栄花物語詳解


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S02〔栄花物語巻第二〕 花山(くわさん)
かくて一条(いちでう)の摂政(せつしやう)殿(どの)の御(おん)心地(ここち)例(れい)ならずのみおはしまして、水(みづ)をのみ聞(き)こし召(め)せど、御(おん)年(とし)もまだいと若(わか)うおはしまし、世(よ)を知(し)らせ給(たま)ひても、三年(みとせ)に成りぬれば、さりともと頼(たの)み思(おぼ)さるゝほどに、月(つき)頃(ごろ)にならせ給(たま)ひぬ。内(うち)に参(まゐ)らせ給(たま)ふことなども絶(た)えぬ。世(よ)の嘆(なげ)きとしたり。
九月(ながつき)計(ばか)りのほどなり。殿(との)の御とぶらひに御(おん)子(こ)の義孝(よしたか)の少将(せうしやう)の御もとに、人の「御(おん)心地(ここち)いかゞ」ととぶらひ聞(き)こえたれば、少将(せうしやう)いひやり給(たま)ふ、
@夕(ゆふ)まぐれ木(こ)しげき庭(には)をながめつゝ木(こ)の葉(は)とゝもにおつるなみだか W006。
かやうに、いかに<と、ひと家(いへ)思(おぼ)し嘆(なげ)くほどに、天禄(てんろく)三年(さんねん)十一月(じふいちぐわつ)の一日(ついたち)かくれ給(たま)ひぬ。さまざま、女御(にようご)より始(はじ)め奉(たてまつ)り、女君(をんなぎみ)達(たち)、前少将(せうしやう)・後の少将(せうしやう)など聞(き)こゆる、哀(あは)れに思(おぼ)し惑(まど)ふとも世のつねなり。その中にも、後の少将(せうしやう)は幼(をさな)くよりいみじう道心〔に〕おはして、法華経(ほけきやう)を明(あ)け暮(く)れ読み奉(たてまつ)り給(たま)ひて、法師(ほふし)にやなりなましとのみ思(おぼ)さるゝに、桃園(ももぞの)の中納言(ちゆうなごん)保光(やすみつ)と聞(き)こゆるは、故中務卿(なかづかさきやう)の宮代明(よあきら)親王(しんわう)の御(おん)子(こ)におはす、その御(おん)女君(むすめぎみ)に年(とし)頃(ごろ)通(かよ)ひ聞(き)こえ給(たま)ふに、美(うつく)しき男子(をのこご)をぞ産(う)ませ給(たま)へり
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ける。それが見捨てがたきに、万(よろづ)を覚し忍(しの)ぶ〔る〕なりけり。
かくて御忌(いみ)のほど、何事(なにごと)も哀(あは)れにて過ぐさせ給(たま)ひつ。御(おん)法事(ほふじ)などあべいかぎりにて過ぎぬ。今はとて人々まかづるに、義孝(よしたか)の少将(せうしやう)の詠みたまふ、
@今はとてとび別れぬる群鳥(むらどり)の古巣(ふるす)にひとりながむべきかな W007。
修理(しゆり)のかみ惟正(これまさ)かへし、
@はねならぶ鳥となりては契(ちぎ)るとも人わすれずはかれじとぞ思(おも)ふ W008。
摂政(せつしやう)殿(どの)は今年(ことし)ぞ四十九(しじふく)におはしましける。太政(だいじやう)大臣(だいじん)にて失せさせ給(たま)ひぬれば、後の諱(いみな)を謙徳(けんとく)公(こう)と聞(き)こゆ。かくて摂政(せつしやう)には、又(また)此の大臣(おとど)の御さしつぎの、九条(くでう)殿(どの)の御二郎、内大臣(ないだいじん)兼通(かねみち)の大臣(おとど)なり給(たま)ひぬ。
かゝるほどに、年号(ねんがう)かはりて、天延(てんえん)元年といふ。万(よろづ)にめでたくておはします。女御(にようご)いつしか后(きさき)にと思(おぼ)し急(いそ)ぎたり。始(はじ)めの摂政(せつしやう)殿(どの)の東宮(とうぐう)の御(み)世(よ)のことを、見はて給(たま)はずなりぬることをぞ世(よ)の人も哀(あは)れがり聞(き)こえけり。かくてその年(とし)の七月一日、摂政(せつしやう)殿(どの)の女御(にようご)后(きさき)に居(ゐ)させ給(たま)ひぬ。中宮(ちゆうぐう)と聞(き)こえさす。始(はじ)めの冷泉(れいぜい)の院(ゐん)の中宮(ちゆうぐう)をば皇太后宮(くわうたいこうぐう)と聞(き)こえさす。中宮(ちゆうぐう)の御有様(ありさま)いみじうめでたう、世(よ)はかうぞあらまほしきと見えさせ給(たま)ふ。御門(みかど)一品(いつぽん)の宮の御かた、中宮(ちゆうぐう)の御かたと通(かよ)ひありかせ給(たま)ふ。内わたりすべていまめかし。堀河(ほりかは)殿(どの)とぞ此の摂政(せつしやう)殿(どの)をば聞(き)こえさする。今は関白(くわんばく)殿(どの)とぞ聞(き)こえさすめる。その御男君(をとこぎみ)達(たち)
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四五人おはして、いといまめかしう世(よ)にあひめでたげに思(おぼ)したり。
 九条(くでう)殿(どの)の三郎ぎみは、此の頃(ごろ)東三条(とうさんでう)の右大将(うだいしやう)の大納言(だいなごん)など聞(き)こゆ。れいぜんゐんの女御(にようご)いと時めかせ給(たま)ふを嬉しきことに思(おぼ)し召(め)さるべし。中(なか)ひめぎみの御ことをいかでと思(おぼ)し召(め)すほどに、うへの御けしきありての給(たま)はせければ、いかでと思(おぼ)さるれど、此の関白(くわんばく)どの、もとより此のふたところの御(おん)中(なか)よろしからずのみおはしますに、中宮(ちゆうぐう)かくて候はせ給(たま)へば、つゝまじく思(おぼ)さるゝなるべし。
 かゝるほどに天延(てんえん)二年になりぬ。関白(くわんばく)殿(どの)太政(だいじやう)大臣(だいじん)にならせ給(たま)ひぬ。並ぶ人なき御有様(ありさま)につけても唯九条(くでう)殿(どの)の御ことをのみ世に聞(き)こえさす。をのゝみや殿(どの)の御二郎よりたゞの大臣(おとど)と此の関白(くわんばく)殿(どの)の御(おん)中(なか)いと良くおはしければ万(よろづ)のまつりごと聞(き)こえあはせてぞせさせ給(たま)ひける。今年(ことし)は世(よ)の中(なか)に、もがさといふもの出で来て、よもやまの人、上下やみのゝしるに、おほやけわたくしいといみじきことゝ思(おも)へり。やむごとなき男女、失せ給(たま)ふたぐひおほかりと聞(き)こゆる中(なか)にも前の摂政(せつしやう)殿(どの)の前の少将(せうしやう)・後の少将(せうしやう)、おなじ日うちつづき失せ給(たま)ひて、はゝきたのかた哀(あは)れにいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)くことを世(よ)の中(なか)の哀(あは)れなることのためしには、いひのゝしりたり。まねびつくすべくもあらず。
 此の東三条(とうさんでう)どの関白(くわんばく)どのとの御(おん)中(なか)殊にあしきを世の人あやしきことに思(おも)ひ聞(き)こえたり。いかで此の大将(だいしやう)をなくなしてばやとぞ、御心(こころ)にかゝりて大とのは思(おぼ)しけれど、いかでかは東三条(とうさんでう)どのは、
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なをいかでこの中(なか)ひめぎみを内に参(まゐ)らせん。いひもていけばなにのおそろしかるべきぞと覚しとりて、人知れず思(おぼ)し急(いそ)ぎけり。されどそのけしき人に見せ聞かせ給(たま)はず。此の堀河(ほりかは)どのと東三条(とうさんでう)どのとは、只閑院をぞ隔てたりければ、東三条(とうさんでう)に参(まゐ)るむまくるまをば、大とのには「それ参(まゐ)りたり、かれまうづなり」といふことを聞(き)こし召(め)して、それかれこそ追従(ついそう)するものはあなれ」など、くせぐせしうの給(たま)はすれば、いとおそろしきことにて、よるなどぞ忍(しの)びて参(まゐ)る人も有りける。さるべき仏神(ぶつじん)の御もよほしにや、東三条(とうさんでう)どのなをいかでけふあすも、この女君(をんなぎみ)参(まゐ)らせんなど思(おぼ)したつと、をのづから大との聞(き)こし召(め)して、「いとめざましきことなり。中宮(ちゆうぐう)のかくておはしますに、この大納言(だいなごん)のかく思(おも)ひかくるもあさましうこそ。いかに万(よろづ)にわれをのろふらん」などいふことをさへ、常にの給(たま)はせければ、大納言(だいなごん)どのいとわづらはしく思(おぼ)し絶(た)えで、さりともをのづからと思(おぼ)しけり。
はかなく年もかはりぬ。貞元々年丙子(ひのえね)の年(とし)といふ。かのれいぜんゐんの女御(にようご)と聞(き)こゆるは、東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)の御ひめぎみなり。こぞの夏よりたゞにもおはしまさゞりけるを、二三月ばかりにあたらせ給(たま)ひて、その御いのりなどいみじうせさせ給(たま)ふを、大との聞(き)こし召(め)して、「東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)は、ゐんの女御(にようご)おとこ御(み)子(こ)生み給(たま)へ。世(よ)の中(なか)かまへんとこそいふなれ」など、聞(き)きにくきことをさへのたまはせければ、むつかしうわづらはしと思(おぼ)しながら、さりとてまかせ
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聞(き)こえさすべきことならねば、いみじういのりさはがせ給(たま)ひけり。さてやよひばかりに、いとめでたきおとこ御(み)子(こ)むまれ給(たま)へり。ゐんいとものぐるをしき御(おほん)心(こころ)にも例ざまにおはします時は、いとうれしきことに思(おぼ)し召(め)して、万(よろづ)に知りあつかひ聞(き)こえさせ給(たま)ひけり。太政(おほき)大臣(おとど)聞(き)こし召(め)して、「哀(あは)れめでたしや、東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)は、ゐんの二宮え奉(たてまつ)りて思(おも)ひたらむけしき思(おも)ふこそめでたけれ」など、いとをこがましげに思(おぼ)しの給(たま)ふを、大将(だいしやう)どのは、「あやしうあやにくなる心(こころ)つい給(たま)へる人にこそ」と、やすからずぞ思(おぼ)しける。
かゝるほどに内(うち)も焼けぬれば、御門(みかど)のおはしますところ見ぐるしとて堀河(ほりかは)どのを、いみじう造りみがき給(たま)ひて、だいりのやうに造りなして、内(うち)いでくるまではおはしまさせんと急(いそ)がせ給(たま)ふなりけり。貞元二年三月廿六日堀河(ほりかは)の院(ゐん)に行幸(ぎやうがう)あるべければ、天下急(いそ)ぎみちたり。その日になりてわたらせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)もやがてその夜移りおはしまして、堀河(ほりかは)の院(ゐん)をいまだいりといひて世にめでたうのゝしりたり。」〔かゝるほどに〕大との思(おぼ)すやう、世(よ)の中(なか)もはかなきにいかでこの右大臣(うだいじん)今すこしなしあげて、わがかはりの職(そく)をもゆづらんと覚したちて、ただいまの左大臣(さだいじん)兼明の大臣(おとど)と聞(き)こゆるは、えんぎの御門(みかど)の御(おほん)十六のみやにおはします、それ御(おほん)心地(ここち)なやましげなりと聞(き)こし召(め)して、もとの御(み)子(こ)になし奉(たてまつ)らせたまひつ。さてさだいじんには、小野宮のよりたゞの大臣(おとど)をなし奉(たてまつ)り給(たま)ひつ。右大臣(うだいじん)にはまさのぶの大納言(だいなごん)
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なり給(たま)ひぬ。
かゝるほどに、堀河(ほりかは)どの御(おほん)心地(ここち)いとなやましう思(おぼ)されて、御心(こころ)のうちに覚しけるやう、「いかでこの東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)、わがいのちも知らず、なきやうにしなして、この左の大臣(おとど)をわがつぎの一の人にてあらせん」と思(おぼ)す心(こころ)ありて、御門(みかど)につねに「この右大将(うだいしやう)かねいゑは、れいぜんゐんの御(み)子(こ)を持ち奉(たてまつ)りて、ともすればこれを<といひ思(おも)ひ、いのりすること」ゝいひつげ給(たま)ひて、御門(みかど)は堀河(ほりかは)の院(ゐん)におはしましければ、「われはなやまし」とて里(さと)におはしますに、わりなくて参(まゐ)らせ給うて、この東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)の不能(ふのう)を奏し給(たま)ひて、「かゝる人は世にありてはおほやけの御ために大事出で来はんべりなん。かやうのことはいましめたるこそよけれ」など奏し給(たま)ひて、貞元二年十月十一日大納言(だいなごん)の大将(だいしやう)をとり奉(たてまつ)り給(たま)ひて、ぢぶきやうになし奉(たてまつ)り給(たま)へり。無官の定になし聞(き)こえまほしけれど、さすがにそのことゝさしたることのなければ、思(おぼ)しあまりてかくまでもなし聞(き)こえ給(たま)へるなりけり。御(おほん)心(こころ)のまゝにだにもあらば、「いみじき筑紫(つくし)九こくまでもと思(おぼ)せど、あやまちなければなりけり。御(おほん)かはりの大将(だいしやう)には、小一条(こいちでう)の大臣(おとど)の御子のなりときの中納言(ちゆうなごん)なり給(たま)ひぬ。
東三条(とうさんでう)のぢぶきやうは御門(みかど)とぢてあさましういみじき世(よ)の中(なか)をねたうわりなく思(おぼ)しむせびたり。いゑの子の君達(きんだち)は、出でまじらひ給(たま)はず、世をあさましきものに思(おぼ)されたり。かゝるほどに堀河(ほりかは)どの御(おほん)心地(ここち)いとゞをもりてたのもしげなきよしを世にまうす。さいつころ内に参(まゐ)らせ
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給(たま)ひて、東三条(とうさんでう)の大将(だいしやう)をばなくなし奉(たてまつ)り給(たま)ひてき。今ひとたびとて内(うち)に参(まゐ)らせ給(たま)ひて、万(よろづ)を奏しかためて出でさせ給(たま)ひにけり。何事(なにごと)ならんとゆかしけれど、又(また)をとなし。かくて十一月(じふいちぐわつ)四日准三宮のくらゐにならせ給(たま)ひぬ。おなじ月(つき)八日うせ給(たま)ひぬ。御(おほん)年(とし)五十三なり。たゞよし公と御諱(いみな)を聞(き)こゆ。哀(あは)れにいみじ。
かくいくばくもおはしまさゞりけるに、東三条(とうさんでう)の大納言(だいなごん)をあさましう嘆(なげ)かせ奉(たてまつ)り給(たま)ひけるも心(こころ)うし。をのゝみやのよりたゞの大臣(おとど)によをばゆづるべきよし一日そうし給(たま)ひしかば、そのまゝにと御門(みかど)思(おぼ)し召(め)して、おなじ月(つき)の十一日、関白(くわんばく)のせんじかうぶり給(たま)ひて、世(よ)の中(なか)みなうつりぬ。あさましく思(おも)はずなることによに申し思(おも)へり。中宮(ちゆうぐう)万(よろづ)に覚し嘆(なげ)く。ともみつのごん大納言(だいなごん)、あきみつの中納言(ちゆうなごん)など哀(あは)れに思(おぼ)し惑(まど)ふ。東三条(とうさんでう)殿(どの)の院(ゐん)の女御(にようご)は、こぞむまれ給(たま)ひしおとこ御(み)子(こ)に、又(また)今年(ことし)もさしつゞきておなじやうにてむまれたまへるにつけても、なをいと行すゑたのもしげにみえさせ給(たま)ふ。堀河(ほりかは)殿(どの)ののち<のことゞも例(れい)のごとし。
かくて年(とし)もかはりぬ。左の大臣(おとど)の御さまいと<めでたし。おほひめぎみをいかで内(うち)に参(まゐ)らせ奉(たてまつ)らんと思(おぼ)す。はかなくて月日も過ぎてふゆになりぬ。年号(ねんがう)かはりて天元々年といふ。十月二日除目ありて関白(くわんばく)どの、太政(だいじやう)大臣(だいじん)にならせ給(たま)ひぬ。左大臣(さだいじん)にまさのぶの大臣(おとど)なり給(たま)ひぬ。東三条(とうさんでう)殿(どの)のつみもおはせぬを、かくあやしくておはする、心(こころ)得ぬことなれば太政(おほき)大臣(おとど)、たびたびそうし給(たま)ひて、やがてこのたび
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右大臣(うだいじん)になり給(たま)ひぬ。「これはたゞぶつじんのし給(たま)ふ」と思(おぼ)さるべし。
内(うち)には中宮(ちゆうぐう)のおはしませば、たれも<思(おぼ)しはゞかれど、堀河(ほりかは)殿(どの)の御(おほん)心(こころ)をきてのあさましく心(こころ)づきなさに、東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)中宮(ちゆうぐう)にをぢ奉(たてまつ)り給(たま)はず、中(なか)姫君参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。大殿(おほとの)の、「ひめぎみをこそ、まづ」と思(おぼ)しつれど、堀河(ほりかは)殿(どの)の御(おほん)心(こころ)を思(おぼ)しはゞかるほどに、みぎの大臣(おとど)はつゝまじからず覚したちて、参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ、ことはりにみえたり。参(まゐ)らせ給(たま)へるかひありて、たゞいまはいと時におはします。中宮(ちゆうぐう)をかくつゝましからず、ないがしろにもてなし聞(き)こえ給(たま)ふも、「むかしの御なさけなさを思(おも)ひ給(たま)ふにこそは」とことはりに思(おぼ)さる。東三条(とうさんでう)の女御(にようご)は梅壺(むめつぼ)にすませ給(たま)ふ。御(おほん)有様(ありさま)あいぎやうづき、けぢかく美(うつく)しうおはします。御はらからの君達(きんだち)、この頃(ごろ)ぞつゝましげなふありき給(たま)ふめる。ゐんの女御(にようご)、おとこ御(み)子(こ)、三ところにならせ給(たま)ひぬ。なをいとたのもしげなる御有様(ありさま)なり。
かゝるほどに天元二年になりぬ。梅壺(むめつぼ)いみじうときめかせ給(たま)ふ。中宮(ちゆうぐう)月(つき)頃(ごろ)御(おほん)心地(ここち)あやしうなやましう思(おぼ)し召(め)されて、万(よろづ)みやづかさも、又(また)おほやけよりも、御いのりのことさまざまにいみじけれど、六月二日うせさせ給(たま)ひぬ。あへなうあさましう哀(あは)れにいみじう思(おぼ)し聞(き)こえさせ給(たま)へどかひなし。世(よ)の人例(れい)のくちやすからぬものなれば、「東三条(とうさんでう)殿(どの)の御さいはひのますぞ。梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)后(きさき)にゐ給(たま)ふべきぞ」などいひのゝしる。かくてすまゐもとまりて、よにものさうざうしう思(おも)ふべし。関白(くわんばく)どのは中宮(ちゆうぐう)
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の御ことゞもをおこなひ聞(き)こえ給(たま)ふ。たゞいまのよの御うしろ見にもおはします、堀河(ほりかは)殿(どの)の御心(こころ)をも、さまざま思(おぼ)し召(め)し知り、何事(なにごと)をもあつかはせ給(たま)ふなるべし。ごん大納言(だいなごん)・中納言(ちゆうなごん)などいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)き給(たま)ふ。
かやうにて過ぎもていくに、そのふゆ関白(くわんばく)殿(どの)のひめぎみうちに参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。よの一のところにおはしませば、いみじうめでたきうちに、殿(との)の御(おほん)有様(ありさま)などもおくぶかく心(こころ)にくゝおはします。梅壺(むめつぼ)はおほかたの御(おほん)心(こころ)有様(ありさま)けぢかくおかしくおはしますに、このたびの女御(にようご)はすこし御おぼえのほどやいかにとみえ聞(き)こゆれど、たゞいまの御有様(ありさま)にうへもしたがはせ給(たま)へば、おろかならず思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふなるべし。
いかにしたることにか、かゝるほどに梅壺(むめつぼ)例(れい)ならずなやましげに思(おぼ)したれば、ちゝ大臣(おとど)いかに<とおそろしう〔思(おも)ひ〕聞(き)こえさせ給(たま)へば、たゞにもおはしまさぬなりけり。よもわづらはしければ、一二月は忍(しの)ばせ給(たま)へど、さりとてかくれあべきことならねば、三月にて奏(そう)せさせ給(たま)ふに、御門(みかど)いみじううれしう思(おぼ)し召(め)さるべし。一品(いつぽん)のみやも梅壺(むめつぼ)をば御心(こころ)よせ思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、いとうれしうかひ有様(ありさま)に思(おぼ)し聞(き)こえさせ給(たま)ふ。さとにいでさせ給(たま)はんとするを、うへいとうしろめたうわりなく思(おぼ)し召(め)しながら、さてあるべきことならねば、いでさせ給(たま)ふほどの御有様(ありさま)いへばをろかなり。さべき上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)みなのこるなうつかうまつり給(たま)ふ。世(よ)はみなこの東三条(とうさんでう)殿にとまりぬべきなめりと見え聞(き)こえたり。
 うへも年(とし)頃(ごろ)に
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ならせ給(たま)ひぬれば、いまはをりさせ給(たま)はまほしきに、いかにも<御(み)子(こ)のおはせぬことをいみじう思(おぼ)し嘆(なげ)くに、おとこ・をんなの御ほどはしらず、たゞならずおはしますを世(よ)にうれしきことに思(おぼ)し召(め)して、さべき御いのりどもかずをつくさせ給(たま)ふ。長日の御修法・御読経などうちがたよりも始(はじ)めさせ給(たま)ひ、すべてかゝらんにはいかでかと見えさせ給(たま)ふ。関白(くわんばく)どのいと世(よ)の中(なか)をむすぼゝれすずろはしく思(おぼ)さるべし。「さはれとありともかゝりともわがあらば、女御(にようご)をば后(きさき)にもすへ奉(たてまつ)りてんと思(おぼ)し召(め)すP01163べし。
はかなくて天元三年(さんねん)かのえたつの年(とし)になりぬ。三四月ばかりにぞ、梅壺(むめつぼ)さやうにおはしますべければ、その御よういどもかぎりなし。くらづかさに御丁より始(はじ)め、しろき御具どもつかうまつる。とのにも又(また)せさせ給(たま)ふ。たゞいま世(よ)にめでたきことのためしになりぬべし。うちよりよるひるわかぬ御つかひひまなし。げにことはりに見えさせ給(たま)ふ。いつしかとのみ思(おぼ)し召(め)すほどに、五月のつごもりより御けしきありて、その月(つき)をたてゝ六月一日とらのときに、えもいはぬおとこ御(み)子(こ)たいらかにいさゝかなやませ給(たま)ふほどもなくむまれさせ給(たま)へり。うちにまづそうせさせ給(たま)へれば、御はかし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふほどぞ、えもいはずめでたき御けしきなりや。七日のほどの御有様(ありさま)思(おも)ひやるべし。東三条(とうさんでう)の御門(みかど)のわたりには、年(とし)頃(ごろ)だにたはやすく人わたらざりつるに、ゐんのみやたちのみところおはしますだに、おろかならぬ殿(との)のうちを、まいで今上一宮のおはしませば、いとことはりにて、
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いづれの人も万(よろづ)に参(まゐ)りさはぐ。御はらからの君達(きんだち)、年(とし)頃(ごろ)の御(おん)心地(ここち)むつかしうむすぼゝれ給(たま)へりける、ひもとき、いみじき御(おん)心地(ここち)どもせさせ給(たま)ふ。
 かゝるほどに、又(また)今年(ことし)だいりやけぬ。御門(みかど)かんゐんにわたらせ給(たま)ふ。かんゐんは故堀河(ほりかは)殿(どの)の御りやうにて、ともみつの大納言(だいなごん)ぞ住み給(たま)ひける、ほかにわたり給(たま)ひぬ。かくて関白(くわんばく)殿(どの)の女御(にようご)さぶらはせ給(たま)へど、御(おほん)はらみのけなし。大臣(おとど)いみじうくちおしう覚し嘆(なげ)くべし。御門(みかど)いつしかといみじうゆかしう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へば、「御(み)子(こ)忍(しの)びて参(まゐ)らせ給(たま)へ」とあれど、よの人の御心(こころ)ざまもおそろしうて、すが<しうも思(おぼ)したゝず。今年(ことし)いかなるにかおほかぜ吹き、なゐなどさへゆりて、いとけうとましきことのみあれば、うへはわかみやの御(おほん)さとにおはしますことを、いとゞうしろめたう思(おぼ)しの給(たま)はすれど、さりとてうちのせばきにおはしますべきにあらねば、たゞいかに<とのみよるひるわかぬ御つかひあり。御いかやもゝかなど過ぎさせ給(たま)ひて、いみじう美(うつく)しうおはします。東三条(とうさんでう)に行幸(ぎやうがう)あらまほしう思(おぼ)せど、太政(おほき)大臣(おとど)の御心(こころ)に思(おぼ)しはゞからせ給(たま)ふなるべし。
御門(みかど)の御心(こころ)、いとうるはしうめでたうおはしませど、「をゝしきかたやおはしまさゞらん」とぞ、世(よ)の人申し思(おも)ひたる。東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)は、世(よ)の中(なか)を御心(こころ)のうちにしそして思(おぼ)すべかめれど、なをうちとけぬ様(さま)に御心(こころ)もちゐぞみえさせ給(たま)ふ。御門(みかど)の御心(こころ)つよからず、いかにぞやおはしますを見奉(たてまつ)らせ給(たま)へればなる
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べし。
 かゝるほどに天元四年になりぬ。御門(みかど)御心(こころ)のうちの御ぐはんなどやおはしましけん、かも・ひらのなどに二月に行幸(ぎやうがう)あり。「御(み)子(こ)の御いのりなどにこそ」とは、ことはりにみえさせ給(たま)ふ。御門(みかど)、「いまは御(み)子(こ)もむまれさせ給(たま)へり。いかでおりなん」とのみ思(おぼ)し急(いそ)がせ給(たま)ふ。梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)のさとがちにおはしますを、やすからぬことにうへ思(おぼ)し召(め)せど、大臣(おとど)、「わが一の人にあらぬを、なにかは」など思(おぼ)し召(め)すなりけり。堀河(ほりかは)の大臣(おとど)おはせしとき、いまの東宮(とうぐう)の御いもうとの女二宮参(まゐ)らせ給(たま)へりしかば、いみじう美(うつく)しう〔と〕もてけうじ給(たま)ひしを、参(まゐ)らせ給(たま)ひてほどもなくうちなどやけにしかば、ひのみやと世(よ)の人申し思(おも)ひたりしほどに、いとはかなううせ給(たま)ひにしになん。
 御門(みかど)、太政(おほき)大臣(おとど)の御心(こころ)にたがはせ給(たま)はじと思(おぼ)し召(め)して、「この女御(にようご)后(きさき)にすへ奉(たてまつ)らん」との給(たま)はすれど、大臣(おとど)なまつゝましうて、「一の御(み)子(こ)むまれ給(たま)へる梅壺(むめつぼ)を置きてこの女御(にようご)のゐ給(たま)はんを、世(よ)の人いかにかはいひ思(おも)ふべからん」と、「人がたきはとらぬこそよけれ」など思(おぼ)しつゝすぐし給(たま)へば、「などてか。梅壺(むめつぼ)はいまはとありともかゝりともかならずの后(きさき)なり。世(よ)もさだめなきに、この女御(にようご)のことをこそ急(いそ)がれめ」と、つねにの給(たま)はすれば、うれしうて人知れず思(おぼ)し急(いそ)ぐほどに、今年(ことし)もたちぬれば、くちおしう思(おぼ)し召(め)す。かゝることゞも漏り聞(き)こえて、右の大臣(おとど)うちに参(まゐ)らせ給(たま)ふことかたし。女御(にようご)の御はらからの君達(きんだち)などもまうでさせ給(たま)はず。女御(にようご)
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も御心(こころ)とけたる御けしきもなければ、一品(いつぽん)のみやは世(よ)にいふことをもりきゝ給(たま)ひて、「さやうに覚したるにこそ」と、世(よ)を心(こころ)づきなく思(おぼ)し聞(き)こえさせ給(たま)ふべし。
はかなく年(とし)もかへりぬ。正月に庚甲(かのえさる)いできたれば東三条(とうさんでう)殿(どの)の院(ゐん)の女御(にようご)の御かたにも、梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)の御かたにも、若(わか)き人々「年(とし)の始(はじ)めの庚甲(かのえさる)なり。せさせ給(たま)へ」と申せば、さばとて御かたがたみなせさせ給(たま)ふ。おとこ君達(きんだち)、この女御(にようご)たちの御はらから三ところぞおはします。「いとけうあることなり。いとよし。こなたかなたと参(まゐ)らんほどに夜も明けなん」などの給(たま)ひて、さまざまのことゞもして御覧(ごらん)ぜさせ給(たま)ふに、うたやなにやと、心(こころ)ばへおかしき御かたがたの有様(ありさま)より始(はじ)め、にようばうたち、碁・すぐろくのほどのいどみもいとおかしくて、「この君達(きんだち)のおはせざらましかば、こよひのねむりさましはなからまじ」など聞(き)こえ思(おも)ひて、たびたびとりも啼きぬ。ゐんの女御(にようご)、あか月(つき)がたに御けうそくにをしかゝりておはしますまゝに、やがて御とのごもりいりにけり。「いまさらに」など人々聞(き)こえさすれど、「からすも啼きぬれば、いまはさばれ、なおどろかし聞(き)こえさせそ」など人々聞(き)こえさするに、はかなきうたども聞(き)こえさせ給(たま)はんとて、このおとこ君達(きんだち)、やゝ、ものけ給(たま)はる。いまさらになにかは御とのごもる。おきさせ給(たま)はん」と聞(き)こえさするに、すべて御いらへもなくおどろかせ給(たま)はねば、よりて「やゝ」と聞(き)こえさせ給(たま)ふに、ことのほかに見えさせ給(たま)へれば、ひきおどろかし
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奉(たてまつ)り給(たま)ふに、やがてひえさせ給(たま)へれば、あさましうて、御となぶらとりよせて見奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、うせさせ給(たま)へるなりけり。
「あなあさましや」とも、いひやらんかたなく思(おぼ)されて、とのにまづ、「かう<のこと候ふ」と申させたまふに、すべてものもおぼえさせ給(たま)はで、惑(まど)ひおはしまして、見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、あさましくいみじければ、かゝへてたゞふしまろび惑(まど)はせ給(たま)ふ。殿(との)のうちどよみてのゝしりたり。さべきそうども召しのゝしり、万(よろづ)の御ずきやうところ<”には知(し)らせ給(たま)へど、つゆかひなくて、かきふせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつ。しろきあやの御(おほん)衣(ぞ)四つばかりにかうばいの御(おほん)衣(ぞ)ばかり奉(たてまつ)りて、御(おほん)ぐしながく美(うつく)しうて、かひそへてふさせ給(たま)へり。ただ御とのごもりたると見えさせ給(たま)ふ。とのいみじうかなしきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、たゞ思(おも)ひやるべし。みやたちのいと幼(をさな)くおはしますなど〔に〕、万(よろづ)思(おぼ)しつゞけ惑(まど)はせ給(たま)ふ。
れいぜんゐんに聞(き)こし召(め)して、あさましう哀(あは)れに心(こころ)憂きことに思(おぼ)し召(め)す。なをこれもかの御(おほん)ものゝけのしつる」とぞ思(おぼ)されける。万(よろづ)の御とぶらひにつけても、いとゞあやにくに覚し惑(まど)はる。ゆゝしきことゞもなれど、すべてさべうおはしますと見えさせ給(たま)ふも、かなしういみじう思(おぼ)さるれど、さてのみやはとて、のち<の御(おほん)ことゞも、例(れい)のさはうにおはしおきてさせ給(たま)ふにつけても、とのはたゞなみだにおぼれてぞすぐさせ給(たま)ふ。あさましうはかなき世(よ)ともをろかなり。御いみのほどあさましういみじうてすぐさせ給(たま)ふ
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につけても、いまは女御(にようご)の御有様(ありさま)いとゞおそろしう思(おぼ)し召(め)して、女御(にようご)殿(どの)とわかぎみとはほかにわたし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、世(よ)ははかなしといへども、いまだかゝることは見聞(き)こえざりつる御有様(ありさま)なりや、みや<の何事(なにごと)も思(おぼ)したらぬるを、いとゞかなしう思(おぼ)されけり。
かゝるほどに、今年(ことし)は天元五年になりぬ。三月十一日中宮(ちゆうぐう)たち給(たま)はんとて、太政(おほき)大臣(おとど)急(いそ)ぎさはがせ給(たま)ふ。これにつけても右の大臣(おとど)あさましうのみ万(よろづ)聞(き)こし召(め)さるゝほどに、后(きさき)たゝせ給(たま)ひぬ。いへばをろかにめでたし。太政(おほき)大臣(おとど)のし給(たま)ふもことはりなり。御門(みかど)の御(おほん)心(こころ)をきてを、世(よ)〔の〕人もめもあやにあさましきことに申し思(おも)へり。一の御(み)子(こ)おはする女御(にようご)を置きながら、かく御(み)子(こ)もおはせぬ女御(にようご)の后(きさき)にゐ給(たま)ひぬること、やすからぬことに世(よ)〔の〕人なやみ申て、すばらの后(きさき)とぞつけ奉(たてまつ)りたりける。されどかくてゐさせ給(たま)ひぬるのみこそめでたけれ。
東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)、いのちあらばとは覚しながら、なをあかずあさましきことに思(おぼ)し召(め)す。ゐんの女御(にようご)の御(おほん)ことを思(おぼ)し嘆(なげ)くに、又(また)、「この御ことを世(よ)〔の〕人もみ思(おも)ふらんこと」ゝ、なべての世(よ)さへめづらかに思(おぼ)し召(め)して、かの堀河(ほりかは)の大臣(おとど)の御しわざはなにゝかはありける、こたみの御門(みかど)の御(おほん)心(こころ)おきては、ゆゝしう心(こころ)憂く思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふもをろかなり。かばかりのひとわらはれにて、世(よ)にあらでもあらばやと覚しながら、「さりともかうでやむやうあらじ。人の有様(ありさま)をば、われこそは見はてめ」と、つよう思(おぼ)して、女御(にようご)
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の御ことののち、いとゞ御かどさしがちにておとこ君達(きんだち)、すべてさべきことゞもにもいでまじらはせ給(たま)はず。うちの御つかひ女御(にようご)殿(どの)に日々に参(まゐ)れど、二三度がなかに御かへりは一度などぞ聞(き)こえさせ給(たま)ひける。一品(いつぽん)のみやもいと心(こころ)憂きことに思(おぼ)し申させ給(たま)ひ、
 わかみやの美(うつく)しうおはしますらんも、今年(ことし)は三つにならせ給(たま)へば、あきつかた御(おほん)はかまぎのことあるべう、うちにはつくもどころに御ぐどもせさせ給(たま)ひ、その御ことども思(おぼ)しまうけさせ給(たま)ふべし。ゐんの女御(にようご)の御のちのことゞもし果てさせ給(たま)ひて、つれづれに思(おぼ)さるゝまゝには、たゞこのみやたちの御あつかひをせさせ給(たま)ふ。
このとのは、うへもおはせねば、此の女御(にようご)殿(どの)の御かたにさぶらひつる大輔といふ人をつかひつけさせ給(たま)ひて、いみじう思(おぼ)しときめかし、つかはせ給(たま)ひければ、権の北の方にてめでたし。ゐんの二・三・四のみやの御めのとたち、大弐のめのと・少輔のめのと・みんぶのめのと・ゑもんのめのとなにくれなど、いとおほく候ふに、御めも見たてさせ給(たま)はぬに、たゞこの大輔をいみじきものにぞ思(おぼ)し召(め)したる。
 梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)の御けしきもつゝましう思(おぼ)されて、うちには、わかみやの御(おほん)はかまぎのことを、御心(こころ)のかぎり覚し〔めし〕急(いそ)がせ給(たま)ふもさすがなり。それは女御(にようご)の御(おほん)ためにをろかにおはしますにはあらで、太政(おほき)大臣(おとど)をいとをそろしき物に思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふなりけり。
このふゆわかみやの御はかまぎは、東三条(とうさんでう)の院(ゐん)にてあるべう思(おぼ)しをきてさせ給(たま)ふを、うちには「などてか内(うち)にてこそ〔は〕」と思(おぼ)しの給(たま)はせて、しはす
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ばかりにと急(いそ)ぎたゝせ給(たま)ふ。女御(にようご)も参(まゐ)り給(たま)ひて、三日ばかりさぶらはせ給(たま)ふべし。さていみじう急(いそ)ぎたゝせ給(たま)ひて、その日になりて参(まゐ)らせ給(たま)ひぬ。そのほどのぎしき有様(ありさま)思(おも)ひやるべし。うへこの御(み)子(こ)を見奉(たてまつ)り給(たま)ふが、いみじう美(うつく)しければ、「この女御(にようご)の御ためにをろかなるさまに見えんはつみ得(う)らんかし。かばかり美(うつく)しうめでたくてわがつぎし給(たま)ふべき人を」と思(おぼ)し召(め)して、いみじきことゞもをせさせ給(たま)ひ、女御(にようご)をも万(よろづ)に申させ給(たま)へど、心(こころ)とけたる御けしきにもあらぬをくち惜しく思(おぼ)し召(め)す。御はかま奉(たてまつ)りたる御有様(ありさま)いはんかたなく美(うつく)しうおはします。うへのにようばうなど見奉(たてまつ)りて、「うへの御ちごおひただかうぞおはしましゝ」など老いたる人は聞(き)こえさせあへり。
一品(いつぽん)のみやの御かたに、うへわかみやいだき奉(たてまつ)らせ給(たま)ひておはしましたれば、いみじうもてけうじ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。「この御ためにをろかにおはします、いとあしきことなり」など申させ給(たま)へば、「いかで〔か〕をろかに〔は〕はんべらん。をのづからはべるなり」など聞(き)こえさせ給(たま)ふ。さまざまの御をくりものめでたくておはしましぬ。上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)・にようばうなどのさまざまめでたきことゞも、こまかにいみじうせさせ給(たま)ひて、四日といふあかつきに、女御(にようご)もわかみやも出でさせ給(たま)ふ。うへいみじうとゞめ奉(たてまつ)らせ給(たま)へど、「いまこの頃(ごろ)すぐして、心(こころ)のどかに」とていでさせ給(たま)へば、うへいとあかず〔思(おぼ)し召(め)せど、わが御心(こころ)のをこたりと〕思(おぼ)し召(め)さるべし。わかみやの御有様(ありさま)をいとこひしう御心(こころ)にかゝりて思(おぼ)し召(め)す。
 右の大臣(おとど)は、
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ゐんの故女御(にようご)の御はてもこの月(つき)にせさせ給(たま)ふべければ、まづこの御はかまぎのことをせさせ給(たま)へれば、いまはこの廿よ日御はてせさせ給(たま)ふ。哀(あは)れにいみじき御ことをあつかひ果てさせ給(たま)ひつ。
〔哀(あは)れもつきせず思(おぼ)し嘆(なげ)く。このわたりの御ことは、「さばれ、いみじくともいまひとゝせふたとせこそあらめ」と、心(こころ)づよく思(おぼ)し召(め)したり。〕
 かゝるほどに年号(ねんがう)もかはりて、ゑいぐはん元年といふ。正月より始(はじ)め、ことゞも世(よ)のつねにて過ぎもてゆく。そのごとくある折こそあれ、はかなく月日も過ぎもて行くに、わかみやを心(こころ)やすくもあらずもてなし聞(き)こえさせ給(たま)ふを、うちにもいとくるしう思(おぼ)し召(め)すべし。うへ、「いまはいかでおりなん」とのみ〔ぞ〕思(おぼ)さるゝうちに、御もののけもおそろしうしげうをこらせ給(たま)ふにも、・れいぜんゐんはなを例(れい)の御心(こころ)はすくなくて、あさましくてのみすぐさせ給(たま)ふに、はかなくてゑいぐはん二年になりぬ。「今年(ことし)だにかならず」と思(おぼ)し召(め)して、人しれずさるべきやうに思(おぼ)し召(め)さるべし。東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)たはやすく参(まゐ)り給(たま)はぬを、いとあやしうのみ思(おぼ)しわたる。梅壺(むめつぼ)の女御(にようご)の御もとにも、なをわかみやの御(おほん)いのり心(こころ)ことにせさせ給(たま)ふ。かくてさるべきつかさかうぶりなど、おほくよせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。
ときどきのことゞもはかなく過ぎもて行きて、七月、相撲(すまゐ)もちかくなれば、「これをわかみやに見せ奉(たてまつ)らばや」との給(たま)はすれど、大臣(おとど)すこしふさはぬさまにてすごさせ給(たま)ふに、たびたび「大臣(おとど)参(まゐ)らせ給(たま)へ」とうちよりめしあれど、みだりかぜなどさまざまの御(おほん)さはりどもを
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申させ給(たま)ひつゝ参(まゐ)らせ給(たま)はぬを、相撲(すまゐ)ちかくなりて、しきりに「参(まゐ)らせ給(たま)へ」とあれば、参(まゐ)り給(たま)へれば、いとこまやかに御ものがたりありて、「くらゐにつきて今年(ことし)十六年になりぬ。いまゝであべうも思(おも)はざりつれど、月日のかぎりやあらん、かく心(こころ)よりほかにあるを、この月(つき)は相撲(すまゐ)のことあればさはがしかるべければ、来月ばかりにとなん思(おも)ふを、『東宮(とうぐう)くらゐにつき給(たま)ひなば、わかみやをこそは春宮(とうぐう)にはすへめ』と思(おも)ふに、いのりところ<”によくせさせ〔て〕、思(おも)ひのごとくあべくいのらすべし。をろかならぬ心(こころ)のうちを知らで、たれ<も心(こころ)よからぬけしきのある、いとくち惜しきことなり。あまたあるをだに、人は子をば、いみじきものにこそ思(おも)ふなれ。ましていかでかをろかに思(おも)はん」など、万(よろづ)あるべきことどもおほせらるゝうけたまはりて、かしこまりてまかで給(たま)ひて、女御(にようご)殿(どの)にものさざめき申させ給(たま)ひて、御(おほん)となぶら召し寄せてこよみ御覧(ごらん)じて、ところ<”に御(おほん)いのりづかひども立ちさはぐを、かう<との給(たま)はせねど、殿(との)の中(なか)の人々、けしきを見て思(おも)へるさま、いふもをろかにめでたし。このいゑのこの君達(きんだち)、いみじうえもいはぬ御けしきどもなり。さて相撲(すまふ)などにもこの君達(きんだち)参(まゐ)り給(たま)ふ。大臣(おとど)の御(おほん)心(こころ)のうちはればれしうてまじらはせ給(たま)ふ。
かくて八月になりぬれば、廿七日御譲位とてのゝしる。その日になりぬれば、御門(みかど)はおりさせ給(たま)ひぬ。東宮(とうぐう)はくらゐにつかせ給(たま)ひぬ。東宮(とうぐう)には梅壺(むめつぼ)のわかみやゐさせ給(たま)ひぬ。いへばをろかにめでたし。世(よ)はかうこそはと見え聞(き)こえたり。
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おりゐの御門(みかど)は、堀河(ほりかは)の院(ゐん)にぞおはしましける。いまの御門(みかど)の御(おん)年(とし)などもおとなびさせ給(たま)ひ、御(おほん)心(こころ)をきてもいみじういろにおはしまして、いつしかとさべき人々の御むすめどもをけしきだちの給(たま)はす。太政(おほき)大臣(おとど)この御世(よ)にもやがて関白(くわんばく)せさせ給(たま)ふ。中(なか)ひめぎみ十月に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。まづほかをはらひ、われ一の人にておはしませば、さはいへど御心(こころ)のまゝに思(おぼ)しをきつるも、あるべきことなりとぞみえたる。
御即位・大嘗会(だいじやうゑ)御はらへやなど、ことゞも過ぎてすこし心(こころ)のどかになるほどに、太政(おほき)大臣(おとど)急(いそ)ぎ立ち参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。女御(にようご)の御(おほん)有様(ありさま)つかうまつる人にも七八年にならぬかぎりは見えさせ給(たま)ふことかたければ、とかくの御有様(ありさま)聞(き)こえがたし。まさにわろうおはしまさんやは。かくやむごとなくおはしませば、いといみじうときにしも見えさせ給(たま)はねど、大臣(おとど)、「后(きさき)には、我あらば」と思(おぼ)すべし。
かゝるほどにしきぶきやうのみやのひめぎみ、いみじう美(うつく)しうおはしますといふことを聞(き)こし召(め)して、日々に御ふみあれば、「かばかりの人を引きこめてあるべきにあらず」と覚して急(いそ)ぎたち参(まゐ)らせ給(たま)ふ。故村上のいみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえたまひし四の宮の源帥の御むすめのはらに産(う)ませ給(たま)へば、ひめみやにて御なからひもあてにめでたうて、ひめみやもいと美(うつく)しうおはしますを、あべいかぎりにて参(まゐ)らせ給(たま)へれば、たゞいまはいといみじう思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、かひありてめでたし。たゞいまはかばかりにておはし
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ぬべきを、又(また)、「ともみつの大将(だいしやう)のひめぎみ参(まゐ)らせ給(たま)へ」と、きうにの給(たま)はすれば、「いかゞせまし」と思(おぼ)しやすらふに、「東宮(とうぐう)はちごにおはします。かやうのかたにもと思(おも)はんには、さは参(まゐ)らせ奉(たてまつ)らんのみこそはよからめ。又(また)、このひめぎみをたれかをろかには思(おぼ)さん」などおもほし立ちて、参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。
この大将(だいしやう)どのは、堀河(ほりかは)殿(どの)の三郎、あるがなかにめでたきおぼえおはしき。いまにことに捨てられ給(たま)はず。はゝうへは、九条(くでう)殿(どの)の御むすめ登花殿の内侍(ないし)のかみの御はらに、えんぎの御門(みかど)の御(み)子(こ)の重明のしきぶきやうのみやの御むすめにおはします。そのひめぎみにて、世(よ)におかしげなる御おぼえおはす。えもいはずめでたうおはすなれば、「さりともをろかならんやは」とて、参(まゐ)らせ奉(たてまつ)りたまはんと、思(おぼ)したちて、しはすに参(まゐ)り給(たま)ふ。故堀河(ほりかは)殿(どの)の御(おほん)たからは、この大将(だいしやう)の御(おほん)もとにぞみなわたりにたる。この中宮(ちゆうぐう)の御ものゝぐどもゝ、たゞこのとのをいみじきものに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へりければ、それもみなこのとのにぞわたりにける。いみじうめでたくて参(まゐ)らせ給(たま)へる。
このはゝみやにはとのはいまは御(おほん)心(こころ)かはりて、びはの大納言(だいなごん)のぶみつのきたのかたは、故あつたゞごん中納言(ちゆうなごん)の御むすめなり、それに大納言(だいなごん)うせ給(たま)ひてのちはおはし通(かよ)ひて、このうへをばたゞよそ人のやうにておはするに、おとこ君達(きんだち)二人このひめぎみとおはすれば、何事(なにごと)もやむ事なくぞ思(おも)ひ聞(き)こえたまへれど、さやうのことはおなじところにてあつかひ聞(き)こえ給(たま)はんこそよかべけれ、よそ<にはならせ
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給(たま)へるか。かのびはのきたのかたいみじうかしこうものし給(たま)ふ人なり。このうへはちごのやうにおはしければ、「いかに」とのみ世(よ)〔の〕人いひ思(おも)へり。故一条(いちでう)大将(だいしやう)のきたのかたも、此のびはの大納言(だいなごん)の御むすめにおはしければ、いとおとな<しき御(おほん)まゝむすめのほどなどを、世(よ)〔の〕人うち<には聞(き)こゆべかめれど、おほかた大将(だいしやう)の御おぼえのいといみじければ、人もえ聞(き)こえぬなるべし。「御はゝばかり」とぞいはれ給(たま)ひける。
かくて女御(にようご)参(まゐ)らせ給(たま)へれば、御門(みかど)さまあしくときめかし聞(き)こえ給(たま)ふ。ときにおはしつるみやの女御(にようご)、御とのゐ、此の頃(ごろ)はおされ給(たま)へり。みやの女御(にようご)、「いでや」などものむつかしう思(おぼ)し召(め)すほどに、一月ばかりひまなうまうのぼらせ給(たま)ひ、こなたに渡らせ給(たま)ひなどして、こと人おはするやうにもあらずもてなさせ給(たま)ふ。「さは、かうにこそは」と思(おも)ふほどに、年もかへりぬ。
元三日のほどよりして、いまめかしうさはやかなる御まつりごとゞもにて、太政(おほき)大臣(おとど)もなまさまあしう、心(こころ)えぬことに思(おぼ)すべかめれど、世(よ)にしたがふ御心(こころ)にて、さてありすぐし給(たま)ふほどに、かんゐんの大将(だいしやう)殿(どの)の女御(にようご)の御とのゐあやしうかれがれになりて、はては、「のぼらせ給(たま)へ」といふこと思(おも)ひかけずなりぬ。たはぶれの御せうそこだに絶(た)えはてゝ一二月になりゆく。「あさましう、いかにしつることぞ」など、大将(だいしやう)に万(よろづ)に覚し惑(まど)へど、かひなくて、人わらはれにいみじき御(おほん)有様(ありさま)にて、おなじうちにおはします人のやうにもあらずなりはてぬれば、しばしこそ
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あれ、人目もはづかしうて、すべなくてまかで給(たま)ふを、いさゝか御出で入りをだに知(し)らせ給(たま)はずなりぬ。あさましういみじう心(こころ)憂きことには、たゞいま世(よ)にこのことよりほかに申しいふことなし。大将(だいしやう)どのも、「うちへ参(まゐ)ればむねいたし」とて、かきこもりゐ給(たま)ひぬ。世(よ)のためしにもしつべし。「御まゝはゝのきたのかたのいかにし給(たま)ひつるにか」とまで、世(よ)の人申し思(おも)へり。御門(みかど)のわたらせ給(たま)ふうちはしなどに人のいかなるわざをしたりけるにか、われものぼらせ給(たま)はず、うへもわたらせ給(たま)はず、目もあやにめづらかにてまがで給(たま)ひにしかば、そのゝち「さることやありし」といふことゆめになし。なにをかきみなども絶(た)えて参(まゐ)り給(たま)はずなりぬ。世(よ)のためしにもなりぬべし。
かくて又(また)、小一条(こいちでう)の大将(だいしやう)の御(おほん)むすめ・一条(いちでう)大納言(だいなごん)の御むすめなどに、よるひるわかぬ御ふみもて参(まゐ)れど、小一条(こいちでう)の大将(だいしやう)は、かんゐんの大将(だいしやう)の女御(にようご)の、おぼつかなからぬほどの御なからひにて、あさましく心(こころ)憂しと思(おぼ)し絶(た)えたれば、いひわづらはせ給(たま)ひぬ。むらかみなどは、十、二十人の女御(にようご)・みやすどころおはせしかど、ときあるもときなきも、なのめになさけありて、けざやかならずもてなさせ給(たま)ひしかばこそありしか、これはいとことのほかなる御(おほん)有様(ありさま)なれば、覚し絶(た)えぬるなるべし。
一条(いちでう)の大納言(だいなごん)は、はゝもおはせぬひめぎみを、我御ふところにておほしたて奉(たてまつ)りたれば、万(よろづ)いとつゝまじき世(よ)の御(おほん)心(こころ)もちゐなれば、つゝまじう思(おぼ)しながら、いまの御門(みかど)の御(おほん)をぢ義懐中納言(ちゆうなごん)は、
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かの一条(いちでう)大納言(だいなごん)のおほいぎみの御をとゝにてものし給(たま)ひければ、それをたよりにて、常に中納言(ちゆうなごん)をせめさせ給(たま)ふなりけり。さてやう<おもほし立つなるべし。なをしきぶきやうのみやの女御(にようご)ぞときめかせ給(たま)ふ。大殿(おほとの)の女御(にようご)始(はじ)めよりなのめにてなか<さまよくおはします。一月に四夜五夜の御とのゐは絶(た)えずおなじやうなり。
かかるほどに、一条(いちでう)の大納言(だいなごん)の御(おほん)ひめぎみしたてゝ参(まゐ)らせ給(たま)ふ。このひめぎみは、をのゝみやの大臣(おとど)清慎公の御太郎あつとしの少将(せうしやう)の御(おほん)むすめのはらに、おとこぎみ・女君(をんなぎみ)とおはしけるなり、手かきのすけまさのひやうぶきやうの御(おほん)いもうとのきみの御はらなりけり。ちゝのとのは九条(くでう)殿(どの)の九郎君、ためみつと聞(き)こゆ。いづれもおとりまさると聞(き)こゆべきにもあらず、たれかは其のけぢめのこよなかりける。いとおどろ<しきまでにて参(まゐ)らせ給(たま)へり。こき殿(どの)にすませ給(たま)ふ。すべてこれはもろ<にまさりていみじうときめき給(たま)へば、大納言(だいなごん)いみじううれしう思(おぼ)して、いとゞ御いのりをせさせ給(たま)ふ。又(また)、「いかに」とも思(おぼ)し嘆(なげ)くべし。いとあまりさまあしき御おぼえにてあまたの月日も過ぎもていけば、かたへの御(おほん)かたがた、「いとさまあしう、かゝることはいまもむかしもさらに聞(き)こえぬことなり。」「ひさしからぬものなり」など、きゝにくゝのろ<しきことゞもおほかり。
かゝるほどにたゞならずならせ給(たま)ひにけり。いといみじう、はかなき御(おほん)くだものもやすくも聞(き)こし召(め)さず。たゞ、「まづ<こき殿に」とのみの給(たま)はすれば、御おぼえめでたけれど、大納言(だいなごん)もかたはらいたき
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まで思(おぼ)しけり。三月にて奏していで給(たま)はんとするに、万(よろづ)にとゞめ聞(き)こえ給(たま)ひて、五月ばかりにてぞ出でさせ給(たま)ふ。万(よろづ)御(おほん)つゝしみも御さとにて心(こころ)やすくと思(おぼ)すに、いまゝでいでさせ給(たま)はざりつるに、かく出でさせ給(たま)ひて、手をわかちて万(よろづ)にせさせ給(たま)ふ。始(はじ)めは御つはりとてものも聞(き)こし召(め)さゞりけるに、月(つき)頃(ごろ)すぐれどおなじやうにつゆもの聞(き)こし召(め)さで、いみじうやせほそらせ給(たま)ふ。いみじきわざに思(おぼ)して、万(よろづ)に手惑(まど)ひ、しのこすことなくいのらせ給(たま)ふに、たちばなひとつも聞(き)こし召(め)しては御(おほん)身にもとゞめず、あさましう哀(あは)れに心(こころ)ぼそげにのみ見えさせ給(たま)へば、ちゝ殿(との)のむねふたがりては、やすからずうち嘆(なげ)きつゝあつかひ聞(き)こえ給(たま)ふ。
うちよりも御修法あまたせさせ給(たま)ふ。くらづかさより万(よろづ)のものをもてはこばせ給(たま)ふ。よるよなかわかぬ御つかひのしげさに殿上人(てんじやうびと)・くらんどもあまりにわびにたり。しばしもとゞこほるをば御簡をけづらせ給(たま)ひ、御かしこまりなどさまざまおどろ<しければ、さても六ゐのくらんどなどはいとよしや、さるべきとのばらの君達(きんだち)などはいと堪えがたきことに思(おも)ふべし。はかなき御くだものなども、かしこにはつゆかひなう聞(き)こし召(め)さねど、「まづまづ」と奉(たてまつ)らせ給(たま)ふを、大納言(だいなごん)、「いと世(よ)づかずや」など、うち嘆(なげ)きつゝすぐし給(たま)ふほどに、せめておぼつかなくこひしく思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ひて、「たゞよひのほど」ゝのみの給(たま)はすれど、え思(おぼ)したゝぬに、女御(にようご)もさすがにおぼつかなげに思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、大納言(だいなごん)どの、
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たゞひとひふつかと思(おぼ)し立ちて参(まゐ)らせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。
こき殿に参(まゐ)らせ給(たま)ふとて、御しつらひなどいふことを、かたへの御かたがたのくちよからぬ人々、「ゆゝしういま<しきこと」ゝ聞(き)こゆ。かくて参(まゐ)らせ給(たま)へれば、哀(あは)れにうれしう思(おぼ)し召(め)して、よるひるやがて、おものにもつかせ給(たま)はで入り臥させ給(たま)へり。「あさましう物ぐるをし」とまでうちのわたりには申しあへり。女御(にようご)は参(まゐ)らせ給(たま)へりし折のやうにもあらず、かくたゞならずならせ給(たま)ひてのちは、うちにおはしましゝ折よりもこよなくほそらせ給(たま)へりしを、まいて此たびはその人と〔も〕見えさせ給(たま)はず、あさましうならせ給(たま)へり。いとざれおかしうおはせし人ともおぼえず、いみじうしめらせ給(たま)ひて、たゞあべいにもあらぬ嘆(なげ)きをのみせさせ給(たま)へば、うへも泣きみわらひみ、なみだにしづませ給(たま)へり。いみじう哀(あは)れにかなしき御ことゞもなり。
さて三日ありて出でさせ給(たま)ひなむとて、御(おほん)むかへの人々・御(おほん)くるまなどあれど、すべて許し聞(き)こえさせ給(たま)はで、「いま一夜<」ととゞめ奉(たてまつ)らせ給(たま)へるほどに、七八日になりぬれば、「御つゝしみもよそよそにてはいとうしろめだし」とて、大納言(だいなごん)いとまめやかに奏し給(たま)へば、泣く<御いとま許させ給(たま)ひても、御輦車ひき出でてまかでさせたまふまで、出でゐさせ給(たま)へり。大納言(だいなごん)哀(あは)れにかたじけなふ思(おぼ)されで、わが御めいぼくもめでたくて、さまざま御(おほん)なみだも出でければ、ゆゝしくて忍(しの)びさせ給(たま)ふ。中(なか)<わりなく思(おぼ)されて、うへさへ例(れい)の
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やうにもおはしまさぬを、にようばうなどもいとおしう聞(き)こえさす。一条(いちでう)殿(どの)の女御(にようご)は、月(つき)頃(ごろ)はさてもありつる御(おん)心地(ここち)に、こたみいでさせ給(たま)ひてのちは、すべて御ぐしももたげさせ給(たま)はず、あさましうしづませ給(たま)ひて、たゞときを待つばかりの御有さまなり。大納言(だいなごん)泣く<万(よろづ)に惑(まど)はせ給(たま)へど、かひなくて、はらませ給(たま)ひて、八月といふにうせ給(たま)ひぬ。大納言(だいなごん)殿の御有様(ありさま)、かきつゞけずとも思(おも)ひやるべし。
うちにもたれこめておはしまして、御こゑも惜しませ給(たま)はず、いとさまあしきまでなかせ給(たま)ふ。御(おほん)めのとたちせいし聞(き)こえさすれど、聞(き)こし召しいれず。哀(あは)れにいみじ。一条(いちでう)どのには、さてのみやはとて、例(れい)の作法のことゞもしたゝめ聞(き)こえ給(たま)ふも、あさましう心(こころ)うし。「ゐて出で奉(たてまつ)る折などは、后(きさき)になし奉(たてまつ)りて、御輿にて出だし入れ奉(たてまつ)りて、見奉(たてまつ)らんとこそ思(おも)ひしが、かくやは」と伏しまろび泣かせ給(たま)ふ。うちにはさべき御心(こころ)よせの殿上人(てんじやうびと)・上達部(かんだちめ)のむつまじきかぎりは、皆かの御送りに出だし立てさせ給(たま)ふ。我がよそに聞くことのかなしさを、かへすがへす覚し惑(まど)はせ給(たま)ふ。夜一夜御とのごもらで思(おぼ)しやらせ給(たま)ふ。
大納言(だいなごん)どのは御(おほん)くるまのしりにあゆませ給(たま)ふも、たゞたふれ惑(まど)ひ給(たま)ふさまいみじ。はてはくもきりにてやませ給(たま)ひぬ。うちにもとにも、「あないみじ、かなし」とのみ思(おぼ)し惑(まど)ふほどに、はかなう月日も過ぎもて行きて、さべき御仏経の急(いそ)ぎにつけても御なみだひるまなし。うちにもこの御いみのほどは、絶(た)えていづれの御かたがたもつゆまうのぼらせ給(たま)はず。みや
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の女御(にようご)をばさやうになど聞(き)こえさせ給(たま)ふ折あれど、「御(おほん)心地(ここち)なやまし」などの給(たま)はせつゝ、のぼらせ給(たま)はず。
かく哀(あは)れ<などありしほどに、はかなくくはんわ二年にもなりぬ。世(よ)の中(なか)正月より心(こころ)のどかならず、あやしうものゝさとしなどしげうて、うちにも御(おほん)ものいみがちにておはします。又(また)いかなるころにかあらん、世(よ)の中(なか)の人いみじくだうしん起こして尼法師(ほふし)になりはてぬとのみ聞(き)こゆ。これを御門(みかど)聞(き)こし召して、はかなき世(よ)を覚し嘆(なげ)かせ給(たま)ひて、「哀(あは)れこき殿いかにつみふかゝらん。かゝる人はいとつみ重くこそあなれ。いかでかのつみをほろぼさばや」と思(おぼ)しみだるゝことゞも御(おほん)心(こころ)のうちにあるべし。この御心(こころ)のあやしうたうとき折おほく心(こころ)のどかならぬ御けしきを太政(おほき)大臣(おとど)覚し嘆(なげ)き、御(おほん)をぢ〔の〕中納言(ちゆうなごん)も人知れずたゞむねつぶれてのみ思(おぼ)さるべし。説経をつねに花山(くわさん)の厳久あざりをめしつゝせさせ給(たま)ふ。
御(おほん)心(こころ)のうちのだうしんかぎりなくおはします。「妻子珍寶及王位」といふことを、御(おほん)くちのはにかけさせ給(たま)へるも、惟成(これしげ)の弁、いみじうらうたき物につかはせ給(たま)ふも、中納言(ちゆうなごん)もろともに、「この御(おほん)だうしんこそうしろめたけれ。しゆつけにうだうもみな例(れい)のことなれど、これはいかにぞやある御(おほん)心(こころ)ざまのおり<いでくるは、こと<ならじ、たゞれいぜんゐんの御ものゝけのせさせ給(たま)ふなるべし」など嘆(なげ)き申しわたるほどに、なをあやしう例(れい)ならずものゝすゞろはしげにのみおはしますは、中納言(ちゆうなごん)なども御とのゐがちにつかうまつり給(たま)ふほど
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に、くはんわ二年六月廿二日の夜にはかにうせさせ給(たま)ひぬとのゝしる。
内(うち)のそこらの殿上人(てんじやうびと)・上達部(かんだちめ)、あやしのゑじ・じちやうにいたるまで、残るところなく火をともして、到らぬくまなくもとめ奉(たてまつ)るに、ゆめにおはしまさず。太政(おほき)大臣(おとど)より始(はじ)め、しよきやう・殿上人(てんじやうびと)残らず参(まゐ)りあつまりて、つぼ<をさへ見奉(たてまつ)るに、いづこにか〔は〕おはしまさん。あさましういみじうて、一てんがこぞりて、夜のうちにをき<固めさはぎのゝしる。中納言(ちゆうなごん)は守宮神・かしこ所の御(おほん)まへにて伏しまろび給(たま)ひて、「我がたからのきみはいづこにあからめせさせ給(たま)へるぞや」と、伏しまろび泣き給(たま)ふ。
やま<てらでらに手をわかちてもとめ奉(たてまつ)るに、さらにおはしまさず。女御(にようご)たちなみだを流し給(たま)ふ。「あないみじ」と思(おも)ひ嘆(なげ)き給(たま)ふほどに、なつの夜もはかなく明けて、中納言(ちゆうなごん)や惟成(これしげ)の弁など花山(くわさん)にたづね参(まゐ)りにけり。そこに目もつづらかなるこぼうしにてついゐさせ給(たま)へるものか。「あなかなしやいみじや」とそこに伏しまろびて中納言(ちゆうなごん)も法師(ほふし)になり給(たま)ひぬ。惟成(これしげ)の弁(べん)もなり給(たま)ひぬ。あさましうゆゝしう哀(あは)れにかなしとは、これよりほかのことあべきにあらず。かの御ことぐさの「妻子珍寶及王位」も、かく思(おぼ)しとりたるなりけりと見えさせ給(たま)ふ。「さても法師(ほふし)にならせ給(たま)ふはいとよしや。いかで花山(くわさん)までみちを知(し)らせ給(たま)ひて、かちよりおはしましけん」と見奉(たてまつ)るに、あさましうかなしう哀(あは)れにゆゝしくなん見奉(たてまつ)りける。
かくて廿三日に東宮(とうぐう)位につかせ給(たま)ひぬ。東宮(とうぐう)
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にはれいぜんゐんの二の宮ゐさせ給(たま)ひぬ。御門(みかど)は御(おほん)年(とし)なゝつにならせ給(たま)ひ、東宮(とうぐう)は十一にぞおはし〔まし〕ける。東宮(とうぐう)もこの東三条(とうさんでう)の大臣(おとど)の御孫にこそおはしませ。いみじうめでたきことかぎりなし。これ皆あべいことなり。
さても花山(くわさん)の院(ゐん)〔は〕三界(さんがい)の火宅(くわたく)を出でさせ給(たま)ひて、四衢道のなかの露地におはしましあゆませ給(たま)ひつらん御足のうらには千幅輪のもんおはしまして、御(おほん)足の跡には、いろ<の蓮(はちす)ひらけ、御くらゐじやうぼんじやうしやうにのぼらせ給(たま)はんは知らず、この世(よ)にはここのへのみやのうちのともしび消えて、頼(たの)みつかうまつるおとこをんなは暗き世(よ)に惑(まど)ひ、哀(あは)れに悲しくなん。さても中納言(ちゆうなごん)もそひ奉(たてまつ)り給(たま)はず、飯室といふところにやがて籠りゐ給(たま)ひぬ。惟成(これしげ)入道は、ひじりよりもげにめでたくをこなひてあり。花山(くわさん)の院(ゐん)は御受戒、このふゆとぞ思(おぼ)し召(め)しける。あさましきことゞもつぎ<の巻々にあるべし。