとこそおもひつるに、むなしうなる
こそかなしけれ。相構(あひかまへ)(あいかまへ)て少将殿(せうしやうどの)の心(こころ)にたがふ【違ふ】な」とP2275
こそ仰(おほせ)候(さうらひ)しか。さればこの日(ひ)ごろは、いかなる御事(おんこと)
も候(さうら)はんには、みすてまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て落(おつ)べき物(もの)とおぼ
しめし【思し召し】候(さうらひ)けるか。御心(おんこころ)のうちこそはづかしう候(さうら)へ。「こ
のごろは世(よ)にある人(ひと)こそおほけれ【多けれ】」と仰(おほせ)かうぶり候(さうらふ)
P10117
は、当時(たうじ)のごとくは源氏(げんじ)の郎等(らうどう)どもこそ候(さうらふ)なれ。
君(きみ)の神(かみ)にも仏(ほとけ)にもならせ給(たま)ひ候(さうらひ)なん後(のち)、たのし
みさかへ(さかえ)【栄え】候(さうらふ)とも、千年(せんねん)の齢(よはひ)をふるべきか。たとひ
万年(まんねん)をたもつ【保つ】とも、つゐに(つひに)【遂に】はおはり(をはり)のなかるべき
か。これにすぎたる善知識(ぜんぢしき)、なに事(ごと)か候(さうらふ)べき」とて、
手(て)づからもとどりき(ッ)て、なくなく【泣く泣く】滝口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)にそら
せけり。石童丸(いしどうまる)もこれをみて、もとゆい(もとゆひ)【元結】ぎはより
かみ【髪】をきる。これも八(やつ)よりつきたてま(ッ)【奉つ】て、重景(しげかげ)にも
P10118
おとらず不便(ふびん)にし給(たま)ひければ、おなじく滝口(たきぐち)
入道(にふだう)(にうだう)にそらせけり。これらがか様(やう)【斯様】に先達(さきだち)てなる
をみ【見】給(たま)ふにつけても、いとど心(こころ)ぼそうぞおぼし
めす【思し召す】。さてもあるべきならねば、「流転(るてん)三界(さんがい)中(ちゆう)(ちう)、
恩愛(おんあい)(をんあい)不能断(ふのうだん)(ふのふだん)、棄[* 「奇」と有るのを他本により訂正]恩入無為(きおんにふむゐ)(きをんにうむい)、真実(しんじつ)報恩者(はうおんしや)(ほうをんしや)」と
三反(さんべん)唱(とな)へ給(たま)ひて、つゐに(つひに)【遂に】そりおろし給(たまひ)て(ン)げり。
「あはれ、かはらぬすがたを恋(こひ)しき物(もの)どもに今(いま)一度(ひとたび)
みえ【見え】もし、見(み)て後(のち)かくもならば、おもふ【思ふ】事(こと)あらじ」と
P10119
の給(たま)ひけるこそ罪(つみ)ふかけれ。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)も兵衛(ひやうゑ)
入道(にふだう)(にうだう)も同年(どうねん)にて、ことしは廿七(にじふしち)歳(さい)也(なり)。石童丸(いしどうまる)は
十八(じふはち)にぞなりける。とねり武里(たけさと)をめし【召し】て、「おの
れ【己】はとうとう【疾う疾う】これより八島(やしま)へかへれ。宮(みや)こ【都】へはP2276のぼる
べからず。そのゆへ(ゆゑ)【故】は、つゐに(つひに)【遂に】はかくれあるまじけれども[* 「ければ」と有るのを高野本により訂正]、
まさしうこのありさまをきい【聞い】ては、やがてさまを
もかへんずらんとおぼゆるぞ。八島(やしま)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て人々(ひとびと)
に申(まう)さんずるやうはよな、「かつ御(ご)らん候(さうらひ)しやうに、
P10120
大方(おほかた)の世間(せけん)も物(もの)うきやうにまかりなり候(さうらひ)き。
よろづあぢきなさもかずそひ【添ひ】てみえ【見え】候(さうらひ)しかば、
おのおのにもしられまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はで、かくなり候(さうらひ)ぬ。
西国(さいこく)で左(ひだん)の中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)うせ候(さうらひ)ぬ。一谷(いちのたに)で備中守(びつちゆうのかみ)(びつちうのかみ)う
た【討た】れ候(さうらひ)ぬ。われさへかくなり候(さうらひ)ぬれば、いかにをのをの(おのおの)【各々】
たよりなうおぼしめさ【思し召さ】れ候(さうら)はんずらんと、それ
のみこそ心(こころ)ぐるしう思(おも)ひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へ。抑(そもそも)唐皮(からかは)
といふ鎧(よろひ)、小烏(こがらす)といふ太刀(たち)は、平(へい)将軍(しやうぐん)貞盛(さだもり)より
P10121
当家(たうけ)につたへて、維盛(これもり)までは嫡々(ちやくちやく)九代(くだい)にあひ
あたる。もし不思議(ふしぎ)にて世(よ)もたちなをら(なほら)ば、六代(ろくだい)に
たぶべし」と申(まう)せ」とこその給(たま)ひけれ。とねり武
里(たけさと)「君(きみ)のいかにもならせをはし(おはし)まさんやうを見(み)
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て後(のち)こそ、八島(やしま)へもまいり(まゐり)【参り】候(さうら)はめ」と申(まうし)ければ、
「さらば」とてめし【召し】ぐせ【具せ】らる。滝口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)をも善知識(ぜんぢしき)
のために具(ぐ)せられけり。山伏[* 「山臥」と有るのを高野本により訂正](やまぶし)修行者(しゆぎやうじや)のやうにて
高野(かうや)をばいで【出で】、同国(どうこく)のうち山東(さんどう)へこそ出(いで)られ
P10122
けれ。藤代(ふぢしろ)の王子(わうじ)を初(はじめ)として、王子(わうじ)王子(わうじ)ふし
をがみ【拝み】、まいり(まゐり)【参り】給(たま)ふ程(ほど)に、千里(せんり)の浜(はま)の北(きた)、岩代(いはしろ)の王子(わうじ)の
御前(おんまへ)にて、狩装束(かりしやうぞく)したる物(もの)七八騎(しちはつき)が程(ほど)ゆきあひ
たてまつる【奉る】。すでにからめとられなんずとおぼして、
おのおの腰(こし)の刀(かたな)に手(て)をかけて、腹(はら)をきP2277らんとし
給(たま)ひけるが、ちかづき【近付き】けれども、あやまつべき気(け)
しきもなくて、いそぎ馬(むま)よりおり、ふかう【深う】かしこ
ま(ッ)てとほり【通り】ければ、「みしりたる物(もの)にこそ。たれ
P10123
なるらん」とあやしくて、いとど足(あし)ばやにさし
給(たま)ふ程(ほど)に、これは当国(たうごく)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、湯浅(ゆあさの)権守(ごんのかみ)宗重(むねしげ)が
子(こ)に、湯浅(ゆあさの)七郎兵衛(しちらうびやうゑ)宗光(むねみつ)といふもの也(なり)。郎等(らうどう)ども
「これはいかなる人(ひと)にて候(さうらふ)やらん」と申(まうし)ければ、七郎
兵衛(しちらうびやうゑ)涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、「あら、事(こと)もかたじけ
なや。あれこそ小松(こまつの)大臣殿(おとどどの)の御嫡子(おんちやくし)、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)
殿(どの)よ。八島(やしま)よりこれまでは、なにとしてのがれ【逃れ】さ
せ給(たま)ひたりけるぞや。はや御(おん)さまをかへさせ給(たまひ)て(ン)
P10124
げり。与三兵衛(よさうびやうゑ)、石童丸(いしどうまる)も同(おな)じく出家(しゆつけ)して
御共(おんとも)申(まうし)たり。ちかうまい(ッ)(まゐつ)【参つ】てげ(ン)ざん(げんざん)【見参】にも入(いり)たかり
つれども、はばかりもぞおぼしめす【思し召す】とてとほり【通り】
ぬ。あなあはれ【哀】の御(おん)ありさまや」とて、袖(そで)をかほに
おしあてて、さめざめとなき【泣き】ければ、郎等(らうどう)どもも
みな涙(なみだ)をぞながしける。熊野参詣(くまのさんけい)S1011やうやうさし給(たま)ふ程(ほど)に[* 「給へども」と有るのを高野本により訂正]、
日数(ひかず)ふれば、岩田河(いはだがは)にもかかり給(たま)ひけり。「この
河(かは)のながれを一度(ひとたび)もわたるものは、悪業(あくごふ)(あくごう)煩悩(ぼんなう)無
P10125
始(むし)の罪障(ざいしやう)きゆ【消ゆ】なる物(もの)を」と、たのもしう【頼もしう】P2278ぞおぼし
ける。本宮(ほんぐう)にまいり(まゐり)【参り】つき、証誠殿(しようじやうでん)(せうじやうでん)の御(おん)まへに
つゐ(つい)ゐ給(たま)ひつつ、しばらく法施(ほつせ)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、御山(おんやま)
のやうををがみ【拝み】給(たま)ふに、心(こころ)も詞(ことば)もおよば【及ば】れず。大悲(だいひ)
擁護(をうご)(おうご)の霞(かすみ)は、熊野山(ゆやさん)にたなびき、霊験無双(れいげんぶさう)
の神明(しんめい)は、おとなし河(がは)【音無河】に跡(あと)をたる。一乗(いちじよう)(いちぜう)修行(しゆぎやう)の
岸(きし)には、感応(かんおう)の月(つき)くまもなく、六根懺悔(ろくこんさんげ)の庭(には)には、
妄想(まうざう)の露(つゆ)もむすばず。いづれもいづれもたのもし
P10126
から【頼もしから】ずといふ事(こと)なし。夜(よ)ふけ人(ひと)しづま(ッ)て、啓白(けいひやく)
し給(たま)ふに、父(ちち)のおとどのこの御前(おんまへ)にて、「命(いのち)をめし【召し】
て後世(のちのよ)をたすけ【助け】給(たま)へ」と申(まう)されける事(こと)までも、
おぼしめし【思し召し】いで【出で】て哀(あはれ)也(なり)。「本地(ほんぢ)阿弥陀如来(あみだによらい)にてま
します。摂取(せつしゆ)不捨(ふしや)の本願(ほんぐわん)あやまたず、浄土(じやうど)
へみちびき給(たま)へ」と申(まう)されける。なかにも「ふるさとに
とどめ【留め】おきし妻子(さいし)安穏(あんおん)に」といのられけるこそ
かなしけれ。うき世(よ)をいとひ、まこと【誠】の道(みち)に入(いり)給(たま)へども、
P10127
妄執(まうじう)は猶(なほ)(なを)つきずとおぼえて哀(あはれ)なりし事共(ことども)也(なり)。
あけぬれば、本宮(ほんぐう)より舟(ふね)にのり、新宮(しんぐう)へぞまいら(まゐら)【参ら】
れける。かん【神】のくら【蔵】をおがみ(をがみ)【拝み】給(たま)ふに、巌松(がんしやう)たかくそ
びへ(そびえ)【聳え】て、嵐(あらし)妄想(まうざう)の夢(ゆめ)を破(やぶ)り、流水(りうすい)きよく
ながれて、浪(なみ)塵埃(ぢんあい)の垢(あか)をすすぐらんとも覚(おぼ)へ(おぼえ)
たり。明日(あすか)の社(やしろ)ふしをがみ【拝み】、佐野(さの)の松原(まつばら)さしす
ぎて、那智(なち)の御山(みやま)にまいり(まゐり)【参り】給(たま)ふ。三重(さんぢゆう)(さんぢう)に漲(みなぎ)りお
つる滝(たき)の水(みづ)、数千丈(すせんぢやう)までよぢのぼり、観音(くわんおん)(くわんをん)の
P10128
霊像(れいざう)は岩(いは)の上(うへ)にあらはれて、補陀落山(ふだらくせん)ともい(ッ)つ
べし。霞(かすみ)の底(そこ)には法花(ほつけ)読誦(どくじゆ)の声(こゑ)きこゆ、霊鷲
山(りやうじゆせん)とも申(まうし)つべし。抑(そもそも)権現(ごんげん)当山(たうざん)に跡(あと)を垂(たれ)させま
しP2279ましてよりこのかた、我(わが)朝(てう)の貴賎(きせん)上下(じやうげ)歩(あゆみ)を
はこび、かうべをかたむけ、たな心(ごころ)をあはせて、利生(りしやう)に
あづからずといふ事(こと)なし。僧侶(そうりよ)されば甍(いらか)をなら
べ、道俗(だうぞく)袖(そで)をつらねたり。寛和(くわんわの)夏(なつ)の比(ころ)、花山(くわさん)の
法皇(ほふわう)(ほうわう)十善(じふぜん)の帝位(ていゐ)をのがれ【逃れ】させ給(たま)ひて、九品(くほん)の
P10129
浄刹(じやうせつ)ををこなは(おこなは)【行なは】せ給(たま)ひけん、御庵室(ごあんじつ)の旧跡(きうせき)に
は、昔(むかし)をしのぶ【忍ぶ】とおぼしくて、老木(おいき)の桜(さくら)ぞさきに
ける。那智(なち)ごもりの僧共(そうども)のなかに、この三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)
をよくよく見(み)しりたてま(ッ)【奉つ】たるとおぼしくて、同
行(どうぎやう)にかたりけるは、「ここなる修行者(しゆぎやうじや)をいかなる人(ひと)
やらんとおもひたれば、小松(こまつ)のおほいとのの御嫡子(おんちやくし)、
三位(さんみの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)にておはしけるぞや。あの殿(との)のいま
だ四位(しゐの)少将(せうしやう)ときこえ【聞え】給(たま)ひし安元(あんげん)の春(はるの)比(ころ)、法住
P10130
寺殿(ほふぢゆうじどの)(ほうぢうじどの)にて五十(ごじふの)御賀(おんが)のありしに、父(ちち)小松殿(こまつどの)は内
大臣(ないだいじん)の左大将(さだいしやう)にてまします、伯父(をぢ)(おぢ)宗盛卿(むねもりのきやう)は大
納言(だいなごん)の右大将(うだいしやう)にて、階下(かいか)に着座(ちやくざ)せられたり。其(その)外(ほか)
三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)知盛(とももり)・頭(とうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡(しげひら)以下(いげ)一門(いちもん)の人々(ひとびと)、けふ
を晴(はれ)とときめき給(たま)ひて、垣代(かいしろ)に立(たち)給(たま)ひしなか
より、此(この)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)、桜(さくら)の花(はな)をかざして青海波[* 「青海破」と有るのを高野本により訂正](せいがいは)
をまう【舞う】て出(いで)られたりしかば、露(つゆ)に媚(こび)たる花(はな)の
御姿(おんすがた)、風(かぜ)に翻(ひるがへ)る舞(まひ)の袖(そで).地(ち)をてらし天(てん)もかかやく
P10131
ばかり也(なり)。女院(にようゐん)より関白殿(くわんばくどの)を御使(おんつかひ)にて御衣(ぎよい)を
かけられしかば、父(ちち)の大臣(おとど)座(ざ)をたち、これを給(たま)は(ッ)て
右(みぎ)の肩(かた)にかけ、院(ゐん)を拝(はい)したてまつり【奉り】給(たま)ふ。面目(めんぼく)
たぐひすくなうぞみえ【見え】し。かたえ(かたへ)の殿上人(てんじやうびと)、いかP2280
ばかり浦山(うらやま)しうおもは【思は】れけん。内裏(だいり)の女房達(にようばうたち)の
なかには、「深山木(みやまぎ)のなかの桜梅(さくらむめ)とこそおぼゆれ」
な(ン)ど(など)いはれ給(たまひ)し人(ひと)ぞかし。只今(ただいま)大臣(おとど)の大将(だいしやう)
待(まち)かけ給(たま)へる人(ひと)とこそ見(み)たてまつり【奉り】しに、けふはかく
P10132
やつれはて給(たま)へる御(おん)ありさま、かねて【予て】はおもひ【思ひ】よら
ざ(ッ)しをや。うつればかはる世(よ)のならひ【習ひ】とはいひながら、
哀(あはれ)なる御事(おんこと)かな」とて、袖(そで)をかほにおしあててさめざめ
となきければ、いくらもなみゐたりける那知【*那智】(なち)ごもり
の僧(そう)どもも、みなうち衣(ごろも)【裏衣】の袖(そで)をぞぬらしける。維盛(これもりの)入水(じゆすい)(じゆすゐ)S1012三(みつ)の
山(やま)の参詣(さんけい)事(こと)ゆへ(ゆゑ)【故】なくとげ給(たま)ひしかば、浜(はま)の宮(みや)
と申(まうす)王子(わうじ)の御(おん)まへより、一葉(いちえふ)(いちよう)の舟(ふね)に棹(さを)(さほ)さして、
万里(ばんり)の蒼海(さうかい)にうかび給(たま)ふ。はるかのおき【沖】に山(やま)なり【山成】
P10133
の島(しま)といふ所(ところ)あり。それに舟(ふね)をこぎよせさせ、
岸(きし)にあがり【上がり】、大(おほき)なる松(まつ)の木(き)をけづ(ッ)て、中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)銘跡(めいせき)
をかき【書き】つけらる。「祖父(そぶ)太政(だいじやう)大臣(だいじん)平(たひらの)(たいらの)朝臣(あそん)(あ(ツ)そん)清盛
公(きよもりこう)、法名(ほふみやう)(ほうみやう)浄海(じやうかい)、親父(しんぶ)内大臣(ないだいじん)左大将(さだいしやう)重盛公(しげもりこう)、法名(ほふみやう)(ほうみやう)
浄蓮(じやうれん)、三位(さんみの)(さんゐの)中将(ちゆうじやう)維盛(これもり)、法名(ほふみやう)(ほうみやう)浄円(じやうゑん)、生年(しやうねん)廿七
歳(にじふしちさい)、寿永(じゆえい)(じゆゑい)三年(さんねん)三月(さんぐわつ)廿八日(にじふはちにち)、那智[B ノ](なちの)奥(おき)にて入水(じゆすい)
す」とかきつけて、又(また)奥(おき)へぞこぎいで給(たま)ふ。思(おもひ)き
りたる道(みち)なれども、今(いま)はの時(とき)になりぬれば、心(こころ)ぼそう
P10134
かなしからP2281ずといふ事(こと)なし。比(ころ)は三月(さんぐわつ)廿八日(にじふはちにち)の事(こと)
なれば、海路(かいろ)はるかにかすみわたり、あはれをもよほす
たぐひ也(なり)。ただ大方(おほかた)の春(はる)だにも、くれ行(ゆく)空(そら)は物(もの)
うきに、况(いはん)やけふをかぎりの事(こと)なれば、さこそ
は心(こころ)ぼそかりけめ。奥(おき)の釣舟(つりぶね)の浪(なみ)にきえ入(いる)やう
におぼゆるが、さすがしづみもはてぬをみ【見】給(たま)ふ
にも、我(わが)身(み)のうへとやおぼしけん。おの【己】が一(ひと)つら
ひきつれて、今(いま)はとかへる雁(かり)が音(ね)の、越路(こしぢ)をさして
P10135
なきゆくも、ふるさとへことづけせまほしく、蘇武(そぶ)
が胡国(ここく)の恨(うらみ)まで、おもひ【思ひ】のこせるくまもなし。
「さればこは何事(なにごと)ぞ。猶(なほ)(なを)妄執(まうじう)のつきぬにこそ」と
おぼしめし【思し召し】かへして、西(にし)にむかひ【向ひ】手(て)をあはせ、念
仏(ねんぶつ)し給(たま)ふ心(こころ)のうちにも、「すでに只今(ただいま)をかぎり
とは、都(みやこ)にはいかでかしるべきなれば、風(かぜ)のたより
のことつて【言伝】も、いまやいまやとこそまたんずらめ。
つゐに(つひに)【遂に】はかくれ【隠】あるまじければ、此(この)世(よ)になき
P10136
ものときい【聞い】て、いかばかりかなげかんずらん」な(ン)ど(など)思(おもひ)
つづけられ給(たま)へば、念仏(ねんぶつ)をとどめ【留め】て、合掌(がつしやう)をみ
だり、聖(ひじり)にむか(ッ)【向つ】ての給(たま)ひけるは、「あはれ人(ひと)の身(み)に妻
子(さいし)といふ物(もの)をばもつまじかりける物(もの)かな。此(この)世(よ)にて
物(もの)をおもは【思は】するのみならず、後世(ごせ)菩提(ぼだい)のさま
たげとなりけるくちおしさ(くちをしさ)【口惜しさ】よ。只今(ただいま)もおも
ひ【思ひ】いづる【出づる】ぞや。かやうの事(こと)を心中(しんぢゆう)(しんぢう)にのこせば、
罪(つみ)ふかからんなるあひだ、懺悔(さんげ)する也(なり)」とぞのたまひ
P10137
ける。聖(ひじり)もあはれ【哀】におぼえけれども、われさへ心(こころ)よ
はく(よわく)【弱く】てはかなは【叶は】じとおもひ【思ひ】、涙(なみだ)をし(おし)【押し】のP2282ごひ、さら
ぬていにもてないて申(まうし)けるは、「まこと【誠】にさこそは
おぼしめさ【思し召さ】れ候(さうらふ)らめ。たかき【高き】もいやしきも、恩愛(おんあい)(をんあひ)
の道(みち)はちからおよば【及ば】ぬ事(こと)也(なり)。なかにも夫妻(ふさい)は一
夜(いちや)の枕(まくら)をならぶるも、五百生(ごひやくしやう)の宿縁(しゆくえん)と申(まうし)候(さうら)へば、
先世(ぜんぜ)の契(ちぎり)あさからず。生者(しやうじや)必滅(ひつめつ)、会者(ゑしや)定離(ぢやうり)は
うき世(よ)の習(ならひ)にて候(さうらふ)也(なり)。末(すゑ)の露(つゆ)もとのしづくの
P10138
ためし【例】あれば、たとひ遅速(ちそく)の不同(ふどう)はありとも、
おくれさきだつ【先立つ】御別(おんわかれ)、つゐに(つひに)【遂に】なくてしもや候(さうらふ)
べき。彼(かの)離山宮(りさんきゆう)(りさんきう)の秋(あき)の夕(ゆふべ)の契(ちぎり)も、つゐに(つひに)【遂に】は、
心(こころ)をくだくはしとなり、甘泉殿(かんせんでん)の生前(しやうぜん)の恩(おん)(をん)
も、をはりなきにしもあらず。松子(しやうし)・梅生(ばいせい)、生
涯(しやうがい)の恨(うらみ)あり。等覚(とうがく)・十地(じふぢ)、なを(なほ)【猶】生死(しやうじ)のおき
てにしたがふ。たとひ君(きみ)長生(ちやうせい)のたのしみにほ
こり給(たま)ふとも、この御(おん)なげきはのがれ【逃れ】させ給(たま)ふ
P10139
べからず。たとひ又(また)百年(はくねん)のよわひ(よはひ)をたもち【保ち】
給(たま)ふとも、この御恨(おんうらみ)はただおなじ事(こと)とおぼし
めさ【思し召さ】るべし。第六天(だいろくてん)の魔王(まわう)といふ外道(げだう)は、欲
界(よくかい)の六天(ろくてん)をわがものと領(りやう)じて、なかにも此(この)界(かい)の
衆生(しゆじやう)の生死(しやうじ)をはなるる事(こと)をおしみ(をしみ)【惜しみ】、或(あるい)(ある)は妻(つま)
となり、或(あるい)(ある)は夫(おつと)とな(ッ)て、これをさまたぐるに、三世(さんぜ)
の諸仏(しよぶつ)は、一切(いつさい)衆生(しゆじやう)を一子(いつし)の如(ごとく)におぼしめし【思し召し】て、
極楽浄土(ごくらくじやうど)の不退(ふたい)の土(ど)にすすめ【進め】いれ【入れ】んとし給(たま)ふに、
P10140
妻子(さいし)といふものが、無始(むし)曠劫(くわうごふ)(くわうごう)よりこのかた生死(しやうじ)に
流転(るてん)するきづななるがゆへ(ゆゑ)【故】に、仏(ほとけ)はおもう【重う】いま
しめ給(たま)ふ也(なり)。さればとて御心(おんこころ)よわう【弱う】おぼしめす
べからず。源氏[B ノ](げんじの)先祖(せんぞ)伊与【*伊予】(いよの)入道(にふだう)(にうだう)頼義(らいぎ)は、勅命(ちよくめい)に
よ(ッ)て奥州(あうしう)のゑびす(えびす)【夷】貞任(さだたふ)(さだたう)・宗任(むねたふ)(むねたう)P2283をせめ【攻め】んとて、
十二年(じふにねん)があひだに人(ひと)の頸(くび)をきる事(こと)一万六千
人(いちまんろくせんにん)、山野(さんや)の獣(けだもの)、江河(がうが)の鱗(うろくづ)、其(その)いのちをたつ事(こと)
いく千万(せんまん)といふかずをしら【知ら】ず。されども、終焉(しゆうえん)(しうゑん)の
P10141
時(とき)、一念(いちねん)の菩提心(ぼだいしん)ををこし(おこし)【起こし】しによ(ッ)て、往生(わうじやう)の素懐(そくわい)
をとげたりとこそうけ給(たま)はれ【承れ】。就中(なかんづく)に、出家(しゆつけ)の
功徳(くどく)莫大(ばくだい)なれば、先世(ぜんぜ)の罪障(ざいしやう)みなほろび給(たま)
ひぬらん。たとひ人(ひと)あ(ッ)て七宝(しつぽう)の塔(たふ)(たう)をたてん
事(こと)、たかさ卅三(さんじふさん)天(てん)にいたるとも、一日(いちにち)の出家(しゆつけ)の
功徳(くどく)には及(およぶ)(をよぶ)ベからず。たとひ又(また)百千歳(ひやくせんざい)の間(あひだ)(あいだ)
百羅漢(ひやくらかん)を供養(くやう)したらん功徳(くどく)も、一日(いちにち)の出家(しゆつけ)の
功徳(くどく)には及(およぶ)(をよぶ)べからずととか【説か】れたり。つみふかかり【深かり】し
P10142
頼義(らいぎ)、心(こころ)のたけきゆへ(ゆゑ)【故】に往生(わうじやう)とぐ。させる御罪
業(ございごふ)(ございごう)ましまさざらんに、などか浄土(じやうど)へまいり(まゐり)【参り】給(たま)はざるべ
き。其上(そのうへ)当山(たうざん)権現(ごんげん)は本地(ほんぢ)阿弥陀如来(あみだによらい)にて
まします。はじめ無三悪趣(むさんあくしゆ)の願(ぐわん)より、おはり(をはり)
得三宝忍(とくさんぼうにん)の願(ぐわん)にいたるまで、一々(いちいち)の誓願(せいぐわん)、衆生(しゆうじやう)
化度(けど)の願(ぐわん)ならずといふ事(こと)なし。なかにも第(だい)十八(じふはち)
の願(ぐわん)には「設我得仏(せつがとくぶつ)、十方(じつぱう)衆生(しゆじやう)、至心信楽(ししんしんげう)、欲生我
国(よくしやうがこく)、乃至(ないし)十念(じふねん)、若不生者(にやくふしやうじや)、不取正覚(ふしゆしやうがく)」ととか【説か】れ
P10143
たれば、一念(いちねん)十念(じふねん)のたのみ【頼み】あり。ただふかく信(しん)
じて、ゆめゆめ疑(うたが)ひをなし給(たま)ふべからず。無二(むに)の
懇念(こんねん)をいたし【致し】て、若(もし)は十反(じつぺん)、若(もし)は一反(いつぺん)も唱(となへ)給(たま)ふ
物(もの)ならば、弥陀如来(みだによらい)、六十万億那由多恒河沙(ろくじふまんおくなゆたがうがしや)
の御身(おんみ)をつづめ、丈六八尺(ぢやうろくはつしやく)の御(おん)かたちにて、観音(くわんおん)(くわんをん)
勢至(せいし)無数(むしゆ)の聖衆(しやうじゆ)、化仏菩薩(けぶつぼさつ)、百重(ひやくぢゆう)(ひやくぢう)千重(せんぢゆう)(せんぢう)に
囲繞(ゐねう)し、伎楽歌(ぎがくか)詠(えい)(ゑい)じて、只今(ただいま)極楽(ごくらく)の東門(とうもん)をい
で【出で】て来迎(らいかう)し給(たま)はんずれば、P2284御身(おんみ)こそ蒼海(さうかい)の底(そこ)に沈(しづむ)
P10144
とおぼしめさ【思し召さ】るとも、紫雲(しうん)のうへにのぼり給(たま)ふべし。
成仏(じやうぶつ)得脱(とくだつ)してさとりをひらき給(たま)ひなば、娑婆(しやば)
の故郷(こきやう)にたちかへ(ッ)【帰つ】て妻子(さいし)を道(みち)びき給(たま)はん事(こと)、還
来(げんらい)穢国(ゑこく)度人天(どにんでん)、すこしも疑(うたがひ)あるべからず」とて、かね【鐘】
うちならしてすすめたてまつる【奉る】。中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)しかる【然る】べき
善知識(ぜんぢしき)かなとおぼしめし【思し召し】、忽(たちまち)に妄念(まうねん)をひる
がへして、高声(かうしやう)〔に〕念仏(ねんぶつ)百反(ひやつぺん)ばかりとなへつつ、「南
無(なむ)」と唱(となふ)る声(こゑ)とともに、海(うみ)へぞ入(いり)給(たま)ひける。兵衛(ひやうゑ)入
P10145
道(にふだう)(にうだう)も石童丸(いしどうまる)も、同(おな)じく御名(みな)をとなへつつ、つづ
ゐ(つづい)【続い】て海(うみ)へぞ入(いり)にける。三日平氏(みつかへいじ)S1013とねり武里(たけさと)もおなじく
入(い)らんとしけるを、聖(ひじり)とりとどめ【留め】ければ、ちからおよ
ばず。「いかにうたてくも、御遺言(ごゆいごん)をばたがへ【違へ】たてま
つら【奉ら】んとするぞ。下臈(げらふ)(げらう)こそ猶(なほ)(なを)もうたてけれ。今(いま)は
ただ後世(ごせ)をとぶらひたてまつれ【奉れ】」と、なくなく【泣く泣く】教訓(けうくん)
しけれども、おくれたてまつる【奉る】かなしさに、後(のち)の御
孝養(ごけうやう)の事(こと)もおぼえず、ふなぞこにふしまろび、お
P10146
めき(をめき)【喚き】さけび【叫び】けるありさまは、むかし悉太太子【*悉達太子】(しつだたいし)の
檀徳山【*檀特山】(だんどくせん)に入(いら)せ給(たま)ひし時(とき)、しやのく【車匿】とねり【舎人】がこん
でい【■陟】駒(こま)を給(たま)は(ッ)て、王宮(わうくう)にかへりしかなしP2285み【悲しみ】も、これ
にはすぎじとぞみえ【見え】し。しばしは舟(ふね)ををし(おし)【押し】ま
はして、うき【浮き】もやあがり給(たま)ふとみけれども、
三人(さんにん)ともにふかくしづんでみえ【見え】給(たま)はず。いつしか
経(きやう)よみ念仏(ねんぶつ)して、「過去(くわこ)聖霊(しやうりやう)一仏(いちぶつ)浄土(じやうど)へ」と廻向(ゑかう)
しけるこそ哀(あはれ)なれ。さる程(ほど)に、夕陽(せきやう)西(にし)に傾(かたぶ)き、
P10147
海上(かいしやう)もくらくなりければ、名残(なごり)はつきせずお
もへ【思へ】ども、むなしき舟(ふね)をこぎかへる。とわたる舟(ふね)
のかゐ(かい)のしづく、聖(ひじり)が袖(そで)よりつたふ涙(なみだ)、わきて
いづれもみえ【見え】ざりけり。聖(ひじり)は高野(かうや)へかへりのぼる。
武里(たけさと)はなくなく八島(やしま)へまいり(まゐり)【参り】けり。御弟(おんおとと)新三位(しんざんみの)(しんざんゐの)中
将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)に御(おん)ふみ【文】とり【取り】いだし【出し】てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりければ、
「あな心(こころ)う、わがたのみ【頼み】たてまつる【奉る】程(ほど)は、人(ひと)は思(おも)ひ
給(たま)はざりける口惜(くちをし)(くちおし)さよ。池[B ノ](いけの)大納言(だいなごん)のやうに
P10148
頼朝(よりとも)に心(こころ)をかよはし【通はし】て、都(みやこ)へこそおはしたるらめ
とて、大臣殿(おほいとの)も二位殿(にゐどの)も、我等(われら)にも心(こころ)をおき
給(たま)ひつるに、されば那知【*那智】(なち)の奥(おき)にて身(み)をなげて
ましますごさんなれ。さらばひきぐして一
所(いつしよ)にも沈(しづ)み給(たま)はで、ところどころ【所々】にふさん事(こと)こそか
なしけれ。御詞(おんことば)にて仰(おほせ)らるる事(こと)はなかりしか」
ととひ給(たま)へば、「申(まう)せと候(さうらひ)しは「西国(さいこく)にて左(ひだん)の
中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)うせさせ給(たまひ)候(さうらひ)ぬ。一谷(いちのたに)で備中(びつちゆうの)(びつちうの)守殿(かみどの)う
P10149
せ給(たまひ)候(さうらひ)ぬ。我(われ)さへかくなり候(さうらひ)ぬれば、いかにたより
なうおぼしめさ【思し召さ】れ候(さうら)はんずらんと、それのみこそ
心(こころ)ぐるしう思(おもひ)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へ」。唐皮(からかは)・小烏(こがらす)の事(こと)
までもこまごまと申(まうし)たりければ、「今(いま)は我(われ)とても
ながらふ【永らふ】べしとも不覚(おぼえず)」とて、袖(そで)P2286をかほにをし(おし)【押し】
あててさめざめとなき給(たま)ふぞ、まこと【誠】に事(こと)はり(ことわり)【理】と
おぼえて哀(あはれ)なる。故(こ)三位(さんみの)(さんゐの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)にゆゆしく
に【似】たまひたりければ、みる【見る】人(ひと)涙(なみだ)をながしけり。
P10150
さぶらひどもはさしつどひ【集ひ】て、只(ただ)なくより外(ほか)の
事(こと)ぞなき。大臣殿(おほいとの)も二位殿(にゐどの)も、「この人(ひと)は池(いけ)
の大納言(だいなごん)のやうに、頼朝(よりとも)に心(こころ)をかよはし【通はし】て、都(みやこ)へと
こそおもひ【思ひ】たれば、さはおはせざりける物(もの)を」とて、
今更(いまさら)又(また)なげきかなしみ給(たま)ひけり。四月(しぐわつ)(しんぐわつ)一日(ひとひのひ)、
鎌倉(かまくらの)前(さきの)兵衛佐(ひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)、正下(じやうげ)の四位(しゐ)し給(たま)ふ。もとは
従下(じゆげ)の五位(ごゐ)にてありしに、五階(ごかい)をこえ給(たま)ふこそ
ゆゆしけれ。これは木曾(きその)(きそ)左馬頭(さまのかみ)義仲(よしなか)追討(ついたう)の
P10151
賞(しやう)とぞきこえ【聞え】し。同(おなじき)三日(みつかのひ)、崇徳院(しゆとくゐん)を神(かみ)とあ
がめたてまつる【奉る】べしとて、むかし御合戦(ごかつせん)ありし
大炊御門(おほいのみかど)が末(すゑ)に社(やしろ)をたてて、宮(みや)うつしあり。院(ゐん)の
御沙汰(ごさた)にて、内裏(だいり)にはしろしめされずとぞきこ
え【聞え】し。五月(ごぐわつ)四日(よつかのひ)、池[B ノ](いけの)大納言(だいなごん)関東(くわんとう)へ下向(げかう)。兵衛佐(ひやうゑのすけ)「御(おん)
かたをばま(ッ)たくおろかに思(おもひ)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はず。ただ故(こ)
池殿(いけどの)のわたらせ給(たま)ふとこそ存(ぞんじ)候(さうら)へ。故(こ)尼御
前(あまごぜん)の御恩(ごおん)(ごをん)をば大納言殿(だいなごんどの)に報(ほう)じたてまつら【奉ら】ん」と
P10152
たびたび誓状(せいじやう)(せいでう)をも(ッ)て申(まう)されければ、一門(いちもん)をもひき
わかれておち【落ち】とどまり給(たま)ひたりけるが、「兵衛佐(ひやうゑのすけ)
ばかりこそかうはおもはれけれども、自余(じよ)の源氏(げんじ)
どもはいかがあらんずらん」と、肝(きも)たましひをけすP2287
より外(ほか)の事(こと)なくておはしけるが、鎌倉(かまくら)より
「故(こ)尼御前(あまごぜん)をみたてまつる【奉る】と存(ぞんじ)て、とくとく
げ(ン)ざん(げんざん)【見参】に入(いり)候(さうら)はん」と申(まう)されたりければ、大納言(だいなごん)
くだり給(たま)ひけり。弥平兵衛(やへいびやうゑ)宗清(むねきよ)といふさぶらい(さぶらひ)
P10153
あり。相伝(さうでん)専一(せんいつ)のものなりけるが、あひぐし【具し】ても
くだらず。「いかに」ととひ給(たま)へば、「今度(こんど)の御(おん)ともはつか
まつらじと存(ぞんじ)候(さうらふ)。其(その)ゆへ(ゆゑ)【故】は、君(きみ)こそかくてわたらせ
給(たま)へども、御一家(ごいつか)の君達(きんだち)の、西海(さいかい)の浪(なみ)のうへにただ
よはせ給(たま)ふ御事(おんこと)の心(こころ)うくおぼえて、いまだ安堵(あんど)し
ても存(ぞんじ)候(さうら)はねば、心(こころ)すこしおとし【落し】すゑ【据ゑ】て、お(ッ)さま【追つ様】に
まいり(まゐり)【参り】候(さうらふ)べし」とぞ申(まうし)ける。大納言(だいなごん)にがにが【苦々】しうはづ
かしうおもひ【思ひ】給(たま)ひて、「一門(いちもん)をひきわかれてのこり【残り】
P10154
とどま(ッ)【留まつ】たる事(こと)は、我(わが)身(み)ながらいみじとはおもは【思は】
ねども、さすが身(み)もすてがたう、命(いのち)もをしければ、
なまじゐ(なまじひ)にとどまりにき。そのうへは又(また)くだら
ざるべきにもあらず。はるかの旅(たび)におもむくに、
いかでか見(み)おくら【送ら】であるべき。うけ【請け】ず思(おも)はば、おち【落ち】
とどま(ッ)【留まつ】し時(とき)はなどさはいはざ(ッ)しぞ。大小事(だいせうじ)一向(いつかう)
なんぢにこそいひ【言ひ】あはせ【合せ】しか」との給(たま)へば、宗清(むねきよ)
居(ゐ)なおり(なほり)【直り】畏(かしこま)(ッ)て申(まうし)けるは、「たかき【高き】もいやしきも、
P10155
人(ひと)の身(み)に命(いのち)ばかりおしき(をしき)【惜しき】物(もの)や候(さうらふ)。又(また)世(よ)をばすつ
れ【捨つれ】ども、身(み)をばすてずと申(まうし)候(さうらふ)めり。御(おん)とどまりを
あしとには候(さうら)はず。兵衛佐(ひやうゑのすけ)もかゐ(かひ)なき命(いのち)をた
すけ【助け】られまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうら)へばこそ、けふはかかる幸(さいはひ)にも
あひ候(さうら)へ。流罪(るざい)せられ候(さうらひ)しときは、故(こ)尼御前(あまごぜん)の仰(おほせ)
にて、P2288しの原(はら)【篠原】の宿(しゆく)までうちおく(ッ)【送つ】て候(さうらひ)き。「其(その)事(こと)
な(ン)ど(など)今(いま)にわすれず」とうけ給(たまはり)【承り】候(さうら)へば、さだめて御(おん)ともに
まかり下(くだつ)て候者(さうらはば)、ひきで物(もの)、饗応(きやうおう)な(ン)ど(など)もし候(さうら)はん
P10156
ずらん。それにつけても心(こころ)うかるべう候(さうらふ)。西国(さいこく)にわたら
せ給(たま)ふ君達(きんだち)、もしは侍(さぶらひ)どものかへりきかん事(こと)、返々(かへすがへす)
はづかしう候(さうら)へば、まげて今度(こんど)ばかりはまかりとど
まるべう候(さうらふ)。君(きみ)はおち【落ち】とどまら【留まら】せ給(たまひ)て、かくてわ
たらせ給(たま)ふ程(ほど)では、などか御(おん)くだりなうても候(さうらふ)べき。
はるかの旅(たび)におもむか【赴か】せ給(たま)ふ事(こと)は、まこと【誠】におぼ
つかなうおもひ【思ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へども、敵(かたき)をもせめ【攻め】に御(おん)
くだり候者(さうらはば)、一陣(いちぢん)にこそ候(さうらふ)べけれども、これはまい
P10157
ら(まゐら)【参ら】ずとも、更(さら)に御事(おんこと)かけ【欠け】候(さうらふ)まじ。兵衛佐(ひやうゑのすけ)たづね【尋ね】
申(まう)され候者(さうらはば)、「あひ労[* 「身」と有るのを高野本により訂正](いたは)る事(こと)あ(ッ)て」と仰(おほせ)候(さうらふ)べし」と
申(まうし)ければ、心(こころ)ある侍(さぶらひ)どもはこれをきいて、みな涙(なみだ)を
ぞながしける。大納言(だいなごん)もさすがはづかしうはおも
は【思は】れけれども、さればとてとどまるべきにもあら
ねば、やがてたち給(たま)ひぬ。同(おなじき)十六日(じふろくにち)、鎌倉(かまくら)へく
だりつき給(たま)ふ。兵衛佐(ひやうゑのすけ)いそぎ見参(げんざん)して、まづ
「宗清(むねきよ)は御(おん)ともして候(さうらふ)か」と申(まう)されければ、「おりふし(をりふし)【折節】
P10158
労(いた)はる事(こと)候(さうらひ)て、くだり候(さうら)はず」との給(たま)へば、「いかに、なにを
いたはり候(さうらひ)けるやらん。意趣(いしゆ)を存(ぞんじ)候(さうらふ)にこそ。むかし
宗清(むねきよ)がもとに候(さうらひ)しに、事(こと)にふれてありがたうあ
たり候(さうらひ)し事(こと)、今(いま)にわすれ候(さうら)はねば、さだめて御(おん)
ともに罷下(まかりくだり)候(さうら)はんずらん、とく見参(げんざん)せばやな(ン)
ど(など)恋(こひ)しう存(ぞんじ)P2289て候(さうらふ)に、うらめしう【恨めしう】もくだり候(さうら)はぬ
物(もの)かな」とて、下文(くだしぶみ)あまたなしまうけ【設け】、馬鞍(むまくら)(うまくら)・物
具(もののぐ)以下(いげ)、やうやうの物(もの)どもたばんとせられければ、
P10159
しかる【然る】べき大みやう【大名】ども、われもわれもとひきで
もの【引出物】ども用意(ようい)したりけるに、くだらざりけれ
ば、上下(じやうげ)ほひ(ほい)【本意】なき事(こと)におもひ【思ひ】てぞあり【有り】ける。
六月(ろくぐわつ)九日(ここのかのひ)、池(いけ)の大納言(だいなごん)関東(くわんとう)より上洛(しやうらく)し給(たま)ふ。
兵衛佐(ひやうゑのすけ)「しばらくかくておはしませ」と申(まう)され
けれども、「宮(みや)こ【都】におぼつかなくおもふ【思ふ】らん」とて、いそぎ
のぼり給(たま)ひければ、庄園(しやうゑん)(しやうえん)私領(しりやう)一所(いつしよ)も相違(さうい)ある
べからず、并(ならび)に大納言(だいなごん)になしかへさるべきよし、法皇(ほふわう)(ほうわう)
P10160
へ申(まう)されけり。鞍置馬(くらおきむま)(くらをきむま)【鞍置馬】卅疋(さんじつぴき)、はだか馬(むま)卅疋(さんじつぴき)、長持(ながもち)卅(さんじふ)
枝(えだ)に、葉金(はこがね)・染物(そめもの)・巻絹(まきぎぬ)風情(ふぜい)の物(もの)をいれ【入れ】てたて
まつり【奉り】給(たま)ふ。兵衛佐(ひやうゑのすけ)かやうにもてなし給(たま)へば、大名(だいみやう)小名(せうみやう)
われもわれもと引出物(ひきでもの)をたてまつる【奉る】。馬(むま)だにも三百
疋(さんびやつぴき)に及(およ)(をよ)べり。命(いのち)いき給(たま)ふのみならず、徳(とく)ついてぞ
かへりのぼられける。同(おなじき)十八日(じふはちにち)、肥後守(ひごのかみ)定能【*貞能】(さだよし)が伯
父(をぢ)(おぢ)、平太(へいだ)入道(にふだう)(にうだう)定次(さだつぐ)〔を〕大将(たいしやう)として、伊賀(いが)・伊勢(いせ)両
国(りやうごく)の住人等(ぢゆうにんら)(ぢうにんら)、近江国(あふみのくに)へうち出(いで)たりければ、源氏[B ノ](げんじの)末
P10161
葉等(ばつえふら)(ばつようら)発向(はつかう)して合戦(かつせん)をいたす。両国[B ノ](りやうごくの)住人等(ぢゆうにんら)(ぢうにんら)一人(いちにん)も
のこらずうちおとさ【落さ】る。平家(へいけ)重代(ぢゆうだい)(ぢうだい)相伝(さうでん)の家人(けにん)
にて、昔(むかし)のよしみをわすれ【忘れ】ぬ事(こと)はあはれ【哀】なれども、
おもひ【思ひ】たつこそおほけなけれ。三日平氏(みつかへいじ)とは是(これ)也(なり)。P2290
さる程(ほど)に、小松(こまつ)の三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維盛卿(これもりのきやう)の北方(きたのかた)は、風(かぜ)のた
よりの事(こと)つても、たえて久(ひさ)しくなりければ、な
にとなりぬる事(こと)やらんと、心(こころ)ぐるしうぞおも
は【思は】れける。月(つき)に一度(いちど)な(ン)ど(など)は必(かなら)ずをとづるる(おとづるる)物(もの)をと
P10162
まち給(たま)へども、春(はる)すぎ夏(なつ)もたけぬ。「三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)、
いまは八島(やしま)にもおはせぬ物(もの)をと申(まうす)人(ひと)あり」と
きき【聞き】給(たま)ひて、あまりのおぼつかなさに、とかくして
八島(やしま)へ人(ひと)をたてまつり【奉り】給(たま)ひたりければ、いそぎも
たちかへらず。夏(なつ)すぎ秋(あき)にもなりぬ。七月(しちぐわつ)の末(すゑ)に、
かの使(つかひ)かへりきたれり。北方(きたのかた)「さていかにやいかに」と
とひ給(たま)へば、「「すぎ候(さうらひ)し三月(さんぐわつ)十五日(じふごにち)の暁(あかつき)、八島(やしま)を御(おん)
いで候(さうらひ)て、高野(かうや)へまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ひて候(さうらひ)けるが、高野(かうや)に
P10163
て[* 「にや」と有るのを高野本により訂正]御(おん)ぐしおろし、それより熊野(くまの)へまいら(まゐら)【参ら】せをはし
まし(おはしまし)、後世(ごせ)の事(こと)をよくよく申(まう)させ給(たま)ひ、那知【*那智】(なち)の
奥(おき)にて御身(おんみ)をなげさせ給(たま)ひて候(さうらふ)」とこそ、御(おん)とも申(まうし)
たりけるとねり武里(たけさと)はかたり申(まうし)候(さうらひ)つれ」と申(まうし)け
れば、北方(きたのかた)「さればこそ。あやしとおもひ【思ひ】つる物(もの)を」
とて、ひきかづいてぞふし給(たま)ふ。若君(わかぎみ)姫君(ひめぎみ)も声々(こゑごゑ)
になき【泣き】かなしみ給(たま)ひけり。若君(わかぎみ)の御(おん)めのとの
女房(にようばう)、なくなく【泣く泣く】申(まうし)けるは、「これはいまさらおどろかせ
P10164
給(たま)ふべからず。日(ひ)ごろよりおぼしめし【思し召し】まうけたる御
事(おんこと)也(なり)。本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)のやうにいけどり【生捕り】にせられ
て、宮(みや)こ【都】へかへらせ給(たま)ひたらば、いかばかり心(こころ)うかるべ
きに、高野(かうや)にて御(おん)ぐしおろし、熊野(くまの)へまいら(まゐら)【参ら】せ
給(たま)ひ、後世(ごせ)の事(こと)よくよく申(まう)させおはしまし、臨P2291終(りんじゆう)(りんじう)
正念(しやうねん)にてうせさせ給(たま)ひける御事(おんこと)、なげきのなか
の御(おん)よろこび也(なり)。されば御心(おんこころ)やすき事(こと)にこそお
ぼしめす【思し召す】べけれ。いまはいかなる岩木(いはき)のはざま
P10165
にても、おさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)をおおし(おほし)【生し】たて【立て】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん
とおぼしめせ【思し召せ】」と、やうやう【様々】になぐさめ申(まうし)けれども、
おぼしめし【思し召し】しのび【忍び】て、ながらふ【永らふ】べしともみえ【見え】給(たま)はず。
やがてさまをかへ、かたのごとくの仏事(ぶつじ)をいとなみ、
後世(ごせ)をぞとぶらひ給(たま)ひける。藤戸(ふぢと)S1014これを鎌倉(かまくら)の兵
衛佐(ひやうゑのすけ)かへりきき給(たま)ひて、「あはれ、へだてなくうちむか
ひ【向ひ】ておはしたらば、命(いのち)ばかりはたすけ【助け】たてま(ッ)【奉つ】て
まし。小松(こまつ)の内府(だいふ)の事(こと)は、おろかにおもひ【思ひ】たてまつ
P10166
ら【奉ら】ず。池(いけ)の禅尼(ぜんに)の使(つかひ)として、頼朝(よりとも)を流罪(るざい)に申(まうし)
なだめ【宥め】られしは、ひとへに彼[B ノ](かの)内府(だいふ)の芳恩(はうおん)(ほうをん)なり。
其(その)恩(おん)(をん)争(いかで)かわするべきなれば、子息(しそく)たちもおろかに
おもは【思は】ず。まして出家(しゆつけ)な(ン)ど(など)せられなんうへは、子細(しさい)にや
及(およぶ)(をよぶ)べき」とぞの給(たま)ひける。さる程(ほど)に、平家(へいけ)は讃岐(さねき)
の八島(やしま)へかへり給(たま)ひて後(のち)も、東国(とうごく)よりあら【新】手(て)の
軍兵(ぐんびやう)数万騎(すまんぎ)、宮(みや)こ【都】につゐ(つい)【着い】てせめ【攻め】くだるとも
きこゆ。鎮西(ちんぜい)より臼杵(うすき)・戸次(へつき)・松浦党(まつらたう)同心(どうしん)P2292
P10167
しておしわたるとも申(まうし)あへ【合へ】り。かれをきき是(これ)
をきくにも、ただ耳(みみ)ををどろかし(おどろかし)、きも魂(たましひ)(たましゐ)を
けすより外(ほか)の事(こと)ぞなき。今度(こんど)一(いち)の谷(たに)にて
一門(いちもん)の人々(ひとびと)のこりすくなくうたれ給(たま)ひ、むね
との侍(さぶらひ)どもなか半(ば)すぎてほろびぬ。いまは
ちから【力】つきはてて、阿波(あはの)民部(みんぶ)大夫(だいふ)(だゆふ)重能(しげよし)が兄弟(きやうだい)、
四国(しこく)の物(もの)どもかたら(ッ)て、さりともと申(まうし)けるをぞ、
たかき山(やま)ふかき海(うみ)ともたのみ【頼み】給(たま)ひける。女房達(にようばうたち)は
P10168
さしつどひ【集ひ】て、ただなく【泣く】より外(ほか)の事(こと)ぞなき。かく
て七月(しちぐわつ)廿五日(にじふごにち)にもなりぬ。「こぞのけふは宮(みや)こ【都】を
いでしぞかし。程(ほど)なくめぐりき【来】にけり」とて、あさ
ましうあはたたしかり(あわたたしかり)し事(こと)どもの給(たま)ひいだし【出し】
て、なきぬわらひ【笑ひ】ぬぞし給(たま)ひける。同(おなじき)廿八日(にじふはちにち)、新
帝(しんてい)の御即位(ごそくゐ)あり。内侍所(ないしどころ)・神璽(しんし)・宝剣(ほうけん)もなく
して御即位(ごそくゐ)の例(れい)、神武天皇(じんむてんわう)よりこのかた八十
二(はちじふに)代(だい)、これはじめとぞうけ給(たま)はる【承る】。八月(はちぐわつ)六日(むゆかのひ)、蒲(がまの)冠者(くわんじや)
P10169
範頼(のりより)参川【*三河】守(みかはのかみ)になる。九郎(くらう)冠者(くわんじや)義経(よしつね)、左衛門尉(さゑもんのじよう)(さゑもんのぜう)に
なさる。すなはち使(つかひ)の宣旨(せんじ)を蒙(かうぶり)て、九郎(くらう)判官(はうぐわん)とぞ
申(まうし)ける。さる程(ほど)に、荻(をぎ)(おぎ)のうは風(かぜ)もやうやう身(み)にしみ、
萩(はぎ)のした露(つゆ)もいよいよしげく、うらむる【恨むる】虫(むし)の声々(こゑごゑ)
に、稲葉(いなば)うちそよぎ、〔木(こ)の葉(は)かつちるけしき〕物(もの)おもは【思は】ざらんだにも、ふけ
ゆく秋(あき)の旅(たび)の空(そら)はかなしかる【悲しかる】べし。まして平家(へいけ)
の人々(ひとびと)の心(こころ)のうち、さこそはおはしけめとをしは
から(おしはから)【推し量ら】れて哀(あはれ)也(なり)。むかしは九(ここの)え(ここのへ)のうちにて、春(はる)P2293の花(はな)を
P10170
もてあそび、今者(いまは)八島(やしま)の浦(うら)にして、秋(あき)の月(つき)に
かなしむ。凡(およ)(をよ)そさやけき月(つき)を詠(えい)(ゑい)じても、都(みやこ)のこよ
ひいかなるらんとおもひ【思ひ】やり、心(こころ)をすまし【澄まし】、涙(なみだ)を
ながしてぞあかしくらし給(たま)ひける。左馬頭(さまのかみ)行盛(ゆきもり)
かうぞおもひ【思ひ】つづけ給(たま)ふ。
君(きみ)すめばこれも雲井(くもゐ)の月(つき)なれど
猶(なほ)(なを)恋(こひ)しきは都(みやこ)なりけり W084
同(おなじき)九月(くぐわつ)十二日(じふににち)、参川【*三河】守(みかはのかみ)範頼(のりより)、平家(へいけ)追討(ついたう)のため
P10171
に西国(さいこく)へ発向(はつかう)す。相(あ)ひ伴(ともな)ふ人々(ひとびと)、足利(あしかがの)蔵人(くらんど)
義兼(よしかぬ)・鏡美(かがみの)小次郎(こじらう)長清(ながきよ)・北条(ほうでうの)小四郎(こしらう)義時(よしとき)・
斎院(さいゐんの)次官(しくわん)親義(ちかよし)、侍大将(さぶらひだいしやう)には、土肥(とひの)(とゐの)次郎(じらう)実平(さねひら)・
子息(しそく)弥太郎(やたらう)遠平(とほひら)(とをひら)・三浦介(みうらのすけ)義澄(よしずみ)・子息(しそく)平六(へいろく)
義村(よしむら)・畠山(はたけやまの)庄司(しやうじ)次郎(じらう)重忠(しげただ)・同(おなじく)長野(ながのの)三郎(さぶらう)
重清(しげきよ)・稲毛(いなげの)三郎(さぶらう)重成(しげなり)・榛谷[* 「椿谷」と有るのを他本により訂正](はんがへの)四郎(しらう)重朝(しげとも)・同(おなじく)
五郎(ごらう)行重(ゆきしげ)・小山(をやまの)小四郎(こしらう)朝政(ともまさ)・同(おなじく)長沼(ながぬまの)五郎(ごらう)宗政(むねまさ)・
土屋(つちやの)三郎(さぶらう)宗遠(むねとほ)(むねとを)・佐々木(ささき)三郎(さぶらう)守綱【*盛綱】(もりつな)・八田(はつたの)四郎(しらう)
P10172
武者(むしや)朝家(ともいへ)・安西(あんざいの)三郎(さぶらう)秋益(あきます)・大胡(おほごの)三郎(さぶらう)実秀(さねひで)・
天野(あまのの)藤内(とうない)遠景(とほかげ)(とをかげ)・比気【*比企】(ひきの)藤内(とうない)朝宗(ともむね)・同(おなじく)藤四郎(とうしらう)
義員【*能員】(よしかず)・中条(ちゆうでうの)(ちうでうの)藤次(とうじ)家長(いへなが)・一品房(いつぽんばう)章玄(しやうげん)・土佐房(とさばう)
正俊【*昌俊】(しやうしゆん)、此等(これら)を初(はじめ)として都合(つがふ)(つがう)其(その)勢(せい)三万余騎(さんまんよき)、
宮(みや)こ【都】をた(ッ)て播磨(はりま)の室(むろ)にぞつきにける。平家(へいけ)の
方(かた)には、大将軍(たいしやうぐん)小松[B ノ](こまつの)新三位(しんざんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)資盛(すけもり)・同(おなじく)小将(せうしやう)
有盛(ありもり)・丹後(たんごの)侍従(じじゆう)(じじう)忠房(ただふさ)、侍大将(さぶらひだいしやう)には、飛騨(ひだの)三郎
左衛門(さぶらうざゑもん)(さぶらうざへもん)景経(かげつね)・越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)・上総(かづさの)五郎兵衛(ごらうびやうゑ)
P10173
忠光(ただみつ)・悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)景清(かげきよ)をさきとして、五百余
艘(ごひやくよさう)の兵船(ひやうせん)にとりの(ッ)【乗つ】て、備前[B ノ](びぜんの)小島【*児島】(こじま)につくときこ
え【聞え】しかば、源氏(げんじ)室(むろ)をた(ッ)て、これも備前国(びぜんのくに)西河尻(にしかはじり)、藤
戸(ふぢと)に陣(ぢん)をぞとP2294(ッ)たりける。源平(げんぺい)の陣(ぢん)のあはひ、海(うみ)のおも
て五町(ごちやう)ばかりをへだてたり。舟(ふね)なくしてはたやすう
わたすべき様(やう)なかりければ、源氏(げんじ)の大勢(おほぜい)むかひ【向ひ】
の山(やま)に宿(しゆく)して、いたづらに日数(ひかず)ををくる(おくる)【送る】。平家(へいけ)のかた
よりはやりお(はやりを)【逸男】のわか物(もの)ども、小舟(こぶね)にの(ッ)【乗つ】てこぎいださせ、
P10174
扇(あふぎ)をあげて「ここわたせ【渡せ】」とぞまねきける。源氏(げんじ)「や
すからぬ事(こと)也(なり)。いかがせん」といふところ【所】に、同(おなじき)廿五日(にじふごにち)の
夜(よ)に入(いり)て、佐々木(ささき)三郎(さぶらう)盛綱(もりつな)、浦(うら)の男(をとこ)(おとこ)をひとりかた
ら(ッ)て、しろい小袖(こそで)・大口(おほくち)・しろざやまき【白鞘巻】な(ン)ど(など)とらせ、
すかしおほせて、「この海(うみ)に馬(むま)にてわたしぬべきと
ころ【所】やある」ととひ【問ひ】ければ、男(をとこ)(おとこ)申(まうし)けるは、「浦(うら)の物(もの)ども
おほう【多う】候(さうら)へども、案内(あんない)し(ッ)たるはまれに候(さうらふ)。このおとこ(をとこ)
こそよく存知(ぞんぢ)して候(さうら)へ。たとへば河(かは)の瀬(せ)のやう
P10175
なるところ【所】の候(さうらふ)が、月(つき)がしらには東(ひがし)(ひ(ン)がし)に候(さうらふ)、月(つき)じり
には西(にし)に候(さうらふ)。両方(りやうばう)の瀬(せ)のあはひ、海(うみ)のをもて(おもて)十町(じつちやう)
ばかりは候(さうらふ)らん。この瀬(せ)は御馬(おんむま)にてはたやすう
わたさせ給(たま)ふべし」と申(まうし)ければ、佐々木(ささき)なのめならず
悦(よろこう)(よろこふ)で、わが家子(いへのこ)郎等(らうどう)にもしらせず、かの男(をとこ)(おとこ)とただ
二人(ににん)まぎれいで、はだかになり、件(くだん)の瀬(せ)のやう
なるところ【所】をわた(ッ)てみる【見る】に、げにもいたくふかう【深う】
はなかりけり。ひざ【膝】・こし【腰】、肩(かた)にたつ【立つ】ところ【所】もあり。
P10176
鬢(びん)のぬるるところ【所】もあり。ふかきところ【所】をばおよ
い【泳い】で、あさきところ【所】におよぎ【泳ぎ】つく。男(をとこ)(おとこ)申(まうし)けるは、
「これ〔よP2295り〕南(みなみ)(み(ン)なみ)は北(きた)よりはるかにあさう候(さうらふ)。敵(てき)、矢(や)さきを
そろへて待(まつ)ところ【所】に、はだか【裸】にてはかなは【叶は】せ給(たまふ)まじ。
かへらせ給(たま)へ」と申(まうし)ければ、佐々木(ささき)げにもとてかへり【帰り】
けるが、「下臈(げらふ)(げらう)はどこともなき物(もの)なれば、又(また)人(ひと)にかたら
はれて案内(あんない)をもおしへ(をしへ)【教へ】んずらん。我(われ)ばかりこそし
ら【知ら】め」とおもひ【思ひ】て、かの男(をとこ)(おとこ)をさしころし【殺し】、頸(くび)かき
P10177
切(ッ)てすてて(ン)げり。同(おなじき)廿六日(にじふろくにち)の辰刻(たつのこく)ばかり、平家(へいけ)又(また)
小舟(こぶね)にの(ッ)【乗つ】てこぎいださせ、「ここをわたせ【渡せ】」とぞまね
きける。佐々木(ささき)三郎(さぶらう)、案内(あんない)はかねて【予て】し(ッ)【知つ】たり、しげめ
ゆい(しげめゆひ)【滋目結】の直垂(ひたたれ)に黒糸威(くろいとをどし)(くろいとおどし)の鎧(よろひ)(よろい)きて、しら葦毛(あしげ)【白葦毛】なる
馬(むま)にのり、家子(いへのこ)郎等(らうどう)七騎(しちき)、ざ(ッ)とうちいれ【入れ】てわたし
けり。大将軍(たいしやうぐん)参川【*三河】守(みかはのかみ)、「あれせいせよ【制せよ】、とどめよ【留めよ】」と
の給(たま)へば、土肥(とひの)(とゐの)次郎(じらう)実平(さねひら)むち[* 「ふち」と有るのを高野本により訂正]あぶみ【鞭鐙】をあはせ【合せ】て
お(ッ)【追つ】ついて、「いかに佐々木殿(ささきどの)、物(もの)のついてくるい(くるひ)【狂ひ】給(たま)ふか。
P10178
大将軍(たいしやうぐん)のゆるされ【許され】もなきに、狼籍【*狼藉】(らうぜき)也(なり)。とどまり
給(たま)へ」といひ【言ひ】けれども、耳(みみ)にもきき【聞き】いれ【入れ】ずわたし
ければ、土肥(とひの)(とゐの)次郎(じらう)もせいし【制し】かねて、やがてつれ【連れ】て
ぞわたい【渡い】たる。馬(むま)のくさわき【草脇】、むながい【胸懸】づくし、ふと腹(ばら)に
つくところ【所】もあり、鞍(くら)つぼこす所(ところ)もあり。ふかき
ところ【所】はおよが【泳が】せ、あさきところ【所】にうちあがる【上がる】。
大将軍(たいしやうぐん)参川【*三河】守(みかはのかみ)これをみて、「佐々木(ささき)にたばかられ
にけり。あさかり【浅かり】けるぞや。わたせ【渡せ】やわたせ【渡せ】」と
P10179
下知(げぢ)せられければ、三万余騎(さんまんよき)の大勢(おほぜい)みなうち入(い)
れてわたしけり。平家(へいけ)P2296の方(かた)には「あはや」とて、舟(ふね)ど
もおし【押し】うかべ【浮べ】、矢(や)さきをそろへてさしつめ【差し詰め】ひき
つめさんざん【散々】にいる【射る】。源氏(げんじ)のつは物(もの)どもこれを事(こと)とも
せず、甲(かぶと)のしころをかたむけ、平家(へいけ)の舟(ふね)にのり
うつりのりうつり、おめき(をめき)【喚き】さけん【叫ん】でせめ【攻め】たたかふ【戦ふ】。源平(げんぺい)み
だれあひ、或(あるい)(ある)は舟(ふね)ふみしづめて死(し)ぬる物(もの)もあり、
或(あるい)(ある)は舟(ふね)ひきかへさ【返さ】れてあはて(あわて)【慌て】ふためくものもあり。
P10180
一日[B チ](いちにち)たたかひ【戦ひ】くらして夜(よる)に入(いり)ければ、平家(へいけ)の舟(ふね)は
おきにうかぶ。源氏(げんじ)は小島【*児島】(こじま)にうちあが(ッ)【上がつ】て、人馬(にんば)のいき
をぞやすめける。平家(へいけ)は八島(やしま)へこぎしりぞく。源
氏(げんじ)心(こころ)はたけく思(おも)へども、舟(ふね)なかりければ、おう【追う】ても
せめ【攻め】たたかはず。「昔(むかし)より今(いま)にいたるまで、馬(むま)にて河(かは)
をわたすつは物(もの)はありといへども、馬(むま)にて海(うみ)をわた
す事(こと)、天竺(てんぢく)・震旦(しんだん)はしら【知ら】ず、我(わが)朝(てう)には希代(きたい)のためし【例】
なり」とて[* 「とぞ」と有るのを他本により訂正]、備前[B ノ](びぜんの)小島【*児島】(こじま)を佐々木(ささき)に給(たま)はりける。
P10181
鎌倉殿(かまくらどの)の御教書(みげうしよ)にものせ【載せ】られけり[* 「ける」と有るのを高野本により訂正]。同(おなじき)廿七日(にじふしちにち)、宮(みや)
こ【都】には九郎(くらう)判官(はうぐわん)義経(よしつね)、検非違使(けんびゐし)(けんびいし)五位尉(ごゐのじよう)(ごゐのぜう)にな
されて、九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)とぞ申(まうし)ける。さる程(ほど)に十
月(じふぐわつ)にもなりぬ。八島(やしま)には浦(うら)吹(ふく)風(かぜ)もはげしく、磯(いそ)
うつ浪(なみ)もたかかり【高かり】ければ、つは物(もの)もせめ【攻め】来(きた)らず、
商客(しやうかく)のゆき【行き】かう(かふ)もまれなれば、宮(みや)こ【都】のつても
きか【聞か】まほしく、いつしか空(そら)かきくもり、霰(あられ)うち
散(ちり)、いとどきえ入(いる)心地(ここち)ぞし給(たま)ひける。都(みやこ)には
P10182
太嘗会【*大嘗会】(だいじやうゑ)あるべしとて、御禊(ごけい)の行幸(ぎやうがう)あり【有り】けり。
節下(せつげ)は徳大寺(とくだいじの)左大将(さだいしやう)実定公(さねさだこう)、其(その)比(ころ)内大臣(ないだいじん)
にておはしけるが、つとめられけり。おとP2297どし(をとどし)先帝(せんてい)
の御禊(ごけい)の行幸(ぎやうがう)には、平家(へいけ)の内大臣(ないだいじん)宗盛公(むねもりこう)節下(せつげ)
にてをはせ(おはせ)しが、節下(せつげ)のあく屋(や)【幄屋】につき、前(まへ)に
竜(りよう)(れう)の旗(はた)たててゐ給(たま)ひたりし景気(けいき)、冠(かふり)ぎは、
袖(そで)のかかり、表[B ノ](うへの)袴(はかま)のすそまでもことにすぐれて
みえ【見え】給(たま)へり。其(その)外(ほか)一門(いちもん)の人々(ひとびと)三位(さんみの)(さんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)知盛(とももり)・頭(とう)の
P10183
中将(ちゆうじやう)重衡(しげひら)以下(いげ)近衛(こんゑ)づかさみつな【御綱】に候(さうら)はれしには、
又(また)立(たち)ならぶ人(ひと)もなかりしぞかし。けふ〔は〕九郎(くらう)判官(はうぐわん)
先陣(せんぢん)に供奉(ぐぶ)す。木曾(きそ)な(ン)ど(など)にはに【似】ず、以外(もつてのほか)(もてのほか)に京(みやこ)
なれ【馴れ】てはありしかども、平家(へいけ)のなかのゑりくづ(えりくづ)【選屑】
よりも猶(なほ)(なを)おとれり。同(おなじき)十一月(じふいちぐわつ)十八日(じふはちにち)、大嘗会(だいじやうゑ)
とげ【遂げ】をこなは(おこなは)【行なは】る。去(さんぬ)る治承(ぢしよう)(ぢせう)養和(やうわ)(ようわ)のころより、諸国(しよこく)
七道(しちだう)の人民(にんみん)百姓等(ひやくしやうら)、源氏(げんじ)のためになやまされ、
平家(へいけ)のためにほろぼされ、家(いへ)かまど【竃】をすてて、春(はる)〔は〕
P10184
東作(とうさく)のおもひ【思ひ】をわすれ、秋(あき)は西収(さいしゆ)のいとなみにも
及(およ)(をよ)ばず。いかにしてか様(やう)【斯様】の大礼(たいれい)もおこなはるべきな
れども、さてしもあるべき事(こと)ならねば、かたのごとく
ぞとげ【遂げ】[B ら]れける。参川【*三河】守(みかはのかみ)範頼(のりより)、やがてつづゐ(つづい)【続い】て
せめ【攻め】給(たま)はば、平家(へいけ)はほろぶ【滅ぶ】べかりしに、室(むろ)・高
砂(たかさご)にやすらひて、遊君(いうくん)(ゆうくん)遊女(いうぢよ)(ゆうぢよ)どもめし【召し】あつめ、あ
そびたはぶれ【戯れ】てのみ月日(つきひ)ををくら(おくら)【送ら】れけり。東国(とうごく)
の大名(だいみやう)小名(せうみやう)おほし【多し】といへども、大将軍(たいしやうぐん)の下知(げぢ)に
したがふ事(こと)なれば力(ちから)及(およ)(をよ)ばず。ただ国(くに)のついへ(つひえ)【費】、
民(たみ)のわづらひのみあ(ッ)て、ことしも既(すで)にくれ
にけり。
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第十(だいじふ)


平家物語(龍谷大学本)巻第十一

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。


P11189
(表紙)
P11191 P2302
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第十一(だいじふいち)
逆櫓(さかろ)S1101元暦(げんりやく)二年(にねん)正月(しやうぐわつ)十日(とをか)、九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)義経(よしつね)、院(ゐん)の
御所(ごしよ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て大蔵卿(おほくらのきやう)泰経(やすつね)朝臣(あそん)(あ(ツ)そん)をも(ッ)て奏聞(そうもん)し
けるは、「平家(へいけ)は神明(しんめい)にもはなたれ奉(たてまつ)り、君(きみ)にもす
てられまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、帝都(ていと)をいで、浪(なみ)のうへ【上】にただよふ
おちうと【落人】となれり。しかる【然る】を此(この)三箇年(さんがねん)があひだ、
せめ【攻め】おとさ【落さ】ずして、おほく【多く】の国々(くにぐに)をふさげ【塞げ】らるる
事(こと)、口惜(くちをしく)(くちおしく)候(さうら)へば、今度(こんど)義経(よしつね)にをいて(おいて)は、鬼界(きかい)・高麗(かうらい)・天
P11192
竺(てんぢく)・震旦(しんだん)までも、平家(へいけ)をせめ【攻め】おとさ【落さ】ざらんかぎりは、
王城(わうじやう)へかへるべからず」とたのもしげ【頼もし気】に申(まうし)ければ、法
皇(ほふわう)(ほうわう)おほき【大き】に御感(ぎよかん)あ(ッ)て、「相構(あひかまへ)て、夜(よ)を日(ひ)につぎ
て勝負(しようぶ)(せうぶ)を決(けつ)すべし」と仰下(おほせくだ)さる。判官(はうぐわん)宿所(しゆくしよ)に
帰(かへ)(ッ)て、東国(とうごく)の軍兵(ぐんびやう)どもにの給(たま)ひけるは、「義経(よしつね)、鎌
倉殿(かまくらどの)の御代官(ごだいくわん)として院宣(ゐんぜん)をうけ給(たま)は(ッ)【承つ】て、平家(へいけ)を
追討(ついたう)す。陸(くが)は駒(こま)の足(あし)のおよば【及ば】んをかぎり、海(うみ)はろかい【艫櫂】
のとづか【届か】ん程(ほど)せめ【攻め】ゆくべし。すこし【少し】もふた心(ごころ)あらん
P11193
人々(ひとびと)は、とうとう【疾う疾う】P2303これよりかへらるべし」とぞの給(たまひ)ける。
さる程(ほど)に、八島(やしま)にはひま【隙】ゆく駒(こま)の足(あし)はやくして、
正月(しやうぐわつ)もたち、二月(にぐわつ)(にんぐわつ)にもなりぬ。春(はる)の草(くさ)くれ【暮れ】て、秋(あき)
の風(かぜ)におどろき、秋(あき)の風(かぜ)やんで、春(はる)の草(くさ)になれり。
をくり(おくり)【送り】むかへ【向へ】てすでに三(み)とせになりにけり。都(みやこ)には
東国(とうごく)よりあら手(て)の軍兵(ぐんびやう)数万騎(すまんぎ)つい【着い】てせめ【攻め】下(くだ)る
ともきこゆ。鎮西(ちんぜい)より臼杵(うすき)・戸次(へつき)・松浦党(まつらたう)同心(どうしん)し
てをし(おし)【押し】わたる【渡る】とも申(まうし)あへ【合へ】り。かれをきき、是(これ)を聞(きく)にも、
P11194
ただ耳(みみ)を驚(おどろ)(をどろ)かし、きも魂(たましひ)(たましゐ)をけすより外(ほか)の事(こと)ぞ
なき。女房達(にようばうたち)は女院(にようゐん)・二位殿(にゐどの)をはじめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、
さしつどい(つどひ)【集ひ】て、「又(また)いかなるうきめをか見(み)んずらん。いか
なるうき事(こと)をかきか【聞か】んずらん」となげきあひ、かな
しみあへ【合へ】り。新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)知盛卿(とももりのきやう)の給(たま)ひけるは、「東国(とうごく)
北国(ほつこく)の物(もの)どもも随分(ずいぶん)重恩(ちようおん)(てうをん)をかうむ(ッ)【蒙つ】たりしかども、
恩(おん)(をん)をわすれ契(ちぎり)を変(へん)じて、[B 頼]朝(よりとも)・義仲等(よしなから)にしたがひ
き。まして西国(さいこく)とても、さこそ[B は]あらんずらめと思(おも)ひ
P11195
しかば、都(みやこ)にていかにもならむとおもひ【思ひ】し物(もの)を、
わが身(み)ひとつ【一つ】の事(こと)ならねば、心(こころ)よはう(よわう)【弱う】あくがれ出(いで)
て、けふはかかるうき目(め)を見(み)る口惜(くちをし)(くちおし)さよ」とぞの給(たまひ)
ける。誠(まこと)にことはり(ことわり)【理】とおぼえて哀(あはれ)なり。同(おなじき)二月(にぐわつ)三日(みつかのひ)、
九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)義経(よしつね)、都(みやこ)をた(ッ)て、摂津国(つのくに)渡辺(わたなべ)より
ふなぞろへして、八島(やしま)へすでによせんとす。参川【*三河】
守(みかはのかみ)範頼(のりより)も同(おなじき)日(ひ)に都(みやこ)をた(ッ)て、摂津国(つのくに)神P2304崎(かんざき)より
兵船(ひやうせん)をそろへて、山陽道(せんやうだう)へおもむか【赴か】んとす。同(おなじき)
P11196
十三日(じふさんにち)、伊勢大神宮(いせだいじんぐう)・石[B 清]水(いはしみづ)・賀茂(かも)・春日(かすが)へ官幣
使(くわんべいし)をたてらる。「主上(しゆしやう)并(ならびに)三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)、ことゆへ(ゆゑ)【故】
なうかへりいらせ給(たま)へ」と、神祇官[* 「館」と傍書補入するのを他本により「官」と訂正](じんぎくわん)の官人(くわんにん)、もろもろの社
司(しやし)、本宮(ほんぐう)本社(ほんじや)にて祈誓(きせい)申(まうす)べきよし仰下(おほせくだ)さる。
同(おなじき)十六日(じふろくにち)、渡辺(わたなべ)・神崎(かんざき)両所(りやうしよ)にて、この日(ひ)ごろそろへ
ける舟(ふね)ども、ともづなすでにとかんとす。おりふし(をりふし)【折節】
北風(ほくふう)木(き)をを(ッ)【折つ】てはげしう吹(ふき)ければ、大浪(おほなみ)に舟(ふね)ども
さんざんにうちそんぜ【損ぜ】られて、いだすに及(およ)(をよ)ばず。修理(しゆり)の
P11197
ために其(その)日(ひ)はとどまる。渡辺(わたなべ)には大名(だいみやう)小名(せうみやう)よりあひ
て、「抑(そもそも)ふないくさ【舟軍】の様(やう)はいまだ調練(てうれん)せず。いかがあるべき」
と評定(ひやうぢやう)す。梶原(かぢはら)申(まうし)けるは、「今度(こんど)の合戦(かつせん)には、舟(ふね)に
逆櫓(さかろ)をたて候(さうらは)ばや」。判官(はうぐわん)「さかろとはなんぞ」。梶原(かぢはら)「馬(むま)は
かけんとおもへ【思へ】ば弓手(ゆんで)へも馬手(めて)へもまはしやすし。
舟(ふね)はき(ッ)とをし(おし)【押し】もどすが大事(だいじ)に候(さうらふ)。ともへ【艫舳】に櫓(ろ)を
たてちがへ、わいかぢ【脇楫】をいれ【入れ】て、どなた【何方】へもやすう
をす(おす)【押す】やうにし候(さうらは)ばや」と申(まうし)ければ、判官(はうぐわん)の給(たまひ)けるは、
P11198
「いくさ【軍】といふ物(もの)はひとひき【一引】もひか【引か】じとおもふ【思ふ】だにも、
あはひ【間】あしければひく【引く】はつねの習(ならひ)なり。もと
よりにげ【逃げ】まうけ【設け】してはなんのよからうぞ。まづ
門(かど)でのあしさ【悪しさ】よ。さかろをたてうとも、かへさま
ろ【返様櫓】をたてうとも、殿原(とのばら)の船(ふね)には百(ひやく)ちやう【梃】千(せん)ぢや
う【梃】もたて給(たま)へ。義経(よしつね)はもとのろ【櫓】で候(さうら)はん」との給(たま)P2305へ
ば、梶原(かぢはら)申(まうし)けるは、「よき大将軍(たいしやうぐん)と申(まうす)は、かく【駆く】
べき所(ところ)をばかけ、ひく【退く】べき処(ところ)をばひいて、
P11199
身(み)をま(ッ)たう(まつたう)【全う】して敵(かたき)をほろぼすをも(ッ)てよ
き大将軍(たいしやうぐん)とはする候(ざうらふ)。かたおもむき【片趣】なるをば、
猪(ゐ)のしし武者(むしや)とてよきにはせず」と申(まう)せば、判
官(はうぐわん)「猪(ゐ)のしし鹿(か)のししはしら【知ら】ず、いくさ【軍】はただひら
ぜめ【平攻】にせめてか(ッ)【勝つ】たるぞ心地(ここち)はよき」との給(たま)へば、侍(さぶらひ)ども
梶原(かぢはら)におそれ【恐れ】てたかく【高く】はわらは【笑は】ねども、目(め)ひきは
な【鼻】ひききらめきあへ【合へ】り。判官(はうぐわん)と梶原(かぢはら)と、すでに
どしいくさ【同士軍】あるべしとざざめきあへ【合へ】り。やうやう
P11200
日(ひ)くれ夜(よ)に入(いり)ければ、判官(はうぐわん)の給(たま)ひけるは、「舟(ふね)の修
理(しゆり)してあたらしうな(ッ)たるに、をのをの(おのおの)【各々】一種(いつしゆ)一瓶(いつぺい)
していはひ給(たま)へ、殿原(とのばら)」とて、いとなむ様(やう)にて舟(ふね)に
物(もの)の具(ぐ)いれ【入れ】、兵粮米(ひやうらうまい)つみ、馬(むま)どもたてさせて、
「とくとく【疾く疾く】つかまつれ」との給(たま)ひければ、水手(すいしゆ)梶取(かんどり)
申(まうし)けるは、「此(この)風(かぜ)はおい手(て)(おひて)【追手】にて候(さうら)へども、普通(ふつう)にすぎ
たる風(かぜ)で候(さうらふ)。奥(おき)はさぞふい【吹い】て候(さうらふ)らん。争(いかで)か仕(つかまつり)候(さうらふ)べき」
と申(まう)せば、判官(はうぐわん)おほき【大き】にいか(ッ)ての給(たま)ひけるは、「むか
P11201
ひ【向ひ】風(かぜ)にわたらんといはばこそひが事(こと)【僻事】ならめ、順風(じゆんぷう)
なるがすこし【少し】すぎたればとて、是(これ)程(ほど)の御大事(おんだいじ)
にいかでわたらじとは申(まうす)ぞ。[B 舟(ふね)]つかまつらずは、一々(いちいち)に
しやつばら射(い)(ゐ)ころせ」と下知(げぢ)せらる。奥州(あうしう)(あふしう)の佐
藤(さとう)三郎兵衛(さとうさぶらうびやうゑ)嗣信(つぎのぶ)・伊勢(いせの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)、片手矢(かたてや)
はげ[M て]、すすみ出(いで)て、「何条(なんでふ)(なんでう)子細(しさい)を申(まうす)ぞ。御(ご)ぢやう
でP2306あるにとくとく仕(つかまつ)れ。舟(ふね)仕(つかまつ)らずは一々(いちいち)に射(い)(ゐ)ころ
さ【殺さ】んずるぞ」といひければ、水手(すいしゆ)梶取(かんどり)是(これ)をきき、
P11202
「射(い)(ゐ)ころさ【殺さ】れんもおなじ事(こと)、風(かぜ)こはくは、ただはせ
じに【馳死】にしねや、物共(ものども)」とて、二百(にひやく)余艘(よさう)(よそう)の舟(ふね)のなかに、
ただ五艘(ごさう)(ごそう)いで【出で】てぞはしり【走り】ける。のこりの船(ふね)は風(かぜ)に
おそるるか、梶原(かぢはら)におづるかして、みなとどまりぬ。
判官(はうぐわん)の給(たま)ひけるは、「人(ひと)のいで【出で】ねばとてとどまる
べきにあらず。ただの時(とき)はかたき【敵】も用心(ようじん)すらん。かか
る大風(おほかぜ)大浪(おほなみ)に、おもひ【思ひ】もよらぬ時(とき)にをし(おし)【押し】よせ【寄せ】て〔こそ〕、
おもふ【思ふ】かたきをばうた【討た】んずれ」とぞの給(たま)ひける。
P11203
五艘(ごさう)(ごそう)の船(ふね)と申(まうす)は、まづ判官(はうぐわん)の船(ふね)、田代(たしろの)冠者(くわんじや)、後
藤兵衛(ごとうびやうゑ)父子(ふし)、金子(かねこ)兄弟(きやうだい)、淀(よど)の江内(がうない)忠俊(ただとし)とてふな【舟】
奉行(ぶぎやう)のの(ッ)【乗つ】たる舟(ふね)也(なり)。判官(はうぐわん)の給(たま)ひけるは、「をのをの(おのおの)【各々】の
船(ふね)には篝(かがり)なともひ(ともい)【点い】そ。義経(よしつね)が舟(ふね)をほん【本】舟(ぶね)とし
て、ともへのかがりをまもれ【守れ】。火(ひ)かずおほく【多く】見(み)えば、
かたき【敵】おそれ【恐れ】て用心(ようじん)してんず」とて、夜(よ)もすがら
はしる【走る】程(ほど)に、三日(みつか)にわたる処(ところ)をただ三時(みとき)ばかりに
わたりけり。二月(にぐわつ)十六日(じふろくにち)の丑(うし)の剋(こく)に、渡辺(わたなべ)・福島(ふくしま)を
P11204
いで【出で】て、あくる卯(う)の時(とき)に阿波(あは)の地(ち)へこそふき【吹き】
つけ【着け】たれ。勝浦(かつうら)付(つけたり)大坂越(おほざかごえ)S1102 P2307夜(よ)すでにあけければ、なぎさに赤旗(あかはた)
少々(せうせう)ひらめいたり。判官(はうぐわん)是(これ)を見(み)て「あはや我等(われら)が
まうけ【設】はしたりけるは。船(ふね)ひらづけにつけ、ふみかた
ぶけ【傾け】て馬(むま)おろさんとせば、敵(かたき)の的(まと)にな(ッ)てゐ(い)【射】られん
ず。なぎさにつかぬさきに、馬(むま)どもをひ(おひ)【追ひ】おろしをひ(おひ)【追ひ】
おろし、舟(ふね)にひき【引き】つけひきつけおよが【泳が】せよ。馬(むま)の
足(あし)だち【立】、鞍(くら)づめ【爪】ひたる【浸る】程(ほど)にならば、ひたひたとの(ッ)【乗つ】てかけよ、
P11205
物(もの)ども」とぞ下知(げぢ)せられける。五艘(ごさう)の船(ふね)に物(もの)の具(ぐ)
いれ【入れ】、兵粮米(ひやうらうまい)つんだりければ、馬(むま)ただ五十疋(ごじつぴき)(ごじふひき)ぞたて
たりける。なぎさちかくなりしかば、ひたひたとうち
の(ッ)【乗つ】て、おめい(をめい)【喚い】てかくれば、なぎさに百騎(ひやくき)ばかりあり【有り】
ける物(もの)ども、しばしもこらへず、二町(にちやう)ばかりざ(ッ)とひ
いてぞのきにける。判官(はうぐわん)みぎはにう(ッ)【打つ】た(ッ)【立つ】て、馬(むま)の
いき【息】やすめ【休め】ておはしけるが、伊勢(いせの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)を
めし【召し】て、「あの勢(せい)のなかにしかる【然る】べい物(もの)やある。一人(いちにん)
P11206
めし【召し】てまいれ(まゐれ)【参れ】。たづぬべき事(こと)あり」との給(たま)へば、
義盛(よしもり)畏(かしこま)(ッ)てうけ給(たま)はり【承り】、只(ただ)一騎(いつき)かたき【敵】のなかへかけ
いり、なにとかいひ【言ひ】たりけん、とし四十(しじふ)ばかりなる
男(をのこ)(おのこ)の、黒皮威(くろかはをどし)(くろかはおどし)の鎧(よろひ)(よろい)きたるを、甲(かぶと)をぬがせ、弓(ゆみ)の
弦(つる)はづさ【外さ】せて、具(ぐ)してまいり(まゐり)【参り】たり。判官(はうぐわん)「なに物(もの)
ぞ」との給(たま)へば、「当国(たうごく)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、坂西(ばんざい)の近藤六(こんどうろく)親家(ちかいへ)」
と申(まうす)。「なに家(いへ)でもあらばあれ、物(もの)の具(ぐ)なぬがせそ。
やがて八島(やしま)の案内者(あんないしや)(あんないじや)に具(ぐ)せんずるぞ。其(その)男(をとこ)(おとこ)に
P11207
目(め)はなつ【放つ】な。にげてゆかば射(い)ころせ、物共(ものども)」とぞ下知(げぢ)
せられける。「ここをばいづくといふP2308ぞ」ととは【問は】れければ、
「かつ浦(うら)と申(まうし)候(さうらふ)」。判官(はうぐわん)わら(ッ)【笑つ】て「色代(しきたい)な」との給(たま)へば、「一定(いちぢやう)
勝浦(かつうら)候(ざうらふ)。下臈(げらふ)(げらう)の申(まうし)やすひ(やすい)について、かつらと申(まうし)
候(さうら)へども、文字(もじ)には勝浦(かつうら)と書(かき)て候(さうらふ)」と申(まう)す。判官(はうぐわん)「是(これ)
きき給(たま)へ、殿原(とのばら)。いくさ【軍】しにむかふ【向ふ】義経(よしつね)が、かつ浦(うら)に
つく目出(めで)たさよ。此(この)程(ほど)に平家(へいけ)のうしろ矢(や)ゐ(い)【射】つ
べい物(もの)はないか」。「阿波(あはの)民部(みんぶ)重能(しげよし)がおとと【弟】、桜間(さくらば)の介(すけ)
P11208
能遠(よしとほ)(よしとを)とて候(さうらふ)」。「いざ、さらばけ【蹴】ちらし【散らし】てとをら(とほら)【通ら】ん」とて、
近藤六(こんどうろく)が勢(せい)百騎(ひやくき)ばかりがなかより、卅騎(さんじつき)ばかりすぐ
りいだいて、我(わが)勢(せい)にぞ具(ぐ)せられける。能遠(よしとほ)(よしとを)が城(じやう)に
をし(おし)【押し】よせ【寄せ】て見(み)れば、三方(さんばう)は沼(ぬま)、一方(いつぱう)は堀(ほり)なり。堀(ほり)の
かたよりをし(おし)【押し】よせ【寄せ】て、時(とき)をど(ッ)とつくる。城(じやう)の内(うち)のつは
物(もの)ども【兵共】、矢(や)さき【矢先】をそろへてさしつめ【差し詰め】ひきつめ【引き詰め】さんざん【散々】
にゐる(いる)【射る】。源氏(げんじ)〔の〕兵(つはもの)是(これ)を事(こと)ともせず、甲(かぶと)のしころを
かたぶけ【傾け】、おめき(をめき)【喚き】さけん【叫ん】でせめ【攻め】入(いり)ければ、桜間(さくらば)の介(すけ)
P11209
かなは【叶は】じとやおもひけん、家子(いへのこ)郎等(らうどう)(らうとう)にふせき【防き】矢(や)
ゐ(い)【射】させ、我(わが)身(み)は究竟(くつきやう)の馬(むま)をも(ッ)たりければ、うち
の(ッ)【乗つ】て希有(けう)にして落(おち)にけり。判官(はうぐわん)ふせき【防き】矢(や)ゐ(い)【射】
ける兵共(つはものども)廿(にじふ)余人(よにん)が頸(くび)きりかけて、いくさ神(がみ)【軍神】にまつ
り、悦(よろこび)の時(とき)をつくり、「門(かど)でよし」とぞの給(たま)ひける。判
官(はうぐわん)近藤六(こんどうろく)親家(ちかいへ)をめし【召し】て、「八島(やしま)には平家(へいけ)のせい【勢】
いか程(ほど)あるぞ」。「千騎(せんぎ)にはよもすぎ候(さうら)はじ」。「などすく
なひ(すくない)【少い】ぞ」。「かくのごとく四国(しこく)の浦々(うらうら)島々(しまじま)に五十騎(ごじつき)、百騎(ひやくき)
P11210
づつさしをか(おか)【置か】れて候(さうらふ)。其(その)うへ阿波(あはの)民部(みんぶ)重能(しげよし)が嫡子(ちやくし)
田内左衛門(でんないざゑもん)教能(のりよし)は、河野(かはのの)P2309四郎(しらう)がめせ【召せ】どもまいら(まゐら)【参ら】ぬ
をせめ【攻め】んとて、三千(さんぜん)余騎(よき)で伊与【*伊予】(いよ)へこえて候(さうらふ)」。「さては
よいひまごさんなれ。是(これ)より八島(やしま)へはいか程(ほど)の道(みち)ぞ」。
「二日路(ふつかぢ)で候(さうらふ)」。「さらば敵(かたき)のきか【聞か】ぬさきによせよや」とて、
かけ足(あし)にな(ッ)つ、あゆま【歩ま】せつ、はせつ、ひかへつ、阿波(あは)と
讃岐(さぬき)とのさかゐ(さかひ)【境】なる大坂(おほざか)ごえといふ山(やま)を、夜(よ)も
すがらこそ越(こえ)られけれ。夜半(やはん)ばかり、判官(はうぐわん)たて
P11211
ぶみ【立文】も(ッ)たる男(をとこ)(おとこ)にゆきつれて、物語(ものがたり)し給(たま)ふ。この
男(をとこ)(おとこ)よるの事(こと)[B で]はあり、かたき【敵】とは夢(ゆめ)にもしら【知ら】ず、み
かた【御方】の兵共(つはものども)八島(やしま)へまいる(まゐる)【参る】とおもひけるやらん、うち
とけてこまごまと物語(ものがたり)をぞ申(まうし)ける。「そのふみ【文】はい
づくへぞ」。「八島(やしま)のおほい【大臣】殿(との)へまいり(まゐり)【参り】候(さうらふ)」。「たがまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ら
るるぞ」。「京(きやう)より女房(にようばう)のまいらせ(まゐらせ)【参らせ】られ候(さうらふ)」。「なに事(ごと)
なるらん」との給(たま)へば、「別(べち)の事(こと)はよも候(さうら)はじ。源氏(げんじ)
すでに淀河尻(よどかはじり)にいで【出で】うかう【浮う】で候(さうら)へば、それをこそ
P11212
つげ申(まう)され候(さうらふ)らめ」。げにさぞあるらん。是(これ)も八島(やしま)
へまいる(まゐる)【参る】が、いまだ案内(あんない)をしらぬに、じんじよ【尋所】せよ」と
の給(たま)へば、「是(これ)はたびたびまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)間(あひだ)(あいだ)、案内(あんない)は存知(ぞんぢ)し
て候(さうらふ)。御共(おんとも)仕(つかまつ)らん」と申(まう)せば、判官(はうぐわん)「そのふみ【文】とれ」
とて[B 文(ふみ)]ばい(ばひ)【奪ひ】とらせ、「しやつからめよ。罪(つみ)つくりに
頸(くび)なき(ッ)そ」とて、山(やま)なかの木(き)にしばりつけてぞ
とをら(とほら)【通ら】れける。さてふみ【文】をあけて見(み)給(たま)へば、げに
も女房(にようばう)のふみ【文】とおぼしくて、「九郎(くらう)はすすどき
P11213
おのP2310こ(をのこ)【男】にてさぶらふ【候ふ】なれば、大風(おほかぜ)大浪(おほなみ)をもきらはず、
よせさぶらふ【候ふ】らんとおぼえさぶらふ。勢(せい)どもちらさ【散らさ】で
用心(ようじん)せさせ給(たま)へ」とぞかか【書か】れたる。判官(はうぐわん)「是(これ)は義経(よしつね)に
天(てん)のあたへ給(たま)ふ文(ふみ)なり。鎌倉殿(かまくらどの)に見(み)せ申(まう)さん」
とて、ふかう【深う】おさめ(をさめ)【納め】てをか(おか)【置か】れけり。あくる十八日(じふはちにち)の寅(とら)の
剋(こく)に、讃岐国(さぬきのくに)ひけ田(た)【引田】といふ所(ところ)にうちおりて、人
馬(にんば)のいきをぞやすめける。それより丹生屋(にふのや)・白
鳥(しろとり)、うちすぎうちすぎ、八島(やしま)の城(じやう)へよせ給(たま)ふ。又(また)近藤六(こんどうろく)
P11214
親家(ちかいへ)をめし【召し】て、「八島(やしま)の館(たち)の様(やう)はいかに」ととひ給(たま)
へば、「しろしめさ【知ろし召さ】ねばこそ候(さうら)へ、無下(むげ)にあさまに候(さうらふ)。塩(しほ)
のひ【干】て候(さうらふ)時(とき)は、陸(くが)と島(しま)の間(あひだ)(あいだ)は馬(むま)の腹(はら)もつかり候(さうら)
はず」と申(まう)せば、「さらばやがてよせよや」とて、高松(たかまつ)の
在家(ざいけ)に火(ひ)をかけて、八島(やしま)の城(ぢやう)へよせ給(たま)ふ。八島(やしま)には、
阿波(あはの)民部(みんぶ)重能(しげよし)が嫡子(ちやくし)田内左衛門(でんないざゑもん)教能(のりよし)、河野(かはのの)
四郎(しらう)がめせどもまいら(まゐら)【参ら】ぬをせめ【攻め】んとて、三千(さんぜん)余騎(よき)
で伊与【*伊予】(いよ)へこえたりけるが、河野(かはの)をばうち【討ち】もらし【洩らし】て、
P11215
家子(いへのこ)郎等(らうどう)〔百〕五十(ひやくごじふ)[B 余]人(よにん)が頸(くび)き(ッ)て、八島(やしま)の内裏(だいり)へまい
らせ(まゐらせ)【参らせ】たり。「内裏[* 「大裏」と有るのを高野本により訂正](だいり)にて賊首(ぞくしゆ)の実検(じつけん)せ〔ら〕れん事(こと)
然(しか)るべからず」とて、大臣殿(おほいとの)の宿所(しゆくしよ)にて実検(じつけん)
せらる。百五十六人(ひやくごじふろくにん)が首(くび)也(なり)。頸(くび)ども実検(じつけん)しける処(ところ)に、
物共(ものども)、「高松(たかまつ)のかたに火(ひ)いで【出で】き【来】たり」とてひしめき
あへ【合へ】り。「ひるで候(さうら)へば、手(て)あやまちではよも候(さうら)はじ。
敵(かたき)のよせP2311て火(ひ)をかけたると覚(おぼえ)候(さうらふ)。定(さだ)めて大勢(おほぜい)
でぞ候(さうらふ)らん。とりこめられてはかなう(かなふ)【叶ふ】まじ。とうとう【疾う疾う】
P11216
めされ候(さうら)へ」とて、惣門(そうもん)の前(まへ)のなぎさに船(ふね)どもつけ
ならべたりければ、我(われ)も我(われ)もとのり給(たま)ふ。御所(ごしよ)の御
舟(みふね)には、女院(にようゐん)・北(きた)の政所(まんどころ)・二位殿(にゐどの)以下(いげ)の女房達(にようばうたち)めさ
れけり。大臣殿(おほいとの)父子(ふし)は、ひとつ【一つ】船(ふね)にのり給(たま)ふ。其(その)外(ほか)
の人々(ひとびと)おもひ【思ひ】おもひ【思ひ】にとりの(ッ)【乗つ】て、或(あるい)(ある)は一町(いつちやう)ばかり、或(あるい)(ある)は
七八段(しちはつたん)、[B 五六段(ごろくたん)]な(ン)ど(など)こぎいだしたる処(ところ)に、源氏(げんじ)の兵物(つはもの)ども、
ひた甲(かぶと)七八十(しちはちじつ)騎(き)、惣門(そうもん)のまへのなぎさにつ(ッ)と
いで【出で】[B き【来】たり。]塩干(しほひ)がたの、おりふし(をりふし)【折節】塩(しほ)ひるさかりなれば、
P11217
馬(むま)のからすがしら【烏頭】、ふと腹(ばら)にたつ処(ところ)もあり。そ
れよりあさき処(ところ)もあり。け【蹴】あぐる【上ぐる】塩(しほ)のかすみ
とともにしぐらふ(しぐらう)だるなかより、白旗(しらはた)ざ(ッ)とさし
あげ【差し上げ】たれば、平家(へいけ)は運(うん)つきて、大勢(おほぜい)とこそ見(み)てん
げれ。判官(はうぐわん)かたき【敵】に小勢[* 「少勢」と有るのを他本により訂正](こぜい)と見(み)せじと、五六騎(ごろくき)、七八
騎(しちはつき)、十騎(じつき)ばかりうちむれうちむれいできたり。嗣信最期(つぎのぶさいご)S1103 九郎(くらう)大
夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)、其(その)日(ひ)の装束(しやうぞく)には、赤地(あかぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、
紫(むらさき)すそごの鎧(よろひ)(よろい)きて、こがねづくりの太刀(たち)をはき、
P11218
きりふ【切斑】の矢(や)をひ(おひ)【負ひ】、しげどう【滋籐】の弓(ゆみ)のま(ン)なか(まんなか)【真ん中】と(ッ)て、P2312
舟(ふね)のかたをにらまへ[M て]、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「一院(いちゐん)の
御使(おんつかひ)、検非違使(けんびゐし)(けんびいし)五位尉(ごゐのじよう)(ごゐのぜう)源(みなもとの)義経(よしつね)」となのる【名乗る】。其(その)次(つぎ)
に、伊豆国(いづのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)田代(たしろの)冠者(くわんじや)信綱(のぶつな)、武蔵国(むさしのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)金子(かねこの)
十郎(じふらう)家忠(いへただ)、同(おなじく)与一(よいち)親範(ちかのり)、伊勢(いせの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)とぞなの(ッ)【名乗つ】
たる。つづゐ(つづい)【続い】て名(な)のるは、後藤兵衛(ごとうびやうゑ)実基(さねもと)、子息(しそく)の新
兵衛(しんびやうゑ)(しんびやうへ)基清(もときよ)、奥州(あうしう)(あふしう)の佐藤(さとう)三郎兵衛(さぶらうびやうゑ)嗣信(つぎのぶ)、同(おなじく)四郎
兵衛(しらうびやうゑ)(しらうびやうへ)忠信(ただのぶ)、江田(えだ)(ゑだ)の源三(げんざう)、熊井(くまゐ)太郎(たらう)、武蔵房(むさしばう)弁
P11219
慶(べんけい)と、声々(こゑごゑ)に名(な)の(ッ)【乗つ】て馳来(はせきた)る。平家(へいけ)の方(かた)には「あれ
ゐ(い)【射】とれや」とて、或(あるい)(ある)はとを矢(や)(とほや)【遠矢】に射(いる)舟(ふね)もあり、或(あるい)(ある)はさし
矢(や)にゐる(いる)【射る】船(ふね)もあり、源氏(げんじ)の兵(つはもの)ども、弓手(ゆんで)になし
てはゐ(い)【射】てとをり(とほり)【通り】、馬手(めて)になしてはゐ(い)【射】てとをり(とほり)【通り】、あげ
をい(おい)【置い】たる舟(ふね)の陰(かげ)を、馬(むま)やすめ処(どころ)にして、おめき(をめき)【喚き】
さけん【叫ん】でせめ【攻め】たたかふ【戦ふ】。後藤兵衛(ごとうびやうゑ)実基(さねもと)は、ふる兵(づはもの)(ふるつはもの)【古兵】
にてあり【有り】ければ、いくさ【軍】はせず、まづ内裏(だいり)にみだれ【乱れ】
いり、手々(てんで)(て(ン)で)に火(ひ)をはな(ッ)【放つ】て片時(へんし)の煙(けぶり)とやきはらふ。
P11220
大臣殿(おほいとの)、侍(さぶらひ)どもをめし【召し】て、「抑(そもそも)源氏(げんじ)が勢(せい)いか程(ほど)あるぞ」。
「当時(たうじ)わづかに七八十(しちはちじつ)騎(き)こそ候(さうらふ)らめ」と申(まうす)。「あな心(こころ)うや。
髪(かみ)のすぢを一(ひと)すぢづつわけてとるとも、此(この)勢(せい)
にはたるまじかりける物(もの)を。なかにとりこめてうたず
して、あはて(あわて)【慌て】て船(ふね)にの(ッ)【乗つ】て、内裏(だいり)をやかせつる事(こと)
こそやすからね。能登殿(のとどの)はおはせぬか。陸(くが)へあが(ッ)【上がつ】て
ひといくさ【軍】し給(たま)へ」。「さうけ給(たまはり)【承り】候(さうらひ)ぬ」とて、越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵
衛(じらうびやうゑ)[B 盛次【*盛嗣】(もりつぎ)]を相具(あひぐ)して、小船[* 「少船」と有るのを高野本により訂正](せうせん)どもにとりの(ッ)【乗つ】て、やきはらひ【払ひ】
P11221
たる惣門(そうもん)の前(まへ)のなぎさに陣(ぢん)をとる。判官(はうぐわん)八十(はちじふ)余
騎(よき)、矢(や)ごろP2313によせ【寄せ】てひかへたり。越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)
盛次【*盛嗣】(もりつぎ)、船(ふね)のおもてに立(たち)いで、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて申(まうし)ける
は、「名(な)のられつるとは聞(きき)つれども、海上(かいしやう)はるかにへだた(ッ)
て、其(その)仮名(けみやう)実名(じつみやう)分明(ふんみやう)ならず。けふの源氏(げんじ)の大将
軍(たいしやうぐん)は誰人(たれびと)でおはしますぞ」。伊勢(いせ)の三郎(さぶらう)義盛(よしもり)あゆ
ま【歩ま】せいで【出で】て申(まうし)けるは、「こともおろかや、清和天皇(せいわてんわう)十代(じふだい)の
御末(おんすゑ)、鎌倉殿(かまくらどの)の御弟(おんおとと)、九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官殿(はうぐわんどの)ぞかし」。
P11222
盛次【*盛嗣】(もりつぎ)「さる事(こと)あり。一(ひと)とせ平治(へいぢ)の合戦(かつせん)に、父(ちち)うた【討た】れ
てみなし子(ご)にてありしが、鞍馬(くらま)の児(ちご)して、後(のち)には
こがね商人(あきんど)の所従(しよじゆう)(しよじう)になり、粮料(らうれう)せをう(せおう)【背負う】て奥州(あうしう)(あふしう)へ
おち【落ち】まどひし小冠者[* 「少冠者」と有るのを他本により訂正](せうくわんじや)が事(こと)か」とぞ申(まうし)たる。義盛(よしもり)「舌(した)
のやはらかなるままに、君(きみ)の御事(おんこと)な申(まうし)そ。さてわ
人(ひと)どもは砥浪山(となみやま)のいくさ【軍】にをい(おひ)おとさ【落さ】れ、からき命(いのち)い
きて北陸道(ほくろくだう)にさまよひ、乞食(こつじき)してなくなく【泣く泣く】京(きやう)へ
のぼ(ッ)【上つ】たりし物(もの)か」とぞ申(まうし)ける。盛次【*盛嗣】(もりつぎ)かさね【重ね】て申(まうし)けるは、
P11223
「君(きみ)の御恩(ごおん)(ごをん)にあきみちて、なんの不足(ふそく)にか乞食(こつじき)を
ばすべき。さいふわ人(ひと)どもこそ、伊勢(いせ)の鈴鹿山(すずかやま)にてやま
だち【山賊】して、妻子(さいし)をもやしなひ、我(わが)身(み)もすぐる【過ぐる】とはきき
しか」といひければ、金子(かねこ)の十郎(じふらう)家忠(いへただ)(いへだだ)「無益(むやく)の殿原(とのばら)の
雑言(ざふごん)(ざうごん)かな。われも人(ひと)も虚言(そらごと)いひ【言ひ】つけ【付け】て雑言(ざふごん)(ざうごん)せんに
は、誰(たれ)かはおとるべき。去年(こぞ)の春(はる)、一(いち)の谷(たに)で、武蔵(むさし)・相模(さがみ)の
若殿原(わかとのばら)の手(て)なみの程(ほど)は見(み)てん物(もの)を」と申(まうす)処(ところ)〔に〕おとと【弟】
の与一(よいち)そばにあり【有り】けるが、いはせもはてず、十二束(じふにそく)二(ふたつ)
P11224
ぶせ、よ(ッ)ぴい【引い】てひやうどはなつ【放つ】。盛次【*盛嗣】(もりつぎ)が鎧(よろひ)のむないた
に、うらかく程(ほど)P2314にぞた(ッ)たりける。其(その)後(のち)は互(たがひ)(たがい)に詞(ことば)だたかい(ことばだたかひ)
とまりにけり。能登守(のとのかみ)教経(のりつね)「ふないくさ【舟軍】は様(やう)ある物(もの)ぞ」
とて、鎧直垂(よろひびたたれ)はき【着】給(たま)はず、唐巻染(からまきぞめ)の小袖(こそで)に唐綾威(からあやをどし)(からあやおどし)
の鎧(よろひ)(よろい)きて、いか物(もの)づくりの[B 大]太刀(おほだち)はき、廿四(にじふし)さいたるたか
うすべう【鷹護田尾】の矢(や)をひ(おひ)【負ひ】、しげどう【滋籐】の弓(ゆみ)をもち給(たま)へり。王
城一(わうじやういち)のつよ弓(ゆみ)【強弓】[B せい兵(びやう)【精兵】]にておはせしかば、矢(や)さき【矢先】にまはる物(もの)、
い【射】とをさ(とほさ)【通さ】れずといふ事(こと)なし。なかにも九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判
P11225
官(はうぐわん)をゐ(い)【射】おとさ【落さ】んとねらはれけれども、源氏(げんじ)の方(かた)にも
心得(こころえ)て、奥州(あうしう)(あふしう)の佐藤(さとう)三郎兵衛(さぶらうびやうゑ)嗣信(つぎのぶ)・同(おなじく)四郎兵衛(しらうびやうゑ)
忠信(ただのぶ)・伊勢(いせの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)・源八(げんぱち)広綱(ひろつな)・江田(えだの)源三(げんざう)・熊井(くまゐ)太
郎(たらう)・武蔵房(むさしばう)弁慶(べんけい)な(ン)ど(など)いふ一人当千(いちにんたうぜん)の兵(つはもの)ども、我(われ)も我(われ)もと、
馬(むま)のかしらをたてならべて大将軍(たいしやうぐん)の矢(や)おもてにふさ
がりければ、ちからおよび【及び】給(たま)はず、「矢(や)おもての雑人原(ざふにんばら)(ざうにんばら)
そこのき候(さうら)へ」とて、さしつめ【差し詰め】ひきつめ【引き詰め】さんざん【散々】にゐ(い)【射】給(たま)へば、や
にはに鎧武者(よろひむしや)(よろいむしや)十(じふ)余騎(よき)ばかりゐ(い)【射】おとさ【落さ】る。なかにもま(ッ)さき
P11226
にすすむ(すすん)だる奥州(あふしう)の佐藤(さとう)三郎兵衛(さぶらうびやうゑ)が、弓手(ゆんで)の肩(かた)
を馬手(めて)の脇(わき)へつ(ッ)とゐ(い)【射】ぬか【貫か】れて、しばしもたまらず、
馬(むま)よりさかさまにどうどおつ。能登殿(のとどの)の童(わらは)に菊
王(きくわう)といふ大(だい)ぢからのかう【剛】の物(もの)あり。萌黄(もよぎ)おどし(もよぎをどし)の腹
巻(はらまき)に、三枚甲(まいかぶと)の緒(を)(お)をしめて、白柄(しらえの)長刀(なぎなた)のさやをはづ
し【外し】、三郎兵衛(さぶらうびやうゑ)が頸(くび)をとらんとはしり【走り】かかる。佐藤(さとう)四
郎兵衛(しらうびやうゑ)、兄(あに)が頸(くび)をとらせじとよ(ッ)ぴいてひやうど
ゐる(いる)【射る】。童(わらは)が腹巻(はらまき)のひきあはせをあなたへつ(ッ)とゐ(い)【射】ぬ
P11227
か【貫か】れて、犬居(いぬゐ)にたふれ【倒れ】P2315ぬ。能登守(のとのかみ)是(これ)を見(み)て、いそぎ
舟(ふね)よりとんでおり、左(ひだり)の手(て)に弓(ゆみ)をもちながら、右(みぎ)の
手(て)で菊王丸(きくわうまる)をひ(ッ)【引つ】さげて、舟(ふね)へからりとなげられ
たれば、[B 敵(かたき)に]頸(くび)はとられねども、いた手(で)【痛手】なればしに【死に】にけり。
是(これ)はもと[B 越前(ゑちぜん)の]三位(さんみ)(さんゐ)の童(わらは)なりしが、三位(さんみ)うたれて後(のち)、
おとと【弟】の能登守(のとのかみ)につかは【使は】れけり。生年(しやうねん)十八歳(じふはつさい)に
ぞなりける。この童(わらは)をうたせてあまりにあはれ【哀】
におもは【思は】れければ、其(その)後(のち)はいくさ【軍】もし給(たま)はず。判
P11228
官(はうぐわん)は佐藤(さとう)三郎兵衛(さぶらうびやうゑ)を陣(ぢん)のうしろへかきいれ【入れ】
させ、馬(むま)よりおり、手(て)をとらへて、「三郎兵衛(さぶらうびやうゑ)、いかが
おぼゆる【覚ゆる】」との給(たま)へば、いき【息】のしたに申(まうし)けるは、「いまはかうと
存(ぞんじ)候(さうらふ)」。「おもひ【思ひ】をく(おく)【置く】事(こと)はなきか」との給(たま)へば、「なに事(ごと)をか
おもひ【思ひ】をき(おき)【置き】候(さうらふ)べき。君(きみ)の御世(おんよ)にわたらせ給(たま)はんを
見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】で、死(し)に候(さうら)はん事(こと)こそ口惜(くちをしく)(くちおしく)覚(おぼえ)候(さうら)へ。さ候(さうら)
はでは、弓矢(ゆみや)とる物(もの)の、敵(かたき)の矢(や)にあた(ッ)てしなん事(こと)、
もとより期(ご)する処(ところ)で候(さうらふ)也(なり)。就中(なかんづく)に「源平(げんぺい)[B の]御合戦(ごかつせん)に、
P11229
奥州(あうしう)(あふしう)の佐藤(さとう)三郎兵衛(さぶらうびやうゑ)嗣信(つぎのぶ)といひける物(もの)、讃岐国(さぬきのくに)
八島(やしま)のいそにて、しう(しゆう)【主】の御命(おんいのち)にかはりたてま(ッ)【奉つ】て
うた【討た】れにけり」と、末代(まつだい)の物語(ものがたり)に申(まう)されん事(こと)こそ、
弓矢(ゆみや)とる身(み)は今生(こんじやう)の面目(めんぼく)、冥途(めいど)の思出(おもひで)にて候(さうら)へ」と
申(まうし)もあへ【合へ】ず、ただよはり(よわり)【弱り】によはり(よわり)【弱り】にければ、判官(はうぐわん)涙(なみだ)を
はらはらとながし、「此(この)辺(へん)にた(ッ)とき僧(そう)やある」とて、たづね【尋ね】
いだし、「手負(ておひ)(ておい)のただいまおち【落ち】いるに、一日経(いちにちぎやう)かいてとぶ
らへ」とて、黒(くろ)き馬(むま)のふとう【太う】たくましゐ(たくましい)【逞しい】に、き(ン)ぶくりん(きぶくりん)【黄覆輪】の
P11230
鞍(くら)P2316をい(おい)て、かの僧(そう)にたびにけり。判官[* 「官判」と有るのを高野本により訂正](はうぐわん)五位尉(ごゐのじよう)(ごゐのぜう)になら
れし時(とき)、五位(ごゐ)になして、大夫黒(たいふぐろ)(たゆふぐろ)とよばれし馬(むま)也(なり)。一(いち)の
谷(たに)ひへ鳥(どり)ごえ(ひえどりごえ)【鵯越】をもこの馬(むま)にてぞおとさ【落さ】れたりける。弟(おとと)
の四郎兵衛(しらうびやうゑ)をはじめとして、是(これ)を見(み)る兵(つはもの)ども皆(みな)
涙(なみだ)をながし、「此(この)君(きみ)の御(おん)ために命(いのち)をうしなは【失は】ん事(こと)、ま(ッ)
たく露塵(つゆちり)程(ほど)もおしから(をしから)【惜しから】ず」とぞ申(まうし)ける。那須与一(なすのよいち)S1104さる程(ほど)に、
阿波(あは)・讃岐(さぬき)に平家(へいけ)をそむいて、源氏(げんじ)を待(まち)ける物(もの)ども、
あそこの峯(みね)、ここの洞(ほら)より、十四五騎(じふしごき)、廿騎(にじつき)、うち【打ち】つれ【連れ】
P11231
うち【打ち】つれ【連れ】まいり(まゐり)【参り】ければ、判官(はうぐわん)程(ほど)なく三百(さんびやく)余騎(よき)にぞ
なりにける。「けふは日(ひ)くれぬ、勝負(しようぶ)(せうぶ)を決(けつ)すべからず」とて
引退(ひきしりぞ)く処(ところ)に、おきの方(かた)より尋常(じんじやう)にかざ(ッ)たる小舟(せうしう)
一艘(いつさう)、みぎはへむいてこぎよせけり。磯(いそ)へ七八段(しちはつたん)ばかりに
なりしかば、舟(ふね)をよこさまになす。「あれはいかに」と見(み)る
程(ほど)に、船(ふね)のうちよりよはひ十八九(じふはつく)ばかりなる女房(にようばう)の、
まこと【誠】にゆう(いう)【優】にうつくしきが、柳(やなぎ)のいつつぎぬ【五衣】に、紅(くれなゐ)
のはかま【袴】きて、みな紅(ぐれなゐ)の扇(あふぎ)の日(ひ)いだし【出し】たるを、舟(ふね)の
P11232
せがいにはさみ【鋏み】たてて、陸(くが)へむいてぞまねひ(まねい)【招い】たる。判官(はうぐわん)、
後藤兵衛(ごとうびやうゑ)実基(さねもと)をめして、「あれはいかに」との給(たま)へば、「ゐよ(いよ)【射よ】
とにこそ候(さうらふ)めれ。但(ただし)大将[B 軍](たいしやうぐん)矢(や)おP2317もてにすすんで、傾城(けいせい)を
御(ご)らんぜば、手(て)だれにねらうてゐ(い)【射】おとせ【落せ】とのはかり
こととおぼえ候(さうらふ)。さも候(さうら)へ、扇(あふぎ)をばゐ(い)【射】させらるべうや候(さうらふ)らん」
と申(まうす)。「ゐ(い)【射】つべき仁(じん)はみかた【御方】に誰(たれ)かある」との給(たま)へば、「上手(じやうず)
どもいくらも候(さうらふ)なかに、下野国(しもつけのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、那須(なすの)太郎(たらう)資
高(すけたか)が子(こ)に、与一(よいち)宗高(むねたか)こそ小兵[* 「少兵」と有るのを高野本により訂正](こひやう)で候(さうら)へども、手(て)きき【手利】で
P11233
候(さうら)へ」。「証拠(しようこ)(しやうこ)はいかに」との給(たま)へば、「かけ鳥(どり)な(ン)ど(など)あらがうて、三(みつ)
に二(ふたつ)は必(かなら)ずゐ(い)【射】おとす物(もの)で候(さうらふ)」。「さらばめせ」とてめされ
たり。与一(よいち)其(その)比(ころ)は廿(にじふ)ばかりのおの子(こ)(をのこ)【男】也(なり)。かち【褐】に、あか地(ぢ)の錦(にしき)
をも(ッ)ておほくび【大領】はた【端】袖(そで)いろえ(いろへ)【彩へ】たる直垂(ひたたれ)に、萌黄(もよぎ)
おどし(をどし)の鎧(よろひ)きて、足(あし)じろの太刀(たち)をはき、きりふ【切斑】の
矢(や)の、其(その)日(ひ)のいくさ【軍】にゐ(い)【射】て少々(せうせう)のこ(ッ)たりけるを、かしら
だかにおひなし、うすぎりふに鷹(たか)の羽(は)はぎまぜ
たるぬた目(め)のかぶらをぞさしそへたる。しげどう【滋籐】の弓(ゆみ)
P11234
脇(わき)にはさみ【鋏み】、甲(かぶと)をばぬぎたかひもにかけ、判官(はうぐわん)の
前(まへ)に畏(かしこま)る。「いかに宗高(むねたか)、あの扇(あふぎ)のま(ン)なか(まんなか)【真ん中】ゐ(い)【射】て、平家(へいけ)に
見物(けんぶつ)せさせよかし」。与一(よいち)畏(かしこまつ)て申(まうし)けるは、「ゐ(い)【射】おほせ
候(さうら)はん事(こと)は不定(ふぢやう)に候(さうらふ)。射(い)損(そん)じ候(さうらひ)なば、ながきみかた【御方】
の御(おん)きずにて候(さうらふ)べし。一定(いちぢやう)つかまつらんずる仁(じん)に
仰付(おほせつけ)らるべうや候(さうらふ)らん」と申(まうす)。判官(はうぐわん)大(おほき)にいか(ッ)て、「鎌
倉(かまくら)をた(ッ)て西国(さいこく)へおもむか【赴か】ん殿原(とのばら)は、義経(よしつね)が命(めい)
をそむくべからず。すこし【少し】も子細(しさい)を存(ぞん)ぜん人(ひと)は、
P11235
とうとう是(これ)よりかへらるべし」とぞの給(たま)ひける。与
一(よいち)かP2318さねて辞(じ)せばあしかり【悪しかり】なんとや思(おも)ひけん、「は
づれんはしり【知り】候(さうら)はず、御定(ごぢやう)で候(さうら)へばつかま(ッ)てこそ
み候(さうら)はめ」とて、御(おん)まへを罷立(まかりたち)、黒(くろ)き馬(むま)のふとう【太う】
たくましゐ(たくましい)【逞しい】に、小(こ)ぶさの鞦(しりがい)かけ、まろぼやす(ッ)たる
鞍(くら)をい(おい)【置い】てぞの(ッ)【乗つ】たりける。弓(ゆみ)とりなをし(なほし)【直し】、手綱(たづな)
かいくり、みぎはへむひ(むい)てあゆま【歩ま】せければ、みかた【御方】
の兵(つはもの)どもうしろをはるかに見(み)をく(ッ)(おくつ)【送つ】て、「此(この)わか物(もの)【若者】
P11236
一定(いちぢやう)つかまつり候(さうらひ)ぬと覚(おぼえ)候(さうらふ)」と申(まうし)ければ、判官(はうぐわん)も
たのもしげ【頼もし気】にぞ見(み)給(たま)ひける。矢(や)ごろすこし【少し】
遠(とほ)かりければ、海(うみ)へ一段(いつたん)ばかりうちいれ【入れ】たれども、
猶(なほ)(なを)扇(あふぎ)のあはひ七段(しちたん)ばかりはあるらんとこそ
見(み)えたりけれ。比(ころ)は二月(にぐわつ)(にんぐわつ)十八日(じふはちにち)の酉(とり)の剋(こく)ばかり
の事(こと)なるに、おりふし(をりふし)【折節】北風(ほくふう)はげしくて、磯(いそ)うつ
浪(なみ)もたかかりけり。船(ふね)はゆりあげゆりすゑただ
よへば、扇(あふぎ)もくしにさだまら【定まら】ずひらめいたり。
P11237
おきには平家(へいけ)船(ふね)を一面(いちめん)にならべて見物(けんぶつ)す。陸(くが)には
源氏(げんじ)くつばみをならべて是(これ)を見(み)る。いづれもいづれも
晴(はれ)ならずといふ事(こと)ぞなき。与一(よいち)目(め)をふさいで、
「南無(なむ)八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、我(わが)国(くに)の神明(しんめい)、日光(につくわうの)(につくはうの)権現(ごんげん)宇
都宮(うつのみや)、那須(なす)のゆぜん大明神(だいみやうじん)、願(ねがは)くはあの扇(あふぎ)の
ま(ン)なか(まんなか)【真ん中】ゐ(い)【射】させてたばせ給(たま)へ。是(これ)をゐ(い)【射】そんずる物(もの)
ならば、弓(ゆみ)きりおり(をり)【折り】自害(じがい)して、人(ひと)に二(ふた)たび【二度】面(おもて)を
むかふ【向ふ】べからず。いま一度(いちど)本国(ほんごく)へむかへ【向へ】んとおぼし
P11238
めさ【思し召さ】ば、この矢(や)はづさ【外さ】せ給(たま)ふな」と、心(こころ)のうちに祈
念(きねん)して、目(め)を見(み)ひらひ(ひらい)【開い】たれば、風(かぜ)もすこし【少し】吹(ふき)よはP2319り(よわり)【弱り】、
扇(あふぎ)もゐ(い)【射】よげにぞな(ッ)たりける。与一(よいち)鏑(かぶら)をと(ッ)てつ
がひ、よ(ッ)ぴいてひやうどはなつ【放つ】。小兵(こひやう)といふぢやう
十二束(じふにそく)三(みつ)ぶせ、弓(ゆみ)はつよし、浦(うら)ひびく程(ほど)ながなり【長鳴】
して、あやまたず扇(あふぎ)のかなめぎは一寸(いつすん)ばかりをい(おい)
て、ひ(イ)ふつとぞゐ(い)【射】き(ッ)たる。鏑(かぶら)は海(うみ)へ入(いり)ければ、扇(あふぎ)は空(そら)へ
ぞあがり【上がり】ける。しばしは虚空(こくう)にひらめきけるが、春
P11239
風(はるかぜ)に一(ひと)もみ二(ふた)もみもまれて、海(うみ)へさ(ッ)とぞち(ッ)【散つ】たり
ける。夕日(せきじつ)のかかやい【輝い】たるに、みな紅(ぐれなゐ)の扇(あふぎ)の日(ひ)いだし
たるが、しら波(なみ)【白波】のうへにただよひ、うきぬしづみぬ
ゆられければ、奥(おき)には平家(へいけ)ふなばたをたたいて感(かん)
じたり、陸(くが)には源氏(げんじ)ゑびら(えびら)【箙】をたたいてどよめきけり。
弓流(ゆみながし)S1105あまりの面白(おもしろ)さに、感(かん)にたへ【堪へ】ざるにやとおぼしくて、
舟(ふね)のうちよりとし五十(ごじふ)ばかりなる男(をのこ)(おのこ)の、黒革(くろかは)お
どし(をどし)の鎧(よろひ)(よろい)きて、白柄(しらえ)の長刀(なぎなた)も(ッ)たるが、扇(あふぎ)たてたり
P11240
ける処(ところ)にた(ッ)て舞(まひ)しめたり。伊勢(いせの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)、
与一(よいち)がうしろへあゆま【歩ま】せよ(ッ)て、「御定(ごぢやう)ぞ、つかまつ
れ」といひければ、今度(こんど)はなかざし【中差】と(ッ)てうちくはせ、
よ(ッ)ぴい【引い】てしや頸(くび)の骨(ほね)をひやうふつとゐ(い)【射】て、ふなぞ
こ【船底】へさかさま【逆様】にゐ(い)【射】たをす(たふす)【倒す】。平家(へいけ)のP2320方(かた)には音(おと)(をと)もせず、源
氏(げんじ)の方(かた)には又(また)ゑびら(えびら)【箙】をたたいてどよめきけり。「あ、ゐ(い)【射】
たり」といふ人(ひと)もあり、又(また)「なさけなし」といふものも
あり。平家(へいけ)これをほい【本意】なしとやおもひ【思ひ】けん、楯(たて)つい【突い】
P11241
て一人(いちにん)、弓(ゆみ)も(ッ)て一人(いちにん)、長刀(なぎなた)も(ッ)て一人(いちにん)、武者(むしや)三人(さんにん)なぎ
さにあがり【上がり】、楯(たて)をついて「かたき【敵】よせよ【寄せよ】」とぞまねひ(まねい)【招い】たる。
判官(はうぐわん)「あれ、馬(むま)づよ【強】ならん若党(わかたう)ども、はせ【馳せ】よせ【寄せ】て
け【蹴】ちらせ」との給(たま)へば、武蔵国(むさしのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、みをの屋(や)の(みほのやの)【三穂屋の】四郎(しらう)・
同(おなじく)藤七(とうしち)・同(おなじく)十郎(じふらう)、上野国(かうづけのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)丹生(にふ)の四郎(しらう)、信濃
国(しなののくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)木曾(きそ)の中次(ちゆうじ)(ちうじ)、五騎(ごき)つれておめい(をめい)【喚い】てかく。
楯(たて)のかげ【陰】よりぬりの【塗篦】にくろぼろ【黒母衣】はいだる大(だい)の矢(や)を
も(ッ)て、ま(ッ)さきにすすん【進ん】だるみをのやの(みほのやの)【三穂屋の】十郎(じふらう)が馬(むま)の
P11242
左(ひだり)のむながいづくしを、ひやうづばとゐ(い)【射】て、はず【筈】
のかくるる【隠るる】程(ほど)ぞゐ(い)【射】こう【込う】だる。屏風(びやうぶ)をかへす【返す】様(やう)に
馬(むま)はどうどたふるれ【倒るれ】ば、主(ぬし)は馬手(めて)の足(あし)をこい【越い】てお
りた(ッ)て、やがて太刀(たち)をぞぬい【抜い】たりける。たて【楯】のかげ
より大長刀(おほなぎなた)うちふ(ッ)てかかりければ、みをの屋(や)
の(みほのやの)【三穂屋の】十郎(じふらう)、小太刀(こだち)長刀(なぎなた)にかなは【叶は】じとや思(おもひ)けむ、か
いふい【伏い】てにげ【逃げ】ければ、軈(やがて)つづいてお(ッ)【追つ】かけ【掛け】たり。長
刀(なぎなた)でなが【薙が】んずるかと見(み)る処(ところ)に、さはなくして、長刀(なぎなた)
P11243
をば左(ひだり)の脇(わき)にかいばさみ、右(みぎ)の手(て)をさしのべて、み
をの屋(や)の(みほのやの)【三穂屋の】十郎(じふらう)が甲(かぶと)のしころをつかま【掴ま】んとす。つ
かま【掴ま】れじとはしる【走る】。三度(さんど)つかみはづい【外い】て、四度(しど)
のたび【度】む(ン)ずとつかむ。しばしぞたま(ッ)て見(み)えし、
鉢(はち)つけ【鉢付】のいた【板】よりふつとひ(ッ)【引つ】P2321き(ッ)【切つ】てぞにげ【逃げ】たり
ける。のこり四騎(しき)は、馬(むま)ををしう【惜しう】でかけず、見物(けんぶつ)
してこそゐたりけれ。みをの屋(や)の(みほのやの)【三穂屋の】十郎(じふらう)は、みかた【御方】
の馬(むま)のかげににげ【逃げ】入(いり)て、いき【息】づきゐたり。敵(かたき)は
P11244
おう【追う】てもこ【来】で、長刀(なぎなた)杖(つゑ)(つえ)につき、甲(かぶと)のしころを
さしあげ【差し上げ】、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「日(ひ)ごろは音(おと)(をと)にもきき
つらん、いまは目(め)にも見(み)給(たま)へ。是(これ)こそ京(きやう)わらんべの
よぶなる上総(かづさ)の悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)景清(かげきよ)よ」となのり【名乗り】捨(すて)
てぞかへりける。平家(へいけ)是(これ)に心地(ここち)なをし(なほし)【直し】て、「悪(あく)七兵
衛(しつびやうゑ)うた【討た】すな。つづけや物(もの)ども」とて、又(また)二百(にひやく)余人(よにん)
なぎさにあがり【上がり】、楯(たて)をめん鳥羽(どりば)【雌鳥羽】につきならべて、
「敵(かたき)よせよ【寄せよ】」とぞまねひ(まねい)【招い】たる。判官(はうぐわん)是(これ)を見(み)て、「やす
P11245
からぬ事(こと)なり」とて、後藤兵衛(ごとうびやうゑ)父子(ふし)、金子(かねこ)兄弟(きやうだい)を
さきにたて、奥州(あうしう)(あふしう)の佐藤(さとう)四郎兵衛(しらうびやうゑ)・伊勢(いせの)三郎(さぶらう)
を〔弓手(ゆんで)〕馬手(めて)にたて、田代(たしろの)冠者(くわんじや)をうしろにたてて、八十(はちじふ)
余騎(よき)おめい(をめい)【喚い】てかけ給(たま)へば、平家(へいけ)の兵(つはもの)ども馬(むま)には
のらず、大略(たいりやく)かち武者(むしや)にてあり【有り】ければ、馬(むま)にあて【当て】ら
れじとひきしりぞひ(しりぞい)【退い】て、みな船(ふね)へぞのりにける。
楯(たて)は算(さん)をちらし【散らし】たる様(やう)にさんざん【散々】にけ【蹴】ちらさ【散らさ】る。源
氏(げんじ)のつは物(もの)ども【兵共】、勝(かつ)にの(ッ)【乗つ】て、馬(むま)のふと腹(ばら)ひたる【浸る】程(ほど)に
P11246
うち【打ち】いれ【入れ】て[B せめ【攻め】]たたかふ【戦ふ】。判官(はうぐわん)ふか入(いり)【深入り】してたたかふ【戦ふ】程(ほど)に、
舟(ふね)のうちより熊手(くまで)をも(ッ)て、判官(はうぐわん)の甲(かぶと)のしころに
からりからりと二三度(にさんど)までうちかけけるを、みかた【御方】
の兵(つはもの)ども、太刀(たち)長刀(なぎなた)でうちのけうちのけしける程(ほど)に、いかが
したりけん、判官(はうぐわん)弓(ゆみ)をかけおとさ【落さ】れぬ。うつぶし
で、鞭(むち)をP2322も(ッ)てかきよせて、とらうとらうどし給(たま)へば、兵(つはもの)
ども「ただすてさせ給(たま)へ」と申(まうし)けれども、つゐに(つひに)【遂に】と(ッ)て、
わらう【笑う】てぞかへられける。おとなどもつまはじき【爪弾き】
P11247
をして、「口惜(くちをし)(くちおし)き御事(おんこと)候(ざうらふ)かな、たとひ千疋(せんびき)万疋(まんびき)に
かへさせ給(たまふ)べき御(おん)たらしなりとも、争(いかで)か御命(おんいのち)に
かへさせ給(たまふ)べき」と申(まう)せば、判官(はうぐわん)「弓(ゆみ)のおしさ(をしさ)【惜しさ】
にとら【取ら】ばこそ。義経(よしつね)が弓(ゆみ)といはば、二人(ににん)してもはり【張り】、
若(もし)は三人(さんにん)してもはり【張り】、おぢ(をぢ)の為朝(ためとも)が弓(ゆみ)の様(やう)ならば、
わざともおとし【落し】てとらすべし。■弱(わうじやく)たる弓(ゆみ)を
かたき【敵】のとりも(ッ)て、「是(これ)こそ源氏(げんじ)の大将(たいしやう)九郎(くらう)義
経(よしつね)が弓(ゆみ)よ」とて、嘲哢(てうろう)せんずるが口惜(くちをし)(くちおし)ければ、命(いのち)に
P11248
かへてとるぞかし」との給(たま)へば、みな人(ひと)是(これ)を感(かん)じ
ける。さる程(ほど)に日(ひ)くれ【暮れ】ければ、ひきしりぞひ(しりぞい)【退い】て、
むれ高松(たかまつ)のなかなる野山(のやま)に陣(ぢん)をぞと(ッ)たり
ける。源氏(げんじ)のつは物(もの)ども【兵共】この三日(みつか)が間(あひだ)(あいだ)はふさ【臥さ】ざり
けり。おととひ(をととひ)【一昨日】渡辺(わたなべ)・福島(ふくしま)をいづる【出づる】とて、其(その)夜(よ)
大浪(おほなみ)にゆられてまどろまず。昨日(きのふ)阿波国(あはのくに)勝
浦(かつうら)にていくさ【軍】して、夜(よ)もすがらなか山(やま)【中山】こえ【越え】、けふ又(また)
一日(いちにち)たたかひ【戦ひ】くらしたりければ、みなつかれ【疲れ】はてて、
P11249
或(あるい)(ある)は甲(かぶと)を枕(まくら)にし、或(あるい)(ある)は鎧(よろひ)(よろい)の袖(そで)、ゑびら(えびら)【箙】な(ン)ど(など)枕(まくら)に
して、前後(ぜんご)もしら【知ら】ずぞふし【臥し】たりける。其(その)なかに、
判官(はうぐわん)と伊勢(いせの)三郎(さぶらう)はねざりけり。判官(はうぐわん)はたかき【高き】と
ころ【所】にのぼりあが(ッ)【上がつ】て、敵(かたき)やよする【寄する】と遠見(とほみ)し給(たま)へば、
伊勢(いせの)三郎(さぶらう)はくぼき処(ところ)にかくれゐて、かたき【敵】よせ【寄せ】ば、
まづ馬(むま)の腹(はら)ゐ(い)【射】んとてまち【待ち】かけたり。平家(へいけ)のP2323方(かた)には、
能登守(のとのかみ)を大将(たいしやう)にて、其(その)勢(せい)五百(ごひやく)余騎(よき)、夜討(ようち)にせん
としたく【支度】したりけれども、越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)と
P11250
海老(えみの)(ゑみの)次郎(じらう)守方【*盛方】(もりかた)と先陣(せんぢん)をあらそふ程(ほど)に、其(その)夜(よ)は
むなしう【空しう】あけにけり。夜討(ようち)にだにもしたらば、源氏(げんじ)
なにかあらまし。よせ【寄せ】ざりけるこそせめての運(うん)の
きはめなれ。志渡【*志度】合戦(しどかつせん)S1106あけければ、平家(へいけ)船(ふね)にとりの(ッ)【乗つ】て、当
国(たうごく)志度(しど)の浦(うら)へこぎしりぞく。判官(はうぐわん)三百(さんびやく)余騎(よき)が
なか【中】より馬(むま)や人(ひと)をすぐ(ッ)て、八十(はちじふ)余騎(よき)追(おう)(をう)てぞかか
りける。平家(へいけ)是(これ)を見(み)て、「かたき【敵】は小勢[* 「少勢」と有るのを高野本により訂正](こぜい)なり。なかに
とりこめてうてや」とて、又(また)千余人(せんよにん)なぎさにあがり、
P11251
おめき(をめき)【喚き】さけむ(さけん)でせめ【攻め】たたかふ【戦ふ】。さる程(ほど)に、八島(やしま)にのこり【残り】
とどま(ッ)【留まつ】たりける二百(にひやく)余騎(よき)の兵(つはもの)ども、おくればせに
馳来(はせきた)る。平家(へいけ)是(これ)を見(み)て、「すはや、源氏(げんじ)の大勢(おほぜい)の
つづくは。なん【何】十万騎(じふまんぎ)かあるらん。とりこめられてはかなふ【叶ふ】
まじ」とて、又(また)舟(ふね)にとりの(ッ)【乗つ】て、塩(しほ)にひか【引か】れ、風(かぜ)にしたが(ッ)て、
いづくをさすともなくおち【落ち】ゆき【行き】ぬ。四国(しこく)はみな大夫(たいふ)(たゆふ)
判官(はうぐわん)におい(おひ)【追ひ】おとさ【落とさ】れぬ。九国(くこく)へは入(いれ)られず。ただ中
有(ちゆうう)(ちうう)の衆生(しゆじやう)とぞ見(み)えし。P2324判官(はうぐわん)志度(しど)の浦(うら)におり
P11252
ゐて、頸(くび)ども実検(じつけん)しておはしけるが、伊勢(いせの)三郎(さぶらう)
義盛(よしもり)をめしての給(たま)ひけるは、「阿波(あはの)民部(みんぶ)重能(しげよし)が嫡
子(ちやくし)田内左衛門(でんないざゑもん)教能(のりよし)は、河野(かはのの)四郎(しらう)道信【*通信】(みちのぶ)がめせども
まいら(まゐら)【参ら】ぬをせめ【攻め】んとて、三千(さんぜん)余騎(よき)にて伊与【*伊予】(いよ)へこえ
たりけるが、河野(かはの)をばうち【討ち】もらし【洩らし】て、家子(いへのこ)郎等(らうどう)百
五十人(ひやくごじふにん)が頸(くび)き(ッ)て、昨日(きのふ)八島(やしま)の内裏(だいり)へまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりけるが、
けふ是(これ)へつくときく。汝(なんぢ)ゆきむか(ッ)【向つ】て、ともかうもこ
しらへて具(ぐ)してまいれ(まゐれ)【参れ】かし」との給(たま)ひければ、
P11253
畏(かしこま)(ッ)てうけ給(たま)はり【承り】、旗(はた)一流(ひとながれ)給(たまは)(ッ)てさすままに、其(その)勢(せい)
わづかに十六騎(じふろくき)、みなしら装束(しやうぞく)【白装束】にて馳(はせ)むかふ【向ふ】。義盛(よしもり)、
教能(のりよし)にゆきあふ(あう)【合う】たり。白旗(しらはた)、赤旗(あかはた)、二町(にちやう)ばかりをへ
だててゆらへたり。伊勢(いせの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)、使者(ししや)をたてて
申(まうし)けるは、「是(これ)は源氏(げんじ)〔の〕大将軍(たいしやうぐん)九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官殿(はうぐわんどの)の御
内(みうち)に、伊勢(いせの)三郎(さぶらう)義盛(よしもり)と申(まうす)物(もの)で候(さうらふ)が、大将(たいしやう)に申(まうす)べき
事(こと)あ(ッ)て、是(これ)までまかり【罷り】むか(ッ)【向つ】て候(さうらふ)。させるいくさ合戦(かつせん)の
れう【料】でも候(さうら)はねば、物(もの)の具(ぐ)もし候(さうら)はず。弓矢(ゆみや)ももた
P11254
せ候(さうら)はず。あけ【明け】ていれ【入れ】させ給(たま)へ」と申(まうし)ければ、三千(さんぜん)
余騎(よき)の兵(つはもの)どもなかをあけ【明け】てぞとをし(とほし)ける。義盛(よしもり)、
教能(のりよし)にうちならべて、「かつきき給(たまひ)てもあるらん。鎌倉(かまくら)ど
のの御(おん)おとと【弟】九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官殿(はうぐわんどの)、院宣(ゐんぜん)をうけ給(たま)は(ッ)【承つ】て
西国(さいこく)へむかは【向は】せ給(たまひ)て候(さうらふ)が、一昨日(をととひ)(おととひ)阿波[B 国](あはのくに)勝浦(かつうら)にて、御辺(ごへん)の
伯父(をぢ)(おぢ)、桜間[B ノ]介(さくらばのすけ)うた【討た】れ給(たま)ひぬ。昨日(きのふ)八島(やしま)によせて、
御所(ごしよ)内裏(だいり)みなやき【焼き】はらひ【払ひ】、おほいとの父子(ふし)いけど
り【生捕り】にしたてまつり【奉り】、能登殿(のとどの)は自害(じがい)し給(たま)P2325ひぬ。その
P11255
外(ほか)のきんだち、或(あるい)(ある)はうちじに、或(あるい)(ある)は海(うみ)に入(いり)給(たま)ひぬ。余
党(よたう)のわづかにありつるは、志度(しど)の浦(うら)にてみなうた【討た】れ
ぬ。御辺(ごへん)のちち、阿波[B ノ](あはの)民部殿(みんぶどの)は降人(かうにん)にまいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)
ひて候(さうらふ)を、義盛(よしもり)があづかりたてま(ッ)【奉つ】て候(さうらふ)が、「あはれ、田内
左衛門(でんないざゑもん)が是(これ)をば夢(ゆめ)にもしらで、あすはいくさ【軍】してう
た【討た】れまいらせ(まゐらせ)【参らせ】んずるむざんさよ」と、夜(よ)もすがらなげ
き給(たま)ふがあまりにいとをしく(いとほしく)て、此(この)事(こと)しらせたて
まつら【奉ら】むとて、是(これ)までまかり【罷り】むか(ッ)【向つ】て候(さうらふ)。そのうへは、いくさ【軍】
P11256
してうちじに【討死】せんとも、降人(かうにん)にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て父(ちち)をいま一
度(いちど)見(み)たてまつら【奉ら】んとも、ともかうも御(ご)へん【辺】がはから
ひ[B ぞ]」といひ【言ひ】ければ、[B 田]内左衛門(でんないざゑもん)(でんないざへもん)きこゆる【聞ゆる】兵(つはもの)なれども、運(うん)
やつきにけむ、「かつきく事(こと)にすこし【少し】もたがは【違は】ず」とて、
甲(かぶと)をぬぎ弓(ゆみ)の弦(つる)をはづい【外い】て、郎等(らうどう)にもたす。大将(たいしやう)
が加様(かやう)にするうへは、三千(さんぜん)余騎(よき)の兵(つはもの)どもみなかくのご
とし。纔(わづか)に十六(じふろく)騎(き)に具(ぐ)せられて、おめおめと降人(かうにん)に
こそまいり(まゐり)【参り】けれ。「義盛(よしもり)がはかりこと【策】まこと【誠】にゆゆし
P11257
かりけり」と、判官(はうぐわん)も感(かん)じ給(たま)ひけり。やがて田内左
衛門(でんないざゑもん)(でんないざへもん)をば、物具(もののぐ)めされて、伊勢(いせの)三郎(さぶらう)にあづけらる。
「さてあの勢(せい)どもはいかに」との給(たま)へば、「遠国(をんごく)の物(もの)どもは、
誰(たれ)をたれとかおもひ【思ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)べき。ただ世(よ)のみだ
れをしづめて、国(くに)をしろしめさ【知ろし召さ】んを君(きみ)とせん」と
申(まうし)ければ、「尤(もつとも)しかる【然る】べし」とて、三千(さんぜん)余騎(よき)をみな
我(わが)勢(せい)にぞ具(ぐ)せられける。P2326同(おなじき)廿二日(にじふににち)〔の〕辰剋(たつのこく)ばかり、
渡辺(わたなべ)にのこりとどま(ッ)【留まつ】たりける二百(にひやく)余艘(よさう)(よそう)の船(ふね)ども、
P11258
梶原(かぢはら)をさきとして、八島(やしま)の磯(いそ)にぞつきにける。
「西国(さいこく)はみな九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)にせめおとさ【落さ】れぬ。今(いま)は
なんのようにか逢(あふ)べき。会(ゑ)にあはぬ花(はな)、六日(むゆか)の
菖蒲(しやうぶ)、いさかい(いさかひ)はて【果て】てのちぎりきかな」とぞわらひ【笑ひ】
ける。判官(はうぐわん)都(みやこ)をたち給(たま)ひて後(のち)、住吉(すみよし)の神主(かんぬし)
長盛(ながもり)、院(ゐん)の御所(ごしよ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、大蔵卿(おほくらきやう)康経【*泰経】(やすつねの)朝臣(あそん)(あ(ツ)そん)
をも(ッ)て奏聞(そうもん)しけるは、「去(さんぬる)十六日(じふろくにち)丑剋(うしのこく)に、当社(たうしや)第
三(だいさん)の神殿(じんでん)より鏑矢(かぶらや)の声(こゑ)いで【出で】て、西(にし)をさして罷(まかり)候(さうらひ)
P11259
ぬ」と申(まうし)ければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)大(おほき)に御感(ぎよかん)あ(ッ)て、御剣(ぎよけん)以下(いげ)、
種々(しゆじゆ)の神宝(じんぼう)等(ら)を長盛(ながもり)して大明神(だいみやうじん)へまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】らる。むかし神宮【*神功】皇后(じんごうくわうこう)、新羅(しんら)をせめ【攻め】給(たま)ひし
時(とき)、伊勢大神宮(いせだいじんぐう)より二神(にじん)のあらみさきをさ
しそへさせ給(たま)ひけり。二神(にじん)御船(みふね)のともへ【艫舳】に立(た)(ッ)て、
新羅(しんら)をやすくせめ【攻め】おとさ【落さ】れぬ。帰朝(きてう)の後(のち)、一神(いちじん)は
摂津国(つのくに)住吉(すみよし)のこほり【郡】にとどまり給(たま)ふ。住吉(すみよし)の
大明神(だいみやうじん)の御事(おんこと)也(なり)。いま一神(いちじん)は信濃国(しなののくに)諏方【*諏訪】(すは)の
P11260
こほりに跡(あと)を垂(た)る。諏方【*諏訪】(すは)の大明神(だいみやうじん)是(これ)也(なり)。昔(むかし)の征
戎(せいじう)の事(こと)をおぼしめし【思し召し】わすれず、いまも朝(てう)の怨敵(をんでき)
をほろぼし給(たまふ)べきにやと、君(きみ)も臣(しん)もたのもしう【頼もしう】
ぞおぼしめされける。P2327鶏合(とりあはせ)壇浦合戦(だんのうらかつせん)S1107さる程(ほど)に、九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)義経(よしつね)、
周防(すはう)の地(ち)におしわた(ッ)【渡つ】て、兄(あに)の参川【*三河】守(みかはのかみ)とひとつに
なる。平家(へいけ)は長門国(ながとのくに)ひく島(しま)【引島】にぞつきにける。源氏(げんじ)
阿波国(あはのくに)勝浦(かつうら)について、八島(やしま)のいくさ【軍】にうちかちぬ。
平家(へいけ)ひく島(しま)【引島】につくときこえ【聞え】しかば、源氏(げんじ)は同国(どうごく)の
P11261
うち【内】、おい津(つ)(おひつ)【追津】につくこそ不思議(ふしぎ)なれ。熊野(くまのの)別当(べつたう)湛
増(たんぞう)は、平家(へいけ)へやまいる(まゐる)【参る】べき、源氏(げんじ)へやまいる(まゐる)【参る】べきとて、
田(た)なべ【田辺】の新熊野(いまぐまの)にて御神楽(みかぐら)奏(そう)して、権現(ごんげん)に
祈誓(きせい)したてまつる【奉る】。白旗(しらはた)につけと仰(おほせ)けるを、猶(なほ)(なを)うた
がひをなして、白(しろ)い鶏(にはとり)七(なな)つ赤(あか)き鶏(にはとり)七(なな)つ、是(これ)をも(ッ)て権現(ごんげん)の
御(おん)まへにて勝負(しようぶ)(せうぶ)をせさす。赤(あか)きとり一(ひとつ)もかたず。みな
まけ【負け】てにげにけり。さてこそ源氏(げんじ)へまいら(まゐら)【参ら】んとお
もひ【思ひ】さだめけれ。一門(いちもん)の物(もの)どもあひ【相ひ】もよをし(もよほし)【催し】、都合(つがふ)(つがう)
P11262
其(その)勢(せい)二千(にせん)余人(よにん)、二百(にひやく)余艘(よさう)(よそう)の舟(ふね)にのりつれて、若王
子(にやくわうじ)の御正体(ごしやうたい)を船(ふね)にのせ【乗せ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】、旗(はた)のよこがみ【横上】には、
金剛童子(こんがうどうじ)をかきたてま(ッ)【奉つ】て、檀【*壇】(だん)の浦(うら)へよする【寄する】を見(み)て、
源氏(げんじ)も平家(へいけ)もともにおがむ(をがむ)。されども源氏(げんじ)の方(かた)へ
つきければ、平家(へいけ)はけう(きよう)【興】さめ【醒め】てぞおもはれける。又(また)
伊与【*伊予】国(いよのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、河野(かはのの)四郎(しらう)道信【*通信】(みちのぶ)、百五十艘(ひやくごじつさう)の兵船(ひやうせん)に
のりつれ【連れ】てこぎ来(き)たり、源氏(げんじ)とひとつ【一つ】になりにけり。
判官(はうぐわん)かたがたたのもしう【頼もしう】ちから【力】つい【付い】てぞP2328おもは【思は】れける。
P11263
源氏(げんじ)の船(ふね)は三千(さんぜん)〔余(よ)〕艘(さう)(そう)、平家(へいけ)の舟(ふね)は千(せん)余艘(よさう)(よそう)、唐船(たうせん)少々(せうせう)
あひまじれり。源氏(げんじ)の勢(せい)はかさなれ【重なれ】ば、平家(へいけ)の
せいは落(おち)ぞゆく。元暦(げんりやく)二年(にねん)三月(さんぐわつ)廿四日(にじふしにち)の卯剋(うのこく)に、
門司(もじ)赤間(あかま)の関(せき)にて源平(げんぺい)矢合(やあはせ)とぞさだめける。
其(その)日(ひ)判官(はうぐわん)と梶原(かぢはら)とすでにどしいくさ【同士戦】せんとする
事(こと)あり。梶原(かぢはら)申(まうし)けるは、「けふの先陣(せんぢん)をば景時(かげとき)に
たび候(さうら)へ」。判官(はうぐわん)「義経(よしつね)がなくばこそ」。「まさなう候(さうらふ)。殿(との)は
大将軍(たいしやうぐん)にてこそましまし候(さうら)へ」。判官(はうぐわん)「おもひ【思ひ】もよらず。
P11264
鎌倉殿(かまくらどの)こそ大将軍(たいしやうぐん)よ。義経(よしつね)は奉行(ぶぎやう)をうけ給(たまはつ)【承つ】
たる身(み)なれば、ただ殿原(とのばら)とおなじ事(こと)ぞ」との給(たま)へば、
梶原(かぢはら)、先陣(せんぢん)を所望(しよまう)しかねて、「天性(てんぜい)この殿(との)は
侍(さぶらひ)の主(しゆう)(しゆ)にはなり難(がた)し」とぞつぶやきける。判官(はうぐわん)
これをきい【聞い】て、「日本一(につぽんいち)のおこ(をこ)の物(もの)かな」とて、太刀(たち)の
つかに手(て)をかけ給(たま)ふ。梶原(かぢはら)「鎌倉殿(かまくらどの)の外(ほか)に主(しゆう)(しゆ)を
もたぬ物(もの)を」とて、是(これ)も太刀(たち)のつかに手(て)をかけけ
り。さる程(ほど)に嫡子(ちやくし)の源太(げんだ)景季(かげすゑ)、次男(じなん)平次(へいじ)景高(かげたか)、
P11265
同(おなじく)三郎(さぶらう)景家(かげいへ)、ちち【父】と一所(いつしよ)によりあふ(あう)【合う】たり。判官(はうぐわん)の
景気(けいき)を見(み)て、奥州(あうしうの)佐藤(さとう)四郎兵衛(しらうびやうゑ)忠信(ただのぶ)・伊勢(いせの)
三郎(さぶらう)義盛(よしもり)・源八(げんぱち)広綱(ひろつな)・江田[B ノ](えだの)源三(げんざう)・熊井(くまゐ)太郎(たらう)・武蔵房(むさしばう)
弁慶(べんけい)な(ン)ど(など)いふ一人当千(いちにんたうぜん)のつは物(もの)ども【兵共】、梶原(かぢはら)をなかに
とりこめて、われう(ッ)【討つ】とら【取ら】んとぞすすみける。されども
判官(はうぐわん)には三浦介(みうらのすけ)とり【取り】つき【付き】たてまつる【奉る】。梶原(かぢはら)には
土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)つかみつき、両人(りやうにん)手(て)をす(ッ)て申(まうし)けるは、
「是(これ)程(ほど)の大事(だいじ)をまへにかかへながら、どしいくさ【同士戦】候者(さうらはば)、
P11266
平家(へいけ)ちからつき【付き】候(さうらひ)なんず。就中(なかんづく)鎌倉殿(かまくらどの)P2329のかへり
きかせ給(たま)はん処(ところ)こそ穏便(をんびん)ならず候(さうら)へ」と申(まう)せば、判
官(はうぐわん)しづまり給(たま)ひぬ。梶原(かぢはら)すすむに及(およ)(をよ)ばず。それ
よりして梶原(かぢはら)、判官(はうぐわん)をにくみそめて、つゐに(つひに)【遂に】
讒言(ざんげん)してうしなひ【失ひ】けるとぞきこえ【聞え】し。さる程(ほど)に、
源平(げんぺい)の陣(ぢん)のあはひ、海(うみ)のおもて卅余町(さんじふよちやう)をぞ
へだてたる。門司(もじ)・赤間(あかま)・檀【*壇】(だん)の浦(うら)はたぎ(ッ)ておつる塩(しほ)
なれば、源氏(げんじ)の舟(ふね)は塩(しほ)にむかふ(むかう)【向う】て、心(こころ)ならずをし(おし)【押し】おと
P11267
さ【落さ】る。平家(へいけ)の船(ふね)は塩(しほ)におう(あう)【逢う】てぞいで【出で】き【来】たる。おき【沖】は
塩(しほ)のはやけれ【早けれ】ば、みぎは【渚】について、梶原(かぢはら)敵(かたき)の舟(ふね)の
ゆきちがふ処(ところ)に熊手(くまで)をうちかけて、おや子(こ)【親子】主
従(しゆうじゆう)(しゆうじう)十四五人(じふしごにん)のり【乗り】うつり【移り】、うち物(もの)ぬい【抜い】て、ともへ【艫舳】にさんざん【散々】に
ない【薙い】でまはる。分(ぶん)どりあまたして、其(その)日(ひ)の高名(かうみやう)の一(いち)
の筆(ふで)にぞつきにける。すでに源平(げんぺい)両方(りやうばう)陣(ぢん)をあ
はせて時(とき)をつくる。上(かみ)は梵天(ぼんでん)までもきこえ【聞え】、下(しも)は
海竜神(かいりゆうじん)(かいりうじん)もおどろくらんとぞおぼえける。新中納
P11268
言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)知盛卿(とももりのきやう)舟(ふね)の屋形(やかた)にたちいで、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて
の給(たま)ひけるは、「いくさ【軍】はけふ【今日】ぞかぎり、物(もの)ども、すこし【少し】も
しりぞく心(こころ)あるべからず。天竺(てんぢく)・震旦(しんだん)にも日本(につぽん)我(わが)朝(てう)
にもならびなき名将(めいしやう)勇士(ゆうし)といへども、運命(うんめい)つき
ぬれば力(ちから)及(およ)(をよ)ばず。されども名(な)こそおしけれ(をしけれ)【惜しけれ】。東国(とうごく)の
物共(ものども)によはげ(よわげ)【弱気】見(み)ゆな。いつのために命(いのち)をばおしむ(をしむ)【惜しむ】
べき。是(これ)のみぞおもふ【思ふ】事(こと)」との給(たま)へば、飛騨[B ノ](ひだの)三郎左
衛門(さぶらうざゑもん)(さぶらうさへもん)景経(かげつね)御(おん)まへに候(さうらひ)けるが、「是(これ)うけ給(たま)はれ【承れ】、侍(さぶらひ)ども」
P11269
とぞ下知(げぢ)しけP2330る。上総(かづさの)悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)すすみ出(いで)て申(まうし)
けるは、「坂東武者(ばんどうむしや)は馬(むま)のうへでこそ口(くち)はきき候(さうらふ)とも、ふな
いくさ【舟軍】にはいつ調練(てうれん)し候(さうらふ)べき。うを【魚】の木(き)にのぼ(ッ)【上つ】たる
でこそ候(さうら)はんずれ。一々(いちいち)にと(ッ)て海(うみ)につけ【浸け】候(さうら)はん」とぞ
申(まうし)たる。越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)申(まうし)けるは、「おなじくは大将
軍(たいしやうぐん)の源九郎(げんくらう)にくん給(だま)へ。九郎(くらう)は色(いろ)しろう【白う】せい【背】ちい
さき(ちひさき)【小さき】が、むかば【向歯】のことにさしいで【出で】てしるかん【著かん】なるぞ。ただし
直垂(ひたたれ)と鎧(よろひ)をつねにきかふ【着替ふ】なれば、き(ッ)と見(み)わけ【分け】がた
P11270
かん也(なり)」とぞ申(まうし)ける。上総(かづさの)悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)申(まうし)けるは、「心(こころ)こそ
たけくとも、其(その)小冠者(こくわんじや)、なに程(ほど)の事(こと)あるべき。片
脇(かたわき)にはさんで、海(うみ)へいれ【入れ】なむ物(もの)を」とぞ申(まうし)たる。新中
納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)は加様(かやう)に下知(げぢ)し給(たま)ひ、大臣殿(おほいとの)の御(おん)まへにまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、
「けふは侍(さぶらひ)どもけしきよう見(み)え候(さうらふ)。ただし阿波(あはの)民部(みんぶ)
重能(しげよし)は心(こころ)がはりしたるとおぼえ候(さうらふ)。かうべをはね候(さうらは)
ばや」と申(まう)されければ、大臣殿(おほいとの)「見(み)えたる事(こと)もなう
て、いかが頸(くび)をばきる【斬る】べき。さしも奉公(ほうこう)の物(もの)であるもの
P11271
を。重能(しげよし)まいれ(まゐれ)【参れ】」とめし【召し】ければ、木蘭地(むくらんぢ)の直垂(ひたたれ)にあら
いかは(あらひかは)【洗革】の鎧(よろひ)きて、御(おん)まへに畏(かしこま)(ッ)て候(さうらふ)。「いかに、重能(しげよし)は心(こころ)がはり
したるか、けふこそわるう見(み)ゆれ。四国(しこく)の物(もの)どもに、いく
さ【軍】ようせよと下知(げぢ)せよかし。おくし【臆し】たるな」との給(たま)へば、
「なじかはおくし【臆し】候(さうらふ)べき」とて、御(おん)まへをまかり【罷り】たつ。新中
納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)、あはれきやつが頸(くび)をうちおとさ【落さ】ばやとおぼし
めし【思し召し】、太刀(たち)のつか【柄】くだけよとにぎ(ッ)て、大臣殿(おほいとの)の御(おん)かた【方】
をしきりに見(み)給(たま)P2331ひけれども、御(おん)ゆるされ【許され】なければ、
P11272
力(ちから)及(およ)(をよ)ばず。平家(へいけ)は千(せん)余艘(よさう)(よそう)を三手(みて)につくる。山賀(やまが)の
兵藤次(ひやうどうじ)秀遠(ひでとほ)(ひでとを)、五百(ごひやく)余艘(よさう)(よそう)で先陣(せんぢん)にこぎむかふ。松
浦党(まつらたう)、三百(さんびやく)余艘(よさう)(よそう)で二陣(にぢん)につづく。平家(へいけ)の君達(きんだち)、
二百(にひやく)余艘(よさう)(よそう)で三陣(さんぢん)につづき給(たま)ふ。兵藤次(ひやうどうじ)秀遠(ひでとほ)(ひでとを)は、
九国(くこく)一番(いちばん)の勢兵(せいびやう)にてあり【有り】けるが、我(われ)程(ほど)こそなけれども、
普通(ふつう)ざまの勢兵(せいびやう)ども五百人(ごひやくにん)をすぐ(ッ)て、船々(ふねぶね)のとも
へ【艫舳】にたて、肩(かた)を一面(いちめん)にならべて、五百(ごひやく)の矢(や)を一度(いちど)に
はなつ【放つ】。源氏(げんじ)は三千(さんぜん)余艘(よさう)(よそう)の船(ふね)なれば、せい【勢】のかず【数】さこそ
P11273
おほかり【多かり】けめども、処々(ところどころ)よりゐ(い)【射】ければ、いづくに勢兵(せいびやう)
ありともおぼえず。大将軍(たいしやうぐん)九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)、ま(ッ)さきに
すす(ン)【進ん】でたたかふ【戦ふ】が、楯(たて)も鎧(よろひ)もこらへずして、さんざん【散々】にゐ(い)【射】し
らまさる。平家(へいけ)みかた【御方】勝(かち)ぬとて、しきりにせめ【攻め】皷(つづみ)
う(ッ)て、よろこびの時(とき)をぞつくりける。遠矢(とほや)S1108源氏(げんじ)の方(かた)にも、
和田(わだの)小太郎[* 「少太郎」と有るのを高野本により訂正](こたらう)義盛(よしもり)、船(ふね)にはのらず、馬(むま)にうちの(ッ)【乗つ】てなぎ
さにひかへ、甲(かぶと)をばぬいで人(ひと)にもたせ、鐙(あぶみ)のはな【鼻】ふみ【踏み】
そらし、よ(ッ)ぴいてゐ(い)【射】ければ、三町(さんぢやう)(さんちやう)がうちと【内外】の物(もの)ははづ
P11274
さ【外さ】ずつよう【強う】ゐ(い)【射】けり。そのなかに、ことに遠(とほ)うゐ(い)【射】たるとP2332
おぼしきを、「其(その)矢(や)給(たま)はらん」とぞまねひ(まねい)【招い】たる。新中
納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)是(これ)をめし【召し】よせて見(み)給(たま)へば、しらの【白篦】に鶴(つる)のもと
じろ【本白】、こう【鴻】の羽(は)をわりあはせては【矧】いだる矢(や)の、十三
束(じふさんぞく)ふたつぶせ【二伏】あるに、くつまき【沓巻】より一束(そく)ばかりをい(おい)
て、和田(わだの)小太郎(こたらう)平(たひらの)(たいらの)義盛(よしもり)とうるしにてぞかき【書き】つけ
たる。平家(へいけ)の方(かた)に勢兵(せいびやう)おほし【多し】といへども、[B さすが]〔とを矢(や)(とほや)【遠矢】ゐる(いる)【射る】物(もの)は〕すくな【少】かり
けるやらん、良(やや)久(ひさ)しうあ(ッ)て、伊与【*伊予】国(いよのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)仁井(にゐ)
P11275
の紀四郎(きしらう)親清(ちかきよ)めし【召し】いだされ、この矢(や)を給(たま)は(ッ)てゐ(い)【射】返(かへ)
す。是(これ)も奥(おき)よりなぎさへ三町(さんぢやう)(さんちやう)余(よ)をつ(ッ)とゐ(い)【射】わたして、
和田(わだの)小太郎(こたらう)がうしろ一段(いつたん)あまりにひかへたる三浦(みうら)の
石左近(いしざこん)の太郎(たらう)が弓手(ゆんで)のかいな(かひな)【腕】に、したたかにこそた(ッ)た
りけれ。三浦(みうら)の人共(ひとども)これを見(み)て、「和田(わだの)小太郎(こたらう)が
われにすぎて遠矢(とほや)ゐる(いる)【射る】ものなしとおもひ【思ひ】て、恥(はぢ)
かいたるにくさよ。あれを見(み)よ」とぞわらひ【笑ひ】ける。和田(わだの)
小[B 太]郎(こたらう)是(これ)をきき、「やすからぬ事(こと)也(なり)」とて、小船(せうせん)にの(ッ)【乗つ】て
P11276
こぎいださせ、平家(へいけ)のせい【勢】のなかをさしつめ【差し詰め】ひきつめ【引き詰め】
さんざん【散々】にゐ(い)【射】ければ、おほく【多く】の物(もの)どもゐ(い)【射】ころさ【殺さ】れ、手負(ておひ)(てをひ)
にけり。又(また)判官(はうぐわん)ののり給(たま)へる船(ふね)に、奥(おき)よりしらの【白篦】の
おほ矢(や)【大矢】をひとつ【一つ】ゐ(い)【射】たてて、和田(わだ)がやうに「こなたへ給(たま)は
らん」とぞまねいたる。判官(はうぐわん)是(これ)をぬかせて見(み)給(たま)へば、
しらのに山鳥(やまどり)の尾(を)(お)をも(ッ)てはいだりける矢(や)の、十四(じふし)束(そく)
三(みつ)ぶせあるに、伊与【*伊予】国(いよのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)、仁井[B ノ](にゐの)紀四郎(きしらう)親清(ちかきよ)とぞ
かきつけたる。判官(はうぐわん)、後藤兵衛(ごとうびやうゑ)(ごとうびやうへ)実基(さねもと)をめし【召し】て、
P11277
「この矢(や)ゐ(い)【射】つべきもの、みかた【御方】P2333に誰(たれ)かある」との給(たま)へば、
「甲斐(かひ)(かい)源氏(げんじ)に阿佐里[B ノ](あさりの)与一殿(よいちどの)こそ、勢兵(せいびやう)にて在(まし)
まし候(さうら)へ」。「さらばよべ」とてよばれければ、阿佐里[B ノ](あさりの)与
一(よいち)いできたり。判官(はうぐわん)の給(たま)ひけるは、「奥(おき)よりこの矢(や)を
ゐ(い)【射】て候(さうらふ)が、ゐ(い)【射】かへせ【返せ】とまねき候(さうらふ)。御(ご)へん【辺】あそばし【遊ばし】
候(さうらひ)なむや」。「給(たまはつ)て見(み)候(さうら)はん」とて、つまよ(ッ)て、「是(これ)はすこ
し【少し】よはう(よわう)【弱う】候(さうらふ)。矢(や)づか【矢束】もち(ッ)とみじかう【短かう】候(さうらふ)。おなじうは
義成(よしなり)が具足(ぐそく)にてつかまつり候(さうら)はん」とて、ぬりごめ
P11278
藤(どう)【塗籠籐】の弓(ゆみ)の九尺(くしやく)ばかりあるに、ぬりの【塗篦】にくろぼろ【黒母衣】はい
だる矢(や)の、わが大手(おほで)にをし(おし)【押し】にぎ(ッ)【握つ】て、十五(じふご)束(そく)あり【有り】ける
をうちくはせ、よ(ッ)ぴいてひやうどはなつ【放つ】。四町余(しちやうよ)を
つ(ッ)とゐ(い)【射】わたし【渡し】て、大船(たいせん)のへ【舳】にた(ッ)たる仁井[B ノ](にゐの)紀四郎(きしらう)
親清(ちかきよ)がま(ッ)ただなかをひやうふつとゐ(い)【射】て、ふなぞこ【船底】へ
さかさまにゐ(い)【射】たうす(たふす)【倒す】。生死(しやうし)をばしら【知ら】ず。阿佐里[B ノ](あさりの)
与一(よいち)はもとより勢兵(せいびやう)の手(て)きき【手利】なり。二町(にちやう)にはしる【走る】
鹿(しか)をば、はづさ【外さ】ずゐ(い)【射】けるとぞきこえ【聞え】し。其(その)後(のち)
P11279
源平(げんぺい)たがひに命(いのち)をおしま(をしま)【惜しま】ず、おめき(をめき)【喚き】さけん【叫ん】で
せめ【攻め】たたかふ。いづれおとれりとも見(み)えず。されども、
平家(へいけ)の方(かた)には、十善(じふぜん)帝王(ていわう)、三種(さんじゆ)の神器(しんぎ)を帯(たい)
してわたらせ給(たま)へば、源氏(げんじ)いかがあらんずらんとあぶ
なうおもひ【思ひ】けるに、しばしは白雲(はくうん)かとおぼしくて、
虚空(こくう)にただよひけるが、雲(くも)にてはなかりけり、主(ぬし)も
なき白旗(しらはた)ひとながれ【一流】まい(まひ)さが(ッ)て、源氏(げんじ)の船(ふね)の
へ【舳】に棹(さを)(さほ)づけ【付】のお(を)【緒】のさはる程(ほど)にぞ見(み)えたりける。P2334
P11280
判官(はうぐわん)、「是(これ)は八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の現(げん)じ給(たま)へるにこそ」と
よろこ(ン)で、手水(てうづ)うがひをして、是(これ)を拝(はい)し奉(たてまつ)る。
兵(つはもの)どもみなかくのごとし。又(また)源氏(げんじ)の方(かた)よりいるか【海豚】
といふ魚(うを)一二千(いちにせん)はう【這う】て、平家(へいけ)の方(かた)へむかひ【向ひ】ける。大
臣殿(おほいとの)これを御(ご)らんじて、小博士(こはかせ)晴信(はれのぶ)をめし【召し】て、
「いるか【海豚】はつねにおほけれ【多けれ】ども、いまだかやう[B の]事(こと)
なし。いかがあるべきとかんがへ【勘へ】申(まう)せ」と仰(おほせ)られければ、
「このいるか【海豚】はみ【食み】かへり【返り】候(さうら)はば、源氏(げんじ)ほろび候(さうらふ)べし。
P11281
はう【這う】てとをり(とほり)【通り】候(さうら)はば、みかた【御方】の御(おん)いくさ【軍】あやうう(あやふう)【危ふう】候(さうらふ)」
と申(まうし)もはてねば、平家(へいけ)の船(ふね)のしたをすぐに
はう【這う】てとをり(とほり)【通り】けり。「世(よ)の中(なか)はいまはかう」とぞ申(まうし)
たる。阿波(あはの)民部(みんぶ)重能(しげよし)は、この三(さん)[B が]年(ねん)があひだ、平家(へいけ)に
よくよく忠(ちゆう)(ちう)をつくし、度々(どど)の合戦(かつせん)に命(いのち)をおしま(をしま)【惜しま】ず
ふせき【防き】たたかひ【戦ひ】けるが、子息(しそく)田内左衛門(でんないざゑもん)(でんないざへもん)をいけ
どり【生捕り】にせられて、いかにもかなは【叶は】じとやおもひ【思ひ】けん、
たちまちに心(こころ)がはりして、源氏(げんじ)に同心(どうしん)してん
P11282
げり。平家(へいけ)の方(かた)にははかりこと【策】に、よき人(ひと)をば兵船(ひやうせん)
にのせ【乗せ】、雑人(ざふにん)(ざうにん)どもをば唐船(たうせん)にのせ【乗せ】て、源氏(げんじ)心(こころ)にく
さに唐船(たうせん)をせめ【攻め】ば、なかにとりこめてうたんとし
たく【支度】せられたりけれども、阿波(あはの)民部(みんぶ)がかへりちう(かへりちゆう)【返忠】の
うへは、唐船(たうせん)には目(め)もかけず、大将軍(たいしやうぐん)のやつしの
り給(たま)へる兵船(ひやうせん)をぞせめ【攻め】たりける。新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)「やす
からぬ。重能(しげよし)めをき(ッ)てすつ【捨つ】べかりつる物(もの)を」と、ち
たび【千度】後悔(こうくわい)せられけれどもかなは【叶は】P2335ず。さる程(ほど)に、
P11283
四国(しこく)・鎮西(ちんぜい)の兵(つはもの)ども、みな平家(へいけ)をそむいて源氏(げんじ)に
つく。いままでしたがひ【従ひ】ついたりし物(もの)どもも、君(きみ)に
むか(ッ)【向つ】て弓(ゆみ)をひき、主(しゆう)(しう)に対(たい)して太刀(たち)をぬく。かの
岸(きし)につかむとすれば、浪(なみ)たかくしてかなひ【叶ひ】がた
し。このみぎはによらんとすれば、敵(かたき)矢(や)さき【矢先】を
そろへてまち【待ち】かけたり。源平(げんぺい)の国(くに)あらそひ、けふを
かぎりとぞ見(み)えたりける。先帝身投(せんていみなげ)S1109源氏(げんじ)の兵(つはもの)ども、すでに
平家(へいけ)の舟(ふね)にのりうつりければ、水手(すいしゆ)梶取(かんどり)ども、ゐ(い)【射】
P11284
ころされ、きりころさ【殺さ】れて、船(ふね)をなをす(なほす)【直す】に及(およ)(をよ)ば
ず、舟(ふな)ぞこにたはれ【倒れ】ふしにけり。新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)知盛卿(とももりのきやう)
小船(こぶね)にの(ッ)【乗つ】て御所(ごしよ)の御舟(おんふね)にまいり(まゐり)【参り】、「世(よ)のなかいまは
かうと見(み)えて候(さうらふ)。見(み)ぐるしからん物(もの)どもみな海(うみ)へ
いれ【入れ】させ給(たま)へ」とて、ともへ【艫舳】にはしり【走り】まはり、はい【掃い】たり、
のごう【拭う】たり、塵(ちり)ひろい(ひろひ)【拾ひ】、手(て)づから掃除(さうぢ)せられけり。女房
達(にようばうたち)「中納言殿(ちゆうなごんどの)(ちうなごんどの)、いくさ【軍】はいかにやいかに」と口々(くちぐち)にとひ給(たま)
へば、「めづらしきあづま男(をとこ)(おとこ)をこそ御(ご)らんぜられ候(さうら)
P11285
はんずらめ」とて、からからとわらひ【笑ひ】給(たま)へば、「なんでうP2336の
ただいまのたはぶれ【戯れ】ぞや」とて、声々(こゑごゑ)におめき(をめき)【喚き】さけび【叫び】
給(たま)ひけり。二位殿(にゐどの)はこの有様(ありさま)を御(ご)らんじて、
日(ひ)ごろおぼしめし【思し召し】まうけたる事(こと)なれば、にぶ色【鈍色】のふ
たつ【二つ】ぎぬ【衣】うちかづき、ねりばかまのそばたかくはさみ【鋏み】、
神璽(しんし)をわきにはさみ【鋏み】、宝剣(ほうけん)を腰(こし)にさし、主上(しゆしやう)
をいだきたてま(ッ)【奉つ】て、「わが身(み)は女(をんな)(をうな)なりとも、かたき【敵】の
手(て)にはかかるまじ。君(きみ)の御(おん)ともにまいる(まゐる)【参る】なり。
P11286
御心(おんこころ)ざしおもひ【思ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)はん人々(ひとびと)は、いそぎつづ
き給(たま)へ」とて、ふなばたへあゆみ【歩み】いでられけり。主
上(しゆしやう)ことしは八歳(はつさい)にならせ給(たま)へども、御年(おんとし)の程(ほど)
よりはるかにねびさせ給(たま)ひて、御(おん)かたちうつく
しく、あたりも[B てり]かかやく【輝く】ばかり也(なり)。御(おん)ぐしくろう【黒う】
ゆらゆらとして、御(おん)せなかすぎさせ給(たま)へり。あきれ
たる御(おん)さまにて、「尼(あま)ぜ、われをばいづちへぐし【具し】てゆ
かんとするぞ」と仰(おほせ)ければ、いとけなき君(きみ)にむかい(むかひ)【向ひ】
P11287
たてまつり【奉り】、涙(なみだ)ををさへ(おさへ)申(まう)されけるは、「君(きみ)はいまだ
しろしめさ【知ろし召さ】れさぶらはずや。先世(ぜんぜ)の十善(じふぜん)戒行(かいぎやう)の
御(おん)ちからによ(ッ)て、今(いま)万乗(ばんじよう)(ばんぜう)のあるじと生(うま)れさせ給(たま)へ
ども、悪縁(あくえん)にひかれて、御運(ごうん)既(すで)につきさせ給(たま)ひ
ぬ。まづ東(ひがし)(ひ(ン)がし)にむかは【向は】せ給(たまひ)て、伊勢大神宮(いせだいじんぐう)に御(おん)いと
ま申(まう)させ給(たま)ひ、其(その)後(のち)西方(さいはう)浄土(じやうど)の来迎(らいかう)にあづ
からんとおぼしめし【思し召し】、西(にし)にむかは【向は】せ給(たま)ひて、御念
仏(おんねんぶつ)さぶらふ【候ふ】べし。この国(くに)は心(こころ)うきさかゐ(さかひ)【境】にて
P11288
さぶらへ【候へ】ば、極楽(ごくらく)浄土(じやうど)とてめでたき処(ところ)へぐし【具し】ま
いらせ(まゐらせ)【参らせ】さぶらふ【候ふ】ぞ」と、なくなく【泣く泣く】申(まう)させ給(たま)ひければ、
山鳩色(やまばといろ)の御衣(ぎよい)P2337にびんづらゆはせ給(たまひ)て、御涙(おんなみだ)に
おぼれ、ちいさく(ちひさく)【小さく】うつくしき御手(おんて)をあはせ、まづ
東(ひがし)(ひ(ン)がし)をふしをがみ【拝み】、伊勢大神宮(いせだいじんぐう)に御(おん)いとま申(まう)させ
給(たま)ひ、其(その)後(のち)西(にし)にむかは【向は】せ給(たま)ひて、御念仏(おんねんぶつ)ありしかば、
二位殿(にゐどの)やがていだき奉(たてまつ)り、「浪(なみ)のしたにも都(みやこ)のさぶ
らう(さぶらふ)【候ふ】ぞ」となぐさめたてま(ッ)【奉つ】て、ちいろ(ちひろ)【千尋】の底(そこ)へぞいり
P11289
給(たま)ふ。悲(かなしき)哉(かな)、無常(むじやう)の春(はる)の風(かぜ)、忽(たちまち)に花(はな)の御(おん)すがた
をちらし【散らし】、なさけなきかな、分段(ぶんだん)のあらき浪(なみ)、玉
体(ぎよくたい)をしづめたてまつる【奉る】。殿(てん)をば長生(ちやうせい)と名(な)づけて
ながきすみかとさだめ、門(もん)をば不老(ふらう)と号(かう)して、老(おい)
せぬとざしととき【説き】たれども、いまだ十歳(じつさい)のうちにして、
底(そこ)のみくづ【水屑】とならせ給(たま)ふ。十善(じふぜん)帝位(ていゐ)の御果報(ごくわほう)、
申(まう)すもなかなかをろか(おろか)【愚】なり。雲上(うんしやう)の竜(りよう)(れう)くだ(ッ)て海
底(かいてい)の魚(うを)となり給(たま)ふ。大梵(だいぼん)高台(かうだい)の閣(かく)のうへ、釈
P11290
提(しやくだい)喜見(きけん)の宮(みや)の内(うち)、いにしへは槐門(くわいもん)棘路(きよくろ)のあひだに
九族(きうぞく)をなびかし、今(いま)は船(ふね)のうち、浪(なみ)のしたに御命(おんいのち)
を一時(いつし)にほろぼし給(たま)ふこそ悲(かな)しけれ。能登殿(のとどの)最期(さいご)S1110女院(にようゐん)は
この御有様(おんありさま)を御(ご)らんじて、御(おん)やき石(いし)、御硯(おんすずり)、左
右(さう)の御(おん)ふところ【懐】にいれ【入れ】て、海(うみ)へいらせ給(たま)ひたり
けるを、渡辺党(わたなべたう)に源五(げんご)馬允[M 「高允」とあり「高」をミセケチ「馬」と傍書](むまのじよう)(むまのぜう)むつる[B 「むへる」とあり「へ」に「つ」と傍書]【眤】、たれ【誰】とはし
り【知り】たてP2338まつらねども、御(おん)ぐしを熊手(くまで)にかけて
ひき【引き】あげ奉(たてまつ)る。女房達(にようばうたち)「あなあさまし。あれは
P11291
女院(にようゐん)にてわたらせ給(たまふ)ぞ」と、声々(こゑごゑ)口々(くちぐち)に申(まう)され
ければ、判官(はうぐわん)に申(まうし)て、いそぎ御所(ごしよ)の御船(おんふね)へわたし
たてまつる【奉る】。大納言(だいなごん)の佐殿(すけどの)は、内侍所(ないしどころ)の御(おん)からうと【唐櫃】
をも(ッ)て、海(うみ)へいら【入ら】んとし給(たま)ひけるが、袴(はかま)のすそを
ふなばたにゐ(い)【射】つけ【付け】られ、け【蹴】まとい(まとひ)てたふれ【倒れ】給(たまひ)
たりけるを、兵(つはもの)どもとりとどめ【留め】奉(たてまつ)る。さて武士(ぶし)ども
内侍所(ないしどころ)のじやう【鎖】ねぢき(ッ)て、[B 既(すで)に]御(おん)ふた【蓋】をひらかんと
すれば、忽(たちまち)に目(め)[B くれ]、鼻血(はなぢ)たる。平(へい)大納言(だいなごん)いけどり【生捕り】に
P11292
せられておはしけるが、「あれは内侍所(ないしどころ)のわたらせ
給(たま)ふぞ。凡夫(ぼんぶ)は見(み)たてまつら【奉ら】ぬ事(こと)ぞ」との給(たま)へば、
兵(つはもの)どもみなのき【退き】にけり。其(その)後(のち)判官(はうぐわん)、平(へい)大納言(だいなごん)
に申(まうし)あはせて、もとのごとくにからげおさめ(をさめ)【納め】奉(たてまつ)る。
さる程(ほど)に、平(へい)中納言(ぢゆうなごん)(ぢうなごん)教盛(のりもり)、修理(しゆりの)大夫(だいぶ)経盛(つねもり)兄弟(きやうだい)、鎧(よろひ)
のうへにいかりををひ(おひ)、手(て)を取組(とりくみ)て、海(うみ)へぞ入(いり)給(たま)ひ
ける。小松[B ノ](こまつの)新三位(しんざんみの)(しんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)資盛(すけもり)、同(おなじく)少将(せうしやう)有盛(ありもり)、いとこの
左馬頭(さまのかみ)行盛(ゆきもり)、手(て)に手(て)をとりくんで一所(いつしよ)にしづみ
P11293
給(たま)ひけり。人々(ひとびと)は加様(かやう)にし給(たま)へども、大臣殿(おほいとの)おや子(こ)は
海(うみ)に入(い)らんずる気色(けしき)もおはせず、ふなばたに立(たち)
いで【出で】て四方(しはう)み【見】めぐらし、あきれたる様(さま)にておはし
けるを、侍(さぶらひ)どもあまりの心(こころ)うさに、とほるやうにて、
大臣殿(おほいとの)を海(うみ)へつき入(いれ)奉(たてまつ)る。右衛門督(うゑもんのかみ)是(これ)を見(み)て、
やがてとび入(いり)給(たま)ひけり。みな人(ひと)はおもき【重き】鎧(よろひ)(よろい)のうへに、
おもき【重き】物(もの)をおう【負う】たりいだひ(いだい)【抱い】たりしていれ【入れ】P2339ばこそ
しづめ、この人(ひと)おやこ【親子】はさもし給(たま)はぬうへ、なまじゐ(なまじひ)に
P11294
究竟(くつきやう)の水練(すいれん)にておはしければ、しづみもやり
給(たま)はず。大臣殿(おほいとの)は右衛門督(うゑもんのかみ)しづまばわれもしづ
まん、たすかり給(たま)はばわれもたすからんとおもひ【思ひ】給(たま)ふ。
右衛門(うゑもんの)督(かみ)も、父(ちち)しづみ給(たま)はばわれもしづまん、たす
かり給(たま)はば我(われ)もたすからんとおもひ【思ひ】て、たがひに
目(め)を見(み)かはしておよぎ【泳ぎ】ありき【歩き】給(たま)ふ程(ほど)に、伊勢(いせの)三
郎(さぶらう)義盛(よしもり)、小船(こぶね)をつ(ッ)とこぎよせ、まづ右衛門督(うゑもんのかみ)
を熊手(くまで)にかけてひきあげたてまつる【奉る】。大臣殿(おほいとの)
P11295
是(これ)を見(み)ていよいよしづみもやり給(たま)はねば、おなじう
とりたてまつり【奉り】けり。大臣殿(おほいとの)の御(おん)めのと子(ご)【乳母子】飛
弾【*飛騨】[B ノ](ひだの)三郎左衛門(さぶらうざゑもん)(さぶらうざへもん)景経(かげつね)、小船(こぶね)にの(ッ)【乗つ】て義盛(よしもり)が舟(ふね)にのり
うつり、「我(わが)君(きみ)とり奉(たてまつ)るは何物(なにもの)ぞ」とて、太刀(たち)をぬいて
はしり【走り】かかる。義盛(よしもり)すでにあぶなう見(み)えけるを、
義盛(よしもり)が童(わらは)、しう(しゆう)【主】をうた【討た】せじとなかにへだたる【隔たる】。景
経(かげつね)がうつ太刀(たち)〔に〕甲(かぶと)のま(ッ)かう【真甲】うちわられ、二(に)の太刀(たち)に
頸(くび)うちおとさ【落さ】れぬ。義盛(よしもり)なを(なほ)【猶】あぶなう見(み)えけるを、
P11296
ならびの舟(ふね)より堀(ほり)の弥太郎(やたらう)親経(ちかつね)、よ(ッ)ぴゐ(よつぴい)てひや
うどゐる(いる)【射る】。景経(かげつね)うち甲(かぶと)をゐ(い)【射】させてひるむ処(ところ)に、
堀(ほりの)弥太郎(やたらう)のりうつ(ッ)て、三郎左衛門(さぶらうざゑもん)(さぶらうざへもん)にくんでふす【伏す】。
堀(ほり)が郎等(らうどう)、主(しゆう)(しう)につづゐ(つづい)【続い】てのりうつり、景経(かげつね)が鎧(よろひ)(よろい)の
草摺(くさずり)ひきあげて、二刀(ふたかたな)さす。飛弾【*飛騨】[B ノ](ひだの)三郎左衛門(さぶらうざゑもん)(さぶらうざへもん)
景経(かげつね)、きこゆる【聞ゆる】大力(だいぢから)のかう【剛】のものなれども、運(うん)やつ
きにけん、いた手(で)【痛手】はをう(おう)【負う】つ、敵(かたき)はあまたあり、そこにて
つゐに(つひに)【遂に】うた【討た】れにけり。大臣殿(おほいとの)は生(いき)ながらとりP2340あげ
P11297
られ、目(め)の前(まへ)でめのと子(ご)【乳母子】がうたるるを見(み)給(たま)ふに、
いかなる心地(ここち)かせられけん。凡(およ)(をよ)そ能登守(のとのかみ)教経(のりつね)の
矢(や)さき【矢先】にまはる物(もの)こそなかりけれ。矢(や)だねのある
程(ほど)ゐ(い)【射】つくし【尽くし】て、けふを最後(さいご)とやおもは【思は】れけん、
赤地(あかぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、唐綾(からあや)おどし(をどし)の鎧(よろひ)(よろい)きて、いか
ものづくりの大太刀(おほだち)ぬき、白柄(しらえ)の大長刀(おほなぎなた)のさや
をはづし【外し】、左右(さう)にも(ッ)てなぎ【薙ぎ】まはり給(たま)ふに、おもて
をあはする物(もの)ぞなき。おほく【多く】の物(もの)どもうた【討た】れにけり。
P11298
新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)使者(ししや)をたてて、「能登殿(のとどの)、いたう罪(つみ)なつ
くり給(たま)ひそ。さり[B とて]よき敵(かたき)か」との給(たま)ひければ、「さては
大将軍(たいしやうぐん)にくめ【組め】ごさんなれ」と心(こころ)えて、うち物(もの)くき
みじか【茎短】にと(ッ)て、源氏(げんじ)の船(ふね)にのりうつりのりうつり、おめき(をめき)【喚き】
さけむ(さけん)でせめ【攻め】たたかふ【戦ふ】。判官(はうぐわん)を見(み)しり給(たま)はねば、物(もの)
の具(ぐ)のよき武者(むしや)をば判官(はうぐわん)かとめ【目】をかけて、はせ【馳せ】ま
はる。判官(はうぐわん)もさきに心(こころ)えて、おもてにたつ様(やう)には
しけれども、とかくちがひ【違ひ】て能登殿(のとどの)にはくま【組ま】れ
P11299
ず。されどもいかがしたりけん、判官(はうぐわん)の船(ふね)にのりあた(ッ)て、
あはやとめ【目】をかけてとんでかかるに、判官(はうぐわん)かなは【叶は】じ
とやおもは【思は】れけん、長刀(なぎなた)脇(わき)にかいばさみ、みかた【御方】の
船(ふね)の二丈(にぢやう)ばかりのい【退い】たりけるに、ゆらりととびのり
給(たま)ひぬ。能登殿(のとどの)ははやわざ【早業】やおとられたりけん、
やがてつづいてもとび給(たま)はず。いま【今】はかうとおもは【思は】れ
ければ、太刀(たち)長刀(なぎなた)海(うみ)へなげいれ【入れ】、甲(かぶと)もぬいですて
られけP2341り。鎧(よろひ)(よろい)の草摺(くさずり)かなぐりすて、どう【胴】ばかり
P11300
きて、おほ【大】童(わらは)になり、おほ手(で)をひろげてたたれたり。
凡(およそ)(をよそ)あたりをはら(ッ)【払つ】てぞ見(み)えたりける。おそろし【恐ろし】な(ン)ど(など)も
をろか(おろか)【愚】也(なり)。能登殿(のとどの)大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「われとお
もは【思は】ん物(もの)どもは、よ(ッ)て教経(のりつね)に組(くん)でいけどりにせよ。
鎌倉(かまくら)へくだ(ッ)て、頼朝(よりとも)にあふ(あう)【逢う】て、物(もの)ひと詞(こと)いはんと
おもふ【思ふ】ぞ。よれやよれ」との給(たま)へども、よる物(もの)一人(いちにん)もなかり
けり。[B ここに]土佐国(とさのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)安芸郷(あきがう)を知行(ちぎやう)しける安芸(あき)の
大領(だいりやう)実康(さねやす)が子(こ)に、安芸(あきの)太郎(たらう)実光(さねみつ)とて、卅人(さんじふにん)が
P11301
力(ちから)も(ッ)たる大(だい)ぢからのかう【剛】の物(もの)あり。われにち(ッ)ともおと
らぬ郎等(らうどう)一人(いちにん)、おとと【弟】の次郎(じらう)も普通(ふつう)にはすぐれ
たるしたたか物(もの)なり。安芸(あき)の太郎(たらう)、能登殿(のとどの)を見(み)
たてま(ッ)【奉つ】て申(まうし)けるは、「いかにたけう【猛う】ましますとも、
我等(われら)三人(さんにん)とりついたらんに、たとひたけ十丈(じふぢやう)の鬼(おに)
なりとも、などかしたがへざるべき」とて、主従(しゆうじゆう)(しうじう)三人(さんにん)小船(こぶね)に
の(ッ)【乗つ】て、能登殿(のとどの)の舟(ふね)にをし(おし)【押し】ならべ、ゑい(えい)といひ【言ひ】てのり
うつり、甲(かぶと)のしころをかたぶけ【傾け】、太刀(たち)をぬいて一面(いちめん)に
P11302
う(ッ)てかかる。能登殿(のとどの)ち(ッ)ともさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】給(たま)はず、ま(ッ)さきに
すすんだる安芸(あきの)太郎(たらう)が郎等(らうどう)をすそ【裾】をあはせて、
海(うみ)へどうどけ【蹴】いれ【入れ】給(たま)ふ。つづいてよる安芸(あきの)太郎(たらう)
を弓手(ゆんで)の脇(わき)にと(ッ)てはさみ【鋏み】、弟(おとと)の次郎(じらう)をば馬手(めて)
のわきにかいばさみ、ひとしめ【一締】しめて、「いざうれ、さらば
おれら死途(しで)の山(やま)のともせよ」とて、生年(しやうねん)廿六(にじふろく)
にて海(うみ)へつ(ッ)とぞいり【入り】給(たま)ふ。P2342内侍所都入(ないしどころのみやこいり)S1111新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)「見(み)るべき
程(ほど)の事(こと)は見(み)つ、いまは自害(じがい)せん」とて、めのと子(ご)【乳母子】の
P11303
伊賀(いがの)平(へい)内左衛門(ないざゑもん)(ないざへもん)家長(いへなが)をめし【召し】て、「いかに、約束(やくそく)は
たがう(たがふ)【違ふ】まじきか」との給(たま)へば、「子細(しさい)にや及(および)(をよび)候(さうらふ)」と、中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)に
鎧(よろひ)(よろい)二領(にりやう)きせ奉(たてまつ)り、我(わが)身(み)も鎧(よろひ)(よろい)二領(にりやう)きて、手(て)をとり
く(ン)【組ん】で海(うみ)へぞ入(いり)にける。是(これ)を見(み)て侍(さぶらひ)ども廿(にじふ)余人(よにん)をく
れ(おくれ)【後れ】たてまつら【奉ら】じと、手(て)に手(て)をとり【取り】くん【組ん】で、一所(いつしよ)にしづ
みけり。其(その)中(なか)に、越中(ゑつちゆうの)(ゑちちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)・上総(かづさの)五郎兵衛(ごらうびやうゑ)(ごらうびやうへ)・
悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)(しつびやうへ)・飛弾【*飛騨】(ひだの)四郎兵衛(しらうびやうゑ)(しらうびやうへ)はなにとしてかのがれ【逃れ】
たりけん、そこをも又(また)落(おち)にけり。海上(かいしやう)には赤旗(あかはた)あか
P11304
じるし【赤印】なげ【投げ】すて、かなぐりすて【捨て】たりければ、竜田川(たつたがは)の
紅葉(もみぢ)ばを嵐(あらし)の吹(ふき)ちらし【散らし】たるがごとし。汀(みぎは)によする【寄する】
白浪(しらなみ)もうすぐれなゐにぞなりにける。主(ぬし)もなき
むなしき【空しき】船(ふね)は、塩(しほ)にひかれ風(かぜ)にしたが(ッ)て、いづくを
さすともなくゆられゆくこそ悲(かな)しけれ。生(いけ)どりに
は、前(さき)の内大臣(ないだいじん)宗盛公(むねもりこう)、平(へい)大納言(だいなごん)時忠(ときただ)、右衛門督(うゑもんのかみ)清
宗(きよむね)、内蔵頭(くらのかみ)信基(のぶもと)、讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)時実(ときざね)、兵部少輔(ひやうぶのせう)雅
明(まさあきら)、大臣殿(おほいとの)の八歳(はつさい)になり給(たま)ふ若公(わかぎみ)【若君】、僧(そう)には二位(にゐの)僧都(そうづ)
P11305
宣真【*全真】(せんしん)・法勝寺(ほつしようじの)(ほつせうじの)執行(しゆぎやう)能円(のうゑん)(のうえん)・中納言(ちゆうなごんの)(ちうなごんの)律師(りつし)仲快[M 「仲快」とあり「仲」をミセケチ「忠」と傍書](ちゆうくわい)(ちうくわい)・経誦
房(きやうじゆばうの)阿闍梨(あじやり)融円(ゆうゑん)、侍(さぶらひ)には源(げん)大夫(だいふの)(だゆふの)判官(はんぐわん)季貞(すゑさだ)・摂津(つの)
判官(はんぐわん)盛澄(もりずみ)・橘(きつ)内左衛門(ないざゑもん)(ないざへもん)季康(すゑやす)・藤(とう)内左衛門(ないざゑもん)(ないざへもん)信康(のぶやす)・
阿波(あはの)民部(みんぶ)重能(しげよし)父子(ふし)、已上(いじやう)卅八人(さんじふはちにん)也(なり)。菊地【*菊池】(きくちの)次郎(じらう)高直(たかなほ)(たかなを)・
原田(はらだの)大夫(たいふ)(たゆふ)P2343種直(たねなほ)(たねなを)は、いくさ【軍】已前(いぜん)より郎等(らうどう)どもあい(あひ)ぐし【具し】
て降人(かうにん)にまいる(まゐる)【参る】。女房(にようばう)には、女院(にようゐん)、北(きた)の政所(まんどころ)、廊(らう)の御方(おんかた)、
大納言佐殿(だいなごんのすけどの)、帥(そつ)のすけどの【典侍殿】、治部卿局(ぢぶきやうのつぼね)已下(いげ)四十三
人(しじふさんにん)とぞきこえ【聞え】し。元暦(げんりやく)二年(にねん)の春(はる)のくれ【暮】、いかなる
P11306
年月(としつき)にて一人(いちじん)海底(かいてい)にしづみ、百官(ひやくくわん)(ひやつくわん)波(なみ)の上(うへ)にう
かぶらん。国母(こくぼ)官女(くわんぢよ)は東夷(とうい)(とうゐ)西戎(せいじゆう)(せいじう)の手(て)にしたがひ【従ひ】、臣
下(しんか)卿相(けいしやう)は数万(すまん)の軍侶【*軍旅】(ぐんりよ)にとら【捕】はされて、旧里(きうり)に帰(かへ)
り給(たま)ひしに、或(あるい)(ある)は朱買臣(しゆばいしん)が錦(にしき)をきざる事(こと)をなげ
き、或(あるい)(ある)は王照君【*王昭君】(わうせうくん)が胡国(ここく)におもむき【赴き】し恨(うらみ)もかくや
とぞかなしみ給(たま)ひける。同(おなじき)四月(しぐわつ)(しんぐわつ)三日(みつかのひ)、九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)
義経(よしつね)、源八(げんぱち)(げんばつ)広綱(ひろつな)をも(ッ)て、院(ゐんの)御所(ごしよ)へ奏聞(そうもん)しけるは、
去(さんぬる)三月(さんぐわつ)廿四日(にじふしにち)、豊前国(ぶせんのくに)田(た)の浦(うら)、門司関(もじがせき)、長門国(ながとのくに)檀[B ノ]
P11307
浦【*壇浦】(だんのうら)、赤間[B ノ]関(あかまのせき)(あかまがせき)にて平家(へいけ)をせめ【攻め】おとし【落し】、三種(さんじゆの)神器(しんぎ)
事(こと)ゆへ(ゆゑ)【故】なく返(かへ)し入(いれ)奉(たてまつ)るよし申(まうし)たりければ、院中(ゐんぢゆう)(ゐんぢう)
の上下(じやうげ)騒動(さうどう)す。広綱(ひろつな)を御坪(おつぼ)のうちへめし【召し】、合戦(かつせん)の
次第(しだい)をくはしう御尋(おんたづね)ありて、御感(ぎよかん)のあまりに
左兵衛尉(さひやうゑのじよう)(さひやうへのぜう)になされけり。「一定(いちぢやう)かへりいら【入ら】せ給(たま)ふか
見(み)てまいれ(まゐれ)【参れ】」とて、五日(いつかのひ)、北面(ほくめん)に候(さうらひ)ける藤判官(とうはんぐわん)信盛(のぶもり)
を西国(さいこく)へさしつかはさる。宿所(しゆくしよ)へもかへらず、やがて
院(ゐん)の御馬(おんむま)を給(たまはつ)て、鞭(むち)をあげ、西(にし)をさいて馳(はせ)くだる。
P11308
同(おなじき)十六日(じふろくにち)、九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)義経(よしつね)、平氏(へいじ)男女(なんによ)[B の]いけどりども【生捕り共】、
あひぐし【具し】てのぼりけるが、播磨国(はりまのくに)明石浦(あかしのうら)にぞつき
にける。名(な)[B を]えたる浦(うら)なれば、ふけゆくままに月(つき)さえ(さへ)
のぼり、秋(あき)の空(そら)にもおとらず。女房達(にようばうたち)さしつどひ【集ひ】
て、「一(ひと)とせ是(これ)をとをり(とほり)【通り】P2344しには、かかるべしとはおもは【思は】ざ
りき」な(ン)ど(など)いひて、しのびね【忍び音】になき【泣き】あはれけり。帥(そつ)の
すけ殿(どの)つくづく月(つき)をながめ給(たま)ひ、いとおもひ【思ひ】のこす【残す】こと
もおはせざりければ、涙(なみだ)にとこ【床】もうく【浮く】ばかりにて、
P11309
かうぞおもひ【思ひ】つづけ給(たま)ふ。
ながむればぬるる【濡るる】たもとにやどり【宿り】けり
月(つき)よ雲井(くもゐ)のものがたりせよ W085
雲(くも)のうへに見(み)しにかはらぬ月影(つきかげ)の
すむ【澄む】につけてもものぞかなしき【悲しき】 W086
大納言佐殿(だいなごんのすけどの)
わが身(み)こそあかしの浦(うら)に旅(たび)ねせめ
おなじ浪(なみ)にもやどる月(つき)かな W087
P11310
「さこそ物(もの)がなしう、昔(むかし)恋(こひ)しうもおはしけめ」と、判
官(はうぐわん)物(もの)のふなれどもなさけあるおのこ(をのこ)【男】なれば、身(み)に
しみてあはれ【哀】にぞおもは【思は】れける。同(おなじき)廿五日(にじふごにち)、内侍
所(ないしどころ)しるしの御箱(みはこ)、鳥羽(とば)につかせ給(たま)ふときこえ【聞え】
しかば、内裏(だいり)より御(おん)むかへ【向へ】にまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ふ人々(ひとびと)、
勘解由小路[* 「勘解由少路」と有るのを他本により訂正](かでのこうぢの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)経房卿(つねふさのきやう)・高倉(たかくらの)宰相(さいしやうの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)
泰通(やすみち)・権(ごんの)右中弁(うちゆうべん)(うちうべん)兼忠(かねただ)・左衛門(さゑもんの)(さへもんの)権佐(ごんのすけ)親雅(ちかまさ)・江
浪[B ノ](えなみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)公時(きんとき)・但馬(たじまの)少将(せうしやう)教能(のりよし)、武士(ぶし)には伊豆(いづの)蔵
P11311
人(くらんど)大夫(たいふ)(たゆふ)頼兼(よりかね)・石川(いしかはの)判官代(はんぐわんだい)能兼(よしかぬ)・左衛門尉(さゑもんのじよう)(さへもんのぜう)有
綱(ありつな)とぞきこえ【聞え】し。其(その)夜(よ)の子(ね)の剋(こく)に、内侍所(ないしどころ)
しるしの御箱(みはこ)太政官(だいじやうぐわん)の庁(ちやう)へいらせ給(たま)ふ。宝
剣(ほうけん)はうせ【失せ】にけり。神璽(しんし)は海上(かいしやう)にうかびたりける
を、片岡(かたをかの)太郎(たらう)経春(つねはる)〔が〕とりあげたてま(ッ)【奉つ】たりける
とぞきこえ【聞え】し。P2345剣(けん)S1112吾(わが)朝(てう)には神代(じんだい)よりつたはれる
霊剣(れいけん)三(みつ)あり。十(と)づか【十握】の剣(けん)、あまのはやきりの
剣(けん)、草(くさ)なぎ【草薙】の剣(けん)是(これ)也(なり)。十(と)づか【十握】の剣(けん)は、大和国(やまとのくに)いその
P11312
かみ【石上】布留[B ノ](ふるの)社(やしろ)におさめ(をさめ)【納め】らる。あまのはやきりの
剣(けん)は、尾張国(をはりのくに)(おはりのくに)熱田(あつた)の宮(みや)にありとかや。草(くさ)なぎ【草薙】
の剣(けん)は内裏(だいり)にあり。今(いま)の宝剣(ほうけん)是(これ)也(なり)。この剣(けん)の
由来(ゆらい)を申(まう)せば、昔(むかし)素戔[B ノ]烏(そさのを)の尊(みこと)、出雲国(いづものくに)曾
我(そが)のさとに宮(みや)づくりし給(たま)ひしに、そのところ【所】に
八(や)いろの雲(くも)常(つね)にたちければ、尊(みこと)これを御(ご)らん【覧】
じて、かくぞ詠(えい)(ゑい)じ給(たま)ひける。
八雲(やぐも)たつ出雲(いづも)八(や)へがき【八重垣】つまごめに
P11313
やへがき【八重垣】つくるその八重(やへ)がき【八重垣】を W088
是(これ)を三十一字(さんじふいちじ)のはじめとす。国(くに)を出雲(いづも)となづ
くる事(こと)も、すなはちこのゆへ(ゆゑ)【故】とぞうけ給(たま)はる【承る】。
むかし、みこと、出雲国(いづものくに)ひの川上(かはかみ)にくだり給(たま)ひし
とき、国津神(くにつのかみ)に足(あし)なづち手(て)なづちとて夫神(をがみ)
婦神(めがみ)おはします。其(その)子(こ)に端正(たんじやう)のむすめあり。
ゐなだ姫(ひめ)(いなだひめ)と号(かう)す。おや子(こ)【親子】三人(さんにん)なき【泣き】ゐたり。みこと
「いかに」ととひ給(たま)へば、こたへ申(まうし)ていはく、P2346「われにむすめ
P11314
八人(はちにん)ありき。みな大蛇(だいじや)のためにのまれぬ。いま
一人(いちにん)のこるところの少女(せうぢよ)、又(また)のまれんとす。件(くだん)の
大蛇(だいじや)は尾(を)(お)かしらともに八(やつ)あり。をのをの(おのおの)【各々】〔八(やつ)のみね〕八(やつ)の谷(たに)には
い(はひ)【這ひ】はびこれり。霊樹(れいじゆ)異木(いぼく)せなかにおひ【生ひ】たり。いく千
年(せんねん)をへたりといふ事(こと)をしら【知ら】ず。まなこは日月(じつげつ)の
光(ひかり)のごとし。年々(ねんねん)に人(ひと)をのむ【飲む】。おや【親】のまるる物(もの)は
子(こ)かなしみ、子(こ)のまるる物(もの)はおやかなしみ、村南(そんなん)村
北(そんぼく)に哭(こく)する声(こゑ)たえず」とぞ申(まうし)ける。みことあは
P11315
れ【哀】におぼしめし【思し召し】、この少女(せうぢよ)をゆつつまぐし【爪櫛】にとり
なし、御(おん)ぐし【髪】にさしかくさ【隠さ】せ給(たま)ひ、八(やつ)の船(ふね)に酒(さけ)
をいれ【入れ】、美女(びぢよ)のすがたをつく(ッ)てたかき【高き】をか【岡】にたつ。
其(その)影(かげ)酒(さけ)にうつれり。大蛇(だいじや)人(ひと)とおも(ッ)て其(その)かげを
あくまでの(ン)で、酔(ゑひ)(えひ)臥(ふし)たりけるを、尊(みこと)はき【佩き】給(たま)へる
十(と)づか【十握】の剣(けん)をぬいて、大蛇(だいじや)をくだくだにきり給(たま)ふ。其(その)
なかに一(ひとつ)の尾(を)(お)にいた(ッ)てきれず。尊(みこと)あやしとお
ぼしめし【思し召し】、たてさまにわ(ッ)て御(ご)らんずれば、一(ひとつ)の霊
P11316
剣(れいけん)あり。是(これ)をと(ッ)て天照大神(てんせうだいじん)にたてまつり給(たま)ふ。
「これはむかし、高間(たかま)の原(はら)にてわがおとし【落し】たりし
剣(けん)なり」とぞのたまひける。大蛇(だいじや)の尾(を)(お)のなかにあり【有り】
ける時(とき)は、村雲(むらくも)つねにおほひ【覆ひ】ければ、あまのむら
雲(くも)の剣(けん)とぞ申(まうし)ける。おほん神(がみ)これをえて、あめ【天】
の宮(みや)の御(み)たからとし給(たま)ふ。豊葦原中津国(とよあしはらなかつくに)の
あるじとして、天孫(あめみま)をくだし奉(たてまつ)り給(たま)ひし時(とき)、
この剣(けん)をも御鏡(みかがみ)にそへてたてまつら【奉ら】せ給(たま)ひ
P11317
けり。第九代(だいくだい)の御門(みかど)開化天皇(かいくわてんわう)の御時(おほんとき)までは、ひ
とつ【一つ】殿(てん)P2347におはしましけるを、第十代(だいじふだい)の御門(みかど)崇神
天皇[B ノ](すじんてんわうの)御宇(ぎよう)に及(およん)(をよん)で、霊威(れいゐ)におそれ【恐れ】て、天照大神(てんせうだいじん)
を大和国(やまとのくに)笠(かさ)ぬい(かさぬひ)【笠縫】の里(さと)、磯(いそ)がきひろきにうつし
たてまつり【奉り】給(たま)ひし時(とき)、この剣(けん)をも天照大神(てんせうだいじん)の社
檀【*社壇】(しやだん)にこめたてまつら【奉ら】せ給(たま)ひけり。其(その)時(とき)剣(けん)を作(つく)
りかへて、御(おん)まもり【守り】とし給(たま)ふ。御霊威(ごれいゐ)もとの剣(けん)に
あひおとらず。あまの村雲(むらくも)の剣(けん)は、崇神天皇(すじんてんわう)より
P11318
景行天皇(けいかうてんわう)まで三代(さんだい)は、天照大神(てんせうだいじん)の社檀【*社壇】(しやだん)にあがめ
をか(おか)【置か】れたりけるを、景行天皇(けいかうてんわう)の御宇(ぎよう)四[B 十]年(しじふねん)六月(ろくぐわつ)
に、東夷(とうい)反逆(ほんぎやく)のあひだ、御子(みこ)日本武尊(やまとたけるのみこと)(ヤマトタケノみこと)御心(みこころ)もかう【剛】
に、御力(おんちから)も人(ひと)にすぐれておはしければ、精撰(せいせん)に
あた(ッ)てあづまへくだり給(たま)ひし時(とき)、天照大神(てんせうだいじん)へま
い(ッ)(まゐつ)【参つ】て御(おん)いとま申(まう)させ給(たま)ひけるに、御(おん)いもうといつ
き【斎】の尊(みこと)をも(ッ)て、「謹(つつしん)でおこたる事(こと)なかれ」とて、
霊剣(れいけん)を尊(みこと)にさづけ申(まうし)給(たま)ふ。さて駿河国(するがのくに)に
P11319
くだり給(たま)ひたりしかば、其(その)ところ【所】の賊徒等(ぞくとら)「この
国(くに)は鹿(しか)のおほう【多う】候(さうらふ)。狩(かり)してあそば【遊ば】せ給(たま)へ」とて、
たばかりいだし【出し】たてまつり【奉り】、野(の)に火(ひ)をはな(ッ)【放つ】て既(すで)に
やきころし【殺し】たてまつら【奉ら】んとしけるに、尊(みこと)はき【佩き】給(たま)
へる霊剣(れいけん)をぬいて草(くさ)をなぎ給(たま)へば、はむけ【刃向】一里(いちり)が
うちは草(くさ)みななが【薙が】れぬ。みこと又(また)火(ひ)をいださ【出さ】れた
りければ、風(かぜ)たちまちに異賊(いぞく)の方(かた)へ吹(ふき)おほひ【覆ひ】、
凶徒(きようど)(けうど)ことごとく【悉く】やけ死(じ)にぬ。それよりしてこそ、
P11320
あまの村雲(むらくも)の剣(けん)をば草(くさ)なぎ【草薙】の剣(けん)とも名(な)づけ
けれ。尊(みこと)猶(なほ)(なを)奥(おく)へい(ッ)【入つ】て、三箇年(さんがねん)があひだところどころ【所々】の
賊徒(ぞくと)をうちたいらげ(たひらげ)【平げ】、国々(くにぐに)の凶P2348党[M 「凶徒」とあり「徒」をミセケチ「党」と傍書](きようたう)(けうたう)をせめ【攻め】したがへ
てのぼらせ給(たま)ひけるが、道(みち)より御悩(ごなう)つかせ給(たま)
ひて、御年(おんとし)卅(さんじふ)と申(まうす)七月(しちぐわつ)に、尾張国(をはりのくに)(おはりのくに)熱田(あつた)の
へん【辺】にてつゐに(つひに)【遂に】かくれ【隠れ】させ給(たま)ひぬ。其(その)たまし
ゐ(たましひ)【魂】はしろき【白き】鳥(とり)とな(ッ)て天(てん)にあがり【上がり】けるこそふし
ぎ【不思議】なれ。いけどり【生捕り】のゑびす(えびす)【夷】どもをば、御子(みこ)たけひこ【武彦】
P11321
のみことをも(ッ)て、御門(みかど)へたてまつら【奉ら】せ給(たま)ふ。草(くさ)
なぎ【草薙】の剣(けん)をば熱田(あつた)の社(やしろ)におさめ(をさめ)【納め】らる。あめの御
門(みかどの)御宇(ぎよう)七年(しちねん)に、新羅(しんら)の沙門(しやもん)道慶(だうぎやう)、この剣(けん)を
ぬすんで吾(わが)国(くに)の宝(たから)とせむとおも(ッ)て、ひそかに船(ふね)に
かくしてゆく程(ほど)に、風波(ふうは)巨動(きよどう)して忽(たちまち)に海底(かいてい)
にしづまんとす。すなはち霊剣(れいけん)のたたりなりと
して、罪(つみ)を謝(しや)して先途(せんど)をとげず、もとのごとく
かへし[* 「かくし」と有るのを高野本により訂正]おさめ(をさめ)【納め】たてまつる【奉る】。しかる【然る】を天武天皇(てんむてんわう)朱
P11322
鳥(しゆてう)元年(ぐわんねん)に、是(これ)をめし【召し】て内裏(だいり)にをか(おか)【置か】る。いまの宝
剣(ほうけん)是(これ)也(なり)。御霊威(ごれいゐ)いちはやうまします。陽成院(やうぜいゐん)
長病(ちやうびやう)にをかされましまして、霊剣(れいけん)をぬかせ給(たま)ひ
ければ、夜(よ)るのおとどひらひらとして電光(でんくわう)にこと
ならず。恐怖(くぶ)のあまりになげすてさせ給(たま)ひけ
れば、みづからはたとな(ッ)【鳴つ】てさやにさされにけり。
上古(しやうこ)にはかうこそめでたかりしか。たとひ二位殿(にゐどの)
腰(こし)にさして海(うみ)にしづみ給(たま)ふとも、たやすう
P11323
うす【失す】べからずとて、すぐれたるあまうど【海人】共(ども)をめ
し【召し】て、かづき【潛き】もとめ【求め】られけるうへ、霊仏(れいぶつ)霊社(れいしや)に
た(ッ)とき僧(そう)をこめ、種々(しゆじゆ)の神宝(じんぼう)をささげていの
り申(まう)されけれども、つゐに(つひに)【遂に】うせにけり。その
時(とき)の有識【*有職】(いうしよく)(ゆうしき)の人々(ひとびと)申(まうし)あはれけるは、「昔(むかし)天照大
神(てんせうだいじん)、百王(はくわう)をまもら【守ら】んP2349と御(おん)ちかひあり【有り】ける、其(その)御(おん)
ちかひいまだあらたまらずして、石清水(いはしみづ)の御(おん)な
がれいまだつきざるうへに、天照大神(てんせうだいじん)の日輪(にちりん)の
P11324
光(ひかり)いまだ地(ち)におち【落ち】させ給(たま)はず。末代(まつだい)澆季(げうき)なり
とも、帝運(ていうん)のきはまる程(ほど)の御事(おんこと)はあらじかし」と
申(まう)されければ、其(その)中(なか)にある博士(はかせ)のかんがへ申(まうし)
けるは、「むかし出雲国(いづものくに)ひの川上(かはかみ)にて、素戔烏(そさのを)の
尊(みこと)にきりころさ【殺さ】れたてまつ(ッ)し大蛇(だいじや)、霊剣(れいけん)を
おしむ(をしむ)【惜しむ】心(こころ)ざしふかくして、八(やつ)のかしら八(やつ)の尾(を)(お)
を表事(へうじ)として、人王(にんわう)八十代(はちじふだい)の後(のち)、八歳(はつさい)の帝(てい)と
な(ッ)て霊剣(れいけん)をとりかへして、海底(かいてい)に沈(しづ)み給(たま)ふ
P11325
にこそ」と申(まう)す。千(ち)いろ(ちひろ)【千尋】の海(うみ)の底(そこ)、神竜(しんりよう)(しんりう)のたからと
なりしかば、ふたたび人間(にんげん)にかへらざるもことはり(ことわり)【理】
とこそおぼえけれ。一門大路渡(いちもんおほちわたし)S1113さる程(ほど)に、二(に)の宮(みや)かへりいら【入ら】せ
給(たま)ふとて、法皇(ほふわう)(ほうわう)より御(おん)むかへ【向へ】に御車(おんくるま)をまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】らる。御心(おんこころ)ならず平家(へいけ)にとられさせ給(たま)ひて、
西海(さいかい)の浪(なみ)の上(うへ)にただよはせ給(たま)ひ、三(み)とせをす
ごさせ給(たま)ひしかば、御母儀(おぼぎ)も御(おん)めのと【傅】持明院(ぢみやうゐん)の
宰相(さいしやう)も御心(おんこころ)ぐるしき事(こと)におもは【思は】れけるに、
P11326
別(べち)の御事(おんこと)なくかへりのぼらせ給(たま)ひたりしかば、
さしつどひてみな悦(よろこ)びなき【泣き】どもせられけり。P2350お
なじき廿六日(にじふろくにち)、平氏(へいじ)のいけどりども【生捕り共】京(きやう)へいる。み
な八葉(はちえふ)(はちえう)の車(くるま)にてぞありける。前後(ぜんご)のすだれ
をあげ、左右(さう)の物見(ものみ)をひらく。大臣殿(おほいとの)は浄衣(じやうえ)(じやうゑ)
をきたまへり。右衛門督(うゑもんのかみ)はしろき【白き】直垂(ひたたれ)にて、車(くるま)
のしりにぞのら【乗ら】れたる。平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)の車(くるま)、おな
じくやりつづく。子息(しそく)讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)時実(ときざね)も、同車(どうしや)
P11327
にてわたるべかりしが、現所労(げんじよらう)とてわたされず。内
蔵頭(くらのかみ)信基(のぶもと)は疵(きず)をかうぶ(ッ)たりしかば、閑道(かんだう)より入(いり)にけり。
大臣殿(おほいとの)、さしも花(はな)やかにきよげ【清気】におはせし人(ひと)の、あら
ぬさまにやせおとろへ給(たま)へり。されども、四方(しはう)見(み)めぐ
らして、いとおもひ【思ひ】しづめる気色(けしき)もおはせず。右衛
門督(うゑもんのかみ)はうつぶして目(め)も見(み)あげ給(たま)はず。誠(まこと)におもひ
いれ【思ひ入れ】たるけしき也(なり)。土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)実平(さねひら)、木蘭地(むくらんぢ)の
直垂(ひたたれ)に小具足(こぐそく)ばかりして、随兵(ずいびやう)卅(さんじふ)余騎(よき)、車(くるま)の
P11328
先後(ぜんご)にうちかこ(ン)【囲ん】で守護(しゆご)し奉(たてまつ)る。見(み)る人(ひと)都(みやこ)の
うちにもかぎらず、凡(およそ)(をよそ)遠国(をんごく)近国(きんごく)、山々(やまやま)寺々(てらでら)より、老(おい)
たるも若(わか)きも、来(き)たりあつまれり。鳥羽(とば)の南(みなみ)の
門(もん)・つくり道(みち)・四基【*四塚】(よつづか)までひしとつづいて、いく千万(せんまん)と
いふかず【数】をしら【知ら】ず。人(ひと)は顧(かへりみ)る事(こと)をえず。車(くるま)は輪(わ)
をめぐらす事(こと)あたはず。治承(ぢしよう)(ぢせう)・養和(やうわ)の飢饉(ききん)、東
国(とうごく)・西国(さいこく)のいくさ【軍】に、人(ひと)だねほろびうせ【失せ】たりといへども、
猶(なほ)(なを)のこりはおほかり【多かり】けりとぞ見(み)えし。都(みやこ)をいで【出で】て
P11329
中(なか)一年(いちねん)、無下(むげ)にまぢかき程(ほど)なれば、めでたかりし
事(こと)もわすれず。さしもおそれ【恐れ】おののき(をののき)し人(ひと)のけ
ふのありさま、夢(ゆめ)うつつともわきかねたり。心(こころ)なき
あやしのしづP2351のお(しづのを)【賎男】、しづのめ【賎女】にいたるまで、涙(なみだ)をなが
し袖(そで)をしぼらぬはなかりけり。ましてなれ【馴れ】ちかづ
き【近付き】ける人々(ひとびと)の、いかばかりの事(こと)をかおもひ【思ひ】けん。
年来(としごろ)重恩(ぢゆうおん)(ぢうをん)をかうぶり、父祖(ふそ)のときより祗侯(しこう)
したりし輩(ともがら)の、さすが身(み)のすてがたさに、おほく【多く】は
P11330
源氏(げんじ)につゐ(つい)【付い】たりしかども、昔(むかし)のよしみ忽(たちまち)にわする【忘る】
べきにもあらねば、さこそはかなしくおもひ【思ひ】けめ。
されば袖(そで)を■(かほ)【*顔】にをし(おし)【押し】あてて、目(め)を見(み)あげぬ物(もの)も
おほかり【多かり】けり。大臣殿(おほいとの)の御牛飼(おんうしかひ)は、木曾(きそ)が院参(ゐんざん)の
時(とき)、車(くるま)やりそんじ【損じ】てきら【斬ら】れにける次郎丸(じらうまる)がおとと【弟】、
三郎丸(さぶらうまる)なり。西国(さいこく)にてはかり【仮】男(をのこ)(おのこ)にな(ッ)たりしが、今(いま)[B 一]度(いちど)
大臣殿(おほいとの)の御車(おんくるま)をつかまつらんとおもふ【思ふ】心(こころ)ざしふかか
り【深かり】ければ、鳥羽(とば)にて判官(はうぐわん)に申(まうし)けるは、「とねり【舎人】牛飼(うしかひ)
P11331
な(ン)ど(など)申(まうす)物(もの)は、いふかひなき下臈(げらふ)(げらう)のはてにて候(さうら)へば、
心(こころ)あるべきでは候(さうら)はねども、年(とし)ごろめし【召し】つかは【使は】れま
いらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうらふ)御心(おんこころ)ざしあさから【浅から】ず。しかる【然る】べう候者(さうらはば)、御(おん)
ゆるされ【許され】をかうぶ(ッ)て、大臣殿(おほいとの)の最後(さいご)の御車(おんくるま)を
つかまつり候(さうらは)ばや」とあながちに申(まうし)ければ、判官(はうぐわん)「子細(しさい)
あるまじ。とうとう【疾う疾う】」とてゆるされける。なのめならず
悦(よろこび)て、尋常(じんじやう)にしやうぞき【装束き】、ふところ【懐】よりやり
縄(なは)【遣縄】とりいだしつけ【付け】かへ、涙(なみだ)にくれてゆくさきも
P11332
見(み)えねども、袖(そで)をかほにをし(おし)【押し】あてて、牛(うし)のゆくに
まかせつつ、なくなく【泣く泣く】や(ッ)てぞまかり【罷り】ける。P2352法皇(ほふわう)(ほうわう)は六条(ろくでう)
東洞院(ひがしのとうゐん)(ひ(ン)がしのとうゐん)に御車(おんくるま)をたてて叡覧(えいらん)(ゑいらん)あり。公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)
の車(くるま)ども、[B 同(おなじ)う]たてならべたり。さしも御身(おんみ)ちかうめし【召し】
つかは【使は】れしかば、法皇(ほふわう)(ほうわう)もさすが御心(おんこころ)よはう(よわう)【弱う】、哀(あはれ)にぞ
おぼしめさ【思し召さ】れける。供奉(ぐぶ)の人々(ひとびと)はただ夢(ゆめ)とのみこそ
思(おも)はれけれ。「いかにもしてあの人(ひと)にめ【目】をもかけられ、
詞(ことば)の末(すゑ)にもかからばやとこそおもひ【思ひ】しかば、かかるべし
P11333
とは誰(たれ)かおもひ【思ひ】し」とて、上下(じやうげ)涙(なみだ)をながしけり。ひと
とせ【一年】内大臣(ないだいじん)にな(ッ)て悦(よろこび)申(まうし)給(たま)ひし時(とき)は、公卿(くぎやう)には
花山院(くわさんのゐん)の大納言(だいなごん)をはじめとして、十二人(じふににん)扈従(こしよう)し
てやりつづけ給(たま)へり。殿上人(てんじやうびと)には蔵人頭(くらんどのとう)親宗(ちかむね)
以下(いげ)十六人(じふろくにん)前駆[* 「前馳」と有るのを高野本により訂正](せんぐ)す。公卿(くぎやう)も殿上人(てんじやうびと)もけふを晴(はれ)と
きらめいてこそありしか。中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)四人(しにん)、三位(さんみの)(さんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)
も三人(さんにん)までおはしき。やがてこの平(へい)大納言(だいなごん)も
其(その)時(とき)は左衛門督(さゑもんのかみ)(さへもんのかみ)にておはしき。御前(ごぜん)へめされ
P11334
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、御引出物(おんひきでもの)給(たま)は(ッ)て、もてなされ給(たま)
ひしありさま、めでたかりし儀式(ぎしき)ぞかし。けふは
月卿(げつけい)雲客(うんかく)一人(いちにん)もしたがはず。おなじく檀【*壇】(だん)の浦(うら)
にていけどり【生捕り】にせられたりし侍(さぶらひ)ども廿(にじふ)余人(よにん)、しろ
き【白き】直垂(ひたたれ)きて、馬(むま)のうへにしめ【締め】つけてぞわたされ
ける。川原(かはら)までわたされて、かへ(ッ)【帰つ】て、大臣殿(おほいとの)父子(ふし)は
九郎(くらうの)判官(はうぐわん)の宿所(しゆくしよ)、六条堀川(ろくでうほりかは)にぞおはしける。
御物(おんもの)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たりしかども、むねせきふさが(ッ)て、
P11335
御(お)はしをだにもたてられず。たがひに物(もの)はの給(たま)はねど
も、目(め)を見(み)あはせて、ひまなく涙(なみだ)P2353をながされけ
り。よるになれども装束(しやうぞく)もくつろげ給(たま)はず、袖(そで)を
かたしゐ(かたしい)【片敷い】てふし【臥し】給(たま)ひたりけるが、御子(おんこ)右衛門督(うゑもんのかみ)(うへもんのかみ)
に御袖(おんそで)をうちきせ給(たま)ふをまもり【守り】たてまつる【奉る】
源八(げんぱつ)兵衛(ひやうゑ)(ひやうへ)・江田(えだの)源三(げんざう)・熊井(くまゐ)太郎(たらう)これをみて、「あは
れたかきもいやしきも、恩愛(おんあい)(をんあい)の道(みち)程(ほど)かなしかり【悲しかり】
ける事(こと)はなし。御袖(おんそで)をきせ奉(たてまつ)りたらば、いく程(ほど)
P11336
の事(こと)あるべきぞ。せめての御心(おんこころ)ざしのふかさ【深さ】かな」
とて、たけき【猛き】物(もの)のふどももみな涙(なみだ)をぞながし
ける。鏡(かがみ)S1114同(おなじき)廿八日(にじふはちにち)、鎌倉(かまくら)の前(さきの)兵衛佐(ひやうゑのすけ)(ひやうへのすけ)頼朝(よりともの)朝臣(あそん)(あつそん)、従二
位(じゆにゐ)し給(たま)ふ。越階(をつかい)とて二階(にかい)をするこそありがたき
朝恩(てうおん)(てうをん)なるに、是(これ)はすでに三階(さんがい)なり。三位(さんみ)(さんゐ)をこそ
し給(たま)ふべかりしかども、平家(へいけ)のし給(たま)ひたりし
をいまう【忌まう】てなり。其(その)夜(よ)の子剋(ねのこく)に、内侍所(ないしどころ)、太政
官(だいじやうぐわん)の庁(ちやう)より温明殿[* 「霊景殿」と有るのを他本により訂正](うんめいでん)へいら【入ら】せ給(たま)ふ。主上(しゆしやう)行幸(ぎやうがう)
P11337
な(ッ)て、三(さん)か夜(よ)臨時(りんじ)の御神楽(みかぐら)あり。右近将監(うこんのしやうげん)小
家(をふ)(ヲフ)の能方(よしかた)、別勅(べつちよく)をうけ給(たま)は(ッ)【承つ】て、家(いへ)につたはれる
弓立宮人(ゆだちみやうど)(ユタチみやうど)といふ神楽(かぐら)の秘曲(ひきよく)をつかま(ッ)て、勧賞(けんじやう)
かうぶりけるこそ目出(めでた)けれ。この歌(うた)〔は〕、祖父(そぶ)八条(はつでうの)判官(はうぐわん)
資忠(すけただ)とい(ッ)し伶人(れいじん)の外(ほか)は、しれ【知れ】るもP2354のなし。あまり
に秘(ひ)して子(こ)の親方(ちかかた)にはをしへ【教へ】ずして、堀川【*堀河】
天皇(ほりかはてんわう)御在位(ございゐ)の時(とき)つたへ【伝へ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て死去(しきよ)したり
しを、君(きみ)親方(ちかかた)にをしへ【教へ】させ給(たま)ひけり。道(みち)をう
P11338
しなは【失は】じとおぼしめす【思し召す】御心(おんこころ)ざし、感涙(かんるい)おさへ難(がた)
し。抑(そもそも)内侍所(ないしどころ)と申(まうす)は、昔(むかし)天照大神(てんせうだいじん)、天(あま)の岩戸(いはと)に閉(とぢ)
こもらんとせさせ給(たま)ひし時(とき)、いかにもして我(わが)御(おん)かた
ちをうつしをき(おき)て、御子孫(ごしそん)に見(み)せ奉(たてまつ)らんとて、
御鏡(みかがみ)をゐ(い)【鋳】給(たま)へり。是(これ)なを(なほ)【猶】御心(みこころ)にあはずとて、又(また)
鋳(い)かへさ【返さ】せ給(たま)ひけり。さきの御鏡(みかがみ)は紀伊国(きいのくに)日前(にちぜん)
国懸(こくけん)の社(やしろ)是(これ)也(なり)。後(のち)の御鏡(みかがみ)は御子(みこ)あまのにいほみ【天忍穂耳】の
尊(みこと)にさづけまいらせ(まゐらせ)【参らせ】させ給(たま)ひて、「殿(てん)をおなじう
P11339
してすみ給(たま)へ」とぞ仰(おほせ)ける。さて天照大神(てんせうだいじん)、天(あま)の
岩戸(いはと)にとぢこもらせ給(たま)ひて、天下(てんが)くらやみと
な(ッ)たりしに、八百万代(やほよろづよ)の神(かみ)たち神(かみ)あつまり【集まり】に
あつま(ッ)【集まつ】て、岩戸(いはと)の口(くち)にて御神楽(みかぐら)をし給(たま)ひけれ
ば、天照大神(てんせうだいじん)感(かん)にたえ(たへ)【堪へ】させ給(たま)はず、岩戸(いはと)をほそめ【細目】に
ひらき見(み)給(たま)ふに、互(たがひ)にかほ【顔】のしろく【白く】見(み)えけるより
面白(おもしろ)といふ詞(ことば)ははじまりけるとぞうけ給(たま)はる【承る】。その
時(とき)こやねたぢからを【児屋根手力雄】といふ大(だい)ぢからの神(かみ)よ(ッ)て、ゑい(えい)と
P11340
いひてあけ給(たま)ひしよりしてたて[* 「たれ」と有るのを高野本により訂正]【閉て】られずといへり。さて
内侍所(ないしどころ)は[* 「に」と有るのを高野本により訂正]、第九代(だいくだい)の御門(みかど)開化天皇(かいくわてんわう)の御時(おんとき)まで
はひとつ【一つ】殿(てん)におはしましけるを、第十代(だいじふだい)の御門(みかど)崇
神天皇(すじんてんわう)の御宇(ぎよう)に及(およん)(をよん)で、霊威(れいゐ)におそれ【恐れ】て、別(べつ)の
殿(てん)へうつし【移し】たてまつらせ給(たま)ふ。近来(ちかごろ)は温明殿[* 「霊景殿」と有るのを他本により訂正](うんめいでん)に
おはします。遷都(せんと)・遷幸(せんがう)の後(のち)百六十年(ひやくろくじふねん)をへて、P2355
村上天皇(むらかみてんわう)の御宇(ぎよう)、天徳(てんとく)四年(しねん)九月(くぐわつ)廿三日(にじふさんにち)の子剋(ねのこく)に、
内裏(だいり)なかのへ【中重】にはじめて焼亡(ぜうまう)ありき。火(ひ)は左衛門(さゑもん)(さへもん)
P11341
の陣(ぢん)よりいで【出で】き【来】たりければ、内侍所(ないしどころ)のおはします
温明殿[* 「霊景殿」と有るのを他本により訂正](うんめいでん)も程(ほど)ちかし。如法(によほふ)(によほう)夜半(やはん)の事(こと)なれば、内
侍(ないし)も女官(によくわん)もまいり(まゐり)【参り】あはずして、かしこ所(どころ)【賢所】をいだ
し奉(たてまつ)るにも及(およ)(をよ)ばず。小野宮殿(をののみやどの)いそぎまいら(まゐら)【参ら】せ
給(たま)ひて、「内侍所(ないしどころ)すでにやけさせ給(たま)ひぬ。世(よ)はいまは
かうごさんなれ」とて御涙(おんなみだ)をながさせ給(たま)ふ程(ほど)に、内侍
所(ないしどころ)はみづから炎(ほのほ)(ほのを)の中(なか)をとびいでさせ給(たま)ひ、南
殿(なんでん)の桜(さくら)の梢(こずゑ)にかからせおはしまし、光明(くわうみやう)かく
P11342
やく【赫奕】として、朝(あさ)の日(ひ)の山(やま)の端(は)をいづる【出づる】にことならず。
其(その)時(とき)小野宮殿(をののみやどの)「世(よ)はいまだうせ【失せ】ざりけり」とおぼし
めす【思し召す】に、よろこびの御涙(おんなみだ)せきあへさせ給(たま)はず、右(みぎ)の
御(おん)ひざをつき、左(ひだり)の御袖(おんそで)をひろげて、泣々(なくなく)申(まう)させ
給(たま)ひけるは、「昔(むかし)天照大神(てんせうだいじん)百王(はくわう)をまもら【守ら】んと御(おん)ち
かひあり【有り】ける、其(その)御誓(おんちかひ)(ごちかひ)いまだあらたまらずは、神
鏡(しんきやう)実頼(さねより)が袖(そで)にやどらせ給(たま)へ」と申(まう)させ給(たま)ふ御
詞(おんことば)のいまだをはらざるさきに、飛(とび)うつらせ給(たま)ひ
P11343
けり。すなはち御袖(おんそで)につつんで、太政官(だいじやうぐわん)の朝所(あいだんどころ)(アイタントコロ)へ
わたしたてまつらせ給(たま)ふ。近来(ちかごろ)は温明殿[* 「霊景殿」と有るのを他本により訂正](うんめいでん)におはし
ます。この世(よ)にはうけ【受け】とり【取り】奉(たてまつ)らんとおもひよる人(ひと)も
誰(たれ)かはあるべき。神鏡(しんきやう)も又(また)やどらせ給(たま)ふべからず。
上代(じやうだい)こそ猶(なほ)(なを)も目出(めでた)けれ。P2356文之沙汰(ふみのさた)S1115平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)父子(ふし)も、
九郎(くらう)判官(はうぐわん)の宿所(しゆくしよ)ちかうぞおはしける。世(よ)の中(なか)
のかくなりぬるうへは、とてもかうてもとこそおも
は【思は】るべきに、大納言(だいなごん)猶(なほ)(なを)命(いのち)おしう(をしう)【惜しう】やおもは【思は】れけん、
P11344
子息(しそく)讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)をまねひ(まねい)【招い】て、「ちらす【散らす】まじきふみ
ども【文共】を一合(いちがふ)(いちがう)、判官(はうぐわん)にとられてあるぞとよ。是(これ)を鎌倉(かまくら)
の源二位(げんにゐ)に見(み)えなば、人(ひと)もおほく【多く】損(そん)じ、我(わが)身(み)も命(いのち)
いけらるまじ。いかがせんずる」との給(たま)へば、中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)申(まう)
されけるは、「判官(はうぐわん)はおほ方(かた)【大方】もなさけある物(もの)にて候(さうらふ)
なるうへ、女房(にようばう)な(ン)ど(など)のうちたへ(うちたえ)【うち絶え】なげく【歎く】事(こと)をば、いか
なる大事(だいじ)をももてはなれ【離れ】ぬとうけ給(たまはり)【承り】候(さうらふ)。
何(なに)かくるしう【苦しう】候(さうらふ)べき。姫君達(ひめぎみたち)あまたましまし候(さうら)へば、
P11345
一人(いちにん)見(み)せさせ給(たま)ひ、したしうならせおはしまして
後(のち)、仰(おほせ)らるべうや候(さうらふ)らん」。大納言(だいなごん)涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、
「我(われ)世(よ)にありし時(とき)は、むすめどもをば女御(にようご)きさきと
こそおもひ【思ひ】しか。なみなみの人(ひと)に見(み)せんとはかけても
おもは【思は】ざりし物(もの)を」とてなか【泣か】れければ、中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)「今(いま)は其(その)
事(こと)ゆめゆめおぼしめし【思し召し】よらせ給(たま)ふべからず。たう
ほく【当腹】の姫君(ひめぎみ)の十八(じふはち)になり給(たま)ふを」と申(まう)されけれども、
大納言(だいなごん)それをば猶(なほ)(なを)かなしき【悲しき】事(こと)におぼして、さきの
P11346
腹(はら)の姫君(ひめぎみ)の廿三(にじふさん)になり給(たま)ふをぞ、判官(はうぐわん)には見(み)せ
られける。是(これ)も年(とし)こそすこし【少し】おとなしうおは
しP2357けれども、みめかたちうつくしう、心様(こころざま)ゆう(いう)【優】に
おはしければ、判官(はうぐわん)さりがたうおもひ【思ひ】たてま(ッ)【奉つ】て、
もとのうへ川越【*河越】(かはごえの)太郎(たらう)重頼(しげより)がむすめもありし
かども、是(これ)をば別(べち)の方(かた)尋常(よのつね)にしつらうてもて
なしけり。さて女房(にようばう)件(くだん)のふみの事(こと)をの給(たま)ひいだし【出し】
たりければ、判官(はうぐわん)あま(ッ)さへ(あまつさへ)【剰へ】封(ふう)をもとかず、いそぎ時
P11347
忠卿(ときただのきやう)のもとへをくら(おくら)【送ら】れけり。大納言(だいなごん)なのめならず
悦(よろこび)て、やがてやき【焼き】ぞすてられける。いかなるふみ
ども【文共】にてかあり【有り】けん、をぼつかなう(おぼつかなう)ぞきこえ【聞え】し。平
家(へいけ)ほろびて、いつしか国々(くにぐに)しづまり、人(ひと)のかよふも
煩(わづらひ)なし。都(みやこ)もおだしかり【穏しかり】ければ、「ただ九郎(くらう)判官(はうぐわん)程(ほど)
の人(ひと)はなし。鎌倉(かまくら)の源二位(げんにゐ)何事(なにごと)をかしいだしたる。
世(よ)は一向(いつかう)判官(はうぐわん)のままにてあらばや」な(ン)ど(など)いふ事(こと)を、
源二位(げんにゐ)もれ【漏れ】きい【聞い】て、「こはいかに、頼朝(よりとも)がよくはからひて
P11348
兵(つはもの)をさしのぼすればこそ、平家(へいけ)はたやすうほろ
びたれ。九郎(くらう)ばかりしては争(いかで)か世(よ)をしづむべき。
人(ひと)のかくいふにおご(ッ)【奢つ】ていつしか世(よ)を我(わが)ままにしたる
にこそ。人(ひと)こそおほけれ【多けれ】、平(へい)大納言(だいなごん)の聟(むこ)にな(ッ)て、大
納言(だいなごん)も(ッ)てあつかう(あつかふ)なるもうけられず。又(また)世(よ)にもはば
からず、大納言(だいなごん)の聟(むこ)どりいはれなし。くだ(ッ)ても定(さだめ)て
過分(くわぶん)の振舞(ふるまひ)せんずらん」とぞの給(たま)ひける。P2358副将被斬(ふくしやうきられ)S1116同(おなじき)五月(ごぐわつ)
七日(なぬかのひ)、九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)、平氏(へいじ)のいけどりども【生捕り共】あひぐし【具し】て、
P11349
関東(くわんとう)へ下向(げかう)ときこえ【聞え】しかば、大臣殿(おほいとの)判官(はうぐわん)のもとへ
使者(ししや)をたてて、「明日(みやうにち)関東(くわんとう)へ下向(げかう)とうけ給(たまはり)候(さうらふ)。恩愛(おんあい)(をんあい)
の道(みち)はおもひ【思ひ】きられぬ事(こと)にて候(さうらふ)也(なり)。いけどり【生捕り】のう
ちに八歳(はつさい)の童(わらは)とつけられて候(さうらひ)しものは、いまだ此(この)
世(よ)に候(さうらふ)やらん。今(いま)一度(いちど)見(み)候(さうらは)ばや」とのたまひつかはさ【遣さ】
れたりければ、判官(はうぐわん)の返事(へんじ)には、「誰(たれ)も恩愛(おんあい)(をんあい)はお
もひ【思ひ】きられぬ事(こと)にて候(さうら)へば、誠(まこと)にさこそおぼし
めさ【思し召さ】れ候(さうらふ)らめ」とて、河越(かはごえの)小太郎(こたらう)重房(しげふさ)があづかりたて
P11350
ま(ッ)【奉つ】たりけるを、大臣殿(おほいとの)の〔許(もと)へ〕若君(わかぎみ)いれ【入れ】たてまつる【奉る】
べきよしの給(たま)ひければ、人(ひと)に車(くるま)か(ッ)てのせ【乗せ】たてま
つり【奉り】、女房(にようばう)二人(ににん)つきたてまつり【奉り】しも、ひとつ【一つ】車(くるま)に
のりぐし【具し】て、大臣殿(おほいとの)へぞまいら(まゐら)【参ら】れける。わか公(ぎみ)【若君】ははる
かに父(ちち)を見(み)奉(たてまつ)り給(たまひ)て、よにうれしげにおぼしたり。
「いかに是(これ)へ」との給(たま)へば、やがて御(おん)ひざのうへにまいり(まゐり)【参り】
給(たま)ふ。大臣殿(おほいとの)、若公(わかぎみ)【若君】の御(おん)ぐしをかきなで、涙(なみだ)をはらはらと
ながひ(ながい)【流い】て、守護(しゆご)の武士(ぶし)どもにのたまひ【宣ひ】けるは、「是(これ)は
P11351
をのをの(おのおの)【各々】きき給(たま)へ。母(はは)もなき物(もの)にてあるぞとよ。此(この)子(こ)が
はは【母】は是(これ)をうむとて、産(さん)をばたいらか(たひらか)【平か】にしたりし
かども、やがてうちふし【臥し】てなやみしが、「いかなる人(ひと)の
腹(はら)に公達(きんだち)をまうけ給(たま)ふとも、おもひ【思ひ】P2359かへずして
そだて【育て】て、わらはが形見(かたみ)に御(ご)らんぜよ。さしはな(ッ)【放つ】て、
めのと【乳母】な(ン)ど(など)のもとへつかはす【遣す】な」といひしことが不便(ふびん)さ
に、あの右衛門督(うゑもんのかみ)(うへもんのかみ)をば、朝敵(てうてき)をたいらげ(たひらげ)【平げ】ん時(とき)は
大将軍(たいしやうぐん)せさせ、これをば副将軍(ふくしやうぐん)せさせんずれ
P11352
ばとて、名(な)を副将(ふくしやう)とつけたりしかば、なのめならず
うれしげにおもひ【思ひ】て、すでにかぎりの時(とき)までも
名(な)をよびな(ン)ど(など)してあひせ(あいせ)【愛せ】しが、なぬか【七日】といふにはか
なく【果敢く】なりてあるぞとよ。此(この)子(こ)を見(み)るたびごとには、
その事(こと)がわすれがたくおぼゆる【覚ゆる】なり」とて涙(なみだ)もせき
あへ給(たま)はねば、守護(しゆご)の武士(ぶし)どももみな袖(そで)をぞし
ぼりける。右衛門督(うゑもんのかみ)(うへもんのかみ)も泣(なき)給(たま)へば、めのとも袖(そで)をし
ぼりけり。良(やや)久(ひさ)しうあ(ッ)て大臣殿(おほいとの)「さらば副将(ふくしやう)、
P11353
とく【疾く】かへれ、うれしうも見(み)つ」との給(たま)へども、若公(わかぎみ)【若君】
かへり給(たま)はず。右衛門(うゑもんの)督(かみ)これを見(み)て、涙(なみだ)ををさへ(おさへ)
ての給(たま)ひけるは、「やや副将(ふくしやう)御(ご)ぜ、こよひはとくとく帰(かへ)れ。
ただいまま〔ら〕う人(と)【客人】のこ【来】うずるぞ。あしたはいそぎまい
れ(まゐれ)【参れ】」との給(たま)へども、父(ちち)の御浄衣(おんじやうえ)(おんじやうゑ)の袖(そで)にひしととり
ついて、「いなや、かへらじ」とこそなき【泣き】給(たま)へ。かくてはる
かに程(ほど)ふれば、日(ひ)もやうやう暮(くれ)にけり。さてしもある
べき事(こと)ならねば、めのとの女房(にようばう)いだきと(ッ)て、御
P11354
車(おんくるま)にのせ【乗せ】奉(たてまつ)り、二人(ににん)の女房(にようばう)どもも袖(そで)を■(かほ)【*顔】に
をし(おし)【押し】あてて、泣々(なくなく)いとま申(まうし)つつ、ともにの(ッ)【乗つ】てぞいで【出で】
にける。大臣殿(おほいとの)はうしろをはるかに御覧(ごらん)じを
く(ッ)(おくつ)【送つ】て、「日来(ひごろ)の恋(こひ)しさは事(こと)のかずならず」とぞか
なしみ給(たま)ふ。「このP2360わか公(ぎみ)【若君】は、母(はは)のゆひごん(ゆいごん)【遺言】がむざん【無慙】な
れば」とて、めのとのもとへもつかはさ【遣さ】ず、あさゆふ御(おん)
まへにてそだて【育て】給(たま)ふ。三歳(さんざい)にてうゐかぶり(うひかうぶり)【初冠】きせて、
義宗(よしむね)とぞなのら【名乗ら】せける。やうやうおい(おひ)【生ひ】たち【立ち】給(たま)ふままに、
P11355
みめかたちうつくしく、心(こころ)ざまゆう(いう)【優】におはしけれ
ば、大臣殿(おほいとの)もかなしう【悲しう】いとをしき(いとほしき)事(こと)におぼして、
西海(さいかい)の旅(たび)の空(そら)、浪(なみ)のうへ、船(ふね)のうちのすまひ【住ひ】にも、
かた時(とき)もはなれ給(たま)はず。しかる【然る】をいくさ【軍】やぶれて
後(のち)は、けふぞたがひ【互】にみ【見】給(たま)ひける。河越(かはごえの)小太郎(こたらう)、判官(はうぐわん)
の御(おん)まへにまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「さてわか公(ぎみ)【若君】の御事(おんこと)をばなにと御(おん)
ぱからひ候(さうらふ)やらん」と申(まうし)ければ、「鎌倉(かまくら)までぐし【具し】たて
まつる【奉る】に及(およ)(をよ)ばず。なんぢともかうも是(これ)であひはか
P11356
らへ」とぞの給(たま)ひける。河越(かはごえの)小太郎(こたらう)二人(ににん)の女房(にようばう)どもに
申(まうし)けるは、「大臣殿(おほいとの)は鎌倉(かまくら)へ御(おん)くだり候(さうらふ)が、わか公(ぎみ)【若君】は京(きやう)に
御(おん)とどまりあるべきにて候(さうらふ)。重房(しげふさ)もまかり【罷り】下(くだり)候(さうらふ)あ
ひだ、おかた(をかた)【緒方】の三郎(さぶらう)惟義(これよし)が手(て)へわたし奉(たてまつ)るべきに
て候(さうらふ)。とうとうめさ【召さ】れ候(さうら)へ」とて、御車(おんくるま)よせたりければ、
わか公(ぎみ)【若君】なに心(ごころ)【何心】もなうのり【乗り】給(たま)ひぬ。「又(また)昨日(きのふ)のやうに
父(ちち)御前(ごぜん)の御(おん)もとへか」とてよろこば【喜ば】れけるこそ
はかなけれ。六条(ろくでう)を東(ひがし)(ひ(ン)がし)へや(ッ)てゆく。この女房(にようばう)ども
P11357
「あはやあやしき物(もの)かな」と、きも魂(たましひ)(たましゐ)をけち【消ち】て思(おもひ)ける
程(ほど)に、すこし【少し】ひきさが(ッ)て、兵(つはもの)五六十騎(ごろくじつき)が程(ほど)河原(かはら)へ
うちいでたり。やがて車(くるま)をやりとどめ【留め】て敷皮(しきがは)し
き、「おりさせ給(たま)へ」と申(まうし)けP2361れば、わか公(ぎみ)【若君】車(くるま)よりおり
給(たま)ひぬ。よにあやしげにおぼして、「我(われ)をばいづちへ
ぐし【具し】てゆかんとするぞ」ととひ給(たま)へば、二人(ににん)の女房(にようばう)ども
とかうの返事(へんじ)にも及(およ)(をよ)ばず。重房(しげふさ)が郎等(らうどう)太刀(たち)を
ひきそばめて、左(ひだり)の方(かた)より御(おん)うしろに立(たち)ま
P11358
はり、すでにきりたてまつら【奉ら】んとしけるを、わか公(ぎみ)【若君】見(み)
つけ給(たまひ)て、いく程(ほど)のがる【逃る】べき事(こと)のやうに、いそぎ
めのと【乳母】のふところ【懐】のうちへぞ入(いり)給(たま)ふ。さすが心(こころ)づよう
とりいだし奉(たてまつ)るにも及(およ)(をよ)ばねば、わか公(ぎみ)【若君】をかかへたて
まつり【奉り】、人(ひと)のきく【聞く】をもはばからず、天(てん)にあふぎ地(ち)に
ふしておめき(をめき)【喚き】さけみける心(こころ)のうち、をしはから(おしはから)【推し量ら】れ
て哀(あはれ)也(なり)。かくて時剋(じこく)はるかにをし(おし)【押し】うつりければ、
川越【*河越】(かはごえの)小太郎(こたらう)重房(しげふさ)涙(なみだ)ををさへ(おさへ)て、「いまはいかにおぼ
P11359
しめされ〔候(さうらふ)〕とも、かなは【叶は】せ給(たまひ)候(さうらふ)まじ。とうとう」と申(まうし)け
れば、其(その)時(とき)めのと【乳母】のふところ【懐】のうちよりひきいだし
奉(たてまつ)り、腰(こし)の刀(かたな)にてをし(おし)【押し】ふせ【伏せ】て、つゐに(つひに)【遂に】頸(くび)をぞ
かいて(ン)げる。たけき【猛き】物(もの)のふどももさすが岩木(いはき)なら
ねば、みな涙(なみだ)をながしけり。頸(くび)をば判官(はうぐわん)のげ(ン)ざん(げんざん)【見参】に
いれ【入れ】んとて取(とり)てゆく。めのとの女房(にようばう)かちはだしにて
を(ッ)(おつ)【追つ】つゐ(つい)【付い】て、「なにかくるしう【苦しう】候(さうらふ)べき。御頸(おんくび)ばかりをば
給(たま)は(ッ)て、後世(ごせ)をとぶらひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん」と申(まう)せば、判
P11360
官(はうぐわん)よにあはれ【哀】げにおもひ【思ひ】、涙(なみだ)をはらはらとながい【流い】て、
「まこと【誠】にさこそはおもひ【思ひ】給(たま)ふらめ。も(ッ)ともさるべし。
とうとう」とてたびにけり。是(これ)をと(ッ)てふところ【懐】にいれ【入れ】て、
なくなく【泣く泣く】京(きやう)の方(かた)へ帰(かへ)るとぞ見(み)えし。其(その)P2362後(のち)五六日(ごろくにち)
して、桂川(かつらがは)に女房(にようばう)二人(ににん)身(み)をなげたる事(こと)あり【有り】けり。
一人(いちにん)おさなき(をさなき)【幼き】人(ひと)の頸(くび)をふところ【懐】にいだひ(いだい)【抱い】てしづ
みたりけるは、此(この)わか公(ぎみ)【若君】のめのとの女房(にようばう)にてぞあり
ける。いま一人(いちにん)むくろをいだひ(いだい)【抱い】たりけるは、介惜(かいしやく)【介錯】の
P11361
女房(にようばう)なり。めのとがおもひ【思ひ】きる【切る】はせめていかがせん、かい
しやく【介錯】の女房(にようばう)さへ身(み)をなげけるこそありがた
けれ。腰越(こしごえ)S1117さる程(ほど)に、大臣殿(おほいとの)は九郎(くらう)大夫[B ノ](たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)にぐせ【具せ】られ
て、七日(なぬか)のあかつき、粟田口(あはたぐち)をすぎ給(たま)へば、大内山(おほうちやま)、雲
井(くもゐ)のよそにへだたりぬ。関(せき)の清水(しみづ)を見(み)給(たまひ)ても、
なくなく【泣く泣く】かうぞ詠(えい)(ゑい)じ給(たま)ひける。
都(みやこ)をばけふをかぎりの関水(せきみづ)に
又(また)あふ坂(さか)【逢坂】のかげやうつさ【映さ】む W089
P11362
道(みち)すがらもあまりに心(こころ)ぼそげにおぼしければ、判
官(はうぐわん)なさけある人(ひと)にて、やうやうになぐさめ奉(たてまつ)る。「あひ
かまへて今度(こんど)の命(いのち)をたすけ【助け】てたべ」との給(たま)ひけ
れば、「遠(とほ)き国(くに)、はるかの島(しま)へもうつし[B ぞ]まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はん
ずらん。御命(おんいのち)うしなひ【失ひ】奉(たてまつ)るまではよも候(さうら)はじ。
たとひさるとも、義経(よしつね)が勲功(くんこう)の賞(しやう)に申(まうし)かへて、
御命(おんいのち)ばかP2363りはたすけ【助け】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)べし。御心(おんこころ)やすく
おぼしめさ【思し召さ】れ候(さうら)へ」と、たのもしげ【頼もし気】に申(まう)され〔けれ〕ば、「たとひ
P11363
ゑぞ(えぞ)【蝦夷】が千島(ちしま)なりとも、甲斐(かひ)なき命(いのち)だにあらば」と
の給(たま)ひけるこそ口惜(くちをし)(くちおし)けれ。日数(ひかず)ふれば、同(おなじき)廿四日(にじふしにち)(にじふよつか)、鎌
倉(かまくら)へくだりつき給(たま)ふ。梶原(かぢはら)さきだ(ッ)て鎌倉殿(かまくらどの)
に申(まうし)けるは、「日本国(につぽんごく)は今(いま)はのこるところ【所】なうした
がひたてまつり【奉り】候(さうらふ)。ただし御弟(おんおとと)九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官
殿(はうぐわんどの)こそ、つゐ(つひ)の御敵(おんかたき)とは見(み)えさせ給(たまひ)候(さうら)へ。その
ゆへ(ゆゑ)【故】は、「一(いち)の谷(たに)をうへの山(やま)よりおとさ【落さ】ずは、東西(とうざい)の
木戸口(きどぐち)やぶれがたし。いけどり【生捕り】も死(し)にどりも
P11364
義経(よしつね)にこそ見(み)すべきに、物(もの)のよう【用】にもあひ給(たま)
はぬ蒲殿(かばどの)の方(かた)へ見参(げんざん)に入(いる)べき様(やう)やある。
本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)こなたへたば【賜ば】じと候(さうらは)ば、まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て給(たま)
はるべし」とて、すでにいくさ【軍】いで【出で】き【来】候(さうら)はんとし
候(さうらひ)しを、景時(かげとき)が土肥(とひ)(とい)に心(こころ)をあはせて、三位(さんみの)(さんゐの)中将
殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)を土肥(とひの)(といの)次郎(じらう)にあづけて後(のち)こそしづまり
給(たまひ)て候(さうらひ)しか」とかたり申(まうし)ければ、鎌倉殿(かまくらどの)うち
うなづいて、「けふ九郎(くらう)が鎌倉(かまくら)へいる【入る】なるに、おのおの
P11365
用意(ようい)し給(たま)へ」と仰(おほせ)られければ、大名(だいみやう)小名(せうみやう)馳(はせ)あつ
ま(ッ)【集まつ】て、程(ほど)なく数千騎(すせんぎ)になりにけり。金洗沢(かねあらひざは)に
関(せき)すへ(すゑ)【据ゑ】て、大臣殿(おほいとの)父子(ふし)うけ【受け】とり【取り】たてま(ッ)【奉つ】て、判官(はうぐわん)
をば腰(こし)ごえ【腰越】へお(ッ)【追つ】かへさ【返さ】る。鎌倉殿(かまくらどの)は随兵(ずいびやう)七重(ななへ)(ななえ)八重(やへ)(やえ)
にすへ(すゑ)【据ゑ】をい(おい)て、我(わが)身(み)は其(その)中(うち)におはしましながら
「九郎(くらう)はこのたたみ【畳】のしたよりはひ【這ひ】いでんずる
ものなり。ただし頼朝(よりとも)はせらP2364るまじ」とぞの給(たまひ)
ける。判官(はうぐわん)おもは【思は】れけるは、「こぞの正月(しやうぐわつ)、木曾(きそ)義
P11366
仲(よしなか)を追討(ついたう)(つゐたう)せしよりこのかた、一(いち)の谷(たに)・檀【*壇】(だん)の浦(うら)に
いたるまで、命(いのち)をすてて平家(へいけ)をせめ【攻め】おとし、内
侍所(ないしどころ)しるしの御箱(みはこ)事(こと)ゆへ(ゆゑ)【故】なく返(かへ)しいれ【入れ】
たてまつり【奉り】、大将軍(たいしやうぐん)父子(ふし)いけどり【生捕り】にして、ぐし【具し】
て是(これ)まで下(くだ)りたらんには、たとひいかなるふし
ぎ【不思議】ありとも、一度(いちど)はなどか対面(たいめん)なかるべき。凡(およそ)(をよそ)は九
国(くこく)の惣追補使【*惣追捕使】(そうづいぶし)(そうづゐぶし)にもなされ、山陰(せんいん)(せんゐん)・山陽(せんやう)・南海道(なんかいだう)、い
づれにてもあづけ、一方(いつぱう)のかためともなされんずると
P11367
こそおもひ【思ひ】つるに、わづかに伊与【*伊予】国(いよのくに)ばかりを知行(ちぎやう)
すべきよし仰(おほせ)られて、鎌倉(かまくら)へだにも入(いれ)られぬ
こそほいなけれ。さればこは何事(なにごと)ぞ。日本国(につぽんごく)を
しづむる事(こと)、義仲(よしなか)・義経(よしつね)がしわざにあらずや。
たとへばおなじ父(ちち)が子(こ)で、先(さき)にむまるる【生るる】を兄(あに)とし、
後(のち)にむまるる【生るる】を弟(おとと)とするばかり也(なり)。誰(たれ)か天下(てんが)を
しら【知ら】んにしら【知ら】ざるべき。あま(ッ)さへ(あまつさへ)【剰へ】今度(こんど)見参(げんざん)(げ(ン)ざん)を
だにもとげずして、をい(おひ)【追ひ】のぼせ【上せ】らるるこそ遺恨(ゐこん)(いこん)
P11368
の次第(しだい)なれ。謝(しや)するところ【所】をしらず」とつぶや
かれ[B けれ]ども、ちからなし。ま(ッ)たく不忠(ふちゆう)(ふちう)なきよし、たびたび
起請文(きしやうもん)をも(ッ)て申(まう)されけれども、景時(かげとき)が讒言(ざんげん)に
よ(ッ)て、鎌倉殿(かまくらどの)もちゐ給(たま)はねば、判官(はうぐわん)泣々(なくなく)一通(いつつう)の
状(じやう)(でう)をかいて、広基(ひろもと)のもとへつかはす【遣す】。
源(みなもとの)義経(よしつね)恐(おそれ)ながら申上(まうしあげ)候(さうらふ)意趣(いしゆ)者(は)、御代官(おんだいくわん)の其(その)
一(ひとつ)に撰(えら)ばれ、勅宣(ちよくせん)の御使(おんつかひ)として、朝敵(てうてき)をかたむ
け、会稽(くわいけい)の恥辱(ちじよく)をすすぐ。勲賞(くんしやう)おこなはる
P11369
べき処(ところ)に、虎P2365口(ここう)の讒言(ざんげん)によ(ッ)てむなしく紅涙(こうるい)
にしづむ。讒者(ざんしや)の実否(じつぷ)をただされず、鎌倉中(かまくらぢゆう)(かまくらぢう)
へ入(いれ)られざる間(あひだ)(あいだ)、素意(そい)をのぶるにあたはず、い
たづらに数日(すじつ)ををくる(おくる)【送る】。此(この)時(とき)にあた(ッ)てながく恩
顔(おんがん)(をんがん)を拝(はい)したてまつら【奉ら】ず(ン)〔ば〕、骨肉(こつにく)同胞(どうはう)(どうほう)の義(ぎ)す
でにたえ【絶え】、宿運(しゆくうん)きはめてむなしき【空しき】にに【似】たるか、将又(はたまた)
先世(ぜんぜ)の業因(ごふいん)(ごうゐん)の感(かん)ずる歟(か)。悲(かなしき)哉(かな)、此(この)条(でう)、故(こ)亡父(ばうぶ)
尊霊(そんれい)再誕(さいたん)し給(たま)はずは、誰(たれ)の人(ひと)か愚意(ぐい)の悲歎(ひたん)
P11370
を申(まうし)ひらかん、いづれの人(ひと)か哀憐(あいれん)をたれられん
や。事(こと)あたらしき申状(まうしじやう)(まうしでう)、述懐(しゆつくわい)に似(に)たりといへども、
義経(よしつね)身体(しんだい)髪膚(はつぷ)を父母(ふぼ)にうけて、いくばくの
時節(じせつ)をへず故(こ)守殿(かうのとの)御他界(ごたかい)の間(あひだ)(あいだ)、みなし
子(ご)となり、母(はは)の懐(ふところ)のうちにいだかれて、大和国(やまとのくに)宇
多郡(うだのこほり)におもむき【赴き】しよりこのかた、[B いまだ]一日(いちにち)片時(へんし)
安堵(あんど)のおもひ【思ひ】に住(ぢゆう)(ぢう)せず。甲斐(かひ)(かい)なき命(いのち)は存(そん)す
といへども、京都(きやうと)の経廻(けいくわい)難治(なんぢ)の間(あひだ)(あいだ)、身(み)を在々(ざいざい)所々(しよしよ)
P11371
にかくし、辺土(へんど)遠国(をんごく)をすみかとして、土民(どみん)百姓
等(ひやくしやうら)〔に〕服仕(ぶくじ)せらる。しかれども高慶(かうけい)忽(たちまち)に純熟(じゆんじゆく)して、
平家(へいけ)の一族(いちぞく)追討(ついたう)のために上洛(しやうらく)せしむる手(て)
あはせに、木曾(きそ)義仲(よしなか)を誅戮(ちゆうりく)(ちうりく)の後(のち)、平氏(へいじ)をか
たむけんがために、或(ある)時(とき)は峨々(がが)たる巌石(がんぜき)に駿馬(しゆんめ)
に鞭(むち)う(ッ)て、敵(てき)のために命(いのち)をほろぼさん事(こと)を
顧(かへりみ)ず、或(ある)時(とき)は漫々(まんまん)たる大海(だいかい)に風波(ふうは)の難(なん)をしの
ぎ、海底(かいてい)にしづまん事(こと)をいたま【痛ま】ずして、かばね
P11372
を鯨鯢(けいげい)(ケイケイ)の鰓(あぎと)(アキト)にかく。しかのみならず、甲冑(かつちう)を
枕(まくら)とし弓箭(きゆうせん)(きうせん)を業(わざ)とする本意(ほい)、しかしながら
亡魂(ばうこん)のいきどほりをやすめたてP2366まつり、年来(ねんらい)
の宿望(しゆくまう)をとげんと欲(ほつ)する外(ほか)他事(たじ)なし。あま(ッ)
さへ(あまつさへ)【剰へ】義経(よしつね)五位尉(ごゐのじよう)(ごゐのぜう)に補任(ふにん)の条(でう)、当家(たうけ)の重職(ちようじよく)(てうじよく)何
事(なにごと)か是(これ)にしかん。しかりといへども今(いま)愁(うれへ)ふかく歎(なげき)切(せつ)
也(なり)。仏神(ぶつじん)の御(おん)たすけ【助け】にあらずより外(ほか)は、争(いかで)か愁
訴(しうそ)を達(たつ)せん。これによ(ッ)て諸神(しよじん)諸社(しよしや)の牛王[* 「牛玉」と有るのを高野本により訂正](ごわう)宝
P11373
印(ほういん)(ほうゐん)のうらをも(ッ)て、野心(やしん)を挿(さしはさ)まざるむね、日本
国中(につぽんごくぢゆう)(につぽんごくぢう)の神祇(じんぎ)冥道(みやうだう)を請(しやう)じ驚(おどろ)(をどろ)かし奉(たてまつ)て、数通(すつう)
の起請文(きしやうもん)をかき【書き】進(しん)ずといへども、猶(なほ)(なを)以(もつて)(も(ツ)て)御宥免(ごいうめん)(ごゆうめん)
なし。我(わが)国(くには)神国(しんこく)也(なり)。神(かみは)非礼(ひれい)を享(うけ)給(たまふ)べからず。■(たのむ)
処(ところ)他(た)にあらず。ひとへに貴殿(きでん)広大(くわうだい)の慈悲(じひ)を
仰(あふ)ぐ。便宜(びんぎ)をうかがひ【伺ひ】高聞(かうぶん)に達(たつ)せしめ、秘計(ひけい)
をめぐらし、あやまりなきよしをゆうぜ(いうぜ)【宥ぜ】られ、放
免(はうめん)にあづからば、積善(しやくぜん)の余慶(よけい)家門(かもん)に及(およ)(をよ)び、栄花(えいぐわ)(ゑいぐわ)
P11374
をながく子孫(しそん)につたへむ。仍(よつて)年来(ねんらい)の愁眉(しうび)を
開(ひら)き、一期(いちご)の安寧(あんねい)を得(え)ん。書紙(しよし)につくさず。
併(しかしながら)令省略(せいりやくせしめ)候(さうらひ)畢(をはんぬ)。義経(よしつね)恐惶(きようくわう)(けうくわう)謹言(つつしんでまうす)。元暦(げんりやく)二年(にねん)
六月(ろくぐわつ)五日(いつかのひ)源(みなもとの)義経(よしつね)進上(しんじやう)因幡守殿(いなばのかみどの)へとぞかか【書か】れ
たる。大臣殿被斬(おほいとのきられ)S1118 P2367さる程(ほど)に、鎌倉殿(かまくらどの)大臣殿(おほいとの)に対面(たいめん)あり。おはし
ける〔所(ところ)〕、庭(には)をひとつ【一つ】へだててむかへ【向へ】なる屋(や)にすへ(すゑ)【据ゑ】たて
まつり【奉り】、簾(みす)のうちより見(み)いだし、比気【*比企】[B ノ](ひきの)藤四郎(とうしらう)義
員【*能員】(よしかず)を使者(ししや)で申(まう)されけるは、「平家(へいけ)の人々(ひとびと)に別(べち)の
P11375
意趣(いしゆ)おもひ【思ひ】たてまつる【奉る】事(こと)、努々(ゆめゆめ)候(さうら)はず。其上(そのうへ)
池殿(いけどの)の尼御前(あまごぜん)いかに申(まうし)給(たまふ)とも、故(こ)入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)の
御(おん)ゆるされ【許され】候(さうら)はずは、頼朝(よりとも)いかでかたすかり候(さうらふ)べ
き。流罪(るざい)になだめ【宥め】られし事(こと)、ひとへに入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)の
御恩(ごおん)(ごをん)也(なり)。されば廿余年(にじふよねん)までさてこそ罷過(まかりすぎ)候(さうらひ)
しかども、朝敵(てうてき)となり給(たま)ひて追討(ついたう)すべき由(よし)
院宣(ゐんぜん)を給(たま)はる間(あひだ)(あいだ)、さのみ王地(わうぢ)にはらまれて、詔
命(ぜうめい)をそむくべきにあらねば、力(ちから)不及(およばず)(をよばず)。か様(やう)【斯様】に
P11376
見参(げんざん)に入(いり)候(さうらひ)ぬるこそ本意(ほんい)に候(さうら)へ」と申(まう)され
ければ、義員【*能員】(よしかず)このよし申(まう)さんとて、御(おん)まへにま
いり(まゐり)【参り】たりければ、ゐ【居】なをり(なほり)【直り】畏(かしこま)り給(たま)ひけるこそ
うたてけれ。国々(くにぐに)の大名(だいみやう)小名(せうみやう)なみ【並み】ゐたる其(その)
中(なか)に、京(きやう)の物(もの)どもいくらもあり、平家(へいけ)の家人(けにん)
たりし物(もの)もあり、みなつまはじき【爪弾き】をして
申(まうし)けるは、「ゐ【居】なをり(なほり)【直り】畏(かしこまり)給(たま)ひたらば、御命(おんいのち)の
たすかり給(たまふ)べきか。西国(さいこく)でいかにもなり給(たまふ)べき人(ひと)の、
P11377
[B いきながらとらはれて、]是(これ)までくだり[* 「のぼり」と有るのを高野本により訂正]給(たま)ふこそことはり(ことわり)【理】なれ」とぞ申(まうし)
ける。或(あるい)(ある)は涙(なみだ)をながす人(ひと)もあり。其(その)中(なか)にある人(ひと)の
申(まうし)けるは、「猛虎(まうこ)深山(しんざん)にある時(とき)は、百獣(はくじう)ふるひ【震ひ】おづ。
檻井(かんせい)のうちにあるに及(およん)(をよん)で、尾(を)(お)を動(うご)かして食(しよく)
をもとむとて、たけひ(たけい)【猛い】虎(とら)のふかい山(やま)にある時(とき)は、
もも【百】のけだ物(もの)おぢをそる(おそる)【恐る】といへども、と(ッ)ており(をり)【檻】
の中(なか)にこめられぬる時(とき)P2368は、尾(を)(お)をふ(ッ)て人(ひと)にむかふ【向ふ】
らんやうに、いかにたけき【猛き】大将軍(たいしやうぐん)なれども、加様(かやう)に
P11378
な(ッ)て後(のち)は心(こころ)かはる事(こと)なれば、大臣殿(おほいとの)もかくおは
するにこそ」と申(まうし)ける人(ひと)もありけるとかや。さる程(ほど)
に、九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)やうやうに陳(ちん)じ申(まう)されけれ
ども、景時(かげとき)が讒言(ざんげん)によ(ッ)て鎌倉殿(かまくらどの)さらに分明(ふんみやう)の
御返事(おんぺんじ)(おんへんじ)もなし。「いそぎのぼらるべし」と仰(おほせ)られ
ければ、同(おなじき)六月(ろくぐわつ)九日(ここのかのひ)、大臣殿(おほいとの)父子(ふし)具(ぐ)し奉(たてまつ)て都(みやこ)
へぞ帰(かへ)りのぼられける。大臣殿(おほいとの)はいますこし【少し】も
日数(ひかず)ののぶるをうれしき事(こと)におもは【思は】れけり。
P11379
道(みち)すがらも「ここにてやここにてや」とおぼしけれども、国々(くにぐに)
宿々(しゆくじゆく)うちすぎうちすぎとほりぬ。尾張国(をはりのくに)(おはりのくに)うつみ【内海】と
いふ処(ところ)あり。ここは故(こ)左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)が誅(ちゆう)(ちう)せられし
所(ところ)なれば、これにてぞ一定(いちぢやう)とおもは【思は】れけれども、
それをもすぎ【過ぎ】しかば、大臣殿(おほいとの)すこし【少し】たのもし
き【頼もしき】心(こころ)いで【出で】き【来】て、「さては命(いのち)のいき【生き】んずるやらん」と
の給(たま)ひけるこそはかなけれ。右衛門督(うゑもんのかみ)(うへもんのかみ)は「なじかは
命(いのち)をいくべき。か様(やう)【斯様】にあつき比(ころ)なれば、頸(くび)の損(そん)
P11380
ぜぬ様(やう)にはからひ、京(きやう)ちかうな(ッ)てきらんずるに
こそ」とおもは【思は】れけれども、大臣殿(おほいとの)のいたく心(こころ)ぼそ
げにおぼしたるが心(こころ)ぐるしさに、さは申(まう)されず。ただ
念仏(ねんぶつ)をのみぞ申(まうし)給(たま)ふ。日数(ひかず)ふれば都(みやこ)もちかづ
き【近付き】て、近江国(あふみのくに)しの原(はら)【篠原】の宿(しゆく)につき給(たま)ひぬ。判官(はうぐわん)
なさけふかき人(ひと)なれば、三日路(みつかぢ)より人(ひと)を先(さき)だ
てて、善知識(ぜんぢしき)のために、大P2369原(おほはら)の本性房(ほんしやうばう)(ほんせうばう)湛豪(たんがう)といふ
聖(ひじり)を請(しやう)じ下(くだ)されたり。昨日(きのふ)まではおや子(こ)【親子】一所(いつしよ)に
P11381
おはしけるを、けさよりひき【引き】はな(ッ)【放つ】て、別(べち)の所(ところ)に
すへ(すゑ)【据ゑ】たてまつり【奉り】ければ、「さてはけふを最後(さいご)にてある
やらん」と、いとど心(こころ)ぼそうぞおもは【思は】れける。大臣殿(おほいとの)
涙(なみだ)をはらはらとながひ(ながい)【流い】て、「抑(そもそも)右衛門督(うゑもんのかみ)はいづくに
候(さうらふ)やらん。手(て)をとりくんでもをはり、たとひ頸(くび)は
おつとも、むくろはひとつ【一つ】席(むしろ)にふさ【臥さ】んとこそおもひ【思ひ】
つるに、いきながらわかれぬる事(こと)こそかなし
けれ。十七年(じふしちねん)が間(あひだ)(あいだ)、一日(いちにち)片時(へんし)もはなるる事(こと)なし。
P11382
海底(かいてい)にしづまでうき名(な)をながすも、あれゆへ(ゆゑ)【故】
なり」とてなか【泣か】れければ、聖(ひじり)もあはれ【哀】におもひ【思ひ】けれ
ども、我(われ)さへ心(こころ)よはく(よわく)【弱く】てはかなは【叶は】じとおもひ【思ひ】て、涙(なみだ)
をし(おし)【押し】のごひ【拭ひ】、さらぬていにもてないて申(まうし)けるは、
「いまはとかくおぼしめす【思し召す】べからず。最後(さいご)の御有
様(おんありさま)を御(ご)らん【覧】ぜんにつけても、たがひ【互】の御心(おんこころ)のうち
かなしかる【悲しかる】べし。生(しやう)をうけさせ給(たまひ)てよりこの
かた、たのしみさかへ(さかえ)【栄え】、昔(むかし)もたぐひすくなし。御
P11383
門(みかど)の御外戚(ごぐわいせき)にて丞相(しようじやう)(せうじやう)の位(くらゐ)にいたらせ給(たま)へり。
今生(こんじやう)の御栄花(ごえいぐわ)(ごゑいくわ)一事(いちじ)ものこるところなし。いま
又(また)かかる御目(おんめ)にあはせ給(たま)ふも、先世(ぜんぜ)の宿業(しゆくごふ)(しゆくごう)なり。
世(よ)をも人(ひと)をも恨(うら)みおぼしめす【思し召す】べからず。大梵(だいぼん)
王宮(わうぐう)の深禅定(しんぜんぢやう)のたのしみ、おもへ【思へ】ば程(ほど)なし。い
はんや電光(でんくわう)朝露(てうろ)の下界(げかい)の命(いのち)にをいて(おいて)をや。
■利天(たうりてん)の億千歳(おくせんざい)、ただ夢(ゆめ)のごとし。卅九年(さんじふくねん)の
すぐさせ給(たま)ひけんも、わづかに一時(いつし)の間(あひだ)(あいだ)なり。たれか
P11384
甞(なめ)たりし不老(ふらう)不死(ふし)P2370の薬(くすり)、誰(たれ)かたもち【保ち】たりし
東父(とうぶ)西母(せいぼ)が命(いのち)、秦(しん)の始皇(しくわう)の奢(おごり)をきはめしも、
遂(つひ)(つゐ)には麗山【*驪山】(りさん)の墓[* 「基」と有るのを高野本により訂正](つか)にうづもれ、漢(かん)の武帝(ぶてい)の命(いのち)を
おしみ(をしみ)【惜しみ】給(たま)ひしも、むなしく杜陵(とりよう)(とりやう)の苔(こけ)にくちに
き。「生(しやう)あるものは必(かならず)滅(めつ)す。釈尊(しやくそん)いまだ栴檀(せんだん)の
煙(けぶり)をまぬかれ給(たま)はず。楽(たのしみ)尽(つき)て悲(かなしみ)来(きた)る。天人(てんにん)
尚(なほ)(なを)五衰(ごすい)の日(ひ)にあへり」とこそうけ給(たま)はれ【承れ】。されば
仏(ほとけ)も「我心自空(がしんじくう)、罪福無主(ざいふくむしゆ)、観心無心(くわんじんむしん)、法不住〔法〕(ほふふぢゆうほふ)(ほうふぢうほう)」〔とて〕、善(ぜん)
P11385
も悪(あく)も空(くう)なりと観(くわん)ずるが、まさしく仏(ほとけ)の御心(おんこころ)に
あひかなふ【叶ふ】事(こと)にて候(さうらふ)也(なり)。いかなれば[* 「いかなる」と有るのを高野本により訂正]弥陀如来(みだによらい)は、五劫(ごこふ)(ごこう)が
間(あひだ)(あいだ)思惟(しゆい)して、発(おこし)がたき願(ぐわん)を発(おこ)しましますに、
いかなる我等(われら)なれば、億々万(おくおくまん)劫(ごふ)(ごう)が間(あひだ)(あいだ)生死(しやうじ)に輪廻(りんゑ)
して、宝(たから)の山(やま)に入(いり)て手(て)を空(むなし)うせん事(こと)、恨(うらみ)の
なかの恨(うらみ)、愚(おろか)(をろか)なるなかの口惜(くちをし)(くちおし)い事(こと)に候(さうら)はずや。
ゆめゆめ余念(よねん)をおぼしめす【思し召す】べからず」とて、戒(かい)たもた【保た】
せたてまつり【奉り】、念仏(ねんぶつ)すすめ【進め】申(まうす)。大臣殿(おほいとの)しかる【然る】べき
P11386
善知識(ぜんぢしき)かなとおぼしめし【思し召し】、忽(たちまち)に妄念(まうねん)ひるがへし
て、西(にし)にむかひ【向ひ】手(て)をあはせ、高声(かうしやう)に念仏(ねんぶつ)し給(たま)ふ
処(ところ)に、橘(きつ)右馬允(むまのじよう)(むまのぜう)公長(きんなが)、太刀(たち)をひきそばめて、左(ひだり)
の[B 方(かた)より]御(おん)うしろにたちまはり、すでにきりたてまつ
らんとしければ、大臣殿(おほいとの)念仏(ねんぶつ)をとどめ【留め】て、「右衛
門督(うゑもんのかみ)もすでにか」との給(たま)ひけるこそ哀(あはれ)なれ。公
長(きんなが)うしろへよるかと見(み)えしかば、頸(くび)はまへにぞ落(おち)
にける。善知識(ぜんぢしき)の聖(ひじり)も涙(なみだ)に咽(むせ)び給(たま)ひけり。たけき【猛き】
P11387
もののふも争(いかで)かあはれ【哀】とおもは【思は】ざるべき。まして
かの公長(きんなが)は、平家(へいけ)重代(ぢゆうだい)(ぢうだい)の家人(けにん)、新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)のもとに
朝夕(てうせき)祗候(しこう)の侍(さぶらひ)也(なり)。P2371「さこそ世(よ)をわづらう(わづらふ)といひ
ながら、無下(むげ)になさけなかりける物(もの)かな」とぞみな
人(ひと)慚愧(ざんぎ)しける。其(その)後(のち)右衛門督(うゑもんのかみ)をも、聖(ひじり)前(まへ)の
ごとくに戒(かい)たもた【保た】せ奉(たてまつ)り、念仏(ねんぶつ)すすめ申(まうす)。「大臣
殿(おほいとの)の最後(さいご)いかがおはしましつる」ととは【問は】れける
こそいとをしけれ(いとほしけれ)。「目出(めで)たうましまし候(さうらひ)つるなり。
P11388
御心(おんこころ)やすうおぼしめさ【思し召さ】れ候(さうら)へ」と申(まう)されければ、涙(なみだ)
をながし悦(よろこび)て、「今(いま)はおもふ【思ふ】事(こと)なし。さらばとう」
とぞの給(たま)ひける。今度(こんど)は堀[B ノ](ほりの)弥太郎(やたらう)き(ッ)て(ン)げり。
頸(くび)をば判官(はうぐわん)もたせて都(みやこ)へいる。むくろをば公長(きんなが)
が沙汰(さた)として、おや子(こ)【親子】ひとつ【一つ】穴(あな)にぞうづみける。
さしも罪(つみ)ふかくはなれ【離れ】がたくの給(たま)ひければ、かやう
にしてんげり。同(おなじき)廿三日(にじふさんにち)、大臣殿(おほいとの)父子(ふし)のかうべ都(みやこ)へいる。
検非違使(けんびゐし)(けんびいし)ども、三条河原(さんでうかはら)にいで向(むかひ)て是(これ)をうけ【受け】
P11389
とり【取り】、大路(おほち)をわたして左(ひだり)の獄門(ごくもん)の樗(あふち)の木(き)にぞ
かけたりける。三位(さんみ)(さんゐ)以上(いじやう)の人(ひと)の頸(くび)、大路(おほち)をわたして
獄門(ごくもん)にかけらるる事(こと)、異国(いこく)には其(その)例(れい)もやある
らん、吾(わが)朝(てう)にはいまだ先蹤(せんじよう)(せんぜう)をきかず。されば平治(へいぢ)に
信頼(のぶより)は悪行人(あくぎやうにん)たりしかば、かうべをばはねられたり
しかども、獄門(ごくもん)にはかけられず。平家(へいけ)にと(ッ)てぞかけ
られける。西国(さいこく)よりのぼ(ッ)【上つ】てはいき【生き】て六条(ろくでう)を東(ひがし)(ひ(ン)がし)へ
わたされ、東国(とうごく)よりかへ(ッ)【帰つ】てはしん【死ん】で三条(さんでう)を西(にし)へわた
P11390
され給(たま)ふ。いきての恥(はぢ)、しんでの恥(はぢ)、いづれもおと
らP2372ざりけり。重衡被斬(しげひらのきられ)S1119本三位(ほんざんみの)(ほんざんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)重衡卿(しげひらのきやう)者(は)、狩野介(かののすけ)宗
茂(むねもち)にあづけられて、去年(こぞ)より伊豆国(いづのくに)におはし
けるを、南都(なんとの)大衆(だいしゆ)頻(しきり)に申(まうし)ければ、「さらばわたせ【渡せ】」
とて、源(げん)三位(ざんみの)(ざんゐの)入道(にふだう)(にうだう)頼政(よりまさ)の孫(まご)、伊豆(いづの)蔵人(くらんど)大夫(たいふ)(たゆふ)頼
兼(よりかぬ)に仰(おほせ)て、遂(つひ)(つゐ)に奈良(なら)へぞつかはし【遣し】ける。都(みやこ)へは
入(いれ)られずして、[B 大津(おほつ)より山(やま)しなどをり(やましなどほり)【山科通り】に、]醍醐路(だいごぢ)をへてゆけば、日野(ひの)は
ちかかり【近かり】けり。此(この)重衡卿(しげひらのきやう)の北方(きたのかた)と申(まうす)は、鳥飼(とりかひ)の
P11391
中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)惟実(これざね)のむすめ、五条(ごでうの)大納言(だいなごん)国綱【*邦綱】卿(くにつなのきやう)の
養子(やうじ)、先帝(せんてい)の御(おん)めのと【乳母】大納言佐殿(だいなごんのすけどの)とぞ申(まうし)
ける。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)一谷(いちのたに)でいけどり【生捕り】にせられ給(たま)ひし
後(のち)も、先帝(せんてい)につきまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ておはせしが、
檀【*壇】(だん)の浦(うら)にて海(うみ)にいらせ給(たま)ひしかば、もののふの
あらけなきにとらはれて、旧里(きうり)に帰(かへ)り、姉(あね)の
大夫(だいぶ)三位(ざんみ)(ざんゐ)に同宿(どうじゆく)して、日野(ひの)といふ所(ところ)におはし
けり。中将(ちゆうじやう)の露(つゆ)の命(いのち)、草葉(くさば)の末(すゑ)にかか(ッ)てきえ
P11392
やらぬときき給(たま)へば、夢(ゆめ)ならずして今(いま)一度(いちど)見(み)も
し見(み)えもする事(こと)もやとおもはれけれども、[B それも]
かなは【叶は】ねば、なく【泣く】より外(ほか)のなぐさめなく[M し]て、あか
し【明かし】くらし給(たま)ひけり。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)守護(しゆご)の武士(ぶし)にの
給(たま)ひけるは、「此(この)程(ほど)事(こと)にふれてなさけP2373ふかう【深う】芳
心(はうじん)おはしつるこそ[B ありがたう]うれしけれ。同(おなじ)くは最後(さいご)に
芳恩(はうおん)(はうをん)か(ウ)ぶりたき事(こと)あり。我(われ)は一人(いちにん)の子(こ)なければ、
この世(よ)におもひ【思ひ】をく(おく)【置く】事(こと)なきに、年来(としごろ)あひぐし【具し】
P11393
たりし女房(にようばう)の、日野(ひの)といふところ【所】にありときく。
いま一度(いちど)対面(たいめん)して、後生(ごしやう)の事(こと)を申(まうし)をか(おか)【置か】ばや
とおもふ【思ふ】なり」とて、片時(へんし)のいとまをこは【乞は】れけり。
武士(ぶし)どもさすが岩木(いはき)ならねば、おのおの涙(なみだ)をながし
つつ「なにかはくるしう【苦しう】候(さうらふ)べき」とて、ゆるしたてまつる【奉る】。中
将(ちゆうじやう)(ちうじやう)なのめならず悦(よろこび)て、「大納言佐殿(だいなごんのすけどの)の御局(おんつぼね)は
これにわたらせ給(たまひ)候(さうらふ)やらん。本(ほん)三位(ざんみの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)の只
今(ただいま)奈良(なら)へ御(おん)とをり(とほり)【通り】候(さうらふ)が、立(たち)ながら見参(げんざん)に入(いら)ばやと
P11394
仰(おほせ)候(さうらふ)」と、人(ひと)をいれ【入れ】ていは【言は】せければ、北方(きたのかた)聞(きき)もあへ
ず「いづらやいづら」とてはしり【走り】いで【出で】て見(み)給(たま)へば、藍
摺(あいずり)の直垂(ひたたれ)に折烏帽子(をりえぼし)(おりゑぼし)きたる男(をのこ)(おのこ)の、やせくろみ【黒み】
たるが、縁(えん)によりゐたるぞそなりける。北方(きたのかた)みす【御簾】の
きはちかく【近く】よ(ッ)て、「いかに夢(ゆめ)かやうつつか。これへいり【入り】
給(たま)へ」との給(たま)ひける御声(おんこゑ)をきき給(たま)ふに、いつしか先立(さきだつ)
ものは涙(なみだ)也(なり)。大納言佐殿(だいなごんのすけどの)目(め)もくれ心(こころ)もきえはてて、
しばしは物(もの)もの給(たま)はず。三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)御簾(みす)うちかづいて、
P11395
なくなく【泣く泣く】の給(たま)ひけるは、「こぞの春(はる)、一(いち)の谷(たに)でいかにも
なるべかりし身(み)の、せめての罪(つみ)のむくひにや、
いきながらとらはれて大路(おほち)をわたされ、京(きやう)鎌
倉(かまくら)恥(はぢ)をさらすだに口惜(くちをし)(くちおし)きに、はて【果】は奈良(なら)の
大衆(だいしゆ)の手(て)へわたされてきらるべしとて罷(まかり)候(さうらふ)。
いかにもして今(いま)一度(いちど)御(おん)すがたをみ【見】たP2374てまつら【奉ら】
ばやとおもひ【思ひ】つるに、いまは露(つゆ)ばかりもおもひ【思ひ】
をく(おく)【置く】事(こと)なし。出家(しゆつけ)して形見(かたみ)にかみ【髪】をもたてまつら【奉ら】
P11396
ばやとおもへ【思へ】ども、ゆるされ【許され】なければ力(ちから)及(およ)(をよ)ばず」とて、
ひたゐ(ひたひ)【額】のかみをすこし【少し】ひきわけて、口(くち)のをよぶ(およぶ)【及ぶ】
ところ【所】をくひき(ッ)て、「是(これ)を形見(かたみ)に御(ご)らんぜよ」とて
たてまつり【奉り】給(たま)ふ。北方(きたのかた)は、日来(ひごろ)おぼつかなくおぼしける
より、いま一(ひと)しほかなしみの色(いろ)をぞまし給(たま)ふ。
「まこと【誠】に別(わかれ)たてまつり【奉り】し後(のち)は、越前(ゑちぜんの)三位(さんみ)(さんゐ)のうへの
様(やう)に、水(みづ)の底(そこ)にもしづむべかりしが、まさしう
この世(よ)におはせぬ人(ひと)ともきか【聞か】ざりしかば、もし
P11397
不思議(ふしぎ)にて今(いま)一度(いちど)、かはら【変ら】ぬすがたをみ【見】もし
見(み)えもやするとおもひ【思ひ】てこそ、うき【憂き】ながら今(いま)
までもながらへ【永らへ】てありつるに、けふ【今日】をかぎりにて
おはせんずらんかなしさよ。いままでのび【延び】つるは、
「もしや」とおもふ【思ふ】たのみ【頼み】もありつる物(もの)を」とて、昔(むかし)
いまの事(こと)どもの給(たま)ひかはすにつけても、ただつき
せぬ物(もの)は涙(なみだ)也(なり)。「あまりに[B 御(おん)]すがたのしほれ(しをれ)【萎れ】てさぶ
らふ【候ふ】に、たてまつりかへよ」とて、あはせの小袖(こそで)に
P11398
浄衣(じやうえ)(じやうゑ)をいださ【出さ】れたりければ、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)是(これ)をきかへ
て、もと[M の]き【着】給(たま)へる物(もの)どもをば、「形見(かたみ)に御(ご)らん【覧】ぜ
よ」とてをか(おか)【置か】れけり。北方(きたのかた)「それもさる事(こと)[B にて]さぶ
らへ【候へ】ども、はかなき筆(ふで)の跡(あと)こそながき世(よ)のかた
み【形見】にてさぶらへ【候へ】」とて、御硯(おんすずり)をいださ【出さ】れたりければ、
中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)なくなく【泣く泣く】一首(いつしゆ)の歌(うた)をぞかかれける。P2375
せきかねて涙(なみだ)のかかるからごろも【唐衣】
のちのかたみにぬぎ【脱ぎ】ぞかへぬる W090
P11399
女房(にようばう)ききもあへず
ぬぎかふる【変ふる】ころも【衣】もいま【今】はなにかせん
けふ【今日】をかぎりのかたみとおもへ【思へ】ば W091
「契(ちぎり)あらば後(のちの)世(よ)にてはかならず【必ず】むまれ【生れ】あひたて
まつら【奉ら】ん。ひとつ【一つ】はちす【蓮】[B に]といのり【祈り】給(たま)へ。日(ひ)もたけぬ。
奈良(なら)へも遠(とほ)う候(さうらふ)。武士(ぶし)どものまつ【待つ】も心(こころ)なし」とて、
出(いで)給(たま)へば、北方(きたのかた)袖(そで)にすが(ッ)て「いかにやいかに、しばし」とて
ひき【引き】とどめ【留め】給(たま)ふに、中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)「心(こころ)のうちをばただをしはかり(おしはかり)
P11400
給(たまふ)べし。されどもつゐに(つひに)【遂に】のがれ【逃れ】はつべき身(み)にも
あらず。又(また)こ【来】ん世(よ)にてこそ見(み)たてまつら【奉ら】め」とて
いで【出で】給(たま)へども、まことに此(この)世(よ)にてあひ見(み)ん事(こと)は、是(これ)ぞ
かぎりとおもは【思は】れければ、今(いま)一度(いちど)たちかへりたく
おぼしけれども、心(こころ)よはく(よわく)【弱く】てはかなは【叶は】じと、おもひ【思ひ】き(ッ)て
ぞいでられける。北方(きたのかた)御簾(みす)のきはちかくふし【臥し】
まろび、おめき(をめき)【喚き】さけび【叫び】給(たま)ふ御声(おんこゑ)の、門(かど)の外(ほか)まで
はるかにきこえ【聞え】ければ、駒(こま)をもさらにはやめ給(たま)は
P11401
ず。涙(なみだ)にくれてゆくさきも見(み)えねば、中々(なかなか)なり
ける見参(げんざん)かなと、今(いま)はくやしうぞおもは【思は】れける。
大納言佐殿(だいなごんのすけどの)やがてはしり【走り】ついてもおはしぬべく
はおぼしけれども、それもさすがなれば、ひきかづい
てぞふし給(たま)ふ。南都[B ノ](なんとの)大衆(だいしゆ)うけ【受け】と(ッ)【取つ】て僉議(せんぎ)す。「抑(そもそも)此(この)
重衡卿(しげひらのきやう)者(は)大犯(だいぼん)の悪人(あくにん)たるうへ、三P2376千五刑(さんぜんごけい)のうち
にもれ【漏れ】、修因(しゆいん)(しゆゐん)感果(かんくわ)の道理(だうり)極上(ごくじやう)せり。仏敵(ぶつてき)法敵(ほふてき)(ほうてき)
の逆臣(げきしん)なれば、東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうぶくじ)の大垣(おほがき)をめぐらし
P11402
て、のこぎりにてやきるべき、堀頸(ほりくび)にやすべき」と
僉議(せんぎ)す。老僧(らうそう)どもの申(まう)されけるは、「それも僧徒(そうと)
の法(ほふ)(ほう)に穏便(をんびん)ならず。ただ守護(しゆご)の武士(ぶし)にたう【賜う】で、
粉津【*木津】(こつ)の辺(へん)にてきらすべし」とて、武士(ぶし)の手(て)へぞ
かへしける。武士(ぶし)是(これ)をうけ【受け】と(ッ)【取つ】て、粉津川【*木津川】(こつがは)のはたにて
きらんとするに、数千人(すせんにん)の大衆(だいしゆ)、見(み)る人(ひと)いくらと
いふかず【数】をしら【知ら】ず。三位(さんみの)(さんゐの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)のとしごろめし【召し】つか
は【使は】れける侍(さぶらひ)に、木工(もく)右馬允(むまのじよう)(むまのぜう)知時(ともとき)といふ物(もの)あり。八条(はつでうの)
P11403
女院(にようゐん)に候(さうらひ)けるが、最後(さいご)をみたてまつら【奉ら】んとて、鞭(むち)を
う(ッ)てぞ馳(はせ)たりける。すでに只今(ただいま)きりたてまつら【奉ら】ん
とする処(ところ)にはせ【馳せ】つゐ(つい)【着い】て、千万(せんまん)立(たち)かこう【囲う】だる人(ひと)の
中(なか)をかきわけかきわけ、三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)のおはしける御(おん)そ
ばちかうまいり(まゐり)【参り】たり。「知時(ともとき)こそただいま最後(さいご)の
御有様(おんありさま)みまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)はんとて、是(これ)までまいり(まゐり)【参り】て
こそ候(さうら)へ」となくなく【泣く泣く】申(まうし)ければ、中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)「まこと【誠】に心(こころ)ざし
の程(ほど)神妙(しんべう)也(なり)。仏(ほとけ)ををがみ【拝み】たてま(ッ)【奉つ】てきらればやと
P11404
おもふ【思ふ】はいかがせんずる。あまりに罪(つみ)ふかう【深う】おぼ
ゆる【覚ゆる】に」との給(たま)へば、知時(ともとき)「やすい御事(おんこと)候(ざうらふ)や」とて、守
護(しゆご)の武士(ぶし)に申(まうし)あはせ、そのへん【辺】におはしける
仏(ほとけ)を一体(いつたい)むかへ【向へ】たてま(ッ)【奉つ】て出(いで)きたり。幸(さいはひ)に阿弥
陀(あみだ)にてぞましましける。川原(かはら)のいさごのうへに
立(たて)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】、やがて知時(ともとき)が狩衣(かりぎぬ)の[B 袖(そで)の]くくり【括り】をといP2377
て、仏(ほとけ)の御手(みて)にかけ、中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)にひかへさせ奉(たてまつ)る。是(これ)
をひかへ奉(たてまつ)り、仏(ほとけ)にむかひ【向ひ】たてま(ッ)【奉つ】て申(まう)されけるは、
P11405
「つたへきく、調達(でうだつ)が三逆(さんぎやく)をつくり、八万[B 蔵](はちまんざう)の聖教(しやうげう)を
ほろぼしたりしも、遂(つひ)(つい)には天王如来(てんわうによらい)の記■(きべつ)に
あづかり、所作(しよさ)の罪業(ざいごふ)(ざいごう)まこと【誠】にふかしといへども、聖
教(しやうげう)に値遇(ちぐう)せし逆縁(ぎやくえん)くち【朽ち】ずして、かへ(ッ)て【却つて】得道(とくだう)
の因(いん)(ゐん)と〔も〕なる。いま重衡(しげひら)が逆罪(ぎやくざい)をおかす(をかす)事(こと)、ま(ッ)たく
愚意(ぐい)の発起(ほつき)にあらず、只(ただ)世(よ)に随(したが)ふことはり(ことわり)【理】を
存(ぞんずる)斗(ばかり)也(なり)。命(いのち)をたもつ【保つ】物(もの)誰(たれ)か王命(わうめい)を蔑如(べつじよ)(べつぢよ)する、
生(しやう)をうくる物(もの)誰(たれ)か父(ちち)の命(めい)をそむかん。かれといひ、
P11406
是(これ)といひ、辞(じ)するに所(ところ)なし。理非(りひ)仏陀(ぶつだ)の照覧(せうらん)
にあり。抑(そもそも)罪報(ざいはう)(ざいほう)たちどころにむくひ、運命(うんめい)只今(ただいま)
をかぎりとす。後悔(こうくわい)千万(せんばん)かなしんでもあまり[B あり]。ただし
三宝(さんぼう)の境界(きやうがい)は慈悲(じひ)を心(こころ)として、済度(さいど)の良
縁(りやうえん)まちまちなり。唯縁楽意(ゆいえんらくい)、逆即是順(ぎやくそくぜじゆん)、此(この)文(もん)肝(きも)
に銘(めい)ず。一念(いちねん)弥陀仏(みだぶつ)、即滅無量罪(そくめつむりやうざい)、願(ねがは)くは逆縁(ぎやくえん)
をも(ッ)て順縁(じゆんえん)とし、只今(ただいま)の最後(さいご)の念仏(ねんぶつ)によ(ッ)て
九品(くほん)託生(たくしやう)をとぐべし」とて、高声(かうしやう)に十念(じふねん)(じうねん)唱(とな)へ
P11407
つつ、頸(くび)をのべてぞきらせられける。日来(ひごろ)の悪
行(あくぎやう)はさる事(こと)なれども、いまのありさまを見(み)たて
まつる【奉る】に、数千人(すせんにん)の大衆(だいしゆ)も守護(しゆご)の武士(ぶし)も、みな
涙(なみだ)をぞながしける。其(その)頸(くび)をば、般若寺(はんにやじ)大鳥井【*大鳥居】(おほどりゐ)
のまへに釘(くぎ)づけ【付】にこそかけたりけれ。治承(ぢしよう)(じせう)の合
戦(かつせん)の時(とき)、ここにう(ッ)【打つ】た(ッ)【立つ】て伽藍(がらん)をほろぼし給(たま)へるゆ
へ(ゆゑ)【故】なり。北方(きたのかた)大納言佐殿(だいなごんのすけどの)、かうべをこそはね【刎ね】られ
たりとも、むくろをばとりよせて孝P2378養(けうやう)せんとて、
P11408
輿(こし)をむかへ【向へ】につかはす【遣す】。げにもむくろをばすて【捨て】をき(おき)
たりければ、と(ッ)て輿(こし)にいれ【入れ】、日野(ひの)へかい【舁い】てぞかへり
ける。是(これ)をまちうけ見(み)給(たま)ひける北方(きたのかた)の心(こころ)の
うち、をしはから(おしはから)【推し量ら】れて哀(あはれ)也(なり)。昨日(きのふ)まではゆゆし
げにおはせしかども、あつき【暑き】ころなれば、いつしか
あらぬさまになり給(たま)ひぬ。さてもあるべきなら
ねば、其(その)辺(へん)に法界寺(ほふかいじ)(ほうかいじ)といふ処(ところ)にて、さるべき僧(そう)
どもあまたかたらひて孝養(けうやう)あり。頸(くび)をば大仏(だいぶつ)
P11409
のひじり俊乗房(しゆんじようばう)(しゆんぜうばう)にとかくの給(たま)へば、大衆(だいしゆ)に
こう【乞う】て日野(ひの)へぞつかはし【遣し】ける。頸(くび)もむくろも
煙(けぶり)になし、骨(こつ)をば高野(かうや)へをくり(おくり)【送り】、墓[* 「基」と有るのを高野本により訂正](はか)をば日
野(ひの)にぞせられける。北方(きたのかた)もさまをかへ、かの
後生(ごせ)菩提(ぼだい)をとぶらはれけるこそ哀(あはれ)なれ。
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第十一(だいじふいち)


平家物語(龍谷大学本)巻第十二

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物(CD−ROM等を含む)として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本(龍谷大学善本叢書13)に拠りました。

P12413
(表紙)
P12415 P2379
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第十二(だいじふに)
大地震(だいぢしん)S1201平家(へいけ)みなほろびはてて、西国(さいこく)もしづまりぬ。
国(くに)は国司(こくし)にしたがひ【従ひ】、庄(しやう)は領家(りやうけ)のままなり。上下(じやうげ)
安堵(あんど)しておぼえし程(ほど)に、同(おなじき)七月(しちぐわつ)九日(ここのかのひ)の午刻(むまのこく)
ばかりに、大地(だいぢ)おびたたしく【夥しく】うごいて良(やや)久(ひさ)し。
赤県(せきけん)のうち、白河(しらかは)のほとり、六勝寺(ろくしようじ)(ろくせうじ)皆(みな)やぶれ
くづる。九重(くぢゆう)(くぢう)の塔(たふ)(とう)もうへ六重(ろくぢゆう)(ろくぢう)ふりおとす【落す】。得長
寿院(とくぢやうじゆゐん)も三十三間(さんじふさんげん)の御堂(みだう)を十七(じふしち)間(けん)までふり【震り】
P12416
たうす(たふす)【倒す】。皇居(くわうきよ)(くはうきよ)をはじめて人々(ひとびと)の家々(いへいへ)、すべて
在々所々(ざいざいしよしよ)の神社(じんじや)仏閣(ぶつかく)、あやしの民屋(みんをく)、さながら
やぶれくづる。くづるる音(おと)(をと)はいかづちのごとく、
あがる塵(ちり)は煙(けぶり)のごとし。天(てん)暗(くら)うして日(ひ)の光(ひかり)も
見(み)えず。老少(らうせう)ともに魂(たましひ)(たましゐ)をけし、朝衆(てうしゆ)悉(ことごと)く心(こころ)を
つくす。又(また)遠国(をんごく)近国(きんごく)もかくのごとし。大地(だいぢ)さけ[* 「さけん」と有るのを高野本により訂正]【裂け】
て水(みづ)わきいで、磐石(ばんじやく)われて谷(たに)へまろぶ。山(やま)くづれ
て河(かは)をうづみ、海(うみ)ただよひて浜(はま)をひたす。汀(みぎは)
P12417
こぐ船(ふね)はなみにゆられ、陸(くが)ゆく駒(こま)は足(あし)のたてど
をうしなへ【失へ】り。洪水(こうずい)みなぎり来(きた)らば、P2380岳(をか)に
のぼ(ッ)【上つ】てもなどかたすからざらむ、猛火(みやうくわ)もえ来(きた)
らば、河(かは)をへだててもしばしもさん【去ん】ぬべし。
ただかなしかり【悲しかり】けるは大地振【*大地震】(だいぢしん)なり。鳥(とり)にあら
ざれば空(そら)をもかけりがたく、竜(りよう)(れう)にあらざれば雲(くも)
にも又(また)のぼりがたし。白河(しらかは)・六波羅(ろくはら)、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)にうち
うづま【埋ま】れてしぬる【死ぬる】ものいくらといふかず【数】をしら【知ら】ず。
P12418
四大衆【*四大種】(しだいしゆ)の中(なか)に水(すい)(すゐ)火(くわ)風(ふう)は常(つね)に害(がい)をなせども、
大地(だいぢ)にをいて(おいて)はことなる変(へん)をなさず。こはいかに
しつる事(こと)ぞやとて、上下(じやうげ)遣戸(やりど)障子(しやうじ)をたて、
天(てん)のなり地(ち)のうごくたびごとには、只今(ただいま)ぞし
ぬる【死ぬる】とて、こゑごゑ【声々】に念仏(ねんぶつ)申(まうし)おめき(をめき)【喚き】さけぶ【叫ぶ】事(こと)
おびたたし【夥し】。七八十(しちはちじふ)・九十(くじふ)の者(もの)も世(よ)の滅(めつ)するな(ン)ど(など)
いふ事(こと)は、さすがけふあすとはおもは【思は】ずとて、大(おほき)に
驚(おどろき)(をどろき)さはぎ(さわぎ)【騒ぎ】ければ、おさなき(をさなき)【幼き】もの共(ども)も是(これ)をきい【聞い】て、
P12419
泣(なき)かなしむ事(こと)限(かぎ)りなし。法皇(ほふわう)(ほうわう)はそのおり(をり)【折】しも
新熊野(いまぐまの)へ御幸(ごかう)な(ッ)て、人(ひと)多(おほ)くうちころさ【殺さ】れ、触
穢(しよくゑ)いできにければ、いそぎ六波羅殿(ろくはらどの)へ還御(くわんぎよ)なる。
道(みち)すがら君(きみ)も臣(しん)もいかばかり御心(みこころ)をくだかせ給(たま)
ひけん。主上(しゆしやう)は鳳輦(ほうれん)にめし【召し】て池(いけ)の汀(みぎは)へ行幸(ぎやうがう)なる。
法皇(ほふわう)(ほうわう)は南庭(なんてい)にあく屋(や)【幄屋】をたててぞましましける。
女院(にようゐん)・宮々(みやみや)は御所共(ごしよども)皆(みな)ふり【震り】たおし(たふし)【倒し】ければ、或(あるいは)(あるは)御輿(おんこし)に
めし【召し】、或(あるいは)(あるは)御車(おんくるま)にめし【召し】て出(いで)させ給(たま)ふ。天文博士(てんもんはかせ)ども
P12420
馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「よさりの亥子(いね)の刻(こく)にはかならず大地(だいぢ)
うち返(かへ)すべし」と申(まう)せば、おそろし【恐ろし】な(ン)ど(など)もをろ
か(おろか)【愚】なり。昔(むかし)文徳天皇(もんどくてんわう)の御宇(ぎよう)、斉衡(さいかう)三年(さんねん)三月(さんぐわつ)八
日(やうかのひ)の大地振【*大地震】(だいぢしん)には、東大寺(とうだいじ)の仏(ほとけ)の御(み)くしをP2381ふりおとし【落し】
たりけるとかや。又(また)天慶(てんぎやう)二年(にねん)四月(しぐわつ)(しんぐわつ)五日(いつかのひ)の大地振【*大地震】(だいぢしん)には、
主上(しゆしやう)御殿(ごてん)をさ(ッ)て常寧殿[* 「清寧殿」と有るのを他本により訂正](じやうねいでん)の前(まへ)に五丈(ごぢやう)のあく屋(や)【幄屋】を
たててましましけるとぞうけ給(たま)[B は]る【承る】。其(それ)は上代(じやうだい)の
事(こと)なれば申(まうす)にをよば(およば)【及ば】ず。今度(こんど)の事(こと)は是(これ)より後(のち)も
P12421
たぐひあるべしともおぼえず。十善(じふぜん)(じうぜん)帝王(ていわう)
都(みやこ)を出(いで)させ給(たまひ)て、御身(おんみ)を海底(かいてい)にしづめ、大臣(だいじん)公卿(くぎやう)
大路(おほち)をわたしてその頸(くび)を獄門(ごくもん)にかけらる。昔(むかし)
より今(いま)に至(いた)るまで、怨霊(をんりやう)はおそろしき【恐ろしき】事(こと)なれば、
世(よ)もいかがあらんずらむとて、心(こころ)ある人(ひと)の歎(なげき)かなし
まぬはなかりけり。紺掻之沙汰(こんがきのさた)S1202 同(おなじき)八月(はちぐわつ)廿二日(にじふににち)、鎌倉(かまくら)の源二位(げんにゐ)
頼朝卿(よりとものきやう)の父(ちち)、故(こ)左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)のうるはしき
かうべとて、高雄(たかを)(たかお)の文覚上人(もんがくしやうにん)頸(くび)にかけ、鎌田兵衛(かまだびやうゑ)(かまだびやうへ)
P12422
が頸(くび)をば弟子(でし)が頸(くび)にかけさせて、鎌倉(かまくら)へぞ下(くだ)られ
ける。去(さんぬる)治承(ぢしよう)(ぢせう)四年(しねん)のころとり【取り】いだし【出し】てたてま(ッ)【奉つ】
たりけるは、まこと【誠】の左馬頭(さまのかみ)のかうべにはあらず、謀
反(むほん)をすすめ奉(たてまつ)らんためのはかり事(こと)に、そぞろなる
ふるい【古い】かうべをしろい【白い】布(ぬの)につつんでたてま(ッ)【奉つ】たりける
に、謀反(むほん)をおこし世(よ)をうちと(ッ)て、一向(いつかう)父(ちち)の頸(くび)と信(しん)ぜ
られけるところ【所】へ、又(また)尋出(たづねいだ)してくだりけり。是(これ)は年(とし)
ごろ義朝(よしとも)の不便(ふびん)にしてめし【召し】つかは【使は】れける紺(こん)かき
P12423
の男(をのこ)(おのこ)、年来(ねんらい)獄門(ごくもん)にP2382かけられて、後世(ごせ)とぶらふ人(ひと)も
なかりし事(こと)をかなしんで、時(とき)の大理(だいり)にあひ奉(たてまつ)り、
申(まうし)給(たま)はりとりおろして、「兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)(ひやうへのすけどの)流人(るにん)でおはす
れども、すゑたのもしき【頼もしき】人(ひと)なり、もし世(よ)に出(いで)て
たづね【尋ね】らるる事(こと)もこそあれ」とて、東山(ひがしやま)(ひ(ン)がしやま)円覚寺(ゑんがくじ)と
いふところにふかう【深う】おさめ(をさめ)【納め】てをき(おき)【置き】たりけるを、文覚(もんがく)
聞出(ききいだ)して、かの紺(こん)かき男(をのこ)(おのこ)ともにあひ具(ぐ)して
下(くだ)りけるとかや。けふ既(すで)に鎌倉(かまくら)へつくと聞(きこ)えし
P12424
かば、源二位(げんにゐ)片瀬河(かたせがは)まで迎(むかひ)におはしけり。それより
色(いろ)の姿(すがた)になりて、泣々(なくなく)鎌倉(かまくら)へ入(いり)給(たま)ふ。聖(ひじり)をば大床(おほゆか)に
たて、我(わが)身(み)は庭(には)に立(た)(ッ)て、父(ちち)のかうべをうけ【受け】とり【取り】給(たま)ふ
ぞ哀(あはれ)なる。是(これ)を見(み)る大名(だいみやう)小名(せうみやう)、みな涙(なみだ)をながさずと
いふ事(こと)なし。石巌(せきがん)のさがしきをきりはら(ッ)【払つ】て、新(あらた)
なる道場(だうぢやう)を造(つく)り、父(ちち)の御為(おんため)と供養(くやう)じて、勝長寿
院(しようぢやうじゆゐん)(せうぢやうじゆゐん)と号(かう)せらる。公家(くげ)にもかやうの事(こと)をあはれ【哀】と思
食(おぼしめし)て、故(こ)左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)の墓(はか)へ内大臣(ないだいじん)正二位(じやうにゐ)を贈(ぞうせ)
P12425
らる。勅使(ちよくし)は左大弁(さだいべん)兼忠(かねただ)とぞきこえ【聞え】し。頼朝
卿(よりとものきやう)武勇(ぶゆう)の名誉(めいよ)長(ちやう)ぜるによ(ッ)て、身(み)をたて家(いへ)を
おこすのみならず、亡父(ばうぶ)聖霊(しやうりやう)贈官(ぞうくわん)贈位(ぞうゐ)に及(および)(をよび)けるこそ
目出(めでた)けれ。平大納言被流(へいだいなごんながされ)S1203同(おなじき)九月(くぐわつ)廿三日(にじふさんにち)、平家(へいけ)の余党(よたう)の都(みやこ)にある
を、国々(くにぐに)へつかはさ【遣さ】るべきよし、鎌倉殿(かまくらどの)P2383より公家(くげ)へ
申(まう)されたりければ、平(へい)大納言(だいなごん)時忠卿(ときただのきやう)能登国(のとのくに)、子息(しそく)
讃岐(さぬきの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)時実(ときざね)上総国(かづさのくに)、内蔵頭(くらのかみ)信基(のぶもと)安芸国(あきのくに)、
兵部少輔(ひやうぶのせう)正明(まさあきら)隠岐国(おきのくに)(をきのくに)、二位(にゐの)僧都(そうづ)専信【*全真】(せんしん)阿波国(あはのくに)、
P12426
法勝寺(ほつしようじの)(ほつせうじの)執行(しゆぎやう)能円(のうゑん)(のうえん)備後国(びんごのくに)、中納言(ちゆうなごんの)(ちうなごんの)律師(りつし)忠快(ちゆうくわい)(ちうくわい)
武蔵国(むさしのくに)とぞきこえ【聞え】し。或(あるいは)(あるは)西海(さいかい)の波(なみ)の上(うへ)、或(あるいは)(あるは)東
関(とうくわん)の雲(くも)のはて、先途(せんど)いづくを期(ご)せず、後会(こうくわい)其(その)期(ご)
をしら【知ら】ず。別(わかれ)の涙(なみだ)ををさへ(おさへ)【抑へ】て面々(めんめん)におもむか【赴か】れけん
心(こころ)のうち、おしはから【推し量ら】れて哀(あはれ)なり。そのなかに、平(へい)大納
言(だいなごん)は建礼門院(けんれいもんゐん)の吉田(よしだ)にわたらせ給(たま)ふところ【所】にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】
て、「時忠(ときただ)こそせめ【責め】おもう【重う】して、けふ既(すで)に配所(はいしよ)へおもむ
き【赴き】候(さうら)へ。おなじみやこの内(うち)に候(さうらひ)て、御(おん)あたりの御事共(おんことども)
P12427
うけ給(たま)はら【承ら】まほしう候(さうらひ)つるに、つゐに(つひに)【遂に】いかなる御(おん)
ありさまにてわたらせ給(たまひ)候(さうら)はんずらむと思(おもひ)をき(おき)
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)にこそ、ゆく空(そら)もおぼゆ【覚ゆ】まじう候(さうら)へ」と、
なくなく【泣く泣く】申(まう)されければ、女院(にようゐん)、「げにもむかしの名残(なごり)
とては、そこばかりこそおはしつれ。今(いま)は哀(あはれ)をもかけ、
とぶらふ人(ひと)も誰(たれ)かはあるべき」とて、御涙(おんなみだ)せきあへ
させ給(たま)はず。此(この)大納言(だいなごん)と申(まうす)は、出羽(ではの)前司(せんじ)具信(とものぶ)が
孫(まご)、兵部(ひやうぶ)権(ごんの)大輔(たいふ)(たゆふ)贈(ぞう)左大臣(さだいじん)時信(ときのぶ)が子(こ)なり。故(こ)建
P12428
春門院(けんしゆんもんゐん)の御(おん)せうど(せうと)【兄】にて、高倉(たかくら)の上皇(しやうくわう)(しやうくはう)の御外
戚(ごぐわいせき)なり。世(よ)のおぼえとき【時】のきら目出(めで)たかりき。入
道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の北方(きたのかた)八条(はつでう)の二位殿(にゐどの)も姉(あね)にておはせし
かば、兼官(けんぐわん)兼職(けんじよく)、おもひ【思ひ】のごとく心(こころ)のごとし。されば
程(ほど)なくあが(ッ)【上がつ】て正二位(じやうにゐ)の大納言(だいなごん)にいたれり。P2384検非
違使(けんびゐしの)(けんびいし)別当(べつたう)にも三ケ度(さんがど)までなり給(たま)ふ。此(この)人(ひと)の庁
務(ちやうむ)のときは、窃盜(せつたう)強盗(がうだう)をばめし【召し】と(ッ)【取つ】て、様(やう)もなく右(みぎ)
のかいな(かひな)【腕】をば、うでなかより打(うち)おとし【落し】打(うち)おとし【落し】おい(おひ)【追ひ】すて【捨て】
P12429
らる。されば、悪別当(あくべつたう)とぞ申(まうし)ける。主上(しゆしよう)并(ならびに)三種(さんじゆの)
神器(しんぎ)みやこへ返(かへ)し入(いれ)奉(たてまつ)るべきよし、西国(さいこく)へ
院宣(ゐんぜん)をくだされたりけるに、院宣(ゐんぜん)の御使(おんつかひ)(おつかひ)花形(はながた)が
つらに、浪(なみ)がたといふやいじるし【焼印】をせられけるも、此(この)
大納言(だいなごん)のしわざなり。法皇(ほふわう)(ほうわう)も故(こ)女院(にようゐん)の御(おん)せうど(せうと)【兄】
なれば、御(おん)かたみに御覧(ごらん)ぜまほしうおぼしめし【思し召し】
けれども、か様(やう)【斯様】の悪行(あくぎやう)によ(ッ)て御憤(おんいきどほり)(おんいきどをり)あさから【浅から】ず。九
郎(くらう)判官(はうぐわん)もしたしう【親しう】なられたりしかば、いかにも
P12430
して申(まうし)なだめ【宥め】ばやと思(おも)はれけれどもかなは【叶は】ず。
子息(しそく)侍従(じじゆう)(じじう)時家(ときいへ)とて、十六(じふろく)になられけるが、流罪(るざい)
にももれ【漏れ】て、伯父(をぢ)(おぢ)の時光卿(ときみつのきやう)のもとにおはし
けり。母(はは)うへ帥(そつ)のすけ【佐】どのとも【共】に大納言(だいなごん)の袂(たもと)に
すがり、袖(そで)をひかへて、今(いま)を限(かぎり)の名残(なごり)をぞおし
み(をしみ)【惜しみ】ける。大納言(だいなごん)、「つゐに(つひに)【遂に】すまじき別(わかれ)かは」とこころ
づようはの給(たま)へども、さこそは悲(かなし)うおもは【思は】れけめ。年(とし)
闌(たけ)齢(よはひ)傾(かたぶき)て後(のち)、さしもむつまじかりし妻子(さいし)にも
P12431
別(わかれ)はて、すみなれし都(みやこ)をも雲(くも)ゐのよそに
かへりみて、いにしへは名(な)にのみ聞(きき)し越路(こしぢ)の旅(たび)に
おもむき【赴き】、はるばると下(くだ)り給(たま)ふに、「かれは志賀(しが)唐崎(からさき)、
これは真野(まの)の入江(いりえ)、交田(かただ)の浦(うら)」と申(まうし)ければ、大納言(だいなごん)
泣々(なくなく)詠(えい)(ゑい)じ給(たま)ひけり。
かへりこむことはかた田(だ)にひくあみの
目(め)にもたまらぬわがなみだかな W092 P2385
昨日(きのふ)は西海(さいかい)の波(なみ)の上(うへ)にただよひて、怨憎懐苦(をんぞうゑく)
P12432
の恨(うらみ)を扁舟(へんしう)の内(うち)につみ、けふは北国(ほつこく)の雪(ゆき)のしたに
埋(うづも)れて、愛別離苦(あいべつりく)のかなしみを故郷(こきやう)の雲(くも)に
かさね【重ね】たり。土佐房(とさばう)被斬(きられ)S1204 さる程(ほど)に、九郎(くらう)判官(はうぐわん)には、鎌倉殿(かまくらどの)より
大名(だいみやう)十人(じふにん)つけられたりけれども、内々(ないない)御不審(ごふしん)を
蒙(かうぶ)り給(たま)ふよし聞(きこえ)しかば、心(こころ)をあはせて一人(いちにん)づつ
皆(みな)下(くだ)りはて【果て】にけり。兄弟(きやうだい)なるうへ、殊(こと)に父子(ふし)の
契(ちぎり)をして、去年(きよねん)の正月(しやうぐわつ)木曾(きそ)義仲(よしなか)を追討(ついたう)
せしよりこのかた、度々(どど)平家(へいけ)を攻(せめ)おとし【落し】、ことし
P12433
の春(はる)ほろぼしはて【果て】て、一天(いつてん)をしづめ、四海(しかい)をす
ます【澄ます】。勧賞(けんじやう)おこなはるべき処(ところ)に、いかなる子細(しさい)
あ(ッ)てかかかる聞(きこ)えあるらむと、かみ一人(いちじん)をはじめ
奉(たてまつ)り、しも万民(ばんみん)に至(いた)るまで、不審(ふしん)をなす。此(この)事(こと)
は、去(さんぬる)春(はる)、摂津国(つのくに)渡辺(わたなべ)よりふなぞろへして八島(やしま)へ
わたり給(たま)ひしとき、逆櫓(さかろ)たて【立て】うたて【立て】じの
論(ろん)をして、大(おほ)きにあざむかれたりしを、梶原(かぢはら)遺
恨(ゐこん)(いこん)におもひ【思ひ】て常(つね)は讒言(ざんげん)しけるによ(ッ)てなり。定(さだめて)謀
P12434
反(むほん)の心(こころ)もあるらん、大名共(だいみやうども)さしのぼせ【上せ】ば、宇
治(うぢ)・勢田(せた)の橋(はし)をもひき、京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)のさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】とな(ッ)て、
中々(なかなか)あしかり【悪しかり】なんとて、土佐房(とさばう)正俊【*昌俊】(しやうしゆん)をめして、
「和僧(わそう)のぼ(ッ)【上つ】て物詣(ぶつけい)するやうにて、たばか(ッ)てうて」と
の給(たま)ひければ、正俊【*昌俊】(しやうしゆん)P2386畏(かしこま)(ッ)てうけ給(たまは)り【承り】、宿所(しゆくしよ)へも帰(かへ)
らず、御前(ごぜん)をた(ッ)てやがて京(きやう)へぞ上(のぼ)りける。同(おなじき)九
月(くぐわつ)廿九日(にじふくにち)、土佐房(とさばう)都(みやこ)へついたりけれども、次(つぎの)日(ひ)まで
判官殿(はうぐわんどの)へもまいら(まゐら)【参ら】ず。正俊【*昌俊】(しやうしゆん)がのぼりたるよし
P12435
聞(きき)給(たま)ひ、武蔵房(むさしばう)弁慶(べんけい)をも(ッ)てめされければ、
やがてつれ【連れ】てまいり(まゐり)【参り】たり。判官(はうぐわん)の給(たま)ひけるは、
「いかに鎌倉殿(かまくらどの)より御文(おんふみ)はなきか」。「さしたる御事(おんこと)
候(さうら)はぬ間(あひだ)(あいだ)、御文(おんふみ)はまいらせ(まゐらせ)【参らせ】られず候(さうらふ)。御詞(おんことば)にて申(まう)せ
と候(さうらひ)しは、『「当時(たうじ)まで都(みやこ)に別(べち)の子細(しさい)なく候(さうらふ)事(こと)、
さて御渡(おんわたり)候(さうらふ)ゆへ(ゆゑ)【故】とおぼえ候(さうらふ)。相構(あひかまへ)(あいかまへ)てよく守護(しゆご)せ
させ給(たま)へ」と申(まう)せ』とこそ仰(おほ)せられ候(さうらひ)つれ」。判官(はうぐわん)
「よもさはあらじ。義経(よしつね)討(うち)にのぼる御使(おんつかひ)なり。
P12436
「大名(だいみやう)どもさし上(のぼ)せば、宇治(うぢ)・勢田(せた)の橋(はし)をも
ひき、都鄙(とひ)のさはぎ(さわぎ)【騒ぎ】ともな(ッ)て、中々(なかなか)あしかり【悪しかり】
なん。和僧(わそう)のぼせ【上せ】て物詣(ものまうで)する様(やう)にてたばか(ッ)て
うて」とぞ仰付(おほせつけ)られたるらんな」との給(たま)へば、正俊【*昌俊】(しやうしゆん)
大(おほき)に驚(おどろき)(をどろき)て、「何(なに)によ(ッ)てか只今(ただいま)さる事(こと)の候(さうらふ)べき。いささか
宿願(しゆくぐわん)によ(ッ)て、熊野参詣(くまのさんけい)のために罷上(まかりのぼり)て候(さうらふ)」。そ
のとき判官(はうぐわん)の給(たま)ひけるは、「景時(かげとき)が讒言(ざんげん)によ(ッ)て、
義経(よしつね)鎌倉(かまくら)へも入(いれ)られず。見参(げんざん)をだにし給(たま)はで、
P12437
おひ【追ひ】のぼせ【上せ】らるる事(こと)はいかに」。正俊【*昌俊】(しやうしゆん)「其(その)事(こと)はい
かが候(さうらふ)らん、身(み)にをいて(おいて)はま(ッ)たく御腹(おんぱら)ぐろ候(さうら)はず。起
請文[M 「記請文」とあり「記」をミセケチ「起」と傍書](きしやうもん)をかき進(しんず)べき」よし申(まう)せば、判官(はうぐわん)「とても
かうても鎌倉殿(かまくらどの)によしとおもは【思は】れたてま(ッ)【奉つ】たら
ばこそ」とて、以外(もつてのほか)(もてのほか)気(け)しき【気色】あしげになり給(たま)ふ。
正俊【*昌俊】(しやうしゆん)一旦(いつたん)の害(がい)をのがれ【逃れ】んがために、P2387居(ゐ)ながら七枚(しちまい)
の起請文[M 「記請文」とあり「記」をミセケチ「起」と傍書](きしやうもん)をかいて、或(あるいは)(あるは)やいてのみ、或(あるいは)(あるは)社(やしろ)に納(をさめ)(おさめ)な(ン)ど(など)
して、ゆり【許り】てかへり、大番衆(おほばんじゆ)にふれめぐらして
P12438
其(その)夜(よ)やがてよせ【寄せ】んとす。判官(はうぐわん)は磯禅師(いそのぜんじ)といふ
白拍子(しらびやうし)のむすめ、しづか【静】といふ女(をんな)(をうな)を最愛(さいあい)せられ
けり。しづかもかたはらを立(たち)さる事(こと)なし。しづか申(まうし)
けるは、「大路(おほち)はみな武者(むしや)でさぶらふなる。是(これ)より
催(もよほ)しのなからむに、大番衆(おほばんじゆ)の者(もの)どもこれほど
さはぐ(さわぐ)【騒ぐ】べき様(やう)やさぶらふ。あはれ是(これ)はひる【昼】の起請[M 「記請」とあり「記」をミセケチ「起」と傍書](きしやう)
法師(ぼふし)(ぼうし)のしわざとおぼえ候(さうらふ)。人(ひと)をつかはし【遣し】てみせ【見せ】
さぶらはばや」とて、六波羅(ろくはら)の故(こ)入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)のめし【召し】
P12439
つかは【使は】れけるかぶろを三四人(さんしにん)つかは【使は】れけるを、二人(ににん)
つかはし【遣し】たりけるが、程(ほど)ふるまで帰(かへ)らず。「中々(なかなか)女(をんな)(をうな)はくる
しからじ」とて、はしたものを一人(いちにん)見(み)せにつかはす【遣す】。
程(ほど)なくはしり【走り】帰(かへり)て申(まうし)けるは、「かぶろとおぼしきものは
ふたりながら、土佐房(とさばう)の門(もん)にきりふせ【伏せ】られてさぶらふ。
宿所(しゆくしよ)には鞍(くら)をき馬(むま)(くらおきむま)【鞍置き馬】どもひしとひ(ッ)【引つ】たて【立て】て、大幕(おほまく)の
うちには、矢(や)おひ【負ひ】弓(ゆみ)はり【張り】、者(もの)ども皆(みな)具足(ぐそく)して、
只今(ただいま)よせんといで立(たち)さぶらふ【候ふ】。すこし【少し】も物(もの)まうで
P12440
のけしきとは見(み)えさぶらはず」と申(まうし)ければ、判官(はうぐわん)
是(これ)をきい【聞い】て、やがてう(ッ)【打つ】たち【立ち】給(たま)ふ。しづかきせなが【着背長】と(ッ)て
なげかけ奉(たてまつ)る。たかひも【高紐】ばかりして、太刀(たち)と(ッ)て出(いで)給(たま)へば、
中門(ちゆうもん)(ちうもん)の前(まへ)に馬(むま)に鞍(くら)をい(おい)てひ(ッ)【引つ】たてたり。是(これ)に打
乗(うちのつ)て、「門(もん)をあけよ」とて門(もん)あけさせ、今(いま)や今(いま)やと待(まち)
給(たま)ふ処(ところ)に、しばしあ(ッ)てひた甲(かぶと)四五十騎(しごじつき)門(もん)の前(まへ)に
おしP2388よせて、時(とき)をど(ッ)とぞつくりける。判官(はうぐわん)鐙(あぶみ)ふ(ン)ば
り立(たち)あがり【上がり】、大音声(だいおんじやう)(だいをんじやう)をあげて、「夜討(ようち)にも昼戦(ひるだたかひ)
P12441
にも、義経(よしつね)たやすう討(うつ)べきものは、日本国(につぽんごく)に
おぼえぬものを」とて、只(ただ)一騎(いつき)おめい(をめい)【喚い】てかけ給(たま)へば、
五十騎(ごじつき)ばかりのもの共(ども)、中(なか)をあけてぞ通(とほ)(とを)しける。
さる程(ほど)に、江田(えだの)源三(げんざう)・熊井(くまゐ)太郎(たらう)・武蔵房(むさしばう)弁慶(べんけい)
な(ン)ど(など)いふ一人当千(いちにんたうぜん)の兵共(つはものども)、やがてつづゐ(つづい)【続い】て攻戦(せめたたかふ)。
其(その)後(のち)侍共(さぶらひども)「御内(みうち)に夜討(ようち)い(ッ)たり」とて、あそこのや
かたここの宿所(しゆくしよ)より馳来(はせきた)る。程(ほど)なく六七十騎(ろくしちじつき)
集(あつまり)ければ、土佐房(とさばう)たけくよせたりけれ共(ども)たた
P12442
かふ【戦ふ】にをよば(およば)【及ば】ず。散々(さんざん)にかけちらさ【散らさ】れて、たすかる
ものはすくなう、うたるるものぞおほかり【多かり】ける。
正俊【*昌俊】(しやうしゆん)希有(けう)にしてそこをばのがれ【逃れ】て、鞍馬(くらま)の奥(おく)に
にげ籠(こも)りたりけるが、鞍馬(くらま)は判官(はうぐわん)の故山(こさん)なり
ければ、彼(かの)法師(ほふし)(ほうし)土佐房(とさばう)をからめて、次(つぎの)日(ひ)判官(はうぐわん)の許(もと)へ
送(おく)(をく)りけり。僧正(そうじやう)が谷(たに)といふ所(ところ)にかくれ【隠れ】ゐたりけると
かや。正俊【*昌俊】(しやうしゆん)を大庭(おほには)にひ(ッ)【引つ】すへ(すゑ)【据ゑ】たり。かちの直垂(ひたたれ)にす(ッ)
ちやう頭巾(づきん)【首丁頭巾】をぞしたりける。判官(はうぐわん)わら(ッ)【笑つ】ての給(たま)ひ
P12443
けるは、「いかに和僧(わそう)、起請(きしやう)にはうてたるぞ」。土佐房(とさばう)す
こしもさはが(さわが)【騒が】ず、居(ゐ)なをり(なほり)【直り】、あざわら(ッ)【笑つ】て申(まうし)けるは、
「ある事(こと)にかいて候(さうら)へば、うてて候(さうらふ)ぞかし」と申(まうす)。「主
君(しゆくん)の命(めい)をおもんじて、私(わたくし)の命(いのち)をかろんず。こころ
ざしの程(ほど)、尤(もつとも)神妙(しんべう)なり。和僧(わそう)いのちおしく(をしく)【惜しく】は鎌倉(かまくら)
へ返(かへ)しつかはさ【遣さ】んはいかに」。P2389土佐房(とさばう)、「まさなうも御諚[* 「御定」と有るのを高野本により訂正](ごぢやう)候(さうらふ)
ものかな。おし(をし)【惜し】と申(まう)さば殿(との)はたすけ【助け】給(たま)はんずるか。鎌
倉殿(かまくらどの)の「法師(ほふし)(ほうし)なれども、をのれ(おのれ)【己】ぞねらはんずる者(もの)」
P12444
とて仰(おほ)せかうぶ(ッ)しより、命(いのち)をば鎌倉殿(かまくらどの)に奉(たてまつ)りぬ。
なじかはとり返(かへ)し奉(たてまつ)るべき。ただ御恩(ごおん)(ごをん)にはとくとく
頸(くび)をめされ候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、「さらばきれ」とて、六条川原(ろくでうかはら)に
ひき【引き】いだい【出い】てき(ッ)【斬つ】て(ン)げり。ほめぬ人(ひと)こそなかりけれ。判官都落(はうぐわんのみやこおち)S1205ここに
足立(あだち)新三郎(しんざぶらう)といふ雑色(ざふしき)(ざうしき)は、「きやつは下臈(げらふ)(げらう)なれども以
外(もつてのほか)(もてのほか)さかざかしいやつで候(さうらふ)。めし【召し】つかい(つかひ)【使ひ】給(たま)へ」とて、判官(はうぐわん)にまい
らせ(まゐらせ)【参らせ】られたりけるが、内々(ないない)「九郎(くらう)がふるまひみてわれにしら
せよ」とぞの給(たま)ひける。正俊【*昌俊】(しやうしゆん)がきらるるをみて、新
P12445
三郎(しんざぶらう)夜(よ)を日(ひ)についで馳下(はせくだ)り、鎌倉殿(かまくらどの)に此(この)由(よし)申(まうし)
ければ、舎弟(しやてい)参河【*三河】守(みかはのかみ)範頼(のりより)を討手(うつて)にのぼせ【上せ】給(たま)ふべ
きよし仰(おほせ)られけり。頻(しきり)に辞(じし)申(まう)されけれ共(ども)、重(かさね)てお
ほせられける間(あひだ)(あいだ)、力(ちから)をよば(およば)【及ば】で、物具(もののぐ)していとま申(まうし)に
まいら(まゐら)【参ら】れたり。「わとのも九郎(くらう)がまねし給(たま)ふなよ」と仰(おほせ)
られければ、此(この)御詞(おんことば)におそれ【恐れ】て、物具(もののぐ)ぬぎをき(おき)て京
上(きやうのぼり)はとどまり給(たまひ)ぬ。全(まつたく)不忠(ふちゆう)(ふちう)なきよし、一日(いちにち)に
十枚(じふまい)づつの起請(きしやう)を、昼(ひる)はかき、夜(よる)は御坪(おつぼ)の内(うち)P2390にて
P12446
読(よみ)あげ読(よみ)あげ、百日(ひやくにち)に千枚(せんまい)の起請(きしやう)を書(かき)てまいらせ(まゐらせ)【参らせ】られ
たりけれども、かなは【叶は】ずして終(つひ)(つゐ)にうた【討た】れ給(たま)ひ
けり。其(その)後(のち)北条(ほうでうの)四郎(しらう)時政(ときまさ)を大将(たいしやう)として、討手(うつて)
のぼると聞(きこ)えしかば、判官殿(はうぐわんどの)鎮西(ちんぜい)のかたへ落(おち)ばやと
おもひ【思ひ】たち給(たま)ふ処(ところ)に、緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)維義(これよし)は、平家(へいけ)を九
国(くこく)の内(うち)へも入(いれ)奉(たてまつ)らず、追出(おひいだ)(をひいだ)すほどの威勢(ゐせい)のものなりければ、
判官(はうぐわん)「我(われ)にたのま【頼ま】れよ」とぞの給(たま)ひける。「さ候(さうらは)ば、御内(みうちに)候(さうらふ)菊
地【*菊池】(きくちの)二郎(じらう)高直(たかなほ)(たかなを)は、年(とし)ごろの敵(かたき)で候(さうらふ)。給(たま)[B は](ッ)て頸(くび)を
P12447
き(ッ)てたのま【頼ま】れまいらせ(まゐらせ)【参らせ】ん」と申(まうす)。左右(さう)なうたう
だりければ、六条川原(ろくでうかはら)に引(ひき)いだし【出し】てき(ッ)て(ン)げり。
其(その)後(のち)維義(これよし)かひがひしう領状(りやうじやう)(りやうでう)す。同(おなじき)十一月(じふいちぐわつ)二日(ふつかのひ)、
九郎(くらう)大夫(たいふの)(たゆふの)判官(はうぐわん)院(ゐんの)御所(ごしよ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、大蔵卿(おほくらのきやう)泰経(やすつね)朝臣(あそん)(あつそん)
をも(ッ)て奏聞(そうもん)しけるは、「義経(よしつね)君(きみ)の御為(おんため)に奉公(ほうこう)
の忠(ちゆう)(ちう)を致(いたす)事(こと)、ことあたらしう初(はじめ)て申上(まうしあぐる)にをよ
び(および)【及び】候(さうら)はず。しかる【然る】を頼朝(よりとも)、郎等共(らうどうども)が讒言(ざんげん)によ(ッ)て、義
経(よしつね)をうたんと仕(つかまつり)候(さうらふ)間(あひだ)(あいだ)、しばらく鎮西(ちんぜい)の方(かた)へ罷
P12448
下(まかりくだ)らばやと存(ぞんじ)候(さうらふ)。院庁(ゐんのちやう)の御下文(みくだしぶみ)を一通(いつつう)下(くだし)預(あづかり)候(さうらは)
ばや」と申(まうし)ければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)「此(この)条(でう)頼朝(よりとも)がかへりきかん事(こと)
いかがあるべからむ」とて、諸卿(しよきやう)に仰合(おほせあはせ)られければ、「義経(よしつね)
都(みやこ)に候(さうらひ)て、関東(くわんとう)の大勢(おほぜい)みだれ入(いり)候(さうらは)ば、京都(きやうと)〔の〕狼籍【*狼藉】(らうぜき)
たえ【絶え】候(さうらふ)べからず。遠国(をんごく)へ下(くだり)候(さうらひ)なば、暫(しばらく)其(その)恐(おそれ)あらじ」と、
をのをの(おのおの)【各々】一同(いちどう)に申(まう)されければ、緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)をめし【召し】て、
臼杵(うすき)・戸次(へつき)・松浦党(まつらたう)、P2391惣(そう)じて鎮西(ちんぜい)のもの、義経(よしつね)を
大将(たいしやう)として其(その)下知(げぢ)にしたがふべきよし、庁(ちやう)の御
P12449
下文(みくだしぶみ)を給(たま)は(ッ)て(ン)げれば、其(その)勢(せい)五百(ごひやく)余騎(よき)、あくる三日(みつかのひ)
卯刻(うのこく)に京都(きやうと)にいささかのわづらひ【煩ひ】もなさず、浪風(なみかぜ)
もたてずして下(くだ)りにけり。摂津国(つのくに)源氏(げんじ)、太田(おほだの)太
郎(たらう)頼基(よりもと)「わが門(もん)の前(まへ)をとをし(とほし)ながら、矢(や)一(ひとつ)射(い)(ゐ)かけ
であるべきか」とて、川原津(かはらづ)といふ所(ところ)にお(ッ)【追つ】ついてせめ【攻め】
たたかふ【戦ふ】。判官(はうぐわん)は五百(ごひやく)余騎(よき)、太田(おほだの)太郎(たらう)は六十(ろくじふ)余騎(よき)にて
あり【有り】ければ、なかにとりこめ、「あますなもらす【漏らす】な」とて、
散々(さんざん)に攻(せめ)給(たま)へば、太田(おほだの)太郎(たらう)我(わが)身(み)手(て)おひ、家子(いへのこ)郎等(らうどう)
P12450
おほく【多く】うたせ、馬(むま)の腹(はら)い【射】させて引退(ひきしりぞ)く。判官(はうぐわん)
頸(くび)どもきりかけて、戦神(いくさがみ)にまつり、「門出(かどいで)(かどで)よし」と悦(よろこん)
で、だいもつ【大物】の浦(うら)より船(ふね)にの(ッ)【乗つ】て下(くだ)られけるが、折
節(をりふし)(おりふし)西(にし)のかぜはげしくふき、住吉(すみよし)の浦(うら)にうちあげ
られて、吉野(よしの)のおくにぞこもりける。吉野(よしの)法師(ぼふし)(ぼうし)に
せめ【攻め】られて、奈良(なら)へおつ。奈良(なら)法師(ぼふし)(ぼうし)に攻(せめ)られて、又(また)
都(みやこ)へ帰(かへ)り入(いり)、北国(ほつこく)にかか(ッ)て、終(つひ)(つゐ)に奥(おく)へぞ下(くだ)られける。
都(みやこ)よりあひ具(ぐ)したりける女房達(にようばうたち)十余人(じふよにん)、住吉(すみよし)
P12451
の浦(うら)に捨(すて)をき(おき)たりければ、松(まつ)の下(した)、まさごのうへに
袴(はかま)ふみしだき、袖(そで)をかたしい【片敷い】て泣(なき)ふしたりけるを、
住吉(すみよしの)神官共(じんぐわんども)憐(あはれ)んで、みな京(きやう)へぞ送(おく)(をく)りける。凡(およそ)(をよそ)判
官(はうぐわん)のたのま【頼ま】れたりける伯父(をぢ)(おぢ)信太(しだの)三郎(さぶらう)先生(せんじやう)義教【*義憲】(よしのり)・
十郎(じふらう)蔵人(くらんど)行家(ゆきいへ)・緒方(をかたの)(おかたの)三郎(さぶらう)維義(これよし)が船共(ふねども)、浦々(うらうら)島々(しまじま)
に打(うち)よせられて、互(たがひ)(たがい)にその行(ゆく)ゑ(ゆくへ)【行方】をしら【知ら】ず。忽(たちまち)に西(にし)の
かぜふきける事(こと)も、平家(へいけ)の怨霊(をんりやう)P2392のゆへ(ゆゑ)【故】とぞお
ぼえける。同(おなじき)十一月(じふいちぐわつ)七日(なぬかのひ)、鎌倉(かまくら)の源二位(げんにゐ)頼朝卿(よりとものきやう)の
P12452
代官(だいくわん)として、北条(ほうでうの)四郎(しらう)時政(ときまさ)、六万(ろくまん)余騎(よき)を相具(あひぐ)して
都(みやこ)へ入(いり)、伊与【*伊予】守(いよのかみ)源(みなもとの)義経(よしつね)・備前守(びぜんのかみ)同(おなじく)行家(ゆきいへ)・信太(しだの)
三郎(さぶらう)先生(せんじやう)同(おなじく)義教【*義憲】(よしのり)追討(ついたう)すべきよし奏聞(そうもん)し
ければ、やがて院宣(ゐんぜん)をくだされけり。去(さんぬる)二日(ふつかのひ)は義経(よしつね)が申(まうし)
うくる旨(むね)にまかせて、頼朝(よりとも)をそむくべきよし
庁(ちやう)の御下文(みくだしぶみ)をなされ、同(おなじき)八日(やうかのひ)は頼朝卿(よりとものきやう)申状(まうしじやう)(まうしでう)によ(ッ)て、
義経(よしつね)追討(ついたう)の院宣(ゐんぜん)を下(くだ)さる。朝(あした)にかはり夕(ゆふべ)に変(へん)
ずる世間(よのなか)の不定(ふぢよう)こそ哀(あはれ)なれ。吉田(よしだの)大納言(だいなごん)の沙汰(さた)S1206さる程(ほど)に、鎌倉殿(かまくらどの)
P12453
日本国(につぽんごく)の惣追補使【*惣追捕使】(そうづいぶし)を給(たま)は(ッ)て、反別(たんべつ)に兵粮米(ひやうらうまい)を
宛行(あておこなふ)べきよし申(まう)されけり。朝(てう)の怨敵(をんでき)をほろ
ぼしたるものは、半国(はんごく)を給(たま)はるといふ事(こと)、無量義
経(むりやうぎきやう)に見(み)えたり。され共(ども)我(わが)朝(てう)にはいまだ其(その)例(れい)なし。
「是(これ)は過分(くわぶん)の申状(まうしじやう)(まうしでう)なり」と、法皇(ほふわう)(ほうわう)仰(おほせ)なりけれ共(ども)、公卿(くぎやう)
僉議(せんぎ)あ(ッ)て、「頼朝卿(よりとものきやう)の申(まう)さるる所(ところ)、道理(だうり)なかばなり」
とて、御(おん)ゆるされ【許され】あり【有り】けるとかや。諸国(しよこく)に守護(しゆご)を
をき(おき)、庄園(しやうゑん)(しやうえん)に地頭(ぢとう)を補(ふ)せらる。一毛(いちもう)ばかりもかくる【隠る】
P12454
べき様(やう)なかりけり。鎌倉殿(かまくらどの)かやうの事(こと)人(ひと)おほし【多し】と
いへ共(ども)、吉田(よしだの)大納言(だいなごん)経房卿(つねふさのきやう)をも(ッ)て奏聞(そうもん)せらP2393れ
けり。この大納言(だいなごん)はうるはしい人(ひと)と聞(きこ)え給(たま)へり。
平家(へいけ)にむすぼほれたりし人々(ひとびと)も、源氏(げんじ)の世(よ)の
つより【強り】し後(のち)は、或(あるいは)(あるは)ふみ【文】をくだし、或(あるいは)(あるは)使者(ししや)をつかはし【遣し】、
さまざまにへつらひ給(たま)ひしか共(ども)、この人(ひと)はさもし給(たま)
はず。されば平家(へいけ)の時(とき)も、法皇(ほふわう)(ほうわう)を鳥羽殿(とばどの)におし
こめまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、後院(ごゐん)の別当(べつたう)ををか(おか)【置か】れしには、勘
P12455
解由小路[* 「勘解由少路」と有るのを高野本により訂正](かでのこうぢの)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)此(この)経房卿(つねふさのきやう)二人(ににん)をぞ後院(ごゐん)の
別当(べつたう)にはなされたりける。権(ごんの)右中弁(うちゆうべん)(うちうべん)光房(みつふさの)朝臣(あそん)(あつそん)
の子(こ)也(なり)。十二(じふに)の年(とし)父(ちち)の朝臣(あそん)(あつそん)うせ給(たま)ひしかば、みなし
子(ご)にておはせしか共(ども)、次第(しだい)の昇進(しようじん)(せうじん)とどこほらず、
三事(さんし)の顕要(けんえう)(けんよう)を兼帯(けんたい)して、夕郎(せきらう)の貫首(くわんじゆ)をへ【経】、
参議(さんぎ)・大弁(だいべん)・中納言(ちゆうなごん)・太宰帥(ださいのそつ)、遂(つひ)(つい)に正二位(じやうにゐ)大納言(だいなごん)に
至(いた)れり。人(ひと)をばこえ【越え】給(たま)へども、人(ひと)にはこえられ給(たま)はず。
されば人(ひと)の善悪(ぜんあく)は錐(きり)袋(ふくろ)をとおす(とほす)【通す】とてかくれ【隠れ】なし。
P12456
ありがたかりし人(ひと)なり。六代(ろくだい)S1207北条(ほうでうの)四郎(しらう)策(はかりこと)(はかりコト)に「平家(へいけ)の
子孫(しそん)といはん人(ひと)尋出(たづねいだ)したらん輩(ともがら)にをいて(おいて)は、
所望(しよまう)こふ【乞ふ】によるべし」と披露(ひろう)せらる。京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)の
ものども、案内(あんない)はし(ッ)たり、勧賞(けんじやう)蒙(かうぶ)らんとて、尋(たづね)
もとむるぞうたてき。かかりければ、いくらも尋(たづね)
いだしたりけり。P2394下臈(げらふ)(げらう)の子(こ)なれども、いろ【色】しろう【白う】
見(み)めよきをばめし【召し】いだい【出い】て、「是(これ)はなんの中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)の
若君(わかぎみ)、彼(かの)少将殿(せうしやうどの)の君達(きんだち)」と申(まう)せば、父母(ぶも)なき【泣き】
P12457
かなしめども、「あれは介惜(かいしやく)【介錯】が申(まうし)候(さうらふ)」。「あれはめのとが
申(まうす)」なんど(など)いふ間(あひだ)(あいだ)、無下(むげ)におさなき(をさなき)【幼き】をば水(みづ)に入(いれ)、土(つち)
に埋(うづ)み、少(ちと)おとなしきをばおしころし【殺し】、さしころ
す。母(はは)がかなしみ、めのとがなげき、たとへんかたぞ
なかりける。北条(ほうでう)も子孫(しそん)さすが多(おほ)ければ、是(これ)をいみじ
とは思(おも)はねど、世(よ)にしたがふならひ【習ひ】なれば、力(ちから)をよば(およば)【及ば】ず。中(なか)
にも小松(こまつの)三位(さんみの)(さんゐの)中将殿(ちゆうじやうどのの)(ちうじやうどのの)若君(わかぎみ)、六代(ろくだい)御前(ごぜん)とておはす
なり。平家(へいけ)の嫡々(ちやくちやく)なるうへ、とし【年】もおとなしう
P12458
ましますなり。いかにもしてとり奉(たてまつ)らむとて、
手(て)をわけ【分け】てもとめ【求め】られけれども、尋(たづね)かねて、既(すで)に
下(くだ)らんとせられける処(ところ)に、ある女房(にようばう)の六波羅(ろくはら)に出(いで)
て申(まうし)けるは、「是(これ)より西(にし)、遍照寺(へんぜうじ)のおく、大覚寺(だいかくじ)と
申(まうす)山寺(やまでら)の北(きた)のかた、菖蒲谷(しやうぶだに)と申(まうす)所(ところ)にこそ、
小松(こまつの)三位(さんみの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)の北方(きたのかた)・若君(わかぎみ)・姫公(ひめぎみ)おはしませ」と
申(まう)せば、時政(ときまさ)頓(やが)て人(ひと)をつけて、そのあたりをう
かがは【伺は】せける程(ほど)に、或(ある)坊(ばう)に、女房達(にようばうたち)おさなき(をさなき)【幼き】人(ひと)
P12459
あまた、ゆゆしくしのび【忍び】たるてい【体】にてすまゐ(すまひ)【住ひ】けり。
籬(まがき)のひまよりのぞきければ、白(しろ)いゑのこ【犬子】の走出(はしりいで)たる
をとらんとて、うつくしげなる若公(わかぎみ)【若君】の出(いで)給(たま)へば、めの
との女房(にようばう)とおぼしくて、「あなあさまし。人(ひと)もこそ
見(み)まいらすれ(まゐらすれ)【参らすれ】」とて、いそぎひき【引き】入(いれ)奉(たてまつ)る。是(これ)ぞ一定(いちぢやう)
そにておはしますらむとおもひ【思ひ】、P2395いそぎ走帰(はしりかへ)(ッ)て
かくと申(まう)せば、次(つぎ)の日(ひ)北条(ほうでう)かしこに打(うち)むかひ【向ひ】、四
方(しはう)を打(うち)かこみ、人(ひと)をいれ【入れ】ていはせけるは、「平家(へいけ)小松(こまつの)
P12460
三位(さんみの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)の若君(わかぎみ)六代(ろくだい)御前(ごぜん)、是(これ)におはしますと
承(うけたま)は(ッ)て、鎌倉殿(かまくらどの)の御代官(ごだいくわん)に北条(ほうでうの)四郎(しらう)時政(ときまさ)と申(まうす)
ものが御(おん)むかへ【向へ】にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。はやはや出(いだ)しまいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】させ
給(たま)へ」と申(まうし)ければ、母(はは)うへ是(これ)を聞(きき)給(たま)ふに、つやつや
物(もの)もおぼえ給(たま)はず。斎藤五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)はしり【走り】ま
は(ッ)て見(み)けれども、武士(ぶし)ども四方(しはう)を打(うち)かこみ、いづかたより
出(いだ)し奉(たてまつ)るべしともおぼえず。めのとの女房(にようばう)も
御(おん)まへにたふれ【倒れ】ふし、こゑ【声】もおしま(をしま)【惜しま】ずおめき(をめき)【喚き】さけ
P12461
ぶ【叫ぶ】。日(ひ)ごろはものをだにもたかく【高く】いはず、しのび【忍び】つつ
かくれ【隠れ】ゐたりつれども、今(いま)は家(いへ)の中(うち)にありと
あるもの、こゑ【声】を調(そろ)へて泣(なき)かなしむ。北条(ほうでう)も是(これ)
をきい【聞い】て、よに心(こころ)くるしげ【苦し気】におもひ【思ひ】、なみだ【涙】おし
のごい(のごひ)、つくづくとぞま(ッ)【待つ】たりける。ややあ(ッ)てかさね【重ね】
て申(まう)されけるは、「世(よ)もいまだしづまり候(さうら)はねば、しど
けなき事(こと)もぞ候(さうらふ)とて、御(おん)むかへ【向へ】にまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)。別(べち)
の御事(おんこと)は候(さうらふ)まじ。はやはや出(いだ)しまいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】させ給(たま)
P12462
へ」と申(まうし)ければ、若君(わかぎみ)母(はは)うへに申(まう)されけるは、「つゐ
に(つひに)【遂に】のがる【逃る】まじう候(さうら)へば、とくとくいださせおはしませ。
武士共(ぶしども)うち入(いり)てさがすものならば、うたてげ
なる御(おん)ありさまどもを見(み)えさせ給(たま)ひなんず。
たとひまかり【罷り】出(いで)候(さうらふ)とも、しばしも候(さうら)はば、いとまこう【乞う】
てかへりまいり(まゐり)【参り】候(さうら)はん。いたくな歎(なげ)かせ給(たま)ひ候(さうらひ)そ」
と、なぐさめ給(たま)ふこそいP2396とおしけれ(いとほしけれ)。さてもあるべ
きならねば、母(はは)うへなくなく【泣く泣く】御(おん)ぐしかきなで、
P12463
ものき【着】せ奉(たてまつ)り、既(すで)に出(いだ)し奉(たてまつ)らむとしたまひ
けるが、黒木(くろき)のずず【数珠】のちいさう(ちひさう)【小さう】うつくしいを
とりいだして、「是(これ)にていかにもならんまで、念仏(ねんぶつ)
申(まうし)て極楽(ごくらく)へまいれ(まゐれ)【参れ】よ」とて奉(たてまつ)り給(たま)へば、若君(わかぎみ)是(これ)
をと(ッ)て、「母御前(ははごぜん)にけふ既(すで)にはなれ【離れ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】なんず。
今(いま)はいかにもして、父(ちち)のおはしまさん所(ところ)へぞま
いり(まゐり)【参り】たき」との給(たま)ひけるこそ哀(あは)れなれ。是(これ)を
きい【聞い】て、御妹(おんいもうと)の姫君(ひめぎみ)の十(とを)になり給(たま)ふが、「われも
P12464
ちち御前(ごぜん)の御(おん)もとへまいら(まゐら)【参ら】む」とて、はしり【走り】出(いで)
給(たま)ふを、めのとの女房(にようばう)とりとどめ【留め】奉(たてまつ)る。六代(ろくだい)御前(ごぜん)
ことしはわづかに十二(じふに)にこそなり給(たま)へども、よのつ
ねの十四五(じふしご)よりはおとなしく、みめかたちゆう(いう)【優】に
おはしければ、敵(かたき)によはげ(よわげ)【弱気】をみえ【見え】じと、おさふる袖(そで)の
ひまよりも、あまりて涙(なみだ)ぞこぼれける。さて御輿(おんこし)
にのり給(たま)ふ。武士(ぶし)ども前後(ぜんご)左右(さう)に打(うち)かこ(ン)【囲ん】で出(いで)に
けり。斎藤五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)御輿(おんこし)の左右(さう)についてぞ
P12465
まいり(まゐり)【参り】ける。北条(ほうでう)のりがへ【乗替】共(ども)おろしてのすれ【乗すれ】ども
のらず。大覚寺(だいかくじ)より六波羅(ろくはら)までかちはだしに
てぞ走(はしり)ける。母(はは)うへ・めのとの女房(にようばう)、天(てん)にあふぎ地(ち)に
ふしてもだえ【悶え】こがれ給(たま)ひけり。「此(この)日(ひ)ごろ平家(へいけ)の
子(こ)どもとりあつめ【集め】て、水(みづ)にいるるもあり、土(つち)にう
づむ【埋む】もあり、おP2397しころし【殺し】、さしころし【殺し】、さまざまに
すときこゆれば、我(わが)子(こ)は何(なに)としてかうしなは【失は】ん
ずらん。すこし【少し】おとなしければ、頸(くび)をこそきら【斬ら】ん
P12466
ずらめ。人(ひと)の子(こ)はめのとな(ン)ど(など)のもとにをき(おき)て、時々(ときどき)
見(み)る事(こと)もあり。それだにも恩愛(おんあい)(をんあひ)はかなしき【悲しき】
習(ならひ)ぞかし。况(いはん)や是(これ)はうみおとし【落し】て後(のち)、ひとひ【一日】
かたとき【片時】も身(み)をはなたず、人(ひと)のもたぬものを
もちたるやうにおもひ【思ひ】て、朝(あさ)ゆふふたりの中(なか)にて
そだて【育て】しものを、たのみ【頼み】をかけし人(ひと)にもあかで
別(わかれ)しそののちは、ふたりをうらうへ【裏表】にをき(おき)て
こそなぐさみつるに、ひとりはあれどもひとりは
P12467
なし。けふより後(のち)はいかがせん。此(この)三(み)とせが間(あひだ)(あいだ)、よる
ひるきも【肝】心(こころ)をけしつつ、おもひ【思ひ】まうけ【設け】つる
事(こと)なれども、さすが昨日(きのふ)今日(けふ)とはおもひ【思ひ】よらず。
年(とし)ごろは長谷(はせ)の観音(くわんおん)(くわんをん)をこそふかう【深う】たのみ【頼み】
奉(たてまつ)りつるに、終(つひ)(つゐ)にとられぬる事(こと)のかなしさよ。
只今(ただいま)もやうしなひ【失ひ】つらん」とかきくどき【口説き】、泣(なく)より
外(ほか)の事(こと)ぞなき。さ夜(よ)もふけけれどむね【胸】せき
あぐる心(ここ)ち【心地】して、露(つゆ)もまどろみ給(たま)はぬが、めの
P12468
との女房(にようばう)にの給(たま)ひけるは、「ただいまちとうちま
どろみたりつる夢(ゆめ)に、此(この)子(こ)がしろい【白い】馬(むま)にのりて
来(きた)りつるが、「あまりに恋(こひ)しうおもひ【思ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうら)へば、
しばしのいとま【暇】こう【乞う】てまいり(まゐり)【参り】て候(さうらふ)」とて、そばにつ
いゐて、何(なに)とやらん、よにうらめしげ【恨めし気】に思(おも)ひて、さめざめ
と泣(なき)つるが、程(ほど)なくうちおどろかれて、もしやとかた
はらをさぐれ【探れ】ども人(ひと)もなし。夢(ゆめ)なり共(とも)しばしも
あらで、さめぬるP2398事(こと)のかなしさよ」とぞかたり給(たま)ふ。
P12469
めのとの女房(にようばう)もなきけり。長(ながき)夜(よ)もいとど明(あか)し
かねて、涙(なみだ)に床(とこ)も浮(うく)ばかり也(なり)。限(かぎり)あれば、鶏人(けいじん)暁(あかつき)
をとなへて夜(よ)も明(あけ)ぬ。斎藤六(さいとうろく)帰(かへ)りまいり(まゐり)【参り】たり。
「さていかにやいかに」と問(と)ひ給(たま)へば、「只今(ただいま)まではべち【別】
の御事(おんこと)も候(さうら)はず。御文(おんふみ)の候(さうらふ)」とて、とりいだい【出い】て奉(たてまつ)る。
あけて御(ご)らんずれば、「いかに御心(おんこころ)ぐるしうおぼし
めされ候(さうらふ)らむ。只今(ただいま)までは別(べち)の事(こと)も候(さうら)はず。いつしか
たれだれも御恋(おんこひ)しうこそ候(さうら)へ」と、よにおとなし
P12470
やかにかき給(たま)へり。母(はは)うへ是(これ)を見(み)給(たま)ひて、とかうの
事(こと)もの給(たまは)ず。ふみをふところ【懐】に引入(ひきいれ)て、うつ
ぶしにぞなられける。誠(まこと)に心(こころ)の内(うち)さこそはおはし
けめとおしはから【推し量ら】れて哀(あはれ)なり。かくて遥(はるか)に時刻(じこく)
おしうつりければ、「時(とき)の程(ほど)もおぼつかなう候(さうらふ)に、帰(かへり)まい
ら(まゐら)【参ら】ん」と申(まう)せば、母(はは)うへ泣々(なくなく)御返事(おんぺんじ)かいてたう【賜う】で
けり。斎藤六(さいとうろく)いとま申(まうし)て罷出(まかりいづ)。めのとの女房(にようばう)せ
めても心(こころ)のあられずさに、はしり【走り】出(いで)て、いづくを
P12471
さすともなく、その辺(へん)を足(あし)にまかせてなき
ありく程(ほど)に、ある人(ひと)の申(まうし)けるは、「此(この)おくに高雄(たかを)(たかお)
といふ山寺(やまでら)あり。その聖(ひじり)文覚房(もんがくばう)と申(まうす)人(ひと)こそ、鎌
倉殿(かまくらどの)にゆゆしき大事(だいじ)の人(ひと)におもは【思は】れまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て
おはしますが、上臈(じやうらふ)(じやうらう)の御子(おんこ)を御弟子(おんでし)にせんとて
ほしがら【欲しがら】るなれ」と申(まうし)ければ、うれしき事(こと)をきき
ぬと思(おも)ひて、母(はは)うへにかく共(とも)申(まう)さず、ただP2399一人(いちにん)高
雄(たかを)(たかお)に尋入(たづねい)り、聖(ひじり)にむかひ【向ひ】奉(たてまつ)て、「ち【血】のなかよりおほ
P12472
し【生し】たて【立て】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、ことし十二(じふに)にならせ給(たま)ひ
つる若君(わかぎみ)を、昨日(きのふ)武士(ぶし)にとられてさぶらふ【候ふ】。御命(おんいのち)
こい(こひ)【乞ひ】うけ【請け】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)ひて、御弟子(おんでし)にせさせ給(たま)ひ
なんや」とて、聖(ひじり)のまへにたふれ【倒れ】ふし、こゑ【声】もおしま(をしま)【惜しま】ず
なきさけぶ【叫ぶ】。まこと【誠】にせんかたなげにぞ見(み)えたり
ける。聖(ひじり)むざんにおぼえければ事(こと)の子細(しさい)をとひ
給(たま)ふ。おきあが(ッ)【上がつ】て泣々(なくなく)申(まうし)けるは、「平家(へいけ)小松(こまつの)三位(さんみの)
中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の北方(きたのかた)の、したしうまします人(ひと)の御子(おんこ)を
P12473
やしなひ奉(たてまつ)るを、もし中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)の君達(きんだち)とや人(ひと)
の申(まうし)さぶらひけん、昨日(きのふ)武士(ぶし)のとりまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て
まかり【罷り】さぶらひぬるなり」と申(まうす)。「さて武士(ぶし)をば誰(たれ)と
いひつる」。「北条(ほうでう)とこそ申(まうし)さぶらひつれ」。「いでいでさらば
行(ゆき)むかひ【向ひ】て尋(たづね)む」とて、つきいで【出で】ぬ。此(この)詞(ことば)をたのむ【頼む】
べきにはあらね共(ども)、聖(ひじり)のかくいへば、今(いま)すこし【少し】人(ひと)の心(ここ)
ち【心地】いできて、大覚寺(だいかくじ)へかへりまいり(まゐり)【参り】、母(はは)うへにかくと
申(まう)せば、「身(み)をなげに出(いで)ぬるやらんとおもひ【思ひ】て、我(われ)も
P12474
いかならん淵河(ふちかは)にも身(み)をなげんと思(おも)ひたれば」
とて、事(こと)の子細(しさい)をとひ給(たま)ふ。聖(ひじり)の申(まうし)つる様(やう)を
ありのままに語(かた)りければ、「あはれこい(こひ)【乞ひ】うけ【請け】て、今(いま)一度(ひとたび)
見(み)せよかし」とて、手(て)をあはせてぞなかれける。聖(ひじり)
六波羅(ろくはら)にゆきむか(ッ)【向つ】て、事(こと)の子細(しさい)をとひ給(たま)ふ。北条(ほうでう)申(まうし)
けるは、「鎌倉殿(かまくらどの)のおほせに、「平家(へいけ)の子孫(しそん)京中(きやうぢゆう)(きやうぢう)に多(おほ)く
しのん【忍ん】でありときく。中(なか)にも小松(こまつの)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)のP2400子息(しそく)、
中御門(なかのみかど)の新(しん)大納言(だいなごん)のむすめの腹(はら)にありときく。
P12475
平家(へいけ)の嫡々(ちやくちやく)なるうへ、年(とし)もおとなしかんなり。いかにも
尋(たづね)いだし【出し】て失(うしな)ふべし」と仰(おほ)せを蒙(かうぶり)て候(さうらひ)しが、此(この)
程(ほど)すゑずゑのおさなき(をさなき)【幼き】人々(ひとびと)をば少々(せうせう)取(とり)奉(たてまつり)て候(さうらひ)つれ共(ども)、
此(この)若公(わかぎみ)【若君】は在所(ありどころ)をしり奉(たてまつ)らで、尋(たづね)かねて既(すでに)むな
しう【空しう】罷下(まかりくだ)らむとし候(さうらひ)つるが、おもは【思は】ざる外(ほか)、一昨日(をととひ)(おととひ)
聞出(ききいだ)して、昨日(きのふ)むかへ【向へ】奉(たてまつり)て候(さうら)へども、なのめならず
うつくしうおはする間(あひだ)(あいだ)、あまりにいとおしく(いとほしく)て、
いまだともかうもし奉(たてまつ)らでをき(おき)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうらふ)」
P12476
と申(まう)せば、聖(ひじり)、「いでさらば見(み)奉(たてまつ)らむ」とて、若公(わかぎみ)【若君】の
おはしける所(ところ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】給(たま)へば、ふたへおり
もの【二重織物】の直垂(ひたたれ)に、黒木(くろき)の数珠(じゆず)手(て)にぬき【貫き】入(いれ)ておは
します。髪(かみ)のかかり、すがた、事(こと)がら、誠(まこと)にあてに
うつくしく、此(この)世(よ)の人(ひと)とも見(み)え給(たま)はず。こよひ
うちとけてね給(たま)はぬとおぼしくて、すこし【少し】
おもやせ給(たま)へるにつけて、いとど心(こころ)ぐるしうらう
たくぞおぼえける。聖(ひじり)を御(ご)らんじて何(なに)とかおぼし
P12477
けん、涙(なみだ)ぐみ給(たま)へば、聖(ひじり)も是(これ)を見(み)奉(たてまつ)てすぞろに
墨染(すみぞめ)の袖(そで)をぞしぼりける。たとひ末(すゑ)の世(よ)に、いか
なるあた敵(かたき)になるともいかが是(これ)を失(うしな)ひ奉(たてまつ)るべきと
かなしう【悲しう】おぼえければ、北条(ほうでう)にの給(たま)ひけるは、「此(この)若
君(わかぎみ)を見(み)奉(たてまつ)るに、先世(ぜんぜ)の事(こと)にや候(さうらふ)らん、あまりに
いとおしう(いとほしう)おもひ【思ひ】奉(たてまつ)り候(さうらふ)。廿日(はつか)が命(いのち)をのべてたべ。
鎌倉殿(かまくらどの)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まうし)あづかり候(さうら)はん。聖(ひじり)鎌倉殿(かまくらどの)を
世(よ)にあらせ奉(たてまつ)らむとて、我(わが)身(み)も流人(るにん)であり
P12478
ながら、P2401院宣(ゐんぜん)うかがふ(うかがう)【伺う】て奉(たてまつ)らんとて、京(きやう)へ上(のぼ)るに、案
内(あんない)もしらぬ富士川(ふじがは)の尻(すそ)による【夜】わたりかか(ッ)て、既(すで)に
おしながされんとしたりし事(こと)、高市(たかいち)の山(やま)にて
ひ(ッ)ぱぎ【引剥】にあひ、手(て)をす(ッ)て命(いのち)ばかりいき、福原(ふくはら)の
籠(ろう)の御所(ごしよ)へまいり(まゐり)【参り】、前(さきの)右兵衛督(うひやうゑのかみ)(うひやうへのかみ)光能卿(みつよしのきやう)につき奉(たてまつ)て、
院宣(ゐんぜん)申(まうし)いだいて奉(たてまつり)しときのやくそく【約束】には、「いかなる
大事(だいじ)をも申(まう)せ。聖(ひじり)が申(まう)さむ事(こと)をば、頼朝(よりとも)が一期(いちご)の
間(あひだ)(あいだ)はかなへ【適へ】ん」とこその給(たま)ひしか。其(その)後(のち)もたびたび
P12479
の奉公(ほうこう)、かつは見(み)給(たま)ひし事(こと)なれば、事(こと)あたらしう
はじめて申(まうす)べきにあらず。契(ちぎり)をおもう【重う】して
命(いのち)をかろうず【軽うず】。鎌倉殿(かまくらどの)に受領神(じゆりやうがみ)つき給(たま)はずは、
よもわすれ給(たま)はじ」とて、その暁(あかつき)立(たち)にけり。斎藤五(さいとうご)・
斎藤六(さいとうろく)是(これ)をきき、聖(ひじり)を生身(しやうじん)の仏(ほとけ)の如(ごと)くおもひ【思ひ】
て、手(て)を合(あはせ)て涙(なみだ)をながす。いそぎ大覚寺(だいかくじ)へまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て
此(この)由(よし)申(まうし)ければ、是(これ)をきき給(たま)ひける母(はは)うへの心(こころ)のうち、
いか斗(ばかり)かはうれしかりけん。されども鎌倉(かまくら)のはか
P12480
らひなれば、いかがあらむずらんとおぼつかなけれ
ども、当時(たうじ)聖(ひじり)のたのもしげ【頼もし気】に申(まうし)て下(くだ)りぬる
うへ、廿日(はつか)の命(いのち)ののび給(たま)ふに、母(はは)うへ・めのとの女房(にようばう)
すこし【少し】心(こころ)もとりのべて、ひとへに観音(くわんおん)(くわんをん)の御(おん)た
すけ【助け】なればたのもしう【頼もしう】ぞおもは【思は】れける。かくて
明(あか)し暮(くら)し給(たま)ふ程(ほど)に、廿日(はつか)のすぐる【過ぐる】は夢(ゆめ)なれ
や、聖(ひじり)はいまだ見(み)えざりけり。「何(なに)となりぬる事(こと)や
らん」と、なかなか心(こころ)ぐるしうて、今更(いまさら)またもだえ【悶え】こがP2402れ
P12481
給(たま)ひけり。北条(ほうでう)も、「文学房(もんがくばう)のやくそく【約束】の日数(ひかず)も
すぎぬ。さのみ在京(ざいきやう)して年(とし)を暮(くら)すべきにも
あらず。今(いま)は下(くだ)らむ」とてひしめきければ、斎藤五(さいとうご)・
斎藤六(さいとうろく)手(て)をにぎり肝(きも)魂(たましひ)(たましゐ)をくだけ共(ども)、聖(ひじり)もいまだ
見(み)えず、使者(ししや)をだにも上(のぼ)せねば、おもふ【思ふ】はかりぞ
なかりける。是等(これら)大覚寺(だいかくじ)へ帰(かへ)りまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て、「聖(ひじり)もいまだ
のぼり候(さうら)はず。北条(ほうでう)も暁(あかつき)下向(げかう)仕(つかまつり)候(さうらふ)」とて、左右(さう)の袖(そで)を
かほにおしあてて、涙(なみだ)をはらはらとながす。是(これ)をきき
P12482
給(たま)ひける母(はは)うへの心(こころ)のうち、いかばかりかはかなし
かり【悲しかり】けむ。「あはれおとなしやかならむものの、聖(ひじり)の
行(ゆき)あはん所(ところ)まで六代(ろくだい)をぐせよといへかし。もし
こひうけ【乞請】てものぼらむに、さきにきりたらんか
なしさをば、いかがせむずる。さてとく【疾く】うしなひ【失なひ】
げなるか」とのたまへば、「やがて此(この)暁(あかつき)の程(ほど)とこそ見(み)え
させ給(たまひ)候(さうら)へ。そのゆへ(ゆゑ)【故】は、此(この)程(ほど)御(おん)とのゐ仕(つかまつり)候(さうらひ)つる北条(ほうでう)の家
子(いへのこ)郎等(らうどう)ども、よに名残(なごり)おしげ(をしげ)【惜し気】におもひ【思ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て、
P12483
或(あるいは)(あるは)念仏(ねんぶつ)申(まうす)者(もの)も候(さうらふ)、或(あるいは)(あるは)涙(なみだ)をながす者(もの)も候(さうらふ)」。「さて此(この)子(こ)
は何(なに)としてあるぞ」との給(たま)へば、「人(ひと)の見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)ときは
さらぬやうにもてないて、御数珠(おんじゆず)をくらせおはし
まし候(さうらふ)が、人(ひと)の候(さうら)はぬとき【時】は、御袖(おんそで)を御(おん)かほにおしあてて、
御涙(おんなみだ)にむせばせ給(たま)ひ候(さうらふ)」と申(まうす)。「さこそあるらめ。おさ
なけれ(をさなけれ)【幼けれ】ども心(こころ)おとなしやかなるものなり。こよひ
かぎりの命(いのち)とおもひ【思ひ】て、いかに心(こころ)ぼそかるらん。しばし
もあらば、いとまこう【乞う】てまいら(まゐら)【参ら】むといひしか共(ども)、P2403廿日(はつか)
P12484
にあまるに、あれへもゆかず、是(これ)へも見(み)えず。けふ
より後(のち)又(また)何(いつ)の日(ひ)何(いつ)の時(とき)あひ見(み)るべしともおぼえ
ず。さて汝等(なんぢら)はいかがはからふ」との給(たま)へば、「これはいづく
までも御供(おんとも)仕(つかまつ)り、むなしう【空しう】ならせ給(たま)ひて候(さうら)はば、
御骨(おんこつ)をとり奉(たてまつ)り、高野(かうや)の御山(おやま)におさめ(をさめ)【納め】奉(たてまつ)り、出家(しゆつけ)
入道(にふだう)(にうだう)して、後世(ごせ)をとぶらひ【弔ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】むとこそおもひ
な(ッ)て候(さうら)へ」と申(まうす)。「さらば、あまりにおぼつかなうおぼゆる【覚ゆる】
に、とうかへれ」との給(たま)へば、二人(ににん)の者(もの)泣々(なくなく)いとま申(まうし)て
P12485
罷出(まかりいで)つ。さる程(ほど)に、同(おなじき)十二月(じふにぐわつ)十六日(じふろくにち)、北条(ほうでうの)四郎(しらう)若公(わかぎみ)【若君】具(ぐ)
し奉(たてまつり)て、既(すでに)都(みやこ)を立(たち)にけり。斎藤五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)涙(なみだ)に
くれてゆくさきも見(み)えね共(ども)、最後(さいご)の所(ところ)までとお
もひ【思ひ】つつ、泣々(なくなく)御供(おんとも)にまいり(まゐり)【参り】けり。北条(ほうでう)「馬(むま)にのれ」と
いへどものらず、「最後(さいご)の供(とも)で候(さうら)へば、くるしう【苦しう】候(さうらふ)まじ」とて、
血(ち)の涙(なみだ)をながしつつ、足(あし)にまかせてぞ下(くだり)ける。六代(ろくだい)御
前(ごぜん)はさしもはなれがたくおぼしける母(はは)うへ・めのとの
女房(にようばう)にもわかれはて、住(すみ)なれし都(みやこ)をも、雲井(くもゐ)の
P12486
よそにかへりみて、けふをかぎりの東路(あづまぢ)におもむ
かれけん心(こころ)のうち、おしはから【推し量ら】れて哀(あはれ)なり。駒(こま)をはやむ
る武士(ぶし)あれば、我(わが)頸(くび)うたんずるかと肝(きも)をけし、物(もの)
いひかはす人(ひと)あれば、既(すで)に今(いま)やと心(こころ)をつくす。四(し)の宮河
原(みやがはら)とおもへ【思へ】ども、関山(せきやま)をもうち越(こえ)て、大津(おほつ)の浦(うら)に
なりにけり。粟津(あはづ)の原(はら)かとうかがへ【伺へ】ども、けふもはや
暮(くれ)にけり。国々(くにぐに)宿々(しゆくじゆく)打過(うちすぎ)々々(うちすぎ)行(ゆく)程(ほど)に、駿河[* 「駿川」と有るのを他本により訂正]国(するがのくに)にP2404も
つき給(たま)ひぬ。若公(わかぎみ)【若君】の露(つゆ)の御命(おんいのち)、けふをかぎりとぞ
P12487
きこへ(きこえ)【聞え】ける。千本(せんぼん)の松原(まつばら)に武士(ぶし)どもみなおりゐて、
御輿(おんこし)かきすゑさせ、しきがは【敷皮】しいて、若公(わかぎみ)【若君】すへ(すゑ)【据ゑ】奉(たてまつ)る。
北条(ほうでうの)四郎(しらう)若公(わかぎみ)【若君】の御(おん)まゑ(まへ)【前】ちかうまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まうし)けるは、
「是(これ)まで具(ぐ)しまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらひ)つるは、別(べち)の事(こと)候(ざうら)はず。もし
みちにて聖(ひじり)にもや行(ゆき)あひ候(さうらふ)と、まち【待ち】すぐしまい
らせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらひ)つるなり。御心(おんこころ)ざしの程(ほど)は見(み)えまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらひ)ぬ。山(やま)
のあなたまでは鎌倉殿(かまくらどの)の御心中(ごしんぢゆう)(ごしんぢう)をもしり【知り】がたう
候(さうら)へば、近江国(あふみのくに)にてうしなひ【失ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て候(さうらふ)よし、披露(ひろう)
P12488
仕(つかまつり)候(さうらふ)べし。誰(たれ)申(まうし)候(さうらふ)共(とも)、一業(いちごふ)(いちごう)所感(しよかん)の御事(おんこと)なれば、よも
叶(かなひ)候(さうら)はじ」と泣々(なくなく)申(まうし)ければ、若君(わかぎみ)ともかうもその
御返事(おんぺんじ)をばしたまはず、斎藤五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)を近(ちか)う
めし【召し】て、「我(われ)いかにもなりなん後(のち)、汝等(なんぢら)都(みやこ)に帰(かへ)(ッ)て、穴
賢(あなかしこ)道(みち)にてきら【斬ら】れたりとは申(まうす)べからず。そのゆへ(ゆゑ)【故】は、
終(つひ)(つい)にはかくれ【隠れ】あるまじけれども、まさしう此(この)有様(ありさま)
きい【聞い】て、あまりに歎(なげき)給(たま)はば、草(くさ)の陰(かげ)にてもこころ
ぐるしう【心苦しう】おぼえて、後世(ごせ)のさはりともならむずる
P12489
ぞ。鎌倉(かまくら)まで送(おく)(をく)りつけてまい(ッ)(まゐつ)【参つ】て候(さうらふ)と申(まうす)べし」と
の給(たま)へば、二人(ににん)の者共(ものども)肝(きも)魂(たましひ)(たましゐ)も消(き)えはてて、しばしは
御返事(おんぺんじ)にもをよば(およば)【及ば】ず。良(やや)あ(ッ)て斎藤五(さいとうご)「君(きみ)にを
くれ(おくれ)【遅れ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】て後(のち)、命(いのち)いきて安穏(あんをん)に都(みやこ)まで上(のぼ)り
つくべしともおぼえ候(さうら)はず」とて、涙(なみだ)ををさへ(おさへ)てふしにけり。既(すで)に今(いま)はの時(とき)になりしかば、若公(わかぎみ)【若君】西(にし)
にむかひ【向ひ】手(て)を合(あはせ)て、静(しづか)に念仏(ねんぶつ)唱(となへ)つつ、頸(くび)をのべ
てぞ待(まち)給(たま)ふ。狩野(かのの)工P2405藤三(くどうざう)親俊(ちかとし)切手(きりて)にえら
P12490
ばれ、太刀(たち)をひ(ッ)【引つ】そばめて、右のかた【方】より御(おん)うしろに
立(たち)まはり、既(すで)にきり奉(たてまつ)らむとしけるが、目(め)もくれ心(こころ)も
消(きえ)はてて、いづくに太刀(たち)を打(うち)あつべしともおぼえ
ず。前後(ぜんご)不覚(ふかく)になりしかば、「つかまつ【仕つ】とも覚(おぼえ)候(さうら)
はず。他人(たにん)に仰付(おほせつけ)られ候(さうら)へ」とて、太刀(たち)を捨(すて)てのきに
けり。「さらばあれきれ、これきれ」とて、切手(きりて)をえ
らぶ処(ところ)に、墨染(すみぞめ)の衣(ころも)袴(はかま)きて月毛(つきげ)なる馬(むま)にの(ッ)【乗つ】
たる僧(そう)一人(いちにん)、鞭(むち)をあげてぞ馳(はせ)たりける。既(すで)に只今(ただいま)
P12491
切(き)り奉(たてまつ)らむとする処(ところ)に馳(はせ)ついて、いそぎ馬(むま)
より飛(とび)おり、しばらくいきを休(やすめ)て、「若公(わかぎみ)【若君】ゆるさせ
給(たま)ひて候(さうらふ)。鎌倉殿(かまくらどの)の御教書(みげうしよ)是(これ)に候(さうらふ)」とてとり【取り】出(いだ)し
て奉(たてまつ)る。披(ひらい)て見(み)給(たま)へば、まことや小松(こまつの)三位(さんみの)中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)維
盛卿(これもりのきやう)の子息(しそく)尋出(たづねいだ)されて候(さうらふ)なる、高雄(たかを)(たかお)の聖御房(ひじりごばう)申(まうし)
うけんと候(さうらふ)。疑(うたがひ)をなさずあづけ奉(たてまつ)るべし。北条(ほうでうの)四
郎殿(しらうどの)へ  頼朝(よりとも)とて御判(ごはん)あり。二三遍(にさんべん)おしかへしおしかへし
よう【読う】で後(のち)、「神妙(しんべう)々々(しんべう)」とて打(うち)をか(おか)【置か】れければ、「斎藤五(さいとうご)・
P12492
斎藤六(さいとうろく)はいふにをよば(およば)【及ば】ず、北条(ほうでう)の家子(いへのこ)郎等共(らうどうども)も
皆(みな)悦(よろこび)の涙(なみだ)をぞ流(なが)しける。P2406泊瀬六代(はせろくだい)S1208さる程(ほど)に、文覚(もんがく)つと出(いで)
きたり、若公(わかぎみ)【若君】こい(こひ)【乞ひ】うけ【請け】たりとて、きそく【気色】誠(まこと)にゆゆし
げなり。「「此(この)若公(わかぎみ)【若君】の父(ちち)三位(さんみの)(さんゐの)中将殿(ちゆうじやうどの)(ちうじやうどの)は、初度(しよど)の戦(たたかひ)の
大将(たいしやう)也(なり)。誰(たれ)申(まうす)共(とも)叶(かなふ)まじ」との給(たま)ひつれば、「文覚(もんがく)が
心(こころ)をやぶつては、争(いかで)か冥加(みやうが)もおはすべき」な(ン)ど(など)、悪
口(あつこう)(あつかう)申(まうし)つれ共(ども)、猶(なほ)(なを)「叶(かなふ)まじ」とて、那須野(なすの)の狩(かり)に下(くだ)り
給(たま)ひし間(あひだ)(あいだ)、剰(あまつさへ)(あま(ツ)さへ)文覚(もんがく)も狩庭(かりば)の供(とも)して、やうやうに
P12493
申(まうし)てこい(こひ)【乞ひ】うけ【請け】たり。いかに、遅(おそ)ふ(おそう)おぼしつらん」と
申(まう)されければ、北条(ほうでう)「廿日(はつか)と仰(おほせ)られ候(さうらひ)し御約束(おんやくそく)
の日(ひ)かずも過(すぎ)候(さうらひ)ぬ。鎌倉殿(かまくらどの)の御(おん)ゆるされ【許され】なきよ
と存(ぞん)じて、具(ぐ)し奉(たてまつり)て下(くだ)る程(ほど)に、かしこうぞ。爰(ここ)
にてあやまち仕(つかまつ)るらむに」とて、鞍(くら)をい(おい)【置い】てひか【引か】せたる
馬共(むまども)に、斎藤五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)をのせ【乗せ】てのぼせらる。「我(わが)
身(み)も遥(はるか)に打(うち)送(おく)(をく)り奉(たてまつり)て、しばらく御供(おんとも)申(まうし)たう
候(さうら)へ共(ども)、鎌倉殿(かまくらどの)にさして申(まうす)べき大事共(だいじども)候(さうらふ)。暇(いとま)申(まうし)
P12494
て」とてうちわかれてぞ下(くだ)られける。誠(まこと)に情(なさけ)ふ
かかりけり。聖(ひじり)若公(わかぎみ)【若君】を請(うけ)とり奉(たてまつり)て、夜(よ)を日(ひ)に
ついで馳(はせ)のぼる程(ほど)に、尾張国(をはりのくに)(おはりのくに)熱田(あつた)の辺(へん)にて、
今年(ことし)も既(すで)に暮(くれ)ぬ。明(あく)る正月(しやうぐわつ)五日(いつか)の夜(よ)に入(いり)て、
都(みやこ)へのぼりつく。二条(にでう)猪熊(ゐのくま)なる所(ところ)に文覚房(もんがくばう)の
宿所(しゆくしよ)あり【有り】ければ、それに入(いれ)奉(たてまつり)て、しばらくやすめ奉(たてまつ)り、
夜半(やはん)ばP2407かり大覚寺(だいかくじ)へぞおはしける。門(かど)をたたけ共(ども)
人(ひと)なければ音(おと)(をと)もせず。築地(ついぢ)のくづれより若公(わかぎみ)【若君】の
P12495
かひ【飼ひ】給(たま)ひけるしろい【白い】ゑのこ【犬子】のはしり【走り】出(いで)て、尾(を)(お)
をふ(ッ)てむかひ【向ひ】けるに、「母(はは)うへはいづくにまします
ぞ」ととは【問は】れけるこそせめての事(こと)なれ。斎藤六(さいとうろく)、築
地(ついぢ)をこえ、門(かど)をあけていれ【入れ】奉(たてまつ)る。ちかう【近う】人(ひと)の住(すみ)
たる所(ところ)とも見(み)えず。「いかにもしてかひなき命(いのち)を
いか【生か】ばやと思(おも)ひしも、恋(こひ)しき人々(ひとびと)を今(いま)一度(いちど)見(み)ばや
とおもふ【思ふ】ため也(なり)。こはされば何(なに)となり給(たま)ひけるぞや」とて、
夜(よ)もすがら泣(なき)かなしみ給(たま)ふぞまこと【誠】にことはり(ことわり)【理】と
P12496
覚(おぼえ)て哀(あはれ)なる。夜(よ)を待(まち)あかして近里(ちかきさと)の者(もの)に尋(たづね)
給(たま)へば、「年(とし)のうちに大仏(だいぶつ)まいり(まゐり)【参り】とこそうけ給(たまはり)【承り】候(さうらひ)しか。
正月(しやうぐわつ)の程(ほど)は長谷寺(はせでら)に御(おん)こもりと聞(きこ)え候(さうらひ)しが、其(その)
後(のち)は御宿所(おんしゆくしよ)へ人(ひと)の通(かよ)ふとも見(みえ)候(さうら)はず」と申(まうし)ければ、
斎藤五(さいとうご)いそぎ馳(はせ)まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て尋(たづね)あひ奉(たてまつ)り、此(この)よし
申(まうし)ければ、母(はは)うへ【上】・めのとの女房(にようばう)つやつやうつつともおぼえ
給(たま)はず、「是(これ)はされば夢(ゆめ)かや。夢(ゆめ)か」とぞの給(たま)ひける。
いそぎ大覚寺(だいかくじ)へ出(いで)させ給(たま)ひ、若公(わかぎみ)【若君】を御覧(ごらん)じ
P12497
てうれしさにも、ただ先立(さきだつ)ものは涙(なみだ)なり。「早々(はやはや)
出家(しゆつけ)し給(たま)へ」と仰(おほせ)られけれども、聖(ひじり)おしみ(をしみ)【惜しみ】奉(たてまつ)て
出家(しゆつけ)もせさせ奉(たてまつ)らず。やがてむかへ【向へ】と(ッ)て高雄(たかを)(たかお)
に置(おき)(をき)奉(たてまつ)り、北(きた)の方(かた)のかすか【幽】なる御有様(おんありさま)をもとぶ
らひ【訪ひ】けるとこそ聞(きこ)えし。観音(くわんおん)(くわんをん)の大慈(だいじ)大悲(だいひ)は、
つみ【罪】あるもつみなきをもたすけ【助け】給(たま)へば、昔(むかし)もかかる
ためし【例】多(おほ)しといへども、ありがたかりし事共(ことども)
なり。P2408さる程(ほど)に、北条(ほうでうの)四郎(しらう)六代(ろくだい)御前(ごぜん)具(ぐ)し奉(たてまつ)て
P12498
下(くだ)りけるに、鎌倉殿(かまくらどの)御使(おんつかひ)(おつかひ)鏡(かがみ)の宿(しゆく)にて行逢(ゆきあひ)
たり。「いかに」ととへば、「十郎(じふらう)(ぢうらう)蔵人殿(くらんどどの)、信太(しだの)三郎(さぶらう)先生
殿(せんじやうどの)、九郎(くらう)判官殿(はうぐわんどの)に同心(どうしん)のよし聞(きこ)え候(さうらふ)。討(うち)奉(たてまつ)れとの
御気色(ごきしよく)で候(さうらふ)」と申(まうす)。北条(ほうでう)「我(わが)身(み)は大事(だいじ)のめしうど【召人】
具(ぐ)したれば」とて、甥(をひ)(おい)の北条(ほうでうの)平六(へいろく)時貞(ときさだ)が送(おく)(をく)りに
下(くだ)りけるを、おいそ【老蘇】の森(もり)より「とう【疾う】わとの【和殿】は帰(かへ)(ッ)て
此(この)人々(ひとびと)〔の〕おはし所(どころ)聞出(ききいだ)して討(うつ)てまいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」とて
とどめ【留め】らる。平六(へいろく)都(みやこ)に帰(かへ)(ッ)て尋(たづぬ)る程(ほど)に、十郎(じふらう)蔵人殿(くらんどどの)の
P12499
在所(ありどころ)知(しり)たりといふ寺(てら)法師(ほふし)(ほうし)いできたり。彼(かの)僧(そう)に
尋(たづぬ)れば、「我(われ)はくはしう【詳しう】はしら【知ら】ず。しり【知り】たりといふ僧(そう)
こそあれ」といひければ、おし【押し】よせ【寄せ】てかの僧(そう)をからめ
とる。「是(これ)はなんのゆへ(ゆゑ)【故】にからむるぞ」。「十郎(じふらう)(じうらう)蔵人殿(くらんどどの)の
在所(ざいしよ)し(ッ)【知つ】た(ン)なればからむる也(なり)」。「さらば「おしへよ(をしへよ)【教へよ】」とこそ
いはめ。さう(左右)なうからむる事(こと)はいかに。天王寺(てんわうじ)にと
こそきけ【聞け】」。「さらばじんじよせよ」とて、平六(へいろく)が聟(むこ)の
笠原(かさはら)の十郎(じふらう)(じうらう)国久(くにひさ)、殖原(うゑはら)(うへはら)の九郎(くらう)、桑原(くはばらの)(くわばらの)次郎(じらう)、服部(はつとり)
P12500
の平六(へいろく)をさきとして其(その)勢(せい)卅(さんじふ)余騎(よき)、天王寺(てんわうじ)へ
発向(はつかう)す。十郎(じふらう)蔵人(くらんど)の宿(しゆく)は二所(ふたところ)あり。谷(たに)の学頭(がくとう)伶
人(れいじん)兼春(かねはる)、秦六(しんろく)秦七(しんしち)と云(いふ)者(もの)のもとなり。ふた手(て)に
つく(ッ)て押(おし)(をし)よせたり。十郎(じふらう)蔵人(くらんど)は兼春(かねはる)がもとに
おはし【在し】けるが、物具(もののぐ)したるもの共(ども)の打入(うちいる)を見(み)て、
うしろより落(おち)にけり。学頭(がくとう)がむすめ二人(ににん)あり。とも
に蔵人(くらんど)のおもひもの【思者】なり。是等(これら)をとらへて蔵人(くらんど)の
ゆくゑ(ゆくへ)【行方】を尋(たづぬ)れば、姉(あね)は「妹(いもうと)(いまうと)にとへ」といふ、妹(いもうと)(いまうと)は「姉(あね)にとへ」P2409と
P12501
いふ。俄(にはか)に落(おち)ぬる事(こと)なれば、たれにもよもしら【知ら】せじ
なれども、具(ぐ)して京(きやう)へぞのぼりける。蔵人(くらんど)は熊野(くまの)
の方(かた)へ落(おち)けるが、只(ただ)一人(いちにん)ついたりける侍(さぶらひ)、足(あし)をやみ
ければ、和泉国(いづみのくに)八木郷(やぎのがう)といふ所(ところ)に逗留(とうりう)してこそ
ゐたりけれ。彼(かの)家主(いへぬし)の男(をとこ)(おとこ)、蔵人(くらんど)を見(み)し(ッ)【知つ】て夜(よ)も
すがら京(きやう)へ馳(はせ)のぼり、北条(ほうでう)平六(へいろく)につげたりければ、
「天王寺(てんわうじ)の手(て)の者(もの)はいまだのぼらず。誰(たれ)をかやるべき」
とて、大源次(おほげんじ)宗春(むねはる)といふ郎等(らうどう)をよう【呼う】で、「汝(なんぢ)が宮(みや)たて
P12502
たりし山僧(さんぞう)はいまだあるか」。「さ(ン)候(ざうらふ)」。「さらばよべ」とてよばれ
ければ、件(くだんの)法師(ほふし)(ほうし)いできたり。「十郎(じふらう)蔵人(くらんど)のおはします、
討(うつ)て鎌倉殿(かまくらどの)にまいらせ(まゐらせ)【参らせ】て御恩(ごおん)(ごをん)蒙(かうぶ)り給(たま)へ」。「さうけ
給(たまはり)【承り】候(さうらひ)ぬ。人(ひと)をたび候(さうら)へ」と申(まうす)。「やがて大源次(おほげんじ)くだれ、人(ひと)も
なきに」とて、舎人(とねり)雑色(ざふしき)(ざうしき)人数(にんじゆ)わづかに十四五人(じふしごにん)
相(あひ)そへてつかはす【遣す】。常陸房(ひたちばう)正明(しやうめい)といふものなり。
和泉国(いづみのくに)に下(くだり)つき、彼(かの)家(いへ)にはしり【走り】入(いり)て見(み)れ共(ども)
なし。板(いた)じきうちやぶ(ッ)【破つ】てさがし、ぬりごめ【塗籠】の
P12503
うちを見(み)れどもなし。常陸房(ひたちばう)大路(おほち)にた(ッ)て
みれ【見れ】ば、百姓(ひやくしやう)の妻(つま)とおぼしくて、おとなしき女(をんな)(をうな)の
とをり(とほり)【通り】けるをとらへて、「此(この)辺(へん)にあやしばうだる
旅人(たびびと)のとどま(ッ)【留まつ】たる所(ところ)やある。いはずはき(ッ)て捨(すて)む」と
いへば、「ただいまさがさ【探さ】れさぶらふ(さぶらう)つる家(いへ)にこそ、
夜部(よべ)までよに尋常(じんじやう)なる旅人(たびびと)の二人(ににん)とどま(ッ)【留まつ】て
さぶらひつるが、けさな(ン)ど(など)いで【出で】てさぶらふ【候ふ】やらむ。
あれに見(み)えさP2410ぶらふおほや【大屋】にこそいまは
P12504
さぶらふ【候ふ】なれ」といひければ、常陸房(ひたちばう)黒革威(くろかはをどし)(くろかはおどし)の
腹巻(はらまき)の袖(そで)つけたるに、大(おほ)だち【太刀】はいて彼(かの)家(いへ)に
走入(はしりいり)てみれ【見れ】ば、歳(とし)五十(ごじふ)ばかりなる男(をのこ)(おのこ)の、かち【褐】の直
垂(ひたたれ)におり烏帽子(ゑぼし)(をりゑぼし)【折烏帽子】き【着】て、唐瓶子(からへいじ)菓子(くわし)な(ン)ど(など)とり
さばくり、銚子(てうし)どもも(ッ)て酒(さけ)すすめむとする処(ところ)に、
物具(もののぐ)したる法師(ほふし)(ほうし)のうち入(いる)をみて、かいふいてにげ
ければ、やがてつづいてお(ッ)【追つ】かけたり。蔵人(くらんど)「あの僧(そう)。
や、それはあらぬぞ。行家(ゆきいへ)はここにあり」との給(たま)へば、
P12505
はしり【走り】帰(かへ)(ッ)て見(み)るに、白(しろ)い小袖(こそで)に大口(おほくち)ばかりきて、
左(ひだり)の手(て)には金作(こがねづくり)の小太刀(こだち)をもち、右(みぎ)の手(て)には
野太刀(のだち)のおほき【大き】なるをもた【持た】れたり。常陸房(ひたちばう)「太
刀(たち)なげさせ給(たま)へ」と申(まう)せば、蔵人(くらんど)大(おほき)にわらは【笑は】れけり。
常陸房(ひたちばう)走(はしり)よ(ッ)【寄つ】てむずときる。ちやうどあはせて
おどり(をどり)【躍り】のく。又(また)よ(ッ)【寄つ】てきる。ちやうどあはせておどり(をどり)【躍り】
のく。よりあひよりのき一時(ひととき)ばかりぞたたかふ(たたかう)【戦う】たる。
蔵人(くらんど)うしろなるぬりごめの内(うち)へしざりいら【入ら】むと
P12506
し給(たま)へば、常陸房(ひたちばう)「まさなう候(さうらふ)。ないら【入ら】せ給(たま)ひ候(さうらひ)そ」と
申(まう)せば、「行家(ゆきいへ)もさこそおもへ【思へ】」とて又(また)おどり(をどり)【躍り】出(いで)て
たたかふ【戦ふ】。常陸房(ひたちばう)太刀(たち)を捨(すて)てむずとくむ(くん)【組ん】でどう
どふす【臥す】。うへ【上】になり下(した)になり、ころびあふ処(ところ)に、大源
次(おほげんじ)つ(ッ)といできたり。あまりにあはて(あわて)【慌て】てはいたる太刀(たち)
をばぬかず、石(いし)をにぎ(ッ)て蔵人(くらんど)のひたい(ひたひ)をはたと
う(ッ)て打(うち)わる。蔵人(くらんど)大(おほき)にわら(ッ)【笑つ】て、「をのれ(おのれ)【己】は下臈(げらふ)(げらう)なれば、
太刀(たち)長刀(なぎなた)でこそ敵(かたき)をばうて、つぶてにて敵(かたき)うつ
P12507
様(やう)やある」。P2411常陸房(ひたちばう)「足(あし)をゆへ」とぞ下知(げぢ)しける。
常陸房(ひたちばう)は敵(かたき)が足(あし)をゆへとこそ申(まうし)けるに、あまりに
あはて(あわて)【慌て】て四(よつ)の足(あし)をぞゆう【結う】たりける。其(その)後(のち)蔵人(くらんど)の
頸(くび)に縄(なは)をかけてからめ、ひき【引き】おこし【起し】ておしすへ(すゑ)【据ゑ】
たり。「水(みづ)まいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」との給(たま)へば、ほしい(ほしひ)【干飯】をあらふ(あらう)【洗う】てまい
らせ(まゐらせ)【参らせ】たり。水(みづ)をばめし【召し】て糒(ほしひ)(ほしいひ)をばめさず。さしをき(おき)
給(たま)へば、常陸房(ひたちばう)と(ッ)てくうて(ン)げり。「わ僧(そう)は山法師(やまぼふし)(やまほうし)か」。「山
法師(やまぼふし)(やまほうし)で候(さうらふ)」。「誰(たれ)といふぞ」。「西塔(さいたふの)(さいとうの)北谷(きただに)法師(ぼふし)(ぼうし)常陸房(ひたちばう)正
P12508
明(しやうめい)と申(まうす)者(もの)で候(さうらふ)」。「さては行家(ゆきいへ)につかは【使は】れんといひし
僧(そう)か」。「さ(ン)候(ざうらふ)」。「頼朝(よりとも)が使(つかひ)か、平六(へいろく)が使(つかひ)か」。「鎌倉殿(かまくらどの)の御使(おんつかひ)(おつかひ)候(ざうらふ)。
誠(まこと)に鎌倉殿(かまくらどの)をば討(うち)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】むとおぼしめし【思し召し】候(さうらひ)しか」。「是(これ)
程(ほど)の身(み)にな(ッ)て後(のち)おもは【思は】ざりしといはばいかに。おもひ【思ひ】
しといはばいかに。手(て)なみの程(ほど)はいかがおもひ【思ひ】つる」と
の給(たま)へば、「山上(さんじやう)にておほく【多く】の事(こと)にあふ(あう)【逢う】て候(さうらふ)に、いまだ
是(これ)ほど手(て)ごはき事(こと)にあひ候(さうら)はず。よき敵(かたき)三人(さんにん)に
逢(あひ)たる心地(ここち)こそし候(さうらひ)つれ」と申(まうす)。「さて正明(しやうめい)をばいかが
P12509
思食(おぼしめ)され候(さうらひ)つる」と申(まう)せば、「それはとられなんうへは」とぞ
の給(たま)ひける。「その太刀(たち)とりよせよ」とて見(み)給(たま)へば、蔵
人(くらんど)の太刀(たち)は一所(いつしよ)もきれず、常陸房(ひたちばう)が太刀(たち)は四十二
所(しじふにところ)きれたりけり。やがて伝馬(てんま)たてさせ、のせ【乗せ】奉(たてまつり)ての
ぼる程(ほど)に、其(その)夜(よ)は江口(えぐち)の長者(ちやうじや)がもとにとどま(ッ)【留まつ】て、
夜(よ)もすがら使(つかひ)をはしらかす【走らかす】。明(あく)る日(ひ)の午刻(むまのこく)斗(ばかり)、
北条(ほうでう)平六(へいろく)其(その)勢(せい)百騎(ひやくき)ばかり旗(はた)ささせて下(くだ)る程(ほど)に、
淀(よど)のあかゐ河原(がはら)【赤井河原】でゆき逢(あう)(あふ)たり。「都(みやこ)へP2412はいれ【入れ】奉(たてまつ)る
P12510
べからずといふ院宣(ゐんぜん)で候(さうらふ)。鎌倉殿(かまくらどの)の御気色(ごきしよく)も
其(その)儀(ぎ)でこそ候(さうら)へ。はやはや御頸(おんくび)を給(たま)は(ッ)て、鎌倉殿(かまくらどの)の
見参(げんざん)にいれ【入れ】て御恩(ごおん)(ごをん)蒙(かうぶ)り給(たま)へ」といへば、さらばとて
あかゐ河原(がはら)【赤井河原】で十郎(じふらう)(じうらう)蔵人(くらんど)の頸(くび)をきる。信太(しだの)三郎(さぶらう)
先生(せんじやう)義教【*義憲】(よしのり)は醍醐(だいご)の山(やま)にこもりたるよしき
こえ【聞え】しかば、おしよせてさがせどもなし。伊賀(いが)の
方(かた)へ落(おち)ぬと聞(きこ)えしかば、服部(はつとり)平六(へいろく)先(さき)として、伊賀
国(いがのくに)へ発向(はつかう)す。千度(せんど)の山寺(やまでら)にありと聞(きこ)えし間(あひだ)(あいだ)、おし
P12511
よせてからめむとするに、あはせの小袖(こそで)に大口(おほくち)
ばかりきて、金(こがね)にてうちくくんだる腰(こし)の刀(かたな)にて腹(はら)
かききつ[* 「きん」と有るのを高野本により訂正]てぞふしたりける。頸(くび)をば服部(はつとり)平六(へいろく)と(ッ)て(ン)
げり。やがてもたせて京(きやう)へのぼり、北条(ほうでう)平六(へいろく)に見(み)せ
たりければ、「軈(やが)てもたせて下(くだ)り、鎌倉殿(かまくらどの)の見参(げんざん)に
入(いれ)て御恩(ごおん)(ごをん)蒙(かうぶ)り給(たま)へ」といひければ、常陸房(ひたちばう)・服部(はつとり)
平六(へいろく)、おのおの頸共(くびども)もたせて鎌倉(かまくら)へくだり、見参(げんざん)に
いれ【入れ】たりければ、「神妙(しんべう)也(なり)」とて、常陸房(ひたちばう)は笠井(かさゐ)へ
P12512
ながさる。「下(くだ)りはてば勧賞(けんじやう)蒙(かうぶ)らむとこそおもひ【思ひ】
つるに、さこそなからめ、剰(あまつさへ)(あま(ツ)さへ)流罪(るざい)に処(しよ)せらるる
条(でう)存外(ぞんのほか)の次第(しだい)なり。かかるべしとしり【知り】たりせば、
なにしか身命(しんみやう)を捨(すて)けん」と後悔(こうくわい)すれ共(ども)かひぞ
なき。されども中二年(なかにねん)といふにめし【召し】かへさ【返さ】れ、「大将
軍(たいしやうぐん)討(うち)たるものは冥加(みやうが)のなければ一旦(いつたん)いましめ
つるぞ」とて、但馬国(たじまのくに)に多田庄(ただのしやう)、摂津国(つのくに)に葉室(はむろ)
二ケ所(にかしよ)給(たま)は(ッ)て帰(かへ)り上(のぼ)る。服部(はつとり)平六(へいろく)平家(へいけ)の祗候人(しこうにん)
P12513
たりしかば、没官(もつくわん)せられたりけP2413る服部(はつとり)返(かへ)し給(たま)
は(ッ)て(ン)げり。六代被斬(ろくだいきられ)S1209さる程(ほど)に、六代(ろくだい)御前(ごぜん)はやうやう十四五(じふしご)にもなり
給(たま)へば、みめかたちいよいようつくしく、あたりもてり
かかやく【輝く】ばかりなり。母(はは)うへ是(これ)を御覧(ごらん)じて、「あはれ
世(よ)の世(よ)にてあらましかば、当時(たうじ)は近衛司(こんゑづかさ)(このゑづかさ)にてあらん
ずるものを」との給(たま)ひけるこそあまりの事(こと)なれ。鎌
倉殿(かまくらどの)常(つね)はおぼつかなげにおぼして、高雄(たかを)(たかお)の聖(ひじり)の
もとへ便宜(びんぎ)ごとに、「さても維盛卿(これもりのきやう)の子息(しそく)は何(なに)と
P12514
候(さうらふ)やらむ。昔(むかし)頼朝(よりとも)を相(さう)し給(たま)ひしやうに、朝(てう)の
怨敵(をんでき)をもほろぼし、会稽(くわいけい)の恥(はぢ)をも雪(きよ)むべき
ものにて候(さうらふ)か」と尋(たづね)申(まう)されければ、聖(ひじり)の御返事(おんぺんじ)
には、「是(これ)は底(そこ)もなき不覚仁(ふかくじん)にて候(さうらふ)ぞ。御心(おんこころ)やすう
おぼしめし【思し召し】候(さうら)へ」と申(まう)されけれ共(ども)、鎌倉殿(かまくらどの)猶(なほ)(なを)も
御心(おんこころ)ゆかずげにて、「謀反(むほん)おこさばやがてかたうどせう
ずる聖(ひじり)の御房(ごばう)(ご(ン)ばう)也(なり)。但(ただし)頼朝(よりとも)一期(いちご)の程(ほど)は誰(たれ)か傾(かたぶく)べき。
子孫(しそん)のすゑぞしら【知ら】ぬ」との給(たま)ひけるこそおそろし
P12515
けれ【恐ろしけれ】。母(はは)うへ是(これ)をきき給(たま)ひて、「いかにも叶(かなふ)まじ。はやはや
出家(しゆつけ)し給(たま)へ」と仰(おほせ)ければ、六代(ろくだい)御前(ごぜん)十六(じふろく)と申(まうし)し
文治(ぶんぢ)五年(ごねん)の春(はる)の比(ころ)、うつくしげP2414なる髪(かみ)をかた【肩】の
まはりにはさみ【鋏み】おろし、かきの衣(ころも)、袴(はかま)に笈(おひ)(をひ)な(ン)ど(など)こし
らへ、聖(ひじり)にいとまこう【乞う】て修行(しゆぎやう)にいでられけり。斎藤
五(さいとうご)・斎藤六(さいとうろく)もおなじさまに出立(いでたち)て、御供(おんとも)申(まうし)けり。
まづ高野(かうや)へまいり(まゐり)【参り】、父(ちち)の善知識(ぜんぢしき)したりける滝
口(たきぐち)入道(にふだう)(にうだう)に尋(たづね)あひ、御出家(ごしゆつけ)の次第(しだい)、臨終(りんじゆう)(りんじう)のあり様(さま)
P12516
くはしう【詳しう】きき給(たま)ひて、「かつはその御跡(おんあと)もゆかし」とて、
熊野(くまの)へまいり(まゐり)【参り】給(たま)ひけり。浜(はま)の宮(みや)の御前(ごぜん)にて父(ちち)の
わたり給(たま)ひける山(やま)なり【山成】の島(しま)を見渡(みわた)して、渡(わた)らま
ほしくおぼしけれども、浪(なみ)かぜむかう【向う】てかなは【叶は】ねば、力(ちから)
をよば(およば)【及ば】でながめやり給(たま)ふにも、「我(わが)父(ちち)はいづくに沈(しづみ)給(たま)
ひけむ」と、沖(おき)よりよする【寄する】しら波(なみ)【白波】にもとは【問は】まほしく
ぞおもは【思は】れける。汀(みぎは)の砂(いさご)も父(ちち)の御骨(ごこつ)やらんとなつ
かしう【懐しう】おぼしければ、涙(なみだ)に袖(そで)はしほれ(しをれ)【萎れ】つつ、塩(しほ)くむ
P12517
あまの衣(ころも)ならねども、かはく(かわく)【乾く】まなくぞ見(み)え給(たま)ふ。
渚(なぎさ)に一夜(ひとよ)とうりう【逗留】して、念仏(ねんぶつ)申(まうし)経(きやう)よみ、ゆび【指】
のさきにて砂(いさご)に仏(ほとけ)のかたちをかき【書き】あらはして、
あけ【明け】ければ貴(たつと)(た(ツ)と)き僧(そう)を請(しやう)じて、父(ちち)の御(おん)ためと供養(くやう)
じて、作善(さぜん)の功徳(くどく)さながら聖霊(しやうりやう)に廻向(ゑかう)して、亡者(まうじや)に
いとま申(まうし)つつ、泣々(なくなく)都(みやこ)へ上(のぼ)られけり。小松殿(こまつどの)の御子(おんこ)
丹後(たんごの)侍従(じじゆう)(じじう)忠房(ただふさ)は、八島(やしま)のいくさ【軍】より落(おち)てゆくゑ(ゆくへ)【行方】も
しら【知ら】ずおはせしが、紀伊国(きいのくに)の住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)湯浅(ゆあさの)権守(ごんのかみ)宗
P12518
重(むねしげ)をたのん【頼ん】で、湯浅(ゆあさ)の城(じやう)にぞこもられける。是(これ)を
きい【聞い】て平家(へいけ)に心(こころ)ざしおもひ【思ひ】ける越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)・
上総(かづさの)五郎兵衛(ごらうびやうゑ)(ごらうびやうへ)・悪(あく)七兵衛(しつびやうゑ)(しつびやうへ)・飛P2415弾【*飛騨】(ひだの)四郎兵衛(しらうびやうゑ)(しらうびやうへ)以下(いげ)の
兵共(つはものども)、つき奉(たてまつ)るよし聞(きこ)えしかば、伊賀(いが)伊勢(いせ)両国(りやうごく)の
住人等(ぢゆうにんら)(ぢうにんら)、われもわれもと馳集(はせあつま)る。究竟(くつきやう)の者共(ものども)〔数(す)〕百騎(ひやくき)(ひやつき)
たてこもるよし聞(きこ)えしかば、熊野(くまのの)別当(べつたう)、鎌倉殿(かまくらどの)
より仰(おほせ)を蒙(かうぶり)て、両三月(りやうさんぐわつ)が間(あひだ)(あいだ)八ケ度(はちかど)よせて攻戦(せめたたかふ)。城(じやう)
の内(うち)の兵(つはもの)ども、命(いのち)をおしま(をしま)【惜しま】ずふせき【防き】ければ、毎度(まいど)に
P12519
みかた【御方】おい(おひ)【追ひ】ちらさ【散らさ】れ、熊野(くまの)法師(ぼふし)(ぼうし)数(かず)をつくひ(つくい)【尽くい】てう
たれにけり。熊野(くまのの)別当(べつたう)、鎌倉殿(かまくらどの)へ飛脚(ひきやく)を奉(たてまつ)て、
「当国(たうごく)湯浅(ゆあさ)の合戦(かつせん)の事(こと)、両三月(りやうさんぐわつ)が間(あひだ)(あいだ)に八ケ度(はちかど)よ
せて攻戦(せめたたかふ)。され共(ども)城(じやう)の内(うち)の兵(つはもの)ども命(いのち)をおしま(をしま)【惜しま】ず
ふせく【防く】間(あひだ)(あいだ)、毎度(まいど)に御方(みかた)おい(おひ)おとさ【落さ】れて、敵(かたき)を寃(しえたぐる)に
及(およば)(をよば)ず。近国(きんごく)二三ケ国(にさんがこく)をも給(たま)は(ッ)て攻(せめ)おとす【落す】べき」よし
申(まうし)たりければ、鎌倉殿(かまくらどの)「其(その)条(でう)、国(くに)の費[* 「貴」と有るのを高野本により訂正](つひえ)人(ひと)の煩(わづらひ)なる
べし。たてごもる所(ところ)の凶徒(きようど)(けうど)は定(さだめ)て海山(うみやま)の盜人(ぬすびと)にてぞ
P12520
あるらん。山賊(さんぞく)海賊(かいぞく)きびしう守護(しゆご)して城(じやう)の口(くち)を
かためてまぼるべし」とぞの給(たま)ひける。其(その)定(ぢやう)に
したりければ、げにも後(のち)には人(ひと)一人(いちにん)もなかりけり。鎌
倉殿(かまくらどの)はかりこと【策】に、「小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)の、一人(いちにん)も二人(ににん)も
いきのこり給(たま)ひたらむをば、たすけ【助け】奉(たてまつ)るべし。其(その)
ゆへ(ゆゑ)【故】は、池(いけ)の禅尼(ぜんに)の使[* 「便」と有るのを他本により訂正](つかひ)として、頼朝(よりとも)を流罪(るざい)に申(まうし)なだ
め【宥め】られしは、ひとへに彼(かの)内府(だいふ)の芳恩(はうおん)(はうをん)なり」との給(たま)ひ
ければ、丹後(たんごの)侍従(じじゆう)(じじう)六波羅(ろくはら)へ出(いで)てなのら【名乗ら】れけり。やがて
P12521
関東(くわんとう)へ下(くだ)し奉(たてまつ)る。鎌倉殿(かまくらどの)対面(たいめん)して「都(みやこ)へ御上(おんのぼり)
候(さうら)へ。かたほとりにおもひ【思ひ】あて【当て】まいらする(まゐらする)【参らする】事(こと)候(さうらふ)」とて、
すかし上(のぼ)せ奉(たてまつ)り、お(ッ)さま【追つ様】に人(ひと)をのぼせ【上せ】て勢
田(せた)の橋(はし)の辺(へん)にて切(きつ)て(ン)げり。P2416小松殿(こまつどの)の君達(きんだち)六人(ろくにん)
の外(ほか)に、土佐守(とさのかみ)宗実(むねざね)とておはしけり。三歳(さんざい)より大炊
御門(おほいのみかど)(おほいみかど)の左大臣(さだいじん)経宗卿(つねむねのきやう)の養子(やうじ)にして、異姓(いしやう)他人(たにん)
になり、武芸(ぶげい)の道(みち)をばうち捨(すて)て、文筆(ぶんひつ)をのみたし
な(ン)で、今年(ことし)は十八(じふはち)になり給(たま)ふを、鎌倉殿(かまくらどの)より
P12522
尋(たづね)はなかりけれ共(ども)世(よ)に憚(はばか)(ッ)ておい(おひ)出(いだ)されたりければ、
先途(せんど)をうしなひ【失ひ】、大仏(だいぶつ)の聖(ひじり)俊乗房(しゆんじようばう)(しゆんぜうばう)のもとに
おはして、「我(われ)は是(これ)小松(こまつ)の内府(だいふ)の末(すゑ)の子(こ)に、土佐守(とさのかみ)
宗実(むねざね)と申(まうす)者(もの)にて候(さうらふ)。三歳(さんざい)より大炊御門(おほいのみかどの)左大臣(さだいじん)
経宗公(つねむねこう)養子(やうじ)にして、異姓(いしやう)他人(たにん)になり、武芸(ぶげい)のみち
を打捨(うちすて)て、文筆(ぶんひつ)をのみたしなんで、生年(しやうねん)十八歳(じふはつさい)に
罷成(まかりなる)。鎌倉殿(かまくらどの)より尋(たづね)らるる事(こと)は候(さうら)はね共(ども)、世(よ)におそれ【恐れ】
ておい(おひ)出(いだ)されて候(さうらふ)。聖(ひじり)の御房(ごばう)(ごんぼう)御弟子(おんでし)にせさせ給(たま)へ」
P12523
とて、もとどりおしきり給(たまひ)ぬ。「それもなを(なほ)【猶】おそ
ろしう【恐ろしう】おぼしめさ【思し召さ】ば、鎌倉(かまくら)へ申(まうし)て、げにもつみ【罪】ふかかる
べくはいづくへもつかはせ【遣せ】」との給(たま)ひければ、聖(ひじり)いとお
しく(いとほしく)おもひ【思ひ】奉(たてまつ)て、出家(しゆつけ)せさせ奉(たてまつ)り、東大寺(とうだいじ)の油
倉(ゆくら)といふ所(ところ)にしばらくをき(おき)奉(たてまつ)て、関東(くわんとう)へ此(この)よし
申(まう)されけり。「何(なに)さまにも見参(げんざん)してこそともかうも
はからはめ。まづ下(くだ)し奉(たてまつ)れ」との給(たま)ひければ、聖(ひじり)力(ちから)をよ
ば(およば)【及ば】で関東(くわんとう)へ下(くだ)し奉(たてまつ)る。此(この)人(ひと)奈良(なら)を立(たち)給(たま)ひし日(ひ)より
P12524
して、飲食(いんしよく)(ゐんしよく)の名字(みやうじ)をた(ッ)て、湯水(ゆみづ)をものどへいれ【入れ】ず。
足柄(あしがら)こえて関本(せきもと)と云(いふ)所(ところ)にてつゐに(つひに)【遂に】うせ給(たま)ひぬ。
「いかにも叶(かなふ)まじき道(みち)なれば」とておもひ【思ひ】きら【切ら】れける
こそおそろしけれ【恐ろしけれ】。P2417さる程(ほど)に、建久(けんきう)元年(ぐわんねん)十一月(じふいちぐわつ)七日(なぬかのひ)
鎌倉殿(かまくらどの)上洛(しやうらく)して、同(おなじき)九日(ここのかのひ)、正二位(じやうにゐ)大納言(だいなごん)になり給(たま)ふ。
同(おなじき)十一日(じふいちにち)、大納言(だいなごん)右大将(うだいしやう)を兼(けん)じ給(たま)へり。やがて両職(りやうしよく)
を辞(じし)て、十二月(じふにぐわつ)四日(よつかのひ)関東(くわんとう)へ下向(げかう)。建久(けんきう)三年(さんねん)三月(さんぐわつ)十
三日(じふさんにち)、法皇(ほふわう)(ほうわう)崩御(ほうぎよ)なりにけり。御歳(おんとし)六十六(ろくじふろく)、偸伽【*瑜伽】(ゆが)振鈴(しんれい)
P12525
の響[* 「闇」と有るのを他本により訂正](ひびき)は其(その)夜(よ)をかぎり、一乗(いちじよう)(いちぜう)案誦(あんじゆ)の御声(みこゑ)は其(その)暁(あかつき)に
おはり(をはり)ぬ。同(おなじき)六年(ろくねん)三月(さんぐわつ)十三日(じふさんにち)、大仏供養(だいぶつくやう)あるべしとて、
二月中(にぐわつちゆう)(にんぐわつぢう)に鎌倉殿(かまくらどの)又(また)御上洛(ごしやうらく)あり。同(おなじき)十二日(じふににち)、大仏殿(だいぶつでん)へ
まいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ひたりけるが、梶原(かぢはら)を召(めし)て、「て(ン)がい【碾磑】の門(もん)の南(みなみ)の
かたに大衆(だいしゆ)なん十人(じふにん)をへだてて、あやしばうだる
ものの見(み)えつる。めし【召し】と(ッ)てまいらせよ(まゐらせよ)【参らせよ】」との給(たま)ひけ
れば、梶原(かぢはら)承(うけたま)は(ッ)てやがて具(ぐ)してまいり(まゐり)【参り】たり。ひげをば
そ(ッ)てもとどりをばきらぬ男(をのこ)(おのこ)也(なり)。「何者(なにもの)ぞ」ととひ
P12526
給(たま)へば、「是(これ)程(ほど)運命(うんめい)尽(つき)はて候(さうらひ)ぬるうへは、とかう申(まうす)に
をよば(およば)【及ば】ず。是(これ)は平家(へいけ)の侍(さぶらひ)薩摩(さつまの)中務(なかつかさ)家資(いへすけ)と申(まうす)
ものにて候(さうらふ)」。「それは何(なに)とおもひ【思ひ】てかくはなりたるぞ」。
「もしやとねらひ申(まうし)候(さうらひ)つるなり」。「心(こころ)ざしの程(ほど)はゆゆし
かり」とて、供養(くやう)はて【果て】て都(みやこ)へいら【入ら】せ給(たま)ひて、六条河原(ろくでうかはら)
にてきら【斬ら】れにけり。平家(へいけ)の子孫(しそん)は去(さんぬる)文治(ぶんぢ)元年(ぐわんねん)の冬(ふゆ)
の比(ころ)、ひとつ【一つ】子(ご)ふたつ【二つ】子(ご)をのこさず、腹(はら)の内(うち)をあけ
て見(み)ずといふばかりに尋(たづね)と(ッ)て失(うしな)て(ン)ぎ。今(いま)は一人(いちにん)も
P12527
あらじとおもひ【思ひ】しP2418に、新中納言(しんぢゆうなごん)(しんぢうなごん)の末(すゑ)の子(こ)に、伊賀(いがの)
大夫(たいふ)(たゆふ)知忠(ともただ)とておはしき。平家(へいけ)都(みやこ)を落(おち)しとき、
三歳(さんざい)にてすて【捨て】をか(おか)【置か】れたりしを、めのとの紀伊(きいの)次郎
兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)為教(ためのり)やしない(やしなひ)【養ひ】奉(たてまつ)て、ここかしこにかくれあり
き【歩き】けるが、備後国(びんごのくに)太田(おほた)といふ所(ところ)にしのび【忍び】つつゐたり
けり。やうやう成人(せいじん)し給(たま)へば、郡郷(ぐんがう)の地頭(ぢとう)守護(しゆご)あや
しみける程(ほど)に、都(みやこ)へのぼり法性寺(ほつしやうじ)の一(いち)の橋(はし)なる所(ところ)に
しのん【忍ん】でおはしけり。爰(ここ)は祖父(そぶ)入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)「自然(しぜん)の
P12528
事(こと)のあらん時(とき)城郭(じやうくわく)にもせむ」とて堀(ほり)をふたへ【二重】に
ほ(ッ)て、四方(しはう)に竹(たけ)をうへ(うゑ)【植ゑ】られたり。さかも木(ぎ)【逆茂木】ひいて、昼(ひる)は
人音(ひとおと)(ひとをと)もせず、よるになれば尋常(じんじやう)なるともがらおほ
く【多く】集(あつま)(ッ)て、詩(し)作(つく)り歌(うた)よみ、管絃(くわんげん)な(ン)ど(など)して遊(あそび)ける
程(ほど)に、何(なに)としてかもれ【漏れ】聞(きこ)えたりけむ。その比(ころ)人(ひと)のおぢ
をそれ(おそれ)【恐れ】けるは、一条(いちでう)の二位(にゐの)入道(にふだう)(にうだう)義泰【*能保】(よしやす)といふ人(ひと)なり。その
侍(さぶらひ)に後藤兵衛(ごとうびやうゑ)(ごとうびやうへ)基清(もときよ)が子(こ)に、新兵衛(しんびやうゑ)基綱(もとつな)「一(いち)の橋(はし)に
違勅(いちよく)の者(もの)あり」と聞出(ききいだ)して、建久(けんきう)七年(しちねん)十月(じふぐわつ)七日(なぬかのひ)の
P12529
辰(たつ)の一点(いつてん)に、其(その)勢(せい)百四五十騎(ひやくしごじつき)、一(いち)の橋(はし)へはせ【馳せ】むかひ【向ひ】、
おめき(をめき)【喚き】さけん【叫ん】で攻戦(せめたたかふ)。城(じやう)の内(うち)にも卅余人(さんじふよにん)あり【有り】ける
者共(ものども)、大肩[* 「眉」と有るのを他本により訂正](おほかた)ぬぎに肩[* 「眉」と有るのを他本により訂正](かた)ぬいで、竹(たけ)の影(かげ)よりさし
つめ【差し詰め】ひきつめ【引き詰め】散々(さんざん)にい【射】れば、馬(むま)人(ひと)おほく【多く】射(い)(ゐ)ころ
さ【殺さ】れて、おもてをむかふ【向ふ】べき様(やう)もなし。さる程(ほど)に、一(いち)の
橋(はし)に違勅(いちよく)の者(もの)ありとききつたへ、在京(ざいきやう)の武士(ぶし)ども
われもわれもと馳(はせ)つどふ【集ふ】。程(ほど)なく一二千騎(いちにせんぎ)になりしかば、
近辺(きんべん)の小(こ)いゑ(いへ)をこぼちよせ、堀(ほり)をうめ、おめき(をめき)【喚き】さけん【叫ん】
P12530
で攻入(せめいり)けり。城(じやう)のうちの兵共(つはものども)、うち物(もの)ぬいて走出(はしりいで)P2419て、
或(あるいは)(あるは)討死(うちじ)にするものもあり、或(あるいは)(あるは)いたで【痛手】おうて自害(じがい)す
る者(もの)もあり。伊賀(いがの)大夫(たいふ)(たゆふ)知忠(ともただ)は生年(しやうねん)十六歳(じふろくさい)になられ
けるが、いた手(で)【痛手】負(おう)(をふ)て自害(じがい)し給(たま)ひたるを、めのとの紀
伊(きいの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)入道(にふだう)(にうだう)ひざの上(うへ)にかきのせ【乗せ】、涙(なみだ)をはらはらと
ながい【流い】て高声(かうしやう)に十念(じふねん)(じうねん)となへつつ、腹(はら)かき切(きつ)てぞ死(しに)に
ける。其(その)子(こ)の兵衛(ひやうゑ)(ひやうへ)太郎(たらう)・兵衛(ひやうゑ)(ひやうへ)次郎(じらう)ともに討死(うちじに)してん
げり。城(じやう)の内(うち)に卅(さんじふ)余人(よにん)あり【有り】ける者共(ものども)、大略(たいりやく)討死(うちじに)自
P12531
害(じがい)して、館(たち)には火(ひ)をかけたりけるを、武士(ぶし)ども馳入(はせいり)て
手々(てんで)(て(ン)で)に討(うち)ける頸共(くびども)と(ッ)て、太刀(たち)長刀(なぎなた)のさきにつら
ぬき、二位(にゐの)入道殿(にふだうどの)(にうだうどの)へ馳(はせ)まいる(まゐる)【参る】。一条(いちでう)の大路(おほち)へ車(くるま)やり出(いだ)
して、頸(くび)ども実検(じつけん)せらる。紀伊(きいの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)入道(にふだう)(にうだう)の頸(くび)は
見(み)し(ッ)たるものも少々(せうせう)あり【有り】けり。伊賀(いがの)大夫(たいふ)(たゆふ)の頸(くび)、人(ひと)争(いかで)か
みしり奉(たてまつ)るべき。此(この)人(ひと)の母(はは)うへは治部卿局(ぢぶきやうのつぼね)とて、八条(はつでう)の
女院(にようゐん)に候(さうら)はれけるを、むかへよせ奉(たてまつ)り見(み)せ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。「三歳(さんざい)
と申(まうし)し時(とき)、故(こ)中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)にぐせ【具せ】られて西国(さいこく)へ下(くだ)(ッ)し後(のち)は、
P12532
いき【生き】たり共(とも)死(しし)たり共(とも)、そのゆくゑ(ゆくへ)【行方】をしら【知ら】ず。但(ただし)故(こ)
中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)のおもひ【思ひ】いづる【出づる】ところどころ【所々】のあるは、さにこそ」
とてなか【泣か】れけるにこそ、伊賀(いがの)大夫(たいふ)(たゆふ)の頸(くび)共(とも)人(ひと)し(ッ)【知つ】て(ン)げれ。
平家(へいけ)の侍(さぶらひ)越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)は但馬国(たじまのくに)へ落行(おちゆき)て
気比(けひの)四郎(しらう)道弘(だうこう)が聟(むこ)にな(ッ)てぞゐたりける。道弘(だうこう)、越
中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)とはしら【知ら】ざりけり。され共(ども)錐(きりの)袋(ふくろ)にた
まらぬ風情(ふぜい)にて、よるになればしうと【舅】が馬(むま)ひき【引き】いだ
い【出い】てはせ【馳せ】ひき【引き】したり、海(うみ)の底(そこ)十四P2420五町(じふしごちやう)、廿町(にじつちやう)くぐり
P12533
な(ン)ど(など)しければ、地頭(ぢとう)守護(しゆご)あやしみける程(ほど)に、何(なに)としてか
もれ聞(きこ)えたりけん、鎌倉殿(かまくらどの)御教書(みげうしよ)を下(くだ)されけり。
「但馬国(たじまのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)朝倉(あさくらの)太郎(たらう)大夫(たいふ)(たゆふ)高清(たかきよ)、平家(へいけ)の侍(さぶらひ)越中(ゑつちゆうの)(ゑつちうの)
次郎兵衛(じらうびやうゑ)(じらうびやうへ)盛次【*盛嗣】(もりつぎ)、当国(たうごく)に居住(きよぢゆう)(きよぢう)のよしきこしめす【聞し召す】。
めし【召し】進(まゐら)(まいら)せよ」と仰下(おほせくだ)さる。気比[B ノ](けひの)四郎(しらう)は朝倉[B ノ](あさくらの)大夫(たいふ)(たゆふ)が聟(むこ)
なりければ、よびよせて、いかがしてからめむずると儀(ぎ)
するに、「湯屋(ゆや)にてからむべし」とて、湯(ゆ)にいれ【入れ】て、した
たかなるもの五六人(ごろくにん)おろしあはせてからめむとするに、
P12534
とりつけばなげたおさ(たふさ)【倒さ】れ、をき(おき)【起き】あがれ【上れ】ばけたおさ(たふさ)【倒さ】る。互(たがひ)(たがい)に
身(み)はぬれたり、とりもためず。され共(ども)衆力(しゆりき)に強力(がうりき)か
なは【叶は】ぬ事(こと)なれば、二三十人(にさんじふにん)ば(ッ)とよ(ッ)【寄つ】て、太刀(たち)のみね長刀(なぎなた)
のゑ(え)【柄】にてうちなやしてからめとり、やがて関東(くわんとう)へまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】たりければ、御(おん)まへにひ(ッ)【引つ】すゑさせて、事(こと)の子細(しさい)を
めし【召し】とは【問は】る。「いかに汝(なんぢ)は同(おなじ)平家(へいけ)の侍(さぶらひ)といひながら、故親(こしん)
にてあんなるに、しな【死な】ざりけるぞ」。「それはあまりに平家(へいけ)
のもろくほろびてましまし候(さうらふ)間(あひだ)(あいだ)、もしやとねらひ
P12535
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらひ)つるなり。太刀(たち)のみ【身】のよきをも、征矢(そや)の
尻(しり)のかねよきをも、鎌倉殿(かまくらどの)の御(おん)ためとこそこしらへ
も(ッ)て候(さうらひ)つれ共(ども)、是(これ)程(ほど)に運命(うんめい)つきはて候(さうらひ)ぬるうへは、と
かう申(まうす)にをよび(および)【及び】候(さうら)はず」。「心(こころ)ざしの程(ほど)はゆゆしかり
けり。頼朝(よりとも)をたのま【頼ま】ばたすけ【助け】てつかは【使は】んは、いかに」。「勇士(ゆうじ)
二主(じしゆ)に仕(つか)へず、盛次【*盛嗣】(もりつぎ)程(ほど)の者(もの)に御心(おんこころ)ゆるしし給(たま)ひては、
かならず【必ず】御後悔(ごこうくわい)候(さうらふ)べし。ただ御恩(ごおん)(ごをん)にはとくとく頸(くび)P2421を
めされ候(さうら)へ」と申(まうし)ければ、「さらばきれ【斬れ】」とて、由井(ゆゐ)の浜(はま)に
P12536
ひきいだひ(いだい)【出い】て、き(ッ)て(ン)げり。ほめぬものこそなかりけれ。
其(その)比(ころ)の主上(しゆしやう)は御遊(ぎよいう)(ぎよゆう)をむねとせさせ給(たま)ひて、政道(せいたう)
は一向(いつかう)卿(きやう)の局(つぼね)のままなりければ、人(ひと)の愁(うれへ)なげきも
やまず。呉王(ごわう)剣角(けんかく)をこのんじかば天下(てんが)に疵(きず)を蒙(かうぶ)る
ものたえ【絶え】ず。楚王(そわう)細腰(さいえう)(さいよう)を愛(あいせ)(あひせ)しかば、宮中(きゆうちゆう)(きうちう)に飢(うゑ)(うへ)て
死(し)するをんなおほかり【多かり】き。上(かみ)の好(このみ)に下(しも)は随(したが)ふ間(あひだ)(あいだ)、世(よ)の
あやうき(あやふき)【危ふき】事(こと)をかなしんで、心(こころ)ある人々(ひとびと)は歎(なげき)あへ【合へ】り。ここ
に文覚(もんがく)もとよりおそろしき【恐ろしき】聖(ひじり)にて、いろう(いろふ)【綺ふ】ま
P12537
じき事(こと)にいろい(いろひ)【綺ひ】けり。二(に)の宮(みや)は御学問(ごがくもん)おこたらせ
給(たま)はず、正理(しやうり)を先(さき)とせさせ給(たま)ひしかば、いかにもして
此(この)宮(みや)を位(くらゐ)に即(つけ)(ツケ)奉(たてまつ)らむとはからひけれども、前(さきの)右大
将(うだいしやう)頼朝卿(よりとものきやう)のおはせし程(ほど)にかなは【叶は】ざりけるが、建久(けんきう)十年(じふねん)
正月(しやうぐわつ)十三日(じふさんにち)、頼朝卿(よりとものきやう)うせ給(たま)ひしかば、やがて謀反(むほん)をおこ
さんとしける程(ほど)に、忽(たちまち)にもれ【漏れ】きこえ【聞え】て、二条猪熊(にでうゐのくま)の
宿所(しゆくしよ)に官人共(くわんにんども)つけられ、めし【召し】と(ッ)て八十(はちじふ)にあま(ッ)て後(のち)、
隠岐国(おきのくに)(をきのくに)へぞながされける。文覚(もんがく)京(きやう)を出(いづ)るとて、「是(これ)
P12538
程(ほど)老(おい)の波(なみ)に望(のぞん)で、けふあすともしらぬ身(み)をたとひ
勅勘(ちよくかん)なりとも、都(みやこ)のかたほとりにはをき(おき)給(たま)はで、隠岐
国(おきのくに)(をきのくに)までながさるる及丁【*毬杖】(ぎつちやう)冠者(くわんじや)こそやすからね。つゐに(つひに)【遂に】は
文覚(もんがく)がながさるる国(くに)へむかへ【向へ】申(まう)さんずる物(もの)を」と申(まうし)
けるこそおそろしけれ【恐ろしけれ】。されば、承久(じようきう)(ぜうきう)に御謀反(ごむほん)おこ
させ給(たま)ひて、国(くに)こそおほけれ【多けれ】、隠岐国(おきのくに)(をきのくに)へうつされ
給(たま)ひけるこそふP2422しぎなれ。彼(かの)国(くに)にも文覚(もんがく)が亡霊(ばうれい)
あれ【荒れ】て、つねは御物語(おんものがたり)申(まうし)けるとぞ聞(きこ)えし。さる程(ほど)に
P12539
六代(ろくだい)御前(ごぜん)は三位(さんみの)(さんゐの)禅師(ぜんじ)とて、高雄(たかを)(たかお)におこなひすまし【澄まし】て
おはしけるを、「さる人(ひと)の子(こ)なり、さる人(ひと)の弟子(でし)なり。
かしらをばそ(ッ)たりとも、心(こころ)をばよもそらじ」とて鎌倉
殿(かまくらどの)より頻(しきり)に申(まう)されければ、安(あん)判官(はんぐわん)資兼(すけかぬ)に仰(おほせ)て召(めし)
捕(と)(ッ)て関東(くわんとう)へぞ下(くだ)されける。駿河[* 「駿川」と有るのを高野本により訂正]国(するがのくにの)住人(ぢゆうにん)(ぢうにん)岡辺(をかべの)権守(ごんのかみ)
泰綱(やすつな)に仰(おほせ)て、田越河(たごしがは)にて切[B ラ](きら)れて(ン)げり。十二(じふに)の歳(とし)
より卅(さんじふ)にあまるまでたもち【保ち】けるは、ひとへに長谷(はせ)の
観音(くわんおん)(くわんをん)の御利生(ごりしやう)とぞ聞(きこ)えし。それよりしてこそ
P12540
平家(へいけ)の子孫(しそん)はながくたえ【絶え】にけれ。
平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第十二(だいじふに)
応安三年(さんねん)十一月(じふいちぐわつ)廿九日(にじふくにち) 仏子有阿書


平家物語(龍谷大学本)灌頂巻

【許諾済】
本テキストの公開については、龍谷大学大宮図書館の許諾を得ています。底本使用・テキスト公開を許可された同図書館に厚く御礼申し上げます。
【注意】
本テキストの利用は個人の研究の範囲内に限られます。本テキストの全体あるいは一部の複写物・複写加工物を、インターネット上で、あるいは出版物として公表する場合には、事前に龍谷大学大宮図書館に翻刻掲載許可願いを申請する必要があります。同図書館の許可を得ない本テキストの公表は禁じられています。翻刻掲載許可願い申請送付先:〒600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町125−1 龍谷大学大宮図書館閲覧係
【底本】
本テキストの底本は、龍谷大学大宮図書館所蔵『平家物語』です。直接には、思文閣出版発行の影印本に拠りました。

P13541 P2423
平家(へいけ)灌頂巻(くわんぢやうのまき)
女院出家(にようゐんしゆつけ)S1301 建礼門院(けんれいもんゐん)は、東山(ひがしやま)の麓(ふもと)、吉田(よしだ)の辺(へん)なる所(ところ)にぞ
立(たち)いらせ給(たま)ひける。中納言(ちゆうなごんの)(ちうなごんの)法印(ほふいん)(ほうゐん)慶恵(きやうゑ)と申(まうし)ける
奈良(なら)法師(ぼふし)(ぼうし)の坊(ばう)なりけり。住(すみ)あらして年(とし)久(ひさ)しう
なりにければ、庭(には)には草(くさ)ふかく、簷(のき)にはしのぶ【忍】茂(しげ)れり。
簾(すだれ)たえ【絶え】閨(ねや)あらはにて、雨風(あめかぜ)たまるやうもなし。花(はな)
は色々(いろいろ)にほへども、あるじとたのむ【頼む】人(ひと)もなく、月(つき)は
よなよな【夜な夜な】さしいれ【入れ】ど、ながめてあかすぬし【主】もなし。
P13542
昔(むかし)は玉(たま)の台(うてな)をみがき、錦(にしき)の帳(ちやう)にまとはれて、あかし
暮(くら)し給(たま)ひしに、いまはありとしある人(ひと)にはみな
別(わかれ)はてて、あさましげなるくち坊(ばう)【朽ち坊】にいらせ給(たま)ひける
御心(おんこころ)の内(うち)、おしはから【推し量ら】れて哀(あはれ)なり。魚(うを)(うほ)のくが【陸】にあがれ【上がれ】る
がごとく、鳥(とり)の巣(す)をはなれたるがごとし。さるままには、
うかり【憂かり】し浪(なみ)の上(うへ)、船(ふね)の中(うち)の御(おん)すまゐ(すまひ)【住ひ】も、今(いま)は恋(こひ)しう
ぞおぼしめす【思し召す】。蒼波(さうは)路(みち)遠(とほ)(とを)し、思(おもひ)を西海(さいかい)千里(せんり)の
雲(くも)によせ、白屋(はくをく)苔(こけ)ふかくして、涙(なんだ)東山(とうざん)一庭(いつてい)の月(つき)に
P13543
おつ。かなしともいふはかりなP2424し。かくて女院(にようゐん)は文治(ぶんぢ)元
年(ぐわんねん)五月(ごぐわつ)一日(ついたちのひ)、御(おん)ぐしおろさせ給(たま)ひけり。御戒(おんかい)の師(し)には
長楽寺(ちやうらくじ)の阿証房(あしようばう)(あしやうばう)の上人(しやうにん)印誓(いんぜい)(ゐんぜい)とぞきこえ【聞え】し。
御布施(おんふせ)には、先帝(せんてい)の御直衣(おんなほし)(おんなをし)なり。今(いま)はの時(とき)までめさ
れたりければ、その御(おん)うつり香(が)もいまだうせ【失せ】ず。御(おん)かた
みに御(ご)らむ(らん)ぜんとて、西国(さいこく)よりはるばると都(みやこ)までも
たせ給(たま)ひたりければ、いかならん世(よ)までも御身(おんみ)をはなた
じとこそおぼしめさ【思し召さ】れけれども、御布施(おんふせ)になりぬ
P13544
べき物(もの)のなきうへ、かつうは彼(かの)御菩提(ごぼだい)のためとて、泣々(なくなく)
とりいださせ給(たま)ひけり。上人(しやうにん)是(これ)を給(たま)は(ッ)て、何(なに)と奏(そう)する
むねもなくして、墨染(すみぞめ)の袖(そで)をしぼりつつ、泣々(なくなく)罷出(まかりいで)
られけり。此(この)御衣(ぎよい)をば幡(はた)にぬう【縫う】て、長楽寺(ちやうらくじ)の仏前(ぶつぜん)に
かけられけるとぞ聞(きこ)えし。女院(にようゐん)は十五(じふご)にて女御(にようご)の
宣旨(せんじ)をくだされ、十六(じふろく)にて后妃(こうひ)の位(くらゐ)に備(そなは)り、君王(くんわう)の
傍(かたはら)に候(さうら)はせ給(たま)ひて、朝(あした)には朝政(あさまつりごと)をすすめ、よるは夜(よ)を専(もつぱら)
にし給(たま)へり。廿二(にじふに)にて皇子(わうじ)御誕生(ごたんじやう)、皇太子(くわうたいし)(くはうたいし)にたち、
P13545
位(くらゐ)につかせ給(たま)ひしかば、院号(ゐんがう)蒙(かうぶ)らせ給(たま)ひて、建礼門院(けんれいもんゐん)
とぞ申(まうし)ける。入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)の御娘(おんむすめ)なるうへ、天下(てんが)の国母(こくぼ)
にてましましければ、世(よ)のおもう【重う】し奉(たてまつ)る事(こと)なのめならず。
今年(ことし)は廿九(にじふく)にぞならせ給(たま)ふ。桃李(たうり)の御粧(おんよそほひ)猶(なほ)こまやか
に、芙蓉(ふよう)の御(おん)かたちいまだ衰(おとろへ)(をとろへ)させ給(たま)はね共(ども)、翡翠(ひすい)
の御(おん)かざしつけても何(なに)にかはせさせ給(たま)ふべきなれば、
遂(つひ)(つゐ)に御(おん)さまをかへさ【返さ】せ給(たま)ふ。浮世(うきよ)をいとP2425ひ、まこと【誠】の道(みち)に
いらせ給(たま)へども、御歎(おんなげき)は更(さら)につきせず。人々(ひとびと)いまはかく
P13546
とて海(うみ)にしづみし有様(ありさま)、先帝(せんてい)・二位殿(にゐどの)の御面影(おんおもかげ)、
いかならん世(よ)までも忘(わすれ)がたくおぼしめすに、露(つゆ)の
御命(おんいのち)なにしに今(いま)までながらへ【永らへ】て、かかるうき目(め)を見(み)る
らんとおぼしめしつづけて、御涙(おんなみだ)せきあへさせ給(たま)
はず。五月(ごぐわつ)の短夜(みじかよ)なれども、あかしかねさせ給(たま)ひつつ、
をのづから(おのづから)もうちまどろませ給(たま)はねば、昔(むかし)の事(こと)は夢(ゆめ)に
だにも御(ご)らんぜず。壁(かべ)にそむける残(のこん)の燈(ともしび)の影(かげ)かすか【幽】に、
夜(よ)もすがら窓(まど)うつくらき雨(あめ)の音(おと)(をと)ぞさびしかりける。
P13547
上陽人(しやうやうじん)が上陽宮(しやうやうきゆう)(しやうやうきう)に閉(とぢ)られけむかなしみも、是(これ)には
過(すぎ)じとぞ見(み)えし。昔(むかし)をしのぶ【忍ぶ】つまとなれとてや、も
とのあるじのうつし【移し】うへ(うゑ)【植ゑ】たりけむはな橘(たちばな)の、簷(のき)ち
かく風(かぜ)なつかしう【懐しう】かほりけるに、郭公(ほととぎす)二(ふた)こゑ【声】三(み)こゑ【声】
をとづれ(おとづれ)ければ、女院(にようゐん)ふるき事(こと)なれ共(ども)おぼしめし【思し召し】出(いで)て、
御硯(おんすずり)のふたにかうぞあそばさ【遊ばさ】れける。 郭公(ほととぎす)花(はな)たちばな
の香(か)をとめてなくはむかしの人(ひと)や恋(こひ)しき W093 女房達(にようばうたち)
さのみたけく、二位殿(にゐどの)・越前(ゑちぜん)の三位(さんみ)(さんゐ)のうへのやうに、水(みづ)の
P13548
底(そこ)にも沈(しづ)み給(たま)はねば、武(もののふ)のあらけなき【荒けなき】にとらはれて、
旧里(きうり)にかへり、わかき【若き】もおい【老い】たるもさまをかへ、かたち
をやつし、あるにもあらぬありさまにてぞ、おもひ【思ひ】も
かけぬ谷(たに)の底(そこ)、岩(いは)のはざまにあかし暮(くら)し給(たま)ひける。
すまゐ(すまひ)【住ひ】し宿(やど)は皆(みな)煙(けぶり)とのぼりにしP2426かば、むなしき【空しき】
跡(あと)のみ残(のこ)りて、しげき野(の)べとなりつつ、みなれ【見馴れ】し人(ひと)
のとひくるもなし。仙家(せんか)より帰(かへ)(ッ)て七世(しちせ)の孫(まご)に
あひけんも、かくやとおぼえて哀(あはれ)なり。さる程(ほど)に、七月(しちぐわつ)
P13549
九日(ここのかのひ)の大地震(だいぢしん)に築地(ついぢ)もくづれ、荒(あれ)たる御所(ごしよ)もかた
ぶきやぶれて、いとどすませ給(たま)ふべき御(おん)たよりもなし。
緑衣(りよくい)の監使(かんし)宮門(きゆうもん)(きうもん)をまぼるだにもなし。心(こころ)のままに
荒(あれ)たる籬(まがき)は、しげき野辺(のべ)よりも露(つゆ)けく、おりしり
がほ(をりしりがほ)【折知顔】にいつしか虫(むし)のこゑごゑ【声々】うらむる【恨むる】も、哀(あはれ)なり。
夜(よ)もやうやうながくなれば、いとど御(おん)ね覚(ざめ)がちにて
明(あか)しかねさせ給(たま)ひけり。つきせぬ御(おん)ものおもひ【物思ひ】に、
秋(あき)のあはれ【哀】さへうちそひて、しのび【忍び】がたくぞおぼし
P13550
めさ【思し召さ】れける。何事(なにごと)もかはりはてぬる浮世(うきよ)なれば、をの
づから(おのづから)あはれ【哀】をかけ奉(たてまつ)るべき草(くさ)のたよりさへかれ
はてて、誰(たれ)はぐくみ奉(たてまつ)るべしとも見(み)え給(たま)はず。
大原入(おほはらいり)S1302 されども冷泉(れいぜいの)大納言(だいなごん)隆房卿(たかふさのきやう)・七条(しつでう)修理大夫(しゆりのだいぶ)信隆卿(のぶたかのきやう)
の北方(きたのかた)、しのび【忍び】つつやうやうにとぶらひ【訪ひ】申(まう)させ給(たま)ひけり。
「あの人々(ひとびと)どものはぐくみにてあるべしとこそ昔(むかし)は
おもは【思は】ざりしか」とて、女院(にようゐん)御涙(おんなみだ)をながさせ給(たま)へば、つき
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】P2427たる女房達(にようばうたち)もみな袖(そで)をぞしぼられける。
P13551
此(この)御(おん)すまゐ(すまひ)【住ひ】も都(みやこ)猶(なほ)ちかく、玉(たま)ぼこの道(みち)ゆき人(びと)の
人目(ひとめ)もしげくて、露(つゆ)の御命(おんいのち)風(かぜ)を待(また)ん程(ほど)は、うき【憂き】事(こと)
きかぬふかき山(やま)の奥(おく)のおくへも入(いり)なばやとはおぼし
けれども、さるべきたよりもましまさず。ある女房(にようばう)の
まい(ッ)(まゐつ)【参つ】て申(まうし)けるは、「大原山(おほはらやま)のおく、寂光院(じやくくわうゐん)と申(まうす)所(ところ)こそ
閑(しづか)にさぶらへ【候へ】」と申(まうし)ければ、「山里(やまざと)は物(もの)のさびしき事(こと)こそ
あるなれども、世(よ)のうきよりはすみよかんなる物(もの)を」
とて、おぼしめし【思し召し】たたせ給(たま)ひけり。御輿(おんこし)な(ン)ど(など)は隆
P13552
房卿(たかふさのきやう)の北方(きたのかた)の御沙汰(ごさた)あり【有り】けるとかや。文治(ぶんぢ)元年(ぐわんねん)
長月(ながつき)の末(すゑ)に、彼(かの)寂光院(じやくくわうゐん)へいらせ給(たま)ふ。道(みち)すがら
四方(よも)の梢(こずゑ)の色々(いろいろ)なるを御覧(ごらん)じすぎさせ給(たま)ふ程(ほど)に、
山(やま)かげなればにや、日(ひ)も既(すでに)くれかかりぬ。野寺(のでら)の鐘(かね)の入(いり)
あひの音(おと)(をと)すごく、わくる草葉(くさば)の露(つゆ)しげみ、いとど
御袖(おんそで)ぬれまさり、嵐(あらし)はげしく木(こ)の葉(は)みだりがは
し。空(そら)かきくもり【曇り】、いつしかうちしぐれつつ、鹿(しか)の音(ね)
かすか【幽】に音信(おとづれ)(をとづれ)て、虫(むし)の恨(うらみ)もたえだえ【絶え絶え】なり。とにかくに
P13553
とりあつめ【集め】たる御心(おんこころ)ぼそさ、たとへやるべきかたも
なし。浦(うら)づたひ島(しま)づたひせし時(とき)も、さすがかくは
なかりしものをと、おぼしめす【思し召す】こそかなしけれ。
岩(いは)に苔(こけ)むしてさびたる所(ところ)なりければ、すま【住ま】まほし
うぞおぼしめす【思し召す】。露(つゆ)結(むす)ぶ庭(には)の萩原(はぎはら)霜(しも)がれて、
籬(まがき)の菊(きく)のかれがれ【枯れ枯れ】にうつろふ色(いろ)を御(ご)らんじても、御身(おんみ)
の上(うへ)とやおぼしけん。仏(ほとけ)の御前(おんまへ)にまいら(まゐら)【参ら】せ給(たま)ひP2428て、
「天子(てんし)聖霊[* 「座霊」と有るのを他本により訂正](しやうりやう)成等(じやうどう)正覚(しやうがく)、頓証菩提(とんしようぼだい)(とんしやうぼだい)」といのり申(まう)させ
P13554
給(たま)ふにつけても、先帝(せんてい)の御面影(おんおもかげ)ひしと御身(おんみ)にそひ
て、いかならん世(よ)にかおぼしめし【思し召し】わすれさせ給(たま)ふべき。
さて寂光院(じやくくわうゐん)のかたはらに方丈(はうぢやう)(はうじやう)なる御庵室(ごあんじつ)を
むすんで、一間(いつけん)を御寝所(ごしんじよ)にしつらひ、一間(いつけん)をば仏
所(ぶつしよ)に定(さだめ)、昼夜(ちうや)朝夕(あさゆふ)の御(おん)つとめ、長時(ちやうじ)不断(ふだん)の御念仏(おんねんぶつ)、
おこたる事(こと)なくて月日(つきひ)を送(おく)(をく)らせ給(たま)ひけり。かくて
神無月(かみなづき)中(なか)の五日(いつか)の暮(くれ)がたに、庭(には)に散(ちり)しく楢(なら)の葉(は)を
ふみならして聞(きこ)えければ、女院(にようゐん)「世(よ)をいとふところ【所】に
P13555
なにもののとひくるやらむ。あれ見(み)よや、忍(しの)ぶべきもの
ならばいそぎしのば【忍ば】ん」とて、みせ【見せ】らるるに、をしか【牡鹿】の
とおる(とほる)【通る】にてぞあり【有り】ける。女院(にようゐん)いかにと御尋(おんたづね)あれば、大納
言佐殿(だいなごんのすけどの)なみだをおさへて、
岩根(いはね)ふみたれかはとは【問は】むならの葉(は)の
そよぐはしかのわたるなりけり W094
女院(にようゐん)哀(あはれ)におぼしめし【思し召し】、窓(まど)の小障子(こしやうじ)に此(この)歌(うた)を
あそばし【遊ばし】とどめ【留め】させ給(たま)ひけり。かかる御(おん)つれづれの
P13556
な[B か]におぼしめし【思し召し】なぞらふる事共(ことども)は、つらき中(なか)にも
あまたあり。軒(のき)にならべるうへ木(き)(うゑき)【植木】をば、七重(しちぢゆう)(しちぢう)宝樹(ほうじゆ)とかた
どれり。岩間(いはま)につもる水(みづ)をば、八功徳水[* 「八功徳池」と有るのを高野本により訂正](はつくどくすい)とおぼしめす【思し召す】。
無常(むじやう)は春(はる)の花(はな)、風(かぜ)に随(したがひ)て散(ちり)やすく、有涯(うがい)は秋(あき)の
月(つき)、雲(くも)に伴(ともな)(ッ)て隠(かく)れやすし。承陽殿(しようやうでん)(せうやうでん)に花(はな)を翫(もてあそび)し
朝(あした)には、風(かぜ)来(きたつ)て匂(にほひ)を散(ちら)し、長秋宮(ちやうしうきゆう)(ちやうしうきう)に月(つき)を詠(えい)(ゑい)ぜ
し夕(ゆふべ)には、雲(くも)おほ(ッ)【覆つ】て光(ひかり)をかくす。昔(むかし)は玉楼(ぎよくろう)金殿(きんでん)に
錦(にしき)の褥(しとね)(シトネ)をしき、P2429たへ【妙】なりし御(おん)すまゐ(すまひ)【住ひ】なりしか共(ども)、
P13557
今(いま)は柴(しば)引(ひき)むすぶ草(くさ)の庵(いほ)、よそのたもともしほれ(しをれ)【萎れ】
けり。大原御幸(おほはらごかう)S1303 かかりし程(ほど)に、文治(ぶんぢ)二年(にねん)の春(はる)の比(ころ)、法皇(ほふわう)(ほうわう)、建
礼門院(けんれいもんゐん)大原(おほはら)の閑居(かんきよ)の御(おん)すまゐ(すまひ)【住ひ】、御覧(ごらん)ぜまほしう
おぼしめさ【思し召さ】れけれども、きさらぎ【二月】やよひ【三月】の程(ほど)は風(かぜ)
はげしく、余寒(よかん)もいまだつきせず。峯(みね)の白雪(しらゆき)消(き)え
やらで、谷(たに)のつららもうちとけず。春(はる)すぎ夏(なつ)きた(ッ)て
北(きた)まつりも過(すぎ)しかば、法皇(ほふわう)(ほうわう)夜(よ)をこめて大原(おほはら)の奥(おく)へぞ
御幸(ごかう)なる。しのびの御幸(ごかう)なりけれども、供奉(ぐぶ)の人々(ひとびと)、
P13558
徳大寺(とくだいじ)・花山院(くわさんのゐん)・土御門(つちみかど)以下(いげ)、公卿(くぎやう)六人(ろくにん)、殿上人(てんじやうびと)八人(はちにん)、
北面(ほくめん)少々(せうせう)候(さうらひ)けり。鞍馬(くらま)どおり(くらまどほり)【鞍馬通り】の御幸(ごかう)なれば、清原[B ノ](きよはらの)深
養父(ふかやぶ)が補堕落寺【*補陀落寺】(ふだらくじ)、小野(をの)の皇太后宮(くわうだいこうぐう)の旧跡(きうせき)〔を〕叡
覧(えいらん)あ(ッ)て、それより御輿(おんこし)にめされけり。遠山(とほやま)(とをやま)にかかる白雲(しらくも)
は、散(ちり)にし花(はな)のかたみなり。青葉(あをば)に見(み)ゆる梢(こずゑ)には、
春(はる)の名残(なごり)ぞおしま(をしま)【惜しま】るる。比(ころ)は卯月(うづき)廿日(はつか)あまりの
事(こと)なれば、夏草(なつぐさ)のしげみが末(すゑ)を分(わけ)いらせ給(たま)ふに、はじ
めたる御幸(ごかう)なれば、御覧(ごらん)じなれたるかたもなし。人跡(じんせき)たえ【絶え】
P13559
たる程(ほど)もおぼしめし【思し召し】しられて哀(あはれ)なり。P2430西(にし)の山(やま)
の[ふ]もとに一宇(いちう)の御堂(みだう)あり。即(すなはち)寂光院(じやくくわうゐん)是(これ)也(なり)。
ふるう作(つく)りなせる前水(せんずい)木(こ)だち、よしあるさま
の所(ところ)なり。「甍(いらか)やぶれては霧(きり)不断(ふだん)の香(かう)をたき、
枢(とぼそ)おち【落ち】ては月(つき)常住(じやうぢゆう)(ぢやうぢう)の燈(ともしび)をかかぐ」とも、かやうの所(ところ)
をや申(まうす)べき。庭(には)の若草(わかくさ)しげりあひ、青柳(あをやぎ)の
糸(いと)をみだりつつ、池(いけ)の蘋(うきくさ)浪(なみ)にただよひ、錦(にしき)を
さらすかとあやまたる。中島(なかじま)の松(まつ)にかかれる藤(ふぢ)
P13560
なみの、うら紫(むらさき)にさける色(いろ)、青葉(あをば)まじりのをそ
桜(ざくら)(おそざくら)【遅桜】、初花(はつはな)よりもめづらしく、岸(きし)のやまぶきさき
みだれ、八重(やへ)(やえ)たつ雲(くも)のたえ間(ま)より、山郭公(やまほととぎす)の一声(ひとこゑ)も、
君(きみ)の御幸(ごかう)をまちがほなり。法皇(ほふわう)(ほうわう)是(これ)を叡覧(えいらん)(ゑいらん)あ(ッ)て、
かうぞおぼしめし【思し召し】つづけける。
池水(いけみづ)にみぎはのさくら散(ちり)しきて
なみの花(はな)こそさかりなりけれ W095
ふりにける岩(いは)のたえ間(ま)より、おち【落ち】くる水(みづ)の音(おと)(をと)
P13561
さへ、ゆへび(ゆゑび)【故び】よしある所(ところ)なり。緑蘿[B ノ](りよくらの)牆(かき)、翠黛[B ノ](すいたいの)山(やま)、画(ゑ)(え)
にかくとも筆(ふで)もをよび(および)【及び】がたし。女院(にようゐん)の御庵室(ごあんじつ)を御
覧(ごらん)ずれば、軒(のき)には蔦槿(つたあさがほ)はひかかり【這ひ掛かり】、信夫(しのぶ)まじりの
忘草(わすれぐさ)、瓢箪(へうたん)(ひようたん)しばしばむなし、草(くさ)顔淵(がんゑん)(がんえん)が巷(ちまた)にしげし。
藜(れい)でうふかくさせり、雨(あめ)原憲(げんけん)が枢(とぼそ)をうるほす
ともい(ッ)【言つ】つべし。杉(すぎ)の葺目(ふきめ)もまばらにて、時雨(しぐれ)も
霜(しも)もをく(おく)【置く】露(つゆ)も、もる月影(つきかげ)にあらそひて、たまる
べしとも見(み)えざりけり。うしろは山(やま)、前(まへ)は野辺(のべ)、
P13562
いささをざさ【小笹】に風(かぜ)さはぎ(さわぎ)【騒ぎ】、世(よ)にたたぬ身(み)のならひ【習ひ】とて、
うきふししげき竹柱(たけばしら)、P2431都(みやこ)の方(かた)のことづては、ま
どを(まどほ)【間遠】にゆへ【結へ】るませ垣(がき)や、わづかにこととふものとては、
峯(みね)に木(こ)づたふ猿(さる)のこゑ【声】、しづ【賎】がつま木(ぎ)のおの(をの)の音(おと)(をと)、こ
れらが音信(おとづれ)(をとづれ)ならでは、まさ木(き)のかづら青(あを)つづら、くる
人(ひと)まれなる所(ところ)なり。法皇(ほふわう)(ほうわう)「人(ひと)やある、人(ひと)やある」とめさ【召さ】れ
けれども、お(ン)(おん)いらへ【御答】申(まうす)ものもなし。はるかにあ(ッ)て、
老衰(おいおとろへ)(おいをとろへ)たる尼(あま)一人(いちにん)まいり(まゐり)【参り】たり。「女院(にようゐん)はいづくへ御幸(ごかう)なり
P13563
ぬるぞ」と仰(おほせ)ければ、「此(この)うへの山(やま)へ花(はな)つみにいらせ給(たま)ひ
てさぶらふ【候ふ】」と申(まうす)。「さやうの事(こと)につかへ奉(たてまつ)るべき人(ひと)も
なきにや。さこそ世(よ)を捨(すつ)る御身(おんみ)といひながら、御(おん)いたはしう
こそ」と仰(おほせ)ければ、此(この)尼(あま)申(まうし)けるは、「五戒(ごかい)十善(じふぜん)(じうぜん)の御果報(ごくわはう)(ごくわほう)つ
きさせ給(たま)ふによ(ッ)て、今(いま)かかる御目(おんめ)を御覧(ごらん)ずるにこそ
さぶらへ【候へ】。捨身(しやしん)の行(ぎやう)になじかは御身(おんみ)ををしま【惜しま】せ
給(たま)ふべき。因果経(いんぐわきやう)(ゐんぐわきやう)には「欲知過去因(よくちくわこいん)(よくちくわこゐん)、見其現在果(けんごげんざいくわ)、欲
知未来果(よくちみらいくわ)、見其現在因(けんごげんざいいん)(けんごげんざいゐん)」ととかれたり。過去(くわこ)未来(みらい)の
P13564
因果(いんぐわ)(ゐんぐわ)をさとらせ給(たま)ひなば、つやつや御歎(おんなげき)あるべからず。悉
達太子(しつだたいし)は十九(じふく)にて伽耶城(がやじやう)をいで、檀徳山【*檀特山】(だんどくせん)のふもと【麓】
にて、木葉(このは)をつらねてはだえ(はだへ)【膚】をかくし、嶺(みね)にのぼりて
薪(たきぎ)をとり、谷(たに)にくだりて水(みづ)をむすび、難行(なんぎやう)苦行(くぎやう)の
功(こう)によ(ッ)て、遂(つひ)(つい)に成等(じやうどう)正覚(しやうがく)し給(たま)ひき」とぞ申(まうし)ける。
此(この)尼(あま)のあり様(さま)を御覧(ごらん)ずれば、きぬ布(ぬの)のわきも見(み)えぬ
物(もの)を結(むす)びあつめ【集め】てぞき【着】たりける。「あのあり様(さま)にても
かやうの事(こと)申(まう)すふしぎさ【不思議さ】よ」とおぼしめし【思し召し】、「抑(そもそも)
P13565
汝(なんぢ)はいかなるP2432ものぞ」と仰(おほせ)ければ、さめざめとないて、しばしは
御返事(おんぺんじ)にも及(およ)(をよ)ばず。良(やや)あ(ッ)て涙(なみだ)ををさへ(おさへ)て申(まうし)けるは、
「申(まうす)につけても憚(はばかり)おぼえさぶらへ【候へ】ども、故(こ)少納言(せうなごん)入道(にふだう)(にうだう)
信西(しんせい)がむすめ、阿波(あは)の内侍(ないし)と申(まうし)しものにてさぶらふ【候ふ】也(なり)。
母(はは)は紀伊(きい)の二位(にゐ)、さしも御(おん)いとおしみ(いとほしみ)ふかう【深う】こそさぶら
ひしに、御覧(ごらん)じ忘(わすれ)させ給(たま)ふにつけても、身(み)のおと
ろへぬる程(ほど)も思(おも)ひしられて、今更(いまさら)せむかたなうこそ
おぼえさぶらへ【候へ】」とて、袖(そで)をかほにおしあてて、しのび【忍び】
P13566
あへぬさま、目(め)もあてられず。法皇(ほふわう)(ほうわう)も「されば汝(なんぢ)は阿波(あは)
の内侍(ないし)にこそあんなれ。今更(いまさら)御覧(ごらん)じわすれける。
ただ夢(ゆめ)とのみこそおぼしめせ【思し召せ】」とて、御涙(おんなみだ)せきあへ
させ給(たま)はず。供奉(ぐぶ)の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)も、「ふしぎ【不思議】の尼(あま)かなと
思(おも)ひたれば、理(ことわり)(ことはり)にてあり【有り】けり」とぞ、をのをの(おのおの)【各々】申(まうし)あはれける。
あなたこなたを叡覧(えいらん)(ゑいらん)あれば、庭(には)の千種(ちくさ)露(つゆ)おもく、
籬(まがき)にたおれ(たふれ)【倒れ】かかりつつ、そとも【外面】のを田(だ)【小田】も水(みづ)こえて、鴫(しぎ)
たつひまも見(み)えわかず。御庵室(ごあんじつ)にいらせ給(たま)ひて、
P13567
障子(しやうじ)を引(ひき)あけて御覧(ごらん)ずれば、一間(ひとま)には来迎(らいかう)〔の〕三尊(さんぞん)おは
します。中尊(ちゆうぞん)(ちうぞん)の御手(みて)には五色(ごしき)の糸(いと)をかけられたり。
左(ひだり)には普賢(ふげん)の画像(ゑざう)(えざう)、右(みぎ)には善導和尚(ぜんだうくわしやう)并(ならび)に先
帝(せんてい)の御影(みえい)(みゑい)をかけ、八軸(はちぢく)の妙文(めうもん)・九帖(くでう)の御書(ごしよ)もをか(おか)【置か】れ
たり。蘭麝(らんじや)の匂(にほひ)に引(ひき)かへて、香(かう)の煙(けぶり)ぞ立(たち)のぼる。彼(かの)
浄名居士(じやうみやうこじ)の方丈(はうぢやう)(はうじやう)の室(しつ)の内(うち)に三万二千[* 「三万三千」と有るのを高野本により訂正](さんまんにせん)の床(ゆか)を
ならべ、十方(じつぱう)の諸仏(しよぶつ)を請(しやう)じ奉(たてまつ)り給(たま)ひけむも、かく
やとぞおぼえける。障子(しやうじ)には諸経(しよきやう)の要文共(えうもんども)(ようもんども)、P2433色紙(しきし)に
P13568
かいて所々(しよしよ)におされたり。そのなかに大江(おほえ)の貞基(さだもと)法師(ぼふし)(ぼうし)が
清凉山(せいりやうざん)にして詠(えい)(ゑい)じたりけむ「笙歌(せいが)遥(はるかに)聞(きこゆ)孤雲[B ノ](こうんの)
上(うへ)、聖衆(しやうじゆ)来迎[B ス](らいかうす)落日(らくじつの)前(まへ)」ともかかれたり。すこし引(ひき)
のけて女院(にようゐん)の御製(ぎよせい)とおぼしくて、
おもひ【思ひ】きやみ山(やま)のおくにすまゐ(すまひ)【住ひ】して
雲(くも)ゐの月(つき)をよそに見(み)むとは W096
さてかたはらを御覧(ごらん)ずれば、御寝所(ぎよしんじよ)とおぼしくて、
竹(たけ)の御(おん)さほ(さを)にあさ【麻】の御衣(おんころも)、紙(かみ)の御衾(おんふすま)な(ン)ど(など)かけられたり。
P13569
さしも本朝(ほんてう)漢土(かんど)のたへなるたぐひ数(かず)をつくして、
綾羅(りようら)(れうら)錦繍(きんしう)の粧(よそほひ)もさながら夢(ゆめ)になりにけり。供奉(ぐぶ)
の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)もをのをの(おのおの)【各々】見(み)まいらせ(まゐらせ)【参らせ】し事(こと)なれば、
今(いま)のやうに覚(おぼえ)て、皆(みな)袖(そで)をぞしぼられける。さる程(ほど)に、
うへの山(やま)より、こき墨染(すみぞめ)の衣(ころも)きたる尼(あま)二人(ににん)、岩(いは)のかけ
路(みち)をつたひつつ、おりわづらひ【煩ひ】給(たま)ひけり。法皇(ほふわう)(ほうわう)是(これ)を
御覧(ごらん)じて、「あれは何(なに)ものぞ」と御尋(おんたづね)あれば、老尼(らうに)涙(なみだ)を
をさへ(おさへ)て申(まうし)けるは、「花(はな)がたみ【筐】ひぢにかけ、岩(いは)つつじ
P13570
とり具(ぐ)してもたせ給(たま)ひたるは、女院(にようゐん)にて渡(わた)らせ給(たま)
ひさぶらふ【候ふ】なり。爪木(つまぎ)に蕨(わらび)折具(をりぐ)(おりぐ)してさぶらふは、
鳥飼(とりかひ)の中納言(ちゆうなごん)(ちうなごん)維実(これざね)のむすめ、五条(ごでうの)大納言(だいなごん)国綱【*邦綱】
卿(くにつなのきやう)の養子(やうじ)、先帝(せんてい)の御(おん)めのと、大納言佐(だいなごんのすけ)」と申(まうし)も
あへずなき【泣き】けり。法皇(ほふわう)(ほうわう)もよに哀(あはれ)げにおぼしめし【思し召し】
て、御涙(おんなみだ)せきあへさせ給(たま)はず。女院(にようゐん)は「さこそ世(よ)を捨(すつ)る
御身(おんみ)といひながら、いまかかる御(おん)ありさまを見(み)えまいら
せ(まゐらせ)【参らせ】むずらんはづかしさよ。消(きえ)もうせばや」とおぼしP2434
P13571
めせどもかひぞなき。よひよひごとのあかの水(みづ)、結(むす)ぶた
もともしほるる(しをるる)【萎るる】に、暁(あかつき)をき(おき)【起き】の袖(そで)の上(うへ)、山路(やまぢ)の露(つゆ)も
しげくして、しぼりやかね[* 「かさね」と有るのを高野本により訂正]させ給(たま)ひけん、山(やま)へも
帰(かへ)らせ給(たま)はず、御庵室(ごあんじつ)へもいらせ給(たま)はず、御涙(おんなみだ)にむせ
ばせ給(たま)ひ、あきれてたたせましましたる所(ところ)に、内侍(ないし)
の尼(あま)まいり(まゐり)【参り】つつ、花(はな)がたみをば給(たま)はりけり。六道之沙汰(ろくだうのさた)S1304 「世(よ)をいとふ
ならひ【習ひ】、なにかはくるしう【苦しう】さぶらふ【候ふ】べき。はやはや御(ご)
たいめんさぶらふ(さぶらう)て、還御(くわんぎよ)なしまいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】させ給(たま)へ」と申(まうし)
P13572
ければ、女院(にようゐん)御庵室(ごあんじつ)にいらせ給(たま)ふ。「一念(いちねん)の窓(まど)の前(まへ)には
摂取(せつしゆ)の光明(くわうみやう)を期(ご)し、十念(じふねん)(じうねん)の柴(しば)の枢(とぼそ)には、聖衆(しやうじゆ)の
来迎(らいかう)をこそ待(まち)つるに、思外(おもひのほか)に御幸(ごかう)なりけるふし
ぎさ【不思議さ】よ」とて、なくなく【泣く泣く】御(ご)げんざん【見参】ありけり。法皇(ほふわう)(ほうわう)此(この)御(おん)
ありさまを見(み)まいら(ッ)(まゐらつ)【参らつ】させ給(たま)ひて、「非想(ひさう)の八万劫(はちまんごふ)(はちまんごう)、猶(なほ)(なを)
必滅(ひつめつ)の愁(うれへ)に逢(あふ)。欲界(よくかい)の六天(ろくてん)、いまだ五衰(ごすい)のかなしみ
をまぬかれず。善見城(ぜんげんじやう)の勝妙(せうめう)の楽(らく)、中間禅(ちゆうげんぜん)(ちうげんぜん)の高台(かうだい)
の閣(かく)、又(また)夢(ゆめ)の裏(うち)の果報(くわはう)(くわほう)、幻(まぼろし)の間(あひだ)(あいだ)のたのしみ、既(すで)に
P13573
流転(るてん)無窮(むきゆう)(むきう)也(なり)。車輪(しやりん)のめぐるがごとし。天人(てんにん)の五衰(ごすい)の
悲(かなしみ)は、人間(にんげん)にも[* 「には」と有るのを高野本により訂正]候(さうらひ)ける物(もの)を」とぞ仰(おほせ)ける。P2435「さるにてもたれか
事(こと)とひまいらせ(まゐらせ)【参らせ】候(さうらふ)。何事(なにごと)につけてもさこそ古(いにしへ)おぼし
めし【思し召し】いで候(さうらふ)らめ」と仰(おほせ)ければ、「いづかたよりをとづるる(おとづるる)事(こと)
もさぶらはず。隆房(たかふさ)・信隆(のぶたか)の北方(きたのかた)より、たえだえ【絶え絶え】申(まうし)送(おく)(をく)る
事(こと)こそさぶらへ【候へ】。その昔(むかし)あの人(ひと)どものはぐくみにてある
べしとは露(つゆ)も思(おもひ)より候(さぶら)はず」とて、御涙(おんなみだ)をながさせ給(たま)へば、
つきまいらせ(まゐらせ)【参らせ】たる女房達(にようばうたち)もみな袖(そで)をぞぬらされける。
P13574
女院(にようゐん)御涙(おんなみだ)ををさへ(おさへ)て申(まう)させ給(たま)ひけるは、「かかる身(み)に
なる事(こと)は一旦(いつたん)の歎(なげき)申(まうす)にをよび(および)【及び】候(さぶら)はねども、後生(ごしやう)菩提(ぼだい)
の為(ため)には、悦(よろこび)とおぼえさぶらふ【候ふ】なり。忽(たちまち)に釈迦[* 「尺迦」と有るのを高野本により訂正](しやか)の遺弟(ゆいてい)に
つらなり、忝(かたじけな)く弥陀(みだ)の本願(ほんぐわん)に乗(じよう)(ぜう)じて、五障(ごしやう)三従(さんじゆう)(さんじう)の
くるしみ【苦しみ】をのがれ【逃れ】、三時(さんじ)に六根(ろつこん)をきよめ、一(ひと)すぢに九品(くほん)
の浄刹(じやうせつ)をねがふ。専(もつぱら)一門(いちもん)の菩提(ぼだい)をいのり、つねは三尊(さんぞん)
の来迎(らいかう)を期(ご)す。いつの世(よ)にも忘(わすれ)がたきは、先帝(せんてい)の御
面影(おんおもかげ)、忘(わす)れんとすれども忘(わす)られず、しのば【忍ば】んとすれども
P13575
しのば【忍ば】れず。ただ恩愛(おんあい)(をんあい)の道(みち)ほどかなしかり【悲しかり】ける事(こと)は
なし。されば彼(かの)菩提(ぼだい)のために、あさゆふのつとめおこたる
事(こと)さぶらはず。是(これ)もしかる【然る】べき善知識(ぜんぢしき)とこそ覚(おぼ)へ(おぼえ)
さぶらへ【候へ】」と申(まう)させ給(たま)ひければ、法皇(ほふわう)(ほうわう)仰(おほせ)なりけるは、
「此(この)国(くに)は粟散(そくさん)辺土(へんど)なりといへども、忝(かたじけな)く十善(じふぜん)(じうぜん)の余
薫(よくん)に答(こた)へて、万乗(ばんじよう)(ばんぜう)のあるじとなり、随分(ずいぶん)一(いつ)として
心(こころ)にかなは【叶は】ずといふ事(こと)なし。就中(なかんづく)仏法(ぶつぽふ)(ぶつぽう)流布(るふ)の世(よ)に
むまれ【生れ】て、仏道(ぶつだう)修行(しゆぎやう)の心(こころ)ざしあれば、後生(ごしやう)善所(ぜんしよ)
P13576
疑(うたがひ)あるべからず。人間(にんげん)のあだなるならひ【習ひ】は、今更(いまさら)おP2436ど
ろくべきにはあらねども、御(おん)ありさま見(み)奉(たてまつ)るに、
あまりにせむかたなうこそ候(さうら)へ」と仰(おほせ)ければ、女院(にようゐん)重(かさね)
て申(まう)させ給(たま)ひけるは、「我(われ)平相国(へいしやうこく)のむすめとして
天子(てんし)の国母(こくぼ)となりしかば、一天四海(いつてんしかい)みなたなごころ
のままなり。拝礼(はいれい)の春(はる)の始(はじめ)より、色々(いろいろ)の衣(ころも)がへ【衣更】、仏名(ぶつみやう)
の年(とし)のくれ、摂禄(せつろく)以下(いげ)の大臣(だいじん)公卿(くぎやう)にもてなされし
ありさま、六欲(ろくよく)四禅(しぜん)の雲(くも)の上(うへ)にて八万(はちまん)の諸天(しよてん)に囲繞(ゐねう)
P13577
せられさぶらふ【候ふ】らむ様(やう)に、百官(ひやくくわん)悉(ことごとく)あふが【仰が】ぬものや
さぶらひし。清凉(せいりやう)紫宸(ししん)の床(ゆか)の上(うへ)、玉(たま)の簾(すだれ)のうち
にてもてなされ、春(はる)は南殿(なんでん)の桜(さくら)に心(こころ)をとめて日(ひ)を
くらし、九夏(きうか)三伏(さんぷく)のあつき日は、泉(いづみ)をむすびて心(こころ)を
なぐさめ、秋(あき)は雲(くも)の上(うへ)の月(つき)をひとり見(み)む事(こと)をゆる
さ【許さ】れず。玄冬(けんとう)素雪(そせつ)のさむき夜(よ)は、妻(つま)を重(かさね)てあたた
かにす。長生(ちやうせい)不老(ふらう)の術(じゆつ)をねがひ、蓬莱(ほうらい)不死(ふし)の
薬(くすり)を尋(たづね)ても、ただ久(ひさ)しからむ事(こと)をのみおもへ【思へ】り。
P13578
あけてもくれても楽(たのしみ)さかへ(さかえ)【栄え】し事(こと)、天上(てんじやう)の果報(くわはう)(くわほう)も
是(これ)には過(すぎ)じとこそおぼえさぶらひしか。それに寿永(じゆえい)(じゆゑい)
の秋(あき)のはじめ、木曾(きそ)義仲(よしなか)とかやにおそれ【恐れ】て、一門(いちもん)の人々(ひとびと)
住(すみ)なれし都(みやこ)をば雲井(くもゐ)のよそに顧(かへりみ)て、ふる里(さと)を
焼野(やけの)の原(はら)とうちながめ、古(いにしへ)は名(な)をのみききし須磨(すま)
より明石(あかし)の浦(うら)づたひ、さすが哀(あはれ)に覚(おぼえ)て、昼(ひる)は漫々(まんまん)たる
浪路(なみぢ)を分(わけ)て袖(そで)をぬらし、夜(よる)は州崎(すざき)の千鳥(ちどり)と共(とも)に
なきあかし、浦々(うらうら)島々(しまじま)よしある所(ところ)を見(み)しかども、ふる
P13579
里(さと)の事(こと)はわすれず。かくてよる【寄る】方(かた)なかりしは、五衰(ごすい)
必滅(ひつめつ)のかなしみとこそおぼえさぶらひしか。人間(にんげん)のP2437事(こと)は
愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(をんぞうゑく)、共(とも)に我(わが)身(み)にしられて侍(さぶ)らふ。
四苦(しく)八苦(はつく)一(ひとつ)として残(のこ)る所(ところ)さぶらはず。さても筑前国(ちくぜんのくに)
太宰府(ださいふ)といふ所(ところ)にて、維義(これよし)とかやに九国(くこく)の内(うち)をも
追出(おひいだ)(をひいだ)され、山野(さんや)広(ひろし)といへども、立(たち)よりやすむべき所(ところ)も
なし。同(おな)じ秋(あき)の末(すゑ)にもなりしかば、むかしは九重(ここのへ)(ここのえ)の
雲(くも)の上(うへ)にて見(み)し月(つき)を、いまは八重(やへ)(やえ)の塩路(しほぢ)にながめ
P13580
つつ、あかしくらしさぶらひし程(ほど)に、神無月(かみなづき)の比(ころ)
ほひ、清経(きよつね)の中将(ちゆうじやう)(ちうじやう)が、「都(みやこ)のうちをば源氏(げんじ)がためにせめ【攻め】おと
さ【落さ】れ、鎮西(ちんぜい)をば維義(これよし)がために追出(おひいだ)(をひいだ)さる。網(あみ)にかかれる魚(うを)(うほ)
の如(ごと)し。いづくへゆか【行か】ばのがる【逃る】べきかは。ながらへ【永らへ】はつべき
身(み)にもあらず」とて、海(うみ)にしづみ侍(さぶら)ひしぞ、心(こころ)うき
事(こと)のはじめにてさぶらひし。浪(なみ)の上(うへ)にて日(ひ)をくら
し、船(ふね)の内(うち)にて夜(よ)をあかし、みつぎものもなかりし
かば、供御(ぐご)を備(そな)ふる人(ひと)もなし。たまたま供御(ぐご)はそな
P13581
へむとすれども、水(みづ)なければまいら(まゐら)【参ら】ず。大海(だいかい)にうかぶと
いへども、うしほ【潮】なればのむ事(こと)もなし。是(これ)又(また)餓鬼道(がきだう)の
苦(く)とこそおぼえさぶらひしか。かくて室山(むろやま)・水島(みづしま)、ところ
どころのたたかひ【戦ひ】に勝(かち)しかば、人々(ひとびと)すこし【少し】色(いろ)なを(ッ)(なほつ)【直つ】て
見(み)えさぶらひし程(ほど)に、一(いち)の谷(たに)といふ所(ところ)にて一門(いちもん)おほ
く【多く】ほろびし後(のち)は、直衣(なほし)(なをし)束帯(そくたい)をひきかへて、くろがね
をのべて身(み)にまとひ、明(あけ)ても暮(くれ)てもいくさよば
ひ【軍呼】のこゑ【声】たえ【絶え】ざりし事(こと)、修羅(しゆら)の闘諍(とうじやう)(たうじやう)、帝釈(たいしやく)の
P13582
諍(あらそひ)も、かくやとこそおぼえさぶらひしか。「一谷(いちのたに)を攻(せめ)
おとさ【落さ】れて後(のち)、おやは子(こ)にをくれ(おくれ)【遅れ】、妻(つま)は夫(おつと)(をつと)にP2438わかれ、
沖(おき)につりする船(ふね)をば敵(かたき)の船(ふね)かと肝(きも)をけし、遠(とほ)(とを)き
松(まつ)にむれゐる鷺(さぎ)をば、源氏(げんじ)の旗(はた)かと心(こころ)をつくす。
さても門司(もじ)・赤間(あかま)の関(せき)にて、いくさ【軍】はけふを限(かぎり)と見(み)え
しかば、二位(にゐ)の尼(あま)申(まうし)をく(おく)【置く】事(こと)さぶらひき。「男(をとこ)(おとこ)のいき
残(のこら)む事(こと)は千万(せんまん)が一(ひとつ)もありがたし。設(たとひ)又(また)遠(とほ)(とを)きゆかり
はをのづから(おのづから)いきのこりたりといふとも、我等(われら)が後世(ごせ)を
P13583
とぶらはむ事(こと)もありがたし。昔(むかし)より女(をんな)(をうな)はころさ【殺さ】ぬな
らひ【習ひ】なれば、いかにもしてながらへ【永らへ】て主上(しゆしやう)の後世(ごせ)をも
とぶらひ【弔ひ】まいらせ(まゐらせ)【参らせ】、我等(われら)が後生(ごしやう)をもたすけ【助け】給(たま)へ」と
かきくどき【口説き】申(まうし)さぶらひしが、夢(ゆめ)の心地(ここち)しておぼえ
さぶらひし程(ほど)に、風(かぜ)にはかにふき、浮雲(うきぐも)あつくたな
びいて、兵(つはもの)心(こころ)をまどはし、天運(てんうん)つきて人(ひと)の力(ちから)にをよび(および)【及び】
がたし。既(すで)に今(いま)はかうと見(み)えしかば、二位(にゐ)の尼(あま)先帝(せんてい)を
いだき奉(たてまつり)て、ふなばたへ出(いで)し時(とき)、あきれたる御様(おんさま)(をんさま)にて、
P13584
「尼(あま)ぜわれをばいづちへ具(ぐ)してゆかむとするぞ」と仰(おほせ)
さぶらひしかば、いとけなき君(きみ)にむかひ【向ひ】奉(たてまつ)り、涙(なみだ)を
おさへて申(まうし)さぶらひしは、「君(きみ)はいまだしろし
めさ【知ろし召さ】れさぶらはずや。先世(ぜんぜ)の十善(じふぜん)(じうぜん)戒行(かいぎやう)の御力(おんちから)に
よ(ッ)て、今(いま)万乗(ばんじよう)(ばんぜう)のあるじとはむまれ【生れ】させ給(たま)へども、悪
縁(あくえん)にひかれて御運(ごうん)既(すで)につき給(たま)ひぬ。まづ東(ひがし)(ひ(ン)がし)に
むかは【向は】せ給(たま)ひて、伊勢大神宮(いせだいじんぐう)に御(おん)いとま申(まう)させ
給(たま)ひ、其(その)後(のち)西方(さいはう)浄土(じやうど)の来迎(らいかう)にあづからむとおぼし
P13585
めし【思し召し】、西(にし)にむかは【向は】せ給(たま)ひて御念仏(おんねんぶつ)侍(さぶ)らふべし。此(この)
国(くに)は心(こころ)うき堺(さかひ)にてさぶらへ【候へ】ば、極楽(ごくらく)浄土(じやうど)とてめで
たき所(ところ)へ具(ぐ)しまいらせ(まゐらせ)【参らせ】侍(さぶ)らふP2439ぞ」と泣々(なくなく)申(まうし)さぶ
らひしかば、山鳩色(やまばといろ)の御衣(ぎよい)にび(ン)づら(びんづら)【鬢】いはせ給(たま)ひ
て、御涙(おんなみだ)におぼれ、ちいさう(ちひさう)【小さう】うつくしい御手(おんて)を
あはせ、まづ東(ひがし)(ひ(ン)がし)をふしおがみ(をがみ)【拝み】、伊勢大神宮(いせだいじんぐう)に御(おん)いと
ま申(まう)させ給(たま)ひ、其(その)後(のち)西(にし)にむかは【向は】せ給(たま)ひて、御念仏(おんねんぶつ)
ありしかば、二〔位(にゐの−)尼(あま)やがて〕[* 〔 〕内は虫食い、高野本により補う]いだき奉(たてまつり)て、海(うみ)に沈(しづみ)し
P13586
御面影(おんおもかげ)、目(め)もくれ、〔心(こころ)〕も消(き)〔えは〕て[* 〔 〕内は虫食い、高野本により補う]て、わすれんとすれ
ども忘(わす)られず、忍(しの)ばむとすれどもしのば【忍ば】れず、残(のこり)とどまる
人々(ひとびと)のおめき(をめき)【喚き】さけび【叫び】し声(こゑ)、叫喚(けうくわん)大叫喚(だいけうくわん)のほの
お(ほのほ)【炎】の底(そこ)の罪人(ざいにん)も、これには過(すぎ)じとこそおぼえさぶ
らひしか。さて武共(もののふども)にとらはれてのぼりさぶらひし時(とき)、
播磨国(はりまのくに)明石浦(あかしのうら)について、ち(ッ)とうちまどろみてさぶらひ
し夢(ゆめ)に、昔(むかし)の内裏(だいり)にははるかにまさりたる所(ところ)に、
先帝(せんてい)をはじめ奉(たてまつり)て、一門(いちもん)の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)みなゆゆし
P13587
げなる礼儀(れいぎ)にて侍(さぶら)ひしを、都(みやこ)を出(いで)て後(のち)かかる所(ところ)は
いまだ見(み)ざりつるに、「是(これ)はいづくぞ」ととひ侍(さぶら)ひし
かば、二位(にゐ)の尼(あま)と覚(おぼえ)て、「竜宮城(りゆうぐうじやう)(りうぐうじやう)」と答(こたへ)(こたえ)侍(さぶら)ひし時(とき)、「めで
たかりける所(ところ)かな。是(これ)には苦(く)はなきか」ととひさぶらひし
かば、「竜畜経[* 「竜蓄経」と有るのを高野本により訂正](りゆうちくきやう)(りうちくきやう)のなかに見(み)えて侍(さぶ)らふ。よくよく後世(ごせ)をとぶ
らひ【弔ひ】給(たま)へ」と申(まう)すと覚(おぼ)えて夢(ゆめ)さめぬ。其(その)後(のち)はいよいよ
経(きやう)をよみ念仏(ねんぶつ)して、彼(かの)御菩提(ごぼだい)をとぶらひ【弔ひ】奉(たてまつ)る。是(これ)
皆(みな)六道(ろくだう)にたがは【違は】じとこそおぼえ侍(さぶら)へ」と申(まう)させ給(たま)へば、
P13588
法皇(ほふわう)(ほうわう)仰(おほせ)なりけるは、「異国(いこく)の玄弉(げんじやう)三蔵(さんざう)は、悟(さとり)の前(まへ)に
六道(ろくだう)を見(み)、吾(わが)朝(てう)の日蔵(にちざう)上人(しやうにん)は、蔵王(ざわう)権現(ごんげん)の御力(おんちから)(おちから)にて
六道(ろくだう)を見(み)たりとこそうけ給(たま)はれ【承れ】。P2440是(これ)程(ほど)まのあたりに
御覧(ごらん)ぜられける御事(おんこと)、誠(まこと)にありがたうこそ候(さうら)へ」とて、御
涙(おんなみだ)にむせばせ給(たま)へば、供奉(ぐぶ)の公卿(くぎやう)殿上人(てんじやうびと)もみな袖(そで)を
ぞしぼられける。女院(にようゐん)も御涙(おんなみだ)をながさせ給(たま)へば、つき
まいらせ(まゐらせ)【参らせ】たる女房達(にようばうたち)もみな袖(そで)をぞぬらされける。
女院死去(にようゐんしきよ)S1305 さる程(ほど)に寂光院(じやくくわうゐん)の鐘(かね)のこゑ【声】、けふもくれ【暮れ】ぬとうち
P13589
しら【知ら】れ、夕陽(せきやう)西(にし)にかたむけば、御名残(おんなごり)おしう(をしう)【惜しう】はおぼし
けれども、御涙(おんなみだ)ををさへ(おさへ)て還御(くわんぎよ)ならせ給(たま)ひけり。
女院(にようゐん)は今更(いまさら)いにしへをおぼしめし【思し召し】出(いだ)させ給(たま)ひて、
忍(しのび)あへぬ御涙(おんなみだ)に、袖(そで)のしがらみせきあへさせ給(たま)はず。
はるかに御覧(ごらん)じをくら(おくら)【送ら】せ給(たま)ひて、還御(くわんぎよ)もやうやう
のびさせ給(たま)ひければ、御本尊(ごほんぞん)にむかひ【向ひ】奉(たてまつ)り、「先帝(せんてい)
聖霊(しやうりやう)、一門(いちもん)亡魂(ばうこん)、成等(じやうどう)正覚(しやうがく)、頓証菩提(とんしようぼだい)(とんしやうぼだい)」と泣々(なくなく)いの
らせ給(たま)ひけり。むかしは東(ひがし)(ひ(ン)がし)にむかは【向は】せ給(たま)ひて、「伊勢
P13590
大神宮(いせだいじんぐう)、正八幡大菩薩(しやうはちまんだいぼさつ)、天子(てんし)宝算(ほうさん)、千秋(せんしう)万歳(ばんぜい)」と
申(まう)させ給(たま)ひしに、今(いま)はひきかへて西(にし)にむかひ【向ひ】、手(て)を
あはせ、「過去(くわこ)聖霊(しやうりやう)、一仏(いちぶつ)浄土(じやうど)へ」といのらせ給(たま)ふこそ悲(かな)
しけれ。御寝所(ぎよしんじよ)の障子(しやうじ)にかうぞあそばさ【遊ばさ】れける。
このごろはいつならひてかわがこころ
大(おほ)みや人(びと)【大宮人】のこひしかるらむ W097 P2441
いにしへも夢(ゆめ)になりにし事(こと)なれば
柴(しば)のあみ戸(ど)もひさしから【久しから】じな W098
P13591
御幸(ごかう)の御供(おんとも)に候(さうら)はれける徳大寺(とくだいじの)左大臣(さだいじん)実定公(さねさだこう)、御
庵室(ごあんじつ)の柱(はしら)にかきつけられけるとかや。
いにしへは月(つき)にたとへし君(きみ)なれど
そのひかりなきみ山辺(やまべ)のさと W099
こしかた行末(ゆくすゑ)の事共(ことども)おぼしめし【思し召し】つづけて、御涙(おんなみだ)(おなみだ)に
むせばせ給(たま)ふ折(をり)(おり)しも、山郭公(やまほととぎす)音信(おとづれ)(をとづれ)ければ、女院(にようゐん)
いざさらばなみだくらべむ郭公(ほととぎす)
われもうき世(よ)にねをのみぞなく W100
P13592
抑(そもそも)壇浦(だんのうら)にていきながらとられし人々(ひとびと)は、大路(おほち)を
わたして、かうべをはねられ、妻子(さいし)にはなれて、
遠流(をんる)せらる。池(いけ)の大納言(だいなごん)の外(ほか)は一人(いちにん)も命(いのち)をいけ
られず、都(みやこ)にをか(おか)【置か】れず。されども四十余人(しじふよにん)の女房達(にようばうたち)
の御事(おんこと)、沙汰(さた)にもをよば(およば)【及ば】ざりしかば、親類(しんるい)に
したがひ【従ひ】、所縁(しよえん)についてぞおはしける。上(かみ)は玉(たま)の簾(すだれ)
の内(うち)までも、風(かぜ)しづかなる家(いへ)もなく、下(しも)は柴(しば)の枢(とぼそ)
のもとまでも、塵(ちり)おさまれ(をさまれ)【納まれ】る宿(やど)もなし。枕(まくら)をならべ
P13593
しいもせ【妹背】も、雲(くも)ゐのよそにぞなりはつる。やし
なひたてしおや子(こ)【親子】も、ゆきがたしらず別(わかれ)けり。
しのぶ【忍ぶ】おもひ【思ひ】はつきせねども、歎(なげき)ながらさてこそ
すごされけれ。是(これ)はただ入道(にふだう)(にうだう)相国(しやうこく)、一天四海(いつてんしかい)を掌(たなごころ)(たなこころ)に
にぎ(ッ)て、上(かみ)は一人(いちにん)をもおそれ【恐れ】ず、下(しも)は万民(ばんみん)をも顧(かへりみ)ず、
死罪(しざい)流刑(るけい)、おもふ【思ふ】さまに行(おこな)ひ、世(よ)をも人(ひと)をも憚(はば)
かられざりしがP2442いたす所(ところ)なり。父祖(ふそ)の罪業(ざいごふ)(ざいごう)は子
孫(しそん)にむくふ【報ふ】といふ事(こと)疑(うたがひ)なしとぞ見(み)えたり
P13594
ける。かくて年月(としつき)をすごさせ給(たま)ふ程(ほど)に、女院(にようゐん)御
心地(おんここち)(おここち)例(れい)ならずわたらせ給(たま)ひしかば、中尊(ちゆうぞん)(ちうぞん)の御手(みて)の
五色(ごしき)の糸(いと)をひかへつつ、「南無(なむ)西方極楽世界教主(さいはうごくらくせかいけうしゆ)
弥陀如来(みだによらい)、かならず引摂(いんぜふ)(ゐんぜう)し給(たま)へ」とて、御念仏(おんねんぶつ)あり
しかば、大納言佐(だいなごんのすけ)の局(つぼね)・阿波(あはの)内侍(ないし)、左右(さう)によ(ッ)【寄つ】て、
いまをかぎりのかなしさに、こゑ【声】もおしま(をしま)【惜しま】ずなき
さけぶ【叫ぶ】。御念仏(おんねんぶつ)のこゑ【声】やうやうよはら(よわら)【弱ら】せましましければ、
西(にし)に紫雲(しうん)たなびき、異香(いきやう)室(しつ)にみち、音楽(おんがく)(をんがく)
P13595
そら【空】にきこゆ。かぎりある御事(おんこと)なれば、建久(けんきう)二
年(にねん)きさらぎの中旬(ちゆうじゆん)(ちうじゆん)に、一期(いちご)遂(つひ)(つい)におはら(をはら)せ給(たま)ひ
ぬ。きさいの宮(みや)の御位(おんくらゐ)よりかた時(とき)もはなれまいらせ(まゐらせ)【参らせ】
ずして候(さうらひ)なれ給(たまひ)しかば、御臨終(ごりんじゆう)(ごりんじう)の御時(おんとき)、別路(わかれぢ)に
まよひしもやるかたなくぞおぼえける。此(この)女房
達(にようばうたち)は昔(むかし)の草(くさ)のゆかりもかれはてて、よるかたも
なき身(み)なれ共(ども)、おりおり(をりをり)【折々】の御仏事(おんぶつじ)営(いとなみ)給(たま)ふぞ哀(あはれ)なる。
遂(つひ)(つい)に彼(かの)人々(ひとびと)は、竜女(りゆうによ)(りうによ)が正覚(しやうがく)の跡(あと)をおひ、韋提
P13596
希夫人(ゐだいけぶにん)(いだいけぶにん)の如(ごとく)に、みな往生(わうじやう)の素懐(そくわい)をとげける
とぞ聞(きこ)えし。
平家(へいけ)灌頂巻(くわんぢやうのまき)P2443
P13597[* 以下の〔 〕内は虫食い、高野本により補う]
于時応安四年 亥辛 三月十五日、平家物
語一部十二巻付灌頂、当流之師説、伝受之
秘决、一字不闕以口筆令書写之、譲与定
一検校訖。抑愚質余算既過七旬、浮命
難期後年、而一期之後、弟子等中雖為一句、
若有廃忘輩者、定及諍論歟。仍為備
後証、〔所令〕書留之也。此本努々不可出他
所、又不可〔及〕他人之披見、附属弟子之
P13598
外者、雖〔為〕同朋并弟子、更莫令書
取之。凡此〔等〕条々〔背〕炳誡之者、仏神
三宝冥罰可蒙厥躬而已。
沙門覚一
P13599 P2444