河竹繁俊『黙阿弥の手紙・日記・報条など』(昭和四十一年。演劇出版社)270~272頁に、「文久三年亥のやよい」とある報条が紹介されている。
文久三年二月、猿若町の市村座で、黙阿弥が小団次のために「三題噺高座新作」(和国橋藤次)の世話狂言を自作の三題噺に因んで新作し、好評だった。三題噺の連中が引幕を作者に贈った時の摺物、一種の報條と見なすべきもの。
とあり、この中に、
振向て
草履ふまれつ 円朝
花戻
とある。
宮尾與男『幕末期の笑話本』(令和六年。新典社)391頁に「文久三年弥生」として記述があり、
円朝の名をみるが春陽堂版、角川書店版、岩波書店版には指摘されていない。
とある。
2.『笠亭仙果文集』(宮内庁書陵部蔵本)
三遊亭圓朝船にて三題話の会せし時其ノさまを画きてそへたる戯文〔文久三年七月八日〕
大井川の三(みつ)の船は。
圓融院の帝のむかし/\にて。墨田川の三題話の船は。圓朝子が今様の物好なるべし。岩戸丸〔神田川の屋根船の名〕に。通り神楽の鳴物にきはしく。有明楼〔山谷堀今戸橋の酒楼也〕の門近く溝寄て。夕月の入るを忘れ、興尽ざれば〔王子猷が故事〕夜もふけぬ也。傍にきく人漸帰去て。興笑連〔春野以下の騒客〕とたのしみ連〔粋狂連を贔屓の徒〕の。やね〔船名〕を左右に三の船。詩歌管絃の遊より面白し神もめで給はむかし〔船号に応ず〕
宮尾與男『幕末期の笑話本』(令和六年。新典社)392頁に翻刻紹介があり、
春陽堂版、角川書店版、岩波書店版には指摘されていない。
とある。
3.三題噺会ぶれ摺り物(文久三年)
河竹繁俊『黙阿弥の手紙・日記・報条など』(昭和四十一年。演劇出版社)に、「三題落語会」が掲載されている。63頁に写真、305・306頁に翻刻がある。
初めに、
三題落語会 来る六月六日
於柳橋柳屋興行
とあり、末尾に、
正九時より相始夕七ツ半
限りに候間御繰合御早々と
御入来冀希上候
会主 粋狂惣連
とある。
この中に、
祇園会
大津絵 円朝
西行法師
とある。
宮尾與男『幕末期の笑話本』(令和六年。新典社)393頁には、
文久三年(一八六三)八月以前
報条摺物に、兼題「祇園會、大津繪、西行法師」とある。これは新出の『今様三題噺初編』(文久三年八月、一八六三)に収める兼題でもある。文久三年八月以前の月例会での発表となる。『今様三題噺初編』には、柳亭左楽が三話、春廼屋幾久、好文舎花兄、福井扇夫、一恵齋よし幾、山々亭有人、三遊亭円朝らが、一話ずつの九話を収めている。『今様三題噺初編』の兼題「西行、祇園會、娘」をあげよう。
京都四條通り、さる方の娘、頃しも六月祇園中、フト北面の侍を見そめ、ぶら/\やまひとなりければ、ふた親はじめしんるい迄
「コハ只の病気にあらす、もしや戀やみにはあらざるか」
と見せの手代の心きゝたるが
「モシ嬢さま、あなたの見そめた、とのごといふは、どこのお人で厶り升」
といへば、娘は
「アイ其人は北面のぶしで、かう/\いふ人」
と物語れば
「夫なれば、いくらあなたが思ッても、むだで厶り升。其人は佐藤兵へのり清様とて、北面のぶしながら、此ほど出家なされまして、すなはち、こゝの屏風にある西行法師がそで厶り升」
「夫はむかしのことではないか」
「今のは昔ののり清の末孫で厶り升」
と聞て、娘は屏風にむかひ
「エヽにくらしい、聞へぬおかた」
と小刀もつて切にかゝれば
「ナニいくらあなたが切たくても、その西行は不二見でござり升」
とある。厳密には、「祇園會、大津繪、西行法師」と「西行、祇園會、娘」とでは異なる。この「西行、祇園會、娘」の噺が圓朝のものなのであろう。『今様三題噺初編』がどこにあるのか、誰のものなのか、宮尾氏は明らかにしていないが、
春陽堂版、角川書店版、岩波書店版には指摘されていない。
としている。
4.『春色三題噺二編』(慶応二年)
宮尾與男『幕末期の笑話本』(令和六年。新典社)397頁には、
『春色三題噺二編』(慶応元年初夏稿、同二年寅春発行。一八六五・六六)が刊行される。総話数二十八話。巻之下に一話の作例を「橘阿彌三圓」の名でまとめる。橘阿弥は円朝の阿弥号である。兼題は「遊女の無心 大黒天 彫物師」。
〈中略〉
すでに春陽堂版『圓朝全集』巻十三の「落語及一席物」に同じ三題噺がみられる。解説では出典を不明とする。ただし『春色三題噺二編』とは本文表記に異なりをみる。岩波書店版『円朝全集』十三巻には三遊亭円朝口述、酒井昇造速記の『新著落語十二種』(三友舎。明治二十五年。一八九二)にある「三遊亭圓朝口述」を載せている。
とある。
圓朝が「橘阿彌三圓」と名乗った、というのは新発見である。
5.三題噺会ぶれ摺り物
宮尾よしを編『小はなし研究』十号(昭和十二年二月)裏表紙に、三題噺会ぶれ摺り物が印刷されている。
来ル十七日朝四ツ時ゟ八ツ半時限 定席
三題落語会
とあり、末尾には「会主 粋狂惣連」とある。この中に、
雪の下
●記 圓朝
おしやべり
とある。●は判読できない。
宮尾與男『幕末期の笑話本』(令和六年。新典社)404頁に「年代不詳1」として記述があり、
円朝の名をみるが春陽堂版、角川書店版、岩波書店版には指摘されていない。
とある。
6.三題噺会ぶれ摺り物
宮尾よしを編『小はなし研究』九号(昭和十一年八月)裏表紙に、三題噺会ぶれ摺り物が印刷されている。
十月六日早朝より
企 嘉遊
愚生
とあるが年代は不明。この中に、
湯女
れいし 三遊亭
浦嶌太郎
とある。これは圓朝であろう。
宮尾與男『幕末期の笑話本』(令和六年。新典社)404頁に「年代不詳2」として記述があり、
円朝の名をみるが春陽堂版、角川書店版、岩波書店版には指摘されていない。
とある。
7.三題噺会ぶれ摺り物
河竹繁俊『黙阿弥の手紙・日記・報条など』(昭和四十一年。演劇出版社)に、『〔書画余興〕三題歌僊茶番』が掲載されている。46頁に写真、266~268頁に翻刻。この中に、
福引
張交 三遊亭圓朝
洋服
とある。末尾に、
来ル二月朔日両国柳橋
万八楼上ニ於て晴雨共相催候
会主 松花園
とあるが、何年のものかは不明。
宮尾與男『幕末期の笑話本』(令和六年。新典社)405頁に「年代不詳3」として記述があり、
会主の松花園は花兄(注:好文舎花兄)のことである。円朝の名をみるが春陽堂版、角川書店版、岩波書店版には指摘されていない。
とある。
2026年8月1日公開
菊池眞一