延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版
平家物語 八(第四)
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一  たかくらのゐんのだいしのみやくらゐにつきたまふべきよしのこと
二  へいけのいちるいひやくはちじふよにんげくわんせらるること
三  これたかこれひとのくらゐあらそひのこと
四  げんじどもけんじやうおこなはるること
五  へいけのひとびとあんらくじにまうでたまふこと
六  あんらくじのゆらいのことつけたりれいげんぶさうのこと
七  へいけのひとびとうさのみやへまゐりたまふこと
八  うさのじんぐわんがむすめごとばどのへめさるること
九  しのみやせんそあることつけたりよしなかゆきいへくんこうをたまはること
十  へいけくこくちゆうをおひいだすべきよしおほせくださるること
十一 これよしのせんぞのこと
十二 をかたのさぶらうへいけをくこくちゆうをおひいだすこと
十三 さちゆうじやうきよつねみをなげたまふこと
十四 へいけくこくよりさぬきのくにへおちたまふこと
十五 ひやうゑのすけせいいしやうぐんのせんじをかうぶること
十六 やすさだくわんとうよりきらくしてくわんとうのことかたりまうすこと
十七 もんがくをたよりにてよしとものくびとりよすること
十八 きそきやうとにてかたくななるふるまひすること
十九 みづしまがつのかつせんのこと
廿  かねやすときそとかつせんすること
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(廿一) むろやまのかつせんのことつけたりしよじしよさんへせんじをなさるることつけたりへいけついたうのせんじのこと
(廿二) きそみやこにてあくぎやうのふるまひのことつけたりともやすをきそがもとへつかはさるること
(廿三) きそをほろぼすべきよしほふわうごけつこうのこと
(廿四) きそたいじやうをかきてさんもんへおくること
(廿五) きそほふぢゆうじどのへおしよすること
(廿六) きそろくでうがはらにいでてくびどもかくること
(廿七) さいしやうながのりしゆつけしてほふわうのおんもとへまゐること
(廿八) きそゐんのみむまやのべつたうにおしなること
(廿九) まつどののおんこもろいへせつしやうになしたまふこと
(卅)  きそくぎやうてんじやうびとしじふくにんをげくわんすること
(卅一) くないはんぐわんきんともくわんとうへくだること
(卅二) ともやすくわんとうへくだることつけたりともやすくわんとうにてひふつくこと
(卅三) ひやうゑのすけさんもんへてふじやうをつかはす事
(卅四) 木曽やしまへないしよを送る事
(卅五) これもりのきやうこきやうをこひたまふこと
(卅六) 木曽にふだうてんがのごけうくんによつて法皇をゆるしたてまつること
(卅七) 法皇ごでうだいりよりいでさせたまひてだいぜんのだいぶなりただが
しゆくしよへわたらせ給事
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平家物語第四
(一) じゆえい二年八月五日、たかくらのゐんのみこ、せんていのほかさんじよおはしましけるを、にのみやをばまうけのきみにしたてまつるために、平家とりたてまつりてさいこくにおわしましけり。さんしのみやむかへたてまつり、法皇見まいらせければ、さんのみやは、おびたたしく法皇をおもぎらひまひらせて、むつからせ給ければ、「とくとく」とていれかへさせ給にけり。しのみやは、法皇の「是へ」とおほせありければ、さうなく法皇のおんひざの上に渡らせ給て、なつかしげにおもひまひらせ給たりけり。「わがすゑならざらんには、かかるおいぼふしをばなにしにかなつかしくおもふべき。このみやぞわがまごなりける」とて、おんぐしをかきなでて、「こゐんのをさなくおはせしに、少もたがはず。只今の事のやうにこそおぼゆれ。かかるわすれがたみをとどめおきたまひけるを、今までみざりける事よ」とて、御涙を流させ給へば、じやうどじのにゐどの、そのときはたん
ごどのと申て
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ごぜんにさうらひたまひけるも、是をみたてまつりつつ、「とかふのさたにもおよぶべからず。おんくらゐはこのみやにてこそわたらせ給はめ」とまうしたまひければ、「さこそあらめ」とて、さだまらせたまひにけり。ごとばのゐんと申はこのおんことなり。ないないみうらのありけるにも、「しのみやししそんぞんまでもにつぽんごくのあるじにてなりたまふべし」とぞ、じんぎくわん、おんやうれうともにうらなひまうしける。今年はしさいにならせ給ふ。御母はしつでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうの御娘にておはしけるが、けんれいもんゐんのちゆうぐうとまうしし時、中納言のないしとてじやうらふにようばうにてさうらわせ給けるが、忍びつつ内のおんかたへめされたまひける程、わうじさしつづきふたところいできさせおわしましけるを、しゆりのだいぶ平家のあたりをはばかり、中宮のごきしよくを深く恐れ給けるを、はつでうのにゐどの、おんめのとにつけたてまつりなむどせられけり。このみやをばほつしようじのしゆぎやうのう
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ゑんほふげんやしなひたてまつりけるが、さいこくへ平家にぐしておちられける時、余りあわてて北方をだにもぐせられざりければ、宮も京にとどまらせ給たりけるを、西国より人を返して、「あひぐし奉らせていそぎくだりたまへ」とまうされたりければ、北方既に下らんとて、にしのきやうなる所までぐしたてまつりいでられたりけるを、おんめのとのせうとのきいのかみのりみつ、ここかしこたづねあなぐり奉てぞとどめまひらせたりける。「それもしかるべきおんことなれども、のりみつゆゆしき奉公」とこそまうされけれ。「只今君のごうんはひらけおはする物を。物にくるひてかくはおわするか」とて、はらだちてとどめまひらせたりけるに、そのつぎのひ院よりおんたづねありて、おんむかへに参たりけり。おほくらのきやうやすつねのきやう、義仲をめして、ないないけんじやうのことしよぞんをたづねければ、「たちまちにしやうをかうぶるべきよしはぞんずるところなり。ただしおこなはるるをばいかでかじしまうすべきや」。またより
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ともがことを問ふ。「こんどたれかせんこうなからむ。すでにことをおこすものなり。しやうのことえいりよあるべきか」。又ゆきいへがことを問ふ。「行家は頼朝についはうせられて、義仲がもとにきたる。をぢたりといへども、すでにいうしたり。義仲についしてしやうをおこなはるべきものにあらず。行家しやうをかうぶらば、やすだのさぶらうよしさだ、おなじくおこなはるべきよしまうさしめむ。いはれなきにあらざるか。よくよくはからひおこなはるべし」とぞ申ける。又ないない申けるは、「こんどのかうにんら、あづけられざること、そのこころをえず。ただきよふししゆつけして、よしもりがもとにあり。さだよりおなじく出家して、行家が許にあり。しかるにともやす、さだよりをむかへとりて、しゆじゆにきやうおうす。はなはだしかるべからず。およそかのともやすはわざんぶさうのものなり。行家、義仲さんじやうのときは、ひとへにらうじゆうとしようす。いまてきたいをなす。もつともきくわいなり。なかんづく、しよじやうを義仲がもとにたまはり、『きんじようきそのくわんじや』とかきけり。
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このでうことにらうぜきなり」とぞ申ける。でうでうのんまうしじやうそのいはれありてぞきこへける。ともやすが事すでにわざはひのきざす始め、この時より起れり。ぢもくのこと、ほふわうのおほせによつておこなはるべきこと、だいげきよりのぶれいをかんがへたてまつりけり。「へいぜい、さが、ならびにかじようのぜうれいとうなり。またしうこうくわんさいをたててしちねん、せいわうのこころにあらず。なぞらへらるべし」とぞ申たりける。
(二) 八月六日、へいけのいちるいげくわんのこと、とうのべんつねふさのあつそん、ほふわうのおほせをうけたまはりてげきにおほす。
ごんだいなごんよりもり、ちゆうなごんのりもり、ごんちゆうなごんとももり、さんぎしゆりのだいぶつねもり、うゑもんのかみきよむね、さこんのちゆうじやうしげひら、うこんのちゆうじやうこれもり、おなじくすけもり、くらのかみのぶもと、くわうごうぐうのすけたぢまのかみつねまさ、さこんのちゆうじやうときざね、さつまのかみただのり、うこんのちゆうじやうきよつね、あきのかみかげひろ、させうしやうありもり、たんばのかみきよくに、
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うひやうゑのすけためもり、じじゆうみつもり、さどのかみなかもり、のとのかみのりつね、さまのかみゆきもり、をはりのかみときむね、ぎやうぶのせうひろもり、かはちのかみたかちか、ちくぜんのかみさだつね、わかさのかみつねとし、びつちゆうのかみもろもり、するがのかみかげもり、ひごのかみさだよし、むさしのかみともあきら、じじゆうただふさ、あはのかみむねちか、ながとのかみたかとし、ゑちぜんのかみちかふさ、とさのかみむねざね、あはぢのかみきよふさ、かづさのかみただきよ、みかはのかみのりふさ、いづのかみときかぬ、いせのかみときふさ、びぜんのかみときもと、ゑちごのかみすけもと、おほみやのごんのだいしんこれもと、ひたちのすけたかよし、うまのすけまさちか、ださいのせうにおほくらのたねなほ、ひだのかみかげいへ、さゑもんのじようただつなし、うゑもんのじようすゑさだし、さゑもんのじようもりずみし、おなじくじようさだよりし。げつけいうんかく、ゑふのしよし、つがふ百八十二人也。さんぬるぢしよう三年に、だいじやうだいじんもろながこうをはじめとし
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て、ぐんこうけいしじゆりやうていゐ三十九人、にふだうしやうこくのめいによつてげんにんをげきやくせられ、てんじやうびと十三人せんしやくをのぞかれて、いまかのいちぞくながくあとをけづらるるこそ、世のてんべんはいまさらにおどろくべきにあらざれども、人ふりよのことなり。きのふまでは平家のしよえんきやうがいに至るまで、人恐るる事とらのごとし。今日よりは人をおそるる事ねずみのごとくなり。おなじきなぬかのひ、かづさのすけただきよしならびになんただつな、法皇よりよしなかがもとへつかはされけり。手をつかねて参りたりければ、命をばのぞまるべしときこえしに、よしなかないないまうすむねありときこしめしければ、いそぎつかはされにけり。忠清、忠綱は平家のうよくなりと人思へり。かうにんになりたりとても、たすかるべきにあらず。さきのないだいじんさいこくにおちられしに、たちまちにひきわかれて都にとどまりて、今はぢをさらすこそむざんなれ。おなじきここのかのひ、さいかいだうのへんぽうたうらいす。至上くわんぎよ、たう
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じのごとくはかなひがたきおもむきなり。にようばうのへんじ、ぜひふんみやうならず。さだよしがわたくしのまうしじやうには、「ひけいをめぐらして、おつてさうをごんじやうすべし」とぞ申たりける。義仲、たかくらのみやのおんこそくゐのこと、ないないやすつねのきやうにまうすむねありければ、おなじき十四日、しゆんげうそうじやうをもつて義仲にとはれければ、「こくしゆのおんこと、へんぴの民としてぜひをまうすにあたはず。ただしこたかくらのみや、法皇のえいりよを休めたてまつらむが為に、おんいのちをうしなはれき。ごしかうのおもむき、てんがにそのかくれなし。いかでかおぼしめししられざらむや。なかんづく、かのしんわうのせんをもつて、げんじらぎへいをあげて、すでにだいじをなしをはんぬ。しかるにいまじゆぜんのさたのとき、このみやの御事ひとへにすておかせられて、ぎぢやうにおよばざるでう、もつともふびんのおんことなり。しゆしやうすでにぞくとの為にとりこめられたまへり。かのおんおとと、なんぞあながちにそんすうしたてまつらるべけむや。これらのしさいさらに
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よしなかがしよぞんにあらず。ぐんしらがまうしじやうをもつて、ごんじやうするばかりなり」と申ければ、このおもむきをもつて人々にとはる。「義仲がじやう、そのいはれなきにあらず」とぞまうされける。
三 昔もんどくてんわうのわうじ、きばらのしんわうこれたか、こばらのしんわうこれひととて、きやうだいにておはしましけるが、たがひに位をあらそはせ給けるを、「いづれをいづれとさだめたてまつるならば、かたかたおんうらみふかかるべし。しかじ、すまふのせちをおこなひて、かたせたまひたらむを位につけ奉るべし」とちよくぢやうありて、きばらのしんわうのおんかたには、六十人がちから持たりときこへける、なとらのうひやうゑのすけと云ける人をいだされけり。こばらの親王のおんかたより、よしをのせうしやうとて、なべてのちからびとなりけるをぞいだされける。かかりけるあひだ、かたがたのおんいのりのしにそのときうげんのかうそうをえらばれけり。きばらのしんわうのおんかたにはかきのもとのきのそうじやういにん、こばらのしん
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わうのおんかたにはてんだいさんのゑりやうくわしやう。これはろうきよのよしにててうぶくし給けり。さてもそのひになりにしかば、なとらとよしをといであひて、既に手あはせするかと見るほどに、名虎は元よりだいぢからなりければ、よしをのせうしやうをひさげてなげけるを、けんぶつの人々あわやと思けるに、善男いちぢやうばかりなげられて、つくとしてぞ立たりける。やがてよせあはせて、えいごゑをいだして、時移すまでからかいければ、木原親王のおんかたより、「既におんかたまけさうらひなむず」とて、使者をしきなみにたてられければ、そのときゑりやうだんしよにおわしけるが、「こはこころうきことかな」とおもひて、としごろもちたまひたりけるちけんにて、かしらのなづきをくだきて、けしに入れて一もみもみ給ければ、なとらのひやうゑのすけまけて、よしをのせうしやうかちにければ、こばらのしんわう位につかせ給にけり。せいわのみかどのとまうすはすなはちかのしんわうの
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おんことなり。されば帝王のおんくらゐとまうすことは、とかくぼんぶの申さむによるべからず。しんめいさんぼうのおんぱからひなれば、しのみやの御事もかかるにこそとぞ人申ける。
(四) 十日、法皇れんげわうゐんのごしよより南都へ移らせたまひてのち、さんでうのだいなごんさねふさ、さだいべんのさいしやうつねふさまゐりたまひて、せうぢもくおこなはる。きそのくわんじやよしなか、さまのかみになされてゑちごのくにをたまわり、じふらうくらんどゆきいへは、びんごのかみにぞなされにける。おのおのくにをきらひまうしければ、十六日のぢもくに、義仲はいよのくにをたまはり、行家はびぜんのかみに移されぬ。やすだのさぶらうよしさだはとほたふみのかみになされにけり。そのほかの源氏十人、くんこうのしやうとて、ゆげひのじよう、ひやうゑのじよう、じゆりやう、けんびゐしになされける上、しのせんじをかうぶるものもありけり。この十余日がさきまでは、源氏をついたうせよとのみせんじはくだされて、平家こそ
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かやうにけんじやうにもあづかりしに、今は平家を追討せよとて、源氏てうおんに誇るこそ、いつしかひきかへたる事ぞとおぼえて、あはれなれ。こころありける人々は、おもひつづけてはたもとをぞ絞りける。ゐんのてんじやうにてぢもくおこなはるること、いまだむかしよりせんれいなし。こんどはじめとぞきこへし。めづら
しかりける事也。
(五) 十七日、平家はつゆのいのちをまち、ふねにさをさして、いづくとさだめねども、おほくのうみやまへだたりて、都にくもゐのよそとなる。ありはらのなりひらがそめどののきさきに名をたてて、あづまのかたへ流さるとて、すみだがはのほとりにてみやこどりにみあひつつ、
名にしをはばいざ事とはむ都鳥わがおもふ人ありやなしやと K153
うちながめて涙を流しけん事も、かくやとおぼえて哀也。あけくれひかずつもりゆけば、こころづくしのちくぜんのくにみかさのこほりださいふにつきたまへり。したがひたてまつる
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ところのつはもの、きくちのじらうたかなほ、いはどのせうきやうたねなほ、うすき、へつぎ、まつらたうをはじめとして、おのおのさとだいりざうしんす。かのだいりはやまのなかなれば、きのまろどのもかくやとぞおぼえし。人々の家々は野の中、たなかなりければ、鹿のさごろもうたねども、とほぢのさとともまうしつべし。をぎのはむけのゆふあらし、ひとりまろねのとこのうへ、かたしくそでもしほれにけり。いちもんのひとびと、あんらくじへ参り、つやして詩を作りれんがをしたまひて、なきかなしみたまひける中に、きうとをおもひいだして、しゆりのだいぶつねもりかくぞえいじたまひける。
すみなれし古き都のこひしさは神も昔をわすれ給わじ K154
(六) そもそもあんらくじとまうすは、むかしすがはらのおとどの思わぬなみにうきねして、しほれ給ごべうなり。菅原の大臣と申はくわんしようじやうみちざね、今のきたののてんじんのおんことなり。ながされたまひしゆらいをたづぬれば、だいごのみかどのぎよう、くわん
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しようじやうはうだいじんにしてさいかくいうちやうにおわせしかば、たうだいのちようあいはなはだしく、てんがの重くしたてまつること、ふるあめのくさきをなびかすが如し。そのころだいじやうだいじんもとつねのこうのおんこに、しへいのさだいじんとまうすは、このことをやすからずおぼしめされて、をりふしにつけてむしつのざんそうあり。つひにざんそうによつて、しやうたい四年かのとのとり正月廿五日、ださいのごんのそつにうつされて、たうごくにながされ給へり。しようじやうのごていのさうに梅桜をうゑて、常に愛したまひしが、このことをなげきて、梅はまいねんはなさけども、桜はみとせまで花さかず。ごていをぎよしゆつのとき、この事をおもひいだして、かくぞえいぜさせ給ける。
よしさらばこぞもことしもさかずして花のかわりに我ぞちりぬる K155
かとでのとき、なくなくははごぜんにいとまをまうしたまひて、ごしゆつけあるべきよしまうされければ、すみぞめの衣をおとどに奉りたまふとて、ははごぜんなくなく。
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ほどこししむねのちぶさをたきぎにてやくすみぞめのころもきよきみ K156
しようじやうおんころもをたまわりて、うき事なりとて、なくなくやまざきにしてつひにごしゆつけあり。えんかゑんきんのけいをしやうし、たうり、せんしんの色をもてあそび、くわてうふうげつにのみ心をそめておわせしに、思はぬほかの旅の空、おもひやるこそかなしけれ。くわらくをいでてひかずふれば、わがふるさとも遠ざかる。心細くおぼしめされけるにあまりに、きたのかたのおんもとへかくぞまうしつかわしける。
君がすむやどのこずへをゆくゆくと隠るるまでにかへりみるかな K157
ばんしうあかしにつきたまひたれば、むまやのをさのあはれにおもひたてまつりたるけしきをごらんじて。
えきちやうおどろくことなかれときのへんがいなり。ひとたびはさかへひとたびはをとろふこれ春と秋となり。K158
さてもつくしにくだりつきたまひて、ものあはれに心細きゆふべ、をちかたにけぶりのたつをご
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らんじて、かくぞえいじたまひける。
ゆふぐれは野にも山にもたつけぶりおもひよりこそもへはじめけれ K159
ふるさとのなんていの梅をおぼしめしいでて。
こちふかばにほひをこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ K160
これによつて、むめつぼのむめえうどうしてぬけて、あんらくじにとびきたる。ふしぎなりし事也。この梅ごべうの前にいまにあり。こののちかくてつゆのおんいのち、春のくさばにすがりつつ、いきの松原に日をふれば、やまほととぎすのこゑたけて、秋のなかばもすぎにけり。さても九月はじめのころ、こぞのこよひの菊のえんに、せいりやうでんにはべりて、えいかんのあまりに、あづかりたまひしぎよいをとりいだしてをがみ給とて、いうしきわまらず、しうちやうたへなむとして、作らせたまひける詩とかや。
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おんしのぎよいはいまここにあり。ささげもちてひねもすによかうをはいす。K161
さりともと世をおぼしめしけるなるべし。月のあきらかなりける夜。
海ならずたたふる水の淵までに清き心は月ぞてらさん K162
しゆくしゆくたるくらき雨の窓をうつおとをきこしめして。
雨のしたかわける程のなければやきてしぬれぎぬひるよしもなき K163
かくてみとせをへて、えんぎ三年みづのとのゐはるのころなやみたまひしが、二月廿五日、おんとし五十七にしてつひにかくれさせ給ぬ。おなじ夜の内に、きたのにすひやくほんのまつおひたり。末の世にきすみたまふべきゆゑなり。くわんけこうじてのち、そのしんれいみやこへきたりたまひて、かたきをほうず。おなじき九年つちのとのみ四月四日、しやうねんしじふくにして、しへいのさだいじんもうせたまひぬ。このことを恐れて、天皇ぜうをくだして、うこんのばばにあがめたてまつる。今の
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きたののてんじんのおんことこれなり。そうじてこのごれいあれて、せけんにふしぎのことどもありし中に、むらかみのぎようてんとくのころ、たびたびだいりぜうまうあり。これによつて、かさねていちでうのゐんをつくられしに、ばんじやうどもうちいたにかなかきてまかりいでて、次のあしたもとめて見るに、きのふのうちいたに物のすすけて有る所をのぼりて見れば、よのうちに虫のくひたりける文字にいはく。
造るとも又もやけなんすがわらやむねのいたまのあわぬかぎりは K164
つひにこのだいりもやけたりけるとなむ。そののちいちでうてんわうのぎようしやうりやくねんぢゆうに、ださいのだいによしふるし、ちんぜいにげかうして、あんらくじのごべうにまゐりてつやをしたりけるに、ごべうの内に、夜ふけひとしづまりてぎよえいあり。そのことばにいはく。
かもんひとたびおほひていくばくのふうえんぞ。ふうげつなげうててきたりてきうじふねん。K165
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よしふるいそぎ天皇に奏し奉る。よつて安楽寺にぶんじんを置かれて、まいせちにちしへんをほうけんする。どうじにじやういちゐをおくる。そのちよくしよをばこせのためときこれをかく。そのことばにいはく。ばれうとしふかし、さうえんのまつおいにたりといへども、りゆうくわうのつゆあたたかにして、しでいのくさふたたびあらたなり。よしふる鎮西へげかうして、あんらくじのごべうにまうでて、せんみやうをよむとき、にはかにごべうのまへに、こくうよりかきおとしたり。ことばにいはく。
たちまちにてうしにおどろきてけいきよくをはらふに、くわんほんたかくくははりてはいかんなる。
じんおんのすいくつにくだることをよろこぶといへども、ただしそんしてもぼつしてもさせんのなをはづ。K166
よしふるこれをはいけんして、いそぎこのよしをそうもんするに、かさねてぞうだいじやうだいじんのせんみやうあり。すなはちごべうにけいして、せんみやうをよみあげ奉て、つやしたりければ、
P2640
よしふる不思議の夢を見る。ごべうより一人のししやをもつて、「たうふうを召せ」とて、えんまわうぐうへつかはす。すなはちえんまそつしてしゆがふぢごくにゆきて、道風をめしいだして、ゐてまゐる。ごべうの前にひざまづきてあり。てんじんのおほせにのたまはく、「なんぢのうじよなり。このせんじのうけぶみ書てまひらせよ」。道風かしこまりてうけぶみを書て、よしふるに取らす。ゆめさめて、まなこをひらきてみるに、ゆめのごときじやうさうゐなきうけぶみあり。おどろきあやしむでひらき見れば、あをがみに赤文字也。そのことばにいはく。
きのふはほくけつにおもんみらるるしとさうらふ、けふはせいとにはぢをきよむるかばねとなる。
いきてのうらみししてのよろこびわれをいかん、いまはすべからくのぞみたりぬくわうきをまもりたてまつらむ。K167
不思議なりし事也。くだんのうけぶみはてんがのほうぶつにて、うちのくらのつかさにこめられたり。さればつねもり昔の御事をおもひいだし奉て、「ふるき都のこひしさは」とながめ
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給けるなるべし。昔はむしつのうらみにしづみて、てんがのれいこんたりき。今はとひのそうきやうにうかびて、こくかをまもるしんめいとなりたまへり。じふぜんのていわう、さんじゆのしんぎをたいしておはす。いかでかくわんかうのごなふじゆもなかるべきと、おのおのこころづよくぞいのられける。そうじてれいげんぶさうのおんことなり。たれかは是をこつしよしたてまつるべき。されば今の平家ほろびたまひて後、ぶんぢのころ、いとのとうない、ちんぜいくこくのぢとうにふせられて、くだりたりけるに、そのらうじゆうの中に、ひとりのげらう、むほふにあんらくじへみだれいりて、ごべうの梅をきりて、しゆくしよへもてゆきてたきぎとす。そのをとこすなはちながくしきよしぬ。とうないおどろきて、ごべうにまうでてをこたりをまうす。つやしたりけるに、ごてんの内にけだかきみこゑにて、
なさけなくきるひとつらし春くればあるじわすれぬやどのむめがへ K168
不思議なりしおんことなり。昔今の物語して、へいじなくなくげかうし給へり。
P2642
にんあん三年五月のころ、ちんくわう安楽寺のごべうにまうでて、くだんのむめをみて。
これかさはをとにききつる春ごとにあるじを忍ぶやどの梅がへ K169
たいけんもんゐんにはべりける女房、むしつをおひて、きたのによみてたてまつりければ、あるをんなくるひいでて、そのことあらはれにけり。
おもひいでよなき名のたつはうき事とあらひとがみとなりしむかしを K170
だいなごんのぜんじといひし人、しろかねのひさげをぬすみたりと云むしつをけいぼにいひつけられて、きたのにこもりていのるに、にしちにちにまんじけるに、しるしなかりければ、歌をよみてたてまつる。
ちはやぶる神にまかせて心みむなき名のたねはをひやいづると K171
そのときげぢよひさげをもちいできたりてのち、けいぼのしよゐあらはれにけり。くわんしようじやうと
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申すは、じゆさんゐさきやうのだいぶきよただのまご、さんぎじゆさんゐぎやうぶこれよしのしそくなり。くわんぺい五年二月十六日、さんぎじゆしゐのげけんさだいじんしきぶのごんのたいふににんず。おなじき七年十月廿六日、ちゆうなごんににんず。十一月十三日、とうぐうのだいぶ。同八年八月廿八日、みんぶきやうににんず。同九年六月十九日、ごんのだいなごんじやうざんゐ、うこんゑのだいしやうをかぬ。七月十三日、ちゆうぐうのだいぶ。しやうたい二年つちのとのひつじ二月十四日、うだいじんににんず、五十五、こうばいどののおとどとかうす。えんぎ元年かのとのとり、うだいじんじゆにゐ、うこんゑのだいしやうをかぬ。正月七日、じゆにゐ。同廿五日、ださいのごんのそつにうつされてしんぱつ。おなじき三年みづのとのゐ二月廿五日、はいしよにおいてこうぜらる御年五十七。きたののてんじんのごたくせんにいはく、てんりやく九年きのとのう、三月十三日とりのとき、あふみのくにひらのみやにて、ねぎみはのよしたねがそく、たろうまろ、しちさいなるわらはに、てんまんてんじん
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たくしてのたまはく、「われいふべきことあり。よしたねらきけ。わがかたしろをつくるめり。しやくはわれぞんじやうにもちたりししやくをもたしめよ。またわがもののぐどもは、いまだここにいたりてぢゆうせざるはじめに、ぶつしやりみつぶ、ぎよくたい、しんぎんづくりのたちひとふり、人鏡尺いちめんあり。おいまつ、とべと云二人のらうじゆうあり。ぶつしやりは、老松にあづけしめよ。帯、たち、鏡は富部にあづけしめよ。これみなつくしげかうの時もわがともにきたりし者也。わかみやの北に少したかきところに、地のした、さんじやくばかりほりいれてこれをおけ。この二人のやつばらははなはだふでうのものども也。しかるあひだ心をゆるさずして、わがゐたるさうにおきけり。いはじと思へども、しやくのことによつていふぞ。このとしごろはかたしろもなかりつれば、つげずしてありつるぞ。おいまつはわれにしたがひてひさしくなりぬる者也。これのみぞいたるところに松の種をばまく。われだいじんたりしとき、夢に身にまつおひてすなはちをれぬとみしは、ながさるべきさうなりけり。松はわがかたしろの物也。わがみにしんいをなし、そのしんいの
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ほのをてんにみつ。もろもろのらいでんきじん、みなわがけんぞくとなる。そうじて十万五千人也。わがしよぎやうはてんがのさいなんなり。てんたいしやくもまかせ給へり。そのゆゑは、ふしんの者せけんに多くなりたり。えきれいの事おこなへ」とのたまへば、じゆうるいをはなちつかはしておこなはしむるところに、「そのことなり。ふしんの者をば、このもろもろのきじんにおほせて、ふみころさしめむ。あくれいはひとのためにたいせつの物にてあり。もしふしんのひとのために、あくさうをいださしめよ。なんぢらわがためにふしんならば、ししそんぞんにいたるまでよかるまじきぞ。あはれ、かやうにいふばかりかな。せけんにわびかなしむしゆじやうをいかにしてたすけむとおもふほどに、われちんぜいにながされしのち、ひとへにぶつてんにあふぎてぐわんぜしやうは、『われみやうじゆうののち、わがごとくむしつのなんにあひ、またそうじてわびかなしむ者をたすけ、又むしつに沈みそんぜん者をきうめいする身とならん』とぐわんぜり。いまおもひのごとくしかのごときものをしやうじたり。われすくはむずる也。ただしわがてきにん、やうやくよにすくなくなりたり。今すこしあり。それもせつにわれにきすれば、しばらくゆるしたるぞ。わがみやをつくるこそしんべうなれ。かも、はち
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まん、ひえいなむども、常にきたりたまへるに、たよりなかりつるに、いとよし。わがみやのかきには松をさかせよ。しらすなをちにしけ。わがきんぺんにせつしやうすることなかれ。わがざいしやうの時、てんだいさんのぶつしやう、とうゆをとどめたる事あり。そのつみはなはだ深し。かのしろにほつけさんまいだうをたてよ。それはしんべうなるべし。またわがみやにまうづるひとは、『いへをはなれてみつきよつきのく』と『かりのあしにねやかりゐてはきぬをかけたるかとうたがふ』といふくとをじゆせよ」とて、くだんのわらはふりさめぬ。てんりやく九年三月十三日、ひらのみやのねぎ、みわのよしたねこれをきす。かやうにしんとくのあらたなる事、しようけいすべからざるものなり。
七 おなじきはつかのひ、しゆしやうをはじめたてまつりて、にようゐん、きたのまんどころ、だいふいげの一門の人々、うさのやしろへぞまうでられける。はいでんはしゆしやうにようゐんのくわうきよなり。くわいらうはげつけいうんかくのきよしよとなる。おほとりゐは五位六位のくわんにんらかためたり。ていしやうにはしこくくこくのつはもの、かつちうをよろひ、きゆうせんをたいしてなみゐたり。しやだんを
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拝すれば、あけのたまがきかむさびて、松の緑色かへず。うとのひろまへとしふりて、ゑんかあとなしやな。わくわうの影にあたる人、つきひをいただくにことならず。りもつの風になるるもの、うろのうるをいにさも似たり。ほんがくしんによのはるのひかり、みしめの内ににほひ深く、おうげずいえんのあきのつき、杉のこずゑに光あり。ごしんめ七疋ひかせたまひて、しちかにちごさんろうあつて、きうとくわんかうの事いのりまうされけるに、だいさんにちにあたる夜のやはんに、じんでんをびたたしくめいどうして、ややひさしくありて、ごてんのうちよりけだかきみこゑにて歌あり。
世の中のうさには神もなき物を心づくしになに祈るらん K172
こののちぞ、おほいとのなにのたのみもよわりはてられける。これをききたまひけむ一門の人々も、さこそ心細くおぼされけめ。おのおの袖を絞りつつ、なくなくくわんぎよなりにけり。
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ごんげんはそうべうしやしよくのしんめいなり、なきなををするひとのいのちをのえいをかんじ、へいけはしやくあくしぜんのきようどなり、こころづくしになにいのるらむのおんうたにあづかる。あはれなりしことどもなり。
八 そもそもこのごんげんは、和歌をことにこのみましましける事あらはれたり。今のしのみやごそくゐののちは、鳥羽にかよわせたまひしかば、ごとばとかうしたてまつる。そのころうさのじんぐわんのなかに、やさしくいうなる娘をもちたり。やがておなじきじんぐわんのよめにえうせうより約束したり。不思議の者にて、このをんなおもひけるは、「われにんげんかいのしやうをうけて女となるならば、うんしやうのまじはりをもして、男をもたば、にようごきさきともひとたびなりともならばや」とおもひさだめて、よるひるごんげんにきせいしたてまつる。しかるあひだせいじんしたれども、約束の男に合わず。父母とかくいへども、あへて是をもちゐず。あれたるまがきにつゆをみて、秋のふぢばかまなくゆふぐれにも、枕をならぶる人も無く、ふかきほらに
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かぜをききて、らうくわいかなしむごかうにも、都の事をおもひやる。男このことをやすからずおもひて、「そらごとをしけり。上にこそあふまじきよしをいへども、そのほんいをわれととげたり」と、はうばいにかたりければ、さもあるらむと人皆思へり。女このことを聞て、こころうくおぼへて、うさのはいでんにまゐりて、いつしゆの歌をかきて柱にをしたり。
ちはやぶるほこのみさきにかけ給へなき名ををする人の命を K173
ごんげんなふじゆしたまひて、このをとこみつかのうちにうせにけり。このうへは父母も又、そうじて人にいひあはする事なくてすぎけるに、女いかなるびんぎか有けむ、一首の和歌をごとばにそうしたてまつる。
いかにしてふじのたかねにひとよねて雲の上なる月をながめん K174
是をきこしめして、ひとよめされにけり。されども、やがておんいとまをたまわつて、まかり
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いでければ、せいすいじに参て、出家して、しんによと名つきけり。「くわこちやうにいらむ」と云ければ、かいしいはく、「過去帳と申は、昔がたりになれる人の入るふだなり。げんざいちやうか」と云ければ、しんによ、あづさゆみつひにはづれぬものなれば無きひとかずにかねて入るかな K175かいしあはれがりて入れにけり。このわかによつて、そののちはくわこしんによといわる。つひにべちの男にあはずして、わうじやうをとぐといへり。こんじやうごしやうのしゆくぐわん、おもひのごとし。しかしながら権現の、歌にめでさせ給たるなるべし、
をれちがふみぎわのあしをくもでにてこほりをわたすぬまのうきはし K176
とよみて、ひとよめされたりしに、おんなさけにしふにいりし女也。
九 十八日、さだいじんつねむね、ほりかはのだいなごんただちか、みんぶきやうしげのり、くわうごうぐうのごんの
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だいぶさねもり、さきのげんちゆうなごんまさより、むめのこうぢのちゆうなごんながかた、げんさいしやうちゆうじやうみちちか、うだいべんちかむね、さんにふせられて、そくゐのこと、ならびにつるぎかがみじせんみやうのそんがうのこととうぎぢやうありけり。とうのべんかねみつのあつそん、しよだうのかんもんをさだいじんにくだす。しだいにつたへくだされけり。「しんきやうのこと、ひとへにじよさいのぎをそんす。かへりてそのおそれあり。しばらくそのところをさだめて、きぎよをまたるべきか。けんじのこと、ほんてうにおいてさらにれいなしといへども、かんかのあとひとつにあらず。まづせんそありて、きらいをまたるべきか。ぎよけんはぎしきをそなふべくは、もつともほかのつるぎをもちゐらるべきものをや。そくゐの事、八月じゆぜん、九月そくゐ、ゑんゆうのゐんのれいなり。しかるにてんがしづまらざることをそつじなり。じふぐわつのれい、くわうにんくわんわなり。にだいによるべくは、じふいちにぐわつにおこなはるべし。しかるにことしはそくゐいぜん、さくたんかしようしゆつぎよなし。ふきつのことなり。じふぐわつかたがたよろしかるべきか。ぢりやくのれいにまかせて、くわんちやうししんでんをもちゐらるべきか。きうしゆのそんがうのこと、もしそんがうなくは、てんにじしゆあるに
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にたるべし。もつともさたあるべきか。せんみやうのこと、げきのかんじやうにまかせて、かしようのれいをもちゐらるべき」よし、いちどうにさだめまうさる。おなじきひ、へいけもつくわんのしよりやうとう、げんじのともがらにわかちたまふ。そうじてごひやくよかしよなり。義仲には百四十よかしよ、行家には九十かしよ也。行家申けるは、「あひしたがふところのげんじら、さらにつうせきのらうじゆうにあらず。ただせんぢやうにあひしたがふばかりなり。わたくしにしはいのでう、かれらおんしやうのよしをぞんぜざらむか。もつともわかちくださるべし」と申けるを、「このでういかでかことごとにこうのせんしんをしろしめさるる。よしなかあひはからひてわかちあたふべし」とぞ申ける。りやうにんのまうしじやう、いづれもいはれなきにあらずぞきこえける。今日行家義仲ら、ゐんのしようでんをゆるさる。もとはじやうほくめんにこうじにけり。「このでうおどろくべきにあらずといへども、くわんゐほうろくすでにぞんずるごときか。おごれる心は人として皆そんせる事なれども、いまくんこうとしようして、ひびちようでふす。もつともよりとものしよぞんをしりよすべきか」とぞ、人々まうしあわれける。おなじき
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はつかのひ、ほふぢゆうじのしんごしよにて、たかくらのゐんのだいしのわうじせんそあり。しゆんしうしさい、さだいじん、ないきみつすけをめして、「せんそのこと、だいじやうほふわうのぜうのむねをのすべきなり。せんていふりよにだつしのこと、またせつしやうのこと、おなじくのすべし」とおほす。しだいのことは先例にたがはざれども、けんじなくしてせんそのこと、かんかにはくわうぶのあとありといへども、ほんてうにはさらにそのれいなし。このときにぞはじまれりける。ないしどころはじよさいのれいをぞもちゐられける。きうしゆすでにそんがうをたてまつられて、しんていせんそあれども、さいこくにはまたさんじゆのしんぎをたいしたてまつられて、ほうそをうけたまひて、いまにくらゐにまします。国にふたりのあるじあるににたるか。てんにふたつの日なし、ちにふたりのあるじなしとは申せども、異国にはかやうのれいもあるにや。わがてうには帝王ましまさでは、あるいは二年、あるいは三年なむど有けれども、きやうゐなかに二人の帝王まします事はいまだきかず。世末になれば、かかる事も有けり。じよゐぢもくいげのこと、ほふわうのおん
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ぱからひにておこなはれし上は、あながちにいそぎせんそなくとも何のくるしみかはあるべき。ていゐのむなしきれい、ほんてうには、じんむしちじふろくねんひのえのねにほうず、すいせいてんわうぐわんねんかのえのたつにそくゐ、いちねんむなし。いとくてんわうにじふしねんきのえのねにほうず、かうせうてんわうぐわんねんひのえのとらにそくゐ、一年むなし。おうじん天皇廿一年かのえのむまにほうず、にんとく天皇元年みづのとのとりに即位、二年むなし。けいたい廿五年かのとのゐにほうず、あんかん天皇元年きのえのとらに即位、二年空。しかるに今度のぜうに、「くわうゐいちにちもむなしくすべからず」とのせらるること、かたがたそのこころをえずとぞ、いうしよくの人々なんじまうしける。もとのせつしやうこんゑどのかはりたまはず、おんまへにさうらひたまひてよろづとりおこなはせ給ふ。平家のおんむこにておはしましけれども、さいこくへもおちさせ給はぬによつてなり。さんのみやのおんめのとは、ほいなくくちをしきことに思てなきたまひけれども、かひなし。ていわうのおんくらゐなむどは、ぼんぶのとかくおもはむに
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よるべからず。てんせうだいじんのおんぱからひとこそうけたまはれ。しのみやこそ既にせんそあむなれときこへければ、平家の人々は、「さんのみやをもしのみやをもみなとりぐしたてまつるべかりし物を」とまうされければ、「さらましかば、たかくらのみやのおんこ、木曽がぐしたてまつりてのぼりたるこそ、位につきたまはましか」とまうすひと有ければ、へいだいなごん、ひやうぶのせうまさあきらなむどまうされけるは、「しゆつけのひとのげんぞくしたるは、いかが位にはつかむずる」と申あわれけり。てんむてんわうはとうぐうにておはしまししが、てんちてんわうのおんゆづりうけさせ給べきにて有けるに、位につきたまはばおほとものわうじうちたてまつらんと云事をききたまひて、ごきよびやうを構へさせ給てのがれまうさせ給けるを、みかどあながちにとどめまうさせ給ければ、仏殿の南面にしてびんひげをそらせ給て、よしののやまへいら
せ給たりけるが、いが、
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いせ、みの三がこくのつはものをおこしたまひて、おほとものわうじをうちたてまつりて、位につき給にけり。かうけんてんわうも位をじせさせ給て、尼にならせ給て、みなをばほふきにと申けれども、又位にかへりつきたまへりしかば、たうのそくてんたいそうくわうていの例にまかせて、出家の人も位につき給事なれば、木曽が宮、なんでふことかあらむと申て、わらひあひ給けり。九月二日、院よりくぎやうのちよくしをたてらる。平家ついたうのおんいのりなり。勅使はさんぎながのりのきやうとぞきこへし。だいじやうてんわうのいせのくぎやうのちよくしをたてらるること、しゆしやく、しらかは、とばさんだいのしようせきありと云ども、みなごしゆつけいぜんなり。御出家以後の例、こんどはじめとぞ承はる。はちまんのごはうじやうゑも九月十五日にぞはべりける。このひ
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法皇ひよしのやしろへごかうあり。くぎやうてんじやうびとそくたいにて、うるわしきごかうなり。じんめなむどひかれけり。おんくるまのおんともには、中納言ともかた、けんびゐしなむどつかまつる。
十 つくしにはだいりすでにつくりて、おほいとのよりはじめたてまつり、たちどもつくりはじめて、少しあんどしておもひたまへりし程に、ぶんごのくにはぎやうぶきやうざんゐよりすけのちぎやうにてありければ、しそくよりつね、こくしのだいくわんにてくだりけるに、ぎやうぶきやうざんゐいひつかはされたりけるは、「へいけとしごろてうかのおんかたきにてありしが、にんみんをなやましあくぎやうとしつもりて、ちんぜいへおちくだる。しかるにくこくのともがらことごとくきぶくのでう、すでにざいくわをまねくしよぎやうなり。すべからくたうごくのともがらにおいては、ことさらにそのむねを存じ、あへてせいばいにしたがふべからず。これはまつたくわたくしのげぢにあらず。しかしながらいちゐんの
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せんなり。およそたうごくにもかぎるべからず、きうこくじたうのともがら、こうかんをかへりみ、身をまたくせんと思わむ者は、いちみどうしんして、くこくのうちをおひいだすべし」と、いひつかはされたりければ、よりつねのあつそん、このよしたうごくのぢゆうにんをかたのさぶらうこれよしにげぢせらる。これよしぶんごのくによりはじめて、きうこくじたうのゆみやとるともがらにまうしおくりければ、うすき、へつぎ、まつらたう、平家をそむきてけり。そのうち、はらだのしらうたいふたねなほ、きくちのじらうたかなほがいちるいばかりぞ、これよしがげぢにもしたがはず、平家につきたりける。そのほかは皆これよしがめいにしたがひけり。
十一 かのこれよしは、おそろしき者の末にて、こくどをもうちとらむと、ををけなき心あり。きうこくじたうにはしたがはざるものなかりけり。これよしが先祖を尋ぬれば、ぶんごのくにちだのしやうといふところに、だいぢやうぶと云者に娘ありけり。かしはばらの
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おもととぞ云ける。こくちゆうにおなじほどなる者、むこにならむと云けるをばもちゐず。我よりかさみたる者のいふはなかりけり。ずいぶんひさうの娘にて、こうゑんにじんじやうにやいちうつくりて、わりなきやうにしつらひて、このむすめをすまする程に、たかきもいやしきも男と云物をばかよはさず、常はさびしさをのみ思てあかしくらす。あるとしくぐわつなかばばかりに、このむすめよもすがら心をすまして、うちながめてふしたりけるに、いづくよりきたれるともおぼへぬに、じんじやうなる男のかりぎぬきたりけるが、このにようばうのゐたるそばに、たをやかにさしよりて、さまざまのものがたりをしけるに、しばしはつつみけれども、よなよなたびかさなりければ、この娘さすがいはきならぬ身なれば、うちとけてけり。そののちよがれもせずかよひけるを、しばしはかくしけれども、つきつかへけるにようばう、めのわらはべ、父母にかくと
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語りければ、おどろきさわぎて、いそぎ娘をよびいだして、事のありさまを問けるに、女おもてはぢていはざりけれども、父母あながちにさいなみければ、おやのめいをそむきがたくて、ありのままにぞ語りける。「不思議の事ごさむなれ」とて、「さらばかのひとのきたりたらむ時しるしをして、そのゆくへをたづぬべし」と、ねむごろにぞ教へける。あるよかのをとこきたりけるに、よいのむつごとはてぬれば、やごえの鳥もなきわたり、きぬぎぬになるあかつきに、水色のさしぬきのくびかみとおぼしき所に、しづのをだまきのはしを針につけてさしてけり。さてよあけてのち、父母にかくとつげたつければ、誠にしづのをだまきをくりはへて、ちひろももひろひきはへたり。だいぢやうぶ父子三人、なんによのけにん四五十人ばかりして、糸のゆくへをたづねける程に、たうごくのうちにみ
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やまあり。うばだけと云。かのやまの奥にこけふかきいはあなへぞひきいりたりける。かの穴のくちにて聞ければ、おほきにいたみかなしむこゑあり。これを聞けるに、みなひとみのけいよだちてぞおぼえける。父が教へによりて、娘糸をひかへて、「わらはこそ参たれ。なにごとをいたみたまふぞ。見奉らむ」といはすれば、いはあなの内よりおほきにおそろしげなる声にて、「我はそれへよなよなかよひつる者也。さんぬる夜、おもひのほかにくびにきずをかうぶりてそれをいたむなり。是までたづねきたれるこころざしの深さには、いでて見もし、みへもすべけれども、ひごろのへんげの力既につきたり。そのうへぼんぶの身にあらず。ほんしんはこのやまをりやうじたるだいじやなり。汝にみえなばきもたましひもあるべからず」と云ければ、「何か苦しかるべき。よるよるなじみ奉てひさしくなりにしかば、たうじの形をかへで見へ給へ」と云けれども、「見ゆべきならば、はじめより
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こそ見ゆべけれども、汝をふびんにおもふゆゑに見へぬなり。ただしなんぢがたいないにひとりのなんしをやどせり。かまへてあんをんにそだつべし。きうこくじたうをもりやうずる程の者にも、くさのかげにても守らむずるなり」と云て、そののちはをともせざりけり。ちちぢやうぶをはじめとして、おそろしき事なのめならず。あわてさわぎておのおのにげかへりぬ。さてもつきひかさなるままに、この娘ただならずなりて、やうやくみちにければ、一人のなんしをうみてけり。せいぢやうするにしたがひて、ようがんもゆゆしく、こころざまもたけくして、くこくにきこゆる程のだいぢから、何事につけても人にすぐれたる者にてぞ有ける。げんぶくせさせて、ははかたのおほぢがかたなをつけて、だいたとぞ云ける。足にはあかがりをびたたしかりければ、いみやうにはあかがりだいたとぞ申ける。又かの大太にはせにくちなはの尾のかたちあり
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けり。これによつて、しやうをばをかたとぞ申ける。今のこれよしはかのだいたが五代の孫にて、心もたけくおそろしき者にてぞありける。院宣をかうぶりける上は、きようにいりて、きうこくじたうのぶようのともがらをかりもよほして、すまんぎのつはものをいんぞつして、ださいふへはつかうせんとしければ、くこくのものども皆平家をそむきて、これよしにしたがひつきにけり。
十二 さても平家の人々は、このいちりやうげつは心少しらくきよして「今は所をしめあとをもとめて、だいりをも作り、家々をも造らむ。いかがしてげんじをほろぼして、都へかへりいるべき」なむど、さまざまのはかりことをめぐらして、よりあひよりあひひやうぢやうしける処に、かかる事をききては、さこそあさましく思われけめ、ひごのかみさだよしが申けるは、「こまつどののきんだちいちりやうにんをぐしまひらせて、せい多く入れ
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まじ、四五十騎ばかりにてぶんごへこへて、これよしをこしらへてみさうらはばや」と申ければ、「もつともしかるべし」とて、しんざんゐのちゆうじやうすけもり、きよつね、こまつのしんせうしやうありもり三人たいしやうにて、六十騎ばかりにてぶんごへうちこえて、これよしをこしらへなだめければ、「このこといちゐんの御宣旨にて候へば、今はちからおよばずさうらふ。やがてきんだちをもをしこめまひらせたく候へども、だいじの中にせうじなしとぞんじさうらへば、とりこめまひらせずとても、いかばかりの御事か候べき」と申ければ、さだよしめんぼくをうしなひてかへりにけり。やがてをかたのこたらうこれひさ、じなんのじりのじらうこれむらとて、二人有ける中に、次男これむらをつかひにて、平家のかたへ申たりけるは、「ごおんをもかうぶりてさうらひき。さうでんの君にてわたらせたまふうへ、じふぜんていわうわたらせ給
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へば、ほうこうつかまつるべきよしにて候へども、くこくのうちをおひいだしたてまつるべきよし、ゐんぜんをくだされさうらふあひだ、今はちからおよびさうらわず。とくとくいでさせ給候へ」と申たりければ、へいだいなごんときただのきやうは、ひをくくりのひたたれにらんのはかまにて、のじりのじらうにいでむかひてのたまひけるは、「わがきみはてんそんしじふくだいのしやうとう、にんわう八十一代のみかどにておわします。だいじやうてんわうのきさいばらの第一のわうじ、いせだいじんぐういれかはらせ給へり。みもすそがはのおんながれかたじけなき上に、じんだいよりつたはれる、しんし、ほうけん、ないしどころおわします。しやうはちまんぐうも守り奉り給らん。くこくのにんみんいかでかたやすくかたぶけたてまつるべき。そのうへたうけ、へいしやうぐんさだもり、さうまのこじらうまさかどを追討して、とうはつかこくをたひらげてよりこのかた、こにふだうだいじやうだいじん、うゑもんのかみのぶよりをちゆうりくして、てうかをしづめしにいたるまで、
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よよのあひだ、おのおのこくかのかためとして、ていわうのおんまもりなり。なかんづくちんぜいのともがらは、うちさまにめしつかわれて、ぢゆうおんのものどもにてあり。それによりともよしなから、とうごくほつこくのきようどをかたらひて、『われうちかちたらば、国をもとらせむ、しやうをもとらせん』といふにすかされて、をこのやつばらがまことに思てよりきして、くわんびやうにむかひていくさするこそふびんなれ。くこくのともがら、当家のぢゆうおんを忘れて、はなぶんごがげぢにしたがわむ事、はなはだしかるべからず。よくよくあひはからふべし」と宣へば、これむらかしこまりて承る。「父にこのよしを申候べし」とて、たちかへりぬ。父これよしは、へりぬりのえぼしにひきがきのひたたれうちかけて、引かたぬぎて、ゆんづるさしつきてゐたりける所に、これむら帰りきたれり。伊栄、「いかにわぬし。こころもとなきに。はやものがたりせよ」と云ければ、これむらこのよしをかたりて、「是はところどころを
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こそ申候へ。ききも知り候わぬことども、いくらと云事をしらずおほせられさうらひき。人にとひさうらひつれば、『このものおほせられさうらひつる人はへいだいなごんどの』とぞ申候つる。おほせられさうらひつる事共は紙一二枚にもわたりさうらわむずらむ。おほかたかねぐろなるきんだち、わかとのばらはたれとか申候らん。いくらもあつまりゐておわしまし候。いくさなむどかひがひしくせられぬべしともみへ候わぬ」と云ければ、伊栄申けるは、「わぬしよくよく案ぜよ。ていわうと申は京にゐたまひて、宣旨をもしかくはつぱうへくださるれば、くさきもなびくべし。この帝王は源氏にせめおとされて、是までゆられおわしたる。かつうはみぐるしきことぞかし。これは院には御孫ぞかし。法皇はまさしきおんおほぢにて、京都にはたらかでおわしませば、それぞ帝王よ。今は今、昔は昔にてこそあれ。院宣をくださるるうへは、
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しさいにやおよぶべき」と申て、やがてはかたへおしよせて、時を作りたりければ、平家の方には、ひごのかみさだよしをたいしやうぐんとして、きくち、はらだがいつたうをさしむけてふせきけれども、三万余騎のおほぜいせめかかりければ、とるものをもとりあへず、ださいふをぞおとされける。かのたのもしかりしてんまんてんじんの、しめのあたりをこころぼそくたちはなれ、みづきの戸をいでて、すみよし、はこざき、かしひ、むなかたなむどをふしをがみて、道のたよりのほつせりふぐわんのしいしゆにも、「ただしゆしやうきうとのくわんかう」とのみこそまうされけめども、ぜんごふのはたす都なれば、こんじやうのかんおうむなしきににたり。をりふしあきしぐれこそ所せけれ。ふくかぜはいさごをあげ、ふるあめはしやぢくの如し。おつる涙のそそく時、田わきていづれとみえざりけり。かのげんじやうさんざうのりうさそうれいをしのがれけ
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むくるしみも、是にはいかでかまさるべき。かれはぐほふのためなれば、らいせのたのみもありけん。これはをんしうのためなれば、ごせのくるしみをおもひやるこそ悲しけれ。そうくわほうれんは名をのみ聞く。あかしの女房こしにたてまつりて、にようゐんばかりぞごどうよにめされける。こくぼさいぢよはなみだをながして、がんぜきをしのぎたまふ。さんこうきうけいはぐんれうはくしのかずかずにしたがひたてまつることもなし。れつを乱し、山わらうづにじんでいをふみてぞおわしける。さてそのひはあしやのつと云所にとどまり給。都より福原へかよひたまひしとき、ききたまひし里の名なれば、いづれの里よりもなつかしく、さらにあはれをもよほしけり。きかい、かうらいへもわたりなばやとおぼせども、なみかぜむかひてかなはねば、やまがのひやうどうじひでとほにともなひて、やまがのじやうにぞこもりたまふ。さるほどに九月中旬にもなりにけり。ふけゆくあきのあはれはいかにもといひながら、たびのそらは
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しのびがたきに、かいへんのりよはくめづらしくぞおぼえける。あまのとまやにたつけぶり、くもゐに昇るおもかげ、朝まの風も身にしむに、あしまをわけてつたふふね、弱りゆく虫の声、吹しほる嵐のおと、ものにふれをりにしたがひ、もにすむ虫のここちして、われからねをぞなかれける。じふさんやは名をえたる月なれども、ことにこよひはさやけくて、都のこひしさもあながちなりければ、おのおのひとところにさしつどひてえいじ給ける中に、さつまのかみかくぞえいじける。
月をみしこぞのこよひのとものみや都に我をおもひいづらむ K177
しゆりのだいぶつねもり是を聞給て。
恋しとよこぞのこよひのよもすがら月見しとものおもひいでられて K178
へいだいなごんときただのきやう。
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君すめば是もくもゐの月なれどなほこひしきはみやこなりけり K179
さまのかみゆきもり。
名にしをふ秋のなかばもすぎぬべしいつより露の霜にかはらむ K180
おほいとの。
うちとけてねられざりけりかぢまくらこよひぞ月のゆくへみむとて K181
おもひきや、かのほうこの月をこのかいしやうにうつしてみるべしとは。ここのへのくものうへ、ひさかたのくわげつにまじはりしともがら、いまさらにせちにおもひいでられて、こゑごゑくちずさみ給けり。さこそはかなしくおぼしめしけめ。かくていささかなぐさむここちせられける程に、又をかたのさぶらう十万余騎にてよするときこへければ、やまがのじやうをも、取る物もとりあへず、たかせぶねにさをさして、よもすがらぶぜんのくにやなぎと云所へぞおちたまひにける。
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かはべのくさむらに虫の声々弱りけるを聞給て、おほいとのかくぞ思つづけ給ける。
さりともと思ふ心も虫のねもよわりはてぬる秋のゆふぐれ K182
かのところは、ぢぎやうてうばうすこしゆゑある所也。やうばいたうりひきうゑて、ここのへのけいきおもひいでられければ、是にはさてもなむどぞ思あひ給ける。さてさつまのかみただのりなにとなくくちずさみに。
都なるここのへの内こひしくはやなぎのごしよを春よりてみよ K183
(十三) をかたのさぶらうやがておそひきたるときこえければ、かのごしよにもわづかに七かにちぞおはしましける。おんふねにめしてしこくのかたへぞおもむかれける。こまつのないだいじんの三男さちゆうじやうきよつねは、いと心苦しくおもはれける人を置て、都をいでたまひける時、「さい
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かいの浪におぼれなば、さいくわいそのごをしらず。いかなる
人にみへたまふとも、おもひいでては念仏申て、ごせとぶらひてたべ」とて、髪を切てかたみにつかはしたりけるが、中将都をいでたまひて後は、風のたよりのおとづれもなかりければ、女うらみてかの形見に一首をそへてぞつかはしける。
みるたびに心づくしの神なればうさにぞかへすもとのやしろへ K184
まことにやさしくあわれなりし事也。きよつねおもわれけるは、「都を源氏におひおとされ、ちんぜいをばこれよしにおひいださる。いづくへゆかば。つひにのがるべきかわ」とて、しづかにきやうよみ念仏して、海にぞ沈み給ける。人々をしみかなしみ給へども、かひなし。哀なりし事也。
十四 ながとのくにはしんぢゆうなごんこくむし給ければ、もくだいきのみんぶだいふみちすけ、
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平家こぶねどもに乗給へると聞て、あき、すはう、ながと三がこくの、ひものかまさきつみたる船三十よそうてんぢやうして、へいけにたてまつりたりければ、それにのりて、さぬきへこえたまひけり。あはのみんぶしげよしはをりふしさぬきやしまのいそにありけるが、「をきの方にこのはのごとくにふねどもうかびて候」と、とほみに置たる者申ければ、しげよしは、「源氏はいまだ都をいでたりとはきかぬ物を。あはれ、このきんだちの、くこくの者共が、すげなくあたりたてまつるときに、かへりたまふごさむめれ。かたきかみかたか、成良むかひてみむずる也。かたきならばさだめて成良死なむずらむ。やひとついよ、ひとども」といひおきて、小船に乗てこぎむかふ。みかたの船と見てければ、おほいとののおんふねにまゐりて申けるは、「さ候へばこそ『是にわたらせおわしまし候へ』と申候しか。『ちんぜいのものども、こころざしおもひまひらせ候わんは、参
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候わむずらむ。ふたごころあらばとどまり候わむずらむ。あしこここへわたらせたまひて、ものどもがそむきたてまつらば、なかなかあしくさうらうひなむ』と、さしもまうしさうらひし物を。このやしまの浦はよきじやうくわくにてさうらふなり。只これにわたらせ給べきなり」と申て、いれまひらす。あやしの民の家をくわうきよとするにたらざれば、しばらくはみふねをもつてごしよとす。おほいとのいげのげつけいうんかくもしづがふしどによをあかし、あまのとまやに日をおくり、くさまくらかぢまくらなみにぬれ、露にしほてれぞあかしくらし給ける。かかるすまひはたれかいつかはならふべきなれば、なみだをながしてぞふししづみ給ける。しげよしはせまわりて、あはのくにのぢゆうにんをはじめとして、四国のものどもなびかして、たのもしきやうにふるまひければ、しげよしがおんけしきぞゆゆしかりける。やがてあはのかみになされにけり。さだよしはくこくをもしたがへず、おひいだされてければ、きらもなかりけり。
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はらだのたいふたねなほ、ちくぜんのかみになさる、きくちのじらうたかなほ、ひごのかみになりたりけれども、これよしにおひいだされたりければ、こくむにおよばず、ただなばかりにて有ける上、こころがはりしてぞみえける。何事も成良がはからひまうすにまかせられければ、しこくのものどもかのこころにしたがはむとふるまひける中に、いよのかはののしらうみちのぶばかりぞまゐらざりける。しげよしがさたにて、だいりとていたやのごしよつくりたまひけり。都には法皇おんなげきなのめならず。そのゆゑは、さんじゆのしんぎぐわいとにおはしますこと、つきひおほくかさなりぬれば、ついたうのつかひをつかはさるるにつけても、いこくの宝ともなり、かいていのちりともやならむずらむとおぼしめす。よのすゑになると云ながら、わがめの前に、まのあたりかかる不思議のあるこそ心憂けれ。ごけいだいじやうゑもすでにちかくなりむたり。
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いかがして都へかへしいれ奉らむずると、さまざまのおんいのりはじめらる。人々におほせあはせられなむどしければ、「御使をくだされて、ときただのきやうにおほせらるべし」とぎぢやうありけり。「たれかしせつをつとむべき」とひやうぢやうありけるに、ときみつをくださるべきよし、しよきやうはからひまうされければ、法皇しゆりのだいぶときみつをめして、「わがてうのだいじ、このことにあり。さいこくにまかりくだりて、しさいくはしく時忠におほせふくめよ」とおほせられければ、時光まうされけるは、「てうかのおんだいじ、君のおほせ、かたがたしさいをまうすべきに候はず。いそぎまかりくだるべく候。ただしまかりくだりさうらひなば、きさんつかまつる事ありがたくさうらふ。そのゆゑは、さいこくへおもむきさうらひし時も、かならずあひともなふべきよしときただまうしさうらひしかば、『ごかうなりさうらはば、しさいにおよばず。しからずは、おもひよらず』としんぢゆうにぞんじさうらひしに、君のごかうもさうらはざりしかば、とどまりさうらひにき。そののちもまかりくだるべきよし、たびたびまうしつかはし候へども、たとひ
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ばんにんのかしらをこえて、さんんこうにいたすべくさうらふとも、君をはなれたてまつりてぐわいとへおもむくべしとは、かけてもおもひより候わぬ事なれば、へんたふにも及び候わでまかりすぎさうらふなり」とまうされたりければ、「さてはかへりのぼる事、まことにありがたかるべし」とて、くだされず。かのしゆりのだいぶときみつと申は、へいだいなごんの北方、あんとく天皇のおんめのと、そつのすけのせうとにておわしければ、ときただのきやうしたしくて、さいこくよりもさやうにまうされけるにこそ。「さらばいかがせん」とはおほせありけれども、今度既にさてやめぬ。
十五 ひやうゑのすけよりともは、たやすく都へのぼりがたかるべしとて、鎌倉にゐながら、せいいしやうぐんのせんじをかうぶる。そのじやうにいはく、
さべんくわんくだす ごきないしよこく
まさにみなもとのよりとものあつそんごきないとうかいとうせんほくろくせんいんなんかい
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さいかいのせいいのしやうぐんたるべきこと
使さししやう、なかはらのやすさだ。うししやう、おなじくかげいへ
みぎ、さだいじんふぢはらのあつそんかねざねせんす。ちよくをうけたまはるに、じゆしゐのげかうさきのうひやうゑのすけみなもとのよりとものあつそん、せいいしやうぐんたらしむべしてへれば、よろしくしようちせしめせんによつてこれをおこなふべし。
じゆえい二年はちぐわつぴさだいしをつきのすくね
さだいべんふぢはらのあつそんざいはん
とぞかかれたりける。おんつかひはちやうぐわんさししやうなかはらのやすさだとぞきこへし。
十六 おなじき九月四日、鎌倉へくだりつきて、ひやうゑのすけにゐんぜんをたてまつり、ちよくぢやうのおもむきをおほせふくめて、兵衛佐のおんぺんじを取て、廿七日しやうらくして、ゐんのごしよのおつぼにまゐりて、くわんとうの有様をくはしく申けり。「兵衛佐まうされさうらひしは、『よりともは
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ちよくかんをかうぶるといへども、ひるがへりておんつかひをうけたまはりて、てうてきをしりぞけ、ぶようのめいよちやうじたるによつてなり。かたじけなくもゐながら、せいいしやうぐんのせんじをかうぶる。ちよくかんの身にてぢきにせんじをうけとりたてまつること、そのおそれあり。わかみやにてうけとりたてまつるべし』とさうらひしかば、やすさだわかみやのしやだんへさんかうつかまつりさうらひぬ。やすさだはざつしきをとこにせんじのふくろかけさせて、いへのこ五人、らうどう十人ぐしてさうらひき。わかみやとまうしさうらふは、つるがをかと申所にはちまんを移し奉りてさうらふが、ぢぎやういはしみづにあひにて候。それにしゆくゐんあり。しめんのくわいらうあり。つくりみちじふよちやうみおろしたり。『さて宣旨をばたれしてかうけとりたてまつるべきぞ』とひゆぢやうさらひけり。『みうらのすけよしずみにてうけとりたてまつるべし』とさだめられさうらひにけり。かのよしずみはとうはつかこく第一のゆみとり、みうらのへいたらうためつぎとて、かしはばらのてんわうのおんすゑにてさうらふなる上、
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ちちおほすけよしあき、きみのために御命をすてたる者にてあり。よしあきがくわうせんのめいあんをも照さむがため也。よしずみはいへのこににん、らうどう十人ぐしてさうらひき。家子二人、内一人はひきのとうしらうよしかず、一人はわだのさぶらうむねざねと申者にて候。郎等十人をばだいみやう一人づつしていでたちさうらひけり。いじやう十二人は皆かぶと、義澄はあかをどしのよろひにかぶとをばき候わず。弓わきにはさむで、右のひざをつき、左のひざをたてて、せんじをうけとりまひらせんとつかまつる。宣旨をらんばこのふたにやすさだいれまひらせさうらふとて、『そもそも御使はたれびとにておわし候ぞ』と、尋ねまうしてさうらひしかば、『みうらのすけ』とは名のり候わで、『みらうのあらじらうよしずみ』となのり候て、宣旨をうけとりまひらせてのち、ややひさしくさうらひて、らんばこのふたにはしやきんひやくりやういれられて返されさうらひぬ。はいでんにむらさきべりのたたみをにでふ
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しきて、やすさだをすゑさせさうらひて、たかつきにさかなにしゆして、酒をすすめ候。さいゐんのしくわんちかよしはいぜんにたちて、ごゐ一人やくそうをつとめさうらふ。さかなに馬ひかれ候しに、おほみやのさぶらひのいちらふにて候し、くどうざゑもんのじようすけつね一人して、これひきさうらひぬ。そのひは兵衛佐のたちへはしやうじ候わず。いつまなるかやのやをしつらいて、わうばんゆたかにして、あつぎぬにりやう、こそでとかさね、ながびつにいれて置き、じやうぼんのきぬひやくひき、つぎの百疋、しらぬのひやくたん、こんあゐずりひやくたん、つみてさうらひき。馬十三疋おくりさうらひし中に、三疋にはくらおきて候き。あくるひすけのたちへむかひて候しに、うちとにさぶらひさうらふ。共に十六けんにてさうらふに、とさぶらひには国々のだいみやう肩をならべひざをくみてつらなりゐたり。うちさぶらひには源氏しやうざして、ばつざにはをとらうどうどもちやくしたり。少しひきのけて、むらさきべりのたたみをしきて、やすさだ
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をすゑさせさうらひて、ややひさしくありて、ひやうゑのすけのめいにしたがひて、やすさだしんでんへむかふ。しんでんにかうらいの畳いちでふしきて、すだれをあげられたり。ひろひさしにむらさきべりの畳いちでふしきて、康定をすゑさせさうらひぬ。さて兵衛佐いであはれたり。ほういにくずばかまにて候き。ようがんあしからず、かほおほきにて、少しひきぶとに見へ候。かほばせいうびに、げんぎよふんみやうにして、子細を一時のべたり。『行家、義仲は頼朝がつかひにて都へ向ふ。平家は頼朝がゐにおそれて、京都にあとをとどめず、西国へおちうせさうらひぬれば、そのあとにはいかなるにこうなりとも、などかうちいらざるべき。それに義仲、行家、おのれがかうみやうがをにおんしやうにあづかり、あまつさへりやうにんともにくにをきらひまうしさうらふなるでう、かへすがへすきくわいに候。ただし義仲ひがことつかまつりさうらはば、ゆきいへにおほせてうたるべくさうらふ。行家ひがことつかまつりさうらはば、よしなかにおほせてうたるべくさうらふ。たうじも頼朝がしよじやうのうはがきには、きその
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くわんじや、じふらうくらんどと書て候へども、へんじはしてこそ候へ』などまうされさうらひし程に、をりふしききがきたうらい。兵衛佐これを見て、よに心へずげにおもひて、『ひでひらがむつのかみになされ、すけもとがゑちごのかみになされ、ただよしがひたちのかみになりて候とて、頼朝がめいにしたがはずさうらふも、ほいなきしだいに候へば、早くかれらをついたうすべきよし、院宣をくだされさうらふべし』とこそ申しさうらひしか。そののちやすさだしきだいつかまつりて、『ことさらにみやうぶをしてまゐらすべく候へども、今度は宣旨の御使にて候へば、おつて申候べし。しやていにて候、しのたいふしげよしもどうしんに申候き』と申てさうらひしかば、『たうじよりともが身として、いかでかおのおののみやうぶをばたまわり候べき。さ候わずとてもそりやくのぎあるまじ』と、へんたふしてこそ候しか。『都にもおぼつかなくおぼしめされさうらふらむに、やがてまかりたつべ
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き』よしまうしさうらひしかば、『けふばかりはとうりうあるべし』とまうされさうらひしあひだ、そのひはしゆくしよへまかりかへりてさうらひしに、おひさまににかけださんじつぴきおくりたまはりてさうらひき。つぎのひ又兵衛佐のたちへむかひて候しかば、きんつばのたちに、ここのつさしたるのやひとこしたびてさうらひき。そのうへ鎌倉をいでさうらひし日よりしてかがみのしゆくまで、しゆくじゆくによねをごこくづつ置て候し間、たくさむに候ひつれば、せうせう人にたび、しゆくじゆくにてせぎやうにひきてこそ候つれ」とこまかに申たりければ、「人にとらせず、おのれがとくにはせで」とぞ法皇おほせありて、おほきにわらわせ給ける。またゐんぜんのうけぶみには、「さんぬる八月なぬかの院宣、今月四日たうらい。おほせくださるるむね、ひざまづきてもつてうくるところくだんのごとし。そもそもゐんぜんのししゆにつきて、つらつらかんしんのめつばうをおもふに、これひとへにみやうじんのみやうばつなり。さらによりともがくりきにあらず。けんじやうのあひだのこと、ただえいねんのおもむきたりぬべし」とぞのせたりける。
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らいしには、「じんじやぶつじ、きんねんよりこのかた、ぶつしやうとうゆかきたるがごとし。じしやりやうとう、もとのごとくほんじよにかへしつけらるべきか。わうこうけいしやういげのりやう、へいけのともがらおほくあふりやうすとうんうん。はやくせいじつのおんぜうをくだされて、しうぶのうつねんをはらはるべきか。へいけのたうるい、たとひくわたいありといふとも、もしあやまちをくいとくにきせば、たちまちにざんけいにおこなはるべからざるか」とぞ申たりける。
十七 昔のむさしのごんのかみたひらのまさかどいげの朝敵の首、りやうごくもんにをさめらる。もんがくあからさまにゆるしいれられたらむ者、たやすくいかでかさまのかみよしともがかうべかすみとるべき。いつはりてひやうゑのすけにむほんをまうしすすめむとて、のざはにすてたるかうべを取て、かくまうしたりけるによりて、むほんをおこす。いしばしのいくさには兵衛佐まけたりけれども、次第にせいつきてところどころのいくさに打勝てのち、父よしともの
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首、まことにはいまだごくちゆうに有るよし、兵衛佐ききたまひて、もんがくをつかひにて都へのぼせてそうもんをへられけるに、義朝がかうべをばさのごくもんの前なるあふちの木にかけたりけるを、京にこんかきにてありける、あざなごらうと申ける者、はかせのはんぐわんかねなりにつきて、義朝の首たまはりてけうやうすべきよし申たりければ、兼成だいりに申てゆるされたりけるを、こんかき、うれしと思て、くだんのかうべを取て、ごくもんのいぬゐのすみに墓をつきてうづみたりけるを、ほりをこして見ければ、ひたひに「義朝」と云、あかがねのめいをぞ打たりける。かまだびやうゑまさきよが首もありけり。義朝にいつかいをおくらるべきよし、兵衛佐くげへそうせられければ、すなはちぞうないだいじんにふして、義朝がかうべをまきゑの箱にいれて、にしきの袋につつみて、もんがくしやうにんのくびにかけたり。まさきよがかうべをばひの箱にいれてぬのぶくろにつつみて、もんがくが弟子が
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くびにかけてぞ下りける。「いあへばすなはちこゑつこんていたり、いうよ、しざう、これなり。あはざればすなはちこつにくしうてきたり、しゆしやう、くわんさい、これなり。只こころざしをめいとせり。必しもしたしきをめいとせず」とぞもんがくは申ける。もんがく既に下るときこへければ、かたせがはと云所まで、だいみやうせうみやうむかへに参りたり。さてしやうにん鎌倉へくだりつきにければ、兵衛佐くわんたいをただしくしてていしやうにをりむかひ、ただいまかうのとのの入らせたまふとおもひなぞらへ給て、ひじりの馬のくちをとり、涙を流してぞかうべをうけとりたまひたりける。かぢはらいげのだいみやうせうみやうたちならびたり。皆袖をぞしぼりける。誠に死してのち、くわいけいの恥をきよめたりとおぼえてあはれなり。
十八 きそよしなかは都のしゆごにて有けるが、みめかたちきよげにて、よきをとこ
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にて有けれども、たちゐのふるまひのぶこつさ、ものなむど云たることばつきのかたくなさ、けんごのゐなかびとにて、あさましくをかしかりけり。ことわりや、しなののくにきそのやましたと云所に、二歳よりにじふしちねんのあひだかくれゐたりければ、しかるべきひとになれちかづくこともなし。今はじめてみやこびととなれそめむに、なじかはをかしからざるべき。のたまふべき事あつて、ねこまのちゆうなごんみつたかのきやう、きそがもとへおわして、ざつしきを以て、「参たるよしいへ」とものたまひたりければ、ざつしき、「ねこまのちゆうなごんどののこれまでまゐるにこそ候へ。げんざんにいれと申せと候」といひいれたりければ、木曽がかたに、いまゐ、ひぐち、たかなし、ねのゐといふ四人のきりもの有けり、そのなかにねのゐと云者、木曽に、「ねこどののまゐりてこそ候へと、おほせられさうらふ」と云たりければ、木曽こころえずげにて、「とはなむぞ。ねこのきたとはなにといふことぞ。猫は人
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にげんざんする事か」と云て、はらだちける時に、ねのゐ又たちいでて、つかひのざつしきに、「ねこどのの参りたとは何事ぞ」といひ、「ごれうにしからせたまふ」と云ければ、雑色をかしと思て、「しつでうばうじやうみぶのへんをばきたねこま、みなみねこまとまうしさうらふ。是はきたねこまにわたらせたまひさうらふじやうらふ、ねこまのちゆうなごんどのとまうしまひらせさうらふ人にてわたらせ給候。ねずみ取り候猫にては候わぬなり」と、こまごまと云たりければ、そのときよりこころえたりげにて、ねのゐ木曽にくわしくかたりたりければ、木曽、「さては人ごさむなれ。いでさらばげんざんせむ」とて、中納言をいれたてまつりていであひけり。木曽「とりあへず、猫殿のまれまれわひたるに、ねのゐ物まひらせよ」と云ければ、中納言あさましくおぼえて、「ただいまあるべくもなし」とのたまひければ、木曽、「いかが、けどきにわいたに、物まひらせでは
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あるべき。ぶえんのひらたけもありつ。とくとく」と云ければ、「よしなきところへきたりて、いまさらに帰らん事もさすがなり。かばかりの事こそなけれ」とおぼしめして、のたまふべきこともはかばかしくのたまわず。よろづきようさめて、かたづをのみておわしけるに、いつしかくぼくおほきなるがふしの、おびひきつけてしぶぬりなるに、くろぐろとしてけだちたるいひを高くおほきに盛りあげて、ごさいさんじゆ、ひらたけのしるひとつをしきにすへて、根井もてきたりて、中納言の前にすえたり。おほかたとかくいふはかりなし。木曽が前にも同じさまにしてすへたり。すへはつれば、木曽はしを取てをびたたしきさまにくひけれども、中納言はあをざめておわしければ、「いかにめさぬぞ。がふしをきらひ給ふか。あれは義仲がくわんおんかうにひとつきにいちどすうるしやうじんがふしにて候ぞ。ただよそへ。ぶえんのひらたけのしるもあり。ねこ
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どのあひ給ふや」と云ければ、「食わでもあしきこともぞある」とて、くふまねをせられたりければ、木曽はつるりとくひて、手づからがふしもさらもとりかさねて、中納言をうちみて、「ああ猫殿はてんぜいせうじきにてわしけるや。猫殿今少しかい給へ」とぞ申たる。ねのゐよつてねこまどののぜんをあげて、「猫殿のおんとのびとやさうらふ」と申たりければ、「いなばのさくわんといふざつしきさうらふ」とて参たりければ、「是は猫殿の御わけぞ。たまわれ」とてとらせたりければ、とかくまうすにおよばず、ひさげのしたへなげいれたりけるとかや。是のみならず、かやうにをかしきことどもありけり。木曽くわんなりたるしるしもなく、さのみひたたれにてあらむもあしとて、ほういにとりしやうぞくして、車に乗て院へまゐられけるが、きならわぬたてえぼしよりはじめて、さしぬきの
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すそまで、かたくななる事いふはかりなし。うしわらははへいけのないだいじんのわらはを取たりければ、かうみやうのやりてなりけり。わがしゆうのかたきと、目ざましく心憂く思ける上、車にこがみ乗たる有様、いふはかりなくをかしかりけり。にんぎやうか、だうそじんかとぞ見へし。よろひうちきて馬に乗たるには似ず、あやうくおちぬべくぞおぼえける。うしくるまはやしまのおとどのをおさへとりたりけり。うしわらはもおほいとののじらうまる、よにしたがへばとられてつかはれけれども、しゆうのかたきなれば目ざましくおもひて、いと心にもいれざりけり。牛はきこゆるこあめなり。いちもつのこの二三年すへかうたるが、かどでをひとずわへあてたらむに、なじかはとどこをるべき、飛ていでたりければ、木曽さらのけに車の内にまろびにけり。牛はまりあがつてをどる。こはいかにと、木曽あさましくおもひて、おき
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あがらむとしけれども、なじかはおきらるべき。袖はてふのはねをひろげたるがごとくにて、足を空にささげて、なまりごゑにて、「しばし、やれやれ」と云けれども、うしわらはそらきかずしてしごちやうばかりあがかせたりければ、共にありけるらうどうどもはしりつきて、「いかに、しばし、おんくるまとどめよ」と云ければ、「おんくるま、牛の鼻のこはくてとどめかねて候。そのうへ『しばし、やれやれ』とおほせさうらへばこそつかまつりて候へ」とぞちんじたりける。くるまとどめてのち、木曽ほれぼれとして、おきあがりたりけれども、なほあぶなふ見へければ、うしわらはよりて、「それに候てがたにとりつかせ給へ」と云ければ、いづくをてがたともしらずげにて見まわしければ、「それにさうらふ穴にとりつかせ給へ」と云ける折、とりつきて、「あはれ、したくや。是はわうしこでい人のしたくか、殿のやうか、木のなりか」とぞいひける。
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院の御所にくるまかけはづれたりけるに、車のうしろよりをりむとしければ、「まへよりこそおりさせたまひさうらわめ」とざつしき申ければ、「いかがすどをりをばせむずる」と云けるぞ、をかしかりける。
(十九) 平家はさぬきのやしまにありながら、せんやうだうをぞうちとりける。きそのさまのかみこれを聞て、信乃国住人やたのはんぐわんだい、うんののへいしらうゆきひろたいしやうぐんとして、五千余騎のせいをさしつかはしけり。平家はさぬきのやしまにあり、源氏はびつちゆうのくにみづしまがつにひかへたり。源平たがひにうみをへだててささへたり。さんぬる十月ひとひのひ、水嶋が津にせうせんいつそういできたる。あまぶね、つりぶねかとみるところに、あまぶねつりぶねにもあらず、へいけがたのてふのつかひのふねなりけり。源氏是を見て、へづなといてほしあげたる千よ
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そうの船を、をめきさけびておろしけり。平家是を見て、五百よそうの船を、二百よそうをかたへさしうけ、のこる三百よそうは百艘づつてんでにわけて、源氏の千余艘の船を一艘ももらさじと、水嶋が津をさしまきたり。源氏のたいしやうはうんののへいしらうゆきひろ、からめでのたいしやうぐんやたのはんぐわんだい。へいけのたいしやうぐんは、ほんざんゐのちゆうじやうしげひら、しんざんゐのちゆうじやうすけもり、ゑちぜんのさんゐみちもり、からめでの大将軍には、しんぢゆうなごんとももり、かどわきのちゆうなごんのりもり、じなんのとのかみのりつね。のとのかみのたまひけるは、「とうごくほつこくのやつばらにはじめていけどられて、したがひつかへむ事をばかへりみるべからず。おのおの心をひとつにして命をおしむべからず。いくさはかうこそするなれ」とて、五百余艘の船、ともづなをむすびあはせて、中にはもやいを
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入れ、上にあゆみの板をひきわたしたれば、へいへいとしたりけり。船のうち、とほきは射る、ちかきはうちものにてしようぶをす。くまでにかけてとるもあり、取らるるも有。くみておつるもあり、さしちがへてゐたるもあり。おもひおもひこころごころしようぶをぞけつしける。みのこくよりひつじのげまで、ひまありともみえざりけり。さりけれども源氏つひにまけいくさになりて、大将軍やたのはんぐわんだいもうたれにけり。うんののへいしらうゆきひろは、今はかなはじとおもひて、らうどうわがみともによろひむしや八人はしぶねにのりて、おきの方へこぎさりける程に、船はちひさし、なみかぜははげしかりけり、ふみしづめて一人ものこらず、皆死にけり。平家はふねのうちにおのおのくらおきむまを用意したりければ、五百余艘の船、ともづなをきりはなちて、なぎさに船をよせて、ふなばらをのりかたぶけて、馬をさとをろし、ひ
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たと乗て、のりつねを先としてをめいてかけたまひければ、うちもらされたる源氏の郎等共、とるものもとりあへず、はふはふ都へにげのぼる。木曽義仲是を聞て、やすからぬことにおもひて、夜を日につぎてびつちゆうのくにへはせくだる。さんぬる六月、ほくろくだうかがのくにあたかしのはらのたたかひに、びつちゆうのせのをのたらうかねやす、へいせんじのちやうりさいめいゐぎしいけどられたりしを、さいめいはろくでうがはらにて切られぬ。
二十 かねやすをば西国へくだらむずるみちしるべにとてきらざりけり。兼康はさるふるつはものにて、木曽にふたごころなきやうにしたがひたり。「さんぬる六月より、かひなき命をいけられたてまつりて候へば、今はそれにすぎたるごおんなにかは候べき。じこんいごいくさつかまつりさうらわむには、まつさきかけて命を君にまひら
せ候わん」
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と申て、たよりのひまあらば木曽をうたんとぞねらひける。そしけいのこへとらはれ、りせうけいがかんてうへかへらざるがごとし。とほきいてうにつける事、昔の人のかなしめりし所也といへり。をしかわのたまきかものばくとうを以てふううをふせきて、なまぐさきししむら、らくのこむづ、かれらをもつてはききんを養ふ。夜はいぬる事あたはず、ひるはかなしみの涙をたれてあかしくらし、たきぎとりくさきらずといふばかりなり。なにごとにつけても、こころうくたへがたきことかぎりなかりけれども、ふたごころなく木曽につかはれけり。こころのうちには、「いかにもして故郷へ帰て、きうしゆをみたてまつり、ほんいをとげむ」とおもふこころふかかりければ、はかりことにかくふるまひけるを、木曽しらざりけり。義仲、じゆえい二年十月四日のあした、都をいでて、はりまぢにかかりて、いまじゆくと云所にちやくす。今宿よりせのををせんだつにてびつちゆうのくにへ下る。ふるさかと云所にて、かねやす、「いとまを
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たまはりて、さきにたちて、したしきやつばらあまた候へば、御馬の草をもまうけさせさうらはばや」と申ければ、木曽もつともしかるべしとて、「さらば義仲はここにみつかとうりうすべし」とぞ申ける。兼康、木曽をばよくすかしおほせつとて、しそくこたらうかねみち、らうどうむねとしをあひぐしてくだりけり。兼康をばかがのくにのぢゆうにん、くらみつのごらうといふものいけどりにして、木曽にとらせたり。兼康、くらみつに云けるは、「や、たまへ、くらみつどの。かねやすいけどりにし給たるけんじやういまだおこなはれずは、びつちゆうせのをはよきところぞ。兼康がほんりやうなり。くんこうの賞にまうしたまはりてくだり給へかし。おなじくはうちぐし奉らう」と云ければ、倉光五郎、まことにと思て、せのををのぞみまうしければ、木曽すなはちくだしぶみをなしてけり。倉光五郎やがて兼康を先にたててくだりけり。兼康道にておもひけるは、「倉光を
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せのをまでぐして下りぬる者ならば、しんしとて国のものどももてなしてむ。又よろこびする者もあらば、くらみつにせいつきてはいかにもかなはじ」とおもひて、「びぜんのくににわけのわたりと云所あり。かかるらんせいなれば、所もがふごせむ事かたし。兼康さきだちて、所の者にもふれまはり、したしきものどもにも、『かかる人こそくだり給へ』と申て、おんまうけをもいとなませ候わむ」と云て、かのところに倉光をばすかし置て、兼康さきだちにけり。くさかべと云所にきしゆくして、そのよ倉光ようちにして、兼康はにしかは、三のわたりをして、きんりんのものどもかりもよほして、ふくりゆうじなわてをほりきる。かのなわてと申は、とほさにじふよちやうなり。北はががたる山にて、南は南海へつづきたるぬまたなり。西にはいはゐのべつしよとて寺あり。これらをうちすぎて、たうごくいちのみやのふしをがみ、ささがせまりにかかりにけり。ささがせまりは、にしのかたは
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高山なりければ、上には石弓をはり、木曽をまちかけたり。うしろはつだかのがうとて、たにぐちは沼なり。何万騎のかたきむかひたりとも、たやすくおとしがたし。ここにつはものどもさしおきて、わがみばかりはから河のしゆくにひきこもる。「倉光五郎はもとよりすくやかだちて、せのをのたらうをいけどりにするのみにあらず、どどかうみやうしたる者の、いかにして兼康にはいふかひなくおきいだされて、うたれにけるやらむ」と人申ければ、あるつはものどもまうしけるは、「ことわりや。北国の住人ながらあんないしやたてで、ここかしこ穴ぐりありき、昔よりむまのはなもむかぬ所へも武士をいれなむとして、木曽殿にあしきことをすすめたてまつれば、としごろほんじやのおんとがめもや有らむ、そもしらず。又さいめいゐぎしがろくでうがはらにてくびをきられしも、倉光がざんげんなり。さればまつじのちやうりなれば、しらやま
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ごんげんのおんたたりにて、いふかひなくうたれもやしつらむ」とぞまうしあひける。「せのをのたらうかねやすこそ、ほくろくだうのいくさにいけどられてありつるが、木曽をすかひていとまえて、平家のみかたへまいれ。木曽はすでにふなさかやまにつきたり。みかたにこころざしおもひたてまつるどもは、兼康につきて、木曽をひとやいよや」と、やまびここだまのごとくにののしりてとほりければ、せのをのものども、もののぐ、むまのくら、らうどうをももちたるともがらは、平家につきたてまつりて屋嶋へ参りぬ。もののぐもたざるほどの物は、せのをにとどまりてありけるが、是を聞て、あるいはかきのひたたれこばかまにつめひぼゆいたる者もあり、あるいはぬのこそでにあづまをりしたる者もあり。かりうつぼにししやしごさしてかきおひ、たかえびらにかりやごろくさしてかきつけたる者、あなたこなたより二三百人はしりあつまりにけり。それにもののぐしたる者七八
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十人にはすぎざりけり。せのをの太郎にようちにうちもらされたる倉光がげにん、ふなさかやまにまかりむかひて木曽に申けるは、「くらみつどのこそようちにうたれて候へ。せのをのたらうどのは、『せのをへさきだちてまかりさうらひて、むまのくさをも尋ね、おんまうけをもところのものにせさせ候べし。そのほどは、このてらにおわしませ』と申て、倉光殿をばふるだうにおきとどめたてまつりて、『いそぎつかひをたてまつるべし』と申てまかりさうらひしが、つかひも候わず」と申ければ、木曽おほきにおどろきて、「さてようちのせいはいかほどかありつる」と問へば、「四五十騎にはすぎ候はじ」と云ければ、「さてはかねやすめがしわざにこそ。さおもひつる物を。やすからぬものかな」とて、木曽腹をたてて、三百余騎にていまじゆくをうちいでて、夜を日につぎてはせくだる。そのくれがたにみついしにつく。それよりしてあくる日ふぢのにつきて、「倉光さ
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てはここにてうたれにけるよ」とて、念仏を申し、そこをうちすぎて、わけのわたりをしてかはのがうへうちいりにけり。ふくりんじのなはてほりきりたりければ、かはのがうのそうくわんをじんじよにて、きたのかたからすだけをまはりて、ささがゐをこそおとしけれ。せのをは、木曽いまじゆくにみつかのとうりうといひしかばとて、いまだじやうくわくもかまへぬに、木曽はとおしよせたりければ、せのをおもひまうけたる事なれども、あわてたりけり。さはありけれども、しばらくこらへてささへたり。かりむしやどもはこらへずして皆おちぬ。少し恥をも知り、名をもをしむ程の者、一人ものこらずうたれにけり。おほくはふかたにをひはめられて、くびをぞ切られにける。せのをの太郎はやだねいつくして、しゆうじゆうさんぎみどり山へこもりて、あひかまへてやしまへつたはらむとこころざしたりけるが、せのをが嫡子小太郎かねみちは、父には似ずこえふとりたる男にて
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有ければ、あゆみもやらず、足はれて山の中にとどまりにけり。父は小太郎をもすてて、おもひきりておちゆきけるが、おんあいのみち、ちからおよばざることなれば、小太郎が事思ふにゆきもやられず。らうどうむねとしに云けるは、「兼康はとしごろすせんぎのかたきにむかひてたたかひしかども、よもは晴れてこそおもひしに、只今ゆくさきのみえぬは、太郎をすててゆくときに、まなこにきりかぶりてゆくさきみえずとおぼゆるぞ。いづくへゆきわかれたりとも、しなばいつしよでこそしにたけれ。屋嶋へまゐりて、北国のいくさに木曽にいけどられて、このひごろあさゆふつかへつる事をもまうさばやとこそ思ふとも、『せのをこそ最後にあまりにあわてて、子をすてておちふためきけれ』といわむ事もこころうし。そのうへ又、小太郎もうらみてこそ有らめと思へば、これよりとりかへして、小太郎といつしよにていかにもP2707ならばやとおもふはいかに」といへば、「むねとしもさこそぞんじさうらへ。いそぎ帰らせたまひて、こたらうどのと一所にて、清きごじがいさうらふべし」と云ければ、さらばとて十余丁はせかへりて、小太郎が足やみてふしたるところにはしりつきて、「ゆけどもゆくそらもおぼえねば、汝といつしよにてしなむと思て、かへりたるぞ」と云ければ、小太郎をきあがりて、手をすりて涙を流す。しかぎをさし、やまをあけ、うしろにはたいぼくをこだてにして、木曽をまちかけたり。さるほどに、木曽三百余騎にて、せのをがあとを目につけて、おひかけてきたる。「かねやすがこのやまにこもりたんなるは。いづくにあるやらむ。せこをいれてさがせ」と云ければ、ききもあへず、「せのをの太郎兼康ここにありや」と云て、さしつめさしつめさんざんに射る。十三騎にておはせて、馬九疋いころす。せのをやだねいつくしてければ、腹かき切てふしにけり。子
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息小太郎かねみちもさんざんにたたかひて、かたき五人いとりて、おなじく自害してふしにけり。郎等むねとしもかたきあまた射とりて、しか木の上より、「せのをどのの郎等にむねとしと云、かうの者の自害する、見よや」と云て、大刀のきつさきをくちにくくみて、まつさかさまに落て、つらぬかれて死にけり。木曽、せのをふしが自害のくび取て、びつちゆうのくにさきがもりへひきしりぞき、まんじゆのしやうにぢんを取て、せいをそろへけり。
廿一 さるほどに、京のるすに置たりけるひぐちの次郎かねみつ、はやむまをたてて申けるは、「じふらうくらんどどのこそ、いたちのなきまにてんほこるらむふぜい、院のきりうどして、殿をうちたてまつらむとしたくせられさうらふなれ」とつげたりければ、木曽おほきに驚て、平家をうちすて、よをひにつぎて都へはせのぼる。十郎
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蔵人は是を聞て、木曽にたがわむとて、十一月二日、三千余騎にて京をいで、たんばのくにへかかりて、はりまぢへぞくだりける。木曽はつのくにへかかりてにふきやう。平家は、かどわきのちゆうなごんのりもりふし、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらをたいしやうぐんとして、そのせい一万余騎、はりまのむろにつく。十郎蔵人三千余騎にて、むろさかにゆきあひてかつせんす。平家の方にはうつてをいつてにわかつ。いちぢん、ひだのさぶらうざゑもんかげゆき五百騎。二陣、ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ五百き。三陣、かづさびやうゑただつね五百き。しぢん、いがのへいないざゑもんいへなが五百騎。五陣の大将軍にはしんぢゆうなごん七千余騎にて、むろさかにあゆませむかふ。十郎蔵人三千余騎にていできたる。一陣のせい是を防く。しばらくささへて、ゆんでのこぐれの中へおちにけり。源氏そこをかけとほりて、二陣の
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せいにあゆませむかふ。このてもふせくやうにて、めてのはやしへおちくだる。そこをおとして三陣のせいにあゆませむかふ。是もこらへず、北の山のふもとへおひおとさる。四陣によせあひたり。是もかなはず、南の山ぎわへおひおとさる。すきなあらせそとて、五陣のおほぜいによせあひたり。しんぢゆうなごんのさぶらひに、きしち、きはち、きくらうとて、兄弟三人有けるが、せいびやうのてききなりけるをさきとして、ゆんぜいをそろへて射させければ、おもてをむくべきやうなくて、ゆきいへがせいとりかへしければ、へいけのぐんびやうときをつくりておひかかる。時の声を聞て、四陣、三陣、二陣、一陣のせい、やまのみねへはせあがりて源氏のせいをまつところに、四陣をやぶりなむとす。源氏よてのせいにむかひて、心をひとつにしてささへたり。行家、かたきにたばかられにけりと心得て、かたきにむかひて弓をも引かず、たちをもぬかず、
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「行家につきてここをとをせや、わかたう」と云ままに、弓をわきにはさみ、大刀を肩にかけてとほりにけり。四陣破りてかけとほりぬ。三陣おなじくかけとほりぬ。二陣一陣通りはてて、十郎蔵人うしろをかへりみたりければ、わづかに五十余騎になりにけり。このなかにもておひあまたあり。大将軍一人ぞうすでもおはざりける。行家あまのいのちいきて、つのくにへおちにけり。平家のせいうしろにしこみければ、行家さんざんにいやぶられて、はりまには平家に恐れ、都には木曽におそれて、いづみのくにへぞおちにける。平家はむろやまみづしまりやうどのいくさにうちかちてこそ、少しくわいけいの恥をばきよめけれ。
十一月九日、しよじしよさんのじんじやぶつじ、もとのごとくかうげのつとめをいたすべきよし、せんじをくだされけり。かのじやうにいはく、
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とうかいとうせんだうのしよこくおなじくじんじやぶつじゐんぐうわうしんしよししよかのしやうりやう、かれこれのさまたげをちやうじし、もとのごとくつかひをつかはし、よろしくひんぱんのつひえをりやうじやうせしむべし。かうげのつとめ、そのことむなしくたえて、やうやくねんじよをふ。しかのみならず、ひとのうらみのつもるところ、てんしんはかりがたし。たしかにりんじをまもり、あへてけいりうすることなかれ。ただしなおゐらんあるところは、さきのうひやうゑのすけよりともにおほせて、きびしくきんぜいをくはへ、すみやかにじゆんぎやうせしめよてへり。
じゆえい二年十一月九日 さちゆうべん
へいけのよたうせめおとすべきよし、せんじをくださる。そのじやうにいはく。
へいじのよたうなほそのむれをなし、あるいはくわんぐんにいどみたたかひ、あるいはしうけんをこふりやくす。ふうぶんのおもむきざいくわいよいよおもし。びぜんのかみみなもとのゆきいへにおほせて、せんやうなんかいりやうだうのけうゆうのともがらをあひそつして、よろしくかのぞくとらをせいばつせしむべしてへり。
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じゆえい二年十一月十一日 さちゆうべん
廿二 源氏の世になりたりとも、させるそのゆかりならざらむ者は、なにのよろこびかあるべきなれども、人の心のうたてさは、平家のかた弱るときけばないないよろこび、源氏の方つよるときけば、きようにいりてぞよろこびあひける。さはあれども、平家さいこくへおちたまひしかば、そのさわぎにひかれてやすきこころなし。しざいざふぐとうざいなんぼくへはこびかくすほどに、ひきうしなふこと数をしらず。穴をほりてうづみしかば、あるいはうちやぶり、あるいはくちそんじてぞうせにける。あさましともおろかなり。ましてほつこくのえびすうちいりにし後は、はちまん、かものりやうをはばからず、あをたをからせて馬にかひ、人の倉をうちやぶりて物を取る。しかるべきだいじんくぎやうのもとなむどこそはばかりけれ、かたほとりにつきては武士みだれいりて、少しもおだしき所なく、いへいへをついふくしければ、いまくはむとてとりくはたてたる物をもとりうばはれ、くちをむなしくしけり。家々には
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武士有る所もなき所も、かどかどにしらはたたちならべたり。みちをすぐる者もやすきことなし。いしやうをはぎとりければ、男も女もみぐるしきことにてぞ有ける。平家の世にはろくはらどののごいつかと有しと、おいたるもわかきもなげきあへる事なのめならず。木曽かかるあくじをふるまひける事は、かがのくにゐのうへのじらうもろかたがけうくんによりてとぞ、のちにはきこへし、院のほくめんにいきのはんぐわんともやすは、つづみはんぐわんとぞ云ける。彼をおんつかひにて、らうぜきをとどむべきよしおほせられけれども、木曽をんごくのえびすといひながら、むげのひたすらものおぼえぬあらえびすにて、院宣をも事ともせず、さんざんにふるまひければ、さきのにふだうてんがふびんにおぼしめして、ないない木曽におほせられけるは、「平家の世には、かやうにらうぜきなる事やはありしなむど、しよにんいひなげくなり。又ざいざい在々[* 「在々」衍字]しよしよにがうだう、せつたうひまなくて、人を殺し火をはなつこと、おろかならずときこゆ。
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いそぎしづむべし」とおほせられけれども、そのしるしなし。院よりともやすを御使にて、「しやうらくしてほんぎやくのともがらをおひおとしたる事はほんいなり。誠にや、むろやまよりびぜんのかみゆきいへがひきしりぞきにけるよしきこゆ。もつともおぼつかなし。さてはこのあひだらくちゆうらうぜきにてしよにんのなげきあり。早くしづむべし」とおほせありければ、きそよしなかかしこまりてまうしけるは、「まづ行家がひきしりぞきさうらひけるでう、やうこそさうらひけめ。さればとて、やはか平家よをとり候べき。はからふむねさうらふ。さわぎおぼしめすべからず。きやうとのらうぜきのこと、つやつやしらずさうらふ。たづねさたつかまつるべくさうらふ。げにんどもおほくさうらへば、さやうの事もさうらふらむ。又義仲がげにんに事をよせて、おちのこるへいけのけにんもやつかまつりさうらふらむ。又きやうぢゆうのふるぬすびともやつかまつり候らん。目にみへ耳にきこえ候わむには、いかでかさやうのらうぜきせさせ候べき。今よりのち、義仲がげにんとなのりてつかまつらむ者をとらへてたまはるべし。
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一々にくびきりてげんざんにいれさうらふべし」とじんじやうに申ければ、ともやすかへりまゐりて、義仲が申候つるやう、こまごまとまうしあげたり。「およぶところよくまうすにこそ」とおほせあり。木曽かくきらきらしくは申たりけれども、京都のらうぜきなほとどまらざりければ、又ともやすをおんつかひにて、「あひかまへてこのらうぜきとどめよ。てんがたいへいとこそ祈る事なるに、みだりがわしき事せんなし」とおほせありければ、木曽このたびは気色あれて、目ももちあげず、「わおんつかひをばたれと云ぞ」ととふ。「いきのはんぐわんともやすと申なり」と云ければ、「やとの、わどのをつづみはんぐわんときやうわらはべの云なるは、よろづの人にうたれたうか、はられたうか。つづみにてもわせ、とびやうしにてもわせ、義仲が申たるむねを院に申されねばこそ、さやうにらうぜきをするするといふさた有るなれ。道ともおぼえず」と云て、ことのほかにしかりければ、知康、「さらば帰らむ」と云ければ、木曽、「そへに帰らでは
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なにごとをしたまふべきぞ」とあららかに云ければ、知康にがわらひてかへりまゐりて、「よしなかをこのものにてさうらひけり。むかふさまにかくこそいわれてさうらひつれ。せいをたまはりてついたうつかまつりさうらはばや」とぞ申ける。このともやすはくつきやうのしてていうちのじやうずにてありければ、人「つづみはんぐわん」と申けるを、木曽ききつたへて、かく申たるけるにや。木曽かかるあらえびすにて、院宣をも事ともせず、かやうにさんざんにふるまひければ、平家には事のほかにかへおとりしてぞおぼしめしける。そのころならぼふし、法皇を歌によみまひらせてぞわらひける。
白さひて赤たなごひにとりかへてかしらに巻けるこにふだうかな K185
(廿三) のちにはやまやまてらでらへみだれいりて、だうたふをこぼち、ぶつざうをやぶりやきければ、しやくそんざいせのとき、だいばがけげんもかくやとぞおぼえし。いふに及ばず、神社にもはばからず、らう
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ぜきとどめざりければ、早く義仲をついたうして、らくちゆうの狼籍をとどむべきよし、知康がまうしおこなひける上、法皇もきくわいにおぼしめされければ、はかばかしく人におほせあはせらるるにもおよばず、ひしひしとおぼしめしたちて、ほふぢゆうじどのにじやうくわくをかまへて、つはものどもをめしあつめられ、まつのはをもつて、みかたのかさじるじにしたりけり。めいうんのてんだいざすになりかへりたまへると、はつでうのみやのてらのちやうりにておはしけるを、ほふぢゆうじどのへよびまいらせ給て、山、みゐでらのあくそうどもをめしてまゐらせらるべきよし、おほせありけり。そのほか君にこころざし思まひらせむ者、みかたへまゐるべきよしおほせられければ、義仲にひごろしたがひたりける、つのくに、かはちのげんじ、あふみ、みののかりむしや、ほくろくだうのつはものども、きそをそむきて、我も我もとまゐりこもりにけり。これのみならず、しよじしよさんのべつたうちやうりにおほせて、つはものをめされければ、ほくめんのものども、わかきてんじやうびと、
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しよだいぶなむどは、おもしろきことにおもひて、きように入たりけり。すこしも物の心をわきまへ、おとなしき人々は、「こはいかになりぬる世の中ぞ。あさましきことかな。只今てんがにだいじいできなむ」とあさみあへり。知康はみかたのたいしやうぐんにて、もんぐわいにしやうじに尻かけて、あかぢのにしきのひたたれにわきだちばかりにて、にじふしさしたるそやをひとすぢぬきいだして、さらりさらりとつまありて、「あはれ、しれ者のくびの骨を、このやをもつて只今いぬかばや」とぞののしりける。又よろづのだいしのみえいをかきあつめて、ごしよのしはうの陣にひろげかけたり。みかたの人々のかたらひたりけるものどもは、ほりかはのあきびとまちのくわんじやばら、つぶて、いんぢ、こつじきほふしばらなり。かつせんのやうもいつかならふべき。風もあらくふかばたふれぬべくて、にげあしをのみふみたるものどもぞ、多く参りこもりたりける。物のえうにたちぬべき者はなかり
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けり。木曽是を聞て申けるは、「平家むほんをおこして、君をも君ともしたてまつらず、人をも損じ、民をもなやます事としひさし。しかるを義仲命をすててせめおとして、きみのみよになし奉るは、きたいのほうこうにあらずや。それに何のとがあつてか只今義仲をちゆうせらるべき。東西の国々ふさがりて、京都へ物ものぼらず、もちきたる者はなし。がきすべく、しぬべければ、命をいきむが為、ひやうらうまいをも取り、いくらも見ゆるあをたをもからせて馬にかふは、ちからおよばぬことなり。さればとて、弓矢とる者は馬をもつてこそいくさかつせんをもすれ。わうじやうを守護して有らむ者が、馬一疋づつのらでもいかがあるべき。さりとても、みやばらへも打入り、だいじんけへもみだれいりてらうぜきをもせばこそきくわいならめ。かたほとりにつきて少々いりどりなむどせむをば、ゐんあながちにとがめ給べきやうやはある。是はつづみめがざんげん也。やすからぬものかな。つづみめをうちやぶりて
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すてむ」と云ければ、「さうにおよばず」と云者もあり。ひぐちのじらうかねみつ、いまゐのしらうかねひらなむどが申けるは、「じふぜんていわうにむかひまひらせて、弓をひき、矢をはなたせ給わむ事、いかがあるべくさうらふらむ。ただあやまたせ給わぬよしをなんども申させ給て、かぶとをぬぎ弓をはづして、かうにんにまゐらせたまふべくや候らん」と申ければ、「義仲としごろなんどのいくさかしつる。ほつこくはしなののをみあいだのいくさをはじめとして、ほくろくだうには、くろさか、しほぐち、よこたがはら、あたか、しのはら、となみやま、さいこくには、びぜんのふくりゆうじのなはて、ささがせまり、びつちゆうのいたくらのじやうをおとししまで、いじやうくかどかのいくさをしつれども、いちどもかたきにうしろを見せず。じふぜんていわうにておわすとても、かぶとをぬぎ弓をはづして、をめをめとかうにんになるべし
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とはおぼへず。つづみめにくびきられなばくゆるにえきあるまじ。法皇はむげにおもひしり給わぬものかな。義仲にをいては今度は最後のいくさなり」とぞ申ける。木曽かく云なりときこへければ、ともやすいとどいきどほりをなして、いそぎ義仲をついたうすべきよしをぞまうしおこなひける。
廿四 義仲ほつこくの合戦に、ところどころにてくわんびやうをうちおとして都へせめのぼりしに、ひえさかもとをとほらむ時、しゆとたやすくとほさじとて、ゑちぜんのこくふよりてふじやうを書て山門へ送りたりしによりて、しゆと木曽によりきしてければ、源氏のぐんびやうてんだいさんへのぼりにけり。そののち木曽都へうちいりて、らうぜきなのめならず。さんもんのりやうに所もおかざりければ、衆徒ちぎりを変じて、木曽をそむくべきよしきこえけり。これによつて、義仲いそぎたいじやうを書て山門へつかはす。そのじやうにいはく、
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さんじやうのきしよ、よしなかつつしみてげす。
えいさんのだいしゆ、かたじけなくしんよをさんじやうにふりあげ、みだりがはしくじやうくわくをとうざいにあひかまへて、さらにしゆがくのまどをひらかず。ひとへにひやうぢやうのいとなみをもつぱらにすとうんうん。こんげんをたづぬれば、義仲あくしんをけつこうして、さんじやうさかもとをついふくすべきよしふうぶんす。このでうきはめたるひがことにさうらふ。かつうはまんざんのさんぼう、ごほふしやうじゆ、ちけんをたれしめたまふべし。みづからしやうらくをくはたてしひ、みやうにはいわうさんわうのみやうじよをあふぎたてまつり、けんにはさんじやうのだいしゆのよりきをたのむ。いまはじめてなんぞこつしよをいたすべけむや。きえのこころざしありといへども、きようあくのおもひなくさうらふものなり。ただしきやうとにおいてさんぞうをからむるよし、そのきこえあるでう、もつともおそれぞんじさうらふ。さんぞうとかうして、みやうあくをこのむともがらこれあり。よつてしんぎをたださむがために、あらあらたづねうけたまはるあひだ、しぜんにらうぜきいできたるべくさうらふか。
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まつたくへんぎをみたすべし。そうじてさんじやうには、ぐんびやうをのぼらしむべきよしをきく。これによつて、だいしゆげらくせらるべきよしこれをうけたまはる。ひとへにこれてんまのけつこうするところか。あひたがひにしんようすべからずさうらふ。かつうはこのむねをもつて、さんじやうにひろうせしめたまふべきじやう、くだんのごとし。
十一月十三日 いよのかみみなもとのよしなか
しんじやうてんだいざすごばうとぞ書たりける。さんじやうには是にもしらけず、いよいよほうきするよしきこえけり、
(廿五) 昔しうのぶわう、いんのちうわうをうたむとしけるに、とうてんにしもさへて、ゆきのふることたかさにじふぢやうあまりなり。ごばじしやに乗れる人、もんぐわいにきたりて、「王をたすけてちうをうつべし」と云てさる。又しんせつにしやばのあと
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なし。これすなはちかいじんの天のつかひとしてきたれるなるべし。しかるのちちうをうつことを得たり。かんのかうそは、かんしんがいくさがかこまれてあやふかりけるに、てんにはかにきりふりて、闇をなして、かうそのがるることを得たりき。木曽じんりんのためにあたあり、ぶつじんにはばかりをなさず。なにによつてかてんじよにもあづかり、ひとのあはれみもあるべきなれば、法皇のおんいきどほりもいよいよふかく、知康も日にしたがひて、「いそぎついたうせらるべし」とのみまうしおこなひけり。知康はあかぢのにしきのよろひひたたれに、わざとよろひをばきず、かぶとばかりをぞきたりける。四天王のざうをゑに書てかぶとにはをし、右の手にはこんがうれいを振り、左の手にはほこをつきて、ほふぢゆうじどのの西国のついがきの上に昇りて、事をおきてて時々はまひけり。是をみるもの、「知康にはてんぐつきにけり」とぞ申ける。木曽がいくさのきちれいには、陣をたつるにはななてに
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わけて、すゑはひとてふたてにゆきあひけり。まづいまゐのしらうをたいしやうぐんとして、三百余騎をもつて、ごしよのひがし、かはらざかのかたへぞまはしける。のこるむつてはひとつになりたるぢやう、一千余騎にはすぎざりけり。十一月十九日たつのときに、木曽義仲すでにうつたつよしきこへければ、たいしやうぐんともやすいげ、きんごくのくわんびやう、ほくめんのともがら、くぎやうてんじやうびと、ちゆうげん、やまほふし、いじやう二万余騎、さわぎののしりける程に、木曽がかたのつはものには、にしなのじらうもりいへ、たかなしのろくらうたかなほ、ねのゐのゆきちか、おなじくなんたてのろくらうちかただ、ひぐちのじらうかねみつ、いまゐのしらうかねひらいげのものども、一千余騎にて、七条より河原へうちいでて、時を作る事さんがど、をびたたしくこそきこへけれ。やがてにしおもてのきはへせめよせければ、知康すすみいでて申けるは、「なんぢらかたじけなくもじふぜんていわうにむかひたてまつりて、
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弓をひき、矢をはなたむ事、いかでかつかまつるべき。昔はせんじをよみかけければ、かれたるくさきも花さきこのみなり、水なき池には水たたへ、あつきあくじんもしたがひたてまつりけり。まつだいといわむからに、あづまのえびすの身にて、いかでかきみをそむきたてまつるべき。いはむやなんぢらがはなつやはかへりておのれらが身にあたるべし。ぬくたちは身をきるべし。みかたよりはなたむ矢はそやとがり矢をすげずとも、おのれらがかつちうにはよもたまらじ。すみやかにひきてのき候へや」と云ければ、木曽おほきにあざわらひて、「さないわせそ」とて、をめいてかく。やがてごしよの北のざいけに火をかけてければ、北風はげしく吹て、みやうくわごしよにふきおほへり。ごしよのうしろ、いまぐまのの東のかたより、いまゐのしらう三百余騎にて時を作てよせたりければ、まゐりこもられ
たりけるくぎやうてんじやうびと、やまやまてらでらのそうと、
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かりむしやども、きもたましひも身にそはず、あしてのおきどころもしらず、たちのつかをとらへたれども、ゆびはだかりてにぎられず、なぎなたをさかさまについておのれが足をついきりなむどぞしける。まして弓をひき、矢をはなつまではおもひよらず。かやうの者のみこそ多くまゐりこもりたりける。西にはおほてせめむかふ、北よりはみやうくわもえきたる、東のうしろにはからめでまはりてまちかけたりければ、南の門をあけてぞ人々まどひいでられける。にしおもてのはつでうが末の門をばやまほふし固めたりけるが、たてのろくらうかけやぶりていりにければ、ついがきの上にてこんがうれい振りつる知康も、いづちかうせぬらむ、人より先におちにけり。知康おちにける上は、のこりとどまりていくさせんとする者なかりけり。名をもをしみ、恥をも知る程の者、皆うちじにに死にけり。そのほかははうはう
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ごしよをにげいでて、かしこここにいふせられ、きりふせらる。むざんともいふはかりなし。七条が末はつのくにげんじ、ただのくらんど、てしまのくわんじや、おほたのたらうらかためたりけるも、七条を西へ落にけり。いくさいぜんにざいちのものどもに、「おちむをりはうちふせよ」と知康げぢしたりければ、ざいけにんらいへのうへにたてをつき、をそいの石をとりあつめてまつところに、みかたのおつるをかたきのおつと心得て、われをとらじと打ければ、「是はみかたぞ」、「是はゐんがたぞ」とめんめんに名乗れども、「院宣にてあるぞ。ただうちふせようちふせよ」とうちければ、のきしたへはせより、もんないへにげいりて、もののぐぬぎおきて、はうはうぞおちにける。みかたにもよきものせうせうありけり。ではのはんぐわんみつなががそのころはうきのかみにてありけると、おなじくしそくみつつねがさゑもんのじようにてしのせんじをかうぶりたると、父子二人
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うちじにしてけり。信乃国住人あかつかのはんぐわんだい父子七人まゐりこもりてありけるが、しそくさぶらうはんぐわんだいばかりぞうちじにしてける。のこる六人おちにけり。てんだいざすめいうんそうじやうはかうぞめのおんころもに、みなずいしやうのごねんじゆもちたまひて、てんじやうのこさぶらひのつまどをさしいでて、馬にのらむとし給けるが、たてのろくらうがはなつ矢におんこしぼねを射させて、いぬゐに倒れ給けるを、つはものよつてやがておんくびを取奉る。てらのちやうりゑんけいほふしんわうは、おんこしにて東門よりいでさせたまひけるを、つはものはせつづいておひおとし奉りければ、こいへの内へにげいらせたまひけるを、ねのゐのこやたが射る矢に、左のおんみみのねをかせぎにいぬかれ給て、うつぶしにふしたまひけるを、つはものよつておんくびをきりたてまつりてけり。法皇はおんこしにめして、
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なんもんよりいでさせおはしけるを、武士多くかかりせめければ、おんりきしやも命のをしかりければ、おんこしをすててはうはうにげうせにけり。くぎやうてんじやうびとも皆たてへだてられて、ちりぢりになりて、おんともをつかまつる人なかりけり。ぶんごのせうしやうむねながばかりぞ、もくらんぢのひたたれこばかまにくくりあげて、御共にさうらわれける。むねながはもとよりしたたかなるひとにて、法皇にすこしもはなれたてまつらざりけり。ぶしまぢかくおひかかりて既にあやふかりければ、少将たちむかひて、「これはゐんのわたらせたまふぞ。あやまちつかまつるな」とまうされたりければ、ぶしども馬よりおりてかしこまる。「なにものぞ」とたづねければ、「信乃国住人ねのゐのこやた、ならびにたてのろくらうちかただがおとと、やしまのしらうゆきつなと申者にて候」と申。二人まゐりて、おんこしに手あげまひらせて、ごでうだいりへわたしたてまつりて、守護し奉る。むねながばかりぞおん
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ともにはさうらわれける。そのほかのひとはひとりもみえず。おほかたとかくまうすはかりさらに無し。うつつともおぼえず。しゆしやうのおんさたしまいらする人もなかりければ、いかになるべきやうなし。つはものどもはいりみだれぬ。ごしよにひかけたり。しつでうのじじゆうのぶきよ、きいのかみのりみつ、只二人さうらわれけるが、池にありけるみふねにのせたてまつり、さしのけたりけれども、ながれやまきかくるがごとし。のぶきよ、「これはうちのわたらせおはしますぞ。いかにかくは射まひらするぞ」とまうされけれども、なほらうぜきなりければ、心うくかなしくて、しゆしやうをみふねの底に、ふせまひらせて、かかえまひらせてぞゐたりける。夜にいりてばうじやうどのへわたしたてまつりて、それよりかんゐんどのへいらせたまひにけり。ぎやうがうのぎしきただおしはかるべし。いまいましともおろかなり。ほふぢゆうじどのはごしよよりはじめて、人々の家々のきをきしりてつくりたりつるも、なじかはいちうものこるべき、みなやけほろびにけり。はりまのちゆうじやう
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まさかたは、させるぶようの家にあらねども、ぶようの人にておわしければ、おもしろくおもはれければにや、ひやうぢやうをたいしてまゐりこもられたりけり。しげめゆひのひたたれに、こんいとをどしのはらまきをぞ着られたりける。てんじやうのにしおもてのしもさぶらひのつまどをおしあけていでられけるを、たてのろくらうかけいりて、くびの骨をこころざして射たりけるが、えぼしの上をいこすりて、つまどに矢たちにけり。そのとき、「我ははりまのちゆうじやうといふものにてあるぞ。あやまちすな」と、さわがぬていにてのたまひたりければ、たてのろくらうむまよりとびおりて、いけどりてわがしゆくしよにいましめおきてけり。ゑちぜんのかみのぶゆきといふひとありけり。ほういにげくくりでありけるが、ともにぐしたりつるさぶらひもざつしきも、いづちかうせにけむ、一人もみえず。にはうよりは武士せめ来る、いつぱうよりはくろけぶりおほへり。いかにすべきやうもなうて、おほがきのありけるをこえむこえむとしける程に、なじかはこえらるべき。うしろより前へ
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いぬかれて、そらさまにたふれて死にけるこそむざんなれ。もんどのかみちかなりはだいげきよりなりまうとが子なり。うすあをのかりぎぬにしやうくくりで、あしげなる馬に乗てしつでうがはらを西へはせけるを、きそのらうどういまゐのしらうはせならべて、めてのわきを射たりければ、馬よりさかさまにおちて死にけり。かりぎぬのしたにはらまきを着たりけるとかや。「みやうぎやうだうのはかせなり。ひやうぐを帯する事しかるべからず」と人かたぶけまうしけり。かはちのかみみつすけがおとと、げんくらんどなかかぬはなんもんをかためたりけるが、おちざりけるを、あふみげんじにしごりのくわんじやよしひろがうちとほりさまに、「とのばらは何をかためて今まではおわするぞ。すでにぎやうがうごかうたしよへなるぬる物を」とておちければとて、かはちのかみは上の山にこもりぬ、げんくらんどは南へむけておちにけり。かはちのくにのぢゆうにん、くさかりのかがばうげんしうといひける者、あしげなる馬のきはめてくちこはきに乗た
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りけるが、げんくらんどにおしならべて、「この馬のあまりはやりて、のりたまるべしともおぼえずさうらふ。いかがし候べき」と申ければ、「いざさらばなかかぬが馬に乗かへむ」とて、馬のしたをしろかりけるにのりかへたり。しゆうじゆう八騎うちつれて、かはらざかのたうげに三十騎ばかりにてひかへたる中へ、をめいてかけいりぬ。はんときばかりたたかひて、八騎が内、かがばうをはじめとして五騎はうたれにけり。くらんどなかかぬしゆうじゆう三騎はかけやぶりてとほりにけり。かがばうが乗たりけるしたを白き馬はしりいでたりければ、げんくらんどのいへのこにしなののじらうよりなりと云者は、げんしうがのりかへたるをばしらで、とねりをとこの有けるに、「この馬はげんくらんどの馬とみるはひがことか」。「さんざうらふ。はやうたれにけりなれ。さ候へばこそ御馬ばかりははしりいでてさうらふらめ」と云ければ、「あな心うや。くらんどどのより先に死てこそ見へむとおもひつるに、いづちへむかひて
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かけつるぞ」。「あの見へ候せいのなかへこそ」と申ければ、信乃二郎「さごさむなれ」とて、をめいてかけいりてうちじにしてけり。さてげんくらんどのたいふなかかぬは、こはたやまにて、こんゑどののおんくるまにておちさせたまひけるにおひつき奉りぬ。「あれは仲兼か」。「さむざうらふ」。「人もなきに、近く参れ」とおほせありければ、うぢまでおんともつかまつりて、それよりかはちのくにへぞおちにける。ぎやうぶきやうざんゐはまどひいでてにげられけるが、七条川原にてものとりにへうり皆はがれにけり。えぼしさへおちうせにければ、十一月十九日の事なれば、河風さこそは寒く、身にもしみたまひけめ、すごくあかはだかにてたたれたりけるに、この三位の兄にゑちぜんのほつけうしやうきうといふひとありけり。かのほつけうのもとに有けるちゆうげんぼふし、さるにてもいくさはいかがなりぬらむとおもひて、たちいでたりけるが、この三位の有様を見て目も
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あてられず、あさましくおもひて、わがきたるころもをぬぎてきせたてまつりたりければ、衣うつをにほうかぶりて、このちゆうげんぼふしにあひぐして、ほつけうのしゆくしよへおわしけり。かの宿所はろくでうあぶらこうぢにてありければ、六条を西へ、ちゆうげんぼふしを先にたてておわしけり。法師もびやくえなり。三位のていもをかしかりければ、ばんにん目をたてて、あさましげにおもひて見ければ、「とくとくあゆみ給へかし」とちゆうげんぼふしおもひけるに、いそぎもあゆまれず、「『ここはいづくぞ。あれはたが家ぞ』なむど、しづしづととはれたりしこそ、あまりにわびしかりしか」と、のちに人に語けるとかや。これのみならず、をかしくあさましくこころうきことども多くかたりけり。かんぢゆうにいちえをもきたる者をば、じやうげをいわずはぎとりければ、男も女も皆あかはだかにむかれ、心うき事かぎりなし。わづかにかひなきいのちばかりいくる人々もにげ
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かくれつつ、みやこのほかなるさんやにぞまじはりける。
廿六 はつかのひたつのときに、木曽ろくでうがはらにいでて、きのふきるところのくびども、たけにむすびわたしてとりかけたり。左の一のくびにはてんだいざすめいうんだいそうじやうのおんくび、右の一には寺のちやうりゑんけいほふしんわうの御首をぞかけたりける。そのほかななへやへにかけならべたる首、そうじて三百四十余人とぞ数へて申ける。是を見ては、天にあふぎ地にたふれてをめきさけぶ者多かりけり。父母妻子なむどにてこそありけめ、むざんともおろかなり。ゑちぜんのかみのぶゆきのあつそん、あふみのせんじためきよ、もんどのかみちかなりなむどが首もこのなかにありけり。「法皇はいにしへにもこりさせ給わず、又かかるいふかひなきことひきいださせたまひて、ばんにんの命を失はせたまひ、わがおんみもきんごくせられさせ給へる事、せめての御罪のふかさ、
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先の世までもうたてくなむ」とぞ、きせんじやうげ、ゑんきんしんそ、ていをしてぞまうしあひける。はつでうのみやのばうくわんにだいしんほつけうぎやうしやうといふものありけり。宮うたれさせたまひぬときこえければ、こきすみぞめのころもにつぼみがさきて、六条川原にいでて、かけならべたるくびどもをみるに、めいうんそうじやうのおんくびと宮のおんくびとをば、さうの一番にかけたり。ぎやうしやうほつけうこれをみたてまつりて、ひとめはつつましけれども、あまりの心うさに、ころものそでを顔にあてて、しのびの涙せきあゑず。さこそはおもひけめと押はかられて、むざんなり。おんくびにもとりつきたてまつらばやとおもひけれども、さすがそもかなはねば、なくなくかへりにけり。そのよ行清しのびてかのおんくびをぬすみとりて、かうやへまうでておくのゐんにをさめたてまつりて、やがてかうやにとぢこもりて、宮のごぼだいをぞとぶらひたてまつりける。
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廿七 こせうなごんのにふだうのばつしにさいしやうながのりといふひとをわしけり。このかつせんあさましくこころうくおもはれける上、院をも木曽とりたてまつり、つはものきびしくまもりたてまつるときこえければ、いかにしてか今一度みまひらせむとおもはれける。「あまりにぞくぎやうにてはよもゆるさじ。出家したらむのみぞいれられむずる」とおぼして、にはかにもとどりきり、ごでうだいりへまゐられたりければ、守護の武士もゆるしていれまうしてけり。さて法皇のごぜんへ参て、「にはかに出家をおもひたちさうらふほんいしかしか」なむどまうされければ、法皇きこしめして、「まめやかのこころざしかな」とて、かんるいをぞ流させおはしける。「人多くうたれたりときこしめしつれば、おぼつかなくおぼしめしつるにこそ、うれしくおぼしめせ」とて、又御涙を流させ給ければ、さいしやうにふだうもすみぞめの袖しぼりあへず。ややひさしくありて、「そもそもこんどのいくさにたれたれかうたれたる」ととはせましましければ、宰相
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入道涙をおしのごひてまうされけるは、「八条の宮もみえさせ給わず。やまのざすめいうんそうじやうもながれやにあたらせたまひぬ。のぶゆき、ためきよ、ちかなりもうたれさうらひぬ。よしもり、ちかもりはいたでおひて、ばんしいつしやうとこそうけたまはりさうらへ」とまうされたりければ、「あなむざんの事共や。めいうんはひごふの死なむどすべき者にてはなきものを。こんどわれいかにもなるべきにかはりにけるにこそ」とて、りようがんより御涙を流させ給けるこそかたじけなけれ。ややひさしくありて、法皇おほせの有けるは、「わがくにはへんぢそくさんのさかひといへども、われぜんじやうにじつかいの力によりて、じふぜんの位にうまれながら、又いかなるぜんぜのざいほうにて、一度ならずかかるうき目をみるらむと、こくどのにんみんのおもふらむこそはづかしけれ」とて、又御涙のうかびければ、宰相入道まうされけるは、「りようがんをあやまち奉る事、これげん
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ぎよのおよぶところにあらず。ほつたいをくるしめたてまつるにおいてをや。じつげつ天にかかやけり。てらされぬ者たれか有る。しんめい地を照し給へり。災害をおこすもの、たれかあらむ。臣じやあくをこのみて天をあなづり奉り、みやうだううけひきたまはむや。さりともそうべうをすてまゐらせさせ給はじ物を。只しんかんに任せ奉らせ給わずして、ともやすごときのやつばらがそうしまうしさうらひけるをごきよようさうらひけるのみこそ、心憂くおぼえさうらへ」とて、すみぞめの袖しぼりあへず。
廿八 木曽はきのふのいくさにうちかちて、けふくびかけて、六条川原よりかへりて、「今はばんじおもふさまなれば、うちにならむともゐんにならむともわがこころなり。ただしうちはこわらはなり。又院はひとひみしかばこぼふしなり。内にならむとてわらはにもなりたくもなし。院にならむとて法師にもいかがならむ。くわんばくにやならまし」と云け
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れば、いまゐが申けるは、「くわんばくにはふぢはらうぢならではえならぬとこそうけたまはりさうらへ。きみはげんじにてわたらせ給に」と云ければ、「さらばはんぐわんだいにやならまし」と申ければ、今井、「はんぐわんだいはいたくよきくわんにてはさうらわぬごさむめれ」と申ければ、「ゐんのみむまやのべつたうにならむ」とて、おしてみむまやの別当にぞなりにける。
廿九 廿一日、せつしやうをとどめたてまつりて、まつどののおんこ、だいなごんもろいへとて十三になりたまひけるを、ないだいじんになしたてまつりて、やがてせつしやうのぜうしよを下さる。をりふし大臣あかざりければ、ごとくだいじの左大臣しつてい、内大臣にておわしけるを、しばらくかりてなり給たりければ、「昔はかるのだいじんと云人ありき。是をばかるるだいじんと云べし」とぞ、ときのひとまうしける。かやうの事をばおほみやのたいしやうこくこれみちこそのたまひしに、そのひとをはせねども、申人もありけるにや。
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三十 廿八日に、さんでうのちゆうなごんともかたのきやういげ、ぶんくわん、ぶくわん、しよこくのじゆりやう、つがふ四十九人を木曽げくわんしけり。そのなかにくぎやう五人とぞきこへし。僧には^ごんのせうそうづはんげん、ほつしようじのしゆぎやうあんのうもしよたいをもつくわんせられき。平家は四十二人をげくわんしたりしに、木曽は四十九人を解官す。平家のあくぎやうにはなほこえたりけり。
卅一 かかりし程に、ほくめんにさうらひけるくないはんぐわんきんとも、とうざゑもんあきなり二人、よるひるをはりのくにへはせくだる。そのゆゑは、ひやうゑのすけのおとと、がまのくわんじやのりより、くらうくわんじやよしつねりやうにん、あつたのだいぐうじのもとにおわすときこへければ、木曽がひがことしたるを申さむとてなり。この人々のをはりのくにまでのぼられける事は、平家世を乱りてのちは、とうはつかこくのねんぐみしんありて、りやうけほん
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けもたれやらむ。こくしもくだいもなにやらむ、そのうへみちのらうぜきもありければ、平家をちてのちさんがねんがみしんみなたづねさたありて、千人のつはものどものをさしそへて、おとと二人をたいしやうとして都へまゐらせられけるが、木曽ほふぢゆうじどのへよせて合戦を致し、ごしよをやきはらひたりけるさいちゆうに、とうごくよりおほぜいのぼるときこへければ、なにごとやらむとて、いまゐのしらうをさしつかはして、すずかふはのせきをかためたりときこへけるあひだ、このひとびと、「ひやうゑのすけにまうしあはせずして、さうなく木曽がらうどうといくさせむ事あしかりなむ」とてひきしりぞきて、あつたのだいぐうじのもとにゐて、鎌倉へ使者をたてらる。そのへんじをまちたまひけるをりふし、きんとも、ときなりはせくだりて、このよしを申ければ、くらうまうされけるは、「ことのしだいふんみやうならず。べちのつかひあるべからず。やがてごへんはせくだりてまうさるべきぞ」とのたまひ
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ければ、きんともくだりけり。いくさにげにみなうせて、げにん一人もなかりければ、しやうねん十五歳になりけるくないどころきんもちをげにんにして下る。夜はきんもちを馬にのせ、昼はきんとも馬に乗て、ほどなくくだりつきて、ともやすがきようがいにて今度のらんをおこしたるよし申ければ、ひやうゑのすけおほきにおどろかれけり。「義仲きくわいならば、何度も頼朝におほせてこそちゆうせられさうらはめ。さうなくきみをまうしすすめまひらせて、合戦せさせまひらせて、ごしよやかせたるこそ不思議なれ。さやうの者をなほも近くめしつかはせ給わむにをいては、じこんいごもひがこといでくべし。知康めしつかはせ給べからず」とまうされけり。
卅二 知康ちんぜむとて、おひさまに鎌倉へくだりて、兵衛佐のもとへ参て、「げんざいにいらむ」とうかがひまうしけれども、まうしつぐものもなかりければ、さぶらひにすいさんしたり
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けるを、兵衛佐れんちゆうよりみいだして、しそくさゑもんのかみよりいへのいまだをさなくおわしけるに、「やや、あの知康はくつきやうのひふのじやうずにてあむなるぞ。『これにてひふあるべし』といへ」とも、しやきんじふにりやうわかぎみにたてまつりたりければ、若君是を持て知康に、「是にてひふあるべし」とのたまひければ、知康十二両のこがねをたまはりて、「しやきんはわがてうのちようほうなり。しばらくいかでか玉にはとりさうらふべき」と申てくわいちゆうするままに、庭より石をみつとりて、やがてえんをのぼりさまに、目より下にて数百千のひふら片手にてつき、さうのてにてつき、さまざまにらんぶして、「をう」と云こゑをあげて、よきひとときつきたりければ、れんちゆうよりはじめて、まゐりあひたるだいみやうせうみやうきようにいりて、えつぼのくわいにてぞ有ける。兵衛佐、「誠に名を得たる者のしるしは有けり」とて、そののちげんざんせられたりければ、
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知康、「木曽都へせめいりて、ざいざいしよしよをついふくし、だいじんくぎやうに所をもおかず、けんもんせいかのごりやうをもはばからずみだれいりて、らうぜきなのめならず。じんじやぶつじをもおそれたてまつらず、だうたふをわり、たきはてて、ゐんのごしよほふぢゆうじどのにおしよせて合戦をいたして、八条の宮もうたれさせたまひぬ。てんだいざすめいうんそうじやうもうたれたまひぬ」など、あることなきことくどきたててこまかく申けれども、兵衛佐さきだちてこころえたまひたりければ、よろづむへんじにておわしければ、知康さををのみすくむで、はうはうにげのぼりけり。知康、さしもいきどほりふかく、院までも「めしつかはるべからず」とまうされたりけるに、はかなくひふにめでて、兵衛佐げんざんせられたりけり。人はいささかの事なりとも、のうはあるべきものかなとぞおぼえける。
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卅三 さるほどに、とうごくよりがまのくわんじやのりより、くらうよしつね二人たいしやうぐんとして、すまんぎのぐんびやうをさしのぼせて、木曽をうつべき由まうされける上、山門へもてふじやうをつかはす。そのじやうにいはく、
てふすえんりやくじのが
かつうはしちしやのしんめいにつげかつうはさんたふのぶつぽふにいのりてむほんのぞくときそよしなかよりきのともがらをついたうせられむとほつするじやう
てふす、とほくわうじやくをたづね、ちかくきんらいをおもふに、いまにてんちかいひやくよりこのかた、せとのあひだ、ぶつじんのしづめによつて、てんしのちせいをまもり、てんしのけいによつて、ぶつじんのゐくわうをらいす。ぶつじんといひ、てんしといひ、たがひにまもりたてまつるゆゑなり。ここに、げんじといひ、へいじといひ、りやうじもつておほやけにつかまつることは、かいだいのいてきをしづめんがため、こくどのかんしを
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うたんがためなり。しかるにたうけしんぶのとき、ふりよのくわんいうによつて、ほんぎやくのちよくざいにしよす。そのきざみ、よりともえうちをゆるされて、はいるにあづかりぬ。しかるをへいじひとりらくやうのろうにあゆみ、しやくしやうのくらゐをぬすみきはむ。いへはんじやうみふつきして、りやうかのてうおんにほこり、ひとへにくわうゐをないがしろにし、つひにさんでうのみやをうちたてまつる。これによつて、よりともきみのためよのため、きようどをうたんがために、さうでんのらうじゆうにおほせて、とうごくのぶしをおこす。いんじぢしよういご、くんこうをはげますあひだ、せんだうほくろくのよせいをもつて、まづおそはしむるところに、へいじたいさんして、さいかいにおちむかふとうんうん。しかるによしなから、たちまちにてうてきのついたうをわすれ、まづけんじやうをまうしたまはり、つぎにこくしやうをあふりやうす。ほどなくへいじのあとをおひ、もつぱらいをさかさまにす。いんじ十一月十九日、いちゐんをおそひたてまつりて、ごしよをやきはらひ、けいしやうをついふくす。なかんづく、たうざんのざす、ならびにおんでしのみや、それにつらならしめたまふとうんうん。ほんぎやくのはなはだしきこと、ここんにひるいなきものなり。よつて
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とうごくのせいをもよほして、ぎやくとをついたうすべきなり。そのくびをえんことうたがひなしといへども、かつうはぶつじんにきせいし、かつうはだいしゆよりきして、ことにいんぞつせられむとほつす。よつててふそうくだんのごとし。もつててふす。
じゆえい二年十二月廿一日 さきのうひやうゑのすけみなもとのあつそん
とぞかかれたりける。山のしゆとこのてふじやうを見て、さんたふいちどうに既によりきしてけり。
卅四 平家は又さいこくよりせめのぼる。木曽とうざいにつめられて、せむかたなくぞ思ける。せめての事にや、平家とひとつになりて、くわんとうをせむべきよしおもひたちにけり。さまざまの案をめぐらして、ひとにしらすべき事にあらねば、をとなしきらうどうなむどにいひあはするにもおよばず、「世にもなき人の手、のうじよやある」とたづねければ、ひがしやまよりあるそうを一人、郎等しやうじてきたれり。木曽まづこのそうをひとまなる所によびいれて、ひきでものに
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こそでにりやうわたして、酒なむどすすめて、へだてなくたのみまうすべきよしいひて、ふみをかかす。木曽がいふにたがわず、このそうふみをかく。にゐどのへは、「みめよき娘やおわする。むこになりたてまつらむ。今よりのちはすこしもうしろめたなく思給べからず。もしそらごとをまうさば、すはみやうじんのばつあたるべし」なむどかかせけり。そうじてふみにつうかかせて、いつつうは「平家のおほいとのへ」とかかす、一通はそのははの「にゐどのへ」とかかせて、ざつしきをとこをつかひにてさいこくへつかはしけり。このふみを見て、おほいとのはことによろこびたまひけり。にゐどのも、さもやとおもはれたりけるを、しんぢゆうなごんののたまひけるは、「たとひ故郷へ帰りのぼりたりとも、『木曽とひとつに成てこそ』とぞ人はまうしさうらわんずれ。頼朝が思わん所もはづかしく候。弓矢取る家は名こそをしくさうらへ。君かくてわたらせおわしませば、かぶとをぬき弓をはづして、かうにんに参るべしとへんたふ
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あるべし」とぞのたまひける。木曽都へうちいりて、ざいざいしよしよをついふくして、きせんじやうげをなやまし、ぶつもんじんもつをあふりやうして、ひほふあくぎやうなのめならず。はてはゐんのごしよほふぢゆうじどのにおしよせ合戦を致し、きそうかうそうをさへうちたてまつり、くぎやうてんじやうびとをいましめおき、すこしもはばかる所なきよしを平家聞て、まうされけるは、「君も臣も山も奈良も、このいちもんをそむきて源氏の世になしたれども、さもあるか」と、おほいとのよりはじめ奉りて、人々きようげんせられけり。
卅五 ごんのすけさんゐのちゆうじやうは、月日のすぎゆけるままには、あけてもくれても故郷の事のみこひしく覚へて、ただかりそめのにひまくらをだにもかたらひ給わず。よざうびやうゑしげかげ、いしどうまるなむど近くおんそばにふせて、北方、若君、姫君の事をのみのたまひいだして、「いかなる有様にてか有らむ。たれ
あわれみ、たれいとほしといふ
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らむ。わがみのおきどころだにもあらじに、をなきものどもひきぐして、いかばかりの事をか思らむ。ふりすてていでし心づよさもさることにて、いそぎむかへとらむとこしらへおきし事も、ほどへばいかにうらめしくおもふらむ」なむどのたまひつづけては、涙をのみ流し給ふぞいとほしき。北方はこの有様をつたへきけば、「只いかならむ人をもかたらひて、心をもなぐさめ給へかし。さりとてもおろかにおもふべからざるものを」と、それさへ心苦くおぼして、つねは引かづきてふしたまふもむざんなり。
卅六 木曽はごでうだいりにさうらひて、きびしく守りまいらせける間、くぎやうてんじやうびと一人もまゐらず。合戦の日いけどりにしたりし人々をもゆるさず、なほいましめおきたりしかば、さきのにふだうてんがないない木曽におほせられけるは、「かくはあるまじき事を。ひがことぞ。よくよくしゆいあるべし。こきよもりはしんめいもあがめ
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たてまつり、仏法にもきし、きたいのだいぜんごんをもあまたしゆしたりしかばこそ、いつてんしかいをたなごころのうちにして、廿余年までたもちたりしか。だいくわほうのものなりき。しやうこにもたぐひすくなく、たうだいにもためし無し。それが法皇をなやましたてまつりしにより、てんのせめをかうぶりて、たちまちにほろびにき。子孫又たえはてぬ。おそれてもおそるべし、うやまひてもうやまひたてまつるべし。只あくぎやうをのみこのみて世をたもつことはすくなきぞ。ゆるしたてまつるべし」とおほせられければ、いましめおきたる人々をもゆるし、きびしかりつることどももとどめてけり。物の心もしらぬえびすなれども、かきくどきこまかにおほせられければ、なびき奉りけり。されどもなほほんじんはうしなはざりけり。「ぶつじぜんじをしたる人の世にあらば、平家こそ百廿年までもたもため。弓矢をとるならひ、になき命をうばはむとせむかたきをば、今よりのちもたいかうせではよもあらじ。わが腹のゐむまでは」と思ふとも、「入道
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殿をこそ親とたのみまうしたれ。おやかたのあらむ事を、子としてそむくべからず」と云。事よげなるぞをかしき。
卅七 十二月十日は、法皇はごでうだいりをいでさせ給て、だいぜんのだいぶなりただがろくでうにしのとうゐんの家へわたらせ給ふ。やがてそのひよりさいまつのごせんぼふ、はじめられにけり。おなじき十三にち、きそぢもくおこなひて、おもふさまにくわんどもなりにけり。きそがしよぎやうもへいけのあくぎやうにをとらずこそきこへしか。わがみはゐんのみむまやのべつたうにおしてなる。さまのかみいよのかみなりし、たんばのくにをちぎやうして、そのほかきないきんごくのしやうゑん、ゐんぐうのごりやう、またじやうげのしよりやうをもあはせておしとり、じんじやぶつじのしやうりやうをもはばからずふるまひけり。ぜんかんごかんのあひだに、わうまう、りうげんと云ける者ふたりよをとりて、十八年わがままにおこなひけるがごとく、へい
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けはおちたれどもげんじはいまだうちいらず、そのちゆうげんによしなかゆきいへふたりして、きやうぢゆうをおのれがままにしけるも、いつまでとおぼえてあやうくぞみへける。されどもあぶなながら年もすでにくれにけり。ひがしはあふみのくに、にしはつのくにまでふさがりて、きみのみつぎ物も奉らず、私のねんぐもしよたうものぼせず。きやうぢゆうのきせんじやうげ、せうぎよのたまり水にあつまれるがごとくほしあげられて、いのちもいきがたくぞみへける。
いげはじやうほんにあるべきか
きそほつこくのいくさにうちかちてみやこへせめのぼるべきよしきこえければ、北国のきようどことごとくげんじにしたがひつきにけり。これによつてさんぬるなつのころしらやまのみやにめんをたてまつるじやうにいはく。かがのくにしらやまのみやのごりやうのこと
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みぎくわんいしかはのこほりさいでうのうちみやまるのほ
しじほんけんにあり
みぎかまくらどののおほせられていはく、しよこくはすべからくさいしのしんじなり。たにんのげぢにあたはざるか。しかるにきんねん、あるいはせきぢをふさぎてほくろくわうへんのみちをたち、あるいはかいへんにつきてとうろはつかうのはかりことをくはたつ。ここにおいて、ぐちゆうをぬきんでんがため、たみのかたをあはれまんがため、ぎへいをすすめもよほして、おほくてうてきをうつ。ひとへにわうくわのしからしむることをあふぐといへども、これしんめいのかごをかうぶるにあらずや。しかるにながくらんぎやうをしづめんがため、しばらくこくむをいうかうす。ただしじいうにまかせず、ゐんそうをふるところなり。ちこくのまつりごと、れいしんをあがむるにしかず。すうじんのさつ、でんぢをよするにすぎたるはなからむや。ここをもつておそらくはびんぎのいつぽをさき、たうごくのしらやまにゆるしたてまつるものなり。くわんもつざふじをちやうじして、じんじのごんぎやうにそなへしむ。
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かみなふじゆをたれて、いよいよみやうじよをほどこしたまへ。しかればすなはちけふよりはじめて、ひやくねんにいたるまで、いつてんのした、あんをんたいへい、たうごくのうち、ばつくよらくせんてへりば、いうしじやうをさつしてめんをたてまつることくだんのごとし。
じゆえい二年五月 日 さんゐおほえのあつそんざいはん
さんゐたちばなのあつそんざいはん
くわんのうしふぢはらのあつそんざいはん
うどねりふぢはらざいはん
平家物語巻第四  十二巻之内
贈をくる
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(花押)