延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版 巻7(全)

平家物語 七(第三末)
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一  たふかのせちゑのこと
二  たいはくばうせいのことつけたりやうきひうしなはるることならびにえんのぎやうじやのこと
三  ひよしのやしろにおいてによほふきやうてんどくすることつけたりほふわうごかうのこと
四  しよしやへほうへいしをたてらるることつけたりかいげんのこと
五  むねもりだいなごんにかへりなりたまふこと
六  むねもりじゆいちゐにじよせらるること
七  ひやうゑのすけときそとふわになること
八  きそついたうのためにぐんびやうほつこくにむかふこと
九  ひうちがじやうかつせんのことつけたりさいめいがかへりちゆうのこと
十  よしなかしらやまへぐわんじよをまゐらすることつけたりかねひらともりとしとかつせんのこと
十一 いまやはたのみやぐわんじよのことつけたりくりからがたにたいしのことならびにしにんのなかにじんぼうあらはるること
十二 しをかつせんのこと
十三 さねもりうちじにすること
十四 うんなんろすいのことつけたりせつぴのおきなのこと
十五 えんりやくじにおいてやくしきやうをよむこと
十六 だいじんぐうへごかうなるべきことつけたりひろつぐのことならびにげんばうそうじやうのこと
十七 きそみやこへせめのぼることつけたりかくめいがゆらいのこと
十八 きそさんもんへてふじやうをおくることつけたりさんもんへんてふのこと
十九 へいけさんもんへてふじやうをおくること
廿  ひごのかみさだよしさいこくしづめてきやうじやうすること
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廿一 これもりのきたのかたのこと
廿二 おほいとのにようゐんのごしよへさんぜらるること
廿三 ほふわうしのびてくらまへごかうのこと
廿四 へいけみやこおつること
廿五 これもりとさいしとなごりををしむこと
廿六 よりもりみちよりかへりたまふこと
廿七 こんゑどのみちよりくわんぎよなること
廿八 ちくごのかみさだよしみやこへかへりのぼること
廿九 さつまのかみみちよりかへりてしゆんぜいのきやうにあひたまふこと
三十 ゆきもりのうたをていかのきやうしんちよくせんにいるること
卅一 つねまさにんわじのごのみやのごしよへさんずることつけたりせいざんといふびはのゆらいのこと
卅二 へいけふくはらにいちややどることつけたりつねもりのこと
卅三 ゑみのなかまろのことつけたりだうきやうほふしのこと 
卅四 法皇てんだいさんにのぼりおはしますことつけたりごじゆらくのこと
卅五 よしなかゆきいへにへいけをついたうすべきよしおほせらるる事
卅六 しんていさだめたてまつるべきよしひやうぎのこと
卅七 きやうぢゆうけいごのことよしなかしるしまうすこと
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平家物語第三末
やうわ二年みづのえのとら
正月一日、りやうあんによつてせちゑをおこなはれず。十六日、たふかのせちゑもなし。「せんていのごきげつたるうへは、ながくとどめらるべし」とぞ、むねもりはからひまうしける。一 そもそもたふかのせちゑと申は、にんわうしじふいちだいのぢよてい、ぢとうてんわうのぎよう、たいくわしねんみづのえのみ正月に、かんじんきたりてこれをそうすといへり。またいはく、あらず、ぢとうてんわうのちちさんじふくだいのみかど、てんちてんわうのぎよう七年つちのえのたつ正月十六日よりはじまれり。このてんわうのぎよう、しよこくよりいぎやうのものどもをあまた奉りける中に、さぬきのくによりはよつあしのにはとりを奉り、ちんぜいよりはやつあしのしかをけんず。ここにかまなりのおとど始てふぢはらのしやうをたまはり、むつのかみににんじて、そのころかのおとどのおん
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もとへひたちのくにより、白雪のきじいちは、一尺二寸のつのおひたるはくばにひきを奉る。かまたり是をふちして、てんじやうに参る。そのおくりぶみにいはく、「きじのいろのしろきことは、はくたくのいさぎよき事をあらはす。馬のつののちやうぜる事は、じやうじゆのまつりごとををさむ」とぞかかれたる。かのきじを馬のつのにすへて、おとど乗てなんていに遊ぶ。わうたくのよせ物、なにごとかこれにしかむや。天子ぎよかんのあまり、かまたりをめして、金銀等のざいほうを下したぶ。是は正月十六日むまのこくのはじめなり。それをきちれいとして、ねんねんの正月十六日ごとに、くものうへびとさんだいして、馬にのり、ひきでものをたまはることありき。これをたふかのせちゑといふ。だんだんたる池をほり、水をたたへ、えふえふたる草をうゑさせ、きじをなつけさせ給き。四季に花さく桜をうゑて、こまを遊ばしめたまひしよりこのかた、しがのはなぞのとはなづけたり。
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だいだいのせいしゆおこたり給わず。にんわうしじふにだいのせちゑ也。てんじやうにはすひやくねんのかれいなり。しかるをごきげつによつてとどめらるとはいひながら、是しかしながら平家の一門のくわぶんなるしわざとぞささやきける。二 二月廿三日のやはんに、たいはくばうせいををかす。これかたがたもつてぢゆうへんなり。てんもんえうろくにいはく、「たいはくばうせいは、たいしやうぐんくにのさかひをうしなひ、しいきたり、つはものおこることありと」いへり。世は只今みだれなむずとて、てんがのなげきにてぞ有ける。かのしんだんこくには、げんそうくわうていのぎようにこのてんべんげんじて、なぬかのうちにてんがみだれき。そのゆらいをたづぬれば、げんそうくわうてい、こうのうのやうけんえんがむすめ、やうきひをもとめえて、あさゆふ愛し給ひき。雪に似たるはだへは、しゆんくわを恥ぢ、つきにさしおくかほばせは、きんぎよく光をうしなへり。しゆんやいとみじかければ、日たけておきたまへば、これよりくん
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わうあさまつりごとしたまはず。りくわのくんずるあしたには、れんりのちぎりをふかくなし、けいげつのあきらかなるゆふべには、どうけつの思ひせちなりき。ちちたるしゆんじつのおそくしてくれがたきにも、あいねんの眦ひわすられず。せうせうたるしうやのながくして、あけがたきにも、れんぼのおもひいとふかし。これによつて、やうきひの兄やうこくちゆう、しようじやうのくらゐをぬすみ、おろかにこくへいをもてあそぶ。このことをあんろくさんといひし人あながちにねたみて、しよきやうをかたらひいふやう、「ていわうしゆつぎよもなければ、ししんでんもさびしく、せいたうのくわうはいはいちてんがのなげきなり。これひとへにほかにあらず、やうひをおぼしめすゆゑなり。げつけいも国土のすいへいを歎くべし。うんかくもきせんのしうたんをかなしむべし。このきさきをいかにもしてうしなひたてまつるべき」よしをはかりき。王城よりさいはう百余里をすぎゆきて、ひとつのかうろうをつくりて、くわんげんを奏して、しゆしやうのごかうをすすめ
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き。かみならぬ身のならひにて、ふじん、皇帝もろともにかうろうえすすみたまいき。せんじようばんきあひともにしたがひ送り奉る。この時、りくぐんはいくわいして、ぢせんすすまざりければ、みなひと心をまどはすに、ばくわいのつつみのへんにして、やうこくちゆうをころしつ。次にやうきひの乗給へるたまのこしをうばい取て、つひにころし奉る。しやうくわうまぬかるまじき事を見て、そのしをみるにたへずして、なくなく都へくわんぎよなる。位をばしゆくそうに譲りつつ、しゆんくわの庭に散り、しうえふのはしにつもるをも見給わず。ほうけつをさりて、しよくさんにふしたまへり。「えんえんたるせいしわかれてとしをふ。こんばくかつてこのかたゆめにだにいらず」と朝夕なげきたまひしかば、これをはうじのおとどあわれみたてまつりて、「われにりせうくんのじゆつあり。きさきのざいしよをたづねたてまつらむ」と申ければ、げんそうおほきによろこびて、
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そのじゆつをつくしして、へきらくくわうせんをもとむれども、ばうばうとしていまだみえず。かたわらしきよをたづぬるに、東海にしてほうらいさんを得たり。上に多くろうかくあり。そのかどを東にひらかれり。「ぎよくひたいしんゐん」と云がくをかけたり。はうじかんざしをぬきいでてとびらをたたく。びむづらゆいたるどうによいでて答ふ。はうじさうしにして物いわず。さうはつの童女かへりいりぬ。しばらくあつて、へきいのじぢよきたりて問ふ。「このしまへは人のかよふこと、おぼろけにはあらず。なんぢはいかなる物ぞ。又いづくよりきたれるぞ」。はうじこたへていはく、「われはこれたいたうのみかど、げんそうくわうていのおんつかひなり。まうすべきことありて。まぼろしとまうすものなり」と云ければ、そのときじぢよいはく、「ぎよくひは只今やすみ給へり。ねがはくはしばらくまちたまへ」とて内へたちかへりぬ。其時うんかいちんちんとして、
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とうてんにひくれぬ。けいこかさねとぢぬれば、せうぜんとしてをとなし。はうじ息をおさへ、足ををさめて、相待てば、ややひさしくありて内へよびいれぬ。ぎよくひの形をみたてまつれば、雲のみむづらなかばみだれて、あらたなるねぶりさめぬ。花のかぶりあらためず、堂よりをり来る風、せんのたもとをふきて、ひやうえうとしてあがる。なほしげいしやうういのまひににたり。玉のかたちせきばくとして涙らんかんたり。りくわいつしはるあめをおぶ。さうにじしや七八人あり。はうじをめして、まづ皇帝のあんぷをとふ。次ぎに、てんぽうじふしねんよりこのかた、いまにいたるまでのことを問給へば、はうじそのあひだのことどもを皆こたへまうして、「てんわうさだめてこころもとなくおぼしめすらむ。今はおんいとまをたまはりてまかり帰らむ」と申せば、ぎよくひみづからこがねのかんざしをつみをりて、「これをげんそうに奉る。昔の事をおぼしめしいでよ」とのたまへば、まぼろしまうすやう、「その
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かみひとこともたにんにきかせでちぎりたまひし事あらば、語り給へ。奏せむ。でんがふきんさいは世に多くもちゐる物也。しむえむへいがいつはりを負わむ事、心うかるべし」と申せば、ぎよくひばうぜんとしりぞきたちて、ややひさしくしていはく、「我むかしてんほう十年七月なぬかのひ、けんぎうしよくぢよのあひまみへしゆふべ、ちやうせいでんの内にして、かうたけひとしづまりて、ひそかにしんぢゆうにちかふ。『ねがはくはよよに夫婦となつて、天にあらばひよくの鳥となり、地にすまばれんりの枝とならむ』と云て、たがひに手をとることありて、此事くんわうのみひとり知れり。このいちねんによつて、またじんかんにうまれてふさいとならむ。天となり人となるとも、ふたたびあひみてよしみもとのごとくならむ」とのたまへり。はうじいそぎ帰てこのよしをそうするに、みかどおほきにかなしみて、そのとしのしぐわつにつひに隠れ給ぬ。このことをおもふにも平家の一門は皆けんれいもんゐんのおんゆゑに、しようじやうの位をけがし、
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こくへいのまつりごとをつかさどる。あくじ既にてうくわせり。ゆくすゑも今はあやふがる。てんべんのげんじやうおそろしとぞ。おんてうにもにじふくだいのみかどせんくわてんわうのみよに、このてんべんありて、かこのかなむら、そがのいなめなむどいひししんから、めんめんにたくみをたて、てんがをみだり、ていゐをうばいし事、にじふ余年也。くわうぎよくてんわうのおんときは、元年七月に、かくせいつきのなかにいるといふてんべんありき。げきしん五位に至ると云事なるべし。そのときはえんのぎやうじやにおほせて、なぬかななよ祈らせ給たりければ、ひやうらんを転じて百日のかんばつにぞなりにける。王位はつつがましまさざりけれども、ごこくみなそんじて、じやうげうゑにのぞみけるとかや。今はえんのぎやうじやもなければ、たれかこれを転ずべき。たいちのうをのふぜいにて、わざはひのおこらむ事を、今や今やとまちゐたるぞこころうき。そもそもえんのぎやうじやと申は、をづのせんにんの事也。ぞくしやうはかもうぢの人也。やまとのくにかづらきのかみのこほりちはらの村のしよしやうなり。三才の時より父におくれて、七才までは
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母のめぐみにてせいじんす。七才よりは母にけうやうす。しかうの志あさからず、ぶつだうしゆぎやうのおもひねんごろ也。ごしきのうさぎにしたがひて、かづらやまのぜんちやうにのぼる。ふぢのころもに身をやつし、松のみどりに命をつぎて、くじやくみやうわうの法をしゆぎやうすることさんじふ余年也。ただひとかしらまうけたりしえぼし、みなやぶれうせにければ、おほわらはになりて、いつしやうふぼんのをとこひじりなり。おほみね、かづらきをかよひておこなひ給けるに、みちとほしとて、かづらきのひとことぬしといふかみに、「ふたがみのだけよりしんせんへいはばしを渡せ」とのたまひけるを、顔のみにくければとて、昼はさしもいでで、よなよな渡したまふを、ぎやうじやおそしととて、かづらにてななかへりしばりたまひてけり。ひとことぬしうらみをなして、みかどにいつはり奏しけるは、「えんのうばそくと云者、くらゐをかたぶけむとす」。みかどおどろきおぼしめして、ぎやうじやをとらへむとしたまふに、行者くじやくみやうわうの法をしゆするによつて、空をとぶこと鳥のごとくなり。すなはち母をいましめられければ、かへりまゐりたまひけるを、いづのおほ
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しまにながしつかはしつ。昼は大嶋にゐて、夜ははちに乗て、するがのふじの山にのぼりておこなひ給ふ。ひとことぬしかさねて奏し給ふ。「行者を殺したまふべし」。みかど、ちよくしをつかはして殺さむとするに、行者、「ねがはくはぬき給へる刀をしばし給はらむ」とて、刀を取て、舌にてさんどねぶりて帰しつ。これをみるに、ふじのみやうじんのへうもんあり。「てんわうつつしむべし。これぼんぶにあらず。だいげんじやうなり。すみやかにくやうずべし」。みかど驚て都にめしかへすに、母もろともにちの葉に乗て、もろこしに渡りし人也。をとこなれどもぶつぽふをしゆぎやうせしかば僧にもまさりたり。うげんのしやうにんとぞきこへし。又はほつきぼさつともまうしき。三 四月四日、さきのごんのせうそうづけんしん、きせんじやうげを勧めて、ひよしのやしろにてによほふきやういちまんぶをてんどくする事有けり。法皇ごけちえんの為にごかうなりた
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りける程に、なにもののいひいだしたりけるにや、「やまのだいしゆ法皇をとりたてまつりて、平家をうたむとす」ときこへければ、平家の人々さわぎあひて、ろくはらへはせあつまる。きやうぢゆうのきせんさわぎまどへり。ぐんびやうだいりへはせさんじて、しはうのぢんをけいごす。おなじき四月十一日、ひごのかみさだよし、きくちたかなほがくものへのじやうをせむるあひだ、くわんびやう二千余人、たかなほがためにうちとられにければ、さだよしかつせんをとどめて、じやうをかたくまぼりて、らうもつのつくるをあひまちければ、さいかいうんじやうのべいこく、こくがしやうゑんをいわず、ひやうらまいのために、さだよしてんぢやうしけり。とうごく、ほつこく、さいかいうんじやうのどこう、皆京都にかよはざりければ、らうせうをろんぜず、じやうげをきらはず、がしする者だうろにじゆうまんせり。ぐんたう、はうくわ、れんやにたへざりければ、きせんやすき心なし。げつけいもうん
かくも、「はくりのあとをおひ、じしのむかしをおもふ」
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とぞまうしあわれける。いつてんのげきらん、しはうの合戦に、しそつかんなうをとちにまみれ、みんそこつがいをげんやにさらすこと、しようけいすべからず。そんなんそんぼくにこくきふする声たえず。てんちかいひやくよりこのかた、かかるみだれはいまだききおよばずとて、かみいちにんよりはじめて、しもばんみんに至るまで、一人としてなげきかなしまずと云事なし。おなじき十五日、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらのきやうたいしやうぐんとして、三千余騎のつはものをあひぐして、ひよしのやしろへさんかうす。これによつて、さんじやうには又、さんもんのしゆと源氏によりきして、ほつこくへかよふよしを平家もれききて、山門追討の為、平家のぐんびやう既にひがしざかもとへせめよすときこへければ、さんたふせんぎして、「そもそもこのことによつてたうざんをほろぼさるることは、もつともくちをしきことなり。もししげひらのために、わがやまをほろぼされば、いつさんのだいしゆ、身をさんりんはすつべし」とて、ことごとくくだりて、おほみやのもん
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ろうの前にさんたふくわいがふす。かかりしかば、さんじやうらくやうのさうどうおびたたしき事なのめならず。法皇おほきにおどろかせおはします。ぐぶのくぎやうてんじやうびと、色をうしなへり。ほくめんのともがらの中には、わうずいをつく者も有けり。このうへはむやくなりとて、いそぎてくわんかうなりぬ。しげひらのきやうあなほのへんにてむかへとりたてまつりてかへりにけり。まことにはだいしゆの平家をせめむと云事もなし。平家山門を追討せむと云事もなかりけり。いづれもいづれもあとかたなきむしつなり。これひとへにてんぐのしよぎやう也。かかりければごけちえんもうちさましつ。「かくのみあらば、おんものまうでも今は御心にまかすまじきやらむ」と、法皇あぢきなくぞおぼしめさるる。
四 五月廿四日に、りんじににじふにしやのほうへいしをたてらる。ききんしつえきによつてなり。おなじき廿七日かいげんあり。じゆえいぐわんねんとかうす。
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五 九月四日、うだいしやうむねもりのきやうだいなごんにげんにんして、十月三日、大臣になり給ふ。大納言のじやうらふ五人こえられたまひにき。中にもごとくだいじの大納言さねさだの、いちの大納言にて、くわしよくえいゆう、さいかくいうちやうにておわせしが、だいしやうの時といひ、今度といひ、にどまでこえられたまひしこそふびんなりしか。七日、ひやうぢやうをたまはりたまふ。十三日、よろこびまうしありき。たうけたけのくぎやう十二人こしようせらる。くらんどのとういげ、てんじやうびと十六人せんぐす。われをとらじと、めんめんにきらめきたまひしかば、めでたきみものにてぞ有ける。とうごくほつこくの源氏はちのごとくおこりあひて、只今せめのぼらむとするに、波のたつやらむ、風のふくやらむ、しらざるていにて、かやうに花やかなる事のみあるも、いふかひなくぞ見へし。かくはなやかなることどもは有けれども、せけんはなをしづまらず。なんとほくれいのだいしゆ、四
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国くこくのぢゆうにん、くまのきんぶせんのそうと、いせだいじんぐうのじんぐわんみやびとに至るまで、ことごとく平家をそむきて源氏に心をかよはす。しはうにせんじをくだし、諸国へゐんぜんをくださるといへども、宣旨も院宣も皆平家のげぢとのみ心得てければ、従ひつく者一人もなかりけり。廿一日、だいじやうゑのごけいさんでうがすゑ、十一月廿日、だいじやうゑあふみたんばおこなはる。かくて年もくれぬ。じゆえい二年正月一日、せちゑいげつねのごとし。三日、はつでうどののはいれいあり。こんてうより、にはかにさたありけり。たかつかさどのの例とかや。ないないせつしやうどのにおほせあはせられければ、しかるべきよし申させ給けるにや、けんれいもんゐん、ろくはらのいづみどのにわたらせ給ふ。そのごしよにてこのことあり。まうしつぎは、させうしやうきよつねのあつそん、くぎやう九人、ないだいじんむねもり、さゑもんのかみときただのきやう、あんざつしよりもり、へいぢゆうなごんのりもり、しんぢゆうなごん
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とももり、しゆりのだいぶつねもり、さんゐのじじゆうきよむね、ほんざんゐのちゆうじやうしげひら、しんざんゐのちゆうじやうこれもり、てんじやうびと十三人、くらんどのうだいべんちかむねのあつそん、うちゆうじやうたかふさのあつそん、しゆりのごんのだいぶのぶもとのあつそん、たぢまのかみつねまさのあつそん、うちゆうじやうすけもりのあつそん、さつまのかみただのりのあつそん、さきのちゆうぐうのすけやすもりのあつそん、さちゆうじやうきよつねのあつそん、くらんどさゑもんのごんのすけちかまさのあつそん、もくのかみのりむね、のとのかみのりつね、かげゆのしくわんちかくに、さまのかみゆきもり。はつでうどののおんかたにはいれいあるべきよし、おんせうとのさゑもんのかみのまうしおこはれたりけり。くわうごうぐうのぼこうになぞらへ給ければ、はいれいなかりけり。「はつでうどののはいれいさしすぎてぞおぼゆる。二条のおほみやも、しやうさいもんゐんにぼぎになぞらへられけれども、はいれいなかりし物を。とうごくほつこくみだれたり。てんがしづかならず。世既にしごくせり。いりまひにや」と、さい
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しやうにふだうなりよりはまうされけるとかや。世をのがれみやまにこもりゐたまへども、をりふしにつけてはかくぞまうされける。人もうるはしき人に思ひ奉りたりけり。二月ひとひのひ、たうぎんはじめててうきんの為に、ゐんのごしよ、れんげわうゐんの御所へごかうあり。とばのゐん六才にてはじめててうきんの為ぎやうがうあり。そのれいなり。ごきげつなれば、このつきにおよぶべし。けんれいもんゐん、よべこのごしよへ入らせ給。法皇のおんかたのごはいののち、にようゐんのおんかたのごはいありけりときこゆ。しんぢゆうなごんとももり、はくのあはせしかれたりけり。にようゐんのおましにしかれたりければ、へいだいなごんときただのきやうみとがめて、しんぢゆうなごんとももりをもつて、しきなをしてけり。三月廿五日、くわんびやうけふかどですときこゆ。きたる四月十七日ほつこくへはつかうして、きそよしなかを追討のためなり。
六 廿六日、むねもりこうじゆいちゐにじよせらる。廿七日、内大臣をじしまうさる。されども
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おんゆるされなし。只てうにんをのがれむがためなり。はつでうたかくらのていにてこのことあり。へいだいなごんときただのきやう、あぜちのだいなごんよりもりのきやう、しんぢゆうなごんとももりのきやう、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらのきやう、うだいべんちかむねのあつそんばかりぞおわしける。そのほかの人はみへられざりけり。
七 さんぬるころより、ひやうゑのすけときそのくわんじやとふわのことありて、木曽をうたむとす。そのゆゑは、兵衛佐は、先祖の所なればとて、さがみのくにかまくらにぢゆうす。をぢじふらうくらんどゆきいへは、だいじやうにふだうのかしままうでとしてつくりまうけたりける、相模国まつだのごしよにぞゐたりける。しよりやういつしよなければ、きんりんのざいけをついふくし、ようちがうだうをして世をすごしけり。あるときゆきいへ、兵衛佐のもとへふみにていひやり
たりけるは、「ゆきいへはおんだいくわんとして、みののくにすのまたへむかふこと
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十一度、はつかどは勝てさんがどはまけぬ。しそくをはじめとして、いへのこらうどうども多くうちとられて、なげきまうすはかりなし。くにいつかしよあづけたべ。これらがけやうせむ」とぞかきたりける。兵衛佐のもとよりすなはちへんじあり。「きそのくわんじや、しなのかうづけりやうごくのせいにて、ほくろくだう七ケ国うちとりて、すでに九ケ国がしゆうになりて候。よりともは六ケ国こそうちしなへて候へ。ごへんもいくらの国をうちとらむとも、御心にてこそさうらはめ。さてこそゐんうちのげんざんにもいらせたまひて、うちとるくになんかこくとも、しるしまうされて給わらせ給はめ。たうじよりともがしはいにて、こくしやうを人にわけ給べしといふおほせをもかぶり候わず」と有ければ、ゆきいへ「兵衛佐をたのみて、よにあらむことこそありがたけれ。きそのくわんじやをたのまむ」とて、せんぎのせいにてしなののくにへ
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こえにけり。兵衛佐これを聞て、「じふらうくらんどのいわむ事につきて、きそのくわんじや、頼朝をせめむとおもふこころつきてむず。ねらわれぬさきに木曽をうたむ」とおもひけるをりふし、かひげんじたけたのごらうのぶみつ、兵衛佐に申けるは、「しなののきそのじらうは、をとどし六月に、ゑちごのじやうのしらうながしげをうちおとしてよりこのかた、ほくろくだうをくわんりやうして、そのせいうんかのごとし。けうあくの心をさしはさみて、『平家のむこになりて、すけどのをうちたてまつらむ』とはかるよしうけたまはる。平家をせめむとて、京へうちのぼるよしはきこゆれども、まことには、平家のこまつのないだいじんのによしの十八になりさうらふなるを、をぢないだいじんのやうじにして、木曽をむこにとらむとて、ないないふみどもかよはしさうらふなるぞ。そのごよういあるべし」と、ひそかにつげまうしたりければ、すけおほきにいかりて、「十郎蔵人のかたらひにつきて、さる
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したくもあるらむ」とて、やがて北国へむかはむとしけるを、そのひ鎌倉を立て、かんにちなりければ、「いかがあるべき。みやうげうにて有べき者ぞ」と、らうはいいさめまうしければ、すけのたまひけるは、「むかしよりよしのあつそん、さだたふがこまつのたちをせめ給ける時、『けふわうまうにちなり。あすかつせんすべし』と人々まうしければ、たけのりせんれいをかんがへてまうしけるは、『そうのぶていかたきをうちし事、わうまうにちなり。つはもののならひ、かたきをうるをもつてきちにちとす』とまうして、やがてこまつのたちをせめおとしたりけり。いわむやかんにちなにのひまかあるべき。せんぎをぞんずるにきちれいなり」とて、うつたちけり。木曽このよしを聞て、こくちゆうのようじをそつして、ゑちごのくにへこえて、ゑちごとしなのとのさかひなる、せきやまといふところにぢんを取て、きびしくかためて、兵衛佐をまちかけたり。兵衛佐はたけたのごらうをせんだつ
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にて、むさしかうづけをうちとをりて、うすゐのさかに至りにければ、八ケ国のせいどもわれをとらじとはせかさなりて、十万余騎になりにけり。しなのあづさがはのはたに陣を取る。きそよしなかこのことを聞て、「いくさはぶせいたせいによらず。たいしやうぐんのみやうがのうむによるべし。じやうのしらうながしげは八万余騎ときこへしかど、よしなか二千騎にてけちらかしき。されば兵衛佐十万余騎とはきこゆれども、さまでの事はよもあらじ。ただしたうじ兵衛佐と義仲と中をたがはば、平家のよろこびにてあるべし。いとどしく都の人のいふなるは、『平家皆いちもんの人々をもひあひてありしかばこそ、をだしうてにじふよねんもたもちつれ。源氏は親をうち、子を殺し、どしうちせむほどに、又平家の世にぞならむずらむ』といふなれば、
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たうじは兵衛佐とてきたいするに及ばず」とて、ひきかへして信乃へこえけるが、又いかがおもひけむ、なを関山にひかへたり。兵衛佐は木曽ひきしりぞくよしききて、「木曽がひきしりぞかむをおひかかりてうつほどの誤りなし。さるにても使者を立てて、義仲がいはん口をもきかむ」とて、「頼朝がいわむことばすこしもたがはず木曽にいひつべからむ使者をつかはさばや」とのたまひければ、ほうでうのしらうまうしけるは、「いづのくにのぢゆうにんあまののとうないとほかげこそ、さやうの事も心へて口もきき、さかざかしき者にて候へ」とはからひまうしければ、とほかげをめして、すけのたまひけるは、「木曽の次郎にあひていわむやうはよな、『平家、内にはゐちよくのやから也、ほかにはさうでんのかたき也。しかるにいま頼朝かれらを追討すべき院宣をうけたまはる。あにしやうがいのてんおんにあらずや。かつうは君を
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うやまひたてまつり、かつうは家を思給はば、もつともかふりよくあるべき所也。いちぞくの儀をわすれて、平家とどうしんせらるる由、もれうけたまはるあひだ、じつぷを承らむが為に、これまでさんかうする所也。十郎蔵人のいはむ事につきて頼朝をかたきとしたまふか。さもあるべくは蔵人をこれへかへしたまへ』とまうさるべし。『帰らじ』と申さば、『ごへんはきんだちあまたおわす也。せいじんしたらむしそくひとりよりともにたべ。いつぱうのたいしやうぐんにもしさうらわむ。頼朝はせいじんの子ももちさうらはねば、かやうにまうしさうらふなり。かれをもこれをもしさいをのたまはば、やがておしよせてしようぶをけつすべし』とたしかに云べし。おもてにまけていわぬかいふか、たしかに聞け」とて、あだちのしんざぶらうきよつねと云ざつしきをさしそへてつかはしけり。あまののとうないまかりかへりて、おもてもふらず、こしもをとさず、兵衛佐のことばの上に
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をのれがことばをさしくわへて、つまびらかにぞいひたりける。木曽これを聞て、ねのゐ、こむろのものどもをめしあつめて、「わがこころにてわがみの上の事ははからひにくきぞ。これはからへ」といひければ、らうどうどもいちどうにまうしけるは、「につぽんごくはろくじふよかこくとまうすを、わづかににじふよか国こそ、源氏はうちとりたまひたれ。今しじふよか国は平家のままにて候。うちあけたる所もなくて、かまくらどのときそどのとおんなかたがわせたまひなば、平家のよろこびにてこそさうらわむずらめ。くらんどどの『かへらじ』とさうらはば、なにかくるしく候べき。しみづのおんざうしを鎌倉殿へ渡しまひらせ給へかし」と申ければ、木曽がめのとごいまゐのしらうすすみいでまうしけるは、「をそれにて候へども、おのおのあしくまうしたまふものかな。弓矢をとるならひ、ごにちをごする事なき者をついと
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しては、おんなかよかるべしともおぼへさうらはず。たごのせんじやうどのをばあくげんだどのうちまひらせてましましせば、つしに親のかたきとおもひたまふらむと、鎌倉殿はおもひたまふらむ。いかさまにも一度いくさは候わむずらむ物を。只事のついでに、おんぺんじしたたかにおほせられかへして、ひといくさして、ごみやうがの程をも御覧ぜよかし」と云ければ、木曽是を聞て、「今井はめのとごなり。ねのゐ、こむろはいままゐりなり。めのとごがいわむ事につきて、これらがいふことをもちゐずは、さだめてうらみむず。又かれらにすてられなば、あしかりなむ」とおもひて、しやうねん十一才になる、しみづのくわんじやよしもとをよびよせて、「人の子をわぎみほどまでそだてて、たにんの子になすべきにてはあらねども、十郎蔵人は『帰らじ』とのたまふ、わぎみをやらずは、ただいま兵衛佐となかたがひぬべし。なにかはくるしかる
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べき。いそぎすけどののかたへ行け。くわほうなからむには、いつしよにありとてもかなふまじ。みやうがあらば、ところどころにありとも、それにもよるまじ。とくとくいでたつべし」と云ければ、しみづのくわんじやこころぼそくはおもひけれども、しさいを云べき事にあらねば、母やめのとにいとまをこひていでたちけり。木曽は、「兵衛佐殿のつかひはたれといふものぞ」ととひければ、「いづのくにのぢゆうにん、あまののとうないとほかげとまうすものなり」と申ければ、木曽たいめんして、酒すすめ、むまひき、ひきでものなむどして、「おんつかひこころえてよくよく申給へ。まづ人はいかがおもひたまふらむ、義仲にをきてはまつたくいしゆをぞんぜず。ただ平家をほろぼして、せんぞのほんいをとげむとおもふほかは、又ふたごころなし。これひとのわざん也。ただしじふらうくらんどどのこそ、ごへんをうらみ奉ることありとて、信乃へうちこえられて候へ。義仲さへすげな
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当りさうらわむ事もいかにぞやおぼへて、うちつれ申て候。もしそのごふしんにてさうらふか。これまたさしもごいしゆふかかるべしと存ぜず。くらんどどのはかへりまゐらじとのたまへば、ちやくしのこくわんよしもと十一歳になるをまひらせ候。義仲がまひりて、ばんとのゐをつかまつるとおもひたまふべし。是も又いつぱうへむかふも、かつうはおんだいくわんにてこそ候へ。ゆめゆめをろかの義を存ぜず。もしおんためにふたごころもあらば。義仲」なむど、きしやうだいのもんを書て、しみづのくわんじやを兵衛佐のもとへつかはす。清水の冠者どうねんになりける、かいののこたらうしげうぢ、うぶこやのたらうゆきうぢと云ける者をぞつけたりける。道すがら泣ければ、「いかにかくはわたらせ給ぞ。をさなけれども、弓矢の家にうまれぬれば、さはさうらはぬ物を。いかにかくはわたらせ給ふぞ」と申ければ、よしもと
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かくぞ云ける。わがてつる道のくさばやかれぬらむあまりこがれて物を思へば K127
と云たりければ、しげうぢ。おもふには道の草ばもよもかれじなみだの雨のつねにそそけば K128
たけたのごらうのぶみつ、木曽をあたみ、兵衛佐にざんげんしけるいしゆは、「かのしみづのくわんじやをのぶみつがむこにとらむ」と云けるを、木曽うけずして、返事に申たりけるは、「おなじき源氏とて、かくはのたまふか。娘もちたらばまいらせよかし。清水の冠者につがわせむ」と云けるぞ、あらかりける。信光これを聞て、やすからず思て、いかにもして木曽をうしなはむと思て、兵衛佐にざんしたりけるとぞ、のちにはきこへし。兵衛佐、木曽が
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へんたふをききて、「もつともほんいなり。もとよりさこそあるべけれ」とて、清水冠者をぐして、鎌倉へひきかへしにけり。木曽信乃へ帰りて、きりもの三十人がめどもをよびあつめて申けるは、「おのおのがをつとどもの命を、清水冠者一人が命にかへつるは、いかに」。めども手をあはせて、よろこびて申けるは、「あらかたじけなや。かやうにおわしますしゆうを、京つくしの方よりも見すて奉て、妻をみむ、子をみむとてかへりたらむ夫にみやうたいあはせば、もるひつきのしたにすまじ。やしろやしろの前わたらじ」なむどぞ、くちぐちに申て、きしやうを書てのきにける。をつとどももこれを聞ては、めんめんにてあはせてよろこびけり。八 四月十七日、木曽義仲を追討のために、くわんびやう北国にはつかうして、次にとうごくへせめいりて、兵衛佐頼朝を追討すべきよし、きこへけり。たいしやうぐんには、
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ごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもりのきやう、ゑちぜんのさんゐみちもりのきやう、さつまのかみただのりのあつそん、さまのかみゆきもりのあつそん、みかはのかみとものりのあつそん、たぢまのかみつねまさのあつそん、あはぢのかみきよふさのあつそん、さぬきのかみこれとき、ぎやうぶたいふひろもり。さぶらひたいしやうぐんには、ゑつちゆうのせんじもりとし、おなじくしそくゑつちゆうのはんぐわんもりつな、おなじくじらうびやうゑもりつぎ、かづさのかみただきよ、おなじくしそくごらうびやうゑただみつ、しちらうびやうゑかげきよ、ひだのかみかげいへ、おなじくしそくたいふのはんぐわんかげたか、かづさのはんぐわんただつね、かはちのはんぐわんひでくに、たかはしのはんぐわんながつな、むさしのさぶらうざゑもんありくにいげ、じゆりやう、けんびゐし、ゆぎへのじよう、ひやうゑのじよう、うくわんのともがら三百四十余人、たいりやくかずをつくす。そのほかきないは、やましろ、やまと、つのくに、かはち、いづみ、きいのくにのつはものども、去
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年のふゆのころよりもよほしあつめられけり。とうかいだうには、とほたふみより東のものどもこそまいらざりけれ、いが、いせ、をはり、みかはのものども、せうせうまゐりけり。むさしのくにのぢゆうにん、ながゐのさいとうべつたうさねもりなむどもさうらひけり。とうせんだうには、あふみ、みの、ひだ三か国のつはものども少々参けり。ほくろくだうには、わかさいほくのものどもそうじて一人もさんぜず。せんいんだうには、たぢま、たんご、いなば、はうき、いづも、いはみ。せんやうだう、なんかいだう、さいかいだうには、四国の者共は参らざりけれども、はりまのくに、みまさか、びぜん、びんご、あき、すはう、ながと、ぶぜん、ぶんご、ちくぜん、ちくご、おほすみ、さつま、このくにぐにの人々もこぞの冬よりめしあつめらる。「としあけば馬のくさかひにつきてかつせんあるべし」とないぎ有けれども、春もすぎ、夏に成てぞうつたちける。
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そのせい十万余騎、たいしやうぐん六人、むねとの侍にじふよにんにはすぎざりけり。せんぢん、ごぢんを定むる事もなく、おもひおもひにわれさきにと進みけり。十万余騎のぐんぜいをたなびきて、らくちゆうをいでられければ、「異国をばしらず、につぽんわがてうに取ては、いかなる者かてむかひをすべき。げんじらなましゐなる事しいだして、こんどぞあとかたもなくほろびむずる。あなゆゆしの事や」とぞ、きやうぢゆうの人申ける。六人のたいしやうぐんたちは、おのおのいつしきにしやうぞくしてうちいでたまへり。しよくかうのにしきのよろひひたたれに、きんぎんのかなもの色々にうちくくみたるよろひきて、たいめんの為なれば、かぶとをばき給はず。おほなかぐろの矢にしげどうの弓もちて、雪よりも白かりけるあしげの馬に、らでんのくらおきて乗給へり。おのおのきこへけるは、「合戦の道のいでたちは、めいどの旅のいでたち
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なり。またふたたびかへりまゐりて、げんざんにいらむ事ありがたし。けさめんめんのいとまは申たりつれども、今一度最後の暇申さむ」とて、六人馬のくつばみをならべて、にしはつでうのなんていにれつさんし給へり。にようばうなんばうめんめんかくかくに、あるいはみすすだれをかかげてこれをみ、あるいはえむ、ちゆうもんにたちいでてみ給へり。「かのきしん、ちやうりやうがはかりことをばしらず、ようがんびれいのきしよく、ばあんきんしうのしんべうは、たんしが筆も及ばじ」とぞ、じやうげなんによほうびせられける。ゑつちゆうのせんじもりとしいげのさぶらひどもは、馬よりおりて、よろひの袖をかきあわせてていしやうにきしよくせり。かくのごとくの次第のれいぎ、ややひさしくけいくつして、いとままうしてうちいでたまふところに、白きじやうえにたてえぼしきたるらうをう六人、梅のずわへにつけたるくわんじゆをおのおのささげて、六人の大将軍に
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奉る。かどでよしとて、弓をばわきにはさみつつ、おのおのくわんじゆをひらきてよみ給けるぞおもしろき。そのことばにいはく、「第一にはこれもりのきやう。げううななめにそそきてへいけくにをたひらげ、とんがにはかにながれてげんしみなもとをうしなふ。いつくしまのみやうじんよりごんのすけさんゐのちゆうじやうどの」とかかれたり。「第二にはみちもりのきやう。平家のていしやうにふらうもんをたてて、源氏のほうゑんにはどくせんのかぶらをはなつ。いつくしまのみやうじんよりゑちぜんのさんゐどの」とかかれたり。「第三にはゆきもりのあつそん。とうかいのえいぐわはへいけのそのにひらき、いつくしまのじんぷうはげんじのいへをやぶる。厳島明神よりさまのかみどの」とかかれたり。「第四にはとももりのあつそん。へいけはんじやうしてはつくにはにはみ、げんじすいらうのぎよをうふねをうしなふ。厳嶋明神よりみかはのかみどの」とかかれたり。
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「第五にはつねまさのあつそん。につぽんひかりをほしいままにすることは平家のよふうなり。たいはくほしををかすことは源氏のもつけたるべし。厳嶋明神よりたぢまのかみどのへ」とかかれたり。「第六にはきよふさのあつそん。平家はわうのごとし、源氏よくうやまふ。源氏はつづみににたり、平家これを打つ。厳嶋明神よりあはぢのかみどの」とぞかきたりける。六人おのおの馬よりおりて、「さいはいさいはい」と再び拝したまひけるぞめでたき。むまひきたまはむとしけるに、おきなはけしてうせにけり。これは誠のいつくしまのみやうじんのげんぢゆうのごじげん、きたいの不思議也。みやうじんこれほどごたくせんのあらむ上は、平家はんじやう、源氏すいめつのでう、うたがひあらじとこそよろこびあへりけるに、のちにきこへけるは、かのいつくしまのかんぬし、平家をいのりたてまつるこころざし、しんぢゆうにふかくして、合戦のかどでをいはひたてまつるつくり事にてぞつかまつりける。たとへばしやうぐわつぐわんにち
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ぐわんざんに、「ちやうせいでんのうち、ふらうもんのまへ」と祈れども、よはひは日にそへておとろへ、命はたちまちにとどめまる。「かしんれいげつよろこびきはまりなし」といはへども、ふくかうもさまでもなし。おもひなげきはひびにまさるがごとし。ばんじは皆春の夜の夢、しよじはことごとくぜんぜのくわほうなるべし。いのれども祈られず、いはへどもいははれぬわがみ也。そもそも第一のこれもりのくわんじゆのことばに、はじめの二句の心はきこへたり。第三第四の句に、「とんがにはかにながれてげんしみなもとをうしなふ」とまうすこころは、もろこしのしやうりやうせんの北のふもとに、だいがにはかに流れたり。これをとんがとなづけけり。つりをたるるおきなありき。そのなをげんしとかうす。くだんのにはかにながれいでたるにおどろきて、たづねいりてみければ、へんげの者のへんげしたるかはにて、あとかたもなくうせにけり。かの河のみなもとのなきがごとくに、この源氏の
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世も源うせぬべしといふ、しゆその心をあらはして、「げんしみなもとをうしなふ」と書たりけるとかや。よのくわんじゆのぶんしやうはことばあらはにして、心皆きこへたり。「へいじはんじやう、げんけめつばう」といのりしかども、せんどとをらずや有らむずらむとぞおぼへし。さるほどに平家のおほぜい既に都をいづ。おびたたしなむどはなのめならず。このせいにはなにかはおもてをむかふべき。只今うちしたがへてむとぞみへし。かたみちたまはりてければ、ろしもてあへる物をば、けんもんせいかのしやうぜいくわんもつ、神社仏事のじんもつぶつもつをもいはず、をしなべてあふさかのせきより、これをうばひとりければ、らうぜきなる事おびたたし。まして、おほつ、からさき、みつ、かはじり、まの、たかしま、ひらのふもと、しほつ、かいづに至るまで、ざいざいしよしよの
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家々を次第についふくす。かかりければ、にんみんさんやににげかくりて、はるかにこれをみやりつつ、おのおの声をととのへてぞ叫びける。昔よりしててうてきをしづめむが為に、とうごくほつこくにくだり、さいかいなんかいにおもむく事、そのれいおほしといへども、かくのごとくの、にんみんをつひやしこくどを損ずる事なし。されば源氏をこそほろぼして、かのじゆうるいをわづらはしむべきに、かやうにてんがをなやます事はただことに非ずとぞ申ける。よしなかこのことを聞て、わがみは信乃にありながら、へいせんじのちやうりさいめいゐぎしをたいしやうにて、いなづのしんすけ、さいとうだ、はやし、とがし、ゐのうへ、つばた、のじり、かはかみ、いしぐろ、みやざき、さみがいつたう、おちあひのごらうかねゆきらをはじめとして、五千余騎にて、ゑちぜんのくにひうちがじやうをぞかためける。ひうちもとよりくつ
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きやうのじやうなり。南はあらちのなかやま、あふみのうみの北のはし、しほつかいづの浜につづき、北はかいづ、ゆのをやま、きのべ、とくらとひとつ也。東はかへる山の麓、こしのしらねにつづきたり。西はのうみ、こしのうみやまひろくうちめぐりて、こしぢはるかにみへわたる。ばんじやくをそばたてやまたかくあがりのぼりて、しはうにみねをつらねたりければ、ほくろくだうだいいちのじやうくわくなり。山をうしろとして、山を前にあつ。りやうがんのあひだ、じやうくわくの前に、西より東へだいがながれいでたり。たいせきをかさね、しがらみをかきて、水をふせきとどめたり。あなたこなたの谷をふせき、南北の岸をうるほし、みづのおもてはるかにみえわたりて、みづうみの如し。かげなんざんをひたして、青くしてそうそうたり。なみさいじつをしづめて、くれなゐにしていんりんたり。かかりければ、舟なくしては、たやすく渡すべきやふなかりけり。
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九 廿一日、平家のぐんびやうひうちがじやうにせめよせたり。じやうのありさま、いかにしておとすべしともみへざりければ、十万騎のせい、むかへの山にしゆくして、いたづらに日を送りけるほどに、源氏のたいしやう、さいめいゐぎし、平家のせい十万騎におよぶよしをききて、かなふまじとやおもひけむ、たちまちにへんしんありて、わがじやうをぞせめける。あるとき、じやうないより平家のかたへひきめをいかけたり。あやしとおもひて取てみれば、ひきめのなかにつけたるふみあり。これをひらきてみれば、じやうへよすべき道のやうをぞ書きたりける。「このかはのはたをごちやうばかりかみに行て、川のはたにおほきなるしひのきあり。かのこのもとに瀬あり。をそが瀬と云。その瀬をわたつて東へゆけば、ほそぼそとしたる谷あり。谷のままにさんちやうばかりゆけば、道ふたつにわかれたり。ゆん
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でなる道はじやうの前へをりたり、めてなる道はじやうのうしろへかよひたり。この道をとほりて、じやうのうしろへおしよせて、いくさのときつくりたまへ。ときの声をきくものならば、じやうに火をかけさうらはむずるぞ。しからば北へのみぞおちさうらはむずる。そのときおほてをしあはせて、中にとりこめてうちたまへ。又このかははせきあげて候へば、かはじりへせいをまはして、しがらみをきりをとされさうらはば、水はほどなくおちさうらふべし。さいめいがいつたうは五十余人さうらへば、じやうのうしろへひとてにて落候べし。かたきかとて、くらまぎれにあやまち給な。やがてみかたへまゐりくははり候べし」とて、くはしくしるして、げしやくに付て親しかりければ、「ゑつちゆうのじらうびやうゑどのへ」とぞかきたりける。平家のぐんびやうこれをみて、「いちだいしやうげうの中にも、これほ
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どたつときふみはあらじかし。かのへいせんじはえいさんのまつじなり。いわうさんわうのおんぱからひにてや」といさみあひたり。又「いつくしまのみやうじんのさいめいにごたくせんあるにこそ」とて、よろこびたまふもことわりなり。ぜんかんのそぶがここくのえびすにとりこめられて、都を恋ふるおもひせちなりき。こきやうへ送りけるふみには、きえつの至りしようれつあらじと、たいしやうぐんをはじめてなんかいさいかいのともがらまで、よろこびあへる事かぎりなし。ありまさがしに、ひんがんにしよをかくればあきのはうすし、ぼやうにじうをごすればせいくわむなし。K129
と書たるは、そぶがこさいのありさまなり。しんめいのたすけある時には、かやふにこそありけれ。さればふたたびかんきやうの月に帰りて、えいぐわをいつてんにひらけり。かれはかりの足のしよ、これはながれやのふみ、みなもつててんじん
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ちぎのおんぱからひなり。「いそぐべしいそぐべし」とて、おのおのうちいでむとす。たぢまのかみつねまさのたまひけるは、「かたきをはかることは、山をかくして海をへんじ、河をつくしていはを集むるは、ゆみやとるもののならひなり。これもいかなるべきやらむ。おのおのはからひたまへ」とぞのたまひける。みかはのかみのたまひけるは、「さればとて、かくてあるべきにもあらず。その上、さいめいがじやうのていさもありぬべし。たばかるともそれによるべからず」とて、よきつはもの五百余騎をえらびてさしつかはしけり。じやうにかいたるむねにまかせてうちもてゆけば、かはばたにしひのきあり。またせあり。うちいれてわたせば、あぶみのはたもぬれざりけり。うちこえてみれば、たにあり、みちあり。めてなるみちのままゆけば、あんのごとくじやうのうしろへつといでたり。またをしへのごとくかは
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じりへひとをつかはして、しがらみをきりをとしてければ、おびたたしくみへけれども、みずはほどなくおちにけり。おのおのかぶとのををしめ、やなみかいつくろいて、せいをまちととのへて、こゑをととのへてときをつくる。やがてじやうないよりひをいだす。これをみて、「かたきすでにうちいりてひをいだすか」とて、じやうないにこもりたるものどもあわてさはぎて、われおとらじときどぐちをひらきて、きたへのみぞまどひおちける。へいけのおほておしあはせて、とりこめてたたかひければ、げんじのぐんびやうかずをしらずうたれにけり。さいめいやがてへいけのかたへおちくははりて、「ほくろくだうのあんないしや、さいめいつかまつらむ」とぞまうしける。ひうちがじやうおひおとしてければ、やがてかがにうちこえて、ゑつちゆうのくにとなみやまをこえむとす。きそ
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このことをききておほきにおどろき、ごまんよきにてうちいでて、せきやまをこえてとなみやまへぞむかひける。またかつせんのきたうにとて、ぐわんじよをかきてしらやまへたてまつる。かのじやうにいはく、
十 けいびやくだいぐわんをたてまうすこと一 かがのばばしらやまのほんぐうさんじつかうをごんじしたてまつるべきこと一 ゑちぜんのばばへいせんじさんじつかうをごんじしたてまつるべきこと一 みののばばちやうりゆうじさんじつかうをごんじしたてまつるべきことみぎしらやまめうりごんげんは、くわんおんさつたのすいしやく、じざいきつしやうのけげんなり。さんしうかうれいのがんくつをしめて、しかいそつとのそんぴをりす。さんけいがつしやうのともがらは、にせいのしつぢをみたし、きえていとうのたぐひは、いつしやうのえいえうにほこる。
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そうじてちんごこくかのほうしや、てんがぶさうのれいしんなるものか。しかるをきんらいよりこのかた、へいけたちまちにふたうのかうゐにのぼり、あくまでひじゆんのえいしやくにほこりて、かたじけなくじふぜんばんじようのせいしゆをないがしろにし、ほしいままにさんたいきうきよくのしんかをりようじよくし、あるいはだいじやうほふわうのすみかをついふくし、あるいははくりくてんがのみをおさへとる。あるいはしんわうのせんきよをうちかこみ、あるいはしよぐうのけんせいをうばひとる。ごきしちだう、いづれのところかこれをうれへざる。はくくわんばんみん、たれのひとかこれをなげかざる。すでにわうそんをたたんとほつす。あにてうかのおんかたきにあらずや。これいち。つぎになんきやうしちじのぶつかくをやきて、とうぜんはつしゆうのゑみやうをたち、をんじやうみゐのほつすいをつくして、ちしよういちもんのがくりよをほろぼす。そのさかしまてうだつにもまさり、そのとがはじゆんにもこえたり。げつしのたいてんのさいたんか、じちゐきのもりやかさねてきたれるか。すでにぶつざうきやうくわんをまめつし、まただうたふそうばうをやきはらふ。いづくんぞほつけのをんできにあらずや。これに。
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つぎにげんじへいじのりやうか、いにしへよりいまにいたるまで、ごかくのごとく、てんしさうのしゆご、てうかぜんごのしやうぐんなり。しかるをことにふれしいうをけつし、ひまをうかがひむじゆんをいたす。よつてだいだいかつせんをくはたて、どどしようぶをあらそふ。すでにしゆくせのをんしんあり。これわたくしのおほきなるかたきかこれさん。これによつてかたじけなくしんめいのみやうじよをかうぶり、ぶつぽふのをんできをかうせむがために、だいぐわんをさんしうのばばにたてて、かんおうをさんじよごんげんにあふぐのみ。なかんづくせんだいわうできをふくす。みなぶつじんのひいきによる。このときむほんをかうせんに、いづくんぞごんげんのしようりなからむや。しかのみならず、はくさんのほんぢくわんおんだいしなれば、ふゐきふなんのなかにおいて、よくむゐをほどこす。たとひぼうしんのきようどしゆそをくはへをんねんをいたすといへども、ほんにんのせいやくにげんちやくすること、うたがひなからむ。しかれば、ごんげんのほんぜいをげんねんす。かんおうきびすをめぐらすべからず。いかにいはむやわがいへせんぞより、はちまんだいぼさつのかごをあふぐ。ゐをふるひとくをほどこす。しかるにはちまんのほん
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ぢは、くわんおんのほんしあみだなり。はくさんのごたいは、みだのけふじくわんぜおんなり。していちからをあはせば、かんおうひそかにつうぜんものか。いはむやみだにむりやうじゆのみなまします。あにせんしうばんぜいのさんをさづけざらむや。くわんおんにやくじゆわうのみをげんず。いづくんぞふらうふしのくすりをしよくせざらんや。ほんぢといひすいしやくといひ、しようりけちえんなり。おほやけにつけわたくしにつけ、そくわいをとげむとほつす。こころざすところわたくしなく、ほうこういただきにあり。ひとへにわうできをかうせむがため、もつぱらてんがををさめんがため、たちまちにぶつぽふをおこさむがため、とこしなへにしんめいをあふがんがためなり。つたへきく、てんじんにいかりなし、ただしふぜんをきらふ。ちぎにたたりなし、ただしくわげんをいとふ。ゆゑにへいけわうゐをうばふ、これふぜんのいたりか。ぼうしんぶつぽふをほろぼす、またくわげんのもとゐなり。じつげついまだちにおちず、せいしゆくなほてんにかかれり。しんめいのしんめいたるものは、このときげんをほどこし、さんぼうのさんぼうたるものは、このときゐをふるひたまへ。しかればすなはち、ごんげんわれらがこんぜいをてらし、みやうにはへいけのやからをばつせしめて、われらごんげんのかりよくをかうぶりて、けんにむほんのともがらをうたむとおもふ。
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もしたんきにこたへて、かんおうすみやかにつうぜば、かみくだんのだいぐわんけだいなくは、はたしとぐべきなりてへれば、いよいようぢのめんぼくをよろこびて、あらたにしやだんのしやうごんをそへ、とこしなへにみちのみやうがにほこりて、ますますぶつぽふのこうりゆうをいたさむ。よつてまうしたつるところ、くだんのごとし。うやまひてまうす。じゆえい二年四月廿八日みなもとのよしなかうやまひてまうす」とぞ書たりける。五月二日、ろくらうみつあき、とがしのたらうらがじやうくわくをにかしよをうちおとし、しだいにせめいるよし、くわんびやうくにぐによりはやむまをたてて申ければ、みやこにはひとびとよろこびののしりけり。はやし、とがしがいつたうおひおとして、へいけはしらやまのいちのはしをひきてぞこもりける。十一日、へいけ十万よきのつはものをみてにわけて、さんまんよきをばしをの手へむけさしつかはす。しちまんよきをばおほてにさしむけて、ゑつちゆうのせんじもりとしがいつたうごせんよきひきわけて、かがのくにをうちすぎ、よもす
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がらとなみ山をこえて、ゑつちゆうのくにへいるところに、きそがめのとごにいまゐのしらうかねひら、ろくせんよきにてまちまうけてすこくかつせんす。ゆふべにおよびてもりとしうちおとされぬ。うたるる者三千よにんとぞきこへし。もりとしはかがのくににかへりて、ひとところにあつまりゐて、いくさのだんぎす。へいけ十万よきをふたてにわかてり。おほてはこれもり、みちもり、とものり、つねまさ、きよふさ、ただのり、のりつねいげしちまんよきは、かがゑつちゆうのさかひなるとなみやまをうちこえて、ゑつちゆうのくにへむかはむとす。からめでのたいしやうぐんはゑつちゆうのせんじもりとし、さんまんよきにて、のと、かが、ゑつちゆうさんがこくのさかひにしをざかへむかふ。きそよしなかは越中国にはせこえて、いけのはら、はんにやのにひかへたり。ごまんよきのせいをみてに作る。じふらうくらんどゆきいへたいしやうぐんにて、たてのろくらうちかただ、やしまのしらうゆきつな、おちあひのごらうかねゆき
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らをあひぐして一万騎、しをざかへさしつかはす。「いまゐのしらうかねひらも一万騎にて、となみやまのうしろのからめでにまはるべし。よしなかさんまんよきにておほてへむかふべし」と申ければ、みやざきさみの太郎がまうしけるは、「くろさか、しをやまをこされなば、いづくにてかささふべき。へいけよもすがら山をこうるとうけたまはる。くろさかぐちへつきたまひて、しばらくささへてごらんぜよ」と申ければ、きそ申けるは、「おほぜいはよなかにははせあふまじきぞ。黒坂口へ手をむけばや」とひやうぢやうす。ほくろくだうほんぎやくのともがらのこと、せんじをくださる。そのじやうにいはく。みなもとのよりとも、おなじくのぶよしら、きやうねんよりこのかた、みやうあくのぎやくしんにぢゆうして、らうれいのかんらんをくはたつ。そのどういよりきのともがら、とうごくおよびほくろくより、すかこくのしうけんをりよりやくし、そこばくのれいみんをこふりやくす。むほんのはなはだしき、わかんにたぐひすくなし。よつてさきのないだいじんにおほせて、
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よろしくほくろくだうのぎやくぞくをついたうせしむべしてへり。寿永二年五月廿日 さちゆうべん六月一日、「へいけのおほて、すでにとなみやまをうちこえて、くろさか、やなぎはらへうちいづ」ときこへければ、きそ申けるは、「きくがごとくはへいけたせいなり。やなぎはらのひろみへうちいづる物ならば、はせあひの合戦にて有べし。はせあひのたたかひはせいのたせうによる事なれば、おほぜいの中にかけられてあしかるべし。かたきを山にこめて、ひくれてのち、くりからがたにのがんぜきにむけておひおとさばやとおもふなり。よしなかまづいそぎて、くろさかぐちに陣を取べし。かたきむかひたりとみば、『このやましはうがんぜきなれば、さうなくかたきよもよせじ。いざ馬のあしやすめむ』とてとなみやまのさるのばばにおりゐてやすまむずる。そのうしろへからめでをまはして、たにへむけておひかけよ」と申て、
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まづはたさしひとりつよき馬にのせてはせさす。みのこくばかりにくろさかぐちにはせつく。しらはたひとながれたかきにうちたててゆひつけたり。あんの如くへいけこれをみて、「あわやげんじのせんぢんむかひてけるは。かたきはあんないしやなり、みかたはぶあんないなり。さうなくひろみへうちいでて、しはうよりかけたてられてあしかりなむ。このやまはしはうがんぜきなり。かたきよせつともみへず。むまのくさかひ、みづのたよりともによきところぞ。やまをかかせて馬のひづめもよはりたり。ここにおりゐてしばらく休めや」とて、へいけとなみやまにぞおりゐにける。げんじのしたくにすこしもたがわず。いくさのひをてんじて、きつきようをうらなふ男有けり。かの男申けるは、「九月いぜんにはいくさりせざるなり。ひきしりぞきてごぢんをかためよ」と申けるを、かげいへじやしんにいりて、しんぜずして、合戦をいそぎけり。
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これは、ひごのかみさだよしがきくちたかなほをせめおとして、じゆらくするよしきこへければ、かれにさきだちてしようぶをけつして、こうをあげむと思ける故なり。よしなか、むま三十ぴきにくらを置て、しでをつけててんじんちぎに奉りて、ちかひていはく、「しんめいもしきせいのおもむきをなふじゆし給はば、此の馬あひひきて、かたきの陣の中にいるべし。なふじゆし給はずは、むまみなりさんすべし。これをもつてけふのいくさのしんだいおもひさだむべし」と心をいたして、きねんしておひはなちたりけるに、かの馬いちれつにむれひきて、つのはんぐわんもりずみが陣の中へ三十ぴきながらいりたりければ、くわんぐんも驚きあへり。よしなかふかくしんじゆす。さるほどに、あたかのせい、いくさにておひたりしいしぐろのたらうただなほもけふういだちして、むまにかきのせられて、はんにやののぢんへ参りたりけり。をりしもどうこくのぢゆうにん
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なかむらのさぶらうただつな、むくたのあらじらうむらたか、まゐりあひさうらひければ、たいしやうぐんきそのたまひけるは、「よしなかはえうせうよりしてしなののくににきよぢゆうして、けふはじめてこの山へはむかひたり。しかるあひだ、やまのあんないぞんぢせず。とのばらはあさゆふすみなれ給たる所なれば、さだめてあんないはよくよくぞんぢせられたるらむ。こんどの合戦に、よしなかをかたせうかたせじは、しかしながらとのばらのはからひなり。いかやうにあるべきやらむ」とのたまひければ、めんめんに申けるは、「さんざうらふ。このくににぢゆうして人となれるみどもにて候へば、『このもと、かやのもと、たにのふかきにあくしよあり。みねのけはしきにがんぜきあり。ここはかんだうなれば、いづくのさとへいづるみち。かれはだいだうなれば、それがしの村へつづきたり。かたきはかのかたよりよせこば、われはちがいていづれのかたよりむかふべし』とぞんぢして候へば、おのおのあんないしやつかまつりさうらふべし。このやまはと
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なみやまのこほりのうちにてさうらへば、となみやまとも申し候。またはくろさかやまともなづけたり。くろさかに取てみつのみちさうらふ。きたぐろ
さか、みなみぐろさか、なかぐろさかとて候。きたにはまたあんらくじごえ、みなみにはかむだごへ、ほら坂ごへとて、みちは多く候へども、よのかたへはいづれのみちへも、かたきむかひたりともうけたまはりさうらはず。なかぐろさかのさるのばばとまうすところにぢんをとりてさうらふなれば、かしこはむげにぶんないせばきところなり。せんぢんごぢんおしあはせてせめむに、むげにやすくおぼえさうらふ」とぞ申ける。きそみのせいのさだめ、十三騎にて、まづなかぐろさかぐちへはせつきぬ。しはうをきとみまわせば、きたのはづれにあたりて、なつやまのみねのみどりのこのまより、あけのたまがきほのみへて、かたそぎづくりのやしろあり。まへにとりゐぞ立たりける。さとのをさをめして、「あれをばなにのみやと申すぞ。またいかなる神をあがめたてまつりたるぞ」ととひたまへば、「これははにふのやしろとまうして、はちまん
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ぐうとまうしさうらふ」といひければ、きそうれしくおもひて、きそがてがきにきそのたいふかくめいといふもののありけるをよびていひけるは、「よしなかさいはひにたうごくしんはちまんぐうのごほうぜんにちかづき奉りて、合戦をとげむとす。こんどのいくさにはうたがひなくかちぬとおぼゆるぞ。かつうはこうたいのため、かつうは当時のいのりのために、ぐわんじよをいつぴつかきてまいらせばやと思ふは、いかがあるべき」といひければ、かくめい「もつともしかるべくさうらふなり」とて、えびらのなかよりこすずりをとりいだして、たたうがみに是をかく。かくめいそのひは、かちんのよろひひたたれにすつちやうづきんして、ふしなはめのよろひにくろつばのそやおひて、しやくどうづくりのたちはいて、ぬりごめどうのゆみわきにはさみて、きそが前にひぎまづきて書たりけり。あわれ、ぶんぶにだうのたつしややとぞみへたるける。そのじやうにいはく、
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十一 きみやうちやうらい、はちまんだいぼさつは、じちゐきてうていのほんしゆ、るいたいめいくんのなうそなり。ほうそをまもらんがため、さうせいをりせんがために、さんじんのきんようをあらはし、さんじよのけんぴをひらく。ここきやうねんのあひだ、へいしやうこくと云ものあり。しかいをくわんりやうしてばんみんをなうらんせしむ。これすでにぶつぽふのあた、わうぼふのかたきなり。よしなかいやしくもきゆうばのいへにうまれて、ききうのげいをつぐ。かのぼうあくをみるに、しりよをかへりみることあたはず。うんをてんたうにまかせ、みをこくかになぐ。こころみにぎへいをおこして、きようきをしりぞけんとほつす。しかるをたうせんりやうぢんをあはすといへども、しそついまだいちぢんのいさみをえざるあひだ、まちまちのこころわんわんたるところに、いまいちぢんのはたをあぐるせんぢやうにおいて、たちまちにさんじよわくわうのしやだんをはいす。きかんのじゆんじゆくすでにあきらかなり。きようどのちゆうりくうたがひなし。くわんぎのなみだをふらせて、かつがうきもにそむ。なかんづく、ぞうそぶさきのむつのかみよしいへのあつそん、みをそうべうのしぞくにきふして、なをはちまんたらうとかうせしよりこのかた、
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そのもんえふたるものの、ききやうせずといふことなし。よしなかそのこういんとして、かうべをかたぶけてとしひさし。いまこのたいこうをおこす。たとひえいじのかひをもつて、きよかいをはかり、たうらうのをのをとりて、りふしやにむかふがごとし。しかれどもきみのためくにのためこれをおこす。まつたくみのためにこれをおこさず。こころざしのいたりしんかんそらにあり。たのもしきかな、よろこばしきかな。ふしてねがはくはみやうけんゐをくはへ、れいしんちからをあはせて、かつことをいつしにけつし、あたをしはうにしりぞけたまへ。たんぜいみやうりよにかなひ、いうけんかごあるべくは、まづひとつのずいさうをみせしめたまへ。うやまひてまうす。じゆえい二年六月一日みなもとのよしなかうやまひてまうすとぞ書たりける。このぐわんじよに十三騎のうはやをぬきて、雨のふりけるに、みのきたる男のみののしたにかくしもたせて、だいぼさつのしやだんへたてまつるところに、たのもしき事は、八幡大菩薩、そのふたごころなき心ざしをやかがみたまひけむ、れいきうてんより飛びきたりて、しら
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はたのうへにへんばんす。よしなか馬よりおり、かぶとをぬぎ、かうべをちにつけて、これをはいし奉る。へいけのぐんびやうはるかにこれをとほみして、みのけいよだちてぞおぼえける。さるほどにきそがせい三千よきにてはせきたる。かたきにせいのかさみへなばあしかりなむとて、まつなが、やなぎはらにひきかくす。とばかりありてはごせんよき、おなじくやなぎはらにひきかくす。とばかりあつてはしちせんよき、とばかりあつては一万騎、さんまんよきのせいはしごど、じふどにぞはせつきける。皆柳はらにひきかくす。へいけはとなみやまのくち、くりからがたけのふもとに、まつやまをうしろにして、きたむきに陣をとる。きそはくろさかのきたのふもと、まつながやなぎはらをうしろにして、みなみむきにくろさかぐちにぢんをとる。りやうぢんのあひだわづかにごろくたんをへだてて、おのおのたてをつきむかへたり。きそはせいをまちえても、合戦をいそがず。へいけのかたよりもすす
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まず。ときのこゑさんがど、のちはしづまりかへりてぞみへける。しばらくあつて、げんじの陣よりせいびやう十五騎をたてのおもてへすすませて、十五騎うはやのかぶらをどうおんにへいけの陣へぞいいれける。へいけすこしも騒がず、十五騎をいであはせて、十五のかぶらをいかへさす。りやうばう十五きづつ共にたてのおもてにすすみたり。しようぶをけつせむとはやりけれども、うちよりせいしてまねきいれつ。またとばかりありて、卅騎をいだしていさすれば、卅騎をいだしていかへす。五十騎をいだせば五十騎、百騎をいだせば百騎をいだしあひて、やをいちがへさせたるばかりにて、りやうばうしようぶにおよばず、おのおのほんぢんへひきしりぞく。かくするほどに、たつのときよりひつじのこくまでろくかどにおよぶ。げんじはからめでのまはるをまちて、ひをくらさむとするはかりことをばしらずして、へいけの
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あひしらひけるこそはかなけれ。さるほどに日もくれがたになりぬれば、いまゐのしらうかねひら、たてのろくらうちかただ、やじまのしらう、おちあひのごらうをさきとして、いちまんよきの勢にて、へいけの陣のうしろ、西のやまのうへよりさしまはして、ときをどつとつくりたりければ、くろさかぐち、やなぎはらにひかへたるおほてさんまんよき、どうじに時を作る。ぜんごごまんよきがをめく声ひとつ、たににひびきみねにひびきて、をびたたしくぞきこへける。へいけは、「きたはやまがんぜきなり。よいくさはよもあらじ。よるあけてのちぞいくさはあらむずらむ」とて、ゆだむしたりける所に、にはかにときをつくりあげたりければ、とうざいをうしなひてあわてさわぐ。うしろはやまふかくしてけはしかりつれば、からめでまはりぬべしとはおもはざりつるものをや。こはいかがせむずる。まへはおほてなればえすすまず。うしろへもひきかへさず。りようにあらねばてんへものぼら
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ず。ひはすでにくれぬ。あんないはしらず、ちからおよばぬみちなれば、ひがしのたにへむけてよこにぞをとしける。さばかりのがんぜきを、やみの夜にわれさきにとおとしけるあひだ、くひにつらぬかれ、岩にうたれても死にけり。さきにをとす者は、のちは落す者にふみころされ、後に落す者は、いまをとす者におしころさる。ちちをとせば子もをとす、こをとせばちちもつづく。しゆうをとせばらうどうもをちかさなる。むまにはひと、ひとには馬、上や下にをちかさなりて、くりからがたにひとつをばへいけしちまんよきにてはせうめてけり。たにの底におほきなるとちの木あり。ひとつのえだへはにじふぢやうありけるが、かくるるほどにぞはせうめたりける。いたづらにすつるいのちを、かたきにくむではしなずして、われおとらじとはせかさなりけるこそむざんなれ。たいしやうぐんみかはのかみとものりいげ、さぶらひにはひだのはんぐわんかげたか、たかはしのはんぐわん
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ながつないげ、ゑふ、しよし、ならびにうくわんのともがら百六十人、むねとのものどもにせんよにんはくりからが谷にてうせにけり。がんせんちをながし、しがいをかをなせり。されば、くりからが谷のへんには、せんこう、たうこん、このもとごとにのこり、ここつたににみちて、いまのよまでありとぞうけたまはる。きそかやうにへいけのおほぜいをせめをとして、くろさかのたうげにゆんづゑつきてひかへたるところに、へいけはせかさなりてうめたる谷の中より、にはかにくわえんもえあがる。きそおほきにおどろきて、らうどうをつかはしてこれをみするに、かなつるぎのみやのごじんぼうにてぞわたらせたまひける。かなつるぎのみやとまうすはしらやまのつるぎのみやのおんことなり。きそむまよりをり、かぶとをぬぎて、さんどこれをはいしたてまつりて、「このいくさはよしなかが力のおよぶ所にてはあらざりけり。しらやまごんげんのおんぱからひにして、へいけのせいは
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ほろびにけるにこそ。つるぎのみやはいづれのかたにあたりてわたらせ給ふやらむ。おんよろこびまうさむ」とて、くらおきむまにじつぴきにたづなむすびてうちかけて、しらやまのかたへおひつかはす。これほどのしんけんをいかでかさてあるべきとて、かがのくにはやしのろくらうみつあきがりよりやうよこえのしやうを、しらやまごんげんへきしんしたてまつりたりけるが、いまにたえず、じんりやうにて伝わりたるとかや。
十二 同二日、しをのいくさに、じふらうくらんどゆきいへまけいろになりたりければ、ゑつちゆうのせんじもりとし、かつにのりてせめたたかふ。きそとなみやまのいくさに打勝て、五万騎のせいにてしをざかへはせむかひて、あたかのみなとをわたさむとするに、はしをひかれて、河はふかし、わたすにおよばずして、いきつぎいて、くらおきむまにたづなむすびて、かいかけかいかけ七八疋おひわたす。へいけのせいこれをみて、「げんじおとしな
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むとするにこそ。ここにむまおとしたり」と申て、われとらむわれとらむとしけるを、きそこれをみて、「河はあさかりけり。わたせやわたせや」と云て、うんの、もちづき、にしな、むらやまをさきとして五百余き、うちひたりたり。へいけこれをみて、とるものもとりあへずおちにけり。のがるる者はすくなく、おほくは河へぞいりにける。しをの手おひおとして、やがて加賀国しのはら、なみまつまでせめつけたり。平家かへしあはせてたたかうといへども、三万余騎たいていしのはらにてうたれにけり。びつちゆうのくにのぢゆうにんせのをのたらうかねやす、木曽が郎等、かがのくにのぢゆうにん、くらみつのろくらうなりずみが為にいけどられぬ。さいめいゐぎしもいけどられぬ。
G30十三 平家のけにん、むさしのくにのぢゆうにん、ながゐのさいとうべつたうさねもり、「つひにのがるまじきいのちなり。いづくにてもしなむ命はおなじこと」と思ひて、ししやうふちにたたかひ
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けり。あかぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのよろひをぞ着たりける。木曽が手に、しなののくにのぢゆうにんてづかのたらうみつもりといふものあり。さねもりがかくるをみて、「たそや。ただひとりのこりとどまりてたたかふこそ心にくけれ。なのれやなのれや。かうまうすはたれとか思ふ。しなののくにすはのこほりのぢゆうにん、てづかのたらうかなさしのみつもりと云者ぞ。よきかたきぞや」と、なのりかけたり。さねもりまうしけるは、「さるものありとききおきたり。ただしわぎみをさぐるにはあらず。おもふやうがあればなのりはすまじ。只くびを打て源氏のげんざんにいれよ。きそどのはごらんじしりたるらむ。おもひきりたれば、一人残りとどまりてたたかふぞ。かたきはきらふまじ。よりこよ、手塚」といふままに、弓をわきにはさみてあゆませよりたり。手塚、郎等一人をめてにならべて、中にへだたるとぞ見へし。さねもりにおしならべて手塚むずとくむ。実盛「さしたり」と云て、さしおよびて、
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手塚が郎等のおしつけの板をつかみて、左の手にてはたづなをかひくり、立あがつて、「えい」と云てひくに、手塚が郎等ひきおとされぬ。実盛おしつけの板をつかみて、馬の腹にひきつけて、もてさげてもてゆく。足は地よりいつしやくばかりあがりたり。手塚これをみて、はせならべて、実盛がよろひの袖につかみ付て、えごへをいだして引くに、あぶみをこしてさきにおちにけり。実盛も二人を
かたきにうけたりければ、もろともにひきおとされぬ。さりけれども、手塚が郎等を取てをさへてくびをかくに、手塚、実盛がよろひのくさずりをひきあげて、つかもこぶしもとをれとさして、やがて上にのらへてくびをかくに、水もさわらず切れにけり。手塚が郎等をくればせにはせ来たりけるに、さねもりがよろひはぎとつてもたせて、木曽が前にきたりて
P2499申けるは、「みつもりこそかかるくせもの打て候へ。『なのれ』と申候つれども、なのりさうらはで、『きそどのは御覧じ知たるらむ』と申て、つひになのり候はず。さぶらひかとぞんじさうらへば、にしきのひたたれを着て候。たいしやうぐんかとぞんじさうらへば、つづくせいも候はず。きやうものか、さいこくさまのごけにんかと思候へば、こゑはばんどうごゑにてさうらひつ」と申せば、木曽のたまひけるは、「あはれ、これはむさしのくにながゐのさいとうべつたうさねもりにこそあむなれ。もしそれならば、ひととせ義仲をさなめに見しかば、しらがかすをなり
しぞ。今は事のほかにしらがにこそなりぬらめ。びんの髪のくろきこそあやしけれ。ひぐちはふるどうれうにてみしりたるらむ。見せよ」とて、ひぐちの次郎をめしてみせらるる。実盛がもとどりを取
てひきあげてただひとめみるままに、なみだをはらはらとをと
P2500して、「あなむざむや、実盛にて候也」と申せば、木曽、「いかにびむひげのくろきは」といふに、ひぐち、「さ候へばこそ、子細を申候はむとし候が、心よはくなみだのまづこぼれ候也。弓矢とる者は、いささかの事にもことばをばまうしおくべき事にてさうらひけり。実盛としごろかねみつにまうしさうらひしは、『実盛六十にあまりてのち、いくさのぢんにむかひたらむには、しらがのはづかしからむずれば、びむひげにすみをぬりて、わかくみえむとおもふなり。そのゆゑは、これほどのしらがにて、いかほどのさかえを思ていくさをばしけるぞやと、人の思わんもはづかし。そのうへかたきも、らうむしやとて、あなづらむ事
もくちをしかるべし。又わかとのばらにあらそひてさきをかくるもをとなげなし。をののこまちがらうくの歌に、さわにをうるわかなならねどをのづからとしをつむにもP2501そではぬれけり
といひけむもことわりなりけり』とまうしさうらひしが、たわぶれとおもひて候へば、げにすみをぬり
てさうらひけるぞや。水をめしよせて、あらはせてごらんさうらへ」と申せば、「まことにさも有らむ」とて、あらわせてみ給へば、しらがふうきにあらひなしてけり。さてこそいちぢやうながゐのさいとうべつたうさねもりがくびともしりにけれ。かのしやうざんのしかうは、づじやうにしもをいただき、すみやかにかうさんのおくにかくれ。このさいとうべつたうは、しらがにすみをぬりて、ながくめいどのたびにおもむく。かれはけんさいのうけつなるがゆゑなり。これはぶようのいたりてかうなるが故也。昔のきよいうはみみをあらひてなをこうたいにながす。今のさねもりはかみをすすぎてなみだをばんにんにもよほす。にしきのひたたれを着たりける事は、実盛京をうつたちける日、ないだいじんに申けるは、「実盛とうごくのうつてにまかりくだりてさうらひしに、ひとやもP2502いずして、かんばらよりまかりのぼりてさうらひしが、実盛がおいのはぢ、このことに候とぞんじ候へば、今度ほくろくだうにまかりくだりて候わむには、ぜんあくいきてかへりさうらふべからず。年はまかりよりてさうらへども、まつ先かけてうちじにつかまつり候べし。それに取て、実盛もとはゑちぜんのくにの住人にてさうらひしが、きんねん所領につきてむさしのくににきよぢゆうつかまつる。事のたとへ候
へば、故郷へはにしきのはかまを着よとまうすことの候へば、今度最後のしよまうには、にしきのひたたれを
ごめんかうぶり候べし」と申ければ、だいふ「さうに及ばず」とて、ゆるさせられにけるあひだ、ひたたれ
をばきたりけり。これを聞て、だいみやうせうみやうみなよろひの袖をぞぬらしける。いとうのくらう、おほばのごらう、ましものしらうなむども、ここかしこにして打たれにけり。今度となみ山、しをざかよりはじめて、くもつ、まつがさき、かねがさき、
P2503なみまつこえしいろの浜、あまのはしだて、あたかのまつばら、たけのとまり、ところどころの戦に、平家のくわんびやう毎度にうちおとされて、しかるべき人々も馬をはなれもののぐをぬぎ捨てて、あるいはとうせんだうにかかり、あるいはほくろくだうにかかる人もあり。おもひおもひに都へおちのぼる。これもり、みちもりけうにして返りのぼられにけり。さんぬる四月に十万余騎にてくだり、今六月にいくさにまけてかへりのぼるせいは三万余騎、のこる七万余騎はほくろくだうにてかばねをろしにさらしてけり。平家今度しかるべきさぶらひ、たいりやくかずを尽してくだされにける
に、かく残りすくなくうたれぬる上はいふはかりなし。「ながれをつくしてすなどりする時は、多くうを
を得といへども、めいねんに魚なし。林を焼てかりする時は、多くけだものをとるといへども、是もめいねんにけだものなし。のちをぞんP2504じて、さうけんのすくやかなるをつかはして、せうせうはくわんびやうを残さる
べかりける物を」と申す人もありけり。ないだいじんむねととたのまれたりつるおとと、みかはのかみもうたれ
給ぬ。ながつなもかへらず。「ひとところにていかにもならむ」とちぎりたまひたりつる、めのとごのかげたかもうたれぬる上は、おほいとのも心よはくぞおもひたまひける。ちちたかいへも、「かげたかにおくれさうらひぬるうへは、今は身のいとまをたまわつて、しゆつけとんぜいしてごしやうをとぶらうべし」とぞ申ける。このたびうたるるものどものぶもさいしらがなきかなしむことかぎりなし。家々にはもんこをとぢて、声々に念仏を申しあひたりければ、きやうぢゆうはいまいましきことにてぞありける。十四 むかしてんぽうにつはものをちようす。かりむけていづれのところにかやる。ごぐわつばんりのうんなんに
P2505行く。かのうんなんにろすいあり。たいぐんかちより渡る時、みづゆの如し。いまだたたかわざるに、十人が二三は死ぬ。そんなんそんぼくにこくする声悲し。ちごはだじやうにわかれ、夫はさいしにわかる。ぜんごばんにゆくもの、千万に一人も返らず。しんぽうけん、かのうんなんのせいせんをおそれつつ、とし廿四、よふけひとしづまりてのち、みづから大石をいだき、ひぢをうちをりき。弓をひき、旗をあぐるにともにたえず。右のひぢは肩にあり、左のひぢはをれたりといへども、これよりはじめてうんなんにゆくことをまぬかれぬ。しばらくきやうどにかへらむ事をえらび、しりぞけらるるといへども、ほねくだけすぢやぶれて、かなしからずと云事
なし。されどもひぢをれてよりこのかた六十年、いつしはすたれたりといへども、ひとつのみはまたし。今に至るまで、かぜふき、あめふり、くもりふたがる夜は、天のあくるまでいたみて
P2506ねぶらず。いたみてねぶらざれどもつひにくいず。喜ぶ所はおいのみなり。そのかみうんなんにゆかましかば、かのろ
すいにぼつして、うんなんばうきやうのきとなりて、ばんにんのつかの上になくことえうえうとぞあらまし。よわい八十八、かうべはゆきににたりといへども、やしはこにたすけられて、たなの前にむきてゆく命ありけれ
ば、かかる事にもあへりけるにや。ひとえだををらずはいかにさくらばなやそぢあまりの春にあわまし K130平家今度しかるべきさぶらひども、かずをつくしてくだしつかわす。そのほかしよこくよりもかりむけたる
つはもの、いくせんまんといふことをしらず。行て再び帰らず、たにひとつをうめてけり。されば、かのうんなん
ばんりのろすいにたがはざりける物をやとあはれなり。いつかのひ、ほつこくのぞくとの事、ゐんのごしよにてさだめあり。左
P2507大臣つねむね、右大臣かねざね、左大将さねさだ、くわうごうぐうのだいぶさねふさ、ほりかはのだいなごんただちか、むめのこうぢのちゆうなごんながかた、このひとびとめされける。右大臣かねざね、堀川大納言ただちかは参り給わざりけり。右大臣へはおほくらのきやうやすつねをおんつかひにておんたづねあり。ただよくよくおんいのりを行はるべきよしをぞまうされける。左大臣つねむねは、「かなはぬまでも
門々をかためらるべし」と申されけるぞ、いふかひなき。右大臣、「とうだいじの秘法有り。かやうの時おこなはるべきにや。むねとのちやうらうにおほせらるべきか」と申させ給ふに、ながかたのきやう、「ぐんびやうのちから今はかなふまじきかと、さきのないだいじんにたづねらるべし。そののちの儀にてあるべきか」とぞまうされける。十五 十一日に院よりえんりやくじにて、やくしきやうのせんぞうのみどきやうおこなわる。これP2508もひやうがくのおんいのり
なり。おんふせにはてづくりのぬのいつたん、くまいぶくろひとつ。ゐんのべつたうさちゆうべんかねみつのあつそん、おほせをうけたまはりてもよほしさたありけり。ぎやうじしゆてんだいのちやうくわん、おんふせのくまいをあひぐして、にしざかもと、せきさんの堂にてこれをひくほどに、山のこぼふしばらをもつてうけとるあひだ、ひとりしてあまたを取る法師もあり、又手を
むなしくしてとらぬ者も有けり。しかるあひだ、ぎやうじくわんとほふしばらと事をいだす。しゆてんだいのちやうくわんえぼしうちおとされて、さんざんの事にてぞ有ける。はてにはしゆてんだいをからめて山へのぼりにけり。平家のしとするじんじぶつじのいのりの、ひとつとしてしるしはなかりけり。十六 おなじきひ、くらんどうゑもんのごんのすけさだながおほせをうけたまはりて、さいしゆじんぎたいふくおほなかとみのちかとしをてんじやうのくちにめして、「ひやうがくたひらかならず。だいじんぐうへぎやうがう
P2509あるべき」よし申させ給ひけり。だいじんぐうとまうすは、たかあまのはらよりあまくだりましまししを、すいにんてんわうのぎよう廿五年とまうししつちのえのさる三月
に、いせのくにわたらひのこほりいすずがはのかはかみ、しもついはねに、おほみやばしらひろしきたてていはひはじめたてまつりたまひしよりのち、そうべうしやしよくの神におわしませば、そうきやうし奉らせたまふこと、わがてう六十余州のさんぜんしちひやくごじふよしやのだいせうのじんぎ、みやうだうにすぐれてましまししかども、よよのごかうはなかりしに、ならのみかどのおんとき、右大臣ふひとの孫、しきぶきやううまかひのおんこ、うこんゑごんのせうしやうけんださいのせうに、ふぢはらのひろつぐといふひとおわしき。せじやうのさいじん、てんがのしゆんしや也。そのみにしゆじゆののうあり。ぎやうたいたんごんにして而がうなんじざいなれば、てうせきくわらくちんぜいにわうげんし、ぶんせきつうだつして而ないげ
P2510ゆづうなれば、しふはきよいげんしんにはぢず。ぶげいにおいてりやうしやうたり、ひとやをもつてしはうをいる。じゆつだうにおいてめいよあり、とをのともしびをかかげていちどにけやす。かぶわがにしてきくひとかんるいを
ながし、くわんげんいうびにしてせいだくりよりつをわかつ。きびのまきびにつきていちじせんきんのしはんとあふぎ、てんもんしゆくえうをならひておんやうげんきのえんていをきはむ。しゆのうのうちに、このわざことにすぐれたり。またさいしつくわようにして、てんがぶさうのびじんなり。みるひとこころをなやまさずといふことなし。ここにひろつぎわがみのぶようをたのみて、てんびやうじふにねんかのえのたつくぐわつひのとのゐのひ、ひぜんのくにまつらのこほりにて一万
人のきようぞくをあひかたらひて、むほんをくはたててみかどをかたぶけたてまつらんとはかるよしきこへければ、たいしやうぐんじゆしゐのじやうおほののあつそんあづまうど、ふくしやうぐんじゆごゐのじやうきのあつそんいひまろ、ならびにしよこくのぐんびやうらにちよくして、一万七千人をあづまうどらにつけて
P2511さしつかはして、ついたうせしむとぎす。そのせいちんぜいへげかうす。ひろつぎこのことをききて、いちまんよきのきようどをそつしてみやこへきをいのぼる。くわんぐんいたばしがはのほとりにゆきあひぬ。ひろつぎいかだをかまへてふねとなし、河を渡さむとす。あづまうどらしんみやうをすててふせきたたかひしかば、ひろつぎ海へおひはめらる。にはかにとうふうふきしかば、しらなみいよいよあらくして、まつらがうらにひきしりぞく。くわんぐんつづきておひかけしに、わうじもろいことなければ、さぎはとほばしらのうへにらいきよして、ことゆゑなくびぜんのこくふにつきにけり。ひろつぎつひにたちばなのうらにして、おなじき十一月十五日ちゆうせられをはんぬ。このおんいのりにおなじき十一月きのとのとりのひ、はじめていせだいじんぐうへぎやうがうあり。今度もそのれいとぞきこへし。そもそもかのひろつぎちゆうせられたまへるゆいたい、こくうにのぼりていなづまをなす。でんくわう二か日せうえうして、あたかもひのひかりのごとし。らくやうぐわいとにそのひかりみえてえうばう
P2512はなはだおほかりき。そののちしづまりて地に落つ。いまのかがみのみやのおんことなり。そうじてそのれいあれておそろしき事多かりける中に、おなじき十八年六月十八日にださいふのくわんぜおんじをくやうぜられけるに、げんばうそうじやうと申しし人、おんだうしにしやうぜられて、えうよにのり
いでられしに、にはかに空かきくもり、黒雲の中よりりゆうわうくだりて、かのそうじやうを取て天にのぼりにけり。おそろしきことかぎりなし。「いかなるしゆくごふにや」と尋ぬれば、むかしかのひろつぎのきたのかた都におわせし時、かのようがんにばかされて、げんばうひそかに心をつうじ給たりしゆゑか。たいへんこうきにいはく、「女はばうこくのつかひなり。人あいすることなかれ。必ずとをのとがあり」といへり。まことなるかな、そうじやうかりのかたちにばかされて、つひにをんなのためにうしなわる。こころ憂かりしことどもなり。このれいてんがにひろくあれたまひて、らくやうへんどをきらわず、えう
P2513ばうはなはだしげかりき。かかりければくぎやうせんぎありて、「きびのだいじんのほか、たれびとか是をしづめたてまつるべき」とて、まきびちんぜいへげかうして、じやあくがうぶくのほふをしゆせしめたまふ。いちじせんきんのおんをわすれず、ひろつぎしづまりたまひにけり。すなはちかみとあがめたてまつる。今のまつらのみやうじんこれ
なり。かのそうじやうは、きびのだいじんとともなひてにつたうをし、ほつさうじゆうをわがてうへわたされたりし人也。につたうのとき、そうじんそのなをなんじていはく、「げんばうとかきては、『かへりてほろぶ』といふつうおんあり。ほんてうにかへりて事にあふべきひとなり」と申たりけるとかや。かのなんたがはず、今かやうになりたまへり。不思議なりしことども
なり。そののちはるかにひかずへて、かのそうじやうのくびをなんとこうぶくじの内、さいこんだうの前にをとして、そら
にはとわらふこゑしけり。このてらとまうすはかのほつさうじゆうの寺なるが故也ければにや、「これすなはちかのひろつぎがれいの
P2514しはざなり」とぞとぼくぜいありける。昔もかかるひやうらんの時、ごぐわんをたてらるることありけるにや。さが天皇の御時、だいどう五年かのえのとら、へいぜいのせんてい、ないしのかみがすすめによつて世をみだり給しかば、そのおんいのりに、はじめてみかどの第
三のくわうぢよいうちないしんわうを、かものいつきに立て奉らせ給き。これまたさいゐんのはじめなり。しゆしやくゐんのおんとき、てんぎやう二年きのとのゐ、まさかどすみともがむほんの時のごぐわんに、はちまんのりんじのまつりはじまれりとぞうけたまわ
る。十七 木曽どどの合戦にうちかちて、六月上旬にはとうせんほくろくふたつの道をふたてにわけ、うちのぼる。とうせんだうのせんぢんはをはりのくにすのまたがはにつきつ。ほくろくだうの先陣はゑちぜんのこくふにつく。身がらはほくろうだうを登りけるが、ひやうぎして云けるは、「そもそもさんもんのだいしゆはいまだ平家とひとつなり。そのうへことさらにきやうねんはきゆうせんをP2515しようひのつきにかかやかし、くわえむをらとうのくもにたくわふ。ようかんのきようどだうろにさえぎり、わうげんのしよにんふゐをいだく。しかればすなはちがくさうの冬の雪、永くじやけんのほのほをけし、りけん
の秋の霜、しきりにふぜんのくさむらにふかし。おのおのにしあふみをうちのぼらむずるに、ひがしざかもとのまへ、をごと、なれ、からさき、みつ、かはじりなむどよりこそ、京へ通りさうらわむずれ。さだめてふせきたたかひさうらわむずら
む。たとひうちやぶらしめてのぼりてさうらはば、平家こそぶつぽふともいはず、寺をもほろぼし僧をうしなへ。かやうのあくぎやうを致すによつて、是を守護のためのぼるわれらが、平家とひとつなればとて、山門
のだいしゆをほろぼさむ事すこしもたがわず、にのまひたるべし。さればとて、又この事をためらひて、登るべからむ道をとうりうするに及ばず。是こそやすだいじなれ。いかがあるべき」と云ければ、たいふばうかくめいまうしけるは、「さんもんのこつぽふ
P2516あらあらうけたまはりさうらふに、しゆと三千人必ずしもいちみどうしんなる事候わず。おもひおもひこころごころなり。されば三千人いちどうに平家とひとつなるべしといふこともふぢやうなり。てふじやうをおくりてごらんさうらへ。事のやうはへんてふにみえぬとおぼえさうらふ」と云ければ、「もつとも
しかるべし」とて、てふじやうをさんもんへつかはす。くだんの牒状やがてかくめいぞ書たりける。かのかくめいはもとはぜんもんなり。くわんがくゐんのしゆう、しんじのくらんどみちやすとてありけるが、出家してさいじようばうしんぎうとぞ申ける。しんぎう奈良に有ける時、みゐでらよりてふじやうをなんとへつかはしたりけるへんてふを
ば、かのしんぎうぞ書たりける。「だいじやうにふだうじやうかい、へいじのさうかう、ぶけのぢんかい」と書たりける事
を、入道安からぬ事に思て、「いかにもして信救をたづねとりてちゆうせむ」とはからるるよしきこへければ、なんともみやこほどちかければ、しじゆうかなはじと思て、
P2517南都をにげいづべきよし思けれども、入道みちみちにはうべむをおかれたるよしきこへければ、いかさまにももとのかたちにてはかなふまじと思て、うるしを湯にわかしてあびたりければ、はうちやうしたるびやくらいのごとくにぞなりにける。かくてなんとをまひなかにたいしゆつしけれども、手かくる者もなかりけり。しんぎうなを、みや
このへんにては取られなむずと思て、鎌倉へくだりけるに、じふらうくらんどゆきいへ、へいけついたうの為にとうごくより都へせめのぼりけるが、すのまたがはにて平家とかつせんをとぐ。行家さんざんにうちをとされてひきしりぞき、みかはのこくふにつきてありける所に、信救ゆきあひて行家につきにけり。誠のらいにあらざり
ければ、次第にはうちやうもなをりて、もとのしんぎうになりにけり。行家みかはの国府にて、いせだいじんぐうへ奉りけるぐわんじよP2518をも、信救ぞ書たりける。信救又木曽をたのみて、かいみやうしてきそのたいふかくめいとぞ申ける。山門のてふじやう六月十六日に山上にひろうす。だいかうだうの庭にしゆとくわいがふしてこれをひけんす。そのじやうにいはく。十八 みなもとのよしなかつつしみてまうすしんわうのせんをうけたまはりてへいのげきらんをちやうじせしめむとほつすること右へいぢよりこのかた、へいけこつちやうのあひだ、きせんてをささげ、しそあしをいただく。かたじけなくていゐをしんじし、ほしいままにしよこくをりようやくす。あるいはけんもんせいかをついふくして、ことごとくちじよくにおよばしむ。あるいはげつけいうんかくをからめとりて、そのゆくへをしらしむることなし。なかんづくぢしよう三年十一月、ほふわうのせんきよをとばのふるみやにうつし、はくりくのはいるをいかのせいちんにおこなふ。しかのみならず、をかさずしてとがをかうぶり、つみなくしていのちをうしなふ、こうをP2519つみてくにをうばはれ、ちゆうをぬきんでてげくわんせら
る、ともがらしようけいすべからざるものか。しかしてしゆうじんだうりをいはずして、みづからもつておもきにしよす。いんじぢしようしねんごぐわつちゆうじゆんに、しんわうのいへをうちかこみ、せつりのしゆをたたんとほつするところに、はくわうぢてんのごうんいまだそのかずつきざるによつて、ほんてうしゆごのしんみやう、なほしほんぐうにあるがゆゑに、せんがを
をんじやうじにやすんじたてまつること、すでにをはんぬ。そのときよしなかがあにみなもとのなかいへ、はうおんをわすれがたきによつて、おなじくもつてこしようしたてまつる。よくじつにせいてうとびきたり、りやうじひそかにつうじて、よしなかいそぎさんずべきもよほしあり。かたじけなくげんめいをうけたまはり、よさんをくはたてむとほつするところに、へいけこのことをききて、さきのうだいしやう、よしなかのめのとなかはらのかねとほのみをめしこむ。そのうへかさねてよしなかがぢゆうしよにひとをつけてこれをうかがひ、みちをかためてうちとらんとほつす。しかりといへども、よしなかしんみやうをすててでうさんす。これきやうじやうのはじめなり。しかるにをんできこくちゆうにみちて、らうじゆうあひしたがふことなきあひだ、しんしんさんやにまよひ、とうざいにわう
P2520へんをおぼえず。いまださんらくをいたさざるとき、ごせんぎありていはく、「みゐでらのていたらく、ぢぎやうへいきんにして、かたきをふせくことあたはず」。よつてせんひつをなんとのこじやうにすすめたてまつり、かつせんをうぢはしのほとりにとげしめんとほつするきざみ、よりまさのきやうふしさんにん、なかつなかねつないげ、そつじにうつたつ。しんしさうゐする
あひだ、とうごくのらうじゆういちにんとしてあひしたがふものなしといへども、いへのなををしむによつて、しんみやうをすててふせきたたかふにはに、かばねをりようもんげんしやうのつちにうづみ、なをほうわうじやうとのみやにほどこしをはんぬ。あはれなるかな、りやうじすどのやく、いちじにさんくわいしがたし。かなしきかな、どうもんしんぢつのちぎり、いつたんにめんえつをへだつ。しかれば、へいけにおいては、こうしにつけて、くわいけいのはぢをさんぜんとほつするものなり。ここにおいてさいはひにりやうじをとうせん
とうかいのぶしにくださる。しいうをゑちごゑちぜんのきようたうにけつせしめて、へいけのぐんびやうら、かうべをはねられ
いのちををふるもの、いくせんまんといふことをしらず。いまさきのひやうゑのすけみなもとのよりとも、おなじくよしなから、しんわうのせん
をうけたまはりて
P2521よりこのかた、をはり、みかは、とほたふみ、いづ、するが、あは、かづさ、しもつふさ、かうづけ、しもつけ、むさし、さがみ、ひたち、では、むつ、かひ、しなの、ゑちご、ゑつちゆう、のと、かが、ゑちぜんとう、そうじて二十三かこく、すでにうちしたがへをはんぬ。これをもつて、とうせんだうのせんぢんにおいては、をはりのくにすのまたのほとりにうつたたしむ。ほくろくだうのせんぢんは、すでにゑちぜんのこくふにつきて、へいけのあくたうをせいばつするばかりなり。しかるをきさんしんわうのぜんせいにどうしんしたてまつるやいなや。へいけのあくぎやくによりきせしめむやいなや。もしかのたうによりきせしめば、さだめてしんわうのおんつかひをあひふせかむものか。われらふりよにてんだいのしゆとにたいして、ひぶんのかつせんをくはたてむこと、はなはだえきなからむものかな。にんにくのころもの上に、とこしなへにかつちうをちやくし、じひのこころのうちに、みだりがはしくかつせんをたくまば、そうりよのぎやうぎ、あにしかるべけんや。すみやかにへいけちぐのせんぎをひるがへして、げんじあんをんのきたうをしゆせられば、これすなはち、えいさんのぶつぽふをあふぎ
P2522じや
ぎやうのひつすうをたわぶるるおもひせちなるゆゑなり。もしなをしよういんなくは、みづからじかくのもんぜきをほろぼし、さだめてしゆとのこうくわいあらむものか。かくのごとくふれ申す事、全くしゆとのぶようにおそるるにあらず。ただじやうぢゆうのさんぼうをたつとばむがゆゑなり。つたへきく、てんだいのぶつぽふはわうぼふをまもり、わうぼふはぶつぽふをあがむ。これによつて、こうぶくをんじやうりやうじのだいしゆ、しんわうのみかたによりきしたてまつるゆゑに、へいけのあくぎやうのために、始てをんじやうじのばうじや
よりはじめて、なんとしちだいしよじにいたるまで、だうたふそうばうとう、いちうものこさず、しかしながらやきはらはれをはんぬとうん
うん。そのなかにとうだいじは、しやうむてんわうのごぐわん、わがてうだいいちのきどくなり。こんどうるしやなのぶつざううしつ、たちまちにけわうのほんどにかへり、だうかくむなしくさうかいのはたうにうつたふ。ああ、はちまんしせんのさうがう、あきのつきしぢゆうのくもにかくれ、しじふいちじのやうらく、よるのほしじふあくのかぜにただよふ。このことをきくごとに、ふかくのなみだおもてをあらひ、ずいぶんのなげきむねをこがす。もつぱらざいぞくの
P2523ぶしのこころなりといへども、なんぞぶつぽふまめつのかなしみをおもはざらむや。わづかにぶつぽふのはめつせざるは、きさんなり。ただしたいれいしめいのほらひとりしづかなるにあらず。をんじやうみゐのながれなかばつきぬ。こんぼんちゆうだうのともしびひとりかかやかず。しちだいしよじのひかりたちまちにきえぬ。さんぜんのそうりよ、あにこのうれひをいだかざらむや。いつさんのしゆと、むしろこのことをなげかざらむや。このだうりをぞんじて、りやうじにしたがはれば、いよいよじふにぐわんわうをくぎやうし、ともにさん
ぜんのじやうぎやうにきえせん。それはちまんだいぼさつは、さんだいせいてうのごんげ、かもひらのみやうじんは、にせいくわ
うていのおうしやくにあらずや。そのしそんをまもりて、しんりよなんのうたがひかあらむか。いかにいはむやえいさんのしゆと、ことにこくかをごぢするは、すなはちせんじようなり。かのゑりやうなづきをくだき、そんいつるぎをふるひて、かくのごとくしんみやうをすてて、せいてうあんをんのむねをいのりたてまつらば、しようりじんこうにあるものをや。あるぜうしよのめいにいはく、「ちんはこれうしようじやうのばつえふなり。なんぞじかくだいしのもんぜきをそむかんや。」これすなはち、じゑだいそうじやうのしゆ
げんP2524のいたすところなり。はやくかのせんぎをとげ、かみはくわうぶゐのよしをいのりたてまつり、しもばんみんぶねうのはかりことをめぐらされば、しちしやごんげんのゐくわういよいよさかりに、さんたふしゆとのぐわんりきいよいよあらたならむか。そもそもここによしなから、ふしよふのみをもつて、にじふよかこくのけいゐをうちまはるあひだ、ある
いはじんじやぶつじのごぐわんといひ、あるいはけんもんせいかのしやうゑんといひ、ねんぐのうんじやうをとげず。まことにこれしぜんのきようくわう、まうしてあまりあり、しやしてのがれがたし。ほのかにきく、しちだうしよこくよりしよせいのねんぐ、しかしながらひやうらうまいとかうして、へいけよりこれをてんじとる。たとひべんぜいのじんしありといへども、まつたくりやうしゆのえこたらざるものか。よつてみつにはろとうのつうじがたきことをなげき、けんにはへいけのひやうらうをたたんがためなり。ゆめゆめまさかどすみとものるいにしよすることなかれ。かみはひれいをうけたまはずは、かたじけなくしんぢゆうのせいきんを
ちけんせしめたまふのみ。よろしくこれらのおもむきをもつて、うちにはさんぜんのしゆとにたつし、ほかにはきうちようのきせんにきかせられP2525ば、しやうぜんのしよまうなり。いちごのこんしなり。よしなかきようくわうきんげん。じゆえい二年六月十日 源義仲まうしぶみしんじやうゑくわうばうりつしごばうばんのしよしによみあげさせて、山門三千のしゆと、木曽がてふじやうを見てせんぎまちまちなり。あるいは平家のかたへよる者も有り、あるいは源氏の方へよらむといふものもあり。かかりければこころごころのせんぎまちまちなりけれども、「しよせん、われらもつぱらこんりんじやうわうてんちやうちきうをいのりたてまつる。へいけはたうだいのごぐわいせき、さんもんにおいてききやうをいたす。されば今にいたるまでかのはんじやうをいのりき。されどもきやうねんよ
りこのかた、へいけのあくぎやうくわぶんのあひだ、しいらんをおこし、ばんにんそむくによつて、うつてを諸国へつかはすといへども、いぞくの為におひおとされて、どどかへりのぼりをはんぬ。これひとへに
P2526ぶつじんおうごを加へて、運命すゑにのぞめるによつて也。げんけは、きんねんどどのかつせんにうちかちて、くわんぐわいみなもつてきぶくす。きかんときいたり、うんめいすでにひらけたり。なんぞたうざんひとりしゆくうんかたぶきたる平家にどういして、運命さかりなる源氏
をそむくべきや。このでうさんわうしちしやいわうぜんぜいのみやうりよはかりがたきかな。なかんづく、いまのてふそうのおもむき、だうりなかばなきにあらず。すべからくへいけちぐのおもひをあらためて、すみやかにげんじかふりよくのおもひにぢゆうすべき」むね、いちどううにせんぎして、へんてふを送る。みぎろくぐわつとをかのひのごしよじやう、おなじき十六日にたうらい。ひえつのところに、すじつのうつねんいちじにげさん
す。ゆへいかんとなれば、それげんけは、いにしへよりぶきゆうにたづさはりて、てうていにゐせいをふるひわうできをふせく。ここにへいけはてうしやうにそむきひやうらんをおこして、わうゐをかろんじてむほんをこのむ。へいけをせいばつせられずは、いかでかぶつぽふをたもたむや。しかるをここにげんけ、かのるいをせいふくせらP2527るるあひだ、ほんじのせんぞうのくもつをついふくし、まつしやのしんよををかしそんずるによつて、しゆとらふかくそしようをいだきて、あんないをたつせんとほつするところに、せいてうとびきたり、さいはひにはうさつをなぐ。いまにおいては、ながくへいけあんをんのきたうをひるがへして、すみやかにげんけかふりよくのせんぎにしたがふべきなり。これすなはちてうゐのりようちをなげき、ぶつぽふのはめつをかなしむゆゑなり。それかんかのていげんのれきに、ゑんしゆうこうりゆうのさき、ほんてうえんりやくのてん、いちじようぐせんののち、くわんむてんわうへいあんじやうをおこして、まのあたりいちだいごじのぶつぽふをそうきやうし、でんげうだいしてんだいさんをひらきて、とほくはくわうぶゐのごぐわんをいのりたてまつりてよりこのかた、こんりん
をまもりぎよくたいをまもること、ひとへにさんぜんのたんしんにあり。てんべんをひるがへし、ちえうをはらふこと、ただこれ
いつさんの群験なり。これによつて、だいだいのけんわう、みならとうのせいぜいをあふぎ、せせのぢゆうしん、ことごとくたいかくのしんじんをたのむ。いはゆるいちでうのゐんの御宇、ひとへにじかくだいしのもんとのむね、りんじのことばはめいはくなり。
P2528くでうのうしようじやう、ならびにみだうのにふだうたいしやうこく、ほつぐわんのもんにいはく、「くわうかくのぢゆうしんに、をりといへども
ねがはくはびやくえのでしとならむ。ししそんぞんひさしくていわうくわうきよのもとゐをかため、だいだいせせにながくだいしゆいていのみちをつたへむ。おなじくけんわうぶゐのとくをほどこさむ」。しかのみならず、えいぢにねん、とばのほふわうさんえいさんのごぐわんもんにいはく、「昔はきうごのそんゐをつぎ、今はさんぜんのぜんとにつらならむ」てへれ
ば、つらつらこれをおもふに、かんるいおさへがたし。しづかにこれをあんずるに、ずいきもつともふかし。せいざうしひやくくわい、わうとくさんじふだい、てんてうひさしくじふぜんのくらゐをたもち、とくくわあまねくしかいのたみにほどこさむ。くにをまもりいへをまもる
だうぢやうなり。きみのためいへのためのせいぜきなり。ほんじのせんぞうのくもつをうんじやうし、まつしやのしんよまつじのしやうゑんをあらためつくりて、しかしながらもとがごとくあんどせしめられば、さんぜんのしゆと、たなごころをあはせてぎよくたいをとうかいのひかりにいのり、いつさんてをあげてへいけをなんざんのいろにうつさむ。きようどかうべをかたぶけてらいけいし、をん
でき
P2529てをつかねてかうをこはむ。じふじようのゆかのうへには、とこしなへにごじつのかぜをあふぎ、さんみつのだんのまへには、はるかにじふじゆんのあめをそそかむてへれば、しゆとのせんぎによつて、しつたつくだんのごとし。じゆえい二年しちぐわつぴだいしゆら
木曽義仲このへんてふを得ておほきによろこびて、さきよりかたらふ所のあくそう、しらゐのほつけうかうめい、じうんばうほつけうくわんかく、みわのあじやりげんけいらをさきとしてとうざんす。平家は又是をもしらずして、「こうぶくをんじやうりやうじのだいしゆはうつぷんをふくむるをりふしなり。大師にきせいしさんぜんのしゆとをかたらはむ」とて、一門のけいしやう十余人、どうしんれんじよして、ぐわんじよを書てさんじやうに送る。そのじやうにいはく、十九「うやまひてまうす
P2530えんりやくじをもつてうぢてらにじゆんじてきえし、ひよしのやしろをもつてうぢやしろのごとくにそんすうして、いつかうにてんだいのぶつぽふをあふぐべきことみぎたうけいちぞくのともがら、ことにきせいすることあり。しいしゆいかんとならば、えいさんは、くわんむてんわうのぎよう、でん
げうだいしにつたうきてうののち、ゑんどんのけうぼふをこのところにひろめ、しやなのだいかいをそのなかにつたへてよりこのかた、もつぱらぶつぽふはんじやうのれいくつとして、ひさしくちんごこくかのだうじやうにそなふ。まさにいま、いづのくにのるにん、さきのうひやうゑのすけみなもとのよりとも、みのとがをくいず、かへりててうけんをあざける。しかのみならず、かんぼうをくはたててどうしんをいたすげんじら、よしなかゆきいへいげ、たうをむすびてかずあり。りんきやうゑんきやうを、すこくをせうりやくす。ねんぐとこう、ばんぶつをあふりやうす。これによつて、かつうはるいたいくんこうのあとをおひ、かつうはたうじきゆうばのげいにまかせて、すみやかにぞくとをついたうして、きようたうをがうぶくすべきよし、いやしくもちよくめいをふくみて、
P2531しきりにせいばつをくはたつ。ここにぎよりむかくよくのぢん、くわんぐんりを
えず。くわうきてむげきのゐ、ぎやくるいかつにのるににたり。もしぶつじんのかひにあらずは、いかでかほんぎやくのきようらんをしづめむ。これをもつて、いつかうにてんだいのぶつぽふにきして、ふたいにひよしのしんおんをたのまむのみ。いかにいはむやかたじけなくしんらがなうそをおもへば、ほんぐわんのよえいといひつべし。いよいよそうちようすべし、いよいよくぎやうすべし。じこんいごは、さんもんによろこびあらば、いちもんのよろこびとし、しやけにいきどほりあらば、いつかのいきどほりとせむ。ぜんにつけあくにつけ、よろこびをなしうれひを
なさむ。おのおのしそんにつたへて、ながくしつついせじ。とうじは、かすがのやしろこうぶくじをもつてうぢやしろうぢてらとして、ひさしくほつさうだいじようのしゆうにきえするがごとし。へいけは、またひよしのやしろえんりやくじをもつて、うぢやしろうぢてらとして、あらたにゑんじつとんごのをしへにちぐせん。かれはむかしのゆいせきなり。いへのためにえいかうをおもふ。これはいまのせいきなり。きみのためについばつをいのる。あふぎねがはくはさんわうしちしや、わうじけん
ぞく、とうざいまんぜんのごほふしやう
P2532じゆ、じふにだいぐわん、いわうぜんぜい、につくわうぐわつくわう、じふにじんじやう、むにのたんせいをてらして、ゆいいつのげんおうをたれたまふ。しかればすなはち、じやばうげきしんのぞく、すみやかにてをくんもんにつかね、ぼうぎやくさんがいのともがら、はやくくびをきやうとにつたへよ。われらがくじやうをなぐさめ、ぶつじんあにすてむや。よつてたうけのくぎやうら、いくどうおんにらいをなしてせいきくだんのごとし。うやまひてまうす。じゆえい二年七月 日 じゆさんゐかううこんゑのごんのちゆうじやうたひらのあつそんすけもり
じゆさんゐたひらのあつそんみちもり
じゆさんゐかううこんゑのごんのちゆうじやうけんたんばのごんのかみたひらのあつそんこれもり
じやうざんゐうこんゑのごんのちゆうじやうけんたぢまのかみたひらのあつ
P2533そんしげひら
じやうざんゐかううゑもんのかみたひらのあつそんきよむねさんぎじやうざんゐかうたいくわうたいこうくうだいぶけんしゆりのだいぶびぜんのごんのかみたひらのあつそんつねもり
じゆにゐかうごんのちゆうなごんけんさひやうゑのかみたひらのあつそんとももり
じゆにゐかうごんのちゆうなごんたひらのあつそんのりもり
じやうにゐかうごんだいなごんけんむつではあんざつしたひらのあつそんよりもり
さきのないだいじんじゆいちゐたひらのあつそんむねもり
あふみのくにささきのしやうのりやうけあづかりどころとくぶんとうを、かつうはてうかあんをんのために、かつうは
P2534にふだうのぼだいをたすけんがために、しかしながらせんぞうのくれうにゑかうするところさうらふなり。くだんのしやうはやくじけのごさたとして、ちぎやうせしめたまふべくさうらふ。きようきようきんげん。七月十日 たひらのむねもり
きんじやう ざすのそうじやうのごばうへ」とぞ書たりける。だいしゆをかたらひし事は、「くわんむてんわうのぎよう、えんりやくしねん七月に、でんげうだいしたうざんにのぼりたまひき。ちんごこくかの道場を開き、いちじようゑんしゆうのけうもんを弘めたまひしりよりこのかた、仏法さかりにしてわうぼふを守り
奉る事としひさし。しかるをとうごくほつこくのきようどら、この二三年が間、おほくの道々をうちふさぎ、国にはしやうぜいくわんもつを奉らず。しやうにはねんぐしよたうをおしとどめ、りんげんにしたがはず。あまつさへ都へせめのぼらんとす。ばうせんにちからすでにつきぬ。しんめいのおんたすけにあらずは、いかでかあくたうをしりぞけむ。よつてさんわうだいし
P2535あはれみをたれ給へ。」。是を聞く人々、したしきもうときも、こころあるもこころなきも、涙を流さぬはなかりけれども、としごろひごろのふるまひ、しんりよにもかなわず、じんばうにもそむきはてしかば、ちからおよばず。既にげんじどうしんのへんてふを送り、かろがろしく今又そのぎをあらたむるにあたはず。誠にさこそはとて、事のていをばあわれみけれども、きよようする衆徒もなかりき。そのなかにゑくわうばうりつし、「そもそもこのぐわんじよのおもむき、神慮なをもつてはかりがたし。ねがはくはごんげんそのずいさうを示し給べし」とて、さんわうのごほうぜんにささげて、三日さんろうしたりけるに、ぐわんじよのへうしに一首の歌げんじたり。不思議にてぞはべりける。たへらかに花さくやども年ふればかたぶくつきとなるぞはかなき K131このうへはとて、だいしゆみなころものそでをしぼりつつ、平家を祈る人もなし。げにも人にすぐれてえいぐわをひらきたりしかども、ほどなくかたぶく月になりにけり。
P2536かかりければ、人の口のにくさは、「あはおもしろきことみてむず。源氏はせいもををく、手もきき、心もたけかん
なれば、いちぢやう源氏かちて平家まけなむず」とて、おのれがとくつき、くわんのならむずるやうに、めんめんにささやきよろこびけるぞをかしき。二十 十八日、ひごのかみさだよしちんぜいよりしやうらくす。さいこくのともがらむほんのよしきこへければ、それをしづめむとてきよきよねん下りたりけるに、きくちじやうくわくをかまへてたてごもるあひだ、たやすくせめおとしがたくしてありけるに、さだよしくこくのぐんびやうをもよほして是をせむ。くわんびやう多くうちおとされて、せめたたかふにちから
なし。只じやうをうちかこみて守るひかず積りければ、じやうのうちひやうらうもつきて、菊池つひにかうにん
になりにけり。貞能くこくにひやうらうまいをあてもよほす。ちやうぐわん一人、さいふのつかひ一人、貞能が使一人、そのじゆうるい八十余人、けんもんせいかのしやうゑんをいはず、せめもよほす。にんみんの歎き
P2537なのめならず。そのつもり十万よこくに及べりときこへけり。さだよしは菊地、原田がたうるいきぶくのあひだ、かれらをあひぐしてけふじゆらくす。ひつじのこくばかりに八条を
東へ川原を北へ、六波羅の宿所へつきにけり。そのせいわづかに九百余騎、千騎にたらざりけり。さきのないだいじんむねもり、車を七条が末にたてて見給へり。よろひ着る者二百余騎、そのなかにさきのさつまのかみちかより、うすあをのすずしのぎよりようのひたたれに、あかをどしの鎧きて、しらあしげなる馬に乗て、貞能がやかたぐちにうちたりけり。とうのぎやうぶきやうのりかたが孫、さがみのかみよりのりが子也。くわんじゆじのちやくし也。させるぶようの家にあらず。こはいかなる事ぞやとて、見る人ごとにあさみあへり。けふは武士には目も
かけず。このひとをぞ見ける。さいこくはたひらげたれども、とうごくはいよいよせいつきて、既に都へうちのぼるときこへければ、平家は次第に心よはくなりて、
P2538ふせきささうるちからも尽て、都にあとをとどめがたければ、内をも院をもひきぐしまひらせて、ひとまどなりともたすかりやすると、西国のかたへおちゆきたまふべきになりにけり。七月十三日のあかつきより、なにといふことはききわかず、よのなかさわぎあへり。たましひをけす事なのめならず。おほかた、「ていとめいりのちなれば、にはとりなきてやすきおもひなし」といへり。をさまれる世だにもなをかくのごとし。いわむや乱々たる時はことわり也。よしのやまの奥までも、いつてんしかいの乱れ
なれば、ふかきやま、遠き国もおだやかならず。「さんがいむあん、ゆによくわたく。しゆくじゆうまん、じんかふゐ」とときたまへば、によらいのじつご、いちじようのめうもん、なじかはたがふべき。さればこころあるひと、「いかにもして今度しやうじを離れて、ごくらくじやうどにうまるべき」とぞ歎きあへりける。このあかつきさわぎける事は、あふみげんじちくぜんのかみしげさだ、あふみのくにやしまのしよりやうにありけるに、源氏
近江国にうち
P2539いりて、ざいざいしよしよをやきはらひければ、のりがへばかりあひぐして、せたをまはりて、やはんばかりにろくはらにはせのぼりて、「ほつこくのげんじすでにあふみのくにへうちいりぬ。道々をふさぎて人をかよわさざる」よし申ければ、ろくはらきやうぢゆうさわぎあへり。「しげさだ同じ源氏にて、源氏のうちいるをばよろこびこそすべきに、いかに平家についしようするやらむ」と人申ければ、いわれたり。「いんじほうげん
の乱に、ちんぜいのはちらういくさにまけて、近江国いしやまでらにゐたりけるを、からめて平家に奉りたりけるけんじやうに、さゑもんのじようになりて、へいけにへつらひけるあひだ、いちもんにひんじゆつせられたりける故に、源氏
にうたれなむずと思ひて、かくふるまふなり」とぞ人申ける。かかりければ、しんざんゐちゆうじやうすけもりのきやうたいしやうぐんとして、さだよしいげ、たはらのきたへむかわむとて、うぢをまはりて近江国へげかう。そのよは
P2540うぢにとどまる。そのせい二千余騎。またしんぢゆうなごんとももりのきやう、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらのきやうなむどたいしやうにて、せたより近江国へげかう。それもこよひはやましなにしゆくす。そのせい三千余騎。さるほどに源氏、山のだいしゆとどうしんしてありしかば、うぢせたをばまはらずして、山田、や
ばせ、かただ、このはま、みつ、かはじり、ところどころの渡りに舟をまうけて、みづうみの東の浦よりにしのうらへをし渡りき。十日、はやしのろくらうみつあきを大将軍として五百余騎、てんだいさんへきをひのぼりて、そうぢゐんをじやうくわくとす。さんたふのだいしゆみなどうしんして、ただいまおほだけをくだりて、平家をうたむとすとののしる。およそひがしざかもとには源氏のぐんびやうじゆうまんせり。このうへはしんざんゐのちゆうじやうも宇治より京へ帰り
いり、しんぢゆうなごん、ほんざんゐのちゆうじやうもやましなより都へかへりいりぬ。又東はじふらうくらんどゆきいへ、いがのくにを
まはりて、やまとのくにの
P2541ならぼふしともにいづのこつにつきぬときこゆ。西はあしかがのはんぐわんだいよしきよ、たんばのくににうちこえて、おほえやまをうちふさぐときこゆ。南はただのくらんどゆきつないげ、つのくに、かはちのあぶれ源氏
ども、かはじり、わたなべをうちふさぐとののしりければ、平家の人々色をうしなひてさわぎあへり。廿一 さんゐのちゆうじやうこれもり、きたのかたにのたまひけるは、「わがみは人々にあひぐして都をいづべきにてある
を、いかならむののすゑやまのすゑへもあひぐし奉るべきにてこそあれども、をさなきものどもあり。いづくにおちつくべしともおぼえず。源氏ども道をきりてうちおとさむとすれば、をだしからむ事もかたし。世になき者とききなしたまふとも、あなかしこさまなむどやつしたまふな。いかならむ人にも
みへ給ひて、をさなき者どもをもはぐくみ、わがみのごせをもたすけたまへ。さりともなどか『あわれ、いとをし』と
P2542云人もなかるべき」とのたまへば、きたのかたこれを聞給て、袖を顔におしあてて、ものも宣はず。ややひさしくありてのたまひけるは、「としごろひごろはこころざしあさからぬやうにもてなし給つれば、我もさこそたのみ奉りつるに、いつよりかはりける心ぞやとおもふこそくちをしけれ。ぜんじやうにちぎりありければ、われひとりこそあはれとおもひたまふとも、ひとごとになさけを
かくべきにあらず。又人にみへ候べしとも思わず。をさなきものどももうちすてられ奉りては、いかにしてかはあかしくらすべき。たれはぐくみ、たれあわれむべしとて、かやうにとどめ給
ぞ」とて、涙もかきあへず泣給へば、さんゐのちゆうじやうまたのたまひけるは、「これもりは十六、それには十四とまうしし年より見そめ奉りて、ことしととせになるとこそおぼゆれ。誠にさきの世のちぎりや有けむ、今まではこころざしあさからずこそおもひたてまつりつれ。
P2543火の中へいり、水の底
にしづむとも、又限りあるわかれの道をもをくれさきだたじとこそおもひつれども、かかる世になりにければ、せめてのいたわしさのあまりにこそかくも申せ。かやうにうらみたまふこそ、うちすててたちはなれたてまつらむずるなげきにうちそへて、いよいよ心苦けれ」とてなきたまへば、わかぎみひめぎみのさうにおわするも、にようばうどもの前になみゐたるも、これをききてはこゑもをしまずなきあへり。げにことはりとおぼへてあわれ也。このきたのかたと申は、こなかのみかどのしんだいなごんなりちかのきやうの御娘なり。ようがん世にこへて、心のいうなる事も、世のつねにはありがたかりければ、なべての人にみせむ事いたはしくおもはれて、にようごきさきにもとぞ父母おもひたまひける。かくきこへければ、これをきくひとあわれと思わぬはなかりけり。法皇このよしきこしめして、御色にそめる御心にて、忍びて
P2544ごしよありけれども、是もよしなしとて、おんぺんじも申させ給わず。くもゐより吹くる風のはげしくて涙の露のをちまさるかな K132と、くちすさび給けるこそやさしけれ。父なりちかのきやう、法皇のごかうのあるよしきき給ひて、あわ
てよろこびて給へども、姫君ききいれ給はねば、「親の為ふけうの人にておわしけるを、今までふしの義を思けるこそくやしけれ。けふより後は父子のちぎりはなれ奉りぬ。かのかたへゆきかよふべからず」とのたまひければ、じやうげをそれ奉りて、かよふひともなし。めのとごにひやうゑのすけと申ける女房一
人ぞ、わづかにゆるされてかよひける。是につけても、姫君世のうきことをぞ、おんもとゆいにてすさび給ける。むすびつる情もふかきもとゐにはちぎる心はほどけもやせむ K133
P2545とかきすさみて、ひきむすびてすてたまへり。ひやうゑのすけこれを見てのちにこそ、おもひあるひととは知にけれ。色にいでぬる心のうちをいかでかしるべきと、やうやうにいさめまうされけるは、「女のおんみとならせ給ては、かやうのごかうをこそ、神にも祈り、仏にも申てあらまほしき御事にてさぶらへ」と申ければ、姫君御涙をおさへて、「わがみにつきせぬおもひのつみふかければ、なにごともよしなきぞとよ」とて、引かづきてふし給ひぬ。兵衛佐又申けるは、「をさなくよりたちさるかたもなくこそ、なれみやづかへ奉りつるに、かく御心をおかせ給けるこそ心うけれ」と、さまざまによもすがらうらみ奉りければ、姫君ことわりにまけて、「ありしてんじやうのえんすいにみそめたり
し人の、ひたそら穂にあらわれていひし事をきかざりしかば。このよならぬ心のうちをしらせたりしかば。いかばかり、
P2546かくときかば、歎かむずらむと思てぞよ」とのたまへば、「こまつどのこそ申させ給とききしか。さてはその御事にや」とて、ひやうゑのすけ小松殿へ参りて、しかしかの御事なむ申ければ、さんゐのちゆうじやう「さる事ありき」とて、忍びていそぎおんくるまをつかはして、むかへたてまつりてけり。さてとしごろにも成給ひにければ、若君、姫君まうけ給たりけるおんなかなり。若君はとを、姫君はやつにぞなりたまひにける。「我をばさだよしがごだいとつけたりしかば、是をばろくだいといはむ」とて、若君をばろくだいごぜんとぞ申ける。姫君をばやしやごぜんとぞきこへし。G31廿四日いぬのときばかりにしのびてろくはらへぎやうがうなる。れいよりも人ずくなにて、事いそがしく、人々あわてたり。あるほくめんのげらふ、ほふぢゆうじどのへはせまゐりて、ひそかに法皇に申けるは、「をやまだのべつたうありしげとてあひしたしくさうらふもの、この二三年平家にばんつとめて候P2547つるは、『平家のとのばら、あかつきさいこくへおちられ候べしとて、もつてのほかにひしめかれ候けるが、ぐしたてまつらむとて、既にくげをもむかへとりまひらせよ、法皇は程近くわたらせ給へば安し、きと渡しまひらせよとて、人せうせうまいりさうらひぬ』とたしかに申候ぞ。ないないそのおんこころえわたらせ給べし」と申ければ、法皇御心よげなるおんけしきにて、「うれしくつげまうしたり。このこと又人にかたるべからず。おんぱからひあるべし」とおほせのありけるを、うけたまわりもはてず、いそぎごしよをばまかりいでにけり。廿二 そのさよふくる程に、内大臣はうすぬりのえぼしに、しろかたびらにおほくちばかりにて、ひそかにけんれいもんゐんへ参りたまひて申給けるは、「さりともとこそぞんじさうらひつれども、このよのなか、いまはかなふまじきにてこそさうらひぬれ。『都にて最後の合戦して、いかにもならむ』とまうさるる人々も
候へども、それもしかるべしともおぼへ候はず。
P2548かなはざらむまでも、さいこくのかたへおもむきてみさうらはばやとおもひたまへさうらふ。しゆしやう、みやみやをぐしまひらせ候わむずれば、さりともちんぜいのともがらよもそむき候わじ。源氏いみじく都へ入てさうらふとも、たれをかたのみ候べき。只天にあふぎてぬしなき犬のやうにこそ候はむずれ。よりきのやつばらもいちぢやうこころごころになりさうらひなむず。そののちは只昔のごとくの源氏にてこそ候わむずれば、そののちしゆしやうを都へかへしいれまひらせ候べきよしぞんじ候」とまうされければ、にようゐん御涙を流させ給て、「あらあさましのあへなさや。ともかくもよきやうにこそはからはめ」とおほせありて、御涙にぞむせばせ給ける。だいふ又まうされけるは、「しゆしやうもしの事もこそわたらせ給へ。まうけのきみの為に宮をもぐしまひらすべく候。やがて法皇をもぐしまひらせ候べし。ゐんうちをだにもかたうどに取まひらせさうらひなば、いづくへまかりたりP2549とも、よのなかはせばかるまじ。源氏のやつばらいかにくるひさうらふとも、たれのかたうどにてか世をとりさうらふべき」なむど、こしかたゆくすゑのことどもこまかに申給けるほどに、夜もあけがたになりにけり。廿三 おなじきやはんのすぎさまに、法皇ひそかにてんじやうにいでさせおわしまして、「こよひのばんはたそ」とおんたづねあり。「さまのかみすけとき」とまうされたりければ、「北面にしこうしたらむ者、皆めしてまひらせよ」とごぢやうあり。とうはんぐわんのぶもり、げんないざゑもんさだやすらがさうらひけるを、すけとき召てまひら
せたりければ、「や、をのれら。只今きとしのびてあるかばやと思ぞ。かやうの事のげらふにきかせつれば、ひろうする事も有。おのおの心をひとつにして、このにようばうごしつかまつれ」と法皇おほせの有ければ、「ごぜんを立さつては、あしき事もこそ有れ」と思ひて、各かしこまりて、や
がておんこしをつかまつる。
P2550したすだれかけられたり。「西のこもんへ」とおほせの有て、いでさせおわ
します。じやうえ着たる男一人参りあふ。「これはたそ」と問ければ、「ためすゑ」となのる。法皇きこしめししらせ給て、「やがておんともつかまつれ」とおほせありければ、まゐりにけり。としごろいせのうぢひとためすゑとて、北面にさうらひけるなり。「しちでうきやうごくを北へ。いそげやいそげや」とおほせありければ、おのおのあせをかひてつかまつる。ためすゑは、「ちかきごかうとおもひたれば、とほきところにて有けるよ」とて、知たる人をたづぬるに、ふたところまでむなし。にでうきやうごくにて、しらはなるそやにくろぬりの弓かり
えて、じやうえをば高くはさみて走る。是をまたむとやおぼしめされけん、「いそがずとも。くるしき事もこそあれ」とおほせあり。一条京極にて弓のつるうちす。そのこゑいかめしくきこゆ。ただすのみやうじんのふしをみがみて、ひがししらむほどに成にけり。法皇おんうしろを御覧ずれば、ためすゑが
P2551そやをいながらわきごしにまひるを、「たのもしきむしやかな」とおほせありて、わらわせ給けり。かくてよのほのぼのとしけるほどに、くらまでらへぞいらせ給にける。廿五日、きちないざゑもんひでやすと申ける平家のさぶらひは、院にも近くめしつかはれければ、をりふしうへぶししたりけるが、しのびて人々にあふべき事有て、あかさらまにしゆくしよにいでたり。なにとなく目のあわざりけるままに、あかつきがたに又かへりまゐりたりければ、つねのごしよのかたにさわぎささやいて、女房の声にてしのびてうちなきなむどしければ、あやしと思てききゐたりければ、「ごしよのわたらせ給はぬは。いづちへやらむ」とて、さわぎあへり。ひでやすあさましとおもひて、いそぎろくはらへはせゆきたりけるに、おほいとの、いまだにようゐんのおんかたよりいでたまわぬ程也。やがてにようゐんの
P2552おんかたへまゐりて、「かく」と申ければ、おほいとのあわてさわぎたまひて、ふるひごへにて、「よもさる事あらじ。ひがことにてぞあるらむ」とのたまひながら、いそぎほふぢゆうじどのへはせまゐりたまひて、たづねまゐらせければ、よるひる近くさうらふ人々は、おほむね皆候われけり。にようばうたちも、たんばのつぼねをはじめとして、一人もはたらき給わず。おほいとの、「君はいづくにわたらせ給ぞ」とまうされけれども、「われこそしりまひらせたり」といふひともなし。ただおのおのなきあへり。あさましなむども
おろかなり。さるほどに夜もあけぬ。「法皇渡らせ給はぬ」と云ひろうありければ、じやうげのしよにんはせまゐりて、ごしよぢゆうまどひさわぐ事なのめならず。まして平家の人々は、「家にかたきのうちいりたらむもことかぎりあれば、是にはすぎじ」とぞさわぎあひ給ける。ぐんびやうらくちゆうにじゆうまんして有ければ、平家の
P2553一門ならぬ人々も、さわぎまどはぬはなかりけり。廿四 ひごろは法皇のごかうをもなし奉らむと、したくせられたりけれども、わたらせ給わねば、たのむこのもとに雨のたまらぬここちして、さりとてはぎやうがうあるべしとて、しゆしやうをすすめ奉て、ほうれんにたてまつりていでさせ給ふ。いまだいとけなき御よわひなれば、なにごころもなく奉りぬ。しんし、ほうけんとりぐして、けんれいもんゐんおなじこしにたてまつる。ないしどころも渡し奉りぬ。「いん
やく、ときのふだ、けんじやう、すずかにいたるまでとりぐすべし」と、へいだいなごんときただのきやうげぢせられけれども、人皆あわてにければ、とりおとす物おほかりけり。ひのおましのぎよけんものこしとどめてけり。みこしいださせたまひにければ、前後に候人は、平大納言ときただ、くらのかみばかりぞ、いくわんただしくしてぐぶせられける。
P2554そのほかの人々は、くぎやうもこんゑづかさもみつなのすけも、皆よろひをちやくし給へり。女房は、にゐ
どのをはじめ奉て、にようばうごしじふにちやう、馬の上の女房は数をしらず。しちでうを西へ、しゆしやくを南へぞぎやうがうなりける。「せんととてにはかにあわたたしく福原へぎやうがうなりしは、かかる事のあらむずるせんべうなりけり」と、今こそおぼしめしあわせらるれ。かかるさわぎのうちに、いかなる者かたてたりけむ、六波羅のそうもんの前にたてふだ有り。あづまよりともををかぜふきくれば西へかたぶくひらやとぞみる K134六波羅のきうくわん、にしはつでうのよもぎやよりはじめて、いけどの、こまつどのいげ、人々のしゆくしよ三十余所、一度に火をかけてければ、よえんすじつちやうにおよびて、日の光も見へざりけり。あるいはへいかたんじやうのれいせき、りようろうえうちのせいきゆう、はくりく
P2555ふさのきよしよ、あるいはしやうふしようじやうのきうしつ、さんたいくわいもんのこてい、きうぎよくゑんらんのすみかなり。もんぜんはんじやう、たうしやうえいぐわのみぎり、夢の如し、幻の如し。きやうごほろびてけいきよ
くあり、こそたいのつゆじやうじやうたり。ぼうしむおとろへてこらうなし、かんやうきゆうのけぶりへんぺんたりけむ。かんかの三十六宮、そのかううのためにほろぼされけむも、是にはすぎじとぞ見へし。むじやうははるのはな、かぜにしたがひてちる。うがいはゆふべのつき、くもにともなひてかくる。たれかえいぐわのはるのゆめのごときことをみておどろかざることを。おも
ふべしめいえふのあしたのつゆとともにしておちやすきことを。ふいうのかぜにたはぶるる、はくせいのたのしみいくばくぞ。ろうこのつゆをはむ、かふさつのこへゐんをつたふ。こんらうのじふにろうの上、せんしゆつひにむなしく、ちてふ一万
里の中、らくじやうつねならず。たねんのけいえい、いちじにまめつしぬ。へいしやうこくぜんもんをばはつでうだいじやうだいじんとまうしき。八条よりは北、ばうじやうよりは西に、はういつちやうにていありし故也。かのいへは
P2556入道うせられにし夜やけにき。だいせうむねのかず五十余に及べり。ろくはらどのとてののしる所はこぎやうぶきやうただもりよにいでしよきところなり。南門は六条が末、かもがはいつちやうをへだつ。もとはういつちやうなりしを、このしやうこくの時しちやうにざうさくあり。これもやかず百二十余宇に及べり。これのみならず、北のくらまちよりはじめて、もはらだいだうをへだてて、たつみのすみのこまつどのにいたるまで、廿余町におよぶまで、ざうえいしたりしいちぞくしんるいのとのばら、およびらうじゆうけんぞくのぢゆうしよにいたるまで、こまかにこれをかぞふればやかず三千二百余宇、一宇のけぶりとのぼりし事、おびたたしなむどいふはかりなし。ほつしやうじのゐんないばかりしばしやけざりければ、仏の御力にてのこるかとおもひしほどに、ちくごのかみいへさだがぶぎやうにて、こぎやうぶきやうただもり、にふだうたいしやうこく、こまつのだいふいげのむしよどもをほりあつめて、かのだうのしやうめんのまにならべ置て、仏と共にやきあげて、こつをば
P2557くびにかけて、あたりの土をば川にながして、いへさだしゆうじゆうおちにけり。このてらはこたいしやうこく、ちちのけうやうの為、たねんのあひだざうえいして、代々のほんぞん、もくざうといひ、ぐわざうといひ、うしつをならべ、きんようをまじへておわしましつ。しやうごんびれいにして、時にとりてならびなし。こよひあかつきまで、ぢゆうそうかひを吹き、ぜんりよけいをならしてたつとかりつるありさま、しゆゆの間に長くたえぬ。されば仏のときおきたまへるひつきやうくうのことわりはすなはちこれぞかしと、あはれなりししよぎやうむじやうのことわりかな。廿五 ごんのすけさんゐのちゆうじやうのかたへの人、参じて申けるは、「源氏すでに都へうちいりさうらふ。あかつきよ
り法皇もわたらせ給わずとて、ろくはらどのにはじやうげあはてさわぎて、さいこくへぎやうがうならせたまひさうらふ。おほいとのいげのとのばら、我も我もとうつたちたまふに、いかにいままでかくてはわたらせたまふぞ」と申ければ、さんゐのちやうじやうは、ひごろおもひまうけたりつるP2558事なれども、さしあたりては、あな心憂やとおぼして、いでたちたまふ。つかのまもはなれがたきをさなき人々を、たのもしき人一人もなきに、うちすてていでなむずる事こそかなしけれとおぼすに、なみださきだちてせきあへ給わず。きたのかたも
をくれじといでたちたまひけれども、「さきにもまうししやうに、ぐしたてまつりては人の為いとおしきぞ。只とどまりたまひさうらへ。いかにかくはのたまふぞ」と涙をながしたまへば、さまざまにこしらへおきたまふほどに、程もふれば、「おほいとのさらぬだに、これもりをばふたごころある者とのたまふなるに、今までうちいでねば、いとどさこそおもひたまふらめ」とて、なくなくいでたまへば、きたのかた袖をひかへてのたまひけるは、「父もなし、母もなし。都にのこりとどまりては、いかにせよとて、ふりすてていでたまふぞ。ののすゑやまのすゑまでもひきぐしてこそ、ともかくもみなし給はめ」とて、人目もつつまずなきもだへたまふを、見すてがたくこころぐるしくて、「さ
P2559さりとては、いづくにもおちつかむ所よりいそぎむかへとらむずるぞ」と、なぐさめ給ほどに、しんざんゐのちゆうじやう、さちゆうじやういげのおととたち四五人はせきたりたまひて、「ぎやうがうははるかにのびさせたまひぬ。いかなるごちさんにや」とのたまへば、弓のはずにてみすをかきあげて、「これごらんぜよ、とのばら」と宣ふ。み給へば、北方とおぼしくて、うつくしげなる女房の、よろひのおしつけの板に顔をあてて、人のみるをもはばからず、恥を
もかへりみず、声をもをしまずなきたまひたり。やつになりたまふ姫君、とをになりたまふ若君は、鎧のさうの袖にとりつきて、をくれじと、声をととのへてをめきさけびたまひけり。さんゐのちゆうじやうのたまひけるは、「いくさのさきをこそいかにもかけめ。これほどのおさなきものどものしたひさうらふを、なさけなくうちすてかねて候也」とて、はらはらと泣給へば、おととのとのばらも皆たもとをしぼりて、馬のかしらをかどへむけてぞひか
P2560へたる。かくてあるべきならねば、北方に宣ひけるは、「いづくの浦にも、おちつきたらむ所よりいそぎむかへとりたてまつらむずる事なれば、昔のちぎりをわすれずして、かわらぬ心にてまち給へ」とて、ひきちぎりて立給へば、北方は、「としごろひごろはこれほどなさけなかるべしとこそ思ひよらざりしか」とて、恥をもかへりみず、すだれのきわにまろびふして、声もをしまずをめき給ふ。若君姫君二人のきんだちは、えむより下にころびをち、いかにもおくれじとしたひて、声をととのへてをめき給けり。さいとうごむねさだ、さいとうろくむねみつとて、ながゐのさいとうべつたうさねもりがこどもなり。三位中将の御馬のさうのみづつきにとりつきて、「いづくの浦へもおんともせむ」と申ければ、三位の中将、「まことにまうすやうに、なんぢらをばいづくの浦へもあひぐして、いかならむ有様をも見はてよかしと思へども、見るP2561やうに、いとけなきをさなきものどもをとどめおくが、おぼつかなきぞ。なんぢらをはなちては心やすき者もなければ、とどまりてをさなき者共がつゑはしらともなれよ」と宣へば、ふたりのさぶらひ申けるは、「としごろひごろおんあはれみをかうぶりてまかりすぎさうらひしかば、もしの事の候わむ時には、になき命を君にまゐらせ、さきにもたち奉り、しでのやまのおんともをこそせんとおもひさうらひつるに、とまる
べき者と見へられまゐらせさうらひつらむ事こそ、くちをしくおぼへ候へ。まかりとどまりさうらひてのち、はうばいにおもてあわすべしとこそおぼへ候わね。いづくの浦にもおちつきたまわむ所をみおきまゐらせてこそわ」とまうしければ、三位中将かさねて宣けるは、「をさなきものどもをとどめおくがおぼつかなきぞ。たれはぐくみ、たれあはれみすらむとおもふらむとて、うちすててをくが悲しさに、おほくの者の有る
中に、なんぢらがこころざしの有がたければ、わがみをわくるがごとくに思て、をさなきものどものとぎとも
なれと
P2562思てこそいふに、かやうにしたうこそくちをしけれ」とうらみ給へば、「げにも又この御志をやぶりて、すすみて参らむ事もおそれあり」とて、涙をおさへてとどまりぬ。はるかにみをくり奉り、はしりつきても参りたく思けれども、そもかなわず。二人のさぶらひ声をととのへてをめきさけぶ。中将かく心づよくふりすててはいでたまひたれども、なほまへへはすすまず、うしろへのみひきかへすやうに、涙にくれてゆくさきもみへ給はず。鎧の袖もしおれければ、おととたちの見給もさすがつつましくおぼさる。北方は、「としごろ有つれども、是ほどなさけなかるべき人とこそしらざりつれ」とて、ひきかづきてふし給へば、若君も前にふしまろびて泣給ふ。かくうちすてられ給ひぬれば、「いかにしてかたときもあかしくらすべし」ともおぼさず。よのおそろしさもたへしのびたまふべきここちもP2563し給はず。みひとつならばせめてはいかがせむ、をさなき人々の事をおぼすぞ、いよいよ道せばく心うくはおぼしける。廿六 よりもりはなかもり、みつもりらひきぐして、さぶらひどもみなおちちりて、わづかにそのせい百騎ばかりぞ有ける。とばのみなみあかゐがはらにしばらくやすらひて、おりゐて、大納言よそを見まわしてのたまひけるは、「ぎやうがうにはをくれぬ。かたきはうしろにあり。ちゆうくうになるここちのするは。いかに、とのばら、このたびはなどやらむ物うきぞとよ。ただこれより京へ帰らむと思ふ也。すべてゆみやとるみのうらやましくもなきぞ。さればこにふだうにもしたがふやうにてしたがはざりき。さうなくいけどのをやきつるこそくやしけれ。いざさらば京のかたへ。鎧をばよういの為におのおのきるべし。かへすがへすも、人は世にあればとて、をごるまじかりける事かな。入道の末、今ばかりにこそあむなれ。いかにもいかにもP2564はかばかしかるまじ。都をまどひいでて、いづくをはかりともなく、にようばうたちをさへひきぐしてたびだちぬる心うさよ。いかばかりの事おもひあわるらむ。さぶらひども皆赤じるしとりすてよ」とのたまひけれ
ば、とかくするほどにひつじのときばかりにもなりにけり。「京には今は源氏うちいりぬらむ。いづちへかいらせ給べき」とさぶらひども申ければ、「いかさまにも京をはなれては、いづちへかゆくべき。とくとく」とて、大納言さきに打て、馬をはやめてかへりたまふ。みるものあやしくぞ思ける。くでうよりしゆしやくをのぼりに、はつでうのにようゐんのごしよ、にんわじのときはどのへまゐりたまふ。大納言はにようゐん
のおんめのとご、さいしやうどのとまうす女房にあひぐせられたりければ、このごしよへ参らるるもことわりなり。女院よりはじめたてまつりて、女房達、さぶらひども、「いかに、夢かや」とおほせあり。だいばんのらうに、よろひぬぎをきて、よろひひたたればかりにて、おんまへちかく
P2565まゐりたまひてまうされけるは、「よのなかの有様只夢にて候
也。いけどのに火かけて、心ならずうちいでて、さうらひつれども、つらつらあんじさうらへば、『都にとどまりて君のげんざんにも入り、出家入道をもつかまつりて、しづかにさうらひて、ごしやうをもたすからむ』とぞんじて、かくなむ参て候也」とまうされければ、にようゐん、さんゐのつぼねをおんつかひにて、「誠にそれもさる事なれども、源氏すでに京に入て、平家をほろぼすべしときこゆ。さらむにとりては、このうちにてはかなひなむや」とおほせありければ、頼盛かしこまりて、「まことにさやうの事にもなり候はば、いそぎごしよをまかりいでさうらはむずれば、なじかはおんだいじにおよび候べき」とまうされければ、にようゐんまた、「いかにもよくよくあひはからはるべし。ただし源氏とののしるはいづのひやうゑのすけよりともぞかし。それはのぼらぬやらむ。のぼりたらばさりともべちの事よもあらじ。かしこくぞこにふだうとひとつこころにて
P2566おわせざりける。いまは人目もよし。平家のなごりとて世におわしなむず」とおほせありければ、よりもり、「世にありとまうしさうらはば、さだめて今はなにごとかは候べき。只今おちうとにてあちこちさまよわむ事のかなしさにこそ、かやうにまゐりて候へ。おほせの如く、頼朝がかたよりたびたびふみをたびてさうらひしに、こははのいけのあまが事をまうしいだして、『そのかたみと頼盛をばおもふぞ。世に有らむとおもふもその為なり』と、まいどに申てさうらひしなり。そのふみこれにもちてさうらふ」とて、ちゆうげん
をとこのくびにかけさせたりけるかはのふぶくろよりとりいだして、げんざんに入る。おなじてもあり、かわりたる筆もあり。はんはいづれもかわらずとごらんあり。さればうつてのつかひののぼりしにも、「あなかしこ、いけどののとのばらにむかひて弓をもひくべからず。やへいざゑもんむねきよに手かくな」と、くにぐにのぐんびやう
P2567にも、兵衛佐いましめられけるとかや。ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、おほいとののおんまへにすすみいでて申けるは、「いけどのはおんとどまりさうらふにこそ。あはれ、くちをしくおぼえさうらふものかな。うへにこそおそれ奉り候へ、さぶらひどものまゐりさうらはぬこそ安からずぞんじさうら
へ。ひとやいかけて帰り参り候はむ」と申ければ、「中々さなくてもありなむ。としごろのぢゆうおんをわすれて、いづくにもおちつかむずる所を見をかずしてとどまるほどのじんは、源氏とても心ゆるしせじ。さほどのやつばらは、ありとてもなにかはせむ。とかくいふにおよばず」とぞ、大臣殿のたまひける。そもそもよりもりのとどまり給ふこころざしをたづぬれば、かの大納言はただもりの次男也。だいじやうにふだうのおととにておわしましければ、内大臣の為にはをぢにて、世にも重くすべき人なりけり。又
おちとどまるべき人にもおわせざりけれども、頼盛の母いけのあま
P2568ごぜんは、忠盛の最後のごぜんにて、最後までもぐせられたりけり。平家ちやくちやくさうでんして、ぬけまるといふたちあり。ひさうの太刀なりけるを、「頼盛にとらせばや」と北方しきりにまうされければ、大納言このたちをさうでんせられけるを、だいじやうにふだうも心得ずおもはれけり。かのたちは、忠盛の父まさもりのあつそん、夏の事にて有けるに、この太刀を枕にたててひるねをしたりけるに、よそにて人のみければ、小きとかげの尾の青かりけるが、さらさらとはらばひて、正盛のねたりけるかたへむきてはらばひけるほどに、枕にたてたるたち、人もぬかぬに、なからばかり、さらとぬけたりけるをみて、このどくちゆうおそれたるけしきにて、やがてかへりにけり。さて不思議のおもひをなして、正盛がねたりける
ををこして、「しかしか」と云ければ、誠に太刀P2569なからばかりぬけかかりたりけり。不思議なりける事也。それよりしてぞ、このたちをばぬけまるとなづけてひさうせられける。内大臣この大刀をしよまうし給けれども、頼盛おもはれけるは、「なだかき大刀なるを、ありがたくして伝へたる上、へいぢのかつせんのとき、あくげんだよしひらがらうじゆう、かまだびやうゑまさきよがくまでにかけられて、すでにうたれぬべかりしに、この大刀をもちたりしかばこそ、くまでのくさりをうしろさまにやすくきりをとして、命をたすかるのみにあらず、名をこうたいにものこししか。この大刀なかりせば、今までながらへむ事かなふまじ。そのうへおほいとのはちやくちやくのあとをつぎて、このほかのたうけさうでんのもののぐといひ、ざいほうといひ、そのかずおほくつたへてもちたまへり。頼盛は
P2570そしなるによつて、よのちようほうとうひとつも相伝せずして、わづかにこのたちひとつばかりなり」とのたまひて、さいさんしよまうありけれども、つひに奉らずしてもちたまひたりければ、ないないをぢをひのなか、心よからずとぞきこへし。そのうへうちいでけるかどでに、鳩かきたる扇のなかばなるを、わらはのもちきたりて大納言に奉けるを、右の手にうけとりて、そのわらはを「いかなる人ぞ」と問ひ給ければ、まぼろしの如くして、かきけつやうにうせにけり。不思議の事かなと思給て、彼の扇をひらきて見給ければ、扇もまことの扇にはあらずして、白き鳩のはにてぞ侍りける。心の内に思給けるは、「鳩のはにて造りたる扇、ぼんぶのきやうがいのわざにあらず。ひとへに是、はちまんだいぼさつのごじげんの扇なるべし。つらつらこのことを案ずるに、よりとも世をうちとりて、いつてんを心に
P2571まかせむとて、頼盛をおんしやうすべきずいさうにてぞ有らむ」と思給て、にはかにおもひとどまり給けるとぞきこへし。さるほどにおほいとのもりつぎをめして、「ごんのすけさんゐのちゆうじやうどのはいかに」と問給ければ、「こまつどののきんだちもいまだひとところもみへさせ給わず」と申ければ、「さこそあらむずらめ」とて、よに心細げにおぼして、御涙のおちけるををしのごひ給を、人々見給て、鎧の袖をぞぬらされ
ける。新中納言のたまひけるは、「これひごろみなおもひまうけたりし事也。いまさらにおどろくべきにあらず。都を
いでていまだひとひをだにもすぎぬに、人の心も皆かはりぬ。ゆくすゑとてもさこそ有らむずらめ。わがみひとつの事ならねば、すみなれしふるさとをいでぬる心うさよとをしはかられ、只都にていかにもなるべかりつる者を」とて、おほいとののかたをつらげに
P2572見やり給けるこそ、げにとおぼへてあわれなれ。さるほどにごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもり、しんざんゐのちゆうじやうすけもり、さちゆうじやうきよつねいげ、きやうだい五六人ひきぐして、よど、はつかし、むつだがはらをうちすぎて、せきどの院の程にておひつき給へり。あそこここにておちちりて、そのせい三百騎ばかりぞありける。大臣殿この人々をみつけたまひて、すこしちからをつけたるここちしたまひて、「今まで見へさせ給わざりつれば、おぼつかなかりつるに、うれしくも」とのたまひければ、三位中将は、「をさなきものどものしたひさうらひつるを、こしらへおきさうらひつるほどに、今まで」とて、御涙のおつるを、さなきやうにまぎらかされける有様、あはれにぞ見へける。大臣殿、「又いかにぐし奉り給わぬぞ。とどめおきたてまつりてはこころぐるしくこそおわせむずれ。いかにしてかはすぎあはるP2573べき」とのたまひければ、「ゆくさきとてもたのもしくも候はず」とて、とふにつらさと、いとど涙をぞながされける。いけのだいなごんのいちるいは、今や今やとまちつれども、ついに見へ給わず。そのほかおちゆく平家はたれたれぞ。さきのないだいじんむねもり、へいだいなごんときただ、へいぢゆうなごんのりもり、しんぢゆうなごんとももり、しゆりのだいぶつねもり、うゑもん
のかみきよむね、ほんざんゐのちゆうじやうしげひら、ごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもり、ゑちぜんのさんゐみちもり、しんざんゐのちゆうじや
うすけもり
てんじやうびとには、くらのかみのぶもと、くわうごうぐうのすけつねまさ、さちゆうじやうきよつね、さつまのかみただのり、こまつのせうしやうありもり、さまのかみゆきもり、のとのかみのりつね、むさしのかみともあきら、びつちゆうのかみもろもり、こまつのじじゆうただふさ、
P2574わかさのかみつねとし、あはぢのかみきよふさそうがうには、にゐのそうづぜんしんほつしようじのしゆぎやうのうゑんちゆうなごんのりつしちゆうくわいさぶらひ、じゆりやう、けんびゐし、ゑふ、しよし百六十余人、むくわんの者は数をしらず。このさんがねんのあひだ、とうごくほつこくのどどの合戦に皆うたれたるが、残る所なり。廿七 そのときこんゑのてんがと申は、ふげんのないだいじんもとみちのおんことなり。だいじやうにふだうのおんむこにて平家にしたしみ給ける上に、法皇さいこくへごかうなるべきよしひごろきこへければ、せつしやうどのもおんぐぶある
べきごりやうじやうありければ、内大臣より、「ぎやうがうすでになりさうらひぬ」とつげまうされたりければ、せつしやうどのぎよしゆつありけるに、法皇のごかうもなかりければ、ごしんぢゆうにおぼしめしわづらわせ給けるに、はくはつのらうをう、御車の前にげんじて、
P2575いかにせむふぢのすゑばのかれゆくをただ春の日にまかせてぞ見る K135是をごらんじて、「さればわがいづる事をばしんめいのおんとがめのあるにや。はるのひとは、かすがのみやうじんとどめさせ給へとにや。いかがすべき」とおもひわづらひたまひけるに、おんともにさうらひけるしんどうざゑもんのたいふたかのりが、「法皇のごかうもならせ給わず。平家の人々も多くおちとどまらせたまひさうらひぬ。これよりおんかへりあるべくやさうらふらむ」と申たりければ、「平家の思わむ所
いかがあるべかるらむ」とおんけしきありけるを、しらずがをにて、やがて御車をつかまつる。御車のうしかひに、きと目を見あわせたりければ、しちでうしゆしやくより御車をやりかへし、ひとずわへあてたり
ければ、くつきやうの牛にてはありけり、とぶがごとくにして、しゆしやくをのぼりにくわんぎよなりにけり。平家のさぶらひ、ゑつちゆうのじ
P2576らうびやうゑもりつぎこれをみたてまつりて、「てんがもすでにおちさせ給にこそ。くちをしくさうらふも
のかな。とどめまひらせ候わむ」と申ままに、かたてやはげておひかかりけるを、たかのりかへしあはせてふせきけるを、おほいとの見給て、「としごろのなさけをおもひわすれ給ておつるほどの人をば、いかにても有なむ。一門の人々もあまた見へ給はず。せんなし」とせいし給ひければ、もりつぎひきかへしにけり。せつしやうどのは都へ帰らせ給ひて、さいりんじと云所に渡らせ給ひて、それよりちそくゐんへぞ入らせ給ひける。人是をしらず。「せつしやうどのはよしのの奥へ」とぞ申あひたりける。廿八 かはじりに源氏まはりたりときこえければ、ちくごのかみさだよしがはせむかひたりけるが、ひがことにて有ければかへりのぼる。この人々のおちたまふにゆきあひにけり。さだよしはこむらごのひたたれの、くび、はた袖はむらさきめゆひにてかへしたるに、くろかはをどしのよろひきて、
P2577おほいとののおんまへにて馬よりおり、弓わきにはさむで、だんしをして申けるは、「あな心うや。是はいづちへとてわたらせ給ぞや。都にてこそちりはひにもならせ給わめ。さいこくへおちさせ給たらば、のがれさせ給べきか。又たひらかにおちつきたまふべしともおぼえ候わず。おちうととてあしこここにうちちらされて、かばねを道のほとりのさらし給わむ事こそ心うけれ。こはいかにしつる事ぞ。しんぢゆうなごんどの、さんゐのちゆうじやうどの、とくとくひきかへらせ給へ。けうがるいくさつかまつりて、こうたいのものがたりにつかまつり候わむ。弓矢をとるならひ、かたきにうたるる事、まつたく恥にあらず。なにごともかぎりあることなれば、今は平家の御運こそつきさせたまひぬらめ。さればとて、かなわぬものゆゑに、かたきにうしろをみせむ事うたてく候」と申ければ、新中納言はおほいとののかたをにらまへて、誠に心うげにおもひたまへり。おほいとののたまひけるは、「さだよしはいまだしらぬか。
P2578きのふより源氏てんだいさんにのぼりて谷々にじゆうまんしたんなり。このやはんばかりより
は院もわたらせ給わず。おのおのがみひとつならばいかがせむ。にようゐん、にゐどのをはじめ奉て、にようばうどもあまたあり。たちまちにうき目をみせむ事もむざんなれば、ひとまどもやと思ふぞかし。かつうは又ぜんもんめいしやうのごむしよにまうでて、おもふほどの事をもまうしおきて、ちりはひともならむとおもふなり」とのたまへば、さだよし又申けるは、「弓矢をとるならひ、さいしをあわれむ心だにも深く候へば、おもひきら
れず候。さこそをびたたしくきこへさうらふとも、源氏たちまちによもせめよせさうらわじ。又法皇をばいかにしてうしなひまひらせてわたらせ給ぞや。よひよりも参りこもらせ給て、目をはなちまひらせでこそ、すすめまひらせ給べくさうらひけれ。すゑやすなむどぞつげまうしてさうらひつらむ。さりとも女房達の中にしりまひらせぬ事はよも候わじ。足をP2579はさみてこそはといたださせ給はめ。すゑ
やすがめとまうすやつこはみうちには候はざりけるか。しやつがちゆうげんにてぞ候らむ。にくさもにくし。さだよしにをひてはかばねを都にてさらすべし」とてかへりのぼる。そのせい二千余騎ばかりぞ有りける。義仲是を聞て申けるは、「ちくごのかみさだよしが最後のいくさせむとてかへりのぼりたんなるこそあはれ
なれ。弓矢をとるならひ、さこそはあるべけれ。あひかまへていけどりにせよ」とぞげぢしける。とりのときまで、まてどもまてども、おほいとのいげの人々帰りのぼり給わず。けさ家々をば皆やきぬ。なににつくべしともなく、ほつしやうじのへんにいつしゆくしたりけれども、大臣殿いげの人々一人もかへりたまわざりければ、こまつどのの御墓のろくはらにありけるを、とうごくの人共が馬のひづめにかけさせむ事、くちをしかるべしとて、はかほりをこし、こつひろひ、くびにかけ、なくなくふくはらへとて
P2580おちゆきけり。貞能みやこへかへりいるときこへける上、「もりつぎ、かげきよらをたいしやうぐんとして、のこりとどまるへいけどもうたむとて都へいりぬ」とののしりければ、いけの大納言色をうしなひて騒がれけり。されども源氏はいまだうちいらず、平家にはわかれぬ。浪にもつかず、いそにもつかぬここちして、只八条の院に、「もしの事あらばたすけさせ給へ」とまうされけれども、それもかかるみだれの世なれば、いかがはせさせ給べきとおんなげき有けるも、ことわりにすぎてあはれなり。平家の方の者やしたりけむ、歌をふだに書
て、いけどののかどの前にたてたりけり。としごろのひらやをすててはとのはにうきみをかくすいけるかひなし K136大納言、この歌にはぢてしゆつしもし給わず。常にはろうきよしてぞをはしける。ゐんのごしよには、さればこそいかにも事いできなむずとて、女房たち
P2581あわてさわぎて、よもすがら物はこびなむどしければ、ほくめんのものども申けるは、「いたく物さわがしくさわ
ぎ給べからず。たとへば平家のかたより、院のわたらせたまふところをたづねまうさむずが、山にわたら
せ給よしきこゆれば、そのむねをいひてむず」とて、おのおのいもねずしてそのよもあけぬれば、さだよしごしよへおしいりて、なにといふこともなく、むまやにたてられたりける御馬を、かいえりかいえりひきいだして、すなはち御所をばいでにけり。もりつぎ、かげきよがじゆらくの事は、ひがことにてぞ有ける。法皇はせんとうをいでてみえさせ給わず。しゆしやうはほうけつをさりて、さいこくへとてぎやうがうなりぬ。くわんばくどのはよしののおくにこもら
せたまひぬときこゆ。ゐんぐうのみやばらは、はちまん、かも、さが、おほはら、きたやま、ひがしやまなむどの片ほとりにつきてにげかくれたまへり。平家はおちたれども、源氏はいまだいれかはらず。この都は
P2582既にあるじもなく人もなきさまにぞなりにける。てんちかいひやくよりこのかた、けふかかる事あるべしとは、たれかはおもひよりし。しやうとくたいしのみらいきにも、今日の事こそゆかしけれ。よどのわたりのほとりにて、船をたづねてのりたまふ、御心のうちこそ悲しけれ。ひごろめしをかれたりつるとうごくのものども、うつのみやのさゑもんのじようともつな、はたけやまのしやうじしげよし、をやまだのべつたうありしげなむど、をりふしざいきやうしておほばんつとめて有けるが、とばまでおんともして、「いづくの浦にも、おちとどまらせましまさむ所をみをきまゐらせむ」と申ければ、おほいとののたまひけるは、「こころざしは誠にしんべうなり。さはあれども、なんぢらがこども多く源氏につきてとうごくにあり。心はひとへに東国へこそかよふらめ。ぬけがらばかりぐしてはいかがはせむ。とくとくかへれ。世にあらばわするまじきぞ。なんぢらもたづねきたれ」とのたまひければ、
P2583「いづくまでもおんともして、みをきまゐらせむと思けれども、弓矢の道にこれほど心ををかれまゐらせて参りたらば、なにごとのあらむぞ」とて、とまり
にけり。にじふよねんのよしみなれば、なごりはをしく思けれども、おののおの?よろこびの涙ををさへてまかりとどまりにけり。そのなかにうつのみやのさゑもんをば、さだよしがあづかりて、ひごろも事にをきてはうじん有り
けるとかや。源氏の世に成てのち、貞能、宇都宮をたのみて東国へくだりたりければ、昔の恩をわすれず、まうしあづかりてはうじんしたりけり。平家は、あるいはいそべの波のうきまくら、やへのしほぢに日をへつつ、船にさをさす人もあり。あるいはとほきをわけけはしきをしのぎつつ、馬にむちうつひともあり。せんどをいづくと定めず、しやうがいをとうせんの日にごして、おもひおもひこころごころにぞおちられける。ごんのすけさんゐのちゆうじやうのほかは、おほいとのをはじめとして、むねとの人々、きたのかたをひきぐし給へども、しもさまのものどもは
P2584妻子を都にとどめおきしかば、おのおのわかれををしみつつ、ゆくもとまるもたがひに袖をぞしぼりける。ただかりそめのよがれをだにも恨みしに、こうくわいそのごをしらぬ事こそかなしけれ。さうでんふだいのよしみも浅からず、としごろひごろの恩もいかでかわするべきならば、涙ををさへていでたれども、ゆくそらも
なかりき。をとこやまをふしをがみては、「なむはちまんだいぼさつ、今一度都へ帰しいれ給へ」とぞなくなく申ける。誠にこきやうをばいつぺんのけぶりにへだてて、せんどばんりの浪をわけ、いづくにおちつき給べしともなく、あくがれおちたまひけむ心のうちども、さこそは有けめとをしはかられてあはれなり。廿九 そのなかにやさしくあはれなりし事は、さつまのかみただのりはたうせいずいぶんのかうしなり。そのころ、くわうだいこうくうのだいぶしゆんぜいのきやう、ちよくをうけたまはりてぜんざいしふえらばるる事ありき。
P2585既にぎやうがうのおんともにうちいでられたりけるが、のりがへいつきばかりぐして、よつづかより帰て、かのしゆんぜいのきやうのごでうきやうごくのしゆくしよの前にひかへて、かどたたかせければ、内より「いかなる人ぞ」ととふ。「さつまのかみただのり」となのりければ、「さてはおちうとにこそ」とききて、世のつつましさにへんじもせられず、かどもあけざりけれ
ば、そのとき忠度、「べちのことにては候わず。このほどひやくしゆをしてさうらふを、げんざんにいらずして、ぐわいとへまかりいでむ事のくちをしさに、持て参て候。なにかはくるしく候べき。たちながらげんざんしさうらはばや」と云ければ、三位あわれとおぼして、わななくわななくいであひ給へり。「世しづまりさうらひなば、さだめてちよくせんのこうをはりさうらわむずらむ。身こそかかる有様にまかりなりさうらふとも、なからむあとまでも、このみちに名をかけむ事、しやうぜんのめんぼくたるべし。しふせんじふの中に、このまきものの内にさる
べきくさうらはば、おぼしめし
P2586いだして、いつしゆいれられさうらひなむや。かつうは又念仏をもおんとぶらひさうらふべし」とて、よろひのひきあはせより百首のまきものをとりいだして、かどより内へなげいれて、「忠度今はさいかいの浪にしづむとも、このよにおもひおくことさうらわず。さらばいらせ給へ」とて、涙をのごいてかへりにけり。しゆんぜいのきやうかんるいををさへて内へかへりいりて、ともしびのもとにてかのまきものを見られけれ
ば、しうかどもの中に、「こきやうの花」といふだいを。さざなみやしがのみやこはあれにしをむかしながらの山ざくらかな K137「しのぶこひ」に。いかにせむみやぎがはらにつむせりのねのみなけどもしる人のなき K138そののちいくほどもなくて世しづまりにけり。かのしふをそうせられけるに、ただのりこのみちにすきて、道よりかへりたりしこころざしあさからず。ただしちよくかんの人の名をP2587入るる事、はばかりある事なればとて、このにしゆを「よみびとしらず」とぞいれられける。さこそかわりゆくよにてあらめ、てんじやうびとなむどのよまれたる歌を、「読人しらず」といれられけるこそくちをしけれ。此の薩摩守の、ある宮ばらの女房にものまうさむとて、つぼねのうへくちさまにてためらひ給けるに、事のほかに夜ふけにければ、扇をはらはらとつかひならして、ききしらせ給ければ、心しりの女房の、「のもせにすだくむしのねや」とながめけるを聞て、扇をつかひやみたまひにけり。人しづまりぬとおぼしくて、いであひたりけるに、「など扇をばつかひ給はざつつるぞ」ととひけるに、「いさ、かしかましとかやきこへつればよ」とのたまひけるぞ、いとやさしかりける。かしかましのもせにすだくむしのねやわれだにものはいはでこそ思へ K139
P2588といふ歌の心なるべし。三十 さまのかみゆきもりもえうせうよりこのみちをこのみて、きやうごくのちゆうなごんのしゆくしよへ、ゆきもりつねにおわしむつびて、ひとへにこの道をのみたしなみけり。ていかのきやうそのころは少将にておわしけり。さるほどにいちもん
都をおちし時、ひごろのなごりををしみて、なにとなくよみをかれたりけるうたどもをかきあつめて、のちのおもひでにもとや思われけむ、ふみをこまかにかいて、袖がきにかうぞかかれたりける。ながれての名だにもとまれゆくみづのあわれはかなきみはきえぬとも K140定家の少将この歌を見給て、かんるいを流して、もしせんじふあらば、必ずいれむとぞおぼしける。ちちしゆん
ぜいのきやう、ただのりの歌を「よみびとしらず」とせんざいしふにいれられたりし事を、よに心うくねんなき事におぼして、ごほりかはのゐんのおんとき、
P2589しんちよくせんをえらばれしとき、「てうてきさんだいこそ名をあらわす事恐れ
ありつれ。今はさんだいすぎたまひぬれば、なにかはくるしかるべき」とて、「さまのかみゆきもり」と名をあらわして、この歌をいれられたりしこそ、やさしくあわれにおぼへしか。卅一 くわうごうぐうのすけつねまさは、えうせうよりにんわじのしゆかくほふしんわうのごしよにさうらはれしが、昔のよしみわすれがたくおもはれければ、だいもつと云所よりひきかへして、さぶらひににんうちぐして、ごのみやの御所へまゐりて、てんそうの人してまうしいれけるは、「一門の運つきぬるによつて、すでにていとをまかりいでさうらふうへは、身をさいかいの浪の底にしづめ、かばねをせんやうのみちのほとりにさらし候はむ事、うたがひあるべからずさうらふ。ただしうきよに心のとどまり候事は、君を今一度はいけんしたてまつらずして、ばんりのなみぢにただ
P2590よひ候はむ事こそ、かなしみの中のかなしみにて候へ」とまうしいれたりければ、宮は、「世はおほきにはばかりおぼしめされけれども、又もごらんぜぬ事もこそあれ」とて、すなはち御所へめされたまふ。つねまさはねりぬきに鶴をぬいたるよろひひたたれに、もえぎのいとをどしの鎧をぞ着たりける。二人のさぶらひ、ありのり、とも
しげも鎧きたりけり。つねまさなくなく申けるは、「経正十一歳とまうしし年より、このごしよにしよさん
つかまつりて、朝夕おんまへをたちはなれまいせず。じよしやくつかまつりてのちも、きんりせんとうのしゆつしのひまには、『いかにもしてこのごしよへまゐりさうらわむ』とのみぞんじさうらひしかば、一日に二度参ずる日はさうらひしかども、ふさんの日は候わなむしに、今日都をまかりいでさうらひて、せいちんのりよはくにただよ
ひ、やへのしほぢをこぎへだてさうらひなむのちは、ききやうそのごをしらず。されば、今一度君をみたてまつり候
わむとぞんじさうらひて、きげんをかへりみさうらわず、すい
P2591さんつかまつりて候」となくなく申て、とうくらうありのり
にもたせたるおんびはをとりよせて、「くだしあづかりて候しせいざんをば、いかならむ世までも身をはなたじとこそぞんじさうらひつれども、かかるめいぶつをかいていにしづめむ事の心うく候て、持て参て候なり」とて、綿の袋にいれながら、宮のおんまへにさしおかる。宮是を御覧じて、御涙にむせませましまして、おんぺんじにおよばず。ぎよいの御袖もしぼるばかりなり。そもそもこのびはをせいざんと申す事は、むかしていびむといひしいうじん、たいたうへわたりて、れんしようぶと云びはのはかせに合ひ、さんきよくをつたへられしに、せいざんの緑のこずゑよりてんにんあまくだり、くわいせつの袖をひるがへす。れんしようぶこのずいさうにおどろきて、せいざんとぞなづけける。そののち又むらかみの天皇の御時、秋の月
くまなくて、風の音身にしみて、なにとなくものあはれなるゆふべ、あかつきに、このおんP2592びはにして、みかどまんじうらくの秘曲をひかせたまひしに、かうたけよしづかにして、御ばちのおといつよりもすみのぼりて、身にしみてきこへけるに、ごろくのでふの秘曲にいたりて、てんにんあまくだりて、くわいせつの袖をひるがへし、すなはち雲をわけてのぼりにけり。そののちはかのおんびはをぼんにんのひくことなかりければ、よよのみかどのごちようほうにて有けるが、次第につたはりて、このみやのごちようほうのそのいちにてありけるを、このつねまさ十七のとしうひかぶりして、うさのみやのちよくしにくだされし時まうしくだして、宇佐のじんでんにてわうじきでうにてかいせいらくをひかれたり
しに、しんめいのなふじゆしたまひて、てんどうのかたちにあらはれて、しやだんの上にてまひたまふ。つねまさこのきずいをはいして、しんめいなふじゆありけりとて、がくをばひきやみて、さんきよくのそのいち、りうせんの曲をしばらくしらべたりければ、とものみやびと心有れば、おのおのかりぎぬの
P2593袖をぞしぼりける。ききもしらねども、むら
さめとはまがわじ物をとあはれなり。むらかみのぎようよりこのかた、ぼんにんこのびはを弾ずる事はつねまさ一人ぞ有ける。かかるれいぶつ也ければ、経正みにかへてをしくはおもはれけれども、「これごらんのたびごとにおぼしめしいづるつまともなれかし」とおもはれければ、おんびはをまゐらせおくとて。くれたけのもとのかけひはかわらねどなをすみあかぬ宮のうちかな K141宮おんびはをとらせ給て、御涙をおさへおはして。くれたけのもとのかけひはたへはててながるるみづのすへをしらばや K142あかずしてながるる袖の涙をば君がかたみにつつみてぞおく K143このごしよにあさからずいひちぎりし人々あまたありける中に、じじゆうのりつしぎやうけい
P2594と云ける人、ことに深くおもひいれられたりけるが、みなちりぬをい木もこぎの山ざくらをくれさきだつ花ものこらじ K144経正なくなく、たびごろもよなよな袖をかたしいて思へば遠くわれはゆきなむ K145とのたまひて、「今は心にかくることさうらはねば、いかになるみのはてまでも、おもひをく事つゆさうらはず」とて、おんまへをたたれければ、朝夕みなれし人々、鎧の袖にとりつきて、ころものたもとをぞしぼら
れける。「誠にひをかさね、夜をかさぬとも、おんなごりはつきさうらふまじ。ぎやうがうははるかにのびさせたまひさうらひぬらむ。さらばいとままうして」とて、かぶとのををしめて馬に乗る。宮のごしよへまゐりつる時は、世をもはばからせ給らむとつつみつれども、まかりいでける時は、あかはたひとながれささせて、南をさしてあゆませゆく。
P2595かく心強くはいでたれども、すみなれしこきやうを今をかぎりにてうちいでければ、よろひのそでもしぼるばかりにて、おひつきたてまつらむとむちをあげられける心のうちこそあはれなれ。さて、ぎやうがうにおひつきまひらせて、なにとなく心すみければ、かくぞおもひつづけける。みゆきなるすへもみやことおもへどもなをなぐさまぬ波の上かな K146G32卅二 平家は福原のふるさとに着て、一夜をぞあかしける。おのおのぜんもんのごむしよにまうでて、「くわこしやうりやう、しゆつりしやうじ、わうじやうごくらく、とんしようぼだい」ときねんして、ぞんじやうの人にして物をいふやふに、つくづくとくどき給ふ。いはきもいかにあはれとおもふらむ。其の中にさつまのかみただのりは、てうばうのごしよの花をたをり、こにふだうにゑかうして涙かきあへず。
P2596なき人にたむくる花のしたへだをたをればそでのしほれけるかな K147いつかへるべしともおぼえねば、そぞろに涙をながされけり。平家ほろび給けるなかに、人ごとに袖をしぼりける事有けり。だいじやうにふだうのおととにしゆりのだいぶつねもりは、しいかくわんげんにちやうじ給人なり。かだうよりもしちくのわざはなほまさり給けり。やうぢやうのひきよくを伝へ給事は、じやうだいにもたぐひすくなく、たうせいにもならぶ人おわしまさざりけり。ひととせ法皇のこほりかはのゐんのおんために、ほふぢゆうじどのにてほうおんかうのきやうぐやうをおこなはれけるに、かいかのくぎやうてんじやうびと、家をただしてぶがくをそうしたまひしに、つねもりそのときはとうぐうのだいぶにておはせしが、左のおもぶへをつかまつりしに、れいじんぶきよくをつくしたるに及むで、きゆうちゆうすみわたり、くんP2597じゆのしよにんおのおの袖をしぼりけり。しやうくわうもこゐんのごついぜんなれば、「今はとそつてんじやうのないゐん
にをさまりたまふらむ」とおぼしめし、りようがんにあいぜんところせし。はつでうのさはんぐわんただふさはりようわうのひきよくをまひつくす。大ひざまづき小ひざまづき、いる日をかへすがつしやうの手、をはりにはくわうじよのそでをひるがへす。其家ならぬ人にはおのおのふえをとどめしに、とうぐうのだいぶつねもり、くわうじよのひきよくのせつをふきたまひしかば、法皇えいかんたへずやおぼしめしけむ、おんまへのみすをあげさせおはしまし、ぎよいをぬぎてうちいでさせ給けるを、経盛たまはつて、かへつてかいかにつきたまひしかば、なんによじぼくをおどろかして、皆きいのおもひをなす。この道にたづさわらざる人は、おもてをかべにむかへたるもあり。かかりける人な
P2598れば、心あるも心なきも、これをおしみ奉る。はつでうのちゆうなごんにふだうながかたのおととにさきやうのだいぶよしかたは、しゆりのだいぶにやうぢやうのでしにて曲をつたへ給しかば、いまにせつをのこして都をおちたまひしかば、いかなるはくがの三位は、あふさかのふもとに夜
をかさね、うぢのきふしやうただかぬは、父をいましめ、ごぎやくざいををかすぞとおもへば、さいしきやうだいをふりすてて、同じく都をおちたまひけるが、ふくはらのてうばうのごしよにて、かんしうにはさんせつのただびやうし、ばいろにはごせつのがくびやうし、底をきわめ給しかば、りようてきほうくわんのきよくは、しやうじゆのざにつら
なれるかとあやまたれ、げいしやうういのよそをひには、てんにんのやうがうするかとうたがわれ、きくひとみるひとともになみだをながしけり。よしかたは、「いかならむ野の
P2599末、海のあなたまでもおんともせむ」と、なごりをしたひ給けるを、つねもり、「かかる身になりさうらひぬる上は、おんみをいたづらになし給はむ事、いかでかはべるべき。もし不思議にて世もたちなをりて候はば、げんざんにいるべし。はかなくなりたりときこしめさば、必ずおんねんぶつさうらふべし。こんじやういつたんのむつびによつて、らいしやうちやうきうのすみかととぶらわれまひらせ候はむ。ゆめゆめおもひとどまり給へ」とあなかしこせいしたまひければ、なごりはをしく思われけれども、ふくはらのいちやのとまりより、都へかへりたまひけり。さてもにふだうのつくりおきたまひしはなみのはるのそののごしよ、はつねたづぬるやまだのごしよ、つきみのあきのをかのごしよ、ゆきのあしたのかやのごしよ、しまのごしよ、ばばどの、いづみどの、にかいのさんじきどのよりはじめて、ごでうのだい条
大[* 「条大」衍字]なごんにふだうのざうしんせられたりP2600しさとだいり、人々の家々に至るまで、みすもすだれもたえはてて、かうしもつまどもあぶれをち、いつしか年のみとせにいたくあれにけるもあはれなり。きたぞのにうゑ
しむめのきは枝をつらねて栄へたり。なんやうけんのきくのはなぶさはあるじと共にぞかれにける。きうたいみちをふさぎ、秋の草、かどをとづ。かはらに松おひ、かきにつたしげりて、わけいるそでもつゆけく、行きのみちもあとたえぬ。常に音する物とては、まつふくかぜのおとばかり、つきせずさしいるものとては、もりくる月のみぞをも
がわりもせざりける。さらぬだに物思ふ秋の空はかなしきに、きのふはくつばみをとうせんの東にならべ、けふはともづなをさいかいの西にとく。うんかいちんちんとして、さうてんすでにくれなむとす。こたうにかすみたちて、月すいしやうに浮ぶ。ちやうしようのほらをいづる駒のひづめをはやむる人は、れいゑんの声に耳をおどろかし、きよくほの浪をP2601わけて塩にひかれてゆくふねは、はんてんの雲にさかのぼる。よふかくをきてみれば、秋のはじめのはつかあまりの月いでて弓はりに、ふけゆく空もしづかに、嵐の音もすごくして、くさばにすがるしらつゆも、あだなる命もよそならず。秋のはつかぜたちしより、やうやくよさむになりぞ行く。たびねのとこのくさまくら、露も涙もあらそひて、そぞろに物こそかなしけれ。にゐどのもおほいとのもひとところにさしつどひて、さてもいづくにかおちつかせ給べき。こにふだうしやうこくの、かかるべかりける事をかねてさとられけるにや、このところをしめて家をたて、船をつくりおかれたりける
事のあはれさよ。こしかたゆくすゑのことどものたまひかよわして、たがひに涙をながしたまひける程に、夜もほのぼのとあけにけり。平家のあととて源氏にみすなとて、浦のごしよよりはじめて、御所々々に火をかけて、しゆしやう、にようゐんをP2602はじめたてまつりて、にゐどの、きたのまんどころいげの人々、皆おんふねにめして、ばんりのかいしやうにうかびたまひければ、よえんへんぺんとして、かいしやうかくやくたり。都をいでたまひし程こそなけれども、是もなごりは多くて、袂をぞいとどしぼりける。あまのたくものゆふけぶり、をのへの鹿のあかつきの声、なぎさによする波の音、袖に宿かる月の影、目に見、耳にふるること、ひとつとして涙をもよほさず、心をいたましめずと云事なし。さつまのかみただのりかくぞながめ給ける。はかなしやぬしはくもゐとわかるれどやどはけぶりとのぼりぬるかな K148さまのかみゆきもりのあつそん。ふるさとをやけののはらにかへりみてすへもけむりのなみぢをぞゆく K149へいだいなごんときただのきやう。
P2603こぎいでてなみとともにはただよへどよるべきうらのなきぞかなしき K150おなじくきたのかたそつのすけ。いそなつむあまよをしへよいづくをか都のかたにみるめとはいふ K151誠にしばしとおもふ旅だにも、わかれはあはれなるぞかし。是は心ならずたちわかれ、都にすておくところ
のさいしもおぼつかなく、すみなれしやどもこひしければ、わかきもおいたるも、うしろへとのみみかへり、先へはすすまざりけり。ひごのかみさだよし、ひだのかみかげいへいげのさぶらひどもをめしあつめて、二位殿は内に、おほいとのはやかたの上にて、なくなくのたまひける事こそ哀れなれ。「せきぜんのよけい家につき、せきあくのよあう身におよぶゆゑに、神にもはなたれ奉り、君にもすてられ奉て、ていとをまどひいで、きやくろにただよへる上は、今は何のたのみかあるべきなれども、いちじゆのかげにやどるもぜんP2604ぜのちぎりなり、いちがのながれをわたるもたしやうのえんなほふかし。いかにいはむやなんぢらは、いつたんしたがひつきのもんかくにもあらず、るいそさうでんのけにん也。あるいはきんしんのよしみ、仕にことなる末もあり。あるいはぢゆうだいのはうおんこれ深き者もあり。かもんはんじやうの昔は、おんじゆん
によつてわたくしをかへりみき。たのしみつきかなしみきたる。いまなんぞしりよをはげましてすくはざらむや。そのうへ、じふぜんていわう、さんじゆのしんぎをおんみにしたがへておわします。てんせうだいじんもわがきみをこそまもり
はぐくみたまふらめ。思へばしゆくうんつよきわれらなり。すみやかにかつせんのちゆうをはげまして、ぎやくとをうちとりて、とくは昔にこえ、名はこうたいにとどめむとおもふこころをひとつにして、ののすゑやまのすゑなりとも、君のおちとどまらせ給わむ所へ送奉るべし。火の中へいり、水の底にしづむとも、今はかぎりのおんありさまにみなしたてまつるべき」よしのたまひければ、三百余人おんまへにつらなりゐたるものども、おいたるもわかきも、皆涙を流し袖をP2605しぼりて申けるは、「心は恩の為につかわれ、いのちは義によつてかろければ、命をばすみやかにさうでんの君にたてまつりて、ふたごころあるべからず。あやしのとりけだものだにも、おんをほうじとくをむくふこころざし浅からずとこそうけたまはれ。いかにまうさむや、人としてとしごろのぢゆうおんをわすれ奉りて、いかでかわがきみをばすて奉るべき。にじふよねん、くわんゐといひほうろくといひ、身をたて名をあぐる事も、さいしを
あはれみらうじゆうを、いちじとして君のごおんにあらずといふことなし。なかんづく、きゆうせんの道にたづさはるならひ、ふたごころをそんするをもつてちやうせいの恥とす。たとひにつぽんごくのほかなるしんらかうらいなりとも、雲のはて海のはてなりとも、をくれたてまつるべからず」と、いくどうおんに申ければ、二位殿も大臣殿も、よろこびにつけても涙にむせびていでたまふ。国々のけにんのもとへめんめんのつかひをつかはされて、もよほしあつめられけり。平家はほうげんの
P2606春の花とさかえしかど、じゆえいの秋のもみぢとなりはてて、花の都をちりぢりに、月とともにぞいでにける。はつでうのほうこ、ろくはらのれんぷとう、ふうぢんをあげ、えんうんほのほをわけり。りようどうげきしゆを海中にうかべて、波の上かうきゆうしづかならず。いそべのつつじのくれなゐは、袖の露よりさくかと疑ひ、五月のこけのしづくは、ふるさとののきのしのぶにあやまたる。月をひたす湖の深きうれひに沈み、霜をおへるあしのはのもろきいのちをかなしむ。すざきにさはぐちどりの声は、あかつきのうらみをそへ、りよはくにかかる
かぢのおと、よはに心をいたましむ。はくろのゑんじゆにむれゐるを見ては、えびすのはたをなびかすかと疑ひ、やがんのれうかいになくをききては、又つはものの船をこぐかとをどろく。せいらんはだへをやぶりて、すいたいこうがん
のよそほひやうやくおとろへ、さうはにまなこをうがちて、くわいどばうきやうの涙おさへがたし。すまあかしは名を得たるめいしよなれば、すい
P2607えきのふね、してんのつきをうがつ。くわんけむかしちんぜいへうつされたまひしとき、いつくのしをえいじてそのこころざしをあらはし、げんじのだいしやうのむまやのをさにくじを待けむまでもおもひやられて、ひとびとかんるいおさへがたし。ばんしうむろのとまりにつきぬれば、いうぢよつづみをならし、秋の水にさをさして、ぎよをうつり
をたれ、ゆふべの湖にうかびぬるも、わすれがたくぞおもはれける。ふうは日をかさね、雲のなみ夜を送り、むろあげ、うしまど、びんごのとも、うきよをいづる心をば、むろつのさきにかけながら、おもひにこがれてゆくふねは、烟戸関にやとどまるらむ。ここをもこぎすぎ、もじがせき、あしやのをき、金が崎、心のやみにまどひながら、きりのまぎれにはせたまふ。けいしやううんかくのてうてきと成て、都をいでたるためしをきくに、卅三 むかしゑみのなかまろといふひとありけり。ぞうだいじやうだいじんむちまろが子に、
P2608かうやのぢよていのおんとき、ごちようしんにて、てんがのまつりごとを心のままにとりおこなひ、世を々とも思わずおごりて、いちぞくしんるいことごとくてうおんに誇れり。みかど御覧ずれば、すぞろにをかしくおぼしめされて、ふたもんじをくはへてゑみのなかまろとなづく。それをあらためて、のちにはおしかつとぞつけにける。たいほう、たいしに至りしかば、ゑみのだいじんとぞ申しし。ひをへ、年をかさぬるにしたがひて、いとどゐおう重くして、人ふゐする事、今の平家のごとし。めでたかりし事也。昔も今も世のをそろしき事は、かはちのくにゆげといふところに、だうきやうほふしといふものめされて、きんちゆうにさうらひけるが、としごろによいりんの法をおこなひけるしるしにやありけむ、みかどのごちようあいはなはだしくして、ゑみのだいじんのけんせい事のかずならず、押しのけられにけり。法師の身にてだいじやうだいじんになさる。はては位をゆづらむとおぼしめして、大納言
P2609わけのきよまろをおんつかひとして、うさのみやへ申させたまひたりけるが、うさのごたくせんにいはく、「さいかいのはてにゐながら
も、こころうき事をきくよ」とて、西のうみたつしらなみのうへにゐてなにすごすらむかりのこの世を K152と、うらみのおんぺんじありて、おんゆるされなかりければ、ちから及ばせ給はで、只ほふわうの位を
さづけられて、ゆげの法皇とぞ申ける。かかりければゑみのだいじん、ゆげの法皇をそねんで、みかどをうらみ奉る余り、てんびやうほうじ八年九
月十八日、こくかをかたぶけたてまつらむとはかる。つみはちぎやくにあたりしかば、さばかりのちようしんなりしかども、くわんとどめられてしざいに行わむとしたまひしかば、大臣つはものをあつめてふせきたたかわむとしけれども、さかのうへのかりたまろをたいしやうぐんとして、くわんびやうおほくせめかかりければ、こらへずして、一門ひきぐして都をいで、
P2610とうごくへおもむきて、きようどをかたらひて、なほてうかをうちとらむとたくみけるを、くわんびやうさえぎりてせたの橋をひきてければ、たかしまへむかひて、しほつ、かいづをすぎて、つるが、なかやまをこえて、ゑちぜんのくにににげくだりて、あひぐしたりけるともがらを、「これはていわうにてわたらせ給ふ。かれはだいじんくぎやう」なむどなのりて、人の心をたむらかしし程に、くわんびやうおひつづきてせめしかば、船にこみ乗てにげけれ
ども、波あらくたちて、既におぼれなむとしければ、船よりおりてたたかひしほどに、大臣こらへずして、おなじき十八日、つひにあふみのくににてうたれにけり。いちぞくしんるい、どうしんかふりよくのともがらのくび、あまた都へもてまゐれり。くぎやうだにも五人くびをきられぬ。しやうこにもかかるあさましきことどもありけるとぞうけたまはる。平家のさかへめでたかりつる有様も、又てうてきとなつて、家々に火かけて都をおちぬ
P2611る事がらも、ゑみの大臣にことならず。「さいこくへおちたまひたりとても、いくひいくつきかあるべき。只今にほろびなむずる物を」とぞ人々まうしあひける。卅四 法皇は、くらまでらより、えぶみ坂、やくわうざか、ささのみねなむどいふ、けはしき山をこえさせ給て、よかはへのぼらせましまして、げだつだにのじやくぢやうばうへぞいらせたまひける。ほんゐんへ移らせ給
べきよしだいしゆまうしければ、とうだふへうつらせたまひて、みなみだにのゑんゆうばうへぞわたらせ給ける。しゆとも武士もいよいよ力つきて、ゑんゆうばうのごしよ近くさうらひけり。あくるひ廿五日、法皇てんだいさんにわたらせ給
事きこへければ、人々われさきにとはせまゐり給へり。せつしやうどの、こんゑどの、さだいじんつねむねのきやう、くでうのだいじんかねざねのきやう、ないだいじんさだいしやうさねさだのきやうよりはじめたてまつりて、大中納言、さんぎ、ひさんぎ、ごゐ、しゐ、てんじやうびと、じやうげのほくめんの
P2612ともがらにいたるまで、世に人とかぞへらるるともがら、一人ももれ
ずまゐられたりければ、ゑんゆうばうのたうしやうたうか、もんないもんぐわい、ひまもなかりけり。誠に山門のはんじやう、もんぜきのめんぼくとぞ見へし。平家はおちぬ、さのみさんじやうにわたらせたまふべきにあらねば、廿八日おんげさん。あふみのくにのげんじにしごりのくわんじやよしひろ、しらはたをさしてせんぢんをつかまつる。さきざきは平家の一族こそ、赤旗赤じるしにてぐぶせられしに、このにじふよねんたえて久しかりし源氏のしらはた、けふはじめてみることこそさらにめづらしけれ。けいしやううんかくせいせいとして、れんげわうゐんのごしよへじゆぎよなりぬ。さるほどにそのひのたつのときばかりに、じふらうくらんどゆきいへ、いがのくによりうぢ、こはたをへて京へいり
ぬ。ひつじのこくにきそのくわんじやよしなか、あふみのくによりひがしざかもとをとほりておなじくいりぬ。又P2613そのほか、かひ、しなの、をはりのげんじども、このりやうにんにあひともなひてじゆらくす。そのせい六万騎に及べり。いりはてしかば、ざいざいしよしよをついふくし、いしやうをはぎとつてくひものをうばひとりければ、らくちゆうのらうぜきなのめならず。卅五 廿九日、いつしかよしなかゆきいへを院の御所へめして、べつたうさゑもんのかみさねいへのきやう、とうのうちゆうべん
かねみつをもつて、さきのないだいじんいげ、平家のいちるいをついたうすべきよし、りやうしやうにめしおほす。りやうにんていしやうにひざまづきてこれをうけたまはる。行家は、かちんのよろひひたたれにくろかはをどしのよろひきて、みぎのかたにさうらひけり。義仲は、あかぢのにしきのひたたれにからあやをどしの鎧着て、ひだりのかたに候。おのおのしゆくしよさうらわざる由まうされけれ
ば、行家はなんでんのかやのごしよをたまはりて、東山をしゆごす。義仲はだいぜんのだいぶのぶなりがろくでうにしのとうゐん
のていをたまはりて、らくちゆうをP2614けいごす。この十余日がさきまでは、平家こそ朝恩に誇て、源氏を追討せよとのゐんぜんせんじこそくだりしに、今は又かやうに源氏朝恩に誇て、平家追討せよとゐんぜん
をくださる。いつのまにひきかへたる世のありさまぞとあはれなり。卅六 しゆしやうはぐわいかのあくとにとられさせ給て、さいかいへおもむかせ給。もつともふびんにおぼしめす。すみやかにかへしいれたてまつるべきよし、へいだいなごんときただのきやうのもとへゐんぜんをくださるといへども、平家これをもちゐねば、ちからおよばずして、しんしゆをたてたてまつるべきよし、ゐんのてんじやうにてくぎやうせんぎあり。「しゆしやうくわんぎよあるべきよし、御心のおよぶほどはおほせられてき。今はとかくごさたに及ぶべからず。ただしびんぎのきみとぎよせず。法皇こそかへりてんじやうせさせおわしまさめ」と申さるるP2615人も有り。「かへりてんじやうの例、はくわうさんじふろくだいのくわうぎよくてんわう、さんじふはちだいのさいめいてんわう、これらは皆ぢよていなり。だんていのかへりてん
じやうはせんれいなし」とぞ申さるる人もあり。「とばのゐんのおとひめみや、はつでうのゐんごそくゐあるべきか」とまうさるる人もあり。女帝は第十五代のじんぐうくわうごうよりはじめたてまつり、すいこ、ぢとう、げんみやう、げん
しやう。法皇おぼしめしわづらわせ給けり。たんごのつぼねないない申けるは、「こたかくらのゐんの宮、にのみやは平家にぐせられたまひをはんぬ。そのほかさんしの宮のたしかに渡らせ給さぶらふ。平家の世には世をつつしませ給てこそは渡らせたまひしかども、今は何かはおんはばかりあるべき」とまうされければ、法皇うれしげにおぼしめして、「もつともそのぎさもありぬべし。おなじくはきちにちにげんざんすべき」よしおほせあつて、やすちかにひなみをおんたづねありければ、「きたる八月五日」とかんがへまうす。「その
P2616ぎなるべし」とて、ことさだまらせたまひにけり。卅七 八月一日、きやうぢゆうのほほしゆごの事、よしなかちゆうしんのけうみやうにまかせて、ことにけいじゆんせしめ、へいかいをしらすべきよし、うゑもんのごんのすけさだながゐんぜんをうけたまはりて、べつたうさねいへのきやうにおほす。ではのはんぐわんみつよし、うゑもんのじようありつな頼政卿孫、じふらうくらんどゆきいへ、たかだのしらうしげいへ、いづみのじらうしげただ、やすだのさぶらうよしさだ、むらかみのたらうのぶくに、あじきのたらうしげずみ、やまもとのさひやうゑのじようよしつね、かふがのにふだうじやうがく、にしなのじらうもりいへとぞしるしまうしける。平家物語第三下  十二巻之内P2617ときにおうえい廿七年かのとのね正月廿日、ねごろでらのべつゐんしゆがくゐんのぢゆうばうにおいて、しよしやせしめをはんぬ。ごんのせうそうづうじゆん
わうじもろいことなし
P2618(花押)