延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版

平家物語 十一 (第六本)
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 一 はうぐわんへいけついたうのためにさいこくへくだること
 二 だいじんぐうとうへほうへいしをたてらるること
 三 はうぐわんとかぢはらとさかろをたつるろんのこと
 四 はうぐわんかつらにつきてかつせんすること
 五 いせのさぶらうこんどうろくをめしとること
 六 はうぐわんこんせんじのかうしゆおひちらすこと
 七 はうぐわんやしまへつかはすきやうのつかひしばりつくること
 八 やしまにおしよせかつせんすること
 九 よいちすけたかあふぎいること
 十 もりつぎとよしもりとことばだたかひのこと
十一 げんじにせいつくことつけたりへいけやしまをおひおとさるること
十二 よしもりないざゑもんをいけどること
十三 すみよしのだいみやうじんのことつけたりじんぐうくわうごうぐうのこと
十四 へいけながとのくにだんのうらにつくこと
十五 だんのうらかつせんのことつけたりへいけほろぶること
十六 へいけのなんによおほくいけどらるること
十七 あんとくてんわうのことつけたりいけどりどもきやうじやうのこと
十八 ないしどころしんしくわんちやうにじゆぎよのこと
十九 れいけんとうのこと
二十 にのみやきやうへかへりいらせたまふこと
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廿一 へいじのいけどりどもじゆらくのこと
廿二 けんれいもんゐんよしだへいらせたまふこと
廿三 よりともじゆにゐしたまふこと
廿四 ないしどころうんめいでんへいらせたまふこと
廿五 ないしどころのゆらいのこと
廿六 ときただのきやうはうぐわんをむこにとること
廿七 けんれいもんゐんごしゆつけのこと
廿八 しげひらのきやうのきたのかたのこと
廿九 おほいとのわかぎみにげんざんのこと
三十 おほいとのふしくわんとうへくだりたまふこと
卅一 はうぐわんにようゐんによくあたりたてまつること
卅二 よりともはうぐわんにこころおきたまふこと
卅三 ひやうゑのすけおほいとのにもんだふすること
卅四 おほいとのふしならびにしげひらのきやうきやうへかへりのぼることつけたりむねもりらきらるること
卅五 しげひらのきやうひののきたのかたのもとにゆくこと
卅六 しげひらのきやうきらるること
卅七 きたのかたしげひらのけうやうしたまふこと
卅八 むねもりふしのくびわたされかけらるること
卅九 つねまさのきたのかたしゆつけのことつけたりみなげしたまふこと
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平家物語第六本
一 げんりやく二年正月とをかのひ、くらうたいふはうぐわんよしつね、平家追討のためにさいこくへげかうす。まづゐんのごしよへまゐりて、おほくらきやうやすつねのあつそんをもつて申けるは、「へいけはしゆくほうつきてしんめいぶつてんにもすてられたてまつりて、みやこをいで、なみのうへにただよふおちうとを、このさんがねんのあひだいままでうちおとさずして、おほくのくにぐにふさぎたる事はこころうき事にて候へば、こんどはひとをばしるべからず、よしつねにをきては、へいじをせめおとさずは、ながくわうじやうにかへるべからず。きかいかうらいてんぢくしんだんまでも、よしつねいのちあるほどはせむべきよしを申す。ゆゆしくぞきこえし。法皇きこしめしてぎよかんあつて、「よしつねがどどのちゆうかんおぼしめすにあまりあり。はやくてうてきをついたうしてげきりんを休め奉れ」とぞ
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おほせられける。よしつねゐんのごしよをまかりいでて、うつたちける所にても、くにぐにのげんじならびにだいみやうせうみやうにも、院にて申つるが如く、「すこしもうしろあしをもふみ、いのちをもをしみたまわんひとびとは、これよりかまくらへくだりたまへ。よしつねはかまくらどののおんだいくわんにてちよくせんをうけたまはりたれば、かくは申ぞ。くがは馬のあしのおよびばむほど、うみはろかひのたたむ所までせめむずるなり。それをむやくなり、いのちをたいせつ、さいしをかなしとおもはむひとびとは、とくとくかへられよ。あくきみへて、よしつねにざんげんせられ給な」と、みまはしてぞ申ける。やしまにはひまゆくこまのあしはやくして、正月もたちぬ、二月にもなりぬ。はるは花にあくがるる昔をおもひいだして日をくらし、あきはふきかわる風の音、よさむによはる虫のねにあかしくらしつつ、ふねのうち、なみのうへ、さしていづれをおもひさだむるかたなけれ
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ども、かやうに春秋をおくりむかへ、みとせにもなりぬ。とうごくのぐんびやうきたるときこへければ、またいかあらむずらんとて、こくぼをはじめたてまつり、きたのまんどころ、にようばうたち、いやしきしづのめしづのをにいたるまで、かしらさしつどひて、ただなくよりほかのことぞなき。内大臣のたまひけるは、「みやこをいでてみとせのほど、うらづたひしまづたひしてあかしくらすは事の数ならず。入道よをゆづりてふくはらへをわししてあはせに、たかくらのみやをとりにがし奉りたりしほど、こころうかりしことこそなかりしか」とのたまひければ、しんぢゆうなごんのたまひけるは、「みやこをいでし日より、少もあしひくべしとはおもはざりき。とうごくほつこくのやつばらもずいぶんぢゆうおんをこそかうぶりたりしかども、おんをわすれ、ちぎりをへんじて、みなよりともにかたらはれて、さいこくとてもさこそあらむずらめとおもひしかば、ただ都にてうち
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じにもして、たちに火をかけてぢんくわいともならんとおもひしを、わがみひとつの事ならねば、ひとなみなみに心弱くあくがれいでて、かかるうきめをみるこそ」とてなみだぐみ給。げにもとおぼえてあはれなり。十三日、くらうたいふはうぐわんはよどをたちてわたなべへむかふ。あひしたがふともがらは、いづのかみのぶつな さどのかみしげゆき とほたふみのかみよしさださいゐんのしくわんちかよし おほうちのくわんじやこれよし はたけやまのしやうじじらうしげただとひのじらうさねひら つちやのさぶらうむねとほ ごとうびやうゑさねもとしそくしんびやうゑもときよ をがはのこじらうすけよし かはごえのたらうしげよりしそくこたらうしげふさ みうらのしんすけよしずみ おなじくなんへいろくよしむらみうらのじふらうよしつら わだのこたらうよしもり おなじくじらうよしもち
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おなじくさぶらうむねざね おなじくしらうよしたね おほたわのじらうよしなりたたらのごらうよしはる ささきのしらうたかつな かぢはらへいざうかげときおなじくげんだかげすゑ おなじくへいじかげたか おなじくさぶらうかげよしひらさこのたらうためしげ いせのさぶらうよしもり しひなのろくらうたねひらしぶやのしやうじしげくに しそくうまのじようしげすけ よこやまのたらうときかぬかねこのじふらういへただ おなじくよいちいへさだ こんべいろくのりつなおほかはどのたらう おなじくさぶらう ちゆうでうとうじいへながくまがえのじらうなほざね しそくこじらうなほいへ ひらやまのむしやどころすゑしげをがはのたらうしげなり かたをかのはちらうためはる はらのさぶらうきよますしやうのさぶらう おなじくごらう みをのやのしらう
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おなじくとうしち にうのじらう きそのちゆうじむさしばうべんけい、なむどをはじめとして、そのせいごまんよき。みかはのかみのりよりはかんざきへむかひて、ながとのくにへわたらんとす。あひしたがふともがらは、あしかがのくらんどよしかぬ ほうでうのこしらうよしとき たけたびやうゑありよしちばのすけつねたね はつたのしらうむしやともいへ しそくたらうともしげかさいのさぶらうきよしげ をやまのこしらうともまさ おなじくなかぬまのごらういへまさささきのさぶらうもりつな ひきのとうないともいへ おなじくとうしらうよしかずあんざいのさぶらうかげます おなじくこじらうときかげ くどうざゑもんすけつねおなじくさぶらうすけもち あまののとうないとほかげ おほごのたらうさねひでをぐりのじふらうしげなり いさのこじらうともまさ いつぽんばうしやうくわん
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とさばうしやうしゆん、いげそのせい三万余騎。
二 十四日、いせだいじんぐう、いはしみづ、かもに、院よりほうへいしをたてらる。へいけついたう、ならびにさんじゆのしんぎことゆゑなく都へかへしいらせ給べきよしをいのりまうさる。しやうけいはほりかはの大納言ただちかのきやうなり。じんぎのくわんにん、しよしやのつかさ、ほんぐうほんじやにててうぶくのほふをおこなふべきよし、おなじくおほせくださる。みかはのかみ、たいふはうぐわんいげのついたうし、ひごろ、わたなべ、かんざき、りやうしよにてふなぞろへしけるが、けふすでにともづなをときて、さいこくへ下るべしときこゆ。十五日、のりよりはかんざきをいでて、せんやうだうよりながとのくにへおもむく。かいしやうに船の浮べる事いくせんまんといふことなし。だいかいにじゆうまんしたり。
三 義経はなんかいだうを経て四国へ渡らんとて、だいもつのはまにてよどのがうない
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ただとしと云者をあんないしやにてふなぞろへして、いくさのだんぎしけるに、かぢはらへいざうかげとき、「このおんふねどもにさかろをたてさうらはばや」と申ければ、はうぐわん、「さかろとはなんぞ」と宣へば、「船のへのかたへむけて、又ろをたてさうらふなり。そのゆゑは、くがのいくさは、はやばしりのいちもつのきよくしんだいなる馬に乗て、かけむと思へばかけ、ひかむと思へばひく、ゆんでへもめてへもまわれ、安き事にて候。ふないくさは、をしはやめさうらひつるのちは、おしもどすはゆゆしきだいじにて候へば、へのかたにもろをたてて、かたきつよらばへなるろをもつておしもどし、敵よはらばもとの如くとものろをもつておしさうらふべし」と申ければ、判官おほきにわらひてのたまひけるは、「いくさと云は、『おもてをかへさじ。うしろをみせじ。ひとひきもひかじ』と、人ごとにおもひたる上に、たいしやうぐんうしろにひかへて、『かけよ、せめよ』とすすむるだにも、時により折にしたがひてひきしりぞくは、ぐんびやうのならひなり。
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ましてかねてよりにげじたくをしたらむには、なにかよかるべき」とのたまひければ、梶原かさねて申けるは、「いくさのならひ、身をまつたくしてかたきをほろぼすをもつて、はかりことよき大将軍とは申也。むかふかたきをみなうちとりて、命のうするをかへりみず、あたりを破るつはものをば、ゐのししむしやとて、あぶなき事にて候」。はうぐわん、「いさゐのししの事はしらず。やうもなく義経はかたきにうちかちたるぞ。ここちはよきゆみやとるもののならひ、こうたいの名もをしく、かたへの目もはづかしければ、ひとひきもひかじとおもふすら、さしあたりては時にのぞみて、うしろをみするならひあり。せんは、たてたからん船には、さかろとかや、せんぢやうまんぢやうもたてよかし。義経はいつちやうもたつまじ。みやうじをだにもききたからず。そもそもまたたててよからむずるか、はたけやまどのいかに」と問給ければ、わだのこたらう、ひらやまのむしやどころ、くま
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がえのじらう、ささきのしらう、しぶやのしやうじ、かねこのじふらう、くつきやうのものども六十余人なみゐたるに、畠山すすみいでて申けるは、「これうけたまはれ、さぶらひども。大将軍のおほせはいまひとへおもしろくさうらふものかな。誠にゆみやとるもののならひ、ひとひきもひかじとは、人ごとに思候。又ひきさうらふまじ。こうたいの名もをしく、かたへの目もはづかしく候。恥がさきをばかくるならひなり。梶原殿がしたくのすぎてまうしさうらふにこそ候める。な、との、梶原殿」と申ければ、わかきものどもはかたかたによせあはせて、めひきはなひきわらひけり。梶原「よしなき事まうしいだして」と思て、せきめんしてぞ有ける。判官のたまひけるは、「そもそも梶原が義経をゐのししにたとへつるこそきくわいなれ。わかたうはなきか。かげときとりてひきおとせ」と宣へば、いせのさぶらうよしもり、むさしばうべんけい、かたをかのはちらうためはる
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などいふものども、判官の前に進みいでて、折ふさぎて、只今取てひつぱるべきけしきになりたれば、梶原申けるは、「いくさのだんぎひやうぢやうの時、ぐんびやうらこころごころにぞんずるところいちぎを申すは、つはものの常のならひなり。いかにもして平家をほろぼすべきはかりことをこそ申たるに、かへりてかまくらどののおんため、ふちゆうのおんことにこそ候へ。ただししゆうは一人とこそ思たるに、又有ける不思議さよ」とて、こしがたなにてうちかけて、うちしざりてゐたりけり。梶原がちやくなんげんだかげすゑ、じなんへいじかげたか、さんなんさぶらうかげもち、きやうだい三人すすみいでたり。判官いよいよ腹をたてて、なきなたを取てむかふ処に、みうらのべつたうよしずみ是をみて、判官をいだきとどむ。梶原をばはたけやまのしやうじじらうしげただいだきたり。げんだをばとひのじらうさねひらいだきたり。
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三郎をばたたらのごらうよしはるいだきてひきすへたり。とのばらおのおのまうしけるは、「どしいくさせさせたまひて平家にきこへ候はむ事、せんなき御事なり。又鎌倉殿のきこしめされ候はむ事、そのおそれ少なからず。たとひひごろのごいしゆさうらふとも、このおんだいじを前にあてて、かへすがへすしからず。いかにいはむやたうざのごんしつきこしめしとがむるにあたはず」と、めんめんにせいし申ければ、はうぐわんもよしなしとや思給けん、しづまり給にけり。これをこそ梶原が深きゐこんとは思けれ。判官、「かたきにあひていくさせむなんど思はむ人々は義経につけや」と云ければ、畠山をはじめとして、いちにんたうぜんのむねとのものども六十余人、判官につきにけり。梶原はなをいきどほりをふくみて、判官の手につきていくさせじとて、みかはの守に付てながとのくにへぞわたりにける。
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四 おなじき十六日、北風にはかに吹ければ、はうぐわんの船をはじめとして、ひやうせんども南をさしてはせける程に、にはかに又南風はげしく吹て、船七八十そうなぎさにふきあげられて、さんざんにうちやぶれたり。やぶれぶねどもしゆりせむとて、けふはとどまりぬ。風やなをると待ほどに、さんがにちまで風なをらず。みつかと云とらのこくばかりにむらさめそそきて、南風しづまりて、北風又はげしかりけり。はうぐわん、「風はすでになをりたり。とくとくこのふねどもいだせ」と宣ければ、かこかんどりども申けるは、「これほどの大風にはいかでかいだし候べき。風すこしよわりさうらはば、やがて出し候べし」。判官、「『むかひたる風にいだせ』といはばこそ、義経がひがことにてもあらめ。これほどのおひての風にいださざるべきやうやある。そのうへ、日よりもよくかいしやうもしづかならば、『けふこそ源氏渡らめ』とて、平家ようじんをもしせいをもそろえて
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またむ所へわたりつきては、是程のこぜいにてはいかでか渡るべき。『かかる大風にはよも渡らじ。船もかよはじ』なむど思て、平家おもひよらざるところへするりとわたしてこそ、かたきをばうたむずれ。『火にいるもごふ、水におぼるるもごふ』と云事のあるぞ。とうとうこのふねいだせ。いださぬ物ならばいちいちにいころせ、きりころせ」と、ののしり給ひければ、いせのさぶらうよしもりかたてやはげてはせまはりて、かこかんどりどもをいころさむとしければ、「なにとしてもおなじしごさむなれ。さらばいだしてはせじにに死ねや」とて、二月十八日とらのときばかりにはうぐわんの船を出す。百五十そうのふねのうち、ただごそういだして走らかす。のこりの船は皆とどまりにけり。いちばん判官の船、二番畠山、三番土肥次郎、しばん伊勢三郎、五番佐々木四郎、いじやうごそうぞいだしたりける。「よの船にはかがり火とぼすべからず。義経が
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船ばかりにはとぼすべし。是をもとぶねとして走らかせ。かたきに船の数
しらすな」とて、だいもつのはまよりほひきかけて、南へむけて走らかす。判官の船にはくつきやうのかんどりども乗たりけり。そのなかの梶取にをひては、しこくくこくのあひだには四国をもつて先とす。中にはとさのくにを以てもつともとす。たうごくいちのみやの梶取、あかのじらうたいふをめしぐせられけり。だいもつのうらより、みつかに走る所をただふたときに、あはのくにはちまあまこの浦にぞつきにける。船ごそうにつはもの五十余人、馬五十疋ぞ乗たりける。みぎはよりごろくちやうばかりあがりて、あはのみんぶだいふしげよしがをぢ、さくらばのげきのたいふよしとほと云者、大将軍にて、三百余騎があかはたみそながればかりささげてうつたちたり。判官是をみて、「ここにかたきはあるなるは。もののぐせよやとのばら。
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浪にゆられ風にふかれてたちすくみたる馬、さうなくおろして、あやまちすな。おきよりおひをろせ。船につけてをよがせよ。馬の足とづかば船よりくらはをけ。そのあひだによろひぐそくはとりつけて、船より馬の足とづかば浪の上にてゆみひくな。いむけの袖をまかうにあてて、いそぎみぎはへはせよせよ。かたきよすればとてさわぐべからず。けふのやひとすぢはかたき百人と思べし。あなかしこあだや射るな」とぞげぢしける。いそ五六ちやうよりおきにてむまどもおひおろし、船にひきつけひきつけおよがせたり。むまのあしとづきければ船より馬に乗移り、五十余騎のつはものどもいむけの袖をまかふにあてて、みぎはへさつとはせあがりたり。はうぐわんまつさきにあゆませいだして、「音にもきけ、今は目にもみるらむ。せいわてんわうより十代の孫、鎌倉のさきのうひやうゑのすけみなもとのよりともがしやてい、くらうたいふはう
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ぐわんよしつねなり。たいしやうぐんはたれびとぞ。なのれなのれ」とせめけれども、げきのたいふよしとほありけれども、おともせず。三百余騎くつばみを並べてをめいてかく。判官是をみて、「きやつばらはしかるべきものにてはなかりけり。いちいちにくびきりかけていくさがみに祭れや」とて、五十余騎のつはものども、平家の三百余騎の中へさけびてかけいりければ、中をあけてぞとほしける。源氏のぐんびやうとりかへして、たてさま横さまにさんざんにかけたりければ、三百余騎のつはものども、ひとこらへもせずしはうへたいさんす。強る者をばくびをきり、よわる者をばいけどりにしければ、大将軍げきのたいふもいけどられにけり。判官いくさに打勝て、よろこびのとき作て、「そもそもこのうらをいづくといふぞ」ととはれければ、浦のをさ、じらうたいふといふものまうしけるは、「かつらと申候」。判官のたまひけるは、「義経が
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只今いくさに勝たればとてしきだいにまうすか」。「そのぎにては候はず。是はにんわじのおむろのごりやう、ごかのしやうの内にて候。文字『かつうら』と書てさうらふなるを、げらふはまうしやすきにつけて、『かつら』と申候」と申たりければ、判官、「義経がいくさのかどでに、かつらと云処に着て、まづいくさにかちたるうれしさよ。末もたのもし。な、とのばら」とぞのたまひける。
五 さて是より屋嶋へむかはむとする処に、むしや百騎計にてあゆみむかひたり。はうぐわん是をみて、「こはいかに。旗もささず、笠じるしもなし。源氏のぐんびやうにてもなし、平家のぐんびやうともみへず。なにものぞ。よしもりはせむかひてたづねよ」とのたまひければ、いせのさぶらう十五騎にてゆきむかひて、なにとかしたりけむ、よはひしじふばかりなる男のくろかはをどしの鎧きたるを、かぶとをぬがせて弓をはづ
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させてぐして参たり。はうぐわん、「汝はなに者ぞ。源氏のぐんびやうか、へいじのみかたか」ととはれければ、「源氏平氏の軍兵にても候はず。たうごくのぢゆうにん、ばんざいのこんどうろくちかいへと申者にて候。たうじにつぽんごくのみだれにてあんどしがたくさうらふあひだ、参り候。源氏ててもわたらせ給へ、平氏にてもわたらせ給へ、世をうちとらせたまひて、わがくにのしゆうとならせたまはむ人を、しゆうとたのみまゐらせ候べし」と申ければ、「もつともしかるべし。さらばたうごくのあんないしやつかまつるべし。さるにてもたいしやうぐんのもののぐをばぬがせよ」とて、もののぐぬがせてめしぐしたり。はうぐわん、ちかいへにとはれけるは、「そもそも屋嶋に当時、せいいかほどありなむ」。「せんぎばかりにはよもすぎさうらわじ。くこくのぢゆうにんら、うすき、へつぎ、まつらのたう、をかたのさぶらうまで、皆平家をそむきたてまつりてさうらふあひだ、のとのかみどの、こまつどののきんだちを大
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将軍として、ところどころへうつてにさしむけられて候。そのうへあはさぬきのうらうらしまじまに、四五十騎、七八十騎、百騎、二百騎づつわかちおかれ
てさうらふあひだ、けふあすはせいも候わぬよしうけたまはりさうらふ」と申ければ、「さてはよきひまごさんなれ。屋嶋よりこなたに平家のけにんはなきか」。「これよりいちりばかりまかりさうらひて、いまやはたとまうすみやさうらふ。それよりあなた、かつのみやと申所に、あはのみんぶだいふがしそく、でんないざゑもんしげなほと申者ぞ、三千余騎にてぢんを取てさうらふなり」と申ければ、判官、「よかんなるは。うてや、とのばら」とて、はたけやまのしやうじじらうしげただ、わだのこたらうよしもり、ささきのしらうたかつな、ひらやまのむしやすゑしげ、くまがえのじらうなほざね、あうしうさとうさぶらうびやうゑつぎのぶ、おなじくしやていさとうしらうただのぶ、くつきやうのつはものいじやうしちき、はやばしりのしんだい
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なるに乗て、あゆませつあがかせつ、屋嶋のたちへぞはせゆきける。
六 なかやまの道よりいつちやうばかりいりたる竹の内に、くりもりのきさきのごぐわん、こんせんじといふだうあり。かのだうにてざいちにんらあつまりて、毎月十八日にくわうおんかうをはじめておこなひけるが、だいきやうもりそなへて、既におこなはむとて、どどめきけるを、判官聞給て、「ここにこそかたきはあんなれ」とて、ときを作て、はとおしよせたりければ、ざいちにんら、ひやくしやうたらうども、時のこゑを聞て、とるものもとりあへず、山の奥、谷の底へにげかくれにけり。判官堂にはせいり見給へば、きやうぜんいくらもすえならべたり。おほきなるをけに酒いれて置たり。「われらがまうけはしたりけるぞや。はやとのばら、かうのざにつき給へや」とて、判官よこざにつかれたれば、伊勢三郎いそぎよつて、ゆゆしげなるきやうぜん判官の前にすゑたり。人々
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はせつかれたりければ、われおとらじとおこなひけり。いひさけともによくおこなひてのち、判官、「すでにおこなひつ。いかでかしきよまであるべき。かうしきよめ、とのばら」とのたまひければ、むさしばう「承りぬ」とて、くろかはをどしのおほあらめの鎧にこぐそくして、黒つばの矢をひ、たちはきながら、かぶとをぬいでぶつぜんへよつてみれば、すすけたるまきもの一巻あり。くわんおんかうしきなり。べんけいおほきなるこゑをあげて、だうひびくばかりかうしやうに読たり。よみをはりてのち、「よくよみたり。よみすまひたり。ただしかうじのごばうのすがたこそおそろしけれ」とて、判官わらはれければ、人々もはとわらひけり。さてかのかうしゆらをめして、たちぶくろよりしやきん三十両をとりいださせて、たまはりたりければ、かれらよろこびまうして、「あはれ、つきごとにかかるよろこびにあわばや」とぞ申ける。
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七 かのだうよりさんぢやうばかりうちいでたりける所にて、さよみひたたれにたてえぼしきたるげすをとこの、京よりくだるとをぼしくて、たてぶみひとつもちてはうぐわんの先に行けるを、判官かの男をよびとどめて、「いづくよりいづくへゆくひとぞ」ととひたまひければ、この男判官ともしらで、こくじんかと思て、「これは京よりやしまのごしよへ参候也」と云ければ、判官、「是もやしまのごしよへまゐるが、道の案内もしらず」。「さらばつれ申さん」。「京よりはいかなる人のおんもとよりぞ」とかさねてとひたまへば、「ろくでうせつしやうどののきたのまんどころのおんふみにて、屋嶋にわたらせ給おほいとのへ、申させ給べき事さうらひて、まゐらせさせ給おんつかひにて候也」と申せば、「そのおんふみには何事をおほせられたるやらむ」。「べちの子細にて候わず。『げんじのくらうはうぐわん既に都をたちさうらふ。このなみかぜしづまりさうらひなば、いちぢやうわたりさうらひぬとおぼえ候。ご
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ようい候べし』と、申させ給おんふみにて候」と、ありのままに申たりければ、判官「そのふみまゐらせよ」と宣ふままに、ふみひきちぎりて水になげいれて、「男をばむざんげに命をば、な殺しそ」とて、山の中なる木にしばりつけてとほりにけり。さてそのひはあはのくにばんどうばんざいうちすぎて、あはとさぬきのさかひなる中山のこなたのやまぐちにぢんを取る。
八 つぎのひはひけたうら、にふのやしろ、たかまつのがううちすぎて、やしまのじやうへおしよせたり。屋嶋にはあはのみんぶだいふしげよしが子息、でんないざゑもんしげなほをたいしやうぐんとして、三千余騎にて、かはののしらうみちのぶをせむるに、いよきたのこほりのじやうへむかひたりけるが、かはのをばうちにがして、河野がをぢ、ふくらしんざぶらういげのともがら百六十余人が首を取て、屋嶋へたてまつりたりけるを、
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だいりにはくびのじつけんかなわじとて、おほいとののごしよにてじつけんありけり。おほいとのはこはかせきよもとをめして、おんつかひにてのとのかみどののかたへおほせられたりけるは、「げんくらうよしつね既にあはのはちまあまこのうらにつきたるよしきこへ候。さる者にて候なれば、さだめてよもすがら中山をばこえさうらひぬらんとおぼえさうらふ。ごよういあるべし」とぞ有ける。さるほどに夜のあけぼのに、しほひがたひとつへだてて、むれたかまつと云処にぜうまうあり。「あわやぜうまうよ」と云もはてねば、しげよしまうしけるは、「今の焼亡はあやまちにては候わじ。源氏のせい既にちかづきて、ところどころにひかけてやきはらふとおぼえさうらふ。さだめておほぜいにてぞ候らん。いかさまにもいそぎこのごしよをいでさせ給て、みふねにめされ候べし」と申ければ、「もつともさるべし」とて、せんていをはじめまゐらせて、にようゐん、きたのまんどころ、おほいとのいげの人々、屋嶋の
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ごしよのそうもんのなぎさよりみふねにめす。こぞの春いちのたににてうちもらされし人々、へいぢゆうなごんのりもり、しんぢゆうなごんとももり、しゆりのだいぶつねもり、しんざんゐちゆうじやうすけもり、さぬきのちゆうじやうときざね、こまつのしんせうしやうありもり、おなじくじじゆうただふさ、のとのかみのりつね、この人々は皆船にのりたまふ。おほいとのふしはひとつみふねに乗給へり。うゑもんのかみも鎧きてうつたたむとせられけるを、おほいとのおほきにせいし給て、手を取て、れいのにようばうたちの中におわしけるぞたのもしげなく、たいしやうぐんからもしたまわざるのこりの人々も、是を見給て、なぎさなぎさによせをいたるまうけぶねどもに、われさきにとあらそひのりて、あるいは七八ちやうばかり、あるいは一丁計おきへさしいだしてぞおわしける。みふねにめされつるそうもんの前のなぎさにむしや七騎はせきたる。舟々より是を見て、「あわやかたきよせたり」と
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ののしるめり。いちばんに進みけるむしやをみれば、あかぢのにしきのひたたれに、紫すそごの鎧に、くはがたうちたるしらほしのかぶとにあつくれなゐのほろかけて、にじふしさしたるこなかぐろの矢に、こがねづくりのたちはいて、しげどうの弓のま中取て、黒馬のふとくたくましきに、しろぶくりんのくらおき乗てうちいでたり。判官ふねのかたをまぼらえて、「いちゐんのおんつかひ、かまくらのひやうゑのすけよりともがしやてい、くらうたいふのはうぐわんみなもとのよしつね」となのりかけて、なみうちぎはに馬のふとばらむながひづくしまでうちひてて、たいしやうぐんに目をかけて、「返せや返せや」とぞさけびかけたりける。おほいとの、判官がなのりかくるをききたまひて、「このむしやはきこゆる九郎にて有けるぞや。わづかに七騎にて有ける物を。ぶんどりにもたらざりけり。いましばらくもありせばうちてし物を。のとどの、あがりていくさし給へ」とのたまひければ、能登殿「うけたまはり
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さうらひぬ」とて、三十よそうにて船のへにかひだてかきて、「をせや、こげや」とておしよせたり。判官船にむかひて戦けり。はたけやまのしやうじじらうしげただすすみいでて申けるは、「おとにもきけ、今は目にもみるらん。むさしのくにのぢゆうにんちちぶのながれ、はたけやまのしやうじじらうしげただと云者ぞ。我と思わん者はいでておしならべてくめや」とまうして、をめいてかく。どうこくのぢゆうにんくまがえのじらうなほざね、どうこくの住人ひらやまのむしやすゑしげ、いちにんはあうしうのさとうさぶらうびやうゑつぎのぶ、おなじくしやていさとうしらうびやうゑただのぶ、一人はさがみのくにのぢゆうにんみうらのわだのこたらうよしもり、一人はあふみのくにの住人佐々木四郎たかつな、七騎のものども、我も我もとなのりかけて、船にむかひてあゆませいでて、おひものいにさんざんにいる。平家もへやかたにかひだてかきて、是もさんざんに
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いる。七騎の人々、馬の足をもやすめ、わがみの息をもつがむとては、なぎさによせをいたる舟のかくれにはせよつて、しばし息をも休めてければ、又はせいだしてなのりかけてさんざんにいる。はうぐわんやおもてにたちてわれひとりとせめたたかひければ、あうしうのぢゆうにんさとうさぶらうびやうゑ、おなじくしやていしらうびやうゑ、ごとうびやうゑさねもと、おなじくしそくしんびやうゑもときよら、大将軍をうたせじとて、判官のおもてにたちたたかひけり。ここにてひたちのくにのぢゆうにんかしまのろくらうむねつな、なめかたのよいちをはじめとして、むねとのものども四十余人うたれにけり。のとのかみはこぶねに乗てするりとさしよせて、さしつめさしつめ射させてひきしりぞく。次にかたをかびやうゑつねとし、むないたのあまりを射させておなじくひきしりぞく。つぎにかはむらのさぶらうよしたか、うちかぶとを射させて、矢と共におちにけり。そのときあう
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しうのさとうさぶらうびやうゑつぎのぶは、くろかはをどしのよろひに黒つばのそやをうて、くろつきげなる馬に乗てかけいだしたりけるが、くびの骨を射させて、まつさかさまに落にけり。のとどののわらはにきくわうまるとて、だいぢからのはやものにて有けるが、もとはのとのかみの兄、越前の三位のめしつかひけるが、三位みなとがはにてうたれ給て、能登守につきたりけり。もえぎのはらまきに左右のこてさして、さんまいかぶとのををしめて、たちをぬき、船よりとびおりて、佐藤三郎兵衛がくびをとらんとて打かかる所を、おとと佐藤四郎兵衛よりはあわで、たちとどまりてよつぴいているやに、きくわうまるが腹巻のひきあはせをつと射ぬく。ひとあしもひかず、うつぶしに倒れにけり。のとのかみ是を見て、たちをぬきて船よりとびおりて、わらはがか
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いなをむずと取て、船へなげいれたまひければ、わらはは船の内にて死にけり。佐藤三郎兵衛つぎのぶはわづかにめばかりはたらきけるを、肩にひきかけてはうぐわんのおわする所へきたる。判官、つぎのぶがまくらがみに近よつて、「義経はここにあるぞ。何事かおもひおくことある。ひとところにてとこそちぎりたりしに、なんぢをさきにたてつるこそくちをしけれ。義経もしいき残りたらば、ごせをばいかにもとぶらわんずるぞ。心安く思へ」とのたまひければ、つぎのぶよに苦しげにていきふきいだして、「弓矢をとるをのこの、かたきの矢にあたりてしぬる事は、ぞんじまうけたる事に候。まつたくうらみとぞんじさうらわず。ただしあうしうよりつきまゐらせさうらひつるに、君の平家をせめおとしたまひて、につぽんごくを手ににぎらせたまひ、今はかうとおぼしめし候わんをみまゐらせてさうらはば、いかにうれしく候わん。今はそれのみぞ心にかかり
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ておぼえさうらへ」と申ければ、判官ききたまひて涙をうかべて、「誠にさこそおもふらめ」と宣けるほどに、つぎのぶはやがて息たへにけり。あうしうより判官のぼりたまひける時、ひでひらがたてまつりたりける、さだのぶが「おきすみのあか」とまうすくろむまの、すこしちひさかりけるが、名をば「うすずみ」とまうしてはやばしりのいちもつなり。いちの谷をもこの馬にておとし、いくさごとにこの馬に乗て、いちどもふかくし給はざりければ、「きちれい」ともなづけられたり。判官の五位のじように成給ける時も、この馬に乗給へりければ、余りにひさうして、「たいふぐろ」ともなづけられたり。身もはなたじとおもひたまひけれども、さとうさぶらうびやうゑがかなしくおぼされたりけるあまりに、この馬にきぶくりんのくらを置て、近き所より僧をしやうじて、「こころざしばかりはいかにとおぼせども、かかるいくさばなればちからおよばず。
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ここにていちにちぎやうを書て、佐藤三郎兵衛がごしやうよくよくとぶらひたまへ」とのたまひければ、是をみききけるつはものども皆涙をながして、「このとのの為には命をすつる事をしからず」とぞおのおのまうしあひける。さるほどにかつらにて戦つる源氏のぐんびやうども、をくればせにはせておひつきたり。あしかがのくらんどよしかぬ ほうでうのしらうときまさ たけたびやうゑありよしさかゐへいじつねひで みうらのすけよしずみ おなじくじふらうよしつらつちやのさぶらうむねとほ いなげのさぶらうしげなり おなじくしらうしげともおなじくごらうゆきしげ かさいのさぶらうきよしげ をやまのしらうともまさなかぬまのごらうむねまさ うつのみやのしらうむしやともしげ ささきのさぶらうもりつなあんざいのさぶらうあきます おなじくこたらうあきかげ ひきのとうないともいへ
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おなじくしらうよしかず おほたわのさぶらうよしなり おほごのたらうさねひでをぐりのじふらうしげなり いさのこじらうともまさ いつぽんばうしやうくわんとさばうしやうしゆんらをはじめとして四十余人にてはせくははる。このほかのむしや七騎はせきたる。はうぐわん「何者ぞ」ととはれければ、「こはちまんたらうどののめのとごに、雲上のごとうないのりともがさんだいのまご、とうじびやうゑのじようのりただとまうすものなり。としごろはさんりんににげかくれて有けるが、源氏の方つよると聞てはせさんじたりけり」。判官いとど力つけて、昔のよしみおもひやられて、あはれにぞおもはれける。しほひがたのしほいまだひぬほどなれば、馬のからすがしらふとばらなんどに立けるに、馬人けちらされて霞にまじはりてみえければ、平家のおほぜいにもおとらずぞみへける。判官このものどもを先として、平家のぐんびやうにさしむかひて、
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すこく戦はせけるほどに、平家のぐんびやう引退て、しばしためらひけるところに、九 平家の方より船一そう進みきたる。うらぶねかと見るほどに、つはものひとりものらざりけり。なぎさちかくおしよせていつちやうあまりにゆられたり。しばらく有て、船中よりよはひはたちばかりもや有らんとおぼして、女房のやなぎうらにくれなゐのはかまきたるが、みなぐれなゐの扇のつきいだしたるをはさみて、船のへに立てて、是をいよとおぼしくて、源氏の方をまねきて、持たる扇に指をさして、扇をせがひに立ていりにけり。源氏のぐんびやう是をみて、「たれをもつてかいさすべき」とひやうぢやうありけるに、ごとうびやうゑさねもとが申けるは、「このせいの中には、少しこひやうにてこそ候へども、しもつけのくにのぢゆうにんなすの
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たらうすけむねがしそく、なすのよいちすけたかこそ候らめ。それこそかけどりを三度にふたついてとるものにて候へ」と申ければ、「さらば召せ」とて、余一を召す。判官「あのあふぎつかまつれ」とのたまひければ、すけたかじするにおよばず、「うけたまはりさうらひぬ」とて、なぎさのかたへぞあゆませける。余一はかちんのよろひひたたれに、紫すそごの鎧に、おほぎりふの矢にふたところどうの弓持て、くろつきげなる馬にしろぶくりんのくら置てぞ乗たりける。海のおもていつたんばかりあゆませいだして、馬のむながひづくしまでうちひてて、なかしちたんばかりにて馬ひかへて見れば、ころはきさらぎの中のとをかの事なれば、よかんなほはげしき上、けさより北風吹あれて、かいしやうしづかならず。波はいとど立まさる、船はうきぬしづみぬただよへば、たてたる扇ひらめいて、座にもたまらずくるめきけり。いづくをいかにいるべしとも、いつぼ更におぼへねば、余
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一目をふさぎ心を静めてきねんす。「ねがはくはさいかいのちんじゆうさはちまんだいぼさつ、ことにはうぢうぶすなにつくわうごんげんうつのみやだいみやうじん、今一度ほんごくへむかへさせ給べきならば、弓矢に立そひ守り給へ。もしこのやを射はづしぬる物ならば、永く本国へかへるべからず。腹かいきりてこの海に入て、どくりゆうのけんぞくと成べし」ときねんして、目を見あげて見ければ、風少ししづまりて、扇ざせきにしづまりたり。これに余一心少しいさばしくして、心のうちに案じけるは、「さすがに物の射にくきは。夏山の峯、緑のこのまより、ほのかに見ゆる小鳥を殺さで射るこそだいじなれ。是は波の上の扇なればたやすかるべしとも、おきの船にはしゆしやうけんれいもんゐんをはじめたてまつりて、にゐどの、きたのまんどころ、げつけいうんかく、やかたをならべて、目をすまして是を
みる。
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みぎはの源氏はくらうたいふはうぐわんをはじめとして、とうごくほつこくのだいみやうせうみやう、こまをしづめ、肩をならべてけんぶつす。彼をみ、これを案ずるに、いづれもはれならずと云事なし。さればけふゑんのげいをほどこしけるやういう、ひがんの声を射けるかうえいも、胸しぬべく」ぞおぼへける。よいちかぶら取てはげて、じふにそくふたつぶせをよつぴいて、しばしかためてひやうど射たり。浦ひびけと海のおもてをとほなりして、ごろくたんをいわたし、扇のかなめはたといて、ふたつにさとぞさけにける。ひとつは海に入て波にゆらる。ひとつはいちぢやうばかり空へあがる。をりふし嵐吹て地にもをとさず、そらにふきあがりて舞遊ぶ。平家のかたには是を見て、ふなばたをたたきふなやかたをたたきかんじけり。源氏の方には前つわをたたき、えびらをたたきてどどめきけり。夕日にかかやきて波の上におちけるは、秋の嵐にたつたがはにもみぢの
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ちりしくかとぞおぼへける。かたきもみかたも是を見て、いちどうにあとぞいひあひける。余り感にたえざるにや、平家の船の中より、年五十余りなるむしやの、くろかはをどしの鎧きておほなぎなた持たるが、扇たてつるせがひの上にてまひけり。源氏の方より是をみて、「あれを射よ」と云けるに、あるいはまた、「もし射はづいつる物ならば、先に扇を射たりつる事もきみあるまじ。ないそ」と云者もあり。「只とく射よ」と云者もあり。余一「いよ」と云時には矢をさしはげ、「ないそ」と云をりは矢をさしはづしけるほどに、「ないそ」と云者はすくなく、「只射よ」と云者はおほかりければ、余一今度はなかざしをとりてつがひて、又よつぴいて射たりければ、舞ける武者のうちかぶとをうしろへつといいだしたりければ、男はしばしもたまらず、まつさかさまに海へがぶと入にける。そのたびはせんちゆう
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はにがり、をともせず。源氏の方には「あいたりあいたり」と云者もあり、又「なさけなくいたり」と云者もあり。平家の方より弓矢一人、楯つき一人、うちもの持たる者三人、小船に乗てくがにおしよせて、船よりとびおりて楯をつきむかへて、「よせよやよせよや」とぞまねきける。判官是を見て、「わかものども、かけいでてけちらせや」と宣ければ、むさしのくにの住人にふのやのじふらう、おなじくしらう、かうづけのくにの住人みをのやの四郎、しなののくにの住人きそちゆうだ、やちゆうだ、五騎をめいてはせむかふ。平家の方より、じふごそくのぬりのに、わしのはたかのはつるのもとじろやぶれあはせにはいだりける矢をもつて射たりけるに、にふのやのじふらうがむまのくさわきをはぶさまでいぬかれて、馬はびやうぶをかへす如くに、のけさまに倒れにけり。十郎は足をこしてめての方へおちたちぬ。へいけのかた
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よりうちもの持たる者、十郎によせあはせたり。十郎いかがおもひけん、かいふひてにぐるところをおひかかりて、十郎がかぶとのしころにかなぐりつく。しんみやうをすててさしうつぶきて引たりければ、かぶとのををふつと引ちぎりてとられにけり。十郎にげのびて馬の影に息つぎゐたり。かたきなぎなたをつかへてあふぎひらきつかふて、「けふちかごろきやうわらはべまでもさたすなる、平家のみかたにゑつちゆうのせんじもりとしが次男、かづさのあくしつびやうゑかげきよ」となのりて、船にぞ乗にける。平家の方には是にぞ少しここちなをりて思ける。平家の方より二百余騎、たて廿枚もたせて、岡にあがりてさんざんに戦ふ。源氏はじめは百四五十騎ばかり有けるが、ここかしこより二三十騎、四五十騎づつはせあつまりにければ、そのせい三百騎になりにけり。はうぐわんかつに乗て、馬のふとばらまで
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海へうちいれてせめつけたり。船よりくまでをもつて判官のかぶとにかけんとするを、判官は弓をば左の脇にはさみて、右手にてはたちを抜て、くまでをうちのけうちのけするほどに、いかがしたりけん、弓をとりはづして海へおとしいれたりけるを、かたきくまでにてかけうかけうとするをばしらず、馬のしたはらにのりおりて、さしうつぶきて、この弓をとらんとらんとしけれども、波にゆられてとられざりければ、岡より是を見て、「そのおんゆみすてさせ給へや。あれはいかにあれはいかに」とこゑごゑにののしりけれども、聞給わず。とかくしてむちにてかきよせて、つひに弓を取てあがりたまひたりければ、つはものくちぐちに申けるは、「しろかねこがねをまろめて作たる弓なりとも、いかでか御命にはかへさせ給べき。あなあさましの御心のつれなさや」と申ければ、判官、「や殿原、義経が弓と云はば、三人ばり五人ばりにてもあらばこそ、きこゆるげん
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じのたいしやうぐんの弓のつよさといふさたせられて、義経がめんぼくにてもあらめ。それだにも、『義経こそ平家のらうどうどもにせめつけられて、たへずして弓をおとしたりつるを取たる。これみよや。弓のよはさ、すがたのをろかさよ』なんど云て、ひろうせん事のくちをしさといひ、又鎌倉にきこえたまひて、『むげなりける者よ』と、思給わんも心うかるべければ、命にかへて取たりつるなり」と宣へば、人々是を聞て、「あなおそろしのごしんぢゆうや」と申て、舌をふるひて感じあへり。そのひは一日たたかひくらして、源氏は夜に入て、たうごくの中、しばやまむれたかまつと云けなしやまに陣をとる。平家は、ごしよはやけれぬ、いづくにとどまるべしともなければ、やけだいりの前に陣をとる。なかさんじふよちやうをへだてたり。源氏はいくさにしつかれて、つはものどももののぐぬぎすてて休みけり。平家そのよよせて、源氏を
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ようちにせば、なにもあるまじかりけるに、ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎとみまさかのくにのぢゆうにんえみのたらうときなほとせんぢんをあらそひけるほどに、其夜もあけにけり。源氏のせいのなかにはいせのさぶらうよしもりばかりぞ、ようちもぞよするとて、よろひこぐそくとりつけて、ゆんづゑあそこここにたて、よもすがらたちあかしたりける。とらのこくばかりにはうぐわんのたまひけるは、「しばしと思つるに、いくさにはよくつかれにける物かな。いざとのばら、よせむ」とて、六十余騎かぶとのをしめて、平家の陣へおしよせて時を作る。平家もあわてたりけれども、こゑをあはせてけり。
十 ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、すすみいでてまうしけるは、「そもそも源氏のかたよりきのふなのりたまふとはききしかども、かいしやうはるかにへだたりて、なみにまぎれて、たしかにもききわかず。けふの大将軍たれぞや。なのれ」と申ければ、いせのさぶらうよしもり、あゆみいでて
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申けるは、「あら事もおろかや。汝はしらずや。わがきみはせいわてんわうよりはじふだいのおんまご、はちまんたらうよしいへのあつそんにはしだい、かまくらどののおんおとと、くらうたいふのはうぐわんどのにて渡らせ給ぞかし」。もりつぎききあへず申けるは、「誠にさる事あるらん。くらまへつきまうでせし、三条のきちじと云しこがねあきびとがみのがさらうれうせをうて、むつへぐしてくだりたりし、どうみやうしやなわうと云し者の事ごさんなれ」。よしもり又申けるは、「かうまうすは越中国となみやまのいくさに山へおひいれられて、からきいのちいきて、こつじきして京へのぼりたりける者な。かけまくもかたじけなく舌のやはらかなるままに、はうぐわんどののおんことな申されそ。いとどみやうがつきなんず。かひなき命のをしからんずれば、たすけさせ給へとこそ申さんずらめ」。盛次又いわせもはてず、「わかくより君のごおんにていしよくにとぼしからず。なにとてかわがみこつ
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じきすべき。あわれ、盛次がむさしのくにをたまはりてくだりたりしには、とうごくのだいみやうせうみやう、たうもかうけも、はいひざまづゐてこそ有しか。なんぢはぬすみをしてさいしをやしなひけるとこそききしか。それはえあらがわじ物を」と云ければ、かねこのじふらういへただすすみいでて、「とのばらのざふごんむやくなり。我も人もおとらじまけじ。そらごといひつけて、そぞろごといはんにはたれかは劣るべき。くちのききたらんにはよるまじき物を。さらばうちいでよかし。こぞの春いちのたににてむさしさがみのとのばらの手なみは見けん物を」と申せば、おなじくおととのよいちがたちならびたりけるが、よく引てはなちたりける矢、盛次が鎧のむないたにしたたかに当りたりければ、もりつぎやかぜおひておともせず。其後かたきもみかたもいちどうにはとわらひて、ことばだたかひはとどまりにけり。東国のともがら、くらうはうぐわんをはじめとして、み
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みのあたをいはれて、やすからずと思て、われさきをかけむとすすみけれども、へいけのかたにもゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、おなじくあくしちびやうゑかげきよ、ひだのさぶらうざゑもんかげつね、おなじくしらうびやうゑかげとし、ごとうないさだつないげのはやりをのわかものども、命ををしまず防きたたかひける上、のとのかみのやさきにまはる者、一人もいのちいくるはなかりけり。されば時を移しける程に、源氏のぐんびやうおほくうたれにけり。さる程に夜もあけにけり。
十一 よあけにければかぜやみぬ。風やみければ、うらうらしまじまにふきつけられたる源氏ども、ふねこぎきたりてはうぐわんにつきけり。又くまののべつたうたんぞうはかまくらのひやうゑのすけのぐわいせきのをばむこにて有けるが、げんじのぐんびやう四国へわたるよしを聞て思けるは、「この事よそにききて有べき身にあらず。ただしけふまでも平
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家のいのりをする者が、いつしか源氏にくははらん事、世のそしりもさる事にて、しんりよも又はからひがたしかし。只神にまかせたてまつらむ」とて、にやくわうじのごぜんに参て、くじを取て、「しろきにはとりあかきにはとりをあはせて、しようぶにしたがひていづちへもつくべし」とおもひさだめて、とりあはせをしてみるに、しろきとりかちにけり。「さては源氏のうちかちにてあるごさむなれ」とて、三百よそうのひやうせんをそつして、きいのくにたのべのみなとよりこぎきたりて、源氏にくははる。かはののしらうみちのぶも千余騎のぐんびやうをそつして、いよのくによりはせきたりて、おなじく源氏にくははりにけり。かかりければ九郎判官いとど力つけて、あらてのつはものいれかへいれかへたたかひければ、平家つひにせめおとされて、第二日のみのこくには屋嶋をこぎいでて、しほにひかれ風にしたがひて、いづくをさしてゆくともなく、ゆられゆくこそ悲し
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けれ。判官はいくさに打勝て、さんがにち屋嶋にとうりうして、四国のせいをぞまねきける。
十二 判官、いせのさぶらうよしもりをめして、「あはのみんぶしげよしがちやくし、でんないざゑもんしげなほがたいしやうぐんとして、三千余騎にていよのくにへおしわたりて、かはのをせめによせけるときこゆ。よしもりまかりむかひて、しげなほめしぐしてまゐれ」と宣ければ、よしもり、「うけたまはりさうらひぬ。おんはたをたまはるべし」とて、はたひとながれまうしうけて、わづかに十五騎のせいにてはせむかふ。「あれほどのおほぜいにてでんないざゑもんが三千余騎のせいをば、いかにしていけどりにせむぞ。まことしからず」と、ものどもわらひあへり。しげなほはかはのがたちにおしよせてせめけれども、河野さきだちておちにければ、いへのこらうどうあまたいけどりにして、たちにひかけて、屋嶋へ参
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ける道にてよしもりゆきあひたり。しらはたあかはたのあひだにちやうばかりにぞちかづきける。赤旗ひかへたりければ、白旗も又ひかへたり。能盛ししやをたてて申けるは、「あれはあはのみんぶだいふしげよしのちやくし、でんないざゑもんしげなほのおわするとみ申はひがことか。かつうはききもしたまふらん、鎌倉のひやうゑのすけどののおんおとと、くらうたいふはうぐわんどの、ゐんぜんをかうぶらせたまひて、さいこくのうつての大将軍にむかわせ給へり。かうまうすはいせのさぶらうよしもりと云者也。をととひ十九日あはかつらにて、わどのの父、みんぶだいふもかうにんに参りぬ。又をぢのさくらばのげきのたいふもいけどりにて、能盛があづかりていとほしくして置たり。きのふ屋嶋のごしよおとされて、だいりやきはらひて、おほいとのふしいけどられたまひぬ。のとどのは自害せられつ。こまつどののきんだちいげ、あるいはうちじに、あるいは海
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にいりたまひぬ。よたうわづかにありつるは、しどのうらにて皆うたれぬ。わぎみも、今一度父にもみへ、父のいきたるかほをもみ、故郷へも帰らんと思はば、かうにんに参て能盛につきたまへ。はうぐわんどのにまうしていのちばかりはいけまうさん。かくまうすをもちゐずは通し申すまじきぞ」といわせたりければ、でんないざゑもん是を聞て、「このことあらあらききつるにたがはず。ひとひの命のをしきも、父のゆくへをしらむとなり。いはむやいくさにをひてをや。平家既にいけどられたまひにけり。父又かうにんになりにける上は、しげなほたれにむかひていくさをすべき」と思て、「さらばかうにんに参るにてこそさうらはめ」とて、かぶとをぬぎ弓をはづしてらうじゆうにもたす。大将軍かくすれば、いへのこらうどうもかぶとをぬぐ。よしもり、「すかしおほせつ」と思て、成直を先にたてて判官のもとへゐて参る。「しんべうなり」とて、成直がもののぐをめして、その
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身をばよしもりにあづけられぬ。のこりのつはものども是を見て、「これはくにぐにのかりむしやにて候。たれをたれとかおもひまゐらせ候べき。只くさきの風になびくがごとくにて候べし。わがくにのあるじたらんを君とあふぎたてまつるべし」とくちぐちに申ければ、「さらばさにこそあんなれ」とて、みなめしぐせらる。能盛わづかに十五騎のせいにて、成直が三千余騎をいけどりにして参りけるこそゆゆしけれ。みんぶだいふしげよしは、「でんないざゑもんいけどりにせられぬ」と聞ければ、うらうらしまじまとまりどまりにつきたれども、きもこころも身にそわで、わがこのゆくへぞ悲しかりける。四国のともがらもこれを見て、ところどころのいくさにもすすまざりけり。へいけのかたには民部大夫成良を副将軍とたのまれたりけれども、四国のともがらすすまざりければ、やうやくうしろしだいにすきて、あやふくぞみへられける。しげよしもこのさんがねんのあひだ平家にちゆうをつくし
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て、どどのいくさにもふしともに命ををしまず戦けるが、事のありさまかなふまじと思ける上、でんないざゑもんいけどられにけるあひだ、たちまちに九郎判官に心をかよはして、あはのくにへ渡してければ、たうごくのぢゆうにん皆源氏にしたがひにけり。人の心はむざんの物也。是も平家の運のつきぬる故也。判官は二月十九日かつらのたたかひ、廿日やしまのいくさ、廿一日しどの戦にうちかちてければ、四国のつはもの、なかばにすぎてつきしたがひにけり。「まづ事のずいさうこそ不思議なれ。源氏はあはのくにかつらにつき、軍に勝ち、平家はしらとりにふのやしろをすぎ、ながとのくにひくしまにつく。いかが有べかるらん。おぼつかな。平家のゆくすゑいかにもいかにもはかばかしからじ」なんど、人の口、昔も今もさまざまなりけるほどに、ひくしまをもこぎいでて、うらづたひしまづたひして、ちくぜんのくに
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はこざきの津につきたまひぬ。くこくのともがらもさながら源氏に心をかよはして、はこざきのつへよすべしときこへければ、はこざきのつをもいでたまひぬ。いづくをさだめておちつきたまふべしともなければ、かいしやうにただよひて、涙と共に落給けるこそむざんなれ。
十三 三月十九日、すみよしのかんぬしながもり、院に参て申けるは、「さんぬる十六日ねのこくに、第三のじんでんよりかぶらやのこゑいでて、西をさしてゆきぬ」とそうもんしければ、法皇おほきによろこびおぼしめして、ぎよけんいげ、いろいろのへいはく、ならびにしゆじゆのじんぽうをかんぬしながもりにつけたてまつらる。昔じんぐうくわうごうしんらをせめたまひし時、いせのだいじんぐう二人のあらみさきをさしそへたてまつる。かの二人のおんがみ、みふねのともへに立て守給ければ、すなはちしんらをうちたひらげてかへりたまへり。いちじんはつのくにすみよしの
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こほりにとどまりたまふ。すなはちすみよしのだいみやうじんと申す。このみやうじんはをさまれる世をまもらんが為に、ぶりやうのちりにまじはりて、よはひはくはつにかたぶかせ給へる老人のおきなにてぞわたらせ給ける。いちじんはしなののくにすはのこほりにおんみやづくりもかむさびて、ゆきあひのまの霜をいとひ給ふ、あがめ奉る。すなはちすはのだいみやうじんと申す、是也。昔かいじやうわうじのこんでいのだいはんにやきやうをしよしやし給しに、さいてんぢくびやくろちの水をくみてかかせたまひしも、このみやうじんとぞうけたまはる。ごたいはいちぢやうくしやくの赤きおにかみにてわたらせ給とかや。されば昔のせいばつの事を忘れ給わず、てうのをんできをほろぼしたまふべきにやと、法皇たのもしくぞおぼしめされける。じんぐうくわうごうと申はかいくわてんわうのそうそん、ちゆうあいてんわうのきさき也。ちゆうあいのおんかたきをうたむが為に、かのとのゐのとし十月二日、くわいにんのおんすがたとつきと申けるに、いこくをせめんとて、つくしのはか
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たのつにごかうなりて、おんふなぞろへ有ける時、わうじ既にうまれ給わんとて動き給ければ、皇后のたまはく、「うまれたまひてじちゐきのあるじとしてくらゐをたもちたまふべき君ならば、いこくをうちてのちうまれ給へ。ただいまうまれたまひなば、たちまちにかいちゆうのいろくづのしよくとなりたまふべし」と、たいないのわうじにむかひたてまつりて、せんみやうをふくめたまひしかば、皇子しづまり給て、うみがつきをぞのべたまふ。ときに皇后土のかたちになりたまひて、おんいもうとのとよひめをぐしたてまつりて、ちちしやからりゆうわうの御手より、かんじゆ、まんじゆと云ふたつのほうしゆをえたまひて、あといそらにふりとらせ、異国へわたりたまひて、さんかんとてしんら、かうらい、はくさいさんがこくをうちなびかしたまひて、おなじく十一月廿八日はかたのつにくわんぎよなつて、十二月二日にわうじたんじやうなりにけり。其時よりかのところをばうみのみやとぞなづけける。ちゆうあいのおんかたきをうたせ給て、わうじたんじやうののち、よをP3383をさめたまふこと六十九年と申しつちのとのうしのとし、おんとし百一にしてほうぎよなりにけり。かのわうじとまうすはおうじんてんわうにて渡らせ給。今のはちまんだいぼさつと申すはすなはちこれなり。
十四 平家屋嶋をおちぬときこへければ、さだめてながとのくにへぞつかんずらんとて、みかはのかみのりよりはあひしたがふところのむねとのぐんびやう卅余人をあひぐして、あき、すはうをなびかして、ながとのぢにてまちかけたり。をかたのさぶらうこれよしはくこくのものどもかりぐして、すせんぞうの船をうかべて、からのぢをぞふさぎける。平家は屋嶋をばおとされぬ、くこくへはいれられず、よるかたなくてあくがれて、ながとのくにだんのうら、もじがせきにてなみのうへにただよひ、ふねのうちにて日を送る。はくおうのむれゐるを見ては、えびすのはたをあぐるかとうたがはれ、いさりの火の影を見ても、
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ようちのよするかと驚て、おのおの今はおもひきりて、「だんのうらの波ときへ、もじがせきに名をとどめむ」とぞまうされける。しんぢゆうなごんとももり宣けるは、「あやしのてうじうもおんをほうじ、徳を報ずるこころざしあむなり。どどのいくさに九郎一人にせめおとされぬるこそ安からね。今はうんめいつきぬれば、いくさにかつべしとは思わず。いかにもして九郎ひとりを取て海にいれよ。たうせんからくりしつらひて、しかるべき人々をばたうせんにのせたるけしきして、おほいとのいげむねとの人々は二百よそうのひやうせんにのせて、たうせんをおしかこめてさしうかめてまつものならば、『さだめてかのたうせんにぞたいしやうぐんは乗たるらん』と、九郎すすみよらん所を、うしろよりおしまきて、中にとりこめて、なじかは九郎一人うたざるべき」とのたまひければ、「このぎもつともしかるべし」とて、そのぢやうにぞしたくしける。
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源氏はあはのくにかつらにつきていくさにうちかちて、平家のあとめにかけて、ながとのくにあかまのせき、おいつへいつと云所につきにけり。平家の陣を去る事三十よちやうぞ有ける。
十五 三月廿四日、源氏義経を大将軍として、ぐんびやうすまんぎ、三千よそうにて、夜のあけぼのにだんのうらへぞよせたりける。平家もまちかけたる事なれば、やあはせしてたたかふ。げんぺいりやうじにあひしたがふともがら十万余騎なりければ、げんかふ雲をなし、ながれや雨の如し。たがひに時を作る声おびたたし。上はひさうてんまでもきこへ、下はかいていりゆうぐうまでもおどろくらんとぞおぼえし。しんぢゆうなごんとももり、船のへにたちいでてのたまひけるは、「いくさはけふぞ限り。おのおのすこしもしりぞく心あるべからず。てんぢくしんだんにつぽんわがてうにもな
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らびなきめいしやうようじといへども、運命のつきぬる上は、今も昔も力およばぬ事なれども、名こそをしけれ。あなかしことうごくのやつばらにあしくて見ゆな。いつのれうに命ををしむべきぞ。いかにもしてくらうくわんじやを取て海にいれよ。今はそれのみぞおもふこと」と宣ければ、ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎちかくさうらひけるが、「さぶらひどもこのおほせうけたまはりさうらへや」とげぢしければ、あくしつびやうゑかげきよが申けるは、「なかばんどうのものどもは馬の上にてぞくちはききさうらへども、ふないくさなんどはいつかなれ候べき。うをの木にのぼりたるにてこそ候わんずれ。いちいちに取て海につけさうらひなんず」。もりつぎが申けるは、「九郎はうつてにのぼるとうけたまはりて、えんにふれて九郎が有様をくはしくたづねさうらひしかば、九郎はいろしろきをとこのたけひききが、むかばのことにさしいでて、しるかんなるが、きと見知る
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まじき事は、身をやつしてじんぢやうなる鎧なむども着ざんなり。きのふきる鎧をばけふはきず、朝夕きる鎧をばひなかにはきかふなり。ひたたれ鎧のなきを常にきかふなる時に、とほやにも射らるまじかんなるぞ。かまへて組め」とぞ申ける。かげきよ申けるは、「九郎は心こそたけくとも、そのこくわんじやなにごとのあらんぞ。かたわきにはさみて海へいりなん物を」とぞ申ける。いがのへいないざゑもんいへながが申けるは、「世は不思議の事かな。こがねあきびとがしよじゆうの、源氏の大将軍して、君にむかひ奉て弓をひき、矢を放つ事よ。ごうんのつきさせ給と云ながら、心憂く安からぬ事かな」とて、はらはらとぞ泣ける。新中納言はかくげぢし給て、おほいとののおんまへへおわして、「けふのいくさにはみかたのつはものども、もつてのほかにことがらよ
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げに見へ候。ただししげよしこそこころがはりしたるとおぼへ候へ。きやつをうちさうらはばや」と宣ければ、おほいとの、「そもいちぢやうをききさだめてこそ。もしひがことにてもあらば、ふびんの事にて候べし」とて、つまびらかにも宣はざりければ、新中納言は、「あわれあわれ」とたびたびのたまひて、しげよしを召す。もくらんぢのひたたれにあらひがはのよろひきて、おんまへにひざまづきてさうらひぬ。大臣殿、「いかに成良、さきざきのやうにいくさのをきてはせぬぞ。四国の者共に、『いくさよくせよかし』といへかし。おのれはおくしたるか。けふこそあしくみゆれ」と宣ければ、「なじかはおくし候べき」と申て、立にけり。「あはれ、さらばしやくびをきらばや」ととももりおもひたまへども、大臣殿ゆるしたまはねばちからおよばず。平家は七百よそうのひやうせんをよてに作る。やまがのへいとうじひでとほがいつたう、二百よそうにていちぢんにこぎ
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むかふ。あはのみんぶしげよしをさきとして、しこくのものども百よそうにてにぢんにこぎつづく。平家のきんだち三百よそうにてさんぢんにひかへたり。くこくのぢゆうにんきくちはらだがいつたう、百よそうにてしぢんにささへたり。いちぢんにこぎむかへたるひでとほがいつたう、つくしむしやのせいびやうをそろゑて、舟のへに立てへをならべて、矢さきをととのへてさんざんに射させければ、源氏のぐんびやう、いしらまされてひやうせんをさししりぞけければ、「みかたかちぬ」とて、せめつづみを打てののしりける程に、源氏、つよ弓せいびやうのやつぎばやのてききどもをそろへて、射させける中に、やまどりのはをもつてはぎたりけるが、もとまきの上一寸ばかり置て、「みうらのへいたらうよしもり」と漆にて書たりけるぞ、物にもつよくたち、あだ矢もなかりける。さてはしかるべきやなかりけり。平家是を
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みて、おほやみなとどめて、いよのくににひのゐのしらういへながをもつて射させたり。手ぞ少しあばらなりけれども、四国の内には第一ときこへたり。みうらのへいたらうが射たりけるとほやにいまさんだんばかりいまさりたりけり。そののち源氏も平氏もとほやはやみにけり。みうらのへいたらう、遠矢をいおとりたりとや思けん、あきまかぞへのてききにて有ければ、小船に乗てこぎまはりて、おもてにたつものをさしつめさしつめいふせけり。すべてやさきにまわる者、いとらずと云事なし。さいゐんのしくわんちかよしはやおもてにたちてののしりかけて、さんざんに戦けり。へいけがたよりたれとはしらず、むしや一人たちいでて、「ちかよしはいうひつのみちばかりぞ知たるらん。弓矢の方をばしらじ物を」と申たりければ、かたきもみかたもいちどうにはとぞわらひたりける。ちかよし申けるは、「ぶんぶのにだうはすなはちぢやうゑのにほふな
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るべし。ぶんひとりじんぎのれいをしるとも、ぶまたぎやくとくを静めずは、いかでか国土をあらたむべき。ひとつもかけてはあるべからず。鳥のふたつのつばさの如しといへり。ちかよしはぶんぶにだうのたつしやなり。しよけんなし」とぞ申ける。是をききもあへず、「いさとよことばにはにずや有らん。手なみをみばや」とぞ云ける。ちかよし申けるは、「えうせうの昔よりちやうだいの今にいたるまで、けんにごじやうをたしなみ、内にぶようをかけたりき。をこがましげなるしれ者に手なみ見せむ」とてひやうど射る。あやまたずくびのほね射させ、どうど倒る。めんぼくもなき事なれば、へいじの方にはおともせず。みかたはいちどうにほめたりけり。是をはじめとして、源氏のぐんびやうわれおとらじとせめたたかふ。平家は舟をにさんぢゆうにこしらへたり。たうせんにはぐんびやうどもを乗せて、おほいとのいげ、
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しかるべき人々はひやうせんにめして、たうせんにはたいしやうぐんのりたまへるよしをして、唐船をせめさせて、源氏を中にとりこめてうたんとはかり給たりけるを、あはのみんぶしげよしたちまちにこころがはりしてかへりちゆうしてんげれば、四国のぐんびやう百よそうすすみたたかわず、船をさししりぞく。平家あやしみをなす所に、成良申けるは、「たうせんには大将軍は乗給わず。ひやうせんにめしたるぞや。ひやうせんをせめ給へ」とて、みんぶたいふが一類、しこくのものどもさしあはせて、うしろより平家の大将軍の船をぞせめたりける。平家のぐんびやうあわて乱れぬ。「あはれ、しんぢゆうなごんはよくのたまひつる物を」と、おほいとのこうくわいし給へども、かひなし。源氏のものどもいとど力つけて、平家の船にこぎよす。のりうつりのりうつりせめけり。かかりければ、平家の船のかこかんどり、ろをすてかひをすてて、船をなをすにおよばず、い
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ふせられきりふせられてふなぞこにあり。つるぎのひらめく事、たづらのらいくわうの如し。こくうをながれやのとぶことは、しぐれの雨にぞにたりける。源氏はたうそのごとくにて、平家はぎよにくにことならず。かくさんざんとなりにけれども、新中納言はすこしもあわてたるけしきもし給わず。にようゐん、きたのまんどころなむどのみふねに参り給ひたりければ、にようばうたちこゑごゑに、「いかにいかに」と、あわてふためき問給ければ、「今はとかくまうすにおよばず。いくさは今はかうざうらふ。えびすども舟にみだれいりさうらひぬ。只今あづまのめづらしき男共、ごらんさうらわんずるこそうらやましくさうらへ。ごしよのみふねにもみぐるしきものさうらはば、よくよくとりすてさせ給へ」とて、うちわらひたまへば、「かほどの義に成たるに、のどかげなるけしきにてなんでふのざれことをのたまふぞ」とて、こゑをととのへて、をめきさけびたまへり。さるほどに源氏の大将軍くらうはうぐわん、源氏よはくみへて平家かつにのる、心うくおぼえて、はちまんだいぼさつを
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はいしたてまつりたまふ。そのとき判官の船のへの上に、にはかに天よりしらくもくだる。ちかづくをみればしらはたなり。おちつきては、いるかと云魚になりて、海のおもてにうけり。源氏是をみて、かぶとをぬぎしんをいたし、八幡大菩薩を拝し奉りけり。これしかしながら大菩薩のへんげなり。かかるほどに、彼のいるかをはじめとして、いくさのさいちゆうにいるかと云魚ひとむれくひて、平家の舟にむかひて来たり。おほいとの、こはかせきよもとをめして、「あれはいかなるべきぞ。かんがへまうせ」とおほせたまひければ、清基申けるは、「このいるかくひかへりさうらはば源氏の方にうたがひあり。くひとほり候はば君のおんかたあやふく候べし」とかんがへまうしけるに、このいるかすこしもくひかへらず、平家の船の下を通りにければ、きよもと、「今はかふざうらふぞ」とぞ申ける。これを聞給ける人々の御心の内、おしはかられてあはれなり。さこそはあさましくもこころうくもおぼしあわれけめ。新中納言は一門の
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人々、さぶらひどもの最後のたたかひせられけるを見給て、「とのばらや、さぶらひどもにふせかせてとくとく自害し給へ。かたきに取られてうきなながしたまふな」とぞのたまひける。にゐどのは今はかうと思われければ、ねりばかまのそばたかくはさみて、せんていをおひたてまつり、帯にてわがおんみにむすびあはせたてまつりて、ほうけんをば腰にさし、しんしをば脇にはさみて、にぶいろのふたつぎぬうちかづきて、今はかぎりのふなばたにぞのぞませ給ける。先帝ことしはやつにならせ給けるが、折しもそのひはやまばといろのぎよいをめされたりければ、海の上を照してみへさせ給けり。御年の程よりもねびさせ給て、おんかほうつくしく、黒くゆらゆらとして、御肩にすぎて、おんせなかにふさふさとかからせたまへり。二位殿かくしたためて、ふなばたにのぞまれければ、あきれたるおんけしきにて、「これはいづちへゆかむずるぞ」とおほせありければ、「君はしろしめさずや、ゑどはこころうき
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ところにて、えびすどもがみふねへ矢をまゐらせ候ときに、ごくらくとて、よにめでたき所へぐしまゐらせ候ぞよ」とて、わうじやうのかたをふしをがみたまひて、くだかれけるこそあはれなれ。「なむきみやうちやうらいてんせうだいじんしやうはちまんぐう、たしかにきこしめせ。わがきみじふぜんのかいぎやうかぎりおはしませば、わがくにのあるじとうまれさせ給たれども、いまだをさなくおわしませば、ぜんあくのまつりごとをおこなひ給わず。何の御罪によつてかはくわうちんごのおんちかひにもれさせ給べき。今かかるおんことにならせたまひぬる事、しかしながらわれらがるいえふいちもん、ばんにんをかろしめてうかをいるかせにしたてまつり、がいにまかせてみづからしようじんにおごりしゆゑなり。ねがはくはこんじやうせぞくのすいしやくさんまやのしんめいたち、しやうばつあらたにおわしまさば、たとひこんぜにはこのいましめに沈むとも、らいせにはだいにちへんぜうみだによ
らい、だいひはうべんをめぐらして必ずいんぜふしたまへ。
今ぞしるみもすそ川のながれには浪のしたにも都ありとは」K214
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とえいじ給て、最後のじふねんとなへつつ、波の底へぞいられにける。是をみたてまつりたまひて、こくぼけんれいもんゐんをはじめたてまつりて、せんていのおんめのとそつのすけ、だいなごんのすけいげの女房達、声をととのへてをめきさけびたまひければ、いくさよばひにもおとらざりけり。かなしきかな、むじやうのぼふう、花のかほばせをちらし奉り、うらめしきかな、ぶんだんのはげしき波、ぎよくたいをしづめたてまつることを。てんをばちやうせいとなづけて、長きすみかと定め、もんをばふらうとかうして、おいせぬ門といはひき。かかんの星をほうさんにたとへ、かいひんのいさごをちせいによそへ奉りしかども、うんしやうのりようくだりてかいていのいろくづとなりたまひにける、おんみのはてこそかなしけれ。じふぜんていわうのごくわほうまうすもさらにおろかなり。だいぼんかうだいのかくの上、しやくだいきけんの宮のうち、いにしへはくわいもんきよくろにつらなりてきうぞくをいとなまれ、今はせんちゆうはていにおんいのちをいちじにうしなひ給ふぞあはれなる。二位殿は深くしづみてみえたまはず。にようゐんはおんやきいしとおんすずり
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ばことをさうの御袖にいれさせ給て、海にいらせたまひにけるを、わたなべげんごうまのじようつがふが子にげんびやうゑのじようむつると云者、いそぎをどりいりてかづきあげたてまつりたりけるを、ちちげんごうまのじようつがふ、くまでをもつておんぐしをからまきて、船へひきあげたてまつりにけり。ころはやよひの末の事なれば、ふぢがさねのじふにひとへをぞめされける。びすいのおんぐしよりはじめて、ぎよくたいぬれぬ所もなかりけり。そつのすけどのもおくれ奉らじととびいりたまひけるを、御袴ときぬのすそとをふなばたにいつけられて、沈み給はざりけるを、是もむつるがとりあげたてまつりてけり。にようゐんはとりあげられさせ給て、しをしをとしてわたらせ給けるを、むつるよろひからうとの中より、しろこそでひとかさねとりいだしてまゐらせて、「おんぞをこれにめしかへられさうらふべし」と申て、「君はにようゐんにてわたらせおわしまし候か」
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と申たりければ、おんことばをばいださせ給はで、にどうつぶかせ給たりけるにぞ、にようゐんとはしりまゐらせたりける。女房はむつるが船に入らせ給たるよし申たりければ、「ごしよのみふねへ渡しまゐらせよ」とて、わたしたてまつりて守護し奉る。こんゑどののきたのまんどころもとびいらせ給はんとし給けるを、つはものどもまゐりてとりとどめたてまつる。はうぐわん、いせのさぶらうよしもりをめして、「海にはだいじの人々のいりたまひたんなるぞ。『とりあげたてまつりたらん人々にはらうぜきつかまつるな』とげぢせよ」と宣ければ、よしもりこぶねに乗てこのよしをふれまわる。さるほどにつはものどもみふねにみだれいりぬ。つはものないしどころのわたらせ給ふみふねにのりうつりて、おんからうとのじやうねぢやぶりて、とりいだしたてまつらむとて、御箱のからげを切て、ふたをあけなんとしければ、たちまち目もくれはなぢたりけり。へいだいなごんの近くさうらひたまひけるが、「あれは
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ないしどころとて神にてわたらせ給ぞ。ぼんぶのみまゐらすべきにてはなきぞ。遠くのき候へ」と宣ければ、つはものすてたてまつりはうはうのきにけり。はうぐわん是を見給て、平大納言におほせて、もとの如くおんからうとにをさめたてまつりにけり。世の末なれども、かくれいげんのおわしますこそめでたけれ。へいぢゆうなごんのりもり、しゆりのだいぶつねもり二人は、かたきの船に乗移りけるをうちはらひて、たたれたりけるが、「しゆしやう既に海へいらせたまひぬ」とののしりければ、「いざおんともせむ」とて、鎧の上にいかりを置て、手を取組て海へいられにけり。こまつのないだいじんのおんきんだちはあしこここにてうせたまひぬ。今三人おわしつるが、末のおんこ、たんばのじじゆうただふさは、屋嶋のいくさよりいづちかおちたまひけん、ゆくへをしらず。しんざんゐのちゆうじやうすけもりは、かたきにとりこめられける所にて、自害してうせたまひぬ。おととせうしやうあり
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もり、人々海へいりたまふを見給て、つづきて海へ入られにけり。おほいとのふしは、おんいのちをしげにて、うみへもいりえたまはず。ふねのともへにあちこちちがひありきたまひけるを、さぶらひどもあまりのにくさに、心をあはせてとほりさまにさかさまにつきいれたてまつる。子息うゑもんのかみは父のつきいれられ給を見給て、やがて海へ入にけり。みなひとは重き鎧の上に、重き物を負たりいだきたりして入ればこそしづみけれ、是はふしともにすわだにて、しかもくつきやうのすいれんにておわしければ、大臣殿しづみもやらせ給はず。うゑもんのかみは、「ちちしづみたまはばきよむねもしづまむ。またたすかり給はば我もたすからん」と思て、波にうかびておわしけり。大臣殿は、「このこしなばわれもしなん。いきば共にいきん」とおぼしめして、たがひに目をみあはせて、しづみやり給はず。およぎありき給けるを、いせのさぶらうよしもり船をおしよせて、まづうゑもんのかみをくまで
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にかけてひきあげたてまつりけるを、おほいとの見給ける上は、いとど心細くてしづみもやり給わず。よしもりがふなばたへおよぎよつて、とりあげられたまひにけり。大臣殿とられたまふを、おんめのとごのひだのさぶらうざゑもんかげつねが見て、「なにものなれば君をば取奉るぞ」と云て、打てかかりけるを、伊勢三郎がわらは、中にへだたりて戦ける程に、かぶとのはちをしたたかにうたれて、かぶとおちにけり。にの刀にくびをうちおとしつ。能盛既にうたるべかりけるを、ほりのやたらうよせあはせて、たちとどまりて射たりけるに、うちかぶとにあたりてひるみける所を、弥太郎弓をすてていだきたりけり。上になり下になりしける程に、弥太郎がらうどう、かげつねが鎧のくさずりをひきあげてさしたりければ、うちかぶともいたでにてよわりたりける上に、かくさされてはたらかざりければ、くびをかひてけり。
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大臣殿とりあげられて、目の前にてかげつねがかくなるを見給けり。いかばかりの事をかおぼしめしけむとむざんなり。のとのかみは、今はかうとおもひたまひければ、かたきせめかかりけれども、すこしもひるがへらずたたかひたまふ。やごろにまはる者をばことごとくいふせ、ちかづくものをばよせあはせつつ、ひつさげて海へなげいれければ、おもてをむくる者なかりけり。新中納言のたまひけるは、「のとどの、いたく罪な作りたまひそ。しやつばらけしかるものどもとこそみれ。せんなしとよ。さりとてよきかたきかは」と宣ければ、のとどのはおほわらはに成て、「われいけどりにせられて、鎌倉へくだらんといふこころざしあり。よりあへやものども、とれや者共」とて、はうぐわんの船に乗移られにけり。はうぐわんさる人にて、心得て、鎧をきかへ身をやつして、じんじやうなる鎧もき給わず。あちちがひこちちがひ、つまる事なかりけるが、いかがし
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たりけむ、おひつめられて、今はかうと思ひ、小なぎなた脇にはさむでついよろひ、いかがせんと思われける処に、小船一そう通りけるが、なかにぢやうばかりありけるに飛移り給ければ、のとどの是をみて、判官の鎧のしざりの袖をつかまへて引給けれども、引ちぎりて隣の船にとびつきて、なぎなたをま手に取なをして、「力こそ強くとも、はやわざは義経には及び給わぬな」と云て、あざわらひてたたれたり。能登守力およばず、こなたの船にとどまりにけり。能登守けふをかぎりとたたかわる。はうぐわんの郎等にあきのたらうみつざねと云者あり。これはあきのくにのぢゆうにんにてもなし、あきのかみの子にてもなし、あはのくにのぢゆうにん、あきのたいりやうと云者が子也。だいぢからのかうのもの、三十人が力もちたりときこゆる、ししやうふちのつはものなり。郎等二人おなじちからときこゆ。「われら三人組た
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らんに、いかなるきじんにもくみまけじ物を。いざうれのとどのにくまむ」とて、三人しころをかたぶけてうちかかりけるを、能登守さきにすすむ男のしや膝のふしをけ給たりければ、海にさかさまにいりにけり。のこる二人しころをかたぶけて、つと寄けるを、さうのわきにかひはさみて、しばらくしめて見給ふに、てあてかなふまじとやおもはれけん、少しのびあがりて、「さらば、いざうれ」とて、海へつといられにけり。しんぢゆうなごん是を見給て、「哀れ、よしなきことしつる者かな。きやつばらは、けしかるものどもにこそあむめれ。見るべき程の事はみつ。今はかうごさんなれ」とてたたれたりけるに、「中納言のおんいのちにもかはりたてまつらむ」といひちぎりしさぶらひ、五六人ありける中に、いがのへいないざゑもんいへなが、「おほいとのもうゑもんのかみどのも既にとられさせたまひぬ」と
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申て、つと近く寄たりければ、「あなこころうや、いかにいへなが」と宣ければ、「ひごろのごやくそくたがへまゐらせ候まじ」とて、中納言によろひにりやうきせたてまつり、わがみも二両きて、手に手をとりくみて、一度に海にいりにけり。さぶらひ六人おなじくつづきて入にけり。かいしやうに赤旗赤じるし、ちぎりてすて、かなぐりすてて、もみぢを嵐のふきちらしたるが如し。海水血に変じて、なぎさによするしらなみも、うすくれなゐにぞにたりける。むなしき舟、風にしたがひて、いづくをさすともなく、ゆられゆくぞむざんなる。
十六 くらうはうぐわんは、あかぢのにしきのひたたれに、紫すそごの鎧前に置て、こがねづくりのたち膝の下に置て、いけどりのなんによのけふみやうしるさせてゐたまひたり。あわれたいしやうぐんやとぞ見へける。日のいるほどに船共なぎさにこぎよす。
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うみぎはにはひやうせんひまなくひきならびて、ゑびすどものりをるめり。くがにはたてをつきて、つらなりゐたる弓のほこ、たけばやしをみるがごとし。そのなかにいけどりのにようばうたちをば、やかたを作てこめすへたり。ののしる声たゆることなく、我も人もいふことをばききわかず。げんりやく二年の春のくれ、いかなるとしつきなれば、いちじんかいちゆうにしづみたまひ、ひやくくわんなみのうへにうかぶらん。一門のめいしやうは千万のぐんぞくにとらはれ、こくぼさいぢよはとういせいじゆうの手にかかりて、おのおのこきやうへかへされけん、心のうちこそ悲しけれ。ばいしんがこきやうにはにしきのはかまをきぬ事を歎き、せうくんがきうりにはふたたびかへらん事を喜ぶ。おもひあはせられてあはれなり。いけどりには、さきのないだいじんこうむねもりこう、しそくうゑもんのかみきよむね、へいだいなごんときただ、しそくさぬきのちゆうぢやうときざね、くらのかみのぶもと、
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ひやうぶのせうまさあきら、そうがうにはにゐのそうづぜんしん、ちゆうなごんのそうづいんこう、ほふしようじのしゆぎやうのうゑん、くまののべつたうぎやうみやう、ちゆうなごんのりつしちゆうくわい、きやうじゆばうのあじやりいうゑん、さぶらひにはとうないざゑもんのぶやす、きつないざゑもんひでやす、うくわんむくわんの者三十八人とぞきこへし。げんだいふのはんぐわんすゑさだ、つのはんぐわんもりずみ、あはのみんぶだいふしげよし、これらはくびをのべてかうにんに参る。女房にはけんれいもんゐん、きたのまんどころをはじめたてまつりて、そつのすけ、だいなごんのすけ、れんぜいどの、人々のきたのかた、じやうらふ、ちゆうらふそうじて廿三人也。ひとめもみなれざる、あらけなきもののふの手にかかりて、都へ帰りたまひしは、わうせうくんがえびすの手にわたされて、ここくへゆきけんかなしみも、これにはすぎじとぞおぼえし。船底にふししづみて、声をととのへて、をめきさけびたまふも、ことわりとぞおぼゆ
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る。されどもにゐどののほかは、みをなげ、海にいり給人もなし。
十七 そもそもこのみかどをばあんとくてんわうと申す。じゆぜんの日、さまざまのくわいいありけり。ひのおましのおんしとねのへりに犬のけがしをし、よるのおとどのみちやうの内にやまばといりこもり、御即位の日、たかみざのうしろに女房にはかにせつじゆ、ごけいの日、はくしのちやうのまへにぶをとこあがりをり。ございゐさんがねんのあひだ、てんべんちえううちつづきて、しよしやしよじよりくわいをそうする事しきりなり。春夏はかんばつ、こうずい、秋冬はおほかぜ、くわうそん。五月あめなくして、れいふうおこり、せいべうかれかわき、わうばくひいでず。九月しもをふらして、あきはやくさむし。ばんさうなえかたぶき、くわけいじゆくせず。さればてんがのにんみんがしにおよぶ。わづかにいのちばかりいくる者も、ふだいさうでんの所をすてて、さかひをこえ、家をうしなひて、さんやにまじはりかいしよにしたがふ。
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らうにんちまたにたふれふし、うれひの声さとにみてり。みちみちせきぜきにはさんぞく、うらうらしまじまにはかいぞく、とうごくほつこくむほんさうどう、てんかうじかう、ききんえきれい、だいひやうらん、だいぜうまう、さんさいしちなんひとつとして残る事なかりき。ぢやうぐわんのひでり、えいその風、じやうだいにも有けれども、このみよほどの事はいまだなしとぞきこへし。「しんのしくわうはさうじやうわうが子にあらず、りよふゐが子なりしかども、てんがをたもつこと三十八年ありき」と云ければ、あるひと又申けるは、「いこくには多くかくのごとし。ちようくわとまうししみかどはみんかんよりいでたりき。かうそもたいこうが子なりしかども、位につきそなはりき。わがてうにはじんしんの子として位につくこと、いまだなしとぞ承る。これはまさしきみもすそがはのおんながれ、かかるべしや」とぞ人申ける。四月みつかのひみのこくばかりに、くらうたいふのはうぐわん、使を院へ
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まゐらせて申けるは、「さんぬる三月廿四日、ながとのくにもじがせきにて平家をせめおとして、たいしやうぐんさきのないだいじんむねもりいげいけどりにして、さんじゆのしんぎことゆゑなく都へ帰りいらせ給べし」と申たりければ、じやうげよろこびあへり。おんつかひはげんぱちひろつなとぞきこへし。ひろつなをおつぼにめして、かつせんのしだい悉くおんたづねあり。ぎよかんのあまりにさゑもんのじようにめしおほせらる。なほごふしんのあひだ、いつかのひ、ほくめんのげらふ、とうはんぐわんのぶもりをさいこくへくだしつかはさる。しゆくしよへもかへらず、むちをあげてはせくだりにけり。十二日、ほうけんの事いのりまうされむがために、うさのみやへぐわんじよをたてまつらる。そのじやうにいはく。けいびやくしよぐわんのことみぎほうけんは、わがてうのちようほうさんじゆのそのいちなり。かみよより、せいたいにいたるまで、
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くらゐをつぐあるじこれをつたへ、もとゐをまもるきみこれをたもつ。ここにいんじじゆえいねんぢゆうに、かんしんさきのないしやうふ、らくやうをいでてかいせいにおもむきしひ、さんじゆのほうぶつ、さきのみかどのこうひひそかによくわうにたてまつり、はるかにはたうにふいうして、どどのついたうにせんどをとげずしてむなしく帰り、くにのらんかう、こうくわいをかへりみずしてもつともはなはだし。よつてこんねん二月十五日に、かたじけなくもりんげんをうけたまはり、こころみにせいばつをくはたつ。これぶゐをたのむにあらず、ただしんめいにまかせたてまつる。しかるあひだ、さんぬるさんぐわつにじふしにちをもつて、ちやうしうもじがせきのほかにおいて、むほんかんしんのたうるいをうつ。みやうかんによつてしからしむるに、しりよたがふことなきをしりぬ。かけたるところは、ただかのしんけんなり。よつてかいじんをもつてこれをみたづねさぐるに、このことにんりきをもつてはげますべきにあらず。まことにしりぬ、しんたうにいのり、またしむべし。つたへきく、うさのみやのれいしんは、だいぼさつのべつぐう、はくわうしゆごのせいぐわんましますをもつて、なにかわがてうのほうぶつをまもらざらむ。いつしんこんとくのきねんをもつぱらにして、あにかみのしやうきやうをたれざらむや。かくのごときごんぐ、ぐわんのごとくでんばうせば、せんじをまうしくださしめ、しんゐをきしんせしむべし。わがこころもとよりかみにおもむく。一人、もろもろを
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すててうやまひてまうす。げんりやく二年四月十二日 じゆごゐげかううゑもんのごんのせうみなもとのあつそん うやまひてまうすさるのこくにせんぢやうより、ふなづにかへりつかしめたまふ。あきのせんじかげひろのあつそんをめして、いつくしまのかんぬし、おほせられていはく、ながとすはうあきとうのかいじんをもつて、かのほうけんをたづねさぐるべきよし、おほせられをはんぬ。またかいじんにめいじていはく、「なんぢらひせんのものたりといへども、いかでかこのことおもひしらざらむや。もしさぐりいづるともがらは、ただこんぜのおんしやうにおもふのみにあらず、またたうしやうのぜんいんにあらずや。はやくじつかにちのあひだ、かげひろがげぢにまかせて、これをさぐりたてまつるべし。」よつてじつかにちのやさんじふこれをたまはりをはんぬ。さるのにてんにともづなをとき、もじをいださしむ。よもすがらよろこびをあぐ。十六日、九郎判官いけどりの人々あひぐしてのぼりけるが、はりまのくにあかしのうらに宿りけるに、名を得たる浦なれば、夜のふけゆくままに月くまなく、秋の空にもおとらざりけり。にようばうたちさしつどひてしのびねに
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て泣つつ、鼻うちかみなんどしける中に、そつのすけつくづくとながめたまひて。
ながむればぬるるたもとにやどりけり月よくもゐのものがたりせよ K215
雲の上にみしにかわらぬ月かげはすむにつけても物ぞかなしき K216
是を聞給て、だいなごんのすけ。
我らこそあかしの浦にたびねせめをなじ水にもやどる月かな K217
昔きたののてんじんの、しへいのおとどのざんによつて、ださいふにうつりたまふとて、この所にとどまりたまひたりけるに、
名にしほふ明石の浦の月なれど都よりなほくもる袖かな K218
とながめたまひけるおんこころのうちも、かくやとおぼえてあはれなり。されどもそれはおんみひとつのうらみなり。これはさしもむつまじかりし人々は、底のみくづとなりはてぬ。故
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郷へ帰りたりとても、むなしきあとのみ涙にむせばむ事もこころうし。只ここにていかにもなりなばやとぞおぼしめしける。さるままには、「月よくもゐのものがたりせよ」と、とりかへしとりかへしくちずさみ給けり。「げにさこそは昔もこひしく、物もかなしく思給らめ」と、折しもあはれにきこへければ、くわうはうぐわんはとういなれども、いうにえんある心して、物めでしける人なれば、身にしみてあはれとぞおもはれける。まことに物をおもはずして都へのぼらんそら、うみのうへの旅、船の内のすまひは物うかるべし。ぎよしうの火の影をともしびにたのみ、玉のうてなとすまひしあまのとまやもすみまうく、なぎさを洗ふなみの音も、折からことにあはれなり。都も近くなるままに、うかりし波の上のふるさと、くもゐのよそになりはてて、そこはかともみへわかず。しんぢゆうなごんの今わの時、たわぶれてのたまひ
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し事さへおもひいでられて、かなしからずと云事なし。さるままにはかひなき御涙のみ、つきせざりけり。
十八 廿四日、ないしどころ、しんし、とばにつかせたまひたりければ、かでのこうぢのちゆうなごんつねふさ、たかくらのさいしやうのちゆうじやうやすみち、ごんのうべんかねただ、くらんどさゑもんのごんのすけちかまさ、えなみのちゆうじやうきんとき、たぢまのせうしやうのりよし、おんむかへにまゐらる。おんともの武士に、くらうたいふのはうぐわんよしつね、いしかはのはんぐわんだいよしかぬ、いづのくらんどたいふよりかぬ、おなじくさゑもんのじようありつなとぞきこへし。ねのこくにまづだいじやうくわんちやうへいらせたまひぬ。ないしどころ、しんしのみはこのかへしいらせ給事はめでたけれども、ほうけんはうせにけり。しんしはかいしやうにうかびたりけるを、ひたちのくにのぢゆうにんかたをかのたらうつねはるとりあげたてまつりたりけるとぞきこへし。
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十九 じんだいよりつたはりたりけるれいけんみつあり。いはゆる、くさなぎ、あまのははきりのつるぎ、とづかのつるぎ、これなり。とづかのつるぎはやまとのくにいそのかみふるのやしろにこめたてまつらる。あまのははきりのつるぎとまうすは、ほんみやうはははきりのつるぎと申けるとかや。このつるぎのやいばの上にゐるはへ、おのづからきれずと云事なし。ゆゑにりけんとかうす。それよりははきりとはなづけられたり。このつるぎはをはりのくにあつたのやしろにあり。くさなぎのつるぎはおほうちにやすんぜらる。よよのみかどのおんまもりなり。むかしそさのをのみこといづものくにへながされたまひたりけるに、そのくにのひのかはかみの山に至りたまふに、こくきふするこゑたえず。こゑにつきてたづねゆきてみたまふに、一人のらうをう、一人のらううあり。中にをとめを置てかきなでなく。みこと、「なんぢらはいかなる事をなげきて泣ぞ」と問給ければ、らうをうこたへていはく、「我は昔このくにかむどのこほりにありしちやうじやなり。今はくにつかみと
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なりてとしひさし。そのなをあしなづちといひ、めをばてなづちとかうす。このをとめはすなはちわがによしなり。きぬたひめとなづく。又はそはのひめとも申す。この山の奥にやまたのははといふだいじやあり。ねんねんに人をのむ。親をのまるる者は子かなしみ、子をのまるる者はおやかなしむ。ゆゑにそんなんそんぼくにこくするこゑたえず。我にやたりのむすめありき。ねんねんにのまれて、ただこのをんなひとりのこれり。今又のまれなん」と云て、はじめの如くまたこくす。みこと、あはれとおぼしめして、「このむすめを我に奉らばそのなんをやすむべし」とのたまひければ、らうをうらううなくなくよろこびて、手をあはせてみことををがみたてまつりて、かのむすめをみことに奉りぬ。尊たちながら、かのむすめをゆづのつまぐしにとりなして、おんもとどりにさし給て、きぬたひめのかたちをつくりたまひて、にしきのしやうぞくをきせて、だいじやのすみける岡の上に、やさかと云所にたてて、やつのふねにだいていをたたへて、そのかげをさかぶねに
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うつして、やつのくちにあててまちたまふに、すなはちだいじやきたれり。をかしらともにやつあり。まなこはじつげつの光のごとくして天をかかやかし、せなかにはれいさういぼくおひしげりて、さんがくをみるににたり。やつのかしら、八の尾、八の岳、八の谷にはひわたり、酒のかをかぎ、酒の船に移れる影をみて、女をのまむとのむほどに、残りすくなくすいほして、ゑひふしたり。そのときみことはきたまへるとづかのつるぎをぬきたまひて、だいじやをきだきだにきりたまふ。ひとつの尾にいたりてきれず。つるぎのやいば少しをれたり。あひかまへてすなはちそのををさきて見給へば、尾の中にひとつのつるぎあり。これしんけんなり。みこと是を取て、「我いかが私にやすんぜむ」とて、あまてるおほんがみにたてまつりたまふ。天照大神是をえたまひて、「このつるぎはわれたかあまのはらにありし時、今のあふみのくにいぶきやまの上にておとしたりし剣也。是あめのみやのみたからなり」とて、とよあしはらのなかつくにのあるじとて、てんそんを
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くだしたてまつりたまひし時、このつるぎをみかがみにそへてたてまつり給けり。それよりこのかた、よよのみかどのおんまもりとして、おほうちにあがめたてまつられたり。この剣だいじやのをのなかに有ける時、くろくも常におほへり。ゆゑにあまのむらくものつるぎとなづく。かのだいじやとまうすは今のいぶきのだいみやうじんこれなり。ゆづのつまぐしと云事は、昔いかなる人にてか有けん、よるきじんにおはれてのがれさるべきかたなかりけるに、ふところよりつまぐしと云物をとりいだして、きじんになげかけたりければ、鬼神おそれてうせにけり。かかるいうしよ有ける事なればにや、そさのをのみこともをとめをゆづのつまぐしに取なし給けるなるべし。みことそののちどうこくそがのさとにみやづくりし給ける時、その所には色の雲常にたなびきければ、みことごらんじて、かくぞえいじたまひける。
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やくもたついづもやへがきつまごめてやへがきつくるそのやへがきを K219
これぞやまとうたのさんじふいちじのはじめなる。国をいづもとかうするもそのゆゑとぞ承る。かのみこととまうすはいづものくにきつきのおほやしろこれなり。だいじふだいのみかどそうしんてんわうのぎよう六年、しんけんのれいゐにおそれて、あまてるおほんがみ、とよすきいりひめのみことに、さづけたてまつりて、やまとのくにかさぬひのむらしきとひぼろきにうつしたてまつりたまひたりしかども、なほれいゐにおそれたまひて、天照大神返しそへたてまつりたまふ。かのおんとき、いしこり姫とあめひとつつのにじんのべうえいにて、つるぎをいかへておんまもりとしたまふ。れいゐもとの剣にあひおとらず。今のほうけんすなはちこれなり。くさなぎのつるぎはそうしん天皇よりけいかう天皇にいたりたまふまでさんだいは、天照大神のしやだんにあがめおかれたりけるを、まきむくのひしろのみかどのぎよう四十年、とういほんぎやくのあひだ、せき
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より東しづかならず。これによつて、ときのみかど景行天皇、第二のわうじやまとたけるのみことの、御心もたけく御力も人にすぐれておわしましければ、このわうじをたいしやうぐんとして、くわんぐんをあひぐしてたひらげられしに、おなじきとしの冬十月にいでたまひて、いせのだいじんぐうへまうでたまひて、いつきの宮やまとひめのみことをして、天皇のめいにしたがひて、とうせいにおもむくよしを申給たりければ、つつしみておこたることなかれとて、そうしんてんわうのおんとき、だいりよりうつしおかれたりけるあまのむらくものつるぎをたてまつりたまふ。やまとたけるのみこと是をたまはりてとうごくへおもむきたまふに、するがのくにうきしまがはらにてそのくにのきようどら申けるは、「こののにはしかおほくさうらふ。かりしてあそびたまへ」と申ければ、みことのにいでて遊給けるに、草ふかくして弓のはずを隠すばかりなり。きようどども野に火をはなちて、みことをやきころしたてまつらんとしけ
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るに、わうじのはき給へるあまのむらくものつるぎを抜て、草をなぎたまひたりければ、剣はむけの草三十余町なぎふせてひとどまりにけり。又みことのかたより火をいだしたまひたりければ、いぞくのかたへふきおほひて、きようど多くやけしにけり。それよりこの所をばやけつろといふ。あまのむらくものつるぎをば是よりしてくさなぎのつるぎとなづく。やまとたけるのみこと是よりおくへいりたまひて、国々のきようどをうちたひらげ、ところどころのそうじんをしづめて、おなじき四十二年みづのとのみ十月に都へのぼりたまひける程に、いぶきやまにてやまのかみのきどくにあひて、ごなうおもかりければ、いけどりのえびすどもをばいせだいじんぐうへたてまつり給。我彦を都へたてまつりたまひて天皇にそうしたまふ。みことはをはりのくにへかへりたまひて、ごきそと云所にてこうじ給。すなはちしらとりとなりて西をさしてとびさりたまひぬ。さぬきのくにのしらとりのみやうじん
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とまうすはこのおんことなり。ごべうはおんはかづかとて今にあり。くさなぎのつるぎはをはりのくにあつたのやしろにをさめられぬ。いあらためらるる剣はだいりにあんぜられて、れいゐいちはやくおはしましける程に、てんち天皇位につかせたまひて七年とまうすに、しんらのしやもんだうぎやう、このつるぎをぬすみ取て、わがくにの宝とせむと思て、ひそかに船に隠してほんごくへ行ける程に、風荒くなみうごきて、たちまちに海底へしづまむとす。これれいけんのたたりなりとて、すなはち罪をしやしてせんどをとげず。てんむてんわうしゆてうぐわんねんにほんごくへもちかへりて、もとのごとくおほうちにかへしたてまつりてけり。是のみならず、やうぜいゐんきやうびやうにをかされましまして、ほうけんをぬかせ給へりけるに、よるのをとどひらひらとして、でんくわうに異ならず。みかどおそれさせ給てなげすてさせ給たりければ、おのづからはたとなりて、さやにさされさせ
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たまひにけり。しやうこちゆうこまでは、かくのみ渡らせ給けるに、たとひ平家取て都のほかへいだして、にゐどの腰にさしてしづみたまふとも、しやうこならましかばなじかはうすべき。まつだいこそこころうけれとて、すいれんにちやうぜる者をめしてかづきもとむれども、見へ給わず。てんじんぢじんにへいはくをささげて祈り、れいぶつれいしやにそうりよをこめて、だいほふひほふのこるところなくおこなはれけれども、しるしなし。りゆうじん是を取てりゆうぐうにをさめてければ、つひにうせにけるこそあさましけれ。かかりければ、時のいうしよくの人々まうしあひけるは、「はちまんだいぼさつ、はくわうちんごのおんちかひあさからず、いはしみづのおんながれつきせざる上に、あまてるおほんがみ、つくよみのみこと、あきらかなる光いまだ地に落給わず。まつだいげうきなりといへども、さすがていうんのきはまれる程の御事はあらじかし」とまうしあひければ、
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あるじゆしの申けるは、「昔いづものくににして、そさのをのみことにきられたてまつりたりしだいじや、れいけんををしむしふしんふかくして、やつのかしら、やつの尾をへうじとして、にんわうはちじふだいののち、はつさいのみかどとなりて、れいけんをとりかへしてかいていにいりにけり」とぞ申ける。ここのへのえんていのりゆうじんの宝となりにければ、ふたたびにんげんに帰らざるもことわりとこそおぼえけれ。
二十 にのみやこよひきやうへいらせ給ふ。ゐんよりおんむかへにおんくるままゐらせらる。しちでうのじじゆうのぶきよおんともにさうらわれけり。おぼぎのわたらせおはしますしちでうばうじやうなる所へぞいらせ給ける。是はたうだいのおんひとつはらのおんあににてわたらせ給けるを、もしの事もあらばまうけの君にとて、にゐどのさかざかしくぐしまひらせられたりけるなり。「もしわたらせおはせば、このみやこそくらゐにつかせおはしなまし。それもしかるべき御事な
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れども、なほもしのみやのごうんのめでたくわたらせたまふゆゑ」とぞときのひと申ける。御心ならぬ旅の空にいでさせ給て、浪の上にみとせをすごさせ給ければ、おぼぎも、おんめのとのぢみやうゐんのさいしやうも、いかなる事にききなしたまはむずらんと、おぼつかなくこひしくおぼしめされけるに、あんをんに帰りいらせ給たりければ、是を見奉ては、人々よろこびなきどもせられけり。ことししちさいにならせ給とぞきこへし。
廿一 おなじき廿六日、さきのないだいじんむねもりいげのへいじのいけどりども、京へ入らる。はちえふの車に乗せ奉て、ぜんごのすだれをあげ、さうのものみをひらく。ないだいじんはじやうえを着給へり。おんこのうゑもんのかみきよむね年十七、しろきひたたれ着て、車の尻に乗給へり。すゑさだ、もりずみ馬にておんともにあり。へいだいなごんおなじくやりつづく。しそくさぬきのちゆうじやうときざね、どうしやしてわたさるべき
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にて有けるが、げんしよらうなりければわたさず。くらのかみのぶもとはきずをかうぶりたりければ、かんだうよりぞ入にける。ぐんびやうぜんごさうにうちかこみて、いくせんまんと云事をしらず、うんかの如し。内大臣はしはうみまはして、いたくおもひしづみたるけしきはおわせず。さしも花やかに清げなりし人の、あらぬ者にやせおとろへ給へるぞあはれなる。うゑもんのかみはうつぶしにて、目もみあげたまわず。ふかくおもひいりたまへるけしきなり。是をみたてまつるひとども、きせんじやうげ、都の内にもかぎらず、をんごくきんごくやまやまてらでらより、おいたるもわかきもきたりあつまりて、とばのみなみのもん、つくりみち、よつづかにつづきて、人はかへりみる事をえず、車はめぐらす事をえず。仏のおんちゑなりとも、いかでか是をかぞへつくしたまふべきとぞきこへし。さんぬるぢしようやうわのききん、とうごくほつこくのかつせんに、人は
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皆しにうせたるとおもひしに、なほのこりおほかりけりとぞおぼえし。都を落給てなかいちねん、むげにほどちかきことなれば、めでたかりし事共もわすれられず。けふのありさま、ゆめまぼろしわきかねたり。されば物の心なき、あやしのしづのをしづのめにいたるまで、涙を流し袖を絞らぬはなかりけり。ましてちかづくことばのつてにもかかりけん人、いかばかりの事をかおもひけん。としごろぢゆうおんをかうぶりて、おやおほぢの時よりつたはりたるともがらも、身のすてがたさに、多く源氏につきたりしかども、むかしのよしみはたちまちにわするべきにあらず。いかばかりかはかなしかりけむ、おしはかられてむざんなり。されば袖を顔におほひて、目もみあげぬものどももありけるとかや。けふおとどの車やりたりけるうしわらはは、きそがゐんざんのときくるまやりて出家したりし、やじ
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らうまるがおととのこさぶらうまるなりけり。西国にてはかりに男に成て有けるが、「今一度おほいとののおんくるまつかまつらん」とおもふこころざしふかかりければ、とばにてくらうはうぐわんの前にすすみいでて申けるは、「とねりうしわらはなんどまうすものは、げらふのはてにて、心有べき者にてはさうらはねども、としごろおほしたてられまゐらせて、そのおんこころざしあさからず。さもしかるべくさうらはば、おほいとのの最後のおんくるまをつかまつりさうらはばやとぞんじさうらふ」と、なくなく申たりければ、はうぐわんさる人にてあはれがりて、「なにかはくるしかるべき」とてゆるしてけり。手をあはせてよろこびて、ことにじんじやうにとりしやうぞくして、大臣殿の車をぞやりたりける。道すがらも、ここにやりとどめては涙をながし、かしこにやりとどめては袖を絞りければ、みるひとあはれみて皆袂をぞうるをしける。法皇もろくでうひがしのとうゐんに御車をたてて御覧ぜらる。くぎやう
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てんじやうびとくるまたてならべたり。法皇はさしもむつまじくめしつかはれければ、おんこころよわく、あはれにぞおぼしめされける。おんともに候われける人々も、只夢かとのみぞおもひあわれける。「いかにしてあの人に目をもみかけられ、ひとことのつてにもかからんとこそおもひしに、けふかくみなすべしとは、すこしもおもひよらざりしことぞかし」とぞ申あわれける。ひととせだいじんになりたまひて、はいがせられし時のくぎやうには、くわさんのゐんのだいなごんかねまさのきやうをはじめとして十二人やりつづけ、中納言もしにん、さんゐのちゆうじやうも三人にておわしき。てんじやうびとにはくらんどのとううだいべんちかむねいげ十六人へいくしたまひき。くぎやうもてんじやうびとも、けふをはれときらめき給しかば、めでたきみものにてこそ有しか。やがてこのへいだいなごんも、その時はさゑもんのかみとておわしき。ゐんのごしよをはじめとして、参り
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給所ごとにごぜんへめされたまひて、おんひきでものをたまはり、もてなされたまひしぎしきのありさま、めでたかりし事ぞかし。かかるべしとはたれか思よりし。けふはげつけいうんかくのぜんごに従へるも一人も見へず。いけどられたるさぶらひいちりやうにん、馬にしめつけられて渡さる。おほちをわたされて、おほいとのふしをばくらうはうぐわんのしゆくしよ、ろくでうほりかはなる所にぞすゑたてまつられける。物まひらせたりけれども、おんはしもたて給わず。たがひに物はのたまはねども、父子目をみあはせたまひて、ひまなく涙をぞながされける。よふけひとしづまれども、装束をもくつろげ給わず。御袖をかたしきてふしたまへり。うゑもんのかみも近くね給たりけるを、をりふしあめうちふりてよさむなりけるに、おほいとの御袖をうちきたまひけるを、げんぱつひやうゑ、くまゐのたらう、えだのげんざうなんどいふ、あづかりしゆごし奉り
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けるものども、是をみたてまつり、「あないとほしや。あれ見給へや。たかきもいやしきも親子のぼんなうばかりむざんなる者こそなけれ」とて、たけきもののふなれども涙をぞ流しける。つらつらおもんみれば、春の花は地におちて、しやうじやひつめつのことわりを示せども、いまだひくわらくえふのくわんをなさず。秋のもみぢの空にちる、ゑしやぢやうりのさうをへうすれども、なほししやうじるてんの道をばのがれず。おろかなるかな、ごよくのゑをむさぼるつばさは、いまださんがいのぼんろうをいでず。かなしきかな、さんどくのつるぎを答るいろくづは、なをししやうのくかいに沈む。日々につづまる命、せうすいのうをのひれふるににたり。ほほにおとろふるよはひ、としよの羊を足をはやむるに同じ。むじやうてんべんのはかなさをしづかにおもひとくこそ、涙もさらにとどまらね。平家のえいぐわすでにつき、一門ほろびはてて、げんりやく二年四月廿六日に平家のいけどりどもおほちをわたされけり。心ある者は、たかきもいやしきも、じやうしやひつすいのことわり、まなこにさえぎりてあはれなり。「さしも花やかなりしおんことどもぞかし」とぞささやきあひける。
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廿二 さてもにようゐんはさいこくのなみのうへ、ふねのうちのおんすまひ、あとなき御事になりはてさせましまししかば、都へのぼらせましまして、ひがしやまのふもと、よしだのへんなる所にぞたちいらせ給ける。ちゆうなごんのほつけうきやうゑと申ける、ならぼふしのばうなりけり。すみあらしてとしひさしくなりにければ、庭には草深く、のきにはつたしげりつつ、すだれたえ、ねやあらはにて、雨風たまるべくもなし。花は色々ににほへども、あるじとて風をいとふ人もなければ、心のままにぞ散ける。月はよなよなもりくれども、ながむる人もなければ、うらみをあかつきの雲にのこさず。きんこくに花をながめしかく、なんろうに月をもてあそびし人、今こそおぼしめししられしか。かきにこけふかく庭によもぎしげりて、ちとのすみかとなりにけり。昔は玉のうてなをみがき、にしきのとばりにまとはされてこそあかしくらしたまひしに、今はありとありし人々は皆わかれはてて、あさましげなるくちばうに只一人おちつきたまへる御心のうち、いかばかりなりけん。道の程ともなひたてまつりし女房たちも、皆これよりちりぢりになりたまひにければ、おんこころぼそさにいとどきえ
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いるやうにぞおぼしめされける。たれあはれみたてまつるべしともみえず。うをのくがにあがりたるが如し。鳥の巣をはなれたるよりも猶悲し。うかりし浪の上、船の中のおんすまひ、今はこひしくぞおぼしめしける。「同じ底のみくづとなるべかりしを。身のせめての罪のむくいをやのこしとどむる」などおぼしめせども、かひぞなき。「てんじやうのごすいのかなしみはにんげんにも有ける物を」とおぼしめされてあはれなり。いづくも旅の空はものあはれにて、もらぬいはやだにもなを露けきならひなれば、御涙ぞさきだちける。それにつけてもむかしいまの事おぼしめしのこす事なきままには、
なげきこしみちのつゆにもまさりけりふるさとこふるそでのなみだは K220
と、わうせうくんがここくにたびだちてうたひけんもことわりなりとて、さらに人の上ともおぼしめさざりけり。さうはみちとほし、おもひをさいかいせんりのそらによせ、ぼうをくこけふかし、なみだをとうざんいつていのつきにおとさせたまふぞあはれなる。をりにふれ時にしたがひて、あはれをもよほし心をいためずと云事なし。風にまかせなみにゆられて、
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うらづたひつつ日をおくらせ給し昔は、「さんぜんせかいはまなこのまへにつきぬ」と、みやこのよしかちくぶしまにまうでて、こしやうのまんまんたるにむかひつつながめて、しばらく次の句を案じけるに、みちやうの内よりけだかきみこゑにて、「じふにいんえんはこころのうちにむなし」とみやうじんのつけさせたまひけるにこそ、かんおうたちまちにあらはして、身の毛もいよだちて、かんるいおさへがたくおぼへけれ。これは海まんまんとしてまなこくもぢにつかるれば、さんがいひろしといへども安き所もなく、しんめいぶつだのめぐみもなければ、あはれと云人もなし。あけてもくれてもきもをけし心をつくすよりほかの事なし。さてしもいつしかみやまがくれのよぶこどりおとづれければ、かくまでおぼしめしいでさせ給けり。
たにふかきいほりは人目ばかりにてげには心のすまぬなりけり K221
廿三 廿七日、さきのうひやうゑのすけよりともじゆにゐしたまふ。さきのないだいじんむねもりいげを追討のけんじやうとぞきこへし。をつかいとてにかいをするこそゆゆしけれ。てうおんにてあるに、是はもと
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じやうげのしゐなれば、既にさんがいなり。先例なき事也。
廿四 こよひないしどころ、だいじやうくわんちやうよりうんめいでんへいらせ給。ぎやうがうなりてさんがよのりんじのみかぐらあり。ちやうきう元年九月、えいりやく元年四月の例とぞきこへし。うこんのしやうげんはたのよしかた、べつちよくをうけたまはりて、家につたはりたる「ゆだちまらうと」と云、かぐらのひきよくをつかまつりて、けんじやうをかうぶるこそやさしけれ。この歌はよしかたがそぶ、はつでうはんぐわんすけかたと申けるまひびとのほかは、いまだわがてうに知れる者なし。かのすけかたはほりかはのゐんにさづけ奉て、子息のちかかたにはつたへずしてうせにけり。ないしどころのみかぐらおこなはれけるに、しゆしやうみすの内にてひやうしをとらせ給つつ、子のちかかたにはをしへさせ給にけり。きたいのめんぼく、昔よりいまだうけたまはりおよばず。父にならひたらんはよのつねの事也。いやしきみなしごにてかかるめんぼくをほどこしけるこそめでたけれ。「道をたたじとおぼしめされたるおんめぐみ、かたじけなき
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御事かな」と、よのひとかんるいをぞながしける。今のよしかたはちかかたが子にてつたへたりける也。
廿五 ないしどころとまうすは、あまてるおほんがみのあまのいはとにおわしましし時、「いかにもしてわがおんかたちを移しとどめん」とて、いたまへるみかがみなり。ひとついたまひたりけるが、これあしとてもちゐずして、きいのくにひのくまくにかかすといはひたてまつる。又ひとつい給へり。是をば、「わがしそん、この鏡を見て、われをみるがごとくにおもひたまへ。おなじてんにいはひ、とこをひとつにし給へ」とて、みこのあまのをしほみみのみことにさづけ奉り給たりけるが、しだいにつたはりてじんだいに及び、だいくだいのみかどかいくわてんわうの御時までは、ないしどころとみかどとはひとつごてんにおはしましけるが、第十代のみかどそうしんてんわうのぎようにおよびて、れいゐにおそれたてまつりてべちのごてんにいはひたてまつらる。ちかごろよりはうんめいでんにぞおはしましける。せんとせんかうののち、百六十年をへて、むらかみてんわうのぎよう、
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てんとくしねん九月廿三日のねのときに、だいりなかのへ、はじめてぜうまうありけり。火はさゑもんのぢんよりいでたりければ、ないしどころのおはしますうんめいでんも程近かりける上、によほふやはんの事なりければ、ないしもにようくわんもまゐりあわずして、かしこどころをもいだし奉らず。をののみやどのいそぎまゐらせ給て、「内侍所既にやけさせ給ぬ。世は今はかうにこそ有けれ」とおぼしめして、御涙を流させ給ける程に、なんでんのさくらのきのこずゑにかからせ給たりけり。くわうみやうかくやくとして、あさひの山のはよりいでたるが如し。世はいまだうせざりけりとおぼしめされけるにや、よろこびの御涙かきあへさせ給わず。右の御膝を地につき、左の御袖をひろげて申給けるは、「昔あまてるおほんがみはくわうを守らんと云おんちかひありけり。その御誓あらたまり給わずは、しんきやう、さねよりが袖に宿らせ給へ」と、申させ給ける
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おんことばもいまだをはらざりけるに、桜のこずゑより御袖にとびいらせ給にけり。やがて御袖につつみ奉て、おんさきまゐらせて、しゆしやうのございしよ、だいじやうくわんのあいだんどころへぞ渡し奉らせ給ける。このよにはうけたてまつらむとおもひよるべき人もたれかは有べき。又みかがみも入らせ給まじ。しやうここそめでたけれとうけたまはるにつけても、みのけいよだつ。
廿六 へいだいなごんときただ、さぬきのちゆうじやうふしは、くらうはうぐわんのしゆくしよ近くおわしけり。大納言はこころたけきひとにておわしければ、今は世のかくなりぬる上は、とてもかくてもとこそおぼすべきに、なほも命のをしくおもはれけるやらん、おんこの中将にのたまひけるは、「いかがせむずる。ちらすまじきだいじのかはごをいちがふ、はうぐわんにとられたるぞとよ。このふみだにも鎌倉へ見へなば、人もおほく
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そんじなんず。わがみもいけらるまじ」と歎かれければ、中将のたまひけるは、「はうぐわんはおほかたもなさけある者にてさうらふなるとうけたまはる。ましてにようばうなむどのうちたえなげくことをば、いかなるだいじをももてはなたれぬと申めり。なにかはくるしくさうらふべき。したしくならせ給へかし。さらばなどか露のなさけをもかけたてまつらざるべき」とまうされければ、大納言、「われ世にありし時は、むすめどもをば皆にようごきさきにとこそおもひしか。なみなみなる人にみせむとは、かけて思はざりき」とて、はらはらと泣給へば、中将も涙をのごひて、「今はその事おほせらるるにおよばず」とて、「たうじのきたのかた、そつのすけどののおんはらに、ことしじふはちに成給へる姫君の、なのめならずいつくしくさかりなるがおわしけるを」と、中将はおぼしけれども、大納言なほもそれをばいたわしき事におもはれたりければ、さきのきたの
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かたのおんはらに廿二に成給へる姫君をぞ、はうぐわんにはみせられける。年ぞ少しをとなしくおわしけれども、清げにほこらかに、手うつくしくかき、いろあり、花やかなる人にておわしければ、はうぐわんさりがたく思われて、もとのうへ、かはごえのたらうしげよりが娘は有けれども、是をばべちのかたじんじやうにこしらへて、すへ奉てもてなされけり。中将のはからひすこしもたがはず、おほかたのなさけもさる事にて、だいなごんのおんことなのめならずあはれみ申されけり。かのかはご、ふうもとかず、大納言のもとへかへしたてまつられけり。大納言よろこびたまひて、つぼのうちにていそぎやきすてられにけり。いかなるふみどもにてかありけん、おぼつかなし。
廿七 五月一日、けんれいもんゐんは、「うきよをいとひぼだいの道をたづぬるならば、このくろかみを
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つけてもなににかはせん」とおぼしめして、おんぐしをおろさせ給ふ。ごかいのしにはちやうらくじのあしようばうしやうにんいんさいぞまゐられける。おんふせにはせんていのおんなほしとぞきこへし。しやうにん是をたまはりて、なにと云ことばもいださねども、涙にむせびたまひて、すみぞめのそでをぞしぼられける。おんこころざしのほどあはれにかなしくて、このおんなほしをもつてはたをたちぬひたまひて、ちやうらくじのじやうぎやうだうにかけられたりけり。同じきついぜんと云ながら、ばくたいのごぜんごんなり。「たとひさうかいの底に沈みおはすとも、このくどくによつて、しゆらだうのくげんをまぬかれおはして、あんやうのじやうせつにおんわうじやううたがひなし」と、たのもしくぞおぼしめされける。しやうにんこのおんふせをみて、「出家はこれげだつのていとう、しようくわのしよもんなり。しらはこれさんどくのゑひをさますめうりやうやくなり。これをもつて一日のぢかいのくどくは、うゐのくかいをいでて、むゐのらくしよに
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至る物也」と、かいをさづけ奉て、ぼだいしんのたつとき事をほめ奉る。せけんのふぢやうをみるごとに、いよいよぶんだんのかなしき事を悟る。とうかくに嵐さびしきゆふべには、涙をせんかうにながして、いつしやうのくれぬる事をかなしみ、せいろうにつきしづかなるあかつきは、肝をばんたんにくだきてにせのむなしからん事を歎く。ぢんたんらんじやのにほひに身をまじはる。しづかに思ひよく案ずれば、誠にすいまつはうえんの如し。きゆうでんろうかくのすみかにゐどころをしむる、例をとり物によすれば、でんくわうあさつゆに似たり。しかのみならず、かうしんたいゐはあしてに乱るる塵、えいぐわちようじよくはくさばにすがる露也。ぎよくれんにしきのしとね、夢の中のもてなし、すいちやうこうけいはめのまへのしつらひ、しかればさいしちんぼうをあひぐして行く人もなく、ほういうちしきはとどめおきてひとりのみさる。ここをもつて、しつだたいしのわうぐうたんじやうのまうけの君たりし、きんちやうししんのとこをふりすてて、だんどくの雲に身を
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やつし、くわんわのせいわうのやさんはうやうのくわいろくにあたりしげんしやうきんをくのまどをのがれて、海のいそやになやみたまひき。かれをききこれをみるに、「たれにゆづりてか歎かざらむ。いつをごしてかつとめざらん」と、深くおぼしめしとりて、しんじつほうおんの道におもむき、げだつどうさうのころもをそめおはす。まことにぜんぢしきは、だいいんえんなり。なにごとかこれにしかむ。なかんづくにわがきみのごせんげ、そのりんじゆうのぎやうぎをきき、その最後のねんさうを思ふに、いちげん早くとぢ、くわうじやう永く隔たりぬ。きうしんきうぢよのなさけ、そのおもひあに浅からむや。せんかうばんたんのうれひ、さらにやすむときなし。さんぞんらいかうのだうぢやうに望めば、かうのけぶりのみそらにたなびきて、きみはいづくんか去りまします。くわがんにんにくのぎよいをみ奉るだにも、じふぜんのおんすがたまなこにさえぎりてなみだくれなゐなり。たまたまにうわのおんこゑをきくだにも、いつたんのべつり耳にとどまりて
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たましひを消す。ふしておもんみれば、むかしくならたいしじふにいんえんのもんぽふの涙りやうやくとなりて、まうもくのまなこを開き、今のぜんぢやうびくにのいちじつむさのずいきの涙、ほつすいと成てぼんなうのあかをすすがざらんや。ねがはくはけふのぢかいのくどくによつて、一門一族さんがいのくゐきをいでて、くほんのれんだいにたくせしめ給へとなり。げんぐことなりといへども、みなもつてほつしんじやうぢゆうのめうたいなり。其中に一人わうじやうあらば、みなともにぶつだうをじやうぜん。かさねてこふ、こんじやうのはうえんによつてらいせのぜんいうとなり、さんそうぎをへずして、必ずいちぶつどにしやうずべし。さてもおんなほしは、せんてい海へいらせたまひしそのごまで奉たりしかば、おんうつりがもつきず、おんかたみにとてさいこくよりもたせ給たりけり。「いかならん世までもおんみをはなたじ」とおぼしめされけれども、おんふせに成ぬべき物なかりける上、かのご
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ぼだいの為にとてなくなくとりいださせ給けるぞかなしき。にようゐんおんとしじふごにて内へ参り給しかば、やがてにようごのせんじくだされて、十六にてこうひの位にそなはり、くんわうのかたはらにさうらはせ給て、あしたにはあさまつりごとをすすめたてまつり、よるは夜をもつぱらにし給ふ。にじふににてわうじごたんじやうありき。わうじいつしかたいしにたたせ給ふ。とうぐうくらゐにつきたまひにしかば、廿五にてゐんがうありて、けんれいもんゐんとまうしき。入道の御娘の上、てんがのこくぼにてましまししかば、世の重くしたてまつることなのめならず。ことしは廿九にぞならせ給ける。たうりのおんよそほひなほこまやかに、ふようのおんかたちいまだおとろへさせ給はねども、今はひすいのおんかんざしつけても何かはせむなれば、なくなくそりおとさせ給けり。こうがんの春の花にほひをとおもひ、めんばうの秋の月、光りくもれるが如し。れんぜいのゐんのにのみや、さんでうのゐんのいつぽんのみやもいまだおんとしわかくて、けうどんみはだいびくにのあとを追て、仏道をもとめたまひけり。ほつけきやうの六の巻のはじめには、「がせうしゆつけとくあのく
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たら」とおほせられたり。されば、ねんせうの出家はつかひをえぬさきにきたれる人、ねんらうの出家は使をえてのちにきたれるひととたとへたり。しかればにようゐんも、未だおんとしわかくて御出家ある事は、いよいよごせの御事はたのもしくぞおぼゆる。じやうだいもためしなきにもあらず。ましてこのおんありさまには、いかでかおぼしめしたたざるべき。いまさらに驚くべき御事にあらず。うきよをいとひまことの道にいらせ給へども、おんなげきはやすまらせ給事なし。人々の今はかぎりとて海にいりたまひし有様、せんていのおんおもかげ、いかならん世にかおぼしめしわすれさせ給べき。「露の命、何にかかりてか今まできえやらざるらん」とおぼしめしつづけさせたまひては、御涙のみせきあへず。さつきのみじかよなれどもあかしかねつつ、おのづから打まどろませ給御事もなければ、昔の事を夢にだにも御覧ぜず。かうかうたるのこんのともしびの
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壁にそむける影かすかに、せうせうたる暗き雨の窓をうつおとしづかなり。じやうやうじんのじやうやうきやうにとぢられたりけんさびしさも限りあれば、是にはすぎざりけんとぞおぼしめししらるる。昔をしのぶつまとなれとてや、もとのあるじのうつしうゑたりけん、のきちかきはなたちばなの風なつかしくかをりける。折しも、ほととぎすのほどちかくおとづれければ、御涙をおしのごわせ給て、おんすずりのふたにかくぞかきすさませ給ける。
ほととぎすはなたちばなのかをとめてなくは昔の人やこひしき K222
廿八 ほんざんゐのちゆうじやうしげひらのきやうのきたのかたは、こごでうのだいなごんくにつなのきやうの御娘、先帝のおんめのとにて、だいなごんのすけどのとぞ申ける。しげひらのきやう、いちのたににていけどりにせられて、都へ帰りのぼりたまひにしかば、きたのかた旅の空に
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たのもしき人もなくて、あかしくらし給けるが、先帝だんのうらにてうせさせたまひにしかば、えびすにとられてさいこくよりのぼりて、姉のたいふさんゐのつぼねにどうじゆくして、ひのといふところにおわしけるが、「さんゐのちゆうじやうつゆのいのちくさばの末にかかりてきえやらず」と聞給ければ、「いかにもして今一度みもしみへもせばや」と思われけれどもかなわず、ただなくよりほかのなぐさめぞなかりける。そのほかの女房達、いけどりにせられて都へかへりて、わかきもおいたるも皆すがたをかへかたちをやつして、あるにもあらぬ有様にて、おもひもかけぬ谷の底、岩のはざまにあかしくらし給ふ。むかしすみたまひし宿もけぶりとのぼりにしかば、むなしきあとのみ残りて、しげきのべとなりつつ、みなれたりし人のとひきたるもなし。せんかより帰りきたりて、しちせの孫にあひたりけんも、かくや
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有けんとぞおぼえし。今は国々もしづまりて、人のわうげんもわづらひなし、都もおだしければ、「くらうはうぐわんばかりの人こそなけれ」とて、きやうぢゆうのものども手をすりよろこびあへり。「かまくらのにゐどのはなにごとかしいだしたるかうみやうある。是は法皇のごきしよくもよし。只このひとの世にてあれかし」なんど、きやうぢゆうにはさたあるよしを、二位殿ききたまひてのたまひけるは、「こはいかに。頼朝がはかりことをめぐらし、つはものをもさしのぼすればこそ平家をもほろぼしたれ。くらうばかりはいかでか世をもしづむべき。かく人のいふにほこりて、世をわがままに思たるにこそ。くだりてもさだめてくわぶんのことどもはからわんずらん。人こそ多けれ、いつしか平大納言のむこになりて、大納言もちあつかふらんもうけられず。又世にもおそれず、大納言むこにとるもいわれなし」なんどぞのたまひける。
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廿九 そもそもいけどり三十人之内、「五歳のわらは」としるされたりしは、おほいとののおとごのわかぎみなり。北方この若君をうみおきたまひてなぬかといひしにうせ給にけり。北方かぎりになられたりける時のたまひけるは、「われはかなくなりぬる物ならば、人は年若くおわすれば、いかならん人にもなれたまひて子をもうみたまふとも、このこをばにくまで、我を見るとおぼしめして、まへにてそだて給へ」と宣ければ、「うゑもんのかみには世をゆづり、この子にはふくしやうぐんをせさせむずれば、名をばふくしやうとつけていとほしくせんずるぞ。心安く思給へ」とおほいとののたまひければ、北方よにうれしげに思給て、「今はおもひおくことなし。しでのやまをを[* 「を」衍字]も安くこえなん」とて、なぬかと云けるに、はかなくなりたまひにけり。かくいひをきし事なればとて、めのとの方へもやりたまはず、朝夕まへにてそだて給
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けり。人となりたまふままに、おほいとのに似給て、みめうつくしく、心ざまもわりなかりけり。たぐひなくおぼしめして、三才になりたまひにければ、かぶりたまはりて、名をばよしむねとぞ申ける。きよむねはたいしやうぐん、よしむねはふくしやうぐんと常は愛せられて、さいこくの旅にてもよるひるたちはなれたまはざりけるが、だんのうらにていくさやぶれにし後は、若君もそひたまわず。若君をば九郎判官のこじうと、かはごえのこたらうしげふさがあづかりたりけるを、かれがしゆくしよにすへ奉て、めのと一人、かいしやくの女房一人ぞつきたりける。二人の女房、若君を中にすへ奉て、あけてもくれても、「つひにいかにならんずらむ」となきかなしみあへり。大臣殿もなのめならずこひしくおぼしけれども、え見給はざりければ、とにかくにただ御涙のみぞかわくまもなかりける。さるほどにくらうはうぐわん、大臣殿いげ
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いけどりどもあひぐして、あかつきくわんとうへくだるべしときこへければ、さてはちかづきにけるこそかなしくおぼへて、九郎判官のもとへのたまひけるは、「このみとしてをめたるまうしごとなれども、あす関東へときけばまうすなり。いけどりのうちに、『五歳のわらは』としるされてあむなるこわらはは、いまだいきてさうらふやらん。おんあいの道おもひきられぬ事にてこひしく候。こんじやうにて今一度みばや」とのたまひたりければ、「さることさうらふやらむ」とて、かはごえのこたらうがかたよりたづねいだして、めのといだきてわたしたり。若君ひさしくおほいとのを見給はで、うれしげにおもひて、いそぎ乳母の手よりくづれおりて、大臣殿の御膝の上にゐたまへり。おんぐしかきなでて、大臣殿いまさらに御涙を流し給ふ。うゑもんのかみも、めのとの女房、守護の武士もいはきならねば、これを見て皆袖をぞぬら
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しける。若君も人々の顔をみまはして、あさましげにおぼして、かほうちあかめて涙ぐみ給ぞいとほしき。ややひさしくありて大臣殿宣けるは、「この子が母なりし者の、この子をうむとてなんざんしてうせにき。『子をばたひらかにおほして、かたみに御覧ぜよ。是よりのち、いかなるきんだちまうけたりとも、おもひをとさでいとほしくし給へ』とまうししが、ふびんなりしかば、なぐさめむとて、『うゑもんのかみにはたいしやうぐんせさせむずれば、是にはふくしやうぐんをせさせむずるぞ』とて、其時『ふくしやう』と名をつけたりしかば、よにうれしげに思て、さしもだいじにやみしもの、そのなをよびなんどしてあひせしかば、なぬかと云しにつひにはかなくなりにき。この子をみるたびに、あれが母が事のおもひいだされて、只今のやうにおぼえて、ふかくの涙のこぼ
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るるなり」とて、又さめざめと泣給ければ、ぶしども是を聞て、いとど袖をぞぬらしける。日もすでにくれにければ、「とくとく帰れ。うれしくもみつ」とのたまひけれども、若君おんじやうえの袖にひしととりつきてはなちたまはねば、大臣殿は物も宣わず、御涙にむせびたまへるぞあはれなる。右衛門督、「こよひはこれにみぐるしきことのあらんずるぞ。帰りてあすまゐれ」と宣ければ、若君なほおんそでをはなちたまはざりけれども、夜もいたくふけにければ、乳母若君をいだきとり奉て、なくなくいでにけり。「ひごろのこひしさは事の数ならず有けり」とぞ、大臣殿はのたまひける。
三十 なぬかのあかつき、くらうはうぐわんはへいじのいけどりどもあひぐして、ろくでうほりかはの宿所をうちいでて鎌倉へくだらる。うゑもんのかみきよむね、げんだい
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ふのはんぐわんすゑさだ、あききよ、もりずみなむどもくだるとぞきこへし。大臣殿、武士共をよびたまひて、「このをさなきものは母もなき者ぞ。とのばらかまへてふびんにし給へ」とのたまひもあへず、御涙すすみけり。若君は川越小太郎がぐしたてまつりて、「かつらがはにふしづけにすべし」とて、ぐし奉る。かなしなどはおろかなり。めのと、かいしやくの女房までも、「いかに成給はんまでも、みはて奉
む」とて、とどめけれどもつきたてまつる。わかぎみをこしにのせ奉ければ、「これはいづくへぞ」と宣て、こしにものらじとすまひ給へば、武士、「ちちごぜんのおんもとへぞ」とすかしければ、よろこびて乗給けるこそいとほし。女房をも、「こしにのれ」と云けれども、のらず。涙ををさへて、をくれじとこしのしりにはしりけり。武士申けるは、「こころぐるしくなおぼしめしそ。われらもあかつきはまかりくだらむずれば、さのみをさなきひとをとをとをとぐしたてまつりさうらふべきならねば、とばなるそうばうにやどしおきたてまつるべし」と云けれども、女房はとかくへんじもなくて、只なくよりほかの事なし。
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すでにかつらがはも近く成ければ、「女房達とくとく今はおんかへりあれ」と云けれども、きかず。さりとてはさてあるべきにあらねば、かたぶちの有ける所にてこしよりだきいだしければ、若君、めのとの女房をみ給て、わがみもさめざめと泣給て、「ちちごぜんはいづくにおはしますぞ」とて、せけんをみまわし給ぞいとほしき。すでにこに石をいれつつしたためて、わかぎみをこにいれたてまつらむとすれば、「これはさればなにぞとよ。すごしたる事もなき物を。あらかなしや」とて、入らじとすまひ給けるぞ、目もあてられぬ有様なる。武士も涙をながし、「哀れ、よしなき事かな」とぞ申あひける。ましてめのと、かいしやくの女房の心中押はかるぞたとへん方なき。「なにしにこれまできたりて目の前にみつらん」とて、足ずりをしてもだへこがる。かくしたためて水へなげいれければ、二人の女房つづきて入けるを、武士共これをとりとどむ。しばしばかりありて、武士とりあげたりければ、なにとてかは
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いくべき、はやこのよにもなき人なり。むなしきからだをこの女房いだきて、奈良のほつけじと云処にてこつをばほりうづみつつ、かのあまでらに、めのとの女房したしき人有ければ、やがて二人ながら尼になりつつ、いつかうこの若ぎみのごしやうぼだいをぞあけてもくれてもいのりける。かやうにしてころしてけるを、おほいとの是を知給はずして、「いとをしくせよ」と宣けるこそあはれなれ。さればぶしども目をみあはせて、鎧の袖をぞぬらしける。おほいとのは都をいでたまひて、あふさかの関にかかり給て、「あづまぢをけふぞはじめてふみそむる」と、はるばるおもひやりたまひける御心の内こそかなしけれ。昔この関のへんにせみまると云けるよすてびと、わらやのとこをむすびて、常はびはをだんじて、心をすましてしいかを詠じて、おもひを述べけり。かのせみまるはえんぎ
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だいしのわうじにておわしける故に、この関のあなたをばしのみやがはらとなづけたるとかや。とうさんでうのゐんいしやまへごかうなりて、くわんぎよありけるに、関のしみづをすぎさせ給とて、
あまたたびゆきあふさかのせきみづをけふをかぎりの影ぞかなしき K223
とあそばされける。是もいかなりける御心の内なりけん。わがみのみにやとおぼしつづけ給て、せきやまうちすぎ、うちでの浜にいでたまひぬれば、あはづのはらと聞給けるにも、「昔てんちてんわうのぎよう、やまとのくにあすかのをかもとの宮よりあふみのくにしがのこほりに移らせ給て、おほつのみやそける所ごさんなれ」とおぼしいでたまひて、せたのからはしうちわたり、こしやうはるかにみわたして、のぢ、しのはらをもうち
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すぎ、かがみのしゆくにも至りぬれば、昔十七のおきなのおいをいとひて読ける歌の中に。
かがみやまいざたちよりて見てゆかんとしへたる身はおいやしたると K224
をの、すりはりをもうちこえ、さめがゐと云所を通り給へば、かげくらきこのしたのいはねよりながれいづる水、すずしきまですみわたりて、いさぎよくみゆるにつけても、御心細からずと云事なし。みののくにふはのせきにもかかりぬれば、ほそたにがはの水のおとものすごくおとづれて、あらしこずゑにはげしくて、ひかげも見へぬこのしたみちに、せきやののきのいたびさし、としへにけりとおぼえて、くひぜがはをも打渡り、おりつかやつをもうちすぎて、をはりのくにあつたのみやにもつかれにけり。このみやうじんはむかしけいかう天皇のみよに、この
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みぎりにあとたれたまへり。いちでうのゐんのぎよう、おほえのまさひらといふはかせ、ちやうほうの末にたうごくのかみにてくだりたりけるに、だいはんにやきやうしよしやして、このみやにてくやうをとげけるぐわんもんに、「わがぐわんすでにみちぬ、にんげんまたたる。こきやうにかへらむとほつするに、そのごいくばくならず」と書たりけん事までおもひつづけられ給て、なるみがたにもかかりぬれば、いそべの波袖をぬらし、ともなしちどりおとづれわたりて、ふたむらやまをもうちすぎ、みかはのくにやつはし渡り給に、「ありはらのなりひらがかきつばたの歌を読たりけるに、みなひとかれいひの上に涙をおとしける所にこそ」とおもひあはせられ給ふにも、つきせぬ物はおんなみだばかりなり。やはぎのしゆく、みやぢやまをも打過て、あかさかのしゆくと聞給へば、「おほえのさだもとがこのしゆくのぶぢよの故に、世をのがれ家をいでけんも、わりなかりけるため
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しかな」とおぼしめされて、たかしのやまをもうちこえ、とほたふみのはしもとのしゆくにもつきたまひにけり。このところはてうばうよもにすぐれたり。南にはかいこあり、ぎよしうなみにうかぶ。北にはこすいあり、じんか岸につらなれり。すざきには松きびしくおひつづきて、あらしにえだむせぶ。松のひびき、波のおと、いづれもわきがたし。つくづくとながめ給ふ程に、せきやう西にかたぶきぬれば、いけだのしゆくにつきたまひぬ。あけにければいけだのしゆくをもたちたまひて、てんりゆうのわたしをし給へば、水まさればふねくつがへすとききたまふにつけても、「かのふかふの水、わがいのちのあやふきためしにや」と思つづけ給て、さやのなかやまにかかりて見給へば、南はのやま、谷よりみねに移る。くもぢにわけいるここちして、きくかはをもうちすぎ、おほゐがはを渡り給けるに、もみぢみだれてながれけんたつたがはもおぼしいでてあはれなり。うつのやまをもうちすぎ、きよみが
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せきにもうちいでたまひぬ。むかししゆしやくゐんのぎよう、まさかどついたうの為に、うぢのみんぶきやうただふんあうしうへ下りける時、このせきにとどまりて、たうかをえいじけるところにこそと、あはれにおぼへて、たごのうらにてふじのたかねを見給へり。時しらぬ雪なれども、みなしろたへにみへわたりて、うきしまがはらにも至りぬ。南にはさうかいまんまんたるをのぞみ、北にはすいれいのががたるをかへりみる。いづくよりも心すみて、山のみどり影をひたし、いそのなみ耳にみてり。あしかりをぶねところどころにさをさして、むれゐる鳥もそぞろに物さわがしく、こたうにまなこさえぎりゑんぱんにつらなりて、てうばういづれもとりどりなり。原にはしほやのけぶりたえだえにたちのぼり、風松のこずゑにはげしく、むかしこのやまかいしやうにうかびて、ほうらいのみつのしまのごとくに有けるによつて、この原をばうきしまがはらとなづけたり
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けるとかや。せんぼんのまつばらをもうちすぎ、いづのくにみしまのやしろにもつきたまひぬ。このやしろはいよのくにみしまだいみやうじんをうつしたてまつると聞給にも、のういんほふし、いよのかみさねつながめいによりて、歌よみて奉りたりけるに、えんかんのてんよりあめにはかにふりて、かれたるいなばたちまちに緑になりたりける、あらひとがみのおんなごりなれば、ゆうだすきかけても末たのもしくおぼして、はこねのやまをもなげきこえて、ゆもとのしゆくにつきたまひぬれば、たにがはみなぎりながれていはせの波にむせぶをと、源氏の物語に、「なみだもよほす滝のおとかな」といへる事さへおぼしいでられてあはれなり。くらうはうぐわんは事にふれてなさけふかきひとにて、道すがらもいたわりなぐさめ申されければ、おほいとの、「いかにもしてむねもりふしがいのちまうしうけたまへ。法師になりて、
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こころしづかに念仏申てごしやうたすからん」とのたまひければ、「おんいのちばかりはさりともとこそぞんじさうらへ。さだめておくのかたへぞ流し奉られ候わんずらん。義経がくんこうのしやうにはりやうしよのおんいのちをまうしうけさうらふべし」と、たのもしげにまうされければ、大臣殿よにうれしげにおぼして、さるにつけても御涙をながしたまふ。いかなるあくろ、つがろ、つぼのいしぶみ、えびすがすみかなるちしまなりとも、かひなきいのちだにもあらばと思給ぞ、せめての事とおぼへていとほしき。くにぐにせきぜきうちすぎうちすぎ、やうやくひかずも積りければ、都にてきこえしおほいそ、こいそ、もろこしがはら、とがみが原、こしごえ、いなむらうちすぎて、鎌倉にもいりたまひぬ。
卅一 にようゐんはおぼしめしわくかたなく、いつとなくふししづみてわたらせ給ふ。世のきこえを恐れて、おのづから事のつてにだにもまうしいるるひとなかりけり。はうぐわんはあやしの
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人のためまでもなさけをあてける人なれば、ましてにようゐんの御事をば、なのめならずこころぐるしきことに思奉りて、おんぞどもさまざまにととのへまゐらせられ、女房のしやうぞくもたてまつられけり。これをごらんぜらるるにつけても、只夢かとのみぞおぼしめされける。かつせんのときだんのうらにてえびすどもが取たりける物の中にも、ぎよぶつとおぼしき物をばみなたづねいだしてまゐらせられけり。そのなかにせんていのあさゆふ御手ならされたりけるおんあそびのぐどもあり。おんてならひしすさませ給たるほんご、おんてばこの底に有けるを御覧じいださせ給て、おんかほに押あてて、しのびもあへさせ給はず、をめきさけばせ給けるこそ悲しけれ。おんあいの道なれば、とてもおろかなるまじけれども、くもゐはるかにて時々みたてまつることなりせば、かほどはおぼへざらまし。みとせがほどひとつふねの内にてあさ
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ゆふ手ならし奉て、いとほしかなしなんどはなのめならず。「おんとしの程よりもをとなしく、おんかほばせも御心ばへもすぐれておわしましつる物を」と、さまざまくどかせ給ぞいとほしき。
卅二 十七日、おほいとのふし鎌倉にくだりつきたまひぬ。はうぐわん、にゐどのにげんざんしたりけり。「いけどりどもあひぐしてくだりたらんに、二位殿いかばかりかいくさのことどもたづね、感じよろこび給わん」とはうぐわんおもはれけるに、いとうちとけたるけしきもなくて、ことばずくなにて、「くるしくおわすらん。とくとくやすみ給へ」とて、二位殿立給へば、はうぐわん思わずにぞんぜられける。つぎのあしたししやにて、「ぞんずるむねあり。しばらくかねあらひざはのへんにしゆくし給て、大臣殿これにとどまるべき」よしありければ、はうぐわん「こはいかに」とおもはれけれども、
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「やうこそ有らめ」とて、すなはちかのところにしゆくしけり。「九郎をば、おそろしき者なり。打とくべき者にあらず。ただし頼朝が運のあらん程はなにごとか有べき」とないないのたまひて、十八日までかねあらひざはに置給て、そののちはつひに鎌倉へいれられず。
卅三 さて、「おほいとのをば是へ」とありければ、二位殿のおわしける所のざをへだてて、むかひなる座にすへ奉て、二位殿れんちゆうよりみいだして、ひきのとうないよしかずをしてのたまひけるは、「平家の人々をべちにわたくしのいしゆおもひたてまつるべき事なし。そのうへ池のあまごぜんいかにまうしたまふとも、入道殿ゆるし給はずはいかでかいのちいくべき。頼朝がるざいにさだまりし事は、入道殿のごおんなり。さればにじふよねんまではさてこそまかりすぎしかども、てうてきになりたまひて、追
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討すべきせんじをうけたまはりし上は、わうどにはらまれて、ぜうめいをそむきたてまつるべきにあらざれば、ちからおよばず。かやうにげんざんしつるこそほんいなれ。又いきむとやおぼしめす、しなんとやおぼしめすと申せ」と宣ければ、よしかずこのよしをまうさむとて、大臣殿のおんまへへまゐりたりけるに、ゐなほりかしこまりて聞給けるこそうたてけれ。うゑもんのかみのたまひけるは、「げんぺいりやうかはじめててうかにめしつかはれてよりこのかた、源氏のらうぜきをばへいじをもつてしづめ、へいじのらうぜきをば源氏をもつてしづめらる。たがひにごかくのごとくにてさうらひき。けふは人の上、あすはみのうへとおぼしめして、ごはうおんには只とくくびをきらるべしと申せよ」とぞのたまひける。国々のだいみやうせうみやうなみゐたり。其中に京の者もあり、平家のけにんたりし者もあり。皆つまはじきをして申けるは、「さればゐなほり
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かしこまりたらば命のいきたまはんずるかや。さいこくにていかにも成給べき人の、是までさまよいたまふこそことわりなりけれ」とぞ口々に申ける。あるいはまた涙をながして、「『まうこしんざんにあれば、はくじうふるひおそる。かんせいのうちにあるにおよびて、ををふりてしよくをもとむ』といへり。たけき虎もふかきやまにあるときは、もろもろのけだものおぢをそる。人をもうとき者に思へども、とられてをりなんどにこめられぬるのちには、ひとにむかひてしよくをもとめて尾をふる。たけき大将軍なれどもかやうに成ぬれば、心もかはる事なれば、おほいとのもかくおわするにこそ」と申人もありけり。
卅四 おなじき廿七日にかいげんありて、ぶんぢ元年とぞ申ける。だいじん以上の人のかうべをはぬる事、てんがのおんわづらひ、こくどのなげきなれば、さうなくかうべを
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はねらるるにおよばず。おほきなるうをに刀をそへて、おほいとのふしをはする中におかれたり。是はもし自害をやしたまふとのはかりことなり。今や今やとまてどもまてども自害し給はず。おもひよりたるけしきだにもおわせざりければ、ちからおよばず。大臣殿をばさぬきのごんのかみすゑくにとかいみやうして、又くらうはうぐわんにうけとらせて、六月九日、大臣殿父子、ほんざんゐのちゆうじやう、京へかへりのぼせらる。これにていかにもならむずるやらんとおもはれけるに、又都へたちかへり給へば、心得ずとぞおもはれける。うゑもんのかみばかりぞよく心得られたりける。「きやうにてくびきりてわたさんずるれうに」とおもはれける。大臣殿はいますこしもひかずのふるをぞうれしき事におもはれける。道すがらも、ここにてやここにてやと、きもこころをけしたまひけれども、くにぐにしゆくじゆくをすぎゆくほどに、をはりのくになるみと云所にも成にけり。
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「このみなみはのまのうつみとて、義朝がちゆうせられし所にてあんなれば、ここにてぞいちぢやう」とおぼしけるに、そこをもすぎぬ。さてこそ大臣殿、少したのもしき心いできたる。おんこのうゑもんのかみに、「今は命いきなんずるやらむ」と、宣けるぞはかなき。右衛門督は、「なじかはいきらるべき。かくあつきころなれば、くびのそんぜぬやうにはからひて、京近くなりてきられんずる」とおぼしけれども、大臣殿いとどこころぼそく思給わんずる事のいたわしさに、ものは宣はず、只「たねんなく念仏にて候べし」とて、わがみもひまなく念仏をぞまうされける。さるほどに都もやうやう近くなりて、あふみのくにしのはらのしゆくにもつきたまひにけり。きのふまでは大臣殿も右衛門督殿もいつしよにおわせしを、けさよりひきわけてすへ奉りければ、「さてはけふを限り
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であるにこそ」とかなしくおぼへて、「髪をそらばや」と思給けれども、ゆるされなければ、力及給はず。つけながらかいをたもたむとて、をはらよりほんがくばうたんけいといふしやうにんをしやうじ給て、たもちたまひける。しやうにん最後の御事をすすめまうされけるに、おほいとの御涙もせきあへ給はず。「さて右衛門督はいづくに有やらん。手に手をとりくみてもしに、くびはおちたりとも、ひとつむしろにふさんとこそおもひつれ。いきながらわかれぬる事のかなしさよ。この十七年はひとひもはなれざりつる物を。水の底にも沈まで、うき名を流すもあれ故に」と、さめざめと泣給ければ、しやうにん申けるは、「今はかくおぼしめすまじきおんことなり。最後の御有様を見奉り、見へまゐらせ給わんも、互に御心のうち悲しかるべし。しやうをうけさせたまひしよりたのしみ栄へ、昔も今もたぐひ
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なし。みかどのごぐわいせきにて、しようじやうのくらゐに至り給へり。こんじやうのごえいぐわいちじものこるところなかりき。今又かかる御事も皆ぜんぜのごしゆくごふなり。人をも世をも恨みをぼしめすべからず。三十八年をすごしたまひつるも、おぼしめしつづけよ、いちやの夢の如し。是よりのちは又七八十年のおんよはひをたもたせ給ともいくほどか有べき。『がしんじくう、ざいふくむしゆ、くわんじんむしん、ほふふぢゆうほふ』とて、ぜんもあくもみなくうなりとくわんずるが、仏のおんこころにはさうおうの事なれば、なにごともありとはおぼしめすべからず。今は只いつしんぷらんにじやうどへまゐらむとおぼしめさるべし。さらによねんをわすべからず」と申て、かいさづけ奉りて、念仏すすめまうしければ、たちまちにまうしんをとどめて、まさしく西にむかひ、たなごころをあはせて、かうしやうに念仏ひやくよへん申給ふ。きつうまの
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じようきんながが子にきつさぶらうきんただ、たちをひきそばめて、おとどのひだりのかたよりうしろへまわりければ、おほいとのしり目に見給て、念仏をとどめて、「うゑもんのかみもすでにか」とおほせられけることばのいまだをはらざりけるに、おんくびはおちにけり。きりてのち、きんただもしやうにんも涙にぞむせびける。たけきもののふなれども、いかでかあはれと思わざるべき。いはむやきんながふしはへいけぢゆうだいさうでんのけにん、しんぢゆうなごんのおんもとにてうせきしこうのさぶらひなり。「人の世にあらんとおもふこそうたてけれ」とぞ申ける。そののちは右衛門督にもしやうにんさきの如くかいさづけ奉て、念仏すすめまうしければ、「大臣殿の最後の御有様はいかがおわしつる」と問給けるこそあはれなれ。「めでたくおわしましさうらひつる」としやうにんのたまひければ、涙をながしてよにうれしげにおぼして、
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「今はとくとく」と宣ければ、ほりのやさぶらうきりにけり。くびをばくらうはうぐわんあひぐして京へのぼりぬ。むくろをばきんなががさたにてひとつあなにうづみにけり。さしも、「かたときもはなれじ」と宣ければ、かくしてけり。
卅五 ほんざんゐのちゆうじやうをば、なんとのだいしゆの中にいだして、くびを切てならざかにかくべしとて、げんざんゐにふだうのしそく、くらんどのたいふよりかぬがうけたまはりにてぐしてのぼらる。「京へはいれたてまつるべからず」とて、だいごぢをすぢかえになんとへおわしけるに、さすがに故郷もこひしくて、はるかに都をみわたして涙ぐみて、こはたやまのたうげへうちいでむとし給へる所にて、三位中将しゆごの武士にのたまひけるは、「つきごろひごろなさけをかけつるこころざし、うれしともいひつくしがたし。おなじくは最後の恩をかうぶるべきことひとつあり。としごろあひぐしたりし者、ひのの西、大門
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にありときく。いまひとたびかはらぬすがたをもみへばやとおもふはいかに。我は一人の子もなし。何事につけてもこのよにおもひおくべき事はひとつもなきに、この事の心にかかりて、よみぢも安くゆくべしともおぼえず」となくなくのたまひければ、ぶしどももさすがいはきならねばおのおの涙をながして、「なにかはくるしく候べき」とて、ゆるし奉てけり。中将なのめならずよろこびたまひて、だいぶざんゐのつぼねのもとへたづねおわしけり。かのだいぶざんゐと申は、こごでうのだいなごんくにつなのきやうのおんむすめ、だいなごんのすけどのには姉也。平家都をいでたまひし時、人々のたちはみなやかれにしかば、さいこくよりかへりたまふにも、たちいりたまふべき所もなければ、かのしゆくしよへおちつきて、しのびておわしける所へたづねいりたまひて、「だいなごんのすけどのはこれにおわしますか。さんゐのちゆうじやうしげひらと申者こそ参て候へ。このつまにてたちながらげんざんせ
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ん」といわせたりければ、きたのかたはすこしもうつつともおもひたまはず、夢のここちして、もしやとて、いそぎいでてみすごしに見給へば、じやうえきたる男のやせくろみたるが、えんにより居とみなし給ける。「いかにやゆめかうつつか、これへいりたまへかし」と宣ける、おんこゑをききたまふより、中将涙をはらはらとおとして、そでをかほにぞあてられける。きたのかたも目もくれ心もきえはてて、物ものたまひあへ給はず。ややひさしくありて、中将えんよりみすうちかづきて、なにと云ことばをばいだし給はねども、北方に御目をみあはせたまひて、はらはらと涙をながされければ、北方もうつぶしにふして物ものたまはず。たがひのおんこころのうちさこそは悲しかりけめ。北方涙をおさへて、「いかさまにも是へいらせ給へ」と宣ければ、中将内へ入られにけり。北方いそぎたちたまひて、ごれうを水にあらひてすすめけれども、胸ものどもふさがりて、みいれたまふ
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べきここちもし給わず。「せめてのこころざしのせちなることばかりを見へ給はん」とて、みづばかりをぞすすめいれ給ける。中将なくなく宣けるは、「こぞの春いかにもなるべかりし身の、せめての罪のむくいにや、いきながらとられて、きやうゐなか恥をさらして、はてには奈良のだいしゆの中にいだしてきらるべしとてまかるを、命のあらん事も只今を限れり。このよにて今一度見奉むとおもひつるよりほかは、またふたつおもふことなかりつ。今はおもひをくべき事なし。よみぢも安くまかりなんず。人にすぐれてつみふかくこそあらんずらめども、ごせとぶらふべき者もおぼへず。いかなるおんありさまにておわすとも忘れたまふな。出家をもしたらば、かたみに髪をもまゐらせ候べけれども、それもゆるされぬぞ」とて、袖を顔におしあて給ふ。北方もひごろのおもひなげきは事の数ならざりけり。たへしのぶべきここちもし給はず。「いくさは常の事なれば、かならずしもこぞのきさらぎのむゆ
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かのひをかぎりともおもはざりしかども、わかれたてまつりにしかば、ゑちぜんの三位の北方のやうに、水の底へいるべかりしに、せんていの御事もこころぐるしくおもひまゐらせてありし上に、まさしくこの世におわせぬともきこえざりしかば、いのちあらばいまひとたびみたてまつることもやと、けふまではたのむかたも有つるに、今をかぎりにておわすらん事のかなしさよ」とて、中将の上にかほをあてて涙にむせびたまふ。むかしいまのことどものたまひかよはすにつけては、おもひは深くなりまされども、なぐさむここちはし給はず。夜をかさね、日をおくりたまふとも、なごりはつきせずぞおぼしける。「ぶしどものいつとなくまちゐたるらんも心なし。うれしくもみたてまつりぬ。さらばまかりなんよ」とて立給へば、北方かなはぬものゆゑに、中将のたもとにとりつきて、「こはいかにや。こよひばかりはとどまり給へかし。武士もなどかひとよのいとまゆるさざらん。五年十年にてかへりたまはんずる道とも
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おもはず」とて、きもこころも身にそはぬていにぞみへられける。よにしほれてみへたまふに、「是にめしかへよ」とて、あはせのこそで、しろかたびらとりいだして奉給ければ、中将うれしくもとて、
ぬぎかふるころももいまはなにかせん是をかぎりのかたみともへば K225
とうちながめたまひて、道すがらきたまひたりける、ねりぬきのこそでにぬぎかへたまへば、北方これを取て、最後のかたみとおぼしくて、おんかほに押あててぞもだへこがれ給ける。中将は、「いかにものがるべき道にあらねば」とて、心づよく引ちぎりて立給ふ。北方えんのきはにふしまろびてさけびたまふ。三位中将庭までいでられたりけるが、又たちかへりたまひて、おんすだれのきわへたちよりて、「ひごろおもひまうけたりつるぞかし。いまさらになげきたまふべからず。ちぎりあらばのちの世にも又うまれあふ事も有なん。必ずひとつはちすと
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いのりたまへ」とていでたまひにけり。北方これをみききたまひて、恥をもかへりみたまわず、みすのきわにまろびていでたまひて、もだへこがれ給ふ。おんこゑのはるかにもんぐわいまできこへければ、馬をもえすすめ給わず。ひかへひかへ涙にむせばれければ、武士共も鎧の袖をぞぬらしける。中将はいしかねまると云とねり一人ぞぐしたまひたりける。中将鎌倉へくだらるるとき、はつでうのゐんより「最後の有様みよ」とて、いづのくにまでつけさせ給たりけり。もくのうまのじようときのぶといふさぶらひを北方めして、「中将はこつがは、ならざかの程にてぞきられたまわんずらん。くびをば奈良のだいしゆうけとりて、ならざかにかくべしときこゆ。あとをかくすべき者のなきこそうたてけれ。さりとてはたれにか云べき。行て最後の恥をかくせかし。むくろをば野にこそすてんずらめ。それをばいかにしてかきかへせ。けうやうせん」とて、ぢざうくわんじやと云ちゆうげん一人、じふりきほふしと云りきしや一人とをつけられにけり。三人のものども
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涙にくれてゆくさきもみへねども、中将の御馬のさうにとりつきて、なくなくつきたりける。北方ははしりいでてをわしぬべくおぼしけれども、さすがに物のおぼへ給けるやらん、引かづきてふしたまひぬ。くるるほどにをきあがりて、ほふかいじに有ける上人をしやうじたてまつりて、おんぐしをろしたまひてけり。
卅六 ほんざんゐのちやうじやうしげひらのきやうなんとへくだるときこへければ、しゆとせんぎしていはく、「このしげひらのきやうをうけとりて、とうだいじこうぶくじのおほがきさんどまはしてのち、ほりくびにやすべき、のこぎりにてやきるべき」なんど、さまざまに議しけるに、しゆくらうのせんぎには、「このしげひらのきやうといふは、さんぬるぢしようのかつせんにほつけじのとりゐの前にうつたちて、南都をほろぼしたりしたいしやうぐんなり。其時しゆとの力にて、うちもふせいもとどめてからめとりたらば、もつともさやうにもしてなぶりころすべし。それにぶしにからめられて、としつきをへて
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のち、武士の手よりうけとりて、わがかうみやうがをにほりくびにもし、のこぎりにてもきらむ事、きびあるべからず。かつうはまたそうとのぎやうにしかるべからず。ただいかにも武士が手にて切たらば、くびをばうけとりて、がらんのおんかたきなれば、ならざかにかくべし」とせんぎいちどうなりければ、「もつともしかるべし」とて、しゆとの中より使者をたてて、「しげひらのきやうをばはんにやぢより内へいれずして、いづくにてもきるべし。がらんのをんできなれば、くびをばうけとるべし」と申たりければ、武士是を聞て、三位中将をこつがはのはたにひきすゑて切らんとす。中将「今はかぎり」と思はれければ、のぶときをまねきて、「このへんにほとけましましなんや」と宣ふ。信時はしりまはりて、あるだうよりあみだのさんぞんをたづねいだしたてまつりてきたりければ、中将よろこびてかはらにとうざいにほりたて奉て、中将のじやうえの袖のさうのくくりをときて、仏のみてに
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むすびつけて、ごしきのいとにおもひなぞらへて、「だつたがごぎやくざい、かへりててんわうによらいのきべつにあづかる。これすなはちほとけのおんちかひのむなしからざるゆゑなり。しからばしげひらがとしごろのぎやくざいをひるがへして、必ずあんやうのじやうどへいんだうし給へ。みだによらいに四十八のぐわんまします。第十八のぐわんには『よくしやうがこく』と『ないしじふねん、にやくふしやうじや、ふしゆしやうがく』とちかひあり。しげひらが只今のじふねんをもつて、ほんぜいあやまたせ給はず、はやいんぜふし給へ」とて、じふねんかうしやうにとなへたまひける、そのおんこゑのいまだをはらざるに、おんくびは前におちにけり。のぶときかうべをちにつけて叫ぶ。是をみるひとせんまんと云事をしらず、皆涙をながさぬはなかりけり。
卅七 さてしもあるべきならねば、のぶときいげのものども、中将のむなしきむくろをこしにかきて、ひのへぞかへりにける。北方くるまよせにはしりいでて、くびもなきひとにとりつき
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て、こゑもをしまず、おめきさけびたまふぞむざんなる。「としごろは今一度あひみし事のはは事の数ならず。中々にいちのたににていかにも成給たりせば、けふはひかずもふれば、なげきもうすからまし。花やかなりしすがたにておわしつるに、ゆふべの風はいかなればくれなゐふかくはならるらん。ただおなじみちに」と、もだへこがれ給へども、こたふるものもなかりけり。夜にいりて、たきぎにつみこめたてまつりて、よはのけぶりとなしてのち、こつを拾ひ墓をつき、そとばたてて、こつをばかうやへおくりたまひにけり。あはれなりしことどもなり。中将のくびをば南都のしゆとの中へ送りたりければ、だいしゆうけとりて、とうだいじこうぶくじのおほがきを三度ひきまはして、ほつけじのとりゐの前にてほこにつらぬきて、高くさしあげて人に見せて、はんにやじのおほそとばにくぎづけにぞしたりける。首はなぬかが程は
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有けるを、きたのかた、しゆんじようばうのしやうにんにこひうけたまひて、かうやさんへおくりたまひてけり。きたのかたのこころのうち、おしはかられてむざんなり。かのしゆんじようばうのしやうにんと申は、うまのたいふすゑしげがまご、うゑもんのたいふすゑよしがこなり。かみだいごのほふしなり。東大寺ざうえいのくわんじんのしやうにんにて、なさけおわしければ、三位中将の首をも北方へ奉りにけり。ごんじやにておわしければ、慈悲も深くおわしけるにや。
卅八 廿三日、むねもりふしのくびを、けんびゐし三条川原にいでむかひて、武士の手よりうけとりて、おほちをわたして、左のごくもんの木にかけけり。法皇、さんでうひがしのとうゐんにおんくるまをたてて御覧あり。さいこくよりかへりては、いきながらしちでうを東へ渡し、とうごくよりのぼりては、しご三条を西へわたさる。いきてのはぢ、ししての恥、いづれもおとらずぞみへける。三位以上の人の首をごくもんの木にかくること、先例
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なし。のぶよりのきやうさばかりの罪を犯したりしかば、かうべをはねられたりしかども、獄門にはかけられず。むざんなりし事共也。
卅九 こしゆりのだいぶつねもりがちやくなん、くわうごうぐうのすけつねまさのきたのかたは、さだいじんこれみちのおんまご、とりかひのだいなごんのおんむすめとかや。そのはらにむつになるわかぎみをわしけり。仁和寺の奥なる所にしのびておわしけり。武士たづねいだして、けふ六条川原にて首をきる。ははうへもつきておわしたり。天に仰ぎ地にふしてもだへこがれけれども、なじかはかひあるべき。若君つひにきられにけり。をさなければにや、首をばおほちをもわたさず、ごくもんにもかけられず、川原にきりすてたりけるを、右の膝の上に置てをめきさけびけるが、のちには息もたえておともせず。をりふしをはらのたんけいしやうにん、これほどおほかるしがいみて、むじやうを
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もくわんぜんとおぼして、六条河原をくだりに通り給けるが、この人を見給てたちとどまりて宣けるは、「今はいかにおぼしめすともかひあるまじ。只さまをかへ念仏をも申て、ごしやうをとぶらひたまへ。いざさせ給へ、大原へ」とて、若君のむくろをばともなりけるほふしばらにもたせて、おほはらのらいかうゐんに送り置つ。母上はやがて出家せられにけり。かうべをば母上ふところにいれて、てんわうじにまうでて、ひやくにちむごんにて念仏まうされけるが、このふところなるかうべ、ひかずのつもるままには、あたりもくさかりければ、人「どくろうのあま」とぞ申ける。さて百日にまんじける日、わたなべがはにゆきて、西にむかひて手をあざへ、かうしやうにねんぶつせんべんばかりまうして、身をなげ給ひにけり。あはれにむざんの事なり。にようゐんは「吉田にもかりにたちいらせたまはむ」とおぼしめしけれども、五月もたち、六月なかばに成に
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けり。けふまでながらえさせ給べくもおぼしめさざりしかども、御命はかぎりありければ、さびしくかすかなる御有様にてぞあかしくらさせ給ける。おほいとのふし、ほんざんゐのちゆうじやう都へかへりいるときかせ給ければ、まことしからずはおぼしめしけれども、もしつゆのいのちばかりもやなどおぼしめしける程に、都近きしのはらと云所にて、大臣殿父子きられたまひて、御首わたされて獄門にかけられたりし事、しげひらのきやうのひのへよられたりし事、最後の有様なんどまで、ひとまゐりてこまかにかたりまうしければ、いまさらにきえいるやうにおぼしめさるるもことわりなり。みやこちかくてかやうの事ききたまふにつけては、おんものおもひいよいよおこたる時なし。つゆのいのちかぜをまたむ程も、みやまの奥にもいりなばやとおぼしめされけれども、さるべきたよりもなかり
けり。
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平家物語第六本ほんにいはくときにえんきやう三年かのえのいぬ正月廿七日ねのこく、きしうなかのこほりねごろでらぜんぢやうゐんのぢゆうばうにおいて、これをしよしやしをはんぬ。いささかもぐわいけんあるべからざるのみ。しゆひつやうごん
しやうねん三十一
おうえい廿六とゐすうしりんしよう十七日これをかく。
(花押)