延慶本平家物語 総ひらがな版

平家物語一

(系図)
(章段目録)
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 一 へいけのせんぞのこと 二 とくぢやうじゆゐんくやうのことつけたりだうしさんもんちゆうだうのやくしのこと
 三 ただもりしようでんのことつけたりやみうちのことつけたりただもりしきよのこと 四 きよもりはんじやうのこと
 五 きよもりのしそくたちくわんどなること 六 はちにんのむすめたちのこと
 七 ぎわうぎによのこと 八 しゆしやうしやうくわうおんなかふくわいのことつけたりにだいのきさきにたちたまふこと
 九 しんゐんほうぎよのおんこと 十 えんりやくじとこうぶくじとがくたてろんのこと
十一 とさばうしやうしゆんのこと 十二 さんもんのだいしゆせいすいじへよせてやくこと
十三 けんしゆんもんゐんのわうじとうぐうだちのこと 十四 とうぐうせんそのこと
十五 きんじゆのひとびとへいけをしつとのこと 十六 へいけてんがにはぢみせたてまつること
十七 くらんどのたいふたかのりしゆつけのこと 十八 なりちかのきやうはちまんかもにそうをこむること
十九 しゆしやうごげんぶくのこと 二十 しげもりむねもりさうにならびたまふこと
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廿一 とくだいじどのいつくしまへまうでたまふこと 廿二 なりちかのきやうひとびとかたらひてししのたにによりあふこと
廿三 ごでうのだいなごんくにつなのこと 廿四 もろたかとうかはのほふしとことひきいだすこと
廿五 るすどころよりしらやまへてふじやうをつかはすことおなじくへんてふのこと 廿六 しらやまうかはとうのしゆとしんよをささげてしやうらくのこと
廿七 しらやまのしゆとさんもんへてふじやうをおくること 廿八 しらやまのしんよさんもんにのぼりたまふこと
廿九 もろたかざいくわせらるべきよしひとびとまうさるること 三十 へいせんじをもつてさんもんにつけらるること
丗一 ごにでうのくわんばくどのほろびたまふこと 丗二 たかまつのにようゐんほうぎよのこと
丗三 けんしゆんもんゐんほうぎよのこと 丗四 ろくでうのゐんほうぎよのこと
丗五 へいけこころにまかせてふるまふこと 丗六 さんもんのしゆとだいりへしんよふりたてまつること
丗七 がううんのことつけたりさんわうかうげんのことつけたりしんよぎをんへいりたまふこと 丗八 ほふぢゆうじどのへぎやうがうなること
丗九 ときただのきやうさんもんへしやうけいにたつことつけたりもろたからざいくわせらるること 四十 きやうぢゆうおほくぜうしつすること
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平家物語第一本
一 ぎをんしやうじやのかねのこゑ、しよぎやうむじやうのひびきあり。しやらさうじゆのはなのいろ、じやうしやひつすいのことわりをあらはす。おごれるひともひさしからず、はるのよのゆめなほながし。たけきものもつひにほろびぬ。ひとへにかぜのまへのちりととどまらず。とほくいてうをとぶらへば、しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしうい、たうのろくさん、これらはみなきうしゆせんくわうのまつりごとにもしたがはず、みんかんのうれひ、よのみだれをしらざりしかば、ひさしからずして、ほろびにき。ちかくわがてうをたづぬれば、しようへいのまさかど、てんぎやうにすみとも、かうわのぎしん、へいぢにしんらい、おごるるこころもたけきことも、とりどりにこそありけれども、つひにほろびにき。たとひじんじはいつはるといふとも、てんたういつはりがたきものか。わうれいなるなほかくのごとし、いはんやじんしんのくらゐのものいかでかつつしま
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ざるべき。まぢかく、だいじやうだいじんたひらのきよもりにふだう、ほふみやうじやうかいとまうしけるひとのありさま、つたへうけたまはるこそ、こころもことばもおよばれね。かのせんぞをたづぬれば、くわんむてんわうだいごのわうじ、いつぽんしきぶきやうかづらはらのしんわうくだいのこういん、さぬきのかみまさもりがそん、ぎやうぶきやうただもりのあつそんのちやくなんなり。かのしんわうのみこたかみのわうむくわんむゐにしてうせたまひにけり。そのおんこたかもちのしんわうのおんとき、くわんぺいにねんごぐわつじふににちにはじめてたひらのあつそんのしやうをたまはりて、かづさのすけになりたまひしよりこのかた、たちまちにわうしをいでてじんしんにつらなる。そのこちんじゆふのしやうぐんよしもち、のちにはひたちのだいじようくにかとあらたむ。くにかよりさだもり、これひら、まさよし(まさのり)、まさひら、まさもりにいたるまでろくだい、しよこくのじゆりやうたりといへども、いまだてんじやう
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のせんしやくをゆるされず。
二 ただもりのあつそん、びぜんのかみたりしとき、とばのゐんのごぐわん、とくぢやうじゆゐんをざうしんし、さんじふさんげんのみだうをたて、いつせんいつたいのしやうくわんおんをあんぢしたてまつる。ちゆうぞんぢやうろく。よつててんじようぐわんねんかのとのゐ、さんぐわつじふさんにちきのえたつ、きちにちりやうしんをもつてくやうをとげられをはんぬ。ただもりは、いつしんのくわんしやうには、びぜんのくにをたまはる。そのほか、かぢ、ばんしやう、そまし、そうじて、けつえんけいえいのにんぶまでも、ほどほどにしたがひて、けんじやうをかうぶること、しんじつのごぜんこんとおぼえたり。ごだうしには、てんだいのざすと、おんさだめあり。しかるに、いかなることにかおはしけむ、ざす、さいさんじしまうさせたまふあひだ、「さては、たれにてかあるべき」とおほせあり。そのときところどころのめいそう、てらでらの
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べつたう、のぞみまうすところ、じふさんにんなり。じやうどじのそうじやうじついん、おなじくべつたうだうちゆうそうづ、こうぶくじのだいしんほふげんじつしん、どうじだいなごんのほふいんじやううん、おむろのでし、いうはんしやうにん、をんじやうじのごんのだいそうづりやうゑん、おなじくちかくそうじやう、とうだいじのだいなごんのほふいんりうばん、くわさんのそうじやうかくうん、みのをのほふげんれんじやう、ひやうぶきやうのそうづいうぜん、うぢのそうじやうくわんしん、さくらゐのみやのしやうにんゑんめういじやうじふさんにん。このちとくたちは、みなほふわうのごぐわいせき、あるいはほふわうのおんしとく、あるいはほふわうのおんきたうじよのまんとくなり。みなこうしやうをもつて、つとめらるるひとびとなり。まことにしゆしやうかうきにして、ちえめいれうなり。じやうぎやうぢりつにして、せつぽふにふるなのあとをつたへ、「われこそてんがいちのめいそうよ。われこそにつぽんぶさうのしやうだうよ」と、おのおのけうまんのはたほこ
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をたてて、のぞみまうさせたまふもことわりなり。「げにも、てんだいのざすのほかは、このひとびとこそ、きりやうよ」と、ほふわうもごぢやうあり。されば、おぼしめしわづらひてぞ、わたらせたまひける。まいにちに、くぎやうせんぎありけれども、さしてたれともさだまらず。さらばくじにとるべしとて、かのぜんりよらをみなとくぢやうじゆゐんにめされたり。ゆゆしきみものにてぞありける。さてくじのしだいは、じふさんのうちに、じふには「おんだうしたるべし」とかきて、よのじふには、ものもかかず、しらくじなり。ほふわうのおほせに、「まろがげんたうにせのだいじ、ただこのぶつじにあり。もしまことのどうしたるべききりやうのひと、このじふさんにんのほかにてなほやあるらん。みやうのせうらんしりがたし。さればいまひとつをくはへて、じふしのくじに、なすべし」とうんうん。よつてごぢやうに
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まかせて、じふしにして、じふさんにんよりて、めんめんにとりたまふに、みなくじをとりて、「おんだうしたるべし」といふくじはのこりたり。「みやうのせうらん、まことにやうあるべし」とおほせあり。じふさんにんのちとく、おのおのたからのやまにいりて、てをむなしくして、かへりたまへり。そののちほふわう、「このひとびとのほかに、たれあるべしともおぼえず。ただねがはくはかならずしもちしやにあらず、のうぜつにあらずとも、しゆしやうげれつなりとも、こころにじひありて、みにぎやうとくいみじく、てんがいちばんにまずしからむそうを、だうしにもちゐばやとおもふは、いかに」とおほせあり。くぎやういまだおんぺんじまうされざるところに、みのかさきたるものの、もんぜんにのぞみたり。あやしくごらんずるところに、みのかさをば、からゐしきにさしおき、くろきころもけさかけたるそうひとり、らうらうとして、
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ほふわうのおんまへにまゐりて、「まことにてさうらふやらん。とくぢやうじゆゐんくやうのおんだうしには、むちげせんなりとも、こころにじひありて、みにとくぎやうあらんひんそうを、めさるべしとうけたまはる。ぐそうこそ、じひとぎやうとくとはかけてさうらへども、びんぐうのことは、につぽんいちにてさうらへ。しんじつのおんことにてさうらはば、まゐるべくやさうらふらむ」。そのときくぎやうてんじやうびと、「さこそおほせあらんからに、わそうやうのものをば、いかでかめさるべき。ふしぎなり。みぐるしし。とくとくまかりいでよ」といふ。ほふわうのおほせに、「いかなるところにあるそうぞ」とおんたづねあり。そうまうしけるは、「たうじは、さかもとのぢしゆごんげんのおほゆかのしたに、ときどきにはくさむしりてさうらふ」とまうす。ほふわう、「さては、まめやかに、むえんひんだうのそうにこそあむなれ。ふびん
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なり。おんだうしにさだめおぼしめすところなり。きたるじふさんにちのむまのときいぜんに、かのみだうにまゐるべし」と、ごぢやうあり。そうなみだをはらはらとこぼして、てをあはせて、ほふわうををがみまゐらせて、みのかさとりてうちきて、まかりかへりけり。そのときほふわう、ひとをめされて、「あのそうのぢゆうしよみてまゐるべし。いかなるありさましたるそうぞ。よくよくみよ」とてつかはす。おんつかひみがくれにゆくほどに、げにぢしゆごんげんのおほゆかのしたにいりぬ。きよしよのありさま、あまがはひきめぐらして、ゑざうのみだのさんぞんかけて、ほとけのまへのつくへに、せうかうさんげのにほひ、かをりたり。さてはなにごともなし。ただしつくえのしたに、かみにひねりたるものあり。それをとりてちやはいにちといれて、あかおけなるみづにすすぎて、ぶくしけり。さてそののち、ひとりごとにまうし
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けるは、「とかくして、まうけたりし、まつのはもはやとぼしくなりぬ。なにをもてか、ろめいをもささふべき。あはれ、はやおんぶつじのひになれかし。さてもめでたき、ほふわうのごぜんごんのきよさかな。なむさんわうだいし、しちしやごんげん、じひなふじゆをたれて、しやうじやうのごぜんごん、しゆぎやうしたまへるほふわうを、しゆごしまゐらせたまへ」とて、ねんじゆしてはべり。おんつかひかへりまゐりて、このよしをそうもんす。ほふわうおほきにかんじおぼしめすところなり。すでにごくやうのひ、かのおほゆかのしたのひじりのもとへ、よはうごしをむかへにつかはさる。ひじりまうしけるは、「こしぐるまにのるべき、おんだうしをめさるべきならば、のぞみまうすところの、じふよにんのかうゐのそうをこそめされさうらふべけれ。しかるにいまは、わざとむえんひんだうの
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そうをくやうぜさせたまふ。しやうじやうのごぜんごんなり。いかでかいうめいむじつのこけのさうをば、げんじさうらふべきや」とて、よはうごしをかへしまゐらせをはんぬ。きちにちは、じふさんにち、りやうしんはむまのときなり。いぜんにごかうもなり、ぎやうがうもなりぬ。にようばうなんばうすべてうんしやうのひとびと、みなまゐりたまへり。いかにいはむや、とひ、ゑんきん、きせん、じやうげのしよにん、いくせんまんといふことをしらず。まゐりあつまり、くだんのおんだうしもすでにのぞみたまへり。ありしみのかさをこそ、けふはきたまはねども、ころもけさは、ただそのときのままなり。らうらうとしてこしすこしかがまりたまへり。じゆうぞうとおぼしくて、わかきそうふたりあり。おんふせもたせむとおぼしくて、げそうじふににんていしやうにあり。まことにわうじやくたるすがた、しよにんみなめを
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おどろかしてぞはべりける。だうしすでにかうざにのぼりたまへば、ひざふるひわななきて、ほふそくのしだいもぜんごふかくにみえたり。しばらくありて、くわんじやうのくを、はたとうちあげたまひたりければ、さんじふさんげんをひびきめぐり、いつせんいつたいのおんほとけも、なふじゆをたれたまふらむとぞ、めでたかりける。へうびやくまことにたまをはき、せつぽふいよいよふるなのべんぜつあり。ちやうもんしゆゑのばんにん、ずいきのなみだをながして、むしのざいしやうをすすぎ、けんもんかくちのだうぞくは、くわんぎのそでをかきあはせて、そくしんのぼだいをさとる。むかししゆだつちやうじやがしじふくゐんのぎをんしやうじやをたてて、しやかぜんぜいのごくやうありけんも、りやくけちえんのみぎり、これにはすぎじとめでたし。ごせちぽふながくして、みときばかりあり
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けるを、ほふわうはせつなのほどとぞおぼしめされける。すでにゑかうのかねならして、かうざよりおりて、しやうめんのひだりのはしらのもとにゐたまへり。はじめにはすみぞめのけさころもは、いまはにしきのほふぶくよりもたつとくぞみえける。おんふせせんごくせんぐわん、こがねせんりやう、そのうへにおんかぶせ、みだうのまへにやまのうごきいでたるがごとし。たむらのみかどのおんとき、たかきみことまうすにようご、かくれさせたまひて、あんしやうじにてみわざしたまひけるに、だうのまへにささげものおほくしてやまのごとし。それをざいちゆうじやうよみたりける。
やまのみなうつりてけふにあふことははるのわかれをとふとなるべし K001
ぜんごんのこころざしのふかきには、おんふせのいろにあらはれたり。つきのわにしやまに
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かくれて、やいんにおよびければ、みだうのまへにまんどうゑをともされたり。おんだうしすでにかへりたまひけるに、ちやうもんのしゆう、にはにおほくして、いでさせたまふべきやうもなかりければ、みだうのしやうめんよりこくうをとびあがりて、そうもんのうへにしばらくおはしましけり。ににんのじゆうぞうは、につくわうぐわつくわう、ひかりをかかやかし、じふににんのげそうは、やくしのじふにじんじやうなり。おんだうしはぢしゆごんげんのほんぢ、えいさんちゆうだうのいわうぜんぜいにてぞましましける。よすでにまつだいたりといへども、ぐわんしゆのしんじんしやうじやうなれば、ぶつじんのゐくわうなほもつてげんぢゆうなり。ほふわうのおんこころのうちさこそうれしくおぼしめしけめ。しやうむてんわうのごぐわん、とうだいじくやうのおんだうしは、
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ぎやうきぼさつとおんさだめありけるに、ぎやうきかたくじしまうさせたまひけるやうは、「ごぐわんのだいぶつじなり。せうこくのびくさうおうせず。りやうぜんじやうどのどうもんしゆ、ばらもんそんじやとまうすだいらかん、いまにてんじくにあり。むかへにつかはすべし」とて、ほうびやうにはなをたて、あかをしきにすゑて、なにはのうみにおきたまひければ、かぜもふかざるに、あかをしきながれて、にしをさしてゆく。なぬかをへてのち、くやうのひ、かのばらもんそんじや、あかをしきにのりて、なにはのつにきたりて、だいぶつでんをばくやうじたまひにき。それをこそきたいのふしぎとうけたまはるに、これはなほすぐれたり。さてかのばらもんそんじや、なんてんじくよりなにはのうらにたうらい
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のとき、ぎやうきぼさつたいめんしてのたまはく。
りやうぜんのしやかのみまへにちぎりてししんによくちせずあひみつるかな K002
ばらもんそんじやのへんじ。
かびらゑのこけのむしろにゆきあひしもんじゆのみかほまたぞはいする K003
さてばらもんそんじやはどくし、ぎやうきぼさつはかうじにて、だいぶつでんをばくやうありき。そのとき、「ばらもんをばそうじやうになして、とうだいじのちやうらうしたまへ」とせんじなりけれども、ふじつにてんぢくにかへりたまひにき。ぎやうきぼさつははちじふにて、てんぴやうしようほうぐわんねんにぐわつににふめつしたまひき。かのうたのこころにて、ばらもんそうじやうはふげん、ぎやうきぼさつはもんじゆなり。ふげんもんじゆとうのにぼさつ、だいぶつでんをばくやうじたまへり。いま
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このとくぢやうじゆゐんをば、ちゆうだうのやくしによらい、につくわうぐわつくわうとうのにぼさつをじゆぞうとし、じふにじんじやうらをけんぞくとしてごくやうあり。はるかにむかしのせいせきよりもたうがらんのかうげんはすぐれたまへりと、ばんにんみなほめたてまつるところなり。
三 とばのぜんぢやうほふわう、えいかんにたへさせおはしまさず、ただもりにたぢまのくにをたまはるうへ、としさんじふしちにてうちのしようでんをゆるさる。しようでんはこれしやうがいのえらびなり。たとへゐんのしようでんすらしかなり。いかにいはんやうちのしようでんにおいてをや。くものうへびといきどほりそねんで、おなじきとしじふいちぐわつごせち、にじふさんにち、とよのあかりのせちゑのよ、やみうちにせむとぎす。ただもりのあつそん、このことをほのかにききて、「われいうひつのみにあらず、ぶようのいへにむまれ
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て、いまこのはぢにあはむこと、いへのため、みのためこころうかるべし。せんずるところ、みをまつたうしてきみにつかへよといふほんもんあり」とのたまひて、ないないよういありけり。ただもりのあつそんのらうどう、もとはただもりのいちもんなりけるが、のちにはちちさぬきのかみまさもりがときよりらうどうしよくにふす、しんのさぶらうだいふたひらのすゑふさがこに、さひやうゑのじよういへさだといふものあり。びぜんのかみのもとにまゐりてまうしけるは、「ちちすゑふさ、おそれながらごいちもんのすゑにてさうらひけるが、こにふだうどののおんとき、はじめてらうどうしよくのふるまひをつかまつりさうらひけり。いへさだちちにまさるべきみにてさうらはねども、あひつぎてほうこうつかまつりさうらふ。ことしのごせちのごしゆつしには、いちぢやうひがこといできたりさうらふべきよし、ほぼうけたまはるむねのさうらふ。てんちゆうにわれもわれもとおもふひとどもあまたさうらふらめ
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ども、かやうのおんせのをりふしにあひまいらせむとおもふものは、さすがすくなくこそさうらふらめなれば、ごせちのしゆつしのおんともをば、いへさだつかまつるべし」とないないまうせば、ただもりこれをききて、しかるべしとてめしぐせられたり。いつしやくさんずんあるくろさやまきのかたなをよういして、ちやくざのはじめよりらんぶのをはりまで、そくたいのしたに、しどけなきやうにさして、かたなのつかをしごすんばかりさしいだして、つねはてうちかけて、つくりまなこして、ゐられたり。はうばいのうんかくこれをみて、きようくわうのこころあるならば、やみうちはせざらましのはかりことなり。いへさだもとよりさるものにて、ただもりにめをかけて、とくさのかりぎぬのしたに、もえぎのいとをどしのはらまき、むないたせめて、たちわきにはさみて、てんじやう
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のこにはにさうらふ。おなじきおとと、さつまのへいろくいへながとて、としじふしちになりけるが、たけたかく、ほねぶとにて、ちからおぼへとりて、たびたびはがねあらはしたるものありけり。まつかはのかりぎぬのしたに、むらさきいとをどしのはらまききて、びぜんづくりのさんじやくごすんありける、わりざやのたちかいはさみて、かりぎぬのしたより、てをいだして、いぬゐについひざまづきて、てんじやうのかたを、くもすきにみすかして、ゐたりければ、くわんじゆいげ、てんじやうびとあやしみて、くらんどをめして、「うつほばしらよりうちに、ほういのもののさうらふ、なにものぞ。らうぜきなり。まかりいでよ」と、いはせければ、いへさだすこしもさわがず、「さうでんのしゆう、ぎやうぶのきやうのとの、こんややみうちにせらるべきよしうけたまはりさうらへば、ならむやうみさうらはむとて、
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かくてさぶらふ。えこそまかりいづまじけれ」とて、かしこまりてさぶらひける。つらだましひ、ことがら、しゆうことにあはば、こにはより、でんじやうまで、きりのぼりつべき、けしきなりければ、ひとびとよしなしとやおもはれけむ、そのよのやみうちせざりけり。そのうへ、ただもりのあつそん、だいのかたなをぬきて、ひのほのぐらかりけるところにて、びんぱつにひきあててのごはれけり。よそめには、こほりなどのやうにぞみえける。かれといひ、これといひ、あたりをはらひてみえければ、よしなくぞおもはれける。さてごぜんにめしありて、ただもりのあつそんまゐられけるに、ごせちのはやしとまうすは、「しろうすやうの、こぜむじのかみ、まきあげふで、ともゑかきたるふでのぢく」とこそはやすに、これはひやうしをかへて、「いせへいじはすがめなりけり」とはやしたり。ただもり
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ひだりのめのすがみたりければ、かくはやしたり。くわんむてんわうのばつえふとまうしながら、なかごろよりはうちさがつて、くわんどもあさく、ぢげにのみして、みやこのすまひ、うとうとしく、つねはいせのくににぢゆうして、ひさしくひととなりければ、このいちもんをば、いせへいじとまうしならはしたるに、かのくにのうつはものにたいして、「いせへいじは、すがめなりけり」と、はやしたりけるとかや。ただもりすべきやうなくて、さてやみぬ。
そもそもごせちとまうすは、きよみばらのてんわうのおんとき、もろこしのみかどより、こんろんさんのたまをいつつまゐらせさせたまへり。そのたま、やみをてらすなり。いちぎよくのひかりごじふりやうのくるまにいたる。これをとよのあかりとなづけたり。ごひさうのたまにて、ひとこれをみることなし。そのころまた、もろこしのしやうざんより、せんぢよごにんきたりて、
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きよみばらのにはにて、くわいせつのたもとをひるがへすこと、いつたびあり。ただしあんてんにして、そのかたちみえざりしかば、かのいつつのたまをいだして、くわいせつのかたちをごらんじき。たまのひかりあきらかにして、ひるよりもなほあかし。しかるにごにんのせんにんのまふこと、おのおのいせつなり。ゆゑにこれをごせちとなづけたり。そのときよりかのせんにんのまひのてをうつして、くものうへびとまひけり。そのときのひやうしには、「しろうすやう、こぜむじのかみ、まきあげふで」とはやしけり。そのゆゑは、かのせんにんのころもの、うすくうつくしきことさま、しろうすやう、こぜむじのかみに、あひにたり。まひのそでをひるがへし、かんざしよりかみさまに、まきあげたるかたちににたりければ、「まきあげのふで」とははやしき。さればまひびとのかたちありさまを、はやすべきことにてぞありける。しかるに「すがめ
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なりけり」とはやされて、ぎよいうもいまだはてぬに、しんかうにおよびてまかりいでられけるに、「いかに、なにごとかさうらひつる」とまうせば、めんぼくなきことなれば、「なにごともなし」とて、いでられにけり。さてただもりいでたまひけるとき、こしのかたなをば、とのもりづかさにあづけてだいばんのうへにおかれてけり。ごにちにくぎやうてんじやうびと、これをまうされけるは、「ばうじやくぶじんのてい、かへすがへすいはれなし。さこそぢゆうだいのゆみとりならむからに、かやうのうんしやうのまじはりに、てんじやうびとたるものの、こしのかたなをさしあらはすこと、せんれいなし。それゆうけんをたいしてくえんにれつし、ひやうぢやうをたまはりてきゆうちゆうをしゆつにふするは、みなきやくしきのれいをまもり、りんめいよしあるせんぎなり。しかるをただもりのあつそんにおよびて、あるいはさうでんのらうどうとかうして、ほういのつはものをてんじやうのこにはにめしおき、そのみこしのかたなをよこだへさして、せちゑのざにれつす。りやうでう
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ともにきたいいまだきかざるらうぜきなり。ことすでにちようでふせり。ざいくわもつとものがれがたし。はやくみふだをけづりて、げくわんちやうじせらるべき」よし、おのおのいちどうにうつたへまうさる。しやうくわうおどろきおぼしめされて、ただもりをめしておんたづねあり。ちんじまうしけるは、「まづらうじゆうこにはにしこうのこと、ただもりこれをぞんぢせず。ただしきんじつひとびとあひたくまるるしさいあるかのあひだ、ねんらいのけにん、このことをつたへうけたまはるかによつて、そのはぢをたすけむために、ただもりにしられずして,ひそかにこにはにさんこうのでう、ちからおよばざるしだいなり。このうへなほそのとがをのがれがたくは、そのみをめししんずべくさうらふや。つぎにこしのかたなのこと、くだんのかたなとのもりづかさにあづけてさうらふ。いそぎめしいだされて、かたなのじつぷにつきて、とがのさうあるべきか」とまうされければ、しゆしやう、もつともしかるべしとおぼしめされて、かのかたなをめしいだして
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「てんじやうびとぬけ」とおほせくださる。えいらんをふるに、うへはさやまきのくろぬりなりけるが、なかはきがたなにぎんぱくをおしたりけり。しゆしやうすこぶるえつぼにいらせたまひて、おほせのありけるは、「たうざのちじよくをのがれむがために、かたなをたいするよしをかまふといへども、ごにちのそしようをぞんぢして、きがたなをたいしたるよういのほどこそしんべうなれ。きゆうせんにたづさはらむもののはかりことは、もつともかくこそあらまほしけれ。かねてはまたらうじゆう、しゆうのはぢをすすがむとおもふによつて、ひそかにさんこうのでう、かつうはぶしのらうじゆうのならひなり。まつたくただもりがとがにあらず」とて、かへつてえいかんにあづかりけるうへは、あへてざいくわのさたにおよばざりければ、おのおのいきどほりふかくてやみにけり。ちゆうなごんださいのごんのそつすゑなかのきやうはいろのくろかりければ、こくそつとぞ
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まうしける。むかしくらんどのとうたりしとき、それもごせちに、「あなくろくろ、くろいとうかな。いかなるひとのうるしぬりけむ」とはやしたりければ、かのすゑなかにならびたりけるくらんどのとう、いろのしろかりければ、すゑなかのかたうどとおぼしきてんじやうびと、「あなしろじろ、しろいとうかな。いかなるひとのはくをぬりけむ」とはやしたりけり。くわざんのゐんのにふだうだいじやうだいじんただまさ、じつさいとまうしけるとき、ちちちゆうなごんにおくれたまひて、みなしごにしておはしけるを、なかのみかどのちゆうなごんかせいのきやう、はりまのかみたりしとき、むこにとつて、はなやかにもてなされけるに、これもごせちに、「はりまよねはとくさか、むくのはか、ひとのきらをみがきつくるは」とはやしたりけり。「よあがりてはかかることにもさせることもいできたらざりけり。まつだいは
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いかがあらんずらむ、ひとのこころおぼつかなし。ただもりのきやうしそくあまたおはしき。ちやくしきよもり、じなんつねもり、さんなんのりもり、しなんいへもり、ごなんよりもり、ろくなんただふさ、しちなんただのり、いじやうしちにんなり。みなしよゑのすけをへて、てんじやうのまじはり、ひときらふにおよばず。につぽんにはなんししちにんあるひとをちやうじやとまうすことなれば、ひとうらやみけり。これもただことにあらず、とくぢやうじゆゐんのごりしやうのあまりとぞおぼゆる。
ただしいのちはかぎりありけるならひなれば、にんぺいさんねんしやうぐわつじふごにち、しやうねんごじふはちにてただもりのあつそんほくばうす。としいまだろくじふにみたざるに、さかりとこそみえたまひしに、はるのかすみときえにけり。さしたるやまひもおはせず、しやうぐわつじふごにちはまいねんにしやうじんけつさいしたまひければ、ことしもまたしんじんをきよめもくよくして、
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ほんぞんのおんまへにかうをたきはなをくんじたまひけるが、にしにむかひてねぶるがごとくしてひきいりたまひにき。こんじやうはいつせんいつたいのほとけのりやくをかうぶりて、いつてんしかいにえいぐわをひらき、しゆうえんのくれにはさんぞんのらいかうにあづかりて、くほんれんだいにわうじやうす。によしごにんなんししちにん、おのおのなみだをながしてをしみたまひき。なんによじふににんのはらから、みなとりどりにさいはひたまひき。おとひめぎみばかりぞことしはここのつになりたまひければ、ははにつきて、むなしきやどにひとりおはしける。ちちのこひしきときは、うゑおきたまひしつぼのうちのさくらのもとにたちより、なくよりほかのことなし。あけぬくれぬとすぎゆくほどに、しやうぐわつもすぎ、にぐわつやよひのころにもなりければ、つぼのうちのさくらうるはしくさきたり。ひめぎみこれをみたまひて、
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みるからにたもとぞぬるるさくらばなひとりさきだつちちやこひしき K004
四 きよもりちやくなんたりしかば、そのあとをつぐ。ほうげんぐわんねん、さだいじんよをみだりたまひしとき、あきのかみとてみかたにてくんこうありしかば、はりまのかみにうつつて、おなじきとしのふゆだざいのだいにになりにき。へいぢぐわんねんうゑもんのかみむほんのとき、またみかたにてきようどをうちたひらげしによつて、くんこうひとつにあらず、おんしやうこれおもかるべしとて、つぎのとしじやうざんみにじよす。これをだにもゆゆしきことにおもひしに、そののちのしようじん、りようのくもにのぼるよりもすみやかなり。うちつづき、さいしやう、ゑふのかみ、けんびゐしのべつたう、ちゆうなごんになりて、しようじやうのくらゐにいたり、さうをへず、ないだいじんよりだいじやうだいじんにあがる。ひやうぢやうをたまはつてだいしやうにあらねども、ずいじん
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をめしぐして、ぎつしやれんじやのせんじをかうぶつて、のりながらきゆうちゆうをいでいる。ひとへにしつせいのじんのごとし。さればしきのぐわつりやうのもんをひきおはして、くわんぺいのほふわうのごゆいかいにも、「だいじやうだいじんはいちじんにしはんとして、しかいにぎけいせり。くにををさめみちをろんじ、いんやうをやはらげ、そのひとなくは、すなはちかけよ」といへり。これをそくけつのくわんとなづけて、そのひとにあらずはけがすべきくわんにてはなけれども、いつてんたなごころのうちにあるうへは、しさいにおよばず。しやうこくのかくはんじやうすること、ひとへにくまのごんげんのごりしやうなり。そのゆゑは、きよもりそのかみゆぎゑのすけたりしとき、いせぢより、くまのへまゐりけるに、のりたるふねのなかへめおどろかすほどのおほきなるすずきとびいつたりけるを、せんだちこれをみておどろきあやしみて、すなはちかむなぎふみをしてみるに、「これはためし
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なきほどのおんよろこびなり。これはごんげんのごりしやうなり。いそぎやしなひたまふべし」とかんがへまうしければ、きよもりのたまひけるは、「もろこしのしうのせいはくしやうといひけるひとのふねにこそ、はくぎよをどりいつたりけるとはつたへきけ。このこといかがあるべかるらむ。さりながらせんだつはからひまうさるるうへは、なかばごんげんのしめしたまふなり。もつともきちじにてぞあるらむ」とのたまひて、さばかりじつかいをたもち、ろくじやうこんをさんげし、しやうじんけつさいしたるみちにて、かのうををてうびして、いへのこらうどう、てぶり、がうりきにいたるまで、ひとりももらさずやしなひけり。またとしさんじふしちのとき、にぐわつじふさんにちのやはんばかりに「くちあけくちあけ」と、てんにものいふよしゆめにみて、おどろきて、うつつにおそろしながらくちをあけば、「これこそぶしのせいといふものよ。ぶしのたいしやうをするものは、てんよりせいをさづくる」とて、とりの
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このやうなるもののきはめてつめたきを、みつのどへいるとみて、こころもたけくおごりはじめけり。さればくまのよりげかうののち、うちつづきよろこびのみありて、そしりはひとつもなかりけり。ほうげんにことありて、だいこくたまはりてだいにになり、へいぢにくまのまうでしたまひたりけるみちにこといできたりて、さんけいをとげず、みちよりげかうして、かつせんをいたし、そのこうによつて、おやこきやうだいだいこくをかね、けんぐわんけんじよくににんじけるうへ、さんぼんのかいぎふにいたるまで、くだいのせんじようをぞこえられける。これをだにゆゆしきこととおもひしに、しそんのしようじんは、りようのくもにのぼるよりもなほすみやかなり。かかりしほどにきよもり、にんあんさんねんじふいちぐわつじふいちにち、としごじふいちにしてやまひにをかされて、ぞんめいのため、たちまちにしゆつけにふだうす。ほふみやうじやうれんとまうしけるが、ほど
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なくかいみやうしてじやうかいといふ。しゆつけのくどくはばくたいなるによつて、しゆくびやうたちどころにいえててんめいをまつたくす。ひとのしたがひつくこと、ふくかぜのくさきをなびかすがごとし。よのあまねくあふげることは、ふるあめのこくどをうるほすにことならず。ろくはらどののいつけのきんだちといひてければ、くわそくもえいゆうも、おもてをむかへかたをならぶるひとなかりけり。さればにや、へいだいなごんときただのきやうまうされけるは、「このいちもんにあらざるものは、をとこもをんなもほふしもあまもにんぴにんたるべし」とぞまうされける。さればいかなるひとも、あひかまへてそのゆかりにむすぼほれんとぞしける。えもんのかきやう、えぼしのためやうよりはじめて、なにごともろくはらやうとて、いつてんしかいのひとみなこれをまなびけり。いかなるけんわうせいしゆのおんまつりごとも、せつしやうくわんぱく
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のせいばいをも、ひとのきかぬところにては、なにとなく、よにあまされたるいたづらものの、かたぶけまうすことはつねのならひなり。しかるに、このにふだうのよざかりのあひだは、ひとのきかぬところなれども、いささかもいるがせにまうすものなし。そのゆゑはにふだうのはかりことにて、わがいちもんのうへをそしりいふものをきかんとて、じふしご、もしはじふしちはちばかりなるわらはべの、かみをくびのまはりにきりまはして、ひたたれこばかまきせて、にさんびやくにんめしつかひければ、きやうぢゆうにじゆうまんして、おのづからろくはらどののうへをあしざまにもまうすものあれば、これらがききいだして、ふくけのとがをもとめてゆきむかひて、そくじにほろぼす。おそろしなどまうすもおろかなり。さればめにみ、こころにしるといへども、ことばにあらはれてものいふものなし。じやうげをぢをののきて、みちをすぐるむま、くるまも、よぎ
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てぞとほりける。「きんもんをしゆつにふすといへども、しやうみやうをとはず。けいしのちやうり、これがためにめをそばむ」とぞみえたりける。ただことにはあらずとぞみえし。
そのころあるひとのまうしけるは、「そもそもこのかぶろわらはこそこころえね。たとひきやうぢゆうのみみぎきのためにめしつかはるといふとも、ただふつうのわらはにてもあれかし。なんぞかならずしもかぶろをそろふる。これらがなかにいちにんもかけぬれば、いれたてて、さんびやくにんをきはとするもふしんなり。いかやうにもしさいあるらん」といひければ、あるじゆしやのいはく、「つたへきく、いこくにかかるためしありけり。かんのみかどのみよにわうまうだいじんといふ、けんさいしゆしようのしんかありけり。くにのくらゐをむさぼらむがために、はかりことをめぐらすやうは、かいへんにいでて、かめをいくせんまんといふかずをしらずとりあつめて、そのかめのこふのうへに、「しよう」といふじをかきて、うらうら
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にはなちぬ。またあかがねのうまとひととをつくりて、たけのよをとほしてこれをいる。きんごくのたけのはやしに、おほくこれをこめられけり。しかるのちくわいにんななつきのをんなをさんびやくにんめしあつめて、しゆしやをせんじて、まんやくといふくすりをあはせて、これをのます。つきまんじてうめるこ、いろあかくしてひとへにおにのごとし。かのわらはをひとにしらせずして、みやまにこめて、これをそだつ。やうやうせいぢやうするほどに、うたをつくりてならはしむ。『かめのこふのうへにはしようといふもじあり。たけのはやしのなかにはあかがねのじんばあり。わうまうてんがをたもつべきしるしなり』と。かくしてじふしごばかりのとき、かみをかたのまはりにきりまはしてみやこへいだすに、これらひやうしをうちて、さんびやくにんどうおんにこのうたをうたふ。このけしきふつうならざるあひだ、ひとあやしみてみかどにそうもんす。すなはちかのわらはをなんていにめさる。さきのごとくにひやうしをうちて、
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このうたをうたひ、ていしやうにまゐりのぞみければ、すこぶるえいりよにいぶからずといふことなし。すなはちくぎやうせんぎありて、うたのじつぶをたださむがために、うらうらのあまにおほせてかめをめす。そのなかにこふのうへに「しよう」のじかきけるかめあまたあり。またきんりんのたけのはやしをもとむるに、そのなかにあかがねのじんばおほくとりいだせり。みかどこのことをおどろきおぼしめして、いそぎおんくらゐをさり、わうまうにさづけられにけり。てんがをたもちてじふはちねんとぞうけたまはる。さればにふだうもこのことをへうして、さんびやくにんめしつかはるるにこそ。くらゐをもこころにかけてやおはすらん。しりがたし」とぞまうしける。
五 にふだうわがみのえいぐわをきはむるのみにあらず、ちやくししげもり、ないだいじんのさだいしやう、じなんむねもり、ちゆうなごんのうだいしやう、さんなんとももり、さんみのちゆうじやう、
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しなんしげひら、くらんどのとう、ちやくそんこれもり、しゐのせうしやう、しやていよりもり、じやうにゐのだいなごん、おなじくのりもり、ちゆうなごん、いちもんのくぎやうじふよにん、てんじやうびとさんじふよにん、しよこくのじゆりやう、しよゑふ、さいえう、しよし、つがふはちじふよにん、よにはまたひともなくぞみえける。ならのみかどのおんとき、じんきごねんつちのえのたつ、ちゆうゑのだいしやうをはじめておかれたりしが、だいどうしねんちゆうゑをあらためて、こんゑのだいしやうをさだめおかれてよりこのかた、さうにきやうだいあひならぶこと、わづかにさんがどなり。はじめはへいぜいてんわうのぎよう、ひだりにうちまろ、ないだいじんのさだいしやう、たむらまろ、だいなごんのうだいしやう。つぎにもんどくてんわうのぎよう、さいかうにねんはちぐわつにじふはちにち、かんゐんのぞうだいじやうだいじんふゆつぎのじなんそめどの、くわんばくだいじやうだいじんよしふさちゆうじんこう、ないだいじんのさだいしやうにごにんありて、おなじきくぐわつ
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にじふごにち、ごなんにしさんでうのさだいしやうよしあふこう、だいなごんのうだいしやう。つぎに、しゆしやくゐんのぎよう、てんぎやうはちねんじふいちぐわつにじふごにち、こいちでうのくわんばくだいじやうだいじんていじんこうのちやくなん、をののみやのくわんばくさねよりせいしんこう、ないだいじんのさだいしやうにごにんあり、じなんくでうのうだいじんもろすけこう、くわんばくだいなごんのうだいしやう。つぎにれんぜいのゐんのぎよう、ひだりによりみち、うぢどの、みぎによりむね、ほりかはどの、ともにみだうのくわんぱくみちながこうのきんだちなり。ちかくはにでうのゐんのぎよう、えいりやくぐわんねんくぐわつよつかのひ、ほつしやうじどのかんばくだいじやうだいじんただみちこうのごそく、ひだりにまつどのもとふさこう、みぎにつきのわどのくわんばくだいじやうだいじんかねざねこう、おなじきじふぐわつみぎにならびおはす。そのときのらくしよかとよ。いよさぬきさうのだいしやうとりこめてよくのかたにはいちのひとかな K005
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これみなせふろくのしんのごしそくなり。はんじんにおいてはいまだそのれいなし。じやうだいはかうこそ、こんゑのだいしやうをばをしみおはしましと、いちのひとのきんだちばかりなりたまひしか。これはてんじやうのまじはりをだにきらはれしひとのしそんの、きんじき、ざつぱうをゆりて、りようらきんしうをみにまとひ、だいじんのだいしやうになりあがりてきやうだいさうにあひならぶこと、まつだいといへども、ふしぎなりしことどもなり。
六 おんむすめたちはちにんおはしましき。それもとりどりにさいはひたまへり。いちはさくらまちのちゆうなごんしげのりのきやうのきたのかたとなづけられて、はつさいなるおはせしが、へいぢのみだれいできて、とげずしてやみぬ。のちにはくわざんのゐんのさだいじんのみだいばんどころになりたまひて、おんこあまたおはしまして、よろづひきかへてめでたかり
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けり。そのころいかなるものかしたりけむ、くわさんのゐんのよつあしのとびらにかきたりけるは。
はなのやまたかきこずゑとききしかどあまのこどもがふるめひろふは K006
このしげのりのきやうをさくらまちのちゆうなごんといひけることは、このひとこころすきたまへるひとにて、ひがしやまのさんざうのまちまちなりけるに、せいなんはちやうにさくらをうゑとほされたり、きたにはもみぢをうゑひがしにはやなぎをうゑられたりける、そのうちにやをたててすみたまひけり。きたれるとしのはるごとに、はなをえいじて、さくことのおそく、ちることのほどなきをなげきて、はなのいのりのためにとて、つきにさんどかならずたいさんぶくんをまつりけり。さてこそしちにちにちるならひなれども、このさくらはさんしちにちまでこずゑにのこりありけれ。せいなん
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のそうもんのみいれよりさくらみえければ、いみやうにさくらまちのちゆうなごんとぞまうしける。さくらまつのちゆうなごんともいひけるとかや。はなのもとにのみおはしければさくらもとのちゆうなごんともまうしけり。さればきみもけんわうにおはしませば、しんもしんとくをかかやかし、はなもこころありければ、はつかのよはひをのべけり。いづかたにつけてもすきたるこころあらはれて、やさしくぞきこえし。ににはないだいじんしげもりこうのおんことす。すなはちきさきにたちたまへり。わうじごたんじやうありしかば、くわうたいしにたちたまふ。ばんじようのくらゐにそなはりたまひてのちは、ゐんがうありて、けんれいもんゐんとまうす。だいじやうにふだうのむすめ、てんがのこくもにておはしまししうへは、とかくまうすにおよばず。さんはろくでうのせつしやうどののきたのまんどころにておはしまししが、たかくらのゐん
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おんくらゐのとき、おんははしろとて、さんこうになぞふるせんげあつて、ひとおもくおもひたてまつる。のちはしらかはどのとまうす。しはうひやうゑのかみのぶよりのきやうのそく、しんじじゆうのぶちかのあつそんのつま、のちにはれんぜいのだいなごんたかふさのきたのかたにて、それもおんこあまたおはしき。ごはこんゑのにふだうてんがのきたのまんどころなり。ろくはしちでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうのきたのかた。しちはあきのいつくしまのないしがはらなりけるが、じふはちのとし、ごしらかはのゐんへまゐりたまひて、にようごのやうにておはしけり。このほかくでうのゐんのざふしときはがはらにいちにんおはしき。くわざんのゐんのさだいじんのおんもとに、みだいばんどころのしたしくおはすればとて、じやうらふにようばうにて、らふのおんかたとまうしけるとかや。ないしはのちにはゑつちゆうのせんじもりとしあひぐしけるとぞ
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きこえし。につぽんあきつしまはわづかにろくじふろくかこく、へいけちぎやうのくにさんじふよかこく、すでにはんごくにおよべり。そのうへしやうゑん、でんばく、そのかずをしらず。きらじゆうまんして、たうしやうはなのごとし。けんきくんじゆして、もんぜんいちをなす。やうしうのこがね、けいしうのたま、ごきんのあや、しよくかうのにしき、しつちんまんぽう、ひとつとしてかけたることなし。かたうぶかくのもとゐ、ぎよりようしやくばのもてあそびもの、ていけつもせんとうも、いかでかこれにはすぐべきと、めでたくぞみえし。むかしよりげんぺいりやうしてうかにめしつかはれて、わうくわにしたがはず、てうけんをかろんずるものには、たがひにいましめをくはへしかば、よのみだれもなかりしに、ほうげんにためよしきられ、へいぢによしともうたれてのちは、すゑずゑのげんじせうせうありしかども、あるいはながされ、あるいはうたれて、いまはへいけのいちるい
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のみはんじやうして、かしらをさしいだすものなし。いかならむすゑのよまでも、なにごとかあるべきと、めでたくぞみえし。

そのころみやこにしらびやうしににんあり。あねをばぎわう、いもうとをばぎによとぞまうしける。てんがだいいちのをんなにてぞありける。これはとぢといひししらびやうしがむすめなり。およそしらびやうしとまうすは、とばのゐんのおんとき、しまのせんざい、わかのまへといひけるにようばうを、すいかんばかまにたてえぼしきせて、かたなささせなどして、まはせはじめられたりけるを、ちかごろより、すいかんにおほくちばかりにて、かみをたかくゆはせてまはせけり。かのぎわうぎによを、だいじやうにふだうめしをかれてあいせられけるに、ことにあねのぎわうをば、わりなくさいはひたまひければ、ひとびとじやうげ、にふだうどののおんけしきにしたがひて、もてなし
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かしづきけることかぎりなし。ざいしよさるていにしつらひて、よしあるさまにてすゑられたり。さだよしにおほせつけて、ははいもうとなどにも、さるべきやうにいへつくりて、かのとくにてふそくなし。まいにちにじつぴきじつこくをおくられけり。そのうへをりふしにつけてあてられければ、ゆかりのものどもまでたのしみさかへけり。これをみきくひとうらやまずといふことなし。かくのみめでたかりしほどに、そのころまたみやこにしらびやうしいちにんいできたり。みめかたち、ありさまよりはじめて、てんがにならびなきいうぢよにてぞありける。なをばほとけとぞまうしける。にふだうのぎわうをもてなされけるをみききて、「よもさりともむなしくかへさるることはあらじ。のうなどをばあいしたまはんずらむ」とおもひて、あるときすいさん
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をぞしたりける。さぶらひども、にふだうどのに、「ほとけとまうしてたうじみやこにきこえさうらふしらびやうしのただいままゐりてさうらふ」とまうしければ、「さやうのあそびものは、ひとのめしによりてこそまゐれ。さうなくまゐるでうふしぎなり。そのうへぎわうごぜんのあらんところには、ほとけもかみもしかるべからず。とくとくまかりかへるべし」とぞのたまひける。このうへはちからおよばずしてまかりいでけるを、ぎわうごぜんききて、にふだうどのにまうしけるは、「いかにや、あれにはすげなくてはかへさせたまふぞ。あれらていのあそびもののならひ、めされねどもかやうのところへまゐるは、つねのことにてさぶらふ。ごげんざんにいらずしてまかりかへるは、いかにほいなくおもひさぶらふらむ。『ぎわうがごしよへすいさんして、おんめもみせられまいらせでかへりにけり』と、ひとのまうさむもふびんに
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おぼゆ。いまこそかくおんめをみせられまいらせずとも、かならずしもひとのうへとおぼえさぶらはず。こころのうちおもひやられさぶらふに、しかるべくはめしかへしてげんざんして、かへさせをはしませ。わがみのめんぼくとおもひさぶらふべし」とまうしければ、にふだうのたまひけるは、「こはいかに。かれをすさめてかへしつるは、ごぜんのこころをたがへじとてこそ、かへしつれ。さやうにまうすほどならばめしかへせ」とて、よびかへさせて、いであひたまひたり。「かやうにげんざんするほどならば、なににてものうあるべし」とのたまひければ、ほとけはとりもあへず、「きみをはじめてみるおりは、ちよもへぬべしひめこまつ。ごしよのまへなるかめをかに、つるこそむれゐてあそぶなれ」といふいまやうを、をしかへしをしかへし、さんべんまでこそ
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うたひけれ。にふだうこれをききたまひて、「いまやうはじやうずにてをはしけり。まひはいかに」とのたまひければ、「おほせにしたがひて」とてたちたりけり。
おほかたみめことがらせいありさまはさてをきつ、ものかぞへたるこはざしよりはじめておもしろし。たうじなをえたるしらびやうしなり。としのほどじふはちくばかりなり。さしもすさめておひかへしたまひつるに、にふだうどのふたごころもなくみたまひけり。ぎわうはにふだうどののけしきをみたてまつりて、をかしくおぼえて、すこしうちゑみてありけり。にふだういつしかついたちて、いまだまひもはてぬさきに、ほとけがこしにいだきつきて、ちやうだいへいれたまひけるこそけしからね。さてまうしけるは、「いかにやかやうにをはしますぞ。わらはがまゐりて
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さぶらひつるに、げんざんかなはずしてむなしくかへりさぶらひつれば、『なにしにすいさんしさうらひぬらむ』とよのひとのききて、『さればこそ。あそびもののはぢのなさは、めされぬところへまゐりて、おんめもみせられずしておひかへされまいらせたり』と、まうしさたせられむずらむと、こころうくおぼえさぶらひつれば、いづくのうらへもまかりゆかんと、けふをかぎりにはてぬべくさぶらひつるを、まことやらむ、ぎわうごぜんのあながちにまうさせたまひて、めしかへさせたまひたりとこそ、うけたまはりさぶらへ。わらはがためにはせせしやうじやうのほうこうなり。いかがたちまちにこのおんをわすれて、こころのほかのことはさぶらふべき。ぎわうごぜんのおもひたまはむもはづかし。のうにつきてのおほせは、いかにもそむくべからず。なめてならぬおんことは、ゆめゆめ
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おぼしめしとどまりたまへ」とぞまうしける。にふだうのたまひけるは、「ぎわういかにいふとも、じやうかいがききいれざらむには、なじかはよびかへすべき」とて、いかにまうせども、ほとけもちからおよばずして、あくるもくるるもしらず、さいはひふしたまへり。さるほどに、はかなきよのならひにて、いろみえでうつろふものは、よのなかのひとのこころのはななれば、ただひとすぢにほとけにこころをうつし、はてはぎわうをすさめて、「いまはとくまかりいづべし」とのたまひけるぞなさけなき。ひとゆきむかひてこのよしをぎわうごぜんにまうしければ、きくよりはじめて、こころうしなどまうすもなかなかおろかなり。いままでにふだうどの、めみせたまひつれば、じやうげしよにんもてなしかしづきつること、ただゆめとのみおぼえたり。「かやうなるあそびもの
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なれば、かならずさてしもながらへはてたまはじ。つひにはかくこそあらんずらめ」とおもへども、さしあたりてのひとめのはづかしさ、こころのあやなさ、なごりのかなしさ、とにかくにおしはかられてむざんなり。かなしみのなみだせきあへず。これをみたまひけるひとびとは、よそのたもともところせくぞあはれなる。さてしもあるべきならねば、このひごろすみなれしところをあくがれいづるぞかなしき。なみだをおさへてそばなるしやうじにかくぞかきつけていでにける。
もえいづるもかるるもおなじのべのくさいづれかあきにあはではつべき K007 
さてさとにかへりて、ぎわうははになくなくまうしけるは、「あはれ、われいかなるかたへもみやだて、いかなるひとのこともなしたまはで、かやうな
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あそびものとなしおきたまひて、いまはかかるうきめをみせたまふことよ。さもあらんひとをとりすへて、われをおもひすてたまはむはちからおよばず。おなじさまなるあそびものにおもひかへられぬることのくちをしさよ。かかるみのありさまにて、ながらふべきちぎりにはあらねども、いつたんなれども、なのめならずふびんにしたまひつれば、ちかきもとほきもうらやみて、めでたかりつることかなとて、いはひのためしにもひかれつることの、いつしかかくのみなれば、『さればこそ。ほどならぬもののなりぬるはてよ』と、いはれむもはづかし。ゆめまぼろしのよなれば、とてもかくてもありなむ。ぎによごぜんがさぶらへば、はははそれをたのみて、うきよのなかをわたりたまへ。わらはにはただみのいとまをたべ。いづくのふちかはにも
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しづみなむ」とぞいひける。いもうとのぎによも、「ともにこそいかにもまかりならめ。ひとりむかひてたれをたよりにてかあかしくらすべき」とかなしむ。ははまうしけるは、「いまだゆくすゑはるばるのひとびとをさきだてて、おいおとろへたるわがみののこりとどまりて、いくほどのとしをかおくるべき。あるいはみたらしがはにみそぎして、かみをかこつならひ、あるいはばうふせきのうらみ、かかるためしおほけれども、たちまちにみなどなぐることはありがたきならひなり。またわれももろともにみをなげば、おのおのははをころすつみありて、ごぎやくとかやのそのひとつにて、おそろしきぢごくにおちたまはむもつみふかし。あなかしこおもひとどまりたまへ」とせいしとどめて、さんにんいつしよになきゐたり。てんにんのごすいもかくやとおぼえてあはれなり。さるほどににふだうは
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ぎわうにあたりたまひつるにはさしすぎて、はなやかにもてなされければ、めでたさまうすはかりなし。したしきあたりまで、ひにしたがひてたのしみをなす。ぎわうはにふだうのあはれみたまひつるほどは、たのしみにほこりて、せけんのこともしたくなし。すてられてのちは、ひとすぢにおもひしづみて、これをいとなむことなし。さればしだいにおとろへけり。これをみ、かれをきくひとの、こころあるもこころなきも、なみだをながしそでをしぼらぬぞなかりける。さるほどにとしもすでにくれぬ。あくるとしのはるのころ、にふだうどのよりとてぎわうがもとへおんつかひあり。なにごとなるらむとあやしみおもふところに、「これにあるほとけごぜんがあまりにつれづれげにてあるに、まゐりてのうどもほどこしてみせよ。さるべきしらびやうし
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あらば、あまたぐそくしてまゐるべし」とぞのたまひける。ぎわうこれをききて、またははにまうしけるは、「ありしときよくおもひとりてさぶらひしものを、ゆるしたまはずして、いまかやうのことをきかせたまふことのかなしさよ。たとひさんぜざらむとがに、みやこのほかへうつさるるか、またいのちをめさるるか、このふたつにはよもすぎじ。なかなかさもあらばあれ。うらみあるまじ」とて、おんぺんじもまうさず。「いかにいかに」とおしかへしたびたびめされけれどもなほまゐらず。にふだうはらをたてて、「まゐるまじきか。こんどまうしきれ、あひはからふむねあり」と、にがにがしくのたまひたり。これをききて、ははなくなくぎわうにまうしけるは、「いかにやまゐりたまはぬぞ。おもひきりしをせいしとどめたてまつりしも、おいのみにうきめをみじがためなり。
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それにいままゐりたまはぬものならば、たちまちにうきめをみせたまふべし。ただいきてのけうやうこれにしくべからず。いそぎまゐりたまひてのち、さまをやつして、いかならむかたほとりにもくさのいほりをむすびて、ねんぶつまうしてごしやうのいのりをしたまへ」など、くどきければ、これをききて、ぎわうはははのおもひのかなしさに、こころならずいでたちけり。わがみ、いもうとのぎによ、またわかきしらびやうしににん、そうじてしにん、ひとつくるまにとりのりてぞまゐりける。くるまよりおりてさしいりたれば、いまだありしにもかはらぬごしよのありさま、なつかしともいふはかりなし。さてうちへいりたれば、にふだうどの、ほとけごぜんをはじめて、しそくあまたなみゐたまへり。このぎわうをばえんにをかれて、ひとところにだにをきたまはで、
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いまひとつなげしさがりたるところにぞすへられける。これにつけてもかなしみのなみだせきあへず。こころのうちにはははをのみぞうらみける。しげもり、むねもりいげのひとびと、めもあてられずして、さばかりかたぶきまうされけれどもちからおよばず。「いかにいかに。なにごとにてもとくとく」とのたまひければ、ぎわうは、「まゐるほどにては、さてしもあるべきならねば」とおもひて、いまやうのじやうずにてありければ、
ほとけもむかしはぼんぶなりわれらもつひにはほとけなり。
いづれもさんじんぶつしやうぐせるみをへだつるのみこそかなしけれ
と、おしかへしおしかへしさんべんまでこそうたひけれ。これをきくひと、よそのたもともところせきて、ほとけごぜんもともになみだをながしけり。されどもにふだうはすこしもあはれをかけたまはず。まして
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なくまではおもひもよらず。しばらくありて、にふだういかがおもはれけむ、ゑしやくもなくてうちへいりたまひぬ。そののちぎわうはひとびとにいとままうして、なみだとともにぞいでにけるしゆくしよにかへり、ははにむかひてまうしけるは、「さればこそ、よくまゐらじとまうしつるを。ははのおほせのおもくしてまゐりたれば、うきめみることのかなしさよ」とて、なきゐたり。さてそののち、よのひと、「にふだうどのすてはてたまひぬ」とききければ、こころにくくおもひて、われもわれもとふみをかよはし、えんにつきてちぎりをむすぶべきよしまうしけれども、ききいれずして、ぎわうはにじふに、ぎによはにじふ、はははごじふしちにていちどにさまをかへて、みなすみぞめになりつつ、さがのおくなるやまざとに、くさのいほりをひきむすび、さんにんいつしよにこもりゐて、ひとへにごしやうじやうど、
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わうじやうごくらくといのるほか、たじなくて、すでにみつきばかりになりけるに、あるよ、やはんばかりに、いほりのとぼそをほとほととたたくものありけり。このひとびとおもひけるは、「こはなにものにてかあるらん。みやこにもさるべかりしひとびともみなかれはてて、たれこととふべしともおぼえず。かかるしばのいほりのすまゐなれば、なにのたよりにかたづぬべき。さなくはごしやうぼだいをさまたげむとて、てんまなどのきたるやらむ。などかはやまのかみとかやもあはれみたまはざるべき。さりながらも」とて、おづおづしばのあみどをあけたれば、「いかにや。いたくなおそれたまひそ」とて、さしいりたるをみれば、ほとけごぜんにてぞありける。「さても、いかにこのひごろのおんこころのうちどもは」とばかりいひて、なみだもせきあへ
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ずぞなきける。そのときぎわうはさらにうつつともおぼえず、ただゆめのここちして、やかんなどのばけてきたるやらむ、おそろしながらぎわうまうしけるは、「そののちはなにはのこともおぼえずして、よろづあぢきなくのみありしかば、ただひとすぢにおもひきりてあかしくらすくさのいほりをば、いかにしてききつたへてをはしたるぞ」とまうしければ、ほとけなみだをおさへて、「さればこそ。わらはがにふだうどのへすいさんして、おんけしきあしくてまかりかへりしを、それにまうさせたまひけるによりて、めしかへされたりしかば、おもひのほかににふだうどのにげんざんにいりにき。さるほどににふだうどのこころよりほかのけしきにをはせしかば、あまりにあさましくおぼえて、『ただいまにふだうどのにげんざんにいるも、それのおんゆゑにこそさぶらへ。いかがはうしろめたなき
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ことはさぶらふべき』と、さしもいなみたてまつりしかども、をんなのみのはかなさは、おもひのほかのことどものありき。『たとひさりとも、あれていのひとのならひなれば、ひとすぢにはおもひたまはじ。あまたをこそみたまはんずらめ』とおもひしほどに、そのぎもなくて、うちすてたてまつりしことのあへなさ、まうすはかりなかりき。あまりにこころぐるしかりしかば、たびたびまうししかどもかなはず。これをひとのうへとおもはざりしかば、またいかなるひとにかと、なにはのこともあぢきなくて、『ただみのいとまをたべ』とまうししかども、ゆるしたまはざりしかば、きのふのひるほどにひまのありしににげいでてさぶらふなり。もろともにごしやうをいのり、このひごろのうらみをもやすめたてまつらんとて、うはのそらにいづかたとしもわかず、まどひありきさぶらひつるほどに、
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おもひかけざるみちゆきびと、『さやうのひとはこのおくにこそ』とまうしさぶらひつれば、これまでたづねまゐりたり。おんこころをきたまふべからず。われもかやうになりたり」とて、かづきたるきぬをひきのけたれば、あまにぞなりたりける。ぎわうまうしけるは、「これほどにこころざしのあさからずをはしけることよ。まことにかやうのためしはみなぜんぜのことなれば、ひとをうらみたてまつるにおよばず。ただみのほどのつたなさをこそおもひしかども、ぼんぶのならひのうたてさは、おもはじとすれども、うらみられしこともときどきありつるなり。かくちぎりをむすびたまはんうへは、いかがこころををきたてまつるべきなれば、さんげしつるぞ」とて、へだてなくしにんいつしよにつとめおこなひて、つひにはぶつだうをとげにけり。さてこそごしらかはのほふわうのちやうがうだうのくわこちやうにはいまも、「ぎわう、ぎによ、ほとけ、とぢ」とはよまれ
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けれ。ぎわうはうらむるかたもあれば、さまをやつすもことわりなり。ほとけはたうじのはなと、じやうげばんにんにもてなしかしづかれて、ゆたかにのみなりまさり、ひとにはうらやみをこそなされつるに、さりとてとしもわづかにはたちのうちぞかし。これほどにおもひたちけるこころのうちのはづかしさ、たぐひすくなくぞあらんとて、みきくひとのたもとをしぼらぬはなかりけり。さてにふだうどのは、ほとけをうしなひて、とうざいてをわかちてたづぬれどもかなはず。のちにはかくとききたまひけれども、しゆつけしてければちからおよばず。さてやみたまひき。
八 とばのゐんごあんがののちは、ひやうがくうちつづき、しざい、るけい、げくわん、ちやうじ、つねにおこなはれて、かいだいもしづかならず、せけんもらくきよせず。なかんづく
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えいりやく、おうほうのころより、うちのきんじゆをば、ゐんよりおんいましめあり、ゐんのきんじゆをばうちよりおんいましめあり。かかりしかば、たかきもいやしきもおそれをののきて、やすきこころなし。しんえんにのぞみて、はくひようをふむがごとし。そのゆゑは、うちのきんじゆしや、つねむね、これかたがはからひにて、ほふわうをかろしめたてまつりければ、おほきにやすからざることにおぼしめして、きよもりにおほせて、あはのくに、とさのくにへながされにけり。さるほどにまたしゆしやうをしゆそしたてまつるよしきこへありて、かものかみのやしろにしゆしやうのおんかたちをかきて、しゆじゆのことどもをするよし、さねながのきやうききいだして、そうもんせられたりければ、かうなぎをとこいちにんからめとりてことのしさいをめしとふに、「ゐんのきんじゆしや、すけながのきやうなどいふ、かくごんのひとびとのしよゐなり」とはくじやうしたりければ、すけながのきやう、しゆりのだいぶげくわんせられぬ。また
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ときただのきやう、いもうとせうべんのとのたかくらのゐんうらみたてまつらせけるとき、くわごんしたりしとて、そのさきのとしげくわんせられたりけり。かやうのことどもゆきあひて、すけとき、ときただににん、おうほうにねんろくぐわつにじふさんにち、いちどにながされにけり。またほふわうたねんのごしゆくぐわんにて、せんじゆくわんおんせんだいのみだうをつくらむとおぼしめし、きよもりにおほせて、びぜんのくにをもつてつくられけり。ちやうぐわんにねんじふにぐわつじふしちにちおんくやうあり。ぎやうがうなしたてまつらむと、ほふわうおぼしめされけれども、しゆしやう「なじかは」とて、おんみみにもききいれさせたまはざりけり。じくわんのけんじやうまうされけれども、そのごさたにもおよばず。ちかのりがしきじぶぎやうしけるを、みだうのごしよへめし、「けんじやうのことはいかに」とおほせくだされけれ
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ば、ちかのりがはからひにてはさうらはぬよしまうして、かしこまりてさうらひければ、ほふわうおんなみだをうかべさせたまひて、「なにのにくさに、かほどまではおぼしめしたるらむ」とおほせのありけるこそあはれなれ。このだうをれんげわうゐんとぞなづけられける。こまのそうじやうかうけいといひしひとは、しらかはのゐんのみこなり。みゐもんりうにはさうなきうちとくぎやうのひとなりければ、ほふわうことにたのみおぼしめして、しんごんのおんしにてをはしけるが、このみだうをばことにとりさたしたまひて、せんだいのちゆうぞんのぢやうろくのめんざうをば、みづからきざみあらはされたりけるとうけたまはるこそめでたけれ。しゆしやう、しやうくわうふしのおんなかなれば、なにごとのおんへだてかあるべきなれども、かやうにおんこころよからぬおんことどもおほかりけり。これもよげうきにおよび、ひとけうあくを
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さきとするゆゑなり。しゆしやうはしやうくわうをもつねにはまうしかへさせたまひける、そのなかに、ひとじぼくをおどろかし、よもつてかたぶきまうしけるおんことは、ここんゑのゐんのきさき、たいくわうこうぐうとまうすは、さだいじんきんよしこうのおんむすめ、おんはははちゆうなごんとしただのむすめなり。ちゆうぐうよりくわうだいこうくうにあがらせたまひけるが、せんていにおくれまいらせ、ここのへのほか、このゑかはらのごしよに、せんていのふるみやに、ふるめかしくかすかなるおんありさまなり。えいりやく、おうほうのころは、おんとしにじふにさんにもやならせたまひけむ、おんさかりもすこしすぎさせたまひけれども、このきさき、てんがだいいちのびじんのきこえわたらせおはしましければ、しゆしやうにでうのゐん、おんいろにのみそめるおんこころにて、よのそしりをもおんかへりみなかりけるにや、かうしよくにじよしおはして、
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ぐわいきゆうにひきもとめしむるにおよんで、しのびつつごえんしよあり。きさきあへてきこしめしいれさせたまはねばひたすらほにいでましまして、きさきじゆだいあるべきよし、ちちさだいじんげにせんじをくださる。このことてんがにおいてことなるしようじなりければ、いそぎくぎやうせんぎあり。いてうのせんじようをたづぬれば、そくてんくわうごうは、たいそう、かうそうりやうていのきさきにたちたまへることあり。そくてんくわうごうとまうすは、たうのたいそうのきさき、かうそうくわうていのけいぼなり。たいそうにおくれたてまつりて、あまとなりてかんごふじにこもりたまへり。かうそうののたまはく、「ねがはくはきゆうしつにいりてまつりごとをたすけたまへ」と。てんしいつたびきたるといへども、あへてしたがひたまはず。ここにみかど、すでにかんごふじにりんかうあつて、「ちんあへてわたくしのこころざしを
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とげむとにはあらず。ただひとへにてんがのためなり」と。くわうごうさらにちよくになびくことばなし。「せんていのたかいをとぶらはむがために、たまたましやくもんにいれり。ふたたびぢんしやうにかへるべからず」とおほせられけるに、くわうてい、うちとのきみ、たひらかにぶんせきをかんがへて、しひてくわんかうをすすむといへども、くわうごうくわくぜんとしてひるがへらず。ここにこしようのぐんこうら、よこしまにとりたてまつるがごとくして、みやこにいれたてまつれり。かうそうざいゐさんじふしねん、くにしづかにたみたのしめり。くわうごうとくわうていとににん、まつりごとををさめたまひしゆゑに、かのおんときをばじくわのぎようとまうしき。かうそうほうぎよののち、くわうていのきさき、ぢよていとしてくらゐにつきたまへり。そのときのねんがうをじんこうぐわんねんとあらたむ。しうわうのまごなるゆゑに、たうのよをあらためて、たいしうそくてんたいくわうていとしようす。ここにしんかなげきていはく、
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「せんていのかうそうよをけいえいしたまへること、そのこうせき、ここんたぐひなしといひつべし。てんしなきにしもあらず。ねがはくはくらゐをたいしにさづけたまひて、かうそうのこうげふをながからしめたまへ」と。よつてざいゐにじふいちねんにして、かうそうのこ、ちゆうそうくわうていにさづけたまへり。すなはちよをあらためて、またたいたうしんりようぐわんねんとしようす。すなはちわがてうのもんむてんわう、けいうんにねんきのとのみのとしにあたれり。「りやうていのきさきにたちたまふこと、いこくにはそのれいありといへども、ほんてうのせんぎをかんがふるに、じんむてんわうよりこのかたにんわうしちじふよだい、しかれどもにだいのきさきにたちたまへるそのれいをききおよばず」としよきやういちどうにせんぎしまうされけり。ほふわうもこのことをきこしめして、しかるべからざるよし、たびたびまうさせたまひけれども、しゆしやうおほせのありけるは、「てんし
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にぶもなし。わればんじようのほうゐをかたじけなくせむひは、などかこれほどのことえいりよにまかせざるべき」とて、すでにじゆだいのにちこくまで、せんげせられけるうへは、しさいにおよばず。きさきこのこときこしめしてより、たぐひなきことにおぼしめされて、ひきかづきてふしたまへり。おんなげきのいろふかくのみぞみえさせたまひける。まこととおぼえてあはれなり。「せんていにおくれまゐらせられしきうじゆのあきのはじめに、おなじくさばのつゆときえ、いへをもいでてよをものがれたりせば、かかるうきことはきかざらまし。くちをしきことかな」とぞ、おぼしめされける。ちちさだいじんなぐさめまうされけるは、「よにしたがはざるをもつてきやうじんとすといへり。すでにぜうめいをくだされたり。しさいをまうすにところなし。ただひとへにぐらうをたすけさせおはしまさむは、けうやうの
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おんぱからひたるべし。またこのおんすゑにわうじごたんじやうあつて、きみもてんがのこくぼにてもやおはしまさむ。ぐらうもぐわいそぶといはるべき。かもんのえいぐわにてもやさうらふらむ。おほかたかやうのことはこのよひとつのことならぬうへ、あまてるおほんがみのおんぱからひにてこそさうらふらめ」など、やうやうにこしらへまうさせたまひけれども、おんぺんじもなかりけり。ただおんなみだにのみむせばせたまひて、かくぞすさませたまひける。
うきふしにしづみもはてぬかはたけのよにためしなきなをやながさむ K008
よにはいかにしてもれきこえけるやらむ、あはれにやさしきことにぞまうしける。すでにじゆだいのにちじさだまりにければ、ちちおとど、ぐぶのかんだちめ、しゆつしやのぎしき、つねよりもめづらしく、こころもことばもおよばずいだしたてまゐらせ
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たまへり。きさきはものうきおんいでたちなりければ、とみにもいでさせたまはず、はるかによふけ、さよもなかばすぎてぞ、おんくるまにはたすけのせられたまひける。ことさらいろあるおんぞはめさざりけり。しろきおんぞ、じふし、ごばかりぞめされたりける。ごじゆだいののちは、やがておんをかぶらせたまひて、れいけいでんにぞわたらせたまひける。あさまつりごとをすすめまうさせたまふ。せいりやうでんのぐわとのみしやうじにつきをかきたるところあり。こんゑのゐんいまだえうねんのみかどにてわたらせたまひけるそのかみ、なにとなくおんてまさぐりに、かきくもらかさせたまひけるが、すこしもむかしにかはらでありけるをごらんぜられけるに、せんていのむかしのおんおもかげ、おぼしめしいでさせたまひて、おんこころところせきて、
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かくぞおぼしめしつづけさせたまひける。
おもひきやうきみながらにめぐりきておなじくもゐのつきをみむとは K009
このあひだのおんなからへ、あはれにたぐひすくなくぞきこえし。そのころはこれのみならず、かやうのおもひのほかのことどもおほかりけり。かかるほどに、えいまんぐわんねんのはるのころより、しゆしやうにでうのゐん、ごふよのことおはしますときこえしが、そのとしのなつのはじめになりしかば、ことのほかによはらせたまひにき。これによつて、だいぜんのだいぶきのかねもりがむすめのはらに、こんじやういちのみこ、にさいにならせたまふわうじおはしまししを、くわうたいしにたたせたまふべきよしきこえしほどに、ろくぐわつにじふごにち、にはかにしんわうのせんじをくだされて、やがてそのよくらゐをゆづりたてまつらせたまひにき。なにとなくじやうげあわてたりし
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ことどもなり。わがてうのとうたいは、せいわてんわうくさいにて、ちちもんどくてんわうのおんゆづりをうけさせたまひしよりはじまれり。しうくたんのせいわうにかはりつつ、なんめんにして、いちじつばんきのまつりごとをおこなひたまひしになぞらへて、ぐわいそちゆうじんこう、えうしゆをふちしたまひき。せつしやうまたこれよりはじまれり。とばのゐんごさい、こんゑのゐんさんざいにてごそくゐありしをこそ、としとひとおもへりしに、これはわづかににさい、いまだせんれいなし。ものさわがしといへり。
九 えいまんぐわんねんろくぐわつにじふしちにちにしんていごそくゐのことありしに、おなじきしちぐわつにじふはちにちにしんゐんおんとしにじふさんにてうせさせたまひき。しんゐんとはにでうのゐんのおんことなり。おんくらゐさらせたまひてさんじふよにちなり。
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てんがのいうきあひまじはりてとりあへざりしことなり。おなじきはちぐわつなぬかのひ、かうりゆうじにあからさまにやどしまゐらせてのち、かのてらのうしとらにれんだいのといふところにをさめたてまつる。はつでうのちゆうなごんながかたのきやう、そのときだいべんのさいしやうにておはしましけるが、おんはうぶりのごかうをみたてまつりて、
つねにみしきみがみゆきをけさとへばかへらぬたびときくぞかなしき K010 
ちゆういんそうづがしうくもこのときのことなり。しちぐわつにじふはちにちいかなるひぞや、さりぬるひとかへらず。かうりゆうじいかなるところぞや、ぎよしゆつありてくわんぎよなき。あはれなりしことどもなり。こんゑのゐんのおほみやはにだいのきさきにたちたまひたりしかども、またこのきみにもおくれまいらせさせたまひしかば、やがておんぐしおろさせたまひけるとぞきこえし。たかきもいやしき
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も、さだめなきよのためし、いまさらにあはれなり。
十 ごさうそうのよ、こうぶくじ、えんりやくじのそうと、がくたてろんをして、たがひにらうぜきにおよべり。こくわうのほうぎよありてみはかへおくりたてまつるときのさほふ、なんぼくにきやうのだいせうのそうとら、ことごとくぐぶして、わがてらでらのしるしにはかうをたて、がくをうつ。なんとにはとうだいじ、こうぶくじをはじめとして、まつじまつじあひともなへり。とうだいじはしやうむてんわうのごぐわん、あらそふべきてらなければ、いちばんなり。にばん、たいしよくくわんたんかいこうのうぢてら、こうぶくじのがくをうちて、なんとのまつじまつじしだいにたちならびたり。こうぶくじにむかひて、ほくきやうには、えんりやくじのがくをうつ。そのほか、やまやまてらでらあなたこなたにたちならびたり。こんどごさうそうのとき、えんりやくじのしゆと
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ことをみだりて、とうだいじのつぎ、こうぶくじのかみにかうをたつるあひだ、やましなでらのかたより、とうもんゐんのしゆとさいこんだうじゆ、とさばうしやうしゆんとまうしけるだうしゆ、さんまいかぶとにさうのこてさして、くろかはをどしのおほあらめのよろひ、くさずりながなるいつしきざざめかして、ちのはのごとくなるおほなぎなたをもつて、あるいはこほりのごとくなるたちをぬきてはしりいでて、えんりやくじのがくをまつさかさまにきりたをして、「うれしやみづ、なるはたきのみづ」とはやして、こうぶくじのかたへいりにけり。えんりやくじのしゆと、せんれいをそむきて、らうぜきをいたせばそくざにてむかひあるべきに、こころぶかくおもふことありければ、ひとことばもいださず。そもそもいつてんのきみ、ばんじようのあるじよをはやくせさせたまひしかば、こころなきさうもくまでも、なほうれひたるいろあさからず
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こそありけむに、かかるあさましきことにて、あるいはちりぢりとして、たかきもいやしきも、たれをうとしもなければ、しはうにたいさんす。あるいはれんだいの、ふなをかやまのみぞにぞおほくはしりいりける。をめきさけぶこゑ、くもをひびかしちをうごかす。まことにおびたたしくぞきこえける。
十一 やまとのくににはりのしやうといふところあり。このしやうのさたによつて、さいこんだうのおんあぶらだいくわんをがはのしらうとほただがうちとどむるあひだ、こうぶくじのじやうかうじじゆうのごしくわいそんをそつして、くだんのはりのしやうへうちいりて、をがはのしらうをようちにす。とさばうしやうしゆんもとよりやまとのくにのぢゆうにんなり。じじゆうのごし、だいしゆをかたらひて、「しやうしゆんをおひこめて、おんさかきのかざりたてまつりてらくちゆうへいれたてまつりて、そうもんをふべし」とて、しゆとらはつかうするところに、しやうしゆんあまたのきようどをそつして、
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かのさかきをさんざんにきりすてけり。だいしゆいよいよほうきしてうつたへまうすあひだ、しやうしゆんをくげよりめすに、あへてちよくにしたがはざるときに、べつたうかねただにおほせて、ごせいだんあるべきよし、しやうしゆんにおほせくださる。これにつきしやうしゆんしやうらくせしむるところに、すなはちかねただにおほせてしやうしゆんをめしとりて、そのときのおほばんじゆ、とひのじらうさねひらにあづけらる。つきひをおくるほどにとひのじらうにしたしくなりたりけるとかや。したがひてまたくげにもごぶさたにておはしましけり。「なんとにはてきにんこはくして、げんぢゆうせむことかたかりければ、かさねてなんとのすまゐもいまはかなふまじ。るにんひやうゑのすけどのこそすゑたのもしけれ」とおもひて、いづほうでうにくだりて、ひやうゑのすけにほうこうしたりけり。こころぎはさるものにてありければ、ひやうゑのすけみをはなたずめしつかはれけり。ひやうゑのすけ、
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ぢしようしねんにゐんぜん、たかくらのみやのれいしをたまはりて、むほんをおこしたまひしとき、しやうしゆん、にもんじにおほかりのもんのはたをたまはり、きりものにてありけるあひだ、ひとのまうしけるは、「かすがのだいみやうじんのばつをかうぶるべかりけるものをや」とまうしけるに、のちにかまくらどのより、「くらうたいふのはうぐわんうて」とて、きやうとへさしのぼせられたりけるに、うちそんじてきたをさしておちけるが、くらまのおく、そうじやうがたによりからめとられて、ろくでうがはらにてかうべをはねられけるとき、「ちそくぞありける、みやうじんのばつはおそろしきことかな」とぞひとまうしける。
十二 おなじきはちぐわつここぬかのひのうまのこくばかりに、さんもんのだいしゆくだるときこえければ、ぶし、けんびゐし、にしざかもとへはせむかひたりけれども、しゆとしんよを
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ささげたてまつりて、おしやぶりてみだれいりぬ。きせんじやうげさわぎののしることなのめならず。うちのくらのかみたひらののりもりのあつそん、ほういにてうゑもんのぢんにさうらはる。「しやうくわう、やまのだいしゆにおほせて、へいぢゆうなごんきよもりをついたうすべきゆゑにしゆとみやこへいる」と、なにもののいひいだしたりけるにや、きこえければ、へいけのいちるいろくはらへはせあつまる。じやうげあわてたりけれども、うひやうゑのかみしげもりのきやうひとりぞ、「なにのゆゑにただいまさるべきぞ」とてしづめられける。しやうくわうおほきにおどろきおぼしめして、いそぎろくはらへごかうなる。へいぢゆうなごんきよもりもおほきにおそりおどろかれけり。さんもんのだいしゆ、せいすいじへおしよせて、やきはらふべきよしきこえけり。さんぬるなぬかのひのくわいけいのはぢをきよめんとなり。せいすいじはこうぶくじのまつじなるゆゑにてぞありける。せいすいじのほふし、
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らうせうをいはずおこりて、ふたてにわかれてあひまちけり。ひとてはたきをのふどうだうにぢんをとる。ひとてはさいもんにぢんをとる。さんもんのだいしゆ、からめではくくめぢ、せいがんじ、うたのなかやままでせめきたる。おほてははりようのくわんおんじまでせめよせたり。やがてばうじやにひをかけたりければ、をりふしにしかぜはげしくて、くろけぶりひがしへふきおほひてければ、せいすいじのほふしひとやをいるにおよばず。しはうにたいさんす。つひにはだいもんにふきつけたり。むかし、さがのてんわうのだいさんのわうじ、かどゐしんわうのきさき、にでうのうだいしやうさかのうへのたむらまろのおんむすめ、しゆんしにようご、ごくわいにんのおんとき、ごさんへいあんならば、わがうぢてらにさんぢゆうのたふをくむべきよし、ごぐわんにてたてさせたまひしさんぢゆうのたふ、くりんたかく
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かかやきしもやけにけり。こやすたふとまうすはこれなり。いかがしたりけむ、たふにてひはきえにければ、ほんだういちうばかりぞのこりける。ここにむどうじのほふしにはうきのりつしやじようゑんといふ、がくしやうだいあくそうのありけるが、すすみいでてせんぎしけるは、「ざいごふもとよりしようなし。まうざうてんだうよりおこる。しんしやうみなもときよければ、しゆじやうすなはちほとけなり。ただほんだうにひをかけてやけや、ものども」とまうしければ、しゆとら、「もつとももつとも」とまうして、ひをともしみだうのしはうにつけたりければ、けぶりくもゐはるかにたちのぼる。かんやうきゆうのいてうのけぶりをあらそふ。いちじがほどにくわいろくす。あさましといふもおろかなり。しゆとかくやきはらひてかへりのぼりければ、ほふわうくわんぎよなりにけり。うひやうゑのかみしげもりも、おんおくりにまゐらる。
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うひやうゑのかみおんともよりかへられたりければ、ちちちゆうなごんきよもりのたまひけるは、「ほふわうのいらせおはしましつるこそかへすがへすもおそれおぼゆれ。さりながら、いささかもおぼしめしより、おほせらるるむねのあればこそ、かやうにももれきこゆらめ。それらにもうちとけらるまじ」とのたまひければ、うひやうゑのかみ、「このことゆめゆめおんいろにも、おんことばにもいでさせたまふべからず。ひとびとこころづきて、なかなかあしきことなり。えいりよにそむきたまはず、ひとのためによくおはしまさば、さんぽうしんめいのごかごあるべし。さらむにとつては、おんみのおそれあるまじ」とてたちたまひぬ。「ひやうゑのかみはゆゆしくおほやうなるものかな」とぞ、ちゆうなごんのたまひける。ほふわうくわんぎよののち、うとからぬきんじゆしやども、ごぜんにさうらひけるなかに、あぜちのにふだうすけかた
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もさうらはれけり。ほふわう、「さるにてもふしぎのこといひいだしつるものかな。いかなるもののいひいだしつらむ」とおほせありければ、さいくわうほふしがさうらひけるが、「てんにくちなし、にんをもつていはせよとて、もつてのほかにへいけくわぶんになりゆけば、てんたうのおんぱからひにて」とまうしければ、「このことよしなし。かべにみみありといふ。おそろしおそろし」とぞ、ひとびとまうしける。さてもせいすいじやけたりけるこうてうに、「くわけうへんじやうちはいかに」と、ふだにかきて、だいもんのまへにたてたりければ、つぎのひ、「りやくこふふしぎ、これなり」と、かへしふだをぞたてたりける。いかなるあとなしもののしわざなるらむと、をかしかりけり。
十三 えいまんぐわんねん、ことしはりやうあんにて、ごけい、だいじやうゑもなし。
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どうねんの十二月廿五日、ひがしのおんかたのおんはらの法皇のみこ、しんわうのせんじかうぶらせ給。今年は五歳にぞならせ給ける。としごろはうちこめられておはしましつるが、いまはばんきのまつりごとわくかたなく法皇きこしめしければ、おんつつしみなし。このひがしのおんかたとまうすは、ときのぶのあつそんのむすめ、とものぶのあつそんのまごなり。せうべんのとのとてさうらはせたまひけるを、法皇時々しのびてめされけるが、わうじくらゐにつかせたまひてのち、ゐんがうありて、けんしゆんもんゐんとぞ申ける。しやうこくのじなんむねもり、かのにようゐんのおんこにせさせ給たりければにや、平家ことにもてなし申されけり。にんあん元年、ことしはだいじやうゑあるべきなれば、てんがそのいとなみなり。どうねん十月七日、きよねんしんわうの
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せんじかうぶらせたまひしわうじ、とうさんでうどのにてとうぐうだちのおんことありけり。とうぐうとまうすはつねはみかどのみこなり。これをばたいしと申。またみかどのおんおととのまうけのきみにそなはらさせたまふことあり。おんおととをたいていと申。それにしゆしやうはおんをひ、わづかに三歳、とうぐうはおんをぢ、六歳にならせ給。「ぜうもくあひかなはず。ものさわがし」といへり。「くわんにん三年にいちでうのゐんは七歳にてごそくゐあり。さんでうのゐん、十三歳にてとうぐうにたちたまふ。せんれいなきにあらず」と、人々まうしあはれけり。
十四 ろくでうのゐん、おんゆづりをうけさせ給たりしかども、わづかに三年にて、どうねん二月十九日、とうぐうたかくらのゐん八歳にてだいこくでんにてせんそありしかば、せんていはわづかに五歳にておんくらゐしりぞかせたまひて、しんゐんと
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まうして、同六月十七日にしやうくわうごしゆつけあり。ごしらかはのほふわうとぞ申ける。いまだごげんぷくなくて、ごどうぎやうにて、だいじやうてんわうのそんがうありき。かんか、ほんてう、これぞはじめなるらむと、めづらしかりしことなり。このきみのくらゐにつかせおはしますは、いよいよ平家のえいぐわとぞみえし。こくぼけんしゆんもんゐんとまうすは、平家の一門にておはしますうへは、とりわきにふだうのきたのかた、にゐどののおんいもうとにておはしましければ、しやうこくのきんだち二位殿のおんはらは、たうぎんのおんいとこにてむすぼほれまゐらせて、ゆゆしかりけることどもなり。へいだいなごんときただのきやうと申は、にようゐんのおんせうと、しゆしやうのごぐわいせきにておはしましければ、ないげにつけたるしつけんのひとにて、じよゐぢもくいげ、くげの
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おんまつりごと、ひとへにこのきやうのさたなりければ、よにはへいくわんぱくとぞ申ける。たうぎんごそくゐののちは、法皇もいとどわくかたなく、ばんきのまつりごとをしろしめされしかば、ゐんうちのおんなか、おんこころよからずとぞきこえし。
十五 ゐんにちかくめしつかはるる、くぎやう、てんじやうびと、げほくめんのともがらにいたるまで、ほどほどにしたがひて、くわんゐほうろくみにあまるほどに、てうおんをかうぶりたれども、ひとのこころのならひなれば、なほあきだらずおぼえて、この入道の一類、くにをもしやうをもおほくふさぎたること、めざましくおもひて、「このひとのほろびたらば、そのくにはさだめてかけなむ、そのしやうはあきなむ」としんぢゆうにおもひけり。うとからぬどしは、しのびつつささやくときもあり
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けり。法皇もないないおぼしめされけるは、「むかしよりいまにいたるまでてうてきをたひらぐるものおほけれども、かかることやはありし。さだもり、ひでさとがまさかどをうち、よりよしがさだたふ、むねたふをほろぼしたりし、よしいへがたけひらをせめたりしも、けんじやうおこなはるること、じゆりやうにはすぎず。清盛がさしてしいだしたることもなくて、かくこころのままにふるまふこそしかるべからね。これもまつだいになり、わうぼふのつきぬるにや」と、やすからずおぼしめされけれども、ことのついでなければ、きみもおんいましめもなし。また平家もてうかをうらみたてまつることもなくてありけるほどに、よのみだれけるこんげんは、
十六 さんぬるかおう二年十月十六日に、こまつのないだいじんしげもりこうのじなん、しん
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ざんゐのちゆうじやうすけもり、ゑちぜんのかみたりしとき、れんだいのにいでてこたかがりをせられけるに、こさぶらひ二三十騎ばかりうちむれて、はひたかあまたすへさせて、うづら、ひばりおひたてて、ひねもすかりくらされけり。をりふしゆきははだれにふりたり、かれののけいきおもしろかりければ、夕日、やまのはにかたぶきて、きやうごくをくだりにかへられけり。そのときはまつどのもとふさせつろくにておはしましけるが、ゐんのごしよ、ほふぢゆうじどのより、なかのみかどひがしのとうゐんのごしよへくわんぎよなりけるに、ろくかくきやうごくにててんがのぎよしゆつに、すけもりはなづきにまゐりあはれたり。ゑちぜんのかみ、ほこりいさみてよをよともせざりけるうへ、めしぐしたるさぶらひども、みな十六七のわかものにて、れいぎこつぽふをわきまへたるものいちにん
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もなかりければ、てんがのぎよしゆつともいはず、いつせつげばのれいぎもなかりければ、せんぐう、みずいじん、しきりにこれをいらつ。「なにものぞ、ぎよしゆつのなるに、らくちゆうにてむまにのるほどのもののげばつかまつらざるは。すみやかにまかりとどまりており候へ」と申けれども、さらにみみにききいれず、けちらしてとほりけり。くらきほどにてはあり、おんともの人々もつやつや入道のまごともしらざりければ、すけもりのあつそんいげむまよりひきおとし、さんざんにせられにけり。はふはふろくはらへにげかへり、「このこと、あなかしこひろうすな」といましめられけれども、かくれなかりけり。入道のさいあいのまごにてはをはしけり。おほきにいかりて、「たとひてんがなりとも、いかでか入道があたりをばはばかりおもひたまはざるべき。をさなきものにさうなくちじよく
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をあたへてをはするこそ、ゐこんのしだいなれ。このことおもひしらせ申さでは、えこそあるまじけれ。かかることよりひとにはあなづらるるぞ。てんがをうらみたてまつらばや」とのたまひければ、こまつのだいふ、「このことゆめゆめあるべからず。重盛なむどがこどもと申さむずるものは、てんがのぎよしゆつにまゐりあひて、むまよりもくるまよりもおりぬこそびろうにて候へ。さやうにせられまゐらするは、ひとかずにおぼしめさるるによつてなり。このことかへりてめんぼくにてあらずや。よりまさ、ときみつていのげんじなむどにあざむかれたらば、まことにちじよくにてもさうらひなむ。かやうのことよりよのみだれともなることにて候。ゆめゆめおぼしめしよるべからず」とのたまひければ、そののちはだいふにはかくとものたまはず。かたゐなかのさぶらひどものこはらかにて、入道殿の
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おほせよりほかにはおもきことなしとおもひて、ぜんごもわきまへぬものども十四五人めしよせて、「きたる廿一日、しゆしやうごげんぷくのさだめに、てんがのさんだいあらむずるみちにてまちうけて、せんぐう、ずいじんらがもとどりきれ」とげぢせられて、またのたまひけるは、「てんがのぎよしゆつにみずいじんにじふにんにはよもすぎじ。ずいじん一人に二人づつつけ。そのなかにさがみのかみみちさだとて、よはひ十七、八ばかりぞあるらむ。かれはともひらしんわうのばつえふにて、ちちもそぶもきこえたるかうのものなり。みちさだもさだめてかうにぞあるらむ。かれにはつはもの十人つくべし」とぞいはれける。そのひになりて、なかのみかど、ゐのくまのへんにて六十余騎のぐんぴやうをそつして、てんがのぎよしゆつをまちかけたり。てんがはかかることありともしろしめさず。しゆしやうのみやうねんのごげん
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ぷくのかくわんはいくわんのために、けふよりおほうちのおんちよくろになぬかさうらはせおはしますべきにてありければ、つねのごしゆつしよりもひきつくろはせたまひて、こんどはたいけんもんよりじゆだいあるべきにて、なにごころもなくなかのみかどをにしへぎよしゆつなりけるに、ゐのくま、ほりかはのへんにて六十余騎のぐんびやうまちうけまゐらせて、いころしきりころさねども、さんざんにかけちらして、うのふしやうたけみつをはじめとして、ひきおとしひきおとし十九人までもとどりをきる。十九人がうち、とうくらんどのたいふたかのりがもとどりをきりけるときは、「これはなんぢがもとどりをきるにはあらず。しゆうのもとどりをきる
なり」と、いひふくめてぞきりける。そのなかにさがみのかみみちさだは、たけたかくいろしろきが、たづなをくりしめてさうをきとみる。つはものよせてひきおと
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さむとしければ、ふところより一尺三寸ありけるかたなの、つかにむまのをまきたるをぬきいだして、むかふかたきのうちかぶとをさしければ、さうなくよするものなし。むまよりとびおりて、かたなをひたひにあてて、つはもののなかをうちやぶり、そばなるこいへにはしりいりけるを、つはものよせてうちとどめむとしければ、たちかへりて刀をもつておもふさまにきりたりければ、とりつかむとしけるもののこひぢを、こてをくはへてつときりおとし、かたをりどをちやうとたてて、うしろへつとにげにければ、つづいてかくるものもなし。かかりければ、みちさだばかりはのがれて、のこりははぢにぞおよびける。てんがは、おんくるまのうちへゆみのはずをあららかにつきいれつきいれしければ、こらへかねておちさせ給て、あやしのたみのいへにたちいらせたまひにけり。せん
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ぐう、みずいじんもいづちかうせにせむ、一人もなかりけり。ぐぶのてんじやうびと、あるいはものみうちやぶられ、あるいはしりがいむながひきりはなたれてくもをちらすがごとくにげかくれぬ。六十余騎のぐんぴやうかやうにしちらして、なかのみかどのおもてにてよろこびのときをはとつくりて、六波羅へかへりにけり。入道は、「ゆゆしくしたり」とかんぜられけり。こまつのないだいじんこのことをききておほきにさはがれけり。「かげつな、いへさだきくわいなり。たとひ入道いかなる不思議をげぢしたまふとも、いかでかしげもりにゆめをばみせざりけるぞ」とて、ゆきむかひたりけるさぶらひども十余人、かんだうせられけり。「およそは重盛などがこどもにてあらむものは、てんがをもおもんじ奉り、れいぎをもぞんじて
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こそあるべきに、いふかひなきわかきものどもめしぐして、かやうのびろうをげんじて、ふそのあくみやうをたつるふけうのいたり、ひとりなんぢにあり」とて、ゑちぜんのかみをもいましめられけるとかや。そうじてこのおとどはなにごとにつけてもよきひととぞ、よにもひとにもほめられ給ける。そののち、てんがのおんゆくゑしりまいらせたるものなかりけるに、おんくるまぞひのこらうのものに、よどのぢゆうにんいなばのさいつかひくにひさまると申けるをとこ、げらふなりけれども、さかざかしかりけるものにて、「そもそもわがきみはいかがならせたまひぬらむ」とて、ここかしこたづねまいらせけるに、てんがはあやしのたみのいへのやりどのきはにたちかくれて、おんなほしもしほしほとしてわたらせ給けり。くにひさまるただ一人、しりが
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ひ、むながひむすびあはせて、おんくるまつかまつりて、これよりなかのみかどどのへくわんぎよなりにけり。そのおんぎしき、こころうしともおろかなり。せつしやうくわんぱくのかかるうきめをごらんずること、昔も今もためしありがたくこそありけめ。これぞ平家のあくぎやうのはじめなる。あけぬるひ、にしはつでうのもんぜんにつくりものをぞしたりける。ほふしのひきこしがらみて、なぎなたをもつてものをきらんとするけいきをつくりたり。またまへにいしなべにけだちしたるものをおきたり。だうぞくなんによ、もんぜんいちをなす。されどもこころうる者一人もなし。「こは何事ぞ」といふところに、とし五十あまりばかりなるらうそうさしよりて、うちみて申けるは、「これはよべの事をつくりたるにや」と申せば、「それは何事
ぞ」と
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いふに、「よべてんがのぎよしゆつなりけるを、平家のさぶらひ、おほひのみかどゐのくまにてまちうけまいらせて、さんざんとおひちらして、御車くつがへしし、せんぐう、みずいじん、もとどりをきられたりけるをつくりたり。これをこそ、『むしものにあふてこしがらむ』とまうすは」といひければ、いちどうにはとわらひけり。いかなるあとなし者のしわざなるらむと、をかしかりける事共なり。十七 さて、せんぐうしたりけるくらんどのたいふたかのりは、あやなくもとどりきられたりければ、いかにすべきやうもなくて、しゆくしよにかへりてひきかづきてふしたりけるが、にはかに、「おほとのゐのあやをりがうちに、めあかくてききたる、二人ばかりきとめしてまゐらせよ」といひけ
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れば、さいしども、「なにやらむ」とおぼつかなくおもひけるところに、ほどなくめして参けるを、さいしけんぞくにもみせず、ひとまなる所にこもりゐて、きられたりけるもとどりを、かづらをたをしていちやのうちにむすびつがせて、くらんどどころに参りて申けるは、「いやしくもぶしにうまれて、かたのごとくのゆみやをとりぢゆうだいまかりすぐ。そのひしかるべきふしやうにあひたり。しかるにみにそくたいをまとひ、つめきるほどのこがたなていの物をもみにしたがへず。人にてをかくるまでこそなくとも、あたる所のくちをしきめをみむよりは、じがいをこそつかまつるべかりしかどもかなはず。あまつさへもとどりきられたりといふふじつさへいひつけられ、ゆみやとるもののしぬべき所にてしなざるがいたすところ也。
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すなはちよをものがれいへをもいづべけれども、さうなく出家したらば、『もとどきられたる事はいちぢやうなり』と、さたせられむ事、しやうじやうせせのかきん也。今いちどたれたれにもたいめん申さむとぞんじて参たり。ただしなましひに人なみなみによにたちまじはればこそ、かかるふじつをもいひつけらるれ。おもひたちたることあり」とて、ふところより刀をとりいだしてもとどりおしきりて、みだしがみにえぼしひきいれて、そでうちかづきてまかりいづるこそ、かしこかりけるしわざなれ。廿二日にせつしやうどのは法皇におんまゐりありて、「かかる心うきめにこそあひて候へ」と、なげきまうさせ給ければ、法皇もあさましとおぼしめして、「このよしをこそ入道にもいはめ」とぞおほせありける。入道もれきき、
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「入道が事をゐんにうつたへまうされたり」とて、又しかりののしりけり。てんがかく事にあはせ給ければ、廿五日、ゐんのてんじやうにてぞ、ごげんぷくのさだめはありける。さりとてさてあるべきならねば、せつしやうどのは十二月九日、かねてせんじかうぶらせたまひて、十四日にだいじやうだいじんにならせ給。これはみやうねんごげんぷくのかくわんのれうなり。おなじき十七日ごはいがあり。ゆゆしくにがりてぞありける。大政入道だいにのむすめきさきだちのおんさだめあり。今年十五にぞなりたまひける。けんしゆんもんゐんのいうしなり。
十八 めうおんゐんのにふだうどの、そのときは内大臣の左大将にておはしましけるに、だいじやうだいじんにならせ給はむとて、だいしやうをじしまうさせ給けるを、ご
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とくだいじの大納言さねさだ、いちの大納言にておはしましけるが、りうんにあててなりたまふべきよしきこえけり。そのほか、くわさんのゐんの中納言かねまさのきやうもしよまうせられけり。とののさんゐのちゆうじやうもろいへのきやうなどまうす、おんとしの程はむげにをさなくおはしませども、なりたまはむずらむと、せけんにはまうしあひけるほどに、こなかのみかどのちゆうなごんいへなりのきやうのさんなん、しんだいなごんなりちかのきやう、ひらにまうされけり。院のごきしよくよかりければ、さまざまのいのりをはじめて、さりともとおもはれけり。このこときせいの為には、あるそうをはちまんにこめて、しんどくのだいはんにやをよませられけるに、はんぶんばかりよみたりけるときに、かはらのだいみやうじんのおんまへなりけるたちばなのきに、やまばとふたつきたりてくひあひてしににけり。はとはだいぼさつのじしやなり。みやじ「かかる不思
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議なし」とて、べつたうしやうじやう、事のよしくげにそうもんしたりければ、じんぎくわんにてみうらあり。「てんし、大臣のおんつつしみにあらず。しんかのおんつつしみ」とぞ、うらなひ申ける。是のみならず、かものかみのやしろに七ヶ日、かもみおやのやしろに七ヶ日しのびて、かちのひまうでをして、ひやくどせられけり。「きみやうちやうらいわけいかづちだいみやうじん、しよしうなふじゆして、しよきにこたへたまへ」といのられけるに、第三日にあたるよる、まうでてげかうし給て、なかのみかどのしゆくしよに、あしやうふしたまひたりけるよるのゆめに、うへのおんまへにさうらふとおぼしきに、かみかぜ心すごくふきおろして、ごほうでんのみとをきつとおしひらかれたりけるに、ややしばらくありて、ゆゆしくけだかきにようばうのみこゑにて、一首のうたをぞえいぜられける。
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さくらばなかものかはかぜうらむなよちるをばえこそとどめざりけれなりちかのきやう、むちゆうにうちなげきておどろかれけり。これにもはばからず、かみのやしろにはにんわじのしゆんげうほふいんをこめて、しんごんひほふをおこなひけり。しもわかみやにはみむろどのほふいんをこめて、だきにてんをおこなはれけるほどに、七日にみつるよる、にはかにてんひびきちうごくほどのおほあめふり、おほかぜふきて、いかづちなりて、ごほうでんのうしろのすぎのきにいかづちおちかかり、てんくわもえつきて、わかみやのやしろやけにけり。かみはひれいをうけ給はねば、かかるふしぎいできたりにけるにや。なりちかのきやう、是にもおもひしらざりけるこそあさましけれ。
十九 さるほどに、かおう三年正月三日、しゆしやうごげんぷくせさせたまひて、十
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三日てうきんのぎやうがうとぞきこえし。ほふわう、にようゐんは御心もとなくまちうけまゐらせ給ふ。しんくわんのおんすがたもらうたくぞわたらせ給ける。三月にはにふだうしやうこくの第二の御娘、にようごにまゐりたまひて、ちゆうぐうのとくしとぞ申ける。ほふわうごいうしのぎなり。七月にはすまふのせちあり。重盛みぎにつらなりをはしければ、「こんゑのだいしやうにいたらむからに、ようぎ、しんだいさへ人にすぐれ給へるは」と、申あひけるとかや。「かやうにほめたてまつりて、せめての事にや、まつだいにさうおうせで、おんいのちやみじかくおはせむずらむ」と申あひけるこそ、いまはしけれ。おんこたち、たいふ、じじゆう、うりんなどいひて、あまたおはしましけるに、皆いうにやさしくはなやかなる人にておはしましける上、だいしやうは心ばへよき人にて、しそくたちにも
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しいかくわんげんをならひ、事にふれ、よしある事をぞすすめをしへられける。
廿 さるほどに、このごろのじよゐ、ぢもくは平家の心のままにて、くげ、ゐんぢゆうのおんぱからひまでもなし。摂政、関白のせいばいにてもなかりければ、ぢしよう元年正月廿四日のぢもくにとくだいじどの、くわさんのゐんのちゆうじやうどのもなりたまはず。いはむや新大納言、おもひやよるべき。入道のちやくし重盛、うだいしやうにておはしまししが、左にうつりて、じなん宗盛、中納言にておはしけるが、すはいのじやうらふをこえて右にくはへられけるこそ、まうすはかりなかりしか。ちやくし重盛のだいしやうになりたまひたりしをこそ、ゆゆしき事に人おもへりしに、じなんにてうちつづきならびたまふ、よには又人ありともみえざりけり。
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廿一 なかにもとくだいじ、いちのだいなごんにて、さいかくいうちやうし、いへぢゆうだいにてこえられたまひしこそふびんなりしか。「さだめてごしゆつけなどやあらむずらむ」とよのひとまうしあひけれども、「このよのなかのならむやうをもみはてむ」とおもひたまひければ、ろうきよしたまひて、「今はよにありてもなにかせむ。本鳥をもきりて、さんりんにもまじはりて、いつかうまことのみちにいらむ」とのたまへば、げんくらんどのたいふすけもとなげきまうしけるは、「平家、しかいをうちたひらげて、てんがをたなごころににぎり、ばんじおもふさまなる上、せつしやうくわんぱくに所ををかずちじよくをあたへ奉り、ばんきのまつりごとを心のままにとりおこなはる。ひれいひほふちやうぎやうする平家のふるまひをうらみさせ給はば、おほくのあをにようばうたちみながしし候はんずらむ事こそくちをしく候へ。よははかりことにてこそ候へ。
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大政入道のことにあがめたまふ、あきのくにのいちのみや、いつくしまへごさんけいあるべく候。だいしやうのおんきたうの為にごさんろうわたらせ給はば、そのみこをばないしと申候、おほくまゐりて候はば、しゆじゆのおんひきでものたびて、もてなさせおはしませ。さておんげかうあらば、さだめてないしどもおんおくりにまゐりさうらはむずらむ。やうやうにすかして、ないし四五人あひともなはせおはしまして、京へおんのぼりさうらへ。ないし、京にてさだめてだいじやうにふだうどののげんざんにいりさうらはんずらむ。『なにしにのぼりたるぞ』ととひたまはば、ないしどもありのままに申さば、『わがたのみたてまつるところのいつくしまのだいみやうじんにまゐりたまひたりけるごさむなれ。いかでかかみのごゐくわうをばうしなひまゐらすべき。だいしやうにまゐらせよ』とて、いちぢやうまゐりさうらひぬとぞんじさうらふ。かやうにおん
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ぱからひやあるべく候らむ。徳大寺をこのおんときうしなはせ給はむ事、くちをしくさうらふ」と、なくなくこしらへ申ければ、げにもとやおぼしめされけむ。御心ならず、いつくしまへおんまうであり。あんのごとく内侍共つどひたりければ、しゆじゆのおんひきでものたびて、さまざまにもてなし給けり。かくてなぬかのごさんろうありて、おんげかうあるところに、内侍共なごりををしみまゐらせて、ひとひおくりまゐらせけり。つぎのひかへらむとするに、とくだいじどのおほせのありけるは、「なさけなし。ないしたち、いまひとひおくれかし」とのたまひければ、「うけたまはりぬ」とまうして、おくり奉る。つぎのひかへらむとする処、又いろいろのおんひきでものたびて、「ややないしたち、都をたちいでて、おほくの国々をへだてて、なみぢをわけて参たるこころざしは、いかばかりとかおもふ。されば、「だいみやうじんおん
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なごりをしくおもひまゐらするに、内侍達の是までおくり給たるは、しかしながら
大明神のごなふじゆとあふぎてかたみをとる。そのうへは只今ひきわかれ給はむ事あまりになごりおしきに、いまひとひおくれかし」と宣へば、「承ぬ」とて、又参にけり。「いまひとひいまひとひ」と宣ふ程に、内侍もさすがにふりすてがたくて、都ちかく参にけり。徳大寺殿の宣けるは、「内侍、さすがにみやこはちかく、われらがほんごくはとほくなりたり。おなじくはいざ都へ。きやうづとばしもとらせむ」と宣へば、「承ぬ」とて、内侍十人きやうへのぼる。「このうへは又大政入道殿のげんざんにいらざらむ事もおそれあり」とて、内侍共入道殿へさんじけり。いであひてたいめんし給けるに、入道宣けるは、「なにしにのぼりたるぞ」ととひ給ければ、「徳大寺殿、
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だいしやうこえられたまひて、そのおんなげきにごろうきよさぶらひけるが、ごしゆつけありて、ごしやうぼだいのおんつとめせむとおぼしめしたちてさぶらひけるが、『まことや、いつくしまの大明神こそ現弁もあらたにわたらせ給なれ。このこときせいしてかなはずは、御出家あるべき』にて、おんまうでさぶらひて、ごさんろうのあひだ、御心いうにわりなくわたらせ給ふ。内侍共にもいろいろのおんひきでものたびて、おんなさけふかくわたらせ給ふ程に、おんなごりおしみまゐらせて、ひとひおくりまゐらせてさぶらへば、いまひとひいまひとひとておくりまゐらせさぶらひつる程に、京まで参てさぶらふ。のぼる程にては、いかでか又げんざんにいらざるべきとて、参てさぶらふ」と申ければ、入道殿、「いちぢやうか」、内侍達、「さむざうらふ」と申ければ、「いとほしいとほし。さてはいつくしまへおんまうでありけるごさむなれ。じやうかい、
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だいみやうじん権現をふかくそうきやうし奉る。いかでかごんげんのごゐくわうをばうしなひ奉るべき。重盛だいしやうにあげよ」とて、大将へおしあげて、徳大寺殿を左大将になし奉る。
廿二 さてしんだいなごんなりちかのきやうおもはれけるは、「とののちゆうじやうどの、徳大寺殿、くわさんのゐんにこえられたらばいかがせむ、平家のじなんにこえられぬるこそゐこんなれ。いかにもして平家をほろぼして、ほんまうとげむ」ともふおもふ心つきにけるこそ、おほけなけれ。ちちのきやうは中納言までこそいたりしに、そのこにてくらゐじやうにゐ、くわんだいなごん、としわづかに四十四、だいこくあまたたまはりて、かちゆうたのしく、しそくしよじゆうにいたるまでてうおんにあきみちて、なにのふそくありてか、今かかるこころのつきにけむ。是もてん
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まのいたす所也。のぶよりのきやうの有様をまのあたりみしひとぞかし。そのときこまつのおとどのおんをかうぶりて、くびをつがれし人にあらずや。うとき人もいらぬ所にてひやうぐをととのへあつめ、しかるべきものをかたらひて、このいとなみよりほかはたじなかりけり。ひがしやまにししのたにといふところは、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんがりやう也。くだんのところは、うしろはみゐでらにつづきて、よきじやうなりとて、「かしこにじやうくわくをかまへて、平家をうちてひきこもらむ」とぞしたくしける。ただのくらんどゆきつな、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわん、あふみのにふだうれんじやうぞくみやうなりまさ、やましろのかみもとかぬ、しきぶのたいふまさつな、へいはんぐわんやすより、そうはんぐわんのぶふさ、しんぺいはんぐわんすけゆき、さゑもんのにふだうらをはじめとして、ほくめんのげらふあまたどういしたりけり。平家をほろぼす
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べきよりきの人々、新大納言をはじめとして、つねによりあひよりあひだんぎしけり。法皇も時々いらせたまひて、きこしめしいれさせ給。まいどしゆんくわんがさたにて、おんまうけていねいにしてもてなしまゐらせて、ごえんねんある時もありけり。あるとき、かの人々俊寛がばうによりあひて、ひねもすにしゆえんしてあそびけるに、さかもりなかばになりてよろづきようありけるに、ただのくらんどがまへにさかづきながれとどまりたり。新大納言、せいしいちにんまねきよせてささやきければ、程なくきよげなるながぴついちがふ、えんのうえにかきすへたり。じんじやうなるしろぬの五十たんとりいだして、やがてただの蔵人がまへにおかせて、大納言めかけて、「ひごろだんぎしまうしつる事、たいしやうにはいつかうごへんをたのみたてまつる。そのゆぶくろのれうにまゐらす。
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今いちどさうらはばや」といひたりければ、ゆきつなかしこまりて、ぬのにてうちかけておしのけければ、郎等よりてとりてけり。そのころじやうけんほふいんと申ける人は、こせうなごんにふだうしんせいがしそくなり。ばんじおもひしりてふるまふひとにてありければ、へいしやうこくもことにもちゐて、よのなかのことども時々いひあはせられけり。法皇のおんけしきもよくて、れんげわうゐんのしゆぎやうにもなされなどして、てんがのおんまつりごとつねにおほせあはせられけるに、「さてもこのことはいかがあるべき」と、法皇おほせのありければ、「この事ゆめゆめあるべからずとおぼえ候。今は人おほくうけたまはりさうらひぬ。いかがし候べき。只今てんがのだいじいできさうらひなむず。わがきみはてんせうだいじん七十二代、だいじやうほふわうのそんがうにてござさうらふといへども、わうぽふのよすゑになり、きよもりまたてうか
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にさかり也。それとまうすは君のごおんならずといふ事なし。しかるにてうてきをたひらぐる事たびたびなり。さればなにをもつて、清盛をばうしなはせ給候べき」と、はばかるところなくまうされければ、なりちかのきやうけしきかはりてたたれけるが、ごぜんなるへいじをかりぎぬのそでにかけてたふしたりけるを、法皇、「あれはいかに」とおほせありければ、「とりあへずへいじすでにたふれて候」と、まうされたりければ、法皇おんえつぼにいらせをはしまして、「やすよりまゐりてたうべんつかまつれ」とおほせありしかば、やすよりがのうなれば、ついたちて、「およそちかごろはへいじがあまりおほく候て、もてえひて候」と申たりければ、なりちかのきやう、「さてそれをばいかがすべき」とまうさる。やすより、「それをばくびをとるにはしかず」とて、へいじのくびをとりていりにけり。法皇もきようにいらせ給て、ちやく
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ざの人々もえみまげてぞわらはれける。じやうけんほふいんばかりぞ、あさましとおもひて、ものものたまはず、こゑをもいだされざりける。かのやすよりはあはのくにのぢゆうにんにて、しなさしもなき者なりけれども、しよだうにこころえたる者にて、君にちかくめしつかはれまゐらせて、けんびゐしごゐのじようまでなりにけり。ばつざにさうらひけるをめしいだされけるも、時にとりてはめんぼくとぞみえし。つちのあなをほりていふなる事だにももるといへり。ましてさほどのざせきなれば、なじかはかくれあるべき。そらをそろしくぞおぼゆる。かのしゆんくわんはこでらのほふいんくわんがこ、きやうごくのだいなごんまさとしがまごなり。さしてゆみやとるいへにあらねども、かの大納言ゆゆしく心のたけくはらあしき人にておはしましければ、きやうごくのいへのまへをば人をもたやすくとをさず、つねにはをくひし
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ばりて、いかりておはしましければ、人、「はぐひの大納言」とぞ申ける。かかりし人のまごなればにや、この俊寛もそうなれども、心たけくおごれる人にて、かやうの事にもくみせられたりけるにや。なかんづく、このしゆんくわんそうづとなりちかのきやうとことさらにしたしくむつびける事は、新大納言のうちに、まつ、つるとて二人のびぢよありけり。俊寛、かの二人をおもひてかよひける程に、つるは今すこしようばうはまさりたり、まつはすこしおとりたれども、心ざまわりなかりければ、まつにうつりてしそく一人まうけたりけるゆゑに、大納言もへだてなくうちたのみかたらひけるあひだ、よりきしたりける也。三月五日、ぢもくに内大臣もろながこう、大政大臣にてんじ給へるかはりに、左大将重盛、大納言さだふさのきやうをこえて、内大臣になられにけ
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り。ゐんのさんでうどのにてだいきやう行はる。こんゑのだいしやうになりたまひし上は、しさいにおよばねども、又うぢの左大臣のごれい、はばかりあり。又大政入道心もとなげにいはれければ、「由なし」と、おほせられけるとかや。
廿三 ごでうの中納言くにつなのきやう、大納言にならる。とし五十六、いちの中納言にておはしましけれども、第二にてなかのみかどの中納言むねいへのきやう、第三にてくわさんのゐんのちゆうなごんかねまさのきやう、このひとびとのなりたまふべかりけるをとどめて、くにつなのきやうのなられける事は、大政入道、ばんじおもふさまなるゆゑ也。このくにつなのきやうは中納言かねすけのきやうのはちだいのばつえふ、しきぶのたいふもりつながまご、さきのうまのすけなりつながこなり。しかるにさんだいはくらんどにだにもならず、じゆりやう、しよしのすけなどにてありけるが、しんじのざつしきとてこんゑのゐんのおん
とき、ちかく
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めしつかはれけるが、さんぬるきうあん四年正月七日、いへをおこしてくらんどのとうになりにけり。そののちしだいになりあがりて、ちゆうぐうのすけなどまではほつしやうじどのごすいきよにてありし程に、ほつしやうどのかくれさせたまひてのち、大政入道にとりいりて、さまざまにみやづかひける上、ひごとになににてもいつすをたてまつられければ、「しよせん、げんぜのとくい、この人にすぎたる人あるまじ」とて、しそくいちにん入道のこにして、つねくにとまうしつけてじじゆうになされぬ。三位の中将しげひらをむこになしてけり。のちには中将、うちのおんめのとになられたりければ、そのきたのかたをばははしろとて、だいなごんのてんしとぞ申ける。〔ほくめんは〕しやうこにはなかりけり。しらかはのゐんのおんときはじめておかれて、ゑふどもあまたさうらひけり。なかにもためとし、もりしげ、わらはより、せんじゆまる、いまいぬまるなどとて、きりものにて
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ありけり。千手丸はもとはみうらの者也。のちはするがのかみになさる。今犬丸はすはうのくにのぢゆうにん、のちはひごのかみとぞ申ける。とばのゐんのおんときも、すゑのり、すゑよりふしちかくめしつかはれて、てんそうするおりもありときこえしかども、みなみの程をばふるまひてこそありしに、このおんときのほくめんのものどもはことのほかにくわぶんして、くぎやう、てんじやうびとをも物ともせず、れいぎもなかりけり。げほくめんよりじやうほくめんにうつり、上北面より又てんじやうをゆるさるるものもありけり。かくのみあるあひだにおごれる心ありき。かのすゑのりと申はげんざゑもんのたいふやすすゑがしそく、かはちのかみこれなり。すゑよりはすゑのりがこ也。たいふのじようといふも、是也。そのなかにこせうなごんのにふだうのもとにもろみつ、なりかげといふ者ありけり。こでい人わらは、もしはかくごしやにて、けしある
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ものどもなりけれども、さかざかしかりけるあひだ、院のおんめにかかりてめしつかはれけり。もろみつはさゑもんのじよう、なりかげはうゑもんのじように、二人いちどになりたりけり。少納言の入道の事にあひし時、ににんともに出家して、おのおのなのりの一字をかへず、さゑもんの入道はさいくわう、うゑもんの入道はさいきやうとぞいひける。二人ながらみくらのあづかりにてめしつかはれけり。西光がこ、もろたかもきりものにてありければ、けんびゐしごゐのじようまでなりにけり。
廿四 あんげん二年十一月廿九日、かがのかみににんじて、こくむをおこなふあひだ、さまざまのひれいひほふちやうぎやうせしあまり、じんじや、ぶつじ、けんもんのしやうりやうをもたふし、さんざんのことどもにてぞありける。たとひせうこうがあとをつたふとも、をんびん
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のまつりごとをこそおこなふべかりしに、よろづ心のままにふるまひしゆゑにや。おなじき三年八月に、しらやまのまつじにうかはといふやまでらにいでゆあり。かのゆやにもくだいがむまをひきいれてゆあらひしけるを、てらのこぼふしばら、「わうごよりこのところにむまのゆあらひのれいなし。いかでかかかるらうぜきあるべき」とて、しらやまのちゆうぐう、はちゐんさんじやのそうちやうりちしやく、かくめいらをちやうぼんとして、もくだいのひさうの馬のををきりてけり。もくだい是をおほきにいかりて、すなはちかのうかはへおしよせて、ばうじやいちうものこさず、やきはらひにけり。うかはしらやまはちゐんのだいしゆ、こんたいばうたいしやうぐんとして、五百騎にてかがのこくふへおひかかる。つゆふきむすぶあきかぜはよろひのそでをひるがへし、くもゐをてらすいなづまはかぶとのほしをかかやかす。かくてかうだうにたてごもり、
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ちやうへつかひをたてたれば、目代ひがことしつとやおもひけむ、ちやうにはしばしもたまらずしてにげのぼりにけり。うかはのだいしゆどもちからおよばずしてせんぎしけるは、「しよせんほんざんのまつじなり。ほんざんへうつたへまうすべし。もしこのそしようかなはずは、われらながくしやうどにかへるべからず。」「もつとももつとも」とて、じんずいをのみいちどうして、しんよをやがてふりあげたてまつるあひだ、あんげん三年二月五日うかはをたちて、ぐわんじやうじにつき給ふ。おんとものたいしゆ一千余人也。願成寺よりおなじき六日、ほとけがはら、かなつるぎのみやへいり給ふ。ここにおいていちりやうにちとうりうす。
廿五 おなじきここのかのひ、るすどころよりてふじやうあり。ししやにはくすのきじらうたいふのりつぎ、たんだの二郎大夫ただとしら也。かのてふじやうにいはく、るすどころのてふ、しらやまのみやのしゆとのが
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はやくしゆとのさんらくをちやうじせられんとほつすることてふす、しんよをふりたてまつりて、しゆとさんらくをくはたてて、そしようをいたさしむ。ことのおもむきおもからざることなきにあらず。これによつてざいちやうただとしをさしつかはして、しさいをたづねまうすをところに、いしゐのほつけううつたへまうさんがために、さんらくせしめむとへんたふありとうんうん。このでうあにしかるべからず。いかでかせうじによつて、おほかみをうごかしたてまつるべきをや。もしくにのさたとしてさいきよしたるべきそしようかてへれば、げじやうをたまはりてまうしあぐべきなり。こふや、じやうをさつしてもつててふす。
安元三年二月九日 さんゐのあつそん
さんゐのあつそん
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さんゐのあつそん
もくだいみなもとのあつそんざいはん
とぞかきたりける。これによつて、しゆとのへんてふにいはく、しらやまちゆうぐうのだいしゆまんどころへんてふところのがらいてふいつしにのせおくらるる、しんよごしやうらくのことてふす、こんげつここのかのてふ、どうにちたうらいす。じやうによつてしさいをあんずるに、しんめいわがふしまします。しかるにきちにちをてんぢやうして、たびぢにしんぱつす。つぎにじんりきをもつてこれをせいばいすべからず。みやうりよあにこれをおそれざらんや。よつてごにちをもつててふへんのじやうにまかするしさいのじやうくだんのごとし。
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あんげん三年二月九日 ちゆうぐうのだいしゆら
廿六 おなじきとをかのひ、ほとけがはらをいでてすいづへさしたまふ。同日またるすどころよりつかひ二人あり。さいしよのたいふなりさだ、きつじらうのたいふのりつぎら、のしろやまにて大衆のごぢんにくだんのつかひおひつきたり。すなはちらくばしぬればむまのあしをれたり。是をみてしゆといよいよしんりきをとる。同十一日にににんのつかひすいづにたうらいす。あへてへんてふなし。ことばをもつてししやしんよをとどめたてまつるといへども、事ともせずしやうらくす。そのときのくわんじゆはろくでうのだいなごんみなもとのあきみちのおんこ、こがのだいじやうだいじんのおんまご、めいうんそうじやうにておはす。もんぜきのだいしゆ三十余にん
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をさしくだし、つるがのなかやまにてしんよをとどめたてまつる。つるがのつ、かねがさきのくわんおんだうへいれたてまつりて、しゆごしけり。
廿七 しらやまのしゆとら、さんもんへてふじやうをつかはす。そのじやうにいはく、きんじやうえんりやくじごじてふしらやまのしんよをさんじやうにあげたてまつりもくだいもろつねのざいくわをさいきよせられむとほつすることみぎ、しさいをごんじやうせしむといへども、いまにさいほうをかうぶらざるあひだ、しんよごじゆらくのところ、よくりうのでう、これいつさんのだいそなり。つらつらことのこころをあんずるに、しらやまはしきぢありといへども、これしかしながらさんぜんのしやうぐなり。めんでんありといへども、たうにんいうめいむじつ
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なり。これによつて、ぶつじんのことだんぜつけんぜんなり。よつてたうねんのはつかう、さんじつかう、おなじくもつてだんぜつす。わがやまは、これだいひごんげん、わくわうどうぢんのそいさうらふ。ちかごろかたじけなくもむかひはいするやからまたもつてだんぜつす。このときにあたりてふかきなげきせつなり。しかれば、しんよをふりたてまつり、ぐんさんをくはたつるところなり。ながくきやうこうのさかえをわすれ、ごしやくのこうしよう、いたづらにくわうこんのつとめをひびかす。たれかみやうだうのとくをあきらかにせむ。じんりんにありてめいちのようふかきなり。なんぞまつたくしやうらいのきつきようをあらはさざらむや。ごんげんのごじげんこれあり。しかればすなはちせいはふにかかはらずして、すでにつるがのつにつかしむ。ごじてふのじやうにまかせて、しんよしやうらくのぎをとどめむ。ごさいほうをまつべきじやう、くだんのごとし。
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あんげん三年二月廿日 しゆとら
とぞかきたりける。
廿八 同廿一日、せんたうらこのじやうをとりてかへりのぼるあひだ、さいきよをあひまつところに、かさねてししやきたりていはく、「しやうらくせられたりといふとも、ごさいきよあるべからず。そのゆゑは、ゐんのみくまのまうでなり。おんげかうののち、しやうらくせらるべし」とて、かのしんよをうばひとりたてまつり、かねがさきのくわんおんだうにいれたてまつりて、だいしゆ、みやじ、せんたうら、是をしゆごしたてまつる。しらやまのしゆと、ひそかにしんよをぬすみとりたてまつりて、つるがのなかやまみちへはかからで、あづまぢにかかり、いるのやまをこえ、やながせをとほり、あふみのくにかふだのはまにつく。それよりふねにみこしをかきのせ奉て、ひがしざかもとへいれたてまつらむとほつす。をりふしたつみのかぜはげしくふきて、かいしやうしづかならずして、こまつがはまへふきよせられ
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たまひけり。それよりひがしざかもとへしんよをふりあげたてまつる。さんもんの衆徒、さんたふくわいがふしてせんぎしけるは、「まつしやのしんよおろそからならず、ほんじやのごんげんのごとし。まつじのそういやしからず、ほんざんのたいしゆにおなじ。いかでか訴訟をききいれざるべき」といちどうにせんぎして、ひよしのやしろにはしらやまをばまらうとといはひたてまつりたれば、はやまつのしんよをばまらうとのみやにやすめたてまつりて、さんもんのだいしゆら、ゐんのくまのまうでのごきらくをぞあひまちける。
廿九 さるほどにゐんおんげかうあり。しらやまのしゆとら、「そしようかくのごとし。げにこのこともだしがたくさうらふや。しからば、もろたかをるざいにおこなはれ、もろつねをきんごくせらるべき」よし、そうもんせしに、ごさいきよおそかりしかば、大政大臣、さうのだいじんいげ、さもしかるべきくぎやうたちは、「あはれ、とくごさいきよあるべき
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ものを。山門の訴訟は昔よりたにことなる事也。おほくらのきやうためふさ、ださいのごんのそつすゑなかはてうかのちようしんなりしかども、大衆の訴訟によつてるざいせられにき。ましてもろたかなどが事はもののかずならず。しさいにやおよぶべき」と、ないないはまうされけれども、ことばにあらはれてそうもんのひとなし。たいしんはろくをおもんじてまうされず、せうしんはつみをおそれていさめずといふことなれば、おのおのくちをとぢ給へり。そのときのげんにんのくぎやうには、かねざね、もろながをはじめとして、さだふさ、たかひでにいたるまで、みをわすれていさめ奉り、ちからをつくしてくにをたすくべき人々にてをはしける上、ぶゐをかかやかしててんがをしづめし入道のしそく重盛など、しくやのきんらうをつつみてをはせしに、かれといひ、これといひ、もろ
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たかひとりにはばかりて、心にかたぶけながらことばにはいさめまうされざりける事、君につかふるほふ、あにそれしかるべけむや。「せんしやのくつがへるをたすけずは、こうしやのまはるをあにたのまんや」とこそ、せうがをばたいそうはおほせられけれ。おそらくは君もくらくおぼえさせ給べきにあらず、しんもはばかりあひ給べき人々にやをはせし。いかにいはむや、くんしんの国にをいてふや、けんせいのまつりごとひがまむにをいてふや。「かもがはのみづ、すごろくのさい、やまほふし、これぞわがこころにかなはぬもの」と、しらかはのゐんはおほせありけるとかや。さればとばのゐんのおんとき、へいせんじをもつてをんじやうじにつけらるべきよし、そのきこえあり。さんもんのしゆとたちまちにさうどうしてそうじやうをささげ申す。そのじやうにいはく、
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卅 えんりやくじのしゆとらのげ、ゐんのちやうさいをこふことまげておんじゆつをたれ、おうとくのじてふにまかせて、しらやまへいせんじをもつて、ながくたうざんのまつじたらむとこふじやうみぎつつしみてあんないをかんがふるに、さんぬるおうとくぐわんねん、しらやまのそうら、かのへいせんじをもつて、たうざんのまつじにきしんず。ときに、ざすりやうしん、よせぶみのむねにまかせて、じてふをなしてかのやまにつけをはんぬ。しかしてよりこのかた、そうりよのそしようなきによつて、しゆとのさたにおよばず。しかるあひだ、いんじはる、かのやまのぢゆうそうらきたりて、たうざんにうつたへていはく、「これえんりやくじのまつじなり。おうとくのじてふ、もつともしようげんにたれりと」うんうん。かくしゆう
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かのべつたうのしきにまかせて、ひほふらんぎやうひをおひてばいぞうし、うれひをつみてまくらとす。けつくたうざんをもつて、をんじやうじのまつじとなさむとほつすとてへり。たうざんもとよりほんじなきにあらず。なかんづくひよしのまらうとのみやは、しらやまのごんげんなり。すいしやくかのしんしよをはかるにおいて、さだめてそのゆゑあらむか。えいりよたちまちにへんず。きみのふめいにあらず、しんのふちよくにあらず。わがやまのぶつぽふ、まさにもつてほろぶるきざしなり。うれひてあまりあり。さうてんをあふぎてなみだをおさふ。かなしみていかがせむ。ちゆうたんにきうしてたましひをけす。しゆともしちよくめいにくわいゐせば、せんぞうのくじやうにおうずべからず。しゆともしてうゐをいるかせにせば、うれひをいだきていつさんのさうどうをとどむべからず。さいほうのところ、なんぞぎやうしやくなからむや。のぞみこふ、まげて
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おんじゆつをたれ、しらやまへいせんじをもつて、もとのごとくてんだいのまつじたるべきよし、さいきよせられば、まさにじやうぎやうさんぜんのしうぎんをなぐさめて、いよいよせんゐんすひやくのかれいをいのりたてまつらむ。よつてろくじやうつつしみてげす。
きうあん三年しぐわつ び
とぞかきたりける。このまうしじやうによつて、くぎやうせんぎありて、さんもんにつけらるべき、ゐんぜんをくだされていはく、ゐんぜんをかうぶりていはく、しゆとのさうどう、せいしにかかはらず、ことらんそたり。これによつて、かつはけうあくのともがらをふせかんがため、かつはほうきのたぐひをとどめんがため、せんれいにまかせて、
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ぶしをまうけらるるところなり。しかるにようじほこきをつて、しいうをけつせんとほつするよし、らくちゆうにをうかし、さんじやうにふうぶんす。すでにえいりよにあらずに。よつてぶしすなはちぐんをといて、ほんごくにかへしつかはしをはんぬ。いかにいはむや、こんどくじやうといひじんじといひ、ただ、ちよくめいをもつぱらにしてごんぎやうせしむるよし、ひちんのむねえいんでんのうちにいかでかあいれんなからんや。よつてそうじやうかくしゆういはく、「かのしらやまへいせんじをもつてえんりやくじのまつじたるべきよし、せんげせらるべし。ただしじこんいご、まつじしやうゑんのことによつて、ひだうのうつたへをいたすべからず。」このでうにおいては、ほとほとしよしゆうのひばうをまねくか。いつさんのかきんをのこすににたり。しかるにおんきえのそうあさからずして、つゐにひをもつてりとして、さいきよせらるるところなり。おのおのくわんぎのたなごころをあはせて、ひやくにじふねんのさんをいのりたてまつるべきよし、おほせつかはすべき
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ものなり。せんによつて、しやうけいくだんのごとし。
きうあん三年四月廿七日 みんぶきやううけたまはり
とぞかきたりける。昔がうのちゆうなごんまさふさのまうされけるやうに、「しんよをぢんとうへふりたてまつりてうつたへまうさむ時は、君いかがおんぱからひあるべき」とまうされたりけるには、「げにもだしがたき事なり」とこそおほせられけれ。
卅一 ほりかはのゐんのぎよう、さんぬるかほうぐわんねんきのえのいぬ、よりよしが なん、みののかみみなもとのよしつなのあつそん、たうごくのしんりふのしやうをてんだうするあひだ、やまのくぢゆうしやゑんおうをせつがいす。これによつて、さんもんのいきどほりふかくして、同十月廿四日、このことをうつたへ
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申さむとて、じくわんじんぐわんをさきとして、大衆げらくする由、ふうぶんありしかば、ぶしをかはらへさしつかはしてふせかせらる。しかるにじくわんら三十余人まうしぶみをささげて、おしやぶりてぢんとうへさんじやうせむとしけるを、もろみちごにでうのくわんぱくどの、ちゆうぐうのだいぶもろただがまうしじやうによつて、おんさぶらひやまとげんじなかづかさのじようよりはるをめして、「ただほふにまかせてあたるべきなり」とおほせられければ、よりはるうけたまはりてふせきけるに、なほおほうちへいらむとするあひだ、よりはるがらうどうさんざんにいる。きずをかうぶるじんにん六人、しぬる者二人、しやじ、しよしら、しはうににげうせぬ。まことにさんわうのしんきんいかばかりかおぼしめすらむとぞみえける。中にもはちわうじのねぎともざねにやたてたりけるこそあさましけれ。大衆ふんまんのあまり、おなじき廿五日しんよをちゆうだうへふりあげたてまつり、
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ねぎをばはちわうじのはいでんにかきいれて、じやうしん、ぢやうがく二人をもつてくわんぱくどのをしゆそし奉る。そのけいびやくのことばにいはく、「われらがなたねのふたばよりおおしたてたまふ、ななのやしろのかみたち、さうしかのみみふりたててきき給へ。むしものにあひてこしがらふで、さんわうのじんにんみやじいころしたまひつる、しやうじやうせせにくちをし。ねがはくははちわうじごんげん、ごにでうのくわんぱくどのへかぶらやひとつはなちあてたまへ。だいはちわうじごんげん」と、たからかにこそきせいしけれ。そのころのせつぽふ、へうびやくはしうくをもつてさきとす。しんじやうのだうしはちゆういんそうづとぞきこえし。がうのちゆうなごんまさふさ申されけるは、「もろただがまうしじやう、甚だしんめいのちじよくにおよぶ。あはれ、ばうこくのもとゐかな。うぢどののおんとき、だいしゆのちやうぼんとて、らいじゆ、りやうゑんらをながさる
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べきにてありしに、さんわうのごたくせんいちしるかりければ、すなはちざいめいをなだめられて、さまざまにおんおこたりを申させたまひしぞかし。さればこの事いかがあらんずらむ」と、うたがひまうされけり。さても不思議なりしには、はちわうじのごてんよりかぶらやのこゑいでて、わうじやうをさしてなりてゆくとぞ、人のゆめにはみえたりける。そのあしたくわんぱくどののごしよのみかうしをあげたりければ、只今やまよりとりてきたるやうに、つゆにぬれたるしきみひとえだたちたりけるこそおそろしけれ。やがて後にでうのくわんぱくどの、さんわうのおんとがめとておもきおんいたはりをうけさせ給ふ。ははうへ、おほとののきたのまんどころ、なのめならずおんなげきありて、おんさまをやつしつつ、いやしきげらふのまねをして
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ひよしのやしろにごさんろうありて、なぬかななよがあひだいのり申させ給けり。まづあらはれてのおんいのりには、ひやくばんのしばでんがく、百番のひとつもの、けいば、やぶさめ、すまふ、おのおの百番、ひやくざのにんわうかう、百座のやくしかう、いつちやくしゆはんのやくしひやくたい、とうじんのやくしいつたい、ならびにしやかあみだのざう、おのおのざうりふくやうせられけり。またごしんぢゆうにあまたのごりふぐわんあり。おんこころのうちのことなれば、いかでかしりたてまつるべき。それに不思議なりし事は、はちわうじのおんやしろにいくらもなみゐたるまいりうどのなかに、みちのくによりはるばるとのぼりたりけるわらはみこ、やはんばかりににはかにたえいりけり。はるかにかきいだしていのりければ、ほどなくいきいでて、たちてまひかなづ。人きどくのおもひを
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なして是をみる。はんじばかりまひてのち、さんわうおりさせたまひて、やうやうのごたくせんこそおそろしけれ。「しゆじやうらたしかにうけたまはれ。われゑんしゆうのけうぽふをまもらんが為に、はるかにじつぽうけわうのどをすてて、ゑあくじゆうまんのちりにまじはり、じふぢゑんまんのひかりをやはらげて、このやまのふもとにとしひさし。きもんのきようがいをふせかんとては、あらしはげしきみねにてひをくらし、くわうていのほうそをまもらん為には、ゆきふかきたににてよるをあかす。そもそもぼんぷはしるやいなや、関白のきたのまんどころ、わがおんまへになぬかこもらせたまひて、ごりふぐわんさまざまなり。まづだいいちのぐわんには、『こんどてんがのじゆみやうたすけてたべ。さもさぶらはば、はちわうじのやしろよりこのみぎりまでくわいらうつくりて、しゆとのさんじやの時、うろのなんを
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ふせくべしと」。このぐわんまことにありがたし。されどもわがやまのそうりよ、みつの山のさんろうの間、さうせつうろにうたるるをもつて、ぎやうじやのこうをあはれみて、わくわうどうぢんのけちえんとして、此所をしめてわれにちかづく者をあはれまんとなり。第二には、『三千人の衆徒にまいとしのふゆこそでひとつきせん』とのぐわん、これまたおぼしめしうけられず。そのゆゑは、きうかさんぷくのあつきにはあせをのごひて、ひねもすにさんだいそくぜのはなぶさをたむけ、けんとうそせつのさむきにもみをわすれて、よもすがらしくわんみやうじやうのつきをもてあそぶをもつて、しぢゆうのそうりよのぎやうとせり。第三には、『みづからいちごのあひだ、つきのさはりをのぞきて、都のすまゐをすてて、みやごもりにまじはりてみやづかひ申さむ』となり。このぐわんことにいとほし。しかりといへども、おほとののきたのまんどころほどの人
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を、みやごもりの者にならべ奉らむ事かなふまじ。だいしのぐわんには、『おんむすめごにんのひめぎみ、いづれもわうじやういちのびぢよなり。かれをもつてしばでんがくせさせてみせまゐらせん』とのおんこころざしせつなれども、摂政関白のおんむすめたち、いかがさやうのふるまひをばせさせたてまつるべき。第五には、『はちわうじのおんやしろにてまいにちたいてんなく、ほつけもんだふかうおこなふべし』となり。これらのごぐわんども、いづれもおろそかならねども、ほつけもんだふかうは誠にあらまほしくこそおぼしめせ。こんどの訴訟は、むげにやすかりぬべき事を、ごさいきよなくして、もろみち、よりはるにおほせて、われを馬のひづめにけさするのみならず、じんにん、みやじいころされ、人おほくきずをかうぶりて、なくなくまいりて、わがごぜんにてうつたへまうすことが心
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うければ、いかならむすゑのよまでもわするべしともおぼしめさず。かれらにたつところのやは、しかしながらわくわうすいしやくのおんはだへにたちたるなり。まこととそらごととは是をみよ」とて、かたぬぎたるをみれば、左のわきのした、おほきなるかはらけのくちほどうげのきたるこそ、きどくなれ。「これがあまりに心うければ、いかに申ともしじゆうのことはかなふまじ。いちぢやうほつけもんだふかうおこなはすべくは、みとせが命をのべ奉らむ。それをふそくにおもひたまはばちからおよばず」とて、さんわうあがらせ給けり。ははうへひとにかたらせ給はねば、たれもらしつらむとうたがはせ給ふかたもなかりしに、おんこころのうちの事ども、ありのままにごたくせんありしかば、いとどしんかんにそみて、たつとくぞおぼえける。
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なくなくまうさせ給けるは、「たとひひとひかたときながらへさぶらふとも、ありがたうこそさぶらふべきに、ましてみとせが命をのべてたまはらむ事、しかるべうさぶらう」とて、ひよしのやしろをおんくだりありて、都へいらせ給けり。やがててんがのごりやう、きいのくにたなかのしやうといふところ、えいたいきしんせられけり。されば今のよにいたるまで、ほつけもんだふかう、まいにちたいてんなしとぞうけたまはる。かかりし程にごにでうのくわんぱくどの、おんやまひかるませたまひて、もとのごとくにならせたまふ。じやうげよろこびあはれしほどに、みとせのすぐるはゆめなれや、えいちやう二年になりにけり。六月廿一日、またごにでうのくわんぱくどの、さんわうのおんとがめとて、おんぐしのきはにあしきおんかさいできさせたまひて、うちふ
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させたまひしが、おなじき廿七日、おんとし三十八にて、つゐにかくれさせ給へり。おんこころのたけさ、りのつよさ、さしもゆゆしくをはせしかども、まめやかにいまはの時にもなりしかば、おんいのちををしませ給ける也。誠にをしかるべきおんよはひなり。四十にだにみたせ給はで、おほとのにさきだちまいらせさせたまふこそかなしけれ。かならずしもちちをさきだつべしといふことはなけれども、しやうじのをきてにしがたふならひ、まんとくゑんまんのせそん、じふぢくつきやうのだいしたちもちからおよばせ給はず。じひぐそくのさんわう、りもつのはうべんなれば、おんとがめなかるべしともおぼえず。かのよしつなも程なくじがいして、いちるいみなほろびけり。もろただも程なくうせにけり。昔も今もさんわうのごゐくわうはおそるべき事とぞまうしつたへたる。
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そうじてだいだいのみかど、ほくれいをそうちようせらるること、たさんにこゆ。ぶつぽふ、わうぼふたがひにこれをまもれば、いちじよう、ばんじよう共にさかり也。されば山門の訴訟は只しゆとのなげき、山王ひとりのおんいきどほりにもかぎるべからず。べつしては国家のおんだいじ、そうじてはてんがのうれひなり。しんこくにすみて、かみよをつぎ、かみをあがめ給ふ事、てうかのとくせいなれば、さんわうにかたさりおはしても、などかごさいきよなきとぞ、人かたぶき申ける。誠にぶつぽふ、わうぼふはごがくのごとし。ひとつもかけてはあるべからず。ほふあればくにしづかなり。仏法もしほろびなば、王法なんぞまつたからむ。山門もしめつばうせば、ゑんしゆうなにかそんすべきや。よまつぼふにうつりてすでに二百よさい、とうじやうけんごの時にあたれり。にんま、てんまのちからつよくして人の心をさまらず。およそえいさんのぢぎやうのすがたをみるに、ししのふせるににたりとぞ承はる。
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人のこころのぢゆうしよににたること、みづのうつはものにしたがふがごとしといへり。きよをたかきみねにしめてとこしなへにけはしきさかをのぼりくだれば、衆徒の心たけくして、けうまんをさきとす。さればむかしまさかど、宣旨をかうぶりて、おんつかひにえいさんにのぼりけるが、おほだけといふ所にてきやうぢゆうをみおろすに、わづかにてににぎるばかりにておぼえければ、すなはちむほんの心つきにけり。あからさまのとうざんなほしかなり。いかにいはむやたんぼのきやうりやくにおいてをや。そもそも延暦寺と申は、でんげうだいしさうさうのみぎり、くわんむてんわうのごぐわんなり。つたへきく、伝教大師おんとし十九とまうす、えんりやくしねんしちぐわつのころ、えいさんによぢのぼり給て、がらんをこんりふしぶつぽふをひろめむとて、ほんぞんをつくりたてまつらんがために、さんちゆうにいりたまひて、「りやくしゆじやうのぶつざうとなるべきれいぼくやをはする」と、声をあげてさけびたまひけるに、こくうざうのをの北
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なる林の中に、「ここにあり」とぞこたへける。かのれいぼくをきりて、だいし、てづからみづからやしくによらいのぎやうざうをぞきざみあらはし給ける。ひとたびけづりては、「あまねくぢやうやのやみをてらし給へ」と、けづるたびにらいはいし給へば、おんかしらよりはじめて、めんざうあらはれおはす。おんむねのほどにもなりしかば、大師らいし給ふごとに、れいざうかしらをたれてうなづき給ふ。其時しゆじやうさいどをばことうけしたまひぬ。「あなかしこ一人ももらしたまふな」とて、ざうひつし給にけり。たけ五尺五寸のみなこんじきのりふざう也。同七年に本堂をつくりて、あんぢしたてまつり給へり。じかくだいし、かのぶつざうと常に物語し給けるとかや。さうおうくわしやうばかりぞ御声をばきき給ける。おなじき十三年、ながをかのきやうよりへいあんじやうにうつりてくわうきよを
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さだめられけるに、きもんの方にあたりてたかきみねあり。「かのみねにがらんをたてば、みやこのきようがいあるべからずと」、みかどおぼしめして、でんげうだいしにおほせあはせられければ、「わがてらをきみにたてまつるべし」とて、ほんぶつやくしによらいはごそくさいの御ため、もつともさうおうし給へり。ざうりふのしだいなどこまかく申させ給ければ、てんわうおほきにえいかんありて、大師とふかくしだんのちぎりをむすび給て、ごぐわんじとさだめられにけり。みかどあまりにたうざんをしふしおぼしめして、おんことばのつまにも、「わがやま」とぞおほせありける。さればちかごろも山門を「わがやま」と申は、かのおんことばの末とかや。大師は、「わがたつそま」とものたまへり。えいりよにたぐへるが故に、「ひえいさん」ともなづく。又、「えいがく」ともいふなるべし。てうばうよそにすぐれて、しはうとほくはれたるが故に、
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「しめいさん」ともなづくとかや。又てんだいしゆうのてらなるが故に、「てんだいさん」ともなづけたり。たいていもろこしの天台山ににたりといへり。さても天台宗はなんがく、天台ともにりやうぜんのちやうじゆとして、しんだんにいでたまひて、仏法をひろめたまひしより、ししさうじようせり。しんだんこくにがんじんわじやうといひし人、げんぎ、もんぐ、しくわんのさんだいぶをもちてほんてうへわたりしに、きこんたへざりしかば、いしのむろにをさめてひろうせざりしを、伝教大師しよしゆうのけうさうをうかがひ給ふに、天台のほふもんにこころづきたまひければ、わがやまにるふし給て、諸宗のめいとくをくつして、かいかうのろんぎをだんぜられけるに、りくつなほきはまらずおもはれければ、おなじき廿三年四月におんとし三十八にしてにつたうす。まづかの
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せいしゆにそうして、天台のゆいせきをじゆんれいし給けるに、ひとつのほうざうあり。てんだいだいし、にふめつのあしたより今にいたるまで、かぎなくしてひらく人なし。だいしのきもんにいはく、「われめつごにとうごくよりしやうにんきたりて、このほうざうをばひらくべしと」うんうん。伝教大師是を聞給て、ふところよりかぎをとりいだし、「是は本朝にてがらんこんりふのためちをひきし時、つちの中よりほりいだしたりしを、やうあるべしとおもひて、昼夜にみをはなたずたもちたり。もしこのかぎやあひたる。こころみにあけてみむ」とのたまひて、くだんのかぎをさしあはせ給へば、あたかもふけいのごとくして、宝蔵ひらきにけり。せいしゆにこのよしをそうし申ければ、ぜんぜのしゆくえんあさからざることをえいかんありて、かのこざうにをさむるところのしやうざい、ことごとく大師に
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わたしたてまつりたまへり。すなはちだいし是をしやうらいし給て、わがやまにぞをさめられける。今のごきやうざうとまうすは是也。でんげうだいしじやうぎの道具、しやうあんだいしのわたし給へるしやうげうとう、皆かのきやうざうにをさまれり。このなかに「天台のいちのはこ」となづけて、いつしやうふぼんの人一人してみることにて、たやすくひらくざすまれなり。かのとたうの時、たうすいくわしやう、かうまんざすにあひてけうさうをでんぢし、じゆんげうあざりにこんたいりやうぶのひほふをでんじゆして、おなじき廿四年六月にきてうし給へり。けんみつのあうぎをきはめられしかば、いつてんぎやうそうししかいきぶくす。さんせんのちやうがうを制作して、せんしうのほうそをいのり、ろくきのたふばをろくしうにわかちすゑたてまつりて、ばんしゆんのあんねいをきせいし給ふ。
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さればにや、てんがをさまりてこくぐんゆたかなりき。次にじやうぎやうだうのあみだは、じかくだいしきてうの時、かいしやうにじげんして、光をはなち、声をあげて、いんじやうをとなへたまひしそんざうを、大師むかへたてまつり、あんぢし給へる、じねんゆじゆつの仏也。かの大師、よかはのすぎのほらにてみとせのあひだおこなひて、書写し給へるによほふきやう、わがてうのうせいむせいのかみたち、昼夜にけつばんして、守護したまふとかや。むどうじのほんぞんは、さうおうくわしやう、しやうじんのふどうををがみたてまつらんとちかひて、きたのかたへむかひてあこがれおはしける処に、もんじゆのけしんなるらうをうにをしへられて、かつらがはの第三のたきにいたりつつ、たんぜいのまことをいたし、きせいせられければ、しやうじんのふどうしゆつげんし給へり。くわしやうずいきの涙をながしつつ、「又と
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そつてんにいたりて、しやうじんのみろくをはいせさせ給へ」ときねんせられければ、御肩にのせつつ、ほどなくとそつのないゐんにのぼり給て、げんしんにみろくぼさつをはいしたてまつり給ける、しやうじんのふどうそんこれなり。このほか、だいごんのすいしやく、そのかずおほし。かうそうのぎやうとくあらたなるもおほかりき。かのゑりやうなづきをくだき、そんゑつるぎをふりしかうげん、たれびとか肩をならべんや。そうじてさいたふよかはのだいしせんとくのざうりふ、りしやうけちえんのほんぞん、かずをしらず。そのれいげんはんたなり。これみな、ぶつにちせうらんをへうじし、せいてうあんをんのきずいにあらずや。誠にてんがぶさうのりやうぜん、ちんごこくかのだうじやうなり。くわんむてんわうのちよくぐわんなれば、よよのけんわうせいしゆ、皆わがやまをあがめ給ひ、しよゐんしよだう、ちよくぐわんにあらずといふことなし。だうたふのぎやう
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ぼふ、いまにたえず。せいざうしひやくよくわい、くんじゆいくばくかつもるらむ。法はこれいちじようさんみつのめうほふ、ぶつぽふのげんていにあらずや。人はしくわんしやなのぎやう、ぼさつのだいかいをたもてり。なかんづく、ひよしさんわうしちしや、わうじやうしゆごのちんしやうとして、きもんのかたにあとをたれ給へり。このひよしのさんわうと申は、きんめいてんわうのおんとき、みわのみやうじんとあらはれて、やまとのくににぢゆうし給き。てんちてんわうのおんとき、大和国よりこのみぎりへうつりたまひて、たうざんのさうさうにさきだちたまふことひやくよさい、のちにいちじようゑんしゆうをひろめらるべき事をかんがみたまひけるにや、あるいはなんかいのおもてにごしきのなみたちけるが、「いつさいしゆじやうしつうぶつしやう」ととなへける。そのみのりの声をたづねてこのみぎりへはうつりおはしたりともまうしき。はじめはおほつのひがしのうらにげんじおはして、
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それよりにしのうらにうつらせたまひて、たなかのとこよがふねにめして、からさきのことの御たち、うしまろがもとへいらせ給にけり。牛丸、ただひとにあらずとおもひて、あらこもをしきてすゑたてまつりて、とこよにあはのごはんをまゐらせたりければ、とこよにたくし給けるは、「なんぢ、わがうぢひととなりて、まいねんしゆつしの時、あはのごはんをぐごにそなふべし」とぞのたまひける。今のおほつのじんにんは、かのとこよがばつえふ也。其時の儀式になぞらへて、うづきの御祭の時、必ずあはのみごくをたてまつるとかや。さてうしまろが船にのりたまへば、「いづちへわたらせおはしますやらむ」と、あやしみみたてまつるほどに、かのていぜんのたいぼくのこずゑにぞげんぜさせ給ける。牛丸、不思議のずいさうをはいして、きいのおもひをなす処に、「是より
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さいほくにしようちあり。なんぢ、わがうぢひととして、くさをむすびたらむをしるしにてほうでんをつくりたてまつるべし」と、しめし給へり。牛丸、「さてみなをばなにとかうしたてまつるべきぞ」と申ければ、「たてにさんてんをたて、よこにいつてんをひき、よこに三点をひきて、たてに一点をたつべし」とをしへ給へり。すなはち、さんわうといふもんじなり。牛丸、しんめいのをしへにまかせて、西北のかたへたづねゆきてみるに、ふうゆひ結べる所あり。是をしるしとしてほうでんをざうしんし、たいぼくのうへにあらはれたまひたりしおんかたちをうつしたてまつりて、いははれ給へり。今のおほみやとまうすはこれなり。しかしてよりこのかた、大小のじんぎ、ねんねんさいさいにあとをたれたまひて、かれもこれもけんぞくとなりたまへり。にのみやは、くるそんぶつの時より、しんめいとあらはれたまひにけり。はじめしゆぜんのきた、よかはの
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さいなんに、だいひえいといふ山の中におはしけるが、東南のふもとにいぢゆうし給けるに、今のおほみやきたり給ければ、そのところをさらせたまひて、じゆげんのにしのしきぢにいぢゆうし給へり。ぢしゆごんげんじふぜんじとまうすは、てんせうだいじんのみこなり。そうじてじちゐきのぢしゆにてぞわたらせ給ける。かのさんしやうはでんげうだいしにちぎりをむすびて、わがやまのぶつぽふおうごのちんじゆとして、がくとをはぐくみゑんしゆうをまもらんとちかひ給て、さんしやうともにしゆつけじゆかいせさせおはし、おなじくほふがうをさづけられ給へり。もろこしのてんだいさんの麓にもさんわうすいしやくしおはすといへり。でんげうは天台のけしんなれば、ごんじやのぎもあひたまひけるやらむと、たつとくぞおぼゆる。すみよしのみやうじんはぢしゆごだいのそんなり。はじめはあくじんとして、いつぴやくいちじふのじや、
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じんにともなひて、ぶつぽふをしんじたまはざりけるに、でんげうだいし、かのおんやしろにまうでて、にんわうぎやうをかうどくせられければ、「じやしんをあらため、ぶつぽふのだいだんなとなりて、ゑんどんのをしへをまもらん」とちかはせたまひて、おほみやにいぢゆうせさせ給へり。ひがしのちくりんこれなり。かのごたくせんにいはく、「てんぎやうねんぢゆうにきようどをちゆうせしには、われたいしやうとして、さんわうはふくしやうぐんなりき。かうへいのくわんぐんにはさんわうたいしやう、われ副将軍たりき。およそわがてうの大将として、いぞくをせいばつする事、既に七ヶ度なり。さんわうはとこしなへにいちじようのほふみにばうまんし給へるが故に、せいりきわれにすぐれ給へり」とぞ、しめし給ける。はちまんのわかみやも伝教大師にちぎりをむすび給て、わがしゆうをまもらんとておほみやにおはす。にしのちくりんこれなり。
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卅二 あんげん二年六月十二日にたかまつのにようゐんかくれさせたまひにけり。おんとし三十三。是はとばのゐんのだいろくのひめみや、にでうのゐんのきさきにておはしき。えいまんぐわんねんにおんとし二十二にてごしゆつけありき。おほかたの御心ざまわりなき人にて、をしみ奉けり。
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卅三 おなじき七月八日、けんしゆんもんゐんかくれさせたまひぬ。おんとし三十五。是はぞうさだいじんときのぶのおんむすめなり。ほふわうのにようごにて、たうだいのおぼぎなり。せんねんふれいの時、ごぐわんをはたさむとて、おんかちにてみくまのさんけいありけり。四十日にほんぐうへまゐりつかせたまひて、ごんげんほふらくのために、こいんじゆといふまひをまはせてましましけるに、にはかにおほあめふりけれども、舞をとどめず、ぬれぬれ舞ければ、せんじをかへす舞なれば、ごんげんめでさせたまひけるにや、たちまちにてんはれて、さまざまのれいずいども有けり。さておんげかう有て、いくほどをへずして、いんじはるのころよりごしんちゆうくるしくして、よのなかをあぢきなくおぼしめして、いんじ六月十日ゐんがうごじたいあり。こんてうに御出家、ゆふべに
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むじやうの道におもむきたまふ。いんうちのおんなげき、いづれもおろかならず。てんがりやうあんのせんじをくださる。そのごけうやうの為に、殺生禁断(せつしやうきんだん)といふ事をおこなはれける。をりふし、はうきのそうづげんそん、あふみのくにおほしかのしやうをめされてなげきけるが、おんなげきやうやくごをすぎて、ひとびとおんめさまし申ける時、げんそんたちて、「殺生禁断(せつしやうきんだん)とは」といふまひをいたす事、三度ありき。ゐんのおんまへちかく参て、「おほじかはとられぬ」と申てはしりいりぬ。院えつぼにいらせましまして、かのおほしかのしやうをかへしたまはりにけり。
卅四 おなじき廿七日、ろくでうのゐんほうぎよなる。おんとし十三。こにでうのゐんのおんちやくしぞかし。おんとしごさいにてだいじやうてんわうのそんがうありしかども、
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いまだごげんぷくもなくてほうぎよなりぬるこそあはれなれ。かやうにうちつづきてんがになげきのみおほく、人の心のさだまらざる事は、ひとへに平家の一門のみさかえて、いつてんしかいをたなごころににぎりて、せんれいにたがへるまつりごとをまうしおこなへる故とぞ、ないないは申あひける。
卅五 すいこてんわうのぎよう、しやうとくたいしじふしちかでうのけんぽふをつくりたまひて、よのふでうなる事をあらはしたまひしかども、おほかたのきんばかりにて、たうだいのおんわづらひにあらざりき。もんどくてんわうのぎよう、ふひとのおとどりつり
やうをえらびたまひき。おのおのじつくわんのしよをつくりてましまししかども、是をさしおきてひがまれしかばおこなはれざりき。そののちひやくよねんをへて、じゆんわのみかどのぎようにこそよみだれすぐならざりしかば、はふれいをさきとしてよを
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をさめたまひてしひやくよさい、それよりこのかた、よはひをおくりておとろへ、人は時々にしたがひてひがめり。へいぢのげきらんの時までは、げんぺいりやうじ、かたをならべて、たがひにてうてきをしづめられき。このりやうじ、わうくわにしたがひ奉るかとみえし程に、平治いご、源氏ほろびて、平家おごりておそるるかたなし。大政入道、てんがのまつりごとをしゆぎやうして、ひぎひれいをおもんじしかば、いかでかしんりよのめぐみしかるべき。せいむをとりおこなはむひは、わがこころふでうにしてはあるべからず。かみしづまりてしもみだれぬといへり。みただしくしてかげかがむ事なしとこそまうすめれ。されば、「人のわづらひをいたすべからず」とぞ人申ける。
卅六 ぢしようぐわんねんひのとのとり四月十四日、おんまつりにて有べかりけるを、だいしゆうちとどめて、おなじき十三日たつのこくに、しゆとひよししちしやのみこし、おなじくはちわうじ、
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まらうと、じふぜんじとうのさんじや、やまいつしやのしんよをぢんとうへふりくだしたり。もろたかをるざいせらるべきよしうつたへまうさんとて、にしざかもと、さがりまつ、きれづつみ、かものかはら、ただす、むめただ、とうぼくゐん、ほふじやうじのへん、じんにん、みやじじゆうまんして、声をあげてをめきさけぶ。きやうしらかはのきせんじやうげあつまりきたりて、これをはいしたてまつる。それにつきて、ぎをんに一社、きやうごくに二社、きたのに二社、つがふ十一社のしんよをぢんとうへふりたてまつる。そのときのくわうきよはさとだいり、かんゐんどのにて有けるに、既にしんよをにでうからすまるむろまちのへんにちかづきおはす。そのときへいじのたいしやうはこまつのないだいじんしげもりこう、にはかのことなりければ、なほしにあこめさしはさみて、こがねづくりのたちはきて、れんぜんあしげの馬のふとくたくましきに、き
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ぷくりんのくらおきてぞのられける。いがいせりやうごくのわかたうども三千余騎あひぐせられたり。ひがしおもてのさゑもんのぢんをかためたり。源氏のたいしやう、ひやうごのかみよりまさは、けつもんじやのかりぎぬに紫のさしぬきしやうくくりて、ひをどしのよろひに、きりふのやにしげどうの弓のまなかとりて、二尺九寸のいかものづくりのたちはきて、えぼしのへりひききりて、おしいれてきるままに、かげなる馬にしろぷくりんのくらおきてのりたりけり。つづくのげんだ、さづく、はぶく、きをふ、となふをはじめとして、いちにんたうぜんのはやりをのわかたう三百余人あひぐして、北の陣をかためたり。しんよかのもんよりいりたまふべきよしきこえければ、頼政馬よりおりてかぶとをぬぐ。たいしやうぐんかくすれば、いへのこらうどうも又かくのごとし。
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大衆是をみて、やうあらむとて、しばらくしんよをかきとどめたてまつる。頼政がらうどう、わたなべのきほふのたきぐちをめして、大衆の中へ使者にたつ。きほふはしやうねん三十四、たけ七尺ばかりなる男のしろくきよげなるが、かちんのよろひひたたれに、こざくらをきにかへしたるおほあらめのよろひの、すそかなものうちたるに、へうのかはのしりざやのたちはきて、くろつばのそやのつのはずいれたるにじふしさしたる、かしらだかにおひなして、ぬりごめどうの弓のにぎりぶとなるに、おほなぎなた、かちはしりにもたせて、ゆんでのわきにあひぐしたり。かげなる馬のふとくたくましきに、くろぐらおきてぞのりたりける。しんよちかづかせ給ければ、馬よりとびおりて、かぶとをぬぎ左肩にかけ、
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弓とりなほし、みこしの前にひざまづきて申けるは、「この北の陣をばみなもとのひやうごのかみよりまさのかためてさうらふが、だいしゆのおんなかへ申せとさうらふは、『昔はげんぺいりやうかさうにならびてすこしもしようれつさうらはざりしが、源氏にをいてはほうげんへいぢのころより皆たえうせて、たいりやくなきがごとし。ろくそんわうのばつえふとては頼政ばかりこそ候へ。さんわうのみこしぢんとうへいらせおはしさうらふべき由、そのきこえさうらふあひだ、くげことにさわぎおどろきおはして、源平のぐんびやうしはうをかたむべきよし、せんじをくだされさうらふ。わうどにはらまれながら、ちよくめいをたいかんせむもそのおそれさうらひて、なましひにこのもんをかためてさうらふ。またこんどさんもんのごそしよう、りうんのでう、もちろんに候。ごせいだんちちこそ、よそにてもゐこんに候へ。そのうへ、頼政
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もとよりしんめいにかうべをかたぶけたてまつりたるみにて候へば、わざとこのもんよりこそいれ奉るべうさうらふあひだ、もんをこそあけて候へ。ただしじこんいごにおいては、ながく弓矢のみちこそはなれはてさうらはんずれ。しんゐにおそれたてまつりてみこしをいれ奉り候はば、りんげんをかろんずるとがあり。せんじをおもんじてしんよをふせきたてまつらば、みやうのせうらんはかりがたし。しんだいここにきはまれり。かつうはまたこまつの内大臣いげのくわんびやう、おほぜいにてかためて候もんもんをばやぶりたまはで、頼政わづかなるぶせいの所をごらんじていらせおはしぬる物ならば、山の大衆はめだりいんぢをしけりなど、人の申候はん事も、山のおんなをれにてや候はんずらむ。かつうはことにおどろおどろしくてんちやうをおどろかし奉んとおぼしめ、
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され候はば、ひがしおもてのさゑもんの陣はこまつの内大臣三千余騎にてかためて候。たせいのもんをうちやぶりていらせおはしさうらはば、いよいよしんゐの程もあらはれて、大衆のおんゐもいまひときみにてさうらひぬべければ、しんよをばさゑもんの陣へまはしいれたてまつらるべうもや候らむ。しよせんかく申候はん上をなほやぶりたまはばちからおよばずさうらふ。こうたいのなをしく候へば、いのちをばさんわうだいしに奉り、かばねをばしんよの前にてさらしし候べしと申せ』と候。御使はわたなべたうに、みだのげんしちつながばつえふ、きほふのたきぐちと申者にて候」とて、いむけのそでひきつくろひて、かしこまりてぞ候ける。大衆是をききて、「なんでふべちのしさいにやおよぶべき。只やぶれ」といふ者もあり。又
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しばらくせんぎせられよや」といふ者もあり。そのなかに、さいたふのほふしにつのりつしやがううんと申ける、さんたふいちのいひぐち、だいあくそうなりけるが、もえぎのいとをどしのはらまき、ころものしたにき、たちわきにはさみ、すすみいでて申けるは、「今頼政がでうでうまうしたつるところ、そのいはれなきにあらず。しんよをさきだてたてまつりて、しゆとそしようせらるるならば、ぜんあくおほてをうちやぶりてこそ、こうたいのなもいみじからめ。かつうはまた頼政はろくそんわうよりこのかた、ゆみやのげいにたづさはりて、いまだそのふかくをきかず。ぶげいにおいては、たうしよくたるものをいかがはせむ。しかのみならず、ふうげつのたつしや、わかんのさいじんにて、よにきこゆるめいじんぞかし。ひととせこゐんのおんとき、とばどのにてなかのとののごくわいに、『みやまのはな』といふだいをれんちゆうより
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いだされたりけるを、たうざの事にて有ければ、さちゆうじやうありふさなどきこえしかじんもよみわづらひたりしを、頼政めしぬかれて、すなはちつかまつりたり。みやまぎのそのこずゑともわかざりしにさくらははなにあらはれにけりとよみて、えいかんにあづかりしぞかし。ゆみやとりてもならぶ方なし。かだうのかたにもやさしきをのこにて、さんわうにかうべをかたぶけまゐらせたる者のかためたるもんよりは、いかでかなさけなくやぶりていれたてまつるべき。頼政がまうしうくるむねにまかせて、ひがしおもてのさゑもんのぢんへしんよをかきなほしまゐらせよや」といひければ、「もつとももつとも」と一同して、さゑもんの陣へかきたてまつる。ごじんぼうあさひにかかやきて、日月のひかりちにおちたまへ
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るかとうたがはる。やがてしんよをすすめたてまつりて、さゑもんの陣へぞおしいりける。かんゐんどのへしんよをふりたてまつること、これはじめなり。ぐんびやう、馬のくつばみをならべて、だいしゆしんよをさきとしておしいらむとする間、心よりほかのらうぜきいできたりて、武士のはなつや、じふぜんじのみこしにたつ。じんにん一人、みやじ一人、やにあたりてしぬ。そのほかきずをかうぶる者おほし。かかる間、だいしゆじんにんのをめきさけぶ声、ぼんでんまでもおよぶらむと、をびたたしくぞきこえける。きせんじやうげことごとくみのけいよだつ。大衆しんよをぢんとうにすておきたてまつりて、なくなくほんざんへかへりのぼりにけり。
卅七 かのがううん、訴訟ありてごしらかはのゐんへ参たりけるに、をりふし法皇なんでんにしゆつぎよあり。あるてんじやうびとをもつて、「なにものぞ」とおんたづねあ
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りけるに、「さんぞうつのりつしやがううんと申者にて候」とそうす。「さては山門にきこゆるせんぎしやごさむなれ。おのれがさんもんのかうだうのにはにてせんぎすらむやうに只今申せ。訴訟あらばただちにごせいだんあるべき」よし、おほせくださる。がううんかうべをちにかたぶけて、「山門のせんぎとまうしさうらふは、ことなる事にて候。まづわうのまひをまひさうらふには、おもてがたのしたにてはなをしかむる事の候なるぢやうに、さんたふのせんぎのやうは、だいかうだうのにはに三千人のだいしゆくわいがふして、やぶれたるけさにてかしらをつつみて、にふだうづゑとて、にさんじやくばかりさうらふつゑをめんめんにつきて、みちしばのつゆうちはらひて、ちひさきいしをひとつづつもちさうらひて、そのいしにこしをかけゐならびて候へば、どうじゆくなれどもたがひにみしら
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ぬやうにて候。『まんざんのだいしゆたちめぐられ候へや』とて、訴訟のおもむきをせんぎつかまつりさうらふに、しかるべきをば『もつとももつとも』とどうじ候。しかるべからざるをば『いはれなし』と申候。わがやまのさだまれるほふに候。ちよくぢやうにて候へばとて、ひたかしらにてはいかでかせんぎつかまつりさうらふべき」と申たりければ、法皇きようにいらせおはして、「さらばとくいでたちて参てせんぎつかまつれ」とおほせくださる。がううんちよくぢやうをかうぶりて、どうじゆくじふよにんにかしら
つつませて、しもべのものどもにはひたたれこばかまなどをもつてぞ、かしらをばつつませける。いじやうじふにさんにんばかりひきぐして、御前のあめうちのいしにしりかけて、がううんおのれが訴訟のおもむき、事のはじめよりひととき申たりければ、どうじゆくどもかねてぎしたる
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事なれば、いちどうに「もつとももつとも」とまうしたり。法皇きようにいらせおはして、ごちよくさいたうざにかうぶりたりしがううんとぞきこえし。くらんどのさせうべん、おほせをうけたまはりて、せんれいをではのかみもろなほにたづねらる。「ほうあんしねんみづのとのう七月しんよじゆらくの時は、ざすにおほせてしんよをほんざんへおくりたてまつらる。またほうえんしねんつちのえのむまごじゆらくの時は、ぎをんのべつたうにおほせて、しんよをぎをんのやしろへおくりたてまつる」とかんがへまうしければ、てんじやうにてにはかにくぎやうせんぎありて、「今度はほうえんのれいたるべし」とて、しんよをぎをんのやしろへわたしたてまつるべきよし、しよきやういちどうにまうされければ、ひつじのこくにおよびてかのやしろのべつたう、ごんのだいそうづちようけんをめし、しんよをむかへたてまつるべきよし、おほせくださる。ちようけんまうされけるは、「てんがぶ
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さうのすいしやく、ちんごゑんしゆうのれいしんなり。はくちうにぢんくわいのなかにけたてまゐらせて、たうしやへいれたてまつること、しやうじやうせせくちをしかるべし。わうぼふはこれぶつぽふのかごをもつてこくどをたもち給ふにあらずや。さればむかしにんみやうてんわうのぎよう、こうにんくねん、しよこくききんし、えきれいちまたにおこりて、しにんだうろにみつ。そのときのみかどたみをはぐくみ給ふおんこころざしふかくして、しよじしよさんにおほせて、是をいのらせ給けれども、さらにそのしるしなし。みかどいよいよなげきおぼしめして、えいさんの衆徒におほせて、是をいのるべきよしせんげせらる。さんたふくわいがふして、『このおんいのりいかがあるべかるらむ。昔よりあめをいのりひをいのる事はありしかども、ききんえきれい、たちどころにいのりとどまるれい、いまだうけたまはりおよばず。さればとてじしまうさば、わう
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めいをそむくににたり。しんだいここにきはまれり』といふしゆともあり。又、『仏法のゐげんおろそかならず。ききんなりとも、などかわがやまのいわうさんわうのおんちからにてしりぞきたまはざるべきなれば、ごこくりみんのはうぽふ、きようがいせうぢよのきたうには、にんわうぎやうにすぐべからず』とて、三千人の衆徒、いくどうおんにたんぜいをいたして、こんぽんちゆうだう、だいかうだう、もんじゆろうにして、七ヶ日の間、十四万七千よざのにんわうぎやうをかうどくしたてまつる。くやうはぢしゆじふぜんじのしやだんにてとげられにけり。ころはうづきなかばの事にや、ききんをんびやうにせめられて、おやしぬる者はこなげきにしづみ、こにおくれたるはおやけがれけるによつて、いがきにのぞむ人もなし。ここをもつて、だうしせつぽふのはてがたに、『うづきは
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すいしやくのえんぐわつなれども、へいはくをささぐる人もなし。八日はやくしのえんにちなれども、なむととなふるこゑもせず。あけのたまがきかむさびて、ひくしめなはのあともなし』と申たりければ、衆徒あはれをもよほしつつ、一度にかんるいをながして、ころものそでをぞぬらしける。そのよみかどのごむさうに、『ひえいさんよりてんどうににんきやうへくだりて、あをきおにとあかきおにとのおほくありけるを、びやくほつにてうちはらひければ、きじんどもみなみをさしてとびゆきぬ』とごらんじて、『ほんざんのきせいすでにかんおうして、びやうなんもなほりぬ』とおぼしめす。れいずい有ければ、みかど御夢のしだいをおんじひつにあそばして、ぎよかんのゐんぜんをしゆとの中へくだされたりけるとぞうけたまはる。すなはちこくどをだやかにし
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て、たみのけぶりもにぎはひて、あさなゆふなのけぶりたえせざりければ、みかどふるきうたをつねにえいぜさせたまひけるとかや。たかきやにのぼりてみればけぶりたつたみのかまどはにぎはひにけりかかるめでたくやむごとなきおんがみを、はくちうにざふにんにまじへたてまつりてうごかしたてまつらんこと、こころうかるべし」とまうして、ひすでにくれ、へいしよくにおよびて、たうしやのじんにんみやじまゐりて、みこしをぎをんのやしろへいれたてまつる。およそしんよじゆらくのこと、そのれいをかんがふるに、えいきうぐわんねんよりこのかたすでに六かど也。武士をめしてふせかるることもたびたびなり。しかれどもまさしくしんよをいたてまつること、せんれいなし。今度じふぜんじのみこしにやをいたつること、あさましといふもおろかなり。「人をうらむるかみをうらむれば、くににさいがいおこる」といへり。「只
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てんがのだいじいできなむ」とこそおそれあひけれ。
卅八 十四日に大衆かさねてくだるべきよしきこえければ、よなかにしゆしやうえうよにめして、ほふぢゆうじどのへぎやうがうなる。ないだいじんしげもりいげ、ぐぶのひとびとひじやうのけいごにて、なほしにやおひてぐぶせらる。させうしやうまさかた、けつてきそくたいをき、ひらやなぐひおひてぐぶせらる。内大臣のずいひやうぜんごにうちかこみて、ちゆうぐうは御車にてぎやうけいあり。きんちゆうのじやうげあわてさわぎ、きやうぢゆうのきせんはしりまどへり。くわんぱくいげ、だいじんしよきやう、てんじやうのじしん、みなはせまゐりけり。「さいほうちちの上、しんよにやたち、じんにんみやじやにあたりてしす。衆徒おほくきずをかうぶる上は、今は山門のめつばう、このときなり」とて、おほみやにのみやいげのしちしや、かうだう、ちゆうだう、しよだう、
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いちうものこさずやきはらひて、さんやにまじはるべきよし、三千人いちどうにせんぎすときこえければ、さんもんのじやうかうをめして、しゆとのまうすところごせいばいあるべきよし、おほせくださる。十五日、そうがうらちよくせんをうけたまはりて、しさいを衆徒にあひふれんとてとうざんするところに、しゆとらなほいきどほりをなしておひかへす。そうがうらいろをうしなひてにげくだる。
卅九 院より、「衆徒をなだめられむがために、大衆のうつそをたつすべきよし、ちよくしとして、とうざんすべしと」、おほせくだされけれども、くぎやうの中にもてんじやうびとの中にも、「われしやうけいにたたん」とまうすひとなし。皆じしまうしけるあひだ、へいだいなごんときただ、そのときはさゑもんのかみにてをはしけるを、とうざんすべきよし、おほせくだされければ、ときただしんぢゆうには、「えきなきことかな」とおもはれけれども、「きみの
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おほせそむきがたきうへ、おほくの人の中におぼしめしいりておほせくださるること、めんぼく」とぞんじて、ことにきらめきていでたちたまへり。さぶらひ一人、花ををりてしやうぞくす。ざつしき四人、たうじきにてよろづきよげにてとうざんして、だいかうだうのにはにたたれたり。さんたふの大衆、はちのごとくおこりあひて、ゐんゐんたにだによりおめきさけびてくんじゆするありさま、おびたたしなどはなのめならず。ときただのきやう、いろをうしなひたましひをけして、うちあきれてたたれたりけるに、しゆとら時忠をみて、いよいよいきどほりて、「なにゆゑに時忠とうざんすべきぞや。かへすがへすきくわいなり。既にさんわうだいしのおんかたきなり。すみやかにだいしゆのなかへひきいれて、しやかぶりをうちおとし、あしてをひつぱり、もとどりきりて、みづうみにさかさまにはめよ」と、こゑごゑにののしりけるを
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ききて、ともにありつるさぶらひもざつしきも、いづちかゆきぬらむ、皆にげうせぬ。時忠あやふくおもはれけれども、もとよりさるひとにて、みだれの中のめんぼくとやおもはれけむ、さわがぬていにてのたまひけるは、「しゆとのまうさるるところ、もつともそのいはれあり。ただしひとをそんずるは君のおんなげきたるべき。ひれいをうつたへまうさるるあひだ、ごさいきよちちする事はこくかのほふなり。されども今ごせいばいあるべきよし、おほせくださるるうへは、衆徒あながちにいきどほりをなされんや」とて、ふところよりこすずりをとりいだして、しよしをめしよせてみづをいれさせ、たたうがみをおしひらきて、いつくをかきて、だいしゆのなかへなげいだされたり。そのことばにいはく、「しゆとのらんあくをいたすは、まえんのしよぎやうか。めいわうのせいしをくはふるは、ぜんぜいのかごなり」とぞかかれたりける。
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しよしこのいつぴつをささげて、さしもどどめく大衆のまへごとにひろうす。ある大衆是をみて、「おもしろくもかかれたるいつぴつかな」とて、はらはらとぞなきける。大衆めんめんに、「げんにおもしろくかきたり」とかんじあひて、時忠をひつぱるにおよばず、しずまりにけり。大衆しづまりてのち、山門の訴訟たつすべきよしのせんじをぞひろうせられける。そのときこそ共なりつるものどもも、事がらよげにみえければ、ここかしこよりいできたりて、しゆうをもてなし奉けれ。時忠いつしいつくをもつて、さんたふさんぜんの衆徒のいきどほりをやすめ、ここうをのがれけるこそありがたけれ。さんじやうらくちゆうの人々、かんじあへる事かぎりなし。「山門の衆徒ははつかうのかまびすしきばかりかとこそぞんじつれ。ことわりをもしりたりけるにこそ。いかでかごせいばい
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なかるべき」など、おのおのまうしあひけり。さてときただのきやう、院のごしよへまゐられたりければ、「さても衆徒のしよぎやうはいかに」と、とりあへずおんたづねありけり。時忠、「おほかたともかくもまうすにおよばずさうらふ。たださんわうだいしのたすけさせ給たるとばかりぞんじて、はふはふにげくだりて候。いそぎごさいほうあるべくさうらふ」とそうもんせられければ、このうへは法皇ちからおよばせ給はずして、廿日、かがのかみふぢはらのもろたかげくわんして、をはりのくにへはいるせらるべきよし、せんげせらる。そのじやうにいはく、じゆごゐのじやうかがのかみふぢはらのあつそんもろたか、くわんをときくらゐををはりのくににおふこと。しきじのかみうちゆうべんけんさひやうゑのかみみつよしのあつそんおほす。しやうけいべつたうただまさおほす。うせうべんふぢはらのみつまさ、さだいしをつきのすみもとにおほせて
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くわんぶをつくらしむ。さんぎたひらのよりさだのきやう、せうなごんふぢはらのまさもとら、おんまつりごとごいんくわんぷ。またおほせていはく、けんびゐしうゑもんのさくわんなかはらのしげなり、はやくはいしよへおひつかはすべしてへれば、こんげつじふさんにち、えいさんのしゆと、ひよしのやしろへんしよをささげ、ちよくせいをかろんぜしめ、ぢんちゆうにみだれいらしむるによつて、けいごのともがら、きようたうをあひふせきしあひだ、そのやあやまりてしんよにあたること、はからずといへども、なんぞそのとがをおこなはざる。よろしくけんびゐしにおほせて、たひらのとしいへ、おなじくいへかぬ、ふぢはらのみちひさ、おなじくなりなほ、おなじくみつかげ、たつかひとしゆきらをめして、きんごくせしめたまはるべきものなり。かがのかみもろたかるざい、ならびにしんよをいたてまつるくわんびやうどもろくにんきんごくのこと、こんにちすでに
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せんげしをはんぬ。くだんのあひだのことにつうこれをつかはす。このむねをもつて、さんじやうにひろうせしめたまふべきよし、さうらふところなり。きようきようきんげん。四月廿日 ごんのちゆうなごんふぢはらのみつよししつたうのほふげんごばうへとぞかかれたりける。おつてがきにいはく、きんごくのくわんびやうらがけふみやう、さんじやうにさだめてふしんせしむるか。よつてないないくはしくしりつきのけふみやうをあひたづね、いつつうあひそへられさうらふところなり。きんごくにんら、たひらのとしいへあざなはへいじ、これはさつまのにふだういへすゑがまご、なかづかさのじよういへすけがこ。おなじくいへかぬあざなはへいご、こちくぜんのにふだういへさだがまご、へいないたらういへ
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つぐがこ。ふぢはらのみちひさあざなはかとうだ、おなじくなりなほあざなはさうじふらう、うまのじようなりたかがこ。おなじくみつかげあざなはしんじらう、さきのさゑもんのじようただきよがこ。たつかひとしゆき、なんばのごらうとうなり。かやうにこそはしるされけれ。もくだいもろつねをばびぜんのこくふへながされにけり。
四十 廿八日ゐのときばかりに、ひぐちのとみのこうぢよりひいできたる。をりふしたつみのかぜはげしくふきて、きやうぢゆうおほくやけにけり。つひにはだいりにふきつけて、しゆしやくもんよりはじめて、おうでんもん、くわいしやうもん、だいこくでん、ぶらくゐん、しよしはつしやう、だいがくれう、しんごんゐん、くわんがくゐん、こくさうゐん、ふゆつぎの
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おとどのかんゐんどの、これたかのみこのをののみや、くわんしようじやうのこうばいどの、むめどの、ももどの、よしあきらのおとどのたかまつどの、ぐへいしんわうのあきをこのみしちくさどの、さんだいのみかどのたんじやうし給しきやうごくどの、ちゆうじんこうのそめどの、せいわのゐんの、ていじんこうのこいちでうのゐん、やまぶきさきしこにでうのゐん、せうぜんこうのほりかはどの、かやのごてん、かうやうゐん、くわんぺいのほふわうのていじのゐん、えいらいのさんゐのやまのゐどの、しうんたちしきんたふの大納言のしでうのみや、しんぜんゑんのとうさんでう、おにどの、まつどの、はとのゐどの、たちばなのいつせい、ごでうのきさきのとうごでう、とほるのおとどのかはらのゐん、かやうのめいしよ三十
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よかしよ、くぎやうのいへだにも十六かしよ、やけにけり。ましててんじやうびと、しよだいぶのいへはかずをしらず、ちをはらひてやけにけり。ひぐちとみのこうぢよりすぢかへにいぬゐのかたをさして、くるまのわばかりなるほむらとびゆきければ、おそろしといふもおろかなり。これただことにあらず。ひとへにえいさんより、さるおほくまつにひをつけて、きやうぢゆうをやくとぞ、人のゆめにみえたりける。だいこくでんはせいわてんわうのおんとき、ぢやうぐわん十八年四月九日はじめてやけたりければ、おなじき十九年正月九日、やうぜいのゐんのおんくらゐはぶらくゐんにてぞありける。
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ぐわんきやう元年四月廿一日ことはじめありて、同三年十月八日にぞざうひつせられける。ごれんぜいのゐんのぎよう、てんき五年四月廿一日に又やけにけり。ぢりやくしねん八月二日ことはじめありて、どうねん十月十日むねあげありけれども、ざうひつせられずして、ごれんぜいのゐんはかくれさせたまひぬ。ごさんでうのゐんのぎよう、えんきう四年十月十日つくりいだして、ぎやうがうありつつえんくわいおこなはる。ぶんじんしをけんじ、がくにんがくをそうす。このだいりはしゐのせうなごんにふだうしんせいちよくせんをうけたまはり、くにのつひえもなくたみのわづらひもなくして、いちりやうねんの
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間にざうひつして、ぎやうがうなしたてまつりしだいり也。今はよの末になりて、くにのちからおとろへて、又つくりいださむ事もかたくやあらんずらむと、なげきあへり。

平家物語第一本





延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版

平家物語 二(第一末)
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一 てんだいざすめいうんそうじやうくじやうをとどめらるること
二 しちのみやてんだいざすにふしたまふこと
三 めいうんそうじやうるざいにさだまる事
四 明雲僧正いづのくにへながさるること
五 さんもんのだいしゆざすをとりかへしたてまつること
六 いちぎやうあじやりるざいのこと
七 ただのくらんどゆきつなちゆうげんの事
八 だいじやうにふだうぐんびやうもよほしあつめらるること
九 大政入道ゐんのごしよへつかひをまゐらする事
十 しんだいなごんめしとること
十一 さいくわうほふしをからめとること
十二 新大納言をいため奉る事
十三 しげもりだいなごんのしざいをまうしなだめたまふこと
十四 なりちかのきやうのきたのかたのたちしのびたまふこと
十五 なりちかのきやうしりよなきこと
十六 たんばのせうしやうなりつねにしはつでうへめさるること
十七 へいざいしやうたんばのせうしやうをまうしうけたまふこと
十八 しげもりちちにけうくんのこと
十九 重盛ぐんびやうをあつめらるることつけたりしうのいうわうのこと
廿 さいくわうくびきらるること
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廿一 成親るざいのこと付鳥羽殿にて御遊事成親備前国へつく事
廿二 むほんの人々めしきんぜらるること
廿三 もろたかをはりのくににてちゆうせらるること
廿四 たんばの少将ふくはらへめしくださるること
廿五 かるのだいじんのこと
廿六 しきぶのたいふまさつなのこと
廿七 成親卿しゆつけのこと付かの北方備前へ使を被遣事
廿八 なりつねやすよりしゆんくわんらいわうのしまへながさるること
廿九 康頼いわうのしまにくまのをいはひたてまつること
卅 康頼ほんぐうにてさいもんよむこと
卅一 康頼がうた都へつたはる事
卅二 かんわうのつかひにそぶをここくへつかはさるること
卅三 もとやすがせいすいじにこもること付康頼が夢の事
卅四 成親卿うしなはれたまふこと
卅五 成親卿のきたのかたきんだちらしゆつけのこと
卅六 さぬきのゐんのおんこと
卅七 さいぎやうさぬきのゐんのむしよにまうづる事
卅八 うぢのあくさふぞうくわんとうの事
卅九 さんでうのゐんのおんこと
四十 けいせいとうばうにいづる事
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平家物語第一末
一 五月いつかのひ、てんだいざすめいうんそうじやう、くじやうをとどめらる。くらんどをつかはしてによいりんのごほんぞんをめしかへし、ごぢそうをかいえきせらる。すなはちちやうのつかひをつけて、こんどしんよをささげたてまつりてぢんとうへまゐりたるだいしゆのちやうぼんをめさる。かがのくににざすのごばうりやうあり。もろたかこれをちやうはいのあひだ、そのしゆくいによつてもんとの大衆をかたらひて、そしようをいだす。すでにてうかのおんだいじにおよぶよし、さいくわうほふしふしざんそうのあひだ、ほふわうおほきにげきりんあつて、ことにぢゆうくわにおこなふべきよしおぼしめしけり。めいうんはかやうに法皇のごきしよくあしかりければ、いんやくをかへし奉りて、
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ざすをじしまうされけり。
(二) 十一日、しちのみや、天台ざすにならせ給。とばのゐんのだいしちのみや、こしやうれんゐんのだいそうじやう、かうげんのおんでしなり。
(三) 十二日、さきのざすしよしよくをとどめらるるうへ、けんびゐしににんをつけてすいくわのせめにおよぶ。このことによりて、大衆又そうじやうをささげていきどほりまうす。なほさんらくすべきよしきこえければ、だいりならびにほふぢゆうじどのにぐんびやうをめしあつめらる。きやうぢゆうのきせんさわぎあへり。大臣、くぎやうはせまゐる。廿日、さきのざすざいくわのことせんぎあるべしとて、大政大臣いげ、くぎやう十三人さんだいしてぢんのざにつきてさだめまうさる。はつでうのちゆうなごんながかたのきやう、そのときはうだいべんのさいしやうにておわしけるが、まうされ
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けるは、「ほつけのかんがへまうすにまかせて、しざいいつとうをげんじて、をんるせらるべしといへども、めいうんそうじやうはけんみつけんがくしてじやうぎやうぢりつなり。かいしゆひかりあきらかにして、いつてんのしたにかかやき、ぢやうすいながれふかくして、しかいのうへにすめり。さんみつのけうぼふみなもとをきはめて、はるかにけいくわはふせんのこふうをあふぎ、ごびやうのちすいそこをはらひて、とほくふくうむゐのせいりうをくむ。ちゑかうきにしていつさんのくわんじゆたり、とくぎやうぶさうにしてさんぜんのくわしやうたり。そのうへめいわうせいしゆにはいちじようほつけのしはんたり。だいじやうほふわうにはゑんとんじゆかいのくわしやうたり。ごきやうごかいのしぢゆうくわにおこなはるること、みやうのせうらんはかりがたし。げんぞくをんるのぎをいうせられば、てんがたいへんのもとゐたるべきか」と、はばかるところなくまうされければ、だいじやうだいじんもろながこうよりはじめて、じふさん
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にんのくぎやうおのおの、「ながかたさだめまうさるるぎにどうず」とまうされけれども、法皇のおんいきどほりふかかりければ、なほるざいにさだまりにけり。大政入道もこの事まうしとどめむとてまゐられたりけれども、おんかぜのけとおほせられて、ごぜんへもめされざりければ、いきどほりふかくしていでられにけり。
(四) 廿一日、さきのざすめいうんそうじやうをば、そうのるざいせらるるれいとて、とえんをめしかへされて、だいなごんんのたいふふぢゐのまつえだといふぞくみやうをつけて、いづのくにへながさるべきよし、せんげせらる。皆人かたぶけまうしけれども、さいくわうほふしがむしつのざんそうによりて、かくおこなはれけり。そのときいかなる者かよみたりけん、ふだにかきてたてたりけり。
まつえだはみなさかもぎにきりはててやまにはざすにすべきものなし K014
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(五) しゆと是をききて、西光法師ふしがみやうじをかきつつ、こんぽんちゆうだうにおはしますじふにじんのとらがみにあたり給へる、こんぴらだいしやうのおんあしのしたにふませ奉て、「じふにじんじやう、しちせんやしや、じこくをめぐらさず、さいくわうもろたかふしがひとつのたましひをめしとりたまへ」と、しゆそしけるこそ、きくもおそろしけれ。」こよひ都をいだしたてまつれ」と、院宣きびしくて、おひたてのけんびゐし、しらかはのごばうに参て、そのよしを申ければ、廿三日、しらかはのごばうをいでさせ給て、いづのくにのはいしよへおもむき給ふおんありさまこそかなしけれ。きのふまでは三千人のくわんじゆとあふがれて、よはうごしにこそのりたまひつるに、あやしげなるてんまに、ゆひぐらといふ物をおきてのせ奉る。いつくしげ
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なる御手に、みなずいしやうのごねんじゆをもち給へるを、なはたづなにとりぐしてまへわにうつぶしいれて、みなれたまひしおんでし一人もつきたてまつらず、もんとの大衆もみおくり奉らず。くわんにんどものさきにおひたてられて、せきよりひがしにおもむき給ふ御心の内、ちゆううのたびとぞおぼしめしける。夢に夢みるここちして、ながるる涙におんめくれ、ゆくさきもみへ給はず。是をみたてまつるじやうげのしよにん、涙をながさぬはなかりけり。ひも既にくれにければ、あはたぐちのへん、いつさいきやうのべつしよといふところに、しばしやすらひ給ふ。よをまちあかして、つぎのひのむまのときばかりに、あはづのこくぶんじのだうにたちいりて、しばらくやすみ給ふ。これによつてまんざんのだいしゆ、一人ものこりとどまらずひがしざかもとへくだりつつ、じふぜんじの
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おんまへにしゆゑしてせんぎしけるは、「そもそもわがやまは、ぶつにちせうりんのち、ほつすいかうりうのみぎりなり。ゆゑにきうがくのかうさい、くびすをつぎて、てんだいさんぐわんのつきをもてあそび、こうしんのしやうそ、りんめうをなして、しけうごんじつのたまをみがく。ぐわつしくもはるかにして、じゆれいのしていをさいてんのむかしにへだつといへどもじちゐきひかりあきらかにして、まつたくがわうのだいほふをとうぜんのいまにえたり。りやうぜんのはつまんかたちをかへて、さんぜんよにんのがくとにのつとり、ぢじゆうのじふかい、すがたをやつしてとうざいりようごんのぶんくわんをささぐ。ぶつにちひかりをやはらげて、しめいのみねにいちじようののりをひろめ、かくげつちりにおなじくして、たいれいのふもとにはつさうのきをととのふ。まことにじちゐきぶじのれいさん、てんがぶさうのしようちなり。またざすのくわしやうとは、ぶつけうのあうしをきはめて、かうゐのすうはんにのぼり、いつさんのくわんじゆとあふがれて、さん
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ぜんのとうりやうたり。りやうがいさんぶはばんれんのかがみ、だいにちへんぜうのひほふにくもりなく、いちじようごりつはしんえんのみづ、ぶつしゆほふかいのしようもんになみしづかなり。ゐふうとほくあふぎてこずゑをなびかし、じうんあつくおほひてまんざんうるほひをうく。しくわんのまどにひぢをくたして、たねんなんがくてんだいのみなもとをたづね、ゆがのだんにこころをすまして、すさいりゆうちりゆうみやうのながれをくむ。くわんじゆといひ、さんじやうといひ、たれか是をかろしめむ。なかんづく、でんげう、じかく、ちしようさんだいのおんことはまうすにおよばず。ぎしんくわしやうよりこのかた五十五だい、いまだてんだいざするざいのれいをきかず。まつだいといへどもいかでかわがやまにきずをばつくべき。せんずるところ三千の大衆、みをわがやまのくわんじゆにかへ奉り、いのちをばいわうさんわうにまゐらす。あはづへまかりむかひて、くわんじゆをとりとどめたてまつるべし。ただしおつたてのくわんにん、りやう
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そうしあむなればとりえたてまつらむ事かたし。さんわうだいしのおんちからよりほかたのむかたなし。ことゆゑなくとりえたてまつるべくは、只今しるしみせ給へ」と、三千人の衆徒いちどうにかんたんをくだきてきねんす。ややひさしくありて、一人のものつきくるひいでて、しばらくくるひをどる。ごたいよりあせをながして申けるは、「よは末なれどもじつげついまだちにおちず。くにはいやしけれどもれいじんひかりをかかやかす。ここにくわんじゆめいうんは、わがやまのほふとう、三千のえこたり。しかるをつみなくしてたこくにうつされむ事、いつさんのかきん、しやうじやうせせにこころうかるべし。さらむにとりては、われこのやまのふもとにあとをとどめても、なにかはせむ。ほんどへこそかへらむずらめ」とて、そでをかほにをしあてて、さめざめとなきければ、大衆是をあやしみて、「まことにさんわうのごたくせんならば、われらがねんじゆを
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たてまつりたらむをすこしもたがへずもとのぬしぬしへかへしたまふべし」とて、衆徒らねんじゆをどうじにほうぜんへなげたりければ、ものつき是をことごとくひろひあつめて、もとのぬしぬしへいちいちにくばりわたしてけり。誠にわがやまのしちしやごんげんのれいげんのあらたにおわしますかたじけなさに、大衆涙をながしつつ、「さらばとうとうむかへ奉れや」とて、あるいはべうべうたるしがからさきのはまぢにこまにむちうつ衆徒もあり。あるいはまんまんたるやまだやばせのこしやうに、ふねにさをさす大衆もあり。ひがしざかもとよりあはづへつづきて、こくぶんじのだうにおわしましけるざすをとりとどめ奉りければ、きびしげなりつるおつたてのくわんにんもみへず、りやうそうしもいづちかゆきぬらむ、うせにけり。座主はおほきにおそれたまひて、「ちよくかんの者は
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つきひのひかりにだにもあたらずとこそ申せ。じこくをめぐらさずおひくださるべきよしせんげせらるるに、しばらくもやすらふべからず。衆徒とくとくかへりのぼりたまへ」とて、はしぢかくゐいでて宣けるは、「さんたいくわいもんのいへをいでて、しめいけいきよくのまどにいりしよりこのかた、ひろくゑんしゆうのけうぼふをがくして、ただわがやまのこうりゆうをのみおもひ、こくかをいのり奉る事もおろそかならず。もんとをはぐくむこころざしもふかかりき。みにあやまつ事なし。りやうじよさんしやうさだめてせうらんしたまふらむ。むしつのざんそうによりてをんるのぢゆうくわをかうぶる、これぜんぜのしゆくごふにてこそはあらめとおもへば、よをも人をもかみをもほとけをも、さらにうらみ奉る事なし。是までとぶらひきたり給へる衆徒のはうじんこそまうしつくしが
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たけれ」とて、涙にむせび給ふ。かうぞめのおんそでもしぼるばかりなり。是をみ奉て、そこばくの大衆もみな涙をながす。やがておんこしよせてのせたてまつらむとしければ、「昔こそ三千人のくわんじゆたりしかども、今はかかるさまになりたれば、いかでかやむごとなきしゆがくしや、ちゑふかきだいとくたちにはかかげささげられて、わがやまへはかへりのぼるべき。わらうづなむどいふ物はきて、おなじさまにあゆみつづきてこそのぼりさうらはめ」とて、のり給はざりければ、かかるらんげきの中なれども、よろづものあはれなりけるに、さいたふのにしだににかいじやうばうのあじやりいうけいとて、さんたふにきこへたるあくそうありけり。さんまいかぶとをゐくびにきなし、くろかはをどしのおほあらめのくさずりながなるに、三尺五
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寸のおほなぎなたのちのはのごとくなるをつき、「大衆のおんなかにまうしさうらわむ」とて、さしこへさしこへわけゆきて、ざすのおんまへに参りて、かぶとをぬきて、やぶの方へがはとなげいれければ、しもべのほふしばらとりてけり。なぎなたわきにはさみ、ひざをかがめて申けるは、「かやうに御心よわくわたらせたまふによりて、いつさんにきずをもつけさせたまひ、こころうきめをもごらんぜられ候ぞかし。くわんじゆは三千人の衆徒にかはりてるざいのせんじをかうぶりたまふに、三千人のしゆとは、貫首にかはり奉りて命をうしなふとも、なにのうれひかあらむ。とくとくおんこしに奉り候べし」と申て、座主のおんてをむずととりて、おんこしにかきのせ奉りければ、座主わななくわななくのりたまひぬ。やがていうけいこしのせん
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ぢんをかく。ごぢんはわかきだいしゆ、ぎやうにんなむどかき奉る。あはづよりとりのとぶがごとくしてとうざんするに、いうけいあじやりは一度もかわらざりけり。なぎなたのえもこしのながえも、くだくばかりぞみへたりける。ごぢんこらへずしておのおのかはりけり。さしもさがしきひがしざかをへいぢをあゆむにことならず、だいかうだうのにはにかきすへ奉る。あはづへくだらぬ、ぎやうぶにかなわぬらうそうどもは、「このこといかやうにあるべきぞや。ひごろはいつさんのくわんじゆとあふぎたてまつりつれども、今はちよくかんをかうぶりたまひてをんるせらるる人を、よこどりにとりとどむる事、しじゆういかがあるべかるらむ」なむどぎするともがらもありければ、いうけいすこしもはばからず、あふぎひらきつかひて、胸をしあけ、むないたきらめかして申けるは、
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「わがやまはこれにつぽんぶさうのれいち、ちんごこくかのだうぢやうなり。さんわうのごゐくわういよいよさかりにして、ぶつぽふわうぽふごかくなり。しゆとのいしゆもよさんにこえ、いやしきこぼふしばらにいたるまで、よもつてなほかろしめず。いかにいはむやめいうんそうじやうはちゑかうきにしていつさんのくわしやうたり。とくぎやうぶさうにして三千のくわんじゆたり。しかるを今つみなくしてつみをかうぶり給事、これしかしながらさんじやうらくちゆうのいきどほり、こうぶくをんじやうのあざけりか。かなしきかな。このときにあたりて、けんみつのあるじをうしなひて、しくわんのまどにまへにはけいせつのつとめすたれ、さんみつのだんのうへにごまのけぶりのたえむこと、こころうきことにあらずや。誠にちゆうとにしてとどめたてまつるゐちよくのざいくわのがれがたくは、しよせん、いうけいこん
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どさんたふのちやうぼんにさされて、きんごくるざいせられ、かうべをはねらるること、まつたくいたみぞんずべからず。かつうはこんじやうのめんぼく、めいどのおもひでたるべし」とかうしやうにののしりて、さうがんより涙をながしければ、まんざんのしゆと是をききて、おいたるもわかきも、みなころもの袖をしぼりつつ、「もつとももつとも」といちどうす。やがて座主をかき奉りて、とうだふのみなみだにめうくわうばうへいれ奉る。それよりいうけいをば、いみやうには、いかめばうとなづけたり。そのでし、けいかいりつしをばこいかめそのでしてきけいびぜんのちゆうきをばまごいかめと申けるとかや。
六 ときのわうざいはごんげの人ものがれざりけるにや、たいたうのいちぎやうあじやりは、げんそうくわうていの時、むしつのうたがひによりてつみをかうぶることあり
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けり。そのゆゑはげんそうのきさきにやうきひといふ人おわしき。もとよりせんぢよなりければ、ほうらいきゆうへかへりたまふべきときもちかくなりにけり。おんせうとのやうこくちゆうをめして宣けるは、「ぶつぜんぶつごのちゆうげんにうまれて、しやくそんじしのきべつにもれ、ぎやうぢゆうざぐわのまうねんにしづみて、しやうじるてんのごふいんをむすぶ。さんがいところひろけれども、みなこれうゐむじやうのさかひ、ししやうかたちおほけれども、またこれしやうじやひつめつのたぐひなり。これによつて、じふりきむゐのそん、じやくめつをさうりんのあらしにまかせ、ろくてんじやうめうのたのしみ、たいもつをごすいのつゆにかなしむ。ゑしやぢやうりのことわり、とうたいのけぶりにみえ、らうせうふぢやうのならひ、なんもんのかぜにきこゆ。みかどにわかれたてまつるべきときのちかづきたるやらむ、このほどはむなさわぎうちして、はかなきゆめのみみへ
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て、つねに心のすむぞとよ」と宣ければ、「なんぶふぢやうのすまい、しよそんのめうたいをたのみたてまつり、そくさいえんじゆのもとゐ、ぼさつじやうかいにしくはなし。かのいちぎやうは、かいしゆをみがきてひかりをまし、しらをおりていろあざやかなり。かれをめししやうじてさんまやかいをうけさせ給べし」と申ければ、いちぎやうをめしてだうぢやうをかざる。ささぐるところは、さんやしきのはな、ぶつぜんにそなへていろあざやかなり。そなふるところは、さうもくひやくくわのかう、だうぢやうにくんじてにほひかんばし。しかれども、みかどのおんゆるされなからむにはたやすくかいをさづけたてまつりがたきむねを申さる。そのとききひののたまはく、「くわしやうはぼさつのぎやうをたてて、いつさいしゆじやうをみちびきたまふなるに、なんぞわがみひとりにかぎりて、かいをさづけたまはざるべきや」とうらみたまひければ、さらばとて、なぬかななよ、ぼさつ
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じやうかいをさづけたてまつらる。そのころ、あんろくさんといひける大臣、かんしんをさしはさみて、やうこくちゆうをうしなひて、国のまつりごとをとらばやと思心ふかくして、ついでをもとめけるをりふし、この事をもれききて、ひそかにくわうていに申けるは、「きさきすでにみかどにふたごころおわしまして、やうこくちゆうに御心をあはせて、いちぎやうにちかづきたまふことあむなり。きみうちとけたまふべからず」と。みかど是をきこしめして、「きひわれに志あさからず。いちぎやうまたきそうなり。なにゆゑにか只今さることあるべき」とおもひたまひけれども、じつぷをしりたまはむが為に、やうきひのまことのすがたをすこしもたがへずゑにかきて、たてまつるべき由をいちぎやうにおほせらる。一行たいたういちのにせゑのじやうずにておわしければ、かかるはかりことありともしりたまはず、ふでをつくしてきひのかたちをうつしてまゐらせらるる程に、いかがしたり
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けむ、ふでをとりはづして、きひのほぞの程にあたりて、すみをつけてけり。「きひのはだへにはははくそといふ物のありけるとかや。かきなをさばや」とはおもはれけれども、みかどをそしとせめたまひければたてまつりぬ。みかどこれをみたまひて、「あんろくさんはまことをいひけり。一行、きひにちかづかずはいかでかはだへなるははくそをばしるべき」とて、すなはちいちぎやうをくわらこくといふくにへながさる。くだんのくにはふるきわうぐうなりければ、かのくにへくだるみちみつあり。ひとつのみちをばりんちだうといふ。このみちはごかうのみちなり。ひとつのみちをばいうちだうとなづく。きせんじやうげをきらはずゆきかよふみち也。いまひとつのみちをばあんけつだうとなづけたり。ぼんくわの者いできぬれば、ながしつかはすみちなり。このみちはしたにみづたんたんとしてきはぞなく、上にはじつげつせいしゆくの光もみへ給はず。
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なぬかななよそらをみずしてゆくみちなりければ、みやうみやうとしててんくらく、ぎやうぶにせんどのみちみへず。しんしんとして人もなく、かんこくのとりのひとこゑもなく、さこそは心細くかなしくおもひたまひけめ。おもひやられてあはれなり。いちぎやうむしつによりてをんるのつみをかうぶる事をてんたうあはれみたまひて、くえうのかたちをげんじてまもりたまふ。一行ずいきのあまりに、みぎのゆびをくひきりて、ひだりのさんえのたもとに、くえうのかたちをうつしとどめたまひにけり。くわらのづとて、わがてうまでもよにるふする、くえうのまんだらとまうすは、すなはちこれなり。いちぎやうあじやりとまうすはりゆうみやうぼさつよりはろくだい、りゆうちあざりよりは五代、こんがうちさんざうよりはしだい、ふくうさんざうよりは三代、ぜんむゐさんざうのおんでし也。
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「ひとをきるやいばはくちよりいで、これをきる。ひとをころすたねは、みよりいで、これをうう」といふほんもんにたがはず。だいしゆせんざすをとりとどめたてまつるよし、法皇きこしめして、いとどやすからずおぼしめされける上に、さいくわうにふだうないないまうしけるは、「昔より山門の大衆、みだりがはしきそしようつかまつる事は今にはじめねども、いまだこれほどのらうぜきうけたまはりおよばず。こんどゆるにごさたあらば、よはよにてもあるべからず。よくよくおんいましめあるべし」とぞ申ける。みの只今にめつせむずる事をもかへりみず、さんわうのしんりよにもはばからず、かやうにのみ申て、いとどしんきんをなやまし奉る、あさましきことなりけり。「ざんしんはくにをみだりとふはいへをやぶると」みへたり。「そうらんしげからむとほつすれども、しうふうこれをやぶる。わうしやあきらかならむとほつすれども、ざんしんこれをかくす」ともいへり。まことなるかな。このことをぶけにおほせ
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られけれども、すすまざりければ、新大納言いげのきんじゆのともがら、ぶしをあつめて山をせめらるべき由さたありけり。物にもおぼへぬわかき人々、ほくめんのげらふなむどはきようある事におもひて、いさみあへり。すこしも物の心をもわきまへたる人は、「ただいまだいじいできなむず。こはこころうきわざかな」となげきあへり。またないない大衆をもこしらへ、おほせのありければ、ゐんぜんのどどくだるもかたじけなければ、わうどにはらまれながら、じやうめいをたいかんせむもおそれありければ、おもひかへしなびきたてまつる衆徒も有けり。ざすはめうくわうばうにおはしましけるが、だいしゆふたごころありとききたまひぬれば、なにとなりなむずるみやらむとぞおぼしめされける。
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七 なりちかのきやうは山門のさうどうによつて、わたくしのしゆくいをばおさへられけり。そもないぎしたくはさまざまなりけれども、ぎせいばかりにてそのことかなふべしともみへざりけり。そのなかにただのくらんどゆきつなさしもちぎりふかくたのまれたりけるが、このことむやくなりとおもふこころつきにけり。さてゆぶくろのれうに新大納言よりえたりける五十たんのぬのども、ひたたれこばかまにたちぬひて、いへのこらうどうにきせつつ、めうちしばたたきてゐたりけるが、思けるは、「つらつら平家のはんじやうするありさまをみるに、たうじたやすくかたぶけがたし。大納言のかたらはれたるつはものいくほどなし。よしなきことによりきしてけり。もしこのこともれぬる物ならば、ちゆうせられ
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む事うたがひなし。かひなきいのちこそたいせつなれ。たにんのくちよりもれぬさきにかへりちゆうして、いのちいきなむ」とおもひて、五月廿九日、ようちふけてだいじやうにふだうのもとへゆきむかひて、「ゆきつなこそまうすべきことあつて参て候へ」と申ければ、「つねにもまゐらぬ者のただいまよなかにきたるこそこころえね。何事ぞ。きけ」とて、へいごんのかみもりとほがこ、しゆめのはんぐわんもりくにをいだされたり。「人づてにまうすべきことにあらず。ぢきにげんざんにいりて申べし」と申ければ、入道、うまのかみしげひらあひぐして、ちゆうもんのらうにいであひて、入道宣けるは、「ろくぐわつぶれいとてひもとかせ給へ。入道もびやくえに候」とて、しろかたびらにしろきおほくちふみくくみて、すずしのこそでうちかけて、左のてにうちがたなひつさげ
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て、かまうちはつかはる。「このよはまうにふけぬらむ。いかに何事におわしたるにか」。ゆきつなちかぢかとさしよりて、こごゑになりてささやき申けるは、「いとしのびてまうすべきことさうらひて、ひるはひとめのつつましさに、わざとよるにまぎれてまゐりてさうらふ。ゐんぢゆうの人々ひやうぐをととのへ、ぐんびやうをめしあつめらるる事をば、しろしめされて候やらむ」と申ければ、「いさ、それは山の大衆をせめらるべしとこそうけたまはれ」と、いと事もなげにのたまひければ、「そのぎにては候はず」とて、ひごろつきごろ、新大納言をはじめとして、しゆんくわんがししのたにのさんざうにてよりあひよりあひないぎしたくしける事、「それはとこそまうしさうらひしか、かくこそ申候しか」と、人のよきこといひたるをば
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わがまうしたりしといひ、わがあつこうしたりしをば人のまうしたるにかたりなし、五十たんのぬのの事をばいつたんもいひいださず、ありのままにはさしすぎて、やうやうさまざまの事どもとりつけてくはしく申ければ、入道おほきにおどろきて宣けるは、「ほうげんへいぢよりこのかた、君のおんために命をすつる事すでにたびたびなり。人々いかに申とも、きみ君にてわたらせ給はば、いかでか入道をばししそんぞんまでもすてさせ給べき。おそれながら君もくやしくこそわたらせ給はむずらめ。そもそもこのことは院はいちぢやうしろしめされたるか」と宣ければ、「しさいにやおよびさうらふ。大納言のぐんびやうもよほされさうらひしも、院宣とてこそもよほされさうらひしか」。そのほかもさまざまの事共いひちらして、「いとままうして」
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とてかへりにけり。入道おほごゑにてさぶらひどもをよびて、ののしりしかられけるけしき、もんぐわいまできこへければ、ゆきつなたしかなるしようにんにもぞたつとて、あなおそろしとて、のにひをつけたるここちして、人もをはぬにとりばかまをして、いそぎはせかへりぬ。
八 入道さだよしをめして、「むほんのものどものあんなるぞ。さぶらひどもきとめしあつめよ。いつかの人々にもおのおのふれ申せ」と宣ければ、めんめんに使をはしらかしてこのよしを申に、およそいづれもいづれもさわぎあひて、われさきにとはせあつまる。うだいしやうむねもり、さんゐのちゆうじやうとももり、うまのかみしげひらをはじめとして、人々、さぶらひ、らうどう、おのおのかつちうをよろひ、きゆうせんをたいしてはせつどふ。そのせいうんかのごとし。
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よなかに五千よきになりにけり。
九 六月ひとひのひ、いまだほのぐらき程に、入道のけんびゐしあべのすけなりをめして、「ゐんのごしよへまゐりてだいぜんのだいぶのぶなりをよびいだして申さむやうはよな、『きんじゆにさうらふものどものほしいままにてうおんにほこるあまりに、よをみだらむとつかまつるよしうけたまはりさうらへばたづねさたつかまつるべし』と申せ」とて、まゐらする。すけなりいそぎ院の御所へ参て、のぶなりをよびいだしてこのよしをまうしければ、のぶなりいろをうしなひて、ごぜんにさんじてそうもんしけれども、ふんみやうのおんぺんじなかりけり。「この事こそえ御心得なけれ。こは何事ぞ」とばかりおほせあり。すけなりいそぎはせかへりてこのよしを申ければ、入道、「よもおんぺんじあらじ。なにとかはおほせあるべき。
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はや君もしらせ給たりけり。ゆきつなはまことをいひけり」とて、いかられけり。
十 そののちざつしきをもつて、「しんだいなごんのもとにゆきて、『まうしあはせたてまつるべきことあり。いそぎわたらせ給へ』と申べし」とのたまひければ、つかひはしりつきてこのやうを申す。大納言、「あはれ、是はれいの山の大衆の事を院へ申さむずるにや。このことはゆゆしくおんいきどほりふかげなり。かなふまじき物を」など思て、わがみの上とはつゆしり給はで、いそぎいでられけるこそはかなけれ。はちえふの車のあざやかなるに、さきはしり三人、さぶらひ三四人めしぐして、うへきよげなるほういたをやかにきなして、ざつしき、うしかひにいたるまで、つねのしゆつしよりはすこしひきつくろひたるていにて
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ぞいでられける。それもさいごのあり
きとはのちにこそおもひあはせたまひけめとあはれなり。入道のをわするにしはつでうちかくやりよせて、そのほどをみ給へば、しごちやうにぐんびやうじゆうまんせり。「あなをびたたし。いかなる事ぞ」とむねうち騒ぎて、車よりおり給たれば、もんのうちにもつはもの所もなくたちこみて、只今事のいでたるていなり。ちゆうもんのとにおそろしげなる者二人たちむかひて、大納言のさうのてをとりてひつぱりて、うつぶさまになげふせて、「いましめ奉べきか」と申。入道殿、「きのふまではゐんのごしよ、わたくしどころにてもかたをならべしけいしやう也。今こそかたきとはならむからに」と、いかれる心にもかはゆくや思はれけむ、「しからずとも」とて、つといりたまひぬ。
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そののち、つはもの十よにんきたりてぜんごさうにたちかこみ、てんにもあげずちにもつけず、なかにひきくくつて、上へひきのぼせ奉り、ひとまなる所にをしこめつ。大納言ゆめのここちして、あきれて物も宣はず。是をみて、ともにありつるしよだいぶ、さぶらひも、ざつしき、うつかひわらはも、うし、くるまをすててしはうへにげうせぬ。大納言は六月のさしもあつきころ、ひとまなる所にこめられて、しやうぞくもくつろげずおはしければ、あつさたへがたし。涙もあせもあらそひてぞながれける。「わがひごろのあらましごとのきこへにけるにこそ。いかなる者のもらしつらむ。ほくめんのともがらの中にぞあらむ。こまつのおとどはみへ給はぬやらむ。さりともおもひはなち給はじ物を」とおもはれけれ
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ども、たれしてのたまふべしともなければ、涙をこぼし、あせをながしてぞおはしける。
十一 そののち、入道、ちくごのかみいへさだ、ひだのかみかげいへをめして、「むほんのともがらのそのかずあり。ほくめんのものどもひとりももらさずからめとるべき」よしげぢし給ければ、あるいは一二百き、あるいは二三百き、おしよせおしよせみなからめとりて、いましめおきけり。そのなかにさゑもんのにふだうさいくわう、こんぽんよりきの者なりければ、「かまへてからめにがすな」とて、まつらのたらうしげとしがうけたまはりにて、はうべんをつけてうかがひける程に、ゐんのごしよにて人々の事にあひけることどもききて、人の上ともおぼへずあさましと思て、あからさまにわたくしのしゆくしよにいでて、すなはち又御所へ参けるに、
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もののぐしたるぶし七八人ばかりさきにたちたり。うしろの方にも十よにんありとみて、このよのならひなれば、武士にはめもみかけず、あしばやにあゆみけるを、さきにまちかけたる武士、「はつでうのにふだうどのより、『きとたちよりたまへ。いそぎまうしあはすべきことあり』とおほせられさうらふ」といひければ、さいくわうすこしせきめんして、にがわらひて、「くじにつけて申べき事候。やがて参り候べし」といひて、あゆみすぎんとするに、うしろにきつる武士、「やは、にふだうほどの者の何事をかは君にまうすべき。よのだいじひきいだして、われも人もわづらひあり。物ないはせそ」とて、うちふせてなはつけて、武士十よにんが中におひたててゆきて、八条にて、「かく」とまうしいれたりければ、もんよりうちへもいれら
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れず。すなはちしげとしがうけたまはりにて事のおこりをたづねられければ、はじめはおほきにあらがひ申て、わがみにあやまらぬよしをちんじければ、入道おほきにはらをたてて、らんけいにかけてうちせためてとひければ、あることなきことおちにけり。はくじやうかかせてはんせさせて入道に奉る。入道是をみ給て、「さいくわうとりて参れ」と宣ければ、しげとしがいへのこらうどう、そらにもつけずちにもつけず、ちゆうにさげて参たり。やがてめんだうのまがきの前にひきすへたり。入道は、ちやうけんのひたたれに、くろいとをどしのはらまきに、こがねづくりのたち、かもめじりにはきなして、上うらなしふみちぎりて、すのこのへんにたたれたり。そのけしきやくなげにぞみへられける。さて西光をにらまへて
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宣けるは、「いかにおのれほどのやつは入道をばかたぶけむとはするぞ。もとよりげらふのくわぶんしつるはかかるぞとよ。あれ程のやつぱらをめしあげて、なさるまじきくわんしよくをなしたびてめしつかはせたまふあひだ、をやこともにくわぶんのふるまひするものかなとみしにあはせて、つみもおはせぬてんだいざすざんし奉て、をんるにまうしおこなひて、てんがのだいじひきいだして、あまつさへこのことにこんげんよりきの者とききおきたり。そのしさいつぶさに申せ」と宣ければ、西光もとよりさるげの者なりければ、すこしもいろもへんぜず、わるびれたるけしきもなくて、あざわらひて、「いでしりうごとせむ」とて申けるは、「ゐんぢゆうにめしつかはるるみにて候へば、しつしのべつたう、新大納言殿のゐんぜんとてもよほされ
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さうらひし事に、くみせずとは、いかでか申候べき。くみしてさうらひき。ただしみみにとどまるおんことばをもつかはせたまふものかな。たにんの前はしらず、西光が前にては、くわぶんのおんことばをば、えこそつかはせ給まじけれ。みざりし事か、殿はこぎやうぶきやうのとののちやくしにてわたらせ給しかども、十四五さいまではじよしやくをだにもし給はず、かぶりをだにもたまはらせ給はで、けいぼのいけのにこうのあはれみて、とうぢゆうなごんいへなりのきやうのもとへ時々申よりたまひし時は、『あは、ろくはらのふかすみのたかへいだのとほるは』とこそきやうわらはべはゆびをさしてまうししか。そののち、こきやうのとの、かいぞくのちやうぼん卅よにんからめいだされたりしくんこうのしやうに、いんじほうえんのころかとよ、おんとし十七か八
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かの程にてしゐして、しゐのひやうゑのすけになりたまひたりしをこそ、ゆゆしきことかなと、よもつてかたぶき申しか。おなじきわうそんといひながら、すだいひさしくなりくだりて、てんじやうのまじはりをだにもきらはれて、やみうちにせられむとしたまひし人のこにて、いまかたじけなくもそくけつのくわんをうばひとりて、大政大臣になりあがりて、あまつさへ天下をわがままに思給へり。是をこそくわぶんとは申べけれ。さぶらひほんの者のじゆりやう、けんびゐし、ゆげひのじようになる事ははうれいなきにあらず。なにかは過分なるべき。入道こそくわぶんよ。入道こそくわぶんよ」と、ゐたけだかになりて、ことばもたばわずさんざんに申ければ、入道あまりにいかりて物も宣はず。しばらくありて、「西光めさうなくくびきるな。よくよく
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さひなめ」とのたまひければ、重俊が郎等つとよりて、ふときしもとを以て七十五度のがうじんをくはへたり。西光心はたけかりけれども、もとよりもんぞんせられたる上、しもとみにしみてじゆつなかりければ、のこりなくおちにけり。はくじやう四五枚にきせられたり。ややひさしくありて、うちのかたより人のあしおとたからかにしてきたりければ、大納言はただいまうしなわれなむずるやらむと、きもこころをけしてゐられたりけるに、入道、大納言のおはしけるうしろのしやうじをあららかにさつとあけられたり。そけんのころものみじからかなるに、しろきおほくちふみくくみて、ひじりづかの刀ををしくつろげて、おほきにいかれるけしきにて、大納言をにらまへて
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宣けるは、「やや大納言殿。ひととせ、へいぢのげきらんのとき、のぶより、よしともらにごどうしんあつて、てうてきとなり給たりし時、ゑちごのちゆうじやうとて、しまずりのひたたれ、こばかまきて、をりえぼしひきたてて、ろくはらのむまやの前にひきすへられておわせしかば、つみにさだまりてすでにちゆうせられたまふべきにておはせしを、だいふとかくしてまうしなだめたりしかば、『しちだいまでのまもりのかみとならむ』と、てをあはせてなくなくのたまひし事はわすれたまひたるな。人はみめかたちのなだらかなるをば人とはまうさぬぞ。おんをしるをもつて人とは申ぞ。わどののやうなる者をこそ、人のかはをきたるちくしやうとはいへ。さればなんのくわたいによりて、たうけを
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ほろぼすべきよしのごけつこうありけるやらむ。されどもびうんのつきざるによりて、このことあらはれてむかへまうしたり。ひごろのごけつこうのしだい、只今ぢきに承候べし」とのたまひければ、大納言涙をながして、「れんしんにとりてはまつたくあやまりたる事なく候。人のざんげんにてぞ候らん。くはしくおんたづねあるべく候」と宣ければ、入道いはせもはてず、「さいくわうほふしがはくじやうまひらせよ」と宣へば、もちて参たり。入道ひきひろげて、くりかへしたからかににへんまでよまれたり。なりちかのきやうをはじめとして、しゆんくわんがししのたにのばうにて平家をほろぼすべきけつこうのしだい、法皇のごかう、やすよりがたふへん、いちじとしてもるる所なし。四五枚にしるされたり。「是はいかに。このうへは
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はちんにやおよぶべき。これはどこをあらがふぞ。あらにくや」とて、はくじやうを大納言になげかけて、しやうじをはたとたててかへりたまひけるが、なほはらをすへかね給て、
十二 「つねとほ、かねやすはなきか」と宣ければ、つねとほ、かねやす、すゑさだ、もりくに、もりとしなむど参りたりければ、「たがげぢにて、あの大納言をばしやうじの内へはのぼせけるぞ。あれつぼにひきおろしてとりてふせて、したたかにさいなみて、おめかせよ」と宣ければ、つねとほいげのつはものどもつとよりて、大納言をにはにひきおとす。そのなかにすゑさだはもとよりなさけある者にて、大納言をとりてをさへて、ひだりてにて大納言のくびをつよく
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とるやうにして、さすがにつよくとらず、みぎてにて大納言のむねををすやうにして、つよくをさず。すゑさだがくちを大納言のみみにさしあてて、「入道のきかせたまひさうらふやうに、只おんこゑをたててをめかせ給へ」とささやきければ、大納言声をあげてふたこゑみこゑをめかれけるを、入道きき給て、「只をしころせやをしころせや」とぞ宣ける。そのありさまめもあてられず。ぢごくにてごくそつあはうらせつのじやうはりのかがみにざいにんをひきむけて、ぜんぜにつくりし所のごふによりて、かしやくのつゑをくはへ、ごふのはかりにかけてきやうぢゆうをただして、「いにんのあくをつくりいにんのくほうをうくるにあらず。じごふじとくくわしゆじやうみなかくのごとし」といひて、けいばつをおこなふ
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らむもかくやとおぼえてむざん也。「せうはん、とらはれとらはれて、かんはう、にらぎすされたり。てうそ、りくをうけ、しうぎ、つみせらる。そのよ、めいをたすけ、こうをたつるし、かぎ、あぶのともがら、みなまことにめいせいのさいなり。しやうしやうのそなへをいだけり。しかるに、せうじんのざんをうけて、ならびにくわはいのうれへをうく」といへり。せうが、はんくわひ、かむしん、はうえつ、みなかうそのこうしんたりしかども、かくのみこそありけれ。「たうてうにもかぎらず、わがてうにもほうげんへいぢのころはあさましかりし事共もありしぞかし。新大納言一人にもかぎるまじ。こはいかがはせむずる」と、ひとなげきあへり。かくしてすゑさだのきにけり。大納言はんしはんしやうにぞみへられける。内大臣こののちいとひさしくありて、えぼしひたたれにて、
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しそくの少将、車のしりにのせて、ゑふ四五人、ずいじん二三人ばかりめしぐして、それらもみなほういにて、もののぐしたる者一人もぐせずして、のどやかにてをはしたり。入道をはじめ奉りて、人々思はずに思給へり。「いかに、これほどのだいじのいできたるに」と人々宣ければ、「何事かはあるべき」と宣けるにこそ、人々みなしらけにけれ。ひやうぐをたいしたる者、そぞろきてぞありける。だいふ、「さるにても大納言をばなにとしてけるやらん。今の程にはしざいるざいにはよもおよばれじ」とおぼしめして、みまはし給へば、さぶらひのしやうじのかみに、おほきなるきをもつて、くもでをゆひちがへたるひとまなる所あり。ひごろかかる所ありとも思はぬに、にはかにいでき
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たりければ、「あはれここに大納言をばこめたるよな」とおぼして、只今こそとほるよし、きとをとなはれたりければ、あんのごとく大納言くもでのあひよりだいふをみつけて、ぢごくにてぢざうぼさつをみ奉りたらむも、是にはすぎじとうれしくて、「是はいかなる事にて候ぞ。あやまりたる事も候はぬ物を。さておはしませば、さりともとこそ思奉て候へ」とて、はらはらとなきたまふもむざんなり。大臣は、「人のざんげんにてぞ候らむ。おんいのちばかりはまうしうけばやとこそ思給へども、それもいかが候はんずらむ」と、たのもしげなく宣へば、「心うし。へいぢのらんの時、うせぬべかりしに、ごおんをかうぶりて、命をいけられ奉て、じやうにゐのだいな
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ごんにいたり、としすでによそぢあまりになりはべりぬ。しやうじやうせせにほうじつくし奉りがたくこそ思給へ。このたびのいのちばかりをおなじくはいけさせ給へ。かしらをそりてかうや、こかはにもこもりて、ひとすぢにごせのつとめをせむ」とのたまふもあはれなり。「しげもりかくて候へば、さりともとおぼしめすべし。おんいのちにもかはり奉るべし」とてたたれければ、かくのたまふにつけてもただかひなき涙のみぞながれける。「少将もめしやとられぬらむ。のこりとどまるあとのありさまもいかなるらむ。をさなきものどももおぼつかなし」。わがみの御事はさることにて、是をおぼしつづくるに、むねせきあげて、あつさもたへがたきに、くるるをまたで、命もたえぬべくぞおぼしける。うちのおとどのおはしつる程はいささかなぐさむここちもしつるに、いとことばずくなにて
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かへりたまひてのちは、今すこし物もおそろしくかなしくぞおぼされける。
(十三) おほいとの、入道の前におわしたりければ、入道のたまひけるは、「大納言のむほんの事はきかれたるか」。「さんざうらふ。みなうけたまはりて候」。「さていかやうなるつみにおこなはるべきにて候やらむ。事もおろかかや、只今きらむずる物を」と宣ければ、おとど宣けるは、「さてはふびんのことこそさうらふなれ。大納言をうしなはん事はよくよくおんぱからひさうらふべし。ろくでうのしゆりのだいぶあきすゑのきやう、しらかはのゐんにめしつかはれ奉りしよりこのかた、いへひさしくなりて、すでにくらゐじやうにゐ、くわんだいなごんまでのぼりて、たうじも君のおんいとをしみの者なるを、たちまちにかうべをはねられん事、いかがあるべかるらむ。さることいかでか候べき。都のほかへいだされ
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たらむにことたりさうらひなん。かくはきこしめせども、もしひがことにてもさうらはば、いよいよふびんの事に候はずや。きたののてんじんはしへいのおとどのざんそうによつて、えんぎのみかどにながされ奉り、にしのみやのだいじんはただのしんぼちがざんげんによつて、あんわのみかどにながされたまひき。おのおのむしつなりけれども、るざいせられたまひにき。これみなえんぎのせいしゆ、あんわのみかどのおんひがこととこそまうしつたへたれ。しやうこなほかくのごとし。いはむやまつだいをや。けんわうなほおんあやまりあり。いはむやぼんぶをや。くはしくおんたづねもあるべし、よくよくごしゆいもあるべし。物さはがしき事は、こうくわいさきにたたずとこそ申せ。すでにかくめしおかれぬる上は、いそぎうしなはれずとてもなんのくるしみかあるべき。『つみのうたがはしきをばこれ
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かろんぜよ。こうのうたがはしきをばこれおもんぜよ』とこそまうしつたへてさうらへ。いかさまにもこよひかうべをきらむ事はしかるべからず」と宣ければ、入道なほ心ゆかず、へんじもし給はざりければ、内大臣かさねてまうされけるは、「まうすむねごしよういんなくは、まづ一人におほせつけてまづ重盛がくびをめさるべくさうらふ。そののちおんこころにまかせてふるまひおわしまし候へ。重盛かの大納言のいもうとにあひぐして候。これもりまた大納言のむこなり。かやうにしたしくまかりなりて候へばとて、まうすとやおぼしめされ候らん。いかにもそのぎにては候はず。よのためたみのためきみのためいへのためをぞんじてまうしさうらふなり。ひととせほうげんのげきらんのとき、こせうなごんのにふだうしんせい、たまたましつけんの時にあひあたり、ほんてうにたえてひさしくなりにししざいをまうしおこなひて、
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さふのしがいをじつけんせられし事なむどは、あまりなるおんまつりごととこそおぼえさうらひしか。こじんのまうされさうらひしは、『しざいをおこなはれば、むほんのともがらたゆべからず』と。このことばはたしてなかにねんありて、へいぢにこといでて、しんせいがうづまれたりしをほりをこして、かうべをきりてわたしき。ほうげんにおこなひし事たちまちにむくいて、みの上にむかわりにけりとおもひあはせられて、おそろしくこそさうらひしか。是はさせるてうてきにもあらず。かたがたおそれあるべし。おんみのごえいぐわのこるところなければ、今はおぼしめしのこす御事なけれども、ししそんぞんまでもはんじやうこそあらまほしけれ。『せきぜんのいへにはよけいあり。せきあくのかどにはよあうとどまる』とこそ承れ。しうのぶんわうはたいこうばうにめいぜられて、
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しじよこをおそれ、たうのたいそうはちやううんこをきりてのち、ごふくのそうをもちゐらる。又、『ぜんをおこなへばすなはちちようをやすめてこれをほうず。あくをおこなへばすなはちちようをとがめてこれにしたがふ』なむども申たり。又、『よををさむる事はことをならすがごとし。たいげんきふなる時は、せうげんたえできる』とこそ、てんりやくのみかどもおほせられさうらひけれ」なむど、こまごまとこしらへまうされければ、げにもとやおもはれけむ、こよひきるべき事は思なだめて、そのひはくれにけり。内大臣はかくこしらへをきてかへり給けるが、なほこころやすからずおぼえて、さもしかるべきさぶらひどもをめして宣けるは、「おほせなればとて、重盛にいひあはせずして、さうなく大納言をうしなふことあるべからず。はらのたちたまふままにものさはがし[*この一字不要]しき事あらば、こうくわいさきにたつまじ。ひがこと
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しいだして重盛うらむな」といましめられければ、ぶしどもしたをふりておそれあへり。「つねとほ、かねやすなむどが大納言になさけなくあたりたりける事、かへすがへすきくはい也。されば重盛がかへりきかむ所をばいかでかはばからざるべき。ただきよ、かげいへていの者ならば、たとひ入道殿いかにおほせらるとも、かくはよもあらじ。かたゐなかの者はかかるぞとよ」と宣ければ、なんばのじらう、せのをのたらうもおそれいりたりけり。
十四 さて大納言のともしたりける者共はしりかへりて、「大納言殿ははつでうどのにめしこめられたまひぬ。ゆふさりうしなひたてまつるべしとて、くるるをまつと承りつる」と、ありつるありさまをなくなく申ければ、きたのかたよりはじめて、
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なんによ声をあげてをめきさけぶ。さこそかなしかりけめ。ことわりおしはからる。ゆめかやゆめかやとおもへども、うつつにてぞありける。「いかにかくてはわたらせたまふぞ。かなはざらむまでもたちしのばせ給へ。少将殿をはじめたてまつりて、きんだちまでめされさせ給べしとこそ承りつれ」と、涙もかきあへず申あひければ、「これほどの事になりて、のこりとどまるみどもあんをんにても、なむのかひかはあるべき。いかにも只ひとところにてともかくもならむこそほんいなれ。けさをかぎりと思はざりける事のかなしさよ」とて、ふしまろびてなき給ふ。「すでにつはものきたりなむ」と人申ければ、かくてはぢがましくあらむ事も、さすがなるべければ、「ひとまどなり
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ともたちしのびたまはん」とていで給ふ。しりかしらともなきをさなきひとども、とりのせて、いづくをさしてゆくともなく、やりいだしつ。うしかひ、「これはいづちへつかまつるべきにて候やらん」と申ければ、「きたやまのかたへ」と車のうちより宣へば、おほみやをのぼりに、きたやまのうんりんゐんのへんまでをはしにけり。そのへんなるそうばうにおろしすへ奉りて、おくりのものどももみみのすてがたければ、おのおのいとま申てかへりにけり。今はかひなきをさなきひとびとばかりとどまりゐて、たのもしきひとひとりもなくておはしけむ北方の御心のうち、おしはかられていとほし。ひのくれゆくかげをみたまふにつけても、大納言のつゆの命、こよひをかぎるなりとおもひやられてきえいる
ここちぞせられける。にようばう、さぶらひどももかちはだしにてはぢ
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をもしらずまどひいでにけり。かちゆうのみぐるしき物をとりしたたむるにもおよばず。かどはとびらをひらくとも、おしたつるまたものもなし。馬はむまやにたてれども、くさかひなづる人もなし。よあくればしやばかどにたちて、ひんかくざにつらなれり。あそびたはぶれまひ躍り、よをよとも思はず。きんりんの人は物をだにもたかくいはず、もんぜんをすぐる者もおぢおそれてこそ、きのふまでもありつるに、よのまにかはりゆくありさま、じやうしやひつすいのことわり、めの前にこそあらはれけれ。よもやうやくふけければ、大納言は只今うしなはるべしとききたまひければ、「命のあらん事もいまばかりなり。たれにかこのよに思をく事いひをかん。北方をさなきものどももいかがなりぬらん。あはれ、ことづけを今一度せばや。しなむ
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事はちからおよばぬ事なれども、是が心にかかるこそよみぢのさはりなれ」とおぼしつづけて、さめざめとなき給もことわりなり。こよひばかりの命なれば、「今や今や」とまつほどに、よもあけがたになりにけり。「大納言殿はこよひとこそききつるに、いかに今まではさたなきやらん。もしおんいのちのたすかり給はんずるにや」とて、武士どももよろこびあへり。
(十五) おほかたこの大納言は、おおけなくしりよなき心したる人にて、人のききとがめぬべき事をもかへりみ給はず、つねにたはぶれにがき人にて、はかなきことどもをものたまひすごす事もありけり。ごしらかはのゐんのきんじゆしや、ばうもんのちゆうなごんちかのぶといふ人をはしき。ちちうきやうのだいぶのぶすけのあつそん、むさしのかみたりし時、かのくにへくだられたりしにもうけられたり
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けるこなり。げんぶくしてじよしやくしたまひたりければ、ばんどうたいふとぞ申ける。院にさうらひ給ければ、ひやうゑのすけになりにけり。又ばんどうのひやうゑのすけなむど申けるを、ゆゆしくほいなき事に思いれられたりける程に、新大納言、法皇のごぜんにさうらはれける時、たはぶれにや、「ちかのぶ、ばんどうに何事どもかある」とまうされたりければ、とりもあへず、「なはめのいろかはこそおほく候へ」とへんたふせられたりければ、なりちかのきやう、かほげしきすこしかはりて、又物も宣はざりけり。人々あまたさうらはれけり。あぜちのにふだうすけかたも候はれけり。のちに宣けるは、「ひやうゑのすけはゆゆしくへんたふしたりつるものかな。ことのほかにこそにがりたりつれ」とまうされけるとかや。
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へいぢのげきらんの時、この大納言の事にあはれし事をまうされたりけり。
延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版
十六 しんだいなごんのちやくし、たんばのせうしやうなりつね、とし廿一になりたまふは、ゐんのごしよにうへぶしして、いまだまかりいでられぬ程なりけるに、大納言のおんもとなりつるさぶらひ一人、ゐんのごしよへはせ参て申けるは、「大納言殿は、けさにしはつでうどのにめしこめられさせたまひぬ。こよひうしなひたてまつるべきよしきこへ候。きんだちも皆めされ給べしとこそうけたまはりつれ」と申ければ、「こはいかに」とあきれ給て、物もおぼへ給はず。「さりともさいしやうのもとよりは、かくと申されんずらん」とおもひたまひしほどに、さいしやうのもとよりつかひあり。「ぐし奉てきたれと八条よりまうされたり。と
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くとくわたりたまへ」。こはいかなる事にや、あさましともをろかなり。少将はきんじゆにておはしけるひやうゑのすけといふ女房をたづねいだして、「かかるしようしこそさうらふなれ。よべよりせけん物さはがしとうけたまはれば、れいのやまのだいしゆのくだるやらんなむど、よそに思て候へば、みの上にてさうらうひけり。ごぜんへも参候て、今一度君をもみまゐらせ候べきに、今はかかるみにて候へば、はばかりぞんじさうらひてまかりいでさうらひぬと、ひろうせさせ給へ」とのたまひもあへずなき給ふ。ひごろなれ給つる女房たちあまたいできたりて、あさましがりてなきあへり。「なりつね八才にてげんざんにまかりいりてよりは、よるひるさうらひて、しよらうなむどの候はぬかぎりは、ひとひもごしよへ参らぬ事
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もさうらはざりつ。君のおんいとをしみかたじけなくて、てうぼにりようがんにしせきし奉て、てうおんにのみあきみちて、あかしくらし候つるに、いかなるめをみるべきにて候やらん、大納言もこよひしざいにおこなはるべしとうけたまはりさうらふ。ちちのさやうにまかりなりさうらひなん上は、なりつねがみもどうざいにこそおこなはれさうらはんずらめ」といひつづけて、かりぎぬのそでもしぼるばかりなり。よそのたもともしぼりあへず。兵衛佐ごぜんに参てこのよしをまうされければ、法皇もおほきにおどろかせたまひて、「これらがないないはかりし事もれにけるよな」とおぼしめすもあさましし。「けさしやうこくのつかひありつるに、こといでぬとはおぼしめしつ。さるにてもこれへ」とごきしよくありければ、「よはおそろしけれども今一度君をもみ奉らん」とおもはれければ、ごぜんへまゐられたりけ
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れども、君もおほせやりたるかたもなし。りようがんより御涙をながさせ給ふ。少将もまうしのべたるかたもなし。そでをかほにをしあててまかりいでられぬ。又もんまではるかにみおくりて、ごしよぢゆうの女房たち、かぎりのなごりををしみ、しぼらぬたもともなかりけり。法皇もうしろをはるかにみおくらせ給て、御涙をのごはせ給て、「又ごらんぜぬ事もや」とおぼしめすぞかたじけなき。「まつだいこそうたてく心うけれ。あながちにかくしもやあるべき」とぞおほせられける。ちかくめしつかへける人々も、「さらに人の上とおもふべきにあらず。いかなる事かあらむずらん」と、やすき心なし。少将はさいしやうのもとへおはしたれば、このことききつるより、少将の北方は、あきれまどひて物もおぼへず、いとほしきていにてぞおはしける。ちかくさんし
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給べき人にて、なにとなくひごろもなやみ給つるに、かかるあさましき事をききたまへば、いとどふししづみたまふもことわりなり。少将はけさよりながるるなみだつきせぬに、北方のけしきをみたまふに、いとどせむかたなくぞおぼさる。「せめてはこのひとみをみとならむをみをきて、いかにもならばや」とおもはれけるも、せめての事とおぼえていとほし。ろくでうとてとしごろつきたてまつりたるめのとの女房ありけり。このことをきくより、ふしまろび、もだへこがるる事なのめならず。少将のそでにとりつきて、「いかにやいかに。君のちの中にをはしまししをとりあげまひらせて、あらひあげ奉て、いとほしかなしとおもひそめ奉りしより、ふゆのさむきあしたには、しとねをあたためてすへ奉り、なつのあつきよは、すずしき所にふせ奉て、あけてもくれてもこの御事よりほか、又い
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となむ事なし。わがとしのつもるをばしらず、人となり給はん事をのみ思て、よのあくるをもひのくるるをもこころもとなくて、廿一年をおくりををしたて奉て、ゐんうちへ参りたまひても、おそくもいでたまへばおぼつかなくこひしくのみ思奉りつるに、こはいづくへおはしますべきぞや。すてられ奉て、いちにちへんしもいきて有べしとこそおぼへね」と、くどきたててなくにも、「さこそおもふらめ」とおぼせば、少将涙をおさへて、「いたくなおもひそ。わがみあやまらねば、さりともとこそ思へ。さいしやうさておはすれば、いのちばかりはなどかまうしうけられざるべき」と、なぐさめ給へども、ひとめもしらずなきもだうるもむざん也。八条よりとて使あり。
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「おそし」とあれば、「いかさまにも参りむかひてこそは、ともかくも申さめ」とて、宰相いで給へば、車にのりぐして、少将もいでたまひぬ。なきひとをとりいだすやうにみおくりてなきあへり。ほうげんへいぢよりこのかたは、平家の人々はたのしみさかえはあれども、うれへなげきはなかりつるに、かどわきの宰相こそ、よしなかりけるむこゆゑに、かかるなげきをせられけるこそふびんなれ。
十七 八条ちかくやりよせてみれば、そのしごちやうに武士じゅうまんして、いくせんまんといふかずをしらず。いとどおそろしなむどはいふはかりなし。少将は是をみ給につけても、大納言の御事おぼすぞかなしき。宰相、車をばもんぐわいにとどめて、あんないを申給へば、「少将をばうちへはいれ
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たまふべからず」と有ければ、そのへんちかきさぶらひのいへにをろしおきて、宰相うちへいりたまひぬ。みもしらぬつはものあまたきたりて、ゐめぐりてまもり申す。少将はたのみたりつる宰相はいりたまひぬ、いとど心ぼそくかなし。宰相いりてみ給へば、おほかたうちのありさま、武士どものひそめきあへるさま、誠にをびたたし。「のりもりこそまゐりて候へ。げんざんにいらん」とのたまひけれども、入道いであひ給はざりければ、すゑさだをよびて宰相まうされけるは、「よしなき者にしたしくなりて、かへすがへすくやしく候へども、かひも候はず。なりつねにあひぐしてさうらふもの、いたくもだへこがれさうらふが、おんあいのみち、ちからおよばざる事にて、むざんにおぼえさうらふ。ちかくさんすべき者にて候が、いかに候やらん。ひ
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ごろなやみ候つるが、このなげきうちそひさうらひなば、みみともならぬさきに、命もたえさうらひなんず。たすけばやと思候て、おそれながらかくまうしいれさうらふ。なりつねばかりをばまうしあづかりさうらはばや。のりもりかくて候へば、いかでかひがことせさせ候べき。おぼつかなくおぼしめさるべからず」と、なくなく申給。すゑさだこのよしを入道に申ければ、よに心えずげにて、とみにへんじも宣はず。宰相ちゆうもんにて、いかにいかにとまち給ふ。ややひさしくありて、入道宣けるは、「なりちかのきやう、このいちもんをほろぼして、てんがをみだらんとするくはたて有けり。しかれどもいつかのうんつきぬによつて、この事あらはれたり。少将は既にかの大納言のちやくし也。したしくをはすとても、えこそなだめ申まじけれ。かのくはたてとげましかば、それごへんとても
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をだくしてやおわすべき。いかにおんみの上のだいじをばかくは宣ぞ。むこもこもみにまさるべきかは」と、すこしもゆるぎなく宣へば、季貞かへりいでて、このよしを申ければ、宰相おほきにほいなげに思給て、おしかへし宣けるは、「かやうにおほせらるる上をかさねてまうすは、そのおそれふかけれども、心のうちに思はんほどの事をのこさむもくちをしければまうすぞ。季貞今一度よくよく申せよ。さんぬるほうげん、へいぢりやうどのかつせんにも、みをすてておん命にかはり奉らんとこそ思しか。是よりのちなりとも、荒き風をばまづふせかむとこそ思給へ。のりもりこそ今はとしまかりよりてさうらへども、わかきものどもあまた候へば、おんだいじもあらむ時は、などかいつぱうのおんかためとも
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ならで候べき。それに教盛がたのみ奉りたる程は、つやつやおぼしめされ候はざり
けり。成経をしらばくまかりあづからむと申を、おぼつかなくおぼしめして、おんゆるされのなからむは、既にふたごころある者とおぼしめすにこそ。是程にうしろめたなき物におもはれたてまつりて、よに有てはいかにかはすべき。よにあらば又いかばかりの事かは有べき。今は只、みのいとまをたまはりて、出家入道して、かたやまでらにもこもりゐて、ごしやうぼだいのつとめをつかまつるべし。よしなきうきよのまじはり也。よにあればこそのぞみもあれ。のぞみのかなはねばこそうらみもあれ。しかじ、只よをのがれてまことのみちにいらんには」と宣へば、季貞、にがにがしき事かなと思て、この由をくはしく入道に申ければ、「物に心えぬ人かな」とて、又へんじも宣はず。季貞申けるは、「宰相どのは
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おぼしめしきりたるおんけしきにて渡らせたまひさうらふめり。よくよくおんぱからひあるべくや候らん」と申ければ、その時入道宣けるは、「まづごしゆつけあるべしとおほせられさうらふなるこそ、おどろきぞんじ候へ。おほかたは、是程にうらみられまゐらせ候べしとこそぞんじ候はねども、それほどのおほせにおよばむ上は少将をばしばらくごしゆくしよにをかれ候べし」と、しぶしぶにありければ、宰相よろこびていでたまひにけり。少将はなにとなくたのもしげに思て、「いかに」ととひたまふもあはれ也。宰相おもはれけるは、「あなむざんやな。わがみにかへてまうさざらむにはかなふまじかりつる者の命ぞかし。人のこをあまたもつ事はむやくの事かな。わがこのえんにむすぼをれざらんには、人の上の事にこそみるべき者の事を、みの上になして、きもこころをけすこそよしな
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けれ」とおぼされければ、「いさとよ。入道殿のいきどほりなのめならずふかげにて、のりもりにはたいめんもし給はず。かなふまじき由たびたびのたまひつれども、季貞をもつて、『出家入道をもせむ』とまで申たりつればやらん、『しばらくしゆくしよにをきたまへ』とばかりのたまひつれども、しじゆうよかるべしともおぼへず」と宣ければ、少将申されけるは、「なりつねごおんにてひとひの命ものび候けるにこそ。ひとひとてもをろかのぎにて候はず。たすかり候はん事こそしかるべく候へ。是につけさうらひても、大納言のゆくへ、いかがきこしめされ候つる」とのたまへば、宰相、「いさとよ。御事をこそとかく申候つれ。大納言殿の御事までは心もおよばず」と宣ければ、げにもことわりかなとおもへども、「大納言こ
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よひうしなはれ候はば、ごおんにて成経けふばかりいのちいきても、なににかはし候べき。しでのやまをももろともにこへ、かたときもをくれじとこそぞんじさうらへ。おなじごおんにて候はば、大納言のいかにもなりさうらはん所にて、ともかくもまかりなりさうらはばや。おなじくはさやうにまうしおこなはせおわしますべくや候らん」とて、さめざめとなかければ、宰相また心くるしげにて、「まことやらん、大納言の事をば、うちのをとどどのとかくまうされければ、こよひはのび給ぬるやらんとこそ、ほのききつれ。心やすく思給べし」と宣ければ、少将そのときてをあはせてよろこばれけり。「せめてこよひばかりなりとものび給へかし」とて、よろこばれけるをみ給けるにこそ、宰相又、「むざんやな。こならざらん者は、只今たれかは是
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程に、わがみの上をさしをいて、おぼつかなくも思ひ、のびたるをききて、みにしみてうれしく思べき。まことのおもひはふしのこころざしにこそとどめてけれ。こをば人のもつべかりける物を」とぞ、やがておもひかへされける。さて宰相は少将をぐしてかへり給ひければ、宰相のしゆくしよには、少将のいで給つるよりも、北方をはじめとして、ははうへ、めのとの六条ふししづみて、「いかなることをかきかむずらん」と、きもこころをまどはしておぼしめしける程に、「宰相かへり給」といひければ、いとどむねせきあげて、「うちすてておわするにこそ。いまだ命もおわせば、いかにいよいよ心ぼそくおぼすらむ」と、かなしく思はれけるに、「少将どのもかへらせ給」と、さきに人はしりむかひてつげ申たりければ、くるまよせにいでむかひて、まことかやとて、又声をととのへてなきあひ給へり。まことに宰
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相、少将のりぐして、かへり給へり。のちはしらず、かへりをはしたれば、しにたる人のそせいしたるやうにおぼえて、よろこびなきどもしあはれけり。この宰相の宿所は、かどわきとて、六波羅のそうもんのうちなれば、ほどへだたらず。入道たうじははつでうにおわしけれども、よもなほつつましくて、かどさししとみのかみばかりあけてぞおはしける。
十八 にふだうはかやうに人々あまたいましめをかれたりけれども、なほこころやすからずおもはれければ、「ぜんあく法皇をまづむかへとり奉て、このはつでうにおしこめまひらせて、いづちへもごかうなし奉らむ」とおもふこころ、つかれにけり。あかぢのにしきのひたたれに、しろがなものうちたるくろいとをどしのはらまきのむないたせめて、そのかみあきのかみにてじんばいせられけ
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る時、いつくしまのやしろよりれいむをかうぶりてまうけられたりける、しろかねのひるまきしたるひさうのてぼこの、常にまくらをはなたざりける、左わきにはさみて、ちゆうもんのらうにつといでてたたれたり。そのけしきゆゆしくぞみへられける。ひごのかみさだよしは、もくらんぢのひたたれに、ひをどしのよろひきて、おんまへにひざまづいて候。入道のたまひけるは、「さだよし、このこといかが思ふ。入道がぞんずるはひがことか。ひととせほうげんのげきらんの時、うまのすけをはじめとして、したしきものどもはなかばすぎてさぬきのゐんのみかたへ参りにき。いちのみやのおんことは、こきやうのとののやうくんにてわたらせたまひしかば、かたがたおもひはなちたてまつりがたかりしかども、こゐんのごゆいかいにまかせて、みかたにてさきをかけたりき。これいちのほうこうなりき。つぎにへい
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ぢのげきらんの時、のぶより、よしともがふるまひ、入道命ををしみてはかなふまじかりしを、命をすててきようどをおひおとして、てんがをしづむ。そののちつねむねこれかたをいましめしにいたるまで、君のおんために命をすてむとする事たびたびなり。たとひ人いかにまうすとも、入道がしそんをばいかでかすてさせ給べき。されば入道が事をいるかせにしまうさむ者をば、君ももつともおんいましめも有べきに、いましめらるるまでこそなからめ、大納言がざんにつかせ給て、なさけなく一門ついたうせらるべきよしのゐんぢゆうのごけつこうこそ、ゐこんのしだいなれ。このことゆきつなつげしらせずは、あらはるべしや。あらはれずは、入道あんをんにて有べしや。なほもほくめんのげらふどもがいさめまうす事なむどあらば、たうけついたうのゐんぜんくだされ
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ぬとおぼゆるぞ。てうてきとなりなむのちは、くやむにえき有まじ。よをしづめん程、せんとうをとばのきたどのへうつし奉るか、しからずはごかうをこれへなしたてまつらばやとおもふなり。そのぎならば、ほくめんのものどもの中に、やをもひとすぢいいだす者もありぬとおぼゆるぞ。さぶらひどもにそのよういせよとふるべし。おほかたは入道、ゐんがたのみやづかへおもひきりたり。きせながどもとりいだせ。馬にくらをかせよ」とぞげぢせられける。とばどのへのごかうとはきこへけれども、ないないは法皇をさいこくのかたへながしまゐらすべき由をぞぎせられける。しゆめのはんぐわんもりくに、このけしきをみたてまつりて、こまつどのにはせまゐりて、おほいとのに申けるは、「よは今はかうとみへ候。入道殿、既におんきせながをめされ候。さぶらひどもみなうつたちさうらふ。ほふぢゆうじどのへよせられ候。とばどのへのご
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かうとこそきこへ候へども、ないないは、さいこくのかたへごかうなるべきにて候やらんとこそ、うけたまはり候つれ。いかにこのごしよへは今までおんつかひは候はぬやらん」と、いきもつきあへず申ければ、ないだいじんおほきにさわがれけり。「いかでかさしもの事はあるべきとは思へども、けさの入道殿のおんけしき、さるものぐるはしき事もあらん」と、おぼされければ、だいふいそぎはせきたりたまふ。そのときもおなじくかつちうをよろうにおよばず。はちえふのめしぐるまのけしかるに、しそくのこれもり車のしりにのせて、ぢゆうだいつたはりたるからかはといふよろひ、こがらすといふたち、車のうちにないないよういしてもたれたり。ひきさがりてくらおきむまひかせたり。ゑふ四五人、ずいじん二三人めしぐして、しんかうにおよびて、けさのていにて、えぼ
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しなほしにておはしたりけり。にし八条にさしいりてみられければ、たかとうだい、さぶらひちゆうもんのつぼつぼにかきたてて、いちもんのけいしやううんかくすじふにん、おのおのおもひおもひのよろひひたたれに、色々のよろひきて、ちゆうもんのらうににぎやうにちやくざせられたり。ゑふ、しよし、しよこくのじゆりやうなむどはえんにゐこぼれて、つぼにもひしとなみゐたり。はたざをどもひきそばめ、馬のはるびをしめて、かぶとをひざの上におきて、只今かけいでむずるていとみへけるに、ないだいじんなほしにて、だいもんのさしぬきのそばとりて、ざやめきいられけり。ことのほかにこそみへられけれ。入道これをはるかにみつけて、すこしふしめにこそなられけれ。「れいのだいふが入道をへうするやうにふるまふは」とて、心えずげにおもはれたり。内大臣
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いささかもはばかるけしきなく、ゆらゆらとあゆみよつて、ちゆうもんのらうにつかれたり。弟のうだいしやうむねもりのきやうよりかみなるいちざに、むずとつかれたり。だいふしはうをみまはして、「いしげにさうおんけしきどもかな」とて、へしぐちせられけり。ひやうぢやうをたいしたる人々も、皆そぞろきてぞみへられける。きやくでんをみ給へば、大政入道のていそうじてきやうきやうなり。あかぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのはらまききて、ひだりのかたにはくろいとをどしのよろひに、しらほしのかぶとかさねておかれたり。右のかたにはしろかねのひるまきしたるなぎなたたてて、ゐんのごしよか、しんかのもとへか、只今うちいりげなるけしきなりけるが、入道は是をみたまひて、こながらも、うちにはごかいをたもちてじひをさきとし、ほかにはごじやうを
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みだらず、れいぎをただしくし給ふしんなりければ、はらまきをきてあひむかはん事のおもはゆくやおもはれけん、しやうじをすこしひきたてて、はらまきの上にそけんのころもをひきかけて、むないたのかなもののはづれてきらめきてみへけるをかくさむと、しきりにころものむねをひきちがへひきちがへぞせられける。内大臣このけしきをみたまひて、「あなくちをし。入道殿にはよくてんぐつきたりけり」と、うとましくぞおもはれける。入道のたまひけるは、「そもそもこのあひだの事をさいくわうほふしにくはしくあひたづねさうらへば、なりちかのきやうふしがむほんのくはたてはしえふにてさうらひけるぞ。しんじつには法皇のごえいりよよりおぼしめしたたせたまふおんことにてさうらひけり。おほかたはちかごろよりいとしもなききんじゆしやどもが、をりにふれ時にしがたひて、さまざまの
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事をすすめまうすなるあひだ、ごきやうきやうの君にてわたらせ給ふ。いちじやうてんがのわづらひ、たうけのだいじひきいださせたまひぬとおぼゆる時に、法皇を是へむかへまひらせて、かたほとりにおひこめまひらせむとぞんずる事を、まうしあはせ奉らむとて、たびたびつかひをつかはしつる也」と宣へば、だいふ、「かしこまりてうけたまはりさうらひぬ」とばかりにて、さうがんより涙をはらはらとおとし給ふ。入道あさましとおぼして、「こはいかに」と宣へば、だいふしばらく物も宣はず。ややひさしくありて、なほしの袖にて涙をのごひはなうちかみ宣けるは、「なにかの事はしりさうらはず。まづおんすがたを見まひらせさうらふこそ、すこしもうつつともおぼへ候はね。さすがわがてうは、へんぢそくさんのさかひとまうしながら、てんせうだいじんのごしそん、国の
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あるじとして、あまつこやねのおんすゑ、てうのまつりごとをつかさどりたまひしよりこのかた、だいじやうだいじんの位にのぼるひと、かつちうをよろふ事、たやすかるべしともおぼえさうらはず。かたがたおんはばかりあるべくさうらふものを。なかんづくごしゆつけのおんみなり。それさんぜしよぶつ、げだつどうさうのほふえをぬぎすてて、たちまちにかつちうをたいしましまさん事、既にうちにははかいむざんのつみをまねきたまふのみにあらず、ほかには又じんぎれいちしんのほふにもそむきさうらひぬらんとこそおぼえさらへ。よくよくごえいぐわつきてみよのすゑになりて候とおぼえさうらふあひだ、あまりにかなしくおぼえさうらひて、ふかくのなみだのさきだち候ぞや。かたがたおそれあるまうしごとにて候へども、しばらく御心をしづめさせおわしまして、重盛が申候はん事をつぶさにきこしめされ候べし。かつうはさいごのまうしじやうなり。こころのそこにぞんぜん程のしいしゆを
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のこすべきにさうらはず。まづよにしおんとまうすことは、しよきやうのせつさうふどうにして、ないげのぞんぢ、おのおのべつなりといへども、しばらくしんぢくわんぎやうのだいはちのまきによらば、いちにはてんちのおん、ににはこくわうのおん、三はしちやうのおん、四にはしゆじやうのおん、これなり。これをしるをもつてじんりんとし、しらざるをもつてきちくとす。その中にもつともおもきはてうおんなり。ふてんのした、わうどにあらずといふことなし。しゆつとのひん、わうしんにあらずといふことなし。されば、かのえいせんのみづにみみをあらひ、しゆやうざんにわらびををりけるけんじんも、ちよくめいのそむきがたきれいぎをばぞんじてこそさうらふなれ。かたじけなくもごせんぞ、くわんむてんわうのごべうえい、かづらはらのしんわうのごこういんと申ながら、なかごろよりむげにくわんどもうちくだりて、わづかにげこくのじゆりやうをだにもゆるされでこそ候けるに、こぎやうぶきやうのとの、びぜんのくにこくむのとき、とばのゐんのごぐわん、
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とくぢやうじゆゐんをざうしんのけんじやうによつて、いへにひさしくたえたりしうちのしようでんをゆるされける時は、ばんにんくちびるをひるがへしけるとこそうけたまはりつたへて候へ。いかにいはむや、おんみ既にせんぞにもいまだはいにんのあとをきかざりし、大政大臣の位をきはめさせ給。おんすゑまただいじんのだいしやうにいたれり。いはゆる重盛なんどがふさいぐあんのみをもつて、れんぷくわいもんの位にいたる。しかのみならず、こくぐんなかばはいちもんのしよりやうなり。でんゑんことごとくかもんのしんじたり。これきたいのてうおんにあらずや。いまこれらのばくたいのてうおんをわすれて、君をかたぶけまゐらせましまさむ事、てんせうだいじん、しやうはちまんぐう、じつげつせいしゆく、けんらうぢじんまでもおんゆるされやさうらふべき。『君をそむく者は、ちかくは百日、とほくは三年をいでず』とこそまうしつたへたれ。もしまたゐんぜんにてむほんのおんくはたてありともひがことともぞんじさうらはず。つらつらしやうこをおもひさうらふに、なうそへいしやうぐんさだもり、さうまのこじらうまさかど
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をうちたりしも、けんじやうをおこなはれさうらひし事、じゆりやうにはすぎざりき。いよのにふだうよりよしがさだたふ、むねたふをちゆうりくし、むつのかみよしいへが、いへひらをほろぼしたりしも、いつかはしようじやうの位にのぼり、ふしのしやうにあづかりたりし。しかるをこのいちもんだいだいてうてきをついたうして、しかいのげきらうをしづむる事はぶさうのちゆうなれども、めんめんのおんしやうにおいては、ばうじやくぶじんともまうしつべし。されば、しやうとくたいしの十七かでうのけんぼふには、『ひとみなこころあり。こころおのおのしゆあり。かれをぜすればわれをひし、われをぜすればかれをひす。ぜひのり、たれかよくさだむべき。あひともにけんぐなり。たまきのごとくしてはしなし。ここをもつて、かのひといかるといふとも、かへりてわがとがをおそれよ』とこそ候へ。これによつて、きみことのついでをもつて、きくわいなりとおぼしめさん事は、もつともことわりにてこそ候へ。しかれどもごうんつきざるかによつて、このことすでにあらはれて、おほせあはせられさうらふひとびと、かやうにめしおかれ
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さうらひぬ。たとひ又君いかなる事をおぼしめしたちさうらふとも、しばらくなんのおそれかはをはしますべき。大納言いげのともがらに、しよたうのざいくわおこなはれさうらひなん上は、しろぞきて事のよしをちんじ申させたまひて、君のおんためにはいよいよほうこうのちゆうせつをつくし、たみの為にはますますぶいくのあいれんをいたさせ給はば、しんめいぶつだのおうごあさからず。みやうしゆぜんじんのかごしきりにして、君のおんまつりごとひきかへてすなをになるならば、げきしんたちまちにめつばうし、きようどすなはちたいさんして、しかいなみしづかにはちえんあらしをさまらん事、たなごこころをかへさんよりもなほすみやかなるべし。みだりがはしく法皇をかたぶけまゐらせましまさん事、しかるべしともおぼへさうらはず。『ふめいをもつてわうめいをじせず、わうめいをもつてふめいをじす。かじをもつてわうじをじせず、わうじをもつてかじをじす』ともはべり。またきみとしんとをなぞらふるに、しんそをわかず君につかへ奉るは、ちゆうしんのほふなり。だうりとひがこととをなぞらへんに、いかでか
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だうりにつかざらん。ここにおいては、君のおんだうりにてさうらへば、重盛にをきては、ごゐんざんのおんともをばつかまつるべしともぞんじさうらはず。かなはざらむまでも、ゐんぢゆうを守護し奉らばやとこそぞんじさうらへ。重盛、はじめろくゐにじよせしより、いまさんこうのすゑにつらなるまで、てうおんをかうぶる事、みにをひてすこぶるくわぶんなり。そのおもき事をろんずれば、せんくわばんくわのたまにもこえ、そのふかきいろをあんずるに、いちじふさいじふのくれなゐにもすぎたるらん。しかれば重盛君のみかたへまゐりさうらはば、いのちにかはりみにかはらんと、ちぎりふかきはぢあるさぶらひ、二百よにんはあひしたがへてさうらふ。このものどもはよもすてさうらはじ。とほくれいをばもとむるにおよばず、まさしくごらんじみさうらひし事ぞかし。ほうげんのげきらんのとき、くわんぱくどのはだいりにさうらはせましまし、おととのさだいじんどのはしんゐんのみかたにさうらひたまふに、
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むつのはんぐわんためよしはしんゐんのみかたへ参り、しそくしもつけのかみよしともはだいりにさうらひてかつせんす。つはものいくさごとをへてのち、おほひどのはせんぢやうのけぶりのそこになりにしかば、さふはながれやにあたりて命をうしなひ、しんゐんはさんしうへはいるせられさせたまひぬ。そののちたいしやうぐんためよしはしゆつけにふだうして、よしともをたのみあらはれ、てをあはせてきたりしかば、くんこうのしやうをまゐらせあげて、ちちが命をひらに申ししかども、まさしく君をい奉るつみ、のがれがたきによつて、しざいにさだまりしを、ひとでにかけじとて、義朝がしゆしやくのおほちにひきいだして、くびをきりさうらひしをこそ、おなじちよくめいのそむきがたさとまうしながら、あくぎやくぶたうのいたり、くちをしきことかなとこそ、きのふまでもみききさうらひしに、けふは重盛がみの上になりぬとこそおぼえさうらへ。『きみうちかたせたまひさうらはば、かのほうげんの
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れいにまかせて、重盛ごぎやくざいのいちぶをかしさうらひぬ』とおぼえさうらふこそ、かねてこころうくおぼえ候へ。かなしきかな、君のおんためにちゆうをいたさむとすれば、めいろはちまんのいただきなほくだれる、ちちのごおんをたちまちにわすれなんとす。いたましきかな、ふけうのつみをのがれんとすれば、さうかいばんりのそこなほあさき、君のおんためにふちゆうのぎやくしんとなりぬべし。これとまうし、かれといひ、おもふにむやくの事にて候。只まつだいにしやうをうけて、かかるうきめをみる、重盛がくわほうの程こそくちをしくさうらへ。されば、まうしうくるところなほごしよういんなくして、ごゐんざんあるべきにてさうらはば、まづ重盛がかうべをめされさうらふべし。しよせんゐんぢゆうをも守護すべからず。又おんともをもつかまつるべからず。まうしうくるところは、只くびをめさるべきにあり。いまおぼしめしあはせさせおはしましさうらへ。ごうんはいちぢやうすゑになりて候とおぼえさうらふ。人のうんの末にのぞむ時、かやうのはかりことはおもひ
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たつことにてさうらふなるぞ。らうしのかきをかれて候ことばこそおもひあはせられ候へ。『こうめいかなひとげて、みをしりぞきくらゐをのがれずは、すなはちがいにあふ』といへり。かのくんせうがはたいこうをたつる事、はうばいにこえたるによつて、くわんたいしやうこくにいたり、けんをたいしくつをはきながら、てんじやうにのぼる事をゆるされたりき。しかれどもえいりよにそむくことありしかば、かうそおもくいましめて、ていいにおろされてつみせらる。ろんごと申すふみには、『くににみちなきときは、とみかつたつときははぢなり』といふもんあり。かやうのせんじようをおもひあはせさうらふにも、ごふうきといひ、ごえいぐわといひ、てうおんといひ、ちようじよくといひ、ひとかたならずきはめましまして、としひさしくなりぬれば、ごうんのつきんとてもかたかるべきにあらず。『ふうきのいへ、ろくゐちようでふするは、なほしさいじつのきのごとし。そのねかならずいたむ』ともいへり。心ぼそくこそおぼえさうらへ。いつまでかいのちいきて、みだれぬ
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よをもみ候べき。只とくとくかうべをはねられ候べし。さぶらひ一人におほせて、ただいまおつぼにひきいださせたまひて、かうべをはねられむ事、よにやすき事にてこそ候はんずれば、是はとのばらいかがおもひたまふ」とて、なほしのふところよりたたうがみとりいだして、はなうちかみ、さめざめとなくなく宣ふ。一門の人々よりはじめて、さぶらひどもにいたるまで、みなよろひの袖をぞぬらされける。「いかにおんもちいなくとも、かなはざらんまでも、おのおのかやうの事をばまうさるべきにてこそ候に、いさめ申さるるまでこそ候はずとも、まづくみしがましくおんもののぐかためられさうらふこと、かつうはきやうきやういていのものぐるはしきありさま、おんふるまひどもかな。かくてはよを
たもち、ししそんぞんはんじやうして、かもんのえいぐわ、すゑたのみなくこそおぼえ候へ」と宣ければ、弟のうだいしやう、せきめんしてすくみかへりて、あせみづになられけり。
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ことのほかにわろくぞみえられける。入道もさすがいはきならねば、だうりにつまりてへんじもし給はず。すがたのはづかしさに、しやうじのおくへすべりいりてをはしけるが、だいふの既にたちたまひけるをみて、しらけぬていに、「あはれ、ききたるとののくちかな。わどのもせつぽふし給ふ。しばらくおはせよかし。入道もせつぽふしてきかせ申さむ」とぞ宣ける。内大臣はちゆうもんのらうにたちいでて、さもしかるべきさぶらひどもにあひて宣けるは、「重盛が申つる事はおのおのきかずや。さればゐんざんのおんともにおいては、重盛がくびのきられんをみてのち、つかまつるべしとおぼゆるはいかに。けさよりこれにさうらひて、かなはざらんまでもいさめまうさばやとぞんじつれども、これらがていあまりにひたあはてにみへつる時に、かへりたりつる也。今ははばかるところあるべからず。かうべをめさる
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べしと申つれば、そのむねをこそぞんぜめ。ただしいまださもおほせられぬはいかなるべきやらん。さらば人参れ」とて、こまつどのへぞかへられける。
十九 ないだいじんかへりはてられければ、もりくにをつかひにて、「重盛べつしててんがのだいじをききいだしたる事あり。われをわれと思はんものどもは、いそぎもののぐして参るべし。これにて重盛にこころざしのありなしはみるべし」ともよほされければ、これをききて、「おぼろけの事にはさはぎ給はぬ人の、かかるおほせのあるは」とて、さぶらひども、入道には「かく」とだにもまうさで、われさきにとぞはせまゐりける。よあけにければ、らくちゆうのほか、しらかは、にしのきやう、とば、はつかし、だいご、をぐるす、くわんじゆじ、をはら、しづはら、せれうのさとにあぶれゐたりける、さぶらひ、らうどう、ふるにふだうまでも、しだいにききつたへききつたへして、あるいは馬にのるも
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あり、のらぬもあり、あるいはよろひきていまだかぶとをきぬ者もあり、あるいはゆみもちてやおはぬ者もあり、あるいはやをおひてゆみをとらぬ者もあり、かやうにわれおとらじとはせあつまりにければ、にしはつでうにはあをにようばう、ふるにこう、おのづからふでとりなんどぞせうせうのこりたりける。きゆうばにたづさはる程の者は一人もなかりけり。入道のたまひけるは、「だいふはなにとおもひてこれらをばよびとるやらん」とて、よにこころえずげにて、はらまきぬぎおきて、そけんのころもにけさうちかけて、えんぎやうだうして、心もおこらぬねんじゆして、うそうちふきて、「だいふになかたがひてもよきだいじや」とぞおもはれける。こまつどのにはもりくにがうけたまはりにて、さぶらひのちやくたうつけけり。さぶらひ三千よにん、郎等、のりがへともなく、およそのせい二万七千八百よきとぞしるしける。ないだいじんはちやくたうひけんののち、さぶらひどもにたい
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めんしてのたまひけるは、「ひごろのけいやくをたがへず、かやうにはせまゐりあひたるこそかへすがへすしんべうなれ。重盛ふしぎの事をききいだしたりつる程に、にはかにかくはもよほしたりつるなり。されどもそのことききなをしつ。ひがことにて有けり。とくとくまかりかへられよ。じこんいごもこれよりもよほさんにはまゐるべし。かへすがへすほんいなり」とて皆かへされけるが、又宣けるは、「是に事なければとて、のちにちさん有べからず。いこくにもさるためし有けり。昔もろこしにしうのいうわうといふみかどおはしけり。きさきをばほうじとぞ申ける。このきさきしやうをうけたまひてよりこのかた、わらひ給はず。みかどこのきさきをちようあいし給けるあまりに、いかにしてえませ奉らんと、しゆじゆのわざをしたまひけれども、ついに
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えみ給はず。あるときてんがにこといでて、ほうくわをあげ、ときをつくりて、かつちうをよろへるむしや、くじやうにじゆうまんせり。これをみたまひてきさきはじめてえみ給へり。ほうくわとはだいこくのならひ、都にさわぐこといできぬれば、しよこくへつはものをめさむとては、ほうくわとうろとなづけてくわりんをとばすじゆつをしてわうじやうのしはうのたかきみねみねにとぼしてしよこくのつはものをめすなり。又はとうてんりんともなづけたり。このほうくわいできぬれば、都にこといできたむなりとて、国々のつはもの、みやこへはせまゐる。これをとぶひともなづけたるにや。そののち常にきさきをえませ奉らむとて、ほうくわをあげ、時のこゑをつくりしかば、しよこくのくわんぐんはせまゐりたりけれども、かかるはかりことなりければ、おのおのほんごくへかへりにけり。とうざんへゆくくわんぐんはせんりのみちにこまをはやめ、さいこくへおもむくせむだらはやへのしほぢをしのぎけり。なんぼくの国々も又かくのごとし。
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あるとき、えびすのいくさよせて、いうわうをほろぼさんとしけるに、さきざきのごとくほうくわをあげ、時の声をあはせしかども、しよこくのくわんびやうら、れいのきさきえませ奉らんれうにてぞあらんとて、一人もまひらざりければ、いうわうたちまちにほろびたまひてけり。ほうじをばえびすのいくさとりてかへりぬ。それよりびじんをばけいせいとぞなづけたる。『みやこをかたぶく』といふよみあり。このよみをばそのかみはいましめられけれども、たうせい都にはなほけいせいとぞよばれける。かのきさき、のちにはをみつあるきつねになりて、ふるきつかへにげさりにけり。きつねの女にばけて、人の心をたぶらかすといふ事は、ほんせつある事にや。おもひあはすべし」とぞ宣ける。内大臣まことにはさせる事もききいだされざりけれども、ちちの入道をいさめまうされつることばにしたがひて、わがみにせいのつくか、つかぬかの程をもしり、かつうは又
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ちちといくさをせむとにはあらず、ちちのむほんの心をやおもひなだめたまはむとのはかりことなるべし。内大臣のぞんぢのむね、ぶんせんこうの宣けるにたがはず。君の為にはちゆうあり、ちちの為にはかうあり。あはれ、ゆゆしかりける人かな。法皇この事をきこしめして、「今にはじめぬ事なれども、重盛が心のうちこそはづかしけれ。『あたをばおんをもつてほうぜよ』といふもんあり。まろははやあたをばおんにてほうぜられにけり」とおほせありけるとぞきこへし。
廿 さゑもんのにふだうさいくわうをば、そのよまつらのたらうしげとしにおほせて、しゆしやくのおほちにひきいだしてかうべをはねらる。郎等三人おなじくきられにけり。さいくわうはさんゐのちゆうじやうとももりのめのと、きいのじらうびやうゑためのりがしうとなりければ、とももり、二位殿につきたてまつりて、たりふしまうされけり。ためのりも、「ひとでにかけさうらはん
よりも、
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まうしあづかりさうらひて、いましめさうらはん」と、さいさん申けれども、つひにかなはず、きられにければ、さんゐのちゆうじやうもためのりもよをうらみて、さばかりのさうどうなりけれども、さしもいでたまはざりけり。
廿一 二日、なりちかのきやうをば、よやうやくあくる程に、くぎやうのざにいだし奉て、物まひらせたりけれども、胸もせきのどもふさがりて、いささかもめされず。やがておつたてのくわんにん参てくるまをさしよせ、「とくとく」と申ければ、心ならずのりたまひぬ。御車のすだれをさかさまにかけて、うしろさまにのせたてまつりて、もんぐわいへおひいだす。まづくわちやう一人つとよりて、車よりひきおとし奉て、はふりのしもとを三度あて奉る。次にかどのをさ一人よりて、せつがいのかたなとて、ふたかなたつくまねをし奉る。次にやましろのはんぐわんすゑすけ、せんみやうをふくめ奉る。かかる
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事は人の上にてもいまだごらんじ給はじ。ましておんみの上にはいつかはならひ給べきと、御心のうち、おしはかられてあはれ也。もんぐわいよりはぐんびやうすひやくき、車のぜんごにうちかこみて、わがかたさまの者は一人もなし。いかなるところへゆくやらんも、しらする人もなし。「内大臣にいまいちどあひまうさで」とをぼしけれども、それもかなはず。みにそへる物はつきせぬ涙ばかりなり。しゆしやくを南へゆきければ、おほうちやまをかへりみても、おぼしいづる事おほかりけるなかにも、かくぞ思つづけられける。
ごくらくと思ふくもゐをふりすててならくのそこへいらんかなしさ K015
とばどのをすぎたまへば、としごろつかへ奉りしとねり、うしかひどもなみいつつ、涙をながすめり。「よその者だにもかくこそあるに、まして都にのこりとどまる者
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どもいかばかりかなしかるらん。われよに有し時、したがひつきたりし者一二千人も有けんに、一人だにもみにそふ者もなくて、けふをかぎりて都をいづるこそかなしけれ。おもきつみをかうぶりて遠き国へゆく者も、ひとひとりぐせぬ事やはある」なんど、さまざまにひとりごとをのたまひて、声もをしまずなき給へば、車のしりさきにちかきつはものは、よろひの袖をぞぬらしける。とばどのをすぎたまへば、「このごしよへごかうのなりしには、いちどもはづれざりし物を」なんどおぼして、わがうちの前をとほり給へば、よそもみいらですぎ給も哀也。なんもんをいでぬればかはばたにて、「おんふねのしやうぞくとく」といそがす。「こはいづくへやらむ。うしなはるべくは只この程にてもあれかし」とおぼすも、せめてのかなしさのあまりにや。ちかくうちたる武士を、「是はたそ」ととひ給へば、「つねとほ」となのりけり。
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なんばのじらうといふ者なりけり。「もしこのほどにわがゆかりの者や
あるとたづねてむや。ふねにのらぬさきにいひおくべき事のあるぞ」と宣ければ、「そのへんちかきあたりをうちまはりてたづねけれども、こたふる者なし」と申ければ、「よにおそれをなしたるにこそ。なじかはゆかりの者なかるべき。命にもかはらむといひちぎりし者、一二百人も有けむ物を。よそにてもわがありさまをみむとおもふもののなきこそくちをしけれ」とて、涙をながし給へば、たけきもののふなれども、あはれとぞ思ける。大納言おんふねにのり給て、鳥羽殿をみわたして、守護のぶしにかたり給けるは、「さんぬるえいまんのころ、法皇あの鳥羽殿へごかうあつて、ひねもすにぎよいうありき。しでうのだいじやうだいじんもろなが、おんびはのやくをつとめらる。げんせうしやうまさかた、おんふえのやくにさんぜらる。はむろの中納言とし
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かた、ひちりきのやくに参り給ゐ、やうばいのさんゐあきちか、しやうのふえをつかまつり、もりさだ、ゆきざね、うちものをつとめらる。かかりしかば、きゆうちゆうすみわたり、くんじゆのしよにん、かんるいをもよほしき。てうしばんしきでうにて、ばんしうらくのひきよくをそうせられしに、五六のでふになつしかば、てんじやうの上にびはのおと、ほのかにきこゆ。げんげんえんよくとしてこゑごゑのおもひあり。かんくわんたるあうぎよははなのもとになめらかに、いうえつたるせんりうはこほりのしたになづめり。さうさうたるたいげんはむらさめとぞおぼへし。せつせつたるせうげんはひぎよににたりしかば、ちやくざの人々はおのおのいろをうしなふ。君はすこしもさわがせ給はず。なりちか、その時しゐのせうしやうにてばつざにしこうしたりしをめされて、いかなる人ぞとたづねまうすべきよしおほせくだされしかば、成親かしこまりて、天井にむかひて、『君はいかなる人にて
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わたらせ給ぞ』と、院宣のおもむきを申たりしかば、『われはすみよしのへんに候じよう也』とこたへて、やがてびはのおともせず、こたふる人もうせたりき。すみよしのだいみやうじんのごやうがう有けるにや。しよにんみのけいよだちけるほどに、いけのみぎはにあかきおにのあをきほうをかきて、あふぎを三本むすびたてたり。ぎよいうのがくにめで給て、住吉の大明神のかけらせ給けるにこそ。それよりしてぞ、すはまどのをばすみよしどのとも申ける。かのもろながこうのびはは、しんりよにもさうおうのしようしおほかりける中に、あるとしてんがかんばつのあひだ、しよじしよさんのじやうぎやうぢりつのそうらにおほせて、あめのおんいのり有けれども、つゆだにもをかずして、人々ふかくし給たりけるに、この大政大臣、ひよしのやしろにさんろうせられてきせいあり。しゆじゆのひきよくをひきたまひたりければ、
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たちまちにそらかきくもり、こくどにあめくだりて、てんがぶねうなりき。又げんせうしやうまさかたのふきける笛は、もみぢといふめいぶつ也。かの笛はむかしすみよしの大明神、もみぢのころ、おほゐがはにごかうして、ぎよいう有けるに、もみぢおもしろくありけるにまじはりて、そらよりふりけるをとらせおわしまして、くわんぎよののち、おんみをはなたれずして、ごひさう有て、もたせ給たりけるほどに、だいりしゆごしてくわんぎよなるとて、おとさせ給たりけるを、かのまさかたのせんぞに、いちでうのさだいじんまさちかこうと申人、もとめてけり。あるときまさちかこう夢にしめしていはく、『この笛はわれしかしかしてまうけたりしを、だいりにておとしたりき。ひさうの物也。われにかへせ』とおほせられければ、正親こう申やう、『もとめえてのちは、これにすぎたるたから
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なしとぞんじさうらふときに、まゐらすまじく候。それにきくわいにおぼしめされさうらはば、命をめせ』と申たりければ、『さらばその笛のかはりに、なんぢがしよぢのたうほんの法花経をまゐらすべし』とおほせられければ、又申やう、『笛はこんじやういつたんのもてあそび物、経はたうらいせせのしえんにて候へば、笛をこそまゐらせ候はめ』と申けるを、明神あはれとおぼしめして、経をも笛をもめされざりき。さてみをはなたず、いよいよほうぶつと思てもちたりけるほどに、だいりぜうまうの時、いかがしたりけむ、おとしてうしなひてけり。ただことにあらず。もしは明神のめしかへされけるにや。そののちまうけられたりける笛の、すこしもたがはざりければ、是をももみぢとなづく。今の笛はのちのもみぢにてぞ有ける。かやうにありがたき人々おはしましければ、明神のごやうがうもことわりにこそ
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おぼえしか。かかりし時も人こそおほかりしかども、なりちかこそめしぬかれて君のおんつかひをばしたりしか。せう、ちやく、きん、くうご、びは、ねう、どうばち、そのなはまちまちなれども、ちゆうだうのはうべんなりければ、皆是ほんうのめうり也。そうじていきとしいける者、いづれかこゑをはなれたる。りこうきよがんのさへづり、りようぎんぎよやくのなきまでも、あるいはげんのみなもと、あるいはくわんのおこり也。声ととのをりぬれば、君のみちすなほなり。さればてんしもがくをもちひ給て、ががくのれうをおかれて、てうていのぎしきにそなへらる。しゆんそにかへるみよなれば、あんらくのこゑぞめでたき。あまたのてうのなかにもふがうでうこそすぐれたれ。今のばんしきでうをばびはにはふがうでうといふ。さればめうおんだいしもさんまいのびはをとり、しとくのかたちをそなへて、左のみてのいんざうにふかきゆゑありとかや。
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そもそもばんしうらくはきたいのひきよく、がくけのめうてうなる故に、しんめいもここにかうりんし、ぶつだも是になふじゆす。故にすなはちそのみちをおもんじて、たやすく是をあらはさず。しだいさうじようをとぶらへば、にちざうしやうにんとたうのとき、しやうがをもつてほんてうにかへりてぞ、くわんげんにはうつされし。みだ四十八ぐわんのしやうごんにもぼさつ是をもてあそび、たうり三十三天のけらくにも、しやくだい是をまひかなづ。まことにきたいのがく也。さてもいまてうてきにあらずして、はいしよへむかふこそかなしけれ。すみよしのだいみやうじんたすけさせ給へ」とて、声もをしまずなき給へば、つねとほをはじめとして、おほくのぶしどもよろひの袖をぞぬらしける。くまのまうで、てんわうじまうでなむどには、ふたつがはらのみつむねにつくりたるふねに、つぎのふね二三十そうつきてこそ有しに、是はけしかるかきすへやかたのふねに、おほまくひきまわして、わがかたさまの
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者は一人もなくて、みもしらぬつはものにのりぐして、いづちともしらずをはしけむ心のうち、さこそはかなしかりけめ。こよひはだいもつといふ所につき給へり。しんだいなごん、しざいをなだめられて、るざいにさだまりにけりときこへければ、さもしかるべき人々よろこびあはれけり。是はだいふの入道にあながちにまうされたりける故とぞきこへし。「くににかんしんあれば、そのくにかならずやすし。いへにかんしあれば、そのいへかならずただし」といへり。誠なるかなや。この大納言、さいしやうかちゆうじやうかの程にて、いこくよりきたりたりけるさうにんにあひたまひたりければ、「くわんはじやうにゐのだいなごんにのぼりたまふべし。ただしごくにいるさうのをはするこそいとほしけれ」とさうしたりけるとかや。今おもひあはせられてふしぎ也。又中納言にてをはしける時、をはりのくのをしり給けるに、いんじ
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かおう元年のふゆのころ、もくだいうゑもんのじようまさとも、をはりのくにへくだるとてくひぜがはにとどまりたりけるに、さんもんのりやう、みののくにひらののしやうのぢゆうにんと、こといだす事ありけり。ひらののしやうの住人、くずをうりけるに、かのまさともがしゆくにてあたひのかうげをろんじけるに、のちにはくずにすみをつけたりけるをとがめけるほどに、たがひにいひあがりて、じんにんをにんじやうしたりけるゆゑとぞきこへし。これによつて、ひらののしやうのじんにん山門にうつたへければ、どうねん十二月廿四日、だいしゆおこりて、ひよしのしんよをぢんとうへささげてさんず。ふせかせられけれどもかなはず。こんゑのもんよりいりて、けんれいもんの前にしんよをならべすへ奉りて、なりちかのきやうをるざいせられ、もくだいまさともをきんごくせらるべきよしうつたへまうしければ、成親卿びつちゆうのくにへながされ、もくだいまさともをごくしやへいれらる
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べき由をせんげせらる。大納言既ににしのしゆしやくなる所までいだされたりける程に、おなじき廿八日、めしかへさるときこへしかば、大衆なりちかのきやうをおびたたしくしゆそすときこへしかども、おなじき廿九日、ほんゐにふくして、やがて中納言になりかへり給。おなじき二年正月五日、うゑもんのかみをけんじて、けんびゐしのべつたうにならる。そののちもめでたく時めきさかえ給て、さんぬるしようあん二年七月廿一日、じゆにゐしたまひし時も、すけかた、かねまさをこえたまひて、すけかたはよき人、をとなにてをはしき、かねまさはせいれいの人なりしに、こえられたまふもふびんなりし事也。これはさんでうどのざうしんのしやうなり。おんわたましのひなりけり。おなじき三年四月十三日、またじやうにゐし給ふ。今度はなかのみかどのちゆうなごんむねいへのきやうこえられ給ふ。きよきよねん、しようあん
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元年十一月廿八日、だいにのちゆうなごんをこえて、さゑもんのかみ、けんびゐしのべつたう、ごんだいなごんにあがり給ふ。かやうにさかえられければ、人あざけりて、「山門の大衆にはのろはるべかりける物を」とぞ申ける。されどもそのつもりにや、今かかるめをみ給ふぞおそろしき。しんめいのばつも人のしゆそも、ときもありおそきもあり、ふどうの事なり。三日、いまだくれず、京よりおんつかひありとて、ひしめくめり。既にうしなへとにやとききたまへば、びぜんのくにへといひてふねをいだすべきよしののしる。うちのおとどのもとよりおんふみあり。「みやこちかきやまざとなむどにおき奉らんと、さいさんまうしつれども、かなはぬ事こそよにあるかひも候はね。是につけてもよのなかあぢきなく候へば、おやにさきだちてごしやうをたすけたまへとこそ。てんたうにはいのりまうし候へ。心にかなう命ならば、おんみに
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もかはらまほしく思候へども、かなはず。おんいのちばかりはまうしうけて候ふ。おんこころながくおぼしめしさうらへ。ほどへば、入道ききなをさるる事もやとこそ、おもひたまひ候へ」とて、たびのごよういこまごまとととのへて奉り給へり。なんばのじらうがもとへもおんふみあり。「あなかしこをろかにあたり奉るな。みやづかへよくよくすべし。おろかにあたり申てわれうらむな」とぞおほせられたりける。「さばかりふびんにおぼしめされたりつる君をもはなれ奉り給て、をさなきものどもをふりすてて、いづちとてゆくらん。今一度都へかへりて、さいしをみん事ありがたし。ひととせ山のだいしゆのうつたへにて、ひよしのしちしやのみこしをふり奉りて、すでにてうかのおんだいじになりて、をびたたしかりしだにも、にししつでうにごかにちこそありしか。それもやがておんゆるされありき。是は君のおんいましめにもあらず。大衆の
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うつたへにてもなし。こはいかにしつる事ぞや」と、てんにあふぎちにふして、をめきさけびたまへどもかひなし。よもあけぬれば船をさしいだす。みちすがらも只涙にのみ咽(むせび)給て、はかばかしくゆみづをだにものどへいれ給はねば、ながらふべしともおもひたまはねども、さすがつゆのいのちもきへはて給はず。ひかずふるままには、都のみこひしく、あとの事のみぞおぼつかなく思給ける程に、びぜんこじまといふ所におちつきたまへり。たみの家のあやしげなるしばのあみどのうちへぞいりたまひにける。うしろには山、前はいそなれば、まつにこたふるあらしのおと、いはにくだくるなみの声、うらにともよぶはまちどり、しほぢをさわたるかもめどり、たまたまさしいるものとては、都にてながめしつきのひかりばかりぞ、おもがはりもせずすみわたりける。しんだいなごんふしにもかぎらず、いましめらるる
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人あまたありき。
廿二 あふみのにふだうれんじやうをばとひのじらうさねひらあづかりてひたちのくにへつかはす。しんぺいはんぐわんすけゆきをばげんだいふのはんぐわんすゑさだあづかりてさどのくにへつかはす。やましろのかみもとかぬをばしんのじらうむねまさあづかりてよどのしゆくしよにいましめおく。へいはんぐわんやすより、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづをば、びつちゆうのくにのぢゆうにんせのをのたらうかねやすあづかりてふくはらにめしおかる。たんばのせうしやうなりつねをばしうとのへいざいしやうにあづけらる。
廿三 さいくわうがちやくし、さきのかがのかみもろたか、おなじくおととさゑもんのじようもろちか、そのおととうゑもんのじようもろひらら、ついたうすべきよし、大政入道げぢしたまひければ、武士をはりのくにのはいしよ、ゐどたへくだりて、かはがりをはじめて、いうくんをめしあつめて
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さかもりして、もろたかををびきいだして、かうべをはぬべき由をしたくしたりける程に、いつか、師高がははのもとよりつかひをくだして申けるは、「入道殿、八条殿よりめしとられたまひぬ。さりとも院の御所よりたづねおんさたあらんずらむとまちたまひし程に、やがてそのゆふべにうたれたまひぬ。をはりのきんだちとてもたすかりたまふべからず。いそぎくだりて夢みせ奉れと宣つる」といひければ、師高、ゐどたをばにげいでて、たうごくかのといふ所にしのびてゐたりけるを、をぐまのぐんじこれながききつけて、よせてからめむとしけるに、師高なかりければ、つはものどもかへらんとしける所に、だんじにてかみのあかをのごひてすてたる有けり。是をみつけてあやしみて、なほよくよくあなぐりもとめける程に、たみのいへにはつしといふ所あり、それにかくれて師高がゐたりけるをもとめいだして、からめむとしければ、
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じがいしてけり。郎等にこんぺいしらうなにがしとかや申ける者一人つけたりけるも、おなじく自害してけり。もろたかがくびをばをぐまのぐんじとりて、六波羅へたてまつる。そのかばねをば、師高が思けるなるみのしゆくのきみ、てづからみづからやきはぶつて、とりをさめけるぞむざんなる。さいくわうふしきりものにて、よをよとも思はず、人を人ともせざりしあまりにや、さしもやむごとなくをはする人の、あやまち給はぬをさへ、さまざまざんそうし奉りければ、さんわう大師のしんばつみやうばつたちどころにかうぶりて、じこくをめぐらさずかかるめにあへり。「さみつる事よさみつる事よ」とぞ、人々申あへりし。おほかたは女とげらふとはさかざかしきやうなれども、しりよなき者也。西光もげらふのはてなりしが、さばかりの君にめしつかはれまひらせて、くわほうや
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つきたりけむ、てんがのだいじひきいだして、わがみもかくなりぬ。あさましかりける事共也。
廿四 はつかのひ、福原より大政入道、へいざいしやうのもとへ、「たんばのせうしやうこれへわたし給へ。あひはからひていづちへもつかはすべし。みやこのうちにてはなほあしかるべし」とのたまひたりければ、さいしやうあきれて、「こはいかなる事にか。人をば一度にこそころせ、二度にころすことやはある。ひかずもへだたれば、さりともとこそおもひつれ。さらば中々ありし時ともかくもなりたらば、ふたたび物は思はざらまし。をしむともかなふまじ」とおもはれければ、「とくとく」と宣て、少将もろともにいでたまふ。「今日までもかく有つるこそ不思議なれ」と少将宣ければ、きたのかたもめのとのろくでうもおもひまうけたる事なれども、いまさらに
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又もだへこがる。「なほもさいしやうの申給へかし」とぞおもひあへる。「ぞんずる所はくはしくまうしてき。そのうへかやうに宣はむはちからおよばず。今はよをすつるよりほかはなにとか申べき」とぞ、宰相は宣ける。「さりともおんいのちのうしなはるる程の事は、よもとぞおぼゆる。いづくのうらにをはすともとぶらひたてまつらむずる事なれば、たのもしくおもひたまへ」とのたまひけるもあはれなり。少将はことし四歳になりたまふなんしをもちたまへり。わかき人にて、ひごろはきんだちのゆくへなむどこまかにのたまふこともなかりけれども、そもおんあいのみちのかなしさは、いまはのときになりぬれば、さすが心にやかかられけむ、「をさなきもの今一度みむ」とて、よびよせられたり。わかぎみ少将をみたまひて、いとうれしげにてとりつきたれば、少将かみをかきなでて、「七歳にならばをとこになして、ごしよへまゐら
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せむとこそおもひしかども、今はそのこといふかひなし。かしらかたくおひたちたらば、法師になりてわがごせをとぶらへよ」と、をとなに物をいふやうに、涙もかきあへず宣へば、わかぎみなにとききはき給はざるらめども、ちちのおんかほをみあげたまひて、うちうなづきたまふぞいとほしき。是をみて、北方も六条もふしまろびて、声もをしまずをめきさけびければ、若君あさましげにぞをぼしける。こよひはとばまでとて、いそぎ給。宰相はいでたちたまひたりけれども、よのうらめしければとて、このたびはともなひ給はぬにつけても、いよいよ心ぼそくぞ思はれける。廿二日、少将ふくはらにおはしつきたれば、せのをのたらうあづかりて、やがてかれがしゆくしよにすへ奉る。わがかたさまの人は一人もつかざりけり。せのを、宰相のかへりきき給はん事を思ける
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にや、さまざまにいたはり、志あるやうにふるまひけれども、なぐさむかたもなし。さるにつけてもかなしみはつきせず。ほとけのみなをのみとなへて、よるひるなくよりほかの事なし。びつちゆうのくにせのをといふ所へながすべしときこえければ、せうしやううちあんじて、「だいなごんどのはびぜんのくにへときこゆ。そのあたりちかきにや。あひみたてまつるべきにはなけれども、あたりの風もなつかしかりなむ」とのたまひけるぞあはれなる。せめてはそなたとだにしらんとて、せのをのたらうに、「わがながされてあらむずるせのをとかやより、大納言のおはするびぜんのくにのこじまへは、いかほどのみちにて有らむ」ととはれければ、かたみちわづかにかいしやう三里のみちをかくして、「十三日」とぞ申ける。少将これをききておもはれけるは、「につぽん
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あきつしまは昔は三十三かこくにて有けるを、のちにはんごくづつにわけて、六十六かこくとす。さればわづかのこじまぞかし。なかにもせんやうだうにさほどのだいこくありとはきかぬ物を。さいふよりはらかのつかひのねんねんにまゐりしをききしも、はつかあまりなむどこそききしか。びぜんびつちゆうりやうごくのあひだいかにとほくとも、二三日にはよもすぎじ。これはわがちちのおはしどころをちかしときくものならば、ふみなむどやかよはんずらむとて、しらせじとていふよ」とこころえたまひてければ、そののちはゆかしけれどもとひたまはず。あはれなりし事也。
廿五 昔かるのだいじんと申す人をはしき。けんたうしにして、いこくにわたりておわしけるを、いかなる事か有けん、物いはぬ薬をくはせて、
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ごたいに絵を書て、ひたひにとうがひをうちて、とうだいきとなづけて、ひをともすよしきこえければ、そのおんこにひつのさいしやうと申す人、ばんりのなみをしのぎ、たしうのくもをたづねてみ給ければ、とうき涙をながして、てのゆびをくひきりて、かくぞかき給ける。
われはこれにつぽんくわけいのかく なんぢはすなはちどうせいいつたくのひと
ちちとなりことなるぜんぜのちぎり やまをへだてうみをへだててれんせいねんごろなり
としをへてなみだをながすほうかうのやど ひをおひておもひをはすらんきくのしたしみ
かたちはやぶれてたしうにとうきとなる いかでかきうりにかへりてこのみをすてむ K016
とかきたり。是をみ給けむ宰相のしんぢゆういかばかりなりけむ。つひにみかどにまうしうけてきてうして、そのよろこびにやまとのくにかるのてらをこん
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りふすとみえたり。かれはちちをたすけつればけうやうの第一也。是はそのせん
もなけれども、おやこの中のあはれさは、只大納言の事をのみかなしみて、あけくれなきあかし給けり。
廿六 しきぶのたいふまさつなははりまのあかしへながされたりけるが、ぞうゐじといふやくしのれいちにひやくにちさんろうして、みやこがへりの事をかんたんをくだきていのりまうしける程に、百日にまんじけるよの夢のうちに、
きのふまでいはまをとぢしやまがはのいつしかたたくたにのしたみづ K017
と、みちやうのうちよりえいぜさせ給とみて、うちおどろきてきけば、みだうのつまどをたたくおとしけり。たれなるらんときくほどに、京にてめしつかひしせいしなりけり。「いかに」ととへば、「大政入道殿のおんゆるされのふみ」とて、もちてきたれりけり。うれしな
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むどはいふはかりなくて、やがてほんぞんにいとま申ていでにけり。ありがたかりけるごりしやうなり。
廿七 廿三日、大納言はすこしくつろぐ事もやあるとおぼしけれども、いとどおもくのみなりて、少将も福原へめしくださるときこへければ、すがたをやつさで、つれなくつきひをすごさむもおそれあり。「何事をまつぞ。なほよにあらむとおもふか」と、人の思はんもはづかしければ、「出家のこころざしあり」と、内大臣のもとへまうしあはせられたりけるへんじに、「さもし給へかし」とのたまひたりければ、出家したまひにけり。大納言のきたのかたのきたやまのすまひ、又おしはかるべし。すみなれぬやまざとは、さらぬだに物うかるべし。いとしのびてすまひければ、すぎゆくつきひもくらしかね、あかしわづらふさまなり。にようばうさぶらひどももそのかずおほかりしかども、みのすてがたければ、
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よをおそれひとめをつつむ程に、ききとふものもなかりけり。げんないざゑもんのぶとしといふさぶらひありけり。よろづなさけありけるをとこにて、ときどきこととひたてまつる。あるくれがたにたづねまゐりたりければ、北方すだれのきはちかくめしてのたまひけるは、「あはれ、とのはびぜんこじまとかやへながされ給たりけるが、すぎぬるころより、ありきのべつしよといふ所におわしますとばかりはききしかども、よのつつましければ、是よりひとひとりをもくだしたる事もなし。いきてやおはすらん、しにてやおわすらむ、そのゆくへもしらず。いまだいのちいきておわせば、さすがこのあたりの事をもいかばかりかはきかまほしくおぼさるらん。のぶとしいかなるありさまをもして、たづねまゐりなむや。ふみひとつをもつかはして、へんじをもまちみるならば、かぎりなき心のうち、すこしなぐさむ事もやとおもふは、いかがすべき」と宣ければ、のぶとし涙をおさへて
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申けるは、「誠にとしごろちかくめしつかはれ奉しみにてさうらひしかば、かぎりのおんともをもつかまつるべくこそさうらひしかども、おんくだりのおんありさま、ひとひとりもつきまゐらせ候べきやうなしと承候しかば、ちからおよばず。まかりとどまりさうらひて、あけてもくれても、君の御事よりほかは何事をかは思候べき。めされさうらひしおんこゑもみみにとどまり、いさめられまゐられせしおんことばもきもにめいじて、わすれられ候はず。いまこのおほせをうけたまはる上は、みはいかになりさうらうふとてもまかりくだり候べし。おんふみをたまはりてたづねまゐらむ」と申ければ、北方おほきによろこびたまひて、ふみこまかにかきてたびてけり。わかぎみ、ひめぎみもめんめんに、ちちのもとへのおんことづてとて、かきてたびてけり。のぶとし是をとりてこじまへたづねくだりて、あづかりまもり奉るぶしにあひて、「大納言殿のおんゆくへのおぼつかなさに、今一度み奉らんとて、としごろのせいしにのぶとしとまうすもの、はるばるとたづね
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まゐらせて参て候」と申たりければ、武士どもあはれとやおもひけん、ゆるしてけり。まゐりてみ奉れば、つちをかべにぬりまはして、あやしげなるしばのいほりのうちなり。わらのつかなみといふ物の上に、わづかにむしろいちまいしきてぞすへ奉りたりける。おんすまひの心うさもさる事にて、おんさまさへかはりにけり。すみぞめの袖をみ奉るにつけても、めもくれ心もきえはてにけり。大納言も、いまさらにかなしみのいろをましたまふ。「おほくのものどものなかに、なにとしてたづねきたりけるぞ」とのたまひもあへず、こぼるる涙も哀也。のぶとしなくなく北方のおほせらるるしだいこまかに申て、おんふみとりいだしてまひらせけり。大納言の入道是をみたまひて、涙にくれつつ、みづくきのあと、そこはかともみへわかねども、若君姫君のこひかなしみ給ふありさまわがおんみも又つきひをすごすべきやうもなく、心ぼそく
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かすかなるおんありさまをかきつづけ給へるをみ給ては、ひごろおぼつかなかりつるよりもけに、いとどもだへこがれ給ふ。げにことわりとおぼえて哀也。のぶとし二三日はさうらひけるが、なくなく申けるは、「かくてもつきはてまひらせて、おんありさまをもみはてまゐらせさうらはばやとぞんじさうらへども、都も又みゆづりまゐらせさうらふかたも候はざりつる上、つみふかくおんぺんじを今一度ごらんぜばやと、おぼしめされてさうらひつるに、むなしく程をへさうらはば、あともなくしるしもなくやおぼしめされさうらはむずらんと、こころぐるしくおもひやりまゐらせさうらふ。このたびはおんぺんじをたまはりて、ぢさんつかまつりさうらひて、又こそはやがてまかりくだりさうらはめ」と申ければ、大納言はよになごりをしげにはおもひたまひながら、「誠にさるべし。とくとくかへりのぼれ。ただしなんぢが今こむたびをまちつくべきここちもせぬぞ。いかにもな
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りぬときかば、のちのよをこそとぶらはめ」とて、へんじこまかにかきたまひて、おんぐしの有けるをひきつつみて、「かつうはこれをかたみともごらんぜよ。ながらへてしも、よもききはてられ奉らじ。こむよをこそは」と、こころぼそくかきつけたまひて、信俊にたびてけり。
ゆきやらむ事のなければ黒かみをかたみにぞやるみてもなぐさめ K018
とかきとどめ給へり。若君姫君のおんぺんじどももあり。のぶとし是をもちてかへりのぼりけるが、いでもやられず。大納言もさしてのたまふべき事はみなつきにけれども、したはしさのあまりに、たびたび是をめしかへす。たがひの心のうち、さこそは有けめとおしはからる。さても有べきならねば、のぶとし都へのぼりにけり。きたやまへさんじて、北方におんぺんじ奉りたりければ、北方は、「あなめづらし。い
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かにいかに。さればいまだおんいのちはいきておわしましけるな」とて、いそぎおんぺんじをひきひろげてみたまふに、おんぐしのくろぐろとして有けるを、ただひとめぞみたまひける。「このひとはさまかへられにけり」とばかりにて、又物ものたまはず。やがてひきかづきてふしたまひぬ。おんうつりがもいまだつきざりければ、さしむかひ奉りたるやうにはおぼされけれども、おんぬしはただおもかげばかりなり。若君姫君も、「いづら、ちちごぜんのおんぐしは」とて、めんめんにとりわたしてなきたまふもむざんなり。
かたみこそ今はあたなれこれなくはかばかり物はおもはざらまし K019
とぞ、えいじ給ける。大政入道このことをききたまひて宣けるは、「たがゆるしにてのぶとしはくだり、大納言はもとどりをばきりけるぞ。かやうの事
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をこそじいうの事とはいへ。ながしおきたらばさてもあらで、不思議なり」とて、こまつのおとどにはかくし給て、つねとほがもとへ、「大納言いそぎうしなふべし」とぞ、ないない宣たりける。たんばのせうしやうをば福原へめしとりて、せのをのたらうがあづかりて、びつちゆうのくにへつかはしけるを、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづ、へいはんぐわんやすよりをさつまのくにきかいのしまへつかはしけるに、この少将をぐしてつかはしけり。康頼はもとより出家の志ありける上、るざいのぎになりければ、ないない小松殿につき奉りて、人して小松殿のもとへふみをかきてつかはしけり。そのじやうにいはく、すでにあかつきは、はいしよにおもむくべきよしうけたまはりさうらふ。それくえんをいとふは、もつともしゆつりしやうじのをはり、さいなんにあふことは、なげきのなかのよろこびなるをや。じやうえんにかたぶくは、またわうじやうごくらく
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のいん、にんじんをうけたるは、よろこびのなかのよろこびなり。そもそも出家はむかしよりほんまうなり。いはむやさせんのいまにおいてをや。ねがはくはとちゆうのかいがんのまつのしたにはべりて、さつたのぐけうかしらのしもをはらはんとほつす。それいかん。よつてせいくわうせいきようきんげん。
きんじやうこまつのないだいじんどのごいうか へいはんぐわんやすよりがじやうとぞ、かきたりける。小松殿のおんぺんじには。
すみぞめのころものいろときくからによそのたもともしぼりかねつつ K020
やさしのおんぺんじやとて、やすよりなくなくさつまのくにへぞおもむきける。つのくにこまのはやしといふ所にてかみをそりてけり。かいのしにはしやうおんばうあじやりと申けるらうそう也。りやうそうししきりにいそぎける間、こころしづかにせつかいなむどもちやうもんせず、かたのごとくさんきかいのみやうじばかりをうけて、ほふ
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みやうしやうせうとぞ申ける。もえぎのうらつけたるうすかうのひたたれをぬぎをきて、こきすみぞめのころものいろ、おつる涙にしぼりあへず。さていでさまに、かくぞくちずさみける。
つひにかくそむきはてぬるよのなかをとくすてざりし事ぞくやしき K021
このはんぐわんにふだうのしそくに、さゑもんのじようもとやすとて、ことにおやを思ふこころざしふかき者有けり。しのびつつ只一人つきめぐりて、りやうそうしにあんないをへて、こまのはやしまでもんそうしたりけり。なくなくちちにむかひて申けるは、「なかなか只つひのおんわかれとだにおもひまゐらせば、ひとすぢにおもひさだむるかたもさうらひなむ。いきながらかくわかれまゐらするおんゆくすゑのをぼつかなさ、いちにちへんしもいかにしておもひしのぶべしともぞんぜずさうらふ。さだめてさこそおぼしめし候
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らめ。しままでこそ候はずとも、いまひとひもおんともまうすべく候に、よをおそれ候程に、かやうにまかりとどまりさうらふなり。たのみまゐらせたるちちのかやうにならせ給候はん上は、必ずしもみをまつたくすべきにて候はねども、人の心をそむきさうらひては、なかなかおんためあしくさうらひぬとおぼえ候へば、いとままうしてまかりかへらむ」とて、かきもあへず、さめざめとぞなきける。判官入道、基康が袖をひかへて、「人のみにはあいしとて、おなじこなれどもことにこころざしふかき子あり。なんぢは入道があいしにて、きやうほうの時よりせいじんの今にいたるまで、おんあいの志しいまだつきず。ひとひもみざる時はれんぼのじやうとこめづらし。とをかはつかおくりたりとても、かへらむわかれがかなしからざるべきか。人々のごらんずるもはづかし。よそめもみぐるし。うれしくこれまでおくりたり。
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はやはやかへり給へ」とて、各袖をしぼりつつ、父は南にむかひてゆけば、こは都のかたへぞゆきける。おもひきりてはゆけども、なほもなごりやをしかりけむ、ちかき程は互にみかへりつつ、父はこのかたをみかへり、こは父のかたをかへりみける処に、父ことばをばいださず、てあげてこをまねきけり。基康いそぎうちかへりたりければ、父涙をながし、ややひさしく有て申けるは、「こころえさすべき事の有つるを、あまりのおもひのふかさに、まうさざりつるなり。しやうせうがぼぎのにこうの八十いうよになりたまふが、れんだいのの東にむらさきのといふ所に、くさのいほりむすびておはするぞかしな。念仏申て、ごせぼだいのつとめよりほかはたねんなくして、あしたのつゆ、ゆふべの風をまたず、あさがほのひかげをまたざるごとくして、けふあすともしり給はぬ人の、只一人たのみ給へるが、
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たけごろひとしきこの、いつかへるべしともしらず、とほきしまの人もかよはぬ所へながされぬとききたまふものならば、又うちたのむかたもなき所にのこりとどまり給て、なきかなしみ給はん事、おんあいのならひ、さこそ思給はむずらめ。さればさんりんにまじはりて、そぞろになきかなしみ給はむほどに、さいごのじふねんにもおよばずして、ひごろのぎやうごふをむなしくなし給はん事のかなしさよ。さればかくとも申さず、いとまをもこひ奉り、今一度みもし、みへもし奉りたかりつれども、み奉る程にてはしのぶともかなふまじ。思ふ心いろにあらはれてとひ給はば、又なにとかくしとぐべきならねば、いかにもしてしらせ奉らじと思て、いでつる事の心にかかりておぼゆるぞ。なんぢもいかにもして、かくしとげぬべくは、しらせ奉
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るなよ。なんぢかへりなば、むらさきのに参て申べき事はよな、『人にざんげんせられて、大政入道殿よりごふしんをかうぶりてさうらふあひだ、しばらくさうりんじにろうきよし候也。をりをうかがひてまうしひらき候はんずれば、だいじはよも候はじ。おんこころぐるしくおぼしめすべからず。さてもおんわうじやうのあんじんは、さきざき申をきて候しかば、ゆめまぼろしとおぼしめして、只ねてもさめてもむゐのじやうどに心をかけましまし、らいかうのうてなにあなうらをふみ給べし。けつぢやうわうじやうすべき人には、りんじゆうには必ずきやうがいあいと申まえんきたりて、あるいはおやとへんじ、ふうふしようあいのかたちともへんじ、あるいはしつちんまんぼうともへんじて、しやばに心をとどむる事の候也。さればおやをみばや、こをみばやと思ふ心をば、まえんのしよゐとおぼしめして、只いつかうにさい
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はうに心をかけさせ給べし。もしなほしも康頼をこひしとおぼしめされむ時は、ひととせかきしるしてまゐらせ候し、往生のしきをごらん候べく候』と、よくよくこころえて申べし」とて、袖もしぼるばかりなり。「このむらさきのと申は、れんだいのの東にさうさうたるこまつばらあり。昔念仏のぎやうじやはべりき。常にむらさきのくものたなびきけるによつて、むらさきのとなづけたり。いまもぐぐわんわうじやうの人おほくいほりをむすびてすみけり。康頼入道が母、わかくしてをつとにはおくれてにけり。ひとへに往生をもとむる志ふかくして、れんだいののへん、紫野のまつのこがくれにいほりをむすびて、くどくちのながれに心をすましてぞはべりける。をさなくしてはにしんにをくれ、せいじんしてはをつとにおくれき。又三人のこあり。二人はによしにて、はなやかにうつくしかりし
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かども、むじやうの風にさそはれて、ほくばうのつゆときえにけり。らうせうふぢやうのさかひなれば、はじめて驚べきにはあらねども、おんあいべつりのなげきには、ぼんしやうおなじく袖をしぼるならひにて、このあまうへくわいきうの涙かはくまもなし。
むらさきのくさのいほりにむすぶつゆのかはくまもなき袖の上かな K022
とよみて、たのむ所は康頼ばかりこそ有つるに、これかくなつてふたたびあふごをしらず。をんるのみとききなば、てうぼのぎやうもうちすてられて、往生のさはりとならむ事こそかなしけれ。あひかまへてかくし奉べし。なんぢ入道を哀れと思はば、ゆきの中にたかんなをもとむる志をはげまして、紫野へ常にまゐり、入道がもつごをとぶらふとおもひなして、紫野にてじやうずい
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きふじをも申べし。この事よりほかにはだいじと思ふなげきなし」とて、てをあはせてぞなきける。もとやす申けるは、「おんかたみとて、只一人のこりとどまらせ給ふそぼの御事なれば、おほせをかうぶりはべらずとも、いかでかそりやく候べき。もつともこのごゆいごん、きもにめいじてわすれがたくさうらふ。まかりかへりさうらひなば、やがてじやうずいきふじ申べし」とて、おのおのゆきわかれにけり。基康みちすがらおつる涙にめもくれて、つきひの光もなきがごとし。「うゐむじやうのさかひは、父にもをくれ母にもおくれて、おくりをさめてかへる事は常のならひなれども、いかなるしゆくほうにて、基康はいきたる父をおくりすててかへらむ」と、ひとりごとにくどきつつ、ながるる涙、みちしばのつゆはらひもあへず。「みちにてもしうしなはれ給はば、しにかばね
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をもたれかかくすべき。いきながらしまにすてられ給はば、いへもなくしていかがすべき。うゑてやしにたまはむずらん。こごへてやうせたまはむずらん。しもゆきふらばいかがせむ。あられふるよのいははざま、しほかぜはげしきつゆのいのちのきへむ事、しだいはひびにをとろへて、けふやあすやとまち給はん事の心うさ。只一度にわかれなましかば、これほどにちくさになげきはよもあらじ」とおもひつづけて、馬にまかせてかへりのぼりけり。
廿八 さてもなりつねいげの人々、よの常のるざいだにもかなしかるべし、ましてこのしまの有様つたへききては、おのおのもだへこがれけるこそむざんなれ。みちすがらのたびのそら、さこそはあはれをもよほしけめと、をしはかられてむざんなり。
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せんどにまなこをさきだつれば、とくゆかむ事をかなしみ、きうりに心をかよはすれば、はやくかへらん事をのみおもひき。あるいはかいへんすいえきのはるかなるみぎりには、さうはべうべうとしてうらみの心めんめんたり。あるいはさんくわんけいこくのくらきみちには、がんろががとして、かなしみの涙たいたりたり。さらぬだにたびのうきねはかなしきに、しんやのつきのあきらかなるに、ゆふつげどりかすかにおとづれて、いうしざんげつにゆけむかんこくの有様おもひいでられて、かなしからずといふ事なし。やうやくひかずへにければ、さつまのくににもつきにけり。是よりかのきかいのしまへはひなみをまちてわたらむとす。きかいのしまはいみやうなり。そうみやうをばいわうのしまとぞ申ける。くちいつしま、おくななしまとて、しまのかず十二あむなるうち、くちいつしまは昔よりにつぽんに
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しがたふしまなり。おくななしまとまうすは、いまだこのどの人のわたりたる事なし。くちいつしまの中にいわうのいづるしまじまをば、いわうのしまとなづけたり。さてじゆんぷう有ければかのしまへおしつけて、くちいつしまがうち、少将をばみつのせまりのきたのいわうのしま、やすよりをばあこしきのしま、しゆんくわんをばしらいしのしまにぞすておきける。かのしまにははくろおほくしていししろし。みづのながれにいたるまで、なみしろくしていさぎよし。かかりければにや、しらいしのしまとなづけたり。せめてひとつしまにすておきたらば、なぐさむかたも有べきに、はるかなるはなれじまどもにすておきければ、かなしなむどはおろかなり。されども、のちにはしゆんくわんもやすよりもとかくして、少将の有けるいわうのしまへたどりつきて、たがひにちの涙をながしけり。かのしまはしまのまはりさいこくにじふりの
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しま也。そのちかんぢにして、でんばくもなければべいこくもなし。おのづからなぎさにうちよせられたるあらめなむどをとりて、わづかに命をつぐばかりなり。しまのなかにたかきやまあり。みねにはひもへふもとにはあめふりて、いかづちなることひまなければ、たましひをけすよりほかの事なし。めいどにつづきたむなれば、じつげつせいしゆくの下なりといへども、かんしよことわりにもすぎたり。さつまがたよりはるばるとうみをわたりてゆくみちなれば、おぼろけにては人のかよふこともなし。おのづからある者もこのよの人にはにず、いろくろくてうしのごとし。みにはけながくおひたり。けんぷのたぐひなければ、きたる物もなし。をとことおぼしき者は、きのかはをはぎて、はねかづらといふ物をし、たふさぎにかきこしにまきたれば、なんによのかたちもみ
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へわかず。かみはそらさまへおひあがりて、てんばやしやにことならず。いふことばをもさだかにきこへず。ひとへにおにのごとし。何事につけても、いちにちへんしいのちいくべきやうもなかりければ、こころうくかなしき事かぎりなし。かかる所へながしつかはされたれば、少将は、「ただなかなかくびをきられたらばいかがはせむ。いきながらうきめをみる事のこころうさ、このよひとつの事にあらじ」とぞおもはれける。かやうにこころうきところへはなたれたるおのおのがみのかなしさはさる事にて、ふるさとにのこりとどまるふぼさいし、このありさまをつたへききて、もだへこがるらむ心のうち、思やられてむざんなり。人のおもひのつもるこそおそろしけれ。「かのうみまんまんとして、風かうかうたる、くものなみ、煙のなみにむせびたる、ほうらい、はうぢやう、えいしうのみつのしんざんには、ふしのくすりもあむなれば、末もたのみある
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べし。このさつまがた、しらいし、あこしき、いわうのしまには、何事にかはなぐさむべき」とおもひやられて哀なり。まなこにさえぎる物とては、山のみねにもえあがるほのを、みみにみつる物とては、百千万のいかづちのおと、いきながらぢごくへおちたるここちして、きくにつけても只みのけばかりぞいよだちける。少将、はんぐわんにふだうは、おもひにもしづみはてず、常にはうらうらしまじまをみまはして、都のかたをもながめやる。そうづはあまりにかなしみにつかれて、いはのはざまにしづみゐたり。なぐさむ事とては、常にひとところにさしつどひて、つきせぬ昔物語をのみぞしける。さればとてひとつきにもさすがきえうせぬみなれば、このはをかきあつめ、もくづをひろひて、かたのやうなるいほりをむすびてぞあかしくらしける。さ
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れども、少将のしうとへいざいしやうのりやう、ひぜんのくにかせのしやうといふ所あり。かしこよりをりふしにつけて、かたのごとくのいしよくをとぶらはれければ、やすよりもしゆんくわんもそれにかかりてぞひをおくりける。このひとびとつゆのいのちきえやらぬををしむべしとにはなけれども、あさなゆふなをとぶらふべき人、一人もしたがひつかぬみどもなれば、いつならはねども、たきぎをひろはむとてやまぢにまよふ時もあり、みづをむすばむとてさはべにつかるるをりもあり。さこそたよりなくかなしかりけめ。おしはかられてむざんなり。やすよりにふだうはひにそへて、都のこひしさもなのめならず。なかにも母の事をおもひやるに、いとどせむかたなし。「ながされし時もかくとしらせまほしかりしかども、ききてはおいのなみに
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なげかん事のいたはしさに、おもひながらつげざりしかば、今一度みもしみへざりしに、わがありさまつたへききては、今までながらへてあらん事も有がたし」なむど、こしかたゆくすゑの事までもつくづくと思つづけられて、ただなくよりほかの事ぞなかりける。
(廿九) 判官入道は、そのかみくまのごんげんをしんじ奉り、さんじふさんどさんけいのこころざし有けるが、今十五度をはたさずしてこの嶋へながされたり。しゆくぐわんをはたさぬ事をくちをしく思はれけり。みはよくてうていのつきにあそむで、心はひとへにぶつけうのたまをみがく。えいさんてんだいのほふれいにのぼりては、じつかいごぐのはなをもてあそび、かうやみつけうのだうぢやうにのぞみては、さんみつゆがのともしびをかかぐ。いはむやげてん
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にをいては、きうけいさんしの光にくもりなく、五百よくわんのどくしよのはな、ていじゆのえだにさきたり。しいかくわんげんに心をすまして、ふうげつぶんだうめいめいたり。かかるめいじんちとくの人たりといへども、にんげんのはちくいまだぬかれず。くわこのしゆくいんはづかしく、こんじやうのなげき、やるせをしらず。「そもそもにんじんをうくる事は、ごかいのなかのしゆいん也。ごかいにいかなるあやまり有てか、これ程のだいくなんにあへるらむ」と、ふしんことにすくなからず。げんぽうとやせむ、しゆくほうとやせむ、ふかくのなみだつきかねたり。たんばのせうしやう宣けるは、「誠にしゆくぜんいみじくおはしければこそ、うんしやうのつきに隣をしめ、ほうけつの花をもてあそび、しようもんの風にたはぶれて、ほつすいのながれをもくみたまひけめ。そのうへくまのさんけいだにも
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十よどとうけたまはりき。ごりしやうこそなからめ。かかるなげきのちりとならせたまひぬる事、ぶつじんのごかごうたがひまことにおほし」。やすよりにふだう、「まことにおほせのごとくのゆやさんにかしらをかたぶけ奉るこころざしふかくして、卅三ど参べきしゆくぐわんをみてず、三度のごかうに三度ながらのぞみまうしてぐぶつかまつりし事も、ないしんは只宿願のどすうとぞんじさうらひき。私のさんけい十五度也。あはせて十八度。今十五度まゐりさうらはでこのなんにあへる事、こんじやうのまうねん、しんめいのごりしやうむなしきににたり」とて、ゐこんのなみだかきあへず。ほつしようじのしゆぎやう、これをききて、「少将殿もごさんけい候けるやらむ」ととへば、少将、「なりつねはいまだ一度もまゐりさうらはず」と宣へば、そうづ、
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「しゆんくわんもいまだ参候はず。さればかみのなだてにては候へども、どどのさんけいむなしくして、一度も参らざるともがらにどうざいどうしよのみとならせ給事、なんのしるしか候べき。おんうらみもつともことわりなり」と宣へば、康頼入道申けるは、「しかも卅三どの宿願はごしやうぼだいとはぞんぜず候。只しかしながらこんじやうのえいぐわ、そくさいえんめいとぞんじさうらひき。みはひんだうのみにて、心はだいけうまんの心也。しかるあひだ、仏法をきくとまうすも、只みやうもんのため、げてんをまなぶると申も、もし人のごしとくにもやめされ、さいじんのきこえあらば、くわんゐかかいやすすむとのみおもひはべりし故也。しかりといへどもしとくにもめされず、くわんしやくにもすすまず。ほうこうのちゆうをぬきんづといへども、ふしのしやうにもあづか
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らず。事にふれをりにしたがひては、うらみのみおほくして、心にこころよきことひとつもなし。これによつて、いつかうにしんめいをたのみ奉りて、えいぐわをひらき候はむとて、卅三どのだいぐわんをもおこし、十八度のさんけいをもとげで候き。いかにごんげんのにくしとおぼしめしけん。こうくわいさきにたたず」とて、しばらくあんじて申けるは、「たいげんのはくきよい、もんじふ七十巻を二部かきて、一部をばはつたふゐんのほうざうにをさめ、一部をばなんぜんゐんのせんぶつだうにおくりたてまつりて、そののちくだんのもんじふのはこよりくわうみやうをげんずる事たびたび也。りやうゐんのじそうあやしみをなして、もんじふのはこをあけてみるところに、第六十のくわんにほつぐわんのもんあり。そのいちいちの文字よりあらはるる所のくわうみやうなり。そのもんと申は、
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らうえいのぶつじのしに、『ねがはくはこんじやうせぞくもんじのごふ、きやうげんきぎよのあやまりをもつて、ひるがへしてたうらいせせ、さんぶつじようのいん、てんほふりんのえんとせむ』とはこれなり。このほつぐわんの心は、こんじやうせぞくのごふ、きやうげんきぎよのあやまりなれども、ひるがへしてたうらいにはほとけをさんだんしほふりんをてんじて、しゆじやうさいどのみたらんと、がいけさんげしたるほつぐわんなり。ゆゑにさんげはよくめつざいのほふなれば、しやうじのぢやうやにまどふべからずといふへうじに、ほつぐわんのもんよりくわうみやうかくやくたり。さればしやうせうもけふより昔のあんじんをひるがへして、いつかうにごしやうぼだいのぎやうごふにゑかうしはべるべし」とぞ申ける。さてこの人々のぢゆうしよより南のかたに五十余町をさりて、ひとつのりさん
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あり。ばんがくとぞ申ける。きかいのしまのぢゆうにんら、「あのばんがたけには、えびすさぶらうどのとまうすかみをいはひて、いはどのとなづけたり。このしまにみやうくわにはかにもへいでて、ぢゆうにんさらにたへがたきとき、しゆじゆのくもつをささげてまつりさうらへば、みやうくわもしづまり大風ものどかにふきて、しまの住人をのづからあんどつかまつる」とぞ申ける。少将これをききて、「かかるさればみやうくわのうち、おにのぢゆうしよにもかみと申事のはべるらむよ」と宣へば、康頼入道、「まうすにやおよびさうらふ。えんまわうがいと申は、おにのすみか、みやうくわのうちにてはべるぞかし。それだにもじふわうとも申し、じふじんともなづけて、じつたいのかみ、とこをならべてすみ給へり。ましてこのしまと申はふさうしんこくのるいたうなれば、
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えびす三郎殿もすみ給べし。さてもさてもしやうせうくまのさんけいのしゆくぐわんあんじんこそふじやうにさうらひしかども、十八度は参てはべりき。のこる十五度を、ごしやうぜんしよの為に、いはどのにてはたしさうらはばやとぞんじさうらふ。だいじんもせうじんもくつしやうのみぎりにやうがうし給事にて候へば、ごんげんさだめてごなふじゆ候べし。おのおのはいかがおぼしめす」と申せば、少将はとりあへず、「なりつねもやがてせんだつにしまゐらせてさんけいつかまつるべし」と宣ふ。しゆんくわんはよくよくをかしげに思て、はるかにへんじもせず。ややひさしくありて申けるは、「につぽんはしんこくとまうして、もりやのおとど、じんみやうちやうをしるしたりけるに、かみ一万三千といへり。そのじんみやうちやうのなかに、きかいのしまのいはどのとまうすかみ、いまだみえず。そのうへえびす
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三郎殿と申は、ぶぢよにつきたる、ありさまいふかひなき者とこそみへて候へ。やはやじんじやうはかばかしきりしやうも候はんずる。くまのごんげんだにも十八度のさんけいむなしくて、かかるさいなんにあたりたまひてはべるぞかし。かつうはふるさとにきこえ候はむ事はづかしく候。『ほつしようじのしゆぎやうほどの者の、せめての事かな、えびす三郎をそんちようして、こりをかき、あゆみをはこびけん事よ』と、したしきうときに申されん事、いとけぎたなくおぼえさうらふ。次にごしやうぼだいをば必ずしもしんめいに申さずとても、ねんぶつどきやうせば、なんのふそくか候べき。『かみをかみとしんずれば、じやだうのむくいをうけて、ながくしゆつりのごをしらず』と申たり。『ただほんぢあみだによらいをねんずれば、じふあくごぎやくのまどの前にも
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らいかうし給』とこそ、くわんぎやうにはときてさうらふめれ。そもそもじやうどしゆうの事は俊寛いまだこころえずはべり。只どんごんむちの者の為に、皆心をいつきやうにをく事也。さればはうべんにしてじつぎにはあらず。それぶつぽふのたいかうは、けんげうもみつけうもぼんしやうふにとだんじて、じしんのほかにぶつぽふもなくじんぎもなし。さんがいゆいいつしんとさとれば、よくかいもしきかいもほかにはなく、ぢごくもばうしやうもわがこころよりしやうず。にんぢゆうもてんじやうもわがこころなり。しやうもんもえんがくもぼだいさつたとまうすも、心をはなれてほかにはなし。およそいつさいしゆじやう、しんぞくにたい、しんらのまんぼふ、がしやういつしんのほふにあらずといふ事なし。ずいえんしんによの前には、まよひの心をかみとなづけ、さとる心をほとけとす。めいごもとよりほかになし。じやしやういちによのめうりなるをや。さては禅のほふもん
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こそけうげのべつでんとまうして、ごんごだうだんのめうりにて候へ。いちだいしやうげうにてうくわして、八宗九宗のぜんちやうたり。たうじほつしようじにきやうりつしほんぐうとて、につたうのぜんそうあり。につたうせざりし昔はしんごんてんだいのがくしやうにて、ししゆざんまいのぎやうじや、にふだんくわんぢやうのひじりにてさうらひしが、禅のほふもんにうつりさうらひて、むぎやうだいいちのそうになりて候也。かみをもうやまはず、仏をもうやまはず、こつしやひにんなればとていやしむ事なし。しんごん、てんだい、じやうどしゆうのほふもんをば、うりのかはほふもんといひて、おほきにわらひ候也。ゑのうぜんじのじゆとて、常にくちずさみはべることばには、
ぼだいきなく、みやうきやううてなにあらず。もとよりいちもつなし、なんぞぢんくあらむ。 K023
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とえいじて、ずずけさもかけず。仏にくわかうをもきようせず。ねんぶつも申さず。きやうをもよまず。『いかにざぜんをば、し給はぬぞ』と申せば、おほきにわらひて、『何事ぞ、ざぜんと申事は。しよけうのなかに、しよしんのぎやうじやの修行するほふ也。天台宗にはしくわんのざぜん、しんごんけうにはあじくわんの坐禅、浄土宗にはにつさうくわんの坐禅とうなり。ぜんしゆうとまうすぎやうぼふあるべからず。しやきんよくをでいにうづむともこがねなり。にしきのふくろにつつみたるもこがねなり。禅のほふもんをいつかうにしようぜず。しよしんのぎやうじや、にちやたんぼに坐禅すと云へども、まつたくぜんちやうの位にのぼる事なし。だるまのじゆにいはく、
ざぜんしてほとけをえば、たれかかんしやうをぼくせざらむ。しらなみいくばくかきよき、しやうぜんしゆにきえす。 K024
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とて、だるまは坐禅する事なかりき。
むつのねにむつの花さくをほぞらをはるばるみればわがみなりけり K025
これこそだいざぜんのひじりよ』とて、ごしんしゆにくほしいままにぶくし、けだいむざんのたかまくらうちして、ふしぬをきぬしはべる也。げにゑのうぜんじのじゆのもんは、俊寛もりやうげして覚候。ぼだいきになくは、仏になるといふ事もなし。みやうきやううてなにあらずは、じやうどといふ事も有べからず。もとよりいちもつなきほふなれば、まんぼふみなこくうなり。なんぞぢんくあらむとみれば、けんしぢんじやのざいごふもゆめまぼろしににたり。まさにしるべし、くまのごんげんとまうすも、えびすさぶらうどのとまうすも、まうしんこまうのげんけ、きもうとかくのじようじや」といひて、どうしんどうだうもせず、俊寛
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はひとりとどまりたり。しゆんくわんひとりいはのはざま、まつのこかげにとどまりゐて、しよほふのさうをくわんぜし処に、風にはかにふきて、ぢしんたちまちにきびしくして、いつさんみなどうえうしければ、せきがんくづれてだいかいにいる。そのときぜんもんにふるきうたあり。おもひいだしてえいず。
「きしくづれてうををころす。そのきしいまだくをうけず。かぜおこりてはなをきようす。その風あにじやうぶつせんや。」 K026
とまうしてゐたり。やすよりにふだういはく、「ごほふもんのおもむきは、けごんしゆうのほふかいゆいいつしんかとおぼえさうらふ。さればふへんしんによのめうり、しんまうどうくうのしよだんなり。ことあたらしくなかなかまうすにおよばず。次にぜんのほふもんは、仏つひにくおんにちんじたまはず。ただかせふひとりのしよしようとうけたまはる。いんぐわをはつぶするが故に、ぶつけうにはあらず。仏教にあらざるが故に、げだうのほふもん也。
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ていげのぼんぶ、まつたくもつてしんようにたらず。仏をもうやまはず、かみをもしんぜず、ぜんごんをもしゆせず、あくごふをもはばからずとだんぜば、いちだいしやうげうを皆はめつするだいげだうときこえたり。ゆめゆめけんろにごひろう有べからず。いつさいしゆじやうを皆ぢごくにおとさん事、まつせのだいばだつた、これなるべし。かなしきかな、しやかぜんぜいのゆいていにあらずは、たれかぜんじんごほふのかごをかぶらむや。しやうせうはどんごんむちの者にてさうらふあひだ、しんごんけうにはかぢのそくしんじやうぶつ、じやうどしゆうにはたりきのわうじやう、これをしんじてさうらふなり。これによつてじつぱうの浄土もほかにあり、はちだいぢごくもほかにあり、さんぜしよぶつもほかにまします、さんじよごんげんもほかにましますと、しんじて候へば、いざさせ給へ、少将殿」とて、二人つれて
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いはどのへぞ参りける。かのいはどののぢぎやうをみるに、たにだにみねみねをはるかにわけいりて、じんせきたえてとりのこゑだにもせぬところに、かはながれいでたり。おとなしがはにあひにたり。そのみなかみをたづぬれば、すこしうちはれたる所あり。おほきなるいはやあり。その上にすぎひとむらおひたり。是をばほんぐうとなづけて、くさうちはらひ、しめひきまはしたり。又山をこえて、なぎさちかきすぎむらあり。是をしんぐうとかうす。それよりおくへなほたづねいりてみれば、へきがんたかくそばたちて、はくらうみねよりながれくだりたり。たきのおと、まつの風、かみさびたるけいき、なんざんひりゆうごんげんのわたらせ給ふ、なちのおやまににたりければ、又こけをうちはらひ、しめひきまはして、このいはかどをば、めぢこん
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がう、ごたいわうじとなづけ奉り、かのこのもとをば、いちまんじふまん、ぜんじ、ひじり、ちご、こもりなむどなづけつつかへりにけり。そうづに又「くまのまうでの事はいかに」といひけれども、僧都なほともなはざりければ、「さらばふたりまうでむ」とて、たちかふべきじやうえもなければ、あさのころもをみにまとひて、けがらはしきすがたなれども、さはべのみづをこりにかきて、しやうじんけつさいしてぞまうでける。ふぢのわらうづをだにもはかざれば、ひたすらのはだしにて、人もかよはぬかいがん、とりだにもをとせぬみやまを、なくなくつれておはしけむ心のうちぞあはれなる。てにたらひ、みにこたへたる事とては、いりえのしほ、さはべのみづにかく
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こりばかりなり。あさゆふはなむざんぎさんげろくこんざいしやうとさんげし、心に心をいましめて、わづかにはんにちにゆきかへるみちなれど、おなじところをゆきかへりゆきかへり、しらなみさざなみしのぎつつ、まんまんたるさうかいにただよひ、しほかぜなみまのこりの水、なんどといふかずをしらず。うらぢはまぢをゆくときは、ししのせ、ふぢしろ、かぶらざか、じふでう、たかはら、たきのしりともくわんねんし、せきがんいはほたかくして、せいたいあつくむし、ばんぼくえだをまじへて、きうさうみちをふさげるたにがはもあり。とうがん西岸をわたる時は、いはだがはをおもひいだして、ぼんなうのあかをすすぎ、近つひ、ゆのかは、みつのかは、おもひやられて哀也。すずしきこかげをゆくときは、くほんのとりゐを只今とをるとおもひなし、おほきなるきのもとにたちよりては、じやうぼんじやうしやうのしんぢほつしんもんともくわん
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ねんす。このやまぢ、かいがんの間に、なみまにみゆるいしもあり。しやうわうしやくびやくの石もあり。なんによそうぎやうの石もあり。いはのはざま、こけのむしろ、すぎのむらだち、ときはぎめにかかり、心のおよぶ所をば、つのくにくぼつのわうじよりはじめて、八十余所のわうじわうじとぞふしをがみ給ける。ほうへいみかぐらなむどの事こそかなはずとも、わうじわうじのおんまへにて、なれこまひばかりは、心のおよぶ程につかまつるべしとて、少将はてんぜいぶこつのじんにて、かたのごとくのかゐなざし、康頼入道はらくちゆうぶさうのじやうずなり、まうりやうきじんもとらけて、じひなふじゆをたるらむとぞまひける。少将もまいどにはらはらとぞなき給ける。かくのごとくして、かのほんぐうしようじやうでんのおんまへにまうでつつ、ほんぢあみだによらい
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にておはします、じふあくごぎやくをもすてたまはぬおんちかひあむなれば、ゑんきんにはよるまじ、心のしせいなるをこそ、ごんげんこんがうどうじもあはれとはおぼしめさむずらめと思て、「なむにつぽんだいいちだいれいげんくまのさんじよごんげん、わくわうのめぐみをほどこして、今一度都へかへさせ給へ」と、かんたんをくだきてぞまうされける。やすよりはしそくさゑもんのじようもとやすがしめししらせけるむさうの事なむどおもひいだして、おほえのまさふさがむじやうのふでをぞおもひつづけける。「しやうじのけんろさだめがたし、らうせういづれのときをかごすべき。ばうこんいたづらにさりて、やぐわいのそうべういういうとして、かのかんやうきゆうのけぶりじようじようたり。くもとなりていづれのかたへさりしぞや。思へば皆ゆめのごとくなり」とくわんじて、二人ほんぐうをいでて、しん
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ぐうへつたひて、なちのやまへまうでけり。はるかにはまぢをながむれば、ぜんろべうべうとして、まなこきはまりかつがうのきよ、かいしやうばうばうとして、なみだひぐわんのつきにうかぶ。あげていつしんしようみやうのおんじやうをふうらうのいんきやうに、たしよねうやくのほんぜいをすいげつのかんおうにあふぐ。しんぢゆうにこころすみ、しんじんまことにおこり、はしやうおもひしづかにして、あいしやうあんにもよほす。かねてかのけいきをおもへば、なみだれんれんとしてとどまらず。さえぎりてそのじひをはかれば、こころねんねんにいさみあり。えうちじやくせうのむかしより、せいねんちやうだいのいまにいたるまで、たんぜいをごんげんのほうぜんにぬきんでて、こんしをすいしやくのれいくつにこらす。せいざうおほくかさなれり。きかんなんぞうたがはむ。みつの山のほうへいとげにければ、よろこびのみちになりつつ、きりめのわうじのなぎの
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はを、いなりのすぎにとりかへて、今はくろめにつきぬと思て、げかうし給けり。かくまうづる事、そのとしの八月よりおこたらざるほどに、次の年の九月中旬にもなりにけり。
(卅) あるひふたりともなひてかのほんぐうにまうでて、ほつせをつくづくとたむけ奉りて、「わくわうりやくほんぜいたがはず、われらがごんねんのしんのまことをせうけんしたまひて、清盛入道のむだうのあくしんをやはらげて、必ず都へかへしいれ、ふたたびさいしをあひみせ給へ。すでにさんけい十五度にまんじぬ」と、かんたんをくだひて、一心にたんぜいをぬきんでたり。ことさらにかみのおんなごりをしく、おんまへにてときはぎのえだをみつをりたてて、さんじよごんげんのごやうがうとぞうやまひ給ける。そのおん
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まへにて、「さんじふさんどのけちぐわんなれば、みののうをつかまつり候べし。しやうせうが第一ののうにはいまやうこそさうらひしか」とて、じんぎのくわんのいまやうのうちに、一は、
ほとけのはうべんなりければ、じんぎのゐくわうたのもしや。
たたけば必ずひびきあり、あふげばさだめて花ぞさく。 K027
とうたひて、「これはほんぐうしようじやうでんにまゐらせ候。いまひとつはりやうしよごんげんにゑかうしまゐらせさうらふべし」とて、
しらつゆはつきの光に黄ををるをすばかしあり。
ごんげんふねにさをさして、むかへのきしによするしらなみ。 K028
とぞうたひたりける。「ごんげんふねにさをさして、むかへのきしによするしらなみ」と、いまだうたひもはてぬ時、よもの山にはふかざるに、すずしき
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風にはかにふきいでて、さんじよごんげんのときはぎのえだひつひつとして、どうえうする事ややひさし。しやうせうかんるいをおさへて、一首の歌をぞよみたりける。
かみかぜやいのる誠のきよければ心のくもをふきやはらはむ K029
少将もなくなく。
ながれよるいわうのしまのもしをぐさいつかくまのにめぐみいづべき K030
その時又不思議のずいさういできたる。ころはあきの末つかたの事なれば、たのむのかりのまれなるべきにはなけれども、東のかたよりかりみつとびきたりて、ひとつはにはかにたにのそこへとびいりて、又もみへず。いまふたつはこのひとびとの上よりとりかへして、東のかたへぞとびかへりける。やすよりにふだうこれをみて、
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しらなみやたつたの山をけふこへて花の都にかへるかりがね K031
とよみて、おのおのたちてきがんを七度づつらいはいしたりけり。そのうへ少将は、はんぐわんにふだうをも七度らいし給たりければ、入道、「こはいかに」ととひたてまつるに、少将、「入道殿のおんぱからひにて、十五どのさんけいもとげぬ。かみのごりしやうにてふたたび都にかへらむ事、しかしながら入道殿のごおんなるべし」とてなき給へば、入道も「あなあはれや」とてなく。さて入道、うらのはまゆふごへいにはさみ、山すげといふくさをしでにたれて、きよきいさごをこがねのさんぐとし、おんまへにすすみいでて、左のひざをたて、右のあしをかたしきて、思ふいしゆをつづけつつこれをよむ。そのことばにいはく、
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「きんじやうさいはいさいはい。ゐあたれるねんじは、ぢしようにねんさいしぼじゆつ、つきのならびはとつきふたつき、ひのかずは、さんびやくごじふよかにち、はちぐわつにじふはちにちきび、きちにちりやうしんをえらびさだめて、かけまくもかたじけなくまします、につぽんだいいちだいりやうげん、くまのさんじよごんげん、ならびにわうじけんぞくとうのうづのひろまへに、しんじんのだいせしゆ、うりんふぢはらのなりつね、ならびにしやみしやうせうら、おのおのぢやうゑのたなごころをあはせ、しんじんのらいもくをささげて、かつがうのかしらをかたぶけ、たてまつるくわんねんせいきんのしやきんを。そのこんしのいたり、ほつぐわんのおもむき、ゆへいかにとは、それ、
しんめいはほんぢをあらはしたてまつるとき、ゐくわういよいよぞうしんす。かんおうのひかりげんぢゆうなり。これによつていまかたじけなくさんじよごんげんのほんぢほんぜいをさんだんしたてまつらむとほつするのみ。ひそかにおもひみれば、ほんぐうしようじやうでんは、むかしさんだいらんこくのあるじ、むじやうねんわうとまうししとき、
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ぼだいしんをおこしたまひしよりこのかた、ごこふしゆいのだいぐわんすでにじやうじゆしましまして、いまあんやうじやうどのけうしゆ、らいかういんぜふのめうたい也。ゆゑに、せつしゆふしやのくわうみやうは、よくいちねんしようみやうのぎやうじやをてらし、さいどぐんまうのふないかだは、かならずくほんれんだいのほうちによす。あまつさへくわうだいじひのみづ、あめのごとくそそき、かぜのごとくそよがす。まさにまたすいしやくおうけのさかきのはに、わくわうりもつのかげをやどしたまへりつたへきく、しようじやうでんとなづけたてまつることは、ほんぢしやうりやうのかぜすずしくして、さんぞんらいかうのくもたなびき、ごくぢゆうさいげのみづかわきぬれば、くほんしやうがくのはなあらたなり。ふしゆしやうがくのあきの、ゆふべには、じつこふじやうだうのこのみをむすび、しよぶつしようじやうのあかつきのつきは、いつさいめいぼんのうたがひをしやす。これすなはちしやくそんのきんげんなり。ごんげんこのしようりをしめさむがために、かたじけなくみなをしようじやうだいごんげんとかうすのみ。みやうせんじしやうなり。いづれのしゆじやうかごんげんのほんぜいをうたがひたてまつらむや。ねがはくはごんげんのほんぜいぢゆう
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ぐわんふきよ、しやうせうらがりんじゆうじゆえんのとき、かならずまさにいんぜふのはちすをさかせたまふべしのみ。つぎにしんぐうは、これほんぢとうばうのけうしゆ、じやうるりじやうどのあるじなり。じふにだいぐわんじやうじゆのによらい、しゆびやうしつぢよのぐわんよにこえたまへり。たのもしきかな、いわうぜんぜい、にんげんはちくのうちには、びやうくもつともすぐれたり。いづれのしゆじやうかびやうげんをうけざる。たがいへにかかつがうのかしらをかたぶけざらむや。かなしきかな、しやうせうらがたうじのしんぢゆうのすがた、さらにしんしやうのびやうげんにもすぎたり。ねがはくはわくわうどうぢんのひかり、すみやかにさせんるざいのやみをてらしましまして、まさにこきやうれんぼのむねのやまひをたすけたまふべし。つぎになちひりゆうごんげんは、せんじゆせんげんのれいち、みだのひだりわきのふぞく、だいひせんだいのそんようなり。あふぎねがはくはしやうせうら、つたなくもしゆじやううくのしまにはなたれ、たのみたてまつるところは、さんしようがみやうのごんげんなり。はやくふわうくしやのふねにさをさして、
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まさにふしゆしやうがくのみやこにいんだうしたまふべし。そもそもさんごやちゆうのしんげつのいろは、よくじせんりのほかをてらすといへども、いまだじんでいぢよくがのみづにはやどらず、たとひくさばのつゆのもりのかがみたりといへども、きよくすめるときは、かならずめいげつかげをやどさずといふことなし。これによつて、いまかたじけなくごんげんのほんぜいをすいさつしたてまつるに、くまのさんじよのひかりは、もはらにつぽんきしうのれいち、むろのこほりおとなしのさとに、しやだんいらかをつらね、あけのたまがきにしきをさらすといへども、しやうせうらがくつしやうのみづいさぎよし。わくわうどうぢんのかげ、なんぞここにうかばざらんや。こいねがはくはさんじよごんげん、にやくいちわうじ、いちまんのけんぞく、じふまんのこんがうどうじ、ししよみやうじん、ごたいわうじ、まんざんのごほふてんとう、ぜんじひじりちごこもり、くわんじやうじふごしよひぎやうやしや、はちだいこんがうどうじ、しんぐうあすかかんのくらとうのぶるいけんぞく、きふなんのうちによくせむゐのはうべんをめぐらし、にふだうたいしやうこくのために
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めんぢよじひのこころをおこさしめたまへとなり。もししやうせうらがこんどのしよぐわん、ゑんまんじやうじゆせずは、あへてしんめいのゐくわうをもつて、たれかこれをあふぎたてまつらむ。いちどさんけいのとくすらなほもつてあくしゆをはなる。いかにいはむやさんじふさんどのさんけいにおいてをや。かへすがへすもげんぜあんをんのりやく、ごしやうぜんしよのほつぐわん、じやうじゆゑんまんじやうじゆゑんまん、さいはいさいはい」とぞよみたりける。
(卅一)さいもんよみをはりにければ、いつよりもしんじんきもにめいじ、ごたいにあせいよだちて、ごんげんこんがうどうじのごやうがう、たちまちにあるここちして、やまかぜすごくふきをろし、きぎのこずゑもさだかならず、このはかつちりけるに、ならのはのふたつ、やすよりにふだうがひざにちりかかりたりけるが、むしのくひたるすがたにて、あやしかりければ、入道是をとりてうちかへしうちかへしよくよく
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みるに、もんじのすがたにぞみなひたる。ひとつには「きがんふたつ」とむしくひたり。「あらふしぎの事や」と思て、少将にみせ奉りけるに、「げに不思議のことかな」とてゐたるに、いまひとつをとりてみるに、是も又もじのすがたとみなして、「これごらんさうらへ」とて少将に奉るに、一首の歌にてぞ有ける。
ちはやぶるかみにいのりのしげければなどか都へかへらざるべき K032
康頼入道、「是ごらん候へ」とて、少将に奉りたれば、少将とりてみて、「あら不思議や。今は権現のごりしやうにあづかりて、都へかへらむ事はいちぢやうなり」とて、いよいよきねんせられれけるに、やすより入道申けるは、「入道がいへにはくもだにも
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さがりさうらひぬれば、昔よりかならずよろこびをつかまつり
さうらふが、けさのみちにくものおちかかりて候つる間、ごんげんのごりしやうにて、少将殿のめしかへされさせ給はんついでに、入道も都へかへり候はんずるにやと、思て候つるなり。ただし『きがんふたつ』とよまれて候こそあやしく候へ。いかさまにものこりとどまる人の候はんずるとおぼえさうらふ」とて、涙をながしければ、少将も「誠に」とて、涙をながしてぞげかうせられける。康頼はあやしげなるさうだうのまねかたをつくりて、うらびとしまびとのあつまりたる時は、念仏をすすめてどうおんに申させて、念仏をひやうしにて、らんびやうしをまひけり。あみだの三字のいみじき事をばしらねども、このまひのおもしろさに、是をはやすとて、心
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ならず念仏をぞ申ける。かのさうだうはしまびとどもがよりあひどころにて、今にありとかや。きやうげんきぎよのあやまりをもつて、さいはうろくじのみなをとなふ。ひるがへしてたうらいせせ、さんぶつじようのいん、てんほふりんのえんとするこそあはれなれ。
おもひやれしばしと思ふたびだにもなをふるさとはこひしき物を K033
さつまがたをきのこじまにわれありとおやにはつげよやへのしほかぜ K034
このにしゆのうたのしたに、へいはんぐわんやすよりほふし、「心あらむ人は、是をごらんじては、康頼がふるさとへおくり給へ」とぞ、そとばごとにかきたりける。かきをはりてのちに、てんにあふぎちかひけるは、「ねがはくはうへはぼんでんたいしやくしだいてんわう、したはえんらわうがいけんらうぢじん、べつしては
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につぽんだいいちだいりやうげんくまのしようじやういつしよりやうじよごんげん、いちまんじふまんこんがうどうじ、ひよしさんわういつくしまのだいみやうじん、あはれみをたれおぼしめして、わがかきすつることのは、かならずにつぽんのちへつけさせ給へ」ときねんして、にしかぜのふくたびには、このそとばをやへのしほにぞなげいれける。そのきねんやこたへけむ、そのおもひやなみかぜとなりけむ、まんまんたるかいしやうなれども、おなじながれのすゑなれば、なみにひかれかぜにさそはれて、はるかのひかずをへて、そとばいつぽん、くまのしんぐうのみなとへよりたりけり。うらびととりて、くまののべつたうのもとへもちてゆきたりけれども、みとがむる人もなくてやみにけり。又そとばいつぽん、あきのくにいつくしまのだいみやうじんのおんまへにぞよりたりける。あはれなりける
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事は、やすよりがゆかりなりけるそうの、康頼さいかいのなみにながされぬときこえければ、あまりのむざんさに、なにとなく都をあくがれいでて、さいこくのかたへしゆぎやうしける程に、たよりのかぜもあらば、かのしまへもわたりて、ししやうをもきかばやと思けれども、おぼろけにてはふねも人もかよふことなし。おのづからあきびとなむどのわたるも、「はるかにじゆんぷうをまちてこそわたれ」なむど申ければ、たやすくたづねわたるべきここちもせず。「さなくはいかにもしてそのおとづれをだにもきかばや。ししやうもおぼつかなし。いかがはすべき」なむどおもひわづらひて、あきのくにまではくだりけり。びんぎなりければ、いつくしまのやしろへぞまうでにける。みやうじんのわたらせまします所は、ひるはしほひてしまとなり、よるはしほみちてうみとなる。
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それわくわうどうぢんのりしやうさまざまなりといへども、いかなりけるいんえんにてか、このみやうじんはかいはんのいろくづにえんをむすびたまふらむとおもふもあはれにて、そのひはこのやしろにさうらひけり。そもそもこのおんがみをば平家の入道だいじん、ことにそうきやうし奉りたまふぞかし。されば平家のいきどほりふかき人をかやうに思へば、かみもいかがおぼしめすらむと、しんりよもおそろしくて、又さもとりあへぬ程なれば、ひねもすにほつせをぞ奉りける。「しまへわたらむ事こそかたからめ。康頼がゆくへきかせ給へ」なむどいのりまうしける程に、ひもくれがたになりにければ、つきいでてしほのみちけるに、そこはかともなきもくづどものながれよりける中に、ちひさきそとばのやうなる物のみえければ、「あやしや。なにやらむ」とてとりてみれば、かのにしゆの
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うたをぞかきたりける。これをみて、あはれの事やと思て、よろこびのほつせを奉り、をいのかたにさして、都へもちてのぼりて、康頼が母の、一条よりかみ、むらさきのといふ所に有けるに、とらせたりければ、さいしあつまりて、おのおのあちとりこちとり是をみて、かなしみの涙を流しける程に、しんぐうのみなとによりたりけるそとばも、くまのよりいでけるやまぶしにつきて、おなじひに都へつたはりたりけるこそ不思議なれ。たとひいちぢやうにぢやうのきなりとも、いわうのしまにてまんまんたるうみにいれたらむが、しんら、かうらい、はくさい、けいたんへもゆられゆかで、あきのくに、またしんぐうまでよるべしやは。ましてなぎさにうちよせられたるもづくのなかにまじはりたる、こけらといふ物を
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ひろひあつめて、せんぼんまでつくりたりけるそとばなれば、いかにおほきなりとも、一尺二尺にはよもすぎじ。もんじはえりいり、きざみつけたりければ、なみにもあらはれず。あざあざとして、いわうのしまより都までつたはりけるこそ不思議なれ。あまりにおもふことは、かく程なくかなひけるもあはれなり。康頼みとせの命きへやらで、都へふみをつたへたりとて、このにしゆの歌を都にひろうしければ、かのそとばをめしいだしてえいらんあり。「誠にやすよりぼふしがふみなりけり。すこしもまがふべくもなし。ろめいきえやらでいまだかのしまに有ける事のむざんさよ」とて、法皇りようがんより御涙をながさせ給けるぞかたじけなき。むかしおほえのさだもとがしゆつけののち、かのたいたうこくにして、ぶつしやうこくのあ
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いくだいわうのつくりたまへるはちまんしせんぎの石のたふのうち、につぽんがうしうのせきたふじにいつきとどまる事を、かのしんだんこくにしてかきあらはしたりける事の、はりまのくにぞうゐじとかやへながれよりたりけるためしにも、このありがたさはおとらざりける物をやとあはれなり。
三十二 むかしもろこしにかんのぶていとまうすみかどましましけり。わうじやうしゆごの為に、すまんのせんだらをめされたりけるに、そのごすぎけるに、ここくのてき申けるは、「われらここくのてきと申ながら、けいでんのうねにしやうをうけて、あさゆふきこゆる物とては、りよがんあいゑんのよるの声、うきながらすごきいほりののきばになるる物とては、くわうろくちくのかぜのおと。たまたまけんわうのせいしゆにあひたてまつりて、
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きこくのおもひでなにかせむ。ねがはくは、きみ三千の后をもち給へり、一人をたまはりてこじやうにかへらむ」と申ければ、ぶてい是をきき給て、「いかがすべき」となげきたまふ。「しよせん三千の后のそのかたちをゑにかきて、顔よきをとどめて、あしきをたばむ」とさだまりぬ。わうせうくんと申はあさゆふちようあいはなはだしく、ようがんびれいの人なりき。鏡のかげをたのみてわうごんをおくらざるゆゑに、あらぬかたちにうつされて、ここのへの都をたちはなれ、ばんりのゑつちにおもむきし、わかれのいまだかなしきげんじやうながくとざせり。しばしばこもんのくれのつづみに驚く。ここくいづくむかある。はやくりやうきやうのあかつきの夢をやぶる。らうんたちまちにたえて、たびのおもひつながれず。かんげつやうやくかたぶきて、しうびもひらかざりけ
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れば、ならはぬたびのおくまでも、しぼりかねたる袖の上に、つきせぬ涙ばかりこそ、たもとをしたひけるかな。ゑんざんの緑のまゆずみも、ここくの雪にうづもれ、らんじやの昔のにほひも、ささいの風にあとをけす。ていきやうをはなれてたくきよして、いたづらにこじやうにふせるよは、昔の事を夢にみる。夢になける涙は、らんかんとして色ふかし。ふうえふてきくわの風のおと、さくさくとしてみにしみ、ゑんはきよくかうのつきのかげ、ばうばうとしてこころすむ。ごりようの時よりもてあそび、てなれしびはにたづさひて、なくよりほかの事なし。いへとどまりてはむなしくかんのくわうもんとなり、みはけしていたづらにこのきうこつとならむ事を、あさゆふなげきたまひき。
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みるたびに鏡のかげのつらきかなかからざりせばかからましやは K035
ぶていこのことをやすからず思給て、りれうといふつはものをたいしやうぐんとして、ここくをせめにつかはす。そのせいわづかにして、せんぎにすぎざりけり。りりようここくにゆきて、びりよくをはげましてせめたたかふといへども、ぎよりかくよくのぢん、くわんぐんりすることをえず。くわうきでんせんのいきほひ、げきるいかつにのるににたり。しかるあひだくわんぐんほろびて、つひにてきの為にりりようとらはれて、ここくのわうせんうにつかはる。ぶてい是をきき給て、「としごろはかくは思はざりしかばこそ、大将軍にえらびつかはしつるに、さてはふたごころありける物を。やすからず」とて、りりようが母をせめころし、父がはかをほりて、そのしがいをうつ。是のみならず、
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しんるいきやうだいみなぶていのためにつみせらる。りりよう是をつたへききて、かなしみをのべていはく、「われおもひき。ここくついたうのつかひにえらばれしときは、かのくにをほろぼして君の為にちゆうをいたさむとこそおもひしか。されどもいくさやぶれて、こわうが為にとらはれてつかわるといへども、あさゆふひまをうかがひて、こわうをほろぼして、ひごろのあたをほうぜむとこそおもひしに、今かかるみになりぬる上は」とて、こわうをたのみて年月をおくる。ぶてい是をきき給て、りりようをよび給へどもきたらず。さてもかんわういくさにまけたまひぬる事をやすからずおぼしめして、かんのてんかん元年に、又りしやうぐんといふ者と、そしけいといふつはものとをさしつかはす。そしけいとまうすは今のそぶこれなり。そぶが十六歳になりけるを、うだい
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じんになして、二人をたいしやうぐんとして、又ここくをせめにつかはしけるに、そぶをちかくめしよせて、いくさのはたをたまはるとてぶていのたまひけるは、「このはたをば、なんぢがいのちとともにもつべし。なんぢもしせんぢやうにしてしせば、あひかまへてこのはたをばわがもとへかへすべし」と、せんみやうをふくめられけり。さてそぶここくへゆきててきをせめけれども、こじやうにたたかふいくさ、てきのせいつよくして、くわんぐんまたおとされぬ。大将軍をはじめとして、むねとの者卅よにんいけどられぬ。そぶそのうちなりければ、皆かたあしをぞをられける。すなはちしする者もあり。又二三日、四五日にしする者もあり。あるいはかひなきいのちいきて、としつきをおくる者もあり。こきやうのさいしのこひしき事、にちやたんぼにわすれず。
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へうたんしばしばむなし、くさがんえんがちまたにしげし。れいでうふかくとざせり、あめげんけんがとぼそをうるほしけむも、是にはすぎじとぞおぼえし。かれはわづかにはにふのこやもありければこそ、雨もとぼそをぬらし、くさもちまたにしげかりけめ。これはくさばをひきむすぶ、あやしのしばのやどりもなければ、ただのざはのたなかにはいありきて、はるはくわいをほり、あきはおちぼをひろひてぞ、あけくれはすぐしける。きんじうてうるいのみともとなれりければ、常にはひつじのちちをのみて、あかしくらしけり。秋のたのむのかりも、たこくにとびゆけども、春はゑつちにかへるならひあり。是はいつをごするとしなければ、只なくよりほかの事なし。
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かへるかりへだつるくものなごりまでおなじあとをぞおもひつらねし K036
さてもしやうじむじやうのかなしさは、せつりをもきらはぬやまかぜに、ひのいろうすくなりはてて、おもはぬほかのうきぐもに、ぶていかくれたまひぬ。りゆうろう、ちくゑん、こうきゆう、けいしやう、じしん、うんかく、たれもおもひはふかくさの、つゆよりしげき涙にて、おなじけぶりのうちにもと、もゆるおもひはせつなれど、せうてい位をうけたまひて、そぶをたづねにつかはす。「はやうせにき」といつはりこたへけるあひだ、「いまだありとばかりだに、ふるさとびとにきかればや」とは思へども、けいでんのうねにすむみなれば、かひなくこれにもあはざりけり。をひつじにちちをごして、さいくわむなしくかさなりて、わづかにいけるににたれども、かんのせつをうしなはず。
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ことばのしたには、やみにほねをけすひをおこし、わらひのなかには、ひそかにひとをさすかたなをとぐ。 K037
いかにもしてこわうせんうをほろぼして、こきやうへかへらむと思へども、ちからおよばずすごしけり。てうぼにみなれしかりの、春のそらをむかへて、都のかたへとびゆきけるに、そぶ右のゆびをくひきりて、そのちをもつてかしはのはにひとつのことばをかきて、かりのあしにむすびつけていひけるは、「いちじゆのかげにやどり、いちがのながれをわたる、みなこれぜんぜのちぎりなり。いかにいはむやおのれはかたをならべてとしひさし。いかでかこのうれひをとぶらはざらむ」とて、かりに是をことづけぬ。をりふしみかどしやうりんゑんにごかうして、かすめるよもをうちながめ、ちくさの花をみ給に、かりのひとつらとびきたりて、はるかのくもの上にはつねのきこゆるかとおぼゆるに、ひとつのかりほど
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なくとびくだる。あやしとえいらんをふるに、むすびつけたるふみをくひほどきて、おとしたりけるを、くわんにん是をとりて、せうていにたてまつる。みかどみづからえいらんをへたまふに、そのことばにいはく、「むかしはがんけつのほらにこめられて、いたづらにさんしゆんのしうたんをおくり、いまはけいでんのうねにはなたれて、むなしくこてきのいつそくをきく。たとひみはとどまりてこちにくつとも、たましひはかへりてふたたびかんくんにつかへむ」とぞかきたりける。是をごらんじけるに、みかどかぎりなくあはれとおぼしめして、なげきの御涙をさへがたし。そぶいまだいきて有ける物をとて、えいりつといふかしこきつはものを大将軍として、ひやくまんぎのようじをそつして、ここくをせめ給に、今度はここくやぶられて、せんうも既にうせにけり。えいりつ、
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せうくんをとりかへし、そしけいをたづねえたり。そぶはかたあしはをれたれども、じふくねんのせいざうをへて、ふるさとへかへりのぼりしに、りりようなごりををしみていはく、「わがみとしごろ君のおんためにふたごころなし。なかんづく、ここくついたうの大将軍にえらばれ奉し事、めんぼくのいちなり。しかれどもしゆくうんのしからしむる事にや、みかたのいくさやぶれてここくのわうにとらはれぬ。されどもいかにもしてこわうをほろぼして、かんていのおんためにちゆうをいたさむとこそおもひしに、今ははをつみせられ奉り、父がしがいをほりをこして、うちせため給けむ。ばうこんいかが思けむ。かなしともおろかなり。又しんるいきやうだいにいたるまで、一人ものこらず皆つみせらるる事、なげきのなかのなげき也。故郷を
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へだてて、只いるいをのみみる事のかなしき」とて、りりよう、そぶがもとへごごんのしをおくれり。そのことばにいはく、「てをたづさへてかりやうにのぼる。いうしゆふべいづくんかゆく。じふともにきたにとぶ、いつぷひとりみなみにかける。われをのづからこのやかたにとどまる。しいまこきやうにかへる K039」。これごごんのしのはじめなり。このこころをよめるにや。
おなじえにむれゐるかものあはれにもかへるなみぢをとびをくれぬる K040
そぶ十九年のあひだ、ここくほくかいのへんにすみしかば、ばんりりやうかいのなみのおとをききては、ゐあいじのあかつきのかねになぞらへ、しごだのやまのふゆのこずゑをみては、かうろほうのゆきかとあやまたる。ひくわらくえふのてんべんを見ては、春秋のうつりかはる事をしるといへども、はかせおんやうのじんにもちかづかざれば、日月のかうとをしらず。
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故郷にかへりきうたくにゆきたれば、そぶいんじとしよりききやうの今のとしまで、きうさいうれひのあまりにや、まいとしひとつのふすまをととのへて、さをにならべてかけをけり。こまかに是をかぞふれば、十九にてぞ有ける。是よりしてぞ、そぶさりて十九年とはしりにける。いそぎみかどに参りて、りりようがしを奉る。みかど是をごらんじて、あはれとおぼしけれど、かひもなし。せんていの御時たまはりしはたをふところよりとりいだして、みかたのいくさやぶれて、こわうせんうにとらわれて、けいでんのうねにはなたれて、年月かなしかりつる事、又りりようがしうたんせし事、かきくどきこまかにかたりまうせば、みかどひるいせ
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きあへ給はず。そぶしやうねん十六歳にしてここくへおもむき、卅四にして旧都へかへりたりしに、はくはつのらうをうにてぞ有ける。のちにはてんしよくこくといふ官をたまはつて、君につかへ奉り、つひにしんしやく元年に、年八十余まで有てしににけり。さればにや、是よりしてふみをばがんしよともいひ、がんさつともなづけたり。つかひをばがんしともいへるとかや。又かりのあしにゆひつけたりけるが、たまのやうにまろかりければ、たまづさとも申也。
へだてこし昔の秋にあはましやこしぢのかりのしるべならずは K041
と、源のみつゆきがえいぜしも、ことわりとぞおぼゆる。そぶはここくにいりて、ひんがんにふみをつなげて、ふたたびりんゑんのはなをもてあそび、康頼はこじまにすみて、さうはにうたをながして、
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つひに、こきやうのつきをみる。かれはかんめいのここく、是はわがくにのいわう、彼はもろこしのふうぎにておもひをのぶるしをあやつり、是はほんてうのげんりうにて、心をやしなふ歌をえいず。彼はかりのつばさのひとふでのあと、是はそとばのめいの二首の歌。彼はくもぢをかよひ、是はなみの上をつたふ。彼は十九年のしゆんしうをおくりむかへ、是はさんがねんのゆめぢのねぶりさめたり。りりようはここくにとどまり、しゆんくわんはこじまにくちぬ。しやうこまつだいはかはり、さかひはるかにとほくはへだたれども、おもふこころはひとつにして、あはれはおなじ哀也。
卅三 やすよりがちやくし、へいざゑもんのじようもとやすは、つのくにこまのはやしまで、父がともしてみおくりたりけるが、康頼出家してけれ
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ば、基康なくなくこまのはやしより都へかへりのぼりて、やがてしやうじんけつさいして、百ケ日せいすいじへさんけいす。ほつけきやうのにじふはちほんのそのなかに、しんげほんをまいにちによみたてまつりて、百日が間、きやくやするをりもあり、しくやする時もあり。「ねがはくはだいじだいひのせんじゆせんげん、かれたるきくさも花さきこのみなるべしとおんちかひあむなり。さればこのみをかへずして、ふたたび父にあわせさせ給へ」と、三千三百三十三度のらいはいをまひらせけり。既に八十よにちもつもりけるに、いわうのしまにながされたるはんぐわんにふだうのあるよの夢に、かいしやうをはるかにながめやれば、しろきほかけたる船のおきのかたよりこぎきたるとみる程に、しだいにちかくこぎよするをみれば、わがこの
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さゑもんのじようもとやすそのふねにのりたりけり。そのしらほにもじあり。「めうほふれんげきやうしんげほん」とぞかきたりける。なほしだいにちかくよるをよくよくみれば、船にはあらずして、はくばにぞ基康はのりたりけるとみてうちおどろき、なにとあるまうざうやらむとあやしくて、あせをしのごひて、人にもかたらざりけり。康頼みやこがへりののちにこそ、しそく基康にはじめてかたりける。くわんおんのおんへんげははくばにげんぜさせたまふとかや、ひとへにこれ基康がきねんかんおうして、観音のごりしやうにて都へはかへりのぼりにけり。又こじまにあがめ奉りしごんげんのごほんぢも、観音のほんし、
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みだによらいなり。していあはれをほどこして今都へのぼりぬと、ふしともにかんるいをぞながしける。
三十四 だいなごんのにふだうは、少将もいわうのしまへながされ、そのおととどものをさなくおわするもあんどせず、ここかしこににげかくれたまふなむどききたまひて、いとどこころうくかなしくて、ひにしたがひてはおもひしづみて、みも既によはりてみへ給ける上、いそぎうしなひたてまつるべきよしうけたまはりにければ、あるときつねとほがもとに、大納言入道のかいしやくにつけたりけるちみやうと申けるそう、大納言に申けるは、「是は海中のしまにてさうらふあひだ、なにごとにつけてもすみうく候に、これよりきたに、つねとほがしよりやうちかく候所に、きびのなかやま、ほそたにがはなむど
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申て、なある所候。かのところにありきのべつしよといふ、いたひけしたる山寺の候こそ、せんずいこだちいうなる所にて候へ。それへわたらせ給候へかし。わたしまゐらせ候はん」と申ければ、大納言入道、げにもとおぼして、「ともかくもはからひにこそしたがはめ」と宣ければ、かのやまでらになんばのたらうとしさだがつくりおきたりけるそうばうの有けるをかりて、わたしすへ奉てけり。はじめはとかくいたはり奉るよしにて、同七月十九日に、ばうのうしろにあなをふかくほらせて、あなのそこにひしをうゑて、上にかりばしをわたして、そのうへにつちをはねかけて、としごろふみつけたるみちのやうにこしらへておきたりけるを、
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だいなごんのにふだうしりたまはで、とほりさまにその上をあゆみたまふとて、おちいりたまひたりけるを、よういしたりける事なれば、やがてつちを上にはねかけて、うづみ奉りにけり。かくしけれどもよにひろうしけり。
三十五 きたのかたこのよしをききたまひけむ心のうちこそかなしけれ。「『くわうせんいかなる所ぞ、ひとたびゆきてかへらず。そのうてないづれのかたぞ、ふたたびあふにごなし。ふみをかけてとぶらはむとほつすれば、すなはちそんぼつみちへだてて、ひがんつうぜず、ころもをうちてよせむとほつすれば、しやうじかいことにして、いばいたづらにつかれぬ』といへり。かはらぬすがたを今一度みゆることもやとてこそ、うきみながらかみをつけて有つれども、今はいふにかひなし」とて、みづから
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おんぐしをきりたまひてけり。うんりんゐんとまうして、てらの有けるに、しのびてまゐりたまひてぞ、かいをもたもちたまひける。又そのてらにてぞ、かたのごとくのついぜんなむどもいとなみて、かのぼだいをとぶらひ奉り給ける。わかぎみあかのみづをむすび給ける日は、姫君はしきみをつみ、姫君みづをとりたまふひは、若君はなをたをりなむどして、父のごせをとぶらひ給も哀也。時うつり事しづまりて、たのしみつきかなしみきたる。只てんにんのごすいとぞみへし。されども大納言の妹、内大臣のきたのかたより、をりにふれてさまざまのをくりものありけり。是をみる人涙をながさぬはなし。なきあとまでも内大臣のおんこころざしのふかさこそやさしけれ。なりちかのきやうはわかきより
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しだいのしようじんかかわらず、いへにいまだなかりし大納言にいたり、えいぐわせんぞにこへ給へり。めでたかりし人の、いかなるしゆくごふにて、かかるうきめをみ給て、ふたたび故郷へもかへり給はず、つひにはいしよにてうせたまひにけむ。そのさいごの有様も都にはさまざまにきこえけり。なげきのひかずつもりて、やせおとろへておもひじににしにたまひたりともきこゆ。又さけにどくをいれてすすめ奉りたりともさたし、又をきにこぎいでてうみへいれ奉りたりとも申けり。とかくいひささやきける程に、不思議なりける事は、経遠がさいあいの娘二人あり。七月下旬のころより一度にやまひつきて、はてには
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物にくるひて、たけのなかへはしりいりて、たけのきりくひにたうれかかりて、つらぬかれて、二人ながら一度にしににけり。たちまちにむくいにけるこそおろしけれ。
三十六 廿九日、さぬきのゐんごついがうあり。しゆとくゐんと申す。このゐんと申は、さんぬるほうげんぐわんねんに、あくさふよりながこうのすすめによりて、よをみだりましましし御事也。そのかつせんのにはをにげいでさせおはしまして、にんわじのくわんぺんほふむのごばうへごかうなりたりけるが、さぬきのくにへうつされましますよしをききて、そのころさいぎやうときこへし者、かくぞ思つづけし。
ことのはのなさけたえぬるをりふしにありあふみこそかなしかりけれ K042
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しきしまやたえぬるみちになくなくも君とのみこそあとをしのばめ K043
しんゐんさぬきへおんげかうあり。たうごくのこくしひでゆきのあつそんのさたとして、とばのくさつよりみふねにめし、しはううちつけたるおんやかたのうちに、げつけいうんかくのおんみちかくしたがひ奉る一人もなし。只女房二三人ぞなきかなしみながらつかへ奉りける。おんやかたはひらくこともなければつきひの光もへだたりぬ。みちすがら浦々嶋々よしある所々をもごらんぜず、むなしくすぎさせましませば、御心のなぐさむかたもなし。すまのうらときこしめしては、ゆきひらのちゆうなごんもしをたれつつなげきけむ心のうちをおぼしめしやられ、あはぢしまときこしめしては、むかしおほひの
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はいたいのかのしまにうつされつつ、おもひにたへずうせたまひけむも、今はわがみのおんうへとおぼしめす。ひかずのふるままには都のとほざかりゆくも心ぼそく、いはむやいちのみやのおんことおぼしめしいづるにつけては、いとどきえいるおんここちなり。「なにしに今までながらへてかかる思にむせぶらむ。只みづのあわともきえ、そこのみくづともたぐひなばや」とぞおぼしめす。昔かはべのせうえうのありしには、りうとうげきしゆうのみふねをうかべてにしきのつなをとき、わうこうけいしやうぜんごにゐねうして、しいかくわんげんのきようをもよほしき。今はかひびせんのとまやかたの下にうづもれつつ、なんかいのほかへおもむかせまします、しやうじくかいの有様こそかへすがへす
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もあはれなれ。とほくいてうをかんがふれは、しやういふわうがはここくへかへり、げんそうくわうていはしよくさんにうつされき。ちかくわがてうをたづぬれば、あんかうてんわうはけいしにころされ、すじゆんてんわうはぎやくしんにをかされたまひき。じふぜんの君ばんじようのあるじ、ぜんぜのしゆくごふはちからおよばぬ事ぞかしとおぼしめしなぞらへけるこそ、せめての事とはおぼえしか。されどもつながぬつきひなれば、なくなくさぬきへつきたまひぬ。たうごくしどのこほりなおしまにごしよをたててすへ奉る。かのしまは国のちにはあらずして、うみのおもてをわたることふたときばかりをへだてたり。でんばくもなし、ぢゆうみんもなし。まことにあさましきおんすまひとぞみえし。ながきいちうのやをたててほういつちやうのついがきあり。
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南にもんをひとつたててそとよりじやうをさしたりけり。こくしをはじめとしてあやしのたみにいたるまで、おそれをなして、こととひまゐる人もなし。うらぢをわたるさよちどり、松をはらふ風の音、いそべによするなみの音、くさむらにすだくむしのね、いづれもあはれをもよほし、涙をながさずといふ事なし。ししやほうのあらしおろそかに、くもしちひやくりのほかにをさむ。たきしきてせんらうをすずしく、つきしじつしやくのあまりにすめり。いうしきはまらず。しんこうひとなきところ、しうちやうたえなむとほつす。かんさうにつきのあるときとかや。これより又たうごくのざいちやう、いちのちやうぐわん、やたいうたかとほがだうにうつりたまひたりけるが、のちにはつづみのをかにごしよたててぞわたらせ給ける。かくてとし
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つきをすごさせましますに、おんみには何事もぜんぜの事とおぼしめせども、にようばうたちはなんのかへりみにもおよばず、都をこふる心なのめならず。おつる涙はくれなゐにへんじ、おさふる袖はくちぬばかりなり。是をごらんずるにつけては、なにごともおんこころよわくなりて、あひかまへてまうしなだめらるべきよし、おんひとわろくくわんばくどのへたびたびおほせごとありけれども、へんじにもおよばず。せめての御事におぼしめされけるは、「われてんせうだいじんのべうえいをうけて、てんしのくらゐをふみ、かたじけなくだいじやうてんわうのそんがうをかうぶりて、ふんやうのきよをしめき、はるははるのあそびにしたがひ、あきはあきのきようをもよほし、せうやうのはなをもてあそび、ちやうしうのつきをえいじ、ひさしく
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せんとうのたのしみにほこりて、またおもひでなきにあらず。いかなるつみのむくいにて、はるかのしまにはなたれて、かかるかなしみをふくむらむ。さかひなんぼくにあらざれば、りよがんえんしよのたよりをえがたし。まつりごとおんやうをことならざれば、うとうばかくのへんありがたし。えどのおもひもつともふかし。ばうきやうのおにとこそならむずらめ。てんぢくしんだんよりにつぽんわがてうにいたるまで、位をあらそひ国をろんじて、をぢをひかつせんをいたし、兄弟とうじやうをおこせども、くわほうのしようれつにしたがひて、をぢもまけ、あにもまく。しかりといへどもときうつりことさりて、つみをしやしあたをひるがへすは、わうだうのめぐみ、むへんのなさけなり。さればならのせんてい、ないしのかみのすすめによつてよを
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みだり給しかども、出家せられにしかば、るざいにはおよばざりき。いはむや是はせめらるべきよしきこえしかば、そのなんをのがるるかたもやとふせきしばかりなり。さしもつみふかかるべしともおぼえず。これほどの有様にては、かへりのぼりてもなにかせむ。今はいきても又なんのえきかあらむ」とて、おんぐしもめさず、おんつめをもきらせ給はず。柿のときん、柿のおんころもをめしつつ、おんゆびよりちをあやし、ごぶのだいじようきやうをあそばして、おむろへ申させ給けるは、「かたの如くすみつきに、五部の大乗経を三ケ年間かきたてまつりて候を、かひかねの声もきこえぬ国にすておきたてまつらむ事、うたてく候。このおん
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きやうばかり、都近きはちまんとばのへんにもおきてたばせ給へ」と申させ給ひければ、おむろよりくわんばくどのへ申させ給ふ。関白殿よりだいりへ申させ給ければ、せうなごんにふだうしんせい、「いかでかさる事は候べき」とおほきにいさめまうしければ、おんきやうをだにもゆるし奉る事なかりけり。これによつてしんゐんふかくおぼしめされけるは、「われちよくのせめのがれがたくて、すでにだんざいのほふにふくす。いまにおいてはおんしやをかうぶるべきよし、あながちにのぞみまうすといへども、きよようなきうへは、ふりよのぎやうごふになして、かのあたをむくいむ」とおぼしめして、おんきやうをおんまへにつみおきて、おんしたのさきをくひきらせたまひて、そのちをもつて、ぢくのもとごとにご
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せいじやうをぞあそばしける。「われこの五部の大乗経をさんあくだうになげこめて、このだいぜんごんのちからをもつて、につぽんごくをほろぼすだいまえんとならむ。てんじゆちるい必ずちからをあはせたまへ」とちかはせ給て、かいていにいれさせたまひにけり。おそろしくこそきこへしか。かくてくねんをへて、おんとし四十六とまうししちやうぐわん二年八月廿六日、しどのだうぢやうとまうすやまでらにして、つひにほうぎよなりにけり。やがてしらみねと申所にてやきあげたてまつる。そのけぶりは都へやなびきけむ。「ごこつをばかうやさんへおくれ」とのごゆいごん有けれどもいかが有けむ、そもしらず。おんむしよをばやがてしらみねにぞかまへ奉りける。このきみたうごく
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にてほうぎよなりにしかば、さぬきのゐんとかうし奉りけり。しんゐんのみこしげひとしんわうは、ごしゆつけありてのちは、くわさんのゐんのほふいんげんせいとまうしき。しんゐんほうぎよのこと都へきこえて、おんぶく奉らむとしける時、にふだうのほふしんわうより、「いつよりめされ候ぞ」ととひ申させ給たりければ、みやおんなみだをおさへつつ、かくぞおんぺんじにはありける。
うきながらそのまつやまのかたみにはこよひぞふぢのころもをばきる K044
いちのみやとていつきかしづきたてまつりしに、思はぬほかのおんありさまにならせたまひにしこそかなしけれ。わがおんみながらも、さこそ心うくおぼしめされけめとあはれなり。
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三十七 にんあん三年のふゆのころ、さいぎやうほふし、のちにはだいほふばうゑんゐしやうにんとまうしけるが、しよこくしゆぎやうしけるが、このきみほうぎよの事をききて、四国へわたり、さぬきのまつやまといふ所にて、「これはしんゐんのわたらせたまひし所ぞかし」とおもひいだしたてまつりて、参りたりけれども、そのおんあともみへず。まつのはにゆきふりつつみちをうづみて、人かよひたるあともなし。なほしまよりしどといふ所にうつらせたまひて、三年ひさしくなりにければ、ことわりなり。
よしさらばみちをばうづめつもるゆきさなくは人のかよふべきかは K045
まつやまのなみにながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな K046
とうちえいじて、しらみねのおんはかへたづねまゐりたりけるに、
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あやしのこくじんのはかなむどのやうにて、くさふかくしげれり。是をみ奉るに、涙もさらにおさへがたし。昔はいつてんしかいの君として、なんでんにまつりごとををさめたまひしに、はつげんはつかいのけんしん、ひだりにこうじみぎにしたがひたてまつりき。わうこうけいしやう、くもの如くかすみの如くして、ばんぱうのしたがひ奉る事、くさの風になびくが如くなりき。さればにろくきんでんのあひだには、あさゆふぎよくろうをみがき、ちやうせいせんとうのうちには、りようらきんしうにのみまつはされてこそ、あかしくらしたまひしに、今はやへのむぐらのしたにふしたまひけむ事、かなしともおろかなり。いつたんのわざはひたちまちにおこりつつ、きうちようのくわらくをいでて、千里のほかにうつされて、をはりをゑんけうにつげ給へり。ぜんぜのご
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しゆくごふといひながら、哀なりし事ぞかし。ごぼだうとおぼしくて、はうけんのかまへあれども、しゆりしゆざうもなければ、ゆがみかたぶきて、たうかつはいかかり、いはむやほつけざんまいつとむるぜんりよもなければ、かひかねのこゑもせず。こととひまゐる人もなければ、みちふみつけたるかたもなし。昔はじふぜんばんじようのあるじ、きんちやうをきうちようのつきにかかやかし、今はえどばうきやうのたましひ、ぎよくたいをしらみねのこけにこんず。あしたのつゆにあとをたづね、秋の草なきてなみだをそふ。あらしにむかひてきみをとへば、らうくわいかなしみて、こころをいたましむ。せんぎもみえず、ただあしたのくもゆふべのつきをのみみる。ほふおんもきこえず、またまつのひびきとりのさへづりをのみきく。のきかたぶきてあかつきのかぜなをあやふく、かはらやぶれてゆふべのあめふせき
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がたし。みやもわらやもはてしなければ、かくてもありぬべきよのなかかなと、つくづく昔今の御有様とかく思つづくるに、ふかくの涙ぞおさへがたき。かくぞ思つづけける。
よしやきみ昔のたまのとことてもかからむのちはなににかはせむ K047
さて松の枝にていほりむすびて、なぬかふだんねんぶつまうしてまかりいでけるが、いほりの前なる松に、かくぞかきつけける。
ひさにへてわがのちのよをとへよ松あとしのぶべき人しなければ K048
卅八 八月三日、うぢのさだいじん、またぞうくわんぞうゐの事あり。ちよくしせうなごんこれもと、かのおんむしよへまうでて、せんみやうをささげて、だいじやうだいじんじやういちゐをおくらるるよし、よみあげらる。おんはか
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はやまとのくにそふのかみのこほりかはかみむら、はんにやののごさんまいなり。むかしほうげんのかつせんのとき、ながれやにあたりてうせたまひぬとふうぶんしけれども、まさしくじつぷをきこしめさざりければ、たきぐちもろみつ、すけゆき、よしもり三人をつかはしてじつけんせらる。そのはかをほりをこしたれば、七月のさしもあつきをりふしに、十余日にはなりぬ、なにとてかはそのかたちともみへ給べき。あまりにかはゆき様なりければ、おのおのおもてをそばめてのきにけり。むかしきゆうちゆうをしゆつにふしたまひしには、こうがんしやうこまやかくしくして、春の花いろをはぢ、いきやうかをりなつかしくして、ぎろのけぶりかをりをゆづり、たへなるいきほひなりしかば、おんめにまみへ、おんことばに
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かからむとこそおもひしに、只今の御有様こそくちをしけれ。いろあひへんいして、ほうちやうらんえしたまへり。しせつぶんさんして、のうけつあふれながれたり。あくきやうじゆうまんして、ふじやうしゆつげんせり。あまりかはゆくめもあてられざりければ、かさねてみるにおよばず、このひとびとはかへりにけり。ごふしんののこるところはさることなれども、ふんぼをほりうがち、しがいをじつけんせらるることは、せうなごんにふだうがはからひにしよじしたがはせたまふといひながら、なさけなくこそきこへしか。このむくいにや、しんせいへいぢの最後の有様、すこしもたがはざりき。おそろしかりしことどもなり。昔ほりをこしてすてられたまひにし
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のちは、しがいみちのほとりの土となりて、年々に春の草のみしげれり。いまてうのつかひたづねゆきて、勅命をつたへてむ。ばうこんいかがをぼしけむ、おぼつかなし。おもひのほかなることどもありてせけんもしづかならず。「これただことにあらず。ひとへにをんりやうのいたす所なり」と人々まうされければ、かやうにおこなはれけり。れんぜいのゐんのおんものぐるはしくましまし、くわさんの法皇のおんくらゐをさらせ給ひ、さんでうのゐんのおんめのくらくおはしまししも、もとかたのみんぶきやうのをんりやうのたたりとこそ承れ。
卅九 そもそもさんでうのゐんのおんめもごらんぜられざりけるこそ心うかりけれ。ただひとのみまひらせけるには、おんまなこなむど
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もいときよらかに、いささかもかはらせ給たる事わたらせ給はざりければ、そらごとのやうにぞみへさせたまひける。いせのさいぐうのたたせ給ふに、わかれのくしなげさせたまひては、たがひにごらむじかへる事はいむ事にてあむなるに、このゐんはさしむかはせ給たりけるをみまひらせてこそ、わたらせ給ひけれ。これを人みまひらせてこそ、「さればこそ」と申ける。昔も今もをんりやうはおそろしき事なれば、くわうにんてんわうの第二のみこ、さはらのはいたいしは、しゆだうてんわうとかうし、しやうむてんわうのせふこう、ゐがみのしんわうは、くわうごうのしよくゐにふし給ふ。これみなをんりやうを
P1435
なだめられしはかりことなり。
四十 おなじき十二月廿四日、けいせいとうばうにいづ。「又いかなる事のあらむずるやらむ」とひとおそれあへり。けいせいはごぎやうのき、ごせいのへん、うちにたいへいあり、そとにたいらんありといへり。

平家物語第一末

(花押)
P1436

あつし日
なつのひのいみやうなり。





延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版
平家物語 三(第二本)

P1437
一 ゐんのごしよにはいらいおこなはるること 
二 ほふわうごくわんぢやうのこと
三 てんわうじのぢぎやうめでたきこと
四 さんもんにさうどういできたること
五 けんれいもんゐんごくわいにんのことつけたりなりつねらしやめんのこと
六 山門のがくしやうとだうしゆとかつせんのことつけたりさんもんめつばうのこと
七 しなののぜんくわうじえんしやうのことつけたりかのによらいのこと
八 ちゆうぐうごさんあることつけたりしよそうかぢのこと
九 ごさんのときまゐるにんじゆのことつけたりふさんのにんじゆのこと
十 しよそうにけんじやうおこなはるること
十一 わうじしんわうのせんじかうぶりたまふこと
十二 しらかはのゐんみゐでらのらいがうにわうじをいのらるること
十三 たんばのせうしやうこだいなごんのはかにまうづること
十四 むねもり大納言とだいしやうとをじせらるること
十五 なりつねとばにつくこと
十六 せうしやうはんぐわんにふだうじゆらくのこと
十七 判官入道むらさきのの母のもとへゆくこと
十八 ありわうまるいわうのしまへたづねゆくこと
十九 つじかぜあらくふくこと
廿 こまつどのしにたまふこと
P1438
廿一 小松殿くまのまうでのこと
廿二 小松殿くまのまうでのゆらいのこと
廿三 小松殿だいこくにてぜんをしゆしたまふこと
廿四 だいぢしんのこと
廿五 だいじやうにふだうてうかをうらみたてまつるべきよしのこと
廿六 院より入道のもとへじやうけんほふいんをつかはさるること
廿七 入道けいしやううんかくしじふよにんげくわんのこと
廿八 もろながをはりのくにへながされたまふこと付師長あつたに参給こと
廿九 させうべんゆきたかのこと
卅 ほふわうをとばにおしこめたてまつること
卅一 じやうけんほふいん法皇のおんもとにまゐること
卅二 だいりよりとばどのへごしよあること
卅三 めいうんそうじやうてんだいざすにげんぶのこと
卅四 法皇のおんすみかかすかなる事
P1439
平家物語第二本(一)
ぢしよう二年正月ひとひのひ、院の御所にははいらいおこなわる。よつかのひ、てうきんのぎやうがうありて、れいにかはりたる事はなけれども、きよねんなりちかのきやういげ、きんじゆの人々おほくうしなはれし事、ほふわうおんいきどほりいまだやすまらず、よのおんまつりごともものうくぞおぼしめされける。入道もただのくらんどゆきつなつげしらせてのちは、君をもうしろめたなきおんことにおもひまゐらせて、よのなかうちとけたる事もなし。うへには事なきやうなれども、したには心ようじんして、只にがわらひてぞ有ける。なぬかのひのあかつき、けいせいとうばうにみゆ。十八日に光をます。しいうきととも申す。又せききとも申す。なにごとの有べきやらむと、人おそれをなす。
二 法皇はみゐでらのこうけんそうじやうをごしはんとして、しんごんのひほふをうけさせおわしましけるが、ことしの春、さんぶのひきやうをうけさせたまひて、二月五日には
P1440
をんじやうじにてごくわんぢやうあるべきよしおぼしめしたつときこえし程に、てんだいのだいしゆいきどほり申す。「昔よりして今にいたるまで、ごくわんぢやう、ごじゆかいはみなわがやまにてとげさせおわします事、既にこれせんぎなり。なかんづくさんわうのけだうはじゆかいくわんぢやうのおんためなり。三井寺にてとげさせ給わむ事、しかるべからず」とまうしければ、さまざまにこしらへおほせられけれども、れいの山のだいしゆ、いつせつにゐんぜんをももちゐず。「三井寺にてごくわんぢやうあるべきならば、えんりやくじの大衆はつかうして、をんじやうじをやきはらふべし」とせんぎすときこへければ、かさねてなだめおほせられければ、とどまりにけり。園城寺きやうかうえんりやくじのかいをうくべきよし、うけぶみをいだすべきよし、おほせくだされければ、きたのゐん、なかのゐんはこうけんそうじやうのもんとおほかりければ、ちよくぢやうにしたがふべきよしまうしけるを、みなみのゐん、「いまさらにわがてらにかきんをのこすべからず」とて、いぎをなして
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したがはざりけり。「みなみのゐんよりたうじのそう、てんだいざすにふせらるるとき、じむをすいかうすべし。又ほふじやうじのたんだい、たうじ、おなじくごんしせしむべし。このりやうでうさいきよあらば、ちよくめいにしたがひてえんりやくじのかいをうくべきよし、まうしけり。かれこれのぎ、いづれもなしがたかりければ、ごけぎやうけちぐわんして、ごくわんぢやうはおぼしめしとどまりにけり。そもそもさんぶきやうとまうすはそのかずあまたあり。いちはほつけさんぶ、にはだいにちさんぶ、さんはちんごこくかさんぶ、しはみろくじそんさんぶ、ごはじやうどしんしゆうたりきわうじやうさんぶなり。今法皇のうけさせましますさんぶは、だいにちさんぶ、しんごうけうのえきやう也。そのさんぶとは、いちはだいにちきやう、にはこんがうちやうきやう、さんはそしつぢきやう、これなり。いまこのきやうのたいいをたづぬれば、「にやくうにんしきやう、じゆぢどくじゆしや、そくしんじやうぶつこ、はうだいくわうみやうゑん」ととく。「もし人あつて、このめうでんをじゆぢどくじゆすれば、ぶもしよしやうのえ
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しん、たちまちにだいにちによらいとなりて、胸の間のだいくわうみやうをはなちて、さんがいろくだうのやみをてらす」ととかれたるめうでん也。ごしらかはのほふわう、かたじけなくもくわんぎやうごほんの位に心をかけましまして、ほつけしゆぎやうのだうぢやう、ごしゆほふしのともしびをかかげて、七万八千よぶのてんどく也。しやうこにもいまだうけたまはりおよばず。いかにいはむやまつだいにをいてをや。じふぜんぎよくたいのぎよいのいろ、さんみつごまのだんにすすけて、そくしんぼだいのひじりのみかどとぞみへさせ給ける。かのこうけんそうじやうと申は、法皇のごぐわいせき、けんみつりやうもんのごしとく也。しくわんげんもんのまどの前には、いちじようゑんいうのたまをみがき、さんみつゆがのほうびやうには、とうじさんもんの花ひらけ給へり。かくのごとく、うちにつけほかにつけて、おんきえのおんこころざしふかきによつて、めうでんをもこうけんそうじやうにうけ、ごくわんぢやうをも三井寺にてとおぼしめしたちけるが、山門さうどうしてうちとどめ奉る事、いかばかりかこころうくおぼしめされけむ。
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法皇、「わがてうはこれへんぢそくさんの国也。何事もいかでかだいこくにひとしかるべきなれども、中にもうんでいおよびなかりけるは、りつのほふもん、そうのふるまひにてぞあるらむ。そうしゆのほふは、きそうそくじやうろん、どうにふわがふのうみといへり。わがふのうみにこそいらざらめ、じやうろんをもつぱらにして、さしたるとがもなき三井寺をぜうしつせむとするでう、むだうしんのものどもかな。はわがふそうのをもむき、これまたごぎやくざいのずいいちにあらずや。かたちばかりは出家にして、心はひとへにざいぞくにどうず。ぐどんのやみふかくして、けうまんのはたほこたかし。びくのかたちとなりながら、あひがたきによらいのけうぼふをもしゆぎやうせず、だいにちかくわうのちすいのながれにみをもすすがず。まろがたまたまにふだんくわんぢやうせむとするをさへ、しやうげする事のむざんさよ。たとひまろがことわりをまげたるひほふをもせんげし、もしは山門のしよりやうをべちゐんによすといふとも、わうゐわうゐたらば、たれかこれをそむくべき。いかにいはむやじゆしきくわんぢやうと
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は、じやうぐぼだいの春の花、げけしゆじやうの秋のつき也。ちとくめいしやうこれをさんだんし、きせんなんによこれをずいきす。たとひずいきさんだんのほうびせしむるまでこそなからめ、むじやうふくでんのころもの上にじやけんはういつのよろひをちやくし、ぢやうゑにしゆのたなごころのうちに、ぶつぽふはめつのたいまつをささげて、三井寺をぜうしつせむとせんぎするらむでう、すこしもたがわぬ昔のだいばだつたがばんるい也。さこそまつだいといわむからに、これほどわうゐをかろしむべきやうやある。くちをしきことかな」とて、しんきんしづかならず、げきりんしばしばかたじけなし。「そもそもわうゐはぶつぽふをあがめ、仏法は王位をまもるこそ、あひたがひにたすけて、かうげんもめでたくめいとくもいみじけれ。もしわうゐを王位とせずは、いづれの仏法かわがてうにこうりゆうすべきや。今度さんそうらをんじやうじをぜうしつせむにをいては、てんだいのざすをるざい
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し、山門の大衆をもきんろうせむ」とぞおぼしめす。又かへしておぼしめしけるは、「さんもんのだいしゆ、ないしんこそぐちのやみふかうして、じやうんたちまちにぶつにちのかげををかすといへども、かたちは既にびくのかたち也。いちいちにきんろうせむ事、ざいごふ又なむぞせうめつすべきや。かつうはごでふのほふえをみにまとへり。きえのこころざし、まつたくけんてつししにをとるべからず。かつうはだいししやうりやうのおんぱからひをもまち奉るべし。かつうはいわうさんわうもいかでかすてはてさせたまふべきや」とて、御涙にぞむせばせ給ける。この法皇ははくわう七十七代のみかど、とばのゐんのだいさんのみこ、まさひとてんわうとぞ申しける。ぢてんわづかに三年也。いそぎおんくらゐをすべらせおはしましけるおんこころざしは、「むくわんうちのそうにちかづきて、じんじんの仏法をもちやうもんし、だんしよぎやうぼふのくわかうをもてづからみづからいとなまむ」とおぼしめさるる故なり。そもそもはくわうと申は、てんじんしちだい、ぢじん
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ごだいののち、じんむてんわうよりはじめて、みもすそがはのながれすずしく、りゆうろうほうけつのつきくもりなかりしかども、第廿九代のみかど、せんくわてんわうのおんときまでは、ぶつぽふいまだわがてうにつたはらず、みやうじをすらきくことなかりき。さればそのときまでは、ざいごふをおそるる人もなく、ぜんごんをしゆぎやうする人もなかりき。おやにけうやうをもせず、心にぶつだうをももとめず。ぢりつぢかいのさほふもなく、ねんぶつどきやうのいとなみもなし。しかるに第卅代のみかど、きんめいてんわうのぎよう十三年みづのえのさるのとし十月十日、はくさいこくのせいめいわうより、こんどうのしよかによらい、ならびにきやうろんせうせう、どうばん、かい、ほうびやうとうのぶつぐなむどおくられたりき。ただしぶつざうらいりんししやうげうでんらいすとつたへども、だんぎてんどくするそうぼういまだなかりしかば、さんぼうをもくやうじ、しやうげうをもずいきせず、ただ
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やみのよのにしきにてぞはべりける。第卅二代のみかど、ようめいてんわうとまうす、おんいみなとよひのすめらみことともまうしき。このみかどのおんときよりさんぼうあまねくるふして、だいせうじようのほふもんのひかりてんがにかかやく。それよりこのかた、ぶつぽふしゆぎやうのきせん、そのかずおほしといへども、このほふわうほどのくんじゆれんぎやうのみかどをいまだうけたまはらず。ねにふしとらにおきさせ給ふおんぎやうぼふなれば、うちとけてさらにぎよしんもならず。きんう東にかかやけば、ろくぶてんどくのほつすい、さんじんぶつしやうのたまをみがき、せきじつにしにかたぶけば、くほんじやうしやうのれんだいにさんぞんらいかうの心をはこび給へり。あるときいちりやうくのごぐわんもんをあそばして、つねのござのみしやうじのしきしにかかせたまひたりけるめいくにいはく、
みはしばらくとうどはちくのからたちのもとにゐるといへども、心は常にさいはうくほんのはちすのうへにあそばしむ。
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とぞあそばされたる。またつねのごえいぎんにいはく、
ちしやは秋のしか、なきてやまにいる。ぐじんは夏のむし、とびてひにやくる。 K049
とぞ常にはながめさせたまひける。これはしくわんのぎやうじや、ししゆざんまいのたいいをしやくしたるぜつくとかや。昔より常にこのことながめさせおはしますおんことなれども、今度山門の大衆にごくわんぢやうの事をうちさまされたまひし時より、いかなるふかき山にもとぢこもり、こけふかきほらの中にもいんきよせばやとやおぼしめしけん。御心をすまして、「ちしやは秋のしか」とのみぎよえいありけるとかや。こうぐうもこれをあさましくおぼしめし、うんかくげつけいもきもたましひをうしなひたまひき。すでに時はせいやうごしゆんのころにもなりにけり。三月たうくわのえんとて、たうくわのさかりにひらけたり。せいぼがあとのももとて、もろこしのももをなんていの桜にうゑ
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まじへて、いろいろさまざまにぞ御覧じける。桜のさきにさく時もあり、たうくわさきにさく時もあり。ももさくら一度にさきてにほう時もあり。今年は桜はおそくつぼみて、たうくわはさきにさきたり。されども、「ちしやは秋のしか」とのみながめさせたまひて、たうくわを御覧ずる事もなかりけり。これによつて、くものうへびとさらに一人も花をえいずる人をはせざりけるに、三月三日ゆふぐれに、
はるきたつてはあまねくこれたうくわすいなれば、せんげんをわきまへずしていづれのところにかたづねむ。 K050
とたからかにえいずる人あり。法皇、たれぞやときこしめさるるほどに、やがてせいりやうでんにまゐりてふえふきならしつつ、てうしわうじきでうにねとりすましたり。やがて、みづしのうへなるせんきんといふおんびはをいだきをろしたてまつりて、しやくびやくたうりくわとまうすがくをさんべんばかりぞひきたりける。「ただひととはおぼへず。
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きたいのふしぎかな」とぞ、法皇きこしめされける。しやくびやくたうりくわをさんべんひきてのち、びはをもひかず、しいかをもえいぜず、ふえなどをもふくことなくして、ややひさしく有ければ、「このものはかへりぬるやらむ」とおぼしめして、法皇、「やや、しやくびやくたうりくわはなにものぞ」とおほせありければ、「おんとのゐのばんしゆ」とぞ申たりける。「ばんしゆと申すはたれぞや」ととはせ給へば、「かいほつのげんぺいだいふすみよし」とぞなのり給たりける。「さてはすみよしのだいみやうじんにておはしけるにや」とおぼしめして、いそぎごたいめんあり。夢にもあらず、うつつにもあらず。きたいのふしぎかなとぞおぼしめしける。さてしゆじゆのおんものがたりありける中に、だいみやうじんおほせられけるは、「こよひのたうばんじゆはまつをのだいみやうじんにてさうらへども、いそぎまうすべき事あつて、ひきかへて参て候。きのふのあかつき、さんわうしちしや、でんげうだい
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し、おきながしゆくしよにらいりんして、につぽんごくのきつきようをひやうぢやうしさうらひしに、今度山門のだいしゆ、じやふうことにはなはだしく、しんきんをなやましまひらせさうらひしでう、ぞんぐわいのしだいにて候。ただしむつごころにてはさうらはざりつる也。につぽんのてんまあつまりて山の大衆にいれかわりて、きみのごくわんぢやうをうちとどめまひらせさうらふところなり。されば、大衆のわざはひをばおんゆるされあるべき事にて候也」。時に法皇、「そもそもてんまはにんるいか、ちくるいか、しゆらだうしゆるいか。いかなるごふいんの物にて、仏法をはめつしはべるぞや」。大明神こたへてのたまはく、「いささかつうりきをえたるにんるい也。これについてみつあり。一にはてんま、二ははじゆん、三はまえん也。第一にてんまといふは、もろもろのちしや、がくしやうの、むだうしんにして、けうまんはなはだし。そのむだうしんのちしやのしぬれば、必ずてんまと申おにになり候也。そのぎやうるいはいぬ、みは人にて、さうのてにはねおひたり。ぜんごひやくさいの事をさとる
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つうりきあり。こくうをとぶこと、はやぶさのごとし。ぶつぽふしやなるが故にぢごくにはをちず。むだうしんなるが故にわうじやうをもせず。けうまんとまうすは、ひとにまさらばやと思ふ心也。むだうしんと申は、ぐちのやみにまよひたる者に、ちゑのともしびをさづけばやとも思わず、あまつさへねんぶつまうすものをさまたげて、あざけりなむどする者、必ずしぬればてんぐだうにおつといへり。まさにしるべし、まつせのそうは皆むだうしんにしてけうまんあるが故に、十人に九人は必ず天魔となつて、仏法をはめつすべしとみへたり。はつしゆうのちしやにて天魔となるが故に、これをばてんぐと申なり。じやうどもんのがくしやもみやうりの為にほだされて、こけのほふもんをさへづり、むだうしんにしてずずをくり、まんしんにしてすへんをすれば、天魔のらいかうにあづかりて、きまてんとまうすところにとしひさしといへり。まさにしるべし、まわうは、いつさいしゆじやうのかたちににたり。だいろく
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いしきへんじて魔王となるが故に、魔王のかたちも又いつさいしゆじやうのかたちににたり。されば、あま、法師のけうまんは、てんぐになりたる形も、あまてんぐ、ほふしてんぐにてはべるなり。つらはいぬににたれども、かしらはあま、法師也。さうのてにはねはをいたれども、みにはころもににたる物をきて、かたにはけさににたる物をかけたり。をとこのけうまん、天狗となりぬれば、つらこそいぬににたれども、かしらにはえぼし、かぶりをきたり。ふたつのてにははねをひたれども、みにはすいかんばかま、ひたたれ、かりぎぬなどににたる物をきたり。女のけうまん、てんぐとなりぬれば、狗のかしらにかづらかけて、べに、しろいもののやふなる物をつらにはつけたり。おほまゆつくりて、かねぐろなる天狗もあり。くれなゐのはかまにうすぎぬかづけて、おほぞらをとぶ天狗もあり。第二にはじゆんと申は、天狗のごふすでにつきはててのち、にんじんをうけむとする時、もしはしんざんのみね、もしはしんこくのほら、じんせきたへて千
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里あるところににふぢやうしたる時を、はじゆんとなづけたり。いちまんざいののち、にんじんをうくといへり。第三、魔縁とは、けうまん、むだうしんのもの、しぬれば必ず天狗になれりといへども、いまだその人しせざる時に、人にまさらばやと思ふ心のあるをえんとして、もろもろの天狗あつまるが故に、これをなづけて魔縁とす。されば、けうまんなき人のぶつじには、魔縁なきがゆゑに、天魔きたりてさはりをなすことなし。天魔はせけんにおほしといへども、しやうげをなすべきえんなき人のもとへは、かけりあつまる事、さらになし。されば法皇のごけうまんの御心、たちまちに魔王のきたるべきえんとならせたまひて、六十よしうのてんぐども、山門の大衆にいりかわりて、さしもめでたきぜんけぎやうをもうちさましまひらせて候也。ごけうまんのをこるも誠におんだうりにてこそ候へ。『りやう
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がいのまんだらを、いちやにじにけだいなくおこなはせ給へる事、しじふよだいのみかどの中にましまさざりき。そうの中にもまれにこそあるらめ』とおぼしめさるる御心、すなはち魔縁となれり。『にじふごだんのべつそんのほふ、しよじしよさんのそうしゆも、まろにはいかでかまさるべき』とおぼしめすは、又魔縁也。『さんみつゆがのぎやうぼふ、ごまはちせんのくんじゆ、しやうこのみかどにましまさず。ましてまつだいにはよもおわせじ。ぶつぽふしゆぎやうのちしやたちにもまさらばや』とおぼしめすは、これ魔縁也。くわうみやうしんごん、そんじようだらに、じくのしゆ、ほうけふいん、くわかいしんごん、せんじゆきやう、ごしんけつかいじふはちだう、にんわうはんにや、ごだんのほふ、まろにすぎたるしんごんしもまれにこそあるらめ』とおぼしめしたるは魔縁也。『いはむやにふだんくわんぢやうして、こんがうふゑの光をはなちて、だいにちへんぜうの位にのぼらむ事、めいとくの中にもまれなるべし。てんしていわうの中にも、われぞすぐれた
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るらむ』と、だいけうまんをなさせたまふが故に、だいてんぐどもおほくあつまりて、ごくわんぢやうのむなしくなりさうらひぬる事こそ、あさましくおぼえさうらへ」とぞ申させ給ける。そのときほふわう、「につぽんごくぢゆうに天狗になりたるちしや、いくにんばかりかはべるや」。だいみやうじんののたまはく、「よき法師は皆天狗になり候あひだ、そのかずをまうすにおよばず。だいちのそうはだいてんぐ、せうちのそうはせうてんぐ、いつかうむちのそうの中にもずいぶんのまんしんあり。それらは皆ちくしやうだうにおちてうちはられさうらふ、もろもろのむまうしども、これなり。なかごろわがてうにかきのもとのきそうじやうと申ししかうみやうのちしや、うげんのひじり、はべりき。だいけうまんの心の故に、たちまちに日本第一のだいてんぐとなりてさうらひき。これをあたごの山のたらうばうとはまうしさうらふなり。すべてけうまんの人おほきが故に、ずいぶんのてんぐとなつて、
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ろくじふよしうの山のみねに、あるいは十人ばかり、あるいは百人ばかり、かけりあつまらざるみねはひとつも候はず」。そのときほふわう、「まことにおほせのごとく、まろがぎやうぼふはわうゐの中にも、ぶつぽふしやの中にも、いとまれにこそあるらめとおもひてさうらひつる也。まづりやうがいをそらにおぼえて、まいやにじにくやうぼふし給ふみかど、しやうこにはいまだきかずとおもひはべりき。べつそんのほふ、れいしよをにじふごだんにたてたるていわうも、いまだきかずとおもひはべりき。ねにふし、とらにおくるぎやうぼふ、ていわうの中にはいまだきかずとおもひはべりき。まいにちにほつけきやうろくぶをしんどくによみ奉るこくわうも、わがてうにはいまだきかずとおもひはべりき。いはむやさんぶきやうのぢしや、ひみつくわんぢやうのひじりとなりて、ほんじほんざんのちしやたちにもまさりたりとほめられむとおもふ、まんしんをおこす事たびたびなりき。さては今こそ既にざいごふのくもはれてはおぼえ候へ。まつたく山門の大衆のらうぜきにてははべらざ
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りけり。わがみのけうまん、すなはち天魔のえんとなりて、六十よしうのてんぐども、すにちしやうごんのけぎやうをうちやぶりけるこそ、だうりにてははべりけれ。今はざんぎさんげのかぜすずし。まえんまきやうのくも、いかでかはれざらむや。さては忍びやかにしゆくぐわんをはたしさうらはばやとぞんじ候。おんぱからひさうらへ」とおほせありければ、だいみやうじんののたまはく、「でんげうだいしのまうせとさうらひつるは、えんりやくじとまうすはぐらうがこんりふ、をんじやうじと申はちしようだいしのさうさうなり。かうげんいづれもかろくしておんきえのぶんにあたわず。につぽんごくのれいちにはににてんわうじすぐれたりとおぼえさうらふ。そのゆゑは、しやくとくたいしのごこんりふ、ぶつぽふさいしよのみぎりなり。そのしやうとくたいしはくせくわんおんのおうげん、だいひせんだいの菩薩也。これによつてしんじんそらにもよほして、しようりなんぞすくなからむや。をりしもかのてらににつたうのひじりのきてうして、けいくわ
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はつせんのりうすい、ごちごびやうにいさぎよし。くわんぢやうのだいあじやり、そのうつはものにもつともたりぬべし。ひそかにごかうならせおわしまして、ごにふだんさうらへ」とて、みやうじんたちまちにうせたまひぬ。法皇、おぼしめされけるは、「まんしんをいかにをこさじと思へども、事により折にしたがひて、をこるべき物にて有けり。さしもだいみやうじんのをしへたまひつるまんしんの、今又をこりたるぞや。そのゆゑは、たいたうこくに一百余かのだいしせんとく、そのかずおほしといへども、ゐだてんにたいめんして物語し給けるめいとくは、しゆうなんざんのだうせん律師ばかりなり。わがてうには、にんわう始まつてちんにいたるまで、七十余代のみかど、そのかずおほしといへども、すみよしの大明神にぢきにたいめんして、しゆじゆものがたりしたるみかどは、まろばかりこそ有らめと、けうまんのをこりたるぞや。なむあみだぶなむあみだぶ、このざいしやうせうめつして、たすけさせおわしませ」とぞ、ごきねんありける。法皇
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すでにてんわうじへごかうなりけるとき御手をあはせつついかなるごきねんかおわしけむ、
すみよしのまつふくかぜに雲はれてかめゐの水にやどる月かげ K051
とあそばして、ごかうなりつつ、天王寺のごちくわうゐんにして、かめゐのみづをむすびあげて、ごびやうのちすいとして、ぶつぽふさいしよのれいちにてぞ、でんぼふくわんぢやうのそくわいをとげさせおはしましける。むじやうぼだいのごぐわんすでにじやうじゆして、うだいのおんみも、今はこんがうぶつしの法皇とならせおわしましたる。天魔はいささかなやましまひらせたりけれども、すみよしのだいみやうじんにをしへられましまして、そくしんじやうぶつのぎよくたいとならせおはしましたる、誠にめでたく侍り。ゆゑに、ろくだいむげのはるのはなはこんがうかいのちすいよりひらき、
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ししゆまんだのあきのつきは、たいざうかいのりもんよりいづ。さんみつゆがのかがみのおもては、ごちゑんまんのせいていにうかび、はちえふにくだんのむねのあひだには、さんじふしちそんのくわうゑんかかやけり。同五月廿日、天台の衆徒、しよしをもつてさんぢんせしめてうつたへまうしけるは、「こんどのさいしようかうに延暦寺のそうをめされず。このでうかつてせんぎなし。なにによつてか、たちまちにきえんせらるべきや」とぞ、申たりける。くらんどのうせうべんみつまさ、さんゐんしてそうもんしければ、「さらにおんすておきのぎにあらず。天台の衆徒、じいうのちやうぎやうをもつて、ごぐわんをさまたげたてまつるでう、すこぶるきくわいなるによつて、そのことつみしらせむがためなり」とぞ、おほせくだされける。このおもむきをぞしよしにはおほせふくめける。又延暦寺よりせんしをさしつかはしてをんじやうじにまうしおくりけるは、「さいしようかうはちんごこくかのごぐわんなり。しかるにこんどてんだいしゆうをすてらるるところに、
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園城寺のそうさんきんせらるべきよし、ふうぶんあり。いづれのしゆうをもつてかさんきんせらるるや。たうじはてんだいか、けごんか、さんろんか、ほつさうか。ゐさいにうけたまはりて、ぞんぢつかまつるべし」とぞ申たりける。ここに園城寺の衆徒、さんゐんくわいがふしてせんぎすといへども、なんのへんもへんたふすべしといふぎもさだまらざりければ、只「おつてまうすべし」とばかりぞへんたふしたりける。そもそもだうせんりつしのあひたまひて物語し給ひしゐだてんとまうすは、びしやもんてんわうのたいしなり。だうせんりつし、しゆうなんざんにして、せいやにして、かうろうをたてて、かしこにのぼりておはしけるが、あやまつてかうろうよりおちたまふとき、ちゆうとにして、みしといだきたてまつる者あり。「なにものぞ」ととはれければ、「ゐだてん」とこたへけり。だうせんのたまはく、「いかにしてこれへはきたるぞや」。てんのいはく、「われびしやもんてんわうのおんし
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しやとして、かのめいにしたがひて、ひごろより参りて、常にしゆごしたてまつるなり」とうんうん。だうせんかさねてのたまはく、「そのぎならば、あらはれて常に物語をもし給へかし」といはれければ、「おほせにしたがひて」とて、そののちはていぜんのやなぎにのぼりて、くわうみやうをはなちて、もろもろのせかいこくどの物語を申けり。かのだうせんとゐだてんとの物語をしるせる、いつくわんのでんき、是あり。かんつうでんとなづけたり。道宣いはく、「びしやもんてんわうは、たうじはいづくにおはしますぞ」。てんこたへていはく、「たうじはびさもんてんわうは、げんじやうさんざうのだいはんにややくし給へる処に、かの三蔵を守護の為におはします」とぞ申ける。道宣のいはく「げんじやうははかいのそうなり。われはぢかいの者也。われをこそ守護したまふべきに、われをばゐだてんにあづけて、げんじやうさんざうを守護せらるらむ事は、ぞんぐわいのことなり」とぞじしようしたまひける。げにも道宣のいふが如くに、道宣りつしは二百五十の
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りつぎをまもりて、いちじもかいををかさず。八万のさいぎやうをただしくして、しんくのおもてをあざやかにせり。げんじやう三蔵はらんそう也。とくぎやうはるかにくだれり。しかるに道宣をすて、げんじやうをまもりたまふらむ事、うたがひまことにおほし。つらつら事のしだいをあんずるに、かうそうでんをひらきみるに、いつさいのそうのとくぎやうをしやくせむとして、十のくわをたてたり。「第一にはほんやくのそう、そのこうことにたつとし。第二にはぎげのそう、ぶつぽふるでんのはかりこと、誠にめでたし」。かくのごとくしだいにくわもんをたてて、しやくしをはりて、「第十にはぶつざうきやうろんとうをしゆふくしゆざうのそう也」とつらねたり。かれをもつてこれをあんずるに、げんじやう三蔵といふは、そのみはかいにして、ばう、せい、くわう、きの四人のこをまうくといへども、かうそうでんにたつるところのじつくわの中に、第一のほんやくの三蔵として、はんにやだいじようけうをるてんする事すひやくぢく、このとくを
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かんがみて、びしやもんてんわうのじしんゆきて、守護し給へるかとぞおぼへし。かくて道宣、だいじおんじのちやうらうににんぜられたりけるに、ぢゆうじのそうりよ一千よにん、えはつをたいしてしぢゆうす。だうじやのこうりやうは三百三十三間なり。きんぎんをちりばめてせんけつ也。そののち、ゐだてんそうじてきたる事なし。はるかにほどへだたりてきたれりければ、道宣、ゐだてんにのたまはく、「てんなにゆゑぞひさしくきたらざるや」。てんこたへていはく、「しゆうなんざんにおわせしときは、みはりつぎの為にたつとく、心はぐほふの為にねんごろなりき。ないげともにしやうじやうなりしかば、御心けがるることなかりき。しかるに当寺にぢゆうしたまひてよりのちは、御心をゑにして、せいろのおもひこまやかに、おんみふじやうにして、みやうもんのこころざしふかし。これによつて、びしやもんてんわうそうじてさんずべからざるよし、いましめおほせらるるあひだ、まゐらざりつれども、
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ひごろの御よしみをわすれ奉らずして、びしやもんてんわうのめいをそむきて、ざんじのいとまをまうしてわたくしにまゐりたり」とぞ申ける。しかるにかのゐだてんののたまひけるじおんじにして、しんじんのふじやうにおはしけむ事はいかにと思へば、むかししゆうなんざんにおわせし時は、いつかうげけしゆじやうの心をさきとして、せぞくちそうのおもひもなかりしかば、ないげともにしやうじやうなりき。今このじおんじとまうすは、とくそうくわうていのこんりふとして、たうじやたふべうくわうはくなり。さればしぢゆうのそうりよもおほくして、ぎやうぼふのとこもかずしげし。かのだいがらんのちやうらうとなり給しかば、ぢゆうじのそうをたすけむとて、みづからとせいのはからひをも心にやかけたまひけむ。もししからば、心をゑになりたまひたりとて、守護をくはへ給はざりけるもことわりなりとぞおぼへし。
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三 そもそもしてんわうじと申すは、てんがだいいちのあうく、じんかんぶさうのじやうさつなり。しやうとくたいしさうさうのれいぢやう、くせぼさつりしやうのしようちなり。てらはとなれるしゆしようのめいくに、すなはちごくらくとうもんのちゆうしん、さかひはれいげんのきちにせつす、これわうじやうさいさつのこせきなり。にしにむかへばすなはちげきかいまんまんとして、はつくどくちのてうばう、めのまへにあり。ひがしにかへりみればまたせいすいたうたうとして、さんがいすいまつのむじやう、しんぢゆうにうかぶ。そんなんそんほくにかじのともがら、あふひをちぎりてもつてうがふし、ひがしよりにしよりとひのたぐひ、だうぢやうにまうでて、もつてきうしふす。しかのみならず、てんひていえふのよれんをまはす、ほんぞんにきして、えいりよをかたぶけ、さんげんすいのしうしやをうごかす。だうぢやうにのぞみてまんぐわんをなす。きたる者はたにんのもよほしにあらず。ただぜんごんのしゆくいんにもよほされてきたるところなり。のぞむ者はじしんのおこすにあらず。ひとへにわうじやうのたうえんにおこるによつて
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のぞむところなり。てんがにかうべをかたぶくるもの、みなこれくわんおんぐぜいのじひにおうず。にんぢゆうにこころをつくるもの、たれかまたあらざらんやごくらくりやうかのにんみん。さかひはわうぢにありて、わうぢにみんせず。ぢやうぢゆうのさんぼうをもつてしゆとなすところは、こくぐんにせつして、こくぐんにしたがはず、ごせしわうをもつてりとなす。かいりつをさだむるにはなれば、はういつのものはあとをけづり、じやうどにのぞむみぎりなれば、ふしんのものはきたることなし。くわんおんおうせきのところなれば、すむひとみなじひあり。わうじやうごくらくのちなれば、まうづるひとことごとくねんぶつをぎやうず。これによつて、げんぜにはさんどくしちなんのふしやうをほろぼして、にぐりやうぐわんのしつぢをまんぞくし、たうらいにはさんはいくほんのじやうさつにしやうじて、じやうらくがじやうのめうくわをしようとくせむ。とほくぐわつしのぶつせきをたづね、はるかにしんだんのれいじやうをとぶらへば、によらいせつぽふのぎをんしやうじや、くわいろくのわざはひによつて、かんやうきゆうのけぶりへんぺんたり。げんじやうしゆゑの
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けいとうまじ、りやうとうけいきして、こそだいのつゆじやうじやうたり。かんのめいていのはくばじ、ほふおんをたちてえんらんをのこし、かうそていのじおんじ、ほふりよさりてこらうをすます。またほんてうのしよじしよさんえんしやうのれい、これおほし。しかるにたうじにおいては、ぢよくせにのぞみて、わうしんのきえいよいよあらたに、こうまつにいりて、ほんぞんのりやくまことにさかりなり。じやうぐうのゐくわうひびにかかやき、じたふのこうりゆうさいさいにます。ごせしわうてらをまもれば、しまさんしやうのなんもきたらず。こうきよのしやうりゆうほふをいただけば、ぶつぽふのみづのながれもかわかず。かかるれいちなれば、しめい、みゐにもまさつておぼしめされければ、ことゆゑなくとげさせたまひにけり。これたうじのめんぼくにあらずや。
四 山門のさうどうをしづめむが為に、をんじやうじのごくわんぢやうはとどまりたりけれども、さんじやうにはがくしやうとだうじゆとふわの事有て、しづかならずときこゆ。山門にこといでぬれば、よも
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必ずみだるといへり。またいかなる事のあらむずるやらむと、おそろし。このことはきよねんの春のころ、ぎきやうしらうえいしゆん、ゑつちゆうのくにへげかうして、しやかだうのしゆう、らいじようばうぎけいがたておくじんにんをおさへとりて、ちぎやうして、あとをあふりやうす。ぎけいいかりをなして、つるがのつにくだりあひて、ぎきやうしらうをさんざんにうちちらして、もののぐをはぎとり、はぢにおよべり。えいしゆんやまににげのぼりて、よにいりてはふはふとうざんして、しゆとにうつたへければ、だいしゆおほきにいきどをりて、たちまちにさうどうす。らいじようばうまただうじゆをかたらふあひだ、だうじゆどうしんしてらいじようばうをたすけむとす。
五 けんれいもんゐん、そのころはちゆうぐうとまうししが、春のくれほどより常におんみだりごこちにて、ぐごもはかばかしくまひらず、ぎよしんもうちとけてならざりしかば、なんのさたにもおよばず。そうじてはてんがのさわぎ、べつしては平家のなげきとぞみえし。太政入道、二
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位殿、きもこころをまどはしたまふ、ことわりなり。さればしよじしよさんにみどきやうはじまり、しよぐうしよしやにほうへいしをたてらる。おんやうじゆつをつくし、いけくすりをはこぶ。だいほふひほふのこすところなくしゆせられき。かくていちりやうげつをふるほどに、ごなうただにもあらず、ごくわいにんときこえしかば、平家の人々、ひごろはなげかれけるが、ひきかえて、今はめんめんによろこびあわれけり。ごくわいたいの事さだまりにければ、きそうかうそうにおほせてごさんへいあんをいのり、じつげつせいしゆくにつけてわうじたんじやうをねがふ。しゆしやうことし十八にならせ給ふに、わうじもいまだわたらせおわしまさず。中宮は廿三にぞならせたまひける。わうじ御誕生なむどのあるやうに、あらましごとをぞよろこばれける。「平家のはんじやう、時をえたり。しかればわうじ誕生うたがひなし」と申す人もありけり。かかりし程に、六月廿八日中宮ごちやくたいとぞきこえし。つきひのかさなるにしたがひて、おんみだれなほわづらわしきさまにわたらせ
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給ければ、常にはよるのおとどにのみぞいらせたまひける。すこしおもやせて、またゆげにみへさせたまふぞこころぐるしき。さるにつけても、いとどらうたくぞみへさせたまひける。かのかんのりふじんの、せうやうでんのやまひのとこにふしたりけむも、かくやあるらむ。たうりのあめをおび、ふようのつゆにしほれたるよりも、こころぐるしき御有様なり。かかりしごなうのをりふしにあはせて、しうねきもののけ、たびたびとりつきたてまつる。うげんのそうどもあまためされて、ごしんかぢひまもなし。よりましみやうわうのばくにかけて、さまざまのもののけあらはれたり。そうじてはさぬきのゐんのごをんりやう、べつしてはあくさふのごおくねん、なりちかのきやう、さいくわうほふしがをんりやう、たんばのせうしやうなりつね、はんぐわんにふだうやすより、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんなむどがしやうりやうなむどもうらなひまうしけり。これによつてにふだうしやうこく、しやうりやうしりやうともにかろからず、をどろをどろしくきこえたまひければ、
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「なだめらるべきよしのおんまつりごとあるべし」とはからひまうさる。かどわきのさいしやうは、「いかなるついでもがな。たんばのせうしやうが事、まうしなだめむ」とおもはれけるが、このをりをえて、いそぎこまつのないだいじんのもとへおわして、ごさんのおんいのりにさまざまのじやうさいおこなはるべきよしきこゆ。「いかなる事と申すとも、ひじやうのだいしやにすぎたる事、あるべからず。なかんづく、なりつねめしかへされたらむ程のくどく、ぜんごんはいかでか有べき。大納言がをんりやうをなだめむとおぼしめさむにつけても、いきたるなりつねをこそめしかへされさうらはめ。このことふしまうさじとは思ひ候へども、娘にてさうらふものの、あまりにおもひしづみて、命もあやうくみへ候時に、常にたちよりて、『あながちかくなおもひそ。のりもりさてあれば、さりとも少将をばまうしあづからむずるぞ』と、なぐさめまうしさうらへば、かほをもてあげて、教盛をうちみて、涙をながしてひきかづきて候。教盛ごいちもんのかたはしにてあり。『おやをもつとも、このときは
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さいしやうほどのおやをこそもつべけれ。などか少将一人まうしあづからざるべきぞ』と、ないないうらみまうしさうらふなるが、げにもとおぼえて、いたくむざんにおぼえさうらふ。なりつねが事、しかるべきやうにしふしまうさせ給て、しやめんにまうしおこなはせ給へ」と、なくなくくどきまうされければ、こまつのおとど涙をながして、「このかなしさは重盛もみにつみて候へば、さこそおぼしめされ候らめ。やがて申候べし」とて、八条へわたりたまひて、入道のけしきいたくあしからざりければ、「宰相の成経が事をあながちになげきまうされさうらふこそ、ふびんにおぼえさうらへ。もつともおんぱからひあるべしとおぼえさうらふ。ちゆうぐうごさんのおんいのりに、さだめてひじやうのだいしやおこなわれ候わむずらむ。そのうちにいれさせたまふべく候。宰相のまうされさうらふやうに、誠にたぐひなきおんいのりにてあらむずらむとおぼえ候。おほかたは人のぐわんをみたさせたまひさうらはば、ごぐわんじやうじゆうたがひ
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あるべからず。ごぐわんじやうじゆせばくわうわうごたんじやうありて、かもんのえいぐわいよいよさかりなるべし」と、さいさいにまうしたまへば、入道今度は事のほかにやはらぎて、げにもと思われたりげにて、「さてしゆんくわん、やすよりが事はいかに」。「それらもゆるされてさうらはば、しかるべくこそ候はめ。一人もとどまらむ事は中々ざいごふたるべしとおぼえさうらふ」なむどまうされけれども、「康頼が事はさる事にて、しゆんくわんはかつうはしられたるやうに、ずいぶん入道がこうじゆにて、ほつしようじのじむにも申なしなむどして、人となれる物ぞかし。それに人しれずししのたににじやうをかまへ、事にふれてやすからぬ事をのみいひけるよしをきくが、ことにきくわいにおぼゆるなり」とぞのたまひける。「ちゆうぐうごさんのおんいのりによつてだいしやおこなわるべし」と、大政入道まうしおこなはれければ、すなはちしきじのほうしよをくださる。そのじやうにいはく、
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ちゆうぐうごさんのおんいのりのために、ひじやうのだいしやおこなはるるによつて、さつまのくにいわうのしまのるにん、たんばのせうしやうなりつねならびにへいはんぐわんにふだうやすよりぼふし、ににんきさんすべきじやう、おほせによつてしつたつくだんのごとし。ぢしよう二年しちぐわつぴとぞ、おほせくだされける。宰相これをききたまひて、うれしなむどはなのめならず。少将のきたのかたはなほうつつともおぼへず、ふししづみてぞおわしける。七月十三日、おんつかひくだされければ、へいざいしやうはあまりにうれしくて、わたくしのつかひをさしそへて、「よをひにつぎてくだれ」とてぞつかはされける。それもたやすくゆくべきふなぢならねば、なみかぜあらくて、船の中にてひおくりける程に、九月なかばすぎてぞかのしまにはわたりつきたりける。をりしもそのひはひもうららかにて、少将も康頼もいそにいでて、
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はるばるとしほせのかたをながむれば、まんまんたるかいしやうに、なにとやらむ、はたらく物あり。あやしくて、「やや入道殿、あのをきにまなこにさえぎるもののあるはなにやらむ」と少将のたまへば、康頼入道是をみて、「にをのうきすの、波にただよふにこそ」と申けり。しだいにちかくなるをみれば、舟のすがたにみなしたり。「これはくちしまのうらびとどもが、いわうほりに時々わたる事のあれば、さにこそ」とおもふほどに、いそちかくこぎよする舟の内にいひかよはすことばども、さしもこひしきみやこびとのこゑにききなしつ。少将おもはれけるは、「われらがやうにつみをかぶつて、このしまへはなたるるるにんなむどにこそ」とおもひたまひて、「とくこぎよせよかし。都のことどもたづねむ」とおもはれけれども、まめやかにちかづけば、みぐるしさの有様をみえむ事のはづかしくて、いそをたちのきて、はままつがへのこのもといはのかげにやすらひて、みえがくれにぞまたれける。さる程にふね
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こぎつけて、いそぎをりて、われらがかたへちかづく。しゆんくわんそうづはあまりにくたびれて、只あしたゆふべのかなしさにのみおもひしづみて、しんめいぶつだのみなもとなへ奉らず、あらましのくまのまうでをもせず、常はいはのはざま、こけの下にのみうづもれゐられたりけるが、いかにしてただいまの有様をみたまひけるやらむ、このひとどものおわする前にきたれり。ろくはらのつかひ申けるは、「だいじやうにふだうどののみげうしよ、ならびにへいざいしやうどのの私のおんつかひあひそへられて、都へおんかへりあるべきよしのおんふみもちてくだりて候。たんばのせうしやうどのはいづくにわたらせたまひさうらふやらむ。このみげうしよをまゐらせさうらはばや」と申ければ、是をきき給けむ三人の人々のしんぢゆういかばかりなむけむ。あまりにおもふことなれば、なほ夢やらむとぞ思われける。三人一所になみゐられたり。少将のもとへは、宰相さまざまにおくり給へり。康頼が
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かたへは、つまがかたより事づてあり。俊寛僧都がもとへはひとくだりのふみもなかりければ、その時ぞ、「都にわがゆかりの者一人もあとをとどめずなりにけるよ」と、心えられにける。心うくかなしき事かぎりなし。さて俊寛ほうしよをひらきてみ給へば、「ちゆうぐうごさんのおんいのりのために、ひじやうのだいしやおこなはるるによつて、なりつね、やすより、きさんすべし」とは有けれども、俊寛はもれにけり。僧都是をみて、あきれまどひて、つやつや物もおぼへず。もしひがよみかとて、又みれども、「俊寛」といふ文字はなし。又みれども、「二人」とこそはかかれたれ、「三人」とはかかれず。夢にこそかかる事はみゆれ。夢かと思なさむとすればうつつなり。うつつと思へば又夢の如し。このふみをひろげつまきつ、ちたびももたびをきつとりつして、ふしまろびて、をめきさけびて、かなしみの涙をぞながしける。「三人おなじつみにて、ひとところへはなたれぬ。
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今しやめんの時、二人はゆるされて、俊寛一人もるべしとはおもはぬ物をや」とて、てんにあふぎちにふして、又をめきさけぶ。このしまへながされし時のなげきを今のおもひにくらぶれば、事のかずならざりけり。とどめらるる事をおもふに、いかにすべしともおぼへず。なくなくほうしよをとりて、「是はしゆひつのあやまりなり。さらでは俊寛をこの嶋へながし給へる事を、平家のおぼしめしわすれたるか」とて、又はじめの如くもだへこがれけるこそむざんなれ。二人のよろこび、一人のなげき、悦もなげきも事のきはめとぞみへし。少将、判官入道は、しほかぜのさたにもおよばず、いまひとときもとくこぎいでなむとて、いわうのつといふ所へうつりにけり。僧都あまりのかなしさにふなつまできたりて、二人の人にすこしもめをはなたず、少将の袖にとりつきても涙をながし、判官入道のたもとをひかへてもさけびけり。「としごろひごろはおのおのさておわしつれば、むかしものがたり
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をもして、都のこひしさをも、しまの心うさをも、申なぐさみてこそありつるに、うちすてられ奉りては、いちにちへんしもたへしのぶべきここちもせず。ゆるされなければ、みやこへはなかなかおもひもよらず。ただこの船にのせていでさせ給へ。そこのみくづともなりて、まぎれうせなむ。中々しんら、かうらいとかやのかたへもわたりゆかば、おもひたえてもあるべきに、俊寛一人のこりとどまりて、しまのすもりとならむ事こそかなしけれ」とて、又をめきさけびければ、少将なくなくのたまひけるは、「誠にさこそおぼしめされさうらふらめ。成経がのぼるうれしさはさる事なれども、おんありさまをみおきたてまつるに、さらにゆくべきそらもおぼえず。御心のうち、みなおしはかりてさうらへども、都の御使もかなふまじき由を申す上、三人ふなつをいでにけりときこへむ事もあしかりぬべし。なにとしても、かひなき命こそたいせつの事にて
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候へば、かつうは成経がみのうへにてもおぼしめししられ候へ。まかりくだりさうらひしすなはちは、ともかくもして、命をうしなはばやとこそぞんぜしかども、かひなき命の候へばこそ、かやうにうれしきおとづれをもまちえさうらひぬれば、このたびとどまらせ給てさうらふとも、またおのづからめしかへされさせたまひさうらふおんことも、などかさうらはざるべき。なりつねまかりのぼりさうらひなば、みにつみておもひしりまゐらせて候へば、宰相にもかつうはよきやうにまうしさうらふべし。いかさまにもおんみをなげてもよしなき御事なり。ただいかにもして今一度都のおとづれをもきかむとこそおぼしめされ候はめ。そのほどはひごろおわせしやうにおもひてまたせ給へ」と、かつうはなぐさめかつうはこしらえられければ、僧都へんじにおよばず、少将にめをみあはせて、「俊寛をばすておきたまひなむずるな。ただ俊寛をもぐしてのぼり給へ。ぐしてのぼりたる御とがめあらば、又もながさ
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れ候へかし」なむど、さまざまにくどかれけれども、「これほどにつみふかくてのこしとどめらるる程の人を、ゆるされもなきにぐしのぼりなば、まさるとがにもこそあたれ」とおもはれければ、「誠にさこそおぼしめさるらめ」とばかりにて、少将は、「かたみにも御覧ぜよ」とて、よるのふすまををかれけり。判官入道のわすれがたみには、ほんぞんぢきやうをぞとどめける。「誠の花の春、さくらがりして、しがの山をこへ、よしののおくへたづねいるひとも、皆風にさそわるるならひあれば、ちりぬるのちはこのもとををしみて、岩のまくらによをあかす事もなく、いへぢへいそぎ、つきの秋、めいげつをたづねて、すまあかしへうらづたひする人も、又山のはにかたぶくためしあれば、いりぬるあとをしたひて、あまのとまやにやどりもやらず、すぎこしあとをたづねけり。こひぢにまよふ人だにもわがみにまさる物やある」と、たがひにいひかよはしつつ、少将も入道もいそぐ心をなさけな
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き。みちゆくひとのひとむらさめのこのもと、おなじながれをわたるともだにも、すぎわかるるなごりはなほをしくこそおぼゆるに、まして僧都のこころのうち、おもひやられてむざんなり。さる程にじゆんぷうよかりければ、僧都のもだへこがれけるひまに、やわらともづなをときてこぎいでむとするに、僧都おもひにたへずして、御使にむかひててをすり、「ぐしておわせよや、ぐしておわせよや」とをめかれければ、「人のみにわがみをばかへぬ事にて、ちからおよばず」と、なさけなくこたへければ、僧都あまりのかなしさに、船のともへにはしりまわり、のりてはをり、おりてはのり、あらましをせられけるありさま、めもあてられずぞおぼえける。しだいに船をおしいだせば、僧都ともづなにとりつきて、たけのたつところまではひかれてゆく。そこしもとほあさにて、いちにちやうばかりゆきたりけれども、みちくるしほ、たちかへりてくちへいりければ、ともづなにわきうちかけて、「さて俊寛をばすておきたまひぬるな」とて、又
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声もおしまずよばひたまひけれども、少将もいかにすべしともおぼえず、もろともにぞなかれける。僧都なをも心の有けるやらむ、とかくしてなみにもおぼれず、いそにかへりあがりて、なぎさにひれふして、をさなきもののめのとや母にすてられて、みちをしたふやうに、はまにあしをすりて、「少将殿、判官入道殿や」と、をめきさけびけるは、「父よ母よ」とよぶににたりけり。をめきさけぶ声のはるかに波をわけてきこへければ、誠にさこそおもふらめと、少将も康頼も、ともになみだを流して、つやつやゆくそらもなかりけり。こぎゆくふねのあとのしらなみ、さこそうらやましくおぼされけめ。いまだこぎかくれぬ船なれども、涙にくれてこぎきへぬとみへければ、岩の上にのぼりて船をまねきけるは、まつらさよひめが、もろこしぶねをしたひつつ、ひれふりけるにことならず。よしなき少将のなさけのことばをたのみて、そのせにみをもなげられ
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ざりけるこそ、せめてのつみのむくいとはみえしか。ひすでにくれにけれども、あやしのふしどへもたちかへるべき空もおぼへず。又なぎさにたふれふして、おきのかたをまぼらへつつ、つゆにしほぬれ波にあしうちあらはせて、かしらをたたき胸をうちて、ちの涙をながして、よもすがらなきあかされければ、そでは涙にしほれ、すそは波にぞぬれにける。少将、なさけもふかく、物のあはれをもしりたる人なれば、「かかるむざんなる事こそありしか」なむど申されば、もしくつろぐ事もやと、たのみをかけて、べうべうたるいそをまはりて命をたすけ、まんまんたるうみをまもりて心をなぐさめて、あかしくらしたまひければ、昔、さうり、そくりがなんかいのぜつたうにはなたれたりけむも、是にはすぎじとぞおぼえし。それは兄弟二人ありければ、なぐさむかたも有けむ。この僧都のかなしみは、わきまへやるべきかたもなし。少将は九月なかばすぎてしまを
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こぎいでて、風をしのぎ波をわけ、うらづたひしまづたひして、廿三日といふにはくこくのちへつきにけり。やがて都へのぼらむといそがれけれども、冬にもなりにければ、船のゆきかふ事もなかりける上、へいざいしやうのもとよりかさねてつかひくだりて申けるは、「きよねんよりかのしまにおわして、さだめてみもつかれそんじ、やまひもつきたまひぬらむ。さむき空にはるばるとのぼり給はば、のぼりもつきたまはで、みちにてあやまちもいできなむず。ひぜんのくにかせのしやうといふ所は、あまきのしやうともなづけたり。かのところはのりもりがしよりやうなり。このふゆはかのしやうにおはして、おんみをもいたはりて、みやうしゆんかぜやはらかになつて、のどかにのぼり給へ」といひつかはしたりければ、そのふゆはかのしやうにてゆあみなむどして、たよりの風をぞまたれける。さるほどに、としもすでにくれにけり。
六 八月六日、がくしやう、ぎきやうしらうをたいしやうぐんとして、だうじゆがばうじや十
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三うきりはらひて、そこばくのしざい、ざふもつをついふくして、がくしやう、大納言がをかにじやうくわくをかまへてたてごもる。八日、だうじゆとうざんして、とうやうばうにじやうくわくをかまへて、大納言のをかのじやうにたてごもるところのがくしやうとかつせんす。だうじゆ八人しころをかたぶけて、じやうのきどぐちへせめよせたりけるを、がくしやう、ぎきやうしらうをはじめとして、六人うちいでて、ひとときばかりうちたたかひける程に、八人のだうじゆひきしりぞきけるを、ぎきやう四郎うちしかりて、ながおひをしける程に、かへしあはせてまたうちくむところに、ぎきやう四郎、なぎなたのえをひるまきのもとよりうちをられにけり。こしがなたをぬきてはねてかかりけるが、いかがしたりけむ、くびをうちおとされぬ。たいしやうぐんとたのみたる四郎うたれにける上は、がくしやうやがておちにけり。十日、だうじゆとうやうばうをひきて、あふみのくにさんがしやうにげかうして、こくちゆうのあくたうをかたらひ、あま
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たのせいをいんぞつして、がくしやうをほろぼさむとす。だうじゆにかたらはるる所のあくたうとまうすは、ふるぬすびと、ふるがうだう、さんぞく、かいぞくとうなり。としごろ、たくはへもちたるべいこくふけんのたぐひをほどこしあたへければ、たうごくにもかぎらず、たこくよりもききつたへて、つのくに、かはち、やまと、やましろのぶようのともがら、うんかのごとくにあつまりけりときこえしほどに、九月はつかのひ、だうしゆ、あまたのせいをあひぐしてとうざんして、さういざかにじやうくわくをかまへてたてごもる。がくしやうふじつにおしよせたりけれども、さんざんとうちおとされぬ。やすからぬ事におもひて、あかりをかりけれどもかひなし。だいしゆ、くげにそうもんし、ぶけにふれうつたへけるは、、「だうしゆら、ししゆのめいをそむきてあくぎやうをくはたつるあひだ、しゆといましめをくはふる処に、しよこくのあくとをあひかたらひて、さんもんにはつかうして、かつせんすでにたびたびにおよぶ。がくりよおほくうたれて、ぶつぽふたちまちにうせなむとす。はやくくわんびやうをさしそへられて、ついたうせらるべし」と申ければ、ゐんより大政入道におほせ
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らる。入道のけにん、きいのくにのぢゆうにんゆあさのごんのかみむねしげをたいしやうぐんとして、大衆三千人、くわんびやう二千よき、つがふ五千よきのぐんびやうをさしつかはす。つくしのひと、ならびにいづみ、きいのくに、いが、いせ、つのくに、かはちのかりむしや也。しかるべきものはなかりけり。十月四日、がくしやう、くわんびやうをたまはりて、さういざかのじやうへよす。今度はさりともとおもひけるに、しゆとはくわんびやうをすすめむとす、官兵は衆徒をさきだてむとおもひけり。かくのごとくのあひだ、こころごころにして、はかばかしくせめよする者もなし。だうじゆはしふしんふかく、おもてもふらずたたかひける上に、かたらふところのあくたうら、よくしんしじやうにしてししやうふちなるやつばらの、おのおのわれひとりとたたかひければ、くわんびやうもがくしやうもさんざんにうちおとされて、せんぢやうにてしぬるもの二千よにん、ておひはかずをしらずとぞきこへし。五日、がくしやう一人ものこらずげらくして、あしこここにきしゆくしつつ、
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いきつぎゐたり。かかりける間、さんじやうにはたにだにのかうえんもことごとくだんぜつし、だうだうのぎやうぼふもみなたいてんしぬ。しゆがくの窓をとぢて、ざぜんのとこもむなしくせり。ぎきやうしらう、じんにんがいつしやうをあふりうしてちぎやうすとも、あながちにいかばかりのしよとくかあらむずるに、つるがのなかやまにてはぢをみるのみにあらず、とりかへなき命をうしなひ、さんもんのめつばう、てうかのおんだいじにおよびぬる事こそあさましけれ。人はよくよくしりよあるべき物かなとぞおぼゆる。とんよくは必ずみをはむといへり。ふかくつつしむべし。十一月五日、がくしやう、しやうざくわんげん、ゐぎしさいめいらを大将軍として、だうじゆがたてごもるところのさういざかのじやうへおしよせてせめたたかふ。しかれどもがくしやうよにいりて、おひかへされて、しはうににげうせぬ。がくしやうのかたにうたるる者百よにん、あさましかりし事共也。そののちはさんもんいよいよあれはてて、さいたふのぜんじゆのほかはしぢゆうのそうりよまれなり
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けり。たうざんさうさうよりこのかた、いまだかくのごとくのことなし。よの末は、あくはつよくぜんはよわくなれば、ぎやうにんはつよくして、ちしやのはかりこともかしこかりしは、皆ちりぢりにゆきわかれて、人なき山になりにけり。ちゆうだうのしゆみなうせにけり。さんびやくよさいのほふとう、かかぐる人もなし。ろくじふだんのかうのけぶりもたえやしぬらむ。だうじやたかくそびへて、さんぢゆうのかまへをせいけいの雲にさしはさみ、とうりやうはるかにひいでて、しめんのたるきをはくろのあひだにかけたりき。されども今はくぶつをみねのあらしにまかせ、きんようをむなしきれきにうるをす。よるのつき、ともしびをかかげてのきのひまよりもり、あかつきのつゆ、たまをつらぬいて、れんざのよそほひをそふ。あはれなるかな、がくと、むかしはいわうのじひのむろにすみ、しゆがくをいとなむといへども、いまはようふじゆけふのいへにゐて、ひとへにうれひのなみだにをぼる。すいまいのしはんは者、きうぢやうにたえずしてつかれにのぞみ、えうちのすい
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はつは者、けいせつをもてあそばずしてやみにまよふ。げんぜのぶつぽふすでにめつす。しやうらいのえみやういかがつがむ。かかりければ、ぶつぜんにまうづるそうりよもなし、しやだんにはいするしやじもなし。それまつだいのぞくにいたりては、さんごくの仏法もしだいにもつてすいびせり。とほくてんぢくのぶつせきをとぶらへば、むかし仏のほふときたまひける、わしのおやまも、ちくりんしやうじやも、ぎつこどくをんも、ちゆうこよりはこらうやかんのすみかとなりはてぬ。ぎをんしやうじやの四十九院、なをのみのこしていしずえあり。びやくろちにはみづたえて、くさのみふかくおひしげり、たいぼんげじようのそとばのめいも、きりにくちてかたぶきぬ。しんだんの仏法もおなじくほろびにき。てんだいさん、ごだいさん、さうりんじ、ぎよくせんじも、このごろはぢゆうりよなきさまになりはてて、だいせうじようのほふもんははこのそこにぞくちにける。わがてうのぶつぽふも又おなじ。なんとのしちだいじも皆あれはてて、はつしゆうくしゆうもあとたえぬ。ゆが、ゆいしきのりやう
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ぶのほかはのこれるほふもんもなく、とうだい、こうぶくりやうじのほかはのこれる今はだうじやもなし。あたご、たかをの山も、昔はだうじやのきをきしりたりたりしかども、いちやのうちにあれにしかば、今はてんぐのすみかとなりたり。昔げんじやうさんざう、ぢやうぐわんさんねんのころ、ぶつぽふをひろめむとして、りうさそうれいをしのぎてぶつしやうこくへわたりたまひしに、しゆんしうかんしよいちじふしちねん、じもくけんもん一百三十八かこく、あるいは三百六十余の国々をみまはりたまひしに、だいじようるふの国、わづかに十五かこくぞ有ける。さしもひろきぐわつしのさかひにだにも、ぶつぽふるふの所はありがたかりけるぞかし。それも今はこらうのふしどとなりはてぬ。さればやらむ、やむごとなかりつるてんだいのぶつぽふも、ぢしようの今にあたりてほろびはてぬるにやと、こころあるきわの人、かなしまずといふ事なし。りさんしけるそうの、ちゆうだうのはしらにかきつけけるとかや。
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いのりこしわがたつそまのひきかへて人なきみねとなりやはてなむ K052
でんげうだいしたうざんさうさうの昔、あのくたらさんみやくさんぼだいのほとけたちと、いのりまうさせたまひける事をおもひいだし、よみたりけるにやと、いとうるはしくこそきこへしか。みやのおんでし、ほつしやうじどののおんこ、てんざいざすじゑんだいそうじやう、そのときほふいんにておわしけるが、人しれずこのことをかなしみて、雪のふりたりけるあした、そんゑんあじやりがもとへつかはされける。
いとどしく昔のあとやたえなむとおもふも悲しけさのしらゆき K053
そんゑんあじやりがへんじ。
君がなぞなをあらはれむふる雪の昔のあとはたえはてぬとも K054
だうじゆと申はがくしやうのしよじゆうにて、あしだ、しりきれなむどとるわらはべの、ほふしになりたる、
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ちゆうげんぼふしどもなり。かしあげ、しゆつこしつつ、きりもの、よせもののさたして、とくつき、けさころもきよげになして、ぎやうにんとて、はてにはくがうをつきて、がくしやうをも物ともせず、おほゆやにもさるのときはだうじゆとこそさだめられたりけるに、むまのときよりおりてがくしやうのうしろにゐて、指をさしてわらひければ、かくやは有べきとて、学生ども是をとがめければ、だうじゆ、「われらがなからむ山は山にても有まじ。学生とて、ともすれば、ききもしらず、ろんぎといふはなむぞ、あなをかし」なむどぞいひける。ちかごろ、こんがうじゆゐんのざす、がくしんごんのそうじやうぢさんの時より、さんたふにけつばんして、げしゆとて、仏に花をたてまつりしともがらなり。
七 またさんぬる三月廿四日、しなのぜんくわうじえんしやうのよし、そのきこへあり。このによらいとまうすは、むかしちゆうてんぢくびしやりこくにごしゆのあくびやうおこりて、じんそ多くばうぜしに、
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ぐわつかいちやうじやがきせいによりて、りゆうぐうじやうよりえんぶだんごんをえて、しやくそん、あなんちやうじや、心をひとつにして、うつしあらはし給へりしいつちやくしゆはんのみだのさんぞん、えんぶだいいちのれいざう也。ぶつめつどののち、てんぢくにとどまりまします事ごひやくさい、ぶつぽふとうぜんのことわりにて、はくさいこくへわたりましましていつせんざいののち、きんめいてんわうのぎようにほんてうにわたりましましき。そののちすいこてんわうのぎようにおよびて、しなののくにみづうのこほり、わかをうみのまひとほんだのよしみつ、これをあんぢしたてまつりてよりこのかた五百八十よさい、えんしやうのれい、これぞはじめときこへし。わうぼふかたぶかむときはぶつぽふまづほろぶといへり。さればにや、かやうにさしもやむごとなきれいじれいさんの多くほろびぬるは、王法の末にのぞめるずいさうにやとぞなげきあへる。
八 十一月十二日、とらのときばかりより、ちゆうぐうごさんのけ渡らせおわしますとて、
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てんがののしるめる。きよぐわつ廿七八日のころより、時々そのけわたらせおわしましけれども、とりたてたるおんことはなかりけるほどに、このあかつきよりはひまなくとりしきらせ給へり。平家の一門はまうすにおよばず、くわんばくどのをはじめたてまつりて、くぎやう、てんじやうびとはせまゐらる。法皇はにしおもてのこもんよりごかうなる。ごげんじやにはばうかく、しやううんりやうそうじやう、しゆんげうほふいん、がうぜん、じつぜんりやうそうづ、このうへ法皇もいのりまうさせたまひけるにや。内大臣はぜんあくにつけていとさわがぬ人にて、すこしひたけて、きんだちあまたひきぐして、参り給へり。とどろかにぞみへ給ける。ごんのすけぜうしやうこれもり、させうしやうきよつね、ゑちぜんのせうしやうすけもりなむどやりつづけさせて、御馬十二ひき、おんつるぎ七こし、おんぞ十二両、くわうかいにいれて、あいひぐして参り給へり。きらきらしくぞみへ給ける。にようゐん、きさいのみやの御祈に、時にのぞみて
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だいしやおこなはるること、せんれいなり。かつうはだいぢ二年九月十一日、たいけんもんゐんのごさん法皇御誕生時なり、だいしやおこなはれき。そのれいとてぢゆうくわの者十三人くわんいうせらるる。だいりよりはおんつかひひまなし。うちゆうじやうみちちかのあつそん、さちゆうじやうやすみちのあつそん、させうしやうたかふさのあつそん、うゑもんのごんのすけつねなかのあつそん、くらんどどころのしゆう、たきぐちら二三度づつはせまゐりたまふ。しようりやくぐわんねんにはれうの御馬をたまはりて、これにのる。今度はそのぎなし。てんじやうびとおのおのくるまにて参る。ところのしゆうなむどぞきばにてはありける。はちまん、かも、ひよし、かすが、きたの、ひらの、おほはらのなむどへかうけいあるべきよし、ごぐわんをたてらる。けいびやくはごだんのほふのがうざんぜのだんのだいあじやり、ぜんげんほふいんとぞきこへし。又神社にはいはしみづ、かもをはじめたてまつりて、きたの、ひらの、いなり、ぎをん、いまにしのみや、とうくわうじにいたるまで四十一かしよ、ぶつじにはとうだいじ、こうぶくじ、えんりやく、
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をんじやう、くわうりゆう、ゑんしゆうじにいたるまで、七十四かしよのみどきやうあり。じんめをひかるること、だいじんぐういはしみづをはじめたてまつりて、いつくしまにいたるまで、廿三しや也。ないだいじんの御馬をまゐらせらるることはしかるべし。きさいのみやのおんせうとにておわします上、ふしのおんちぎりなれば、かつうはくわんこうにしやうとうもんゐんごさんの時、みだうのくわんばくじんめを奉らる。そのれいにあひかなへり。「又ごでうのだいなごんくにつなのきやう、じんめをにひきまゐらせらる。しかるべからず」と、人々かたぶきあへり。「こころざしのいたりか、とくのあまりか」とぞ申ける。にんわじのしゆかくほふしんわうはくじやくきやうのみしゆほふ、やまのざすかくくわいほふしんわうはしちぶつやくしのほふ、てらのちやうりゑんけいほふしんわうはこんがうどうじのほふ、このほか、ごだいこくうざう、ろくくわんおん、いちじきんりん、ごだんのほふ、ろくじかりん、はちじもんじゆ、ふげんえんめい、だいしじやうくわうにいたるまで、のこるところもなかりき。
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ぶつしのほふいんめされて、ごとうじんのしちぶつやくし、ならびにごだいそんのざうをつくりはじめらる。みどきやうのぎよけんぎよい、しよじしよしやへたてまつらせたまふ。御使、みやのさぶらひの中にうくわんのともがら、これをつとむ。ひやうもんのかりぎぬにたいけんしたるものどもの、東のたいよりなんていに渡りて、にしのちゆうもんをもちつづきていづ。ゆゆしきみものにてぞ有ける。しやうこく、にゐどのはつやつや物もおぼえたまはず。あまりの事にや、ものまうしければ、ともかくもとて、あきれてぞおわしける。「さりともいくさのぢんならば、かくしもはおくせじ物を」とぞ、のちには入道のたまひける。しんだいなごん、さいくわうほふしていのおんもののけさまざまにまうすむねどもありて、ごさんとみになりやらず。はるかにじこくうつりければ、ごげんじやたち、めんめんかくかくにそうぎやのくどもをあげて、ほんじほんざんのさんぼう、ねんらいしよぢのほんぞん、せめふせたてまつる。おのおのくろけぶりをたててこゑごゑにもみふせらるる
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けしき、心のうちどもおしはかられて、「いづれもいづれも誠にさこそは」とおぼえてたつとき中に、法皇の御声のいでたりけるこそ、いまひときはことかはりて、みなひとみのけいよだちて涙をながしける。をりどくるふよりましのばくどもも少しうちしめりたり。そのとき法皇みちやう近くゐよらせおわしまして、おほせの有けるは、「いかなるあくりやうなりとも、このおいぼふしかくてさうらわむには、いかでかちかづきたてまつるべき。いかにいはむや、あらはるる所のをんりやうども、皆まろがてうおんによりて、人となりしともがらにはあらずや。たとひほうしやの心をこそぞんぜざらめ、あにしやうげをなさむや。そのことしかるべからず。すみやかにまかりしりぞき候へ」とて、によにんうまれがたからんさんのときにのぞみて、じやましやしやうくしのびがたからんにも、こころをいたしてしやうじゆせばだいひじゆを、きじんたいさんしてあんらくにうまれむ」とて、ごねんじゆをさらさらとおしもませおわしましければ、ごさんやすやすとなりにけり。とうのちゆうじやうしげひらのあつそんは、ちゆうぐうのすけにて
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おわしけるが、ぎよれんのうちよりつといでて、「ごさんへいあん、わうじごたんじやう」と、たからかにまうされたりければ、入道、二位殿はあまりのうれしさに、声をあげててをあはせてぞなかれける。なかなかいまいましくぞおぼえし。くわんばくてんが、だいじやうだいじん、さだいじんいげ、くぎやうてんじやうびと、もろもろのみしゆほふのだいあざり、じよしゆ、すはいのごげんじや、おんやうのかみ、てんやくのかみよりはじめて、みちみちのものども、たうしやうたうかの人々、いちだうにあとよろこびける声、どよみにてぞ有ける。しばしはしづまりやらざりけり。内大臣は、「てんをもつてちちとせよ、ちをもつてははとせよ」といはひ奉て、きんせんくじふくもんおんまくらにおきて、やがてをとど、おんほぞのををきりたてまつり給ふ。こけんしゆんもんゐんのおんいもうと、あのおんかたいだき奉らせ給。さゑもんのかみときただのきやうの北方、とうゐんどの、おんめのとにつきまゐらせたまひにけり。ゐごてのぜにいだされたり。べんのゆげのすけがかけ物にて是を
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うつ。是又れいあることにや。法皇はいまぐまののごさんけいあるべきにて、いそぎいでさせ給て、おんくるまをもんぐわいにたてらる。にようごきさきのごさんは常の事なれども、だいじやうほふわうのごげんじやはきたいのれいか。ぜんだいもきかず、こうたいにもありがたかるべし。是はたうだいの后にて渡らせ給へば、法皇のおんこころざしも浅からぬ上に、なほし太政入道をおもくおぼしめさるるゆゑなり。「ただしこのことかろがろしきににたり。しかるべからず」とまうす人々も有き。「およそはかろがろしきおんふるまひをば、こにようゐんうけぬ御事に申させおわしましければ、法皇もはばかりおぼしめしけり。今もにようゐんだにもわたらせ給はましかば、まうしとどめまゐらせたまひなまし」と、事のまぎれに、ふるきにようばうたちささやきあひ給へり。そのうへ、しやきんいつせんりやう、ふじのわたせんりやうを、ごげんじやのろくに、法皇にまゐらせられたりけるこそ、いよいよきいのちんじにてありけれ。
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このおくりぶみを法皇御覧じて、「にふだうげんじやしてもすぎつべきよな」とぞおほせられける。おんやうのかみやすちかいげ、多くまゐりあつまられたりければ、みうらさまざま有けるに、あるいは「ゐねのとき」なむどうらなひまうすもあり、あるいは「わうぢよ」とまうすもありけるに、やすちかのあつそんばかりぞ、「ごさんただいまなり。わうじにてわたらせ給べし」と、うらなひまうしたりける。そのことばいまだをわらざるに、ごさんなりにけり。さすのみこと申けるもことわりなり。こんどのごさんにさまざまのことども有ける中に、めでたかりける事は、だいじやうほふわうのおんかぢ、有がたかりける御事也。むかしそめどののきさきとまうししは、せいわのこくぼにて、いちてんがをなびかし給へりし程に、こんじやうきといふおんもののけにとりこめられて、よのなかの人にもさがなくいわれさせたまふことはべりけり。ちしようだいしの御時にておわしましければ、さまざまにかぢせられけれども、かなはずしてやみたまひにけるに、今の
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法皇のごげんじやにおんもののけのきげんのこと、かへすがへすめでたくぞおぼへし。又さんでうのゐんの、うぢどのよりみちをおんむこにとらむとせさせおわしましけるに、おんやまひつきて、だいじになり給て、げんじやにはしんよそうづ、めいそんあじやり、おんやうじにはかものみつよし、あべのよしひらなむどをめして、こゑをあげてののしりけれども、只よはりによはらせましまして、ひきいらせたまひけるを、みだうのくわんばくみちながこうのおわしまして、「につぽんごくにほつけきやうのこれほどにひろまらせ給ふはわがちから也。このたびわがこの命いけさせ給へ」とて、なみだをながしてじゆりやうほんをいちまいばかりよみたまひければ、おんしうとのともひらしんわう、物のけにあらわれたまひて、「この悲しさはたれも同じ事にてこそあれ。わがこに物を思わせむことの悲しければ、つきたてまつりたれども、ほつけきやうにかたさりたてまつりてかへりはべりぬ」とのたまひて、おんやまひやみにけり。
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かかる事をおもふには、法皇におんもののけのおそれたてまつりけるもことはり也。又思わずなりける事は、太政入道のあきれて物もしりたまはざりける事。いうにやさしかりける事は、こまつのおとどのおんふるまひ。ほいなかりける事は、うだいしやうのろうきよ。しゆつし給はましかば、いかにめでたからまし。あやしかりつる事は、こしきがたを姫宮のごたんじやうのときのやうに、北のおつぼのなかへまろばかして、又とりあげて、南へおとしたりつる事。をかしかりける事は、さきのおんやうのかみあべのときはれがせんどのみはらひつとめけるが、あるところのめんらうにてかぶりをつきをとして有けるが、あまりにあはてて、それをもしらで、そくたいただしくしたる者がはなちもとどりにて、さばかりただしきごぜんへねりいでたりけるけしき。かばかりのだいじの中に、くぎやう、てんじやうびと、北面のともがら、けんぶつのしよ
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しゆう、皆ことごとくはらをきりたまへり。たへずしてかんじよへにげいる人もありけり。九 ごさんのあひだにまゐりたまふ人々、まづはくわんばくまつどの、太政大臣めうおんゐんもろなが、左大臣おほいのみかどどの経宗、右大臣つきのわどのかねざね、右大臣小松殿重盛、さだいしやうさねさだ、げんだいなごんさだふさ、さんでうのだいなごんさねふさ、つちみかどのだいなごんくにつな、なかのみかどのちゆうなごんむねいへ、あんざつしすけかた、くわさんのゐんのちゆうなごんかねまさ、さゑもんのかみときただ、中納言すけなが、べつたうただちか、さひやうゑのかみしげのり、うひやうゑのかみよりもり、げんちゆうなごんまさより、ごんちゆうなごんさねつな、くわうだいこうくうのだいぶともふさ、へいざいしやうのりもり、さのさいしやうのちゆうじやうさねいへ、ろくかくのさいしやうちゆうじやうさねもり、うだいべんながかた、さだいべんとしつね、さきやうのだいぶながのり、ださいのだいにちかのぶ、ぼだいゐんのさんゐのちゆう
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じやうきんひら、しんざんゐのちゆうじやうさねきよ、いじやう三十三人。うだいべんながかたのほかはなほしなり。ふさんのひとびと、さきのだいじやうだいじんただまさ〈 花山院近年しゆつしなし 〉、さきのだいなごんさねなが〈 近年しゆつしせずほういをちやくし、入道宿所にむかはる。 〉、おほみやのだいなごんたかすゑ〈 第一娘、三位中将兼房卿室、さんによつて去七日、ことあり。よつて不吉例とぞんぜらるるゆゑか。 〉、うだいしやうむねもり〈 去七月室家逝去後、出仕せられず。彼所労時、大納言并大将じせらる。 〉、さきのぢぶきやうみつたか、さのさんゐのちゆうじやうかねふさ、うのにゐのちゆうじやうもとみち、くないきやうながのり、しちでうのしゆりのだいぶのぶたか〈 所労 〉、とうぐうのごんのだいぶあさもり〈 所労 〉、しんざんゐたかすけ、さのさんゐのちゆうじやうたかただいじやう十三人、こしやうによつてふさんとぞきこへし。
十 みしゆほふのけちぐわんしてけんじやうおこなはる。にんわじのほふしんわうはくげのごさたにてとうじしゆざうせらるべし。ごしちにちのみしゆほふ、だいげんのほふ、ならびにくわんぢやうこうぎやうせらるべきよし、せんげせらるるうへ、おんでしのほふいんかくじやうをもつてごんのだいそうづににんぜらる。ざ
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すのみやはにほん、ならびにぎつしやのせんじを申させおわしましけるを、にんわじのほふしんわうささへまうさせたまひけるによつて、しばらくおんでしのほふげんゑんりやうをもつてほふいんにじよせらる。このりやうじ、くらんどのとうくわうたいこうくうごんのだいぶみつよしのあつそんうけたまはりて、是をおほす。だいごのしやうぼうそうじやうのよりう、ごんのせうそうづじつけいは、じゆんでいのほふ、ごわうのかぢをつとめて、だいそうづににんず。このほかのけんじやうども、もうきよにいとまあらず。うだいしやうむねもりのきたのかた、おんおびをまゐらせられたりしかば、おんめのとにておわしますべかりしかども、さんぬる七月にうせたまひにしかば、さゑもんのかみときただのきやうのきたのかた、とうゐんどの、おんめのとにさだまりぬ。このきたのかたと申はこなかやまのちゆうなごんあきときのきやうのおんむすめなり。もとはけんしゆんもんゐんにさうらわれき。わうじじゆぜんののちはないしのすけになりたまひて、そつのすけどのとぞ申ける。中宮はひかずへにければ、うちへまゐりたまひぬ。
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十一 十二月八日、わうじしんわうの宣旨をくださる。十五日、わうじくわうたいしにたたせ給ふ。十四日、しんふにはこまつのないだいじん、たいふにはうだいしやうむねもりのきやう、ごんのたいふにはときただのきやうぞなられける。いみじかりしことどもなり。建礼門院きさきにたたせ給ひしかば、いかにもしてわうじたんじやうあつて、位につけ奉り、ぐわいそぶにていよいよ世をてににぎらむと思われければ、入道、二位殿、ひよしのやしろに百日のひまうでをして、いのりまうされけれども、それもしるしなかりけるほどに、さりともなどかわがいのりまうさむにかなわざるべきとて、ことにたのみまゐらせられたる、あきのくにのいちのみや、いつくしまのやしろへつきまうでをはじめていのりまうされけるに、さんかげつが内に中宮ただならずならせたまひて、れいのげんぢゆうの事共有けるとかや。誠によよのこうぐうあまたわたらせおわしましけれども、わうじたんじやうのれい、まれなる事也。きさいばらのわうじはもつともあらまほしき御事なるべし。
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十二 しらかはのゐんのございゐの時、ろくでうの右大臣あきふさのおんむすめを、きやうごくのおほとののいうしにしまひらせさせたまひてじゆだいありしをば、くわうごうぐうけんしの中宮と申しき。そのはらにわうじごたんじやうあらまほしくおぼしめされて、みゐでらのじつざうばうのあじやりらいがうときこえしうげんのそうをめして、わうじたんじやうをいのりまうさせ給ふ。「ごぐわんじやうじゆせばけんじやうはこふによるべし」と、おほせくだされたりければ、頼豪、「かしこまりてうけたまはりぬ」とて、かんたんをくだきてきねんまうしける程に、かひがひしく中宮ごくわいにんあつて、しようほう元年十二月十六日、おぼしめすさまにわうじごたんじやうありしかば、しゆしやうことにえいかんあつて、頼豪をめして、「王子誕生のけんじやうには何事をまうしうけむぞ」とおほせの有ければ、頼豪、「べちのしよまう候わず。みゐでらにかいだんをたてて、ねんらいのほんいをとげさうらわむ」と申ければ、しゆしやうおほせのありけ
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るは、「こはいかに。かかるけんじやうとやおぼしめされし。わがみにいつかいそうじやうをも申べきかなむどこそ、おぼしめされつるに、これわひぶんのしよまうなり。およそは王子誕生あつてそをつがしめむ事も、かいだいぶゐを思ふ故也。今なんぢがしよまうをたつせば、さんもんいきどほりて、せじやうしづかなるべからず。りやうもんのかつせんいできたりて、てんだいのぶつぽふたちまちにほろびてむず」とて、おんゆるされなかりければ、らいがうあくしんにぢゆうしたるけしきにて申けるは、「このことを申さむとてこそ、おいのなみのてうぼかんたんをばくだきさうらひつれ。かなひさうらふまじからむには、今はおもひじにこそさうらふなれ」とて、すいしやうのやうなる涙をはらはらと流して、なくなく三井寺へまかりかへりつつ、やがてぢぶつだうにたてごもりて、おんじきをだんず。しゆしやう是をきこしめしてしんきんやすからず、てうせいをおこたらせたまふにおよべり。おんなげきのあまりに、がうちゆうなごんまさふさのきやう、そのときみまさかのかみと申けるをめして、「らいがうが皇子誕生のけんじやうに、をんじやうじに
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かいだんこんりふの事をのぞみまうすを、おんゆるされなしとて、あくしんをおこしたるよしきこしめす。汝はしだんのちぎりふかかむなり。まかりむかひてこしらへなだめてむや」とおほせければ、やがてだいりより装束を改めず、そくたいただしくして、頼豪がしゆくばうにまかりむかひてみれば、ぢぶつだうのあかりしやうじ、ごまのけぶりにふすぼりて、なにとなくみのけいよだちておぼえけれども、せんじのおもむきをおほせふくめむとて、「かく」といひいれたりけれども、対面もせず。ぢぶつだうにたてごもりて、ねんじゆうちしてありけるが、ややひさしくありて、もつてのほかにふすぼりかへりたるまくのうちよりはいいでて、ぢぶつだうのしやうじをあららかにあけて、さしいでたるをみれば、よはひ九十いうよなる僧の、はくはつ長くおひて、めくぼくぼとおちいりて、かほのしやうたいもみへわかず、誠におそろしげなるけしきにて、しはがれたるこゑにて、「なにごとをかおほせらるべき。『てんしにけろんなし。りんげん
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あせのごとし』とこそうけたまわれ。これほどのしよまうかなひさうらふまじからむにをいては、いのりいだし奉て候わうじにをきては、ぐし奉て、只今まだうへまかりさうらひなむず」とばかりまうして、しやうじをひきたてていりにければ、まさふさのきやうちからおよばずしてかへられにけり。らいがうは七日と申けるに、ぢぶつだうにてつひにひじににしににけり。さしもやはとおぼしめしける程に、わうじ常はなやませ給ければ、いちじようじのおむろなむどいふちしようのもんじん、たつときそうどもをめしてかぢありけれどもかなはず。しようりやく元年八月六日、わうじしさいにてつひにうせさせたまひにけり。あつふんのしんわうこれなり。しゆしやうことになげきおぼしめして、さいきやうのざす、りやうしんだいそうづ、そのときゑんゆうばうのだいそうづとまうして、山門にはやむごとなき人なりけるをめして、このことをなげきおほせられければ、「いつもわがやまのおんちからにてこそ、かやうのごぐわんはじやうじゆする事にて候へ。くでうのうしようじやう、じゑそうじやうにちぎりまうされしによつ
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てこそ、れんぜいのゐんのごたんじやうもありしか。なじかはごぐわんじやうじゆしましまさざるべき」とて、ほんざんへかへりのぼりて、りやうしよさんしやういわうぜんぜいにたねんなくきせいしまうされければ、おなじき三年七月九日、ごさんへいあん、わうじたんじやうありき。ほりかはのゐんのおんことこれなり。これよりざすはふたまのやきよにさうらわれけり。おぼしめすさまに、おうとく三年十一月廿六日、とうぐうにたたせたまひにけり。おんとしはつさい。おなじき十二月廿九日、ごそくゐ。くわんぢ三年正月廿日、おんとし十一歳にてごくはんぶくありき。されどもをそろしきことどもありて、ございゐ廿六年、かじよう二年七月十九日、おんとし廿九にて、法皇にさきだちまひらせて、ほうぎよなりにき。是もらいがうがをんりやうのいたす所とぞきこへし。さてらいがう、「山のささへにてこそわがしゆくぐわんはとげざりしか」とて、おほきなるねずみとなつて、山のしやうげうをくひそんじけるあひだ、「このね
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ずみを神といはふべし」とせんぎありければ、やしろをつくりて神にいはひてのち、かのねずみしづまりにけり。ひがしざかもとにねずみのほくらとまうすはすなはちこれなり。今も山には、おほきなるねずみをば、らいがうねずみとぞ申すなる。頼豪よしなきまうじふにひかれて、たねんのぎやうごふをすてて、ちくしゆのほうをかんじけるこそかなしけれ。よくつつしむべし、よくつつしむべし。かくてそのとしもくれぬ。
十三 ぢしよう三年しやうぐわつぐわんざんのぎしき、いつよりもはなやかにめでたかりき。誠にさこそありけめ。たんばのせうしやうは、正月はつかごろにかせのしやうをたちて、京へのぼり給ふ。都にまつ人も、いかに心もとなくおもふらむとて、いそがれけれども、よかんなをはげしくて、かいしやういたくあれければ、うらづたひしまづたひして、二月十日ごろにびぜんのくにこじまへこぎよせて、いそぎ船よりおりて、こだいなごんにふだうのおわしける所へたづねいりて
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とひたまひければ、こくじんまうしけるは、「はじめはこのしまにわたらせたまひさうらひしが、これはなほあしかりなむとて、是より北、びぜんびつちゆうりやうごくのさかひ、きびのなかやまとまうすところに、ありきのべつしよと申すやまでらのさうらふに、なんばのたらうとしさだと申者の、ふるやにわたらせ給とうけたまはりさうらひしが、はやむかしものがたりにならせたまひにき」と申ければ、少将、さぞかしと、いよいよかなしくおぼして、まづちちだいなごんのおわしける所をたちいりて見給へば、しばのいほり、たけのあみどをひきたてたりける、あさましきやまべなり。いはまをつたふ水の音かそかに、みねふきすさむ嵐はげしきをききたまふにつけても、いかばかりかはおもひにたえず、かなしくおわしけむと、袖もしぼりあへ給はず。それより又ふねにのりて、かのありきのべつしよへたづねいりてみ給へば、是又うたてげなるしづのやなり。かかる所にしばしもおわしける事よと、のちまでもいたわしくて、内にいりてみまはり給へば、
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ふるきしやうじにてならひしたる所やぶれのこりたり。「あはれ、是はこ大納言のかかれたるよ」とうちみたまふに、涙さとうきければ、少将顔に袖をおしあててたちのきて、「やや入道殿、それにかきたる物ごらんぜよ」とすすめ給へば、はんぐわんにふだうちかくよりてみれば、「前にはかいすいじやうじやうとして、つきしんによのひかりをうかべ、うしろにはがんしようしんしんとして、かぜじやうらくのひびきをそうす。さんぞんらいかうのぎたよりあり、くほんわうじやうののぞみたりぬべし。けいべんかまくちてほたるむなしくさりぬ。かんここけふかくしてとりもおどろかず。
かたみとはなに思けむなかなかにそでこそぬるれ水くきのあと K055
六月廿三日出家。おなじき廿七日のぶとしげかう」とぞかかれたりける。「こ入道殿のおんしゆせきとこそみまゐらせ候へ。はやごらんさうらへ」と、入道申されければ、
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少将又たちよりてこまかにみたまふに、誠にたがはず。さてこそげんざゑもんのじようがくだりたりけるよとしりたまひにけれ。信俊が都よりくだりたりける事を、あまりのうれさにや、常にゐられたりける所の西のしやうじに、そのひなみをわすれじとにや、かかれたまひけるとおぼえて、あはれなり。是をみ給けるにこそ、ごんぐじやうどの心もおわしけるにやと、かぎりなきおもひのなかにも、いささか心やすくはおぼしけれ。父のぞんじやうのふでのあと、ことしてのちにみたまひけむ事、あとはちとせもありぬべしとは是やらむとかなしくて、「さておんはかはいづくぞ」ととひたまへば、「このやのうしろのひとむらまつのもと」と申ければ、少将涙をおさへて、くさばをわけてたづねたまへば、つゆも涙もあらそひて、ぬれぬ所もなかりけり。そのしるしとみゆる事もなし。まことにたれかはたつべきなれば、そとばのかたちもみへず。只つちのすこしたかくて、やへのむぐらのひきふたぎ、こけふかく
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しげりたるばかりぞ、そのあとともおぼえける。少将そのまへにつひゐたまふより、袖を顔にをしあてて、涙にむせび給ふ。はんぐわんにふだうも是をみるに、あまりにかなしくて、すみぞめの袖もしぼりあへず。少将ややひさしくありて、涙をのごひて、「さてもびつちゆうのくにへながさるべしとうけたまはりさうらひしかば、渡らせ給ふ国ちかきやらむとうれしくて、あひみたてまつるべきにてはさうらはざりしかども、なにとなくたのもしくうれしくさうらひしにひきたがへて、さつまがたへながされさうらひてのち、かのしまにてこそはかなくならせたまひぬとばかり、とりなむどのおとづれてとほるやうに、かすかにうけたまはりさうらひしか。心のうちのかなしさはただをしはからせ給べし。ばんりのはたうをしのぎて、きかいのしまへながされにしのちは、いちにちへんしたえで有べしともおぼへさうらわざりしかども、遠きまもりとならせ給たりけるやらむ。ろめいきへやらで、みとせをまちくらして、ふたたび都へ帰り、さいしをみむ事はうれしかるべけれども、ながらへてわたらせ
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給わむをみたてまつらばこそ、かひなき命のあるしるしもさうらはめ。是まではいそがれつれども、これよりのちはゆくそらもあるべしともおぼえず」と、いきたる人に物をいふやうに、はかの前にてよもすがらなきたまひて、しげき涙のひまより、「まれに木をみるもかなしきまつかぜをこけの下にやたへずきくらむ」とえいじて、くどき給へども、はるかぜにそよぐまつのひびきばかりにて、ばうこんなればこたふる人もさらになし。としさりとしきたれども、ぶいくのむかしのおんをわすれがたし。ゆめのごとくまぼろしのごとくして、れんぼのいまのなみだをつくしがたし。かたちをもとむともみえず、ただたいていのきうこつをおもひやらる。こゑをたづぬともこたふるものなし。又いたづらにふむぼのまつかぜのみきくこそかなしけれ。「なりつねまゐりたりとききたまわむには、いかなるひの中、水のそこにおわすとも、などかひとことのおんぺんじなかるべき。たとひごふしんをかうぶりたりとも、いきておわしまさむには、そのたのみも有ぬべし。
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しやうをへだつるならひこそかなしけれ」とのたまひて、なくなくきうたいをうちはらひ、はかをつき、父のおんためにとて、みちすがらつくりもたせられたりけるそとばとりよせて、「しやうりやうけつぢやうしやうごくらく」といふもんの下に、「かうしなりつね」とじひつにかきたまふ。そのそとばのもとに、はんぐわんにふだういつしゆあり。
くちはてぬそのなばかりはありきにて昔がたりになりちかのさと K056
さて墓にたててくぎぬきしまわして、「又参らむとおもへども、参らぬ事もこそあれ」とて、墓の前にかりやつくりて、しちにちしちやふだんねんぶつまうして、「くわこしやうりやうじやうとうしやうがくとんしようぼだい」といのりたまふ。草のかげにてもいかにあはれとおもひたまふらむとて、さてもあるべきならねば、なくなくそんりやうにいとままうして、びぜんのくにをもこぎいでたまひにけり。こけのしたにもいかばかりなごりはをしくおぼされけむ。都のやうやくちかづくに
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つけても、あはれはつきせずぞおぼえし。
十四 二月廿六日、むねもりのきやうだいなごんだいしやうをじしまうさる。じやうへうにいはく、「しんむねもりまうす、きよねん十月三日、しんにさづくるに内大臣をもつてす。しんにたまはるにずいじんひやうぢやうをもつてす。かいへうたくますますあふれ、ちちういよいよおもし。しんきく、だいじんはしかいのしうせうなり。めいてつをえらびてにんずべし。あぐ愚のをるべきにあらず。ここをもつていむけいしとにのぼる。こかうをしき、はせいをととのう。かのうしようをつかさどる。すいとをたひらげ、しうぎんをわかつ。ここにすなはちげいさいある者は、まかするにてうじんをもつてすべからず。そうちある者は、せむるにたいせつをもつてすべからず。せうれうのびきんなり、いかでかすいてうのつばさをまなばむ。どたいのかぜうなり、はんかんのひづめをおひがたし。たとひやうせきりむのじゆむらうくとも、いづくんぞきよせむのえうたらむや。たとひじよなむゑむもむが
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ちりをつたふとも、たれかたいかのしといはむ。ふしてねがはくは、へいかこのたびやうのしよくをとぢて、かのせいちの人をもちゐよ。みぎのゑふをほんぶにかへし、しやうきのちゆうきんをいたさしめよ。へいえいのこころたへず。つつしみてもつてはいへういぶんす。しんむねもり。せいくわうせいきようとんしゆきんげん」とぞかかれたりける。今年卅三になりたまふ、ぢゆうやくのつつしみのためとぞきこへし。しかれども十二月二日、むねもりのきやうだいなごんだいしやうりやうくわんのじじやうをかへしたまわる。さんぬる二月にりやうくわんをじしまうしたりしかども、君もおんはばかりをなさせましまして、しんかにもさづけさせ給わず。しんもそのおそれをなしてのぞみまうされず。さんでうのだいなごんさねふさ、くわさんのゐんのちゆうなごんかねまさもあはれとはおもひたまひけれども、ことばをもいだし給はざりけるに、むねもりのきやう、右大将ならびに大納言になりかへりたまひたりければ、人々さればこそとおぼしめしたりけり。
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十五 三月十六日、少将いまだあかくとばにつきたまへり。こよひろくはらのしゆくしよへいそぎゆかばやとおぼしけれども、みとせがあひだ、あまりにやせおとろへたりつる有様を人々にみえん事も、さすがにはづかしくて、さいしやうのもとへふみにて、「是まではとかくしてつきてこそさうらへ。ひるはみぐるしくさうらふに、ふくる程に、ぎつしやたまはるべし」と申されたりければ、宰相のもとには、「少将のぼり給べきころも今は近くなりたるに、いかにおそきやらむ」とこころもとなさに、むろのひやうごに人をおきてぞまたれける。せうしやうどののおんふみとて、とばへつきたまへるよし、せいしきたりて申たりければ、宰相をはじめ奉て、たかきもいやしきもよろこび給へり。福原へめしくだされたまひし時のおんなげきの涙よりも、只今のぼり給ふよしききたまひけるうれさの御涙は、はるかにまさりたり。つぼねつぼねの女房、めのわらはべまでも、少将のおん
ふみをききては、「ひるはいかなぞや。かならずしもふけていらせ給べきや」とて、
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「みとせのあひだもさてこそおわせしに、くるる空もこころもとなくたちさわぎ、なほゆめのここちこそすれや」とて、こころもとなげにぞまうしあひける。しんだいなごんのしゆくしよは、都の内にもかぎらず、かたゐなかにもあまた有ける中に、とばのたなかのさんざう、てうばうよにすぐれて、りんけいすいしよくきようをまし、あはれをもよほすところなりければ、大納言ひさうして、すあまどのとなづけて、すみよしのすみのえをうつしてつくられたり。さんぬるおうほう二年十一月廿一日、ことはじめありて、同三年にざうひつあつて、廿一日とまうししに、法皇のごかうなる。大納言、めんぼくきはまりなしと思われければ、さまざまにもてなしまひらせて、法皇のおんひきでものに、はちえふのおんくるまを、いきたとてひさうせられたるおんうしにかけてまゐらせらる。そのほか、くぎやう、てんじやうびと、じやうほくめん、げほくめん、おんりきしや、とねり、うしかひにいたるまで、いろいろさまざまのひきでもの、いくらといふかずをしらず、
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せられたりければ、しよにんことごとくじぼくをおどろかしけり。そもくれにければ、よもすがらのごしゆえんありけるに、よふけひとしづまりてのち、ひとつのふしぎあり。法皇なんていを御覧じいだして渡らせたまひけるに、ごえんのはしに、よはひ八十いうよなるらうをう、はくはつをいただいて、たてえぼししりひきにきなして、すそはくずのはかまにさげをを、上はけんもんじやのかりぎぬのもつてのほかにすすけたる、たをやかにきて、ひざまづきてつまじやくとりて、かしこまりてゐたり。よの人はかかる人ありとも、みしりたるけしきもなし。法皇おんめをかけさせおはしまして、「あれはいかなる者ぞ」とおんたづねありければ、しわがれたるおいごゑにて、「これはすみよしのあたりにさうらふせうぜうにてさうらふが、君にうつたへまうすべき事さうらひて、おそれをかへりみずすいさんつかまつりて候なり。われ、としごろひさうしてあさゆふあいし候、すみよしに
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すみのえと申すところを、このていにうつされさうらひ候しあひだ、すみのえ、むげにあさまになりて、ないがしろになりはてさうらひなむとぞんじ候て、そのしさいをなげきまうしさうらわむとて、よひよりまゐりて、さうらひつれども、げんざんにいるる人も候はぬあひだ、よまさにあけんとしさうらふほどに、ぢきそうつかまつり候事は、おそれいりて候。せんずるところこのよしをよくよくおほせふくめらるべくや候らむ。かやうにまうしいれさうらわんをもしおんもちゐさうらわずは、常に参りかよひさうらわむずれば、そのうへはおんぱからひ」とて、南をさしてとびさりぬ。法皇、不思議かなとおぼしめされけれども、ごひろうにおよばず。その上ごすいらんの程なりければ、のちにはおぼしめしわすれさせたまひけるにや。大納言常にしゆくして、せんずいこだちおもしろき所なればとて、しやうくわうときどきごかうならせたまひて、さまざまのごいうえん有ければ、すみよしのれいへいなるにや、つぎのとしの夏のころをひ、すみよしの
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だいみやうじんのおんとがめとて、しやうくわう常におんなやみ渡らせおはしましければ、ごぞんめいのために御出家ありけりとぞきこへし。さればなりちかのきやうもかのみやうじんのおんたたりにて、いくほどなくしてびぜんのくにのはいしよへくだられける。そののちはかの所もあれはてて、今はやかんのすみかとぞみへし。すみよしの大明神のりやうぜさせおわしましけるとおぼしくて、ことさらにおそろしくぞおぼへし。さればたんばのせうしやうもみとせのあひだはいしよにおわせしかば、今すこしもいそぎ都へのぼりて、こひしき人々をみもし、又みへばやとは思われけれども、かのたなかのさんざうをば、ちちだいなごんずいぶんひさうして、わたくしにはすあまどのとなづけてつくりおかれたりしてい也とて、少将、かのすあまどのにさしいりてみ給へば、ついぢはあれどもををいなく、かどはあれどもとびらもなし。やかずはところどころのこりたれども、しとみやりどもなし。
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らもんみだれてちにおちて、からかきやぶれてつたしげれり。庭にはみるともおぼへぬちくさのみしげりて、「いとどふかくさのとやなりなむ」とえいぜし事を思ひて、「のとならばうづらとなりてなきをらむ」と、たれかいひけむと、あはれなり。ころはやよひのなかのむゆかの事なれば、春も既にくれなむとす。ひやくてんのみやのうぐひすの声も既においたり。やうばいたうりのいろいろもをりしりがをにさきたれども、えいぜし人も今はなし。やさんせんとうのみづのみなぎりをながむれば、しらなみをりかけて、しゑんはくをうせうえうす。きようぜし人のこひしさに、いとどあはれぞまさりける。なんろうのこむらには嵐のみをとづれて、夢をさます友となり、このまもるつきのそでにやどるも、なごりををしむかとおぼえたり。こずゑの花のおちのこりたりけるも、なほなごりありとみゆるに、などや父のなごりのなかるらむ。さて少将ばうをくへたちいりてみ給へば、「ここはつまどなりしかば、と
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こそいでたまひしか。かしこはやりどなりしかば、かうこそいりたまひしか」と、ひねもすになきくらして、しんでんののき近く、大納言のひさうして、てづからうへられたりしむめのもとにたちよりて、こしをおもひいでてぞえいじ給ける。
たうりものいはずはるいくばくかくれぬ。えんかあとなしむかしたれかすんじ。 K057
人はいさ心もしらずふるさとの花ぞ昔にかわらざりける K058
十六 さるほどに、「さいしやうのもとより、おんむかへにぎつしやまゐりたり」と申ければ、少将、判官入道いそぎどうしやして、ながえをきたへぞむけられける。さてもこぎいでにしいわうのしまの、たへがたく悲しかりける事、そうづのこしすてられてなげきかなしむらむ有様、われらがあらましのくまのまうでのしるしにや、ふたたび都へかへりのぼりぬる事のありがたさなむど、たがひにのたまひかはして、おのおの袖をぞしぼられける。はんぐわんにふだうまうしけ
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るは、「むかしめしつかひしげにん、ひがしやまさうりんじと申す処にさうらひき。いまだながらへてさうらはば、それにくさのいほりむすびて、今はいつかうごしやうぼだいのいとなみよりほかは、たじさうらふまじ。もししんによだう、うんごじなむどへごさんけいのついでには、必ずおんたづねさうらへ。しやうせうもよしづまりさうらひなば、常にはろくはらどのへも参り候べし。このみとせのあひだうかりししまの中にて、あさゆふひとところにてなれまひらせてさうらひしおんなごりこそ、いかならむよまでも、わすれまひらせ候べしともおぼへさうらはね」なむど申て、しちでうひがしのしゆしやくよりおりて、東山へとてぞゆきにける。判官入道はそれより東山へゆきけるが、とりてかへし、きたやまむらさきのの母のしゆくしよへぞまかりける。いちごふしよかんのみなりしかば、ぜんぜのきえんもあさからずこそ、たがひにおもひしられけれ。たんばのせうしやうは六波羅へおわしつきたれば、まづ宰相をはじめ奉て、よろこび給ふ事なのめならず。
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わがすみ給ひしかたへおわしてみ給へば、かけならべたりしみすも、たてならべたりしびやうぶまでも、はたらかず、昔のままなり。めのとの六条がくろかりしかみもしらみてみゆ。「ことはりや。物おもへばひとよの内にしろくなるなれば、ことしみとせがあひだ、わが事をひまなくなげきけるに、みどりなりしかみのしろくなりたるもことわりなり」とぞ思われける。「あしがらのみやうじんのたこくへわたらせたまひて、かへりいらせ給て、つまの明神をごらむじ給へば、しろくきよらかにこえてわたらせ給ひければ、わが御事をば思ひ給はざりけむとおぼしめして、『こひせずもありぬべし。こひせばやせもしぬべし』と、うたがわせ給て、かきけつやふにうせさせ給ひにけり」とつたへききたまふに、今少将、北方をみ奉るに、ものおもひたまひたりとおぼしくて、事のほかにやせをとろへてみへたまふ。「わがこと思ひわすれ給はざ
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りけり」とおもひやられて、「かのあしがらの明神のつまの神には、事のほかにさうゐし給へるものかな」と、いとどあはれにぞおもわれける。又げんじのだいしやうのすまあかしのうらづたひして、都がへりのありしのち、よもぎのもとにわけいりて、
たづねてもわれこそとはめみちもなくふかきよもぎのもとの心を K059
とよみたまひけむ事までも、少将わがみの上に思ひしられてあはれなり。ながされしとき、よつにてわかれにし若君をとなしくなつて、かみをひのび、かたのまわりうちすぎて、ゆふほどになりたり。あさゆふなげきさたする事なれば、なじかはわすれたまふべきなれば、父のいり給ふときき給ふ上、みわすれ給はざりけるにや、いつしかなつかしげにおぼして、少将のおんひざ近くゐより給へり。又みつばかりなるをさなき人の、北方のおんそばによりゐ給へり。少将、「あの人はたそ」ととひたまひければ、北方、「これこそは」とのたま
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ひけるよりほかは、又ものもえのたまわず、うちふしてなかれければ、そのときせうしやう、「わがいわうのしまへながされしとき、心ぐるしくみおきしが、うまれて人となりにけるよ」とぞ心えられける。これをみ、かれをみるにつけても、かなしさのみいとどふかくなりて、なぐさむかたもなかりけり。少将は、「いわうのしまにて、北方のなげきたまふらむ事、めのとのろくでうがかなしむらむ事、をさなき人々のこざかしくなりたるらむとおもひをこせて、心のひまのなかりし」とかたりてなきたまへば、北方は、「いまだみぬいわうのしまとかやも、いかがしてたづねゆかむずると、かなはぬ物ゆへ、あさゆふおもひやり奉りし心のうち、只おぼしめしやらせ給へ」とて、そのよはたがひになきぞあかされける。むかしもろこしにかんのめいていの時、りうしん、げんてうといひし二人の者、えいへい十五年に薬をとらむが為に、二人ながらてんだいさんへのぼりけるが、かへらむとするに
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みちをうしなひて、山の中にまよひしに、たにがはよりさかづきのながれいでしをみつけて、人のすみかのちかきことをこころえて、そのみなかみをたづねつつゆくこと、いくほどをへずして、ひとつのせんかにいれり。ろうかくちようでふとして、さうもくみなはるのけいきなり。しかしてのちにかへらむ事をのぞみしかば、せんにんいでてかへるべきみちををしふ。おのおのいそぎ山をいでて、おのれがさとをかへりみれば、人もすみかもことごとくありしにもあらずなりにけり。あさましくかなしくおぼえて、くはしくゆくへをたづぬれば、「われはむかし山にいりてうせにし人の、そのなごりしちせいのまごなり」とぞこたへける。少将こんどしゆくしよのあれにける有様、このをさなきひとどもの人となり給へるをみられけるこそ、かのせんかよりかへりけむ人のここちして、夢のやうにぞ思われける。少将、いつしかごしよへ参りて、君をもみたてまつらばやとおもはれけれども、おそれをなして、さうなくも参り給はず。法皇も御覧ぜばやとおぼしめされけれども、よにおんはばかりありて、めさるる
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事なかりけり。されどもつひにはめしつかはれて、宰相の中将までなられけるとぞきこへし。
十七 判官入道はしちでうがはらよりいとままうして、きたやまむらさきの、母のしゆくしよへゆきて、ありしすみかをみれば、やどはあれはてて人もなし。あまりのいぶせさに、となりのこやにたちよりて、げすをんなにこのことをとひければ、うちよりたちいでてこたへけるは、「さる人はこれにおわせしが、おんみをんるののちはそのことのみなげきたまひしほどに、こぞのふづきのすゑつかたしやめんときこえしかば、なのめならずよろこびて、いまやいまやとまちたまひしほどに、こぞもむなしくすぎぬ、ことしもすでに三月になるまでみへ給はねば、『嶋にて思ひにきえたまひけるか、道にて又いかなる事にもあひて、うせにけるやらむ』と、そぞろにおんなげきありしが、このつきのはじめつかた、かもに七日のごさんろうありき。おんげかうののちは、このおん思ひのつもりにや、常になやみたまひしが、しだいにやまひもだいじに
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なりて、むかしがたりとなりたまひて、けふいつかになる」とぞ申ける。やすよりこのことをききて、「中々なにしに都へのぼりける。よものかみほとけにも今一度母をみむとこそいのりしに、むなしき御事の悲しさよ」とて、そぞろに袖をぞしぼりける。そこをばなくなくいでて、ひがしやまさうりんじのきうせきにゆきて、つくづくとながめをりて、さよふくるままに、いとど心もすみければ。
ふるさとののきのいたまにこけむして思ひしよりももらぬつきかな K060
十八 しゆくわんそうづはこのひとびとにもすてられ、嶋のすもりとなりはてて、こととふひともなかりければ、いわうのしまにただひとりまどひありきけり。僧都のよにおわせし時、兄弟三人、をさなきよりめしつかふもの、あはたぐちのへんに有けり。たいけいは法師にてほつしようじのいちのあづかりにて有けり。次郎はかめわう、三郎はありわうまるとて、二人ながらだいどうじにてぞ有ける。かめわうまる、そうづのながされたまひし時、よどにおわしける所へたづねゆきて、「最後の
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おんとも、これがかぎりにて候へば、いづくまでも参り候べし」となくなくまうしたりければ、「まことにしゆうじゆうのはうけい、昔も今もあさからず。おほくものどもありしかども、よのなかにおそれてとひきたる者一人もなけれども、うらみとおもふべきにあらず。あまたの中にたづねきたりて、かくいふこころざしの程こそかへすがへすあはれなれ。ただしわれ一人にもかぎらず、たんばのせうしやう、はんぐわんにふだうなむども、人一人もしたがわずなむどこそきけ。みなさつまのくにいわうのしまとかやへ流さるべしときけば、命のあらむ事もかたし。みちの程にてもやはかなくならむずらむ。わがみの事はさてをきつ、都にのこりとどまる女房、をさなきものどものこころぐるしさ、おもふはかりなし。かのものどもにつきて、あさゆふのつゑはしらともなれ。われにつきたらむにつゆをとるまじ。とくとくかへれ」とのたまひける程に、せんじのおんつかひ、ろくはらのつかひ、「なにごとを申すわらはぞ」とあやしみたづねければ、おそろしさのあまりに、かめわうなくなく都へ帰りのぼりにけり。おなじき
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おととありわうまると申す童は、そうづにわかれ奉りてのちは、又みやづかふかたもなくて、あるいはおほはら、しづはら、さが、ほふりんのかたへまどひありきて、みねの花をつみ、たにの水をむすびて、山々寺々の仏に奉て、「わがしゆうに今一度あはせ給へ」と、なくなくいのりまうしけるが、「少将、判官入道、みやこがへりあり」とききて、「わがしゆうのゆくへいかになりたまひぬらむ」とおもふもかなしくて、少将のへんにたづねければ、「おんのぼりまでいわうのしまにそうづごばう渡らせたまひけるとこそうけたまはれ」と人申ければ、「さればいまだしにたまはずおわするにこそ。たれはぐくみ、たれあはれみ奉るらむ」とかなしくおぼえて、ふぼにもしられず、したしきものどもにもかくともいわず、只一人都をいでて、はるばるとまだしらぬさつまがたへぞくだりける。よどがはじりの程より、「いわうのしまへはいづちへまかるぞ」ととひ、足にまかせてぞくだりける。みちすがらあやしの者のあひたるにも、「わがしゆうもかくこそおわすら
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め」と思ひ、あるときはかいしやうにたよりをもとめ、ある時はさんせんにもまよふ時もあり。ひかずやうやうつもりければ、ひやくよにちばかりにかのしまへたどりつきにけり。いそぎ船よりおりてみれば、ひごろ都にてききしにはすぎて、おそろし悲し。たもなくはたけもなし。むらもなくさともなし。山のみねにもへのぼるけぶり、のざはにおちさかるいなづまの音、何事につけても、たえて有べきやうもなし。されどもしゆうのゆくへのかなしさに、おくさまにたづねゆくほどに、しまびととおぼしくてたまたまあへる者は、このどの人にもにず。きのかはをひたひにまきたる者、あかはだかにてたうさぎばかりかきたるが、たけ六七尺もやあるらむとおぼゆる者、二三人あひたりければ、いきながらめいどにたづねゆきたるここちして、いきて故郷へ帰るべしともおぼへず。さりながらも、「このしまにひととせほつしようじのしゆぎやうそうづのごばうとまうすひとの流されておわしまししは、
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いまだおわするか」ととひたりければ、ことわりやほつしようじのしゆぎやうそうづともいかでかしるべきなれば、こたふるにおよばず。かしらをふりて、みづからいふこともききわかず。「しらずしらず」とのみいひすててぞとほりける。さるにてもとおもひて、又あへる者に、「るにんとてありし人わ」とたづねけるに、そのたびは少し心えたりけるやらむ、「いさとよ、さる人みへしが、二人はすぎにしころ、都へとて帰りのぼりき。今一人はいづくともなくまどひありきしが、ゆくえをしらず」とぞこたへける。これをきくにいとどこころうしともおろかなり。もしやとて、はるかに山へぞたづねいりにける。山をこえすぎたれば、べうべうとあるのにいたる。のなかにまつ一本ありけるに、ひも既にくれにければ、こよひはここにあかさむとて、まつのもとへぞたちよりける。まつたかくしては、風たびびとの夢をやぶるとおぼえたり。けいろうの山もあけゆけば、とうこにとりはかへるとも、まなこにさえぎる物もなし。いちじゆのかげにやどるといふはことわりすぎ
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たり。われは都の者也、まつはさつまがた、のなかにあり。こよひこれにあかしつるこそ、いちじゆのかげのちぎりなれ。今はなれなむのち、いつか又かへりこむなれども、かくてあるべきならねば、いへどもこたへぬまつにいとまをこひて、又足にまかせてたづねゆくほどに、なみよせかくるみぎわへぞいでにける。このあひだはうちつづき空かきくらし、はげしかりけるが、けふはひもうららかになみかぜもやはらかなり。しほひがたをいづくをさすともなくはるかにたづねありきけれども、船も人もかよへるけしきも
みへぬあらいそなりければ、さとうにあとをきざむかもめ、おきのしらすにすだくはまちどりのほかは、あとふみつけたるかたちもなし。なほはるかにいそのかたをみわたせば、人か人にあらざるか、かげろうの如くなる者、あゆむやうにはしけれども、ひとところにのみみへけるを、「あやしや、なにやらむ」とおぼへ、おそろしながら、さすがにゆかしかりければ、かつうはものがたりにも
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せむとおもひて、近くよりてみれば、かみはそらさまにたちあがりて、さまざまのちりもくづとりつきたれども、うちはらへるけしきもなかりければ、をどろをいただけるが如し。いしやうは、けんぷともみへわかぬをこしのまはりにゆひあつめて、あらめといふ物をはさみ、さうのてにはなましきうをのちひさきをふたつみつにぎつて、はげうであゆむやうにはしけれども、あまりにちからなげにて、よろよろとして、すなにただひとところにゆるぎたちたる者一人あり。わらはおもひけるは、「かはゆの者の有様や。ひにん、こつがいの中にもいまだかかるさましたる者こそみざりつれ。このしまのひにんにてこそ有らめ。さてもわがしゆうのおんゆくえをたづぬれば、つみふかき御事にて、いきながらがきだうにばしおちたまひたるやらむ。がきじやうのくわほうこそ、かかるさまはしたるなれ」なむど、さまざまにおもふに、いとどかなしくて、かつうはあはれみかつうはさんげす。さるにてももしやしりたるとおもひて、「このしまへ
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三人ながされたまひし人、二人はゆりてのぼり給にき。いまひとり、ほつしようじのしゆぎやうごばうといふそうのおわするは、いづくにおわするぞ」と、かきくどきとひたりければ、そうづこれをみたまふに、「わがみよくおとろへはてにけり。されどもめもくれ心もかわらねば、わがめしつかひしわらはなり。童はしゆうをみわすれたり。しゆうは童はみわすれねば、我こそそなれといひたけれども、くわほうこそつたなく、かかるみにならめ、心さへかわりにけりと、童が思わむもはづかし。中にもなましきうををにぎり、こしにあらめをつけたる事も、あまりにはづかしくかなしくて、只しらぬやうにてすぎゆきなばや」と、ちたびももたび思へども、「このしまにて只のみやこびとのゆきあひたらむそら、うれしさはかぎりなかるべし。ましてこれはとしごろてうぼにめしつかひし童なり。なじかははづかしかるべき」とおもひかへして、てににぎりたるうををいそぎなげすてて、「あれはありわうまるか。いかにしてこれまでたづね
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きたるぞや。われこそしかなれ」となくなくのたまひて、たうれふし、あしずりをしてをめきさけびたまふに、童つやつやみしらざりけれども、「ありわうまるか」とよびたまふに、「さてはわがしゆうなりけり」とおもふより、おなじくたふれふして、こゑをあはせてともになく。二人ながら時をうつして、涙にむせびてたがひに物もいわず。ややひさしくありて、僧都をきあがりて、「さればよ、なにとしてたづねきたれるぞ。このことこそすこしもうつつともおぼえね。あけてもくれても、都の事をのみおもひゐたれば、こひしき者共はおもかげにたつときもあり、まぼろしにみゆる時もあり。みもかくよはりにしのちは、夢もうつつもさだかにおもひわかれず。さればなんぢがきたれるをも、只夢かとのみこそおぼえ、もしまたてんまはじゆんのわがこころをたぶらかさむとて、なんぢがかたちにへんじてきたれるかとまでおぼゆるぞ。もしこのこと夢ならば、さめてののちはいかがせむ」とて、又なかれければ、ありわうまる、「うつつにてさうらふぞ。おんこころやすく
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おぼしめされさうらへ」と申ければ、僧都少しこころおちゐて、童がてをとりくみて、またのたまひけるは、「此嶋はおほくのうみやまへだたりて、くもゐのよそなれば、おぼろけにては人のかよふ事もなし。されば都の事づても有がたし。少将、判官入道ありし程は、昔物語をもしてたがひになぐさみき。少将も入道もめしかへされて、わがみひとりのこりとどまる上は、いちにちへんしもたへてあるべしとは思わざりしが、かひなき命のながらへてありけるは、今一度汝をもみ、汝にもみゆべかりける故にこそありけれ。これほどのみの有様なれば、何事もおぼゆまじけれども、故郷にのこりとどまる者共の事、常におもひいでられて、わするる時、のひまもなければ、我にひとひとりしたがひつきたらば、とはまほしくこそおぼゆれ。心づよくもこのみとせはとはざりつるものかな」とうらみたまへば、童、涙をおさへて申けるは、「ぶもにも
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申さず、したしきものどもにもしらせさうらはで、ただひとり都をまかりいでて、はるかのうみやまをわけすぎ、かかるあさましきはいしよへたづねまいりぬるも、昔のおんすがたを今一度やみ奉るとて、はるばるとたづね参りたれども、今のおんすがたをみまひらせさうらふに、ひごろ都にてゆくへをおもひやりまひらせさうらひつるは、事のかずならざりけり。まのあたりおんありさまをみまひらせ候に、いのちいきておんみやづかへまうすべしともおぼへさうらわず。さればいかなるおんつみのむくひにてわたらせたまひけるぞや。さても都の御有様、こともおろかなる御事とおぼしめされさうらふかや。君のにしはつでうへめしこめられさせたまひしのちは、おんあたりの人々と申者をばとらへからめ、ほだしをうち、ろうひとやにこめられ、かえんをついふくし、やぼねをこぼちとられて、むほんの事をせめとはれ候しかば、あとかたも候はず、みなしよこくしちだうへおちうせさうらひぬ。女房もくらまの
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おくにをさなき人々ぐしまひらせて、しのびて渡らせたまひさうらひしが、あけてもくれてもおんなげきあさからずみへさせたまひし程に、おんなげきのつもりにや、なにとなくなやませたまひて、こぞの冬、つひにうせさせたまひさうらひにき。若君は、『父のわたらせ給所はいづくやらむ。いかなる所としらする人だにあらば、たづねまゐりてみまひらせむ』と、つねにはおほせのさうらひしを、ははごぜん、『あなかしこ、しらすな。しらせたらば、をさなき心にいづちともなくはしりいでたらむほどに、嶋へもたづねゆかず、是へもかへらず、みちにてうせむ事のかなしきに』とおほせのさうらひしかば、しらせまひらする人もさうらはざりしほどに、人のしあひさうらひし、もがさと申す事をわづらわせ給て、すぎにし五月にうせさせたまひにき。姫君ばかりこそいまだわたらせ給へ。ははごぜんにおくれまひらせさせ給て、のちには都のおんすまひもかなひさうらはず。ならのをばごぜんのおんもとにわたらせ給
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候。是へまかりくだりさまにならへ参て、『君のおんゆくえのかなしくおもひまひらせさうらふときに、嶋へたづねまゐり候。おんことづけや候』とまうしいれて候しかば、昔はいかでかただおんこゑをも承り候べきなれども、はし近くゐいでさせたまひて、『あはれ、女のみほど心うかりける物はあらじ。父のこひしさはたとへむかたはなけれどもをのこごのみならねば、かなわぬ事こそくちをしけれ。おほくの人の中に、をのれ一人しもたづねまひらむことのうれしさよ。けふよりのち、ぶつじんにまうでてはわがみのいのりをばまうすまじ。かまへてたひらかに参りつけと、汝がいのりをせむずるぞ。おのづからたひらかに参りつきたらば、是まひらせよ。よのかはりたるあはれさに、ふでのたてどもおぼへさぶらはず。あまりに涙がこぼれてなくなくかきてさぶらへば、もんじのかたちにてもさぶらわじなれば、あそばしにくくこそ渡らせ給わむずらめとまうせ』とこそおほせさうらひしか。『さつまのちにて、あやしきふみやもちたるとさがす』と、人のをど
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しさうらひしをそろしさに、おそれながらもとゆいの中へ、しこめてまゐりて候」とて、とりいだして奉りたりければ、僧都、姫君のふみをとりて、涙をおしのごひてみたまふに、もんじもあざやかにことばもをとなしくかきたり。そのことばにいはく、「そののちたよりすくなくなりはてて、おんゆくえをもしりまひらせさぶらはず。いかなるつみのむくひにて、三人流されさせ給たる人の、二人はゆるされてめしかへされたまふに、おんみひとりのこりとどまらせたまふことのかなしさよ。おんゆかりの人をばとらへからむるとまうししかば、をぢをそれて、今は都には一人もさぶらはず。さればくさのゆかりもかれはててあれば、いとほしと申者も候はず。きんだちもめしとらるべしときこへさぶらひしかば、ははごぜんはくらまのおくとかやにしのびて渡らせたまひしほどに、御事をのみあさゆふなげきまうさせ給しがつもりて、やまひにならせたまひたりしかば、せうとと二人、とかくなぐさめまうしし
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かども、ひにそへておもくのみなりて、つひにはかなくならせたまひさぶらひぬ。ははごぜんにをくれまひらせさぶらふは、われ一人の事ならず。そひはてぬよのうらめしさ、人ごとのならひと思なされさぶらへば、おのづからなぐさむかたもさぶらふ。父にいきながらわかれまひらせて、国々をへだてなみをわけ、さつまがたまではるばるとおもひやりまひらせさぶらふ、心のうちのかなしさ、只をしはからせ給べし。いきてのわかれ、しにてのかなしさ、せうとと二人、ひるはひねもすになきくらし、よるはよもすがらなきあかしさぶらひしほどに、せうとも人のしあひてさぶらひし、もがさといふ物をして、このはるうせさぶらひにき。なげきのほどただをしはからせたまひさぶらへ。こははごぜんの、『われしなば、いかにしてながらへてあらむずらむと思こそかなしけれ。おのづからのたよりには、ならのさとにをばといふ者のあるぞ。いかにもしてたづねゆけ』と、さいごの時におほせさぶらひしかば、たうじはならのをばのおんもとに
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さぶらふなり。などやこのみとせはありともなしともとはせ給はぬぞ。これにつけても女のみこそいまさらにくちをしけれ。をのこごのみなりせば、などかきかいかうらいとかやにおわすとも、たづねまひらざるべき。わらはをばたれにあづけ、いかになれとおぼしめすぞや。こひしともこひし、ゆかしともゆかし。とくとくして、いかにもしてのぼらせ給へ。あなかしこあなかしこ」と、うらがきはしがきまで、うすくこくさまざまにかき給へり。僧都、このふみをむねにあて、顔にあてて、かなしみたまふことかぎりなし。「このしまにはなたれてことしはみとせにこそなれ。姫君も今年は十二になるとこそおぼゆるに、今はをとなしくこそ有べきに、なほをさなかりける物かな。この心ばえにては、いかでか人にもみへ、みやづかへをもして、みをもたすくべき。『とくしてのぼれ』とは何事ぞ。うちまかせたるゐなかくだりとこそおぼへたれ。心にまかせたる道ならば、などか今
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までのぼらざるべき。はかなの者のかきやうや」とて、おんあいのならひのかなしさは、わがみの上をさしおきて、娘の事をいひつづけて、いまさらに又なかれけるこそむざんなれ。わらはこれをみて、「はるかにおもひやり奉りけるは、事のかずならざりけり。中々よしなくくだりにける物かな。かばかりむざんの事こそなけれ」とぞおもひける。そうづまたのたまひけるは、「このしまにのこしすてられにしのちは、かたときたへてあるべしとも思はざりしに、つゆの命きえやらで、けふまでながらへてありつる事こそ、不思議なれ。なんぢ一人をみたるをもつて、都の人を皆みたるここちす。我はかかるざいにんなれば、いふにおよばず。今はとくとくかへりのぼりね。『人一人もつかざりしに、京よりひとわたりてあつかひはべるなり』ときこへなば、まさるとがにもぞあたる」と宣へば、童つまはじきをはたはたとして、「あなうたてのみこころや。それほどのおんみの有様にても、なほよの
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をそろしくおぼしめされさうらふか。又おんいのちのをしくわたらせたまひさうらふか。はたらかせ給へばとて、うるはしき人のおんかたちとおぼしめされさうらふか。ただなましきがいこつのはたらかせたまふにてこそわたらせたまふめれ」と申ければ、僧都これをききたまひて、「こころざしのせつなる汝さへ、このしまにてくちはてむ事のかなしさのあまりにこそ、かくもいへ」と宣へば、童涙をおしのごひて、「ふぼしんるいにもしらせず、命を君に奉り、みをばだいかいにしづめむとおもひきりて、参りさうらひし上は、都にてひとたびすてさうらひぬる命を、嶋にてふたたびおもひかへすにもおよびさうらはず」と申せば、僧都、「いざさらばわがすみかみせむ」とて、童をぐしておわしたり。まつの四五本いはにたうれかかりたるをたよりにて、おのづからうちよせられたるたけのはし、あしをぎていの物をひろひわたりて、よろづのもくづ、このはをとりかけたれば、あめかぜたまるべしともみへず。きやうわらはべのいぬの
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いへとてつくりたるよりも、なほめもあてられず。僧都一人うちへいり給へば、こしよりしもはそとにありければ、童うちへいるにおよばず。「あなうたてや。ふるきうたものがたりにこそ、はにふのこやといふ事はあれ。はにふをもつてしまはしたるいへをば、はにふのこやと申。又は、『はんにふす』とかきては、『はにふのこや』とよまるなり。『半にふす』が『はにふのこや』ならば、是や『はにふのこや』なるらむ」。かたはらなる木にかくぞかきつけられたる。「みせばやなあわれとおもふ人やあると只ひとりすむあしのとまやを K061」と。かきのからなむどにてかきつけられたるにやとをぼしくて、さすがにただよひたるやふにぞかきたりける。昔はだいがらんのじむしよくとして、はちじふよかしよのしやうむつかさどり給へりしかば、きやうごくのごばう、しらかはのごばう、ししのたにのさんざうまで、ちりもつけじとつくりみがかれて、むねかど、ひらかどのうちに、二三百人のしよじゆう、けんぞく
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にいねうせられてこそすごしたまひしか。さればかかるおんすまひにても、このみとせはおわしけるかやと、いまさらにかなしくぞおもひける。ごふにさまざまあり。じゆんげん、じゆんしやう、じゆんご、じゆんふせんごふといへり。そうづいちごのあひだ、みにもちゐる所は、だいがらんのじもつぶつもつにあらずといふことなし。さればかのしんぜむざんのつみにをいては、こんじやうにかんとくせられけるかとおぼえたり。かかるおもひのうちなれども、僧都のれうにとて、くわしていの物、ちりばかりづつもちたりけるをとりいだしてすすめければ、けふくひてあすくうべき物にてもなし、あすくひて又つぎのひくうべきにてもなければ、いそぎてくわざりけり。童がもちて渡る志のせつなればとて、くひけれども、くひわすれてひさしくなれば、きみの程もおぼへざりけり。童、「いかにして、これほどの御有様にては、今までながらへて渡らせ給けるぞ
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やと申せば、「ひととせながされし人のうち、たんばのせうしやうのもとへ、しうとのかどわきの宰相のもとより、一年に二度、船を渡されしなり。春渡すはあきふゆのいしよくのため、秋わたすはかへる年のはるなつのいしよくのためとわたししを、少将心ばへよき人にて、一人のいしやうを、あたらしきをばわれき、ふるきをば二人の者にきせ、一人があひせつをもつては三人のあひせつにあてなむどして、はぐくみし程は、さすが人のかたちにて有つるが、少将、はんぐわんにふだうかへりのぼりてのちは、おのづから事のはのついでにも、『あはれ、いとほし』とこととふひともなければ、かひなき命のをしきままに、みのちからのありし程は、このやまのみねにのぼりていわうといふ物をとりて、くこくのちへかよふあきびとの船のつきたるにとらせて、ひをおくりき。みの力よはりをとろへてのちは、山へのぼるべくもなければ、のざはにいでてはねぜりをつみ、ものうきわらびををりて、さびしさをなぐさむ。はまにいでてはなみにうちよ
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せられたるあらめをひろひ、つりするあまにひざをかがめ、てをあはせてうををこひてしよくじにして、けふまでは命をつぎつるなり。このしまのありさまは、をろをろみもしつらむ。いきてかひなきさまなれども、かかる所にもすめばすまるるならひにてありけるぞ。月のかけ、月のみつをもてひとふたつきとおぼえたり。花のちり、はのおつるをもつてはるあきをしる也。そのうつりかわる有様をかぞふれば、としのみとせをおくりにけり。我はかくよはりつかれたれば、今いくばくをかかぎるべき。おのれさへこのしまにてきへなむ事こそ、いとつみふかけれ」と宣ければ、「これまでたづねまゐる程にては、いくとせをすごしさうらふともそのうらみさうらふまじ。いかにもなりはてさせ給はむずる、最後の御有様をみはてまゐらせ候べし」とて、僧都の前後に有ければ、僧都にをしえられて、山のみねにのぼりていわうをとりて、あきびとの舟のよりたるに是をあきな
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ひ、とかくはぐくみてあかしくらしける程に、「今いくかをかかぎるらむ」と宣けれども、ひごろのつかれたちなをらず、あくる年の正月十日ごろよりやまひつきたまひにけり。童はかたときもたちはなれず、さまざまにくわんびやうして、夏もすぎ秋にもなりて、八月十日ごろにもなりにければ、今はかぎりにぞみへられける。童申けるは、「都へ帰りのぼり給はぬ事、ほいなしなむどおぼしめすべからず。こんじやうをゑどのはてとおぼしめして、御心づよくひとすぢにじやうどをねがひたまへ」と、ぜんぢしきして、ねんぶつすすめ奉りなむどしける程に、同十三日とらのこくに、つひにうせられにけり。わらはただひとりいとなみて、まつのかれえだ、あしのかれはをきりををい、よりくるもくづにつみこめて、たくものけぶりとたぐえてけり。だぜうことをはりにければ、はかなむどかたのごとくして、はくこつをくびにかけて、なくなく都へのぼりけり。こけの下にも都へと、なごりやをしく思わるらむ、び
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ぜんのくにしもつゐといふところよりくだり、あるやまでらにしばらくとうりうして、かしらををろし、すみぞめの袖になりて、ならの姫君のもとへゆく。「嶋にすずりも紙もさうらはざりしかば、おんぺんじにはおよびさうらはず」とて、僧都のゆいごんなむどこまかにかたりければ、姫君てんにあふぎちにふして、をめきさけばれける有様、さこそは悲しかりけめ。「おんしやりをもをがませまゐらせさうらふべくさうらへども、おなじことにて候へば、これよりかうやさんにのぼりて、おくのゐんにをさめ奉り候べし」と申て、やがてかうやへのぼり、ごべうの御前にをさめてけり。そののちてらでらしゆぎやうして、しゆうのごせをぞとぶらひける。しゆうじゆうのはうけい、誠に昔も今もそのよしみあさからぬ事なれども、ありわうまるがこころざしはためしすくなくぞおぼへし。みめかたち心ざままでも、よきわらはにてぞ有ける。姫君は父のりんじゆうのありさまききたまひて、をばのもとをしのびいでて、かうやへもたづねお
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わして、父のこつをさめたる所をもをがみたくおぼしめしけれども、によにんののぼらぬ所なればとて、かうやのふもと、あまののべつしよといふ所にて、さまかへられにけり。のちにはしんごんのぎやうじやとなりて、父のごしやうぼだいをいのりたまひけるこそあはれなれ。わらははしゆぎやうしありきけるが、しゆうのこつもこひしくて、かうやさんへたちかへり、みなみのゐんにれんあみだぶつとまうされて、仏にくわかうを奉り、しゆうのごせをぞとぶらひける。山門の大衆なほしづまらずして、いよいよさうどうすときこへければ、だうしゆらをざいくわにおこなはるべきよし、しよきやうはからひまうされければ、
せんじをくださる。そのじやうにいはく、
ぢしよう三年六月廿五日 せんじさだいじんさせうべん
えいさんのだうしゆら、ちよくせいにはばからず、ざすのせいしにかかはらず、みだりがはしく
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らうるいをなして、いつさんをめつばうせむとほつす。よつてまづくわんぐんをさしつかはして、さんがしやうおよびきぢゆうのところどころをついきやくせしむべし。ただしよかはむどうじとうにこもりすむともがらにおいては、おなじくかのともがらにおほせて、さかもとわうへんのみちをしゆごして、せめおとすべし。かねてはまたらくやうににげかくるるともがらは、よろしくけんびゐしをしてからめまゐらすべし。しよこくににげうつらんにいたりては、さいりにおほせて、そのみをめししんじ、このつぎはうせをはんぬ
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十九 六月十四日、つじかぜをびたたしくふきて、じんをくおほくてんだうす。風はなかのみかど、きやうごくのへんよりおこりて、ひつじさるのかたへふきもてゆくに、むねかどひらかどなむどをふきぬきて、しごちやう、じつちやうもてゆきて、なげすてなむどしける上は、けた、うつばり、なげし、むなぎなむどこくうにさんざいして、あしこここにおちけるに、じんばろくちく多くうちころされにけり。ただしやをくのはそんずるのみにあらず、命をうしなふ者多し。そのほかしざいざふぐ、しつちんまんぽうのちりうせし事、かずをしらず。このこと、ただことにあらずぞみへし。すなはちみうらあり。「百日の内にたいさう、はくいのくわいい、てんしだいじんのおんつつしみなり。なかんづく、ろくをおもんずるおとどのつつしみ、べつしてはてんがのおほきなるふらん、ぶつぽふわうぼふともにほろび、ひやうがくあひつづきて、ききんえきれいのきざす所となり」と、じんぎくわん、おんやうれうともにうらなひまうしけり。
廿 八月一日、こまつのないだいじんしげもりこうこうじたまひぬ。おんとし四十三にぞなられける。
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五十にだにもみち給はず、よはさかりとみへたまひつるに、くちをしかりける事也。「このおとどうせられぬる事は、ひとへに平家の運命つきぬる故也。そのうへよの為、人の為、必ずあしかるべし。入道のさしもよこがみをやぶらるる事をも、このおとどのなをしなだめられつればこそ、よもおだしくてすぎつるに、こはあさましきことかな」とぞなげきあへる。さきのうだいしやうのかたさまのものどもは、「よはだいしやうどのにつたはりなむず」とて、よろこびあへるともがらもあり。
廿一 内大臣、ことしのなつくまのさんけいのことありき。ほんぐうしようじやうでんのおんまへにてけいびやくせられけるは、「ちちしやうこくぜんもん、あくぎやくぶたうにして、ややもすれば君をもなやませ奉る。重盛、ちやうしとしてしきりにいさめをくはふといへども、みふせうにして、かれもつてふくようせず。そのふるまひをみるに、いちごのえいぐわなほ
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あやふし。しえふれんぞくしてしんをあらはしなをあげむ事かたし。この時にあたりて、重盛いやしくも思へり。なましひにへつらひてよとふちんせむ事、あへてりやうしんかうしのほふにあらず。しかじ、只なをのがれみをしりぞきて、こんじやうのめいばうをなげうてて、らいせのぼだいをもとめむには。ただしぼんぶのはくぢ、ぜひにまよへる故に、なほこころざしをほしいままにせず。ねがはくはごんげんこんがうどうじ、しそんのはんえいたえずして、君につかへててうていにまじはるべくは、入道のあくしんをやはらげて、てんがのあんせんをえしめ給へ。もしえいえういちごをかぎりて、こうこんのはぢにおよぶべくは、重盛がこんじやうの運命をちぢめて、らいせのくりんをたすけたまへ。りやうかのぐぐわん、ひとへにみやうじよをあふぐ」と、かんたんをくだきてきねんせられける時、内大臣のおんくびの程より、おほきなるとうろうの光のやうなる物が、はとたちあがつてはきへ、たびたびしけり。おんともびとのかずかずにはみず。ある
さぶらひひとり是をみて、「是はいかなるごせんさうぞや。よきおんことやらむ、あしきおんことやら
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む」とおもひけれども、おそれをなして、人にはかたらざりけり。おとどのうせたまひてのちにこそ、「さる事ありき」とも申けれ。今度のくまのさんけいにごしそく二人ともせられたり。ちやくしこれもり、じなんすけもり、げかうにかかり給ふ。いはだがはにて二人のごしそくたちのじやうえのいろ、ぢゆうぶくにかへりて、かはなみにぞうつりたる。くじのいつぴつをはくらくてんのしやくし給けるは、「かうひめぐみあれば、子孫おほきなるよろこびあり。子孫かうひあれば、てんちかどをひらく」といふ。内大臣の、「よをいとひこんじやうをうちすててごせをたすけさせ給へ」とまうされけるをば、ぶつじんよろこび給て、かねてしめし給ひけるとおぼえたり。げんだいふのはんぐわんすゑさだこれをみとがめて、「きんだちめされさうらふおんじやうえいかにとやらむ。いまわしくみへさせたまひさうらふ。めしかへられ候べし」と申ければ、内大臣是をみたまひて、うちなみだぐみて、「重盛がしよぐわん既に
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じやうじゆしにけるこそあむなれ。あへてそのじやうえ、きかふべからず」とて、べつしてよろこびのほうへいありて、やがてその浄衣にて、くろめまでき給ひけり、さなきだにいはだがはは渡るにあはれをもよほすに、なみに涙をあらそひて、重盛袖をぞしぼり給ふ。人々あやしとは思へども、その心をえざりけり。しかるにほどなくこのきんだちまことのすみぞめのたもとにうつりたまひけるをみたてまつりけるにこそ、さればよとおぼしめししられて、いとあはれにぞおもひあへる。さてげかうののち、六月十三日、おんかたたがへのごかうあり。こまつのないだいじんのちやくし、ごんのすけぜうしやうこれもり、みつなのすけのてんじやうびとにて、ぐぶせらるべきにていでたちたまひたり。内大臣是をみ給て、「わがこながらも人にすぐれてみゆるものかな。されどもしやうじかいのならひなれば、かかるこにもそひはてで、近くはなれなむ事こそかなしけれ。権現のしめしたまひし事、只今にのぞめり。これが最後のはてにてこそあら
むず
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らめ。よくよくみむ」とて、「しばらくこれへいらせ給へ。申べき事あり」とおほせられければ、少将いりたまふ。女房にはいしやくせさせて、さけをすすめ給ふ。さだよしをまねきよせてささやき給ければ、さだよしみうちにいりて、あかぢのにしきの袋につつみたるたちひとふりとりいだす。少将の前にさしおきて、「おんさかなにまゐらせ候。今一度」とすすめ給へば、少将うれしげにおぼして、さんどして袋をあけてみ給へば、だいじんのしにたまひてさうそうする時、そのちやくしにておわする人のはきて、最後のともしたまふなる、むもんのたちといふものなり。少将いまはしげにおぼして、さだよしがかたをうらめしげにみ給ふ。内大臣、「あれは貞能がとりたがひたるにはさうらはず。重盛がこころざしまゐらせてさうらふなり。そのゆゑは、今日しゆつしのぐぶの人々多くさうらふらめども、ごへんほどの人すくなくこそ候らめ。かたはらいたきまうしごとにてさうらへども、わがこにておわしませば
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にやらむ、人にすぐれて、いみじくみへ給ふ。それにとりて、らうせうふぢやうにして、さだめなきうきよのならひ、いのるともかなふまじ。さればいみじとおもひたてまつるごへんにも、そひはてぬ事も有ぬべし。おなじくわかれば、重盛さきだちて、このたちをはき、けうやうをし給へかしと思ふ間、なんのひきでものよりもめでたきたちにてさうらふぞ。おやをさきだつる人のこ、けうやうをいたさむと思ふこころざしふかし。しんめいぶつだもごかごあり。おやのこりとどまりてこをさきだつるは、この為ふけうのつみ深し。さればおいたるわかきさだめなくて、ごへんさきだちたまはば、重盛がのこりとどまりて思はむ事の悲しければ、わがみさきだちて、ごへんにけうやうせられ奉り、ぶつじんさんぼうのごかごにあづかり、いよいよけうやうのこころざし深くおはしませと思ふ間、おんひきでものにまゐらせさうらふなり」とて、うちえみ給ければ、少将は今のやうにおぼへて涙うかび給けれども、この上は子細をまうすにおよばず、あさましながらとりたまひにけり。
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そののちはさしもやとおもひたまひけるに、内大臣におくれたまひて、さうそうのとき、このたちをとりいだしてはき給ひ、最後のおんともし給けるにこそ、ありし時おほせられしことどもおもひつづけて、涙にくれておぼへけれ。おんかたたがへのぎやうがうは六月十三日なり。おなじき七月廿五日に、内大臣のおんくびにあしきかさいでにければ、「これおもひまうけたりつる事なり」とて、れうぢもきせいもし給はず。いつかうごしやうぼだいのつとめよりほかはたじなかりけり。だいじやうにふだう、にゐどのはをりふしふくはらにおわしけるが、このことをききたまひておほきにおどろきて、とるものもとりあへず、京へのぼりたまひて、「なべてのいしなむどのれうぢすまじき事とだいふはおもふらむ」とて、ひごのかみさだよしをつかひにて、だいふのもとへいひつかはされたりけるは、「ごしよらうのよしうけたまはる。いちぢやうならばかへすがへすなげきぞんず。いかにさやうのしゆもつをばいそぎれうぢもせられずさうらふなるぞ。おやにさきだつこをば
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ふけうにおなじとこそ申せ。入道既に六十いうよ也。この有様をばいかでか御覧じはてざるべき。おいたるふぼをのこしおきたまひて、物をおもはせさせ給はむ事は、かつうはつみ深かるべし。ただしをりふしごみやうがとおぼゆる事は、そうてうよりすぐれたるめいいほんてうへわたりて、しのびて京へのぼるなるが、つのくにいまづにつきてさうらふよしを承れば、いそぎめしつかはしさうらひぬ。かのいしとまうすは、いれうのみちにたづさはりて、はるかにしんのうくわだのきうせきをつぎ、ぢほうのげふをつたへて、とほくぎばへんじやくがせんじようをおふ。ゆゑにさんだいのいへにちやうじて、はやくじふぜんのしんじゆつをきはめ、つねにいつてんのきみにつかへて、もつぱらしかいのめいよをほしいままににするものなり。すみやかにたいめんしてことにいれうをくはへしめ給へ」と、いひつかはされたりければ、だいふびやうしやうにふしたまひたりけるが、入道のおんつかひとききたまひておそれられけるにや、いそぎをきあがりて、えぼし、なほしただしくして、さだよしに
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むかひたまひて、へんじにまうされけるは、「いれうの事うけたまはりさうらひぬ。ただし今度のしよらうはかたがたぞんずるむねさうらふあひだ、いれうをくはへずさうらふ。よつていまさらにたいめんつかまつるにおよばず。その故は、むかしかんのかうそ、わいなんのけむふをせめし時、ながれやかうそにあたる。既にいのちかぎりになりたまひければ、りよたいこうといふきさき、りやういをむかへてみせしむるに、いしのいはく、『れうぢしつべし。ただし五百きんのこがねをたまはるべし』とまうす。かうそのたまはく、『ちん三尺のつるぎをひつさげててんがをとる、これてんめいなり。めいはすなはちてんにあり。われかううとかつせんをいたす事、はつかねんの間に七十よかど也。されどもてんめいのあるほどは、一度もきずをかうぶらず。いまてんめいちにおちて、既にきずをかうぶれり。しかればめいいとしてきずをばいやすとも、めいをいやすべからず。へんじやくといふともなんのえきかあらむ。まつたくこがねををしみていふにあらず』とて、すなはち五百きんのこがねをばいしにたまはりながら、きずをば
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なほさずして、つひにうせたまひにけり。せんげんみみにあり、いまもつてかんじんとす。ちかくほんてうにおいては、さんでうのゐんのおんとき、てんやくのかみまさただといふいしありき。いやしがたきやまひをいやし、いきがたき命をいきしかば、時の人、『やくしによらいのけしんか。はたまたぎばがさいたんか』とうたがふ。みは本朝にゐながら、なをたうてうにほどこしけり。そのころいこくのきさき、あくさうをわづらふ事としひさし。時に異国のめいいら、いじゆつをきはめ、れうぢをいたすといへども、かうげんなかりしかば、まさただをわたさるべきよし、異国のてふじやうあり。ほんてうきたいのしようしたるによつて、くぎやうせんぎどどにおよぶ。『およそだいこくのしやうにあづかる事、本朝のちんじ、まさただがめんぼくなり。しかりといへども、とたうはまつたくしかるべからず。それいれうにかうげんなくは、ほんてうのちじよくなり。いれうにとくげんあらば、だいこくのいだう、このときにながくたえぬべし。なかんづくたこくの后しなむ事、本朝のため、何のくるしみか
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有べき』と、そちのみんぶきやうつねのぶのきやうのいけんにさだめ申されければ、もつともとて渡さるまじきになりにけり。そのときがうちゆうなごんまさふさのきやう、ださいのごんのそつにてさいふにしぢゆうのあひだ、せんぎあるによつて、じやうらんにおよばずして、わたくしにへんたふあるべきよし、おほせくだされければ、まさふさてふしにいはく、さうぎよいまだほうちのなみをたつせず、へんじやくあにかくりんのくもにいらんや。とかきて、わたされにけり。およそこのでう、わかんりやうてうのかんたんありけるとかや。ただしむかしにんとくてんわうのだいしのみこ、はんぜいてんわうほうぎよののち、いんぎようてんわういまだわうじにておはしましし時、ひさしくあつききずをなやみたまひけるを、ぐんしんあながちにすすめまうすによつて、ごそくゐありけり。ほんてうのいし、じゆつつきにければ、そののち御使をしんらこくへつかはして、かの国のいしをむかへてごなうをぢせさせお
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はしましけるに、ほどなくいへにければ、ことにこれをしやうせさせましまして、かへしおくられにけり。これすなはち本朝第一のふかく、いてうぶへいのてうろうなり。かのためしをききおよびて、異国よりもてんやくのかみまさただをもわたさるべきよし、あながちにまうしおくられけるときこへしかども、がうちゆうなごんのはからひまうさるるむね、さうなかりければ、わたされずしてやみにけり。しかるにいまいやしくもきうけいにれつし、さんこうにのぼれり。そのうんめいをはかるにもつててんしんにあり。なんぞてんしんをさつせずして、おろかにいれうをいたはしくせんや。いはむやしよらうもしぢやうごふたらば、れうぢをくはふともえきなからむ。しよらうもしひごふならば、ちれうをくはへずともたすかる事をうべし。かのぎばがいじゆつおよばずして、しやくそんねはんをとなへたまひき。これすなはちぢやうごふのやまひをいやさざる事をしめさむがためなり。ぢするはぶつたい也。れうするはぎばなり。ぢやうごふなほいれうにたらざるむね、既にあきらけし。しかれば
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重盛がみ、ぶつたいにあらず。めいいまたぎばにおよぶべからず。たとひしぶのしよをかがみて、はくれうにちやうずといふとも、いかでかうだいのえしんをくれうせむや。たとひごきやうのせつをつまびらかにして、しゆびやうをいやすとも、あにぜんぜのごふびやうをぢせむや。もしまたかのぢじゆつによつてぞんめいせば、本朝のいだうなきににたり。もしまたかうげんなくは、めんえつにしよせんなかるべし。なかんづく、しげもりさんたいのすうはんにきよして、もつぱらばんだいのまつりごとをたすけ、ぎよすいのけいやくをむすびて、まさにてうおんのなみをうく。ほんてうていしんのげさうをもつて、びやうしやうにふしながら、いてうふいうのらいかくにまみえむ事、かつうは国のちじよくなり、かつうはみちのりようち也。たとひ命をばうずるにおよぶとも、いかでか国のはぢをばかへりみざるべき。そのことゆめゆめ有べからず候」とのたまひける上は、入道ちからおよびたまはず。このおとどほうげんへいぢりやうどのかつせんには命をすててふせきたたかひ
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たまひしかども、てんめいのおわする程は、やにもあたらず、つるぎにもかかり給はず。されどもうんめいかぎりあることなれば、八月ひとひのひとらのときに、りんじゆうしやうねんにして、うせ給ひぬるこそあはれなれ。中にもきたのかたのおんなげきつきせずぞおぼえし。このきたのかたとまうすは、かまたりのおとどのまご、さんぎじやうざんゐふささきのだいしやうよりは十一代のばつえふ、さんぎしゆりのだいぶいへやすのきやうのちやくなん、うゑもんのかみいへなりのきやうのおんむすめ、こなかのみかどのしんだいなごんなりちかのきやうのおんいもうとなり。あひすみたまひてのち、としひさし。きんだちあまたおわします。いづれもありつきたまひたれば、心やすき御事にてすごし給けるに、このなげきいつわするべしともおぼへず。さんやのひづめ、がうかいのいろくづは、みなるてんのあひだのぶも、ことごとくしやうじの程のしんぞく也。されども、てんちの間にはふうふのなさけむつまじく、うちうの中にはなんによのこころざし深し。とうきむ之ちぎりはなさけわたりたしやうに、いつちんのかたらひはむつびありなうこうに。しかるに
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ぎよくがんまなこをとぢて、くちにふたたびものいふことなし。しんこんみをさりて、いへにさらにかへることなし。せんえんのしようらは、いつたんのすさみにいろをへんじ、ばんぜいのかうたむはきうせんのながれにそでをくたす。つばめふたつはねをならぶるをみるにつけても、いよいよばうふのかなしみをまし、とりのしいうはやしをかけるをあひみても、つねにながすぐわふのなみだを。かうきうのむかしは、せんしゆんかほをならべて、なんゑんのはなをもてあそび、べつりのいまは、きうやにかばねをうづめて、ほくばうのかすみにまよふ。つれづれのあまりにふんぼにまゐれば、しようふうあふぎてこえひとこゑ、こじんのこゑはおともせず。かなしみかなしむできうをくにかへれば、れいしうしたつてなみだせんかう、いうれいのかたちはみえず。しよくぢよはなほしたなばたのよるをまちては、たのむべしいさむべし。きよがんはまたさんやうのはるをきすれば、みつべしもてあそびつべし。ただしにんがいのしやうは、ひとたびわかれてのち、ふたたびあはず。たいゆれいのむめかすみにしぼみ、きんこくゑんのさくらの
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風にちり、をばすて山のあけぼの、あかしのうらのなみの上だにも、なごりはをしき物ぞかし。ましてとしごろすみなれたまひしおんなごり、おしはかられてあはれなり。
(廿二) そもそもこのおとどのくまのさんけいのゆらいをたづぬれば、ゆめゆゑとぞきこへし。さんぬる三月三日よの夢に、おとどみしまと思はしきれいげんしよへまうでたまへば、まうづれば右、げかうすればひだりてに、ほふしのくびをきりて、くろがねのくさりをもつてしはうへつなぎたり。おとどゆめごころに、「不思議のことかな。かやうのしやうじんのところに、かかるせつしやうなむどはあるまじきかなむどおもひたれば」とおぼしめして、やしろのかたへまうでたまへば、いくわんただしき人々おほくなみゐたまへるにまうでて、「そもそもこれはいかなる人のくびさうらふぞ」ととひたてまつりたまひければ、「これは、みなもとのよりともがこのごぜんにて、せんにちがあひだなげきまうしし事があまりにふびんなれば、なんぢがちちだいじやうにふだうじやうかいがくびをきりてつなぎたぞ」とおほせらるとおぼしめせば、うちおどろきて夢さめぬ。ここにげんだいふのはんぐわんすゑ
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さだ、おんまへちかく参て申けるは、「何事にてさうらふやらむ。かねやすが上にまうしいるべき子細の候とて参て候」と申ければ、おとどききたまひて、「あはれ、せのをはこのゆめをみたるごさむなれ」とおぼしめして、「何事にてあるやらむ」とて、おほくちばかりにてつといでたまへば、せのをおんみみにささやきて、「今かかる夢をみて候」と、だいふの御覧じたる夢にいちじもたがはず申たりければ、さればこそとおぼしめして、「こは不思議かな。されば平家のよははやすゑにのぞめるにこそ。さても命ながらへて、みだりがはしきよをみむ事もくちをしかるべし。今はごせぼだいのいとなみのほかはたじやはあるべき」とて、くまのさんけいの為に、同四月廿八日よりしやうじんはじめて、第五日と申す日、みはげの下に、夢にみられしやうなる法師のなまかうべあり。かうしをたてたれば、いぬくひておくべきやうなし。空よりとりのくひておとすべきはうもな
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し。これすなはちれいいなりとて、今二日のしやうじんをまたずして、同五月二日しんぱつして、ゆやさんごさんけいはありしなり。
(廿三) そうじてこのおとどは、わがてうのしんめいぶつだにざいをなげたまふのみにあらず、いてうの仏法にもきし奉られけり。さんぬるぢしようにねんのはるのころ、ちくぜんのかみさだよしをめしていひあはせられけるは、「重盛ぞんじやうのとき、わがてうにおもひである程のだうたふをもたて、だいぜんをもしゆしおかばやとおもふが、入道のえいぐわいちごの程とみへたり。しかれば一門のえいえうつきて、たうけほろびなむのちは、たちまちにさんやのちりとならむ事の、かねておもひやられて、悲しければ、だいこくにていちぜんをもしゆしおきたらば、重盛たかいののちまでもたいてんあらじとおぼゆる也。さだよしにつたうしてはからひさたつかまつれ」と宣ひける。をりふし、はかたのめうでんと申けるせんどうののぼりたりけるをめして、うちのおとどのしりたまひけるあうしうきせのこほりより、ねん
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ぐにのぼりたるこがねを二千三百両、めうでんにたまはりてのたまひけるは、「このこがねひやくりやうをば汝にあたふ。二千二百両をばたいたうに渡して、二百両をば、しやうじんのおんしやりのおわします、いわうさんのそうとにあたへて、ちやうらうぜんじのうけとりをとりまゐらすべし。のこり二千両をばだいわうにたてまつりて、かのてらへくうでんをよせてたまはるべしとそうせよ」とて、じやうをかきてめうでんにたまはりけり。めうでんこがねをたまはりて、いそぎにつたうして、このよしをだいわうにそうしておくりぶみを奉る。だいわうかのじやうをえいらんあり。そのじやうにいはく、
せにふしたてまつる ねんらいきえのれいざういつぷ
じひつてうしやいちぶじつくわんほつけめうでん
為もいしよくこんしわうごんせんくは
それもつてでし、すなはちぶんだんいわうのせんざに、じちゐきすいせいのくんようをうく。
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ここにやうやくかもんそういうのうてなにむつび、さいれいすでにふり、しやうがいのなげきねんぼをすぐ。すべからくいへをしてばんしやうのすをなげうち、たうてうのこころみをかふべし。とうせんとしをかさねてさうしんをおそひ、ほふえつをさまたぐ。いかりひをかさねてじもす。よがなましひなるむちゆうのゆめ、じやうごのおもひしきりにもよほす。これによつて、あるいはいろにまどひてしんくのしらうをあて、あるいはせいしのたんぜいをつたへむがために、えつがうしよぢのぶつきやうをいわうさんじやうにせにふし、けふちよういつくわのせんきんをいてうのざかになげたてまつる、いかに。ぶみんけんぐにして、ふけむさぼりて、ばくたいのしぞうとぼしきににたり。つひによがしうきよくのぎをさつし、てうそうのそをおこすことなきのみ。このびばうによりて、なはえいたいに、きようたんのおもひはかりはらいめいのかたちにのこさむてへり。でしけいするところくだんのごとし。
ぢしよう三年しぐわつぴ につぽんごくたいしやうぐんたひらのあつそんしげもり
とぞかきたりける。だいわうずいきにたへず、「につぽんのしんかとしてわがくににこころざしのふかきこと
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へし」とて、かのてらのくわこちやうにかきいれ、今にいたるまで、「だいにつぽんごくぶしうてんしゆたひらのしげもりしんざ」と、まいにちによまれたまふなるこそゆゆしけれ。まことのけんしんにておはしつる人の、まつだいにさうおうせで、とくうせたまひぬる事こそ悲しけれ。さても入道のなげきまうすもおろかなり。誠にさこそはおぼしけめ。おやのこをおもふならひ、おろかなるだにも悲し。いはむやたうけのとうりやう、たうせのけんじんにておはせしかば、おんあいのわかれといひ、いへのすいびといひ、かなしみてもあまりあり。されば入道は、「だいふがうせぬるはひとへにうん
めいの末になりぬるにこそ」とて、よろづあぢきなく、いかでも有なむとぞ思ひなられにけり。およそこのおとどぶんしやううるはしくして、心にちゆうをそんし、さいげいただしくして、ことばにとくをかねたり。されば、よにはりやうしんうせぬる事をうれへ、いへにはぶりやくのすたれぬる事をなげく。心あらむ人、たれかさたんせざらむ。「かのたうの
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たいそうぶんくわうていはいてうのけんわうなり。とくごていにこへ、めいさんくわうに同じ。さればたうげうぐしゆん、かのう、いんのたう、しうのぶんぶ、かんのぶんけい也といへども、皆をよばざるところなり」と。またまうさく、「ぎようにじふさんねん、とくのまつりごとせんばんたん、くんしんふしのみち、このときてんがにさかりなり。しかいはちえんのほかまでも、とくくわにきせずといふことなし。おんとし五十三と申す。ぢやうぐわん廿三年五月廿六日、がふふうでんにしてほうじ給ふ。かかるけんくんにておはしませど、てんめいのかぎりある事をさとり給はずして、おんいのちををしみたまひけるにや、てんぢくのぼんそうにあわせたまひて、しきりにれうやうをくはへ給ふ。れいさう、ひせき、しんやくとしてぶくしたまふといへども、じんさんつひにくづれき。みらいにつたはる所、たいそうのいつしつ」とぞまうす。つらつらいてうしやうこのめいわうのえいねんをうけたまはるにも、ほんてうまつだいのりやうしんのかしこさははるかになほすぐれたり。
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(廿四) 十一月七日のさるのこくにはみなみかぜにわかにふきゐで、へきてんたちまちにくもれり。ばんにん皆あやしみをなす処に、しやうぐんづかめいどうする事、いつときの内にさんべん也。ごきしちだうことごとくきもをつぶし、みみをおどろかさずといふ事なし。のちにきこへけるは、しよどのめいどうはらくちゆうきうまんよかに皆きこゆ。第二のめいどうはやまと、やましろ、いづみ、かはち、つのくに、なにはのうらまできこへけり。第三のめいどうは六十六かこくに皆きこへざる所さらになし。むかしよりどどのめいどうそのかずおほしといへども、いつときに三度のめいどう、これぞはじめなりける。「東はあうしうのはて、西はちんぜいくこくまでめいどうしける事もせんれいまれなり」とぞ、ときのひと申ける。おびたたしなども申せばなかなかおろかなり。どうにちのいぬのときにはたつみのかたよりぢしんして、いぬゐのかたへさしてゆく。これもはじめには事もなのめ
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なりけるが、しだいにつよくゆりければ、山はくづれてたにをうめ、きしはやぶれてみづをたたへたり。たうじや、ばうじや、せんずい、こだち、ついぢ、はたいた、くわうきよまで、あんをんなるはひとつもなし。さんやのきぎす、やごゑのとり、きせんじやうげのなんによ皆、「上を下にうちかへさむずるやらん」と心うし。やまがはをつるたきつせに、さをさしわづらふいかだしの、のりもさだめぬここちして、ややひさしくぞゆられける。八日さうたんにおんやうのかみやすちか、ゐんのごしよへはせまゐりて申けるは、「さんぬるよのいぬのときのだいぢしん、せんもんなのめならずおもくみえさうらふ。じぎのいへをいでて、もつぱらいつてんのきみにつかへたてまつり、ふうえふのふみにたづさはりて、さらにきつきようのみちをうらなひしよりこのかた、これほどのしようしさうらはず」とそうしければ、ほふわうおほせの有けるは、「てんべんちえう常の事なり。しかれどもこんどのぢしんあながちにやすちかがさわぎまうすはことなるかんもんのあるか」とおんたづねありければ、やすちかかさねてそうし
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まうしていはく、「たうだうさんききやうのそのひとつ、こんききやうのせつをあんじさうらふに、『年をえて年をいでず、月をえて月をいでず、日をえて日をいでず、時をえて時をいでず』とまうしさうらふに、これは、『日をえてひをいでず』とみえたるせんもんにて候。ぶつぽふわうぼふともにかたぶき、よは只今にうせさうらひなむず。こはいかがつかまつりさうらはむずる。もつてのほかのくわきふにみえさうらふぞや」とまうして、やがてはらはらとなきければ、てんそうの人もあさましくおもひけり。君もえいりよをおどろかしおはします。くげにもゐんぢゆうにもおんいのりどもはじめおこなはれけり。されども君もしんも、さしもやはとおぼしめしけり。わかきてんじやうびとなむどは、「けしからぬおんやうのかみがなきやうかな。さしもなにごとかはあるべき」なむどまうしあわれけるほどに、
(廿五) 十四日、たいしやうこくぜんもん、すせんのぐんびやうをあひぐして福原よりのぼりたまふとて、きやうぢゆうなにととききわきたる事はなけれども、いかなる事のあらむずるやらむとて、たかきも
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いやしきもさわぎける程に、入道てうかをうらみたてまつるべきよし、ひろうをなす。じやうげのばんにん、こはいかにとあきれまどへり。くわんばくどのもないないきこしめさるることやありけむ。ごさんだいあつて、「にふだうしやうこくじゆらくの事は、ひとへにもとふさをほろぼすべきけつこうとうけたまはりさうらふ。いかなるめをかみさうらはむずらむ」とて、よにおんこころぼそげにそうせさせ給へば、しゆしやうももつてのほかにえいりよをおどろかさせおはします。「おとどのいかなるめをもみられむは、ひとへにまろがみのうへにてこそあらめ」とて、御涙ぐませたまふぞかたじけなき。誠にてんがのまつりごとは、しゆしやうせつろくのおんぱからひにてこそあるべきに、たとひそのぎこそなからめ、いかにしつる事共ぞや。てんせうだいじん、かすがのだいみやうじんのしんりよもはかりがたし。
廿六 十五日、入道てうかをうらみたてまつるべきよしひつぢやうときこえければ、法皇、じやうけんほふいんをもつて、おんつかひとして、入道のもとへおほせつかはされけるは、「およそきんねんてうていしづ
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かならずして、人の心ととのほらず。せけんらくきよせぬ有様になりゆくこと、そうべつにつけてなげきおぼしめさるといへども、さてそこにおわすれば、ばんじたのみおぼしめされてこそあるに、てんがをしづむるまでこそなからめ、事にふれてがうがうなるていにて、あまつさへまたまろをうらむべしときこゆるはいかに。こはなにごとぞ。人のちゆうげんか。このでうはなはだをんびんならず。いかやうなる子細にて、さやふにはおもふなるぞ」とおほせつかはさる。ほふいんゐんぜんをうけたまはりてわたられけり。入道いであはれざりければ、入道のさぶらひ、げんだいふのはんぐわんすゑさだをもつて、ゐんぜんのおもむきをいひいれて、おんぺんじをあひまたれけれども、ゆふべにおよぶまでぶいんなりければ、さればこそとむやくにおぼえて、すゑさだをもつてまかりかへりぬるよしをいひいれられたりければ、しそくさひやうゑのかみとももりをもつて、「院宣かしこまりてうけたまはりさうらひぬ。じこんいごは入道にをいては、ゐんぢゆうのみやづかへはおもひとどまりさうらひ
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ぬ」とばかりいわれけるが、さすが入道いかがおもはれけむ、法印のかへられけるをみたまひて、「ややほふいんごばう、まうすべき事あり」とのたまひて、ちゆうもんのらうにいであひてのたまひけるは、「まづこだいふがみまかりさうらひぬる事、ただおんあいのわかれのかなしきのみにあらず、たうけの運命をはかるに、入道ずいぶんにひるいをおさへてまかりすぎ。けふともあすともしらぬおいの波にのぞみて、かかるなげきにあひ候心のうちをば、いかばかりとかはおぼしめされさうらふ。されども、法皇いささかもおぼしめししりたるおんけしきにて候はぬ由、もれうけたまはり候。かつうはごへんの御心にもごすいさつさうらへ。ほうげんいごはらんげきうちつづきて、君やすき御心もおわしまし候はざりしに、入道はただおほかたをとりおこなふばかりにてこそさうらひしか。だいふこそまさしくてをくだし、みをくだきたる者にては候へ。さればばんしにいりていつしやうをえたる事もたびたびなりき。そのほかりんじのおんだいじ、あさ
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ゆふのせいむにいたるまで、君のおんためにちゆうをいたす事、だいふほどのこうしんはありがたくこそ候らめ。ここをもつて昔をおもひあはせさうらふに、かのたうのたいそうはぎちようにをくれて、かなしみのあまりに、『昔のいんそうはりやうひつをゆめのうちにえ今のちんはけんしんをさめてののちにうしなふ』といふ、ひのもんをてづからかきて、べうにたててこそかなしみたまひけれ。びんをきりてくすりにあぶり、きずをすすぎてちをくらふは、くんしんのとく也。まぢかくはまさしくみさうらひし事ぞかし。あきよりのみんぶきやうせいきよしたりしをば、こゐんことにおんなげきあつて、はちまんごかうえんいんし、ぎよいうをとどめられき。たださだのさいしやうけつこくのとき、これもことさらにおんなげきふかかりしかば、たださだつたへうけたまはりて、おいのなみだをもよほしき。すべてしんかのそつする事をば、だいだいの君、みなおんなげきある事にて候ぞかし。さればこそ、『父よりもなつかしながらおそろしく、母よりもむつまじくしておそろしきは、きみと
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しんとのなか』とはまうしさうらへ。それにだいふがちゆういんに、はちまんへごかうあり。ぎよいうありし上、とばどのにてごくわいありき。おんなげきのいろ、いちじもこれをみず。かつうはひとめこそはづかしくさうらひしか。たとひ入道がなげきをあはれませおはしまさずといふとも、などかだいふがちゆうをおぼしめしわするべき。まただいふがちゆうをおぼしめしわするるおんことなりとも、などか入道がなげきをばあはれませおわしまさざるべき。ふしともにえいりよにかなはざりけむ事、今においてはめんぼくをうしなふ、これひとつ。つぎに、中納言のけつのさうらひしに、にゐのちゆうじやうどののごしよまうさうらひしを、入道さいさんとりまうしさうらひしに、ごしよういんなくて、せつしやうどのの御子、三位の中将をなし奉られさうらひし事はいかに。たとひ入道ひきよをまうしおこなひさうらふとも、一度はなどかきこしめしいれられ候はざるべき。まうさむや、けちやくといひ、ゐかいといひ、かたがたりうんさうにおよびさうらはざりしを、ひきかへられまひらせさうらひし事は、
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ずいぶんほいなきおんぱからひかなとこそぞんじさうらひしか、これふたつ。つぎに、ゑちぜんのくにを重盛にたまはりさうらひし時は、ししそんぞんまでとこそごやくそくさうらひしに、しにはつればめしかへされ候事、何のくわたいに候ぞ、これみつ。つぎに、きんじゆの人々、みなもつてこのいちもんをほろぼすべきよしをはからひさうらひけり。これわたくしのはからひにあらず。ごきよようありけるによつてなり。ことあたらしきまうしごとには候へども、たとひいかなるあやまりさうらふとも、いかでかしちだいまではおぼしめしすてられさうらふべき。それに入道すでにしつしゆんにおよびて、よめいいくばくならぬいちごのうちにだにも、ややもすればうしなはれたてまつるべきおんはかりことでさうらふ。まうしさうらはむや、しそんあひつぎて、いちにちへんしめしつかわれむ事かたし。およそはおいてこをうしなふは、こぼくのえだなきにてこそ候へ。だいふにをくるるをもつて、運命の末にのぞめる事、おもひしられさうらひぬ。てんきのおもむきあらはなり。たとひいかやうなる奉公をいたすとも、えいりよにおうぜむ
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事、よもさうらはじ。このうへはいくばくならぬおいのみの心をつひやして、なにとはしさうらふべきなれば、とてもかくてもさうらひなむと、思ひなりてさうらふなり」なむど、かつうはふくりふし、かつうはらくるいして、かきくどきかたられければ、ほふいんあはれにもをそろしくもおぼえて、あせみづになられにけり。「そのときはたれびとなりとも、いちごんのへんじにもおよびがたかりし事ぞかし。そのうへわがみもきんじゆのみ也。なりちかのきやういげはかりしことどもは、まさしくみききし事なれば、わがみもそのにんじゆとやおもひけがさるらむなれば、ただいまもめしこめらるる事もやあらむずらむ」と、しんぢゆうにはとかくあんじつづけられけるに、りようのひげをなで、とらのををふむここちせられけれども、法印もさる人にて、さわがぬていにてこたへられけるは、「誠にどどのごほうこうあさからず、いつたんうらみまうさせおわします、そのいはれさうらふ。ただしくわんゐといひ、ほうろくといひ、おんみにとりてはことごとくまんぞくす。これすでにくんこうの
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ばくたいなる事をかんじおぼしめすゆゑとこそみえてさうらへ。しかるをきんしんことをはかり、きみごきよようありなむどいふことは、ひとへにぼうしんのきようがいとおぼえさうらふ。みみをしんじてめをうたがふはしよくのへいなり。せうじんのふげんをしんじて、てうおんたにことなる君をうらみたてまつりましまさむ事、みやうけんにつけてそのはばかりすくなからず。およそてんしんはさうさうとしてはかりがたし。えいりよさだめてそのよしさうらふらむか。しもとしてかみにさかふらむ事は、あにじんしんのれいたらむや。よくよくごしゆいさうらふべし。ふせうのみにてごへんぽうにおよびさうらふでう、そのおそれすくなからずさうらへども、これはかみにおんあやまりなき事を、あしざまにまうすひとのさうらひけるをちんじひらきて、ごうつねんをしやし候べく候。ぢやうぐわんせいえうのうらがきにまうして候ぞかし。『せんげんすめりといへどもうよくながれをにごす』とて、せんきゆうよりいでたるかは、せんやくなるが故に、かりうをくむもの、いのち必ずちやうめいなり。ただしそのかはのちゆうげんにかくるるやまどり、
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そのながれをあぶる時、水たちまちにへんじてどくとなれり。そのやうに、法皇のめいとくはせんすいたりといへども、とりまうすものかりうをにごして、あしざまに入道殿に申て候とおぼえさうらふ。ゆめゆめおんうらみあるまじき御事にて候也。そのはちまんぐうのごかうはあはれなる御事にてこそさうらひしか。そのゆゑは、『あへなくも重盛におくれぬる事、まろひとりがなげきのみにあらず。しんかけいしやうたれかなげきとせざらむや。きんうにしにてんじて、いつてんにくもくらく、じやふうしきりにたたかつて、しかいしづかならず』とごぢやうさうらひて、にちにちややのおんなげき、今にいまだあさからず。『りんじゆういかがありけむ』とおんたづねさうらひしかば、あるひと、『そのびやうげんはよの常のしよらうにてはさうらはざりき。くまのごんげんにまうしうけてたまはるあくさうにてさうらひけるあひだ、かさのならひ、りんじゆうしやうねんみだれず、にうがつしやうの花うるはしくして、じふねんしようみやうの声たへず、さんぞんらいかうのくもたなびきて、くほんれんだいにわうじやうすとこそみへて
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さうらひしか』とまうしてさうらひしかば、りようがんにおんなみだをながさせたまふのみならず、きゆうちゆうみなそでをしぼられさうらひき。たうじまでもをりにしたがひ事にふれては、おんなげきのいろところせくこそみへさせたまひさうらへ。さて院のおほせには、『それこそなにごとよりもなげきの中のよろこびよ。しんかんにめいじてうらやましき物は、ただわうじやうごくらくのそくわい也。まろもくまのに参詣していのりまうしたけれども、みちの程はるかなり。同じさいはうのみだにておはしませば、はちまんぐうに参詣して申さばやとおぼしめすなり。かつうはだいふのため、まいにちにきねんするねんぶつどきやうのゑかうも、しやうじやうのれいちにしてこそかねをもならさめ』とて、なぬかのごさんろうさうらひき。これすなはちだいふのいうぎのとくだつ、たいしやうこくのごめんぼく、何事かこれにすぎさうらふべき。さればごちゆういんはてさうらひなば、いそぎごゐんざんさうらひて、かしこまりをこそ申させ給はざらめ。ごゐこん
にやおよぶ
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べき。せんたうのみづきよけれどもうよくながれをにごすと申すたとへすこしもたがひさうらはず」とまうされければ、入道たちはらの人のならひ、心まことにあさくして、袖かきあはせてさめざめとぞなきたまひける。「次にりんじのまつりのおんことは、これまたりゆうろうほうけつのごきたうにてはさうらはざりき。そのゆゑは、すぎさうらひしころ、はちまんぐうにくわいいしきりにしめしさうらひけるを、べつたうおほきにをそれて、ごほふをくだしまひらせてさうらひけるに、ごたくせんのさうらひけるは、
『はるかぜに花の都はちりぬべしさかきのえだのかざしなくては K062
きないきんごくやみとなりて、きうみんはくれいさんやにまよふべし』とおほせさうらひけるを、ほふわうおほきにおどろきおぼしめして、もろもろのしんかけいしやうそくさいえんめい、らくちゆうじやうげ、ごきしちだう、こくどあんをん、てんがたいへいのために、さんにちさんがやのごきたうなり。これまたきでんのごきたうにあらずや。こだいふはだいこくまできこへおはしまししけんしん
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なり。されば常には『こくどあんをんにんみんけらく』といのらせたまひし事なれば、くさのかげにても、小松殿さこそよろこびましましけめ。このうへなほなほごふしんさうらはば、はちまんのべつたうにおんたづねさうらふべし。次にゑちぜんのくにをめされさうらひけむ事はいまだうけたまはりおよばずさうらふ。きみもいまだしろしめさざるにや。いそぎそうもんつかまつりて、もししさいさうらはば、おつてまうすべくさうらふ。次ににゐのちゆうじやうどののごしよまうの事は、入道殿のごしそんにても渡らせ給はず、そのうへくわんばくどののおんぱからひをばたれかなげきまうすべき。たとひ又一度はきみのおんあやまりわたらせたまふとも、しんもつてしんたらずとまうすほんもんもさうらふぞかし。せんじさうらふところ只こざかしきまうしじやうにては候へども、おつてごそうもんあるべくさうらふ。今はいとままうして」とてたちたまひにけり。入道たからかに、「院宣の御使也。おのおのみなれいぎつかまつるべし」とのたまひければ、八十よにんさうらひける人々、いちどうに皆にはにおりてもんそうす。ほふいんいとさ
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わがぬていにて、ゆんづゑみつゑばかりあゆみいでて、たちかへり深くけいくつす。ややひさしくたちむかひておはしけるあひだ、「さのみはおそれさうらふ」とて、八十よにん皆えんのきわにたちかへる時、法印あゆみいでられにけり。びびしくぞみへたりける。あるほんもんにいはく、「くんわうくにををさめ、ちゆうしんきみをたすく。ふねよくさををのせ、さをよくふねをやる」といへり。このことおもひあはせられてあはれなり。「じやうけんほふいんちゆうしんとして、よく君をたすけ奉り給ひぬる事にこそしんべうなれ」とて、くちぐちに皆かんじあへり。ひごのかみさだよしこれをみて、「あなおそろししや。入道殿のあれ程にいかりたまひてのたまはむには、われらならば、ゐんのごしよにあること、なきこと、ことよしごと、まうしちらしていでなまし。すこしもさわがぬけいきにて、へんじうちしてたたるることよ」と、すゑさだいげのものども是をききて、「さればこそ、ゐんぢゆうに人々そのかずおほしといへども、そのなかにそうなれども
えらばれて、おんつかひにもたつらめ」と
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とぞおのおのまうしける。ころは十一月じふごやの事也。ほふいんはにしはつでうのなんもんよりいでたまへば、めいげつの光はひがしやまのみね、まつのこのまよりぞいであひたまひける。法印の胸のうちなるぶつしやうのつきは、さんずんのしたのはしにあらはれて、入道殿のしんぢゆうのやみをてらし、ちゆうとうさんごのよはのつきは、ひかりめいめいとして、法印のきしやのぜんごをかかやかす。心のつきもくまもなく、ふけゆくそらのかうげつの光もあきらかなり。法印車にのりてければ、うしかひいそぎ車をやらむとす。法印のたまひけるは、「車しばらくをさへよ。やいんのありきはろしのらうぜきなり。むかへのものどもをまつべし」とて、したすだれかかげたり。明月の光はものみよりぞさしいりける。法印のかほあいあいあとしてきよげなり。きんせうのつきのくまなきに、きうしをおもひいでて、
ゑはずはきんちゆうにいかでかさりえん、ばゐさんのつきまさにさうさうたり。 K063
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たれのひとかれうぐはいにひさしくせいじうし、いづれのところのていしよにあらたにべつりせん。 K064
とえいじはてざるところに、むかへのものどもいできたり。「たれたれまゐりたるぞ」とたづぬれば、こんがうざゑもんとしゆき、りきしひやうゑとしむね、からすぐろなる馬にしろぶくりんのくらおきて、ぎよりようのひたたれの下にいとひをどしのはらまき、つきの光にえいじて、かつぽのたまをみがけるが如し。いちやしや、りゆうやしやとて、だいのわらはのみめよきが、しげめゆひのひたたれにきくとぢして、したはらまきにそやおひたり。じやうげのはずにつのいれたる、しげどうの弓をぞもちたりける。ほふしばらには、こんりき、じやういち、じやうまん、こんどう、たもん、かくいち、やしやもんほふし、げそう七人参たり。これらも皆くろかはをどしのはらまきに、てぼこ、なぎなた、たちなむどさげたり。このじやうけんほふいんは、ないてんげてんのがくしやう、ぜひふんみやうのさいじんなり。ゐんうちのおんけしきは、しよしんかたをならぶる人なし。ばんにんのぎやうそうする事は、しその中には
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たぐひなし。きら誠にしんべうにして、じゆうるい多く人にすぐれたり。めしつかふほどの者はみな、じふにさんさいのこわらはべ、ほふしばらにいたるまでも、のうも
かしこく、ちからもつよかりけり。中にもこんがうざゑもん、りきしひやうゑのじようは、よにきこへたるだいぢからとぞきこへし。さてもほふいんきさんして、太政入道のおんぺんじのやう、くはしくそうせられければ、誠に入道のうらみまうす所いちじとしてひがことなく、だうりしごくしておぼしめされければ、法皇さらにおほせられやりたる御事もなくして、「こはいかがせむずる。なほなほも法印こしらへてみよ」とぞおほせごとありける。
廿七 十六日、入道てうかをうらみたてまつるべきよしきこへけれども、さしもの事やはあるべきとおぼしめされけるほどに、くわんばくどののごしそく、ちゆうなごんもろいへをはじめたてまつりて、だいじやうだいじんもろながこう、あんぜつのだいなごんすけかたいげのけいしやううんかく、じやうげのほく
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めんのともがらにいたるまで、つがふ四十二人、くわんをとどめておひこめらる。そのうち、さんぎくわうごうぐうのごんのだいぶくらんどのとうけんうこんゑのかみ、ふぢはらのみつよしのきやう、おほくらきやううきやうのだいぶいよのかみ、たかはしのやすつねのあつそん、くらんどのさせうべんけんごんのだいしん、ふぢはらのもとちかのあつそん、いじやうさんくわんさんしよくともにとどめらる。あぜちのだいなごんすけかたのきやう、ちゆうなごんのちゆうじやうもろいへのきやう、うこんゑのごんのせうしやうけんさぬきのごんのかみすけときのあつそん、くわうだいこうくうのごんのせうしんけんびつちゆうのかみ、ふぢはらのみつのりのあつそん、いじやうにくわんをとどめらる。そのなかにくわんばくどのをばださいのそつにうつして、つくしへ流し奉られけるこそあさましけれ。「かかるうきよには、とてもかくてもありなむ」とおぼしめしける上、おんいのちさへあやうくきこへければ、とばのふるかはといふところにて、おほはらのほんがくしやうにんをめして、おんぐしをろさせたまひにけり。おんとし三十五、よのなかさかりとこそおぼしめされけれ。「れいぎよくしろしめして、
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くもりなきかがみにてわたらせたまひける物を」と、よのをしみたてまつることなのめならず。出家の上はいつとうをだにもげんぜらるる事なれば、はじめはひうがのくにときこへしかども、しゆつけのひとはもとさだまりたる国へはおもむかぬ事なれば、びぜんのくにゆばさまといふ所にぞとどめ奉りける。大臣るざいのれいをたづぬるに、そがのさだいじんあかえこう、うだいじんとよなりこう、さだいじんかねなこう、すがはらの大臣いまのきたののてんじんの御事也、左大臣かうめいこう、ないだいじんいしうこうにいたるまで、そのれい既に六人なりといへども、ちゆうじんこう、せうぜんこうよりこのかた、せつしやうくわんばくのるざいせられたまふこと、是ぞはじめなりける。こなかどのもとざねこうのおんこ、にゐのちゆうじやうどのもとみちこうとまうすは、今のこんゑのにふだうてんがの御事也。そのとき大政入道のおんむこにておわしけるを、一度にないだいじんくわんばくになし奉るときこゆ。ゑんゆうのゐんのぎよう、てんろく三年十一月一
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日、いちでうのせつしやうこれまさこうけんとくこう、おんとし四十九にてにはかにうせさせたまひたりしかば、おんおととのほりかはのくわんばくかねみちちゆうぎこう、じゆにゐのちゆうなごんにて渡らせたまひけるが、大納言をへずして、おんおととのほごゐんの入道殿、だいなごんのだいしやうにて渡らせ給けるが、さきにこえられさせたまひけるを、こえかへし奉て、ないだいじんじやうにゐにあがらせたまひて、ないらんのせんじをかうぶらせおわしましたりしをこそ、時の人めをおどろかしたるごしようじんとまうししに、これはそれにもなほてうくわせり。ひさんぎにて、にゐのちゆうじやうよりさいしやうだいなごんだいしやうをへずして、だいじんくわんばくになりたまへるれい、これやはじめなるらむ。さればだいげき、たいうのし、しゆひつのさいしやうにいたるまで、皆あきれたるていなり。おほかたたかきもいやしきも、ぜひにまよはぬは一人もなかりけり。きよきよねんの夏、なりちかのきやうふし、しゆんくわんそうづ、ほくめんのげらふどもが事にあひしをこそ、あさましと君もおぼしめし、人もおもひしに、
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是はいまひときはの事なり。されば、「是はなにごとゆゑぞ。おぼつかなし。この関白にならせ給へるにゐの中将殿の、中納言になりたまふべきにてありけるを、さきの関白殿のおんこ、さんゐのちゆうじやうもろいへとて八才になりたまへりしが、そばよりおしちがへてなり〔給〕へる故」とぞ申けれども、「さしもやは有べき。さらば関白殿ばかりこそ、かやうのとがにもあたり給はめ。四十よにんまでの人の、事にあふべしや。いかさまにもやうあるべし」とぞ、まうしあへりける。てんまげだうの、入道のみにいれかはりにけるよとぞみへける。人の夢にみけるは、さぬきのゐんごかうありけるに、おんともにはうぢのさのをとど、ためよしにふだうなどさうらふなり。院の御所へじゆぎよあらむとて、まづためよしをいれられてみせられければ、いそぎまかりいでて、「この御所にはおんおこなひひまなく候也。そのうへ只今もおんぎやうぼふのほどにて候」と申ければ、「さては
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かなはじ」とてくわんぎよあるに、ためよし申けるは、「ささうらはば、清盛がもとへいらせ給へ」と申ければ、それへごかうなりけると、みたりけるとかや。さればにや、君をもあしくおもひまひらせ、しんをもなやまし給らむ。まことにこの夢おもひあはせらるる、入道のしんぢゆう也。ただしおんともにうぢのさのをとどのさうらひたまはむには、太政大臣うきおんめを御覧ぜさせ給べしや。心にいれかわり給はんにも、この御事ばかりをばよきやうにこそ、入道もはからはれむずれ。こればかりぞ心えがたき。人はたかきもいやしきも、しんは有べき事なり。法皇は常にごしやうじんにておんおこなひひまなきによつて、あくまもおそれを奉けり。入道はわかくしてはしんもありて、ほうげんのかつせんの時も、「あさひにむかひてはいくさせじ」とたてられたりけるが、そののちはあまりにてうおんにほこりて、しんもかき給へり。とみてをごらざる者なしといふ事は、この入道のありさまにてぞ有べ
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きと、今こそおもひあはせけれ。およそは人のいたりてさかへて心のままなるも、そのまごたえはてぬべきずいさうなりと心えて、よくよくつつしむべき事なり。あぜちのだいなごんすけかたのきやう、おなじくしそくさせうしやうすけとき、おなじくまごせうしやうまさかた、いじやう三人をばきやうぢゆうをおひいださるべきよし、とうだいなごんさねくにのきやうをしやうけいとして、はかせのはんぐわんなかはらののりさだをめしてせんげせらる。いづくをさだむともなく、都のほかへおはれけるこそかなしけれ。ちゆううのたびとぞおぼえける。くわんにんきたりておひければ、おそろしさのあまりに、物をだにものたまひをかず、まごこひきぐしていそぎいでたまふ。きたのかたよりはじめて、にようばう、さぶらひ、おめきさけぶ事おびたたし。三人涙にくれたまひて、ゆくさきもみへねども、そのよなかにここのへのうちをまぎれいでて、やへたつくものほかへぞおもひたたれける。にししゆしやくより西をさして、おほえやま、いくののみちをへつつ、たんばのくに
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むらくもといふ所にしばらくやすらひ給けるが、のちにはしなののくににおちとどまりたまふとぞきこへし。このきやうはいまやう、らうえいのじやうずにて、院のきんじゆ、たうじのちようしんにておわせしかば、法皇もしよじないげなくおほせあはせられけるあひだ、入道ことにあたまれけるにや。
廿八 だいじやうだいじんはおなじき十七日都をいでたまひて、をはりのくにへながされたまふとぞきこへし。このおとどはさんぬるほうげんぐわんねん七月、ちちうぢのあくさふの事にあひたまひし時、中納言の中将と申て、おんとし十九歳にて、同八月とさのくにへながされたまひたりしが、おんあにのうだいしやうたかながのあつそんは、ききやうをまたず、はいしよにてうせたまひにき。これは九年をへて、ちやうぐわん二年六月廿七日、めしかへされたまひて、おなじき十月十三日、ほんゐに、ふして、えいまんぐわんねん八月十七日、じやうにゐにじよせらる。にんあんぐわんねん十一月五日、さきのちゆうなごんよりごんだいなごんにうつり給ふ。をりふし大納言あかざりければ、かずのほかにぞ
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くははりたまひける。大納言の六人になる事、これよりはじまれり。またさきのちゆうなごんより大納言にうつる事、ごやましなのおとどさんしゆこう、うぢのだいなごんたかくにのほかは、せんれいまれなりとぞきこへし。くわんげんのみちにたつして、さいげいひとにすぐれて、君もしんもおもくし奉りたまひしかば、しだいのしようじんとどこほらず、ほどなく大政大臣にあがらせ給へりしに、「いかなるぜんぜのごしゆくごふにて、又かかるうきめにあひたまふらむ」とぞ申ける。ほうげんの昔はさいかいとさのくににうつり、ぢしようの今はとうくわんをはりのくにへおもむき給ふ。もとよりつみなくしてはいしよのつきをみむといふ事は、こころあるきわの人のねがふ事なれば、おとどあへて事ともし給はず。十六日のあかつきがた、やましなまでいだし奉る。同十七日の朝、あかつきふかくいでたまへば、あふさかやまにつもる雪、よものこずゑもしろくして、ありあけのつきほのかなり。あいゑん空にをとづ
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れて、いうしざんげつにゆきけむかんこくのせき、おもひいでらる。むかしえんぎだいしのみやせみまるの、びはをだんじわかをえいじて、嵐の風をしのぎつつすみたまひけむわらやの、心ぼそくうちすぎて、うちでのはま、あはづのはら、いまだ夜なればみへわかず。そもそもてんちてんわうのぎよう、やまとのくにあすかのをかもとのみやより、たうごくしがのこほりにうつりて、おほつのみやをつくられたりけりときくにも、このほどはくわうきよのあとぞかしとあはれなり。あけぼのの空になりゆけば、せたのからはし渡る程に、みづうみはるかにあらはれて、かのまんぜいしやみがひらの山にゐて、「こぎゆくふね」とながめけむ、あとのしらなみあはれなり。のぢのしゆくにもかかりぬれば、かれのの草における露、ひかげにとけて、たびごろもかはくまもなくしほれつつ、しのはらとうざいへみわたせば、はるかに長きつつみあり。北にはきやうじんすみかをしめ、南にちすい遠くすめり。はるかにむかへの岸の水、くがにはみどり
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深きまつ、はくはの色にうつりつつ、なんざんのかげをひたさねども、あをくしてくわうやうたり。すざきにさわぐをしがもの、あしでをかきけるここちして、都をいづるたびびとのこのしゆくにのみとどまりしが、うちすぐるのみ多くして、いへゐもまれになりゆけり。これをみるにつけても、「かわりゆくよのならひ、あすかのかはのふちせにもかぎらざりき」とあはれなり。かがみのしゆくにもつきぬれば、「むかしおきなのたまひあはせて、『おいやしぬる』とながめしも、このやまの事なりや」と、かりたくは思へども、むさでらにとどまりぬ。まばらなるとこの冬のあらし、夜ふくるままにみにしみて、都にはひきかはりたるここちして、まくらに近きかねのこゑ、あかつきの空におとづれて、かのゐあいじの草のいほりのねざめもかくやとおもひしられ、かまうののはらうちすぐれば、をいそのもりのすぎむらに、よももかすかにかかる雪、あさたつそでにはらひあへず、おとにきこへしさめがひの、
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くらきいはねにいづるみず、みづぎはこほりあつくして、まことにみにしむばかりなり。きうかさんぶくの夏のひも、はんゆうふがだんせつのあふぎ、がんせんにかはるめいしよなれば、けんとうそせつの冬のそら、ぐわつしせつせんのほとりなる、むねつちをみるここちする。かしはばらをもすぎぬれば、みののくにせきやまにかかりぬ。こくせん雪のそこにこゑむせび、れいらんまつのこずゑにしぐれて、ひかげもみへぬうちくだりみち、心ぼそくもこえすぎぬ。ふはのせきやのいたびさし、としへにけりとみおきつつ、くひぜがはにとどまり給ふ。よふけひとしづむれば、しもつきはつかにおよぶころなれど、みなしろたへのはれの空、きよきかはせにうつろひて、てるつきなみもすみわたり、じせんりのほかのこじんの心もおもひやり、旅の空いとどあはれにおもひなし、をはりのくにゐどたのさとにつきたまひぬ。かのたうのたいしのひんかくはくらくてん、げんわ十五年の秋、きうかうぐんのしばに
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させんせられて、しんやうのえのほとりにちちやうしたまひける、古きよしみをおもひやりて、しほひがた、しほぢはるかにとほみして、常はなみのつきをのぞみうらかぜにうそぶきつつ、びはをだんじしいかをえいじて、なほさりにひをおくり給へり。あるよたうごくだいさんのみや、あつたのやしろにさんけいあり。としへたる森のこのまよりもりくる月のさしいりて、あけのたまがき色をそへ、わくわうりもつの庭にひくしさくの風にみだれ、何事につけてもかみさびたるけいきなり。あるひとのいはく、「このみやとまうすはそさのをのみこと、これなり。はじめはいづものくににみやづくりありき。やへたつといふさんじふいちじのえい、このおんときよりはじまれり。けいかうてんわうのぎよう、このみぎりにあとをたれたまへり」といへり。もろなが、しんめいほふらくの為にびはをだんじたまひけるに、ところもとよりむちのぞくなれば、なさけをしれる人まれなり。いうらう、
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そんぢよ、ぎよじん、やそう、かうべをうなだれ耳をそばたつといへども、さらにせいだくをわかちりよりつをしれる事なし。されどもくわはきんをだんぜしかば、ぎよりんをどりほとはしり、ぐこう歌をはつせしかば、りやうちんうごきうごく。物のたへなるをきはむる、しぜんにかんをもよほすことわりにて、まんざ涙をおさふ。そのこゑさうさうせつせつとして、又しやふしやふたり。たいげんせうげんのきんけいのあやつり、たいしゆせうしゆのぎよくばんにをつるにあひにたり。てうだんするすきよくをつくし、やろしんかうにおよびて、「ねがはくはこんじやうせぞくもんじのごふ」といふらうえいと、「ふがうでうの中に花ほんふくのかをりをふくみ、りうせんのきよくのあひだに、つきせいめいのひかりあきらかなり」といふらうえいとを、りやうさんべんせられけるに、しんめいかんおうにたへず、ほうでんおほきにしんどうす。しゆうじんみのけいよだちて、きいのおもひをなす。大臣は、「平家のかかるあく
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ぎやうをいたさざらましかば、今このずいさうををがまましやは」と、かつうはかんじかつうはよろこびたまひけり。あるときまたつれづれのあまりに、みやぢやまにわけいらせ給ふ。ころはかむなづきはつかあまりの事なれば、こずゑまばらにしておちばみちをうづみ、はくぶ山をへだてて、鳥のひとこゑかすかなり。山又山をかさぬれば、里をかへりみしとぼそもへだたりぬ。うしろはしようさんががとして、はくせきのりゆうすいみなぎりおつ。すなはちせきしやうにりうせんのたよりをえたるしようちなり。こけせきめんにむして、じやうげんの曲をしらべつべし。いはのうへにからかはのうちしき、しとうのこうのおんびはいちめん、みずいじんありけるを、滝にむけておんひざの上にかきすへ、ばちをとりげんをうちならし給ふ。しげんだんの中にはきゆうしやうだんをむねとし、ごげんだんの中にはぎよくしやうだんをさきとす。かろくをさへゆるくひねりかひて、またかきかへす。はじめはげいしやう
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をなし、のちには、たいげんさうさうとしてごとしむらさめの、せうげんせつせつとしてひぎよににたり。だいいちだいにのげんはさくさくたり。春のうぐひすかんくわんとして、花のもとになめらかなり。だいさんだいしのげんの声はせつせつたり。かんせんいうえつして、こほりのしたに難なづまし。たいしゆせうしゆのぎよくばんにおつるをと、きんけいのあやつり、ほうわうゑんあうのわめいの声をそへずといへども、ことのてい、さんじんかんをたれたまふらむとおぼえたり。さびしきこずゑなれども、そうくわたくぼくはそらにれいろうのひびきを送る。そのとき水のそこよりあをぐろいろのきじんしゆつげんして、ひざびやうしをうちて、おんびはにつけて、うつくしげなる声にてしやうがせり。なにもののしわざなるらむとおぼつかなし。きよくをはれり。だんをはらひばちををさめたまふとき、きじんまうしていはく、「われはこのみづの底に多くとしつきをすごすといへども、いまだかかるめでたきおんことをばうけたまはらず。このおんよろこびには
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今三日の内にごきらくのあらむずるなり」とまうしもはてねば、かきけつやふにうせにけり。すいじんのしよぎやうとはいちしるし。このほどの事をおぼしめしつづくるに、「あくえんはすなはちぜんえんとはこれなりけり」とおぼしめししられけり。そののち第五日とまうししに、きらくのほうしよをくだされき。くわんげんのおんぎよくをきはめ、たうだいまでもめうおんゐんたいしやうこくとまうすは、すなはちこの御事也。「めうおんぼさつのけし給へるにや」とぞ申ける。むらかみのせいしゆ、てんりやくの末のころ、かむなづきのなかば、つきかげさへて風の音しづかに、よふけひとしづまりてせいりやうでんにおはしまして、すいぎうのつののばちにてげんじやうらくのはをしらべさせ給つつ、御心をすまさせ給ひけるに、天より影のごとくにしてとびきたりて、しばらくていしやうに休むきやくあり。せいしゆ是を御覧じて、「何者ぞ」ととひたまふ。「われはこれたいたうのびはのはかせ、れん
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しようぶとまうすものなり。てんにんのくわほうをえて、こくうにひぎやうするみにてさうらふが、ただいまここをまかりすぎさうらふが、御琵琶のばちおとにつきまひらせてまゐりてさうらふなり。いかむとなれば、ていびむにびはのさんきよくをさづけし時、ひとつのひきよくをのこせり。さんきよくとは、だいじやうはくし、やうしんさう、りうせん、たくぼく、これなり。りうせんに又二曲あり。一にはせきしやうりうせん、二にはしやうげんりうせん、是なり。おそらくは君にさづけたてまつらむ」と申ければ、せいしゆことにかんじたまひて、おましをしりぞけておんびはをさしおき給へば、れんせうぶこれをたまはつて、りうせん、たくぼく、やうしんさうのひきよくをぞつくしける。しゆうしやうもとのざしきになをり給ひ、かのきよくをひきたまふに、ばちおとなほすぐれたり。ひきよくつたへたてまつりてのち、こくうにとびあがり、雲をわけてのぼりにけり。ていわうこれをはるかにえいらんあつて、ぎよいの袖をおんかほにおしあてて、かんるいをぞながされける。このおとどききやうののち、ご
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さんだいありて、びはをしらべたまひしかば、げつけいうんかく耳をうなたれ、たうしやうたうかめをすまして、いかなる秘曲をかひきたまはむずらむとおもひゐたるに、よの常のやうなるがわうおん、げんじやうらくをひかれたりけるに、しよにん思はずになりにけり。しかるに「がわうおん、げんじやうらく」とは、「わうおんをよろこびてみやこへ帰りたのしむ」とよめり。きのふはとうくわんのほかにうつされて、物うきすまひなりけれども、けふはほくけつの内につかへて、楽しみさかへ給へば、このきよくをそうし給ふもことわりとぞおぼゆる。このとのを平家ことににくみたてまつりける事は、たいたうよりなんじのもんをつくりてくげへたてまつりたりけり。これをよむひとなかりけるに、このとののよまれたりけり。平家の為にあしかりけるゆゑなり。せんどにもんじみつあり。ひとつには「国」のつくり、□。これをば「王なき国」とよまれけり。ふたつには国のつくりの中に「分」といふじをみつかきたり、■。これをば「くにみだれてかまびすし」とよまれたり。みつは
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しんだいのしんのもんじをふたつならべてかきたり、■。これをば「したためにやらむぞ」とよまれたり。のちのたびには「かちゆうかちゆうちゆうちゆう、くうちゆうしちにちいうひ、かいちゆうしちにちいうひ」。このもんをもこのとのみたまひて、くちびるをのべてわらひてみなよまれたりけれども、うけたまはりける人々こまかにおぼえざりけり。「これは平家のあくぎやうのいこくまできこえて、国の主をはづかしめ奉るもんなるべし」とぞ、のちにはひとまうしける。さゑもんのすけなりふさはいづのくにへ流さる。びつちゆうのかみみつのりはもとどりきられにけり。がうのたいふのはんぐわんとほなり、「くわせらるべき四十二人が内にいりたり」とききて、「今はいかにものがるべきにあらず。まことや、るにんさきのうひやうゑのすけよりともこそ、へいぢのらんげきにちちしもつけのかみちゆうせられ、したしきものどもみなみなうしなわれて、ただひとりきりのこされて、いづのくにひるがしまにながされておわすなれ。かの人は末たのもしき人なり。うちたのみてくだりたらば、もしこのなんをのがるる事も
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や」とおもひて、かはらいたのいへをうちいでて、ふし二人いなりやまにこもりたりけるが、「よくよくおもへば、兵衛佐たうじよにある人にてもなし。さればさうなく入道かんだうのわれらをうけとることもありがたし。又あふさか、ふはのせきをこえすぎむ事もをだしかるべしともおぼえず。そのうへ、平家のけにん国々にじゆうまんせり。ろとうにしていふかひなくからめとられて、いきながら恥をさらさむ事も心うかるべし」とおもひかへして、かはらざかのしゆくしよへうちかへりて、いへにひをさして、ほのほの中へはしりいりて、ふしともにやけしにけり。時にとりてはゆゆしかりけることどもなり。このほかの人々もにげまどひ、あわてさわぎあへり。あさましともいふはかりなし。きよきよねん七月、さぬきのほふわうのごついがう、うぢのあくさふぞうくわんのことありしかども、をんりやうもなほしづまり給はぬやらむ、このよの有様、ひとへにてんまのしよぎやうと
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ぞみへし。「およそこれにかぎるまじ。なほにふだうはらすへかね給へり」とて、のこれる人々をぢあひけるほどに、
廿九 そのころさせうべんゆきたかとまうすひとは、かんゐんの右大臣ふゆつぎよりは十二代、こなかやまのちゆうなごんあきときのきやうのちやうなんにておわせしが、にでうのゐんのみよに近くめしつかはれて、べんになりたまひし時も、うせうべんながかたのあつそんをこえて、さにくはへられにけり。五位のじやうしゐし給へりしに、とうようの人をこえなむどして、ゆゆしかりしが、にでうの院におくれ奉りて、時をうしなへりしかば、にんあんぐわんねん四月六日、くわんをとどめられてろうきよしたまひしより、永くせんどをうしなひて、十五年の春秋を送りつつ、夏秋のかういにも
およばず、てうぼのしよくも心にかなわずして、かなしみの涙を流し、春のそのにはすずりをならして、はなをもつてゆきとしようし、秋のまがきにはふでをそめてきくをかりてほしとかうす。
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いがのにふだうじやくねんがりやうぜんにろうきよして、
春きてもとはれざりけりやまざとを花さきなばとなにおもひけむ K065
とえいじて、ながめゐたりしここちして、あかしくらし給ける程に、十六日さよふくるほどに、だいじやうにふだうどのよりとてつかひあり。ゆきたかさわぎ給へり。人々あはつめり。「我もいかなるべきにか。この十四五年のあひだはなにごとにもあひまじはらねば」とはおぼしけれども、「さるにつけても、むほんなむどによりきするよし、人のざんげんやらむ」と、思わぬ事なくおぼしけり。「むかしむらかみのぎよう、たちばなのなほもとが、『こうしんのくわんくわをのぞめば、まなこくもぢにつかれ、はうじんのえいせきにならべば、をもてでいさにたる』とそうしけむは、せめてなほてうていにつかへ奉り、しようじんのおそき事をこそながきしに、これはなほもとがおもひをはなれてさんごのせいざうを送り、今
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入道にうらまれ奉るべしとは思はねども、たうせいのありさまとがなくしてつみをかうぶれば、いかにとあるべき事やらむ」となげきながら、「いそぎ参るべし」とのたまひたりけれども、うし、くるまもなし、しやうぞくもなし。おぼしわづらひて、おととのさきのさゑもんのすけときみつとまうしけるをはしけり、「かかる事こそあれ」と、おほせおくられたりければ、うし、車、ざつしきのしやうぞくなむどいそぎたてまつり給へりければ、にしはつでうへをののくをののくおわしたれば、入道げんざんしたまひてのたまひけるは、「こちゆうなごんどのしたしくおわしましし上、ことにたのみたてまつりて、だいせうじまうしあはせたてまつりさうらひき。そのおんなごりにておわしませば、おろかにおもひたてまつることなし。ごろうきよとしひさしくなりぬる事なげきぞんじさうらへども、法皇のおんぱからひなればちからおよばずさうらひき。今はごしゆつしあるべく候」とのたまひければ、ゆきたかまうされけるは、「この十四五年があひだはまよひ者になりはてさうらひて、しゆつしのほふみぐるしげなる
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者にて、いかにすべしともぞんぜず候へども、このおほせの上はともどもおんぱからひにしたがひたてまつりさうらふべし」とて、てをあはせ、「今のおほせ、ひとへにかすがのだいみやうじんのおんぱからひとあふぎ奉り候」とていでられぬ。おんとものものども、べつじなしとおもひて、いそぎ帰る。弟のさゑもんのすけのもとへ人をつかはして、「べつじなく只今なむかへりて候」とつげられたり。ゆきたか、入道のいひつるやうをかたり給ければ、きたのかたよりはじめて皆なきわらひしてよろこびけり。こうてうに、げんだいふのはんぐわんすゑさだがこはちえふの車に入道のうしかけて、うしわらはしやうぞくあひぐして、ひやつぴきひやくくわんひやくこくをおくられたりける上、「今日べんになしかへし奉べし」と有ければ、よろこびなむどはいふはかりなし。かちゆうのじやうげ、てのまひ、足のおきどころをしらず。「あまりの事にや。夢かや」とぞおもひける。さて十七日、うせうべんちかむねのあつそん、おひこめられしかば、そのところをうせうべんになしかへして、おなじき十八日、ごゐのくらんどになさるるに、
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今年は五十一になり給へば、いまさらにまたわかやぎたまふもあはれなり。
つひにかく花さく秋になりにけりよよにしほれし庭のあさがほ K066
かくてとしつきをふるほどに、このひとのおんこ、とうだいじのちやうくはん、中納言むねゆきのきやうとまうしし人は、こののち四十三年の春秋をへて、じようきうさんねんのちらんのとき、きやうがたたりしあひだ、そのふによつてくわんとうへめしくだされ、するがのくにうきしまがはらにして、だんとうざいくわのよしをききて、りよしゆくのまくらの柱、かくぞかきつけける。
今日すぐるみをうきしまがはらにてぞつひのみちをばききさだめつる K067
昔はなんやうけんのきくすい、かりうをくみてよはひをのべ、今はとうかいだうのきせがは、せいがんにやどりていのちをうしなふ。とかき給へり。つひにせきにしてうしなはれたまひぬ。今のよまでもあはれなる事にはまうしつたへたり。
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卅 はつかのひ、ゐんのごしよしつでうどのにぐんびやううんかの如くしめんにうちかこみたり。にさんまんぎもや有らむとみゆ。こはなにごとぞと、ごしよぢゆうにさうらひあひたる、くぎやう、でんじやうびと、じやうげのほくめんのともがら、つぼねつぼねの女房までも、さこそあさましくおぼしけめ。しんぢゆうただをしはかるべし。「むかしあくうゑもんのかみがさんでうどのをしたりけるやうに、ひをかけて人をみなやきころさむとする」といふ者もありければ、つぼねの女房、うへわらはなむどはをめきさけびて、かちはだしにて、物をだにもうちかづかず、まどひいでてたふれふためきさわぎあへる事、いふはかりなし。「ひごろのよの有様に、けふのぐんびやうのかこみやう、さにこそ」とはおぼしめしけれども、「さすがにたちまちにこれほどの事あるべし」とも、おぼしめしよらざりけるやらむ、法皇もあきれさせたまひたりけるに、さきのうだいしやうむねもりこうまゐられたりければ、「こは何事ぞ。
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いかなるべきにてあるぞ。遠き国、はるかの嶋へはなたむとするか。さほどつみ深かるべしとはおぼえぬ物を。しゆしやうかくておわしませば、よのまつりごとにこうじゆするばかりにてこそあれ。その事さるべからずは、是よりのちにはてんがの事にいろはでこそあらめ。なんぢさてあれば、おもひはなたじとたのみてあるに、いかにかく心うきめをばみするぞ」とおほせられければ、うだいしやうまうされけるは、「さしものおんことはいかでか候べき。よをしづめさうらわむ程、しばらくとばどのへ渡しまひらすべき由を、入道まうしさうらひつる」とまうせば、「ともかくも」とおほせられければ、おんくるまさしよす。だいしやうやがておんくるまよせにさうらふ。さゑもんのすけとまうしし女房、出家ののちにはあまぜとめされしあまにようばう一人ぞ、おんくるまのしりに参りける。おんもののぐにはおんきやうばこばかりぞ御車にはいれられける。法皇は、「さてはむねもりもまひれかし」とおぼしめしたるおんけしきの、あらはにみへさせ
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たまひければ、「こころぐるしきおんともしてみおきまひらせばや」とは思われけれども、入道のけしきにおそれて参られず。それにつけても法皇は、「兄のだいふには事のほかにおとりたる者かな」とぞおぼしめされける。「ことわりなり。まろはひととせかかるめをみるべかりしを、こだいふがいのちにかへていひとどめたりしによりてこそ、今まではあんをんなりつれ。だいふうせぬる上はいさむる人もなしとて、そのところをえて、はばかるところもなくかやうにするにこそ。ゆくすゑこそさらにたのもしからね」とぞおぼしめしける。くぎやう、てんじやうびとの一人もぐぶするもなし。ほくめんのげらふ二三人とおんりきしやこんぎやうほふしばかりぞ、「君はいづくへわたらせたまふやらむ」とおもひける心うさに、おんくるまのしりに、げらふなれば、かいまぎれてぞまひりける。そのほかの人々は、しつでうどのより皆ちりぢりにうせにけり。御車のぜんごさうには
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三万よきのぐんびやううちかこんで、七条を西へしゆしやくをくだりに渡らせ給へば、きやうぢゆうのきせんじやうげ、しづのをしづのめにいたるまでも、「院の流されさせたまふ」とののしりてみ奉り、たけきもののふも涙を流さぬはなかりけり。とばのきたどのへいらせたまひにければ、ひぜんのかみやすつなと申ける平家のさぶらひ、守護し奉る。法皇のおんすまひ、只おしはかりまひらすべし。さるべき人一人も候はず。あまぜばかりぞ、ゆるされてまひりける。只夢のおんここちして、ちやうじつのおんぎやうぼふ、まいにちのおんつとめ、御心ならずたいてんす。ぐごまひらせたりけれども、御覧じもいれず。さきだつものはただ御涙ばかりなり。もんのないげにはぶしじゆうまんせり。国々よりかりあつめられたるえびすなれば、みなれたる者もなし。つべたましげなるかほけしき、うとましげなるまなこやう、おそろしともおろかなり。だいぜんの
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だいぶなりただがしそく、十六歳にてさひやうゑのじようと申けるが、いかにしてまぎれまゐりたりけるやらむ、さうらひけるをめして、「こよひ、まろはいちぢやううしなわれぬるとおぼゆるなり。いかがせむずる。おゆをめさばやとおぼしめすは、いかに。かなはじや」とおほせありければ、けさよりきもたましひもみにしたがはず、をむばくばかりにて有けるに、このおほせをうけたまはれば、いとどきえいるやうにおぼへて、物もおぼへず、悲しかりけれども、かりぎぬにたまだすきあげて、水をくみいれて、こしばがきをこぼち、おほゆかのつかはしらをわりなむどして、とかくしておゆしいだしたりければ、おんぎやうずいまひりて、なくなくおんおこなひぞ有ける。最後のおんつとめとおぼしめされけるこそかなしけれ。されどもべつじなく夜はあけにけり。さんぬるなぬかのだいぢしんは、かかるあさましき事のあるべかりけるぜんべうなり。「じふろくらくしやの底までもこたへて、けんらう
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ぢじんもきやうどうしたまひける」とぞおぼへし。おんやうのかみやすちかのあつそんはせまゐりて、なくなくそうもんしけるもことわりなりけり。かのやすちかのあつそんは、せいめいごだいのあとをうけて、てんもんのえんげんをきはむ。じやうだいにもなく、たうせいにもならぶ者なし。すいでうたなごころをさすが如し。いちじもたがわず。「さすのみこ」とぞ人申ける。いかづちおちかかりたりけれども、らいくわの為にかりぎぬのそでばかりはやけき、みはすこしもつつがなかりけり。
卅一 廿一日、じやうけんほふいんは、このたびはおんつかひのぎにてはなくて、わたくしにおもひきりたるけしきにて、だいじやうにふだうのもとへゆきむかひて申けるは、「ほふわうとばどのに渡らせたまふが、ひとひとりもつきまひらせぬよしうけたまはりさうらふが、こころぐるしくおぼえさうらふ。しかるべくはおんゆるされをかうぶらむ」と、なくなくまうされければ、ほふいんうるはしき人の事あやまつまじきにてありければ、ゆるされてけり。てをあはせよろこびて、いそぎとばどのへまゐられたりければ、おんきやううち
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たつとくあそばして、ごぜんに人一人もさうらはざりけり。じやうけんほふいんまゐられたりけるをごらんじて、うれしげにおぼしめしてあれば、「いかに」とおほせありもはてず、おんきやうに御涙のはらはらとおちかかりけるをみまひらせて、ほふいんもあまりにかなしくおぼえければ、「いかに」ともえ申さで、ごぜんにうつぶして、声もをしまずなきたまへり。あまぜもおもひいりてふししづみたりけるが、法印の参られたりけるをみてをきあがりつつ、「きのふのあさ、七条殿にてぐごまひりたりしほかは、よべもけさも、おゆをだにも御覧じいれず。長きよすがらぎよしんもならず。おんなげきのみくるしげにわたらせおわしませば、ながらへさせ給わむ事もいかがとおぼゆる心うさよ」とて、さめざめとなきたまひければ、「いかにぐごはまひらぬにか。このことさらになげきとおぼしめすべからず。平家よをわがままにして、既に
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にじふよねんになりぬ。なにごともかぎりある事なれば、えいえうきはまつて、しゆくうんつきなむとする上、てんまかのみにいれかはりてかやうにあくぎやうをくたはつといへども、きみあやまらせたまふことひとつなし。かくて渡らせたまふとも、てんせうだいじん、しやうはちまんぐう、君のとりわけてたのみまひらせ給ふひよしさんわうしちしや、いちじようしゆごのおんちかひたがふことなくして、かのほつけはちぢくにたちかけりてこそ、まもりまひらせおわしましさうらふらめ。しんかにんみんの為には、ますますじんをおこなひ、めぐみをほどこし、せいむにおんわたくしなからじとおぼしめさば、てんがは君のみよになりかへり、あくとは水のあわときえうせむ事ただいまなり」とまうされて、ぐごすすめまひらせらる。おんゆづけすこしまひりたりければ、あまぜもすこしちからつきて、君もいささかなぐさむ御心をはしましけり。このさゑもんのすけとまうすにようばうは、わかくより法皇のおぼぎ、たいけんもんゐんにさうらわれけ
P1640
るが、しないみじき人にてはなかりけれども、心さかざかしうして、いつしやうふぼんの女房にておわしければ、きよき者なりとて、法皇のごえうちのおんときより、近くめしつかわせたまひけり。しんかも君のおんけしきによつて、「あまごぜん」とかしづきよばれけるを、法皇のうやまうじをりやくして、おんかたことに、「あまぜ」とおほせの有けるとかや。かかりければ、とばどのへも只一人つきまひらせられたりけり。しゆしやう高倉院は、しんかの多くほろびうせ、くわんばくどのの事にあわせたまひたるをだにも、なのめならずなげきおぼしめしけるに、まして「法皇のかやうにをしこめられさせおわします」ときこしめされしかば、何事もおぼしめしいらぬさまなり。ひをへつつおぼしめししづみて、ぐごもはかばかしくまひらず、ぎよしんもうちとけてならず。つねはおんここちなやましとて、よるのおとどにいらせおはしませば、きさいのみやをはじめたてまつり、
P1641
ちかくさうらふにようばうたちも、「いかなるべき御事やらむ」と、こころぐるしくぞおもひ奉りける。だいりには、法皇のとばどのにをしこめられさせたまひしひより、ごじんじにて、まいやにせいりやうでんのいしばひのだんにてだいじんぐうをはいしまひらせ給けり。この御事をいのりまうさせおわしましけるにこそ、おなじおやこのおんあひだと申ながら、おんこころざしの深かりけるこそ、あはれにやむごとなけれ。「はくかうのうちにはかうかうをもつてさきとす。めいわうはかうをもつててんがををさむ」といへり。されば、「たうげうはおいおとろへたる母をそんす。ぐしゆんはぐせいなる父をうやまふ」といへり。かんのかうそていゐにつきたまひてのち、ちちたいこうををしえたまひしかば、「てんにふたつの日なし。ちにふたつのあるじなし」とて、いよいよおそれたまひしに、だいじやうてんわうの位をさづけたまひき。これみなかんかのめいわうのおこなひたまふことなり。かのけんわうせいしゆのせんぎをおわせおわしましけむてんしのおんまつりごとこそめでたけれ。にでうのゐんも
P1642
けんわうにてわたらせたまひけるが、おんくらゐにつかせたまひてのちは、「てんしにふぼなし」と常にはおほせられて、法皇のおほせをももちゐまひらせたまはざりしかば、ほいなき事におぼしめしたりしゆゑにや、よをもしろしめす事も程なかりき。さればけいていの君にてもわたらせ給はず。まさしくおんゆづりをうけさせおわしましたりけるみこのろくでうのゐんも、ございゐわづかに三年、五歳にて御位しりぞかせたまひて、だいじやうてんわうのそんがうありしかども、いまだごげんぶくもなくて、おんとし十三才にて、あんげん三年七月廿七日にうせさせたまひにき。ただことならざりしおんことなり。
卅二 だいりよりとばどのへしのびてごしよあり。「よもしづかならず、君もさやうに渡らせ給はむには、かくてくもゐにあとをとどめてもなにかはすべき、かのくわんぺいの昔のあとをたづね、くわさんの古きよしみをたづねて、位をさりいへをいでて、さんりんるらうの
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ぎやうじやともなりさうらはばや」と申させおわしましたつければ、おんぺんじには、「わがみには君のさて渡らせたまふをこそ、たのみにては候へ。さやうにおぼしめしたちなむのち、何のたのみか候べき。ともかくもこのみのなりはてむやうを御覧じはてむとこそ、おぼしめされさうらはめ。ゆめゆめあるべからざるおんことなり。いたくしんきんをなやまし給わむ事、かへりてこころぐるしかるべし。さなおぼしめされさうらひそ」なむど、こまごまなぐさめ申させおわしましければ、しゆしやうごほうしよをりようがんにあてて、御涙にむせびたまふぞかなしき。ゐんうちさへかやうにおんものおもひにむすぼほれさせおわしますぞあさましき。ぢやうぐわんせいえうにいはく、「きみは船なり、しんはみづ。なみををさむれば、船よくうかぶ。みづなみをたたゆれば、船又くつがへさる」といへり。「しんよく君をたもつ。しん又君をくつがへす」。ほうげんへいぢりやうどのかつせんには、にふだうしやうこく君をたもちたてまつるといへども、あんげんぢしようの今は、又君をくつがへし
P1644
たてまつらる。そのことほんもんにさうおうせり。
卅三 十六日、めいうんだいそうじやう、てんだいざすにげんぶし給ふ。しちのみやごじたいありけるによつてなり。入道はかやうにしちらして、「ちゆうぐうだいりにわたらせ給ふ、くわんばくどのわがむこなり。かたがたこころやすかるべし」とやおぼされけむ、「てんがのおんまつりごと、ひとすぢにだいりのおんぱからひたるべし」とまうしすてて、ふくはらへ帰りくだられにけり。むねもりこうさんだいして、このよしをそうもんせられけれども、しゆしやうは、「院のゆづりたまひたるよならばこそ世のまつりごと[セイ]をもしるべき。ただとくしつぺいにまうしあはせて、宗盛はからふべし」とおほせくだされ
て、あへてきこしめしいれられず。あけてもくれても法皇の御事をのみこころぐるしく、いたはしき御事におぼしめされける。
卅四 とばどのにはつきひのかさなるにつけてもおんなげきはをこたらず。法皇は
P1645
せいなんのりきゆうにとぢられて、冬もなかばすぎぬれば、やさんのあらしのこゑいとどはげしく、かんていのつきのかげことにさびしきおんすまひなり。庭には雪ふりつもれども、あとふみつくる人もなし。いけには氷のみとぢかさねて、むれゐる鳥だにもまれなりけり。おほでらのかねの声、ゐあいじのききをおどろかし、しさんの雪の色、かうろほうののぞみをもよほす。しづが下すうぶねのかがりびは御目の前をすぎ、りよかくのゆきかよふくつばみの音、おんみみにこたへてねぶりをさまし奉る。あかつきの水をきしる車の音、はるかにもんぜんによこだはり、夜のしもにさむけききぬたのおと、かすかに枕にかよひけり。ちまたをすぎゆくしよにんのいそがはしげなる事、うきよを渡る有様、おもひやられてあはれなり。「きゆうもんをばんいのよるひるけいゑいをつとむるも、さきのよにいかなるちぎりにていまえんをむすぶらむ」とおぼしめしつづくるもかたじけなし。およそにふれ
P1646
事にしたがひて、おんこころをうごかし、御涙をもよほさずといふ事なし。さるままにはをりをりのごいうらん、ところどころのごさんけい、おんがのぎしきのめでたく、いまやうあはせのきようありしことども、おぼしめしいでられて、くわいきうの御心おさへがたし。かくてことしもくれにけり。

平家物語第二本
(花押)





延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版 4の1

平家物語 四(第二中)
P1647
一  法皇とばどのにてつきひをおくりましますこと
二  とうぐうおんゆづりをうけおはします事
三  きやうぢゆうにせんぷうふくこと
四  しんゐんいつくしまへおんまゐりあるべきこと
五  入道いつくしまをあがめたてまつるゆらいのこと
六  しんゐんいつくしまへごさんけいのこと
七  しんていごそくゐのこと
八  よりまさにふだうのみやにむほんをまうしすすむることつけたりりやうじのこと
九  とばどのにいたちはしりまはること
十  平家のつかひみやのごしよにおしよすること
十一 たかくらのみや都をおちましますこと
十二 たかくらのみやみゐでらにいらせたまふこと
十三 げんざんゐにふだう三井寺へまゐることつけたりきほふのこと
十四 三井寺よりさんもんなんとへてふじやうをおくること
十五 三井寺よりろくはらへよせむとする事
十六 だいじやうにふだうさんもんをかたらふことつけたりらくしよのこと
十七 みやせみをれをみろくにまゐらせたまふこと
十八 みやなんとへおちたまふこと付うぢにてかつせんのこと
十九 げんざんゐにふだうじがいのこと
廿  さだたふがうたよみし事
P1648
廿一 みやちゆうせられたまふこと
廿二 なんとのだいしゆせつしやうどののおんつかひおひかへすこと
廿三 だいしやうのしそくさんゐにじよする事
廿四 たかくらのみやのおんこたちのこと
廿五 さきのちゆうしよわうのこと付げんしんの事
廿六 ごさんでうのゐんのみやのこと
廿七 法皇のみこのこと
廿八 よりまさぬへいる事付さんゐにじよせし事
廿九 げんざんゐ入道むほんのゆらいのこと
卅  みやこうつりのこと
卅一 さねさだのきやうまつよひのこじじゆうにあふこと
卅二 入道とうれんをふちしたまふこと
卅三 入道にかうべどもげんじてみゆる事
卅四 がらいのきやうのさぶらひゆめみる事
卅五 うひやうゑのすけむほんをおこす事
卅六 えんたんのほろびし事
卅七 大政入道ゐんのごしよにまゐりたまふこと
卅八 ひやうゑのすけいづのやまにこもる事
P1649
平家物語第二中
一 ぢしようしねんしやうぐわつにもなりぬ。とばどのにはぐわんざんのあひだ、としさりとしきたれども、しやうこくもゆるさず、ほふわうもおそれさせましましければ、こととひまゐる人もなし。とぢこめられさせたまひたるぞかなしき。とうぢゆうなごんしげのりのきやう、さきやうのだいぶながのり、兄弟二人ぞゆるされて、さんぜられける。ふるく物などおほせあはせられし、おほみやのたいしやうこく、さんでうのないだいじん、あぜちのだいなごん、なかやまのちゆうなごんなどまうしし人々もうせられにき。ふるき人とては、さいしやうなりより、みんぶきやうちかのり、さだいべんのさいしやうとしつねばかりこそおはせしかども、「このよのなかのなりゆくありさまをみるに、とてもかうてもありなむ。てうていにつかへて
P1650
みをたすけ、さんこうきうけいにのぼりてもなにかはせむ」とて、たまたまよあうをまぬかれたまひし人々も、たちまちにいへをいで、よをのがれて、あるいはかうやのくもにまじはり、おほはらのべつしよにきよをしめ、あるいはだいごのかすみにかくれ、にんわじのかんきよにとぢこもりて、いつかうごしやうぼだいのいとなみよりほかはふたごころなく、おこなひすましてぞおはしける。昔しやうざんのしかう、ちくりんのしちけん、これあにはくらんせいてつにして、よをのがれたるにあらずや。中にもしげよりのきやう、このことどもをききつたへては、「あはれ、心とうもよをのがれにけるものかな。かくてきくもおなじことなれども、よにたちまじはりてまのあたりみきかましかば、いかばかりかこころうからまし。ほうげんへいぢのらんをこそあさましとおもひしに、よの末になれば、ますますにのみなりゆくめり。こののちまた
P1651
いかばかりの事かあらんずらん。雲をわけつちをほりても、いりぬべくこそおぼゆれ」とぞのたまひける。よのすゑなれども、ゆゆしかりし人々也。廿八日に、とうぐうのおんはかまぎ、おんまなきこしめすべしなど、花やかなることども、せけんにはののしりけれども、法皇はおんみみのよそにきこしめすぞあはれなる。二 二月十九日にとうぐうおんゆづりをうけさせ給ふ。今年わづかに三歳にぞならせ給ふ。いつしかと人思へり。せんていもことなるおんつつがもをはしまさぬに、をしおろし奉らる。是は大政入道ばんじ思ふさまなるがいたすところなり。らうしきやうにいはく、「へうふうあしたをおへず。しゆうはひをおへず」といへり。へうふうとはときかぜなり。しゆうとは〔あらしの〕あめ也。いふこころは
P1652
「とくするものはちやうずる事あたはず。にはかにするものはひさしきことあたはず」といへり。「このきみとく位につかせたまひて、とく位をやしりぞかせ給はむずらむ」と、人ささやきあへり。そくゐげんぶくのこと、わがてうに二歳三歳のれいなし。よつてがうちゆうなごんにかんかのれいをとはる。中納言せうそくをもつてまうさる。そのじやうにいはく、
「ちよさいになつてもつてまつりごとをきく、しうのせいわうこれなり。たいこういだいてもつててうにのぞむ、しんのぼくていこれなり。せいわう三才にしてくらゐにつき、ぼくてい二才にしてくらゐにつくなり」とうんうん。ここにとしのりかんもんをもつてまうさく、「( )とばのゐんのいはく、せいわうさんさいにしてそくゐげんぶくのよし、がうちゆうなごんまうすでう、きはめたるひがことなり。いつさいしよけんなし。十二
P1653
歳にしてげんぶくなり」とうんうん。やまとのしんじともなり、ないないこのことをききてまうしけるは、「としのり、いつさいさることなしとまうしきるでう、たつときばんくわんのとしよ、しかしながらみつくしてけりとかくごせらる。ただしがうちゆうなごんのまうさるること、やうこそ有らめとさしおくべきか」とうんうん。じやうしひろくといふふみは、がうちゆうなごんのいつぽんのしよなり。よけにこれなし。くだんのしよにせいわう三才にしてそくゐのよし、これあり。としのり、しらざるなりとまうさるる、もつともしかるべし。しきに、「成王をさなくしてきやうほうのなか」とうんうん。これらをみてまうさるるか。成王は三才にして即位、ぼくていは二才にしてそくゐげんぶくなり。ちよさいはしうこうたん也。あるひとだいじやうにふだうのこじうと、へいだいなごんときただのきやうのもとへ
P1654
ゆきむかひて、「京都にこざかしきじんどものあつまりてないないまうしさうらふなるは、『このきみのおんくらゐあまりにはやし。いかがわたらせ給はむずらむ』と、そしりさたつかまつりさうらふなるは」と申ければ、ときただのきやうふくりふしてまうされけるは、「なにしかは、この御位をいつしかなりと、人おもふべき。ひそかにせんぎをうかがひはるかにばうれいをたづぬるに、いこくにはしうのせいわう三才、しんのぼくてい二才、おのおのきやうほうの中につつまれて、いくわんをただしくせざりしかども、あるいはせつしやうおひて位につき、あるいはぼこういだきててうにのぞむといへり。なかんづく、ごかんのかうやうくわうていはうまれてひやくよにちののちにせんそありき。わがてうにはまたこんゑのゐん三才、ろくでうのゐん二才、皆てんしの
P1655
位をつぎ、ばんじようの君とあふがれ給ふ。、せんじようわかんかくのごとし。ひともつてあながちにかたぶけまうすべきやうやはある」とて、へいだいなごんおほきにしかられければ、そのときのいうしよくの人々は、「あなおそろし。ものいはじ。さればそれはよきれいにやはある」とぞ、つぶやきあはれける。とうぐうおんゆづりをうけさせたまひにければ、ぐわいそぶぐわいそぼとて、にふだうふさいともにさんごうになずらふるせんじをかうぶりて、ねんくわんねんしやくをたまはりて、じやうにちの者をめしつかはれければ、ゑかきはなつけたるさぶらひしゆつにふして、ひとへにゐんぐうのごとくにぞ有ける。しゆつけにふだうののちも、えいえうはつきせざりけりとみえたり。出家の人のじゆんさんごうのせんじをかうぶる事は、ほごゐんのおほにふだうどのの
P1656
ごれいなり。「それもいちのひとのごれいなずらへがたくや」とぞ人申ける。かやうに花やかにめでたき事は有けれども、よのなかはをだしからず。三 廿九日さるのこくばかりに、京にせんぷうおほきにふきて、いちでうおほみやよりはじめて東へ十二町、とみのこうぢよりはじめて南へろくちやう、なかのみかどより東へいつちやう、きやうごくをくだりに十二町、四条を西へ八丁、にしのとうゐんわたりにてとどまりぬ。そのあひだにでんしやの門々、ざふにんの家々、ついがき、つつゐをふきたをしふきちらすありさま、このはのごとし。馬、人、牛、車などをふきあげて、おちつくところにてしぬる者多し。「昔も今もためしなき程のもつけ」とぞ人々申あひける。
P1657
四 三月十七日、しんゐん、あきのいちのみや、いつくしまのやしろへごかうなるべきにてありけるが、とうだいじ、こうぶくじ、さんもん、みゐのだいしゆ、京へうちいるべきよしきこえて、きやうぢゆうさわぎければ、ごかうにはかにおぼしめしとどまらせたまひにけり。「ていわうくらゐをさらせをはしましてのち、しよしやのごかうはじめには、はちまん、かも、かすが、ひらのなどへごかうありてこそ、いづれのやしろへも御幸あれ。いかにして西のはてのしまぐににわたらせたまふやしろへ御幸なるやらむ」と、人あやしみ申ければ、またひとまうしけるは、「しらかはのゐんは位をさらせたまひてのち、まづくまのへごかうありき。法皇はひよしへ参らせ給。せんれいかくのごとし。既にしりぬ、えいりよにありといふことを。そのうへご
P1658
しんぢゆうに深きごぐわんあり。又むさうのつげもあり」なむどぞおほせありける。このいつくしまのやしろをばにふだうしやうこくしきりにあがめ奉られけり。かのやしろにないしとてありけるぶぢよまでも、もてなしあいせられけり。五 入道ことにいつくしまをあがめたまひけるゆらいは、とばのゐんのぎよう、あきのかみたりし時、「かのくにをもつてかうやのだいたふをざうしんすべし」と、院よりおほせくだされたりければ、わたなべたうにゑんどうろくよりかたといひけるさぶらひにおほせて、ろくかねんにことをはりてくやうをとげをはんぬ。そのとき、かうべには雪ににたるしらがをいただき、ひたひにはしかいの波をたたみ、まゆにははちじのしもを
P1659
たれ、腰にはあづさの弓をはりて、はとづゑにすがれる、はちじふいうよのらうそうあり。へいざゑもんのじよういへさだをよびいだしてのたまひけるは、「やや、さゑもんどの。ごへんのしゆうのあきのかみどのは、あはれゆゆしきひとかな。このそうげんざんに入ぬ給へ」とのたまひければ、いへさだ、あきのかみにこのよしまうす。きよもり、ただひとにあらずとや思はれけむ、むしろたたみをしかせ、しやうぞくただしくして、いであひてげんざんしたまふ。このらうそうのたまひけるは、「やや、あきのかみどの、このやまのだいたふざうしんの事こそ、かぎりなくうれしけれ。みたまふがごとく、日本ひろしといへども、みつしゆうをひかへてちやうじつのつとめおこたらぬ事は、このやまにすぐるところなきぞ。ただしまたやうのあらんずるは
P1660
いかに。ゑちぜんのくにけひのやしろはこんがうかいのかみなり。ほくろくだうはちくしやうこくにして、あらちのなかやまがちくしやうだうのくちにてあるぞ。さればけひだいぼさつ、これをあはれみたまひて、つるがのつにあとをたれて、『わくわうどうぢんのちからをそへ、われにちぐうせむ者をみちびけ』といふぐわんをたててをはします。そのぐわんすでにじやうじゆして、けひのやしろはさかりにおはします。ごへんのこくむのところ、あきのくにいつくしまのだいみやうじんはたいざうかいのかみなり。さればけひ、いつくしまのやしろはりやうがいの神にておはします。いつくしまのやしろ、既にはゑしをはんぬ。ごへん、にんをまうしのべてざうしんし給へ。ざうしんしつる者ならば、官位、一門のはんじやう、肩をならぶる人あるまじきぞ」とのたまへば、清盛、
P1661
「かしこまりて」とおんぺんじ申す。らうそうおほきによろこびて、ころもの袖を顔におしあてて、かんるいをながしてたちたまひぬ。あきのかみ、ただひとにいまさずとみたてまつりて、いへさだをまねきよせて、「この老僧のいりたまはむ所、みおきたてまつりて帰れ。そうにはみえたてまつるべからず」とのたまひければ、いへさだ老僧のおんうしろにつきて、かくれかくれゆくほどに、さんぢやうばかりゆきてのち、老僧たちかへりてのたまひけるは、「ややへいざゑもんどの、なかくれそ。我はわどののみおくりたまふをばしりたるぞ。近くよれ。いふべき事あり」と宣へば、平左衛門ちからおよばずして、参てかしこまりてさうらふところに、老僧のたまひけるは、「ごへんのしゆうのあきどのは、哀れ、いみじきひとかな。いつくしまのやしろざうしんしつる者ならば、
P1662
位、一門のはんじやう、肩をならぶる人あるまじ。そもいちごぞよ」とて、かきけつやうにうせたまひぬ。家貞このよしをあきのかみに申せば、清盛、「さてはいちごごさむなれ。子孫あひつぐまじかむなるこそ心うけれ。たうざんにてごしやうぼだいのいのりの為、ぜんごんをしゆせばや」とて、やがてさいまんだら、とうまんだらとて、ふたつのまんだらをかきたてまつる。とうまんだらをば、法皇のめしつかはせたまひけるじやうめう、是をかきたてまつる。さいまんだらをば清盛じひつにかきたてまつるとて、はちえふのくそんをば、わがなづきのちをいだしてかきたてまつり、まんだらだうをつくりてをさめまゐらせけり。そののち京へ帰りのぼりて、だいしの老僧にげんじておほせらるるむね、つぶさにそうもんしければ、「いつくしまのやしろ
P1663
ざうしんすべし」とて、にんをのべられて、ちやうにんのこくむとして、やしろをざうしんし給。三ケ年のうちにひやくにじつけんのくわいらう、ならびにせうじんせうじんのとりゐとりゐをたてならべ、ごせんぐう有けるに、だいみやうじん、ないしにうつりてごたくせん有けるは、「なんぢしれりやいなや、ひととせかうやのこうぼふをもつてつげしめき。わがやしろはゑするあひだ、ざうしんすべきよし、おほせふくめき。かひがひしくざうしんしたる事、かへすがへすしんべうなり。このよろこびにゆふさりつるぎをあたへむずるぞ。てうのおんまもりとなるものは、せつとといふつるぎをたまはる。わがあたへたらむ剣をもつならば、わうのおんまもりとして、つかさくらゐ、一門のはんじやう、肩をならぶる人あるまじ。そもいちごぞよ」とて、ごんげん、あがらせたまひにけり。清盛は
P1664
「只おほかたのものつきのことばぞ」と思て、あながちにしんをいたさざりけるに、そのよのやはんばかりに、「いつくしまのだいみやうじんより、しろかねのひるまきしたるこなぎなたをたまはりて、枕にたつる」と夢にみて、うちおどろき、枕をさぐりたまへば、うつつにしろかねのひるまきしたるこなぎなた、枕のかべに有けり。さてこそあきのかみ、大明神のげんべんのあらたなる事をおほせて、しんをとりたまひうやまひたてまつることをこたらず。しそくきやうだいにいたるまで、大臣、だいしやうにあがり、てうおんにあきみち給へり。かかりければ、うへにはごどうしんのよしにて、したには「みやうじんのおんぱからひにて、入道むほんの心もやはらぎやする」とおぼしめして、ごきせいの為に、はちまん、かもよりも先に、いつくしまへ
P1665
まゐらせたまふともいへり。是は法皇のいつとなくうちこめら
れてわたらせたまふおんことを、なげきおぼしめしけるあまりにや。さるほどに山門、南都のだいしゆもしづまりにければ、いつくしまごかうとげさせおはしますべしときこえけり。
六 十八日、かねておぼしめしまうくる事なれども、ひごろはおんことばにもいださせ給はざりけるが、にはかにおぼしめしいづるやうにて、そのよひになりて、さきのうだいしやうをめして、「あすびんぎにてもあれば、とばどのへまゐらばやとおぼしめすはいかに。しやうこくにはしらせずしてはあしかりなむや」とおほせもあへず、おんなみだのうかびければ、だいしやうもあはれにおもひたてまつりて、「なにかはくるしくさうらふべき」
P1666
とまうされければ、よによろこばしげにおぼしめして、「さらばとばどのへそのけしきまうせ」とおほせありければ、だいしやういそぎまうされたり。法皇なのめならずよろこびおぼしめして、「あまりにおもひつる事なれば、夢にみるやらむ」とまでおぼしめされけるぞかなしき。十九日、だいじやうにふだうのにしはつでうのしゆくしよより、いまだよぶかくいでさせ給ひ、やよひのとをかあまりの事なれば、かすみにくもるありあけの月の光もおぼろに、くもぢをさしてきがんのとほざかりゆく声々も、をりからことにあはれなり。おんとものくぎやうには、ごでうのだいなごんくにつな、とうだいなごんさねくにきんのりそく、さきのうだいしやうむねもり、つちみかどのさいしやうのちゆうじやうみちちか、しでうのだいなごんたか
P1667
ふさたかすゑそく、うちゆうべんかねみつすけながそく、くないのせうむねのりのりいへそくとぞきこえし。御船にじつそうときこゆ。とばどのにてはかどよりおりていらせ給。はるのかげすでにくれなむとして、なつこだちにもなりにけり。のこんのはなのいろおとろへて、みやのうぐひすこゑおいたり。こみやの物さびしきけしきなれば、かどをさしいらせたまふより、御涙ぞすすみける。こぞの正月四日、てうきんの為に七条殿へごかうなり〔し〕事おぼしめしいでて、よのなかは只皆夢の如くなりけり。しよゑぢんをひき、しよきやうれつにたち、がくやにらんじやうをそうし、ゐんじのくぎやうさんかうして、まんもんをひらき、かもんれうえんだうをしき、ただしかりしぎしきひとつもなし。しげのりの
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ちゆうなごんまゐりむかひまゐらせて、けしきまうされければ、しやうくわういらせたまひにけり。法皇も上皇も御目を御覧じあはせて、物をばおほすることなし。ただおんなみだにのみむせばせ給ふ。少しさしのきてあまぜ一人さうらひけるも、りやうしよのおんありさまをみたてまつりて、うつぶして涙を流す。ややしばらく有て、法皇おん
なみだをおしのごはせたまひて、「さるにても、これはいかなるごしゆくぐわんありて、はるばるとおぼしめしたつにか」と申させ給ければ、しやうくわう「深くおもひきざすむねさうらふ」とばかり申させ給て、はじめのごとくおんなみだのうかびければ、「あはれ、さればこそわがことをいのりまうさせ給はむとてよ」と、ごとくしん有けるに、いとどかなしくおぼしめして、
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法皇もおんなみだにむせばせ給。ぎよいの袖もおんじやうえの袖も、しぼるばかりにぞみえさせたまひける。むかしいまのおんことども、たがひにまうしかよはせたまふほどに、ひをかさねよをあかすとも、つくすべからず。よろづおんなごりをしくおぼしめして、とみにもたたせ給はず。しやうくわうはごたいめんの御事を、よくよくよろこびまうさせ給ふ。今年ははたちにみたせ給ふ。おんものおもひにつきひをかさねて、少しおもやせてわたらせたまふにつけても、おんかぶりぎはよりはじめて、あてにうつくしく、おんおもかげさやかならぬつきかげにはえて、いときよげなるおんびんぐきほこらかにあいぎやうづきて、おんじやうえの袖さへあさつゆにしほれにけるも、いとど
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らうたく、こにようゐんににまいらせさせたまひたれば、昔のおんおもかげおぼしめしいでられて、あはれにぞおぼしめされける。「今一度みまいらせずして、いかなる事もやとこころうくさうらひつるに」とて、上皇たたせ給へば、法皇はおんなごりつきせずおぼしめしけれども、ひかげもたかくなれば、「しばし」とも申させ給はず。なにとなきやうにもてなさせ給へども、おんなみだのさうがんにうかばせたまひて、御袖もしほれければ、しるくぞみえさせ給ける。人々も皆たもとをかへし、涙をのごはる。上皇は法皇のりきゆうのこてい、いうかんのじやくまくたるおんすまゐを、おんこころぐるしくみおきまいらせ給へば、法皇は
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又上皇のりよはくのかうきゆう、船のうち、なみの上のおんありさまをいたはしく、誠にそうべうのはちまんかもをさしおきたてまつりて、都をたちはなれ、やへのしほぢをしのぎつつ、はるばるとあきのくにまでおぼしめしたちけむおんこころざしのふかさをば、いかでかしんめいのごなふじゆもなからむ。ごぐわんじやうじゆうたがひなしとぞおぼえし。法皇はしづかにたたせたまひて、ちゆうもんのれんじより、おんうしろのかくれさせたまふまで、のぞきまゐらせをはします。しげのり、ながのり二人のきやう、もんまで参りたまひて、おんこしのさうにさうらはれければ、しやうくわうひそかに、「人こそおほくあれ、かやうに近くつかまつりたまふこそほんいなれ。おんいのりはまうすべし」とおほせありければ、おのおのかしこまりて、かり
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ぎぬの袖をしぼりて、きさんせられにけり。なんもんにみふねまうけたりければ、ほどなくうつらせたまひにけり。おんおくりの人々は是より帰りたまひぬ。あきのくにまで参るくぎやうてんじやうびとは、おのおのじやうえにて参りまうけたり。さきのうだいしやうのずいひやう、ことにきよげにいだしたてて、すひやくきにおよべり。廿六日にいつくしまにごさんちやく。いちにちとうりうありて、ほつけゑおこなはる。ぶがくなどありき。けんじやうおこなはれて、かんぬしさへきのかげひろ、あきのこくしふぢはらのありつね、たうしやのべつたうそんえい、皆くわんどもなりにけり。しんりよにもさうおうし、入道の心もやはらぎぬとぞみえし。さてくわんかうなりにけり。四月七日、しんゐんいつく
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しまのくわんぎよのついでに、大政入道のふくはらへいらせたまふ。八日、けんじやうおこなはれて、入道の孫うちゆうじやうすけもり、じゆしゐのじやう、やうじたんばのかみきよくに、じやうごゐのげにじよす。今日やがてふくはらをいでさせをはします。てらえにおんとどまり有て、九日、京へいらせをはします。おんむかへの人々はとばのくさづへぞまゐられける。くぎやうには、うだいじんきんよしこうのおんそく、うのさいしやうちゆうじやうさねもり一人也。かんぬしをはじめておほうちへせんかうありければ、くぎやう皆それへまゐりたまふとて、只一人とぞきこえし。そのほか、てんじやうのじしん五人ぞ参りたりける。いつくしまへまゐりつる人々はふなつにとどまりて、さがりて京へいりたまひにけり。
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七 廿二日、しんていごそくゐあり。ごそくゐはだいこくでんにておこなはるることなれども、きよきよねんやけにしかば、ごさんでうのゐんごそくゐ、ぢりやくしねんのれいにまかせて、くわんちやうにておこなはるべきにて有けるを、うだいじんはからひまうさせたまひけるは、「くわんちやうはぼんにんにとらばくもんじよ也。だいこくでんなからむ上は、ししんでんにて」、ごそくゐあり。「かうほうしねん十一月十一日、れんぜいのゐんのごそくゐ、ししんでんにてありし事は、ごじやけによつて、だいこくでんへごかうかなはざりしゆゑなり。そのれいいかがあるべかるらむ。ただまぢかくは、ごさんでうのゐんのかれいにまかせて、だいじやうくわんちやうにてあるべきものを」とまうさるる人々をはしけれども、右大臣はからひまうさるる
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むね、さうなかりければ、しさいにおよばず。ちゆうぐうこうきでんよりじじうでんへうつらせたまひて、たかみくらへまゐらせたまひけるおんありさま、いふかたなくめでたし。されどもひそかごとにさまざまのさとしども有けるとかや。平家の人々は、むねもりのきやうはごかうぐぶせられぬ。こまつのおとどのきんだちは、しげもりうせたまひにしかば、これもり、すけもり、きよつねなど皆ぢゆうぶくにて、ろうきよし給へり。ほいなかりしことなり。うひやうゑのかみとももりのきやう、くらんどのとうしげひらのあつそんばかりぞ、しゆつしせられたりける。こうてうにくらんどのうゑもんのごんのすけさだなが、きのふのごそくゐの事にゐらんなく、めでたかりしよし、こまごまと四五枚にかきつづ
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けて、二位殿へまゐらせられたりければ、しやうこく、にゐどのはえみをふくみてぞおはしける。八 いちゐんだいにのみこ、もちひとのわうとまうすは、おんはははかがのだいなごんすえなりのきやうのおんむすめとかや、さんでうたかくらのごしよに渡らせたまひければ、たかくらのみやとぞ申ける。さんぬるえいまんぐわんねん十二月六日、おんとし十五とまうししに、くわうだいこうくうのこんゑがはらのごしよにてしのびて、ごげんぶくありしが、おんとしさんじふにならせたまひぬれども、いまだしんわうのせんじをだにもかうぶらせ給はず。おんしゆせきなどうつくしくあそばして、わかんのさいひいでたまへるじんにてをはせしかば、「位にもつき
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ましましたらば、まつだいのけんわうとも申べし」などまうす人々有けれども、このよにはけいしにてうちこめられさせたまひて、花のもとの春のあそびには、しんぴつおろして、てづからぎよせいをかき、月の前の秋のえんには、ぎよくてきをふきて、みづからがいんをあやつり、しいかくわんげんに御心をなぐさめてぞすごさせ給ける。四月十四日、よふけひとしづまりて、げんざんゐにふだうよりまさ、ひそかにまゐりて申けるは、「君はてんせうだいじんしじふはちだいのごべうえい、だいじやうほふわうだいにのわうじなり。たいしにもたち、帝位にもつかせたまふべきに、しんわうのせんじをだにもゆるされ給はで、既に三十にならせたまひぬ。こころうしとはおぼしめさぬか。
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平家栄花既にみに余り、あくぎやうとしひさしくなりて、只今ほろびなむとす。つらつらことのこころをあんずるに、ものさかりにしておとろふ、つきみちてかく。これてんのみちなり。じんじにあらず。ここにきよもりにふだう、ひとへにぶようのゐをふるひて、たちまちにくんしんのれいをわする。ばんじようそんかうのきみをもおそれず、さんたいてうにんのしんにもはばからず。ただあいぞうのこころにまかせて、みだりがはしくだんかつのけいをとる。にくむところはさんぞくをほろぼし、よみするところごしゆうをてらす。おもひをいつしんのしんぷにたくましうす。そしりをばんにんのしんぼつにかく。てんのせめすでにいたり、じんばうはやくそむく。ときをはかりてせいをたつるは、ぶんのみちなり。ひまにのりて、かたきをうつは、へいのじゆつなり。よりまさそのうつはものにあらざるによつて、そのじゆつにまどへりといへども、ぶりやくいへにうけ、へいはふみにつたふ。つらつらりくせんのぎをかへりみて、いまひつしようのほふをあんずるに、おのれにくはへてやむことをえず。これをようへいといふ。あらそひうらみて
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せうなるがゆゑに、かたずして、ふんぬとす。これをふんぺいといふ。とちをりしてくはほうをもとむ。これをたんへいといふ。こくかのたいなるをたのんで、たみのしゆうををごる。これをけうへいといふ。このたぐひみなぎをそむきれいをそむく。かならずやぶれかならずほろぶ。らんをすくひぼうをちゆうす。これをぎへいといふ。このたぐひすでにみちにかなひほふにかなふ。ももたび戦て百び勝つ。かみはてんいにおうじ、しもはちりをう。ぎへいをあげてげきしんをうちて、ほふわうのえいりよをなぐさめたてまつり、ぐんしんのゑんばうをえらばれんこと、もつぱらこのときにあり。ひをふべからず。いそぎりやうじをくだされて、はやくげんじらをめすべし。なかんづくさうこくさうじやうをかんがへたるに、へいたうめつばうすべし。きげんじゆんじゆく、時をえたり。そのゆゑはねんがうぢしようの二字、ともにさんずい也。中にも承の字をみるに、さんずいとかけり。かたのさまにも、宮のおんともまうして、げきとをしりぞけんずる入
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道、又みづのせいなり。入道じやうかい、うだいしやうむねもり、ふしともにひのせいなり。しちすいをもつて、などかりやうくわをけさざるべき」と申ければ、「このことしんしやうのしごく、てんがのちんじなり。ひとへにふげんをしんじて、しりよなきににたれども、いませんせつするところ、すでにへいはふをえて、よくじんりをわきまへり。ぶんぶことことなれども、つうだつのむねおなじ。あざけつてえきなし。昔、びしいんをさりてしうにいる。きやうはくそにそむきてかんにきす。しうぼつたいわうをむかへて、せうていをしりぞけ、くわくくわうかうせんをたつとびて、しやういふをはいす。これみなそんばうのしるしとみて、はいきようのことをみる。いかがせむ」とおぼしめされけるに、入道かさねて申けるは、「このときいかにもおんぱからひなくは、いつをかごせさせたまふべき。とくとくおぼしめしたつべし。つつみすご
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させたまふとも、つひにあんをんにてはてさせ給はむ事ありがたし。もしさやうにもおぼしめしたたば、入道も七十に余りさうらへども、などかはおんともつかまつらざるべき。よろこびをなして参らむずる者こそ多く候へ」とてまうしつづく。「きやうとには、ではのはんぐわんみつのぶがこ、いがのかみみつもと、ではのくらんどみつしげ、げんはんぐわんみつなが、ではのくわんじやみつよし。くまのには、ためよしがこじふらうくらんどよしもり。つのくにには、ただのくらんどゆきつな、ただのじらうともざね、おなじくさぶらうたかより。やまとのくにには、うののしちらうちかはるがこ、うののたらうありはる、おなじくじらうきよはる、おなじくさぶらうよしはる、おなじくしらうなりはる。あふみのくにには、やまもと、かしはぎ、にしごり、ささきがいつ
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たう。みのをはりのりやうごくには、やまだのじらうしげひろ、かはべのたらうしげなほ、おなじくさぶらうしげふさ、いづみのたらうしげみつ、うらののしらうしげとほ、あじきのじらうしげより、そのこたらうしげすけ、おなじくさぶらうしげたか、きだのさぶらうしげなが、かいでんのはんぐわんだいしげくに、やしまのせんじやうただとき、おなじくやしまのとききよ。かひのくにには、へんみのくわんじやよしきよ、おなじくたらうきよみつ、たけたのたらうのぶよし、かがみのじらうとほみつ、やすだのじらうよしさだ、いちでうのじらうただより、いたがきのじらうかねのぶ、たけたびやうゑありよし、おなじくごらうのぶより、をがさはらのじらうながきよ。しなののくにには、をかだのくわんじやちかよしがこ、をかだのたらうしげよし、ひらがのくわんじやもりよし、おなじくたらうよしのぶ、
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たてはきのせんじやうよしかたがこ、きそのくわんじやよしなか。いづのくにには、ひやうゑのすけよりとも。ひたちのくにには、ためよしがこよしともがやうじ、さぶらうせんじやうよしのり、さたけのくわんじやまさよし、おなじくたらうよしすゑ。むつのくにには、よしともがばつし、くらうくわんじやよしつね。これらはみなろくそんわうのべうえい、ただのしんぼちまんぢゆうがこういんなり。だいしゆをもふせき、きようどをもしりぞけ、てうしやうにあづかり、しゆくばうをもとげし事は、げんぺいりやうししようれつなかりしかども、たうじはうんでいのまじはりをへだてて、しゆうじゆうのれいよりもはなはだし。わづかにかひなきいのちをいきたれども、国々のたみひやくしやうとなりて、ところどころにかくれゐたり。国にはもくだいにしたがひ、しやうにはあづかりどころにつかへ、くじざふえきにかりたてられて、
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よるもひるもやすきことなし。いかばかりかはこころうくさうらふらむ。きみおぼしめしたちてりやうじをだにくだされさうらはば、皆夜をひにつぎてうちのぼり、平家をほろぼさむ事、にちこくをめぐらすべからず。平家をほろぼして、法皇のうちこめられておはします御心をもやすめ奉らせたまひなば、かうのいたりにてこそさうらはめ。しんめいも必ずめぐみをたれたまふべし」など、こまごまと申ければ、このこといかがあるべかるらむと、かへすがへすおぼしめされけれども、せうなごんこれながと申ける人は、あこまるのだいなごんむねみちのきやうのまご、びんごのせんじすゑみちのこ也。めでたきさうにんにてをはしければ、時の人、さうせうなごんとぞ申ける。そのひとのこのみやをば、「位につきたまふべきさうをは
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します。てんがのことおぼしめしはなつべからず」とまうししかば、「しかるべき事にてこそ有らめ」とおぼしめして、りやうじをしよこくへおぼしめしたちたまひにけり。かのりやうじにいはく、
「くだすとうせんとうかいほくろくさんだうしよこくのぐんびやうとうのところ
はやくきよもりほふしならびにじゆうるいほんぎやくのともがらをついたうせらるべきこと
みぎさきのいづのかみじやうごゐのげかうみなもとのあつそんなかつな、さいしようしんわうのちよくせんをうけたまはるにいはく、きよもりほふしならびにむねもりら、ゐせいをもつてていわうをほろぼし、きようどをおこしてこくかをほろぼす。ひやくくわんばんみんをなうらんして、ごきしちだうをりやくりやうす。くわうゐんをへいろうし、しんこうをるざいす。かだましくくわんしよくをうばひて、ほしいままにてうしようをぬすむ。
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これによつて、ぶぢよはきゆうしつにとどまらず、ちゆうしんはせんとうにつかへず。或はしゆがくのそうとをいましめ、ごくしやにしうきんし、あるいはえいさんのけんまいをもつて、むほんのらうにあつ。ときにてんちことごとくかなしみ、しんみんみなうれふ。よつていちゐんだいにのみこ、かつうはほふわうのいうきよをやすめたてまつらんがため、かつうはばんみんのあんどをおぼしめすによつて、むかしじやうぐうたいし、もりやのげきしんをはめつせしがごとく、ほんぎやくのいちるいをちゆうして、むかのしかいををさむるなり。しかればすなはち、げんけのともがら、かねてはさんだうしよこくのぶようのやから、よろしくよりきをげんめいにくはへて、ちゆうばつをきよもりにいたすべし。もししゆこうあらんにおいては、ごそくゐののち、あておこなはるべきなりてへれば、せんによつてこれをおこなふ。ぢしようしねんしぐわつぴ いづのかみじやうごゐのげみなもとのあつそん
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きんじやう さきのうひやうゑのすけどの」とぞくさだされける。
しんぐうの十郎をめして、「りやうじをもちてよりともがもとへくだれ」とおほせくだされければ、「ちよくかんのみにて候へば、かなひ候まじ」と申せば、「そのいはれあり」とて、しんぐうのじふらうをくらんどになされて、よしもりとなのりけるをかいみやうして、ゆきいへとなのらせけり。よつてしんぐうのじふらうくらんどゆきいへ、たかくらのみやのりやうじをたまはりて、ぢしようしねん四月廿八日にひそかに都をいでにけり。おなじき五月八日、いづのほうでうへくだりつきて、ひやうゑのすけにみやのりやうじをたてまつる。兵衛佐、この令旨をたまはりて、国々のげんじらにせぎやうせらる。そのじやうにいはく。
さいしようしんわうのちよくめいをかうぶるにいはく、とうせんとうかいほくろくだうのぶようにたへん
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ともがらめしぐして、りやうじをまもりて、よういをらくやうにいたすべしてへれば、きんごくのげんじら、さだめてさんかしたてまつらむか。ほくろくだうのようじらは、せたのへんにさんかうせしめて、しやうらくをあひまちて、らくちゆうにぐぶせらるべきなり。しんわうのおんけしきによつて、しつたつくだんのごとし。
ぢしようしねんごぐわつ ぴ さきのうひやうゑのごんのすけみなもとのあつそん
九 いちゐんは、「なりちかなりつねが如く、とほきくにはるかのしまにもはなちうつされむずるやらむ」とおぼしめしける程に、せいなんのりきゆうにとぢられて、春もすぎ、夏もなかばにたけにけり。五月十二日、法皇常よりも御心すみわたりて、いつものおんつとめながらおんきやうをあそばしければ、はちくわんふげん
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ぼんにかからせたまひける時、いづくよりきたりけるやらむ、いたちおんまへににさんべんばかりはしりまはりて、ぎきめきなきて、法皇を守らへまゐらせてうせにけり。是を御覧ぜらるるに、いよいよおんこころぼそくて、「きんじうてうるいのなかにぜんあくせんべうをしめすもの多し。かれはあくにかたどれるせんさうをしめすけだものなり。このうへにわがみいかなるうきめをみんずらむ。まことにとほきくにはるかのうみへもやはなたれむずらむ。ねがはくはふげんだいし、じふらせつによ、こんじやうごしやうたすけさせ給へ」と、御涙をうかべてごきねんありける程に、とのもんのかみみつとほ、そのときにげんくらんどなかかぬとまうしけるが、余りにおぼつかなくおもひまゐらせて、しのびてとばどのへまゐり
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たりければ、御前には人一人も候はず。なかかぬをめして、「只今かかる事ありつ。いかやうなる事やらむと、やすちかにありのままにかんなぎつかまつりて奏すべし」とごぢやうありて、そのうらかたをたまはりたりければ、なかかぬやがておほせをうけたまはりて、都へはせかへりて、おんやうのかみやすちかに是をいそぎかたりければ、やすちか、せいめいさうでんのしゆじゆのひしよを開て、ぼくぜいして、うちえみたるけしきして申けるは、今さんがにちのうちにおんよろこびとそうもんしたまふべきよしを申けり。なかかぬ、又とばどのへ参て、このよしをそうもんしければ、「いちだうの者はけうまんなきこそうるはしけれ。なにごとのよきことかあるべき。わがこころをなぐさめむとて、かやうにまうすやらむ」と、法皇おぼしめされける程に、おなじき十五日
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に、とばどのよりれいのぐんびやう多くぜんごさうにうちかこみて、はちでうからすまるのごしよへごかうなし奉る。これは、うだいしやうむねもりしきりになげきまうされければにやらむ、入道やうやくおもひなほりて、かやうにかへしいれ奉りけるなり。「ことわりや、このやすちかはせいめいごだいのあとをうけてしかば、ぼくぜいつゆもたがふべからず」とぞおぼしめされける。さんぬる十二日にこのことありて、いくほどもなく、りやうさんにちのあひだにくわんぎよ。まうしてもまうしてもいみじかりけるぼくぜいかな。十 どうにちにたかくらのみやのごむほんの事あらはれおはす。いんじ四月廿八日に、じふらうくらんどゆきいへ、高倉宮の令旨をひそかにたまはりて、いづのくにへくだりてひやうゑのすけに奉り、あんをかきてよしつねにみせむとて、それよりあうしう
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へおもむきけり。ゆきいへはへいぢよりこのかた、くまのにきよぢゆうしければ、しんぐうによりきする者多かりければ、なにとなくそのよういをぞしける。このことよにひろう有ければ、なちのしゆぎやうごんのじしゆしやうじしゆかくごほつけう、らごらほつけう、とりゐのほつけう、かうばうのほつけうら申けるは、「しんぐうのじふらうよしもりこそ、たかくらのみやにかたらはれたてまつりて、平家をうたむとて、げんじどもをもよほさむが為に、とうごくへげかうしけるよしきこゆれ。さやうのあくたうをくまのにこめたりけりと、平家にきこえ奉らむ事、はなはだおそれあり。たうじよしもりこそなけれども、しんぐうをひとやいばや」とて、なちのしゆとをはじめとして、くまののじやうがうらことごとくいでたちけり。是を聞て、新宮の
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しゆとら、いちみどうしんして、じやうくわくをかまへてあひまちけり。ほんぐうのしゆとはおもひおもひにつきにけり。たなべのほつけうをたいしやうぐんとして、なちの衆徒、ならびにしよじやうがうらくわいがふして、二千よきのぐんびやうをそつして、五月十日、新宮のみなとにおしよせて、平家のかたにはかくごをさきとしてせめたたかふ。源氏のかたには、かくごをきれとて、あづさのまゆみのつるたりもなく、みつめのかぶらのならぬまもなく、いちにちいちやぞ戦ひける。なちのしゆとら多くうたれて、きずをかうぶる者そのかずをしらず。ことごとくかけちらされて、おのづからうたれぬ者はただ山へのみぞにげいりける。是をみて新宮のしゆとら申けるは、「源氏と平家とのくにあらそひのいくさはじめに、かみの
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いくさに平家はまけて、源氏はかちぬ」とぞ、いちどうによろこびあへりける。そのころくまののべつたうかくおうほふげんといひける者をば、おほえの法眼とぞ申ける。これはろくでうのはんぐわんためよしが娘の腹にて有ければ、ははかたげんじなりけれども、よにしたがふ事なれば、平家のいのりのしとなりたりける故にや、かくおうほふげんろくはらへ使者をたてて申けるは、「しんぐうのじふらうよしもりこそ、たかくらのみやにかたらはれまゐらせて、むほんおこさむとて、源氏もよほさむが為に、とうごくにくだりてさうらふなれ。しかるあひだ、かのよたうらをせめんとして、君にしられぬみやじとおんかたうどつかまつりて、しんぐうにおしよせて、かつせんすこくつかまつりさうらひぬ。しかるによせて多くうたれて、いくさにまけて、じやうがうならびに
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なちのしゆとら、さんりんにまじはるべきにて、あんどしがたくさうらふ。そのよしいそぎおんたづねさうらへ。しんぐうのしゆとら、よしもりにどういのでう、もちろんの上は、よせいをたまはりて、新宮をせむべき」よしをぞ申ける。にふだうしやうこくこれをききておほきにおどろきて、一門の人々、おのおのあわてさわぎてはせあつまる。いけのちゆうなごんよりもり、ちゆうぐうのすけとももり、くらんどのとうしげひら、ごんすけぜうしやうこれもり、しやていさせうしやうすけもり、うせうしやうきよつね、さまのかみゆきもり、さつまのかみただのり、さぶらひにはひだのかみかげいへ、おなじくたいふはんぐわんかげつな、つのはんぐわんもりずみ、かづさのたらうはんぐわんただつな、ゑつちゆうのせんじもりとし、せきより東のさぶらひには、はたけやまのしやうじしげよし、をやまだのべつたうありしげ、うつのみやのやさぶらうともつな、
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たうの者には、なすのごばうざゑもん、これらをはじめとして、平家のけにんじゆうるいら、そのかずをしらずはせあつまりけり。にふだうしやうこく、このひとびとにむかひてのたまひけるは、「あはれ、しんぐうのじふらうめをへいぢにうしなふべかりしを、入道があをだうしんをしてすておきたれば、今かかる事をきくよ。よりともが事は、いけのあまごぜんいかにまうしたまふとも、入道ゆるさずは、いかでかいのちをいくべき。やすからぬことかな」とていかりたまひけり。こうくわいさきにたたずとは、かやうの事をいふにや。かづさのかみただきよ、入道のごぜんにすすみいでて申けるは、「源氏のかたうどはたれにてさうらふやらむ」。「たかくらのみやぞかし」。「ささうらはば、せいのつかぬさきに宮をいけどりまゐらせて、いづれの国へもるざいし奉りさうらはばや」。「もつとも
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しかるべし」とぞのたまひける。たかくらのみやごむほんのおんくはたてありとて、あひかまへていけどりまゐらせて、とさのはたへうつしたてまつるべきよし、ぎぢやうあり。「しやうけいはさんでうのだいなごんさねふさのきやう、しきじはくらんどのうせうべんゆきたか」とぞきこえし。べつたうへいだいなごんときただのきやう、おほせをうけたまはりて、けんびゐしげんだいふのはんぐわんかねつな、ではのはんぐわんみつながをたいしやうぐんとして、かのみやのごしよへぞさしむけられける。ほふわうはとばどのにて、おんみみのよそにきこしめさるれば、「いかがはせむ。これひとのうへのことならず。いまさらにこのおんことをまのあたりみたてまつる事こそはじめて悲しけれ」と、おんなげきの色ひときは深くぞおぼしめされける。
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十七のあさ、だいじやうにふだうのもんの前にふだを書てたてたりけり。「山門のだいしゆ、高倉宮のおんかたらひをえて、平家の一門をついたうの為に、京へうちいらむとす」といふ事也。平家の一門おほきにさはぎて、武士をさんでうきやうごくのへんへはせむかはせたりけれども、ほふしばら一人もみえず、あとかたなきそらごとなり。かかりければ、「宮をさておきたてまつればこそ、かやうにそらごとをもいひいだし、われらもきもをもつぶす事なれ。宮をいけどり奉てるざいし奉りぬるものならば、そのおそれあるべからず。いそぎもちひとのみやをとさのくにへはいるしたてまつるべきよし、りやうしやうにおほせふくめらる。さてもげんだい
P1699
ふのはんぐわんかねつな、ではのはんぐわんみつながら、三千よきのぐんびやうをいんぞつして、さんでうたかくらへ参て、かのごしよをうちまきて、「みやごむほんのよしをうけたまはりて、おんむかへにみつなが、かねつな参て( )候。いそぎろくはらへごかうなるべきにて候」とまうしいる。しかりといへども、さきだちてこのよしきこしめされければ、かねてうせさせたまひにけり。ここにさきのさひやうゑのじようはせべののぶつらとて、てんがだいいちのかうの者、そばひらみずのゐのししむしやあり。としごろおんあるじゐうちして朝夕にさうらひければ、参るべかりけるが、いそぎいでさせおはしましぬれば、ごしよにみぐるしきことなども有らむとて、さがりまゐらせて、みまはらむと
P1700
おもひてとどまりたりけるが、うすあをのひとへ、かりぎぬの戸前あげたるきつつ、三尺五寸のたちわきにはさみてさしいだしつつ、さはがぬていにて、みつながにむかひて申けるは、「このほどは、これはごしよにてはさうらはぬぞ。とくかへりてそのよしをまうさるべし」といひけるは、かねつなが申けるは、「御所はいづくにてさうらふやらむ。参てせんげのおもむきをまうすべし」といひければ、光長が申けるは、「子細にや及ぶ。御所をうちまきてもとめまゐらせよ」とげぢしければ、のぶつらがいはく、「君はわたらせ給はぬといふうへを、かくらうぜきなるやうやはある。物もおぼえぬゐなかけんびゐしかな」といふほどこそあれ、狩衣の
P1701
おびひもひききりつつぬぎすてて、したはらまきをきたりけるが、はかまのそば高くはさみ、おほだちをさとぬくとぞみる程に、光長が前へとびてかかりければ、かねたけといひけるくつきやうのはうべむの有けるが、うちがたなをぬきあはせて中にへだたりければ、それをばうちすてて、御所へみだれのぼりたりけるらうどう十よにんが中へはしりいりて、さんざんにたたかひければ、このはの風にふかれてちるが如く、さと庭へおりぬ。いなづまのごとくに程なしとおもひけれど、七八人ばかりはきずをかうぶりぬ。庭に(  )おひちらして、ごひさうのおんふえの、ぎよしんじよのおんまくらがみにおかれたりけるをとりつつ腰に
P1702
さして、こもんよりはしりいでて、「このむかひへ宮のいらせたまひぬるぞ。にがしまゐらすな」とて、かたをりどの有けるをふみあけて、しりへついとほりつつ、なかがきをとびこえてろくかくおもてへいでて、東をさしてゆきけれど、うちとどむる者なかりけり。そうじてこののぶつらは、弓矢をとりて命ををしまず、どどかうみやうしたりし者也。中にもにでうたかくらにてがうだういりて、さんざんにらうぜきをす。ばんしゆとどめかねてあます所を、さんでうばうもんたかくらにてこののぶつらが六人にゆきあひて、四人やにはにきりふせ、二人いけどりにして、そのときのけんじやうに今のさひやうゑのじようになされし者也。さてもかねつな、光長
P1703
はよもすがら御所の内、ならびにきんぺんの家々をあなぐりもとめまゐらせけれども、渡らせ給はず。かねつながちちにふだうがもとへ夢みせたりけるとかや。十一 げんざんゐにふだうのまうしすすめとも平家はしらずして、げんだいふのはんぐわんをしもさしそへられける、ふしぎなり。宮はすこしもおぼしめしよらず、さみだれのはれまの月を御覧じて、御心をすましつつおはしましけるに、「げんざんゐにふだうのもとよりおんふみありとて、つかひあわてたるけしきにてはしりたり」と申ければ、なにごとやらむとて、いそぎ御覧じければ、「君よをみださせたまふべきおんくはたてありとて、
P1704
とりまゐらせにけんびゐしあまたまゐりてさうらふなるぞ。かねつなもそのうちなり。ひとまどなりとも、とくとくたちしのばせ給へ。入道もまゐるべくさうらふ。きやうぢゆうはいづくもあしくさうらひなむ。いかにもしてみゐでらまでだにことゆゑなく渡らせたまひなば、さりとも」と申たり。是を御覧じて、あさましともいふはかりなし。さだいふむねのぶといふひとをめして、「こはいかがせむずる」とおほせありけれども、それもあはてわななくよりほか、たのもしげなし。のぶつらをめしておほせありければ、おんもとどりをみだして、にようばうのうすぎぬをきせまいらせつつ、いちめがさといふものをたてまつらせて、走りいでさせたまひぬ。ごしよぢゆうの人々も
P1705
しりまいらせず。くろまるといふちゆうげん、さだいふむねのぶばかりぞまゐりける。宗信けしかるひたたれこばかまきて、からかさもちたり。黒丸にふくろひとつもたせて、せいしていの者の女むかへてゆくとみえたり。さみだれのころなれば、雲はれて月くまなし。みぞのひろかりけるを、しやくとこえさせたまひたりければ、あひ奉りたりける人の、女房と思へば、「はしたなくもこゆるものかな」とおもひげにて、たちとどまりてあやしげにみまいらせけるこそ、さだいふはいとどひざふるひて、あゆまれざりけれ。昔けいかうてんわうのだいにのみこ、をうすのわうじ、いこくをたひらげにくだり給けるにこそ、をとめのかたちをかりて、ぞく
P1706
の三かはかみのたけるをばほろぼし給たりけれ。などや是は、むかしいまこそことならめ、わがおんみをほろぼし給けむ。ぜんぜのごしゆくごふをさつしたてまつるこそあはれなれ。宮は七八丁ばかりのびさせたまひぬらむとおぼゆる程にぞ、けんびゐしまゐりたりける。さえだといふひさうのおんふえありけり。夜も昼もおんみをはなちたまはざりけるを、忘れさせたまひたりけるを、くちをしきことにおぼしめして、たちも帰らせたまひぬべくおぼしめしけれども、いふにかひなし。それにのぶつらがおひつきまゐらせて、こんゑのひがしのかはらの程にて、「おんふえとりてこそ参たれ」と申ければ、まことかやとて、なのめならずよろこばしげにおぼしめしたりければ、腰よりぬきいだしてまゐらせたりけり。さだいふむねのぶ、
P1707
ろくでうのさいしやういへやすのおんまご、さゑもんのすけむねやすがこ也。「高倉の宮うせさせたまひぬ」といひけるより、ろくはらもきやうぢゆうもはしりさわぎける上に、山のだいしゆ、既にさんでうきやうごくのへんにくだるよしきこえければ、平家の人々、だいしやういげのぐんびやうはせこみて、騒ぎあはるる事なのめならず。されどもひがことにてぞ有ける。てんぐのよくあれにけるとぞおぼえし。高倉の宮と申も、法皇のみこにておはしませば、よそのおんことにあらず。「いつしかやがてかかるあさましきこといでたれば、ただとばどのにしづかにておはしまさで、よしなく都へいでにけるかな」とぞおぼしめす。だいじやうにふだうのちやくし、こまつのないだいじんしげもり、去年八月にうせたまひにしかば、じなん
P1708
さきのうだいしやうむねもりにわくかたなくせけんの事ゆづりて、入道ふくはらへくだりたまひたりしてあはせに、だいしやうふかくして、宮をにがしまいらせたる事、くちをしとぞひとまうしける。十二 十九日、たかくらのみやみゐでらににげこもらせたまふよし、きこえけり。御馬にだにも奉らざりけり。ひといちりやうにんぞおんともにさうらひける。ひがしやまにいらせ給て、よもすがらによいやまをこえさせたまひけり。いつあゆませたまひたるおんあゆみならねば、なつくさのしげみが下のつゆけさ、さこそ所せく、みあしみなそんじて、つかれよはらせたまひつつ、みやまの中を心あてにたどり渡らせ給ければ、白くうつくしきみあしはむばらの為に
P1709
赤くなり、黒くみどりなるおんぐしは、ささがにの糸にまとはれぬ。をりしもほととぎすのひとこゑかすかにきこえければ、御心のうちにかくぞおぼしめしつづけさせたまひける。ほととぎすしらぬやまぢにまよふにはなくぞわがみのしるべなりける K068
むかしてんむてんわう、おほとものわうじにをそはれて、よしののやまへいらせたまひけむも、いまさらにおぼしめしいだされて、あはれにぞおぼしめされける。おんともの人々、御手をひかへ肩にかけまゐらせて、あひかまへてみゐでらへかかぐりつかせたまひて、「われ平家にせめられて、のがれがたかりつるあひだ、かひなき命のをしさに、しゆとをたのみてきたれり。たすけてむや」となくなくおほせられければ、
P1710
しゆとほうきして、かひがひしくごしよしつらひいれまゐらせ、さまざまにいたはり奉る。

十三 廿日、げんざんゐにふだう、おなじくしそくいづのかみなかつな、げんだいふのはんぐわんかねつな、ろくでうのくらんどなかより、そのこくらんどたらうなかみつ、わたなべたうらをあひぐして、よるにいりてこんゑがはらのしゆくしよにひをかけて、みゐでらへは参りにけり。げんだいふのはんぐわんかねつなは、入道のをひをやしなひて、じなんにたてたり。これによつて、むほんのぎは兼綱にはしらせず。このときにこそ兼綱は、「たにんはせざりけり。ちちにふだうのしわざよ」とおもひけれ。わたなべたうの中にきほふのたきぐちは、入道のともにはもれにけり。どうれうどもがまうしけるは、「きほふに
P1711
このことをしらせさうらはで、いかさまわれらはうらみられさうらひぬ」と申。いづのかみのたまひけるは、「よしよしくるしかるまじ。むねもりのしゆくしよちかければ、このこときこえなばあしかりなむ。しらせずとも、競さる者なれば、参らむずらむ」とのたまふ。競はこの事ききて、「うたてくもこの事をばしらせ給はぬものかな。只今参らむ」と思へども、「うだいしやうむねもりのむかひ也。馬よくらよとせむ程に、きこえなばあしかりなむ」とて、やすらふ。宗盛はげにんをよびたまひて、「むかひのしゆくしよにきほふはあるか。みてかへれ」とのたまひければ、ほどなくかへりて「そのけもなくてさうらふなり」とこたふ。「いかになほみよ」とてつかはす。またはしりかへりて、「おなじやうにて候」と申。「競めせ」とてめされけり。たきぐちまゐり
P1712
たりければ、「いかに、さんゐにふだうどのはみゐでらへときくに、おのれはゆかぬか」。「さ(ん)ざうらふ。ひごろはずいぶん人にもこえてこそさうらひつれども、今はかくのこしとどめられぬる上は、おひて参るにおよばず」と申。「さらば我につかへよかし」。きほふ「さうけたまはりぬ」と申。宗盛かねてより、哀れとおもはれけるびんぎに、をりをよろこびて、「競にさけのませよ」とて、さけとりいだして、しゆじゆのひきでものしたり。中にもくろかはをどしのよろひに、ゆみやたちどもひかれたり。そのうへなほ、とほやまとてひさうしたる馬に、くらおきてひかれたり。競「かくてあらばや」とは思へども、「けんじんはじくんにつかへず。ていぢよはりやうふにまみえず」といふ事
P1713
なれば、ひごろのぢゆうおんをわするるにおよばず。宗盛「きほふはあるか」、「さうらふ」とたびたびまうしながら、よふけひとしづまりければ、えたりけるよろひき、かぶとのををしめ、馬にうちのりて、むちをあげて、三井寺へはせまゐる。どうれうどもにあひて、「いかにとのばらはすておきて、しらせ給はざりつるぞ」とうらみければ、おなじことばに申けるは、「『しらせむ』とまうしつれども、かうのとのの『宗盛の宿所の近ければあしかりなむ。競さる者なれば、しらせずとも参らむずらむ』とおほせられつれば、ちからおよばず」と申ければ、競、「さてはうへにもいまだおぼしめしはなたせたまはざりけり」とよろこび、にふだうどの、いづのかみの前にまゐりて、「きほふこそもつてのほかにひがこと
P1714
してさうらへ。だいしやうどののよろひかぶと、むまともに取て参たり」とて、事のしさいかたりまうして、「人のたばぬ物を取たらばこそひがことならめ」と申ければ、入道、伊豆守をはじめとして、じやうげのしよにん、一度にはとわらひけり。
十四 さるほどにしゆとせんぎして、山門ならびに南都へてふじやうをおくる。そのじやうにいはく。
をんじやうじてふす えんりやくじのが
ことにかふりよくをいたしてたうじのぶつぽふはめつをたすけられんとおもふじやう
みぎ、にふだうじやうかい、ほしいままにわうぼふをうしなひ、またぶつぽふをほろぼず。しうたんきはまりなき
P1715
あひだ、さんぬるじふごにちのよ、いちゐんだいにのわうじ、ふりよのなんをのがれむがために、にふじせしめたまふところなり。ここにゐんぜんとかうして、いだしたてまつるべきせめありといへども、こじせしむるところに、くわんぐんをつかはさるべきむね、そのきこえあり。たうじのはめつ、まさにこのときにあたる。えんりやく、をんじやうりやうじは、もんぜきふたつにあひわかるといへども、がくするところはこれゑんどんいちみのけうもんにおなじきなり。たとへばとりのさいうのつばさのごとし。またくるまのふたつのわににたり。いつぱうかけむにおいてはいかでかそのなげきなからむやてへれば、ことにかふりよくをいたし、ぶつぽふのはめつをたすけられば、はやくねんらいのゐこんをわすれて、ぢゆうさんのむかしにふくせん。しゆとのせんぎかくのごとし。よつててふそうくだんのごとし。
P1716
ぢしようしねん五月十七日 せうじしゆほふしせいか
とゐなだいほふしていさん
じしゆだいほふしえいけい
じやうざほつけうしやうにんちゆうせい
をんじやうじてふす こうぶくじのが
ことにかふりよくをかうぶりてたうじのぶつぽふはめつをたすけられむとこふじやう
みぎ、ぶつぽふのしゆしようなることは、わうぼふをまもらむがため、わうぼふまたちやうきうなること
P1717
は、すなはちぶつぽふによるなり。しかるをきやうねんよりこのかた、にふだうさきのだいじやうだいじんたひらのきよもり、ほしいままにこくゐをぬすみて、てうせいをみだり、うちにつけほかにつけ、うらみをなしなげきをなすあひだ、こんぐわつじふごにちのよ、いちゐんだいにのわうじ、たちまちにふりよのなんをまぬかれんがために、にはかににふじせしめたまふ。しかるにゐんぜんとかうして、たうじをいだしたてまつるべきよし、せめありといへども、いだしたてまつるにあたはず。しゆといつかうにこれををしみたてまつる。かのぜんもん、ぶしをたうじにいれむとほつす。わうぼふといひぶつぽふといひ、いちじにまさにはめつせんとほつす。しよしゆなんぞしうたんせざらん。むかしたうのゑしやうてんし、ぐんびやうをもつてぶつぽふをほろぼさしめしとき、しやうりやうせんのしゆ、かつせんをしてこれをふせく。わうけんなほかくのごとし。いかにいはむやむほんはちぎやく
P1718
のともがらにおいてをや。たれびとかけふせいすべきや。なかんづくなんきやうは、れいなくてつみなきちやうじやをはいるせらる。定位田内うごくらむ。こんどにあらずは、いづれのひかくわいけいをとげむ。ねがはくはしゆと、うちにはぶつぽふのはめつをたすけ、ほかにはあくぎやくのはんるいをしりぞけば、どうしんのいたり、ほんくわいにたりぬべし。しゆとのせんぎかくのごとし。よつててふじやうくだんのごとし。
ぢしようしねん 五月十七日
なんとよりのへんてふにいはく、
こうぶくじてふす をんじやうじのが
P1719
らいてふいつしにのせらる。きよもりにふだうじやうかいがために、きじのぶつぽふをほろぼさむとほつするよしのこと。
てふす、こんぐわつにじふにちのてふじやう、おなじきにじふいちにちたうらいす。ひえつのところ、ひきあひまじはる。いかんとならば、たがひにてうだつがましやうをふくすべし。そもそもきよもりにふだうは、へいじのさうかう、ぶけのぢんかいなり。そぶまさもり、くらんどごゐのいへにつかへて、しよこくのじゆりやうのむちをとる。おほくらのきやうためふさ、かしうししのいにしへ、けんびゐどころにふし、しゆりのだいぶあきすへ、はりまのたいしゆたりしむかし、むまやのべつたうしきににんず。しかるをしんぶただもりのあつそんにおよび、しよう
P1720
でんをゆるされしとき、とひのらうせう、みなほうこのかきんををしみ、ないげのえいかう、おのおのばたいのしんもんになく。ただもりせいうんのつばさをかいつくろふといへども、せじんなほはくをくのたねをかろんず。なををしむせいし、そのいへにのぞむことなし。しかるにいんじへいぢぐわんねん、だいじやうてんわういつせんのこうをかんじて、ふしのしやうをさづけたまひしよりこのかた、たかくしやうこくにのぼり、かねてひやうぢやうをたまはる。なんしあるいはたいかいをかたじけなくし、あるいはうりんにつらなる。によしあるいはちゆうぐうしきにそなはり、あるいはじゆんごうのせんをかうぶる。くんていそし、みなきよくろをあゆみ、そのまごかのをひ、ことごとくちくふをさく。しかのみならず、きうしうをとうりやうし、はくしをしんだいして、みなぬびぼくじゆうとす。いちもうこころにたがへば、すなはちわう
P1721
こうといふといへどもこれをとらへ、へんげんみみにさかふれば、またくぎやうといふといへどもこれをからむ。これをもつてもしはいつたんのしんみやうをのべむがため、もしはのがれむとほつしてへんしのりようじよくを、ばんじようのせいしゆ、なほめんてんのこびをなし、ぢゆうだいのかくん、かへりてしつかうのれいをいたす。だいだいさうでんのけりやうをうばふといへども、しやうさいもおそれてしたをまきみやみやさうじようのしやうゑんをとるといへども、けんゐにはばかりてものいふことなし。かつにのるあまり、去年の冬十一月、たいしやうくわうのすみかをついふくし、はくりくこうのみをおしながす。ほんぎやくのはなはだしきこと、まことにここんにたえたり。そのときわれら、すべからくぞくしゆにゆきむかふべく、そのつみをとふべきなり。しかれどもあるいはしんりよをあひはかり、あるいはわうげんとしようするによつて、うつたうをおさへてくわういんをおくるあひだ、
P1722
かさねてぐんびやうををこして、いちゐんだいにのしんわうぐうをうちかこむところに、はちまんさんじよ、かすがごんげん、すみやかにやうがうをたれてせんひつをささげ、きじにおくりつけて、しんらのとぼそにあづけたてまつる。わうぼふつくべからざるよし、あきらけし。したがひてまたきじ、しんみやうをすてて、しゆごしたてまつるでう、がんじきのたぐひ、たれかずいきせざらむ。われらゑんゐきにありて、そのなさけをかんずるところに、きよもりにふだう、なほきようきをおこして、きじにいらんとほつするよし、ほのかにうけたまはりおよぶをもつて、かねてよういをいたす。十七日たつのこくに、だいしゆをおこし、十八日、しよじにてふそうし、まつじにげぢして、ぐんしをえてのち、あんないをたつせむとほつするところに、せいてうとびきたり、はうかんをなげたり。すじつのうつねん、いつしにげさん
す。かの
P1723
たうかしやうりやういつさんのひつすう、なほぶそうのくわんびやうをかへす。いはむやわこくなんぼくりやうもんのしゆと、なんぞぼうしんのじやるいをはらはざらん。よくりやうゑんさうのぢんをかためて、よろしくわれらがしんぱつのつげをまつべしてへれば、しゆうぎかくのごとし。よつててふそうくだんのごとし。じやうをさつしてぎたいをなすことなかれ。もつててふす。
ぢしよう四年五月廿一日
とぞ書きたりける。そのうへ、南都にはしちだいじにてふじやうを送る。まづ東大寺へてふじやうを送る。そのじやうにいはく。
こうぶくじのだいしゆてふす とうだいじのが
P1724
はやくまつじまつしやをかりて、ぐぶせられて、こんみやうのうちにらくやうにはつかうして、をんじやうじのしやうめつをすくはんとほつするじやう
てふす、しよしゆうことなりといへども、みないちだいのしやうげうよりいづ。しよじまちまちなりといへども、おなじくさんぜのぶつざうをあんず。なかんづく、をんじやうじは、みろくによらいじやうぢゆうのれいくつなり。われらはあそうのながれをうけ、じしのけうもんになる。きじは、はつしゆうのけうぼふ、あひならびて、これをがくす。あにかのてらをおくせざらむや。しかるにくわらくのもと、いつしんのあやつりあり。へいぢぐわんねんよりこのかた、しかいはちえんをあふりやうし、はくしりくきゆうをぬびとす。いちもうこころにたがへば、すなはちわうこうといふといへども、もつてこれをとらへ、へん
P1725
げんおもひにそむけば、すなはちしやうけいたりといへども、もつてこれをひしほにす。ここをもつて、さうでんのかくん、かへりてしつかうのれいをなし、ばんじようそんちようのこくわう、ほとんどめんてんのこびをいたす。つひにてうかうしろくのはかりことをめぐらして、いよいよわうぼふをほろぼす。あまつさへふつさひざうのあとをおひ、まさにぶつけをうしなはむとす。すなはちこんみやうのあひだ、をんじやうじをさんがいせむとほつすとうんうん。いまだおこらざるよりさきにあひすくはずは、われらひとり、まつたくなんのせんあらむや。しかればすなはち、ふじつにへいをととのへて、きやうくわにむかはんとほつす。ぶつぽふのこうはい、ただこのことにあり。かつうはぶつじんにきせいし、まぐんをがうぶくすべし。かつうはまつじしやうえんをかりて、ぐぶせられば、よろしくてんちのしんりよにかなひ、なんぼくのぶつぽふをたもつべきのみ。よつてあらあらいうしよをしるして、
P1726
てふそうくだんのごとし。こふやじやうをさつして、ちいんせしむることなかれ。ゆゑにてふす。
ぢしようしねんごぐわつ ぴ こうぶくじのだいしゆら
やくしじとうのてふじやう、たいていとうだいじのてふじやうのごとし。ぢしようしねん五月十七日に、てんが、ださいのそつたかすゑ、さきのだいなごんくにつな、べつたうときただ、しんさいしやうのちゆうじやうみちちか、しんゐんにまゐらる。たかくらのみやのことぎぢやうあり。うちゆうべんかねみつのあつそん、てんがのおほせをうけたまはりて、みげうしよを、こうぶくじのべつたうごんのそうじやうげんえん、ごんのべつたうごんのせうそうづざうしゆんがもとへつかはされけり。をんじやうじのしゆと、みだりがはしくちよくめいをそむく。
P1727
えんりやくじまたどうしんして、てふをおくるよしふうぶんす。さらにどういすべからざるおもむきなり。こんせきまたをんじやうじのそうがうじふにんをめさる。さきのだいそうじやうかくさん、そうじやうばうかく、ごんのそうじやうかくち、さきのごんのそうじやうこうけん、ほふいんじつけい、ごんのだいそうづかうじよう、ごんのせうそうづしんゑん、ほふげんかくけいとぞきこえし。かくさん、じつけいはまゐらざりけり。おのおのほんじにまかりむかひて、たかくらのみやをいだしたてまつるべきよし、しゆとにおほせふくむべきよしをぞ、おほせくだされける。またざすめいうんそうじやうをめされて、さんもんどうしんすべからざるよしを、おほせくだされけり。そのじやうにいはく。
P1728
えんりやく、をんじやうりやうじのきようど、ひごろけいぎあるよし、ふうぶんせしむといへども、さらにしんようなきところに、みゐのそうりよ、すでにちよくかんのひとをまねきよせて、じちゆうににふきよし、けつこうをあつるいたり、たちまちにもつてろけんす。いかでかいちじのかんらんをひかれ、おなじくはつこのざいくわをかうぶるべけむや。かつうはじつぷをたづね、かつうはきんあつをくはふべしてへれば、ゐんぜんによつて、ごんじやうくだんのごとし。
五月十六日 させうべんゆきたか
しんじやうてんだいざすごばう
さんもんには、をんじやうじよりてふじやう送りたりけるには、どうしんしたてまつるべき
P1729
よし、りやうじやうしたりけるあひだ、みや、ちからつきておぼしめされけるに、「山門の衆徒こころがはりするか」など、ないないひろうしければ、「なにとなりなむずるやらむ」と、おんこころぐるしくおぼしめされけり。かさねてまたさんもんへゐんぜんをなしくださる。そのじやうにいはく、
をんじやうじのあくとぼうぎやくのこと
みぎ、ひごろなだめおほせらるといへども、なほしちよくめいをそむく。いまにおいてはついたうしをつかはさるべきなり。いちじのめつばう、なげきおぼしめすといへども、ばんみんのわづらひ、もだすべからざるか。まことにこれまえんのけつこう、なんぞぶつきやうのみやう
P1730
じよをあふがざらむや。まんざんのしゆと、いつこうどうおんにいのりまうさしむべし。かねてはまたのがれさるともがら、さだめてえいさんにむかはんか。ことにようじんをそんして、けいゑいせしむべきよし、さんざんにつげまはさしめたまふべしてへれば、しんゐんのおんけしきによつて。しやうたつくだんのごとし。
五月廿二日 させうべんゆきたか
とぞおほせくだされける。ここに山門のしゆとの中に、ではのあじやりけいくわいとて、さんたふにきこえたるがくしやうあくそうありけるが、申けるは、「そもそもをんじやうじはちしようのこんりふ也。わがやまはでんげうのさうさうなり。しよ
P1731
がくひとつにして、しゆうぎおなじなりといへども、ほんまつきいにして、うんでいまじはりをへだつ。しかるにみゐのしゆとら、ほしいままにひてうのりやうよくにたとへ、おしてぎつしやのにりんにるいするでう、しよぎやうのくはたて、はなはだもつてきくわいなり。きようくわうのおもひをもつて、くぎやうのことばをいたさば、どうしんせしむべし。しからずは、よりきすべからざる」よし、まうしけるとぞきこえし。
十五 三井寺には、「ろくはらにおしよせて、大政入道をようちにせむ」とぞせんぎしける。「もののようにもあはざらむらうそうたちに、たいまつもたせてによいやまへさしのぼせ、あしがろ二百よにんそろへて、しらかはのへんへさしむけて、家々にひをかけさせ、のこらむものどもはいはさか、さくらもとへはせ
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むかひてまたむ程に、しらかはにひかけなば、ぜうまうとて、へいけのぐんびやうどもおほくはひのもとへこそはせむずれ。六波羅にのこりとどまる者はまれなるべし。そのあひだにおしよせて、だいじやうにふだうようちにせむ事いとやすし」とぞはからひける。ここにいちのうばうのあじやりしんかいといふ者あり。としごろ平家のいのりしにて有けるが、だいしゆの中にすすみいでて申けるは、「かく申せば、平家のかたうどをするとおぼしめさるらめども、ひとつはそれにてもさうらふべけれども、またいかでかわがてらのなをもをしみ、衆徒のゐをも思はで侍るべき。たうじ平家のはんじやうするをみるに、ふくかぜの草をなびかし、ふるあめのつちをくだく
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ににたり。とうい、なんばん、せいじゆう、ほくてき、なびきしたがはざる者やある。『たうらうのをのをもつてりふしやをかへし、えいじのかひをもつてきよかいをつくす』とまうすことはあれども、ぐんびやうそのかずこもりゐてさうらふ六波羅をようちにせむ事、いかがあるべかるらむ。いふかひなき事ひきいだしたらば、なんとほくれいのあざけり、よくよくおんぱからひあるべき也」と、夜をふかさむとやおもひけむ、ながせんぎをぞしたりける。じよういんばうのあじやりきやうしうは、ころもの上にうちがたな、まへだりにさしなし、かせづゑにかかり、さしあらはれて申けるは、「れいしようをほかにもとむべからず。わがてらのほんぐわん、てんむてんわう、おほとものわう
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じにをそはれて、よしののやまへこもらせたまひけるに、やまとのくにうだのこほりをすぎさせたまひけるには、上下わづかに七騎のおんせいにてとほらせ給けれども、つひにはいづみ、きいのくにのせいをめしぐして、いが、いせをへて、みのとをはりのせいとをもよほして、みのとあふみとのさかひに、さかひがはといふ所にて、河をへだてておほとものわうじと戦はせたまひしに、河くろちにて流れたり。これよりしてかのかはをくろちがはと申す。つひにおほとものわうじをほろぼし、ふたたびくらゐにつき給ふ。じんりんあはれみをなせば、きゆうてうふところにいるといへり。いかでかおんちからを
あはせ奉らざらむ。よをばしるべからず、きやうしゆうがもん
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とどももらすべからず。だいじやうにふだうようちにしてまゐらせよ」といひもはてねば、ときをつくる。山のてへむかふ老僧には、いちのうばうのあじやりしんかい、じよういんばうのあじやりきやうしゆう、じようなんばうのあじやりかくせい、きやうしうばうのあじやり、武士にはげんざんゐにふだうよりまさをはじめとして、もののようにかなひげもなきらうそう五百よにん、てんでにたいまつもちて、によいがみねへ登る。あしがろ二百余人そろへて、しらかはのかたわらへつかはす。そのほかのあくそうには、しまのあじやりたいふこう、ほふれんばういがこう、すみのろくらうばう、ろくてんぐうにはしきぶ、たいふ、のと、かが、びんご、ゑつちゆう、あらとさ、おにさど、ひをぢやううん、しらうばう、ご
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ぢゆうゐんのたぢま、ゑんまんゐんのたいふ、だいじゆにはつつゐのじやうめうめいしゆん、いちらいほふし、武士にはいづのかみなかつな、げんだいふのはんぐわんかねつな、ろくでうのくらんどなかより、そのこくらんどたらうながみつ、わたなべたうをさきとして、七百五十余人、時をつくりていでたつ。をんじやうじにみやいれまゐらせてのちは、ほりほり、さかもぎ引たれば、堀に橋を渡し、さかもぎのけさせなどせしほどに、さつきのみじかよなれば、やごゑの鳥もなき渡り、しののめしだいにあけぞゆく。いづのかみのたまひけるは、「今はかなはじ。ひけや」とぞいはれけり。ゑんまんゐんのたいふすすみいでて申けるは、「昔もろこしにまうしやうくんといふものありき。こはくのかはぎぬといふ物を
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ひさうしてもてり。しんのせうわうこのことをききたまひて、『なんぢがしよぢのこはくのかはぎぬ、われにえさせよ』と云ければ、わがみには第一の宝とおもひけれども、これををしみてはわれほろびなむずとおもひて、このかはぎぬをせうわうにあたへ奉る。すなはちくわんこにをさめてけり。このかはぎぬをきつれば、いつてんしかいをがんぜんにみ、しつちんまんぼうを、もとめいだす宝なり。されば、まうしやうくん三千人のしよじゆうに、こがねのくつをはかせてあさゆふめしつかひしも、このかはぎぬのゆゑなり。まうしやうくんこのことをやすからずおもひて、ひごとのしよくじをとどめて、かのかはぎぬのをしきことをなげきゐたりけるに、まうしやうくん心ひろくかしこき者にて、さまざまにのうある者をめしつかひけり。あるいは牛馬のほゆるまねをし、犬のほゆるまねをし、
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あるいはにはとりのなくまねをし、ぬすみにちやうぜる者もあり。そのなかにりふていといふ、ぬすみよくする者あり。『こはくのかはぎぬをぬすみいだしてたてまつらむ』といひければ、まうしやうくんおほきによろこびて、りふていをつかはす。ふてい、せうわうのもとに行て、ほうざうをひらきて、かのかはぎぬをぬすみいだして、まうしやうくんに奉る。まうしやうくんこのかはぎぬをえて、『せうわうききたまひなば、われをいましめによせたまはむずらむ。さらばいまだ天のあけざるさきに』とて、ねのこくばかりにしんこくをにげいだしけるに、『かのかんこくくわんとまうすは、にはとりのなかぬさきには、せきどを開く事なし。いかがはせむ』となげきけるに、三千人のかくのなかにけいめいといふもの、たかきのすゑにのぼりて、にはとりのそらねをしたりければ、そのこゑ
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にもよほされて、『せきぢのにはとりなきければ、夜あけにけり』とて、せきもりとをあけければ、まうしやうくんよろこびて、ことゆゑなくとほりにけり。これもかたきのはかりことのよきゆゑなり。今もわれらが心をはからむとて、鳥のそらねにてもや有らむ。只よせよや」とぞ申ける。伊豆守、「いやいやかなふまじ。ひけや」とのたまひければ、ちからおよばずひきしりぞく。これはしんかいめがながせんぎにこそ、夜はふけたれとて、帰りさまにしんかいがばうをきりはらふ。心海がどうじゆくども、命をすててさんざんにふせきたたかふ。よせてもあまたうたれにけり。心海がどうじゆくはちにんうたれけり。心海ここうをのがれて、ろくはらにはせまゐりてこのよしを申す。されどもぐんびやうその
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かずこもりたりければ、すこしも騒ぐ事なし。
十六 だいじやうにふだう、ただきよをめしてのたまひけるは、「なんと、えんりやくじ、みゐでら、ひとつになりなば、よきだいじにてこそあらんずらめ。いかがせむずる」。ただきよ申けるは、「やまほふしをすかしてごらんさうらへかし」。「しかるべし」とて、山のわうらいにあふみよねさんぜんごくよす。げぶみのうちしきに、おりのべぎぬさんぜんびきさしそへて、めいうんそうじやうをかたらひたてまつりて、山門のごばうへなげいる。いつぴきづつの絹にばかされて、ひごろほうきの衆徒へんがいして、宮のおんことをすてたてまつりけるこそかなしけれ。山門のふかく、ただこのときにあり。ならぼふしこれを聞て、じつごけうにつくりてぞわらひけ
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る。そのことばにいはく、
「やまたかきがゆゑにたつとからず、そうあるをもつてたつとしとす。ひとこえたるが故にたつとからず、
はぢあるをもつてたつとしとす。おりのべはいつたんのたから、みめつせざれどもすなはちやぶる。
恥はこればんだいのきず、みをはるまでさらにうせず。玉みがきたつればきずなし。
きずなきを頼政とす。とんよくのものは恥なし。はぢなきをさんぞうとす。
くらのうちのたからはくつることあれども、みの中のよくはくつることなし。せんりやうのこがねをつむといへども、
いちにちの恥にはしかず。しだいひびにおとろへ、さんたふよよにくらし。
あへてしよをよむにともがらなし。がくもんのかたにはあとをけづる。ねぶりをのぞきてようちをこのみ、
うゑをしのびずしてたからをそんず。しにあふといへどもおそれず。でしにむかふといへどもはぢんや。
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しとうの船にのらざれども、かいぞくの道にことわりをう。はつしやうのみありといへども、
じふあくなるがゆゑにがくせず。むゐのみやこにありといへども、はういつのためつかへず。
ただちくしやうにぜんどうなり。すなはちぼくせきにことならず。ふぼには常にきやうはいし、
しゆくんにはさらにちゆうなし。をんじやうみやをうやまへば、しよにんみゐをうやまふ。
さんぞうやくをへんずれば、こくどあまねくこれをにくむ。てんがえいさんをそしり、
ばんにんしめいをかたぶくれば、さんもんことごとくめつしつすること、あたかもさうかのはなのごとし。
みをおりのべにかへて、さいしのあひせつとす。つねにやすきはざいごふなり。
しやうらいのはぢをあらふべし。故にばんだいのさんぞう、まづこのしよをならふべし。
これがくもんのはじめなり。みををふるまでばうしつすることなかれ。
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じつごけういつくわん、これすなはちさんぞうぎやうなり。よつてだらにほんにいはく、おん、やまほふし、はらぐろはらぐろ、よくふかよくふか、はぢなや、そはか」とぞかきたりける。
おなじくならぼふしのよみける。
やまほふしおりのべぎぬのうすくして恥をばえこそかくさざりけれ K069
おなじくこぼふしばらの読みける。
やまほふしみそかひしほかからひしほかへいじのしりにつきてまはるは K070
げんざんゐにふだうかくぞ読みける。
たきぎこるしづがねりそのみじかきがいふことのはの末のあはぬは K071
さんぞうの中に絹にもあたらぬこぞう、このうたどもをききて、かくぞ読みける。
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おりのべを一きれもえぬ我さへにうす恥をかく数にいるかな K072G15
十七 たかくらのみやのごぜんに参て、だいしゆまうしけるは、「さんもんのしゆともこころがはりしさうらひぬ。南都よりもおんむかへにまゐると、けふよ、あすよと申せども、いまだみえ候はず。寺ばかりにてはかなふまじ。いづかたへものびさせおはしますべし」と申す。みやおんこころぼそげにおはします。されどもこんだうにごにふだうあり。このみや、さえだ、せみをれといふひさうのおんふえふたつあり。せみをれをみろくに奉らせ給ふ。このおんふえは、とばのゐんのおんとき、あうしうよりしやきんせんりやう奉りたり。鳥羽院、「是はわがてうのちようほうのみにあらず、だいこくの宝にてもある物を」とて、
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時のしゆしやうへまゐらせたまひたり。もろこしのこくわうおほきによろこばせたまひて、ごへんぽうとおぼしくて、かんちくをいつぽんたてまつる。そのたけのなかに、笛にえらせ給べきよを、ひとよきらせまします。くちの穴とふしとおぼしきところに、しやうじんのせみのやうなるものありけり。せいしゆ、きたいのほうぶつとおぼしめされて、みゐでらのかくいうそうじやうにおほせて、ごまだんの上、いちしちかにちかぢせさせたまひてのち、笛にえられたりけり。てんがだいいちのほうぶつなりける間、おぼろけのぎよいうにはとりいだされず。おんがのありけるに、たかまつのちゆうなごんさねひらのきやうたまはりてふかんとす。ぎよいうのご、いまだおそかりければ、ふつうの笛のごとくおもひなして、ひざのしもにおしかくし
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て、そのごにとりいだしてふかんとすれば、笛とがめおもひて、とりはづして、せみをうちをりたり。それよりしてこそ、このおんふえをば「せみをれ」とはなづけしか。鳥羽院のぎよぶつなりけれども、そのおんまごのおんみとして、つたへもたせたまひたりけるが、「いかならむよまでも、おんみをはなたじ」とおぼしめされけれども、みゐでらをおちさせたまふとて、「こんじやうにてはつたなくしてうせなむず。たうらいにはかならずたすけたまへ」とて、こんだうにおはしますしやうじんのみろくぼさつにたむけ奉て、ならへおちさせたまふべきにさだまりぬ。さえだとまうししおんふえを、最後までおんみをはなたれず。あはれなりし御事也。そののち、あるうんかく、ひよしのやしろへまうでて、やいんにおよびて
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げかうしけるに、三井寺に笛のねのしけるを、しばらくやすらひてたちききければ、こたかくらのみやのせみをれといひし御笛のねにききなして、子細をたづねければ、こんだうのしゆぎやうけいしゆんあじやり、そのころちようあいしけるちごのふえふきをもちたりけるに、ときどきとりいだして、このふえをふかせけり。ゆゆしくもききしりたるひとかな。だいしゆこのよしをききて、「このふえをいるかせにする事、しかるべからず」とて、そのときよりはじめていちのくわしやうの箱にをさめられて、をんじやじのほうぶつのそのいちにて今にあり。十八 廿三日、たかくらのみやは、だいしゆどうしんせば、かくてもをはしますべきに、さんもんこころがはりの上はをんじやうじばかりにては弱ければ、げんざんゐにふだうよりまさ、
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いづのかみなかつな、たいふのはんぐわんかねつな、わたなべたうには、きほふ、つづく、あたふ、てうじつとなう、てらほふしには、ゑんまんゐんのたいふ、おほかが、やぎりのたぢま、つつゐのじやうめうめいしゆんらをはじめとして、三百よきにておちさせ給。うぢと寺とのあひだにて、ろくどまでらくばせさせ給ふ。このほどぎよしんならざりけるゆゑなり。うぢはしさんげんひきて、かいだてにかき、そのあひだ、宮をばびやうどうゐんにいれまゐらせて、ぎよしんなし奉る。平家このことを聞て、ぐんびやうをさしつかはしておひたてまつる。たいしやうぐんには、さひやうゑのかみとももり、くらんどのとうしげひらのあつそん、ごんのすけぜうしやうこれもりのあつそん、こまつのしんせうしやうすけもりのあつそん、ちゆうぐうのすけみちもりのあつそん、させうしやうきよつねのあつそん、
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さまのかみゆきもりのあつそん、みかはのかみとももり、さつまのかみただのり。
さぶらひにはかづさのかみただきよ、おなじくたいふのじようただつな、ひだのかみかげいへ、
おなじくはんぐわんかげたか、かはちのかみやすつな、つのはんぐわんもりつね、
いげ、二万よきとぞきこえし。うぢぢより南都へむかふ宮のおんかた、三百よき也。うぢはしひきて、びやうどうゐんにおんやすみありけるに、「かたきすでにむかひたり」といふほどこそあれ、河のむかひにうんかのせい、ちをうごかせり。びやうどうゐんにかたきありとめがけてければ、河にうちのぞみて時をつくる。さんゐのにふだうも声をあはせたり。平家のかたよりは、われさきにとすすみけり。宮のおんかたよりつつゐのじやうめうめいしゆん、かつのよろひひたたれにひ
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をどしのよろひきて、ごまいかぶとゐくびにきなして、しげどうの弓に、にじふしさしたるたかうすべをのやを、うしろだかにおひなして、三尺五寸のまろまきのたちをかもめじりにはきなして、このむなぎなたつゑにつき、橋の上にたちあがりて申けるは、「ものそのものにさうらはねども、宮のおんかたにつつゐのじやうめうめいしゆんとて、園城寺にはそのかくれなし。平家のおんかたにわれとおぼしめさむ人、すすめや。げんざんせむ」とぞ申ける。へいけのかたより、「明俊はよきかたき、われくまんわれくまん」とて、橋の上へさとあがる。明俊はつよゆみせいびやう、やつぎばやのてききにて有けり。にじふしさしたるやをもつて、廿三騎いふせて、ひとつはのこりて
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やなぐひにあり。このむなぎなたにて十九騎きりふせて、廿騎にあたるたび、かぶとにからりとうちあててをれにければ、河へなげすつるままにたちをぬきて、九騎きりふせて、十騎に当る度、ちやうどうちをれ、河にすつ。たのむところはこしがたな、ひとへにしなむとのみぞくるひける。じやうめうばううたせじとて、ごぢゆうゐんのたぢま、こうがうゐんのろくてんぐ、おにさど、びつちゆう、のと、かが、をぐら、そんぐわつ、そんやう、じぎやう、らくぢゆう、かねこぶしのげんきやうばうら、命ををしまずたたかひけり。はしげたはせばし、そばよりとほるにおよばず。めいしゆんがうしろにたちたりけるいちらいばう、「今はしばらくやすみ給へ、じやうめうばう。いちらいすすむでかつせん
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せむ」と云ければ、明俊「もつともしかるべし」とて、ゆきげたの上にちとひらみたる所を、「ぶれいにさうらふ」とて、一来法師、うさぎばねにぞこえたりける。これをみてかたきもみかたも、「はねたりはねたり、よくこえたり」とぞほめたりける。このいちらいほふしは、普通の人よりはたけひきく、せいちひさし。きもたましひのふとき事、ばんにんにすぐれたり。さればこそ、かつちうをよろひ、きゆうせんひやうぢやうをたいしながら、みをかへりみず、あれほどせばきゆきげたの上にて、だいのほふしをかけもかけず、うさぎばねにはこえたりけれ。たちの影、天にもありちにもあり、いかづちなどのひらめくがごとし。きりおとしきりふせ
P1753
らるる者、そのかずをしらず。じやうげばんにん、めをすましてぞはべりける。めいしゆん、いちらい二人にうたるる者、八十三人也。まことにいちにんたうぜんのつはもりなり。「あたらものどもうたすな。あらてのぐんびやううちよせよやうちよせよや」と、げんざんゐにふだうげぢしければ、わたなべたうには、はぶく、つづく、いたる、さとる、さづく、あたふ、きほふ、となふ、つら、くばる、はやし、きよし、はるかなどをはじめとして、我も我もとこゑごゑにひとつもんじのなどもなのりて、卅余騎馬よりとびおりはしげたをわたしてたたかひけり。めいしゆんはこれらをうしろにしたがへて、いよいよちからつきて、ただきよが三百余騎のせいにむかひて、ししやうふちにぞたたかひける。三百余騎とはみえしかど、めいしゆん、いちらい
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わたなべたう、卅余騎のつはものどもに二百余騎はうたれて、百余騎ばかりはひきしりぞく。そのあひだに明俊は平等院のもんないへ引て休む。たつところのやは七十余、だいじのてはいつところ也。ところどころにきうぢして、かしらからげじやうえきて、ぼうづゑつきたかねんぶつまうして、なんとのかたへぞまかりにける。ゑんまんゐんのたいふきやうしう、やぎりのたぢまみやうぜんといふ者あり。これまたぶようのみち、人にゆるされたる者也。慶秀は、しろきかたびらのわきかきたるに、きなるおほくちをき、もえぎのはらまきにそでつけたり。明禅は、かちんのかたびらにしろきおほくちをき、あらひかはの腹巻に、いむけの袖をぞつけたりける。おのおのなぎなたをとり、し
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ころをかたぶけて、又ゆきげたをわたしけるを、よせむしやどもやぶすまをつくりていければ、いすくめられてわたりえざりけるに、明禅なぎなたをふりあげ、すいしやをまはしければ、や、長刀にたたかれて、しはうにちる。春ののにとんばうの飛ちりたるにことならず。みかたもきように入てぞ、ほめののしりける。橋を引てければ、かたきすせんぎありといへども、わたりえず。みやうぜんらにふせかれて、かつせんときをぞ移しける。やぎりのたぢま、ゑんまんゐんのたいふ、いちらいほふし、これら三人して、はしげたわたるむしやどもをのこりすくなくきりおとしければ、のちのちにはわれわたさむとするつはものなし。びやうどうゐんのまへ、西
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岸の上、橋のつめにうつたちたる宮のおんかたのぐんびやうども、我も我もと扇をあげて、「わたせやわたせや」とまねきて、どつとわらひけり。「それほどおくびやうなるもののたいしやうぐんする事やはある。大政入道殿心おとりし給たり。あれほどふかくなるものどもをかつせんのにはにさしつかはす事、うたてありやうたてありや」と云て、まひかなづる者もあり、おどりはぬる者もあり。かくわらひはづかしむれども、橋渡らむとする者一人もなし。ゑんまんゐんのたいふは、すすみいでてさんざんにたたかひけるが、かたきあまたうちとりて、かはなじとやおもひけむ、河のはたをくだりに、しづしづとおちゆきけるを、かたきおひかかりて、「いかにいかに、
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かへしあはせよやかへしあはせよや。きたなくもうしろをばみするものかな」と申けれどもききいれず、おちてゆく。敵まぢかくせめつけたりければ、たへずして、河の中へとびいりにけり。水の底をくぐりて、むかひの岸にあがりて、「いかに、よきよろひもぬれておもくなりて、おつべしともおぼえぬぞ。よせてうてや、殿原」とまねきけれども、たいしやうにもあらねば、よせてうつにもおよばず、めにもかけず。たいふは、「さらばいとままうしてよ。寺のかたにてげんざんせむ」と申て、しづしづと三井寺の方へぞおちゆきける。平家は橋の中さんげんひきたるをもしらずして、かたきばかりにめをかけて、われさきにと渡りければ、
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どしをしにおされて、せんぢん五百余騎、河におしいれられてながれけり。ひをどしのよろひのうきぬしづみぬながれけるは、かのかむなびやまのもみぢの、みねの嵐にさそはれて、たつたがはの秋のくれなゐ、ゐせきにかかりて流れもやらぬにことならず。さんゐにふだうこれをみて、「よをうぢがはの橋の下さへおちいりぬれば、たへがたし。いはむやめいどのさんづのかはの事こそおもひやらるれ」とて。
おもひやれくらきやみぢのみつせがはせぜのしらなみはらひあへじを K073
いちらいほふし、にはかにみだぐわんりきの船に心をかけて。
宇治河にしづむをみればみだほとけちかひの船ぞいとど恋しき K074
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河におちいりてむしやどもの流るるをみて、さんゐにふだう。
いせむしやは皆ひをどしのよろひきて宇治のあじろにかかるなりけり K075
宮のおんかたに、ほふりんゐんのあらとさ、きやうばんといふ者あり。いみやうにはいかづちばうとぞ申ける。いかづちはさんじふろくちやうをひびかす声あり。このとさも、卅六町のほかにあるものをよびおどろかすだいおんじやうあり。「おほぜいなれば、さだかにはよもきこえじ。きにのぼりてよばはれ」と云ければ、岸の上の松のきにのぼりて、いちごのだいおんじやう、けふをかぎりとぞよばひたりける。「いつさいしゆじやうほふかいゑんりん、かいぜしんみやうゐだいいちじつとて、しやうある者は皆いのちををしむならひ
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なれども、ほうこうちゆうきんをいたすともがらは、さらにもつてしんみやうををしむことあるべからず。いはむや合戦の庭にかたきをめにかけながら、くつばみをおさへて馬にむちうたざるでう、だいおくびやうのいたす所なり。平家のたいしやうぐん心おとりしたりや心おとりしたりや。げんけの一門ならましかば、今は、このかはをわたしてまし。平家はいたづらに栄花をいつてんにひらきて、臆病を宇治河のほとりにあらはす。きんもつかうじきじざいにして、しひやくしびやうはなけれども、いちにんたうぜんのつはものにあひぬれば、臆病ばかりはみにあまりたりけり。やや、平家のきんだち、ききたまへ。これにはげんざんゐにふだうどの、やはずを
P1761
取てまちたまふぞ。げんぺいりやうかの中にえらばれて、ぬえいたまひたりしたいしやうぐんぞや。おくするところもつともだうりなり。ゆゑにいちらいほふしたちをふれば、二万余騎こそひかへたれ。びろうなり。みぐるしみぐるし。おもひきりてはふはふも渡すべし」とぞよばはりたる。さひやうゑのかみとももりこのことをきき、「やすからぬことかな。かやうにわらはれぬる事こそこうたいのちじよくなれ。はしげたを渡ればこそ、ぶせいなるあひだ、いおとさるれ。おほぜいを河に打ひたし、いちみどうしんにして渡せや、ものども」とぞ、げぢせられける。かづさのかみただきよまうしけるは、「このかはのありさまをみるに、たやすく渡すべしともおぼえず。そのうへこの
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ほどはさみだれしげくして、河の水かさまさりたり。このせいをふたてにわけて、ひとてはよど、いもあらひ、かはちぢをまはりて、かたきのさきをきりて、なかにとりこめばや」とまうしければ、とうごくしもつけのくにのぢゆうにん、あしかがのたらうとしつながこに、あしかがのまたたらうただつなといふものあり。あかぢのにしきのひたたれに、ひをどしのよろひに、さんまいかぶとゐくびにきなし、しげどうの弓に、にじふしさしたるきりふのやに、あしじろのたちに、しらあしげの馬に、きぶくりんのくらおきて乗たりけるが、おほくのむしやの中にすすみいでて申けるは、「淀、いもあらひ、かはちぢをば、もろこし、てんぢくの武士がたまはりてよせんずるか。それもわれら
こそせめんずらめ。今
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なからむが、そのときいでくべきにもあらず。むかしちちぶとあしかがとなかたがひて、ちちあしかが、かうづけのくににつたのにふだうをかたらひて、からめでをまはししに、につたの入道、かたきちちぶに船をやぶられて、『船なければとて、これにひかへたらむは、ゆみやとるかひあるまじ。水におぼれてこそしぬともしなめ』とて、とねがはを五百余騎にてさと渡したる事もあるぞかし。さればこのかは、とねがはにはまさりもせじ、おとりもせじ。渡す人なくは、忠綱渡さむ」とてうちいる。続くものどもはたれたれぞ。いへのこには、をのでらのぜんじたらう、さぬきのひろつなしらうだいふ、へやこのしちらうたらう、らうどうには、おほをかのあんごらう、あねこの
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弥五郎、とねのこじらう、おうかたのじらう、あきろの四郎、きりうの六郎、たなかのそうだをはじめとして、三百五十騎にはすぎざりけり。ただつなまうしけるは、「かやうのだいがをわたすには、つよき馬をおもてにたて、よはき馬をしたにたてて、肩をならべてをとりくみて渡すべし。そのなかに馬もよわりて流れむをば、弓のはずをさしいだしてとりつかせよ。あまたがちからをひとつにあはすべし。馬の足のとづかむ程は、たづなをくれてあゆませよ。むまのあしうかば、たづなをすくふておよがせよ。われらわたすとみるならば、かたきやぶすまつくりていんずらむ。いるともてむかひなせそ。いむけの袖をかたきにあてて
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むかひやをふせかせよ。むかひのはたみむとて、うちかぶとのすきまいらるな。さればとてうつぶきすごして、てへんのあないらるな。馬のかしらさがらば、弓のうらはずをなげかけてひきあげよ。つよくひきてひきかづくな。馬よりおちんとせば、わらはすがりにとりつきて、さうづにしととのりさがれ。かねになわたしそ。おしながさるな。すぢかへさまにみづのをにつきて、渡せや渡せや」とて、一騎も流れず、むかひのはたにまいちもんじにさとつく。向のはたにうちあがりて、忠綱はゆんづゑをつき、さうのあぶみふみはり、鎧づきせさせ、もののぐの水ぞくだしける。もんぐわい近くおしよせてまうしけるは、「とほくはおとにもきけ、
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今はまぢかし、めにもみよ。とうごくしもつけのくにのぢゆうにん、あしかがのたらうとしつながこに、あしかがのまたたらうただつな、しやうねん十七歳、どうみやうわうぼふしまるとは、源平しろしめしたる事ぞかし。むくわんむゐの者の、宮にむかひ奉て弓をひきさうらふは、おそれにては候へども、しんもみやうがもだいじやうにふだうのおんうへにて候へば」とて、ざざめかひてぞかけたりける。げんざんゐにふだうよりまさは、ちやうけんのひたたれにくろかはをどしの鎧をきて、かぶとをばきざりけり。馬もわざと黒き馬にぞ乗たりける。なかつな、かねつなをさうにたてて、わたなべたうをぜんごにたてて、今を限りとさんざんにぞたたかひける。宮はそのあひだにのびさせたまひけり。そこばくのおほぜい
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せめかさなりける上、よりまさにふだうやいつくし、ておひて後は、今はかなはじとやおもひけむ、南都のかたへぞおちにける。いづのかみなかつなもうたれぬ。げんだいふのはんぐわんかねつなは、父をのばさむとて、ひきかへしひきかへしたたかひけり。ておひたりければ、むちをあげておちられけり。きなるすずしのひたたれにあかをどしのよろひきて、しらあしげのむまにぞ乗たりける。かづさのたらうはんぐわんただつな、「あれはげんだいふのはんぐわんどのとこそみたてまつりつれ。うたてくもうしろをばみせたまふものかな。返させ給へ」とて、おひかけたりければ、「宮のおんともに参る」とぞ答へける。むげに近くせめよせたりければ、今はかなはじとや
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おもはれけむ、馬の鼻をひきかへして、わがみあひともに十一騎、かたきの中へをめいてかけけるに、一人もくむものなし。さとあけてぞ通しける。じふもんじにかけわりたるを、忠綱がいるや、かねつながうちかぶとにあたりぬ。忠綱がこどねりわらは、じらうまるとて、すぐれたるだいぢからなりけるが、むずとくみておちたりけり。兼綱は下になり、二郎丸は上になりけるを、かねつながらうどうおちあひて、二郎丸が鎧のくさずりをひきあげて、あげさまにさしてけり。さて兼綱は山の中へひきこもりて、鎧ぬぎすて、腹かい切て死にけり。ひだのはんぐわんかげたかがらうどうおひつづいて、
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くびをば取て返りにけり。
十九 げんざんゐにふだうはげんぱちつづくをまねきて申けるは、「みはろくだいのけんくんにつかへて、よはひははつしゆんのすいらうにおよぶ。くわんゐすでにれつそにこえ、ぶりやくとうりんにはぢず。みちのためいへのため、よろこびはありうらみはなし。ひとへにてんがのために、いまぎへいをあぐ。いのちをこのときにほろぼすといへども、なをこうせいにとどむべし。これようじのねがふところ、ぶしやうのさいはひにあらずや。おのおのふせきやいて、しづかに自害せさせよ」とぞ申ける。三位入道は右のひざのふしをいさせたりけるが、こつがはのはたにて高き岸の有けるかくれにて、鎧ぬぎすて馬よりおりつつ、息つぎゐたりけるが、
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ねんぶつひやつぺんばかりとなへて、和歌をぞいつしゆよまれける。
むもれぎの花さく事もなかりしにみのなるはてぞあはれなりける K076
このときなどよむべしとこそおぼえねども、心にこのみし事なれば、かやうの折もせられけるこそ哀なれ。わたなべたうにちやうじつとなふといふ者に、「くびうて」といはれけれども、いけくびをとらむ事さすがにやおぼえけむ、「じがいをせさせ給へかし」と申ければ、たちを腹にさしあてて、うつぶしに伏たりけり。そののちくびかい切て、穴を深くほりてうづみたりけるを、平家のぐんびやうおひかかりて、ここかしこ穴ぐりもとめけるほどに、こつがは
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のはたにして、もとめいだしてとりをはんぬ。宮はぎよしんもならせ給はず、おんのどかわかせ給ければ、水まいりたくおぼしめされけれども、かたきのいくさ多くうしろより参りかさなりければ、おんひまなくてすぎさせ給けり。おんともに参りけるのぶつら、くろまるらに、「ここをばいづくといふぞ」と、おんたづねわたらせましましければ、「これはゐでの里とまうすところにてさうらふなり。またこのかはの事にてさうらふ、やましろのみづなしがはとまうしさうらふは」と申ければ、宮うちうなづかせましまして、かくぞおぼしめしつづけさせ給ひける。
やましろのゐでのわたりにしぐれしてみづなしがはに波やたつらん K077
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と、うちすさませましまして、にえのの池をうちすぎて、なしまのしゆくをも通らせ給ければ、やうやくならのきやうもちかづきて、くわうみやうざんへぞかからせたまひける。廿 昔もかつせんの庭にてかやうの歌のなをあぐる事は多けれども、まのあたりあいしやうをもよほす事はなし。みなもとのよりよしのあつそん、あべのさだたふ、むねたふをせめられし時、あうしうしのぶの乱れに、年をへて、あけぬくれぬとあらそひて、十二年までせめ給ふ。あるとしの冬のあしたに、ちんじゆふをたちて、あきたのじやうへうつりたまふ。雪は深くふりしき、道すがらかつふるままの空なれば、いむけの袖、やなみつくろふこ
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ての上までも、皆しろたへにみえわたる。しらふのたかをてにすへたれば、とぶはかぜに吹むすばるる雪、都にてみなれし花のえんのまひびと、せいりやうでんのせいがいはのたもとにもおとらずこそみえられけれ。たてをのせてかぶととし、たてをうかべていかだとして、きしたかくそばたちたるころもがはのじやうをば、かしらをたれ、はをくひしばりてせめおとし給しに、さだたふ、じやうのうしろよりくづれおちて逃げけるに、いちなんはちまんたらうよしいへのあつそん、ころもがはにおひくだりてせめつけつつ、「やや、きたなくもにげいづるものかな。しばらくひかへよ」とて、
ころものたちはほころびにけり
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といひかけたりければ、さだたふ少しくつばみをひかへ、しころをふりむくる形にて、
年をへしいとの乱れのくるしさに K078
と申たりければ、義家はげたるやをさしはづして、かへられにけり。いうなる事にぞ、そのころは申ける。
廿一 さてもをんじやうじのしゆと、げんざんゐにふだうよりまさら、皆ちりぢりになりて、ひとむれにても宮のおんともにもまゐらず。さひやうゑのじようのぶつら、くろまるばかりぞつきまゐりたりける。信連はあさぎのひたたれ、こばかまに、あらひかはのおほあらめのはらまきにひざのくちたたかせ、さうの
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こてさしつつ、さんまいかぶとゐくびにきなして、しげどうの弓にたかうすべをのやおひ、三尺五寸のたちはきたり。げんざんゐにふだうのひさうの馬、あぶらかげに乗て、「宮のおんともせよ」とてえたりけるにぞ、乗たりける。宮を先にたてまいらせておちけるが、かたきをめいてせめかかりければ、かへしあはせかへしあはせ戦ひけり。くわうみやうざんのとりゐの前にて、ながれやのおんそばはらにたちぬ。馬よりさかさまにぞおちさせたまふ。こはいかがせむずるとおもひあへず、のぶつら馬よりとびおりて、物へまゐらせたれども、いふかひなし。御目も御覧じあけず、物もおほせられず、きえいらせ
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たまひにけり。黒丸と二人して、御馬にかきのせまゐらせむとすれどもかなはず。さるほどにかたきすでにせめかかりにけり。ひだのはんぐわんかげたか、このおんありさまをみまゐらせて、むちをさして、「あれあれ」といへば、らうどうおちあひて、宮のおんくびをかかむとす。のぶつら弓をすてたちを抜て、躍りあがりて、景高がらうどうのかぶとのはちをむずとうつ。うたれて、うつぶしにふしぬ。のぶつらまうしけるは、「ひだのはんぐわんとみるはひがめか。いかでか『君のわたらせ給』と申。信連かくてゐたり。馬にのりながら、事をばをきつるぞ。につぽんだいいちのをこのひとかな」と
P1777
いひければ、「さないはせそ」とて、郎等七八人さとおりあふ。信連少しもさはがず、中へ入て、八方ちとうちまはる。十よにんのものども、みなうちしらまされぬ。ちかづく者なかりけり。「きたなし。よせてくめ。景高、おそろしきか。景高」とてきりまはるに、はせくむ者こそなかりけれ。只とほやにのみいける程に、ひざのふしをかせぎにいぬかれて、かたひざをちにつけて、こしがたなをぬきつつ、腹巻のひきあはせおしきりて、つかぐちまで腹につきたて、宮のおほとのごもりたるおんあとに参てふし、はらわたくりいだして死にけり。宮のおんくびは景高ま
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いりてかきまいらす。このまぎれに黒丸ははしりうせにけり。ぢしよう四年五月廿三日、宇治のかはせに水むせびて、あさぢが原に露きえぬ。こつがはいかなるながれぞや、頼政がたうるい、皆みじか夜の夢に同じ。くわうみやうざんはうらめしきところかな、はんりのきしゆ、長きやみにおもむかせ給ふ。しゆくしふのかぎりある事をおもひやるといへども、運命の程なき色をなげきかなしぶ。南都のだいしゆ、まつぢをもよほし、しやうゑんをかりて、そのせいつがふ三万余人にて、宮のおんむかへに参りけるが、すでにせんぢんはいづみのこつにつき、ごぢん
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はこうぶくじのなんだいもんにいまだありなどきこえければ、宮はたのもしくおぼしめされ、いかにもしてならの大衆におちくははらむとて、駒を早めてうたせましましけるに、いましごじつちやうをへだてましまして、つひにうたれさせたまひぬるこそ悲しけれ。南都の大衆ちさんして、むなしく道より帰りける事をやまほふしききて、興福寺の南大門の前に、ふだをたてたりけるとぞきこえし。
ならぼふしくりこ山とてしぶりきていか物のぐをむきとられけり K079これはやまほふし、宮にごけいやくをまうしてのち、へんがいし
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して、平家にかたらはれける事を、ならぼふし、じつごけうを作り、歌を読てわらひけるをやすからずおもひて、かやうにわらひかへしてけるとぞきえし。そもそももちひとのわうとまうすは、まさしきだいじやうほふわうのみこぞかし。くらゐにつきよをしろしめすとても、かたかるべきにあらず。それまでこそましまさざらめ、かかる御事あるべしやは。いかなりけるぜんぜのごしゆくごふのうたてさぞとおもひたてまつるも、かひなかりしことどもなり。みゐでらのあくそう、ならびによりまさにふだうのいへのこらうどう、いづみのこつのわたりにて皆うたれにけり。さだいふは馬よはくて、宮のおんともにも
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参りつかず。うしろにかたきはせかかりければ、ちからおよばずして、馬をすてて、にえののいけの南のはたの水の中に入て、草にておもてをかくして、わななきふせりければ、ぐんびやうどものけかぶとにて、われさきにとはせゆく。おそろしさ、なのめならず。「宮はさりとも、今はこつがはをばわたりて、ならざかへもかからせたまひぬらむ」とおもひける程に、じやうえきたるしにんのくびもなきを、かきて通りけるをみれば、宮の御むくろ也。おんふえおんこしにさされたり。はやうたれさせたまひにけりとみまゐらせけるに、はひいでて、いだきつきまいらせばやとは思へども、さすがに走りもいでら
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れず。命はよくをしきものかなとぞおぼえける。御笛はごひさうのさえだなり。「『このふえをば、わがしにたらむ時は、必ずひつぎにいれよ』とまでおほせられける」とぞ、佐大夫はのちに人に語りける。佐大夫は夜に入て、いけの中よりはひいでて、はふはふ京へ帰りのぼりにけり。せんかたもなかりけるが、しやうぢぐわんねんにかいみやうして、いがのかみになりて、くにすけとぞなのりける。宮よりはじめたてまつりて、よりまさふし三人、じやうげじふよにんが首をささげて、ぐんびやうら都へかへりいりにけり。ゆゆしくぞみえし。このみやには人のつねに参りつかまつる人もなかりければ、ふんみやうにみしり奉る人なかりけり。「たれか
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みしりたてまつるべき」とたづねられけるに、「てんやくのかみさだなりのあつそんこそ、去年ごなうの時、ごれうぢのためにめされてありしか」とまうすひとありければ、さてはとて、かのひとをめさるべきよし、ひやうぢやうあり。これをききて、てんやくのかみおほきにいたみまうしけるところに、よくよくみしりまゐらするにようばうを、たづねいでられにけり。女房おんくびをみたてまつりてより、ともかうもものはいはで、袖を顔にをしあててふしまろびなきをめきければ、いちじやうのおんくびとぞ人々しられける。このにようばうはとしごろなれちかづきたてまつりて、おんこなどましましければ、おろかならずおぼしめされける人也。女房も、いかにしていまひとめみたてまつらむと思
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はれける、こころざしの深さのあまりに、まゐりてみたてまつりたり。中々よしなかりけることかなとぞおぼえし。おんくびにきずのましまして、まがふべくもなかりけり。せんねんあくさうのいでさせたまひて、御命あやふく、すでにかぎりにおはしましけるを、さだなりのあつそんすぐれたるめいいにてありければ、ちゆうせつをいたし、めでたくつくろひ奉て、御命のつつがましまさざりき。なかなかそのときほうぎよあらば、よの常のならひにてこそあらむずるに、よしなく長らへさせましまして、今かかるわざはひにあはせたまふこと、しかるべきぜんぜのごしゆくごふとぞおぼえし。さてもかのてんやくのかみは、いきがたき御命を
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いけ奉る事、時に取てはぎばへんじやくがごとくに人思へり。
廿二 廿五日、せつしやうどのもとみちより、うくわんのべつたうただなりを南都へつかはしけり。だいしゆのほうきをせいせられけるに、衆徒さんざんにれうれきして、着物をはぎ取ておひくだす。くわんがくゐんのざつしき二人、もとどりをきらる。又うゑもんのごんのすけちかまさをおんひつかひにつかはすところに、こつがはのへんに大衆きむかひければ、色をうしなひてにげのぼられにけり。衆徒のらうぜきなのめならずとぞきこえし。いづのくにのるにん、さきのひやうゑのすけよりともむほんのために、しよじしよさんのそうとにいのりをつけられけるには、寺にはりつじやうばうをもつていのりのしとたのみけり。すなはち
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たのまれて、はちまんにせんにちこもりて、むごんのだいはんにやをよみたてまつりけるに、七百日にまんずる夜、「御ほうでんよりこがねのかぶとをたまはりて、ひやうゑのすけに奉れ」とじげんをかうぶりて、いづのくにへ使者をくだしてこのよしを申けるをりふし、寺にさうどうありときこえければ、寺にくだりてこのことにくみして、うちじにしけり。兵衛佐ききたまひて、いかにあはれとおもひたまひけむ。さればりつじやうばうの為にとて、いがのくににやまだのがうといふところを、をんじやうじへぞよせられける。だいじやうにふだうはただつなをめして、「うぢがはわたしたるけんじやうには、しやうゑん■[*手偏+攵]か、ゆげひのじようか、けんびゐし、じゆりやうか、こふによるべし」とおほせられけ
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れば、忠綱申けるは、「ゆげひのじよう、けんびゐし、じゆりやうにもなりたくもさうらはず。ちちあしかがのたらうとしつなが、かうづけのくにじふでうのこほりのおほすけと、につたのしやうをやしきどころにまうししが、かなひさうらはでやみさうらひにき。おなじくはそれをたまはるべし」とぞ申ける。「やすきことなり」とて、みげうしよかきてたまはりにけり。あしかがが一門のものども十六人、れんばんをもつて申けるは、「うぢがはを渡してさうらふけんじやうを、忠綱一人におこなはれ候事、なげきいり候。かのけんじやうをいちもんのものども十六人にはいぶんせられ候べし。しからずは、君のおんだいじさうらはむ時は、忠綱一人はまゐりさうらふとも、じよの者共はじこんいごまゐりさうらふまじ」と、
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一日に三度申たりければ、みのこくになしたるみげうしよを、さるのこくにめしかへされにけり。くわいじつ、てうぶくのほふおこなひ奉るそうども、けんじやうかうぶりて、くわんどもなられにけり。ごんのせうそうづりやうこうはだいそうづに転じ、ほふげんじつかいはせうそうづにあがる。あじやりしようへんはりつしに任ずとぞきこえし。
廿三 大将の子息、じじゆうきよむね、今年十二になりたまへるが、さんゐして、さんゐのちゆうじやうと申す。にかいのしやうにあづかり給ふあひだ、をぢくらんどのとうにゐ給へるしげひらのきやうよりはじめて、そこばくのひとびとこえられたまひにけり。「むねもりのきやうは、このひとの程にては、ひやうゑのすけにてこそおはせ
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しに、これはかんだちめにいたり給こそ、よをとり給へる人のおんこといひながら、いちはやくおそろしけれ。いちのひとのちやくしなどこそかやうのしようじんはし給へ」と、時の人かたぶきあへり。「ちちさきのうだいしやうのみなもとのもちみつたかくらのみや、ならびによりまさぼふしいげ、ついたうのしやう」とぞききがきには有ける。「わうじにはおはしまさず」といひなして、みなもとのもちみつとかうし奉る。まさしき法皇のみこぞかし。ぼんにんにさへなし奉るこそこころうけれ。頼政はゆゆしくまうししかども、をんごくまではいふにおよばず、きんごくの者もいそぎうちのぼるもなし。かたらひつる山門のだいしゆさへこころがはりしてしかば、いふかひなし。とうじようとまうすさうにんあり。「そちの
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ないだいじんはみちたかのおんここれちかこう、るざいのさうをはします。うぢどの、にでうどの、ふたところながら御命は八十、共に三代のくわんばく」とさうしたてまつりたりしは、たがはざりける者を。このせうなごんも、めでたきさうにんとこそきこえしに、「あしくさうしたてまつりたりける」とぞ人申ける。しやうとくたいしのすじゆんてんわうを、「わうしのさうをはします」と申させ給けるも、むまこのおとどにころされたまふ。あはたのくわんばくれいならずをはしけるに、をののみやうだいじんさねすけをはしたりければ、みすごしにげんざんしたまひて、ひさしくよををさめたまふべきよし、あはたどのおほせられけるに、風のみすをふきあげたりけるに、みたてまつりたまひければ、ただいまうせたまふべき人
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とみたまひけるに、程なくかくれたまひにけり。「みだうのうまのかみあきのぶを、さいゐんのみんぶきやうむこにとりたまへ」と人々申ければ、「只今出家をしてむずる人をばいかが」とまうされける程に、すなはち出家したまひにけり。ろくでうのうだいじん、しらかはゐんを、「おんいのちはかなく渡らせ給べし。とんしのさうをはします」と申されたりけり。又、「あさましきことかな。ちゆうぐうのむげに近くみえさせ給」と、北方になげきまうさせたまひけるも、たがはざりけり。さもしかるべき人は必ず、さうにんにあらざれども、皆かくこそをはすれ。廿四 このみやはおんこもはらばらにあまたをはしましけり。ちりぢりに隠れまどはせ
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たまひき。よをおそれさせ給て、ここかしこにて皆ほふしにならせたまふとぞきこえし。いよのかみあきまさのむすめの、はつでうのゐんにさんゐどのとまうしてさうらひたまひけるに、このみやしのびつつかよはせたまひける。そのおんはらにわかみや、ひめみやをはしましけり。三位殿をばにようゐんことにめしつかはせたまひつつ、へだてなきおんことにてありければ、さりがたくおぼしめしけり。このみやたちをも、にようゐんただみこのごとくにて、おんふすまの下よりおおしたてまつらせ給へり。いとほしく、かなしきおんことにぞおぼしめされける。たかくらの宮、むほんのきこえをはしまして、うせさせたまひぬときこしめしけるより、このみやたちまでもいかにとおぼしめしけるより、おんこころまどひて、ぐ
P1793
ごもまいらず。只御涙のみせきあへず。御母のさんゐどのはきもこころもをはしまさず、あきれてをはしましける程に、いけのちゆうなごんよりもりは、にようゐんのごへんに、うとからぬ人にてをはしけるを、おんつかひにて、たかくらのみやのわかみやのをはしましさうらふなる、いだしたてまつらるべきよし、さきのだいしやう、にようゐんへまうしいれられたりければ、おぼしめしまうけたる御事なれども、いかがおほせらるべきともおぼしめしわかず。ひごろあさゆふつかへたてまつる中納言も、かくまうされて、まゐられたるあひだ、おそろしくおぼしめして、あらぬ人のやうにけうとくおぼしめされけるこそ、せめての御事とおぼえしか。いかなるだいじにおよぶとも、いだしたてまつるべしともおぼしめされ
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ねば、宮をばぎよしんじよの中にかくしおき奉て、いけのちゆうなごんにおほせられけるは、「かかるよのしうしやうのきこえしより、このごしよにはおはしまさず。おんちのひとなどが、こころをさなくみまゐらせて、うせにけるにこそ。いづくともゆくゑもしらず」とおほせられけれども、入道いきどほりふかきことなれば、だいしやうもなほさりならずまうされければ、中納言なさけかけたてまつりがたくて、ぐんびやうどももんもんにすへなどして、はしたなき事がらになりければ、ゐんぢゆうのじやうげ色をうしなひつつ、いとどさはぎあへり。よのよにてあらばこそ、ほふわうへも申させ給はんずれ。こぞの冬よりはうちこめられをはしまして、心うきおん
P1795
ありさまなれば、いとどいかにすべしともおぼしめさず。事の有様かなふまじとや、をさなき御心にもおぼしめされけむ、「これほどのおんだいじにおよびさうらはむ上は、ただいでさせ給へ。まかり候はむ」と、宮申させたまひければ、御母のさんゐどのはことわりなり、にようゐんをはじめたてまつりて、にようばうたち、おいたるもわかきも、声をととのへて泣あひ給へり。にようくわんども、つぼねつぼねのめのわらはべにいたるまで、これを聞て袖をしぼらぬはなかりけり。ことしはやつにならせ給へるに、おとなしやかに申させ給けるこそ、ありがたくあはれなれ。中納言もいはきならねば、うちしめりてさうらはれけるに、だいしやうのおんもとよりつかひしきりにはせ参りて、「いかにいかに」
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とまうされければ、それにしたがひて、中納言もしきりにせめ奉る。「少しさもやときこしめしいづることあり。おんたづねあり」とて、としのほどおなじやうなるをさなきものをむかへよせつつ、たづねいだし奉りたりとて、宮をつゐに渡し奉らる。三位殿もにようゐんも、おくれ奉らら[* 「ら」一つ衍字]じとなげきかなしみ給事なのめならず。なくなくおんぐしかきなで、御顔かいつくろひ、おんなほし奉らせなど、いだし奉らせたまふも、只夢のやうにぞおぼしめされける。いかになりたまひなむずらむとおぼしめされけるぞ悲しき。いけのちゆうなごんみたてまつりては、かりぎぬのそでもしぼるばかりにて、おんくるまのしりに参て、ろくはらへわたしたてまつられにけり。みやいでさせたまひけるのちは、にようゐんも
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御母の三位殿も、おなじまくらにふししづみて、ゆみづをだにもおんのどへもいれられず。「よしなかりける人を、この七八年てならし奉て、かかるものをおもふこそ、かへすがへすもくやしけれ。ななつやつなどいへば、さすがにいまだ何事もおもひわくべき程にもわたらせ給はぬに、われゆゑだいじのいできたることもかたはらいたくおぼしめして、いでさせたまひぬるありがたさの悲しさ」とて、かへすがへすくどかせ給。だいしやうもみたてまつりたまひては、涙をおしのごひ給へば、宮もなにとおぼしめしけるやらむ、うちなみだぐませたまひけるぞ、らうたき。「にようゐんのおんふところよりやしなひたてまつりて、なげきおぼしめさるる心ぐるしさ」など、中納言かきくどきこまごと
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まうされければ、だいしやうも入道になのめならずまうされけるあひだ、ごしらかはのゐんのみこ、にんわじのしゆかくほふしんわうへ渡し奉て、御出家あり。みなをばだうそんと申す。のちはとうだいじのちやうじやにならせたまひけるとかや。院のみこたち皆御出家ありしに、このみやの心とく御出家だにもありせば、よかりなまし。よしなきごげんぶくのありけるこそ、かへすがへすも心うけれ。なほみこはをはしますときこゆ。一人は、たかくらのみやのおんめのとのをつと、さぬきのせんじしげすゑぐしたてまつりて、ほつこくへおちくだりたまへりしをば、きそもてなし奉て、ゑつちゆうのくにみやざきといふ所にごしよをたててすゑ奉りつつ、ごげんぶくありければ、きその
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宮とぞ申ける。又はげんぞくの宮ともまうしけり。G16
廿五 むかしえんぎのみかどの第十六のみこ、げんめいしんわう、むらかみのみかどのだいはちのみこ、ぐへいしんわうとて、二人をはせしをば、さきのちゆうしよわう、ごちゆうしよわうとて、けんわうせいしゆのみこにて、さいちさいげいめでたくわたらせ給しかども、わうゐにつかせたまふことはべちのおんことなれば、さてこそやみたまひしか。されどもむほんをやおこしたまひし。中にもさきのちゆうしよわうと申は、かんさいたへにおはしまししかば、せいむの道にもあきらかにおはしましければ、げんせいをたまはりて、じゆにゐのうだいじんになし奉て、ばんきのまつりごとをたすけ奉りたまひし程に、れんぜいのゐんの
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ぎよう、このきみのいみじくおはします事をねたましくやおもひたまひけむ、時のくわんばくにざんげんせられたまひて、くわんゐとりかへされたまひて、ただもとのみやばらにておはしましけれども、さらにうらみともおもひたまはず。只岩のかけみちとのみいそがれて、じんしんしづかならむ事をのみもとめたまふ。つひにかめやまのほとりにきよをしめていんきよし給ひ、ときうふをつくりて朝夕えいじ給けり。さしもしふしおぼしめし、なをえたる所のけいきなれば、おんかはをたづぬるながれしろくしてばうばうたり。しかいをくみて心をなぐさめ、ばんぜいをよばふやまあをくしてそくそくたり。せんきゆうに入ておいを休む。いはねを通る滝の音、
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みねにはげしき嵐のみぞ、こととふすみかとなりにける。へきじゆにうぐひすのなく春のあしたには、らまくをはらひてぎんじ、こうさんに猿さけぶ秋の夜は、ぎよくしんをそばたてて、しづかにえいず。としさりとしきたれども、ひの光つきのひかりすぎやすきことをうれへ、きのふもくれけふもくれて、心のやみはれがたきことをぞかなしみたまひける。あるゆふぐれにやまかぜあらあらとふきおろして、雲のけしき常よりもまなことどまる空のけいきなり。よのうきときのかくやはものがなしき事も、痛くおぼえたまはず。御心のすむままに、ことをかきならし給ければ、をりふし山おろしにたぐふ物のね、れいよりも
すみのぼりて、
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われから哀れもおさへがたきおんそでの上也。てうし、だいじきてうなりければ、じんわうはぢんらくといふがくをひきたまひける程に、いとおそろしくあさましげなる鬼ひとり、おんまへにひざまづきてききゐたり。こはいかにとおどろきおもひたまひけれども、さらぬやうに御心をおさへて、おんことをひきたまふ。ややひさしくありて、なほさりげなるおんこゑにて、「あれは何者ぞ」ととひたまひければ、おにこたへてまうすやう、「われこれたいたうのぶんし、げんしんとまうしし者にてはべり。ことばの花にふけり、おもひ露にぬれて、春を迎へ秋を送りてはべりし程に、此のよはかなくなりはべりにしかば、きやうげんきぎよの心をとどめたりし
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罪のむくいにや、今かかるあさましきかたちをえたり。わがつくりおきはべりししふども、たうこくにもにつぽんにも、多くくちずさみあひてはべり。そのなかに菊の詩に、
これはなのなかにひとへにきくをあいするにはあらず、このはなひらけつくしてさらにはなのなければなり。 K080
とつくりてはべりしを、人皆『このはなひらけてのち』とえいじはべり。このよをさりぬるみなれども、おもひそみにし事なれば、なほほいなくはべるなり。そのみちをえむ人にしめしたくは思へども、さすがにかくとつぐるまでの人、よにすくなくはべれば、おもひわびてすごしはべりつるに、ただいまかけりはべるが、おんことのねにおどろきて、しばらくさすらひ侍り。君は
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いみじくめでたきさいじんにておはしませば、あひかまへてあひかまへてこのほんいとげさせ給へ。くわんけこのしをじよとして侍るには、『ひらけつくして』と侍り。さればそれはうれしく侍也」と申せば、しんわうきこしめして、「いとやすきことにこそはべるめれ」とて、ひごろなにとなくごふしんにおぼしめされけることども、とはせたまひければ、こまごまにこたへまうして、誠にうれしげにて、涙を流してをあはせて、かきけつやうにうせにけり。さてこそ、げんしんがぶんしやうにそめる色も、親王のしふにひいでたまへる程も、共にあらはれて、せじんききつたへて、かんるいをぞながしける。昔も今もためしあるべしともおぼえぬことども、あまたありけり。そのなかに
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ことに不思議なりける事は、かめやまにすませ給へども、水のなかりけるをほいなきことにおぼしめして、このしんわうまつりいださせ給へり。そのさいもんは『もんずい』にみゆ。これによつて神のかんおうありければ、すなはちひせんわきいでたり。今のおほゐがはとまうすはかの水のながれなるべし。さがのいんくんとまうすはこのみやのおんことなり。御年卅七にして、よをそむきたまふべき事を夢に御覧じて、そのとしになりしかば、みづからいちじようゑんどんのしんもんを書写し、しづかにしやうじむじやうのあいしやうをくわんじたまひて、ただほとけをのみぞ念じ奉り給ける。「きたりてとどまらず、がいろうあしたをはらふつゆあり。さりてかへらず、きんりに
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なしゆふべになぐるはな」とぐわんもんをあそばして、つひにかくれさせ給ぬ。ぜんだいにもいときかず、みらいにも又ありがたく、あはれなりし御事なり。廿六 ごさんでうのゐんのだいさんのわうじ、すけひとのしんわうとておはしましき。めでたきけんじんにてましましければ、「とうぐうおんくらゐののちには、かならずおんおとと、すけひとのしんわうをたいしにたてまいらせたまふべし」と、ごさんでうのゐん、しらかはのほふわうに申させたまひければ、たしかにおんことうけありけり。宮もたうとうぐうごそくゐの後は、わがおんみおんゆづりをうけさせおはしますべきよし、おぼしめされける程に、とうぐうさねひと、えいほうぐわんねん八月十五日、おんとし十一と
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まうししに、をののみやのていよりせうやうしやに移らせたまひて、ごげんぶくありし程に、おうほう二年二月八日、おんとし十五にして、あへなくうせたまひにしかば、ごさんでうのゐんまうしおかせたまひしが如く、さんのみや、たいしにたちたまふべかりしを、そのさたなかりけり。しようほうぐわんねん十一月十二日、しらかはのゐんのいちのみや、あつふんのしんわうごたんじやう。こんじやうきさいばらのだいいちのわうじにておはしまししかば、さうなくたいしにたちたまへりしあひだ、そのさたなくてわたらせたまひしかども、あつふんのしんわう、しようりやくぐわんねん八月六日、おんとししさいにしてうせ給へり。おなじき三年七月九日、ろくでうのうだいじんあきふさこうのおんむすめのおんはらにほりかはのゐんごたんじやう。
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同年十一月三日、しんわうのせんじをくだされたりけれども、たいしにはたち給はず。「これらはさんのみやのおんこと、ごさんでうのゐんのごゆいごんををそれさせ給ゆゑ」とぞ、古き人はまうしはべりし。しかりといへどもおうとく三年十一月廿八日、おんとし八歳にしてゆづりをえさせ給。やがて同日、とうぐうとす。よしひとのわうこれなり。太子にもたち給はず、親王にてぞおんくらゐにつかせ給ける。くわんぢぐわんねん六月二日、やうめいもんゐんにてごげんぶくはありしかども、太子のさたにもおよばず。かうわ五年正月十六日に、とばのゐんごたんじやうありしかば、いつしかそのとしの八月十七日に、太子にたたせたまひにしか
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ば、さんのみやはおぼしめしきりて、にんわじのはなぞのといふところに、ろうきよせさせたまひたりけるに、法皇より、「いかに、いつとなくさやうにてはましますにか。ときどきは京などへもいでさせ給へかし」など、こまごまとおほせられて、くに、しやうゑんなどあまた奉らせたまひたりけるおんぺんじには、「はなありけだものありさんちゆうのとも、うれひなしよろこびなしせじやうのこころ」と、申させたまひたりけり。そうじてしいかくわんげんの道にすぐれてましましければ、人申けるは、中々よにもなく、官もをはせぬ人は、ゐんうちのおんことよりもめづらしくおもひたてまつりて、人参りかよふともがら多かりければ、時の人は、さんのみやのひやくだいふとぞまうしける。かかり
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けれども、ごそくゐさうゐしてければ、さんのみやいかばかりほいなくおぼしめされけめども、よのみだれやはいできたりし。このみやの御子はなぞののさだいじんを、しらかはのゐんのおんまへにてごげんぶくせさせまゐらせて、げんじのしやうをたまはらせたまひて、むゐよりいちどにさんゐしつつ、やがてちゆうじやうになしたてまつられたりけるは、すけひとのしんわうのおんうれひを休め、かつうはごさんでうのゐんのごゆいごんをおそれさせたまひける故とかや。いつせいのげんじ、むゐより三位したまひし事は、さがのてんわうのみこ、やうゐんのだいなごんさだむのきやうのほかは、うけたまはりおよばず。れんぜいのゐんおんくらゐの時、うつつおんこころもなく、ものぐるはしくのみおはしましければ、
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「ながらへててんがをしろしめすこといかが」と思へりけるに、おんおととのそめどののしきぶきやうのみや、にしのみやのさだいじんのおんむこにておはしましけり。よき人にて渡らせ給と人思へり。なかづかさのせうたちばなのとしのぶ、そうれんも、ちはるなどが、「しきぶきやうのみやをとりたてまつりて、とうごくへおもむきて、ぐんびやうをかたらひつつ、位につけたてまつらむ」と、うこんのばばにてよなよなぎしけるを、ただのまんぢゆうこのよしをそうもんしたりければ、にしのみやどのはながされたまひにけり。にしのみやどのはしりたまはざりけるを、としのぶは「はりまのくにたまはらむ」、れんもは「一度にそうじやうにならん」などおもひて、かかる事を思ひたちにけり。まんぢゆうもかたらはれたりけるが、
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つくづくあんずるに、よしなしと思ける上に、西宮にてとしのぶと満仲とすまふをとりたりけるに、としのぶすぐれたりけるだいちからにて有ければ、満仲かうしになげつけられたりけるに、かうしやぶれて、満仲がかほやぶれにけり。満仲いかりて、こしがたなをぬきて、敏延をつかむとす。敏延、かうらんのほこぎをひきはなちて、踊りのきて、「なんぢ、我にちかづかば、汝がかしらはさきにうちやぶりてむ」と云ければ、満仲ちかづかずしてやみにけり。このいしゆありて、敏延をうしなはむが為にまうしたりともいへり。このことをば、こいちでうのさだいじんもろまさのことにまうしさたして、にしのみやのさだいじん
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流して、そのかはりに大臣にはこいちでうのなりたまひたりけるが、いくほどもあらで、程なく声のうするやまひをして、ひとつきあまりありてうせたまひにけり。れんもをば、けんびゐし、がうきによせてせめとひければ、れんも涙を流しつつ、「りやうがいのしよそん、たすけ給へ」と申ければ、がうきもむちつゑもいちじにくだけ破れにけり。しらかはのゐんのみこのぜんしのないしんわうをば、にでうのおほみやとぞまうしける。とばのゐんのくらゐにつかせたまひけるに、おんははしろにてくわうごうぐうとてだいりにわたらせたまひけるおんかたに、えいきうぐわんねん十月のころらくしよありけり。「だいごのしようがくそうづのわらはにせんじゆまるとまうす
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が、人のかたらひによりて、君を犯しまいらせむとて、常に内裏にたたずみありく」と申けり。くわうごうぐうのおんかたより、このらくしよをしらかはのゐんへまゐらせさせたまひたりければ、法皇おほきにおどろかせ給ひつつ、けんびゐしもりしげにおほせて、このせんじゆまるをからめてとはれければ、「だいごのにんくわんあじやりがかたらひ也」と申。彼のにんくわんは、このさんのみやのごぢそうなりけり。あるいはうへわらはのすがたにもてなし、あるいはないしのすけをふるまひて、年々よなよなびんぎをうかがひけれども、かけばくもかたじけなし。なじかはほんいもとぐべき。いまいましともいふはかりなし。もりしげをもつてにんくわんをたづねらる。仁寛しようふくし
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まうしける上は、ほつけにおほせつけてざいめいをかんがふる。ほつけのかんじやうをもつて、くぎやうせんぎあり。つみせつけいにあたれりけれども、しざいいつとうをげんじて、をんるにさだめらる。仁寛をばいづのくにへつかはす。せんじゆまるをばさどのくにへつかはしてけり。さしものぢゆうくわの者をなだめられける事こそ、わうくわとおぼえて、やさしかりける御事なれ。おほくらのきやうためふささんぎして、せんぎのざにさうらはれけるが、「ふぼきやうだいはしざいにおよぶべからず」とまうされければ、しよきやう、もつともしかるべきよしいちどうにまうされて、えんざにおよばざりけり。かのためふさのきやうは、君の為にちゆうあり、人の為にじんをはしけり。されば今、子
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孫のはんじやうしたまふもことわりなり。これをばひしよくのともがら、おほけなき事をおもひくはたてたりけり。今のさんゐにふだうのおもひたたれけむは、これにはにるべき事ならねども、つひにせんどをたつせずして、宮をうしなひ奉り、わがみもほろびぬる事こそ、かへすがへすもあさましけれ。廿七 ろくでうどのとまうすにようばうのおんはらに、法皇のみこのおはしましけるをば、ひやうぶのたいふときゆきのおんむすめ、こけんしゆんもんゐんのおんこにやしなひまいらせて、七才にて、いんじあんげんぐわんねん七月五日、ざすのみやのごばうへいれたてまつりて、しやくしにさだまらせたまひたれども、
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いまだ御出家なかりしが、たかくらのみやかくならせたまひて、おんきんだちまであなぐりもとめられければ、あなおそろしとて、ひなみの善悪にもおよばず、あはてておんぐしそりおろしたてまつりにけり。今年は十二才にぞならせ給ふ。かかるよのみだれなれば、ごじゆかいのさたにもおよばず、しやみにてぞわたらせ給ひける。かぜふけばきやすからぬここちして、よそまでもくるしかりけり。みのためひとのため、よしなきことひきいだしたりけるよりまさかな。廿八 そもそもげんざんゐよりまさとまうすは、つのかみらいくわうに五代、みかはのかみよりつなのまご、ひやうごのかみなかまさがこなり。ほうげんのかつ
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せんにみかたにてさきをかけたりしかども、させるしやうにもあづからず。またへいぢのげきらんにも、しんるいをすててさんじたりしかども、おんしやうこれおろそかなり。おほうちのしゆごにてとしひさしくありしかども、しようでんをも許されず。としたけよはひかたぶきてのち、じゆつくわいの和歌一首読てこそ、昇殿をば許されけれ。
人しれずおほうちやまのやまもりはこがくれてのみ月をみるかな K081
この歌によつて昇殿し、じやうげのしゐにてしばらくありしが、三位を心にかけつつ、
のぼるべきたよりなければこのもとにしゐをひろひてよをわたるかな K082
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さてこそ三位をばしたりけれ。やがて出家して、げんざんゐにふだうよりまさとて、こんねんは七十五にぞなられける。このひとのいちごのかうみやうとおぼしき事には、にんぺいのころをひ、こんゑのゐんございゐの時、しゆしやうよなよなをびへたまぎらせ給ふ事ありけり。しかるべきうげんのかうそうきそうにおほせて、だいほふひほふをしゆせられけれども、そのしるしなし。ごなうはうしのこくばかりにてありけるに、とうさんでうの森のかたよりくろくもひとむらたちきたりて、ごてんのうへにおほへば、しゆしやうかならずをびへさせたまひけり。これによつてくぎやうせんぎあり。「さんぬるくわんぢのころをひ、ほりかはのてん
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わうございゐの時、しかのごとく主上をびへさせ給ふ事あり。そのときのしやうぐん、ぎかのあつそん、なんでんのおほゆかにさうらはれけるが、めいげんする事さんどののち、かうしやうに『さきのむつのかみ、みなもとのよしいへ』と、高らかになのられたりければ、ごなうおこたらせたまひけり。しかれば、せんれいにまかせて、ぶしにおほせてけいごあるべし」とて、げんぺいりやうかの中をえらばせられけるに、このよりまさぞえらびいだされたる。そのときはひやうごのかみとぞまうしける。頼政申されけるは、「昔よりてうかに武士をおかるる事、ぎやくほんのものをしりぞけ、ゐちよくのものをほろぼさんが為也。『めにもみえぬ
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へんげのものつかまつれ』とおほせくださるる事、いまだうけたまはりおよばず」とは申されながら、ちよくせんなれば、めしにおうじてさんだいす。たのみきりたるらうどう、とほたふみの国のぢゆうにんゐのはやたに、ほろのかざきりはいだるやおはせて、只一人ぞぐしたりける。わがみはふたへのかりぎぬに、やまどりのををもつてはいだりけるとがりやふたつ、しげどうの弓にとりぐして、なんでんのおほゆかにしこうす。頼政やをふたすぢたばさみける事は、がらいのきやう、その時はいまださせうべんにてぞをはしけるが、「へんげの者つかまつらんずるじんは頼政ぞさうらふらむ」と申されたるあひだ、「いちのやにへんげの者をいそんじつるもの
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ならば、にのやにはがらいのべんのしやくびの骨をいん」となり。ひごろひとのまうすにたがはず、ごなうはうしのこくばかりにてありけるに、とうさんでうの森のかたより、くろ雲ひとむらたちきたりて、ごてんのうへにたなびきたり。頼政きつとみあげたれば、雲のなかにあやしき物のすがたあり。是をいそんずるものならば、よにあるべしとは思はざりけり。さりながらやとりてつがひ、「なむはちまんだいぼさつ」としんぢゆうにきねんして、よくひきてひやうどはなつ。てごたへして、はたとあたる。「えたり、をう」と、やさけびをこそしたりけれ。おつる
所をゐのはやたつと
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より、とりておさへて、つづけさまにここのかたなぞさしたりける。そののちじやうげてんでにひをともしてみ給へば、かしらは猿、むくろはたぬき、をはくちなは、手足はとら、なく声ぬへにぞにたりける。おそろしなどはおろかなり。しゆしやうぎよかんのあまりに、ししわうといふぎよけんをくださせ給ふ。宇治のさだいじんどの、是をたまはりつぎて、頼政にたばんとて、おんまへのきざはしを、なからばかりおりさせ給ふところに、ころはうづきとをかあまりの事なれば、くも
ゐにほととぎすふたこゑみこゑおとづれてとほりければ、左大臣どの、
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ほととぎすなをもくもゐにあぐるかな
とおほせられかけたりければ、頼政右のひざをつき、左の袖をひろげて、月をすこしそばめにかけつつ、
ゆみはりづきのいるにまかせて K083
とつかまつり、ぎよけんをたまはりてまかりいづ。「およそこのよりまさは、ぶげいにもかぎらず、かだうにもすぐれたり」とぞ、人々かんぜられける。さてそのへんげのものをば、うつほぶねにいれて流されけるとぞきこえし。又おうほうのころをひ、にでうのゐんのございゐの時、ぬえといふけてう、きんちゆうになきて、しばしばしんきんをなや

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したてまつる。しかればせんれいにまかせて、頼政をぞめされける。ころはさつきのはつかあまり、まだよひの事なるに、ぬへただひとこゑおとづれて、ふたこゑともなかざりけり。めざすともしらぬやみにてはあり、すがたかたちもみえわかねば、やつぼをいづくともさだめがたし。頼政はかりことに、まづおほかぶらを取てつがひ、ぬえの声しつるだいりのうへへぞいあげたる。ぬえ、かぶらの声におどろきて、こくうにしばしぞひひめいたる。にのやにこかぶらとりてつがひ、ひふつといきりて、ぬえとかぶらとならべて前にぞおとしたる。きんちゆうざざめきあへり。今度はぎよいをくださ
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せ給ふ。おほひのみかどのうだいじんどのきんよしこう、これをたまはりつぎて、よりまさにかづけさせ給ふとて、「昔のやういうはくものほかのかりをいき。今の頼政はあめのうちのぬえをいたり」とぞ感ぜられける。
さつきやみなをあらはせるこよひかな
とおほせられかけたりければ、
たそかれ時もすぎぬとおもふに K084
とつかまつり、ぎよいをかたにかけてたいしゆつせらる。そのときいづのくにたまはつて、しそくなかつなじゆりやうになし、わがみさんゐし、たんばのごかのしやう、わかさのとうみやがはちぎやうして、さてをはすべ
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かりし人の、よしなきむほんおこして、宮をもうしなひ奉り、わがみもほろび、しそくしよじゆうにいたるまでほろびぬるこそうたてけれ。さてもくだんのばけもの、あまたけだもののかたちありけん、かへすがへす不思議なり。昔かんてうにこくわうましましき。このわうあまりにたのしみほこりて、「わざはひといふもの、いかなる物ならむ。あはれ、みばや」とのたまひけり。だいじん、くぎやう、ちよくせんをうけたまはりて、わざはひといふものをたづねけるに、おほかたなし。あるとき天よりどうじきたりて、そのときの大臣にのたまはく、「是ぞわざはひといふ物なる。そだててみ給へ」とて帰りぬ。取てみれば、ちひさき虫にてぞ有ける。このよしをてい
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わうに奏するに、おほきによろこびたまひて、是をじあいせらる。「何をかくひものとする」とて、いつさいの物をあたふるに、おほかたくはず。あるときあまりにあやしとて、さまざまのいしこがねなどの類をあたへける。そのなかにくろがねをしよくしけり。ひに随ておほきになる事をびたたし。次第に大きになりていぬほどになり、のちにはししなどのやうに成ても、くろがねよりほかにくふ物なかりけり。くろがねもくひつくしてのちには、だいりをはじめとして、人の家のくぎどもをすひぬきてくひけるのちに、くわうきよ、じんをく、ひとつとしてまつたきはなかりけり。誠にてんがのわざはひとぞみえける。このものひにしたがひておほきになること、そのごありげも
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なし。たうじだにもあり、のちはいかがせむとて、くにぐにのえびすどもをめして、これをいさせらるる。およそそのみくろがねなりければ、やたつ事なし。つるぎをもつてきりけれども、きれず。おのれが好む物なれば、剣をも食けるあひだ、はてにはたきぎの中につみこめて、ひをさしつつやくに、七日七夜もえたり。今はうせぬとおもひけるに、ひのなかのより、くろがねをやきたるがいでたりけるほどに、是がよる所は皆やけうせにけり。さんやにまじはるところけぶりになりて、ところどころのひもえ、をびたたしなどはいふはかりなし。しかるあひだ、このくにに人すみがたかりければ、何ともすべきはかりことつきはてて
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ければ、うげんの僧をめしあつめて、さんしちにち、てんどうのほふをおこなはせられけるに、いちしちかにちに当りける日、国のさかひをいでて、すべてそののちはみえず。こくわう、にんみん、よろこびあへる事なのめならず。てんどうかのけだものをがうぶくし給けるにや、たこくにいでてさんちゆうにて死にけり。死てのち、じしやくといふいしになりにけり。いきてこのみける物なれば、死て石となりたれども、なほくろがねをとるものとなりたりけるこそ、おそろしけれ。今のじしやくせん、これなり。しかるにかのけだものこそ、ちくるいななつの姿を持たりけるとうけたまはれ。鼻は象、ひたひと腹とはりよう、くびはしし、せなかはさちほこ、皮は
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へう、をは牛、足は猫にてありけるとかや。いまのよまでもばくとまうして、ゑにかきて人の守りにするは、すなはちこのけだものなり。いまよりまさのきやういるところのばけものも、かのばくほどこそなけれども、不思議なりしいきんなり。廿九 そもそもこんどのむほんをたづねれば、むまゆゑとぞきこえし。さんゐにふだうのちやくしいづのかみなかつな、としごろひさうしたるめいばあり。かげなる馬の、をがみあくまでたくましきが、なをばこのしたとぞまうしける。さきのうだいしやうむねもり、しきりにしよまうせらる。いづのかみ、命にかへてこれををしく思はれければ、「余りにそんじてさうらふときに、
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いたはらむが為に、このほどゐなかへつかはして候。とりよせてまゐらすべくさうらふ」とて、一首の歌をぞおくりける。
ゆかしくはきてもみよかしこのしたのかげをばいかがひきはなつべき K085
よにはついしようしたがる者有て、「その馬はきのふもかはらにて水けさせてさうらひつる物を。けふもにはのりしつるものを」など申ければ、むねもりなほ、「その馬をたまはりてとどめんとにはさうらはず。ただひとめみて、やがてかへしたてまつるべし」とのたまふ。いづのかみ、父の入道にこのよしを申す。入道、「いかにたてまつらぬ。こがねをまろめたる馬なりとも、人のしよまうせられむにをしむべきか。とくとく」とのたまへば、ちからおよばず、かの
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馬をむねもりのもとへつかはす。この馬のなをばこのしたと申ければ、ふみにも「このしたまゐらせさうらふ」とこそかかれけれ。しかりといへども、はじめのたびをしみたるをにくしとや思はれけむ、人のきたればぬしのなをよびつけて、「なかつなめ、とりてつなげ。仲満めにくつばみはげよ。さんざんにのれ。うて」などのたまふ。伊豆守このことをききて、やすからぬ事におもひて、父の入道に申けるは、「心うき事にこそ候へ。さしもをしくおもひさうらひし馬を、宗盛がもとへつかはして候へば、いちもんたもんしゆえんし候けるざしきにて、『そのなかつなまるにくつばみはげてひきいだして、うて、はれ』なむどまうして、さんざんにあつこうつかまつりさうらふなる。人にかく
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いはれても、よにながらへ、人にむかひておもてをならぶべきか。自害をせばや」と申す。誠にこころざしつくしがたし。入道たのみ切たるちやくしをうしなひて、ながらへてなににかはせむなれば、このいしゆを思て、宮をも勧め奉り、むほんをもおこしたりけり。誠にいきどほりをふくむもことわりなり。さればきほふのたきぐちに、宗盛のひかれたりしとほやまをば、をんじやうじにてをがみを切て、「むねもり」といふふだをつけ、京のかたへおひはなつ。きはめていさめる馬なれば、きやうぢゆうをはせありく。人これをみて、「あなあさましし。さんぬるころおほいとののもとに、なかつなといふ馬のありしをこそあさましとおもひ
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しに、今は又むねもりといふ馬のまよひありくこそ不思議なれ。よの末にはかくみにくき事も有ける」とぞ申ける。人は世にあればとて、いふまじき事をばつつしむべきにや。これにつけてもこまつどののおんことをしのび申さぬ人はなかりけり。あるときこまつのだいふ、だいりへまゐりたまひたりけり。やいんにめんだうにて、としごろしりたまひたりける女をひかへて、ものがたりしたまひけるに、いづくよりきたるともおぼえぬに、おほきなるくちなは、だいふの肩にはひかかりたりけるに、少しもおどろきたまはず。にようばうおそれなむずとおもひたまひて、おんみはたらかし[* 「はたかかし」とあり「か」を「ら」と訂正]給はでをはしけるほどに、くちなはさしぬきのももだちへ
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はひいりにけり。そののち「人やさうらふ」とのたまひけれど、人まゐらず。時のおとどにてをはするあひだ、「ろくゐやさうらふ」とめされければ、いづのかみなかつな、六位にて候けるが、まゐりたりけるに、だいふももだちをひきあけて、「これはみえらるるか」とてみせられけるに、「みえさうらふ」と申されければ、「さらばとられよ」とおほせられければ、伊豆守くちなはのかしらを取て、かりぎぬのしたにひきいれて、女にみせずしていでたまひて、「人や候」とのたまひければ、おつぼのめしつぎの参たりけるに、「これとりてすてよ」とて、さしいだし給たりければ、めしつぎ色をうしなひてにげいでにけり。そののち伊豆守のらうどう、わたなべたうにはぶくのじらうと
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いふものまゐりたりけるが、取てすてけり。よくじつにこまつどののおんもとより、じひつにおんふみあそばして、伊豆守のもとへつかはされけるに、「そもそもきのふのおんふるまひ、ひとへにげんじやうらくとこそみえたてまつりさうらひしか。これへ申てこそまゐらすべくさうらへども」とて、黒き馬のふとくたくましきに、しろぶくりんのくらおきて、あつぶさのしりがいかけて、ながぶくりんのたちを錦の袋にいれて、おくられけり。伊豆守のおんぺんじには、「かしこまりて御馬たまはりさうらひぬ。誠に参てたまはるべきところ、おくりたまひさうらふこと、ことにもつておそれいり候。おほせをかうぶりさうらひし時、おほせのごとくげんじやうらくのここちつかまつりてこそぞんじさうらひしか」とぞ、まうされたりける。誠に
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ありがたかりける、こまつどのの御心ばへかな。「あはれ、おんいのちのながらへて、よのまつりごとをたすけましまさんには、いかにせけんもおだやかに、こくどもしづかならまし」と、ばんにんをしみ奉るといへども、かひなし。ひごろはさんもんのしゆとこそ騒ぎおどろおどろしくきこえしに、今度は山にはべつじなくして、なんとの大衆もつてのほかにさうどうしければ、にふだうしやうこくあまりにやすからぬことにおもはれければ、みゐでら、なんとのしゆとのちやうぼんをめしきんぜらるべきよし、そのさたありけり。南都には深くいきどほりて、てんがのおんつかひさんざんにりようりやくして、いよいよあくぎやうをぞいたしける。
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卅 廿九日には、「みやこうつりあるべし」と、ひごろささやきあへりけれども、さしもやはとおもひける程に、「来月みつかのひ、まづふくはらへぎやうがうあるべし」とおほせくだされたりければ、じやうげあきれさはぎあへり。こはいかなる事ぞとて、ぜひにまよへり。さらにうつつともおぼえず。六月ふつかのひ、にはかにだいじやうにふだうのとしごろかよひたまひつるふくはらへ行幸あり。みやこうつりとぞきこえし。ちゆうぐう、いちゐん、しんゐん、せつしやうてんが、くぎやう、てんじやうびと、皆参り給へり。みつかのひとかねてはきこえしが、にはかにひきあげらるるあひだ、ぐぶのじやうげいとどあわてさわぎて、とるものもとりあへず。ていわうのをさなくをはしますには、きさきこそおなじこしには奉るに、これはおんめのとの
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へいだいなごんのきたのかた、そつのすけどのぞ参りたまひける。「これはいまだせんれいなきことなり」とぞ、人々あさみたまひける。みつかのひ、いけのだいなごんよりもりのいへをくわうきよとさだめたてまつりて、しゆしやうをわたしたてまつる。よつかのひ、頼盛は家のしやうをかうぶりて、じやうにゐしたまひて、うのだいじんのおんこ、うだいしやうよしみちこえられ給へり。いちゐんは、しめんははたいたしまはしたる所の、くちひとつあけたるにおはしまして、しゆごの武士きびしくて、たやすく人もまゐらざりけり。とばどのをいでさせましましかば、少しくつろぐやらむとおぼしめししかども、たかくらのみやのおんこといできたりて、又いかにしたるやらむ、かくのみあれば、こころうしとぞおもはれける。「今はただよの
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事もおぼしめしすてて、やまやまてらでらをもしゆぎやうして、かのくわさんのゐんのせさせおはしましけむやうに、おんこころにまかせておはしまさばや」とぞおぼしめされける。そもそもよよのみかどせんとの事、せんじようをたづぬるに、じんむてんわうとまうしたてまつるは、ぢじんごだいのみかど、ひこなぎさたけうがやふきあへずのみことのだいしのわうじ、御母、たまよりひめ、かいじんのえむすめなり。じんだいじふにだいののち、かのとのとりのとし、ひうがのくにみやざきのこほりにて、にんわうはくわうのほうそをつぎたまひて、五十九年つちのとのひつじ十月にとうせいして、とよあしはらのなかつくににうつりつつ、うねびのやまをてんじてていとをたて、
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すきはらのちきりはらひて、きゆうしつをつくり給へり。すなはちこれをかしはらのみやとまうす。このおんときさいしゆを定め、よろづのかみをまつりたてまつる。このくにをあきつしまとなづけしよりこのかた、よよのていわうのおんとき、都をたしよへうつさるること、三十度に余り、四十度に及べり。すいせいてんわうはやまとのくにかづらきのたかをかの宮にまします。あんねいてんわうはかたしほうけなの宮にまします。いとくてんわうはかるのまがりかをの宮にまします。かうせうてんわう、かづらきのかみのこほり、わきのかんいけこころの宮にまします。かんあん天王はむろのあきつしまの宮にまします。かうれいてんわうはくろだのいほどの宮にまします。かうげんてんわうは
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かるのさかひはらの宮にまします。かいくわてんわうはそふのこほりかすがのいざかはの宮にまします。すじんてんわうはしきのみづかきの宮にまします。このおんとき、君のみつぎ物をそなへたてまつり、しよこくに池をほり、船を作りはじめけり。すいにんてんわうは、まきむくたまきの宮にまします。このおんとき、はじめてくわしのたぐひをうゑらるる。たちばなとうこれなり。けいかうてんわうはまきむくひしろの宮にまします。このおんとき、はじめてたけうちのすくねをおとどになしたてまつる。又国々の民のかばねをさだめらる。いじやうじふいちだい七百余年は、みなこれやまとのくにをしめて、たこくへみやこをうつされず。せいむてんわうぐわんねんに、大和国より
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あふみのくににうつりて、しがのこほりに都をたてて、六十余年はたかあなほの宮にまします。ちゆうあいてんわう二年九月に、近江国よりながとのくににうつりて、九年はあなととよらの宮にまします。てんわうかのみやにしてほうぎよなりしかば、きさきじんぐうくわうごう、よをつがせたまひて、いこくのいくさをしづめたまひてのち、ちくぜんのくにみかさのこほりにてわうじごたんじやうあり。かけまくもかしこくはちまんだいぼさつとまうす、このおんことなり。おうじんてんわうと申奉る。神功皇后はなほ大和国にかへりて、とをちのこほりいはれのわかざくらの宮に六十九年まします。おうじんてんわうは、おなじきくにたけちのこほりかる
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しまのとよあかりの宮に四十三年まします。このおんとき、はくさいこくより、絹ぬふ女、色々の物のし、はかせなどを渡す。またきやうでん、よきむまなどを奉る。よしののくずもこのときまゐりはじまれり。にんとくてんわうぐわんねんにつのくになにはにうつつて、たかつのみやにまします。今のてんわうじ、これなり。このおんとき、ひむろはじまれり。又たかをつかひ、かりなどもはじまれり。八十七年。りちゆうてんわう二年に、又やまとのくにに帰て、とをちのこほりいはれのわかざくらの宮にましまして、六年、はんぜいてんわうぐわんねんに、やまとのくによりかはちにうつりて、たぢひのこほりしばかきのみやにまします。六年。きんくゐやうてんわう卅二年に、かはちのくによりやま
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とのくにに帰て、とをあすかのみやにまします。これをなむなづけて、とぶとりのあすかの里とぞまうしける。三年。あんかうてんわうさんねんに、やまとの国より又あふみのくにに帰てのち、あなほの宮にまします。ゆうりやくてんわう廿一年、近江国より大和国へ帰て、はつせのあさくらの宮にまします。せいねい、けんそう、にんけん、ぶれつ、しだいのみかど、おなじきくにいはれのみかくり、ちかつあすかやつりのみや、いそのかみのひろたか、はつせのなみきのよつのみやにましましき。けいたいてんわう五年、やましろつづきのこほりにうつりて、十二年、そののちおとくにのこほりにすみ給て、いはれのたまほの宮にまします。
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あんかんてんわうはおなじきくにまがりのかなはしの宮にまします。せんくわてんわうぐわんねんになほやまとのくににかへりて、ひのくまのいほりののみやにまします。きんめい、びだつ、ようめい、すじゆん、すいこ、じよめい、くわうぎよく、いじやうしちだいのみかどは、しきしま、いはれのをさた、いけのへのなみつき、くらはし、ぬかたべ、をはりだの宮、たむら、たけちのおりもののみや、あすかのかはらのみやにましまして、いじやう八代、せんくわ天皇よりこのかたは、たうごくにましまして、都をたしよへうつされずして百十年、かうとく天皇、たいくわぐわんねんにつのくにながらのきやうにうつりて、とよさきのみやにまします。このおんとき、はじめてねんがう
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あり。たいくわ、はくちとうなり。はつしやうひやくくわんを定め、国々のさかひをあらたむ。もろこしよりもんじよ、ほうぶつ、おほくわたせり。このみかどぶつきやうをうやまひたてまつり、れいしんをかろくし給ふ。ぢやうろくのだゐぶつをくやうじ、二千余人のそうにをもつて、いつさいきやうをてんどくす。そのよ二千余のともしびをきゆうちゆうにともす。そのぎように、ねずみ多くむれつつ、なにはよりやまとのくにへ渡る事あり。「これみやこうつりのせんべうなり」とまうしし程に、そのしるしにやありけむ、はつかねんののち、さいめい天皇二年に、大和国へかへりて、をかもとの宮にまします。九年。てん
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ちてんわうろくねんに、又あふみのくにに帰て、しがのこほりに都をたてて、おほつのみやにまします。このおんとき、しよこくのひやくしやうを定め、たみのけぶりをしるしおく。とうぐうにておはしましし時、ろうこくをつくりたまへり。ないだいじんかまたり、はじめてふぢはらのしやうをたまはる。今のとうじ、このおんすゑなり。五年。てんむてんわうぐわんねんに、又大和国へかへりて、あすかのをかもとのみなみのみやにまします。これをきよみばらの宮とかうす。ゆゑにこのてんわうをきよみばらのみかどとまうしけり。十五年。ぢとう、もんむ、にだいのせいてうは、おなじきくにふぢはらの宮にまします。げんめいてんわうは、わどう二
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年におなじきくにへいぜいの宮にうつり、げんしやうてんわうは、やうらうぐわんねんにひだかへいぜいの宮にうつり、しやうむ、かうけん、あはぢのはいたい、しようどく、くわうにん、ごだいのみかどは、おなじきくにならのきやう、へいぜいのみやにすみたまふ。しかるをくわんむてんわうのぎよう、えんりやくさんねんきのえのね、ならのきやうかすがの里より、やましろのくにつつきのながをかのきやうにうつりて、十年まします。おなじきえんりやく十二年みづのとのとり正月に、だいなごんをぐろまろ、さんぎさだいべんこさみ、だいそうづげんけいらをつかはす。たうごくかどののこほりうだのむらをみせらるるに、三人共に申ていはく、「このちのていたらく、さしやうりゆう、う
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びやくこ、ぜんしゆしやく、ごげんむ、しじんさうおうのちなり。もつともていとをさだめたまはんにかたがたたよりあり」と奏しけるに、おたぎのこほりにおはしますかものだいみやうじんにつげまうされて、同十三年きのえのいぬ十月廿一日かのとのとり、ながをかのきやうよりこのへいあんじやうへうつりたまひしよりこのかた、都をたしよへうつされずして、ていわう三十二代、せいざう三百八十八年のしゆんしうをへたり。昔よりくにぐにところどころに都をたてしかども、かくのごときのしようちはなし。ひがしのかたはよしだのみや、ぎをんてんわう、たつみのかた、いなりのみやうじん、みなみのかた、はちまんだいぼさつ、ひつじさるのかた、まつのをのみやうじん、にしの
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かた、をはらの、いぬゐのかた、きたののてんじん、ひらののみやうじん、きたのかた、かものみやうじん、うしとらのかた、ただすのみや、ひよしのさんわうおはします。このかたをばきさもんのかたとなづけて、これをつつしむ。さればてんぢくわうしやじやうのうしとらのかたにはりやうじゆせんあり。しんだんにはてんだいさんあり。につぽんわうじやうのうしとらにはひえいさんあり。おのおのぶつぽふそうのすみかとして、ちんごこくかのちぎりにて、ぶつぽふはわうぼふを守り、王法は仏法をあがめたてまつる。てんわうことにしふしおぼしめされて、「いかにしてかまつだいまでこのきやうをたしよへうつされざることあるべき」とて、だいじん、くぎやう、しよだうのはかせ、さいじんをめしあつめて、せんぎありけるに、ていとちやう
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きうなるべきやうとて、つちにてはつしやくのにんぎやうをつくりて、くろがねのかつちうをきせ、おなじくきゆうせんをもちて、みかどみづからごやくそくありけるは、「まつだいにこのきやうをたしよへうつし、又よをみだらん者あらば、必ずばつを加へ、たたりをなして、長くこのきやうのしゆごじんとなるべし」とて、ひがしやまのみねににしむきにたててうづまれけり。しやうぐんがつかとて今にあり。おんちかひかぎりあれば、てんがにこといでき、ひやうがくおこらんとては、必ずつげ示して、このつかめいどうすといへり。くわんむてんわうとまうすは、すなはち平家のなうそにておはします。既に先祖のせいしゆのもとゐをひらき、よよのみかど、このちをいでさせおはします事なし。
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しかるをそのおんすゑにて、さしたるいはれなく、都をたしよへうつさるること、ぼんりよにはかりがたし。ひとへにしんりよおぼつかなし。なかんづくこのきやうをばたひらかにやすきじやうとなづけて、「たひらやすし」と書きけり。しかるをさうなくへいきやうをすてらるること、ただことにあらず。又しゆしやうもしやうくわうも、みなかのぐわいそんにておはします。君もいかでかすてさせたまふべき。これひとへに平家のうんつきはてていてきせめのぼりて、平家都にあとをとどめず。さんやにまじはるべきずいさうなり。只今よはうせなむずとなげきあへり。ていわうをおしおろしたてまつりて、わがまごを位につけ奉り、わうじをうちたてまつりてくびをきり、くわんばくを流してわがむこをなし奉り、大臣、公卿、うんかく、じ
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しん、ほくめんのげらふにいたるまで、あるいは流しあるいは殺し、あくぎやうかずをつくして、のこるところは、ただみやこうつりばかりなり。さればかやうにくるふにこそとささやきあへり。さがてんわうのおんとき、だいどう五年、都をたしよへうつさむとせさせたまひしかども、大臣、公卿さわぎそむき申されしかば、うつされずしてやみにき。いつてんのきみ、ばんじようのあるじだにも移しえたまはぬ都を、入道、ぼんにんのみとしておもひくはたてられけるこそおそろしけれ。「たみらうすれば、すなはちうらみおこる。しもなやますれば、すなはちせいそつ」文。これすなはちいぞくおこりて、てうかのだいじいできて、しよにんしづかならざるべきやらむとぞなげきける。しんとぐぶの人の中に、こきやうの家の柱にかきつけける。
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ももとせをよかへりまでにすぎきにしをたぎの里のあれやはてなむ K086
いかなる者かしたりけむ。平家の一門の事をふだに書て、入道の門にたてける。
もりがたうたひらのきやうをにげいでぬうぢたえはつるこれは初めか K087
さきいづる花の都をふりすててかぜふくはらの末ぞあやうき K088
誠にめでたき都ぞかし。わうじやうちんごのやしろ、しはうに光をやはらげ、れいげんしゆしようの寺、じやうげにきよをしめ給へり。ひやくしやうばんみんわづらひなく、ごきしちだうもたよりあり。しかるを是をすてらるる事、しゆごのぶつじん、ひれいをうけたまはじ、しかいのれいみん、いきどほりをなすべし。おそろしおそろしとぞ
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まうしあひける。論語といふふみにいはく、「ひとををかすものはらんばうのうれひあり、かみををかすものはしつえうのわざはひあり」とうんうん。なかんづく、もとのきやうよりこのきやうはせいはうのぶんなり。たいしやうぐんとりにあり、はうがくすでにふさがりぬ。さればかんじやうどもをめされける中に、おんやうはかせあべのすえひろ、かんじやうにいはく、「ほんでうのさすところ、たいしやうぐんのわうさう、をんごんをきらはず、おなじくきひすべし。えんりやく十三年十月廿一日に、ながをかのきやうより、かづののきやうにせんとす。ことしきたのぶんとして、わうさうのかたにあたる。これをさけられず。これふるきによるによつて、はうきをろんぜず。つぎにたいしやうぐんのきんき、なほわうさうにおよばず。えんりやくのかれいにつきて、かのせんと、たいしやうぐんのかたたりといへども、なにかそのはばかりあるべけむや」といへり。これをききて、ある
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人申けるは、「延暦のせんとにはおんかたたがへありといへり。ながくきうとをすてられむにおいては、はうがくのきんきあるべし。いかさまにもおんかたたがへはあるべかりける物を。すゑひろがけいうんじゆせいとのみ奏する心えられず」と、人くちびるをかへしけり。G17九日はしんとことはじめして、しやうかうはさだいしやうさねさだ、さいしやうのうちゆうべんみちちか、ぶぎやうはとうのさちゆうべんつねふさのあつそん、くらんどのさせうべんゆきたかとぞきこえし。十五日にしんとちてんの事、わだのまつばらの西ののにくじやうのちをさだめられけるに、「かのところはたかしほきたらん時、事のわづらひあるべし。そのうへごでうよりしもなかるべし」と申けるは、つちみかどのさいしやうのちゆうじやうみちちかのきやうまうされ
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けるは、「三朝のくわうろをひらきて、十二のむねかどをたつ。いはむやわがてうにはごでうまで有らむ、何のふそくか有らむ」とまうされけれども、ぎやうじのつかさどもちからおよばでかへりにけり。「さらばこやのにてあるべきか、はりまのゐなのにてあるべきか」と、くぎやうせんぎありて、同十六日、たいふのさくわんたかもと、じつけんの為にししやうをつかはす。むまのこくばかりににはかにまたとどめられにけり。これはあきのいちのみや、ある女につきてたくせんしたまひける故とぞきこえし。ちてんの事、ひびにかいてい、ただことにあらず。みやうじんなふじゆし給はずといふこといちしるし。さんぬる十一日の夜、そちのだいなごんたかすゑのきやう、福原にして夢をみられけるは、おほきなるやのとをりたるあり。そのうちにたかすゑざせり。
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ひさしのばうに女房あり。ついがきのそとにはらはらとなく声しきりなり。われこれをとふ、女房こたへていはく、「これこそはみやこうつりよ。だいじんぐうのうけたまはざることにてさぶらふぞ」といへり。すなはちおどろきて、又ねぶり、おなじやうに又みられけり。くぶしてぜんもんにまうされたりけれども、これをしんぜられざりけり。おなじき廿二日、ほつしようじの池のはちす、ひとつくきにふたつの花さきたり。たつのこくにみつけて、かのてらよりそうもんす。ほんてうにはじよめいいごこのことなし。そのしるしむなしからず。まづさとだいりをつくらるべきよし、ぎぢやうありて、ごでうのだいなごんくにつなのきやう、ざうしんせらるべきよし、入道はからひまうされければ、六月廿三日きのえのたつはじめて、八月十日むねあげとぞさだめられける。ろんごにいはく、「そしやうくわのたいにおこりてれいみん
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さんず。しんあはうのてんにおこしててんがみだる」とも文。またていはんにいはく、「ばうしきらず、さいてんけづらず、しうしやかざらず。いふくにあやなかり」けむよもありけむ物を。たうのたいそうはりさんきゆうをつくりて、民のつひえをいたはりて、つひにりんかうなくして、かきにこけむし、かはらにまつおひてやみけむはさうゐかなとぞみえし。さてもこきやうにはつじごとに堀ほり、さかもぎなどひき、車もたやすくとほるべくもなければ、まれにこぐるまなどのとほるも、道をへちてぞゆきける。ほどなくゐなかになりにけるこそ、夢のここちしてあさましけれ。人々の家々は、かもがは、かつらがはよりいかだにくみて福原へ下しつつ、むなしき跡にはあさぢが原、よもぎがそま、鳥のふしどとなりて、虫のねのみぞうらみける。
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たまたま残る家々は、もんぜんくさふかくして、けいきよくみちをうづめ、ていしやうにつゆながれて、ほうかうはやしをなす、ちときんじうのすみか、くわうきくしらんののべとぞなりにける。わづかにのこりとどまりたまへる人とては、くわうだいこうくうのおほみやばかりぞおはしましける。八月十日あまりにもなりにければ、しんとへぐぶの人々は、きこゆるめいしよの月みむとて、おもひおもひにいでられにけり。あるいはひかるげんじの跡をおひ、すまよりあかしへうらづたひ、あるいはあはぢのはいたいのすみたまひしゑしまをたづぬる人もあり。あるいはしらら、ふきあげ、わかのうら、たまつしまへゆくものもあり。あるいはすみのえ、なにはがた、おもひおもひにおもむかれけり。さまのかみゆきもりは、なにはの月をながめて、か
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くぞえいじたまひける。
なにはがたあしふく風に月すめば心をくだくおきつしらなみ K089
卅一 ごとくだいじのさだいしやうしつていのきやうは、こきやうの月をながめんとて、きうとへのぼりたまひけり。おんいもうとのくわうだいこうくうのはつでうのごしよへまゐりたまひて、月さえ、ひとしづまりて、かどを開ていりたまひたれば、きうたいみちなめらかにしうさうかどをとぢ、かはらにまつおひ、かきにつたしげり、わけいるそでも露けく、あるかなきかのこけのみち、さしいるつきかげばかりぞおもがはりもせざりける。八月十五夜のくまなきに、おほみやおんびはをひかせたまひけり。「かのげんじの宇治の巻に、うばそくの宮の御娘、秋のなごりを
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をしみて、びはをだんじたまひしに、ありあけの月の山のはをいでけるを、なほたへずやおぼしけむ、ばちにてまねき給けむも、かくやありけむ」と、そのよをおもひしられけり。
つらきをもうらみぬ我にならふなようきみをしらぬ人もこそあれ K090
とよみたりし、まつよひのこじじゆうをたづねいだして、むかしいまの物語をし給ふ。かの侍従をば、もとはあはのつぼねとぞ申ける。たかくらのゐんのおんくらゐの時、ごなうありて、ぐごもつやつやまいらざりけるに、「歌だにもよみたらば、ぐごはまいりなむ」と、おんあやにくありければ、とりあへず、
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君がよはにまのさとびとかずそひて今もそなふるみつぎものかな K091
と読て、そのときのけんじやうにじじゆうにはなされたりけるとかや。さてもさよふけ月もにしやまにかたぶけば、嵐の音ものすごうして、くさばの露も所せき。露もなみだもあらそひて、すずろにあはれにおもひたまひければ、しつていのきやうおんこころをすまして、腰より「あまの上丸」といふよこぶえをとりいだし、ひやうでうにねとり、こきやうのありさまをいまやうに作り、歌ひ給けり。
古き都をきてみればあさぢがはらとぞなりにける
月の光もさびしくて秋風のみぞみにはしむ K092
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と、にさんべんうたひたまひたりければ、おほみやをはじめたてまつり、にようばうたち、心あるも心なきも、おのおの袖をぞぬらしける。そのよはよもすがら侍従にものがたりをして、「ちよをひとよに」とくちずさみたまふに、いまだべつしよいいのうらみをのべざるに、ごかうのてんになりぬれば、りやうふうさふさふの声に驚て、をきわかれたまひぬ。侍従なごりををしむとおぼしくて、みすのきはにたちやすらひ、おんくるまのうしろをみおくりたてまつりければ、だいしやうおんくるまのしりにのられたりける。くらんどをくだして、「侍従がなごりをしげにてありつる。なにともいひすててかへれ」と有ければ、くらんどとりあへぬ事なれば、いかなるべ〔し〕ともおぼえぬに、をりふし寺々のかねの声、やごゑのとりのねをきく。
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「まことや、このをんなはしらかはのゐんのぎよう、『まつよひとかへるあした』といふだいをたまはりて、
まつよひのふけゆくかねのこゑきけばあかぬわかれの鳥はものかは K093
と読て、『まつよひ』のにじをたまはりて、まつよひのこじじゆうとはよばれしぞかし」と、きとおもひいだされて、
物かはときみがいひけむ鳥のねのけさしもいかにかなしかるらむ K094
じじゆうがへんじに、
またばこそふけゆくかねもつらからめあかぬわかれの鳥のねぞうき K095
といひかはしてかへりまゐる。「いかに」とだいしやうとひたまひければ、「かくつかまつりてさうらふ」とまうしければ、「いしうもつかまつりたり。さればこそなんぢをばつかはしつれ」とて、
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けんじやうにしよりやうをたびてけり。このこと、そのころはやさしき事にぞ申ける。三十二 だいじやうにふだうじやうかいは、福原のをかのごしよにて、ちゆうもんの月をえいじておはしければ、そのころのすてものとうれんほふし、をりふしうらなしをはきて、ちゆうもんの前の月をえいじてとほりければ、入道、
月のあしをもふみみつるかな
といひかけたまひたりければ、とりもあへずとうれんかしこまりて、
おほぞらはてかくばかりはなけれども K096
とぞ申たりける。そもそもこのとうれんをふびんにして、入道のみうちに
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をかれけるゆらいを尋れば、れんがゆゑとぞきこえし。せんねんにふだうくまのさんけいの有けるに、ころはきさらぎはつかあまりの事なれば、とほやまにかすみたなびきて、こしぢに帰るかりがね、くもゐはるかにおとづれ、ほそたにがはの水の色、あゐよりもなほみどりにして、まばらなるいたやにこけむして、かうさびたる里あり。なにとなく心すみければ、入道、さだよしをめして、「このところはいづくぞ」とたづねたまひければ、「あきつの里」と申す。入道とりもあへず、
あきつの里に春ぞきにける
とえいじたまひければ、ちやくししげもり、じなんむねもり、さぶらひにはゑつちゆうのせんじもりとし、
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かづさのかみなどならびゐて、つけんとしけれども、じこくはるかにおしうつりて、入道「いかに、をそしをそし」とのたまひけれども、つけまうすひとなかりけり。ここにくまのがたより三十余とみえけるしゆぎやうしやのげかうしけるが、「このみちのならひ、じやうげ、こつじき、ひにんをきらはずさうらふ」とまうして、
みわたせばきりめの山に霞して K097
とつけたりければ、入道感じたまひて、「いづくの者ぞ」とたづねたまへば、「もとはつくしのあんらくじの者にて候しが、きんねんはあふみのあみだじにすみはべり。とうれんと申」といひければ、入道それよりふちして、しよりやうあまたとらせて、ふびんにし給けり。とりわきだいじの者におもはれけ
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る事は、さんぬるほうげんぐわんねん七月、うぢのさだいじんよりながこうよをみだりたまひし時、あきのかみとてみかたにくんこうありしかば、はりまのかみにうつされて、かのくにへげかうせらる。すなはちたうごくのちんじゆあにのみや、ごじんばいありけるに、ざいちやうにんらぐぶす。ここにかんぬし申けるは、「そもそもたうしやみやうじんのかんおうあらたにして、そうしのつゆにうるをほこと、みづのほうゑんのうつはものにしたがふがごとし。しようぜんのかぜにこふこと、つきのこかいのながれにうかぶににたり。わくわうどうぢんのりもつは、しこんのせいさにあるがごとし。げすけちえんのさいしやうは、ばんさうのしぐれをあふぐににたり。あしたにむなしくまゐりて、ゆふべにみのつててかへる。そうじてこくしをはじめたてまつり、きせんじやうげのしよにん、さんけいにちやにおこたることなし。ここに
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不思議の事あり。しやうこよりいまだつけえざるれんがのしもくあり。こくしじんばいのはじめにまづごはいけんあるは、せんぎなり」と申せば、入道をりふし登蓮をばぐしたまはず。わがみすでにふかくしなむずと思はれければ、にはかにだいじのようをいだして、「こくむにおよばず、きやうとのちようじあるよしききて、はやむまたうらいの事あり。こんどははいにおよばず、やがてげかうしはべりぬれば、そのとき」とて、こくふへ帰り、「さるにてもいかなる連歌にか」とたづねたまひければ、あるしやじの申けるは、
この神のなかあにの宮とは
と申たりければ、いそぎ是を大事と思はれけるにや、
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しやうらくせられけり。やさしかりし事也。ろくはらにつきて、いそぎ登蓮をめしておほせられけるは、「今度ぐそくしたてまつらずして、不覚におよべり」とて、くだんの連歌を語られければ、登蓮うちなげきて、
つくしなるうみのやしろにとはばやな K098
とまうしたり。かさねていそぎげかうし給へり。しやさんしてかのしやだんをひらき拝見して、入道くだんのくをつけたまへり。じんぐわん、国の人々にいたるまで、感ぜずといふことなし。そのことばいまだをはらざるに、ごてんさんどしんどうして、すなはちぶぢよにつきてたくしたま
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へり。「しんべうにつかまつりたり。これあやしの者のくにあらず。わがくにのふうぞくを思ふに、つれづれの余り、しやさんのしよにんの心をなぐさめ、わがうさをも忘れやするとて、みづからいひいだしたりし。しやうこよりいまだつけたる人なし。このよろこびには官位はおもひのままなるべしよ」とて、あがりたまひぬ。さればにや、同三年にださいのだいにになり、へいぢぐわんねん十二月廿七日、うゑもんのかみのぶよりのきやうむほんのとき、又みかたにてぞくとをうちたひらげ、同二年、じやうざんゐして、うちつづきさいしやう、ゑふのかみ、けんびゐしのべつたう、ちゆうなごんになる上、しようじやうの位にいたり、ないだいじんよりさうをへずして、だいじやうだいじんのごくゐに
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昇る。これすなはちとうれんほふしが故とぞおぼえし。三十三 そもそも入道殿かうたけひとしづまりて、月の光もすみのぼり、なをえたるやはんの事なれば、心の内もいさぎよく、「かのかんのかうその三尺のけん、ゐながらてんがをしづめ、ちやうりやうが一巻のしよ、たちどころにしふにのぼること、わがみのえいぐわにかぎりあらば、まさらじ」とおぼえて、月の光くまなければ、よもすがらながめてゐたまへるに、つぼの内に、めひとつつきたる物の、たけいちぢやうにしやくばかりなるもの、あらはれたり。又かたはらに、めはなもなきものの、これに二尺ばかりまさりたる物あり。又めみつあるものの、さんじやくばかりまさりたるあり。かかるものども五六十人並びたてり。
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入道是をみたまひて、「不思議の事かな。なにものなるらむ」と思ひ給へども、すこしもさはがぬていにて、「おのれらはなに物ぞ。あたごひらののてんぐめらごさんめれ。なにとじやうかいをたぶらかすぞ。まかりしりぞきさうらへ」とありければ、かのものどもこゑごゑにまうしけるは、「おそろしおそろし。いつてんの君、ばんじようのあるじだにもはたらかし給はぬ都を、ふくはらへうつすとて、としごろすみなれししゆくしよをみなやぶられて、あさゆふなげきかなしむ事、ごふをふともわするべからず。このほいなさのうらみをば、いかでかみせざるべき」とて、東をさしてとびゆきぬ。これとまうすは、こんどふくはらげかうのこと、いちぢやうたりしかば、しかるべきみだうあまたこぼち
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集め、新都へうつすべきたくみありけれども、だいりごしよなどだにもはかばかしくざうえいなき上は、皆えほりにくちうせぬ。これによつて、たまたま残るだうたふも、しへきは皆こぼたれぬ。あらがみたちのしよぎやうにや、あさましかりしことどもなり。入道なほ月をながめてをはすれば、ちゆうもんのゐ給へる上に、もつてのほかにおほきなる物の踊る音しけり。しばらくありて、つぼのうちへとびおりたり。み給へば、ただいまきりたるかうべのちつきたるが、ふつうのかうべとをばかりあはせたる程なるが、これのみならず、されたるかうべどもあなたこなたよりあつまりて、四五十が程ならびゐたり。めんめんにののしりけるは、「それしよぎやうむじやうは
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によらいのきんげんといひながら、ろくだうししやうにちんりんして、にちやてうぼのあくねんをおこすこと、しかしながらあの入道が故也。なりちかのきやうがびつちゆうのなかやまのこけにくち、しゆんくわんがいわうが嶋の波にながされし事、ぜんごふのしよかんとはしりながら、こころうかりしことどもなり」とめんめんにいひければ、なまかうべ申けるは、「それはされども人を恨み給べきにあらず。少したくみ給たる事共のありけるごさんめれ。ゆきただはてうてきにもあらず、きうとをしふして、しんとへ遅くくだりたりと云とがによつて、たうごくふかやのまつにしのと云所へせめくだされ、ゆゑなくくびをはねらるること、あはれとおぼしめされずや。
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あはれ、げにいつまで、あの入道をうらめしと、くさのかげにてみんずらむ」と云ければ、入道のろのろしく、おどろおどろしくおもひながら、こたへ給けるは、「なんぢら、官位といひ、ほうろくといひ、ずいぶん入道がこうじゆにて人となりしものどもにあらずや。ゆゑなく君をすすめたてまつり、入道が一門をうしなはむとするとが、しよてんぜんじんのおうごをそむくにあらずや。じくわをかへりみず、入道をうらみん事、すべて道理にあらず。すみやかにまかりいでよ」とて、はたとにらまへてをはしければ、さうせつなどのやうにきえうせにけり。月もせいざんにちかづき、鳥もとうりんになきければ、入道ちゆうもんのひとまなる所をこしらへ給へる所にたちいりて、休み
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給はむとし給へば、ひとまにはばかる程のかうべ、めむつありけるが、入道をにらまへてゐたりけり。入道腹をたて、「いかにおのれらは、一度ならず二度ならず、じやうかいをばためみるぞ。一度もなんぢらにはなぶらるまじき物を」とて、さげ給へりけるたちをなからばかりぬきかけ給へば、次第にきえてうせにけり。おそろしかりしことどもなり。いこくにかかるせんじうあり。しんのしくわうのみよにかんやうきゆうをたてて、ぎよう卅九年九月十三夜の月のくまなかりけるに、しゆしやうをはじめたてまつりて、くわいもん、しようじやう、あしやう、くわうもんより、きゆうちゆうの月をもてあそび給しに、あはうでんの上に、はばかる程のおほかうべの、めは十六ぞ有ける。くわん
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ぐんをもつていさせければ、なんていにおりて、鳥のかひごのやうにてきえうせぬ。是はえんたん、しんぶやう、けいか大臣とうのくびといへり。こののちいくほどなくて、六十一日とまうすに、しくわううせたまひぬ。「このれいをおもふには、入道殿の運命、いまいくほどあらじ」とぞささやきける。だいじやうにふだうはふくはらにをはしけるが、つきひはすぎゆけども、せけんはいまだしづまらず。胸にておけるここちして、常に心さはぎうちしてぞ有ける。にゐどのをはじめたてまつり、さまざまのゆめみあしく、けいありければ、じんじやぶつじにいのりぞしきりなる。まことに「かみあれしもこん、いきほひひさしからず。そうしやのあやふき、とんりうのごとし」ともいへり。「このよのありさま、なにとなりはてむずらむ」とぞなげきける。
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卅四 げんぢゆうなごんがらいのきやうの家なりけるさぶらひ、夢にみけるは、「いづくともそのところはたしかにはおぼえず。だいだいりの内、じんぎくわんなどにてありけるやらむ。いくわんただしくしたる人々なみゐたまひたりけるが、ばつざにおはしましける人をよびたてまつりて、いちざにおはしましける人の、ゆゆしくけだかげなるが、のたまひけるは、『ひごろ清盛入道のあづかりたりつるぎよけんをば、めしかへされむずるにや、すみやかにめしかへさるべし。かのぎよけんはかまくらのうひやうゑのすけみなもとのよりともにあづけらるべきなり』とおほせらる。『これははちまんだいぼさつ也』と申。又ざの中の程にて、それももつてのほかにけだかく、しゆくらうなりける人ののたまひけるは、『そののちはわがまごのその御剣をば給はらん
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ずる也』とのたまひけるを、『是をばたそ』ととひければ、『かすがのだいみやうじんにておはします』と申。先にばつざにおはしましける人を、『是はたれびとぞ』とたづぬれば、『だいじやうにふだうのかたうど、あきのいつくしまのみやうじんなり』とぞまうしける。おもふはかりもなく、かかるおそろしき夢こそみたれ」といひたりければ、次第に人々ききつたへて、ひろうしけり。大政入道このことをききたまひて、いきどほりふかくして、くらんどのさせうべんゆきたかにおほせてたづねられければ、がらいのきやうは、「さる事うけたまはらず」とぞまうされける。かの夢みたる者はうせにけり。てうてきをうちにつかはすたいしやうぐんには、せつたうと云ぎよけんをたまはる也。大政入道、ひごろはたいしやうぐんとして朝敵をしりぞけ
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しかども、今はちよくぢやうをそむくによつて、せつたうをもめしかへされけるにや。このゆめをかうやのさいしやうにふだうなりよりつたへききてのたまひけるは、「いつくしまのみやうじんはによたいとこそきけ、ひがことにや。又かすがのだいみやうじん、わがまごたちをばあづからむとおほせられけるも、こころえず。ただしよの末にげんぺいともにしそんつきて、ふぢはらうぢのたいしやうぐんにいづべきにや。いちのひとのおんこなどの、たいしやうぐんとして天下をしづめたまふべきか」とぞのたまひける。深き山にこもりにしのちには、わうじやうごくらくのいとなみのほかは、たねんをはすまじかりしかども、よきまつりごとをききてはよろこび、あしきことをききては歎きたまひけり。よのなりゆかむありさまをかねてのたまひけるは、すこしもたがはざりけり。
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三十五 九月ふつかのひ、とうごくよりはやむまつきてまうしけるは、「いづのくにのるにん、さきのひやうゑのすけみなもとのよりとも、いちゐんのゐんぜん、ならびにたかくらのみやのりやうじありとて、たちまちにむほんをくはたてて、さんぬる八月十七日夜、おなじきくにのぢゆうにん、いづみはんぐわんかねたかがやまきのたちへおしよせて、かねたかをうち、たちにひをかけてやきはらふ。いづのくにのぢゆうにんほうでうのしらうときまさ、とひのじらうさねひらをさきとし、いちるい、いづさがみりやうごくのぢゆうにんら、どうしんよりきして、三百余騎のつはものをそつして、いしばしといふところにたてごもる。これによつて、さがみのくにのぢゆうにんおほばのさぶらうかげちかをたいしやうぐんとして、おほやまだのさぶらうしげなり、なかをのごんのかみもりひさ、しぶやのしやうじしげくに、あしかがのたらうかげゆき、やまうちのさぶらう
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つねとし、えびなのげんぱちすゑむねら、そうじて平家にこころざしある者三千余人、おなじき廿三日、いしばしといふところにてすこくかつせんして、頼朝さんざんにうちおとされて、わづかに六七騎になりて、ひやうゑのすけはおほわらはになりて、すぎやまへいりぬ。みうらのすけよしずみ、わだのこたらうよしもりら、三百余騎にて頼朝のかたへ参りけるが、兵衛佐おちぬとききて、まるこがはといふところよりひきしりぞきけるを、はたけやまのじらうしげただ、五百余騎にておひかくる程に、おなじき廿四日、さがみのくにかまくら、ゆゐのこつぼといふところにてかつせんして、しげたださんざんにうちおとされぬ」とまうしけり。ごにちにきこえけるは、「おなじき廿六日、かはごえのたらうしげより、なか
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やまのじらうしげざね、えどのたらうしげながら、すせんぎをそつして、みうらへよせたりけり。かづさのごんのかみひろつねはひやうゑのすけにくみして、且しやていかねだのこだいふよりつねをさきだてたりけるが、とかいにちちして、いしばしにはゆきあはず、よしずみらこもりたるみうらきぬがさのさくにくははりけり。しげよりらおしよせ、やあはせばかりはしたりけれども、よしずみらつよく、かつせんをせずしておちにけり」とまうしければ、平家の人々はこれをききたまひて、若き人はきようにいりて、「頼朝か、いでこよかし。あはれ、うつてにむかはばや」などいへども、すこしも物の心をわきまへたる人々は、「あは、だいじいできぬ」とて、さはぎあへり。はたけやまのしやうじしげよし、おほやまだのべつ
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たうありしげ、をりふしざいきやうしたりけるが、まうしけるは、「なにごとかはさうらふべき。あひしたしく候へば、ほうでうのしらうがいちるいばかりこそさうらふらめ。そのほかはたれかつきて、たやすくてうてきとなりさうらふべき」とまうしければ、「げにも」といふ人もあり、「いさとよ、いかがあらむずらむ。だいじにおよびぬ」と云人もあり。よりあひよりあひささやきけり。大政入道のたまひけるは、「昔よしともはのぶよりにかたらはれててうてきとなりしかば、そのこどもひとりもいけらるまじかりしを、よりともが事は、こいけのあまごぜんのさりがたくなげかれまうししにつきて、しざいをまうしなだめて、をんるになしにき。( )ぢゆうおんを忘れてこくかをみだり、わがしそんにむかひて弓をひかんずるは、
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ぶつじんもおんゆるされやあるべき。ただいまてんのせめをかうぶらむずるよりともなり。あやしのてうじうも、おんをほうじとくをむくうとこそきけ。昔のやうほうはすずめをかひてたまきをえ、もうほうは亀をはなちて命をたすかるといへり。わがしそんにむかひては、頼朝いかでかしちだいまで弓をひくべき」とぞのたまひける。それわがてうのてうてきのはじめは、やまといはれびこのぎよう五十九年つちのとのひつじのとし十月、きのくになぐさのこほりきしのしやうたかをのむらに、ひとつのいきんあり。よのつちぐもといふものあり。みみじかく、てあしながくして、ちからじんりんにこえたり。にんみんをそんじ、わうくわにしたがはざりしかば、くわんぐんおほせをうけたまはりて、かしこにゆきむかひて、かづらのあみをむすびて、
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つひにふくさつす。それよりこのかた、やしんをさしはさみててうかをそむくものおほし。いはゆる、おほやまのわうじ、大山、おほとものまとり、もりやのおとど、そがのいるか、やまだのいしかは、うだいじんとよなり、さだいじんながもり、ださいのせうにひろつぐ、ゑみのだいじんおしかつ、ゐがみのくわうごう、ひかみのかはつぎ、さはらのたいし、いよしんわう、ふぢはらのなかなり、たちばなのはやなり、ふんやのみやだ、むさしのごんのかみたひらのまさかど、いよのじようふぢはらのすみとも、あべのよりよし、おなじくしそくてうかいのさぶらうさだたふ、おなじくしやていむねたふ、つしまのかみよしちか、あくさふ、あくうゑもんのかみに
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いたるまで、つがふ三十余人也。されども一人としてそくわいをとげたる者なし。みなかうべをごくもんにかけられ、かばねをさんやにさらす。とうい、なんばん、せいじう、ほくてき、しんら、かうらい、はくさい、けいたんにいたるまで、わがてうをそむく者なし。たうじこそわうゐもむげにかろくましませ、せんじといひければ、かれたる草木もさかへさき、てんをかける鳥、ちを走るけだものも、皆したがひ奉りき。かのしんだんのそくてんくわうごうはぶめい、かうそうのきさきなり。しやうりんえんのはなみの御幸なるべきにてありしに、りんゑんのはなさかずして、そのごをみるにはるかなりければ、くわうごうしんかをつかはして、「はなすべからくれんやにおこすべし、だん
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ぷうのふくをまつことなかれ」と宣旨をくだし給しかば、はないちやのうちにさきて、御幸をとげぬとみえたり。わがてうにもちかごろの事ぞかし。えんぎのみかどのおんとき、いけのみぎはにさぎのゐたりけるを、みかど御覧じて、くらんどをめして、「あのさぎとりて参れ」とおほせありければ、蔵人さぎのゐたる所へあゆみよりければ、さぎはづくろひして、既にたたんとしけるを、「せんじぞ。さぎまかりたつな」といひたりければ、さぎたたずしてとられにけり。やがておんまへへいだきてまゐりたりければ、いそぎはなたれにけり。まつたくさぎのごようにはあらず、わうゐの程をしろ
しめさんがためなり。
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三十六 わがてうにもかぎらず、おんをしらざるもののほろびたるれいをたづぬるに、昔もろこしにそのけいばうがこに、えんのたいしたんといふものあり。しんのしくわうとたたかひけるに、たいしいくさにまけて、しくわうにとらはれぬ。既にろくかねんにもなりにけり。えんたん、八十に余るらうぼをみむとおもふこころざしふかかりければ、始皇にいとまをこふ。始皇、あざけりてのたまはく、「からすのかしらしろくなり、馬につのおひたらん時、なんぢかへらむときとしれ」とのたまひければ、このことばをききて、さてはこころうき事ごさむなれ、わがこひしと思ふ母をみずして、ここにていたづらにしせむ事、いまさらにかなしくおぼえければ、夜はよもすがら昼はひねもすに、天にあふぎちにふして、念じけるしるしに、
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かしらしろきからすとびきたれり。たいしこれをみて、「今はさだめてゆるされんずら
む」とおもひけるに、「馬につのおひたらむ時にゆるすべしとこそいひしか」とて、なほゆるさざりけり。燕丹いかにすべしともおぼえず、かなしみけることばにいはく、「めうおんだいしはぐわつしりやうぜんにまうでて、ふけうのともがらをいましめ、こうし、らうしはたいたうしんだんにあらはれて、ちゆうかうの道をたつ。うへはぼんでんたいしやく、したはけんらうぢじんまでも、けうやうの者をばあはれみたまふなる者を。みやうけんのさんぼうあはれみをたれて、馬につのおひたるいずいを始皇にみせ給へ」と、あけくれおこたらず、ちの涙を流してきせいしけるしるしにや、つのおひたる馬、始皇のなんていにしゆつ
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げんせり。りんげんあせのごとくなれば、うとうばかくのへんにおどろきて、「えんたんはてんたうのかごある者なり」とて、すなはちほんごくへかへしつかはす。しくわうなほやすからずおもひて、たいしほんごくへ帰る道にまづくわんしをつかはして、そけうといふはしにて、えんたんを河におとしいるるやうにかまへてけり。燕丹はかかるしたくありともしらずして、こきやうに帰るうれしさに、なにごころもなくわたりけるに、すなはち河におちいりぬ。されどもてんたうかごしたまひけるにや、へいぢをあゆむがごとくにてあがりにけり。不思議のことかなとおもひて、水をかへりみれば、かめどもおほくあつまりて、こふを並べて燕丹をぞとほしける。さてほんごくへかへり
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たりければ、ふぼしんるいみなきたりあつまりて、よろこびあへり。燕丹、始皇にとらはれて、かなしかりつる事をかたりて、たがひになみだをながしけり。「始皇いきどほりふかくして、いかにもゆるされがたかりしを、しかしかのことどもありて、ゆるされたり」とかたりければ、ははよろこびて、「さては不思議なる事ごさむなれ。いかにしてかかしらしろき烏をあはれむべき」とおもひければ、せめての事にや、くろきからすどもに物をほうずるに、のちには頭白き烏たびたびきたりけるとかや。是は父母のこを思ふこころざしの深くせちなるがゆゑなり。えんたん、すかねんのあひだ、しくわうにいましめおかれたりし事をやすからずおもひて、いかにもしてしくわうていをほろぼさん
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とぞはかりける。このこといかがしてきこえけむ、始皇いかりて、又燕丹をほろぼさむとす。すなはちえんこくへつはものをむかはすべきよしきこえければ、えんこくの人おそれをののきて、かなしみなげくことかぎりなし。たいしこのことをなげきて、よるひるはかりことをめぐらす。そのころはんえきと云ける者は、しんわうの為につみせられて、燕国ににげこもりてゐたりけるを、太子あはれみて、みやちかくおきたり。きくぶと云ける者これをききて、たいしをいさめていはく、「わがくにはもとよりしんこくとかたきとなるくになり。いはむやはんえきをえびすのくにへつかはして、西はしんこくとひとつになり、南はせいそのくににもあひしたしみて、せいをまうけて後、おもひたちたまへ」と申ければ、
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太子こたへていはく、「はんえき、しんわうのなんにあひて、みをわれにまかせたり。たのもしげなくおひすてむこと、なさけなし。さらぬ事をはからへ」といひければ、きくぶまたまうしていはく、「そこくにてんくわうせんじやうといひて、はかりことかしこく、たけくいさめるつはものあり。おほせあはせてきき給へ」と云ければ、太子、てんくわうをまねく。せんじやう、太子のもとへ行きけるに、太子にはにおりむかひ、てんくわうをうちにいれて、ひそかにしくわうをほろぼすべきよしをぎするに、田光まうしていはく、「きりんといふ馬は、若くさかりなる時は一日にせんりをかけれども、としおいおとろへぬれば、どばもこれより先にたつ。君はわがさかりなりし時をききたまひて、かくはのたまふなり。けいかと
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いみじくかしこきつはものなれ。かれをめしてのたまひあはせよ」と云ければ、たいし、「さらばかのけいかをかたらひてえさせよ」とありければ、すなはちりやうじやうして、てんくわうざをたちけるに、太子かどまで送て、「このこと国のだいじなり。ゆめゆめもらす事なかれ」といふ。田光是を聞て、すなはちけいかがもとにゆき、太子のことばをいひつたへければ、けいかいかにも太子のめいにしたがふべきよしを答ふ。そのとき田光がいはく、「われきく、けんじんのよにつかふるならひ、人に疑はるるにすぎたる恥はなし。しかるに太子我をうたがひて、もらすことなかれとのたまひつ。このことよにひろうする物ならば、われ疑はれなむず」とて、かどなるすもものきにかしらをつき
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くだきて、うせにけり。さてけいか、たいしのもとへゆきむかふ。太子せきをさりて、ひざまづきてけいかにかたりていはく、「いまなんぢがきたること、てんわれをあはれむなり。しんわうとんよくの心ふかくして、てんがのちを皆わがちにせむとし、かいだいのしよこうわうをことごとくしたがへむと思へり。りんごく、さならぬ国をも皆うちしたがへぬ。またこのくにをせめむ事、ただいまなり。秦国のたいしやうぐん、たうじぐわいこくへむかへるをりふし也。かかるひまをはかりて、しくわうをねらはむ事かたからじ。ねがはくははからふべし」といひければ、けいか、太子のうやまふ姿にたうて云けるは、「こんど太子のゆるされ給へる事、全く始皇のおんめんにあらず。これしかしながらしんめいのおんたすけなり。さればしんこくをやぶりて、し
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くわうをほろぼさむ事、あへて安し」と答ふ。たいしいよいよけいかをたつとびて、えんこくの大臣になして、ひびにもてなしかしづく。しやば、ざいほう、びぢよにいたるまで、けいかが心にまかせたり。さるほどに秦国の将軍、もろもろの国をやぶりて、燕国のさかひまでちかづきにければ、太子おそれをののきて、けいかをすすめていはく、「しんの兵いすいをわたりなば、汝をたのみてもせんあるまじ。いかがすべき」とありければ、けいかこたへていはく、「われきく、はんえきがかうべをえさせたらむ者には、いちまんかのさと、せんきんのこがねをあたふべしと、しんくわう、しかいに宣旨をくだし給へり。はんえきがかうべと、燕国のさしづとをだにも、しくわうにたてまつる物ならば、始皇よろこびて、必ずわれに
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うちとけなむず。そのときはかりなん」といひければ、またたいしいはく、「はんえきしんこくをにげて、みをわれにまかせたり。うたむ事なさけなし。さならぬはかりことをめぐらせ」とありければ、けいか、太子のかはゆく思へるけしきをみて、すなはちひそかにはんえきにあひていはく、「しんわうなんぢをつみし給へる事、いづれのよにかわするべき。ふぼしんるい、みなしんわうのためにころされたり。汝がかうべを、いちまんかのさと、せんきんのこがねにつのり給へり。いかがすべき」と云ければ、はんえき天に仰ぎ、おほいきをつき、なみだを流して、「われつねにこのことをおもふに、こつずいにとをつてたへがたけれども、いひあはすべきかたなし」と答へければ、けいかまたいはく、「ただひとことにて、燕国のうれひをもやすめ、汝がなげきをも
P1903
むくいん事、いかに」とためらひければ、はんえきおほきによろこぶことかぎりなし。そのときけいかまたいはく、「ねがはくは汝がかうべをかせ。秦王にたてまつらん時、くわうていさだめてよろこびて、われにうちとけたまはむ時、左手にては袖をひかへ、右手にて秦王の胸をささむ事、もつともやすし。しからば君があたをもむくひ、又えんこくのうれひをもとどむべし」といひければ、はんえきをひぢをかがめて、「是こそひごろのぐわんのみちたるなれ。誠に秦王だにもうちたてまつるべきならば、雪のかしらを奉らむ事、みぢんよりなほかろかるべし。かくのたまふこころざしの程こそ、しやうじやうせせにもほうじつくしがたけれ」とて、やがてみづからつるぎをぬきて、くびを切てけいかにあたふ。太子これをききて、はせきたりて
P1904
なきかなしみけれども、ちからおよばず。このうへはそくじにおもひたつべしとて、しくわうをうつべきはかりことをめぐらす。はんえきがかうべを箱にいれて、ふうじこめたり。太子をゆるしたるよろこびに、燕国のさしづ、国々のけんけいをあひぐして、しくわうていに奉る。げぶみ、そのうへ、そうれいのかたちをこがねにていて、さしづの箱にいれぐして、はこの底には、ひつしゆのつるぎとて、一尺八寸なるつるぎの、せんりやうのこがねにてつくりたるをかくしいれて、けいかをいだしたつ。又燕国にしんぶやうといふたけきつはものあり。これももとは秦国のつはものにて有しが、十三にておほくの人を殺して、燕国にこもりたりけり。いかれる時は七尺の
P1905
男もせつしし、わらひてむかへば三歳のえいじもいだかれけり。是をけいかにあひそへてつかはされけり。けいかすでにしんこくにおもむくに、たいしならびにひんかくの心をしる者、いくわんただしくしておくりけり。いすいといふところにて、なごりををしみ、酒を飲けるに、かうぜんりと云者、ほときをうつ。けいかうたをつくりていはく、「かぜせうせうとしていすいさむし[カン]、さうしひとたびさりてまたかへらず」と歌ふ。これふきつのことばなり。きゆうしやうかくちうのごいんのうちには、ちのねをぞしらべたりける。そのとき、ひとみななみだをながしてこくしあへり。又うのねにうつる時、人皆めをいからかし、かしらの髪そらさまへあがりにけり。
P1906
さてけいかくるまにのりて、なごりををしみてわかれさりぬ。つひにうしろをかへりみず。されどもさうてんゆるし給はねば、なじかはほんいをたつすべき。このときはくこうてんにたちわたりて、にちりんの中をつらぬきはてざりけり。太子是をみて、わがほんいとげがたしとぞおもはれける。けいかこれをかんがふるに、「始皇はひのせい、太子はこがねのせい也。なつは、こがねはさうして、ひにわうせり。にちりんはひ也。はくこうはこがねなれば、ひこがねにかつとさうこくせるかたちなり。始皇はいつてんのあるじなれば、にちりんなるべし。太子はせうこくの王なれば、はくこうなるべし。したがひて又日輪の中をつらぬきはてぬこそあやしけれ。いかがあるべかるらむ」と
P1907
おもひけれども、さればとてむなしくかへる
べき道ならねば、けいかしんこくにいたりぬ。せんりやうのこがね、色々のたからをもつて、しんくわうのちようしん、むかといふものにまいないて、しんくわうにまうしていはく、「えんこく誠にだいわうのゐにおそれて、あへて君をそむき奉る事なし。ねがはくはしよこうわうのれつにいりて、みつぎ物をそなへ、わうめいをそむくべからずとて、はんえきが首を切て、燕国のけんけいをたてまつり給へり。ねがはくは大王えいらんをへたまへ」とまうしたりければ、しんくわうおほきによろこびて、せちゑのぎしきをしくわうのだいりかんやうきゆうにととのへて、えんのつかひにまみえたまふ。秦国のくわんぐんら、しはうのぢんをかためたり。くわうきよのあり
P1908
さま、心もことばもおよばれず。みやこのまはりいちまんはつせんさんびやくはちじふりにつもれり。内裏をば、ちよりさんりたかくつきあげて、そのうへにたてたり。ちやうせいでん、ふらうもんあり。こがねをもつてひを作り、しろかねをもつて月を造れり。しんじゆのいさご、るりのいさご、こがねのいさごをしきみてり。しはうには高さ四十里にくろがねのついぢをつき、てんのうへにもおなじく鉄のあみをぞはりたりける。これはめいどのつかひをいれじとなり。秋はたのむのかりの春はこしぢに帰るも、ひぎやうじざいのさはりありとて、ついぢにはがんもんとて、くろがねのもんをあけてぞ通しける。そのなか
P1909
にあはうでんとて、しくわうの、つねはぎやうがうなりて、せいたうおこなはせ給ふてんあり。高さはさんじふろくぢやう、とうざいはくちやう、なんぼくへくちやう、おほゆかのしたはごぢやうのはたほこをたてたるが、なほおよばぬ程なり。うへはるりのかはらをもつてふき、したはきんぎんをみがけり。けいかはえんのさしづをもち、しんぶやうははんえきが首をもちて、玉のきざはしをのぼりけるに、余りに内裏のをびたたしきをみて、秦武陽わなわなとふるひければ、しんかこれをあやしみて、「ぶやうむほんの心あり。けいじんをばきみのかたはらにおかず、くんしはけいじんにちかづかず。
P1910
けいじんにちかづくは、すなはちしをかろんずるみちなり」といへり。けいかかへりて、「ぶやうまつたくむほんのこころなし。そのせきれきをもてあそびてぎよくえんをうかがはざるものは、なんぞりれうのわだかまれるところをしらん。そのへいゆうにならひて、しやうはうをみざるものは、「いまだ英雄の宿る所をしらず」といひければ、くわんぐんみなしづまりにけり。さてたうしやうにいたりて、はんえきがかうべをたてまつらむとするに、くわんしいでむかひて、うけとりて、えいらんあるべきよしおほせければ、けいかまうしけるは、「ひごろしんきんやすからずおぼしめさるるほどの、てうてきのくびを切て参りたらむに、いかでかひとづてにたてまつるべし。えんこくせうこくなりといへども、けいか、武陽共に、かのくに第一のしんかなり。ぢきにたてまつらむ事、何のおそれかあるべきと」そうしたりければ、「まことにひごろの
P1911
しゆくいふかかりつるてうてきなり。けいかがまうすところそのいはれあり」とおぼしめして、しくわうみづからうけとりたまふべきれいぎにて、けいかにちかづき給ふ。かねてはんえきしして、くわいけいの恥をきよめむとはかりしことばは少しもたがはず。さてけいか、かうべをちにつけて、はんえきが首を奉る。始皇是をみたまひて、深く感じ給けり。そののちまたさしづ、けんけいいれたるはこをひらくに、秋の霜、冬のこほりのごとくなるつるぎの光り、はこの底にかかやきてみえければ、始皇おほきにおどろきて、早くとびさらんとし給ふ処に、左手にて、ぎよいの袖をひかへ、右手にてかのつるぎを取て、始皇のおんくびにさしあてて、「まことにはえんのたいし、このごろくねんのあひだいましめおかれ
P1912
たりつるうらみ深し。そのしゆくいをあらはさんが為に、かくははかりつる也」とて、既につるぎをふらんとしければ、始皇涙を流してのたまはく、「われいつてんのあるじとして、ぶわうのなかのだいぶわうなり。昔も今もちんに肩をならぶるていわうなし。されども運命限りあれば、ちからおよばず。ただしりんじゆうのさはりになるまうねんあり。われきうちようの中に、千人のふじんをもてり。そのなかに琴をいみじくひく夫人あり。くわやうふじんとなづく。いまいちどそのきよくてうをききてしせむと思ふ。そのあひだゆるしてむや」とのたまひければ、けいかおもひけるは、「われせうこくの臣下として、だいわうのせんみやうをぢきにかうぶる事、ありがたし。かくとらへ奉り
P1913
ぬるうへはなにごとかはあるべき」とおもひて、少しさしゆるし奉つる。しくわうよろこびたまひて、なんでんにしつせきのへいふうをたて、そのうちに夫人りんかうありて、琴をしらべ給ふ。おほかたこのきさきのひき給へる琴のねには、そらとぶとりもちにおち、武きもののふもいかれる心たひらぎけり。いはむや今を限りのえいぶんに備へ給ふ事なれば、なくなくさまざまのひきよくをそうしたまひけむ。さこそはおもしろかりけめ。けいかみみをそばたて、かうべをたれて、ほとんどひごろのがいしんもたゆみつつ、くわんくわんとしてききゐたりければ、きさきこのけしきをひそかにみたまひてければ、きよくてうをかへて、「しつせきのへいふうはをどらばこえつべし、らこくの
P1914
袖はひかばたへぬべし」といふきよくを、たびたびひきたまひけり。けいか、ぶやうもろともにくわんげんの道うとかりければ、つゆこのきよくをききしらず。しんくわうはごいんにつうじ給へりければ、これをききしりたまひて、「はづかしはづかし。夫人のみなれども武き心あり。われだいわうのみにして、かたきにひかへられて、のがれぬ事こそ心うけれ」とおもひたまひて、がうじやうの心たちまちにおこりて、しつせきのへいふうをうしろさまにとびこえ給ふ。けいかは始皇の逃給ふにおどろきて、つるぎをなげかけたりければ、皇帝、あかがねのはしらの三人していだく程なる、その影へ逃給ふ。みかどにはあたらずして、銅の柱なからばかりきれにけ
P1915
り。しんこくのならひ、ひやうぐたいしたる者のてんじやうに昇らぬほふなれば、すまんのくわんぐんていしやうにありけれども、救はむとするにかひなし。只君のぎやくしんにをかされ給はむ事をぞかなしみける。そのときかぶしといふいしの、じいといふくわんにて、をりふしごぜんに有けるが、くすりのふくろをぎよくたいになげかけたり。くわうていたちかへりて、わがぎよくくわんにさし給へるほうけんをぬきて、けいか、武陽、二人がくちをやつざきにさきて、ていしやうにひきおろしてちゆうせられけり。やがてえんこくへくわんぐんをさしつかはして、えんたんをうち、国をほろぼしてけり。又かうぜんりはけいかと昔しんいうたりし事
P1916
をはばかりて、姿をやつし、せいめいをかへてありけれども、しならひたる事のすてがたくて、ほときをうちけり。ほときと琴のやうなるがくき也。ばちにてそのうへをうつなり。始皇、「ほときをよくうつ者あり」とききたまひて、めされて、つねに筑をうたせてきき給ふに、かうぜんりをみしりたる人有て、「かうぜんり也」と申たりければ、のうのいみじさに、殺すにおよばず。めをつぶして、なほ筑をうたせて近づけ給ければ、ぜんりやすからずおもひて、つるぎをもつて、始皇のをはする所をはからひて、うちたりけり。始
P1917
皇なじかはうたれたまふべき。かえつてぜんりを殺されにき。このことしきにみえたり。論語とまうすふみに、「始皇のひざをうちたり。そのところかさに成て、始皇しし給へり」といへり。昔の恩を忘れて、てうゐをかろんずる者の、たちまちにてんのせめをかうぶりぬ。さればよりともきうおんを忘れて、しゆくまうをたつせむ事、しんめいゆるし給はじと、きうれいをかんがへて、あへて驚く事なかりけり。卅七 よつかのひいぬのときばかり、だいじやうにふだうこしに乗て、ゐんのごしよへ参てまうされけるは、「みなもとのためよし、よしともは、ほふわうのおんかたきにて
P1918
さうらひしを、入道がはかりことにて、かれら二人よりはじめて、おほくのばんるいを皆入道がてにかけて、かうべをはねさうらひき。頼朝とまうしさうらふやつは、がうしうよりたづねいだしてさうらひしを、入道がけいぼ、いけのあまとまうしさうらひし者、かの頼朝をみさうらひて、余りにむざんがりさうらひて、『このくわんじやわれに預けよ。かたきをいけてみよとこそ申せ』と、たりふし申候しかば、『まことに源氏のたねをさのみたつべきにもあらず。そのうへにふだうがわたくしのかたきにもあらず。只君のおほせを重くする故にこそあれ』とぞんじさうらひて、るざいにまうしなだめて、いづのくにへながしつかはしさうらひぬ。そのとき十三と
P1919
うけたはまりさうらひき。かねつけたるこくわんじやの、すずしのひたたれ、こばかまきて候しに、入道事のしさいたづねさうらひしかば、『いかがさうらひけむ。そのことのおこりつやつやしらず』とまうしさうらひしあひだ、まことにもつたなき者にて候へば、よも知候はじと、あをだうしんをなしさうらひて、今は、『あはれは胸をやく』と申たとへのやうに、さだめてきこしめされてもさうらふらむ。かのよりともが、伊豆国にてはかりなきあくじどもを、この八月につかまつりてさうらひしよし、うけたまはり。ついたうのゐんぜんをくださるべき」よしをまうされければ、「なにごとかはあるべき。ほふわうにこそ申さめ」とおほせありければ、入道又まうされけるは、「しゆしやうはいまだをさなくわたらせおはす。
P1920
まさしき御親にわたらせたまふにさしこえたてまつりて、法皇にはなにと申事候べき。そうじて源氏をひきおぼしめされて、入道をにくませたまふとおぼえ候」と、くねり申されければ、しんゐん少しわらはせおはしまして、「ことあたらしくたれをたのみてあるにか。せんげのでうやすし。すみやかにたいしやうぐんをしるしまうせ。たれにおほせつくべきぞ」とごぢやうありければ、「これもり、ただのり、とももりらにおほせつけらるべし」とぞまうしける。G18
卅八 さきのひやうゑのすけよりともは、さんぬるえいりやくぐわんねん、よしともがえんざによつて、いづのくにへるざいせられたりけるが、むさし、さがみ、い
P1921
づ、するがのぶしども、おほくは頼朝がふそぢゆうおんのともがらなり。そのよしみたちまちにわするべきならねば、たうじ平家のおんこの者のほか、頼朝に心をかよはして、いくさをおこさばいのちをすつべきよししめす者、そのかずありければ、頼朝も又心に深くおもひきざす事有て、よのありさまをうかがひてぞ、としつきをおくりける。いづのくにのぢゆうにん、いとうのにふだうすけちかほふしは、ぢゆうだいのけにんなりけれども、平家ぢゆうおんの者にて、たうごくにはそのいきほひ人にすぐれたり。むすめ四人あり。一人はさがみのくにの住人みうらのすけよしあきがなん、よしつらにあひぐしたり。一人はどうこくのぢゆうにんとひのじらうさねひらがなん、
P1922
とほひらにあひぐせり。第三のむすめ、いまだをとこもなかりければ、ひやうゑのすけしのびつつかよひける程に、なんし一人いできにけり。ひやうゑのすけことによろこびてさいあいす。なをばちづるとぞ申ける。三歳と申ける年の春、をさなきものどもあまたひきぐして、めのとにいだかれて、せんざいの花を折てあそびけるを、すけちかほふし、おほばんはてて国にくだりけるをりふし、これをみつけて、「このをさなき者はたれびとぞ」とたづねけれども、めのとこたふる事なくして、にげさりにけり。やがて内へ入て、さいぢよにとひければ、こたへけるは、「きやうのぼりしたまひたるひまに、いつきむすめの、やむごとなきとのして、まうけたまひたるをさなき人なり」
P1923
といひければ、助親法師いかりて、「たれびとぞ」とせめとひければ、かくしはつべき事にもあらざりければ、「ひやうゑのすけなり」とぞまうしける。助親まうしけるは、「あきびと、しゆぎやうしやなどををとこにしたらむは、中々いかがはすべき。げんじのるにんむこにとりたりときこえて、へいけのおんとがめあらむ時は、いかがはすべき」とて、ざつしき三人、らうどう二人におほせつけて、「かのをさなきこをよびいだして、伊豆のまつかはの奥、しらたきの底にふしづけにせよ」と云ければ、をさなき心にも事がらけうとくやおぼえけむ、なきもだへてにげさらんとしけるをとりとどめて、らうどうにあたへけるこそうたてけれ。みめ、事がら
P1924
清らかにて、さすがなめてのものにまがふべくもみえざりければ、ざつしき、らうどうどもいかにとして殺すべしともおぼえず。かなしかりけれども、つよくいなまば、思ふ所あるかとて、中々あしかりなむずれば、なくなくいだきとりて、かのところにてふしづけにしけるこそ悲しけれ。むすめをばよびとりて、たうごくの住人えまのこじらうをぞむこにとりける。ひやうゑのすけこのことどもをききつつ、いかれる心もたけく、歎く心もふかくして、助親法師をうたむと思ふ心、ちたびももたびありけれども、だいじを心にかけながら、その事をとげずして、「いまわたくしのうらみをむくはむとて、みをほろぼし、命
P1925
を失はむ事おろか也。おほきなるうらみあらば、ちひさきうらみをわすれよ」と、おもひなだめてすごしけるに、いとうのくらうすけかぬひそかにひやうゑのすけにまうしけるは、「父の入道、らうきやうの余り、びろうの事をのみふるまひ侍るうへ、あくぎやうをくはたてむとつかまつる。心のおよぶところ、せいしつかまつれども、おもひのほかの事もこそいできはべれ。たちしのばせ給へ」と申ければ、平衛佐は、「うれしくもまうしたり。これとしごろのはうしなり。入道に思ひかけられては、いづくへかはのがるべき。みにあやまつ事なければ、又自害をすべきにもあらず。只めいにまかせてこそはあらめ」とぞこたへられける。やざうぎやうぶなりつな、あだちとうくらうもりながなど
P1926
におほせあはせけるは、「頼朝一人のがれいでむとおもふなり。ここにて助親法師にゆゑなく命をうしなはむ事、いふかひなかるべし。なんぢらかくてあらば、頼朝なしと人しるべからず」とて、おほかげと云馬にのり、おにたけと云とねりばかりをぐして、やはんばかりにぞいでられける。道すがらも、「なむきみやうちやうらいはちまんだいぼさつ、ぎかのあつそんがいうしよをすてられずは、せいいのしやうぐんにいたりて、てうかをまもりじんぎをあがめたてまつるべし。そのうんいたらずは、ばんどうはちかこくのあふりやうしとなるべし。それなほかなふべからずは、いづいつこくがあるじとして、すけちかほふしをめしとりて、そのあたをむくひ侍らむ。いづれも
P1927
しゆくうんつたなくして、しんおんにあづかるべからずは、ほんぢみだにてまします、すみやかにいのちをめして、ごせをたすけ給へ」とぞきせいしまうされける。もりつな、もりながは、兵衛佐のがれいでたまひてのちは、ひとすぢにかたきのうちいらむずるをあひまちて、なをとどむる程のたたかひ、このときにありとおもひける程に、夜もやうやうあけにければ、おのおのもいでさりにけり。そののちほうでうのしらうときまさをあひたのみてすごしたまひけるに、又かれが娘の有けるに、ひそかにかよはれけり。時政京よりくだりけるが、道にてこのことを聞て、おほきに驚て、どうだうしたりける、けんびゐしかねたかをぞむこにとるべきよし、けいやくしてける。国にくだりつきければ、
P1928
しらぬていにもてなして、かのむすめをとりて、兼隆がもとへぞつかはしける。くだんのむすめ、ひやうゑのすけにことにこころざし深かりければ、兼隆が許に行たりけるが、あからさまにたちいづるやうにて、足にまかせて、いづくをさすともなくにげいでて、よもすがら伊豆の山へたづねありきて、兵衛佐のもとへ「かく」とつげたりければ、やがて兵衛佐、伊豆の山へぞこもりにける。このことをときまさかねたかききにければ、おのおのいきどほりけれども、かのやまはだいしゆおほきところにて、ぶゐにも恐れざりければ、さうなくうちいりて、うばひとるにもおよばずしてぞすぎゆきける。さがみのくにのぢゆうにん、ふところじまのへいごんのかみかげよし、このことをききて、
P1929
ひやうゑのすけのもとにはせゆきて、きふじしけり。あるよの夢に、とうくらうもりながみけるは、「兵衛佐、あしがらのやぐらのたちにしりをかけて、左の足にてはそとの浜をふみ、右足にてきかいがしまをふみ、さうの脇より日月いでて、光をならぶ。いほふほふし、こがねのへいじをいだきてすすみいづ。盛綱、しろかねのをしきにこがねのさかづきをすゑて進みよる。盛長てうしを取て、酒をうけて勧めれば、兵衛佐さんどのむ」とみて、夢さめにけり。盛長このゆめの次第を兵衛佐にかたりけるに、かげよし申けるは、「さいじやうのよきゆめなり。せいいしやうぐんとして、てんがををさめ給べし。ひはしゆしやう、月は
P1930
しやうくわうとこそつたへうけたまはれ。今さうのおんわきより光を並べたまふは、これこくしゆなほしやうぐんのいきほひにつつまれ給べし。東はそとの浜、西はきかいがしままできぶくしたてまつるべし。酒はこれいつたんのゑひを勧めて、つひにさめて本心になる。ちかくは三月、とほくは三年の間にゑひの御心さめて、このゆめのつげひとつとしてあひたがふ事あるべからず」とぞ申ける。ほうでうのしらうときまさは、うへにはせけんにおそれて、かねたかをむこにとりたりけれども、ひやうゑのすけの心のいきほひをみてければ、心のうちには深くたのみてけり。兵衛佐も又時政を、賢き者にて、はかりことある者とみてければ、だいじを
P1931
なさんずる事、時政ならではそのひとなしとおもひければ、うへにはうらむる
やうにもてなしけれども、まことにあひそむく心はなかりけり。

平家物語第二中
P1933
おうえい廿七年かのえのね五月十三日 たもんまる

しやほんことのほかわうふくのげんもんじのあやまりこれおほし。
しかりといへどもてんさくにおよばずたいがいこれをうつしをはんぬ。
(花押)
七十三丁





延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版

平家物語五(第二末)

P2001
たうくわんのうちうたじふろくしゆこれあり。
P2003
一  ひやうゑのすけよりともむほんをおこすゆらいのこと
二  もんがくがだうねんのいうしよのこと
三  いてうとうふのせつぢよのこと
四  文学ゐんのごしよにてことにあふこと
五  文学いづのくにへはいるせらるること
六  文学くまのなちのたきにうたるること
七  文学兵衛佐にあひたてまつる事
八  文学きやうじやうしてゐんぜんをまうしたまはること
九  ささきのものどもすけどののもとへまゐること
十  やまきのはんぐわんかねたかをようちにする事
十一 兵衛佐にせいのつくこと
十二 兵衛佐くにぐにへめぐらしぶみをつかはさるること
十三 いしばしやまのかつせんのこと
十四 こつぼざかのかつせんのこと
十五 きぬがさのじやうのかつせんのこと
十六 兵衛佐あはのくにへおちたまふこと
十七 つちやのさぶらうとこじらうとゆきあふこと
十八 みうらのひとびと兵衛佐にたづねあひたてまつること
十九 かづさのすけひろつねすけどののもとへまゐること
廿  はたけやま兵衛佐どのへまゐる事
P2004
廿一 よりともをついたうすべきよしくわんぷをくださるること
廿二 むかしまさかどをついたうせらるること
廿三 これもりいげとうごくへむかふこと
廿四 しんゐんいつくしまへごかうのことつけたりぐわんもんあそばす事
廿五 だいじやうにふだうゐんにきしやうもんかかせたてまつること
廿六 ほふわうゆめどのへわたらせたまふこと
廿七 平家の人々するがのくによりにげのぼること
廿八 平家の人々きやうへのぼりつくこと
廿九 きやうぢゆうにらくしよする事
卅  平家みゐでらをやきはらふこと
卅一 ゑんけいほふしんわうてんわうじのじむとどめらるること
卅二 をんじやうじのしゆとそうがらげくわんせらるること
卅三 園城寺のあくそうらをすいくわのせめにおよぶこと
卅四 くにつなのきやうだいりをつくりてしゆしやうをわたしてまつること
卅五 だいじやうゑえんいんのことつけたりごせちのゆらいのこと
卅六 さんもんのしゆとみやこがへりのためにそうじやうをささぐること付みやこがへりあること
卅七 いつくしまへほうへいしをたてらるること
卅八 ふくだのくわんじやまれよしをちゆうせらるること
卅九 平家あふみのくにやまもとかしはぎらをせめおとすこと
四十 なんとをやきはらふことつけたりさせうべんゆきたかのこと

P2005
平家物語第二末
一 ひやうゑのすけみなもとのよりともはせいわてんわうじふだいのこういん、ろくでうのはんぐわんためよしがまご、さきのしもつけのかみよしともがさんなん也。きゆうせんるいたいのいへにて、ぶようさんりやくのほまれをほどこす。しかるに、いんじへいぢぐわんねん十二月九日、あくうゑもんのかみのぶよりのきやうむほんをおこししきざみ、よしともかのかたらひにくみせしによりて、しそくよりとも、えいりやく元年三月にいづのくにほうでうのこほりにはいるせられて、いたづらに廿一年のしゆんしうをおくり、むなしく卅三のねんれいをつみて、ひごろとしごろもさてこそすごしつるに、今年いかにしてかかるむほんをおもひくはたてけるぞと、人あやしみをなす。ごにちにきこへけるは、四五月の程はたかくらのみやのせんじをたまはりてもてなされ
たりける
P2006
ほどに、みやうせさせたまひてのち、いちゐんのゐんぜんをくださるること有けり。そのゆゑは、としごろのしゆくいもさる事にて、たかをのもんがくがすすめとぞきこへし。かのもんがくは、ざいぞくの時は、ゑんどううこんのしやうげんもちとほがこに、ゑんどうむしやもりとほとて、しやうさいもんゐんのしゆうなりけるが、十八のとし、だうしんをおこしてもとどりをきりて、もんがくばうとてかうやこかはのやまやまてらでらまどひありきけるが、ひやうゑのすけにあひたてまつりて、すすめ奉りたりけるとぞきこへし。
二 そもそももんがくがだうねんのいうしよをたづぬれば、をんなゆゑとぞきこへし。ざいぞくの時は、わたなべのゑんどうむしやもりとほとて、しやうさいもんゐんのむしやどころにて、ひさしくりようがんにつかへて、いんはのさんゐをほどこし、もつぱらほうけつにじして、しやてうのめいよをふるひ
P2007
き。しかるをこのうちをまかりいでてのち、わたなべのはしくやうのとき、きたいのしようしなりければ、えぐち、かんざき、はしらもと、むかひ、すみよし、てんわうじ、あかし、ふくはら、むろ、たかさご、よどや、かはじり、なにはがた、かなや、かたの、いはしみづ、うどの、やまざき、とばの里、おのおのあゆみをはこびつつ、「霞のうちにたまをかけ、ながらの橋のごとくにて、くちせざれ」とぞいのりける。せつぽふはんじにおよびて、ふたつがわらのふねいつそうぞくだりける。げにん、くわんじやばらに至るまで、さわさわとしてぞみへける。中にあじろごし、にちやうあり。橋よりかみいつたんばかりの西の岸につく。やがてこしに乗てざしきへいる。こしのかなもの、たち、ぐそく、りきしや法師にいたるまで、つきづきしくありけるあひだ、「いづれの座敷へいるやらむ」とみるほどに、やがてならびのつぼへいる。盛遠ぐそくに
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ばかされて、ぬしはいかなる人やらむと、ひたすらのぞきゐたるに、をりふしかはかぜすずしくして、なにわわたりのあしすだれ、しづまりやらずぞあがりける。是よりみれば、まことにいうなる十六七の女にてぞ有ける。青きまゆずみみどりにして、ゑめるかほばせ花ににたり。漢のりふじん、そとほりひめ、かぎりあらば、これにはすぎじとぞみえし。もりとほおもひけるは、「うきみの程もしらなみの、すめばすまるる事なれど、男とならばこれほどの女に枕をならべばや。あはれ、いづくにすきかはとたつるまもなき人やらむ」と、しづごころなくもだへつつ、「あひかまへて返りいらむ所へ、いづくなりともみをかむ」とおもひける程に、ちやうもんのさいちゆうににはかに、「ぜうまう」とののしる。きとみれば、くろけぶりすじつちやうにふきつづいて、じやうげのしよにんさわぎあへり。いづくなるらむとたちいでて、むちを
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うちてはせけるに、けんもんの者多かりければ、ことゆゑなくもみけちぬ。このあひだにほふゑもまたをはんぬ。盛遠またおもひいだして、ありつる人はいかになりつらむと、あさましくいそぎかへりみれば、やかたばかりにて人もなし。なにしにわがみのいでつらむと、ちたびももたびなげけども、くゆるにかひぞなかりける。そのよはなほもゆかしさに、座敷にゐてぞあかしける。あけはなれぬれば、「さてもこのしやうにんはきやうとあまたみ給へる人也。もししりたまひたる事もや」と、いそぎあんじつへわたりて、ものがたりのついでに、「そもそもきのふごせつぽふのさいちゆうに、いかいかの船にしかしかのこしに乗て、それがしが座敷のならびへいりさうらひしは、いかなる人やらむ。きよげにさうらひしものかな」と申ければ、ひじり、「かの人はこさんでうのさへきのとうの娘、たうじはとばのぎやうぶざゑもんがにようばう也。父のてうにつかへしあひだに、かのぎやうぶ
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なむどをば、めざましくこそ思はむずれども、なにもののしわざにか、刑部とつれさせたれども、母のにこうのあるも、いまだ心よからずとこそ申せ」。そのときもりとほおもふやう、「さすがぎやうぶざゑもんがこれほどの女ぐそくせるこそ、心にくけれ。今はかのじんにしたがいて、ほんいをこそとげずとも、こゑをもきき、たまたまかたちをみたりとも、なぐさみなむ」とおもひけるが、「まてまてしばし。わがみゆゆしからねども、しやうさいもんゐんにつかへ奉てとしひさし。そのうへいちもんのものどものめざましくおもふもことわりなり。かの女房の母につかへむ」とて、しゆくしよへもかへらず、やがて三条をさしてぞのぼりける。にしのとうゐんをのぼりに、三条よりは南、にしのとうゐんよりは西にすみあらして、としひさしくなり、ついぢやぶれて、のきまばらなるひはだやあり。これなるらむと思てたちいれば、むなしくしへきのうちをみれば、きうたいふうじて
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ちりをまじへ、やうやくちひさきすまひのあたりをのぞめば、しんさうとぢてつゆをおびたり。をりふしかどに女あり。まねきよせて、「これはこさへきのとうのとののおんいへか。いささかしさいあつて申すぞ。このうちにわれみやづかへをまうさばや。よきやうにげんざんにいれ」て云ければ、女「このよしをまうしてこそみさぶらはめ」とてたちいりぬ。しばらくありて、「たちいりたまへ。うけたまはらむ」といふ。盛遠まづうれしくて、いそぎすすめば、ちゆうもんのつまどを開く人あり。ごじふいうよなるにこう也。「是へ」といへど、男かしこまる。「いかにいかに」とたびかさぬれば、盛遠内へぞ入ける。いへあるじのいはく、「まことにこれにゐむとおほせのあるが、おもひもよらぬことかな。おんけしきをみたてまつるに、尼がはぐくみたてまつるべき人ともみへ給わぬごしんぢゆうの程こそ、かへすがへすもおぼつかなけれ。いづれのへんにつくべしともおぼえず。こばうふがぞんじやうのあひだは、みかひがひしからずといへども、おほやけに
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つかへたてまつりしかば、さやうのこともはべりき。今はらうにのふるやにをき奉ても、なにかせむ。ただしおほせある事を、いなといはば、さだめてごしよぞんにたがふらむ。それも又ほひなし。ともどもそれのおんぱからひ」とぞ宣ひける。盛遠申けるは、「わがみえうせうより、しやうさいもんゐんのむしやどころへて候しが、思わざるほかにかのごしよをまかりいでてのち、ふるさとなればゐなかにすみはべれども、何事も物うくて、都の事のみ心にかかり、『六はらのへんにゐばや』と申せども、『しやうさいもんゐんにめしつかはれて、としひさしくむしやどころふるほどの者をつかわじ』とまうして、ゆるされず。またもとよりの事なれば、くげをこそうかがふべけれども、さもと申じんはわが心にかなわず。おもひわづらひてさうらふが、この御事をあらあらつたへうけたまはりて、御目にもかからばやと、参てさうらふなり」といへば、にこうからからと
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わらひて申けるは、「人々のおそれたてまつりてをき奉らぬ人を、このくちあまがかへりみ奉らむ事こそ、かへすがへすをかしけれ。よしよしそれも苦しからじ。今より尼を親とたのみたまへ。をそれながらことあふぎ奉らむ。故さへきのとうと、あさゆふはぐくみいたわりしをんなごひとりあり。父ぞんじやうのあひだは、いかならむたかふるまひをせさせばやとこそいとなみしに、かのちちうせてのち、思のほかに、とばのぎやうぶざゑもんとかやまうすもの、あひつれてさぶらへば、これにつけてもばうふの事のみ思われて、よろづめざましければ、つやつやまうしかよわさでまかりすぎしほどに、いつぞやばうふが為にかたのごとく仏事をいとなみしに、しやうだうのおんことばに、『はるのはなこずゑをじして、うゐむじやうのなみだをのごひ、あきのははやしにとびて、しやうじやひつめつのくわんをもよほす。さんがいはまぼろしのごとし、たれかじやうぢゆうのおもひをなさむ。ろくだうはゆめににたり、なんぞかくごのつきをたづねざらむ。
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らんぽうの鏡の上にならべるかげも、ばせうのかたちやぶれざるほど、ゑんあうのふすまの内に遊びたはぶるるも、くさのつゆのいのちきえざるあひだ』とさぶらひしをちやうもんして、みにしみことわりにおぼえさぶらひしあひだ、やがてほつしんしゆぎやうをもして、ばうふがごしやうを助け、又わがりんじゆうをも祈らばやとこそおもひしか。それもさてやみぬ。月日のかさなるにしたがひて、このをんなごのことおもひいでられ、又いくほどつれはつまじき事を思ふにも、なにの心もよわりて、ふけうゆるしてさぶらへば、このほどはよろこびて通ふ也。およそはいくほどならぬ夢のよに、心をたてたりとも、なにかせむ。さしもちぎりふかくて、朝夕はばんぜいせんしうとこそいのりしに、さへきのとうにもおくれぬ。としつきはへだつれども、おもひはさらにやすらまらず。ひすいのすだれのまへには、花のえだいにしへをこふるいろをそへ、さんごのとこのしたには、かがみのはこなみだをそむるちりをのこす。ざしてもうれへふしても
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うれふ。むなしくこじんのさるひをおもふ。いづれのあした、いづれのゆふべにかふたたびばうふのかへらむときにあはむ。かなしみざすればてんもくれがたし、なげきふせればよもあけず、かなしみみればますます悲し。はるのやまをへだつるしもの影、歎ききけばいよいよ歎かし。あかつきのまどにさへづるとりのこゑ、いつたんよをそむきしうれへ、すでにしんぢのつきにくらく、ひやくねんかいらうのちぎり、ゆめぢのはなにことならず。かかるおもひをするみにてあれば、このをんなごをもひとところにをき、つれづれならむ時は、みばやみへばやとこそ思へども、かれもせけんのならひにて、今はとばにありつきたるぶんなれば、ふそくなし。よしよし、尼いそぢに余りて、かうしをうみたるにてこそあらむずれ。このいへなむどまうすも、尼いちごののちは、あづけ奉らむ。さてもをわせよかし」といふ。男こののちはよろづ深くとりいりて、あけぬくれぬとすぐしつつ、ひたすら女の事のみ深く心にかかりて、さりともみではは
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てじと心深く思へども、たまたまきたる時は車にて、つまどふかくやりいれば、ゆきもかへりもしのびて、形をだにもみせず。これにつけてもうれふるに、今はすなはちうちふしぬ。あけくれ歎きかなしめば、いへあるじもこれをみて、「いかなる事ぞ」とさわぎつつ、いけじゆつだうをつくしつつ、しんめいぶつだに祈る。しかれどもつゆもしるしぞなかりける。昔ちやうぶんせいと云し人、しのびてそくてんくわうごうにあひ奉りたりけるが、またおもひよるべきやうなかりければ、よるひるこれをなげきけり。ことわりや、このひとははんあんじんにはははかたのめい、しやくきけいには妹にておわしければ、みめかたちもよかりけり。よふけひとしづまりて、琴をひきたまふを聞て、いきたえなむとおもふほどにありけるに、心ならずちかづけられたてまつりて、のちまたまみへたてまつることもなければ、しんぢゆうにはいきたるかしにたるか、夢かうつつともなければ、人しれぬ恋にし
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づみて、いもねられぬに、たまたままどろめば、又やもめがらすのめをさますもなさけなく、まことに忍ぶなかはひとめのみしげければ、苦しきよをおもひわづらひて、まれの玉づさばかりだに、水くきのかへるあとまれなれば、涙にしづむものがなしさに、思わじとすれど、思ひわするる時なくて、常にはかくぞえいじける。「あなにくのびやうじやくのはんやにひとをおどろかす。はくびときやうけいのさんかうにあかつきをとなふ」。さればこの心をみつゆきは。
ひとりぬるやもめがらすはあなにくやまだ夜ぶかきにめをさましつる K099
かのちやうぶんせいは、しのびてもきさきにもあひたてまつり、人目をこそなげきしに、このむしやどころは、せめてみばやとおもへども、かなわぬ事をぞなげきける。かくてつながぬつきひなれば、既にみとせになりにけり。あるときこのにこうびやうしよにきたりていはく、「さてもごへんのおんいたわり、としつきあまたかさなれど、そのしるしもなし。
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かつうはみたまふやうにあけくれは、そのいとなみよりほかはたじなけれども、今はかひなくひにそへてのみよわり給へば、ほひなき事はかぎりなし。ただしいかさまにも、ただならぬ心のおわするとおぼゆるはいかに。若き時のならひなればいかなるゐんぐうのみやばらの人に心をかけ、歎き給とこそおぼゆれ。今は親子のよしみをろかならず。鳥羽のむすめにもをとらずこそおもひたてまつれ。へだてごころなくのたまへ」といへば、盛遠これをききて、としごろはこふる心にせめられて、物をだにもはかばかしくいはざりしが、このことをさとられて、かべにむかひてぞわらひける。にこう「さればこそ」とのたまひて、枕近くたちよりていひけるは、「さてもふかくにおわするものかな。いふかひなくぞをぼしめされさぶらふとも、わがみむかしはしよぐうしよゐんをけいくわいして、かうしよく
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いうえんのかたがた、さりとも多くこそみしりたまふらめ。これほどの事をなげきて、今までしらせずわづらひ給ける事、さばかりのむしやどころともおぼえず。おほかたろくはらのへんなりとも、などかそのこころたすけ奉らであるべき。まことにやすかるべき事也」。盛遠これをききつつ、あわれたよりやと思へども、せめてはよその事ならば、なげきてこそはみへけれども、まことに鳥羽の女房の事なれば、とにもかくにもおもひわづらひて、つやつやへんじぞせざりける。かさねて「いかにいかに」とせめければ、のぶべき方なくて、いはばやと思へども、「よしよしよその事ならば、恥をもすて、歎くべけれども、いかがはもらさむ」とおもひければ、へんじもなくて、いきつぎいたり。かさねてにこうのいはく、「わがみ今はすたれものなれども、昔まうしうけたまはりし人のみこそおわ
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すれ。をんごくまではかなわずとも、らくちゆうにてはいづれのおんかたなりとも、又ろくはらのひとどものひめどもなりとも、『かかるなげきする者あり。たすけ給へ』と申さむに、なじかはかなわで有べき。われ親子のやくそくまうして、既にさんがねんになりぬ。こころざしの程をも今はみへ奉りつらむ。鳥羽のをんなごにも劣らず、こころぐるしくこそ思奉れ。これほど心をかれたてまつりて、どうじゆくむやくなり。あま、ひとならねば、それをだいじとおもひたてまつれとにはあらず。ともどもそれのおんぱからひ」とぞのたまひける。盛遠しんぢゆうにおもひけるは、これほどの時、露ばかりももらさでは、いつをごすべしともなければ、おもてにひをばやけども、しぶしぶにこそ申けれ。「おほせかしこまりてうけたまはりさうらひぬ。さてもひととせ、わたなべのはしくやうの時、せつぽふなかばにおよびて、ふたつがはらの船にあじろごしにちやういりて、橋よりかみいつたんばかり
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の西の岸に、つきたまひし人をうけたまはりさうらひしかば、これへおんまゐりときこへさうらひしが、そのときおんともなひ候し人の、ふかくの心にうちそいて、あさゆふわするる事もなし。そのゆくへはたれびとにておわしけるやらむと、おぼつかなさのあまりに、たづね参てさうらひしかども、今まであらはれずして、むなしくまかりすぎさうらひぬ」と、おめおめとぞかたりける。そのときにこううちわらひていはく、そのはしくやうの時は参てさぶらひし也。さてそのにようばうが心にかかりておぼしめすか。それこそ鳥羽の娘にてさぶらひしか。いとやすしいとやすし」とぞ云ける。「かつうはめんぼくにてこそあらめ。皆よのつねのならひなり。若くさいとうなきあひだは、わがみに思ふ事もあり、人に思わるる事もあり。こさへきのとうとつれしも、このふぜいにてこそありしか。これほどやすき事を、今までこころぐるしくなげきたまひけむ事こそ
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こそ。かへすがへすもふかくなれ。今はおとといのあわいぞかし。たまたまきたる時もげんざんしたまひて、おそれながら尼がつかひしてもとばのへんへもをわしたらば、うへにこそかなわずとも、さる人おわするとは、などかみ奉り、又みえ奉らざるべき。なにかはくるしかるべき。よびてみせ奉らむ」とて、いそぎふみを書て、鳥羽へつかわす。「けさよりゐれいのここちゐできて、せけんもあぢきなし。おいたる、若き、きらわず、しやうじむじやうのならひなれば、いかがあるべかるらむ。きたり給へ。みたてまつらむ」といひつかわす。鳥羽の女房これをみて、あわてさわぎてきたれり。つねのゐどころにいそぎいりてみれば、にこうさきざきよりも心よげにて、うちわらひて、「是へ是へ」とのたまへば、「夢か、幻か。うつつならぬけしきかな」とみれども、まづ近くよりてゐれば、「さこそさわぎたまひ
P2023
つらめ。不思議にをかしき事の侍れば、語てわらひ奉らむとて申てなり」。何事なるらむときくほどに、「まことに女のみとなりては、これほどのめんぼくいかが有べき。しやうさいもんゐんのむしやどころ、この三がねん尼につかはれておわしつるが、わづらひたまふこと余りにだいじにおわせしが、尼も心苦くて、朝夕なげきしかども、つゆそのしるしなし。ことはりにて有けるぞとよ。あまりのこころもとなさに、けふやまひのさまをせめとふに、とりわけへんじもなかりつる程に、事の有様くはしくとへば、人をこふるやまひにて有けるぞとよ。たにんにてもなく、にようばうを心にかけたりけるとおぼゆるぞ。なにかくるしかるべき。おとといのあわひにおわすれば、今までげんざんし給わぬこそうたてけれ。すがたばかりをみえ給へ。人をたすくるはよのつねのならひ也」とくどき給へば、女房あまりの事にて
P2024
つゆその返事もなし。「いかにいかに」とせむれども、おみなへしのつゆ重げなるけしきにて、とかふのことばもなし。にこうまたのたまはく、「おんけしきこそぞんぐわいなれ。それにこそ、今は鳥羽におもひつきて、このくちあまのまうしごとはようもなけれども、親となりことなるもぜんぜのちぎり也。かのひとをこのやぶれやにをき奉ても、すでにみとせになる。只一人おわする女房にも劣らず、いとほしと思ふ也。こどのにをくれてのち、さる女房は鳥羽にこそつねはおわすれ。これにていかにと、をきてたまふこともなし。うちすてられ奉て、何事もたよりなきさまにてこそありしか。しかるにかのひと尼をたのみ給て、きうかさんぶくのえんてんにも、あふぎをもつてとこをあふぎ、けんとうそせつのかんやも、ふすまをいだきて是をあたたむ。かやうにつかわれ給て、こころざしあさからず。尼にはむしやどころにすぎ給へるこ
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なし。それに只今さながらおくれ奉らむ事、しやうがいのうらみなり。めをととなれともいわばこそかたからめ。人の心をたすくるは、せけんのみなならひなり。すがたばかりをもみへよかし。それかなふまじくは、けふよりのちは、ははありともおもひ給べからず。又それにをわするとも思ふまじ」と、かきくどきせめければ、「おほせはそむきがたけれども、このほどもぎやうぶがまうしさぶらふは、『さんでうにはきやくじんおわするなり。かろがろしくかよふべからず。あまごぜんもわれをばさげしめ給ふむこなれば、ありはてむ事もかたし』と、常にまうしさぶらふ。そのうへ女のならひ、ひとりをたのむほか、ほかの心をもてる、今も昔も人の命を失ふわざ也。ことさらにおほせのごとくは、おとといのあはひなり。とにもかふにも、このことなをもうけたまわらじ」と云。にこう又宣けるは、「おほせの如くをととひのあはひにおわすれば、ほんいをとげよともまうさばこそ、今まで
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げんざんし給わぬこそ、わろくおわすれ。たがひにみへ奉なば、なにか苦しかるべき。このひと鳥羽なむどへもこへ給わむ時は、おとといのあはひなれば、たまたまのたいめんをもし給へかし。それをばよもさゑもんもいさかわじ。あらぬふるまひをもし給へともまうさばこそ。まれの対面だにもあらば、この家にさてこそおわせむずれ。たとひ尼いかになりたりとも、をととひの有様にて時々かよい給わんに、なにか苦しかるべき」とさまざまにのたまへば、「さらばげんざんせむ。よび給へ」と、しぶしぶに有ければ、いそぎつかひして、「まうすべき事あり。これへいりたまへ」といわす。もりとほうれしさのあまりに、いそぎはいをきて、おほいきつきてぞきたりける。みとせの間のおもひにやせをとろへたれども、さすがそのひさしさ、しやうさいもんゐんにありしかば、なへやかなるひたたれのこしつき、又へりぬりのえぼしのきわにいたるまで、なま
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めきてぞみへける。是をみて、にこうはまぎれいでたまひぬ。しかるにこのにようばうすこしもはばからず、盛遠をまぼりて、今や物いふとまてども、そのひさしさ、をともせず、うつぶき入てぞ有ける。そのとき女房、「さてもこのみとせの程、是におんわたりとはうけたまはりさぶらへども、常には鳥羽にゐてさぶらへば、今までげんざんしたてまつらぬ事、かへすがへす心のほかにおぼえさぶらふ。すべて心のそらくはさぶらわず。じねんのけだいにてこそさぶらふらめ。今はかやうに対面の上は、なにごとにつけても、こころやすきほとりにこそおもひたてまつりさぶらへ。母にてさぶらふらうこうも、ひたすらたのみたてまつるよしまうしさぶらふ。このほどもおんいたはりのよし申されさぶらひつれども、しんぢゆうに歎きいりてはさぶらひつれども、いまだみへたてまつることもなくて、いかにとまうさむことも、なにとやらむさぶらひつるあひだ、むなしくすぎさぶらひぬ」と、こまごまにいへども、へんじもせず。かさねていはく、「まことにかたわらいたき事を、母のに
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こうの語りまうしつるを、あるべからざるよしまうしさぶらひぬ。女のみには、これにすぎたるめんぼくやはあるべき。いせのいつきのみやは、
きみやこしわれやゆきけむおぼつかなしのぶのみだれかぎりしられず K100
とながめ、にでうのきさきは、
むさしのはけふはなやきそわかくさのつまもこもれり我もこもれり K101
なむどえいじたまひしも、このみちのわざなり。それもさてこそおわせしかど、今はよの末となりて、ふたごころある女にすぎたるなんはなし。さなきだに、ぎやうぶが『めづらしき人もちたてまつりて』と、あさゆふは申す。このこといかがをぼしめす。いかさまにもおんぱからひなくては、のちよかるべしともおぼへず。女のみにてかやうの事を申せば、時のほどに、やがてうとまれ奉らむずれども、まことにこころざしおわせば、
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刑部をいそぎうち給へ。これもぜんぜのちぎりにてこそ有らめ。そののちはいかにもおほせをそむくべからず。母のにこうも、さしもなき者につれたりとて、ふけうの者にてさぶらひしが、ひがしやまのしやうにんのけうけに、このほどはゆりたれども、底のおんこころはうちとけ給わぬふぜい也。これにつけても、いちうのすまいとならむはよくさぶらひなむ」といふ。もりとほをめをめとしてゐたりけるが、このことをききてうちわらひてのち、はんくわいが如くけしきして、「おほせよろこびてうけたまはりさうらひぬ。わがみいみじからずといへども、ぶようの家にうまれて、きゆうせんにたづさわるしたしきもの、三百余人あり。かれらをたいしやうぐんとしては、につぽんのほかなるしんらはくさいなりとも、などかせめではさうらふべき。これほどの事はくわんじやばらにしらするにおよばず。わがみばかりしてなりともいとやすし」。女房又いはく、「さらばいまみつかとまうさむひ、京より鳥羽へきやくじん
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きたるべし。ひのほどしゆえん、夜にいらば、くわんげん、れんが有べし。そののちかへるべし。ぎやうぶさだめてゑはむずらむ。そのようかがひ給へ。刑部がねどころは、しゆえんの家をひとつへだてて、西にあたりたるやなり。常にひがしやまにいづる月をみむと、東にむけてすめり。ひろえんの南のはしをさしいりてみたまはば、つまどのくちにふしたらむをさし給へ。あなかしこみたがへてふかくすな。われははるかのをくにふすべし。あひかまへてもとどりをさぐり給へ。さらばいとままうして。こよひもこれにさぶらひて、何事も申たくは候へども、母のゐれいとて、つかはしたりつる文を、あしくをきて有つる。さだめて刑部みさぶらひなば、いそぎこゆらむとおぼゆ。いかにもおんぱらかひののちは、ともどもおほせにしたがふべし」とて返りぬ。ゑんどうこれを聞ておもふやう、「みとせの間むなしきとこにむかひて
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ひとりふしたれば、秋の夜長し。よながくしてねぶることなし。かうかうとほのかなるのこんのともしびの壁にそむくる影、せうせうとしづかなるやみのあめの窓をうつおとのみ友となり、春のひ遅し。ひおそくしてひとりゐれば、天もくれぬ。のきのうぐひすのひやくてんを、うれひあれば、きくことをいとふ。はりのつばくらめのならびずみをば、ねたましくのみおもひつつ、みとせのほどもすぎしぞかし。いまみつかとちぎりしも、まちくるしく」ぞ思ける。さてもみつかといふひは、もえぎのはらまきに、さうのこて、すねあてばかりに、三尺五寸のおほだちに、ろうさふのこそでをかづきて、やぶれがさにかををかくし、三条を西へ、大宮を南へゆく。たけ七尺に余りたりければ、ゆくもかへるもあやしがりて、みおくらぬ者はなかりけり。いまだひたかかりければ、ごしよのへんにやすらいて、かしこをうかがうに、いひしにたがわず、きやう
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よりきやくじんいりぬ。ひくれぬれば、管絃、連歌ののち、このひといそぎ返りぬ。さてもこのにようばう、こよひをかぎりの事なれば、三条のにこうのわれにおくれて歎き給はむ事、又しなばともにとちぎりふかき刑部が事もかなしくて、ただまなこにさえぎる物とては、つきせぬなみだばかりなり。「さればとて、かくてやむべきにもあらず。いこくにも、かなしき男にかわりて、ごしやうを助けられし女もありしぞかし」とおもひきりて、ゑひたるをとこをいだきて、奥のつぼにふせて、もとどりをみだり、わがたけなるかみをきりをろして、女の姿にぞつくりける。そののちわがかみをとりあげて、もとどりになす。さてぎやうぶがえぼし、たち、刀を、つまどのくちにとりわたして、ひがしまくらにふしにけり。今をかぎりと思ふにも、しのびの涙せきあへず。かんのりふじんにあら
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ざれば、すがたを移してもたれかみむ。たうのやうきひに異なれば、たづねとふべき人もあらじ。只うきめをみむものは、三条の母のらうにばかりとおもふほどに、むかひのやのちゆうもんの程、ぎいりとなりけるが、みれば、はらまきにたちわきにはさみたるおほわらは一人、ひろえんへつとのぼり、わがうへをとびこえて、奥のつぼへぞとほりける。「あなこころうや、いかになりぬる事やらむ。すでにあやまたれぬるやらむ。をきてもとりつかばや」とは思へども、しばらく有様をみるに、女とやみなしてけむ、たちかへりうつぶくかとおもふほどに、女のくびは前のえんへぞおちにける。もりとほ、うちおほせぬとよろこびて、いとままうして返りまゐらむとて、いそぎくびとり、三条かへる。このくびをばあるたの中にふみいれて、三条のやにかへりて、たかねんぶつしてえんぎやうだうす。しばらくありて、かどのとをたたく。
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「たそ」ととへば、「とばより、女房を、ただいまようちいりて、ころし奉りた」と申す。もりとほおもふやう、「げらふのふかくさ、なんでふさる事はあるべきぞ」とおもひて、「いかにものぐるはしきまうしやうぞ。とのの御あやまちか」といふ。ししやいはく、「さわ候わず。いちぢやう女房の御あやまちとこそおほせありつれ」とつまびらかならず。さればこそとて、にこうにこのよしをつぐ。「女房の御あやまちとて、鳥羽よりししやは候へども、よもさる事は候わじ。殿のあやまちにてぞさうらふらむ」といへば、にこうあわてさわぎ給ふ。又かさねてつかひあり。「いかに」ととへば、「女房の御あやまち」。又をしかさねて使者あり。きたるも、又きたるも、人はかわれども、ことばはおなじことばなり。されどもなを盛遠もちひず。「げらふほどふかくのものはあらじ。わがしらざる事ならば、いかにふしんならまし。あわてたるものかな」と、心の内にはかへすがへすもにくがり
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き。尼公にともなひて、盛遠も鳥羽へ行ぬ。みればこのをとこ、くびもなきからだゐだきて、「夢かうつつか。これはいかなりけるあへなさぞ。いづくへわれをすておきて。同じ道へとこそちぎりしに。ぐしてゆけ」とぞなげきける。にこうは、是を一目みてよりは、とかふのことばもなく、ひきかづきてふしたまひぬ。盛遠あさましく思て、いそぎ家をはしりいでて、すてつるくびを尋ぬるに、はづきはつかあまりの月なれど、をりふしおぼろにかすみて、いづくともおぼえず。されども田の中をあまりに求めければ、あるふかたにて求めえたり。水にてふりすすぎてみれば、このにようばうのくびなりけり。いそぎ鳥羽に持て行き、はしりいりて、「おんてきにんぐして参て候。ごらん候へ」とて、ふところより女房のくびをとりいだして、そのみにさしあはせて、「これは盛遠がしよぎやうなり。ひとひこの女房のちぎりたまひしにばかされて、わどののくびを
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かくと思て候へば、かかるふかくをしつる事なれば、わがくびをちきだももきだにもきざみ給へ。あなこころうの有様や。いかなりける事ぞや。是にてきりたまへ」とて、こしがたなをぬきいだして、さゑもんのじようにあたへて、くびをのべてさしいでたり。左衛門尉、このもりとほをみるに、つらきにつけ、うらめしきにつけても、ただひとかたなにさし殺さばやと思けるが、つらつらくりかへし物をあんずるに、「たうたうとして長きかはのみづ、みづなくしてしばしとどまり、しうしうとしてうけるよのひと、ひとなくしてよくひさし。ていしようばんしゆんのさかへ、かんきくせんしうのにほひ、つひにくつるときあり。いかにしぼめるときなからむ。かかるうきよにまじはればこそ、うきめをもみれ」とて、その刀をばなげかへして、「刀はこれにも候」とて、おのれが刀をぬきて、みづから髪を切てけり。盛遠ふりあをぎみてまうしけるは、「いきて物を思わむよりは、只はやきりたまへ。じがいせむとは思へども、おなじくはわどののてにかけ
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給へ。それはよろこびたるべし」とて、しきりにくびをのべたり。さゑもんのじようまうしけるは、「ごへん誠にじやうにたてごもりて、あひたたかはむとする事ならば、もつともうちいりてこそきるべけれども、かくし給わむ上は、たとひ女房いきかへるべしとまうすとも、切奉るべきにあらず。じがいもせんなきことなるべし。それよりは只なき人のごせをとぶらひ、いちぶつじやうどのわうじやうこそ、あらまほしくおぼゆれ。こんじやうごしやうむなしからむ事、やうごふちんりんふかくなるべし。つらつらあんずるに、この女房はくわんおんのすいしやくとして、われらがだうしんをもよほし給ふとくわんずべし」。そのときもりとほたちて、さゑもんのにふだうをかいしとやおもひけむ、しちどらいはいして、髪切てけり。りやうばうにあま、法師になる者、さんじふよにんなり。母もすみぞめのころも、涙の露にしほれつつ、いつかわくべしともみへず。かのをんなせうそくこまごまと書て、てばこにいれて、かたみにとてとどめおきたるをみれば、「いとど女のみは罪ふかき
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事にこそさぶらふなるに、うきみゆえに、おほくの人のうせぬべくさぶらへば、わがみひとつをうしなひさぶらひぬる也。ことさらにつみふかくおぼえさぶらふことは、母にさきだちまひらせて、物を思わせまひらせむきみこそ心うく候へ。あひかまへてごせをよくとぶらひ給べし。仏にだにもなりさぶらひなば、母をもさゑもんのとのをも、などかむかひまひらせさぶらはざるべき。よろづなにごともこまかにまうしおきたく候
へども、おつる涙にみづくきのあともみへずして、くはしからず。かへすがへすみのほどの心うさ、ただをしはからせ給べし」とて、
露ふかきあさぢがはらにまよふみのいとどやみぢにいるぞかなしき K102
母これをみるに、いとどめもくれ心もきへて、もだへこがるるありさま、ためし有べしとも覚へず。「めいどにも共に迷ひ、みやうくわにも共にやけむ事ならば、いかがはせむ。いきてかひなき露のみを、むぐらの宿にとどめをきて、れんぼの
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なみだ、いつかかわかむ。せめての事に、じやうはりの鏡にやうかびてみゆる」とて、うたのかへりごとをよみて、なくなくそのうたのかたはらにぞかきならべたりける。
やみぢにもともにまよはでよもぎふにひとり露けきみをいかにせん K103
とよみて、そののちはてんわうじにまゐりて、「只はや命をめして、じやうどにみちびき給へ。われほとけになりて、なき人のしやうしよをも求めつつ、いちぶつれんだいの上にふたたびゆきあわむ」ときねんすることなのめならず。さる程につぎのとしの十月八日、しやうねん五十五にしてつひにわうじやうのそくわいをとげにけり。ぎやうぶさゑもんのじようは、としごろのししやうしやうじて、髪うるはしくそり、さんじゆじやうかいたもちて、ほふみやうをばとあみだぶとぞ申ける。ざいぞくの時はわたるとなのりければ、出家ののちもわたるのじをぞよびける。こころざしはしやうじのくかいをわたりて、ねはんのひがんにつかむ事を
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くわんじける心ばへ也。ゑんどうむしやうもりとほにふだうは、これももりとほのもりのじをほふみやうとして、じやうあみだぶとぞ申ける。うせにし女のしやりを取て、こうゑんに墓をして、第三年の内までは、ぎやうだうねんぶつしてごせをとぶらふ事、人にすぐれたり。さればにや、墓の上にれんげひらくと夢にみて、くわんぎの涙袖にふれり。そののち盛あみだぶだうしんをこして、かうやにてかいをたもち、くまのにこもり、年をへけり。こんがうはちえふのみねよりはじめて、熊野、きんぷ、てんわうじ、しくわんだいじようれうごんゐん、すべてふさういつしうにをひては、至らぬれいちもなかりけり。十八才より出家して、一十三年之あひだは、ぢさいぢりつのぎやうじや也。春は霞に迷へども、みねにのぼりてたきぎをとり、夏はくさむらしげけれど、しばのとぼそにかうをたき、秋はもみぢにみをよせ
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よせ[* 「よせ」衍字]て、のわきの風に袖をひるがへし、冬はせうさくたるかんこくに、月をやどせる水を結びなむどして、やまぶし、しゆぎやうじやのつとめねんごろなり。しんれいのこゑは谷をひびかし、せうかうのけぶりはみねにきゆ。かのしやうざんのおきなにはあらねども、わらびををりて命をささへ、げんけんがとぼそにはあらねども、ふぢごろもをつづつてはだへをかくせり。さんえいつぱつのほかには、たくはへたるいちざいなく、ざぜんじようしやうの扇ばこには、ほんぞんぢきやうよりほかにもちたる物なし。かんぢごくのくるしみをこんじやうにみて、ごしやうにのがれんとぞちかひける。ちほふうげんの時までも、昔の女の事わすれずして、常にはころものそでをしぼりけるとかや。もしや心をなぐさむるとて、昔の女のかたちをゑにかきて、ほんぞんと共に、くびにかけてみをはなたざりける事こそ
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あはれなれ。かくてざいざいしよしよをしゆぎやうしければ、あるときは東の旅に迷ひて、なりひらがたづねわびしあこやの松に宿をかり、あるときは西の海ちひろの浪にただよひて、光る源氏のあとををひ、すまよりあかしにつたふ時もあり。ひとへにいつしよふぢゆうのぎやうをなして、りやくしゆじやうのつとめをもつぱらにす。せんだいにも少なく、こうたいもありがたきほどの、きひじりにてぞ有ける。かの女のえんにあはずは、いかでかこんどしやうじのおきてをさとるべき。ありがたかるべきぜんぢしきなりとて、いよいよかのごせをぞとぶらひける。じやうあみだぶをあらためて、もんがくとぞよばれける。
(三) とほくいてうをたづぬれば、さきむかしもろこしにをつとを思へる女あり。とうふのせつぢよとこれをいふ。ちやうあんのたいしやうりじんの娘なり。かいらうどうけつとちぎりあさからざりし夫に、
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朝夕うかがふをんできあり。このをとこも、りりよう、ちやうりやうがわざをえて、たやすからざりければ、あるときかたきこのせつぢよをとらへて、「なんぢが夫を我に殺させよ。しからば君にともなひて、しゆんくわめいげつのえいをもなし、さんてうはくせつのきようをもまさむ。それかなふまじくは、すみやかに汝に殺すべし」といふ。せつぢよ是を聞て、「ただかりそめのよがれをだにも歎くに、このこと夢かうつつか。はなのしたのはんにちのきやく、はうしをゆふかぜにのこし、つきのまへのいちやのとも、きんはをげううんにをしむならひにてこそあれ。まして夫となり妻となる、このよひとつの事ならず。たがひにみへそめてのち、おほくのとしつきを送り、朝夕はせんしうばんぜいとこそ、ちぎりふかき男をうしなひて、汝とすまむ事、いかがあるべかるらむとをぼゆ。しかれ、たださらば、なんぢがことばの如く我を失へ」といふ。かたきこれを聞て、「さらば汝が
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親をもおなじく殺すべし。わがみ又親ををつとにかへむ事、よくよくはからへ」と云。せつぢよ是を聞て、親を思ふかなしさに、「さらばわがはかりことにて汝に男をうたせむ。わがをつとろうの上にねたらむを殺せ。夫は東にふすべし。我は西にふさむずるなり。東の枕をほこをもつてさせ。男は安く死なむ」とてゆるされぬ。さて女、今を限りと思ふにも、夫に別れむかなしさに、しのびの涙せきあへず。夫あやしみてくはしくたづぬれども、さらにしらせず。「ただよのなかのありはつまじきをおもふにも、いとどかなしく」とぞいひける。夫あはれと思て、もろともにぞなきける。女こよひをかぎりの事なれば、ひなのすにかへるがごとし、いづれをひがしとしいづれをにしとせむ。こうしのちちをうしなへるににたり、いくるにあらずをはるにあらず。こころをせいさつのあかつきのつきにすますといへども、ふかきうらみをろうしやうのゆふべのくもにのこす。かうたけひとしづまりて、けいじんすでにとなへ、てうしようひびきを送る程になりて、夫を西になし、わがみ
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ひがしまくらにふして、かたきをあひまつところに、男、せつぢよがちぎりしことばにまかせて、東の枕をさす。女ほこを取てわがくびにあて、をつとにかわつてうせぬ。かたき、うちをうせつとてみければ、この女なり。めもくれ心もきへて、夫にかわつて命をうしなへるこころざしの深きを思ふに、あやまちをくゆる歎き、たとふる方なし。かなしさの余りに、節女が夫にむかひて、「すみやかにわがみをいかにもなせ。汝を失わむとて、かかるうきめをみつる」とて、悲しめり。夫これを聞て、「かたきすでにきたるを殺して、いみじかるべきにあらず。只かかるうきよをそむきて、女のぼだいを祈らむ」とて、もとどりをきり、さまをかへてけり。ひつきはへだたれども、しうしやうのはらはたなをあらたなり。じせつは移れども、こひのなみだ
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いまだかわかず。さんせんいづれのかたぞ、せいてうのつばさもいたることあたはず。ちゆういんたが家ぞ、しえんのひづめもはしるによしなし。あにはかりきや、あしたにたはぶれゆふべにたはぶれしはうけいのこころをひるがへして、夜も歎き昼も歎くしうこくのかなしみとなるとは。かなしみてみればかなしみをます、ていしやうの花のぬしをうしなへるいろ。うらみてきけばうらみをます、林中の鳥のきみをしのぶこへ。ぶんだんのことわりをおもはずは、いかでかこのかなしみにたへんや。しやうじのならひをしらずは、あにこのうらみをしのばんや。きたりてとどまらず、きようろうのつゆににたるいのち。さりてかへらず、きんりの花のごとくなるみ。なげきてもよしなしとて、おのおのかのをんなのごしやうをぞいのりける。
くさまくらいかに結びしちぎりにて露の命にをきかわるらむ K104
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四 かくてもんがく、冬のよひからもらしねがうて、しうちやうすんずんにたえやすく、春のてんじつななめにして、きようくわそうそうにのごひがたくして、諸国をるらうしてありきけるが、都へ帰り、めぐりて、たかをのへんにすみけり。だうしんののちにも、心おほきにくせみつつ、ふつうの人にはにざりけり。ここにたかをのじんごじと申すは、さうさうとしふりて、ぶつかくはゑのすがたをみるに、めいげつのほかはさしいる人もなし。ていしやうくさふかくして、こらうやかんのすみかにて、ちとのあそびにきようおほし。とびらは風に倒れて、おちばのしたにくちすたれ、のきばは雨にをかされて、ぶつだんさらにあらはなり。かなしきかな、ぶつぽふそうといふとりだにもおとづれずして、むなしきあとのいしずへは、をどろの為にかくされ、いたましきかな、みやまがくれのほそ
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みちも、つたしげくはひかかり、せうふさうぢよのたもとまでも、露やをくらんとあはれなり。ここにもんがくおもひけるは、「しゆくいんたかうにして、しゆつけにふだうの形をえたり。ぜんごふしよかんにして、ぶつぽふちぐのみとなれり。むえんのだうぎをとぶらふは、ぼさつのしよしうのぎそく也。はゑのだうじやをしゆふくするは、ぶつぽふをさいこうするこんぽんなり。はげみてもなをはげむべきは、しゆふくしゆざうのぜんごん、ぎやうじてもなほぎやうずべきは、りやくけちえんのしらうなり」とおもひけるが、ただしじりきざうえいの事はいかでかかなふべきなれば、ちしきほうがにてじんごじをつくらむといふ、だいせいぐわんをおこしつつ、じつぱうのだんなをすすめありきけるほどに、ゐんのごしよ、ほふぢゆうじどのへまゐりて、ごほうがあるべきよし申けるほどに、をりふしぎよいうの程
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にて、そうしやもごぜんへまいらず、まうしいるる人もなかりければ、ごぜんのぶこつとは思わで、人のうたてきにてこそあれとおもひける故に、てんぜいのふたうの者の、しかもものぐるはしきにてありければ、つねのごしよのおつぼの方へすすみ入て、だいおんじやうをはなちて、「だいじだいひの君にてまします。たかをのじんごじにごほうがさうらへよ」と申けるおほごゑに、てうしもはとぞきようさめにけり。やがて腰よりくわんじんちやうをとりいだし、高らかにぞよみたりける。そのじやうにいはく、
くわんじんそうもんがくうやまひてまうす
ことにきせんだうぞくのじよじやうをかうぶりて、たかをのれいちにいちゐんをこんりふし、にせあんらくのだいりをごんしゆせしめんとこふしさいのじやう
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それしんによくわうだいにして、しやうぶつのけみやうをほどこすといへども、ほつしやうずいえんのくもあつくおほひて、じふにいんえんのみねにたなびきしよりこのかた、ほんうしんれんのつきのひかりかすかにして、いまださんどくしまんのたいきよにあらはれず。かなしきかな、ぶつにちはやくもつして、しやうじるてんのちまたみやうみやうたり。いろにふけりさけにふける、たれかきやうしやうたうゑん[キヤウシヤウタウエン]のまどひをしやせん。いたづらにひとをそしりほふをそしる、あにえんらごくそつのせめをまぬかれんや。ここにもんがく、たまさかぞくぢんをはらひ、ほふえをかざるといへども、あくごふなほこころにたくましくにちやにつくり、ぜんべうまたみみにあざむいててうぼにすたる。いたましきかな、ふたたびさんづのくわけうにかへり、ながくししやうのくりんにまはらんこと。ゆゑにむにのけんぼふせんまんぢく、ぢくぢくにぶつしゆのいんをあかし、ずいえんしじやうのほふ、ひとつとしてぼだいのひがんにいたらずといふことなし。ゆゑにもんがくむじやうのくわんもんになみだをおとして、じやうげしんぞくのけちえんをもよほし、じやうぼんのれんだいにこころをはこびて、とうめうかくわうのれいぢやうをたてんとなり。そもそもたかをは、やまうづたかくして
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じゆぶせんのこずゑをあらはし、たにしづかにしてしやうざんとうのこけをしけり。がんせんにむせんでぬのをひき、れいゑんさけびてえだにあそぶ。じんりとほくしてきやうぢんなく、しせきことむなしくしてしんじんのみあり。ちけいすぐれたり、もつともぶつてんをあがむべし。ほうがすこしきなりとも、たれかじよじやうせざらむや。ほのかにきく、じゆしやゐぶつたふのくどく、たちまちにぶついんをかんず。いかにいはむやいつしはんせんのほうざいにおいてをや。ねがはくはこんりふじやうじゆして、きんけつほうれきごぐわんゑんまんし、ないし、とひゑんきんしんそりみん、げうしゆんぶゐのくわをうたひ、ちんえふさいくわいのゑみをひらかん。いはむやしやうりやういうぎぜんごだいせう、すみやかにいちぶつぼだいのうてなにあそび、かならずさんじんまんどくのつきをもてあそばむ。よつてくわんじんしゆぎやうじやのおもむき、けだしもつてかくのごとし。
ぢしようさんねんさんぐわつ ぴ もんがくけいびやくとぞよみたりける。
そのときのくわんげんにはめうおんゐんのだいじやうだいじんもろながこう、おんびはのやくなり。このひとのおんびはには、くわんかいのてんにんもたびたびあまくだりたまひたりけるじやうずなり。あぜちのだい
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なごんすけかたのきやうは、もみぢといふふえをぞふきたまひける。げんせうしやうまさかたはほうくわんのじやうずなり。ほうくわんとまうすはしやうのふえのことなり。ほうわうのなくこえをききて、れいこうといひけるひと、しやうのふえをばつくりはじめたり。せんじもんとまうすふみに、「めいほうきにあり、はつくにはにはむ」とて、「めいわうのよにはかならずほうわうきたりて、ていぜんのきにすむ」といふほんもんあり。これによつて、このげんせうしやうまさかたつねにまゐりて、つかへたてまつる。けふはめされて、はやくさんじたりけり。すいしやうのくだにわうごんのふくりんおきたるしやうのふえ、わうじきでうにぞしらべたりける。わうじきでうとまうすは、しんのざうよりいづるいきのひびきなり。このざうのねは、ぎやくにおつのねよりたかく、かふのねにあがるあひだ、ひのざうのつちのねにどうず。じゆんにかふのねよりおつのねにさがるときは、はいのざうのこがねのねにどうず。ゆゑにつちのいろをわうとなづく、こがねのいろをじきとなづく。まさにしるべし、つちとこがねとはおんやうのぎにて、なんによさうおうのぎしきなり。ゆゑにほふわうとにようゐんとのおんまへなれば、ゑんまんさうおうのおん
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いのりとて、わうじきでうにしらべたり。またわうじきでうはりよのねなり。これをなづけてきえつの音とす。又はごぎやうの中にはくわど也。ごはうの中にはなんばう也。しやうぢゆういめつのしさうの中にはぢゆうのくらゐ也。ぢゆうの位とは、人のよはひにあつる時は、さんじふいご、しじふいぜんのころ也。さればげんせうしやうも、そのときはさかりすぎてしじふいち也。法皇のおんとしは、もみぢのころに移らせ給たりけれども、いはひ奉りて、なほ夏のけいきにしらべたり。くわさんのちゆうじやうきんたかは、ときどきわごんをかきならして、ふうぞくさいばらをうたいすまし、だいじやうだいじんもろながは、らうえいめでたくせさせ給。すけかたのきやうのしそく、すけときのあつそん、ひやうしをとる。しゐのじじゆうもりさだのあつそん、いまやうとりどりにうたひなむどして、しんかんにめいじておもしろかりければ、しやうじゆもたもとをひるがへし、天人も雲にのりたまふらむとぞ、みのけいよだち
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ておぼえける。さればじやうげかんるいををさへて、ぎよくれんきんちやうれいれいたり。ぎよかんにたへさせ給わずして、法皇も時々はしやうがせさせおわしまし、つけうたなむどあそばして、きようにいらせたまひたりけるに、このもんがくがくわんじんちやうのおんじやうに、てうしもそれ、ひやうしもたがひて、人々皆きようさめにければ、法皇たちまちにげきりんわたらせ給て、「こはなにものぞ。きくわいなり。ほくめんのともがらはなきか。しやそくびつきさうらへ」とおおほせくだされければ、なにごとがな、事にあひてかうみやうせむと思たるものども、そのかずおほかりければ、我も我もとはしりかかる。そのなかにへいはんぐわんすけゆき、さうなくくびをつかむとて、はしりかかりたりけるを、もんがくくわんじんちやうをとりなほして、えぼしをうちおとして、しや胸つきて、のけさまにつきたをしてけり。すけゆきはなちもとどり
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にて、おめおもとおほゆかの上へにげあがる。北面のものども、われもわれもとはしりかかりければ、文学ふところより、しちすんばかりなる刀の、つかに馬のをまきたるが、氷なむどのやうなるを、さらとぬきて、よりこん者をつかむとまちかけたり。たけしちしやくばかりなるだいほふしの、すぐれたるだいぢからのこころたけきが、右手には刀をもちて、左手にはくわんじんちやうをささげてくるひまはりければ、さうのてに刀をもちたるやうにぞみへける。おもひよらぬにはかごとにてはあり、ゐんぢゆうさうどうす。くぎやうてんじやうびと、「こはいかにこはいかに」とたちさわぎたまひければ、ぎよいうのせきもそれにけり。くないはんぐわんきんとも、「からめよといふおんけしきにてあるぞ。すみやかにまかりいでよ」と云けれども、すこしもしひず。「ただいままかりいでては、いづくにてたれにこのことをまうさんぞ。さてあらんずるやふに、いのちをごしよのうちにてうしなふとも、じんごじにしやうをよせられざらむには、いつさいにまかり
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いづまじきものを」とぞしかりける。あんどううまのたいふみぎむねがたうしよくの時、むしやどころにさうらひけるが、たちをとり、はしりむかひたり。もんがくすこしもひるまず、よろこびてかかる所を、右の肩をくびかけて、たちのみねにてつよくうちたりけるに、うたれてちとひるむやふにしける所を、たちをすててくみてふす。もんがくいだかれながら、みぎむねがこがひなをつく。つかれながらしめたりけり。そののちぞ、ものどもかしこがをに、ここかしこよりはしりいでて、てとりあしとり、はたらく所をばかくかくうてどもはれども、すこしもいたまず、なほさんざんのあつこうをはく。もんぐわいへひきいだして、すけゆきがしもべにたびてけり。もんがくひつぱられてたちたるが、ごしよのかたをにらみつめて、「ほうがをこそし給はざらめ、文学にからきめをみせ給つるほうたふは、おもひしらせ申さんずるぞ」と、をどりあがりをどりあがり、
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みこゑまでぞののしりける。資行はえぼしうちおとされて、はぢがましくて、しばらくはしゆつしもせざりけり。みぎむねはぎよかんにあづかりて、べちのこうにをさまりにけり。たうざにいちらふをへずして、うまのかみにめしおほせられけるこそ、ゆみやとるもののめんぼくとみへけれ。もんがくはごくしやにいれられにけり。されどもいつさいこれをだいじともせず。そのころ、しやうさいもんゐんのほうぎよにて、ひじやうのだいしやをおこなはれければ、やがていだされにけり。しばしはひきこもりてあるべけれども、なほもへらず、もとのごとくにすすめありきけり。さらばただもなくて、「このよの中は只今に乱れて、君も臣も皆ほろびなむずるものを」など、さまざまのくわうげんはなちて、いまいましき事をぞいひありきける。むじやうのさんといふものをつくりて、「さんがいはみなくわたくなり。わうぐうもそのなんをのがるべからず。じふぜんのわうゐに
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ほこりたぶとも、くわうせんのたびにいでなふ後は、ごづめづの杖にはさいなまれ給わふずらふは」とて、ゐんのごしよをとざまにはにらみてとをり、かうざまにはにらみてとをりけるあひだ、「なほきくわいなり」といふさたありて、「めしとりてをんるせよ」とて、伊豆の国へぞ流しつかはされける。
五 げんざんゐにふだうのいまだうたれぬ時なりければ、しそくいづのかみなかつな、ゐんぜんをうけたまはりて、らうどうわたなべのはぶくがぐしてくだるべかりけるを、をりふしこくじんこんどうしちくにひらがしやうらくしたりけるに、ぐしてつかはす。「とうかいだうを船にて下るべし」とて、いせのくにへひきいてくだる。はうべんりやうさんにんつけられたりけるが、申けるは、「ちやうのしもべのならひ、かやうの事につけてこそ、おのづからえ
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こもあれ。さやふの事のあればこそ、又はうじんも当り奉る事にてあれ。いかにこれほどの事にあひてくだりたまふに、しかるべきだんをつなどはもち給はぬか。くにのとさん、道のらうれうなむどをもこひ給へかし。かやうの時よりこそ、たがひのこころざしもあらわるれ」なむど云ければ、もんがく、「人はおほくしりたれども、ひがしやまにこ〔そ〕よきとくいは持ちたれ。ふみつかはさむ」と申ければ、これらよろこびて、紙をもとめてえさせたりければ、「かかる紙にてふみ書きたる事おぼえず」とて、なげかへしてけり。すぎはらをたづねてえさす。そのとき人をよびて文をかかす。「もんがく、たかをのじんごじをしゆざうとげむと云だいぐわんをおこして、すすめさうらひつるほどに、きこしめしてもさうらふらむ、かかるあくわうのよにしもうまれあひて、しよぐわんをこそはたさざらめ、あまつさへきんごくせられて、はてにはをんるの罪をかうぶりて、いづのくにへながさる。ゑんろのあひだなり。らうれう
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によほふたいせつに候。このつかひにせうせうたまはりさうらふべし」と、いふがごとくにかきて、「たてぶみのうはがきにはたれへとかくべきぞ」と云ければ、文学おほきにわらひて、「せいすいじのくわんおんばうへとかきたまへ」とぞ申ける。そのときしもべども、「くわんにんどもをあざむくにこそあれ」とて、くちぐちにはらだちければ、文学、「きよみづの観音をこそふかくたのみたれ。さなくてはたれにかはえうじいふべき」とぞまうしける。これにも限らず、文学、なほこのものどもはかりてわらはばやとおもひて、くわんにん多くなみゐたる中にて昼寝をして、そらねごとをぞしたりける。「このほどくわんじんしたりつるようどどもをひとのもとにあづけたりつるは、文学いづへくだりたりとも、その人のとくにもなれかし。さめうじのとりゐのしたにうづめおきたりつるようどどもの、いたづらにくちうせなむずる事よ」とて、ねざめたるけいきをぞしたりける。そのときくわんにんども、うれしき事ききいだし
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たりとおもひて、めをみあはせて、かんじよへたちのきて、「いざさらばほりいだしてみむ」とて、ゆきむかひて、まづ左のとりゐの下をさんじやくばかりほりたりけれども、みへざりけり。「心深き者なれば、浅くはよもうづまじ」とて、いちぢやうばかりほりたりけれども、そうじてなにもなかりけり。「さらば右のとりゐの下にてや有らむ」とて、又堀たりけれども、それもなにもなかりけり。そののちは、「このひじりにたびたびはかられにけり。やすからず」とて、いよいよ深くいましめけれども、文学すこしも痛まず、ことにくわうげんをのみはきけり。さるほどにふねおしいだしてくだりけるに、あるひ、とほうみなるによりて、にはかにおほかぜいできたりて、このふねへうたうせむとす。かこ、かぢとりしばしはろかゐを取て、船をはさみて助けむとしけれども、なみかぜいよいよあれまさりければ、ろかゐをすててふなぞこにたふれふして、こゑをととのへてさけびけり。あるいは観音の
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みやうがうをとなへ、あるいは最後のじふねんにおよぶ。されども文学すこしもさわぎたるけしきなし。既にかうとおぼえける時、文学船のへにたちいでて、をきの方をまもりて、「りやうわうやあるりやうわうやある」とさんどよびて、「いかにこれほどのだいぐわんおこしたる僧の乗たる船をば、あやまたむとはするぞ。ただいまてんのせめをかうぶらむずるりゆうじんどもかな。すいくわらいでんはなきか。とくとくこの風しづめ候へ」と、かうしやうにののしりていりぬ。「れいの又あの入道がものぐるはしさよ」と、しよにんをこがましくききゐたるところに、そのしるしにや有けむ、又じねんにやむべき時にてや有つらむ、すなはちかぜしづまりてけり。そののちはくわんにんら舌をふるひて、いたくなさけなくあたる事もせざりけり。いかさまにもやうありける者にこそ。りやうそうしども文学にとひていはく、「そもそもたうじせけんになるいかづちをこそりゆうわうとしりてさうらふに、そのほかまただいりゆうわうのござさうらふやうにおほせさうらひつるは、いかなる事にてさうらふぞや」。文学
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こたへていはく、「これらになりさうらふやつばらは、大龍王のはき物をだにもえとらぬせうりゆうどもなり。そのはちだいりゆうわうとまうすは、ほつけきやうのどうもんしゆなり。じよほんの中にそのみやうじをあかすに、『なんだりゆうわう、ばつなんだ龍王、しやから龍王、わしゆきつりゆうわう、とくしやかりゆうわう、あなばだつたりゆうわう、まなしりゆうわう、うはつらりゆうわうとう、おのおのにやくかんひやくせんけんぞくとともなり』ととかれたる、これなり。このりゆうわうたちは、おのおのひやくせんのけんぞくをぐして、さうめい三千の底、はちまんしせんぐうのあるじたり。このそらになりてありき候やつばらは、八大龍王のけんぞくのまたじゆうしやの又従者也。そのあるじのはちだいりゆうわうは、もんがくをしゆごせむと申すちかひあり。いはむやせうりゆうらがあんないをしりはべらで、いささかもわづらひをなすでう、あるまじき事にて候也」。りやうそうしかさねてとひていはく、「されば八大龍王は、いかなるこころざしにて、文学ごばうをば守護しまひらせむといふ、ちかひはさうらひけるやらむ」。文学こたへていはく、「むかしぶつざいせの時、八大龍王まゐりて、ほとけのおんためにまうしていはく、『ぶつとくそんかう
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にして、まんとくじざいにましますおんこころに、かなはぬ事やおはします』とまうしし時、仏こたへていはく、『われよくまんとくじざいのみをえたりといへども、心にかなはぬ事にしゆあり。ひとつには、われよにくぢゆうして、法をとき、常にしゆじやうをりやくせばやと思へども、ぶんだんしやうじのならひなれば、百年が内にねはんの雲に隠れむ事、命を心にまかせぬうれひ也。ふたつには、にふねはんののち、もしぜんごんのしゆじやうありといふとも、まわうの為にしやうげせられて、しよぐわんじやうじゆのものあるべからず。そのぜんごんの衆生をたれにあつらふべしとも思わず。これまたおほきなるなげきなり』とのたまひき。時にはちだいりゆうわうざを立て、仏をさんざふして、しやうめんにきたりて、仏のそんがんをせんがうして、さんじゆのだいぐわんをおこしていはく、『ひとつにはわれねがはくは、ぶつにふねはんののち、けうやうほうおんの者を守護すべし。ふたつにはわれねがはくは、仏入ねはんの後、かんりんしゆつけの者を守護すべし。みつにはわれねがはくは、仏入ねはんの
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後、ぶつぽふこうりゆうの者を守護すべし』。このぐわんの心をあんずるに、しかしながらもんがくがみの上にあり。かやうに文学は心そうそうにして、ものぐるはしきやうにははべれども、父にも母にもみなしごにてさうらひしあひだ、親を思ふこころざし、今になをあさからず。つまにおくれて出家入道はすれども、ほんいは只しかうほうおんのだうしんなり。さればはちだいりゆうわうの第一のぐわんにこたへて、しゆごせらるべき文学也。第二のぐわんは、かんりんしゆつけと候へば、十八のとし出家して、今になほさんりんるらうのぎやうにんなり。などか守護し給はざらむや。況や第三のぐわんとは、『ぶつぽふこうりゆうの者をしゆごすべし』とちかひたれば、たうじの文学こそ、仏法興隆のこころざしふかくして、わどのばらにもにくまれ奉れ、八大龍王はあはれみたまふらむ物をや。かかるほふもんしやうげうをさとりたるゆゑに、せうりゆうらなどをば物の数ともぞんぜずさうらふあひだ、『りゆうわうりゆうわう』ともまうし
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はべるなり。さるわどのばらなりとも、親にけうやうする志の深く、入道出家をもしてかんりんにとぢこもり、ぶつぽふこうりゆうをもし給わむには、大龍王にしゆごせられたまふべし。もんがく一人をとちかひたるせいぐわんにはあらず。かまへてとのばら、親のけうやうして、ぶつぽふにこころざしをはこび給べし。こんじやうごしやうのおほきなるさいはひなり。まうしてもまうしても、ほふわうのじやけんこそ、さこそせうこくのあるじと申ながら、けぎたなき人のよくしんかな。だいこくの王はしからず。はかいなれどもびくをうやまひ、むしつなれどもくわんじんにいりたまふ事にてはべるなり。わどのばらもあゐそへて、ぶつぽふそりやくのひとどもとみるぞ。よくよくはからひたまへ。いかに道理をせむれども、もんがくがじやうをしんようし給わぬ事のあさましさに、しんをもとらせたてまつり、法をも悟らせ給へかしとて、はうべんの為に、せうりゆうらをまねきて、ふうはのなんをげんじてさうらひつるぞ。
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さればおのおの皆しんぷくしたまひて、ことのほかにきりてつぎたるれいぎども、誠にあはれにはべるめり。りようのさわぎだにもなのめならず。いかにいわんや、むじやうの風もふき、ごくそつのせめも、きたらむ時には、いさいさしらず。かやうにまうす文学だにもかなふまじ。につぽんのあるじもよもかなひたまわじ。むじやうせそんもにふめつしたまひき。ましてそのほかのいんゐのぼさつ、ていげのぼんぶ、わどのばらまでも、かなふべしともおぼへず。今度文学があくじして、いづのくにへをんるせらるることは、仏のごはうべんとしりたまふべし。いつかうに文学が申さむことばにしたがひて、けふよりのちは、ぶつだうに心をかけて、らいかうのいんぜふをまちたまふべし。いちじゆのかげに宿るも、ぜんぜのちぎりなければかなわず。どうがの水をくむことも、やうごふのえんと伝へ
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たり。いかにいはむや、かくのごときぎやくえんなりといへども、すじつどうぜんのむつびをやしづかにきかるべし。そもそもぶつだうに心をかくるとまうすは、ないしんに常に仏をねんずれば、りんじゆうじゆえんの時にいたりて、さだめてらいかういんぜふし給ふ也。ゆゑにくわんおんせいしあみだによらい、むしゆのしやうじゆをひきぐしたまひて、ぐぜいのふねにさをさして、にじふごうのくかいをわたり、ほうれんだいの上にわうじやうして、ぼだいのひがんにいたり遊ばむ事、たれかはこれをのぞまざらむ。かへすがへすもたのむべし。よくよくねんじたまふべし」と、かしこき父のおろかなるこを教ふるやふに、おなじふねなれば、かたときもたちはなるる事はなし。ふしても教へ、おきてもこしらふ。事にふれ、物にしたがひてぞ、けうくんしける。かやふにをりをりにしたがひて、しゆつりせむえうろをけうかいせられて、はう
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べんの中に、しやうねんにじふさんになりける、ぎやうぶのじよう、かけのあきずみと云ける男、ほつしんしてもとどりをきりて、もんがくが弟子になりにけり。文学これをみて、「誠にほんい也」とて、やがてかいさづけて、ざいぞくのなのりのいちじをとり、わがなのかたなを取て、なをばもんみやうとぞつけたりける。そのほかのものどもは、文学がことばをきくときばかりはだうねんのここちにおもむきけれども、しゆつけとんぜいするまでの事はなかりけり。このもんがくはてんぐの法をじやうじゆしてければ、ほふしをばをとこになし、男をば法師になしけるとかや。文学船に乗ける処にて、天にあふぎてちかひけるは、「われさんぼうのちけんにこたへて、ふたたび都へ帰りて、ほんいのごとくじんごじをざうりふくやうすべくは、ゆみづをのまずとも、げちやくまで命をまつたくすべし。
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わがぐわんじやうじゆすまじきならば、けふよりなぬかが内にいのちをはるべし」とちかひて、おんじきをだんず。くわせけれども、くちのへんへもよせず。卅一日といふに、いづのくににくだりつきにけり。そのあひだゆみづをだにものまず。ましてごこくのたぐひはいふにおよばず。されどもいろかすこしもおとろへず、ぎやううちしてありければ、文学は昔よりさるいかめしき者にて、みのほどあらはしたりし者ぞかし。そのかみだうしんをおこして、もとどりを切て、かうやこかは、山々寺々しゆぎやうしありきけるが、
六 あるときはだしにてごこくをたちてくまのへまゐり、みつのやまのさんけいことゆゑなくとげて、なちの滝に七日だんじきにてうたれむといふ、ふてきのぐわんをおこしけり。ころは十二月の中旬の事なりければ、ごくかんのさいちゆうにて、谷の
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つづらもうちとけず、まつふくかぜもみにしみて、たへがたくかなしきこと、既に二三日もなりければ、ひとつみゐてこほりて、ひげにはたるひと云者さがりて、からからとなる程なりしかども、はだかにて有ければ、こほりつまりて、わづかにいきばかりかよへども、のちにはわづかにかよひつる息もとまりて、すでにこのよにもなき者になりて、なちのたきつぼへぞたふれいりける。滝のおもてにて、もんがくをひたととらへてたてり。又わらは二人きたりて、さうのてとおぼしき所をとらへて、文学がくびよりあしてのつまさきまで、しとしととなでくだしければ、いてこほりたりつるみも皆とけて、もんがくひとごこちつきていきいでにけり。文学息の下にて、「さてもわれをとらへて、なでたまひつる人は、たれにて渡らせたまひつるぞ」ととひければ、「いまだしらずや、われはだいしやうふどうみやうわうのおん
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つかひに、こんがら、せいたかといふ、二人のどうじのきたるぞ。おそるるこころあるべからず。なんぢこのたきにうたれむといふぐわんをおこしたるが、そのぐわんをはたさずしていのちをはるを、みやうわうおんなげきあつて、『このたきけがすな。あの法師よりて助けよ』とおほせられつる間、われらがきたるなり」とて帰り給へば、文学、「不思議の事ごさむなれ。さるにてもいかなる人ぞ。よの末のものがたりにもせむ」とおもひて、たちかへりてみければ、十四五ばかりなる、あかがしらなるどうじ二人、雲をわけてのぼりたまひにけり。もんがくおもひけるは、「これほどにみやうわうのまもりたまわんには、このついでにいまさんしちにちうたれむ」といふぐわんをおこして、すなはち又うたれけり。そののち文学がみには水ひとつもあたらず。まれにもれてあたる水はゆの如し。かかりければ、いくかいくつきうたるとも、いたみとおもふべきにあらずとて、おもひのごとく三七
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日うたれにけり。つひにしゆくぐわんをとげたりし文学なれば、さも有けむとぞ、きくひとみなおそれあひける。
(七) かくていづのくににくだりつきてさいげつをへけるほどに、ほうでうひるがしまのかたはらに、なごやがさきといふところに、なごやでらとて、くわんおんのれいちおはします。もんがくかのところへ行て、しよにんをすすめてさうだうを
いちうつくりて、びしやもんのざうをあんぢして、平家をしゆそしけり。「われゆるされをかうぶらざらむかぎりは、あからさまにも里へいでじ」とちかひて、おこなひすすまし[* 「す」一つ衍字]てぞ侍りける。ぎやうぼふくんじゆのこうつもり、だいひせいぐわんののぞみふかし。昼はひねもすにせんじゆきやうをよみ、夜はよもすがらさんじのぎやうぼふをこたらず。人これをあはれみて、おりおりいしやうなむどを送れ
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ども、うけとる事はまれなり。なにとしてときのれうなむどもあるべしとはおぼへねども、どうじゆくなどもあまたあり。ゆゑにをちこちびとのたびびとは、ろだんのけぶりに心をすまし、いそべのあまのかぢまくら、とうろの光に夢もむすばず。ちどり、しろかもめ、よぶこどり、せんぼふの声にともなひて、ぶつぽふそうともなりぬべし。かいじん、ぎよをうのすなどりも、ずいきのたもとに露をそそき、とうがんせいがんのいろくづは、しんれいのこゑにうかみぬべし。りやうぜんじやうどのしやうじゆも、常にはこれにやうげんし、じゆぶけいそくのほらの内も、おもひやられてあはれなり。かかりければ、いづのくにのもくだいをはじめ、こくちゆうのじやうげしよにん、ことごとくしんがうのかうべをかたぶけて、ずいきのあなうらを運び、きえのおもひをなして、ざいせのたくはへを送る。しかりといへども、文学まつたくせけんをへつらひ、うき
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みを渡らむとする事なかりければ、わづかにしんみやうをつぎて、うゑをのぞくばかりのほかはとどめずして返しけり。まことにそれ文学がなくがぎやうぼふのくりきに、ほうおんしやとくのためならば、あくごふぼんなうもきへはてて、むしのざいしやうたえぬべく、げんぜあんをんのいのりならば、さんさいしちなんをとほくしりぞけて、じゆふくをひさしく心にまかせつべし。きせいもぶついにさうおうし、しよぐわんもわがみにじやうじゆすらむと、たつとかりけるぎやうぎなり。かくのごとくおこなひすまして有ければ、かのみだうにもくだいらがさたとして、さんじふよちやうのめんでんをよせたりけるが、今にあるこそいみじけれ。このだうのそばに又ゆやをたてて、一万人によくす。あるとき、をりえぼしにこんのこそでふたつきて、白きこばかまにあしだはきて、くろうるしののだちわきにかひはさみて、つゑつきたる男一人きたりて、ゆやのさうをみ
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まはす。もんがくはめももてあげず、釜の火たきてゐたり。又たかしこかひつけて、黒ぬりの弓持たるくわんじやひとりきたる。さきにきたりつる人のげにんとおぼしくて、ともにあり。こわらはべども、「ひやうゑのすけどのこそおわしたれ」といひてささやくめり。そのとき、さてはきこゆる人にこそとおもひて、やわら顔をもてあげてみければ、かのひと湯にをりぬ。共にあるをとこきたりて、「や、ごばう、湯のしゆぐわんとかやして、人にあむせまひらせよ」といへば、「かやうのこつじきほふし近く参らむもおそれあり。かひげに湯をくみてたべ。ここにてともかくもしゆぐわんのまねかたせむ」といひければ、いふがごとくにして湯をあびらる。いまだよじんはよらず、ともの男は文学がそばにゐて、ひにあたる。もんがくしのびやかに、「これはながされておわしまするなるひやうゑのすけどのか」ととひければ、男にがわらひて物
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もいわず。文学、「ころぞこの入道がさうでんのしゆうよ」といひける時、男申けるは、「しゆうならばみしりたてまつりたまひたるらむに、事あたらしくとひたまふものかな」と云ければ、文学申けるは、「そよ、このとのをさなくおわしまししほどはみやづかへき。かやうにこつじきほふしになりてのちは、くにぐにまどひありくほどに、まゐりよる事もなし。よにをとなしくなられたり。人はなのりのよかるべきぞ。よりともといふなのよきぞ。たいしやうぐんのさうもおわすめり。君に申て、きせんじやうげあつまるゆやなむどへは、いでたまふらめ。人はおくぢあるこそよけれ。法師とてもかたきにてあらむはかたかるべきか。人にくびばしきられうとて、ふかくの人かな」と云ければ、このをとこ「不思議のひじりのひたごころかな」と思へども、とかくいふにもおよばずして、「あまりざふにんおほくさうらふに、はやあがらせ給へ」と、しゆうをすすめてたつところに、このよしをしゆうに
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ささやきたりけるにや、この男たちかへりて、「里にいでたらむ時には、かならずたづねておわせよ」と、文学が耳にささやきければ、「そよや、殿くだりはてばげんざん
にいらばやとおもひしかども、さすが事しげく、すいさんせむもこちなくてまかりすぎつるに、今日のびんぎに御目にかかりぬる事こそうれしけれ。ひまには必ずまゐるべし。さきに申つるそぞろごと、くちよりほかへもらしたまふな」とぞ云ける。そののちひやうゑのすけははづかしくおぼしければ、かのゆへはおわせず。みそかばかりすぎて、文学さとにいでたりつるついでに、さらぬやうにて兵衛佐のもとへたづねきたりて、すけほつけきやうよみてゐられたる所へ、いれられたりければ、文学てをすりて、「もつともほんいにさうらふ。たつとくさうらふ」とて、さめざめとなく。酒、くわしていの物とりいだしてすすめられてのち、「さてごばう、けふはしづかにゐて、せけんのものがたり
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してあそび給へ。つれづれなるに」とのたまひければ、文学、兵衛佐のひざちかくゐよつて申けるは、「はなはひととき、ひとはひとときとまうすたとへあり。平家はよのすゑになりたりとみゆ。だいじやうにふだうのちやくし、こまつのないだいじんこそ、はかりこともかしこく、心もかうにて、父のあとをもつぐべき人にておわせしか。せうこくにさうおうせぬ人にて、父にさきだちてうせられぬ。そのおととどもあまたあれども、うだいしやうむねもりをはじめとして、いうじやくばうのひとどもにて、一人としてにつぽんごくのたいしやうぐんになりぬべき人のみへぬぞや。とのはさすが末たのもしき人にておわする上、かううんのさうもおわす。たいしやうになりたまふべきさうもあり。さればこまつどのにつぎて、わどのぞ日本国のあるじとなりたまふべき人にておわしける。今は何事かはあるべきぞや。むほんおこして、日本国のたいしやうぐんになり給へ。ふその恥をもきよめ、君のおんいきどほりをもやすめ
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奉り給へ。かつうは、『てんのあたへをとらざれば、かへりてそのとがをうく。こといたりておこなはざれば、かへりてそのわざはひをうく』と云ほんもんあり。もんがくはかくいやしげなれども、くつきやうのさうにんにて、左のまなこはだいしやうふどうみやうわうのおんまなこなり。右のまなこはくじやくみやうわうのおんまなこなり。人のくわほうしりて、につぽんごくをみとほす事は、たなごころをさすが如し。今も末も、すこしもたがはず。いかさまにも殿をばだいくわほうの人とみまうすぞ。とくとくおもひたち給へ。いつをごしたまふべきぞ」と、はばかる所もなく、こまごまと申ければ、すけおもはれけるは、「このひじりは、心深くおそろしき者にて流さるる程の者なれば、かくかたらひよりてもろくあひしたがはば、頼朝がくびを取て、平家にたてまつりて、おのれが罪をのがれむとてはかるやらむ」と、おもはれければ、すけのたまひけるは、「さんぬるえいりやくぐわんねんの春のころより、いけどののあまごぜん
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に命をいけられたてまつりて、たうごくにぢゆうして、すでに廿余年を送りぬ。いけどのおほせらるるむねありしかば、まいにちほつけきやうをにぶよみたてまつりて、いちぶをばいけのあまごぜんのごぼだいにゑかうし奉り、一部をばぶものけうやうにゑかうするほかは、又ふたついとなむ事なし。ちよくかんの者は、ひつきの光にだにもあたらずとこそまうしつたへたれ。いかでかこのみにてさやうの事をばおもひたつべき」と、ことばにはのたまひけれども、しんぢゆうには「なむはちまんだいぼさつ、いづはこねりやうじよごんげん、ねがはくはしんりきをあたへ給へ。たねんのしゆくばうをとげて、かつうはくんしんのおんいきどほりを休め奉り、かつうはばうふがそくわいをとげむ」とこころざしふかければ、「ひろつね、よしあきいげのつはものにちぎりて、ひまをうかがふものを」とおもはれけれども、もんがくにはうちとけざりけり。ややひさしくものがたりして、文学帰りぬ。又四五日ありて、文学きたりければ、すけいであはれたり。「いかに」とのたまへば、
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文学ふところより、白きぬのぶくろのもちならしたるが、中にものいれたるをとりいだしたりければ、すけ、なにやらむとあやしくおもはれけるに、もんがくまうしけるは、「これこそはとのの父のこしもつけどののかうべよ。いんじへいぢのらんの時、さのごくもんのあふちの木にかけられたりしが、ほどへてのちにはめもみかけず、このもとにおちてありしを、これへながさるべしと、かねてききたりし時に、としごろみ奉りたりしほんいもあり、又よはやうある物なれば、おのづから殿にまゐりあふことあらばたてまつらむとて、ごくあづかりのしもべをすかしてこひとりて、ぢきやうとともにくびにかけて、人目にはわがおやのかうべをたくはへたるやうにて、京をながされていでし時、いかにもしてよをとらむひとをだんをつにして、ほんいをとげむとおもひしこころざしの深さをさんぼうにいのりて、声をあぐ。『わがぐわんじやうじゆせよ』とをめきさけびて、物もくわ
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でありしかば、みきくひとは皆、『文学にはてんぐのつきて、物にくるふか』などまうしあいたりき。今はそのぐわんみちぬ。さればにや、とのよにおわして、このほふしをもかへりみ給へ。このれうにこそ、としごろたくわへもちてはべりしか。ねんぶつどきやうの声は、こんばくにきこへて、めつざいの道となられぬらむ」とて、さめざめとなきければ、「『人の心をひきみむれうに、何となくいふか』とおもひたれば、まめやかにこころざしのありける事のあはれさよ。さだめてこのよひとつのことにてはあらじ」とおもはれければ、いちぢやうはしらねども、父のかうべときくより、なつかしくおぼへて、ひたたれの袖をひろげて、なくなくうけとりて、きやうぎの上にならべて、わがみをうちおほひて、「あはれなりけるちぎりかな」とて、涙をぞうかべられける。のちにこそはかりことともしらせけれ、そのときはまこととおもはれければ、おのづからそののちはうちとけられにけり。「又」とちぎりて、文学帰りぬ。さて
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かのかうべを箱にいれて、ぶつぜんにをきて、ひやうゑのすけちかはれけるは、「まことにわがちちのかうべにておわしまさば、よりともにみやうがをさづけ給へ。頼朝よにあらば、すぎにし御恥をもきよめ奉り、ごしやうをもたすけ奉らむ」とて、ぶつきやうにつぎては、花をきようしかうをたきて、くやうぜらる。そののち文学又きたりければ、すけたいめんして、「さてもいかがしてちよくかんをゆりさうらふべき。さなくはなにごともおもひたつべくもなし。いかさまにも道ある事こそ、しじゆうもよかるべけれ。さてもとうくらうもりながをともにて、みしまのやしろへややいつせんにちのひまうでをせしに、一千日にまんぜし夜、つやしたりし夜の夢に、みしまの東のやしろより、なを東へいつちやうばかりへだてて、第三の前に大なるたかきあり。そのわうじの所をなほ東へいつちやうばかりゆきて、又おほきなるははそのきあり。このき二本があひだ
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に、くろがねのつなをはりて、あけのいとをすがりにして、平家の人々の首をかけならべたりしとみたれば、いかなるべき事やらむ」なむど、まめやかにのたまひければ、「そのことあんじたべ。京へのぼりてゐんぜんまうしてたてまつらむ」。「そのみにてやはかかなふべき」。もんがくまうしけるは、「院のきんじゆしやに、さきのうゑもんのかみみつよしのきやうといふひとあり。かのじんにないないゆかりありて、としごろまうしうけたまはることあり。かのじんのもとへひそかにまかりて、このよしをまうすべし。ものぐるはしくいづちともなくうせたるものかなとおぼすな。かやうのにふだうほふしはふるまひやすき上、『さんしちにちのぢやうにいる事あり。そのあひだは人にもたいめんもすまじきよしをひろうせよ』とて、弟子にまうしおきて、いそぎのぼるべし」なむど、さまざまにちぎりていでぬ。やがて京へのぼる。
八 そのときゐんはふくはらのろうのごしよにわたらせたまひけるに、夜にまぎれてみつよしのきやう
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のもとへ行て、人にもしられず、ある女をもつて、ひそかにふみをつかはしたりければ、みつよしのきやうげんざんしたまひて、「さてもさても夢のやうにこそおぼゆれ。いかにいかに」ととはれければ、文学近くさしよりて、「やぶにめ、壁に耳ありといふこと、いとしのびてまうしあはすべき事ありて、わざと人にもしられず、夜にまぎれてまゐりてさうらふなり」といひ、ささやきけるは、「伊豆国にさうらふ、ひやうゑのすけよりともこそ、院のかくて渡らせたまふことをばうけたまはり、なげきて、『ゐんぜんだにもたまはりたらば、とうはつかこくのけにんあひもよほして京へうちのぼりて、君のおんかたき平家をばやすくほろぼして、げきりんをもやすめ奉り、人々のなげきをもしづめてむ物を』とまうしさうらへば、だいみやう、せうみやう一人もしたがわぬ者なし。このやうをひそかにほふわうに申させ給へ」と云ければ、みつよしのきやう、「まことに君もかくうちこめられさせたまひて、よのまつりごとをもしろし
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めさず。我もさんぎ、うひやうゑのかみ、くわうだいこうくうのごんのだいぶ、さんくわんをみなながら平家にとどめられて、心うしとおもひなげきゐたり」とおもはれければ、「いかさまにもひまをうかがひておんけしきをとるべし。かくのたまふもしかるべきことにてこそ有らめ。今二三日のほどはこれにおわせよ」とて、そのよもあけぬ。つぎのあしたみつよしのきやうゐんぜんせらる。ゆふべに帰て、「かのことしかるべきひまなくて、いまだそうせず也」とありけれども、もんがくなほかたすみにかがまりゐたり。つぎのひまゐりたまひて、よふけていでられたり。おんゆるされやありけむ、ゐんぜんを書てたまはりたりけるを、文学たまはりて、くびにかけて、よるひる五ケ日いづのくにへはしりくだりて、ひやうゑのすけにたてまつりたりければ、てあらひ、くちそそいで、ひもさして、ゐんぜんをみたまふに、そのじやうにいはく、
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はやくきよもりにふだうならびにいちるいをついたうすべきこと
みぎかのいちるいは、てうかをいるかせにするのみにあらず、しんゐをうしなひぶつぽふをほろぼし、すでにぶつじんのをんできたり、かつうは、わうぼふのてうてきたり。よつてさきのうひやうゑのすけみなもとのよりともにおほせて、よろしくかのともがらをついたうして、はやくげきりんをやすめたてまつるべきじやう、ゐんぜんによつて、しつぽうくだんのごとし。
ぢしようしねん七月六日 さきのうひやうゑのかみふぢはらのみつよしがうけたまはり
さきのうひやうゑのすけどのへとぞかかれたりける。兵衛佐このゐんぜんをみ給て、なくなく都のかたへむかひて、はちまんだいぼさつををがみたてまつり、たうごくにはいづ、はこねにしよにぐわんをたてて、まづほうでうのしらうにのたまひあはせて、おもひたち給へり。石橋のかつせんの時も、しらはたの上にこのゐんぜんをよこさまにむすびつけられたりけるとぞきこへし。
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おなじくゐんぜんのいほんにいはく。
きやうねんよりこのかた、へいじわうくわをないがしろにして、せいたうにはばかることなく、ぶつぽふをはめつし、てうゐをかたぶけむとほつす。それわがてうはしんこくなり。そうべうあひならびて、しんとくこれあらたなり。ゆゑにてうていかいきののち、すせんよさいのあひだ、ていいうをかたぶけ、こくかをあやぶむるもの、みなもつてはいぼくせずといふことなし。しかればすなはちかつうはしんたうのみやうじよにまかせ、かつうはちよくせんのしいしゆをまもりて、へいじのいちるいをちゆうし、てうかのをんできをしりぞけて、ふだいきゆうせんのへいりやくをつぎ、るいそほうこうのちゆうきんをぬきんでて、みをたていへをおこすべしてへれば、ゐんぜんかくのごとし。よつてしつたつくだんのごとし。
ぢしようしねんしちぐわつ ぴ さきのうひやうゑのかみざいはん
さきのひやうゑのすけどのうんうん
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九 ひやうゑのすけながされたまひてのち、にじふいちねんとまうすに、このゐんぜんをたまはりて、ほうでうのしらうとさまさをまねきよせて、「へいけをついたうすべきよしのゐんぜんをたまはりたるが、たうじ、せいのなきをばいかがはすべき」とのたまへば、ときまさまうしけるは、「とうはつかこくのうちに、たれかきみのごけにんならぬものはさうらふ。かづさのすけはちらうひろつね、へいけのごかんだうにて、そのしそくやましろのごんのかみよしつね、きやうにめしこめられさうらひつるが、このほどにげくだりてようじんしてさうらふとうけたまはる。かづさのすけはちらうひろつね、ちばのすけつねたね、みうらのすけよしあき、このさんにんをかたらはせたまへ。このさんにんだにもしたがひつきまゐらせさうらひなば、とひ、をかざき、ふところじまは、もとよりこころざしおもひたてまつるものどもでさうらへば、まゐりさうらはんずらむ。もしきみをつよくせきまひらせさうらはむずるは、はたけやまのしやうじじらうしげただ、おなじくいとこいなげのさぶらうしげなり、これら
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がちちはたけやまのしやうじしげよし、おなじくしやていをやまだのべつたうありしげ、兄弟二人、平家につかへて、京に候へば、つよきかたきにてさうらふべし。さがみのくににはかまくらたうおほばのさぶらうかげちか、さんだいさうでんのごけにんにてさうらへども、たうじへいけのだいごおんのものにてさうらふあひだ、きみをそむきたてまつるべきものにてさうらふ。ひろつね、つねたね、よしあき、これらさんにんだにもまゐりさうらひなば、につぽんごくはおんてのしたにおぼしめすべしとまうしければ、そのことばまことあつて、そのべんぜつありければ、よりともふかくしんじてけり。ときまさもしてんをしるときか、はたまたつはものをうるほふか、そのことばひとこととしてたがふことなかりけり。むかししんの、ぶん、ほくていのことばをしんじて、もつてゐをふるつておどろかし、せいのくわん、くわんちゆうのはかりことをもちゐて、もつててんがをただしうせりき。いまよりとも、ときまさと、がつたいをどうしんして、はかりことをほうちやうのうちにめぐらさば、うがふぐんぼうのぞく、てをくんもんにつかね、かつことをてうさいのほかにけつし、
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らうれいほんぎやくのともがら、かうべをきやうとにつたへ、てんがへいていをとげて、かいだいながくいつかいせり。まことなるかな、そのひとをえてすなはちそのくにもつておこり、そのひとをうしなひてすなはちそのくにもつてほろぶ」といへることは。兵衛佐のたまひけるは、「ゐんぜんをたまはりぬるうへは、ひつきをおくるにおよばず。やがてけふあすにもと、いそぎたくはそんずれども、きたる八月十五日いぜんにはいかにもおもひたたじとおもふなり。それはいかにといふに、こんみやうむほんをおこしてかつせんをするならば、しよこくにいははれまします、はちまんだいぼさつのごはうじやうゑのために、さだめてゐらんとなりなむず。しかればかのはうじやうゑいご、しづかにおもひたつべし」とのたまひければ、時政「もつともしかるべし」とて、つきひのすぎゆくをまちたまひけるほどに、八月九日、おほばのさぶらう京より下りたりけるが、ささきのさぶらうひで
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よしをよびて申けるは、「をさだのにふだう、かづさのかみがもとへ、『いづのひやうゑのすけどのを北条四郎、かもんのじよう、ひきたてたてまつりて、むほんをおこさんとしたくつかまつるよしうけたまはる。いそぎめしあげておきのくにへながされ候べし』といふふみをつかはしたりけるを、かづさのかみとりいだして、かげちかにみせさうらひしかば、『かもんのじようはやしにさうらひにき。北条四郎はさもさうらふらむ』とまうしたりしかば、『いかさまにも、大政入道殿の福原よりのぼらせたまひたらむに、みせまいらせむとて、めいかきておきさうらひき。このたびたかくらのみやのみゐでらにひきこもらせたまひてのちは、国々の源氏一人もあらすまじ』とさうらひしかば、よもただには候わじ」とぞかたりける。ひでよしあさましとおもひて、いそぎしゆくしよに帰りて、「かげちかかかる事をこそかたりまうしつれ」と、いづへつげまうさむとしけるに、「三郎はかんだうの者也。二郎は
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いまだすけどののみしりたまわず。たらうゆけ」とて、しもつけのうつのみやに有けるたらうさだつなをよびて、ほうでうに参てまうすべきやうは、「おんふみはおちちる事もぞ候とて、わざと定綱を参らせ候。ひごろないないごだんぎさうらひし事を、かげちかもれききたりげに候ぞ。おぼしめしたたばいそがるべし。さなくはとくしてあうしうへこえさせ給へ。これまではとうくらうばかりをぐしてわたらせ給へ。こどもをつけておくりまうすべし」とて、つかはしけり。十二日、さだつなかへりきたりて、「このことくはしくまうしてさうらひしかば、『よりとももさきだちてききたるなり。めしにつかはさむとおもひつるに、たれしていふべきともおもひわづらひて有つるに、しんべうにきたり。さらばやがてこれにゐるべし』ととどめたまひつれども、『いそぎまかりかへりて、おととどもをもぐし、もののぐをも取てまゐりさうらわむ』とまうししかば、『さらばよしきたらむ。人にもきかれなむず』とのたまひければ、さまざまのちかごと
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をたてさうらひしかば、『さらばとくかへりて、十六日にはかならずきたれ。なんぢらをまちつけて、伊豆のものどもをぐして、かねたかをばうたむずるなり。ただし二郎はしぶやのしやうじがむこにて、こにもおとらずおもひたむなれば、よもくみせじ。三郎ばかりをぐせよ』とさうらひし」と申ければ、じらうつねたか是をききてまうしけるは、「三郎にも四郎にもなつげたまひそ。それらはいかにもおもひきるまじき者也。兵衛佐殿さ程のだいじをおもひたちたまふに、人をばしるべからず、つねたかにをきてはぜんあくまゐるべし」と申ければ、さらばとて、やがてさがみのはだのに有ける三郎もりつながもとへ、ししやをはしらかす。四郎たかつなは、きんねん平家にほうこうして有けるが、兵衛佐むほんのくはたてあるよしきこへければ、うきぐもにむちをあげてとうごくへはせくだりて、たらうがもとにかくれゐたりけるがもとへも、おなじく使
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者をぞつかはしける。つつむとすれども、かげちかこれをつたへききて、「いかがすべき」と、こくちゆうのひとびとにいひあはするよしきこへけり。さる程に佐々木のものども兄弟四人はせあつまりて、夜中にほうでうへ行けるに、二郎つねたかがしうとしぶやのしやうじ、人をはしらかしてつねたかに申けるは、「いかに人をまどはさむとはするぞ。ことひとどもはゆけども、経高ひとりはとどまるべし」といひつかはしたりければ、経高申けるは、「こと人々こそ、恩をもえたれば、だいじともおもふらめ。経高はさせるみえたる恩もなければ、さらに大事とも思わず。かくいふにとどまらずは、さいしをとつていかにもこそはなさむずらめ。おもひきりていづることなれば、まつたく妻子の事心にかからず。さりともすけどのよをとりたまはば、経高が妻子をばたれかはとりはつべき」と、さんざんにへんたふして、うちとほりぬ。
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十 さるほどに十六日にもなりにけり。ひやうゑのすけ、ほうでうのしらうをめしてのたまひけるは、「ひごろつきひのたつをこそまちつれば、こよひ、へいけのけにんたうごくのもくだい、いづみのはんぐわんかねたかがやまきのたちにあむなるを、よせてようちにせむとおもふなり。もしうちそんじたらば、じがいをすべし。うちをほせたらば、やがてかつせんをおもひたつべし。これをもつてよりともがみやうがのうむは、わびとどもがうんふうんをばしるべし。ただし佐々木のものどもが、さしもやくそくしたりしが、いまだみへぬこそほいなけれ」とのたまふ。ときまさまうしけるは、「こよひはたうごくのちんじゆみしまのだいみやうじんのじんじにて、たうごくのうちにゆみやをとることさうらわず。かつうは佐々木のものどもをもまたせたまへ。きちにちにてもさうらふ、あすにて候べし」とていでにけり。さるほどに、ささきのきやうだい十七日ひつじのときばかり、ほうでうへはせつきたりければ、ひやうゑのすけどのは
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あはせのこそでに、あゐずりのこばかまき給て、えぼしをして、ひめぎみのふたつばかりにやをわしけむ、そばにをきておわしけり。これらがきたる事みたまひて、よにうれしげにおぼして、「いかに、つねたかは。しぶやがあさからずおもひたむなれば、よも参らじとおもひつるに、いかにしてきたるぞ」とのたまひければ、「千人のしやうじを、きみひとりにおもひかへまゐらせさうらふべきにさうらわず」とまうしければ、「さほどに思はむ事は、とかくいふにおよばず。頼朝がこのことをおもひたたば、わびとどもがよとはしらぬか」とのたまひければ、「ただいまよをよならぬ事までは思候わず。ただかほどの大事をおぼしめしたたむに、今日参り候わでは、いつをごしさうらふべきと存ずるばかりに候」と申ければ、「頼朝はもとはこえたりしが、このひやくよにちばかり、よるひるこのことをあんずるほどに、やせたるぞ。そもそもけふじふしちにちひのとのとりをきちにちにとりて、このあかつきたうごくのもくだい、
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いづみのはんぐわんたひらのかねたかをちゆうせむとおもひつるに、くちをしくもおのおのきのふみへぬによりて、今日はさてやみぬ。明日はしやうじんのひ也。十九日はひなみあし。廿日までのびば、かへりてかげちかにねらはれぬとおぼゆるなり」とのたまひければ、さだつな申けるは、「十五日にまゐるべきにてさうらひしほどに、三郎四郎をもまちさうらひし上、をりふしこのほどのおほあめおほみづに、思わざるほかにいちにちとうりうして候」と申ければ、「あわれゐこんの事かな。さらばおのおのやすみ給へ」とのたまひければ、さぶらひにいでてやすみけるほどに、ひすでにいりてくらくなりぬ。しばらくありて、「おのおのもののぐしてこれへ」とありければ、やがて物具とりつけてまゐりたりければ、すけのたまひけるは、「これに有ける女を、かねたかがざつしきをとこがめにして有けるが、ただいまこれにきたるなり。このけしきをみてしゆうにかたりなば、いちぢやうねらわれぬべければ、
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かの男をばとらへて置たるぞ。このうへはただとくこよひよりてうつべし」とのたまひければ、十七日のねのこくばかり、ほうでうのしらうときまさ、しそくさぶらうむねとき、おなじくこしらうよしとき、ささきのたらうさだつな、おなじくじらうつねたか、さぶらうもりつな、おなじくしらうたかつないげ、かれこれむまのうへかちともなく、三十余人、四十人ばかりもや有けむ、やまきのたちへぞおしよせける。かどをうちいでければ、とうごくのぢゆうにんかとうじかげかどは、げにんにたちばかりもたせて、ただいつきおんとのゐにとてうちとほりけるが、これらがうちいづるをみて、「いかに、なにごとのあるぞ」とて、やがて打通りて、内へいりにけり。このかげかどは、もとはいせのくにのぢゆうにん、かとうごかげかずが二男、かとうだもとかずがしやてい也。ちちかげかず、かたきにおそれて、いせのくにをにげいでて、いづのくににくだりて、くどうのすけもちみつが聟になりてゐたり
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けり。弓矢の道、兄弟いづれも劣らざりけれども、ことにかげかどはくらきりなきかうの者、そばひらみずのゐのししむしやにて有けるが、いかがおもひけむ、時々兵衛佐にほうこうしけるが、そのよ、兵衛佐のもとにひそめくことありとききて、何事やらむとて、行たりけるなり。さて北条、ささきのものどもは、ひたがはらといふところにうちいでて、北条四郎申けるは、「やまきへわたるつつみのはなに、いづみのはんぐわんがいちのらうどう、ごんのかみかねゆきと云者あり。とのばらはまづそれをよりて打給へ。時政はうちとほりて、おくのはんぐわんをせむべし」とて、あんないしやをつく。さだつなはかの案内者をさきとして、うしろへからめでにまはる。つねたかぞ前よりうちいるる。いまだからめでの廻らぬ先にうちいりて、みければ、もとよりふるつはものにて、まちやうけたりけむ、さしりたりとて、さんざんに
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いる。かたきはひつじさるにむかひ、経高はうしとらにむかふ。月もあかかりければ、たがひのしわざ隠るる事なし。よせあはせてたたかふほどに、経高うすでおひぬ。さるほどに、たかつなうしろよりきくははりたりけるに、やをばぬかせてけり。さて兼行をば、定綱盛綱おしあはせて、打ををせつ。はんぐわんがたちとかねゆきがいへと、あひだごちやうばかりなり。かたきうちををせてのち、やがて奥のやまきのたちへぞはせとほりける。兵衛佐はえんにたたれたりけるが、かげかどがきたるをみたまひて、「をりふししんべうなり。かげかどは頼朝がとぎにさうらふべし」とおかれたり。はるかによふけてのち、「こよひ時政をもつて、かねたかをうちにつかはしつるが、『うちををせたらば、たちにひをかけよ』といひつるが、はるかになれどもひのみへぬは、うちそんじたるやらむ」とひとりごとにのたまひければ、かげかどききあへず、「さてはにつぽんだいいちのおんだいじをおぼしめしたちける
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に、今までかげかどにしらせさせ給はざりける事の心うさよ」といふままに、やがてかぶとのををしめて、つといでけるを、兵衛佐、かげかどをめしかへして、しろかねのひるまきしたるこなぎなたを、てづからとりいだしたまひて、「これにてかねたかが首をつらぬきて参れ」とて、景廉にたぶ。景廉これをたまはりてはせむかふ。かち一人ぐしたりける、兵衛佐よりざつしき一人つけられたりけるに、なぎなたをばもたせて、はんぐわんがたちちかくはせてみれば、北条はいへのこらうどうおほくておひ、むまどもいさせて、しらみてたちたる所に、かげかどきくははりければ、北条いひけるは、「かたきてごわくて、すでに五六度までひきしりぞきたるぞ。佐々木のものどもはかねゆきをばうちて、このたちのうしろへからめでにむかひたるなり」といへば、「したたかならむ者にたてつかせてたべ。ひとあてあててみむ」と申ければ、ほうでうがざつしきをとこ、げんとう
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じといひける者にたてつかせて、馬よりをりて、弓矢は元よりもたざりければ、一人のゆみはりのやみすぢかなぐり取て、たてのかげよりすすみいでて、やおもてに立たるかたき三人、みつのやにてい殺しつ。さて弓をばなげうてて、なぎなたをくきみじかにとりなして、かぶとのしころをかたぶけて、うちはらひて内へつといり、さぶらひをみれば、たかとうだいにひ白くかきたてたり。そのまへにじやうえきたる男の、おほなぎなたのさやはづしてたちむかひけるを、かとうじはしりちがひて、こなぎなたにてゆんでのわきをさして、なげふせたり。やがて内へせめいりてみれば、ひたいつきの前にひををこしたり。又ひ白くかきたてたり。ふしからかみのしやうじたてたりけるをほそめにあけて、たちのおびとり、ごろくすんばかりひきのこして、かたきこれにいりたりとおもひて、みいだしたり。かとうじ、ふたつのなぎなたをもつてしやうじをさし
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あけてみれば、いづみのはんぐわんをば、ぢゆうしよにつきてやまきのはんぐわんとぞ申ける、判官かたひざをたて、たちをひたひにあてて、いらばきらむと思ひたりげにて、まちかけたり。かとうじしころをかたぶけて、いらむとするやうにすれば、判官かたきをいれじと、むずときる所に、うへのかもゐにきりつけて、たちをぬかむとしけるを、ぬかせもはてさせずして、しやくびをさしつらぬきて、なげふせてくびをかくをみて、判官がうしろみの法師、もとはやまほふしにちゆうきと云者にて有けるが、つとよる所をにのかたなにくびをうちおとしつ。さてしゆうじゆうふたりが首を取て、しやうじにひふきつけて、心のすむとしはなけれども、
ほけきやうをいちじもよまぬかとうじがやまきのはてを今みつるかな K105
とうちながめて、つといでて、「かねたかをばかげかどがうちたるぞや」とののしりけり。
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判官がしゆくしよのやけけるを、兵衛佐みたまひて、「兼隆をばいちぢやうかげかどがうちつるとおぼゆるぞ。かどでよし」とよろこび給けるほどに、北条使者をたてて、「兼隆を景廉が討て候なり」とまうしたりければ、兵衛佐「さればこそ」とぞのたまひける。景廉はせんこうをたうじにあぐるのみにあらず、もつぱらめいばうをこうせいにのこせり。
十一 これをはじめとして、いづのくによりひやうゑのすけにあひしたがふともがらは、
ほうでうのしらうときまさ、しそく三郎むねとき、おなじくこしらうよしとき、くどうのすけしげみつ、子息かりののごらうちかみつ、うさのみへいだ、おなじくへいじ、おなじく三郎すけもち、かとうだみつかず、おなじくしやていかとうじかげかど、とうくらうもりなが、あまののとうないとほかげ、おなじく六郎、につたのしらうただつね、ぎしようばうじやうじん、ほりのとうじちかいへ、ささきのたらうさだつな、
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同二郎つねたか、同三郎もりつな、同四郎たかつな、しちらうむしやのぶちか、ちゆうしらうこれしげ、ちゆうはちこれひら、きつじよりむら、さめしまのしらうむねふさ、こんどうしちくにひら、おほみのへいじむねひで、しんどうじとしなが、こちゆうだみついへ、じやうのへいだ、さはのろくらうむねいへ、ふところじまのへいごんのかみかげよし、おなじくしやていとよだのじらうかげとし、つくゐのじらうよしゆき、同八郎よしやす、とひのじらうさねひら、同子息やたらうとほひら、しんかいのあらじらうさねしげ、つちやのさぶらうむねとほ、同小次郎よしきよ、まごやじらうただみつ、をかざきのしらうよしざね、さなだのよいちよしただ、なかむらのたらう、同次郎、いひだのごらう、へいさうたらうためしげ、
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をぬまのしらう、はたけのさぶらうよしくに、まるのごらうのぶとし、あんざいのさぶらうあきますらをあひぐして、八月廿日、さがみのくにとひへこえて、ときまさ、むねとほ、さねひらごときのをとなどもをめして、「さてこのうへはいかがあるべき」とひやうぢやうあり。
十二 さねひら、「まづくにぐにのごけにんのもとへめぐらしぶみのさうらふべきなり」と申ければ、「もつともさるべし」とて、とうくらうもりながをつかひにて、めぐらしぶみをつかはさる。まづさがみのくにのぢゆうにん、はだののうまのじようやすかげをめしけれども、さんぜず。かづさのすけはちらうひろつね、ちばのすけつねたねがもとへ、ゐんぜんのおもむきを、おほせつかはしたりければ、「いきてこのことをうけたまはる、みのさいはひにあらずや。ちゆうをあらわし、なをとどめむこと、このときにあり」。むかしろれん、べんげんしてもつてえんをしりぞけ、はうしよ、たんじしてもつてそを
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そんせりき。もりながすでにしせつをせんじゆつにまつたくして、さんずんのしたをうごかして、深くににんのこころをたぶれければ、つねたねら、ゐせいをきようしゆうにふるひて、はつこくのつはものをくつして、つひにしいのらんををさめけり。それべんしはくにのらうやくなり。ちしやはてうのみやうきやうなりといへり。このことまことなるかなや。しかのみならず、昔のあんえい、ゆうをさいしよにおこし、ていえい、ぎをてうぶにあらわせりき。今のつねたねら、よりとものために、たちまちにきうおんをむくふ。つひにしんこうをたて、ほまれをしはうにあらはし、なをはくたいにふるへり。かやふによろこびぞんじければ、さうなくりやうじやうまうしたりければ、おのおのいそぎはせむかはむとしけれども、わたりあまたあつて、船いかだにわづらひおほかりければ、八月下旬のころをいまでちから及ばず、ちさんす。やまのうちすどうぎやうぶのじようとしみちが孫、すどうたきぐちとしつながこども、たきぐちさぶらう、おなじくしらうを
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めされければ、ややひさしくへんじもせず。もりながを内へだにもいるる事なくして、はるかに程をへだててのちに、盛長にいであひて、おんつかひの返事をばせずして、さんざんのあつこうをぞしける。としむねぎやくじゆんのぶんをしらず。りがいのようをわきまへず。ただきやうだいのかたきをおそれ、たちまちにしんきうのあるじをそむく。口にばうげんをはき、心にじやうしんなし。すこぶるようじのほふにあらず。ひとへにきやうじんのていににたり。四郎申しけるは、「われらが父、ほうげんの乱にろくでうはんぐわんどののおんともを致して合戦し、次にへいぢのいくさにしんみやうをすててふせきたたかひしかば、おやこふたりつひにかたきのためにうたる。しかるうへは、いまひやうゑのすけどののおんともして、命をうしなふべくやはべるらむ」。三郎これをききて、盛長がききをもはばからず、しやていの四郎に申けるは、「わどのは物にくるふな。人
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は、いたりてわびしくなりぬれば、すまじき事をもし、おもひよるまじき事をもおもひよるとは、これていの事をいふなり。そのゆゑは、ひやうゑのすけどののたうじのすんぽふにて、平家にたてあひ奉らむとて、かくのごとくの事をひきいだしたまふことよ。によほふふじの山とたけくらべ、ねこのひたひにつきたる物を、ねずみのねらふににたり。なむあみだぶつなむあみだぶつ」とかうしやうにまうして、おんぺんじにおよばず。さてみうらのすけよしあきがもとへおんふみもちむかひたりければ、をりふしふうきにてふしたりけるが、「兵衛佐殿のつかひあり」とききて、いそぎをきあがりて、えぼしをしいれて、ひたたれうちかけて、盛長にいでむかひて、めぐらしぶみひけんして申けるは、「こさまのかみどののおんすゑは、皆たえはてたまひぬるかとおもひつるに、よしあきがよにそのおんすゑいできたまわむ事、ただいつしんのよろこびなり。しそんみなまゐるべし」とてめしあつめけり。ちやくし
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すぎもとのたらうよしむねは、ちやうぐわんぐわんねんのあきのいくさに、あはのくにながさのじやうをせむとて、だいじのておひて、みうらにかへりて百日にみたざるに、卅九にて死にけり。じなんみうらのべつたうよしずみ、おほたわのさぶらうよしひさ、さはらのじふらうよしつら、まごどもには、わだのこたらうよしもり、おなじく二郎よしもち、同三郎むねざね、たたらのさぶらう、おなじく四郎、さののへいだ、らうどうには、きつご、やとうだ、みうらのとうへい、これらをまへに呼て申けるは、「昔はさんじふさんねんをもつてひとむかしとしけり。今はにじふいちねんをもつてひとむかしとす。廿一年すぎぬれば、淵は瀬となり、瀬は淵になる。平家既ににじふよねんのあひだ、てんがををさむ。今はよの末に成て、あくぎやうひをへてばいぞうす。めつばうのごきたるかとみえたり。そののちはまたげんじのはんじやううたがひなし。おのおの早くいちみどうしんにて、すけどののおんもとにさんずべし。もしみやう
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がおわせずして、うちじにをもし給はば、おのおのまたかうべをひとところにならぶべし。さんぞく、かいぞくをもしたらばこそかきんならめ。すけどの、もしくわほうをはして、よをとり〔たま〕はば、おのれらが中に一人もいきのこりたらむ者、よにあひてはんじやうすべし」と申ければ、おのおのみな「さうにおよばず」とぞ申ける。
十三 さるほどに、北条、佐々木がいちるいをはじめとして、いづさがみりやうごくのぢゆうにんどういよりきするともがら、三百余騎にはすぎざりけり。八月廿三日のゆふべにとひのがうをいでて、はやかはじりといふところにぢんをとる。はやかはたうが申けるは、「これはいくさばにはあしくさうらふべし。ゆもとのかたよりかたき〔山〕をこえてうしろをうちかこみ、なかにとりこめられさうらひなば、一人ものがるべからず」と申ければ、とひのかたへひきしりぞきて、こめかみいしばしと云所にぢんを取て、うへの山の腰にはかいだてをかき、しものだいだうをばきりふさぎて、たて
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ごもる。へいけのかたうど、たうごくのぢゆうにんおほばのさぶらうかげちか、むさしさがみりやうごくのせいをまねきて、同廿三日のとらうの時に、おそひきたりて、あひしたがふともがらには、おほばのさぶらうかげちか、しやていまたののごらうかげひさ、ながをのしんご、しんろく、やぎしたの五郎、かがはのごらういげのかまくらたう、一人ももれざりけり。このほか、えびなのげんぱちごんのかみひでさだ、しそくをぎののごらう、おなじくひこたらう、えびなのこたらう、かはむらのさぶらう、はらのそうしらう、そがのたらうすけのぶ、しぶやのしやうじしげくに、やまのうちたきぐちさぶらう、おなじくしらう、いなげのさぶらうしげなり、くげのごんのかみなほみつ、しそくくまがえのじらうなほざね、あさまのじらう、ひろせのたらう、をかべのろくやたただずみらをはじめとして、むねとの者三百余騎、いへのこらうどうそうじて三千余騎にて、いしばしのじやうへおしよす。
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みちみち兵衛佐のかたうどの家々、いちいちにやきはらひて、谷をひとつへだて、海をうしろにあててぢんをとる。さるほどにとりのこくにもなりにけり。いなげのさぶらうが云けるは、「けふはひ既にくれぬ。かつせんはあすたるべきか」と。おほばのさぶらうがまうしけるは、「あすならば、ひやうゑのすけどののかたへせいはつきかさなるべし。うしろより又みうらの人々きたるときこゆ。りやうばうをふせかむ事、道せばく、あしだちわろし。ただいますけどのをおひおとして、明日はいつかう三浦の人々としようぶをけつすべし」とて、三千余騎声をととのへてときを作る。兵衛佐のかたよりも時の声をあはせて、かぶらやをいければ、山びここたへて、かたきがたのおほぜいにもおとらずぞきこへける。おほばのさぶらうかげちか、あぶみふみはり、ゆんづゑつき、たちあがりて申けるは、「そもそもきんだいにつぽんごくに光をはなち、肩をならぶる人もなき、平家のみよをかたぶけ奉り、をかし奉らむとけつこう
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するは、たれびとぞや」。ほうでうのしらうときまさあゆませいだしてまうしていはく、「なんぢはしらずや。わが君は、せいわてんわうのだいろくのわうじ、さだずみのしんわうのおんこ、ろくそんわうつねもとよりは七代のこういん、はちまんたらうどのにはおんひこ、ひやうゑのすけどののおはしますなり。かたじけなくだいじやうてんわうのゐんぜんをたまはりて、おんくびにかけ給へり。とうはつかこくのともがら、たれびとかごけにんにあらざるや。馬に乗ながらしさいをまうすでう、はなはだきくわいなり。すみやかにおりて申べし。さておんともには、北条四郎時政をはじめとして、しそくさぶらうむねとき、おなじくしらうよしとき、佐々木がいつたう、とひ、つちやをはじめとして、伊豆相模りやうごくのぢゆうにん、ことごとくまゐりたり」。かげちか又申けるは、「むかしはちまんどののごさんねんのいくさのおんともして、ではのくにかねざはのじやうをせめられし時、十六才にてせんぢんかけて、右目をいさせて、たふのやをいて
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そのかたきを取て、なをこうたいにとどめたりし、かまくらのごんごらうかげまさがばつえふ、おほばのさぶらうかげちかをたいしやうぐんとして、きやうだいしんるいさんぜんよきなり。みかたのせいこそむげにみへ候へ。いかでかてきたいせらるべき」。時政かさねて申けるは、「そもそもかげちかは、かげまさがばつえふとなのりまうすか。さてはしさいはしりたりけり。いかでかさんだいさうでんの君にむかひ奉りて、弓をもひき、やをはなつべき。すみやかにひきてのき候へ」。かげちかまたまうしていはく、「さればしゆうにあらずとは申さず。ただし昔はしゆう、今はかたき。弓矢をとるもとらぬも、おんこそ主よ。たうじは平家のごおん、山よりも高く、海よりも深し。昔をぞんじて、かうにんになるべきにあらず」とぞ申ける。兵衛佐のたまひけるは、「むさしさがみにきこゆるものども、皆あんなり。中にもおほばの三郎とまたののごらうとは、かうみやうのつはものとききおきたり。たれびとにてかくます
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べき」。をかざきのしらうすすみいでて申けるは、「かたき一人にくまぬ者の候か。親のみにて申べきにはさうらわねども、よしざねが子息のしれものくわんじやよしただめこそさうらふらめ」と申ければ、さらばとて、さなだのよいちよしただをめして、「けふのいくさのいちばんつかまつれ」とのたまひければ、よいち「うけたまはりぬ」とて、たちにけり。与一がらうどうさなだのぶんざういへやすをまねきよせて、「さなだへ行て、母にもにようばうにも申せ。『よしただけふのいくさのせんぢんをかくべきよし、ひやうゑのすけどのおほせらるるあひだ、先陣つかまつるべし。いきてふたたびかへるべからず。もし兵衛佐よをうちとりたまはば、二人のこども、すけどのにまゐりて、をかざきとさなだとをつがせて、子共のうしろみして、義忠がごせをとぶらひてたべ』といふべし」と申ければ、「殿を二才の年より今年廿五になりたまふまで、もり奉て、只
今しなむとのたまふ
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をみすてて、帰るべきにあらず。これほどの事をばさぶらうまるしてのたまふべきか」とて、三郎丸をめして、いへやすこのよしをいひふくめてぞつかはしける。よいち十七騎のせいにてあゆませいだして申けるけるは、「みうらのおほすけよしあきがしやてい、みうらのあくしらうよしざねがちやくなん、さなだのよいちよしただ、しやうねんにじふご、源氏のよをとりたまふべきいくさのせんぢんなり。われと思わむともがらはいでてくめ」とて、かけいだしたり。平家のぐんびやう是をききて、「さなだはよきかたきや。いざうれまたの、くみてとらむ」とて、進む者は、ながをのしんご、しんろく、やぎしたの五郎、をぎののごらう、そがの太郎、しぶやのしやうじ、はらの四郎、たきぐち三郎、いなげの三郎、くげのごんのかみ、かさまのさぶらう、ひろせの大郎、をかべのろくやた、くまがえの次郎をはじめとして、むねとのものども七十三騎、われをとらじ
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とをめいてかく。ゆんでは海、めては山、暗さはくらし、雨はゐにいつてふる、道はせばし。心は先にとはやれども、ちからおよばぬみちなれば、むましだいにぞかけたりける。さなだがらうどうぶんざういへやす、あゆませいだして申けるは、「とうはつかこくのとのばら、たれびとか君のごけにんならぬや。あすははづかしからむずるに、やひとつもいぬさきに、かぶとをぬぎてみかたへ参れや」と申ければ、しぶやのしやうじしげくに、「かくまうすはたれびとのことばぞや。家安がまうすにや。あたら詞かな。しゆうにはいわせで、ひとびとしくまたらうどうの」といひければ、家安かさねて申けるは、「人のらうどうは人ならぬか。二人のしゆうにあわず、他人の門へ足ふみいれず。わどのばらこそうつつの人よ。ちちぶのばつえふとて口はきき給へども、いつぱうのたいしやうぐんをもせで、おほばのさぶらうがしりまひしてまどひありくめり。よきひとのきたなきふる
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まひするをぞ人とはいわぬ。やひとすぢ奉らむ」とて、つるのもとじろのくろぬりのじふさんぞくをよくひきていたりければ、かぶとのてさきにたちにけり。そのときかたきもみかたも、いちどうにはとぞわらひける。さるほどに廿三日のたそかれどきにもなりにければ、おほばの三郎、しやていまたのの五郎に申けるは、「またのどの、かまへてさなだにくみ給へ。かげちかもおちあわむずるぞ」。俣野、「余りにくらくて、かたきもみかたもみへわかばこそくみさうらはめ」と云ければ、大庭、「佐奈多はあしげなる馬に乗りたりつるが、かたじろのよろひにすそかなものうちて、白きほろをかけたるぞ。それをしるしにて、かまへてくめ」とぞ申しける。「うけたまはりぬ」とて、俣野すすみいでて申けるは、「そもそも佐奈多の与一がここにありつるが、みへぬは。はやおちにけるやらむ」といへども、佐奈多をともせず。
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かたきをまぢかくあゆませよせ、ありどころをたしかにききをほせて、まがたわらにこたへたり。「さなだのよいちよしただここにあり。かくまうすはたれびとぞ」といふ声につきて、「俣野五郎かげひさなり」といひはつれば、やがておしならべてさしうつぶきてみれば、馬もあしげなる上に、すそかなものきらめきてみへければ、やがてよせあはせてひきくみて、馬よりどうどおちにけり。うへになりしたになり、山のそわをくだりに、だいだうまでさんだんばかりぞころびたる。いまひとかへしも返したらば、海へいりてまし。またのはだいぢからときこへたりけれども、いかがしたりけむ、下になる。うつぶしにさがりがしらにふしたりければ、枕もひきし、あとは高し、をきうをきうとしけれども、佐奈多うへにのりゐたりければ、かなわじとやおもひけむ、「おほばのさぶらうがしやていまたののごらうかげひさ、さなだのよいちにくみたり。つづけ
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やつづけや」と云けれども、家安をはじめとして、らうどうどもみなおしへだてられて、つづく者もなかりければ、俣野がいとこながをのしんごおちあひて、「うへやかたき、したやかたき」ととひければ、与一は敵の声とききなして、「上ぞかげひさ。ながをどのか。あやまちすな」。俣野は下にて、「下ぞかげひさ。長尾殿か。あやまちすな」といふ。「上ぞ」、「下ぞ」といふほどに、かしらはひとところにあり、暗さはくらし、声はひきし、いづれとも聞わかず。「うへぞかげひさ、したさなだ」、「上は佐奈多、下は景尚」とたがひに云。またの、「ふかくの者かな。よろひのかなものをさぐれかし」と云ければ、二人のものどもがよろひのひきあはせをさぐりけるを、さなださぐられて、右の足をもつて、ながをが胸をむずとふむ。しんごふまれてくだりさまに、ゆんだけばかりぞととばしりてたふれにけり。そのあひだに佐奈多かたなをぬきて、
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またのがくびをかくに、きれず。させどもさせどもとをらず。刀をもちあげてくもすきにみれば、さやまきのくりかたかけて、さやながらぬけたり。さやじりをくわへてぬかむとす〔る〕所に、しんごがおととしんろくおちかさなりて、よいちがやなぐひのあわひにひたとのりゐて、かぶとのてへんの穴にてをさしいれて、むずとひきあをのけて、佐奈多がくびをかきければ、水もさわらずきれにけり。やがてまたのをひきをこして、「てやおひたる」ととひければ、「くびこそすこししひておぼゆれ」といふを、さぐればてのぬれければ、かたきが刀をとるに、「みよ」とて右手をみれば、さやじりいつすんばかりくだけたる刀をぞもちたりける。誠につよくさしたりとみへたりけり。そのてをいたみて、またのはいくさもせざりけり。「またのの五郎
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かげひさ、さなだのよいちうちたり」とののしりければ、源氏のかたにはなげきけり、平家の方にはよろこびけり。父のをかざき、ひやうゑのすけに、「よいちくわんじやこそ既にうたれさうらひにけれ」と申ければ、兵衛佐は、「あたらつはものをうたせたるこそくちをしけれ。もし頼朝よにあらば、義忠がけうやうをば頼朝すべし」とて、あわれげに思われたり。岡崎は、「十人のこにこそおくれさうらはめ、君のよに渡らせ給わむ事こそ、ねがはしく候へ」とまうしながら、さすがおんあいの道なれば、よろひの袖をぞぬらしける。ぶんざういへやすは、与一がうたれたる所より、ををひとつへだてて、たたかひけるを、いなげのさぶらう、「しゆうは既にうたれぬ。今はわぎみにげよかし」といひければ、家安まうしけるは、「えうせうよりかけくむ事はならひたれども、にぐる事はいまだしらず。さなだどのうたれたまひぬとききつるより、心こそいよいよ
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たけくおぼゆれ」とて、ぶんどり八人して、うちじにに死にけり。いくさはよもすがらにありけり。あかつきがたになりて、兵衛佐のせい、とひをさしてひきしりぞく。すけもごぢんにひかへて、「あなこころうや。おなじくひくともおもふやひとついておちよや。かへせやかへせや」とのたまひけれども、いつきもかへさず、みなおちぬ。ほりぐちと云所にて、かとうじかげかど、ささきのしらうたかつな、おほたわのさぶらうよしひさ、三騎おちのこりて、十七度までかへしあはせ、さんざんに戦ふ。かたきはすせんありけれども、道もせばくあしだちあしく、一度にもおしよせず。わづかに二三騎づつこそかけたりけれ。このものどもかたき多くうちとりて、やだねつきにければ、おなじく一度にひきしりぞく。さるほどに夜もほのぼのとあけにければ、廿四日のたつのときにうへの山へひかれけるを、をぎののごらうすゑしげ、おなじくしそくひこたらうひでみついげ、兄弟
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五人、兵衛佐のあとめにつきておひかかりて、「このさきにおちたまふはたいしやうぐんとこそみえまうせ。いかに源氏のなをれに、よろひのうしろをばかたきにみせたまふぞ。きたなしや。かへしあはせたまへ」とて、をめいてかく。すけかなわじとや思われけむ、ただ一人かへしあはせて、やひとついられたり。をぎののごらうがゆんでのくさずりに、ぬひさまにぞ立たりける。にのやはくらのまへわにたつ。つぎのやはをぎのが子息ひこたらうが馬の、左のむながひづくしにたちにけり。馬はねてのりたまらず。足をこしてをりたちぬ。伊豆国の住人おほみのへいじ、かへしあはせてすけの前にふさげたり。又むしや一騎はせきたりて、大見が前にひかへて、「むかしものがたりにも、たいしやうぐんのおんたたかひはなき事にて候。只ここをひかせ給へ」と申ければ、「ふせきやいるものなければこそ」とのたまひければ、「相模国の住人、いひだのさぶらうむねよしさうらふ」〔と〕
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まうして、やみすぢいたりけり。そのあひだに兵衛佐はすぎやまへいりたまひにけり。のこりの人々も、みちさがしくて、たやすく山へいるべきやうもなかりければ、たちばかりにてぞ山へはいりにける。伊豆国の住人さはのろくらうむねいへも、ここにてうたれにけり。どうこくのぢゆうにんくどうのすけもちみつは、ふとりおほきなる男にて、山へも登らず、あゆみもやらず、のぶべしともおぼへざりければ、しそくかりののごらうちかみつをまねきよせて、「ひとでにかくな。わがくびうて」と云ければ、ちかみつのくびをきらむ事のかなしさ、父を肩にひきかけて山へ登りけるに、ががたる山なれば、たやすくのぼるべしともおぼへざりければ、とびにものびやらず。かたきはせめちかづきて、既にいけどらるべかりければ、もちみつ腹かひきりて死にけり。茂光が娘に、いづのくにのこくしためつながぐしてまうけたりける、たしろのくわんじやのぶつなこれを
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みて、そぶくどうのすけがくびを切て、しそく狩野五郎にとらせて、山へいりにけり。ほうでうがちやくし、三郎むねときも、いとうのにふだうすけちかほふしにうたれにけり。さてひやうゑのすけは山のみねにのぼりて、ふしきのありけるに、しりうちかけてゐられたりけるに、人々あとをたづねてせうせうきたりたりければ、「おほば、そがなむどは山のあんないしやなれば、さだめて山ふませむずらむ。人おほくては中々あしかりなむ。おのおのこれよりちりぢりになるべし。われもしよにあらば、必ずたづねきたるべし。我も又たづぬべし」とのたまひければ、「われら既ににつぽんごくをかたきにうけて、いづくのかたへまかりさうらふとも、のがるべしともおぼえさうらはず。おなじくはただひとところにてこそは、ぢんくわいにもなりさうらわめ」と申ければ、「よりとも、おもふやうありてこそかくいふに、なほしひておちぬこそあやしけれ。おのおのぞんずるむねのあるか」と、かさねてのたまひければ、このうへはとて、おもひおもひにおちゆきけり。ほうでうのし
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らうときまさ、おなじくしそくよしとき、父子二人はそれよりやまづたひに、かひのくにへぞおもむきける。かとうじかげかどとたしろのくわんじやのぶつなとは、いづみしまのほうでんの内にこもりたりけるが、よほのぼのとあけければ、宝殿をいでておもひおもひにぞ落行ける。かげかどはあにかとうだみつかずにゆきあひて、かひのくにへぞおちにける。残るともがらは、いづ、するが、むさし、さがみの山林へぞにげこもりける。ひやうゑのすけにつきて山に有ける人とては、とひのじらう、おなじく子息やたらう、をひのしんかいのあらじらう、つちやのさぶらう、をかざきのしらう、いじやう五人、げらふには土肥二郎がこどねりをとこしちらうまる、ひやうゑのすけぐしたてまつりて、じやうげ只七騎ぞ有ける。とひが申けるは、「てんきねんぢゆうにこいよのにふだうどの、さだたふをせめたまひし時、わづかに七騎におちなりて、いつたんは山にこもり
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たまひしかども、つひにそのごほんいをとげたまひにけり。けふのおんありさま、すこしもかれにたがわず。もつともきちれいとすべし」とぞまうしける。G21
十四 三浦の人々は、さがみがはのはた、はまのみやの前にぢんをとりて、おのおのまうしけるは、「いしばしのいくさはこのゆふべまではなかりけり。今はひもくれぬ。けうてんののちよりよすべし」とて、ゆらへて有けるほどに、兵衛佐のかたにおほぬまのしらうといふものあり、かたきの中をまぎれいでたりけるが、三浦の人々の陣の前のかはばたにきたりてよばはりけるを、「たそ」ととひければ、「大沼の四郎也。石橋のいくさ既にはじまり、さんざんのことどもあり。そのしだいまゐりてまうさむとすれば、馬にははなれぬ、夜はふけたり、河のふちせもみへわかず。馬をたべ。まゐりて申さむ」と云ければ、いそぎ馬をぞ渡しける。大沼が参て申けるは、「とりのときにいくさはじまりて、只今までひいづる
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程の合戦す。さなだのよいち既にうたれぬ。兵衛佐もうたれ給たるとこそまうしあひてさうらひつれ。まことにのがれ給べきやうもなかりつる上に、てをくだしてたたかひたまひつれば、いちぢやううたれたまひつらむ」とぞ申ける。人々是を聞て、「兵衛佐殿もうたれたまひにけり。たいしやうぐんのたしかにましますときかばこそ、百騎が一騎にならむまでも戦はめ。前にはおほばのさぶらう、いとうのにふだう、うんかのせいにてまちかけたり。うしろにははたけやまのじらう、むさしのたうのものどもひきぐして、五百余騎にてかなえがはのはたに陣を取てあんなり。なかにとりこめられなば一人ものがるまじ。たとひいつぱうをうちやぶりて通りたりとも、てうてきとなりぬる上は、ついにあんをんなるべからず。しかじ、ひとでにかからむよりは、おのおのじがいをすべし」といひければ、よしずみが申けるは、「しばし、とのばらの自害あまりに
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とよ。かやうの時はひがことそらごとも多し。兵衛佐殿もいちぢやううたれてもやをわすらむ、又のがれてもやをわすらむ、そのかばねをみまうさず。とひ、をかざきはいづのくにの人也。まづこのひとびとうたれてのちこそ、たいしやうぐんはうたれ給わむずれ。うみべ近ければ、ふねにのりたまひて、あはかづさのかたへもやこころざしたまひぬらむ。又いしばしはみやまはるかにつづきたれば、それにもこもりてやおわすらむ。いかさまにも兵衛佐殿のおんかうべをもみざらむほどは、自害をせむ事あしかりなむ。さりとも兵衛佐殿くわうりやうにうたれたまわじ者を。たとひしにたまふとも、かたきに物をば思わせ給わむずらむ。いかさまにもおほばにもはたけやまにも、いつぱうにむかひてこそ、うちじに、いじにをもせめ。はたけやまがせい五百余騎とこのせい三百余騎と、おしむかひたらむに、などかはしばしはささへ
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ざるべき。ここをばかけやぶり、みうらにひきこもりたらむに、につぽんごくのせい一度によせたりとも、ひいづるほどのたたかひしてやだねつきば、そのときこそよしずみはじがいをもせむずれ」とて、やがてかぶとのをしめて、やはんばかりにこいそがはらをうちすぎて、なみうちぎはをくだりに、かなえがはのしりへむけてぞあゆませける。わだのこたらうよしもりがしやてい、二郎よしもちは、かうみやうのあらつはもののだいぢからにて、おほやのせいびやうなるが、まうしけるは、「このみちはいつのならひの道ぞや。上のだいだうをばなどうちたまわぬぞ。ただだいだうをうちすぎさまに、はたけやまがぢんをかけやぶりて、つよきむまどもせうせううばひとりてゆかばや」と云ければ、兄のよしもり、「なんでふそぞろごとのたまふとのばらかな」といひければ、よしずみいひけるは、「畠山このほど馬かひたてて休みゐたり。つよきむまとらむとて、かへりてよわきむまばしとられ、馬の足をとは、なみに
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に[* 「に」一つ衍字]まぎれてきこゆまじ。くつばみをならべてとをれ、わかたう」と云ければ、あるいはうつぶきてみづつきをにぎり、あるいはくつわをゆいからげなむどしてぞ、とほりける。あんのごとく畠山二郎ききつけて、めのとのはんざはの六郎なりきよをよびていひけれるは、「只今三浦の人々の通るとおぼゆるぞ。しげただこのひとびとにいしゆなしといへども、かれらはいつかうすけどののかたうどなり。重忠は、ちちしやうじ平家にほうこうして、たうじざいきやうしたり。これをひとやいずして通したらば、おほば、いとうなむどにざんげんせられて、いちぢやう平家のかんだうかうぶりぬとおぼゆるなり。いざおひかかりてひとやいむ」といひければ、なりきよ「もつともしかるべし」とて、馬のはらおびつよくしめておひかくる。三浦の人々はかくともしらで、さがみがはをうちわたり、こしごえ、いなむら、ゆゐのはまなむどうちすぎて、こづぼざかをうちあがれば、夜もやうやく
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あけにけり。こたらうよしもりがいひけるは、「これまではべつじなくきたり。今はなにごとかはあるべき。たとひてきにんおひきたるとも、あしだちあしきところなれば、などかひとささへせざるべき。馬をも休め、わりごなむどをもおこなひ給へかし、とのばら」とて、おのおの馬よりおりゐて、うしろの方を見返りたれば、いなむらがさきにむしや卅騎ばかりうちいでたり。こたらうこれをみて、「ここにきたるむしやはかたきか、またこのぐそくのさがりたるか」といひければ、みうらのとうへいさねみつ、「このぐそくにはさるべき人もさうらわず。じらうどのばかりこそ、鎌倉をのぼりにうたせたまひつれ。あれよりきたりまうすべき者をぼへず」と申ければ、小太郎、「さてはかたきにこそあんなれ」とて、をぢのべつたうただずみにむかひていひけるは、「はたけやますでにおひかかりきたる。殿ははやあづまぢにかかりて、あぶずりくつきやうのこじやうなれば、
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かひだてかかせてまちたまへ。義盛はこれにてひとささへして、もしかなはずは、あぶずりにひきかけて、もろともにたたかふべし」。義澄は、「もつともさるべし」とて、あぶずりへ行けるに、はたけやまのじらう四百余騎にて、あかはたてんをかかやかして、ゆゐのはま、いなせがはのはたにぢんをとる。畠山、らうどう一人めして、「わだのこたらうのもとへ行て、『しげただこそきたりてさうらへ。おのおのにいしゆをおもひ奉るべきにあらねども、ちちしやうじ、をぢをやまだのべつたう、平家のめしによつて、をりふしろくはらにしこうす。重忠が陣の前をぶいんに通し奉りなば、平家のかんだうかうぶらむ事うたがひなし。よつてこれまで参たり。これへやいでさせ給べき。それへや参べき』とまうせ」とてつかはしけり。つかひゆきてこのよしを云ければ、郎等さねみつをよびて、かのつかひにあひぐしてへんたふしけるは、「おんつかひのまうしじやうくはしくうけたまはりさうらふ。おほせもつともそのいはれあり。
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ただししやうじどのとまうすはおほすけのまごむこぞかし。さればぞうそぶにむかひて、いかでかゆみやをとりてむかはるべき。もつともしゆいあるべし」といわせたりければ、重忠かさねていわせけるは、「もとより申つるやうに、すけどののおんことといひ、おのおのの事とまうし、まつたくいしゆをおもひ奉らず。ただちちとをぢとの首をつがむが為に、是まできたるばかりなり。さらばおのおの三浦へかへり給へ。重忠も帰らむ」とて、わよして帰る処に、かやうにもんだふわへいするをもいまだききさだめざるさきに、よしもりがげにん一人、しやていよしもちがもとへはせきたりて、「ゆゐのはまに既にいくさはじまりさうらふ」といひければ、義茂是を聞て、「穴心うや。たらうどのはいかに」と云て、かぶとのををしめて、いぬかけざかをはせこえて、ながへが下にて浜をみおろしたれば、なにとはしらず、ひたかぶと四百騎ばかりうつたちたり。よしもち只八騎にて
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をめいてかく。はたけやまこれをみて、「あれはいかに。わへいのよしはそらごとにて有けり。からめでをまたむとていひけるものを。やすからぬ事かな」とて、やがてかけむとす。さるほどに兄の義盛、こつぼざかにて是をみて、「ここにくだりさまに七八騎ばかりにてはするは二郎よな。和平のしさいもききひらかず、さうなくかくるとおぼゆるなり。せいもすくなし、あしくしてうたれなむず。遠ければ、よぶともきこゆまじ。いざさらば只かけむ」とてかけいだしけり。こたらうよしもり、らうどうさねみつに云けるは、「たてつくいくさはたびたびしたれども、はせくむいくさはこれこそはじめなれ。いかやうにあふべきぞ」と云ければ、さねみつまうしけるは、「今年五十八にまかりなりさうらふ。いくさにあふこと十九度。まことにいくさのせんだつ真光にあるべしとて、いくさにあふは、かたきもゆんで、われもゆんでにあは
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むとするなり。うちとけゆみをひくべからず。あきまを心にかけて、ふりあはせふりあはせして、うちかぶとををしみ、あだやをいじとやをはげながら、やをたばいたまふべし。やひとつはなちては、つぎのやをいそぎうちくわせて、かたきのうちかぶとをおんこころにかけ給へ。むかしやうには馬をいることはせざりけれども、なかごろよりは、まづしや馬のふとばらをいつれば、はねをとされてかちだちになり候。きんだいは、やうもなくおしならべてくみて、中におちぬれば、たち、こしがたなにてしようぶはさうらふなり」とぞ申ける。さるほどに、あぶずりにひきあげて、かいだてかひてまちつるみうらのべつたうよしずみ、すでにかつせんはじまるとみて、こつぼざかををくればせにしておしよす。道せばくて、わづかに二三騎づつをつすがいにはせきたりければ、はるかにつづきてぞみへける。はたけやまのせいこれをみて、「みうらのせいばかりに
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てはあらず。かづさ、しもつふさのひとどももいちみになりにけり。おほぜいにとりこめられてはかなふまじ」とて、をろをろたたかひてひきりしりぞく。三浦の人々いよいよかつにのりて、おひさまにさんざんにいければ、はまのごりやうのおんまへにて、わだのじらうよしもちとさがみのくにのぢゆうにん、つづくのたらうと組ておちぬ。つづくはだいのをとこの人にすぐれてたけ高くほねぶとなり。わだはせいは少しちひさかりけれども、きこゆるこずまふにて、かたきをおほわたしにかけて、えいごゑをいだして、なみうちぎはにまくらをせさせて、うちふせて、むないたの上をふまへて、こしがたなをぬきてくびをかく。これをみて、つづくが郎等おちあひたりけれども、わだたちをぬきて、うちかぶとへうちいれたりければ、ただひとうちにくびをうちおとす。ふたつのくびを前にならべて、石にしりうちかけて、波に足うちすすがせて、息つぎゐたるところに、つづくがしそく、つづくのじらうはせきたりて、わ
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だのじらうをいる。わだの二郎いむけの袖をふりあはせて、しころをかたぶけていひけるは、「父のかたきをばてどりにこそとれ。わぎみがゆんぜいにて、しかもとほやにいるには、よしもちがよろひとをらじ物を。人々にうたれぬさきにおちあへかし。をそろしきか、近くよらぬは。義茂はいくさにしつかれたれば、てむかひはすまじ。くびをばのべてきらせむずるぞ」とはげまされて、つづくのじらうたちをぬきておちあひたり。わだの二郎はかぶとのはちをからとうたせて、立あがりて、いだきふせて、みしとをさへて、こしがたなをぬきて首をきる。みつの首をくらのさうのとつつけにつけて、つづくが首をば片手に持て、かへりきたる。「そのひのかうみやう、わだの二郎にきはまりたり」と、かたきもみかたもののしりけり。はたけやまがかたには、律戸四郎、かはのじらうたいふ、あきをかのしらうらをはじめとして、さんじふよにん
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うたれにけり。ておひは数をしらず。みうらがかたには、たたらの太郎、おなじく二郎と、らうどう二人ぞうたれにける。そのときはたけやま、わがかたのぐんびやううたれて、ひきしりぞくけしきをみて、いひけるは、「ゆみやとるみち、ここにてかへしあはせずは、おのおの長く弓矢をばこつぼざかにてきりすつべし」とて、かたてやをはげて、あゆませいだして申けるは、「おとにもきき、めにもみ給へ。むさしのくにのちちぶのよりう、はたけやまのしやうじしげよしがじなん、しやうじじらうしげただ、わらはなうぢわうまる、しやうねん十七才。いくさにあふことけふぞはじめ。われと思わむ人々はいで給へ」とてかけいでたり。はんざはの六郎はせきたりて、馬のくつばみにとりつきて申けるは、「いのちをすつるもやうにこそより候へ。させるしゆくせのかたき、親の敵にもあらず。かやうのくじにつけたる事に、命をすつる事候わず。もしごいしゆあらば、のちのいくさにて
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あるべし」とてとりとどめければ、ちからおよばず。さがみのほんまのしゆくにひきしりぞく。かのしゆくに兵衛佐のかたうどおほくきよぢゆうしたりければ、そのいへいへにひをかけて、やましたむらまでやきはらふ。三浦の人々は、このいくさのしだいをくはしくおほすけよしあきにかたりければ、「おのおのがふるまひもつともしんべうなり。なかんづくよしもちがかうみやう、さうにおよばず」とて、たちひとふりとりいだして、まごよしもちにとらす。G22
十五 「かたき只今にきたりなむず。いそぎきぬがさのじやうにこもるべし」と云ければ、よしもり申けるは、「きぬがさはくちあまたありて、ぶせいにてはかなひがたかるべし。ぬたのじやうこそ、まはりは皆いしやまにて、いつぱうは海なれば、よきもの百人ばかりだにもさうらはば、いちにまんぎよせたりとも、くるしかるまじき所なれ」と申ければ、おほすけいひけるは、「さかしきくわんじやのいひごとかな。今はにつぽんごくをかたきにてうちじにせむと思わむ
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わむ[* 「わむ」衍字]ずるに、おなじくはめいしよのじやうにてこそしにたけれ。せんぞのきこゆるたちにてうちじにしてけりとこそ、平家にもきかれまうしたけれ」と云ければ、もつともしかるべしとて、きぬがさのじやうにこもりにけり。かづさのすけひろつねがしやてい、かねだのたいふよりつねは、よしあきがむこなりければ、七十余騎にてはせきたりて、おなじきじやうにぞこもりける。このせいあひぐしして、四百余騎におよびければ、じやうちゆうにもくわぶんしたり。おほすけいひけるは、「わかたうよりはじめて、むまやのくわんじやばらにいたるまで、つよゆみのともがらはやぶすまをつくりてさんざんにいるべし。又うつてにかしこからむものどもは、てんでになぎなたを持てふかたにおひはめてうつべし。じやうのにしうらのてをばよしずみふせくべし」とぞげぢしける。かくいふほどに、廿六日たつのこくに、むさしのくにのぢゆうにん、えどのたらう、かはごえのたらう、たうのものには、かねこ、むらやま、またの、〔の〕いよ、やまぐち、こだまたう
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をはじめとして、およそのせい二千余騎にておしよせたり。まづつづくのごらう、父と兄とをこつぼにてうたれたる事を、安からず思けるゆゑに、まさきかけていできたる。したくのごとく、じやうちゆうよりやさきをそろへてこれをいる。いつぱうはいしやま、にはうはふかたなれば、よせむしやうたれにけり。又うちものくわんじやばら、鼻をならべていでむかひてたたかひければ、おもてをむくる者なかりけり。かかりければつづくがたう少しひきしりぞきけるを、かねこのものどもいれかへて、かねこのじふらう、おなじくよいち、きどぐちへせめよせたり。城中よりれいのやさきをそろへていけれども、かねこすこしもしりぞかず。廿一までたちたるやをば、をりかけをりかけしてたたかひけり。そのときじやうちゆうより是を感じて、しゆかうをいちぐ、いへただがもとへおくりていひけるは、「とのばらのいくさのやう、誠におもしろくみへたり。このさけめして、ちから
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つけて、てのきはいくさし給へ」といひおくりければ、金子へんじに申けるは、「さうけたまはりさうらひぬ。よくよくのみて、じやうをば只今におひおとしまうすべし」とて、やがてかぶとの上にもえぎのいとをどしのはらまきをうちかけて、すこしもしひずせめよせければ、おほすけこれをみて、わかものどもにげぢしけるは、「あわれ、いふかひなきものどもかな。あれを、二三十騎馬の鼻をならべてかけいだして、むさしのくにの者の案内もしらぬを、ふかたにおひはめて、わらへかし」とののしりけれども、「いくほどなきせいにてうちいでむことも、中々あしかりなむ」とていでざりければ、おほすけらうらうとして、しかもしよらうのをりふしなりけるが、しろきひたたれになへえぼしをしいれて、馬にかきのせられて、ざつしき二人を馬のさうにつけて、ひざををさへさせて、たちばかりをはきて、かたきの中へうちいでむとしければ、いとこのさののへいだはせ
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きたりて、「すけどのには物のつきたまひたるか。うちいでたまひてはなにのせんかはあるべき」とてひきとどめければ、おほすけ、「おのれらにこそ物のつきたるとはみれ。いくさといふは、あるときはかけいだしてかたきをもおひちらし、あるときはかたきにもをわれてひきしりぞきなむどするこそ、めをもさましておもしろけれ。いつといふこともなく、さうしかまとなむどいるやうにいくさする事、みもならわず」といふままに、むちをあげてさののへいだをぞ打たりける。さるほどにひもくれぬ。いくさおのおのしつかれて、おほすけ、ことのほかに心よわげにみへければ、こまごどもをよびて云けるは、「今はじやうちゆうもつてのほかによわげにみゆ。さればとておのおのさうなくじがいすべからず。兵衛佐殿はくわうりやうにうたれたまふまじき人ぞ。すけどののししやうをききさだめむ程は、かひなきいのちをいきて、しじゆうをみはて奉るべし。いかにもあは、かづさの方へぞ
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おちたまひぬらむ。こよひここをひきて、船にのりてすけどののゆくへをたづねたてまつるべし。よしあきことしすでに七十九才[B 「八十四才」と傍書]にせまれり。そのうへしよらうのみなり。『よしあきいくほどの命ををしみて、じやうのうちをばおちけるぞ』と、ごにちにいわれむ事もくちをしければ、われをばすてておちよ。全くうらみあるべからず。いそぎすけどのにおちくははりたてまつりて、ほんいをとぐべし」といひけれども、さればとてすておくべきにあらねば、こまご、たごしにおほすけをかきのせておちむとすれば、大介おほきにしかりて、こしにものらず。されどもとかくこしらへ、をしのせて、じやうのうちをばおちにけり。むねとのものどもは、くりはまのみさきに有けるふねどもにはいのりはいのり、あはの方へぞおもむきける。おほすけがこしはざつしきどものかきたりけるが、かたき近くせめかかりければ、こしをもすててにげにけり。近くつきつかへける女一人ぞつきたりける。
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かたきがくわんじやばらおひかかりて、おほすけがいしやうをはぎければ、「われはみうらのおほすけといふものなり。かくなせそ」と云けれども、かなはず。直垂もはがれにけり。さるほどに夜もあけにければ、おほすけ、「あわれ、我はよくいひつるものを。じやうちゆうにてこそしなむとおもひつるに、若き者のいふにつきて、いぬじにしてむずる事こそくちをしけれ。さらばおなじくははたけやまがてにかかりてしなばや」と云けれども、えどのたらうはせきたりて、おほすけがくびをばうちてけり。「いかにもをとなのいふことはやうあるべし。もとより大介がいひつるやうに、城中にすてをきたらば、かほどの恥にはおよばざらばし」とぞひとまうしける。ひやうゑのすけは、とひのかぢやがいるといふやまにこもりておわしけるが、みねにてみやりければ、いとうのにふだう、とひにおしよせて、さねひらが家をついふくし、やきはらひけり。さねひら、山のみねよりはるかに
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みおろして、「とひにみつの光あり。第一の光は、はちまんだいぼさつの君をまもりたてまつりたまふおんひかりなり。次の光は、きみごはんじやうあつて、いつてんしかいをかかやかしたまわむずるおんひかりなり。次のちひさきひかりは、さねひらが君のごおんによつてはうくわうせむずる光なり」とて、まひかなでければ、ひとみなわらひけり。
十六 さるほどに、さねひらがめなりける人のもとより、ししやをつかはして云けるは、「三浦の人々は、こつぼざかのいくさには勝て、畠山の人々多くうたれたりけるが、きぬがさのじやうのいくさにうちおとされて、君をたづね奉りて、あはのくにのかたへおもむきにけり。いそぎかのひとびとにおちくははり給べし」と申たりければ、さねひらこのよしを聞て、「さてはうれしき事ごさむなれ」とて、「あひかまへてこよひのうちにあまぶねにめして、安房国へつかせたまひて、かさねてひろつね、たねつねらをもめして、今一度ご
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みやうがのほどをもごらんさうらへ」と申ければ、もつともしかるべしとて、こうらといふところへいでたまひて、あまぶねいつそうにのりて、安房国へぞおもむき給ける。ひやうゑのすけいげの人々、七人ながら皆おほわらはにて、えぼしきたる人もなかりけり。そのうらにじらうたいふといふもののありけるに、「えぼしやある。まゐらせよ」とのたまひければ、二郎大夫さるこらうの者なりければ、かひがひしくえぼしとをかしらまゐらせたりければ、兵衛佐よろこびたまひて、「このけんじやうにはくににてもしやうにても、なんぢがこふによるべし」とぞのたまひける。二郎大夫しゆくしよにかへりて、さいしにむかひてまうしけるは、「えぼしひとつをだにももたぬおちうとにてにげまどふひとの、くわうりやうにもあづかりたりつるくにしやうかな」とまうしてわらひけり。さねひら、「このおんふねとくいだせ」と云ければ、しそくとほひら、「しばらくあひまつことさうらふ」と云ければ、真平、「なに
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ごとをあひまつべきぞや。おのれがしうとのいとうのにふだうをまちえて、君をもわれをもうたせむとするな。をかざきどの、そのやたらうめがくびうちおとしてたべ」と云ければ、岡崎、「さるにてもしゆうと父との事を、しうとの事に思ひかへじな、やたらう」とぞ云ける。やがて船さしいだしたりければ、あんのごとくに、いとうのにふだうさんじふよき、ひたかぶとにて、かたてやはげておひきたる。おひさまにもすひやくきにてせめきたる。「かしこくぞとくおんふねをいだして」とぞ人々いひあひける。
十七 さてほうでうのしらうときまさはかひのくにへおもむき、いちでう、たけた、をがさはら、やすだ、いたがき、そねのぜんじ、なこのくらんど、このひとびとにつげけるをば、ひやうゑのすけはしりたまはで、「このことをかひの人々にしらせばや」とて、「むねとほゆけ」とて、おんふみかきてつかはし
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けり。夜にいりてあしがらやまをこえけるに、せきやの前にひたかくたきたり。人あまたふしたり。つちやのさぶらうあゆみよりて、あしおとたかくし、しわぶきしてののしりけれども、「たそ」ともいわず。つちやの三郎おもひけるは、「ね入たるよしをして、ここをとをして、先に人ををきて、なかにとりこめむとするやらむ」。さればとてかへるべきにもあらずして、はしりとほりければ、誠にね入たりける時にをともせず。さてひとひとりゆきあひたり。あれもをそれてものもいわず、これもをぢておともせず。なかいつたんばかりをへだてて、たがひににらまへて、時をうつすほど立たりけり。つちやの三郎はさるふるつはものにてありければ、声をかへてとひけり。「只今このやまをこえたまふはいかなる人ぞ」といひければ、「かくのたまふは又いかなる人ぞ」。「わどのはたそ」。「わどのはたそ」ととふ程に、たがひに知たる声にききなしつ。「つちやどののましましさうらふか」。「むね
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とほぞかし。こじらうどのか」。「よしはるざうらふ」。土屋はもとよりこなかりければ、兄をかざきのしらうがこを取て、をひながらやうじにして、平家につかへてざいきやうしたりけるが、このことを聞て、よるひるくだりけるが、しかるべきことにや、親にゆきあひにけり。夜中の事なれば、たがひに顔はみず。声ばかりを聞て、てにてを取組て、いひやるかたもなし。只「いかにいかに」とぞいひける。山中へいりて、このもとにゐて、つちやこじらうがまうしけるは、「きやうにてこのことをうけたまはりて、くだりさうらひつるが、けふいつかは馬のりたてて、かちにてくだりさうらふ、げにん一人もおひつかず。このひるきせがはのしゆくにてうけたまはりさうらひつれば、『いしばしのいくさにひやうゑのすけどのもうたれ給ひぬ。土屋、岡崎もうたれたり』とまうしさうらひつれば、『なましひに京をばまかりいでさうらひぬ。波にもいそにもつかぬここちしてさうらひつる
が、さるにても土屋のかたへまかり
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て、いちぢやうをうけたまはりさだめむ』とてくだりさうらひつるが、せきやのほどがおもひやられて、あしうらしてさうらひつるなり」とかたりければ、つちやの三郎おもひけるは、「ゆみやとるもののにくさは、親をうちてはこはよにあり、こを殺しては親よにあるならひなれば、しかもまことの親にてもなし。あれは只今まで平家につかへたり、これは源氏をたのみてあり。くびを取て平家のげんざんにもやいらむとおもふらむ」とおもひければ、ありのままにもいはざりけり。「うたれたる人とては、わどのが兄よいちどの、北条三郎、さはの六郎。くどうのすけはじがいしつ。ひやうゑのすけどのはかひへときくときに、たづねたてまつりておもむくなり。いざさらば、わどのも」とて、かひぐしてつれてゆく。かひのくにへおもむきて、いちでうのじらうがもとにてぞ、ありのままにはかたりける。
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十八 三浦の人々は、しゆうにはわかれぬ、親にはおくれぬ、あまの船流したるここちして、あはのくにのきたのかた、りようがいそにぞつきにける。しばらくやすらふほどに、はるかのをきに、くもゐにきへて、船こそいつそうみへたりけれ。このひとびとまうしけるは、「あれにみゆる船こそあやしけれ。これほどのおほかぜに、あまぶね、つりぶね、あきないぶねなむどにてあらじ。あわれ、ひやうゑのすけどののおんふねにてや有らむ。又かたきの船にてや有らむ」とて、ゆんづるしめして、ようじんしてありけるに、船は次第に近くなる。誠の兵衛佐の御船なりければ、かさじるしをみつけて、三浦の船よりもかさじるしをぞあはせける。なほようじんして、兵衛佐殿はうちいたの下にかくし奉りて、それが上にとのばらなみゐたり。三浦の人々はいつしか心もとなくて、船をぞおしあはせける。船おしあはせて、わだのこたらうまうしけるは、「いかに、すけどのは渡らせたまふ
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か」。をかざきまうしけるは、「われらもしりまゐらせぬ時に、たづねたてまつりてありくなり」とて、きのふ、をととひのいくさの物語をぞはじめける。三浦は「おほすけがいひし事は」とて、語りてなく。岡崎は「よいちがうたれし事は」とて、かたりてなく。兵衛佐はうちいたの下にてこれをききたまひて、「あはれ、よにありて、これらに恩をせばや」とぞ、さまざまにおもはれける。いたくひさしく隠れて、是等にうらみられじとて、「よりともはここにあるは」とて、うちいたの下よりいでたまひたりければ、三浦の人々これをみ奉りて、おのおのよろこびなきどもしあひけり。わだのこたらうがまうしけるは、「父もしね、子孫もしなばしね、只今君をみ奉りつれば、それにすぎたるよろこびなし。今はほんいをとげむ事、うたがひあるべからず。君、今は只さぶらひどもに国々をわかちたまふべし。よしもりにはさぶらひのべつたうをたまはるべし。かづ
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さのかみただきよが、平家より八ケ国のさぶらひの別当をたまはりて、もてなされしが、うらやましくさうらひしに」と申ければ、兵衛佐は、「ところあて余りに早しとよ」とて、わらひたまひけり。そのよは兵衛佐、あはのくに安戸だいみやうじんにさんけいして、せんべんのらいはいをたてまつりて。
みなもとはおなじながれぞいはしみづせきあげ給へ雲のうへまで K106
其夜ごほうでんよりけだかきみこゑにて。
ちひろまで深くたのみていはしみづ只せきあげよ雲の上まで K107
兵衛佐は、使者をかづさのすけ、ちばのすけがもとへつかはして、「おのおのいそぎきたるべし。既にこれほどのだいじをひきいだしつ。このうへは、頼朝をよにあらせむ、よにあらせじは、りやうにんがこころなり。ひろつねをば父とたのむ、たねつねをば母と
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おもふべし」とぞのたまひける。りやうにんともにもとよりりやうじやうしたりしかば、たねつね三千余騎のぐんびやうをそつして、ゆふきのうらにさんくわいして、すなはち兵衛佐殿をあひぐしたてまつりて、しもつふさのこくふにいれ奉りて、もてなし奉りて、たねつねまうしけるは、「このかはのはたにおほまくひやくでふばかりひきちらし、しらはたろくしちじふながれ、うちたてうちたてをかれさうらふべし。これをみむともがら、えど、かさいのともがら、皆さんじやうしさうらわむずらむ」と申ければ、「もつともさるべし」とて、そのぢやうにせられたりけるほどに、あんのごとく、是をみるともがら、皆ことごとくさんじやうす。さるほどに、ほどなく六千余騎になりにけり。
十九 かづさのすけひろつねはこのしだいを聞て、われちさんしぬとおもひて、たうごくの内、いほう、いなん、ちやうなん、ちやうほく、准西、准東、あはぎ、ほりぐち、むさ、やまの
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べのものども、平家のかたうどしてつよるともがらをば、おしよせおしよせ、これをうち、したがふともがらをば、是をあひぐして、一万余騎にてかづさのこくふへさんくわいして、このしさいを申ければ、兵衛佐ききたまひて、さねひらをつかひにてのたまひけるは、「今までちさんのでう、ぞんぐわいなれども、さたの次第もつともしんべうなり。すみやかにごぢんに候べき」よしを、いわせらる。このせいをあひぐして、一万六千余騎になりにけり。ひろつねやかたにかへりて、いへのこらうどうにむかひて申けるは、「この兵衛佐はいちぢやうのたいしやうぐんなり。弘経これほどのたせいをそつしてむかひたらむには、よろこびかんじていそぎいであひて、耳と口とさしあはせて、ささやきごと、ついしようごとなむどをこそ、のたまわむずらむとおもひつるに、さねひらをもつてのたまひたりつる、ひとつにはをほけなく、ひとつにはたいくわいな心也。たれびとにもよもくわうりやうにはか
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られ給わじ。いちぢやうほんいはとげたまわむずらむ。昔まさかどが、八ケ国をうちふさぎて、やがてわうじやうへせめいらむとしけるに、平家の先祖さだもりのあつそん、ちよくせんをうけたまはりてげかうしたりける時、たはらとうだひでさとといふつはもの、たせいにて将門がもとへ行たりけるに、将門余りによろこびて、けづりける髪をもとりあげずして、びやくえなるおほわらはにて、さぬきわらふだをふたつてにもちていでて、ひとつはたはらとうだにしかせ、ひとつはおのれしきてしきて[* 「しきて」衍字]、しゆじゆのきやうおうのことどもをいひければ、ひでさとさるけんしやにて、『このひとのてい、かろきさうなり。わがみをへいしんわうとしようする程の人の、てづからしきものをもつていで、民にしかせつるでう、さかさまなり。につぽんごくのたいしやうぐんとえならじ』とて、やがてするぼひのきにけり。それまでこそなくとも、せめてはおんまへへ近くめさるべかりつる者を」とぞいひける。さて兵
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衛佐は、むさしのくにとしもつふさのくにとのさかひに、すみだがはと云かはのはたにぢんをとる。むさしのくにのぢゆうにんえどのたらう、かさいのさぶらうらがいちるい、かずをふるひてさんじやうす。兵衛佐は、「かれらはきぬがさのじやうにてわれをいたりし者にはあらずや。おほば、はたけやまにどういして、きようしんをさしはさみてまゐりたるか」といわせられたりければ、かのともがらさいさんちんじまうすによりて、いかにもなしたけれども、たうじのせいのほしければ、たいしやうぐんがもののぐばかりをめされて、「ごぢんに候へ」とて、めしぐせらる。又兵衛佐のたまひけるは、「平家のちやくそんこまつのせうしやうこれもりをたいしやうぐんとして、五万余騎にて、かづさのかみただきよをせんぢんにて、さいとうべつたうさねもりをとうごくのあんないしやとして、くだるべきよしふうぶんす。おなじくはかひしなのりやうごく、かたきのかたにならぬさきに、このかはをわたり、あしがらやまをうしろにあて、ふじがは
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を前にあてて、陣をとらむとおもふなり」とありければ、「このぎもつともしかるべし」とぞ、おのおのどうじまうしける。「さらばえどのたらうこのほどのあんないしやなり。うきはしわたしてまゐらすべし」とのたまひければ、江戸は「兵衛佐のごきしよくにいらむ」とおもひければ、ほどなくうきはしをわたしてまゐらせたり。このはしをうちわたして、むさしのくにとしまのかみ、たきのがはのいたばしといふところに陣をとる。そのせい既にじふまんぎに及べり。はつかこくのだいみやう、せうみやう、べつたう、ごんのかみ、しやうじ、たいふなむどいふやうなるいつたうのものども、われをとらじと、あるいは二三十騎、あるいは四五十騎、百騎、めんめんにしらはたをさしてぞはせあつまりける。兵衛佐はまづたうごくろくしよのだいみやうじんにまうでたまひて、うはやをぬいてたてまつらる。
二十 そのとき畠山の二郎、めのとのはんざはのろくらうなりきよをよびていひけるは、
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「たうじのせけんのありさま、いかやうなるべしともおぼへず。ちちしやうじ、をぢをやまだのべつたう、ろくはらにしこうの上は、よそにおもふべきにあらねば、みうらのひとびととひといくさしてき。かつうはぢやうのしさい、みうらの人々にいひおきぬ。今ひやうゑのすけどののはうくわう、はんじやう、ただことともおぼへず。ひらにすいさんせばやとおもふはいかに」といひければ、なりきよまうしけるは、「そのことにさうらふ。このむねを只今まうしあはせ奉らむとぞんじつる也。弓矢をとるならひ、ふしりやうばうにわかるる事はつねのことなり。かつうは又平家は今のしゆう、すけどのはしだいさうでんのきみなり。とかくのぎにおよぶまじ。とくとくごすいさんあるべし。ちちせば、いちぢやうついたうしつかはされぬ」とまうしければ、五百余騎にて、しらはた、しろきゆぶくろをさしてまゐりて、げんざんにいるべきよしをぞ申ける。兵衛佐のたまひけるは、「なんぢが父しげよし、
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をぢありしげ、たうじへいけにつかふ。なかんづく、こつぼにて我をいたりし上、頼朝が旗にただおなじやうなる旗をささせたり。さだめてぞんずるむねのあるか」とのたまひければ、しげただまうしけるは、「まづ小坪のいくさの事は、ぞんぢのむね、三浦の人々にさいさんまうしおきさうらひぬ。そのしだいさだめてひろうさうらふか。まつたくわたくしのいしゆにさうらわず。君のおんことをこつしよする事をも存ぜず。次に旗の事は、ごせんぞはちまんどの、たけひらいへひらをついたうせさせたまひさうらひし時、しげただがしだいのおほぢ、ちちぶのじふらうたけつなしよさんして、このはたをさしておんともつかまつりて、せんぢんをかけて、すなはちかのたけひらをついたうせられにき。ちかくはごしやきやうあくげんだどの、たごのせんじやうどのをおほくらのたちにてせめられし時のいくさに、しげただが父、このはたをさして、そくじにうちおとしさうらひにき。
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源氏のおんため、かたがたぢゆうだいさうでんのおんよろこびなり。よつてそのなをきちれいと申候。君の今につぽんごくをうちとらせおはしさうらふおんとき、きちれいのおんはたさして参りて候。このうへはおんぱからひ」とぞちんじ申ける。兵衛佐、ちば、とひなむどに、「いかがあるべき」ととはれければ、「畠山なごかんだうさうらひそ。畠山だにもうたせたまひぬる物ならば、むさしさがみのものども、ゆめゆめみかたへまゐるまじ。かれらは畠山をこそまもりさうらふらめ」といちどうに申ければ、誠にことわりなりとおもはれければ、畠山にのたまひけるは、「まことにちんじまうすところのでうでう、いはれなきにあらず。さらばわれにつぽんごくをうちたひらげむほどは、いつかうせんぢんをつとむべし。ただしよりともが旗に只おなじきが、まがう事のあるに、なんぢが旗にはこのかはをすべし」とて、あゐがはいちもんをぞくだされける。それより畠山が旗には、こもんのあゐがはをP2168いちもんおしたりけり。中々めづらしくぞみへける。これをききて、武蔵相模のぢゆうにんら、一人ももらさず、皆はせまゐる。おほばのさぶらうこのしだいをききて、かなわじとおもひて、平家のむかへにのぼりけるが、あしがらをこえて、あゐざはのしゆくにつきたりけるが、前にはかひげんじ二万余騎にてするがのくにへこえにけり。兵衛佐のせい、うんかにてせめあつまるときこへければ、中にとりこめられてはかなわじとて、鎧のいちの板、きりおとして、にしよのごんげんにたてまつりて、さがみのくにへひきかへして、をくの山へにげこもりにけり。平家はかやうにないぎするをもしらず。いかさまにも、兵衛佐にせいのつかぬさきに、うつてをくだすべしとて、だいじやうにふだうの孫、こまつのないだいじんのちやくし、これもりとまうししせうしやう、ならびに入道のしやていさつまのかみただのりとて、くまのよりおほしたちて、心たけきじんときこゆるを、えらび
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みせらる。又入道のばつしにてみかはのかみとものりとまうす、この三人をたいしやうぐんとして、さぶらひにはかづさのかみただきよいげ、いとう、さいとう、くわんあるも官なきもすひやくにん、そのせいさんまんよきをむけらる。かのこれもりは、さだもりより九代、まさもりよりは五代、にふだうしやうこくのちやくそん、こまつのないだいじんしげもりのちやくなんなり。平家ちやくちやくのしやうとう也。今きようどらんをなすによりて、たいしやうぐんのえらびに当る、ゆゆしかりし事也。
廿一 十一日、よりともついたうすべきよしせんげせらる。そのくわんぷのせんにいはく、
「さべんくわんくだす とうかいとうせんだうしよこく
はやくいづのくにのるにんみなもとのよりともならびによりきのともがらをついたうすべきこと
みぎだいなごんけんさこんゑのだいしやうふぢはらのさねさだ( )ちよくをうけたまはりてせんす。いづのくにのるにん
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みなもとのよりとも、たちまちにきようたうをあひかたらひて、たうごくりんごくをりよりやくせんとほつす。ほんぎやくのいたりすでにじやうとにたゆ。よろしくついたうせしむべし、うこんゑのごんのせうしやうこれもり、さつまのかみおなじくただのり、参河守同忠度、みかはのかみおなじくとものりら、かねてはまたとうかいとうせんりやうだうのぶようにたふるもの、おなじくこれをついたうすべし。そのなかにくんばつにしゆこうあるともがらは、ふしのしやうをくはふべし。しよこくよろしくしようちすべし。せんによつてこれをおこなふ。
ぢしようしねん九月十六日 さだいしをつきのすくね
くらんどのとうさちゆうべんふぢはらのつねふさがうけたまはり」とかかれたり。G23昔はてうてきをうちたひらげむとて、ぐわいとへむかふたいしやうぐんは、まづさんだいしてせつたうをたまはる。しんぎなんでんにしゆつぎよし、ひやうゑかいかにぢんをひき、ないべん、げべんのくぎやうさんれつして、ちゆうぎのせちゑをおこなわる。たいしやうぐん、ふくしやうぐん、おのおのれい
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ぎをただしくして、これをたまわる。されどもしようへいてんぎやうのせんじようも、としひさしくなりて、なぞらへがたし。今度はほりかはのゐんのおんとき、かじよう二年十二月、いなばのかみまさもりがさきのつしまのかみみなもとのよしちかをついたうの為に、いづものくにへげかうせしれいとぞきこへし。鈴ばかりはたまはりて、かはの袋にいれて、人のくびにかけさせたりけるとかや。
(廿二) しゆしやくゐんのおんとき、しようへいねんぢゆうに、たひらのまさかど、しもつふさのくに相馬郡にぢゆうして、八か国をあふりやうし、みづからへいしんわうとしようして、都へうちのぼりけり。ていゐをかたぶけ奉らむとするむほんのきこへ有ければ、くわらくのさわぎなのめならず。これによつててんだいさんには、そのときのくわんじゆ、ほつしやうばうのだいそうづそんいをはじめ奉りて、えんりやくじのかうだうにて、てんぎやう二年二月に、将門かうぶくの為に、ふどうをあんじ
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ちんごこくかのほふにしゆする。これのみならず、しよじしよしやのそうりよにおほせて、まさかどてうぶくのきせいありけり。平家のせんぞにてさだもり、そのときむくわんにて、じやうへいだと申ける時、つはもののきこえ有て、将門ついたうのせんじをうけたまはる。れいにまかせて、せつたうをたまはりて、すずのそうをして、すまふのせちこれをおこなはるるとき、かたのさう、たいしやうのれいぎふるまひなる。ゆばどのの南のこどよりまかりいでけるに、ふくたいしやうぐんうぢのみんぶきやうただひさ、たいしやうぐんにはたひらのさだもり、ぎやうぶだいふふぢはらのただのぶ、うきやうのすけふぢはらのくにやす、だいけんもつたひらのきよもと、さんゐみなもとのなりくに、さんゐみなもとのつねもとら、とうごくへはつかうす。しもつけのくにのあふりやうしふぢはらのひでさと、国にしてあひともなひけり。さだもりいげあづまぢにうちむかひて、はるばるとくだりける道すがら、たけくやさしきことどもありけり。中にもするがのくにきよみがせきにやどりたり
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けるに、きよはらのしげふぢといふもの、みんぶきやうにともなひて、ぐんけんといふくわんでくだりけるが、「ぎよしうのひの影は寒くしてなみをやく、えきろの鈴の声はよるやまをすぐ」といふたうゐんをえいじたりけるが、折からいうにきこへて、みんぶきやう涙をながしてぞゆきける。てんぎやう三年二月十三日に、さだもりいげのくわんぐん、まさかどがたちへおしよせたり。将門がよせいいまだきたりあつまらず。まづ四千余騎をそつして、しもつふさのくにさしまのこほりきたやまにぢんをとつてあひまつところに、おなじく十四日のひつじさるりやうこくにかつせんをとぐ。ここに将門じゆんぷうをえたり。貞盛かざしもにたちたり。ぼふう枝をならし、ぢらいつちくれを運ぶ。将門がみなみおもてのたて、前を払ふ。貞盛がきたのたて、おもてにふきおほひけれども、貞盛こととせず。りやうぢんみだれあひて、すこく合戦を致す。貞盛が中の陣のつはもの八十余騎、おひなびかさる。将門がきようどら、
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あとめにつきておそひきたる。さだもりいげのくわんびやうら、しんみやうをすててふせきたたかふとき、将門かつちうをちやくし、まだらに乗て、かけいでてささへたり。馬はふうひをわすれたり。人はりらうのじゆつをうしなへり。将門がきようどらふせきたたかふこと、たやすくせめおとしがたかりけるに、てうぶくのきせいむくいて、将門てんばつをかうぶり、かみのかぶらやみにあたりて、つひにちゆうりくせられけり。おなじく四月廿五日に、しもつふさのくにより将門がかうべ、都へたてまつる。おほちを渡して、さのごくもんのきにかけらる。たとへば馬の前のその、のはらにのこり、まなひたの上のうを、かいほにきするが如し。将門なをうしなひ、みをほろぼすこと、むさしのごんのかみおきよ、ひたちのすけふぢはらのはるもちらが、ぼうあくをいたすところなり。とくをむさぼりきみをそむくもの、ほこをふむとらのごとしといへり。将門がばんるいら、あるいはうたれあるいはせんぢやうをにげいでて、国々ににげこもりたり。将門がしやていまさより、ならびに
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ひたちのすけふぢはらのはるもちは、さがみのくににしてうたる。むさしのごんのかみおきよは、かづさのくににしてかうべをはねらる。さかのうへののぶたか、ふぢはらのはるあきは、ひたちのくににしてちゆうりくせらる。このほかのしやていいげ、ばんるいらは命のすてがたさにはみやまににげこもる。妻子をすててさんやにまよふともがら、数をしらず。鳥にあらねども、むなしくしてうのわかれを致し、山にあらずして、いたづらにさんけいのかなしみをいだく。らいでんのひびきはひやくりのうちにはきこゆ。将門、しもつふさとよだのこほりのきようど、むほんのきこへ千里のほかにつうず。いつしやういちごふ、たいかうのざいごふを致し、つひにくわうせんの道にまよふらむ。むざんともおろかなり。ときにけんじやうおこなはる。じやうへいだたりしさだもり、たちまちにへいしやうぐんとおほせくださる。そのときぢんざのさほふ、さだいじんさねよりをののみやどの、うだいじんもろすけくでうどの、このほかくぎやうてんじやうびと、ざれつしたまひたりけるに、くでうどのまうさせ
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給けるは、「たいしやうぐんすすむでおそひきたりて、てうてきをたひらぐる事は、さうに及ばねども、ごぢんにふくしやうぐんのうしろにおそひきたるを、たのもしくおもふによつて、かつせんのおもひもいよいよまうなり。しかるに貞盛一人にけんじやうをおこなはるること、ただひさほいなくやぞんじさうらわむずらむ。大将軍の程のしやうこそさうらわずとも、すこしにをうたるしやうや、忠久におこなはるべくさうらふらむ」と、たびたび申させたまひけれども、をののみやどの、「さのみけんじやうおこなわれさうらわむ事、むげにねんなくさうらふ」なむど申させ給ければ、みんぶきやう、忠久の賞はつひにおこなはれざりけり。忠久たちまちにいかりをなして、だいりをまかりいでられけるに、天もひびき、ちもくづるばかりなるだいおんじやうをあげて、「をののみやどののばつえふ、ながくくでうどののおんすゑのやつことなし給へ」とののしりて、てをはたとうちて、さうのてをにぎり給ける。とをのつめにさんずんばかりに、めにみすみす
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なりて、にぎり通したりければ、みるもをびたたし。くれなゐを絞りたるが如し。やがてしゆくしよにかへりて、おもひじにに死て、あくりやうとぞなりにける。さればにや、はたしてをののみやどののおんすゑは今はたえはてて、おのづからあるひとも数ならず。くでうどののおんすゑは、今までせつしやうたえさせ給わず。小野宮殿の御末は、皆九条殿のやつこにぞなりたまひにける。朝敵をたひらぐるぎしきは、じやうだいはかくこそあんなるに、これもりのうつてのつかひの儀式、せんじようを守らぬににたり。なじかはことおこなふべきとぞ、ときのひとまうしあひたりける。
廿三 これもりいげのうつてのつかひ、九月十七日、ふくはらの新都をいでて、同十八日、こきやうにつく。これよりとうごくへおもむく。かつちう、弓、やなぐひ、むまのくら、らうどうにいたるまで、かかやくばかりぞいでたちたりければ、みるひといくせんまんといふことをしらず。
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ごんのすけぜうしやうこれもりは、あかぢのにしきのひたたれに、おほくび、はたそではこんぢのにしきにていろへたり。もえぎにほひのいとをどしのよろひに、れんぜんあしげの馬の太くたくましきに、いかけぢのきぶくりんのくらおきたり。年廿二、みめかたちすぐれたりければ、ゑにかくとも、筆もおよぶべくもみへず。こころざしあさからざりけるにようばう、ただのりのもとへいひつかはしける。
あづまぢのくさばをわけむそでよりもたたぬたもとぞ露けかりける K108
とまうしたりければ、忠度、
わかれぢをなにかなげかむこへてゆくせきを昔のあとと思へば K109
とかへしたりけり。このひとさだもりがながれなれば、むかしまさかどがうつてのつかひの事をよめるにや。女房のほんかは、おほかたのなごりはさる事にて、へんかは
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いまいましくぞおぼゆる。
(廿四) 同九月廿二日、しんゐんまたいつくしまへごかう。さんぬる三月にもごかうありて、そのしるしにや、いちりやうげつのほどにてんがしづまりたるやうにみへて、ほふわうもとばどのよりしゆつぎよなどありしに、さんぬる五月、たかくらのみやのおんことよりうちつづき、又しづまりもやらず。てんべんしきりにしめし、ちえうつねにあつて、てうていおだしからざりしかば、そうじてはてんがせいひつのごきねん、べつしてはせいていふよのごきたうのためなり。誠に一年ににどのごかうは、しんりよいかでかよろこび給わざるべき。ごぐわんじやうじゆもうたがひなしとぞおぼへし。おんともにはにふだうしやうこく、うだいしやうむねもりこういげ、けいしやううんかく八人とぞきこへし。このたびはそしぼくじのほつけきやうをかきくやうせらる。そのほかおんてづから、こんでいにてだいぼほんをあそばされたり
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けり。くだんのぐわんもんはごしんもんとぞきこへし。そのごぐわんもんにいはく。
けだしきく、ほつしやうのやましづかにして、じふしじふごのつきたかくはれ、ごんげのちふかくして、いちいんいちやうのかぜかたはらにあふぐ。それいつきしまのやしろは、しようみやうふもんのにはなれば、かうげんぶさうのみぎりなり。えうれいのしやだんをめぐるなり。おのづからだいじのたかくそばたてるをあらはし、こかいのしうにおよぶなり。そらにぐぜいのしんたんをあらはす。ふしておもんみれば、はじめはようまいのみをもつて、かたじけなくくわうわうのくらゐをふむ。いましよいうをれいきやうのをしへにもてあそぶ。かんはうをやさんのきよにたのしぶ。しかるをひそかにいつしんのせいぜいをぬきんでて、こたうのいうあいにけいす。ずいりのもとにめいおんをあふぐ。こんねんをこらしてあせをながしぬ。ほうきゆうのうちにれいたくをたる。そのつげのこころにめいずるあり。なかんづくふゐきんしんのごをさすに、もつぱらきかしよしうのこうにあたる。しかるあひだ、へいあたちまちにをかし、いよいよしんゐのむなしからざることをおもふ。へいけいしきりにてんず。なほいじゆつのげんをほどこすことなし。きたうを
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もとむといへども、むろをさんじがたし。しかじ、しんぷのこころざしをぬきんでて、かさねてとそうのぎやうをくはたてむとほつす。ばくばくたるかんらんのもとに、りよはくにふしてゆめをやぶり、せいせいたるびやうのまへに、ゑんろをのぞみてまなこをきはむ。つひにふんゆのみぎりにつきて、うやまひてしやうじやうのむしろをのべて、しよしやしたてまつる、しきしぼくじのめうほふれんげきやういちぶ、かいけつにきやう、はんにやしんぎやう、あみだきやう、おのおのいつくわん。てづからみづからしよしやしたてまつる、こんでいのだいばほんいつくわん。ときに、さうしようさうはくのかげ、ともにぜんりのたねをそへ、うしほほりうしほきたるひびき、そらにぼんばいのこゑにわす。ていしほくけつのくもをじしてはつじつ、りやういくのおほくめぐることなしといへども、さいかいのなみをしのぐことふたたび、ふかくきえんのあさからざることをしる。そもそもあしたにいのるかくひとつにあらず、ゆうべにかへりまうしするものちぢばかりなり。ただしそんきのききやうおほしといへども、ゐんぐうのわうけい、いまだこれをきかず。ぜんぢやうほふわう、はじめてそのぎをのこす。ていしさいしんふかくそのこころざしをめぐらす。かのすうかうさんのつきのまへに、かんぶいまだ
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わくわうのかげをはいせず。ほうらいたうのくものそこに、てんせんむなしくいすいしやくのちりをへだつ。たうしやのごときは、かつてひるいなし。あふぎねがはくはだいみやうじん、ふしてこふいちじようきやう、あらたにたんきをてらして、たちまちにげんおうをあらはし給へ。うやまひてまうす。
ぢしようしねん九月廿八日だいじやうてんわうおんいみなうやまひてまうす
廿五 ごほうへいののち、くわいらうにおんつやあり。はるかに夜ふけて、ごぜんにしこうの人々をば皆のけられて、にふだうならびにむねもりこう参て、ひそかにまうされけるは、「とうごくにひやうらんおこりて候。『源氏にごどうしんあらじ』とごきしやうもんあそばして、入道にたまはりさうらへ。心安く存じて、いよいよみやづかへ申候べし。もしきこしめされさうらわずは、このはなれじまにすておきまゐらせて、まかりかへり候べし」とまうされければ、しやうくわうすこしもさわがせ給わず、うちわらわせ給て、「そのでういと安し。ただしとしごろなに
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ごとかは、入道はからひ申たる事をそむきたる。今はじめてふたごころあるみとおもはるらむこそ、ほいなけれ」とおほせありければ、むねもりこうすずりかみもちてまゐりたり。「さていかにとかくことぞ」とおほせあり。入道のまうすままにあそばしてたまわる。にふだうこれをはいけんして、しやうくわうをはいし奉て、「今こそたのもしく候へ」とて、さきのうだいしやうにみす。「およそめでたくさうらふ」とまうされければ、入道取てふところにいれてたいしゆつす。「人々ごぜんへおんまゐりさうらへ」と、常よりも心よげなるけしきにてまうされける時、くにつなのきやうまゐられたり。かたへの人はつやつやそのこころをえず、余りにおぼつかなかりけるとかや。十月五日くわんかう。今度は福原の新都よりごかうなれば、とうそうのおんわづらひなかりけり。
廿六 十七日、ゆめどのといふところにあたらしきごしよをたてて、ひごろ渡らせたまひけるが、
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さんでうへわたらせたまふべきよし、にふだうしやうこくまうしければ、法皇わたらせ給。みこしにてぞありける。おんともにはさきやうのだいぶながのりさうらわれけり。ろうのごしよとて、いまいましきなある御所をいでさせ給き。よの常の御所へいらせたまふぞめでたき。「これもいつくしまのごかうのしるしにや」とぞおぼしめされける。「入道ことのほかにおもひなほらるるにこそ」とおぼしめさる。
廿七 平家のうつてのつかひ、さんまんよきのくわんぐんをそつして、くにぐにしゆくじゆくにひをへて、せんじをよみかけけれども、ひやうゑのすけのゐせいにおそれて、したがひつくものなかりけり。するがのくにきよみがせきまでくだりたりけれども、くにぐにのともがら一人も従わず。兵衛佐のせいはひにしたがひてはせかさなるときこえければ、たいしやうこれもり、ただのりら、さいとうのべつたうさねもりをめして、あすのかつせんの事をだんぎ
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せられけるついでに、「そもそもよりともがせいの中に、おのれほどのゆんぜいの者いかばかりかある」なむどとはれければ、「さねもりをだにもゆんぜいのものとおぼしめされさうらふか。おくさまには、やづかはじふにさんぞく、じふしごそくをいるもののみこそおほく候へ。弓はににんばりの弓をのみもちあひて候。よろひをにさんりやうなむどかさねて、はぶさまでいぬきさうらうふもの、さねもりおぼへてだにも、七八十人もさうらふらむ。馬ははやばしりのしんだいいちもつなる、くつきやうののりじりどものりおほせて、馬の鼻をならべてかけ候。親もしね、しゆうもしね、こもしね、じゆうしやもしね、それをみあつかわむとする事ゆめゆめ候わず。只しにんの上をものりこへて、かたきにとりつかむとするふてものにて候。いかなるまたらうどうも、一人してつよき馬四五ひきづつのりがへにもたぬ者候わず。きやうむしや、さいこくのものどもは、一人ておひさうらひぬれば、それをかき
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あつかわむとて、七八人はひきしりぞく。馬はばくらうむまののりいで、しごちやうばかりこそかしらもちあげさうらへ、くだりつかれて候わむに、とうごくのあらてのむしやにひとあてあてられさうらひなば、いかでかおもてをむけさうらふべき。ばんどうむしやじふにん、きやうむしや一二百人むけられ候とも、こたふべしともおぼえ候わず。なかんづくに源氏のせいは、二十万余騎ときこへ候。みかたのせいはわづかに三万余騎こそさうらふらめ。おなじほどにさうわらわむだにも、なをしぶがいちにてこそ候へ。かれらは国々のあんないしやどもにて候。おのおのは国のあんないもしりさうらわず。おひたてられさうらひなば、ゆゆしきおんだいじにて候べし。京よりもさばかりまうしさうらひし物を。当時源氏によりきしたる人々のけうみやうあらあらうけたまはりさうらふに、てきたいすべしともおぼえ候わず。『いそぎおんくだりありて、むさし、さがみへいらせたまひて、りやうごくのせいをぐして
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ながゐのわたしにぢんをとりて、かたきをまたせ給へ』と、さいさんまうしさうらひしを、きかせ給わずして、兵衛佐にりやうごくのせいをとられさうらひぬるうへは、今度のいくさはかなひがたくぞ候わむずらむ。かくまうしさうらへばとて、さねもりおちて、いくさをせじと存ずるにては候わず。おそれながら実盛ばかりぞいくさはつかまつり候わむずる。されどもうだいじんどののごおんおもきみにて候へば、きといとまをたまはりて、いまいちどげんざんに入て、いそぎかへりまゐりてうちじにつかまつるべし」とて、せんぎのせいをひきわけて、京へ帰りのぼりにけり。たいしやうぐんききおくして、心よわくはおもはれけれども、「上には、実盛がなき所にてはいくさはせぬか。いざさらば、やがてあしがらやまをうちこえて、はつかこくにていくさをせむ」と、たいしやうたちははやられけるを、ただきよまうしけるは、「八ケ国のつはもの、みなひやうゑのすけにしたがふよしきこへさうらふ。いづ、するがのものども
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まゐるべきだにも、いまだみえさうらわず。おんせいは三万余騎とはまうしさうらへども、事にあひぬべき者、二三百人にはよもすぎさうらわじ。さうなく山をうちこえては、中々あしくさうらふべし。ただふじがはを前にあてて、ふせかせたまひさうらわむに、かなわずは都へかへりのぼらせ給て、せいをめして、又こそおんくだりさうらわめ」と申ければ、「たいしやうぐんのめいをそむく事やはある」といわれけれど、「それもやうによる事にて候。うへ、ふくはらをたたせたまひし時、にふだうどののおほせに、かつせんの次第はただきよがはからひまうさむにしたがはせたまふべきよし、まさしくおほせごとさうらひき。その事きこしめされさうらひなむ者を」とて、すすまざりければ、一人かけいづるにもおよばず、たづなをゆらへ、めをみあはせてかたきをあひまちける程に、十月廿二日、ひやうゑのすけ八ケ国のせいをふるひて、あしがらをこえて、きせがはにぢんをとりて、つはもののかずをしるしけり。さぶらひ、らうどう、
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のりがへあひぐして、馬のうへ、十八万五千余騎とぞしるしける。そのうへかひげんじには、いちでうのじらうただよりをむねととして、二万余騎にて兵衛佐にくははる。平家のせいは富士の麓にひきあがり、ひらばりうちてやすみゐたりけるに、兵衛佐つかひをたててまうされけるは、「親のかたきとうどんげとにあふ事は、そうじてありがたきことにてさうらふに、近くおんくだりさうらふなるこそよろこびぞんじさうらへ。あすはいそぎげんざんにいるべし」といひおくられたり。つかひはざつしきしんせんじやうといふものなり。たうじききせたる者八人ぐしてむかひて、平家の人々の陣にて、次第にこのよしをふれまはりけるに、人々まんまくうちあげてゐられたりけれども、へんじいふ人もなし。「このおんぺんじはいかがし給わむずらむ」とあひまつところに、へんじにおよばず、かのししやをからめて、いちいちにくびをきりてけり。兵衛佐これ
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をききて、「昔も今もてふにつかひのくびをきること、いまだききおよばず。平家すでにうんつきにけり」とのたまひければ、ぐんびやういよいよ兵衛佐にきぶくしたりけり。さるほどに、兵衛佐には、くらうよしつねあうしうよりきくははりければ、すけいよいよちからつきて、よもすがらむかしいまのことどもをかたりて、たがひに涙を流す。すけのたまひけるは、「このにじふよねんがあひだ、なをばききつれども、そのかほをみまうさざりつれば、いかがしてげんざんすべきとおもひたまへつるに、さいぜんにはせきたりたまへば、こかうのとののいきかへりたまへるかとおぼえて、たのもしくおぼえさうらふ。かのかううは、はいこうをもつて、しんをほろぼす事をえたりき。今頼朝じしやうをえたり。何ぞ平家をちゆうばつして、ばうふがほんいをとげざるべき」とのたまひてのち、「そもそもこのかつせんのことをききて、ひでひらはいかが申しし」とたづねられければ、「ゆゆしくかんじまうしさうらふぞ。しんだい
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なごんいげのきんしんをうしなひ、さんでうのみや、げんざんゐにふだうをうたれしをりふし、『ことにはいかにひやうゑのすけどのはきき給わぬやらむ』とたびたびまうしさうらひき。さんぬるしようあんしねんのはるのころより、都をいでてあうしうへまかりくだりてさうらひしに、ひでひら昔のよしみを忘れず、事にふれてあはれみをいたしさうらひき。かくまゐりさうらひつるにも、かつちう、きゆうせん、むまのくら、らうじゆうにいたるまで、しかしながらいだしたてられて候。しからずはいかでからうどう一人をもあひぐしさうらふべき。十余年が程、かれがもとにさうらひし程のこころざし、いかにしてほうじつくすべしともおぼえずさうらふ」とぞ、くらうよしつねまうしける。廿四日、あすはりやうばうやあはせとさだめて、ひもくれにけり。平家のぐんびやう、源氏のかたをみやりたれば、かがりびのみゆる事、のやまといひ、さとむらといひ、うんかはれたる空の星のごとくなり。ひがしみなみきたさんばうはかたきのかたなり。にしいつぱうばかりぞわがかたのせいなり
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ける。源氏のぐんびやう、弓のつるうちし、よろひづきし、どどめきののしりけるこゑに驚て、ふじのぬまにむれゐるみづとりども、はねうちかわし、たちゐする声をびたたしかりけり。これをききて、かたき既によせて、時をつくるかとおもひて、からめでまはらぬさきにと、とるものもとりあえず、平家のぐんびやう、われさきにとまどひおちにけり。よろひはきたれどもかぶとをばとらず、やはおひたれども弓をとらず。あるいは馬いつぴきに二三人づつとりつきて、たが馬といふこともなく、のらむとす。あるいはつなぎたる馬にのりてあをりければ、くるくるとまはる物も有けり。かやうにあわてさわぎて、一人ものこらず、夜中に皆おちにけり。さてよやうやくあかつきがたになりて、源氏のかたより廿万六千余騎、声をととのへて、時をつくること三ケ度也。およそとうはつかこくひびかして、山のかせぎ、かはの
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いろくづにいたるまで、きもをけし、心をまどわさずといふことなし。をびたたしなむどいふもおろかなり。かかりけれども、平家の方には時の声をもあはせず、つやつやをともせざりければ、あやしみをなして、人をつかはしてみせければ、やかた、おほまくをもとらず、よろひ、はらまき、たち、かたな、ゆみや、こぐそくまで、いくらといふこともなくすておきて、ひとひとりもみへざりけり。兵衛佐これをききて、「このこと頼朝がかうみやうに非ず。しかしながらはちまんだいぼさつのおんぱからひなり」とて、わうじやうをふしをがみたまひて、うはやをぬいてぞたてまつりたまひける。かのみづとりの中に、やまばとあまたありけるなむどぞきこへし。そのころかいだうのいうぢよどもがくちずさみに。
ふじがはのせぜのいはこす波よりも早くもおつるいせへいじかな K110
廿八 十五日、とうごくへくだりしこれもりいげのくわんびやうども、けふきうとへいる。昼は
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ひとめにはぢて、よがくれてぞ入ける。三万余騎をそつしてくだりし時は、「昔よりこれほどのおほぜいききもし、みも及ばず。ほうげん、へいぢのひやうがくの時、源氏、へいじ、われもわれもとありしかども、これがじふぶがいちだにも及ばざりき。あなをびたたし。たれかおもてをむくべき。ただいまうちなびかしてむず」とみへし程に、やひとすぢをもいず、かたきのかほをもみず、鳥のはおとにおどろき、兵衛佐のせいおほかるらむとききおくしてにげのぼりたるぞ、むげにうたてき。をりふしざいきやうしたりけるくわんとうのぶしせうせう、これもりに付てくだりたりけるが、をやまのしらうともまさいげ、多く源氏のかたへつきにければ、いよいよせいかさなりにけり。きうとの人々、これを聞て申けるは、「昔より物のしようぶには、みにげと云事いひつたへたりつれども、それだにもうたてきに、是はききにげにこそあむなれ。て
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あはせのうつてのつかひ、やひとつをもいずにげのぼる、穴いまいまし。ゆくすゑもはかばかしかるまじきごさんめれ。いちぢんやぶれぬれば、ざんたうかたからず」とて、きくひとだんしをぞしける。
(廿九) れいの又いかなるあどなし者のしわざにやありけむ、平家をば「ひらや」とよみ、うつてのたいしやうをばごんのすけといひ、都のたいしやうぐんはむねもりといへば、これらをとりあはせて、歌によみたりけり。
ひらやなるむねもりいかにさわぐらむ柱とたのむすけををとして K111
かずさのかみただきよが、ふじがはによろひを忘れたりける事を。
富士川に鎧はすてつすみぞめのころもただきよのちのよのため K112
ただかげはにげの馬にやのりつらむかけぬにおつるかづさしりがひ K113
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ただきよがほんみやうをばただかげといひければ、かくよみたりけるにや。げににげの馬にやのりたりけむ。たうじならぼふしこそ平家にあたをむすびたりしかば、そのしよぎやうにてやありけむ。にふだうしやうこくあまりにくちをしがりて、「ごんのすけぜうしやうをばきかいのしまへながし、ただきよをばくびをきらむ」とぞのたまひける。忠清、「誠にみのとがのがれがたし。いかにちんずともかひあらじ。いかがせまし」とためらいけるが、をりふししゆめのはんぐわんもりくにいげ人ずくなにて、かやうのさたども有ける所へ、忠清をづをづうかがひよりて申けるは、「忠清十八のとしとおぼえ候。とばどのにぬすびとのこもりてさうらひしを、よするものひとりも候わざりしに、ついぢよりのぼりこえて、からめてさうらひしよりこのかた、保元平治のかつせんをはじめとして、だいせうのことにいちども君を離れ
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まいらせ候わず。又ふかくをあらはしたることも候わず。今度とうごくへはじめてまかりくだりて、かかるふかくをつかまつる事、ただこととはおぼえさうらわず。よくよくおんいのりあるべしとおぼえさうらふ」と申ければ、にふだうしやうこくげにもとやおぼしめされけむ、物ものたまわず。ただきよかんだうにおよ
ばざりけり。G24
三十 さんぬる五月、たかくらのみやをふちしたてまつることによりて、みゐでらせめらるべしとさたありければ、だいしゆおこりて、おほつのみなみきたのうらにかひだてをかき、やぐらをかきてふせくべきよし、けつこうす。十一月十七日、とうのちゆうじやうしげひらのあつそんをたいしやうぐんとして、一千余騎のぐんびやうをそつして、みゐでらへはつかうす。しゆとふせきたたかふといへども、なにごとかあるべき、三百余人うたれにけり。のこるところのだいしゆ、こらへずしておちにけり。あるいはぎらうを
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ひきてたかきみねにのぼり、あるいはこれえうちにしてふかきたににいる。かかりければ、しげひらの朝臣てらのうちにうちいりて、次第にこれをやきはらふ。みなみきたなかのさんゐんの内、やくるところのだうじやたふべうじんじやぶつかく、ほんがくゐん、けいそくばう、じやうきゐん、しんによゐん、けいゑんゐん、そんわう、わうだう、ふげんだう、しやうりゆうゐん、だいほうゐん、いまぐまののほうでん、おなじくはいでんとう、ごほふぜんじんのしやだん、けうだいくわしやうのほんばう同御殿影像同本尊等、しゆろうしちう、にかいだいもんこんがうりきしあり、はつけんしめんのだいかうだう、さんぢゆうほうたふいつき、あみだだう、おなじくほうざう、さんわうほうでん、よつあしいちう、しめんのくわいらう、ごりんゐん、じふにけんのだいばう、さんゐんかくべつ、くわんぢやうだうかくいちう。ただしこんだうばかりはやけざりけり。そのほかそうばう六百よう、ざいけせんごひやくよけ、ちをはらひをはんぬ。ぶつざうにせんよたい、
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けんみつりやうしゆうのしやうしよ、だいしの渡し給へるたうほんいつさいきやうしちせんよくわん、たちまちにくわいじんとなりぬ。またやけしぬるところのざふにん、既に千人におよぶとぞきこへし。およそけんみつしゆゆにほろびて、がらんまことにあとなし。さんぼうのだうぢやうもなければ、しんれいのこゑもきかず。いちげのぶつぜんもなければ、あかの声もたえたり。しゆくらううちのめいしやうも、しゆがくをおこたりたり。じゆほふしやうぜうの弟子も、きやうげうにわかれたり。このてらとまうすは、もとはあふみのぎだいりやうとまうすもののわたくしの寺たりしを、てんむてんわうにきしんしたてまつりてよりこのかた、ごぐわんとかうす。もつぱらなんがくてんだいのこふうをまなび、ふかくしやうりゆうげんぼふのけうせきをもてあそぶ。すひやくさいのちすい、この時に永くかわき、だいせうじようのほふりん、この時にたちまちにとどまりぬ。ぶつぽふのけつく、にんぼふのさいごなり。をんごんみなちやうしやす、いはむやじもんのぢゆうりよにおいてをや。
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らうせうこぞりてうひす、いはむやうじやうのしよにんにおいてをや。ほんぶつとまうすはかのてんわうのごほんぞんなりしを、しやうじんのみろくによらいときこへたまひしけうだいくわしやうの、百六十二年のあひだ、ちうやてうせきおこたらずおこなひて、ちしようだいしにふぞくしたまひたりけるみろくとぞきこへし。「としたてんじやうまにほうでんよりあまくだりましまして、はるかにりゆうげげしやうのあしたをまちたまふ」とききつるに、「こはいかになりぬるやらむ。たうじのゑみやうも既につきはてぬるにや」とぞみへし。てんち、てんむ、ぢとうさんだいのみかどの、おんうのはふきゆの水をくみたりけるゆゑに、みゐでらとかうしたり。又はだいし、このところをでんぼふくわんぢやうのれいせきとして、せいくわすいの水をくむこと、じそんさんゑのあしたをまつゆゑに、みゐでらともまうしけり。かくやむごとなきせいぜきなれども、事ともいわず、ゆみ
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やをいれぬる事こそかなしけれ。
卅一 にじふいちにち、をんじやうじのゑんけいほふしんわう、てんわうじのべつたうとどめられたまふ。かのみやとまうすは、ごしらかはのゐんのみこなり。ゐんぜんにいはく、
をんじやうじのあくとら、てうかをゐはいして、たちまちにむほんをくはたつ。さらにもんとのそうがういげ、みなことごとくくじやうをちやうじして、げんにんならびにそうとくをげきやくし、かねてはまた、まつじしやうゑん、およびかのてらのそうらがしりやう、しよこくのさいシにおほせて、はやくしゆこうせしむ。ただしじようにかぎりあるにおいては、こくしのさたとして、じけのしよしにつけて、そのようどにまかせて、ごうれいのぶつじをたいてんせしむることなかれ。むほんゑんけいほふしんわう、よろしくしよたいのてんわうじのけんげうしきをちやうじせしむべし。とぞかかれたりける。
卅二 あくそうには、そうじやうばうかく、ごんのそうじやうかくち、ほふいんごんのだいそうづていけい、
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のうけい、じつけい、かうじよう、ごんのせうそうづしんゑん、がうぜん、けんち、りやうち、けんしゆん、ごんのりつしたうけん、けいち、かくぞう、しようせい、かうち、かうしゆん、いじやうじふしちにん、げんにんげきやく。つぎに、ほふいんこうせい、かうけう、けいじつ、ほふげんしんしよう、たうちよう、けいそん、たうしゆん、べんそう、しようけい、じようち、じついん、へんゑん、へういう、くわんちゆう、ほつけうりやうしゆん、ちゆういう、りやうかく、さきのだいそうじやうかくさん、さきのごんのそうじやうこうけん、さきのごんのせうそうづたうにん、いじやうにじふにん、うへになぞらふ。つぎに、にゑのかうしゑんぜん、しやういう、ちようけん、こういん、いじやうしにん、くじやうをちやうじす。ことにそうがうじふさんにん、くじやうをとどめらる。くわんをめし、しよりやうをもつくわんして、おなじく
卅三 しちやうのつかひをつけて、すいくわのせめて、めいしゆんいげのあくそうをめさる。いちじようゐんのばうかくせうしやうそうじやうをばひだのはんぐわんかげたかのあつそんうけたまはる。
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けいゑんゐんじつけいひたちのほふいんをばかづさのはんぐわんただつなのあつそんうけたまはる。かうじようちゆうなごんほふいんをばはかせのはんぐわんのりさだうけたまはる。のうけいしんによゐんのほふいんをばいづみのはんぐわんなかよりうけたまはる。しんゑんすけのそうづをばげんだいふのはんぐわんうけたまはる。かくちみののそうづをばつのはんぐわんもりずみうけたまはる。しようけいくらんどほつけうをばぎをんのはかせもとやすうけたまはる。こうけんさいしやうそうじやうをばではのはんぐわんみつながうけたまはる。かくさんだいなごんそうじやうをばさいとうはんぐわんともざねうけたまはる。じようちめいわうゐんのそうじやうをばしんさくわんあきもとうけたまはる。じついんうだいじんほふげんをばにんぷしやうつねひろうけたまはる。
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くわんちゆうちゆうなごんほふげんをばのうふしやうかねやすうけたまはる。かうけうおほくらきやうほふいんをもおなじくかねやすうけたまはるとぞきこへし。
卅四 じふいちぐわつにじふににち、ごでうのだいなごんくにつなのきやう、だいりつくりいだして、しゆしやうわたらせたまふ。このだいなごんはだいふくちやうじやなりけるうへに、よのだいじするひとにて、ほどなくきらきらしくつくりいだして、めでたかり
けり。ただしせんかうのぎしきをば、よのつねならずぞきこえし。だいりのまへにふだにかきてたてたりけり。
おもひきやはなのみやこをたちしよりかぜふくはらもあやうかりけり K114
卅五 ことしだいじやうゑおこなはるべきかといふぎぢやうありけれども、そのさたなし。だいじやうゑはじふぐわつのすゑにひがしがはにごかうして、ごけい[ごケヒ]あり。おほうち
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のきたののにさいだんじよをたてて、じんぶくじんぐをととのふ。だいこくでんのまへのりようびだう[レウビだう]のだんじやうに、くわいらうりふでんをたてて、おゆをめす。おなじきだんにだいじやうぐうのしんせんをそなふ。せいしよだうにしてしんえんあり、ぎよいうあり。だいこくでんにてたいれいおこなはる。ぶらくゐんにてえんくわいあり。しかるにこのさとだいりのていだいこくでんもなければ、たいれいおこなふべきところもなし。ぶらくゐんもなければ、えんくわいもおこなふべからず。れいぎおこなはるべき所つやつやなかりければ、しんじやうゑにてごせちばかりおこなはる。しんじやうゑのまつりをば、なほこきやうじんぎくわんにてこれをおこなはる。ごせちとまうすは、むかしきよみばらのみかど、よしののみやにておんこころをすましてことをひかせたまひしかば、しんぢよてんよりあまくだりて、
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をとめごがをとめさびすもからたまををとめさびすもそのからたまを K115
とごせいをうたひ[ウタイ]たまひて、ごどそでをひるがへす。これをごせちのはじめとす。きうとはさんもんなんとほどちかくて、ともすればだいしゆひよしのしんよをふりたてまつりてげらくし、じんにんかすがのしんぼくをささげたてまつりてしやうらくす。かやうのこともうるさし。しんとはやまかさなりえかさなりて、みちとほくほどへだたれば、たやすからじとて、せんとといふことは、だいじやうにふだうはからひいだされたりけれども、しよじしよさんのうつたへ、きせんじやうげのなげきなりけるによつて、
卅六 さんもんのしゆと、さんがどまでそうじやうをささげててんちやうをおどろかしたてまつる。だいさんどのそうじやうにいはく。
えんりやくじのしゆとらせいくわうせいきようきんげん
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ことにてんおんをかうぶりてせんとをちやうじせられむとこふしさいのじやう
みぎつつしみてあんないをかんがふるに、しやくそんゆいけうをもつて、こくわうをふぞくするは、ぶつぽふわうぼふたがひにごぢのゆゑなり。なかんづく、えんりやくねんぢゆうに、くわんむてんわう、でんげうだいし、ふかくちぎりをむすび、せいしゆはすなはちこのみやこをおこして、まのあたりいちじようゑんしゆうをあがめ、だいしはまたたうざんをひらきて、とほくはくわうのごぐわんをそなふ。そののちとししひやくくわいにおよぶまで、ぶつにちひさしくしめいのみねにかかやき、よさんじふだいをすぎて、てんてうおのおのじふぜんのとくをたもちたまふ。じやうだいのくじやう、かくのごとくなるはなきものか。けだしさんろとなりをしめ、かれこれたがひにたすくるがゆゑなり。しかるをいまてうぎたちまちにへんじて、にはかにせんかうあり。これそうじてはしかいのうれへ、べつしてはいつさんのなげきなり。まづさんぞうら、みねのあらししづかなりといへども、くわらくをたのんで、もつてひをおくり、たにのゆきはげしといへどもわうじやうをになつて[ニナツテ]もつてよをつぐ。もしらくやうゑんろをへだてて、わうくわんたやすからずは、あにこさんのつきをじしてへんぴのくもにまじはらざらむや、これひとつ。もん
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とのじやうかうら、おのおのくじやうにしたがひ、とほくきうきよをなげうててのち、とくいんつうじがたく、おんげんたへやすきとき、いちもんのせうがくら、いづくんぞさんもんにとどまらむや、これふたつ。ぢゆうさんのもののていたらく、はるかこきやうをへだつるともがら、ていきやうをかたらひてぶいくをかうぶり、いへわうとにあるたぐひは、きんりんをもつてびんぎとなす。ふもともしくわうやとへんぜば、みねにあにじんせきをとどめむや。かなしきかな、すひやくさいのほふとう、このときにたちまちにきえ、せんまんはいのぜんりよ、このよにまさにほろびなむとす、これみつ。ただしたうじは、ちんごこくかのだうぢやう、ことにいつてんのかためたり。れいげんしゆしようのがらん、またまんざんのうちにひいでたり。ところのまめつ、なんぞかならずしもしゆとのしうたんのみならむ。ほふのめつばう、あにてうかのだいじにあらずや、これよつ。いはむやしちしやごんげんのほうぜんは、こればんにんはいきんのれいぢやうなり。もしわうぐうとほくして、しやだんちかからずは、ずいりのつきのまへに、ほうれんのぞみがたく、そうシのつゆの
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もとに、きうしうながくたえむ。もしさんけいこれおろそかに、れいてつれいにたがはば、ただみやうおうなきのみにあらず、おそらくはまたかみのうらみをのこしたまはんか、これいつつ。およそこのみやこをば、これたやすくすつべからざるしようちなり。むかししやうとくたいしのきもんにいはく、「わうきあらむところに、かならずていせいをたてむ」とうんうん。たいせいとほくかんがみたまふ、たれかこれをこつしよせむ。いはむやしやうりやうびやくこことごとくそなへて、しゆしやくげんむたちまちにまどかなり。てんねんとしてよきところなり。しふせざるべからず、これむつ。かのぐわつしのりやうぜんは、すなはちわうじやうのとうぼくによづ、だいしやうのいうくつなり。じちゐきのえいがくには、またていとのうしとらにそばたつ[ソバタツ]、ごこくのしようちなり。すでにてんぢくのしようけいにおなじくして、ひさしくきもんのきようがいをはらふ。ぢぎやうのきどく、あにをしまざらむや、これななつ。かも、はちまん、かすが、ひらの、おおはらの、まつを、いなり、ぎをん、きたの、くらま、きよみづ、うづまさ、にんわじ、かくのごときじんじやぶつじ、だいしやうあとをたれ、ごんじやちをしめ、ごこくごさん
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のそうべうをたてて、しようてきしようぐんのれいざうをあんず。わうじやうのはつぱうをめぐつて、らくちゆうのばんにんをりす。きせんききやうのわうらい、いちをなす。ぶつじんりしやうのかんおう、かくのごとし。なんぞれいざうのみぎりをさけて、たちまちにむぶつのさかひにおもむかむ[ヲモムカム]や。たとひあらたにしやうじやをたてて、たとひさらにしんめいをしやうずとも、よぢよくらんにおよび、ひとごんげにあらず、だいしやうのかんかう、かならずしもこれあらじか、これやつ。これらのれいぢやうのなかに、あるいはたねんほうしして、けちえんのりやくをかうぶり、じつせきにあゆみをはこびて、しそあいせきのところあり。あるいは、しよかのうぢてらの、ふたいのごんぎやうをしゆし、しいんさうぞくして、おのづからぶつぽふをこうりゆうするところあり。しかるになましひにこうむにしたがひて、うれへながらすて、さる。あにひとのぜんをおさへ、ひじりのおうをとどむるにあらずや、これここのつ。しよじのしゆと、おのおのくじやうにしたがふとき、あしたにはほうこにまゐりて、ゆふべにはれんにやにきす。くじやうとほくうつらば、わうくわんいかん。もしほんじをすてて、もしわうめいをそむかば、とざまかうざまおそれあるに、
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しんだいこれきはまれり、これとを。むかしをおもふに、くにゆたかにたみあつくして、みやこをおこすいたみなし。いまはくにとぼしくたみきはまつて、せんいわづらひあり。これをもつて、あるいはたちまちにしんぞくをわかれて、りよしゆくをくはたつるものあり、あるいはわづかにしたくをやぶれども、うんさいにたへざるものあり。ひたんのこゑ、すでにてんちをうごかす。じんおんのいたりあにこれをかへりみざらむや。もしなほせんとあらばまつりごとしやうじやうのみちにはいして、てんしんにたがはむ、これじふいち。しちだうしよこくのてうぐ、ばんぶつうんじやうのびんぎ、にしにかはあつて、ひがしにつあり。たよりにわづらひなし。もしよそにうつらば、さだめてこうくわいあらむか、これじふに。またたいしやうぐんとりにあり、はうがくすでにふさがる。なんぞおんやうをそむきて、たちまちにとうざいをたがへむ。さんもんのぜんとら、もつぱらぎよくたいのあんをんをおもふ。ぐいのおよぶところ、いかでかかんこ[カムこ]をならさざるこれじふさん。ただしにはかにせんとある、なにごとによるぞ。もしきようどのらんげきによつては、ひやうがくすでにしづかなり、てうていなんぞうごかむ。もしきぶつのくわいいによつては、さんぼうにきしてもつてえうさいをしやすべし、ばんみんをぶしてもつて
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くわうとくをたすく[タスケ]べし。なんぞほんぐうをうごかして、わざとぶつじんゐねうのみぎりをさり、あまつさへゑんかうをくはたてて、かへりてにんみんなうらんのとがをぼんぜむ、これじふし。そもそもくにのをんできをしりぞけ、てうのえうやくをはらふこと、むかしよりこのかた、ひとへにさんもんのいとなみなり。あるいはだいしそしのはくわうをせいごし、あるいはいわうさんわうのいつてんをおうごす。あるいはゑりやうなづきをくだき、あるいはそんいつるぎをふるふ。およそみをすてきみにつかまつること、わがやまにしくはなし。ここんのしようげん、のりてじんこうにあり、いまなんぞせんとありて、このところをほろぼしたまはむとほつするや、これじふご。いはむやげううんしゆんじつのいつてうにかかやき、てんしていえふのばんだいにつたはる、すなはちこれくでうのうしようじやうのぐわんりきなり。あにじゑだいそうじやうのかぢにあらずや。とどのめいせうにいはく、「ちんはこれくでうのうしようじやうのばつえふなり。いかんぞじかくだいしのもんぜきにそむくべからざるとうんうん。いまいはく、「いかんぞせんじようをわすれて、ほんざんのめつばうをかへりみざらむや」。さんぞうのそしよう、かならずしもりにあたらずといへども、ただしよこうのらうをもつて、ひさしくさいきよをかうぶりきたれり。いはむやうつばうにおいては
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ひとりしゆとのうれへのみにあらず、かつうせいてうのおんために、かねてはまたてうみんのためなるをや、これじふろく。しかのみならず、こんどのじにおいては、ことにぐちゆうをぬきんづ。いちもんのをんじやう、あひまねくといへども、あふぎてちよくせんにしたがふ。ばんにんのひばう、りよかうに[リヨカフニ]みつといへども、ふしてごぐわんをいのり。なんぞかたくきんらうをつくし、かへりてこのところをほろぼさむとほつする。こうをはこびばつをかうぶる、あにしかるべけんやてへれば、たとひべちのてんかんなく、ただこのさいきよをかうぶらむとほつするのみ。たうざんのそんばうただこのさうにあるゆゑなり、これじふしち。のぞみこふらくはてんおんふたたびえいりよをめぐらして、くだんのせんとをとどめられば、さんぜんにんのしゆとら、きようくわ[ヰヨウくわ]たちまちにきへ、ひやくせんまんのしゆと、うつすいいよいよひさしからむ。しゆとら、ひたんのいたりにたへず。せいくわうせいきようきんげん。
ぢしようしねんしちぐわつ ぴ だいしゆほふしら
これによつてにじふいちにちに、にはかにみやこがへりあるべしときこへければ、たかきもいやしきもてをすり
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ひたひをつきてよろこびあへり。さんもんのそしようは、むかしもいまも、だいじもせうじも、むなしからざることにこそやむごとなけれ。いかなるひほふひれいなれども、せいたいもめいじもかならずごさいきよあり。これほどのだうりをもつてさいさんかやうにまうさむに、よこがみをやぶるにふだうしやうこくなりとも、いかでかなびかざるべき。にじふににち、しんゐんまづふくはらをしゆつぎよあつて、きうとへごかうなる。おほかたもつねはごふよにうへ、しんとのてい、きゆうしつひしつにして、じやうちくだりうるほへり。あくきやうやくくだりて、ふうはいよいよすさまじ。みやこがへりなくとも、もとよりきうとへくわんかうなるべきにてありければ、しさいにおよばず。にじふろくにちにしゆしやうはごでうだいりへぎやうがうなる。りやうゐんはろくはらのいけどのへくわんかう。へいけのひとびと、だいじやうにふだういげみなかへりのぼらる。ましてたけのひとびとはひとりもとどま
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らず。よにもあり、ひとにもかぞへらるるともがらは、みなうつりたりしかば、いへいへことごとくはこびくだして、このごろくかげつのあひだにざうりふしてしすゑつつ、しざいざふぐをはこびよせたりつるほどに、またものぐるはしくみやこがへりあれば、なにのかへりみにもおよばず、こきやうへかへるうれしさに、とるものもとりあへず、しざいざふぐをはこびかへすにもおよばず、まどひのぼりたれども、いづくにおちつきていかにすべしともおぼへず。いまさらにたびだちて、にしやま、ひがしやま、かも、はちまんなど、かたほとりにつきて、だうのくわいらうや、やしろのはいでんなどにたちとどまりてぞ、しかるべきひとびともおはしあひける。とてもかくても、ひとわづらはしきことよりほかはさせることなし。ひやうゑのすけむほんのことによつて、かさねてせんじをくだされていはく、
いづのくにのるにんみなもとのよりとも、はやくやしんをさしはさみて、たちまちてうゐをかろんじ、にんみんをこふりやくして、しうけんをせうりやくす。
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ことききにいるあひだ、ちゆうばつをくはへむとほつするところに、かひのくにのぢゆうにんみなもとののぶよし、みだりがはしくらいどうをなし、すでにげつしよをおくる。おのおのぎよりかくよくのぢんをむすび、かたがたくわうきでんげきのゐをかかやかす。これによつて、きうきうのともがら、わうわうおこりつのり、ぎやくぼうのはなはだしき、ここんいまだきかず。ただにていさうのぐんりよをくるしむるのみにあらず、かねてはらうにやくのてんさうをやむるあり。さいみんのおろかなる、しゆそのいやしき、ほうがのへいかいをかへりみず、みづからけうあくのくわんいうにしたがふか。これといひかれといひ、せめてあまりあり。よつてそのきようたうをはらはむがために、ついたうしをつかはすところなり。とうかいとうせんほくろくとうのみち、きやうじやくをろんぜず、らうせうをいはず、へうりちからをはげまし、ぎやくぞくをうたしむ。なかんづく、みののくにに、ようぶてんかのもの、きゆうばちやうげいのともがら、おほくそのきこえあり。もつともさいようにたる。ことにかれらにおほせて、そのへんきやうのえうがいをふさぎ、つうくわんのばうぎよにそなへしめ、すなはちいうこくのていしんをはげまして、ばう
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しんのこうせんをいたすべし。かねてはまたへんれつのあひだ、そつごのうち、そのがくわいにあらずして、たとひきようあくにくみすとも、就かこのむねをさつし、あやまちをくいぜんにかへらむ。そつとはみなくわうみんなり。ふてんはことごとくわうどなり。しりんのむね、たれかずいじゆんせざらむ。もしそれえいをとりてたわまず、ことにのぞみてこうをたつるものあらば、そのきんせつをむまのあせにはかり、たまふにふしのきうしやうをもつてす。よろしくかじにふこくし、つまびらかにゐきよくをしらしむべしてへり。
ぢしようしねん十一月八日そちのだいなごんさちゆうべん
とぞせんげせられける。かかりけれどもいつさいせんげのむねにかかわらず、いよいよひにしたがひて、ひやうゑのすけのゐにおそれて、とうかいとうせんとうのしよだうのともがら、みなげんじにしたがひけり。
卅七 十二月一日、ひやうらんのおんいのりに、あきいつくしまへほうへいしをたてらる。たう
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じあふみのくにのきようぞく、みちをふさぐあひだ、だいじんぐうのおんつかひ、しんぱつにあたわざりければ、しばらくじんぎくわんにをさめをかる。うつてのつかひ、むなしくかへりのぼりてのち、とうごく、ほつこくのげんじども、いとどかつにのりて、くにぐにのつはものおほくなびかしつつせいはひびにしたがひてつきにけり。まぢかきあふみのくににもやまもとかしはぎなむどいふあぶれげんじどもさへ、とうごくにこころをかよはして、せきをとぢて、みちをかためて、ひともとほさず
卅八 十二月一日、とさのくにのるにんふくだのくわんじやまれよしをちゆうばつせらる。かのまれよしは、こさまのかみよしともがしなん、よりともにはひとつはらのおととなり。いんじえいりやくぐわんねんにたうごくへながされて、としつきをおくりけるほどに、くわんとうにむほんおこりければ、どういのうたがひによつて、かのくにのぢゆうにんはすいけのじらうきよつねにおほせて、
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うたれけるとぞきこえし。同月、いよのくにのぢゆうにん、かはののたいふをちのみちきよ、げんじにつうじへいけをそむきて、こくちゆうをくわんりやうし、しやうぜい、くわんもつをよくりうするよしきこえければ、ひがしはみののくにまでげんじにうちとられぬ、さいこくさへまたかかれば、へいけおほきにおどろきさわぎて、あはのみんぶしげよし、びんごのくにのぢゆうにんぬかたのにふだうたかのぶほふしにおほせて、これをついたうせらる。みちきよはいかめしくおもひたちたりけれども、ちからをあはするものなかりければ、つひに高信法師がてにかかりてうたれにけり。
卅九 三日、さひやうゑのかみとももり、こまつのせうしやうすけもり、ゑちぜんのさんゐみちもり、さまのかみゆきもり、さつまのかみただのり、させうしやうきよつね、ちくぜんのかみさだよしいげのぐんびやう、とうごくへはつかう。そのせい七千余騎にてげかう。やまもと、かしは
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ぎ、ならびにみの、をはりのげんじ、ついたうのためなり。四日、やまもとのくわんじやよしひろ、かしはぎのはんぐわんだいよしかぬをせめおとして、やがてみののくにへこえて、をはりのくにまでうちたひらぐるよしきこえければ、だいじやうにふだうすこしけしきなをりてぞみえられける。
四十 またなんとのだいしゆいかにもしづまりやらず、いよいよさうどうす。くげよりもおんつかひしきなみにくだされて、「さればなにごとをいきどほりまうすぞ。ぞんぢのむねあらば、いくたびもそうもんにこそおよばめ」などおほせくだされければ、「べちのそしようにさうらわず。ただきよもりにふだうにあひてしにさうらわむ」とぞ、ただひとくちに申ける。これもただことにあらず。にふだうしやうこくとまうすは、かたじけなくもたうぎんの御ぐわいそぶぞかし。それをすこしもはばからず、かやうにまうしけるもあさまし。およそ南都の大衆にもてんまのつきに
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けるとぞみへし。
ことばのもれやすきは、せうくわのなかだちなり。ことのつつしまざるは、しゆはいのみちなり。
といへり。ただいま事にあひなむずとぞみへし。そのうへ、さんぬるごぐわつ、たかくらのみやのおんことにより、みゐでらよりてふじやうをつかはしたりしへんてふに、へいじのせんぞのかきんを、筆を尽して書たりし事を、安からぬ事にしやうこくおもはれたりければ、「ぜひあるまじ。いそぎくわんびやうをつかはして、なんとをせむべし」といふさたあり。かつがつとて、びつちゆうのくにせのをのたらうかねやすと云さぶらひを、やまとのくにのけんびゐどころになし、三百余騎のつはものをあひぐせさせてくだしつかはす。しゆといつさいにしひず、いよいよほうきして、かねやすがもとへおしよせて、さんざんにうちちらして、かねやすがいへのこらうじゆう三十六人がくびをきりて、さる
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さはの池のはたにかけたりけり。兼康けうにしてにげのぼる。そののちは南都いよいよさうどうす。又おほきなる法師のかしらをつくりて、「だいじやうにふだうきよもりほふしが首也」とめいをかきて、ぎつちやうの玉のごとくに、あちこちうちけふみけり。入道これをつたへききて、安からぬ事なりとて、しなんとうのちゆうじやうしげひらのあつそんをたいしやうぐんとして、三万余騎のぐんびやうを南都へさしむけられけり。だいしゆこのよしをききて、ならざか、はんにやぢ、ふたつの道をきりふさぎて、ざいざいしよしよにじやうくわくをかまへて、らうせうちゆうねんをきらわず、きゆうせんをたいし、かつちうをよろひてまちかけたり。
十二月廿八日、しげひらのあつそん南都へはつかう。三万余騎をふたてにわけて、ならざか、はんにやぢへむかふ。だいしゆかちだち、うちものにてふせきたたかひけれども、
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三万余騎のぐんぴやう、馬の上にてさんざんにかけたりければ、ふたつのきどぐち、程なくやぶられにけり。そのなかにさかのしらうばうやうがくとて、きこゆるあくそうあり。うちものに取ても、ゆみやとつても、しちだいじ、じふごだいじに肩をならぶる者なし。だいぢからのつよ弓、おほやのやつぎばやのてききにて、さげばりもはづさず、ひやくどいけれどもあだやなかりける、をそろしき者也。そのたけしちしやくばかりなり。かちんのよろひひたたれに、もえぎのいとをどしのはらまきの上に、くろかはをどしのよろひをかさねてきたり。ぼうしかぶとの上にさんまいかぶとをかさねてきたり。三尺五寸のおほだちはきて、二尺九寸のおほなぎなたをぞ持たりける。どうじゆく十二人さうにたて、あしがろのほふしばらさんじふよにんにたてつかせて、てがいもんよりうちいでたりけるのみぞ、しばらくささへたりP2224ける。多くのくわんびやう、馬の足をきられてうたれにけり。されどもおほぜいしこみければ、やうがく一人たけく思ひけれどもかひなし。いたでおひておちにけり。しげひらのあつそんは、ほつけじのとりゐの前にうつたちて、しだいに南都をやきはらふ。ぐんびやうの中に、はりまのくにふくゐのしやうのげし、じらうたいふとしかたといひける者、たてをやぶりてたいまつにして、りやうばうのじやうをはじめとして、じちゆうにうちいりて、かたきのこもりたるだうじや、ばうちゆうにひをかけて、是をやく。恥をも思ひ、なをもをしむ程の者は、ならざかにてうちじに、はんにやじにてうたれにけり。ぎやうぶにかなへるともがらは、よしの、とつかはのかたへおちうせぬ。ぎやうぶにかなわぬらうそう、みもがふごせぬしゆがくしや、ちごども、にようばう、にこうなむどは、やましなでらのてんじやうの上に七八百人が程かくれのぼる。
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だいぶつでんのにかいのこしには一千七百余人にげのぼりにけり。かたきをのぼせじとははしをばひきにけり。しはすのつきのはてにてはあり。風はげしくて、ところ
どころにかかりたる火ひとつにもえあひて、おほくのだうじやにふきうつす。こうぶくじよりはじめて、とうこんだう、さいこんだう、なんゑんだう、しちゑんぢゆうのごたふ、にかいのろうもん、しゆろう、きやうざう、さんめんのそうばう、しめんのくわいらう、ぐわんごうじ、ほつけじ、やくしじまでやけてのち、にしかぜいよいよつよかりければ、だいぶつでんへふきうつす。みやうくわのもえちかづくにしたがひて、にげのぼる所の一千余人のともがら、けうくわん、だいけうくわん、てんをひびかしちをうごかす。なにとてか一人も助かるべき、皆やけしにけり。かのむけんだいじやうのほのほの底にざいにんどもがこがるらむも、これにはすぎじとぞみへし。せんまんのかばねはしちぶつの上にもえかかれり。守護の武士はひやう
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ぢやうにあたりて命をうしなひ、しゆがくのかうそうはみやうくわにまじはりて死にけり。かなしきかな、こうぶくじはたんかいこうのごぐわん、とうじいつかのうぢてらなり。げんみやうてんわうのぎようわどうさんねんかのえのいぬのとし、こんりふせられてよりこのかた、せいしゆくごひやくろくじふよさいに及べり。とうこんだうにおわしますぶつぽふさいしよのしやかのざう、さいこんだうにおわしますじねんゆじゆつのくわんぜおん、るりをならべししめんのらう、したんをまじふるにかいのろう、くりんかかやきしにきのたふ、むなしきけぶりとなりにしこそ悲しけれ。とうだいじはじやうざいふめつ、じつぽうじやくくわうのしやうじんのおんほとけとおぼしめしなぞらへて、しやくそんしよじやうだうのぎしきをあらはし、てんびやうねんぢゆうにしやうむてんわうおぼしめしたちて、たかののてんわう、おほひのてんわう、さんだいのせいしゆみづからしやうじやをこんりふし、ぶつざうをやちうし奉り給ふ。ばらもんそうじやう、りゆう
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そんりつし、らうべんそうじやう、ぎやうきぼさつ、がんじんわじやうとうのぼさつしやうじゆたち、だうししゆぐわんとしてくやうじたまひてよりこのかた、しひやくしちじふよさいになる。こんどうじふろくぢやうのびるしやなぶつ、うしつのそんようをうつししたりしそんざうも、みぐしはやけおちてだいぢにあり。ごしんはわきあひて塚の如し。まのあたりみ奉る者も、めもあてられず。はるかにつたへきくひとも、涙を流さずといふことなし。ゆが、ゆいしきのりやうぶをはじめとして、ほふもんしやうげう一巻ものこらず。わがてうはまうすにおよばず、てんぢくしんだんにもこれほどのほふめつは、いかでかあるべきなれば、ぼんじやくしわう、りゆうじんはちぶ、みやうくわんみやうじゆに至るまで、おどろきさわぎたまひけむとぞおぼえし。ほつさうおうごのかすがのだいみやうじん、いかなる事をかおぼしめすらむ、しんりよの内もはかりがたし。さればかすがのの
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露の色もかはり、みかさやまの嵐のおともうらめるさまにぞみへける。今度やくるところのだうじや、とうだいじには、だいぶつでん、かうだう、こんだう、しめんのくわいらう、さんめんのそうばう、かいだん、そんしようゐん、あんらくゐん、しんごんゐん、やくしだう、とうなんゐん、はちまんぐう、けひのやしろ、けたのやしろ。こうぶくじには、こんだう、かうだう、なんゑんだう、とうこんだう、ごぢゆうのたふ、さいこんだう、ほくゑんだう、しめんのくわいらう、さんめんのそうばう、くわんじざいゐん、にしのゐん、いちじようゐん、だいじようゐん、なかのゐん、しようやうゐん、小院、とうぼくゐん、橋志院、とうさうゐん、くわんぜんゐん、ごだいゐん、きたのかいだん、たうゐん、まつのゐん、でんぼふゐん、しんごんゐん、ゑんじやうゐん、くわうかもんゐんのごたふ、そうぐう、ひとことぬしのやしろ、りゆうざうゐん、すみよしのやしろ、しゆろう、きやうざう、おほゆや〈 ただしかまやけず 〉、ほうざう
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じふしう。このほか大小のしよもん、じぐわいのしよだうはしるすに及ばず。しかるべきところどころは、ゐんのごたふ、ちやうじやのごたふ、しめんのくわいらう、もんろう、いつさいきやうざう、しやうしよのかたぎ、さほどのもやけにけり。このほか、ぼだいゐん、りゆうげゐん、ゑんばうりやうさんう、ぜんぢやうゐん、しんやくしじ、かすがのやしろししよ、わかみやのやしろなむどぞ、わづかに残りたりける。やけしぬる所のざふにん、だいぶつでんにて千七百余人、やましなでらにて五百余人、あるみだうには三百余人、あるみだうには二百余人、ごにちにくはしくかぞふれば、そうじて一万一千四百余人とぞきこへし。いくさのにはにてうたるる所のだいしゆ七百余人がうち、四百余人がくびをば都へのぼす。そのなかににこうの首もせうせうありけるとかや。廿九日、しげひらのあつそんなんとをほろぼして、京へ帰りいらる。にふだうしやうこく一人ぞいきどをりはれてよろこばれける。それも
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りやうだいがらんのやけぬる事をば、しんぢゆうにはあさましくぞおもはれける。いちゐん、しんゐん、せつしやうてんが、だいじん、くぎやうをはじめたてまつりて、すこしもぜんごをわきまへ、物の心ある程の人は、「こはいかにしつる事ぞや。あくそうをこそうしなふとも、さばかりのがらんどもをせうめつすべしや。くちをしき事なり」とぞかなしみあひ給ける。しゆとのくびどもをば、おほちをわたして、ごくもんの木にかけらるべきにてありけるが、とうだいじ、こうぶくじのやけにけるあさましさに、わたすにおよばず、ここかしこのみぞやほりにぞなげすてける。こくさうゐんの南の堀をば、ならのだいしゆの首にてうめたりなむどさたしけり。しやうむてんわうのかきおかせ給けるとうだいじのひもんにいはく、「わがてらこうぶくせば、てんがもこうぶくせむ。わがてらすいびせば、てんがもすいびせむ」とうんうん。今くわいじんとなりぬる上は、こくどの
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めつばううたがひなし。そのうへさんぬる十一月十七日に、しけうごじのはなぶさ、ひとりさかりなるをんじやうのこずへ、みゐもつきぬ。この十二月廿八日に、さんしやうはつしきのかぜ、もつぱらあふぐこうぶくのまど、なんともほろびぬ。はつしゆうのながれことなりといへども、いちによのみなもとこれおなじ。ほんぐわんをたづぬれば、ぎよすいのちぎりこれふかし。ほんぶつをいへば、しやかじそんの眦ひあさからず。せきじつのはうえんこれかうばし、たうせいのちぐまたせつなり。やましなとをんじやうとにうすいのごとし、ほつさうとてんだいときやうだいにおなじ。ここによつて、よろこびあるときはともにこれをよろこび、うれへあるときはおなじくこれをうれふ。やましなは、われらがほんし、しやかぜんぜい、いつけをのこして、いつさいのれいちをけし、をんじやうは、によらい、ふしよのみろくじそん、さんゑをごして、さんうのせいだくをりするみぎりなり。しかるをりやうぐわつのうちにくわいじんとなりぬ。いつてんのなげき、なにごとかこれにすぎむ。いちぶつをかすめいちをくをやく、ざいくわなをおもし。いはむやなん
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とをんじやうすせんのだうたふざいほうにおいてをや。いちもんをそしりいちぶつをばうする、はかいこれふかし。いはむやほつさうてんだいすまんのぶつざうきやうくわんにおいてをや。とほくせんじようをいゐきにたづぬれば、ゑしやうてんしのぼんざいにすぎたり。ちかくあくれいをほんてうにかんがふれば、もりやのおとどのぎやくあくにこえたり。ごくあくのぶんげんはかりがたし、ぎやくしんのしやうらいそれいかむ。そもそもわがてうにちんごこくかのだうぢやうとかうして、あさゆふほしをいただいて、はくわうぶゐのごぐわんをいのりたてまつる、しかのだいじこれあり。さんがじすでにあとなし。たまたま残るえいがくも、ぎやうがくとうらんの事によつてくもにふしぬ。なのみありてしぜんのよのつきにくらく、ゆきにえいずるつとめをなげうてて、腰にさんじやくのあきのしもをよこだふ。かのてらまたなきがごとし。「さすがにほふめつのけふこのごろとは思わざりしを。こはいかなりける事やらむ」と、なげかぬ人も
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なかりけり。ちようけんほふいんの『ほふめつのき』といふふみをかかれたる、そのことばをきくぞ悲しき。やましなのさんめんのそうばうには、ごしきの花ふたたびひらけず。かすがししよのしやだんには、さんみやうのともしび更にかかやくことなし。ぶつざうきやうろんのやくるけぶりには、だいぼんてんわうのまなこたちまちにくらし。だうたふそうばうのもゆる音には、けんらうぢじんの胸をこがすらむとぞおぼえける。G25させうべんゆきたかと申す人、せんねんはちまんへまゐりて、つやせられたりける夜のじげんに、「とうだいじぶぎやうの時はこれをもつべし」とて、しやくをたまはるとみて、うちをどろきみるに、みるにまことにしやくありけり。ふしぎに思て、そのしやくを取てげかうしたまひたりけれども、「たうじなにごとにかはとうだいじつくりかへらるる事あらむずる。いかなる事やらむ」
P2234
と、心のうちにおもひたまひて、としつきを送り給程に、このぜうしつせしのち、だいぶつでんざうえいのさた有ける時、べんくわんの中にかのゆきたかえらばれて、ぶぎやうすべきよしおほせくださる。そのときゆきたかのたまひけるは、「ちよくかんをかうぶらずして、次第にすすみ昇らましかば、今までべんくわんにてはあらざらまし。おほくのとしをへだてて、いまべんくわんになりかへりて、ぶぎやうのべんにあたる。これもぜんぜのけちえん浅からぬにこそ」とよろこびたまひて、はちまんだいぼさつよりたまはりたりししやくとりいだして、だいぶつざうえいのことはじめのひより、もたれたりけるこそありがたけれ。

平家物語第二末
P2235
ときにおうえい廿六年つちのとのゐ三月廿日、だいでんぼふゐんのべつゐんじふりんゐんにおいて、あくひつたりといへども、かたじけなくもおんあつらへによつてこれをしよしやせしめをはんぬ。
ぎやうしきぼう
しゆひつうぢゆう
たもんまる
P2236
(花押)





延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版

平家物語 六(第三本)
P2237
たうくわんのうちうたじふいつしゆこれあり。
P2239
一  なんとのくわさいによつててうはいおこなはれざること
二  なんとのそうがうらくじやうをとどめらるること
三  しんゐんほうぎよのことつけたりもみぢをあいしたまふこと
四  あをゐといふをんなうちへめさるることつけたりしんゐんたみをあはれみたまふこと
五  こがうのつぼねだいりへめさるること
六  だいじやうにふだうのむすめゐんへまゐらすること
七  きそよしなかせいぢやうすること
八  げんじをはりのくにまでせめのぼること
九  ゆきいへとへいけとみののくににてかつせんのこと
十  むさしのごんのかみよしもとぼふしがくびわたさるること
十一 くこくのものどもへいけをそむくこと
十二 ぬかのにふだうとかはのとかつせんのこと
十三 だいじやうにふだうたかいのことつけたりさまざまのくわいいどもあること
十四 だいじやうにふだうじゑそうじやうのさいたんのこと
十五 しらかはのゐんきしんぢきやうのさいたんのこと
十六 だいじやうにふだうきやうしまつきたまふこと
十七 だいじやうにふだうしらかはのゐんのみこなること
十八 とうかいとうせんへゐんぜんをくださるること
十九 ひでひらすけながらにげんじをついたうすべきよしのこと
廿  ごでうのだいなごんくにつなのきやうしきよのこと
P2240
廿一 ほふわうほふぢゆうじどのへごかうなること
廿二 こうぶくじのじやうらくゑおこなはるること
廿三 じふらうくらんどとへいけとかつせんのこと
廿四 ゆきいへだいじんぐうへぐわんじよをたてまつること
廿五 よりともとたかよしとかつせんのこと
廿六 じやうのしらうときそとかつせんのこと
廿七 じやうのしらうゑちごのくにのこくしににんずること
廿八 ひやうがくのいのりにひほふどもおこなはるること
廿九 だいじんぐうへくろがねのかつちうおくらるること
三十 りやうあんによつてだいじやうゑえんいんのこと
卅一 くわうかもんゐんほうぎよのこと
卅二 かくくわいほふしんわううせたまふこと
卅三 院のごしよにわたましあること
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平家物語第三本
一 ぢしよう五年正月ひとひのひ、あらたまのとしたちかへりたれども、だいりには、とうごくのひやうがく、南都のくわさいによつて、てうはいなし。せちゑばかりはおこなはれたりけれども、しゆしやうぎよしゆつなし。くわんばくいげ、ふぢはらうぢのくぎやう一人もまゐられず。うぢてらぜうしつによつてなり。只平家の人々ばかりをせうせうまゐりてとりおこなはれける。それも物のねもふきならさず、ぶがくもそうせず、よしのくずもまゐらず、はらかもそうせず、かたのごとくの事にてぞ有ける。ふつかのひ、てんじやうのえんすいなし。なんによううちひそまつて、きんちゆうのぎしき物さびしく、てうぎもことごとくすたれ、ぶつぽふわうぼふともにつきにけるかとぞみへし。
二 五日、南都のそうがうらげくわんして、くじやうをとどめ、
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しよしよくをもつしゆせらるべきよし、せんげせらる。きよねんとうだいじ、こうぶくじをはじめとして、だうたふそうあんみなくわいじんとなり、しゆとはわかきもおいたるも、あるいはうたれ、あるいはやきころされにき。たまたまのこるところはさんやにまじはりて、あとをとどむるものなし。そのうへじやうかうさへかやうになりぬれば、南都はしかしながらうせはてにけるにこそ。ただしかたのやうにても、ごさいゑはおこなはるべきにて、そうみやうのさたありけるに、南都のそうはくじやうをとどめらるべきよし、さんぬるいつかのひせんげせらる。さればいつかうてんだいしゆうの人ばかりぞしやうぜらるべきか、ごさいゑをとどめらるべきか、またえんいんせらるべきかのよし、くわんげきにとひて、そのまうしじやうをもつて、しよきやうにたづねらるるところに、ひとへに南都をすてらるべからざるよし、おのおのまうされける間、さんろんじゆうの僧じやうじついかうと申て、くわんじゆじに有ける僧一人しやうじて、かう
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じとしてぞかたのごとくとげられける。べつたうごんのそうじやうやうゑんも南都やけけるをみて、やまひましてうせたまひにけり。このやうゑんは元よりなさけありける人なれば、ほととぎすの泣けるをききたまひて、
きくたびにめづらしければほととぎすいつもはつねのここちこそすれ K116
とよみたまひてこそ、はつねのそうじやうともいわれ給けれ。かやうにぶつぽふわうぼふともにほろびぬるをかなしみて、つひにうせたまひにけり。げにも心あらむ人は、たえてながらうべきにあらず。むかしかの東大寺のみぐし、にはかにだいぢにおちたまへる事あり。てんがだいいちのふしぎなり。みかどおほきに驚かせ給て、をののたかむらをめして、「なんぢはしんたうをえたりと云きこえあり。このことたなごころをさしてかんがへまうせ」といふりんげんのくだされければ、たかむらかしこまりてまうされけるは、「ことしてんがにえきれいおこりて、にんみん命をうしなはむ事、
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ひやくぶがいちにのこるべし」とて、涙をながしてかなしみけり。「しかるにえんぶだいだいいちのだいがらん、かねてもつけをしめし給へるなり」とまうされければ、みかどおほきにおんなげきあつて、時のうげん、こうぼふだいし、じかくだいし、ちしようだいし、さうおうくわしやう、しんぜいそうじやうをめしあつめさせ給て、なんでんにだいだんをたてて、しちかにちはんにやきやうをかうどくせられければ、だいぶつのみぐし夜の程にほんしんにとびあがりて、ゐとくぎぎとして、そんようだうだうたり。これによつててんがのえうさいもてんじ返されたりけるにや、殊につつがもなかりけり。かかるめでたきせいぜきの、しげひらの為にほろぼされて、かみ一人よりはじめたてまつりて、しもばんみんに至るまで、心ある人は、なげきにしづみ、又なき命をうしなひけるこそ悲しけれ。九日、結摩城をせめおとして、きようど三百七十人がくびをきるよし、ひきやくをたてて申送れり。
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三 さるほどに、しんゐんひごろよりおんみだりごこちおこたらずのみわたらせ給けるが、このよのなかの有様をなげきおぼしめしけるにや、ごなういよいよおもらせおはします。かかりしかば何のさたにもおよばず。いちゐんはいかがせむとなげきおぼしめしける程に、十四日、ろくはらのいけどのにてつひにほうぎよなりぬ。おんとしにじふしち、をしかるべきおんいのちなり。しんゐんのごゆいかいにまかせて、こよひすなはちひがしやまのふもと、せいがんじと云やまでらへおくりたてまつる。御共には、かんだちめ五人、たかすゑ、くにつな、さねさだ、みちちか、今一人はみえず、そのほかてんじやうびと十人、せんぐ十人、ぐぶつかまつるとぞきこへし。くにつなのきやうのむすめ、べつたうのさんゐどのをはじめとして、ちかくめしつかはれける女房三人、おんぐしおろしてけり。あしたのかすみにたぐひ、ゆふべのけぶりとのぼりたまひぬ。うちにはごかいをたもちて慈悲をさきとし、ほかにはごじやうをみだらずれいぎを
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ただしくしたまひき。まつだいのけんわうにてわたらせたまひしかば、ばんにんをしみたてまつること、いつしをうしなへるよりはなはだし。さねくにのだいなごん、おんふえををしへ奉りおはしければ、ひとしれずあはれにかなしくぞおもはれける。てんじやうにてかのおんいみなのさたあるにつけても、「たかくらいかなるおほちにてうきなのかたみ残り、ひがしやまいかなるみねにてつひのおんすみかとさだむらむ」とおもふも悲し。おほかたはけんせいのなをあげ、にんとくのおこなひをほどこしおはします事、皆君せいじんののち、せいだくをわかたせおはしての上の事にてこそあるに、このきみはむげにえうちにおはせし時より、せいをにうわにうけさせ給て、ありがたくあはれなりしおんことどもこそ多かりしか。そのなかにさんぬるかおう、しようあんのころ、ございゐのはじめつかたなりしかば、おんとしじつさいばかりにやならせたまひけむ、もみぢをあいせさせおはして、きたのぢんには山を
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つき、もみぢの山となづけて、はじかへでのきなむどの、色うつくしくもみぢたる枝ををりたてて、ひねもすにえいらんありけれども、なほあきだらずおぼしめしけるにや、あるよのわきのはげしかりけるに、このもみぢふきたをして、らくえふすこぶるらうぜきなり。とのもりのとものみやつこ、あさぎよめせむとて、ことごとくこれをはきすてず。のこれるえだちれるこのはかきあつめて、風すさまじかりけるあしたなれば、ぬひどのの陣にて酒をあたためてたべけるたきぎにしてけり。きんじゆのくらんど、ぎやうがうより先に行て山をみるに、もみぢひとえだもなし。事の次第をたづぬるに、しかしかとまうす。くらんどてをうち、驚て、「さしも君のしふしおぼしめしたりつる物をかやうにしつる、あさましき事なり。しらず、なんぢらただいまめぶきちじやうの
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きんごくにもやせられむずらむ。はたまたるざいにもやおこなはれむずらむ」とおほせふくむ。これら誠にげらふの不覚の誤りなれば、ちからおよばず。「いかなるめをかみむずらむ」と、あへなくこうくわいえきなくて候。蔵人もいかやうなるげきりんかあらむずらむと、むねうちさわぎてゐたる処に、おんひるに成ければ、れいのもの、あさまつりごとにもおよび給わず、よるのをとどをいでもあへさせ給わず、いととくかしこへぎやうがうなりて、もみぢをえいらんあるに、ことさらあとかたなし。「いかに」とおんたづねあるに、蔵人そうすべきはうなかりければ、おそるおそるありのままにそうもんす。てんきことに御心よげにうちわらひおはして、「『りんかんにさけをあたためてこうえふをたく、せきしやうにしをていしてりよくたいをはらふ』といふことをば、それにはたが教へたりけるぞや。やさしくつかまつりたりける
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物かな」とて、かへりてえいかんにあづかりける上は、まうすにおよばず、あへてちよくかんなかりけり。かかりしかば、あやしのしづのを、しづのめにいたるまで、ただこのきみのばんぜいせんしうのごほうさんをぞいのりたてまつりける。されども人のねがひもむなしく、民のおもひもかなはざりけるよのならひこそ、悲しけれ。
四 けんれいもんゐんじゆだいのころ、あんげんのはじめのころ、中宮のおんかたにさうらわれける女房のめしつかひけるをんなわらはべの中に、あをゐといひける女を、思わざるほかのことありて、りようがんにしせきする事有て、なにとなきあからさまの事にてもなくて、よなよなこれをめされけり。おんこころざしあさからずみへければ、しゆうの女房もこれをめしつかふことなし。かへりてしゆうのごとくにかしづきけり。このことてんがにきこへしかば、当時のえうえい右云、「をんなをうみてかなしぶことなかれ、をとこをうみて
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よろこぶことなかれ」。またいはく、「男はこうにほうぜず、女はきさきとなる」。「ただいまにようごきさきにもたち、こくぼせんゐんもたちたまひなむず。いみじかりけるさいはひかな」とまうしののしるときこしめされてのちは、またあへてめさるることなし。おんこころざしのつくるにはあらず、只よのそしりをおぼしめさるるなり。されば常にはながめがちにて、よるのをとどにぞいらせたまひける。おほとのこのこときこしめして、「こころぐるしきおんことにこそあれ。まうしなぐさめまゐらせむ」とて、ごさんだいありて、「このやうにえいりよにかからせ給はば、なんでふおんことかさうらふべき。くだんのにようばうめされさうらふべし〔と〕おぼえさうらふ。ぞくしやうたづねらるるにおよばず。ただみちがいうしに候べし」と申させ給ければ、「いさとよ、おとどのまうさるるところもさる事なれども、位をしりぞきてのちは、さる事ありときけども、まさしくざいゐの時、あこめなむど云て、すそも
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なき物きて、あやしきふるまひする程の物、みにちかづく事をきかず。まろがよにはじめむ事は、こうたいのそしりたるべし。しかるべからず」とおほせありければ、ほつしやうじのおほとの、御涙をおさへて、まかりいでさせたまひにけり。そののちなにとなきおんてならひのついでに、こかをあまたかきすさませたまひおはしける中に、緑のうすやうのことににほひふかきに、このうたをぞあそばしける。
しのぶれど色にでにけりわがこひはものやおもふと人のとふまで K117
おんこころしりの蔵人、このおんてならひを取て、かのにようばうにたまはらす。あをゐ是をたまはりて、ふところにひきいれて、「ここちれいならず」とていでぬ。すなはちひきかづきてふしにけり。わづらふこと卅余日あつて、これを胸の上にあてて、つひにはかなく
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なりにけり。いとあはれなりし事なり。入道これをつたへききて、かぎりなくよろこびたまひけり。「さては今はちゆうぐうのおんかたにちかづかせ給らむ」と、常に人にとひけれども、いとどものうさのみまさらせ給へば、ちかづきおはします事もなかりけり。入道きようさめてぞおもはれける。しゆしやう是をきこしめして、御涙にむせびをわします。「きみがいちにちのおんために、わらはがひやくねんのみをあやまつとも、ことばをちせうなるじんかのをんなによせて、つつしみてみをもつてかろがろしくひとをゆるすことなかれ」とこそいましめたれとて、れんぼのおんおもひもさることにて、よのそしりをぞなほ深くなげきおぼしめしける。かのたうのたいそう、ていじんきが娘をげんちうでんにいれむとしたまふ事を、ぎちよう、「かのにようゐんにりくたいやくせり」といましめまうししによつて、てんにいるることをとどめられけむには、なほまされる御心ばせなり。又哀なりし
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事は、おぼぎけんしゆんもんゐんかくれさせたまひたりしかば、なのめならずおんなげきありけり。ていわうおんいとまの程は、あさまつりごとをとどめらるるならひにてありけるが、まつりごととどめらるること、かへりててんがのなげきたるによつて、一人をもつて一月にあて、十二日をもつて十二月にあてて、十二日すぎぬれば、おんぢよぶくある事なれば、そのひかずすぎて、おんぢよぶく有けるに、まゐりあはせたまひける人々も、「ことさらにこの御事、色にもいだされず。なにとなき、そぞろごと」ともまうしまぎらかさせ給ければ、君もさらぬていにもてなさせおはしながら、おんなげきにたへさせ給わぬおんけしき、あはれにぞみへさせたまひける。たかくらのちゆうじやうやすみちのあつそんまゐりて、すでにぎよいめしかへけるに、おんおびあてまひらせけれども、とみにむすびやらせ給わず。おんうしろよりむすびまひらせけるに、あ
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たたかなる御涙の手にかかりたりけるに、やすみちのあつそんられたへられずして、涙を流したまひけり。是をみ奉りけるくぎやうてんじやうびと、おのおの涙をながされけり。かやうになにごとにつけても、深くおぼしめしいりたるおんありさまなりしかば、ばんにんをしみたてまつること、たとへむ方なし。まして法皇のおんなげき、ことわりにもすぎたり。おんあいの道なれば、いづれもおろかならねど、このことはことにおんこころざしふかかりけるが、こにようゐんのおんはらにておはしまししかば、位につきたまひしそのきはまでも、ひとつごしよにて朝夕なじみまひらせおはしましたりしかば、たがひのおんこころざし深かりけるにこそ。きよきよねんの冬、とばどのにこもらせおはしたりしをも、なのめならずおんなげきありて、ごしよなむどたてまつらせたまひたりし事、あまつさへいつくしまごかうあつてくわんぎよののち、いくほどならずしてほう
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ぎよなりぬ。かくのごときおんことおぼしめしいだすもかなし。誠にたつときもいやしきも、をやのこをおもふは、せむ方なきわざぞかし。ましてかかるけんしゆにおくれまひらせおはしますおんこころのうちこそ、おしはかりまひらすれ。されば昔しらかはのほふわうの、ほりかはのゐんにおくれまひらせて、おんなげきありけむもことわりとおぼしめししられけり。かのほりかはのゐんのおんまつりごとをうけたまはるにこそ、この君のおんありさまたがはず、にさせおはしましたりけれ。このきみにさんだいのぞうそぶぞかし。いうにやさしく人のおもひつきまひらするやうなるすぢは、おそろくはえんぎてんりやくのみかども、かくしもおはしまさずやありけんとぞおぼへし。さんぬるえいちやうぐわんねん十二月、あるところへおんかたたがへのぎやうがうなりたりけるに、さらぬだに、けいじんあかつきにとなふるこゑの、めいわうのねぶりをおどろかすほどになりにしかば、いつもおんねざめがちにて、わうげふ
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ほうじがたき事を、とかくおぼしめしつづけけるに、いとどさゆるしもよのてんき、ことにはげはげしかりければ、うちとけてぎよしんもならず。かのえんぎのひじりの、しかいの民のいかにさむかるらむとて、ぎよいをぬがせたまひけむ事おぼしめしいだして、わがていとくのいたらぬ事をなげかしくおぼしめしつつ、御心をひそめかへしておはしけるに、はるかにほどとほく女の声にて叫ぶ声あり。ぐぶの人々はなにとききとがめられざりけるに、君きこしめしとがめて、うへぶししたるくらんどをめして、「ばんの者やさうらふ。只今叫ぶ者は何者ぞ。みて参れといへ」とおほせくださる。くらんどせんじのおもむきをおほせふくむ。ほんじよのしゆういそぎはしりてみれば、よにあやしげなるげすをんなの、つくもがみをさばきてなきゐたり。「こは何者ぞ」ととひければ、「わがみはだいりにおはしますすけどののおん
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かたのしもべなり。わがしゆうことししやうぐわつぐわんにちのあしたの、とうぐうの御物のやくにあたらせ給たる間、そのぎよいしたためむとて、ほふりんじと申所にごしゆくしよのありつるを、人にあきなひて、そのかわりをもつてぎよいをこしらへて、もつて参りつるほどに、あの山のふもとにて、おそろしげなる者二三人いできたりて、ばいとりてはべるなり。今はおんしやうぞくもさぶらひてこそ、ごしよにもさぶらわせたまひさぶらはめ。おんやがさぶらはばこそたちもいでさせ給はめ。ひかずののべてさぶらはばこそ、又もしたてさせたまひさぶらはめ。又かひがひしくたちよらせ給べき、したしきおんかたもさぶらわず。年のくれにはなりぬ。なにとすべきともおぼえず、おもひわづらひけるあひだ、せむかたのなさに、このことをおもひつづくるに、きえもうせなむとおもひさぶらふなり」とて、をめき叫ぶ。はしりかへりてこのよしを奏す。しゆしやうりようがんより御涙をながさせたまひて、「あなむざんや。いかなる
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者のしわざにや有らむ。昔夏(か)のう、をかせる者をつみすとて、涙を流したまひき。しんかのいはく、『をかせる者をつみする、あわれむにたらず』。かうのいはく、『げうのたみは、げうの心をもつて心とするゆゑに、ひとみなすなほなり。今のよの民は、ちんが心をもつて心とする故に、かだましきものあり。罪を犯す、あにかなしまざらむや』となげきたまひき。今又まろが心のすなほならざるゆゑに、かだましきものてうにありて、ほふををかす。これまろが恥也」とて、なげかせおはします。「さてとられつらん絹の色は何色ぞ」と、とはせさせおはす。「しかしか」とまうせば、「しばらくこのをんなかへすべからず」とて、ごしよをあそばして、くらんどに、「にようゐんのおんかたへ持てまひれ」とてたまはりぬ。いそぎはせかへりて、つちみかどひがしのとうゐんにわたらせたまひければ、にようゐんにまひらせたり。「よういのぎよいあらばひとかさねたまはらん」とのおんふみにてぞありける。じふにひとへをとりいだし、蔵人にぞたまはりける。是をたまはり、いそぎ
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帰てこのよしをそうするに、「かのめのわらはにとらせよ」とのおほせなりければ、すなはちぎぢよにぞたびてける。いまだ夜深かりければ、「又もぞさるめにあふ」とて、上はの者で、しゆうの女房のつぼねへおくりつかはしたりけり。わがこしらへたるよりも、事のほかに清らかにうつくしくぞありける。かのにようばうのしんぢゆう、いかばかりかありけむ。おなじころきはめてまづしきところのしゆうはべりけり。しゆうのまじはりすべきにてありけるが、そうじておもひたつべきたよりもなし。「さりとてこのこといとなまでも、衆にまじはらむ事、人ならず、只かかるみにては、よにありてもいかがはせむ。しかじ、しゆつけにふだうしてうせなむ」とぞ、おもひなりにける。さいしの事はさる事にて、なにとなふとしごろなれむつびつるしゆうのなごりせむかたなし。いはむやひごろごしたりつるせんどこうえいをもむなしくして、あさゆふまゐりちかづきつる宮の
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内をふりすてて、さんりんにるらうせむ事、心細しともおろかなり。とてもかくても、人のみに、ひんにすぎてくちをしきことなかりけりとおもひつづくるに、ぜんぜのかいとくのうすさもいまさらにおもひしられて、うちしづまるをりをりは、なくよりほかの事なかりけり。しかるにこの君、きんじゆの人々なむどに、ないないおほせのありけるは、「そつとはみなくわうみんなり。ゑんみんなんぞおろそかならむ。きんみんなんぞしたしからむ。じんをほどこさばやとこそおぼしめせども、ひとつの耳、しかいの事をきかず。くわうていはしそうしもくのしんにまかせ、しゆんていは、はちげんはちがいの臣にまかすなどいへり。されどもとほきことは、さのみそうする人もなければ、おのおのききおよぶことあらば、つげしらせまひらせよ」と、おほせおかれたりければ、あるにようばう、このところのしゆうのなげくことをききおよびて、そうもんしたりければ、
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「あなむざんや」とばかりにて、なにといふおほせもなかりけり。さいきやうのざすりやうしんそうじやう、ごぢそうではべりけるに、おほせありけるは、「りんじにおんいのりあるべし。にちじ、いづれのほふといふことはおつてせんげせらるべし。まづひやうゑのじよう一人めしつけ、こんどのぢもくにまうしなすべし」とおほす。そうじやうちよくめいにまかせて、じやうごうのひとめしつきて、くわんじゆにふる。すなはちなされにけり。そのころのひやうゑのじようのこうは、五百ひきにてありしかば、是をざすのばうにをさめおきて、にちじのせんげをあひまたれけれども、ひかずへければ、りやうしんよきついでに、もしおぼしめしわすれたるかとて、そうせられたりければ、しゆしやうおほせのありけるは、「ゑんきんしんそをろんぜず、民のうれひをばなだめばやとこそおぼしめせども、えいぶんの及ばぬはさだめて多かるらむ。深くめぐみをほどこさばやとおぼしめすなり。しかるにそれがしと云ほんじよのしゆうあり。いへのまづしきによつて、しゆうのまじはりかなひがたきあひだ、既に
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そのみをうしなふべしときこしめせども、『めいしゆわたくしあれば、ひときんせきしゆぎよくをもつてす。わたくしなければ、ひとくわんしよくじげふをもつてす』といふこともあれば、なにかは苦しかるべき。ただしよにひろうせむ事はばかりあり。ただそうじやうたまわすていにもてなすべし。おんいのりはちやうじつのみしゆほふにすぎたる事、あるべからず」とおほせくだされければ、僧正とかくのおんぺんじに及ばず。「何のだいほふひほふも、これにすぎたるおんいのりあるべからず。りやうしんがびりよくをはげましてつとめたらむ御祈、なをひやくぶがいちにおよぶべからず」とて、なくなくたいしゆつす。かのところのしゆうをにしのきやうのばうにめして、ちよくめいのおもむきをつぶさにおほせふくめて、其五百ひきをたまはらせけり。かれがしんぢゆういかばかりなりけむ。又かねだのふしやうときみつと云ふえふきと、いちわべのもちみつと云ひちりきふきとありけり。常によりあひて、ゐごをうちて、りとうらくとしやうがをして、心をすま
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しけり。二人よりあひて、ゐごだにもうちたちぬれば、せけんのこと、こうしにつけて、そうじてききもいれざりけり。あるときだいりよりとびのことありて、ときみつをめしの有けるに、れいの如くいつさいに耳にききいれず。「こはいかに。せんじのおんつかひ、とびの御事のまします」といひけれども、しやうがうちしてきかず。かちゆうのさいししよじゆうまでもおほきに騒ぎ、「いかにいかに」といひけれども、そうじてきかず。せんじの御使あざむきてかへりぬ。このよしありのままにそうもんす。いかばかりのちよくぢやうにてあらむずらむとおもひけるに、「わうゐはくちをしきことかな。かほどのすきものにともなはざりける事よ。あわれ、すいたりける者の心かな」とて、御涙を流して、あへてちよくかんなかりける上は、しさいにおよばず。
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五 そのころ、又ないしのかみのかたにほうこうして、こがうのとのとて、しないしからぬ女房のよはひはたちの数にいらざるが、ようがんびれいにして、いろかたち人にすぐれ、心の色もなさけも深かりけり。さればみるひとおもひをかけ、きくひと、心をなやまさずといふことなし。れんぜいのだいなごんたかふさのきやう、いまだちゆうじやうにておはしけるが、かの女房をみてしより、心を移したまひて、えんしよをつかはしけれども、とりもいれたまわず。さるままにはいとど心もあくがれて、よろづのぶつじんにいのり、あけてもくれてもふししづみ、もだへこがれ給ける程に、おほくのとしつきを送り、あまたの歌をよみつくしなどしければ、なさけによわるならひにて、つひにはなびきにけりとぞきこへし。こころざしふかくして、うれしなど云も中々おろかなり。かかりし程にいくほどなくて、こがうのつぼね、内へめされてまゐりたまひにしかば、たかふさ
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ちからおよばずして、あかぬ別れのかなしさは、たとへむかたもなかりけり。「よしさらばかかるためしはあるぞかし」と、心づよくは思へども、なほこひしさはわすられで、いとどなげきぞ深かりける。「せめておもひの余りには、よそながらみたてまつることもやある。ことばのすへにもやかかる」とて、そのこととなくまいにちにさんだいしたまひて、こがうのとののつぼねのまへ、みすのあたりにちかづきて、あなたこなたへゆきかよひ給へども、ことばのつてにてもかかりおはしまさず、すだれだにもはたらかず。たかふさいよいよかなしくて、いきたるここちもせざりけり。「たとひあひみる事こそかたくとも、などかたへなることばのつてにもとわれざるべき」とうらみつつ、一首の歌を書てひきむすび、おほゆかをすぐるやうにて、みすの内へぞいれ給ふ。
おもひかね心はそらにみちのくのちかのしほがまちかきかひなし K118
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かやうにありけれども、こがうのつぼね、「われだいりにめされてまゐりなむのち、いかでかおんうしろぐらく、かからむふしをみるべき」と、心づよくおもひなして、いそぎとり、つぼの内へぞなげいだし給ける。たかふさはうらめしく心うくて、人もやみるとつつましければ、いそぎとり、かくこそおもひつづけけれ。
玉づさをいまはてにだにとらじとやさこそ心におもひすつとも K119
かやうに口すさびて、なくなくまかりいでにけり。「こんじやうにはあひみむ事もかたければ、今はいきても何かせむ。ぶつじんさんぼう、ねがはくは命をめして、ごしやうを助けさせ給へ」とぞ、あけてもくれてもいのられける。かかる中にも、隆房かくぞよまれける。
こひしなばうかれむ玉よしばしだにわがおもふひとのつまにとどまれ K120
是は、人のたましひのいでてゆくをみ、人じゆもんをして、したがひのつまをむすべば、
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必ずとどまると云事あり。そのことをおもひいだして、かやうによみたまひけるにや。さすがにぢやうごふきたらねば、死する事もなかりけり。さてしゆしやうはこがうのつぼねのおんこころざしふかかりければ、ちゆうぐうをばすさめまひらせて、めさるる事まれなりければ、にふだうたいしやうこくおほきにいかりたまひて、「じやうかいが娘なむどをかやうにすさめさせたまふべき事やある。めさずとも只まひらせよ」とて、おしてはまゐらせなむどせられけり。是をぞしゆしやう御心よからぬ事におぼしめされける。かくていよいよこがうのつぼねはごちようあいいやめづらにして、そうじて中宮をおぼしめさるる事なかりければ、入道いよいよやすからず思て、いかりをなして、「あをゐ死なばさてもなくて、こがうとかやいふものをめさるなるぞ。是を取て尼になせ」とぞのたまひける。こがうのつぼね是を聞て、たちまちにみをいたづらになさむ事よしなしとて、あるくれ程に、君にもしら
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れまひらせず、人一人にもしらせずして、だいりをしのびていでつつ、ゆくへもしらずうせにけり。しゆしやうはゆくへをしろしめさねば、なげきおぼしめして、ぐごもはかばかしくまひらず、ぎよしんもうちとけならず。昼はおんまつりごともなくして、御涙にのみむせばせたまひ、夜はなんでんにしゆつぎよあつて、みづからさへゆくつきにぞ御心をなぐさめおはしける。かのたうのげんそうくわうていの、やうきひをうしなひて、はうじをつかひとしてそのゆくへをたづねしも、ほうらいきゆうにいたりて、ぎよくひといふがくをみてゆくへをたづねけり。ぎよくひのすがたをはうじみて、たへなるかたみを給はり、わうぐうへかへりけり。是ははうじもあらばこそ、そのおんゆくへをきこしめされめ。只あけくれはひとめのみしげきおもひのたえさせ給はねば、いつもつきせぬ事とては御涙ばかり也。かやうにおんなげきの色深かりけるを、入道ねたましく
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あしき事におもひまひらせて、おんかいしやくの女房、びんぢよをもよびとりて、人一人もつけまひらせずして、さんだいし給ふ。しんかけいしやうをもいさめとどめたまひければ、入道のけんゐにおそれをなして、さんだいし給ふ人もなし。あさましといふはかりなし。こまつのだいふおはしまさば、かかる御事はあらましやなむど、てんがの人々いまさらになげきあわれけり。ころははづきとをかあまりの事なれば、月はくまなくさへたれど、御涙にくもりつつ、御袖のみぞしぐれける。さよふくる程に、「人やある人やある」と、たびたびちよくぢやうありければ、げつけいうんかく一人もまゐりたまはねば、おんいらへまうすひともなし。くらんどなかくにと申けるしよだいぶ、只一人参て候けるが、「なかくにさうらふ」と申たりければ、「これへ参れ」とぞおほせける。仲国おんまへへまゐりたりければ、「近く参れ。しのびておほすべきことあり」とおほせあり
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ければ、ちよくぢやうにしたがひて、まぢかくまゐりたりけるに、しゆしやうは、御涙のりようがんにながるるを、おんたもとにおしのごわせ給ひ、さらぬやうにもてなさせたまひて、「ややなかくに、おもひかけぬ事なれども、もしこがうがゆくへばしやしりたる」とぞおほせける。仲国深くかしこまりて、「いかでかしりまひらせさうらふべき。ゆめゆめしりまひらせさうらわず」と申ければ、「まことにいかでかしるべき。せめておもひのあまりにかくはおほせくだしつるなり。まことにはこがうは、さがのへんに、かたをりどとかやしたるやのうちにありとばかり、きかせたる者のあるぞとよ。あるじがなをしらずとも、たづねてまひらせてむや」とおほせありければ、仲国、「そうじてさがとばかりうけたまはりて、たちよりておわせむずるあるじがなをしりさうらわでは、いかでかたづねてまひらせ候べき」と申ければ、「げにも」とて、又御涙にぞむせばせたまひける。仲国みまひらするにかなしくて、つくづくとさがのわたりをおもひやるに、そのころはざいけおほくもなかりけ
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れば、「たとひあるじがなをしらずとも、うちまわりてみむずるに、こがうのとのはことをひきたまひしかば、いかなりとも、このつきのあかさに、君の御事おもひいだしまひらせて、さうひきたまはぬ事はよもあらじ。うちにてひきたまひし時は、なかくにおんふえのやくにめされて参りしかば、さうのねよくききしりたり。いちぢやうたづねいだしまひらせてむ物を」とおもひて、「ささうらはば、もしやとまかりむかひて、たづねまひらせてみさうらはばや。ただしごしよなむどさうらはでは、たづねあひまひらせてさうらふとも、おんうたがひさうらふべし。ごしよをたまはりてまかりむかひてみさうらわむ」と申ければ、しゆしやうよろこばしくおぼしめして、いそぎごしよをあそばして、おほせの有けるは、「ときづかさの御馬に乗てまかりむかへ」とぞおほせける。仲国れうの御馬をたまはり、めいげつにむちをあげて、そこともしらずぞくがれ行。「をしかなくこのやまざと」とえいじける、さがのわたりの秋のくれ、さこそあはれにおぼへけめ。すでに
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さがのへんにはせつきぬ。ざいけごとにみまわれども、あやしき所もなかりけり。中にもかたをりどなるやをみては、もしこれにやおはすらむとて、駒をとどめてたちきけども、琴のねもせざりけるあひだ、片織戸のあるところもなき所も、うちまわりうちまわり、ざいけをつくし、にさんべんまでみまわれども、そうじてさうひく所なし。仲国おもひわづらひて、「こはいかがすべき。内をばたのもしげにまうしてまかりいでぬ。たづぬる人はおはせず。むなしく帰りまゐりたらむは、なかなかこころうかるべければ、これよりいづちへもうせなばや」とまでぞおもひける。もし月のあかければ、みだうなむどにやまゐりておはすらむと思て、だうだうをがみめぐれども、そこにも怪しき人もなし。せめておもひの余りに、「程近ければ、ほふりんのかたさまに参てもやおはすらむ。そなたをたづねむ」と思て、おほゐがはの橋のかたへおもむくに、北のかたにあたりて、
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かめやまのふもと近く、松のひとむらある中より、嵐のおとにたぐへて、さうのねかすかにきこへけれど、さだかにそれとおぼえねば、みねの嵐か、松風か、たづぬる人のさうのねか、いづれなるらむとあやしくて、そなたをさしてゆくほどに、こかげへうちいりぬ。こまをとどめてたちきけば、だいりにて常にうけたまはりし、こがうのとののひきたまひしつまおとなり。仲国むねうちさわぎ、いふはかりなくうれしくて、いそぎ馬よりとびおりて、いかなるがくをひきたまふらむとしづかに聞ければ、「思ふ男をこふ」といふ、さうふれんをぞひかれける。さうのね、空にすみ渡り、くもゐにひびくここちして、みにしみてぞおぼえける。さうのねをしるべにてわけいりたりければ、あれたるやどの人もなく、草のみしげく露深し。秋もなかばの事なれば、こゑごゑすだく虫のねに、琴のねぞまがひける。されば君の御事、深くこひまひらせられけるにやと、誠にあはれにおぼえ
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ければ、腰よりよこぶえをとりいだして、しのびやかにぞつけたりける。こがうのつぼねふえのねをききつけて、あさましともいふはかりなし。いそぎ琴をひきさして、とりをさめたまひてけり。仲国もさうのねきこへずなりければ、笛をもふきさしてけり。さてしもあるべき事ならねば、かねてききつるかたをりどにたちよりて、かどをほとほととうちたたくに、とがむる人もなし。こはいかがすべきと仲国おもひわづらひて、「だいりよりのおんつかひにて候。あけさせ給へ」とかうしやうにまうしけれども、なをこたふる人もなし。ややひさしくありて、内より人のいづるおとしければ、うれしくおもひてまつところに、じやうをはづして、かたをりどほそめにあけて、じふにさんばかりなる女の、ゆまきにはかまきたりけるが、「たそ」とていでたり。「だいりよりの御使」と申ければ、たちかへりこがうのとのにかたる。「よもうちからの御使にはあらじ。平家の知て人を
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つかはしたるごさむめれ」とて、「これはかどたがひにてぞさぶらふらむ。内裏より御使なむど給わるべき所にてもさぶらわず」といわせたりければ、仲国、「かくてもんだふをせば、かどたて、じやうもとざしもかけもぞする。叶はじ」とおもひつつへんじをばせで、かどをむずとをしあけていりにけり。つまどのきはのえんによりて、「これにこがうのとののみつぼねのおんわたりさうらふよし、うちきこしめされさうらひて、じつぷをみてまひらせよの御使に、仲国が参て候なり」と申ければ、なをさきの女にて、「これにはさやうの事もさぶらわず。かどたがひにてぞさぶらふらむ」と、おなじくいわせたりければ、仲国申けるは、「くちをしくもおほせごとさうらふものかな。内にておんさうあそばされさうらひしには、仲国こそ御笛の役にはめされさうらひしか。おんさうのね、よくよくききしりまひらせてさうらふに、よもききしらじなど、思われまひらせさうらひけるこそ、こころうくおぼえさうらへ。只うわ
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の空に申とやおぼしめされさうらふらむ。ごしよの候をげんざんにいれさうらわむ」とて、ごしよをとりいだし、かのをんなしていれたりければ、こがうこれをとりみたまふに、まことの御書なりければ、顔にをしあてて、なくよりほかの事なし。ややひさしくあつて、おんぺんじ書て、女房のしやうぞくひとかさねとりぐしていだされたり。仲国たまはつて申けるは、「御返事給はりさうらひぬる上は、よのおんつかひにてさうらはば、いそぎまかりいづべきにてこそ候へ。仲国ひごろ御笛の役にめされさうらひつるほうこう、いかでかむなしく候べき。しかるべくさうらはば、ぢきにおほせをかうぶりてまかりいでさうらはばや。いかやうなる子細にて、これまではいでさせおはしましさうらひけるやらむ」と申ければ、そのときこがうのつぼねみづから御返事し給けるは、「はじめよりまうしたかりつれども、よのなかのうらめしさ、みのほどのはづかしさに、かくとも申さざりつれども、あながちにうらみたまへば、さりがたくてかやうにまうす
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なり。よにかくれなき事なれば、さだめてそれにもききたまひけむ、入道のかたさまに、やすからぬ事にして、めしいだしてうしなはるべしなむどきこへしかば、こころうくかなしくて、げにもさやうの事あらば、いきながら恥を見むもうたてくて、君にもしられまひらせず、ひとひとりにもしられずして、だいりをまどひいでさぶらひし時は、いかならむふちかはに身をなげて、このよになき者と人にしられむとこそおもひしかども、人にまうしあはせしかば、『ふちかはにいりて死する者は、わがみをがいするとがにより、あくだうにおつる』なむどまうしし事のおそろしさに、今までおもひわづらひて、水の底にもしづまず、つれなくかくてさぶらへば、さだめて君は、たかふさに心をかよはして、かくされたるかなどもやおぼしめしさぶらふらむと、はづかしくこそさぶらひつれ。ただしこれにかくてあらむ事も、只よひばかりなり。あけなばおほはらの奥にたづねいり、今はおもひたつことのありつれば、ひごろは
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さうにてかくる事もなかりつれども、よひばかりのなごりなり、夜もふけぬれば、たれかはききもとがむべきと、はばかる心もなくして、さうをひきつる程に、ききいだされにけり」とて、涙もかきあへず泣給へば、仲国も是を聞て、かりぎぬの袖をぞしぼりける。ややひさしくありて、涙をおさへて申けるは、「をはらへいらせおはしまして、おぼしめしたつといふおんことは、おんさまをかへさせたまふべきにや。さやうにおぼしめしなりなば、うちのおんなげきをばいかがせさせおはしますべき。あるべからぬ御事也。只今おんむかへにまゐりさうらわむずるにて候。是をいでさせたまふべからず。あひかまへていだし奉るな」とて、共にあひぐしたる、めぶ、きちじやうなむどをとどめて、かのしゆくしよを守護せさす。わがみはれうのおんむまにうちのりて、いそぎだいりへかへりまゐりたれば、夜もほのぼのとあけにけり。「今はじゆぎよもなりぬらむ。たれしてかまうすべき」なむどおもひわづらひて、馬をばうこんの
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ぢんにすておきて、給はりたりつる女房のしやうぞくをば、はね馬のしやうじにうちかけて、じじうでんのたてじとみをなんでんのかたへ参り、げんざんの板あららかにふみならし、南殿の方へたちまわれば、しゆしやうのおんこゑにて、なんめんのおほゆかにかたぶく月を御覧じて、「南にかけり北にむかふ、かんうんを秋のかりにつけがたし。ひむがしにいで西にながる、ただせむばうをあかつきのつきにつくす」と、うちながめさせ給ふおんこゑ、けだかくあはれにきこへければ、君はいまだぎよしんもならで渡らせおはしましけりと、うれしくて、いそぎまゐりてみまひらせければ、まかりいでし時のままにて、すこしもおんはたらきもなくて、いまだよひのござにぞ渡らせたまひける。おんたもとの露けさぞそとよりもなをまさりける。げんざんの板が鳴ければ、「たそ」とおんたづねあり。「仲国」と申てかしこまる。「さていかに」ときかまほしげにおほせければ、ごぜんにかしこまりて
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おんぺんじとりいだしまひらせたりければ、しゆしやういそぎ御返事をえいらんあるに、
君ゆへにしらぬやまぢにまよひつつうきねのとこに旅ねをぞする K121
しゆしやうこれをあそばして、とかうのせんじもなかりけり。「さてもいかにしてたづねいだしたりつるぞ」とおほせありければ、「しかしか、さうのねをききいだして、たづね参てさうらひつる」とまうしければ、「いかなるがくをかひきつる」とおんたづねありけるに、「さうふれんをあそばしつる」とまうしければ、「さてはおなじこころにおもひけるにこそ」とて、いとどあはれげにおぼしめしたり。「なんぢぎつしやさたして、ぐしてまゐりてむや」とおほせければ、「かしこまりてうけたまはりぬ」とて、まかりいでにけり。ほどなく、ぎつしや、ざつしき、うしかひ、清げにいでたちて、又さがにゆきむかふ。こがうの局とりのせたてまつりて、夜にまぎれて内裏へまゐりたまひにけり。しゆしやうまちえさせおはしまして、よろこびおぼしめすことなのめならず。
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あひかまへて人目をつつまむと、とうぐうのわきどのへいれまひらせて、深くかくしおかせたまひつつ、よなよなめされけるとかや。かくていくほどなかりけるに、あらはれにける事は、こがうのつぼねだいりをいでたまはざりけるそのさきより、只ならずなりたまひて、よつきばかりになり給へる時、かかる事はいできにけり。めしかへされおはしてのち、ごさんも近くなりければ、ちからおよびたまわず、里へいでたまひにけり。ごさんじよさたし、かいしやくの女房なにくれとたづねさせたまふほどに、入道ききつけたまひにけり。「こがうはうせたりと聞たれば、そのぎはなくて、深くかくしおかれたりけり」とて、いとどいかり給けり。さる程に御産もなりぬ。ひめみやにてぞわたらせたまひける。このみやたんじやうあつて、ひやくかにちすぎて、こがうのとのともにして、せいりやうでんのそとのまにして、月をぞ御覧ぜられける。このこと入道聞て、「いかにもこがうがあらむには、よの
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なかをだしかるべしともおぼえず」とて、人にはおほせつけずして、みづから是をぞうかがひける。せいりやうでんにわたらせ給と聞て、おほゆかあららかにふむで参る。入道と御覧じければ、しゆしやういそぎいらせたまひぬ。こがうのとのはたちさるかたもなくして、きぬひきかづきてふされたり。入道枕にたちて、「なんぢはよにもはばからず、入道にもおそれずして、ちゆうぐうの御心をなやましたてまつるこそ不思議なれ」とてひきいだしつつ、みづからかみをしきりてぞすててける。こがうのつぼね心ならず尼になされて、くちをしともいふはかりなし。「あはれ、さがにておもひたちたりし時、おほはらの奥へもたづねいりて、われとさまをもかへたらば、心にくくてあるべきに、よしなくもふたたびめしかへされて、恥をみつる悲しさよ」となげきたまへども、かひもなし。をしからぬ命なれば、水の底にもいりなむとおもひたち給へども、さきにも人のいひしやうにあくだうにおちむ事、こころうくおぼゆれば、「こんじやうはかりの事、
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いつたんの恥もなにならず。ごしやうはつひのすみかなれば、じやうどをこそ願はめ」とて、つひに大原の奥にわけいりて、しばのいほりを結び、いつかうねんぶつし給けり。露もおこたる事なくあかしくらしたまひしが、よはひ八十にて、ひごろのねんぶつのこうつもり、りんじゆうしやうねんにて、わうじやうのそくわいをとげ給ふ。このこがうのつぼねとまうすは、とうぢゆうなごんしげのりのきやうのおんむすめ、ばうもんのにようゐんのおぼぎなり。しゆしやう、「わればんじようのあるじといひながら、これほどの事、えいりよに任せぬ事こそくちをしけれ。まろがよにはじめて、わうぼふのつきぬる事こそ悲しけれ」と、おんなげきありしよりして、いとど中宮のおんかたへもぎやうがうもならず、深くおぼしめししづませ給けるが、おんやまひとなり、つひにはかなくならせたまひにけりとぞうけたまはりし。じんぷうそつとにかぶらしめ、かくとくほかにあらわる。まことにげうしゆん、うたう、しうのぶんぶ、かんのぶんけいといふとも、かくこそはありけめとぞ
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おぼへし。さればごしらかはのほふわうの、この君におくれまひらせ給てのち、おほせありけるは、「よをこのきみにつがせたてまつりなば、おそらくはえんぎてんりやくのよにもたちかへりなましとこそおもひつるに、かくさきだちたまひぬる事は、只わがみのびうんのつきぬるのみならず、国のすいへい、民のくわほうのつたなきが至す所也」とぞなげかせ給ける。まぢかくこゐんのこんゑのゐんにおくれまひらせたまひたりけむ御有様、たかかた、よしのり少将といへるも、さばかりなりし人のおととい、ひとひにうせたりし、父いちでうせつしやうこれざね、母そのきたのかたのおもひなどよりはじめて、ごにでうのくわんばくもろざねこうにおくれたまひて、きやうごくのせつしやうのおもひなど、かずかずにおぼしめししれり。あさつながすみあきらにおくれて、「かなしみのいたりてかなしきは、おいてこにおくるるよりもかなしきはなし。うらみのことにうらめしきは、をさなくしておやにさきだつよりもうらめしきはなし。らうせうのふぢやうをしるといへども、なほしぜんごのさうゐにまどへり」となくなくかきたりけむも、さこそとおぼしめしし
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られ、かこつかたなき御涙せきあへず。えいまんぐわんねん七月に、第一のみこ、にでうのゐんもうせさせ給にき。第二の御子たかくらのみや、ぢしよう四年五月にうたれさせたまひぬ。げんぜごしやうとたのみたてまつりたまひつる、だいしのみこ新院さへ、かやうにさきだちたまひぬ。今はいとど御心よわくならせ給て、いかなるべしともおぼしめしわかず。らうせうふぢやうはにんげんのならひなれども、ぜんごさうゐは又しやうぜんのおんうらみなを深し。〔ひ〕よくのとり、れんりの枝と天にあふぎ、星をさして、おんちぎりあさからざりしけんしゆんもんゐんも、あんげん二年七月七日、秋風なさけなくして、夜はの露ときえさせたまひしかば、雲のかけはしかきたへて、あまの河のあふせをよそにごらむじて、しやうじやひつめつ、ゑしやぢやうりのことわりをふかくおぼしめしとりて、としつきをへだつれども、きのふけふのおんわかれのやうにおぼしめして、御涙もいまだかわきもあへず。このおんなげきさへうちそい
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ぬるぞまうすはかりなき。ちかくめしつかわれしともがら、むつまじくおぼしめしし人々、あるいは流され、あるいはちゆうせられにき。今はなにごとにかぎよいをもやすめさせ給べき。さるままには、いちじようめうでんのおんどくじゆおこたらず、さんみつぎやうぼふのごくんじゆも積れり。こんじやうのまうねんおぼしめしすてて、只らいせのおんつとめよりほか、たじおわしまさず。中にもしかるべきぜんぢしきかなとぞおぼしめしける。てんがりやうあんになりにしかば、うんしやうびとはなのたもとをひきかへて、ふぢのころもになりにけり。昔くわさんのほふわうのうせさせおはしましたりしに、ひやうぶのみやうぶそのおんかなしみにたへずして、「こぞのはるさくらいろにていそぎしをことしはふぢのころもをぞきる」と、よみたりしも、おもひいでられてあはれなり。こうぶくじのべつたうごんのそうじやうけうえんも、がらんえんしやうのけぶりをみて、やまひつきてほどなくうせられにけり。誠にこころあるひとの、たへてながらうべきよともみへず。
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法皇のごしんぢゆう、まうすもおろかなり。「われじふぜんのよくんにむくいて、ばんじようのほうゐをかたじけなくす。しだいのていわう、思へばこ也、まごなり。いかなればばんきのせいむをとどめられて、としつきを送るらむ」なむど、ひごろおんわづらひのやすむかたなかりける上、新院の御事さへうちそいぬれば、ないげにつけておぼしめし〔し〕づませおはします。にふだうたいしやうこく、このおんありさまつたへききて、いたくなさけなくふるまひたりし事を、おそろしとやおもはれけむ、
六 廿七日、大政入道のおとむすめの、あきいつくしまのないしが腹に、十七になりたまひけるを、院へまゐらせたまひて、じやうらふにようばうあまたぐせさせ、くぎやうてんじやうびとおほくぐぶして、にようゐんまゐりのやうにぞ有ける。かかるにつけても、法皇は、こはなにごとぞと、すさまじくぞおぼしめしける。たかくらのゐんかくれさせたまひてのち、わづかに十四日にこそ
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なるに、いつしかかるべしやはと、きつねめかしくおぼしめしあわれけり。されどのちにはにようごだいにて、ひがしのおんかたとぞ申ける。こゐんの御時も、二人ながら院へまゐらせむとし給けるを、かどわきのさいしやうあるべからざるよしまうされければ、おもひとどまりたまひにけり。女房の中に、とりかひのだいなごんこれざねのむすめおわしけり。おほみやどのとぞ申ける。いちでうのだいなごんのおんむすめをばこんゑどのと申けるも、ゐられけれども、中に大宮殿ぞおんけしきはよかりける。おんせうとのさねやす、これすけ、二人一度に少将になされにけり。ゆゆしくきこへしほどに、さがみのかみなりふさがごけ、しのびて参けるに、姫君いできたまひにけり。二人のじやうらふにようばうもほいなきことにぞおぼしめされける。大宮殿はのちにはへいぢゆうなごんちかむねのきやう時々かよはれけり。きたのかたにもならずして、おもひものこそくちをしけれ。こんゑどのは後はくらうはうぐわんよしつねが
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ひとつばらのおとと、じじゆうよしなりになたたれけるぞ、うたてくきこへし。かのよしなりはうぐわんよにありし程は、むしやだちてゆゆしかりしが、はうぐわんさいこくへおちし時、むらさきのとりぞめのからあやのひたたれに、赤をどしのよろひに、あしげなる馬に乗て、判官のしりに打たりしが、だいもつの浜にてちりぢりとなりける所より、いづみのくにへまどひありきたりけるが、いけどりにてかうづけのくにをばたといふ所へながされて、さんねんありけるとかや。こんゑどのはけがされたるばかりにてほいなかりけり。
七 しなののくにあづさのこほり、きそと云所に、ころくでうのはんぐわんためよしが孫、たてはきのせんじやうよしかたがじなん、きそのくわんじやよしなかと云者、九日、こくちゆうのつはものしたがひつくこと、千余人に及べり。かのよしかた、さんぬるにんぺい三年なつのころより、かうづけのくにたごのこほりにきよぢゆうしたりけるが、ちちぶのじらうたいふしげたかがやうくんになりて、
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むさしのくにひきのこほりへかよひけるほどに、たうごくにもかぎらず、りんごくまでもしたがひけり。かくてとしつきをふるほどに、きうじゆ二年八月十六日、こさまのかみよしともがいちなん、あくげんだよしひらが為に、おほくらのたちにて、よしかたしげたかともにうたれにけり。そのときよしなか二歳なりけるを、母なくなくあひぐして、しなののくににこへて、きそのちゆうざうかねとほといふものにあひて、「これやしなひておきたまへ。よのなかはやうある物ぞかし」なむど、打たのみいひければ、兼遠是をえて、「あないとほし」と云て、きそのやましたと云所でそだてけり。二才より兼遠がふところの中にて人となる。よろづおろかならずぞ有ける。このちごかほかたちあしからず。色白く髪多くして、やうやう七才にもなりにけり。こゆみなむどもてあそぶ有様、まことにすゑたのもし。人これをみて、「このちごのみめのよさよ。弓いたるはしたなさよ。誠のこか、
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やうじか」なむどとひければ、「是はあひしるきみのちちなしごをうみて、兼遠にたびたりしを、ちの中よりとりおきてさうらふが、父母と申者なうて、中々よく候ぞ」とぞこたへける。さて十三と申ける年、をとこになしてけり。打ふるまひ、物なむどいひたる有様、誠にかしこげなり。かくて廿年がほど、かくしおき、やういくす。せいぢやうするほどに、ぶりやくの心たけくして、きゆうせんの道、人にすぎければ、かねとほ、めに語りけるは、「このくわんじやぎみ、をさなきよりてならして、我もことおもひ、かれも親と思て、むつまじげなり。朝夕のめしもの、夏冬のしやうぞくばかりはわびさせず。法師になつて、まことの父母、やしなひたるわれらがごしやうをもとぶらへとおもひしに、心さかざかしかりしかば、故こそ有らめと思て、男になしたり。たがをしうとなけれども、ゆみやとりたる姿のよさよ。又さいくのこつもあり、力もよの人にはすぎたり。馬にもしたた
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かにのり、空をとぶとり、ち走るけだもののやごろなる、いはづす事なし。かちだち、馬の上、まことに天のさづけたるわざなり。さかもりなむどして、人もてなし遊ぶ有様もあしからず。さるべからう人の娘がないひあはせむとおもふ。さすがにそれもおもふやうなる事はなし。さればとて、むげなるわざをばせさせたくもなし。よろづたのもしきわざかな」とほめたりけるほどに、あるときこのくわんじや云けるは、「今はいつをごすべしともあらず。みのさかりなる時、京へのぼりて、くげのげんざんにもいりて、先祖のかたき、平家をうちて、よをとらばや」と云ければ、かねまさうちわらひて、「そのれうにこそわどのをば、これほどまではやういくし奉りつれ」と云てぞわらひける。義仲さまざまのはかりことをめぐらして、平家をひきみむために、しのびて京へのぼる。人にまぎれてよるひるひまをうかがひけれども、平家の運
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のさかりなりければ、ほんいをとげざりけり。義仲ほんごくへ帰りくだりたりけるに、兼雅、「都の物語し給へ」と云ければ、「きやうをわうじやうと云けるもよくぞ申ける。さいはうにたかきみねあり。もしの事あらば、にげこもりたらむに、きと恥にあふまじ。ろくはらはむげのいくさどころ、西風の北風吹たらむ時、ひをかけたらむに、なにものこるまじとこそみへて候へ。何事もみやこあることでさうらふぞ」とぞ云ける。あけくれすぐるほどに、平家このこともれききて、おほきに驚て、ちゆうざうかねまさをめして、「よしなかやしなひおき、むほんをおこし、てんがをみだるべきくはたてあるなり。ふじつになんぢがかうべをはぬべけれども、今度ばかりはなだめらるるぞ。せんずるところいそぎ義仲を召取てまゐらすべき」よし、きしやうをかかせて、兼雅をほんごくへかへしつかはす。兼雅きしやうもんをばかきながら、としごろの養育むなしくならむ事をなげきて、おのれが命のうせむことをばかへりみず、
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きそがよとらむずるはかりことをのみぞ、あけてもくれてもおもひける。そののちはよのきこへをおそれて、たうごくのだいみやう、ねのゐのこやたしげののゆきちかと云者に義仲をさづく。ゆきちかこれをうけとりて、もてなしかしづきけるほどに、こくちゆうにたてまつりて、「きそのおんざうし」とぞ云ける。ちちたごのせんじやうよしかたがやつこで、かうづけのくにのようじ、あしかががいちぞくいげ、皆木曽にしたがひつきにけり。さるほどに、いづのくにのるにんひやうゑのすけ、むほんをおこして、とうはつかこくをくわんりやうするよしきこえければ、義仲も木曽のかけぢを強くかためて、しなののくにをあふりやうす。かのところは、信乃国にとりては、さいなんのかど、みののくにざかひなれば、都も近くほどもとほからずとて、へいけの人々さわぎあへり。「とうかいだうはひやうゑのすけにうちとられぬ。とうせんだう又かかれば、しうしやうするもいはれあり」とぞ、人は申ける。是を聞て平家のさぶらひどもは、
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「なにごとかさうらふべき。ゑちごのくにじやうのたらうすけながきやうだい、たせいのものなり。きそよしなか、信乃国のつはものをかたらふとも、じふぶがいちにもおよぶべからず。只今にうちてたてまつりなむずぞ」と云けれども、「とうごくそむくだにも不思議なるに、ほつこくさへかかれば、これただことにあらず」とぞ申ける。
八 廿八日、とうごくのげんじをはりのくにまでせめのぼるよし、かのくにのもくだいはやむまをたてて申たりければ、ゐのときばかり、ろくはらのへんさわぎあへり。既に都へうちいりたるやうに、ものはこびかくし、とうざいなんぼくへもちさまよふ。馬にくらおき、はらおびをしめければ、きやうぢゆうさわぎて、こはいかがせむずると、じやうげまどひあへり。きないよりのぼる所の武士のらうどうども、ひやうらうまいのさたなく、うゑにのぞむあひだ、じんかにはしりいりて、きものくひものうばひとりければ、一人としてをだしからず。廿九日、うだいしやうむねもりのきやう、きん
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ごくのそうくわんにふせらる。てんびやう三年の例とぞきこへし。
九 じふらうくらんどと云源氏、みののくにがまくらといふところにたてごもりたりけるを、へいけのせいいたいしやうぐんさゑもんのかみとももりのきやう、ちゆうぐうのすけみちもりのあつそん、させうしやうきよつね、さつまのかみただのり、さぶらひにはをはりのかみさだやす、いせのかみかげつないげ、三千余騎にてはせくだりて、うへの山よりひをはなちたりければ、こらへずしておひおとされて、たうごくなかはらといふところに、せんよきのせいにてたてごもりたるとぞきこへし。平家、あふみ、みの、をはりさんがこくのきようど、やまもと、かしはぎ、にしごり、ささきのいちぞくうちしたがへてければ、平家のせい五千余騎になりて、をはりすのまたがはと云所につきぬとぞきこへし。二月なぬかのひ、だいじんいげの家々にて、そんじようだらに、ふどうみやうわうをかきくやうしたてまつるべきよし、せん
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げせらる。ひやうらんのおんいのりとぞ聞へし。そのじやうにいはく。
きやうねんよりこのかた、しよこくしづまらず、さいきしきりにあらわれ、ひやうがくかたがたおこる。そのへうじのしいきをおもふに、ひとへにまえんのいたすところか。ぶつりきをかるにあらずよりは、なにをもつてじんしよをやすんぜむ。よろしくじんじやぶつじしよししよか、およびごきしちだうしよこくにげぢして、ふどうみやうわうのざうのうつし、そんじようだらにのせふしやづしや、たいすうへんすうをあらはし、ただそのちからのかんぷをまかすべし。そのかずのたせうをさだむることなかれ。くやうをによせつにとげて、やくなんをみてうにはらへてへり。
ぢしよう五年二月七日 さちゆうべん
又くげよりてうぶくのほふのために、ぢやうろくのだいゐとくを、ひとひにざうりふくやうし奉るべきよし、だいじやうにふだううけたまはりて、ざうりふせられたりけり。おんだうしにはばう
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かくそうじやうめされけり。すでにくやうぜらるべきにて、ばうかくらいばんにのぼりけるが、まづそうしまうしけるは、「これはたれをてうぶくし候べきやらむ」とそうしければ、たうざのくぎやうてんじやうびとよりはじめて、「こはなにごとぞ。ことあたらしや。べちのしさいのあるか」とぞおぼえたる。「このそうはものぐるはしきものかな」とささやきあひ給へり。院もおぼしめしわづらはせ給て、「只ゐちよくの者をてうぶくすべし」とおほせくだされければ、ばうかくすでにかねうちならして、「あらたにざうりふくやうせられたまへり、ぢやうろくのだいゐとくのざう」といひいだしたりけるに、ぶついもいかがおぼしめしけむ、だいゐとくのざうたちまちにわれたまひにけり。「ゐちよくの者は平家なり。ざうりふのせしゆはにふだうしやうこくなり。まことにみやうりよはかりがたし。まつだいなれども、仏法はいまだつきざりけり」と、たつとく不思議なりしことどもなり。このほか諸寺のみどきやう、諸社のほうへいし、
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だいほふひほふ、のこるところなくおこなはれけれども、そのしるしもなし。「源氏只せめにせめのぼる。なにとしたらば、はかばかしき事のあらむずるか。只人くるしめなり。神はひれいをうけ給わずと云事あり。あやまちは心のほかなれば、さんげすればてんず。平家のふるまひは余りなりつる事なり」と云て、そうりよもかんぬしもいさいさとて、おのおのかしらをぞふりあひける。
十 九日、むさしのごんのかみよしもとぼふしがくび、ならびにおなじくしそくいしかはのはんぐわんだいよしかぬをいけどりにして、けんびゐししちでうがはらにて武士のてよりうけとり、くびをごくもんのきにかけて、いけどりをばきんごくせらる。みるものかずをしらず、しやばえくにじゆうまんしてをびたたし。りやうあんのとし、ぞくしゆおほちをわたさるることまれなり。されどもかうわ二年七月十一日、ほりかはのほふわうほうぎよののち、おなじき三年正
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月廿九日、つしまのかみみなもとのよしちかが首を渡されたりしれいとぞきこへし。かのよしもと、こむつのかみよしいへが孫、ごらうびやうゑのじようよしときがこ、かはちいしかはのこほりのぢゆうにんなり。ひやうゑのすけよりともにどういのあひだ、たちまちにちゆうりくせらるるこそむざんなれ。またとうごくのうつて、うだいしやうむねもり「われくだらむ」とのたまひければ、「ゆゆしくさうらひなむ。君のおんくだりさうらはば、たれかはおもてをむくべき」なむど、じやうげしきだいして、おのおのわれをとらじといでたちて、国々のぐんびやうをめしあつめらる。くぎやうてんじやうびとして、とういほくてきついたうすべきよしのせんじをくだされければ、おのおのくだるべきよしりやうじやうまうさる。
十一 十三日、うさのだいぐうじきんみち、ひきやくをたててまうしけるは、「くこくのぢゆうにんきくちのじらうたかなほ、はらだのしらうたいふたねます、をかたのさぶらうこれよし、うす
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き、へつぎ、まつらたうをはじめとして、あはせてむほんをくはたて、ださいふのげぢにしたがはず」とまうしたりければ、「こはいかなる事ぞ」とて、てを打てあさみけり。とうごくのむほんのかぎりと思て、さいこくをばてむしやなれば、めしあげてかつせんせさせむずるやふにたのみたれば、しようへいのまさかど、てんぎやうのすみともが一度にとうざいにらんげきをこしし事にあひにたりとて、おほきにさわぎ給へり。ひごのかみさだよしが申けるは、「ひがことにてぞさうらふらむ。いかでかしやつばらはわがきみをばそむきまひらせさうらふべき。とうごくほつこくはきんだちにまかせまひらせ候。さいこくはてのしたにおぼえさうらふ。さだよしまかりくだりさうらひてしづめ候べし」と、たのもしげにぞ申ける。
十二 十七日、あふみ、みのりやうごくのきようどがくびども、しつでうがはらで武士のてより
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けんびゐしうけとる。おほちをわたしてごくもんにかく。そのむまのときばかりに、いよのくによりひきやくきたりてまうしけるは、「たうごくのぢゆうにんかはののすけみちきよ、こぞのふゆよりむほんをおこして、たうごくだうごのさかひなるたかなほのじやうにたてごもりたりけるを、びつちゆうのくにのぢゆうにんぬかのにふだうさいじやく、かれをうたむとて、びんごのともより千余騎にてかはのがたちへおしよせて、みちきよをせむ。よるひるここのかのほどたたかひけれども、たがひに勝負をもけつせざりき。ここにさいじやくがをひ、ぬかのしちらうこれしげと云者、じやうの内にせめいりて戦けるところに、いかがしたりけむ、たちをうちひらめける所を、みちきよよきひまと思て、馬のくびより足を越して、『えたり、をう』とて、ぬかのしちらうにひきくみたり。これしげしばらくからかひて、じやうげをあらそひけれども、ちから劣りなりければ、いけどられてじやうないへおしこめらる。うきめにぞあひた
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りける。この処にをりをえて、みちきよがしやてい、ほうでうのさぶらうみちつねといふもの、かつにのりて、じやうないよりしゆうじゆうくつばみをならべてかけいだし、戦ひけり。さいじやくをひをとられてやすからず思ひ、今をかぎりとおもひきりてたたかひけるに、みちつねがらうどうをうちとり、只一人に成て戦けるを、さいじやくたせいの中にとりこめて、通経をてどりにして、さいじやくししやをもつていわせけるは、『城内にもいけどりさうらふらむ。さいじやくまたいけどりをたいせり。とりかへてゆみやにつけてはたがひに勝負をけつすべし』と申たりければ、みちきよまうしけるは、『かたきにいけどらるる程のふかくじんをば、いけてなににかはせむ。只きるにすぎたる事なし』とて、ししやのみるところにて、ぬかのしちらうこれしげをきる。使者帰てこのよし云ければ、『こたふるにきみなし』とて、北条三郎ひきいだしてきらむとする処に、みちつねまうしけるは、『ゆみやとるならひ、いけどらるる事も常のならひ也。
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おなじきやうだいのあひだになさけなきこそくちをしけれ。ひとひのいとまをゆるし給へ。たちのあんないしやなり。てびきしてみちきようちおとすべし。そののちのししやうはにふだうどののはからひなり』と申ければ、さいじやくゆるしてけり。そのよのねのこくばかりに、北条三郎をあんないしやとして、うしろのくちよりおしよせて、時をはとつくりて、竹林に火をかけ、いちじがほどせめければ、じやうないのつはものども、下にはけぶりにむせび、上にはかたきせめければ、こらへずして、とるものもとりあへず、おちにけり。たいしやうぐんかはののすけみちきようたれけり。ちやくしかはののしらうみちのぶは、かはののじやうをおちて、いはみのくにへひきて渡る。ぬたのにふだうは、かはののすけ、おなじくしやていかはののじらうみちいへいげ、しかるべきものどものくび、卅六取て京へのぼせ、わがみはあきのぬたのじやうにぞこもりける。ここに通清がやうじ、いづもばうそうけんといふそうあり。
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これはへいけのただもりがこなり。だいぢからのかうのものなり。いくさいぜんにたぎやうしたりけるが、これをきき、いそぎいよへこえて、舎弟みちのぶにたづねあひて、さいじやくをうかがひけるほどに、さいじやくうんのきわむる事は、さんぬるきさらぎひとひのひ、むろたかさごのいうくんどもめしあつめて、あさうみにてふなあそびしけるほどに、いへのこらうどうども、いそに下りひたりて、さいじやく只一人のこりたりけり。いづもばうさらぬやうにて船にのり、ともづなをしきり、さいじやくをば、ふなばりにしばりつけ、おきをさしてこぎいづる。いへのこらうどうは、しばしは入道のこぐとこころえて、目もかけず。しだいにおきのかたへとほくなりければ、『あれはいかにあれはいかに』とまうせども、又船もなければちからおよばず、ぬけぬけととられにけり。いづもばうは夜に入て、有るなぎさに船をこぎつけて、みちのぶをたづぬる処に、かはののしらうぬたのがうよりおほぜいそつして、をぢ北条三郎うちとりて、ならびに
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おほごのげんざういけどりて、出雲房にゆきあひぬ。二人のかたきをいけどりて、おのおのよろこびて、たかなほのじやうにゐてかへりて、おほごをばはつつけにして、さいじやくをばのこぎりをもつて、なぬかななよにくびをきりてけり。これによつて、当国には、新井、たけちが一族をはじめとして、皆河野にしたがひ候なり。そうじてしこくのぢゆうにんはことごとくとうごくによりきつかまつりたりけり」とまうしたりければ、入道は何事もかきみだりたるここちして、とうごくへうつてをむくれば、ほつこくおこりてせめのぼらむとす。さいこくをしづめむとすれば、わたくしのかつせんあり。又くまののべつたう、たなべのほふいんたんぞういげ、よしの、とつがはのあくたうらまでも、くわらくをそむき、とういにぞくするよしきこゆ。とうごくほつこくすでにそむきぬ。なんかいさいかいしづかならず。げきらんのずいさうしきりにしめし、ひやうがくたちまちに起り、ぶつぽふほろび、またわうぼふなきが如し。わがてう只今うせなむとす。こは心うきわざかなとて、平家の一門
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ならぬ人も、物のこころわきまへたる人はなげきあへり。十七日、さきのうだいしやうむねもり、法皇のごぜんにまゐられたり。常よりも心よげなるけしきして、すくすくと参りてさうらわれければ、法皇にがわらわせ給てごらんぜらる。だいしやうかしこまりて申されけるは、「入道まうしあげよとまうしさうらひつるは、世に有らむとつかまつるは、君のおんみやづかへのためなり。またふたつなきいのちうばはむとつかまつるかたきをば、今もたづねさたつかまつるべく候。それに君もおんかたうどしおぼしめすまじく候。そのほかのことはなにごともてんがのまつりごと、もとの如くおんぱからひあるべくさうらふ」と、まめやかにまうされければ、法皇おほせのありけるは、「しかるべき運命のもよほすやらむ、この二三年なにとなくよのなかあぢきなくて、ごしやうの事よりほかに思われねば、今は世のまつりごとにこうじゆせむとも思わず。只おのおのにこそはからはせめ。さなきだにもこころうきめをみるに、あな
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よしな」とおほせありければ、むねもり又申けるは、「いかにかくはおほせたまふ。はるかに入道は親ながらも、をそろしき者にて候。このことまうしかなへず候はば、『君のおんけしきのあしきか、入道をにくませたまふか』とて、ふくりふしさうらひなむず。只『さきこしめしつ』とおほせさうらへかし」とまうされければ、「さればこそいへ、いかにもはからへとは」とおほせられて、おんきやうをとらせたまひてあそばしければ、宗盛少しけしきかはりて、ごぜんをたたれけり。是をうけたまはる人々ささやきあわれけるは、「なにとなくよのなかそぞろくあひだ、入道さすがおそれたてまつり、かくまうすなるべし。あな事もおろかや、てんがの事は法皇のおんぱからひぞかし。なにとおんぱからひとはまうすぞ」とぞいひあひける。とうごくのげんじむほんのこと、かさねてまうしおくるあひだ、せんじをくださる。
そのことばにいはく。
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いづのくにのるにんみなもとのよりとも、ならびにかひのくにのぢゆうにんおなじくのぶよしら、ひとへにらうれいをくはたて、しきりにうがふをはげます。けいびんのぞくたうをむすび、ぐしゆんのともがらむれをなす。せいばついまだあらはれず、やうやくじゆんげつをおくる。れいみんのうれへ、ときとしてやすまず。よろしくゑちごのくにのぢゆうにんたひらのすけながにおほせて、くだんのともがららをついたうすべし。そのこうかうにしたがひて、しゆしやうをくはふべしてへり。
ぢしよう五年正月十六日 させうべん
つぎのひまたかさねてせんじをくださる。そのことばにいはく。
いづのくにのるにんみなもとのよりともは、ちちよしともざんけいにおこなはるるとき、よりともそのとがをおなじくすべきに、はやくくわんいうのじんによつて、すでにしざいのけいをまぬかる。しかのみならず、そぶためよし、くびをはねらるといへども、とたうのしよりやうといひ、らうじゆうのでんゑんといひ、みななだめおこなはるるは、じんくわのいたりなり。しかるにむなしくりゆうくわうのきうせうをわすれ、みだりがはしくらうれいのしんぼうをたくむ。かひのくにのぢゆうにんみなもとののぶよし
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いげ、くにぐにのげんじみなかふりよくするをもつて、けいびんのぞくたうをむすび、ぐしゆんのともがらむれをなす。ぼうあくのはなはだしきこといまだあらず。これはそれそつとのひん、みなこれわうぢなり。ふてんのした、たれかこうみんにあらずや、わうじもろいことなし。てんちゆうさだめてくははらむ。しかるにせいばついまだあらはれず、じゆんげつやうやくつもる。れいみんのかなしみ、えいりよにいささかなし。よろしくちんじゆふのしやうぐんふぢはらのひでひらにおほせて、かのともがららをついたうせしむべし。でんぶやさうのたぐひなりといふといへども、これをみわすれくにをうれふるしなからんや。しやうぐんのしよくしやうのために、はいしのきんせつをはげまさざらむや。そのくんこうにしたがひて、ふしのしやうをくはふべしてへり。
ぢしよう五年正月十七日 さちゆうべん
おなじき十九日、ないだいじんむねもりをもつて、そうくわんしよくにふせらる。 せんげのじやうにいはく。
そうくわんじやうにゐたひらのあつそんむねもり
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おほす、てんびやうさんねんのれいにまかせて、くだんのひとをもつてかのしよくにふす。よろしくごきないならびにいがいせあふみたんばとうのくにをじゆんさつせしめ、けつとしふしゆうのたうをさぐりとらへ、せいをかりてごふだつし、らうせうをとり、ひんせんをあふりやくするともがら、ながくとうぞくのえうげんをきんだんすべし。
ぢしよう五年正月十九日 させうべんゆきたか
十三 廿七日、さきのうだいしやうむねもり、すせんぎのせいをそつして、関東へくだりたまふべきにていでたちたまひけるほどに、にふだうたいしやうこくれいならぬここちいできたるよし有ければ、「けしからじ」と云人も有けり、又、「としごろもかたときもふれいの事おわせざりつる人の、かやうにおわすれば、たとひうつたちてのちききたまひたりとても、おんかへりあるべし。まして京よりこれを御覧じおきながら、みすてたてまつりてたちたまふべきやうなし」と、めんめんに有ければ、とどまり給にけり。廿八日には、だいじやうにふだうぢゆうびやうをうけたまへりとて、ろくは
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らのへんさわぎあへり。さまざまのいのりどもはじまるときこへしかば、「さみつる事よ」とぞ、たかきもいやしきもささやきつつやきける。やまひつきたまひける日より、水をだにものどへいれたまはず。しんちゆうねつする事、ひのもゆるがごとし。ふし給へるにさんげんがうちへいるもの、あつさたへがたければ、近くあるものまれなり。のたまふ事とては、「あたあた」とばかり也。すこしもただこととおぼへず。にゐどのよりはじめて、きんだち、したしきひとびと、いかにすべしともおぼへず、あきれてぞおわしあひける。さるままには、けんぷ、いとわたのたぐひはいふにおよばず、むまのくら、かつちう、たち、刀、弓、やなぐひ、しろかね、こがね、しつちんまんぼうとりいだして、じんじや、ぶつじにたてまつる。だいほふ、ひほふ、数をつくしてしゆしたてまつる。おんやうじ七人を以て、によほふにたいさんぶくんをまつらせ、のこるところのいのりもなく、至らぬれうぢもなかりけれども、次第に重くなりて、すこしもしるしもなし。しかるべきぢやうごふとぞみへける。入道はこゑいかめしき人にておわしけるが、こゑもわ
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ななき、息もよわく、事のほかによはりて、身のはだへ赤き事は、しゆをさしたる者にことならず。ふきいだす息の末にあたる者は、ほのほにあたるににたり。うるふ二月ふつかのひ、にゐどのあつさたへがたけれども、びやうぶをへだて、枕近くゐよりて、なくなくのたまひけるは、「おんやまひひびにおもくなりて、たのみすくなく見へ給ふ。おんいのりにをいては、心の及ぶ程はつくしさぶらひつれども、そのしるしなし。今は只ひとすぢにごしやうの事を願ひ給へ。又おぼしをく事あらば、のたまひおき給へ」とまうされければ、入道くるしげなるこへにて、いきのしたにのたまひけるは、「われへいぢぐわんねんよりこのかた、てんがを足の下になびかして、みづからかたぶけむとせし者をば、じじつをめぐらさず、たちまちにほろぼしにき。ていそだいじやうだいじんにいたりて、えいぐわ既に子孫に及べり。一人としてそむくものなかりしかば、いつてんしかいに肩をならぶる人やありし。されども死と云事、
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ひとごとにあるをや。われひとりがことならばこそはじめておどろかめ。ただし最後に安からずおもひおくことあり。るにんよりともがくびをみざりつる事こそくちをしけれ。しでのやまを安くこゆべしともおぼえず。入道ししてのち、ほうおんついぜんのいとなみゆめゆめあるべからず。あひかまへてよりともがくびを切て、わがはかの上にかけよ。それをぞ草の影にても、よろこばしくは思わむずる。子息、さぶらひは深くこのむねをぞんじて、頼朝ついたうのこころざしをさきとすべし。ぶつきやうくやうのさたにおよぶべからず」とぞゆいごんしたまひける。だいしやうよりはじめて、ごしそんどもまで、なみゐてききたまひけり。いとど罪深くおそろしくぞおぼゆる。そのひのくれほどに、入道やまひにせめふせられたまひて、せいめいがじゆつ、だうまんがいんをむすびていのりけれどもしるしなし。余りのたへがたさに、ひえいさんせんじゆゐんといふところの水をとりくだして、石の船にいれて、入道それにいりてひやしたまへども、下の水は上にわき、
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上の水は下へわきこぼれけれども、すこしもたすかり給ここちもし給はざりければ、せめての事にや、板に水をくみながして、そのうへにふしまろびてひやし給へども、なほもたすかるここちもし給わず。のちはかたびらを水にひやして、にけんをへだてて、なげかけなげかけしけれども、ほどなくはしばしとなりにけり。かかへをさふる人一人もなし。よそにてはとかくいひののしりけれどもかなわず。後にはひさげに水をいれて胸の上にをきければ、ほどなくゆにぞわきにける。もんぜつびやくちして、七日と申しに、つひにあつちじににしにけり。むまくるまはせちがひ、じやうげさわぎののしり、きやうぢゆうはぢんくわいにけたてられて、くれにてぞありける。きんちゆうせんとうまでもしづかならず。いつてんの君のいかなる事おわしまさむも、これほどはあらじとぞみへし。おびたたしなむどはなのめならず。ことし六十四にぞなりたまひにける。七八十までもあるひともあるぞかし。
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おいじにといふべきにあらざれども、しゆくうんたちまちにつきて、てんのせめのがれざれば、立てぬぐわん、残れるいのりもなかりけれども、ぶつじんも事により、時にしたがふことなれば、そうじてそのしるしなし。すまんぎのぐんびやうありしかども、ごくそつのせめをばたたかふことあたわず。いつかのきんだちもおほくとも、めいどのつかひをばしへたぐるにおよばず。いのちにかわり、身にかわらむとちぎりし者もそこばくありしかども、たれかはひとりとしてしたがひつきし。しでの山をば只一人こそこえたまふらめとあはれなり。つくりおかれしざいごふや身にそふらむ。まかしくわんには、「めいめいとしてひとりゆく、たれかぜひをとぶらはむ。しよいうのざいさん、いたづらにたのいうとなると」あかし、くしやろんには、「さいしやうしてなんぢいませいゐをすぎぬ。ししてつひにまさにえんまわうにちかづくべし。ぜんろにゆかんとほつするに、しらうなし、ちゆうげんにすまんことをもとむるに、しよしなし」と申て、えんまわうのつかひはかうきをもきらわず、たましひをうばうごくそつはけんぐを
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えらぶ事なし。やうきひ、りふじんのたへなりし姿、ごづめづはなさけをのこさず。そとほりひめ、をののこまちが心のやさしかりし、あはうらせつははづる事もなかりき。しんのしくわうのこらうの心ありし、りやうのぶわうのゆうのたけかりし、よりみつ、よりのぶがはかりことのかしこかつしも、めいどのつかひにはかなはざりき。むかしきんぶせんのにちざうしやうにんの、むごんだんじきにしておこなひするあひだ、ひみつゆがのれいをにぎりながら、しにいりたる事はべりけり。地獄にてえんぎのみかどにあひまひらせたる事ありき。「地獄にきたる者、ふたたびえんぶだいに帰る事なしといへども、汝はよみがへるべき者也。わがちち、くわんぺいのほふわうのめいをたがへ、むしつをもつてすがはらのうだいじんをるざいせしつみによりて、地獄におちて、くげんをうく。必ずわがわうじにかたりて、くをすくふべし」と仰有ければ、かしこまりてうけたまはりけるを、
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「めいどは罪なきをもつてあるじとす。しやうにんわれうをうやまふ事なかれ」とおほせられける事こそ悲しけれ。けんわう、せいしゆ、なほ地獄のくげんをまぬかれ給はず。いかにいはむや入道のひごろのふるまひのていにておもふに、ごせのありさま、さこそはおわしますらめとおもひやるこそいとほしけれ。「是はただことにあらず。こんどうじふろくぢやうのるしやなぶつをやきたてまつりたまひたるがらんのばつを、たちどころにかぶり給へるにこそ」と、ときのひとまうしけり。だいじやうにふだううせたまひしのち、てんがに不思議のことどもおうかせり。にふだううせたまはむとて、さきなぬかに当りけるやはんばかりに、入道のつかひたまひける女房、不思議の夢をぞみたりける。たてぶちうちたるはちえふの車の内に、炎をびたたしくもへあがりたり。そのなかに「無」と云もんじをふだに書てたてたりけるを、あおきおにとあかきおにと二人、福原のごしよ、東のよつあしのもんへひきいれければ、にようばうゆめごごちに、「あれはいづくよ
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りぞ」といふ。きじんこたへていはく、「につぽんだいいちのがらん、しやうむてんわうのごぐわん、こんどうじふろくぢやうのるしやなぶつやきたてまつりたる、がらんのみやうばつのがれがたきによつて、だいじやうにふだうとりいれむずる、えんまだいわうのおんつかひ、くわしやをもてきたるなり」と云ければ、女房みるも、みのけいよだちて、おそろしなむどはなのめならず。あさましと思て、女房、「さてあのふだはなにぞ」といへば、「永くむけんたいじやうの底にいれられむずるめしうとなるが故に、『無』と云じをば書たる也。これむけんぢごくのふだなり」とまうすと思ければ、夢さめてけり。こころさわぎひやあせたりて、をそろしなむどはおろかなり。かのにようばうこのゆめみたりけるによつてやまひつきて、にしちにちといふに死にけり。はりまのくにふくゐのしやうのげし、じらうたいふとしかたといふもの、なんとのいくさはてて、都へかへりてさんがにちと云に、ほむら身にせむるやまひつきて死にけるこそおそろしけれ。正月にはたかくらのゐんのおんことかな
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しかりしに、わづかになかひとつきをへだてて、またこのことあり。世の中のむじやう、今に始めぬ事なれども、是はことにあはれなり。七日、ろくはらにてやきあげて、こつをばゑんじつほふいんがくびにかけて、福原へ取てをさめてけり。さてもそのよ、六波羅の南にあたつて、二三十人ばかりがこゑしてまひをどるものありけり。「うれしや水」といふひやうしを取て、をめきさけびて、はやし、ののしり、はとわらひなむどしけり。たかくらのゐんうせさせ給て、てんがりやうあんになりぬ。そのごちゆういんの内に、大政入道うせられぬ。しかもこよひ六波羅でくわさうしけるさいちゆう、かかるこゑのしければ、「いかさまにも人のしわざにあらず。てんぐのしよぎやうでぞ有らむ」とおもひけるほどに、ほふぢゆうじどののごしよのさぶらひ二人、東のつりどのに人をあつめてさかもりをしけるほどに、酒にゑひてまひけり。ゑつちゆうのせんじもりとし、ごしよのさぶらひ、さゑもんのじようもと
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いへにたづねければ、「ごしよのさぶらひ二人がけつこうなり」と申て、かの二人のともがらからめとりて、うだいしやうのもとへあひぐして参る。事のしさいをたづねられければ、「あひしりてさうらふものあまたきたりてさうらひつるに、酒をすすめさうらひつるほどに、にはかにものぐるひのいできて、そぞろにまひさうらひつるなり」と申ければ、「とがにしよするにおよばず」とて、すなはちおひはなたれにけり。「ゑひぐるひとは云ながら、さしもやあるべき。てんぐのつきにけるよ」とぞ人申ける。こうぶくじのひつじのさるのすみ、ひとことぬしのみやうじんとてやしろあり。かのやしろの前におほきなるもくげんじの木あり。かのぜうまうの火、このきのうつろにいりて、けぶりたちけり。だいしゆのさたで、水をくみてたびたびいれけれども、けぶりすこしもたちやまず。水をいれけるたびごとは、煙少したちまさり、このもと近くよるものむせびければ、むつかしとて、そののちさたもせず。ななつきにおよぶまできえざりけり。大政入道しにたまひてのち、かの
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ひきえにけり。これもそのころのものがたりにてぞありける。人のしぬるあとには、あやしの者だにも、ほどほどにしたがひて、てうぼにれいじせんぼふなむどよませて、かねうちならすは常のならひなり。是はくぶつせそうのいとなみにもおよばず、ほうおんついぜんのさたにもあらざりけり。あけてもくれにて、いくさかつせんのいとなみよりほかのたじなかりけり。うたてくこころうかりし事也。「入道一人こそおわせねども、としごろひごろさばかりたくはへをきたりししつちんまんぼうはいづちかゆくべき。たとひいかにゆいごんしたまひたりとも、などかをりをりのぶつじけうやうせられざるべき」と、人だんしをする事なのめならず。つくりみがきたりしはつでうどの、さんぬるむゆかのひやけぬ。人の家のやくることは常の事なれども、をりふしかかるもあさまし。なに者のつけたりけるやらむ、ほうくわとぞきこへし。何者かいひいだしたりけむ、
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「むほんのともがら、はつでうどのに火をさしたり」ときこえければ、きやうぢゆうは地をうちかへしたるが如し。さわぎののしる事をびたたし。じやうげ心をまどわすことひまなし。まことにあらむ事はいかがせむ。かやうにむなしきこと常にさしまじへて、さわぎあへる事の心うさよ。いかになりなむずる世やらむ。天狗もあれ、あくりやうもこはくて、平家の一門、うんつきなむとぞおぼへし。このにふだうの運命やうやくかたぶきたちしころ、家にさまざまのくわいいどもありける中に、不思議の事の有けるは、むまやにたてられたりけるひさうの馬の尾に、ねずみの巣をくひて、子をうみたりけり。とねりあまたつきて、よる昼なでかふ馬の尾に、ひとよの内にすくひ、子をうむ事、かへすがへすありがたくこそきこえしか。入道おほきにおどろきて、おんやうじ七人にうらなはせられければ、おのおの「重きつつしみ」とぞ申ける。これによりて、やうやうのごぐわんたてられけり。其
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馬はおんやうじやすちかぞたまはりける。黒き馬のひたひじろにてぞ有ける。名をばもちづきとぞ申ける。さがみのくにのぢゆうにんおほばのさぶらうかげちかが、とうはつかこく第一のめいばなりとて、たてまつりたりし馬也。このこと昔も今も不思議にて、ためしあるべしともおぼえぬ事也。昔てんちてんわうぐわんねんみづのえのいぬ四月に、れうのおんむまにねずみのすをくふことありけり。それもおどろきおぼしめして、おんかんなぎなどいのられけるにも、「おんつつしみあさからず」と申けり。さればかのみよにおくぜめなむど云事有て、よのなかしづかならず。そののちいくほどもなくて、天皇もほうぎよなりてけり。このほかさまざまの不思議おほくありけり。福原のしゆくしよの、つねのごしよとなづけられたる坪のうちにうゑそだて、あさゆふあいし給けるごえふの松の、へんしが程にかれにけり。入道のめしつかひけるかぶろの中に、てんぐあまたまじはり
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て、常にでんがくのこゑして、どどめきけり。おほかたさまざまの不思議ども有けり。
十四 そもそも入道最後のやまひの有様はうたてくして、あくにんとこそ思へども、まことにはじゑだいしの御真なりといへり。いかにして慈恵大師の御真としらむといへば、つのくにせいてうじと云所あり。村の人は「きよし寺」ともまうすなり。かのてらのぢゆうりよ、じしんばうそんゑと申けるは、もとえいさんのがくと、たねんほつけのぢしやなりけるが、だうしんをおこし、ぢゆうさんをいとひて、この処にぢゆうして年を送りければ、人皆これをきえしけり。しかるにしようあんにねんみづのえのたつ十二月廿二日ひのえのたつの夜、けうそくによりかかりて、れいのごとくにほつけきやうをよみたてまつりけるほどに、うしのこくばかりに、夢ともなくうつつともなくて、年十四ばかりなる男の、
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じやうえにたてえぼしにて、わらうづはばきしたるが、たてぶみをもつてきたれり。そんゑ、「あれはいづくよりの人ぞ」と問ければ、「えんまわうぐうよりのおんつかひなり。しよじやうさうらふ」とて、そのたてぶみをそんゑにわたす。かのじやうにいはく、くつしやうえんぶだいだいにつぽんごくつのくにせいちようじのそんゑじしんばうみぎ、きたる廿六日のさうたん、えんまらじやうだいこくでんにおいて、じふまんにんのぢきやうじやをもつて、じふまんぶのほつけきやうをてんどくせらるべし。よろしくさんぎんせらるべしてへれば、こくわうのせんによつて、くつしやうくだんのごとし。
しようあん二年みづのえのたつ十二月廿日ひのえのたつうしのときえんまのちやう
とかかれたりけり。尊恵いなびまうすべき事ならねば、りやうじやうのうけぶみを書てうけたまはるとみて、さめにけり。ひとへにしきよのおもひをなして、ゐんじゆくわうやうばうに
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語る。人皆不思議とおもへり。尊恵くちにみだのみやうがうをとなへ、心にいんぜふのひぐわんをねんず。やうやく廿五日のやいんにおよびて、じやうぢゆうのぶつぜんに至り、ねんぶつどくきやうす。既にうのこくにいたりて、ねぶりせつなる故に、かへりてぢゆうばうにうちふす。ここにじやうえの装束の男二人いできたりて、早く参ぜらるべきよしすすむるあひだ、わうせんをじせむとすれば、はなはだその恐れあり。さんけいをくはたてむとすれば、さらにえはつなし。このおもひをなす時、二人のどうじ、二人のげそう、しつぽうのだいしや、おのづからばうの前にげんず。ほふえじねんに身をまとひ、肩にかかる。尊恵おほきによろこびて、そくじに車にのる。しゆそうらさいほくのかたにむかひて空を飛て、えんまらじやうに至る。わうぐうをみるに、かちゆうべうべうとして、その内くわうくわうたり。そのうちにしつぽうしよじやうのだいこくでんあり。かうくわうごんじきにして、ぼんぶののぼる所にあらず。
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そのだいこくでんのしめんにして、おのおのちゆうもんのらうあり。おのおのろうもん高く広くして、皆ことごとく美をつくし、めうをきはめたり。そうじてきゆうでん、ろうかく、くわくの内にじゆうまんして、しようけいすべからず。しかるにかの大極殿の四面のちゆうもんのらうにして、おのおの十人のみやうくわんあり。十万人のぢきやうじやをはいぶんして、おのおの一面に座につかしめをはりて、大極殿の前にして、かうじ、どくし、かうざに登り終てのち、十万人の僧どくきやうをはりて後、みやうくわんかたかたへたちわかれて、みなぢきやうじやの名どころを記しをはりて、二部のくわんじゆをえんまわうに奉る。しんじ終て後、しゆそうかへりさる。しかるあひだ、尊恵南方の中門に立て、はるかにだいこくでんをみるに、みやうくわんみやうしゆ、皆ことごとくえんまほふわうの前にあつまる時、尊恵、「たまたまのさんけいなり。えんま法皇、冥官冥衆にふだんきやうとうをくわんじんせむ」と思て、大
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極殿にいたる。そのあひだ二人のどうじかいをさし、二人のじゆうぞう箱を以て、十人のげそううしろをひきて、やうやくあゆみちかづく時に、えんま法王、冥官冥衆、ことごとくをりむかひて内へいるるに、ぜんごを論ず。尊恵さいさんじたいする時、えんま法皇もんをじゆしていはく、
「もしほつけきやうをもてる者は、そのみはなはだしやうじやうなる事、かのじやうるりの如し。しゆじやうみなきけんす。又きよくあきらかなるかがみの、ことごとくもろもろのしきさうをみるがごとし。ぼさつしやうじんをもちて、皆世のあらゆる所をみる。しかればすなはち、やくわうぼさつ、ゆぜぼさつ、二人のじゆうぞうに変ず。たもんてん、ぢこくてん二人のどうじ、じふらせつによ、十人のげそうにげんじて、ずいちくきふじし給ふ。このゆゑにごばうのじゆうぞうら、まづいりたまふべし」と云々。そのとき尊恵らいりんをわつてのち、えんま法皇とてのたまはく、「よの
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僧は皆ことごとく返りさりぬ。ごばうきたる事なにらぞや」。尊恵こたへていはく、「ごしやうのざいしよをうけたまはらむがためなり」。王のたまわく、「つのくににわうじやうのちいつところあり。せいちようじはそのひとつなり。すなはちこれしよぶつきやうぎやうのち、しやかみろくのげんしよなり。わうじやうふわうじやうは人のしんぷしんにあり」といひうけて後、みやうくわんにちよくしてのたまわく、「このごばうのさぜんのふばこ、ほうざうにあり。とりいだして、いつしやうのうちのじぎやうくわんたのひもんをみせ奉るべし」。冥官これを承て、一人のどうじにちよくす。童子是を承て、すなはちほうざうにゆいて、ひとつのふばこを取てもてまゐる。冥官はこを開きをはりて、まづひとつにはゆづうどくきやうのひもんをみせしむ。くわんじんいご十か年之間、けつしゆ四千一百人が内、しばうのしゆう二百三人、そのなかにわうじやうの人九人あり。けだいのしゆう二千三百十二人なり。かくのごときのにんじゆ年々にげんせうして、当時のかうどく
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ねんぶつの衆、一千五百八十五人也。そうじて十か年の間のどくきやうのぶすう、かんぢやう一百一十万六千七百八十四部、読経二千一百四十万べん。ふたつにはしんどくのほつけきやう三万六千七百五十四部、念仏卅六万七十二へむ、だいはんにやけうしゆほん、さつはんにやほん、なんしんげほん、じゆりやうほん、くどくほん、あんじゆつがふ二万一千二百巻べちのひもんにあり。みつにはそとばのしやきやう十五部おのおの十巻、石の写経十五部各の十巻、そしの写経十八部各の十巻碑文にあり、よつには千日のふだんきやう六千十二部、にちべつのかうきやういちざ別の碑文にあり、五には百部のによほふきやう書写のくわんの内、じぎやう廿五部、くわんた六十三部各の十巻、みしやきやふ十二部之内、をうやしうしやこんどうの経一部碑文にあり、むつには六十巻書写のくわんのうち、既にうつしし四十三巻、宮十七官別の碑文にあり。又せいちようじにしておこす
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所の七種のせいぐわん、一にはえいたいのじやうとう別の碑文にあり、二にはえいたいのふだんきやうにちべつのかういちざならびにちやうがうとう、三にはぶつぜんのみちやうさんげん別の碑文あり、四にはしやかみだみろくさんぶつぎやうざう別の碑文あり、五にはこんどうのあかつきくぜんべちのひもむあり、六には金銅のしやりたふならびにみこし別のひもむあり、七には十種のくくわむの具、金銅のはな、たまのはたとうべちのひもむあり。みやうくわんかくのごとくのじぎやうをさんげし、くわんたをかんぢやうして、もくろくひもんをみせしむるとき、そんゑ取ていはく、「そもそもゆづうどくきやうのしゆう、しよこくにさんざいして、すでに十か年をへたり。いかがそのざいしよをしり、いかがそのけだいしばうをかくのごとく、さんげもくろくし給や」。みやうくわんこたへていはく、「ろくだうしゆじやうのけんみつのしよさ、なにごとかじやうはりの鏡にあらわれざる。もしふしんに及ばば、じやうはりの鏡をみ給べし」とうんうん。尊恵かの鏡をみるに、「あくじは悪事と共に、ぜんじは
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善事と共に、ざいしよみなことごとくあらわる。いちじいじやうかくれあることなし。かのかがみにあらわるるゆゑに、われらがとしごろのしよさしよぎやう、えんま法皇、みやうくわんみやうしゆいかがごらむじけむ」と思て、ひたんていきふす。「ただしねがはくは、えんま法皇、われらをあいみんして、しゆつりしやうじのはうぼふを教へ、しようだいぼだいのぢきだうを示し給へ」。このことばをなす時、えんま法王けうけしてしゆじゆのげをじゆす。時にみやうくわんふでをそめていちいちに是をかく。
さいしわうゐざいけんぞく しきよむいちらいさうしん
じやうずいごふきけばくかい じゆくけうくわんむへんざい
ひによせんだら くちゆうしとしよ ふふこんしぢ にんみやうやくによぜ
しにちいくわ みやうそくすいげん によせうすいぎよ しうがらく
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せかいふらうこ によすいまつはうえん によとうげんおうたう しつしやうおんりしん
ずいちくあくにんしや ぎやくとくむりやうざい げんぜむふくらい ごしやうさんあくしゆ
たんらくどくじゆ ほつけきやうしや めつざいしやうぜん りしよあくしゆ
がきやうやうだい ふだんどくじゆ のうくわんしよくわん かいたうさぶつ
せつによしゆぎやう ほつけきやうしや しゆうしやうごくらく しようだいぼだい
がきやうによせつ けやこんごん やうだいふきふ しよとくくどく
じつぱうしよぶつ かくいせんぜつ たごふせんぜつ ふかきゆうじん
このげをかきをはりて、えんま法王このせいごんをなす。「われいつさいしゆじやうのために、くわんじんのもんを書写す。これをけんもんするたぐひ、たれかほつしんせざらむや。永く文を持て、あまねくきせんをすすめ、広くじやうげをこしらへて、じぐわんを果しとげ、たぐわんをじやうじゆすべし。
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これうえんのいんえんをいんだうし、むえんのしゆじやうをけうけするはうぼふなり」。かくのごとくけうかいしをはりてのち、すなはちこのもんをふぞくす。そんゑ付属をくわんぎし、ゆやくしてこのことばをなす。「につぽんだいじやうにふだうじやうかいと申す人、つのくににわだのみさきをてんぢやうして、しめんじふよちやう、同じむねに家を作り、千人のぢきやうじやをはいぶんして、ばうごとに一面に座につけ、えんまぐうのぎしきのごとく、じふまんそうどくきやうせつぽふ、ていねいにごんぎやうを致すべき」よし申す時に、ずいきかんたんしていはく、「くだんの入道はただひとにあらず。じゑそうじやうのけしん、てんだいのぶつぽふごぢの為に、につぽんにさいたんせる人也。必ずこのもんをもつてかの人にしらすべし」といふ。
きやうらいじゑだいそうじやう てんだいぶつぽふおうごしや
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じげんさいしようしやうぐんしん あくごふしゆじやうどうりやく K122
またのたまはく、「むかし土佐の国ひらやまのしやうにんは、かつらのだいなごんのにふだうなり。しかるにこんじやうにしゆつけにふだう、ほつしんしゆぎやうの故に、ごくらくにわうじやうすべき人なり。しかるにしゆくじきとくほんをうゑたるゆへに、げんぜあんらくにして、ごしやうにはごくらくにうまるべき人也。しかればすなはちかのひとびとにちぐけちえんして、わうじやうごくらくのそくわいをとぐべし」。かくのごとくえんま法王のけうかいをかぶつて、だいこくでんのなんばうのちゆうもんへいづる時、くわんし十人もんぐわいにたちて、車にのせてぜんごに従ふ。すなはちそらを飛て返りきたる。尊恵官使の返りさるをみて、大極殿へふたたび帰りいりしとき、えんま法王、みやうくわんみやうしゆいたり向ひ、内へいりしとき、前後を論ぜしに、えんまわうのじゆしたまひし所の「にやくぢほつけきやう」のもんと、又「によじやうみやうきやうのもんと、ふたつの文をじゆし、心にけうなむ
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さうのおもひをなして、なぬかといひける正月二日ひのえのとらのいぬのときに、よみがへりをはむぬ。尊恵このじやうを以て、大政入道に奉り、えんまわうにまうしつるが如く、つひにしゆくぐわんを果してけり。さてこそきよもりをばじゑそうじやうのさいたんなりと人しりけれ。「ただし清盛ごんじやならば、ごんは必ずじつをひかむが為に世にいづる事也。あくごふを作り、ぶつぽふをほろぼして、じつしやの為に何のせむか有べき」と、人ごとにうたがひおもへるふしんあり。しやくけうの中にこのことはりを釈するに、「ゐのししこがねのやまをする。かぜくらちうをます」といへるほふもんあり。「ゐのししこがねのやまをする」といふは、ゐのししこがねの山をうがてば、こがねあらわれて、やまこんじきの光にあらわる。「風くら虫をます」と云は、せけんに「くら」と云虫あり。風ふけばただようて、あやうくみゆれども、風に当るごとにせいおほきになりまさりて、ちからことにつよくなる。ごんじやのりやくをほどこす事、
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このたとへにことならず。人の為にえきあるべき時には、罪を作りても
りやくをます。ぜんあくともにりやくをなす事、きにしたがひてふどうなり。さればいちだいけうしゆのしやかによらい、ごしゆほふりんを転じて、しゆじやうをりやくしたまひしに、九十五種のげだうのきほひおこりて、によらいのけだうをもちゐずして、利益にかからざりし時、だいばだつたうまれて、九十五種のげだうの長者として、さんあく、じふあくとうのつみを作て、によらいをあらそひたまひき。そのざいごふにむくひて、いきながらげんしんにだいぢわれてむけんぢごくにおちしかば、他のしたがへるげだうども、だいばだつたぢごくにおつるをみて、皆おそれをののき、じやけんの心ををさめて、によらいに従ひ奉る。それよりのちにこそ、しやかのけだうじやうじゆせしめたまひしか。如来のしやうをばぼさつなを是をしらず。ごんじやのけだうをば、ぼんしんはかる所にあらず。てうだつむけんぢごくにおちてのち、しやくそんの御弟子をつかはして、てう
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だつをとぶらひてのたまはく、「むけんぢごくのくるしみは、いくらほどかたへがたき」と問給ければ、てうだつこたへてまうさく、「むけんぢごくの苦みは、第三種のらくにひとしく」とぞ答申ける。このことばをきくには、地獄のほのほの中にても、なをあくしんををさめずして、によらいをあざむき奉るかと思へども、によらいりやうじゆせんにして、ほつけきやうときたまひしには、「いちぶつとくだうはいちじようほつけの力也。このほつけきやうをえし事は、てうだつを師として、せんざいきふじのこうによつて習へり」と、昔のいんえんをときたまひき。さてこそ「てうだつは只の調達にあらず。ごんじやの調達なりけり。地獄の苦みも、只の苦しみにはあらず。くらくふにのむねにたつして、第三種のらくにひとし」とはこたへたりとおもひしられてたつとけれ。されば清盛もごんじやなりければ、調達があくごふにたがわず。ぶつぽふをほろぼしわうぼふをあざける、そのあくごふげんしんにあらわれて、最後にねつびやうをうけ、もつごにしそんをほろぼし、善を
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すすめ、悪をこらすためしにやとおぼへたり。又善悪はいちぐの法なれば、しやくそんとてうだつとおなじきしゆしやうにうまれて、善悪の二流をほどこす。そのやうにきよもりもしらかはのゐんのみこなり。しらかはのゐんは、こうぼふだいしのかうやさんをさいこうせしきしんぢきやうしやうにんのさいたんなり。しやうくわうはくどくのはやしをなし、ぜんごんのとくをかねまします。清盛はくどくもあくごふも共にこうをかさねて、世の為、人の為、りやくをなすとおぼへたり。かのだつたとしやくそんと、おなじきしゆしやうのりやくにことならず。かかる人なりければ、じんぎをうやまひ、仏法をあがめ奉る事も人にすぐれたり。「ひよしのやしろへ参られけるにも、いちの人のかも、かすがなどへおんまうであらむも、これほどの事はあらじ」とぞみへし。てんじやうびと、せんぐも、かんだちめなむどやりつづけなむどしてぞおはしける。ひよしのやしろにては、ぢきやうじやのかぎりえらびて、せんぞうくやうありけり。ありがたく、ゆゆし
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かりし事也。
十五 そもそもしらかはのゐんをきしんぢきやうしやうにんのさいたんとしる事は、しんかけいしやう、せんとうのごいうえんのみぎりにて、しゆじゆのごだんぎありける中に、「たうじてんぢくにしやうじんの如来しゆつせして、せつぽふりしやうし給とききおよばむに、こころざしをすすめあゆみをはこびて、参てちやうもんすべしや」と申さるる人有ければ、だいじんくぎやうめんめんに「皆参ずべし」とまうされけるに、がうちゆうなごんまさふさのきやう、いまだそのころはみまさかのかみにて有けるが、まうされけるは、「人々はおんわたりさうらふとも、まさふさは渡りさうらふまじ」とぞまうされける。そのときげつけいうんかく、おのおのぎしんをなして、「こはいかに。みなひとのわたるべきよしおほせらるる処に、まさふさ一人わたらじとまうさるるは、子細いかに」と云。まさふさかさねてまうしていはく、「ほんてうじちゐきの間ならば、よのつねのと
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かいなれば、安きかたもはべりなむ。てんぢくしんだんのさかひは、りうさそうれいのけんなん、わたりがたくこえがたきみちなり。まづそうれいとまうすやまは、さいほくはせつせんにつづき、とうなんは海中にそびへたり。このやまをさかふて、東をばしんだんといひ、西をばてんぢくとなづけたり。かのやまのていたらく、ぎんかんにのぞみて日をくらし、はくせつをふみて天にのぼる。道のとほさ八百余里、草木もをいず、水もなし。多くけんなんある中に、ことに高くそびへたるみねあり。けいはらさいなとなづけたり。雲のうはぎもぬぎさけて、こけのころももきぬ、山の岩かどをかかへて、三日にこそこえはつれ。このみねにのぼりぬれば、さんぜんせかいのくわうけふは、まなこの前にあきらかなり。いちえんぶだいのをんごんは、足のもとにあつめたり。うしろはりうさといふかはあり。昼はまうふうふきたてて、いさごをとばして雨の如し。夜はえうき走りちりて、火をともすこと星ににたり。しらなみみ
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なぎりおちてきしのいしをうがち、あをぶち水まひてこのはをしづむ。しんえんを渡るといふとも、えうきの害のがれがたし。たとひしよきのふゐをまぬかるといふとも、すいはのへうなんさりがたし。さればげんじやうさんざうもこのさかひにして、六度まで命をうしなひたまひき。しかりといへども、次のじゆしやうの時にこそ、法をば渡し給けれ。まつだいたれかかのこせきを渡るべき。しかるを今てんぢくにあらず、しんだんにあらず、わがてうかうやのおやまに、まのあたりしやうじんのだいしにふぢやうしておわします。かのれいちを未だふまずして、むなしく月日を送る身の、じふまんよりのさんかいを渡りて、りやうじゆせんのけんろにおもむくべしともおぼへず。ほんてうのこうぼふだいし、てんぢくのしやかによらい、共にそくしんじやうぶつのりしよう、まなこの前にげんぜり。むかしさがのくわうてい、だいしをせいりやうでんにしやうじ奉りて、しかのだいじようしゆうのせきとくをあつめて、
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けんみつほふもんのろんだんを致す事あり。ほつさうじゆうにはげんにん、さんろんじゆうにはだうしやう、てんだいしゆうにはゑんちよう、けごんじゆうにはだうおう、おのおのわがしゆうのめでたきよしをたて申す。まづほつさうじゆうのげんにん、『わがしゆうにはさんじのけうをたてて、いちだいのしやうげうをはんず。いはゆるうくうちゆうこれなり。いづれかこれにすぐるべきや』と申す。さんろんじゆうにはだうしやうのいはく、『わがしゆうにはにざうを立てて、いちだいのしやうげうををさむ。いはゆるぼさつざう、しやうもんざう、これなり。いかがこれにまさるべきや』と申す。けごんじゆうのだうおうのいはく、『わがしゆうにはごけうをたてていつさいのぶつけうを教ふ。いはゆる、せうじようけう、しけう、しゆうけう、とんけう、ゑんけう、これなり。いかがこれにまさるべきや』と申す。てんだいしゆうのゑんちようのいはく、『わがしゆうにはしけうごみをたてていつさいの仏教を教ふ。しけうと云はいはゆるざう、つう、べち、ゑん、これなり。ごみといふは、にう、らく、しやう、じゆく、だいご、是なり。いかがこれにはまさるべきや』
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といへり。しんごんじゆうのこうぼふは、そくしんじやうぶつのぎをたてて、『いちだいしやうげう広しといへども、いづれかはこれに及ぶべきや』と申されたり。そのとき、げんにん、ゑんちよう、だうおう、だうしやう、めんめんになんもんをはきて、しんごんのそくしんじやうぶつのむねをうたがひまうされけり。中にもげんにんそうづ、弘法をなんじ奉ることばにいはく、『およそいちだいさんじのけうもんを見るに、皆さんごふじやうぶつのもんのみあつて、そくしんじやうぶつのもんなし。いづれのしやうげうのもんしようによつて、そくしんじやうぶつの義をたてらるるぞや』と。弘法こたへてのたまはく、『なんぢがしやうげうの中には、さんごふじやうぶつのもんのみ有て、そくしんじやうぶつのもんしようなし』。げんにんのいはく、『即身成仏のもんしようあらば、つぶさにいだされて、しゆゑのぎまうをはらさるべし』といへり。弘法もんしようをいだしてのたまはく、『しゆしさんまいしや、げんしようぶつぼだい。ぶもしよしやうじん、そくしようだいかくゐ。ゆいしんごんほふちゆう、そく
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しんじやうぶつこ』。これらをはじめとして、もんしようをひきたまふこと、そのかずはんたなり。げんにんかさねていはく、『もんしようはすでにいだされたり。もんのごとくそくしんじやうぶつをえたる、そのにんしようたれびとぞや』。こうぼふこたへてのたまわく、『そのにんしようは、とほくはだいにちこんがうさつた、近く尋ぬれば、わがみすなはちこれなり』とて、かたじけなくめいじのりようがんにむかひ奉りて、手にみついんを結び、くちにみつごをじゆし、心にくわんねんをこらし、身にぎきをそなへしかば、しやうじんのにくだんたちまちにてんじて、しまわうごんのはだへとなり、出家のいただきの上に、じねんにごぶつのほうくわんをあらはす。くわうみやうさうてんをてらして、にちりんのひかりを奪ひ、てうていはりにかかやいて、じやうどのしやうごんをあらわす。そのときくわうていずいきして、ざをさつてらいをなし、しんりき身をまげて、きやうがくして地にふす。しよしゆうたなごころをあはせ、
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ひやくれうかうべをかたぶく。誠になんとろくしゆうのひん、地にひざまづきて、これをきやうしんし、ほくれいしめいのかく、庭にふしてせつそくす。つひにししゆうきぶくして、もんえふにまじはり、はじめていつてうしんきやうして、だうりうをうく。さんみつごちの水、しかいにみちてぢんくをすすぎ、ろくだいしまんの月、いつてんにかかやきてぢやうやをてらす。そののちもしやうじんふへんして、じそんのしゆつせをまち、ろくじやうかわらずして、きねんのほふおんをきこしめす。このゆゑにげんぜのりしやうもたのみあり。ごしやうのいんだうもうたがひなし。かかるれいちへだにもまゐらずして、いんどけんそのさかひにしのがむといふことは、まことにもつてしかるべからず」と申時、しやうくわうこれをきこしめし、「まことにめでたき事なり。今までこれをおぼしめしよらざりけるこそ、かへすがへすもおろかなれ。かやうの事はえんいんしぬれば、さわる事もあり。やがてみやうてうごかう
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あるべし」とちよくぢやう有ければ、まさふさかさねて申けるは、「みやうてうのごかうも余りにそつじにおぼへ候。しやくそんりやうぜんのせつぽふのみぎりには、十六のだいこくのわうたちみゆきせさせ給ける儀式は、金銀をのべてほうよをつくり、しゆぎよくをつらねてくわんかいをかざり給けり。これすなはちなんとくの思ひをこらし、かつがうのこころざしをつくしたまふさほふなり。されば君のごかうもかれにたがわせ給べからず。かうやさんをばてんぢくりやうじゆせんとくわんじ、しやうじんのだいしはしやかによらいと信ぜさせ給て、ひかずをのべて、ごかうの儀をひきつくろわせ給べくやさうらふらむ」と申ければ、「誠にこのぎしかるべし」とて、ひかずをのべて、しんかけいしやう、金銀しつぽうをもつて、いしやうむまのくらをかざりてぞ、いでたたせ給ひける。是ぞかうやごかうの始めなる。かくてしやうくわう、だいしのべうだうををがまむが為に、とうろをいて
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ごなんぎやうにおもむき、くぎやういげさんくわい。みのこくにせつしやうゐんざん。まづきんすいのをけをけんず。をけの中に金銀をもつてたちばなを作り、かうばしきくだものををさむ。れうていいつぴき、くらを置てこれをまゐらす。せんぐうのやから、左大臣、内大臣、大納言、中納言四人、さんぎ五人、ならびにじしんら、皆かうろにしたがふ。くぎやうだいじんくつばみをならべて、おんくるまの前にあり。せつしやうどのは車にめしてしこうせらる。ごんのそうじやうにんかいほふいん、ごんのだいそうづりゆうみやう、ごんのせうそうづくわんいう、かつうはべうだうのほふえをたすけむが為、かつうはえいりよのごぢをいたさむが為に、おのおのかんだうをへて、共に中花をしす。このさうくわんのともがら、あたかもちをかかやかせり。しやうくわうならぢへかからせたまひて、ごとうざんあり。まづだうたふごじゆんれいあつて、やがておくのゐんに参らせ給。ごんのせうそうづくわんいう、おほせ
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によつてごべうだうの戸を開く。そのときおんながもちをめしよせて、てづからみづからををとかせたまひつつ、中よりとうろをめしいだし、おくのゐんのもとのとうろのたいざにかけさせ、油をいれ、しやうくわうみづからともしびを移させ給て、ぬかをつき、らいをなし、となへさせ給けるは、「なむきみやうちやうらいへんぜうだいし、けふすでににしやうとうみやうのしゆくぐわんまんぞくしをはむぬ」と、おんこゑをあげて申させ給ふ時にこそ、ぐぶの人々じぼくをおどろかし給けれ。ただいまごはいのおんことばに、「にしやうしゆくぐわんのとうみやう」と申させ給けるは、深き心あり。むかしとうじのちやうじやくわんげんそうじやうと、かうやのけんげうむくうりつしと、さうろんをなす事ありて、むくうりつしかうやをりさんし給しかば、ぢゆうりよことごとくたいさんして、くわうはいの地となりにけり。じんせきたへて六十余年、こらうのすみかとなり
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たりしを、えんきうのころ、やまとのくにかづらきのしものさとに、きしんぢきやうしやうにんといふひと有けるがぶものしやうじよを祈り、わがごせをしらむとて、はせでらにまゐりたりけるに、くわんおんのじげんによつて、「きしういとのなんざんにのぞみていのるべし」と有しかば、かうやさんと心得て、すなはちかの山にまうで給ひ、だいしのゆいせきをあらはさむほつぐわんして、高野山にのぞみたまひぬ。およそだいしこのやまをひらきて、だうたふをこんりふしたまひけるさほふは、だいたふとまうすは、なんてんのてつたふをうつして、そのたけじふろくぢやうなり。こんだうはとそつのまにでんをあらはして、まの数しじふくけんなり。じそんゐんよりみえいだうの北に至るまで、百八十ちやうにづきよをわる。たいざうかいのまんだらの百八十そんをあらはしたり。みえいだうよりおくのゐんに至るまで、三十七町にわかてり。こんがうかいのまんだらの三十七尊をあらはせり。だいたふ
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こんだうよりはじめてしよだうしよゐんに至るまで、みなみつごんじやうどのぎしきを移し、けざうかいのさほふをあらはせり。このゆゑにひとたびもこのちをふむ者は、かいげむろのくどくをそなへて、しぢゆうごぎやくのざいしやうをほろぼす。ひとよもかの山に宿る者は、ほんうまんだらかいのゑをひらきて、三十七尊のそんゐにつらなる。しかるにいまぢきやうしやうにんたうざんに臨むとき、百八十町のはりみちも、しゆぼくしげりてまよひやすし。三十七町の奥の道も、むぐらにうづもれてわかちがたし。だいたふくづれてあともなし。こんがうぶじのつゆじやうじやうたり。べうゐんかくれてみへ給わず。おくのゐんのかすみへんぺんたり。しやうにんしんじんをはこぶといへども、せいぜきにまよひてわきまへがたきゆゑに、すなはちらいはいをなして、深くきねんを致す。「なむきみやうちやうらいかうそだいしへんぜうこんがう、ねがわ
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くはれいずいをしめして、たうざんのせうりゆうをいたさしめ給へ」と、涙をながし、こゑをあげてけいびやくせられければ、おくのゐんのこのもとより、れいくわうこくうにそびいて、みねもこずへもかかやけり。しやうにんおほきによろこびて、しげきこかげをきりはらひ、すずのしたみちふみあけて、おくのゐんへぞ参られける。かくてとぼくをはこむでらいだうをつくり、いつきのとうろをかけてひうちを取て、おくのゐんにむかひて、きねんして申さく、「我もしこの山をひらひて、広むるところのみつけうじそんさんゑのあかつきまで、たへずぢやうやをてらすべくは、ただひとうちにつき給へ。このともしみをかかげて、じしのあかつきにさうぞくすべし」と、ほつぐわんきねんをこらしてうちたまひしかば、ただひとうちにひつきにければ、すなはちとうろの中にともせり。今まで
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きへぬともしびは、かのほつぐわんのとうみやうなり。しやうにんともしびをかかげしとき、又ぐわんをなして宣わく、「わがぐわんみらいさいにつきずして、よよにほふとうをかかぐべし。このたびにしやうに生れきて、必ずいまいつきをそなふべし」とほつぐわんし給ふ。これをもつてあんずるに、かのしやうにんのちかひたまひける、にしやうほふとうのぐわんたがわずして、こんどしやうくわうのごえいぐわんをうけたはるに、ぢきやうしやうにんのりぐわんを思ひあわせられて、誠にたつとくぞおぼゆる。「このおんことばをうけたまはるにこそ、昔のぢきやうしやうにんのせいやくにこたへて、今こくわうと生れたまひて、たうざんのほふとうをかかげ給にこそ」と、心有る人は皆かんるいをぞ流されける。そもそもしんぢきやうとまうすは、やまとのくにかづらきのしものこほりの人なりけり。七歳の時父におくれて、ころにしてひんだうなり。ぼぎひとりあつて、いつしをはぐくむ。しかるにいかなるたよりかありけむ、とうだいじの僧にかたらひて、なんとに至る。
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さんじふのじゆ、ひやくのほふりん、ひとたびうけて、ふたたびとはず。誠に将来のほふきなるべき人とみえたり。そののちとしつもりて、十三といふとしの春、なかのみかどのそうづのもとにいぢゆうす。たうりの花の枝をふくめるかほばせなれば、しらんのつゆのはにそふちぎりもなほさりならず。うつはものはすなはちほふきなり。けごんさんろんのほつすいをいる。ねはまたじやうこんなり、ゆがゆいしきのけうもんをひらけり。しかのみならず、しやうりゆうはくばのよりうをつたへ、けいくわこうぼふのはうちよくをとぶらふ。あまつさへまたあきつしまのながれをくみて、しかいさんじふいちじのすうりうをそふ。しきしまのかぜをあふぎ、いづもやへがきのゐふうをくはふ。としえうせうにして、さいのうおいたり。しかるあひだ、なんきやうだいいちのめいじん、ようがんぶさうのすいはつなり。しかるにしちさいのとき父におくれ、十六にして母にわかる。かかるあひだ、ししやうにいとまをこひ、深くけうやうのこころざしをはこびて、しゆつけして、いつかうほつけ
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きやうをよみならひて、ひとへににしんのごしやうぼだいを祈る。これによつて、ほつけをぢする身なればとて、みづからぢきやうばうとかうす。又にしんのぼだいを祈るが故に、じつみやうをきしんといふ。かくのごとく、ぎやうぢゆうざぐわのつとめおこたらずして、六十といひし時、にしんのしやうじよをいのらんがために、はせでらにさんろうす。ごかうのねぶりいくばくならざるに、くわんおんのじげんにいはく、「なんぢほつけどくじゆのこう、すでにつもる。さだめてぶものしやうじよを見むとおもふらむ。これよりさいなんのかた、かうやのれいくつにしてきせいすべし」とうんうん。だいしやうのじげんにおどろきて、かうやさんにのぼり、ふたたびかのやまをおこして、つひにぶものしやうじよをしり、とそつのないゐんにまゐり給へりし人也。
十六 さてもだいじやうにふだうのおほくのだいぜんをしゆせられし中にも、ふくはらのきやうのしまつかれたりし事こそ、人のしわざとはおぼへず、不思議なれ。「かのうみはとまりのなく
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て、風と波とたちあひて、かよへる船のたうれ、のるひとのしぬる事、昔よりたへず。おそろしきわたりなり」と申ければ、入道聞給て、あはのみんぶしげよしにおほせて、はかりことをめぐらして、人をすすめて、いんじしようあん三年みづのとのみのとしつきはじめたりしを、つぎのとし風にうちうしなはれて、石のおもてにいつさいきやうを書て、ふねにいれて、いくらといふこともなく沈められにけり。さてこそこのしまをばきやうのしまとはなづけられけれ。「石は世に多き物なり。船は人のたからなり。さのみ船をつみしづめられむこと、こくかのつひえなり。又さのみきやうをかきまひらせむ事、筆をとるたぐひまれなり。只わうへんの船におほせて、十の石をとりもち、かのところにいるべし。まつだいまでもこのぎをそむくべからずと、せんじをまうしくださるべし」と、しげよしいげはからひまうしければ、「誠にさもありなむ」とて、そのぢやうにさだめられけり。はたよりをきへいちりさんじふろくちやういだしてぞつきとどめたりける。海の深さみそひろ有けるとかや。海のふかさきはなきこと
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なり。これはいくほどならずとて、つきいだしたりけるへうせんのながれたる物などを、風のふきかさねければ、程なく広くなりにけり。おなじくはくがへつづけたらばよかりなむとぞ、やうやくつきつづけける。もよほしなけれども、こころあるひとは土を運び木をうゑければ、さまざまのくさきおひつづきたり。又かのせんじにまかせて、さいこくのじやうげの船ごとに石をいれてをく。さまざまのちからをそへて、次第にひろくなる。こうしの為にかたがたたよりあり。目にみすみすふねどもとまるこいへなむどもいでき、じつげつせいしゆくのひかりめいめいとして、さうかいのてうばうべうべうたり。いへば十余年のかまへなれども、松のおひつきたる有様、いづれもありがたし。今すこし歳月かさなる物ならば、なだかきむろたかさごにもおとるべからず。世をすぐるならひ、いうぢよもにくからず。小船の影にゐて、しこくをみわたせば心細し。いうぢよ二三人きたりて、「こぎゆくふねのあとのしらなみ」と歌ふ。
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あるいはやかたのうちで、「ふねのうちなみのうへ、いつしやうのくわんくわいおなじといへども、わごんゆるくしらべてたんげつにのぞみ、たうろ高くおしてすいえんにいる」などらうえいをす。つづみをならしひやうしをうちて、なごりをしのぐよしをうたふ。いろあるさま、人は笛をふき、糸をひく。この時はふるさとのていのおにがはらの事もわすられて、こくしいげはなかもちの底を払ひ、あきびとげらふはもとでをたをす。のちにはくゆれども、あふにしなれば、ちからなき世のならひなれば、もろこしのだいわうまでもききたまひて、につぽんわだのへいしんわうとかうして、帝王へだにもたてまつりたまはぬきたいのほうぶつどもをわたされけるとかや。
十七 こじんの申けるは、「このひとのくわほうかかりつるこそことわりなれ。まさしきしらかはのゐんのみこぞかし。そのゆゑは、かのゐんのおんとき、ぎをんにようごとまうしけるさいはひびとおわしき。かのにようご、ちゆうぐうにちゆうらふにようばうにて有ける女を、しらかはのゐんしのびめさるることありけり。あるとき
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ただもり、てんじやうのばんつとめてしこうしたりけるに、はるかにさよふけて、てんじやうのくちを人のとをる音のしければ、火のほのぐらき程よりみたりければ、いうなるにようばうにてぞ有ける。忠盛たれとはしらざりけれども、かの女房の袖をなにとなくひかへければ、女のいたくもてはなたぬけしきにて、たちとどまりてかくぞえいじける。
おぼつかなたがそま山の人ぞとよこのくれにひくぬしをしらばや K123
忠盛、こはいかなる事ぞやと、やさしくおぼえて、袖をはづして、
くもまよりただもりきたる月なればおぼろけならでいはじとぞ思ふ K124
とまうして、女の袖をはづしつ。女すなはちごぜんへ参り、このよしをありのままにまうしたりければ、『さてこそ忠盛ごさむなれ』とて、やがて忠盛をめして、『いかにをの
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れは、まろがもとへ参る女をば、てんじやうのくちにてひかへたりけるぞ』とおんたづねありければ、忠盛色をうしなひて、とかくまうすにおよばず、いかなる目をみむずらむと恐れをののきてありけるに、しやうくわううちわらひておほせの有けるは、『このをんないつしゆをしたりけるに、ききあへず、へんじしたりけるこそやさしけれ。さらばとう』とおほせありて、べちのちよくかんなかりければ、そののちぞ心おちゐてまかりいでにける」。これをもれきくひと申けるは、「人は歌をばよむべかりける物かな。このうたよまずは、いかなる目をかみるべき。この歌によつてぎよかんにあづかる。時にとりてきたいのめんぼくなり」。是のみならず、忠盛びぜんのにんはてて、国よりのぼりたりけるに、「あかしの浦の月はいかに」と、院よりおんたづねありけるに、忠盛おんぺんじに、
ありあけの月もあかしのうらかぜに波ばかりこそよるとみへしか K125
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と申たりければ、院ぎよかんありて、きんえふしふにぞいれさせましましける」。しやうくわうおぼしめしけるは、忠盛がしうかこそおもしろけれとて、心をかけたる女、ついでもあらば忠盛にたまはらむと御心にかけて、月日をおくらせおはしけるほどに、さんぬるえいきうのころ、しやうくわうわかきてんじやうびといちりやうにんばかりめしぐして、にはかにかのごしよへごかうなりにけり。さつきのはつかあまりの事なれば、おほかたの空もいぶせきほどの夜、はるかにさみだれさへかきくれて、なにとなくそぞしきおんここちしけるに、つねのごしよのかたにひかるもの有けり。かしらはしろかねの針なむどのやふにきらめきて、右の手にはつちのやうなる物をもち、左の手にはひかるものをささげて、とばかりあつては、さとひかりひかりしけり。ぐぶの人々これをみて、ならはぬ心にさこそおもひあわれけめ。「うたがひなき鬼なむめり。もちたる物はきこゆ
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るうちでのこづちにや。あなおそろしや」とて、をののきてぞさうらわれける。院もけうとくおぼしめす。ただもりほくめんのげらふにさうらひけるをめして、「かのもの、いもとどめ、きりもとどめよ」とおほせありければ、忠盛承て、すこしもはばかる所なくあゆみよりけるが、さしもたけかるべき者とも思わず。「こりていの者にてぞ有らむ。いも殺しきりも殺したらば、ねんなかるべし。てどりにしてげんざんにいれむ」とおもひて、このうすくひかるところをいだかむと、次第にうかがひよる。あんのごとくのさとひかるところをみしとだく。いだかれてこのものさわぐ。はや人で有けり。「なにものぞ」ととへば、「じようじぼふしでさうらふ」と答ふ。火をともさせてごらんずれば、六十ばかりなる法師の、片手にはてがめと云物に油をいれてけり。片手にはかはらけに火を入てもつて、かしらには雨にぬれじとて、こむぎと云物のからをかさのやうにひきゆいて、うちかづきてけり。みだうのじようじが、ごかうなりぬとききて、みあかしまゐら
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せむとて、うしろどのかたより参れるが、「火やきへたる。みむ」とて、火をふりけるなり。それにかづきたる小麦のからきらめきて、針のやうにみえけるなり。「事のやういちいちにあらはれぬ。これをあはてて、いも殺しきりも殺したらましかば、いかにかわゆくふびんならまし。忠盛がつかまつりやうしりよふかし。ゆみやとるものはいうなりけり」とて、そのけんじやうにまかせ、はらめる女を忠盛にたまはりにけり。忠盛是をたまはりて、かしこまりてまかりいでにけり。やうやくつきひかさなる程になんしをうみて、やういくしたててちやくしとす。きよもりすなはちこれなり。このこうみたりける時も、にようごめづらしき事におぼしめして、をさなきちごとくみむとて、さんの内より若き女房どもいだきてあそびけり。このちご昼はおともせで、夜になればよもすがらなきあかしけり。のちにはよその人までもいもねずして、にくみあへり。女房こころ
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ぐるしき事におもひて、人にとらせむとしける夜、にようごの夢に、
夜なきすとただもりたてよこのちごはきよくさかふる事もこそあれ K126
とごらんありければ、このゆゑにや、よなきにはかにとどまりて、ひととなるままに、かたち人にすぐれ、心もかしこかりけり。きよもりとなのる。「清くさかゆる」といふよみあり。かのにようごの夢にすこしもたがわず。不思議なりし事也。かかりければ、ただもりことばにはあらはれてはいはざりしかども、ひとへに是を重くしけり。院もさすがにおぼしめしはなたず。しやうねん十二にてさひやうゑのすけになりて、十一歳のしゐのひやうゑのすけと申けるを、「くわしよくの人なむどこそかくはあれ」なむど人の申ければ、「清盛もくわしよくは人におとらぬ物を」と、とばのゐんもおほせありけるとかや。院もしろしめされたるにや。誠にわういんにておわしければにや、いつてんしかいをたなごころのうちにして、君をもなやまし奉り、臣をもいましめられき。
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しじゆうこそなけれども、せんとまでもしたまひけるやらむ。昔もかかるためしありけり。てんちてんわうのおんときに、はらみたまへるにようごをたいしよくくわんあづかりたまふとて、「このにようごさんなりたらむ子、によしならばちんが子にせむ、なんしならば臣が子とすべし」とおほせられけるに、なんしをうみたまへり。やういくしたてて、たいしよくくわんのおんことす。すなはちたんかいこうこれなり」。またひとのいひけるは、このことひがことにてぞ有らむ。まことにわういんならば、たんかいこうのれいにまかせて、しそんあひつづきてはんじやうすべし。さるまじき人なればこそ、うんめいもひさしからず、しそんもをだしからざるらめ。このことしんようにたらず」とまうすひとも有けるとかや。おなじきむゆかのひ、宗盛院にそうせられけるは、「入道すでにこうじさうらひぬ。てんがのごせいむ、いまはおんぱからひたるべき」よしまうされけるに、院のてんじやうにてひやうらんのことさだめまうさる。
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十八 二月八日、「とうごくへはほんざんゐのちゆうじやうしげひらをたいしやうぐんとしてつかはさるべし。ちんぜいへはさだよしげかうすべし。いよのくにへはめしつぎをくださるべし」とさだまりぬ。そのうへひやうゑのすけよりともいげ、とうごくほつこくのぞくとをついたうすべきよし、とうかいとうせんへゐんのちやうのみくだしぶみをくださる。そのじやうにいはく、
「みぎおほせをうけたまはるにいはく、さきのうひやうゑのすけみなもとのよりとも、いんじえいりやくぐわんねんにつみにしよして、いづのくににはいるせられ、すべからくみのとがをくいて、ながくてうけんにしたがふべきところに、なほしけうあくのこころをいだきて、かたはらにらうれいのはかりことをくはたつ。あるいはこくさいのつかひをべんれうし、あるいはどみんのざいをしんだつす。とうせんとうかいりやうごくのともがら、いが、いせ、ひだ、では、むつのほか、みなそのくわんいうのことばにおもむきて、ことごとくふりやくのなかにしたがふ。これによつて、くわんぐんをさしつかはして、ことにふせきたたかはしむるところに、あふみみのりやうごくのほかは、すなはちをはりみかはいとうのぞくをはいくわす。
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なほもつてかたくまもる。そもそもげんじらはみなことごとくちゆうせらるべきよし、ふうぶんあるによつて、ひとつしやうのひとびと、ともにあくしんをおこすとうんうん。このこともつともきよたんなり。よりまさぼふしにおいては、けんぜんのざいくわによつて、けいばつをくはへらるるところなり。そのほかのげんじ、させるくわたいなし。なにがゆゑにかちゆうせむ。おのおのていいうをまもりて、しんのちゆうをぬきんづべし。じこんいごは、ふせつをしんずることなかれ。かねてはこのしさいをぞんじて、はやくわうくわにきすべしてへれば、おほせをうけたまはりてげぢくだんのごとし。しよこくよろしくしようちすべしせんによつてこれをおこなふ、あへてゐしつすべからず。ゆゑにもつてくだす」とぞかかれたりける。十五日、とうのちゆうじやうしげひら、ごんのすけぜうしやうこれもり、すまんぎのぐんびやうをあひぐして、とうごくへはつかうす。ぜんごのついたうし、みののくににさんくわいして、いちまんぎにおよびべり。「大政入道うせたまひて、けふ十二日にこそなるに、さこそゆいごんならめ、ぶつきやうくやうのさたにもおよばず、かつせんにおもむきたまふことけしからず」とぞ申あひける。
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十九 十九日、ゑちごのじやうのたらうたひらのすけながといふものあり。これはよごしやうぐんこれもちがこういん、おくやまのたらうながいへがまご、じやうのおにくらうすけくにがこなり。こくちゆうにあらそふ者なかりければ、さかひのほかまでもそむかざりけり。またむつのくににふぢはらのひでひらといふものあり。かれはむさしのかみひでさとがばつえふ、しゆりのごんのだいぶつねきよがまご、ごんのたらうきよひらがこなり。ではむつりやうごくをくわんりやうして、かたをならぶる者なかりければ、りんごくまでもなびきにけり。かのふたりにおほせて、よりとも、よしなかをついたうすべきよし、せんじをまうしくださる。去年十二月廿五日ぢもくのききがき、今年二月廿三日たうらい。すけながたうごくのかみににんず。資長てうおんかたじけなきことをよろこびて、よしなかついたうのために、おなじく廿四日あかつきにごせんよきにてうつたつところに、くもの上中にこゑあつて、「につぽんだいいちのだいがらん、しやうむてんわうのご
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ぐわん、とうだいじのるしやな焼たる大政入道のかたうどする者、ただいまめしとらむや」とののしるこゑしけり。これをききける時より、じやうのたらうちゆうぶうにあひ、へんしんすくみ、手もつやつやはたらかねば、思ふ事をじやうにかきをかず、舌すくみてふられねば、おもひのごとくもいひをかず。なんし三人、によし一人有けれども、ひとことのゆいごんにもおよばず、そのひのとりのときばかりに死にけり。おそろしなむどいふはかりなし。おなじきおととじやうのじらうすけもり、のちにはじやうのしらうながしげとかいみやうす。春の程は兄がけうやうして、ほんいをとげむと思けり。ひでひらは、よりとものおととくらうよしつね、さんぬるしようあんぐわんねんの春のころよりあひたのみてきたるをやういくして、さんぬるふゆひやうゑのすけのもとへおくりつかはして、たねんのよしみをむなしくして、いませんじなればとて、かれにてきたいするにおよばずとて、りやうじやうまうさざりけり。
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二十 廿三日にはごでうのだいなごんくにつなのきやううせたまひぬ。だいじやうにふだうとちぎり深く、こころざしあさからざりし人なりし上に、とうのちゆうじやうしげひらのしうとにておわしければ、ことにじんじんなりけり。このくにつなのきやう、こんゑのゐんのおんときは、しんじのざつしきでおわしけるが、にんぺい三年六月六日、しでうだいりぜうまうありけり。しゆしやう、くわんばくのていにぎやうがうなるべきにてありしが、をりふしこんゑづかさ一人もまゐりあわず。おんこしのさたする人なかりければ、なんでんにしゆつぎよありけれども、おぼしめしわかずして、あきれてたたせたまひたりけるに、このくにつなつとまゐりて、「かやうの時はえうよにこそめされさうらふなれ」とて、えうよをかきいだして参りたりければ、しゆしやうたてまつりてしゆつぎよなりぬ。「かくまうすはたそ」とおんたづねありけるに、「しんじのざつしきくにつななり」と申たりければ、げらふなれどもさかざかしき者かなとおぼしめして、ほふ
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ぢゆうじどのごたいめんの時、ぎよかんの余りにおんものがたりありければ、それよりしててんが殊にめしつかひて、ごりやうあまた給はりなどしてさうらわれけるに、おなじきみかどのおんとき、八月十七日、いはしみづのぎやうがありけるに、いかがしたりけむ、にんちやうがよどがはにおちいりて、ぬれねずみのごとくして、かたかたに隠れをりて、みかぐらに参らざりけるに、くにつな、てんがのおんともにさうらひけるが、なにとしてとしてよういしたりけるやらむ、にんちやうがしやうぞくをもたせたりけるをとりいだして、「いとしんべうにはさうらわねども、にんちやうがしやうぞくはさうらふものを」とて、いちぐまゐらせたりければ、にんちやうこれを着て、みかぐらととのひておこなわる。少し遅かりつるよりも、みかぐらのこゑどもすみのぼり、まひの袖もひやうしにあひて、いつよりもおもしろかりけり。物のね身にしみて、おもしろき事は神も人もおなじこころなり。つたへきく、昔あまのいとはとをおしひらかれたまひしかみよの事
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までも、かくやとをしはかられてぞおぼへける。時にとりてはゆゆしきかうみやうしたりけるくにつななり。それのみならず、かやうのぎやうがうの色々のしやうぞくよういして、もちつれさせられたりけり。かやうにおもひかけぬ用意もためしおほかりけり。やがてこの人の先祖、やまかげのちゆうなごんと申人おわしき。ださいのだいににてちんぜいへくだられけるに、道にてけいぼのあやまりのやうにて、二才なりけるけいしを海へおとしいれてけり。うせにける母の、そのかみてんわうじへまゐりけるに、うかひ亀を取て殺さむとしけるを、かのにようばううすぎぬをぬぎて、かのかめを買て、「おもひしれよ」とてはなちてけり。くだんのかめ昔の恩を思知て、こふにのせてうかびいでて、たすけたりける人也。これをによむそうづとぞ申ける。ていわう是を聞給て、是をおもくせさせたまひき。しやうたいぐわんねんのころ、くわんぺいのほふわう、おほゐがはにごかう有けるに、このそうづも
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さうらわれけり。げつけいうんかく袖をつらね、ものすそをならべて、そのかずおほかりける中に、いづみのだいしやうさだくに、いまだわかきてんじやうびとでぐぶせられたりけるが、あらしの山の山をろしはげしかりけるに、えぼしをおほゐがはにふきいれられて、せむかたなくて、袖にてもとどりをおさへておはしけるを、そうづのさんえのふくろよりえぼしをとりいだして、かのだいしやうにたびたりければ、みるひとじぼくをおどろかしたりけり。是も時にとりては、おもひよらざりけるかうみやうなり。又いちでうのゐんのおんとき、びやうどうゐんのそうじやうぎやうそんは、とばのゐんのごぢそうなり。あるときぎよいうの始まりたりけるに、琴をひかれけるてんじやうびと、琴の糸きれてひかざりければ、かのそうじやう、でふしの中よりことををひとすぢとりいだして、わたされたりけるとかや。このひとびとは用意も深く智恵もかしこかりければ、まうすにおよばず。このくにつなはさしもかしこかるべき家に
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てもなきに、どどのかうみやうのみせられけるこそありがたけれ。だいじやうにふだうとせめてこころざしの深きにや、どうにちにやまひつきて、どうぐわつにつひにうせたまひぬ。あはれなりけるちぎりかなとぞ人申ける。
廿一 廿五日、法皇ほふぢゆうじどのへごかうあり。ぢしよう四年の冬の御幸には、武士おんくるまの前後にさうらひて、をびたたしくのみぞありし。これは、くぎやうてんじやうびとあまたぐぶし、うるはしきぎしき、けいひつのこへなども、ことごとしきさまなりければ、いまさらにめづらしくめでたくぞおぼへし。とばどのへごかう有し事、ふくはらへせんとのいまわしき名ありしごしよのおんことまでも、おぼしめしいだされけり。ごしよどものせうせうはゑしたりければ、「しゆりしてわたしたてまつらせむ」と、うだいしやうまうされけれども、「只とくとく」とおほせありて、御幸なりぬ。このごしよはおうほう元年四
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月十三日、おんわたましありてのち、せんずいこだち、かたがたの御しつらいにいたるまで、おぼしめすさまにせさせおはしつつ、いまびえ、いまぐまのをもちかくいはひたてまつらせ給て、としふるままに、この二三年たびだちておはしつれば、御心もうかれ立てわたらせ給へば、いまひとひもとくとおぼしめしけり。中にもこにようゐんのおんかたなむどごらんぜらるるに、みねの松、河の柳、ことのほかにこだかくなりにけるにつけても、かのなんきゆうよりせいだいへうつりたまひけむ昔のあとおぼしめしいだすに、たいえきのふよう、びやうのやなぎ、これにむかひていかにかなみだをたれざる。
廿二 三月ひとひのひ、とうだいじ、こうぶくじのそうがうら、ほんゐにふくし、じりやうとうもとのごとくちぎやうすべきよし、せんげせらる。「このうへはだいゑどもおこなはるべし」とせんぎにて、ごうれいのさんゑおこなはる。十四日しやりゑ、十五日ねはんゑ、つねのごとし。ぶつりき
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つきぬるかとみへつるに、ほふとうの光きへずして、おこなはるるこそめでたけれ。十六日じやうらくゑ也。このゑとまうすは、なんえんぶだいだいいちゑなりといふ。さればにちぽんごくの人のえんまのちやうに参りたむなるには、こうぶくじのじやうらくゑは拝みたりしかど、まづいちばんにえんま大王のとひたまふとまうしつたへたり。さればとばのゐんのとばどのをござうりふありて、このゑをうつしておこなはせ給けるに、おそらくはほんじにはおとりたりといふさたありて、そののちは又もおこなはれざりけり。このてらのしたはりゆうぐうじやうの上にあたりたるゆゑに、がくのひやうしもまひのきよくせつも、ことにすむとかや。さればをはりのくによりあつたのだいみやうじんのけんぶつにわたらせたまふなれば、かなんぶといふまひをまふ。ちゆうもんの前で三尺のこひをきりて、酒をのむやうをまふとかや。かなんぶのはうちやう、ことくらくのさかもりとぞ是をいふなるべし。べつたうのそうじやうりやう
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ゑんのさたとして、がくにんのろくもつ、常よりも、花を折り月をみて、たびかさねられければ、めでたきみものにてぞ有ける。おなじきなぬかのひ、ちんぜいのぎやくぞくら、ついたうすべきよし、ちやうのくだしぶみをなしくださる。「たかなほ、これよしら、ほしいままにしゐをたて、こくむをたいかんし、はじめてきよぢゆうのいつしうをりやうじ、やうやくひりんのばうこくにおよぼす。ことにせいばつせらるべし。ふこくあひともにどうしんかふりよく、かのともがらりやうにんならびにどういのやからをあひふせくべし」とぞのせられける。
ぢしよう五年三月十四日、たかなほのこと、なほほんぎやくのきこえあるによつて、せんじをくださる。そのじやうにいはく、
ひごのくにのぢゆうにんふぢはらのたかなほ、きやうねんよりこのかた、ほしいままにぶゐをふるひ、たちまちにわうくわをそむく。ただほんぢゆうのしうけんのみにあらず、すでにばうこくのきやうどをおよぼす。ひとへにらうれいのこころに
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ぢゆうし、かたがたうがふのむれをなす。しかのみならず、かいろにはくはのぞくとをまうけ、りくぢにりよくりんのたうるいをむすぶ。しやうこうをろんぜず、なうぐをうばひとり、とがいをしよみんにいたし、さんしよくをくこくにくはたつ。とふにおよばむとほつするによつて、こうくわんならびにくにぐにのぐんびやうら、ふせきたたかはしむるところに、たびたびせんとうのよし、ださいふしきりにもつてごんじやうす。よつてたうしをつかはし、せいばつせらるべし。そのあひだ、くわんないちからをはげまし、きんあつせしむべきむね、ゐんのちやうよりさしをもつて、げぢせらるることさきにをはんぬ。しかるにかんらんいよいよまし、そうたういまだよらずとうんうん。ほんぎやくのいたり、せめてあまりあり。よろしくさきのうこんゑのだいしやうたひらのあつそんにおほせて、くわんないしよこくのぐんびやうにはかりて、かのたかなほならびにどういよりきのともがらをついたうせしむべしてへり。
ぢしよう五年四月十四 日さちゆうべん
とぞおほせくだされける。しかりといへども、いつさい宣旨をももちゐず、いよいよぐんぜいをもよほし、じこくた
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こくをかたらひて、平家をほろぼして源氏にくははらむとけつこうするよし、ださいふよりつげまうしけり。
廿三 さても二月七日、東国のおほぜい、さがみのくにかまくらをたつときこゆ。平家騒て、しこくくこくのぶしどもをめしあつめ、とうごくへむけらるべかりける程に、さいこくのせいちちしけるあひだ、げんじのぐんびやうはみのをはりまでせめのぼる。又しなののくにたてはきのせんじやうよしかたが子にきそのくわんじやよしなか、じふらうくらんどゆきいへ二人、ほくろくだうをふさぐときこゆ。かかりしあひだ、平家いとどゆくさきせばくぞおもはれける。さゑもんのすけとももり、とうのちゆうじやうしげひら、ごんのすけぜうしやうこれもりいげのついたうし、さんぬる二月廿八日、みののくにくひぜがはまでくだりたりけるが、げんじのおほぜいをはりまでむかふときこえければ、へいけのぐんびやうすのまたがはのみなみのはたにぢんをとる。そのせい二万余騎。今度は
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平家のぐんびやうもしかるべきつはものなれば、先の駿河のいくさにはよもにじと、さすがにたのもしくぞおもはれける。三月十一日あけぼのに、東のかはらにむしやせんぎばかりはせきたる。すなはち東のはたに陣をとる。これはひやうゑのすけにはをぢ、じふらうくらんどゆきいへなり。又千騎ばかりきたる。是はひやうゑのすけのおとと、とばのきやうのきみゑんぜんといふそうなり。ときはばらの子、くらういつぷくいつしやうの兄也。じふらうくらんどにちからをつけよとて、兵衛佐千騎の勢をつけてさしのぼせたりける也。十郎蔵人がぢんににちやうへだてて陣をとる。平家はにしのはたに二万余騎、源氏は東のかはらに二千余騎、げんぺいかはをへだてて陣を取。あくるうのこくには東西のやあはせときこゆ。ゆきいへとゑんぜんと、たがひに先を心にかけたり。おなじきみのこくばかりに、すみぞめのころもにひがさくびにかけたるこつじきほふし一人、源氏のぢんやにきたりて、きやうを読て物をこひけるを、けご
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見る者にこそあむめれとて、ぜひなくからめてけり。ゆひつけて置たりければ、「こつじきころさせたまふ、あらかなしや。いひたべや」なむど申ければ、「にくし。足はさみてとへ」なむどいひけるを聞て、このほふし縄をひききりて、河へさととびいりて、をよぎてにげけるを、「あは、さればこそ」とて、人あまたおひかけたり。いければ、人の射るをりは、水の底へつといる。いやめば浮きあがる。うきぬしづみぬをよぎける程に、平家の方より、船にたてをついてかはなかにおしあはせて、船に取ていれてもどりにけり。「さればこそ。この法師はげらふとは見へざりつる物を。あはれ、くびを切らで」といひけれども、かなわず。さるほどにしばらく有て、この法師かちんのひたたれにあらひがはの鎧きて、もみえぼしひきいれて、かげなる馬に乗て、かはばたにあゆませいだして、かはごしに申けるは、「人はかうみやうをしてこそいみじけれ。
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にげてなのるはをかしけれども、只今とられて河をこえたりつるは、この法師。かく申は、しゆめのはんぐわんもりくにが孫、ゑつちゆうのせんじもりとしがばつし、あふみのくにいしやまのほふしにあくとさぜんれん」となのりて、いりにけり。きやうのきみは、「平家にけご見へて、いちぢやう渡されなむず。じふらうくらんどに先をかけられては、ひやうゑのすけにおもてをあはすべきか」とおもひければ、あすのやあはせを待けるが、あまりの心もとなさに、人一人めしぐせず、只一人馬に乗て、ぢんのかみよりにちやうばかりあゆみのぼりて、かたきのぢんの前の岸をあゆみのぼりて、からすもりといふところをするりと渡して、かたきの前の岸かげにこそひかへたれ。十郎蔵人、夜のあけぼのに時をつくりて河をわたさむ時、ここより「ゑんぜんけふのたいしやうぐん」と名乗てかけむとおもひて、ひがしへむき、今やよあくるとまちかけたり。平家のかたよりよまはりをせさせけり。かたきよひよりやすすむらむの心なり。平
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家のせいじつきばかり、たいまつ手ごとにとぼして、河ばたにまはりけるに、岸の影に馬をひつたてたりければ、「なに者ぞ」と問。是を聞て、円全少しもさわがず、「みかたの者。馬の足ひやし候」とこたへたり。「みかたならば、かぶとをぬぎてなのれ」と云ければ、馬にひたと乗て、くがへうちあがり、「ひやうゑのすけよりともがおとと、とばのきやうのきみゑんぜんといふものなり」と名乗て、じつきのものどもが中へうちいる。さとあけてぞとほしける。ゑんぜんさんぎうちとりて、二騎にておはせて、のこる五騎にとりこめられてうたれにけり。十郎蔵人これをしらず、きやうのきみにさきすすまれじと思て、使者をつかはして、きやうのきみが陣をみするに、「たいしやうぐんは見へさせ給はず」と申ければ、「さればこそ」とて、十郎蔵人うつたちにけり。せんぎのせいを、八百余騎をば陣におきて、二百余騎あひぐして、ぬき足にあがりて、いなばがはの
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せをあよばせて、河をさとわたして、平家の陣へぞかけいりける。さるほどに夜もあけがたになりければ、平家「かたきのたせいにてようちによせたる」とさわぎける程に、火をいだして見れば、わづかににひやくきばかりなり。「ぶせいにてありける物を」とて、二万余騎さしむかへたり。十郎蔵人たせいの中にかけいりて、時をうつすまでたたかふに、おほぜいにとりこめられて、てとりあしとりとられし程に、二百余騎わづかに二騎にうちなされて、河を東へひきしりぞく。にきのうちいつきはたいしやうぐんとみへたり。あかぢのにしきのひたたれに、こざくらを黄にかへしたるよろひに、かげなる馬にきぶくりんのくらおきてぞ乗たりける。東の河につきて、鎧の水はたはたと打あゆばせゆくを、たいしやうとはみえけれども、平家さうなくをはざりけり。をはりげんじいづみのたらうしげみつ、ひやくきのせいにてきのふよりからめでにむかひたりけるが、
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おほての時のこゑを聞て、平家のおほぜいの中へはせいりたりけり。是もとりこめられて、はんぶんはうたれて、のこりはひきしりぞく。たいしやうぐんいづみのたらうもうたれにけり。じふらうくらんど、すのまたの東にをぐまと云所に陣をとる。平家は二万余騎をいつてにわけたり。いちばんにひだのかみかげいへたいしやうぐんにて、三千余騎にておしよせたり。いしらまされてひきしりぞく。二番かづさのかみただきよ大将軍にて、三千余騎さしむかひたり。これまた射しらまされてひきしりぞく。三番にはゑつちゆうのせんじもりとし、三千余騎にてさしむかひたり。これもしらみて引退く。しばんにはたかはしのはんぐわんたかつな、三千余騎にてむかひたり。是もしらみて引退く。五番にはとうのちゆうじやうしげひら、ごんのすけぜうしやうこれもり、りやうたいしやうぐんにて、八千余騎にていれ
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かへたり。平家二万余騎をいつてにわけて、いれかへいれかへたたかひければ、十郎蔵人、こころばかりはたけく思へども、こらへずして、をぐまをひきしりぞきて、やなぎのつに陣をとる。柳の津をもおひおとされて、あつたへ引退く。熱田にてざいけをこぼちて、かいだてをかまへて、ここでしばらくささへたりけれども、熱田をもおひおとされて、みかはのくにやはぎの東の岸にかいだてをかいてささへたり。平家やがてやはぎおひおとして、河より西にひかへたり。ぬかたのこほりのつはものどもはせきたりて、源氏につきてたたかひけれども、かなふべくもなかりければ、十郎蔵人はかりことをして、ざつしきさんにん旅のていにしやうぞかせて、みのかさもたせて平家のかたへむかわす。「平家いかにととはば、『ひやうゑのすけよりともとうごくよりおほぜい、只今やはぎにつきさうらうひつる時に、いまおちさうらひつる源氏は、そのせいとひとつになりさうらひぬらむ』といへ」
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とて、つかはしけり。あんのごとく平家これらに問けるは、「これにおちつる源氏はいくほどかのびつる」と問ければ、をしへの如くに申ければ、「さてはきこゆる関東のおほぜいにとりこめられて、いかにかせむ」とて、平家とるものもとりあへずひきしりぞく。おなじき廿七日、都へかへりのぼりにけり。十郎蔵人のりがへどもをはせさせて、「みのをはりのものども、平家をひとやをも射ざらむ者、源氏のかたき」と申させたりければ、源氏にこころざしあるものども、平家におひかかりてさんざんにぞ射ける。平家はたふの矢にもおよばず、西をさしてぞはせゆきける。十郎蔵人はいくさいくさにはまけてはせかへり、「すいたくをうしろにする事なかれとこそいふに、河を後にしてたたかふこと、もつともひがことなり。今は源氏のはかりことあしかりけり」とぞまうしあひける。
廿四 さて三河の国府より、いせだいじんぐうへぐわんじよをぞ奉ける。そのぐわんじよにいはく、
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かけまくもかしこきいせのわたらひのいすずのかはのほとりの、しもついはねに、おほみやばしらひろしきたてて、たかあまのはらにちぎたかくあらはれて、申し定め奉る。てんせうくわうたいしんのひろまへに、かしこみかしこみまうしたまへとまうす。じやうろくゐのじやうみなもとのあつそんゆきいへ。いんじぢしようのころ、さいしようしんわうのちよくをかうぶるにいはく、たいしやうこくにふだう、いんじへいぢぐわんねんよりこのかた、ふたうのかうゐにのぼりて、ひやくくわんばんみんをしたがへしむるあひだ、いんじあんげんのとしにもつてつひにさせるちよくぢやうをかうぶらずして、じやうにゐごんだいなごんふぢはらのあつそんなりちか、ならびにおなじくそくなんらををんるにしよし、どういのともがらとしようして、ゐんぢゆうきんじゆのじやうげのしよにん、そのかずそのみをせつがいせしめ、あるいはゑんきんにはいるし、そののちぢしようさんねんのちゆうとうに、ぢもくにかなはずとしようして、くわんばくだいじんをはいるせしめ、させるとがなきちしん、さきのたいしやうこくいげしじふよにんをざいくわにしよし、あるいはこんじやうせいしゆのくらゐをうばひてぼうしんのまごにゆづり、あるいはほんしんてんわうをろうにこめて、すでにりせいをとどむ。
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またいちゐんだいにのわうじとして、くにのうつはものにあたるとしようして、おなじきしねん五月十五日の夜、にはかにとりこめたてまつるべきよしふうぶんして、をんじやうじにたいにふしたまふところに、させうべんゆきたかをもつて、ほしいままにろうせんをかまへて、あるいはてんだいさんにはなちてよりきをせいし、あるいはごこくのつかさにおほせてぐんびやうをあつめて、すでにわうぼふをたち、ぶつぽふをほろぼさむとぎする
ところなり。はやくてんむくわうていのきうぎをたづねて、わうゐをおしとるともがらをうち、じやうぐうたいしのこせきをとぶらひて、ぶつぽふはめつのたぐひをほろぼして、もとのごとくこくせいをいちゐんにまかせたてまつり、しよじのぶつぽふをはんじやうせしめ、しよしやのじんじけだいなく、しやうぼふをもつてくにををさめ、ばんみんをほこらしめて、いつてんをしづめんとばかりなり。ここにゆきいへがせんぞをたづぬれば、むかしあめくにおしひらきたまひしみよのまご、せいわてんわうのわうじ、さだずみのしんわうしちだいのまごなり。ろくそんわうよりしもつかた、ぶきゆうをはげましててうかをまもりたてまつる。かうそぶよりのぶのあつそん、ただつねをからめてふしのしやうを
かうぶる。ぞうそぶより
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よしのあつそん、かうへいろくねんにあうしうのぎやくたうをしづめて、こうたいのきぼとなす。そぶよしいへのあつそんは、くわんぢねんぢゆうにじやうそうをへずといへどもこくかのふちゆうたる、たけひらいへひららをうちて、ゐをとういにふるひ、なをさいらくにあぐ。しんぷためよしは、てんえいにねんにならのだいしゆのはつかうをうちとどめて、わうじやうをちんごす。ほうゐおどろきなくだいじやうてんわうのまつりごといゐきにあまねくして、しかいをたなごころのうちにてらし、はくししんぢゆうにかけたり。わうじなびくことなし。しかるをへいぢぐわんねんより、このうぢのしゆつしをとどめられてのち、にふだうひとへにぶゐをもつて、とじやうのうちにはくわんじをあなづり、らくやうのほかにはぼうせんをはなつ。しかればすなはち、ゆきいへせんだいをとぶらへば、あまてるおほんがみのはじめてやまとのくにのいはとをおしひらきて、あらたにとよあしはらのみづほにらんしやうしたまふ。かのあまくだりたまへるせいていは、かたじけなくゆきいへさんじふくだいのそそうなり。しかるにごすいしやくよりこのかた、ちんごこくかのちかひげんぢゆうにして、みやうゐひまなきところに、にふだうしんりよをおそれず、げきらんをくはたつ。これぐいのいたすところか。はるかにかうゐにのぼることは、
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ひとへにてうおんのいたすところなり。またゆきいへがしんぷためよしのあつそんは、かのたいしやうこくのごとくの、しゐにほこりて、むほんをおこすにあらず。しやうくわうのおほせによつて、しらかはのごしよにまゐりこもりて、かつせんをいたすばかりなり。しかるにいまむほんのともがらとしようして、てうていにつかへざるによつて、さうでんのしよじゆうは、じぼくをふさぎて、ずいじゆんせず、ふだいのしよりやうは、ちぎやうをとどめらる。らうなきによつて、どくしんふせうのゆきいへ、かのにふだうがまんがいちにもおよばざるところなり。しかもにふだうたちまちにむほんをおこすによつて、ゆきいへてうてきをふせがむがために、とうごくにげかうして、よりとものあつそんとあひともに、かつうはげんじのしそんをこしらへ、かつうはさうでんのしよじゆうをもよほして、しやうらくをくはたつるところに、あんのごとくこころにまかせて、とうかいとうせんのしよこく、すでにどういせしめをはんぬ。これかつうはてうゐのたつときがいたすところ、かつうはしんめいのしからしむるところ、はくわうしゆごのちかひ、かんおうせしむるところなり。したがひてまたふうぶんのごときは、だいじんぐうよりかぶらをはなちたまひき。にふだうそのみすでにもつせり。これをみ、これをききて、じやうげのばんにん、
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いはむやきゆうちゆうのうぢひとら、なにびとかれいゐにおそれざる、たれびとかげんけをあふがざらむや。そもそもとうかいしよこくのだいじんぐうのごりやうのこと、せんれいによつてしんえきをわかたしむ。びしんせしむべきよし、げぢをくはふといへども、あるいはへいけにおそれてししやをくださず、あるいはししやをくださしむるに、ほうなふびしんのところもあり。ひとへにじんりやうをばせいしをくはたてず、わづかにひやうらうまいのもよほしばかりなり。はやくちやうじせしむべし。またゐんぐうよりはじめて、しよかしんかのりやうとう、くにぐにしやうしやうのねんぐけつじよのこと、まつたくあやまらざるところなり。あまたのぐんびやう、あるいはげんけといひへいじといひ、あるいはだいみやうまゐりあつまりおもひおもひのあひだ、ふりよのほかになしがたきか。なかんづく、こくぶそんりよのぢゆうにんひやくしやうらのしうたん、おなじくせいしすといへども、おほくそのわづらひあり。ゆきいへおなじくあいたんすくなからず。ぶみんのこころせちなりといへども、いたづらにすげつをおくる。ここにゆきいへわうじやうにきさんして、わうそんをまもりたてまつる。よりともはとうしうのへんかいにおいて、さいらくのてうゐをかかやかす。しんめいたちまちになふじゆをたれて、はやくてんがをしづめたまひて、たとひへいけのきやうだいこつにくなりといふとも、
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こくかをまもらむともがらにおいては、むかへてしんおんをほどこしたまへ。またげんじのしそんるいえふなりといふとも、かへりてふたことばあるものは、たちまちにみやうばつにしよせしめたまふべし。くわうたいじんこのじやうをたひらげただして、ぶゐぶじにしやうらくをとげしめて、すみやかにちんごこくかのゑいくわんをなしたまへ。てんわうてうていのほうゐうごくことなく、げんけのだいせうじゆうるいのこりなく、ことごとくちうやにまもりまもりたてまつりたまへと、かしこみかしこみまうしたまへとまうしつぐじやう。ぢしよう五年五月十九日じやうろくゐみなもとのあつそんゆきいへとぞかかれたりける。
廿五 四月廿日、ひやうゑのすけよりともをちゆうしたてまつるべきよし、ひたちのくにのぢゆうにんさたけのたらうたかよしがもとへ、ゐんのちやうのみくだしぶみをぞまうしくだしたる。そのゆゑはたかよしがちち、さたけのさぶらうまさよし、去年の冬、頼朝がためにちゆうりくのあひだ、さだめてしゆくいふかかるらむ
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ゆらいをたづねて、へいけかのくにのかみにたかよしをもつてまうしにんず。これによつて隆義、頼朝とかつせんをいたしけれども、もののまねとちりぢりとうちおとされて、たかよしあうしうへにげこもりにけり。きよきよねんこまつのだいふこうぜられぬ、ことしまたにふだうしやうこくうせられぬるには、へいけのうんつきぬることあらはれたり。しかればねんらいおんこのともがらのほか、はせつくものさらになし。さるほどに去年、しよこくのかつせん、しよじしよさんのはめつもさる事にて、はるなつのえんかんおびたたしく、あきふゆのおほかぜこうずいうちつづき、わづかにとうさくのつとめをいたすといへども、せいしうのわざ[ワカ]なきがごとし。かかりければてんがききんしておほくがしにおよぶ。かくて今年もくれにき。みやうねんはさりともたちなほることもやとおもひしほどに、ことしまたやくびやうさへうちそひて、きしびやうしするものかずをしらず、しにんいさごのごとし。さればことよろしきさましたる人々、すがたをやつし、さまかへつして、よくてある
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かとすればやまひつきて、うちふすかとすればすなはちしぬ。あしこののきのした、ここのついぢのきは、おほちのちゆうもんの前をいわず、しにんのよこだはりふせる事、さんのみだれたるが如し。されば車なむどもすぐにかよはず、しにんの上をぞやりける。しうきやうじゆうまんして、ゆきかふ人もたやすからず。さるままには人々の家々はかたはしよりこぼちて、いちにいだしたきぎの為に売けり。そのなかにはくやしゆなむどつきたる木の有けるは、すべきかたなきわびびとの、そとばやふるきぶつざうなむどをやぶりて、うりかひしけるとかや。誠にぢよくせらんまんの世といひながら、くちをしかりしことどもなり。六月三日、ほふわうをんじやうじにごかうあり。はつかのひ、やましなでらのこんだうつくりはじめらる。ぎやうじべんくわんなどくだすべきよしきこへけり。
廿六 さるほどに、じやうのしらうながしげ、たうごくにじふしぐん、ではまでもよほして、かたきにせいのかさなるを
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きかせむと、ざふにんまじりにかりあつめて、六万余騎とぞしるしたる。しなのへこえむといでたちけるが、「せんごふかぎりあり、あすをごすべからずと」よばはりて、雲の中へいりにけり。人おほく是をきかざりけれども、ながしげすなはちときをかへずうつたつ。六万余騎をみてにわかつ。ちくまごえには、はまのこへいだたいしやうで、一万余騎をさしつかはす。うゑだごえには、つばりのしやうじたいふむねちかたいしやうにて、一万余騎さしつかはす。おほてには、じやうのしらうながしげたいしやうとして、四万余騎をいんぞつして、ゑちごのこくふにつきにけり。あすしなのへこえむとするところに、せんぢんあらそふはたれたれぞ。かさはらのへいご、をづのへいしらう、とべの三郎、あがつまの六郎、かざまのきつご、いへのこには、たちかはの次郎、しぶかはの三郎、くじの太郎、くわんじやしやうぐん、らうどうには、あひづのじようたんばう、そのこへいしんだいふ、おくやまのごんのかみ、しそくとう
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しんだいふ、ばんどうのべつたう、くろのべつたうら、われもわれもとあらそひければ、じやうのしらう、みかたうちせさせじとて、いづれもいづれもゆるさずして、四万余騎をひきぐして、くまさかをうちこえて、しなののくにちくまがはよこたがはらに陣をとる。きそこれを聞てつはものをめしけるに、しなのかうづけりやうごくよりはせまゐるといへども、そのせいにせんぎにすぎざりけり。たうごくしらとりがはらにぢんをとる。たてのろくらう申けるは、「ちかただはせむかひて、かたきのせい見て参らむ」とて、のりがへいつきあひぐして、しほじりと云所にはせつきてみれば、かたきはよこたがはら、いしかはさまへ火をかけてやきはらふ。是を見てだいほんだうにはせよりて、馬よりおり、はちまんぐうをふしをがみて、「なむきみやうちやうらいはちまんだいぼさつ、今度のかつせんにきそどのかちたまはば、十六人のやをとめ、八人のかぐらをとこ、しよりやうきしんせむ」とぞいのりまうしける。
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ちかただかへりまゐりて、「しかしか」と申ければ、かたきにはちまんやかせぬさきにうてや、ものども」とて、ひきかけひきかけ夜のあけぼのにほんだうにはせつきて、ぐわんじよを八幡にをさめつつうつたちけるに、せんぢんあらそふともがらたれたれぞ。
かうづけには、こずみの六郎、さゐの七郎、せしもの四郎、もものゐの五郎、しなのには、ねづの次郎、おなじく三郎、うんののやへいしらう、こむろの太郎、注同次郎、おなじく三郎、しがの七郎、おなじく八郎、さくらゐの太郎、おなじく次郎、のざはの太郎、うすだの太郎、ひらさはの次郎、ちのの太郎、すはの二郎、てづかのべつたう、てづかのたらうらぞあらそひける。木曽、人々のうらみおわじとて、げぢしけるは、「らうどう、のりがへをばぐすべからず。むねとのものども
かけよ」と云ければ、「このはからひしかるべし」とて、百騎のせいくつばみをならべて、一騎もさがらず、ちくまがは
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さとわたす。かたきの陣を南より北へはたとかけやぶりて、うしろへつと通りぬ。又とりかへして南へかけとほりけり。じやうのしらう、じふもんじにかけやぶられて申けるは、「これほどのこぜいににどまでたやすくやぶられぬるこそ、今度のいくさのいかがあらむずらむ」とあやぶみて、かさはらのへいごをまねきて云けるは、「ぶせいにたやすくかけられてさうらふ。ここかけたまへ」と申ければ、かさはらのへいごまうしけるは、「よりざねことし五十三にまかりなりて候。だいせうのかつせんに廿六度あひぬれども、一度もふかくつかまつらず。ここにかけてげんざんにいれむ」とて、百騎ばかりのせいをあひぐして、かざまをさつと渡りてなのりけるは、「たうごくの人々、あるいはちじんとくいにして、げんざんせぬはすくなし。たこくのとのばらはおとにききたまふらむ。かさはらのよりざねよきかたきぞ。うちとりてきそどののげんざんにいれよや、とのばら」とののしりてかけいづる。これを聞て、たかやまのひとびと三百余
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騎にてかけいで、かさはらがせいの中へかけいりてさんざんにたたかひけり。りやうばうのつはもの、目をすます。しばしこらへて、とうざいへさとひきてぞのきにける。たかやまが三百余騎のせい、五十余騎にせめなさる。かさはらが百騎の勢、五十七騎はうたれて、のこり四十三騎になりにけり。たいしやうぐんの前にて、のけかぶとになりて馬よりおり、「かつせんのやういかが御覧ぜられさうらうひつる」と申ければ、じやうのしらう是を感じて、「ごへんのかうみやう今にはじめぬ事にて候ふ。中々よじんならば、ほむるところいくらもさうらひつ」といわれて、ほむるにまさることばなれば、すずしげにぞおもひたる。木曽が手には、たかやまのものどものこりすくなくうたれて、やすからずおもひてある所に、さゐの七郎五十余騎にて、をめいてちくまがはをかけわたす。ひをどしのよろひに、しらほしのかぶとのををしめて、くれなゐのほろかけて、しらあしげなる馬に、しろぶくりんのくら置て
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乗たりけり。是を見て、じやうのしらうがかたより、とべの三郎十三騎にてあゆみいだしたり。とべはあかがはをどしの鎧にくはがたのかぶとのををしめて、ほろはかけざりけり。れんぜんあしげなる馬に、きぶくりんのくら置てぞ乗たりける。たがひにゆんですがわせて、「しなののくにのぢゆうにん、とべのさぶらういへとし」となのるを、さゐしちらうはたとにらまへて、「さてはわぎみはひろすけにはあたわぬかたきごさむなれ。聞たるらむ物を。しようへいのまさかどうちて名をあげし、たはらとうだひでさとがはちだいのばつえふ、かうづけのくにさゐのしちらうひろすけ」となのりければ、とべの三郎とりあへず、「わぎみは次がなうちぶみよまむとおもひけるものかな。いへとしがしなをばなにとしてきらふぞとよ。これにてなのらずは、とべの三郎はいかほどの者なれば、よこたのいくさにさゐの七郎にきらはれて、なのりかへさであるぞと、人のいわんずるに。わぎみたしかに聞け。とばのゐんの
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おんときほくめんにさうらひし、しもつけのうゑもんのたいふまさひろがちやくし、さゑもんのたいふいへひろとて、ほうげんのかつせんの時、しんゐんのみかたにさうらひてかつせんつかまつりたりし、そのゆゑにあうしうへながされき。そのこにふせのさぶらういへみつ、そのこにとべのさぶらういへとしとて、げんぺいのばつざにつけども
きらわれず。なんぢをこそきらひたけれ。まさなき男のことばかな」といひもはてず、十三騎のくつばみをならべて、五十騎のなかをかけわつて、うしろへつととほりにけり。またとりかへして、たてよこにさんざんにかけたり。佐井七郎おもてをふらずたたかひけり。佐井七郎が五十騎も、十三騎はうたれにけり。とべが十三騎も、しきになりにけり。佐井はかたきをきらひて引かば、人にわらはれなむずとおもひてしりぞかず、とべは敵にきらはれてやすからずおもひて、りやうばうのらうどうどもうたれけれども、たがひに目をかけて、ゆんでとゆんでとにさしむかへて、くまむくまむとしけれども、りやう
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ばうひしめきたたかふ程に、あなたこなたのはたさしもうたれにけり。やみやみとなりて、たいしやうぐんどし組て、おつるをもしらざりけり。とべのさぶらう、かさはらのへいごが手にて、いくさにしつかれたりける上、うすであまたおひたりければ、さゐのしちらうにくびとられぬ。佐井七郎このくび高らかにさしあげて、「富部三郎がくびうちたりや」とてひきしりぞく。富部三郎がらうどうに、きねぶちのこげんだしげみつといふ、ししやうふちのつはものあり。このほどしゆうにかんだうせられて、ゑちごのくにのとももせざりけるが、「今度じやうのしらうにつきておはすなれば、よからむかたき一騎打て、かんだうゆるされむ」とおもひてまちゐたりけるが、いくさありと聞て、いそぎはせきたりて、「とべどのはいづくにぞ」ととひければ、「あれはあそこにただいま佐井七郎とたたかひつるこそ」と教へければ、旗をあげて、をめいてはせいつてみれば、かたきもみかたもしにふしたり。
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はたさしもうたれにけり。わがしゆうの馬ともののぐとしるくて、そこへはせよつて、「かうづけのさゐのしらうどのとこそみたてまつれ。とべどののらうどう、きねぶちのこげんだしげみつとまうすものなり。いくさより先におんつかひにまかりて、たたかひにはづれて候ばや。そのおんぺんじまうさむ。かつうはしゆくんのおんかほをもいまいちど見せ給へ」と申ければ、佐井七郎これを見て、あらての者にくまれては、かなはじとやおもひけむ、みかたへむちをあげてにげけるを、きねぶちいつたんばかりさきだつかたきを、ごたんのうちにをつつめて、おしならべて組て、どうどおちぬ。きねぶちはきこゆるだいぢからにて有ければ、佐井七郎を取ておさへて、くびかきて、しゆうのくびととりならべて、「しげみつこそまゐりて候へ。しやうをへだてたまふとも、こんばくといふたましひのあむなれば、たしかに聞給へ。人のざんげんにつきたまひて、かんだうありしかども、ききなほしたまふことも候わむずらむとまちさうらひつるに、かく見なしまゐらせてさうらふこと
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の悲しさよ。しげみつおんともにこうぜば、おんまへにてこそうたれさうらふべきに、おくれまひらせて候こそくちをしけれ。おんかたきうちて候。しでのやま、さんづのかは、やすくわたりたまへ」とて、ふたつのもとどりむすびあはせつつ、左の手にささげ、右手にはたちをもつて、てんまに打乗てよばいけるは、「かたきもみかたもこれ見給へ。さゐのしちらうにとべのさぶらううたれたまひぬ。富部三郎がらうどうにきねぶちのこげんだしげみつが、しゆうのかたきうちていづるをとどめよ、ものども」と云ければ、佐井七郎がいへのこらうどう、三十騎にておひかけて、中にとりこめてたたかひけれども、物ともせず、けやぶりてうしろへつといでにけり。かたきつづきてせめければ、かへしあはせて戦ふ。かたきあまたうちとりて、ひとでにかからむよりはとや思けむ、大刀をくちにさしくくみて、さかさまに落て、つらぬかれてこそ死にけれ。是を見てをしまぬ人こそなかりけれ。じやうのしらうはおほぜいなりけれ
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ども、みなかりむしやどもにて、てぜいの者はすくなかりけり。木曽はわづかにぶせいなりけれども、あるいは源氏のばつえふ、としごろおもひつきたるらうどうどもなれば、いちみどうしんにて、いれかへいれかへたたかひけり。しなののくにのげんじに、ゐのうへのくらうみつもりとて、いさめるつはものあり。ないない木曽に申けるは、「おほてにおいてはまかせたてまつる。からめでにおいてはまかせたまへ」とあいづをさしたりければ、だいほんだうの前でにはかに赤旗をつくりて、里品党三百余騎を先にたててかけいづるを、木曽これを見てあやしみをなし、「あれはいかに」といへば、「みつもりがひごろのやくそくたがへたてまつるまじ。御覧ぜられ候へ」とて、くまがはのはたをうしとらにむかひて、じやうのしらうがうしろの陣へぞあゆませける。木曽げぢしけるは、「ゐのうへははやかけいでたり。からめで渡しはてて、よしなかわたしあはせてかけむずるぞ。一騎もおくるな、わかたうども」とて、かぶとのををしめてまつところに、城四郎は井上が赤旗をみ
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つけて、からめでにつかはしつる、つばりのしやうじいへちかがせいと心得て、「こなたへなこそ。あらてなり。かたきにむかへ。荒手なり」と、つかひをたててげぢするところに、そらきかずしてくまがはをさとわたし、かたきの陣の前におほきなるほりあり、広さにぢやうばかりなり、みつもりさしくつろげて堀をこす。むかへのはたにとびわたる。つづきて渡る者もあり、堀の底におちいる者もあり。光盛こえはてねば、赤旗かなぐりすてて、しらはたをぞさしあげける。「いよのにふだうよりよしのしやてい、をとはの三郎よりとほが子息、おきのかみみつあきが孫、やてはの次郎ながみつがばつえふ、信乃国住人井上九郎光盛。かたきをばかふこそたばかれ」とて、三百余騎馬の鼻をならべて、北より南へかけとほる。おほては木曽二千余騎にて、南より北へかけとほる。からめでおほてとりかへしとりかへし、ななよりやよりかけければ、城四郎がたせい、しはうへむらくも
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だちにかけられて、たちあふものはうたれにけり、にぐる者はおほやう河にぞはせこみける。馬も人も水におぼれて死にけり。たいしやうぐんじやうのしらうとかさはらのへいごとかへしあはせてたたかひけるが、ながしげこらへかねてゑちごへひきしりぞく。河にながるる馬や人は、くがよりおつる人よりも、みなとへさきにながれいでにけり。かさはらのへいごは山にかかりて、いのちいきて申けるは、「しやうじやうせせにつたへもつたふまじきは、ゑちごむしやのかたうど也。こんどおほぜいにて木曽をばいけどりにしつべかりつる物を。にげぬる事、うんのきはみなり」とて、ではのくにへぞおちにける。きそ、よこたのいくさにきりかくるくびども五百人也。すなはちじやうのしらうがあとめにつき、ゑちごのふにつきたれば、国のものども皆源氏にしたがひにけり。城四郎あんどしがたかりければ、あひづへおちにけり。ほくろくだうしちかこくのつはものども皆木曽につきて、したがふともがらたれたれぞ。ゑちごのくにには、いなづのしんすけ、さいとうだ、
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へいせんじのちやうりさいめいゐぎし、かがのくにには、はやし、とがし、ゐのうへ、つばた、のとのくにには、つちだのものども、ゑつちゆうのくにには、のじり、かはかみ、いしぐろ、みやざき、さみのたらう。これらてふじやうをつかはして、「きそどのこそ、城四郎おひおとして、ゑちごのふにつきて、せめのぼりておはすなれ。いざや、こころざしあるやうにて、めされぬさきに参らむ」といひければ、「しさいなし」とて、うちつづきまゐりければ、木曽よろこびて、しなのむまいつぴきづつぞたびたりける。さてこそ五万余騎にはなりにけれ。「さだめて平家のうつてくだらむずらむ。きやうちかきゑちぜんのくにひうちがじやうをこしらへてこもりさうらへ」とげぢしおきて、わがみは信乃へかへりて、よこたのじやうにぞきよぢゆうしにける。七月十四日にかいげんあり。やうわぐわんねんとぞ申ける。八月みつかのひ、ひごのかみさだよしちんぜいへげかう。ださいのせうにおほくらのたねなほ、むほんのきこえあるによつて、ついたうのためなり。ここのかのひ、くわんちやうにてだいにんわうゑ
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おこなはる。しようへいのまさかどがらんげきの時、ほつしやうじのざすうけたまはりておこなはれしれいとぞきこへし。そのときあさつなのさいしやうぐわんもんを書て、しるしありときこへしかども、今度はさやうのさたもきこへず。
廿七 廿五日、ぢもくにじやうのしらうながしげ、かのくにのかみになさる。おなじくあにじやうのたらうすけなが、さんぬる二月廿五日たかいのあひだ、ながしげこくしゆににんず。あうしうのぢゆうにんふぢはらのひでひら、かのくにのかみにふせらる。りやうごくともにもつてよりともよしなかついたうのためなりとぞ、ききがきにはのせられたりける。ゑちごのくにはきそあふりやうしてながしげをついたうして、こくむにもおよばざりけり。
廿八 廿六日、ちゆうぐうのすけみちもり、のとのかみのりつねいげ、ほつこくげかう。きそをついたうのことは、じやうのたらうすけながにおほせつけられたりけれども、なほくだしつかはす。くわんびやうら、九月
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九日、ゑちごのくににしてげんじとかつせん。へいけつひにうちおとされにけり。かかりければ、廿八日、さまのかみゆきもり、さつまのかみただのり、ぐんびやうすせんぎをそつして、越後国へはつかうす。ひやうがくのおんいのりいつぽんならず、さまざまのごぐわんをたてられ、しよしやにじんりやうをよせられ、じんぐわん、じんにん、しよしやのみやづかさ、ほんじやまつしやにておのおのいのりまうすべきよし、ゐんよりめしおほせらる。しよじしよしやのそうがう、しよしやにててうぶくのほふおこなはる。てんだいざすめいうんそうじやう、せつしやうどののおんうけたまはりにて、こんぼんちゆうだうにて、しちぶつやくしのほふおこなはる。をんじやうじのゑんけいほふしんわう、やなぎのさいしやうやすみちのうけたまはりにて、こんだうにてほくとそんじやうわうぼふを
おこなはる。にんわじのしゆかくほふしんわうは、くでうのだいなごんありとほのうけたまはりにて、くじやくきやうのほふおこなはる。このほかのしよそう、ちよくせんをうけたまはりて、ふどう、だいげん、によいりんのほふ、ふげんえんみやう、
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だいしじやうくわうのほふにいたるまで、おのおのかんたんをくだきておこなはれけり。ゐんのごしよにごだんのほふをおこなはる。ちゆうだんのだいあじやりはばうかくさきのだいそうじやう、がうざんぜのだんはしやううんごんのそうじやう、ぐんだりはかくよごんのだいそうじやう、だいゐとくはこうけんさきのだいそうじやう、こんがうやしやはてうけんごんのそうじやうら、めんめんにちゆうきんをいたし、たんぜいをぬきんでて、おこなはる。ぎやくしんいかでかほろびざるとぞひとまうしける。またひよしのやしろにてむほんのともがらてうぶくのために、ごだんのほふをしぎやうしけるに、さんしちにちごんぎやうせられけるほどに、しよしちにちのだいごにちにあたるに、がうざんぜのだいあじやりかくさんほふいん、だいぎやうじのひがんじよにて、にはかにねじににしににけり。しんめいさんぼうごなふじゆなしといふこと、すでにけちえんなり。又朝敵追討のために、おほせをうけたまはりて、じふぐわつやうかのひだいげんのほふをしゆせらる。せんげのじやうにいはく。
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みやうねんさんがふのうんにあたりて、きよしゆんにぐわつのうるふあり。おのおのしるしさきにおこり、そうぞくかたがたおこる。ていでふぐんりよにくるしみ、らうにやくてんにつかる。まことといふかな、きよてきのこうぐわんにあらずは、いかでかいうこくのえいじやうをなぐさめん。よろしくをぐるすでらにおいて、だいげんのしゆほふをしゆせしむべし。あじやりのだいほふしじつげんゆうしゆうこれをおほす。かんじけふよりはじめ、しちかにちやのあひだ、ことにたんぜいをいたさば、かならずげんおうをあらはすべし。そのれうもつ、あじやりのしたくによつて、しよしにつきてこれをうけよてへり。
やうわぐわんねんじふぐわつやうかのひうちゆうべん
おなじきとをかのひ、さゑもんのごんのすけみつながおほせをうけたまはりて、「こうぶくじをんじやうじのそうりよむほんのつみ、けいしうのうちにあり。ひじやうのだん、じんしゆこれをもつぱらにす。すべからくこうめんすべきところに、くだんのともがらおんたうをよくして、ほんじにきしてのち、もしくわいくわのおもひなく、なほし
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やしんをかへずは、よのためてらのため、おのづからこうくわいあらむか。せんごくのまつりごと、しりよすべきよし、ぎそうのひとあり。しかれども、かのてらとう、ふりよのほかにむなしくくわいじんとなる。これによつて、さうてんかはらず、みやうじんのたたりか。もしこのぎによつては、かのてらのそうりよをゆるさずは、しやのほんいにあらざるか。めんぷのあひだ、えいりよいまだけつせず。さだいしやうさねさだのきやうにはからひまうさしむべし」ととはれければ、「むほんのものは、しざいいつとうをげんじ、をんるにしよすべし。しかるにいまくだんのともがら、けいしうのうちにあり。をんるのつみをまぬかれて、こんどしやにあふ。ことにしてんのそうにおどろく。かうさうのうたがひをとどめむがために、こうめんのでう、えいりよのおもむき、とくせいにあひかなふか」とぞまうされける。さるほどにだいほふひほふおこなはれけれども、なほよのなかしづかならず。よつておなじきじふさんにちせんげせらる。そのじやうにいはく。
みなもとのよりとも、おなじくのぶよし、きよねんよりこのかた、ほしいままにおのれがゐをふるひて、みだりがはしくわうけんをそむく。ただとうごくのしうけんをりよりやくするのみにあらず、
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すでにほくろくのどみんをこふりやくせむとほつす。れいげんのぐ、しゆげうのけん、おのおのくわんいうのことばにおもむきて、ことごとくほんぎやくのうちにいる。ほうがのへいかいをかへりみず、いよいよらうれいのかんしんをさしはさむ。これをとぶらふに、ここんかつてひるいなし。よつてゑちぜんのかみたひらのみちもりのあつそん、たぢまのかみおなじくつねまさのあつそんらにおほせて、ほくろくだうのしよこくのぐんびやうをもよほしかりて、かのよりとものぶよしおよびよりきどういのともがらをついたうせしむべしてへり。
やうわ元年十月十三 日さちゆうべん
おなじきひ、ばうかくそうじやうをゐんのごしよへめされて、「ゆやさんのあくとら、きいのくににしてたびたびくわんびやうとかつせん、あまつさへかのやまをめつばうせむとくはたつるよし、そのきこえあり。いそぎとうざんしてあひしづむべき「よし、おほせふくめられけり。とういのうんしやう、なんばんのかちゆう、せいじゆうのはてい、ほくてきのせつせんまでも、へい
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じをそむき、げんじにしたがふ。むかしわうまうせんせいきみんありしかば、しいきほひおこり、まうをぜんだいにきる。しんにくししむらをわけ、ひやくしやうそのしたをきりくひき。よこぞつてへいけをにくみすること、わうまうにことならず。ひとのきするところは、てんのあたふるところなり。ひとのそむくところは、てんのさるところなり」といへり。またてうてきついたうのおほせをうけたまはりて、だいげんのほふおこなはれける、をぐるすでらのじつげんあじやり、ごくわんじゆをまゐらせたりけるに、ひけんせらるるところに、へいけついたうのよししたりけるこそあさましけれ。しさいをたづねらるるところに、まうされけるは、「てうてきてうぶくのよしせんげせらるるあひだ、たうせいのていをみるに、へいけてうてきとみえたり。よつてもつぱらへいけをてうぶくす。なにのとがかあるべき」とぞまうしける。へいけこのこといきどほりて、「このそうるざいにやおこなふべき。いかがすべき」なむどさたありけれども、だいせうじのそうげきにて、な
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にとなくやみにけり。さるほどにへいけほろびてのち、げんじのよとなりにしかば、おほきによろこびてしさいをそうもんす。ほふわうもぎよかんあつて、そのけんじやうにごんのりつしになされにけり。またさんぬる十一日、じんぎくわんにて、しんきやうのれいへいを
にじふにしやにたてらる。
廿九 十四日、くろがねのおんかつちうをだいじんぐうへたてまつらる。むかししようへいのまさかどをついたうのおんいのりに、くろがねのかつちうをたてまつりたりけるが、さんぬるかおうぐわんねん十二月廿一日のえんしやうのとき、やけにけり。こんどもそのれいとぞきこへし。おんつかひはじんぎごんのせうふくおほなかとみのさだたかこれをつとむ。ちちのさいしゆもおなじくげかうす。おなじき十七日、いせのりきゆうゐんにげちやく。さるのときばかりにてんじやうよりいつしやくしごすんばかりなるくちなは、さだたかにおちかかりて、定隆がひだりのそでの内へいりにけり。あやしとおもひ
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て、そでをふりけれどもみへず。ふしぎやとて、さてやみぬ。をりふしひとびとあまたよりあひてさけをのみけるに、なにとなくしてひくれけり。さてそのよ、ねのときばかりにさだたかねいる。すなはちよに苦しげにうめきければ、ちちさいしゆ「いかにいかに」とおどろかしけれども驚かず。すでにいきすくなくきこへければ、ついがきよりほかへかきいだしたりければ、さだたかすなはちしにけり。ちちさいしゆいみになりぬ。さる程にほうしのなかとみ事のかけたりければ、おほみやづかさすけなりがさたにて、さんゐじゆごゐありなをいげさしまゐらせて、次第におんまつりなりにけり。このほかりんじのくわんぺいをたて、げんじついたうのおんいのりありけり。せんみやうに、「らいでんじん、なほさんじふろくりをひびかす。いはむやみなもとのよりとも、につぽんごくをひびかすべきかわ」とかくべかりけるを、「源の頼」とかかれたり。せんみやうのげきうけたまはりてかく例
P2420
なるに、わざとはかきあやまたじ。これしかるべきしつしやくなり。頼の字を
ば「たすく」といふよみあり。「みなもとをたすく」とよまれたり。そうもぞくも、平家のかたうどする者ほろびけるこそおそろしけれ。されば、しんめいもさんぼうもごなふじゆなしと云事けちえんなり。
卅 十一月、ことしりやうあんになりにしかば、だいじやうゑまたおこなはれず。てんむてんわうのおんときよりはじめて、七月いぜんにごそくゐあれば、そのとしの内におこなはるるなれども、なかりしかば、さまざまのひやうぢやうあり。ごせちばかりかたのごとくおこなはれて、つひにおこなはれず。今年又りやうあんなれば、さたにもおよばず。だいじやうゑえんいんの例は、へいぜいてんわうのおんとき、だいどう二年ごけいあつて、十一月にだいじやうゑおこななふべかりしを、ひやうがくによつて、おなじき三年十一月ごけいあり。十一月にとげおこなはる。さがの
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天皇のぎよう、おなじきしねん、だいじやうゑあるべかりけるを、へいぜいきゆうをつくらるるによつてえんいんして、つぎのとしこうにんぐわんねん十一月にぞとげおこなはれける。しゆしやくゐんのおんときは、しようへい元年七月十九日、うだのゐんうせたまひしかば、のびにけり。さんでうのゐんのおんとき、くわんぢ八年十月よつかのひ、れんぜいのゐんのおんことによつておこなはれず。つぎのとしちやうわぐわんねんにぞとげおこなはれける。だいだいつぎのとしまでのぶるれいはありといへども、にかねんまでえんいんのれいはいまだきかず。去年新都にてそのところなかりければ、ちからおよばず。だいこくでん、ぶらくゐんはいまだつくりいだされねば、さんでうのゐんのおんときのれいにまかせて、だいじやうくわんちやうにておこなはるべかりつるを、てんがりやうあんになりぬる上は、とかくしさいにおよばず。二か年までえんいんのおんこと、いかなるべき御事やらむと、人あやしみまうしけり。
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卅一 十二月みつかのひ、くわうかもんゐんうせさせたまひぬ。おんとし六十。これはほつしやうじのぜんぢやうてんがのおんむすめ、しゆとくゐんのきさきにておはしましき。ゐんさぬきへうつされおはしましし時のおんものおもひ、いかばかりなりけむ。おもひやるこそあはれなれ。命は限あり。おもひにはしなぬならひなればや、すなはちごしゆつけありて、いつかうごしやうぼだいのおんいとなみよりほかは、他のおこなひましまさざりければ、院のごぼだいのかざりともなりて、わがおんみのとくだううたがひなきにしたがひて、かねてときさとらせましまして、さいごのおんありさまめでたく、ぶつぜんにはいきやうあり。おんぜんぢしきは、おほはららいかうゐんのほんじやうばうたんけいとぞきこへし。昔のおんなごりとてのこりたまひたりつるにとおぼへてあはれなり。
卅二 おなじきむゆかのひいぬのときばかりに、さきのざすかくくわいほふしんわううせさせたまひぬ。是はとばのゐん
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のだいしちのみやにてわたらせ給。おんとし四十八とぞきこへし。
卅三 十三日、院のごしよにわたましあり。くぎやう十人、てんじやうびと四十人ぐぶして、うるはしきおんよそほひにてぞありける。もと渡らせたまひしほつしやうじどののごしよをこぼちて、せんだいのみだうのかたはらにつくりて、にようゐんかたがたすへならべまひらせて、おぼしめすさまにてぞ渡らせ給ける。

平家物語第三本
P2425
ほんにいはくときにえんきやう二年つちのとのとり七月廿五日、きしうなかのこほりねごろでらいしひきゐんのうちぜんぢやうゐんのぢゆうばうにおいて、これをしよしやす。あなかしこぐわいけんひらんのぎあるべからざるのみ。
しゆひつやうごんしやうねん三十
応永廿七年八月廿一日、めうらくゐんにおいてこれをしよしやす。
ごんのりつしゆうけん
(花押)





延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版 巻7(全)

平家物語 七(第三末)
P2427
一  たふかのせちゑのこと
二  たいはくばうせいのことつけたりやうきひうしなはるることならびにえんのぎやうじやのこと
三  ひよしのやしろにおいてによほふきやうてんどくすることつけたりほふわうごかうのこと
四  しよしやへほうへいしをたてらるることつけたりかいげんのこと
五  むねもりだいなごんにかへりなりたまふこと
六  むねもりじゆいちゐにじよせらるること
七  ひやうゑのすけときそとふわになること
八  きそついたうのためにぐんびやうほつこくにむかふこと
九  ひうちがじやうかつせんのことつけたりさいめいがかへりちゆうのこと
十  よしなかしらやまへぐわんじよをまゐらすることつけたりかねひらともりとしとかつせんのこと
十一 いまやはたのみやぐわんじよのことつけたりくりからがたにたいしのことならびにしにんのなかにじんぼうあらはるること
十二 しをかつせんのこと
十三 さねもりうちじにすること
十四 うんなんろすいのことつけたりせつぴのおきなのこと
十五 えんりやくじにおいてやくしきやうをよむこと
十六 だいじんぐうへごかうなるべきことつけたりひろつぐのことならびにげんばうそうじやうのこと
十七 きそみやこへせめのぼることつけたりかくめいがゆらいのこと
十八 きそさんもんへてふじやうをおくることつけたりさんもんへんてふのこと
十九 へいけさんもんへてふじやうをおくること
廿  ひごのかみさだよしさいこくしづめてきやうじやうすること
P2428
廿一 これもりのきたのかたのこと
廿二 おほいとのにようゐんのごしよへさんぜらるること
廿三 ほふわうしのびてくらまへごかうのこと
廿四 へいけみやこおつること
廿五 これもりとさいしとなごりををしむこと
廿六 よりもりみちよりかへりたまふこと
廿七 こんゑどのみちよりくわんぎよなること
廿八 ちくごのかみさだよしみやこへかへりのぼること
廿九 さつまのかみみちよりかへりてしゆんぜいのきやうにあひたまふこと
三十 ゆきもりのうたをていかのきやうしんちよくせんにいるること
卅一 つねまさにんわじのごのみやのごしよへさんずることつけたりせいざんといふびはのゆらいのこと
卅二 へいけふくはらにいちややどることつけたりつねもりのこと
卅三 ゑみのなかまろのことつけたりだうきやうほふしのこと 
卅四 法皇てんだいさんにのぼりおはしますことつけたりごじゆらくのこと
卅五 よしなかゆきいへにへいけをついたうすべきよしおほせらるる事
卅六 しんていさだめたてまつるべきよしひやうぎのこと
卅七 きやうぢゆうけいごのことよしなかしるしまうすこと
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平家物語第三末
やうわ二年みづのえのとら
正月一日、りやうあんによつてせちゑをおこなはれず。十六日、たふかのせちゑもなし。「せんていのごきげつたるうへは、ながくとどめらるべし」とぞ、むねもりはからひまうしける。一 そもそもたふかのせちゑと申は、にんわうしじふいちだいのぢよてい、ぢとうてんわうのぎよう、たいくわしねんみづのえのみ正月に、かんじんきたりてこれをそうすといへり。またいはく、あらず、ぢとうてんわうのちちさんじふくだいのみかど、てんちてんわうのぎよう七年つちのえのたつ正月十六日よりはじまれり。このてんわうのぎよう、しよこくよりいぎやうのものどもをあまた奉りける中に、さぬきのくによりはよつあしのにはとりを奉り、ちんぜいよりはやつあしのしかをけんず。ここにかまなりのおとど始てふぢはらのしやうをたまはり、むつのかみににんじて、そのころかのおとどのおん
P2430
もとへひたちのくにより、白雪のきじいちは、一尺二寸のつのおひたるはくばにひきを奉る。かまたり是をふちして、てんじやうに参る。そのおくりぶみにいはく、「きじのいろのしろきことは、はくたくのいさぎよき事をあらはす。馬のつののちやうぜる事は、じやうじゆのまつりごとををさむ」とぞかかれたる。かのきじを馬のつのにすへて、おとど乗てなんていに遊ぶ。わうたくのよせ物、なにごとかこれにしかむや。天子ぎよかんのあまり、かまたりをめして、金銀等のざいほうを下したぶ。是は正月十六日むまのこくのはじめなり。それをきちれいとして、ねんねんの正月十六日ごとに、くものうへびとさんだいして、馬にのり、ひきでものをたまはることありき。これをたふかのせちゑといふ。だんだんたる池をほり、水をたたへ、えふえふたる草をうゑさせ、きじをなつけさせ給き。四季に花さく桜をうゑて、こまを遊ばしめたまひしよりこのかた、しがのはなぞのとはなづけたり。
P2431
だいだいのせいしゆおこたり給わず。にんわうしじふにだいのせちゑ也。てんじやうにはすひやくねんのかれいなり。しかるをごきげつによつてとどめらるとはいひながら、是しかしながら平家の一門のくわぶんなるしわざとぞささやきける。二 二月廿三日のやはんに、たいはくばうせいををかす。これかたがたもつてぢゆうへんなり。てんもんえうろくにいはく、「たいはくばうせいは、たいしやうぐんくにのさかひをうしなひ、しいきたり、つはものおこることありと」いへり。世は只今みだれなむずとて、てんがのなげきにてぞ有ける。かのしんだんこくには、げんそうくわうていのぎようにこのてんべんげんじて、なぬかのうちにてんがみだれき。そのゆらいをたづぬれば、げんそうくわうてい、こうのうのやうけんえんがむすめ、やうきひをもとめえて、あさゆふ愛し給ひき。雪に似たるはだへは、しゆんくわを恥ぢ、つきにさしおくかほばせは、きんぎよく光をうしなへり。しゆんやいとみじかければ、日たけておきたまへば、これよりくん
P2432
わうあさまつりごとしたまはず。りくわのくんずるあしたには、れんりのちぎりをふかくなし、けいげつのあきらかなるゆふべには、どうけつの思ひせちなりき。ちちたるしゆんじつのおそくしてくれがたきにも、あいねんの眦ひわすられず。せうせうたるしうやのながくして、あけがたきにも、れんぼのおもひいとふかし。これによつて、やうきひの兄やうこくちゆう、しようじやうのくらゐをぬすみ、おろかにこくへいをもてあそぶ。このことをあんろくさんといひし人あながちにねたみて、しよきやうをかたらひいふやう、「ていわうしゆつぎよもなければ、ししんでんもさびしく、せいたうのくわうはいはいちてんがのなげきなり。これひとへにほかにあらず、やうひをおぼしめすゆゑなり。げつけいも国土のすいへいを歎くべし。うんかくもきせんのしうたんをかなしむべし。このきさきをいかにもしてうしなひたてまつるべき」よしをはかりき。王城よりさいはう百余里をすぎゆきて、ひとつのかうろうをつくりて、くわんげんを奏して、しゆしやうのごかうをすすめ
P2433
き。かみならぬ身のならひにて、ふじん、皇帝もろともにかうろうえすすみたまいき。せんじようばんきあひともにしたがひ送り奉る。この時、りくぐんはいくわいして、ぢせんすすまざりければ、みなひと心をまどはすに、ばくわいのつつみのへんにして、やうこくちゆうをころしつ。次にやうきひの乗給へるたまのこしをうばい取て、つひにころし奉る。しやうくわうまぬかるまじき事を見て、そのしをみるにたへずして、なくなく都へくわんぎよなる。位をばしゆくそうに譲りつつ、しゆんくわの庭に散り、しうえふのはしにつもるをも見給わず。ほうけつをさりて、しよくさんにふしたまへり。「えんえんたるせいしわかれてとしをふ。こんばくかつてこのかたゆめにだにいらず」と朝夕なげきたまひしかば、これをはうじのおとどあわれみたてまつりて、「われにりせうくんのじゆつあり。きさきのざいしよをたづねたてまつらむ」と申ければ、げんそうおほきによろこびて、
P2434
そのじゆつをつくしして、へきらくくわうせんをもとむれども、ばうばうとしていまだみえず。かたわらしきよをたづぬるに、東海にしてほうらいさんを得たり。上に多くろうかくあり。そのかどを東にひらかれり。「ぎよくひたいしんゐん」と云がくをかけたり。はうじかんざしをぬきいでてとびらをたたく。びむづらゆいたるどうによいでて答ふ。はうじさうしにして物いわず。さうはつの童女かへりいりぬ。しばらくあつて、へきいのじぢよきたりて問ふ。「このしまへは人のかよふこと、おぼろけにはあらず。なんぢはいかなる物ぞ。又いづくよりきたれるぞ」。はうじこたへていはく、「われはこれたいたうのみかど、げんそうくわうていのおんつかひなり。まうすべきことありて。まぼろしとまうすものなり」と云ければ、そのときじぢよいはく、「ぎよくひは只今やすみ給へり。ねがはくはしばらくまちたまへ」とて内へたちかへりぬ。其時うんかいちんちんとして、
P2435
とうてんにひくれぬ。けいこかさねとぢぬれば、せうぜんとしてをとなし。はうじ息をおさへ、足ををさめて、相待てば、ややひさしくありて内へよびいれぬ。ぎよくひの形をみたてまつれば、雲のみむづらなかばみだれて、あらたなるねぶりさめぬ。花のかぶりあらためず、堂よりをり来る風、せんのたもとをふきて、ひやうえうとしてあがる。なほしげいしやうういのまひににたり。玉のかたちせきばくとして涙らんかんたり。りくわいつしはるあめをおぶ。さうにじしや七八人あり。はうじをめして、まづ皇帝のあんぷをとふ。次ぎに、てんぽうじふしねんよりこのかた、いまにいたるまでのことを問給へば、はうじそのあひだのことどもを皆こたへまうして、「てんわうさだめてこころもとなくおぼしめすらむ。今はおんいとまをたまはりてまかり帰らむ」と申せば、ぎよくひみづからこがねのかんざしをつみをりて、「これをげんそうに奉る。昔の事をおぼしめしいでよ」とのたまへば、まぼろしまうすやう、「その
P2436
かみひとこともたにんにきかせでちぎりたまひし事あらば、語り給へ。奏せむ。でんがふきんさいは世に多くもちゐる物也。しむえむへいがいつはりを負わむ事、心うかるべし」と申せば、ぎよくひばうぜんとしりぞきたちて、ややひさしくしていはく、「我むかしてんほう十年七月なぬかのひ、けんぎうしよくぢよのあひまみへしゆふべ、ちやうせいでんの内にして、かうたけひとしづまりて、ひそかにしんぢゆうにちかふ。『ねがはくはよよに夫婦となつて、天にあらばひよくの鳥となり、地にすまばれんりの枝とならむ』と云て、たがひに手をとることありて、此事くんわうのみひとり知れり。このいちねんによつて、またじんかんにうまれてふさいとならむ。天となり人となるとも、ふたたびあひみてよしみもとのごとくならむ」とのたまへり。はうじいそぎ帰てこのよしをそうするに、みかどおほきにかなしみて、そのとしのしぐわつにつひに隠れ給ぬ。このことをおもふにも平家の一門は皆けんれいもんゐんのおんゆゑに、しようじやうの位をけがし、
P2437
こくへいのまつりごとをつかさどる。あくじ既にてうくわせり。ゆくすゑも今はあやふがる。てんべんのげんじやうおそろしとぞ。おんてうにもにじふくだいのみかどせんくわてんわうのみよに、このてんべんありて、かこのかなむら、そがのいなめなむどいひししんから、めんめんにたくみをたて、てんがをみだり、ていゐをうばいし事、にじふ余年也。くわうぎよくてんわうのおんときは、元年七月に、かくせいつきのなかにいるといふてんべんありき。げきしん五位に至ると云事なるべし。そのときはえんのぎやうじやにおほせて、なぬかななよ祈らせ給たりければ、ひやうらんを転じて百日のかんばつにぞなりにける。王位はつつがましまさざりけれども、ごこくみなそんじて、じやうげうゑにのぞみけるとかや。今はえんのぎやうじやもなければ、たれかこれを転ずべき。たいちのうをのふぜいにて、わざはひのおこらむ事を、今や今やとまちゐたるぞこころうき。そもそもえんのぎやうじやと申は、をづのせんにんの事也。ぞくしやうはかもうぢの人也。やまとのくにかづらきのかみのこほりちはらの村のしよしやうなり。三才の時より父におくれて、七才までは
P2438
母のめぐみにてせいじんす。七才よりは母にけうやうす。しかうの志あさからず、ぶつだうしゆぎやうのおもひねんごろ也。ごしきのうさぎにしたがひて、かづらやまのぜんちやうにのぼる。ふぢのころもに身をやつし、松のみどりに命をつぎて、くじやくみやうわうの法をしゆぎやうすることさんじふ余年也。ただひとかしらまうけたりしえぼし、みなやぶれうせにければ、おほわらはになりて、いつしやうふぼんのをとこひじりなり。おほみね、かづらきをかよひておこなひ給けるに、みちとほしとて、かづらきのひとことぬしといふかみに、「ふたがみのだけよりしんせんへいはばしを渡せ」とのたまひけるを、顔のみにくければとて、昼はさしもいでで、よなよな渡したまふを、ぎやうじやおそしととて、かづらにてななかへりしばりたまひてけり。ひとことぬしうらみをなして、みかどにいつはり奏しけるは、「えんのうばそくと云者、くらゐをかたぶけむとす」。みかどおどろきおぼしめして、ぎやうじやをとらへむとしたまふに、行者くじやくみやうわうの法をしゆするによつて、空をとぶこと鳥のごとくなり。すなはち母をいましめられければ、かへりまゐりたまひけるを、いづのおほ
P2439
しまにながしつかはしつ。昼は大嶋にゐて、夜ははちに乗て、するがのふじの山にのぼりておこなひ給ふ。ひとことぬしかさねて奏し給ふ。「行者を殺したまふべし」。みかど、ちよくしをつかはして殺さむとするに、行者、「ねがはくはぬき給へる刀をしばし給はらむ」とて、刀を取て、舌にてさんどねぶりて帰しつ。これをみるに、ふじのみやうじんのへうもんあり。「てんわうつつしむべし。これぼんぶにあらず。だいげんじやうなり。すみやかにくやうずべし」。みかど驚て都にめしかへすに、母もろともにちの葉に乗て、もろこしに渡りし人也。をとこなれどもぶつぽふをしゆぎやうせしかば僧にもまさりたり。うげんのしやうにんとぞきこへし。又はほつきぼさつともまうしき。三 四月四日、さきのごんのせうそうづけんしん、きせんじやうげを勧めて、ひよしのやしろにてによほふきやういちまんぶをてんどくする事有けり。法皇ごけちえんの為にごかうなりた
P2440
りける程に、なにもののいひいだしたりけるにや、「やまのだいしゆ法皇をとりたてまつりて、平家をうたむとす」ときこへければ、平家の人々さわぎあひて、ろくはらへはせあつまる。きやうぢゆうのきせんさわぎまどへり。ぐんびやうだいりへはせさんじて、しはうのぢんをけいごす。おなじき四月十一日、ひごのかみさだよし、きくちたかなほがくものへのじやうをせむるあひだ、くわんびやう二千余人、たかなほがためにうちとられにければ、さだよしかつせんをとどめて、じやうをかたくまぼりて、らうもつのつくるをあひまちければ、さいかいうんじやうのべいこく、こくがしやうゑんをいわず、ひやうらまいのために、さだよしてんぢやうしけり。とうごく、ほつこく、さいかいうんじやうのどこう、皆京都にかよはざりければ、らうせうをろんぜず、じやうげをきらはず、がしする者だうろにじゆうまんせり。ぐんたう、はうくわ、れんやにたへざりければ、きせんやすき心なし。げつけいもうん
かくも、「はくりのあとをおひ、じしのむかしをおもふ」
P2441
とぞまうしあわれける。いつてんのげきらん、しはうの合戦に、しそつかんなうをとちにまみれ、みんそこつがいをげんやにさらすこと、しようけいすべからず。そんなんそんぼくにこくきふする声たえず。てんちかいひやくよりこのかた、かかるみだれはいまだききおよばずとて、かみいちにんよりはじめて、しもばんみんに至るまで、一人としてなげきかなしまずと云事なし。おなじき十五日、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらのきやうたいしやうぐんとして、三千余騎のつはものをあひぐして、ひよしのやしろへさんかうす。これによつて、さんじやうには又、さんもんのしゆと源氏によりきして、ほつこくへかよふよしを平家もれききて、山門追討の為、平家のぐんびやう既にひがしざかもとへせめよすときこへければ、さんたふせんぎして、「そもそもこのことによつてたうざんをほろぼさるることは、もつともくちをしきことなり。もししげひらのために、わがやまをほろぼされば、いつさんのだいしゆ、身をさんりんはすつべし」とて、ことごとくくだりて、おほみやのもん
P2442
ろうの前にさんたふくわいがふす。かかりしかば、さんじやうらくやうのさうどうおびたたしき事なのめならず。法皇おほきにおどろかせおはします。ぐぶのくぎやうてんじやうびと、色をうしなへり。ほくめんのともがらの中には、わうずいをつく者も有けり。このうへはむやくなりとて、いそぎてくわんかうなりぬ。しげひらのきやうあなほのへんにてむかへとりたてまつりてかへりにけり。まことにはだいしゆの平家をせめむと云事もなし。平家山門を追討せむと云事もなかりけり。いづれもいづれもあとかたなきむしつなり。これひとへにてんぐのしよぎやう也。かかりければごけちえんもうちさましつ。「かくのみあらば、おんものまうでも今は御心にまかすまじきやらむ」と、法皇あぢきなくぞおぼしめさるる。
四 五月廿四日に、りんじににじふにしやのほうへいしをたてらる。ききんしつえきによつてなり。おなじき廿七日かいげんあり。じゆえいぐわんねんとかうす。
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五 九月四日、うだいしやうむねもりのきやうだいなごんにげんにんして、十月三日、大臣になり給ふ。大納言のじやうらふ五人こえられたまひにき。中にもごとくだいじの大納言さねさだの、いちの大納言にて、くわしよくえいゆう、さいかくいうちやうにておわせしが、だいしやうの時といひ、今度といひ、にどまでこえられたまひしこそふびんなりしか。七日、ひやうぢやうをたまはりたまふ。十三日、よろこびまうしありき。たうけたけのくぎやう十二人こしようせらる。くらんどのとういげ、てんじやうびと十六人せんぐす。われをとらじと、めんめんにきらめきたまひしかば、めでたきみものにてぞ有ける。とうごくほつこくの源氏はちのごとくおこりあひて、只今せめのぼらむとするに、波のたつやらむ、風のふくやらむ、しらざるていにて、かやうに花やかなる事のみあるも、いふかひなくぞ見へし。かくはなやかなることどもは有けれども、せけんはなをしづまらず。なんとほくれいのだいしゆ、四
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国くこくのぢゆうにん、くまのきんぶせんのそうと、いせだいじんぐうのじんぐわんみやびとに至るまで、ことごとく平家をそむきて源氏に心をかよはす。しはうにせんじをくだし、諸国へゐんぜんをくださるといへども、宣旨も院宣も皆平家のげぢとのみ心得てければ、従ひつく者一人もなかりけり。廿一日、だいじやうゑのごけいさんでうがすゑ、十一月廿日、だいじやうゑあふみたんばおこなはる。かくて年もくれぬ。じゆえい二年正月一日、せちゑいげつねのごとし。三日、はつでうどののはいれいあり。こんてうより、にはかにさたありけり。たかつかさどのの例とかや。ないないせつしやうどのにおほせあはせられければ、しかるべきよし申させ給けるにや、けんれいもんゐん、ろくはらのいづみどのにわたらせ給ふ。そのごしよにてこのことあり。まうしつぎは、させうしやうきよつねのあつそん、くぎやう九人、ないだいじんむねもり、さゑもんのかみときただのきやう、あんざつしよりもり、へいぢゆうなごんのりもり、しんぢゆうなごん
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とももり、しゆりのだいぶつねもり、さんゐのじじゆうきよむね、ほんざんゐのちゆうじやうしげひら、しんざんゐのちゆうじやうこれもり、てんじやうびと十三人、くらんどのうだいべんちかむねのあつそん、うちゆうじやうたかふさのあつそん、しゆりのごんのだいぶのぶもとのあつそん、たぢまのかみつねまさのあつそん、うちゆうじやうすけもりのあつそん、さつまのかみただのりのあつそん、さきのちゆうぐうのすけやすもりのあつそん、さちゆうじやうきよつねのあつそん、くらんどさゑもんのごんのすけちかまさのあつそん、もくのかみのりむね、のとのかみのりつね、かげゆのしくわんちかくに、さまのかみゆきもり。はつでうどののおんかたにはいれいあるべきよし、おんせうとのさゑもんのかみのまうしおこはれたりけり。くわうごうぐうのぼこうになぞらへ給ければ、はいれいなかりけり。「はつでうどののはいれいさしすぎてぞおぼゆる。二条のおほみやも、しやうさいもんゐんにぼぎになぞらへられけれども、はいれいなかりし物を。とうごくほつこくみだれたり。てんがしづかならず。世既にしごくせり。いりまひにや」と、さい
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しやうにふだうなりよりはまうされけるとかや。世をのがれみやまにこもりゐたまへども、をりふしにつけてはかくぞまうされける。人もうるはしき人に思ひ奉りたりけり。二月ひとひのひ、たうぎんはじめててうきんの為に、ゐんのごしよ、れんげわうゐんの御所へごかうあり。とばのゐん六才にてはじめててうきんの為ぎやうがうあり。そのれいなり。ごきげつなれば、このつきにおよぶべし。けんれいもんゐん、よべこのごしよへ入らせ給。法皇のおんかたのごはいののち、にようゐんのおんかたのごはいありけりときこゆ。しんぢゆうなごんとももり、はくのあはせしかれたりけり。にようゐんのおましにしかれたりければ、へいだいなごんときただのきやうみとがめて、しんぢゆうなごんとももりをもつて、しきなをしてけり。三月廿五日、くわんびやうけふかどですときこゆ。きたる四月十七日ほつこくへはつかうして、きそよしなかを追討のためなり。
六 廿六日、むねもりこうじゆいちゐにじよせらる。廿七日、内大臣をじしまうさる。されども
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おんゆるされなし。只てうにんをのがれむがためなり。はつでうたかくらのていにてこのことあり。へいだいなごんときただのきやう、あぜちのだいなごんよりもりのきやう、しんぢゆうなごんとももりのきやう、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらのきやう、うだいべんちかむねのあつそんばかりぞおわしける。そのほかの人はみへられざりけり。
七 さんぬるころより、ひやうゑのすけときそのくわんじやとふわのことありて、木曽をうたむとす。そのゆゑは、兵衛佐は、先祖の所なればとて、さがみのくにかまくらにぢゆうす。をぢじふらうくらんどゆきいへは、だいじやうにふだうのかしままうでとしてつくりまうけたりける、相模国まつだのごしよにぞゐたりける。しよりやういつしよなければ、きんりんのざいけをついふくし、ようちがうだうをして世をすごしけり。あるときゆきいへ、兵衛佐のもとへふみにていひやり
たりけるは、「ゆきいへはおんだいくわんとして、みののくにすのまたへむかふこと
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十一度、はつかどは勝てさんがどはまけぬ。しそくをはじめとして、いへのこらうどうども多くうちとられて、なげきまうすはかりなし。くにいつかしよあづけたべ。これらがけやうせむ」とぞかきたりける。兵衛佐のもとよりすなはちへんじあり。「きそのくわんじや、しなのかうづけりやうごくのせいにて、ほくろくだう七ケ国うちとりて、すでに九ケ国がしゆうになりて候。よりともは六ケ国こそうちしなへて候へ。ごへんもいくらの国をうちとらむとも、御心にてこそさうらはめ。さてこそゐんうちのげんざんにもいらせたまひて、うちとるくになんかこくとも、しるしまうされて給わらせ給はめ。たうじよりともがしはいにて、こくしやうを人にわけ給べしといふおほせをもかぶり候わず」と有ければ、ゆきいへ「兵衛佐をたのみて、よにあらむことこそありがたけれ。きそのくわんじやをたのまむ」とて、せんぎのせいにてしなののくにへ
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こえにけり。兵衛佐これを聞て、「じふらうくらんどのいわむ事につきて、きそのくわんじや、頼朝をせめむとおもふこころつきてむず。ねらわれぬさきに木曽をうたむ」とおもひけるをりふし、かひげんじたけたのごらうのぶみつ、兵衛佐に申けるは、「しなののきそのじらうは、をとどし六月に、ゑちごのじやうのしらうながしげをうちおとしてよりこのかた、ほくろくだうをくわんりやうして、そのせいうんかのごとし。けうあくの心をさしはさみて、『平家のむこになりて、すけどのをうちたてまつらむ』とはかるよしうけたまはる。平家をせめむとて、京へうちのぼるよしはきこゆれども、まことには、平家のこまつのないだいじんのによしの十八になりさうらふなるを、をぢないだいじんのやうじにして、木曽をむこにとらむとて、ないないふみどもかよはしさうらふなるぞ。そのごよういあるべし」と、ひそかにつげまうしたりければ、すけおほきにいかりて、「十郎蔵人のかたらひにつきて、さる
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したくもあるらむ」とて、やがて北国へむかはむとしけるを、そのひ鎌倉を立て、かんにちなりければ、「いかがあるべき。みやうげうにて有べき者ぞ」と、らうはいいさめまうしければ、すけのたまひけるは、「むかしよりよしのあつそん、さだたふがこまつのたちをせめ給ける時、『けふわうまうにちなり。あすかつせんすべし』と人々まうしければ、たけのりせんれいをかんがへてまうしけるは、『そうのぶていかたきをうちし事、わうまうにちなり。つはもののならひ、かたきをうるをもつてきちにちとす』とまうして、やがてこまつのたちをせめおとしたりけり。いわむやかんにちなにのひまかあるべき。せんぎをぞんずるにきちれいなり」とて、うつたちけり。木曽このよしを聞て、こくちゆうのようじをそつして、ゑちごのくにへこえて、ゑちごとしなのとのさかひなる、せきやまといふところにぢんを取て、きびしくかためて、兵衛佐をまちかけたり。兵衛佐はたけたのごらうをせんだつ
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にて、むさしかうづけをうちとをりて、うすゐのさかに至りにければ、八ケ国のせいどもわれをとらじとはせかさなりて、十万余騎になりにけり。しなのあづさがはのはたに陣を取る。きそよしなかこのことを聞て、「いくさはぶせいたせいによらず。たいしやうぐんのみやうがのうむによるべし。じやうのしらうながしげは八万余騎ときこへしかど、よしなか二千騎にてけちらかしき。されば兵衛佐十万余騎とはきこゆれども、さまでの事はよもあらじ。ただしたうじ兵衛佐と義仲と中をたがはば、平家のよろこびにてあるべし。いとどしく都の人のいふなるは、『平家皆いちもんの人々をもひあひてありしかばこそ、をだしうてにじふよねんもたもちつれ。源氏は親をうち、子を殺し、どしうちせむほどに、又平家の世にぞならむずらむ』といふなれば、
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たうじは兵衛佐とてきたいするに及ばず」とて、ひきかへして信乃へこえけるが、又いかがおもひけむ、なを関山にひかへたり。兵衛佐は木曽ひきしりぞくよしききて、「木曽がひきしりぞかむをおひかかりてうつほどの誤りなし。さるにても使者を立てて、義仲がいはん口をもきかむ」とて、「頼朝がいわむことばすこしもたがはず木曽にいひつべからむ使者をつかはさばや」とのたまひければ、ほうでうのしらうまうしけるは、「いづのくにのぢゆうにんあまののとうないとほかげこそ、さやうの事も心へて口もきき、さかざかしき者にて候へ」とはからひまうしければ、とほかげをめして、すけのたまひけるは、「木曽の次郎にあひていわむやうはよな、『平家、内にはゐちよくのやから也、ほかにはさうでんのかたき也。しかるにいま頼朝かれらを追討すべき院宣をうけたまはる。あにしやうがいのてんおんにあらずや。かつうは君を
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うやまひたてまつり、かつうは家を思給はば、もつともかふりよくあるべき所也。いちぞくの儀をわすれて、平家とどうしんせらるる由、もれうけたまはるあひだ、じつぷを承らむが為に、これまでさんかうする所也。十郎蔵人のいはむ事につきて頼朝をかたきとしたまふか。さもあるべくは蔵人をこれへかへしたまへ』とまうさるべし。『帰らじ』と申さば、『ごへんはきんだちあまたおわす也。せいじんしたらむしそくひとりよりともにたべ。いつぱうのたいしやうぐんにもしさうらわむ。頼朝はせいじんの子ももちさうらはねば、かやうにまうしさうらふなり。かれをもこれをもしさいをのたまはば、やがておしよせてしようぶをけつすべし』とたしかに云べし。おもてにまけていわぬかいふか、たしかに聞け」とて、あだちのしんざぶらうきよつねと云ざつしきをさしそへてつかはしけり。あまののとうないまかりかへりて、おもてもふらず、こしもをとさず、兵衛佐のことばの上に
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をのれがことばをさしくわへて、つまびらかにぞいひたりける。木曽これを聞て、ねのゐ、こむろのものどもをめしあつめて、「わがこころにてわがみの上の事ははからひにくきぞ。これはからへ」といひければ、らうどうどもいちどうにまうしけるは、「につぽんごくはろくじふよかこくとまうすを、わづかににじふよか国こそ、源氏はうちとりたまひたれ。今しじふよか国は平家のままにて候。うちあけたる所もなくて、かまくらどのときそどのとおんなかたがわせたまひなば、平家のよろこびにてこそさうらわむずらめ。くらんどどの『かへらじ』とさうらはば、なにかくるしく候べき。しみづのおんざうしを鎌倉殿へ渡しまひらせ給へかし」と申ければ、木曽がめのとごいまゐのしらうすすみいでまうしけるは、「をそれにて候へども、おのおのあしくまうしたまふものかな。弓矢をとるならひ、ごにちをごする事なき者をついと
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しては、おんなかよかるべしともおぼへさうらはず。たごのせんじやうどのをばあくげんだどのうちまひらせてましましせば、つしに親のかたきとおもひたまふらむと、鎌倉殿はおもひたまふらむ。いかさまにも一度いくさは候わむずらむ物を。只事のついでに、おんぺんじしたたかにおほせられかへして、ひといくさして、ごみやうがの程をも御覧ぜよかし」と云ければ、木曽是を聞て、「今井はめのとごなり。ねのゐ、こむろはいままゐりなり。めのとごがいわむ事につきて、これらがいふことをもちゐずは、さだめてうらみむず。又かれらにすてられなば、あしかりなむ」とおもひて、しやうねん十一才になる、しみづのくわんじやよしもとをよびよせて、「人の子をわぎみほどまでそだてて、たにんの子になすべきにてはあらねども、十郎蔵人は『帰らじ』とのたまふ、わぎみをやらずは、ただいま兵衛佐となかたがひぬべし。なにかはくるしかる
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べき。いそぎすけどののかたへ行け。くわほうなからむには、いつしよにありとてもかなふまじ。みやうがあらば、ところどころにありとも、それにもよるまじ。とくとくいでたつべし」と云ければ、しみづのくわんじやこころぼそくはおもひけれども、しさいを云べき事にあらねば、母やめのとにいとまをこひていでたちけり。木曽は、「兵衛佐殿のつかひはたれといふものぞ」ととひければ、「いづのくにのぢゆうにん、あまののとうないとほかげとまうすものなり」と申ければ、木曽たいめんして、酒すすめ、むまひき、ひきでものなむどして、「おんつかひこころえてよくよく申給へ。まづ人はいかがおもひたまふらむ、義仲にをきてはまつたくいしゆをぞんぜず。ただ平家をほろぼして、せんぞのほんいをとげむとおもふほかは、又ふたごころなし。これひとのわざん也。ただしじふらうくらんどどのこそ、ごへんをうらみ奉ることありとて、信乃へうちこえられて候へ。義仲さへすげな
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当りさうらわむ事もいかにぞやおぼへて、うちつれ申て候。もしそのごふしんにてさうらふか。これまたさしもごいしゆふかかるべしと存ぜず。くらんどどのはかへりまゐらじとのたまへば、ちやくしのこくわんよしもと十一歳になるをまひらせ候。義仲がまひりて、ばんとのゐをつかまつるとおもひたまふべし。是も又いつぱうへむかふも、かつうはおんだいくわんにてこそ候へ。ゆめゆめをろかの義を存ぜず。もしおんためにふたごころもあらば。義仲」なむど、きしやうだいのもんを書て、しみづのくわんじやを兵衛佐のもとへつかはす。清水の冠者どうねんになりける、かいののこたらうしげうぢ、うぶこやのたらうゆきうぢと云ける者をぞつけたりける。道すがら泣ければ、「いかにかくはわたらせ給ぞ。をさなけれども、弓矢の家にうまれぬれば、さはさうらはぬ物を。いかにかくはわたらせ給ふぞ」と申ければ、よしもと
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かくぞ云ける。わがてつる道のくさばやかれぬらむあまりこがれて物を思へば K127
と云たりければ、しげうぢ。おもふには道の草ばもよもかれじなみだの雨のつねにそそけば K128
たけたのごらうのぶみつ、木曽をあたみ、兵衛佐にざんげんしけるいしゆは、「かのしみづのくわんじやをのぶみつがむこにとらむ」と云けるを、木曽うけずして、返事に申たりけるは、「おなじき源氏とて、かくはのたまふか。娘もちたらばまいらせよかし。清水の冠者につがわせむ」と云けるぞ、あらかりける。信光これを聞て、やすからず思て、いかにもして木曽をうしなはむと思て、兵衛佐にざんしたりけるとぞ、のちにはきこへし。兵衛佐、木曽が
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へんたふをききて、「もつともほんいなり。もとよりさこそあるべけれ」とて、清水冠者をぐして、鎌倉へひきかへしにけり。木曽信乃へ帰りて、きりもの三十人がめどもをよびあつめて申けるは、「おのおのがをつとどもの命を、清水冠者一人が命にかへつるは、いかに」。めども手をあはせて、よろこびて申けるは、「あらかたじけなや。かやうにおわしますしゆうを、京つくしの方よりも見すて奉て、妻をみむ、子をみむとてかへりたらむ夫にみやうたいあはせば、もるひつきのしたにすまじ。やしろやしろの前わたらじ」なむどぞ、くちぐちに申て、きしやうを書てのきにける。をつとどももこれを聞ては、めんめんにてあはせてよろこびけり。八 四月十七日、木曽義仲を追討のために、くわんびやう北国にはつかうして、次にとうごくへせめいりて、兵衛佐頼朝を追討すべきよし、きこへけり。たいしやうぐんには、
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ごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもりのきやう、ゑちぜんのさんゐみちもりのきやう、さつまのかみただのりのあつそん、さまのかみゆきもりのあつそん、みかはのかみとものりのあつそん、たぢまのかみつねまさのあつそん、あはぢのかみきよふさのあつそん、さぬきのかみこれとき、ぎやうぶたいふひろもり。さぶらひたいしやうぐんには、ゑつちゆうのせんじもりとし、おなじくしそくゑつちゆうのはんぐわんもりつな、おなじくじらうびやうゑもりつぎ、かづさのかみただきよ、おなじくしそくごらうびやうゑただみつ、しちらうびやうゑかげきよ、ひだのかみかげいへ、おなじくしそくたいふのはんぐわんかげたか、かづさのはんぐわんただつね、かはちのはんぐわんひでくに、たかはしのはんぐわんながつな、むさしのさぶらうざゑもんありくにいげ、じゆりやう、けんびゐし、ゆぎへのじよう、ひやうゑのじよう、うくわんのともがら三百四十余人、たいりやくかずをつくす。そのほかきないは、やましろ、やまと、つのくに、かはち、いづみ、きいのくにのつはものども、去
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年のふゆのころよりもよほしあつめられけり。とうかいだうには、とほたふみより東のものどもこそまいらざりけれ、いが、いせ、をはり、みかはのものども、せうせうまゐりけり。むさしのくにのぢゆうにん、ながゐのさいとうべつたうさねもりなむどもさうらひけり。とうせんだうには、あふみ、みの、ひだ三か国のつはものども少々参けり。ほくろくだうには、わかさいほくのものどもそうじて一人もさんぜず。せんいんだうには、たぢま、たんご、いなば、はうき、いづも、いはみ。せんやうだう、なんかいだう、さいかいだうには、四国の者共は参らざりけれども、はりまのくに、みまさか、びぜん、びんご、あき、すはう、ながと、ぶぜん、ぶんご、ちくぜん、ちくご、おほすみ、さつま、このくにぐにの人々もこぞの冬よりめしあつめらる。「としあけば馬のくさかひにつきてかつせんあるべし」とないぎ有けれども、春もすぎ、夏に成てぞうつたちける。
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そのせい十万余騎、たいしやうぐん六人、むねとの侍にじふよにんにはすぎざりけり。せんぢん、ごぢんを定むる事もなく、おもひおもひにわれさきにと進みけり。十万余騎のぐんぜいをたなびきて、らくちゆうをいでられければ、「異国をばしらず、につぽんわがてうに取ては、いかなる者かてむかひをすべき。げんじらなましゐなる事しいだして、こんどぞあとかたもなくほろびむずる。あなゆゆしの事や」とぞ、きやうぢゆうの人申ける。六人のたいしやうぐんたちは、おのおのいつしきにしやうぞくしてうちいでたまへり。しよくかうのにしきのよろひひたたれに、きんぎんのかなもの色々にうちくくみたるよろひきて、たいめんの為なれば、かぶとをばき給はず。おほなかぐろの矢にしげどうの弓もちて、雪よりも白かりけるあしげの馬に、らでんのくらおきて乗給へり。おのおのきこへけるは、「合戦の道のいでたちは、めいどの旅のいでたち
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なり。またふたたびかへりまゐりて、げんざんにいらむ事ありがたし。けさめんめんのいとまは申たりつれども、今一度最後の暇申さむ」とて、六人馬のくつばみをならべて、にしはつでうのなんていにれつさんし給へり。にようばうなんばうめんめんかくかくに、あるいはみすすだれをかかげてこれをみ、あるいはえむ、ちゆうもんにたちいでてみ給へり。「かのきしん、ちやうりやうがはかりことをばしらず、ようがんびれいのきしよく、ばあんきんしうのしんべうは、たんしが筆も及ばじ」とぞ、じやうげなんによほうびせられける。ゑつちゆうのせんじもりとしいげのさぶらひどもは、馬よりおりて、よろひの袖をかきあわせてていしやうにきしよくせり。かくのごとくの次第のれいぎ、ややひさしくけいくつして、いとままうしてうちいでたまふところに、白きじやうえにたてえぼしきたるらうをう六人、梅のずわへにつけたるくわんじゆをおのおのささげて、六人の大将軍に
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奉る。かどでよしとて、弓をばわきにはさみつつ、おのおのくわんじゆをひらきてよみ給けるぞおもしろき。そのことばにいはく、「第一にはこれもりのきやう。げううななめにそそきてへいけくにをたひらげ、とんがにはかにながれてげんしみなもとをうしなふ。いつくしまのみやうじんよりごんのすけさんゐのちゆうじやうどの」とかかれたり。「第二にはみちもりのきやう。平家のていしやうにふらうもんをたてて、源氏のほうゑんにはどくせんのかぶらをはなつ。いつくしまのみやうじんよりゑちぜんのさんゐどの」とかかれたり。「第三にはゆきもりのあつそん。とうかいのえいぐわはへいけのそのにひらき、いつくしまのじんぷうはげんじのいへをやぶる。厳島明神よりさまのかみどの」とかかれたり。「第四にはとももりのあつそん。へいけはんじやうしてはつくにはにはみ、げんじすいらうのぎよをうふねをうしなふ。厳嶋明神よりみかはのかみどの」とかかれたり。
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「第五にはつねまさのあつそん。につぽんひかりをほしいままにすることは平家のよふうなり。たいはくほしををかすことは源氏のもつけたるべし。厳嶋明神よりたぢまのかみどのへ」とかかれたり。「第六にはきよふさのあつそん。平家はわうのごとし、源氏よくうやまふ。源氏はつづみににたり、平家これを打つ。厳嶋明神よりあはぢのかみどの」とぞかきたりける。六人おのおの馬よりおりて、「さいはいさいはい」と再び拝したまひけるぞめでたき。むまひきたまはむとしけるに、おきなはけしてうせにけり。これは誠のいつくしまのみやうじんのげんぢゆうのごじげん、きたいの不思議也。みやうじんこれほどごたくせんのあらむ上は、平家はんじやう、源氏すいめつのでう、うたがひあらじとこそよろこびあへりけるに、のちにきこへけるは、かのいつくしまのかんぬし、平家をいのりたてまつるこころざし、しんぢゆうにふかくして、合戦のかどでをいはひたてまつるつくり事にてぞつかまつりける。たとへばしやうぐわつぐわんにち
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ぐわんざんに、「ちやうせいでんのうち、ふらうもんのまへ」と祈れども、よはひは日にそへておとろへ、命はたちまちにとどめまる。「かしんれいげつよろこびきはまりなし」といはへども、ふくかうもさまでもなし。おもひなげきはひびにまさるがごとし。ばんじは皆春の夜の夢、しよじはことごとくぜんぜのくわほうなるべし。いのれども祈られず、いはへどもいははれぬわがみ也。そもそも第一のこれもりのくわんじゆのことばに、はじめの二句の心はきこへたり。第三第四の句に、「とんがにはかにながれてげんしみなもとをうしなふ」とまうすこころは、もろこしのしやうりやうせんの北のふもとに、だいがにはかに流れたり。これをとんがとなづけけり。つりをたるるおきなありき。そのなをげんしとかうす。くだんのにはかにながれいでたるにおどろきて、たづねいりてみければ、へんげの者のへんげしたるかはにて、あとかたもなくうせにけり。かの河のみなもとのなきがごとくに、この源氏の
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世も源うせぬべしといふ、しゆその心をあらはして、「げんしみなもとをうしなふ」と書たりけるとかや。よのくわんじゆのぶんしやうはことばあらはにして、心皆きこへたり。「へいじはんじやう、げんけめつばう」といのりしかども、せんどとをらずや有らむずらむとぞおぼへし。さるほどに平家のおほぜい既に都をいづ。おびたたしなむどはなのめならず。このせいにはなにかはおもてをむかふべき。只今うちしたがへてむとぞみへし。かたみちたまはりてければ、ろしもてあへる物をば、けんもんせいかのしやうぜいくわんもつ、神社仏事のじんもつぶつもつをもいはず、をしなべてあふさかのせきより、これをうばひとりければ、らうぜきなる事おびたたし。まして、おほつ、からさき、みつ、かはじり、まの、たかしま、ひらのふもと、しほつ、かいづに至るまで、ざいざいしよしよの
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家々を次第についふくす。かかりければ、にんみんさんやににげかくりて、はるかにこれをみやりつつ、おのおの声をととのへてぞ叫びける。昔よりしててうてきをしづめむが為に、とうごくほつこくにくだり、さいかいなんかいにおもむく事、そのれいおほしといへども、かくのごとくの、にんみんをつひやしこくどを損ずる事なし。されば源氏をこそほろぼして、かのじゆうるいをわづらはしむべきに、かやうにてんがをなやます事はただことに非ずとぞ申ける。よしなかこのことを聞て、わがみは信乃にありながら、へいせんじのちやうりさいめいゐぎしをたいしやうにて、いなづのしんすけ、さいとうだ、はやし、とがし、ゐのうへ、つばた、のじり、かはかみ、いしぐろ、みやざき、さみがいつたう、おちあひのごらうかねゆきらをはじめとして、五千余騎にて、ゑちぜんのくにひうちがじやうをぞかためける。ひうちもとよりくつ
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きやうのじやうなり。南はあらちのなかやま、あふみのうみの北のはし、しほつかいづの浜につづき、北はかいづ、ゆのをやま、きのべ、とくらとひとつ也。東はかへる山の麓、こしのしらねにつづきたり。西はのうみ、こしのうみやまひろくうちめぐりて、こしぢはるかにみへわたる。ばんじやくをそばたてやまたかくあがりのぼりて、しはうにみねをつらねたりければ、ほくろくだうだいいちのじやうくわくなり。山をうしろとして、山を前にあつ。りやうがんのあひだ、じやうくわくの前に、西より東へだいがながれいでたり。たいせきをかさね、しがらみをかきて、水をふせきとどめたり。あなたこなたの谷をふせき、南北の岸をうるほし、みづのおもてはるかにみえわたりて、みづうみの如し。かげなんざんをひたして、青くしてそうそうたり。なみさいじつをしづめて、くれなゐにしていんりんたり。かかりければ、舟なくしては、たやすく渡すべきやふなかりけり。
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九 廿一日、平家のぐんびやうひうちがじやうにせめよせたり。じやうのありさま、いかにしておとすべしともみへざりければ、十万騎のせい、むかへの山にしゆくして、いたづらに日を送りけるほどに、源氏のたいしやう、さいめいゐぎし、平家のせい十万騎におよぶよしをききて、かなふまじとやおもひけむ、たちまちにへんしんありて、わがじやうをぞせめける。あるとき、じやうないより平家のかたへひきめをいかけたり。あやしとおもひて取てみれば、ひきめのなかにつけたるふみあり。これをひらきてみれば、じやうへよすべき道のやうをぞ書きたりける。「このかはのはたをごちやうばかりかみに行て、川のはたにおほきなるしひのきあり。かのこのもとに瀬あり。をそが瀬と云。その瀬をわたつて東へゆけば、ほそぼそとしたる谷あり。谷のままにさんちやうばかりゆけば、道ふたつにわかれたり。ゆん
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でなる道はじやうの前へをりたり、めてなる道はじやうのうしろへかよひたり。この道をとほりて、じやうのうしろへおしよせて、いくさのときつくりたまへ。ときの声をきくものならば、じやうに火をかけさうらはむずるぞ。しからば北へのみぞおちさうらはむずる。そのときおほてをしあはせて、中にとりこめてうちたまへ。又このかははせきあげて候へば、かはじりへせいをまはして、しがらみをきりをとされさうらはば、水はほどなくおちさうらふべし。さいめいがいつたうは五十余人さうらへば、じやうのうしろへひとてにて落候べし。かたきかとて、くらまぎれにあやまち給な。やがてみかたへまゐりくははり候べし」とて、くはしくしるして、げしやくに付て親しかりければ、「ゑつちゆうのじらうびやうゑどのへ」とぞかきたりける。平家のぐんびやうこれをみて、「いちだいしやうげうの中にも、これほ
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どたつときふみはあらじかし。かのへいせんじはえいさんのまつじなり。いわうさんわうのおんぱからひにてや」といさみあひたり。又「いつくしまのみやうじんのさいめいにごたくせんあるにこそ」とて、よろこびたまふもことわりなり。ぜんかんのそぶがここくのえびすにとりこめられて、都を恋ふるおもひせちなりき。こきやうへ送りけるふみには、きえつの至りしようれつあらじと、たいしやうぐんをはじめてなんかいさいかいのともがらまで、よろこびあへる事かぎりなし。ありまさがしに、ひんがんにしよをかくればあきのはうすし、ぼやうにじうをごすればせいくわむなし。K129
と書たるは、そぶがこさいのありさまなり。しんめいのたすけある時には、かやふにこそありけれ。さればふたたびかんきやうの月に帰りて、えいぐわをいつてんにひらけり。かれはかりの足のしよ、これはながれやのふみ、みなもつててんじん
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ちぎのおんぱからひなり。「いそぐべしいそぐべし」とて、おのおのうちいでむとす。たぢまのかみつねまさのたまひけるは、「かたきをはかることは、山をかくして海をへんじ、河をつくしていはを集むるは、ゆみやとるもののならひなり。これもいかなるべきやらむ。おのおのはからひたまへ」とぞのたまひける。みかはのかみのたまひけるは、「さればとて、かくてあるべきにもあらず。その上、さいめいがじやうのていさもありぬべし。たばかるともそれによるべからず」とて、よきつはもの五百余騎をえらびてさしつかはしけり。じやうにかいたるむねにまかせてうちもてゆけば、かはばたにしひのきあり。またせあり。うちいれてわたせば、あぶみのはたもぬれざりけり。うちこえてみれば、たにあり、みちあり。めてなるみちのままゆけば、あんのごとくじやうのうしろへつといでたり。またをしへのごとくかは
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じりへひとをつかはして、しがらみをきりをとしてければ、おびたたしくみへけれども、みずはほどなくおちにけり。おのおのかぶとのををしめ、やなみかいつくろいて、せいをまちととのへて、こゑをととのへてときをつくる。やがてじやうないよりひをいだす。これをみて、「かたきすでにうちいりてひをいだすか」とて、じやうないにこもりたるものどもあわてさはぎて、われおとらじときどぐちをひらきて、きたへのみぞまどひおちける。へいけのおほておしあはせて、とりこめてたたかひければ、げんじのぐんびやうかずをしらずうたれにけり。さいめいやがてへいけのかたへおちくははりて、「ほくろくだうのあんないしや、さいめいつかまつらむ」とぞまうしける。ひうちがじやうおひおとしてければ、やがてかがにうちこえて、ゑつちゆうのくにとなみやまをこえむとす。きそ
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このことをききておほきにおどろき、ごまんよきにてうちいでて、せきやまをこえてとなみやまへぞむかひける。またかつせんのきたうにとて、ぐわんじよをかきてしらやまへたてまつる。かのじやうにいはく、
十 けいびやくだいぐわんをたてまうすこと一 かがのばばしらやまのほんぐうさんじつかうをごんじしたてまつるべきこと一 ゑちぜんのばばへいせんじさんじつかうをごんじしたてまつるべきこと一 みののばばちやうりゆうじさんじつかうをごんじしたてまつるべきことみぎしらやまめうりごんげんは、くわんおんさつたのすいしやく、じざいきつしやうのけげんなり。さんしうかうれいのがんくつをしめて、しかいそつとのそんぴをりす。さんけいがつしやうのともがらは、にせいのしつぢをみたし、きえていとうのたぐひは、いつしやうのえいえうにほこる。
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そうじてちんごこくかのほうしや、てんがぶさうのれいしんなるものか。しかるをきんらいよりこのかた、へいけたちまちにふたうのかうゐにのぼり、あくまでひじゆんのえいしやくにほこりて、かたじけなくじふぜんばんじようのせいしゆをないがしろにし、ほしいままにさんたいきうきよくのしんかをりようじよくし、あるいはだいじやうほふわうのすみかをついふくし、あるいははくりくてんがのみをおさへとる。あるいはしんわうのせんきよをうちかこみ、あるいはしよぐうのけんせいをうばひとる。ごきしちだう、いづれのところかこれをうれへざる。はくくわんばんみん、たれのひとかこれをなげかざる。すでにわうそんをたたんとほつす。あにてうかのおんかたきにあらずや。これいち。つぎになんきやうしちじのぶつかくをやきて、とうぜんはつしゆうのゑみやうをたち、をんじやうみゐのほつすいをつくして、ちしよういちもんのがくりよをほろぼす。そのさかしまてうだつにもまさり、そのとがはじゆんにもこえたり。げつしのたいてんのさいたんか、じちゐきのもりやかさねてきたれるか。すでにぶつざうきやうくわんをまめつし、まただうたふそうばうをやきはらふ。いづくんぞほつけのをんできにあらずや。これに。
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つぎにげんじへいじのりやうか、いにしへよりいまにいたるまで、ごかくのごとく、てんしさうのしゆご、てうかぜんごのしやうぐんなり。しかるをことにふれしいうをけつし、ひまをうかがひむじゆんをいたす。よつてだいだいかつせんをくはたて、どどしようぶをあらそふ。すでにしゆくせのをんしんあり。これわたくしのおほきなるかたきかこれさん。これによつてかたじけなくしんめいのみやうじよをかうぶり、ぶつぽふのをんできをかうせむがために、だいぐわんをさんしうのばばにたてて、かんおうをさんじよごんげんにあふぐのみ。なかんづくせんだいわうできをふくす。みなぶつじんのひいきによる。このときむほんをかうせんに、いづくんぞごんげんのしようりなからむや。しかのみならず、はくさんのほんぢくわんおんだいしなれば、ふゐきふなんのなかにおいて、よくむゐをほどこす。たとひぼうしんのきようどしゆそをくはへをんねんをいたすといへども、ほんにんのせいやくにげんちやくすること、うたがひなからむ。しかれば、ごんげんのほんぜいをげんねんす。かんおうきびすをめぐらすべからず。いかにいはむやわがいへせんぞより、はちまんだいぼさつのかごをあふぐ。ゐをふるひとくをほどこす。しかるにはちまんのほん
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ぢは、くわんおんのほんしあみだなり。はくさんのごたいは、みだのけふじくわんぜおんなり。していちからをあはせば、かんおうひそかにつうぜんものか。いはむやみだにむりやうじゆのみなまします。あにせんしうばんぜいのさんをさづけざらむや。くわんおんにやくじゆわうのみをげんず。いづくんぞふらうふしのくすりをしよくせざらんや。ほんぢといひすいしやくといひ、しようりけちえんなり。おほやけにつけわたくしにつけ、そくわいをとげむとほつす。こころざすところわたくしなく、ほうこういただきにあり。ひとへにわうできをかうせむがため、もつぱらてんがををさめんがため、たちまちにぶつぽふをおこさむがため、とこしなへにしんめいをあふがんがためなり。つたへきく、てんじんにいかりなし、ただしふぜんをきらふ。ちぎにたたりなし、ただしくわげんをいとふ。ゆゑにへいけわうゐをうばふ、これふぜんのいたりか。ぼうしんぶつぽふをほろぼす、またくわげんのもとゐなり。じつげついまだちにおちず、せいしゆくなほてんにかかれり。しんめいのしんめいたるものは、このときげんをほどこし、さんぼうのさんぼうたるものは、このときゐをふるひたまへ。しかればすなはち、ごんげんわれらがこんぜいをてらし、みやうにはへいけのやからをばつせしめて、われらごんげんのかりよくをかうぶりて、けんにむほんのともがらをうたむとおもふ。
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もしたんきにこたへて、かんおうすみやかにつうぜば、かみくだんのだいぐわんけだいなくは、はたしとぐべきなりてへれば、いよいようぢのめんぼくをよろこびて、あらたにしやだんのしやうごんをそへ、とこしなへにみちのみやうがにほこりて、ますますぶつぽふのこうりゆうをいたさむ。よつてまうしたつるところ、くだんのごとし。うやまひてまうす。じゆえい二年四月廿八日みなもとのよしなかうやまひてまうす」とぞ書たりける。五月二日、ろくらうみつあき、とがしのたらうらがじやうくわくをにかしよをうちおとし、しだいにせめいるよし、くわんびやうくにぐによりはやむまをたてて申ければ、みやこにはひとびとよろこびののしりけり。はやし、とがしがいつたうおひおとして、へいけはしらやまのいちのはしをひきてぞこもりける。十一日、へいけ十万よきのつはものをみてにわけて、さんまんよきをばしをの手へむけさしつかはす。しちまんよきをばおほてにさしむけて、ゑつちゆうのせんじもりとしがいつたうごせんよきひきわけて、かがのくにをうちすぎ、よもす
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がらとなみ山をこえて、ゑつちゆうのくにへいるところに、きそがめのとごにいまゐのしらうかねひら、ろくせんよきにてまちまうけてすこくかつせんす。ゆふべにおよびてもりとしうちおとされぬ。うたるる者三千よにんとぞきこへし。もりとしはかがのくににかへりて、ひとところにあつまりゐて、いくさのだんぎす。へいけ十万よきをふたてにわかてり。おほてはこれもり、みちもり、とものり、つねまさ、きよふさ、ただのり、のりつねいげしちまんよきは、かがゑつちゆうのさかひなるとなみやまをうちこえて、ゑつちゆうのくにへむかはむとす。からめでのたいしやうぐんはゑつちゆうのせんじもりとし、さんまんよきにて、のと、かが、ゑつちゆうさんがこくのさかひにしをざかへむかふ。きそよしなかは越中国にはせこえて、いけのはら、はんにやのにひかへたり。ごまんよきのせいをみてに作る。じふらうくらんどゆきいへたいしやうぐんにて、たてのろくらうちかただ、やしまのしらうゆきつな、おちあひのごらうかねゆき
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らをあひぐして一万騎、しをざかへさしつかはす。「いまゐのしらうかねひらも一万騎にて、となみやまのうしろのからめでにまはるべし。よしなかさんまんよきにておほてへむかふべし」と申ければ、みやざきさみの太郎がまうしけるは、「くろさか、しをやまをこされなば、いづくにてかささふべき。へいけよもすがら山をこうるとうけたまはる。くろさかぐちへつきたまひて、しばらくささへてごらんぜよ」と申ければ、きそ申けるは、「おほぜいはよなかにははせあふまじきぞ。黒坂口へ手をむけばや」とひやうぢやうす。ほくろくだうほんぎやくのともがらのこと、せんじをくださる。そのじやうにいはく。みなもとのよりとも、おなじくのぶよしら、きやうねんよりこのかた、みやうあくのぎやくしんにぢゆうして、らうれいのかんらんをくはたつ。そのどういよりきのともがら、とうごくおよびほくろくより、すかこくのしうけんをりよりやくし、そこばくのれいみんをこふりやくす。むほんのはなはだしき、わかんにたぐひすくなし。よつてさきのないだいじんにおほせて、
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よろしくほくろくだうのぎやくぞくをついたうせしむべしてへり。寿永二年五月廿日 さちゆうべん六月一日、「へいけのおほて、すでにとなみやまをうちこえて、くろさか、やなぎはらへうちいづ」ときこへければ、きそ申けるは、「きくがごとくはへいけたせいなり。やなぎはらのひろみへうちいづる物ならば、はせあひの合戦にて有べし。はせあひのたたかひはせいのたせうによる事なれば、おほぜいの中にかけられてあしかるべし。かたきを山にこめて、ひくれてのち、くりからがたにのがんぜきにむけておひおとさばやとおもふなり。よしなかまづいそぎて、くろさかぐちに陣を取べし。かたきむかひたりとみば、『このやましはうがんぜきなれば、さうなくかたきよもよせじ。いざ馬のあしやすめむ』とてとなみやまのさるのばばにおりゐてやすまむずる。そのうしろへからめでをまはして、たにへむけておひかけよ」と申て、
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まづはたさしひとりつよき馬にのせてはせさす。みのこくばかりにくろさかぐちにはせつく。しらはたひとながれたかきにうちたててゆひつけたり。あんの如くへいけこれをみて、「あわやげんじのせんぢんむかひてけるは。かたきはあんないしやなり、みかたはぶあんないなり。さうなくひろみへうちいでて、しはうよりかけたてられてあしかりなむ。このやまはしはうがんぜきなり。かたきよせつともみへず。むまのくさかひ、みづのたよりともによきところぞ。やまをかかせて馬のひづめもよはりたり。ここにおりゐてしばらく休めや」とて、へいけとなみやまにぞおりゐにける。げんじのしたくにすこしもたがわず。いくさのひをてんじて、きつきようをうらなふ男有けり。かの男申けるは、「九月いぜんにはいくさりせざるなり。ひきしりぞきてごぢんをかためよ」と申けるを、かげいへじやしんにいりて、しんぜずして、合戦をいそぎけり。
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これは、ひごのかみさだよしがきくちたかなほをせめおとして、じゆらくするよしきこへければ、かれにさきだちてしようぶをけつして、こうをあげむと思ける故なり。よしなか、むま三十ぴきにくらを置て、しでをつけててんじんちぎに奉りて、ちかひていはく、「しんめいもしきせいのおもむきをなふじゆし給はば、此の馬あひひきて、かたきの陣の中にいるべし。なふじゆし給はずは、むまみなりさんすべし。これをもつてけふのいくさのしんだいおもひさだむべし」と心をいたして、きねんしておひはなちたりけるに、かの馬いちれつにむれひきて、つのはんぐわんもりずみが陣の中へ三十ぴきながらいりたりければ、くわんぐんも驚きあへり。よしなかふかくしんじゆす。さるほどに、あたかのせい、いくさにておひたりしいしぐろのたらうただなほもけふういだちして、むまにかきのせられて、はんにやののぢんへ参りたりけり。をりしもどうこくのぢゆうにん
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なかむらのさぶらうただつな、むくたのあらじらうむらたか、まゐりあひさうらひければ、たいしやうぐんきそのたまひけるは、「よしなかはえうせうよりしてしなののくににきよぢゆうして、けふはじめてこの山へはむかひたり。しかるあひだ、やまのあんないぞんぢせず。とのばらはあさゆふすみなれ給たる所なれば、さだめてあんないはよくよくぞんぢせられたるらむ。こんどの合戦に、よしなかをかたせうかたせじは、しかしながらとのばらのはからひなり。いかやうにあるべきやらむ」とのたまひければ、めんめんに申けるは、「さんざうらふ。このくににぢゆうして人となれるみどもにて候へば、『このもと、かやのもと、たにのふかきにあくしよあり。みねのけはしきにがんぜきあり。ここはかんだうなれば、いづくのさとへいづるみち。かれはだいだうなれば、それがしの村へつづきたり。かたきはかのかたよりよせこば、われはちがいていづれのかたよりむかふべし』とぞんぢして候へば、おのおのあんないしやつかまつりさうらふべし。このやまはと
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なみやまのこほりのうちにてさうらへば、となみやまとも申し候。またはくろさかやまともなづけたり。くろさかに取てみつのみちさうらふ。きたぐろ
さか、みなみぐろさか、なかぐろさかとて候。きたにはまたあんらくじごえ、みなみにはかむだごへ、ほら坂ごへとて、みちは多く候へども、よのかたへはいづれのみちへも、かたきむかひたりともうけたまはりさうらはず。なかぐろさかのさるのばばとまうすところにぢんをとりてさうらふなれば、かしこはむげにぶんないせばきところなり。せんぢんごぢんおしあはせてせめむに、むげにやすくおぼえさうらふ」とぞ申ける。きそみのせいのさだめ、十三騎にて、まづなかぐろさかぐちへはせつきぬ。しはうをきとみまわせば、きたのはづれにあたりて、なつやまのみねのみどりのこのまより、あけのたまがきほのみへて、かたそぎづくりのやしろあり。まへにとりゐぞ立たりける。さとのをさをめして、「あれをばなにのみやと申すぞ。またいかなる神をあがめたてまつりたるぞ」ととひたまへば、「これははにふのやしろとまうして、はちまん
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ぐうとまうしさうらふ」といひければ、きそうれしくおもひて、きそがてがきにきそのたいふかくめいといふもののありけるをよびていひけるは、「よしなかさいはひにたうごくしんはちまんぐうのごほうぜんにちかづき奉りて、合戦をとげむとす。こんどのいくさにはうたがひなくかちぬとおぼゆるぞ。かつうはこうたいのため、かつうは当時のいのりのために、ぐわんじよをいつぴつかきてまいらせばやと思ふは、いかがあるべき」といひければ、かくめい「もつともしかるべくさうらふなり」とて、えびらのなかよりこすずりをとりいだして、たたうがみに是をかく。かくめいそのひは、かちんのよろひひたたれにすつちやうづきんして、ふしなはめのよろひにくろつばのそやおひて、しやくどうづくりのたちはいて、ぬりごめどうのゆみわきにはさみて、きそが前にひぎまづきて書たりけり。あわれ、ぶんぶにだうのたつしややとぞみへたるける。そのじやうにいはく、
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十一 きみやうちやうらい、はちまんだいぼさつは、じちゐきてうていのほんしゆ、るいたいめいくんのなうそなり。ほうそをまもらんがため、さうせいをりせんがために、さんじんのきんようをあらはし、さんじよのけんぴをひらく。ここきやうねんのあひだ、へいしやうこくと云ものあり。しかいをくわんりやうしてばんみんをなうらんせしむ。これすでにぶつぽふのあた、わうぼふのかたきなり。よしなかいやしくもきゆうばのいへにうまれて、ききうのげいをつぐ。かのぼうあくをみるに、しりよをかへりみることあたはず。うんをてんたうにまかせ、みをこくかになぐ。こころみにぎへいをおこして、きようきをしりぞけんとほつす。しかるをたうせんりやうぢんをあはすといへども、しそついまだいちぢんのいさみをえざるあひだ、まちまちのこころわんわんたるところに、いまいちぢんのはたをあぐるせんぢやうにおいて、たちまちにさんじよわくわうのしやだんをはいす。きかんのじゆんじゆくすでにあきらかなり。きようどのちゆうりくうたがひなし。くわんぎのなみだをふらせて、かつがうきもにそむ。なかんづく、ぞうそぶさきのむつのかみよしいへのあつそん、みをそうべうのしぞくにきふして、なをはちまんたらうとかうせしよりこのかた、
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そのもんえふたるものの、ききやうせずといふことなし。よしなかそのこういんとして、かうべをかたぶけてとしひさし。いまこのたいこうをおこす。たとひえいじのかひをもつて、きよかいをはかり、たうらうのをのをとりて、りふしやにむかふがごとし。しかれどもきみのためくにのためこれをおこす。まつたくみのためにこれをおこさず。こころざしのいたりしんかんそらにあり。たのもしきかな、よろこばしきかな。ふしてねがはくはみやうけんゐをくはへ、れいしんちからをあはせて、かつことをいつしにけつし、あたをしはうにしりぞけたまへ。たんぜいみやうりよにかなひ、いうけんかごあるべくは、まづひとつのずいさうをみせしめたまへ。うやまひてまうす。じゆえい二年六月一日みなもとのよしなかうやまひてまうすとぞ書たりける。このぐわんじよに十三騎のうはやをぬきて、雨のふりけるに、みのきたる男のみののしたにかくしもたせて、だいぼさつのしやだんへたてまつるところに、たのもしき事は、八幡大菩薩、そのふたごころなき心ざしをやかがみたまひけむ、れいきうてんより飛びきたりて、しら
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はたのうへにへんばんす。よしなか馬よりおり、かぶとをぬぎ、かうべをちにつけて、これをはいし奉る。へいけのぐんびやうはるかにこれをとほみして、みのけいよだちてぞおぼえける。さるほどにきそがせい三千よきにてはせきたる。かたきにせいのかさみへなばあしかりなむとて、まつなが、やなぎはらにひきかくす。とばかりありてはごせんよき、おなじくやなぎはらにひきかくす。とばかりあつてはしちせんよき、とばかりあつては一万騎、さんまんよきのせいはしごど、じふどにぞはせつきける。皆柳はらにひきかくす。へいけはとなみやまのくち、くりからがたけのふもとに、まつやまをうしろにして、きたむきに陣をとる。きそはくろさかのきたのふもと、まつながやなぎはらをうしろにして、みなみむきにくろさかぐちにぢんをとる。りやうぢんのあひだわづかにごろくたんをへだてて、おのおのたてをつきむかへたり。きそはせいをまちえても、合戦をいそがず。へいけのかたよりもすす
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まず。ときのこゑさんがど、のちはしづまりかへりてぞみへける。しばらくあつて、げんじの陣よりせいびやう十五騎をたてのおもてへすすませて、十五騎うはやのかぶらをどうおんにへいけの陣へぞいいれける。へいけすこしも騒がず、十五騎をいであはせて、十五のかぶらをいかへさす。りやうばう十五きづつ共にたてのおもてにすすみたり。しようぶをけつせむとはやりけれども、うちよりせいしてまねきいれつ。またとばかりありて、卅騎をいだしていさすれば、卅騎をいだしていかへす。五十騎をいだせば五十騎、百騎をいだせば百騎をいだしあひて、やをいちがへさせたるばかりにて、りやうばうしようぶにおよばず、おのおのほんぢんへひきしりぞく。かくするほどに、たつのときよりひつじのこくまでろくかどにおよぶ。げんじはからめでのまはるをまちて、ひをくらさむとするはかりことをばしらずして、へいけの
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あひしらひけるこそはかなけれ。さるほどに日もくれがたになりぬれば、いまゐのしらうかねひら、たてのろくらうちかただ、やじまのしらう、おちあひのごらうをさきとして、いちまんよきの勢にて、へいけの陣のうしろ、西のやまのうへよりさしまはして、ときをどつとつくりたりければ、くろさかぐち、やなぎはらにひかへたるおほてさんまんよき、どうじに時を作る。ぜんごごまんよきがをめく声ひとつ、たににひびきみねにひびきて、をびたたしくぞきこへける。へいけは、「きたはやまがんぜきなり。よいくさはよもあらじ。よるあけてのちぞいくさはあらむずらむ」とて、ゆだむしたりける所に、にはかにときをつくりあげたりければ、とうざいをうしなひてあわてさわぐ。うしろはやまふかくしてけはしかりつれば、からめでまはりぬべしとはおもはざりつるものをや。こはいかがせむずる。まへはおほてなればえすすまず。うしろへもひきかへさず。りようにあらねばてんへものぼら
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ず。ひはすでにくれぬ。あんないはしらず、ちからおよばぬみちなれば、ひがしのたにへむけてよこにぞをとしける。さばかりのがんぜきを、やみの夜にわれさきにとおとしけるあひだ、くひにつらぬかれ、岩にうたれても死にけり。さきにをとす者は、のちは落す者にふみころされ、後に落す者は、いまをとす者におしころさる。ちちをとせば子もをとす、こをとせばちちもつづく。しゆうをとせばらうどうもをちかさなる。むまにはひと、ひとには馬、上や下にをちかさなりて、くりからがたにひとつをばへいけしちまんよきにてはせうめてけり。たにの底におほきなるとちの木あり。ひとつのえだへはにじふぢやうありけるが、かくるるほどにぞはせうめたりける。いたづらにすつるいのちを、かたきにくむではしなずして、われおとらじとはせかさなりけるこそむざんなれ。たいしやうぐんみかはのかみとものりいげ、さぶらひにはひだのはんぐわんかげたか、たかはしのはんぐわん
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ながつないげ、ゑふ、しよし、ならびにうくわんのともがら百六十人、むねとのものどもにせんよにんはくりからが谷にてうせにけり。がんせんちをながし、しがいをかをなせり。されば、くりからが谷のへんには、せんこう、たうこん、このもとごとにのこり、ここつたににみちて、いまのよまでありとぞうけたまはる。きそかやうにへいけのおほぜいをせめをとして、くろさかのたうげにゆんづゑつきてひかへたるところに、へいけはせかさなりてうめたる谷の中より、にはかにくわえんもえあがる。きそおほきにおどろきて、らうどうをつかはしてこれをみするに、かなつるぎのみやのごじんぼうにてぞわたらせたまひける。かなつるぎのみやとまうすはしらやまのつるぎのみやのおんことなり。きそむまよりをり、かぶとをぬぎて、さんどこれをはいしたてまつりて、「このいくさはよしなかが力のおよぶ所にてはあらざりけり。しらやまごんげんのおんぱからひにして、へいけのせいは
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ほろびにけるにこそ。つるぎのみやはいづれのかたにあたりてわたらせ給ふやらむ。おんよろこびまうさむ」とて、くらおきむまにじつぴきにたづなむすびてうちかけて、しらやまのかたへおひつかはす。これほどのしんけんをいかでかさてあるべきとて、かがのくにはやしのろくらうみつあきがりよりやうよこえのしやうを、しらやまごんげんへきしんしたてまつりたりけるが、いまにたえず、じんりやうにて伝わりたるとかや。
十二 同二日、しをのいくさに、じふらうくらんどゆきいへまけいろになりたりければ、ゑつちゆうのせんじもりとし、かつにのりてせめたたかふ。きそとなみやまのいくさに打勝て、五万騎のせいにてしをざかへはせむかひて、あたかのみなとをわたさむとするに、はしをひかれて、河はふかし、わたすにおよばずして、いきつぎいて、くらおきむまにたづなむすびて、かいかけかいかけ七八疋おひわたす。へいけのせいこれをみて、「げんじおとしな
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むとするにこそ。ここにむまおとしたり」と申て、われとらむわれとらむとしけるを、きそこれをみて、「河はあさかりけり。わたせやわたせや」と云て、うんの、もちづき、にしな、むらやまをさきとして五百余き、うちひたりたり。へいけこれをみて、とるものもとりあへずおちにけり。のがるる者はすくなく、おほくは河へぞいりにける。しをの手おひおとして、やがて加賀国しのはら、なみまつまでせめつけたり。平家かへしあはせてたたかうといへども、三万余騎たいていしのはらにてうたれにけり。びつちゆうのくにのぢゆうにんせのをのたらうかねやす、木曽が郎等、かがのくにのぢゆうにん、くらみつのろくらうなりずみが為にいけどられぬ。さいめいゐぎしもいけどられぬ。
G30十三 平家のけにん、むさしのくにのぢゆうにん、ながゐのさいとうべつたうさねもり、「つひにのがるまじきいのちなり。いづくにてもしなむ命はおなじこと」と思ひて、ししやうふちにたたかひ
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けり。あかぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのよろひをぞ着たりける。木曽が手に、しなののくにのぢゆうにんてづかのたらうみつもりといふものあり。さねもりがかくるをみて、「たそや。ただひとりのこりとどまりてたたかふこそ心にくけれ。なのれやなのれや。かうまうすはたれとか思ふ。しなののくにすはのこほりのぢゆうにん、てづかのたらうかなさしのみつもりと云者ぞ。よきかたきぞや」と、なのりかけたり。さねもりまうしけるは、「さるものありとききおきたり。ただしわぎみをさぐるにはあらず。おもふやうがあればなのりはすまじ。只くびを打て源氏のげんざんにいれよ。きそどのはごらんじしりたるらむ。おもひきりたれば、一人残りとどまりてたたかふぞ。かたきはきらふまじ。よりこよ、手塚」といふままに、弓をわきにはさみてあゆませよりたり。手塚、郎等一人をめてにならべて、中にへだたるとぞ見へし。さねもりにおしならべて手塚むずとくむ。実盛「さしたり」と云て、さしおよびて、
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手塚が郎等のおしつけの板をつかみて、左の手にてはたづなをかひくり、立あがつて、「えい」と云てひくに、手塚が郎等ひきおとされぬ。実盛おしつけの板をつかみて、馬の腹にひきつけて、もてさげてもてゆく。足は地よりいつしやくばかりあがりたり。手塚これをみて、はせならべて、実盛がよろひの袖につかみ付て、えごへをいだして引くに、あぶみをこしてさきにおちにけり。実盛も二人を
かたきにうけたりければ、もろともにひきおとされぬ。さりけれども、手塚が郎等を取てをさへてくびをかくに、手塚、実盛がよろひのくさずりをひきあげて、つかもこぶしもとをれとさして、やがて上にのらへてくびをかくに、水もさわらず切れにけり。手塚が郎等をくればせにはせ来たりけるに、さねもりがよろひはぎとつてもたせて、木曽が前にきたりて
P2499申けるは、「みつもりこそかかるくせもの打て候へ。『なのれ』と申候つれども、なのりさうらはで、『きそどのは御覧じ知たるらむ』と申て、つひになのり候はず。さぶらひかとぞんじさうらへば、にしきのひたたれを着て候。たいしやうぐんかとぞんじさうらへば、つづくせいも候はず。きやうものか、さいこくさまのごけにんかと思候へば、こゑはばんどうごゑにてさうらひつ」と申せば、木曽のたまひけるは、「あはれ、これはむさしのくにながゐのさいとうべつたうさねもりにこそあむなれ。もしそれならば、ひととせ義仲をさなめに見しかば、しらがかすをなり
しぞ。今は事のほかにしらがにこそなりぬらめ。びんの髪のくろきこそあやしけれ。ひぐちはふるどうれうにてみしりたるらむ。見せよ」とて、ひぐちの次郎をめしてみせらるる。実盛がもとどりを取
てひきあげてただひとめみるままに、なみだをはらはらとをと
P2500して、「あなむざむや、実盛にて候也」と申せば、木曽、「いかにびむひげのくろきは」といふに、ひぐち、「さ候へばこそ、子細を申候はむとし候が、心よはくなみだのまづこぼれ候也。弓矢とる者は、いささかの事にもことばをばまうしおくべき事にてさうらひけり。実盛としごろかねみつにまうしさうらひしは、『実盛六十にあまりてのち、いくさのぢんにむかひたらむには、しらがのはづかしからむずれば、びむひげにすみをぬりて、わかくみえむとおもふなり。そのゆゑは、これほどのしらがにて、いかほどのさかえを思ていくさをばしけるぞやと、人の思わんもはづかし。そのうへかたきも、らうむしやとて、あなづらむ事
もくちをしかるべし。又わかとのばらにあらそひてさきをかくるもをとなげなし。をののこまちがらうくの歌に、さわにをうるわかなならねどをのづからとしをつむにもP2501そではぬれけり
といひけむもことわりなりけり』とまうしさうらひしが、たわぶれとおもひて候へば、げにすみをぬり
てさうらひけるぞや。水をめしよせて、あらはせてごらんさうらへ」と申せば、「まことにさも有らむ」とて、あらわせてみ給へば、しらがふうきにあらひなしてけり。さてこそいちぢやうながゐのさいとうべつたうさねもりがくびともしりにけれ。かのしやうざんのしかうは、づじやうにしもをいただき、すみやかにかうさんのおくにかくれ。このさいとうべつたうは、しらがにすみをぬりて、ながくめいどのたびにおもむく。かれはけんさいのうけつなるがゆゑなり。これはぶようのいたりてかうなるが故也。昔のきよいうはみみをあらひてなをこうたいにながす。今のさねもりはかみをすすぎてなみだをばんにんにもよほす。にしきのひたたれを着たりける事は、実盛京をうつたちける日、ないだいじんに申けるは、「実盛とうごくのうつてにまかりくだりてさうらひしに、ひとやもP2502いずして、かんばらよりまかりのぼりてさうらひしが、実盛がおいのはぢ、このことに候とぞんじ候へば、今度ほくろくだうにまかりくだりて候わむには、ぜんあくいきてかへりさうらふべからず。年はまかりよりてさうらへども、まつ先かけてうちじにつかまつり候べし。それに取て、実盛もとはゑちぜんのくにの住人にてさうらひしが、きんねん所領につきてむさしのくににきよぢゆうつかまつる。事のたとへ候
へば、故郷へはにしきのはかまを着よとまうすことの候へば、今度最後のしよまうには、にしきのひたたれを
ごめんかうぶり候べし」と申ければ、だいふ「さうに及ばず」とて、ゆるさせられにけるあひだ、ひたたれ
をばきたりけり。これを聞て、だいみやうせうみやうみなよろひの袖をぞぬらしける。いとうのくらう、おほばのごらう、ましものしらうなむども、ここかしこにして打たれにけり。今度となみ山、しをざかよりはじめて、くもつ、まつがさき、かねがさき、
P2503なみまつこえしいろの浜、あまのはしだて、あたかのまつばら、たけのとまり、ところどころの戦に、平家のくわんびやう毎度にうちおとされて、しかるべき人々も馬をはなれもののぐをぬぎ捨てて、あるいはとうせんだうにかかり、あるいはほくろくだうにかかる人もあり。おもひおもひに都へおちのぼる。これもり、みちもりけうにして返りのぼられにけり。さんぬる四月に十万余騎にてくだり、今六月にいくさにまけてかへりのぼるせいは三万余騎、のこる七万余騎はほくろくだうにてかばねをろしにさらしてけり。平家今度しかるべきさぶらひ、たいりやくかずを尽してくだされにける
に、かく残りすくなくうたれぬる上はいふはかりなし。「ながれをつくしてすなどりする時は、多くうを
を得といへども、めいねんに魚なし。林を焼てかりする時は、多くけだものをとるといへども、是もめいねんにけだものなし。のちをぞんP2504じて、さうけんのすくやかなるをつかはして、せうせうはくわんびやうを残さる
べかりける物を」と申す人もありけり。ないだいじんむねととたのまれたりつるおとと、みかはのかみもうたれ
給ぬ。ながつなもかへらず。「ひとところにていかにもならむ」とちぎりたまひたりつる、めのとごのかげたかもうたれぬる上は、おほいとのも心よはくぞおもひたまひける。ちちたかいへも、「かげたかにおくれさうらひぬるうへは、今は身のいとまをたまわつて、しゆつけとんぜいしてごしやうをとぶらうべし」とぞ申ける。このたびうたるるものどものぶもさいしらがなきかなしむことかぎりなし。家々にはもんこをとぢて、声々に念仏を申しあひたりければ、きやうぢゆうはいまいましきことにてぞありける。十四 むかしてんぽうにつはものをちようす。かりむけていづれのところにかやる。ごぐわつばんりのうんなんに
P2505行く。かのうんなんにろすいあり。たいぐんかちより渡る時、みづゆの如し。いまだたたかわざるに、十人が二三は死ぬ。そんなんそんぼくにこくする声悲し。ちごはだじやうにわかれ、夫はさいしにわかる。ぜんごばんにゆくもの、千万に一人も返らず。しんぽうけん、かのうんなんのせいせんをおそれつつ、とし廿四、よふけひとしづまりてのち、みづから大石をいだき、ひぢをうちをりき。弓をひき、旗をあぐるにともにたえず。右のひぢは肩にあり、左のひぢはをれたりといへども、これよりはじめてうんなんにゆくことをまぬかれぬ。しばらくきやうどにかへらむ事をえらび、しりぞけらるるといへども、ほねくだけすぢやぶれて、かなしからずと云事
なし。されどもひぢをれてよりこのかた六十年、いつしはすたれたりといへども、ひとつのみはまたし。今に至るまで、かぜふき、あめふり、くもりふたがる夜は、天のあくるまでいたみて
P2506ねぶらず。いたみてねぶらざれどもつひにくいず。喜ぶ所はおいのみなり。そのかみうんなんにゆかましかば、かのろ
すいにぼつして、うんなんばうきやうのきとなりて、ばんにんのつかの上になくことえうえうとぞあらまし。よわい八十八、かうべはゆきににたりといへども、やしはこにたすけられて、たなの前にむきてゆく命ありけれ
ば、かかる事にもあへりけるにや。ひとえだををらずはいかにさくらばなやそぢあまりの春にあわまし K130平家今度しかるべきさぶらひども、かずをつくしてくだしつかわす。そのほかしよこくよりもかりむけたる
つはもの、いくせんまんといふことをしらず。行て再び帰らず、たにひとつをうめてけり。されば、かのうんなん
ばんりのろすいにたがはざりける物をやとあはれなり。いつかのひ、ほつこくのぞくとの事、ゐんのごしよにてさだめあり。左
P2507大臣つねむね、右大臣かねざね、左大将さねさだ、くわうごうぐうのだいぶさねふさ、ほりかはのだいなごんただちか、むめのこうぢのちゆうなごんながかた、このひとびとめされける。右大臣かねざね、堀川大納言ただちかは参り給わざりけり。右大臣へはおほくらのきやうやすつねをおんつかひにておんたづねあり。ただよくよくおんいのりを行はるべきよしをぞまうされける。左大臣つねむねは、「かなはぬまでも
門々をかためらるべし」と申されけるぞ、いふかひなき。右大臣、「とうだいじの秘法有り。かやうの時おこなはるべきにや。むねとのちやうらうにおほせらるべきか」と申させ給ふに、ながかたのきやう、「ぐんびやうのちから今はかなふまじきかと、さきのないだいじんにたづねらるべし。そののちの儀にてあるべきか」とぞまうされける。十五 十一日に院よりえんりやくじにて、やくしきやうのせんぞうのみどきやうおこなわる。これP2508もひやうがくのおんいのり
なり。おんふせにはてづくりのぬのいつたん、くまいぶくろひとつ。ゐんのべつたうさちゆうべんかねみつのあつそん、おほせをうけたまはりてもよほしさたありけり。ぎやうじしゆてんだいのちやうくわん、おんふせのくまいをあひぐして、にしざかもと、せきさんの堂にてこれをひくほどに、山のこぼふしばらをもつてうけとるあひだ、ひとりしてあまたを取る法師もあり、又手を
むなしくしてとらぬ者も有けり。しかるあひだ、ぎやうじくわんとほふしばらと事をいだす。しゆてんだいのちやうくわんえぼしうちおとされて、さんざんの事にてぞ有ける。はてにはしゆてんだいをからめて山へのぼりにけり。平家のしとするじんじぶつじのいのりの、ひとつとしてしるしはなかりけり。十六 おなじきひ、くらんどうゑもんのごんのすけさだながおほせをうけたまはりて、さいしゆじんぎたいふくおほなかとみのちかとしをてんじやうのくちにめして、「ひやうがくたひらかならず。だいじんぐうへぎやうがう
P2509あるべき」よし申させ給ひけり。だいじんぐうとまうすは、たかあまのはらよりあまくだりましまししを、すいにんてんわうのぎよう廿五年とまうししつちのえのさる三月
に、いせのくにわたらひのこほりいすずがはのかはかみ、しもついはねに、おほみやばしらひろしきたてていはひはじめたてまつりたまひしよりのち、そうべうしやしよくの神におわしませば、そうきやうし奉らせたまふこと、わがてう六十余州のさんぜんしちひやくごじふよしやのだいせうのじんぎ、みやうだうにすぐれてましまししかども、よよのごかうはなかりしに、ならのみかどのおんとき、右大臣ふひとの孫、しきぶきやううまかひのおんこ、うこんゑごんのせうしやうけんださいのせうに、ふぢはらのひろつぐといふひとおわしき。せじやうのさいじん、てんがのしゆんしや也。そのみにしゆじゆののうあり。ぎやうたいたんごんにして而がうなんじざいなれば、てうせきくわらくちんぜいにわうげんし、ぶんせきつうだつして而ないげ
P2510ゆづうなれば、しふはきよいげんしんにはぢず。ぶげいにおいてりやうしやうたり、ひとやをもつてしはうをいる。じゆつだうにおいてめいよあり、とをのともしびをかかげていちどにけやす。かぶわがにしてきくひとかんるいを
ながし、くわんげんいうびにしてせいだくりよりつをわかつ。きびのまきびにつきていちじせんきんのしはんとあふぎ、てんもんしゆくえうをならひておんやうげんきのえんていをきはむ。しゆのうのうちに、このわざことにすぐれたり。またさいしつくわようにして、てんがぶさうのびじんなり。みるひとこころをなやまさずといふことなし。ここにひろつぎわがみのぶようをたのみて、てんびやうじふにねんかのえのたつくぐわつひのとのゐのひ、ひぜんのくにまつらのこほりにて一万
人のきようぞくをあひかたらひて、むほんをくはたててみかどをかたぶけたてまつらんとはかるよしきこへければ、たいしやうぐんじゆしゐのじやうおほののあつそんあづまうど、ふくしやうぐんじゆごゐのじやうきのあつそんいひまろ、ならびにしよこくのぐんびやうらにちよくして、一万七千人をあづまうどらにつけて
P2511さしつかはして、ついたうせしむとぎす。そのせいちんぜいへげかうす。ひろつぎこのことをききて、いちまんよきのきようどをそつしてみやこへきをいのぼる。くわんぐんいたばしがはのほとりにゆきあひぬ。ひろつぎいかだをかまへてふねとなし、河を渡さむとす。あづまうどらしんみやうをすててふせきたたかひしかば、ひろつぎ海へおひはめらる。にはかにとうふうふきしかば、しらなみいよいよあらくして、まつらがうらにひきしりぞく。くわんぐんつづきておひかけしに、わうじもろいことなければ、さぎはとほばしらのうへにらいきよして、ことゆゑなくびぜんのこくふにつきにけり。ひろつぎつひにたちばなのうらにして、おなじき十一月十五日ちゆうせられをはんぬ。このおんいのりにおなじき十一月きのとのとりのひ、はじめていせだいじんぐうへぎやうがうあり。今度もそのれいとぞきこへし。そもそもかのひろつぎちゆうせられたまへるゆいたい、こくうにのぼりていなづまをなす。でんくわう二か日せうえうして、あたかもひのひかりのごとし。らくやうぐわいとにそのひかりみえてえうばう
P2512はなはだおほかりき。そののちしづまりて地に落つ。いまのかがみのみやのおんことなり。そうじてそのれいあれておそろしき事多かりける中に、おなじき十八年六月十八日にださいふのくわんぜおんじをくやうぜられけるに、げんばうそうじやうと申しし人、おんだうしにしやうぜられて、えうよにのり
いでられしに、にはかに空かきくもり、黒雲の中よりりゆうわうくだりて、かのそうじやうを取て天にのぼりにけり。おそろしきことかぎりなし。「いかなるしゆくごふにや」と尋ぬれば、むかしかのひろつぎのきたのかた都におわせし時、かのようがんにばかされて、げんばうひそかに心をつうじ給たりしゆゑか。たいへんこうきにいはく、「女はばうこくのつかひなり。人あいすることなかれ。必ずとをのとがあり」といへり。まことなるかな、そうじやうかりのかたちにばかされて、つひにをんなのためにうしなわる。こころ憂かりしことどもなり。このれいてんがにひろくあれたまひて、らくやうへんどをきらわず、えう
P2513ばうはなはだしげかりき。かかりければくぎやうせんぎありて、「きびのだいじんのほか、たれびとか是をしづめたてまつるべき」とて、まきびちんぜいへげかうして、じやあくがうぶくのほふをしゆせしめたまふ。いちじせんきんのおんをわすれず、ひろつぎしづまりたまひにけり。すなはちかみとあがめたてまつる。今のまつらのみやうじんこれ
なり。かのそうじやうは、きびのだいじんとともなひてにつたうをし、ほつさうじゆうをわがてうへわたされたりし人也。につたうのとき、そうじんそのなをなんじていはく、「げんばうとかきては、『かへりてほろぶ』といふつうおんあり。ほんてうにかへりて事にあふべきひとなり」と申たりけるとかや。かのなんたがはず、今かやうになりたまへり。不思議なりしことども
なり。そののちはるかにひかずへて、かのそうじやうのくびをなんとこうぶくじの内、さいこんだうの前にをとして、そら
にはとわらふこゑしけり。このてらとまうすはかのほつさうじゆうの寺なるが故也ければにや、「これすなはちかのひろつぎがれいの
P2514しはざなり」とぞとぼくぜいありける。昔もかかるひやうらんの時、ごぐわんをたてらるることありけるにや。さが天皇の御時、だいどう五年かのえのとら、へいぜいのせんてい、ないしのかみがすすめによつて世をみだり給しかば、そのおんいのりに、はじめてみかどの第
三のくわうぢよいうちないしんわうを、かものいつきに立て奉らせ給き。これまたさいゐんのはじめなり。しゆしやくゐんのおんとき、てんぎやう二年きのとのゐ、まさかどすみともがむほんの時のごぐわんに、はちまんのりんじのまつりはじまれりとぞうけたまわ
る。十七 木曽どどの合戦にうちかちて、六月上旬にはとうせんほくろくふたつの道をふたてにわけ、うちのぼる。とうせんだうのせんぢんはをはりのくにすのまたがはにつきつ。ほくろくだうの先陣はゑちぜんのこくふにつく。身がらはほくろうだうを登りけるが、ひやうぎして云けるは、「そもそもさんもんのだいしゆはいまだ平家とひとつなり。そのうへことさらにきやうねんはきゆうせんをP2515しようひのつきにかかやかし、くわえむをらとうのくもにたくわふ。ようかんのきようどだうろにさえぎり、わうげんのしよにんふゐをいだく。しかればすなはちがくさうの冬の雪、永くじやけんのほのほをけし、りけん
の秋の霜、しきりにふぜんのくさむらにふかし。おのおのにしあふみをうちのぼらむずるに、ひがしざかもとのまへ、をごと、なれ、からさき、みつ、かはじりなむどよりこそ、京へ通りさうらわむずれ。さだめてふせきたたかひさうらわむずら
む。たとひうちやぶらしめてのぼりてさうらはば、平家こそぶつぽふともいはず、寺をもほろぼし僧をうしなへ。かやうのあくぎやうを致すによつて、是を守護のためのぼるわれらが、平家とひとつなればとて、山門
のだいしゆをほろぼさむ事すこしもたがわず、にのまひたるべし。さればとて、又この事をためらひて、登るべからむ道をとうりうするに及ばず。是こそやすだいじなれ。いかがあるべき」と云ければ、たいふばうかくめいまうしけるは、「さんもんのこつぽふ
P2516あらあらうけたまはりさうらふに、しゆと三千人必ずしもいちみどうしんなる事候わず。おもひおもひこころごころなり。されば三千人いちどうに平家とひとつなるべしといふこともふぢやうなり。てふじやうをおくりてごらんさうらへ。事のやうはへんてふにみえぬとおぼえさうらふ」と云ければ、「もつとも
しかるべし」とて、てふじやうをさんもんへつかはす。くだんの牒状やがてかくめいぞ書たりける。かのかくめいはもとはぜんもんなり。くわんがくゐんのしゆう、しんじのくらんどみちやすとてありけるが、出家してさいじようばうしんぎうとぞ申ける。しんぎう奈良に有ける時、みゐでらよりてふじやうをなんとへつかはしたりけるへんてふを
ば、かのしんぎうぞ書たりける。「だいじやうにふだうじやうかい、へいじのさうかう、ぶけのぢんかい」と書たりける事
を、入道安からぬ事に思て、「いかにもして信救をたづねとりてちゆうせむ」とはからるるよしきこへければ、なんともみやこほどちかければ、しじゆうかなはじと思て、
P2517南都をにげいづべきよし思けれども、入道みちみちにはうべむをおかれたるよしきこへければ、いかさまにももとのかたちにてはかなふまじと思て、うるしを湯にわかしてあびたりければ、はうちやうしたるびやくらいのごとくにぞなりにける。かくてなんとをまひなかにたいしゆつしけれども、手かくる者もなかりけり。しんぎうなを、みや
このへんにては取られなむずと思て、鎌倉へくだりけるに、じふらうくらんどゆきいへ、へいけついたうの為にとうごくより都へせめのぼりけるが、すのまたがはにて平家とかつせんをとぐ。行家さんざんにうちをとされてひきしりぞき、みかはのこくふにつきてありける所に、信救ゆきあひて行家につきにけり。誠のらいにあらざり
ければ、次第にはうちやうもなをりて、もとのしんぎうになりにけり。行家みかはの国府にて、いせだいじんぐうへ奉りけるぐわんじよP2518をも、信救ぞ書たりける。信救又木曽をたのみて、かいみやうしてきそのたいふかくめいとぞ申ける。山門のてふじやう六月十六日に山上にひろうす。だいかうだうの庭にしゆとくわいがふしてこれをひけんす。そのじやうにいはく。十八 みなもとのよしなかつつしみてまうすしんわうのせんをうけたまはりてへいのげきらんをちやうじせしめむとほつすること右へいぢよりこのかた、へいけこつちやうのあひだ、きせんてをささげ、しそあしをいただく。かたじけなくていゐをしんじし、ほしいままにしよこくをりようやくす。あるいはけんもんせいかをついふくして、ことごとくちじよくにおよばしむ。あるいはげつけいうんかくをからめとりて、そのゆくへをしらしむることなし。なかんづくぢしよう三年十一月、ほふわうのせんきよをとばのふるみやにうつし、はくりくのはいるをいかのせいちんにおこなふ。しかのみならず、をかさずしてとがをかうぶり、つみなくしていのちをうしなふ、こうをP2519つみてくにをうばはれ、ちゆうをぬきんでてげくわんせら
る、ともがらしようけいすべからざるものか。しかしてしゆうじんだうりをいはずして、みづからもつておもきにしよす。いんじぢしようしねんごぐわつちゆうじゆんに、しんわうのいへをうちかこみ、せつりのしゆをたたんとほつするところに、はくわうぢてんのごうんいまだそのかずつきざるによつて、ほんてうしゆごのしんみやう、なほしほんぐうにあるがゆゑに、せんがを
をんじやうじにやすんじたてまつること、すでにをはんぬ。そのときよしなかがあにみなもとのなかいへ、はうおんをわすれがたきによつて、おなじくもつてこしようしたてまつる。よくじつにせいてうとびきたり、りやうじひそかにつうじて、よしなかいそぎさんずべきもよほしあり。かたじけなくげんめいをうけたまはり、よさんをくはたてむとほつするところに、へいけこのことをききて、さきのうだいしやう、よしなかのめのとなかはらのかねとほのみをめしこむ。そのうへかさねてよしなかがぢゆうしよにひとをつけてこれをうかがひ、みちをかためてうちとらんとほつす。しかりといへども、よしなかしんみやうをすててでうさんす。これきやうじやうのはじめなり。しかるにをんできこくちゆうにみちて、らうじゆうあひしたがふことなきあひだ、しんしんさんやにまよひ、とうざいにわう
P2520へんをおぼえず。いまださんらくをいたさざるとき、ごせんぎありていはく、「みゐでらのていたらく、ぢぎやうへいきんにして、かたきをふせくことあたはず」。よつてせんひつをなんとのこじやうにすすめたてまつり、かつせんをうぢはしのほとりにとげしめんとほつするきざみ、よりまさのきやうふしさんにん、なかつなかねつないげ、そつじにうつたつ。しんしさうゐする
あひだ、とうごくのらうじゆういちにんとしてあひしたがふものなしといへども、いへのなををしむによつて、しんみやうをすててふせきたたかふにはに、かばねをりようもんげんしやうのつちにうづみ、なをほうわうじやうとのみやにほどこしをはんぬ。あはれなるかな、りやうじすどのやく、いちじにさんくわいしがたし。かなしきかな、どうもんしんぢつのちぎり、いつたんにめんえつをへだつ。しかれば、へいけにおいては、こうしにつけて、くわいけいのはぢをさんぜんとほつするものなり。ここにおいてさいはひにりやうじをとうせん
とうかいのぶしにくださる。しいうをゑちごゑちぜんのきようたうにけつせしめて、へいけのぐんびやうら、かうべをはねられ
いのちををふるもの、いくせんまんといふことをしらず。いまさきのひやうゑのすけみなもとのよりとも、おなじくよしなから、しんわうのせん
をうけたまはりて
P2521よりこのかた、をはり、みかは、とほたふみ、いづ、するが、あは、かづさ、しもつふさ、かうづけ、しもつけ、むさし、さがみ、ひたち、では、むつ、かひ、しなの、ゑちご、ゑつちゆう、のと、かが、ゑちぜんとう、そうじて二十三かこく、すでにうちしたがへをはんぬ。これをもつて、とうせんだうのせんぢんにおいては、をはりのくにすのまたのほとりにうつたたしむ。ほくろくだうのせんぢんは、すでにゑちぜんのこくふにつきて、へいけのあくたうをせいばつするばかりなり。しかるをきさんしんわうのぜんせいにどうしんしたてまつるやいなや。へいけのあくぎやくによりきせしめむやいなや。もしかのたうによりきせしめば、さだめてしんわうのおんつかひをあひふせかむものか。われらふりよにてんだいのしゆとにたいして、ひぶんのかつせんをくはたてむこと、はなはだえきなからむものかな。にんにくのころもの上に、とこしなへにかつちうをちやくし、じひのこころのうちに、みだりがはしくかつせんをたくまば、そうりよのぎやうぎ、あにしかるべけんや。すみやかにへいけちぐのせんぎをひるがへして、げんじあんをんのきたうをしゆせられば、これすなはち、えいさんのぶつぽふをあふぎ
P2522じや
ぎやうのひつすうをたわぶるるおもひせちなるゆゑなり。もしなをしよういんなくは、みづからじかくのもんぜきをほろぼし、さだめてしゆとのこうくわいあらむものか。かくのごとくふれ申す事、全くしゆとのぶようにおそるるにあらず。ただじやうぢゆうのさんぼうをたつとばむがゆゑなり。つたへきく、てんだいのぶつぽふはわうぼふをまもり、わうぼふはぶつぽふをあがむ。これによつて、こうぶくをんじやうりやうじのだいしゆ、しんわうのみかたによりきしたてまつるゆゑに、へいけのあくぎやうのために、始てをんじやうじのばうじや
よりはじめて、なんとしちだいしよじにいたるまで、だうたふそうばうとう、いちうものこさず、しかしながらやきはらはれをはんぬとうん
うん。そのなかにとうだいじは、しやうむてんわうのごぐわん、わがてうだいいちのきどくなり。こんどうるしやなのぶつざううしつ、たちまちにけわうのほんどにかへり、だうかくむなしくさうかいのはたうにうつたふ。ああ、はちまんしせんのさうがう、あきのつきしぢゆうのくもにかくれ、しじふいちじのやうらく、よるのほしじふあくのかぜにただよふ。このことをきくごとに、ふかくのなみだおもてをあらひ、ずいぶんのなげきむねをこがす。もつぱらざいぞくの
P2523ぶしのこころなりといへども、なんぞぶつぽふまめつのかなしみをおもはざらむや。わづかにぶつぽふのはめつせざるは、きさんなり。ただしたいれいしめいのほらひとりしづかなるにあらず。をんじやうみゐのながれなかばつきぬ。こんぼんちゆうだうのともしびひとりかかやかず。しちだいしよじのひかりたちまちにきえぬ。さんぜんのそうりよ、あにこのうれひをいだかざらむや。いつさんのしゆと、むしろこのことをなげかざらむや。このだうりをぞんじて、りやうじにしたがはれば、いよいよじふにぐわんわうをくぎやうし、ともにさん
ぜんのじやうぎやうにきえせん。それはちまんだいぼさつは、さんだいせいてうのごんげ、かもひらのみやうじんは、にせいくわ
うていのおうしやくにあらずや。そのしそんをまもりて、しんりよなんのうたがひかあらむか。いかにいはむやえいさんのしゆと、ことにこくかをごぢするは、すなはちせんじようなり。かのゑりやうなづきをくだき、そんいつるぎをふるひて、かくのごとくしんみやうをすてて、せいてうあんをんのむねをいのりたてまつらば、しようりじんこうにあるものをや。あるぜうしよのめいにいはく、「ちんはこれうしようじやうのばつえふなり。なんぞじかくだいしのもんぜきをそむかんや。」これすなはち、じゑだいそうじやうのしゆ
げんP2524のいたすところなり。はやくかのせんぎをとげ、かみはくわうぶゐのよしをいのりたてまつり、しもばんみんぶねうのはかりことをめぐらされば、しちしやごんげんのゐくわういよいよさかりに、さんたふしゆとのぐわんりきいよいよあらたならむか。そもそもここによしなから、ふしよふのみをもつて、にじふよかこくのけいゐをうちまはるあひだ、ある
いはじんじやぶつじのごぐわんといひ、あるいはけんもんせいかのしやうゑんといひ、ねんぐのうんじやうをとげず。まことにこれしぜんのきようくわう、まうしてあまりあり、しやしてのがれがたし。ほのかにきく、しちだうしよこくよりしよせいのねんぐ、しかしながらひやうらうまいとかうして、へいけよりこれをてんじとる。たとひべんぜいのじんしありといへども、まつたくりやうしゆのえこたらざるものか。よつてみつにはろとうのつうじがたきことをなげき、けんにはへいけのひやうらうをたたんがためなり。ゆめゆめまさかどすみとものるいにしよすることなかれ。かみはひれいをうけたまはずは、かたじけなくしんぢゆうのせいきんを
ちけんせしめたまふのみ。よろしくこれらのおもむきをもつて、うちにはさんぜんのしゆとにたつし、ほかにはきうちようのきせんにきかせられP2525ば、しやうぜんのしよまうなり。いちごのこんしなり。よしなかきようくわうきんげん。じゆえい二年六月十日 源義仲まうしぶみしんじやうゑくわうばうりつしごばうばんのしよしによみあげさせて、山門三千のしゆと、木曽がてふじやうを見てせんぎまちまちなり。あるいは平家のかたへよる者も有り、あるいは源氏の方へよらむといふものもあり。かかりければこころごころのせんぎまちまちなりけれども、「しよせん、われらもつぱらこんりんじやうわうてんちやうちきうをいのりたてまつる。へいけはたうだいのごぐわいせき、さんもんにおいてききやうをいたす。されば今にいたるまでかのはんじやうをいのりき。されどもきやうねんよ
りこのかた、へいけのあくぎやうくわぶんのあひだ、しいらんをおこし、ばんにんそむくによつて、うつてを諸国へつかはすといへども、いぞくの為におひおとされて、どどかへりのぼりをはんぬ。これひとへに
P2526ぶつじんおうごを加へて、運命すゑにのぞめるによつて也。げんけは、きんねんどどのかつせんにうちかちて、くわんぐわいみなもつてきぶくす。きかんときいたり、うんめいすでにひらけたり。なんぞたうざんひとりしゆくうんかたぶきたる平家にどういして、運命さかりなる源氏
をそむくべきや。このでうさんわうしちしやいわうぜんぜいのみやうりよはかりがたきかな。なかんづく、いまのてふそうのおもむき、だうりなかばなきにあらず。すべからくへいけちぐのおもひをあらためて、すみやかにげんじかふりよくのおもひにぢゆうすべき」むね、いちどううにせんぎして、へんてふを送る。みぎろくぐわつとをかのひのごしよじやう、おなじき十六日にたうらい。ひえつのところに、すじつのうつねんいちじにげさん
す。ゆへいかんとなれば、それげんけは、いにしへよりぶきゆうにたづさはりて、てうていにゐせいをふるひわうできをふせく。ここにへいけはてうしやうにそむきひやうらんをおこして、わうゐをかろんじてむほんをこのむ。へいけをせいばつせられずは、いかでかぶつぽふをたもたむや。しかるをここにげんけ、かのるいをせいふくせらP2527るるあひだ、ほんじのせんぞうのくもつをついふくし、まつしやのしんよををかしそんずるによつて、しゆとらふかくそしようをいだきて、あんないをたつせんとほつするところに、せいてうとびきたり、さいはひにはうさつをなぐ。いまにおいては、ながくへいけあんをんのきたうをひるがへして、すみやかにげんけかふりよくのせんぎにしたがふべきなり。これすなはちてうゐのりようちをなげき、ぶつぽふのはめつをかなしむゆゑなり。それかんかのていげんのれきに、ゑんしゆうこうりゆうのさき、ほんてうえんりやくのてん、いちじようぐせんののち、くわんむてんわうへいあんじやうをおこして、まのあたりいちだいごじのぶつぽふをそうきやうし、でんげうだいしてんだいさんをひらきて、とほくはくわうぶゐのごぐわんをいのりたてまつりてよりこのかた、こんりん
をまもりぎよくたいをまもること、ひとへにさんぜんのたんしんにあり。てんべんをひるがへし、ちえうをはらふこと、ただこれ
いつさんの群験なり。これによつて、だいだいのけんわう、みならとうのせいぜいをあふぎ、せせのぢゆうしん、ことごとくたいかくのしんじんをたのむ。いはゆるいちでうのゐんの御宇、ひとへにじかくだいしのもんとのむね、りんじのことばはめいはくなり。
P2528くでうのうしようじやう、ならびにみだうのにふだうたいしやうこく、ほつぐわんのもんにいはく、「くわうかくのぢゆうしんに、をりといへども
ねがはくはびやくえのでしとならむ。ししそんぞんひさしくていわうくわうきよのもとゐをかため、だいだいせせにながくだいしゆいていのみちをつたへむ。おなじくけんわうぶゐのとくをほどこさむ」。しかのみならず、えいぢにねん、とばのほふわうさんえいさんのごぐわんもんにいはく、「昔はきうごのそんゐをつぎ、今はさんぜんのぜんとにつらならむ」てへれ
ば、つらつらこれをおもふに、かんるいおさへがたし。しづかにこれをあんずるに、ずいきもつともふかし。せいざうしひやくくわい、わうとくさんじふだい、てんてうひさしくじふぜんのくらゐをたもち、とくくわあまねくしかいのたみにほどこさむ。くにをまもりいへをまもる
だうぢやうなり。きみのためいへのためのせいぜきなり。ほんじのせんぞうのくもつをうんじやうし、まつしやのしんよまつじのしやうゑんをあらためつくりて、しかしながらもとがごとくあんどせしめられば、さんぜんのしゆと、たなごころをあはせてぎよくたいをとうかいのひかりにいのり、いつさんてをあげてへいけをなんざんのいろにうつさむ。きようどかうべをかたぶけてらいけいし、をん
でき
P2529てをつかねてかうをこはむ。じふじようのゆかのうへには、とこしなへにごじつのかぜをあふぎ、さんみつのだんのまへには、はるかにじふじゆんのあめをそそかむてへれば、しゆとのせんぎによつて、しつたつくだんのごとし。じゆえい二年しちぐわつぴだいしゆら
木曽義仲このへんてふを得ておほきによろこびて、さきよりかたらふ所のあくそう、しらゐのほつけうかうめい、じうんばうほつけうくわんかく、みわのあじやりげんけいらをさきとしてとうざんす。平家は又是をもしらずして、「こうぶくをんじやうりやうじのだいしゆはうつぷんをふくむるをりふしなり。大師にきせいしさんぜんのしゆとをかたらはむ」とて、一門のけいしやう十余人、どうしんれんじよして、ぐわんじよを書てさんじやうに送る。そのじやうにいはく、十九「うやまひてまうす
P2530えんりやくじをもつてうぢてらにじゆんじてきえし、ひよしのやしろをもつてうぢやしろのごとくにそんすうして、いつかうにてんだいのぶつぽふをあふぐべきことみぎたうけいちぞくのともがら、ことにきせいすることあり。しいしゆいかんとならば、えいさんは、くわんむてんわうのぎよう、でん
げうだいしにつたうきてうののち、ゑんどんのけうぼふをこのところにひろめ、しやなのだいかいをそのなかにつたへてよりこのかた、もつぱらぶつぽふはんじやうのれいくつとして、ひさしくちんごこくかのだうじやうにそなふ。まさにいま、いづのくにのるにん、さきのうひやうゑのすけみなもとのよりとも、みのとがをくいず、かへりててうけんをあざける。しかのみならず、かんぼうをくはたててどうしんをいたすげんじら、よしなかゆきいへいげ、たうをむすびてかずあり。りんきやうゑんきやうを、すこくをせうりやくす。ねんぐとこう、ばんぶつをあふりやうす。これによつて、かつうはるいたいくんこうのあとをおひ、かつうはたうじきゆうばのげいにまかせて、すみやかにぞくとをついたうして、きようたうをがうぶくすべきよし、いやしくもちよくめいをふくみて、
P2531しきりにせいばつをくはたつ。ここにぎよりむかくよくのぢん、くわんぐんりを
えず。くわうきてむげきのゐ、ぎやくるいかつにのるににたり。もしぶつじんのかひにあらずは、いかでかほんぎやくのきようらんをしづめむ。これをもつて、いつかうにてんだいのぶつぽふにきして、ふたいにひよしのしんおんをたのまむのみ。いかにいはむやかたじけなくしんらがなうそをおもへば、ほんぐわんのよえいといひつべし。いよいよそうちようすべし、いよいよくぎやうすべし。じこんいごは、さんもんによろこびあらば、いちもんのよろこびとし、しやけにいきどほりあらば、いつかのいきどほりとせむ。ぜんにつけあくにつけ、よろこびをなしうれひを
なさむ。おのおのしそんにつたへて、ながくしつついせじ。とうじは、かすがのやしろこうぶくじをもつてうぢやしろうぢてらとして、ひさしくほつさうだいじようのしゆうにきえするがごとし。へいけは、またひよしのやしろえんりやくじをもつて、うぢやしろうぢてらとして、あらたにゑんじつとんごのをしへにちぐせん。かれはむかしのゆいせきなり。いへのためにえいかうをおもふ。これはいまのせいきなり。きみのためについばつをいのる。あふぎねがはくはさんわうしちしや、わうじけん
ぞく、とうざいまんぜんのごほふしやう
P2532じゆ、じふにだいぐわん、いわうぜんぜい、につくわうぐわつくわう、じふにじんじやう、むにのたんせいをてらして、ゆいいつのげんおうをたれたまふ。しかればすなはち、じやばうげきしんのぞく、すみやかにてをくんもんにつかね、ぼうぎやくさんがいのともがら、はやくくびをきやうとにつたへよ。われらがくじやうをなぐさめ、ぶつじんあにすてむや。よつてたうけのくぎやうら、いくどうおんにらいをなしてせいきくだんのごとし。うやまひてまうす。じゆえい二年七月 日 じゆさんゐかううこんゑのごんのちゆうじやうたひらのあつそんすけもり
じゆさんゐたひらのあつそんみちもり
じゆさんゐかううこんゑのごんのちゆうじやうけんたんばのごんのかみたひらのあつそんこれもり
じやうざんゐうこんゑのごんのちゆうじやうけんたぢまのかみたひらのあつ
P2533そんしげひら
じやうざんゐかううゑもんのかみたひらのあつそんきよむねさんぎじやうざんゐかうたいくわうたいこうくうだいぶけんしゆりのだいぶびぜんのごんのかみたひらのあつそんつねもり
じゆにゐかうごんのちゆうなごんけんさひやうゑのかみたひらのあつそんとももり
じゆにゐかうごんのちゆうなごんたひらのあつそんのりもり
じやうにゐかうごんだいなごんけんむつではあんざつしたひらのあつそんよりもり
さきのないだいじんじゆいちゐたひらのあつそんむねもり
あふみのくにささきのしやうのりやうけあづかりどころとくぶんとうを、かつうはてうかあんをんのために、かつうは
P2534にふだうのぼだいをたすけんがために、しかしながらせんぞうのくれうにゑかうするところさうらふなり。くだんのしやうはやくじけのごさたとして、ちぎやうせしめたまふべくさうらふ。きようきようきんげん。七月十日 たひらのむねもり
きんじやう ざすのそうじやうのごばうへ」とぞ書たりける。だいしゆをかたらひし事は、「くわんむてんわうのぎよう、えんりやくしねん七月に、でんげうだいしたうざんにのぼりたまひき。ちんごこくかの道場を開き、いちじようゑんしゆうのけうもんを弘めたまひしりよりこのかた、仏法さかりにしてわうぼふを守り
奉る事としひさし。しかるをとうごくほつこくのきようどら、この二三年が間、おほくの道々をうちふさぎ、国にはしやうぜいくわんもつを奉らず。しやうにはねんぐしよたうをおしとどめ、りんげんにしたがはず。あまつさへ都へせめのぼらんとす。ばうせんにちからすでにつきぬ。しんめいのおんたすけにあらずは、いかでかあくたうをしりぞけむ。よつてさんわうだいし
P2535あはれみをたれ給へ。」。是を聞く人々、したしきもうときも、こころあるもこころなきも、涙を流さぬはなかりけれども、としごろひごろのふるまひ、しんりよにもかなわず、じんばうにもそむきはてしかば、ちからおよばず。既にげんじどうしんのへんてふを送り、かろがろしく今又そのぎをあらたむるにあたはず。誠にさこそはとて、事のていをばあわれみけれども、きよようする衆徒もなかりき。そのなかにゑくわうばうりつし、「そもそもこのぐわんじよのおもむき、神慮なをもつてはかりがたし。ねがはくはごんげんそのずいさうを示し給べし」とて、さんわうのごほうぜんにささげて、三日さんろうしたりけるに、ぐわんじよのへうしに一首の歌げんじたり。不思議にてぞはべりける。たへらかに花さくやども年ふればかたぶくつきとなるぞはかなき K131このうへはとて、だいしゆみなころものそでをしぼりつつ、平家を祈る人もなし。げにも人にすぐれてえいぐわをひらきたりしかども、ほどなくかたぶく月になりにけり。
P2536かかりければ、人の口のにくさは、「あはおもしろきことみてむず。源氏はせいもををく、手もきき、心もたけかん
なれば、いちぢやう源氏かちて平家まけなむず」とて、おのれがとくつき、くわんのならむずるやうに、めんめんにささやきよろこびけるぞをかしき。二十 十八日、ひごのかみさだよしちんぜいよりしやうらくす。さいこくのともがらむほんのよしきこへければ、それをしづめむとてきよきよねん下りたりけるに、きくちじやうくわくをかまへてたてごもるあひだ、たやすくせめおとしがたくしてありけるに、さだよしくこくのぐんびやうをもよほして是をせむ。くわんびやう多くうちおとされて、せめたたかふにちから
なし。只じやうをうちかこみて守るひかず積りければ、じやうのうちひやうらうもつきて、菊池つひにかうにん
になりにけり。貞能くこくにひやうらうまいをあてもよほす。ちやうぐわん一人、さいふのつかひ一人、貞能が使一人、そのじゆうるい八十余人、けんもんせいかのしやうゑんをいはず、せめもよほす。にんみんの歎き
P2537なのめならず。そのつもり十万よこくに及べりときこへけり。さだよしは菊地、原田がたうるいきぶくのあひだ、かれらをあひぐしてけふじゆらくす。ひつじのこくばかりに八条を
東へ川原を北へ、六波羅の宿所へつきにけり。そのせいわづかに九百余騎、千騎にたらざりけり。さきのないだいじんむねもり、車を七条が末にたてて見給へり。よろひ着る者二百余騎、そのなかにさきのさつまのかみちかより、うすあをのすずしのぎよりようのひたたれに、あかをどしの鎧きて、しらあしげなる馬に乗て、貞能がやかたぐちにうちたりけり。とうのぎやうぶきやうのりかたが孫、さがみのかみよりのりが子也。くわんじゆじのちやくし也。させるぶようの家にあらず。こはいかなる事ぞやとて、見る人ごとにあさみあへり。けふは武士には目も
かけず。このひとをぞ見ける。さいこくはたひらげたれども、とうごくはいよいよせいつきて、既に都へうちのぼるときこへければ、平家は次第に心よはくなりて、
P2538ふせきささうるちからも尽て、都にあとをとどめがたければ、内をも院をもひきぐしまひらせて、ひとまどなりともたすかりやすると、西国のかたへおちゆきたまふべきになりにけり。七月十三日のあかつきより、なにといふことはききわかず、よのなかさわぎあへり。たましひをけす事なのめならず。おほかた、「ていとめいりのちなれば、にはとりなきてやすきおもひなし」といへり。をさまれる世だにもなをかくのごとし。いわむや乱々たる時はことわり也。よしのやまの奥までも、いつてんしかいの乱れ
なれば、ふかきやま、遠き国もおだやかならず。「さんがいむあん、ゆによくわたく。しゆくじゆうまん、じんかふゐ」とときたまへば、によらいのじつご、いちじようのめうもん、なじかはたがふべき。さればこころあるひと、「いかにもして今度しやうじを離れて、ごくらくじやうどにうまるべき」とぞ歎きあへりける。このあかつきさわぎける事は、あふみげんじちくぜんのかみしげさだ、あふみのくにやしまのしよりやうにありけるに、源氏
近江国にうち
P2539いりて、ざいざいしよしよをやきはらひければ、のりがへばかりあひぐして、せたをまはりて、やはんばかりにろくはらにはせのぼりて、「ほつこくのげんじすでにあふみのくにへうちいりぬ。道々をふさぎて人をかよわさざる」よし申ければ、ろくはらきやうぢゆうさわぎあへり。「しげさだ同じ源氏にて、源氏のうちいるをばよろこびこそすべきに、いかに平家についしようするやらむ」と人申ければ、いわれたり。「いんじほうげん
の乱に、ちんぜいのはちらういくさにまけて、近江国いしやまでらにゐたりけるを、からめて平家に奉りたりけるけんじやうに、さゑもんのじようになりて、へいけにへつらひけるあひだ、いちもんにひんじゆつせられたりける故に、源氏
にうたれなむずと思ひて、かくふるまふなり」とぞ人申ける。かかりければ、しんざんゐちゆうじやうすけもりのきやうたいしやうぐんとして、さだよしいげ、たはらのきたへむかわむとて、うぢをまはりて近江国へげかう。そのよは
P2540うぢにとどまる。そのせい二千余騎。またしんぢゆうなごんとももりのきやう、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらのきやうなむどたいしやうにて、せたより近江国へげかう。それもこよひはやましなにしゆくす。そのせい三千余騎。さるほどに源氏、山のだいしゆとどうしんしてありしかば、うぢせたをばまはらずして、山田、や
ばせ、かただ、このはま、みつ、かはじり、ところどころの渡りに舟をまうけて、みづうみの東の浦よりにしのうらへをし渡りき。十日、はやしのろくらうみつあきを大将軍として五百余騎、てんだいさんへきをひのぼりて、そうぢゐんをじやうくわくとす。さんたふのだいしゆみなどうしんして、ただいまおほだけをくだりて、平家をうたむとすとののしる。およそひがしざかもとには源氏のぐんびやうじゆうまんせり。このうへはしんざんゐのちゆうじやうも宇治より京へ帰り
いり、しんぢゆうなごん、ほんざんゐのちゆうじやうもやましなより都へかへりいりぬ。又東はじふらうくらんどゆきいへ、いがのくにを
まはりて、やまとのくにの
P2541ならぼふしともにいづのこつにつきぬときこゆ。西はあしかがのはんぐわんだいよしきよ、たんばのくににうちこえて、おほえやまをうちふさぐときこゆ。南はただのくらんどゆきつないげ、つのくに、かはちのあぶれ源氏
ども、かはじり、わたなべをうちふさぐとののしりければ、平家の人々色をうしなひてさわぎあへり。廿一 さんゐのちゆうじやうこれもり、きたのかたにのたまひけるは、「わがみは人々にあひぐして都をいづべきにてある
を、いかならむののすゑやまのすゑへもあひぐし奉るべきにてこそあれども、をさなきものどもあり。いづくにおちつくべしともおぼえず。源氏ども道をきりてうちおとさむとすれば、をだしからむ事もかたし。世になき者とききなしたまふとも、あなかしこさまなむどやつしたまふな。いかならむ人にも
みへ給ひて、をさなき者どもをもはぐくみ、わがみのごせをもたすけたまへ。さりともなどか『あわれ、いとをし』と
P2542云人もなかるべき」とのたまへば、きたのかたこれを聞給て、袖を顔におしあてて、ものも宣はず。ややひさしくありてのたまひけるは、「としごろひごろはこころざしあさからぬやうにもてなし給つれば、我もさこそたのみ奉りつるに、いつよりかはりける心ぞやとおもふこそくちをしけれ。ぜんじやうにちぎりありければ、われひとりこそあはれとおもひたまふとも、ひとごとになさけを
かくべきにあらず。又人にみへ候べしとも思わず。をさなきものどももうちすてられ奉りては、いかにしてかはあかしくらすべき。たれはぐくみ、たれあわれむべしとて、かやうにとどめ給
ぞ」とて、涙もかきあへず泣給へば、さんゐのちゆうじやうまたのたまひけるは、「これもりは十六、それには十四とまうしし年より見そめ奉りて、ことしととせになるとこそおぼゆれ。誠にさきの世のちぎりや有けむ、今まではこころざしあさからずこそおもひたてまつりつれ。
P2543火の中へいり、水の底
にしづむとも、又限りあるわかれの道をもをくれさきだたじとこそおもひつれども、かかる世になりにければ、せめてのいたわしさのあまりにこそかくも申せ。かやうにうらみたまふこそ、うちすててたちはなれたてまつらむずるなげきにうちそへて、いよいよ心苦けれ」とてなきたまへば、わかぎみひめぎみのさうにおわするも、にようばうどもの前になみゐたるも、これをききてはこゑもをしまずなきあへり。げにことはりとおぼへてあわれ也。このきたのかたと申は、こなかのみかどのしんだいなごんなりちかのきやうの御娘なり。ようがん世にこへて、心のいうなる事も、世のつねにはありがたかりければ、なべての人にみせむ事いたはしくおもはれて、にようごきさきにもとぞ父母おもひたまひける。かくきこへければ、これをきくひとあわれと思わぬはなかりけり。法皇このよしきこしめして、御色にそめる御心にて、忍びて
P2544ごしよありけれども、是もよしなしとて、おんぺんじも申させ給わず。くもゐより吹くる風のはげしくて涙の露のをちまさるかな K132と、くちすさび給けるこそやさしけれ。父なりちかのきやう、法皇のごかうのあるよしきき給ひて、あわ
てよろこびて給へども、姫君ききいれ給はねば、「親の為ふけうの人にておわしけるを、今までふしの義を思けるこそくやしけれ。けふより後は父子のちぎりはなれ奉りぬ。かのかたへゆきかよふべからず」とのたまひければ、じやうげをそれ奉りて、かよふひともなし。めのとごにひやうゑのすけと申ける女房一
人ぞ、わづかにゆるされてかよひける。是につけても、姫君世のうきことをぞ、おんもとゆいにてすさび給ける。むすびつる情もふかきもとゐにはちぎる心はほどけもやせむ K133
P2545とかきすさみて、ひきむすびてすてたまへり。ひやうゑのすけこれを見てのちにこそ、おもひあるひととは知にけれ。色にいでぬる心のうちをいかでかしるべきと、やうやうにいさめまうされけるは、「女のおんみとならせ給ては、かやうのごかうをこそ、神にも祈り、仏にも申てあらまほしき御事にてさぶらへ」と申ければ、姫君御涙をおさへて、「わがみにつきせぬおもひのつみふかければ、なにごともよしなきぞとよ」とて、引かづきてふし給ひぬ。兵衛佐又申けるは、「をさなくよりたちさるかたもなくこそ、なれみやづかへ奉りつるに、かく御心をおかせ給けるこそ心うけれ」と、さまざまによもすがらうらみ奉りければ、姫君ことわりにまけて、「ありしてんじやうのえんすいにみそめたり
し人の、ひたそら穂にあらわれていひし事をきかざりしかば。このよならぬ心のうちをしらせたりしかば。いかばかり、
P2546かくときかば、歎かむずらむと思てぞよ」とのたまへば、「こまつどのこそ申させ給とききしか。さてはその御事にや」とて、ひやうゑのすけ小松殿へ参りて、しかしかの御事なむ申ければ、さんゐのちゆうじやう「さる事ありき」とて、忍びていそぎおんくるまをつかはして、むかへたてまつりてけり。さてとしごろにも成給ひにければ、若君、姫君まうけ給たりけるおんなかなり。若君はとを、姫君はやつにぞなりたまひにける。「我をばさだよしがごだいとつけたりしかば、是をばろくだいといはむ」とて、若君をばろくだいごぜんとぞ申ける。姫君をばやしやごぜんとぞきこへし。G31廿四日いぬのときばかりにしのびてろくはらへぎやうがうなる。れいよりも人ずくなにて、事いそがしく、人々あわてたり。あるほくめんのげらふ、ほふぢゆうじどのへはせまゐりて、ひそかに法皇に申けるは、「をやまだのべつたうありしげとてあひしたしくさうらふもの、この二三年平家にばんつとめて候P2547つるは、『平家のとのばら、あかつきさいこくへおちられ候べしとて、もつてのほかにひしめかれ候けるが、ぐしたてまつらむとて、既にくげをもむかへとりまひらせよ、法皇は程近くわたらせ給へば安し、きと渡しまひらせよとて、人せうせうまいりさうらひぬ』とたしかに申候ぞ。ないないそのおんこころえわたらせ給べし」と申ければ、法皇御心よげなるおんけしきにて、「うれしくつげまうしたり。このこと又人にかたるべからず。おんぱからひあるべし」とおほせのありけるを、うけたまわりもはてず、いそぎごしよをばまかりいでにけり。廿二 そのさよふくる程に、内大臣はうすぬりのえぼしに、しろかたびらにおほくちばかりにて、ひそかにけんれいもんゐんへ参りたまひて申給けるは、「さりともとこそぞんじさうらひつれども、このよのなか、いまはかなふまじきにてこそさうらひぬれ。『都にて最後の合戦して、いかにもならむ』とまうさるる人々も
候へども、それもしかるべしともおぼへ候はず。
P2548かなはざらむまでも、さいこくのかたへおもむきてみさうらはばやとおもひたまへさうらふ。しゆしやう、みやみやをぐしまひらせ候わむずれば、さりともちんぜいのともがらよもそむき候わじ。源氏いみじく都へ入てさうらふとも、たれをかたのみ候べき。只天にあふぎてぬしなき犬のやうにこそ候はむずれ。よりきのやつばらもいちぢやうこころごころになりさうらひなむず。そののちは只昔のごとくの源氏にてこそ候わむずれば、そののちしゆしやうを都へかへしいれまひらせ候べきよしぞんじ候」とまうされければ、にようゐん御涙を流させ給て、「あらあさましのあへなさや。ともかくもよきやうにこそはからはめ」とおほせありて、御涙にぞむせばせ給ける。だいふ又まうされけるは、「しゆしやうもしの事もこそわたらせ給へ。まうけのきみの為に宮をもぐしまひらすべく候。やがて法皇をもぐしまひらせ候べし。ゐんうちをだにもかたうどに取まひらせさうらひなば、いづくへまかりたりP2549とも、よのなかはせばかるまじ。源氏のやつばらいかにくるひさうらふとも、たれのかたうどにてか世をとりさうらふべき」なむど、こしかたゆくすゑのことどもこまかに申給けるほどに、夜もあけがたになりにけり。廿三 おなじきやはんのすぎさまに、法皇ひそかにてんじやうにいでさせおわしまして、「こよひのばんはたそ」とおんたづねあり。「さまのかみすけとき」とまうされたりければ、「北面にしこうしたらむ者、皆めしてまひらせよ」とごぢやうあり。とうはんぐわんのぶもり、げんないざゑもんさだやすらがさうらひけるを、すけとき召てまひら
せたりければ、「や、をのれら。只今きとしのびてあるかばやと思ぞ。かやうの事のげらふにきかせつれば、ひろうする事も有。おのおの心をひとつにして、このにようばうごしつかまつれ」と法皇おほせの有ければ、「ごぜんを立さつては、あしき事もこそ有れ」と思ひて、各かしこまりて、や
がておんこしをつかまつる。
P2550したすだれかけられたり。「西のこもんへ」とおほせの有て、いでさせおわ
します。じやうえ着たる男一人参りあふ。「これはたそ」と問ければ、「ためすゑ」となのる。法皇きこしめししらせ給て、「やがておんともつかまつれ」とおほせありければ、まゐりにけり。としごろいせのうぢひとためすゑとて、北面にさうらひけるなり。「しちでうきやうごくを北へ。いそげやいそげや」とおほせありければ、おのおのあせをかひてつかまつる。ためすゑは、「ちかきごかうとおもひたれば、とほきところにて有けるよ」とて、知たる人をたづぬるに、ふたところまでむなし。にでうきやうごくにて、しらはなるそやにくろぬりの弓かり
えて、じやうえをば高くはさみて走る。是をまたむとやおぼしめされけん、「いそがずとも。くるしき事もこそあれ」とおほせあり。一条京極にて弓のつるうちす。そのこゑいかめしくきこゆ。ただすのみやうじんのふしをみがみて、ひがししらむほどに成にけり。法皇おんうしろを御覧ずれば、ためすゑが
P2551そやをいながらわきごしにまひるを、「たのもしきむしやかな」とおほせありて、わらわせ給けり。かくてよのほのぼのとしけるほどに、くらまでらへぞいらせ給にける。廿五日、きちないざゑもんひでやすと申ける平家のさぶらひは、院にも近くめしつかはれければ、をりふしうへぶししたりけるが、しのびて人々にあふべき事有て、あかさらまにしゆくしよにいでたり。なにとなく目のあわざりけるままに、あかつきがたに又かへりまゐりたりければ、つねのごしよのかたにさわぎささやいて、女房の声にてしのびてうちなきなむどしければ、あやしと思てききゐたりければ、「ごしよのわたらせ給はぬは。いづちへやらむ」とて、さわぎあへり。ひでやすあさましとおもひて、いそぎろくはらへはせゆきたりけるに、おほいとの、いまだにようゐんのおんかたよりいでたまわぬ程也。やがてにようゐんの
P2552おんかたへまゐりて、「かく」と申ければ、おほいとのあわてさわぎたまひて、ふるひごへにて、「よもさる事あらじ。ひがことにてぞあるらむ」とのたまひながら、いそぎほふぢゆうじどのへはせまゐりたまひて、たづねまゐらせければ、よるひる近くさうらふ人々は、おほむね皆候われけり。にようばうたちも、たんばのつぼねをはじめとして、一人もはたらき給わず。おほいとの、「君はいづくにわたらせ給ぞ」とまうされけれども、「われこそしりまひらせたり」といふひともなし。ただおのおのなきあへり。あさましなむども
おろかなり。さるほどに夜もあけぬ。「法皇渡らせ給はぬ」と云ひろうありければ、じやうげのしよにんはせまゐりて、ごしよぢゆうまどひさわぐ事なのめならず。まして平家の人々は、「家にかたきのうちいりたらむもことかぎりあれば、是にはすぎじ」とぞさわぎあひ給ける。ぐんびやうらくちゆうにじゆうまんして有ければ、平家の
P2553一門ならぬ人々も、さわぎまどはぬはなかりけり。廿四 ひごろは法皇のごかうをもなし奉らむと、したくせられたりけれども、わたらせ給わねば、たのむこのもとに雨のたまらぬここちして、さりとてはぎやうがうあるべしとて、しゆしやうをすすめ奉て、ほうれんにたてまつりていでさせ給ふ。いまだいとけなき御よわひなれば、なにごころもなく奉りぬ。しんし、ほうけんとりぐして、けんれいもんゐんおなじこしにたてまつる。ないしどころも渡し奉りぬ。「いん
やく、ときのふだ、けんじやう、すずかにいたるまでとりぐすべし」と、へいだいなごんときただのきやうげぢせられけれども、人皆あわてにければ、とりおとす物おほかりけり。ひのおましのぎよけんものこしとどめてけり。みこしいださせたまひにければ、前後に候人は、平大納言ときただ、くらのかみばかりぞ、いくわんただしくしてぐぶせられける。
P2554そのほかの人々は、くぎやうもこんゑづかさもみつなのすけも、皆よろひをちやくし給へり。女房は、にゐ
どのをはじめ奉て、にようばうごしじふにちやう、馬の上の女房は数をしらず。しちでうを西へ、しゆしやくを南へぞぎやうがうなりける。「せんととてにはかにあわたたしく福原へぎやうがうなりしは、かかる事のあらむずるせんべうなりけり」と、今こそおぼしめしあわせらるれ。かかるさわぎのうちに、いかなる者かたてたりけむ、六波羅のそうもんの前にたてふだ有り。あづまよりともををかぜふきくれば西へかたぶくひらやとぞみる K134六波羅のきうくわん、にしはつでうのよもぎやよりはじめて、いけどの、こまつどのいげ、人々のしゆくしよ三十余所、一度に火をかけてければ、よえんすじつちやうにおよびて、日の光も見へざりけり。あるいはへいかたんじやうのれいせき、りようろうえうちのせいきゆう、はくりく
P2555ふさのきよしよ、あるいはしやうふしようじやうのきうしつ、さんたいくわいもんのこてい、きうぎよくゑんらんのすみかなり。もんぜんはんじやう、たうしやうえいぐわのみぎり、夢の如し、幻の如し。きやうごほろびてけいきよ
くあり、こそたいのつゆじやうじやうたり。ぼうしむおとろへてこらうなし、かんやうきゆうのけぶりへんぺんたりけむ。かんかの三十六宮、そのかううのためにほろぼされけむも、是にはすぎじとぞ見へし。むじやうははるのはな、かぜにしたがひてちる。うがいはゆふべのつき、くもにともなひてかくる。たれかえいぐわのはるのゆめのごときことをみておどろかざることを。おも
ふべしめいえふのあしたのつゆとともにしておちやすきことを。ふいうのかぜにたはぶるる、はくせいのたのしみいくばくぞ。ろうこのつゆをはむ、かふさつのこへゐんをつたふ。こんらうのじふにろうの上、せんしゆつひにむなしく、ちてふ一万
里の中、らくじやうつねならず。たねんのけいえい、いちじにまめつしぬ。へいしやうこくぜんもんをばはつでうだいじやうだいじんとまうしき。八条よりは北、ばうじやうよりは西に、はういつちやうにていありし故也。かのいへは
P2556入道うせられにし夜やけにき。だいせうむねのかず五十余に及べり。ろくはらどのとてののしる所はこぎやうぶきやうただもりよにいでしよきところなり。南門は六条が末、かもがはいつちやうをへだつ。もとはういつちやうなりしを、このしやうこくの時しちやうにざうさくあり。これもやかず百二十余宇に及べり。これのみならず、北のくらまちよりはじめて、もはらだいだうをへだてて、たつみのすみのこまつどのにいたるまで、廿余町におよぶまで、ざうえいしたりしいちぞくしんるいのとのばら、およびらうじゆうけんぞくのぢゆうしよにいたるまで、こまかにこれをかぞふればやかず三千二百余宇、一宇のけぶりとのぼりし事、おびたたしなむどいふはかりなし。ほつしやうじのゐんないばかりしばしやけざりければ、仏の御力にてのこるかとおもひしほどに、ちくごのかみいへさだがぶぎやうにて、こぎやうぶきやうただもり、にふだうたいしやうこく、こまつのだいふいげのむしよどもをほりあつめて、かのだうのしやうめんのまにならべ置て、仏と共にやきあげて、こつをば
P2557くびにかけて、あたりの土をば川にながして、いへさだしゆうじゆうおちにけり。このてらはこたいしやうこく、ちちのけうやうの為、たねんのあひだざうえいして、代々のほんぞん、もくざうといひ、ぐわざうといひ、うしつをならべ、きんようをまじへておわしましつ。しやうごんびれいにして、時にとりてならびなし。こよひあかつきまで、ぢゆうそうかひを吹き、ぜんりよけいをならしてたつとかりつるありさま、しゆゆの間に長くたえぬ。されば仏のときおきたまへるひつきやうくうのことわりはすなはちこれぞかしと、あはれなりししよぎやうむじやうのことわりかな。廿五 ごんのすけさんゐのちゆうじやうのかたへの人、参じて申けるは、「源氏すでに都へうちいりさうらふ。あかつきよ
り法皇もわたらせ給わずとて、ろくはらどのにはじやうげあはてさわぎて、さいこくへぎやうがうならせたまひさうらふ。おほいとのいげのとのばら、我も我もとうつたちたまふに、いかにいままでかくてはわたらせたまふぞ」と申ければ、さんゐのちやうじやうは、ひごろおもひまうけたりつるP2558事なれども、さしあたりては、あな心憂やとおぼして、いでたちたまふ。つかのまもはなれがたきをさなき人々を、たのもしき人一人もなきに、うちすてていでなむずる事こそかなしけれとおぼすに、なみださきだちてせきあへ給わず。きたのかたも
をくれじといでたちたまひけれども、「さきにもまうししやうに、ぐしたてまつりては人の為いとおしきぞ。只とどまりたまひさうらへ。いかにかくはのたまふぞ」と涙をながしたまへば、さまざまにこしらへおきたまふほどに、程もふれば、「おほいとのさらぬだに、これもりをばふたごころある者とのたまふなるに、今までうちいでねば、いとどさこそおもひたまふらめ」とて、なくなくいでたまへば、きたのかた袖をひかへてのたまひけるは、「父もなし、母もなし。都にのこりとどまりては、いかにせよとて、ふりすてていでたまふぞ。ののすゑやまのすゑまでもひきぐしてこそ、ともかくもみなし給はめ」とて、人目もつつまずなきもだへたまふを、見すてがたくこころぐるしくて、「さ
P2559さりとては、いづくにもおちつかむ所よりいそぎむかへとらむずるぞ」と、なぐさめ給ほどに、しんざんゐのちゆうじやう、さちゆうじやういげのおととたち四五人はせきたりたまひて、「ぎやうがうははるかにのびさせたまひぬ。いかなるごちさんにや」とのたまへば、弓のはずにてみすをかきあげて、「これごらんぜよ、とのばら」と宣ふ。み給へば、北方とおぼしくて、うつくしげなる女房の、よろひのおしつけの板に顔をあてて、人のみるをもはばからず、恥を
もかへりみず、声をもをしまずなきたまひたり。やつになりたまふ姫君、とをになりたまふ若君は、鎧のさうの袖にとりつきて、をくれじと、声をととのへてをめきさけびたまひけり。さんゐのちゆうじやうのたまひけるは、「いくさのさきをこそいかにもかけめ。これほどのおさなきものどものしたひさうらふを、なさけなくうちすてかねて候也」とて、はらはらと泣給へば、おととのとのばらも皆たもとをしぼりて、馬のかしらをかどへむけてぞひか
P2560へたる。かくてあるべきならねば、北方に宣ひけるは、「いづくの浦にも、おちつきたらむ所よりいそぎむかへとりたてまつらむずる事なれば、昔のちぎりをわすれずして、かわらぬ心にてまち給へ」とて、ひきちぎりて立給へば、北方は、「としごろひごろはこれほどなさけなかるべしとこそ思ひよらざりしか」とて、恥をもかへりみず、すだれのきわにまろびふして、声もをしまずをめき給ふ。若君姫君二人のきんだちは、えむより下にころびをち、いかにもおくれじとしたひて、声をととのへてをめき給けり。さいとうごむねさだ、さいとうろくむねみつとて、ながゐのさいとうべつたうさねもりがこどもなり。三位中将の御馬のさうのみづつきにとりつきて、「いづくの浦へもおんともせむ」と申ければ、三位の中将、「まことにまうすやうに、なんぢらをばいづくの浦へもあひぐして、いかならむ有様をも見はてよかしと思へども、見るP2561やうに、いとけなきをさなきものどもをとどめおくが、おぼつかなきぞ。なんぢらをはなちては心やすき者もなければ、とどまりてをさなき者共がつゑはしらともなれよ」と宣へば、ふたりのさぶらひ申けるは、「としごろひごろおんあはれみをかうぶりてまかりすぎさうらひしかば、もしの事の候わむ時には、になき命を君にまゐらせ、さきにもたち奉り、しでのやまのおんともをこそせんとおもひさうらひつるに、とまる
べき者と見へられまゐらせさうらひつらむ事こそ、くちをしくおぼへ候へ。まかりとどまりさうらひてのち、はうばいにおもてあわすべしとこそおぼへ候わね。いづくの浦にもおちつきたまわむ所をみおきまゐらせてこそわ」とまうしければ、三位中将かさねて宣けるは、「をさなきものどもをとどめおくがおぼつかなきぞ。たれはぐくみ、たれあはれみすらむとおもふらむとて、うちすててをくが悲しさに、おほくの者の有る
中に、なんぢらがこころざしの有がたければ、わがみをわくるがごとくに思て、をさなきものどものとぎとも
なれと
P2562思てこそいふに、かやうにしたうこそくちをしけれ」とうらみ給へば、「げにも又この御志をやぶりて、すすみて参らむ事もおそれあり」とて、涙をおさへてとどまりぬ。はるかにみをくり奉り、はしりつきても参りたく思けれども、そもかなわず。二人のさぶらひ声をととのへてをめきさけぶ。中将かく心づよくふりすててはいでたまひたれども、なほまへへはすすまず、うしろへのみひきかへすやうに、涙にくれてゆくさきもみへ給はず。鎧の袖もしおれければ、おととたちの見給もさすがつつましくおぼさる。北方は、「としごろ有つれども、是ほどなさけなかるべき人とこそしらざりつれ」とて、ひきかづきてふし給へば、若君も前にふしまろびて泣給ふ。かくうちすてられ給ひぬれば、「いかにしてかたときもあかしくらすべし」ともおぼさず。よのおそろしさもたへしのびたまふべきここちもP2563し給はず。みひとつならばせめてはいかがせむ、をさなき人々の事をおぼすぞ、いよいよ道せばく心うくはおぼしける。廿六 よりもりはなかもり、みつもりらひきぐして、さぶらひどもみなおちちりて、わづかにそのせい百騎ばかりぞ有ける。とばのみなみあかゐがはらにしばらくやすらひて、おりゐて、大納言よそを見まわしてのたまひけるは、「ぎやうがうにはをくれぬ。かたきはうしろにあり。ちゆうくうになるここちのするは。いかに、とのばら、このたびはなどやらむ物うきぞとよ。ただこれより京へ帰らむと思ふ也。すべてゆみやとるみのうらやましくもなきぞ。さればこにふだうにもしたがふやうにてしたがはざりき。さうなくいけどのをやきつるこそくやしけれ。いざさらば京のかたへ。鎧をばよういの為におのおのきるべし。かへすがへすも、人は世にあればとて、をごるまじかりける事かな。入道の末、今ばかりにこそあむなれ。いかにもいかにもP2564はかばかしかるまじ。都をまどひいでて、いづくをはかりともなく、にようばうたちをさへひきぐしてたびだちぬる心うさよ。いかばかりの事おもひあわるらむ。さぶらひども皆赤じるしとりすてよ」とのたまひけれ
ば、とかくするほどにひつじのときばかりにもなりにけり。「京には今は源氏うちいりぬらむ。いづちへかいらせ給べき」とさぶらひども申ければ、「いかさまにも京をはなれては、いづちへかゆくべき。とくとく」とて、大納言さきに打て、馬をはやめてかへりたまふ。みるものあやしくぞ思ける。くでうよりしゆしやくをのぼりに、はつでうのにようゐんのごしよ、にんわじのときはどのへまゐりたまふ。大納言はにようゐん
のおんめのとご、さいしやうどのとまうす女房にあひぐせられたりければ、このごしよへ参らるるもことわりなり。女院よりはじめたてまつりて、女房達、さぶらひども、「いかに、夢かや」とおほせあり。だいばんのらうに、よろひぬぎをきて、よろひひたたればかりにて、おんまへちかく
P2565まゐりたまひてまうされけるは、「よのなかの有様只夢にて候
也。いけどのに火かけて、心ならずうちいでて、さうらひつれども、つらつらあんじさうらへば、『都にとどまりて君のげんざんにも入り、出家入道をもつかまつりて、しづかにさうらひて、ごしやうをもたすからむ』とぞんじて、かくなむ参て候也」とまうされければ、にようゐん、さんゐのつぼねをおんつかひにて、「誠にそれもさる事なれども、源氏すでに京に入て、平家をほろぼすべしときこゆ。さらむにとりては、このうちにてはかなひなむや」とおほせありければ、頼盛かしこまりて、「まことにさやうの事にもなり候はば、いそぎごしよをまかりいでさうらはむずれば、なじかはおんだいじにおよび候べき」とまうされければ、にようゐんまた、「いかにもよくよくあひはからはるべし。ただし源氏とののしるはいづのひやうゑのすけよりともぞかし。それはのぼらぬやらむ。のぼりたらばさりともべちの事よもあらじ。かしこくぞこにふだうとひとつこころにて
P2566おわせざりける。いまは人目もよし。平家のなごりとて世におわしなむず」とおほせありければ、よりもり、「世にありとまうしさうらはば、さだめて今はなにごとかは候べき。只今おちうとにてあちこちさまよわむ事のかなしさにこそ、かやうにまゐりて候へ。おほせの如く、頼朝がかたよりたびたびふみをたびてさうらひしに、こははのいけのあまが事をまうしいだして、『そのかたみと頼盛をばおもふぞ。世に有らむとおもふもその為なり』と、まいどに申てさうらひしなり。そのふみこれにもちてさうらふ」とて、ちゆうげん
をとこのくびにかけさせたりけるかはのふぶくろよりとりいだして、げんざんに入る。おなじてもあり、かわりたる筆もあり。はんはいづれもかわらずとごらんあり。さればうつてのつかひののぼりしにも、「あなかしこ、いけどののとのばらにむかひて弓をもひくべからず。やへいざゑもんむねきよに手かくな」と、くにぐにのぐんびやう
P2567にも、兵衛佐いましめられけるとかや。ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、おほいとののおんまへにすすみいでて申けるは、「いけどのはおんとどまりさうらふにこそ。あはれ、くちをしくおぼえさうらふものかな。うへにこそおそれ奉り候へ、さぶらひどものまゐりさうらはぬこそ安からずぞんじさうら
へ。ひとやいかけて帰り参り候はむ」と申ければ、「中々さなくてもありなむ。としごろのぢゆうおんをわすれて、いづくにもおちつかむずる所を見をかずしてとどまるほどのじんは、源氏とても心ゆるしせじ。さほどのやつばらは、ありとてもなにかはせむ。とかくいふにおよばず」とぞ、大臣殿のたまひける。そもそもよりもりのとどまり給ふこころざしをたづぬれば、かの大納言はただもりの次男也。だいじやうにふだうのおととにておわしましければ、内大臣の為にはをぢにて、世にも重くすべき人なりけり。又
おちとどまるべき人にもおわせざりけれども、頼盛の母いけのあま
P2568ごぜんは、忠盛の最後のごぜんにて、最後までもぐせられたりけり。平家ちやくちやくさうでんして、ぬけまるといふたちあり。ひさうの太刀なりけるを、「頼盛にとらせばや」と北方しきりにまうされければ、大納言このたちをさうでんせられけるを、だいじやうにふだうも心得ずおもはれけり。かのたちは、忠盛の父まさもりのあつそん、夏の事にて有けるに、この太刀を枕にたててひるねをしたりけるに、よそにて人のみければ、小きとかげの尾の青かりけるが、さらさらとはらばひて、正盛のねたりけるかたへむきてはらばひけるほどに、枕にたてたるたち、人もぬかぬに、なからばかり、さらとぬけたりけるをみて、このどくちゆうおそれたるけしきにて、やがてかへりにけり。さて不思議のおもひをなして、正盛がねたりける
ををこして、「しかしか」と云ければ、誠に太刀P2569なからばかりぬけかかりたりけり。不思議なりける事也。それよりしてぞ、このたちをばぬけまるとなづけてひさうせられける。内大臣この大刀をしよまうし給けれども、頼盛おもはれけるは、「なだかき大刀なるを、ありがたくして伝へたる上、へいぢのかつせんのとき、あくげんだよしひらがらうじゆう、かまだびやうゑまさきよがくまでにかけられて、すでにうたれぬべかりしに、この大刀をもちたりしかばこそ、くまでのくさりをうしろさまにやすくきりをとして、命をたすかるのみにあらず、名をこうたいにものこししか。この大刀なかりせば、今までながらへむ事かなふまじ。そのうへおほいとのはちやくちやくのあとをつぎて、このほかのたうけさうでんのもののぐといひ、ざいほうといひ、そのかずおほくつたへてもちたまへり。頼盛は
P2570そしなるによつて、よのちようほうとうひとつも相伝せずして、わづかにこのたちひとつばかりなり」とのたまひて、さいさんしよまうありけれども、つひに奉らずしてもちたまひたりければ、ないないをぢをひのなか、心よからずとぞきこへし。そのうへうちいでけるかどでに、鳩かきたる扇のなかばなるを、わらはのもちきたりて大納言に奉けるを、右の手にうけとりて、そのわらはを「いかなる人ぞ」と問ひ給ければ、まぼろしの如くして、かきけつやうにうせにけり。不思議の事かなと思給て、彼の扇をひらきて見給ければ、扇もまことの扇にはあらずして、白き鳩のはにてぞ侍りける。心の内に思給けるは、「鳩のはにて造りたる扇、ぼんぶのきやうがいのわざにあらず。ひとへに是、はちまんだいぼさつのごじげんの扇なるべし。つらつらこのことを案ずるに、よりとも世をうちとりて、いつてんを心に
P2571まかせむとて、頼盛をおんしやうすべきずいさうにてぞ有らむ」と思給て、にはかにおもひとどまり給けるとぞきこへし。さるほどにおほいとのもりつぎをめして、「ごんのすけさんゐのちゆうじやうどのはいかに」と問給ければ、「こまつどののきんだちもいまだひとところもみへさせ給わず」と申ければ、「さこそあらむずらめ」とて、よに心細げにおぼして、御涙のおちけるををしのごひ給を、人々見給て、鎧の袖をぞぬらされ
ける。新中納言のたまひけるは、「これひごろみなおもひまうけたりし事也。いまさらにおどろくべきにあらず。都を
いでていまだひとひをだにもすぎぬに、人の心も皆かはりぬ。ゆくすゑとてもさこそ有らむずらめ。わがみひとつの事ならねば、すみなれしふるさとをいでぬる心うさよとをしはかられ、只都にていかにもなるべかりつる者を」とて、おほいとののかたをつらげに
P2572見やり給けるこそ、げにとおぼへてあわれなれ。さるほどにごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもり、しんざんゐのちゆうじやうすけもり、さちゆうじやうきよつねいげ、きやうだい五六人ひきぐして、よど、はつかし、むつだがはらをうちすぎて、せきどの院の程にておひつき給へり。あそこここにておちちりて、そのせい三百騎ばかりぞありける。大臣殿この人々をみつけたまひて、すこしちからをつけたるここちしたまひて、「今まで見へさせ給わざりつれば、おぼつかなかりつるに、うれしくも」とのたまひければ、三位中将は、「をさなきものどものしたひさうらひつるを、こしらへおきさうらひつるほどに、今まで」とて、御涙のおつるを、さなきやうにまぎらかされける有様、あはれにぞ見へける。大臣殿、「又いかにぐし奉り給わぬぞ。とどめおきたてまつりてはこころぐるしくこそおわせむずれ。いかにしてかはすぎあはるP2573べき」とのたまひければ、「ゆくさきとてもたのもしくも候はず」とて、とふにつらさと、いとど涙をぞながされける。いけのだいなごんのいちるいは、今や今やとまちつれども、ついに見へ給わず。そのほかおちゆく平家はたれたれぞ。さきのないだいじんむねもり、へいだいなごんときただ、へいぢゆうなごんのりもり、しんぢゆうなごんとももり、しゆりのだいぶつねもり、うゑもん
のかみきよむね、ほんざんゐのちゆうじやうしげひら、ごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもり、ゑちぜんのさんゐみちもり、しんざんゐのちゆうじや
うすけもり
てんじやうびとには、くらのかみのぶもと、くわうごうぐうのすけつねまさ、さちゆうじやうきよつね、さつまのかみただのり、こまつのせうしやうありもり、さまのかみゆきもり、のとのかみのりつね、むさしのかみともあきら、びつちゆうのかみもろもり、こまつのじじゆうただふさ、
P2574わかさのかみつねとし、あはぢのかみきよふさそうがうには、にゐのそうづぜんしんほつしようじのしゆぎやうのうゑんちゆうなごんのりつしちゆうくわいさぶらひ、じゆりやう、けんびゐし、ゑふ、しよし百六十余人、むくわんの者は数をしらず。このさんがねんのあひだ、とうごくほつこくのどどの合戦に皆うたれたるが、残る所なり。廿七 そのときこんゑのてんがと申は、ふげんのないだいじんもとみちのおんことなり。だいじやうにふだうのおんむこにて平家にしたしみ給ける上に、法皇さいこくへごかうなるべきよしひごろきこへければ、せつしやうどのもおんぐぶある
べきごりやうじやうありければ、内大臣より、「ぎやうがうすでになりさうらひぬ」とつげまうされたりければ、せつしやうどのぎよしゆつありけるに、法皇のごかうもなかりければ、ごしんぢゆうにおぼしめしわづらわせ給けるに、はくはつのらうをう、御車の前にげんじて、
P2575いかにせむふぢのすゑばのかれゆくをただ春の日にまかせてぞ見る K135是をごらんじて、「さればわがいづる事をばしんめいのおんとがめのあるにや。はるのひとは、かすがのみやうじんとどめさせ給へとにや。いかがすべき」とおもひわづらひたまひけるに、おんともにさうらひけるしんどうざゑもんのたいふたかのりが、「法皇のごかうもならせ給わず。平家の人々も多くおちとどまらせたまひさうらひぬ。これよりおんかへりあるべくやさうらふらむ」と申たりければ、「平家の思わむ所
いかがあるべかるらむ」とおんけしきありけるを、しらずがをにて、やがて御車をつかまつる。御車のうしかひに、きと目を見あわせたりければ、しちでうしゆしやくより御車をやりかへし、ひとずわへあてたり
ければ、くつきやうの牛にてはありけり、とぶがごとくにして、しゆしやくをのぼりにくわんぎよなりにけり。平家のさぶらひ、ゑつちゆうのじ
P2576らうびやうゑもりつぎこれをみたてまつりて、「てんがもすでにおちさせ給にこそ。くちをしくさうらふも
のかな。とどめまひらせ候わむ」と申ままに、かたてやはげておひかかりけるを、たかのりかへしあはせてふせきけるを、おほいとの見給て、「としごろのなさけをおもひわすれ給ておつるほどの人をば、いかにても有なむ。一門の人々もあまた見へ給はず。せんなし」とせいし給ひければ、もりつぎひきかへしにけり。せつしやうどのは都へ帰らせ給ひて、さいりんじと云所に渡らせ給ひて、それよりちそくゐんへぞ入らせ給ひける。人是をしらず。「せつしやうどのはよしのの奥へ」とぞ申あひたりける。廿八 かはじりに源氏まはりたりときこえければ、ちくごのかみさだよしがはせむかひたりけるが、ひがことにて有ければかへりのぼる。この人々のおちたまふにゆきあひにけり。さだよしはこむらごのひたたれの、くび、はた袖はむらさきめゆひにてかへしたるに、くろかはをどしのよろひきて、
P2577おほいとののおんまへにて馬よりおり、弓わきにはさむで、だんしをして申けるは、「あな心うや。是はいづちへとてわたらせ給ぞや。都にてこそちりはひにもならせ給わめ。さいこくへおちさせ給たらば、のがれさせ給べきか。又たひらかにおちつきたまふべしともおぼえ候わず。おちうととてあしこここにうちちらされて、かばねを道のほとりのさらし給わむ事こそ心うけれ。こはいかにしつる事ぞ。しんぢゆうなごんどの、さんゐのちゆうじやうどの、とくとくひきかへらせ給へ。けうがるいくさつかまつりて、こうたいのものがたりにつかまつり候わむ。弓矢をとるならひ、かたきにうたるる事、まつたく恥にあらず。なにごともかぎりあることなれば、今は平家の御運こそつきさせたまひぬらめ。さればとて、かなわぬものゆゑに、かたきにうしろをみせむ事うたてく候」と申ければ、新中納言はおほいとののかたをにらまへて、誠に心うげにおもひたまへり。おほいとののたまひけるは、「さだよしはいまだしらぬか。
P2578きのふより源氏てんだいさんにのぼりて谷々にじゆうまんしたんなり。このやはんばかりより
は院もわたらせ給わず。おのおのがみひとつならばいかがせむ。にようゐん、にゐどのをはじめ奉て、にようばうどもあまたあり。たちまちにうき目をみせむ事もむざんなれば、ひとまどもやと思ふぞかし。かつうは又ぜんもんめいしやうのごむしよにまうでて、おもふほどの事をもまうしおきて、ちりはひともならむとおもふなり」とのたまへば、さだよし又申けるは、「弓矢をとるならひ、さいしをあわれむ心だにも深く候へば、おもひきら
れず候。さこそをびたたしくきこへさうらふとも、源氏たちまちによもせめよせさうらわじ。又法皇をばいかにしてうしなひまひらせてわたらせ給ぞや。よひよりも参りこもらせ給て、目をはなちまひらせでこそ、すすめまひらせ給べくさうらひけれ。すゑやすなむどぞつげまうしてさうらひつらむ。さりとも女房達の中にしりまひらせぬ事はよも候わじ。足をP2579はさみてこそはといたださせ給はめ。すゑ
やすがめとまうすやつこはみうちには候はざりけるか。しやつがちゆうげんにてぞ候らむ。にくさもにくし。さだよしにをひてはかばねを都にてさらすべし」とてかへりのぼる。そのせい二千余騎ばかりぞ有りける。義仲是を聞て申けるは、「ちくごのかみさだよしが最後のいくさせむとてかへりのぼりたんなるこそあはれ
なれ。弓矢をとるならひ、さこそはあるべけれ。あひかまへていけどりにせよ」とぞげぢしける。とりのときまで、まてどもまてども、おほいとのいげの人々帰りのぼり給わず。けさ家々をば皆やきぬ。なににつくべしともなく、ほつしやうじのへんにいつしゆくしたりけれども、大臣殿いげの人々一人もかへりたまわざりければ、こまつどのの御墓のろくはらにありけるを、とうごくの人共が馬のひづめにかけさせむ事、くちをしかるべしとて、はかほりをこし、こつひろひ、くびにかけ、なくなくふくはらへとて
P2580おちゆきけり。貞能みやこへかへりいるときこへける上、「もりつぎ、かげきよらをたいしやうぐんとして、のこりとどまるへいけどもうたむとて都へいりぬ」とののしりければ、いけの大納言色をうしなひて騒がれけり。されども源氏はいまだうちいらず、平家にはわかれぬ。浪にもつかず、いそにもつかぬここちして、只八条の院に、「もしの事あらばたすけさせ給へ」とまうされけれども、それもかかるみだれの世なれば、いかがはせさせ給べきとおんなげき有けるも、ことわりにすぎてあはれなり。平家の方の者やしたりけむ、歌をふだに書
て、いけどののかどの前にたてたりけり。としごろのひらやをすててはとのはにうきみをかくすいけるかひなし K136大納言、この歌にはぢてしゆつしもし給わず。常にはろうきよしてぞをはしける。ゐんのごしよには、さればこそいかにも事いできなむずとて、女房たち
P2581あわてさわぎて、よもすがら物はこびなむどしければ、ほくめんのものども申けるは、「いたく物さわがしくさわ
ぎ給べからず。たとへば平家のかたより、院のわたらせたまふところをたづねまうさむずが、山にわたら
せ給よしきこゆれば、そのむねをいひてむず」とて、おのおのいもねずしてそのよもあけぬれば、さだよしごしよへおしいりて、なにといふこともなく、むまやにたてられたりける御馬を、かいえりかいえりひきいだして、すなはち御所をばいでにけり。もりつぎ、かげきよがじゆらくの事は、ひがことにてぞ有ける。法皇はせんとうをいでてみえさせ給わず。しゆしやうはほうけつをさりて、さいこくへとてぎやうがうなりぬ。くわんばくどのはよしののおくにこもら
せたまひぬときこゆ。ゐんぐうのみやばらは、はちまん、かも、さが、おほはら、きたやま、ひがしやまなむどの片ほとりにつきてにげかくれたまへり。平家はおちたれども、源氏はいまだいれかはらず。この都は
P2582既にあるじもなく人もなきさまにぞなりにける。てんちかいひやくよりこのかた、けふかかる事あるべしとは、たれかはおもひよりし。しやうとくたいしのみらいきにも、今日の事こそゆかしけれ。よどのわたりのほとりにて、船をたづねてのりたまふ、御心のうちこそ悲しけれ。ひごろめしをかれたりつるとうごくのものども、うつのみやのさゑもんのじようともつな、はたけやまのしやうじしげよし、をやまだのべつたうありしげなむど、をりふしざいきやうしておほばんつとめて有けるが、とばまでおんともして、「いづくの浦にも、おちとどまらせましまさむ所をみをきまゐらせむ」と申ければ、おほいとののたまひけるは、「こころざしは誠にしんべうなり。さはあれども、なんぢらがこども多く源氏につきてとうごくにあり。心はひとへに東国へこそかよふらめ。ぬけがらばかりぐしてはいかがはせむ。とくとくかへれ。世にあらばわするまじきぞ。なんぢらもたづねきたれ」とのたまひければ、
P2583「いづくまでもおんともして、みをきまゐらせむと思けれども、弓矢の道にこれほど心ををかれまゐらせて参りたらば、なにごとのあらむぞ」とて、とまり
にけり。にじふよねんのよしみなれば、なごりはをしく思けれども、おののおの?よろこびの涙ををさへてまかりとどまりにけり。そのなかにうつのみやのさゑもんをば、さだよしがあづかりて、ひごろも事にをきてはうじん有り
けるとかや。源氏の世に成てのち、貞能、宇都宮をたのみて東国へくだりたりければ、昔の恩をわすれず、まうしあづかりてはうじんしたりけり。平家は、あるいはいそべの波のうきまくら、やへのしほぢに日をへつつ、船にさをさす人もあり。あるいはとほきをわけけはしきをしのぎつつ、馬にむちうつひともあり。せんどをいづくと定めず、しやうがいをとうせんの日にごして、おもひおもひこころごころにぞおちられける。ごんのすけさんゐのちゆうじやうのほかは、おほいとのをはじめとして、むねとの人々、きたのかたをひきぐし給へども、しもさまのものどもは
P2584妻子を都にとどめおきしかば、おのおのわかれををしみつつ、ゆくもとまるもたがひに袖をぞしぼりける。ただかりそめのよがれをだにも恨みしに、こうくわいそのごをしらぬ事こそかなしけれ。さうでんふだいのよしみも浅からず、としごろひごろの恩もいかでかわするべきならば、涙ををさへていでたれども、ゆくそらも
なかりき。をとこやまをふしをがみては、「なむはちまんだいぼさつ、今一度都へ帰しいれ給へ」とぞなくなく申ける。誠にこきやうをばいつぺんのけぶりにへだてて、せんどばんりの浪をわけ、いづくにおちつき給べしともなく、あくがれおちたまひけむ心のうちども、さこそは有けめとをしはかられてあはれなり。廿九 そのなかにやさしくあはれなりし事は、さつまのかみただのりはたうせいずいぶんのかうしなり。そのころ、くわうだいこうくうのだいぶしゆんぜいのきやう、ちよくをうけたまはりてぜんざいしふえらばるる事ありき。
P2585既にぎやうがうのおんともにうちいでられたりけるが、のりがへいつきばかりぐして、よつづかより帰て、かのしゆんぜいのきやうのごでうきやうごくのしゆくしよの前にひかへて、かどたたかせければ、内より「いかなる人ぞ」ととふ。「さつまのかみただのり」となのりければ、「さてはおちうとにこそ」とききて、世のつつましさにへんじもせられず、かどもあけざりけれ
ば、そのとき忠度、「べちのことにては候わず。このほどひやくしゆをしてさうらふを、げんざんにいらずして、ぐわいとへまかりいでむ事のくちをしさに、持て参て候。なにかはくるしく候べき。たちながらげんざんしさうらはばや」と云ければ、三位あわれとおぼして、わななくわななくいであひ給へり。「世しづまりさうらひなば、さだめてちよくせんのこうをはりさうらわむずらむ。身こそかかる有様にまかりなりさうらふとも、なからむあとまでも、このみちに名をかけむ事、しやうぜんのめんぼくたるべし。しふせんじふの中に、このまきものの内にさる
べきくさうらはば、おぼしめし
P2586いだして、いつしゆいれられさうらひなむや。かつうは又念仏をもおんとぶらひさうらふべし」とて、よろひのひきあはせより百首のまきものをとりいだして、かどより内へなげいれて、「忠度今はさいかいの浪にしづむとも、このよにおもひおくことさうらわず。さらばいらせ給へ」とて、涙をのごいてかへりにけり。しゆんぜいのきやうかんるいををさへて内へかへりいりて、ともしびのもとにてかのまきものを見られけれ
ば、しうかどもの中に、「こきやうの花」といふだいを。さざなみやしがのみやこはあれにしをむかしながらの山ざくらかな K137「しのぶこひ」に。いかにせむみやぎがはらにつむせりのねのみなけどもしる人のなき K138そののちいくほどもなくて世しづまりにけり。かのしふをそうせられけるに、ただのりこのみちにすきて、道よりかへりたりしこころざしあさからず。ただしちよくかんの人の名をP2587入るる事、はばかりある事なればとて、このにしゆを「よみびとしらず」とぞいれられける。さこそかわりゆくよにてあらめ、てんじやうびとなむどのよまれたる歌を、「読人しらず」といれられけるこそくちをしけれ。此の薩摩守の、ある宮ばらの女房にものまうさむとて、つぼねのうへくちさまにてためらひ給けるに、事のほかに夜ふけにければ、扇をはらはらとつかひならして、ききしらせ給ければ、心しりの女房の、「のもせにすだくむしのねや」とながめけるを聞て、扇をつかひやみたまひにけり。人しづまりぬとおぼしくて、いであひたりけるに、「など扇をばつかひ給はざつつるぞ」ととひけるに、「いさ、かしかましとかやきこへつればよ」とのたまひけるぞ、いとやさしかりける。かしかましのもせにすだくむしのねやわれだにものはいはでこそ思へ K139
P2588といふ歌の心なるべし。三十 さまのかみゆきもりもえうせうよりこのみちをこのみて、きやうごくのちゆうなごんのしゆくしよへ、ゆきもりつねにおわしむつびて、ひとへにこの道をのみたしなみけり。ていかのきやうそのころは少将にておわしけり。さるほどにいちもん
都をおちし時、ひごろのなごりををしみて、なにとなくよみをかれたりけるうたどもをかきあつめて、のちのおもひでにもとや思われけむ、ふみをこまかにかいて、袖がきにかうぞかかれたりける。ながれての名だにもとまれゆくみづのあわれはかなきみはきえぬとも K140定家の少将この歌を見給て、かんるいを流して、もしせんじふあらば、必ずいれむとぞおぼしける。ちちしゆん
ぜいのきやう、ただのりの歌を「よみびとしらず」とせんざいしふにいれられたりし事を、よに心うくねんなき事におぼして、ごほりかはのゐんのおんとき、
P2589しんちよくせんをえらばれしとき、「てうてきさんだいこそ名をあらわす事恐れ
ありつれ。今はさんだいすぎたまひぬれば、なにかはくるしかるべき」とて、「さまのかみゆきもり」と名をあらわして、この歌をいれられたりしこそ、やさしくあわれにおぼへしか。卅一 くわうごうぐうのすけつねまさは、えうせうよりにんわじのしゆかくほふしんわうのごしよにさうらはれしが、昔のよしみわすれがたくおもはれければ、だいもつと云所よりひきかへして、さぶらひににんうちぐして、ごのみやの御所へまゐりて、てんそうの人してまうしいれけるは、「一門の運つきぬるによつて、すでにていとをまかりいでさうらふうへは、身をさいかいの浪の底にしづめ、かばねをせんやうのみちのほとりにさらし候はむ事、うたがひあるべからずさうらふ。ただしうきよに心のとどまり候事は、君を今一度はいけんしたてまつらずして、ばんりのなみぢにただ
P2590よひ候はむ事こそ、かなしみの中のかなしみにて候へ」とまうしいれたりければ、宮は、「世はおほきにはばかりおぼしめされけれども、又もごらんぜぬ事もこそあれ」とて、すなはち御所へめされたまふ。つねまさはねりぬきに鶴をぬいたるよろひひたたれに、もえぎのいとをどしの鎧をぞ着たりける。二人のさぶらひ、ありのり、とも
しげも鎧きたりけり。つねまさなくなく申けるは、「経正十一歳とまうしし年より、このごしよにしよさん
つかまつりて、朝夕おんまへをたちはなれまいせず。じよしやくつかまつりてのちも、きんりせんとうのしゆつしのひまには、『いかにもしてこのごしよへまゐりさうらわむ』とのみぞんじさうらひしかば、一日に二度参ずる日はさうらひしかども、ふさんの日は候わなむしに、今日都をまかりいでさうらひて、せいちんのりよはくにただよ
ひ、やへのしほぢをこぎへだてさうらひなむのちは、ききやうそのごをしらず。されば、今一度君をみたてまつり候
わむとぞんじさうらひて、きげんをかへりみさうらわず、すい
P2591さんつかまつりて候」となくなく申て、とうくらうありのり
にもたせたるおんびはをとりよせて、「くだしあづかりて候しせいざんをば、いかならむ世までも身をはなたじとこそぞんじさうらひつれども、かかるめいぶつをかいていにしづめむ事の心うく候て、持て参て候なり」とて、綿の袋にいれながら、宮のおんまへにさしおかる。宮是を御覧じて、御涙にむせませましまして、おんぺんじにおよばず。ぎよいの御袖もしぼるばかりなり。そもそもこのびはをせいざんと申す事は、むかしていびむといひしいうじん、たいたうへわたりて、れんしようぶと云びはのはかせに合ひ、さんきよくをつたへられしに、せいざんの緑のこずゑよりてんにんあまくだり、くわいせつの袖をひるがへす。れんしようぶこのずいさうにおどろきて、せいざんとぞなづけける。そののち又むらかみの天皇の御時、秋の月
くまなくて、風の音身にしみて、なにとなくものあはれなるゆふべ、あかつきに、このおんP2592びはにして、みかどまんじうらくの秘曲をひかせたまひしに、かうたけよしづかにして、御ばちのおといつよりもすみのぼりて、身にしみてきこへけるに、ごろくのでふの秘曲にいたりて、てんにんあまくだりて、くわいせつの袖をひるがへし、すなはち雲をわけてのぼりにけり。そののちはかのおんびはをぼんにんのひくことなかりければ、よよのみかどのごちようほうにて有けるが、次第につたはりて、このみやのごちようほうのそのいちにてありけるを、このつねまさ十七のとしうひかぶりして、うさのみやのちよくしにくだされし時まうしくだして、宇佐のじんでんにてわうじきでうにてかいせいらくをひかれたり
しに、しんめいのなふじゆしたまひて、てんどうのかたちにあらはれて、しやだんの上にてまひたまふ。つねまさこのきずいをはいして、しんめいなふじゆありけりとて、がくをばひきやみて、さんきよくのそのいち、りうせんの曲をしばらくしらべたりければ、とものみやびと心有れば、おのおのかりぎぬの
P2593袖をぞしぼりける。ききもしらねども、むら
さめとはまがわじ物をとあはれなり。むらかみのぎようよりこのかた、ぼんにんこのびはを弾ずる事はつねまさ一人ぞ有ける。かかるれいぶつ也ければ、経正みにかへてをしくはおもはれけれども、「これごらんのたびごとにおぼしめしいづるつまともなれかし」とおもはれければ、おんびはをまゐらせおくとて。くれたけのもとのかけひはかわらねどなをすみあかぬ宮のうちかな K141宮おんびはをとらせ給て、御涙をおさへおはして。くれたけのもとのかけひはたへはててながるるみづのすへをしらばや K142あかずしてながるる袖の涙をば君がかたみにつつみてぞおく K143このごしよにあさからずいひちぎりし人々あまたありける中に、じじゆうのりつしぎやうけい
P2594と云ける人、ことに深くおもひいれられたりけるが、みなちりぬをい木もこぎの山ざくらをくれさきだつ花ものこらじ K144経正なくなく、たびごろもよなよな袖をかたしいて思へば遠くわれはゆきなむ K145とのたまひて、「今は心にかくることさうらはねば、いかになるみのはてまでも、おもひをく事つゆさうらはず」とて、おんまへをたたれければ、朝夕みなれし人々、鎧の袖にとりつきて、ころものたもとをぞしぼら
れける。「誠にひをかさね、夜をかさぬとも、おんなごりはつきさうらふまじ。ぎやうがうははるかにのびさせたまひさうらひぬらむ。さらばいとままうして」とて、かぶとのををしめて馬に乗る。宮のごしよへまゐりつる時は、世をもはばからせ給らむとつつみつれども、まかりいでける時は、あかはたひとながれささせて、南をさしてあゆませゆく。
P2595かく心強くはいでたれども、すみなれしこきやうを今をかぎりにてうちいでければ、よろひのそでもしぼるばかりにて、おひつきたてまつらむとむちをあげられける心のうちこそあはれなれ。さて、ぎやうがうにおひつきまひらせて、なにとなく心すみければ、かくぞおもひつづけける。みゆきなるすへもみやことおもへどもなをなぐさまぬ波の上かな K146G32卅二 平家は福原のふるさとに着て、一夜をぞあかしける。おのおのぜんもんのごむしよにまうでて、「くわこしやうりやう、しゆつりしやうじ、わうじやうごくらく、とんしようぼだい」ときねんして、ぞんじやうの人にして物をいふやふに、つくづくとくどき給ふ。いはきもいかにあはれとおもふらむ。其の中にさつまのかみただのりは、てうばうのごしよの花をたをり、こにふだうにゑかうして涙かきあへず。
P2596なき人にたむくる花のしたへだをたをればそでのしほれけるかな K147いつかへるべしともおぼえねば、そぞろに涙をながされけり。平家ほろび給けるなかに、人ごとに袖をしぼりける事有けり。だいじやうにふだうのおととにしゆりのだいぶつねもりは、しいかくわんげんにちやうじ給人なり。かだうよりもしちくのわざはなほまさり給けり。やうぢやうのひきよくを伝へ給事は、じやうだいにもたぐひすくなく、たうせいにもならぶ人おわしまさざりけり。ひととせ法皇のこほりかはのゐんのおんために、ほふぢゆうじどのにてほうおんかうのきやうぐやうをおこなはれけるに、かいかのくぎやうてんじやうびと、家をただしてぶがくをそうしたまひしに、つねもりそのときはとうぐうのだいぶにておはせしが、左のおもぶへをつかまつりしに、れいじんぶきよくをつくしたるに及むで、きゆうちゆうすみわたり、くんP2597じゆのしよにんおのおの袖をしぼりけり。しやうくわうもこゐんのごついぜんなれば、「今はとそつてんじやうのないゐん
にをさまりたまふらむ」とおぼしめし、りようがんにあいぜんところせし。はつでうのさはんぐわんただふさはりようわうのひきよくをまひつくす。大ひざまづき小ひざまづき、いる日をかへすがつしやうの手、をはりにはくわうじよのそでをひるがへす。其家ならぬ人にはおのおのふえをとどめしに、とうぐうのだいぶつねもり、くわうじよのひきよくのせつをふきたまひしかば、法皇えいかんたへずやおぼしめしけむ、おんまへのみすをあげさせおはしまし、ぎよいをぬぎてうちいでさせ給けるを、経盛たまはつて、かへつてかいかにつきたまひしかば、なんによじぼくをおどろかして、皆きいのおもひをなす。この道にたづさわらざる人は、おもてをかべにむかへたるもあり。かかりける人な
P2598れば、心あるも心なきも、これをおしみ奉る。はつでうのちゆうなごんにふだうながかたのおととにさきやうのだいぶよしかたは、しゆりのだいぶにやうぢやうのでしにて曲をつたへ給しかば、いまにせつをのこして都をおちたまひしかば、いかなるはくがの三位は、あふさかのふもとに夜
をかさね、うぢのきふしやうただかぬは、父をいましめ、ごぎやくざいををかすぞとおもへば、さいしきやうだいをふりすてて、同じく都をおちたまひけるが、ふくはらのてうばうのごしよにて、かんしうにはさんせつのただびやうし、ばいろにはごせつのがくびやうし、底をきわめ給しかば、りようてきほうくわんのきよくは、しやうじゆのざにつら
なれるかとあやまたれ、げいしやうういのよそをひには、てんにんのやうがうするかとうたがわれ、きくひとみるひとともになみだをながしけり。よしかたは、「いかならむ野の
P2599末、海のあなたまでもおんともせむ」と、なごりをしたひ給けるを、つねもり、「かかる身になりさうらひぬる上は、おんみをいたづらになし給はむ事、いかでかはべるべき。もし不思議にて世もたちなをりて候はば、げんざんにいるべし。はかなくなりたりときこしめさば、必ずおんねんぶつさうらふべし。こんじやういつたんのむつびによつて、らいしやうちやうきうのすみかととぶらわれまひらせ候はむ。ゆめゆめおもひとどまり給へ」とあなかしこせいしたまひければ、なごりはをしく思われけれども、ふくはらのいちやのとまりより、都へかへりたまひけり。さてもにふだうのつくりおきたまひしはなみのはるのそののごしよ、はつねたづぬるやまだのごしよ、つきみのあきのをかのごしよ、ゆきのあしたのかやのごしよ、しまのごしよ、ばばどの、いづみどの、にかいのさんじきどのよりはじめて、ごでうのだい条
大[* 「条大」衍字]なごんにふだうのざうしんせられたりP2600しさとだいり、人々の家々に至るまで、みすもすだれもたえはてて、かうしもつまどもあぶれをち、いつしか年のみとせにいたくあれにけるもあはれなり。きたぞのにうゑ
しむめのきは枝をつらねて栄へたり。なんやうけんのきくのはなぶさはあるじと共にぞかれにける。きうたいみちをふさぎ、秋の草、かどをとづ。かはらに松おひ、かきにつたしげりて、わけいるそでもつゆけく、行きのみちもあとたえぬ。常に音する物とては、まつふくかぜのおとばかり、つきせずさしいるものとては、もりくる月のみぞをも
がわりもせざりける。さらぬだに物思ふ秋の空はかなしきに、きのふはくつばみをとうせんの東にならべ、けふはともづなをさいかいの西にとく。うんかいちんちんとして、さうてんすでにくれなむとす。こたうにかすみたちて、月すいしやうに浮ぶ。ちやうしようのほらをいづる駒のひづめをはやむる人は、れいゑんの声に耳をおどろかし、きよくほの浪をP2601わけて塩にひかれてゆくふねは、はんてんの雲にさかのぼる。よふかくをきてみれば、秋のはじめのはつかあまりの月いでて弓はりに、ふけゆく空もしづかに、嵐の音もすごくして、くさばにすがるしらつゆも、あだなる命もよそならず。秋のはつかぜたちしより、やうやくよさむになりぞ行く。たびねのとこのくさまくら、露も涙もあらそひて、そぞろに物こそかなしけれ。にゐどのもおほいとのもひとところにさしつどひて、さてもいづくにかおちつかせ給べき。こにふだうしやうこくの、かかるべかりける事をかねてさとられけるにや、このところをしめて家をたて、船をつくりおかれたりける
事のあはれさよ。こしかたゆくすゑのことどものたまひかよわして、たがひに涙をながしたまひける程に、夜もほのぼのとあけにけり。平家のあととて源氏にみすなとて、浦のごしよよりはじめて、御所々々に火をかけて、しゆしやう、にようゐんをP2602はじめたてまつりて、にゐどの、きたのまんどころいげの人々、皆おんふねにめして、ばんりのかいしやうにうかびたまひければ、よえんへんぺんとして、かいしやうかくやくたり。都をいでたまひし程こそなけれども、是もなごりは多くて、袂をぞいとどしぼりける。あまのたくものゆふけぶり、をのへの鹿のあかつきの声、なぎさによする波の音、袖に宿かる月の影、目に見、耳にふるること、ひとつとして涙をもよほさず、心をいたましめずと云事なし。さつまのかみただのりかくぞながめ給ける。はかなしやぬしはくもゐとわかるれどやどはけぶりとのぼりぬるかな K148さまのかみゆきもりのあつそん。ふるさとをやけののはらにかへりみてすへもけむりのなみぢをぞゆく K149へいだいなごんときただのきやう。
P2603こぎいでてなみとともにはただよへどよるべきうらのなきぞかなしき K150おなじくきたのかたそつのすけ。いそなつむあまよをしへよいづくをか都のかたにみるめとはいふ K151誠にしばしとおもふ旅だにも、わかれはあはれなるぞかし。是は心ならずたちわかれ、都にすておくところ
のさいしもおぼつかなく、すみなれしやどもこひしければ、わかきもおいたるも、うしろへとのみみかへり、先へはすすまざりけり。ひごのかみさだよし、ひだのかみかげいへいげのさぶらひどもをめしあつめて、二位殿は内に、おほいとのはやかたの上にて、なくなくのたまひける事こそ哀れなれ。「せきぜんのよけい家につき、せきあくのよあう身におよぶゆゑに、神にもはなたれ奉り、君にもすてられ奉て、ていとをまどひいで、きやくろにただよへる上は、今は何のたのみかあるべきなれども、いちじゆのかげにやどるもぜんP2604ぜのちぎりなり、いちがのながれをわたるもたしやうのえんなほふかし。いかにいはむやなんぢらは、いつたんしたがひつきのもんかくにもあらず、るいそさうでんのけにん也。あるいはきんしんのよしみ、仕にことなる末もあり。あるいはぢゆうだいのはうおんこれ深き者もあり。かもんはんじやうの昔は、おんじゆん
によつてわたくしをかへりみき。たのしみつきかなしみきたる。いまなんぞしりよをはげましてすくはざらむや。そのうへ、じふぜんていわう、さんじゆのしんぎをおんみにしたがへておわします。てんせうだいじんもわがきみをこそまもり
はぐくみたまふらめ。思へばしゆくうんつよきわれらなり。すみやかにかつせんのちゆうをはげまして、ぎやくとをうちとりて、とくは昔にこえ、名はこうたいにとどめむとおもふこころをひとつにして、ののすゑやまのすゑなりとも、君のおちとどまらせ給わむ所へ送奉るべし。火の中へいり、水の底にしづむとも、今はかぎりのおんありさまにみなしたてまつるべき」よしのたまひければ、三百余人おんまへにつらなりゐたるものども、おいたるもわかきも、皆涙を流し袖をP2605しぼりて申けるは、「心は恩の為につかわれ、いのちは義によつてかろければ、命をばすみやかにさうでんの君にたてまつりて、ふたごころあるべからず。あやしのとりけだものだにも、おんをほうじとくをむくふこころざし浅からずとこそうけたまはれ。いかにまうさむや、人としてとしごろのぢゆうおんをわすれ奉りて、いかでかわがきみをばすて奉るべき。にじふよねん、くわんゐといひほうろくといひ、身をたて名をあぐる事も、さいしを
あはれみらうじゆうを、いちじとして君のごおんにあらずといふことなし。なかんづく、きゆうせんの道にたづさはるならひ、ふたごころをそんするをもつてちやうせいの恥とす。たとひにつぽんごくのほかなるしんらかうらいなりとも、雲のはて海のはてなりとも、をくれたてまつるべからず」と、いくどうおんに申ければ、二位殿も大臣殿も、よろこびにつけても涙にむせびていでたまふ。国々のけにんのもとへめんめんのつかひをつかはされて、もよほしあつめられけり。平家はほうげんの
P2606春の花とさかえしかど、じゆえいの秋のもみぢとなりはてて、花の都をちりぢりに、月とともにぞいでにける。はつでうのほうこ、ろくはらのれんぷとう、ふうぢんをあげ、えんうんほのほをわけり。りようどうげきしゆを海中にうかべて、波の上かうきゆうしづかならず。いそべのつつじのくれなゐは、袖の露よりさくかと疑ひ、五月のこけのしづくは、ふるさとののきのしのぶにあやまたる。月をひたす湖の深きうれひに沈み、霜をおへるあしのはのもろきいのちをかなしむ。すざきにさはぐちどりの声は、あかつきのうらみをそへ、りよはくにかかる
かぢのおと、よはに心をいたましむ。はくろのゑんじゆにむれゐるを見ては、えびすのはたをなびかすかと疑ひ、やがんのれうかいになくをききては、又つはものの船をこぐかとをどろく。せいらんはだへをやぶりて、すいたいこうがん
のよそほひやうやくおとろへ、さうはにまなこをうがちて、くわいどばうきやうの涙おさへがたし。すまあかしは名を得たるめいしよなれば、すい
P2607えきのふね、してんのつきをうがつ。くわんけむかしちんぜいへうつされたまひしとき、いつくのしをえいじてそのこころざしをあらはし、げんじのだいしやうのむまやのをさにくじを待けむまでもおもひやられて、ひとびとかんるいおさへがたし。ばんしうむろのとまりにつきぬれば、いうぢよつづみをならし、秋の水にさをさして、ぎよをうつり
をたれ、ゆふべの湖にうかびぬるも、わすれがたくぞおもはれける。ふうは日をかさね、雲のなみ夜を送り、むろあげ、うしまど、びんごのとも、うきよをいづる心をば、むろつのさきにかけながら、おもひにこがれてゆくふねは、烟戸関にやとどまるらむ。ここをもこぎすぎ、もじがせき、あしやのをき、金が崎、心のやみにまどひながら、きりのまぎれにはせたまふ。けいしやううんかくのてうてきと成て、都をいでたるためしをきくに、卅三 むかしゑみのなかまろといふひとありけり。ぞうだいじやうだいじんむちまろが子に、
P2608かうやのぢよていのおんとき、ごちようしんにて、てんがのまつりごとを心のままにとりおこなひ、世を々とも思わずおごりて、いちぞくしんるいことごとくてうおんに誇れり。みかど御覧ずれば、すぞろにをかしくおぼしめされて、ふたもんじをくはへてゑみのなかまろとなづく。それをあらためて、のちにはおしかつとぞつけにける。たいほう、たいしに至りしかば、ゑみのだいじんとぞ申しし。ひをへ、年をかさぬるにしたがひて、いとどゐおう重くして、人ふゐする事、今の平家のごとし。めでたかりし事也。昔も今も世のをそろしき事は、かはちのくにゆげといふところに、だうきやうほふしといふものめされて、きんちゆうにさうらひけるが、としごろによいりんの法をおこなひけるしるしにやありけむ、みかどのごちようあいはなはだしくして、ゑみのだいじんのけんせい事のかずならず、押しのけられにけり。法師の身にてだいじやうだいじんになさる。はては位をゆづらむとおぼしめして、大納言
P2609わけのきよまろをおんつかひとして、うさのみやへ申させたまひたりけるが、うさのごたくせんにいはく、「さいかいのはてにゐながら
も、こころうき事をきくよ」とて、西のうみたつしらなみのうへにゐてなにすごすらむかりのこの世を K152と、うらみのおんぺんじありて、おんゆるされなかりければ、ちから及ばせ給はで、只ほふわうの位を
さづけられて、ゆげの法皇とぞ申ける。かかりければゑみのだいじん、ゆげの法皇をそねんで、みかどをうらみ奉る余り、てんびやうほうじ八年九
月十八日、こくかをかたぶけたてまつらむとはかる。つみはちぎやくにあたりしかば、さばかりのちようしんなりしかども、くわんとどめられてしざいに行わむとしたまひしかば、大臣つはものをあつめてふせきたたかわむとしけれども、さかのうへのかりたまろをたいしやうぐんとして、くわんびやうおほくせめかかりければ、こらへずして、一門ひきぐして都をいで、
P2610とうごくへおもむきて、きようどをかたらひて、なほてうかをうちとらむとたくみけるを、くわんびやうさえぎりてせたの橋をひきてければ、たかしまへむかひて、しほつ、かいづをすぎて、つるが、なかやまをこえて、ゑちぜんのくにににげくだりて、あひぐしたりけるともがらを、「これはていわうにてわたらせ給ふ。かれはだいじんくぎやう」なむどなのりて、人の心をたむらかしし程に、くわんびやうおひつづきてせめしかば、船にこみ乗てにげけれ
ども、波あらくたちて、既におぼれなむとしければ、船よりおりてたたかひしほどに、大臣こらへずして、おなじき十八日、つひにあふみのくににてうたれにけり。いちぞくしんるい、どうしんかふりよくのともがらのくび、あまた都へもてまゐれり。くぎやうだにも五人くびをきられぬ。しやうこにもかかるあさましきことどもありけるとぞうけたまはる。平家のさかへめでたかりつる有様も、又てうてきとなつて、家々に火かけて都をおちぬ
P2611る事がらも、ゑみの大臣にことならず。「さいこくへおちたまひたりとても、いくひいくつきかあるべき。只今にほろびなむずる物を」とぞ人々まうしあひける。卅四 法皇は、くらまでらより、えぶみ坂、やくわうざか、ささのみねなむどいふ、けはしき山をこえさせ給て、よかはへのぼらせましまして、げだつだにのじやくぢやうばうへぞいらせたまひける。ほんゐんへ移らせ給
べきよしだいしゆまうしければ、とうだふへうつらせたまひて、みなみだにのゑんゆうばうへぞわたらせ給ける。しゆとも武士もいよいよ力つきて、ゑんゆうばうのごしよ近くさうらひけり。あくるひ廿五日、法皇てんだいさんにわたらせ給
事きこへければ、人々われさきにとはせまゐり給へり。せつしやうどの、こんゑどの、さだいじんつねむねのきやう、くでうのだいじんかねざねのきやう、ないだいじんさだいしやうさねさだのきやうよりはじめたてまつりて、大中納言、さんぎ、ひさんぎ、ごゐ、しゐ、てんじやうびと、じやうげのほくめんの
P2612ともがらにいたるまで、世に人とかぞへらるるともがら、一人ももれ
ずまゐられたりければ、ゑんゆうばうのたうしやうたうか、もんないもんぐわい、ひまもなかりけり。誠に山門のはんじやう、もんぜきのめんぼくとぞ見へし。平家はおちぬ、さのみさんじやうにわたらせたまふべきにあらねば、廿八日おんげさん。あふみのくにのげんじにしごりのくわんじやよしひろ、しらはたをさしてせんぢんをつかまつる。さきざきは平家の一族こそ、赤旗赤じるしにてぐぶせられしに、このにじふよねんたえて久しかりし源氏のしらはた、けふはじめてみることこそさらにめづらしけれ。けいしやううんかくせいせいとして、れんげわうゐんのごしよへじゆぎよなりぬ。さるほどにそのひのたつのときばかりに、じふらうくらんどゆきいへ、いがのくによりうぢ、こはたをへて京へいり
ぬ。ひつじのこくにきそのくわんじやよしなか、あふみのくによりひがしざかもとをとほりておなじくいりぬ。又P2613そのほか、かひ、しなの、をはりのげんじども、このりやうにんにあひともなひてじゆらくす。そのせい六万騎に及べり。いりはてしかば、ざいざいしよしよをついふくし、いしやうをはぎとつてくひものをうばひとりければ、らくちゆうのらうぜきなのめならず。卅五 廿九日、いつしかよしなかゆきいへを院の御所へめして、べつたうさゑもんのかみさねいへのきやう、とうのうちゆうべん
かねみつをもつて、さきのないだいじんいげ、平家のいちるいをついたうすべきよし、りやうしやうにめしおほす。りやうにんていしやうにひざまづきてこれをうけたまはる。行家は、かちんのよろひひたたれにくろかはをどしのよろひきて、みぎのかたにさうらひけり。義仲は、あかぢのにしきのひたたれにからあやをどしの鎧着て、ひだりのかたに候。おのおのしゆくしよさうらわざる由まうされけれ
ば、行家はなんでんのかやのごしよをたまはりて、東山をしゆごす。義仲はだいぜんのだいぶのぶなりがろくでうにしのとうゐん
のていをたまはりて、らくちゆうをP2614けいごす。この十余日がさきまでは、平家こそ朝恩に誇て、源氏を追討せよとのゐんぜんせんじこそくだりしに、今は又かやうに源氏朝恩に誇て、平家追討せよとゐんぜん
をくださる。いつのまにひきかへたる世のありさまぞとあはれなり。卅六 しゆしやうはぐわいかのあくとにとられさせ給て、さいかいへおもむかせ給。もつともふびんにおぼしめす。すみやかにかへしいれたてまつるべきよし、へいだいなごんときただのきやうのもとへゐんぜんをくださるといへども、平家これをもちゐねば、ちからおよばずして、しんしゆをたてたてまつるべきよし、ゐんのてんじやうにてくぎやうせんぎあり。「しゆしやうくわんぎよあるべきよし、御心のおよぶほどはおほせられてき。今はとかくごさたに及ぶべからず。ただしびんぎのきみとぎよせず。法皇こそかへりてんじやうせさせおわしまさめ」と申さるるP2615人も有り。「かへりてんじやうの例、はくわうさんじふろくだいのくわうぎよくてんわう、さんじふはちだいのさいめいてんわう、これらは皆ぢよていなり。だんていのかへりてん
じやうはせんれいなし」とぞ申さるる人もあり。「とばのゐんのおとひめみや、はつでうのゐんごそくゐあるべきか」とまうさるる人もあり。女帝は第十五代のじんぐうくわうごうよりはじめたてまつり、すいこ、ぢとう、げんみやう、げん
しやう。法皇おぼしめしわづらわせ給けり。たんごのつぼねないない申けるは、「こたかくらのゐんの宮、にのみやは平家にぐせられたまひをはんぬ。そのほかさんしの宮のたしかに渡らせ給さぶらふ。平家の世には世をつつしませ給てこそは渡らせたまひしかども、今は何かはおんはばかりあるべき」とまうされければ、法皇うれしげにおぼしめして、「もつともそのぎさもありぬべし。おなじくはきちにちにげんざんすべき」よしおほせあつて、やすちかにひなみをおんたづねありければ、「きたる八月五日」とかんがへまうす。「その
P2616ぎなるべし」とて、ことさだまらせたまひにけり。卅七 八月一日、きやうぢゆうのほほしゆごの事、よしなかちゆうしんのけうみやうにまかせて、ことにけいじゆんせしめ、へいかいをしらすべきよし、うゑもんのごんのすけさだながゐんぜんをうけたまはりて、べつたうさねいへのきやうにおほす。ではのはんぐわんみつよし、うゑもんのじようありつな頼政卿孫、じふらうくらんどゆきいへ、たかだのしらうしげいへ、いづみのじらうしげただ、やすだのさぶらうよしさだ、むらかみのたらうのぶくに、あじきのたらうしげずみ、やまもとのさひやうゑのじようよしつね、かふがのにふだうじやうがく、にしなのじらうもりいへとぞしるしまうしける。平家物語第三下  十二巻之内
P2617ときにおうえい廿七年かのとのね正月廿日、ねごろでらのべつゐんしゆがくゐんのぢゆうばうにおいて、しよしやせしめをはんぬ。ごんのせうそうづうじゆん
わうじもろいことなし
P2618(花押)





延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版
平家物語 八(第四)
P2619
一  たかくらのゐんのだいしのみやくらゐにつきたまふべきよしのこと
二  へいけのいちるいひやくはちじふよにんげくわんせらるること
三  これたかこれひとのくらゐあらそひのこと
四  げんじどもけんじやうおこなはるること
五  へいけのひとびとあんらくじにまうでたまふこと
六  あんらくじのゆらいのことつけたりれいげんぶさうのこと
七  へいけのひとびとうさのみやへまゐりたまふこと
八  うさのじんぐわんがむすめごとばどのへめさるること
九  しのみやせんそあることつけたりよしなかゆきいへくんこうをたまはること
十  へいけくこくちゆうをおひいだすべきよしおほせくださるること
十一 これよしのせんぞのこと
十二 をかたのさぶらうへいけをくこくちゆうをおひいだすこと
十三 さちゆうじやうきよつねみをなげたまふこと
十四 へいけくこくよりさぬきのくにへおちたまふこと
十五 ひやうゑのすけせいいしやうぐんのせんじをかうぶること
十六 やすさだくわんとうよりきらくしてくわんとうのことかたりまうすこと
十七 もんがくをたよりにてよしとものくびとりよすること
十八 きそきやうとにてかたくななるふるまひすること
十九 みづしまがつのかつせんのこと
廿  かねやすときそとかつせんすること
P2620
(廿一) むろやまのかつせんのことつけたりしよじしよさんへせんじをなさるることつけたりへいけついたうのせんじのこと
(廿二) きそみやこにてあくぎやうのふるまひのことつけたりともやすをきそがもとへつかはさるること
(廿三) きそをほろぼすべきよしほふわうごけつこうのこと
(廿四) きそたいじやうをかきてさんもんへおくること
(廿五) きそほふぢゆうじどのへおしよすること
(廿六) きそろくでうがはらにいでてくびどもかくること
(廿七) さいしやうながのりしゆつけしてほふわうのおんもとへまゐること
(廿八) きそゐんのみむまやのべつたうにおしなること
(廿九) まつどののおんこもろいへせつしやうになしたまふこと
(卅)  きそくぎやうてんじやうびとしじふくにんをげくわんすること
(卅一) くないはんぐわんきんともくわんとうへくだること
(卅二) ともやすくわんとうへくだることつけたりともやすくわんとうにてひふつくこと
(卅三) ひやうゑのすけさんもんへてふじやうをつかはす事
(卅四) 木曽やしまへないしよを送る事
(卅五) これもりのきやうこきやうをこひたまふこと
(卅六) 木曽にふだうてんがのごけうくんによつて法皇をゆるしたてまつること
(卅七) 法皇ごでうだいりよりいでさせたまひてだいぜんのだいぶなりただが
しゆくしよへわたらせ給事
P2621
平家物語第四
(一) じゆえい二年八月五日、たかくらのゐんのみこ、せんていのほかさんじよおはしましけるを、にのみやをばまうけのきみにしたてまつるために、平家とりたてまつりてさいこくにおわしましけり。さんしのみやむかへたてまつり、法皇見まいらせければ、さんのみやは、おびたたしく法皇をおもぎらひまひらせて、むつからせ給ければ、「とくとく」とていれかへさせ給にけり。しのみやは、法皇の「是へ」とおほせありければ、さうなく法皇のおんひざの上に渡らせ給て、なつかしげにおもひまひらせ給たりけり。「わがすゑならざらんには、かかるおいぼふしをばなにしにかなつかしくおもふべき。このみやぞわがまごなりける」とて、おんぐしをかきなでて、「こゐんのをさなくおはせしに、少もたがはず。只今の事のやうにこそおぼゆれ。かかるわすれがたみをとどめおきたまひけるを、今までみざりける事よ」とて、御涙を流させ給へば、じやうどじのにゐどの、そのときはたん
ごどのと申て
P2622
ごぜんにさうらひたまひけるも、是をみたてまつりつつ、「とかふのさたにもおよぶべからず。おんくらゐはこのみやにてこそわたらせ給はめ」とまうしたまひければ、「さこそあらめ」とて、さだまらせたまひにけり。ごとばのゐんと申はこのおんことなり。ないないみうらのありけるにも、「しのみやししそんぞんまでもにつぽんごくのあるじにてなりたまふべし」とぞ、じんぎくわん、おんやうれうともにうらなひまうしける。今年はしさいにならせ給ふ。御母はしつでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうの御娘にておはしけるが、けんれいもんゐんのちゆうぐうとまうしし時、中納言のないしとてじやうらふにようばうにてさうらわせ給けるが、忍びつつ内のおんかたへめされたまひける程、わうじさしつづきふたところいできさせおわしましけるを、しゆりのだいぶ平家のあたりをはばかり、中宮のごきしよくを深く恐れ給けるを、はつでうのにゐどの、おんめのとにつけたてまつりなむどせられけり。このみやをばほつしようじのしゆぎやうのう
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ゑんほふげんやしなひたてまつりけるが、さいこくへ平家にぐしておちられける時、余りあわてて北方をだにもぐせられざりければ、宮も京にとどまらせ給たりけるを、西国より人を返して、「あひぐし奉らせていそぎくだりたまへ」とまうされたりければ、北方既に下らんとて、にしのきやうなる所までぐしたてまつりいでられたりけるを、おんめのとのせうとのきいのかみのりみつ、ここかしこたづねあなぐり奉てぞとどめまひらせたりける。「それもしかるべきおんことなれども、のりみつゆゆしき奉公」とこそまうされけれ。「只今君のごうんはひらけおはする物を。物にくるひてかくはおわするか」とて、はらだちてとどめまひらせたりけるに、そのつぎのひ院よりおんたづねありて、おんむかへに参たりけり。おほくらのきやうやすつねのきやう、義仲をめして、ないないけんじやうのことしよぞんをたづねければ、「たちまちにしやうをかうぶるべきよしはぞんずるところなり。ただしおこなはるるをばいかでかじしまうすべきや」。またより
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ともがことを問ふ。「こんどたれかせんこうなからむ。すでにことをおこすものなり。しやうのことえいりよあるべきか」。又ゆきいへがことを問ふ。「行家は頼朝についはうせられて、義仲がもとにきたる。をぢたりといへども、すでにいうしたり。義仲についしてしやうをおこなはるべきものにあらず。行家しやうをかうぶらば、やすだのさぶらうよしさだ、おなじくおこなはるべきよしまうさしめむ。いはれなきにあらざるか。よくよくはからひおこなはるべし」とぞ申ける。又ないない申けるは、「こんどのかうにんら、あづけられざること、そのこころをえず。ただきよふししゆつけして、よしもりがもとにあり。さだよりおなじく出家して、行家が許にあり。しかるにともやす、さだよりをむかへとりて、しゆじゆにきやうおうす。はなはだしかるべからず。およそかのともやすはわざんぶさうのものなり。行家、義仲さんじやうのときは、ひとへにらうじゆうとしようす。いまてきたいをなす。もつともきくわいなり。なかんづく、しよじやうを義仲がもとにたまはり、『きんじようきそのくわんじや』とかきけり。
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このでうことにらうぜきなり」とぞ申ける。でうでうのんまうしじやうそのいはれありてぞきこへける。ともやすが事すでにわざはひのきざす始め、この時より起れり。ぢもくのこと、ほふわうのおほせによつておこなはるべきこと、だいげきよりのぶれいをかんがへたてまつりけり。「へいぜい、さが、ならびにかじようのぜうれいとうなり。またしうこうくわんさいをたててしちねん、せいわうのこころにあらず。なぞらへらるべし」とぞ申たりける。
(二) 八月六日、へいけのいちるいげくわんのこと、とうのべんつねふさのあつそん、ほふわうのおほせをうけたまはりてげきにおほす。
ごんだいなごんよりもり、ちゆうなごんのりもり、ごんちゆうなごんとももり、さんぎしゆりのだいぶつねもり、うゑもんのかみきよむね、さこんのちゆうじやうしげひら、うこんのちゆうじやうこれもり、おなじくすけもり、くらのかみのぶもと、くわうごうぐうのすけたぢまのかみつねまさ、さこんのちゆうじやうときざね、さつまのかみただのり、うこんのちゆうじやうきよつね、あきのかみかげひろ、させうしやうありもり、たんばのかみきよくに、
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うひやうゑのすけためもり、じじゆうみつもり、さどのかみなかもり、のとのかみのりつね、さまのかみゆきもり、をはりのかみときむね、ぎやうぶのせうひろもり、かはちのかみたかちか、ちくぜんのかみさだつね、わかさのかみつねとし、びつちゆうのかみもろもり、するがのかみかげもり、ひごのかみさだよし、むさしのかみともあきら、じじゆうただふさ、あはのかみむねちか、ながとのかみたかとし、ゑちぜんのかみちかふさ、とさのかみむねざね、あはぢのかみきよふさ、かづさのかみただきよ、みかはのかみのりふさ、いづのかみときかぬ、いせのかみときふさ、びぜんのかみときもと、ゑちごのかみすけもと、おほみやのごんのだいしんこれもと、ひたちのすけたかよし、うまのすけまさちか、ださいのせうにおほくらのたねなほ、ひだのかみかげいへ、さゑもんのじようただつなし、うゑもんのじようすゑさだし、さゑもんのじようもりずみし、おなじくじようさだよりし。げつけいうんかく、ゑふのしよし、つがふ百八十二人也。さんぬるぢしよう三年に、だいじやうだいじんもろながこうをはじめとし
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て、ぐんこうけいしじゆりやうていゐ三十九人、にふだうしやうこくのめいによつてげんにんをげきやくせられ、てんじやうびと十三人せんしやくをのぞかれて、いまかのいちぞくながくあとをけづらるるこそ、世のてんべんはいまさらにおどろくべきにあらざれども、人ふりよのことなり。きのふまでは平家のしよえんきやうがいに至るまで、人恐るる事とらのごとし。今日よりは人をおそるる事ねずみのごとくなり。おなじきなぬかのひ、かづさのすけただきよしならびになんただつな、法皇よりよしなかがもとへつかはされけり。手をつかねて参りたりければ、命をばのぞまるべしときこえしに、よしなかないないまうすむねありときこしめしければ、いそぎつかはされにけり。忠清、忠綱は平家のうよくなりと人思へり。かうにんになりたりとても、たすかるべきにあらず。さきのないだいじんさいこくにおちられしに、たちまちにひきわかれて都にとどまりて、今はぢをさらすこそむざんなれ。おなじきここのかのひ、さいかいだうのへんぽうたうらいす。至上くわんぎよ、たう
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じのごとくはかなひがたきおもむきなり。にようばうのへんじ、ぜひふんみやうならず。さだよしがわたくしのまうしじやうには、「ひけいをめぐらして、おつてさうをごんじやうすべし」とぞ申たりける。義仲、たかくらのみやのおんこそくゐのこと、ないないやすつねのきやうにまうすむねありければ、おなじき十四日、しゆんげうそうじやうをもつて義仲にとはれければ、「こくしゆのおんこと、へんぴの民としてぜひをまうすにあたはず。ただしこたかくらのみや、法皇のえいりよを休めたてまつらむが為に、おんいのちをうしなはれき。ごしかうのおもむき、てんがにそのかくれなし。いかでかおぼしめししられざらむや。なかんづく、かのしんわうのせんをもつて、げんじらぎへいをあげて、すでにだいじをなしをはんぬ。しかるにいまじゆぜんのさたのとき、このみやの御事ひとへにすておかせられて、ぎぢやうにおよばざるでう、もつともふびんのおんことなり。しゆしやうすでにぞくとの為にとりこめられたまへり。かのおんおとと、なんぞあながちにそんすうしたてまつらるべけむや。これらのしさいさらに
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よしなかがしよぞんにあらず。ぐんしらがまうしじやうをもつて、ごんじやうするばかりなり」と申ければ、このおもむきをもつて人々にとはる。「義仲がじやう、そのいはれなきにあらず」とぞまうされける。
三 昔もんどくてんわうのわうじ、きばらのしんわうこれたか、こばらのしんわうこれひととて、きやうだいにておはしましけるが、たがひに位をあらそはせ給けるを、「いづれをいづれとさだめたてまつるならば、かたかたおんうらみふかかるべし。しかじ、すまふのせちをおこなひて、かたせたまひたらむを位につけ奉るべし」とちよくぢやうありて、きばらのしんわうのおんかたには、六十人がちから持たりときこへける、なとらのうひやうゑのすけと云ける人をいだされけり。こばらの親王のおんかたより、よしをのせうしやうとて、なべてのちからびとなりけるをぞいだされける。かかりけるあひだ、かたがたのおんいのりのしにそのときうげんのかうそうをえらばれけり。きばらのしんわうのおんかたにはかきのもとのきのそうじやういにん、こばらのしん
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わうのおんかたにはてんだいさんのゑりやうくわしやう。これはろうきよのよしにててうぶくし給けり。さてもそのひになりにしかば、なとらとよしをといであひて、既に手あはせするかと見るほどに、名虎は元よりだいぢからなりければ、よしをのせうしやうをひさげてなげけるを、けんぶつの人々あわやと思けるに、善男いちぢやうばかりなげられて、つくとしてぞ立たりける。やがてよせあはせて、えいごゑをいだして、時移すまでからかいければ、木原親王のおんかたより、「既におんかたまけさうらひなむず」とて、使者をしきなみにたてられければ、そのときゑりやうだんしよにおわしけるが、「こはこころうきことかな」とおもひて、としごろもちたまひたりけるちけんにて、かしらのなづきをくだきて、けしに入れて一もみもみ給ければ、なとらのひやうゑのすけまけて、よしをのせうしやうかちにければ、こばらのしんわう位につかせ給にけり。せいわのみかどのとまうすはすなはちかのしんわうの
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おんことなり。されば帝王のおんくらゐとまうすことは、とかくぼんぶの申さむによるべからず。しんめいさんぼうのおんぱからひなれば、しのみやの御事もかかるにこそとぞ人申ける。
(四) 十日、法皇れんげわうゐんのごしよより南都へ移らせたまひてのち、さんでうのだいなごんさねふさ、さだいべんのさいしやうつねふさまゐりたまひて、せうぢもくおこなはる。きそのくわんじやよしなか、さまのかみになされてゑちごのくにをたまわり、じふらうくらんどゆきいへは、びんごのかみにぞなされにける。おのおのくにをきらひまうしければ、十六日のぢもくに、義仲はいよのくにをたまはり、行家はびぜんのかみに移されぬ。やすだのさぶらうよしさだはとほたふみのかみになされにけり。そのほかの源氏十人、くんこうのしやうとて、ゆげひのじよう、ひやうゑのじよう、じゆりやう、けんびゐしになされける上、しのせんじをかうぶるものもありけり。この十余日がさきまでは、源氏をついたうせよとのみせんじはくだされて、平家こそ
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かやうにけんじやうにもあづかりしに、今は平家を追討せよとて、源氏てうおんに誇るこそ、いつしかひきかへたる事ぞとおぼえて、あはれなれ。こころありける人々は、おもひつづけてはたもとをぞ絞りける。ゐんのてんじやうにてぢもくおこなはるること、いまだむかしよりせんれいなし。こんどはじめとぞきこへし。めづら
しかりける事也。
(五) 十七日、平家はつゆのいのちをまち、ふねにさをさして、いづくとさだめねども、おほくのうみやまへだたりて、都にくもゐのよそとなる。ありはらのなりひらがそめどののきさきに名をたてて、あづまのかたへ流さるとて、すみだがはのほとりにてみやこどりにみあひつつ、
名にしをはばいざ事とはむ都鳥わがおもふ人ありやなしやと K153
うちながめて涙を流しけん事も、かくやとおぼえて哀也。あけくれひかずつもりゆけば、こころづくしのちくぜんのくにみかさのこほりださいふにつきたまへり。したがひたてまつる
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ところのつはもの、きくちのじらうたかなほ、いはどのせうきやうたねなほ、うすき、へつぎ、まつらたうをはじめとして、おのおのさとだいりざうしんす。かのだいりはやまのなかなれば、きのまろどのもかくやとぞおぼえし。人々の家々は野の中、たなかなりければ、鹿のさごろもうたねども、とほぢのさとともまうしつべし。をぎのはむけのゆふあらし、ひとりまろねのとこのうへ、かたしくそでもしほれにけり。いちもんのひとびと、あんらくじへ参り、つやして詩を作りれんがをしたまひて、なきかなしみたまひける中に、きうとをおもひいだして、しゆりのだいぶつねもりかくぞえいじたまひける。
すみなれし古き都のこひしさは神も昔をわすれ給わじ K154
(六) そもそもあんらくじとまうすは、むかしすがはらのおとどの思わぬなみにうきねして、しほれ給ごべうなり。菅原の大臣と申はくわんしようじやうみちざね、今のきたののてんじんのおんことなり。ながされたまひしゆらいをたづぬれば、だいごのみかどのぎよう、くわん
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しようじやうはうだいじんにしてさいかくいうちやうにおわせしかば、たうだいのちようあいはなはだしく、てんがの重くしたてまつること、ふるあめのくさきをなびかすが如し。そのころだいじやうだいじんもとつねのこうのおんこに、しへいのさだいじんとまうすは、このことをやすからずおぼしめされて、をりふしにつけてむしつのざんそうあり。つひにざんそうによつて、しやうたい四年かのとのとり正月廿五日、ださいのごんのそつにうつされて、たうごくにながされ給へり。しようじやうのごていのさうに梅桜をうゑて、常に愛したまひしが、このことをなげきて、梅はまいねんはなさけども、桜はみとせまで花さかず。ごていをぎよしゆつのとき、この事をおもひいだして、かくぞえいぜさせ給ける。
よしさらばこぞもことしもさかずして花のかわりに我ぞちりぬる K155
かとでのとき、なくなくははごぜんにいとまをまうしたまひて、ごしゆつけあるべきよしまうされければ、すみぞめの衣をおとどに奉りたまふとて、ははごぜんなくなく。
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ほどこししむねのちぶさをたきぎにてやくすみぞめのころもきよきみ K156
しようじやうおんころもをたまわりて、うき事なりとて、なくなくやまざきにしてつひにごしゆつけあり。えんかゑんきんのけいをしやうし、たうり、せんしんの色をもてあそび、くわてうふうげつにのみ心をそめておわせしに、思はぬほかの旅の空、おもひやるこそかなしけれ。くわらくをいでてひかずふれば、わがふるさとも遠ざかる。心細くおぼしめされけるにあまりに、きたのかたのおんもとへかくぞまうしつかわしける。
君がすむやどのこずへをゆくゆくと隠るるまでにかへりみるかな K157
ばんしうあかしにつきたまひたれば、むまやのをさのあはれにおもひたてまつりたるけしきをごらんじて。
えきちやうおどろくことなかれときのへんがいなり。ひとたびはさかへひとたびはをとろふこれ春と秋となり。K158
さてもつくしにくだりつきたまひて、ものあはれに心細きゆふべ、をちかたにけぶりのたつをご
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らんじて、かくぞえいじたまひける。
ゆふぐれは野にも山にもたつけぶりおもひよりこそもへはじめけれ K159
ふるさとのなんていの梅をおぼしめしいでて。
こちふかばにほひをこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ K160
これによつて、むめつぼのむめえうどうしてぬけて、あんらくじにとびきたる。ふしぎなりし事也。この梅ごべうの前にいまにあり。こののちかくてつゆのおんいのち、春のくさばにすがりつつ、いきの松原に日をふれば、やまほととぎすのこゑたけて、秋のなかばもすぎにけり。さても九月はじめのころ、こぞのこよひの菊のえんに、せいりやうでんにはべりて、えいかんのあまりに、あづかりたまひしぎよいをとりいだしてをがみ給とて、いうしきわまらず、しうちやうたへなむとして、作らせたまひける詩とかや。
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おんしのぎよいはいまここにあり。ささげもちてひねもすによかうをはいす。K161
さりともと世をおぼしめしけるなるべし。月のあきらかなりける夜。
海ならずたたふる水の淵までに清き心は月ぞてらさん K162
しゆくしゆくたるくらき雨の窓をうつおとをきこしめして。
雨のしたかわける程のなければやきてしぬれぎぬひるよしもなき K163
かくてみとせをへて、えんぎ三年みづのとのゐはるのころなやみたまひしが、二月廿五日、おんとし五十七にしてつひにかくれさせ給ぬ。おなじ夜の内に、きたのにすひやくほんのまつおひたり。末の世にきすみたまふべきゆゑなり。くわんけこうじてのち、そのしんれいみやこへきたりたまひて、かたきをほうず。おなじき九年つちのとのみ四月四日、しやうねんしじふくにして、しへいのさだいじんもうせたまひぬ。このことを恐れて、天皇ぜうをくだして、うこんのばばにあがめたてまつる。今の
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きたののてんじんのおんことこれなり。そうじてこのごれいあれて、せけんにふしぎのことどもありし中に、むらかみのぎようてんとくのころ、たびたびだいりぜうまうあり。これによつて、かさねていちでうのゐんをつくられしに、ばんじやうどもうちいたにかなかきてまかりいでて、次のあしたもとめて見るに、きのふのうちいたに物のすすけて有る所をのぼりて見れば、よのうちに虫のくひたりける文字にいはく。
造るとも又もやけなんすがわらやむねのいたまのあわぬかぎりは K164
つひにこのだいりもやけたりけるとなむ。そののちいちでうてんわうのぎようしやうりやくねんぢゆうに、ださいのだいによしふるし、ちんぜいにげかうして、あんらくじのごべうにまゐりてつやをしたりけるに、ごべうの内に、夜ふけひとしづまりてぎよえいあり。そのことばにいはく。
かもんひとたびおほひていくばくのふうえんぞ。ふうげつなげうててきたりてきうじふねん。K165
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よしふるいそぎ天皇に奏し奉る。よつて安楽寺にぶんじんを置かれて、まいせちにちしへんをほうけんする。どうじにじやういちゐをおくる。そのちよくしよをばこせのためときこれをかく。そのことばにいはく。ばれうとしふかし、さうえんのまつおいにたりといへども、りゆうくわうのつゆあたたかにして、しでいのくさふたたびあらたなり。よしふる鎮西へげかうして、あんらくじのごべうにまうでて、せんみやうをよむとき、にはかにごべうのまへに、こくうよりかきおとしたり。ことばにいはく。
たちまちにてうしにおどろきてけいきよくをはらふに、くわんほんたかくくははりてはいかんなる。
じんおんのすいくつにくだることをよろこぶといへども、ただしそんしてもぼつしてもさせんのなをはづ。K166
よしふるこれをはいけんして、いそぎこのよしをそうもんするに、かさねてぞうだいじやうだいじんのせんみやうあり。すなはちごべうにけいして、せんみやうをよみあげ奉て、つやしたりければ、
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よしふる不思議の夢を見る。ごべうより一人のししやをもつて、「たうふうを召せ」とて、えんまわうぐうへつかはす。すなはちえんまそつしてしゆがふぢごくにゆきて、道風をめしいだして、ゐてまゐる。ごべうの前にひざまづきてあり。てんじんのおほせにのたまはく、「なんぢのうじよなり。このせんじのうけぶみ書てまひらせよ」。道風かしこまりてうけぶみを書て、よしふるに取らす。ゆめさめて、まなこをひらきてみるに、ゆめのごときじやうさうゐなきうけぶみあり。おどろきあやしむでひらき見れば、あをがみに赤文字也。そのことばにいはく。
きのふはほくけつにおもんみらるるしとさうらふ、けふはせいとにはぢをきよむるかばねとなる。
いきてのうらみししてのよろこびわれをいかん、いまはすべからくのぞみたりぬくわうきをまもりたてまつらむ。K167
不思議なりし事也。くだんのうけぶみはてんがのほうぶつにて、うちのくらのつかさにこめられたり。さればつねもり昔の御事をおもひいだし奉て、「ふるき都のこひしさは」とながめ
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給けるなるべし。昔はむしつのうらみにしづみて、てんがのれいこんたりき。今はとひのそうきやうにうかびて、こくかをまもるしんめいとなりたまへり。じふぜんのていわう、さんじゆのしんぎをたいしておはす。いかでかくわんかうのごなふじゆもなかるべきと、おのおのこころづよくぞいのられける。そうじてれいげんぶさうのおんことなり。たれかは是をこつしよしたてまつるべき。されば今の平家ほろびたまひて後、ぶんぢのころ、いとのとうない、ちんぜいくこくのぢとうにふせられて、くだりたりけるに、そのらうじゆうの中に、ひとりのげらう、むほふにあんらくじへみだれいりて、ごべうの梅をきりて、しゆくしよへもてゆきてたきぎとす。そのをとこすなはちながくしきよしぬ。とうないおどろきて、ごべうにまうでてをこたりをまうす。つやしたりけるに、ごてんの内にけだかきみこゑにて、
なさけなくきるひとつらし春くればあるじわすれぬやどのむめがへ K168
不思議なりしおんことなり。昔今の物語して、へいじなくなくげかうし給へり。
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にんあん三年五月のころ、ちんくわう安楽寺のごべうにまうでて、くだんのむめをみて。
これかさはをとにききつる春ごとにあるじを忍ぶやどの梅がへ K169
たいけんもんゐんにはべりける女房、むしつをおひて、きたのによみてたてまつりければ、あるをんなくるひいでて、そのことあらはれにけり。
おもひいでよなき名のたつはうき事とあらひとがみとなりしむかしを K170
だいなごんのぜんじといひし人、しろかねのひさげをぬすみたりと云むしつをけいぼにいひつけられて、きたのにこもりていのるに、にしちにちにまんじけるに、しるしなかりければ、歌をよみてたてまつる。
ちはやぶる神にまかせて心みむなき名のたねはをひやいづると K171
そのときげぢよひさげをもちいできたりてのち、けいぼのしよゐあらはれにけり。くわんしようじやうと
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申すは、じゆさんゐさきやうのだいぶきよただのまご、さんぎじゆさんゐぎやうぶこれよしのしそくなり。くわんぺい五年二月十六日、さんぎじゆしゐのげけんさだいじんしきぶのごんのたいふににんず。おなじき七年十月廿六日、ちゆうなごんににんず。十一月十三日、とうぐうのだいぶ。同八年八月廿八日、みんぶきやうににんず。同九年六月十九日、ごんのだいなごんじやうざんゐ、うこんゑのだいしやうをかぬ。七月十三日、ちゆうぐうのだいぶ。しやうたい二年つちのとのひつじ二月十四日、うだいじんににんず、五十五、こうばいどののおとどとかうす。えんぎ元年かのとのとり、うだいじんじゆにゐ、うこんゑのだいしやうをかぬ。正月七日、じゆにゐ。同廿五日、ださいのごんのそつにうつされてしんぱつ。おなじき三年みづのとのゐ二月廿五日、はいしよにおいてこうぜらる御年五十七。きたののてんじんのごたくせんにいはく、てんりやく九年きのとのう、三月十三日とりのとき、あふみのくにひらのみやにて、ねぎみはのよしたねがそく、たろうまろ、しちさいなるわらはに、てんまんてんじん
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たくしてのたまはく、「われいふべきことあり。よしたねらきけ。わがかたしろをつくるめり。しやくはわれぞんじやうにもちたりししやくをもたしめよ。またわがもののぐどもは、いまだここにいたりてぢゆうせざるはじめに、ぶつしやりみつぶ、ぎよくたい、しんぎんづくりのたちひとふり、人鏡尺いちめんあり。おいまつ、とべと云二人のらうじゆうあり。ぶつしやりは、老松にあづけしめよ。帯、たち、鏡は富部にあづけしめよ。これみなつくしげかうの時もわがともにきたりし者也。わかみやの北に少したかきところに、地のした、さんじやくばかりほりいれてこれをおけ。この二人のやつばらははなはだふでうのものども也。しかるあひだ心をゆるさずして、わがゐたるさうにおきけり。いはじと思へども、しやくのことによつていふぞ。このとしごろはかたしろもなかりつれば、つげずしてありつるぞ。おいまつはわれにしたがひてひさしくなりぬる者也。これのみぞいたるところに松の種をばまく。われだいじんたりしとき、夢に身にまつおひてすなはちをれぬとみしは、ながさるべきさうなりけり。松はわがかたしろの物也。わがみにしんいをなし、そのしんいの
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ほのをてんにみつ。もろもろのらいでんきじん、みなわがけんぞくとなる。そうじて十万五千人也。わがしよぎやうはてんがのさいなんなり。てんたいしやくもまかせ給へり。そのゆゑは、ふしんの者せけんに多くなりたり。えきれいの事おこなへ」とのたまへば、じゆうるいをはなちつかはしておこなはしむるところに、「そのことなり。ふしんの者をば、このもろもろのきじんにおほせて、ふみころさしめむ。あくれいはひとのためにたいせつの物にてあり。もしふしんのひとのために、あくさうをいださしめよ。なんぢらわがためにふしんならば、ししそんぞんにいたるまでよかるまじきぞ。あはれ、かやうにいふばかりかな。せけんにわびかなしむしゆじやうをいかにしてたすけむとおもふほどに、われちんぜいにながされしのち、ひとへにぶつてんにあふぎてぐわんぜしやうは、『われみやうじゆうののち、わがごとくむしつのなんにあひ、またそうじてわびかなしむ者をたすけ、又むしつに沈みそんぜん者をきうめいする身とならん』とぐわんぜり。いまおもひのごとくしかのごときものをしやうじたり。われすくはむずる也。ただしわがてきにん、やうやくよにすくなくなりたり。今すこしあり。それもせつにわれにきすれば、しばらくゆるしたるぞ。わがみやをつくるこそしんべうなれ。かも、はち
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まん、ひえいなむども、常にきたりたまへるに、たよりなかりつるに、いとよし。わがみやのかきには松をさかせよ。しらすなをちにしけ。わがきんぺんにせつしやうすることなかれ。わがざいしやうの時、てんだいさんのぶつしやう、とうゆをとどめたる事あり。そのつみはなはだ深し。かのしろにほつけさんまいだうをたてよ。それはしんべうなるべし。またわがみやにまうづるひとは、『いへをはなれてみつきよつきのく』と『かりのあしにねやかりゐてはきぬをかけたるかとうたがふ』といふくとをじゆせよ」とて、くだんのわらはふりさめぬ。てんりやく九年三月十三日、ひらのみやのねぎ、みわのよしたねこれをきす。かやうにしんとくのあらたなる事、しようけいすべからざるものなり。
七 おなじきはつかのひ、しゆしやうをはじめたてまつりて、にようゐん、きたのまんどころ、だいふいげの一門の人々、うさのやしろへぞまうでられける。はいでんはしゆしやうにようゐんのくわうきよなり。くわいらうはげつけいうんかくのきよしよとなる。おほとりゐは五位六位のくわんにんらかためたり。ていしやうにはしこくくこくのつはもの、かつちうをよろひ、きゆうせんをたいしてなみゐたり。しやだんを
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拝すれば、あけのたまがきかむさびて、松の緑色かへず。うとのひろまへとしふりて、ゑんかあとなしやな。わくわうの影にあたる人、つきひをいただくにことならず。りもつの風になるるもの、うろのうるをいにさも似たり。ほんがくしんによのはるのひかり、みしめの内ににほひ深く、おうげずいえんのあきのつき、杉のこずゑに光あり。ごしんめ七疋ひかせたまひて、しちかにちごさんろうあつて、きうとくわんかうの事いのりまうされけるに、だいさんにちにあたる夜のやはんに、じんでんをびたたしくめいどうして、ややひさしくありて、ごてんのうちよりけだかきみこゑにて歌あり。
世の中のうさには神もなき物を心づくしになに祈るらん K172
こののちぞ、おほいとのなにのたのみもよわりはてられける。これをききたまひけむ一門の人々も、さこそ心細くおぼされけめ。おのおの袖を絞りつつ、なくなくくわんぎよなりにけり。
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ごんげんはそうべうしやしよくのしんめいなり、なきなををするひとのいのちをのえいをかんじ、へいけはしやくあくしぜんのきようどなり、こころづくしになにいのるらむのおんうたにあづかる。あはれなりしことどもなり。
八 そもそもこのごんげんは、和歌をことにこのみましましける事あらはれたり。今のしのみやごそくゐののちは、鳥羽にかよわせたまひしかば、ごとばとかうしたてまつる。そのころうさのじんぐわんのなかに、やさしくいうなる娘をもちたり。やがておなじきじんぐわんのよめにえうせうより約束したり。不思議の者にて、このをんなおもひけるは、「われにんげんかいのしやうをうけて女となるならば、うんしやうのまじはりをもして、男をもたば、にようごきさきともひとたびなりともならばや」とおもひさだめて、よるひるごんげんにきせいしたてまつる。しかるあひだせいじんしたれども、約束の男に合わず。父母とかくいへども、あへて是をもちゐず。あれたるまがきにつゆをみて、秋のふぢばかまなくゆふぐれにも、枕をならぶる人も無く、ふかきほらに
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かぜをききて、らうくわいかなしむごかうにも、都の事をおもひやる。男このことをやすからずおもひて、「そらごとをしけり。上にこそあふまじきよしをいへども、そのほんいをわれととげたり」と、はうばいにかたりければ、さもあるらむと人皆思へり。女このことを聞て、こころうくおぼへて、うさのはいでんにまゐりて、いつしゆの歌をかきて柱にをしたり。
ちはやぶるほこのみさきにかけ給へなき名ををする人の命を K173
ごんげんなふじゆしたまひて、このをとこみつかのうちにうせにけり。このうへは父母も又、そうじて人にいひあはする事なくてすぎけるに、女いかなるびんぎか有けむ、一首の和歌をごとばにそうしたてまつる。
いかにしてふじのたかねにひとよねて雲の上なる月をながめん K174
是をきこしめして、ひとよめされにけり。されども、やがておんいとまをたまわつて、まかり
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いでければ、せいすいじに参て、出家して、しんによと名つきけり。「くわこちやうにいらむ」と云ければ、かいしいはく、「過去帳と申は、昔がたりになれる人の入るふだなり。げんざいちやうか」と云ければ、しんによ、あづさゆみつひにはづれぬものなれば無きひとかずにかねて入るかな K175かいしあはれがりて入れにけり。このわかによつて、そののちはくわこしんによといわる。つひにべちの男にあはずして、わうじやうをとぐといへり。こんじやうごしやうのしゆくぐわん、おもひのごとし。しかしながら権現の、歌にめでさせ給たるなるべし、
をれちがふみぎわのあしをくもでにてこほりをわたすぬまのうきはし K176
とよみて、ひとよめされたりしに、おんなさけにしふにいりし女也。
九 十八日、さだいじんつねむね、ほりかはのだいなごんただちか、みんぶきやうしげのり、くわうごうぐうのごんの
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だいぶさねもり、さきのげんちゆうなごんまさより、むめのこうぢのちゆうなごんながかた、げんさいしやうちゆうじやうみちちか、うだいべんちかむね、さんにふせられて、そくゐのこと、ならびにつるぎかがみじせんみやうのそんがうのこととうぎぢやうありけり。とうのべんかねみつのあつそん、しよだうのかんもんをさだいじんにくだす。しだいにつたへくだされけり。「しんきやうのこと、ひとへにじよさいのぎをそんす。かへりてそのおそれあり。しばらくそのところをさだめて、きぎよをまたるべきか。けんじのこと、ほんてうにおいてさらにれいなしといへども、かんかのあとひとつにあらず。まづせんそありて、きらいをまたるべきか。ぎよけんはぎしきをそなふべくは、もつともほかのつるぎをもちゐらるべきものをや。そくゐの事、八月じゆぜん、九月そくゐ、ゑんゆうのゐんのれいなり。しかるにてんがしづまらざることをそつじなり。じふぐわつのれい、くわうにんくわんわなり。にだいによるべくは、じふいちにぐわつにおこなはるべし。しかるにことしはそくゐいぜん、さくたんかしようしゆつぎよなし。ふきつのことなり。じふぐわつかたがたよろしかるべきか。ぢりやくのれいにまかせて、くわんちやうししんでんをもちゐらるべきか。きうしゆのそんがうのこと、もしそんがうなくは、てんにじしゆあるに
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にたるべし。もつともさたあるべきか。せんみやうのこと、げきのかんじやうにまかせて、かしようのれいをもちゐらるべき」よし、いちどうにさだめまうさる。おなじきひ、へいけもつくわんのしよりやうとう、げんじのともがらにわかちたまふ。そうじてごひやくよかしよなり。義仲には百四十よかしよ、行家には九十かしよ也。行家申けるは、「あひしたがふところのげんじら、さらにつうせきのらうじゆうにあらず。ただせんぢやうにあひしたがふばかりなり。わたくしにしはいのでう、かれらおんしやうのよしをぞんぜざらむか。もつともわかちくださるべし」と申けるを、「このでういかでかことごとにこうのせんしんをしろしめさるる。よしなかあひはからひてわかちあたふべし」とぞ申ける。りやうにんのまうしじやう、いづれもいはれなきにあらずぞきこえける。今日行家義仲ら、ゐんのしようでんをゆるさる。もとはじやうほくめんにこうじにけり。「このでうおどろくべきにあらずといへども、くわんゐほうろくすでにぞんずるごときか。おごれる心は人として皆そんせる事なれども、いまくんこうとしようして、ひびちようでふす。もつともよりとものしよぞんをしりよすべきか」とぞ、人々まうしあわれける。おなじき
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はつかのひ、ほふぢゆうじのしんごしよにて、たかくらのゐんのだいしのわうじせんそあり。しゆんしうしさい、さだいじん、ないきみつすけをめして、「せんそのこと、だいじやうほふわうのぜうのむねをのすべきなり。せんていふりよにだつしのこと、またせつしやうのこと、おなじくのすべし」とおほす。しだいのことは先例にたがはざれども、けんじなくしてせんそのこと、かんかにはくわうぶのあとありといへども、ほんてうにはさらにそのれいなし。このときにぞはじまれりける。ないしどころはじよさいのれいをぞもちゐられける。きうしゆすでにそんがうをたてまつられて、しんていせんそあれども、さいこくにはまたさんじゆのしんぎをたいしたてまつられて、ほうそをうけたまひて、いまにくらゐにまします。国にふたりのあるじあるににたるか。てんにふたつの日なし、ちにふたりのあるじなしとは申せども、異国にはかやうのれいもあるにや。わがてうには帝王ましまさでは、あるいは二年、あるいは三年なむど有けれども、きやうゐなかに二人の帝王まします事はいまだきかず。世末になれば、かかる事も有けり。じよゐぢもくいげのこと、ほふわうのおん
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ぱからひにておこなはれし上は、あながちにいそぎせんそなくとも何のくるしみかはあるべき。ていゐのむなしきれい、ほんてうには、じんむしちじふろくねんひのえのねにほうず、すいせいてんわうぐわんねんかのえのたつにそくゐ、いちねんむなし。いとくてんわうにじふしねんきのえのねにほうず、かうせうてんわうぐわんねんひのえのとらにそくゐ、一年むなし。おうじん天皇廿一年かのえのむまにほうず、にんとく天皇元年みづのとのとりに即位、二年むなし。けいたい廿五年かのとのゐにほうず、あんかん天皇元年きのえのとらに即位、二年空。しかるに今度のぜうに、「くわうゐいちにちもむなしくすべからず」とのせらるること、かたがたそのこころをえずとぞ、いうしよくの人々なんじまうしける。もとのせつしやうこんゑどのかはりたまはず、おんまへにさうらひたまひてよろづとりおこなはせ給ふ。平家のおんむこにておはしましけれども、さいこくへもおちさせ給はぬによつてなり。さんのみやのおんめのとは、ほいなくくちをしきことに思てなきたまひけれども、かひなし。ていわうのおんくらゐなむどは、ぼんぶのとかくおもはむに
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よるべからず。てんせうだいじんのおんぱからひとこそうけたまはれ。しのみやこそ既にせんそあむなれときこへければ、平家の人々は、「さんのみやをもしのみやをもみなとりぐしたてまつるべかりし物を」とまうされければ、「さらましかば、たかくらのみやのおんこ、木曽がぐしたてまつりてのぼりたるこそ、位につきたまはましか」とまうすひと有ければ、へいだいなごん、ひやうぶのせうまさあきらなむどまうされけるは、「しゆつけのひとのげんぞくしたるは、いかが位にはつかむずる」と申あわれけり。てんむてんわうはとうぐうにておはしまししが、てんちてんわうのおんゆづりうけさせ給べきにて有けるに、位につきたまはばおほとものわうじうちたてまつらんと云事をききたまひて、ごきよびやうを構へさせ給てのがれまうさせ給けるを、みかどあながちにとどめまうさせ給ければ、仏殿の南面にしてびんひげをそらせ給て、よしののやまへいら
せ給たりけるが、いが、
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いせ、みの三がこくのつはものをおこしたまひて、おほとものわうじをうちたてまつりて、位につき給にけり。かうけんてんわうも位をじせさせ給て、尼にならせ給て、みなをばほふきにと申けれども、又位にかへりつきたまへりしかば、たうのそくてんたいそうくわうていの例にまかせて、出家の人も位につき給事なれば、木曽が宮、なんでふことかあらむと申て、わらひあひ給けり。九月二日、院よりくぎやうのちよくしをたてらる。平家ついたうのおんいのりなり。勅使はさんぎながのりのきやうとぞきこへし。だいじやうてんわうのいせのくぎやうのちよくしをたてらるること、しゆしやく、しらかは、とばさんだいのしようせきありと云ども、みなごしゆつけいぜんなり。御出家以後の例、こんどはじめとぞ承はる。はちまんのごはうじやうゑも九月十五日にぞはべりける。このひ
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法皇ひよしのやしろへごかうあり。くぎやうてんじやうびとそくたいにて、うるわしきごかうなり。じんめなむどひかれけり。おんくるまのおんともには、中納言ともかた、けんびゐしなむどつかまつる。
十 つくしにはだいりすでにつくりて、おほいとのよりはじめたてまつり、たちどもつくりはじめて、少しあんどしておもひたまへりし程に、ぶんごのくにはぎやうぶきやうざんゐよりすけのちぎやうにてありければ、しそくよりつね、こくしのだいくわんにてくだりけるに、ぎやうぶきやうざんゐいひつかはされたりけるは、「へいけとしごろてうかのおんかたきにてありしが、にんみんをなやましあくぎやうとしつもりて、ちんぜいへおちくだる。しかるにくこくのともがらことごとくきぶくのでう、すでにざいくわをまねくしよぎやうなり。すべからくたうごくのともがらにおいては、ことさらにそのむねを存じ、あへてせいばいにしたがふべからず。これはまつたくわたくしのげぢにあらず。しかしながらいちゐんの
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せんなり。およそたうごくにもかぎるべからず、きうこくじたうのともがら、こうかんをかへりみ、身をまたくせんと思わむ者は、いちみどうしんして、くこくのうちをおひいだすべし」と、いひつかはされたりければ、よりつねのあつそん、このよしたうごくのぢゆうにんをかたのさぶらうこれよしにげぢせらる。これよしぶんごのくによりはじめて、きうこくじたうのゆみやとるともがらにまうしおくりければ、うすき、へつぎ、まつらたう、平家をそむきてけり。そのうち、はらだのしらうたいふたねなほ、きくちのじらうたかなほがいちるいばかりぞ、これよしがげぢにもしたがはず、平家につきたりける。そのほかは皆これよしがめいにしたがひけり。
十一 かのこれよしは、おそろしき者の末にて、こくどをもうちとらむと、ををけなき心あり。きうこくじたうにはしたがはざるものなかりけり。これよしが先祖を尋ぬれば、ぶんごのくにちだのしやうといふところに、だいぢやうぶと云者に娘ありけり。かしはばらの
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おもととぞ云ける。こくちゆうにおなじほどなる者、むこにならむと云けるをばもちゐず。我よりかさみたる者のいふはなかりけり。ずいぶんひさうの娘にて、こうゑんにじんじやうにやいちうつくりて、わりなきやうにしつらひて、このむすめをすまする程に、たかきもいやしきも男と云物をばかよはさず、常はさびしさをのみ思てあかしくらす。あるとしくぐわつなかばばかりに、このむすめよもすがら心をすまして、うちながめてふしたりけるに、いづくよりきたれるともおぼへぬに、じんじやうなる男のかりぎぬきたりけるが、このにようばうのゐたるそばに、たをやかにさしよりて、さまざまのものがたりをしけるに、しばしはつつみけれども、よなよなたびかさなりければ、この娘さすがいはきならぬ身なれば、うちとけてけり。そののちよがれもせずかよひけるを、しばしはかくしけれども、つきつかへけるにようばう、めのわらはべ、父母にかくと
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語りければ、おどろきさわぎて、いそぎ娘をよびいだして、事のありさまを問けるに、女おもてはぢていはざりけれども、父母あながちにさいなみければ、おやのめいをそむきがたくて、ありのままにぞ語りける。「不思議の事ごさむなれ」とて、「さらばかのひとのきたりたらむ時しるしをして、そのゆくへをたづぬべし」と、ねむごろにぞ教へける。あるよかのをとこきたりけるに、よいのむつごとはてぬれば、やごえの鳥もなきわたり、きぬぎぬになるあかつきに、水色のさしぬきのくびかみとおぼしき所に、しづのをだまきのはしを針につけてさしてけり。さてよあけてのち、父母にかくとつげたつければ、誠にしづのをだまきをくりはへて、ちひろももひろひきはへたり。だいぢやうぶ父子三人、なんによのけにん四五十人ばかりして、糸のゆくへをたづねける程に、たうごくのうちにみ
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やまあり。うばだけと云。かのやまの奥にこけふかきいはあなへぞひきいりたりける。かの穴のくちにて聞ければ、おほきにいたみかなしむこゑあり。これを聞けるに、みなひとみのけいよだちてぞおぼえける。父が教へによりて、娘糸をひかへて、「わらはこそ参たれ。なにごとをいたみたまふぞ。見奉らむ」といはすれば、いはあなの内よりおほきにおそろしげなる声にて、「我はそれへよなよなかよひつる者也。さんぬる夜、おもひのほかにくびにきずをかうぶりてそれをいたむなり。是までたづねきたれるこころざしの深さには、いでて見もし、みへもすべけれども、ひごろのへんげの力既につきたり。そのうへぼんぶの身にあらず。ほんしんはこのやまをりやうじたるだいじやなり。汝にみえなばきもたましひもあるべからず」と云ければ、「何か苦しかるべき。よるよるなじみ奉てひさしくなりにしかば、たうじの形をかへで見へ給へ」と云けれども、「見ゆべきならば、はじめより
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こそ見ゆべけれども、汝をふびんにおもふゆゑに見へぬなり。ただしなんぢがたいないにひとりのなんしをやどせり。かまへてあんをんにそだつべし。きうこくじたうをもりやうずる程の者にも、くさのかげにても守らむずるなり」と云て、そののちはをともせざりけり。ちちぢやうぶをはじめとして、おそろしき事なのめならず。あわてさわぎておのおのにげかへりぬ。さてもつきひかさなるままに、この娘ただならずなりて、やうやくみちにければ、一人のなんしをうみてけり。せいぢやうするにしたがひて、ようがんもゆゆしく、こころざまもたけくして、くこくにきこゆる程のだいぢから、何事につけても人にすぐれたる者にてぞ有ける。げんぶくせさせて、ははかたのおほぢがかたなをつけて、だいたとぞ云ける。足にはあかがりをびたたしかりければ、いみやうにはあかがりだいたとぞ申ける。又かの大太にはせにくちなはの尾のかたちあり
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けり。これによつて、しやうをばをかたとぞ申ける。今のこれよしはかのだいたが五代の孫にて、心もたけくおそろしき者にてぞありける。院宣をかうぶりける上は、きようにいりて、きうこくじたうのぶようのともがらをかりもよほして、すまんぎのつはものをいんぞつして、ださいふへはつかうせんとしければ、くこくのものども皆平家をそむきて、これよしにしたがひつきにけり。
十二 さても平家の人々は、このいちりやうげつは心少しらくきよして「今は所をしめあとをもとめて、だいりをも作り、家々をも造らむ。いかがしてげんじをほろぼして、都へかへりいるべき」なむど、さまざまのはかりことをめぐらして、よりあひよりあひひやうぢやうしける処に、かかる事をききては、さこそあさましく思われけめ、ひごのかみさだよしが申けるは、「こまつどののきんだちいちりやうにんをぐしまひらせて、せい多く入れ
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まじ、四五十騎ばかりにてぶんごへこへて、これよしをこしらへてみさうらはばや」と申ければ、「もつともしかるべし」とて、しんざんゐのちゆうじやうすけもり、きよつね、こまつのしんせうしやうありもり三人たいしやうにて、六十騎ばかりにてぶんごへうちこえて、これよしをこしらへなだめければ、「このこといちゐんの御宣旨にて候へば、今はちからおよばずさうらふ。やがてきんだちをもをしこめまひらせたく候へども、だいじの中にせうじなしとぞんじさうらへば、とりこめまひらせずとても、いかばかりの御事か候べき」と申ければ、さだよしめんぼくをうしなひてかへりにけり。やがてをかたのこたらうこれひさ、じなんのじりのじらうこれむらとて、二人有ける中に、次男これむらをつかひにて、平家のかたへ申たりけるは、「ごおんをもかうぶりてさうらひき。さうでんの君にてわたらせたまふうへ、じふぜんていわうわたらせ給
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へば、ほうこうつかまつるべきよしにて候へども、くこくのうちをおひいだしたてまつるべきよし、ゐんぜんをくだされさうらふあひだ、今はちからおよびさうらわず。とくとくいでさせ給候へ」と申たりければ、へいだいなごんときただのきやうは、ひをくくりのひたたれにらんのはかまにて、のじりのじらうにいでむかひてのたまひけるは、「わがきみはてんそんしじふくだいのしやうとう、にんわう八十一代のみかどにておわします。だいじやうてんわうのきさいばらの第一のわうじ、いせだいじんぐういれかはらせ給へり。みもすそがはのおんながれかたじけなき上に、じんだいよりつたはれる、しんし、ほうけん、ないしどころおわします。しやうはちまんぐうも守り奉り給らん。くこくのにんみんいかでかたやすくかたぶけたてまつるべき。そのうへたうけ、へいしやうぐんさだもり、さうまのこじらうまさかどを追討して、とうはつかこくをたひらげてよりこのかた、こにふだうだいじやうだいじん、うゑもんのかみのぶよりをちゆうりくして、てうかをしづめしにいたるまで、
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よよのあひだ、おのおのこくかのかためとして、ていわうのおんまもりなり。なかんづくちんぜいのともがらは、うちさまにめしつかわれて、ぢゆうおんのものどもにてあり。それによりともよしなから、とうごくほつこくのきようどをかたらひて、『われうちかちたらば、国をもとらせむ、しやうをもとらせん』といふにすかされて、をこのやつばらがまことに思てよりきして、くわんびやうにむかひていくさするこそふびんなれ。くこくのともがら、当家のぢゆうおんを忘れて、はなぶんごがげぢにしたがわむ事、はなはだしかるべからず。よくよくあひはからふべし」と宣へば、これむらかしこまりて承る。「父にこのよしを申候べし」とて、たちかへりぬ。父これよしは、へりぬりのえぼしにひきがきのひたたれうちかけて、引かたぬぎて、ゆんづるさしつきてゐたりける所に、これむら帰りきたれり。伊栄、「いかにわぬし。こころもとなきに。はやものがたりせよ」と云ければ、これむらこのよしをかたりて、「是はところどころを
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こそ申候へ。ききも知り候わぬことども、いくらと云事をしらずおほせられさうらひき。人にとひさうらひつれば、『このものおほせられさうらひつる人はへいだいなごんどの』とぞ申候つる。おほせられさうらひつる事共は紙一二枚にもわたりさうらわむずらむ。おほかたかねぐろなるきんだち、わかとのばらはたれとか申候らん。いくらもあつまりゐておわしまし候。いくさなむどかひがひしくせられぬべしともみへ候わぬ」と云ければ、伊栄申けるは、「わぬしよくよく案ぜよ。ていわうと申は京にゐたまひて、宣旨をもしかくはつぱうへくださるれば、くさきもなびくべし。この帝王は源氏にせめおとされて、是までゆられおわしたる。かつうはみぐるしきことぞかし。これは院には御孫ぞかし。法皇はまさしきおんおほぢにて、京都にはたらかでおわしませば、それぞ帝王よ。今は今、昔は昔にてこそあれ。院宣をくださるるうへは、
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しさいにやおよぶべき」と申て、やがてはかたへおしよせて、時を作りたりければ、平家の方には、ひごのかみさだよしをたいしやうぐんとして、きくち、はらだがいつたうをさしむけてふせきけれども、三万余騎のおほぜいせめかかりければ、とるものをもとりあへず、ださいふをぞおとされける。かのたのもしかりしてんまんてんじんの、しめのあたりをこころぼそくたちはなれ、みづきの戸をいでて、すみよし、はこざき、かしひ、むなかたなむどをふしをがみて、道のたよりのほつせりふぐわんのしいしゆにも、「ただしゆしやうきうとのくわんかう」とのみこそまうされけめども、ぜんごふのはたす都なれば、こんじやうのかんおうむなしきににたり。をりふしあきしぐれこそ所せけれ。ふくかぜはいさごをあげ、ふるあめはしやぢくの如し。おつる涙のそそく時、田わきていづれとみえざりけり。かのげんじやうさんざうのりうさそうれいをしのがれけ
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むくるしみも、是にはいかでかまさるべき。かれはぐほふのためなれば、らいせのたのみもありけん。これはをんしうのためなれば、ごせのくるしみをおもひやるこそ悲しけれ。そうくわほうれんは名をのみ聞く。あかしの女房こしにたてまつりて、にようゐんばかりぞごどうよにめされける。こくぼさいぢよはなみだをながして、がんぜきをしのぎたまふ。さんこうきうけいはぐんれうはくしのかずかずにしたがひたてまつることもなし。れつを乱し、山わらうづにじんでいをふみてぞおわしける。さてそのひはあしやのつと云所にとどまり給。都より福原へかよひたまひしとき、ききたまひし里の名なれば、いづれの里よりもなつかしく、さらにあはれをもよほしけり。きかい、かうらいへもわたりなばやとおぼせども、なみかぜむかひてかなはねば、やまがのひやうどうじひでとほにともなひて、やまがのじやうにぞこもりたまふ。さるほどに九月中旬にもなりにけり。ふけゆくあきのあはれはいかにもといひながら、たびのそらは
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しのびがたきに、かいへんのりよはくめづらしくぞおぼえける。あまのとまやにたつけぶり、くもゐに昇るおもかげ、朝まの風も身にしむに、あしまをわけてつたふふね、弱りゆく虫の声、吹しほる嵐のおと、ものにふれをりにしたがひ、もにすむ虫のここちして、われからねをぞなかれける。じふさんやは名をえたる月なれども、ことにこよひはさやけくて、都のこひしさもあながちなりければ、おのおのひとところにさしつどひてえいじ給ける中に、さつまのかみかくぞえいじける。
月をみしこぞのこよひのとものみや都に我をおもひいづらむ K177
しゆりのだいぶつねもり是を聞給て。
恋しとよこぞのこよひのよもすがら月見しとものおもひいでられて K178
へいだいなごんときただのきやう。
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君すめば是もくもゐの月なれどなほこひしきはみやこなりけり K179
さまのかみゆきもり。
名にしをふ秋のなかばもすぎぬべしいつより露の霜にかはらむ K180
おほいとの。
うちとけてねられざりけりかぢまくらこよひぞ月のゆくへみむとて K181
おもひきや、かのほうこの月をこのかいしやうにうつしてみるべしとは。ここのへのくものうへ、ひさかたのくわげつにまじはりしともがら、いまさらにせちにおもひいでられて、こゑごゑくちずさみ給けり。さこそはかなしくおぼしめしけめ。かくていささかなぐさむここちせられける程に、又をかたのさぶらう十万余騎にてよするときこへければ、やまがのじやうをも、取る物もとりあへず、たかせぶねにさをさして、よもすがらぶぜんのくにやなぎと云所へぞおちたまひにける。
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かはべのくさむらに虫の声々弱りけるを聞給て、おほいとのかくぞ思つづけ給ける。
さりともと思ふ心も虫のねもよわりはてぬる秋のゆふぐれ K182
かのところは、ぢぎやうてうばうすこしゆゑある所也。やうばいたうりひきうゑて、ここのへのけいきおもひいでられければ、是にはさてもなむどぞ思あひ給ける。さてさつまのかみただのりなにとなくくちずさみに。
都なるここのへの内こひしくはやなぎのごしよを春よりてみよ K183
(十三) をかたのさぶらうやがておそひきたるときこえければ、かのごしよにもわづかに七かにちぞおはしましける。おんふねにめしてしこくのかたへぞおもむかれける。こまつのないだいじんの三男さちゆうじやうきよつねは、いと心苦しくおもはれける人を置て、都をいでたまひける時、「さい
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かいの浪におぼれなば、さいくわいそのごをしらず。いかなる
人にみへたまふとも、おもひいでては念仏申て、ごせとぶらひてたべ」とて、髪を切てかたみにつかはしたりけるが、中将都をいでたまひて後は、風のたよりのおとづれもなかりければ、女うらみてかの形見に一首をそへてぞつかはしける。
みるたびに心づくしの神なればうさにぞかへすもとのやしろへ K184
まことにやさしくあわれなりし事也。きよつねおもわれけるは、「都を源氏におひおとされ、ちんぜいをばこれよしにおひいださる。いづくへゆかば。つひにのがるべきかわ」とて、しづかにきやうよみ念仏して、海にぞ沈み給ける。人々をしみかなしみ給へども、かひなし。哀なりし事也。
十四 ながとのくにはしんぢゆうなごんこくむし給ければ、もくだいきのみんぶだいふみちすけ、
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平家こぶねどもに乗給へると聞て、あき、すはう、ながと三がこくの、ひものかまさきつみたる船三十よそうてんぢやうして、へいけにたてまつりたりければ、それにのりて、さぬきへこえたまひけり。あはのみんぶしげよしはをりふしさぬきやしまのいそにありけるが、「をきの方にこのはのごとくにふねどもうかびて候」と、とほみに置たる者申ければ、しげよしは、「源氏はいまだ都をいでたりとはきかぬ物を。あはれ、このきんだちの、くこくの者共が、すげなくあたりたてまつるときに、かへりたまふごさむめれ。かたきかみかたか、成良むかひてみむずる也。かたきならばさだめて成良死なむずらむ。やひとついよ、ひとども」といひおきて、小船に乗てこぎむかふ。みかたの船と見てければ、おほいとののおんふねにまゐりて申けるは、「さ候へばこそ『是にわたらせおわしまし候へ』と申候しか。『ちんぜいのものども、こころざしおもひまひらせ候わんは、参
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候わむずらむ。ふたごころあらばとどまり候わむずらむ。あしこここへわたらせたまひて、ものどもがそむきたてまつらば、なかなかあしくさうらうひなむ』と、さしもまうしさうらひし物を。このやしまの浦はよきじやうくわくにてさうらふなり。只これにわたらせ給べきなり」と申て、いれまひらす。あやしの民の家をくわうきよとするにたらざれば、しばらくはみふねをもつてごしよとす。おほいとのいげのげつけいうんかくもしづがふしどによをあかし、あまのとまやに日をおくり、くさまくらかぢまくらなみにぬれ、露にしほてれぞあかしくらし給ける。かかるすまひはたれかいつかはならふべきなれば、なみだをながしてぞふししづみ給ける。しげよしはせまわりて、あはのくにのぢゆうにんをはじめとして、四国のものどもなびかして、たのもしきやうにふるまひければ、しげよしがおんけしきぞゆゆしかりける。やがてあはのかみになされにけり。さだよしはくこくをもしたがへず、おひいだされてければ、きらもなかりけり。
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はらだのたいふたねなほ、ちくぜんのかみになさる、きくちのじらうたかなほ、ひごのかみになりたりけれども、これよしにおひいだされたりければ、こくむにおよばず、ただなばかりにて有ける上、こころがはりしてぞみえける。何事も成良がはからひまうすにまかせられければ、しこくのものどもかのこころにしたがはむとふるまひける中に、いよのかはののしらうみちのぶばかりぞまゐらざりける。しげよしがさたにて、だいりとていたやのごしよつくりたまひけり。都には法皇おんなげきなのめならず。そのゆゑは、さんじゆのしんぎぐわいとにおはしますこと、つきひおほくかさなりぬれば、ついたうのつかひをつかはさるるにつけても、いこくの宝ともなり、かいていのちりともやならむずらむとおぼしめす。よのすゑになると云ながら、わがめの前に、まのあたりかかる不思議のあるこそ心憂けれ。ごけいだいじやうゑもすでにちかくなりむたり。
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いかがして都へかへしいれ奉らむずると、さまざまのおんいのりはじめらる。人々におほせあはせられなむどしければ、「御使をくだされて、ときただのきやうにおほせらるべし」とぎぢやうありけり。「たれかしせつをつとむべき」とひやうぢやうありけるに、ときみつをくださるべきよし、しよきやうはからひまうされければ、法皇しゆりのだいぶときみつをめして、「わがてうのだいじ、このことにあり。さいこくにまかりくだりて、しさいくはしく時忠におほせふくめよ」とおほせられければ、時光まうされけるは、「てうかのおんだいじ、君のおほせ、かたがたしさいをまうすべきに候はず。いそぎまかりくだるべく候。ただしまかりくだりさうらひなば、きさんつかまつる事ありがたくさうらふ。そのゆゑは、さいこくへおもむきさうらひし時も、かならずあひともなふべきよしときただまうしさうらひしかば、『ごかうなりさうらはば、しさいにおよばず。しからずは、おもひよらず』としんぢゆうにぞんじさうらひしに、君のごかうもさうらはざりしかば、とどまりさうらひにき。そののちもまかりくだるべきよし、たびたびまうしつかはし候へども、たとひ
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ばんにんのかしらをこえて、さんんこうにいたすべくさうらふとも、君をはなれたてまつりてぐわいとへおもむくべしとは、かけてもおもひより候わぬ事なれば、へんたふにも及び候わでまかりすぎさうらふなり」とまうされたりければ、「さてはかへりのぼる事、まことにありがたかるべし」とて、くだされず。かのしゆりのだいぶときみつと申は、へいだいなごんの北方、あんとく天皇のおんめのと、そつのすけのせうとにておわしければ、ときただのきやうしたしくて、さいこくよりもさやうにまうされけるにこそ。「さらばいかがせん」とはおほせありけれども、今度既にさてやめぬ。
十五 ひやうゑのすけよりともは、たやすく都へのぼりがたかるべしとて、鎌倉にゐながら、せいいしやうぐんのせんじをかうぶる。そのじやうにいはく、
さべんくわんくだす ごきないしよこく
まさにみなもとのよりとものあつそんごきないとうかいとうせんほくろくせんいんなんかい
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さいかいのせいいのしやうぐんたるべきこと
使さししやう、なかはらのやすさだ。うししやう、おなじくかげいへ
みぎ、さだいじんふぢはらのあつそんかねざねせんす。ちよくをうけたまはるに、じゆしゐのげかうさきのうひやうゑのすけみなもとのよりとものあつそん、せいいしやうぐんたらしむべしてへれば、よろしくしようちせしめせんによつてこれをおこなふべし。
じゆえい二年はちぐわつぴさだいしをつきのすくね
さだいべんふぢはらのあつそんざいはん
とぞかかれたりける。おんつかひはちやうぐわんさししやうなかはらのやすさだとぞきこへし。
十六 おなじき九月四日、鎌倉へくだりつきて、ひやうゑのすけにゐんぜんをたてまつり、ちよくぢやうのおもむきをおほせふくめて、兵衛佐のおんぺんじを取て、廿七日しやうらくして、ゐんのごしよのおつぼにまゐりて、くわんとうの有様をくはしく申けり。「兵衛佐まうされさうらひしは、『よりともは
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ちよくかんをかうぶるといへども、ひるがへりておんつかひをうけたまはりて、てうてきをしりぞけ、ぶようのめいよちやうじたるによつてなり。かたじけなくもゐながら、せいいしやうぐんのせんじをかうぶる。ちよくかんの身にてぢきにせんじをうけとりたてまつること、そのおそれあり。わかみやにてうけとりたてまつるべし』とさうらひしかば、やすさだわかみやのしやだんへさんかうつかまつりさうらひぬ。やすさだはざつしきをとこにせんじのふくろかけさせて、いへのこ五人、らうどう十人ぐしてさうらひき。わかみやとまうしさうらふは、つるがをかと申所にはちまんを移し奉りてさうらふが、ぢぎやういはしみづにあひにて候。それにしゆくゐんあり。しめんのくわいらうあり。つくりみちじふよちやうみおろしたり。『さて宣旨をばたれしてかうけとりたてまつるべきぞ』とひゆぢやうさらひけり。『みうらのすけよしずみにてうけとりたてまつるべし』とさだめられさうらひにけり。かのよしずみはとうはつかこく第一のゆみとり、みうらのへいたらうためつぎとて、かしはばらのてんわうのおんすゑにてさうらふなる上、
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ちちおほすけよしあき、きみのために御命をすてたる者にてあり。よしあきがくわうせんのめいあんをも照さむがため也。よしずみはいへのこににん、らうどう十人ぐしてさうらひき。家子二人、内一人はひきのとうしらうよしかず、一人はわだのさぶらうむねざねと申者にて候。郎等十人をばだいみやう一人づつしていでたちさうらひけり。いじやう十二人は皆かぶと、義澄はあかをどしのよろひにかぶとをばき候わず。弓わきにはさむで、右のひざをつき、左のひざをたてて、せんじをうけとりまひらせんとつかまつる。宣旨をらんばこのふたにやすさだいれまひらせさうらふとて、『そもそも御使はたれびとにておわし候ぞ』と、尋ねまうしてさうらひしかば、『みうらのすけ』とは名のり候わで、『みらうのあらじらうよしずみ』となのり候て、宣旨をうけとりまひらせてのち、ややひさしくさうらひて、らんばこのふたにはしやきんひやくりやういれられて返されさうらひぬ。はいでんにむらさきべりのたたみをにでふ
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しきて、やすさだをすゑさせさうらひて、たかつきにさかなにしゆして、酒をすすめ候。さいゐんのしくわんちかよしはいぜんにたちて、ごゐ一人やくそうをつとめさうらふ。さかなに馬ひかれ候しに、おほみやのさぶらひのいちらふにて候し、くどうざゑもんのじようすけつね一人して、これひきさうらひぬ。そのひは兵衛佐のたちへはしやうじ候わず。いつまなるかやのやをしつらいて、わうばんゆたかにして、あつぎぬにりやう、こそでとかさね、ながびつにいれて置き、じやうぼんのきぬひやくひき、つぎの百疋、しらぬのひやくたん、こんあゐずりひやくたん、つみてさうらひき。馬十三疋おくりさうらひし中に、三疋にはくらおきて候き。あくるひすけのたちへむかひて候しに、うちとにさぶらひさうらふ。共に十六けんにてさうらふに、とさぶらひには国々のだいみやう肩をならべひざをくみてつらなりゐたり。うちさぶらひには源氏しやうざして、ばつざにはをとらうどうどもちやくしたり。少しひきのけて、むらさきべりのたたみをしきて、やすさだ
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をすゑさせさうらひて、ややひさしくありて、ひやうゑのすけのめいにしたがひて、やすさだしんでんへむかふ。しんでんにかうらいの畳いちでふしきて、すだれをあげられたり。ひろひさしにむらさきべりの畳いちでふしきて、康定をすゑさせさうらひぬ。さて兵衛佐いであはれたり。ほういにくずばかまにて候き。ようがんあしからず、かほおほきにて、少しひきぶとに見へ候。かほばせいうびに、げんぎよふんみやうにして、子細を一時のべたり。『行家、義仲は頼朝がつかひにて都へ向ふ。平家は頼朝がゐにおそれて、京都にあとをとどめず、西国へおちうせさうらひぬれば、そのあとにはいかなるにこうなりとも、などかうちいらざるべき。それに義仲、行家、おのれがかうみやうがをにおんしやうにあづかり、あまつさへりやうにんともにくにをきらひまうしさうらふなるでう、かへすがへすきくわいに候。ただし義仲ひがことつかまつりさうらはば、ゆきいへにおほせてうたるべくさうらふ。行家ひがことつかまつりさうらはば、よしなかにおほせてうたるべくさうらふ。たうじも頼朝がしよじやうのうはがきには、きその
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くわんじや、じふらうくらんどと書て候へども、へんじはしてこそ候へ』などまうされさうらひし程に、をりふしききがきたうらい。兵衛佐これを見て、よに心へずげにおもひて、『ひでひらがむつのかみになされ、すけもとがゑちごのかみになされ、ただよしがひたちのかみになりて候とて、頼朝がめいにしたがはずさうらふも、ほいなきしだいに候へば、早くかれらをついたうすべきよし、院宣をくだされさうらふべし』とこそ申しさうらひしか。そののちやすさだしきだいつかまつりて、『ことさらにみやうぶをしてまゐらすべく候へども、今度は宣旨の御使にて候へば、おつて申候べし。しやていにて候、しのたいふしげよしもどうしんに申候き』と申てさうらひしかば、『たうじよりともが身として、いかでかおのおののみやうぶをばたまわり候べき。さ候わずとてもそりやくのぎあるまじ』と、へんたふしてこそ候しか。『都にもおぼつかなくおぼしめされさうらふらむに、やがてまかりたつべ
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き』よしまうしさうらひしかば、『けふばかりはとうりうあるべし』とまうされさうらひしあひだ、そのひはしゆくしよへまかりかへりてさうらひしに、おひさまににかけださんじつぴきおくりたまはりてさうらひき。つぎのひ又兵衛佐のたちへむかひて候しかば、きんつばのたちに、ここのつさしたるのやひとこしたびてさうらひき。そのうへ鎌倉をいでさうらひし日よりしてかがみのしゆくまで、しゆくじゆくによねをごこくづつ置て候し間、たくさむに候ひつれば、せうせう人にたび、しゆくじゆくにてせぎやうにひきてこそ候つれ」とこまかに申たりければ、「人にとらせず、おのれがとくにはせで」とぞ法皇おほせありて、おほきにわらわせ給ける。またゐんぜんのうけぶみには、「さんぬる八月なぬかの院宣、今月四日たうらい。おほせくださるるむね、ひざまづきてもつてうくるところくだんのごとし。そもそもゐんぜんのししゆにつきて、つらつらかんしんのめつばうをおもふに、これひとへにみやうじんのみやうばつなり。さらによりともがくりきにあらず。けんじやうのあひだのこと、ただえいねんのおもむきたりぬべし」とぞのせたりける。
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らいしには、「じんじやぶつじ、きんねんよりこのかた、ぶつしやうとうゆかきたるがごとし。じしやりやうとう、もとのごとくほんじよにかへしつけらるべきか。わうこうけいしやういげのりやう、へいけのともがらおほくあふりやうすとうんうん。はやくせいじつのおんぜうをくだされて、しうぶのうつねんをはらはるべきか。へいけのたうるい、たとひくわたいありといふとも、もしあやまちをくいとくにきせば、たちまちにざんけいにおこなはるべからざるか」とぞ申たりける。
十七 昔のむさしのごんのかみたひらのまさかどいげの朝敵の首、りやうごくもんにをさめらる。もんがくあからさまにゆるしいれられたらむ者、たやすくいかでかさまのかみよしともがかうべかすみとるべき。いつはりてひやうゑのすけにむほんをまうしすすめむとて、のざはにすてたるかうべを取て、かくまうしたりけるによりて、むほんをおこす。いしばしのいくさには兵衛佐まけたりけれども、次第にせいつきてところどころのいくさに打勝てのち、父よしともの
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首、まことにはいまだごくちゆうに有るよし、兵衛佐ききたまひて、もんがくをつかひにて都へのぼせてそうもんをへられけるに、義朝がかうべをばさのごくもんの前なるあふちの木にかけたりけるを、京にこんかきにてありける、あざなごらうと申ける者、はかせのはんぐわんかねなりにつきて、義朝の首たまはりてけうやうすべきよし申たりければ、兼成だいりに申てゆるされたりけるを、こんかき、うれしと思て、くだんのかうべを取て、ごくもんのいぬゐのすみに墓をつきてうづみたりけるを、ほりをこして見ければ、ひたひに「義朝」と云、あかがねのめいをぞ打たりける。かまだびやうゑまさきよが首もありけり。義朝にいつかいをおくらるべきよし、兵衛佐くげへそうせられければ、すなはちぞうないだいじんにふして、義朝がかうべをまきゑの箱にいれて、にしきの袋につつみて、もんがくしやうにんのくびにかけたり。まさきよがかうべをばひの箱にいれてぬのぶくろにつつみて、もんがくが弟子が
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くびにかけてぞ下りける。「いあへばすなはちこゑつこんていたり、いうよ、しざう、これなり。あはざればすなはちこつにくしうてきたり、しゆしやう、くわんさい、これなり。只こころざしをめいとせり。必しもしたしきをめいとせず」とぞもんがくは申ける。もんがく既に下るときこへければ、かたせがはと云所まで、だいみやうせうみやうむかへに参りたり。さてしやうにん鎌倉へくだりつきにければ、兵衛佐くわんたいをただしくしてていしやうにをりむかひ、ただいまかうのとのの入らせたまふとおもひなぞらへ給て、ひじりの馬のくちをとり、涙を流してぞかうべをうけとりたまひたりける。かぢはらいげのだいみやうせうみやうたちならびたり。皆袖をぞしぼりける。誠に死してのち、くわいけいの恥をきよめたりとおぼえてあはれなり。
十八 きそよしなかは都のしゆごにて有けるが、みめかたちきよげにて、よきをとこ
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にて有けれども、たちゐのふるまひのぶこつさ、ものなむど云たることばつきのかたくなさ、けんごのゐなかびとにて、あさましくをかしかりけり。ことわりや、しなののくにきそのやましたと云所に、二歳よりにじふしちねんのあひだかくれゐたりければ、しかるべきひとになれちかづくこともなし。今はじめてみやこびととなれそめむに、なじかはをかしからざるべき。のたまふべき事あつて、ねこまのちゆうなごんみつたかのきやう、きそがもとへおわして、ざつしきを以て、「参たるよしいへ」とものたまひたりければ、ざつしき、「ねこまのちゆうなごんどののこれまでまゐるにこそ候へ。げんざんにいれと申せと候」といひいれたりければ、木曽がかたに、いまゐ、ひぐち、たかなし、ねのゐといふ四人のきりもの有けり、そのなかにねのゐと云者、木曽に、「ねこどののまゐりてこそ候へと、おほせられさうらふ」と云たりければ、木曽こころえずげにて、「とはなむぞ。ねこのきたとはなにといふことぞ。猫は人
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にげんざんする事か」と云て、はらだちける時に、ねのゐ又たちいでて、つかひのざつしきに、「ねこどのの参りたとは何事ぞ」といひ、「ごれうにしからせたまふ」と云ければ、雑色をかしと思て、「しつでうばうじやうみぶのへんをばきたねこま、みなみねこまとまうしさうらふ。是はきたねこまにわたらせたまひさうらふじやうらふ、ねこまのちゆうなごんどのとまうしまひらせさうらふ人にてわたらせ給候。ねずみ取り候猫にては候わぬなり」と、こまごまと云たりければ、そのときよりこころえたりげにて、ねのゐ木曽にくわしくかたりたりければ、木曽、「さては人ごさむなれ。いでさらばげんざんせむ」とて、中納言をいれたてまつりていであひけり。木曽「とりあへず、猫殿のまれまれわひたるに、ねのゐ物まひらせよ」と云ければ、中納言あさましくおぼえて、「ただいまあるべくもなし」とのたまひければ、木曽、「いかが、けどきにわいたに、物まひらせでは
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あるべき。ぶえんのひらたけもありつ。とくとく」と云ければ、「よしなきところへきたりて、いまさらに帰らん事もさすがなり。かばかりの事こそなけれ」とおぼしめして、のたまふべきこともはかばかしくのたまわず。よろづきようさめて、かたづをのみておわしけるに、いつしかくぼくおほきなるがふしの、おびひきつけてしぶぬりなるに、くろぐろとしてけだちたるいひを高くおほきに盛りあげて、ごさいさんじゆ、ひらたけのしるひとつをしきにすへて、根井もてきたりて、中納言の前にすえたり。おほかたとかくいふはかりなし。木曽が前にも同じさまにしてすへたり。すへはつれば、木曽はしを取てをびたたしきさまにくひけれども、中納言はあをざめておわしければ、「いかにめさぬぞ。がふしをきらひ給ふか。あれは義仲がくわんおんかうにひとつきにいちどすうるしやうじんがふしにて候ぞ。ただよそへ。ぶえんのひらたけのしるもあり。ねこ
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どのあひ給ふや」と云ければ、「食わでもあしきこともぞある」とて、くふまねをせられたりければ、木曽はつるりとくひて、手づからがふしもさらもとりかさねて、中納言をうちみて、「ああ猫殿はてんぜいせうじきにてわしけるや。猫殿今少しかい給へ」とぞ申たる。ねのゐよつてねこまどののぜんをあげて、「猫殿のおんとのびとやさうらふ」と申たりければ、「いなばのさくわんといふざつしきさうらふ」とて参たりければ、「是は猫殿の御わけぞ。たまわれ」とてとらせたりければ、とかくまうすにおよばず、ひさげのしたへなげいれたりけるとかや。是のみならず、かやうにをかしきことどもありけり。木曽くわんなりたるしるしもなく、さのみひたたれにてあらむもあしとて、ほういにとりしやうぞくして、車に乗て院へまゐられけるが、きならわぬたてえぼしよりはじめて、さしぬきの
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すそまで、かたくななる事いふはかりなし。うしわらははへいけのないだいじんのわらはを取たりければ、かうみやうのやりてなりけり。わがしゆうのかたきと、目ざましく心憂く思ける上、車にこがみ乗たる有様、いふはかりなくをかしかりけり。にんぎやうか、だうそじんかとぞ見へし。よろひうちきて馬に乗たるには似ず、あやうくおちぬべくぞおぼえける。うしくるまはやしまのおとどのをおさへとりたりけり。うしわらはもおほいとののじらうまる、よにしたがへばとられてつかはれけれども、しゆうのかたきなれば目ざましくおもひて、いと心にもいれざりけり。牛はきこゆるこあめなり。いちもつのこの二三年すへかうたるが、かどでをひとずわへあてたらむに、なじかはとどこをるべき、飛ていでたりければ、木曽さらのけに車の内にまろびにけり。牛はまりあがつてをどる。こはいかにと、木曽あさましくおもひて、おき
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あがらむとしけれども、なじかはおきらるべき。袖はてふのはねをひろげたるがごとくにて、足を空にささげて、なまりごゑにて、「しばし、やれやれ」と云けれども、うしわらはそらきかずしてしごちやうばかりあがかせたりければ、共にありけるらうどうどもはしりつきて、「いかに、しばし、おんくるまとどめよ」と云ければ、「おんくるま、牛の鼻のこはくてとどめかねて候。そのうへ『しばし、やれやれ』とおほせさうらへばこそつかまつりて候へ」とぞちんじたりける。くるまとどめてのち、木曽ほれぼれとして、おきあがりたりけれども、なほあぶなふ見へければ、うしわらはよりて、「それに候てがたにとりつかせ給へ」と云ければ、いづくをてがたともしらずげにて見まわしければ、「それにさうらふ穴にとりつかせ給へ」と云ける折、とりつきて、「あはれ、したくや。是はわうしこでい人のしたくか、殿のやうか、木のなりか」とぞいひける。
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院の御所にくるまかけはづれたりけるに、車のうしろよりをりむとしければ、「まへよりこそおりさせたまひさうらわめ」とざつしき申ければ、「いかがすどをりをばせむずる」と云けるぞ、をかしかりける。
(十九) 平家はさぬきのやしまにありながら、せんやうだうをぞうちとりける。きそのさまのかみこれを聞て、信乃国住人やたのはんぐわんだい、うんののへいしらうゆきひろたいしやうぐんとして、五千余騎のせいをさしつかはしけり。平家はさぬきのやしまにあり、源氏はびつちゆうのくにみづしまがつにひかへたり。源平たがひにうみをへだててささへたり。さんぬる十月ひとひのひ、水嶋が津にせうせんいつそういできたる。あまぶね、つりぶねかとみるところに、あまぶねつりぶねにもあらず、へいけがたのてふのつかひのふねなりけり。源氏是を見て、へづなといてほしあげたる千よ
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そうの船を、をめきさけびておろしけり。平家是を見て、五百よそうの船を、二百よそうをかたへさしうけ、のこる三百よそうは百艘づつてんでにわけて、源氏の千余艘の船を一艘ももらさじと、水嶋が津をさしまきたり。源氏のたいしやうはうんののへいしらうゆきひろ、からめでのたいしやうぐんやたのはんぐわんだい。へいけのたいしやうぐんは、ほんざんゐのちゆうじやうしげひら、しんざんゐのちゆうじやうすけもり、ゑちぜんのさんゐみちもり、からめでの大将軍には、しんぢゆうなごんとももり、かどわきのちゆうなごんのりもり、じなんのとのかみのりつね。のとのかみのたまひけるは、「とうごくほつこくのやつばらにはじめていけどられて、したがひつかへむ事をばかへりみるべからず。おのおの心をひとつにして命をおしむべからず。いくさはかうこそするなれ」とて、五百余艘の船、ともづなをむすびあはせて、中にはもやいを
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入れ、上にあゆみの板をひきわたしたれば、へいへいとしたりけり。船のうち、とほきは射る、ちかきはうちものにてしようぶをす。くまでにかけてとるもあり、取らるるも有。くみておつるもあり、さしちがへてゐたるもあり。おもひおもひこころごころしようぶをぞけつしける。みのこくよりひつじのげまで、ひまありともみえざりけり。さりけれども源氏つひにまけいくさになりて、大将軍やたのはんぐわんだいもうたれにけり。うんののへいしらうゆきひろは、今はかなはじとおもひて、らうどうわがみともによろひむしや八人はしぶねにのりて、おきの方へこぎさりける程に、船はちひさし、なみかぜははげしかりけり、ふみしづめて一人ものこらず、皆死にけり。平家はふねのうちにおのおのくらおきむまを用意したりければ、五百余艘の船、ともづなをきりはなちて、なぎさに船をよせて、ふなばらをのりかたぶけて、馬をさとをろし、ひ
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たと乗て、のりつねを先としてをめいてかけたまひければ、うちもらされたる源氏の郎等共、とるものもとりあへず、はふはふ都へにげのぼる。木曽義仲是を聞て、やすからぬことにおもひて、夜を日につぎてびつちゆうのくにへはせくだる。さんぬる六月、ほくろくだうかがのくにあたかしのはらのたたかひに、びつちゆうのせのをのたらうかねやす、へいせんじのちやうりさいめいゐぎしいけどられたりしを、さいめいはろくでうがはらにて切られぬ。
二十 かねやすをば西国へくだらむずるみちしるべにとてきらざりけり。兼康はさるふるつはものにて、木曽にふたごころなきやうにしたがひたり。「さんぬる六月より、かひなき命をいけられたてまつりて候へば、今はそれにすぎたるごおんなにかは候べき。じこんいごいくさつかまつりさうらわむには、まつさきかけて命を君にまひら
せ候わん」
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と申て、たよりのひまあらば木曽をうたんとぞねらひける。そしけいのこへとらはれ、りせうけいがかんてうへかへらざるがごとし。とほきいてうにつける事、昔の人のかなしめりし所也といへり。をしかわのたまきかものばくとうを以てふううをふせきて、なまぐさきししむら、らくのこむづ、かれらをもつてはききんを養ふ。夜はいぬる事あたはず、ひるはかなしみの涙をたれてあかしくらし、たきぎとりくさきらずといふばかりなり。なにごとにつけても、こころうくたへがたきことかぎりなかりけれども、ふたごころなく木曽につかはれけり。こころのうちには、「いかにもして故郷へ帰て、きうしゆをみたてまつり、ほんいをとげむ」とおもふこころふかかりければ、はかりことにかくふるまひけるを、木曽しらざりけり。義仲、じゆえい二年十月四日のあした、都をいでて、はりまぢにかかりて、いまじゆくと云所にちやくす。今宿よりせのををせんだつにてびつちゆうのくにへ下る。ふるさかと云所にて、かねやす、「いとまを
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たまはりて、さきにたちて、したしきやつばらあまた候へば、御馬の草をもまうけさせさうらはばや」と申ければ、木曽もつともしかるべしとて、「さらば義仲はここにみつかとうりうすべし」とぞ申ける。兼康、木曽をばよくすかしおほせつとて、しそくこたらうかねみち、らうどうむねとしをあひぐしてくだりけり。兼康をばかがのくにのぢゆうにん、くらみつのごらうといふものいけどりにして、木曽にとらせたり。兼康、くらみつに云けるは、「や、たまへ、くらみつどの。かねやすいけどりにし給たるけんじやういまだおこなはれずは、びつちゆうせのをはよきところぞ。兼康がほんりやうなり。くんこうの賞にまうしたまはりてくだり給へかし。おなじくはうちぐし奉らう」と云ければ、倉光五郎、まことにと思て、せのををのぞみまうしければ、木曽すなはちくだしぶみをなしてけり。倉光五郎やがて兼康を先にたててくだりけり。兼康道にておもひけるは、「倉光を
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せのをまでぐして下りぬる者ならば、しんしとて国のものどももてなしてむ。又よろこびする者もあらば、くらみつにせいつきてはいかにもかなはじ」とおもひて、「びぜんのくににわけのわたりと云所あり。かかるらんせいなれば、所もがふごせむ事かたし。兼康さきだちて、所の者にもふれまはり、したしきものどもにも、『かかる人こそくだり給へ』と申て、おんまうけをもいとなませ候わむ」と云て、かのところに倉光をばすかし置て、兼康さきだちにけり。くさかべと云所にきしゆくして、そのよ倉光ようちにして、兼康はにしかは、三のわたりをして、きんりんのものどもかりもよほして、ふくりゆうじなわてをほりきる。かのなわてと申は、とほさにじふよちやうなり。北はががたる山にて、南は南海へつづきたるぬまたなり。西にはいはゐのべつしよとて寺あり。これらをうちすぎて、たうごくいちのみやのふしをがみ、ささがせまりにかかりにけり。ささがせまりは、にしのかたは
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高山なりければ、上には石弓をはり、木曽をまちかけたり。うしろはつだかのがうとて、たにぐちは沼なり。何万騎のかたきむかひたりとも、たやすくおとしがたし。ここにつはものどもさしおきて、わがみばかりはから河のしゆくにひきこもる。「倉光五郎はもとよりすくやかだちて、せのをのたらうをいけどりにするのみにあらず、どどかうみやうしたる者の、いかにして兼康にはいふかひなくおきいだされて、うたれにけるやらむ」と人申ければ、あるつはものどもまうしけるは、「ことわりや。北国の住人ながらあんないしやたてで、ここかしこ穴ぐりありき、昔よりむまのはなもむかぬ所へも武士をいれなむとして、木曽殿にあしきことをすすめたてまつれば、としごろほんじやのおんとがめもや有らむ、そもしらず。又さいめいゐぎしがろくでうがはらにてくびをきられしも、倉光がざんげんなり。さればまつじのちやうりなれば、しらやま
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ごんげんのおんたたりにて、いふかひなくうたれもやしつらむ」とぞまうしあひける。「せのをのたらうかねやすこそ、ほくろくだうのいくさにいけどられてありつるが、木曽をすかひていとまえて、平家のみかたへまいれ。木曽はすでにふなさかやまにつきたり。みかたにこころざしおもひたてまつるどもは、兼康につきて、木曽をひとやいよや」と、やまびここだまのごとくにののしりてとほりければ、せのをのものども、もののぐ、むまのくら、らうどうをももちたるともがらは、平家につきたてまつりて屋嶋へ参りぬ。もののぐもたざるほどの物は、せのをにとどまりてありけるが、是を聞て、あるいはかきのひたたれこばかまにつめひぼゆいたる者もあり、あるいはぬのこそでにあづまをりしたる者もあり。かりうつぼにししやしごさしてかきおひ、たかえびらにかりやごろくさしてかきつけたる者、あなたこなたより二三百人はしりあつまりにけり。それにもののぐしたる者七八
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十人にはすぎざりけり。せのをの太郎にようちにうちもらされたる倉光がげにん、ふなさかやまにまかりむかひて木曽に申けるは、「くらみつどのこそようちにうたれて候へ。せのをのたらうどのは、『せのをへさきだちてまかりさうらひて、むまのくさをも尋ね、おんまうけをもところのものにせさせ候べし。そのほどは、このてらにおわしませ』と申て、倉光殿をばふるだうにおきとどめたてまつりて、『いそぎつかひをたてまつるべし』と申てまかりさうらひしが、つかひも候わず」と申ければ、木曽おほきにおどろきて、「さてようちのせいはいかほどかありつる」と問へば、「四五十騎にはすぎ候はじ」と云ければ、「さてはかねやすめがしわざにこそ。さおもひつる物を。やすからぬものかな」とて、木曽腹をたてて、三百余騎にていまじゆくをうちいでて、夜を日につぎてはせくだる。そのくれがたにみついしにつく。それよりしてあくる日ふぢのにつきて、「倉光さ
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てはここにてうたれにけるよ」とて、念仏を申し、そこをうちすぎて、わけのわたりをしてかはのがうへうちいりにけり。ふくりんじのなはてほりきりたりければ、かはのがうのそうくわんをじんじよにて、きたのかたからすだけをまはりて、ささがゐをこそおとしけれ。せのをは、木曽いまじゆくにみつかのとうりうといひしかばとて、いまだじやうくわくもかまへぬに、木曽はとおしよせたりければ、せのをおもひまうけたる事なれども、あわてたりけり。さはありけれども、しばらくこらへてささへたり。かりむしやどもはこらへずして皆おちぬ。少し恥をも知り、名をもをしむ程の者、一人ものこらずうたれにけり。おほくはふかたにをひはめられて、くびをぞ切られにける。せのをの太郎はやだねいつくして、しゆうじゆうさんぎみどり山へこもりて、あひかまへてやしまへつたはらむとこころざしたりけるが、せのをが嫡子小太郎かねみちは、父には似ずこえふとりたる男にて
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有ければ、あゆみもやらず、足はれて山の中にとどまりにけり。父は小太郎をもすてて、おもひきりておちゆきけるが、おんあいのみち、ちからおよばざることなれば、小太郎が事思ふにゆきもやられず。らうどうむねとしに云けるは、「兼康はとしごろすせんぎのかたきにむかひてたたかひしかども、よもは晴れてこそおもひしに、只今ゆくさきのみえぬは、太郎をすててゆくときに、まなこにきりかぶりてゆくさきみえずとおぼゆるぞ。いづくへゆきわかれたりとも、しなばいつしよでこそしにたけれ。屋嶋へまゐりて、北国のいくさに木曽にいけどられて、このひごろあさゆふつかへつる事をもまうさばやとこそ思ふとも、『せのをこそ最後にあまりにあわてて、子をすてておちふためきけれ』といわむ事もこころうし。そのうへ又、小太郎もうらみてこそ有らめと思へば、これよりとりかへして、小太郎といつしよにていかにもP2707ならばやとおもふはいかに」といへば、「むねとしもさこそぞんじさうらへ。いそぎ帰らせたまひて、こたらうどのと一所にて、清きごじがいさうらふべし」と云ければ、さらばとて十余丁はせかへりて、小太郎が足やみてふしたるところにはしりつきて、「ゆけどもゆくそらもおぼえねば、汝といつしよにてしなむと思て、かへりたるぞ」と云ければ、小太郎をきあがりて、手をすりて涙を流す。しかぎをさし、やまをあけ、うしろにはたいぼくをこだてにして、木曽をまちかけたり。さるほどに、木曽三百余騎にて、せのをがあとを目につけて、おひかけてきたる。「かねやすがこのやまにこもりたんなるは。いづくにあるやらむ。せこをいれてさがせ」と云ければ、ききもあへず、「せのをの太郎兼康ここにありや」と云て、さしつめさしつめさんざんに射る。十三騎にておはせて、馬九疋いころす。せのをやだねいつくしてければ、腹かき切てふしにけり。子
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息小太郎かねみちもさんざんにたたかひて、かたき五人いとりて、おなじく自害してふしにけり。郎等むねとしもかたきあまた射とりて、しか木の上より、「せのをどのの郎等にむねとしと云、かうの者の自害する、見よや」と云て、大刀のきつさきをくちにくくみて、まつさかさまに落て、つらぬかれて死にけり。木曽、せのをふしが自害のくび取て、びつちゆうのくにさきがもりへひきしりぞき、まんじゆのしやうにぢんを取て、せいをそろへけり。
廿一 さるほどに、京のるすに置たりけるひぐちの次郎かねみつ、はやむまをたてて申けるは、「じふらうくらんどどのこそ、いたちのなきまにてんほこるらむふぜい、院のきりうどして、殿をうちたてまつらむとしたくせられさうらふなれ」とつげたりければ、木曽おほきに驚て、平家をうちすて、よをひにつぎて都へはせのぼる。十郎
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蔵人は是を聞て、木曽にたがわむとて、十一月二日、三千余騎にて京をいで、たんばのくにへかかりて、はりまぢへぞくだりける。木曽はつのくにへかかりてにふきやう。平家は、かどわきのちゆうなごんのりもりふし、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらをたいしやうぐんとして、そのせい一万余騎、はりまのむろにつく。十郎蔵人三千余騎にて、むろさかにゆきあひてかつせんす。平家の方にはうつてをいつてにわかつ。いちぢん、ひだのさぶらうざゑもんかげゆき五百騎。二陣、ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ五百き。三陣、かづさびやうゑただつね五百き。しぢん、いがのへいないざゑもんいへなが五百騎。五陣の大将軍にはしんぢゆうなごん七千余騎にて、むろさかにあゆませむかふ。十郎蔵人三千余騎にていできたる。一陣のせい是を防く。しばらくささへて、ゆんでのこぐれの中へおちにけり。源氏そこをかけとほりて、二陣の
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せいにあゆませむかふ。このてもふせくやうにて、めてのはやしへおちくだる。そこをおとして三陣のせいにあゆませむかふ。是もこらへず、北の山のふもとへおひおとさる。四陣によせあひたり。是もかなはず、南の山ぎわへおひおとさる。すきなあらせそとて、五陣のおほぜいによせあひたり。しんぢゆうなごんのさぶらひに、きしち、きはち、きくらうとて、兄弟三人有けるが、せいびやうのてききなりけるをさきとして、ゆんぜいをそろへて射させければ、おもてをむくべきやうなくて、ゆきいへがせいとりかへしければ、へいけのぐんびやうときをつくりておひかかる。時の声を聞て、四陣、三陣、二陣、一陣のせい、やまのみねへはせあがりて源氏のせいをまつところに、四陣をやぶりなむとす。源氏よてのせいにむかひて、心をひとつにしてささへたり。行家、かたきにたばかられにけりと心得て、かたきにむかひて弓をも引かず、たちをもぬかず、
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「行家につきてここをとをせや、わかたう」と云ままに、弓をわきにはさみ、大刀を肩にかけてとほりにけり。四陣破りてかけとほりぬ。三陣おなじくかけとほりぬ。二陣一陣通りはてて、十郎蔵人うしろをかへりみたりければ、わづかに五十余騎になりにけり。このなかにもておひあまたあり。大将軍一人ぞうすでもおはざりける。行家あまのいのちいきて、つのくにへおちにけり。平家のせいうしろにしこみければ、行家さんざんにいやぶられて、はりまには平家に恐れ、都には木曽におそれて、いづみのくにへぞおちにける。平家はむろやまみづしまりやうどのいくさにうちかちてこそ、少しくわいけいの恥をばきよめけれ。
十一月九日、しよじしよさんのじんじやぶつじ、もとのごとくかうげのつとめをいたすべきよし、せんじをくだされけり。かのじやうにいはく、
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とうかいとうせんだうのしよこくおなじくじんじやぶつじゐんぐうわうしんしよししよかのしやうりやう、かれこれのさまたげをちやうじし、もとのごとくつかひをつかはし、よろしくひんぱんのつひえをりやうじやうせしむべし。かうげのつとめ、そのことむなしくたえて、やうやくねんじよをふ。しかのみならず、ひとのうらみのつもるところ、てんしんはかりがたし。たしかにりんじをまもり、あへてけいりうすることなかれ。ただしなおゐらんあるところは、さきのうひやうゑのすけよりともにおほせて、きびしくきんぜいをくはへ、すみやかにじゆんぎやうせしめよてへり。
じゆえい二年十一月九日 さちゆうべん
へいけのよたうせめおとすべきよし、せんじをくださる。そのじやうにいはく。
へいじのよたうなほそのむれをなし、あるいはくわんぐんにいどみたたかひ、あるいはしうけんをこふりやくす。ふうぶんのおもむきざいくわいよいよおもし。びぜんのかみみなもとのゆきいへにおほせて、せんやうなんかいりやうだうのけうゆうのともがらをあひそつして、よろしくかのぞくとらをせいばつせしむべしてへり。
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じゆえい二年十一月十一日 さちゆうべん
廿二 源氏の世になりたりとも、させるそのゆかりならざらむ者は、なにのよろこびかあるべきなれども、人の心のうたてさは、平家のかた弱るときけばないないよろこび、源氏の方つよるときけば、きようにいりてぞよろこびあひける。さはあれども、平家さいこくへおちたまひしかば、そのさわぎにひかれてやすきこころなし。しざいざふぐとうざいなんぼくへはこびかくすほどに、ひきうしなふこと数をしらず。穴をほりてうづみしかば、あるいはうちやぶり、あるいはくちそんじてぞうせにける。あさましともおろかなり。ましてほつこくのえびすうちいりにし後は、はちまん、かものりやうをはばからず、あをたをからせて馬にかひ、人の倉をうちやぶりて物を取る。しかるべきだいじんくぎやうのもとなむどこそはばかりけれ、かたほとりにつきては武士みだれいりて、少しもおだしき所なく、いへいへをついふくしければ、いまくはむとてとりくはたてたる物をもとりうばはれ、くちをむなしくしけり。家々には
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武士有る所もなき所も、かどかどにしらはたたちならべたり。みちをすぐる者もやすきことなし。いしやうをはぎとりければ、男も女もみぐるしきことにてぞ有ける。平家の世にはろくはらどののごいつかと有しと、おいたるもわかきもなげきあへる事なのめならず。木曽かかるあくじをふるまひける事は、かがのくにゐのうへのじらうもろかたがけうくんによりてとぞ、のちにはきこへし、院のほくめんにいきのはんぐわんともやすは、つづみはんぐわんとぞ云ける。彼をおんつかひにて、らうぜきをとどむべきよしおほせられけれども、木曽をんごくのえびすといひながら、むげのひたすらものおぼえぬあらえびすにて、院宣をも事ともせず、さんざんにふるまひければ、さきのにふだうてんがふびんにおぼしめして、ないない木曽におほせられけるは、「平家の世には、かやうにらうぜきなる事やはありしなむど、しよにんいひなげくなり。又ざいざい在々[* 「在々」衍字]しよしよにがうだう、せつたうひまなくて、人を殺し火をはなつこと、おろかならずときこゆ。
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いそぎしづむべし」とおほせられけれども、そのしるしなし。院よりともやすを御使にて、「しやうらくしてほんぎやくのともがらをおひおとしたる事はほんいなり。誠にや、むろやまよりびぜんのかみゆきいへがひきしりぞきにけるよしきこゆ。もつともおぼつかなし。さてはこのあひだらくちゆうらうぜきにてしよにんのなげきあり。早くしづむべし」とおほせありければ、きそよしなかかしこまりてまうしけるは、「まづ行家がひきしりぞきさうらひけるでう、やうこそさうらひけめ。さればとて、やはか平家よをとり候べき。はからふむねさうらふ。さわぎおぼしめすべからず。きやうとのらうぜきのこと、つやつやしらずさうらふ。たづねさたつかまつるべくさうらふ。げにんどもおほくさうらへば、さやうの事もさうらふらむ。又義仲がげにんに事をよせて、おちのこるへいけのけにんもやつかまつりさうらふらむ。又きやうぢゆうのふるぬすびともやつかまつり候らん。目にみへ耳にきこえ候わむには、いかでかさやうのらうぜきせさせ候べき。今よりのち、義仲がげにんとなのりてつかまつらむ者をとらへてたまはるべし。
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一々にくびきりてげんざんにいれさうらふべし」とじんじやうに申ければ、ともやすかへりまゐりて、義仲が申候つるやう、こまごまとまうしあげたり。「およぶところよくまうすにこそ」とおほせあり。木曽かくきらきらしくは申たりけれども、京都のらうぜきなほとどまらざりければ、又ともやすをおんつかひにて、「あひかまへてこのらうぜきとどめよ。てんがたいへいとこそ祈る事なるに、みだりがわしき事せんなし」とおほせありければ、木曽このたびは気色あれて、目ももちあげず、「わおんつかひをばたれと云ぞ」ととふ。「いきのはんぐわんともやすと申なり」と云ければ、「やとの、わどのをつづみはんぐわんときやうわらはべの云なるは、よろづの人にうたれたうか、はられたうか。つづみにてもわせ、とびやうしにてもわせ、義仲が申たるむねを院に申されねばこそ、さやうにらうぜきをするするといふさた有るなれ。道ともおぼえず」と云て、ことのほかにしかりければ、知康、「さらば帰らむ」と云ければ、木曽、「そへに帰らでは
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なにごとをしたまふべきぞ」とあららかに云ければ、知康にがわらひてかへりまゐりて、「よしなかをこのものにてさうらひけり。むかふさまにかくこそいわれてさうらひつれ。せいをたまはりてついたうつかまつりさうらはばや」とぞ申ける。このともやすはくつきやうのしてていうちのじやうずにてありければ、人「つづみはんぐわん」と申けるを、木曽ききつたへて、かく申たるけるにや。木曽かかるあらえびすにて、院宣をも事ともせず、かやうにさんざんにふるまひければ、平家には事のほかにかへおとりしてぞおぼしめしける。そのころならぼふし、法皇を歌によみまひらせてぞわらひける。
白さひて赤たなごひにとりかへてかしらに巻けるこにふだうかな K185
(廿三) のちにはやまやまてらでらへみだれいりて、だうたふをこぼち、ぶつざうをやぶりやきければ、しやくそんざいせのとき、だいばがけげんもかくやとぞおぼえし。いふに及ばず、神社にもはばからず、らう
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ぜきとどめざりければ、早く義仲をついたうして、らくちゆうの狼籍をとどむべきよし、知康がまうしおこなひける上、法皇もきくわいにおぼしめされければ、はかばかしく人におほせあはせらるるにもおよばず、ひしひしとおぼしめしたちて、ほふぢゆうじどのにじやうくわくをかまへて、つはものどもをめしあつめられ、まつのはをもつて、みかたのかさじるじにしたりけり。めいうんのてんだいざすになりかへりたまへると、はつでうのみやのてらのちやうりにておはしけるを、ほふぢゆうじどのへよびまいらせ給て、山、みゐでらのあくそうどもをめしてまゐらせらるべきよし、おほせありけり。そのほか君にこころざし思まひらせむ者、みかたへまゐるべきよしおほせられければ、義仲にひごろしたがひたりける、つのくに、かはちのげんじ、あふみ、みののかりむしや、ほくろくだうのつはものども、きそをそむきて、我も我もとまゐりこもりにけり。これのみならず、しよじしよさんのべつたうちやうりにおほせて、つはものをめされければ、ほくめんのものども、わかきてんじやうびと、
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しよだいぶなむどは、おもしろきことにおもひて、きように入たりけり。すこしも物の心をわきまへ、おとなしき人々は、「こはいかになりぬる世の中ぞ。あさましきことかな。只今てんがにだいじいできなむ」とあさみあへり。知康はみかたのたいしやうぐんにて、もんぐわいにしやうじに尻かけて、あかぢのにしきのひたたれにわきだちばかりにて、にじふしさしたるそやをひとすぢぬきいだして、さらりさらりとつまありて、「あはれ、しれ者のくびの骨を、このやをもつて只今いぬかばや」とぞののしりける。又よろづのだいしのみえいをかきあつめて、ごしよのしはうの陣にひろげかけたり。みかたの人々のかたらひたりけるものどもは、ほりかはのあきびとまちのくわんじやばら、つぶて、いんぢ、こつじきほふしばらなり。かつせんのやうもいつかならふべき。風もあらくふかばたふれぬべくて、にげあしをのみふみたるものどもぞ、多く参りこもりたりける。物のえうにたちぬべき者はなかり
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けり。木曽是を聞て申けるは、「平家むほんをおこして、君をも君ともしたてまつらず、人をも損じ、民をもなやます事としひさし。しかるを義仲命をすててせめおとして、きみのみよになし奉るは、きたいのほうこうにあらずや。それに何のとがあつてか只今義仲をちゆうせらるべき。東西の国々ふさがりて、京都へ物ものぼらず、もちきたる者はなし。がきすべく、しぬべければ、命をいきむが為、ひやうらうまいをも取り、いくらも見ゆるあをたをもからせて馬にかふは、ちからおよばぬことなり。さればとて、弓矢とる者は馬をもつてこそいくさかつせんをもすれ。わうじやうを守護して有らむ者が、馬一疋づつのらでもいかがあるべき。さりとても、みやばらへも打入り、だいじんけへもみだれいりてらうぜきをもせばこそきくわいならめ。かたほとりにつきて少々いりどりなむどせむをば、ゐんあながちにとがめ給べきやうやはある。是はつづみめがざんげん也。やすからぬものかな。つづみめをうちやぶりて
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すてむ」と云ければ、「さうにおよばず」と云者もあり。ひぐちのじらうかねみつ、いまゐのしらうかねひらなむどが申けるは、「じふぜんていわうにむかひまひらせて、弓をひき、矢をはなたせ給わむ事、いかがあるべくさうらふらむ。ただあやまたせ給わぬよしをなんども申させ給て、かぶとをぬぎ弓をはづして、かうにんにまゐらせたまふべくや候らん」と申ければ、「義仲としごろなんどのいくさかしつる。ほつこくはしなののをみあいだのいくさをはじめとして、ほくろくだうには、くろさか、しほぐち、よこたがはら、あたか、しのはら、となみやま、さいこくには、びぜんのふくりゆうじのなはて、ささがせまり、びつちゆうのいたくらのじやうをおとししまで、いじやうくかどかのいくさをしつれども、いちどもかたきにうしろを見せず。じふぜんていわうにておわすとても、かぶとをぬぎ弓をはづして、をめをめとかうにんになるべし
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とはおぼへず。つづみめにくびきられなばくゆるにえきあるまじ。法皇はむげにおもひしり給わぬものかな。義仲にをいては今度は最後のいくさなり」とぞ申ける。木曽かく云なりときこへければ、ともやすいとどいきどほりをなして、いそぎ義仲をついたうすべきよしをぞまうしおこなひける。
廿四 義仲ほつこくの合戦に、ところどころにてくわんびやうをうちおとして都へせめのぼりしに、ひえさかもとをとほらむ時、しゆとたやすくとほさじとて、ゑちぜんのこくふよりてふじやうを書て山門へ送りたりしによりて、しゆと木曽によりきしてければ、源氏のぐんびやうてんだいさんへのぼりにけり。そののち木曽都へうちいりて、らうぜきなのめならず。さんもんのりやうに所もおかざりければ、衆徒ちぎりを変じて、木曽をそむくべきよしきこえけり。これによつて、義仲いそぎたいじやうを書て山門へつかはす。そのじやうにいはく、
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さんじやうのきしよ、よしなかつつしみてげす。
えいさんのだいしゆ、かたじけなくしんよをさんじやうにふりあげ、みだりがはしくじやうくわくをとうざいにあひかまへて、さらにしゆがくのまどをひらかず。ひとへにひやうぢやうのいとなみをもつぱらにすとうんうん。こんげんをたづぬれば、義仲あくしんをけつこうして、さんじやうさかもとをついふくすべきよしふうぶんす。このでうきはめたるひがことにさうらふ。かつうはまんざんのさんぼう、ごほふしやうじゆ、ちけんをたれしめたまふべし。みづからしやうらくをくはたてしひ、みやうにはいわうさんわうのみやうじよをあふぎたてまつり、けんにはさんじやうのだいしゆのよりきをたのむ。いまはじめてなんぞこつしよをいたすべけむや。きえのこころざしありといへども、きようあくのおもひなくさうらふものなり。ただしきやうとにおいてさんぞうをからむるよし、そのきこえあるでう、もつともおそれぞんじさうらふ。さんぞうとかうして、みやうあくをこのむともがらこれあり。よつてしんぎをたださむがために、あらあらたづねうけたまはるあひだ、しぜんにらうぜきいできたるべくさうらふか。
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まつたくへんぎをみたすべし。そうじてさんじやうには、ぐんびやうをのぼらしむべきよしをきく。これによつて、だいしゆげらくせらるべきよしこれをうけたまはる。ひとへにこれてんまのけつこうするところか。あひたがひにしんようすべからずさうらふ。かつうはこのむねをもつて、さんじやうにひろうせしめたまふべきじやう、くだんのごとし。
十一月十三日 いよのかみみなもとのよしなか
しんじやうてんだいざすごばうとぞ書たりける。さんじやうには是にもしらけず、いよいよほうきするよしきこえけり、
(廿五) 昔しうのぶわう、いんのちうわうをうたむとしけるに、とうてんにしもさへて、ゆきのふることたかさにじふぢやうあまりなり。ごばじしやに乗れる人、もんぐわいにきたりて、「王をたすけてちうをうつべし」と云てさる。又しんせつにしやばのあと
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なし。これすなはちかいじんの天のつかひとしてきたれるなるべし。しかるのちちうをうつことを得たり。かんのかうそは、かんしんがいくさがかこまれてあやふかりけるに、てんにはかにきりふりて、闇をなして、かうそのがるることを得たりき。木曽じんりんのためにあたあり、ぶつじんにはばかりをなさず。なにによつてかてんじよにもあづかり、ひとのあはれみもあるべきなれば、法皇のおんいきどほりもいよいよふかく、知康も日にしたがひて、「いそぎついたうせらるべし」とのみまうしおこなひけり。知康はあかぢのにしきのよろひひたたれに、わざとよろひをばきず、かぶとばかりをぞきたりける。四天王のざうをゑに書てかぶとにはをし、右の手にはこんがうれいを振り、左の手にはほこをつきて、ほふぢゆうじどのの西国のついがきの上に昇りて、事をおきてて時々はまひけり。是をみるもの、「知康にはてんぐつきにけり」とぞ申ける。木曽がいくさのきちれいには、陣をたつるにはななてに
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わけて、すゑはひとてふたてにゆきあひけり。まづいまゐのしらうをたいしやうぐんとして、三百余騎をもつて、ごしよのひがし、かはらざかのかたへぞまはしける。のこるむつてはひとつになりたるぢやう、一千余騎にはすぎざりけり。十一月十九日たつのときに、木曽義仲すでにうつたつよしきこへければ、たいしやうぐんともやすいげ、きんごくのくわんびやう、ほくめんのともがら、くぎやうてんじやうびと、ちゆうげん、やまほふし、いじやう二万余騎、さわぎののしりける程に、木曽がかたのつはものには、にしなのじらうもりいへ、たかなしのろくらうたかなほ、ねのゐのゆきちか、おなじくなんたてのろくらうちかただ、ひぐちのじらうかねみつ、いまゐのしらうかねひらいげのものども、一千余騎にて、七条より河原へうちいでて、時を作る事さんがど、をびたたしくこそきこへけれ。やがてにしおもてのきはへせめよせければ、知康すすみいでて申けるは、「なんぢらかたじけなくもじふぜんていわうにむかひたてまつりて、
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弓をひき、矢をはなたむ事、いかでかつかまつるべき。昔はせんじをよみかけければ、かれたるくさきも花さきこのみなり、水なき池には水たたへ、あつきあくじんもしたがひたてまつりけり。まつだいといわむからに、あづまのえびすの身にて、いかでかきみをそむきたてまつるべき。いはむやなんぢらがはなつやはかへりておのれらが身にあたるべし。ぬくたちは身をきるべし。みかたよりはなたむ矢はそやとがり矢をすげずとも、おのれらがかつちうにはよもたまらじ。すみやかにひきてのき候へや」と云ければ、木曽おほきにあざわらひて、「さないわせそ」とて、をめいてかく。やがてごしよの北のざいけに火をかけてければ、北風はげしく吹て、みやうくわごしよにふきおほへり。ごしよのうしろ、いまぐまのの東のかたより、いまゐのしらう三百余騎にて時を作てよせたりければ、まゐりこもられ
たりけるくぎやうてんじやうびと、やまやまてらでらのそうと、
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かりむしやども、きもたましひも身にそはず、あしてのおきどころもしらず、たちのつかをとらへたれども、ゆびはだかりてにぎられず、なぎなたをさかさまについておのれが足をついきりなむどぞしける。まして弓をひき、矢をはなつまではおもひよらず。かやうの者のみこそ多くまゐりこもりたりける。西にはおほてせめむかふ、北よりはみやうくわもえきたる、東のうしろにはからめでまはりてまちかけたりければ、南の門をあけてぞ人々まどひいでられける。にしおもてのはつでうが末の門をばやまほふし固めたりけるが、たてのろくらうかけやぶりていりにければ、ついがきの上にてこんがうれい振りつる知康も、いづちかうせぬらむ、人より先におちにけり。知康おちにける上は、のこりとどまりていくさせんとする者なかりけり。名をもをしみ、恥をも知る程の者、皆うちじにに死にけり。そのほかははうはう
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ごしよをにげいでて、かしこここにいふせられ、きりふせらる。むざんともいふはかりなし。七条が末はつのくにげんじ、ただのくらんど、てしまのくわんじや、おほたのたらうらかためたりけるも、七条を西へ落にけり。いくさいぜんにざいちのものどもに、「おちむをりはうちふせよ」と知康げぢしたりければ、ざいけにんらいへのうへにたてをつき、をそいの石をとりあつめてまつところに、みかたのおつるをかたきのおつと心得て、われをとらじと打ければ、「是はみかたぞ」、「是はゐんがたぞ」とめんめんに名乗れども、「院宣にてあるぞ。ただうちふせようちふせよ」とうちければ、のきしたへはせより、もんないへにげいりて、もののぐぬぎおきて、はうはうぞおちにける。みかたにもよきものせうせうありけり。ではのはんぐわんみつなががそのころはうきのかみにてありけると、おなじくしそくみつつねがさゑもんのじようにてしのせんじをかうぶりたると、父子二人
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うちじにしてけり。信乃国住人あかつかのはんぐわんだい父子七人まゐりこもりてありけるが、しそくさぶらうはんぐわんだいばかりぞうちじにしてける。のこる六人おちにけり。てんだいざすめいうんそうじやうはかうぞめのおんころもに、みなずいしやうのごねんじゆもちたまひて、てんじやうのこさぶらひのつまどをさしいでて、馬にのらむとし給けるが、たてのろくらうがはなつ矢におんこしぼねを射させて、いぬゐに倒れ給けるを、つはものよつてやがておんくびを取奉る。てらのちやうりゑんけいほふしんわうは、おんこしにて東門よりいでさせたまひけるを、つはものはせつづいておひおとし奉りければ、こいへの内へにげいらせたまひけるを、ねのゐのこやたが射る矢に、左のおんみみのねをかせぎにいぬかれ給て、うつぶしにふしたまひけるを、つはものよつておんくびをきりたてまつりてけり。法皇はおんこしにめして、
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なんもんよりいでさせおはしけるを、武士多くかかりせめければ、おんりきしやも命のをしかりければ、おんこしをすててはうはうにげうせにけり。くぎやうてんじやうびとも皆たてへだてられて、ちりぢりになりて、おんともをつかまつる人なかりけり。ぶんごのせうしやうむねながばかりぞ、もくらんぢのひたたれこばかまにくくりあげて、御共にさうらわれける。むねながはもとよりしたたかなるひとにて、法皇にすこしもはなれたてまつらざりけり。ぶしまぢかくおひかかりて既にあやふかりければ、少将たちむかひて、「これはゐんのわたらせたまふぞ。あやまちつかまつるな」とまうされたりければ、ぶしども馬よりおりてかしこまる。「なにものぞ」とたづねければ、「信乃国住人ねのゐのこやた、ならびにたてのろくらうちかただがおとと、やしまのしらうゆきつなと申者にて候」と申。二人まゐりて、おんこしに手あげまひらせて、ごでうだいりへわたしたてまつりて、守護し奉る。むねながばかりぞおん
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ともにはさうらわれける。そのほかのひとはひとりもみえず。おほかたとかくまうすはかりさらに無し。うつつともおぼえず。しゆしやうのおんさたしまいらする人もなかりければ、いかになるべきやうなし。つはものどもはいりみだれぬ。ごしよにひかけたり。しつでうのじじゆうのぶきよ、きいのかみのりみつ、只二人さうらわれけるが、池にありけるみふねにのせたてまつり、さしのけたりけれども、ながれやまきかくるがごとし。のぶきよ、「これはうちのわたらせおはしますぞ。いかにかくは射まひらするぞ」とまうされけれども、なほらうぜきなりければ、心うくかなしくて、しゆしやうをみふねの底に、ふせまひらせて、かかえまひらせてぞゐたりける。夜にいりてばうじやうどのへわたしたてまつりて、それよりかんゐんどのへいらせたまひにけり。ぎやうがうのぎしきただおしはかるべし。いまいましともおろかなり。ほふぢゆうじどのはごしよよりはじめて、人々の家々のきをきしりてつくりたりつるも、なじかはいちうものこるべき、みなやけほろびにけり。はりまのちゆうじやう
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まさかたは、させるぶようの家にあらねども、ぶようの人にておわしければ、おもしろくおもはれければにや、ひやうぢやうをたいしてまゐりこもられたりけり。しげめゆひのひたたれに、こんいとをどしのはらまきをぞ着られたりける。てんじやうのにしおもてのしもさぶらひのつまどをおしあけていでられけるを、たてのろくらうかけいりて、くびの骨をこころざして射たりけるが、えぼしの上をいこすりて、つまどに矢たちにけり。そのとき、「我ははりまのちゆうじやうといふものにてあるぞ。あやまちすな」と、さわがぬていにてのたまひたりければ、たてのろくらうむまよりとびおりて、いけどりてわがしゆくしよにいましめおきてけり。ゑちぜんのかみのぶゆきといふひとありけり。ほういにげくくりでありけるが、ともにぐしたりつるさぶらひもざつしきも、いづちかうせにけむ、一人もみえず。にはうよりは武士せめ来る、いつぱうよりはくろけぶりおほへり。いかにすべきやうもなうて、おほがきのありけるをこえむこえむとしける程に、なじかはこえらるべき。うしろより前へ
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いぬかれて、そらさまにたふれて死にけるこそむざんなれ。もんどのかみちかなりはだいげきよりなりまうとが子なり。うすあをのかりぎぬにしやうくくりで、あしげなる馬に乗てしつでうがはらを西へはせけるを、きそのらうどういまゐのしらうはせならべて、めてのわきを射たりければ、馬よりさかさまにおちて死にけり。かりぎぬのしたにはらまきを着たりけるとかや。「みやうぎやうだうのはかせなり。ひやうぐを帯する事しかるべからず」と人かたぶけまうしけり。かはちのかみみつすけがおとと、げんくらんどなかかぬはなんもんをかためたりけるが、おちざりけるを、あふみげんじにしごりのくわんじやよしひろがうちとほりさまに、「とのばらは何をかためて今まではおわするぞ。すでにぎやうがうごかうたしよへなるぬる物を」とておちければとて、かはちのかみは上の山にこもりぬ、げんくらんどは南へむけておちにけり。かはちのくにのぢゆうにん、くさかりのかがばうげんしうといひける者、あしげなる馬のきはめてくちこはきに乗た
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りけるが、げんくらんどにおしならべて、「この馬のあまりはやりて、のりたまるべしともおぼえずさうらふ。いかがし候べき」と申ければ、「いざさらばなかかぬが馬に乗かへむ」とて、馬のしたをしろかりけるにのりかへたり。しゆうじゆう八騎うちつれて、かはらざかのたうげに三十騎ばかりにてひかへたる中へ、をめいてかけいりぬ。はんときばかりたたかひて、八騎が内、かがばうをはじめとして五騎はうたれにけり。くらんどなかかぬしゆうじゆう三騎はかけやぶりてとほりにけり。かがばうが乗たりけるしたを白き馬はしりいでたりければ、げんくらんどのいへのこにしなののじらうよりなりと云者は、げんしうがのりかへたるをばしらで、とねりをとこの有けるに、「この馬はげんくらんどの馬とみるはひがことか」。「さんざうらふ。はやうたれにけりなれ。さ候へばこそ御馬ばかりははしりいでてさうらふらめ」と云ければ、「あな心うや。くらんどどのより先に死てこそ見へむとおもひつるに、いづちへむかひて
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かけつるぞ」。「あの見へ候せいのなかへこそ」と申ければ、信乃二郎「さごさむなれ」とて、をめいてかけいりてうちじにしてけり。さてげんくらんどのたいふなかかぬは、こはたやまにて、こんゑどののおんくるまにておちさせたまひけるにおひつき奉りぬ。「あれは仲兼か」。「さむざうらふ」。「人もなきに、近く参れ」とおほせありければ、うぢまでおんともつかまつりて、それよりかはちのくにへぞおちにける。ぎやうぶきやうざんゐはまどひいでてにげられけるが、七条川原にてものとりにへうり皆はがれにけり。えぼしさへおちうせにければ、十一月十九日の事なれば、河風さこそは寒く、身にもしみたまひけめ、すごくあかはだかにてたたれたりけるに、この三位の兄にゑちぜんのほつけうしやうきうといふひとありけり。かのほつけうのもとに有けるちゆうげんぼふし、さるにてもいくさはいかがなりぬらむとおもひて、たちいでたりけるが、この三位の有様を見て目も
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あてられず、あさましくおもひて、わがきたるころもをぬぎてきせたてまつりたりければ、衣うつをにほうかぶりて、このちゆうげんぼふしにあひぐして、ほつけうのしゆくしよへおわしけり。かの宿所はろくでうあぶらこうぢにてありければ、六条を西へ、ちゆうげんぼふしを先にたてておわしけり。法師もびやくえなり。三位のていもをかしかりければ、ばんにん目をたてて、あさましげにおもひて見ければ、「とくとくあゆみ給へかし」とちゆうげんぼふしおもひけるに、いそぎもあゆまれず、「『ここはいづくぞ。あれはたが家ぞ』なむど、しづしづととはれたりしこそ、あまりにわびしかりしか」と、のちに人に語けるとかや。これのみならず、をかしくあさましくこころうきことども多くかたりけり。かんぢゆうにいちえをもきたる者をば、じやうげをいわずはぎとりければ、男も女も皆あかはだかにむかれ、心うき事かぎりなし。わづかにかひなきいのちばかりいくる人々もにげ
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かくれつつ、みやこのほかなるさんやにぞまじはりける。
廿六 はつかのひたつのときに、木曽ろくでうがはらにいでて、きのふきるところのくびども、たけにむすびわたしてとりかけたり。左の一のくびにはてんだいざすめいうんだいそうじやうのおんくび、右の一には寺のちやうりゑんけいほふしんわうの御首をぞかけたりける。そのほかななへやへにかけならべたる首、そうじて三百四十余人とぞ数へて申ける。是を見ては、天にあふぎ地にたふれてをめきさけぶ者多かりけり。父母妻子なむどにてこそありけめ、むざんともおろかなり。ゑちぜんのかみのぶゆきのあつそん、あふみのせんじためきよ、もんどのかみちかなりなむどが首もこのなかにありけり。「法皇はいにしへにもこりさせ給わず、又かかるいふかひなきことひきいださせたまひて、ばんにんの命を失はせたまひ、わがおんみもきんごくせられさせ給へる事、せめての御罪のふかさ、
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先の世までもうたてくなむ」とぞ、きせんじやうげ、ゑんきんしんそ、ていをしてぞまうしあひける。はつでうのみやのばうくわんにだいしんほつけうぎやうしやうといふものありけり。宮うたれさせたまひぬときこえければ、こきすみぞめのころもにつぼみがさきて、六条川原にいでて、かけならべたるくびどもをみるに、めいうんそうじやうのおんくびと宮のおんくびとをば、さうの一番にかけたり。ぎやうしやうほつけうこれをみたてまつりて、ひとめはつつましけれども、あまりの心うさに、ころものそでを顔にあてて、しのびの涙せきあゑず。さこそはおもひけめと押はかられて、むざんなり。おんくびにもとりつきたてまつらばやとおもひけれども、さすがそもかなはねば、なくなくかへりにけり。そのよ行清しのびてかのおんくびをぬすみとりて、かうやへまうでておくのゐんにをさめたてまつりて、やがてかうやにとぢこもりて、宮のごぼだいをぞとぶらひたてまつりける。
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廿七 こせうなごんのにふだうのばつしにさいしやうながのりといふひとをわしけり。このかつせんあさましくこころうくおもはれける上、院をも木曽とりたてまつり、つはものきびしくまもりたてまつるときこえければ、いかにしてか今一度みまひらせむとおもはれける。「あまりにぞくぎやうにてはよもゆるさじ。出家したらむのみぞいれられむずる」とおぼして、にはかにもとどりきり、ごでうだいりへまゐられたりければ、守護の武士もゆるしていれまうしてけり。さて法皇のごぜんへ参て、「にはかに出家をおもひたちさうらふほんいしかしか」なむどまうされければ、法皇きこしめして、「まめやかのこころざしかな」とて、かんるいをぞ流させおはしける。「人多くうたれたりときこしめしつれば、おぼつかなくおぼしめしつるにこそ、うれしくおぼしめせ」とて、又御涙を流させ給ければ、さいしやうにふだうもすみぞめの袖しぼりあへず。ややひさしくありて、「そもそもこんどのいくさにたれたれかうたれたる」ととはせましましければ、宰相
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入道涙をおしのごひてまうされけるは、「八条の宮もみえさせ給わず。やまのざすめいうんそうじやうもながれやにあたらせたまひぬ。のぶゆき、ためきよ、ちかなりもうたれさうらひぬ。よしもり、ちかもりはいたでおひて、ばんしいつしやうとこそうけたまはりさうらへ」とまうされたりければ、「あなむざんの事共や。めいうんはひごふの死なむどすべき者にてはなきものを。こんどわれいかにもなるべきにかはりにけるにこそ」とて、りようがんより御涙を流させ給けるこそかたじけなけれ。ややひさしくありて、法皇おほせの有けるは、「わがくにはへんぢそくさんのさかひといへども、われぜんじやうにじつかいの力によりて、じふぜんの位にうまれながら、又いかなるぜんぜのざいほうにて、一度ならずかかるうき目をみるらむと、こくどのにんみんのおもふらむこそはづかしけれ」とて、又御涙のうかびければ、宰相入道まうされけるは、「りようがんをあやまち奉る事、これげん
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ぎよのおよぶところにあらず。ほつたいをくるしめたてまつるにおいてをや。じつげつ天にかかやけり。てらされぬ者たれか有る。しんめい地を照し給へり。災害をおこすもの、たれかあらむ。臣じやあくをこのみて天をあなづり奉り、みやうだううけひきたまはむや。さりともそうべうをすてまゐらせさせ給はじ物を。只しんかんに任せ奉らせ給わずして、ともやすごときのやつばらがそうしまうしさうらひけるをごきよようさうらひけるのみこそ、心憂くおぼえさうらへ」とて、すみぞめの袖しぼりあへず。
廿八 木曽はきのふのいくさにうちかちて、けふくびかけて、六条川原よりかへりて、「今はばんじおもふさまなれば、うちにならむともゐんにならむともわがこころなり。ただしうちはこわらはなり。又院はひとひみしかばこぼふしなり。内にならむとてわらはにもなりたくもなし。院にならむとて法師にもいかがならむ。くわんばくにやならまし」と云け
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れば、いまゐが申けるは、「くわんばくにはふぢはらうぢならではえならぬとこそうけたまはりさうらへ。きみはげんじにてわたらせ給に」と云ければ、「さらばはんぐわんだいにやならまし」と申ければ、今井、「はんぐわんだいはいたくよきくわんにてはさうらわぬごさむめれ」と申ければ、「ゐんのみむまやのべつたうにならむ」とて、おしてみむまやの別当にぞなりにける。
廿九 廿一日、せつしやうをとどめたてまつりて、まつどののおんこ、だいなごんもろいへとて十三になりたまひけるを、ないだいじんになしたてまつりて、やがてせつしやうのぜうしよを下さる。をりふし大臣あかざりければ、ごとくだいじの左大臣しつてい、内大臣にておわしけるを、しばらくかりてなり給たりければ、「昔はかるのだいじんと云人ありき。是をばかるるだいじんと云べし」とぞ、ときのひとまうしける。かやうの事をばおほみやのたいしやうこくこれみちこそのたまひしに、そのひとをはせねども、申人もありけるにや。
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三十 廿八日に、さんでうのちゆうなごんともかたのきやういげ、ぶんくわん、ぶくわん、しよこくのじゆりやう、つがふ四十九人を木曽げくわんしけり。そのなかにくぎやう五人とぞきこへし。僧には^ごんのせうそうづはんげん、ほつしようじのしゆぎやうあんのうもしよたいをもつくわんせられき。平家は四十二人をげくわんしたりしに、木曽は四十九人を解官す。平家のあくぎやうにはなほこえたりけり。
卅一 かかりし程に、ほくめんにさうらひけるくないはんぐわんきんとも、とうざゑもんあきなり二人、よるひるをはりのくにへはせくだる。そのゆゑは、ひやうゑのすけのおとと、がまのくわんじやのりより、くらうくわんじやよしつねりやうにん、あつたのだいぐうじのもとにおわすときこへければ、木曽がひがことしたるを申さむとてなり。この人々のをはりのくにまでのぼられける事は、平家世を乱りてのちは、とうはつかこくのねんぐみしんありて、りやうけほん
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けもたれやらむ。こくしもくだいもなにやらむ、そのうへみちのらうぜきもありければ、平家をちてのちさんがねんがみしんみなたづねさたありて、千人のつはものどものをさしそへて、おとと二人をたいしやうとして都へまゐらせられけるが、木曽ほふぢゆうじどのへよせて合戦を致し、ごしよをやきはらひたりけるさいちゆうに、とうごくよりおほぜいのぼるときこへければ、なにごとやらむとて、いまゐのしらうをさしつかはして、すずかふはのせきをかためたりときこへけるあひだ、このひとびと、「ひやうゑのすけにまうしあはせずして、さうなく木曽がらうどうといくさせむ事あしかりなむ」とてひきしりぞきて、あつたのだいぐうじのもとにゐて、鎌倉へ使者をたてらる。そのへんじをまちたまひけるをりふし、きんとも、ときなりはせくだりて、このよしを申ければ、くらうまうされけるは、「ことのしだいふんみやうならず。べちのつかひあるべからず。やがてごへんはせくだりてまうさるべきぞ」とのたまひ
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ければ、きんともくだりけり。いくさにげにみなうせて、げにん一人もなかりければ、しやうねん十五歳になりけるくないどころきんもちをげにんにして下る。夜はきんもちを馬にのせ、昼はきんとも馬に乗て、ほどなくくだりつきて、ともやすがきようがいにて今度のらんをおこしたるよし申ければ、ひやうゑのすけおほきにおどろかれけり。「義仲きくわいならば、何度も頼朝におほせてこそちゆうせられさうらはめ。さうなくきみをまうしすすめまひらせて、合戦せさせまひらせて、ごしよやかせたるこそ不思議なれ。さやうの者をなほも近くめしつかはせ給わむにをいては、じこんいごもひがこといでくべし。知康めしつかはせ給べからず」とまうされけり。
卅二 知康ちんぜむとて、おひさまに鎌倉へくだりて、兵衛佐のもとへ参て、「げんざいにいらむ」とうかがひまうしけれども、まうしつぐものもなかりければ、さぶらひにすいさんしたり
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けるを、兵衛佐れんちゆうよりみいだして、しそくさゑもんのかみよりいへのいまだをさなくおわしけるに、「やや、あの知康はくつきやうのひふのじやうずにてあむなるぞ。『これにてひふあるべし』といへ」とも、しやきんじふにりやうわかぎみにたてまつりたりければ、若君是を持て知康に、「是にてひふあるべし」とのたまひければ、知康十二両のこがねをたまはりて、「しやきんはわがてうのちようほうなり。しばらくいかでか玉にはとりさうらふべき」と申てくわいちゆうするままに、庭より石をみつとりて、やがてえんをのぼりさまに、目より下にて数百千のひふら片手にてつき、さうのてにてつき、さまざまにらんぶして、「をう」と云こゑをあげて、よきひとときつきたりければ、れんちゆうよりはじめて、まゐりあひたるだいみやうせうみやうきようにいりて、えつぼのくわいにてぞ有ける。兵衛佐、「誠に名を得たる者のしるしは有けり」とて、そののちげんざんせられたりければ、
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知康、「木曽都へせめいりて、ざいざいしよしよをついふくし、だいじんくぎやうに所をもおかず、けんもんせいかのごりやうをもはばからずみだれいりて、らうぜきなのめならず。じんじやぶつじをもおそれたてまつらず、だうたふをわり、たきはてて、ゐんのごしよほふぢゆうじどのにおしよせて合戦をいたして、八条の宮もうたれさせたまひぬ。てんだいざすめいうんそうじやうもうたれたまひぬ」など、あることなきことくどきたててこまかく申けれども、兵衛佐さきだちてこころえたまひたりければ、よろづむへんじにておわしければ、知康さををのみすくむで、はうはうにげのぼりけり。知康、さしもいきどほりふかく、院までも「めしつかはるべからず」とまうされたりけるに、はかなくひふにめでて、兵衛佐げんざんせられたりけり。人はいささかの事なりとも、のうはあるべきものかなとぞおぼえける。
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卅三 さるほどに、とうごくよりがまのくわんじやのりより、くらうよしつね二人たいしやうぐんとして、すまんぎのぐんびやうをさしのぼせて、木曽をうつべき由まうされける上、山門へもてふじやうをつかはす。そのじやうにいはく、
てふすえんりやくじのが
かつうはしちしやのしんめいにつげかつうはさんたふのぶつぽふにいのりてむほんのぞくときそよしなかよりきのともがらをついたうせられむとほつするじやう
てふす、とほくわうじやくをたづね、ちかくきんらいをおもふに、いまにてんちかいひやくよりこのかた、せとのあひだ、ぶつじんのしづめによつて、てんしのちせいをまもり、てんしのけいによつて、ぶつじんのゐくわうをらいす。ぶつじんといひ、てんしといひ、たがひにまもりたてまつるゆゑなり。ここに、げんじといひ、へいじといひ、りやうじもつておほやけにつかまつることは、かいだいのいてきをしづめんがため、こくどのかんしを
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うたんがためなり。しかるにたうけしんぶのとき、ふりよのくわんいうによつて、ほんぎやくのちよくざいにしよす。そのきざみ、よりともえうちをゆるされて、はいるにあづかりぬ。しかるをへいじひとりらくやうのろうにあゆみ、しやくしやうのくらゐをぬすみきはむ。いへはんじやうみふつきして、りやうかのてうおんにほこり、ひとへにくわうゐをないがしろにし、つひにさんでうのみやをうちたてまつる。これによつて、よりともきみのためよのため、きようどをうたんがために、さうでんのらうじゆうにおほせて、とうごくのぶしをおこす。いんじぢしよういご、くんこうをはげますあひだ、せんだうほくろくのよせいをもつて、まづおそはしむるところに、へいじたいさんして、さいかいにおちむかふとうんうん。しかるによしなから、たちまちにてうてきのついたうをわすれ、まづけんじやうをまうしたまはり、つぎにこくしやうをあふりやうす。ほどなくへいじのあとをおひ、もつぱらいをさかさまにす。いんじ十一月十九日、いちゐんをおそひたてまつりて、ごしよをやきはらひ、けいしやうをついふくす。なかんづく、たうざんのざす、ならびにおんでしのみや、それにつらならしめたまふとうんうん。ほんぎやくのはなはだしきこと、ここんにひるいなきものなり。よつて
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とうごくのせいをもよほして、ぎやくとをついたうすべきなり。そのくびをえんことうたがひなしといへども、かつうはぶつじんにきせいし、かつうはだいしゆよりきして、ことにいんぞつせられむとほつす。よつててふそうくだんのごとし。もつててふす。
じゆえい二年十二月廿一日 さきのうひやうゑのすけみなもとのあつそん
とぞかかれたりける。山のしゆとこのてふじやうを見て、さんたふいちどうに既によりきしてけり。
卅四 平家は又さいこくよりせめのぼる。木曽とうざいにつめられて、せむかたなくぞ思ける。せめての事にや、平家とひとつになりて、くわんとうをせむべきよしおもひたちにけり。さまざまの案をめぐらして、ひとにしらすべき事にあらねば、をとなしきらうどうなむどにいひあはするにもおよばず、「世にもなき人の手、のうじよやある」とたづねければ、ひがしやまよりあるそうを一人、郎等しやうじてきたれり。木曽まづこのそうをひとまなる所によびいれて、ひきでものに
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こそでにりやうわたして、酒なむどすすめて、へだてなくたのみまうすべきよしいひて、ふみをかかす。木曽がいふにたがわず、このそうふみをかく。にゐどのへは、「みめよき娘やおわする。むこになりたてまつらむ。今よりのちはすこしもうしろめたなく思給べからず。もしそらごとをまうさば、すはみやうじんのばつあたるべし」なむどかかせけり。そうじてふみにつうかかせて、いつつうは「平家のおほいとのへ」とかかす、一通はそのははの「にゐどのへ」とかかせて、ざつしきをとこをつかひにてさいこくへつかはしけり。このふみを見て、おほいとのはことによろこびたまひけり。にゐどのも、さもやとおもはれたりけるを、しんぢゆうなごんののたまひけるは、「たとひ故郷へ帰りのぼりたりとも、『木曽とひとつに成てこそ』とぞ人はまうしさうらわんずれ。頼朝が思わん所もはづかしく候。弓矢取る家は名こそをしくさうらへ。君かくてわたらせおわしませば、かぶとをぬき弓をはづして、かうにんに参るべしとへんたふ
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あるべし」とぞのたまひける。木曽都へうちいりて、ざいざいしよしよをついふくして、きせんじやうげをなやまし、ぶつもんじんもつをあふりやうして、ひほふあくぎやうなのめならず。はてはゐんのごしよほふぢゆうじどのにおしよせ合戦を致し、きそうかうそうをさへうちたてまつり、くぎやうてんじやうびとをいましめおき、すこしもはばかる所なきよしを平家聞て、まうされけるは、「君も臣も山も奈良も、このいちもんをそむきて源氏の世になしたれども、さもあるか」と、おほいとのよりはじめ奉りて、人々きようげんせられけり。
卅五 ごんのすけさんゐのちゆうじやうは、月日のすぎゆけるままには、あけてもくれても故郷の事のみこひしく覚へて、ただかりそめのにひまくらをだにもかたらひ給わず。よざうびやうゑしげかげ、いしどうまるなむど近くおんそばにふせて、北方、若君、姫君の事をのみのたまひいだして、「いかなる有様にてか有らむ。たれ
あわれみ、たれいとほしといふ
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らむ。わがみのおきどころだにもあらじに、をなきものどもひきぐして、いかばかりの事をか思らむ。ふりすてていでし心づよさもさることにて、いそぎむかへとらむとこしらへおきし事も、ほどへばいかにうらめしくおもふらむ」なむどのたまひつづけては、涙をのみ流し給ふぞいとほしき。北方はこの有様をつたへきけば、「只いかならむ人をもかたらひて、心をもなぐさめ給へかし。さりとてもおろかにおもふべからざるものを」と、それさへ心苦くおぼして、つねは引かづきてふしたまふもむざんなり。
卅六 木曽はごでうだいりにさうらひて、きびしく守りまいらせける間、くぎやうてんじやうびと一人もまゐらず。合戦の日いけどりにしたりし人々をもゆるさず、なほいましめおきたりしかば、さきのにふだうてんがないない木曽におほせられけるは、「かくはあるまじき事を。ひがことぞ。よくよくしゆいあるべし。こきよもりはしんめいもあがめ
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たてまつり、仏法にもきし、きたいのだいぜんごんをもあまたしゆしたりしかばこそ、いつてんしかいをたなごころのうちにして、廿余年までたもちたりしか。だいくわほうのものなりき。しやうこにもたぐひすくなく、たうだいにもためし無し。それが法皇をなやましたてまつりしにより、てんのせめをかうぶりて、たちまちにほろびにき。子孫又たえはてぬ。おそれてもおそるべし、うやまひてもうやまひたてまつるべし。只あくぎやうをのみこのみて世をたもつことはすくなきぞ。ゆるしたてまつるべし」とおほせられければ、いましめおきたる人々をもゆるし、きびしかりつることどももとどめてけり。物の心もしらぬえびすなれども、かきくどきこまかにおほせられければ、なびき奉りけり。されどもなほほんじんはうしなはざりけり。「ぶつじぜんじをしたる人の世にあらば、平家こそ百廿年までもたもため。弓矢をとるならひ、になき命をうばはむとせむかたきをば、今よりのちもたいかうせではよもあらじ。わが腹のゐむまでは」と思ふとも、「入道
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殿をこそ親とたのみまうしたれ。おやかたのあらむ事を、子としてそむくべからず」と云。事よげなるぞをかしき。
卅七 十二月十日は、法皇はごでうだいりをいでさせ給て、だいぜんのだいぶなりただがろくでうにしのとうゐんの家へわたらせ給ふ。やがてそのひよりさいまつのごせんぼふ、はじめられにけり。おなじき十三にち、きそぢもくおこなひて、おもふさまにくわんどもなりにけり。きそがしよぎやうもへいけのあくぎやうにをとらずこそきこへしか。わがみはゐんのみむまやのべつたうにおしてなる。さまのかみいよのかみなりし、たんばのくにをちぎやうして、そのほかきないきんごくのしやうゑん、ゐんぐうのごりやう、またじやうげのしよりやうをもあはせておしとり、じんじやぶつじのしやうりやうをもはばからずふるまひけり。ぜんかんごかんのあひだに、わうまう、りうげんと云ける者ふたりよをとりて、十八年わがままにおこなひけるがごとく、へい
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けはおちたれどもげんじはいまだうちいらず、そのちゆうげんによしなかゆきいへふたりして、きやうぢゆうをおのれがままにしけるも、いつまでとおぼえてあやうくぞみへける。されどもあぶなながら年もすでにくれにけり。ひがしはあふみのくに、にしはつのくにまでふさがりて、きみのみつぎ物も奉らず、私のねんぐもしよたうものぼせず。きやうぢゆうのきせんじやうげ、せうぎよのたまり水にあつまれるがごとくほしあげられて、いのちもいきがたくぞみへける。
いげはじやうほんにあるべきか
きそほつこくのいくさにうちかちてみやこへせめのぼるべきよしきこえければ、北国のきようどことごとくげんじにしたがひつきにけり。これによつてさんぬるなつのころしらやまのみやにめんをたてまつるじやうにいはく。かがのくにしらやまのみやのごりやうのこと
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みぎくわんいしかはのこほりさいでうのうちみやまるのほ
しじほんけんにあり
みぎかまくらどののおほせられていはく、しよこくはすべからくさいしのしんじなり。たにんのげぢにあたはざるか。しかるにきんねん、あるいはせきぢをふさぎてほくろくわうへんのみちをたち、あるいはかいへんにつきてとうろはつかうのはかりことをくはたつ。ここにおいて、ぐちゆうをぬきんでんがため、たみのかたをあはれまんがため、ぎへいをすすめもよほして、おほくてうてきをうつ。ひとへにわうくわのしからしむることをあふぐといへども、これしんめいのかごをかうぶるにあらずや。しかるにながくらんぎやうをしづめんがため、しばらくこくむをいうかうす。ただしじいうにまかせず、ゐんそうをふるところなり。ちこくのまつりごと、れいしんをあがむるにしかず。すうじんのさつ、でんぢをよするにすぎたるはなからむや。ここをもつておそらくはびんぎのいつぽをさき、たうごくのしらやまにゆるしたてまつるものなり。くわんもつざふじをちやうじして、じんじのごんぎやうにそなへしむ。
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かみなふじゆをたれて、いよいよみやうじよをほどこしたまへ。しかればすなはちけふよりはじめて、ひやくねんにいたるまで、いつてんのした、あんをんたいへい、たうごくのうち、ばつくよらくせんてへりば、いうしじやうをさつしてめんをたてまつることくだんのごとし。
じゆえい二年五月 日 さんゐおほえのあつそんざいはん
さんゐたちばなのあつそんざいはん
くわんのうしふぢはらのあつそんざいはん
うどねりふぢはらざいはん
平家物語巻第四  十二巻之内
贈をくる
P2760
(花押)





延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版

平家物語 九(第五本)
P3001
 一 ゐんのはいれいならびにてんがのはいれいなきこと
 二 へいけやしまにてとしをふること
 三 よしなかへいけついたうのためにさいこくへくだらむとほつすること
 四 よしなかせいいしやうぐんたるべきせんげのこと
 五 ひぐちのじらうかはちのくににてゆきいへとかつせんのこと
 六 かぢはらとささきとむましよまうのこと
 七 ひやうゑのすけのぐんびやうらうぢせたにつくこと
 八 よしつねゐんのごしよへまゐること
 九 よしなかみやこおつることつけたりよしなかうたるること
 十 ひぐちのじらうかうにんになること
十一 もろいへせつしやうをとどめられたまふこと
十二 よしなからがくびわたすこと
十三 よしつねくらまへまゐること
十四 よしつねにへいけをせいばつすべきよしおほせらるること
十五 へいけいちのたににじやうくわくをかまふること
十六 のとのかみしこくのものどもうちたひらぐること
十七 へいけふくはらにてぶつじをおこなふことつけたりぢもくおこなふこと
十八 かぢはらつのくにかつをじやきはらふこと
十九 ほふわうへいけついたうのおんいのりのためにびしやもんをつくりはじめらるること
二十 げんじみくさのやまならびにいちのたにおひおとすことP3002
廿一 ゑつちゆうのせんじもりとしうたるること
廿二 さつまのかみただのりうたれたまふこと
廿三 ほんざんゐのちゆうじやういけどられたまふこと
廿四 しんぢゆうなごんおちたまふことつけたりむさしのかみうたれたまふこと
廿五 あつもりうたれたまふことつけたりあつもりがくびやしまおくること
廿六 びつちゆうのかみうみにしづみたまふこと
廿七 ゑちぜんのさんゐみちもりうたれたまふこと
廿八 たいふなりもりうたれたまふこと
廿九 へいけのひとびとのくびどもとりかくること
三十 みちもりきたのかたにあひそむること付同北方の身投給事
卅一 へいじのくびどもおほちをわたさるること
卅二 これもりの北方平家のくびみせにやること
P3003
平家物語第五本
一 げんりやく元年きのえのたつ正月ひとひのひ、院は去年十二月十日、ごでうだいりよりだいぜんのだいぶなりただがろくでうにしのとうゐんの家へわたらせ給。せけんもいまだらくきよせざるうへ、ごしよのてい、れいぎおこなはるべき所にもあらねば、はいれいもなし。院のはいれいなかりければ、てんがの拝礼もおこなはれず。だいりにはしゆしやうわたらせ給へども、れいねんとらのいつてんにおこなはるる、しはうはいもなし。せいりやうでんのみすもあげられず。げぢんとてなんでんのみかうしさんげんばかりぞあげられたりける。
(二) 平家はさぬきのくにやしまのいそに春をむかへて、年のはじめなりけれども、ぐわんにちぐわんざんのぎしきこそ事よろしからね。せんていましませばしゆしやうとあふぎたてまつれども、しはうもなし。せちゑも行はれず。ひのためしも奉らず。はらかも奏せず。よみだれたりし
P3004
かども、都にてはさすがにかくはなかりし物をと、恋しくぞおぼしめされし。せいやうの春もきたれども、うらふくかぜもやはらかに、ひかげものどかになりゆけども、平家の人々はかんくてうにことならず。いつとなくこほりにとぢこめられたるここちす。とうがんせいがんのやなぎ、ちそくおなじからず。なんしほくしのむめ、かいらくすでにことなり。花のあした、月の夜、詩を作り歌をよみ、まり、こゆみ、あふぎ、さまざまのきようありしことどももおもひいだして、かたりあひて、長き日をいとどくらしかね給へるぞあはれなる。
(三) 十日、いよのかみよしなか、平家追討の為に、さいこくへげかうすべきよしそうもんしけり。おほせられけるは、「わがてうにかみよより伝はりたるさんじゆのほうぶつあり。すなはち、しんし、ほうけん、ないしどころ、これなり。ことゆゑなく都へ返しいれたてまつれ」とおほせくだされければ、かしこまりてまかりいでぬ。すでにけふかどですときこえしほどに、とうごくよりさきのひやうゑのすけよりとも、義
P3005
仲追討の為、しやていがまのくわんじやのりより、くらうくわんじやよしつねたいしやうとして、すまんぎのぐんびやうをさしのぼするよしきこえけり。そのゆゑは、義仲てうおんにほこりてしやうくわうを取奉り、ごでうだいりにおしこめまゐらせて、ぢもくを行ひ、せつろくをあらため奉り、人々をげくわんして、平家のあくぎやうに劣らず、てうゐをいるかせにし奉るよし、頼朝きかれて、「義仲をさしのぼせし事は、ぶつじんをもあがめ奉り、わうぼふをもまつたくし、てんがをもしづめ、君をも守奉るべしとてこそのぼせしに、いつしかさやうのらうぜききくわいなり。既に朝敵となりぬ」とて、いかりをなし、せいを差しのぼせらる。そのせいすでにせんぢんはみののくにふはのせきにつきぬ、ごぢんをはりのくになるみがたまでつづいたるよしきこえければ、義仲是を聞て、うぢ、せたふたつの道をうちふさがむが為に、しんるいらうじゆうらをわかちてつかはす。平家は又ふくはら
P3006
までせめのぼるとののしる。
四 十一日、義仲さいさんまうしうくるによりて、なましゐにせいいのたいしやうぐんたるべきせんげせらる。
五 おなじき十七日に、びぜんのかみゆきいへかはちのくににぢゆうしてほんしんあるよしきこへければ、義仲かのゆきいへを追討の為に、ひぐちのかねみつをさしつかはす。そのせい五百余騎なり。おなじき十九日に、いしかはのじやうによせてかつせん。くらんどのはんぐわんいへみつ、かねみつがためにいとられにけり。行家いくさにまけて、にげおちて、かうやにぞこもりける。いけどり三十人、くびきりかけらるる者七十人とぞきこへし。
六 さんぬるとをかのひ、きそのくわんじやよしなかを追討の為にしやうらくすべきとうごくのぶし、わかみやごんげんのとりゐの前、ゆいの浜にてせいぞろへあり。そのなかにかぢはらげんだかげすゑ、かま
P3007
くらどのに参て申けるは、「ごひさうのおんむまとはしりまいらせて候へども、いけずきをたまはつて京までひかせさうらはばやと存じ候。あれよりつよき馬は多く持て候へども、河をこきおよぎ候事、いけずきほどの事はよも候はじ。あひかまへてうぢがはにてせんぢんをわたして、かうみやうをこうたいに伝へさうらはばやとぞんじ候」と、高らかにぞごんじやうしたりける。かまくらどのごしんぢゆうに、「にくひけしたる者のこゑやうけしきかな」とぞおぼしめされける。さておほせの有けるは、「いちのみむまやにたてたる馬を人にのする事なし。ふちせをわたるきりやうの馬はうすずみもよもおとらじ。うすずみをたまはり候へ」とて、第二の御馬うすずみをぞ給はりたりける。あをさぎなりけるを、にゐどのごらんじて、「あをさぎはうすずみにこそにたりけれ」とおほせられたりけるによつて、うすずみとぞ申ける。かぢはらげんだ、「われにすぎたるおんけしきよしはなき
P3008
物を」とおもひてまうしたりけるに、「こゑやうかほけしきにくひけしたる者かな」とごらんじたりけるこそ、あんたがひてはおぼゆれ。天にをせくぐまり地にぬきあしことは、このていの事なるべし。人さらに身をばたのむまじき事也。ほいなき事かぎりなけれども、うすずみをたまはりてまかりいでにけり。そののちつはものどもめんめんに参ていとままうしける中に、ひらやまのむしやどころすゑしげげんざんにいりてまかりいでけるところに、にしのごもんにてかづさのすけにゆきあひたり。みれば、としごろほしくおもひたりけるめかすげと云めいばを前にひかせたり。平山、「いましよまうせではいつをごすべきぞ。むしんをはばからずしよまうしてみむ」と思て、「としごろひごろあのめかすげをほしく思候ひつれども、『かつうはごひさうの御馬也。かつうはくわぶんのしよまうおそれあり』とぞんじさうらひて、いまだことばにもいださずさうらひつれども、『合戦の道にまかりいづるならひはふたたびかへるべきにあらず。只今こそ最後』とぞんじさうらへば、しんぢゆうのまうねんをさんげし候」とぞ申ける。かづさのすけおもひけるは、
P3009
「命にかへて思ふ馬也。親にも子にもしゆくんにも、手をはなつべしとは思はねども、『合戦の道にまかりいづるならひはふたたびかへるべきにあらず。只今こそ最後と存じ候へば、しんぢゆうのまうねんをさんげし候』といひつるこころざしのおもしろさよ。かつうはかどでのしよまうなり。かつうはひらやまをば鎌倉殿さぶらひたいしやうぐんにおぼしめしたり。かたがたもつておもふに、りゆうめりゆうざうなりともをしむべきにあらず」と思て、「いかに平山殿、としごろひごろおぼしめしける事を今までおほせはさうらはざりけるぞ。しろかねこがねの馬なりとも、いかがごへんにはおしみ奉るべき」とて、あぶみふんばりたちあがりて、「平山殿のおんとのびとや、あのめかすげうけとりさうらへ」と云ければ、平山馬よりとびおつるままに、右の手をもつてめかすげがくつばみをとり、左の手をもつては馬のかしらをかきなでかきなでして、「ほんまうじやうじゆす。あなうれしあなうれし」と云て、しもべにうけとらせて、馬にのりてけり。上総介は馬に乗ながらうつたちて、「めんぼくきはまりなしめんぼくきはまりなし」とぞあひしら
P3010
ひける。くろかすげなる馬の七寸にあまりたりけるが、折をしり、けはれをふるまひ、事人にはならまさりたりけり。めかすげとなづけたる事は、左の目の程にかかりて白き星の有ける故なり。のりじりの程をはからひ、ふしきをもこへ、えほりをもとびける馬也。さて平山申けるは、「つくづくせけんのさうをみるに、あたひかはりはなけれども、だいじの空をゆづるはふぼにしんにしくはなし。かづさのすけどののはうおんこそ父母二親にもすぐれ給ひたれ。じこんいごはわかたうども、かづさどのにぶれいばしつかまつるな」とぞよろこびける。今度のしやうらくのたいしやう二人の内、一人はがまのおんざうしのりより、一人はくらうおんざうしよしつねなり。がまのおんざうしはあしがらにかかり、くらうおんざうしははこねにぞかかり給ける。九郎御曹司は昔よりはこねごんげんにさんけいのこころざしおはしけるあひだ、もくよくけつさいしてしやだんにふだうし給へり。ひやうごぐさりのたちひとふり、べつたう
P3011
してごほうぜんにささぐ。「なむきみやうちやうらいはこねごんげん、わくわうどうぢんの光にくもりなく、義経がしよぐわんをじやうじゆせしめ給へ。つやみかぐらをもしてまひらせたく候へども、のりよりさだめて早くうちすぎさうらふらむとぞんじさうらへば」とて、馬にむちをうちたまひければ、いづのふにてがまのおんざうしにゆきあひ給へり。ふよりはうちつれて、たせいにてぞのぼり給ける。ささきのしらうたかつな、かまくらどのにまゐりたり。「いかに今まで遅かりつるぞ」とのたまへば、「らうせうふぢやうのさかひにてさうらひし上、合戦の道に向き候事、ふたたび故郷に帰るべしとも存ぜず候あひだ、父にて候し者のむしよにいとまこひさうらひつるついでに、十三年のついぜんをひきこしてつかまつりさうらひつるあひだ、ちさんつかまつりて候。やがてあれよりこそうちいづべくさうらひつれども、親のけうやうを引こし候程に、むじやうをくわんじさうらひながら、いかでか今一度みもまひらせ、みへもまひらせさうらはではさうらふべきとぞんじさうらひて、参て候」とて、
P3012
ふしめにぞなりたりける。かまくらどのも御覧じて、御目に涙をうけさせ給けり。さておほせに、「合戦の庭にてしんみやうをすつべきおもむきすでにあらはれて、しんべうにこそおぼゆれ。わどのもひごろほしげにおもひたりつるいけずきを、ひきでものにせばやとおもふが、かぢはらげんだがしよまうしつるに、おしく思て、うすずみをとらせたりつるあひだ、みちにてわどのを恨みむずらむとおぼゆるは、いかがすべき」とぞおほせられける。佐々木かしこまりまうしけるは、「梶原がせんまんのうらみはさもさうらはばさうらへ。いつぴきのいけずきをたまはりてこそ、しやうぜんのめいよをまつだいに伝へ、ごしやうのめんぼくをえんわうのちやうていにもほどこし候はむずれ。そのうへぶしとなり候て、梶原がうらみをなどかいちわうちんじ開かでは候べき。いつさいくるしかるまじく候」とごんじやうす。「さらばとらする」とて、いけずきをぞ給はりたりける。この馬を「いけずき」と申ける事は、二三才のころあどなかりける時、にくしと思ふ者をくひふせて、
P3013
さすがにくゐはころさず、いけながら足手などをくゐかきけるあひだ、「いけずき」となづけたり。又はあうしうにのうのうみとて、めぐりしじふりの池あり。につぽんごくのわしのあつまる池なり。だいぢごくとて又大池あり。そのあひだにめいよある人のしぬれば、必ずこんばくしづまりてこの池にもつすといへり。かくのごときらの池はおほしといへども、うをのみあつて船はなし。これによつて、池のほとりのぎよふら、いちぢやうばかりなるさをに細をはりて、この馬に乗てちしやうの水にをよがせて、魚をすきけるによつて、「いけずき」となづけたりともいへり。かげなりけるが、たけはつすんの馬なりけり。いとをしき者、にくき者、みしりたりける馬也。かりばの時、鹿などにあひつきて、きしいそをくだりにはする時、のりぬしだにもおちぬれば、馬もそこにとどまりて、草もくはでしゆうをとぶらふ馬なりき。これほどのだいじの御馬なりけれども、「父が墓にいとまこひつつ、十三年の
P3014
ついぜんをも引こし、最後のげんざんにも参て候」となくなく申たりつるなさけをも、しんべうなりとおぼしめされけるぎよかんのあまりに、さしもひさうしたまひたるいけずきをたまはりたりける、ささきのしらうが心の内こそゆゆしけれ。いかばかりかうれしとおもひけむ、
とへかしななさけは人のためならずうきわれとてもこころやはなき K186
といふこかのふぜいおもひあはせられてあはれなり。せんまんのぐんびやうの中に、父がむしよにていとまをこひ、十三年のついぜんを引こしてつかまつるなさけ、親の為とこそおもひけめども、てんじんちぎあはれみ給ふゆへに、鎌倉殿よりいけずきを給はりぬること、なさけはげに人の為にはあらざりけり。これも又、ささきげんざうひでよしがへいぢのかつせんのとき、ろくはらへよせたりけるが、かなはずしてひきけるに、さまの
P3015
かみよしともをのばさむとて、五十余騎にてごでうがはらしでうばしのへんまでにかへしあはせかへしあはせたたかひけれどもかなはず。平家のぐんびやう多くせめきたりければ、兄弟五騎になりて、よしとものひきつるかたへとこころざしてきたやまへむかひけるが、「わがひくかたへぞかたきもおはむずらむ。なほ義朝をのばさむ」と思て、ひきかへしあはたぐちへむかひける程に、いとうのむしやかげつなにゆきあひて、一人ものこらずうたれにけり。そのとき鎌倉殿も十二才にて父のおんともにおはしければ、「これらのことどもをおぼしめすわすれ給はずして、今いけずきを給はりけるか」とぞ申ける。佐々木四郎くつきやうの馬には乗たりけり、いけずきをばひかせてむちあぶみをあわせて打ける程に、いちやはんにちが程にするがのくにうきしまがはらにておひつきたり。そののちかぢはら、前後のせいをみしらばやと思て、馬をいつ
P3016
たんばかりうちのけて、うまずめの松と云まつのもとにあぶみふむばりたちあがりて、とほるせいどもをみる処に、「二三百疋もやすぎぬらむ。されどもうすずみ程の馬こそなかりけれ。ことわりや、鎌倉殿のごひさうの御馬なれば、いかでかこれにはならぶ馬あるべき」とおもふところに、たれとはしらず、あきよげなるむしやいつき、のりがへ四五騎、馬三疋ひかせて、むちをあげていできたり。たれなるらむと目をかけたる処に、ししやだいざうもかくや有らむ、きりん八疋のこまもこれにはすぎじとおぼへたる馬、まつ先にひかせていできたり。みれば佐々木の四郎たかつな也。ひかせたる馬三疋の内にいけずきあり。梶原と申はだいあくしんのはらわる也、ししやうふちのきりとほしにてはべりけるあひだ、いけずきといひつるよりして、身よりみやうくわをもやしける。「ゆみやとりのならひは、かならずしも親のかたき、しゆくせのかたきをのみかたきといふか。たうざの恥こそ親のかたきにもまさりたれ。これ程しゆうに
P3017
にくまれ奉たるかげすゑが命いきてはなにかはすべき。くちをしきことし給つるかまくらどのかな。是みよかし」とおもひがほにて、「まつ先にひかせたる佐々木にすぎたる目のかたきはあるべからず。木曽のくわんじやをうたむよりは佐々木をうたむ」とおもひてぞ、「あの馬をばたかつなにはたまはりつらむ。ただひとやにいおとして、いけずきをばここにてこそたまはらめ」と思て、矢たばねときておしくつろげ、もとはずすへはずしめおほせて、らうどう八騎有けるによういせさせてまちかけたり。梶原はしよにんににくまれけるあひだ、ようじんする事ひまもなし。されば、人はきざりけれども、よろひをぞきたりける。ひをどしのよろひにくれなゐのほろをぞかけたりける。にじふしさしたる黒ほろの矢にしげどうのゆみつるうちして、さびつきげなる馬のたくましきに、しろぶくりんの鞍を置て乗たりけり。郎等八騎、馬の鼻を並べてひかへたりけるが、佐々木おひつきければ、同じさまに
P3018
うちいでてたいめんしたりけり。「いかにささきどの、をくれをばし給ぞ。あれはいけずきとみ候はいかに」。「さむざうらふ」と答ふ。「かげすゑがしよまうまうしてさうらふにたびさうらはぬに、佐々木殿の給はらせたまふでう、なにていなるしさいにて候ぞや。ゐこんのしだいかな」といへり。佐々木おもひけるは、「にくひ梶原がことばかな。いかなる子細にてもあれ、それによるべからず。しそくきやうだいしよじゆうけんぞくばしに物をいふやうに、はういつなるもののいひやうかな。しやのどぶえいぬきて、ただひとやにいおとさばや」とぞ思ける。すでに矢ぬかむと思ける処に、しばしあつて、「あれはよろひきたり。わがみははらまきをだにもきず。さげばりのじやうずもさだめの矢つぼを射そむずる事。そのうへ鎌倉殿のおほせに、『梶原が恨みむ時はいかがせむずる』とおんこころぐるしげにごぢやうありしを、『ともかくもちんじひらきさうらふべし』と、物たのもしく申したりつるかひもなし。
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いつしかここにて人をもうしなひ我もうせむ事、ふかくの次第なるべし。いちわうちんじてみむ」とおもひて、「や、との、かぢはらどの、きき給へ。殿は今度こそしよまうまうさせたまひたりつらめ。たかつながこぞの春より、おんけしきにまかせてをりをりごとにまうしはべりしが、つひに給はらず。をととひ親のために最後のぶつじつかまつりしあひだ、きのふのゆひがはまのひやうぐぞろへにはづれさうらひて、ちさんしてさうらひき。さていそぎおひつきまひらせむとこころばかりはすすめども、ひんはしよだうのさまたげにて、かひがひしき馬は候はず。さりとてはと思て、おんむまやのこへいじに酒をのませて候へば、げこのしるしのあはれさは、やがてゑひてね入てさうらひし時、ぬすみとりて、あれにのりてよもすがらはせてこそ、これほどはやくは追付きまひらせては候へ。まつたく君よりたまはりたる事候はず。人にはみやうもんなればたまはりたるよしを申さむずる也。こころえたまへ。今度の合戦にもしぞんめいしてさうらふとも、ご
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かんだうをかうぶるべき身にて候へば、あぢきなくおぼえさうらふ。さやうにごかんだうさうらはむ時、たれかまうしゆるしてたまはるべしともおぼへず候」とて、歎く色をぞしたりける。梶原思けるは、「げにわれもぬすむべかりける事をや。つやつやおもひよらずして、佐々木にはやぬすまれにけり。あたら馬をつひにそらしぬる事こそねんなけれ。あなくちをしあなくちをし」とぞ思ける。さて申けるは、「ゆみやとりのらうじゆうの、しゆうの馬をぬすみてしゆうのかたきうちにおもむかむ事、なんでふの御勘当か候べき。むまぬすびとをばくびをきり、はつつけなどにする事也。ましてどうれうにはしたがらぬ事なれども、佐々木殿のぬすみはあえ物にもしたし、なんしうみたらむさんじよにはしやうじ入れまひらせて、ひきめをも射させまひらせ、げんぶくはかまぎの時はよこざにすへまひらすべき程のぬすみかな」とて、うちつれてぞわらひける。「そもそも、『御勘当かぶりたりとも申ゆるすべき
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人もなし』とおほせられつるは、かげすゑがききみみとおぼえさうらふ。はちまんもごちけんさうらへ。くんこうのしやうにも申かへ候はむずる也。ひごろはこれ程は思奉らざりつれども、馬をぬすみたまふにとりて、あはれどうれうやとおもひたてまつるゆゑに、まことのせには必ずかはらばやとぞんず。たのべよ」。「たのまれ奉らむ」とぞちぎりたりける。
(七)おなじきはつかのひのたつのこくに、とうごくのぐんびやう六万余騎ふたてにつくりて、うぢせたりやうばうより都へ入る。せたのてにはがまのくわんじやたいしやうぐんとして、おなじくあひしたがふともがらは、たけたのたらうのぶよし、かがみのたらうとほみつ、おなじくじらうながきよ、いちでうのじらうただより、いたがきのさぶらうかねのぶ、さぶらひたいしやうぐんには、いなげのさぶらうしげなり、はんがえのしらうしげとも、とひのじらうさねひら、をやまのしらうともまさ、おなじくちゆうぢごらうむねまさ、ゐのまたのこへいろくのりつな、をやま、うつのみや、やまな、さとみのものどもをはじめとして、三万五千余騎にはすぎざりけり。
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うぢの手にはくらうくわんじやをたいしやうぐんとして、あひしたがふ人々、やすだのさぶらうよしさだ、おほうちのたらうこれよし、さぶらひ大将軍には、はたけやまのしやうじじらうしげただ、しやていながののさぶらうしげきよ、みうらのじふらうよしつら、かぢはらへいざうかげとき、ちやくしげんだかげすゑ、くまがえのじらうなほざね、おなじくしそくこじらうなほいへ、ささきのしらうたかつな、しぶやのうまのじようしげすけ、かすやのとうだありすゑ、ささをの三郎よしたか、ひらやまのむしやどころすゑしげをはじめとして二万五千余騎、ふたてのせい六万余騎にはすぎざりけり。木曽がかたにはをりふし都にせいぞなかりける。めのとごひぐちのじらうかねみつ、五百余騎にてじふらうくらんどゆきいへをせめむとて、かはちのくにいしかはと云所へさしつかはす。いまゐのしらうかねひら、五百余騎のせいをあひぐして、せたをかためにさしつかはす。かたらのさぶらうせんじやうよしひろ、にしな、たかなし、をだのじらうら、
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三百余騎にてうぢをかためにむかひけり。京にはりきしや廿余人をしたくして、もしの事あらば、院をとりたてまつりて、さいこくへごかうなしたてまつらむとよういして、かうづけのくにのぢゆうにんなはのたらうひろずみをはじめとして、義仲がせい百騎にはすぎざりけり。いまゐのしらうかねひら、かたらのさぶらうせんじやうよしひろら、うぢせたりやうばうの橋をばひきて、むかひの岸にはらんぐひをうち、おほづなはへ、さかもぎをつなぎて、ながしかけてあひまつところに、くらうよしつねはうんかのせいをたなびきて、「きそのくわんじや、都にてはかなはじとて、びやうどうゐんにたてごもりたり」とまうすもの有けるあひだ、さらばとて、いがのくにへめぐりて、びやうどうゐんにおしよせたりけれども、そらごとなりけるあひだ、さてはとてじゆらくせむとする処に、うぢはしをみれば橋もなし。おりしも水かさまさりて底みへず。橋をひきたるのみならず、さかもぎひまもなく、おほづなこづなひきはへて、をしかもなむ
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どのみづとりもたやすくくぐりとほるべしとはみへざりけり。ゆゆしき大事とたてたりけるあひだ、二万五千騎のぐんびやうくつばみをならべてひかへたり。かはのはたぶんないせばくして、うちのぞみたる者四五千騎にはすぎず。二万余騎はよりつくべき所なきゆゑ、只いたづらにひかへたり。河のけいきをだにみざれば、渡すべきせんぎひやうぢやうもせず。橋のおちたる事をも未だしらざる者のみおほくあり。これによつて、すいれんの者共多くあるらめども、河のおもてをみざる故に、河へ入らむとする者もなかりけり。そのときに九郎おんざうし、ざつしき、かちはしりのものどもをめしよせて、「家々のしざいざふぐいちいちにとりいださせて、かはばたのざいけを皆やきはらふべし。ぶんないをひろくして、二万余騎を皆かはばたにのぞませよ」とぞげぢし給ける。かちはしりの者共、家々に走りまはりてこのよしをひろうする処に、人一人も
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なかりけり。さらばとて、てんでにたいまつをささげて家々を焼払ふ事、三百よか也。馬牛なむどをばとりいだすに及ばず、やどやどにおきたりければ、皆死にけり。そのほかも、おいたる親のぎやうぶにもかなはぬ、たたみの下にかくし、板の下、つぼかめの底に有けるも、皆やけしにけり。あるいはにげかくるべきちからもなかりけるやさしきにようばうひめぎみなむどや、あるいはびやうしやうにふしたるあさましげなる者、こものどもにいたるまで、せつなの間にくわいじんとぞなりにける。「かぜふかば木やすからず」とは、これていの事なるべし。ひろびろとやきはらひたりければ、二万五千余騎のこる者もなくかはばたに打のぞみたり。九郎おんざうし、河のほとりちかくたかやぐらを作らせて、のぼり給て、しはうをげぢし給けり。やたてすずりをとりよせて、「うぢがはのせんぢんとかうのものとしだいをあきらかにしるして、鎌倉殿のげんざんにいるべし」と、
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ぬかむとぞ色めきあひたりける。御曹司やぐらの上よりさまざまの事をげぢし給けれども、かしかましくて人さらにきかず。其時びやうどうゐんよりたいこをとりよせてうたせられければ、二万五千余騎皆しづまりて、おんざうしに目をかけざる者は一人もなかりけり。そのとき九郎御曹司だいおんじやうをあげて、「今この二万五千余騎の中に、すいれん、かはだち、かづきのじやうずどもはそのかずおほかるらむ。かかる処にてこそぐんにぬけたるかうみやうもすれ。とくとく我と思わむともがらは、もののぐをぬぎおきて、せぶみをして、河の案内を心み給ふべし。又かの岸をみるに、矢はずを取たる者四五百騎ばかりあり。せぶみせむ者をさんざんに射むずらむとおぼゆるぞ。かふのざにつかむと思わむ人々は、馬をばすてて、はしげたを渡して、かたきのぐんびやうをおひちらして、すいれんのともがらをおもふさまにふるまはせよ」とぞげぢし給ける。これをきき、ひら
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やまのむしやどころ、馬より飛ておつるままに、はしげたの上にとびあがる。ゆんづゑをつき、扇をはらはらとつかひて申けるは、「二万五千騎のぐんびやうの中にはしげたわたるせんぢんは、ひらやまのむしやどころすゑしげとまうすこくわんじやなり。そもそもたうがのていたらく、しんえんたんたんとして、だいかいにうかべるがごとし。かりうばんばんとしてきふきふなる事、たきのみづに似たり。はしげたいういうとしてほそく高き事、へきてんにたなびくにじかともうたがひつべし。げんじやうさんざうのわたりたまひけむそうれいのいしばしも、これにはいかでかすぎさうらふべき。おちいらむことけつぢやうなり。もつしてしかもうせむ事うたがひあるべからず。もしはゑんこう、もしは鼠猫なむど、さらではたひらかに渡るべしとはぞんじさうらはねども、たいしやうぐんのおほせをそむかばしんみやうををしむに似たり。しかれば、命をばただいまくらうおんざうしにまひらせ候。かばねをばすみやかにうぢがはのふちせのなみにそそきはべるべし」とて、只一人渡る処に、佐々木太郎さだつな、しぶやのうまのじようしげすけ、くまがえの
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じらうなほざね、おなじくしそくこじらうなほむねら、いじやう五人ぞつづきて渡りける。やごろちかくなりければ、彼の岸のぐんびやうら、弓をあくまでひかむが為にかぶとをばきず。すひやくきのものどもひきとりひきとりはなちける矢かず、天よりとびきたる事なれば、いりえのあしかりがあしをたばねてつくがごとし。身にきたりてあたる事、けんとうそせつのゆふべのしぐれ、玉ちるあられのふるにぞ似たりける。されどもくつきやうのかつちうどもなれば、うらかく矢もなかりけり。くまがえはしげたをわたさむとする時、しそく小次郎、父のおんとも申べしとてつづきけるを、父熊谷、「なんぢは今年十六才也。心はいかにたけくおもふとも、さねはいまだかたまらじ。なほざねだにもたひらかに渡りつかむ事ありがたし。いはむやなんぢはかなふまじきぞ。おほぜいのわたさむ時渡るべし」と云ければ、小次郎、「せんじもんに申たるすもも、からもも、梅なむどにこそ、さねのかたまるかたまらぬとまうすことは候へ。十才いごの人の
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身にさねのかたまらぬ事やは候べき。もしかたまらざらむにつけても、父をはなしまひらせむとはぞんじさうらはず。父こそ常にはふうきとて、『目のまうぞ、膝のふるうぞ』とはおほせさうらへ。これほどのだいが、たかはしのほそげたを渡り給はむ事あやうくおぼえさうらふ。なほいへがまつ先にわたらせ給へ。もし御目まはせ給はむ時はとらへまひらせむ」とぞ申ける。父これをきき、「げにやわれ小次郎、いかなる時やらむ目もまひ膝もふるう事のある。わがみなればさもあるべし」とて、おへる子にをしへられて、くまがえは十六才の小次郎がさきにぞ渡りける。まことのせには子にすぎたるたからこそなかりけれ。しでのやま、さんづのかはをわたるときも、子よりほかにはたれかごせをばたすくべき。親子のなさけたのもしくぞおぼゆる。はしげたすでになからばかり渡りたりける時よりは、五人ながら皆めまひ膝ふるゐて、水はさかさまに流るるやうにぞおぼえける。かなはじとやおもひけむ、おのおの弓をば手にかけてはらばひ、
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かれ「さんざうらふさんざうらふ」と問へば、こたへこたへして、きもをつぶしはててぞ皆渡りたりける。くまがえがしよほつしんのだうしんは、このはしげたよりぞおこり始めたりける。われもしおちば、小次郎さだめてとりとどめむとして、共におちむ事の心うく思ける時、たりきわうじやうらいかういんぜふのあみだによらいをねんじはじめ奉りたりけり。せつしゆふしやのほんぐわん、只今こそげにたのもしくはおぼえはべれ。いふにかひなき小次郎だにこそ、おちむ所をばとりたすけむとて、うしろにはつづきたれ。ましてさんぞんらいかうして、しやうじのくかいに沈まむ所をらいかういんぜふし給はふ事、たのみてもなをたのむべかりけり。ひらやま、ささき、しぶや、くまがえおやこ、「なむあみだぶなむあみだぶ」と申てぞ、西の岸にはわたりつきたりける。かつせんいご、世しづまりてのち、くまがえのじらうはほふねんしやうにんに参て、ねんぶつのほふもんよくちやうもんし、さんじんぐそくのぎやうじやとなりすまして、
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もくれんじのずずをくびにかけて、まいにちせんべんまうしければ、つひにいんぜふしたまひて、くほんれんだいにぞわうじやうのそくわいをとげたりける。さればぼだいしんのおこる事もえんよりおこる事にてぞはべりける。さて五人のものども渡りはつれば、かたてやはげてかたきにむかふ。熊谷次郎扇はらはらとつかひて申けるは、「なんぢらはそもそもきそどののらうじゆうにてはよもあらじ。いつたんのかりむしやどもにてぞ有らむ。しやうある者は皆命ををしむならひなり。せんなきかつせんして、だいじのいのちをうしなはむとするこそふびんなれ。おちばはやおちよかし」とて、ひやうど射たりければ、きそがらうどうにとうだざゑもんかねすけと云者、まつさかさまに射をとされにけり。これをはじめとしておほくのらうどうどもうたれにけり。しかるあひだ、河のおもておもてに目をかけて、すいれんの者をいころさむとする者一人もなし。そのひまにささきが郎等にかしまのよいちと云者、てんがいちのかづきのじやうずなりけるあひだ、よろひぬぎを
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きたふさぎかくままに、腰には鎌をさし、手にはくまでをもつて、河のそこへいりにけり。ややひさしく水のそこにて、らむぐひ、さかもぎひきをとし、おほづなこづなきりおとす。あはれきりやうやとぞみへたりける。九郎おんざうしこれをごらんじて、「やや佐々木殿、わ殿のらうじゆうかしまのよいちはかふのざのいちばんにつくべし。べちのこうあらむずるぞ。そのよしをひろうし給へ。けふよりかいみやうして、よいちとはいふべからず。につぽんいちとよぶべし」とぞのたまひける。かかりけれども、すすみいでて渡さむとする者一人もなし。「いかがすべき。水のおちあしをやまつべき」なむどまうすところに、はたけやまのしやうじじらうしげただ、しやうねんにじふいちになりけるが、くれなゐのひたたれにあかをどしのよろひに、おほなかぐろの矢にぬりごめどうのゆみとりなをして、黒き馬にきぶくりんのくらおきてぞ乗たりける。河のはたにうちのぞみて、はるかの岸をにらまへ申けるは、「鎌倉殿もさだめてうぢせたの橋はひかむずらむと、ごさ
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たありし所ぞかし。しろしめさぬうみかはがにはかにいできたらばこそ、ひかへてひやうぢやうもさうらはめ。みなかみはあふみのみづうみなれば、ひらのたかねの雪げの水、まつともまつともよもつきじ。かうづけのくににだいがふたつあり。きたのやまよりながれたるはとねがはとなづけ、にしのやまより流れたるはあがつまがはとなづけたり。しぶかはと云所よりふたつの河ひとつになりて、しもつけのくにへ流れたり。昔ざいちゆうじやうのむれゐて、『いざこととはむみやこどり』となむよみたりけるすみだがはとまうすは、このかはの事なり。ばんどうたらうとてくわんとうだいいちのだいがなり。されどもさんぬるぢしよう元年三月の比、はるさめいういうとして、山のゆきみづべうべうとありけるに、うぢがはをあしかがのまたたらうとしつなはしやうねん十七才にてせんぢんをわたしたりき。十七才のこくわんだにも渡したりけるぞかし。又太郎とてもおにがみにてはよもあらじ。ぼんぶにてこそ有らめと思て、しげただもだいこうずいの時、たびたびかのすみだがはをわたしたること
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はべりき。いはむやこの河をみるに、かのすみだがはほどはよもあらじ。水の心見わたすに、馬の足たたぬ所ごたんばかりにはよもすぎじ。らむぐゐ、さかもぎはきりおとしぬ。すいしやうすいしやうさはり有べし。くまがえ、ひらやまふせき矢射るめり。今何のおそれか有べき。おくしんさらに有べからず。渡せやとのばら」とて、河のはたへぞうちのぞみたりける。はんざはのろくらうなりきよ、ほんだのじらうちかつねいげのらうどう五百余騎、くつばみをならべてすすみけり。その時二万五千余騎のぐんびやう我もわれもとすすみける中に、かぢはらげんだかげすゑとささきのしらうたかつなとあひたがひにきみあへるものどもにて、我さきに渡さむとうちのぞみける処に、佐々木、「まことや、いけずきをばここにのらむとてこそひかせたりつるに、わすれてむげる事のくちをしさよ」と思て、のりうつりけるまに、げんださんだんばかりすすみてけり。「あなゆゆしの事や。いけずきをたまはりながら、ごぢんはたしたらむ事のめん
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ぼくなさよ。いかがすべき」と思て、「や、梶原殿、うぢがはは上はのろくてそこはやし。底に縄なむども有らむと、馬のはるびのもつてのほかにのびてみへ候ぞ。もしそこつなにもかかり、石にもけつまづかむ時、鞍ふみかへして、かはなかにてふかくし給ふて、人にわらはれたまふな。ひきてみ給へ」とぞ云たりける。梶原誠にさも有らむと思て、さうのあぶみをふみすかして引てみれば、はるかにのびたりけり。梶原よろこびて思ければ、「京都はしらず、関東の武士は人にふかくをせさせ、我はかうわざをせむとこそするに、今の佐々木殿がはうおんこそしやしがたくはおぼゆれ」とて、はるびをとゐてぞしめりける。たづなをゆがみにすてられて、馬はつきあしにこそなりにけれ。佐々木は、こここそよきひまよとはせぬけて、つとさきだちたり。あふみのくにのぢゆうにんにて河の案内はよくしりたり。関東第一のめいば、いけずきには乗たりけり。はたけやまにもかぢはらにもすすむで、まつ先にぞ
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渡したりける。梶原これをみて、「きたなし。わぎみにはだしぬかるまじきものを」とて、さと河へぞうちいれける。これをはじめとして二万五千余騎、我も我もとうちいれたり。うまいかだぞつくりて渡しければ、河の水ながれもやらず、うはてはさらにだいかいとぞへんじける。佐々木四郎せんぢんかけて申けるは、「人をばしらず、たかつながらうじゆうらよくよく心に用意せよ。事もなのめに思てふかくすな。つよき馬をばをもてにたてよ。よはき馬をばしたになせ。かたきはいるとも、かはなかにてたふの矢いむとてふかくすな。いむけの袖を顔にあてて、しころをちとかたむけよ。いたく傾けててつぺんいさすな。わかものども、くらのうしろにのりさがつて、馬のくびをかろくせよ。いちもつなればとて、馬に心ゆるして、常にはむちのかけをして、馬をきびしく驚かせ。遠くは弓をさしちがへ、ちかくはたがへに手を取て、馬にちからを加ふべし。人の馬しづみげならば、そのをを取てひきあげよ。
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大石あらばしたてをめぐれ。うはてにかかつて馬たをすな。底つなあらば馬のくびをくだりにむけよ。らむぐゐあらばさかもぎありとおもふべし。波にはのらむとたづなをすくへ。いたくすくひて引かづくな。渡せや渡せや。つよくのれ。あぶみふむばれ。立あがれ」とて、まじふもんじにさつと打わたしたり。渡しはてければ、えびらのほうだて打たたき、くれなゐの扇ひらきつかひて、「おとにもきくらむ、目にもみよ。佐々木の四郎たかつな、うぢがはのせんぢん渡したりや」とぞなのりける。いけずきは河の深くなるままに、すすみいづる事いちはやし。水はあぶみもいまだぬらさざるに、このしらなみはまりあがりて、むながひしほでてかかりけり。いはむやみどこになりてをよぎけるときは、があふゑんあうにことならず。くらづめまでもしづまざりければ、ふねにさをさすここちして、はかまのくくりもぬらさざりけり。ろくたんばかりさきだちて、むかひの岸に
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さとのぼる。つづくらうじゆう一人もながれざりけり。佐々木はひとりごとに、「あないかめしや」とぞ云たりける。いはぎしの上、高き処に打あがつて、二万五千余騎我も我もとをよがせけるを、「ああおもしろ」とて、扇はらはらとつかひ、はるばるとみくだしてゐたりける。畠山は、先陣やかくると思て、まづいちばんにうちいでたりけるが、二万余騎のぐんびやうにちからを加へ、いしゆをおこさしめむため、「これよりはるかにおほきなるばんどうたらうすみだがはをだにも渡したりしぞかし。いはむやこれほどのをがはをたれのともがらか渡さざるべき」など、人に心をつけむとしける程に、佐々木四郎にぞわたされにける。畠山おなじく渡しけり。二万五千騎のつはものどもにせかれて、したてをわたしけるざふにんは、ももひざにぞ水はたちける。おのづからはづるる水には、なにもたまらずをし流されけり。木曽が手にやまだのじらうがらうどう、くろかはをどしのはらまききて、さんまいかぶとにさうのこ
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てにおほだちはきて、なかぐろのそやおひたるが、おもてにたちてよくひきてはなつや、かはなかにて畠山が馬のひたひにたちにけり。射られて馬よはりてみへければ、あぶみをこしておりたちたり。水はかぶとの星をあらひて通りける。水も早くよろひも重けれど、畠山すこしもたゆまずわたして行く。ここにむさしのくにのぢゆうにん、おほくしのひこじらうすゑつぎといふつはものあり。畠山よりごたんばかりかみてを渡しけるが、馬よはりて、かはなかより馬にはなれて流れけるが、ゆんだけばかりよりしもに、かぶとのはちよりみえたりければ、おほくし、畠山にはかねてより目をかけたりけるが、すいちゆうになりてみうしなひてありけるが、只今みつけていそぎながれよりて、かぶとのはちにぞとりつきたりける。畠山是をもしらずしてわたしけるが、「などやらむ、かぶとのおもきは。水かさのまさるか、わがみのよはるか」と、振りあふぎて見たりければ、かちんのひたたれにあらひがはのよろひきて、黒つばの矢おひたるつはものなり。その時畠山、「かぶとにとりつきたるはいかなる
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者ぞ」。「取あへずおほくしのじらうすゑつぎにて候」。畠山、「いしくもとりつきたり」とのたまひければ、すゑつぎ、「すでにかはじりをこそ見てさうらひつれ」。畠山むかひのはた近く成て、らんぐひにあがりてまうしけるは、「やうれおほくし、今はみつゆんだけばかりぞ有らむ。水のしたにぢやうばかりにはよもすぎじ。これよりむかひへはなげこさむはいかに」。大櫛、「ともかくもおんぱからひにてこそさうらはめ」と申ければ、畠山、大櫛をゆんでのかひなにのせてなげこしたり。大櫛足をかがめて、ゆんづゑをつきてぞ立たりける。大櫛かぶとのををしめ弓とりなをして、きくわいのことばをぞつかひける。「河へうちいるる事は畠山一番也。むかひの岸へつくことは、むさしのくにの住人おほくしのひこじらうすゑつぎまつ先也」とぞなのりける。これを聞てかたきもみかたもいちどうにはとぞわらひける。「ゆみやとるものの心づかひはかふこそ有べけれ」とぞおのおの申しける。むかひの方より三百余騎、矢さきをととのへてひきとりひきとり射させけれども、二万五
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千余騎のおほぜいせめかかりければ、宇治の手破れて都のかたへぞおちゆきける。くらうよしつねはかたきのあとを目につけて、都のかたへぞせめいりける。せたをばいなげのさぶらう、はんがえのしらうがはからひにて、たなかみのぐごをわたしておひおとす。さていまゐのしらうかねひら、さぶらうせんじやうらふせきたたかひけれども、ぶせいなりければ、さんざんにかけちらされて、おなじく京へかへりゆく。さてうぢせたわたしたるにつき、鎌倉へまゐらせたりければ、「宇治河のせんぢんはあふみのくにのぢゆうにんささきのしらうたかつな」とぞつけられたりける。義経はむましだいに京へ入る。木曽はしゆくしよに帰りて、まつどのの姫君を取て置たりける、わかれををしみて、ふりすてがたさにうちいでざりければ、木曽がつかひけるいままゐり、ゑちごのちゆうだいへみつが申けるは、「うんかのごとくおほぜいすでにちかづきたり。いかにかくておはしますぞ」といへどもうつたたず。義仲をともせざりければ、家光、「よのなか今はかうとて、つひにのがるべき
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にあらず」とて、腹かき切てふしにけり。木曽是をみて、「義仲すすめむとて、家光いしうもじがいしたるものかな」とて、やがてうちいでにけり。義仲まづ使者をゐんのごしよへたてまつりて申けるは、「とうごくのきようどすでにせめきたる。いそぎだいごのへんへごかうあるべし」と申たりければ、「さらにこのごしよをばぎよしゆつあるべからず」とおほせつかはされけり。ここに義仲、あかぢのにしきのひたたれにくれなゐのきぬを重ねて、いしうちのやなぐいにむらさきをどしのよろひを着て、ずいひやう六十余騎をそつして、院の御所へはせまゐる。けんをぬきかけ目をいからかして、みぎりのしたにたてり。おんこしを寄す。りんかうあるべきよしを申す。じやうげ色をうしなひ、きせんたましひをけす。くぎやうには、くわさんのゐんのだいなごんかねまさ、みんぶきやうしげのり、しゆりのだいぶちかのぶ、さいしやうのちゆうじやうさだよし、てんじやうびとには、さねのり、なりつね、いへとし、いへなが、しこうしたりけるが、おのおのみなわらうづをちやくして、おんともにさんぜむとて、ていしやうにおりたたれたり。
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人々涙にむせびて、とうざいをうしなひ給へり。えいりよ只をしはかり奉るべし。義仲がらうどう一人はせきたりて申けるは、「かたきすでにさいしようくわうゐん、やなぎはらまでちかづく」と申ければ、さしてまうすむねも無きりんかうの事をなげうてて、もんかにしてきばす。東をさしてはせゆきて、かはらにいづ。ろくでうがはらにして、ねのゐのゆきちか、たてのろくらうちかただ二百余騎にて義仲にゆきあひぬ。ゐんぢゆうのじやうげ手をにぎり、立てぬぐわんもなかりけるしるしにや、そののちいそぎもんもんをさされけり。河原をみれば、とうごくの武士ひまをあらそひてみちみちたり。義仲申けるは、「かつせんけふをかぎりとす。身をもかへりみ命ををしまむ人々は、ここにておつべし。せんぢやうにのぞみてにげはしりて、とうごくのともがらにあざむかれむ事、しやうぜんのはぢなり」と申せば、ゆきちか、ちかただらをはじめとして申けるは、「人うまれてたれかは死をのがれむ。おいて死ぬるはつはものはうらみなり。なかんづく、そのおんをはみてその死をさらざるは、又つはもののほふなり」と云て、しりぞく
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者なし。はたけやまのじらうしげただ五百余騎にてひかへたり。義仲馬のかしらをはちもんじに立てよせて、声をあげてむちを打てかけいれば、重忠がずいひやう中をあけて、いれくみいれちがへ、ゆんでにあひ、めてにあひ戦ふ。義仲うらへとをれば、ふたつがはのさゑもんのじようよりゆきをはじめとして、三十六騎うちとられぬ。かはごえのこたらうしげふさ三百余騎にてひかへたり。義仲馬のかしらをがんかうみださずたてくだしかけいれば、しげふさが兵の外をかこみ、内をつつむで、をりふさげて戦ふ。義仲うらへかけとほれば、たてのろくらうちかただをはじめとして、十六騎はうたれぬ。佐々木四郎高綱二百余騎にてひかへたり。義仲むまの足をいちめんにたてならべて、かたきをゆんでにかけそむけて、まへわにかかり、かぶとをひらめ、馬をはせならべてうらへぬくれば、たかなしのひやうゑただなほをはじめとして、十八騎うちとられぬ。かぢはらへい
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ざうかげとき三百余騎にてひかへたり。義仲馬の足をひとところにたてかさねて、かたきをさきにかけあましてうらへかけとをれば、あはぢのくわんじやむねひろをはじめとして、十五騎うちとられぬ。しぶやのしやうじしげくに二百余騎にてひかへたり。義仲むまの足をたてみだしておもひおもひにかけいる。しげくにがずいひやうをしかこみて、ひまをあらそひつめよせて、をりかけをりかけ戦ふ。義仲うらへとをれば、ねのゐのゆきちかをはじめとして、廿三騎はうちとられぬ。ここにげんくらうよしつねこれを見て、三百余騎馬の足をつめならべかさなり入れば、かたきりやうばうへあひわれけるを、しはうにかけみだりかけたてて、やさきをととのへていとりければ、義仲がいくさたちまちにやぶれて、六条より西をさしてはせゆく。よしなかたちまちにさんくんのしをおどし、ばんゐのぢんをやぶるといへども、よしつねまたひつしようのじゆつをめぐらして、きやうだいのつはものをしりぞく。義仲さうの眉の上を共にはちつけの板にいつけられて、やふたすぢあひ
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かけて、ゐんのごしよへきさんせむとしけるを、せうしやうなりつねかどをとぢてじやうをさしたりければ、ふたたびみたびかどをおしけるを、げんくらうよしつね、かぢはらへいざうかげとき、しぶやのしやうじしげくにいげ十一騎、むちを打てくつばみをならべ、やさきをそろへて射ければ、義仲こらへずしておちにけり。義経は木曽と見てければ、「義仲もらすな、わかたう。木曽にがすな、ものども」とげぢして、院の御所へはせまゐる。義経がらうどうはせつづきて義仲をおひけり。
八 だいぜんのだいぶなりただが、ごしよの東のついがきにのぼりてしはうを見まはしてゐたるに、ろくでうにしのとうゐんより、武士ごしよをさしてはせまゐるよしまうしければ、法皇おほきにさわがせおはします。「義仲が又かへりまゐるにこそ。今度ぞ君も世のうするはてよ」とてきもこころもうせ、「こはいかがせむ」とおそれあへる処に、なりただよくよく
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みたまひて、「義仲がよたうにてはさうらはざりけり。かさじるしかはりて見へ候。只今はせまゐりてさうらふなるは、とうごくのつはものとおぼえさうらふ」と申程に、義経かどのきはちかくうちよりて、馬よりとびおりて、なりただにむかひて申けるは、「かまくらのうひやうゑよりともがしやてい、九郎義経と申者こそ参て候へ。げんざんにいれさせ給へ」と申ければ、なりただあまりのうれしさに、ついがきよりいそぎおりけるが、腰をぞつき損じたりける。いたさはうれしさにまぎれて、はふはふ参てそうもんしければ、ごあんどしてぞおぼしめされける。じやうげおほきによろこびて、いそぎかどをぞひらかれける。九郎義経は、あかぢのにしきのひたたれに、くれなゐすそごのよろひに、くはがたうちたるかぶとをばもたせてきず、いしうちのそやをひ、こがねづくりのたちをぞはいたりける。紙をひろさ一寸ばかりにきりて、弓のとりうちのところに、「なむそう
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べうはちまんだいぼさつ」と書て、ひだりまきにぞまひたりける。これぞ今度のたいしやうぐんのしるしにて有ける。義経をはじめとして六人ぞ有ける。のこる五人のうち、一人は武蔵国住人、ちちぶのばつえふ、はたけやまのしやうじじらうしげただ。しろきからあやのよろひひたたれに、いむけの袖にはこんぢのにしきをいろへたるに、むらさきすそごのよろひに、おほなかぐろのそやのやきゑしたるをおひたりけり。一人はどうこくのぢゆうにんかはごえのたらうしげより。しげめゆひのよろひひたたれに、いむけの袖にあかぢのにしきをいろへたるに、くろいとをどしの鎧に、おほぎりうのそやの、うはやにあまのおもてはぎたるをおひたりけり。一人はさがみのくにのぢゆうにんしぶやのしやうじしげくに。かちんのよろひひたたれの菊とぢしたるに、おほあらめのあらひがはの鎧に、かすりをのそやおひたり。一人は相模国住人かぢはらげんだかげすゑ。てふ
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めゆひのよろひひたたれに、うすくれなゐの鎧きて、つまじろのそやおひたり。一人は近江国住人佐々木四郎高綱。もえぎにほひの鎧直垂に、あかをどしの鎧にこがねづくりのたち、こなかぐろのそやおひたり。しげただよりはじめて次第になのりまうしけり。ろくにんのつはものみなかぶとをばらうどうにもたせて、ひたたれもおもひおもひいろいろにかはりたりけれども、弓は皆ぬりごめどうにてぞ有ける。五人はちゆうもんのと、おんくるまやどりの前にたちならびたり。義経はちゆうもんのおほゆかへうちよせて立たり。くぎやうてんじやうびと、おほゆかにたちいでて目をすまさる。法皇ぎよかんのあまりに、ちゆうもんのれんじよりえいらんありて、「ゆゆしげなるやつばらかな」とぞおほせありける。だいぜんのだいぶなりただおほせをうけたまはりて、いくさの次第をめしとはる。義経申けるは、「義仲むほんのよし、よりともうけたまはりさうらひて、おほきに驚て、しやていがまのくわんじやのりより、ならびによしつねを、
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はじめとして、むねとのさぶらひ三十人をさしのぼせ候。そのせい六万余騎、ふたてにわけてうぢせたりやうばうよりまかりいりさうらふ。のりよりはせたよりまゐりさうらふが、いまだみえずさうらふ。義経はうぢの手をおひおとしていそぎはせまゐりて候。義仲はかはらをのぼりにおちさうらひつるを、らうどうどもあまたおはせさうらひつれば、今はさだめてうちさうらひぬらむ」と、事もなげにぞ申ける。おほせくだされけるは、「義仲がよたうなむどまゐりてらうぜきつかまつる事もこそあれ。義経はかくてごしよのしゆごよくよくつかまつれ」とおほせくだされければ、「かしこまりてうけたまはりさうらふ」とて、もんもんをかためけり。つはものどもはせまゐりて一万騎ばかりになりにけり。ろくでうどののしはうにうちかこみて候けるあひだ、法皇たのもしくぞおぼしめされける。人々もあんどしてけり。そののち三十騎ばかりはせきたりて、ろくでうがはらの東のかはばたにひかへ
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たり。そのなかにむしや二騎すすみけり。一人はしほのやのごらうこれひろ、てしがはらのごんざぶらうありのりなり。しほのや申けるは、「ごぢんのせいをやまつべき」。てしがはら申けるは、「いちぢんやぶれぬれば、ざんたうまつたからず。ただかけよ」とぞ申ける。さるほどに、をつつきおつつきのせい、三万騎のおほぜい、都へ乱れ入りぬ。
九 木曽は、「もしの事あらば、ゐんとりまゐらせてさいこくへごかうなしまゐらせむ」と、りきしや廿余人そろへて置たりけれども、院の御所には九郎義経まゐりこもりて守護しまゐらせければ、とりたてまつるべきやうもなかりけり。義仲、今はかうとおもひきりて、すまんぎのせいの中へをめいてかけいりて戦ひけり。うたれなむとする事どどにおよべりといへども、かけやぶりかけやぶりとほりけり。「かかるべしとだに知たりせば、今井をせたへやらざらまし物を。えうせうちくばの昔より、『もしの事あらば、手をとりくみて
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ひとところにてしなむ』とこそちぎりし物を。ところどころにふさむ事こそくちをしかるべけれ。今井がゆくへを見ばや」とて、河原をのぼりにかくるほどに、おほぜい追てかかれば、ろくでうがはらとさんでうがはらとのあひだにて、とりかへしとりかへし五六度までかけなびかして、つひに三条川原をかけやぶりて、とうごくのかたへぞおちにける。こぞの秋、ほつこくのたいしやうぐんとしてのぼりしには、五万余騎なりしかども、今あはたぐちにうちでのせきやまへかかりしかば、そのせいわづかにしゆうじゆう七騎になりにけり。ましてちゆううの旅の空おもひやられてあはれなり。七騎がうちの一騎はともゑといへるびぢよなり。むらさきがはのけちやうのひたたれに、もえぎのはらまきに、しげどうの弓にうすべうの矢をおひ、しらあしげなる馬の太くたくましきに、ちひさきともゑすりたるかひぐらおきてぞ乗りたりける。木曽はえうせうよりおなじやうにそだちて、うでをしくびひき
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なむど云ちからわざかけくみてしけるに、すこしも劣らざりける。かかりしかば、木曽みぢかくつかはれけり。ここにたれとはしらず、むしや二人おひかかる。ともゑ馬ひかへてまつところに、さうよりつとよる。そのときさうの手をさしいだして、二人がよろひのわたがみを取て、さうの脇にかひはさみてひとしめしめて捨てたりければ、二人ながらかしらをもじけて死にけり。女なれども、くつきやうのかうのもの、つよゆみせいびやう、矢つぎばやの手ききなり。いくさごとに身をはなたずぐせられけり。よはひみそぢばかりなり。わらはべをつかふやうにあさゆふつかへけり。木曽はりゆうげをこえてほつこくへおもむくともきこえけり。又、ながさかにかかりてたんばのくにへ落つるとも云けるが、さはなくて、めのとごの今井がゆくへをたづねむとて、せたのかたへゆきけるが、うちでの浜にてゆきあひぬ。今井は五百余騎のせいにて有けるが、
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せたにて皆かけちらされて、はたをまかせて三十騎にて京へいりけるが、木曽、今井の四郎と見てければ、たがひにいつちやうばかりより、それと目をかけて、こまを早めてよりあひぬ。くつばみをならべて、木曽と今井と手をとりくみてよろこびけり。木曽のたまひけるは、「こぞくりからがたにをおとしてよりこのかた、かたきにうしろをみせず。ひやうゑのすけの思わむ事もあり、都にて九郎とうちじにせむとおもひつるが、汝とひとところにてともかうもなりなむとおもひて、これまできつる也」といへば、今井は涙を流して申けるは、「おほせのごとくかたきにうしろをみすべきには候わず。せたにていかにもなるべきにてさうらひつるが、おんゆくへのおぼつかなさに是まで参てさうらふなり。しゆうじゆうのちぎりくちせずさうらふなり」とて、涙を流してよろこびけり。木曽がはたさしは射殺されてなかりけり。木曽のたまひけるは、「なんぢが旗さしあげてみよ。もし
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せいやつく」と宣ひければ、いまゐたかきところにうちあがりて、今井がはたをさしあげたりければ、せたより落つる者と、京よりおつるものともなく、五百余騎ぞはせまゐる。木曽是をみてよろこびて、「此のせいにてなどかま一度ひいづるほどのいくさせざるべき。あはれ、死ぬともよからむかたきにうちむかひてしなばや」とぞ宣ひける。さるほどに、「ここにいできたるはたがせいやらむ」と宣へば、「あれはかひのいちでうどのの手とこそうけたまわれ」。「せいいかほどあるらむ」ととひたまへば、「六千余騎とこそ承われ」と申ければ、「かたきもよし、せいも多し。いざやかけむ」とて、木曽はあかぢのにしきのひたたれに、うすがねと云からあやをどしの鎧に、しらほしのかぶときて、にじふしさしたるきりふの矢に、ぬりごめどうの弓に、こがねづくりのたちはいて、しらあしげのむまにきぶくりんのくら置て、あつぶさのしりがいかけてぞ乗りたりける。まつ先にあゆませむかひてなのりけるは、「せいわてんわう
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じふだいのばつえふ、ろくでうはんぐわんためよしがまご、たちはきせんじやうよしかたがじなん、きそのくわんじや、今はさまのかみけんいよのかみ、あさひのしやうぐん源の義仲。あれはかひのいちでうのじらうどのとこそきけ。義仲うちとりてよりともに見せてよろこばせよや」とて、をめいて中へかけいりて、十文字にぞたたかひける。一条次郎是を聞て、「なのるかたきをうてや者ども、くめやわかたう」とて、六千余騎が中にとりこめていつときばかりぞたたかひける。木曽さんざんにかけちらして、かたきあまたうちとりていでたれば、そのせい三百余騎にぞなりにける。ともゑが見へざりければ、「うたれにけるにこそ。あなむざんやな」とさたする処に、ともゑいできたり。ちかづくを見れば、やふたつみついのこして、たちうちゆがみ、血うちつきて、うちかづきていできたり。「いかに」と人々とひければ、「かたきあまた打たり。うちじにせむと
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おもひつるが、君のこれにわたらせおはしますよしうけたまはりて、うちやぶりていそぎはせまゐりて候」とぞ申ける。木曽是を聞て、「いしくもしつるものかな」とて、かへすがへすほめられけり。さてせたのかたへゆくほどに、「相模国住人ほんまの五郎」となのりて、おひてかかる。取てかへしてよくひいてひやうど射たり。ほんまが馬のむながひづくしにはぶさまでぞ射こみたる。馬さかさまにまろびけり。ほんまはおちたちてたちを抜く。木曽、「馬がつまづいていそんじぬる。やすからず」とぞのたまひける。せたのかたへ行ほどに、とひのじらうさねひら三百余騎にてゆきあひたり。中にとりこめられてはんときばかりたたかひて、さつとやぶりていでたれば、百余騎にぞ成にける。なをせたのかたへ行ほどに、さはらのじふらうよしつら五百余騎にてゆきあひたり。かけいりてさんざんにたたかひて、さと破ていでたれば、五十余騎に成にけり。そののち、十騎、二十騎、五十
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騎、百騎、ところどころにてゆきあひゆきあひたたかふほどに、あはづのへんになりにければ、しゆうじゆう五騎にぞなりにける。てづかのべつたう、おなじくをひてづかのたらう、いまゐのしらうかねひら、たごのじらういへかぬなり。ともゑはおちやしぬらむ、うたれしぬらむ、ゆくへをしらずなりにけり。なほせたへゆくほどに、手塚の太郎はおちにけり。手塚のべつたうはうたれぬ。たごの次郎いへかぬはかけいでて、「かうづけのくにのぢゆうにんたごのじらういへかぬと云者ぞ。よきかたきぞや。いへかぬうちてくんこうのしやうにあづかれ」と申て、さんざんにかけければ、「かまくらどののおほせらるるいへかぬごさむなれ。『きそよしなかが手に、かうづけのくにのぢゆうにん、たごのじらういへかぬと云者つきたり。あひかまへていけどりにせよ』とおほせられたるぞ。まことにたごのじらういへかぬならば、いくさをとどめ給へ。たすけたてまつらむ」と申けるを、「なんでふさる事のあるべきぞ」と申て、今はかうとたたかひけれども、つひにはいけどられにけり。今
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井としゆうじゆう二騎にぞなりにける。木曽、今井におしならべて、「こぞほつこくのいくさにむかひてくりからがじやうをいでしをりには五万余騎にてありし物を、今は只二騎になれる事のあはれさよ。ましてちゆううの旅の空おもひやられてあはれなり。なむあみだぶつなむあみだぶつ」と申て、勢多のかたへぞあゆませける。「さていかに、例ならず義仲が鎧の重くなるは。いかがせむ」。今井涙を流して、「おほせのごとく誠にあはれにおぼゆる。いまだおんみもつかれてもみえさせ給わず。御馬もいまだよわりさうらはず。なにゆゑにかいまはじめていちりやうのおんきせながをばおもくはおぼしめされさうらふべき。只みかたにせいの候わぬ時に、おくしてばしぞおぼしめされさうらふらむ。かねひら一人をばよのむしやせんぎとおぼしめせ。あのまつばら、ごちやうばかりにはよもすぎさうらはじ。松原へいらせおわしませ。やななつやついのこしてさうらへば、しばらくふせきやつかまつりて、ごじがいなりともこころしづかにせさせまゐらせて、おんともつかまつらむ」とて、
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おほつの東のかはら、あはづの松をさしてぞはせける。おほぜいいまだおひつかず。せたのかたよりあらてのものども卅騎ばかりにていできたり。今井申けるは、「君は松の中へいらせ給へ。かねひらはこのかたきにうちむかひて、しなばしに、しなずは返り参らむ。兼平がゆくへを御覧じはててに、ごじがいせさせ給へ」とぞ申ける。木曽のたまひけるは、「都にてうちじにすべかりつるに、ここまできつるは、汝とひとところにてしなむとおもひてなり。わづかに二騎になりて、ところどころにふさむ事こそくちをしかるべけれ」とて、馬の鼻をならべておなじくかからむとしたまひければ、木曽が馬のくつばみにとりつきて申けるは、「としごろひごろいかなるかうみやうをしつれども、さいごのときにふかくしつれば、長きよのきずにてさうらふぞ。人ののりがへ、いふかひなきやつばらにうちおとされて、『きそどのはそれがしがげにんにうたれたまふ』など、いわれさせ給わむ事こそくちをしけれ。只松の中へとくとくいりたまへ」と
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申ければ、ことわりとやおもひたまひけむ。かのまつの下と申けるは、道より南へさんぢやうばかりいりたる所也。それを守てうしろあはせにはせゆく。ここにさがみのくにのぢゆうにん、いしだのこたらうためひさと云者おひかけたてまつりて、「たいしやうぐんとこそみたてまつりさうらへ。まさなしや。げんじの名をりに返し給へ」と云ければ、木曽いのこしたる矢のひとつあるを取てつがひて、をしもちりて、馬の三つしの上よりひやうどいる。石田が馬のふとばらをのずくなにいたてたりければ、石田まつさかさまにおちにけり。木曽はかうと思てはせゆく。ころは正月廿一日の事なれば、あはづの下のよこなわての、馬のかしらもうづもるるほどのふかたにうすごほりのはりたりけるをはせわたりければ、なじかわたまるべき、馬のむながひづくし、ふとばらまではせいれたり。馬もよはりてはたらかず、ぬしもつかれて身もひかず。さりとも今井はつづくらむと思て、うしろをみかへりたりけるを、相模国住人
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石田小太郎ためひさ、よくひいてひやうどいたりければ、木曽がうちかぶとを矢さきみへてぞいいだしたりける。しばしもたまらず、まかうを馬のかしらにあててうつぶしにふしたりけるを、いしだがらうどう二人馬よりとびおり、たうさぎをかき、ふかたにおりて、木曽がくびをばかきてけり。今井はあゆませいでて、かたきにうちむかひて、「ききけむ物を今はみよ。きそどのにはめのとご、しなののくにのぢゆうにんきそのちゆうざうごんのかみかねとほがしなん、今井四郎なかはらのかねひら、年は三十二。さる者ありとはかまくらどのもしろしめしたるらむぞ。うちとりてげんざんに入れや、ひとども」とて、をめいて中へぞかけいりける。きこゆるだいぢからのかうの物、つよゆみせいびやうなりければ、かたきおくしてさと引てぞのきにける。さるほどにせたのかたよりむしや三十騎ばかりはせきたる。かねひら待うけて、えびらに残るやすぢの矢にて八騎い
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おとして、そののちたちを抜てをめいてかくるに、おもてをあはするかたきぞなかりける。「おしならべてくめや、とのばら。をしひらいていとれや、人々」とかけまはりけれども、只ひそらひて、とほやには雨のふる様に射けれども、よろひよければうらかかず、あきまをいさせねば手もをわず。「木曽うたれぬ」とききて、はせきたり、「わがきみをうちたてまつる人はたれびとぞや。そのなをきかばや」とののしりけれども、名乗る者なかりけり。「いくさしても今はなににかせむ」とて、「につぽんだいいちのかうのものの、しゆうのおんともに自害する。八ケ国のとのばら、みならひたまへ」とて、高き所にうちあがり、たちを抜て、きつさきをくちにくわへて、馬よりさかさまにおちて、つらぬかれてぞ死にける。大刀のきつさき二尺ばかりうしろへぞいでにける。今井自害してのちぞあはづのいくさはとどまりける。
十 ひぐちのじらうかねみつは、じふらうくらんどゆきいへうつべしとて、五百余騎のせいにて
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かはちのくにへくだりたりけるが、じふらうくらんどをば打にがして、かねみつ、をんなどもいけどりにして京へのぼりけるが、よどのおほわたりのへんにて、木曽殿うたれぬときこえければ、いけどりどもみなゆるして、「いのちをしと思わむ人々は、是よりとくとくおちたまへ」といひければ、五百余騎のものどもおもひおもひに落にけり。のこるものわづかに五十騎ばかりぞ有ける。とばのあきやまの程にては二十騎ばかりになりにけり。ここにこだまたうに、しやうのさぶらう、しやうのしらうとて兄弟ありけり。三郎はくらうおんざうしにつき奉りたりけり。四郎はきそどのにありけるが、ひぐちが手につきてのぼるときこえければ、兄の三郎ししやをたてて四郎にいひけるは、「たれをたれとかおもひたてまつるべき。木曽殿うたれたまひぬ。九郎おんざうしへ参り給へかし。さるべくはそのやうをまうしあげさうらわむ」と云つかはしたりければ、四郎申けるは、「兄弟のならひ、今にはじめぬ事にて候へば、よろこびいりてうけたまはりさうらひぬ。ぜん
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あくまゐりさうらふべし」とぞへんたふしたりける。兄三郎、さればこそとあひまちけれども、みへざりけり。かさねてつかひをつかわしたりければ、四郎申けるは、「誠にりやうどのおんつかひしかるべくさうらふ。もつともまゐるべきにてこそ候へども、かつうはごへんのおんためにもめんぼくなき御事なり。ゆみやをとるならひ、ふたごころあるをしてこんじやうの恥とす。きのふまでは木曽殿のごおんをかうぶりて、になき命を奉らむと思て、今またうたれたまひてのち、いくほどなき命をたばわむとて、ほんしゆのおんかたき、くらうおんざうしへ参らむ事、くちをしく候へば、ごぢやうしかるべくさうらへども、えこそまゐりさうらふまじけれ。このおんよろこびにはまつ先かけてうちじにして、名をこうたいにあげ、三郎殿のめんぼくをほどこし奉るべし」と申たりければ、三郎ちからおよばず。「さては四郎さる者なれば、ことばたがへじとて、まつ先にいできなむず。ひとでにはかくまじ。ぜんあくうちとりておんざうしのげんざんに入るべし。ゆみやとるもののしるしこれ」と
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思てまちかけたり。あんのごとくしやうのしらううちわのはたさして、まつ先にすすみていできたり。これをみてしやうのさぶらう、「あわや四郎はいできたるは」とて、とかうのしさいにおよばず、おしならべてくむでおちたり。しばしはからひけるが、兄弟おなじほどのちからにて有けるあひだ、たがひにひつくみてふしたりけるを、三郎はたせいにて有ければ、らうどうあまたおちあひて、四郎をてどりに取てけり。はうぐわんどのにまゐらせたりければ、「しやうのさぶらうしんべうにつかまつりたり。このけんじやうには四郎が命をたすくる也」とのたまひければ、四郎申けるは、「命をたまはりさうらふちゆうには、じこんいごいくさのさうらわむには、まつ先かけて君に命をまゐらすべし」とぞ申たりける。皆人是を感じけり。さるほどにひぐちのじらうかねみつ、つくりみちをのぼりによつづかへむけてあゆませけり。かねみつきやうへ入るときこえければ、くらうよしつねのらうどうども、我も我もとしつでう、しゆしやく、よつづかへはせ
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むかひて合戦す。樋口がをひ、しなのむしやにちのの太郎みつひろ三十騎ばかりにてせんぢんにすすむ。むしやにゆきむかひて、すすみいでて申けるは、「いづれかかひのいちでうどののおんてにてわたらせたまひさうらふらむ。かく申はしなののくにのぢゆうにん、すわのかみのみやのちののたいふみついへがちやくし、ちのの太郎みつひろと申者」と云けるを、ちくぜんのくにのぢゆうにん、はらの十郎たかつなすすみいでて申けるは、「や、殿、必ず一条殿のおんてのかぎりにいくさはするか。たれにてもあれ、むかふかたきとこそいくさはすれ。ちかくよりあひたまへ。たがひの手なみ見たり見へたりせむ」とぞ申ける。千野太郎「さうにおよばず」とて、ゆんでにすらひてにたんばかりよりあひて、じふにそくよくひいてひやうど射る。「たかつな」といふくちをいとほして、はちつけの板にいつけたり。馬にもたまらずおちむとする所を、千野太郎おしならべて、ゆんでのわきにかひはさみて、こしがたなにてくびをかききり
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て、たちのさきにさしつらぬき、「かたきもみかたもこれを見給へ。むかふ者をかふこそならはせ。かたきをきらふにあらねども、いちでうどののおんてをたづぬることは、みつひろがおとと、ちののしちらうが一条殿の御手にあるあひだ、かれが見む前にてうちじにせむとおもふ。そのゆゑは、しなのになんし二人もちたるが、をさなき者にて候也。せいじんして、『わがちちはいくさにこそしにたんなれ。みつひろさいごのとき、よくてやしにつらむ、あしくてやしにけむ』と、おぼつかなく思わむもふびんなれば、こどもにたしかにかたらせむれうに、一条殿の御手をばたづねらるる也」と申て、たちのさきにつらぬきたるくびをばなげすてて、大刀をひたひにあてておほぜいの中にはせいり、さんざんにたたかひて、くつきやうのかたき十三騎きりふせて、つひにじがいしてこそ死にけれ。そのおととのちののしちらうもかけいでて、ひぐちがせいにうちむかひて、かたき二人にておはせてうちじにしてむげり。さるほどに、千野太郎うたれぬと
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ききて、樋口次郎あゆませいだして申けるは、「おとにも聞け、今は目にも見給へ、とのばら。信乃国住人きそのちゆうざうごんのかみかねとほがじなん、木曽のさまのかみどののおんめのと、ひぐちのじらうかねみつ。うちとりてかまくらどののげんざんに入れ」とて、をめいてかくる処に、こだまたううちわの旗ささせて、卅騎ばかりにていできて申けるは、ひぐちはこだまたうの声にて有ければ、「や、との、樋口殿。人のいつかひろき中へいると云は、かかる時のためなり。いくさをとどめ給へ。わどのをばおんざうしに申てたすけうずるぞ」と云て、樋口を中にとりこめて、おほみやをのぼりに具して、はうぐわんのしゆくしよへいる。くらうよしつねに申ければ、「義経がはからひにかなふまじ。ゐんのごしよへ申せ」とて、樋口をあひぐしてそうもんす。「そのごすぎたれば、たいしやうぐんにてもなし、末のやつばらをきるにおよばず。くらうくわんじやにあづけよ」とて、義経にあづけおかる。
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十一 廿二日、しんせつしやうもろいへをとどめたてまつりて、もとのせつしやうもとみちなりかへらせ給へり。わづかに六十日と云にとどめられ給へり。ほどのなさ、見はてぬ夢とぞおぼへたる。あはたのくわんばくみちかねと申は、ないだいじんみちたかのおんこ、しやうりやく元年四月廿七日くわんばくになりたまひて、ごはいがののち只七かにちこそおわしまししか。かかるためしもあるぞかし。これは六十日があひだにぢもくもにかどおこなひたまひしかば、思ひでおわしまさぬにはあらず。一日もせつろくをけがし、ばんきのまつりごとをとりおこなひたまひけむこそやさしけれ。
十二 廿六日、いよのかみよしなかが首をわたさる。法皇御車をろくでうひがしのとうゐんにたててごらんぜらる。九郎義経、六条川原にてけんびゐしの手へ渡す。これをうけとりて、ひがしのとうゐんのおほちをわたして、さのごくもんのあふちの木にかく。くびよつあり。伊予守義仲、郎等には、信乃国住人たかなしのろくらうただなほ、ねのゐしげののゆき
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ちか、いまゐのしらうなかはらのかねひらなり。ひぐちのかねみつはかうにんなりしを、渡してきんごくせらる。これはさせるそのものにても無し、しざいにおこなはるべきにてはなけれども、ほふぢゆうじどのへよせてかつせんしける時、ごしよのしかるべきにようばうをとりたてまつりて、いしやうをはぎ取り、かねみつがしゆくしよに五六日までこめおきたてまつりたりけるゆゑに、かの女房かたえの女房たちをかたらひて、「兼光きらせ給はずは、身をかつらがはよどがはになげ、みやまへいり、ごしよをまかりいでなむ」とくちぐちに申ければ、ちからおよばずとて、おなじき廿七日にごでうにししゆしやくにてひきいだして、ひぐちのじらうかねみつが首をはねられぬ。かのかねみつはかうにんなるによつて、きのふおほちを渡してきんごくせらる。されども義仲がしてんわうのそのいちなり、しざいをなだめられば、虎をやしなふうれひあるべしとて、ことにさたありてきられにけり。つたへきく、こらうのくにおとろへて、しよしやうはちのごとくきほひおこりしに、はいこうまづかんやうきゆうに
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いるといへども、かううがうしろにきたらむことをおそれて、きんぎんしゆぎよくをもかすめず、はきもの、馬、びじんをもをかすことなかりき。ただいたづらにかんこくのせきを守て、項羽がめいにしたがひき。しかうしてのち、はかりことをすいちやうのうちにめぐらして、かつことをせんりのほかにけつす。ぜんぜんにかたきのいくさをほろぼして、つひにてんがをたもつ事を得たり。義仲もまづ都へ入るといへども、それを慎しみて、頼朝がげぢをまたましかば、はいこうがはかりことにはおとらざらまし物をとあはれなり。義仲あくじをこのみててんめいに従わず。あまつさへ法皇をさみし奉りてほんぎやくに及ぶ。せきあくのよあう身につもりて、首を京都に伝ふ。ぜんごふのつたなき事をはかられてむざんなり。いかなる者かしたりけむ、札に書てたてたりけり。
うぢがはを水つけにしてかきわたる木曽のごれうはくらうはうぐわん K187
でんばくのつくりものみなかりくひて木曽のごれうはたへはてにけり K188
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名にたかき木曽のごれうはこぼれにきよしなかなかに犬にくれなむ K189
木曽が世にありし時は、「きそのごれう」といひてしかば、草木もなびきてこそ有しに、いつしかてんがのくちずさみに及べり。はかなき世のならひと云ながら、とがむべき人もなし。ひごろふるまひしふぜんふたう、じごふじとくくわのことわりなれば、とかくまうすにおよばず。
十三 九郎義経しやうらくして、「いそぎくらまへ参て、しのとうくわうばうにげんざんして、きせいをもまうしつけむ」とおもはれけるに、たうじこのみだれうちつづきてひまなし。おもひながらさてすぎられにけり。木曽もうたれぬ、きやうぢゆうにもしづまりてのち、いせのさぶらうよしもり、しぶやのうまのじようしげすけ、左藤三郎、おなじく四郎いげ、らうどう十余騎にてくらまへ参りて、夜に入ればみだうににふだうして、よもすがらむかしまうししほんいとげたるよしをまうされて、ちとまどろみ給たるに、ごほうでんの内よりはちじふいうよのらうそういでたまひて、
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「汝に是をとらせむとて置たるぞ」とて、しろさやまきを給わると見て、打驚てかたはらを見給へば、夢に示し給たるさやまきなり。いよいよたのもしく思てかんるいをながしつつ、しのばうにかへりて、「かくなむ」とまうされけり。とうくわうばうこれを見て、「まことにびしやもんのはなちおぼしめさざりけるにや」とぞまうされける。義経しばらくさうらひて、「心しづかにまうすべきこと候へども、京都もおぼつかなし。又こそ候はめ」とてげかうせられけり。それよりきぶねへまゐられたりけり。しやでん昔にかわりたる事はなけれども、いにしへみし草木どもはるかにおひしげりて、かむさびたるありさま、あはれにおぼえて、しばらくねんじゆせられけるほどに、かんぬしいかがおもひけむ、しらはのかぶらやひとつとりいだして、「いささかむさうのつげさうらふ」とてたてまつれば、義経かしこまりてたまわりていでられにけり。さてこそやしまへわたりたまひし時、おほかぜにふねどもあやうくみへしかば、このやをしらはたのさを
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にぞゆいつけられける。
十四 廿九日、九郎義経いつしかへいけせいばつの為にさいこくへげかう。義経ゐんのごしよろくでうどのへめして、おほせの有けるは、「わがてうにかみよよりつたはりたるみつのおんたからあり。すなはち、しんし、ほうけん、ないしどころ、これなり。あひかまへてあひかまへてことゆゑなく都へかへしいれたてまつれ」とぞおほせられける。義経かしこまりてまかりいでぬ。
(十五)平家ははりまのくににむろやま、びつちゆうのくににみづしま、りやうどのかつせんに打勝て、せんやうだう七かこく、南海だう六かこく、つがふ十三かこくのぢゆうにんらことごとくしたがへ、ぐんびやう十万余騎に及べり。木曽うたれぬときこえければ、平家さぬきやしまをこぎいでつつ、つのくにとはりまとのさかひなる、なにはいちのたにといふところにぞこもりける。さんぬるしやうぐわつより、ここはくつきやうのじやうなりとて、じやうくわくをかまへて、せんぢんはいくたのもり、みなとがは、
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ふくはらの都にぢんをとり、ごぢんはむろ、たかさご、あかしまでつづき、かいしやうにはすせんぞうの舟をうかべて、うらうらしまじまにじゆうまんしたり。いちのたにはくちはせばくておくひろし。南は海、北は山、きしたかくしてびやうぶをたてたるがごとし。馬も人もすこしもかよふべきやうなかりけり。誠にゆゆしきじやうなり。赤旗そのかずしらずたておきたりければ、春風にふかれててんにひるがへり、くわえんのたちあがるがごとし。誠にをびたたし。かたきもおくしぬべくぞ見へける。へいけにとしごろしこうのいが、いせ、きんごくのしにのこりたるともがら、ほつこく、なんかいよりぬけぬけにつきけるともがら、はりまのくににはつだのしらうたかもと、みまさかのくににはえみのにふだう、とよだのごんのかみ、びぜんのくににはなんばのじらうつねとほ、おなじくさぶらうつねふさ、びつちゆうのくににはいしがのにふだう、たけべのたらう、にひみのがうし、びんごのくににはぬかのにふだう、はうきのくににはこがものすけもとやす、むらをのかい
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ろくなりもり、ひののぐんじよしゆき、いづものくににはえんやのたいふ、たくのしちらう、あさやま、きすき、みじろがいつたう、とんだのあふりやうし、よこたびやうゑこれずみ、あきのくににはげんごびやうゑよりふさ、すはうのくににはいはくにのげんだこれみち、のすけのたらうありとも、とんだのすけたかつな、いはみのくににはあんじゆだいふ、よこかはのぐんじ、ながとのくににはぐんとうぐんじすゑひら、ぐんさいたいふよしちか、げんそうにふだうたけみち、ちんぜいのともがらにはきくちのじらうたかなほ、はらだのたいふたねなほ、まつらのたらうしげとし、ぐんじのごんのかみなほひら、さへきのさぶらうこれやす、さかのさぶらうこれよし、さはらのたらうたねます、やまがのひやうどうじひでとほ、いたやびやうゑたねとほ、あはのみんぶしげよしがはからひにて、いよかはののしらうみちのぶがよたうのほかは、たいりやうくみなまゐりにけり。むかしかうううがこうもんにむかふがごとし。なにかはこれをせめおとさむと見へける。
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十六 さるほどにさぬきのくにのざいちやういげのけにんら、平家つのくにへわたりたまひてのち、心を源氏にかよはして、「ついであらば源氏のかたへ参らむ」と思けるが、「けふまで平家にほうこうして只参らむは、源氏にうたれなむず」とて、「平家にやひとついかけたてまつりてそれをおもてにせむ」と思て、十三艘の船に二千余人乗て、びぜんのくにへおしわたりけるが、かどわきのちゆうなごんのりもりふしさんにん、五百余騎にてびぜんのしもつゐのこほりにおわしますと聞て、かしこへおしよせて、うつべきよしをしたくすときこへければ、ゑちぜんのさんゐみちもり、のとのかみのりつねこのことを聞て、「にくきやつばらかな。きのふまでわれらが馬の草かりたるやつばらのふたごころつかまつらむこそきくわいなれ。そのぎならば一人もあますな」とて、かれらがたてごもりたる所へおしよせてたたかふ。かれらはひとめばかりにやひとついむとこそおもひけるに、のとの
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かみおほきにいかりてせめければ、ざいちやうらこらへずして都の方へをもむきけるが、しばらくいきつがむとて、あはぢのくにふくらと云所につきにけり。かのくににかもんのくわんじや、あはぢのくわんじやとて源氏二人あり。これらはろくでうのはんぐわんためよしがまごどもなり。かもんのくわんじやはかもんのよりなかがしそく、あはぢのくわんじやはおなじくしらうざゑもんのじようよりかたが子也。あはぢのくにのぢゆうにんらみなこのりやうにんにつきにけり。さぬきのくにのざいちやうもこの二人をたいしやうとたのみてけり。是を聞てみちもりのりつねあはぢへ渡りて、いちにちいちやたたかひけるほどに、かもんのくわんじやもあはぢのくわんじやもうたれにけり。のとのかみはざいちやういげ百三十二人がくびきりて、けうみやうかきそへて福原へたてまつる。中納言は福原へかへりたまひにけり。みちもりのりつね二人はいよかはののしらうみちのぶせめむとて、ふたてにわかちておしわたる。三位はあはのせうぐんはなぞのといふところにつきたまふ。
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のとのかみはさぬきのやしまのごしよにつきたまひけり。みちのぶこのことを聞て、あきのぬたのたらうも源氏に心ざしあるよし聞てければ、ぬたのたらうとひとつになりてぬたじりへ渡りて、けふびんごのみのしまと云所にとどまる。つぎのひみのしまをいでてぬたのじやうへつきにけり。平家やがておひかかりていちにちいちやたたかひけるほどに、やだねいつくしたりければ、奴田太郎かぶとをぬぎ弓をはづしてかうにんにまゐりにけり。かはののしらうみちのぶは郎等皆うちとられて、わづかにしゆうじゆう七騎にてほそなはてを浜へむけておちけるを、のとのかみのさぶらひにへいはちためかずと云者、とりてはげてよくひきて射たりければ、六騎はいおとしてけり。六騎が内三騎は目の前にて死にけり。のこる三人が内一人はさぬきのくにしちらうためかぬと云者也。命にかへておもふらうどうなりければ、かはの
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肩にひきかけて、小船に乗て伊与国へおちにけり。教経、河野をばうちにがしたりけれども、たいしやうぐんぬたのたらういけどりにして、福原もおぼつかなしとて、福原へかへりたまひにけり。あはぢのくにのぢゆうにんあまのろくらうむねます、これも源氏にこころざしありて都へのぼりけり。のりつね是を聞て、小船十三艘に百五十余人のせて追てかかる。にしのみやのをきにておひつきたり。あまのろくらうかはじりへは入られず、やひとつもいずして、きいのぢをさしておちにけり。きいのくにのぢゆうにんそのべのひやうゑしげもちと云者あり。是も源氏にこころざしありけるが、あはぢのあまのろくらうこそ源氏にこころざしありて京へのぼるなるが、いづみのくにふけい、たがはと云所につきたむなれと聞て、ひとつに成てありけるを、教経きいのぢへおしわたりてさんざんにうちちらして、すゑもの三十六人がくび切てふくはらへたてまつる。又びぜんの
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くにのいまぎのじやうに、かはののしらうみちのぶ、ぶんごのくにのぢゆうにんをかたのさぶらうこれよし、かいだびやうゑむねちか、うすきのじらうこれたから、ひとつに成てこもりたるよしきこえければ、のとのかみ二千余騎のせいにていまぎのじやうへおしよせて、いちにちいちや戦て、じやうないこらへずしてじやうまけにければ、ちんぜいのものども、これよしをはじめとしてぶんごのぢへおちにけり。かはのはれいのことなれば、四国のかたへおちにけり。のとのかみいまぎのじやうせめおとして、福原もおぼつかなしとてかへりたまひにければ、能登守のところどころのかうみやう、おほいとのいげのひとびと感じあひ給へり。能登守まうされけるは、「やがてしこくくこくへもおしわたりて、かれらをせめおとしてまゐらすべくさうらひつれども、京より源氏のせいむかふとうけたまはりて、おぼつかなさに参て候」とまうされけり。あはれたいしやうぐんやとぞみへし。
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(十七) 二月よつかのひ、平家はふくはらにてこだいじやうにふだうのきにちとて、かたのごとくぶつじおこなはれけり。すぎゆくつきひはしらねども、手ををり是をかぞふれば、こぞのことしにめぐりきて、うかりし春にもなりにけり。世の世にてあらましかば、きりふたふば、くぶつせそうのいとなみも、さすがじぼくをおどろかす事にてこそあるべきに、かたのごとくのいとなみあはれなり。ただをとこきんだちさしつどひて悲しみたまひけるこそかなしけれ。すでに都へ帰りいるべきよしきこえければ、のこりとどまるもんかくおちくだりて、せいいとどつきにけり。さんじゆのしんぎをたいして、君かくてわたらせ給へば、これこそ都なれとて、じよゐぢもく、そうもぞくもくわんなされけり。かどわきのちゆうなごんのりもりのきやうをばじやうにゐだいなごんにめしおほせられければ、のりもりはかくぞまうされける。
けふまでもあればあるとやおもふらむゆめのうちにもゆめをみるかな K190
だいげきなかはらのもろ
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なほが子、すはうのすけもろずみはだいげきになりにけり。ひやうぶのせうまさあきらはごゐのくらんどになされて、くらんどのせうとぞ申ける。むかしまさかどがとうはつかこくをうちなびかして、しもつふさのくにさうまのこほりに都をたて、わがみをへいしんわうとしようして、ひやくくわんをなしたりけるが、れきはかせばかりこそなかりけれ。これはそれにはにるべきにあらず。こきやうをこそいでさせ給たれども、ばんじようのくらゐにそなはり給へり。ないしどころましませば、じよゐぢもくおこなはれけるもひがことならず。ごんのすけさんゐのちゆうじやうは、としへだたりひかさなるにしたがひて、こきやうにとどめおきし人々の事のみおぼつかなくこひしくぞおもはれける。あきびとのたよりなどにおのづからふみなむどのかよふにも、きたのかたは、「あひかまへてむかへとりたまへ。をさなきものどももなのめならず恋しがり奉る。つきせぬなげきにながらうべくもなし」なむど、こまごまとかきつづけ給へるを
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みたまふにつけても、「あわれ、むかへとりたてまつりてひとところにてともかくもならば、おもふことあらじ」と、おもひたちたまふことひまなけれども、人の為いとをしければ、おもひしのびて日を送る。さるままにはよざうびやうゑ、いしどうまるなむどを常にあと枕に置き給て、あけてもくれても只このことをのみのたまひて、ふししづみ給へば、さんゐのちゆうじやうのありさまを人々みたまひて、いけのだいなごんのやうに、頼朝に心をかよはしてふたごころありとて、おほいとのもうちとけ給はねば、ゆめゆめさはなきものをとて、いとどあぢきなくぞおぼしめされける。「あいしふぞうぢやういつさいぼんなうのもんをおもふには、ゑどをいとふにいさみなし。えんぶあいしふのきづなこはければ、じやうどをねがふにものうし。しゆくしふかいほつの身なれば、こんじやうにはさいしをおもふ心、かつせんにむかふおもひに身をくるしめて、らいしやうにはしゆらだうにおちむ事うたがひなし。只いちもんにしられずして都へしのびてのぼりて、妻子をも見、まうねんをもはらひて、
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しづかにりんじゆうせむよりほかの事あるべからず」とおもひなられにければ、なにごともおもひいれ給はず、ふししづみたまふぞあはれなる。にゐのそうづぜんしんは、かぢゐのみやのとしごろのごどうじゆくなりければ、かぜのたよりのおんふみつかはされけるに、「旅の空のありさまおもひやるこそ心苦けれ。都もいまだしづまらず」なむど、こまごまとあそばして。
人しれずそなたを忍ぶこころをばかたぶく月にたぐへてぞやる K191
十八 げんりやく元年二月よつかのひ、かぢはらいちのたにへむかひけるに、たみどもかつをじに物を隠すよしをほのききて、つはものおそひせめしかば、おいたるもわかきもにげかくれき。さんえいつぱつをうばうのみにあらず、たちまちに火をはなちにければ、だうじやぶつかくことごとく春のかすみとなり、ぶつざうきやうくわんしかしながら夜の雲とのぼりぬ。かんやうきゆうの煙のへんぺんたりしも、ぶつかくあらねばそのとがなをかろく、ぎをんじのほの
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をのえんえんたりしも、人のくはたてならねばそのつみをもからじ。しかるを今ほろぼす所はぶつかくそうばう六十八宇、きやうろんしやうしよ九千余巻、ぶつざうだうぐしざいざふもつ、すべてさんじゆの及ぶ処にあらず。罪すでにごぎやくざいよりもおもし。たうぐわあに地獄のくるしみをまぬかれむや。やくしさんぞんはをのづからほのををのがれ、せんじゆくわんおんはむなしくけぶりとなり給へり。目もくれ心もきへて、なきかなしむ者多し。されども、ちやうじやうぶつのこんどうのあみだのごしんにをさめたりしこんどうのくわんおんと、灰の中よりもとめ奉る、はくさいこくより送れる三尺五寸のつきがねも、水の如くにとくるに、さんぞんのこり給へるをみて、じそうどもくわんぎの涙をぞながしける。
(十九) おなじきなぬかのひ、法皇ははちでうからすまるのごしよにして、へいじついたうのおんいのりに、ごぢやうのびしや
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もんてんのざうをつくりはじめらる。まづみそぎをあんぢす。にぢやうごしやくなり。みなみをもつてかみとなす。ほふいんゐんそんのだいぶつしたり。ごんのそうじやうぢやうへんかぢす。みそぎにしにむかへり。ほふわうにぶいろのつけごろもをめされて、ぜいかのござにちやくぎよあり。かうらいべりのたたみいちでふをちのうへにしきてござとす。おんほとけつくりはじめてのち、きたにむかひてたてたてまつりて、ほふわうさんどごはいありけり。
(二十) さるほどに源氏ふたてにかまへて福原へよせむとしけるが、「よつかのひはぶつじをさまたげむ事つみふかかるべし。いつかのひ西ふたがる。むゆかのひあくにちなり」とて、「なぬかのひのうのときにとうざいのきどぐちのやあはせ」とさだむ。おほてのたいしやうぐんがまのくわんじやのりよりは、よつかのひ京をたちて、つのくにはりまぢよりいちのたにへむかふ。あひしたがふともがらは、たけたのたらうのぶよし、かがみのたらうとほみつ、おなじくじらうながきよ、いちでうのじらうただより、
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いたがきのさぶらうかねのぶ、たけたびやうゑありよし、いざはのごらうのぶみつ、さぶらひたいしやうぐんには、かぢはらへいざうかげとき、ちやくしげんだかげすゑ、おなじくへいじかげたか、ちばのすけつねたね、おなじくたらうたねとき、おなじくこたらうなりたね、さうまのこじらうもろつね、おなじくごらうたねみち、おなじくろくらうたねより。たけいしのさぶらうたねもり、おほすがのしらうたねのぶ、やまだのたらうしげずみ、やまなのこじらうよしゆき、しぶやのさぶらうしげくに、おなじくうまのじようしげすけ、さぬきのしらうたいふひろつな、むらかみのじらうはんぐわんもとくに、をのでらのたらうみちつな、しやうのたらういへなが、しやうのしらうただいへ、おなじくごらうひろかた、しほやのごらうこれひろ、てしがはらのごんざぶらうありのり、なかむらのこさぶらうときつね、かはらのたらうたかなほ、おなじくじらうもりなほ、ちちぶのむしやしらうゆきつな、くげのじらうしげみつ、こしろのはちらうゆきひら、えびなのたらう、おなじくさぶらう、おなじくしらう、おなじくごらう、ちゆうでうとうじいへなが、あぼのじらうさねみつ、しながはのじらうきよつね、
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そがのたらうすけのぶ、なかむらのたらうらをはじめとしてごまんろくせんよき、むゆかのひとりのこくにつのくにいくたのもりにつきにけり。からめでのたいしやうぐんくらうよしつねは、おなじきひきやうをいでて、みくさのやまをこえて、たんばぢよりむかふ。あひしたがふともがらは、やすだのさぶらうよしさだ、たしろのくわんじやのぶつな、おほうちのたらうこれよし、さいゐんのしくわんちかよし、さはらのじふらうよしつら、さぶらひたいしやうぐんには、はたけやまのしやうじじらうしげただ、おととながののさぶらうしげきよ、いとこいなげのさぶらうしげなり、とひのじらうさねひら、ちやくしやたらうとほひら、やまなのさぶらうよしのり、おなじくしらうしげとも、おなじくごらうゆきしげ、はんざうのろくらうなりきよ、わだのこたらうよしもり、あまののじらうなほつね、かすやのとうだありすゑ、かはごえのたらうしげより、おなじくこたらうしげふさ、ひらやまのむしやどころすゑしげ、ひらさこのたらうためしげ、くまがえのじらうなほざね、しそくこじらうなほいへ、ささきの
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しらうたかつな、をがはのこじらうすけよし、おほかはどのたらうひろゆき、もろをかのひやうゑしげつね、はらのさぶらうきよます、かねこのじふらういへただ、おなじくよいちいへかず、ゐのまたのこへいろくのりつな、わたりやなぎのやごんだきよただ、べつぷのじらうよしゆき、ながゐのたらうよしかぬ、げんぱちひろつな、しひなのこじらうありたね、あうしうのさとうさぶらうつぎのぶ、おなじくしらうただのぶ、いせのさぶらうよしもり、たたらのごらうよしはる、おなじくろくらうみつよし、かたをかのたらうつねはる、つつゐのじらうよしゆき、あしなのたらうきよたか、はすまのたらうただとし、おなじくごらうくになが、をかべのたらうただずみ、おなじくさぶらうただやす、えだのげんざう、くまゐのたらう、むさしばうべんけいなむどをはじめとして一万余騎、たんばぢにかかりて、みくさのやまのやまぐちに、そのひのいぬのときばかりにはせつきたり。九郎義経は、あかぢのにしきのひたたれに、きにかへしたるよろひきて、さびつきげなる馬の、ふとく尾がみあくまでたくましきが、名をばあま
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ぐもといふにぞのりたりける。とうごくだいいちのめいばなり。ふつかぢをひとひにぞうちたりける。みくさのやまはやまなかさんりなり。へいけこれを聞て、みくさやまのにしのやまぐちを、たいしやうぐんはしんざんゐのちゆうじやうすけもり、おなじくせうしやうありもり、びつちゆうのかみもろもり、さぶらひにはへいないびやうゑきよいへ、えみのたらうきよひらをさきとして、しちせんよきにてみくさやまへぞむかひける。ひがしのやまぐちには九郎義経、とひのじらうさねひらを大将軍として、いちまんよきにてひかへたり。九郎義経、とひのじらうにいひけるは、「けふのいくさ、ようちにやすべき、あけてやすべき」といひけるに、とひにはいわせで、いづのくにのぢゆうにんたしろのくわんじやのぶつなすすみいでて申けるは、「これほどの山をおとさむには、ただはかりことをさきとす。ゆきはのはらをうづめども、おいたる馬ぞ道をしる。いちぢんやぶれぬればざんたうまつたからずといへり。へいけはよもこよひはようじんさうらはじ。ようちよくさうらひぬと
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おぼえさうらふ。へいけのせいしちせんよきとうけたまはる。みかたはいちまんよきなり。はるかのりにてさうらふべし。のぶつなまつさきつかまつらむ」と申ければ、とひ、「たしろどのいしうまうさせたまひて候。さねひらもかうこそぞんじさうらへ」とぞ申ける。たしろのくわんじやとまうすは、いづのこくしためつなとまうしけるが、ざいこくのとき、くどうのすけもちみつがむすめをおもひてうみたりける子なり。ためつなはにんはててのぼりけれども、のぶつなはははかたのそぶくどうのすけもちみつにあづけて、いづのくににてそだてられたりけるが、しやうねん十一歳の年、るにんひやうゑのすけのげんざんにいりてみやづかへけり。弓矢取てすぐれたりける上、ゆゆしきかうの者にてぞありける。いしばしのかつせんのとき、いとうのにふだうすけちかほふしをいちらして、みかたをのばしたりしつはものなり。かかりければ兵衛佐、「九郎がふくしやうぐんになりたまへ」とてさしそへられたるむしや也。ぞくしやうをたづぬれば、ごさんでうのゐんのだいさんのわうじすけひとの
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しんわうのごだいのまごなりとぞきこへし。さらばようちにすべしとて、そのよのうしのこくばかりに一万余騎にて、みくさのやまの西のやまぐちかためたる平家の陣へおしよせたり。平家のせんぢんはをのづからせうせうようじんしけれども、ごぢんは「けふいくさあり、あすのいくさにてぞあらむずらむ」とて、「いくさにもねぶたきはだいじの物ぞ。こよひよく寝ていくさせむ」とて、あるいはかぶとをぬいで枕にし、あるいはえびらをとき、鎧の袖をたたみて枕としてふしたりける所へおしよせて、時を作りて、しばしもためず、やがてけちらして通りければ、弓をとるものは矢をとらず、矢をとるものは弓をとらず。あるいはつなげる馬にのり、あるいはさかさまに乗てむちをうつ人もあり。いくさせむとする者は一人もなくて、われさきにとにげまどひければ、一騎もうたれで皆通りぬ。しんざんゐのちゆうじやうは、おひちらされたる事をめんぼくなくおもはれければにや、ふくはらへも返り給はで、
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こまの林よりこぶねにのり、ふくらのわたしをして、あはぢのゆらへつきたまふ。しやていびつちゆうのかみもろもりへいないびやうゑきよむね、あくるいつかのひ、おほいとのに参て、「みくさやまは、さんぬる夜のよなかばかりに、源氏のぐんびやうに、さんざんにおひちらされさうらひぬ。なほ山へ手をむけらるべくやさうらふらむ」とまうされたりければ、おほいとのおほきにおどろきたまひて、とうざいのきどぐちへかさねてせいをつかわさる。さてあきのうまのすけよしやすをおんつかひにて、のとのかみのもとへいひつかはされけるは、「三草山の手、すでにおとされて候なり。いちのくちへはさだよし、いへながをさしつかはされさうらひぬれば、さりともおぼえさうらふ。いくたへはしんぢゆうなごんむかはれさうらひぬれば、それ又心安く候。山の手にはもりとしむかへとて候へば、山はいちだいじの所にてあるよしうけたまはりさうらへば、かさねてせいをさしそへばやとぞんじさうらふが、いづれのとのばらも、『山へはむかはじ』とまうされさうらふ。いかがしさうらふべき。さりとてはごへんむかわせ給へとぞんじさうらふ」とのたまひたりければ、
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のとのかみまうされけるは、「いくさとまうすは、めんめんに、われひとりが大事と思て、どうしんに候こそよくさうらへ。『そのてへはかなわじ。そのひとむかへ。あの手へ向はじ』なむどさうらわむには、いくさにかつことさうらふまじ。ゆくすゑもはかばかしかるべしともおぼえさうらわず。されば人の上のだいじと、おのおのおぼしめさるべきかや。ただしいくたびもこはからむかたへはのりつねをさしつかわされ候へ。命のかよわむかぎりは身をばたばい候まじ」とて、やがてよしやすがみるところにてうつたちて、もののぐひしひしとしてむかはれけり。かひがひしくぞみへられける。ほどなくみくさのやまへはせつきて、ゑつちゆうのせんじもりとしが陣の前にかりやを打てまちかけたり。さるほどにいつかのひもくれにけり。源氏のせい、こやのに陣を取てとほびをたきたり。平家いくたよりみわたせば、ふけゆくままに、はれたる空の星をみるがごとくなり。平家のかたにも「むかひびたけ」とて、いくたのもりにかたのごとくたい
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たりけり。そのよはゑちぜんのさんゐみちもりは、のとのかみのかりやにもののぐぬきおきて、女をむかへてふしたまへり。のとのかみこれを見てまうされけるは、「いかにかやうにうちとけてはわたらせ給ふぞ。このてはかたきこはくて、『のりつねむかへ』とさうらひつれば、むかひて候。誠にこはかるべき所と見へて候。いくさのならひ、弓をもちたれども矢をはげずは遅かるべし。かたきただいまおしよせて候わむ時は、鎧をきば甲をきず、弓を取て矢をとらずこそ候わむずらめ。ましてもののぐぬぎおかれさうらひては、何の用にかあはせ給べき」と、さいさんまうされければ、心ならずわくらばのいもせのならひなれば、まだむつごともつきざるに、よひのまぎれにひきはなれて、女をかへし給ふ。のちにおぼしめしあはせられけるは、それこそ最後のみはてなれ。あはれなりしわかれのほどこそおもひやられてかなしけれ。「いくさはなぬかのひうのときにやあはせあるべし」とさだめらる。「義経がせいの中に、あうしうのさとうさぶらうびやう
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ゑつぎのぶ、おなじくしらうびやうゑただのぶ、えだのげんざう、くまゐのたらう、げんぱちひろつな、いせのさぶらうよしもり、むさしばうべんけい、くまがえのじらうなほざね、しそくこじらうなほいへ、ひらやまのむしやどころすゑしげ、かたをかのはちらうためはる、そのせい七千余騎は義経に付け。のこり三千余騎はとひのじらう、たしろのくわんじやりやうにんたいしやうぐんとして、山の手をやぶりたまへ。わがみはみくさのやまをうちめぐりてひよどりごえへむかふべし」とてあゆませけり。義経まうされけるは、「そもそもこのやまはあくしよにてあむなる者を。馬をとしてあやまちすな。たれかこの山の案内知たる」とおほせられければ、むさしのくにのぢゆうにんかはごえのこたらうしげふさすすみいでて、ゆみとりなをしてまうしけるは、「しげふさこそこの山のあんないは知りて候へ。ごめんをかうぶりせんぢんつかまつるべし」と申ければ、ちちしげより、とりもあへずうちわらひて、「幼少よりしてむさしさがみにきよぢゆうして、あしがらより西はみず。いまはじめて
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さいこくのういくだりにこの山に入て、『あんないしやせむ』とまうさるるこそ、誠ともおぼえね。山にまよはじと思わむ人は、もちゐばこそあらめ」と云ければ、しげふさかさねてまうしけるは、「『しぢんのわかき、わらびはひとてをにぎる。へきぎよくのさむき、あしはきりふくろをだつす』といへり。心すきたるかじんのよしの、たつたにわけいりて、花やもみぢを尋ぬるに、花は峯のこずへおもしろく、もみぢはたにがはの岸のいはねいろふかし。かたきのこもれるうしろとおもひなして、じやうをかまへたる山なれば、さこそ有らめとおもひなして、かうのものこそ案内者よ。さてこそ重房さきをかけむとまうしつれ」と云ければ、人々是を聞て、「ことわりかな、面白し」とこゑごゑに感じてぞあゆませける。かくはいさみにののしりけれども、誠に山の案内知たるつはもの一人もなし。いづれの谷へおちて、いづれの峯へこゆべしともしらざりければ、みくさのやまのようちのとき、いけどりあまたせられたりけるを、きるべき者をばたちまちにきられぬ、くにぐにのかりむしやのけしか
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るやつばらをば、このもとにゆいつけなむどして通りけるに、いけどりの中にたづねききたき事もこそあれとて、一人めしぐせられたりけるを、めしいだしてたづねられければ、申けるは、「この山はひよどりごえとまうして、さがしき山にて候。所々におとし穴をほり、馬をも人をもかよふべくも候はず。すこしもふみはづしたらばおとさむとて、底にひしをうゑて候とぞうけたまはりさうらふ」と申たりければ、「そもそもわぎみは平家のしこうにんが、又国々のかりむしやか」と問われければ、「平家のけにんにても候わず。かりむしやにても候はず。はりまのくにやすだのしやうのげし、たがのくわんろくひさよりと申者にてさうらふが、さんぬるころせんぞさうでんのしよりやうを、ゆゑなく平家のさぶらひゑつちゆうのせんじもりとしと申者にあふりやうせられさうらひて、この二三年の間うつたへまうしさうらへども、そしようたつせずしてまかりすぎさうらふ。所領はとられさうらひぬ。きずなき死し候わむよりは、おなじくは弓矢を取て、いくさにこそしにさうらはめと
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ぞんじさうらひて、このてにつきて候」と申ければ、「さては平家のしこうにんにてはあらざりけり。誠にこの山のあんないしやひさよりにすぎじ」とて、「今はゆるすべし」とて、いましめをゆるされて、先にたててぞおわしける。ころはきさらぎのむゆかの事なれば、よひながらかたぶく月をうちまもり、よもをただして行ほどに、せいざんはこけふかくして、のこんの雪ははじめはなかとあやまたれ、岩まの氷とけざれば、ほそたにがはのせをとたえ、はくうん高くそびへて、おりむとすれば谷深し。しんざんみちたえて、杉の雪まできえやらず、岸のほそみちはるかなり。きぎのこずゑもしげければ、友まよわせる所もあり。只こととふものとては、ゑんざんにさけぶ猿のこゑ、たにのうぐひすこえなければ、まだ冬かと疑わる。まつのねによつて腰をすらねども、ちとせのみどり手にみてり。ばいくわを折てかしらにささねども、きさらぎのゆきのころもにらくげつもたかねにかくれぬ
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れば、山ふかくして道みへず。こころばかりははやれども、夢にみちゆくここちして、馬にまかせてうつほどに、かたきのじやうのうしろなるひよどりごへをのぼりにける。くわんろくひがしをさして申けるは、「あれにみえさうらふところはだいもつのはま、なにはのうら、こやの、うちで、あしやのさとと申は、あのあたりにてさうらふなり。南はあはぢしま、西はあかしのうらのみぎはにつづきて候。火のみえさうらふも、はりまつのくににかこくのさかひ、りやうごくの内には第一の谷にてさうらふあひだ、いちのたにとまうしさうらふなり。さがしくはみえ候へども、こいしまじりのしらすなにて、御馬はよもそんじさうらわじ。いちのだんこそだいじの所にては候へ。いはほたかくそびへふして、馬のあしたつべしともみへ候わず。すこしもふみはづして、まろび入りさうらひなむ馬は、骨をくだかずといふことさうらふまじ。とうざいのきどのうへ、東の岡をばだんのうらとて、かいろはるかに見渡して、てうばうおもしろく候。ばうかいろうをうかべつべし。西の岡をばたかまつのはらとて、
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春のしほかぜ、秋の嵐の音、ことにすさまじき所にて候也。大将軍むねとのさぶらひちかくめして、おのおのやかたをならべつくり、そのほかのつはものはとうざいのきどぐちにふたへにやかたをならべて候也。ゆみやとるみのならひ、はぢがましくさうらふあひだ、むろやまみづしまのいくさにどど命をすてて、かつせんつかまつりて候へども、おもひしりたまわぬがくちをしくさうらへば、けふはじめてはがねあらはし候わむずる」とぞ申ける。九郎義経は、空もみへぬみやまの道をいづくともしらずあゆませつつ、ががたる山をうちいで、まんまんたるかいしやうを見渡して、なぎさなぎさのかがりび、あまのとまやのもしほびかと、おもしろくぞおもはれける。かんにたへたまわず、「ひやうぢやうのぐそくをばわざととらせぬぞよ。是にてかたきまねきてうちものうばひとりてかうみやうせよ。くんこうはとりまうすべし」とて、みなぐれなゐのひいだしたる扇をぞたがのくわんろくにはたびてける。いまだよふかかりければ、しばらくここにてじんばの息をぞやすめける。かかりける所に、年
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五十ばかりなる男、かきのはかまにくくりゆいて、赤かりけるいぬにひきさきにたてて、九郎義経のぢんの前をぞ通りける。えだのげんざうをもつて是を召す。おきなおんまへに参てかしこまる。「なんぢはいかなる者、なにがしといふものなれば、このよなかにか程のみやまを通るぞ」とおんたづねあり。「本はこの山のすそに、あひかはと云里の者にてさうらひしが、この十四年この山にこもり、狩をつかまつる。をののえのわらはと申者にて候」。「さてはなんぢの案内は知て有らむ。平家のひかへておわしますじやうのうへへおとす道あらば、ありのままに申せ」。このをきな申やう、「えうせうのそのかみよりらうたいの今に至るまで、とせいをたすからむが為に、このさんりんにまじはりてかりをつかまつる。至らぬこのもとも無く、くだらぬ谷はなけれども、平家のおわしますじやうの上へおとすみちはなくさうらふ」と申。「さて鹿などのかよふことはなきか」とおんたづねあり。「池の氷うちとけて、せきやう東にま
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わり、のどけき春になりさうらひぬれば、たんばのみやまのしかがはりまの野山へ渡り、もみぢ谷にちりしきて、こずへあらはになりさうらへば、こぐらきこのもとをたづね、はりまの鹿がたんばへかよふときは、この山をこえさうらふ」と申。「さては鹿はかよふごさむなれ。鹿のかよふほどの道、馬のかよわぬ事あるべからず。よきばばにて有けり。さてこの山をひよどりごえといふはいかに」とおんたづねあり。おきな申ていはく、「つたへうけたまはりさうらふは、てんちてんわうつのくにながへの西の宮にすませおわしましし時、あまた小鳥をめされけるに、むこやままんぐわんじの峯にてひよどりをとりたまふ。おんつかひはおほとものきみいへと云ける人也。ひよどりをさげこの坂を越たりけるによつて、ひよどりごえとはなづく。又たうじ見候へば、春のかすみのふかくして、みやまのこぐらき時は、みなみのやまにすまうひよどりの、北の山へ渡りてすをかけ子をうみ、秋の霧はれてこずへあらはに成候へば、をくも
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雪におそれて、北なるひよどりが南へわたる時は、この山をこう。さてひよどりごえとはまうしさうらふ。平家のおわするじやうの上から、じふしごちやうぞさうらふらむ。ごぢやうばかりはおとすといへども、それよりしたへは馬も人も、よもかよひ候わじ。おぼしめしとどまりたまひさうらへ」と申て、かきけつやうにうせにけり。いとどこころぼそくぞおぼされける。大手のせいは宵の程はこやのに陣をとり、しころをならべてゐたりけるが、みくさの手にむかひたるゑちぜんのさんゐ、のとのかみのぢんの火、みなとがはよりうちあがりて、きたのをかに火をたてけるを、大手のつはもの是を見て、「くらうおんざうしすでにちかづきたまへり。うてやうてや」とて、われさきにかけむと、五万余騎てんでにたいまつをささげていそぎける所に火をはなちければ、みぎはにつづきてまんどうゑの如し。いくたのもりまでつづきたり。かいしやう光り渡りて、身の毛いよだちてをびたたし。げんじへいじの陣の火のたたぬ所ぞなかりける。くまがえの
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じらうは、子息小次郎なほいへに申けるは、「このおほぜいに具して山をおとさむにはかうみやうふかくもあるまじ。そのうへあすのいくさはうちこみにてたがさきと云事あるまじ。今度の合戦にいつぱうのさきをかけたりと、ひやうゑのすけどのにきかれたてまつらむとおもふぞ。そのゆゑは、兵衛佐殿しかるべきものをばひとまなる所によびいれて、『今度のいくさにはなんぢひとりをたのむぞ。親にも子にもいふべからず。いくさにをいてはちゆうをつくして頼朝をうらみよ』とぞのたまひける。なほざねにもかくおほせられし事を承て、いつぱうのさきをば心にかく。いざうれ小次郎、にしのかたよりはりまぢへをりて、いちのたにのさきせむ。うのときのやあはせなれば、只今はとらのはじめにてぞ有らむ」とて、うちいでむとしけるが、「あわれひらやまは先を心にかけたるとみるものを。平山は先にやこの山をいでぬらむ」と思て、人をつかはして平山がざいしよを見せける
に、つかひかへりて申けるは、「ひらやまどののおんかたには、只今馬のはみ物して、たひげに候ふも、おんぬしはまいりて
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さうらひげにて、おんもののぐめしさうらふかとおぼえて、おんよろひのくさずりのおとのかすかにきこへ候。おんのりむまとおぼしくて、鞍置てくつばみばかりはづして、とねりひかへて候。もののぐめし候が、平山殿のおんこゑとおぼしくて、『はちまんだいぼさつも御覧ぜよ。けふのいくさのまつ先せむずる物を』とのたまふ」と申ければ、くまがえさればこそとおもひて、小二郎直家、はたさしともに三騎あひぐして、はりまぢのなぎさに心をかけてうちいでむとする所に、むしやこそ五六騎いできたれ。「只今ここにいできたるはなむ者ぞ。名乗り候へ」と云けるこへを聞て、くらうおんざうしのおんこゑと聞て、直実申けるは、「是は直実にて候。君のぎよしゆつとうけたまはりさうらひて、おんともに参り候わむとて候」とぞ申ける。のちに申けるは、「御曹司のおんこゑをそのときききたりしは、百千のほこさきを身にあてられたらむも、是にはすぎじと、おそろしかりし」とぞ申ける。義経は「それがしより先にかくる者や
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ある。又かたきやおそひきたるらむ」と思て、よまはりしけるなり。「いしう参たり」とのたまひて、ひきかへすところに、ともするやうにて、ぬきあしにこそあゆませたれ。「そもなぎさへいづる道の案内をしらぬをばいかがすべき。なましゐにいでば、いでぬ山にまよひてわらはれて、恥がましかるべし」と申ければ、小二郎申けるは、「むさしにて人のまうしさうらひしは、『山に迷はぬ事は安き事にて候なり。やまさはを下にだにまかり候へば、いかさまにも人里へまかる』とこそまうしさうらひしか。そのぢやうに山沢をたづねてくだらせ給へ」と申ければ、「さもありなむ」とて、山沢の有けるをしるべにてくだりけるほどに、おもひのごとくにはりまぢのなぎさにうちいでて、七日のうのこくばかりに、いちのたにの西のきどぐちへよせてみれば、じやうくわくのかまへやう、誠におびたたし。くがには山のふもとまでたいぼくをきりふせて、そのかげにすまんぎのせいなみゐたり。なぎさには山の麓より海のとほあさまでたいせきをたたみて、らんぐひをうつ。たいせん数をしらずたておきたり。そのかげに
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すまんびきの馬共とへはたへにひきたてたり。そのうしろには赤旗数をしらずたちならびて、やぐらの下にもうんかのつはものなみゐたり。海にはすせんぞうのまうけぶねうちたりければ、たやすくやぶるべしともみえざりけり。くまがえのじらうなほざね、かちんのよろひひたたれにこんむらごのよろひにくれなゐのほろかけて、ごんだくりげと云馬にくろぐらおきてぞ乗たりける。おほなかぐろの矢のにじふしさしたるかしらだかにおひなし、ふたところどうの弓のきはめてにぎりぶとにて、つよげなるをぞ持たりける。子息小二郎直実は、をもだかをところどころにすりたるひたたれに、ふしなはめの鎧に、それもくれなゐのほろかけて、つまぐろのやかしらだかにおひなして、しげどうの弓をもつて、かげなる馬にくろぐら置てぞ乗りたりける。はたさしは、あきののすりたるひたたれにあらひがはの鎧にさんまいかぶとをきて、くろつきげなる馬の、名をばしらなみと云いちもつにぞ乗りたりける。この馬は、むつの
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くりはらあねはと云所にしらなみと云まきあり、これよりいできたりける上、尾がみの白かりければ、しらなみとぞつけたりける。くまがえふしにききどぐち近くせめよりて、「むさしのくにのぢゆうにんくまがえのじらうなほざね、ちやくしなほいへしやうねん十六歳。つたへてもきくらむ者を。われと思はむ人々、たてのおもてへかけいでよ」と申て、父子くつばみをならべてはせまはりけれども、いであふものなかりけり。只とほやにさんざんにぞ射ける。熊谷が馬のふとばらを射させてはねおとされて、しころをかたぶけ、ゆんづゑをつき、じやうないをにらまへて、「こぞの冬さがみのくにをたちしより、命をばひやうゑのすけどのに奉り、名をばこうたいにとどむべし。平家のさぶらひどもおちあへやおちあへや」と、だいおんじやうをはなちて勇みけれども、おちあふものなかりけり。「むろやまみづしま二ケ度の合戦にかうみやうしたりと云なる、じらうびやうゑ、あくしつびやうゑ、かづさのごらうびやうゑはなきか。かうみやうもかたきによつてこそすらめ。のとの
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かみどのはおわせぬか。あなむざんのとのばらや。かけいでてくめやくめや」と云けれども、かけいづる者なかりけり。ややひさしくまてどもかたきおちあはず。きどの上のたかやぐらより雨の如くに射ける矢は、かぶとのしころをかたぶけて、鎧の袖をふりあはせふりあはせぞいさせける。くまがえ、子息直家に云けるは、「かたきよすればとてさわぐな。鎧のいむけの袖をかぶとのまかうにあてよ。あきまををしめ。ゆりあはせゆりあはせして常によろひづきせよ。はたらかで立て鎧に裏かかすな」とぞ云ける。さるほどに夜もほのぼのとあけければ、熊谷又申けるは、「平山はくらうおんざうしのおんともにて山をばよもおとさじ。浜の手にこそ心をばかけつれ。あわれ、今はつづくらむ物を」と、ふしいひあひて立たりける処に、いひもはてねば、はまのかたより平山のむしやどころ、はたさしあひぐして二騎いできたり。平山はみつしげめゆひのひたたれに、あかがはをどしのよろひに、さんまいかぶとにうすくれなゐのほろか
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けて、めかすげと云馬にぞ乗りたりける。はたさしはくろいとをどしの鎧にさんまいかぶとをぞきたりける。熊谷平山をみて、「あれは平山殿のおわするか」ととひければ、すゑしげのなのりてきどぐちへせめよりければ、「さればこそ」とぞ申ける。平山申けるは、「すゑしげも今はとうによすべかりつるを、なりだごらうにすかされて、今までわどのにさがりたるぞ。なりだがいひつるは、『さきをかくるといふは、おほぜいをうしろにあててこそかくる事なれ。只一騎かけいりたらば、ひやくにひとついのちいきたりとも、たれをかしようにんにたつべき。ごぢんのせいをまて』と云時に、げにもと思て、しばらくひかへてまつところに、やがて成田さきをのぶるあひだ、『この君はすゑしげをおきだすや。そのぎならば馬の尻にはつくまじき物を。わぎみが馬はよわき物』と云て、ゆんでにすらせてひとむちあててあゆませつれば、にさんたんばかりさがりつるとぞみつる。いまじふしごちやうばかりはさがりつらむ。心は
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たけくおもへども、馬よわくてさきをかくることはかなふまじき物を。くまがえどののむまとすゑしげが馬とはあわれいちもつや」とぞほめたりける。かく云ほどにじやうにはやぐらをふたへにかまへて、上には平家のさぶらひ、下にはらうどう、国々のつはものなみゐ、高き岸にそへてやかたを打てぞ、大将軍はゐられたりける。くちひとつをあけたれば、いづくよりかけいるべしともみへざりけり。そののちじやうの内より、いざよもすがらあつこうしつる熊谷いけどりにせむとて、ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、おなじくあくしつびやうゑかげきよ、ひだのさぶらうざゑもんかげつね、ごとうないびやうゑさだつないげ、くつきやうのはやりをのこのわかものども廿三騎、きどぐちのさかもぎをあけて、くつばみをならべてをめいてかけいでたり。ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、まつさきかけていできたり。このむしやうぞくなれば、こんむらごのひたたれにくろいとをどしのよろひにしらほしの
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かぶとにしらあしげの馬にぞのりたりける。熊谷におしならべてくまむずるやうにはしけれども、熊谷すこしもしりぞかず、父子あひもすかさず立たり
けり。越中次郎兵衛いつたんばかりへだてて、「わぎみにあひて命をばすつまじきぞ。大将軍にこそくまむずれ」と云ければ、「きたなしやきたなしや、くめやくめや」とぞ申ける。越中次郎兵衛がひかへたる、をそしとやおもひけむ、あくしつびやうゑかげきよ、じらうびやうゑをめてになしてかけけるを、「や殿、しちらうびやうゑどの。君のおんだいじ、是に限るまじ。あれほどのふてきがたいにあうて、いのちうしなひてせんなしや、殿」と云ければ、せいせられて悪七兵衛もかけざりけり。廿三騎のものどももくまがえふしもかけざりけり。互にことばだたかひばかりなり。平山をばそのときまではたれともしらず、熊谷が郎等、のりがへかと平家のかたにはおもひて、めかくる者もなかりけり。きどぐちをあけたりけるをよろこびて、「遠き人はおとにもきくらむ、ちかくは目にも
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みよ。武蔵国住人にしたうの中にひらやまのむしやどころすゑしげ、けふのいくさのまつ先也」となのりて、じやうのうちへかけいりぬ。是を見てじやうないのうんかのせいさわぎあへり。たかやぐらより、「その男にくめやくめや。ひきおとせや」とくちぐちにののしりけれども、平山が乗たる馬はくつきやうの馬也、じやうちゆうのものどもの乗たる、船にたていそにたてたる馬なれば、やせつかれて、ひとあてあてたらばたうれぬべければ、ちかづかざりけり。二十三騎のものどもはくまがえをうちすてて、平山がうしろへぞせめてかかりける。平山はたさしをいとられて、そのかたきをば平山うちてけり。そのくび取てとつつけにつく。くまがえふしは廿三騎がうしろにつづいてかけいりぬ。廿三きの者共は平山をもとりこめず、熊谷がうしろにあるをいぶせさに、じやうちゆうへかけいりて、熊谷、平山をとざまになしてぞたたかひける。くまがえがしそく小次郎直家しやうねんP3117十六歳、いくさはけふぞはじめなるとて、たてのきはにせめよせて戦けるが、小ひぢをいさせてひきしりぞく。平山ははたさしいころされたりけれども、きどぐちをひらきたれば、平山は先にかけいりぬ。さてこそ平山いちぢん、熊谷にぢんになされにけれ。熊谷平山一陣二陣のあらそひとはここなりけり。さるほどに西のなぎさよりなりだごらうさんじつきばかりにてはせきたる。それにうちつづき又五六十騎いできたる。熊谷これをみて、「たれびとにておわするぞ」ととひければ、「信乃国むらかみのじらうはんぐわんだいもとくに」となのりて、をめいてかく。是をはじめとして、ちちぶ、あしかが、たけた、よしだ、みうら、かまくら、をざは、よこやま、こだま、ゐのまた、のいよ、やまぐちのたうのものども、われをとらじとかけいりて、げんぺいりやうか、白はた赤はたあひまじりたるこそおもしろけれ。たつたのやまのあきのくれ、たなびく雲にことならず。たがひにみだれあひてをめき叫ぶこゑ、山をひびかし、馬のはせちがふ
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をといかづちのごとし。くみておつるものもあり、おちかさなる者もあり。げんじもへいじもいづれこそひまありともみへざりけれ。熊谷、平山、「馬の足をもやすめ、わがみの息をもつがむ」とてひきしりぞくをりは、ほろをかなぐりをとし、わがみの息をついでければ、又ほろをかけてをめいてかけいる。ここにて平家のぐんびやうのこりすくなくうたれにけり。いちのたにの北のささはらの緑の葉もなく、あけにぞなりにける。くさきも又じんばの肉とぞみへし。源氏のからめで一万余騎なりけるが、七千余騎は九郎義経につきてみくさのやまにむかひぬ、三千余騎ははりまぢのなぎさにそうていちのたにへぞよせたりける。平家はつのくにいくたのもりをいちのきどぐちとして、堀をほり、さかもぎをひき、東には堀に橋をひきわたして、くちひとつあけたり。北の山よりきはまではかいだてをかいて、やまをあけてまちかけたり。はまのてよりは、がまのくわんじや
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のりよりたいしやうぐんとして三千余騎にておしよせたり。おんざうしまうされけるは、「おほぜいをまちつけていくさはせよ。こぜいにて先にすすむでふかくすな」とのたまへば、かぢはらうけたまはりて、「わかたうどもいたくすすむな。『おほぜいまちつけていくさはせよ』とごぢやうなり」と申ければ、かぢはらがしそくへいじかげたか、たづなをひかへてちちかげときに申けるは、
「むかしよりとりつたへたるあづさゆみひかでは人のかへるものかは K192
と申させ給へ」と云て、まつ先にすすみけり。しらはたそのかずをしらずさしあげたり。しらさぎのはをならべたるが如し。我も我もとせんぢんを心ざすつはもの多く有ける中に、武蔵国住人きさいにかはらのたらうたかなほ、おなじくじらうもりなほ兄弟二騎はせきたりて、馬よりとびおりて、いくたのもりのきどぐちへせめよせて、つらぬきをはきて、さかもぎをのぼりこへてじやうちゆうへいりけるを、城中よりびつちゆうのくにの住人、まなべのしらうごらうとて
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おとといありけるが、四郎はいちのたににおかれたり、五郎すけみつはくつきやうの弓のじやうず、せいびやうのてききなりけるを、きどぐちにえらびおかれたりけるが、かはらの太郎がさかもぎのぼりこえけるを見て、さしあらわれてよく引て射たりければ、ゆんでのくさずりのはづれを射させて、ひざすくみて、ゆんづゑにかかりて立たりけるを、おととの河原次郎見て、つとよりて兄を肩にひきかけて返る所を、すけみつ又よくひいてにの矢を射たりけるに、次郎がめてのひざふしをいさせて、兄とひとつまくらたふれにけり。まなべがげにんおちあひて、取ておさへてかはらきやうだい二人がくびを取ていりにけり。かぢはらへいざう是をみて、「くちをしきとのばらかな。つづいていらねばこそかはらきやうだいをばうたせつれ。あたら者を」と云て、五百余騎にておしよせてをめいてかけいりければ、しんぢゆうなごんふし、ほんざんゐのちゆうじやうしげひら、二千余騎にて
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かぢはらを中にとりこめてたたかひけれども、いつときばかり戦けるに、ちともしらけざりけるが、さすがぶせいなりければ、梶原かけたてられてひきしりぞきけるが、らうどうどもに「げんだがみへぬはいかに」と問へば、「げんだどのはおほぜいの中に取こめられてたたかひたまひつれば、うたれてもやおわしますらむ」と申ければ、梶原ききもあへず、「あなこころうや。げんだうたせてかげときひとりもしいきのこりたらば、なにごとかあるべき」と云て、取て返して、「さがみのくにのぢゆうにん、かまくらのごんごらうかけまさがばつえふ、かぢはらへいざうかげとき、いちにんたうぜんの者ぞや。たれかおもてをむくべき」と云て、をめいてかけいりたりければ、なのりにをそれて、城中のものどもさつと引てのきにけり。源太いまだうたれずして、かたき三騎が中にとりこめられて、おほわらはになりて、いわかげにうしろをあててまくらに、今をかぎりに戦う。梶原かけいりて、「かげときここにあり」と云て、げんだをうしろにして、わがみはやおもてにふさがりて、さんざんに射はらひて、
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源太に息つがせて、「いざうれ源太」とて、かけやぶりていでにけり。源太景時がいちのたにのにどのかけとはこれなり。かぢはらげんだかげすゑ、かくる時ははたをささげほろをかけ、ひくときは、いつのほどにまくらむ、はたをまきほろをぬいて、たびたびいれかへいれかへたたかひけり。ぶげいの道にもゆゆしき者なりける中に、やさしき事は、かたをかの桜のいまだあをばなるをひとえだをりて、えびらにさしぐして、かたきの中にてしばし戦て引ければ、桜が風にふかれてさとちりにけり。かたきもみかたも是を感じける所に、城中よりよはひ三十ばかりなる男の、かちんのひたたれにあらひがはの鎧きて、馬にはのらで、弓脇にはさみてすすみいでて申けるは、「ほんざんゐのちゆうじやうどののおんつかひにて候。桜かざさせ給てさうらふに、申せとて候。
こちなくもみゆるものかはさくらがり」
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とまうしはてねば、げんだ馬よりとびおりて、「しばらくおんぺんじまうしさうらわむ」とて、
いけどりとらむためとをもへば K193
とぞ申たりける。くらうよしつねは、いちのたにの上、はちふせ、ありのとと云所へうちあがりて見ければ、いくさはさかりとみえたり。下をみおろせば、あるいはじふぢやうばかりの谷もあり、或は二十ばかりのいはほもあり、人も馬もすこしもかよふべきやうなし。ここにべつぷのこたらうすすみいでて申けるは、「せんどたしろどのごいつけんのごとくに、らうばが道をしるべきにて候。そのゆゑいかにと申候に、いよどの、はちまんどの、おくの十三年の合戦の時、ではのかねざはのじやうにて七騎にうちなされ、すでにごじがいさうらふべかりけるに、するがのくにの住人大相大夫みつたふ、おいたりける馬をはちぶせのたうげからくだす。この馬二十よぢやうの滝をおとして、むかひの尾へつく。その時七騎つづいてかけをくだり、そののちに五万余騎になりて、さだたふらをごついばつのさうらひける
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とこそうけたまはりさうらへ。かかるおんぱからひやあるべく候らむ」と申たりければ、「もつともしかるべし」とてらうばをおんたづねありけるに、むさしばうべんけいあひかまへたることなれば、二疋の馬を奉る。一疋はあしげ、一疋はかげなり。かげはおくのくにの住人をかのはちらうがまゐらせたれば、岡の嶋と申。是は三十一歳になりにける馬なり。いかけぢのくらに、きにかへしたるくつばみをはげたり。〈 これは平家のかさじるしなり。 〉あしげはいしばしのかつせんにうたれし、をかざきのあくしらうよしざねが子に、さなだの与一よしさだが乗たる馬也。よに入ていさめば、ゆふがほとなづく。是は二十八歳也。しろくら置てかがみぐつわをはげたり。〈 これは源氏のかさじるしなり。 〉二疋をげんぺいりやうかのかさじるしとてひよどりごえよりおとす。この馬岩をつたひておとしけるに、坂の中にをしかのみつふしたりけるが、馬に驚てさきに落してゆく。馬も鹿も共に落して行。やはんに上の山より岩をくづして
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て[* 「て」衍字]落しけり。平家、「すわやかたきよするは」とて、おのおの馬にのり、かぶとのををしめて、矢はずを取てあひまつところに、かたきにはあらで、おほじかみつ、へいだいなごんのやかたの前へおちたり。平家の人々申けるは、「里に有らむ鹿も人にをはれてやまふかくこそいるべきに、この鹿のこれへおちたるこそあやしけれ。かたきのいくさのにふす時は、とぶとりつらをみだすと云事のあるものを。あわれうへの山よりかたきよするにこそ」とて、あわてさわぎける処に、いよのくにのぢゆうにんたけちのむしやどころきよあきらと云者、ふたつをば射て取てけり。今ひとつをば逃してけり。この鹿海をさしておとしけるを、にようばうたちのめしたるふなばたをたたいてければ、もとの山へかへる。まれいの三郎とどめてけり。「心ならぬかりしたり」とてわらふ所に、つづきて馬二疋ぞおちにける。かげはなにとかしたりけむ、死て落たり。あしげはしりあしをしき、前足をのべて、岩につたひておとしけるほどに、ことゆゑなくじやうのうちへおちたちて、みかたにむかひて、たから
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かにふたこゑみこゑぞいななきける。源氏のつはものそのとき色なをりて、人々われさきにおとさむとする処に、みうらのいちもんにさはらのじふらうよしつらすすみいでて申けるは、「人ものらぬ馬だにもおとし候。よしつらおとしてげんざんに入らむ」とて、をどしまぜの鎧に、くりげの馬に乗て、はたひとながれさしあげて、まつさかさまにおとす。ごぢやうばかりぞおとしたりける。底をみたればなほごぢやうばかりぞ有ける。みかたへむかひて申けるは、「是より下へはいかにおもふともかなふまじ。おもひとどまりたまへ」と申す。「みくさより是まではるばるとくだりたれば、うちあがらむとすともかなうまじ。下へおとしてもしなむず。とてもしなばかたきのぢんの前にてこそしなめ」とて、たづなをくれ、まつさかさまにおとされけり。はたけやままうされけるは、「われがちちぶにて、鳥をもいちは、きつねをもひとつたてたる時は、かほどのがんぜきをばばばとこそおもひさうらへ。必ず馬にまかすべきにあらず」とて、馬のさうの前足をみしと取てひきたてて、鎧の上にかきおひて、かちにてまつさきにことゆゑなくこそ落されけり。是につづきてさはらの
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じふらうよしつら、「まことに三浦にてあさゆふかりするに、是よりけはしき所をもおとせばこそおとすらめ。いざやわかたう」とて、いちもんひきぐして、わだの小太郎よしもり、おなじく次郎よしもち、おなじく三郎むねざね、おなじく四郎よしたね、あしなのたらうきよたか、たたらのごらうよしはる、らうどうにはもののべのきつろく、あま太郎、みうらのとうへい、さののへいだ、これらをはじめとして、よしつねのぜんごさうにたちならびて、たづなかひくりあぶみふみはり目をふさぎて、馬にまかせておとしければ、義経、「よかめるは。落せや、わかたう」とて、先に落しければ、おちとどこほりたる七千余騎も我をとらじと皆をとす。畠山はあかをどしの鎧にうすべをの矢をいて、くろむまのみかづきとつけたりけり。一騎もそんぜずじやうのかりやのまへにぞおちつきたる。おとしはつればしらはたみそながれさとささせて、平家のすまんぎの中へみだれいりて、時をどつとつくりたりければ、わがかたもみなかたきにみへければ、きもこころも身にそはず、あわてまどふことなのめならず。馬よりひきおとし射落さねどもおちふためき、上になり
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下になりしけるほどに、じやうのうしろのかりやに火をかけたりければ、西の風はげしく吹て、みやうくわじやうの上へふきおほひける上は、煙にむせびて目もみへず。とるものも取あへず、只海へのみぞはせいりける。助け船あまた有けれども、船につくはすくなく、海に沈むはおほかりけり。ところどころにてかうみやうせられたりしのとのかみ、いかが思われけむ、へいざうむしやがうすぐもと云馬に乗てすまの関へおちたまひて、それより船にてあはぢのいはやへぞ落給にける。
廿一 ゑつちゆうのせんじもりとしは、とてものがるべき道ならねばとて、ひとひきも引かで残りとどまりてたたかひけり。もりとし、ゐのまたのこんぺいろくのりつなとよりあひてくみて、馬よりおちにけり。もりとしはきこえたるだいぢからのかうのものなりけり。人には三十人が力持たりとはきこへたりけれども、ないないは七十人してをろしける、おほぶねを、一人してやすやすとあげつをろしつしけり。こんぺいろくも鹿のつののひとつのくさかりをもぎなむどする者にてありければ、ふつうにはつよかりけれども、したにおしつめら
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れて、もりとしが片わきにはさみてすこしもはたらかさず。よろひむしやのおほをとこの、しかもだいぢからなるが、取てをさへたりければ、刀をぬくにもおよばず、すでにくびをかかむとしけるに、かうのもののしるしにはへいろくが申けるは、「や殿、わどのはたそ。かたきをうつほふには、けうみやうたしかになのらせてうちたればこそくんこうにもあづかれ。名乗らぬくびをばいくら取たりとも、物の用にたつまじき物を。わがなのりつるをばききたまひつるか」ととひければ、「よくもしらず」とこたふ。「さらば名乗てきかせ奉らむ」と云。「我は武蔵国住人ゐのまたのこんぺいろくのりつなとて、めいよの者にて、ひやうゑのすけどのまでも知り給たるぞ。わどののいくさはおちいくさになれば、平家のうちかちたまわむ事ありがたし。さればのりつなを打ていかがはし給べき。しゆうの世におわせばこそけんじやうのくんこうにもあづからめ。とのばらはおちうとぞ。のりつなを命をいけたまひたらば、兵衛佐殿にまうし、わどののしたしきひとどものあらむかぎりは、何十人もあれ、助け申さむずるはいかに。わどのは
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たれと云人ぞ」。「これは平家のさぶらひ、ゑつちゆうのせんじもりとしとて、昔は平家のいちもんにてありしが、ちかごろよりさぶらひになりたる也」。「さてはわどのはきこゆる人ごさむなれ」と云ければ、「さぞかし。盛俊はこどもあまたあり。によしなんしの間ににじふよにんさうらふ。さらばたすけたまへよ。いちじやうか」といへば、「子細に及ばず。いかでか我をたすけたらむ人をばたすけまうさざるべき。八幡大菩薩のばつ当り候わむ。いかでかそらごとまうすべき」と云ければ、うれしさのあまりに、「さらばたすけむ」とて、くびをかくにおよばず、抜たる刀をさして、をきなをりて、前はふかた、うしろは水たまりたりける中に塚の有けるに、盛俊は鎧のたかひぼときて、二人のものどもしりうちかけて、いきつぎゐたり。さるほどにゐのまたたうにひとみのしらうといふもの、くろいとをどしの鎧にかはらげなる馬に乗て、浜のかたよりいできたる。盛俊、近平六には目もかけで、ひとみの四郎に目かけて、「ここにきたるむしやはなにものぞ」と云て、あやしげにおもひたり。近平六すこしもさわがず、
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「あれはのりつながははかたのいとこ、ひとみの四郎と云者也。おぼつかなくおもひたまふべからず」と云けれども、なほひとみの四郎に目をかけて、ゐのまたにはうちとけてうしろをさしまかせてゐたり。のりつな、「人見四郎をまちつけてうちたらば、『二人してこそうちたれ』といわむず」とおもひて、人見四郎がちかづかぬさきに、のりつなが足をつよくふみて、もろてをもつて盛俊をうしろより前へつよくつきたりければ、盛俊まつさかさまにふかたの水の底に肩までつきひてたり。足は上にあり、をきむをきむとしけるを、のりつなひたのりにのりかかりて、取ておさへてをこしもたてで、こしがたなをぬきて、つかもこぶしも通れとつよくさして、やがてくびをかひ切て、たちのさきにさしつらぬきて高くさして、「きこゆる平家のさぶらひ、ゑつちゆうのせんじもりとしがくびぞや。まさしくのりつなうちたり。のちのしようにんにたちたまへや、とのばら」とぞ申ける。かのかたなは、さつまのくに世代の住人、なみのへいごが打たりける、ふたしとろと云刀に、つかには桑に竹をあはせたりける
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刀とぞきこへし。かかる処に人見の四郎はせきたりて、このくびをばいとりて、けんじやうに行わればやと思ければ、このくびをばいけり。のりつなは一人なり、人見はたせいなり。ちからなくばわれければ、片耳をかききりて取てけり。くびのじつけんの所にて、人見四郎、「もりとしがくび」とてさしいだしたりければ、のりつなすすみいでて、「あの頸は則綱が取て候」と申。「人見はがんぜんに頸を持たり。のりつな取たりとまうすことふしんなり。しさいいかに」とおんたづねあり。則綱申けるは、「あの頸には左の耳よも候わじ。そのゆゑは、則綱が取てさうらひしを、人見たせいにてばいとりさうらひしあひだ、則綱は一人にて候、ちからなくとられさうらひし間、左の耳を取てもちて候」と申て、耳をさしいだしてけり。まことに頸には左耳なかりけり。則綱がさしあはせてみれば、おなじみみにて有けり。「さて則綱取てけり」とて、則綱が頸にぞさだまりける。またゐのまたたうにふぢたのこさぶらうたいふふかいりしてたたかひけるが、
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姉が子にて武蔵国住人、えどのしらうと云十七になるわかもの、藤田をかたきと思て、よくひきてとほやに射たりければ、ははかたのをぢがふりあふげて物見むとするくびの骨をぞ射たりける。射られて馬よりかたぶきける所を、あはのみんぶだいふしげよしがをひに、さくらばのげきのたいふよしとほがらうどう、おちあひてうちてけり。かやうにおもひおもひに戦けるほどに、源氏にむらかみのはんぐわんだいもとくに、平家のかりやに火をかけたりければ、西風はげしくて、くろけぶり東へふきおほひて、東のおほて、いくたのもりかためたるぐんびやう、是を見て、今はいかにもかなふまじきとて、船にのらむとてみぎはにむけておちけれども、あまりに多くこみ乗たりければ、目の前におほぶねにそうにへいりたり。「さてしかるべき人々をばのせ申べし。つぎつぎの人をばのすべからず」とて、船によりつく者をばたちなぎなたにてなぎければ、てうちきらるる者もあり、ひざうちながるる者もあり。かくはせられけれども、かたきにあひてしなむとはせざりけり。
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いかにもして船にのらむとぞしける。みかたうちにぞおほふうたれにける。せんていをはじめまゐらせて、にようゐん、きたのまんどころ、にゐどのいげのにようばうたち、おほいとの、おんこうゑもんかみ、しかるべき人々はかねておんふねにめして、海にうかび給にけり。
廿二 いちのたにのみぎわに西へさしてむしやいつきおちゆきけり。よはひしじふばかりなる人のひげくろなり。くろかはをどしのよろひきて、いのこしたりとおぼしくて、えびらにおほなかぐろの矢よついつつのこりたり。しらあしげなる馬にゑんがんしげく打たるくらおきて、小ぶさのしりがいかけてぞ乗たりける。あしやをさしてしもにおちけるを、武蔵国住人、をかべのろくやたただずみと云者はせつづきて、「ここに只一騎おちゆくはたれびとぞ。かたきか、みかたか。なのりたまへ」と云かけければ、「みかたぞ」とこたへたり。ただずみはせならべて、さしうつぶひてうちかぶとをみければ、うすがねつけたり。「源氏のたいしやうぐんにはかねつけたる人はおわせぬ者を。きた
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なくもかたきにうしろをばみせたまふものかな」と云ければ、そのときただのり、「みかたと云はばいはせよかし」とて、ろくやたにおしならべてくみて、馬二疋があひだに落にけり。忠度おちさまにみかたなまでさしたりけり。いちの刀には手がゐをつき、にの刀にはくけゐをつき、三の刀にはかぶとの内へつきいれたりければ、ほうをつきつらぬゐて、六矢田がうしろへかたなさんずんばかりぞいでたりける。六矢田がらうどうおちあひて、うちがたなをもつてただのりのゆんでの小がひなをかけずきりをとす。されども忠度すこしもひるまず、めてのかひなにて六矢田をのせて、みいろばかりなげられたり。ただずみをきあがりて、忠度にくむ。うへにのりゐて取ておさへて、「たれびとぞ。なのりたまふべし」と、「おのれにあひていちども名乗るまじきぞ。おのれが見知らぬこそ人ならね。さりながらもよきかたきぞ。さだめてけんじやうにあづからむずらむぞ」と云ければ、六矢田が郎等おちかさなりて、忠度の鎧のくさずりをひきあげて是をさす。忠澄刀をぬきてさすかとみへければ、
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くびはまへにぞおちにける。忠澄くびをたちのさきにさしつらぬきて、「『名乗れ』といへども名乗らず。これはたがくびぞ」といひて、人にみすれば、「あれこそだいじやうにふだうのばつてい、さつまのかみただのりといひしかじんのおんくびよ」と云けるにこそ、はじめてさともしりたりけれ。忠澄、兵衛佐殿にげんざんにいりて、くんこうに薩摩守のとしごろちぎやうのところ五ケ所ありけるを、忠澄にたまはりてけり。きつうまのじようきんなががおとときつご、びぜんのしらう、せのをのよざう三騎つれて、赤じるしかなぐりすてて、西をさしておちゆく。さぬきのさぶらう、おほたのしらう、なわの太郎おひかかりて、われおとらじとめんめんにひきくみて、馬よりどうどおちて、上になり下になる。おほたのしらうがらうどう、左前と云者おひつきて、せのをのよざうをばうちてけり、左前三郎が郎等十七騎つれてびぜんのしらうをばうちけり。なわの太郎はきつごに組て有けるを、大田四郎ひきかへして、なわをうへになして、きつごをば
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ささせてのちにくびをきるに、水もさわらず切れにけり。このあひだにやまがのひやうどうざうがおちけるを、とひのじらうが郎等つづいておひてかかる。ひやうどうざうとりてかへして、かたき二騎うちとりて、五騎にておはせてうちじにする。かの郎等五騎をばおほかはのこたらうひろゆき、たねの太郎ふたりしていおとして、くびをとる。むさしばうべんけいもかたき七騎打取て、名をこうたいにとどめけり。
廿三 ほんざんゐのちゆうじやうしげひらはいくたのもりのたいしやうぐんにておわしけるが、くにぐにのかりむしやなりけれども、そのせい三千余騎ばかりもや有けむ、じやうちゆうおちにければ、みなかけへだてられてしはうへおちうせぬ。少し恥をもしり、名をもをしむほどの者は皆うたれにけり。はしりつきのやつばらはあるいは海へいり、あるいは山にこもる。それもいきたるはすくなし、しぬるはおほくぞありける。中将そのひはかちんのひたたれに、しらいとにてむらちどりをぬいたるに、紫すそごの鎧に、どうじかげとて、兄のおほいとのより得たりける馬にのられたり。花やかにいうにぞみえられける。中将
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もしの事あらばのりがへにせむとて、としごろひさうしてもたれたりける、よめなしつきげと云馬に、ひとところにてしなむとちぎりふかかりける、ごとうびやうゑのじようもりながと云さぶらひを乗せて、身を放たず近くうたせたり。みかたにはをしへだてられぬ、たすけぶねもこぎいでにければ、西をさしてぞあゆませける。きやうのしまをうちすぎてみなとがはをうちわたり、かるもがは、こまのはやしをゆんでに見なし、蓮の池をばめてになして、いたやど、すまのせきをうちすぎて、あかしのうらをなぎさにつきておちられたり。げんじのぐんびやうのりがへ二騎あひぐして、中将に目をかけておひかけたり。中将の乗給へるどうじかげははやばしりのいちもつなりければ、但はせのびられけるあひだ、かげとき今はかなはじとやおもひけむ、もしやおひさまにとほやにいかけたりければ、どうじかげがさうづの上にたちにけり。馬にはやたちてのちは、むちあぶみをあはせたまへどもはたらかず。もりながこれを見ておもひけるは、「わがみおもくて鎧はきたり。うしろにかたき
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せめきたる。このむまめされなばかなふまじ。かひなき命こそたいせつなれ」とおもひて、鎧のいむけの袖なる赤じるしかなぐりすてて、むちをあげてひらむで逃ぐ。中将是を見給て、「あな心うや。いかにもりながよ、としごろはさやはちぎりし。我をばすてていづくへおつるぞや。其馬まゐらせよや其馬まゐらせよや」とこゑをあげてのたまへども、ひとめも見返らず。「よしなしよしなし」と云て、いよいよむちをあげておちにけり。中将力およばずして、海へうちいられたりけれども、馬弱りてはたらかねば、馬よりとびおりてみづぎはにをり立て、刀を抜き鎧のひきあはせをしきり、たかひぼはづし、こぐそくちぎりすてて、鎧をぬぎすてられけるは、自害をせむとにや、海へ入らむずるにやと、おもひわづらわれたるていにてたたれたり。かたきうしろにせめかかりければ自害すべきひまもなし。そこしもとほあさなりければ海へもとびいりたまわず。さるほどにかげときはせつづきて馬よりとびおりて、のりがへにもたせたるこなぎなたを取て、じふもんじに持てかしこまりて
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申けるは、「かげときこそ、君のわたらせ給とみまゐらせて、おんむかへに参て候へ。おんのりがへのにげさうらひつるこそむげにみぐるしくおぼえさうらへ。いかにあれていにさうらふさぶらひをばめしつかはせたまひけるやらむ」とまうしもはてず、「とくとく御馬にめされさうらへ」とて、わがのりたる馬にとりておしのせたてまつりて、縄にてくらのまへわにしめつけて、わがみはのりがへにのりて、先にたちてぞまかりける。さばかりのたいしやうぐんのいけどられにけるこそくちをしかりける。しげひら、のちにのたまひけるは、「そのときかげときにことばをかけられたりしは、たとへば三百のほこをもつていちじに胸をさされけむも、是にはまさらじとおぼえたりし」とぞのたまひける。もりながはいきながきいちもつに乗たりければ、はせのびていのちばかりはいきにけり。のちにはくまのぼふしにをなかのほつけうと申ける僧の、ごけのあまがうしろみしてぞ有ける。かのあまそしよう有て、ごしらかはのほふわうのてんそうし給ける人のもとへ参りたりけるに、もりながともしたりけり。人是を見て申けるは、「さんゐのちゆうじやうのさばかりいとほしくしたまひ
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しに、ひとところにていかにもならで、さしものめいじんにてありし者の、おもひかけぬにこうのしりさきに立て、はれふるまひするこそむざんなれ」と申て、つまはじきをして目をつけて見ければ、もりながさすが物はゆげにおもひてかくれけるぞ、あまりににくかりける。
廿四 しんぢゆうなごんとももりのきやうはむさしのくにのこくしにておわしければ、こだまたうみしりたりけるにや、むしや一騎はせきたり、「たいしやうぐんにまうしさうらふ。おんうしろをごらんさうらへ。今はなにをおんたたかひさうらふやらむ」と申たりければ、中納言うしろをかへりみたまへば、くろけぶりふきおほひたり。「おほてはすでにやぶれにけり」とのたまひもあへず、我先にと浜へむけてはせたまふ。ふねどもは皆をきへむけてこぎいでにけり。あきれてぞおわしける。うちわの旗ささせたりけるはこだまたうにや有けむ、三騎をめいてかかるを、しんぢゆうなごんのさぶらひにけんもつたらうよりかたとて、くつきやうの弓のじやうずにて有けるが、よくひいて射たり。あやまたずはたさしまつさかさまにいおとしてけり。のこる二騎すこ
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しもしらまず、をめいてかかりけるを、中納言のおんこむさしのかみともあきら、中にへだたりてくみておちにけり。とりてをさへて首をかき給けるを、かたきがわらはおちあひてむさしのかみをばさしてけり。けんもつたらうおちかさなりて、わらはがくびをば取てけり。よりかたもひざのふしをいさせて、腹かききりてうせにけり。このあひだに中納言はのびたまひぬ。ゐのうへとてくつきやうの馬にのりたまひたりければ、かいしやう二十余町ををよぎて船につきたまひにけり。船もところなくてむまたつべくもなかりければ、中納言せがひにのりうつりて、馬のくびをいそへひきむけてひとむちあて給たりければ、馬をよぎかへるを見て、「かたきの物になしなむず。射殺し給へ」とあはのみんぶしげよし申ければ、「かたきの物になるともわがいのちをいけられたる馬をばいかでかいころすべき」とぞのたまひける。馬なぎさにをよぎあがりて、しをしをとして、ちくしやうなれどもとしごろのよしみ忘れがたくや思けむ、船の方を見送て三度までいななき、足をかきけるこそ
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むざむなれ。くらうよしつねこのむまを取てゐんへまゐらせられたりければ、名高き馬なりとて、いちのみむまやにたてられたりけり。黒馬の太くたくましきにてぞありける。中納言むさしのこくむのとき、かはごえと云所よりしなののゐのうえへのこじらうと云者がたてまつりたりければ、名をばかはごえのくろともつけられたり。又ゐのうへとも申けり。中納言この馬をあまりにひさうし給て、馬のいのりにこはかせとおんやうじとに、月に一度たいさんぶくんをまつらせられけり。「そのゆゑにや、今度のいくさにこの馬にたすけられて御命ものびたまひ、馬の命もいきたりける」とぞ人申ける。
廿五 あかぢのにしきのよろひひたたれに、あかをどしの鎧にしらほしのかぶときて、しげどうの弓にきりふのやおひて、こがねづくりのたちはいて、さびつきげの馬にきぶくりんの鞍置て、あつぶさのしりがいかけて乗たりけるむしや一人、中納言につづいてうちいれてをよがせたり。いつちやうばかりをよがせて、うきぬしづみぬただよいたり。くまがえのじらうなほざね、なぎさにうつたちてこれをみて、「あれはたいしやうぐんとこそ
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みまゐらせさうらへ。まさなうもさうらふおんうしろすがたかな。かへしあはせたまへや」とよばいければ、いかがおもひたまひけむ、みぎはへむけてぞをよがせける。馬のあしたつほどになりければ、弓矢をなげすてて、たちを抜てひたひにあてて、をめいてはせあがりたり。熊谷まちうけたる事なれば、あげもたてず、馬の上にてひきくみて、なみうちぎはへおちにけり。上になり下になり、みはなれよはなれくみたりけれども、ついに熊谷うへになりぬ。さうの膝をもつてよろひのさうの袖をむずとをさへたりければ、すこしもはたらかず。熊谷こしがたなをぬいて、うちかぶとをかかむとてみたれば、十五六ばかりなるわかうどのいろしろくみめうつくしくして、うすげしやうして、かねぐろなり。せんけんたるりやうはつは秋のせみのはねをならべ、ゑんてんたるさうがはゑんざんの色にまがへりなむど云も、かくやとおぼえてあはれなり。あないとほしやと心弱くおぼえて、「そもそも君はたれびとのおんこにてわたらせたまふぞ」ととふに、只「とくきれ」とこたへたり。直実又申けるは、「君をざふにんの中におきまゐらせさうらわむ事の
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いたわしさに、みなをつぶさにうけたまはりて、必ずごけうやうまうすべし。そのゆゑはひやうゑのすけどののおほせに、『よきかたき打てまゐらせたらむ者には、せんちやうのごおんあるべし』とさうらひき。かのしよりやうすなはちきみよりたまはりたりと存じさうらふべし。これはむさしのくにのぢゆうにん、くまがえのじらうなほざねとまうすものにて候」と申ければ、「いつのなじみ、いつのたいめんともなきに、これほどにおもふらむこそありがたけれ。又名乗てもうたれなむず、なのらでもうたれむず。とてもうたるべき身なれば、又かやうにいふもおろそかならず」と思われければ、「我はだいじやうにふだうのおとと、しゆりのだいぶつねもりのばつし、たいふあつもりとてしやうねん十六歳になるぞ。早切れ」とぞ宣ける。熊谷いよいよあはれにおぼえて、「直実が子息小二郎なほいへも十六ぞかし。さてはわがことどうねんにておわしけり。かく命をすていくさをするも、なほいへがすゑのよの事をおもふがゆゑなり。わがこを思やうにこそ人の親もおもひたまふらめ。このとの一人うたずとも、兵衛佐殿かちたまふべきいくさによもまけたまわじ。うちたりとてもまけ給べくは、それにもよるべからず」
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なむどおもひわづらひけるほどに、まへにもうしろにも組ておつる者もあり。くびをとるものもあり。さるほどにとひのじらうさねひら三十騎ばかりにていできたり。「とひが見るに、このとのをたすけたらば、くまがえてどりにしたるかたきをゆるしてけりと、兵衛佐殿にもれきかれ奉らむ事、くちをしかるべし」と思ければ、「君をただいまたすけまゐらせてさうらふとも、つひにのがれ給べからず。ごけうやうはなほざねよくつかまつりさうらふべし」とて、目をふさぎてくびをかきてけり。熊谷なくなくこの殿を見れば、かんちくのひちりきの色なつかしきを、したんのいへにいれて、にしきの袋にいれながら、よろひのひきあはせにさされたり。このひちりきをばつきかげとぞつけられたりける。又ちひさきまきものをさしぐしたり。是を見れば、「やうばいたうりの春のあしたにも成ぬれば、つまにさへづる鶯ののべになまめくしのびねや。やけいのかすみあらわられて、そともの桜いかばかりかさねさくらむやへ桜、きうかさんぶくの夏のそらに成ぬれば、ふぢなみいとふほととぎす、よよのかたらひをりをへて、しのぶる恋のここちこそすれ。くわうきくしらんの秋のくれ
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にも成ぬれば、かきにすだくきりぎりす、をのへの鹿、たつたのもみぢあはれなり。けんとうそせつの冬のくれにもなりぬれば、谷の小川のかよひぢも、みなしろたへにみわたさる。なごりをしかりしふるさとの、きぎのみすてていでしやどなれば、いちのたにのこけとしたにうづもれむ」とぞかかれたる。「しゆりのだいぶつねもりのばつし、たいふあつもり」とぞかかれたる。なほざねあまりにはれにおぼえて、あつもりのくびをかのひたたれにつつみて、ひちりきと巻物とをとりぐして、「ごけうやう候べし」とてじやうをかきそへて、やしまへおくりたてまつる。つりぶねの有けるに、ざつしきひとり、かこふたりして奉る。平家やしまへつき給ける十三日のとりのこくばかりにおひつき、「おんふねにまうすべきことさうらふ」と申たりければ、平家の舟より「何事ぞ」ととふ。「源氏のおんかたに候給、くまがえが殿御使」と申す。是を聞てふねのうちさわぎあへり。熊谷がつかひの舟も平家の船にちかづかず、しごたんばかりにゆらへたり。しんぢゆうなごん、いへながをめして、「あれほどのこぶねにいかなるはんくわいちやうりやうが乗たり
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ともなにごとかあるべき。いへなが見て参れ」とのたまへば、家長、郎等二人にはらまききせて、わがみはもくらんぢに色々の糸にて、ししにぼうたむぬいたるひたたれに、わきにこぐそくばかりにて、はしぶねに乗てこぎむかひたり。しさいをとふ。「くまがえがかたよりしゆりのだいぶどののおんかたへおんふみさうらふ」と申て、たてぶみを持たり。しんぢゆうなごんこのふみを取て、「熊谷がわたくしぶみのさうらふなる」とて、しゆりのだいぶどのへたてまつる。だいぶどのこのふみをみたまふに、おんこのあつもりのおんくびなり。ははきたのかた是を見給て、ふねのうちにありとあるじやうげなきかなしむ事、まことにとおぼえてあはれなり。「熊谷はひたすらのあらえびすにこそ有らめとおもふほど、なさけありて、敦盛が首を送たる心のうちこそあはれなれ」とて、熊谷がじやうを見給ふに、「つつしみてまうす、ふりよにこのきみにさんくわいしたてまつるあひだ、ごわうのこうせんをえ、しんわうのえんたんにあふいかりをさしはさみて、ただちにしようぶをけつせんとほつするきざみ、にはかにをんできのおもひをばうじて、かへりてぶゐのいさみをなぐ。
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あまつさへしゆごをくはへたてまつるところに、おほぜいおそひきたる。ときにはじめてげんじをいるといへども、かれはたせいこれはぶせいなり。はんくわいかへりてやういうがげいをつつしむ。ここになほざねたまたましやうをきゆうばのいへにうけて、さいはひにぶようをじちゐきにかかやかし、はかりことをらくせいにめぐらし、はたをなびかしかたきをしへたぐる、てんがぶさうのなをえたりといへども、ぶんじやむらがつていかづちをなし、たうらうあつまりてくるまをくつがへすことあるがごとし。なましいにゆみをひきやをはなちて、むなしくいのちをとうばうのいくさにうばはれ、いたづらになをさいかいのなみにしづめむこと、じたくわけのめんぼくにあらず。しかるあひだこのきみのごそいをあふぎたてまつるところに、おんいのちをなほざねにたまはりて、ごぼだいをとぶらひたてまつるべきよし、おほせくださるるによつて、らくるいをおさへながら、はからざるにおんくびをたまはりをはんぬ。うらめしきかな、つたなきかな、このきみとなほざねと、あくえんをむすびたてまつること。なげかしきかな、かなしきかな、しゆくうんふかくあつくして、をんできのがいをなす。しかりといへどもひるがへしてこのぎやくえんにあらずは、いかでかたがひにしやうじのきづなをきりて、ひとつはちすのみとならむ。しかればすなはちひとへにかんきよのぢぎやうをしめて、しかしながらごぼだいをいのりたてまつるべし。なほ
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ざねがまうすところのしんぎ、こうぶんにそのかくれなくさうらはむか。このおもむきをもつてもらしごひろうあるべくさうらふ。きようくわうきんげん。二月八日 直実しんじやう へいないざゑもんのじようどのへ」とぞ書たりける。しゆりのだいぶどののへんじやうにいはく、あつもりならびにゆいもつとうたまはりをはんぬ。このこと、くわらくのこきやうをいでて、さいかいのなみのうへにただよひしよりこのかた、いまさらにおどろくべきにあらず。せんぢやうにのぞみしうへは、なんぞふたたびへんじをおもはんや。じやうしやひつすいはむじやうのことわり、ゑしやぢやうりは、ゑどのならひ、しかれどもおやとなりことなりし、ぜんぜのちぎりあさからず。しやくそんらうん、らくてんのうちをうく、いつしのわかれにあらず。おうじんごんげ、なほもつてかくのごとし。いかにいはむやぼんぶをや。なげかしきかな、こひしきかな。いんじなぬかのひ、うつたちしあしたより、いまにいたるまで、そのおもかげいまだみをはなれず。つばめきたりてかたらへども、そのこゑをきかず。きがんのつばさをならべてそらにおとづるれども、そのおも
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かげをみず。しやうじはるかにしてゆくかたにまよふ。いまいちどそのいうしよのきかまほしきによつて、てんをあふぎてちにふして、しんかんをくだきてこれをきせいしたてまつる。ひとへにしんめいのなふじゆをあふぎて、ぶつだのかんおうをまつところに、なぬかの内にこれをみる。なほぶつてんのあたふるところにあらずや。しかればすなはちうちにはしんりきこころをもよほし、ほかにはかんるいそでをひたす。よつてうまれきたれるにおとらず、そかつにこれ同じ。そもそもきへんのはうおんにあらずは、いかがこれをあひみることをえむ。いちもんのふうぢんみなもつてこれをすつ。いはむやをんできにおいてをや。わかんのりやうごくをとぶらひ、ここんだいだいをかへりみるに、いまだそのれいをきかず。おんしんかうにしてしゆみすこぶるひきし、さうかいかへりてあさし。すすみてむくいんとほつすれば、くわこをんをんたり、しりぞきてほうぜむとほつすれば、みらいやうやうたるものか。ばんたんおほしといへども、ひつしにつくしがたし。きんげん。二月十四日 さゑもんのじようたひらうけたまはり いへながくまがえのじらうどののおんぺんじ」とぞかかれたりける。是よりしてぞ熊谷はほつしんの心をば
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おこしける。ほふねんしやうにんにあひたてまつりて出家して、ほふみやうれんせいとぞ申ける。かうやのれんげだににぢゆうして、敦盛のごせをぞとぶらひける。ありがたかりけるぜんぢしきかなとぞ人申ける。
廿六 こまつどののすゑのおんこ、びつちゆうのかみもろもりは、小船に乗てなぎさにそいて、たすけぶねとこころざしておちたまひけるに、さつまのかみのらうどうにてしまのくらうさねはるとて、くつきやうのかうのもの、だいぢからにて有けるが、岸の上に立て、「あれはびつちゆうのかみどののわたらせたまひさうらふとみまゐらせさうらふは、ひがことにて候か。これはさつまのかみどののみうちにてしまのくらうとまうすものにて候。かうのとのにはおくれまゐらせさうらひぬ。たすけさせたまひさうらへ」と申たりければ、「としごろをしと思われけるさねはるなり。このふねよせてあれのせよ」とのたまへば、「おんふねはちひさくさうらふ。いかにしてか乗せ候べき」とさぶらひども申けるを、「只乗せよや乗せよや」とのたまひければ、力及ばでよせてけり。真治だいの男のよろひきて、たかぎしよりいそぎ飛乗りければ、ふなばたにとびかかりてふみかたぶけて、のりなほさむのりなほさむ
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としけるほどに、ふみかへして、一人も残らず皆海へいりにけり。是をみてかはごえのこたらうしげよりが郎等、じふらうだいふ八騎はせきたりて、くまでにかけてこれらをとりあげてくびを切る。なぎなたもちたる男の、もろもりのくびを切らむとて、よつて申けるは、「かねつけさせたまひてさうらふは、平家の一門にておわしまし候ごさむめれ。なのらせ給へ」。師盛のたまひけるは、「おのれにあひて名乗るまじきぞ。のちに人に問へ」とてなのりたまわず。なぎなたにてくびをきるに、あしく打てをとがひをどうにつけたり。くびを取て人にみするに、「こまつどののすゑのおんこ、びつちゆうのかみもろもり」とまうしければ、「よきひとにこそ」とて、またたちかへりてをとがひを取て、くびにつけてぞ渡しける。くんこうにもろもりのちぎやうのあと、びつちゆうのくにをぞたまはりてける。
廿七 かどわきのちゆうなごんのりもりのちやくし、ゑちぜんのさんゐみちもりは、いちのたにやぶられにければ、いそへうちいでたまひたりけれども、船なかりければ、只一騎なぎさにそいて、東へむけてあゆませ給ふ。みなとがはのしもにて
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あふみのくにのぢゆうにんささきのげんざうもりつな七騎追てかかる。三位取て返して、しゆじんとおぼしき者に目かけてはせむかひけるを、佐々木がらうどう、三位のかぶとにくまでをなげかけて、「えい」と云てひかへたり。三位のかぶときれにけり。おしならべてひきくみてどうど落つ。上になり下になりいつときばかりとりころびけるを、佐々木が郎等おちかさなりたりけれども、およそりんぼうなむどのごとくにて、しやうぎだふしをするやうにまろびければ、あたり近く人よらず。もりつな下になる。三位刀を抜て佐々木がくびをさされけれども切れず。佐々木が郎等、三位の鎧のひきあはせよりたちをさうへさしちがへて、うつをにくりなしてければ、三位よはり給たりけるを首を取る。佐々木が頸はなからばかりぞきれたりける。佐々木をきあがりて、三位の頸右の手にさげて、ゆんづゑつきて、ふところよりたたうがみをとりいだして、頸の血をのごふ。あけに成てぞみへける。三位のぐんびやうあまたそのかずありけれども、
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いちのたににてかけへだてられて、ちりぢりになりにければ、みやたのたきぐちときかずと云さぶらひ、三位のあとをたづねて追て参りけれどもおひつかず。三位うたれたまひてのち、おひつきたりけれども、頸はなし。むくろをみるに、もへぎにをひの鎧のひきあはせに、ひさうして持給たりける笛をさされたり。この笛を取て、三位の御馬のはなれて有ける取て乗り、なくなくはせかへりけり。
廿八 ここにひたちのくにのぢゆうにん、ひきのしらうごらうと云つはものあり。四郎、おととの五郎に申けるは、「けふいちぢやうよきかたきにくみつとおぼえさうらふ。すぎぬる夜ゆめみのよかりつるぞ」とまうしもはてねば、つはもの二人いできたり。一人はおほわらはなりけるを、ひきの四郎はせならべて、かみを取てくらのまへわにおしつけて、くびをかいきりてさしあげたり。一人はもえぎにほひの鎧きて、かげなる馬に乗ておちけるを、比気五郎よきかたきと目をかけて、おしならべてくみておちぬ。なぎさぎわに古きゐの有ける中に、二人組てふしたり。五郎は下に敵は上に有けれども、井の中はせばし、落はさまつて、互に
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なにともせざりけり。兄四郎はせまはりてみれども、おととのごらうもみえざりけり。ゐの有けるをはしり寄てみれば、中につはもの二人あり。「比気の五郎はここにあるか」。かすかなるこゑにて「やすしげ」となのりければ、馬よりとびおりてかたきがくびをかく。十六七ばかりなるわかうどのうすがねをぞつけたりける。是はかどわきのちゆうなごんのしそく、くらんどのたいふなりもりにてぞおわしける。あはれともいふはかりなし。しんぢゆうなごん、おほいとのにまうされけるは、「むさしのかみにもをくれさうらひぬ。よりかたもうたれさうらひぬ。いまはこころぼそくこそおぼえさうらへ。いへながもよもいきさうらわじ。只一人持たりつる子の、父をたすけむとてかたきにくむを見ながら、親の身にてひきも返さざりこそ、『命はよくをしき物にてさうらひけり』と、身ながらもうたてくおぼえさうらへ。人のいかにおもふらむ」とて泣給ければ、おほいとのものたまひけるは、「むさしのかみは手もきき心もかうにて、よきたいしやうぐんにておわしつる者を。あらをしや。あたら者かな」とて、おんこの
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うゑもんのかみのおわするを見給て、「ことしはどうねんにて十七ぞかし」とて、涙ぐみ給へるぞいとほしき。是を見奉る人々も、皆鎧の袖をぞぬらしける。いへながはいがのへいないざゑもん、これはしんぢゆうなごんのいちにの者なりければ、「命にもかわり、ひとところにていかにもならむ」と、ちぎりふかかりけるものどもなり。
廿九 しかるべき人々の首、たけゆひわたしてとりかけたり。「千二百余人」とぞしるしける。たいしやうぐんにはゑちぜんのさんゐみちもり、さつまのかみただのり、たぢまのかみつねまさ、わかさのかみつねとし、むさしのかみともあきら、びつちゆうのかみもろもり、くらんどのたいふなりもり、たいふあつもり、いじやうはちにん、さぶらひにはゑつちゆうのせんじもりとし、ちくぜんのかみいへさだ、うたれにけり。そうじて大将軍とおぼしき人、十人とぞきこへし。ただしあつもりのくびはなかりけり。あるいはりけんをふくみて地にたふれぬ、あるいはながれやにあたりて命をうしなふたぐひ、あさをちらせるが
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ごとし。水におぼれ山に隠るるともがらいくばくぞ、その数をしらず。しゆしやう、にようゐん、ないだいじん、へいだいなごんいげのひとびと、きたのかた、おんふねにめしてまのあたり御覧ぜられけり。いかばかりの事をかおぼしめしけむ、ごしんぢゆうをしはかられてあはれなり。すいちやうこうけいのばんじのれいほふことなるのみにあらず。船の中、浪の上、いつしやうのかなしみ、たとへむ方もあらじ物をとおもひやられてあはれなり。父は船にありて子はいそにうたれ、よめは船にあればをつとはなぎさにふす。友をすてしゆうをすててもかたときの命ををしむ。兄をすておととをわすれてもしばしの身をたばう。うしほの中の魚のあわにいきつぐが如し。りようどうのひつじのしやうがくをおそるるに似たり。しゆしやうをはじめたてまつり、むねとの人々はおんふねにめして、おもひおもひこころごころにいでたまふ。ふなぢのならひのあはれさは、塩にひかれてゆくほどに、あしやの里をはせすぎて、きいのぢへおもむく船もあり。たよりの風をまちえず
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して、浪にただよふ船もあり。ひかる源氏にあらねども、すまよりあかしをたづねつつ、うらづたひゆくふねもあり。すぐに四国へ渡る舟もあり。なるとのをきをこぎわたり、いまだいちのたにのをきにただよふ舟もあり。かかりしかば、嶋々浦々は多けれども、たがひにししやうをしりがたし。国をなびかす事も十三かこく、せいのつきしたがふことも十万余騎に及べり。都へもひとひぢなり。さりともとおもひしいちのたにもおとされにければ、おのおのこころぼそくぞおもはれける。さても今度うたれぬる人々のきたのかた、さまをかへてこきすみぞめになり
つつ、ねんぶつまうしてごしやうとぶらひたまふぞいとほしき。ほんざんゐのちゆうじやうしげひらの北方、だいなごんのすけどのばかりこそ、うちのおんめのとなればとて、おほいとのせいしまうされければ、さまをもやつし給はざりけれ。
三十 越前三位みちもりの北方はやしまのおほいとののおんむすめなり。御年十二にぞなりP3160たまひける。はつでうのにようゐんやしなひまゐらせて、みちもりむこにとらせたまひたりけれども、いまだをさなくおわしければ、ちかづきたまふこともなかりけり。とうのぎやうぶきやうのりかたの御娘、しやうさいもんゐんのごしよにこざいしやうどののつぼねとておわしけり。かほかたち人にすぐれて心になさけふかく、てんが第一のびじんときこえおわしければ、みるひときくひと、あはれと思わぬはなかりけり。ゑちぜんのさんゐそのときはちゆうぐうのすけといわれき。このこざいしやうのつぼねのをさなくおわせし時より、ひとつごしよにすみながら、あはれみまほしくおもひたまひけれども、さもなくてすごしたまひけるほどに、ひととせしやうさいもんゐん、ところどころのめいしよの花御覧ぜられけるに、こざいしやうどのもまゐりたまひ、ちゆうぐうのすけもぐぶせられけり。大宮をのぼりに二条を西へぎやうけいなる。よものやまべもかすみこめ、ひやくてんのうぐひすもをりもよをせるものなれや。かめやまのすそよりいづるおほゐがは、みなかみきよき早き瀬、ゐせきのほども
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をとたへず。むめづの里ににほふ風、そもむつまじきゆかりかな。月もかつらの里にすむ。げにをもかげは身にぞそう。くもゐのよそに打すさみ、おほうちやまもすぎぬれば、ひがしへふくかぜにたよりして、あるじを尋ぬる梅のにほひ、ひとよにしげる松のえだ、ありし昔を忍びかね、袖よりあける涙をば、おもひわづらふくさまくらの、露よりしげきここちして、てんまんてんじんのおわします、うこんのばばのぎやうけいなり。このときにこざいしやうは十四の年よりにようゐんの御車にぞまゐられける。しよゑのにようばうたちは、車よりおりてあそびたまひけるに、このこざいしやうどのはみへ給はざりければ、にようゐん、「小宰相殿は」とおんたづねあり。車よりいでたまうが、人やみるとおぼしくて、おりわづらひたまひけるけいきは、秋の夜の月おばすて山を住うかれ、春の花吉野の峯にほころぶかと、あたりもかかやくばかりなり。花をひとふさ折つつ、扇に取そへてたたれ
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たり。をりしも嵐こずゑにさへければ、ちりかくるはなにまかせていうにぞみへける。みちもりこれをひとめみ給しより、人しれずやまひとなりにけり。色にいでてたふす人に問ければ、としごろいうにききたまひし小宰相殿これなり。いまひとしほぞまさりけり。ひびにそへては重くなりたまひて、ふししづみておわしけり。「神もゆるす御事ならば、みたらし河にふしも沈まばや」とのみ思われけれども、それも叶わぬおんことなれば、ただあけくれはこの人の事よりほかはたじなくぞ思われける。ろくでうのつぼねといふめのとの有けるが、「このおんいたはりくるしからじとはおほせさぶらへども、日にしたがひて御有様よはげに見へさせ給。おんこころぐるし」と申ければ、「さしてだいじもなき物を」とて、打とけ給わず。六条あやしとおもへども、そのこころをしらず。あるときまたろくでう、「わらわにかくさせたまふ、なにごとにてさぶらふぞ。今こそおもひしられてさぶらへ。御心をおかせたまひさぶらはば、みうちも住うくなむ」と、やうやう
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にうらみて、「さてもゆゆしきいしのさぶらふなる、めされさぶらへかし」と申ければ、三位ひごろはおもひなぐさむ方もなくて忍びつれども、今は限りとおもひければ、「心に思ふ事いはねば罪深し」と云時に、「うこんのばばの花みのぎやうけいのありしに、こざいしやうのつぼねをひとめ見てしよりやまひとなりたりしなり。ぎばへんじやくが薬も、是をれうするじゆつもなし。せいめい、だうまんがじゆつだうもかなうまじ。もしかのゆかりに知たる人やある。このことをしらせばやと思ふぞとよ」。六条さればこそと思て、「宰相殿のおんめのとの子に、をののじじゆうと申す女房をこそしりてさぶらへ」。三位よろこびて、「さらばしらせよ」とのたまへば、じじゆうに「かく」と申たりければ、「よろづ身にたえさぶらわむ事をば、承りさぶらはばやと思てこそさぶらへども、これはかなふまじくさぶらふ。この君の七歳の御年より、女院のおんふところを離れまゐらせたまわず。ぎよしんじよよりそだてまゐらせましまして、ことしは十四にならせ給。この事
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人にしらせたまふなよ」と云ければ、六条かへりてこのよしを申ければ、「さてはかなふまじきにこそ」とてふししづむ。ばんしいつしやうとみへ給ふ。六条申けるは、「男は心強きこそたのもしくさぶらへ。おんいのちだにわたらせ給はば、などかさてしもさぶらふべき。おんふみをあそばしてたまひさぶらへ。じじゆうにとらせさぶらわむ」と云ければ、さらばとて文をかきて六条にたびてけり。六条このふみを侍従にとらせたりければ、ゆゆしく心得ずげに思て、しばらくものもいわざりけるが、この文をかへしたてまつるもなさけなしとや思けむ、「申てこそ見さぶらはめ」とて、宰相殿に奉る。宰相殿かほうちあかめて、「こはなにごとぞや。人やみつらむ。あさましや」とて、みすの内へいれ給ふ。かくと知らせはじめたまひてのちは、みとせまで、たまづさ数のみつもりけれどもとりもいれたまはず。されども三位これになぐさみて、つゆのいのちきえやり給はず。みとせもすぎぬれば、「ちつかをたてしにしきぎ、たてながらやくちぬらむ、つれなき人こそぜんぢしきなれ」とて、「あすは
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かいのししやうじて出家し、かうやこかはにも入こもり給わむ」とぞいでたちたまひける。六条あまりにかなしくおもひて、じじゆうに「かく」となくなく申たりければ、侍従をどろきて、「としごろはなにとなくなほさりの御事にやと思てさぶらへば、さやうにおんみをいたづらになしたまふおんことならば、こまやかに申てみさぶらわむ」とて、侍従、宰相殿に申けるは、「ちゆうぐうのすけどのこそ、おんみゆへにあすは出家して、かうやこかはにもとぢこもらむとしたまふなれ。人をたすくるはみなよのつねのならひにてこそさぶらへ」と申けれども、「いつはりにてぞ有らむ」とて、露なびきげもおわせず。侍従帰て、「なをも心づよげにおわするぞ。みうちへまひらせ給わむ時、こまかにおんふみをあそばして、車の内へなげいれたまへ」と云ければ、ちゆうぐうのすけよろこびて、「みとせのおもひにたへずして、今はおもひきり、世をのがれて、高野粉河にもこもるべき」なむど、こまかにふみをかきたまひて、びんぎをうかがわれけるほどに、あるときこざい
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しやうどのごしよへまゐりたまひけるに、ひそかに人にいひあはせて、せいしをもつて御文を車の内へなげいれさせて、つかひはかへりにけり。こざいしやうどの、「これはいかなる人のつてぞや」とて、車の内にてしのびさわぎ給へども、おんとものものどもも「しらず」と申ければ、おほちにすてむもさすがなり、車にをかむもつつましくておもひわづらひけるほどに、ごしよもちかくなりにければ、いかにすべきやうもなくて、はかまの腰にはさみておんくるまよりおりたまひにけり。をりしもぎよいうのほどなりければ、やがておんまへへ参り給て、なにとなくあそばれけるほどに、このふみをおとし給てけり。にようゐんの御目にしも御覧じいだして、おんふところにひきいれさせましまして、女房達をめしあつめさせ給て、「やさしき物をこそもとめたれ。人々これごらむぜよ」とてとりいださせ給たりければ、このおんふみなりけり。女房達、「我もしらず我もしらず」とのみ、しんぶつにかけてまうされければ、小宰相殿かほけしきかわりて、
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涙のうくほどにぞみへられける。「小宰相殿のおとしたまひてけり」とまけたまひにけり。にようゐん文をひらきてごらむぜらるるに、ぎろのけぶりなつかしく、らんじやのにほひふかくして、筆のたてどもなべてならず、いうによしありてぞかかれたりける。
「わがこひはほそたにがはのまろきばしふみかへされてぬるる袖かな K194
ふみかえす谷のうきはしうきよぞとおもひしりてもぬるる袖かな K195
つれなき御心もなかなか今はうれしくて」なむどかきたり。女院おほせの有けるは、「是はあはぬをうらみたる文にこそ。いかにおもひなるべき人やらむ。ちゆうぐうのすけのまうすとはほのかにきこえしかども、こまかにはしらず。あまりに人の心づよきも身のとがとなるなるものを。このよにはまのあたりあをき鬼となりて、身をいたづらになし、ひとりゆくみちにゆきあひてなさけなき事をかたり、のちの世までのさわりとなりて、よよに身をはな
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れぬとこそきけ。人をも鬼になしてもなにかはせむ。けねんむりやうこふとかやも罪深し。昔をののこまちと云ける者は、いろかたち人にすぐれてなさけも深かりければ、見るひときくひと、肝をはたらかし心をいたましめぬはなかりき。されどもその道には心づよきなとりたりけるにや、人のおもひのやうやうつもりては風を防くたよりもなく、雨をもらさぬわざもなし。やどにくもらぬつきほしを涙にやどし、人のをしむ物を乞ひ、のべの若菜をつみて命をつみけるには、あをきおにのみこそとこをばならべけれ。とくとくなびき給べし。つひに人にみへ給はむには、あの人共のいわむ事をばいかでか聞すて給べき。この人といふにだいじやうにふだうのをひなり。品もいやしからず。へいけはんじやうのをりふしなり。たうじはたれかこの一門をさくべき。このふみのへんじは我せむ」とて、おんすずりめしよせて、
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只たのめほそたにがはのまろきばしふみかへしてはおちざらむやは K196
谷水の下にながれてまろきばしふみみてのちぞくやしかりける K197
かくあそばして返されぬ。ごひさうの御車、御牛かけて、こざいしやうどのを三位のもとへおくられにけり。せんきゆうのぎよくひ、てんちをかねてちぎりや深かりけむ、心やゆかしくいさぎよからましの心にて、せつなる事のみぞおほかりける。世の常の夫の思わぬをうち歎てくやしきことなむどこそあれ、是は常にものおもひがほにて、うんしやうきゆうちゆうのぎよいうもものうくおもひたまひけるにや。やさしかりしなからひなり。かくてなれそめ給てとしごろにもなりにければ、たがひにおんこころざし浅からずおもはれたりければ、ちちははしたしき人々にも離れて、是までおわしたりけるにや。かんのぶていしやうりんゑんにごかうあり。しんふじんといへるにようご、かたはらにをわす。ゑんあうよつてふじんの座をしりぞけけり。
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きみのごきしよくかわり、ふじんいかれる色あり。ゑんあうがいはく、「きみはきさきをはします。ふじんはをんなめなり。をんなめは君ととこをひとつにする事なし。昔のじむていがためしをおもひしりたまへ」と云ければ、夫人この事をさとりえたまひてかへりてよろこぶ。ゑんあうがかしこき心をよろこびたまひて、こがね三十きんをたまはりけるとかや。ゑちぜんのさんゐこの事をおもひしりたまひたるにや、小宰相殿はをんなめにておわしければひとつふねにはすみたまわず。べちのおんふねにをき奉てときどきかよひたまひて、みとせがあひだ波の上にうかび給けるこそあはれなれ。越前三位つかひたまひけるみやたのたきぐちときかずと云さぶらひ、はせきたりてきたのかたに申けるは、「さんゐどのはみなとがはのしりにてささきげんざうもりつなと組てうたれたまひぬ。やがてうちじにをもし自害をもつかまつりて、ごせのおんともすべきにてさうらひつれども、『わがいかにもなりなむのちは命をすてずして、あひかまへて御ゆくへをみつぎたてまつれ』と、かねてよくよく
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おほせをかれて候也。おんことばをたがへじとぞんじさうらひて、つれなく参て候」となくなく申ければ、北方これをききたまひて、しばしは物ものたまわず、ひきかづきふしたまひぬ。「いちぢやううたれたまひぬ」とはききたまへども、「もしひがこともやあるらむ。いきて帰らるる事もや」と、只にさんにちの旅にいでたる人をまつここちして、したまたれけるこそはかなけれ。さるほどにひかずもかさなりてしごにちにもなりにければ、もしやのたのみも弱りはてて、いよいよおもひぞまさりける。めのとごなりける女房の只一人つきたりけるに、十三日、よふけひとしづまりて、北方なくなくのたまひけるは、「あわれこの人の、あすうちいでむとては、よのなかの心細きことどもをよもすがら云つづけて、涙をながししかば、いかにかくは云やらむと、心さわぎしておぼえしかども、必ずかかるべしとは思はざりしに、かぎりにて有ける事のかなしさよ。『われいかになりなむのち、いかなるありさまにてあらむずらむとおもふ
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も心苦し。世のならひなればさてしもあらじ。いかなる人に見えむずらむと、それも心うし』なむどいひし時に、ただならずなりたる事を、そのよはじめてしらせたりしかば、なのめならずよろこび、『みちもりすでにみそぢになりなむずるに、いまだ子といふもののなかりつるに、はじめて子と云者有らむずらむ事のうれしさよ。あわれおなじくはなんしにてあれかし。さるにつけても、かくいつとなき船のうち、なみのうへのすまひなれば、みみとならむ時、みちもりいかがせむずらむ』と、只今あらむずるやうになげきたまひし物を。はかなかりけるかね事かな。いくさはいつもの事なれば、それをかぎり最後とは思わず。ありしむゆかのひのあかつきをかぎりとしりせば、のちの世にともちぎりてまし。誠やらむ、女はみみとなる時、とをにここのつはしぬるなれば、かくて恥がましき目を見て、ともかくならむ事も口惜し。もしこのよをしのびすごしてながらへても、あるは心にまかせぬ世のならひなれば、不思議に
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て思わぬほかの事もあるぞかし。心ならずさる事もあらば、草の影にて見む事もはづかしければ、この世にながらへてもなにかはせむ。まどろめば夢にみへ、さむればおもかげにたつぞとよ。さればこのついでに底のみくづともおもひいりて、しでのやま、さんづのかはとかやをもおなじみちにとのみおもふが、それにひとりのこりとどまりてなげかむこともいたはしく、ふるさとにきこえたまひて、かなしみ給わむ事こそ罪深けれども、思はざるほかの事もあるぞかし。もしさもあらむ時は、わらわがしやうぞくをばいかならむ僧にもとらせて、ころもにせさせて、ごしやうをも問ひ、なきひとのぼだいをもたすけたまへ。かきおきたるふみどもをば都へとづけ給へよ」など、こしかたゆくすゑのことどもまでかきくどきのたまひければ、「ひごろはなくよりほかの事なくて、物をだにものたまはざりつるに、かやうにこまごまとくどき給こそあやしけれ。げにちひろの
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底までもおもひいれたまわむずるやらむ」とむねうちさわぎて、きたのかたに申けるは、「今はいかにおぼしめすともかひあるまじ。はじめておどろきおぼしめすべきにもあらず。そのうへおんみ一人の事にてもなし。さつまのかみどの、たぢまのかみどの、わかさのかみどの、びつちゆうのかみどののきたのかたたちも、おんなげきいづれもをろかならず。されどもかたがたおんさまをかへて、ごしやうをこそとぶらひまゐらせさせ給へども、おんみをなぐる人もなし。必ずおなじみちにとおぼしめせども、うまれかはらせ給なむのちは、ろくだうししやうのあひだに、いかなるくるしみの道へかおもむかせたまひぬらむ。ゆきあひまひらせさせ給わむ事もありがたし。いかにもしてたひらかにみみとならせ給て、をさなきひとをもそだてたてまつりて、なき人のおんかたみとも見まひらせさせ給へかし。なをあきだらずおぼしめさば、おんさまをもかへさせ給て、いかならむやまでらにもとぢこもらせ給て、しづかに仏のみなをもとなへて、こどのの
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ごぼだいをもとぶらひまいらせ、わがおんみのごしやうをもたすからせ給わむにすぎたるぜんぢしきはいかでかさぶらふべき。そのうへ都にわたらせたまふひとびとの御事などをば、たれにゆづり、いかにならせ給へとて、かくはおぼしめしたつにか。わらわもおいたる親にもたちはなれ、をさなき子ももふりすてて、只一人つきまひらせたるかひもさぶらわず。うき目をみせむとおぼしめすらむこそくちをしけれ」などかきくどき、さまざまになぐさめ申ければ、「くわいにんの身となりては、死をさる事遠からずなど云なれば、かやうに浪の上にてあかしくらせば、おもひかけぬなみかぜにあひて、心ならず身をいたづらになすためしもあるぞかし。たとひこんどをおもひのべたりとも、このものをそだてて打みむをりをりは、昔の人のみこひしくて、おもひの数はまさるとも、わするる時はよもあらじ。今はなかなかに見そめみへそめし雲の上のよはのちぎりさへくやしくて、
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かの源氏のだいしやうのおぼろづきよのないしのかみ、こうきでんのほそ殿も、わがみの上とおぼゆるぞ」とひそかにのたまひければ、このしごにちは、はかばかしくゆみづをだにもみいれたまわぬ人の、かやうにこまごまとのたまへば、「げにおもひたちたまふこともや」とて、「おほかたはげにもさこそはおぼしめすらめなれば、いかならむうみはかの底へいらせたまふとも、をくれまひらすまじきぞ。かまへてうき目みせさせ給なよ」と、涙もかきあへず申ければ、「この事さとられてさまたげられなむず」とやおぼしけむ、「是はそれの身の上におもひなしてもをしはかり給へ。わかれの道のかなしさ、おほかた世のうらめしさに身をもなげばやと云事は、世の常の事ぞかし。さればとてげにはいかでかおもひもたつべき。又たまたまにんがいのしやうをうけたる者に、つきひの光をだにも見せずしてうしなわむ事も、かわゆくもあるぞかし。たとひいかなる事をおもひたつとも、
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いかでかはそこにしられでは有べき。心安く思給へ」とのたまひて、三位の筆にて書給たりけるさごろもの有けるをとりいだして、あわれなる所をよみて、しのびしのびに念仏を申給ければ、「げにもおもひのべ給にこそ」と心安くおぼえて、おんそばに有ながら、ちとまどろみたりけるひまに、やわら舟のはたにたちたまひたれば、まんまんたるかいしやうなれば、月おぼろにかすみわたりて、いづくを西とはわかねども、月のいるさを山のはにむかひて、たなごころをあはせて念仏を申給ける心のうちにも、「さすがに只今をかぎりとは都にはよもしらじ。風のたよりもがな。かくとしらせむ」と、おもひみだれたまふにつけても、をきのしらすに鳴くちどり、とわたる海のかぢまくら、かすかにきこゆるえいやごゑ、いづれもあわれにきこへけり。さて念仏ひやつぺんばかりとなへて、「なむさいはうごくらくせかい、だいじだいひあみだによらい、ほんぐわんあやま
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たせ給わず、じやうどにみちびきたまひて、あかで別れしいもせの中、ひとつはちすの身となし給へ」とて、ちひろの底へいりたまひぬ。いちのたによりやしまへこぎもどるやはんばかりの事なれば、人皆ねいりにけり。かぢとり一人みつけ奉て、「こはいかに、女房の海へいりたまひぬ」とののしりければ、めのとごの女房うちおどろきて、「あはこの女房のしたまひぬるよな」と心うくて、かたはらもとむれども人もなかりければ、「あれやあれや」とさわぎあわてけれども、あはのなるとの塩ざかひ、みちしほひきしほはやくして、うけば沈みしづめば流るるうしほにて、たつなみひくなみうちかけて、かものうはげもうづもれぬ。心に舟をもまかせねば、をりしも月はをぼろなり、きぬも白し、波も白かりければ、しらみあゐて、しばしはうきあがり給へども、みわくる方もなかりければ、とみにもとりあげたてまつらず。はるかにほどへて、とかくしてかつぎあげたてまつりたりけれども、この
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よにもなき人になりたまひにけり。しろきはかまにねりぬきのふたつぎぬひきまとひて、髪よりはじめてしをしをとして、わづかに息ばかりちとかよひたまひけれども、目も見あけ給わず。なでしこの露にそぼぬれたるやうにて、しにたる人なれども、ね入りたる人のやうにて、らうたくぞ見へ給ける。めのとごの女房、手に手を取くみ、かほにかほをあてて、なくなくまうしけるは、「子をも親をもふりすてて、是までつきたてまつりたるこころざしをも知給はず、いかに心うき目をば見せ給ぞ。げにおぼしめしたたば、波の底へもひきぐしてこそいりたまはめ。かたときたちはなれたてまつらむとも思はざりつる者をや。いまいちどものひとことのたまひてきかせ給へ」と、もだへこがれけれども、なじかはひとことのへんじにもおよぶべき。わづかにかよひたまひつる息もとまりてこときれはててければ、見る人袖をぞ絞りける。さるほどにおぼろにすめる月影もくもゐにかたぶき、
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かすめる空もあけゆけば、「さてしもあるべき事ならず」とて、こさんゐのよろひのいちりやう残りたりけるを、うきもぞあがるとてをしまきて、又海へ返しいれてけり。めのとごの女房つづきて飛入らむとしけるを、ひとあつまりてとりとどめければ、船底にふしまろびて、をめきさけぶことなのめならず。かなしみの余りにみづからかみをきりをとしてければ、かどわきのちゆうなごんの子息にちゆうなごんのりつしちゆうくわいとておわしけるが、そりてかいたもたせられてけり。三位この女房の十四のとしより見そめ給て、ことしは十九にぞなられける。かたときもはなれ給わじとはおもひたまひけれども、おほいとののおんむこにておわしければ、そのかたさまの人々には知らせじとて、ぐんびやうの乗りたる船にやどしをきたまひて、時々げんざんせられけり。みくさのやまのかりやにてげんざんせられたりけるも、この女房の事なりけり。中納言もたのみ
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きりたまへるちやくしゑちぜんのさんゐ、又おとごのなのめならず悲しがりたまひつる、たいふなりもりもうたれたまひにければ、かたがたなげきいられたりけるに、このきたのかたさへかくなりたまひぬるあはれさいとをしさに、常はなきふしてぞおわしける。御心の内さこそは悲しかりけめと、をしはかられていとをし。さつまのかみ、たぢまのかみのきたのかたもおわしけれども、歎きにしづみながら、さてこそをわしけれ。昔も今もおつとにをくるる人おほけれども、さまなどかうるは世の常の事也。たちまちに身をなぐるまでの事はためしすくなくぞおぼゆる。見る人もきくひとも涙を流さずと云事なし。されば、「ちゆうしんはじくんにつかへず、ていぢよはりやうふにかせず」といへり。誠なるかな。ごんのすけさんゐのちゆうじやうこのありさまをみたまひて、「かやうにひとりあかしくらすはなぐさむ方もなけれども、かしこくぞこの人をとどめおきてける。我もひきぐしたりせば、つひにはかかる事に
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こそあらまし」など、せめての事にはおもひつづけられ給けり。なぬかのひ、くらうよしつねいちのたににおしよせて、うのこくにやあはせして、みのこくに平家をせめおとして、むねとの人々のくび、おなじくとをかのひきやうへいる。平氏のくびどもあまた京へいるとののしりあひたりければ、平家のゆかりの人々、京に残りとどまりたる、きもこころをまどはして、たれなるらむとおもひあわれけるぞいとほしき。そのなかにごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもりの北方、へんぜうじの奥、をぐらやまのふもと、だいかくじと云所にしのびてすみ給けるも、かぜふくひは、けふもやこの人の船に乗たるらむと肝をけし、けふいくさときこゆれば、この人はうたれもやしつらむとおもひつるに、さてはこのくびどもの中にはよもはづれじとおぼすにも、ただなくよりほかの事ぞなかりける。さんゐのちゆうじやうと云人いけどりにせられてのぼると聞給ければ、「をさなきものどもの恋しさにしのびがたし。いかがしてこの
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よにてあひみむずらむ」とかへすがへす云たりしかば、「おなじみやこの内にいりたらばなど思て、わざととられてのぼるやらむ」とさへ、ひとかたならずおもひみだれて、ふししづみ給へば、若君、姫君もおなじまくらになきふしたまへり。「くびどもの中にもおわせず。さんゐのちゆうじやうとまうすはほんざんゐのちゆうじやうの御事なり」と人なぐさめけれども、なほまこととも思給わで、をきもあがり給わず。若君は、「父の御事にてはあらぬと申ぞ。御湯づけなれ。我もくはむ」とをとなしくのたまへば、それにつけてもあはれにて、「こんどはづれたりとも、つひにいかがききなさむずらむと思へば、なぐさむここちもせぬぞ」と宣へば、若君心のうちにも、げにもとやおぼされけむ、又はらはらとなき給へば、おんまへなるにようばうども、涙をぞ流しける。
卅一 十三日、たいふのはんぐわんなかよりいげのけんびゐし、ろくでうがはらにいであひて、へい
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じのくびを武士の手よりうけとりて、ひがしのとうゐんのおほちを北へ渡して、左のごくもんの木にかく。ゑちぜんのさんゐみちもり、さきのさつまのかみただのり、さきのたぢまのかみつねまさ、さきのむさしのかみともあきら、さきのびつちゆうのかみもろもり、たいふなりもり、たいふあつもり、この人々二人はいまだむくわんにておわしければ、大夫とぞ申ける。ただし敦盛の首はなかりけり。ゑつちゆうのせんじもりとしが首もわたされけり。ほうけつにあなうらをふみし昔は、おぢおそるるともがら多かりき。えくに首をわたさるる今は、かなしみあはれまぬ者すくなし。あいげうたちまちにへんず。是を見む人、まことに深き心を得べき者かな。首共おのおのおほちを渡してごくもんのきにかけらるべきよし、のりより、よしつねともに申ければ、法皇おぼしめしわづらはせ給て、くらんどうゑもんのごんのすけさだながをおんつかひとして、だいじやうだいじん、うだいじん、ないだいじん、ほりかはのだいなごんらにめしとはる。ごにんのくぎやうおのおのまうしたまひけるは、「せんてうのおんとき、このともがら
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しやくりの臣としてひさしくてうかにつかへき。なかんづくけいしやうの首おほちを渡してごくもんにかけらるること、いまだそのれいなし。そのうへは範頼義経らがまうしじやう、あながちにきよようあるべからず」とまうされければ、渡さるまじきにて有けるを、「ちちよしともが首おほちを渡して獄門にかけられにけり。ちちがはぢをきよめむがため、君のおほせを重くするによつて、命ををしまずかつせんつかまつるに、まうしうくるところおんゆるされなくは、じこんいご何のいさみに有てかてうてきをついたうすべき」と、義経ことにささへまうしければ、わたされてかけられにけり。見る人涙を流さぬはなかりけり。
卅二 ごんのすけさんゐのちゆうじやうの北方は、「こんどいちのたににて平家残りすくなくうたれたまひぬ」ときき給ひければ、「いかにもこの人はのがれじ物を」とおもひたまひける余りに、さいとうごむねさだ、さいとうろくむねみつとておとといありけるさぶらひをめして、「おのれらはむくわんのものと
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て、はれのともをばせざりしかば、いたく人にはしられじとおぼゆるぞ。くびどもの渡さるなる中に、この人の首もあるかと見て参れ」。「うけたまはりさうらひぬ」とて、さまをやつしゆきて見れば、わがしゆうの首はなけれども、ありさま目もあてられず。つつめども涙もれいでければ、人のあやしげに見るもをそろしくて、ほどなくかへりまゐりて申けるは、「こまつどののきんだちにはびつちゆうのかみどのばかりぞわたらせたまひさうらひつる。そのほかはたれたれ」と申ければ、きたのかたききたまひて、「さればとてすこしも人の上とはおぼえぬぞや」とてなきたまひければ、さいとうご申けるは、「ざつしきとおぼしき男の四五人ものみさうらひつるかげにてみさうらひつれば、それらが申候つるは、『小松殿のきんだちは今度はみくさのやまをかためておわしけるが、いちのたにおちにければ、しんざんゐのちゆうじやうどの、さちゆうじやうどのふたところは、船に乗てさぬきのぢへつきたまひにけり。このびつちゆうのかみどのは、いかにして兄弟の御中を
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離れて、うたれたまひにけるやらむ』と申候つれば、『さてごんのすけさんゐのちゆうじやうどのはいかに』とたづねさうらひつれば、『そのとのはいくさいぜんにごしよらうとておんふねにてあはぢのぢへつきたまひにけりとこそ承れ』とまうしさうらひつる」と申ければ、北方のたまひけるは、「あなごころづよの人の心や。所労あらば、『かうこそあれ』と、などかつげざるべき。いくさにあわぬほどの所労なれば、だいじにこそ有らめ。おもふなげきのつもりにや、やまひのつきにけるこそ。都をいでてより、わがみのわびしきと云事をば一度もいわず。『ただをさなきものどもこそこころぐるしけれ。つひにはひとところにこそすませうずれ』とのみなぐさめしかば、さこそたのみたるに、さては身のわづらひけるにこそ。みなひとも具すればこそ具したるらめ。野の末、山の末までも、ひとところにあらば、たがひにこころぐるしさをもなぐさむべきに、かやうにのみなく悲しさよ」とて泣給へば、「何のおんやまひぞとこそきかましか」と、若君のたまひける
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ぞいとをしき。「いかがして人をもつかはして、たしかにきかまし」とおぼしけれども、「うちとけ、たれにのたまひあはすべし」ともおぼえたまはねば、かきくらすここちして、又涙もかきあへず泣給へり。ちゆうじやうもかよふ御心なりければ、「都にいかにおぼつかなくおもふらむ。首共の中にもなければ、みづのそこにいりにけるとこそおもふらめ。風のたよりはあれども、しのびてすむ所を人に見せむもさすがなれば、うとからぬ者にてこそひとくだりのふみをもやらめ」とおぼして、へだてなく思われけるさぶらひを一人、ひそかにいでたたせてぞのぼせ給ける。「けふまではつゆのいのちもきえやらず。をさなき人々なにごとかあるらむ」などこまごまと書給て、をくに、
いづくともしらぬなぎさのもしをぐさかきをくあとをかたみとはみよ K198
と書給へり。しんぢゆうにはおもひたちたまふ事もあれば、こればかりにてぞ有らむずらむと
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おぼしけるに、涙にくれてえつづけあへ給わねども、「世になき者となりなばかたみともせよかし」とて、若君姫君のおんもとへもおんふみたてまつり給ふ。「こぞよりみねば恋しさもいふはかりなし。いかにをとなしく見忘るるほどになりぬらむ。いそぎむかへとりてあそばせむずるぞ。心細くなおもひそ」など、たのもしげにこまごまとかきたまふにつけても、「つひにいかにききなして、いかなる事を思われむずらむ」とおぼすぞ悲しき。平家物語第五本 十二巻之内
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ときにえんきやう二年つちのとのとりうづき十日、ねごろでらのうちぜんぢやうゐんのぢゆうばうにおいてこれをしよしやす。きやうげんきぎよのあやまりたりといへども、くわんしゆいんかんくわのだうりとせむ。あなかしこあなかしこぐわいけんのものあるべからざるのみ。
(花押)





延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版

平家物語 十 (第五末)
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 一 しげひらのきやうおほちをわたさるること
 二 しげひらのきやうゐんぜんをたまはりてさいこくへつかひをくださるること
 三 むねもりゐんぜんのうけぶみまうすこと
 四 しげひらのきやうだいりよりにようばうをむかふること
 五 しげひらのきやうほふねんしやうにんにあひたてまつること
 六 しげひらのきやうをさねひらがもとよりよしつねのもとへわたすこと
 七 くげよりくわんとうへでうでうおほせらるること
 八 しげひらのきやうくわんとうへくだりたまふこと
 九 しげひらのきやうせんじゆのまへとさかもりのこと
 十 これもりのきやうかうやまうでのこと
十一 これもりかうやじゆんれいのこと
十二 くわんげんそうじやうちよくしにたちたまひしこと
十三 ときよりにふだうだうねんのゆらいのことつけたりやうくわんりつしのこと
十四 これもりしゆつけしたまふこと
十五 これもりこかはへまうでたまふこと
十六 これもりくまのまうでのことつけたりゆあさのむねみつがこれもりに相奉ること
十七 くまのごんげんれいゐぶさうのこと
十八 なちごもりのやまぶしこれもりをみしりたてまつること
十九 これもりみなげしたまふこと
 廿 しげひらのきやう鎌倉にうつりたまふこと
P3194
廿一 ひやうゑのすけしゐのじやうげしたまふこと
廿二 しゆとくゐんをかみとあがめたてまつること
廿三 いけのだいなごんくわんとうへくだりたまふこと
廿四 池大納言鎌倉につきたまふこと
廿五 池大納言きらくのこと
廿六 へいけのけにんと池大納言とかつせんすること
廿七 これもりのきたのかたなげきたまふこと
廿八 へいけやしまにてなげきゐること
廿九 しんていごそくゐのこと
三十 よしつねのりよりくわんなること
三十一 みかはのかみへいけのうつてにむかふことつけたりびぜんこじまかつせんのこと
三十二 へいけやしまにおちとどまること
三十三 ごけいのぎやうがうのこと
三十四 だいじやうゑとげおこなはるること
三十五 ひやうゑのすけゐんへでうでうまうしあげたまふこと
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平家物語第五末
一 二月十四日、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらをば六条を東へわたされけり。じやうげのばんにんこれを見て、「いかなる罪のむくいぞや。哀れ、この人はにふだうどのにもにゐどのにもおぼえの子にておわせしかば、いつかのきんだちも重き人に思奉りし物を。院へも内へも参り給ぬれば、おいたるも若きも、ところをおきことばをかけたてまつりき。口をかしき事などいひおき給て、人にも忍ばれ給し物を。なんとをほろぼし給ぬる罪のむくいにや」とぞ申しあへりける。さてかはらまで渡して、くらんどうゑもんのごんのすけさだなが、法皇のおほせをうけたまはりて、こなかのみかどのちゆうなごんいへなりのきやうのはつでうほりかはの堂にてしげひらのきやうをめしとはる。とひのじらうさねひら、もくらんぢのひたたれにしたはらまきを着て、らうどう三十人ばかりに鎧きせてきたれり。さんゐのちゆうじやうはこんむらごのひたたれにねりぬきのふたつこ
P3196
そできたまへば、くらんどうゑもんのごんのすけはせきえにしやくもたれたり。「昔はかくはおぼへざりし物を。めいどにてみやうくわんにあへるざいにんのここちもかくや有らむ」と、おそろしくぞおもはれける。ゐんぜんのおもむきでうでうおほせふくむ。「せんずるところ、ないしどころを都へかへしいれたてまつらば、さいこくへかへしつかはさん」とぞ有ける。しげひらのきやうのまうされけるは、「今はかかる身にまかりなりて候へば、したしきものどもにおもてをあはすべしともおぼえさうらわず。又今一度見んとおもふものもさうらふまじ。もし母の二位なんどやむざんともおもひさうらわむ。そのほかの者はなさけをかくべき者有べしともおぼえさうらわず。さんじゆのほうぶつはかみよより伝はりて、にんわうの今に至るまでも、しばらくもていわうのおんみをはなたるる事候わず。せんていと共に都へいらせたまはばもつともしかるべく候べし。ささうらわざらむにはないしどころばかりを入れ奉る事は有べしとも覚候わず。さりながらもおほせくださるるむねかたじけなければ、わたくしのつかひにてまうしこころみさうらふべし」とて、さきのさゑもんのじようたひらのしげ
P3197
くにをくだしつかはすべきよしをまうさる。この重国はへいざゑもんとて、重衡ぢゆうだいさうでんのけにんなり。平家の人々はいづれもと云ながら、このさんゐのちゆうじやうは殊に誇りいさめる人なりしに、なのめならず心うげに思て目も見あげず。只涙をのみ流して、おんぺんじもえしやらず。くらんどのすけもいはきならねば、せきえの袖をぞぬらしける。
二 十五日、しげひらのきやうのつかひ、さゑもんのじようしげくに、院宣をたいしてさいこくへくだる。かのゐんぜんにいはく、
「いちにんのせいてい、ほつけつきうきんのうてなをいでてきうしうにせんかうし、さんじゆのしんぎ、なんかいさいかいのなみにうかびて、すねんをふること、もつともてうかのおんなげき、またばうこくのもとゐなり。かのしげひらのきやうは、とうだいじをぜうしつせしぎやくしんなり。よりともまうしうくるむねにまかせて、すべからくしざいにおこなはるべしといへども、ひとりしんるいをわかれて、すでにいけどりとなり、ろうてうくもをこふるおもひ、はるかにせんりの
P3198
于なんかいにうかび、きがんのともをうしなふこころ、さだめてきうちようのちゆううんにつうぜしか。しかればすなはちさんじゆのしんぎをかへしいれたてまつらんにいたりては、かのきやうをくわんいうせらるべきものなりてへれば、ゐんぜんかくのごとし。よつてしつたつくだんのごとし。
げんりやくぐわんねん二月十四日だいぜんのだいぶおほえのなりただうけたまはり
平大納言殿へ」とぞかかれたりける。三位中将も内大臣ならびに平大納言のもとへ院宣のおもむき申給ふ。二位殿へはおんふみこまごまと書て奉り給へり。「今一度御覧ぜむとおぼしめさば、ないしどころの御事をおほいとのへよくよく申させ給候へ。さなくては、この世にてげんざんに入るべしともおぼえさうらわず」なむどぞ有ける。きたのかたのだいなごんのすけどのへもおんふみ奉りたくおもはれけれども、わたくしのふみをばゆるされざりければ、ことばにて、「このむゆかを必ずかぎりとも思候わず。まうしうけたまはりし事のはかなさ、たのもしき
P3199
人もなくて、いつとなく旅の空にあかしくらし給こそ心ぐるしけれ。心のうちも身のありさまもただおしはかり給へ」とのたまひもあへず、涙にむせび給へば、しげくにも涙を流しけり。あづかりて守護しける武士も袖をぞぬらしける。十六日になほ重衡をめしとはる。しげくにやしまへくだりつきてゐんぜんうけたまはり、あはせてしげひらのきやうののたまひけるやうにさきのないだいじんに申ければ、ときただのきやうをはじめとしていちもんのげつけいうんかくよりあひて、ちよくたふのおもむきをせんぎせらる。重国、三位中将のおんふみを二位殿にたてまつりたりければ、二位殿見給てさめざめとなかれて、文を顔におしあてて、人々のならびゐられたる所のしやうじをあけて、内大臣の前にたうれふして、なくなくのたまひけるは、「三位の中将が京よりいひをこせたる事のむざんさよ。げにも心のうちにいかばかりのことをかおもひゐたるらむ。只我におもひゆるしてないしどころを都へかへしいれたてまつりたまへ」とのたまひければ、人々あさましと思ひあわれたり。内大臣のたまひけるは、「誠にむね
P3200
もりもさこそはぞんじさうらへども、さすが世のききもいふかひなく、かつうは頼朝がが思わむ事もはづかしく候へば、さうなくないしどころをかへしいれまゐらせむ事かなふまじ。ていわうの世をたもたせ給事は内侍所のおんゆゑなり。子のかなしきもやうにこそより候へ。中将一人に、あまたのこども、したしき人々をば、さておぼしめしかへさせたまふか」とのたまひければ、二位殿又宣けるは、「こにふだうにおくれて、かたときいのちいきてあるべしとも思はざりしかども、しゆしやうかくいつとなくたびだたせたまひたるこころぐるしさと、又きんだちをも世にあらせばやとおもふ志の深さにこそ、今までながらへてもありつれ。中将いちのたににていけどりにせられぬとききしより、きもたましひも身にそわず。いかかにしてこのよにていまひとたびあひみるべかるらむと思へども、夢にだにも見へねば、いとど胸せきあげて、ゆみづをものどへいれられず。このふみを見てのちはいよいよおもひやるかたもなし。中将世になき事ときかば、我もおなじみちにきえなむずれば、ふたたび物を
P3201
思わぬ先に、只我をさきにうしなひ給へ」と、をめき叫ばれければ、げにもさこそ思給らめとあはれに覚へて、人々も涙を流して、おのおのふし目になられければ、涙ををさへてたちたまひぬ。さてしげくにをめして、ときただのきやうゐんぜんのおんうけぶみをたぶ。二位殿はなくなく中将のへんじかきたまひけるが、涙にくれて筆のたてどおぼへ給はねども、こころざしをしるべにてこまごまと書給て、重国にたまはりてけり。きたのかただいなごんのすけどのは只なくよりほかの事なくて、つやつや返事ものたまわず。さこそは思給ふらめとおしはかられていとをし。重国もかりぎぬのたもとをしぼり、涙をおさへて、おんまへをたちにけり。廿七日、しげひらのさいこくへくだしつかはしたりし、へいざうさゑもんのじようしげくにかへりのぼりて、さきのないだいじんのまゐらせられけるゐんぜんのおんぺんじを、くらんどさゑもんのごんのすけさだながのしゆくしよへまゐりて、たてまつりたりければ、さだながのあつそんゐんへ参てそうもんす。そのじやうにいはく、
P3202
三 こんげつじふしにちのゐんぜん、おなじきにじふしにち、さぬきのくににやしまのうらにたうらい。つつしみてもつてうくるところくだんのごとし。これにつきてかれをあんずるに、みちもりいげたうけのすはい、つのくにいちのたににおいて、すでにちゆうせられをはんぬ。なんぞしげひらいちにんくわんいうのゐんぜんをよろこぶべきや。わがきみはこたかくらのゐんのおんゆづりをうけましまして、ございゐすでにしかねん、そのおんあやまちなしといへども、とういほくてき、たうをむすびむれをなしてじゆらくのあひだ、かつうはえうていぼこうのおんなさけことにふかきによつて、かつうはぐわいきうぐわいかのこころざしあさからざるによつて、しばらくさいこくにせんかうありといへども、きうとにくわんかうなからんにおいては、さんじゆのしんぎ、いかでかぎよくたいをはなちたてまつるべけむや。それしんはきみをもつてちゆうをなし、きみはしんをもつてたいとなす。きみやすければすなはちしんやすし。きみかみにうれふればしんしたにいたはしくす。しんうちにたのしまざれば、たいほかによろこぶことなし。ここにへいしやうぐんさだもり、さうまのこじらうまさかどをついたうせしめ、とうはつかこくをしづめしよりこのかた、ししそんぞんにつづきて、てうてきのぼうしんをついたうし、だいだいせせにつたへて、きんけつてうかをまもりたてまつる。
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しかるあひだ、ばうふこにふだうしやうこく、ほうげんへいぢりやうどのかつせんのとき、ちよくめいをおもうしてぐめいをかろうす。ひとへにきみのおんためにしてみのためにあらず。よのためにしていのちをかへりみず。なかんづくかのよりともは、ちちよしともがむほんのとき、しきりにちゆうばつすべきよし、こしやうこくにおほせくださるといへども、ぜんもんじひれんみんのあまりをもつて。るざいをまうしなだむるところなり。しかるをむかしのかうおんをわすれ、いまのはうしをかへりみず、たちまちにるにんのみをもつて、みだりにきようたうのれつにつらなる。ぐいのいたり、しりよのあやまりなり。もつともしんへいのてんざいをまねき、これはいせきちんめつをこのむものか。じつげついまだちにおちず、てんがをてらしてそれあきらかなり。めいわうはいちにんとして、そのほふをまがらず、いつたんのなさけをもつて、そのとくをかくさず。きみばうふすどのほうこうをおぼしめしわすれたまはずは、はやくさいこくにごかうあるべし。しからずは、しこくくこくをはじめとして、とせいのくにぐにのともがら、くものごとくあつまりあめのごとくあまねくして、いぞくをなびかさむこと、うたがひあるべからず。そのときしゆしやうをあひぐしたてまつり、さんじゆのしんぎをたいして、ぎやう
P3204
がうのくわんぎよをなしたてまつるべしのみ。もしくわいけいのはぢをきよめずは、にんわうはちじふいちだいのぎよう、なみにひかれかぜにしたがひて、ありきましますしんらかうらいはくさいけいたんにおちべし。つひにいこくのたからとなるべきか。これらのおもむきをもつて、しかるべきやうに、もらしそうもんせしめたまふべし。むねもりとんじゆつつしみてごんじやうす。
げんりやく元年二月廿八日 さきのないだいじんたひらのむねもりがうけぶみ
とぞかかれたりける。
四 三月ひとひのひひつじのときばかり、ほんざんゐのちゆうじやうのさぶらひ、もくのうまのじようのぶときとまうすものあり。はつでうのゐんにけんざんして有ければ、三位中将のともに西国へは下らざりけれども、中将いけどられて都へのぼりたまひたる由、のぶときつたへききて、あづかりたりける武士、とひのじらうがもとへゆきむかひて申けるは、「さんゐのちゆうじやうどののこれにおんわたりさうらふやらむ。としごろのしゆくんにてわた
P3205
らせたまひさうらふが、させる弓矢取る者にてもさうらわねば、いくさかつせんのおんともはえつかまつりさうらわず。只はきのごう事ばかりつかまつりさうらひき。西国へもつかまつりたくさうらひしかども、はつでうのゐんへけんざんの身にてさうらひし時に、かねてもしりさうらはで、西国へのおんとももつかまつり候わず。をととひおほちにて見まひらせさうらひしが、あはれにかなしくおぼえさうらふ。しかるべくはおんゆるされをかうぶりて、近く参ていまいちどさいごのげんざんにまかりいりさうらはばや。させるこしがたなをもさしてさうらはばこそひがことつかまつりさうらはめ」となくなく申ければ、「げにもさこそは思らめ。守護の者あまたあり。入れたりとてもいかばかりの事をかしいだすべき」とて、ゆるしてけり。さてのぶときことのよしをまうしいれたりければ、中将よろこびたまひて、昔今の物語し給て、御涙せきあへず。信時も中将を見奉て、ともに涙をぞ流しける。中将のたまひけるは、「さんぬるころ西国へゐんぜんくだりしかば、二位殿のおわすればと、たのもしく待つれども、そのこと
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既にむなし。いまにおいてはきらるることひつぢやうなり。ただし最後のまうねんとなりぬべき事あり。都をいでし時も、なんぢがなかりし時に、そのさうもきかざりき。そもそも汝してときどきふみつかはしし人はいまだだいりにとやきく」とのたまひければ、信時、「さこそうけたまはりさうらへ」と申ければ、「かの人のもとへふみをつかはさばやと思へども、たれしてつかはすべしともおぼえず。信時持て行なむや」とて、おんふみを書て、あづけらるる武士に宣けるは、「知たるにようばうのもとへ文をつかはさばやとおもふはかなわじや」とのたまへば、「なにかくるしくさうらふべき。ただし御文をたまはりてみまゐらせん」と申ければ、見せらる。いつしゆのうたにてぞ有ける。このおんふみをみたてまつりては、もののふもあはれにぞ思ひける。信時だいりに参たりけるが、いまだあかかりければ、そのへんちかきこやに立入て、くるるほどにかの女房のつぼねに立寄てききければ、この女房の声にて、「人にもすぐれて世をぼへもあり、こころざしもなのめならずありしかば、なさけをかけぬ人も
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なかりしに、人しもこそあれ、三位の中将のいきながらとられて、みやこのおほちをわたさるる事の悲しさよ。人は皆『奈良をやきたる罪のむくひにや』といふなり。げにもさやらむとおぼゆ。これにて中将ののたまひしには、『わがこころにもおこらず、焼けともいはざりしかども、たせいなりしかば、心ならず火をいだしたれば、おほくのがらんほろびたまひぬ。末の露、もとのしづくなれば、誠にわがつみにこそならむずらめ』といひしが、げにもさとおぼゆるぞや」とて、さめざめと泣給ければ、「あないとほしし。さては女房も同じ御心にてなげきたまひけり」とあはれに覚へて、立寄てやりどをうちたたき、「ものまうさん」といへば、女房いでて、「いづかたより」と問えば、「三位中将殿より」と申せば、さきざきは人にもみへ給わぬ女房のいそぎいでたまひて、「いかにいかに」と問給へば、「おんふみさうらふ」とてさしあげたり。開ていそぎ見給へば、「いかならむのやまの末、うみかはの底までも、かひなき命だにあらば、申
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事も有なむとこそ思しに、それも叶わず。いきながらとられて、恥をさらす事の心憂さ、このよひとつの事にはあらじ。ぜんぜのしゆくごふにてこそ有らめと思へば、人をもうらむべからず。このよにあらむ事もけふとあすとばかりなり。いかにしてか今一度あひみたてまつらむ」と、あはれなることどもつきせずかきたまひて。
なみだ河うき名を流す身なれども今ひとしをのあふせともがな K199
女房このふみをみたまふに、涙にむせびて、ひきかづきてふしたまへり。ややひさしくありてをきあがり、つかひのいつとなげに、つくづくとまちゐたるも心なければ、こまかにおんぺんじをかきて、「いづくのうらはにもおわしまさば、みづからまうすことこそかたくとも、つゆの命、くさばにきえやらずながらへてあらば、風のたよりにはとこそおもひつるに、さてはけふをかぎりにておわすらむこそかなしけれ。さもあらばわがみとて
P3209
ながらえむ事もありがたし。いかにしてか今一度みたてまつるべき」とかきたまひて。
君ゆへにわれもうき名を流せども底のみくづと共にならばや K200
信時、御返事をたまはりて返りまゐりたれば、三位中将これをみて、二三日はなぐさむ心地し給けり。ちゆうじやう、とひのじらうに、「ひとひのふみのぬしを思へ呼てげんざんせばやとおもふはかなはじや」とのたまひければ、「げにも女房にて渡らせ給わむには、なにかくるしく候べき」と申せば、中将よろこびたまひて、信時にのりものをからせて、いそぎ車をだいりのつぼねへつかはしけり。女房をそろしくは思給けれども、こころざしのせつなるによつて、いそぎおわしけり。たださきだつものは涙ばかり也。中将のおわする方へ、信時車をさしよせたれば、中将くるまよせにいでむかひて、「なおりさせたまひそ。ぶしどもの
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見るがはづかしきに」とて、わがみはあらはにゐて、車のすだれをうちかづきて、手に手を取組て、たがひに御涙せきあへず。袖のしがらみせきかねて、夜を重ね日をかさぬとも、なほあきだらずぞ思給ける。ややひさしくありて中将のたまひけるは、「さいこくへむかひし時もひまのなかりしかば、おもひながらなにごとも申をかず。かつせんの日も矢にあたつて死なば、又もおとづれまうさで、としごろまうしちぎりしことどもも皆うきことにて、さてやはてむずらんとおもひつるに、いきながらとられておほちを渡されける事は、人に再びげんざんすべき事にて侍りける物を」と、云もあえずなかれければ、女房も共に涙にむせびて、ことばもいだされざりけり。
P3211
「このごろはよふけぬればおほちのらうぜきにあんなるに、しづまらぬさきにとくとく参らせ給へ。こむ世には必ずひとつはちすに」とて、たちのかんとし給ける時、雪のやうなるおんはだへにいましめのつきたりけるを女房見給て、いとどきえいるここちぞせられける。夜もふけければ車をさしいださんとするに、袖をひかへて、「命あらば又もみたてまつらむうれしくこそ。世に無き者と聞給はば、ごせとぶらひ給へ」とのたまひて、中将。
あふことも露の命ももろともにこよひばかりやかぎりなるらむ K201
女房。
かぎりとてたちわかれなば露の身の君より先にきえぬべきかな K202
P3212
「ちぎりあらばこむ世に」とのたまひて、だいりへ帰し奉る。女房はひきかづきてふししづみ給へり。おんまへなる女房たちも、ことわりなりとて、皆袖をぞしぼりける。そののちは内裏へは参給はず、里にぞ住給ける。せめての事と覚へて、おしはかられて哀也。
五 さんゐのちゆうじやうはくらうよしつねのかたへ、「出家をせばや」とのたまひければ、「われはかなはじ」とて、院へまうされたりければ、法皇おほせの有けるは、「関東へくだしてよりともに見せてこそ、入道になさんとも法師になさむともはからはせめ。いかでかこれにてさうなくかたちをやつすべき」とおほせくだされければ、中将にこのよしを申す。三位ちから
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およびたまはず。とひのじらうに宣けるは、「われよにさうらひし時、としごろたのみて候ししやうにんのおわするをしやうじたてまつりて、今一度げんざんしたてまつり、りんじゆうのさほふをも尋ね、ごせをあつらへおきさうらはばや」と宣ければ、「しやうにんはたれびとにておんわたりさうらふやらむ」。「くろだにのほふねんしやうにん」とぞおほせられける。「安く候」とて、しやうじ奉りたりければ、三位、上人にむかひたてまつり、涙を流したなごころをあはせて、なくなくまうされけるは、「しげひらがごしやうをいかがし候べき。身の身にてさうらひし時は、しゆつしにまぎれ、せいむにほだされて、たのしみひまなく、えいぐわにほこり、けうまんの心のみふかくして、たうらいのしようちんをかへりみず。うんつきよみだれてよりこのかた、これにあらそひかれにたたかひ、人をほろぼし身をたすけむといとなみ、あくごふてうぼにさえぎりて、
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ぜんしんそうじておこらず。なかんづくなんとえんしやうの事、わうせんといひふめいとまうし、よにしたがふみちのがれがたくして、しゆとのあくぎやうをしづめんがために、まかりむかひてさうらひし程に、ふりよにがらんめつばうにおよびし事、ちからおよばざるしだいにて候へども、たいしやうぐんをつとめさうらひし上は、せめいちにんにきすとかや申事なれば、重衡がざいごふになりさうらひぬとおぼえさうらふ。かつうはかやうに人しれずここかしこに恥をさらしさうらふも、しかしながらそのむくいとのみこそおもひしられ候へば、かしらをそりかいをたもちなんどして、ひとへにぶつだうをしゆぎやうしたく候へども、かかる身にまかりなりさうらふうへは、心にこころをまかせさうらはず、けふあすとも知らぬ身にて候へば、たんぼにごしがたくさうらふ。いかなるぎやうをしゆして、いちごふたすかるべしとも覚へ候はず。こころうくこそ候へ。つらつらいつしやうのしよぎやうを思
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知り、しばしばぜんぜのごふいんを案じつづけ候に、ざいごふはしゆみよりも高く、ぜんごふはみぢんばかりもたくはへさうらはず。かくてむなしくいのちをはりさうらひなば、くわけつたうのくくわ、あへてうたがひさうらふまじ。ねがはくはじひをほどこし、かねてはあはれみをたれたまひて、かかるあくにんのごしやうたすかるべきはうぼふさうらはば、しめしたまはりさうらはばや」とまうされたりければ、しやうにん涙にむせびて、しばしは物ものたまはず。ややひさしくありて、「誠にうけがたきにんじんをうけて、むなしくさんづにかへりおはしまさむ事は、かなしみてもなほかなしかるべし。しかれば今ゑどをいとひじやうどをねがひ、あくしんをひるがへし、ぜんしんをおこしたまはむ事は、さんぜしよぶつもさだめてずいきし給らむ。しゆつりのみちまちまちなりといへども、まつぼふぢよくらんのきには、しようみやうをもつてすぐれたりとす。どをくほんにわけて、ぎやうをろくじにつづめて、じふあくごぎやくもゑかうすればわうじやうす。じふあくごぎやく
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ざいめつわうじやうとしやくするがゆゑに、いちねんじふねんも心をいたせばしやういんとなる。いちねんみだぶつそくめつむりやうざいととくがゆゑ、『せんしようみやうがうしさいはう』としやくして、もつぱらみやうがうをしようすればさいはうに至る。『ねんねんしようみやうじやうさんげ』とのべて、ねんねんにみなをとなふれば、さんげする也とをしへたり。『りけんそくぜみだがう』とたのめばまえんちかづかず。『いつしやうしようねんざいかいぢよ』とねんずればつみみなのぞこると見へたり。じやうどしゆうのしえう、りやくをぞんずるに、たいりやくこれをかんじんとす。ただしわうじやうのとくふとくはしんじんのうむによる。只深く信じて、ゆめゆめうたがひをなしたまふべからず。もし深くこのをしへを信じて、ぎやうぢゆうざぐわじしよしよえんをきらはず、さんごふしぎにをいて、しんねんくしようをわすれずして、みやうじゆうをごとして、このくゐきのかいをいでて、かのふたいのどにわうじやうし給はむ事、何の
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うたがひかあらむ」とけうけし給ければ、中将うれしくおぼして、ずいきの涙を流して、「このついでにかいをたもたばやとぞんじさうらふが、しゆつけつかまつらずしてはかなひさうらはじや」と宣ければ、「出家せぬ人もかいをたもつ事、常の事なり」とて、いただきにかみそりをあててそるまねをして、じつかいをさづけたてまつりて、「もしけふのうちにことなるおんことさうらはずしてすごさせおはしまさば、今のくどくばくたいのおんこと」とのたまひければ、三位かへすがへすよろこびたまひて、「だいざいををかす身ながらも、ふたたびしやうにんにあひたてまつりて、ふたつの法をじゆぢしさうらひぬる事、らいせのえうろなり」とのたまひて、おんふせとおぼしくて、都にいかにしてのこしとどめたまひたりけるやらむ、さうしきやうのいちがふ有けるを、もくのうまのじようたづねいだして奉る。「これをおんみちかくおかせ給て、御覧ぜむ
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たびごとに、念仏申させ給て、ごせをとぶらひてたび候へ」と申させ給たりければ、しやうにんこれをたまはりてふところに入れ給ひ、なにと云事をば宣はず、只涙にむせびてなくなくいでたまひけるこそあはれなれ。
六 おなじきふつかのひ、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらのきやうをば、とひのじらうさねひらがもとよりくらうよしつねのしゆくしよへわたしたてまつる。この三位中将を土肥次郎が守護しける事は、かぢはらはおほてがまのくわんじやのかたのさぶらひたいしやうぐんなり、九郎申けるは、「義経が上の山よりおとさずはとうざいのきどぐちやぶれがたし。いけどりもしにどりも義経がげんざんにこそいるべきに、物の用にもたたぬがまどもが見参にいる事こそ心得ね。三位中将をこれへ渡し給へ。給はらずは参てたまはらん」と
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のたまひければ、とひ、かぢはらいひあはせて、土肥がもとへ渡したりければ、そののちかしづきにけり。すえ申べき所、家のうしろのかたにつくりて、またれけり。ひつじのときばかりにしたすだれかけたるにようばうぐるまにてていちゆうにやりいれたり。ぶしども、さねひらをさきとしてさんじつきばかりあり。くらうよしつねは、もくらんぢのひたたれにしたはらまききて、つまどよりをりむかひて、「かどさせ」とげぢす。中将手づからすだれをまきあげてゐられたり。九郎そでかきあはせて、おんうらなしまゐらせて、「あなをびたたしざふにんや」とまうして、中将をさきにたててぐしたてまつりて入る。中将はしろきひたたれをぞきられたりける。九郎申けるは、「内へいらせ給て、おんしやうぞくぬがせたまひ、ごきそくあれ」
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と申。よつぼの所をきよげにかこふたり。中将内にすゑられたり。九郎えんにさうらひて申けるは、「あはれ、くちをしくわたらせ給けるおんいのちかな。いかなる事をかおぼしめすらむと、ごしんぢゆうおしはかりまゐらせて候。いかがおんぱからひさうらふ」と申ければ、中将は扇をつかひて、「いかにも」とぞ有ける。夜々はひとまなる所にこめたてまつりて、そとよりかけがねをかけて、火をとぼして、武士共まもりまうしけり。おなじきいつかのひ、しゆめのにふだうもりくに、おなじく子供を、九郎義経めしとりていましめおく。
七 平家はさいこくにもあんどしがたくして、既にほろびなんとす。これによつて、くげより、ひやうゑのすけのもとへおほせらるるでうでう。「へいけしよちのこと
一もんじよのふんしつならびによしなかゆきいへらにたまはること
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みぎ、しさいもくろくにのせをはんぬ。
一しやうりやうそうすうのこと
みぎ、かのいちぞくちぎやうのしやうりやう、すひやくかしよにおよぶよし、せけんにふうぶんす。しかるにゐんぐうならびにせつろくけのしやうゑん、あるいはわたくしのはうおんのちぎやうこれあり。あるいはしよじゆうらいんぎんをいたすともがらにこれをあづくること、かくのごときところどころは、まつたくごしんじにあらず、これほんじよのさうなり。よつてそうすうにしるしいるるばかりなり。またゐんのごりやうのしやうしやうとう、きんねんげきらんのあひだ、かぎりあり。さうでんのあづかりどころのほんしゆら、しうたんせしむるによつて、せうせうこれをかへしたまへ。これによつてこれをのぞく。あるいはそんばうのこと、いうしよなきにあらざるあひだ、せうせうこれをさたしたまふ。
一しよこくのけりやうとうのこと
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右、いちもんのひとびとすかこくむのあひだ、あるいはでんじゆいつたんのけりやうをまさむとするよし、これありといへども、さしたるもんじよなく、またさうでんなし。よつてとくたいのとき、りやうじいかでかそのしうたんなからんや。かいほつくわうやのもんじよをたいするところどころのほか、くににきふせられば、ぜんせいをなすべきか。
一さうでんのけりやうのこと
右、もんじよふんしつのあひだ、そらにしるしつけられず。かつうはたいがいこのなかにさうらふか。
一とうごくのりやうのこと
右、ごぞんぢあるむね、これにのこされをはんぬ。たのくにぐにいまだふせず。またどうぜんをもつて、いまにおいては、りやうちせしめたまふべし。たとひへいけちぎやうのちにあらずといへども、とうごくのごりやう、やまのうちのしやういげびんぎのごりやう、まうしうけらるるにしたがひて、みくだしぶみあるべし。みねんぐに
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おいては、しんさいせしめたまふべし。
いぜんのでうでうおほせのむねかくのごとし。よつてしつたつくだんのごとし。
げんりやくぐわんねんきのえのたつ三月七日 さきのおほくらのきやううけたまはり
さきのうひやうゑのすけどのへ」とぞしるしまうされける。おなじきひ、いたがきのさぶらうかねのぶ、とひのじらうさねひら、すせんぎのぐんびやうをそつして、へいけついたうのために、西国へげかうす。
八 十日、法皇、九郎おんざうしにおほせありけるは、「しげひらをば、くわんとうより、さきの兵衛佐頼朝、まうしうくるむねあり。くだしつかはすべき」よし、おほせありければ、かぢはらへいざうかげときうけたまはりて、中将をぐそくしたてまつりて、関東へぞくだりける。夜のほのぼのとしける時、なつげのむかばきに、にげな
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る馬に乗せ奉て、しろぬのをよりてくらにひきまはして、ほかより見えぬやうにまへわにしめつけて、たけがさのいとおほきなるを着せ申たりけり。あゐずりのひたたれきたる男、馬の口をとる。せんぢんに武士卅騎ばかりうちて、ごぢんに又卅騎計打たる中に、うちぐせられたりければ、よそには何ともみえわかず。かぢはらへいざうかげときをはじめとして、ごぢんは百騎ばかりぞ有ける。くくめぢよりくだりたまへば、ろくはらのへんにてよあけにけり。このあたりに平家のざうえいしたりし家々、みなやけうせて、有りし所とも見へず。中にもこまつどのとて名高く見へし所も、ついぢ、かどばかりは有て、あさましくこそ。中将人しれずみまはされけ
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れば、このうちには犬烏のひきしろうこゑしけり。「哀れ、世に有りし時、いかでかかやうの事有らん」とぞをぼしける。山のみねにうちあがりて、都をかへりみたまひけむしんぢゆうこそかなしけれ。これよりあづまぢさしてくだられけるこそかなしけれ。かうかうたる露のみちに、おもひをせんりのくもにはせ、べうべうたる風のやどり、こころをいくへのなみにまかせつつ、かすみをへだてきりをしのぎ、たちわかるれば旅の空、くもゐのよそにや成ぬらむ。しのみやがはらにかかりては、ここはえんぎのだいしの宮、せみまるといひし人、ちゆうしうさんごのゆふべ、せいめいたりし月の夜、「よのなかはとてもかくても」とながめつつ、びはのさんきよくをひかれしに、はくがのさんゐといひし人、みとせが程、雨の降る夜もふらぬ夜も、風のふく
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ひもふかぬ日も、夜な夜なあゆみをはこびつつ、えうでうにてつひにひきよくを移しけむ、わらやのとこのさびしさを、おもひいりてぞとほられける。あふさかこえてうちでの浜、浜よりはるかをみわたせば、さうはべうべうとしてうらみの心めんめんたり。しほならぬ海にそばたてるいしやままうでのここちして、やまだにかかれば、にほの渡り、やばせをいそぐわたしもり、ながらの山をよそに見て、あはづの原をうしろにし、せたのからはしのぢのすゑ、しぐれて痛くもりやまの、ささわくそでもしをれつつ、こきやうをかへりみたまへば、雲をへだつるあふさかやま、こしぢをそばむき見給へば、かすみをかさぬるあらちやま、あづまぢはるかにみわたせば、かすみにくもるかがみやま、おもかげのみやのこすらむ。おいその森のしたくさに、
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しげみにこまをとどめつつ、こよひはここにかりまくら、くさひきむすぶたびねせむ。ふけぬるか、人をとがむる麓の里のいぬかみや、たかねひらのをよそに見て、すりはりやまをうちこえて、をののふるみちふみわけて、すそのをめぐればいぶきやま、心を友としあらねども、あれて中々やさしきは、ふはのせきやのいたびさし、余りにのきのまばらなればや、月もしぐれもたまりえず。こまうちわたすくひぜがは、雨はふらねどかさぬひの、さとにやしばしやすらはむ。ちぎりをばむすぶの森のうらやましくもたちならび、えださしかはすふたつぎを、あやふく渡すうきはしの、あしからこゆる朝ぼらけ、はやあかいけにやなりぬらん。くもはれゆけば春の日も、あつたやつるぎいちはやきめぐみをふかく
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たのめども、なにとなるみのしほひがた、わたすにそでやくちぬらむ。ふたむらやまをすぎぬれば、またくにこゆるさかひがは、ありはらのなりひらが、「からごろもきつつなれにし」とながめける、みかはなるやつはし、くもでに物やおもふらむ。とほたふみはまなの橋のゆふしほに、さされてのぼるあまをぶね、こがれて物や思らむ。いけだのしゆくへもつきにけり。かのしゆくのちやうじやが娘に、じじゆうといへるいうくんあり。中将のおんとのゐに参たりけるが、あかつきかへるとて、ことに心すきたる女なれば、かくぞまうしていでにける。
あづまぢやはにふの小屋のいぶせさにいかにふるさとこひしかるらん K203
中将のへんじ。
ふるさともこひしくもなし旅の空いづくもつひのすみかならねば K204
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中将いけだのしゆくをいでぬれば、さやのなかやま、うづの山、きよみが関をもうちこえて、富士のすそへもつきにけり。北にはせいざんががとして、まつふくかぜもれいれいたり。南にはさうかいまんまんとして、きしうつなみもばうばうたり。春も末に成ぬれば、ゑんざんの花をばのこんのゆきかとうたがわる。ひかずやうやくつもりゆけば、廿六日のゆふぐれには、中将いづのこくふへぞつきたまふ。をりふしひやうゑのすけどのはいづにかりしておわしければ、かぢはら事のよしをまうしいれたりければ、もんぐわいにてよそをゐ有り。さうのみてを胸の内にをさめ申てけり。かどばしらにほんひきたてて、いまだむねもあげずとびらも立てず。おほがきもあとばかりは見へて、ひろびろとあるうちを見入らるれば、みなみ
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おもてにさんげんしめんのあたらしきいたぶきのしんでんにすだれかけたり。妻合ひがしのまへにごけんしめんのやみつあり。人々多くなみゐたり。西のかたにひがしむきにごけんしめんの片早あり。かぢはらへいざうさきにたちてちゆうじやういらる。片早の内、西の座にはこもんのたたみさんでふしきて、東の座にはむらさきべりの畳をごでふしかれたり。中将は西の座のこもんの畳にひがしむきにゐらる。かげときは北より第二のまのえんにゐたり。みるひとかずをしらず。しばらくありて、しんでんのもやの西の間の左のすだれを一枚、僧のじやうえきたるがいできたりてまきあげて、僧は北の間のえんにゐたりけり。かまくらどの、ひきのとうしらうよしかずをおんつかひにてまうされけるは、「さうなくげんざんにいるべくさうらへども、このほどやけのをかりてさうらへば、ほ
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こり多くかかりてさうらふあひだ、いかけつかまつりてげんざんにいるべくさうらふ。かやうにおんげかうこそしんべうに候へ。ただしちちのはぢをきよめ、きみのおんいきどほりをやすめたてまつらんとおもひたちさうらひし上は、へいけをほろぼしたてまつらん事はあんの内にて候しかども、まのあたりげんざんすべしとこそおもひよらずさうらひしか。今はおほいとのにもげんざんしさうらひぬとこそおぼえさうらへ。そもそもなんとをやきたまひし事は、だいじやうにふだうどののおほせにてさうらひしか、ときにのぞみたるおんぱからひにてさうらひけるか。もつてのほかのざいごふにこそ」とまうされければ、三位中将これをききたまひて涙をのごひ、「昔よりげんぺいりやうか、てうかのおんまもりにてていわうのみやづかへをつかまつる。ちかごろ源氏の運かたぶかれさうらひし事、いまさらにことあたらしくまうすべきにあらず、人皆知れる事にて候。そのけんじやうをはじめと
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して、平家よのなかをたひらぐるあひだ、いつてんの君のごぐわいせきとして、一族のしようじん八十余人、にじつかねんのあひだ、楽み栄へまうすはかりなし。今又うんつきぬれば、しげひらめしうとにて参る。このけんじやうにてさかえ給わむ事うたがひなし。それにとりて、ていわうのおんかたきをうちたる者は、しちだいまでてうおんうせずとまうすこと、きはめたるひがことなり。まのあたりこにふだうは法皇のおんためには、申せばおろかなり、おんいのちにかはりたてまつる事もたびたびなり。されどもわづかにそのみいちだいのさいはひにて、子息かやうにまかりなるべしや。いちもんうんつきて都をまどひいでさうらひしのちは、かばねをさんやにさらし、名をこうたいにとどめんとこそぞんじさうらひしか。これまでまゐるべしとは存ぜざりき。これもぜんぜのしゆくごふにこそ。『いんのちうはかのけつにとらふ
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はれ、ぶんわうはいうりにこめらる』といふもんあり。しやうこまたかくのごとし。いはむやまつだいにおいてをや。まつたくはぢにあらず。ごはうおんにはとくくびをめさるべし」とぞのたまひける。かげときいげのだいみやうせうみやう、おんまへになみゐたりけるが、「このちゆうじやうどのはいたいけしたるくちぎきかな」とおのおのほめたてまつりて、皆涙をぞながしける。「この人は名を流したるたいしやうぐんなり。さうなくきりたてまつるべからず。なんとのだいしゆまうすむねあらむ」と兵衛佐のたまひて、「むねもちこれへ」と有ければ、えんなるそうめしつく。ひがしのえんより、年四十ばかりもやあるらむとおぼしき男のしろきひたたれきたるが、すけの前にえんをおさへて膝をかがめてたてり。すけのたまひけるは、「あの三位中将殿あづけまゐらせて、よくよくもてなしいたはり奉れ。けだいにてわれうらむな」とのたまひて、手づからすだれをひき
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をろしてたたれにけり。むねもちもとのさぶらひに帰て、ともどもにいひあはせて、しんでんの前にこしうやして、にしのやなるかげときとささやきごとして、「さらば今はいでさせ給へ」と申ければ、中将たちいでたまひて、けふよりはいづのくにのぢゆうにんかののすけむねもちが手にぞ渡り給ける。「めいどにて罪人の、なぬかなぬかにごくそつの手に渡るらんも、かくこそあるらめ。いかなるなさけなきものにてかあらむずらん」とおぼゆるぞかなしき。しゆごしたてまつるぶしどももきびしからず。夜はえんにゐ、昼は庭にぞさうらひける。
九 ひやうゑのすけどのより、「なさけなくあたりたてまつるべからず。ゆどのしていたはりたてまつれ」とて、湯殿へいれたてまつる。としはたちばかりなる女房の、しらあやのこそできたるが、ゆどのの戸をひきあけて参る。中将、「あれはいかに」とおほせられ
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ければ、「兵衛佐殿より、おんかいしやくに参れと候」と申ければ、かののすけちかくさうらひけるが、「なにとかくな申されそ。はやくまゐりたまへ」と云ければ、女房うちへいりぬ。そののち年十六七ばかりなるびぢよ、紫のこそで着て、てばこのふたにくしいれて、持て参たり。中将おんいかけしてあがり給にけり。この女房、「『何事もおぼしめしさうらはむ事はおほせられさうらへ』と、兵衛佐殿のおほせさぶらひつる」と申ければ、三位中将、「何事をかは。あすくびきらるることもや有らむずらん」とまうされければ、女房このよしをひやうゑのすけどのに申す。「頼朝がわたくしのかたきにあらず。いかでかさうなくきりたてまつるべき」とぞまうされける。中将、かののすけに、「只今の女房はいたひ
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けしたるものかな。いかなる者ぞ。名をばなにといふぞ」ととはれければ、「てごしのしゆくの君のちやうじやが娘、せんじゆとまうすものにて候。こころだていたいけしたる者にてさうらふあひだ、兵衛佐殿のおんまへにこの四六ヶ年めしつかはれまゐらせて候也」とぞ申ける。そのよはあめうちふりたりけるに、かののすけ、いへのこらうどうひきぐして、酒持て参たり。せんじゆのまへもびはこと持て参る。三位はよりふしたまひたりけるが、おきなほりておはす。酒をすすめたてまつるに、さかづきしちぶにうけたまふ。かののすけ申けるは、「兵衛佐殿より『よくよくもてなしまゐらせよ』と云おほせをかうぶりてさうらふあひだ、たびどころにて候へども、千手前、なにごとにてもひとこゑまうしてまゐらせよ」と申ければ、
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「らきのちよういたるなさけなきことをきふにねたみ、くわんげんのちやうきよくにある、をへざることをれいじんにいかる」と云らうえいをしたり。三位中将おほせられけるは、「重衡こんじやうはざいごふによつてさんぽうにすてられ奉りぬ。ざいごふかろみぬべき事ならばなびき奉らむ」とまうされければ、千手の前、「じふあくといへどもなほいんぜふす」と云らうえいをして、「ごくらくへ参らん人は皆」と云いまやうさんべん、うたひすまひたり。その時三位さかづきをかたぶけ給。せんじゆ琴を取て、ごじやうらくのきふをひきすます。中将はびはを取てかきならさる。女しばしは琴をつけけれども、のちにはひやうしあわでひきやみぬ。よふけゆくままに、中将しづかに心をすまして、「くはひこつ」をぞひかれける。中将、「こんじやうの楽みとこそくわんずべけれ。何事
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にても今一度うけたまはらん」とおほせられければ、千手前、「いちじゆの影にやどり、いちがのながれをくむも、たしやうのえんなほふかし」と云事を、かぞへすまいたりければ、三位心をすまして、「ともしびくらうしてはすかうぐしの涙、よふけてはしめんそかのこゑ」と云らうえいをぞし給ける。これをききて人々申けるは、「さいこくにていかにもなりたまふべき人の、いちもんをはなれて、人しもこそあれ、いけどられたまひて、見なれぬぐんびやうにともなひてくだりたまひつらむみちすがら、いかが心細くおもひたまひつらん。せつせんの鳥の『けふやあすや』となくらむも、又ふいうのあだなるろめいおもひあはせられたまふらむとあはれなり」と申て、かののすけいげ、きくひと涙をぞながしける。中将、かののすけに、「おのおの今はかへり給へ。夢みん」とおほせられて、
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枕を西にぞかたぶけ給ける。やごゑの鳥もなきわたり、きぬぎぬになるあかつき、せんじゆもいとま申てかへりにけり。せんじゆ、ひやうゑのすけの、ぢぶつだうにねんじゆしておわしける処に参たりければ、「千手にはおもしろきなかうどはしたるものかな」とぞ、兵衛佐はのたまひける。だいぜんのだいぶひろもと、そのときはいなばのかみと申けるが、ひろひさしにしゆひつしてさうらひけるに、兵衛佐おほせられけるは、「平家は弓矢のかたよりほかは、たしなむ事はなきかとおもひたるに、三位よもすがらびはのことがらくちずさみ、いうなる物かな」とぞのたまひける。ひろもとふでをさしおきて、「平家はだいだいさうでんのさいじん、この人はたうせいぶさうのかじんにて候。かのいちもんを花にたとへさうらひしには、このとのをばぼたんの花にたとへてこそさうらひしか」とぞ申ける。又
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すけどののたまひけるは、「三位の、『ともしびくらうしてはすかうぐしのなみだ』と云らうえいをしたまひつるは、いかなる事にてあるやらん」と。広元申けるは、「あれは、昔だいこくにそのかううと申けるみかど、ぐしと申みめよききさきをちようあいせられさうらひけり。かんのかうそとまうすかたき、項羽をおそひさうらひけるに、馬の一日に千里をとぶに乗て、このぐしとともにさらんとしけるに、馬いかが思けむ、足をととのへてはたらかざりければ、項羽涙をながして、『わがゐせいすでにつきたり。今はのがるべきかたなし。かたきのおそはむは事のかずならず。このぐしにわかれなむ事こそかなしけれ』とて、よもすがらなげきさうらひける程に、ともしびのくらくなるままに、こころぼそくて、ぐし涙を流す。よふくるままにしめんに時を作りさうらひけるなり。
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これをきつしやうこうが、『ともしびくらうしてはすかうぐしのなみだ、よふけてはしめんそかのこゑ』とは作てさうらふなり。」又すけどの、せんじゆに問給けるは、「中将よもすがらびはをひきたまひつるは、何といふがくにて有けるぞ」とのたまひければ、「はじめはごじやうらく、つぎにわうじやうのきふにてさぶらひしが、のちにはくわいこつといふがくにてさぶらふ」と申。ひろもとこれをききて、「かのくわいこつをば、もんじには『かばねをめぐらす』と書てさうらふ。だいこくにはさうそうのとき必ずもちゐるがくなり。しかるに中将こんじやうのえいぐわつきて、只今ちゆうせられたまひなむずる事を思給て、かのいてうのれいをたづねて、さうそうのがくをひかれけるこそあはれなれ」と申ければ、すけどのをはじめたてまつりて、きくひと涙をぞ流しける。さんぬる十八日、ざいざいしよしよの武士のらうぜきをとどむべきよし、せんじをくださるべきむね、くらんどうゑもんのごんのすけさだ
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なが宣旨をうけたまはりて、とうのさちゆうべんみつまさのあつそんにおほす。おなじき廿七日にしよこくひやうらうまいのせめをとどむべきよし、さだながおなじくとうのべんにおほす。さても中将はおんこの一人もおはせぬ事をなげきたまひしかば、にゐどのもほいなきことに思ひ、きたのかた、だいなごんのすけどのもなのめならずなげきたまひけり。しんめいぶつだにもきせいし給ひき。「かしこくぞおんこのなかりける。ありせばいかにこころぐるしからまし」と、せめての事にはおもはれけり。
十 そのころごんのすけさんゐのちゆうじやうは、さぬきのやしまにおはしましけるが、都にはおとはやまのおそざくら、北はさけば南は散り、たるひも今はとけはてて、のきのしのぶももへぬらんと、常には都の事のみぞこひしくはおもはれける。この浦のすまひ、なみのうへのありさま、さうばんをごすべきならねば、これも三
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月とをかのひ、さぶらひにはよざうびやうゑしげかげ、きんじゆしやにはいしどうといひしわらは、とねりにはたけさとと云し男、これら三人をめしぐして、かうたけひとしづまりて、しのびつつやしまのたちをいでたまふ。あはのくにゆきのうらよりなるとのおきをこぎわたり、しららの〔はま〕、ふきあげ、わかのうら、たまつしまのみやうじん、ひのくまくにかかすのやしろをばただそれとのみふしをがみ、きいのくにゆらのみなとといふところへつきたまふ。これよりして、「かうざんの林にもいり、しんこくのさはにもつたひつつ、こきやうへのぼりて、こひしき人をも今一度見ん」とおぼしめしけるが、さまをやつし給へどもなほびとにはまがふべくもなし。ほんざんゐのちゆうじやうのいけどられて、きやうゐなかびとの口にのるだにもこころうきに、われさへうきなをながして、さしもけんにおはせし父の
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かうべに、血をあやさむ事くちをしくて、ちたびももたび心はすすみたまひけれども、恋と恥とをくらぶれば、恥は猶もかなしくて、なくなくかうやさんへまゐり給ひ、人をぞたづねたまひける。そもそも人と申すは、さんでうのさいとうさゑもんのたいふもちよりがしそく、さいとうたきぐちときよりとて、小松殿のわかさぶらひにて有けるが、だうしんをおこしてにはかに出家して、この五六かねんこのおやまにぢゆうす。けいくわんげつきゆうをさしはさみて、えんがくのねんををぞらにつもり、りうしろぢんにあたりぬ、ぼくしのかなしみにはにしげし。ものにふれてくわんねんをもよほし、つとめすまして有けるに、たづねあひたまへり。ときよりにふだうみたてまつりて、ゆめかうつつかとあきれまどひ、涙にむせびて物も申さず。三位も涙をおさへておんことばもいでたまはず。ときよりにふだうややひさしくありて申けるは、
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「屋嶋をばいかにして渡らせたまひたるぞ。まことにうつつともおぼへず」と申てなきゐたり。中将のたまひけるは、「都にていかにもなるべかりし身の、ひとなみなみにさいこくへおちくだりたりつれども、きもこころも身にそはず、ふるさとにとどめおきしものどもの事よりほかに、心にかくる事もなく、よのなかあぢきなくてとしつきをへしかば、おほいとのも、『いけのだいなごんのやうに存ずるむねのあらむ』とのみのたまひて、うちとけたまはねば、いと心もとどまらず、あくがれいでて、是までまどひきたれり。古里へいかにもしてたづねいり、かはらぬかたちをも今一度見へたかりつれども、しげひらのきやうのいけどられて、きやうかまくらひきしろはるるだにもこころうきに、このみさへ恥をさらして、父のかばねに血をあやさむ事うたてければ、是に
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て出家をし、水の底にも入なむと思ふぞ。ただしゆやさんへまうでんとおもふこころざしあり」とのたまひもあえず泣給ふ。時頼入道申けるは、「まことにゆめまぼろしのよのなか、とてもかくてもさうらひなむ。長き夜の闇こそこころぐるしく候へ。今はかかるよのなかなれば、都の事をもおぼしめしきるべし。ぶんだんりんゑのさとにいづるもの、かならずしやうめつのうらみをえ、まうざうによげんのいへにあふやから、さだめてべつりのかなしみあらむ。かのしやらりんのはるのかすみをたづぬれば、まんとくのつきかくれて、いつけのえんながく尽き、このくわんぎゑんのあきのかぜをきけば、ごすいのつゆきえて、せんざいのたのしみこれむなし。いはむやにんげんでんはうのかたちにおいてをや。いはむやえんぶたんめいのくににおいてをや。これによつておいたるも去りわかきも去る。さりては多くろくしゆのくゐきをめぐり、たつときもゆきいやしきもゆく。ゆきてはしかしながら
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さんづのけんそにしづむ。さんがいにじふごのすみか、たれびとかこのくるしみをまぬかれん。ごちゆうせんはつぴやくのたぐひ、いづれのところにかそのうれひをはなれたるや。もつともいとふべきふせいのなかにて候也」とぞ申ける。
十一 そののちたきぐちにふだうせんだつして、だうたふじゆんれいし給ふ。さんごの松、だいたふよりはじめてまうでたまふに、あるいはひみつしゆぎやうのところもあり、あるいはそくしんとんごのいはやもあり、或はせつぽふしゆゑのにはもあり、或はしふがくさんがうの窓もあり。ごさうじやうじんの月ははちえふのみねにすみ、たいこんりやうぶのまんだらはしじふくゐんにみちみてり。しんれいのこゑごゑおとづれて、かれうびんにもおとらず。かやうのところどころをしゆぎやうして、れんげゐんへまうでつつ、でんぽふゐんよりおくのゐんへまうでたまひ、だいしのごべうを
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をがみたまふに、涙も更にとどまらず。そもそもかのかうやさんと申すは、ていせいをさりてじはくり、きやうりをはなれてじんせいなし、せいらんこずゑをならさずして、せきじつのかげもしづかなり。それわがそしのだいしは、ほふかいまにのろうかくをじしてじひのかどをいで、たうごくいとのなんざんにとどまりてりしやうのみちにいりたまへり。ないげてんのぢく、軸々にたまをみがき、だいせうじようのもん、文々にかがみをみがけり。くはしくわがてうのふうぎをたづね、ひろくしかいのりうれいをとぶらふに、ただろくしつしゆうのほふとうをかかげてひかりをてうやにかかやかし、わづかにさんしごのけうじようをたてて、ながえをとうざいにめぐらす。わがくにのだうせうわじやうのもろこしにいりし、けんしゆうをはくばじにうかがひ、いてうのけいじほふしのてうにきたりし、めうほふをはむくのみやにひろむ。みなごじのけうもんをがくして、いまだごびやうのちすいをくまず。
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だいしはほとけにがうほつぐわんをいたして、こんがういちじようのしんけうをきせいし、ゆめのうちにつげをかうぶりて、しやなしつぢくのひてんをかんとくす。これによつて、くわんむてんわうのぎようえんりやくにじふさんねんに、ぜうめいをうけたまはりてかんにいりたまへり。たんらりうきうのこせいにはばからず、ぎよぼつさうかいのげいふくにおそれず。まことにぼううほをうがちて、しやうふうかぢををりしかば、なみにしたがひてしようちんし、かぜにまかせてなんぼくす。かいちゆうにえいえいとして、いつじつのたのしみなく、はしやうにせいせいとして、じげつのいうよなり。ただてんすいのへきしよくをのみみて、いまださんけいのはくぶをみず。かくのごときなんをしのぎて、ちゆうしうにかうしうにつき、たいりよにちやうあんにいたりぬ。ちよくによつてせいめいじにるぢゆうし、しをたづねてとうたふゐんにわうげいす。さいはひにけいくわないくにあひて、くわんぢやうのししゆとあふぎ、深くりやうぶのだいほふをがくして、
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しよそんのゆがをつたふ。さんぜんしつひやくりのげいかいをこえすぎて、きよわうじつきのよろこびをなつかしむ。にひやくろくじふぶのざうけうをしやうらいして、はくらうさうはのみちをわたる。さんごをしうんのうちになげて、かねてみつぽふさうおうのしようちをてんじ、ふなわたししてこしうをさうめいのうへに、まさしくみつけうゆがのばいえふをひらく。へいぜいのせいたいにがうかいをしのぎてほんてうにかへり、さがのめいじにほうぜうをかうぶりてばたいにひろむ。さればだいしのおんことばには、
ともづなをはしやうにときしそのかみは、にぶきかたなをとりて、いはほにむかへるがごとし。
ちよくをてんがにかうぶるただいまは、りけんをふるひてはたをなびかすににたり文。
これによつて、だいにちないしようのよきは、ひろくいつてうにかかやき、へんぜうげようのゆいぢんは、あまねくわがてうにさかんなり。そくさんへんどのさかひ、はじめてししゆまんだのはなぶさを
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もてあそび、あしはらのなかつくにのさと、つひにごさうくわんねんのつきになる。ほつさうさんろんのともがら、つねにじしんじやうだうのむねをきき、けごんてんだいのやから、ゆきてそくしんとんごのをしへをうかがふ。ただしほつしんせつぽふのだん、にふががにふのくわんに、なんとほくれいのめいしやうにいたりては、てうていにあつまりてこぎをいたし、しけうごじのがくと、てんけつにこぞつててきたいをなす。ここにだいし、はめいはうのりつをしめさんがため、ひじりのじやしふのこほりをとかむがために、かたじけなくせいりやうのらんでんにつかへて、めいじのりようがんにむかひたてまつり、手にひいんをむすび、口にみつごをじゆし、心にくわんねんをこらし、身にきぎをそなへたまひしかば、めんもんにはかにひらけて、へんぜうわうごんのしきたいとなり、びさんたちまちにあらはれて、だいにちびやくがうのくわうみやうをはなつ。ゐとくぐそくしてひかりあきらかなり。ぎんかんのしうげつ、くもりあることをうらむ。さうがうみにそなはりていろあざやかなり。きんこくのしゆんくわ、にほひなきことをはづ。
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なんばうにむかひてざをうごかさず、たうざにじやうがくのかうげんをしめし、とうぐうにしてたんしてみをかへず、げんしんさぶつのけうりきをあらはす。これをもつて、ていわうせきをさり、くわうごうころもをかいつくろふ。しよしゆうたなごころをあはせ、ひやくれうかしらをかたぶく。ここになんとろくしゆうのひん、ちにひざまづきてけいらいし、ほくれいしめいのかく、にはに ふしてせつそくせしよりこのかた、じやうぶつちそくのたつなみには、だうゆうだうしやうくちをとぢ、ほつしんしきしやうのなんたふには、げんにんゑんちようしたをまく。ししゆうきぶくしてもんえふにまじはり、いつてうしんがうしてだうりうをうく。じんじんなるかな、ひみつけう、ぼんたいをもつてぶつたいをなす。さいじやうなるかな、じんつうじよう、しやうじんをもつてほつしんをなす。ろくだいむげのゆゑには、しやうかいをぶつかいにへだてず、しまんふりのゆゑには、ぼんしんをしやうじんにわかつことなし。ここにこれめいごふじのゆがなり。いづくんぞしやうじんそくいちのひはうにあらずや。いまこのところと申
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すは、いてうよりなげらるるも、さんごのひかりをたづねて、さうさうし給へるところなり。かのさんごのまつとは、さんごおちとどまりたまひし松也。だいしやうやくろくじふにのしゆんしうをかさね、かずはしじふいちのげらふをつみて、しようわ二年三月廿一日のあかつきに、けつにくのみをあらためずして、こんがうのぢやうにいり、しやうじのかたちをかへずして、せきがんのいはやにざしたまへり。がんしよくむかしのごとく、ようぎいまにまします。まつにじししゆつせのあかつきをごし、やくするにいつたしゆつしやうのひをかぎる。らかんのぜんぎをごかくせんにをさめて、りゆうげのあさつゆをのぞむにひとしく、かせふのぢやうしつをけいそくのほらにかまへて、しとうのしゆんぷうをごするににたり。およそさいてんとうど、さかひはことなりといへども、ざぜんにふぢやうのれいぎこれおなじ。されどもかれはすなはちけんげういつしんのせんぢやうめつじんにして、くえたんにきす。これはまたひさうさんみつのじんぜんけんごにして、どうてんなし。ただじひをいつさうの
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くもにほどこすのみにあらず、またりやくをまんばうのかすみにかうぶらしむ。えんぎのせいしゆ、だいごのめいていのあんりには、あたりてせきくつきりはるるにいしやうをかいつくろひ、ぢあんのぜんぢやうたいしやうこくのとうそうには、おどろきてべうだうかどさをたうすにきずいをかんず。しやうぢやうとしふりたりといへども、かうげんひびにこれあらたなり。しようこくのおううたがひなく、すいげつのかんたのみあり。そうじてさんみつごちのみづは、しかいにみちてぢんくをあらひ、ろくだいしまんのつきは、いつてんにかかやきてぢやうやをてらすみぎりなり。じそんゐんよりだいたふにいたるまでひやくはちじつちやう、たいざうかいのまんだらひやくはちじつそんのづゑをあらはす。だいたふのにはより、おくのゐんにいたるまでさんじふしちちやう、こんがうかいのまんだらさんじふしちそんにあたるしんぢなり。だいたふこんだうよりはじめて、しよだうしよゐんにいたるまで、みなみつごんせかいのぎしきをうつし、またくゑざうせかいのさほふをあらはせり。やまはががとしてたかくそびへ、べうべうとして
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きはもなし。はなのいろはわづかにりんぶのそこにほころび、かねのこゑはかすかにをのへのしもにひびく。あらしにまがふしんれい、くもゐにみゆるかうのけぶり、とりどりにぞやおぼゆる。
十二 そもそもえんぎのみかどのおんとき、ごむさうのつげありて、ひはだいろのおんしやうぞくをたうざんへ送らせ給しに、はんにやじのそうじやうくわんげん、ちよくしをたまはりて、おくのゐんへまうでて、みちやうをおしひらきて、おんしやうぞくをまゐらせかへむとし給けるに、きりふかくたちわたりて、だいしのおんすがた見へさせ給はず。おんでしにていしやまのないくしゆんいうといふひとおはしき。すなはちそのゆゑとおぼしくて、深く涙をながしつつ、「われうまれてよりこのかた、いまだきんかいををかさず。なにによつてかだいしのおんすがたみえさせ給はざるらん」と、ごたいをちになげて、ほつろていきふしたまひしかば、たちまちにきりはれて、あきのつきのやまのはにいづるがごとくして、おんかたちあらはれ
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おはしけり。おのおのずいきの涙にかうぞめのおんころもをしぼりあえさせ給はず。すなはちおんしやうぞくまゐらせかへ奉て、おんぐしの五尺二寸におひのびさせおはしたりけるを、そりたてまつりてけり。ないくはおんひざをさぐりまゐらせさせ給たりけり。そのおんうつりがうせずして、いしやまのしやうげうのはこにいまだ残りたりとかや。ごにふぢやうはにんみやうてんわうのぎよう、しようわ二年の事なれば、すぎにしかたもさんびやくさい、せいざうとしひさしくなれり。なほゆくすゑも五十六億七千万才ののち、じそんのしゆつせ、さんゑのあかつきをまちたまふらんこそはるかなれ。「哀れ、これもりが身のせつせんの鳥のなくらむやうに、けふやあすやとおもふものを」とのたまひて、涙ぐみたまふぞあはれなる。なみをやくしほかぜにくろみ、つきせぬものおもひにおとろへて、そのかたちとは
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見へ給はねども、なほびとにはまがふべくもなし。いかなるをんできなりとも、などかあはれをかけざるべき。そのよは入道があんじつに帰て、こしかたゆくすゑの物語し給て、なくよりほかの事なし。出家はあくるを待ち、かはらぬかたちもいまばかりなり。御心のうち、おしはかられてあはれなり。このあんじつと申すは、としごろすみあらしたりければ、のきにはしのぶおひしげり、庭にはしきみの花がらつもりたり。しごくじんじんのとこのうへには、しんりのたまをみがき、ごやじんでうの鐘のこゑには、しやうじのねぶりをさます。しかうがすみししやうざん、しんのしちけんがちくりんも、かくや有けんとおぼへたり。かのたきぐち、てうに使へし時は、ほういにたてえぼしきよげなりし者の、いまだみそぢあまりのよはひなれども、らうそうすがたにやせくろみ、黒きころもに同じけさ、ひま
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なくくれるじゆずまでも、おもひいりたるそのけしき、うらやましさやまさりけむ、のがれぬべくは、かくてもあらまほしくぞおもはれける。にんげんのはちく、眼の前にあらはれ、てんじやうのごすいもかやうにやとあはれなり。
十三 そもそも滝口がだうねんのいうしよを尋ぬれば、をんなゆゑとぞきこへし。けんれいもんゐんのみうちに、かるも、よこぶえとて二人のざうしあり。かるもといひし女をばゑつちゆうのじらうびやうゑおもひけり。よこぶえをばときよりしのびてかよひけり。かれらがふたおやまうしけるは、「われわれぞんめいのとき、いかなるたよりもつかずして、みやづかへびとに身をなしてあるに、かひなきふるまひする」と云ければ、もりとしはおもひとどまりぬ。ときよりはこころざしあさからざりければ、つつむに堪へぬ事なれば、じねんとしてあらはれぬ。もちよりこのことききつけて
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さまざまにいさめけれども、いさめにもかかはらず、「このよいくほども有まじき所也。たとひちやうめいなりとも、七八十にはよも過ぎじ。えいぐわありとても、廿年にはすぐべからず。楽しければとて、にくからむ女にあひぐしてはなにかはせむ。親のいさめをそむかばふけうのざいごふのがれがたし。これによつて女をすてむとすれば、神にかけてちぎりしむつごともみないつはりと成ぬべし。さればらくてんのことばには、『ひとぼくせきにあらざればみななさけあり。けいせいの色にあはざらむにはしかじ』とのたまへり。いまこのことをおもふにも、身をさんりんのあひだに宿し、命をぶつだにつかへたてまつりて、『せつがとくぶつ、じつぱうしゆじやう、しぶつしんげう、よくしやうがこく、ないしじふねん、にやくふしやうしや、ふしゆしやうがく』のもんをたのみて、しかじ出家をせばや」とぞおもひける。十月二日、殊にとりしやうぞくして、こまつどのよりだいりへ
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参り、ことさらに人々にたいめんして、けふをかぎりのしゆつしなれば、りようがんををがみたてまつらむ事もこれをかぎりと思へば、すずろに涙をぞ流しける。そのよはよこぶえがもとにとまりにけり。こよひをかぎりのちぎりなれば、さこそはかなしくおもひけめ、ゆくすゑこしかたのことどもおもひつづけて、そぞろに涙ぐみければ、横笛あやしみて、「なにゆゑかくはいたくしをれ給へるぞ」とあやしみながら、「いつとなき言の葉には、しゆつしをのみものうき事に思給へる事なれば、さそのひとよを」と思けれども、ごかうのてんにゆめさめて、やごゑの鳥もしきりになく。さすがにひとめもつつましければ、ときよりはさんでうのしゆくしよへも行かず、さがにとしごろたのみたてまつるひじりあり、かしこにゆきてひじりをたづねいでて、「出家のこころざし有てまゐりたり」と申ければ、しやうにん
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こたへていはく、「ごしゆつけこそいかにもあらまほしき事にて候へば、これよりもすすめまうしたうさうらへども、おんよはひもいまださほどの御事にあらず。都よりもさだめて御とがめさうらひぬとおぼえさうらへば、しんだいきはまりてこそ候へ」と申せば、ときよりまうしけるは、「よはひさまでのおほせこそ有べしともおぼえさうらわね。このよのなかのならひはらうせうふぢやうのさかひにてさうらふものをや。老たるが去り、わかきがとどまりさうらはむには、ぶもにさきだつこさうらひなむや。あしたはみどりのかほばせを百年とかきけづれども、ゆふべにはちくばのむちをすて、よもぎがもとにおくりおく。ただみちのほとりのつちとなり、ねんねんに草のみしげるめり。都よりもなにゆゑにかとがめ候べき。とうとう」と申けれども、「ことわりはさることにて候へども」とて、なほはばかりてそらず。そのときたきぐちひじりをうらみ、
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「さてはしやうにんはぼさつのぎやうを立てて、いつさいしゆじやうをみちびきたまふことさうらひなむや。これほどの事をおんはばかりありては、いかがはせさせ給べき」とて、みづからもとどりをおしきりければ、しやうにんちからおよばずして、髪をそりかいをたもたせけり。しやうねんにじふごにしてもとどりを切り出家して、にしやまさがのしやかだうのへん、ほふりんじのうち、わうじやうゐんといふところにとぢこもりて、おこなひすましてをりけり。よこぶえこれをばしらず、たえぬるよはをうらみて、「いかなるふちかはにもみをなげばや」と思ける程に、あるひとまうしけるは、「さいとうたきぐちときよりこそ、さんぬるみつかのひ、さがにて出家したりと聞け」と申ければ、横笛この事を聞て、なくなくかしこへたづねゆき、ころはかむなづきなかのむゆかの事なれば、あらしにひびく鐘のこゑ、ふけゆくままに心澄み、涙にぬるる袖
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の上に、このはのつもるもはらひあへず。むめづのさとに吹風も、春にあらねば身にしみ、かつらのさとの月影はくもゐはるかにすみのぼる。亀山や、すそよりいづるおほゐがは、いとどあはれぞまさりける。わうじやうゐんにたづねいりて、あんじつのかたはらにいたりしかば、庭にはよもぎおひしげりあとふみつけたる事もなく、のきにはしのぶはひかかり、しへきかすかに見へたりけり。うきふししげきたけばしらちかくたちよりて聞けば、をりふしにふだうこかをぞえいじける。
世をいとひじやうどをねがふすみぞめのさすがにぬるる袖のうへかな K205
よこぶえこれをききて。
うらめしやいつか忘れむなみだがは袖のしがらみくちははつとも K206
女申けるは、「今までごしゆつけをしらせさせたまはぬ事のこころうさよ。いか
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なる時、とらふすのべへも、よもぎがそままでも、おくれじとちぎりたまひしぞかし。いつのまにかはりける御心ぞや。昔のよしみわすれがたくて、これまでたづねまゐりたり。たとひいちうのすまひこそかなはねども、谷をもへだて峯をもつらねて、たがひにぜんえんともなり、ひとつはちすの身ともならむ」といひもあえず泣ければ、たきぐちにふだう、わり無くおもひし女のこゑときくに、胸騒ぎ、かきくらすここちして、はしりいで、見ばやと思へども、「さては仏に成なむや。しやうじのきづなにこそ」と心強くおもひて、いよいよへんじもせざりけり。横笛、「是までたづねたてまつりたるかひもなく、うたてくもとぢこもりたまへる御心づよさかな。人はげにさもなかりけるものゆゑに、わがみひとつにかきくれておもふこころは、いかばかり女の身程にこころうきものはなし。こんじやうの対面せむもいま
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ばかり、せめてはおんこゑばかりをも聞かせさせ給へ」と云ければ、滝口申けるは、「たれゆゑにかかる道にもおもひいるぞとよ。こんぜの対面あるべからず。ちぎりあらば、ひとつはちすの上にといのりたまへ」とばかりにて、いであふことぞなかりける。女是を聞て、うらみの涙せきあえず、おさふる袖も露けくて、みづから髪を押切て、あんじつの窓になげかくとて。
そるまではうらみし物をあづさ弓誠の道にいるぞうれしき K207
ときよりこれを聞て。
そるとてもなにかうらみむあづさ弓ひきとどむべき心ならねば K208
横笛は出家して、ひがしやませいがんじと云所におこなひすましてゐたりけるが、かのところはみやこちかくして、しるもしらぬもおしなめて、とふことしげき
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やどなれば、とがむる事もうるさくて、いづれの山のほとりにもと、あくがれ行ける程に、かつらがはのほとりにて、「いかなる男なれば、われゆゑにかかる道にもおもひいるぞ。いかなる女なれば、つれなくうきよにながらえ、心に物をおもふらむ。
こひしなば世のはかなきにいひなしてなきあとまでも人にしらすな」K209
とて、この川に身をなげてうせにけり。入道はわうじやうゐんに有けるが、かのところはせいがんのかたはらにそびえたるたかきやまなり。かしこにしてすぎこし都をかへりみれば、霞の下にはともしびの影かすかに見へ、をりふしにつけてはとひきたる人もしげくして、ざぜんのとこもしづかならず、ねんじゆの心も乱れければ、やまざきたからでらにうつりて、「じやくまくひとなくして、固くくうしやうのしつをとぢ、たんこ
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こころにまかせて、おのづからさんらくのおきなにともなふ」とくわんじて、おこなひすましてゐたりけるが、横笛が事を聞て、「都近くすまひして、かやうにこころうきことをきくにつけても、きやうだうのさはりともなりぬべし。わがみこそあらめ、としさかりなりつる女をさへ、世になきものとなしつる事よ」とて、なんととうだいじのやうくわんりつしのふるきあんじつをたづねてゆきにけり。そもそもやうくわんりつしとまうすは、としごろねんぶつのこころざしふかくして、みやうりをおもはず、よをすてたるごとくなりけれども、さすが君にもつかへたてまつり、しるひとをも忘れざりければ、ことさらにみやまのおくを、もとめたまふこともなかりけり。ひがしやまぜんりんじといふところにこもりゐて、人に物を借してなむ、月日を送るはかりことにぞし給ける。春秋につけて、うるさかるべけれども、是をみとがむる人も無し。借す時もをさむるときも、もちきた
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れる人の心にまかせてさたせさせければ、中々仏の物ぞとて、いささかもふほふならざりけり。「ぜんりんはるのあしたには、はなのいろみづからくわんねんをまし、こさんのあきのくれには、風の音わづかにちしきとなす」とくわんじたまひて、あかしくらしたまひけり。しらかはのゐんのぎよう、このりつしを東大寺のべつたうにふし給ふに、きくひとじぼくをおどろかし、「よもうけとりたまはじ」といひし程に、おもひのほかになりたまひにけり。弟子共・親類、末寺・しやうゑんをあらそひけれども、いつしよもひとにあづけず、がらんのしゆざうによせたまふ。ほどなくりやうさんねんの内にざうえいのことをはりしかば、やがてじたいまうすに、君又とかうのおほせなくて、ことひとを別当になし給ふ。よくよく人の心をあはせたるわざのやうなりければ、時の人申けるは、「寺なむどのはゑしたる事をば、この人ならでは心安くさたすべきひとなし」とおぼしめして、おほせつけられたりけるを、
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りつしも心得てうけとりたまひにけり。このあんじつと申はそのころすみたまひける所也。このしやうにんもおもひよりして、ほつしんし給たりけるやらむ、
くれたけのもとはあふよもしげかりきすゑこそふしはとほざかりゆけ K210
とよみたりし人也。このあんじつもなほ心にかなはざりければ、いかならむみやまの奥にもとぞおもひける。たよりありて、だいしにふぢやうのせいぜき、ひみつでんぽふのれいぢやう、きしういとのなんざんにのぼりて、はじめてしやうじやうしんゐんにぢゆうしけるが、のちにはれんげだにりしばうにぞゐたりける。一門の人はこの事を聞て、「かうやさんのしやうにん」とぞ申ける。されば、ぼさつのとくむしやうにん、なほふるさとにてはじんづうをあらはしがたし。いかにいはむやほつしんはやんごとなけれども、ふたいの位に至らねば、ことにふれてみだれやすし。ふるさとに住みしるひとにまじはりては、いかでかいちねんのまうしんを
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おこさざらむ。さればかうのけぶりにふすぼりて、いそぢばかりに見ゆるにつけても、ふだんちやうじつのつとめもたえざりけりとおぼえたり。
十四 さてかいしをしやうじ、出家せむとし給。中将、よざうびやうゑ、いしどうまるにのたまひけるは、「我こそかかるみちせばくのがれがたき身なれども、おのれらはいかなる有様をすとも、なじかはながらへざるべき。いかにもなりなむのちを見はてて都へ帰り、命を助かり、をさなきものどもをもかへりみよ」とのたまへば、二人のものどもはらはらと泣て、くちをしげにおもひたり。しげかげ申けるは、「ちちかげやすへいぢの合戦の時、こどののおんともにて、よしともの郎等かまだびやうゑまさきよにくみて、あくげんだよしひらにうたれさうらひぬ。そのとししげかげにさいなり。母にはしちさいにておくれさうらひぬ。あはれいとほしと申者も
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さうらはざりしを、『かげやすはわがいのちにかはりたりし者なれば』とて、ことにおんあはれみさうらひて、おんまへよりおほしたてられまゐらせて、ここのつとまうしし年、君のごくわんぶくさうらひしに、おなじきよもとどりをとりあげられまゐらせて、『もりのじはいへの字なれば五代につがす。しげの字をまつわうまるにたぶ』とて、しげかげとはつけさせ給て、どうみやうをまつわうとおほせさうらひしも、『このいへをこまつといへばいはひてつくるなり』とおほせさうらひき。ごくわんぶくのとしより、とりわけ君のおんかたにさうらひて、いちにちへんしもたちはなれまゐらせずして、ことしは既に十九年にまかりなる。こおほいとの世をはやくせさせ給し時も、このよの事おぼしめしすてて、ひとこともおほせおかるることなかりしかども、『しげかげ、せうしやうどのにみやづかへよくして、御心にたがふな』とばかりこそ、最後のおんことばにてさうらひしか。とうばう
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さくがいちまんざいをへし、そのかたちをかへずしてのこりとどまらず。せいわうぼがありさまもそのなばかりぞとどめける。君の神にも仏にもなりたまひなむのち、いかなるたのしみさかえありとも、あるべきよとこそおぼへさうらはね」とて、すなはちもとどりおしきりて、ときよりにふだうにそられけり。いしどうまるも髪をもとゆひぎはよりきりにけり。是もやつよりつかへたてまつり、みめ形なだらかに、こころばへいうなる者なりければ、いとほしくし給事、重景にもおとらざりければ、かやうにこころざしふかくおもひたてまつりけり。ことしは十八にぞ成にける。これらがさきだちてそらるるをみたまひて、中将御涙せきあへず。「るてんさんがいちゆう、おんあいふのうだん、きおんにふむゐ、しんじつほうおんしや」とさんどとなへて、すでにそられ給けり。「きたのかたにかはらぬ形を今一度見へたてまつりてかくもならば、おもふことあらじ」とおぼしめすぞ
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罪深き。中将も重景もどうねんにて、廿七にてぞおはしける。たけさとをめしてのたまひけるは、「われは都へはかへるべからず。今一度何事もいひつかはさばやと思へども、今は世に無き者ときかば、おもひたへでさまをもかへ、すがたをもやつさむ事もふびんなり。をさなきものどものこざかしくなげかむ事もいとほし。つひに隠れ有まじけれども、いつしかしらせじと思ぞ。むかへとらんとこしらへおきし事もつひにむなしくなりぬ。いかばかりつらく思らむしんぢゆうをばしらず、うらみも多かるらむ」とて、御涙せきあへず。「只これより屋嶋へ帰て、さんゐのちゆうじやう、しんせうしやうにもありさまを申せ。さぶらひどももいかにふしんに思らむ。たれたれにもかくとしらせずして、いかにうらむらむと思こそわびしけれ。そもそもからかはといふよろひ、こがらすといふたちはたうけちやくちやくさうでんして、我までは既に
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はちだいなり。そのよろひ、たちをばさだよしがもとにあづけおきたり。取てさんゐのちゆうじやうにたてまつれ。もしふしぎにて世にもおはしまさば、のちにはろくだいにたまはるべし。さちゆうじやうきよつねも海中に沈み、びつちゆうのかみもろもりもいちのたににてうたれぬ。これもりさえまたかくなりぬ。いかばかりたよりなくおもはむずらむ。つひにのがるべきならねばおもひたちぬと申せ」とて、御涙又せきあえず。
十五 「これよりくまのへ参らむ」とのたまへば、ときよりにふだうおんともして、やまぶしのかたちにていでたまふ。入道申けるは、「じゆんだうにてさうらふうへ、ぶさうのれいち、こかはのしやうじんくわんおんにおんまうでさうらふべし。たうざんのだいしは、ほふゑだいとくがごんぐあんやうのこころざしありて、していりやうにんのぢゆうしよをいのりしに、『しはれいほうにとどまりてかくさんにのぼるべし。なんぢはこかはにぢゆうしてくかいをわたるべし』としめし、ひよしさんわうはせき
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しゆうしやうにんさんぼだいをもとめしかば、『わがてうのふだらくせんにゆきて、ぶつこくのふたいてんちをごすべしと』のたまへり。ことさらにおんこころざしさうらふ。くまのごんげんは、こうしゆんほふいん、でんはうのさとをいとひまうしし時、『すいしやくのひかりはあきらかなれども、らいかういんぜふはほんぢのしようなり。こかはのしやうじんのくわんおんにいのりまうせ』とごじげんをかうぶり、すなはちかのてらにまうでつつ、ひやくにちのさんろうをはじめ、まいにちほつけのかんじんをかうさんして、『ねがはくはわうじやうのとくふをしめしたまへ』といのりしに、『ほつけそくがしん、がやくごくらくしゆ、によさんだんおが、がらいかうおによ』といふ、しくのげもんをかうぶりて、わうじやうをとぐとみえたり。来世のいんぜふをいのりおはしまさむにうたがひあるべからず」とまうしければ、すなはちときよりをおんせんだつとして、そのひはこかはへまうでたまふ。まづだいもんをさしいりて、さいしよしゆつげんのれいくつ、おいけををがみたまへば、どうなんおほとものやうざう、
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みだうのさうにたちたまへり。まへにはしゆしやくをひらきてばんりのなみまんまんたり。はるかにかいがんこぜつのしんげつをむかふ。うしろにはげんむをそばたててせんねんのみどりさうさうたり。とほくぎしやくつせんのきうふうをうつせり。ごとうのはなさきてはほうわうもやすみぬらむ。ちくきむりんしづかなり。はくしのれいもやかよふらむ。かくてはうくわうずいさうのしようち、こんぽんしやうじやへまうでたまひ、ていしやうをみれば、ふぢはらむねなががしごだの山のやへざくらを、しゆれうのときもとめえて、れいむによつてけんぜし桜も既にさき散れり。是を見給て中将かくなむ。
つねになき浮世の中にさきそめてとまらぬ花やわがみなるらむ K211
そもそもたうじは、くわうにんてんわうのぎよう、ほうきぐわんねんに、おほとものくじこといひしひとこんりふのところなり。ふしてえんぎもんをひらきたるにいはく、むかしおほとものくじこと
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云人あり。びろくをおふをもつてわざとし、ひさしくざうぶつわなんのしんぐわんをおこして、せいしゆくをつむといへども、いまだしんじゆのずいくわうをとげず。たいしたるみそぎきれて、いつたいのえうにあつ。どうじのかうしゆとしようする、あみどのしばをとぢて、なぬかのやくをなす。いつせいにおどろきていちむをやぶる。たちまちにふつげうのせんろにおもむくに、れいぼくありてれいどうはなし。あらたにまんげつのそんようをあらはす。だんどのじん、ひとりしんがうをいたして、そうしゆのひと、いまださんけいをえず。ここにかはちのさだいふのかちゆうにあいしあり。ひとたびこしつにかかりて、まんぼうすれどもやまず。どうなんゆきていふ。すなはちだらにをじゆし、こゑにおうじてへいぶくす。ぶもしんぞく、もろもろのふせをおくる。かしらをふりてじきよす。ただひとつのおびをとりて、もつてさいくわいをごす。山をめぐりてすりをへ、はくすいの色をみいだす。ながれにさかのぼりてこあんをえたりこかはのことばをおもひ
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いだす。だいひしやのすがた、あたかもはやうのこがねをみがけるがごとし。せむゐのおんてにわうじつのおびをかけ給へり。さうさうとしふりて、ふうくわにをかさるる事もなく、じやうとうのきえざるきどく、しやうじやのつひくろみたる有様をはいけんするに、じやうしんいよいよまさりてかんるいおさへがたし。そうじてわがてうのしようしなり。せんじゆせんげんのしやうじんは、かざらきやまにあとをたれ、いつさういちぼくのまうげは、ぶつしゆならずと云事なし。きいなり、又きい也。だいひ也、きはめて大悲也。ことさらにないぢんのさほふは、さんけいのともがらはあしをつまだつ。ぼさつのていさをせんがうするにことならず。にふらいのたぐいはもくねんたり。しんしのりゆうによをしんじゆするにあひおなじ。どくきやうはこゑをのむ、しつぢを心のうちに祈る。ねんじゆは口をつぐむ。ぐわんまうを胸の底にざうせり。これひとへにがつしやうのつつしみをなして、かうしやうのぎをとどむるものなり。いしだんにうしほを満てり。ふだらくせんのなみ、
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みのりに和するこゑすなり。ぼんかくにともしびあり。ごひやくよさいのいままでも風にぞしられざりける。さればくわさんのほふわうはかたじけなくごかうして、
昔より風にしられぬともしびの光にはるる長き夜の夢 K212
とあそばれけむ、じやうとうををがみたまふにも、「むしのざいしやうもきえぬらん」とぞおもはれける。三十三べんのらいはいことをはりて、「なむきみやうちやうらい、じねんゆじゆつのせんくわうげん、ざんぎさんげ、ろくこんざいしやう、くわげんしよぼん、いちじせうめつ」とぞきこへし。そののちしやだんを拝すれば、けいきゆうひにかかやきて、わくわうの光かくやくたり。しようぜんつゆをたれて、れいどうのこけいうやうたり。中にもぢしゆにふみやうじんは、あまてるおほんがみの、つくよみのみことの御事也。ほんがくのしんゐをろんずれば、すなはちけざうのつきにのぼり、おうげのすいしやくをあふげば、また
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そうしのつゆにまじはる。さんぬるえんりやく三年きのえのね三月十六日に、おほとものやまみごたくせんによつて、かのいはまつやまより、かざらきやまにうつしてあがめたてまつる。くだんの夜、やまみいはひまうしの有けるに、ごんげんたくしてのたまはく。
かつてむかしきもんのせきしやうにぢゆうし、がらんのをんまをふくす。
いまよりぶつこのじゆかにうつりて、さつたのぶつぽふをまもらむとうんうん。
ふしてあんずれば、しんそくれいげんぶさうのろくべうし、すいしやくをひるがへして、ほんぢをしやなかくかいのうらにかへりみる。仏は又じねんおうらいのせんくわうげん、ほうきをさしおきて、ゑんじゆをふだらくかいのちりにかぞふ。ここにこれほんじやくことなりといへども、ふしぎはひとつなり。そもそもたうじのていたらく、ひがしをのぞめばすなはちせきしようさんとかうせるひとつのれいさんそばたてり。つるはくんしのきにすんで、わがきみのとくをさへづり、風はたいふのえだにをさまりて、せいたいの
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めぐみをあらはす。にしをかへりみれば、又つつじのべうあり。せいぢよのはなぶさななめにて、やまもとてらすいはつつじ、ゆふくれなゐに色はえて、やいうの人ぞ目に立てる。まへにはすなはちよしのがは、いはなみはやくながれつつ、かすみしく春のあしたには、あをねが峯にさく花を、散りかもきたるとまつほどに、よのまの風のさそいきて、ゐせきになみのあやを織り、うしろには又かづらきやまの秋風もふきおろせば、すそ野の原のいとはぎに、露の玉ぬくみさえも、錦をたちぞかさねたる。それよりにんかいだいとくこんりふのち、やくしだうへぞまゐられける。このみだうと申は、たうじのりやうあらみむら、うつわさんじつぽうじのほんぶつ、やくしによらいにておはします。しかるをかのじつぽうじとまうししも、だうたふのきをきしりて、ぎをんのふうりうに
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ことならず。いつすい遠くみおろして、ごしんじにぞ似たりける。されどもてんまのしよぎやうにや、いちやの内にあれにしかば、かうげきようする人もなし。さればにやだいどう三年つちのえのねのはるのころ、たうじのぢゆうりよにんかい、むさうのつげによつて、かのそんざうをこのみだうにむかへてあんず。昔のじがうをよびて、今のしやうじやになづけたり。これによつてこのみだうをじつぽうじとなづけ奉る。そもそもこのによらいと申すは、じやうるりせかいのけうしゆ、ざうほふてんじのぐわんしゆなり。ゆゑにけうしゆしやくそんは、いわうぜんぜいのかたちをつくりて、れうびやうゐんのだうしとし、でんげうだいしは、いつさくさんらいのざうをみがき、しくわんゐんのほんぞんとす。これをもつて、しちせんやしやのちんごには、さいしあんをんのたのみをかけ、じふにだいぐわんのしんげには、これもりぼだいのうてなを祈るとふしをがみて、なくなくげかうし給けり。
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十六 さんとうと云所へいでたまひて、ふぢしろのわうじにまうでたまふ。そもそもたうしよのごんげんは、くまのごんげんのみこ、にやくいちわうじと是を申す。「わくわうのつきはしかいにうかび、りしやうのくもはいつてんにおほふと」ふしをがみて、やうやうおくへぞさし給ふ。きりめも既にすぎぬれば、せんりのはまの南なる、いはしろのわうじの前にして、かりしやうぞくしたる者七八騎がほどゆきあひたり。すでにからめとられなむずとおもひきりて、おのおの自害せんと腰の刀に手をかけて、さしつどいつつたちたまへば、これら馬よりとびおりて、深くひらみて通りけり。「みしりたる者にこそ。たれなるらむ」とおぼしめし、いとどあしばやにぞすぎたまふ。ゆあさのごんのかみにふだうむねしげが子、ひやうゑのじようむねみつなり。らうどうども、「このやまぶしはたれびとにておはしますぞ」と問ければ、「是こそこまつのおほいとののおんこ、ごんのすけさんゐのちゆうじやうどのよ。やしまよりいかにして
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是までつたはり給けるにか。近く参てげんざんにもいりまゐらせたくぞんじつれども、はばかりもぞおぼしめすとて、まかりすぎぬ。あなあさましの御有様や。かくみなし奉るべしとこそおぼえね」とて、さめざめと泣ければ、郎等もみなそでをぞしぼりける。やうやうづつさし給へども、ひかずふれば、いはだがはにもかかりぬ。いんじぢしようさんけいのとき、これもりのきたまへりしじやうえのりやうあんの色に成たりしを、さだよしが見とがめし事、いまさらにおぼしめしいでて、いとど袖をぞぬらされける。「この川をわたるには、あくごふぼんなうむしのざいしやうも、皆ことごとくきゆなるものを」と、たのもしくぞおもはれける。あひかまへてほんぐうにかかぐりつきたまひて、しようじやうでんのおんまへについゐたまひしより、ちちのおとどの、「いのちをめして、ごせをたすけたまへ」とまうしたまひけむことおぼしめしいでて、かかるべか
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りける事をおぼえたまひけるにこそとあはれなり。
十七 そもそもくまのごんげんは、ぐわつしじちゐきのれいしんなり。ほつしんひかりをやはらげ、おうげちりにおなじくしてよりこのかた、さいどのふねをふなよそひして、ともづなをきしうのはまにとき、りしやうのがをうながして、あとをたうざんのみねにとどむ。ゐとくよにあまねくし、わうしまことをおなじくす。りやくくににあまねく、ゑんきんあゆみを運ぶ。中にもしようじやうだいぼさつは、さんぶのうちにはれんげぶのそん、ごちのうちにはめうくわんさつちほうざう、びくのぐぜいにむくいて、あんやうくほんのじやうさつをまうけ、むじやうねんわうのほんくわいにまかせて、けねんいつしようのぐんるいをみちびきたまふ。これをもつて、くわうみやうぼさつのしやうじよには、ねがひてみだのそんざうをざうりふし、もくれんそんじやのたなごころの内には、このみてこのそんのぎやうたいをづゑす。このゆゑにぐわつかいちやうじやが窓の前には、ぢよびやうのしきざうをあらはし、ごつうぼさつのきのほとりには、らいかうのしやうようをあらはす。
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またぐわんじゆさんじやくのざうをみがきしかば、まうしんたちまちにわうじやうをえ、だうによぢやうろくのそんをつくりしかば、さんづみなげだつをう。またたうざんのていたらく、たかきみねみぎりにそばたつ。りしやうのはぶきつもりて山となり、ひろきかはぎしをせむ。ぐんるいをひがんに渡すに似たり。さればだいひおうごのかすみは、ゆやさんにたなびき、れいげんぶさうのかみは、おとなしがはにあとをたる。いちじようしゆぎやうのきしには、かんおうのつきくまもなく、ろくこんさんげのにはには、まうざうのつゆきえやすし。ふしゆしやうがくのもん、ことにいつしようみやうがうのとくにかぎり、らいかういんぜふのぐわん、たちまちにじふあくごぎやくのひとをきらはず。「いかにいはむやこれもりごぎやくをいまだをかさず、しようねんをのづから積る。じやうどにのぞみあり。わうじやうなにかうたがはむ」と、ふしをがみたまひけるしんぢゆうにも、ふるさとに残しとどめしさいしあんをんといのりたまひけるこそ、うきよをいとひまことのみちにいりても、まうじふはつきせずとおぼしけるこそかなしけれ。ほんぐうを
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いでてこけぢをさしつつ、くもとりしこんのみねといふはげしき山をこえて、なちのやまへまゐり給ふ。そうじてしやだんのありさま、心もことばもおよばれず。ぎよくでんのきをならべて、しつぽうのみみくさり空にえいず。きんちやうとびらをまじふ、ひやくれんのかがみ日にかかやく。ほうたふくもにさしはさむ、ほとんどりやうぜんのゆじゆつにのぞむかとおぼゆ。さうろこけをむすぶ、あたかもせんとうのがんしつにいるににたり。くわんおんのれいざうは岩のうへにたたずみ、ほつけどくじゆのこゑはかすみのしたにかすかなり。
十八 なちごもりのやまぶしの中に、このだうしやをみまゐらせて、ひとめもしらず泣く、ありけり。かたえのやまぶしこれを見て、「あなけしからず。なにゆゑにさ程は泣給ぞ」と問ければ、このやまぶしまうしけるは、「あれにおはします道者をば、おのおのは見知給へりや。あれこそこまつのおほいとののおんちやくし、ごんのすけさんゐのちゆうじやうどのよ。
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あないとほしや。あの殿しゐのせうしやうときこへたまひしあんげん二年のはるのころ、ほふわうほふぢゆうじどのにていそぢのおんがのありし時、父のおとどはないだいじんのさだいしやうにて左の座にちやくざ、をぢむねもりのうだいしやうは右の着座せられき。そのときは、ゑちぜんのさんゐみちもりのきやうはとうのちゆうじやう、ほんざんゐのちゆうじやうしげひらのきやうはくらんどのとう、このひとびとをはじめとして、いちもんのけいしやううんかく、けふをはれとはなやかにひきつくろひて、せいがいはのかいしろに立給へりし中より、あの殿せいがいはをまひいでられたりし有様、嵐にたぐふ花のにほひ、天もかかやくばかりなりし事の、只今のやうにおぼゆるぞとよ。『いまりやうさんねんの内におとどのだいしやうにうたがひあらじ』と申あへりしに、かくみなしたてまつるべしとはおもひやはよりし。うつればかはるよのならひと云ながら、あなあはれの御有様や」
P3289とて、袖を顔にあてければ、これをきくひとみなたもとをぞ絞りける。このやまぶしと申は、ゑつちゆうのせんじもりとしがをぢなりけるとぞきこへし。巡礼既にことをはりしかば、しんぐうへつたひ、かみのくらにまうでては、じんじやうこゆうのはなぶさををりては、はくじやうのにはにたてまつる、さいしれんぼのなみだをながしては、ずいりのみぎりにひざまづく。ふしてしんめいのかうげんをたづぬれば、わくわうどうぢんのりもつは、しようぜんのつきあきらかにして、しこんのせいさあるがごとし、ゐくわうここんにかうぶらしむ。げしゆけつえんのさいしやうは、そうしのつゆなだらかにして、ばんさうのしぐれをあふぐににたり、かみかぜゑんきんにあふぐ。せいざんしりへにそばたちて、ほうらいのさんこをうつせり。りうしんがしちせいのそんにあひしににたり。さうかいまへによこだえて、わうらいのいちえふあり。ちやうてんのひやくまんりにさかのぼるかとをぼゆ。しかのみならず、まつかぜしつしつとしてじやうらくがじやうのことをととのへ、なみのおとたうたうとしてくくうむがのほふをとなふ。
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これといひかれといひ、たのもしからずといふことなし。
十九 みつのおやまのごさんけいことをはりしかば、またなちのやまの麓、はまのみやと申すわうじのおんまへに帰て、いちえふのふねにさをさして、ばんりのおきへこぎいでたまふ。はるかにこぎいでて、やまなりのしまと云所へこぎよせて、まつのきをけづりて、ちゆうじやうのめいせきをかきつけらる。「へいけだいじやうにふだうじやうかいのまご、ないだいじんしげもりのちやくなん、ごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもり、しやうねんにじふしちさい。かつせんのさいちゆうに、さぬきやしまのたちをいでて、ゆやさんにさんけいせしむ。げんりやく元年三月廿八日、なちのおきにおいて、うみにいりをはんぬ」とかきつけたまひて、またこぎいでたまひぬ。おもひきりたまへる事なれども、今わになれば、心細くかなしくぞおもはれける。ころは三月廿八日の事なれば、春も既にくれんとほつす。かいしやうも、そこはかと
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もなくかすみわたりて、をきのつりぶねのなみの底にいるやうにするも、わがみの上とぞおもはれける。きがんの空におとづれてかよふにも、都へことづけせまほしく、いるひの影のだいかいの原に赤みわたりたるも、むかへの雲の色かとうたがはれ、そぶがここくのうらみまで、思残せるくまもなし。何となくこしかたゆくすゑの事のうかりしおもかげ、つらかりしことのはまでも、今のやうにぞおぼしける。あるいはりようがんに近付奉て春の花を見、あるいはきうゐんにしくやしてあきのつきをもてあそび、或はあかしのいその波の上にうきねして、からろのおとに夢を残し、あるいはやしまの浦のあまのとまやにかたしくそでに月を宿し、見し事までもおもひいでられずと云事なし。「これはそもそもなにごとぞ。なほまうじふのきづなにこそ」とおもひ
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ひるがへして、まさしくにしにむかひ、ねんぶつまうしたまふしんぢゆうにも、「既に只今を限れば、いかでか知べきなれば、風のたよりのことづけも、今や今やとまたんずらむ。つひにはかくれあるまじければ、このよになきものと聞て、いかばかりなげかむずらむ」とおもひつづけられ給へば、しゆうじゆうねんぶつをとどめ、がつしやうをみだりて、ひじりにむかひてのたまひけるは、「あはれ、人の身に妻子と云者は、持まじかりける者かな。このよにて物を思はするのみにあらず。ごせぼだいのさはりと成ける事のかなしさよ。したしきひとびとにもしらせで屋嶋のたちをいでしも、もし都へやのぼりて、いまいちど見もし見へもせばやとてこそ、まどひいでて有しかども、ほんざんゐのちゆうじやうのいけどられて、京鎌倉恥をさらすだにあるに、我さへとらへからめられむ事もうたてければ、おもひねんじてかやうに髪
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をおろしてし上は、いまさらにまうねんあるべしともおぼへざりしに、ほんぐうしようじやうでんのおんまへにて、よもすがらごせぼだいの事を申しに、をさなきものどもの事おもひいだされて、『わがみこそかく成ぬとも、さいしへいあんに守給へ』と申されき。かつうはしんりよもはづかしくこそおぼえしか。ただいまさいごのいちねんなれば、又何事をか思ひ増すべきに、いかにききてもだへこがれむずらむとおもひいださるるぞや。是をほだしといひ、是をきづなとなづけけるも今こそおもひあはせらるれ。おもふことをこころにのこすはつみふかかむなれば、さんげする也」とのたまひければ、ひじりもあはれにおぼえけれども、我さへこころよわくしてはかなはじと思て、涙をおしのごひ、さらぬていにもてなして、「誠にさこそはおぼしめされさうらふらめ。たかきもいやしきもおんあいの
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道は力及ばぬ事也。中にもふさいはいちやのちぎりをむすぶだにも、ごひやくしやうのしゆくえんとこそ申せば、このよひとつのおんちぎりにもあらず。かくおぼしめさるるもことわりなれども、しやうじやひつめつ、ゑしやぢやうりはにんがいのさだまれるならひ、ろくだうの常のことわりなりければ、さらぬわかれのみならず、心にまかせぬ世の有様、末の露、もとのしづくのためしあれば、たとひちそくのふどうはありとも、おくれさきだつおんわかれ、つひになくてしもや候べき。かのりさんきゆうの秋の妙へのちぎりも、つひにはこころをくだくはしとなり、かんせんでんのしやうぜんのおんも、終りなきにしも非ず。しようし、ばいせいもしやうがいにうらみあり、とうがく、じふぢもしやうじのおきてにしたがふ。たとひ百年のよはひをたもちたまふとも、このおんうらみはのがれたまふまじ。またちやうせいのたのしみにほこりたまふとも、ぜんごさうゐのおんなげきは、ただおなじおんことと
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おぼしめさるべし。だいろくてんのまわうと云げだうは、よくかいのろくてんをわがものとしづめて、このうちのしゆじやうのしやうじをはなるる事ををしみて、もろもろのはうべんをめぐらして、あるいは妻となり、あるいは夫と成て是をさふ。さんぜしよぶつはいつさいしゆじやうをことごとくわがおんこのごとくにおぼしめして、ごくらくじやうどのふたいの地にすすめいれんとしたまふに、人の身に妻子と云者が、むしくわうごふよりこのかた、永くぶつしゆをだんじて、しやうじをはなれしめざるきづななるが故に、仏の重くいましめたまふはすなはちこれなり。おんこころよわくおぼしめさるべからず。『いよにふだうは、えびすさだたふむねたふをせめおとさんとて、十二年があひだに、人のくびをきる事一万五千人。さんやのけだもの、がうがのいろくづ、そのいのちをたつこといくせんまんと云事をしらず。されどもしゆうえんの時、いちねんのぼだいしんをおこししによつて、わうじやうのそくわいをとげたり』と
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こそ、わうじやうでんには見へて候へ。又あるきやうには、『いちねんほつきぼだいしん、しようおざうりふひやくせんたふ』ともとかれたり。ごせんぞへいしやうぐんさだもり、まさかどをついたうし給て、とうはつかこくをしづめたまひしよりこのかた、だいだいあひつぎててうかのおんかためにて、君まではちやくちやくくだいにあたり給へば、君こそにつぽんごくのたいしやうぐんにて渡らせ給べけれども、こおほいとの世をはやくせさせ給しかば、ちからおよばず。さればそのおんすゑにてこそおわしませば、あながちにございごふおもかるべしともおぼへず。なかんづく、『出家のくどくはばくたいなれば、ぜんぜのざいごふことごとくほろびたまひぬらむ。ひやくせんざいのあひだ、ひやくらかんをくやうずるも、いちにちしゆつけのくどくにはおよばず。たとひひとありてしつぽうのたふをたてん事、高さ三十三てんに至るとも、出家のくどくには及ばじ』と説けり。『いつししゆつけせば、しちせのぶも、みなじやう
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ぶつをえむ』とも申たり。『いちにちの出家、まんごふの罪をほろぼす』とも見へたり。さしもつみふかかりしよりよしも、心のつよきがゆゑにわうじやうをとぐ。させるございごふおはしまさざらむに、などかじやうどへまゐり給はざるべき。そのうへたうざんごんげんは、ほんぢあみだによらいにまします。はじめむさんあくしゆのぐわんより、をはりとくさんほふにんのぐわんにいたるまで、いちいちのせいぐわんしゆじやうけどのぐわんならずと云事なし。中にも第十八のぐわんには、『せつがとくぶつ、じつぱうしゆじやう、ししんしんげう、よくしやうがこく。ないしじふねん、にやくふしやうしや、ふしゆしやうがく』とのべられたれば、いちねんじふねんたのみあり。せうあみだきやうには、『じやうぶついらいおこんじつこふ』ともときて、『しやうがくならじ』とちかひたまひし仏の、既にしやうがくをなして、じつこふをへたまへり。さればいささかもほんぐわんにうたがひをなさず。むにのこんねんをいたし
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て、もしはじつぺん、もしはいつぺんとなへたまふものならば、みだによらい、はちじふまんおくなゆたごうがしやのおんみをつづめて、ぢやうろくはつしやくのおんかたちにて、にじふごのぼさつをひきぐしたてまつりて、ぎがくかえいして、ただいまごくらくのとうもんをいでたまひて、らいかうし給はむずれば、おんみはさうかいの底にしづむとおぼしめすとも、しうんのうへにのぼりたまふべし。らいかういんぜふはかの仏のぐわんなれば、ゆめゆめうたがひおぼしめすべからず。じやうぶつとくだつしてさとりをひらきたまひなば、しやばのこきやうにたちかへりて、さりがたくおぼしめさるる人々をもみちびき、かなしくおぼしめさん人をもみたてまつること、げんらいゑこくどにんでんのほんぐわん、なじかは疑べき。じがえんぶどうぎやうにんのせいやく、すこしもあやまるべからず」とて、しきりにりんをうちならし、ひまなくすすめたてまつりければ、「しかるべきぜんぢしき」とよろこびて、たちまちにまうねんをひるがへして、にしにむかひてをあざへて、
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かうしやうにねんぶつさんびやくよへんとなへすまして、すなはち海へぞいりたまふ。よざうびやうゑにふだう、いしどうまるもおなじくみなをとなへつつ、つづきて海へいりにけり。たけさともかなしみのあまりにたへず、海へいらむとしけるを、「いかにごゆいごんをばたがへたてまつるぞ。げらふこそなほくちをしけれ」とて、ひじりなくなくとりとどめければ、ふなぞこにふしまろびて、なき叫ぶ心のうちこそむざんなれ。しつだたいしのわうぐうをいでて、だんどくせんへいりたまひし時、しやのくとねりがすてられたてまつりてもだえこがれけむも、これにはすぎじとぞ見へし。ときよりにふだうもあまりのかなしさに、すみぞめのそでしぼりあへず。船をおしめぐらして、うきやあがりたまふと見けれども、さんにんながら深くしづみてみえたまはず。いつしかあみだきやうろくくわんばかりてんどくして、「くわこしやうりやう、しゆつりしやうじ、わうじやうごくらく」とゑかうしけるぞあはれなる。さるほどにせき
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やう西にかたぶきて、かいしやうもくらくなりければ、なごりはをしく思へども、さてしもあるべきならねば、むなしき船をさしかへさむとす。くまののなだにみちくる潮のしほざかひ、とわたる船のかいのしづく、ひじりが袖に伝ふ涙、あらそひかねてぞながれける。ときよりにふだうはかうやへかへりのぼり、たけさとはのたまひしが如くやしまへかへりくだりて、おととのしんざんゐのちゆうじやうにありのままに申せば、「あなこころうや。いかなる事也とも、などかはすけもりには知らせ給わぬぞや。わがたのみたてまつりつる程は思給はざりけるくちをしさよ。ひとところにていかにもならんとこそちぎりまうししか」とて、涙もかきあへず泣給ふ。「『池の大納言のやうに、頼朝に心をかよはして、京へのぼりたまひにけり』と、おほいとのもこころえたまひて、すけもりをも心をおきてうけとけたまはざりつるに、さてはみをなげたまひにける事のかなしさよ。さるにてもいひおきたまふことはなかりしか」と問給へば、たけさと涙をおさへて申けるは、「京へはあなかしこのぼるべからず。すぐに屋嶋へ参て、ありつるやうをくはしく申せ。
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ひとところにていかにもならんとこそおもひしかども、都にとどめおきしものどもの事、あまりにこひしくおぼつかなくて、あるそらもなかりしかば、もしおのづからつたひのぼりて、今一度見もやすると思て、あくがれいでたりしかども、かなふべくもなかりしかば、かくなむまかりなりぬ。びつちゆうのかみもうたれ給ぬ、これもりもかくなれば、いとどいかがたよりなくおもひたまはむずらんと、こころぐるしくこそ」と申ければ、「今はわがみとてもながらふべしともおぼえず」とのたまひもあへず、さめざめとぞ泣給ふ。こさんゐのちゆうじやうにゆゆしくにたまひたりければ、みたてまつるにつけても、いとどかなしくぞ思ける。
二十 廿七日、いづのこくふより、ほんざんゐのちゆうじやうあひぐしたてまつりて、かののすけむねもち鎌倉につく。なほもむねもちしゆごしたてまつるべきよし、まうさる。しゆくしよへぐしたてまつりてさまざまにいたはり奉る。これにつけてもさきだつものはただおんなみだばかりなり。あくる日いつしかひやうゑのすけのもと
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よりとて、なかもちのふたに、三蝶のあさぎのひたたれ、すずしのこそで、こうらのはかま、しろかたびら、ひあふぎ、だんじひとたばいれて、げすをんなにいただかせて、つかひにせんじゆまゐりて、さんゐのちゆうじやうに申す。中将うちみたまひて、ともかくも物ものたまはず。千手、「思わずにおもひて、物もおほせさうらはず」と申ければ、すけはうちわらひてぞおわしける。
廿一 おなじき廿八日、鎌倉のさきの兵衛佐頼朝、しゐのじやうげし給ふ。もとはじゆげの五位なりしに、ごかいをこえたまへるぞゆゆしき。いよのかみみなもとのよしなかついたうのけんじやうとぞきこへし。
廿二 四月十五日、しゆとくゐんをかみとあがめ奉る。昔かつせんのありしおほひどののあとに、やしろをたててせんぐうあり。かものまつりよりいぜんなれども、ゐんのごさたにて、くげにはしろしめさずとぞきこへし。さんぬるしやうぐわつのころよりざうえいせられけり。みんぶきやうしげのりのきやう、しきぶのごんのせうのりすゑぶぎやうしけり。しげのりのきやうはしんせいにふだうがそくたるによつて、はばかられ
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けり。ほふわうしんぴつのかうもんあり。さんぎしきぶのたいふとしつねのきやうぞさうしける。ごんのだいなごんかねまさのきやう、きいのかみのりみつ、ちよくしたり。ごべうのみしやうだいにはみかがみをもちゐられけり。かのみかがみは、せんじつごゆいもつをひやうゑのすけのつぼねにたづねられければ、このみかがみをたてまつりたりけり。はつかくのおほかがみ、もとよりこんどうにふげんのざうをいつけたてまつられ、こんどひやうもんのはこにをさめたてまつらる。またこうぢのさだいじんのべう、おなじくひがしのかたにあり。けいたいふのべう、あるいはぬしあり、あるいはぬしなし、こんどはぬしなし。ごんだいなごんはいでんにちやくし、さいはいをはりてかうもんをひらかる。またさいはいありて、ぞくべつたうじんぎのたいふとあべのかねとものあつそんにくだし給ふ。のちに朝臣のつとまうして、ぜんていにしてこれをやきけり。はるながをもつてべつたうとなす〈 こたかながのきやうのこ 〉。けいえんをもつてごんのべつたうとなす〈 こさいぎやうほふしがこ 〉。せんぐうのありさま、ことにおいてげんぢゆうにぞはべりける。同廿六日、いちでうのじらうただよりうたれけり。しゆれいをまうけてはかりて、くどうじすけ
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つねにおほせて、たきぐちともつぐらこれをいだきけり。ただよりあへてしよゐなかりけり。らうどうあまたけんを抜てえんのうへにはしりのぼりけるを、からめとらんとしける程に、きずをかうぶるものおほかりけり。たちまちに三人ちゆうせられぬ。そのほかはみないけどられにけり。やすだのさぶらうよしさだは、ただよりが父、たけたののぶよしをついたうのために、かひのくにへぞおもむきにける。
廿三 五月みつかのひ、いけのだいなごん関東へくだりたまふ。「頼朝世にさうらはむかぎりは、いかにもみやづかへはつかまつりさうらふべし。こあまごぜんのごおんをば大納言殿にほうじたてまつるべきなり」と、はちまんだいぼさつにかけたてまつりて、せいごんをもつてたびたびまうされければ、おちのこりたまひしかども、「兵衛佐こそかくおもひたまへども、きそもじふらうくらんどもいかがせむずらん」と、肝をうしなひ、たましひを消すよりほかの事なし。されども鎌倉より、「こあまごぜんをみたてまつると思て、とくとくげんざんせん」とのたまひければ、くだりたまひにけり。やへいざゑもんのじようむねきよと申すさうでんだいいちのものなり
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けるが、あひともなひ奉らざりければ、大納言「いかに」と宣ければ、むねきよ申けるは、「今度のおんともつかまつらじとぞんじさうらふ。君かくて渡らせ給へども、ごいつかのとのばらの、かくならせたまふおんことのこころうくおぼえて、いまだあんどしてもおぼえずさうらふなり。しんぢゆうをもおとしすへて、つひにまゐるべくさうらふ」と申ければ、大納言にがにがしくはづかしくて宣けるは、「一門をひきわかれてのこりとどまる事は、わがみながらもいみじとは思はねども、命もをしく世もすてがたければ、なましひにとどまりにき。そのうへは又くだらざるべきにあらず。はるかの旅に趣くに、いかでかみおくらざるべき。よしふつきずおもはば、などかおちとどまりし時さもいはざりしぞ。だいせうじなんぢにこそはいひあはせしか」と宣へば、むねきよゐなほりて申けるは、「人の身にいのちばかりをしきものやは候。又身をばすつれども、世をばすてずと申たり。おんとどまりあれとには候はず。又兵衛佐もるざいせらるるとき、こあまごぜんのおほせにて、しのはらのしゆくま
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で送て候き。其事いまだわすれずとうけたまはる。これにつけても、おんともにくだらば、ひきでものきやうようせられむずらんとおぼえさうらふ。それにつけても心憂かるべく候。さいこくにおはしますとのばら、もしはさぶらひどものききさうらはむ事、はづかしくこそおぼえさうらへ。このたびはまかりとどまるべくさうらふ。君はおちとどまらせ給て、かくてわたらせ給程にては、いかでかおんくだりなくては候べき。はるかにたびだたせ給へ。をぼつかなくはおもひたてまつれども、かたきをもせめにおんくだりさうらはば、いちぢんにこそ候べけれども、是は参ぜずともおんことかくまじ。すけどのたづねられさうらはば、『いたはる事の候』とおほせあるべし」と申ければ、こころあるさぶらひどもは是を聞て、皆涙をぞながしける。
廿四 十六日、いけの大納言鎌倉へくだりつきたまひたりければ、兵衛佐いそぎげんざんしたまひて、まづ「むねきよはさうらふか」とたづねまうされければ、「いたはる事候。まかりくだらず」とのたまひければ、かへすがへすほいなげに思給て、「いかになにごとのいたはり候ぞ。昔宗清がもとにさうらひしに、ことにふれてあはれみあり
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がたくさうらひし事のわすれがたくおぼえさうらひて、こひしく候へば、いそぎみたくさうらひて、いちぢやうおんともには参るらむとおもひつるに、くちをしくさうらふ」とて、ほいなげに思て、「なほもいしゆのさうらへばこそ」とのたまふ。しよりやうたまはらんとて、くだしぶみあまたなしまうけて、馬、鞍、もろもろのひきでものなむどたばんとしたまひければ、しかるべきだいみやうども馬ひかむとてしけるに、くだらざりければ、じやうげほいなき事にぞ思ける。
廿五 おなじき六月ひとひのひ、げんくらうよしつね、みのいとまをあうさず、ひそかに関東にげかう。かぢはらのかげときがためにざんをおひて、しやせんがためなりとぞきこへし。くこくのともがらたいりやくへいけにどういのあひだ、くわんびやうりすることをえざるよし、さねひらごんじやうしたりけるに、義経たちまちについたうのことをなげうててげかうしければ、ひとみなかたぶきあへり。おなじきみつかのひ、さきのさいゐんのしくわんちかよし〈 さきのみやうぎやうはかせひろすゑがこよりとものあつそんのせんいつのものなり 〉、さうりんじにしてさきのみののかみよしひろをからめとるあひだ、りやうばうきずをかうぶるものおほし。義仲にどういして、さんぬるしやうぐわつのかつせんののち、あとをくらますところをさぐり、つひにからめとられけり。このよしひろはころくでうはんぐわんためよしがばつしなり。いまちかよしがためにとらるる、くちをしかりし事也。
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六月五日、いけのだいなごん関東よりかへりのぼる。すけは「しばらくかくておはしませかし」とのたまひけれども、「京都にもおぼつかなくおもふらむ」とて、いそぎのぼりたまひければ、大納言になしかへしたてまつるべきよし、院へ申ける上、もとのしやうゑんしりやう、いつしよもさうゐあるまじきよし、くだしぶみをうけたまはりて、なほしよちどもあまたえたまふ。馬、鞍、ながもち、はがねなむど多く奉り給へり。兵衛佐かくもてなし給ければ、だいみやうせうみやう我も我もときらめきけり。馬も二三百疋に及べり。命のいきたるのみにあらず、とくつきてぞのぼりける。
廿六 ここにいがいせりやうごくのぢゆうにん、へいけぢゆうだいのけにんどもこの事を聞て、「一門をひきはなれて都にとどまりたまふだにもこころうきに、あまつさへけふこのごろ関東へげかうして、頼朝にともなひたまふことしかるべからず。いざひとやいて、さいこくのきんだちにものがたりまうしてわらはん」とぎして、さだよしが兄ひらたのにふだうをたいしやうぐんとして、五百余騎にて、あふみのくにしのはらのへんにうちいでてまちかけたり。大納言のおんともの武士千余人なりける上、ちかきほどの源氏この事を聞て、われさきにとはせむかひてすこく
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かつせんす。りやうばういのちを失ふ者二百余人也。しかれどもりやうごくの住人さんざんにうちおとされて、くもの子をちらすごとくにして、あまりのいのちいきて、けうにしておちにけり。へいけふだいさうでんのけにんたる上、ゆみやとるみのならひにて、せめてのよしみを忘れぬ事はあはれなれども、せめての事にや、おもひたつこそおおけなけれ。
廿七 七月よつかのひ、ごんのすけさんゐのちゆうじやうの北方は、「をのづからことづけもたえぬ。ほどふればいかに」とおぼつかなくおぼす。「月に一度なむど必ずおとづる物を」と待給へども、はるすぎなつたけぬ。秋のはじめに成て、「三位中将は今は屋嶋にはおわせぬ物を」と云人有り。「さていかになりたまひにけるぞ」とあさましくおぼえて、こころうしともおろかなり。せめておもひのあまりに、とかくして屋嶋へ人をたてまつりたまひたり。是もいそぎたちかへらず、秋もなかばすぎてかへりきたれば、「いかにおんぺんじは」といそぎたづねたまへば、「『過ぎぬる三月とをかのひに屋嶋をいでて、
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かうやへまうでたまひたりけるが、かのやまにておんぐしおろして、やがてくまのへつたはりつつ、なちの浜にて身をなげたまひにけり』と、おんともしたりけるとねりたけさとが申しし」と申せば、北方、「さればこそあやしかりつる物を」とばかりのたまひて、ふしまろびてをめきさけびたまふもことわりなり。らんぼうの鏡に影をならべて、たねんかいらうのかたらひとどまることなく、ゑんあうのふすまに枕をあはせて、すげつどうけつのちぎりこれふかし。れんりのえだはもしはなるることありとも、かれはわれよりほかにたのむところなく、ひよくの鳥はおのづからとをざかることありとも、我は彼よりほかにむつぶるかたもなし。とうかくに嵐さびしきあかつきには、涙をながして、いつしやうの早くすぎむ事をうれへ、せいろうに月のしづかなるゆふべには、きもくだきして、百年のすみやかにちかづかむ事をかなしみたまひしに、今かくききなしたまひけむしんぢゆう、おしはかられてあはれなり。若君姫君もこゑごゑになきかなしみたまへり。若君のめのとの女房なくなくまうしけるは、「いまさらにおどろきおぼしめすべからず。ひごろおもひまうけ
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つる事ぞかし。たうのたいそうのえいえうをばんしゆんのはなにひらき、つひにむじやうのかぜにしたがひ、かんのめいていのじゆふくをせんしうのつきにきせし、むなしくひつめつのくもにかくれぬ。しだいのかまへたるすがた、かぜのまへのともしびよりもあやふく、ごいんのなせる身、なみのうへの月よりもはかなし。げんしやうきんをくはゆめのうちのもてなし、すいちやうこうけいはめのまへのしつらひ也。ほんざんゐのちゆうじやうのやうにいけどられて都へかへりのぼりたまひ、又弓矢の前にかけて命をうしなひたまはば、いかばかりかはかなしかるべきに、かうやさんにておんぐしおろし、こかはくまのへ参てごせの事よくよくまうし、なちの浜にてねんぶつまうし、りんじゆうしやうねんにてをはり給けり。こころやすくこそおぼしめすべけれ。いたうななげきたまひそ。今はいかならむ岩のはざまにても、をさなくおわします人々をををしたてたてまつらむとおぼしめせ」と、なぐさめ申けれども、おもひしのびたまふべくも見へ給はず。さまをもやつし、身をもなげたまひぬべくぞおぼへし。これもり高野山にまうでて出家し、
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なちの浜にて身をなげたまひけりと、頼朝ききたまひて、「へだてなくうちたのみきたられたりせば、いのちばかりはいけたてまつりてまし物を。こまつのだいふのことおろかに思はず。いけのあまごぜんのつかひとして、頼朝をるざいにまうしさだめたまひしは、ひとへにかのひとのおんなりき。いかでかそのおんを忘るべきなれば、かのひとのしそくどもをおろかに思はず。まして出家なむどをせられなむ上は、さたにもおよばず」とぞのたまひける。
廿八 平家は屋嶋にかへりたまひてのちも、「くわんとうよりあらて二万余騎京につきて、既にせめくだる」ときこゆ。又、「くこくのものども、をかたのさぶらうをはじめとして、うすき、へつぎ、まつらたう、二千余騎のせいにてわたさむとす」ともいへり。かれをききこれをきくにも、只耳をおどろかし、心をけすよりほかの事なし。いちもんのひとびともいちのたににて七八人までうたれて、たのみたりつるさぶらひどもなかばすぎてうしなはれて、ちからつきはてぬ。あはのみんぶしげ
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よしがきやうだい、しこくのともがらをかたらひて、さりともといふばかりをぞ、高き山、ふかきうみともたのまれける。女房たちは、にようゐん、にゐどのをはじめたてまつり、さしつどいて、ただなくよりほかの事ぞなかりける。廿五日にも成にけり。「こぞのけふは都をいでしぞかし。ほどなくめぐりきにけり」とおもふもあはれなり。あさましくあわてたりしことどものたまひいでて、泣きぬわらひぬし給けり。をぎのうはかぜもやうやくすさまじく、はぎのしたつゆもしげし。いなばうちそよめき、このはかつちり、物思はざるだにも、秋になりゆく旅の空はものうきに、ましてこの春よりのちは、ゑちぜんのさんゐの北方の如く、身を海の底にしづむまでこそなけれども、あけてもくれてもふししづみ、物をぞ思給ける。
廿九 廿八日、しんていごそくゐあり。だいこくでんもいまだつくらねば、だいじやうくわんのちやうにてぞおこなはれける。これはごさんでうのゐん、ぢりやくしねん七月のれいなり。しんし、ほうけんおはしま
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さずしてごそくゐあること、じんむてんわうよりこのかた八十二代、これぞはじめなりける。
卅 八月むゆかのひ、くらうよしつねはいちのたにのかつせんのけんじやうに、さゑもんのじようになさる。すなはちしのせんじをかうぶりて、くらうはうぐわんとぞまうしける。九月十八日、義経はごゐのじようにとどまりてたいふはうぐわんとぞまうしける。がまのくわんじやのりより、みかはのかみにぞなされける。
卅一 おなじき廿一日、みかはのかみのりよりたいしやうぐんとして、ぐんびやうすまんぎ、又さいこくへ平家ついたうの為にはつかうしたりけれども、いそぎ屋嶋へもせめよせず、西国にやすらひて、むろ、たかさごのいうくんいうぢよをめしあつめ、遊びたはぶれてのみ月日を送けり。国をつひやし民をわづらはすよりほかの事なし。とうごくのだいみやうせうみやう多かりけれども、たいしやうぐんのげぢにしたがふことなれば、ちからおよばず。平家はさまのかみゆきもり、ひだのかみかげいへを大将軍として、一万よそうにて、びぜんのくにこじまにつきたりけり。
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源氏の大将軍みかはのかみは船よりあがりて、びぜんびつちゆうりやうごくのさかひ、にしかはじり、ふぢとのわたりと云所にぢんを取る。かのわたりは海のおもて、くがより近くて、ごちやうばかりへだてたりけるに、平家の方より海の底にはひしを植へ、くもでをゆひて、くがにはぐんびやうをすへたり。船をば皆嶋にひきつけたりければ、くがより渡すべきやうもなし。とひのじらう、かぢはらげんだをはじめとして、源氏のぐんびやうおほかりけれども、ちからおよばず。平家のかたより源氏の方へ、「渡せや渡せや」とぞまねきける。九月廿五日やはんばかりに、ささきのさぶらうもりつな只一騎うちいで、かのうらびとをかたらひて、さしたりけるしろさやまきを取らせて、「このわたりにあさみはなきか。ありのままに教へよ。をしへたらばこれならずよろこびはすべし」とやくそくしければ、うらびと申けるは、「このわたりに瀬はふたつさうらふが、つきがしらには東が瀬になりさうらふ。是をばおほねがはと申。つきじりには西が瀬に成候。是をばふぢとのわたりと申候。たうじは西が瀬に成て候ぞ。
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とうざいふたつの瀬の間、遠さなかにちやうばかりぞ候らむ。瀬のはたばりにたんばかりさうらふ。そのうち馬の足たたぬ所二三たんにはよもすぎさうらはじ」と申ければ、「さてはその浅さ深さをばいかでか知べき」と問ければ、「浅き所は波のたちあひ高くたちさうらふぞ」と申ければ、「さらばせぶみして見せよ」と云て、かのうらびとを先にたてて渡りけるに、ももこしにたつところも有り、深き所ぞ髪をぬらす程なる所、なかにたんばかりぞ有ける。「さて是より嶋の方は皆浅く候ぞ」とをしへてかへりにけり。あくる廿六日たつのこくに、平家のかたより又扇をあげて、「渡せや渡せや」とて源氏を招く。おもひまうけたる事なれば、ささきのさぶらうもりつな、きすずしのひたたれにくろいとをどしの鎧に黒馬に乗て、いへのこらうどうあひぐして廿二騎にて、「もりつなせぶみつかまつらむ」とて、さつと渡しけり。みかはのかみ、とひのじらう是を見て、「馬にて海を渡すやうやはある」といさむれども、もりつな
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耳にもききいれずわたしけり。馬のくさわき、しりがいにたつところも有り。馬のおよぐところなかほどにただにたんばかりに見へければ、源氏のぐんびやうこれをみて、我も我もとわたしけり。佐々木三郎いげ、かたきの前にわたしつきて、かうづけのくにのぢゆうにんわみのはちらうと、へいけの郎等さぬきのくにのぢゆうにんかえのげんじとくみたりけるに、わみのはちらうまろびにけり。わみがいとこにこばやしのさぶらうしげたかと云者、かえの源次に組たりけり。くみながら二人海へいりにけり。小林が郎等にいはたのげんだ、しゆうは海へいりぬ、つづきているべきやうもなかりければ、弓のはずをとらえて、あわのたつところへさしいれて探りければ、者こそとりつきたれ。ひきあげて見ればかたきが腰につかみつきたり。しゆうをばとりあげて、かたきをば船のせがひにおしあてて、くびをかひ切てとりにけり。平家是を見てふねどもおしいだしけり。源氏は船なければおひてもゆかず。とほやに射けれども、しよう
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ぶをけつせず。ちからおよばずもとの陣へぞかへりける。昔より馬にて海をわたすことためしなかりけるに、佐々木三郎初て渡しけり。時にとりてはゆゆしきかうみやうにてぞ有ける。平家はこじまのいくさにうちまけ、屋嶋へこぎもどる。源氏はくがへ上がりて休みけり。屋嶋にはおほいとのをたいしやうぐんとして、じやうくわくをかまへてまちかけたり。しんぢゆうなごんとももりはながとのくにひこしまにじやうをかまへておはします。ここをばぢたいはひくしまとぞ申ける。源氏このことききて、びぜん、びつちゆう、びんご、あき、すはうをはせこえて、ながとのくににぞつきにける。ながとのこくふにはみつのめいしよぞ有ける。はまのごしよ、くろとの御所、うわやの御所とて、みつありき。みかはのかみ名所々々を見むとて、こよひはこれにひかへたり。誠にさうかいまんまんとして、いそこすなみの音すごく、しんやにめいめいとして、はたうに影
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をぞうかべたる。いづれも面白からずと云事なし。あけてひくしまをせめんとせられけるが、「もじあかまの案内知らでは叶わじ」とて、ぶんごのぢへわたりて、をかたのさぶらうこれよしをさきとしてひくしまをせめんとて、まづつかひをつかはさる。をかたのさぶらう、「もつともさこそさうらふべけれ」とて、五百余艘のむかへぶねをたてまつる。みかはのかみは是に乗てぶんごのぢへぞわたられける。
卅二 十月、又冬にもなりぬ。屋嶋にはうらふくかぜもはげしくして、いそこすなみも高ければ、つはもののせめきたることも無し。船のゆきかうもまれなり。そらかきくもりゆきうちふりつつひかずふれば、いとどきえいるここちぞせられける。こほりすいめんにたいして、みがかざるにひやくれんのかがみをもてあそび、ゆきりんとうにもくして、をらざるにさんよのはなをみる。らくえふまたらくえふ、しやこはいしやうのくれなひいくばくか残れる。しぐれまたしぐれ、しやうやうきゆうじんのたもとあにかわかん
P3320
や。まがきの中の庭のをも、寒けきあしのかれはまで、冬のさびしさいひしらずぞおもはれける。しんぢゆうなごんかくぞおもひつづけたまひける。
すみなれし都のかたはよそながら袖になみこすいその松風 K213
卅三 廿三日、都にはごけいのぎやうがうあり。おなじき廿五日とよのみそぎせさせ給て、せちげはごとくだいじの左大臣、其時は内大臣の左大将にておはしますが、つとめたまひけり。去々年せんていのごけいのぎやうがうには、平家の内大臣せちげにておわせしが、せちげのあくにつきて、まへにりようのはたたててまかりたまへりし事、あたりをはらひて見へし物を、かぶりぎわ、そでのかかり、うへのはかまのすそまでにすぐれて見へ給へりき。そのほかもかの一門の人々、さんゐのちゆうじやうたちいげのこんゑのすけ、みつなにさうらわれしには、またたちならぶひともなかりき。くらうはうぐわんそのひはほんぢんにぐぶした
P3321
りき。木曾なむどにはにず、これはことのほかにきやうなれては見へしかど、平家の中にえらびすてられし人にだにもおよばず、劣りてぞ見へける。
卅四 十一月十八日にはだいじやうゑとげおこなはる。さんぬるぢしよう四年よりこのかた、しよこくしちだうのにんみん、平家の為にほろぼされ、源氏の為になやまされて、ぢゆうたくをすててさんりんにまじはり、春はとうさくのおもひをわすれ、秋はせいしうのいとなみにもおよばず。さればおほやけのみつぎ物もたてまつらず。いかにしてかやうのたいれいをもおこなはるべきなれども、さて又あるべきならねば、かたのごとくぞとげられける。十二月はつかごろまで、みかはのかみのりよりはさいこくにやすらひて、しいだしたる事なくて、年も既にくれにけり。平家都をおちてさいかいのなみのうへにただよひ給へども、ししやういまださだまらず。とうごくほつこくはしづかになりたれども、都のじやうげ、諸国のぢゆうみんら、ぜひにまどひけるこそふびんなれ。
P3322
卅五 兵衛佐より院へまうされけるじやうにいはく、
みなもとのよりともつつしみて そうもんでうでうのこと
一てうむいげぢもくとうのこと
みぎ、せんぎをまもり、ことにとくせいをほどこすべし。ただししよこくのじゆりやうら、もつともごさたあるべくさうらふか。とうごくほつこくりやうだうのくにぐに、むほんのともがらをついたうのあひだ、もとのごとくどみん、いまよりは、らうにんらきうりにきぢゆうし、あんどせしむべくさうらふ。しからば、らいしうのとき、こくしにおほせられ、りむをおこなはれば、よろしかるべくさうらふ。
一へいけついたうのこと
みぎ、きないきんごく、げんじへいけとかうして、きゆうせんにたづさはるともがらならびにぢゆうにんら、はやくよしつねのげぢにまかせて、いんぞつすべきよし、おほせくださるべくさうらふ。かいろこころにまかせずといへども、
P3323
ことにいそぎついたうすべきよし、よしつねにおほせつけらるべくさうらふなり。くんこうのしやうにおいては、そののちよりともはからひまうしあぐべくさうらふ。
一しよしやのこと
わがてうはしんこくなり。わうごのじんりやうさうゐなし。そのほかこんどはじめて、またおのおのあらたにくはへらるべきか。なかんづく、さんぬるころかしまだいみやうじんごしやうらくのよし、ふうぶんしゆつらいののち、ぞくとのついたう、しんりくむなしからざるものか。かねてはまたもししよしやはゑてんだうのことあらば、こうのほどにしたがひて、じゆりやうのこうをめしつけらるべくさうらふ。そののちさいきよせらるべくさうらふ。
一ごうれいのじんじのこと
しきもくをまもり、けだいなく、つとめおこなふべきよし、たづねさたせらるべくさうらふ。
一ぶつじのこと
P3324
しよさんのごりやう、ごうれいのつとめのごとく、たいてんすべからず。きんねんのごときは、そうけみなぶようをそんし、ぶつぽふをわするるあひだ、ぎやうとくおなじからず、とぼそをとづるをさきとしさうらふ。もつともきんぜいせらるべくさうらふ。じこんいごにおいては、よりともがさたとして、そうけのぶぐにおいては、ほふにまかせてうばひとり、てうてきをついたうせんくわんびやうらにあたへたまはるべきよし、おもひたまふるところさうらふなり。いぜんのでうでう、ごんじやうくだんのごとし。とぞかかれたりける。

平家物語第五末
一交了。
(花押)





延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版

平家物語 十一 (第六本)
P3325
 一 はうぐわんへいけついたうのためにさいこくへくだること
 二 だいじんぐうとうへほうへいしをたてらるること
 三 はうぐわんとかぢはらとさかろをたつるろんのこと
 四 はうぐわんかつらにつきてかつせんすること
 五 いせのさぶらうこんどうろくをめしとること
 六 はうぐわんこんせんじのかうしゆおひちらすこと
 七 はうぐわんやしまへつかはすきやうのつかひしばりつくること
 八 やしまにおしよせかつせんすること
 九 よいちすけたかあふぎいること
 十 もりつぎとよしもりとことばだたかひのこと
十一 げんじにせいつくことつけたりへいけやしまをおひおとさるること
十二 よしもりないざゑもんをいけどること
十三 すみよしのだいみやうじんのことつけたりじんぐうくわうごうぐうのこと
十四 へいけながとのくにだんのうらにつくこと
十五 だんのうらかつせんのことつけたりへいけほろぶること
十六 へいけのなんによおほくいけどらるること
十七 あんとくてんわうのことつけたりいけどりどもきやうじやうのこと
十八 ないしどころしんしくわんちやうにじゆぎよのこと
十九 れいけんとうのこと
二十 にのみやきやうへかへりいらせたまふこと
P3326
廿一 へいじのいけどりどもじゆらくのこと
廿二 けんれいもんゐんよしだへいらせたまふこと
廿三 よりともじゆにゐしたまふこと
廿四 ないしどころうんめいでんへいらせたまふこと
廿五 ないしどころのゆらいのこと
廿六 ときただのきやうはうぐわんをむこにとること
廿七 けんれいもんゐんごしゆつけのこと
廿八 しげひらのきやうのきたのかたのこと
廿九 おほいとのわかぎみにげんざんのこと
三十 おほいとのふしくわんとうへくだりたまふこと
卅一 はうぐわんにようゐんによくあたりたてまつること
卅二 よりともはうぐわんにこころおきたまふこと
卅三 ひやうゑのすけおほいとのにもんだふすること
卅四 おほいとのふしならびにしげひらのきやうきやうへかへりのぼることつけたりむねもりらきらるること
卅五 しげひらのきやうひののきたのかたのもとにゆくこと
卅六 しげひらのきやうきらるること
卅七 きたのかたしげひらのけうやうしたまふこと
卅八 むねもりふしのくびわたされかけらるること
卅九 つねまさのきたのかたしゆつけのことつけたりみなげしたまふこと
P3327
平家物語第六本
一 げんりやく二年正月とをかのひ、くらうたいふはうぐわんよしつね、平家追討のためにさいこくへげかうす。まづゐんのごしよへまゐりて、おほくらきやうやすつねのあつそんをもつて申けるは、「へいけはしゆくほうつきてしんめいぶつてんにもすてられたてまつりて、みやこをいで、なみのうへにただよふおちうとを、このさんがねんのあひだいままでうちおとさずして、おほくのくにぐにふさぎたる事はこころうき事にて候へば、こんどはひとをばしるべからず、よしつねにをきては、へいじをせめおとさずは、ながくわうじやうにかへるべからず。きかいかうらいてんぢくしんだんまでも、よしつねいのちあるほどはせむべきよしを申す。ゆゆしくぞきこえし。法皇きこしめしてぎよかんあつて、「よしつねがどどのちゆうかんおぼしめすにあまりあり。はやくてうてきをついたうしてげきりんを休め奉れ」とぞ
P3328
おほせられける。よしつねゐんのごしよをまかりいでて、うつたちける所にても、くにぐにのげんじならびにだいみやうせうみやうにも、院にて申つるが如く、「すこしもうしろあしをもふみ、いのちをもをしみたまわんひとびとは、これよりかまくらへくだりたまへ。よしつねはかまくらどののおんだいくわんにてちよくせんをうけたまはりたれば、かくは申ぞ。くがは馬のあしのおよびばむほど、うみはろかひのたたむ所までせめむずるなり。それをむやくなり、いのちをたいせつ、さいしをかなしとおもはむひとびとは、とくとくかへられよ。あくきみへて、よしつねにざんげんせられ給な」と、みまはしてぞ申ける。やしまにはひまゆくこまのあしはやくして、正月もたちぬ、二月にもなりぬ。はるは花にあくがるる昔をおもひいだして日をくらし、あきはふきかわる風の音、よさむによはる虫のねにあかしくらしつつ、ふねのうち、なみのうへ、さしていづれをおもひさだむるかたなけれ
P3329
ども、かやうに春秋をおくりむかへ、みとせにもなりぬ。とうごくのぐんびやうきたるときこへければ、またいかあらむずらんとて、こくぼをはじめたてまつり、きたのまんどころ、にようばうたち、いやしきしづのめしづのをにいたるまで、かしらさしつどひて、ただなくよりほかのことぞなき。内大臣のたまひけるは、「みやこをいでてみとせのほど、うらづたひしまづたひしてあかしくらすは事の数ならず。入道よをゆづりてふくはらへをわししてあはせに、たかくらのみやをとりにがし奉りたりしほど、こころうかりしことこそなかりしか」とのたまひければ、しんぢゆうなごんのたまひけるは、「みやこをいでし日より、少もあしひくべしとはおもはざりき。とうごくほつこくのやつばらもずいぶんぢゆうおんをこそかうぶりたりしかども、おんをわすれ、ちぎりをへんじて、みなよりともにかたらはれて、さいこくとてもさこそあらむずらめとおもひしかば、ただ都にてうち
P3330
じにもして、たちに火をかけてぢんくわいともならんとおもひしを、わがみひとつの事ならねば、ひとなみなみに心弱くあくがれいでて、かかるうきめをみるこそ」とてなみだぐみ給。げにもとおぼえてあはれなり。十三日、くらうたいふはうぐわんはよどをたちてわたなべへむかふ。あひしたがふともがらは、いづのかみのぶつな さどのかみしげゆき とほたふみのかみよしさださいゐんのしくわんちかよし おほうちのくわんじやこれよし はたけやまのしやうじじらうしげただとひのじらうさねひら つちやのさぶらうむねとほ ごとうびやうゑさねもとしそくしんびやうゑもときよ をがはのこじらうすけよし かはごえのたらうしげよりしそくこたらうしげふさ みうらのしんすけよしずみ おなじくなんへいろくよしむらみうらのじふらうよしつら わだのこたらうよしもり おなじくじらうよしもち
P3331
おなじくさぶらうむねざね おなじくしらうよしたね おほたわのじらうよしなりたたらのごらうよしはる ささきのしらうたかつな かぢはらへいざうかげときおなじくげんだかげすゑ おなじくへいじかげたか おなじくさぶらうかげよしひらさこのたらうためしげ いせのさぶらうよしもり しひなのろくらうたねひらしぶやのしやうじしげくに しそくうまのじようしげすけ よこやまのたらうときかぬかねこのじふらういへただ おなじくよいちいへさだ こんべいろくのりつなおほかはどのたらう おなじくさぶらう ちゆうでうとうじいへながくまがえのじらうなほざね しそくこじらうなほいへ ひらやまのむしやどころすゑしげをがはのたらうしげなり かたをかのはちらうためはる はらのさぶらうきよますしやうのさぶらう おなじくごらう みをのやのしらう
P3332
おなじくとうしち にうのじらう きそのちゆうじむさしばうべんけい、なむどをはじめとして、そのせいごまんよき。みかはのかみのりよりはかんざきへむかひて、ながとのくにへわたらんとす。あひしたがふともがらは、あしかがのくらんどよしかぬ ほうでうのこしらうよしとき たけたびやうゑありよしちばのすけつねたね はつたのしらうむしやともいへ しそくたらうともしげかさいのさぶらうきよしげ をやまのこしらうともまさ おなじくなかぬまのごらういへまさささきのさぶらうもりつな ひきのとうないともいへ おなじくとうしらうよしかずあんざいのさぶらうかげます おなじくこじらうときかげ くどうざゑもんすけつねおなじくさぶらうすけもち あまののとうないとほかげ おほごのたらうさねひでをぐりのじふらうしげなり いさのこじらうともまさ いつぽんばうしやうくわん
P3333
とさばうしやうしゆん、いげそのせい三万余騎。
二 十四日、いせだいじんぐう、いはしみづ、かもに、院よりほうへいしをたてらる。へいけついたう、ならびにさんじゆのしんぎことゆゑなく都へかへしいらせ給べきよしをいのりまうさる。しやうけいはほりかはの大納言ただちかのきやうなり。じんぎのくわんにん、しよしやのつかさ、ほんぐうほんじやにててうぶくのほふをおこなふべきよし、おなじくおほせくださる。みかはのかみ、たいふはうぐわんいげのついたうし、ひごろ、わたなべ、かんざき、りやうしよにてふなぞろへしけるが、けふすでにともづなをときて、さいこくへ下るべしときこゆ。十五日、のりよりはかんざきをいでて、せんやうだうよりながとのくにへおもむく。かいしやうに船の浮べる事いくせんまんといふことなし。だいかいにじゆうまんしたり。
三 義経はなんかいだうを経て四国へ渡らんとて、だいもつのはまにてよどのがうない
P3334
ただとしと云者をあんないしやにてふなぞろへして、いくさのだんぎしけるに、かぢはらへいざうかげとき、「このおんふねどもにさかろをたてさうらはばや」と申ければ、はうぐわん、「さかろとはなんぞ」と宣へば、「船のへのかたへむけて、又ろをたてさうらふなり。そのゆゑは、くがのいくさは、はやばしりのいちもつのきよくしんだいなる馬に乗て、かけむと思へばかけ、ひかむと思へばひく、ゆんでへもめてへもまわれ、安き事にて候。ふないくさは、をしはやめさうらひつるのちは、おしもどすはゆゆしきだいじにて候へば、へのかたにもろをたてて、かたきつよらばへなるろをもつておしもどし、敵よはらばもとの如くとものろをもつておしさうらふべし」と申ければ、判官おほきにわらひてのたまひけるは、「いくさと云は、『おもてをかへさじ。うしろをみせじ。ひとひきもひかじ』と、人ごとにおもひたる上に、たいしやうぐんうしろにひかへて、『かけよ、せめよ』とすすむるだにも、時により折にしたがひてひきしりぞくは、ぐんびやうのならひなり。
P3335
ましてかねてよりにげじたくをしたらむには、なにかよかるべき」とのたまひければ、梶原かさねて申けるは、「いくさのならひ、身をまつたくしてかたきをほろぼすをもつて、はかりことよき大将軍とは申也。むかふかたきをみなうちとりて、命のうするをかへりみず、あたりを破るつはものをば、ゐのししむしやとて、あぶなき事にて候」。はうぐわん、「いさゐのししの事はしらず。やうもなく義経はかたきにうちかちたるぞ。ここちはよきゆみやとるもののならひ、こうたいの名もをしく、かたへの目もはづかしければ、ひとひきもひかじとおもふすら、さしあたりては時にのぞみて、うしろをみするならひあり。せんは、たてたからん船には、さかろとかや、せんぢやうまんぢやうもたてよかし。義経はいつちやうもたつまじ。みやうじをだにもききたからず。そもそもまたたててよからむずるか、はたけやまどのいかに」と問給ければ、わだのこたらう、ひらやまのむしやどころ、くま
P3336
がえのじらう、ささきのしらう、しぶやのしやうじ、かねこのじふらう、くつきやうのものども六十余人なみゐたるに、畠山すすみいでて申けるは、「これうけたまはれ、さぶらひども。大将軍のおほせはいまひとへおもしろくさうらふものかな。誠にゆみやとるもののならひ、ひとひきもひかじとは、人ごとに思候。又ひきさうらふまじ。こうたいの名もをしく、かたへの目もはづかしく候。恥がさきをばかくるならひなり。梶原殿がしたくのすぎてまうしさうらふにこそ候める。な、との、梶原殿」と申ければ、わかきものどもはかたかたによせあはせて、めひきはなひきわらひけり。梶原「よしなき事まうしいだして」と思て、せきめんしてぞ有ける。判官のたまひけるは、「そもそも梶原が義経をゐのししにたとへつるこそきくわいなれ。わかたうはなきか。かげときとりてひきおとせ」と宣へば、いせのさぶらうよしもり、むさしばうべんけい、かたをかのはちらうためはる
P3337
などいふものども、判官の前に進みいでて、折ふさぎて、只今取てひつぱるべきけしきになりたれば、梶原申けるは、「いくさのだんぎひやうぢやうの時、ぐんびやうらこころごころにぞんずるところいちぎを申すは、つはものの常のならひなり。いかにもして平家をほろぼすべきはかりことをこそ申たるに、かへりてかまくらどののおんため、ふちゆうのおんことにこそ候へ。ただししゆうは一人とこそ思たるに、又有ける不思議さよ」とて、こしがたなにてうちかけて、うちしざりてゐたりけり。梶原がちやくなんげんだかげすゑ、じなんへいじかげたか、さんなんさぶらうかげもち、きやうだい三人すすみいでたり。判官いよいよ腹をたてて、なきなたを取てむかふ処に、みうらのべつたうよしずみ是をみて、判官をいだきとどむ。梶原をばはたけやまのしやうじじらうしげただいだきたり。げんだをばとひのじらうさねひらいだきたり。
P3338
三郎をばたたらのごらうよしはるいだきてひきすへたり。とのばらおのおのまうしけるは、「どしいくさせさせたまひて平家にきこへ候はむ事、せんなき御事なり。又鎌倉殿のきこしめされ候はむ事、そのおそれ少なからず。たとひひごろのごいしゆさうらふとも、このおんだいじを前にあてて、かへすがへすしからず。いかにいはむやたうざのごんしつきこしめしとがむるにあたはず」と、めんめんにせいし申ければ、はうぐわんもよしなしとや思給けん、しづまり給にけり。これをこそ梶原が深きゐこんとは思けれ。判官、「かたきにあひていくさせむなんど思はむ人々は義経につけや」と云ければ、畠山をはじめとして、いちにんたうぜんのむねとのものども六十余人、判官につきにけり。梶原はなをいきどほりをふくみて、判官の手につきていくさせじとて、みかはの守に付てながとのくにへぞわたりにける。
P3339
四 おなじき十六日、北風にはかに吹ければ、はうぐわんの船をはじめとして、ひやうせんども南をさしてはせける程に、にはかに又南風はげしく吹て、船七八十そうなぎさにふきあげられて、さんざんにうちやぶれたり。やぶれぶねどもしゆりせむとて、けふはとどまりぬ。風やなをると待ほどに、さんがにちまで風なをらず。みつかと云とらのこくばかりにむらさめそそきて、南風しづまりて、北風又はげしかりけり。はうぐわん、「風はすでになをりたり。とくとくこのふねどもいだせ」と宣ければ、かこかんどりども申けるは、「これほどの大風にはいかでかいだし候べき。風すこしよわりさうらはば、やがて出し候べし」。判官、「『むかひたる風にいだせ』といはばこそ、義経がひがことにてもあらめ。これほどのおひての風にいださざるべきやうやある。そのうへ、日よりもよくかいしやうもしづかならば、『けふこそ源氏渡らめ』とて、平家ようじんをもしせいをもそろえて
P3340
またむ所へわたりつきては、是程のこぜいにてはいかでか渡るべき。『かかる大風にはよも渡らじ。船もかよはじ』なむど思て、平家おもひよらざるところへするりとわたしてこそ、かたきをばうたむずれ。『火にいるもごふ、水におぼるるもごふ』と云事のあるぞ。とうとうこのふねいだせ。いださぬ物ならばいちいちにいころせ、きりころせ」と、ののしり給ひければ、いせのさぶらうよしもりかたてやはげてはせまはりて、かこかんどりどもをいころさむとしければ、「なにとしてもおなじしごさむなれ。さらばいだしてはせじにに死ねや」とて、二月十八日とらのときばかりにはうぐわんの船を出す。百五十そうのふねのうち、ただごそういだして走らかす。のこりの船は皆とどまりにけり。いちばん判官の船、二番畠山、三番土肥次郎、しばん伊勢三郎、五番佐々木四郎、いじやうごそうぞいだしたりける。「よの船にはかがり火とぼすべからず。義経が
P3341
船ばかりにはとぼすべし。是をもとぶねとして走らかせ。かたきに船の数
しらすな」とて、だいもつのはまよりほひきかけて、南へむけて走らかす。判官の船にはくつきやうのかんどりども乗たりけり。そのなかの梶取にをひては、しこくくこくのあひだには四国をもつて先とす。中にはとさのくにを以てもつともとす。たうごくいちのみやの梶取、あかのじらうたいふをめしぐせられけり。だいもつのうらより、みつかに走る所をただふたときに、あはのくにはちまあまこの浦にぞつきにける。船ごそうにつはもの五十余人、馬五十疋ぞ乗たりける。みぎはよりごろくちやうばかりあがりて、あはのみんぶだいふしげよしがをぢ、さくらばのげきのたいふよしとほと云者、大将軍にて、三百余騎があかはたみそながればかりささげてうつたちたり。判官是をみて、「ここにかたきはあるなるは。もののぐせよやとのばら。
P3342
浪にゆられ風にふかれてたちすくみたる馬、さうなくおろして、あやまちすな。おきよりおひをろせ。船につけてをよがせよ。馬の足とづかば船よりくらはをけ。そのあひだによろひぐそくはとりつけて、船より馬の足とづかば浪の上にてゆみひくな。いむけの袖をまかうにあてて、いそぎみぎはへはせよせよ。かたきよすればとてさわぐべからず。けふのやひとすぢはかたき百人と思べし。あなかしこあだや射るな」とぞげぢしける。いそ五六ちやうよりおきにてむまどもおひおろし、船にひきつけひきつけおよがせたり。むまのあしとづきければ船より馬に乗移り、五十余騎のつはものどもいむけの袖をまかふにあてて、みぎはへさつとはせあがりたり。はうぐわんまつさきにあゆませいだして、「音にもきけ、今は目にもみるらむ。せいわてんわうより十代の孫、鎌倉のさきのうひやうゑのすけみなもとのよりともがしやてい、くらうたいふはう
P3343
ぐわんよしつねなり。たいしやうぐんはたれびとぞ。なのれなのれ」とせめけれども、げきのたいふよしとほありけれども、おともせず。三百余騎くつばみを並べてをめいてかく。判官是をみて、「きやつばらはしかるべきものにてはなかりけり。いちいちにくびきりかけていくさがみに祭れや」とて、五十余騎のつはものども、平家の三百余騎の中へさけびてかけいりければ、中をあけてぞとほしける。源氏のぐんびやうとりかへして、たてさま横さまにさんざんにかけたりければ、三百余騎のつはものども、ひとこらへもせずしはうへたいさんす。強る者をばくびをきり、よわる者をばいけどりにしければ、大将軍げきのたいふもいけどられにけり。判官いくさに打勝て、よろこびのとき作て、「そもそもこのうらをいづくといふぞ」ととはれければ、浦のをさ、じらうたいふといふものまうしけるは、「かつらと申候」。判官のたまひけるは、「義経が
P3344
只今いくさに勝たればとてしきだいにまうすか」。「そのぎにては候はず。是はにんわじのおむろのごりやう、ごかのしやうの内にて候。文字『かつうら』と書てさうらふなるを、げらふはまうしやすきにつけて、『かつら』と申候」と申たりければ、判官、「義経がいくさのかどでに、かつらと云処に着て、まづいくさにかちたるうれしさよ。末もたのもし。な、とのばら」とぞのたまひける。
五 さて是より屋嶋へむかはむとする処に、むしや百騎計にてあゆみむかひたり。はうぐわん是をみて、「こはいかに。旗もささず、笠じるしもなし。源氏のぐんびやうにてもなし、平家のぐんびやうともみへず。なにものぞ。よしもりはせむかひてたづねよ」とのたまひければ、いせのさぶらう十五騎にてゆきむかひて、なにとかしたりけむ、よはひしじふばかりなる男のくろかはをどしの鎧きたるを、かぶとをぬがせて弓をはづ
P3345
させてぐして参たり。はうぐわん、「汝はなに者ぞ。源氏のぐんびやうか、へいじのみかたか」ととはれければ、「源氏平氏の軍兵にても候はず。たうごくのぢゆうにん、ばんざいのこんどうろくちかいへと申者にて候。たうじにつぽんごくのみだれにてあんどしがたくさうらふあひだ、参り候。源氏ててもわたらせ給へ、平氏にてもわたらせ給へ、世をうちとらせたまひて、わがくにのしゆうとならせたまはむ人を、しゆうとたのみまゐらせ候べし」と申ければ、「もつともしかるべし。さらばたうごくのあんないしやつかまつるべし。さるにてもたいしやうぐんのもののぐをばぬがせよ」とて、もののぐぬがせてめしぐしたり。はうぐわん、ちかいへにとはれけるは、「そもそも屋嶋に当時、せいいかほどありなむ」。「せんぎばかりにはよもすぎさうらわじ。くこくのぢゆうにんら、うすき、へつぎ、まつらのたう、をかたのさぶらうまで、皆平家をそむきたてまつりてさうらふあひだ、のとのかみどの、こまつどののきんだちを大
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将軍として、ところどころへうつてにさしむけられて候。そのうへあはさぬきのうらうらしまじまに、四五十騎、七八十騎、百騎、二百騎づつわかちおかれ
てさうらふあひだ、けふあすはせいも候わぬよしうけたまはりさうらふ」と申ければ、「さてはよきひまごさんなれ。屋嶋よりこなたに平家のけにんはなきか」。「これよりいちりばかりまかりさうらひて、いまやはたとまうすみやさうらふ。それよりあなた、かつのみやと申所に、あはのみんぶだいふがしそく、でんないざゑもんしげなほと申者ぞ、三千余騎にてぢんを取てさうらふなり」と申ければ、判官、「よかんなるは。うてや、とのばら」とて、はたけやまのしやうじじらうしげただ、わだのこたらうよしもり、ささきのしらうたかつな、ひらやまのむしやすゑしげ、くまがえのじらうなほざね、あうしうさとうさぶらうびやうゑつぎのぶ、おなじくしやていさとうしらうただのぶ、くつきやうのつはものいじやうしちき、はやばしりのしんだい
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なるに乗て、あゆませつあがかせつ、屋嶋のたちへぞはせゆきける。
六 なかやまの道よりいつちやうばかりいりたる竹の内に、くりもりのきさきのごぐわん、こんせんじといふだうあり。かのだうにてざいちにんらあつまりて、毎月十八日にくわうおんかうをはじめておこなひけるが、だいきやうもりそなへて、既におこなはむとて、どどめきけるを、判官聞給て、「ここにこそかたきはあんなれ」とて、ときを作て、はとおしよせたりければ、ざいちにんら、ひやくしやうたらうども、時のこゑを聞て、とるものもとりあへず、山の奥、谷の底へにげかくれにけり。判官堂にはせいり見給へば、きやうぜんいくらもすえならべたり。おほきなるをけに酒いれて置たり。「われらがまうけはしたりけるぞや。はやとのばら、かうのざにつき給へや」とて、判官よこざにつかれたれば、伊勢三郎いそぎよつて、ゆゆしげなるきやうぜん判官の前にすゑたり。人々
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はせつかれたりければ、われおとらじとおこなひけり。いひさけともによくおこなひてのち、判官、「すでにおこなひつ。いかでかしきよまであるべき。かうしきよめ、とのばら」とのたまひければ、むさしばう「承りぬ」とて、くろかはをどしのおほあらめの鎧にこぐそくして、黒つばの矢をひ、たちはきながら、かぶとをぬいでぶつぜんへよつてみれば、すすけたるまきもの一巻あり。くわんおんかうしきなり。べんけいおほきなるこゑをあげて、だうひびくばかりかうしやうに読たり。よみをはりてのち、「よくよみたり。よみすまひたり。ただしかうじのごばうのすがたこそおそろしけれ」とて、判官わらはれければ、人々もはとわらひけり。さてかのかうしゆらをめして、たちぶくろよりしやきん三十両をとりいださせて、たまはりたりければ、かれらよろこびまうして、「あはれ、つきごとにかかるよろこびにあわばや」とぞ申ける。
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七 かのだうよりさんぢやうばかりうちいでたりける所にて、さよみひたたれにたてえぼしきたるげすをとこの、京よりくだるとをぼしくて、たてぶみひとつもちてはうぐわんの先に行けるを、判官かの男をよびとどめて、「いづくよりいづくへゆくひとぞ」ととひたまひければ、この男判官ともしらで、こくじんかと思て、「これは京よりやしまのごしよへ参候也」と云ければ、判官、「是もやしまのごしよへまゐるが、道の案内もしらず」。「さらばつれ申さん」。「京よりはいかなる人のおんもとよりぞ」とかさねてとひたまへば、「ろくでうせつしやうどののきたのまんどころのおんふみにて、屋嶋にわたらせ給おほいとのへ、申させ給べき事さうらひて、まゐらせさせ給おんつかひにて候也」と申せば、「そのおんふみには何事をおほせられたるやらむ」。「べちの子細にて候わず。『げんじのくらうはうぐわん既に都をたちさうらふ。このなみかぜしづまりさうらひなば、いちぢやうわたりさうらひぬとおぼえ候。ご
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ようい候べし』と、申させ給おんふみにて候」と、ありのままに申たりければ、判官「そのふみまゐらせよ」と宣ふままに、ふみひきちぎりて水になげいれて、「男をばむざんげに命をば、な殺しそ」とて、山の中なる木にしばりつけてとほりにけり。さてそのひはあはのくにばんどうばんざいうちすぎて、あはとさぬきのさかひなる中山のこなたのやまぐちにぢんを取る。
八 つぎのひはひけたうら、にふのやしろ、たかまつのがううちすぎて、やしまのじやうへおしよせたり。屋嶋にはあはのみんぶだいふしげよしが子息、でんないざゑもんしげなほをたいしやうぐんとして、三千余騎にて、かはののしらうみちのぶをせむるに、いよきたのこほりのじやうへむかひたりけるが、かはのをばうちにがして、河野がをぢ、ふくらしんざぶらういげのともがら百六十余人が首を取て、屋嶋へたてまつりたりけるを、
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だいりにはくびのじつけんかなわじとて、おほいとののごしよにてじつけんありけり。おほいとのはこはかせきよもとをめして、おんつかひにてのとのかみどののかたへおほせられたりけるは、「げんくらうよしつね既にあはのはちまあまこのうらにつきたるよしきこへ候。さる者にて候なれば、さだめてよもすがら中山をばこえさうらひぬらんとおぼえさうらふ。ごよういあるべし」とぞ有ける。さるほどに夜のあけぼのに、しほひがたひとつへだてて、むれたかまつと云処にぜうまうあり。「あわやぜうまうよ」と云もはてねば、しげよしまうしけるは、「今の焼亡はあやまちにては候わじ。源氏のせい既にちかづきて、ところどころにひかけてやきはらふとおぼえさうらふ。さだめておほぜいにてぞ候らん。いかさまにもいそぎこのごしよをいでさせ給て、みふねにめされ候べし」と申ければ、「もつともさるべし」とて、せんていをはじめまゐらせて、にようゐん、きたのまんどころ、おほいとのいげの人々、屋嶋の
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ごしよのそうもんのなぎさよりみふねにめす。こぞの春いちのたににてうちもらされし人々、へいぢゆうなごんのりもり、しんぢゆうなごんとももり、しゆりのだいぶつねもり、しんざんゐちゆうじやうすけもり、さぬきのちゆうじやうときざね、こまつのしんせうしやうありもり、おなじくじじゆうただふさ、のとのかみのりつね、この人々は皆船にのりたまふ。おほいとのふしはひとつみふねに乗給へり。うゑもんのかみも鎧きてうつたたむとせられけるを、おほいとのおほきにせいし給て、手を取て、れいのにようばうたちの中におわしけるぞたのもしげなく、たいしやうぐんからもしたまわざるのこりの人々も、是を見給て、なぎさなぎさによせをいたるまうけぶねどもに、われさきにとあらそひのりて、あるいは七八ちやうばかり、あるいは一丁計おきへさしいだしてぞおわしける。みふねにめされつるそうもんの前のなぎさにむしや七騎はせきたる。舟々より是を見て、「あわやかたきよせたり」と
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ののしるめり。いちばんに進みけるむしやをみれば、あかぢのにしきのひたたれに、紫すそごの鎧に、くはがたうちたるしらほしのかぶとにあつくれなゐのほろかけて、にじふしさしたるこなかぐろの矢に、こがねづくりのたちはいて、しげどうの弓のま中取て、黒馬のふとくたくましきに、しろぶくりんのくらおき乗てうちいでたり。判官ふねのかたをまぼらえて、「いちゐんのおんつかひ、かまくらのひやうゑのすけよりともがしやてい、くらうたいふのはうぐわんみなもとのよしつね」となのりかけて、なみうちぎはに馬のふとばらむながひづくしまでうちひてて、たいしやうぐんに目をかけて、「返せや返せや」とぞさけびかけたりける。おほいとの、判官がなのりかくるをききたまひて、「このむしやはきこゆる九郎にて有けるぞや。わづかに七騎にて有ける物を。ぶんどりにもたらざりけり。いましばらくもありせばうちてし物を。のとどの、あがりていくさし給へ」とのたまひければ、能登殿「うけたまはり
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さうらひぬ」とて、三十よそうにて船のへにかひだてかきて、「をせや、こげや」とておしよせたり。判官船にむかひて戦けり。はたけやまのしやうじじらうしげただすすみいでて申けるは、「おとにもきけ、今は目にもみるらん。むさしのくにのぢゆうにんちちぶのながれ、はたけやまのしやうじじらうしげただと云者ぞ。我と思わん者はいでておしならべてくめや」とまうして、をめいてかく。どうこくのぢゆうにんくまがえのじらうなほざね、どうこくの住人ひらやまのむしやすゑしげ、いちにんはあうしうのさとうさぶらうびやうゑつぎのぶ、おなじくしやていさとうしらうびやうゑただのぶ、一人はさがみのくにのぢゆうにんみうらのわだのこたらうよしもり、一人はあふみのくにの住人佐々木四郎たかつな、七騎のものども、我も我もとなのりかけて、船にむかひてあゆませいでて、おひものいにさんざんにいる。平家もへやかたにかひだてかきて、是もさんざんに
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いる。七騎の人々、馬の足をもやすめ、わがみの息をもつがむとては、なぎさによせをいたる舟のかくれにはせよつて、しばし息をも休めてければ、又はせいだしてなのりかけてさんざんにいる。はうぐわんやおもてにたちてわれひとりとせめたたかひければ、あうしうのぢゆうにんさとうさぶらうびやうゑ、おなじくしやていしらうびやうゑ、ごとうびやうゑさねもと、おなじくしそくしんびやうゑもときよら、大将軍をうたせじとて、判官のおもてにたちたたかひけり。ここにてひたちのくにのぢゆうにんかしまのろくらうむねつな、なめかたのよいちをはじめとして、むねとのものども四十余人うたれにけり。のとのかみはこぶねに乗てするりとさしよせて、さしつめさしつめ射させてひきしりぞく。次にかたをかびやうゑつねとし、むないたのあまりを射させておなじくひきしりぞく。つぎにかはむらのさぶらうよしたか、うちかぶとを射させて、矢と共におちにけり。そのときあう
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しうのさとうさぶらうびやうゑつぎのぶは、くろかはをどしのよろひに黒つばのそやをうて、くろつきげなる馬に乗てかけいだしたりけるが、くびの骨を射させて、まつさかさまに落にけり。のとどののわらはにきくわうまるとて、だいぢからのはやものにて有けるが、もとはのとのかみの兄、越前の三位のめしつかひけるが、三位みなとがはにてうたれ給て、能登守につきたりけり。もえぎのはらまきに左右のこてさして、さんまいかぶとのををしめて、たちをぬき、船よりとびおりて、佐藤三郎兵衛がくびをとらんとて打かかる所を、おとと佐藤四郎兵衛よりはあわで、たちとどまりてよつぴいているやに、きくわうまるが腹巻のひきあはせをつと射ぬく。ひとあしもひかず、うつぶしに倒れにけり。のとのかみ是を見て、たちをぬきて船よりとびおりて、わらはがか
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いなをむずと取て、船へなげいれたまひければ、わらはは船の内にて死にけり。佐藤三郎兵衛つぎのぶはわづかにめばかりはたらきけるを、肩にひきかけてはうぐわんのおわする所へきたる。判官、つぎのぶがまくらがみに近よつて、「義経はここにあるぞ。何事かおもひおくことある。ひとところにてとこそちぎりたりしに、なんぢをさきにたてつるこそくちをしけれ。義経もしいき残りたらば、ごせをばいかにもとぶらわんずるぞ。心安く思へ」とのたまひければ、つぎのぶよに苦しげにていきふきいだして、「弓矢をとるをのこの、かたきの矢にあたりてしぬる事は、ぞんじまうけたる事に候。まつたくうらみとぞんじさうらわず。ただしあうしうよりつきまゐらせさうらひつるに、君の平家をせめおとしたまひて、につぽんごくを手ににぎらせたまひ、今はかうとおぼしめし候わんをみまゐらせてさうらはば、いかにうれしく候わん。今はそれのみぞ心にかかり
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ておぼえさうらへ」と申ければ、判官ききたまひて涙をうかべて、「誠にさこそおもふらめ」と宣けるほどに、つぎのぶはやがて息たへにけり。あうしうより判官のぼりたまひける時、ひでひらがたてまつりたりける、さだのぶが「おきすみのあか」とまうすくろむまの、すこしちひさかりけるが、名をば「うすずみ」とまうしてはやばしりのいちもつなり。いちの谷をもこの馬にておとし、いくさごとにこの馬に乗て、いちどもふかくし給はざりければ、「きちれい」ともなづけられたり。判官の五位のじように成給ける時も、この馬に乗給へりければ、余りにひさうして、「たいふぐろ」ともなづけられたり。身もはなたじとおもひたまひけれども、さとうさぶらうびやうゑがかなしくおぼされたりけるあまりに、この馬にきぶくりんのくらを置て、近き所より僧をしやうじて、「こころざしばかりはいかにとおぼせども、かかるいくさばなればちからおよばず。
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ここにていちにちぎやうを書て、佐藤三郎兵衛がごしやうよくよくとぶらひたまへ」とのたまひければ、是をみききけるつはものども皆涙をながして、「このとのの為には命をすつる事をしからず」とぞおのおのまうしあひける。さるほどにかつらにて戦つる源氏のぐんびやうども、をくればせにはせておひつきたり。あしかがのくらんどよしかぬ ほうでうのしらうときまさ たけたびやうゑありよしさかゐへいじつねひで みうらのすけよしずみ おなじくじふらうよしつらつちやのさぶらうむねとほ いなげのさぶらうしげなり おなじくしらうしげともおなじくごらうゆきしげ かさいのさぶらうきよしげ をやまのしらうともまさなかぬまのごらうむねまさ うつのみやのしらうむしやともしげ ささきのさぶらうもりつなあんざいのさぶらうあきます おなじくこたらうあきかげ ひきのとうないともいへ
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おなじくしらうよしかず おほたわのさぶらうよしなり おほごのたらうさねひでをぐりのじふらうしげなり いさのこじらうともまさ いつぽんばうしやうくわんとさばうしやうしゆんらをはじめとして四十余人にてはせくははる。このほかのむしや七騎はせきたる。はうぐわん「何者ぞ」ととはれければ、「こはちまんたらうどののめのとごに、雲上のごとうないのりともがさんだいのまご、とうじびやうゑのじようのりただとまうすものなり。としごろはさんりんににげかくれて有けるが、源氏の方つよると聞てはせさんじたりけり」。判官いとど力つけて、昔のよしみおもひやられて、あはれにぞおもはれける。しほひがたのしほいまだひぬほどなれば、馬のからすがしらふとばらなんどに立けるに、馬人けちらされて霞にまじはりてみえければ、平家のおほぜいにもおとらずぞみへける。判官このものどもを先として、平家のぐんびやうにさしむかひて、
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すこく戦はせけるほどに、平家のぐんびやう引退て、しばしためらひけるところに、九 平家の方より船一そう進みきたる。うらぶねかと見るほどに、つはものひとりものらざりけり。なぎさちかくおしよせていつちやうあまりにゆられたり。しばらく有て、船中よりよはひはたちばかりもや有らんとおぼして、女房のやなぎうらにくれなゐのはかまきたるが、みなぐれなゐの扇のつきいだしたるをはさみて、船のへに立てて、是をいよとおぼしくて、源氏の方をまねきて、持たる扇に指をさして、扇をせがひに立ていりにけり。源氏のぐんびやう是をみて、「たれをもつてかいさすべき」とひやうぢやうありけるに、ごとうびやうゑさねもとが申けるは、「このせいの中には、少しこひやうにてこそ候へども、しもつけのくにのぢゆうにんなすの
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たらうすけむねがしそく、なすのよいちすけたかこそ候らめ。それこそかけどりを三度にふたついてとるものにて候へ」と申ければ、「さらば召せ」とて、余一を召す。判官「あのあふぎつかまつれ」とのたまひければ、すけたかじするにおよばず、「うけたまはりさうらひぬ」とて、なぎさのかたへぞあゆませける。余一はかちんのよろひひたたれに、紫すそごの鎧に、おほぎりふの矢にふたところどうの弓持て、くろつきげなる馬にしろぶくりんのくら置てぞ乗たりける。海のおもていつたんばかりあゆませいだして、馬のむながひづくしまでうちひてて、なかしちたんばかりにて馬ひかへて見れば、ころはきさらぎの中のとをかの事なれば、よかんなほはげしき上、けさより北風吹あれて、かいしやうしづかならず。波はいとど立まさる、船はうきぬしづみぬただよへば、たてたる扇ひらめいて、座にもたまらずくるめきけり。いづくをいかにいるべしとも、いつぼ更におぼへねば、余
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一目をふさぎ心を静めてきねんす。「ねがはくはさいかいのちんじゆうさはちまんだいぼさつ、ことにはうぢうぶすなにつくわうごんげんうつのみやだいみやうじん、今一度ほんごくへむかへさせ給べきならば、弓矢に立そひ守り給へ。もしこのやを射はづしぬる物ならば、永く本国へかへるべからず。腹かいきりてこの海に入て、どくりゆうのけんぞくと成べし」ときねんして、目を見あげて見ければ、風少ししづまりて、扇ざせきにしづまりたり。これに余一心少しいさばしくして、心のうちに案じけるは、「さすがに物の射にくきは。夏山の峯、緑のこのまより、ほのかに見ゆる小鳥を殺さで射るこそだいじなれ。是は波の上の扇なればたやすかるべしとも、おきの船にはしゆしやうけんれいもんゐんをはじめたてまつりて、にゐどの、きたのまんどころ、げつけいうんかく、やかたをならべて、目をすまして是を
みる。
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みぎはの源氏はくらうたいふはうぐわんをはじめとして、とうごくほつこくのだいみやうせうみやう、こまをしづめ、肩をならべてけんぶつす。彼をみ、これを案ずるに、いづれもはれならずと云事なし。さればけふゑんのげいをほどこしけるやういう、ひがんの声を射けるかうえいも、胸しぬべく」ぞおぼへける。よいちかぶら取てはげて、じふにそくふたつぶせをよつぴいて、しばしかためてひやうど射たり。浦ひびけと海のおもてをとほなりして、ごろくたんをいわたし、扇のかなめはたといて、ふたつにさとぞさけにける。ひとつは海に入て波にゆらる。ひとつはいちぢやうばかり空へあがる。をりふし嵐吹て地にもをとさず、そらにふきあがりて舞遊ぶ。平家のかたには是を見て、ふなばたをたたきふなやかたをたたきかんじけり。源氏の方には前つわをたたき、えびらをたたきてどどめきけり。夕日にかかやきて波の上におちけるは、秋の嵐にたつたがはにもみぢの
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ちりしくかとぞおぼへける。かたきもみかたも是を見て、いちどうにあとぞいひあひける。余り感にたえざるにや、平家の船の中より、年五十余りなるむしやの、くろかはをどしの鎧きておほなぎなた持たるが、扇たてつるせがひの上にてまひけり。源氏の方より是をみて、「あれを射よ」と云けるに、あるいはまた、「もし射はづいつる物ならば、先に扇を射たりつる事もきみあるまじ。ないそ」と云者もあり。「只とく射よ」と云者もあり。余一「いよ」と云時には矢をさしはげ、「ないそ」と云をりは矢をさしはづしけるほどに、「ないそ」と云者はすくなく、「只射よ」と云者はおほかりければ、余一今度はなかざしをとりてつがひて、又よつぴいて射たりければ、舞ける武者のうちかぶとをうしろへつといいだしたりければ、男はしばしもたまらず、まつさかさまに海へがぶと入にける。そのたびはせんちゆう
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はにがり、をともせず。源氏の方には「あいたりあいたり」と云者もあり、又「なさけなくいたり」と云者もあり。平家の方より弓矢一人、楯つき一人、うちもの持たる者三人、小船に乗てくがにおしよせて、船よりとびおりて楯をつきむかへて、「よせよやよせよや」とぞまねきける。判官是を見て、「わかものども、かけいでてけちらせや」と宣ければ、むさしのくにの住人にふのやのじふらう、おなじくしらう、かうづけのくにの住人みをのやの四郎、しなののくにの住人きそちゆうだ、やちゆうだ、五騎をめいてはせむかふ。平家の方より、じふごそくのぬりのに、わしのはたかのはつるのもとじろやぶれあはせにはいだりける矢をもつて射たりけるに、にふのやのじふらうがむまのくさわきをはぶさまでいぬかれて、馬はびやうぶをかへす如くに、のけさまに倒れにけり。十郎は足をこしてめての方へおちたちぬ。へいけのかた
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よりうちもの持たる者、十郎によせあはせたり。十郎いかがおもひけん、かいふひてにぐるところをおひかかりて、十郎がかぶとのしころにかなぐりつく。しんみやうをすててさしうつぶきて引たりければ、かぶとのををふつと引ちぎりてとられにけり。十郎にげのびて馬の影に息つぎゐたり。かたきなぎなたをつかへてあふぎひらきつかふて、「けふちかごろきやうわらはべまでもさたすなる、平家のみかたにゑつちゆうのせんじもりとしが次男、かづさのあくしつびやうゑかげきよ」となのりて、船にぞ乗にける。平家の方には是にぞ少しここちなをりて思ける。平家の方より二百余騎、たて廿枚もたせて、岡にあがりてさんざんに戦ふ。源氏はじめは百四五十騎ばかり有けるが、ここかしこより二三十騎、四五十騎づつはせあつまりにければ、そのせい三百騎になりにけり。はうぐわんかつに乗て、馬のふとばらまで
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海へうちいれてせめつけたり。船よりくまでをもつて判官のかぶとにかけんとするを、判官は弓をば左の脇にはさみて、右手にてはたちを抜て、くまでをうちのけうちのけするほどに、いかがしたりけん、弓をとりはづして海へおとしいれたりけるを、かたきくまでにてかけうかけうとするをばしらず、馬のしたはらにのりおりて、さしうつぶきて、この弓をとらんとらんとしけれども、波にゆられてとられざりければ、岡より是を見て、「そのおんゆみすてさせ給へや。あれはいかにあれはいかに」とこゑごゑにののしりけれども、聞給わず。とかくしてむちにてかきよせて、つひに弓を取てあがりたまひたりければ、つはものくちぐちに申けるは、「しろかねこがねをまろめて作たる弓なりとも、いかでか御命にはかへさせ給べき。あなあさましの御心のつれなさや」と申ければ、判官、「や殿原、義経が弓と云はば、三人ばり五人ばりにてもあらばこそ、きこゆるげん
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じのたいしやうぐんの弓のつよさといふさたせられて、義経がめんぼくにてもあらめ。それだにも、『義経こそ平家のらうどうどもにせめつけられて、たへずして弓をおとしたりつるを取たる。これみよや。弓のよはさ、すがたのをろかさよ』なんど云て、ひろうせん事のくちをしさといひ、又鎌倉にきこえたまひて、『むげなりける者よ』と、思給わんも心うかるべければ、命にかへて取たりつるなり」と宣へば、人々是を聞て、「あなおそろしのごしんぢゆうや」と申て、舌をふるひて感じあへり。そのひは一日たたかひくらして、源氏は夜に入て、たうごくの中、しばやまむれたかまつと云けなしやまに陣をとる。平家は、ごしよはやけれぬ、いづくにとどまるべしともなければ、やけだいりの前に陣をとる。なかさんじふよちやうをへだてたり。源氏はいくさにしつかれて、つはものどももののぐぬぎすてて休みけり。平家そのよよせて、源氏を
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ようちにせば、なにもあるまじかりけるに、ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎとみまさかのくにのぢゆうにんえみのたらうときなほとせんぢんをあらそひけるほどに、其夜もあけにけり。源氏のせいのなかにはいせのさぶらうよしもりばかりぞ、ようちもぞよするとて、よろひこぐそくとりつけて、ゆんづゑあそこここにたて、よもすがらたちあかしたりける。とらのこくばかりにはうぐわんのたまひけるは、「しばしと思つるに、いくさにはよくつかれにける物かな。いざとのばら、よせむ」とて、六十余騎かぶとのをしめて、平家の陣へおしよせて時を作る。平家もあわてたりけれども、こゑをあはせてけり。
十 ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、すすみいでてまうしけるは、「そもそも源氏のかたよりきのふなのりたまふとはききしかども、かいしやうはるかにへだたりて、なみにまぎれて、たしかにもききわかず。けふの大将軍たれぞや。なのれ」と申ければ、いせのさぶらうよしもり、あゆみいでて
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申けるは、「あら事もおろかや。汝はしらずや。わがきみはせいわてんわうよりはじふだいのおんまご、はちまんたらうよしいへのあつそんにはしだい、かまくらどののおんおとと、くらうたいふのはうぐわんどのにて渡らせ給ぞかし」。もりつぎききあへず申けるは、「誠にさる事あるらん。くらまへつきまうでせし、三条のきちじと云しこがねあきびとがみのがさらうれうせをうて、むつへぐしてくだりたりし、どうみやうしやなわうと云し者の事ごさんなれ」。よしもり又申けるは、「かうまうすは越中国となみやまのいくさに山へおひいれられて、からきいのちいきて、こつじきして京へのぼりたりける者な。かけまくもかたじけなく舌のやはらかなるままに、はうぐわんどののおんことな申されそ。いとどみやうがつきなんず。かひなき命のをしからんずれば、たすけさせ給へとこそ申さんずらめ」。盛次又いわせもはてず、「わかくより君のごおんにていしよくにとぼしからず。なにとてかわがみこつ
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じきすべき。あわれ、盛次がむさしのくにをたまはりてくだりたりしには、とうごくのだいみやうせうみやう、たうもかうけも、はいひざまづゐてこそ有しか。なんぢはぬすみをしてさいしをやしなひけるとこそききしか。それはえあらがわじ物を」と云ければ、かねこのじふらういへただすすみいでて、「とのばらのざふごんむやくなり。我も人もおとらじまけじ。そらごといひつけて、そぞろごといはんにはたれかは劣るべき。くちのききたらんにはよるまじき物を。さらばうちいでよかし。こぞの春いちのたににてむさしさがみのとのばらの手なみは見けん物を」と申せば、おなじくおととのよいちがたちならびたりけるが、よく引てはなちたりける矢、盛次が鎧のむないたにしたたかに当りたりければ、もりつぎやかぜおひておともせず。其後かたきもみかたもいちどうにはとわらひて、ことばだたかひはとどまりにけり。東国のともがら、くらうはうぐわんをはじめとして、み
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みのあたをいはれて、やすからずと思て、われさきをかけむとすすみけれども、へいけのかたにもゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、おなじくあくしちびやうゑかげきよ、ひだのさぶらうざゑもんかげつね、おなじくしらうびやうゑかげとし、ごとうないさだつないげのはやりをのわかものども、命ををしまず防きたたかひける上、のとのかみのやさきにまはる者、一人もいのちいくるはなかりけり。されば時を移しける程に、源氏のぐんびやうおほくうたれにけり。さる程に夜もあけにけり。
十一 よあけにければかぜやみぬ。風やみければ、うらうらしまじまにふきつけられたる源氏ども、ふねこぎきたりてはうぐわんにつきけり。又くまののべつたうたんぞうはかまくらのひやうゑのすけのぐわいせきのをばむこにて有けるが、げんじのぐんびやう四国へわたるよしを聞て思けるは、「この事よそにききて有べき身にあらず。ただしけふまでも平
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家のいのりをする者が、いつしか源氏にくははらん事、世のそしりもさる事にて、しんりよも又はからひがたしかし。只神にまかせたてまつらむ」とて、にやくわうじのごぜんに参て、くじを取て、「しろきにはとりあかきにはとりをあはせて、しようぶにしたがひていづちへもつくべし」とおもひさだめて、とりあはせをしてみるに、しろきとりかちにけり。「さては源氏のうちかちにてあるごさむなれ」とて、三百よそうのひやうせんをそつして、きいのくにたのべのみなとよりこぎきたりて、源氏にくははる。かはののしらうみちのぶも千余騎のぐんびやうをそつして、いよのくによりはせきたりて、おなじく源氏にくははりにけり。かかりければ九郎判官いとど力つけて、あらてのつはものいれかへいれかへたたかひければ、平家つひにせめおとされて、第二日のみのこくには屋嶋をこぎいでて、しほにひかれ風にしたがひて、いづくをさしてゆくともなく、ゆられゆくこそ悲し
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けれ。判官はいくさに打勝て、さんがにち屋嶋にとうりうして、四国のせいをぞまねきける。
十二 判官、いせのさぶらうよしもりをめして、「あはのみんぶしげよしがちやくし、でんないざゑもんしげなほがたいしやうぐんとして、三千余騎にていよのくにへおしわたりて、かはのをせめによせけるときこゆ。よしもりまかりむかひて、しげなほめしぐしてまゐれ」と宣ければ、よしもり、「うけたまはりさうらひぬ。おんはたをたまはるべし」とて、はたひとながれまうしうけて、わづかに十五騎のせいにてはせむかふ。「あれほどのおほぜいにてでんないざゑもんが三千余騎のせいをば、いかにしていけどりにせむぞ。まことしからず」と、ものどもわらひあへり。しげなほはかはのがたちにおしよせてせめけれども、河野さきだちておちにければ、いへのこらうどうあまたいけどりにして、たちにひかけて、屋嶋へ参
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ける道にてよしもりゆきあひたり。しらはたあかはたのあひだにちやうばかりにぞちかづきける。赤旗ひかへたりければ、白旗も又ひかへたり。能盛ししやをたてて申けるは、「あれはあはのみんぶだいふしげよしのちやくし、でんないざゑもんしげなほのおわするとみ申はひがことか。かつうはききもしたまふらん、鎌倉のひやうゑのすけどののおんおとと、くらうたいふはうぐわんどの、ゐんぜんをかうぶらせたまひて、さいこくのうつての大将軍にむかわせ給へり。かうまうすはいせのさぶらうよしもりと云者也。をととひ十九日あはかつらにて、わどのの父、みんぶだいふもかうにんに参りぬ。又をぢのさくらばのげきのたいふもいけどりにて、能盛があづかりていとほしくして置たり。きのふ屋嶋のごしよおとされて、だいりやきはらひて、おほいとのふしいけどられたまひぬ。のとどのは自害せられつ。こまつどののきんだちいげ、あるいはうちじに、あるいは海
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にいりたまひぬ。よたうわづかにありつるは、しどのうらにて皆うたれぬ。わぎみも、今一度父にもみへ、父のいきたるかほをもみ、故郷へも帰らんと思はば、かうにんに参て能盛につきたまへ。はうぐわんどのにまうしていのちばかりはいけまうさん。かくまうすをもちゐずは通し申すまじきぞ」といわせたりければ、でんないざゑもん是を聞て、「このことあらあらききつるにたがはず。ひとひの命のをしきも、父のゆくへをしらむとなり。いはむやいくさにをひてをや。平家既にいけどられたまひにけり。父又かうにんになりにける上は、しげなほたれにむかひていくさをすべき」と思て、「さらばかうにんに参るにてこそさうらはめ」とて、かぶとをぬぎ弓をはづしてらうじゆうにもたす。大将軍かくすれば、いへのこらうどうもかぶとをぬぐ。よしもり、「すかしおほせつ」と思て、成直を先にたてて判官のもとへゐて参る。「しんべうなり」とて、成直がもののぐをめして、その
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身をばよしもりにあづけられぬ。のこりのつはものども是を見て、「これはくにぐにのかりむしやにて候。たれをたれとかおもひまゐらせ候べき。只くさきの風になびくがごとくにて候べし。わがくにのあるじたらんを君とあふぎたてまつるべし」とくちぐちに申ければ、「さらばさにこそあんなれ」とて、みなめしぐせらる。能盛わづかに十五騎のせいにて、成直が三千余騎をいけどりにして参りけるこそゆゆしけれ。みんぶだいふしげよしは、「でんないざゑもんいけどりにせられぬ」と聞ければ、うらうらしまじまとまりどまりにつきたれども、きもこころも身にそわで、わがこのゆくへぞ悲しかりける。四国のともがらもこれを見て、ところどころのいくさにもすすまざりけり。へいけのかたには民部大夫成良を副将軍とたのまれたりけれども、四国のともがらすすまざりければ、やうやくうしろしだいにすきて、あやふくぞみへられける。しげよしもこのさんがねんのあひだ平家にちゆうをつくし
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て、どどのいくさにもふしともに命ををしまず戦けるが、事のありさまかなふまじと思ける上、でんないざゑもんいけどられにけるあひだ、たちまちに九郎判官に心をかよはして、あはのくにへ渡してければ、たうごくのぢゆうにん皆源氏にしたがひにけり。人の心はむざんの物也。是も平家の運のつきぬる故也。判官は二月十九日かつらのたたかひ、廿日やしまのいくさ、廿一日しどの戦にうちかちてければ、四国のつはもの、なかばにすぎてつきしたがひにけり。「まづ事のずいさうこそ不思議なれ。源氏はあはのくにかつらにつき、軍に勝ち、平家はしらとりにふのやしろをすぎ、ながとのくにひくしまにつく。いかが有べかるらん。おぼつかな。平家のゆくすゑいかにもいかにもはかばかしからじ」なんど、人の口、昔も今もさまざまなりけるほどに、ひくしまをもこぎいでて、うらづたひしまづたひして、ちくぜんのくに
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はこざきの津につきたまひぬ。くこくのともがらもさながら源氏に心をかよはして、はこざきのつへよすべしときこへければ、はこざきのつをもいでたまひぬ。いづくをさだめておちつきたまふべしともなければ、かいしやうにただよひて、涙と共に落給けるこそむざんなれ。
十三 三月十九日、すみよしのかんぬしながもり、院に参て申けるは、「さんぬる十六日ねのこくに、第三のじんでんよりかぶらやのこゑいでて、西をさしてゆきぬ」とそうもんしければ、法皇おほきによろこびおぼしめして、ぎよけんいげ、いろいろのへいはく、ならびにしゆじゆのじんぽうをかんぬしながもりにつけたてまつらる。昔じんぐうくわうごうしんらをせめたまひし時、いせのだいじんぐう二人のあらみさきをさしそへたてまつる。かの二人のおんがみ、みふねのともへに立て守給ければ、すなはちしんらをうちたひらげてかへりたまへり。いちじんはつのくにすみよしの
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こほりにとどまりたまふ。すなはちすみよしのだいみやうじんと申す。このみやうじんはをさまれる世をまもらんが為に、ぶりやうのちりにまじはりて、よはひはくはつにかたぶかせ給へる老人のおきなにてぞわたらせ給ける。いちじんはしなののくにすはのこほりにおんみやづくりもかむさびて、ゆきあひのまの霜をいとひ給ふ、あがめ奉る。すなはちすはのだいみやうじんと申す、是也。昔かいじやうわうじのこんでいのだいはんにやきやうをしよしやし給しに、さいてんぢくびやくろちの水をくみてかかせたまひしも、このみやうじんとぞうけたまはる。ごたいはいちぢやうくしやくの赤きおにかみにてわたらせ給とかや。されば昔のせいばつの事を忘れ給わず、てうのをんできをほろぼしたまふべきにやと、法皇たのもしくぞおぼしめされける。じんぐうくわうごうと申はかいくわてんわうのそうそん、ちゆうあいてんわうのきさき也。ちゆうあいのおんかたきをうたむが為に、かのとのゐのとし十月二日、くわいにんのおんすがたとつきと申けるに、いこくをせめんとて、つくしのはか
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たのつにごかうなりて、おんふなぞろへ有ける時、わうじ既にうまれ給わんとて動き給ければ、皇后のたまはく、「うまれたまひてじちゐきのあるじとしてくらゐをたもちたまふべき君ならば、いこくをうちてのちうまれ給へ。ただいまうまれたまひなば、たちまちにかいちゆうのいろくづのしよくとなりたまふべし」と、たいないのわうじにむかひたてまつりて、せんみやうをふくめたまひしかば、皇子しづまり給て、うみがつきをぞのべたまふ。ときに皇后土のかたちになりたまひて、おんいもうとのとよひめをぐしたてまつりて、ちちしやからりゆうわうの御手より、かんじゆ、まんじゆと云ふたつのほうしゆをえたまひて、あといそらにふりとらせ、異国へわたりたまひて、さんかんとてしんら、かうらい、はくさいさんがこくをうちなびかしたまひて、おなじく十一月廿八日はかたのつにくわんぎよなつて、十二月二日にわうじたんじやうなりにけり。其時よりかのところをばうみのみやとぞなづけける。ちゆうあいのおんかたきをうたせ給て、わうじたんじやうののち、よをP3383をさめたまふこと六十九年と申しつちのとのうしのとし、おんとし百一にしてほうぎよなりにけり。かのわうじとまうすはおうじんてんわうにて渡らせ給。今のはちまんだいぼさつと申すはすなはちこれなり。
十四 平家屋嶋をおちぬときこへければ、さだめてながとのくにへぞつかんずらんとて、みかはのかみのりよりはあひしたがふところのむねとのぐんびやう卅余人をあひぐして、あき、すはうをなびかして、ながとのぢにてまちかけたり。をかたのさぶらうこれよしはくこくのものどもかりぐして、すせんぞうの船をうかべて、からのぢをぞふさぎける。平家は屋嶋をばおとされぬ、くこくへはいれられず、よるかたなくてあくがれて、ながとのくにだんのうら、もじがせきにてなみのうへにただよひ、ふねのうちにて日を送る。はくおうのむれゐるを見ては、えびすのはたをあぐるかとうたがはれ、いさりの火の影を見ても、
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ようちのよするかと驚て、おのおの今はおもひきりて、「だんのうらの波ときへ、もじがせきに名をとどめむ」とぞまうされける。しんぢゆうなごんとももり宣けるは、「あやしのてうじうもおんをほうじ、徳を報ずるこころざしあむなり。どどのいくさに九郎一人にせめおとされぬるこそ安からね。今はうんめいつきぬれば、いくさにかつべしとは思わず。いかにもして九郎ひとりを取て海にいれよ。たうせんからくりしつらひて、しかるべき人々をばたうせんにのせたるけしきして、おほいとのいげむねとの人々は二百よそうのひやうせんにのせて、たうせんをおしかこめてさしうかめてまつものならば、『さだめてかのたうせんにぞたいしやうぐんは乗たるらん』と、九郎すすみよらん所を、うしろよりおしまきて、中にとりこめて、なじかは九郎一人うたざるべき」とのたまひければ、「このぎもつともしかるべし」とて、そのぢやうにぞしたくしける。
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源氏はあはのくにかつらにつきていくさにうちかちて、平家のあとめにかけて、ながとのくにあかまのせき、おいつへいつと云所につきにけり。平家の陣を去る事三十よちやうぞ有ける。
十五 三月廿四日、源氏義経を大将軍として、ぐんびやうすまんぎ、三千よそうにて、夜のあけぼのにだんのうらへぞよせたりける。平家もまちかけたる事なれば、やあはせしてたたかふ。げんぺいりやうじにあひしたがふともがら十万余騎なりければ、げんかふ雲をなし、ながれや雨の如し。たがひに時を作る声おびたたし。上はひさうてんまでもきこへ、下はかいていりゆうぐうまでもおどろくらんとぞおぼえし。しんぢゆうなごんとももり、船のへにたちいでてのたまひけるは、「いくさはけふぞ限り。おのおのすこしもしりぞく心あるべからず。てんぢくしんだんにつぽんわがてうにもな
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らびなきめいしやうようじといへども、運命のつきぬる上は、今も昔も力およばぬ事なれども、名こそをしけれ。あなかしことうごくのやつばらにあしくて見ゆな。いつのれうに命ををしむべきぞ。いかにもしてくらうくわんじやを取て海にいれよ。今はそれのみぞおもふこと」と宣ければ、ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎちかくさうらひけるが、「さぶらひどもこのおほせうけたまはりさうらへや」とげぢしければ、あくしつびやうゑかげきよが申けるは、「なかばんどうのものどもは馬の上にてぞくちはききさうらへども、ふないくさなんどはいつかなれ候べき。うをの木にのぼりたるにてこそ候わんずれ。いちいちに取て海につけさうらひなんず」。もりつぎが申けるは、「九郎はうつてにのぼるとうけたまはりて、えんにふれて九郎が有様をくはしくたづねさうらひしかば、九郎はいろしろきをとこのたけひききが、むかばのことにさしいでて、しるかんなるが、きと見知る
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まじき事は、身をやつしてじんぢやうなる鎧なむども着ざんなり。きのふきる鎧をばけふはきず、朝夕きる鎧をばひなかにはきかふなり。ひたたれ鎧のなきを常にきかふなる時に、とほやにも射らるまじかんなるぞ。かまへて組め」とぞ申ける。かげきよ申けるは、「九郎は心こそたけくとも、そのこくわんじやなにごとのあらんぞ。かたわきにはさみて海へいりなん物を」とぞ申ける。いがのへいないざゑもんいへながが申けるは、「世は不思議の事かな。こがねあきびとがしよじゆうの、源氏の大将軍して、君にむかひ奉て弓をひき、矢を放つ事よ。ごうんのつきさせ給と云ながら、心憂く安からぬ事かな」とて、はらはらとぞ泣ける。新中納言はかくげぢし給て、おほいとののおんまへへおわして、「けふのいくさにはみかたのつはものども、もつてのほかにことがらよ
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げに見へ候。ただししげよしこそこころがはりしたるとおぼへ候へ。きやつをうちさうらはばや」と宣ければ、おほいとの、「そもいちぢやうをききさだめてこそ。もしひがことにてもあらば、ふびんの事にて候べし」とて、つまびらかにも宣はざりければ、新中納言は、「あわれあわれ」とたびたびのたまひて、しげよしを召す。もくらんぢのひたたれにあらひがはのよろひきて、おんまへにひざまづきてさうらひぬ。大臣殿、「いかに成良、さきざきのやうにいくさのをきてはせぬぞ。四国の者共に、『いくさよくせよかし』といへかし。おのれはおくしたるか。けふこそあしくみゆれ」と宣ければ、「なじかはおくし候べき」と申て、立にけり。「あはれ、さらばしやくびをきらばや」ととももりおもひたまへども、大臣殿ゆるしたまはねばちからおよばず。平家は七百よそうのひやうせんをよてに作る。やまがのへいとうじひでとほがいつたう、二百よそうにていちぢんにこぎ
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むかふ。あはのみんぶしげよしをさきとして、しこくのものども百よそうにてにぢんにこぎつづく。平家のきんだち三百よそうにてさんぢんにひかへたり。くこくのぢゆうにんきくちはらだがいつたう、百よそうにてしぢんにささへたり。いちぢんにこぎむかへたるひでとほがいつたう、つくしむしやのせいびやうをそろゑて、舟のへに立てへをならべて、矢さきをととのへてさんざんに射させければ、源氏のぐんびやう、いしらまされてひやうせんをさししりぞけければ、「みかたかちぬ」とて、せめつづみを打てののしりける程に、源氏、つよ弓せいびやうのやつぎばやのてききどもをそろへて、射させける中に、やまどりのはをもつてはぎたりけるが、もとまきの上一寸ばかり置て、「みうらのへいたらうよしもり」と漆にて書たりけるぞ、物にもつよくたち、あだ矢もなかりける。さてはしかるべきやなかりけり。平家是を
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みて、おほやみなとどめて、いよのくににひのゐのしらういへながをもつて射させたり。手ぞ少しあばらなりけれども、四国の内には第一ときこへたり。みうらのへいたらうが射たりけるとほやにいまさんだんばかりいまさりたりけり。そののち源氏も平氏もとほやはやみにけり。みうらのへいたらう、遠矢をいおとりたりとや思けん、あきまかぞへのてききにて有ければ、小船に乗てこぎまはりて、おもてにたつものをさしつめさしつめいふせけり。すべてやさきにまわる者、いとらずと云事なし。さいゐんのしくわんちかよしはやおもてにたちてののしりかけて、さんざんに戦けり。へいけがたよりたれとはしらず、むしや一人たちいでて、「ちかよしはいうひつのみちばかりぞ知たるらん。弓矢の方をばしらじ物を」と申たりければ、かたきもみかたもいちどうにはとぞわらひたりける。ちかよし申けるは、「ぶんぶのにだうはすなはちぢやうゑのにほふな
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るべし。ぶんひとりじんぎのれいをしるとも、ぶまたぎやくとくを静めずは、いかでか国土をあらたむべき。ひとつもかけてはあるべからず。鳥のふたつのつばさの如しといへり。ちかよしはぶんぶにだうのたつしやなり。しよけんなし」とぞ申ける。是をききもあへず、「いさとよことばにはにずや有らん。手なみをみばや」とぞ云ける。ちかよし申けるは、「えうせうの昔よりちやうだいの今にいたるまで、けんにごじやうをたしなみ、内にぶようをかけたりき。をこがましげなるしれ者に手なみ見せむ」とてひやうど射る。あやまたずくびのほね射させ、どうど倒る。めんぼくもなき事なれば、へいじの方にはおともせず。みかたはいちどうにほめたりけり。是をはじめとして、源氏のぐんびやうわれおとらじとせめたたかふ。平家は舟をにさんぢゆうにこしらへたり。たうせんにはぐんびやうどもを乗せて、おほいとのいげ、
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しかるべき人々はひやうせんにめして、たうせんにはたいしやうぐんのりたまへるよしをして、唐船をせめさせて、源氏を中にとりこめてうたんとはかり給たりけるを、あはのみんぶしげよしたちまちにこころがはりしてかへりちゆうしてんげれば、四国のぐんびやう百よそうすすみたたかわず、船をさししりぞく。平家あやしみをなす所に、成良申けるは、「たうせんには大将軍は乗給わず。ひやうせんにめしたるぞや。ひやうせんをせめ給へ」とて、みんぶたいふが一類、しこくのものどもさしあはせて、うしろより平家の大将軍の船をぞせめたりける。平家のぐんびやうあわて乱れぬ。「あはれ、しんぢゆうなごんはよくのたまひつる物を」と、おほいとのこうくわいし給へども、かひなし。源氏のものどもいとど力つけて、平家の船にこぎよす。のりうつりのりうつりせめけり。かかりければ、平家の船のかこかんどり、ろをすてかひをすてて、船をなをすにおよばず、い
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ふせられきりふせられてふなぞこにあり。つるぎのひらめく事、たづらのらいくわうの如し。こくうをながれやのとぶことは、しぐれの雨にぞにたりける。源氏はたうそのごとくにて、平家はぎよにくにことならず。かくさんざんとなりにけれども、新中納言はすこしもあわてたるけしきもし給わず。にようゐん、きたのまんどころなむどのみふねに参り給ひたりければ、にようばうたちこゑごゑに、「いかにいかに」と、あわてふためき問給ければ、「今はとかくまうすにおよばず。いくさは今はかうざうらふ。えびすども舟にみだれいりさうらひぬ。只今あづまのめづらしき男共、ごらんさうらわんずるこそうらやましくさうらへ。ごしよのみふねにもみぐるしきものさうらはば、よくよくとりすてさせ給へ」とて、うちわらひたまへば、「かほどの義に成たるに、のどかげなるけしきにてなんでふのざれことをのたまふぞ」とて、こゑをととのへて、をめきさけびたまへり。さるほどに源氏の大将軍くらうはうぐわん、源氏よはくみへて平家かつにのる、心うくおぼえて、はちまんだいぼさつを
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はいしたてまつりたまふ。そのとき判官の船のへの上に、にはかに天よりしらくもくだる。ちかづくをみればしらはたなり。おちつきては、いるかと云魚になりて、海のおもてにうけり。源氏是をみて、かぶとをぬぎしんをいたし、八幡大菩薩を拝し奉りけり。これしかしながら大菩薩のへんげなり。かかるほどに、彼のいるかをはじめとして、いくさのさいちゆうにいるかと云魚ひとむれくひて、平家の舟にむかひて来たり。おほいとの、こはかせきよもとをめして、「あれはいかなるべきぞ。かんがへまうせ」とおほせたまひければ、清基申けるは、「このいるかくひかへりさうらはば源氏の方にうたがひあり。くひとほり候はば君のおんかたあやふく候べし」とかんがへまうしけるに、このいるかすこしもくひかへらず、平家の船の下を通りにければ、きよもと、「今はかふざうらふぞ」とぞ申ける。これを聞給ける人々の御心の内、おしはかられてあはれなり。さこそはあさましくもこころうくもおぼしあわれけめ。新中納言は一門の
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人々、さぶらひどもの最後のたたかひせられけるを見給て、「とのばらや、さぶらひどもにふせかせてとくとく自害し給へ。かたきに取られてうきなながしたまふな」とぞのたまひける。にゐどのは今はかうと思われければ、ねりばかまのそばたかくはさみて、せんていをおひたてまつり、帯にてわがおんみにむすびあはせたてまつりて、ほうけんをば腰にさし、しんしをば脇にはさみて、にぶいろのふたつぎぬうちかづきて、今はかぎりのふなばたにぞのぞませ給ける。先帝ことしはやつにならせ給けるが、折しもそのひはやまばといろのぎよいをめされたりければ、海の上を照してみへさせ給けり。御年の程よりもねびさせ給て、おんかほうつくしく、黒くゆらゆらとして、御肩にすぎて、おんせなかにふさふさとかからせたまへり。二位殿かくしたためて、ふなばたにのぞまれければ、あきれたるおんけしきにて、「これはいづちへゆかむずるぞ」とおほせありければ、「君はしろしめさずや、ゑどはこころうき
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ところにて、えびすどもがみふねへ矢をまゐらせ候ときに、ごくらくとて、よにめでたき所へぐしまゐらせ候ぞよ」とて、わうじやうのかたをふしをがみたまひて、くだかれけるこそあはれなれ。「なむきみやうちやうらいてんせうだいじんしやうはちまんぐう、たしかにきこしめせ。わがきみじふぜんのかいぎやうかぎりおはしませば、わがくにのあるじとうまれさせ給たれども、いまだをさなくおわしませば、ぜんあくのまつりごとをおこなひ給わず。何の御罪によつてかはくわうちんごのおんちかひにもれさせ給べき。今かかるおんことにならせたまひぬる事、しかしながらわれらがるいえふいちもん、ばんにんをかろしめてうかをいるかせにしたてまつり、がいにまかせてみづからしようじんにおごりしゆゑなり。ねがはくはこんじやうせぞくのすいしやくさんまやのしんめいたち、しやうばつあらたにおわしまさば、たとひこんぜにはこのいましめに沈むとも、らいせにはだいにちへんぜうみだによ
らい、だいひはうべんをめぐらして必ずいんぜふしたまへ。
今ぞしるみもすそ川のながれには浪のしたにも都ありとは」K214
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とえいじ給て、最後のじふねんとなへつつ、波の底へぞいられにける。是をみたてまつりたまひて、こくぼけんれいもんゐんをはじめたてまつりて、せんていのおんめのとそつのすけ、だいなごんのすけいげの女房達、声をととのへてをめきさけびたまひければ、いくさよばひにもおとらざりけり。かなしきかな、むじやうのぼふう、花のかほばせをちらし奉り、うらめしきかな、ぶんだんのはげしき波、ぎよくたいをしづめたてまつることを。てんをばちやうせいとなづけて、長きすみかと定め、もんをばふらうとかうして、おいせぬ門といはひき。かかんの星をほうさんにたとへ、かいひんのいさごをちせいによそへ奉りしかども、うんしやうのりようくだりてかいていのいろくづとなりたまひにける、おんみのはてこそかなしけれ。じふぜんていわうのごくわほうまうすもさらにおろかなり。だいぼんかうだいのかくの上、しやくだいきけんの宮のうち、いにしへはくわいもんきよくろにつらなりてきうぞくをいとなまれ、今はせんちゆうはていにおんいのちをいちじにうしなひ給ふぞあはれなる。二位殿は深くしづみてみえたまはず。にようゐんはおんやきいしとおんすずり
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ばことをさうの御袖にいれさせ給て、海にいらせたまひにけるを、わたなべげんごうまのじようつがふが子にげんびやうゑのじようむつると云者、いそぎをどりいりてかづきあげたてまつりたりけるを、ちちげんごうまのじようつがふ、くまでをもつておんぐしをからまきて、船へひきあげたてまつりにけり。ころはやよひの末の事なれば、ふぢがさねのじふにひとへをぞめされける。びすいのおんぐしよりはじめて、ぎよくたいぬれぬ所もなかりけり。そつのすけどのもおくれ奉らじととびいりたまひけるを、御袴ときぬのすそとをふなばたにいつけられて、沈み給はざりけるを、是もむつるがとりあげたてまつりてけり。にようゐんはとりあげられさせ給て、しをしをとしてわたらせ給けるを、むつるよろひからうとの中より、しろこそでひとかさねとりいだしてまゐらせて、「おんぞをこれにめしかへられさうらふべし」と申て、「君はにようゐんにてわたらせおわしまし候か」
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と申たりければ、おんことばをばいださせ給はで、にどうつぶかせ給たりけるにぞ、にようゐんとはしりまゐらせたりける。女房はむつるが船に入らせ給たるよし申たりければ、「ごしよのみふねへ渡しまゐらせよ」とて、わたしたてまつりて守護し奉る。こんゑどののきたのまんどころもとびいらせ給はんとし給けるを、つはものどもまゐりてとりとどめたてまつる。はうぐわん、いせのさぶらうよしもりをめして、「海にはだいじの人々のいりたまひたんなるぞ。『とりあげたてまつりたらん人々にはらうぜきつかまつるな』とげぢせよ」と宣ければ、よしもりこぶねに乗てこのよしをふれまわる。さるほどにつはものどもみふねにみだれいりぬ。つはものないしどころのわたらせ給ふみふねにのりうつりて、おんからうとのじやうねぢやぶりて、とりいだしたてまつらむとて、御箱のからげを切て、ふたをあけなんとしければ、たちまち目もくれはなぢたりけり。へいだいなごんの近くさうらひたまひけるが、「あれは
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ないしどころとて神にてわたらせ給ぞ。ぼんぶのみまゐらすべきにてはなきぞ。遠くのき候へ」と宣ければ、つはものすてたてまつりはうはうのきにけり。はうぐわん是を見給て、平大納言におほせて、もとの如くおんからうとにをさめたてまつりにけり。世の末なれども、かくれいげんのおわしますこそめでたけれ。へいぢゆうなごんのりもり、しゆりのだいぶつねもり二人は、かたきの船に乗移りけるをうちはらひて、たたれたりけるが、「しゆしやう既に海へいらせたまひぬ」とののしりければ、「いざおんともせむ」とて、鎧の上にいかりを置て、手を取組て海へいられにけり。こまつのないだいじんのおんきんだちはあしこここにてうせたまひぬ。今三人おわしつるが、末のおんこ、たんばのじじゆうただふさは、屋嶋のいくさよりいづちかおちたまひけん、ゆくへをしらず。しんざんゐのちゆうじやうすけもりは、かたきにとりこめられける所にて、自害してうせたまひぬ。おととせうしやうあり
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もり、人々海へいりたまふを見給て、つづきて海へ入られにけり。おほいとのふしは、おんいのちをしげにて、うみへもいりえたまはず。ふねのともへにあちこちちがひありきたまひけるを、さぶらひどもあまりのにくさに、心をあはせてとほりさまにさかさまにつきいれたてまつる。子息うゑもんのかみは父のつきいれられ給を見給て、やがて海へ入にけり。みなひとは重き鎧の上に、重き物を負たりいだきたりして入ればこそしづみけれ、是はふしともにすわだにて、しかもくつきやうのすいれんにておわしければ、大臣殿しづみもやらせ給はず。うゑもんのかみは、「ちちしづみたまはばきよむねもしづまむ。またたすかり給はば我もたすからん」と思て、波にうかびておわしけり。大臣殿は、「このこしなばわれもしなん。いきば共にいきん」とおぼしめして、たがひに目をみあはせて、しづみやり給はず。およぎありき給けるを、いせのさぶらうよしもり船をおしよせて、まづうゑもんのかみをくまで
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にかけてひきあげたてまつりけるを、おほいとの見給ける上は、いとど心細くてしづみもやり給わず。よしもりがふなばたへおよぎよつて、とりあげられたまひにけり。大臣殿とられたまふを、おんめのとごのひだのさぶらうざゑもんかげつねが見て、「なにものなれば君をば取奉るぞ」と云て、打てかかりけるを、伊勢三郎がわらは、中にへだたりて戦ける程に、かぶとのはちをしたたかにうたれて、かぶとおちにけり。にの刀にくびをうちおとしつ。能盛既にうたるべかりけるを、ほりのやたらうよせあはせて、たちとどまりて射たりけるに、うちかぶとにあたりてひるみける所を、弥太郎弓をすてていだきたりけり。上になり下になりしける程に、弥太郎がらうどう、かげつねが鎧のくさずりをひきあげてさしたりければ、うちかぶともいたでにてよわりたりける上に、かくさされてはたらかざりければ、くびをかひてけり。
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大臣殿とりあげられて、目の前にてかげつねがかくなるを見給けり。いかばかりの事をかおぼしめしけむとむざんなり。のとのかみは、今はかうとおもひたまひければ、かたきせめかかりけれども、すこしもひるがへらずたたかひたまふ。やごろにまはる者をばことごとくいふせ、ちかづくものをばよせあはせつつ、ひつさげて海へなげいれければ、おもてをむくる者なかりけり。新中納言のたまひけるは、「のとどの、いたく罪な作りたまひそ。しやつばらけしかるものどもとこそみれ。せんなしとよ。さりとてよきかたきかは」と宣ければ、のとどのはおほわらはに成て、「われいけどりにせられて、鎌倉へくだらんといふこころざしあり。よりあへやものども、とれや者共」とて、はうぐわんの船に乗移られにけり。はうぐわんさる人にて、心得て、鎧をきかへ身をやつして、じんじやうなる鎧もき給わず。あちちがひこちちがひ、つまる事なかりけるが、いかがし
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たりけむ、おひつめられて、今はかうと思ひ、小なぎなた脇にはさむでついよろひ、いかがせんと思われける処に、小船一そう通りけるが、なかにぢやうばかりありけるに飛移り給ければ、のとどの是をみて、判官の鎧のしざりの袖をつかまへて引給けれども、引ちぎりて隣の船にとびつきて、なぎなたをま手に取なをして、「力こそ強くとも、はやわざは義経には及び給わぬな」と云て、あざわらひてたたれたり。能登守力およばず、こなたの船にとどまりにけり。能登守けふをかぎりとたたかわる。はうぐわんの郎等にあきのたらうみつざねと云者あり。これはあきのくにのぢゆうにんにてもなし、あきのかみの子にてもなし、あはのくにのぢゆうにん、あきのたいりやうと云者が子也。だいぢからのかうのもの、三十人が力もちたりときこゆる、ししやうふちのつはものなり。郎等二人おなじちからときこゆ。「われら三人組た
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らんに、いかなるきじんにもくみまけじ物を。いざうれのとどのにくまむ」とて、三人しころをかたぶけてうちかかりけるを、能登守さきにすすむ男のしや膝のふしをけ給たりければ、海にさかさまにいりにけり。のこる二人しころをかたぶけて、つと寄けるを、さうのわきにかひはさみて、しばらくしめて見給ふに、てあてかなふまじとやおもはれけん、少しのびあがりて、「さらば、いざうれ」とて、海へつといられにけり。しんぢゆうなごん是を見給て、「哀れ、よしなきことしつる者かな。きやつばらは、けしかるものどもにこそあむめれ。見るべき程の事はみつ。今はかうごさんなれ」とてたたれたりけるに、「中納言のおんいのちにもかはりたてまつらむ」といひちぎりしさぶらひ、五六人ありける中に、いがのへいないざゑもんいへなが、「おほいとのもうゑもんのかみどのも既にとられさせたまひぬ」と
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申て、つと近く寄たりければ、「あなこころうや、いかにいへなが」と宣ければ、「ひごろのごやくそくたがへまゐらせ候まじ」とて、中納言によろひにりやうきせたてまつり、わがみも二両きて、手に手をとりくみて、一度に海にいりにけり。さぶらひ六人おなじくつづきて入にけり。かいしやうに赤旗赤じるし、ちぎりてすて、かなぐりすてて、もみぢを嵐のふきちらしたるが如し。海水血に変じて、なぎさによするしらなみも、うすくれなゐにぞにたりける。むなしき舟、風にしたがひて、いづくをさすともなく、ゆられゆくぞむざんなる。
十六 くらうはうぐわんは、あかぢのにしきのひたたれに、紫すそごの鎧前に置て、こがねづくりのたち膝の下に置て、いけどりのなんによのけふみやうしるさせてゐたまひたり。あわれたいしやうぐんやとぞ見へける。日のいるほどに船共なぎさにこぎよす。
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うみぎはにはひやうせんひまなくひきならびて、ゑびすどものりをるめり。くがにはたてをつきて、つらなりゐたる弓のほこ、たけばやしをみるがごとし。そのなかにいけどりのにようばうたちをば、やかたを作てこめすへたり。ののしる声たゆることなく、我も人もいふことをばききわかず。げんりやく二年の春のくれ、いかなるとしつきなれば、いちじんかいちゆうにしづみたまひ、ひやくくわんなみのうへにうかぶらん。一門のめいしやうは千万のぐんぞくにとらはれ、こくぼさいぢよはとういせいじゆうの手にかかりて、おのおのこきやうへかへされけん、心のうちこそ悲しけれ。ばいしんがこきやうにはにしきのはかまをきぬ事を歎き、せうくんがきうりにはふたたびかへらん事を喜ぶ。おもひあはせられてあはれなり。いけどりには、さきのないだいじんこうむねもりこう、しそくうゑもんのかみきよむね、へいだいなごんときただ、しそくさぬきのちゆうぢやうときざね、くらのかみのぶもと、
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ひやうぶのせうまさあきら、そうがうにはにゐのそうづぜんしん、ちゆうなごんのそうづいんこう、ほふしようじのしゆぎやうのうゑん、くまののべつたうぎやうみやう、ちゆうなごんのりつしちゆうくわい、きやうじゆばうのあじやりいうゑん、さぶらひにはとうないざゑもんのぶやす、きつないざゑもんひでやす、うくわんむくわんの者三十八人とぞきこへし。げんだいふのはんぐわんすゑさだ、つのはんぐわんもりずみ、あはのみんぶだいふしげよし、これらはくびをのべてかうにんに参る。女房にはけんれいもんゐん、きたのまんどころをはじめたてまつりて、そつのすけ、だいなごんのすけ、れんぜいどの、人々のきたのかた、じやうらふ、ちゆうらふそうじて廿三人也。ひとめもみなれざる、あらけなきもののふの手にかかりて、都へ帰りたまひしは、わうせうくんがえびすの手にわたされて、ここくへゆきけんかなしみも、これにはすぎじとぞおぼえし。船底にふししづみて、声をととのへて、をめきさけびたまふも、ことわりとぞおぼゆ
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る。されどもにゐどののほかは、みをなげ、海にいり給人もなし。
十七 そもそもこのみかどをばあんとくてんわうと申す。じゆぜんの日、さまざまのくわいいありけり。ひのおましのおんしとねのへりに犬のけがしをし、よるのおとどのみちやうの内にやまばといりこもり、御即位の日、たかみざのうしろに女房にはかにせつじゆ、ごけいの日、はくしのちやうのまへにぶをとこあがりをり。ございゐさんがねんのあひだ、てんべんちえううちつづきて、しよしやしよじよりくわいをそうする事しきりなり。春夏はかんばつ、こうずい、秋冬はおほかぜ、くわうそん。五月あめなくして、れいふうおこり、せいべうかれかわき、わうばくひいでず。九月しもをふらして、あきはやくさむし。ばんさうなえかたぶき、くわけいじゆくせず。さればてんがのにんみんがしにおよぶ。わづかにいのちばかりいくる者も、ふだいさうでんの所をすてて、さかひをこえ、家をうしなひて、さんやにまじはりかいしよにしたがふ。
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らうにんちまたにたふれふし、うれひの声さとにみてり。みちみちせきぜきにはさんぞく、うらうらしまじまにはかいぞく、とうごくほつこくむほんさうどう、てんかうじかう、ききんえきれい、だいひやうらん、だいぜうまう、さんさいしちなんひとつとして残る事なかりき。ぢやうぐわんのひでり、えいその風、じやうだいにも有けれども、このみよほどの事はいまだなしとぞきこへし。「しんのしくわうはさうじやうわうが子にあらず、りよふゐが子なりしかども、てんがをたもつこと三十八年ありき」と云ければ、あるひと又申けるは、「いこくには多くかくのごとし。ちようくわとまうししみかどはみんかんよりいでたりき。かうそもたいこうが子なりしかども、位につきそなはりき。わがてうにはじんしんの子として位につくこと、いまだなしとぞ承る。これはまさしきみもすそがはのおんながれ、かかるべしや」とぞ人申ける。四月みつかのひみのこくばかりに、くらうたいふのはうぐわん、使を院へ
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まゐらせて申けるは、「さんぬる三月廿四日、ながとのくにもじがせきにて平家をせめおとして、たいしやうぐんさきのないだいじんむねもりいげいけどりにして、さんじゆのしんぎことゆゑなく都へ帰りいらせ給べし」と申たりければ、じやうげよろこびあへり。おんつかひはげんぱちひろつなとぞきこへし。ひろつなをおつぼにめして、かつせんのしだい悉くおんたづねあり。ぎよかんのあまりにさゑもんのじようにめしおほせらる。なほごふしんのあひだ、いつかのひ、ほくめんのげらふ、とうはんぐわんのぶもりをさいこくへくだしつかはさる。しゆくしよへもかへらず、むちをあげてはせくだりにけり。十二日、ほうけんの事いのりまうされむがために、うさのみやへぐわんじよをたてまつらる。そのじやうにいはく。けいびやくしよぐわんのことみぎほうけんは、わがてうのちようほうさんじゆのそのいちなり。かみよより、せいたいにいたるまで、
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くらゐをつぐあるじこれをつたへ、もとゐをまもるきみこれをたもつ。ここにいんじじゆえいねんぢゆうに、かんしんさきのないしやうふ、らくやうをいでてかいせいにおもむきしひ、さんじゆのほうぶつ、さきのみかどのこうひひそかによくわうにたてまつり、はるかにはたうにふいうして、どどのついたうにせんどをとげずしてむなしく帰り、くにのらんかう、こうくわいをかへりみずしてもつともはなはだし。よつてこんねん二月十五日に、かたじけなくもりんげんをうけたまはり、こころみにせいばつをくはたつ。これぶゐをたのむにあらず、ただしんめいにまかせたてまつる。しかるあひだ、さんぬるさんぐわつにじふしにちをもつて、ちやうしうもじがせきのほかにおいて、むほんかんしんのたうるいをうつ。みやうかんによつてしからしむるに、しりよたがふことなきをしりぬ。かけたるところは、ただかのしんけんなり。よつてかいじんをもつてこれをみたづねさぐるに、このことにんりきをもつてはげますべきにあらず。まことにしりぬ、しんたうにいのり、またしむべし。つたへきく、うさのみやのれいしんは、だいぼさつのべつぐう、はくわうしゆごのせいぐわんましますをもつて、なにかわがてうのほうぶつをまもらざらむ。いつしんこんとくのきねんをもつぱらにして、あにかみのしやうきやうをたれざらむや。かくのごときごんぐ、ぐわんのごとくでんばうせば、せんじをまうしくださしめ、しんゐをきしんせしむべし。わがこころもとよりかみにおもむく。一人、もろもろを
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すててうやまひてまうす。げんりやく二年四月十二日 じゆごゐげかううゑもんのごんのせうみなもとのあつそん うやまひてまうすさるのこくにせんぢやうより、ふなづにかへりつかしめたまふ。あきのせんじかげひろのあつそんをめして、いつくしまのかんぬし、おほせられていはく、ながとすはうあきとうのかいじんをもつて、かのほうけんをたづねさぐるべきよし、おほせられをはんぬ。またかいじんにめいじていはく、「なんぢらひせんのものたりといへども、いかでかこのことおもひしらざらむや。もしさぐりいづるともがらは、ただこんぜのおんしやうにおもふのみにあらず、またたうしやうのぜんいんにあらずや。はやくじつかにちのあひだ、かげひろがげぢにまかせて、これをさぐりたてまつるべし。」よつてじつかにちのやさんじふこれをたまはりをはんぬ。さるのにてんにともづなをとき、もじをいださしむ。よもすがらよろこびをあぐ。十六日、九郎判官いけどりの人々あひぐしてのぼりけるが、はりまのくにあかしのうらに宿りけるに、名を得たる浦なれば、夜のふけゆくままに月くまなく、秋の空にもおとらざりけり。にようばうたちさしつどひてしのびねに
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て泣つつ、鼻うちかみなんどしける中に、そつのすけつくづくとながめたまひて。
ながむればぬるるたもとにやどりけり月よくもゐのものがたりせよ K215
雲の上にみしにかわらぬ月かげはすむにつけても物ぞかなしき K216
是を聞給て、だいなごんのすけ。
我らこそあかしの浦にたびねせめをなじ水にもやどる月かな K217
昔きたののてんじんの、しへいのおとどのざんによつて、ださいふにうつりたまふとて、この所にとどまりたまひたりけるに、
名にしほふ明石の浦の月なれど都よりなほくもる袖かな K218
とながめたまひけるおんこころのうちも、かくやとおぼえてあはれなり。されどもそれはおんみひとつのうらみなり。これはさしもむつまじかりし人々は、底のみくづとなりはてぬ。故
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郷へ帰りたりとても、むなしきあとのみ涙にむせばむ事もこころうし。只ここにていかにもなりなばやとぞおぼしめしける。さるままには、「月よくもゐのものがたりせよ」と、とりかへしとりかへしくちずさみ給けり。「げにさこそは昔もこひしく、物もかなしく思給らめ」と、折しもあはれにきこへければ、くわうはうぐわんはとういなれども、いうにえんある心して、物めでしける人なれば、身にしみてあはれとぞおもはれける。まことに物をおもはずして都へのぼらんそら、うみのうへの旅、船の内のすまひは物うかるべし。ぎよしうの火の影をともしびにたのみ、玉のうてなとすまひしあまのとまやもすみまうく、なぎさを洗ふなみの音も、折からことにあはれなり。都も近くなるままに、うかりし波の上のふるさと、くもゐのよそになりはてて、そこはかともみへわかず。しんぢゆうなごんの今わの時、たわぶれてのたまひ
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し事さへおもひいでられて、かなしからずと云事なし。さるままにはかひなき御涙のみ、つきせざりけり。
十八 廿四日、ないしどころ、しんし、とばにつかせたまひたりければ、かでのこうぢのちゆうなごんつねふさ、たかくらのさいしやうのちゆうじやうやすみち、ごんのうべんかねただ、くらんどさゑもんのごんのすけちかまさ、えなみのちゆうじやうきんとき、たぢまのせうしやうのりよし、おんむかへにまゐらる。おんともの武士に、くらうたいふのはうぐわんよしつね、いしかはのはんぐわんだいよしかぬ、いづのくらんどたいふよりかぬ、おなじくさゑもんのじようありつなとぞきこへし。ねのこくにまづだいじやうくわんちやうへいらせたまひぬ。ないしどころ、しんしのみはこのかへしいらせ給事はめでたけれども、ほうけんはうせにけり。しんしはかいしやうにうかびたりけるを、ひたちのくにのぢゆうにんかたをかのたらうつねはるとりあげたてまつりたりけるとぞきこへし。
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十九 じんだいよりつたはりたりけるれいけんみつあり。いはゆる、くさなぎ、あまのははきりのつるぎ、とづかのつるぎ、これなり。とづかのつるぎはやまとのくにいそのかみふるのやしろにこめたてまつらる。あまのははきりのつるぎとまうすは、ほんみやうはははきりのつるぎと申けるとかや。このつるぎのやいばの上にゐるはへ、おのづからきれずと云事なし。ゆゑにりけんとかうす。それよりははきりとはなづけられたり。このつるぎはをはりのくにあつたのやしろにあり。くさなぎのつるぎはおほうちにやすんぜらる。よよのみかどのおんまもりなり。むかしそさのをのみこといづものくにへながされたまひたりけるに、そのくにのひのかはかみの山に至りたまふに、こくきふするこゑたえず。こゑにつきてたづねゆきてみたまふに、一人のらうをう、一人のらううあり。中にをとめを置てかきなでなく。みこと、「なんぢらはいかなる事をなげきて泣ぞ」と問給ければ、らうをうこたへていはく、「我は昔このくにかむどのこほりにありしちやうじやなり。今はくにつかみと
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なりてとしひさし。そのなをあしなづちといひ、めをばてなづちとかうす。このをとめはすなはちわがによしなり。きぬたひめとなづく。又はそはのひめとも申す。この山の奥にやまたのははといふだいじやあり。ねんねんに人をのむ。親をのまるる者は子かなしみ、子をのまるる者はおやかなしむ。ゆゑにそんなんそんぼくにこくするこゑたえず。我にやたりのむすめありき。ねんねんにのまれて、ただこのをんなひとりのこれり。今又のまれなん」と云て、はじめの如くまたこくす。みこと、あはれとおぼしめして、「このむすめを我に奉らばそのなんをやすむべし」とのたまひければ、らうをうらううなくなくよろこびて、手をあはせてみことををがみたてまつりて、かのむすめをみことに奉りぬ。尊たちながら、かのむすめをゆづのつまぐしにとりなして、おんもとどりにさし給て、きぬたひめのかたちをつくりたまひて、にしきのしやうぞくをきせて、だいじやのすみける岡の上に、やさかと云所にたてて、やつのふねにだいていをたたへて、そのかげをさかぶねに
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うつして、やつのくちにあててまちたまふに、すなはちだいじやきたれり。をかしらともにやつあり。まなこはじつげつの光のごとくして天をかかやかし、せなかにはれいさういぼくおひしげりて、さんがくをみるににたり。やつのかしら、八の尾、八の岳、八の谷にはひわたり、酒のかをかぎ、酒の船に移れる影をみて、女をのまむとのむほどに、残りすくなくすいほして、ゑひふしたり。そのときみことはきたまへるとづかのつるぎをぬきたまひて、だいじやをきだきだにきりたまふ。ひとつの尾にいたりてきれず。つるぎのやいば少しをれたり。あひかまへてすなはちそのををさきて見給へば、尾の中にひとつのつるぎあり。これしんけんなり。みこと是を取て、「我いかが私にやすんぜむ」とて、あまてるおほんがみにたてまつりたまふ。天照大神是をえたまひて、「このつるぎはわれたかあまのはらにありし時、今のあふみのくにいぶきやまの上にておとしたりし剣也。是あめのみやのみたからなり」とて、とよあしはらのなかつくにのあるじとて、てんそんを
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くだしたてまつりたまひし時、このつるぎをみかがみにそへてたてまつり給けり。それよりこのかた、よよのみかどのおんまもりとして、おほうちにあがめたてまつられたり。この剣だいじやのをのなかに有ける時、くろくも常におほへり。ゆゑにあまのむらくものつるぎとなづく。かのだいじやとまうすは今のいぶきのだいみやうじんこれなり。ゆづのつまぐしと云事は、昔いかなる人にてか有けん、よるきじんにおはれてのがれさるべきかたなかりけるに、ふところよりつまぐしと云物をとりいだして、きじんになげかけたりければ、鬼神おそれてうせにけり。かかるいうしよ有ける事なればにや、そさのをのみこともをとめをゆづのつまぐしに取なし給けるなるべし。みことそののちどうこくそがのさとにみやづくりし給ける時、その所には色の雲常にたなびきければ、みことごらんじて、かくぞえいじたまひける。
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やくもたついづもやへがきつまごめてやへがきつくるそのやへがきを K219
これぞやまとうたのさんじふいちじのはじめなる。国をいづもとかうするもそのゆゑとぞ承る。かのみこととまうすはいづものくにきつきのおほやしろこれなり。だいじふだいのみかどそうしんてんわうのぎよう六年、しんけんのれいゐにおそれて、あまてるおほんがみ、とよすきいりひめのみことに、さづけたてまつりて、やまとのくにかさぬひのむらしきとひぼろきにうつしたてまつりたまひたりしかども、なほれいゐにおそれたまひて、天照大神返しそへたてまつりたまふ。かのおんとき、いしこり姫とあめひとつつのにじんのべうえいにて、つるぎをいかへておんまもりとしたまふ。れいゐもとの剣にあひおとらず。今のほうけんすなはちこれなり。くさなぎのつるぎはそうしん天皇よりけいかう天皇にいたりたまふまでさんだいは、天照大神のしやだんにあがめおかれたりけるを、まきむくのひしろのみかどのぎよう四十年、とういほんぎやくのあひだ、せき
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より東しづかならず。これによつて、ときのみかど景行天皇、第二のわうじやまとたけるのみことの、御心もたけく御力も人にすぐれておわしましければ、このわうじをたいしやうぐんとして、くわんぐんをあひぐしてたひらげられしに、おなじきとしの冬十月にいでたまひて、いせのだいじんぐうへまうでたまひて、いつきの宮やまとひめのみことをして、天皇のめいにしたがひて、とうせいにおもむくよしを申給たりければ、つつしみておこたることなかれとて、そうしんてんわうのおんとき、だいりよりうつしおかれたりけるあまのむらくものつるぎをたてまつりたまふ。やまとたけるのみこと是をたまはりてとうごくへおもむきたまふに、するがのくにうきしまがはらにてそのくにのきようどら申けるは、「こののにはしかおほくさうらふ。かりしてあそびたまへ」と申ければ、みことのにいでて遊給けるに、草ふかくして弓のはずを隠すばかりなり。きようどども野に火をはなちて、みことをやきころしたてまつらんとしけ
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るに、わうじのはき給へるあまのむらくものつるぎを抜て、草をなぎたまひたりければ、剣はむけの草三十余町なぎふせてひとどまりにけり。又みことのかたより火をいだしたまひたりければ、いぞくのかたへふきおほひて、きようど多くやけしにけり。それよりこの所をばやけつろといふ。あまのむらくものつるぎをば是よりしてくさなぎのつるぎとなづく。やまとたけるのみこと是よりおくへいりたまひて、国々のきようどをうちたひらげ、ところどころのそうじんをしづめて、おなじき四十二年みづのとのみ十月に都へのぼりたまひける程に、いぶきやまにてやまのかみのきどくにあひて、ごなうおもかりければ、いけどりのえびすどもをばいせだいじんぐうへたてまつり給。我彦を都へたてまつりたまひて天皇にそうしたまふ。みことはをはりのくにへかへりたまひて、ごきそと云所にてこうじ給。すなはちしらとりとなりて西をさしてとびさりたまひぬ。さぬきのくにのしらとりのみやうじん
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とまうすはこのおんことなり。ごべうはおんはかづかとて今にあり。くさなぎのつるぎはをはりのくにあつたのやしろにをさめられぬ。いあらためらるる剣はだいりにあんぜられて、れいゐいちはやくおはしましける程に、てんち天皇位につかせたまひて七年とまうすに、しんらのしやもんだうぎやう、このつるぎをぬすみ取て、わがくにの宝とせむと思て、ひそかに船に隠してほんごくへ行ける程に、風荒くなみうごきて、たちまちに海底へしづまむとす。これれいけんのたたりなりとて、すなはち罪をしやしてせんどをとげず。てんむてんわうしゆてうぐわんねんにほんごくへもちかへりて、もとのごとくおほうちにかへしたてまつりてけり。是のみならず、やうぜいゐんきやうびやうにをかされましまして、ほうけんをぬかせ給へりけるに、よるのをとどひらひらとして、でんくわうに異ならず。みかどおそれさせ給てなげすてさせ給たりければ、おのづからはたとなりて、さやにさされさせ
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たまひにけり。しやうこちゆうこまでは、かくのみ渡らせ給けるに、たとひ平家取て都のほかへいだして、にゐどの腰にさしてしづみたまふとも、しやうこならましかばなじかはうすべき。まつだいこそこころうけれとて、すいれんにちやうぜる者をめしてかづきもとむれども、見へ給わず。てんじんぢじんにへいはくをささげて祈り、れいぶつれいしやにそうりよをこめて、だいほふひほふのこるところなくおこなはれけれども、しるしなし。りゆうじん是を取てりゆうぐうにをさめてければ、つひにうせにけるこそあさましけれ。かかりければ、時のいうしよくの人々まうしあひけるは、「はちまんだいぼさつ、はくわうちんごのおんちかひあさからず、いはしみづのおんながれつきせざる上に、あまてるおほんがみ、つくよみのみこと、あきらかなる光いまだ地に落給わず。まつだいげうきなりといへども、さすがていうんのきはまれる程の御事はあらじかし」とまうしあひければ、
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あるじゆしの申けるは、「昔いづものくににして、そさのをのみことにきられたてまつりたりしだいじや、れいけんををしむしふしんふかくして、やつのかしら、やつの尾をへうじとして、にんわうはちじふだいののち、はつさいのみかどとなりて、れいけんをとりかへしてかいていにいりにけり」とぞ申ける。ここのへのえんていのりゆうじんの宝となりにければ、ふたたびにんげんに帰らざるもことわりとこそおぼえけれ。
二十 にのみやこよひきやうへいらせ給ふ。ゐんよりおんむかへにおんくるままゐらせらる。しちでうのじじゆうのぶきよおんともにさうらわれけり。おぼぎのわたらせおはしますしちでうばうじやうなる所へぞいらせ給ける。是はたうだいのおんひとつはらのおんあににてわたらせ給けるを、もしの事もあらばまうけの君にとて、にゐどのさかざかしくぐしまひらせられたりけるなり。「もしわたらせおはせば、このみやこそくらゐにつかせおはしなまし。それもしかるべき御事な
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れども、なほもしのみやのごうんのめでたくわたらせたまふゆゑ」とぞときのひと申ける。御心ならぬ旅の空にいでさせ給て、浪の上にみとせをすごさせ給ければ、おぼぎも、おんめのとのぢみやうゐんのさいしやうも、いかなる事にききなしたまはむずらんと、おぼつかなくこひしくおぼしめされけるに、あんをんに帰りいらせ給たりければ、是を見奉ては、人々よろこびなきどもせられけり。ことししちさいにならせ給とぞきこへし。
廿一 おなじき廿六日、さきのないだいじんむねもりいげのへいじのいけどりども、京へ入らる。はちえふの車に乗せ奉て、ぜんごのすだれをあげ、さうのものみをひらく。ないだいじんはじやうえを着給へり。おんこのうゑもんのかみきよむね年十七、しろきひたたれ着て、車の尻に乗給へり。すゑさだ、もりずみ馬にておんともにあり。へいだいなごんおなじくやりつづく。しそくさぬきのちゆうじやうときざね、どうしやしてわたさるべき
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にて有けるが、げんしよらうなりければわたさず。くらのかみのぶもとはきずをかうぶりたりければ、かんだうよりぞ入にける。ぐんびやうぜんごさうにうちかこみて、いくせんまんと云事をしらず、うんかの如し。内大臣はしはうみまはして、いたくおもひしづみたるけしきはおわせず。さしも花やかに清げなりし人の、あらぬ者にやせおとろへ給へるぞあはれなる。うゑもんのかみはうつぶしにて、目もみあげたまわず。ふかくおもひいりたまへるけしきなり。是をみたてまつるひとども、きせんじやうげ、都の内にもかぎらず、をんごくきんごくやまやまてらでらより、おいたるもわかきもきたりあつまりて、とばのみなみのもん、つくりみち、よつづかにつづきて、人はかへりみる事をえず、車はめぐらす事をえず。仏のおんちゑなりとも、いかでか是をかぞへつくしたまふべきとぞきこへし。さんぬるぢしようやうわのききん、とうごくほつこくのかつせんに、人は
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皆しにうせたるとおもひしに、なほのこりおほかりけりとぞおぼえし。都を落給てなかいちねん、むげにほどちかきことなれば、めでたかりし事共もわすれられず。けふのありさま、ゆめまぼろしわきかねたり。されば物の心なき、あやしのしづのをしづのめにいたるまで、涙を流し袖を絞らぬはなかりけり。ましてちかづくことばのつてにもかかりけん人、いかばかりの事をかおもひけん。としごろぢゆうおんをかうぶりて、おやおほぢの時よりつたはりたるともがらも、身のすてがたさに、多く源氏につきたりしかども、むかしのよしみはたちまちにわするべきにあらず。いかばかりかはかなしかりけむ、おしはかられてむざんなり。されば袖を顔におほひて、目もみあげぬものどももありけるとかや。けふおとどの車やりたりけるうしわらはは、きそがゐんざんのときくるまやりて出家したりし、やじ
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らうまるがおととのこさぶらうまるなりけり。西国にてはかりに男に成て有けるが、「今一度おほいとののおんくるまつかまつらん」とおもふこころざしふかかりければ、とばにてくらうはうぐわんの前にすすみいでて申けるは、「とねりうしわらはなんどまうすものは、げらふのはてにて、心有べき者にてはさうらはねども、としごろおほしたてられまゐらせて、そのおんこころざしあさからず。さもしかるべくさうらはば、おほいとのの最後のおんくるまをつかまつりさうらはばやとぞんじさうらふ」と、なくなく申たりければ、はうぐわんさる人にてあはれがりて、「なにかはくるしかるべき」とてゆるしてけり。手をあはせてよろこびて、ことにじんじやうにとりしやうぞくして、大臣殿の車をぞやりたりける。道すがらも、ここにやりとどめては涙をながし、かしこにやりとどめては袖を絞りければ、みるひとあはれみて皆袂をぞうるをしける。法皇もろくでうひがしのとうゐんに御車をたてて御覧ぜらる。くぎやう
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てんじやうびとくるまたてならべたり。法皇はさしもむつまじくめしつかはれければ、おんこころよわく、あはれにぞおぼしめされける。おんともに候われける人々も、只夢かとのみぞおもひあわれける。「いかにしてあの人に目をもみかけられ、ひとことのつてにもかからんとこそおもひしに、けふかくみなすべしとは、すこしもおもひよらざりしことぞかし」とぞ申あわれける。ひととせだいじんになりたまひて、はいがせられし時のくぎやうには、くわさんのゐんのだいなごんかねまさのきやうをはじめとして十二人やりつづけ、中納言もしにん、さんゐのちゆうじやうも三人にておわしき。てんじやうびとにはくらんどのとううだいべんちかむねいげ十六人へいくしたまひき。くぎやうもてんじやうびとも、けふをはれときらめき給しかば、めでたきみものにてこそ有しか。やがてこのへいだいなごんも、その時はさゑもんのかみとておわしき。ゐんのごしよをはじめとして、参り
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給所ごとにごぜんへめされたまひて、おんひきでものをたまはり、もてなされたまひしぎしきのありさま、めでたかりし事ぞかし。かかるべしとはたれか思よりし。けふはげつけいうんかくのぜんごに従へるも一人も見へず。いけどられたるさぶらひいちりやうにん、馬にしめつけられて渡さる。おほちをわたされて、おほいとのふしをばくらうはうぐわんのしゆくしよ、ろくでうほりかはなる所にぞすゑたてまつられける。物まひらせたりけれども、おんはしもたて給わず。たがひに物はのたまはねども、父子目をみあはせたまひて、ひまなく涙をぞながされける。よふけひとしづまれども、装束をもくつろげ給わず。御袖をかたしきてふしたまへり。うゑもんのかみも近くね給たりけるを、をりふしあめうちふりてよさむなりけるに、おほいとの御袖をうちきたまひけるを、げんぱつひやうゑ、くまゐのたらう、えだのげんざうなんどいふ、あづかりしゆごし奉り
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けるものども、是をみたてまつり、「あないとほしや。あれ見給へや。たかきもいやしきも親子のぼんなうばかりむざんなる者こそなけれ」とて、たけきもののふなれども涙をぞ流しける。つらつらおもんみれば、春の花は地におちて、しやうじやひつめつのことわりを示せども、いまだひくわらくえふのくわんをなさず。秋のもみぢの空にちる、ゑしやぢやうりのさうをへうすれども、なほししやうじるてんの道をばのがれず。おろかなるかな、ごよくのゑをむさぼるつばさは、いまださんがいのぼんろうをいでず。かなしきかな、さんどくのつるぎを答るいろくづは、なをししやうのくかいに沈む。日々につづまる命、せうすいのうをのひれふるににたり。ほほにおとろふるよはひ、としよの羊を足をはやむるに同じ。むじやうてんべんのはかなさをしづかにおもひとくこそ、涙もさらにとどまらね。平家のえいぐわすでにつき、一門ほろびはてて、げんりやく二年四月廿六日に平家のいけどりどもおほちをわたされけり。心ある者は、たかきもいやしきも、じやうしやひつすいのことわり、まなこにさえぎりてあはれなり。「さしも花やかなりしおんことどもぞかし」とぞささやきあひける。
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廿二 さてもにようゐんはさいこくのなみのうへ、ふねのうちのおんすまひ、あとなき御事になりはてさせましまししかば、都へのぼらせましまして、ひがしやまのふもと、よしだのへんなる所にぞたちいらせ給ける。ちゆうなごんのほつけうきやうゑと申ける、ならぼふしのばうなりけり。すみあらしてとしひさしくなりにければ、庭には草深く、のきにはつたしげりつつ、すだれたえ、ねやあらはにて、雨風たまるべくもなし。花は色々ににほへども、あるじとて風をいとふ人もなければ、心のままにぞ散ける。月はよなよなもりくれども、ながむる人もなければ、うらみをあかつきの雲にのこさず。きんこくに花をながめしかく、なんろうに月をもてあそびし人、今こそおぼしめししられしか。かきにこけふかく庭によもぎしげりて、ちとのすみかとなりにけり。昔は玉のうてなをみがき、にしきのとばりにまとはされてこそあかしくらしたまひしに、今はありとありし人々は皆わかれはてて、あさましげなるくちばうに只一人おちつきたまへる御心のうち、いかばかりなりけん。道の程ともなひたてまつりし女房たちも、皆これよりちりぢりになりたまひにければ、おんこころぼそさにいとどきえ
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いるやうにぞおぼしめされける。たれあはれみたてまつるべしともみえず。うをのくがにあがりたるが如し。鳥の巣をはなれたるよりも猶悲し。うかりし浪の上、船の中のおんすまひ、今はこひしくぞおぼしめしける。「同じ底のみくづとなるべかりしを。身のせめての罪のむくいをやのこしとどむる」などおぼしめせども、かひぞなき。「てんじやうのごすいのかなしみはにんげんにも有ける物を」とおぼしめされてあはれなり。いづくも旅の空はものあはれにて、もらぬいはやだにもなを露けきならひなれば、御涙ぞさきだちける。それにつけてもむかしいまの事おぼしめしのこす事なきままには、
なげきこしみちのつゆにもまさりけりふるさとこふるそでのなみだは K220
と、わうせうくんがここくにたびだちてうたひけんもことわりなりとて、さらに人の上ともおぼしめさざりけり。さうはみちとほし、おもひをさいかいせんりのそらによせ、ぼうをくこけふかし、なみだをとうざんいつていのつきにおとさせたまふぞあはれなる。をりにふれ時にしたがひて、あはれをもよほし心をいためずと云事なし。風にまかせなみにゆられて、
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うらづたひつつ日をおくらせ給し昔は、「さんぜんせかいはまなこのまへにつきぬ」と、みやこのよしかちくぶしまにまうでて、こしやうのまんまんたるにむかひつつながめて、しばらく次の句を案じけるに、みちやうの内よりけだかきみこゑにて、「じふにいんえんはこころのうちにむなし」とみやうじんのつけさせたまひけるにこそ、かんおうたちまちにあらはして、身の毛もいよだちて、かんるいおさへがたくおぼへけれ。これは海まんまんとしてまなこくもぢにつかるれば、さんがいひろしといへども安き所もなく、しんめいぶつだのめぐみもなければ、あはれと云人もなし。あけてもくれてもきもをけし心をつくすよりほかの事なし。さてしもいつしかみやまがくれのよぶこどりおとづれければ、かくまでおぼしめしいでさせ給けり。
たにふかきいほりは人目ばかりにてげには心のすまぬなりけり K221
廿三 廿七日、さきのうひやうゑのすけよりともじゆにゐしたまふ。さきのないだいじんむねもりいげを追討のけんじやうとぞきこへし。をつかいとてにかいをするこそゆゆしけれ。てうおんにてあるに、是はもと
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じやうげのしゐなれば、既にさんがいなり。先例なき事也。
廿四 こよひないしどころ、だいじやうくわんちやうよりうんめいでんへいらせ給。ぎやうがうなりてさんがよのりんじのみかぐらあり。ちやうきう元年九月、えいりやく元年四月の例とぞきこへし。うこんのしやうげんはたのよしかた、べつちよくをうけたまはりて、家につたはりたる「ゆだちまらうと」と云、かぐらのひきよくをつかまつりて、けんじやうをかうぶるこそやさしけれ。この歌はよしかたがそぶ、はつでうはんぐわんすけかたと申けるまひびとのほかは、いまだわがてうに知れる者なし。かのすけかたはほりかはのゐんにさづけ奉て、子息のちかかたにはつたへずしてうせにけり。ないしどころのみかぐらおこなはれけるに、しゆしやうみすの内にてひやうしをとらせ給つつ、子のちかかたにはをしへさせ給にけり。きたいのめんぼく、昔よりいまだうけたまはりおよばず。父にならひたらんはよのつねの事也。いやしきみなしごにてかかるめんぼくをほどこしけるこそめでたけれ。「道をたたじとおぼしめされたるおんめぐみ、かたじけなき
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御事かな」と、よのひとかんるいをぞながしける。今のよしかたはちかかたが子にてつたへたりける也。
廿五 ないしどころとまうすは、あまてるおほんがみのあまのいはとにおわしましし時、「いかにもしてわがおんかたちを移しとどめん」とて、いたまへるみかがみなり。ひとついたまひたりけるが、これあしとてもちゐずして、きいのくにひのくまくにかかすといはひたてまつる。又ひとつい給へり。是をば、「わがしそん、この鏡を見て、われをみるがごとくにおもひたまへ。おなじてんにいはひ、とこをひとつにし給へ」とて、みこのあまのをしほみみのみことにさづけ奉り給たりけるが、しだいにつたはりてじんだいに及び、だいくだいのみかどかいくわてんわうの御時までは、ないしどころとみかどとはひとつごてんにおはしましけるが、第十代のみかどそうしんてんわうのぎようにおよびて、れいゐにおそれたてまつりてべちのごてんにいはひたてまつらる。ちかごろよりはうんめいでんにぞおはしましける。せんとせんかうののち、百六十年をへて、むらかみてんわうのぎよう、
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てんとくしねん九月廿三日のねのときに、だいりなかのへ、はじめてぜうまうありけり。火はさゑもんのぢんよりいでたりければ、ないしどころのおはしますうんめいでんも程近かりける上、によほふやはんの事なりければ、ないしもにようくわんもまゐりあわずして、かしこどころをもいだし奉らず。をののみやどのいそぎまゐらせ給て、「内侍所既にやけさせ給ぬ。世は今はかうにこそ有けれ」とおぼしめして、御涙を流させ給ける程に、なんでんのさくらのきのこずゑにかからせ給たりけり。くわうみやうかくやくとして、あさひの山のはよりいでたるが如し。世はいまだうせざりけりとおぼしめされけるにや、よろこびの御涙かきあへさせ給わず。右の御膝を地につき、左の御袖をひろげて申給けるは、「昔あまてるおほんがみはくわうを守らんと云おんちかひありけり。その御誓あらたまり給わずは、しんきやう、さねよりが袖に宿らせ給へ」と、申させ給ける
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おんことばもいまだをはらざりけるに、桜のこずゑより御袖にとびいらせ給にけり。やがて御袖につつみ奉て、おんさきまゐらせて、しゆしやうのございしよ、だいじやうくわんのあいだんどころへぞ渡し奉らせ給ける。このよにはうけたてまつらむとおもひよるべき人もたれかは有べき。又みかがみも入らせ給まじ。しやうここそめでたけれとうけたまはるにつけても、みのけいよだつ。
廿六 へいだいなごんときただ、さぬきのちゆうじやうふしは、くらうはうぐわんのしゆくしよ近くおわしけり。大納言はこころたけきひとにておわしければ、今は世のかくなりぬる上は、とてもかくてもとこそおぼすべきに、なほも命のをしくおもはれけるやらん、おんこの中将にのたまひけるは、「いかがせむずる。ちらすまじきだいじのかはごをいちがふ、はうぐわんにとられたるぞとよ。このふみだにも鎌倉へ見へなば、人もおほく
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そんじなんず。わがみもいけらるまじ」と歎かれければ、中将のたまひけるは、「はうぐわんはおほかたもなさけある者にてさうらふなるとうけたまはる。ましてにようばうなむどのうちたえなげくことをば、いかなるだいじをももてはなたれぬと申めり。なにかはくるしくさうらふべき。したしくならせ給へかし。さらばなどか露のなさけをもかけたてまつらざるべき」とまうされければ、大納言、「われ世にありし時は、むすめどもをば皆にようごきさきにとこそおもひしか。なみなみなる人にみせむとは、かけて思はざりき」とて、はらはらと泣給へば、中将も涙をのごひて、「今はその事おほせらるるにおよばず」とて、「たうじのきたのかた、そつのすけどののおんはらに、ことしじふはちに成給へる姫君の、なのめならずいつくしくさかりなるがおわしけるを」と、中将はおぼしけれども、大納言なほもそれをばいたわしき事におもはれたりければ、さきのきたの
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かたのおんはらに廿二に成給へる姫君をぞ、はうぐわんにはみせられける。年ぞ少しをとなしくおわしけれども、清げにほこらかに、手うつくしくかき、いろあり、花やかなる人にておわしければ、はうぐわんさりがたく思われて、もとのうへ、かはごえのたらうしげよりが娘は有けれども、是をばべちのかたじんじやうにこしらへて、すへ奉てもてなされけり。中将のはからひすこしもたがはず、おほかたのなさけもさる事にて、だいなごんのおんことなのめならずあはれみ申されけり。かのかはご、ふうもとかず、大納言のもとへかへしたてまつられけり。大納言よろこびたまひて、つぼのうちにていそぎやきすてられにけり。いかなるふみどもにてかありけん、おぼつかなし。
廿七 五月一日、けんれいもんゐんは、「うきよをいとひぼだいの道をたづぬるならば、このくろかみを
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つけてもなににかはせん」とおぼしめして、おんぐしをおろさせ給ふ。ごかいのしにはちやうらくじのあしようばうしやうにんいんさいぞまゐられける。おんふせにはせんていのおんなほしとぞきこへし。しやうにん是をたまはりて、なにと云ことばもいださねども、涙にむせびたまひて、すみぞめのそでをぞしぼられける。おんこころざしのほどあはれにかなしくて、このおんなほしをもつてはたをたちぬひたまひて、ちやうらくじのじやうぎやうだうにかけられたりけり。同じきついぜんと云ながら、ばくたいのごぜんごんなり。「たとひさうかいの底に沈みおはすとも、このくどくによつて、しゆらだうのくげんをまぬかれおはして、あんやうのじやうせつにおんわうじやううたがひなし」と、たのもしくぞおぼしめされける。しやうにんこのおんふせをみて、「出家はこれげだつのていとう、しようくわのしよもんなり。しらはこれさんどくのゑひをさますめうりやうやくなり。これをもつて一日のぢかいのくどくは、うゐのくかいをいでて、むゐのらくしよに
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至る物也」と、かいをさづけ奉て、ぼだいしんのたつとき事をほめ奉る。せけんのふぢやうをみるごとに、いよいよぶんだんのかなしき事を悟る。とうかくに嵐さびしきゆふべには、涙をせんかうにながして、いつしやうのくれぬる事をかなしみ、せいろうにつきしづかなるあかつきは、肝をばんたんにくだきてにせのむなしからん事を歎く。ぢんたんらんじやのにほひに身をまじはる。しづかに思ひよく案ずれば、誠にすいまつはうえんの如し。きゆうでんろうかくのすみかにゐどころをしむる、例をとり物によすれば、でんくわうあさつゆに似たり。しかのみならず、かうしんたいゐはあしてに乱るる塵、えいぐわちようじよくはくさばにすがる露也。ぎよくれんにしきのしとね、夢の中のもてなし、すいちやうこうけいはめのまへのしつらひ、しかればさいしちんぼうをあひぐして行く人もなく、ほういうちしきはとどめおきてひとりのみさる。ここをもつて、しつだたいしのわうぐうたんじやうのまうけの君たりし、きんちやうししんのとこをふりすてて、だんどくの雲に身を
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やつし、くわんわのせいわうのやさんはうやうのくわいろくにあたりしげんしやうきんをくのまどをのがれて、海のいそやになやみたまひき。かれをききこれをみるに、「たれにゆづりてか歎かざらむ。いつをごしてかつとめざらん」と、深くおぼしめしとりて、しんじつほうおんの道におもむき、げだつどうさうのころもをそめおはす。まことにぜんぢしきは、だいいんえんなり。なにごとかこれにしかむ。なかんづくにわがきみのごせんげ、そのりんじゆうのぎやうぎをきき、その最後のねんさうを思ふに、いちげん早くとぢ、くわうじやう永く隔たりぬ。きうしんきうぢよのなさけ、そのおもひあに浅からむや。せんかうばんたんのうれひ、さらにやすむときなし。さんぞんらいかうのだうぢやうに望めば、かうのけぶりのみそらにたなびきて、きみはいづくんか去りまします。くわがんにんにくのぎよいをみ奉るだにも、じふぜんのおんすがたまなこにさえぎりてなみだくれなゐなり。たまたまにうわのおんこゑをきくだにも、いつたんのべつり耳にとどまりて
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たましひを消す。ふしておもんみれば、むかしくならたいしじふにいんえんのもんぽふの涙りやうやくとなりて、まうもくのまなこを開き、今のぜんぢやうびくにのいちじつむさのずいきの涙、ほつすいと成てぼんなうのあかをすすがざらんや。ねがはくはけふのぢかいのくどくによつて、一門一族さんがいのくゐきをいでて、くほんのれんだいにたくせしめ給へとなり。げんぐことなりといへども、みなもつてほつしんじやうぢゆうのめうたいなり。其中に一人わうじやうあらば、みなともにぶつだうをじやうぜん。かさねてこふ、こんじやうのはうえんによつてらいせのぜんいうとなり、さんそうぎをへずして、必ずいちぶつどにしやうずべし。さてもおんなほしは、せんてい海へいらせたまひしそのごまで奉たりしかば、おんうつりがもつきず、おんかたみにとてさいこくよりもたせ給たりけり。「いかならん世までもおんみをはなたじ」とおぼしめされけれども、おんふせに成ぬべき物なかりける上、かのご
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ぼだいの為にとてなくなくとりいださせ給けるぞかなしき。にようゐんおんとしじふごにて内へ参り給しかば、やがてにようごのせんじくだされて、十六にてこうひの位にそなはり、くんわうのかたはらにさうらはせ給て、あしたにはあさまつりごとをすすめたてまつり、よるは夜をもつぱらにし給ふ。にじふににてわうじごたんじやうありき。わうじいつしかたいしにたたせ給ふ。とうぐうくらゐにつきたまひにしかば、廿五にてゐんがうありて、けんれいもんゐんとまうしき。入道の御娘の上、てんがのこくぼにてましまししかば、世の重くしたてまつることなのめならず。ことしは廿九にぞならせ給ける。たうりのおんよそほひなほこまやかに、ふようのおんかたちいまだおとろへさせ給はねども、今はひすいのおんかんざしつけても何かはせむなれば、なくなくそりおとさせ給けり。こうがんの春の花にほひをとおもひ、めんばうの秋の月、光りくもれるが如し。れんぜいのゐんのにのみや、さんでうのゐんのいつぽんのみやもいまだおんとしわかくて、けうどんみはだいびくにのあとを追て、仏道をもとめたまひけり。ほつけきやうの六の巻のはじめには、「がせうしゆつけとくあのく
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たら」とおほせられたり。されば、ねんせうの出家はつかひをえぬさきにきたれる人、ねんらうの出家は使をえてのちにきたれるひととたとへたり。しかればにようゐんも、未だおんとしわかくて御出家ある事は、いよいよごせの御事はたのもしくぞおぼゆる。じやうだいもためしなきにもあらず。ましてこのおんありさまには、いかでかおぼしめしたたざるべき。いまさらに驚くべき御事にあらず。うきよをいとひまことの道にいらせ給へども、おんなげきはやすまらせ給事なし。人々の今はかぎりとて海にいりたまひし有様、せんていのおんおもかげ、いかならん世にかおぼしめしわすれさせ給べき。「露の命、何にかかりてか今まできえやらざるらん」とおぼしめしつづけさせたまひては、御涙のみせきあへず。さつきのみじかよなれどもあかしかねつつ、おのづから打まどろませ給御事もなければ、昔の事を夢にだにも御覧ぜず。かうかうたるのこんのともしびの
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壁にそむける影かすかに、せうせうたる暗き雨の窓をうつおとしづかなり。じやうやうじんのじやうやうきやうにとぢられたりけんさびしさも限りあれば、是にはすぎざりけんとぞおぼしめししらるる。昔をしのぶつまとなれとてや、もとのあるじのうつしうゑたりけん、のきちかきはなたちばなの風なつかしくかをりける。折しも、ほととぎすのほどちかくおとづれければ、御涙をおしのごわせ給て、おんすずりのふたにかくぞかきすさませ給ける。
ほととぎすはなたちばなのかをとめてなくは昔の人やこひしき K222
廿八 ほんざんゐのちゆうじやうしげひらのきやうのきたのかたは、こごでうのだいなごんくにつなのきやうの御娘、先帝のおんめのとにて、だいなごんのすけどのとぞ申ける。しげひらのきやう、いちのたににていけどりにせられて、都へ帰りのぼりたまひにしかば、きたのかた旅の空に
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たのもしき人もなくて、あかしくらし給けるが、先帝だんのうらにてうせさせたまひにしかば、えびすにとられてさいこくよりのぼりて、姉のたいふさんゐのつぼねにどうじゆくして、ひのといふところにおわしけるが、「さんゐのちゆうじやうつゆのいのちくさばの末にかかりてきえやらず」と聞給ければ、「いかにもして今一度みもしみへもせばや」と思われけれどもかなわず、ただなくよりほかのなぐさめぞなかりける。そのほかの女房達、いけどりにせられて都へかへりて、わかきもおいたるも皆すがたをかへかたちをやつして、あるにもあらぬ有様にて、おもひもかけぬ谷の底、岩のはざまにあかしくらし給ふ。むかしすみたまひし宿もけぶりとのぼりにしかば、むなしきあとのみ残りて、しげきのべとなりつつ、みなれたりし人のとひきたるもなし。せんかより帰りきたりて、しちせの孫にあひたりけんも、かくや
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有けんとぞおぼえし。今は国々もしづまりて、人のわうげんもわづらひなし、都もおだしければ、「くらうはうぐわんばかりの人こそなけれ」とて、きやうぢゆうのものども手をすりよろこびあへり。「かまくらのにゐどのはなにごとかしいだしたるかうみやうある。是は法皇のごきしよくもよし。只このひとの世にてあれかし」なんど、きやうぢゆうにはさたあるよしを、二位殿ききたまひてのたまひけるは、「こはいかに。頼朝がはかりことをめぐらし、つはものをもさしのぼすればこそ平家をもほろぼしたれ。くらうばかりはいかでか世をもしづむべき。かく人のいふにほこりて、世をわがままに思たるにこそ。くだりてもさだめてくわぶんのことどもはからわんずらん。人こそ多けれ、いつしか平大納言のむこになりて、大納言もちあつかふらんもうけられず。又世にもおそれず、大納言むこにとるもいわれなし」なんどぞのたまひける。
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廿九 そもそもいけどり三十人之内、「五歳のわらは」としるされたりしは、おほいとののおとごのわかぎみなり。北方この若君をうみおきたまひてなぬかといひしにうせ給にけり。北方かぎりになられたりける時のたまひけるは、「われはかなくなりぬる物ならば、人は年若くおわすれば、いかならん人にもなれたまひて子をもうみたまふとも、このこをばにくまで、我を見るとおぼしめして、まへにてそだて給へ」と宣ければ、「うゑもんのかみには世をゆづり、この子にはふくしやうぐんをせさせむずれば、名をばふくしやうとつけていとほしくせんずるぞ。心安く思給へ」とおほいとののたまひければ、北方よにうれしげに思給て、「今はおもひおくことなし。しでのやまをを[* 「を」衍字]も安くこえなん」とて、なぬかと云けるに、はかなくなりたまひにけり。かくいひをきし事なればとて、めのとの方へもやりたまはず、朝夕まへにてそだて給
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けり。人となりたまふままに、おほいとのに似給て、みめうつくしく、心ざまもわりなかりけり。たぐひなくおぼしめして、三才になりたまひにければ、かぶりたまはりて、名をばよしむねとぞ申ける。きよむねはたいしやうぐん、よしむねはふくしやうぐんと常は愛せられて、さいこくの旅にてもよるひるたちはなれたまはざりけるが、だんのうらにていくさやぶれにし後は、若君もそひたまわず。若君をば九郎判官のこじうと、かはごえのこたらうしげふさがあづかりたりけるを、かれがしゆくしよにすへ奉て、めのと一人、かいしやくの女房一人ぞつきたりける。二人の女房、若君を中にすへ奉て、あけてもくれても、「つひにいかにならんずらむ」となきかなしみあへり。大臣殿もなのめならずこひしくおぼしけれども、え見給はざりければ、とにかくにただ御涙のみぞかわくまもなかりける。さるほどにくらうはうぐわん、大臣殿いげ
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いけどりどもあひぐして、あかつきくわんとうへくだるべしときこへければ、さてはちかづきにけるこそかなしくおぼへて、九郎判官のもとへのたまひけるは、「このみとしてをめたるまうしごとなれども、あす関東へときけばまうすなり。いけどりのうちに、『五歳のわらは』としるされてあむなるこわらはは、いまだいきてさうらふやらん。おんあいの道おもひきられぬ事にてこひしく候。こんじやうにて今一度みばや」とのたまひたりければ、「さることさうらふやらむ」とて、かはごえのこたらうがかたよりたづねいだして、めのといだきてわたしたり。若君ひさしくおほいとのを見給はで、うれしげにおもひて、いそぎ乳母の手よりくづれおりて、大臣殿の御膝の上にゐたまへり。おんぐしかきなでて、大臣殿いまさらに御涙を流し給ふ。うゑもんのかみも、めのとの女房、守護の武士もいはきならねば、これを見て皆袖をぞぬら
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しける。若君も人々の顔をみまはして、あさましげにおぼして、かほうちあかめて涙ぐみ給ぞいとほしき。ややひさしくありて大臣殿宣けるは、「この子が母なりし者の、この子をうむとてなんざんしてうせにき。『子をばたひらかにおほして、かたみに御覧ぜよ。是よりのち、いかなるきんだちまうけたりとも、おもひをとさでいとほしくし給へ』とまうししが、ふびんなりしかば、なぐさめむとて、『うゑもんのかみにはたいしやうぐんせさせむずれば、是にはふくしやうぐんをせさせむずるぞ』とて、其時『ふくしやう』と名をつけたりしかば、よにうれしげに思て、さしもだいじにやみしもの、そのなをよびなんどしてあひせしかば、なぬかと云しにつひにはかなくなりにき。この子をみるたびに、あれが母が事のおもひいだされて、只今のやうにおぼえて、ふかくの涙のこぼ
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るるなり」とて、又さめざめと泣給ければ、ぶしども是を聞て、いとど袖をぞぬらしける。日もすでにくれにければ、「とくとく帰れ。うれしくもみつ」とのたまひけれども、若君おんじやうえの袖にひしととりつきてはなちたまはねば、大臣殿は物も宣わず、御涙にむせびたまへるぞあはれなる。右衛門督、「こよひはこれにみぐるしきことのあらんずるぞ。帰りてあすまゐれ」と宣ければ、若君なほおんそでをはなちたまはざりけれども、夜もいたくふけにければ、乳母若君をいだきとり奉て、なくなくいでにけり。「ひごろのこひしさは事の数ならず有けり」とぞ、大臣殿はのたまひける。
三十 なぬかのあかつき、くらうはうぐわんはへいじのいけどりどもあひぐして、ろくでうほりかはの宿所をうちいでて鎌倉へくだらる。うゑもんのかみきよむね、げんだい
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ふのはんぐわんすゑさだ、あききよ、もりずみなむどもくだるとぞきこへし。大臣殿、武士共をよびたまひて、「このをさなきものは母もなき者ぞ。とのばらかまへてふびんにし給へ」とのたまひもあへず、御涙すすみけり。若君は川越小太郎がぐしたてまつりて、「かつらがはにふしづけにすべし」とて、ぐし奉る。かなしなどはおろかなり。めのと、かいしやくの女房までも、「いかに成給はんまでも、みはて奉
む」とて、とどめけれどもつきたてまつる。わかぎみをこしにのせ奉ければ、「これはいづくへぞ」と宣て、こしにものらじとすまひ給へば、武士、「ちちごぜんのおんもとへぞ」とすかしければ、よろこびて乗給けるこそいとほし。女房をも、「こしにのれ」と云けれども、のらず。涙ををさへて、をくれじとこしのしりにはしりけり。武士申けるは、「こころぐるしくなおぼしめしそ。われらもあかつきはまかりくだらむずれば、さのみをさなきひとをとをとをとぐしたてまつりさうらふべきならねば、とばなるそうばうにやどしおきたてまつるべし」と云けれども、女房はとかくへんじもなくて、只なくよりほかの事なし。
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すでにかつらがはも近く成ければ、「女房達とくとく今はおんかへりあれ」と云けれども、きかず。さりとてはさてあるべきにあらねば、かたぶちの有ける所にてこしよりだきいだしければ、若君、めのとの女房をみ給て、わがみもさめざめと泣給て、「ちちごぜんはいづくにおはしますぞ」とて、せけんをみまわし給ぞいとほしき。すでにこに石をいれつつしたためて、わかぎみをこにいれたてまつらむとすれば、「これはさればなにぞとよ。すごしたる事もなき物を。あらかなしや」とて、入らじとすまひ給けるぞ、目もあてられぬ有様なる。武士も涙をながし、「哀れ、よしなき事かな」とぞ申あひける。ましてめのと、かいしやくの女房の心中押はかるぞたとへん方なき。「なにしにこれまできたりて目の前にみつらん」とて、足ずりをしてもだへこがる。かくしたためて水へなげいれければ、二人の女房つづきて入けるを、武士共これをとりとどむ。しばしばかりありて、武士とりあげたりければ、なにとてかは
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いくべき、はやこのよにもなき人なり。むなしきからだをこの女房いだきて、奈良のほつけじと云処にてこつをばほりうづみつつ、かのあまでらに、めのとの女房したしき人有ければ、やがて二人ながら尼になりつつ、いつかうこの若ぎみのごしやうぼだいをぞあけてもくれてもいのりける。かやうにしてころしてけるを、おほいとの是を知給はずして、「いとをしくせよ」と宣けるこそあはれなれ。さればぶしども目をみあはせて、鎧の袖をぞぬらしける。おほいとのは都をいでたまひて、あふさかの関にかかり給て、「あづまぢをけふぞはじめてふみそむる」と、はるばるおもひやりたまひける御心の内こそかなしけれ。昔この関のへんにせみまると云けるよすてびと、わらやのとこをむすびて、常はびはをだんじて、心をすましてしいかを詠じて、おもひを述べけり。かのせみまるはえんぎ
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だいしのわうじにておわしける故に、この関のあなたをばしのみやがはらとなづけたるとかや。とうさんでうのゐんいしやまへごかうなりて、くわんぎよありけるに、関のしみづをすぎさせ給とて、
あまたたびゆきあふさかのせきみづをけふをかぎりの影ぞかなしき K223
とあそばされける。是もいかなりける御心の内なりけん。わがみのみにやとおぼしつづけ給て、せきやまうちすぎ、うちでの浜にいでたまひぬれば、あはづのはらと聞給けるにも、「昔てんちてんわうのぎよう、やまとのくにあすかのをかもとの宮よりあふみのくにしがのこほりに移らせ給て、おほつのみやそける所ごさんなれ」とおぼしいでたまひて、せたのからはしうちわたり、こしやうはるかにみわたして、のぢ、しのはらをもうち
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すぎ、かがみのしゆくにも至りぬれば、昔十七のおきなのおいをいとひて読ける歌の中に。
かがみやまいざたちよりて見てゆかんとしへたる身はおいやしたると K224
をの、すりはりをもうちこえ、さめがゐと云所を通り給へば、かげくらきこのしたのいはねよりながれいづる水、すずしきまですみわたりて、いさぎよくみゆるにつけても、御心細からずと云事なし。みののくにふはのせきにもかかりぬれば、ほそたにがはの水のおとものすごくおとづれて、あらしこずゑにはげしくて、ひかげも見へぬこのしたみちに、せきやののきのいたびさし、としへにけりとおぼえて、くひぜがはをも打渡り、おりつかやつをもうちすぎて、をはりのくにあつたのみやにもつかれにけり。このみやうじんはむかしけいかう天皇のみよに、この
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みぎりにあとたれたまへり。いちでうのゐんのぎよう、おほえのまさひらといふはかせ、ちやうほうの末にたうごくのかみにてくだりたりけるに、だいはんにやきやうしよしやして、このみやにてくやうをとげけるぐわんもんに、「わがぐわんすでにみちぬ、にんげんまたたる。こきやうにかへらむとほつするに、そのごいくばくならず」と書たりけん事までおもひつづけられ給て、なるみがたにもかかりぬれば、いそべの波袖をぬらし、ともなしちどりおとづれわたりて、ふたむらやまをもうちすぎ、みかはのくにやつはし渡り給に、「ありはらのなりひらがかきつばたの歌を読たりけるに、みなひとかれいひの上に涙をおとしける所にこそ」とおもひあはせられ給ふにも、つきせぬ物はおんなみだばかりなり。やはぎのしゆく、みやぢやまをも打過て、あかさかのしゆくと聞給へば、「おほえのさだもとがこのしゆくのぶぢよの故に、世をのがれ家をいでけんも、わりなかりけるため
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しかな」とおぼしめされて、たかしのやまをもうちこえ、とほたふみのはしもとのしゆくにもつきたまひにけり。このところはてうばうよもにすぐれたり。南にはかいこあり、ぎよしうなみにうかぶ。北にはこすいあり、じんか岸につらなれり。すざきには松きびしくおひつづきて、あらしにえだむせぶ。松のひびき、波のおと、いづれもわきがたし。つくづくとながめ給ふ程に、せきやう西にかたぶきぬれば、いけだのしゆくにつきたまひぬ。あけにければいけだのしゆくをもたちたまひて、てんりゆうのわたしをし給へば、水まさればふねくつがへすとききたまふにつけても、「かのふかふの水、わがいのちのあやふきためしにや」と思つづけ給て、さやのなかやまにかかりて見給へば、南はのやま、谷よりみねに移る。くもぢにわけいるここちして、きくかはをもうちすぎ、おほゐがはを渡り給けるに、もみぢみだれてながれけんたつたがはもおぼしいでてあはれなり。うつのやまをもうちすぎ、きよみが
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せきにもうちいでたまひぬ。むかししゆしやくゐんのぎよう、まさかどついたうの為に、うぢのみんぶきやうただふんあうしうへ下りける時、このせきにとどまりて、たうかをえいじけるところにこそと、あはれにおぼへて、たごのうらにてふじのたかねを見給へり。時しらぬ雪なれども、みなしろたへにみへわたりて、うきしまがはらにも至りぬ。南にはさうかいまんまんたるをのぞみ、北にはすいれいのががたるをかへりみる。いづくよりも心すみて、山のみどり影をひたし、いそのなみ耳にみてり。あしかりをぶねところどころにさをさして、むれゐる鳥もそぞろに物さわがしく、こたうにまなこさえぎりゑんぱんにつらなりて、てうばういづれもとりどりなり。原にはしほやのけぶりたえだえにたちのぼり、風松のこずゑにはげしく、むかしこのやまかいしやうにうかびて、ほうらいのみつのしまのごとくに有けるによつて、この原をばうきしまがはらとなづけたり
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けるとかや。せんぼんのまつばらをもうちすぎ、いづのくにみしまのやしろにもつきたまひぬ。このやしろはいよのくにみしまだいみやうじんをうつしたてまつると聞給にも、のういんほふし、いよのかみさねつながめいによりて、歌よみて奉りたりけるに、えんかんのてんよりあめにはかにふりて、かれたるいなばたちまちに緑になりたりける、あらひとがみのおんなごりなれば、ゆうだすきかけても末たのもしくおぼして、はこねのやまをもなげきこえて、ゆもとのしゆくにつきたまひぬれば、たにがはみなぎりながれていはせの波にむせぶをと、源氏の物語に、「なみだもよほす滝のおとかな」といへる事さへおぼしいでられてあはれなり。くらうはうぐわんは事にふれてなさけふかきひとにて、道すがらもいたわりなぐさめ申されければ、おほいとの、「いかにもしてむねもりふしがいのちまうしうけたまへ。法師になりて、
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こころしづかに念仏申てごしやうたすからん」とのたまひければ、「おんいのちばかりはさりともとこそぞんじさうらへ。さだめておくのかたへぞ流し奉られ候わんずらん。義経がくんこうのしやうにはりやうしよのおんいのちをまうしうけさうらふべし」と、たのもしげにまうされければ、大臣殿よにうれしげにおぼして、さるにつけても御涙をながしたまふ。いかなるあくろ、つがろ、つぼのいしぶみ、えびすがすみかなるちしまなりとも、かひなきいのちだにもあらばと思給ぞ、せめての事とおぼへていとほしき。くにぐにせきぜきうちすぎうちすぎ、やうやくひかずも積りければ、都にてきこえしおほいそ、こいそ、もろこしがはら、とがみが原、こしごえ、いなむらうちすぎて、鎌倉にもいりたまひぬ。
卅一 にようゐんはおぼしめしわくかたなく、いつとなくふししづみてわたらせ給ふ。世のきこえを恐れて、おのづから事のつてにだにもまうしいるるひとなかりけり。はうぐわんはあやしの
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人のためまでもなさけをあてける人なれば、ましてにようゐんの御事をば、なのめならずこころぐるしきことに思奉りて、おんぞどもさまざまにととのへまゐらせられ、女房のしやうぞくもたてまつられけり。これをごらんぜらるるにつけても、只夢かとのみぞおぼしめされける。かつせんのときだんのうらにてえびすどもが取たりける物の中にも、ぎよぶつとおぼしき物をばみなたづねいだしてまゐらせられけり。そのなかにせんていのあさゆふ御手ならされたりけるおんあそびのぐどもあり。おんてならひしすさませ給たるほんご、おんてばこの底に有けるを御覧じいださせ給て、おんかほに押あてて、しのびもあへさせ給はず、をめきさけばせ給けるこそ悲しけれ。おんあいの道なれば、とてもおろかなるまじけれども、くもゐはるかにて時々みたてまつることなりせば、かほどはおぼへざらまし。みとせがほどひとつふねの内にてあさ
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ゆふ手ならし奉て、いとほしかなしなんどはなのめならず。「おんとしの程よりもをとなしく、おんかほばせも御心ばへもすぐれておわしましつる物を」と、さまざまくどかせ給ぞいとほしき。
卅二 十七日、おほいとのふし鎌倉にくだりつきたまひぬ。はうぐわん、にゐどのにげんざんしたりけり。「いけどりどもあひぐしてくだりたらんに、二位殿いかばかりかいくさのことどもたづね、感じよろこび給わん」とはうぐわんおもはれけるに、いとうちとけたるけしきもなくて、ことばずくなにて、「くるしくおわすらん。とくとくやすみ給へ」とて、二位殿立給へば、はうぐわん思わずにぞんぜられける。つぎのあしたししやにて、「ぞんずるむねあり。しばらくかねあらひざはのへんにしゆくし給て、大臣殿これにとどまるべき」よしありければ、はうぐわん「こはいかに」とおもはれけれども、
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「やうこそ有らめ」とて、すなはちかのところにしゆくしけり。「九郎をば、おそろしき者なり。打とくべき者にあらず。ただし頼朝が運のあらん程はなにごとか有べき」とないないのたまひて、十八日までかねあらひざはに置給て、そののちはつひに鎌倉へいれられず。
卅三 さて、「おほいとのをば是へ」とありければ、二位殿のおわしける所のざをへだてて、むかひなる座にすへ奉て、二位殿れんちゆうよりみいだして、ひきのとうないよしかずをしてのたまひけるは、「平家の人々をべちにわたくしのいしゆおもひたてまつるべき事なし。そのうへ池のあまごぜんいかにまうしたまふとも、入道殿ゆるし給はずはいかでかいのちいくべき。頼朝がるざいにさだまりし事は、入道殿のごおんなり。さればにじふよねんまではさてこそまかりすぎしかども、てうてきになりたまひて、追
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討すべきせんじをうけたまはりし上は、わうどにはらまれて、ぜうめいをそむきたてまつるべきにあらざれば、ちからおよばず。かやうにげんざんしつるこそほんいなれ。又いきむとやおぼしめす、しなんとやおぼしめすと申せ」と宣ければ、よしかずこのよしをまうさむとて、大臣殿のおんまへへまゐりたりけるに、ゐなほりかしこまりて聞給けるこそうたてけれ。うゑもんのかみのたまひけるは、「げんぺいりやうかはじめててうかにめしつかはれてよりこのかた、源氏のらうぜきをばへいじをもつてしづめ、へいじのらうぜきをば源氏をもつてしづめらる。たがひにごかくのごとくにてさうらひき。けふは人の上、あすはみのうへとおぼしめして、ごはうおんには只とくくびをきらるべしと申せよ」とぞのたまひける。国々のだいみやうせうみやうなみゐたり。其中に京の者もあり、平家のけにんたりし者もあり。皆つまはじきをして申けるは、「さればゐなほり
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かしこまりたらば命のいきたまはんずるかや。さいこくにていかにも成給べき人の、是までさまよいたまふこそことわりなりけれ」とぞ口々に申ける。あるいはまた涙をながして、「『まうこしんざんにあれば、はくじうふるひおそる。かんせいのうちにあるにおよびて、ををふりてしよくをもとむ』といへり。たけき虎もふかきやまにあるときは、もろもろのけだものおぢをそる。人をもうとき者に思へども、とられてをりなんどにこめられぬるのちには、ひとにむかひてしよくをもとめて尾をふる。たけき大将軍なれどもかやうに成ぬれば、心もかはる事なれば、おほいとのもかくおわするにこそ」と申人もありけり。
卅四 おなじき廿七日にかいげんありて、ぶんぢ元年とぞ申ける。だいじん以上の人のかうべをはぬる事、てんがのおんわづらひ、こくどのなげきなれば、さうなくかうべを
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はねらるるにおよばず。おほきなるうをに刀をそへて、おほいとのふしをはする中におかれたり。是はもし自害をやしたまふとのはかりことなり。今や今やとまてどもまてども自害し給はず。おもひよりたるけしきだにもおわせざりければ、ちからおよばず。大臣殿をばさぬきのごんのかみすゑくにとかいみやうして、又くらうはうぐわんにうけとらせて、六月九日、大臣殿父子、ほんざんゐのちゆうじやう、京へかへりのぼせらる。これにていかにもならむずるやらんとおもはれけるに、又都へたちかへり給へば、心得ずとぞおもはれける。うゑもんのかみばかりぞよく心得られたりける。「きやうにてくびきりてわたさんずるれうに」とおもはれける。大臣殿はいますこしもひかずのふるをぞうれしき事におもはれける。道すがらも、ここにてやここにてやと、きもこころをけしたまひけれども、くにぐにしゆくじゆくをすぎゆくほどに、をはりのくになるみと云所にも成にけり。
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「このみなみはのまのうつみとて、義朝がちゆうせられし所にてあんなれば、ここにてぞいちぢやう」とおぼしけるに、そこをもすぎぬ。さてこそ大臣殿、少したのもしき心いできたる。おんこのうゑもんのかみに、「今は命いきなんずるやらむ」と、宣けるぞはかなき。右衛門督は、「なじかはいきらるべき。かくあつきころなれば、くびのそんぜぬやうにはからひて、京近くなりてきられんずる」とおぼしけれども、大臣殿いとどこころぼそく思給わんずる事のいたわしさに、ものは宣はず、只「たねんなく念仏にて候べし」とて、わがみもひまなく念仏をぞまうされける。さるほどに都もやうやう近くなりて、あふみのくにしのはらのしゆくにもつきたまひにけり。きのふまでは大臣殿も右衛門督殿もいつしよにおわせしを、けさよりひきわけてすへ奉りければ、「さてはけふを限り
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であるにこそ」とかなしくおぼへて、「髪をそらばや」と思給けれども、ゆるされなければ、力及給はず。つけながらかいをたもたむとて、をはらよりほんがくばうたんけいといふしやうにんをしやうじ給て、たもちたまひける。しやうにん最後の御事をすすめまうされけるに、おほいとの御涙もせきあへ給はず。「さて右衛門督はいづくに有やらん。手に手をとりくみてもしに、くびはおちたりとも、ひとつむしろにふさんとこそおもひつれ。いきながらわかれぬる事のかなしさよ。この十七年はひとひもはなれざりつる物を。水の底にも沈まで、うき名を流すもあれ故に」と、さめざめと泣給ければ、しやうにん申けるは、「今はかくおぼしめすまじきおんことなり。最後の御有様を見奉り、見へまゐらせ給わんも、互に御心のうち悲しかるべし。しやうをうけさせたまひしよりたのしみ栄へ、昔も今もたぐひ
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なし。みかどのごぐわいせきにて、しようじやうのくらゐに至り給へり。こんじやうのごえいぐわいちじものこるところなかりき。今又かかる御事も皆ぜんぜのごしゆくごふなり。人をも世をも恨みをぼしめすべからず。三十八年をすごしたまひつるも、おぼしめしつづけよ、いちやの夢の如し。是よりのちは又七八十年のおんよはひをたもたせ給ともいくほどか有べき。『がしんじくう、ざいふくむしゆ、くわんじんむしん、ほふふぢゆうほふ』とて、ぜんもあくもみなくうなりとくわんずるが、仏のおんこころにはさうおうの事なれば、なにごともありとはおぼしめすべからず。今は只いつしんぷらんにじやうどへまゐらむとおぼしめさるべし。さらによねんをわすべからず」と申て、かいさづけ奉りて、念仏すすめまうしければ、たちまちにまうしんをとどめて、まさしく西にむかひ、たなごころをあはせて、かうしやうに念仏ひやくよへん申給ふ。きつうまの
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じようきんながが子にきつさぶらうきんただ、たちをひきそばめて、おとどのひだりのかたよりうしろへまわりければ、おほいとのしり目に見給て、念仏をとどめて、「うゑもんのかみもすでにか」とおほせられけることばのいまだをはらざりけるに、おんくびはおちにけり。きりてのち、きんただもしやうにんも涙にぞむせびける。たけきもののふなれども、いかでかあはれと思わざるべき。いはむやきんながふしはへいけぢゆうだいさうでんのけにん、しんぢゆうなごんのおんもとにてうせきしこうのさぶらひなり。「人の世にあらんとおもふこそうたてけれ」とぞ申ける。そののちは右衛門督にもしやうにんさきの如くかいさづけ奉て、念仏すすめまうしければ、「大臣殿の最後の御有様はいかがおわしつる」と問給けるこそあはれなれ。「めでたくおわしましさうらひつる」としやうにんのたまひければ、涙をながしてよにうれしげにおぼして、
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「今はとくとく」と宣ければ、ほりのやさぶらうきりにけり。くびをばくらうはうぐわんあひぐして京へのぼりぬ。むくろをばきんなががさたにてひとつあなにうづみにけり。さしも、「かたときもはなれじ」と宣ければ、かくしてけり。
卅五 ほんざんゐのちゆうじやうをば、なんとのだいしゆの中にいだして、くびを切てならざかにかくべしとて、げんざんゐにふだうのしそく、くらんどのたいふよりかぬがうけたまはりにてぐしてのぼらる。「京へはいれたてまつるべからず」とて、だいごぢをすぢかえになんとへおわしけるに、さすがに故郷もこひしくて、はるかに都をみわたして涙ぐみて、こはたやまのたうげへうちいでむとし給へる所にて、三位中将しゆごの武士にのたまひけるは、「つきごろひごろなさけをかけつるこころざし、うれしともいひつくしがたし。おなじくは最後の恩をかうぶるべきことひとつあり。としごろあひぐしたりし者、ひのの西、大門
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にありときく。いまひとたびかはらぬすがたをもみへばやとおもふはいかに。我は一人の子もなし。何事につけてもこのよにおもひおくべき事はひとつもなきに、この事の心にかかりて、よみぢも安くゆくべしともおぼえず」となくなくのたまひければ、ぶしどももさすがいはきならねばおのおの涙をながして、「なにかはくるしく候べき」とて、ゆるし奉てけり。中将なのめならずよろこびたまひて、だいぶざんゐのつぼねのもとへたづねおわしけり。かのだいぶざんゐと申は、こごでうのだいなごんくにつなのきやうのおんむすめ、だいなごんのすけどのには姉也。平家都をいでたまひし時、人々のたちはみなやかれにしかば、さいこくよりかへりたまふにも、たちいりたまふべき所もなければ、かのしゆくしよへおちつきて、しのびておわしける所へたづねいりたまひて、「だいなごんのすけどのはこれにおわしますか。さんゐのちゆうじやうしげひらと申者こそ参て候へ。このつまにてたちながらげんざんせ
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ん」といわせたりければ、きたのかたはすこしもうつつともおもひたまはず、夢のここちして、もしやとて、いそぎいでてみすごしに見給へば、じやうえきたる男のやせくろみたるが、えんにより居とみなし給ける。「いかにやゆめかうつつか、これへいりたまへかし」と宣ける、おんこゑをききたまふより、中将涙をはらはらとおとして、そでをかほにぞあてられける。きたのかたも目もくれ心もきえはてて、物ものたまひあへ給はず。ややひさしくありて、中将えんよりみすうちかづきて、なにと云ことばをばいだし給はねども、北方に御目をみあはせたまひて、はらはらと涙をながされければ、北方もうつぶしにふして物ものたまはず。たがひのおんこころのうちさこそは悲しかりけめ。北方涙をおさへて、「いかさまにも是へいらせ給へ」と宣ければ、中将内へ入られにけり。北方いそぎたちたまひて、ごれうを水にあらひてすすめけれども、胸ものどもふさがりて、みいれたまふ
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べきここちもし給わず。「せめてのこころざしのせちなることばかりを見へ給はん」とて、みづばかりをぞすすめいれ給ける。中将なくなく宣けるは、「こぞの春いかにもなるべかりし身の、せめての罪のむくいにや、いきながらとられて、きやうゐなか恥をさらして、はてには奈良のだいしゆの中にいだしてきらるべしとてまかるを、命のあらん事も只今を限れり。このよにて今一度見奉むとおもひつるよりほかは、またふたつおもふことなかりつ。今はおもひをくべき事なし。よみぢも安くまかりなんず。人にすぐれてつみふかくこそあらんずらめども、ごせとぶらふべき者もおぼへず。いかなるおんありさまにておわすとも忘れたまふな。出家をもしたらば、かたみに髪をもまゐらせ候べけれども、それもゆるされぬぞ」とて、袖を顔におしあて給ふ。北方もひごろのおもひなげきは事の数ならざりけり。たへしのぶべきここちもし給はず。「いくさは常の事なれば、かならずしもこぞのきさらぎのむゆ
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かのひをかぎりともおもはざりしかども、わかれたてまつりにしかば、ゑちぜんの三位の北方のやうに、水の底へいるべかりしに、せんていの御事もこころぐるしくおもひまゐらせてありし上に、まさしくこの世におわせぬともきこえざりしかば、いのちあらばいまひとたびみたてまつることもやと、けふまではたのむかたも有つるに、今をかぎりにておわすらん事のかなしさよ」とて、中将の上にかほをあてて涙にむせびたまふ。むかしいまのことどものたまひかよはすにつけては、おもひは深くなりまされども、なぐさむここちはし給はず。夜をかさね、日をおくりたまふとも、なごりはつきせずぞおぼしける。「ぶしどものいつとなくまちゐたるらんも心なし。うれしくもみたてまつりぬ。さらばまかりなんよ」とて立給へば、北方かなはぬものゆゑに、中将のたもとにとりつきて、「こはいかにや。こよひばかりはとどまり給へかし。武士もなどかひとよのいとまゆるさざらん。五年十年にてかへりたまはんずる道とも
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おもはず」とて、きもこころも身にそはぬていにぞみへられける。よにしほれてみへたまふに、「是にめしかへよ」とて、あはせのこそで、しろかたびらとりいだして奉給ければ、中将うれしくもとて、
ぬぎかふるころももいまはなにかせん是をかぎりのかたみともへば K225
とうちながめたまひて、道すがらきたまひたりける、ねりぬきのこそでにぬぎかへたまへば、北方これを取て、最後のかたみとおぼしくて、おんかほに押あててぞもだへこがれ給ける。中将は、「いかにものがるべき道にあらねば」とて、心づよく引ちぎりて立給ふ。北方えんのきはにふしまろびてさけびたまふ。三位中将庭までいでられたりけるが、又たちかへりたまひて、おんすだれのきわへたちよりて、「ひごろおもひまうけたりつるぞかし。いまさらになげきたまふべからず。ちぎりあらばのちの世にも又うまれあふ事も有なん。必ずひとつはちすと
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いのりたまへ」とていでたまひにけり。北方これをみききたまひて、恥をもかへりみたまわず、みすのきわにまろびていでたまひて、もだへこがれ給ふ。おんこゑのはるかにもんぐわいまできこへければ、馬をもえすすめ給わず。ひかへひかへ涙にむせばれければ、武士共も鎧の袖をぞぬらしける。中将はいしかねまると云とねり一人ぞぐしたまひたりける。中将鎌倉へくだらるるとき、はつでうのゐんより「最後の有様みよ」とて、いづのくにまでつけさせ給たりけり。もくのうまのじようときのぶといふさぶらひを北方めして、「中将はこつがは、ならざかの程にてぞきられたまわんずらん。くびをば奈良のだいしゆうけとりて、ならざかにかくべしときこゆ。あとをかくすべき者のなきこそうたてけれ。さりとてはたれにか云べき。行て最後の恥をかくせかし。むくろをば野にこそすてんずらめ。それをばいかにしてかきかへせ。けうやうせん」とて、ぢざうくわんじやと云ちゆうげん一人、じふりきほふしと云りきしや一人とをつけられにけり。三人のものども
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涙にくれてゆくさきもみへねども、中将の御馬のさうにとりつきて、なくなくつきたりける。北方ははしりいでてをわしぬべくおぼしけれども、さすがに物のおぼへ給けるやらん、引かづきてふしたまひぬ。くるるほどにをきあがりて、ほふかいじに有ける上人をしやうじたてまつりて、おんぐしをろしたまひてけり。
卅六 ほんざんゐのちやうじやうしげひらのきやうなんとへくだるときこへければ、しゆとせんぎしていはく、「このしげひらのきやうをうけとりて、とうだいじこうぶくじのおほがきさんどまはしてのち、ほりくびにやすべき、のこぎりにてやきるべき」なんど、さまざまに議しけるに、しゆくらうのせんぎには、「このしげひらのきやうといふは、さんぬるぢしようのかつせんにほつけじのとりゐの前にうつたちて、南都をほろぼしたりしたいしやうぐんなり。其時しゆとの力にて、うちもふせいもとどめてからめとりたらば、もつともさやうにもしてなぶりころすべし。それにぶしにからめられて、としつきをへて
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のち、武士の手よりうけとりて、わがかうみやうがをにほりくびにもし、のこぎりにてもきらむ事、きびあるべからず。かつうはまたそうとのぎやうにしかるべからず。ただいかにも武士が手にて切たらば、くびをばうけとりて、がらんのおんかたきなれば、ならざかにかくべし」とせんぎいちどうなりければ、「もつともしかるべし」とて、しゆとの中より使者をたてて、「しげひらのきやうをばはんにやぢより内へいれずして、いづくにてもきるべし。がらんのをんできなれば、くびをばうけとるべし」と申たりければ、武士是を聞て、三位中将をこつがはのはたにひきすゑて切らんとす。中将「今はかぎり」と思はれければ、のぶときをまねきて、「このへんにほとけましましなんや」と宣ふ。信時はしりまはりて、あるだうよりあみだのさんぞんをたづねいだしたてまつりてきたりければ、中将よろこびてかはらにとうざいにほりたて奉て、中将のじやうえの袖のさうのくくりをときて、仏のみてに
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むすびつけて、ごしきのいとにおもひなぞらへて、「だつたがごぎやくざい、かへりててんわうによらいのきべつにあづかる。これすなはちほとけのおんちかひのむなしからざるゆゑなり。しからばしげひらがとしごろのぎやくざいをひるがへして、必ずあんやうのじやうどへいんだうし給へ。みだによらいに四十八のぐわんまします。第十八のぐわんには『よくしやうがこく』と『ないしじふねん、にやくふしやうじや、ふしゆしやうがく』とちかひあり。しげひらが只今のじふねんをもつて、ほんぜいあやまたせ給はず、はやいんぜふし給へ」とて、じふねんかうしやうにとなへたまひける、そのおんこゑのいまだをはらざるに、おんくびは前におちにけり。のぶときかうべをちにつけて叫ぶ。是をみるひとせんまんと云事をしらず、皆涙をながさぬはなかりけり。
卅七 さてしもあるべきならねば、のぶときいげのものども、中将のむなしきむくろをこしにかきて、ひのへぞかへりにける。北方くるまよせにはしりいでて、くびもなきひとにとりつき
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て、こゑもをしまず、おめきさけびたまふぞむざんなる。「としごろは今一度あひみし事のはは事の数ならず。中々にいちのたににていかにも成給たりせば、けふはひかずもふれば、なげきもうすからまし。花やかなりしすがたにておわしつるに、ゆふべの風はいかなればくれなゐふかくはならるらん。ただおなじみちに」と、もだへこがれ給へども、こたふるものもなかりけり。夜にいりて、たきぎにつみこめたてまつりて、よはのけぶりとなしてのち、こつを拾ひ墓をつき、そとばたてて、こつをばかうやへおくりたまひにけり。あはれなりしことどもなり。中将のくびをば南都のしゆとの中へ送りたりければ、だいしゆうけとりて、とうだいじこうぶくじのおほがきを三度ひきまはして、ほつけじのとりゐの前にてほこにつらぬきて、高くさしあげて人に見せて、はんにやじのおほそとばにくぎづけにぞしたりける。首はなぬかが程は
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有けるを、きたのかた、しゆんじようばうのしやうにんにこひうけたまひて、かうやさんへおくりたまひてけり。きたのかたのこころのうち、おしはかられてむざんなり。かのしゆんじようばうのしやうにんと申は、うまのたいふすゑしげがまご、うゑもんのたいふすゑよしがこなり。かみだいごのほふしなり。東大寺ざうえいのくわんじんのしやうにんにて、なさけおわしければ、三位中将の首をも北方へ奉りにけり。ごんじやにておわしければ、慈悲も深くおわしけるにや。
卅八 廿三日、むねもりふしのくびを、けんびゐし三条川原にいでむかひて、武士の手よりうけとりて、おほちをわたして、左のごくもんの木にかけけり。法皇、さんでうひがしのとうゐんにおんくるまをたてて御覧あり。さいこくよりかへりては、いきながらしちでうを東へ渡し、とうごくよりのぼりては、しご三条を西へわたさる。いきてのはぢ、ししての恥、いづれもおとらずぞみへける。三位以上の人の首をごくもんの木にかくること、先例
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なし。のぶよりのきやうさばかりの罪を犯したりしかば、かうべをはねられたりしかども、獄門にはかけられず。むざんなりし事共也。
卅九 こしゆりのだいぶつねもりがちやくなん、くわうごうぐうのすけつねまさのきたのかたは、さだいじんこれみちのおんまご、とりかひのだいなごんのおんむすめとかや。そのはらにむつになるわかぎみをわしけり。仁和寺の奥なる所にしのびておわしけり。武士たづねいだして、けふ六条川原にて首をきる。ははうへもつきておわしたり。天に仰ぎ地にふしてもだへこがれけれども、なじかはかひあるべき。若君つひにきられにけり。をさなければにや、首をばおほちをもわたさず、ごくもんにもかけられず、川原にきりすてたりけるを、右の膝の上に置てをめきさけびけるが、のちには息もたえておともせず。をりふしをはらのたんけいしやうにん、これほどおほかるしがいみて、むじやうを
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もくわんぜんとおぼして、六条河原をくだりに通り給けるが、この人を見給てたちとどまりて宣けるは、「今はいかにおぼしめすともかひあるまじ。只さまをかへ念仏をも申て、ごしやうをとぶらひたまへ。いざさせ給へ、大原へ」とて、若君のむくろをばともなりけるほふしばらにもたせて、おほはらのらいかうゐんに送り置つ。母上はやがて出家せられにけり。かうべをば母上ふところにいれて、てんわうじにまうでて、ひやくにちむごんにて念仏まうされけるが、このふところなるかうべ、ひかずのつもるままには、あたりもくさかりければ、人「どくろうのあま」とぞ申ける。さて百日にまんじける日、わたなべがはにゆきて、西にむかひて手をあざへ、かうしやうにねんぶつせんべんばかりまうして、身をなげ給ひにけり。あはれにむざんの事なり。にようゐんは「吉田にもかりにたちいらせたまはむ」とおぼしめしけれども、五月もたち、六月なかばに成に
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けり。けふまでながらえさせ給べくもおぼしめさざりしかども、御命はかぎりありければ、さびしくかすかなる御有様にてぞあかしくらさせ給ける。おほいとのふし、ほんざんゐのちゆうじやう都へかへりいるときかせ給ければ、まことしからずはおぼしめしけれども、もしつゆのいのちばかりもやなどおぼしめしける程に、都近きしのはらと云所にて、大臣殿父子きられたまひて、御首わたされて獄門にかけられたりし事、しげひらのきやうのひのへよられたりし事、最後の有様なんどまで、ひとまゐりてこまかにかたりまうしければ、いまさらにきえいるやうにおぼしめさるるもことわりなり。みやこちかくてかやうの事ききたまふにつけては、おんものおもひいよいよおこたる時なし。つゆのいのちかぜをまたむ程も、みやまの奥にもいりなばやとおぼしめされけれども、さるべきたよりもなかり
けり。
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平家物語第六本ほんにいはくときにえんきやう三年かのえのいぬ正月廿七日ねのこく、きしうなかのこほりねごろでらぜんぢやうゐんのぢゆうばうにおいて、これをしよしやしをはんぬ。いささかもぐわいけんあるべからざるのみ。しゆひつやうごん
しやうねん三十一
おうえい廿六とゐすうしりんしよう十七日これをかく。
(花押)




延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版

平家物語 十二(第六末)
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たうくわんのうちうたじふはつしゆこれあり。
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一  だいぢしんおびたたしきこと
二  てんだいさんしつぽうのたふばのこと
三  けんれいもんゐんよしだのおはしますこと
   とうだいじくやうのこと
四  げんじろくにんにけんじやうおこなはるること
六  へいけのいけどりどもながさるること
七  へいだいなごんときただのこと
七  けんれいもんゐんをはらへうつりたまふこと
   あはのみんぶならびにちゆうなごんちゆうくわいのこと
八  はうぐわんとにゐどのとふくわいのこと
九  とさばうしやうしゆんはうぐわんのもとへよすること
十  みかはのかみのりよりうたれたまふこと
十一 はらだのたいふたかなほうたるること
十二 くらうはうぐわんみやこをおつること
十三 よしつねついたうすべきよしゐんぜんをくださるること
十四 しよこくにしゆごぢとうをおかるること
十五 よしだのだいなごんつねふさのきやうのこと
十六 へいけのしそんおほくうしなはるること
十七 ろくだいごぜんめしとらるること
十八 ろくだいごぜんくわんとうへくだりたまふこと
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十九 ろくだいごぜんゆるされたまふこと
廿  ろくだいごぜんだいかくじへをはすること
廿一 さいとうごはせでらへたづねゆくこと
廿二 じふらうくらんどゆきいへからめらるることつけたりひとびとげくわんせらるること
廿三 ろくだいごぜんかうやくまのへまうでたまふこと
廿四 けんれいもんゐんのこと
廿五 ほふわうをはらへごかうなること
廿六 けんれいもんゐんほつしやうじにてをはりたまふこと
廿七 よりともうだいしやうになりたまふこと
廿八 さつまのへいろくいへながうたるること
廿九 ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎうたるること
三十 かづさのあくしつびやうゑかげきよひじにのこと
卅一 いがのたいふともただうたるること
卅二 こまつのじじゆうただふさうたれたまふこと
卅三 とさのかみむねざねしにたまふこと
卅四 あはのかみむねちかだうしんをおこすこと
卅五 ひごのかみさだよしくわんおんのりしようにあづかること
卅六 もんがくるざいせらるることつけたりもんがくしきよのことおきのゐんのこと
卅七 ろくだいごぜんうたれたまふこと
卅八 ほふわうほうぎよのこと
卅九 うだいしやうよりともくわほうめでたきこと
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平家物語第六末
一 ぶんぢぐわんねんしちぐわつにへいじのこりなくほろびてさいこくしづまりぬ。くにはこくしにしたがひ、しやうはりやうけのしんだいなり。じやうげあんどしておもひしほどに、ここのかのひのむまのときばかりにだいぢしんをびたたしくしてややひさし。おそろしなむどもなのめならず。せきけんのうち、しらかはのへん、ろくしようじ、くぢゆうのたふよりはじめて、あるいはかたぶきたふれあるいはやぶれくづる。ざいざいしよしよのじんじやぶつかく、くわうきよじんか、いちうもまつたきはなし。なるこゑはいかづちのごとし、あがるちりはけぶりにおなじ。てんくらくしてひのひかりもみえず。ちひびきてがんこくにつまづきいれり。らうせうともにたましひをけし、てうじうもことごとくこころをまどはす。「こはいかにしつることぞ」とおめきさけぶ。うちころさるるものもあり、おしそんぜらるるものもあり。きんごくをんごくもまたかくのごとし。やまくづれて
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かはをうづみ、うみただよひていそをひたす。こうずいみなぎりきたらば、をかにのぼりてもたすかりなん。みやうくわもえちかづかば、かはをへだててもさりぬべし。ただかなしかりけるはだいぢしんなりけり。とりにあらざればそらをもかけらず、りようにあらざれば、くもにもいらず。こころうしともおろかなり。しゆしやうはほうれんにたてまつりて、いけのみぎはにわたらせたまふ。ほふわうはそのほどいまぐまのにおんこもりありけるが、をりしもおんはなまひらせさせたまひけるに、やどもおほくふりたふし、ひとあまたうちころされて、しよくゑさへいできにければ、ろくでうどのへくわんぎよなりにけり。てんもんはかせどもはせまゐりさわぎまうす。せんもんかろからず。こよひはなんていにあくをたてて、しゆしやうわたらせたまふ。しよぐうしゐんのごしよどもみなたふれにけるうへ、なほひまなくふるひければ、あるいはおんくるまにめし、あるいはおんこしにたてまつりてぞわたらせたまひける。しゆじゆのごひやうぢやう、さまざまのおんいのりはじまる。「こよひの
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ねうしのときにはだいぢうちかへすべしとみうらあり」なんどいひて、じやうげいへのなかにゐたるはひとりもなし。やりどしやうじをたててただそとにのみぞありける。てんのひびき、ちのどうずるたびには、ただいまぞしぬとて、てをとりくみてたかねんぶつをとなへければ、ところどころのこゑごゑおびたたし。ももとせにひととせたらざるつくもがみどもも、「いまだかかることおぼえず」とぞまうしける。「よのめつするなんどいふことは、きやうろんしやうげうのせつさうをあんずるに、さすがけふあすとはおもはざりつるものを」とて、おとなどももなきければ、をさなきものどももこれをききて、おめきさけぶこゑごゑおびたたし。もんどくてんわうのぎよう、さいかうさんねんさんぐわつ、さきのしゆしやくのゐんのおんとき、てんぎやうぐわんねんしぐわつにかかるぢしんありけり。てんぎやうにはしゆしやうごてんをさりて、じやうねいでんのまへにごぢやうのあくをたててわたらせたまひけり。しぐわつじふごにちよりはちぐわつにいたるまで、ひまなくふるひ
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ければ、じやうげいへのなかにあんどせざりけりとぞうけたまはる。されどもそれはみぬことなれば、いかがありけん。こんどのことはこれよりのちもたぐひあるべしともおぼえず。へいけのをんりやうにてよのなかのうしべきよし、まうしあへり。じふぜんていわうはみやこをせめおとされて、おんみをかいちゆうにしづめ、だいじんくぎやうはおほちをわたされて、くびをごくもんにかけられぬ。いこくにはそのれいもやあるらむ、ほんてうにはいまだきかざることなり。これほどならぬことだにも、をんりやうはむかしもいまもおそろしきことなれば、よもいまだしづまらず。いかがあらむずらむとぞおそれあひける。
二 そもそもこんどのだいぢしんのあひだにてんだいさんにふしぎのことあり。そうぢゐんのしつぽうのたふばにぶつしやりをあんぢしたてまつりけるを、ゑんゆうのゐんのぎようぢやうげんにねんにいかづちおちて、このおんしやりをとりたてまつりて、くもをわけてあがりけるを、しゆげんのきこえ
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よにありければ、じやうあんりつしとまうししひと、これをごらんじて、「かのおんしやりをとりとどめたてまつれ」とて、じふにじんじやうのしゆをみてらる。うしのときのばんのかみ、せうとらだいしやうはしりいでて、らいでんじんをとりてふせて、ぶつしやりをうばひかへしたてまつりぬ。いかづちなほはらをたてて、たふばにたてられたるめなうのとびらをとりてのぼりけるを、しゆといちどうに、「おなじくはあのとびらをもとりとどめたまへ」とまうしければ、まつだいのよとなりて、このりようかならずきたりて、かのとびらにこのしやりをとりかへたてまつらむずるなり。それわがよのことにあらずとて、つひにとびらをばとどめたまはず。そののちにひやくよさいをへだてて、こんどのだいぢしんのあひだにこのりようおちて、すぎにしぢやうげんのころ、とりてのぼりにしめなうのとびらのもつてきたりて、しつぽうのたふばにたてて、しやりをばとりてのぼりぬ。しゆとおほきになげきていはく、「むかしのじやうあんりつしののたまひおけることすこしもたがはず。まつだいをかがみて
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しめしたまひけることこそたつとけれ。われらがよには、じやうあんのごとくとりとどめたてまつるべきひともなし。まつだいこそこころうけれ。すなはちしりぬ、ほふめつのごいたりにけりといふことを」。しゆとせんぎして、「このおんしやりをとりたてまつることは、あふみのみづうみのりゆうじんどものしわざにてぞあるらむ。もとのごとくかへしをさめたてまつらずは、りゆうじんてうぶくのほふをはじむべし」とせんぎしけるよのゆめに、みづうみのりゆうじんどもおほくあつまりてまうす。「このおんしやりをとりたてまつることは、まつたくわれらがわざにあらず。いせのうみにはべるりようの、しゆくしふあるによつてこれをとりたてまつれり。われらがあやまらざることをうれひまうす」と、しゆとのゆめにぞみえたりける。かのしゆくしふとまうすは、でんげうだいし、くわんむてんわうのぎよう、えんりやくにじふさんねんにとたうして、てんだいさんのかうまんだいしにあひたてまつりて、ひみつをつたへぶつしやりをさうじようして、わがてうへかへりたまひしに、かん
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かほんてうにさかひにて、りゆうじんきたりてこのおんしやりをとどめたてまつらむとす。しかりといへども、しゆくしふいまだうすきにより、そのうへでんげうのぎやうりきにおそれたてまつりて、つひにとどめたてまつることかなはず。わがてうへわたされてえいさんにあんぢしたてまつる。そののちいましひやくよさいのしゆんしうをおくれり。つひにかのしゆくしふのためにとられぬ。くちをしかりしことどもなり。
三 けんれいもんゐんはよしだにわたらせたまひけるが、ここのかのひのぢしんについぢもくづれ、あれたるやどもかたぶきて、ひとすませたまふべきおんありさまにもみへず。ちうちかへすべしなむどきこしめしければ、をしませたまふべきおんみにはなけれども、ただよのつねにてきえいりなばやとぞおぼしめされける。をりしりがほにいつしかむしのこゑごゑうらむるもあはれなり。  はちぐわつひとひのひとうだいじかいげんのこと、せんじをくださる。そのじやうにいはく。
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とうだいじぜうまうして、やうやくろくかねんをふ。るしやなだいぶつざう、ことにかうしやうにおほせ、ふるきをまもりてぼんうをようちうす。はつぱくのこう、いまだほんじにはじめずといへども、まんげつのさう、すでにならむとほつす。よつてきたるはちぐわつにじふはちにち、まづかいげんしたてまつるべし。よろしくけいきしちだうしよこくをして、にじふごにちよりくぐわつみつかにいたるまで、せつしやうをきんだんし、ゑにちにいたるまで、こくぶんにじにおいて、おのおのさいゑをひらくべし。そのくやうのれう、れいによつてこれをあつ。ださいふくわんおんじにおいてこれをしゆす。かねてくわいしふせしめて、だうぞくともにるしやなぶつのみなをしようさんすべし。そのおもむきひとつぢやうぐわんさんねんさんぐわつにじふいちにちのふにくはふ。着。げんりやくにねんはちぐわつひとひ さちゆうべんおなじくにじふしちにち、ほふわうなんとへごかうあり。くぎやうにはくわさんのゐんのだいなごんかねまさ、つつみちゆうなごんともかた、なかやまのちゆうなごんよりざね、きぬがさのちゆうなごんさだよし、よし
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だのちゆうなごんつねふさ、みんぶきやうしげのり、とうざいしやうちかのぶ、へいざいしやうちかむね、おほくらのきやうやすつね、てんじやうびとにはまさかたのあつそんいげ、みなじやうえをきてぐぶせられけり。いよのかみよしつね、おなじくじやうえをきて、おんうしろにこうず。ずいひやうろくじつきをあひぐす。おなじくにじふはちにち、だいぶつかいげんあり。ゐのこくにほふわうりんかうありけり。さだいじんつねむね、ごんのだいなごんむねいへのきやういげ、さんにふせられけり。かいげんのしそうじやうぢやうへん、しゆぐわんそうじやうしんゑん、だうしだいそうづかくけんなり。おなじきつごもり、べんけうごんのせうそうづにおほせられけり。かいげんのしぢやうへんそうじやうのしやうじやうとぞきこえし。いみじかりけることどもなり。
四 さるほどにはちぐわつじふよつかのぢもくに、げんじろくにんいちどにじゆりやうになさる。くんこうのしやうなり。しだのさぶらうせんじやうよしのりはいづのかみににんず。おほうちのくわんじやこれよしは
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さがみのかみににんず。かづさのたらうよしかぬはかづさのすけににんず。かがみのじらうとほみつはしなののかみににんず。ひやうのじようよしかたはゑちごのかみににんず。いよのかみよしつねはたいふのじようをかぬることぞきこえし。かまくらのげんにゐのたまひけるは、「よしつねはいよのくにいつかこくをたまはりて、ゐんのみむまやのべつたうになりて、きやうとのしゆごしてさうらふべし」とて、かまくらよりさぶらひじふにんをつけらる。よしつねおもひけるは、「いつてうのだいじとおもひつるおやのかたきをうちつれば、それにすぎたるよろこびなし。ただしどどのかつせんにいのちをすててすでにたいこうをなす。よのみだれをしづめぬれば、せきよりひがしはいふにおよばず、きやうよりにしをば、さりともあづからむずらむとこそおもひつるに、わづかにいよのくにともつくわんのところにじつかしよとあたりつきたるこそほいなけれ。さりとも京都にも鎌倉にもおぼしめしはからふむねもあらむずらむ」とおもひてすごしける程に、十人つきたるさぶらひどもも内々
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心をあはせてければ、とかく云つつ鎌倉へにげくだりにけり。むさしばうべんけい、かたをかのはちらうためはる、えだのげんざう、くまゐのたらう、ひたちばうくわいけんなむどぞ、いまだはうぐわんにはつきたてまつりたりける。はうぐわんこれらにのたまひけるは、「さりとも鎌倉にもあひはからはるるむねあらむずらむ。かつうはさいこくにおんをせむずるぞ。あなかしこ我に離るな」とのたまひける程に、鎌倉よりはうぐわんうたるべしといふきこえあり。
(五) 九月廿三日、へいけよたうのいけどりども、おのおのはいしよへつかはさる。へいだいなごんときただのきやうをばおつたてのくわんにんのぶもりうけたまはりて、のとのくにへつかわす。けふ都をいでたまひて、あふみのくにしがからさきをうちすぎて、かただといふうらにて、「ここはいづくぞ」とあみうどに問給へば、「これはかただと申所にて候」と云ければ、かくぞおもひつづけ給ける。
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返りこむ事はかただにひくあみの目にもたまらぬ涙なりけりしそくさぬきのちゆうじやうときざねをばきんともうけたまはりてすはうのくにへつかわす。くらのかみのぶもとをばあきさだうけたまはり奉てびんごのくにへつかはす。ひやうぶのせうまさあきらをば、あきさだ同く奉ていづものくにへつかはす。くまののべつたうぎやうみやうほふげんをばもとかげ奉てあきのくにへつかはす。ほふしようじのしゆぎやうのうゑんほふげんをばつねひろおなじく奉てびつちゆうのくにへ遣す。ちゆうなごんのそうづいんこうをばひさよ奉てあはのくにへ遣す。ちゆうなごんのりつしちゆうくわいをばむさしのくにへ遣すとぞきこへし。
六 ときただのきやう都をいださるとて、にようゐんへまうされたりけるは、「今はありがひなき身にて候へども、おなじくはひとつみやこの内にて、ごしよの御事をもまうしうけたまはらむとこそおもひさうらひつれども、せめて重くのがるべきかたなくして、けふすでに都をまかりいでさうらひぬ。
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いとどいかなるおんありさまにてか渡らせ給わむずらむとおもひやりまひらせ候こそ、ゆくそらもおぼえさうらふまじけれ」と、こまかにまうされたりければ、「さてはをんごくへおもむきたまふごさむなれ。今はこのひとばかりこそ昔のなごりにてありつるに」とおぼしめせば、いとどかきくらすおんここちしてぞおぼしめされける。かのときただのきやうとまうすはではのせんしゆとものぶが孫、ひやうぶのごんのたいふときのぶがこなり。こけんしゆんもんゐんのおんせうとにておわせしかば、たかくらのしやうくわうにはごくわいせきなり。昔やうきひがさいはひし時、やうこくちゆうがさかえしが如し。はつでうのにゐどのもせうとにておわせしかば、入道にはこじうとなり。よのおぼえ、時のきらめでたかりき。さればけんぐわんけんじよく心の如し、おもひの如し。ほどなくへあがりて、じやうにゐのだいなごんに至り給へり。まうしあはせられければ、ときのひとへいくわんばくとぞ申ける。けんびゐしのべつたうにも
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三度までなられたりき。いまだせんれいなきことなり。いましばらくも平家の世なりせば、だいじんうたがひあるまじ。ちやうむの時もさまざまのことどもちやうぎやうして、がくだう廿人が右手切られなむどしけり。昔あくべつたうつねしげと云ける人こそ、がうだうのくび切たりけれ。このときただのきやう、事にふれてこころたけき人にておわしけり。さいこくにおわせし時、院より、「ていわう都へ入れ奉れ。さんじゆのしんぎかへしいれたてまつれ」とおほせつかはす。ゐんぜんもちてくだりたりけるおつぼのめしつぎはなかたがつらに、「なみかた」と云くわいんをさして、「汝をするには非ず」とぞのたまひける。さればたれをまうされけるぞ。院をまうされけるか。こにようゐんのおんゆかりなれば、なだめらるべかりしかども、かやうのことどもおぼしめしわすれさせ給はねば、法皇のごきしよく心よからずして、ながされたまひけるもこのゆゑとぞきこへし。くらうはう
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ぐわんにしたしく成給にしかば、そのよしみもおろかならず。るざいをもまうしなだめむとせられけれども、法皇もごきしよくもあしく、鎌倉のゆるされもなかりけり。このひとかつせんのさきをこそかけねども、ちうさくをゐちやうのうちにめぐらすことは、この大納言のしわざなりければ、ことわりとぞおぼゆる。としたけよはひかたぶきて、さいしにも別れ、見送る人もなくして、はるかなるのとのくにまでげかうせられけむ心のうちこそかなしけれ。押はかられていとほし。ひごろはさいかいのなみのうへにただよひて、今は又ほつこくの雪の下にとぢられけむこそむざんなれ。北方そつのすけどのはなにごとも深くおもひいれたる人にて、いつもすまじき別れかはと思なぐさめ給つつ、心づよくぞもてなし給ける。そのはらにをはりのじじゆうときむねとて、十四になりたまふじやくくわんおわしけり。なのめならずいとほしみ
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給けるに、是をみおきて、いつ返るべしともしらぬをんごくへ趣く事の心うさ、なげきかなしみたまへどもかひなし。ときむねも今はかぎりのわかれををしみて涙にむせびたまひけり。
七 そのころにようゐんは都もなほしづかなるまじきよしきこしめして、いかなるべしともおぼしめしわかず、つきせぬおんものおもひに秋のあはれをうちそへて、夜もやうやくながくなりければ、いとど御ねざめがちにて、よろづおぼしめしのこすおんこともなく、「ここは都近くてふるまひにくし。あはれ、いづちもがな」と、あくがれおぼしめしけるに、つきまゐらせたりけるあまにようばうのたよりにて、「是よりきたやまの奥にをはらせれうのさと、じやくくわうゐんとて、しかるべきところをこそたづねいだして候へ。それへおんわたりあつて、おこなわせおわしませ」と申ければ、「わがしよぐわんじやうじゆしぬるにや」と、よろこばせおわしまして、いそぎ
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いでたたせましましけり。おんこしどもはれんぜいのだいなごんたかふさのきやうのきたのかたぞさたしまゐらせられける。是はにようゐんの御妹にてましましければなり。おほかたも常にはこまやかにとぶらひまうされければ、いとうしとおぼしめし、この人々のはぐくみにて、うき世にあるべしとこそおぼしめしよらざりしかとて、にようゐん御涙を流させ給けり。おんこしさしよせたりけれども、とみにもうつらせおわしまさず。これもさすがに夏のはじめより秋の末つかたまで、すませおわしましたる所なれば、おんなごりをしくて、御袖もしぼるばかりに見へさせ給ければ、庭になみゐたりけるつかひがものどもも、さすがいはきならねば、おのおの袖をぞぬらしける。さればとてとどまらせ給べきにあらねば、おんこしにめしつつ、なくなくいらせ給けり。いとひとかよひたりとも、ただすがはらぢにかからせ給て、きれづつみ、さがりまつ
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うちすぎ、はるばるとわけいらせ給けり。日もすでにくれかかるのでらの鐘のいりあひのこゑすごく、いつしか御心すごくきこしめす。やうやくをはらの里にちかづかせおわしまして、御覧ずれば、くさのだにの東西の山の麓、北の奥に、みだうほのかに見えたり。かたはらにあやしげなる坊もあり。としへにけりとおぼえて、いたくあれたり。こけむしたる石の色、いとさびたる所也。谷川より落たる水の音、わがききなしにや、御心すごくぞおぼしめす。りよくらの垣、もみぢの山、絵に書くとも筆もおよびがたし。木に刻むたくみもあらじかし。折しも空かき曇りうちしぐれ、木々のこのはも乱れつつ、つまよぶしかのおとづれて、虫の声々よはりにけり。さてもそのよはみだうにまゐらせ給て、「なむさいはうごくらくけうしゆあみだによらい、わがきみせんていのしやうりやうならびにひぼいうぎ、かねてはしんるいのれいとう、いちぶつじやう
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どへいんだうし給へ」とまうさせおはしまして、ふしをがませ給けるが、やがて仏のおんまへにせつじゆし給たりけり。あまにようばうたちかかへまゐらせて、「ひごろのおんなげきのつもりにこそ」とてあはれなり。ややひさしくありておんここちなほらせ給たりけるに、「いかなる御事にや」と申ければ、にようゐんこたへさせましましけるは、「ひごろもせんていの御事忘るるひまなけれども、ただいまことさらにおんおもかげの、ひしと身にそはせ給たるやうにおぼえつるによ」とぞおほせられける。其夜あけての日よりはごあんじつにすませましましけり。おんおくりのものどももあはれにみおきまゐらせて、涙にむせび返りけり。さすがに世をばのがれさせ給たりけれども、御命はすてがたきならひにて、はかなき露のおんみを草のいほりにやどして、あけぬくれぬとすごさせ給ければ、御耳に常にふれけるは、しづのおがをののをと、おんめにさえぎる物とては、嵐にみだれて散るこのは、こずゑまばらに
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成ままに、さびしさのみぞまさりける。のきば漏りくる月影は、じねんのともしびにもちいられ、松をはらふ風の音、琴のねにあやまたる。さんかじやくまくとして、おとづれきたる人もなかりければ、よろづおぼしめしつづけては、御涙せきあへさせ給はざりけるに、ちりしくこのはのそよぎけるをきこしめすも、「いにしへなれしみやこびとのとひきたるにや。たれならむ」と御覧じければ、ふるさとびとにはあらずして、つまこふしかぞとほりける。山深きおんすまひいまさらにおぼしめししられて、かくぞながめさせ給ける。
里とをみたがとひくらむならの葉のそよぐは鹿の渡るなりけり K227
法皇はにようゐんのいまだ都にわたらせ給ける時も、おんこころぐるしきことにおぼしめされけれども、「鎌倉の源にゐのききおもはん事もあしくさうらひなむ」と、人申されけるあひだ、さてのみぞすごさせ給ける。京都にも関東にもいけどりども、切るべきはきら
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れ、ながさるべきはながさる。あはのみんぶだいふしげよしをば鎌倉へめしくだされ、「きらるべきか、なだめらるべきか」とひやうぢやうせられけるに、「せんぞさうでんのしゆうをかへりちうして、ほろぼしたるふたうじんをばいかでかなだむべき」とくちぐちに申ければ、既にきるべきにさだまりたりけるあひだ、しげよしさまざまのあつこうをしければ、さらばにくしとて、かごにいれて中にひさげて、下に火をたきてあぶりころす。むざんなんどはいふはかりなし。かどわきのちゆうなごんのおんこに、ちゆうなごんのりつしちゆうくわいと申けるをば、鎌倉へめしくだしてむさしにあづけおかれたりけるを、是をば僧なればなだめらるべきよしおもひたまひけるが、よくよくおもふに、「そうじて平家の一門には、かどわきのちゆうなごんのこどもにすぎておそろしき者はなし。ゑちぜんのさんゐよりはじめて、のとのかみといひ、たいふなりもりといひ、いづれもいづれもおろかなるはなし。されば僧なりとも思ひゆるすべからず」とて、「とくとく切べし」とおほせられたりけるに、すでにあすきるべきやはんばかりに、「おんたけはつしやくばかりおはしましけるだいにちの、白きおんつゑのおんたけとひとしきが、末はふたまたなるをもつて、
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げんにゐのくびをちやうとつかへて、かたかたの御足にては胸をふまへさせたまひて、『いかに汝はちゆうくわいがくびをばきらむとはするぞ。忠快がくびをきるはすなはちわがくびをきるにこそ。忠快がくびを切程ならば、ただいま汝をばつきころさむずるぞ』とおほせありて、ちやうとつかへてわたらせ給ければ、手をあはせて、『たすけさせたまひさうらへ。忠快をばゆるし候はん』とまうされければ、さしはづしてのかせ給」と御覧じて、うちおどろきたまひたりければ、身より汗かかせ給。くるしき事かぎりなし。むちゆうにさまざまのたいじやうの有けるが、よそまでおびたたしくきこへければ、北方をはじめたてまつりて、おんまへのにようばうたち、「いかにいかに」とさわぎあへり。しばしおんきつきて、「あなあさまし。こはいかがせむずる。忠快をばあす切べきにてあれば、よあけはてばきらむずらん。夜のうちにもやきらむずらん。いかがはしてきらぬ先にはせつくべき。たうばんじゆにたれかさうらふ。我を我と思はむ者は、いそぎむさしへはせて、ちゆうなごんのりつしをたすくべし。ちゆうくわいをばとしまがもとにあづけおきたるぞ。さきにはせつきてちゆうくわいあひぐして
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まゐりたらん者にはゆゆしきけんじやうあるべしとおほせ」ければ、たうばんじゆ我も我もとむちを打て、武蔵のとしまへはせたりけり。げにもあづかりの者、忠快をばよあけなばきりたてまつらむとて、あかつきに成ければ、いでたたせ奉り、物まゐらせなんどして、夜明けければ、おんこしさしよせて乗せたてまつらむとしける処に、おんつかひ三人はせつきて、「ちゆうなごんのりつしごばうあひぐしまゐらせて鎌倉へまゐらるべし」とぞ申ける。これにつけても忠快は、「いとどいかなる目にあはむずるやらん」と、かなしくぞおぼしける。先にはせつきたりける者は三人有けるが、ひやくちやうづつのごおんをぞかうぶりける。あひぐしたてまつりて鎌倉へまゐりたりければ、ぢぶつだうへ入れ奉て、源二位いかけし給て、いそぎたいめん有て、「そもそもごばうは何のほふをかがくせさせ給て候。ほんぞんをば何をあがめまひらせられ候やらん」とおほせられければ、「かひがひしく何のしゆうをがくしたる事も候わず。必ず何のほんぞんをあがめまひらする事も候わず」とまうされければ、「へんばなおほせられさうらひそ。いかさまにもごばうは
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ぶつぽふにつうじ給へる人にてわたらせ給とおぼへ候。只ありのままにおほせさうらへ」とおほせられければ、「みつしゆうをこそ心のおよぶところはがくして候へ。それに取てはだいにちをほんぞんとあがめ奉るざうらふ」とおほせられければ、「ささうらへばこそすこしもぎしんさうらわず」とて、むさうのさまこまごまと語り給て、「ごばうにすぎたまひたる仏わたらせ給候はず。ごばうに過たるいのりのしわたらせたまふまじ。頼朝にもごいしゆおぼしめすべからず。こんじやうごしやうたのみまひらせ候はん。これにすませ給はんとも、京へのぼらせ給はんとも、御心にまかせまひらせ候」とおほせられければ、「そのぎにてさうらはば、もとすみなれたる処にて候へば、京へ上らむとこそ思候へ」とおほせられければ、「とくとくのぼらせ給へ」とて、くつきやうのしよりやうしちはつかしよ奉て、京へ送りたてまつられけり。小河のほふげんとて平家のかたみにてぞおはしける。
八 十月十三日、くらうはうぐわんよしつね、くわんとうのにゐどのをそむくべきよしきこえければ、
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かしこここにささやきあへり。おなじくきやうだいといひながら、ことに親子のちぎり浅からず。平家、てうかをかろんじて、ていわうのおんかたきとなりしいきほひ、たとひじふろくのだいこくのいくさをもよほしてせむともかたぶけがたく、ごひやくのちゆうごくのつはものをあつめてやぶるとも、あやふくは見へざりしを、こぞの正月にかのだいくわんとして都へうちのぼりて、まづきそよしなかを追討せしより、どどへいじを責めおとすとて、必死のけんをのがれて、ことしの春のこりすくなくほろぼして、しかいをすましいつてんをしづめて、くんこうひるいなきところに、いかなるしさいかあらむ、いつしかしかるきこへあらむと人思へり。この事はいんじ春、わたなべ、かんざきりやうしよにてふなぞろへの時、ふねどもにさかろをたてむ、たてじと、かぢはらとはうぐわんとこうろんせし時、梶原が判官にいはれたりし事を、梶原やすからぬことに思て、事のついでごとには、「はうぐわんどのはおそろしきひとなり。君のおんかたきに
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いちぢやうなりたまふべし。うちとけさせたまふべからず」と申ければ、頼朝も「さ思へり」とのたまひて、つねにはひまもあらば、判官をうたるべきはかりことをぞ心にかけ給ける。はうぐわんも「しじゆうよかるまじ」と思給ければ、頼朝をついたうすべきよしのせんじをくださるべきむね、おほくらのきやうやすつねをもつて、ごしらかはのゐんに判官まうされたりければ、十六日、うだいべんみつまさのあつそんゐんぜんをうけたまはりて、じゆにゐみなもとのあつそんよりとものきやうをついたうすべきよしのゐんぜんを下さる。しやうけいはさだいじんつねむねとぞきこへし。京都のかためにて、まうすところもだしがたき上、義経こころざまなさけあり、ひとのためみやこのためよかりければ、かみいちにんよりはじめたてまつり、しもばんにんにいたるまで、くみしたりけり。さればにや、事とどこをらずほうがんのぜうを下さる。かかりければ、おちて関東へ行く者もあり、又とどまりて判官につくものもありけり。このあひだいかなる事かあらむずらむとて、きやうぢゆうのきせん
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じやうげ、なにとなくあわてまどへり。九 にゐどのかぢはらをめして、「くらうをかねあらひざはにとどめおきて、鎌倉へいれずして、京の守護に候へとておひのぼせしをば、ゐこんとぞ思らむ。されば、ひまもあらば、頼朝をうたばやと心にかけたるらむ。だいみやうをものぼせ、しかるべきものをものぼする物ならば、九郎さるものにて、ようじんをもし、にげかくるる事もこそあれ。たれをかのぼすべき」。「しやうしゆんを上すべし」とて、とさばうをめして、「わそうのぼりて九郎をようちにせよ」とて、げんりやく二年九月廿九日、土佐房鎌倉を立てしやうらくして、さめうじちやうにしゆくしよを取てしゆくす。次の日もはうぐわんのもとへまゐらざりければ、十月十一日つかひをたてて土佐房を召すに、「やがてまゐるべし」とて、そうじてみへず。又このたびはむさしばうをつかひにてつかはす。只今事にあふべきていにいでたちてまかりけり。かちんの
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ひたたれにくろいとをどしのおほはらまきに、すつちやうづきんして、一尺三寸のたちさしほこらかして、三尺ばかりなるおほなぎなたもたせてまかりけり。ふるやまぼふしにてあらごはものなりければ、べちのしさいもなく、やがてゐたりける所はおしいる。をりふし、しやうしゆんいへのこらうどうどもあまた前に置てさかもりしけり。さうなくおこなひたりけれども、所もなくらうどうどもありければ、「いづくにかゐるべき。郎等共のざにはゐるべからず」と思て、「しやうしゆんはかまくらどののさぶらひ也。我ははうぐわんどのの侍也。」昌俊がかみにゐかかりて申けるは、「いいか、わそうはめされずともまゐるべきに、めしのあるをそむきて参らぬは、ぞんずるむねのあればこそまゐらざるらめ。そのさうききにきたれり」と、にらみつめて申ければ、酒盛もうちさまして、いへのこらうどうもあをざめたり。しやうしゆんもさる者なりけれども、まさるかうのものにあひぬれば、をめをめとなりて、「『只今参
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らむとしつるなり。すなはちやがてまゐるべし。なにごとのぞんずるむねか候べき』と申給へ」と云ければ、べんけいは、「わそうをぐして参べし。かへらず」。しやうしゆんおもひけるは、「はかる事きこへにけり。ゆきむかひたらんに命いけられむ事有まじ。ここにて弁慶と勝負をせばや」と思けるが、「まてまてしばし。おなじくいのちをうしなふならば、はうぐわんどのにあひてこそ命をもすてめ。ふてがたひにしあひてはえきあらじ」とおもひなりて、「さらばやがて参るべし」とて、弁慶とうちつれて判官のもとへゆきぬ。はうぐわん、昌俊をみ給て宣けるは、「いかに、二位殿よりはおんふみはなきか」。「さしたる事も候はねば御文は候はず。おんことばにて申せと候しは、『当時まで都にべちのしさいさうらはぬ事は、さておはしますゆゑとぞんじさうらふ。なほもよくよく守護せられ候べしと申せ』とこそおほせごとさうらひしか」。判官、「よもさあらじ。わそうはよしつねうちにのぼりたるおんつかひなり。『しかるべき大名をも
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さしのぼせば、義経ようじんをもし、にげかくれもぞせむずる。ひそかにわそうのぼりてようちにせよ』とてぞ、のぼせられたるらむな。につぽんごくをうちしづむる事はきそと義経とがはかりことなり。それにかげときめがざんそにつきたまひて、鎌倉へもいれられず、対面をだにもし給はで、おひかへされし事はいかに」。昌俊おほきに驚て、「なにゆゑにかさるおんことさうらふべき。いささかしゆくぐわんさうらひてしちだいじまうでの為にまかりのぼりて候。ゆめゆめそのぎさうらはず。ぜんあくごめんをかうぶりて、きしやうもんをつかまつるに、まゐらせさうらふべし」と申ければ、「必ずかけとは思はねども、かかむともかかじともわそうが心ごさむなれ」と判官のたまへば、昌俊いつたんの害をのがれむがため、ゐながらくまのごわうたづねよせて、きしやうもん七枚書て、一枚をばたうざに焼てのみて、今六枚をばやしろやしろにこれををす。土佐房きしやうは書てのみたれども、こよひ打たではかなわじと思て、やがてそのよおほばんじゆに
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つれて、ようちのしたくをぞしける。はうぐわんはそのころいそのぜんじが娘、しづかと云しらびやうしをおもはれけり。判官しづかに宣けるは、「いかなる事のあらむずるやらむ。こころさわぎのするぞとよ。しやうしゆんめがようちによすとおぼゆるぞ」。しづか、「おほちにちりはひにけたてられてむしやにてさぶらふなり。是よりおほせつけられざらむには、おほばんのものどもこれほどさわぎあふべしともおぼえず。いちぢやう昼のきしやうぼふしめがしわざにてぞさぶらふらむ」なむどぞ云ける。平家だいじやうにふだうのかぶろとなづけて、かみを肩のまわりにそぎて、十四五六七ばかりなるわらはべを二三百人めしつかひたまひけるを、判官わらは二人取てつかひたまひけり。かのわらはをつかひにて、「とさばうがしゆくしよ見て参れ」とて遣わさる。待てども待てどもみえざりければ、はうぐわんつかわれけるちゆうげんをんなをめして、「としごろのまをとこをたづぬるやうにて、土佐房がしゆくしよ見て参れ」とてつかはす。この女やがてたちかへりて、「土佐房の宿所のこもんの前に、ひと
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ふたりきりころされてさぶらふは、いちぢやうこれのおんつかひとおぼえさぶらふ。そのうへ土佐房は、あかつき、だいぶつへまゐりさぶらふべしとて、おほにはにまくひきてさぶらふ。その内にくらおきむまども四五十疋ひきたてて、よろひもののぐしたるものどもたづなにぎり、鞍にてうちかけて、只今既に乗らむとしさぶらふ」と申もはてねば、うしろより時をつくりて、はうぐわんの宿所、ろくでうほりかはへおしよせたり。判官是を聞給て、「さればこそ、土佐房めが寄するは。何事のあらむぞ」とて、すこしもさわがず。しづか、「物をばあなづらぬ事にてさぶらふぞ」とて、よろひを取てはうぐわんになげかけたり。そのころ判官はきうぢをし、みだしたりけれども、鎧取て打きて、たちひつさげていでられたり。いつの程にか置たりけむ、とねりをとこ馬に鞍置てえんのきはにひきたてたり。はうぐわんこの馬にひたと乗て、「門あけよや」と云てうちいだしたり。「につぽんごくに義経をようちにもし、ひるうちにもすべき者はおぼえ
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ぬ物を」と云て、只一人かけいでらるれば、かたきの中をさつとあけて通す。判官とりてかへして、たてさま横さま、さんざんにかけたりければ、このはの風にちるが如くにしはうへかけ散らされて、あるいはくらまの奥、きぶねの奥、そうじやうがたになむどへぞにげこもりける。くまゐのたらうはうちかぶとを射させてそのよ死にけり。げんぱつひやうゑひろつなは膝のふしを射させたりけれども、いまだしなざりけり。土佐房はりゆうげごえにきたやまをさしておちけるが、ふたてみてにておひかかりければ、先を切られてのびやらず。をはらへかへりてやくわうざかをこえて、鞍馬の奥、そうじやうがたににぞこもりにける。はうぐわんもとより鞍馬にてそだたれたりければ、鞍馬のだいしゆ昔のよしみをおもひしりて、土佐房をからめて判官にたてまつる。判官の前にひきたてたり。かちんのひたたれ、こばかまをぞ着たりける。はうぐわん、「いかにわそうは義経うつまじと云きしやうを書て、
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焼てのみたる者が、舌もひきいれず義経をうたむとする時に、しんばつたちどころにかうぶりたりな」とのたまへば、「今はかう」と思ければ、「ことばもたばわずあることに書て候へばこそ、うてて候らめ」と、さんざんにあつこうしけり。判官腹をたてて、「土佐房めがしやつらうて」とて、うたせらる。土佐房、「いかにもうたせ給へ。少もいたまず候。そのゆゑはしやうしゆんがうたるるにては候わず。これひとへにかまくらどののうたれさせたまふにて候へば、このかはりには殿のおんくびを鎌倉殿のうちかへしまひらせさせ給わむずれば、ただおなじことざうらふ」と申ければ、判官うちわらひて、「汝がこころざしの程こそゆゆしけれ。さこそは有べけれ。命やをしき。二位殿へ参れかし」と宣ければ、昌俊申けるは、「とりかへなき命を鎌倉殿にまゐらせて鎌倉をたちしより、いきてかへるべしとも存じ候わず。よべ君を打奉らむとて参てさうらひつれども、うんつきぬるによつて、
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えうちまゐらせずして、かくからめめされさうらひぬ。いまさらに命をまうしかふべきに候わず。ごはうおんにはとくくびをめせ」とぞ申ける。人是を感じけり。「さらば切れ」とて、ろくでうがはらへひきいだして切らむとするに、きらむと云者一人もなかりけり。きやうのもののうちになかづかさのじようともくにと云者ありけるが、まうしうけてきりてけり。はうぐわんには二位殿より、あだちのしんざぶらうきよつねと云ざつしきを一人つけられたりけり。「げらふなれどもよきものぞ。もしの事あらばはたさしにたのめ」とてつけられたり。誠には「判官ひがことをもし、むほんをもおこしげならば、つげよ」とて、けんみにつけられたりけるが、土佐房がうたるるを見て、そのあかつき鎌倉へはせくだりて、二位殿にこのよしまうしければ、「九郎は頼朝がかたきにはよくなりををせたりな。このこと今はいかにつつむともかなふまじ」とて、うつてをぞのぼせられける。
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十 鎌倉殿のおとと、みかはのかみのりよりをたいしやうぐんにて、六万余騎にてのぼせらる。三川守こぐそくばかりにて、くまわうまると云わらはにかぶともたせて、二位殿に対面し給。二位殿のたまひけるは、「わどのもくらうがやうににのまひしたまふな」と宣ければ、三川守こぐそくぬぎおきて、「いかでかそのぎ候べき。きしやうつかまつるべし」とて、とうりうし給て、一日二十枚づつ千枚のきしやうを百日のあひだに書て、二位殿にたてまつりたまひたりけれども、もちゐたまはず。つひに三川守もうたれたまひにけり。大将軍にてのぼり給べき三川守はうたれたまひぬ。そののちほうでうのしらうときまさ三万余騎にて都へ上る。
十一 十一月ひとひのひ、ひごのくにのぢゆうにんはらだのたいふたかなほ、このさんがねんのあひだ平家につきていくさのこうありしかども、もしいのちばかりやいけらるると参りたりしかども、つひにけふ切られにけり。
十二 おなじきふつかのひ、判官ゐんのごしよに参て、おほくらのきやうやすつねのあつそんをもつて申けるは、「義経ひやうゑの
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すけがだいくわんとして、君のおんかたき、平家をついたうつかまつりさうらひぬ。ちちよしともがくわいけいの恥をきよめ、しかいをすまし、につぽんごくを手ににぎりて候は、きたいのほうこうに候わずや。しかるに義経さしたるとがも候はねども、らうどうどもがざんにつきて、義経をうたむが為に、ほうでうのしらうときまさとまうしさうらふけにん、三万余騎にてまかりのぼるよしきこえさうらふ。しかればとうごくへまかりむかひさうらひて、ひごろのくんこうをも、又あやまちなきことの子細をも頼朝にまうすべくさうらへども、させるてうてきにも候はねば、まかりくだりさうらわず。京都にさうらひてときまさをまちつけさうらひて、いかにもなるべくさうらへども、きみのおんためひとのため、そのわづらひあるべく候へば、さいこくへまかりくだりさうらわばやとぞんじさうらふ。ちやうのみくだしぶみたまはりさうらひなむや。ぶんごのくにのぢゆうにんこれずみ、これよしらにしじゆうみはなたず心をひとつにして、力をあはすべきよし、おほせくださるべく候。かつうはどどのくんこういかでかおぼしめしすてられ候べき。最後のしよまうこの事に候」と申ければ、法皇おぼしめしわづらはせ給て、おほくらのきやうやすつねのあつそんをもつて
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こんゑのてんがへおほせあはせらる。てんがよりくらんどうゑもんのすけさだながをおんつかひにて、大政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、ほりかはのだいなごんらにおほせあはす。おのおのいちどうにまうされけるは、「義経らくちゆうにてかつせんせば、てうかのおんだいじたるべし。げきしん京都をまかりいづるはをだしき事にてこそ候はめ。そのうへ義経が心ざま、よのためひとのため、よろづなさけふかくさうらひつ。只たび下され候へ」とまうされければ、義経がまうしうけがごとくになしくださる。をかた、うすき、へつぎ、まつらたういげ、ちんぜいのともがら、義経をもつてたいしやうとすべきよし、ちやうのみくだしぶみなしくだされにけり。義経かしこまりてたまはりて、みつかのひ、事のよしをまうしいれて、きやうぢゆうにすこしもわづらひをいたさず、うのときばかりにらくちゆうをいでにけり。びぜんのかみゆきいへ、これずみ、これよしがいちぞくあひともなふ。かれこれおよそのせい、わづかに五百余騎ぞ有ける。関東にこころざしあるざいきやうの武士、きんごくのげんじらおひかけて射けれども、事ともせず。さんざんにかけ
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ちらして、かはじりまではつきにけり。だいもつのうらにて船に乗て、きかい、かうらい、しんら、はくさいまでもおちゆきなむと思けれども、平家のをんりやうやこはかりけむ、折しも西風はげしくて、だいもつのはま、すみよしのはまなむどにうちあげられて、船をいだすにおよばざりければ、つのくにげんじ、てしまのくわんじやをはじめとして、おほた、いしかはのわかものども、うんかにておひかけて、たうごくこみぞと云所にてたたかひければ、ともなひたるこれよしゆきいへをはじめとして、うすきへつぎこころがはりしてひきわかれにければ、よりきのともがら皆ちりぢりに成にけり。京より具したりけるにようばうどももみなすておきたりければ、いさごの上、松のしたに袖をかたしき、袴ふみしだきてなきふしたりけるを、そのあたりのものどもあはれみて、都へぞ送りける。そのなかにいかがしたりけむ、いそのぜんじが娘に、しづかと云しらびやうしばかりぞ、はうぐわんにつきてみえざりける。義経はわづかに三十
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余騎のせいにてよしののやまにこもりにけり。かのやまおほゆきの中なれば、おぼろけには人かよふべくもなし。京よりあひぐしたりし女房共も、皆だいもつの浜にてすておきつ。いそのぜんじが娘にしづかといひしばかりぞぐしたりける。かの大雪の中へ行べきやうなかりければ、判官しづかに宣けるは、「いづくへもぐし奉りたけれども、かかる雪の中なれば、女房の身にてはかなふまじ。わがみもとほるべしともおぼへねば、自害をせむずるなり。これよりとくとく都へ行べし」とのたまひければ、しづかなくなく申けるは、「いかになりたまはむ所までも、わがいのちのあらむかぎりはぐし給へ。すてられ奉てたへしのぶべしともおぼへず」とて泣ければ、「たれもさこそは思へども、かかる大雪なり。ちからおよばず。命あらばたづねたまへ。我もたづねむ」とて、きんぎんのたぐひとらせて、らうどうにぐせさせておくりにけり。郎等このたからをとらむとて、うちすてて
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うせにければ、よしののざわうだうへたどり参たりけるを、よしのぼふしあはれみて京へ送けり。さて判官をば吉野法師押寄て打むとしけるを、さとうしらうびやうゑただのぶとまうすもの戦ひて、判官をば、
十三 十二月六日、みのあふみりやうごくのげんじら、よしつねゆきいへをついばつの為にさいこくへくだる。せんやうなんかいさいかいさんだうのくにぐにのともがら、彼のりやうにんをめしとりてたてまつるべきよし、ゐんぜんをくださる。そのじやうにいはく。さきのびぜんのかみみなもとのゆきいへ、さきのいよのかみおなじくよしつねら、やしんをさしはさみ、つひにさいかいにおもむきて、つのくににおいてともづなをとくあひだ、たちまちにげきふうのなんにあふ。まことにこれいつてんのこはきなり。へうもつのきこえ、そのせつありといへども、値令之実、なほうたがひなきにあらず。はやくじゆにゐみなもとのあつそんにおほせて、ふじつにざいしよをたづねさぐり、そのみを
さげからめしめよてへり。
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文治元年十二月六日 うちゆうべん十月十六日には義経がまうしうけによつて、頼朝をついばつすべきよしのゐんぜんをくださる。今月むゆかは頼朝がまうすによつて、義経をついばつすべきよしのゐんぜんをくだされけんせけんのふぢやうこそあはれなれ。あしたになしてゆふべにかはるとはかくのごときの事をいふべきにや。
十四 おなじきなぬかのひ、くわんとうのげんにゐのだいくわん、、ほうでうのしらうときまさしやうらくして、しよこくにしゆごをおき、しやうゑんにぢとうをなすべきよしまうす。そのうへしやうりやうこくりやうをいはず、たんべつにひやうらうまいをあておこなふ。「ていわうのをんできをうちつる者ははんごくをたまはる」と云事は、むりやうぎきやうに見へたり。このきやうのじふくどくほんに、「ひによけんにん、ゐわうぢよをん、をんきめつい、わうだいくわんぎ、しやうしはんごく」といふもんあり。このもんのごとくならば、まうすところそのいはれなきにあらざれども、わがくににはいまだそのれいなし。是はくわぶんのまうしじやうなり。
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ごきよようありがたしとはおぼしめせども、源二位のまうさるるところ、さりがたくおぼしめされければ、おんゆるされありけるにや、諸国にしゆごぢとうしきををかれけり。
十五 よしだのだいなごんつねふさのきやうと申す人おはしき。そのころはかでのこうぢのとうぢゆうなごんとぞ申ける。うるはしき人と聞給て、げんにゐそうもんせられけるは、じこんいごはとうぢゆうなごんをもつて、てんがのだいせうじをまうしいるべきよしまうされたりけるとかや。平家の時もだいじをばこの人にまうしあはせられき。法皇をとばどのにおしこめまゐらせてのち、ゐんのべつたうをおかるるときは、はつでうのちゆうなごんながかたのきやうとこのつねふさのきやうと二人をぞべつたうにはなされたりける。今げんじのよになりても、かくたのまれたまひにけるこそありがたけれ。さんたいいげ、さんぎ、ぜんぐわん、たうしよく四十三人の中にえらばれたまひけるこそゆゆしけれ。平家にむすぼおれたりし人々も、源氏のつよりしのちは、あるいはおんふみをつかはし、あるいはおん
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つかひを下して、さまざまにこそむつびたまひしかども、このきやうはさやうにへつらひ給へる事おわせられざりけるとぞきこへし。是のみならず、ごしらかはのゐん、けんきう二年の冬のころより、ごふよのおんことありときこへし程に、おなじき三年正月の末、二月になりしかば、今はたのみすくなき御事におぼしめして、さまざまのことどもおほせおかれし中に、おんのちのぶぎやうすべきよしは、かのだいなごんうけたまはられき。しつしにてくわさんのゐんのだいふおわしき。きんしんにてさだいべんのさいしやうさだながさうらわる。「この人々のまうしさたせられむに、なじかはおろかなるべき。おぼしめしいりておほせおかるることのかたじけなさ」とて、涙を流し給けるとぞきこへし。時に取てはゆゆしきめんぼくにてぞおわしける。十二歳と申ける時、ちちごんのうちゆうべんみつふさのあつそんにおくれ給て、みなしごにてあはれむ人もなくておわしけれども、わかきよりけんしやのきこへおわしければ、しだいのしようじんとどこほらず、さんしのけんえうをけんたいし、
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せきらうのくわんじゆをへて、さんぎ、さだいべん、ちゆうなごん、ださいのそつ、つひにじやうにゐのだいなごんにいたりたまへり。人をこゆれども人にはこえられ給わず。まぢかきよまで君も重くおぼしめし、人も恐れはばかりたてまつりき。人の善悪はきりを袋にいれたるが如しといへり。まことにかくれなきものをや。
十六 「さても平家の一族と云者をば一人ももらさずみなうしなふべし。平家は一門広かりしかば、さだめてしさい多かるらむ。よくよくたづねあなぐりて、はらのうちをももとむべし。ぶさたにて末の世のわがこどものかたきとなすな」と、源二位ほうでうにかへすがへすおほせふくめられてければ、けにんらうじゆうらにおほせて、手をわけて是をたづねける上、「平家のきんだちたづねいだしたらむ人には、こくしやうにても、もしはそしようにてもしよまうにても、けんじやうにをきてはこふによるべし」と、ふだに書てつじつじにたてたりければ、きやうぢゆうのものども、もとより案内はしりたりけり、
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けんじやうかうぶらむとて、我も我もとたづねもとめけるぞうたてき。かかりければ多くたづねいだして七十人に及べり。平家の子孫ならぬ者をもあまためしとりけるとかや。すこしもをとなしきをば首をきり、さしころす。むげにをさなきをばおしころし、水に沈め、穴を堀てうづみなむどぞしける。めのとのなげき、母のかなしみいかばかりなりけむ。おしはかられてむざんなり。北条もしそん多く持たりけれども、世にしたがへばちからおよばず。
十七 そのなかにごんのすけさんゐのちゆうじやうこれもりのきやうのしそくに、ろくだいごぜんと云わかぎみあむなり。平家のちやくちやくにておわする上、年もをとなしかむなる者を、いかでか是をたづねいださむと、北条おもひゐたりける程に、人のしよじゆうのうたてさは、しゆうの世にあるほどはしたがへども、しゆうまよひものになりぬればかへりてかたきになるらんふぜいして、これもりの北方のしのびておわしける所につかへける女、しのびて北条がしゆくしよろくはらにゆきむかひて申けるは、「へん
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ぜうじの奥、をぐらやまの麓、しやうぶさはの北、だいかくじと云やまでらのそうばうにこそ、ごんのすけさんゐのちゆうじやうどののわかぎみひめぎみは、この二三年しのびてすみたまへ」と云ければ、北条ひごろききたかりつるに、うれしとおもひて、この女をばとらへていましめおきて、心得たるらうどうを一人女のていになして、かのところをうかがひみせければ、だいかくじの北のはてにおくぶかなるそうばうあり。にようばうどもをさなき人々あまた、ゆゆしくしのびたるていにてすみたるけしきなり。まがきのひまより見ければ、えのこのそとへはしりいでたるを取らむとて、十一、二ばかりなるわかぎみのなのめならずうつくしきが、ねりぬきのこそできてはしりいでたりければ、内よりをとなしき女房いでて、「あなあさまし。かかる草深きおんすまひもたれゆへとかおぼしめす。今四五日またせ給へと申せば、聞かせ給はで、人もこそ見れ。入らせ給へ」とて、いそぎよびいれにけり。「まことに
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是ぞそなるらむ」と思て、いそぎ帰て、「かく」と云ければ、つぎのひ北条三百余騎にてかの所へゆきむかひて、しはうを打かこみて、つまどのまへこしをさしよせて、人をいれて、「これにごんのすけさんゐのちゆうじやうどののわかぎみわたらせたまふよしをうけたまはりて、かまくらどののおんだいくわんほうでうのしらうときまさと申者、おんむかへにまゐりたり。いそぎ渡したてまつらせ給へ」といわせければ、ははうへをはじめたてまつりてつやつやうつつともおぼえたまはず。かちゆうのじやうげ声をあげてをめき叫ぶ。さるほどにさいとうごきやうだい二人色をうしなひて申けるは、「われらすでにななへやへにおしまきて、まぎれいでさせ給べきひまさうらわず」とて涙を流すめり。女房どもはあまりのあさましさに物をだにも云はず、目をみあはせてなきあひたり。母上は若君をいだきたてまつり給て、「ただわれをさきにうしなへかし」ともだへこがれ給ふ。おんめのとの女房も前にたふれふして、共にをめき叫ぶ。ひごろは
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物をだにも高くいわで、しのびてゐたまひたりけれども、ありとありける者は声をととのへてなきかなしむもことわりなり。北条又申けるは、「らうどうどもをもまゐらすべくさうらひつれども、ゐなかのものどもはぶこつのこともぞさうらふとて、ときまさが参て候也。ゆめゆめべちのおんことさうらふまじ。世もいまだしづかならずさうらへば、しどけなきおんこともや候わむずらむとぞんじさうらひて、渡しまゐらせさうらふばかりなり。おんこしよせて候。とくとく奉り候へ」と申ければ、さいとうご、「是はひごろおもひまうけつるおんことなり。おどろきおぼしめさるべきにあらず。今までさなかりつるこそ不思議にてさうらへ。とくとく渡しまゐらせさせ給へ。かなわぬものゆゑ、あわてさわぎたまふもみぐるしくさうらふ」と申けれども、ははうへかかへ奉てはなちおはしまさねば、わかぎみのたまひけるは、「父のおんゆゑに命を失わむ事、なげかせたまひそ」と、母上をなぐさめ給へば、是を聞給て、母上もめのともいとど声も
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をしまずなかれけり。たけきつはものどもも子孫は多く持たれば、あはれと思わぬはなかりけり。北条もいはきならねば、こころぐるしくや思けむ、涙を流してしをたれたり。なさけなくおしいりてとるにもおよばず、つくづくとまちゐける程に、日も既にくれかかりければ、「さてものがるべき道にも非ず。武士どものいつとなくまちゐたるもこころなし」とて、若君のおんぐし高くゆい、おんかほかひつくろひ、ひたたれたてまつらせなむどしていだし奉りければ、さらにうつつともおぼえず、夢かとぞ人々思われける。母上は引かづきてふしぬ。きえいりたまふにやと見へしに、若君既にいでたまへば、只今は限りぞかしとおぼしめさるる御心の内、いかにすべしともおぼえたまわず。せめての事に、てばこより黒きねんじゆのちひさきをとりいだして、「いかにもならむまでは是にてねんぶつまうして、ごくらくへまゐれよ」とて、若君にたてまつり
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給へば、母には、「ただいまはなれまひらせなむず。いづくにも父のおわしまさむ所へぞ参りたき」と宣けるにぞ、いとどあはれにおぼしける。ことしは十二にこそなり給へども、十四五ばかりにみへて、なのめならずうつくしくて、こさんゐのちゆうじやうにすこしもたがひたまはねば、「あなかなしや。あれをうしなひてむずる事のかなしさよ」とおぼすに、目もくれ心もきえて、夢のここちぞせられける。既にこしに乗り給ければ、妹のやしやごぜんなごりををしみ給ひて、「あにごぜんはいづちへぞや。ははごぜんともつれ給わでただひとりはいかに。我も行む。母ものりたまへ」とて、はしりいでたまひけるを、女房なくなくとりとどめてけり。若君既にいで給へば、母上、めのと、天に仰ぎ地にふして、もだへこがるる事なのめならず。さいとうきやうだいは涙にくれてゆくさきもみへねども、なくなくこしのさうにつきてぞ走りける。らうどうども乗たりける馬を
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おろして、「是に乗れ」と北条申けれども、「しゆうの世におわしましていわればこそうれしからめ」と思て、たびたび云けれども、つひにのらざりけり。若君は妹の姫君のしたひて泣給つる事、母上北方なむどのもだへこがれつるこころぐるしさなむどおぼしつづけて、御袖もしぼるばかり也。これほどのをさなきひとひとりとりに来たるつはもののおほきもけしからず。ひごろ平家のしそんどもたづねあつめては、あるいは首を切りさしころし、あるいは水に沈めつちにうづむなむど、母上ききおきたまひければ、「あはれ、わがこをばいかにしてかはうしなわむずらむ。是はをとなしければくびをぞきらむずらむ。いたしとや思わむずらむ。おそろしとやおもはむずらむ。いかなりけるちぎり、いかなりけるつみのむくひにて、かかるうきめをみるらむ。くわんおんこそさりともたすけたまわむずらむと、深くたのみたてまつり
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つるに、つひに取られたる事の悲しさよ。世にはめのとなむどのもとに預けてをき、時々見る人のこどももあるぞかし。それだにも恩愛の道は悲しきに、是はうみをとしてのちは今に至るまで、いちにちへんし身をはなちたる事もなし。あさゆふ二人の中にををしたてて、あけてもくれてもみるにあきだらず。もつまじき物を持たるやうにおぼえて、いとほしかなしとおもふはおろかなり。このみとせは、今や今やと、よるひるきもこころをけして、あかしくらしつれども、只今にはかにいできたる不思議なむどのやうにさへおぼゆるぞや、こよひにもやうしなひてむずらむ」と、しんぢゆうにはなのめならず思ながら、のがれがたき事と思て、「我をなぐさめむとて、いたくなげかぬさまにもてなして、いづるおもかげ、しやうじやうせせにもわするべしともおぼえず。つひには世にあるまじき者なれども、せめては
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今一度いかがしてみるべき」と、こゑもをしまず泣もだへたまふも、げにことわりとおぼへて、よそのたもともしほれけり。日のくるるままには、いとどかきくらすここちして、しのびがたくおぼさる。日くるれば若君姫君さうにふせておもひなぐさみつるに、〔一〕人(ひとり)はあれども一人(ひとり)はなし。ふすまもとこもすずろに広くおぼされて、長きよなよなつゆまどろみ給わねば、夢にだにも見給はず。されどもかぎりあるよもやうやくあけにけり。さてもいかがなりぬらむと、しづこころなくおぼつかなくおぼしける程に、さいとうろく、六波羅よりかへりまゐれり。ここちをまどわし、いそぎ「いかに」ととひたまへり。「只今まではべちのおんこと候わず。おんふみさうらふ」とて、ふところよりとりいだしたり。見給へば、「よのほどもいかにこころぐるしくおぼしめすらむ。今まではなにごとも候わぬぞ。いつしかたれたれも恋しく
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こそ候へ」と、おとなしく書給へり。母上このふみをおんかほにおしあてて、引かづきてふしたまひぬ。まことにいかばかりかはおぼしめすらむ。さいとうろく申けるは、「『いかにあれにおぼつかなくおぼしめすらむ。それのみぞこころぐるしき』とおほせられさうらひて、よべも物もまひらず。よもすがらおほとのごもりも入らず。けさも物まひりたりつれども、御手をもかけさせ給わず。おんことばには、『わびであると申せ』とおほせさうらひつる」と申ければ、「さやうによもすがらねも入らず、よべもけさも物もくわぬ程に思たるに、心安く思わせむとて、かくいひをこしたる事のをとなしさよ。あはれ、たかきもいやしきもをのこごばかり心づよき者こそなかりけれ」とて、せめての事には文をふところにひきいれて又たふれふしたまひぬ。「程ふれば時の程もおぼつかなくおもひまゐらせさうらふに、いそぎ
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かへりまゐりてむ」と申ければ、母上おき上り給て、きのふより流るる
涙におんめもくれて、筆のたてどもそこはかとなけれども、只思ふ心ばかりをこまごまと書給て、さいとうろくにたび給へば、やがてはしりかへりにけり。若君はへんじこまかに見給て、涙にぞむせびたまひける。おんめのとの女房はせめてのおもひの余りに、夜をまちあかして、ろくはらの方へたづねありきける程に、道によそぢばかりなる尼の、近くさまかへたりとおぼへて、いまだかねなむどもおとさざりけるが、ふかくものおもひたるけしきにて涙をながしてあひたりけるに、「ものおもふひとは世にも又有ける物を」と思て、「血の中よりおほしたてまつりたりつる若君を、きのふ武士にとられて、かなしきあまりにまどひありくなり。それには何事をなげきたまふぞ」と問ければ、「われもここのつになり給つるやうくんを、このしごにち北条とかや
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申、源氏のらうどうにとられて、足にまかせてまどひありくなり。身につみていとほしくこそ思ひ奉れ。誠や、このおくにたかをと云やまでらにこそ、もんがくばうとかや申てひじりのおわするが、『じやうらふのきんだちのかほよからむたづねてでしにせむ』とのたまふなれ。鎌倉にもゆゆしきだいじの人にし給なるぞ。もしやと、それへたづねおわして申てみむ」とて、かのあまを具してたかをの山にたづねいりて、ひじりのばうのへんにたたずみければ、ひじりみあひて、「あれはいかなる人々ぞ。によにんをいれざるところへ」と云ければ、二人のものども近くあゆみよりて、「血の中よりおほしたてて、ことしは十二になりたまひつる若君を、きのふ武士にとられてさぶらふぞや。いかにもしてこひうけさせ給て、おんでしにせさせ給へや」といひもあへず、ひじりの前にふしまろびて、手をすり声をあげてをめき叫ぶ有様、まことにあさからぬなげきとおぼえたり。ひじりさる
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人にてむざんにおぼえければ、事のしだいをくはしくたづねけり。女房をきなほりてなくなくまうしけるは、「平家のこまつのさんゐのちゆうじやうどのの北方の、したしくおわします人のおんこをとりて、をさなきよりやしなひ奉りつるを、さんゐのちゆうじやうどののまことのおんことや、しさいしらぬ人の申たりけむ、きのふぶしどもきたりて取て、ろくはらへとてまかりにき。いかがなりたまわむずらむ」といひもあへず、さめざめと泣く。ひじり、「をさなき人をとりけむ武士をばたれとかいひし」と問ければ、「ほうでうのしらうとこそまうしさぶらひつれ」といひければ、「さては北条ならば安き事ごさむなれ。やがてゆきむかひてたづねみむ」とて、ひらあしだはきながらいでにけり。このことをたのむべきにはあらねども、おもひやる方なかりつるに、ひじりのことばにいささかなぐさむここちして、それよりいそぎだいかくじへ帰り、母上に「かく」と申ければ、「あかつきよりみえざりつれば、身ばしなげに
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いでにけるやらむとさへおぼえて、わがみともたへてながらうべしとも思はねば、水の底にもいりなばやとおもひたちてあるが、なほも心のあるやらむ、この姫君の事をおもふに、今までやすらひつるぞ」とて、又声をたてて泣給ふ。「ひじりのまうしつるやうしかしかさぶらふ」なむどこまかにかたりければ、ははうへ手をすりて、「あはれ仏のおんたすけにてこひうけて、せめては今一度みせよかし」とて、つきせぬ御涙せきあへず。さある程に、もんがく北条がもとへはしりつきて、事の次第をたづねければ、北条申けるは、「にゐどののおほせられさうらひしは、『平家のしそんおほくきやうぢゆうにかくれてありときこゆ。なんしにおきてはよくよくたづねもとめてことごとくうしなふべし。中にもごんのすけさんゐのちゆうじやうのなんし、なかのみかどのだいなごんの娘の腹にありときこゆ。へいけちやくちやくのしやうとうなり。かならずもとめいだしてうしなふべし』とさうらひしを、すゑずゑのをさなき人々はあまたたづねいだしたりつれども、この
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若君はいかにもざいしよをしらざりつれば、たづねかねて、ちからおよばずまかりくだらむとしつる程に、思わぬほかをととひききいだして、むかへとりたてまつりたるが、なのめならずかほかたちもうつくしく、心ざまわりなくいとほしくて、いまだともかくもせでおきたてまつりたり」と申ければ、もんがく、「さてはそのきみはいづくにぞ。いで見奉らむ」と云。北条、「すはみたてまつりたまへ」とて、そばのしやうじをひきあけたりければ、若君はふたへおりもののひたたれきたまひて、黒きちひさきねんじゆをいそぎふところへひきいれたまひけるぞいとほしき。「世の末にいかなるかたきになるとも、いかが是をばうしなふべき」とぞ思ける。かぶしもとゆいぎわよりはじめて、そでのかかりはかまのすそまで、たをやかにうつくしくて、このよの人ともみえ給わず、こよひうちとけね給はざりけりとおぼしくて、少しおもやせて立給へるにつけても、いとこころぐるしく
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いたわしくぞみへ給ける。ひじりを打見て、なにとかおぼしけむ、顔打赤めて涙ぐみたまふもいとほし。おそろしげなるきひじりなれども、涙を流しけり。さいとうきやうだいもおんまへにゐて、若君の顔を打見て、さめざめとなきゐたり。北条もいはきをつらねぬ身なれば、共に涙を流しけり。ややしばらく有て、もんがく北条に申けるは、「この若君を見奉るが、さきの世にいかなるちぎりの有けるやらむ、あまりにいとほしくおぼゆれば、あかつき鎌倉へくだりてまうしうけばやと存ずる也。いまはつかいとまをゆるしてまちたまへ。ひじりがかまくらどのにちゆうをつくし、こうをいれたてまつりたりし事は、皆みききたまひし事なれば、いまさらにまうすにおよばざることなれども、こしもつけどののかうべをくびにかけてたてまつりしより、千五百里の道をとほしともおもはず。かてらうれうのしたくにも及ばず。あしがらはこねをまたにはさみて
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なぬかやうかにをりのぼり、ひじりがるにんの身として、つのくにきやうしま、ろうのごしよに参て、うひやうゑのかみみつよしのあつそんをもつてまうしいれて、ゐんのごきしよくをうかがひて、ゐんぜんをまうしたまはりて、あるときはふじがはおほゐがはにてうゑにのぞみて命をうしなはむとする事もあり。あるときはうつのやまたかしのやまにてさんぞくにあひてたましひをけす事もたびたびなり。ちぎりをふかくして命を浅くす。かやうにせし時は、『われよにあらば、いかなる事なりとも、いちごの程はひじりがいふことをばたがふまじ』とこそのたまひしか。鎌倉殿じゆりやうしんたくしたまはず、昔のちぎりを忘れ給わずは、などかこのちご一人をばあづけたまはざるべき。はつかが程を待給へ。夜を昼になして、やがてくだりてまうしうくべし」とて、ひじりいでにければ、ふたりのさぶらひども是をさらにうつつともおぼへず。「あまりに思事なれば、仏のきたりてのたまふやらむ」とさへおもひて、三度ふしをがみて、
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よろこびの涙をぞ流しける。このたびはさいとうごいそぎだいかくじへ行て、ひじりの申つるやうをありのままに申ければ、母上をはじめたてまつりて、よろこぶことなのめならず。ひじりとをりさまに若君のめのとの女房にたづねあひて申けるは、「ぜんぜに聖が命をいけられ奉りたりけるやらむ、若君をみたてまつるがあまりにいとほしくおぼゆれば、あかつき鎌倉へくだりてまうしうけたてまつらむずるぞ。もしおんゆるされあらば、ひじりがばうに置奉り給へ」と申ければ、めのと手をあはせ、よろこぶ事かぎりなし。「命をいけたてまつりたまひなむ上は事もをろかや。只ともかくもひじりのおんぱからひにこそ」とて、うれしきにつけても又涙にぞむせびける。鎌倉のゆるされはしらねども、ひじりのことばもたのもしき上、まづはつかが命はのびぬるにこそと、ははうへもめのとも心ざしおちゐにけり。これただことにあらず、ひとへにはせでらのくわんおんのおんたすけに
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てあれば、しじゆうもたのもしくおぼえて、けふより日をかぞへて、ひじりのかへりのぼるをぞ待たれける。夜のあけ、日のくるるも心もとなく思けり。あけぬくれぬとするほどに、はつかもすぎぬ。ひかずのつもるにつけては、いかにしてける事ぞやと、いまさらにもだへこがる。北条おもひけるは、「聖ははつかとこそいひしに、いかにしてけふまでみへぬやらむ。おんゆるされのなきにこそ。誠にだうりなり。このわかぎみすゑずゑの人にてもなし。へいけちやくちやくのしやういんにて、年も既にじふよさいの人なれば、いかでかゆるさるべき。いかさまにも京にて年をくらすべきにあらず。くだりなむ」とて、既にひしめきければ、二人の者共あさましくこころうくおぼえて、手をささげ心をくだけども、ひじりものぼらず、つかひをだにものぼせねば、おもひやるかたもなく、若君をうちみたてまつりては
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只泣よりほかの事もなし。若君もさすが心細げにおぼしたり。既にあかつきになりにければ、二人ながらだいかくじへ行て、「ひじりも今までおともせず。さればとて京都にて年をくらすべきにあらねばとて、北条既にあかつきたつべきにて候。鎌倉へもくだりつかず、道にてうしなひたてまつらむずるこそ。北条よりはじめていへのこらうどうどもも、若君を見奉て、そぞろに涙を流しさうらふめり。つひにいかにみなしまひらせてむずらむ」とて、二人のものども袖をかほにおしあてておめきさけぶ。是を聞給に、母上もめのとも、いかにすべしともおぼえたまわず。母上、「二人の者共、さておのれらはいかがおもふ」と問給へば、「いかにならむ所までもつきまひらせて、切られさせ給たらば、おんむくろをもとりをさめたてまつりてのちは、やがてかしらをおろし、さんりんにもまじはりて、ごしやうをとぶらひま
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ひらせ候べし」と申ければ、母上手をあはせてよろこびたまふなかにも、「われらこそ若君にはとぶらわれむずる身とおもひしに、つゆのいのちきへやらで、あのためとて仏にまうさむ事こそさかさまなれ」とて、涙にむせびたまふ。げにとおぼえてあはれなり。ひじりのたのもしげに申てくだりにしのちは、少したのもしかりつるに、既にあかつきに成ぬれば、もしやとおぼしつるたのみもよはりはてて、かしらをさしつどへてなくよりほかの事もなし。日もくれ夜もふけぬれば、いとどきえいるここちし給て、しばしまどろみ給たりけるが、程なく驚て、母上、乳母の女房になくなく語り給けるは、「只今ちとねいりたりつる夢に、このちご白き馬に乗てきたりつるが、『あまりにこひしくおぼえつれば、時の程いとまをもこひて、参りたるぞ』とて、かたはらにゐてさめざめとなくとみえつるぞや。ほどなくさめぬる事よ」と、のたまひもあへず泣給ふ。乳母の
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女房も是を聞て、共に涙を流す。是をきき、よそのたもとまでもぬれぬはなかりけり。
十八 十二月十六日、北条若君をぐしたてまつり、まだ夜のうちにろくはらをたちにけり。斎藤五、斎藤六、若君の最後の所までと思つつ、なくなくともにぞくだりける。すみなれし都をばくもゐのよそになしはてて、かたときもたちはなれじとおぼしける、母上めのとをもふりすてて、さりがたき人々にも別れて、見なれぬつはものに具せられて、今はかぎりのあづまぢへおもむき給心の内、さこそはおぼしけめとおしはからる。道すがら駒を早むる人あれば、「わがくびをうたむずるやらむ」と心を尽し、かたはらにささやく者あれば、「只今か」と肝をけす。「あふさかかしのみやがはらか」と思へども、おほつのはまにも成にけり。「あはづかのぢか」とうたがへども、今日の日もはやくれにけり。
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「きのふいちぢやう」とおもひしに、そのひもむなしくくれすぎて、かがみのしゆくにつきぬれば、「あすはすぎじ」と思へども、そのひも又くれにけり。いかにいぶきのみねにおふる、さしもおもひのしげるらむ、あふさかのはかなき旅と思へども、みののくにふはのせきやもうちすぎて、をはりのくににも成ぬれば、いかになるみのしほひがた、涙も浪ももろともに、袖にかかりてぞ通られける。みかはのやつはし打渡り、とほたふみのくにはまなのはしをもすぎぬれば、するがのくにせんぼんのまつばらと云所にもなりにけり。北条ここにおりゐて、きりてにはかののくどうざうちかとしと云者をさだめて、しきがはしきて、若君をすゑたてまつりて、北条二人のものどもをよびはなちて申けるは、「今は鎌倉も既にちかくなりたり。おのおの是よりかへりのぼり給へ。是より奥はなにかおぼつかなく思はるべき」といへば、二人の者共思けるは、「若君をばここにてうしなひたてまつらむずるよ」と、
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胸せき、物もおぼえず。「このさんがねんのあひだ、よるひるつきたてまつりて、いちにちへんしはなれ奉らず。いかにもなりはて給わむを見はて奉らむとてこそ、是までも参りたれ」と申て、涙もせきあへず泣く。北条もいはきならねば、涙ををしのごいて若君に申けるは、「是までもくだりてさうらひつれども、けふまではひじりもみへ候わず、つかひをだにものぼせ候はねば、ちからおよびさうらわず。鎌倉と申は、今ひとひぢふつかぢにすぎずさうらふ。あしがらやまをもこゆべくさうらへども、ひじりはこねごえにてもやと、なほおぼつかなくてこそ、ここにはとうりうして候へ。さのみひかずをへてぐしたてまつり、山をこえ候わむ事、鎌倉殿の聞給わむ事そのおそれさうらへば、あふみのうちにてうしなひまひらせて候よしを申候べし。ひごろあさからずおもひたてまつりさうらふこころざしの程は見へまひらせさうらひぬ。今はぜんぜの御事とおぼしめされさうらひて、
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世をも人をも神をも仏をもうらみたてまつるおんこころなくして、しづかにおんねんぶつさうらふべし。いちごふしよかんのしゆじやうにてましましければ、いかでかのがれさせたまふべき」と申ければ、若君このおんぺんじとおぼしくて、にど打うなづき給ける心の内こそかなしけれ。さて若君西にむかひて、今をかぎりの念仏のおんこゑもみだれてぞきこへける。北条又申けるは、「『平家のきんだちたづねとりたらば、しばらくもおくべからず。いそぎうしなひたてまつれ』と、たびたびおほせをうけたまはりてさうらひしかども、この若君の御事は、ひじりさりがたくまうされさうらひしかば、今まではあひまてども、約束のひかずもすぎてひさしくなりぬ。さればおんゆるされのなきにこそ。ひごろなじみ奉りて、いかにしたてまつりさうらふべしともおぼえず」とて、北条涙を流しけり。いへのこらうどうも皆袖をぞぬらしける。若君、二人の
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者にのたまひけるは、「母のおんもとへおんふみまひらせたけれども、筆のたてどもおぼへねば、ことばにて、『道の程べちのことなく鎌倉におくりおきつ』と申べし」とて、涙をながしたまへば、二人の者共申けるは、「君におくれまひらせて、あんをんに都までのぼりつくべしともおぼへ候わず。道にてこそいかにもなりさうらわむずらめ」とて、前にふしまろびて、おめきさけびければ、若君又のたまひけるは、「かまへてまゐりつけ。みやづかへよくよくすべし。我なければとて、母の御事、すこしもひごろにかはりて、おろかにおもひたてまつるな」なむど、おとなしくのたまひけるぞいとほしき。日もくれにければ、「さりとてはとくとく」とすすめけれども、ちかとしいげのいへのこらうどうも涙のみながして、ことばもはりて、「力及ばず」とのみ申ければ、「さては、さはいかなるべきぞ」と、北条おもひわづらひけり。
十九 さいとうごはあまりの事にて、きも心も身にそわず思けれども、若君を
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まぼらへたり。さいとうろくは、もしひじりやのぼるとて、はるかにみわたしてゐたりける程に、すみぞめのころもばかまきたる僧のあしげなる馬に乗て、ふぶくろくびにかけたるが、むちをあげてはせのぼるを、いかなる者なるらむとみるほどに、たかをのひじりの弟子なりけり。いそぎはせよりて、馬よりとびおりて、「若君ゆりさせ給たり。あしこにあひたりつるものども、物語にするをきけば、『せんぼんのまつばらにこそ、武士の二三百騎がほどおりゐて、よにうつくしかりつる若君を引すへて、くびきらむずるけしきにてありつるや。いかなる人のおんこなるらむ。いとほしや。今はきりもやしつらむ』と云つる時に、『あはれ、このおんことごさむなれ』とおもひて、『武士をばたれとか聞つる』と問へば、『ほうでうどのとかや申つる』とこたへつる時に、もしあやまちもやせさせ
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たまふとて、『いまひとあしもまづはせよ』と、ひじりのおほせられつる時に、さきにはせて候」と云ける程に、ひじりもはせつきにけり。「いでいで二位殿のおんふみ」とて、ふぶくろよりとりいだしたり。北条いそぎ取てみれば、おんじひつなり。「こまつのさんゐのちゆうじやうこれもりの子息、十二歳になるをたづねいだされたむなる、いまだをかれたらば、たかをのひじりにあづけおかるべし。さりがたくまうしうけらるるによつて、ひじりにゆるしまうすところなり」とぞかかれたりける。たかくはよまねども、「しんべうしんべう」とてうちおきければ、「げにゆりたまひにけり。あまりにいとほしくみたてまつりつるに」とて、いへのこらうどうめんめんによろこびあへり。是をみきくふたりのものどもが心のうちいかばかりなりけむ。ひじりかうしやうに申けるは、「このわかぎみはへいけちやくちやくのしやうとうなる上、父のさんゐのちゆうじやうはしよどのうつてのたいしやうなり。さればかたがたなだめられがたきよしさいさんのたまひつれども、『ひじりが
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心をやぶりては、二位殿いかでかみやうがもおわすべき。もしこのことききたまわずは、やがてだいまえんと成てうらみまうさむずる』なむど、からかひ奉りつる程に、けふまで有つれば、こころもとなくこそ思給つらめ」なむど、たからかにうちわらひけるけしき、ばうじやくぶじんにこそみへけれ。北条申けるは、「『はつかが程まつべし』とこそのたまひしに、そのひかずもすぎしかば、おんゆるされのなきよとこころえてくだりつるに、かしこくあやまちつかまつるらむに」とて、鞍置たる馬にひきひきいだして、二人の者共にとらす。ひごろのなさけ、ありがたかりつる事共なむど思つづけて涙ぐみければ、若君も物こそ宣わねども、なごりををしげにおぼしめして泣給へば、北条も涙をぞ流しける。「ひとひも送りまゐらすべけれども、いそぎまうすべきだいじどもあ
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り」とて、北条は下りにけり。若君は是よりひじりにあひぐしてかへりのぼらる。いまかたときだにもをそかりせばうしなひたてまつるべきにて有つるに、よみがへりたまひにけるこそありがたけれ。二人の者共もうつつともおぼえず。ひじりは若君を前にたてて、よるひるいそぎのぼる。日数も積れば、ぶんぢ元年の年のくれにて有ければ、をはりのくにあつたのやしろにてぞ年はこへにける。あくる正月五日はもんがくがさとばう、にでうゐのくまのしゆくしよへぞのぼりつきにける。
二十 もんがく京へのぼりつきたれば、若君やがてだいかくじへおわすべきにて有けれども、旅のつかれをもやすめむとて、夜に入て大覚寺へおわしける。若君み給へば、たてをさめて人もなし。ちかきほどの人にとはばやと思へども、人もしづまりてさよもふけて、とがむる犬のこゑすむほどになりにけり。むかし手なれしかひしえのこ、
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まがきのひまよりはしりいで、尾を振てなつかしげにてむかひたりければ、「我を見わすれぬ物はおのればかりこそ残たりけれ。ははごぜん、めのとの女房、妹の姫君いづくにぞ。わがくだりし時、おもひにたへずして、身なむどをなげたまひにけるやらむ。又平家のゆかりとて、武士の取てんげるか」なむど心うくて、問はましき程に思われけれども、なじかはこたふべきなれば、思ながらさてやみぬ。いづくへおわすべきならねば、こよはここにとどまりて、あるじなきやどにひとりゐて、つくづくとありし道すがらの事共おもひつづけ給ふ。「かいなき命のをしかつつるも、帰りのぼりたるうれしさも、この人々を今一度みたてまつり、見へたてまつらむが為にこそ有つるに、こはいづくへぞや。只有し松原にていかにもならで、ふたたび物を思こそかなしけれ」とおぼすぞいとほしき。よもやうやくあけにければ、なほそのあたりを
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こまかにたづねければ、あるひと、「いさとよ、すぎにし比、奈良の大仏へまうでたまひて、やがてはせでらへまうでたまひにけるなむどぞ、ほのうけたまはりし」と、つまびらかならず云ければ、さもあるらむとて、斎藤五いそぎはせでらへまうでぬ。若君はひじりにぐして、なくなくたかをへおわしにけり。
廿一 さいとうごはせでらにまうでつきて、じちゆうをたづねけれどもたづねあはざりければ、あさましと思て、みだうにつやしてよもすがら人の声々をきくに、らいだうにびやうぶたてたる内に、女房の声にてくわんおんぎやうを読て、「わかれにし人にこのよにて今一度あはせ給へ」と、なくなくまうすをきけば、めのとの女房のこゑ也。斎藤五うれしと思て、屏風のきはへたちよりて、「若君はかへりのぼらせたまひて候ぞ」と、忍びやかに申たりければ、母上、御乳母、「いかにやいかにや」とのたまひやりたる方もなし。うれしきにつけ
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ても、二人の人々又涙をぞ流されける。若君都をいでたまひにける日よりこの寺にこもりたまひて、よるひるみだうにふししづみて、血の涙をながしていのりまうしたまひけるしるしにや、たいじだいひのおんちかひ、罪あるも罪なきもたすけたまふことなれば、昔も今もかかるためし多かりけり。ほつけのふもんぼんにいはく、「せつぶうにん、にやくうざい、にやくむざい、ちうかいかさ、けんげごしん、しようくわんぜおん、ぼさつみやうじや、かいしつだんゑ、そくとくげだつ」と云へり。まつだいと云ながら、不思議のりしやうとおぼへたり。くわんおんにいとままうしてなくなくいそぎいでたまひたれば、若君やがておはしたり。みたてまつりたまふにつけてもなほうつつともおぼえたまわず。ひごろつきごろおぼししことども、こまごまと語り給にも、つきせぬ物はただおんなみだばかりなり。しばらくかくてそひたてまつりたくおぼしけれども、「世の
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きこへしもつつまし。又ひじりの思わむ事もあれば」とて、いそぎ立帰り、たかをへのぼりたまひにけり。ひじりなのめならずかしづき奉て、二人のさぶらひをもあはれみ、母上の大覚じのすまひのはるかなるをもとぶらひ奉りけるこそやさしけれ。十二月十七日、げんにゐのまうしじやうにまかせて、おほくらのきやうやすつね、うまのごんのかみつねなか、ゑちごのかみたかつね、じじゆうよしなり、せうないきのぶやす、げくわんせられけり。しやうけいはさだいじんつねむね、しきじはとうのべんみつまさのあつそんなりけり。おほくらのきやうふしさんにんげくわんせられける事は、よしつねかのきやうをもつてまいじそうもんしけるゆゑとぞきこへし。よしもりは義経がどうぼてい、のぶやすは義経がしゆひつなり。又さまのごんのかみなりただ、ひやうごのかみのりつな、たいふのじようともやす、おなじきじようのぶもり、さゑもんのじようときさだ、おなじきじようのぶさだら、そのけいをくはへむがために、くわんとうよりめしくだすとぞきこへし。おなじきつごもり、
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げくわんならびにるにんのせんじをくだされけり。さんぎちかむね、うだいべんみつまさ、ぎやうぶきやうよりつね、さまのごんのかみなりただ、たいふたかもと、ひやうごのかみのりつな、さゑもんのじようともやす、おなじくじようのぶもり、おなじくじようのぶさだ、おなじくときもり、げくわんせられけり。みつまさのあつそんとたかもととはくわんぷをくだされけるゆゑとぞきこへし。やすつねのきやうはいづ、よりつねのあつそんはあはへはいるのよし、せんげせられけり。きみをおどししんをひそむること、へいしやうにことならず。ときまさすでにてんがのけんをとりて、ひろくしゆうじんのこころをすぶれば、しよくぎやう、おほきにしじゆをざいうにつらね、すいたふをもんかにならべけり。さんぬる廿七日、ぎそうにあづかるべき人々のけうみやうを、げんにゐ、くわんとうよりちゆうしんす。うだいじんかねざね、ないだいじんさねさだ、さんでうのだいなごんさねふさ、なかのみかどのだいなごんむねいへ、ほりかはのだいなごんただちか、ごんぢゆうなごんさねいへ、げんぢゆうなごんみちちか、とうぢゆうなごん
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つねふさ、とうざいしやうまさなが、さだいべんのさいしやうかねみつなり。こんどげんにゐのちゆうしんじやうに入れる人は、そのゐを振ひ、いらざる人は、そのいきほひを失ふ。世のおもんじ人のきすること、へいしやうにまんばいせり。これ人のなすにあらず、天のあたふるところなり。うだいじんにないらんのせんじをくださるべきよし、おなじくまうされたりければ、法皇より、「せいむもとよりそのうつはものにたらざれば、にんげんにゆづるべくもなし。じねんにこうじゆす。これふいのことなり。あたふるに今頼朝卿有り」〔と〕申ける。
廿二 さても鎌倉よりつかひ、かがみのしゆくにはせむかひて、北条に申けるは、「じふらうくらんどゆきいへ、しだのさぶらうせんじやうよしのり、かはちのくににかくれこもりたるよし、そのきこへあり。道よりはせかへりて、いそぎうちてたてまつるべし」とありけれども、「わがみはだいじのめしうとぐして、これまでくだりたるに、かへりのぼるべきにあらず」
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とて、北条がをひにほうでうのへいろくときさだとて、都の守護に置たりけるが、かどおくりにしゆくまでうちおくりたりけるに、かのひとをうちて奉るべきよしまうしつけければ、平六京へはせかへりて、らうどうおほげんじむねやすと云者の有けるをめして、「いかがはすべき。かの人々のざいしよを知たらばこそからめもせめ」と云ければ、むねやすたづねうかがひける程に、「じふらうくらんどのざいしよ知たり」と云てらぼふしをたづねいだしたり。すなはちかのそうをめしてたづねけるに、「我はしらず。かのひとしりたり」と云ければ、「さらばかのそうの有らむ所へいんだうせよ」とて、くだんの僧を先にたてて、よせてからめんとするに、かのそうまうしけるは、「なにゆゑにからめらるべきぞ。十郎蔵人がざいしよしりたむ也。さらば、をしへよとこそいはめ、からめらるべきやうやある」と云ければ、「しるほどなれば、どういしたるらむとてからむるなり。いづくへゆくべきぞ」。「てんわうじなる処にこそあらめ。人を
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さしそへよ。くだりてをしへん」と云ければ、つはものどもをさしそへてくだしけり。しなののくにの住人かさはらのじふらうくにひさ、どうこくの住人くはばらの二郎、井上の九郎、ひたちのくにの住人いはしたのたらう、おなじく次郎、しもづまのろくらう、いがの国の住人はつとりのへいろくらをはじめとして、つがふ卅余騎にてくだしけり。十郎蔵人は、くぼつのがくとうかねはるといふれいじんがもとと、しんろくしんしちこれらりやうさんにんがもとにゆきかよひて有けるを、ふたてにわけておしよせたり。この事をやもれききたりけん、かしこをばおちにけり。かねはるが娘二人あり。二人ながらゆきいへがおもひものにてかよひけり。これらをとらへてとひけれど、「われもしらず」「われもしらず」とぞ云ける。「げにも世をおそれておつる程の者が、ざいしよを女にしらする事はあらじ」と、二人の女を召取て京へのぼる。又あるもの京へのぼる。北条の平六にあひて、「それがしがもとにこそこの四五日あやしばみたる人はしのびてたちやどりて候へ。いちぢやう十郎蔵人殿にてわたらせたまふとおぼえさうらふ」と
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申ければ、平六よろこびて、「いかなる人ぞ」と問ければ、「いづみのくにやぎのがうのぢゆうにん、やぎのがうしと申者也」と云ければ、「をりふし人はなし。いかがせんずる」と思て、又おほげんじむねやすをよびて、「いかにや、おのれがみやだてたりしさんぞうはあるか。めして参れ」とて、宗安をつかはす。是はさいたふのほふしにひたちばうしやうめいと云者也。しやうめいやがてきたりければ、平六いであひて、「じふらうくらんどのおはする所をけさ人のつげたるぞ。ごばうくだりてうちたまひて、鎌倉殿のげんざんにいれたまへ」とて、いへのこらうどうをさしそへててんわうじへくだして、人もなかりければ、やがておほげんじをはじめとして、ちゆうげんざつしきともなく廿余人つきたりければ、ぐしてくだる。てんわうじよりかへりのぼるせいはかはちぢをのぼる。しやうめいはえぐちのかたを下りければ、道にはゆきあはざりけり。行家は天王寺をにげいでて、くまののかたへ
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おちけるが、かちにては有けり、一人具したるさぶらひは足をやみてのびやらざりければ、かのやぎのがうしがもとにたちいりたりけるを、いへぬしの男つげたりけるなり。昌命鞭をあげてかのところへはせよりて、人を入れてみするに、かの家にもなかりければ、こめろうをうちやぶり、いたじきをはなちて天井をこぼちてさがしけれども、みえざりければ、昌命ちからおよばず、おほちへたちいでてみれば、ひやくしやうのめとおぼしきげすをんなのとほりけるをとらへて、「これにこのほどあやしばみたる旅人のあむなるは、いづくの家にあるぞ。申さずはしやくびをうちきりてすてむずるぞ」とて、たちのつかに手をかけければ、女おそろしさのあまりに、さがし給つる家のとなりにおほきなる家の有けるをさして、「あれにこそしゆうじゆうのもの、いかなる人やらん、しのびてさぶらふとはききさぶらへ」と云ければ、昌命やがて
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おしよせてうちいりて見れば、しじふばかりなるぞくの、かちんのひたたれこばかまきて、こうばいのだんじにてくちつつみたるからへいじとりまかなひ、てうしひさげとりをきて、さかなくだものなむど取ちらして、既におこなわむとする所に、しやうめいがうちいるをみるままに、かのをとこうしろのかたへ北をさして逃ければ、昌命「あますまじきぞ」とて、たちを抜ておひてかかる。十郎蔵人は内にゐたりけるが、是を見て、「あの僧、やれ、それはあらぬ者ぞ。行家をたづぬるか。行家はここにあるぞ。返れ返れ」といわれければ、昌命声につきてはせかへる。昌命はたちうちつけたるくろかはをどしのはらまきに、さうのこてさして、さんまいかぶときて、三尺五寸あるたちをぞはきたりける。行家はしろきひたたれこばかまに、うちえぼしにえぼしあげして、右の手に大刀を抜き、左手にこがねづくりの
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大刀のつばもなきを抜て、ひたひにあてて、ぬりごめの前にてまちかけたり。かのたちのつばはくまのごんげんへじゆぎやうにけんぜられたりけるとかや。昌命馬よりとびおりて、「あのたちなげられ候へや」と云ければ、行家おほきにあざわらう声、家の内ひびきわたる。わらはべのかめの中にかしらをさしいれてわらふに似たり。昌命すこしもはばからずよせあはせたり。昌明三尺五寸のたちにて、もろてうちに打ければ、行家は三尺一寸の大刀をもつて、右の手にてちやうとあはせて、左の手にてはこがねづくりの大刀をとりのべて、もののぐのあきまをささむとすれば、昌明さされじとをどりのく。昌命又つとよせておほだちにてきれば、行家ははたとあはせて、又左手にてささむとすれば、をどりのく。昌明しばしささへ
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けれども、しらまずうちあはすれば、行家こらへず、ぬりごめの内へしりへさまににげいりければ、昌命もつづきて入る所を、こだちにて左のももをぬいさまにぞつきたりける。昌命さされて、「きたなくもひかせたまふものかな。いでさせ給へ。しようぶつかまつらむ」と申せば、「さらばわ僧そこをいでよ」と云ければ、昌命「承りぬ」とて、大刀をひたひにあててうしろさまへつとをどりのけば、行家つづきていでてちやうと切れば、昌命又むずとあはせける程に、いかがしたりけむ、たちとたちときりくみたり。昌命大刀をすてて、「えたり、をう」と組たりければ、いづれもおとらぬしたたか人にて、上になり、下になり、つかみあへども、勝負なかりけるに、北条の平六がつけたりけるおほげんじむねやす、おほきなる石を取て、
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十郎蔵人のひたひをつよく打て、うちわりてければ、くらんどあけになりて、「おのれはげらふなれ。あらさつなのふるまひかな。ゆみやとるものはたち、刀にてこそ勝負はすれ。どこなる者のつぶてを以てかたきをうつやうやはある」と云ければ、しやうめい、「ふかくなるものどもかな。足をゆへかし」と云ければ、むねやすよりて昌命が足をこして、行家の足をゆいたりければ、くらんど少もはたらかず。さてひきおこしたりければ、くらんど息をしづめて、「そもそもわ僧はさんぞうか、てらぼふしか。又鎌倉よりのつかひか、平六が使か」。「鎌倉殿の御使、さいたふのきただにぼふし、ひたちばうしやうめいと申者也」と云ければ、「さてわ僧は行家に使はれむといひし者か」。「さんざうらふ」。「手なみはいかがおもふ」といわれけれ、昌明、「さんじやうにておほくのあくそうどもとうちあひて候つれども、走り
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むかひには、殿のおんたちうつほどにはしたなきかたきにあひさうらわず。なかんづく左の御手にてささせたまひつるが、あまりにいぶせく、こらへがたくこそ候つれ。さて昌命がてあてをばいかがおぼしめしつる」と申ければ、「それはつつむかへに取られなむ上は、とかくいふに及ばず」とぞいわれける。「たちみむ」とて、二人の大刀を取よせて見ければ、しじふにかしよきれたり。昌命、「さていちぢやう殿は鎌倉殿をばうちたてまつらむとおぼしめされて候しか」と云ければ、「是程になりなん上は、おもひたりしとも、おもはざりしとも、しかしながらもせんなし。とく首を切てひやうゑのすけに見せよ」とのたまひければ、昌命さすがあはれにおぼえて、ほしいひをあらわせてすすめければ、水をのみたまわむとて、引よせられたりけるに、ひたひのきずより血のさつとこぼれかかりたりければ、すてられにけり。
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昌命是を取てくひて、こよひはえぐちの長者がもとにとどまりぬ。よもすがら京へ使をはしらかしたりければ、あくる日のむまのときばかりに、ほうでうのへいろく五十騎ばかりにて、はたささせてあかゐがはらにゆきあひぬ。「都の内へはいるべからず」と云ゐんぜんにて有ければ、ここにて首をはねてけり。首をそんぜじとて、なづきをいだして、かしらの中に塩をこみてぞもたせける。この人の兄しだのさぶらうせんじやうよしのりは、だいごのやまに籠りたるよしきこへければ、はつとりのへいろく案内者にて山をふませけるに、やまづたひにいがの国へぞ移りける。既にかたきちかづきければ、次第にもののぐぬきすててたちをもすてて、ある谷の奥に行て、あはせのこそでにおほくちばかりにて、腹かひ切てふしにけり。すなはち平六首をとりてけり。昌命、十郎
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くらんどの首をもたせて鎌倉へ下りたりければ、「しんべうなり」と感じ給ければ、「いかなるけんじやうにかあづからむずらむ」と人々申けるに、けんじやうにはあづからずして、しもつふさのくにかさいと云所へながされにけり。しよにん「こはいかなる事ぞや」とおどろきまうしけれども、その心をしらず。にねんと申に、「行家うちたりし僧はしもつふさのくにへ流しつかはされにき。いまだあるか。召せ」とて、めしかへして、鎌倉殿の宣けるは、「いかにわ僧、わびしとおもひつらむな。げらふの身にてたいしやうたる者をうちつるは、みやうがのなき時に、わそうのみやうがの為にながしつかはしたりつる也」とて、けんじやうにはつのくにはむろのしやう、たぢまのくににおほたのしやう、二か所をぞたまはりたりける。これ昌命がめんぼくにあらずや。
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二月七日、うだいじんどのつきのわどのせつろくせさせ給べきよし、源二位とりまうさるときこえし程に、ないらんのせんじのくだりたりしを、「しやうたいのころをひ、きたののてんじん、ほんゐんの大臣あひならびてないらんの事ありしほか、えうしゆの御時ならびて内覧の例なし」と、右のおどどおほせられければ、つぎのとしの三月十三日、せつろくのぜうしよくだりき。さきの日、院よりうせうべんさだながをおんつかひにて、うだいじんどのせつろくの事、よりとものきやうなほとりまうすよし、こんゑのゐんふげんじどのへ申させ給たりければ、たちまちにかどさしにけり。ごぶんのたんばのくにじしまうさせたまひつつこもらせおはしましてけり。右大臣殿えらばれましましき。こんゑどのはしばしなれども、平家の為にむすぼをれておはしまししかば、りじおもかりければ、「ちからおよばず」とおほせられけるとぞ。右のおとどはかうさびてくでうにおはしまし
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けるが、ほうげんへいぢよりこのかた、世のみだれ打つづきて、人のそんずる事ひまなきを、あさゆふなげきおぼしめしけるいんしんむなしからず、やうほうたちまちにあらはれにけるやらむ、かかるおんよろこびありけり。かひがひしくみだれたる世ををさめ、すたれたる事ををこし給けり。二月十日、さふつねむねの使者、ちくごのすけかねよし、関東よりきらくす。これは義経がまうしたまはるくわんぷの事に、しんかくをのがるといへども、なほふゐせられて、しやしつかはされたりければ、むほんのともがらにおほせて、よりともをちゆうせらるべきよしふうぶんのあひだ、きようきようしたまふところに、いまふしんをさんずるよしへんたふせられけるあひだ、さふあんどのおもひをなされけり。
廿三 ごんのすけさんゐのちゆうじやうの子息ろくだいごぜんは、年のつもるにしたがひて、かほかたちこころざま、たちゐのふるまひまですぐれておはしければ、もんがくしやうにんはそらおそろしくぞ
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おぼえける。鎌倉殿も常にはおぼつかなげにのたまひて、「これもりが子は頼朝がやうに、てうてきをも打て、親の恥をもきよめつべき者か。頼朝を昔さうしたまひしやうにいかが見給」と宣ければ、もんがくまうしけるは、「是はそこはかとなきふかくのものなり。ひじりがさうらはむ程はゆめゆめおぼつかなくおもひたまふべからず」と申ければ、「いかさまにもみとどむるところひとつあつてこそ、世をもうちとりたらば、かたうどにもせむとてこそ、しきりにこひとりたまひつらん。ただし頼朝がいちご、いかなる者なりともいかでかかたぶくべき。子孫のすゑはしらず」とのたまひけるこそおそろしけれ。若君の母は、「とくとく出家して、たかをぼふしにおはすべし」と、若君をすすめられけれども、もんがくをしみたてまつりて、すみやかにも剃り奉らず。かくて十六と申しぶんぢ五年のやよひの末に、若君ひじりにいとまこひたまひて、やまぶしのすがたになりて、さいとうご、さいとうろくにおひかけさせて、かうやさんへまうでたまふ。父のぜんぢしきしたりしたきぐちにふだうにたづねあひて、父のおんゆくすゑ、ゆいごんなんどくはしくききたまひて、
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かつうはかのあともゆかしとて、熊野へぞまゐられける。ほんぐうしようじやうでんのおんまへにて、おほぢこまつのないだいじん、ちちこれもりの御事、いまさらにおもひいだされつつ、すぞろに涙をもよをし給けり。やがてしんぐうへまうでたまひて、是よりなちのやまへつたはりつつ、たちかへりはまのみやのわうじのおんまへにて、あともなくしるしもなきかいしやうをぞはるばるながめたまひける。「父これもり、いづくのほどに、いかに沈み給けむ」と、なぎさによする小波にも問わまほしくぞおもはれける。ひねもすになきくらして、さても有べき事ならねば、石をかさねてたふをくみ、いさごに仏のおんかたちを書給て、僧をしやうじてかいげんし、ねんぶつぎやうだうして、「くわこせんかういうれい、しゆつりとくだつぞうしんぶつだう」とゑかうして宣けるは、「みだはむじやうねんわうとまうししとき、ほうかいぼんじのすすめによつてくうわうぶつをはいし、しゆつけのかたちをげんじてほふざうびくとまうしき。そのこふのあひだしゆして、ごくらくじやうど
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をまうけて、いつさいしゆじやうをむかへずといはば、しやうがくをとらじとちかゐ給へり。六方のしよぶつも、おなじくくわうちやうの舌をいだして、しようじやうし給へり。しかるをあみだぶつとなりたまひて、ごくぢゆうあくにんむたはうべんのせいぐわんたがへず、くわこしやうりやうくほんのうてなへむかへたまふ。いかにいはむやしゆつけぼだいしんのくどくおはせざらむや。出家のくどく、きやうには、『むりやうざいあり。しゆつけむりやうのくどくをう』といへり。このゆゑにぜんざいどうじのぼだいしんををこししをば、みろくだいし、ししのざよりおりて、くわうみやうをはなちてをがみたまひけり。『これすなはちどうじのたつときにはあらず、菩提心のたつときがゆゑなり』と宣けり。ほうどうきやうには、『菩提心のくどく、もし色あらば、こくうにみちてぞあらまし』といひ、かれををもひこれを思ひあわするにつけては、さりともあくせにはりんゑし給わじものを。わがみまたこれほどとぶらひ奉る。いかでか仏も
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あはれとおぼしめさざるべき。草の影にもうれしくこそおもひたまふらめ」など、涙にむせびてのたまへば、「あみだ仏もたちまちにやうがうし給らむ」と、身の毛いよだちてあはれなり。さてもあるべきならねば、いそうつなみにいとまをこひ、なくなくかへり給つつ、「よきついでにおなじくはしよこくいつけんせむ」と思われければ、山々寺々しゆぎやうし給て京へのぼり、そののちたかをにて出家し給て、さんゐのぜんじとぞ申ける。母上は是を見給て、「世の世であらましかば、今はふるきかんだちめ、こんゑづかさ、すきびたいのかぶりにてぞあらまし」とのたまひけるこそ、あまりのこととはおぼえしか。
廿四 にんげんうゐのたのしみは、かぜいたはしき春の花、いちごふぢやうのさかえは、波に宿れる秋の月、しげりて見ゆるなつこだち、こずゑさびしき冬の空、すいりう常に満たず、月
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みちぬればかくとかや。そもそもけんれいもんゐんとまうすは、ごしらかはのほふわうのたいしたかくらのゐんのきさき、にふだうさきのだいじやうだいじんきよもりのおんむすめ、あんとくてんわうのおんははなり。十五才にしてこうひのくらゐにそなはり、十六才にしてにようごのせんじをくだし、廿二にしてわうじごたんじやうありしかば、いつしかとうぐうのくらゐにたちたまふべきてんしなりしかども、くらゐさだまらせ給しかば、いつてんしかいをたなごころににぎり、ばんにんけいしやうあまねくこくぼとあふぎたてまつるのみに非ず、ここのへのうち、せいりやうししんのとこを並べ、こうひさいぢよにかしづかれたまひき。しかりといへどもいちぞくのけいしやうやうやくほろびて、おんとし廿九にて、あへなくおんかざりをおろさせ給て、おほはらのおく、せれうのさと、じやくくわうゐんと云所に、すみぞめにおんみをやつし、今はひとすぢにむじやうあくごふのうきぐもをいとひて、ごくらくわうじやうのとんしようをねがひ、むなしくすぎゆくつきひを送りむかへてぞおわしける。
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廿五 さある程にぶんぢ二年にもなりぬ。しやうぐわつよかんなほはげしくて、のこんのゆきもいまだきえざるに、二月もすぎ、三月もやうやくくれにけり。ひかげのどかになりゆけば、のべのちぐさもみどり深く、夏にも既になりぬれば、きたまつりもうちすぎて、うづきのなかばにも成ぬれば、法皇は「『けぶりたつおもひならねど人しれずわびてはふじのねをのみぞなく』と、朝夕えいじける、きよはらのふかやぶがたてたりし、ふだらくじをがませたまふべし」とひろうして、よをこめてじやくくわうゐんへしのびのごかうあり。おんともにはたうくわんばくどの、かんゐんのだいじやうだいじん、とくだいじのさだいじん、ごとくだいじのさだいしやうさねさだ、うだいしやうさねよし、くわさんのゐんのだいなごんかねまさ、あぜちのだいなごんやすみち、やまのゐのだいなごんさねまさ、れんぜいのだいなごんたかふさ、じじゆうのだいなごんなりみち、かつらのだいなごんまさより、ほりかはのだいなごんみちすけ、
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はなぞののちゆうなごんきんうぢ、つちみかどのさいしやうみちちか、むめづのさんゐのちゆうじやうもりかた、からはしのさんゐ、をかのやのげんざんゐすけちか、てんじやうびとにはやなぎはらのさまのかみしげまさ、よしだのうだいべんちかすゑ、ふしみのさだいべんしげひろ、うひやうゑのすけときかげ、ほくめんにはかはちのかみながざね、いしかはのはんぐわんだい、たかくらのさゑもんのじようとぞきこへし。あじろごしにうらすだれかけたり。かのてらにまうでてをがませ給ふに、みだうのいらか、くわいらうのつづき、もんないもんぐわいの有様、誠にあらまほしきふぜいなり。ほんぞんををがみたてまつりたまふに、あみだのさんぞんよりはじめて、しよぶつぼさつのざう光をかかやかし、ぶつだんぶつぜんのかざりさしいらせたまふより、なにとなくおんこころをすまさせおわします。ごくらくじやうどのしやうごんもかくやとおぼえたり。うしろのだいくわうにはくほんまんだらをかきたてまつる。いつけんいつぱいのともがらざいごふじんぢゆうなりとも、みだのひぐわんにこたへて、むしのざい
P3598
しやうもたちまちにせうめつして、たれかわうじやうをとげざるべきと、たのもしくぞ御覧ぜられける。又じやうるりの有様を書たるとおぼしくに、じふにじんじやう、しちせんやしやしん、そのほかてんにんしやうじゆとうのやうがうしたるけいきを書たり。しゆびやうしつぢよ、しんじんあんらくのちかひもたのもしくおぼしめされける。さうのつぼねのちやうもんどころとおぼしきしやうじには、あるいは四季にしたがひ、をりにふれたるむじやうくわんねんのさまを、筆をつくして書たり。誠に情けも深く、うきよをいとふべきありさま、おぼしめししられけり。あるひはろくだうししやうさんづはちなんのくげんのさまを書たり、えんぎのせいしゆの地獄におちさせ給て、きんぶせんのにちざうしやうにんにむかはせ給て、
いふならくならくの底にをちぬればせつりもしゆだもかわらざりけり K228
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と、炎の中にしてかなしませたまひけむもかくやと、あはれにぞおぼしめされける。これにつけても、ゑどをいとひ、じやうどを願わせ給べき御心のみぞ深かりける。みだうをいでさせ給てよもを御覧ずるに、うしろのやまはまつすぎみどりにおひしげり、くもゐに遊ぶぐんかくも、ちとせのちぎりをむすびて、すみかをとらむとおぼえたり。にはごとにはしゆんかににほひをほどこすやうばい、数をつくしてうゑならぶ。ふるすをいづる谷の鶯も、ひやくてんしてこづたふらむとおぼえたり。山のそへ水のながれ、かんきよのちをしめたりとみえたり。何事につけても御心をとどめられずと云事なし。それよりをしをの山をこえて、をはらのおくへごかうなる。わけいる山の道すがら、秋のころにもあらねども、くさばの露に袖ぬれて、しぼらぬたもとぞなかりける。峯の嵐吹すさび、谷の水のいはまをくぐる音、いづれも御心すごからずと云事なし。にようゐんのごあん
P3600
じつちかくなるよしきこしめせども、りよくいのけんしきゆうもんを守るもなければ、心のままにあれたるまがきは、しげきのべよりも露深し。庭の若草しげりつつ、岸のあをやぎ色深く、松にかかれるふぢなみ、こずゑにひとふさ残れる花、君のごかうをまちまゐらせけるかとおぼえてあはれなり。法皇かくぞおぼしめされける。
池水に岸のあをやぎちりしきて波の花こそさかりなりけれ K229
やまほととぎすのはつねをば、このさとびとのみやなれてきくらむと、おぼしめししられけり。かのてらの有様を御覧ずるに、西のやまぎはにひとつのさうだうあり。すなはちじやくくわうゐんこれなり。北のやまぎはにひとつのあんじつあり。にようゐんのおんすみかにやとごらんぜらる。かうえんほそくのぼりて、へんぺんとしてきえやすく、しんさうはるかにとぢて、せうぜんとして人もなし。ころはうづきなかばの事なれば、夏草のしげみが末をわかれすぎ、きうたい
P3601
はらふべきひともなし。じんせきたえたる程も、おもひしられてあはれなり。ちりのこる山桜、嶺につらなるいはつつじ、いけのみぎはのふぢなみ、こずゑにかかるほととぎす、こけふかくむす岩の色、おちたぎりたる水の音、さすがゆえびよしありてぞ御覧ぜられける。りよくらのかき、すいたいの山、絵にかくとも筆も及ぶべくもみえざりけり。四方にちやうざんつらなりて、わづかにこととふものとては、はかふの猿のひとさけび、つまぎこるをののおとばかりなり。せうかぼくてきのこゑ、ちくえんしようぶのいろ、かかるかんきよのすみかをしのびてすごさせ給も、法皇あはれと御覧ぜらる。庭にはしのぶまじりのわすれぐさおひしげりて、鳥のふすとぞ見へける。へうたんしばしばむなし、くさがんえんがちまたにしげしといひつべし。しばのあみど、竹のすいがいもあれはてて、れいでうふかくとざせり、あめげんけんがとぼそをうるほすともいひつべし。法皇にようゐんを待まゐらせさせたまふほどに、あなた
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こなたへたたずみ御覧ぜられければ、いささむらたけ風そよぎ、いささ小川になみ立て、妻をかたらふやまがらす、ねぐらさだむるにはとり、すべて耳にふれ目にまがへるもの、こゑごゑにあはれをもよほし、心をいたましめずと云事なし。あふさかのせみまるの、
世の中はとてもかくても有ぬべし宮もわら屋もはてしなければ K230
とえいじけるも、ことわりとおぼしめししられけり。昔、さねゆき、よしたかとて二人のだいしやうありけるが、さねゆきが、
あしたにこうがんあつてせろにほこれども、ゆふべにはくこつとなつてかうげんにくちぬ。 K231
ねんねんせいせいはなあひにたり、せいせいねんねんひとおなじからず。 K232
とえいじけむも、誠にさることやらむとおぼへて、このいほりを御覧ぜらるるに、
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わづかにまがきさんげんの柴のとぼそなり。松の柱、竹のあみど、すぎの葉、ふきもいとまばらにて、のきにはしのぶばかりぞしげりける。しぐれも露もおくしももつきのひかりもあらそひて、たまるべしともみえざりけり。さて内の有様を御覧ずれば、ひとまをばぶつしよにしつらひて、三尺のりふざうのごしんはでいぶつらいかうのさんぞん、ひがしむきにあんぢしたてまつり、くわかうをそなへたてまつる。ぶつぜんにはじやうどのさんぶきやうをおかせ給へり。くわんむりやうじゆきやうをばはんぐわんばかりはあそばしのこしたりと見ゆ。仏のひだりのかたにはふげんのゑざうをかけたてまつりて、おんまへなるしたんの机にははちぢくのめうもん、ならびににじふはちほんのそうしやくをおかせ給へり。右の方にはぜんだうのみえいをかけて、くでふのごしよ、ならびにわうじやうえうしふいげのしよきやうのえうもんをおかれたり。昔のらんじやのにほひをひきかへて、今はふだんかうのけぶりをくんじける。東の壁には、ふりたる
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ことびはたてられたり。くわんげんかぶのぼさつのらいかうをおぼしめしいでつつ、みこころのすませ給ふをりをり、おんてかけぐさにやとおぼえたり。又おんつとめのひまの御心なぐさめとおぼしくて、こきんまんえふ、そのほかきやうげんきぎよのたぐひ、とりちらされたり。折々の御手すさみとおぼえて、しやうじにはしよきやうのえうもん、さまざまのしいかなむどかきちらされたり。「しよぎやうむじやう、ぜしやうめつぽふ、しやうめつめつい、じやくめつゐらく」の四句のもん、いつさいのぎやうはこれみなむじやうなり。むじやうのとらのこゑは耳にちかくとも、せいろのはしりにきこえず。せつせんの鳥はよよなけども、すみかをいでぬればわすれぬ。羊のあゆみちかづきて、親にさきだつこ、こにさきだつ親、妻に別るる男、をつとにおくるる妻、命は水の沫、らうせうふぢやうの世也。あしたの花はゆふべの風にさそわれ、よひのらうげつはあかつきの雲に隠れぬ。やまかげのしばのいほり、おんすまひ
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おぼしめししられて、人しれず御涙せきあへさせ給わず。ごくぢゆうあくにん むたはうべん ゆいしようみだ とくしやうごくらくばうぽふせんだい ゑしんかいわう じふあくごぎやく ざいめつとくしやうくわんぎやうしんいつさいごつしやうかい かいじゆうまうざうしやう にやくよくさんげしや たんざしじつさうにやくうぢゆうごつしやう むしやうじやうどいん じようみだぐわんりき ひつしやうあんらくこくほつしんたいへんしよしゆじやう きやくぢんぼんなうゐふくざう ふちがしんうによらい るてんしやうじむしゆつご又みかはのかみさだもとぼふしが、しやうりやうせんにぢゆうしける時えいじける。せいがはるかにきこゆこうんのうへ、しやうじゆらいかうすらくじつのまへ。さうあんひとなくしてやまひをたすけてふす、かうろひありてにしにむかひてねぶる。かやうのもろもろのえうもんどもをしきのかみがたに書ておされたり。又浄土のほふもんと
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おぼしくて、おんさうしあまたとりちらされたり。やまとゑかかれたるかみびやうぶに、にようゐんのみてとおぼしくて、古きうたどもをかかれたり。雲の上にほのかにがくのこゑすなり人にとはばやそらみみかそもかわくまもなきすみぞめのすがたかなこはたらちめのそでのしづくかきえがたのかうのけぶりのいつまでとたちめぐるべきこのよならねばおもひきやみやまの奥にすまひしてくもゐの月をよそにみむとは北のやまぎはにあかだなつられたり。しきみいれたる花のかたみ、あられたまちるあかのをしきにかけそへられたり。さて仏のおんかたはらのしやうじを引あけて御覧ぜられければ、にようゐんのぎよしんじよとおぼしくて、おんさをにかけられたりける物とては、しろこそでのあやしげなるに、あさのおんころもに、紙の帯ばかり也。しきならされ
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たるたたみの上に、しきがはひきかへしておかれたり。「いにしへはかんきゆうりだいのきさきのぎよかなどのきやうせつにつけつつ、ほんてうかんどのたへなるほうぶつ、そのほか色々のぎよいどもにほひをととのへて、ちんじやをくんじたまひし御有様ぞかし」と、おのおのみたまふにもあはれなり。昔は四季にしたがひ折にふれて、春はなんでんの桜を御心にかけさせ給て。いにしへのならの都のやへざくらけふここのへにうつりつるかな夏はせいりやうのうてなにのぼりて、夜のあぢきなき事を残し、すさまじきぎよいうありつつ。打しめりあやめぞかをるほととぎすなくやさつきの雨のゆふぐれ秋はここのへの月をよもすがら御覧じて。ひさかたの月のかつらも秋はなをもみぢすればやてりまされらん
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冬はうこんのばばふしらゆきにうそぶきて、まづさく花かとよろこばせたまひて。まつひとも今はきたらばいかがせむふままくをしき庭のしらゆきおんかたみにはげんじやうむみやうと云琵琶、あをばくぎうちと云笛、うんわほつけじと云しやう、こくとうしんめいと云さんご、しうふうらでんと云しつ、からくさらくくわけいと云をひ、つゆいけと云硯、つぼきりと云けんなどおかれ、そのほかこうしりやうしよくの色々のぎよいどもを、数をつくしてかけらる。ないし、みやうぶならむど云つかさどももたやすくまゐらざりき。こはあさましきおんすまひかなとおぼしめされて、よしなくもこのおんありさまをみたてまつりつるものかなと、しのびかねさせ給へるおんけしきなり。人すむべしともみえざりけれども、「人やある」とおんたづねありければ、奥の方よりかすかに、「おいたる尼のひとりさぶらふ」とこたへてまゐり
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たりければ、「にようゐんはいづくへわたらせ給たる」とおほせられければ、「このうしろの山へおんはなつみにいらせたまひぬ」と申す。法皇あきれさせ給へるおんけしきにて、あはれにおぼしめされつつ、「昔より世をすつるためし多けれども、御花なりとも、いかでかみづからはつませ給べき。されば花つみてたてまつるべき人だにもつきたてまつらぬか」とおほせられて、御涙ぐませ給ければ、あま申けるは、「まことにおほせはさる事にてさぶらへども、しんぢくわんぎやうには、『よくちくわこいん、けんごげんざいくわ。よくちみらいくわ、けんごげんざいいん』とて、『くわこのいんをしらむとおもはば、げんざいのくわを見よ。みらいのくわをしらむと思はば、現在の因を見よ』ととかれてさぶらふなれば、たうりてんじやうのおくせんざいのたのしみ、だいぼんわうぐうのじんぜんぢやうのさかえをねがわせたまふとも、おんおこなひなくしきはいかでかさぶらふべき。しやうじむじやうのならひ、いちぶつじやうどにわう
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じやうののぞみをかけさせたまふにも、なにのつとめの力をかたのませ給べき。しやかによらいはちゆうてんぢくのあるじ、じやうぼんだいわうのおんこなり。がやじやうをいとひてだんどくせんにこもり、かうれいにたきぎをこりしんこくに水をむすび、なんぎやうくぎやうの力によりて、つひにじやうとうしやうがくをなしたまひき。およそしやうあるものはかならずめつし、はじめあるものはをはりあり。たのしみつきてはかなしみきたるためしあり。ぜんぜにかいぜんかいぎやう薄くおわしけるにや、今かかるおんみにならせ給へり。さればらいしやうのしゆくごふをかねて悟り給て、しやしんのぎやうをしゆしておはしますにこそ。さればなにかおんいたみさぶらふべき」と申す。この尼の有様をこまかに御覧ぜらるるに、下にはあかつきよごれたるこそでに、上にはかみぎぬと云物をぞ着たりける。「けしき事がらにも似ず、よしあるもののことばかな」と
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おぼしめされて、「おのれはいかなる者ぞ」とおほせありければ、尼さめざめとうちなきて、とふにつらさの涙せきあへざりければ、しばらくものも申さず。「いかにいかに」と、おほせさいさんにおよびければ、涙をおさへて、「かやうにまうすにつけてはばかりさぶらへども、ひととせへいぢのげきらんのとき、あくうゑもんのかみのぶよりにうしなわれにしせうなごんのにふだうがこに、べんのにふだうていけんとまうししものさぶらひしむすめに、あはのべんのないしとまうしさぶらひしは、尼が事にてさぶらふ」と申ければ、法皇おどろきおぼしめして、「さてはこのあまはきいのにゐが孫ごさむなれ」。かの二位と申はほふわうのおんめのとなり。さればことにおんみちかくめしつかはれたてまつりしかば、いくとせをふともいかでか御覧じわするべきなれども、ありしにもあらずかはりはてたりければ、ごらんじわすれけるもことわりなり。年もわづかに廿八九の者也。法皇よりはじめたてまつりて、おのおの御目を
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御覧じあはせて、涙を流させ給ける程に、ややひさしくありて、うしろのかたやまのけはしきより、こきすみぞめのころもきたる尼二人おりくだる。いかなる者なるらむと御覧ぜられけるに、一人はしきみにつつじ藤の花つみいれたるはながたみひぢにかけたり。これぞにようゐんにわたらせたまひける。ひとりはつまぎにわらびをりぐしてもちたり。是はおほみやのだいじやうだいじんこれみちのきやうのごしそく、とりかひのちゆうなごんこれざねのむすめ、せんていのおんめのと、だいなごんのすけといふひとなり。にようゐんはかくともいかでかおぼしめしよらせ給べきなれば、なにごころもなく法皇に御目を御覧じあはせて、こはいかにとおぼしめして、あきれたるおんさまなり。「じふねんのしばのとぼそには、せつしゆのくわうみやうをごし、いちねんの窓の前には、しやうじゆのらいかうをこそ待つるに、おもひのほかに法皇のごかうなりにける
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よ」とおぼしめさるるより、「あはれ、ただ人にしられず、いづかたへもきえうせぬべかりし身の、ひとなみなみにうきよにながらへて、かかるありさまをまのあたりみたてまつりぬるこそあさましけれ」と、おぼしめされけれども、さすがしもゆきならぬおんみなれば、時のまにもきえうせさせ給わず。こはいかがなりける事ぞやと、只夢のここちして、あきれたたせ給たり。をりふしやまほととぎすのひとこゑ、松のこずゑにおとづれければ、にようゐんかくぞおぼしめしつづけける。いざさらば涙くらべむほととぎすわれもつきせぬうきねをぞなく又おぼしめしかへしけるは、「こは何事ぞ。今はかくおもふべき身にあらず。猶もこのよにしふしんのあればこそかくはおぼゆらめ。さては仏の道をねがひてむや」とおぼしめして、おんころもの袖も裾も、草葉の露にしほれかへりたるおんさまにて入らせ給に
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けり。法皇かくと申給たりければ、ありつるおんころもの上に紙のおんふすまをひきかけて、べちのまなるおんわらふだしかせ給て、誠におもはゆげなるおんけしきにて、おんかほうちあかめてわたらせ給ける御有様をごらんずるに、昔の花のかほばせもやつれはてて、麻のころもにまつわされおわします御有様、ありしにもあらぬおんすがたなれども、さすが又なべての人にはまがうべくもみへさせ給わず。法皇も女院も御涙にむせばせ給て、たがひにひとことばもおほせいだされず。ややひさしくありて、法皇なくなくおほせの有けるは、「さてもこはあさましきおんすまひかな。昔よりうきよをすつるためし多く待れども、かやうの御有様はいまだうけたまはりおよばず。じやうしやひつすいのことわりにててんにんごすいの日にあへるらむも、このよにてみるべきにあらず。かかるためしをまのあたり見奉りつるこそ中々くやしけれ」とて、
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おんころもの袖もしぼるばかりなりければ、おんとものくぎやうてんじやうびともかぶりをちにつけ、おのおの涙もせきあへず。あまりにたへざるひとびとはかんじよにしのばれけるとかや。にようゐんはつきせぬ御涙せきあへさせ給わず。御袂をしぼらせ給ければ、ともかくも物も申させ給わず。御衣の袖よりもれいづる御涙、よその袖までも所せく程也。法皇申させ給けるは、「人間のはちく、げかいさうろのためしは、あるにつけてもなげきふかく、なきにつけてもうれひせちなり。なにごとにつけても昔をおぼしめしいで、いかばかりの事をかおぼしめすらむ。かくともつやつやしりたてまつらずして、今まで見まひらせざりける事、いかばかりのおんうらみをか残させたまひつらむと、あさましくこそ。さてもたれこととひまひらする人にて候ぞ」とおほせられければ、「世にたちまじはりひとなみなる有様をこそ、昔も今もまうしむつぶるならひもさぶらへ。かかるうきみに
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なりぬる上は、風のつて、よそながらだにもとひきたる人もさぶらわず。さても世が世にてありし程は、『いかにもしてしらればや、とはればや』と思へりし人々も、くもゐのよそにおもひたてへだてられてさぶらへば、かずかずならぬ身のうさをのみ思ひ知て、うらみをなす事もさぶらわず。そのなかにのぶたかのきたのかたばかりぞをりをりにしたがひて、おもひわするる事もなく、つねづねはをとづれきたりさぶらふ。さても有しには、かれがはぐくみをうくべしとは、かけてもおもひよらざりし物を」とて、又はじめのごとくさめざめと涙を流させ給ふ。「今はなにとかおぼしめさるべきにさぶらわねども、かのきたのかたのことをば御覧じはなたるまじきにさぶらふ。そのほかはこととふひともさぶらわず」と申させ給へば、「ろくでうのせつしやうのかたよりはまうすむねはさうらはぬにや」と申させ給へば、「それも今はたえまがちにこそ」とおほせられて、法皇も
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にようゐんもぐぶの人々も、たもとをしぼりてぞ渡らせ給ける。にようゐん御涙をおさへて申させ給けるは、「かかる身にまかりなること、いつたんのなげきはまうすにおよばねども、ひとつにはらいしやうふたいのよろこびあり。そのゆゑはわれごしやうさんじゆうの身をうけながら、すでにしやかのゆいていにつらなり、ひぐわんのしようみやうをたのみてさんじにろくこんをさんげし、ひとすぢにこんじやうのみやうりをおもひすてて、くほんのうてなを願ひ、いちもんのぼだいを祈る。さればいちねんのまどをひらきてさんぞんのらいかうをごし、さんづのとぼそをとぢてしゆつりのめうくわを願ふ。これただいちもんべつりのごにあらずや。さればしかるべきぜんえんぜんぢしきとこそ思侍れ。むかしりようがんにちかづきたてまつりししききやうせつにつけてたのしみさかえしままには、ちやうせいふしのよはひを願ひ、ほうらいふしの薬をもとめても、ひさしからむ事を
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思ひ、かかるつたなきことをのみ心にかけはべりて、のちのくるしみをしらず。今は心にかなひ侍らばやとおもひしりようがんにもおくれ奉り、いとほしかなしと思奉りし天子にも別れ、父もなく母もなき、つたなき身になりぬる上は、なじかは人をもうらみ、世をもなげかしくおもひはべるべき。そのなかにもこのたびしやうじをはなるべきこと、おもひさだめてこそさぶらへ。そのゆゑは、このみはげかいにすみながら、ろくだうをきやうりやくしたる身に侍れば、なげくべきにも非ず。それにつけてもいよいよゑどを願ふこころざしのみ日にしたがひてすすみさぶらふにや」と申させ給へば、法皇、「是こそ不審におぼえさうらへ。たいたうのげんじやうさんざうはうつつの内に仏法をみ、わがてうのにちざうしやうにんはざわうごんげんのおんをしへにてろくだうを見たりと云事をば、つたへてこそうけたまはりしか。又天にのぼり海にいりししぼんじ、年をのべ月を
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かへしけるろれんも、このみながらろくだうをみずとこそ申侍れ。ましてゑあくごしやうのによにんのおんみとして六道を御覧ぜられけるこそ、まめやかにこころへずおぼえさうらへ」とおほせられければ、にようゐんうちわらはせ給て、「まことにさる事にてさぶらへども、しばらく身にあたれるくらくのさまざまなるにつけて、ろくだうのさまをまうしはべるべし。『ぢごくひぢごく、がしんうぢごく。ごくらくひごくらく、がしんうごくらく』と申す。只地獄も極楽も、わがこころの内にそなはる事とこそうけたまはりさぶらへ」と申させ給へば、法皇、「じつかいをじふぜんと申けるはこのことわりを申けるにや」とおほせられて、いよいよあはれうちそひてぞおぼしめされける。にようゐん、「ろくだうとまうしさぶらふことは、昔しやぐうにかしづかれ、ばんきのまつりごとを心のままにおこなひて、たのしみさかえは有しかどもうれひなげきはなかりき。りうせんたくぼくのしらべはてんめうほふりんのひびきも是
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にはなじかはすぐべきとおぼえさぶらひき。されば、けんとうの寒きあしたにはころもをあたたかくして嵐をふせき、せいかのあつきゆふべにはいづみにむかひて心をひやさしめ、ちんぜんのこき味、あさなゆふなに備へずと云事なし。もみぢのたへなる色、夜昼の飾りとす。一門のはんじやうはたうしやうはなの如し。ばんみんのぐんさんはもんぜんに市をなす。ごくらくじやうどのしやうごんもかくやとおぼえき。とぼしき事のなきままに、くなる所を忘れて願ふ事なし。只あけてもくれてもたのしみさかえたぐひなかりし事は、ぜんげんじやうのしようめうらく、ちゆうげんぜんのかうたいのかく、ろくよくてんじやうのごめうのけらくも、いかでかこれにはすぎむとおぼえき。これをばしばらくてんじやうのたのしみとおもひなぞらへはべりき。次に夏きたれどもしやうぞくをかふる事なければ、せうねつだいせうねつのくるしみのごとし。又冬きたれどもふすまをかさぬる事
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なければ、ぐれんだいぐれんの氷にとぢられたるが如し。さるほどにじゆえいのあきのはじめ、七月の末つかたに、きそのくわんじやよしなかと云者に都をおひおとされて、たかくらのしやうくわうにも別れ奉り、はつでうたいしやうこく、こしかたをかへりみれば、むなしきけぶりのみたちのぼり、ゆくすゑをおもひやれば、かなしみの涙のみくれて、はうがくもおぼへず。いづれか南北、いづれか海山ともみえず。よもすがらおちゆきはべりし程に、よつづかとかや申す所にて、我も我もとこころざしあるよしにてぎやうがうにぐぶせられしげつけいうんかくも、淀の津とかやにて船にのりはべりし時、ただこゑばかりにておのおのたちはなれしを、船底にてつてにききはべりしかば、けらくむぐうの天人のごすい、さうげんのかなしみとはこれにやとおぼへて、されば、『てんじやうよくたいじ、しんしやうだいくなう、ぢごくしゆくげん、じふろくふぎふいち』ととかれたるもこのことわりにや。
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にんげんの事はこのたびにんがいにしやうをうけたれば、あいべつりくをんぞうゑく、ただわがみひとつにおもひしられたりしかば、しくはつくひとつとしてのがるる所あるべからず。その秋の末、九月にもなりしかば、いにしへはうんしやうにてねんごろに見し月を、今はさいかいの浪の上にてひとりながめしろうたいをいでて、四国のかたにただよふ。さればきゆうちゆうのいにしへは、はいぐんをなびかしし、しんかたりし人々の、今ははいしよのげきしんたりし事、あはれにおぼえはべりて、十月の比、びつちゆうのくにみづしま、はりまのくにむろやまなむどのいくさにかちしかば、人の色少しなをりてみえし程に、つのくにいちのたにとかや云所にて一門多くほろびしのちは、げつけいうんかくおのおのかぶりなほしをばかつちうにきかへ、しやくせんをばきゆうせんにもちかへ、そくたいの形をたちまちにくろがねをのべて身をつつみ、時のけだものの皮を以て手足にまとひ、いつならひしともなき
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かぶとのはちを枕とし、鎧の袖をしとねとす。只あけてもくれてもいくさよばいのこゑのみたえず。くわらくにすみし時には、しいかくわんげんなむどをこそよるひるもてあそびし人々の、今はねてもさめてもかたきをしへたげ、命をたすからむはかりことのほか、心にかけ、いとなむわざなし。いちのたにをおとされしのちは、妻は夫に別れ夫は妻にはなる。親は子をうしなひをめき叫び、子は親をうしなひて泣悲むこゑ、せんちゆうにじゆうまんせり。おのづからたすけありしかば、もしやたすかると、おのおのこみのりてかいしやうに浮べば、なみかぜはげしくして、やすらふべき方なし。ぶつじんのみやうじよ、りゆうじんのかごにあらずは、いちにちへんしも命をのべ、身をたすくべきやうなし。さればあはぢのせとおしわたりて、なるとにかくれゆく船もあり。あかしのおきにかかりて、四国へおもむく船もあり。又いづくをさすともなく
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波にただよふ船もあり。ひとしななみずおもひおもひこころごころに有しかば、おきにつりする船を見ては、かたきのよするかとおぢおそれ、いそにむれゐるしらさぎを見ては、かたきのむかふはたかと驚き騒ぐ。いさりの火のほのめく影を見ても、源氏のちかづくにやと、きもをうしなひたましひをけす。つのくになにはの事もおぼへず、世をうらみのしまづたひして、さぬきのやしまとかやにつきて、このしまをよきじやうとてしばらくこのうらにやすらひしかども、さすがああやしのたみの家をくわうきよとさだむるに及ばずとて、しばらくの程はみふねをごしよとせしかば、ないだいじんよりはじめてげつけいもうんかくも、しづがふせやに夜をかさね、あまのとまやに日を送り、かぢまくら波にうたれ、つゆにしほれてあかしくらしし程に、なにとかしたりけむ、人の心
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たちまちにかはりつつ、心にかなはぬ者をばうたむころさむとせし有様、しゆらのとうじやう、いちにちさんじのうれひあり。てんくじねんみやうの声のみたえずして、あけてもくれても腹のみたつ。これひとへにしゆらだうもかくやとおぼへはべりき。つぎにしげよしがさたにてかたのごとくいたやつくりて、しゆしやうをわたしたてまつり、人々もあしのまろやどもいとなみてすみたまひし程に、九月もなかばに成て、ふけ行秋のあはれいづくもと申しながら、旅の空いとどしのぶるかたもなく、よわりゆく虫のこへ、吹しおる風の音、時に触れ折にしたがひて、かなしからずと云事なし。物を思わざる人そらあはれをのこすべし。いはむやゆくへもしらぬなみぢにまよふならひ、なげきかなしまずと云事なし。むじやうの虎のこゑ、かたときも身を離るる事なく、だんめいの
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かたきの声、日を送てたゆる事なし。又十月に成しかば、うらふくかぜもはげしく、いそこす波も高ければ、さすがつはもののせめきたるもなく、ゆきかう船もまれなり。そらかきくもりゆきうちふりつつひかずふれば、いとどきえいるここちして、常は涙にむせびて、ばうぜんとしてぜんごをしらず。これはにんげんのはつくにやとおもひはべりき。次に東国のつはものすでにせめきたるよし申しかば、又にはかにあはてさはぎ、とるものもとりあへず、船にかこみ乗て、屋嶋をいでて、いづくをさすともなく、しほにひかれ風にしたいて、昔有けむはくきよいのやうに、かいしやうにうかびてゆられ行しかば、朝夕の物も心にかなはず、あはれ、いとほしといひし人もなし。このしまにゆかむとすれば、つはものどもあつまりきたりてころしうしなはむ事をはかる。かの
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きしにつかむとすれば、かたきならびゐてとらへからむることをよろこぶ。こくぐんおほしといへども、あとをとどむべき所なく、さんやひろしといへども、休まむとするにたよりなし。ぶぜんすいれうにあらざれば、ぐごをそなふる人もなし。みつぎものなかりしかば、そのころ宮もまれなり。むりやうのくありといへども、ききんのうれひを先とす。とくしやしらじやうのがきの、だいかいの七度変じて山となるまで、おんじきのみやうじをきかず。又ししこくのがきの、ごひやくしやうがあひだしよくをえがたくして、子をうやし、あるいはみづからがなづきをくだきてなやみ、あるいは子をうみてしよくとす。されば、『がやしやうごし、ずいしやうかいじじき、ちうしやうごやくねん、すいじんにむはう』とたつるもんもことわりなり。おのづからぐごをそなへむとする時は水なし。だいかいひろしといへども、うしほなればたてまつらず。
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『しゆるうみにいれども、のまむとすればみやうくわなり』とたつるもんもことわりなり。とてもかくても、露の命なににすがるべきたよりなし。是を
思ふに、がきだうもかくやとおぼへはべりき。またとかくゆられあるきし程に、ちくぜんのくにださいふとかやにて、きくち、はらだ、まつらたうなむどいふものどもなびきたてまつりて、だいりつくるべしなむどいひしかば、心少しらくきよして、人々も身をいこのへ心をのべて侍る程に、せんじとかやとて、ぎやうぶきやうざんゐよりすけにおほせて、ぶんごのくにのぢゆうにんをかたのさぶらうこれよしとかやまうすものがうけたまはりとて、三千余騎のせいにてむかふべきよしきこへしかば、にはかに又しゆしやうの玉のみこしをすておき、くぎやうてんじやうびとよりにようばうたちにいたるまで、袴のそばをはさみて、かつちうをよろひ
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きゆうせんをたいして、こはいかにしつる事ぞやと、きもこころも身にそわず。さんこうきうけいにはぐんかくはくしの数々にしたがひたてまつることもなく、つらをみだりし山わらうづにじんでいをふみてぞあゆまれける。へいだいなごんときただのきやうとかどわきのさいしやうのりもりと二人ばかりぞ、なほしにやおひてぐぶせられたりし。くがより夜中にはこざきのつとかやにゆきし程に、をりふしふるあめいとはげしく、ふくかぜもいさごをあぐるばかりなり。はくろのゑんじゆにむれゐるを見ては、えびすの旗をなびかすかとあやしみ、やがんのれうかいになくをききては、つはものの船をこぐかとおどろく。せいらんはだへをやぶり、はくはたましひを消す。すいたいこうがんのよそほひやうやく衰へ、さうはにうらみうけて、くわいどばうきやうの涙わきまへがたし。じゆえい二年三月廿四日、ながとのくにだんのうら、もじ
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あかまのせきとかや申す所にて、すまんのいくさおそひきたりしに、にはかにあくふうふききたりて、ふうんあつくたなびきしかば、つはものどもゆみやのもとすゑをうしなへりき。めいうんつきにしかば、人の力およびがたかりき。さればつかむと思ふかたへもつかず。とういなんばんのつはもののごとし。あうくつまらと云しげだうの仏をうちたてまつらむとしけるも、又けやうこくわうの人を殺しけむも、みぬ事なれば、これほどにはあらじとおぼえき。すでにつはものどもみふねにみだれのりて、いくさはいまはかぎりとなりしかば、いちもんのげつけいうんかくいげ、しかるべき人々、きせんじやうげを嫌わず、手をとりくみ、目をみあはせて、おのおのそこのみくづとなりしかば、おのづからのこりとどまりし人々もめの前にいのちたたれとらへしばらる。是を見てはたかきもいやしきもをめき叫びしこゑ、上はひさう
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てんもひびき、下はりゆうぐうじやうもおどろくらむとおびたたし。このありさまをみきくに、肝を消したましひをまどわせずと云事なし。されば男も女も船底にたふれふし、もんぜつびやくちして、ひとりとしてひとごこちしたる者なし。しんきやうもおんきやうばこも打かけられて、うちやぶられし有様をみるに、ぢごくのしゆじやうの、ごくそつにむかひて手をすりかうをこひ、『しばらくがいとまを得させよ』とかなしむなれば、『ひいにんさあく、いにんじゆくほう、じとくくわ、しゆじやうかいによぜ』とこたへて、いよいよなさけなくかしやくすらむも、かくやとおぼえき。又ごづめづがきぢやうをとるよりもおそろしかりき。かかりしかば、神にいのるもしるしなく、国をかたらふもかなはざりき。かいげんろんじはぼんぶなりといへども、げんじやうさんざうのしなり。あじやぜわうはただひとにあらず、りやうぜんのちやう
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じゆなり。しかれどもかやうのくるしみをばのがれ給はざりけるにや。昔のふみやうわうははんぞくわうにとられて、くひやくくじふくわうをうたるべき数にいりたまひたりけるに、『われわれしやもんくやうのぐわんあり。まげてしばしのいとまをえさせよ』と申て、はちげのもんをじゆしければ、すなはちゆるしてかへしけるとかや。さしもの悪王そらなさけありとまうしつたへたり。これはすこしもなさけをのこさず、あはれむことなかりき。されば地獄のくるしみもかくやとおぼえはべりき。これらをおもひつらねさぶらへば、ごしやうのみならず、こんじやうにもろくだうのくげんはありけるにや。今ひとつの道、それまではまうしおよばず」と申させ給ければ、御涙を流させ給て、「誠にかやうにくはしくおほせらるるときこそ、ろくだうのありさまげにとおもひしられ侍れ。今ひとつの道はなにごとにか。これほどうけたまはるほどにてははばかりおぼし
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めすべきにあらず。おなじくはうけたまはらばや」と申させ給ければ、「家をいで、かかるうきみとなりぬる上は、なにごとにかつつしみはべるべき。今こそ申さずとも、ごしやうにてじやうはりの鏡にうつされ、くしやうじんのふだをたださむ時は、何のかくれかはべるべき。てんぢくのしゆばきやはきさいのみやにちぎりをなして、はかなきゆめぢをうらむ。あいくだいわうの子くならたいしは、けいぼれんげぶにんにおもひをかけられうきなを流し、しんだんのそくてんくわうごうは、ちやうぶんせいにあひていうせんくつを得給へり。わがてうのならのみかどのおんむすめかうけんぢよてい、ゑみのおとどにをかされ、もんどくてんわうのそめどののきさきは、こんじやうきにをかされ、ていじのゐんのにようごきやうごくみやすんどころは、しへいのおとどのむすめなり、ひよしにまうでたまひけるに、しがでらのしやうにん心をかけたてまつりて、こんじやうのぎやうごふをゆづりたてまつりしかば、あはれをかけたまひて御手を
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たび、『まことの道のしるべせよ』とすさませたまひき。ありはらのなりひらはごでうわたりのあばらやに、『月やあらぬ』と打ながめ、げんじのによさんのみやは又かしはぎのうゑもんのかみにまよひて、かをるだいしやうをうみたまへり。『いかがいはねの松はこたへむ』と源氏の云けむもはづかしや。さごろものだいしやうは、『ききつつも涙にくもる』と打ながめ、てんぢくしんだんわがてう、たかきもいやしきも女のありさまほどこころうきことさぶらわず。『ともしびにいる夏の虫、はかなきちぎりに命をうしなひ、妻をこふる秋の鹿、さんやのけだもの、がうがのいろくづ、くさむらにすだく虫までも、はかなきちぎりに命をうしなふ』とうけたまはる。さればねはんぎやうには、『しようさんぜんがい、なんししよぼんなう、がふしふゐいちにん、によにんゐごつしやう』とときたまへり。だいろんには『ふけんきせん、たんよくぜだ』ととかれたり。都を
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いでてのちは、いつとなくむねもりとももりとひとつふねをすみかとして、ひをかさね月をおくりしかば、人のくちのさがなさは、なにとやらんききにくき名をたてしかば、ちくしやうだうをもふるやうにはべりき。おほかたはいつたんけらくのえいぐわにほこりて、やうごふむぐうのくほうをもおぼえず、しゆつりしやうじのはかりことをもしらず。只あけてもくれてもはかなきおもひにのみほだされてすごしはべりき。これあにぐちあんどんのちくしやうだうにまよへるにあらずや」なむど、おんなみだをながして申させ給ければ、ほふわういよいよおんなみだにむせばせ給て、昔をおもひいださせ給にも、おんなげきの色のふかさの程もおぼしめししられけり。「おなじおんなげきとまうしながら、ひとかたならず、いかばかりのおんことをのみおぼしめすらむと、ごしんぢゆうおもひやりまひらする
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こそ心苦く侍れ」と申させ給ければ、女院は、「なにごともぜんぜのしゆくごふにてさぶらへば、あながちになげくべからずさぶらふ。うせぬべかりしだんのうらとかやにて、母にもおくれてんしにもわかれたてまつりき。親を思ひ子をあはれむこと、あやしのさんやのけだもの、がうがのいろくづにいたるまで、あさからざることにこそ。さればいやしきしづのおなれども、おいたる母をおもふゆゑに、土をほりて子をうづむたぐひも有けるにや。又心なきのべのきじそら子をおもふゆゑに、のびの為に身をほろぼすとかや。ましてにんげんかいのなげき、親におくれ子にわかるる程のひたんやは侍るべき。されどもおもひなげきには露の命もきえざりけるにや。けふまでながらへ侍るにつけても、身ながらもつれなかりけるありさまかなと、
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くちをしくもはづかしくもはべり。さればしやくそんにふめつのとき、かせふそんじやいちはつをすてて叫びたまひし声、さんぜんせかいにひびき、けうぼんはだいはおもひにたへずして、水となりてきえにき。ちゑゆみやうなるらかんそら、ひめつげんめつのりをしりながら、たうざにわかれしにたへざりき。いはむやこれはぼんぶなり、ぐちなり、むちなり。わかれも世のつねなるわかれに似ず。なげきもひとしななるなげきにあらず。つはものどもみふねにのりうつり、えびすどもみだれかかり、今はかぎりとなりしかば、にゐどの、『昔よりけんじんは骨をばうづむとも名をばながせといへり。このてんしをばわれいだきたてまつりて海にいらむ』とて、せんていを帯にてわがみにゆいあはせまゐらせて、にぶいろのふたつぎぬひきまとひ、しんしをわきにはさみ、ほうけんをば腰にさして、既にふなばたにのぞまれしに、せんていなにごころもなく、ほれぼれと
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あきれ給へるけしきにて、おんぐしの肩の渡りにゆらゆらふさふさとかかりて、ゆくすゑはるかの緑のおんすがた、花のかほばせたとえむ方なく、もちづきのやまのはよりいづるここちして、うつくしかりし御有様をむなしくみなしたてまつりて、いちにちへんしも世にながらふべしともおぼえずはべりしかば、『共に底のみくづとならむ』ととりつきたてまつりしを、二位殿、『人の罪をば、親のとどまり子の残りてとぶらわぬかぎりは、くげんのがれざんなる物を。さればわがみこそ今はむなしくなるとも、のこりとどまりて、などかせんていのごぼだいをも、われらがくげんをもとぶらひたまはざるべき』とて、ひきはなちていでたまひしかば、『いづくへゆくべきぞ』と先帝おほせられしかば、『じやうどへぐしまゐらすべし』とて、まづいせだいじんぐうのかたをふしをがみたてまつり給て、にしにむかひて、
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『るてんさんがいちゆう、おんあいふのうだん、きおんにふむゐ、しんじつほうおんしや、なむさいはうごくらくけうしゆあみだぶつ』と、じふねんかうしやうにとなへたまひて、『せつがとくぶつ、じつぱうしゆじやう、ししんしんげう、よくしやうがこく、ないしじふねん、にやくふしやうしや、ふしゆしやうがく、くわうみやうへんぜうじつぱうせかい、ねんぶつしゆじやうせつしゆふしやのおんちかひたがへ給わず、必ずいんぜふをたれたまへ』ととなへもあへ給はず、海に飛入り給しおとばかりぞ、かくかにふなぞこにきこへしかども、きえはてたえいりにし心の内なれば、夢に夢みるここちして、さだかにもおぼへはべらざりき。せせしやうじやうにもそのおもかげいかでか忘れはべるべき。誠にしんだんかうらいにはけんをえらびちをたつとびて、そのうぢならねども天子の位をふむとかや。わがてうにはみもすそがはのおんながれのほかは、このくにををさめ給わず。しかるにせんていはじんむ
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はちじふだいのしやうりうをうけて、じふぜんばんきの位をふみたまひながら、よはひいまだえうせうにましまししかば、てんがをみづからをさむる事もなし。なにのつみによつてか、たちまちにはくわうちんごのおんちかひに漏れ給ぬるにや。これすなはちわれらが一門、ただくわんゐほうろく身に余り、国家をわづらはすのみにあらず、天子をないがしろにし奉り、しんめいぶつだをほろぼし、あくごふしよかんのゆゑなり。しかのみならず、こじをとぶらひさぶらふに、あんかう天皇はいんぎよう天皇のみこなり、まゆのわのおほきみにおんみをほろぼされ、すじゆん天皇はきんめいのたいしなり、むまこのおとどの為にちゆうせられたまひき。されどもごこつをば皆このどにこそとどめたまひしか。そのうへ御年もたけてこそおわしけめ。これはおんとしもいまだをさなく、わづかに八歳也。このくににあとをもこつをもとどめたまわず。かなしきかな。ただかひなき
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女の身にごせのくるしみをおもひやりたてまつり、ろくだうししやう、さんづはちなんのごふをだにはらひ奉らむと、よるひるおこたるときなくとぶらひさぶらへども、むみやうあくごふのくもあつくして、しゆつりしやうじのやみいまだはるるかたをしらず。とてもかくてもたえず身にそう物とては、ただかなしみのなみだばかり、さめてもねてもきねんする事とては、『いちねんみだぶつ、そくめつむりやうざい、げんじゆむひらく、ごしやうしやうじやうど、さいはうみだ、しんじんやうざう、いちねんじふねん、たうとくわうじやう』、これらのおんちかひのほかは心にかけたのめるかた侍らず。ひんぢよがいつとうをささげて仏をくやうじたてまつりけむも、今こそおもひしられ侍れ。さりともさんぜしよぶつもなどかなふじゆし給はざるべきとこそ、たのもしくおぼへ侍れ。そのなかにもだうしんさめがたく侍るは、こくぼの
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衰へたるにまされるはさぶらはざりけるにや。さるにてもすぎにしころ、ふしぎの夢を見たる事さぶらひき。むねもりとももりをはじめとして、じゆりやうけんびゐしどもがなみゐてさぶらひける所を、もんこをかたくとぢて、『これはりゆうぐうじやうと申て、この所にいりぬる者はふたたびかへることなし』とまうししを、『くげんはなきか』ととひはべりしに、しんぢゆうなごんたちいでて、『いちにちさんじのわづらひあり。たすけてたべ』と申とおぼえて、さめて打おどろかれはべりき。されば、海にいりぬる者は必ずりゆうわうのけんぞくとなると、こころえてさぶらふ。訪れむとてこそ夢にもみへ侍らめと思へば、ほつけきやうをよみ、みだのほうがうをとなへてとぶらひさぶらへば、さりともいちごふはなどかまぬかれざらむと、たのもしくこそ侍れ。されば、是にまされるぼだいのつとめあらじとこそおぼへ侍れ。昔
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右大臣の都をいでさせ給て、さいかいにおもむきたまふとて、都のあとをおもひいでて、こちふかばにほひをこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそいにしとしのこよひはせいりやうにはべりき、あきのおもひのしへんひとりはらわたをたつ。とえいぜらる。わうせうくんがわうぐうをいでて、ここくにおもむきて十九年までなげきけむも、わがみにてこそおもひしられ侍れ。すてがたかりし都へふたたびたちかへりたれども昔のやうにおぼえず。しちせいのさとに帰りけむ人もかくやたよりなくはべりけむ。ゆげのいげんがいよのくにより帰りて、都のいたく荒れにけるを見て、せいさんのむかしみるになほはなうるはし、はくしゆのいまかへるになんぞしよりとならむ。と書たりけむもことわりとおぼえて、すでにうらしまが子の箱のやうに、あけくれはくやしくおぼえはべりて、せんていのおもかげかたときもたちはなるる事のなきにつけても、たうていの
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やうきひをたづね、かんわうのりふじんの形をかんせんでんに写しおきけむも、ことわりとおぼえてはべりき」なむど、こしかたゆくすゑのことどもさまざまにかきくどかせたまひ、なくなく申させ給ければ、法皇をはじめたてまつり、ぐぶの人々是を聞給て涙をながしつつ、「昔しやかによらいのりやうぜんじやうどにて法をとき、でんげうちしようのしめい、をんじやうにしてきやうしやくせられけむも、これほどにやはあはれにたつとかりけむ」と、おのおのおもひあわれけり。にようゐんは、「けふはなにとなきことどもまうしなぐさみ侍りぬ。是までまうしつづけ候へば、さまをかへ世をのがれたらむからに、いつしかけしからぬくちのききさまよとはおぼしめされさぶらふらめども、物をはぢつつむもやうにこそよりさぶらへ。かかるうだいの身のあやふさは、ぼだいのさまたげになるとうけたまはれば、はぢをわすれてまうしさぶらふなり。それにつけても、
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けふのごかうこそしかるべきぜんぢしきと、うれしくさぶらへ。ひをおくりよをかさぬともまうしつくすべからず。既に日くれ侍りぬ。とくとくくわんぎよなるべき」よし申させ給。おんものがたりもやうやくすぎしかば、じやくくわうゐんのいりあひのかね、けふもくれぬと打しられ、せきやう西にかたぶきて、夜もふけぬべかりしかば、法皇おんなごりはつきせずおぼしめされけれども、御涙をおさへてくわんぎよなりにけり。露をかねども袂をぬらし、しぐれせねどもうちしほれ、なくなくくわんぎよなりけり。らいかうゐんのさびしさ、せれうのさとのほそみちわすれがたく、あはれにこころぼそくぞおぼしめされける。にようゐんはていしやうまでいでさせましまして、はるかにみおくりたてまつらる。昔をおぼしめしいでける御涙の色ふかくぞ見へさせ給ける。らうそうじやうの、末の露もとのしづくやよのなかのおくれさきだつためしなるらむ
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とながめけむも、誠にことわりとおぼしめししられけり。法皇も道すがら御涙にむせばせ給て、あはれつきせずおぼしめされければ、おんかへりみがちにぞおぼしめされける。くわんぎよもやうやくのびさせ給しかば、にようゐんはぢぶつだうにいらせ給て、ねんぶつかうしやうに申させ給て、「しやうりやうけつぢやうしやうごくらく、じやうほんれんだいじやうしやうがく、ぼだいぎやうぐわんふたいてん、いんだうさんうぎふほつかい、てんししやうりやう、じやうとうしやうがく、いちもんそんりやう、しゆつりしやうじひぐわん。必ずあやまち給わず、ひごろのねんぶつどきやうのくりきによつて、いちいちにじやうぶつとくだうのえんとみちびき給へ」と、なくなくきねんせさせ給て、御涙にむせばせ給けるこそあはれなれ。法皇のごかうをごらんぜらるるにつけても、昔をおもひいだしつつ悲ませ給へる御有様、さこそおぼしめすらめと、よそのたもとまでも
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くちぬべくぞおぼへし。そのこうてうにたちいでましまして御覧じければ、ごあんじつの柱に。いにしへはくまなき月とおもひしに光りをとろふみやまべのさとわがみのおんことよとおぼしめしいりて、たれびとのしわざにやと、ことわりとぞおぼしめされける。御袖かわくまぞなかりける。とくだいじのさだいしやうしつていのきやうのかかれたりけるとかや。昔世ををさめたまひし時には、東にむかわせたまひて、「なむいせだいじんぐう、しやうはちまんぐう、おんまなじりをならべて、てんしほうさん、せんしうばんぜい」と祈り、こんぜをのがれさせ給へるつとめには、西にむかわせ給て、「なむさいはうごくらくけうしゆあみだぶつくわんおんせいし、ねがはくはきやうげんきぎよのあやまりをひるがへして、ろくだうししやうさんづはちなんのくげんをはらひて、くほんのうてなに
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迎へ給へ」と申させ給ふごきねんのほどこそ、かへすがへすもあはれなれ。寿永二年はいかなる年ぞや、てんしすいていことごとくさいかいのなみのしたにながれけむ。三月下旬はいかなる月ぞや、げつけいうんかくしかしながらせきぢのこていにくちにけむ。昔を思ひ今をかへりみるに、かなしみをそへあはれをもよほさずと云事なし。
廿六 にようゐんはほふわうくわんぎよののち、さすが都のみこひしくおぼしめされて、ひごろおぼしめしいれさせ給たりつるじやくくわうゐんのおんすまひも、かれがれにおぼしめしなりて、いかなりけるおんたよりにかありけむ、ほつしやうじなる所にかすかなる御有様にて住ませ給ける程に、じようきう三年ごとばのゐんのごかつせんに、都もしづかならず、院をはじめたてまつりて、みこのゐんゐんみやみやも、とういの手にかかりて国々へ流されさせたまふをきこしめすにつけても、せんていをはじめたてまつりて、一門一々
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都をおちて、さいかいのなみのうへにただよひて、つひに海底にしづみたまひしことども、只今の様におぼしめしいだされて、いよいよおんなげきつきせず、「いかなる罪のむくいにて、かかるうきよにうまれあひて、うき事をのみみきくらむ。じやくくわうゐんにあらましかばよそきかましか。さすがこれほどまのあたりはみきかざらまし」とさへおぼしめすぞ、せめての事とおぼえて哀れなる。これにつけてもあさゆふのおんぎやうぼふおこたらず。御年六十八とまうししぢやうおう二年のはるのくれに、しうんそらにたなびき、おんがくくもにきこへて、りんじゆうしやうねんにして、わうじやうのそくわいをとげさせ給にけり。おんこつをばひがしやまわしをと云所にをさめたてまつりけるとぞ聞へし。こんじやうのおんうらみはいつたんの事也。ぜんぢしきはこればくたいのいんえんとおぼえて、めでたくぞきこへし。昔のごとく、こうひの位にてわたらせ給はましかば、によしやうのおんみと
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して、いかでかはかのほつしやうのじやうらくをしようぜさせ給べきとあはれなり。「源平のさうろんいできたりて、わざはひにあはせましましけるは、ひとへにわうじやうごくらくのれいずいにて有ける物を」とぞ、ひとまうしあひける。さればひごろはじりりたのぎやうごふ、ゑかうのくりき、めいどにいたりて、ごいちるいもともにくるしみをはなれたのしみをうる、うたがひあらじものかな。
廿七 げんにゐは、けんきうぐわんねん十一月なぬかのひしやうらくせられて、おなじきここのかのひ、じやうにゐだいなごんに任ぜらる。おなじき十二月よつかのひ、だいなごんのうだいしやうにはいにん。すなはちりやうしよくを辞して、おなじき十六日、関東へげかうせられぬ。同三年三月十三日、法皇かくれさせたまひぬ。
廿八 おなじき六年三月十三日、とうだいじだいぶつくやうありけるに、ずいひやうの
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為に二位殿しやうらくせられ、三月十二日、南都へつきたまひて、つぎのあした十三日たつのこくに、東大寺へさんけいせられける。「なんだいもんの東の脇にだいしゆしゆゑしたる中に、あやしき者のみえつる、めして参れ」とのたまひければ、すなはちかぢはらはしりむかひて、ひつぱりてまゐりたり。ひげをそつて、かみをそらぬものなりけり。子細をたづねられければ、「かほどになりぬる上はろんじまうすにおよばずさうらふ。うんつきたまひぬる平家のかたうどつかまつるによりて、かくまかりなりさうらひぬ。これは平家にしこうしてさうらひし、さつまのへいろくいへながとまうすものにて候。もしびんぎさうらはばとぞんじて、うかがひまひらせ候つるなり」とはくじやうしければ、「こころざしのほどしんべうなり」と感じ給けり。供養ののち、都へかへりたまひて、ひそかにきられにけり。
廿九 ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎは、都にもあんどせずして、たぢまのくににおちゆきて、
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けひのごんのかみみちひろがもとにかくれゐたりけり。人是をしらず。みちひろが娘の有けるに、もりつぎしのびてかよひけり。されどもはりふくろをとをすふぜいにて、かくれなかりけり。盛次しのびて京へのぼりて、としごろしりたりける女のもとへぞかよひける。あるよかのをんな、「さてもいづくにおわするぞ。かやうになさけをかけ給へば、露おろかの儀なし」と、ねむごろに云ければ、「われはたぢまのくにけひのごんのかみみちひろと云者がもとにあるなり。あなかしこ人にひろうすな」とぞ語りける。さる程に鎌倉殿より、「ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、からめてもうちてもまゐらせたらむ者にはけんじやうあるべし」とひろうありけり。かのをんなには又としごろのまをとこありけり。このをとこあるよのねざめに、「盛次をからめてもうちてもまゐらせたらむ者には
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けんじやう行わるべきよし、鎌倉殿よりひろうあり。あはれ、いづくにか有らむ。からめてけんじやうをかうぶらばや」と云ければ、人の心のうたてさは、ま男にや移りけむ、このをんな、「わらわこそ知たれ」と申ければ、男よろこびて、さまざまのひきでものをして、すかしとひければ、女ありのままに語りたりけり。すなはち鎌倉殿にこのよしを申たりければ、やがてみちひろにおほせて、からめてたてまつるべきよしおほせらる。をりふしけんきうはちねんのころ、みちひろおほばんの為にざいきやうして有けるが、わがみはくだらずして、みちひろがいもうとむこ、あさくらのたいふもちてさうらひしが、「今は運つきて、かやうにからめめされさうらふうへは、ちからおよびさうらはず。とくとく首をめせ」とぞまうしける。二位殿打うなづき、「あはれ、これらをたすけおきてめしつかはばや」と思給けれども、「平家のさぶらひの中には一二の
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者也。虎を養ふうれひあり」とて、つひにもりつぎはきられにけり。
三十 かづさのあくしつびやうゑかげきよはかうにんに参りたりけるを、わだのさゑもんのじようよしもりにあづけらる。昔平家の時にふるまひしやうに、ややもすれば義盛をおもひあなづりて、さかづきも前に取り、えんより馬におりのりなむどしければ、義盛もてあつかひて、「かげきよがよしもりをばあまりにあなづりさうらふに、他人にあづけたび候へ」と申たりければ、はつたのしらうともいへにあづけられにけり。のちには法師になりてひたちのくにに有けるが、とうだいじのくやう三月十三日ときこゆ。さきだちてなぬかいぜんよりおんじきをたちて、ゆみづをものどへも入れず。供養の日、つひに死にけり。
卅一 ろくだいごぜんゆるされたまひてのち十二年とまうしし、けんきう七年七月十
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日さるのこくに、ほつしやうじのいちのはしへんにむほんのものたてごもりたりとて、二位殿のいもうとむこ、いちでうのにゐのにふだうのさぶらひ、ごとうざゑもんもときよがしそく、しんびやうゑもとつな、五十余騎ばかりにてはせむかひて、からめとらむとしければ、かのところうしろには大竹しげりて、前には高岸にて橋をひきたり。外よりかりばしをわたしてうちいりてみれば、かくれこもりたりけるものどもまちうけてさんざんに戦けるが、おほぜいなほはせかさなりければ、こらへずして、うちじにする者もあり、自害する者もあり、自害なかばにしかけたる者もあり、又うしろより堀をこえておつる者もあり。大将軍はこしんぢゆうなごんのおんこ、三歳にてじよしやくして、いがのたいふともただとて、きいのじらうびやうゑためのりにふだうがやうくんにしたりける、としはたちばかりなる人なりけり。
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としごろはいがのくにのやまでらにおはしけるが、年もをとなしく成て、ぢとうしゆごもあやしみぬべかりければ、けんきう七年の秋のころをひより、ほつしやうじのいちのはしのへんにしのびておはしけるに、平家のさぶらひどもわづかにかひなきいのちばかりいきて有けるが、このともただをたいしやうにてせうせうたてごもりたりけり。ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、あくしつびやうゑかげきよ、ひだのしらうびやうゑかげとしらなり。手のきはいくさして、じやうのうちみだれにければ、うしろのたけはらよりにげにけり。これらはさいこくにていくさやぶれければ、平家の人々海へいりたまひし時、共に入たりけれども、くつきやうのすいれんにてありければ、海の底をづぶにはいて、地へつきてまどひありきけるほどに、いがのたいふの
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もとへたづねゆきて有けるに、つよくせめければ、かなはずして逃にけり。かうのものはよくにぐるとは、かやうの事を申べきなり。平家のけにんの中にはむねとのさぶらひ、いちにんたうぜんのものどもにて、もじがせきにてもこれらにこそ人は多くうたれしか。ためのりはやうくんの自害したるを膝の上にひきかけて、腹かひ切て、うつぶしにふしたりけり。そのこどもさんにん、ひやうゑのじらう、おなじくさぶらう、おなじくしらうとて有けるも、おなじく自害してさうにふしたり。あはれなりし事也。そのころ、くわんげんするとてよりあひよりあひ、夜はあそびてあかつきはかへりかへりしけるを、ざいちのものどもあやしみて、にゐのにふだうにつげまうしてうたせたりけるとかや。かのところはへいけのしやうこくぜんもん、よきじやうくわくなりとて、じやうにかまへむとて、しめをかれたりし
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所也。ごとうざゑもん、くびどもとりあつめて、にゐのにふだうに見せ奉たりければ、わかうどの首にては有けり、いちぢやうともただの首とも知給はず。この人の母はぢぶきやうどのとて、七条のにようゐんにしこうの女房なりけるを、むかへよせられて、「いちぢやうともただのくびか」とみせられければ、女房のたまひけるは、「七歳とまうししにためのりにあづけおきて、わがみはこちゆうなごんに具せられてさいこくへまかりしのちは、いきたりともしにたりともそのゆくへをしらず。まして相見るまではおもひもよらず。たしかにそとはおぼえねども、故中納言のかほざしのおもひいださるる。さにこそ」とのたまひて泣給。「さてこそいちぢやう」とはしられにけれ。いまさらのことどもおもひいだしたまひけむ心のうちこそあはれなれ。
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卅二 こまつどののしそく六人おはせしも、ここかしこにてうしなはれける中に、たんごのじじゆうただふさはやしまのいくさよりおちて、ゆくへをしらざりつるが、きいのくにのぢゆうにんゆあさのごんのかみむねしげがもとにかくれゐられたりけり。是を聞て、いづみ、きいのくに、つのくに、かはち、やまと、やましろ、いが、いせ、きんごくの平家のけにんども、一人二人きくははりける程に、五百余人こもりたり。二位殿このよしをききたまひて、くまののべつたうたんぞうほふげんにおほせて、さんかげつがあひだにせめたたかふことはちかどなり。ゆあさにはくつきやうのじやうあり。をかむらのじやう、いはのがはのじやう、いはむらのじやうとてさんかしよあり。かのじやうにくつきやうのものどもたてごもりたり。このほかまたゆあさがいへのこらうどう、数をしらず。中にも湯浅がをひ、かんざきびとうだ、しやていびとうじ、むこにふぢなみのじふらう、そのやうじに
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いづみげんざうきやうだい、いはどののじらうむねかたなど云、いちにんたうぜんのつはものどもたてごもりたるあひだ、たやすくせめおとしがたし。たんぞうたのみ切たるさぶらひ、すずきのごらうざゑもんと云者、人にもすぐれてすすみいでてたたかひけるを、ゆあさがをひびとうだ、おほかぶらやのじふごそくあるをあくまではなつ矢に、ごらうざゑもんのじようが鎧のおしつけの板を、ぬしをこめていとほしたり。是をみてうつてのつはものどもすすみたたかはず。そうじてみつきのあひだにかつせんすどに及ぶ。かかりければくまのぼふし多くておひて、郎等あまたうたれにけり。たんぞう、「せめたたかふに今はくわんびやうちからつきて候。国をもしごかこくよせらるべし」と申たりければ、二位殿おほせられけるは、「くわんびやうのいふかひなきにこそあむなれ。
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いかさまにもしじゆうはいかでかこらふべきなれば、せいをものぼすべきにてはあれども、はかりことをめぐらしてよすべきなり。さんかいをよくしゆごしてぬすびとをしづめよ。固く守護せばひやうらうまいつきて、一人二人おちむ程に、一人も有まじきぞ」とおほせらる。これによつて守護きびしかりければ、あんのごとくひやうらうまいつきて、おもひおもひにみなおちうせにけり。二位殿おほせられけるは、「こまつどののきんだちかうにんにならむをばなだめまうすべし。たてあわむ人々をばちゆうすべし。へいぢのらんのとき、頼朝がしざいにさだまりし事をば、いけのあまごぜんのつかひとして、こまつどの、だいじやうにふだうによきやうにまうされしによりてこそ、るざいにもさだまりたりしか。されば小松殿のきんだちの事、おろかともおもはず」とぞのたまひける。ただふさ、ゆあさのむねしげがせめおとされて、かうにんに成て鎌倉へ
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くだりたまひたりければ、二位殿たいめんしたまひて、「みやこちかきかたほとりにかたのごときことなりとも、おもひしりたてまつらむずるぞと、しやうらくあるべし」とのたまひけるにつきて、のぼられける程に、あふみのくにせたと云所にて、たばかりて切てけり。かしこかりけるはかりことなり。
卅三 又小松殿のばつしにとさのかみむねざねと云人おわしけり。三歳よりして、おほひのみかどのさだいじんつねむねとりたてまつりて、やしなひたてまつりて、いしやうたにんになして、弓矢の道をもたしなまず、只ぶんぴつをのみをしへたまひて、てうかにつかへ給て、今年は十八になりたまひけるを、鎌倉よりはたづねはなかりけれども、なほせけんにおそれて、昔のよしみを忘れておひいだされければ、ゆくかたなくして、だいぶつのひじり、しゆんじようしやうにんのもとにおわして、もとどりを切て、「これ
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そりおろしてたびさうらへ」とのたまひければ、上人、「たれにておわするぞ」ととはれければ、「これはここまつのだいふがばつしにて候けるを、三歳よりおほひのみかどさふのいうしにして今まで候つるを、せけんにおそれておひいだして候時に、かみをそりておんでしになりて、ごせをも助かりさうらはばやとて、ひらに参て候也。あしかるべしとおぼしめされさうらはば、鎌倉へこのよしを申させ給て、さのさうにしたがはせ給へかし」とのたまひければ、しやうにんあはれみたまひて、とうだいじのゆくらと云所にすへ奉りて、いそぎ鎌倉へつかひをたてて、二位殿にまうされたりければ、「あながちに罪深かるべき人にあらず。そのうへしゆつけにふだうしてければ、さやうにてそれにおきたまへ」とまうされたりければ、しやうにんなのめならずよろこびておきたてまつりたり。のちにはかうやさんれんげだにと云所にぢゆうして、
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しやうれんばうとてちかくまでおわしけるを、このいがのたいふの事いでて、猶あしかりなむとて、とさのにふだうしやうれんばうをば鎌倉へよびくだされけされければ、入道、いでたまひける日よりおんじきをたちて、十三日と申すに、あしがらやまをこえてせきもとといふところにて、つひにうせたまひぬ。あはれなりしことども
なり。
卅四 あはのかみむねちかとてやしまのおほいとののばつしおわしけり。誠にはやうじにておわしけり。はなぞののさだいじんどののおんすゑとかや。これも平家ほろびてのち出家し給ひて、しんかいばうとて、ぶつしやうばうとまうすひじりあひともにかうやにこもりゐて、ねんねんひさしくおこなひたまひけり。そののちだいぶつのひじりのもろこしへ渡りけるたよりにつきて渡る。かのくににとしごろありておこなひたまひける有様、世の常の事にはあらず。ひとへにしんみやうををしまず。あるときはしゆつけざぜんとて、どうぎやう
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三人ぐして深き山に入て、くさひきむすぶほどのかんさうだになくて、ひとへにうろに身をまかせつつ、四五十日とおこなひたまひければ、今二人はたへずして、すててかへりにけり。其後に又この国へかへりて、都のほとりは事にふれてすみうしとて、おほいとのの「あくろ、つがろなりとも、ゆりだにしては」とのたまひけむかた、そのなさへむつまじくて、常にはえびすがすむ、あくろ、つがろ、つぼのいしぶみなど云かたのみにすまれ給けるとかや。妹あまたおはしける中に、てんわうじにりゑんばうとてすみ給は、けんれいもんゐんに六条殿とてさうらひたまひし女房也。彼のひじりの有様、さんりんにまどひありきてあともとどめずなどばかりは、ほのかにきこゆれども、ちかごろは対面などせらるるたよりもなければ、いきてやおはすらん、しらず。ひたすら
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むかしがたりにてすごしたまひけるに、この三四年かんざきとまうすところに、おもひよらぬ程に、よにすずしげなる人あり。わらはべあまた尻にたちて、ものぐるひとてわらひののしる。そのさまをみれば、人にもあらず、やせくろみたる法師のかみぎぬのきたなきが、わらわらとやれたるがうへに、あさのころものここかしこ結び集めたるを、わづかにかけつつ、かたかたやぶれうせたるひがさをきたり。「あないとほし、こはなに物のさまぞ」とおもふほどに、としごろおぼつかなく心にかかれるしんかいばうなり。是をみ給に目もくれて、あはれにかなしき事かぎりなし。まぢかくみむ事もかはゆきさまなれば、ふるき物共ぬぎすて、湯なむどあぶせ奉りて後、しづかにとしごろのいぶせさも語られけり。「今は年も高くなり給たり。おこなふべき程につとめてすごしたまひにき。いづくにものどかにしづまりて、
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念仏など申てゐたまへ」と、ねむごろにいさめて、山里にいほりひとつむすびて、こぼふしひとりさたしつけて、そのよういなどかの妹のさたしおくられければ、しぶしぶながら月日をすごし給けるほどに、あるときかはちのひろかはと云所にすむひじりとかやたづねきたりけり。これに対面して、よもすがら物語せられけるを、このこぼふし物をへだててききければ、「かくてもなをごせ必ずしうべしともおぼえず。事にふれてさはりあり。ただもとありしやうに、いづくともなくまどひありきて、いささかも心をけがさじと思て」など有ければ、あやしと思けれども、たちまちに有べき事とも思はですぐる程に、そののち四五日ありて、いづくともなくうせられにけり。小法師こころありける者にや、悲しくおぼえて、なくなくたづねありきけれども、いづくをはかりともなし。
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「ありし夜の物語の中に、たんばの方へとかや、ことばのさきばかりほどにきこへし物を」と思て、こころざしのあまりにいづくともなくたづねありきければ、あなうと云所にて、けうにしてたづねあひたてまつりにけり。ひじりおぼへずあきれたるけしきにて、「いかにして来たるぞ」といわれければ、「ひごろもさるべきにてこそつかまつりつらめ。いかなる有様にても、御共に候はむとおもひはべるこころざしふかくて」など、なくなくきこゆ。「こころざしはいとありがたくあはれなり。しかはあれども、いかにもいかにもかなふまじき」よしのたまへば、猶もしゐてもきこへば心にもたがひぬべきやうなれば、なくなくかへりにけるのちは、きよしよも定めず、くもかぜにあとをまかせて、さらにゆくへもしらず。いとたつとく、まつせにはありがたき程の、むごくのだうしんじやなり。このひとばかりぞまどひありきて、平家のごせどもとぶらはれける。
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卅五 さいこくのかつせんのとき、へいけぢゆうだいさうでんのしよじゆう、たいりやくほろびうせぬとおもひしに、いかにしてもれにけるやらむ、ひごのかみさだよしもうちもらされて、きいのくになる所にかくれゐたりけるが、としごろきよみづのくわんおんを信じたてまつりて、こうをいれまひらせけるが、今は程も遠し、せけんもおそろしくおぼえて、参る事もかなはざりければ、とうじんのせんじゆをつくりたてまつりて、朝夕にくぎやうらいはいし奉る。さるほどに、このさだよしかくれゐてありといふきこへいできたりて、鎌倉へめしくだされけるに、「このほんぞんをかくておきたてまつらむよりは、おなじくはきよみづへおくりおきまひらせむとおもふなり」とて、おくりおきまひらせてけり。さてさだよしは鎌倉へくだりたりければ、ゆゐのはまへいだしてくびをきらるるに、都の方へむかひて、「なむせんじゆせんげんだいじだいひくわんじざいだいしやう、ごせたすけ給へ」と三度ふしをがみて、
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さらばとくしてくびをのべければ、きらむとするに、たちにはかにおれてけり。されどもなにと思ひわく事なくて、又べちのたちをもつてきるに、またさきのごとくおれにけり。さだよしも不思議におぼえけり。そのとききりてもぶぎやうもあやしみて、ゆゑをとふに、「なにごとも侍らず。われとしごろきよみづのくわんおんをたのみたてまつりて年久し。すなはち只今も、『ごしやうたすけたまへ』とまうすばかりなり。そのほかは何事もなし」と申せば、「さてはうたがひなき観音のおんぱからひにてこそ」とて、「このしだいを鎌倉殿へ申さではいかが」とて、つかひをいそぎまひらせけり。鎌倉のうだいしやうはそのをりしもすこしよりふして、ねぶり給たりけるに、夢のうちにらうそうきたりていはく、「さだよしをば今はゆるし給へ。われかわらむ」といふを、「汝はなにびとぞ」とたづねられければ、「是は都の方、きよみづよりきたりてはべるなり。かのさだよしはをさなくよりわれにこころざしふかくて、
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ふびんにぞんじさうらふ。われすでにかはりぬるなり」とのたまふとおもひて、うちおどろきたまひぬ。「うたがひなき観音のおんぱからひ」と思給に、みのけいよだちて、いそぎこれをとどめにゆゐのはまへ人をつかはし給ける程に、浜よりつかひはしりつきて、事の次第をこまかくまうすに、「かへすがへす不思議の事也」とて、さだよししざいをゆるされければ、うつのみやがあづかりて、もてなしだいじにしけり。かのうつのみや、平家にめしこめられたりしを、さだよしまうしうけてゆるしたりけり。そのおんをわすれずして、今かく大事にしけり。恩をわすれぬうつのみやをききおよぶひと、感ぜずと云事なし。人にはよくあたりをくべき事也。くだんの貞能がほんぞんのきよみづへ送りまひらせたりけるが、あたらしき御仏なれば、おちたまふべくもなきに、にはかにみぐしのおちたりけるを、ふしぎやとて、よくよくなをしまひらす
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るに、又やがてにどまで落させ給たりけれども、じそうもなにとも思ひわかず。そのよかのそうの夢にあるそうきたりて、「わがくびのおつるをばなにとか思ふ。さだよしがくびを切らるるにかはりてきられつる」といふとみてゆめさめて、人々に語りけり。まことにくわんおんぎやうに、「りきじんだんだんゑ」といへるもん、このことにやとおもひあはせられけり。のちにきこへけるは、やがてこのさだよしがきられけるどうにちどうじに、みぐしもおちさせおはしましけり。おんくびにかたなめふたところおはしけり。今にそのあとはおはすとぞ承る。かへすがへす不思議の事也。これのみならず、げんぶつにておはしましければ、りしやうかぶる人も多し。きよみづにはげんぶつあまたおはしますとまうすは、すなはちこのおんほとけそのうち也。鎌倉のだいしやうこのことをききたまひて、観音を深く信じ給けり。さだよしも仏の
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おんあはれみの者なればとて、事にふれてとぶらひたまひけり。さだよしもめしくだされし時はさるべきにはあらねども、ほんぞんもうらめしく思ひまひらする心も有しに、今はいよいよしんじんをいたす。かくれゐたりし時は、波のたち、風のふくもおそろしくおぼえて、安き心なかりしに、今はなかなかしんぢゆうもひろびろとおぼえければ、「とても観音のごはうべん、はかりことましまして、ごしやうにをきてはうたがひあらじ」と、たのもしくぞおぼえける。人々申けるは、「平家のすゑずゑのきんだちだにも、むほんをおこしたまひておんだいじに及ぶ。ましてたかをのもんがくしやうにんのまうしあづかりたまひしろくだいごぜんは平家のちやくちやくなり。おほぢこまつのないだいじんどのはよのなかのかたぶかむずる事をかねてしりたまひて、くまのごんげんに申給て世をはやくし、ちちさんゐのちゆうじやうどのはいくさのさいちゆうにしづかにものまうでし給て、身をかいていに
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なげたまふ。かかる人々の子孫なれば、かしらはそるとも心のたけき事はよもうしなひたまはじ。哀れとくうしなはれで」と申けれども、二位殿ゆるし給はねば、ちからおよばずすぎけるほどに、「二位殿もかくいふなり」とききたまひては、「もんがくがいきてあらむ程はさてありなむ」とぞおもひたまひける。
卅六 もんがくしやうにんは元よりおそろしき心したる者にて、「たうぎんはぎよいうにのみ御心をいれさせ給て、世のおんまつりごとをもしらせ給はず。くでうどのごろうきよののちはきやうのつぼねのままにてあれば、人のしうたんもとほらず。ごたかくらのゐんをばそのころはにのみやと申けり。にのみやこそごがくもんもおこたらせ給はず、せいりをさきとしておはしませ」とて、くらゐにつけまひらせて、世のまつりごとおこなはせまひらせむとはからひけれども、鎌倉のだいしやうおはせしかぎりはかなはざり
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けり。このきみげいのうふたつをならぶるに、ぶんしやうにおろそかにして、きゆうばにちやうじ給へり。国のらうぶひそかに、ぶんを左にしぶを右にする、ていとくのかけたるをうれふる事は、かのごわうけんかくをこのみしかば、てんがきずをかうぶるものおほし。そわうさいえうをこのみしかば、きゆうちゆうにうゑて死する人おほかりき。きずとうゑとは世のいとふ所なれども、かみのこのみにしもの随ふ故に、国々のあやふからむ事をかなしむなりけり。源二位しようじんかかはらず、だいなごんのうだいしやうまでなりたまひにけり。うだいしやうおはせし程は、はからひおこなはせまひらせむと思けれども、かなはざりける。しやうぢ元年正月十三日、うだいしやうよりとも隠れたまひてのち、この事をなほはかりけるが、世にきこへて、もんがくたちまちにゐんかんをかうぶりて、二月六日、にでうゐのくまのしゆくしよにけんびゐしあまたつきて、めしとりてさどのくにへぞながされける。鎌
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倉よりさゑもんのかみどのしきりにとりまうさせ給ければ、すなはちめしかへされにけり。たかをにあんどせさせられけるに、たかをのしやうにかしよめされたりけるを、「かへしつけられてあんどせむ」と申ければ、「ことしばかりはあてたまふ人にしらせて、みやうねんよりつけむずるぞ」とおほせければ、「こはいかに、頼朝の世につけられたるしやうを、もんがくをめしかへさるるほどにては、いつしよも返さるまじきやうやはある。かのしやうかへしつけられぬ程ならば、もんがくはあんどすまじき物を」といふ。たうぎんはおんぎつちやうをこのませ給ひければ、もんがく「ぎつちやうくわんじや」とぞ申ける。くげより鎌倉へこのよしおほせければ、「さやうにくげのおんためにあしくさうらはむずる者をばちからおよびさうらはず。ともかくもおんぱからひ」とはなたれければ、このたびはおきのくにへぞつかはしける。「安からぬ事かな。このぎつちやうくわんじやにかくせらるる事よ。目あらむ者はたしかにみよ、耳あらむ者は
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たしかにきけ。我にかやうにからき目みすれば、ただいまにわがまへへむかへとらむずるぞ」と、はがみをしてぞ申ける。かくていくほどもなくてしにける時、弟子の二人有けるに、「わがくびをば都へもてのぼりてたかをにをけよ。都見えむ高からん所にをけ。都をまもりてかたぶけむ」とぞゆいごんしける。さればひそかにもてのぼりて、たかをに墓をばしてけり。そののち十一年と申けるに、とがのをのみやうゑしやうにんのもとにもんがくばういできたる。につちゆうのぎやうしておはしけるおんうしろばかりにきたりて、「ごばうはわたらせたまひさうらふか」。「たそ」とのたまへば、「もんがくなり」と答ふ。「ごばうはしにたまひたるときくに」とのたまひければ、「しにはしにて候へども、申べき事さうらひて、参てさうらふ。このぎつちやうくわんじやにつらうあたられて候あひだ、あたりかへさむとぞんじさうらふが、この十一年之間、ぶつじんのおんゆるしの候はねば、力及ばでさうらひつるが、あまりに申
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候へば、やうやうおんゆるしのさうらふあひだ、むほんをおこさむとしつるに、めぐらしぶみをいださむとし候が、紙の候はぬ。かみやさうらふ。たばせたまへ」。かみもなきものをや」とのたまひければ、「ああかみはさうらふぞ。ただたびさうらへ」とまうしてうせにけり。おんでしたちをめして、「かかることこそありつれ。ごばうたちがもとにかみやある」。「ひとひのおんふせのかみのひやくでふさうらひし。ごじふでふはめされさうらひぬ。いまごじふでふざうらふ」とまうしければ、「さてはそれをみてぞいふらん」とて、かれがはかにてぞやきあげける。そののちしごにちあつて、またにつちゆうのぎやうしておはしけるうしろばかりにきたりて、「ごばうはわたらせたまひさうらふか」。「たそ」とのたまへば、もんがくざうらふ」とて、「ひとひかみたまはりさうらひて、めぐらしぶみいだして、むほんをおこしてほろぼさむとしさうらふに、くげよりさだめて、『くげあんをん、くわんとうそんばうのぎやうせよ』と、おほせさうらはむずらむ。あひかまへてさやうのぎやうばしせさせたまひさうらふな。『くわんとうあんをん、くげそんばう』と、いのらせたまひさうらへ。ささうらはずはごばうのしやうげのかみ」と
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まうしてうせにけり。おきのゐんのごむほんはもんがくがれいとぞきこえし。
卅七 そののちろくだいごぜんはうちたへたかをにもおわせず、やまやまてらでらしゆぎやうして、ちちのごしやうぼだいをとぶらひたまひけるが、もんがくるざいせられたるよしつたへききたまひて、たかをへかへりたまひたりけるを、あんどううゑもんのたいふすけかぬにおほせて、おなじきとしにぐわついつか、にでうゐのくまのもんがくしやうにんのしゆくしよにおしよせて、ろくだいごぜんをめしとりてくわんとうへくだしたてまつる。するがのくにのぢゆうにんをかべのさぶらうだいふよしやすうけたまはりて、せんぼんのまつばらにてきられけり。じふにさいにてほうでうのしらうときまさのてにかかりて、するがのくにせんぼんのまつばらにてきられたまふべかりしひとの、ことしにじふろくまでいのちいきたまひて、つひにせんぼんのまつばらにてきられたまひぬるも、ぜんぜのしゆくほうとおぼえてあはれなり。これよりへいけのしそんはたえはてたまひにけり。
卅八 けんきうさんねんさんぐわつじふさんにち、ほふわうつひにほうぎよ。おんとしろくじふろく。こうねんかううんの
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きみなり。おんが、おんぎやくしゆ、かうやまうで、ごとうざん、しようちめいしよのえいらんをきはめ、げんぶつれいしやのりんかうをつくし、しめいにはだいじようかいをうけ、みゐにはみつけうをならひ、とうだいじにはしやうむさうさうのあとをとめて、こんどうのれいざうおんてをくだしにかいげんしたまふ。えいしんにそむきしあおばはかぜのまへにちりはて、てうしやうをみだりししらなみはうたかたときえしかど、ぶんだんのあきのきり、ぎよくたいををかして、むじやうのはるのかぜ、はなのすがたをさそひき。わうじやうごくらくはあさゆふのおんのぞみなりければ、りんじゆうしやうねんみだれず、ゆがしんれいのひびきはそのよをかぎり、いちじようあんじゆのおんこゑはそのあかつきにをはりき。ふてんかきくらし、そつとつゆしげし。さうもくうれひたるいろあり。いはむやはりようのまつにをいてをや。てうじやくかなしべるこゑあり。いはむやどうていのつるにをひてをや。おほみやびとはさくらいろにそめしたもとををしなべて、うのはなをまつにさきかかるふじのころもにたちかへて、じひのめぐみいつてんのしたをはぐ
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くみ、びやうどうのじん、しかいのほかにながしき。
卅九 そもそもせいいしやうぐんさきのうだいしやう、そうじてめでたかりけるひとなり。さいかいのはくはをたひらげ、あうしうのりよくりんをなびかしてのち、にしきのはかまをきてじゆらくし、うりんたいしやうぐんににんじ、はいがのぎしき、きたいのさうくわんなりき。ぶつぽふをおこしわうぼふをつぎ、いちぞくのおごれるをしづめ、ばんみんのうれひをなだめ、ふちゆうのものをしりぞけ、ほうこうのものをしやうし、あへてしんそをわかず、まつたくゑんきんをへだてず。ゆゆしかりしことどもなり。このだいしやうじふににてははにをくれ、じふさんにてちちにはなれて、いづのくにひるがしまへながされたまひしときは、かくいみじくくわほうめでたかるべきひととはたれかはおもひし。わがみにもおもひしりたまふべからず。ひとのほうはかねてぜんあくをさだむべきことあるまじきことにや。なにごとのおはせむぞとおもひたまひてこそ、きよもりこうもゆるしおきたてまつり、いけのあまごぜんもいかにいとほしく
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おもひたてまつりたまふとも、わがしそんにはよもおもひかへたまはじ。「ひとをばおもひあなづるまじきものなり」とぞ、ときのひとまうしさたしける。
平家物語第六末
(花押)