落梅集
 
島崎藤村
 
 
(明治34年8月刊。初版本による。散文・振り仮名は省略)
 
 
 
小諸なる
 古城のほとり

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なす●◎は萌えず 《●はクサカンムリに「繁」◎はクサカンムリに「婁」》
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色はづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む




労働雑詠

 其一 朝

朝はふたゝびこゝにあり
朝はわれらと共にあり
埋れよ眠行けよ夢
隠れよさらば小夜嵐

諸羽うちふる鶏は
咽喉の笛を吹き鳴らし
けふの命の戦闘の
よそほひせよと叫ぶかな

 野に出でよ野に出でよ
 稲の穂は黄にみのりたり
 草鞋とく結へ鎌も執れ
 風に嘶く馬もやれ

雲に鞭うつ空の日は
語らず言はず声なきも
人を励ます其音は
野山に谷にあふれたり

流るゝ汗と膩との
落つるやいづこかの野辺に
名も無き賤のものゝふを
来りて護れ軍神

 野に出でよ野に出でよ
 稲の穂は黄にみのりたり
 草鞋とく結へ鎌も執れ
 風に嘶く馬もやれ

あゝ綾絹につゝまれて
為すよしも無く寝ぬるより
薄き襤褸はまとふとも
活きて起つこそをかしけれ

匍匐ふ虫の賤が身に
羽翼を恵むものや何
酒か涙か歎息か
迷か夢か皆なあらず

 野に出でよ野に出でよ
 稲の穂は黄にみのりたり
 草鞋とく結へ鎌も執れ
 風に嘶く馬もやれ

さながら土に繋がるゝ
重き鎖を解きいでゝ
いとゞ暗きに住む鬼の
笞の責をいでむ時

口には朝の息を吹き
骨には若き血を纒ひ
胸に驕慢手に力
霜葉を履みてとく来れ

 野に出でよ野に出でよ
 稲の穂は黄にみのりたり
 草鞋とく結へ鎌も執れ
 風に嘶く馬もやれ


 其二 昼

誰か知るべき秋の葉の
落ちて樹の根の埋むとき
重く声無き石の下
清水溢れて流るとは

誰か知るべき小山田の
稲穂のたわに実るとき
花なく香なき賤の胸
生命踴りて響くとは

 共に来て蒔き来て植ゑし
 田の面に秋の風落ちて
 野辺の琥珀を鳴らすかな
 刈り乾せ刈り乾せ稲の穂を

血潮は草に流さねど
力うちふり鍬をうち
天の風雨に雷霆に
わが闘ひの跡やこゝ

見よ日は高き青空の
端より端を弓として
今し父の矢母の矢の
光を降らす真昼中

 共に来て蒔き来て植ゑし
 田の面に秋の風落ちて
 野辺の琥珀を鳴らすかな
 刈り乾せ刈り乾せ稲の穂を

左手に稲を捉む時
右手に利鎌を握る時
胸満ちくれば火のごとく
骨と髓との燃ゆる時

土と塵埃と泥の上に
汗と膩の落つる時
緑にまじる黄の茎に
烈しき息のかゝる時

 共に来て蒔き来て植ゑし
 田の面に秋の風落ちて
 野辺の琥珀を鳴らすかな
 刈り乾せ刈り乾せ稲の穂を

思へ名も無き賤ながら
遠きに石を荷ふ身は
夏の白雨過ぐるごと
ほまれ短き夢ならじ

生命の長き戦闘は
こゝに音無し声も無し
勝ちて桂の冠は
はづかに白き頬かむり

 共に来て蒔き来て植ゑし
 田の面に秋の風落ちて
 野辺の琥珀を鳴らすかな
 刈り乾せ刈り乾せ稲の穂を


 其三 暮

掲げよ勝鬨手を延べて
稲葉を高くふりかざせ
日暮れ労れて道の辺に
倒るゝ人よとく帰れ
彩雲や
落つる日や
行く道すがら眺むれば
秋天高き夕まぐれ
共に蒔き
共に植ゑ
共に稲穂を刈り乾して
歌ふて帰る今の身に
ことしの夏を
かへりみすれば
嗚呼わが魂は
わなゝきふるふ
この日怖れをかの日に伝へ
この夜望みをかの夜に繋ぎ
門に立ち
野辺に行き
ある時は風高くして
青草長き谷の影
雲に嵐に稲妻に
行先も暗く声を呑み
ある時は夏寒くして
山の鳩啼く森の下
たま/\虹に夕映に
末のみのりを祈りてき
それは逝き
これは来て
餓と涙と送りてし
同じ自然の業ながら
今は思ひのなぐさめに
光をはなつ秋の星
あゝ勇みつゝ踴りつゝ
諸手をうちて笑ひつゝ
樹下の墓を横ぎりて
家路に通ふ森の道
眠る聖も盗賊も
皆な土くれの苔一重
霧立つ空に入相の
精舎の鐘の響く時
あゝ驕慢と歓喜と
力を息に吹き入れて
勝ちて帰るの勢に
揚げよ楽しき秋の歌




壮年の歌

わかものゝかたりていへる
人の身にやどれる冬の
暮れてゆく命を見れば
雪白く髪に流れて
日にあたる花も香もなし
枯草をすがたに刻み
食ひ飲みて衰ふばかり
おのづから眠にかへる
老こそは奇しきものなれ
ある翁こたへていへる
われとても君にさながら
身にさかる夏は経にけり
稲妻はこゝろにさわぎ
白雨はむねにそゝぎぬ
わればかり栃木といふや
きみばかり青葉といふや
小夜嵐やがて襲はゞ
君もまた老の餌なる

 其一 埋木

羽翼なければ繋がれて
朽ちはつべしとかねてしる
光なければ埋もれて
老いゆくべしとかねてしる

知る人もなき山蔭に
朽ちゆくことを厭はねば
牛飼ふ野辺の寂しさを
かくれがとこそ頼むなれ

埋もるゝ花もありやとて
独り戸に倚り眺むれば
ゆふべ空しく日は暮れて
牧場の草に春雨のふる


 其二 告別

罪人と名にも呼ばれむ
罪人と名にも呼ばれむ
帰らじとかねて思へば
嗚呼涙さらば故郷

駒とめて路の樹蔭に
あまたゝびかへりみすれば
輝きて立てる白壁
さやかにも見えにけるかな

鬣は風に吹かれて
吾駒の歩みも遅し
愁ひつゝ蹄をあげて
雲遠き都にむかふ

戦ひの世にしあなれば
野の草の露と知れゝど
吾父の射る矢に立ちて
消えむとは思ひかけずよ

捨てよとや紙にもあらず
吾心焼くよしもなし
捨てよとや筆にもあらず
吾心折るよしもなし

そのねがひ親や古りたる
このおもひ子や新しき
つく/゛\と父を思へば
吾袖は紅き血となる

静息なく激ぎつ胸には
柵もなにかとゞめん
洪水の溢るゝごとく
海にまで入らではやまじ

はらからやさらば故郷
去ねよ去ねよ去ねよ吾駒
諸共に暗く寂しく
故の園を捨てゝ行かまし


 其三 佯狂

蝴蝶の夢の人の身を
旅といふこそうれしけれ
常世に長き天地を
宿といふこそをかしけれ

青き山辺は吾枕
花さく野辺は吾衾
星縫ふ空は吾帳
さかまく海は吾緒琴

 いづこよりとは告げがたし
 いづこまでとは言ひがたし

いま日の光いま嵐
来る歓楽哀傷の
人のさかりをかりそめに
夏といはんもおもしろや

あゝわれひとの知らぬ間に
心の色は褪せ易し
胸うち掩ふ緑葉の
若き命もいくばくぞ

 かんばせの花紅き子も
 あはれや早く翁顔

あるひは高く撃てれども
翅砕けて八重葎
あるひは遠く舞へれども
望は落ちて塵埃

誉も声も浮ける雲
すぐれし才はいづこぞや
涙も夢も草の雨
流れて更に音も無し

 思ふて誰か傷まざる
 歩みて誰か迷はざる

人の命を児童の
●戯と言ふは誰が言葉 《●はクチヘンに「喜」》
賤も聖も丈夫も
児童ならぬものやある

昼には昼に遊ぶべし
夜には夜に遊ぶべし
破りはつべき世ならねば
身は狂ふこそ悲しけれ

 捨てつ捨ひつこの命
 行きつ運りつこの環


 其四 草枕

落葉松の樹はありとても
石南花の花さくとても
故郷遠き草枕
思はなにか慰まむ

旅寝は胸も病むばかり
沈む憂は酔ふがごと
独りぬる夜の夢にのみ
たゞ夢にのみ山路を下る


 其五 幻境

ふと目は覚めぬ五とせの
心の酔に驚きて
若き是身をながむれば
はや吾春は老いにけり

夢の心地も甘かりし
昔は何を知れとてか
清しき星も身を呪ふ
今は何をか思へとや

剛愎なりし吾さへも
折れて泣きしは恋なりき
荒き胸にも一輪の
花をかざすは恋なりき

勇める馬の狂ひいで
鬣長く嘶なきて
風こゝちよき青草の
野辺を蹄に履むがごと

又は眼も紫に
胸より熱き火を吹きて
汲めど尽きせぬ真清水の
泉に喘ぎよるがごと

若き心の踴りては
軛も綱も捨てけりな
こがれつ酔ひつ筆振れば
筆神ありと思ひてき

あゝうつくしき花草は
咲く間を待たで萎むらん
消えはてにけり吾恋は
芸術諸共消えにけり

そは何故のうき世にて
人に誠はありながら
恋路の末はとこしへの
冬を性命に刻むらむ

黒髪われを覆ふとも
血潮はわれを染むるとも
花口唇を飾るとも
思は胸を傷ましむ

絵筆うちふる吾指は
歎きのために震ふかな
涙に濡るゝ吾紙は
象空しく消ゆるかな

かはりはてたる吾命
かはりはてたる吾思
かはりはてたる吾恋路
かはりはてたる吾芸術

この世はあまり実にすぎて
あたら吾身は夢ばかり
なぐさめもなき幻の
境に泣てさまよふわれは

 其六 邂逅

縫ひかへせ縫ひかへせ
膩に染みし其袂
涙に濡れし其袂
濯げよさらば嘆かずもがな

縫ひかへせ縫ひかへせ
君が衣を縫ひかへせ
愁は水に汗は瀬に
濯げよさらば嘆かずもがな

縫ひかへせ縫ひかへせ
捨てよ昔の夢の垢
やめよ甲斐なき物思
濯けよさらば嘆かずもがな

縫ひかへせ縫ひかへせ
腐れて何の袖かある
労れて何の道かある
濯げよさらば嘆かずもがな

縫ひかへせ縫ひかへせ
薄き羽袖の蝉すらも
歌ふて殻を出づる世に
濯げよさらば嘆かずもがな

縫ひかへせ縫ひかへせ
君がなげきは古りたりや
とく新しき世に帰れ
濯げよさらは嘆かずもがな




悪夢

(前書略)

其耳はいづこにありや
其胸はいづこにありや
激り落つ愁の思
この心誰に告ぐべき

秋蠅の窓に残りて
日の影に飛びかふごとく
あぢきなき牢獄のなかに
伏して寝ねまたも目さめぬ

夜な/\の衾は濡れて
吾床は乾く間も無し
黒髪は霜に衰へ
若き身は歎きに老いぬ

春やなき無間の谷間
潮やなき紅蓮の岸辺
憔悴の死灰の身には
熱き火の燃ゆる罪のみ

銀の台も砕け
恋の矢も朽ちて行く世に
いつまでか骨に刻みて
時しらず活くる罪かも

空の鷲われに来よとや
なにかせん自在なき身は
天の馬われに来よとや
なにかせん鉄鎖ある身は

いかづちの火を吹くごとく
この痛み胸に踴れり
なか/\に罪の住家は
濃き陰の暗にこそあれ

いとをしむ人なき我ぞ
隠れむにものなき我を
血に泣きて声は呑むとも
寂寞の裾こそよけれ

世を知らぬおさなき昔
香ににほふ妹を抱きて
すゝりなく恨みの日より
吾虫は驕るばかり

わがいのち戯の台
その悪を舞ふにやあらん
わがこゝろ悲しき鏡
その夢を見るにやあらん

人の世に羽を撃つ風雨
天地に身は捨小舟
今更に我をうみてし
亡き母も恨めしきかな

父いかに旧の山河
妻いかに遠の村里
この道を忘れたまふや
この空を忘れたまふや

いかなれば歎きをすらん
その父はわれを捨つるに
いかなれば忍びつ居らん
その妻はわれを捨つるに

くろがねの窓に縋りて
故郷の空を望めば
浮雲や遠く懸りて
履みなれし丘にさながら

さびしさの訪ひくる外に
おとなひも絶えてなかりし
吾窓に鳴く音を聴けば
人知れず涙し流る

鵯よ翅を振りて
黄葉の陰に歌ふや
幽囚の笞の責や
人の身は鳥にもしかじ

あゝ一葉枝に離れて
いづくにか漂ふやらん
照れる日の光はあれど
わがたましひは暗くさまよふ






(省略)




黄昏

つと立よれば垣根には
露草の花さきにけり
さまよひくれば夕雲や
これぞこひしき門辺なる

瓦の屋根に烏啼き
烏帰りて日は暮れぬ
おとづれもせず去にもせで
蛍と共にこゝをあちこち




緑蔭

枝うちかはすウメと梅
梅の葉かげにそのむかし
鶏は鶏とし並び食ひ
われは君とし遊びてき

空風吹けば雲離れ
別れいざよふ西東
青葉は枝に契るとも
緑は長くとゞまらじ

水去り帰る手をのべて
誰れか流れをとゞむべき
行くにまかせよ嗚呼さらば
また相見んと願ひしか

遠く別れてかぞふれば
かさねて長き秋の夢
願ひはあれど陶磁の
くだけて時を傷みけり

わが髪長く生ひいでゝ
額の汗を覆ふとも
甲斐なく珠を抱きては
罪多かりし草枕

雲に浮びて立ちかへり
都の夏にきて見れば
むかしながらのみどり葉は
蔭いや深くなれかな

わかれを思ひ逢瀬をば
君とし今やかたらふに
二人すわりし青草は
熱き涙にぬれにけり






罪なれば物のあはれを
こゝろなき身にも知るなり
罪なれば酒をふくみて
夢に酔ひ夢に泣くなり

罪なれば親をも捨てゝ
世の鞭を忍び負ふなり
罪なれば宿を逐はれて
花園に別れ行くなり

罪なれば刃に伏して
紅き血に流れ去るなり
罪なれば手に手をとりて
死の門にかけり入るなり

罪なれば滅び砕けて
常闇の地獄のなやみ
嗚呼二人抱きこがれつ
恋の火にもゆるたましひ




胸より胸に

 其一
めぐり逢ふ
 君やいくたび

めぐり逢ふ君やいくたび
あぢきなき夜を日にかへす
吾命暗の谷間も
君あれば恋のあけぼの

樹の枝に琴は懸けねど
朝風の来て弾くごとく
面影に君はうつりて
吾胸を静かに渡る

雲迷ふ身のわづらひも
紅の色に微笑み
流れつゝ冷ゆる涙も
いと熱き思を宿す

知らざりし道の開けて
大空は今光なり
もろともにしばしたゝずみ
新しき眺めに入らん


 其二
あゝさなり
 君のごとくに

あゝさなり君のごとくに
何かまた優しかるべき
帰り来てこがれ侘ぶなり
ねがはくは開けこの戸を

ひとたびは君を見棄てゝ
世に迷ふ羊なりきよ
あぢきなき石を枕に
思ひ知る君が牧場を

楽しきはうらぶれ暮し
泉なき砂に伏す時
青草の追憶ばかり
悲しき日楽しきはなし

悲しきはふたゝび帰り
緑なす野辺を見る時
飄泊の追憶ばかり
楽しき日悲しきはなし

その笛を今は頼まむ
その胸にわれは息はむ
君ならで誰か飼ふべき
天地に迷ふ羊を


 其三
思より
 思をたどり

思より思をたどり
樹下より樹下をつたひ
独りして遅く歩めば
月今夜幽かに照らす

おぼつかな春のかすみに
うち煙る夜の静けさ
仄白き空の鏡は
俤の心地こそすれ

物皆はさやかならねど
鬼の住む暗にもあらず
おのづから光は落ちて
吾顔に触るぞうれしき

其光こゝに映りて
日は見えず八重の雲路に
其影はこゝに宿りて
君見えず遠の山川

思ひやるおぼろ/\の
天の戸は雲かあらぬか
草も木も眠れるなかに
仰ぎ視て涕を流す


 其四
吾恋は
 河辺に生ひて

吾恋は河辺に生ひて
根を浸す柳の樹なり
枝延て緑なすまで
生命をぞ君に汲ふなる

北のかた水去り帰り
昼も夜も雨を知らず
あゝわれも君にむかひて
草を藉き思を送る


 其五
吾胸の
 底のこゝろには

吾胸の底のこゝには
言ひがたき秘密住めり
身をあげて活ける牲とは
君ならで誰かしらまし

もしやわれ鳥にありせは
君の住む●に飛びかひ 《●は「窗」の下に「心」)
羽を振りて昼は終日
深き音に鳴かましものを

もしやわれ梭にありせば
君が手の白きにひかれ
春の日の長き思を
その糸に織らましものを

もしやわれ草にありせば
野辺に●え君に踏まれて 《●はクサカンムリに「朋」》
かつ靡きかつは微笑み
その足に触れましものを

わがなげき衾に溢れ
わがうれひ枕を浸す
朝鳥に目さめぬるより
はや床は濡れてたゞよふ

口唇に言葉ありとも
このこゝろ何か写さん
たゞ熱き胸より胸の
琴にこそ伝ふべきなれ


 其六
君こそは
 遠音に響く

君きそは遠音に響く
入相の鐘にありけれ
幽かなる声を辿りて
われは行く盲目のごとし

君ゆゑにわれは休まず
君ゆゑにわれは仆れず
嗚呼われは君に引かれて
暗き世をはずかに捜る

たゞ知るは沈む春日の
目にうつる天のひらめき
なつかしき声するかな
花深き夕を思ふ

吾足は傷つき痛み
吾胸は溢れ乱れぬ
君なくば人の命に
われのみや独ならまし

あな哀し恋の暗には
君もまた同じ盲目か
手引せよ盲目の身には
盲目こそうれしかりけれ




蜑のなげき

風よ静かに彼の岸へ
こひしき人を吹き送れ
海を越え行く旅人の
群にぞ君はまじりたる

八重の汐路をかき分けて
行くは僅に舟一葉
底白波の上なれば
君安かれと祈るかな

海とはいへどひねもすは
皐月の野辺と眺め見よ
波とはいへど夜もすがら
緑の草と思ひ寝よ

もし海怒り狂ひなば
われ是岸に仆れ伏し
いと/\深き歎息に
其嵐をぞなだむべき

楽しき初憶ふ毎
哀しき終堪へがたし
ふたゝびみたゞめぐり逢ふ
天つ恵みはありやなしや

あゝ緑葉の嘆きをぞ
今は海にも思ひ知る
破れて胸は紅き血の
流るゝがごと滴るがごと




浦島

浦島の子とぞいふなる
遊ぶべく海辺に出でゝ
釣すべく岩に上りて
長き日を糸垂れ暮す

流れ藻の青き葉蔭に
隠れ寄る魚かとばかり
手を延べて水を出でたる
うらわかき処女のひとり

名のれ/\奇しき処女よ
わだつみに住める処女よ
思ひきや水の中にも
黒髪の魚のありとは

かの処女嘆きて言へる
われはこれ潮の児なり
わだつみの神のむすめの
乙姫といふはわれなり

龍の宮荒れなば荒れね
捨てゝ来て海へは入らじ
あゝ君の胸にのみこそ
けふよりは住むべかりけれ




銀鎖

こゝろをつなぐ銀の
鎖も今はたえにけり
こひもまこともあすよりは
つめたき砂にそゝがまし

顔もうるほひ手もふるひ
逢ふてわかれをおしむより
人目の関はへだつとも
あかぬむかしぞしたはしき

形となりて添はずとも
せめては影と添はましを
たがひにおもふこゝろすら
裂きて捨つべきこの世かな

おもかげの草かゝるとも
古りてやぶるゝ壁のごと
君し住まねば吾胸は
ついにくだけて荒れぬべし

一歩に涙五歩に血や
すがたかたちも空の虹
おなじ照る日にながらへて
永き別れ路見るよしもなし




夏の夢

また落ちかゝる白雨の
若葉青葉を過ぎてのち
緑の野辺に蝶は来て
名もなき草の花ざかり

めぐり/\て藪かげを
ぬつと出づれば夏の日や
白き光に照らされて
すがたをつゝむ頬冠り

離れ/\の雲の行く
天の心は知らねども
蛙のうたふ声きけば
今はよろづの恋の時

かよひれなたる白百合の
畠を荒す田鼠
小高き土をふみしめて
花さくなかを逢ひに行く




利根川だより

(省略)




椰子の実

名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ

故郷の岸を離れて
汝はそも波に幾月

旧の樹は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる

われもまた渚を枕
孤身の浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば
新なり流離の憂

海の日の沈むを見れば
激り落つ異郷の涙

思ひやる八重の汐々
いづれの日にか国に帰らん




海辺の曲

うみべといへるしらべに合せてつくりしうた

よのわづらひをのがれいでつゝ、
ひとりうみべにさまよひくれば、
あゝはや、わがむねは、こひのおほなみ
こゝろにやすきひとゝきもなく、
くらきうしほのうみよりいでゝ、
あふれてきしにのぼれるみれば、
つめたきかぜの、ゆめをふくとき、
とゞめもあらずなみだしながる。




蟹の歌

波うち寄する磯際の
一つの穴に蟹二つ
鳥は鳥とし並び飛び
蟹は蟹とし棲めるかな

日毎の宿のいとなみは
乾く間もなき砂の上
潮引く毎に顕れて
潮満つ毎に隠れけり

やがて天雲驚きて
落ちて風雨となりぬれば
流るゝ砂と諸共に
二つの蟹の行衛知らずも




舟路

海にして響く艪の声
水を撃つ音のよきかな
大空に雲は飄ひ
潮分けて舟は行くなり

静なる空に透かして
青波の深きを見れば
水底やはてもしられず
流れ藻の浮きつ沈みつ

緑なす草のかげより
湧き出づる泉ならねど
おのづから満ち来る汐は
海原のうちに溢れぬ

さながらに遠き白帆は
群をなす牧場の羊
吹き送る風に飼はれて
わだつみの野辺を行くらん

雲行けば舟も随ひ
舟行けば雲もまた追ふ
空と水相合ふかなた
諸共にけふの泊へ




千曲川旅情のうた

昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか栄枯の夢の
消え残る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過し世を静かに思へ
百年もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁を繋ぐ




常盤樹

あら雄々しきかな傷ましきかな
かの常盤樹の落ちず枯れざる
常盤樹の枯れざるは
百千の草の落つるより
傷ましきかな
其枝に懸る朝の日
其幹を運る夕月
など行く旅の迅速なるや
など電の影と馳するや
蝶の舞
花の笑
など遊ぶ日の世に短きや
など其酔の早く醒むるや
虫草の葉に悲しめば
一時にして既に霜
鳥潮の音に驚けば
一時にして既に雪
木枯高く秋落ちて
自然の色はあせゆけど
大力天を貫きて
坤軸遂に静息なし
ものみな速くうらがれて
長き寒さも知らぬ間に
汝千歳の時に嘯き
独りし立つは何の力ぞ
白銀の花霏々として
吹雪の煙闇き時
四方は氷に閉されて
江海も音をひそむ時
汝緑の蔭も朽ちもせず
空を凌ぐは何の力ぞ
立てよ友なき野辺の帝王
ゆゝしく高く立てよ常盤樹
汝の長き春なくば
山の命も老いなんか
汝の深き息なくば
谷の響も絶えなんか
あしたには葉をうつ霙
ゆふべには枝うつ霰
千草も知らぬ冬の日の
嵐に叫ぶうきなやみ
いづれの日にか
氷は解けて
其葉の涙
消えむとすらん
あゝよしさらば枝も摧けて
終の色の落ちなん日まで
雲浮かば
無縫の天衣
風立たば
不朽の緒琴
おごそかに
立てよ常盤樹
あら雄々しきかな傷ましきかな
かの常盤樹の落ちず枯れざる
常盤樹の枯れざるは
百千の草の落つるより
傷ましきかな




寂寥

岸の柳は低くして
羊の群の絵にまがひ
野薔薇の幹は埋もれて
流るゝ砂に跡もなし
蓼科山の山なみの
麓をめぐる河水や
龍住む淵に沈みては
鴨の頭の深緑
花さく岩にせかれては
天の皷の楽の音
さても水瀬はくちなはの
かうべをあげて奔るごと
白波高くわだつみに
流れて下る千曲川

あした炎をたゝかはし
ゆうべ煙をきそひてし
駿河にたてる富士の根も
今はさびしき日の影に
白く輝く墓のごと
はるかに沈む雲の外
これは信濃の空高く
今も烈しき火の柱
雨なす石を降らしては
みそらを焦す灰けぶり
神夢さめし天地の
ひらけそめにし昔より
常世につもる白雪は
今も無間の谷の底
湧きてあふるゝ紅の
血潮の池を目にみては
布引に住むはやぶさも
翼をかへす浅間山

あゝ北佐久の岡の裾
御牧が原の森の影
夢かけめぐる旅に寝て
安き一日もあらねばや
高根の上にあか/\と
燃ゆる炎をあふぐとき
み谷の底の青巌に
逆まく浪をのぞむとき
かしこにこゝに寂寥の
その味はひはにがかりき

あな寂寥や其の道は
獣の足の跡のみか
舞ひて見せたる大空の
鳥のゆくへのそれのみか
さてもためしの燈火に
若き心をうかゞへば
人の命の樹下蔭
花深く咲き花散りて
枝もたわゝの知恵の実を
味ひそめしきのふけふ
知らずばなにか旅の身に
人のなさけも薄からむ
知らずばなにか移る世に
仮の契りもあだならむ
一つの石のつめたきも
万の声をこゝに聴き
一つの花のたのしきも
千々の涙をそこに観る
あな寂寥や吾胸の
小休もなきを思ひみば
あはれの外のあはれさも
知恵のさゝやぐわざぞ是

かの深草の露の朝
かの象潟の雨の夕
またはカナンの野辺の春
またはデボンの岸の秋
世をわびゞとの寝覚には
あはれ鶉の声となり
うき旅人の宿りには
ほのかに合歓の花となり
羊を友のわらべには
日となり星の数となり
麦に添ひ寝の農夫には
はつかねずみとあらはれて
あるは形にあるは音に
色ににほひにかはるこそ
いつはり薄き寂寥よ
いづれいましのわざならめ

さなりあもては冷やかに
いとつれなくも見ゆるより
深き心はあだし世の
人に知られぬ寂寥よ
むかしいましが雪山の
仏の夢に見えしとき
かりに姿は花も葉も
根もかぎりなき薬王樹
むかしいましが●湘の 《●はサンズイに「元」》
水のほとりにあらはれて
楚に捨てられしあてびとの
熱き涙をぬぐふとき
かりにいましは長沙羅の
鄂渚の岸に生ひいでゝ
ゆふべ悲しき秋風に
香ひを送る●の草 《●はクサカンムリに「惠」》
またはいましがパトモスの
離れ小島にあらはれて
歎き仆るゝひとり身の
冷たき夢をさますとき
かりに面は照れる日や
首はゆふべの空の虹
衣はあやの雲を着て
足は二つの火の柱
黙示をかたる言葉は
高きらつぱの天の声

思へばむかし北のはて
舟路侘しき佐渡が島
雲に恋ひしき天つ日の
光も薄く雪ふれば
毘藍の風は吹き落ちて
梵音声を驚かし
岸うつ波は波羅蜜の
海潮音をとゞろかし
朝霜ふれば袖閉ぢて
衣は凍る鴛鴦の羽
夕霜ふれば現し身に
八つのさむさの寒苦鳥
ましてや国の罪人の
安房の生れの栴陀羅が子を
あな寂寥や寂寥や
ひとりいましにあらずして
天にも地にも誰かまた
そのかなしみをあはれまむ

げに昼の夢夜の夢
旅の愁にやつれては
日も暖に花深き
空のかなたを慕ふとき
なやみのとげに責められて
袖に涙のかゝるとき
汲みて味ふ寂寥の
にがき誠の一雫
秋の日遠しあしたにも
高きに登りゆふべにも
流れをつたひ独りして
ふりさけ見れば鳥影の
天の鏡に舞ふかなた
思ひを閉す白雲の
浮べるかたを望めども
都は見えず寂寥よ
来りてわれと共にかたりぬ




響りん/\
 音りん/\

響りん/\音りん/\
うちふりうちふる鈴高く
馬は蹄をふみしめて
故郷の山を出づるとき
その黒毛なす鬣は
冷しき風に吹き乱れ
その紫の両眼は
青雲遠く望むかな
枝の緑に袖触れつ
あやしき鞍に跨りて
馬上に歌ふ一ふしは
げにや遊子の旅の情

あゝおさなくて国を出で
東の磯辺西の浜
さても繋がぬ舟のごと
夢長きこと二十年
たま/\ことし帰りきて
昔憶へばふるさとや
蔭を岡辺に尋ぬれば
松柏すでに折れ砕け
径を川辺にもとむれば
野草は深く荒れにけり

菊は心を驚かし
蘭は思を傷ましまむ
高きに登り草を藉き
惆悵として眺むれば
檜原に迷ふ雲落ちて
涙流れてかぎりなし

去ね/\かゝる古里は
ふたゝび言ふに足らじかし
あゝよしさらばけふよりは
日行き風吹き彩雲の
あやにたなびくかなたをも
白波高く八百潮の
湧き立ちさはぐかなたをも
かしこの岡もこの山も
いづれ心の宿とせば
しげれる谷の野葡萄に
秋のみのりはとるがまゝ
深き林の黄葉に
秋の光は履むがまゝ

響りん/\音りん/\
うちふりうちふる鈴高く
馬は首をめぐらして
雲に嘶きいさむとき
かへりみすれば古里の
檜原は目にも見えにけるかな




薮入

 上

朝浅草を立ちいでゝ
かの深川を望むかな
片影冷しわれは今
こひしき家に帰るなり
あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し。

籠の雀のけふ一日
いとまたまはる薮入や
思ふまゝなる吾身こそ
空飛ぶ鳥に似たりけれ

大川端を来て見れば
帯は浅黄の染模様
うしろ姿の小走りも
うれしきわれにむ同じ身か

柳の並樹暗くして
墨田の岸のふかみどり
猟り舟の艪の音は
静かに波にひ具ゞくかな

白帆をわたる風は来て
鬢の井筒の香を払ひ
花あつまれる浮草は
われに添ひつゝ流れけり

潮わきかへる品川の
沖のかなたに行く水や
思ひは同じかはしもの
わがなつかしの深川の宿

 下

その名ばかりの鮨つけて
やがて一日は暮れにけり
いとまごひして見かへれば
蚊遣に薄き母の影

あゆみは重し愁ひつゝ
岸辺を行きて吾宿の
今のありさま忍ぶにも
忍ぶにあまる宿世かな

家をこゝろに浮ぶれば
夢も冷たき古簀子
西日悲しき土壁の
まばら朽ちたる裏住居

南の廂傾きて
垣に短かき草箒
破れし戸に倚る夏菊の
人に昔を語り顔

風吹くあした雨の夜半
すこしは世をも知りそめて
むかしのまゝの身ならねど
かゝる思ひは今ぞ知る

身を世を思ひなけきつゝ
流れに添ふてあゆめばや
今の心のさみしさに
似るものもなき眺めかな

夕日さながら画のごとく
岸の柳にうつろひて
汐みちくれば水禽の
影ほのかなり隅田川

茶舟を下す舟人の
声遠近に聞えけり
水をながめてたゝずめば
深川あたり迷ふ夕雲




鼠をあはれむ

星近く戸を照せども
戸に枕して人知らず
鼠古巣を出づれども
人夢さめず驚かず

情の海の淡路島
通ふ千鳥の声絶えて
やじりを穿つ盗人の
寝息をはかる影もなし

長き尻尾をうちふりつ
小踴りしつゝ軒づたひ
煤のみ深き梁に
夜をうかゞふ古鼠

光にいとひいとはれて
白歯もいとゞ冷やかに
竈の隅に忍びより
ながしに捜る驂の骨

闇夜に物を透かし視て
暗きに遊ぶさまながら
なほ声無きに疑ひて
影を懼れてきゝと鳴き鳴く




問答の歌(少年のためにとてよめるうた二首)

 其一

梅は酸くして梅の樹の
葉かげに青き玉をなし
柿甘くして柿の樹の
梢に高くかゝれるを
君は酸からず甘からず
辛きはいかに唐がらし

こたへていはく吾とても
柿の甘きを知れるなり
梅の酸きをも知れるなり
たゞいかにせむ他の上
吾は拙なかものなれば
生れながらに辛きなり

二つの味を一つ身に
兼ぬべき世とも見えざれば
のたまふ酸きと甘きとは
梅と柿とに任せおき
吾は一つを楽みて
せめて辛きを守り頼まん

 其二

昔、昔、駒鳥の
籠の中より言ひけるは
烏、烏、飛ぶ烏
吾窗ちかく来れかし

樹枝は君の枕かな
青葉は君の衾かな
行くも帰るも思ふまゝ
君が身こそは恋しけれ

われは深山を想ひいで
籠に涙をそゝぐ身ぞ
小暗き窓に眺め倚り
風と雲とを慕ふのみ

籠の外なる烏鳴き
烏答へて言ひけるは
善く歌ふ人善く愁ふ
な哀しみそ駒鳥よ

君は寵児と愛でられて
今や栄華の籠の中
吾は寂しき樹の蔭に
独り友なき籠の外

清しき声のなかりせば
君は嘆きも見ざらまし
甲斐なきものと思ひきや
吾身の幸を今ぞ知りぬる




鳥なき里

鳥なき里の蝙蝠や
宗助鍬をかたにかけ
幸助網を手にもちて
山へ宗助海へ幸助

黄瓜花さき夕影に
蝉鳴くかなた桑の葉の
露にすゞしき山道を
海にうらむや幸助のゆめ

磯菜遠近砂の上に
舟干すかなた夏潮の
鰺藻に響く海の音を
山にうらやむ宗助のゆめ

かくもかはれば変る世や
幸助鍬をかたにかけ
宗助網を手にもちて
山へ幸助海へ宗助

霞にうつり霜に暮れ
たちまち過ぎぬ春と秋
のぞみは草の花のごと
砂に埋れて見るよしもなし

さながらそれも一時の
胸の青雲いづこぞや
かへりみすれば跡もなき
宗助のゆめ幸助のゆめ

ふたゝび百合はさきかへり
ふたゝび梅は青みけり
深き緑の樹の蔭を
迷ふて帰る宗助幸助




七曜のすさび
 木曜日の散歩

(省略)




金曜日の懐旧

(省略)




土曜日の音楽

(省略)




日曜日の談話

(省略)




月曜日の手紙

(省略)




火曜日の新茶

(省略)




水曜日の送別

(省略)




雅言と詩歌

(省略)



 

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菊池真一

URL http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/

Eメール kikuchi@konan-wu.ac.jp