カワウソと『円朝全集』と


                     

延広真治


 夕刊を手に取ると飛び込んで来たのが、「カワウソ 日本にもう一度」との見出し(二〇一三年二月十三日付『朝日新聞』)。「絶滅」宣言の出たニホンカワウソに代えて、ユーラシアカワウソを導入しようとの動きがあるとのこと。そこで、ふと思ったのはユーラシアカワウソも人を化かすのか、どうか──残念ながら、記事は、この重大な疑問に答えてはくれなかった。ホンドギツネにしても絶滅は免れているものの、内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(二〇〇七年、講談社刊)によると、昭和四十年以降、だまされた話が発生しなくなったという。しかし、カワウソやキツネに化かされてみたいという郷愁にも似た思いがあるからこそ、『ゲゲゲの鬼太郎』に読み耽ったり、「カランコロンの唄」を口ずさんだりするのではあるまいか。

 カランコロンと言えば円朝作『怪談牡丹燈籠』、幽霊の訪れを告げる駒下駄の音として誰しも知るところ。速記術普及の願いを込めて、明治十七年に刊行されるや好評を博し、口語文体に多大の影響を与え、人間の姿や心の動きを微細に描き得るようになつた(越智治雄『近代文学の誕生』昭和五十年、講談社刊)。この『怪談牡丹燈籠』を巻頭に置く、『円朝全集』第一巻が岩波書店から刊行されたのが昨年十一月末。今年一月には長編の『安中草三の伝 後開(おくれざき)榛名の梅が香』を含む第二巻の刊行を見、本稿が読まれる頃には第三巻が刊行されているはずである。春陽堂版、角川書店版に続(つ)ぐ三度目の全集は、四月下旬に予約締切を迎える。
 本全集の言わば第一歩となったのは、「円朝没後百年記念特集」を冠した『円朝文学の世界』(『文学』増刊、二〇〇〇年九月刊)と思われる。右の呼び物は再度の全集に洩れた円朝作「塩原多助後日譚」の翻刻掲載で、倉田喜弘氏の解題によって座右で読み得るようになったのは、誠に有難いことであった。筆者も「円朝没後百年に寄せて」を草し、日ごろの疑問や研究の進展が望まれる十項目を列挙した。修訂して掲出すると以下のごとし。
 一、諸本相互の関係と初出の確認。
 二、各作への註釈。
 三、存疑作の解明。たとえば鏑木清方は父条野採菊(じょうのさいぎく)の作として、『鶴殺疾刄庖刀(つるころしねたばのほうちょう)』『政談月の鏡』などを挙げるが(鈴木古鶴「円朝遺聞」、春陽堂版『円朝全集』十三)、その真偽は。また『雨夜の引窓』のように二代目円生より継承した場合、師弟間の演出の差異を知り得るのであろうか。
 四、円朝は初代古今亭志ん生や春錦亭柳桜などの影響を受けたと伝えられているが実証は可能であろうか。また山東京伝、柳亭種彦を好み、殊に曲亭馬琴作の数々は自作を創る際、大いに助けられたというが(明治三十二年八月十六日付『毎日新聞』、「芸人談叢 三遊亭円朝(四)」)、その実態はどうなのであろうか(斎藤忠市郎「落語史外伝 八」『落語界』昭和五十五年十一月号)。
 五、速記法創始以前に文字化されながらも、両度の全集に未収録に終った作品群。例えば「有馬土産千代の若松」は『諸芸新聞』(明治十四年九月十二日付より連載)には、春雨亭主人報、三遊亭円朝演とある。「報」の実態は。また『菊模様皿山奇談』等の草紙仕立ての作と速記本との関係は。
 六、条野採菊、河竹黙阿弥、松林伯円らの作品との関係。
 七、翻案物の原作の発見。なお従来、翻案物とされていない作品中に混じっている場合があり油断がならない。
 八、落語についての考察。意外に思われる向きもあろうが、円朝物で論じられて来たのは、そのほとんどが人情咄、怪談咄である。
 九、 仏教や陽明学との関連。市島春城『文墨余談』(昭和十年。翰墨同好会、南有書院刊)に書物屋松山堂より聞いたとして、「円朝は古版の大蔵経をも蔵し、又案外なるは熱心の王陽明研究家で、彼れは死後売却した十中八九の書は王陽明に関するもの」とある(森銑三『明治人物夜話』昭和四十四年、東京美術刊)。円朝は臨済宗を修めて開悟、舌を動かさずに話し得る境地に達し、滴水禅師より居士号、無舌居士を与えられたという。
 十、従来未紹介であった作品や書簡等の発掘と公開。
 おおむね右のように掲げて「私の夢は、新しい『全集』の刊行である」と記したところ、倉田喜弘氏も同じお気持ちで実に心丈夫な思いがした。幸い岩波書店全集編集部が企画化を買って出て下さり、十川信介、清水康行両氏の御賛同を得て、体制の大枠が定まった。更に加えて今岡謙太郎氏の御助力を得て、本文作成の方針や組み方、巻立てなどが固まり、校注者として二十余名の方々に御協力頂ける運びとなった。予約を呼びかける内容見本も刷り上がり、第一回配本の日を迎えることになるが、この間、山本進氏はじめ種々御教え頂いた方々には感謝の外はない。

 没後百年から今日までの十三年間で、最大の慶事は、『松の操美人の生埋』(三巻収録)の原作が、大デュマ『ポーリーヌ』と判明したこと。サム・デ・フリント氏による大阪外国語大学大学院の修士論文であるが、同氏を、この発見にまで導かれた久堀裕朗氏の御尽力に改めて敬意を表したい。
 これで原作不明は、従来六作とされてきた翻案物のうち(永井啓夫『三遊亭円朝』昭和四十六年、青蛙房刊)、『黄薔薇(こうしょうび)』のみとなった。そこで『黄薔薇』の原作を探して失敗した体験を記して、関心を抱かれる方々の手間を省きたい。
 ハンガリーの作家にして政治家でもあったヨーカイ(Jokai)にも同名の小説(Asarga Rozsa、周作人による中国語訳『黄薔薇』、英訳Yellow Rose、独訳はレクラム文庫所収)があることで、類似の趣向として──男女の三角関係、薬物によって自分になびかせようとする、決闘によって決着をつける──の三点が挙げられる。しかし書生による政界浄化を山場とする円朝作に比して、ヨーカイは馬飼いと牛飼いの鞘当てという牧歌的な作品に仕上げており、その印象は全く異なる。加えて明治二十(一八八七)年刊行の円朝作よりヨーカイ作が後(一八九二年)になる難点が存する。ハンガリー大使館に照会したところ、ヨーカイ自らホートペーギー地方に赴いての作の由。
 ここで空想に耽る。ヨーカイと円朝に共通する原作があって、それがあたかも土地の伝承となり、ヨーカイの耳に入ったのではないか。桜井美紀『昔話と語りの現在』(一九九八年、久山社刊)によって解明された「大工の鬼六」の例を持ち出すと、Der Mythus Von Thorに見える北欧の聖オーラフ伝説を水田光が「鬼の棒」として翻案、『お話の実際』(大正六年、大日本図書刊)に収めたため口演童話として広がり、農婦より聞いたという織田秀雄が佐々木喜善に報告した結果、「大工と鬼六」と名付けて『聴耳草紙』(昭和六年、三元社刊)に掲載、松井直作・赤羽末吉画「だいくとおにろく」(一九六七年、福音館刊)が版を重ねたこともあって、我が国を代表する昔話の一つに成りおおせたという。未練たらしい空想はここまで。
 原作不明は『黄薔薇』一作のみと記したが、従来、翻案物とされていなかった中から、翻案物の可能性のきわめて高い作が見出されている。それは今回の全集三巻収録の『蝦夷錦古郷(こきょう)の家土産(いえづと)』(明治十九年刊)。中込重明『落語の種あかし』(二〇〇四年、岩波書店刊)によると、「英国一婦人の奇事談」を記した本より翻案したという菊廼舎東籬(きくのやとうり)『欧州奇談 夢の暁』(明治二十二年刊)と酷似しているからである。翻案物と言うと円朝の場合、欧米の文学を原作とする作を指すが、勿論、中国文学を取り込んだ作もある。一例を挙げれば、これも三巻収録の『業平文治漂流奇談』には、清朝筆記小説『虞初続志』七の「崔猛伝」に依るところがあるが、寄席で聴いてそのことを看破した森鴎外は明治十五年一月二十八日付『読売新聞』に、不識个庵主の名に隠れて投書する(宗像和重『投書家時代の森鴎外』二〇〇四年、岩波書店刊/池澤一郎「鴎外と荷風との寄席趣味 上・下」『文学』二〇〇七年三・四月号、七・八月号)。
 このように第三巻所収作総てが外国文学と関わっていそうである。今度の全集では速記の刊行順に作品を配列しているので偶然には違いないが、巻別の特色は自ずと当時の観客の好みの反映ともなっていよう。また巻立ての関係で気付いた点があるので、二、三例示しよう。『塩原多助一代記』十編に、多助が買いたく思った古着が有ることを主人に告げると、「田舎漢(いなかもの)だと思(おも)って馬鹿(ばか)にして。贋物(いかもの)でも売(う)られてはいかないぜ」との注意を受けた多助が「悉皆(すっかり)検(あらた)めやんした」と応じる場面がある。従来、気にも留めていなかったが、全集ではこの次に『鏡ケ池操松影(みさおのまつかげ)』が収められているため、主人の注意の適切さ、多助の用心深さが印象付けられることとなった。つまり、『鏡ケ池操松影』に次のような条が見られるからである。偽物(いかもの)と知らずに江戸の古着屋で購入した、下総大貫村のお里の嫁入り衣裳が祝宴中に帯際から切れ、お里は入水、母親の死霊が売り主を溺死させる。また第二巻『英国孝子ジョージスミス之伝』と『安中草三の伝 後開榛名の梅が香』は、上州(群馬)と江戸(東京)等を舞台とする点は固よ
りとして、父親を殺された側の息子と、殺した側の娘が結婚するとの筋立ても同様である。
 今回の全集は底本の挿絵を全て収めているため、浮世絵の画集としても楽しめ、往時に読者を誘って止まない。円朝は歌川国芳門人の時期があり、芝居咄の背景は自ら描いた。若林?蔵「故三遊亭円朝の事ども」六(『サンデー毎日』大正十五年十月十七日号)に、『塩原多助一代記』の挿絵について、「円朝が残らず下絵をかき、それに季節、年齢、衣裳等を詳細に記載して、画工に渡した」と語っている。他の作に言及はないが、殊に円朝作品の挿絵を多く担当した芳年などは同門同年なので、意思の疎通を計り易かったであろう。なお『塩原多助一代記』の素材を提供(種出し)した柴田是真も同門にあたる。
 ともに初めて全集に入る『応文一雅(おうぶみいちが)の伝』『谷文晁の伝』の主人公はいずれも画家である。一雅は洋画家高橋由一の門弟との設定。指輪を小道具に使う毒婦に翻弄されるものの、肖像画の雛形となった娘と結婚するとの筋立て。博雅の士の高教を願って止まない。一方、文晁は今年生誕二百五十年を迎えるが、「那智山真景図」などを描いている。円朝は「真景」に「神経」を効かし、画題ならば「累が淵真景図」と命名すべきを転じて『真景累が淵』(五巻収録)と定めた。その十一席に幽霊画蒐集家としての円朝宅を訪れた、粋な外国人(実はフェノロサ)との、幽霊の有無(ありなし)についての問答を紹介するが、合理的思考に対する、しなやかに抵抗ぶりが見事である。
 今回の『円朝全集』の特色として、初出に依拠する点が挙げられるが、その多くは『やまと新聞』である。同紙は、円朝物の連載で部数を伸ばし、東京地区で最もよく読まれたが、それ故に大震災、大空襲の被害が大きく、残念ながらかなり欠号が存する(殊に明治二十九年二月より三十三年一月)。一日分でも所蔵先を御存じの方は是非とも御知らせ頂くことを切望する。現に荒川ふるさと文化館に三十年一月三日付けのみ寄託されているが、この号で円朝が「懸賞一口噺」の点者をしていたことが判明した。『やまと新聞』以外にも円朝物を掲載している新聞雑誌は多い。どんな些事でも有難く、「円朝」とあれば御一報頂くことを願って止まない。

 カワウソの習性(捕えた魚を直ぐには食さず岸辺に並べておく)より生まれた季語に「獺魚を祭る」がある。二月二十日前後の五日間を指すが、心待ちにしているのは数年後に完結した『円朝全集』十五冊を枕辺に並べること。そう言えば獺祭書屋主人と号した正岡子規『筆まか勢』には、円朝の『名人競(めいじんくらべ)(錦の舞衣)』(十巻収録)を聴いて「余は小説の趣向もかくこそありたけれと悟りたり」と記す。ようやく先般完結した『新日本古典文学大系明治編』二十七巻、『正岡子規集』一〇四頁を御覧頂きたい。子規の感動は今なお新鮮である。

【付記】石井直人氏、塩谷善夫氏、島田泰子氏はじめ多くの方々の御教示を得ました。記して感謝します。
       (のぶひろ しんじ・国文学)

※本稿は、岩波書店『図書』第七七〇号(二〇一三年四月一日発行)に掲載されたものである。